作曲科で音楽大学を受験したい。
(ピアノ科は無理だから作曲科で受験したい。)
(将来ポピュラーの仕事をしたい。)




1、将来、ポピュラーの仕事をしたい。



教室に時々作曲で音大を受験したいという中高生が、親御さんと一緒に尋ねて見えられます。
大概のお子様が作曲科を目指す理由は
「将来ポピュラーの仕事をしたい。」という場合か、さもなくば「ピアノ科で受験するのは無理だから、簡単そうに見える作曲で音大に入学したい。」という生徒さんが殆んどです。

先ず、最初に「将来ポピュラーの仕事をしたいから、作曲科を受験したい。」という事についてお話をしましょう。

基本的には音楽大学は純粋にクラシック音楽がオンリィの所がほとんどで、ポピュラー科を持っている音楽大学は、極わめて限られています。
⇒今現在は、少子化の影響で、音楽大学に進学する生徒数が少なくなって来たので、ポピュラー科を持っている音楽大学は一般的になって来ました。

勿論、マスコミの世界で、ポピュラー音楽の作曲やアレンジ等を、プロとして職業にしている人たちは、先ず、全員といっていいほど音楽大学の作曲科を卒業しています。
例外的には音楽大学でも、作曲科以外のピアノ科等を卒業していたり、NHKの夜の時間に何時も、コメンテーターとして、登場している、有名な歌手のように、音楽大学の受験に失敗をして、そのままマスコミで活躍している人達もいますが、その素養は、基本的な実力
(音楽大学を受験するだけの力量)がないとやはり、プロとしては活動は出来ません。

ちょっと横道に逸れてしまいますが、若い女の子のグループや男の子達のグループで自分達で作詞、作曲してけっこう評判になったり、売れたりしています。
「その子達は音大に行かなくとも、ちゃんと売れて演奏活動しているじゃないか?」と思われるかもしれません。

でも、それは、幾ら有名になったとしても、一発屋と呼ばれる一曲だけのヒットであったり、若さと可愛さを売りとする、若いから出来る、一時期のヒットにしか過ぎないもので、それをプロフェッショナルとはよばないのですよ。

音楽の世界には、不文律のようなルールがあります。
演奏家でもそうですが、クラシックの人がポピュラーの音楽を演奏するようになると、音楽が変わってしまいます。
クラシックの人達は、それを
「音が荒れる!」という言い方をします。

勿論、逆に、ポピュラーの人達は、
「クラシックの人がポピュラーを演奏すると、重く苦しくて、楽しくない!」という言い方をします。
つまり、餅は餅屋で、お互いの領域は、基本的には侵してはならないのです。
ただ、今日の日本人の音楽家達はクラシックに対しても、どちらかというと、イージーリスニング的な聴き方をします。
一昔前の私達の世代の人間のように、音楽を哲学的に、宗教的に捉える人達は非常に少なくなってしまったのでね。
その分、クラシック音楽とポピュラー音楽の差は少なくなったのかもしれませんよね。

という事で、私は、お互いの領域を侵さないようにするためにも、自分の音楽の意味を守るためにも、ポピュラーの音楽には絶対に手は出さないことにしておりますが、作曲家という商売柄か、周りにポピュラー専門の友人などもいたりして、ヒットする前の若いグループの作品を、否応なく聞かされる機会も往々にしてあります。

今日では、日本中で知らない人がいないぐらい有名な若い女の子のグループの大ヒットした曲があって、偶然,その子達がまだ全国に売り出す前の、自分達でバンドを組んでいた頃のライブのテープを聴かせてもらう機会がありました。

びっくりしたのは、
「よくその曲が日本中にヒットすることが分かったな。」と改めてエージェントが、アマチュアの人達の音楽の世界の中から、一般的にヒットする曲を発掘する・・という目に感心しました。

