芦塚先生のFacebookより抜粋(そのU)

   

  2016年1月1日より芦塚先生のFacebookU

FacebookTへ 
 2014年9月から2015年 


FacebookVへ  
 2017年 


FacebookWへ 
 2018年




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2016年3月19日20:28
つい、一昨日(3月17日)のお話なのですが、Facebookがhomepagebuilderで開かなくなって、全く更新が出来なくなってしまいました。
完全にfreezeしてしまって、パソコンの作業が何も出来なくなってしまいました。
二日間、必死に色々と、修理修正を試みて見たのですが、全く状況が改善出来なく、netでも調べて見たのですが、そういった状況の例が見受けられなかったので、昨日は久しぶりに、行きつけの寿司屋に飲みに出掛けたので、そのついでに、homepagebuilderを開きっぱなしにして、2時間半程、放置して見たら、何とかFacebookのホームページが開いていたのですよ。
とう事は、fileが重すぎるのが原因かな??と言う事で、今日は、FacebookUというPageを新設して、2016年の正月の分からのFacebookの情報をこの「FacebookU」に移す作業をしました。
いやあ〜、一日掛かったわな・・・・???

メモリーを莫大に消費して、上書きの作業が出来なくしている原因は、ロゴやその他の部品をリサイクルするためのback・upが原因であることが分かりました。ツール⇒オプションで、プルダウンメニューの中の再編集のcheckを外すだけで、サクサクと動いて上書き出来る様になりました。(但し、ロゴのサイズが違った時などには、同じロゴを作り直さなければならないのですが、たった一つのTitleですら、莫大な時間を上書きするのに掛かってしまうので、同じロゴを作り直した方が数倍も早いことが分かりました。
一つ解決した・・と言いたい所なのですが、ロゴ等の手直しの手間暇は逆に増えているので、「一つを得ると、一つを失う」という原則論に従ってしまっているのですが、ソフト開発の時の問題点なので、実際には、ここでは必要のない原則論ですよね。



(時系列《タイムライン》について)
Facebookのtimelineは、新しいcommentから古いcommentへと進んでいきます。
Facebookとしては、気軽なchatを想定しているようなので、古いmessageを繰り返し参考にするという読み方はしないという設定なのでしょうが、それは、私のmessageの趣旨に相容れないようです。
という事で、このhomepage上では、Facebookとは違って、古い情報から、より新しいmessageに進むような、timelineで掲載しておきますので、予め、ご了承ください。

homepagebuilderで作成していた「芦塚先生のFacebook」のPageが、今日、突然、homepagebuilderで開かなくなってしまいました。
他のPageは問題なく更新出来るのに、FacebookのPageだけが開かなくなってしまったので、多分、linkの関係ではないのかな??とも思っています。
いずれにしても、fileが目一杯で予備のメモリーが無いように思えたので、本年の正月から新しいPageにrenewalしようかな??とも、考えていたのですが、お話の区切りが悪いので、区切りを優先するか、それとも、日時を優先するか、を迷っていた所なのです。
何をしても、開かないので、諦めて、途中からなのですが、Facebookの抜粋のUを作らせて貰う事にしました。


