冬の合宿 2012年12月24日より



合宿の練習風景

四日市教室からのお友達

お食事タイム

合宿のお食事タイムがページの最初に来てしまって、後で先生達に怒られそうですが、結構、芦塚先生は合宿の食事を重要な要素だとして大切に考えていますのでお食事タイムのコンセプトについてお話をします。

合宿のお食事は牧野先生の手料理です。生徒達は牧野先生の手料理がとても大好きで、何度もおかわりをしています。
芦塚先生は食事は、体を作ることだけではなく、音楽の感性を育てるのにも、とても大切だと考えています。
好き嫌いをなくす事や、最低限の食事のマナー等も合宿では指導します。
食事の好き嫌い、いわゆる、偏食は音楽や人間性を偏ったものにしてしまいます。
だから、合宿の食事には「好き嫌い」に対しての最低のルールがあります。それは、「嫌いな食べ物も、一度は口にしてみる」というルールなのです。
口にしてみて、やっぱり嫌いなら、それは、お皿から最初から取り除かれます。
「捨てる」という事は「もったいない」からなのです。
それも物を大切にするという事で、大切な教育の一つになります。
今、国連やユネスコでも、「もったいない」という日本語を世界の標準語にするための運動がなされています。
意外と本人が嫌いと思っているのは、味付けや食感に拠る事が多いようで、ひとくち、口に入れて、一回目の合宿では、「やっぱり、嫌い!」といって食べれなくても、二回目の合宿、三回目の合宿になると、いつの間にか「美味しい!おかわり!」とか言って、食べています。牧野先生はそれを見て「フン、フン!」と笑っています。
味覚が成長したのです。「**は嫌い!」という事ではなく、本当に自分の感性に相談出来るように成長したのです。
芦塚先生のお話では、子供達が「好き嫌い」を言っているのは、「食材の好き嫌い」と「味の好き嫌い」に別れるそうです。日本のことわざでは、親の味が子供の味覚を決定するように言われているのですが、じっさいには、子供達を教育している限り、それは正しくはないそうです。
つまり、子供の食べ物の好き嫌いの中で「味の好き嫌い」は、教室の合宿で簡単に治るからなのです。
ホームページにも、載せていますが、ある生徒(小学5年生くらいでしたか・・)が、家で「お母さんのお味噌汁美味しくない!」と文句を言って来ました。お母様は「そんな事、言うのなら自分で作りなさい!」と叱ったそうです。子供はいそいそと自分でお味噌汁を作っていました。お母様が「私にもちょっと食べさせて!」と食べてみたら、「先生、本当においしかったのですよ!」と驚いていました。
合宿の時に、牧野先生に「先生、うちのお母さんのお味噌汁、不味いのよ!」と、文句を言っていたので、牧野先生が「そんな事を言うのなら、自分で作ったらいいんじゃない!?」と言ったら、「そうか!」と言って、牧野先生にお味噌汁のお手伝いをしながら、コツを習っていました。その結果の話です。


牧野先生が合宿の度に、一日中、食事作りに追われているのを見かねて、「デリバリーを使ったら?」とadviceをしてくださったり、家で料理を作って持って来てくださったお母様がいました。
しかし、子供達は実に、シビアーで、そういった品目はおかわりをしない、どころか、殆ど余ってしまって、「今度の合宿の食事は美味しくない。」とストレートに言われてしまいました。
という事で、その後はやはり、大変でも、牧野先生が丁寧に手作りをしています。
合宿としては、牧野先生が生徒の指導に当たった方が、効率が良いのですが、合宿の食事は、子供達にとっては、一番の楽しみのひとつであるのは、当然ですが、教育の一貫でもあるので、そこを手抜きする事は、やはり出来ません。