若い女の子が、趣味で作った曲が、地方の町で、ちょっとヒットしただけなのです。
だから、今日皆さんが、何時も電波で耳にしている曲と全く違っているのですよ。

その女の子のグループの作曲した曲を聞くと、やはり、何処かの高校か大学祭で演奏されたアマチュアのライブの曲に過ぎないのです。

それが、優れたプロのアレンジャーの手を経て,始めて多くの聴衆の耳に耐えられるような水準の、まったく、違った別の曲のように生まれ変わっていたのです。勿論、それはarrangeのお話だけではなく、演奏もproのバンドのbackの演奏があって、始めて、私達が耳にしている大ヒットをした曲になったのですよ。

つまり、結論からいうと、アマチュアの音楽は所詮はアマチュアの水準であって、放送のコードに乗るような水準の曲になるには、それこそ多くのプロの手を経てその水準の曲になるのです。
放送をする時の、売り用の看板は、無骨なプロが前面にしゃしゃり出ても、美しくもないし、夢もありません。

だから、所謂、そう言った看板を背負う「アイドル」という存在が必要になるのです。

でも、アイドルは顔なので、別にその個人である必要はありません。

アイドルが自分の力でスターになったように、勘違いした時には、こういったマスコミの世界は思い上がったアイドルには容赦はありません。
「顔」、というか、「首」は何時でもすげ替えられるのですよ。

私の場合、ポピュラーに進みたい学生が尋ねてきた場合は、その希望が本物であったとしたら、音大進学よりも、友人達の所に内弟子に紹介するほうが、多いのです。

なぜなら、実際のポピュラーの作曲に必要な知識は、クラシック音楽で必要な和声学の知識や楽器学、対位法の知識ではなく、寧ろ、高度なコードによる作曲技術ですし、演奏もアコースティックではなく、シンセサイザーの使用方法や、finale等のノーテーション等、寧ろクラシックの音楽大学では学べない要素が多いからです。

それに、スタジオやホールで録音するための、配線コードの巻き取り方や、シンセサイザーの使い方、コンピューターで音楽をアレンジしたり、音源のCDを探したり、スタジオ録音はどうすればよいのか、ミキサーの使い方は?等、等、等無数にあります。

その他、作曲といっても、クラシック音楽で必要な形式学的な知識よりも、映像のこういった雰囲気に使用する場合の曲で、何秒の曲と何秒の曲などと、曲の長さが、秒単位に指定され、指定の長さより例え1秒であったとしても、足りなかったり、多かったりする事は許されないのです。

基礎的なことはポピュラー科を持つ音楽学校でも学ぶことはできますが、卒業した後、現場で更に実践的な事を長い時間を掛けて習得しなければなりません。

今現在ポピュラーの世界では学歴というのは全く役に立たない世界なので、現役のプロの作曲家の下で住み込みで下積みの生活をする事が、逆にプロへの早道という事が出来ます。


2、ピアノ科(等の実技の科目)で受験する事が無理だから、作曲科で受験をしたい。

ピアノ科は無理だから作曲科に
これは全く無謀な考え方です。作曲科の受験教科は他の学科より遥かに多いばかりでなく、長期の勉強が必要となります。それにピアノも殆んどの大学では、ピアノ科と一緒に試験されることが多く、入学した後も他の教科の人たちより遥かに教科数や授業時間数が多いのです。作曲科の学生は音楽大学ではスターなのです。どの大学でも作曲科の学生は数名しか入学させません。とてもとても狭き門なのです。
お間違えの無いように!


意外と、「作曲科に受験をしたい。」と希望される人の多くが、そういった甘い(大甘の)考え(勘違い)で相談に見えられる方がいて困ってしまいます。

実際に、或る音楽大学の受験でも、受験生の中で作曲科を受験した学生の楽典の成績が18点という前代未聞の成績の受験生がいて、作曲科の主任の先生と
「こいつは何か勘違いをしているんだよね!」と大笑いをした事があります。

音楽大学に取って、作曲科の学生を一人入学させる事は、ピアノ科の学生を10人入学させる事と同じにお金が掛かります。

つまり、一人の作曲科の学生を育てるには、それ以外の学生の10人分の費用が掛かるのですよ。
では、音楽大学は何故、作曲科の生徒を募集するのか??
それは音楽大学に取って、作曲科の学生の存在はstatusになるからなのです。
作曲科の学生はその音楽大学の看板となる生徒になるからです。