index


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自然薯の続きです。
2016年1月1日2:20

自然薯の続きの続きです。
2016年1月2日13:20

差し歯や詰め物が
2016年1月4日

すり鉢とすりこ木と辛味大根と
2016年1月4日


食材をスーパーに買いに行けなかったので、
2016年1月9日11:07

音人の会の予告
2016年1月9日1:42

音人の会 当日
2016年1月12日2:48

Handel=Halvorsenのpassacaglia g mollです。
2016年1月13日

Handelのpassacaglia g moll のAshizuka-version T 
2016年1月14日7:15

Handelのpassacaglia g moll のAshizuka-version U
2016年1月15日11:30

大雪だ!
2016年1月18日6:41

またまたまたまた、山芋のお話です。
2016年1月23日10:54

非常階段で踵を踏み外した。指が・・・
2016年1月26日8:38

山芋のお話の補足説明です。
2016年1月27日20:57

土鍋に小鉢が嵌ってしまって
2016年1月28日19:00

ランタン型のストーブ
2016年2月1日12:28

過日の土鍋の話の続きです。
2016年2月1日18:39

難攻不落のblog作成
2016年2月3日14:50

Veracini passacaglia
2016年2月6日1:28

オケ練習の連絡です。
2016年2月7日7:51

参考までに:
2016年2月8日11:34

Mozart kirchenconcerto G
2016年2月10日12:17

baiduやGoogleの不具合
2016年2月14日11:18

石見焼き
2016年2月16日16:50

ニャンニャンデイ
2016年2月22日6:35

寒い!!
2016年2月25日2:14

2月28日は春の発表会のリハーサルでした。
2016年3月1日10:30

就学年次以下の子供のチェロの演奏
2016年3月1日14:43

相変わらず食い物がない
2016年3月1日10:30

J.S.Bach fantasia Improvisation
2016年3月2日19;38

J.S.Bach fantasia und fuga Improvisation fur fantasia
2016年3月2日22:06

ドルちゃんのひな祭り
2016年3月7日4:24

甘いものが食べたくなって
2016年3月8日14:56

突然、鬱が
2016年3月10日21:35

突然、パソコンのoutlookのdataが
2016年3月20日5:25

私の鬱が何時の頃から始まったのか
2016年3月23日9:34

花園教室の階段でまたまた、足の爪先を
2016年3月26日2:07

近所のドラッグストアで
2016年3月26日18:42

日本の音楽大学のこもごも
2016年3月29日10:14

orchestraのarrangeの話
2016年3月31日7:04

桜が咲いた
2016年3月31日10:27

4月3春の発表会
2016年4月3日

反省会と保護者の方の慰労会
2016年4月17日2:32

楽譜渡しと初見大会
2016年4月18日19:23

今回の発表会の曲とhomepageの解説のPageのlink
2016年4月20日8:59

優しい愉しいlessonは趣味のlevelであると思い込んでいる日本人
2016年4月20日15:06

日本の音楽教育や音楽大学の批判ばかり書いていると
2016年4月20日17:20

歯医者のやり直しと、celloconcertoのarticulationのへんこうについて
2016年4月22日14:56

カタカナ表記と原語表記について
2016年4月23日13:38

超、腹が立って!
2016年4月23日19:39

体調不良が酷くなって!
2016年4月27日0:30

動画がupload出来ない!
2016年4月29日9:43

発表会の後の初見大会の後の第一回目のオケ練習
2016年4月30日1:25

発表会で子供達からお手紙を貰ってちゃんと返事を書かなければと思っているのだが・・・
2016年4月30日6:09

Etudeをしっかりとさせる先生が良い先生という風潮があるのだが、
2016年5月1日

Vivaldiのcelloconcerto a moll3楽章のCembalo譜を作成したのだが、
2016年5月3日

5月3日の文章の手直しです。
5月6日7:46

concours(コンクール)のお話
5月6日11:35

Haydnの日の出
5月9日16:22

Handel=Halvorsen passacaglia g
5月10日6:16

Vivaldi violinconcerto Op.8Nr.11 D
5月13日10:59

同じチャンネルでその番組だけ録画が出来ない
5月18日 8:42

スマホに機種変更した!!
5月21日 2:11

高齢者講習の話
5月22日 7:30

NHKの受信料の話
5月22日 8:21

毎回の練習をvideoに撮影する事の意味
5月24日 9:11

斉藤先生のお誕生日
6月5日7:00

世界の国と日本が一番かけ離れているのは、日本人の持つ中庸の精神です。
6月14日5:57


Vivaldi e moll solo組のlesson風景
6月15日12:41

Vivaldi e moll T楽章演奏法の解説
6月20日12:03

Locatelli のkadenz
6月22日 18:23

wineglassを落とした!
6月25日 7:37

Handel Ashizuka passacaglia g fur Concerto Grosso(九州への旅renewal‐version)
6月29日 18:38

lessonの仕方
6月30日 9:51

Greensleeves to a ground in C Dorisch(renewal-version)
7月1日 14:13

挫折とスランプ
7月3日 9:53

高校と大学時代のお話
7月3日11:24

ensembleの難しさ
7月4日13:52

体調不良
7月5日4:01

16年4月3日Seitz Op.15Nr.4D DurV瑞希

さ、さ、寒い!!
7月5日

あ、あ、暑い!!
7月8日

高齢者講習
7月13日

Vivaldi violinconcertoD DurOp.8Nr.11D DurT楽章のsoloの部分のperiod奏法
7月13日

追記
7月13日

車の急発進
7月16日1:19

ヒョッとして、熱中症??
7月16日3:24

StravinskyモドキのTrumpetconcerto
7月16日21:38

紀行文 ふるさとへの多分最後の旅行

その1(旅行の準備)7月20日前後から
7月20日20:17

Klengelのfinaleへの入力
7月28日5:44

KlengelのFacebookへのlinkの不具合
7月28日16:06

その2(旅への前日)
7月30日6:21

その3(旅の初日7月の31日から次の日の8月1日へ)
7月31日13:33  椎名町⇒滝野社 体調不良の始まり!!始まり!!

その4(8月2日から4日の長崎着まで)
滝野社(7月31日)⇒津山(8月1日)⇒広島北(8月2日)⇒瓜坊との遭遇!!(8月3日0:24分)

その5(長崎直の4日の0時まで)
8月5日0:04  水道管の破裂


突然、ハイツのパソコンからmailが送れなくなった!
8月5日 6:13

その6(4日の実家の整理と残務処理)
8月5日14:21

その7(エンドレスの片付け作業)
8月8日2:43 中村紘子さんの追悼番組

その8(長崎への原爆投下の前日)
8月8日12:20

その9(8月9日の原爆投下の日)
8月9日11:04  奇跡的に再チャレンジしたフェリーのチケットが取れた!!

