花園の教室の黒のアップライト・ピアノ

(第二稿)

指導者向けのページ

 

花園教室の黒のアップライト・ピアノで音大を卒業したばかりの若い女の先生からレッスンを受けていた小さな生徒が「このピアノの鍵盤はどうして黄色いの?」と先生に尋ねた。
それに答えてその若い女の先生は生徒に「このピアノは古くて、ぼろいから鍵盤が黄色なのよ。」と答えていた。


それを聞いた教室の指導講師の先生が「生徒の前で、生徒に対して『楽器をぼろい』と言う事は、もし楽器が本当に古いものだとしても、先生が言うべき言葉ではなくって、許せない。と烈火のごとく怒っていた。音楽を学ぶからと言って、必ずしも父兄が裕福であるとは限らないし、楽器の値段は子供の教育や音楽に対しての父兄達の価値観によるのだ。つまり、直接学校の成績に反映するから、「塾にはいくら金が掛かってもかまわないけれど、音楽は所詮趣味に過ぎないのだから、音楽にはそんなにお金をかけたくない。」と言って始められる父兄が殆どなのだ。

当然教室が相談を受ける時には、一番安くて、しかもレッスンに耐え得る楽器という希望が一番多いのだ。
そういった父兄の一番の理由は、もし音楽を勉強させても、子供が長続きするかどうかが分からないからという理由である。

子供達がだんだん音楽が好きになって来て、音楽をライフ・ワークのように一途に思ってくると、当然父兄の音楽に対しての価値観も変わってくる。防音室を作る親や、生徒が上達して、いろいろな曲を弾きこなせるようになってくると、それの相応した楽器を買い求める父兄も出てくる。
当然、小学生の子供でも、
500万を越す楽器を持っている生徒も多数いるのだ。当然その楽器は100年前、或いは200年前の楽器である。それを古い、ぼろいという人はいない。
本当に良い物は、何年経っても良い物であるからである。

勿論、音楽を将来的に職業としたいと言う希望を持っている音楽大学生ならば、生徒達全員に「最低でも、幾らの楽器を準備しなさい。」と先生が言う事は可能かも知れないが、私達が指導している所は、巷の音楽教室に過ぎない。むしろ、父兄が「**円ぐらい準備できますが?」と言ってきて、「まだ、そんな高価な楽器を弾きこなすには技術が足りません。早いです。」と断る事すらある。安い楽器を完璧に弾きこなして、それ以上の音を出せなくなった時が、その生徒の楽器を買い換える時期なのだよ。

また、私達の教室の生徒は、自分の楽器と人の楽器を比較して自慢する生徒なんかいない。なぜならば、その楽器を弾きこなせなければ、先生の容赦のない、揶揄が飛んでくるからである。「そんなに楽器を鳴らせなければ、楽器店に返しちゃおうか?」

人のことをとやかく言う暇はない。
安い楽器であろうと、高価な楽器であろうと鳴らすのは自分自身の力量だからである。
安い楽器をこれ以上ない位に上手に弾きこなせれば、高価な楽器を力不足のために鳴らせない生徒よりも遥かに良い音がする。
当たり前の事なのだがね。
音楽の世界では、楽器の価値は金額ではない。その人の力量なのだ。

 

というわけで、最初の話に戻って、・・・

花園教室の黒いアップライト・ピアノが古くて、ぼろっちぃピアノにしか見えない先生であれば、子供達に本当の音や本当の音楽を指導するのは無理であろう。
見かけのみすぼらしさに惑わされて、本当の価値が見えなくなっているのだから・・・。

 

今時の若い先生達では象牙など、見た事がないので「古いから鍵盤が黄色い」等と言う事を言ってしまうのは仕方がないのかもしれない。

しかし、もし黄色くなった象牙の鍵盤が嫌ならば、象牙の鍵盤は過酸化水素水で いとも簡単に真っ白く漂白する事ができる。
一度調律師の人が
少し)だけ漂白をしてくれたことがあるのだが、私は真っ白く漂白した象牙は好きではない。象牙は黄色いから象牙なのだよ!

一般にも、象牙は漂白をしない物の方が価値は高いのだが、その価値が分からない人達のために、一般的に安い象牙は漂白して異常なほど白くして売っている。
しかし勿論、無漂白の象牙の方が金額的に価値はあるのですよ。
印鑑などでは必ず(わざわざ)無漂白と明記してあるもんね

象牙の鍵盤は手入れが難しいし非常に高価なので、今ではよっぽど高価なピアノでもない限り天然の象牙の鍵盤は使用しません。

通常は人造の象牙を使用しています。
人造の象牙であれば手入れも簡単で、鍵盤が黄ばむ事もありませんし、冬でも指先が凍えるぐらいに冷たくなる事もありません。
梅雨の時期に鍵盤が湿気で汗をかくこともありません。
象牙の価値が分からない人は牛乳で作ったイミテーションの象牙で充分なのではないのかな??

