練習は楽しくと言われても・・


子供の頃から、親の夢を叶えるために、強制されて嫌々ながら、先生の所に通った経験しかない音大生は、実は意外と多いのですよね。

そういう人達にとっての、音楽との思い出は、辛く悲しいものしかありません。
その悲しさに・・・辛さに打ち勝って・・今の自分の(音大生という)栄光があるのです。
それが、その人にとってのプライドになっています。
proを目指すなら、それは当然の辛さで、どんな職業でも、proとして、やっていくのならそれは、必然だと思います。

そういった人達にとっては、「音楽は厳しく辛いもの」であり、楽しい音楽は、享楽的で、自分を卑しめるものでしかありません。
楽しい音楽は、CMソングや、アニメソングのような、大衆に迎合する音楽と思っていて、それで、教室の先生が「音楽の楽しさ」を指導して欲しい・・と言われた時に、自分が卑しめられたような気がして、怒りだしたのですよ。


しかし、そこには、大きな誤解が二つあります。
その一つは、私達の教室は、巷の音楽教室であって、習いに来ている生徒達も近所の子供達で、音楽を専門に勉強しようなんていう生徒は一人もいません。
だから、「音楽は厳しく、辛く・・」なんて、前提で指導したら、生徒は一人もいなくなってしまいます。

確かに、企業が主催している音楽教室では、多くの生徒を多くの先生が指導するわけなので、手っ取り早くアニメのソングや、CMソングをPianoにarrangeした曲をよく子供達に演奏させています。
しかし、私達の教室は、ホームページ上でも、topのPageに掲載しているように、クラシック専門という事を銘打っています。
だから、CMソングやアニメソングはおろか、発表会のレパートリーですら、原則としては指導しません。
クシコスポストや花の歌すら、教室のcurriculumの中には入って来ないのですよ。

楽しく・・・というのは、HaydnやBeethovenやChopinの曲を、怒らないで、怒鳴らないで、生徒達と楽しく指導してください。という意味で、妥協をして、いい加減に教えるという意味ではないのですよ。

儒教的は発想では、厳しい先生は、厳父という表現にも見られるように、その道で厳しい修行をしている指導者は、厳しい・・・という思い込みがあります。
しかし、それは違います。
本当の、proは、その仕事の楽しさを知っているから、proなのですよ。
それは、全ての分野の、professionalな人達が言う言葉です。
また、それだけの道に通じているからこそ、楽しく指導出来るという事もありあます。
日本人のように、自分に実力がないから、威張ることや、権威で自分を高く見せようという社会では、厳しく威張ることは、中身がない事を、露呈しているにほかなりません。

音楽が心から好きだと思えて、音楽の楽しさが、体中に満ち溢れた時にあなたは優れた演奏家で指導者になり得るのですよ。