食事の好き嫌いをなくす方法は、美味しいものを手作りをして食べさせるという事なのですが、もう一つの方法は、自分でお手伝いしたものには、愛着が湧くという事なのです。
昔、中学生の女の子で、偏食が酷くて、全く何も食べれない子供がいました。野菜嫌い、魚嫌い、肉嫌い、ご飯もパンも嫌いです。「何を食べているのか?」って不思議になりますよね。朝から、お菓子を食べているのですよ。だから、一番、肌が輝いていなければならない歳なのに、肌が粉を吹いているのですよ。
芦塚先生は女の子に、「今の、食事が10年後の君の体を作るんだよ!」と言って、トマトの皮むきの仕方を教えていました。「トマトの皮のムキ方には、幾つかあるけれど、今回は魚の皮むきや色々な皮むきの基本になる方法だよ。」と言って、まな板の上を滑らせる包丁の使い方を教えていました。
あまり、綺麗に剥けなかった皮は、皮だけをもう一度、スライスしなおして、その分は「もったいない。」と、直接食べてしまいました。
その日の夕食は、トマトだけは、食べれたのだよね。
自分で剥いたトマトだから・・・。




小さい生徒や初心者の生徒は、練習時間があまり持ちません。だから、牧野先生のお手伝いをします。
まだ、包丁を使えない小さい子供達のために、芦塚先生はピーラーを10本も買い揃えてくださいました。
色々な食材を下ごしらえして、料理に変わって行くのを見ることは、食事に興味を抱く事にもなります。興味があることに対しては、ヘタにはならない。
つまり、偏食にはならないのですよ。

また、合宿はこれだけの人数の生徒達が一堂に会して、食事をします。
だから、早くから、椅子に座って今か今かと待っている子や、皆がテーブルの前に座って、待っているのに、自分の事をやって、中々座ろうとしない子もいます。食事をするスピードも早い子供もいれば、非常に遅い子供もいます。だから、一緒に食事を始めたとしても、早く食べ終る子と、いつまでも食事をしている子供がいます。
でも、合宿の基本は、団体生活の基礎を指導する事でもあります。
食事は皆が揃って、(食事を作っている牧野先生やお手伝いのお母様達も椅子に座って)「頂きます。」を一緒にします。
もちろん、「ごちそうさま」も、皆一緒にします。
でも、まだ食べ終わっていない子供もいますよね。
じゃあ、食べ終わっていないのに食事を終わらなければならないの??
まさか、そんな事はありませんよ。

当然、「ごちそうさま」の挨拶は、みんなと一緒にしますが、ごちそうさまの後でも、そのまま、食べていていいのですよ。
「ごちそうさま」はみんなと食べているのが、「ごちそうさま」なだけで、自分は自分のペースのままで、そのまま、ゆっくりと食べていて良いのです。
先生達も、上級生のお姉さん達も、食事中は、生徒のおかわりのお給仕をするので、自分達はあまり食べれないのですよ。だから、ごちそうさまの後が、先生達や上級生の食事時間になるのです。

今の日本の学校教育では、食事は給食の配送センターの都合で行われているところが多いようです。食事の配送の時間は、車の移動コースによる都合で、ある小学校は搬入は早いのですが、授業の都合で食事は12時からなので、回収が12時10分というめちゃくちゃな時間で、しかもその街に食事を作る給食センターが一件しかなかったので、その小学校の給食は悲惨なものでした。
いづれにしても、学校では、急いで食事をして、遊ぶというのが一般的でなないでしょうかね。
食事というのは、ゆっくりと味わってたべるのが、欧州では一般的な教育です。
芦塚先生は、腹が減ったから、必要に迫られて、そこらのコンビニで間に合わせる食事の事を「*」と言っています。
「今日は何か美味しいものが食べたいな?」というのが、食事だそうです。
食事は芦塚先生にとっては、味わって食べるものなのでしょうね。

芦塚先生の起床時間は6時頃が多いのですが、そのまま仕事を始めてしまうので、気がつくと夕方の5時、6時になってしまっている時が多いそうです。だから、お茶と一緒にせめて、パンのひと切れでも食べるように、進言しているのですがね。中々「仕事している時には、食べる事自体、お腹が空いたこと自体を、忘れてしまっていることの方が多いので・・」ということだそうです。









勿論、教室では男の子も食事のお手伝いをします。
むしろ、先輩達は、料理や配膳が上手な先輩が多かったようです。
今日では、男の子が台所でお母様のお手伝いをしたり、自分が食べたものの片付けや食器を洗う事は、自然で、何の不思議もない話ですが、芦塚先生が子供時代には、時代的に「男子厨房に入るべからず」と言う言葉があるように、台所は女性の砦で、男性は絶対に入ってはいけない場所だったのです。だから、男の子が台所で調理に関する何かを教えてもらうという事は全くなかったのだそうです。