ハッ、ハッ、ハッ!

 

また、結構塗装が傷だらけで、それも子供達の非難の対象になっているようだが、それはこのピアノを私が教室用に貸してからのお話です。それまでの20年間は、傷一つなかったのですよ。

私自身は、ピアノの上に楽譜やステレオ等を乗せる事はとても嫌いです。

物を落としてピアノを傷つけたり、ピアノの音(響き)自体も悪くなるからです。

しかし、教室のスペースの関係で、黒ピアノの部屋に楽譜棚を置くことができないし、毎週のオケや室内楽の練習でも、目一杯に教室を使用しますので、どうしても子供達がピアノにぶつかったりします。
楽器が傷つくのを見る度に、私としては「別のヤマハかなんかの新品のアップライト・ピアノに交換して、自分の家に引き取ろうかな?」といつも悩んでいます。
(目下使用していない傷つけても心の痛みの少ない安いアップライトはまだ教室には、2台ほどあります。)

 

この長年教室に置かれたことによって傷ついたピアノの塗装ですが、実はこの塗りは宇和島塗りの、しかも7回塗りです。

通常の一番安いアクリルの塗装でも、全面を塗り替えると、30万ぐらい掛かりますよね。

宇和島塗りだとすると、私達が普段使用している小さな小さなお箸でも、数千円もしますよね。
しかも、ピアノの全面を、それも
7回塗りだということなら、このピアノの塗装は、如何に高価な物であったのかお分かりだと思います。(というか、技術的に今日ではもう出来ないでしょうね。)

教室でオーダーしたルーカス・モデルのチェンバロでさえ3回塗りなので、如何にお金や手間隙が掛かっているのか分かります。通常は一回しか塗らないのですよ。

 

子供達に本当に良い音楽を指導する先生ならば、そういった道具の良し悪しや価値は分からなければ、そして本当の本物を子供達に教えなければ、良い先生とは言えないのではないでしょうかね?

勿論、このピアノはそういった外見だけではなくって、今日では高価なピアノには一般的に使用されるようになった、レスローの弦とレンナーのアクションを搭載しています。

昔々はレスローの弦とレンナーのアクションというのはsteinwayだけだったのですから。

 

昭和30年代では、1ドルが360円の時代でしたし、日本もまだすごく貧しい時代でしたから、町のコンサートホールですら、輸入品のsteinwayのピアノを手に入れる事は殆ど(日本の国力的には)不可能でした。まだ敗戦の痛手からやっと抜け出そうとしていた時代でしたからね。型はアップライトのピアノですが、実は鍵盤の両側を延ばして、グランドと同じ弦長を可能にしたので、通常のアップライト・ピアノの重さ250sではなくって、グランド・ピアノと同じ450sの重さがあります。

 

ピアノ運送業者泣かせの、羊の皮を着た狼という、見せ掛けだけのアップライト・ピアノなのです。(事実上は弦長等も、実質上はグランド・ピアノなのです。)

 

こんな馬鹿げた質問をしてくる人がいました。

「じゃぁ、なんで最初からグランド・ピアノにしなかったのですか?」

戦争未亡人で、ウサギ小屋の県営のアパートに住んでいて、そんな狭い部屋にグランドが置けるわけはないでしょう?
そりゃ、畑を売って、そのお金でピアノを買ってくれたのは祖母ですが、日常の生活を共にしているのは、戦争未亡人で毎日仕事に出ている母親ですからね。

当時は、ピアノを勉強する事すら、大変な事だったのですよ。ほんの一部のお金持ちの人達しか出来ない時代だったのですよ。

今日日(きょうび)バブル期に若い時代を過ごして来て、お金の苦労を全くしたことがないままに音楽を勉強してきた人達は、貧乏人の事は言っても分かってくれません。

「私の家はサラリーマンだけど、音楽大学にいけたわよ。」

でも、入学から卒業までの学費(一千万円以上)を払えるサラリーマンは、そんなに多くはないんだよね。
音楽やっている人達にはそこの所がわからない。

作曲家の90%までは貧乏人なのにね。

そりゃ、確かに、貧しいピアニストはいないわさね!!

われわれが当時、生活が苦しいと言っていた時代の生活の意味は、steinwayのピアノが買えるかどうかではなくって、今日食べる米が買えるか?今、住んでいる家の家賃が払えるか?暖房費が払えるのか??っていう話なのだけどね。

そういった苦労をした事のない人には分からんわね!!
分からん人に説明するだけ無駄か??

ハッ、ハッ、ハッ!