その10(8月10日のゴミ出しとクロネコの集荷と教育教育論文)
8月10日11:09

その11(8月11日は今年初めての山の日だそうな??)
8月11日3:31 今日のメインイベントは、帰京のための車への荷物の積み込みです。

その12(8月12日その前夜の夜)
疲れた!!

その13(フェリー上のmail)
海の上ではmailは使えません。

その14(東京着)
8月14日 4:36

その15(後書き)
その15は書く予定では無かったのですが、・・・・
8月15日19:56

lessonを嫌がって泣いている子供を引きずって
8月17日7:07

勉強しなさいと言っても
8月17日7:12

擬古典について
8月18日8:36

体調不良
8月26日14:26

「月末の金曜日は蕎麦dayです。」
8月27日15:31

今日は24度としのぎやすいので
8月29日7:30

お蕎麦のお話の補足説明
8月29日16:19

「夏休み明けのオケ練習から」
8月30日15:18

昨夜は20度という超寒い夜だったのに、
8月31日12:07

九月です。中秋の名月です。

夜が結構凌ぎやすかったので・・・
9月1日7:44

高波のお話
9月3日3:12

basso continuoのお話
9月5日14:36

Greensleevesの方向性と映画「castrato」のお話
9月6日7:44

HaydnのQuartettとGreensleevesの練習時間が取れないので
9月7日19:13

島原の幻のそうめん
9月7日19:40

開かれた五度圏と閉じた五度圏のお話と五度圏時計のお話も・・・
9月10日22:57

何と、始めてオケ練習をスッポカシてしまった。
9月12日5:33

今日は中秋の名月だそうですね??
9月16日2:14

Handel=Halvorsenに於けるbaroque奏法とmodern奏法の違い
9月18日5:59

solo組のrehearsal と進行表の作成と「ひばり」のlessonと坐骨神経痛と
9月19日10:02

今日は雨です。今日も鬱です。
9月19日9:24
「chronosは時の神様」

秋の発表会のリハーサルと水たまりニャンコ
9月28日 10:36

Cembaloのpartをrenewalしました。
9月28日 20:23

音大生のバイト
10月2日 10:16

「発表会前の(最後の一週間のrotationに平行した)日常の徒然」
10月12日

「Handelのsarabandeのarrangeを書くに至ったキッカケのお話」
10月13日

「Handelのsarabandeのcello‐versionから、viola‐versionへtransposeして、更に、ドツボに嵌ったお話」
10月15日

「発表会が終わって、ハイツ迄の道行きと、Handelのsarabandeの作曲のお話」
10月17日

「baroque‐concertのmember紹介を書いていたら、Facebookがぶっ飛んでしまった!!」
10月19日

「David版のTommaso Vitaliのchaconneと、baroque‐versionの楽譜のお話」
10月20日

Happy Birthday dear Yoji???
10月24日

「どういう分けか、反省会は私の誕生日の前日でした。‥・という事と、古典調律のお話」
10月25日

「腰痛を我慢しながらのパソコン作業だったのに・・パソコンが」
10月26日22:32

「homepageが長い間、更新されていなかったので、教室が潰れたのか?と思った・・という話に対しての弁解」
10月27日4:26

「近場のコンビニの話」
10月27日12:33

「lessonでの愚痴です。」
10月30日 5:54 ・

Stefano Montanari
11月6日 6:10

 「Tommaso Vitaliのbaroque‐versionのornamentとRealisationの作成が終わった。」
11月8日

「baroque-concertへの解説No.1」
11月21日15:29

「baroque-concertへの解説No.2」
11月21日19:34

「baroque-concertへの解説No.3」
11月21日19:54

「baroque-concertへの解説No.4」
11月21日20:35

「baroque-concertへの解説No.5」
11月21日21:03

「baroque-concertへの解説No.6」
11月21日21:22

「baroque-concertへの解説No.7」
11月21日23:32


「今日は久しぶりのオケ練習です。」
11月27日10:57


「クリスマス会で演奏するVivaldiの四季の冬の練習の助けに・」
11月28日6:10

「光陰は矢の如く・・」
11月28日14:52

「8月から12月迄の体調不良の日記1」
11月29日22:06

「8月から12月迄の体調不良の日記2」
11月30日9:34

「8月から12月迄の体調不良の日記3」
