芦塚先生のFacebookより抜粋
2017年12月25日
オケの指導そのものに関するpointは、指導の内容を如何に、詳しく正確に、把握するかによります。
教室のオケ練習のinterpretationは、material(要素)に拠る指導法を使用しています。
だから、その曲に対して、materialが幾つあるか?…を知る事で、演奏の技術を幾つ習得しなければならないのか??…が自動的に決まります。
と言う事で、練習のpoint出しは、materialの把握に尽きます。
もっと、具体的に言うと、scoreを見て、楽譜上で、分析が出来るか否かに、練習の上手下手が委ねられているのです。
scoreを分析する能力次第で、練習の上手下手が決まるのです。
今回の発表会の課題曲のBoccheriniのconcertoなのですが、Haydnや他の作曲家に比べてorchestraの演奏技術が非常に難しいとされるBoccheriniなのですが、その最たる理由は、この曲が、orchestraの書法ではなく、室内楽の書法で書かれているからなのです。
今日は、そのBoccheriniのconcertoの室内楽的な部分を、練習の仕方を具体的にpickupして、説明をする事で、明日の練習課題と、しました。
明日は、その部分を正確に室内楽のように演奏出来るように、pickup部分の抜き出し練習をすれば良いのです。
今日は合宿中日の26日でした。
練習が終わって練習に入る迄の間のinterval(所謂、loss-time)を上級生が計って、time表に書き込んでいましたが、流石に、前の日のお説教が効いたのか、loss-timeは、昨日の30分ぐらいとは打って変わって、全部のintervalが、10分以内の、5分から3分ぐらいに収まっていました。
最初、自治会館に着いたばかりの時には、昨日、見ていなかった曲を3曲程練習していたので、pointが、やはりズレていて、そのcheckをしたのだけど、初心者には難しかったかも知れないネ??
八千代組+㌁の㌁にとってはね??
次の曲に入って、前日に練習のpointの説明をしていた曲だったので、ワリと練習は上手く行きました。
つまり、「練習をする」と言う事よりも、「練習の仕方を勉強する」という芦塚メトードに始終したのですよ。
この方法は、1曲毎には、とても時間が掛かるのですが、一度、理解出来ると、上達が早いので、結果的には、時短になります。ハイ!
でも、子供達への指導で、体を労って、安静にしていなかったので、毎日少しづつ、段々、痛みが酷くなって来ているようで、最悪、このまま冬休みは寝込んでしまうのかな??
そんな気がして来たぞな・・・??
2017年12月18日
意味を知らない子どもたち
昨日は12月17日クリスマス会の前の最後の練習でした。
「清しこの夜」の練習の時に、小学生の子供達に、この曲のimageを説明しようとして、「クリスマスって、どういう意味か知っているのかい?」と質問をしたら、「presentを貰う日」とか、「ケーキを食べてご馳走を食べに行く日」とかで、本来のNoëlの意味を知っている生徒は一人もいませんでした。日本では、America同様に、完全に企業のイベントになってしまっているからね??
勿論、今回のクリスマス会のthema曲のSaint-Saënsの「動物の謝肉祭」の「謝肉祭」の意味なんて知る由もありませんよね??
ヨーロッパのクリスマス・・と言っても、ドイツのクリスマスは、もう少し落ち着いた、宗教的な行事なのですがね。日本のChristmasはアメリカナイズ化された企業が中心の行事なので、本来の意味すら無くなってしまっています。
ヘルマン・プライのドイツのクリスマスの歌のvideoはとても素敵で、よく子供達へ参考にさせているのですが、何せ、video-tapeの時代なので、映像が酷過ぎるので、今は、中々見せられません。
日本の子供達は、キリストの意味も知らないようなので、説明するのに困ってしまいました。
勿論、私もキリスト教の信者ではないのですが、音楽を勉強する場合には、cantataや missa(英mass)の勉強をするためにも、或る程度の知識は必要なのですよ。
ちなみに、英語のmass、所謂、Christmasはキリストのミサ(秘跡)の意味になるのかな??
いずれにしても、キリストが誕生したお祝いのmissaなのですが、それが全く伝えられていないのですよ。
清し=聖なる・・という意味も分かっていない。
何故、「清し」なのかを説明するのに一苦労・・でした。
これは音楽教室がやることじゃなくて、学校か、家庭の問題よ??
