ウィーン・コンチェルトハウス四重奏

私達の教室の、中、高生がハイドンの弦楽四重奏の「5度」を練習している。「本番まで2週間しかない。」と、ブーブー言っていたが、確かにハイドンは基礎をちゃんとしようとすると難しい。アイネクのように譜面は易しいのに、演奏すると全く様にならない、けたたましく難しい曲もある。「5度」も同じような難しさが有る。

[1]5度の模範演奏のレコードはウイーン・コンチェルト・ハウス四重奏団をまず挙げなければならないであろう。しかし、このレコードは国内版や輸入版を含めて手に入らないベスト(ワースト)・ワンである。実はウイーン・コンチェルトハウス・四重奏団はハイドンの連続演奏のレコードは録音していないのである。だからお膝元であるオーストリアでもレコードの発売はされていない。それが何故手に入るのか、不思議に思われるのは当然である。実はウィーン・コンチェルトハウス四重奏団は、オーストラリア(オーストリアでは無く)でハイドンの連続演奏を放送した。あくまで放送のための演奏であって、録音ではない。当時はオーストラリアは著作権の国際の団体に所属していなかった、と云う事で、本来は放送のために録音された演奏を、レコードとして発売が出来たのである。しかし、日本は著作権の保護の団体に所属していたので、日本にはそのレコードは輸入されてはこない。しかし、オーストラリアに直接注文すれば手に入れる事は出来たのである。まだ、CDすら発売されていなかった頃、コンピューターはおろか、まだワープロすら発売されていなかった頃のお話である。
オーストラリアの海賊版ほどの曲数ではありませんが有名な曲だけを録音したウエストミンスターの版があったのだが今度CDに復刻されました。4枚組みですが一応名曲は揃っています。教室でも買い揃えました。(ウエストミンスター版として復刻したシューベルト全集と共に)カルテットフアンにとっては堪えられない逸品です。

ウイーン情緒について

ウイーン独自の香りと言うと、誰もがビィンナーワルツを思い起こすだろう。しかし、本当のウイーン情緒はむしろ、穏やかで単純なフィギュレーション繰り返しのパセージにこそ見出すことが出来る。シューベルトのピアノ五重奏「鱒」の一楽章など最たるものである。ピアノを学ぶものにとって毛嫌いされる事の方が多い、チェルニーのエチュードでさえ、ウイーン生まれのピアノの大家の手に掛かるとウイーン情緒豊かな名曲に変貌してしまう。(チェルニーはウイーンで生まれ、没した教育者である。)しかしながら同じようなフィギレーションを使いながら、ドイツのボンからウイーンに引っ越してきた、ベートーベンや殆んどミュンヒェンの傍のザルツブルグから来たモーツアルトにはその独特の情緒は出ない。又、作曲家がウイーン生まれと言うだけでもだめで、やはりウイーンで生まれ育った演奏家で無ければ、とろけるようなウイーンの香りはしてこないのである。神様のような演奏家の手によってでも、「Na!」である。と言う事で、シューベルトの演奏に関しても、ウィーナーコンツェルト四重奏団は素晴らしい。又、ウイーンのピアニストであるパウル パドウラ スコダやイエルク デムスなどと組んだ演奏は絶品である。願わくば、自分で焙煎したコーヒーをマイゼンかチェコの玉葱のコーヒー椀で、香りと音の響きの中で陶酔して見るのも乙なものだ。


左の写真の奥にある銅のロースターは、コーヒーの生豆をローストする19世紀末のイギリス製のロースターの復刻した物で、12分から15分程の時間と、晴天に恵まれて空気が乾燥してさえいれば、最高の美味しい豆が煎れる。
自分で焙煎したコーヒーは、市販の豆とは比べ物にならないほど、美味しく仕上がる。
また、コーヒーを焙煎していく時の生の香がだんだん熟成したコーヒーの香になって部屋に充満していくのは、どんな香料で部屋に香を漂わせる事よりも、おしゃれで素晴らしい。
一度、焙煎の醍醐味を味わった人は、きっと「香を堪能する事も無く、何のコーヒーか?」言うに違いない。

復刻された全てのものが、良いわけではない。
写真の左側の黒い鋳鉄のコーヒーのミールも、当時のイギリスのミールの復刻なのだが、これは持ちにくく、回しにくく、とても使いにくい。






横の写真のミールは、私がドイツのMunchenで、愛用していたバイエルン独特の木製のミールが、圧倒的に使いやすい。
このミールは、当時の私の生活を反映して、とても安いものなのだが、高級なものになると引き出しが三つも四つもついているのもある。
回す取っ手も素朴なものであるが、本体とノブの長さなどもバランスがよくて使いやすい。








現代では生豆を入れれば自動的にコーヒーが出来る便利な器械もある。
でも手間隙かけて、自分で煎れたコーヒーはやっぱり美味い。




[1] カペルマイスターとしてのハイドンの立場とその立場上の作品も多数有ります。それは、通常は、ハイドンは四重奏などを演奏する時には、第一ヴァイオリンを演奏していました。当時は毎週のように、新しい曲を作曲して、領主の前で演奏するのが、定型の仕事でした。と言う事で、上司としてのHaydnは、彼の部下達の負担も考えて、自分が演奏するファースト・ヴァイオリンに、技術的ウエイトを掛けて、部下達のpartは比較的に定型で簡単に簡単に作りました。そういった作品がHaydnの大多数を占めます。
ハイドンの作品と云うと、「日の出」や「皇帝」などのような、名前の付いた作品ばかり思い浮かべますが、そういった作品は演奏効果を考えた力作であることが多く、セカンドやヴィオラなどの負担もファーストと対等になっています。演奏も全ての楽器が対等な比重で、音楽的にもとても素晴らしいものです。









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