12月1日2:49

「8月から12月迄の体調不良の日記4」
12月3日8:21

「学び上手」のお話1
12月4日4:31

「学び上手のお話2」
12月6日9:42

「学び上手のお話3」
12月8日4:20

「学び上手のお話4」
12月8日8:42

Sweelinck 「Mein junges Leben hat ein End」
12月9日10:29

「帯状疱疹」
12月10日11:20

「vibratoのお話」
12月10日14:48

「baroquebowの音の立ち上がりと日本のエイズ奏法のお話」
12月11日9:24

「常設曲のはずが・・・・」
12月12日13:26

クリスマス会のためにプロジェクターを買った!
12月13日10:16

帯状疱疹は大分収まって来たのですが、
12月14日14:06

口パクと耳パクのお話
12月18日10:23

「浮き足立ち」のお話
12月19日13:59

「proに取っては音楽は必ずしも、楽しいものではない・・というお話」
12月21日01:48

「Handelのsarabandeのrenewal‐versionについて」
12月22日05:06

「クリスマス会前夜」
12月22日23:56


「今日は、クリスマス会の番外編のスピンオフという事で・・」
12月24日16:32

自治会館からの依頼で
12月27日03:16

「コンサートについて」
12月28日22:18

「動画の編集のお話」
12月31日01:18



indexの最後尾です。


2017年度からのFacebookは、FacebookVで公開します。


   

芦塚先生のFacebook 本文

自然薯の続きです。
16年1月1日2:20
自然薯の続きです。いつものようにどうしても写真がup出来ません。困ったものだ!!1枚目の写真は自然薯がネッシーに似ていたので、つい遊んでしまった写真です。自然薯は皮の下に栄養と濃厚な味があるので、皮を剥いて擦ってはいけません。でもこの髭は擦るのにも食べるのにも邪魔なので、バーナーで焼きます。私も以前は家庭用のガスコンロ用のボンベにつけるバーナーを使用していたのですが、家庭用のボンベはガスの量が減るとバーナーの火が消えて、ボンベに引火したり、逆さまにするとガスが出なくなったりと、色々と危険なので、逆に業務用の専用のバーナーの方が安全だという事で、それを使用しています。料理としては鶏皮や土佐のカツオや、色々と用途は多いし、簡単な溶接も出来ます。金額もこのボンベが2本とノズルがついて2700円ぐらいなので、高くはありません。ボンベはいつでも追加で買う事も出来ます。
ヒゲは一瞬で焼けてなくなってしまうので、後は、綺麗に泥を落とせば、そのまま出汁を加えながら擦って伸ばして、程よい柔らかさにして行きます。私は卵1個と金ごま、香り付けにごま油を1,2滴入れます。(それより多いと、ごま油の匂いが強くなってしまいます。レンコンを等倍で入れたり、お味噌を隠し味に入れたりする地方もあります。次は、すり鉢とすりこ木のお話に行きます。

      

  

明けましておめでとうございます!ご壮健の源
自然薯ご投稿!安堵致しました!


本年もどうぞ、よろしくお願い致します。大晦日の今日は、池袋の有名な蕎麦屋に行って、いつものその店では、せいろを食べていたのですが、何を思ったのか、トロロ蕎麦を頼んでしまいました。二段重ねのセイロなのに、小さな蕎麦猪口に、自然薯ならぬ、畑の長芋の擦ったものが少々、後は、蕎麦汁とネギ少々と、その手抜きの貧弱さに怒り心頭・・と言いたかったのですが、それよりも、山芋と蕎麦汁の量が少なく、1段目でトロロが終わってしまいました。御汁のおかわりは有料です。頭に来たけれど、取り敢えずは、高い金額を払って店を出ました。一応、紳士なのでね。格好はホームレスかもしれないけれど・・!!結構、名前の売れている蕎麦屋で、東京には、支店も結構あったのでは??・・と思ったのだけど、こんなに不味かったのかい?と呆れてしまいました。信州長野の新そばよりも、あたしゃ、お主の傍が良い!いやさ、江戸前の蕎麦の方がよっぽど良かったよ!!(`ヘ´) プンプン

折角の晦日そばをお楽しみにいらしたのに本当に残念でした?!とろろは美味ですもの、、、。

私にとっての、トロロ蕎麦は体調不良の時に、食欲が無くても、唯一流し込める、疲れを取る医食同源の食べ物なのです。殆ど毎日トロロ蕎麦を食べるという事は、どうやら、体調の改善が上手くcontrol出来ていない・・という意味でもあるようです。でも、元気な時でも、ラーメンは苦手です。スパゲティを食べに出かけるぐらいかな??そう言えばスパゲッティも麺ですよね。いつも愚痴を麺麺と言っているので、麺ばかりになるのかな??アハッ!(´▽`)

池袋のあのお店ですか?
江古田の事務所でお取り寄せ蕎麦を食べていたのが懐かしいです。
今年もよろしくお願いします。

昨年は合宿だったので、いつもの長野のお蕎麦は未だ少し残っていて、今日食べるつもりです。自然薯の作り方のpointを説明しながら・・というのは、正月のお休みで、でもないと、時間がとてもないのでね。