だから、中、高生になって、親の再婚で、親と別居するようになった時も、それから大学生になって、東京で一人暮らしするようになった時も、本当に何も作れなくって、困ったそうです。
世事に詳しいお兄様に相談すると、(当時は戦後の食糧難をやっと脱して、三色の栄養のバランスが口にされるようになった時代)で、「三色の食材を気をつけて取れば、ピーマン(緑)と玉ねぎ(白)と人参(赤)と肉のコマかひき肉で、たまにキャベツでも微塵にして入れて、卵でも入れて、フライパンで調理すれば、栄養のバランスは取れるよ!」と言われて、早速それで、インスタントの焼きそばを作ったり、バリエーションをしていたそうです。
色々な、料理をする芦塚先生も大学生の頃は、全く料理が出来なかった、というのは、面白い話ですよね。


芦塚先生のお父様は長崎大学の医学部の助教授でした。亡くなる10日程前に、アメリカ軍の飛行機が「新型爆弾の実験をするから、長崎から非難するように」という、ビラを配りました。そのビラを読んだ芦塚先生のお父様とその友人達はこっそりと外電の傍受をやっていたので、新型爆弾が原爆であるという事は直ぐに分かりました。
しかし、当時は、外電の傍受をしているという事が分かっただけででも、「非国民」として銃殺されてしまった時代です。その事実を公表する事は出来ませんでした。
という事で、お父様は、「自分の生徒や患者達だけを死なせるわけには行かない。」といって、まだ生まれたばかりの子供(芦塚先生のお兄様です。)とまだ見ぬ生まれる前の子供(芦塚先生の事です。)に、髪の毛と爪と遺書を書いて、大学病院に出かけて行きました。
その遺書は祖母が大切に保存していたのですが、本家の家がなくなった今、祖母の遺品をあづかっている従兄弟が私に関する遺品を探してくれません。
まあ、従兄弟にとっては、自分の家族の事ではないからね。




芦塚先生のお母様の再婚相手は、お父様と同じ医者なので、芦塚先生が当然(長男でもないのに)、家を継いで医者になってくれるものだと思っていたそうですが、芦塚先生が音楽大学に進学したので、「学費だけは出してやるけれど、生活費等は一切面倒は見ない!」という事で、生活費は大学の一年生の時から、自分でバイトで稼がなければなりませんでした。
勿論、大学の入学金は出して貰えなかったので、見るに見兼ねた芦塚先生の伯母さまが出世払いで貸してくれたそうです。
芦塚先生は、「バイトをするのなら、お金や生活のためではなく、将来の勉強になるように、音楽関係のバイトしかしない。」と決めて、プロダクションの仕事や教授達の仕事の手伝い、受験生の指導等、音楽関係の仕事でしかもクラシックに限って、ですが、その中では、出来る仕事は全てやりました。
音楽大学の授業は肩書きを付ける以外は、殆ど無意味で、一年生の時から、先生の代わりに、上級生のクラスの勉強を代講していました。芦塚先生は外で、orchestraの仕事や放送局の仕事をして、プロ達の仕事を見ていて、このまま、大学で勉強していては、とても音楽を職業として生きて行く事は出来ないと、判断して、いち早く留学を決心しました。留学をして、もう一度、一から勉強をしなおす覚悟して、その費用を捻出するために稼ぎまくりました。大学は留学の費用を稼ぎ出すための、時間稼ぎでした。でも、1ドル360円の時代です。当面の費用100万を貯めるのは容易ではありませんでした。だから、結構、大学時代は、お金を稼ぐための大変な時代でもあったのですよ。
当時、東大卒の初任給が3万5千ぐらいだった時に、芦塚先生は7万から10万以上稼いでいたそうです。
芦塚先生は料理が出来なかったので、毎日、夜食は近所の寿司屋でトックリ10本も並べていたそうです。その時にカウンター越しに魚を捌いている板前さんの包丁捌きを見て、真似をして少しずつ、包丁の技術を勉強していったそうです。
原稿の書き方も、教授の仕事の手伝いをしながら、覚えました。芦塚先生の当時書いた論文はその教授の名前で文庫本として出版されています。勿論、その本全部ではなく、その中の幾つかの章の話ですが。