だから、作曲科の学生は、履修教科も他のピアノ科の学生や声楽家の学生よりも、ズバ抜けて単位が多いのです。

ピアノ科では、第二教科は一つしか選べないのに、作曲科の学生は副々科まであって、色々な教科が学べるのです。

その分、受験のハードルは非常に高く、音楽大学に入学する事は非常に難しいのです。

先ず、作曲科の主科の教科である作曲のレッスン時間は、主科がピアノやviolin科である生徒ですら、週1時間しか無いのに、作曲科の生徒に関しては、約4時間以上のレッスン時間があります。

それに作曲科の副科であるピアノは、ピアノ科の生徒と同じ、毎週1時間のレッスンがあります。

それぐらいのウエイトが、作曲科の副科であるピアノに掛かっているのです。

当然、作曲科の受験生は非常に少ないので、ピアノの受験をする時には、通常はピアノの生徒と一緒に受験するのですよ。

ピアノの課題曲も、殆どピアノ科のlevelと同じぐらいに非常に難しいlevelの曲が出題されます。

その他に、勿論、当たり前ですが、主科の作曲の試験があります。

和声や対位法という、それこそ、一般の音楽大学を卒業した生徒達では手に負えない教科が、既に入学試験で行われます。

また音楽通論や楽典等は専門教科とみなされますから、一般の音楽大学受験生とは別により高度な問題が配られる学校も多いのですよ。

つまり、作曲科の学生は、その音楽大学のエリート中のエリートなのですよ。

大学の先生からも、上級生や後輩を含めて、超、尊敬の眼差しで見られる存在なのです。
その分、要求される水準も普通ではありません。

音楽大学の作曲科を受験する生徒は、作曲家になりたいから受験するのであって、もし、その学生がピアノ科を受験したいと思っても、指揮科や楽理科を受験したいと思っても当然合格する実力は持っているのですよ。

だから、作曲科を卒業した人達が、soloや伴奏で演奏活動をする事もザラにあります。
そういう、この私でも、リュウマチがまだ酷く無かった指が回っていた頃は、よく伴奏のピアノを頼まれて演奏をしたり、プロのピアニストのオーケストラの練習を第二ピアノで手伝ったりする事がよくありました。

そういう事で、稼いでいたのですよ。この私ですらね。

だから、
「ピアノのレベルが足りないから、作曲科なら合格出来るかな???」という事は、まかり間違っても、全く絶対に有り得ない、阿呆らしいゆめ物語のお話なのですよ。

「じゃあ、指揮科で受験しようかな??」って????



2、ピアノ科(等の実技の科目)で受験する事が無理だから、指揮科で受験をしたい。

音楽大学を、受験したいという人達で、作曲科受験と同様に勘違いされるのが、次に指揮科の受験です。

テレビ等を見ていて、指揮棒を振っているだけなので、
「楽器を演奏する技術は必要ないのでは?」
「ピアノの実技のlevelが足りなくても、指揮科なら、合格出来るのでは?」
という勘違いです。

それも、作曲科の受験と同様に、無知という無理解による勘違いです。

先ず、
ピアノの技術が足りないから・・というお話ですが、作曲科や指揮科は、殆どピアノ科と同様のピアノの演奏能力を必要とするし、またピアノ科の生徒以上に、初見能力が必要になります。
ピアノの実技も作曲科同様に、指揮科もピアノ科と同じぐらいのlevelが必要なのですよ。

だってオーケストラのスコアー(総譜)を見て、初見でピアノで演奏出来なければならないのですよ。
指揮科の学生は、スコアー・リーディングという指揮科の独特の教科があります。

初見でオーケストラのスコアーを見て、ピアノで演奏して、それで指揮の方法論を検討出来なければなりません。
スコアー上で、音楽の表現を作り、それをオーケストラの団員に情緒的ではなく、論理的に正確に伝達出来なければならないのです。

実際のスコアーは次のような物です。
それを、本を読むように読み取るだけでなく、ピアノでその音楽を表現出来なければ、とても、とても指揮者とは言えないのですよね。
当たり前の話ですがね。