本当は、テレビで韃靼そばのドキュメントを見て、ネットで東京・・しかも、池袋周辺で食べれる韃靼そばのお店を探しに出かけたのですが、自宅を出る時にはチョッと時間が無かったので、地図を持たないままに出かけて、私達はスマホを持ち合わせていなくて、携帯でネットで探したら、何と韃靼そばとサーチすると、ラーメン屋しか出てこなくて、記憶を頼りに探したのですが見つからなくて、東急ハンズに行く手前の、行きつけの2階にある蕎麦屋に手すりを掴まりやっとこさっとこ行ったのですがね。池袋駅の駅周辺には、トロロ蕎麦もよく食べている行きつけの蕎麦屋が3軒もあるのですがね。たまには、韃靼そばも良いかな?と思ったのが、ケチの付き始め・です。ついでに、美紀ちゃんは行ったことはないと思いますが、事務所に行く途中の東長崎には、美味しい蕎麦屋が4軒もあります。でも、私はそれらの蕎麦屋には滅多に行きません。つまり、敷居の高いぶったお店だからです。私にとってのお店は、若者のファーストフードのお店のようなもので、毎日のお昼のお店だからです。不味い蕎麦はトロロ蕎麦で流し込むに限るからです。




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自然薯の話の続きの続きです。
16年1月2日13:20
自然薯の続きの続きです。相変わらず、写真をupするのに、四苦八苦して、何とかupload出来ました。最初の写真は自然薯を擦る分だけ切った後で、髭を焼いた自然薯を、超柔らかい料理用のブラシで洗って水を拭き取った状態です。本当は、すり鉢で山椒のすりこ木で、お出汁で伸ばしながら擦るのが正式なのですが、自宅のハイツにはすり鉢やすりこ木はあるのですが、事務所には大きいので置き場所に困るので無いので、普通のセラミックのおろし器でおろしました。市販の昆布汁の素だけでは、味が強いので、蕎麦汁と出汁の素で薄めて卵を入れてトロロを伸ばします。次の写真はレンコンを自然薯と等倍に擦って味を整えます。トロロご飯なので、本来は麦飯なのですが、麦はハイツにはあるのですが、事務所にはないので、コンビニでほうじ茶を買って来て、ご飯を炊く水の代わりに入れて、ほうじ茶ご飯を作ります。ほうじ茶の香ばしさがトロロによく合います。以上、1月1日のレシピでした。大晦日と1日は、雑用が間に合わなくて、食事が12時までには、出来なくって、とうとう年越しそばも出来ませんでした。という事で、「年越した蕎麦」になってしまいました。今年は、私は正月は無いので、正月風の食べ物と、自然薯の料理でした。
      


トロロご飯、大好物ですが、最近忘れていたので、試したくなりました。ノウハウも使わせていただきます。

ほんとうのご馳走 祝い膳が整われ素晴らしいです!

立派な自然薯ですね。私は大和芋をいただいたので、磯辺揚げにしたら子どもが喜んでくれました。

磯辺揚げは私も大好きなのですが、油物を控えているので、随分長いこと食べていません。羨ましい限りです。

昔はちゃんとだし汁を採る所から・・・、と言いたい所ですが、生来の怠け者なので、私の料理は昔々の若かりし頃から、基本は手抜きです。昔々或る時に、生徒のお母様にインスタントの味噌汁にお豆腐とミツバを切って入れて出したら、結構、インスタントとバレなかったので、それ以来手抜き料理に味をしめています。なので、中々人様には推奨出来ないのですが、本当の所は、このレシピは、31日に買い物に行けなかったので、次の1日は、食べ物が全くなかったのですが、流石に1日なのでスーパーも閉まっていて、家にあったのがお米と自然薯だけだったので、仕方のない思いつきだったのですよ。コンビニは開いていたので、ほうじ茶も単なる思いつきです。


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差し歯や詰め物が
16年1月4日
この話は、今回の話とは全く関係がないのだが、去年(一昨年)の夏に長崎から帰京する途中で、前歯の差し歯が抜けてしまって、治療に3ヶ月くらい掛かってしまった。(この文章は12月の31日に書き始めたので、年が混乱しています。)
欝や体調不良の老人にとって「病院に行く」という事は並大抵ではない。
人によっては病院が憩いの場という人もいるようだが、私にとっては、指定された約束の日時を守る事が至難の技なのだ。
しかも、治療の最後の仕上げの日は医者自身が何かの予定があったみたいで、普段はそれなりに丁寧な作業をしていたのに、最後の最後だけ雑な仕事で、半年近く直した歯が痛くて困った。
新しく作った挿し歯自体も元の挿し歯よりもかなり大きな歯だったので、何度も削り直さないと他の歯にあたってしまって、痛いのだが、これ以上は無理という事で見切りをしてしまった。(それも良くなかったのかな??)