芦塚先生のお気に入りのテンプレートですが、この小さなテンプレートでも、小さなお友達にとっては、多すぎて、食事が余ってしまいます。
だから、ご飯等も少なめにつぎますが、それでも多い場合には、事前に言うように子供達に注意します。
食べ残しは極力ないようにしないといけませんのでね。
でも、合宿の経験がまだない生徒は、自分の食べる量の加減が中々出来ません。
それも、合宿の経験を何度か経るうちに、自然に出来るようになっていきます。













































保護者のお母様達も、積極的にお手伝いをして頂いています。
写真が少ないので、お母様達の活躍がup出来ないのは残念ですが、何せ誰か、写真担当の人が決まっているのではなく、空いている人が写真を撮っているので、どうしても同じようなアングルばかり追いかける事になってしまいます。

















ここの所、練習のスケジュールが忙しくて、おやつタイムを取る事が出来ませんでした。
という事で、お母様達にお手伝いをお願いして、おやつタイムを作りました。
四日市教室の生徒は、電車の都合で、おやつタイム途中で(??)心残りで花園教室を後にして、四日市に帰って行きました。























合宿の練習風景

上級生のお姉さんが優しく教えてくれます。
先生とどっちが優しいかな?
























この小さな生徒が弾いているのは、コントラバスですよ。
10分の1のコントラバスです。
特注でオーダーで作って貰ったものです。勿論、弓も10分の1のサイズの弓です。
大変珍しい楽器ですが、コントラバスをこれぐらいの年齢で勉強する事は、全くありません。
コントラバスは、ソロ楽器と呼ぶには、初歩や中級のレベルで演奏出来る曲が少なすぎて、コントラバスを専門に習うには、曲があまりにも少なく、一人では、つまり伴奏を伴っての曲は殆どありません。
また、分数のコントラバスは日本では勿論、世界的にも、殆ど売っていないので、学校オケでも大人サイズの楽器を無理をして演奏させています。だから、正しいホーメーション(formation)で、正しい音で演奏出来る事はありません。
智子ちゃんの「象さん」がアクセス数でトップになっているのは、そういった理由です。

コントラバスの演奏には、その楽器で演奏出来る曲や、一緒に演奏する人達がいないと無理なのですよ。ソロ楽器ではなくアンサンブル楽器なのでね。
勿論、コントラバスのconcertoも沢山あります。でも、音楽大学の学生が弾ける程度のレベルの曲は少ないと思いますよ。
とても、難しい曲ばかりです。
幾ら珍しいからといっても、コントラバスの曲は簡単な曲は殆どないからね。
コントラバスは、orchestraや室内楽では、最低音を担当します。縁の下の力持ちです。
室内楽の曲にコントラバスが入るだけで、ズッと音に深みが出て、オケのようになります。

ピアノは一人オーケストラです。一人で音楽の全てを表現します。だから、演奏が独善的になりやすいのです。
特に、上級の生徒がtempo rubatoを学ぶようになると、日本のピアノの学生達は感情的、独善的なrubatoをします。つまり、感情的にその場の雰囲気で演奏してしまいます。それでは、伴奏は勿論、concertoの演奏等、出来るはずはありません。
だから、ピアノの生徒が上級になる前に、コントラバスを担当させます。低音の動きを教える事も重要な要素ですが、tempoを支えるのもコントラバスの役目だからです。
































先ほど、お姉さんに習った事を、伝達しながらの練習です。正しく理解出来てから、始めてちゃんとした練習が出来ます。
つまり、理解出来たとしても、伝達が出来なければ、本当に理解したとは言えないのです。
日本の音楽の先生は、とても言葉が下手です。だから、二言目には「こう弾くのよ!」と言って、自分の楽器を取り上げて生徒に弾いて見せます。

私の弟子でプロになった金子君が、まだ高校生ぐらいだった斉藤先生達に説明していました。

説明がある程度正しくて、演奏がデタラメなら、良い先生で、説明はめちゃくちゃでも、演奏がまあまあならば,まだそれは良い先生です。問題は殆どの先生が、説明も演奏も出来ないという事で、先生が何を求めているのか分からないという事で、練習のしようがなくなってしまう、という事です。
生徒がやっちゃいけないpedalingをしていると先生が怒りまくって、「こう、弾くのよ!」とピアノを弾いているのですが、どう見ても、その生徒さんが弾いているのと同じpedalingなのですがね。