2017年12月24日
「クリスマス会と合宿の日程について」
クリスマス会の最後に、うっかりと、「冬休みが終わったら合いましょう!」と挨拶をしてしまいましたが、何と、明日からは冬の合宿です。
(実は、私の気分の中では、もう、合宿は終わってクリスマス会も終わって、教室の休みに入る感覚になっていました。)
その理由は、昔々は、合宿が先にあって、その纏めに、クリスマス会のおさらい会があったので、「クリスマス会=冬の合宿の纏め」で、本当に、クリスマス会が終わったら、「冬休みが終わったら、来年また、逢いましょう❢❢」という挨拶は正しかったのです。
でも、近年は意識の差で、「Christmasやイブは家族と祝いたい」という事を希望される家族が増えて来ました。
しかし、学校が休みに入る日にちは、動かせないので、合宿とクリスマス会のrotationを変更して、Christmasやイブを避けて、家庭でChristmasを出来るように、日程を組むと、クリスマス会と合宿は、今回のように、クリスマス会が先になって、合宿が後になる・・という変速的なrotationになってしまいます。
以前は、クリスマス会のおさらい会に向けての最後の追い込みの練習を、合宿で先輩達が見てくれていたのですが、新しいrotationでは、いきなり、クリスマス会になってしまうので、以前に比べて、クリスマス会の演奏の出来はどうしても、落ちてしまいます。
「合宿の教育目的」
そもそも、合宿を夏休みと冬休みにするようになった経緯には、大きく二つの経緯が有りました。
昔は遠方の地方の生徒が結構居て、videolesson等で教室のlessonを受けていたので、先生達や生徒達と身近に触れ合う機会がなく、その生徒達のために、3月末から4月に掛けての学期休みや、ゴールデンウイーク等を利用して、千葉にお泊りに来させて、先生達が直接、lessonをしていました。
勿論、折角、遠くから教室に来る分けなので、lessonだけでは、つまらないし、どうしても「video-lesson」だけでは、音楽を共に学ぶお友達も出来ないので、先輩達を教室に泊まらせて、地方の生徒の勉強を手伝わせる等々の面倒を見させていました。
それを見ていた他の生徒達も、普段、普通にlessonを受けられているのにも関わらず、「良いなあ??私もお泊りして勉強したいな??」という申し出が多くでて、先生達も、遂に生徒の願望に負けて、生徒達合同の合宿を始めました。
それは合宿を始める事になった経緯なのですが、合宿には、芦塚メトードにとって重要な、もう一つ、別の意味があります。
それは、生徒一人ひとりの家庭での勉強の仕方や、勉強に対する姿勢等々、普段の練習の仕方等々、普段のlessonでは見る事の出来ない、そういった生徒達の日常を具体的に知る事が出来ると言う事なのです。
私の場合には、生徒指導は慣れているし、経験も豊富なので、そう言った生徒の日常の行動を、敢えて、見る事がなくても、一人ひとりのpointは分かるので、合宿をする必要はないのですが、生徒の思いも掛けぬ行動を見る事もあって、驚く指導者達も多いし、子供達が話てくれる、家庭での考え方や問題点の確認も出来て、指導には有意義です。
そういった事をより詳しく知る事は、生徒を正しく導く上でcurriculumの作成に大変、助けになります。
今、現実に何が欠けているのか、将来何を習得しなければならないのかが、よく分かります。
殆どの教育では、与えられたcurriculumだけを指導するのが、先生の勤めであり、生徒の情緒や心の指導は、「余計なお世話」とされる近現代の世相です。
しかし、本当に、「子供の勉強を伸ばそう」と思うのならば、子供達が伸びる、成長する・・ような、ものの考え方をしなければなりません。
今の世は、超、現実主義的な子供達が多く、その即物的なものの考え方が毎日のように、テレビ等を賑わしています。
戦後総てを失った日本は、世界の頂点を目指して頑張って来ました。その頂点が所謂、バブル期なのです。自然現象は総て、同じ数式に当て嵌まります。人口の増加率も、経済も、音楽のpitchや音量に関しても総てなのです。
長い長い努力の結果、頂点を迎えると、非常に早い緩慢期を迎えます。それは、振り出しに戻るのですが、多くの人達はバブルが永遠に続くという妄想に囚われています。日本の繁栄は疾うの昔に終わってしまったのに、未だに、日本は国際的に優れた国だと思い込んでいます。来年の総予算は良いのだけど、その借金は誰が払うのかね??その頃は私はいないだろうから、それでも良いけれどね???
クリスマス会のお手伝いをしてくださったお母様方ににゃんこのエプロンをプレゼント。おそろいのエプロンで合宿のお炊事もお手伝いいただきました。ありがとうございました!