それから、さらに、去年の11月頃に(これは現在からの去年である)右の詰め物が抜けて、江古田の周辺で別の歯医者を探している間に、その2,3週間後に左の詰め物がまた取れてしまった。
今日は、またまた、新たに、前歯の継ぎ足し治療をした歯が欠けて、ボロボロになってしまった。
左の詰め物が抜けて、更に欠けてしまった歯や、前歯の擬似歯が取れてしまった歯は、唇やほっぺたの裏を傷つけてしまって、結構痛いので、直ぐにでも、治療して貰いに行こうと思ったのだが、昔々、私が行きつけていた歯医者は、とうの昔に病院を畳んで引っ越してしまったし、その後、(3、4年前の話なのだが、)治療したはずの奥歯の先端が舌にあたって舌を傷つけて痛くて叶わないので、江古田教室の傍の新しい歯医者に行ったのですが、歯全体をcheckして、その問題の歯を治療する前に、奥の歯をあれよあれよという間に5,6本抜かれてしまった。
勿論、
「このまま放置すると、そのうち、歯周病になって抜かなければならなくなる可能性があるからだ」・・という歯医者にとっては、正当な必然的な理由からだったのだが・・。

インプラントをするために、インプラントに必要な金額等の事前の説明もなく、こっちの意向を無視して、歯周病になる前に、それだけ寿命があるかどうかさえ分からないのに片っ端から抜いてしまった。
歯を抜かれた事もショックなのだが、それ以上に、あまりの高額なインプラントの費用に、(当時、3,4百万)超、ショックで、それからその歯の病院には行っていない。勿論、ブリッジの話も聞いていないのだが、よく人に聞くのはブリッジは歯の下を傷つけて虫歯を誘発したり、口臭の原因にもなる・・という事を聞いた事がある。
ちゃんと毎日手入れをきちんとすれば、問題はないのだろうが、それは老人にとっては結構負担が大きいのではないだろうか??
そして、問題の歯の先が舌にあたって舌を傷つける、という歯の治療は後回しにされたままだったので、その歯は今でもそのままになったままだ。

こうこう立て続けに歯がおかしくなる原因は、
「きっと、糖尿病のせいかな?」と思ったのだが、よくよく考えてみると、これまでの問題の欠け落ちた歯は、全て治療したはずの歯で、自分の元々の歯ではない。
元々の歯は、何ともないのだよ。

歯の治療は、大分文明が発達してきたはずの今でも、結構、体力や体調を損なう重労働で、歯の治療をするという事、自体がpressureになる。
それにもまして、私達老人は、或いは欝等で体調の優れない人達にとっては、歯の治療のその日を事前に予約する事は難しい。治療を受けるだけの体力、所謂、その日の体調はその日にならないと分からないからなのだ。
それなのに、歯の治療に掛かる日にちは、余りにも長すぎる。
もうり老人なのだから、これから20年も30年も長生きする分けではないのだから、インプラントなんかで、完璧な歯にする必要はないのだよ。
昔のように、セメントではなかったとしても、修正ボンドで埋めておいてくれるだけでも良いのだよ。
それこそ、1日、2日で治るものならね。
でもそれでは、歯医者の沽券に係わるのだろう。
詰め物がちゃんと元に収まる場合には、簡単に治療をしてくれるのだが、修理が必要な場合には、徹底的に時間をかけて治療されてしまう。
勿論、丁寧に誠実に治療をすると言う事、それ自体は有り難く、望ましい、感謝すべき事なのだが・・。
体力のない老人にとっては、結構、ありがた迷惑になってしまう。



詰め物の取れた歯が更に欠けた!!
もう、ボロボロという事なのかな??
2月17日 8:22

今日はまたまた前歯の補修した歯が取れた!!
2月18日 21:16

netで探しても近場には、歯医者が見つからないので、ハイツの郵便受けに年賀状が来ていた歯医者に、18日の木曜日は休診日なので、金曜日の2月の19日に予約を取って行って来た。
治療していた歯の芯の周りが虫歯で大きくなって抜けたのだそうな??
経年劣化の一言で片付けられてしまった。
取れたpartsは全部とってあったので、見て貰ったのだが、穴が大きくなり過ぎたり、その後で折れたりしていたので、取れたパーツをそのまま戻すのは無理で、全部新しく作り直すのだそうな。
治療は時間が掛かるので、一本ずつしか出来ないそうで、1本の歯を治療するのに、8回ぐらいの回数が必要で、週1回なら、1本を治療するのに、2ヶ月掛かるという事なのだな??それが3本だから都合、6ヶ月てな事かい??
まあ、それぐらいは覚悟していたけれどね。(でも、それには、今回の大元の奥歯が舌を傷つける歯の治療は入っていないのだよね??
私の精神力と体力の勝負だろうな??
2月24日 9:18

歯は万病の元です。何を食べても美味しくないですよね。半年掛かってもいいから、頑張って治してくださいね。
2月26日 14:18

歯は命の源と伺っています!お大事になさってくださいませ!
2月24日10:16


有難うございます。
2月24日11:04

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すり鉢とすりこ木と辛味大根と

一番左写真は長野から取り寄せているお気に入りの生蕎麦です。蕎麦汁だけではなく、トロロや辛味大根等々、色々と汁の味を変えて楽しみます。自然薯はすり鉢で汁で伸ばして作りますが、すりこ木は山椒のすりこ木が最高です。大きなすり鉢は私の自宅の倉庫にしまっていて、部屋に持って来るのに、台車で運びますが、大きさは大体北斎漫画のサイズです。事務所には、普通サイズのを置いているのをすっかり忘れていました。この写真はカワハギの肝を醤油で溶いている所の写真を持って来ました。すりこ木は先っぽが曲がっていますが、それは私の個人的な好みで、普通はまっすぐです。とろろのお話はこれでおしまい!!ニギニギコンコン、ドンドコドン!!

