今は昔・・・・、まだ日本がバブルを迎えるよりもず〜と前のお話ですが、

ドイツ留学を終えて日本に帰ってきて、再び東京に住み始めた頃(・・・というのは、日本に帰国して、直ぐに東京で生活を始めた分けではなく、帰国後、半年ほどは療養がてら故郷の長崎の家に帰省しており、そこで、東京での就職活動をしていました。)・・・のことです。
知り合いの調律師から「芦塚先生!スタインウエイのフルコンサートピアノが16万であるのですが買いませんか?」と相談を受けました。
当時は日本の住宅が世界の人達から「ウサギ小屋」と呼ばれていた頃で、鉄筋のマンションなどもまだ珍しく、フルコンが置ける(入るスペースのある)家自体も珍しく、普通のグランドですら置き場所の関係で下取りされることは珍しかったのです。
逆にアップライトの中古は売れに売れて中々見つからないという時代でした。
・・・ということで、ある有名なピアニスト(女性だからピアニスティンかな??)が、部屋に2台のグランド・ピアノを置かなければならなくって、流石に、フルコンでは問題外で、泣く泣く愛用のスタインウエイのフルコンサートグランドとお別れしなければならなくなってしまったのだそうです。


当時、教えていた女の子のお家が、大きなマンションだったので、(住んでいたのではなく、オーナーですが・・・)一部屋をフルコンを置くために貸してくれないか?と相談しました。

「勿論、そのピアノで練習しても構わないので・・・」という条件を出したのですが、「自分で買うのなら兎も角、置いておくというのじゃあ、ダメ」と、断られて、私も泣く泣く、フルコンのsteinwayを手に入れるチャンスを逃しました。
その後は、「私も欲しい!」というピアニストが続出したのですが、中々タイミングが、上手くいきませんでしたね!?


左側に掲載した写真は、江古田教室のグランドピアノです。

当時、お付き合いのあったヤマハの池袋店の(外回りの)人が、音大生に売っていたグランドで、学生時代に殆ど、弾かれる事もなく、サンルームに放置されていて、下取りが出来ない状態で、それでも、新しいグランドピアノを売るために、下取りをしなければならなかったそうで、「芦塚先生!お願いだから、幾らでも良いから買ってください。」と頼み込まれて、15万で引き取ったピアノです。
勿論、そのままでは、使い物にならないので、当時、日本に帰って来たばかりの、ベーゼンドルファーで勉強をして来た、ベーゼンドルファーの専門の調律師の人に頼んで、私の好みに補修してもらいました。
ひび割れていた表板も、コンパウンドで磨いて、殆どヒビが目立たないようにしたし、大きなオーバーホールは必要なく、レッスン用のピアノとして、再生出来ました。


その他のグランド・ピアノ


教室には(牧野先生のデアパーソンも含めると)4台のグランドがありますが、取り立ててお話しすることもないかな?

オケ教室のグランド・ピアノ
検見川の特別レッスン室のグランドと牧野先生のグランドは特に古いものです。

本来的には古い、状態の良いグランドを自分の好みの楽器に作り変えるのが目的でした。

関東の色々な場所に古いグランドを保存してある倉庫があります。
そういった場所を尋ねて、自分に最も合ったピアノを捜し歩いていた時期がありました。
検見川教室G5とG7の間のセミコンサート・グランドと、牧野先生のデアパーソンは、そういった私がグランド・ピアノを探し歩いていた時期に、見つけたピアノです。

しかし、今現在、オケ教室に置いてあるグランドピアノは、倉庫で見つけた時の、保存状態が余りにも良かったので、逆に自分好みに弄(いじ)るのが、気が引けてしまって、そのまま使用しています。
音量は、兎も角として、touchが大変に重たいので、私のピアノの生徒しか、演奏する事が出来ません。
ピアノの初心者には鍵盤が重すぎて、演奏が出来ないのです。
昔々では、音楽大学の入学試験には、新しいグランドピアノが使用されていました。その理由は、鍵盤がまだ硬く、touchが重たいからです。
通常は、使いこなすに従って、ピアノのtouchは軽くなっていきます。
しかし、私が探して来たグランドは、もう40年以上も前のピアノなのに、相変わらずtouchは重たいままです。
そういう風に設計されているからなのです。
これは、現代のグランドピアノにはない事です。現代のピアノは、touchの軽さが命です。それはシンセサイザー等のキーボードに対応するためでもあります。
シンセサイザーのキーボードのtouchには、全く重さがありません。ふにゃふにゃと触れば、音が出ます。
演奏にtouchのビビッドさは要求されないのです。
Classicの音楽で、何故、touchは重くなければならないのか?これは論文に書いていますので、そちらを参考にして下さい。



