ここの先生は教える事にプライドがあるのですね。

この一言は、実際にその一言を聞いた時には、チョッと驚きましたが、思い直して見ると、音楽大学を卒業する殆ど全員の学生が音楽教室の指導者に対して、持っている感想ですよね。

このひと言は実際に就職の面接で受講者から言われた言葉ですが、本当ならば、就職の面接でこの一言を言うと、即座に、採用取り消しになってしまいます。
つまりこの一言を発した学生は、この一言に含まれる自分の潜在意識を把握していないということなのです。

日本の大学生たちには、小学校や中学校の先生たち、或いは塾の先生たちを、演奏家として志している自分たちより低く見る傾向があります。
つまり、「音楽教室で指導している先生達は、演奏家になれなかったらから、仕方なしに音楽教室の先生をやって、子供たちを教えてるのだ。」という勘違いです。


ここには、 2つ目の大きな間違いもあります。
それは、子どもたちが演奏する曲は、簡単で内容がない、深みがない=勉強する意味がない…という風に、易しいもの、簡単なもの、を小馬鹿にする習性があるのです。
簡単なものをちゃんと指導する…これほど難しい事はありません。
教室では、生徒に模範演奏の演奏を聞かせるために、自分たちでCDを作成することがよくあります。レッスンのときには、何気なくさらりと弾いてしまう曲をCDに録音するために、ミキサーを回してしまうと、たった1、 2分の曲が2時間、 3時間かかっても収録できないというジレンマに陥ります。簡単であるが故に、ごまかしがきかないのです。
子供が将来、音楽を好きになるか、楽器の演奏が上手になるか…その分かれ道は初歩の指導に全てがかかっています。
初歩をちゃんと指導する為には、音楽演奏の基礎を完璧に知っておかなければなりません。
特に、ピアノの生徒の場合、正しい姿勢や構えを指導省とする場合には、ピアノがヨーロッパ人の男性の180位の身長がある人を対象にして鍵盤のサイズやピアノからの位置を、日本人の小さな子供のそれと対照させて、正しく無理がないように指導しなければなりません。これは本当に至難の業です。
教材研究も、本当の基本を、忠実に守ってやらなければならないので、それは世界的名演奏家にとっても難しいことです。
世界的名演奏家たちの共通するアドバイスがあります。行き詰まったら、基礎の基礎へ戻る事なのです。
。 。それ以上に難しいのは、躾けに対する問題です。子供が練習を嫌がらないで毎日ちゃんとするようになるのか?それは子供の教育だけではなく、親に対する躾の問題もあるからです。
子供からやる気や、勤勉性を引き出すのはそんなに難しいことではありません。
しかしながら、先生が一生懸命努力をして、子どもに対して勤勉性ややる気を引き出してあげても、親の都合で、あるいは親のエゴで、一瞬で壊されてしまいます。
しかしそれでも忘れていけないのは「スポンサーは親である」という厳然たる事実です。
子供の教育のために、或いは、先生は教育に熱心になりすぎるために、親と喧嘩をしてしまう先生がよくいます。
それでもその生徒が教室を止めてしまっては、教室のためにも、その先生のためにも、それよりも何よりもその生徒のためにもならないのではないですか?スポンサーである親は、先生ががっちりとつなぎ止めておかなければなりません。
そういったことに対しての、エネルギーの拠り所は、教育に関するプライドです。
つまり音楽の指導者と言うものは、プライドがなければ、片手間ではとてもとても務まらない職業なのですよ! !



一昔前の、学校の先生になれなかったから、塾の先生になった、と言うような勘違いは、さすがに今はなくなってきました。
地方で、行き詰まった小・中学校が、助けを、その町の有名塾の先生たちにお願いしているというのは、今では珍しいことではなくなったからです。
確かに、地方の音楽教室では、指導できる音大を卒業した先生がいなくて、全く趣味でピアノを習っていたに過ぎないような人たちを、仕方なく、先生として雇っていたと言う現実があります。ピアノの先生なのに、ソナチネアルバムも演奏できないレベルの先生が多かったのです。
塾の話と同じように、今では音楽学校ちゃんと卒業した先生たちがほとんど音楽教室の先生をやっています。だから、昔のようにソナチネアルバムぐらいしか弾けない…ソナチネアルバムぐらいの音楽も弾けない…と言う先生たちはむしろ稀で、演奏活動を並行して行なえるぐらいの技術の先生たちがほとんどなのです。もちろん教室の先生たちも、積極的に演奏活動をしています。

塾に対しては、結構一般的に、社会的にも、そのレベルが認められるようになってきました。
しかしながら、音楽教室に限っては、いまだにそういった誤った低く見る傾向が残っていて、本題を卒業する学生さんたちが、音楽教室の面接を受けるにあたっても、どうしてもそういった昔のような、音楽教師の先生を馬鹿にするような姿勢が未だに見受けられる事は残念でありません。

しかしながら、自分の音楽の勉強を続けるために、やむなく、生活のために、片手間に音楽教室の講師になろうとした人たちは、 1年未満や、 2年以内に音楽教室で指導することを挫折して、寿退社をします。
しかしこれは音楽の先生に限った話ではなく、小・中学校の女性講師も同じです。
子供達へ指導することの難しさを痛感した結果の話です。

勿論、寿退社は口実にしか過ぎません。寿退社をした女性たちで、 2年以内に実際に結婚する人は皆無なのです。

婚活のサイトではないので、早めに本題に戻るとして、音楽教室や学校などで指導を続けている先生たちは、そういった最初の子どもたちを指導するという難題の壁を通過することのできた、子供たちの指導という難題に生き残ってきたベテランの先生たちなのです。もちろん、子どもたちの指導だけでなく、演奏活動も両立させている先生たちが多いのです。

今それにもまして、あなたたちの音楽学校を卒業した先輩であり、留学や、その後の演奏活動も続けている先輩諸氏なのに、そういった事実を認めようともしないで、今の自分がそうした人よりも優れているかのような錯覚にとらわれ、自分が見えなくなっている…自分を見失っている…のは残念でなりません。