   


  

今、昨日のレシピの通りに完成しました。
ご飯が炊けるのを待っている状態です。


それは、それは!!是非ご感想をお聞かせください。

貴兄のレシピで作った、トロロごはん。自然薯は当然入手不能。ヤマトイモも売り切れ。残念ながら長いも。ここで勝負はつきました。貴兄のレシピには塩分の味付けが無く、そのままご飯にかけて、物足りないので出汁醤油とワサビを載せて食べました。
60年くらい前、父が作ったトロロごはんとの違いを思い出させてくれました。釧路の和商市場で洋品店をやっていた祖父が、冬になるとチッキで、茶色い紙包で、アンモニア臭い干物を送ってくれます。昆布、するめ、身欠きにしん、シシャモ、それにきゅうりという変な魚の干物。父が、きゅうりを出しにして濃い味噌汁を作り、すり鉢の、オロシたトロロ(レンコンは使いません)に、少しずつ混ぜて、最後に刻みネギを混ぜて食卓(お膳)の中央に置き、各自勝手にご飯にかけ、モミノリ(青のりではなく)をかけて、まぶして、すすりこみました。ほっぺたや手の甲について、痒くて堪りませんでしたが、食欲が勝りました。小学校低学年の頃でした。
貴兄のベースは長崎風なのでしょうか。父のは北海道風なのでしょう。
正確にすべての素材をそろえて再現して比べるのは、無理なのでしょう。


正月なので、今は材料を揃えるのは難しいですよね。味が薄くて物足りないと言う事だった・・そうで、申し訳ありません。  確かに私の場合には、子供の頃から祖母の味を引き継いでいるので、祖母も高血圧なので塩分は一般の方達よりも薄いかもしれません。母は80を越しても肉食系で、塩分も油も結構強く、私は魚系なので、私とは味の好みは全く合いませんでした。私は、通常の醤油も減塩の金笛醤油等を使っています。ただ、市販の昆布汁は味が強いし、塩分も強いので、蕎麦汁等で希釈して使います。私のレシピでは、「塩」を全く使わないのですが、現代の市販の色々な味の素は、塩分の塊だから、あえて塩分を加える必要はないからです。つまり、水を足して希釈はしないので、味は結構強くなります。コクを出すために他の「汁の素」を加える事もあります。長芋は粘りがなく、水っぽいので、ダシ汁を多くすると、トロロの粘りが弱くなって、不味くなってしまうので、その分、濃い汁で割った方が良いと思います。教室の先生達も、普段は、いつも長芋を買って来る事が多いので、私が個人的に買う時には、イチョウ芋やツクネ芋等を買って来て、長芋と混ぜて、頃合の粘りの食感を出します。勿論、同時に汁でも割って、調節して行かないと美味しくなくなります。自然薯は、高価なので、自分で買う事は滅多になく、今回は正月だったので、例外ですが、香りが強く、特に皮ごとすると、下手をするとエグ味が出るので、甘味を足すためにレンコンを加えます。だから、自然薯以外でレンコンを使用すると、繋ぎがなくなって甘くなってしまうかもしれませんし、長芋は元々粘りが少ないのでレンコンは逆効果かもしれません。レンコンは薬膳として老人食として、山芋同様に非常に効能が期待される食材ですが、山芋の粘りと香りを奪ってしまうので、そこは相性の良い山芋を選ぶ事がコツかもしれません。

幸運にも自然薯に出会えたら、奮発して、作ってみます。とろろ汁の味覚は子供のころにかたまっているようで、父の方式でやろうと思っています。


そうですね。自分の思い出の味が一番です。


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食材をスーパーに買いに行けなかったので、


芦塚 陽二さんが写真3件を追加しました


1月9日 11:07

斉藤先生が体調不良で食欲不振で、夜食を食べれないので、雑炊なら何とか食べれるのかな?と言う話だったので、lessonが終わったら夜食の材料をスーパーに買いに行く予定だったのですが、その元気もなくなったようなので、急遽、台所周りのあり合わせの材料で素うどんで済ませる事にしました。市販の出し汁を使ったので、私風にしては、御汁が透明ではありませんね。しかし、味はそれなりに薄味です。乗せる具材も冷蔵庫にあったものなので、素うどん用のものではありません。期限切れの卵もあったので、私は月見うどんにして食べました。去年の合宿中に保護者の方から頂いた山芋(長芋)がもう一つあったので、(自然薯の続き×4ではありません。)早速それを擦って、山かけ(蕎麦ならぬ)うどんにしました。御汁が甘くなって美味しかったです。