私が自分に合った夢のグランドピアノを作り上げる前に、反対に私の生徒達の方が白のグランドにアクションや弦、響盤内部の塗装(ニス)まで塗り替えて夢の(steinwayもどきの)ピアノを作り上げてしまいました。
そのうちの一人の生徒で、音大を卒業して彼女が結婚した途端、あちらこちらから「ピアノを売らないか?」と電話などがあって「音楽をやめたわけではないのに!」と憤慨していました。


花園教室のグランドピアノ


花園教室には、黒のアップライトピアノの他に、白いグランドピアノがあります。
楽器店の中の、小さな80席ぐらいのサロンで、発表会等で使用されていたピアノです。

楽器屋さんがお店を引越しする時に、「7階からのピアノ降ろしの費用と教室までの運送代を負担するのなら、このグランドをあげる」と言われて、喜んで頂いたピアノです。
エレベーターには、入らないので、クレーンで吊り下げる大型の作業が必要だったので、引越しの費用は、16万から17万までかかりました。
でも、グランド・ピアノ一台にしては、安いものです。
楽器屋さんは新しい場所に引っ越してから、同じぐらいのホールに、もう少し大きめのグランドが入っていました。

私が古いピアノを探した理由は・・・・??

古いグランドピアノに私が拘るのは新しいものにない幾つかの良さがあるからです。
しかし、勿論の事、・・「古ければそれでよい」という事でもありません。

グランドピアノは、楽器が大きいものだけに、その楽器の置かれていた場所の環境の影響をもろに受けます。

ヴァイオリン等と同じように、元々の素質に恵まれて、しかも、大切に保存されてきたものだけが再生に耐え得るのです。

また、ピアノは自然環境の問題に一番早く影響を受けた楽器でもあります。
昭和40年頃には、世界的にその環境問題の影響が出始めます。

それは、森林保護のお話です。
ピアノの原木は、それまでの日本のピアノの材料となる原木は、その殆んどがカナダからのものでした。
大手のピアノ製作会社はそれまでは切り出された木から一本一本ピアノに向いた木を選定していけば良かったのですが、カナダ政府が資源保護のために木材の輸出を禁止したのです。
大手企業はいち早くカナダの山全体を買っていたために、直ぐには、木材の不足にはならなかったのですが、それまでは廃材として捨てていた木目(言葉が思い出せない!多分、木の節目や枝の跡)のある板なども使わざるを得なくなっていきました。
また、木材でなく合金やプラスチック、合版でまかなえる所は積極的に、そういったケミカルな材料に変える事によって価格維持を図ることになりました。
またバブルに向かっての経済の復興はピアノ製作にも否応無しにオートメーション化の推進といった技術が入ってくることになり、それまでの職人技が失われて行く事につながって行きました。

また、メディアの発達と共に、人々の好みはクラシックから、より解りやすくて刺激の強いポピュラー音楽の方へ移っていきました。
大衆向けを基本としている日本の大手メーカーは勿論の事、ピアニストの憧れの楽器であったsteinwayのような高価なピアノですら、ポピュラー的な金属的な音と軽いtouchのバランスで作られるようになったのです。

それはジャズの本場、アメリカ・スタインウエイだけの特徴というわけではなく、ヨーロッパの音楽を代表するメーカーであるハンブルグのスタインウエイですら、今日の人々の好みに合わせて、それまでのClassicstyleを捨てて、変化して行ったのです。

という事で、国の内外を問わず、メーカーの善し悪しを問わず、ピアノの音は、現代人に合った、軽いtouchの金属的な音になってしまいました。

というわけで、私のように「古いClassicの音楽や音その物を好むのなら、古い(中古の)昔の楽器を、再生させて・・・。」ということになってしまったのです。
それが、私が古いグランドピアノを探し歩いた理由なのですよ。









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グランドピアノ
四方山(よもやま)話