台本が読めない役者はいないでしょう??
台本はスコアーと同じです。

もし台本から、作者の表現を読み解くことが出来なければ、それは役者とは言えないでしょう??
それじゃあ、人と演劇をする事は出来ないよね。

さて、左の楽譜を見て、どんな曲で、どんな音がするのか、分かりますか??
分からなければ、そりゃあ、作曲家や指揮者にはなれませんよね。
これが数百ページあるのですよ。
だって、1時間分のスコアでしょう??
レコードを聞くのと同じ速度で読み取れなければ、曲の解釈は出来ないよね。

そうそう、だから、作曲科や指揮科の学生は、非常に優れた音感が必要だよね。
それこそ、絶対音感どころではない、半音の4分の1、10分の1を聞き分ける事が出来なければ、そりゃあ、私達の教室の先生になる事すら出来ないよ。
当たり前の話でしょう??
オペラやミサ曲の場合には、1曲が4時間掛かる曲はザラなのですからね。
それを読みこなす能力がないとね。
それに、作曲家や指揮者に必要なもう一つの能力、・・それは統率力です。
音楽家達を統率する力量が要求される分野なのです。

「そりゃあ、無理だ!!」って??

どんな職業を選ぶとしても、プロはプロなのですよ。
だから、プロになるには、本当に努力をして、そこに(その水準に)たどり着かなければならない。
当然、それなりの覚悟は必要なのですよ。
でも、本当に努力を惜しまなければ、到達で来ない夢はありません。

先ず、何を勉強したら、その道に入る事が出来るか??
後は、その人が、その道を歩んで行く事を望むか否かです。

少し、私の場合のお話をしましょう。
個人の勉強の量は、その人がどれだけの本を読んだか、と言う事によります。

勿論、ピアノ科の学生なら、ピアノの曲の楽譜の量によります。
殆どの音楽大学のピアノ科を卒業した学生であっても、室内楽の楽譜や、ピアノコンチェルトのスコアー(ピアノ譜ではなく、スコアーですよ。)を持っている人は少ないでしょうね。
持っていたとしても、せいぜい1,2冊かな??

それじゃあ、勉強したとは言えないよね!!


私の所有している楽譜のホンの一部の楽譜(score)です。

左側の本は一番左手のスコアーが、リヒャルト・シトラウスのオペラのスコアーです。
勿論、スコアーなので、1冊4,5万円はします。
真ん中のペーターの楽譜は、カール オルフのオーケストラのスコアーです。
一番右の楽譜は、メシアンのトゥーランガリア・シンフォニーという曲で、これ1冊でも10万ぐらいの値段がします。
全て指揮用のスコアーです。
この写真に写っている楽譜だけでも、既に30万ぐらいの金額にはなりますよ。

私はこういった蔵書(スコアー類)を数千冊所有しています。

但し、これらの楽譜は、非常に貴重な書物なので、安くても、1冊数万円はします。
だから、当然、私の所有しているスコアー全体では、勿論、数千万円の単位になります。
楽譜だけで、安い家なら、1軒、2軒は建つのじゃないかな???

でも、家を買うか、楽譜を買うか、そこは、プロとしての価値観の問題です。
家が欲しいのか、楽譜が欲しいのかですよ。

家が欲しければ、音楽のプロではなく、一般人になる他はないですよね。
そこの価値観があるか否かで、音楽家になれるかどうかが別れるのは、当たり前の話でしょう??