芦塚先生のcurriculumでは、sonatineやsonateのpedalingは、先生がpedalの踏む位置を鉛筆で書いて正確に指示をします。一般に楽譜に元から書いてある通りにpedalを踏んだらえらいことになってしまいます。
日本人は実際に出てくる音よりも、楽譜上の記譜を優先しますが、それは馬鹿らしい間違えたアカデミズムです。学術的な根拠はありません。









いつもの、自治会館の部屋がよその教室が発表会をやっていたので、その2階の和室を借り切って練習をしました。
クリスマス会では、牧野先生手作りのケーキを皆で食べた部屋です。
畳の部屋は、幾ら広くても吸音性がすぐれているので、弦楽器的には、弾きやすくはありません。
でも、どこでも、いつでも、が、芦塚メトードの原則なのでね。



















芦塚先生の楽典教室です


花園教室では、合宿中は芦塚メトードによるorchestraの譜面に、練習番号を付ける勉強をしています。
一般的には、練習番号は、練習の都合で感覚的に付けられます。
それが、当然、当たり前と思うでしょう??
それが違うんだよね。
つまり、校訂者がviolin奏者なら、violinに都合の良いように練習番号を付けてしまうのです。
だから、celloさんは、とんでもないmelodieの途中から,弾き始めなければならなかったりする。
それが普通なのですよ。

だから、最初から楽譜に印刷されている練習番号なんて、実際の練習には程んど役に立たないのですよ。

それに、練習番号を感覚的に付けていたら、その人その楽器で全部練習番号の位置が変わってしまい、結局練習番号をつけた人の楽器が優先されることになります。


そこで、芦塚メトードの登場なのですよ。殆ど曲はABAのシンメトリーの構造で出来ています。だから、一番大きな「括り」を□の中に大文字のAを書いて、分類します。次にAの中を次のstageで分類していきます。曲が大きい場合には、更に、分類します。
実は、このやり方は芦塚先生の構造分析のやり方と全く同じなのです。
つまり、全体合奏の色々な曲もBeyer教則本の中の曲も全く同じ構造で出来ているのです。
難しいBrahmsの室内楽の曲もBeyerの身近な曲も全く同じ構造で作られているという事が分かると、曲を弾く事も、暗譜をする事も、分析する事もとても簡単になるのです。
一事を知る事が万事を知ることになるのです。
それが芦塚メトードの基本理念です。















本当はとても簡単な芦塚メトードが、子供達にとっては、とっても難しく感じられるのは、一つ一つは単純で分かり易いのに、それが色々な分野に絡んだ途端に分からなくなってしまうのです。
そこが芦塚先生の難しさなのでしょうね。
芦塚先生の雑談は、どんどん何処かへ行ってしまって、何故どうして、その話をしているのか分からなくなってしまうからです。
で、突然、「だから、君の質問の答えは・・・」は、と言われてもねえ??
もっとも、芦塚先生自身も途中でなんでその話が出てきたのか、忘れてしまって、最初の質問はなんだっけ??と聞いてくる事もあります。
アハッ、ハッ、ハッ!













































四日市教室からのお友達

発表会や連休のお休みは、学校との兼ね合いで、中々参加出来ません。
夏休みや冬休みのような、時間にゆとりがある時には、頑張って参加したいのですが、今年は夏の合宿はありませんでした。


だから、久しぶりの合宿になります。それに、クリスマス会は楽しいので是非参加したいという事です。





























































































お泊りの荷物は、来る時も、帰る時も郵送です。手荷物は楽器と身の回りの品だけの最小限を持って移動します。
自分の家の住所はちゃんと間違わないで書いてよね。














2013/1/05 20:21
約2週間後の四日市教室のレッスンで、合宿に来た3人は、やたら楽しそうで、ノリノリでした。
練習が中々前向きになって、とても良い感じでした。
恐るべし合宿効果!
四日市教室は、楽典の授業を始めたばかりなので、千葉の生徒達との合同の楽典の授業は、初めてばかりで、大変だったかな?
明日の楽典では、その3人に今日予習した楽典の授業をやらせてみようと思います。
合宿効果はどうかな??










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