勿論、この楽譜のお話は、教室に貸出している楽譜以外の私の勉強のための蔵書である楽譜のお話ですよ。
だから、その他に、教室には、室内楽やVivaldi、等のスコアーの他に、ピアノやviolinの曲、チェロの曲、リコーダーの曲等、数千冊の本を教室に貸しています。

勿論、その殆どが洋書なので、一冊は万の単位の楽譜も多いのですよ。
とても、たかが巷の音楽教室で買える金額ではありませんよね。
この写真は、事務所が椎名町にお引越しする以前の江古田教室に、私が教室に貸出している楽譜をホームページの為に、撮影した時の写真です。

この楽譜の山は、私が教室に貸出している楽譜の一部です。

つまり、これだけでも、まだ教室に貸出している楽譜の一部に過ぎないのですよ。

それでも、ピアノの楽譜だけではなく、室内楽やオーケストラの譜面もあります。

写真の左手には、レコード棚があって、6、7千枚のレコードが収納されています。私が作った手作りのレコード収納棚です。

ピアノやヴァイオリンやチェロの楽譜で、常時生徒達が演奏する曲に関しては、各教室に、本棚一つ分ずつは置いてあります。

それ等の楽譜も、私の個人的な所有になります。
何故、教室で買わないの??・・・って??

それは、楽譜や楽器の所有が、会社としては、法務局には認められないからですよ。

つまり、楽譜や楽器は、先生個人の勉強に必要ではあっても、あくまで個人の必要な物であって、それ自体が会社として利潤を生み出すものではないからです。

私達の教室は、法人であって、個人の教室ではありません。
つまり、法律的には、教室はあくまでも会社であって、学校や個人の教室ではないのですからね。

だから、利潤に関係しないものは、会社としては、その所有を認められてはいないのですよ。
だから、楽譜や教室の楽器は、個人の所有でなければならないのです。
だから、
「音楽教室をやると、私の稼ぎが無くなってしまう。」と私が嘆いているのですよ。

チョッと横道に話がそれてしまったけれど、昔々、小学校で4年生と5年生の子供達を集めて、
「将来、何になりたいの?」と尋ねた事があります。
これはホームページの教育論文に詳しく載せているけれど、当然、女の子達の3分の1か、4分の1が、目を輝かせながら
「お嫁さん!」と答えました。
そこで、私が、
「え〜っ、?!君達は将来主婦になりたいんだ!!」と言うと、その女の子達全員が、「いや〜だ!主婦は絶対に嫌!」って答えました。だから、「だって、『お嫁さんになりたい!』って言う事は、主婦になるって、言う事でしょう??」と言うと、やっぱり、「お嫁さんには、なりたいけど、主婦は嫌だ!」って言っていました。
「だから、『君達の夢は何?』と聞かれて、『クリスマス』って答えるようなものでしょう?」と言うと、考え込んでしまいました。

その後、その同じ話で驚いたのは、大学で同じ話を、笑い話として、しようと思ったら、笑い話でなく、大学生でも、同じ答えをした学生がいたのよね。
今の若者は理解不能ですな。

「何故、そんな話をするのか?」って???
つまり、テレビ等でピアノを弾いているピアニストがいたとして、その生活がどんなに華やかに見えたとしても、その日常は、コツコツとした、地道な練習と勉強の積み重ねなのですよ。

つまり、華やかな世界の裏には、コツコツとした努力が必要なのよね。

私がよく人にするアドバイスは、
「どんな世界でも、日常はコツコツした努力を毎日しなければならない。あなたに取っては、その時にどんな事であったら、そのコツコツが楽しく思えるのか?」と言う話なのです。
コツコツ努力をする事が楽しいと思える事があれば、その人にとっては、その好きな事を続ける事が本当に幸せなのですよ。

食べ物を作るのが大好きなら、料理の道を歩むと良いし、旅行が好きなら、ツーリングの会社に入社すると良いですよね。

それと同じように、作曲家になりたければ、コツコツと作曲をしたり、楽譜を読んだり、ピアノを練習したり、昔々の偉大な作曲家達の作品を研究したりして、本当に一人閉じこもってコツコツやるのが好きな人なら、作曲家になれるでしょうね。
演奏すれば、10秒ぐらいの所を、1週間も、何度も何度も書き直して、推敲する。そこの所が分からないと、どんな職業についても、無理だろうな!!

実は、指揮科は作曲科と同様に、音楽大学では憧れの花形スターの科なのですよ。

そういった努力をこなして、更にもっとストイックに勉強を続けたいという、修験者が作曲科や指揮科を受験してくるのだよ。
アハッ、ハッ、ハッ!