それはそうと、Facebookの不具合だと思うのですが投稿した写真が、全部消えてなくなって、しまいました。仕方がないので、文章だけを切り取って、投稿を削除して、新しく、もう一度、投稿の編集を始めました。それにしても、文字を売ってEnterキーを押すと、相変わらず前の文字が消えてしまって、面倒くさくて仕方がありません。同じ文字を二度打ち、三度打ちしなければならないし、変換させてEnterキーを押す度に、確定させた文字が一つ前の変換に戻ってしまいます。幾ら何でもFacebookの動作は酷すぎますよね。でも、多分、パソコンが変わるとまた変わるんだろうな??ネットで調べて見ると、同じ誤作動を犯すパソコンは多いようで、結論的には、元は英語なので、日本語の対応は苦手なのだそうです。日本人は顧客には入っていないのかな??私は1、2行打ったら、一度投稿して、編集で打ち直しています。それなら、誤動作が少ないので・・。気を取り直して、元の文章に戻って・・、

2枚目の写真は、七味に虫が湧いていないかのcheckです。殆どの人達は市販の製品は安全だと思っているようですが、今は冬でも温かいので、1年以内に買った七味でも虫が湧いている可能性は多いのです。特に、大手の市販品ではなく、自家製の七味は薬味が農薬が掛かっていない事が多いし、虫は実の中にいる可能性が多いので、例え、農薬が掛かっている薬味であったとしても、それなりに気をつける必要があります。次の写真は長芋を擦っている所です。赤いSBの胡椒の蓋は一味と七味です。入れ物の瓶は何年も使っていますが、中身は新しい勿論、賞味期限内のものです。竹で出来たハケはトロロを擦る時には欠かせません。今では100均でも売っているので・・。

1月9日13:27
何時もと同じに、そのうどんを持ち帰って、今日の日の朝食にしています。とは言っても、食べているのは、もうお昼の1時ですがね。



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音人の会の予告

1月9日 1:42 ・

1月の7日に
「音人の会の会場は、例年通り自治会館を予約しました。」というmailが来たので、「何日?」と聞いたら「11日です。」という返事が返って来たので、「あっそう??」と、聞き流していたのですが、昨日になって、チョッと不安になって、「11日って、何月の事?」とmailを送ったら、「1月の11日です。」と返事が返って来ました。「おい、おい!そやぁ、ないよ!後、3日しかないじゃないの??」と、パニックが起こってしまいました。「せめて2月に日延べしたら?」と、言ったのですが、音人の会の生徒さん達には、もう連絡したので、それは難しいそうです。homepage迄はとても無理なので、取り敢えず、Facebookだけには、後悔(公開)しておきます。イヴェントに時間や場所を入力しようとしたのですが、時刻を入力する事が出来ず勝手に時刻が2時〜5時と設定されてしまいました。こりゃどういうことじゃ??理解不能だ!!場所も千葉市花見川区と勝手に出てきて任意に住所を詳しく書く事が出来ません。本当に困ってしまいます。
という事で、1:00オープンなので、1:30開場で4:30終了で片付け5:00outになります。住所は花園教室の前の公園の対面にあります。住所は千葉市検見川区花園2丁目11-11です。事前の予約が必要です。お酒を飲まれる方は基本教室は準備しませんので、自分でお持ちください。会費は教室の生徒さん以外のお客様は3000円です。お料理は義務ではございませんが、色々とお持ち込みくださると嬉しいです。取り急ぎ連絡致します。


大先生のピアノに、酔っぱらいのアンサンブル、、、、
大昔に経験があります。
でも、聞いていた方も酔っぱらってたんで、すごくよく聞こえました。


音楽用語のcon spiritoのspiritoは、精霊を意味するので、アルコールという意味もあります。という事で、TafelMusicの場合のcon spiritoは、「酒を飲もう!」という意味も・・・、ある分けないか??アハッ!

英語のspiritも全く同じ、心、精神、魂、霊魂、、、そして酒(蒸留酒)です。Tafel Musicのcon spirit 英訳するとwith spirit (酒とともに、、飲みながら、、、)はまことによろしいのでは、、、


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音人の会 当日

芦塚 陽二さんが写真5件を追加しました
  

1月12日 2:48 ・
.
1月の9日のFacebookに慌てて掲載したように、恒例の音人の会を楽しみにしていた人達に連絡を取りましたが、当たり前の事ですが、殆どの人達が既に予定が入っていて、今回は今までで最小人数の先生達を入れて10名の参加でした。事前連絡の不手際で、大変失礼をしました。曲もduoを除いては、室内楽の曲が無かったので、室内楽の代わりに急遽、全員でPachelbelのcanonを演奏しました。曲のprogramは、それぞれの生徒さん達の曲の発表のみだったので、まるでLisaちゃんの試験のrehearsal のような様相になってしまいましたが、皆さんも温かくLisaちゃんの演奏を聴いてくださいました。ありがとうございます。今回の音人の会は、お昼からのmini-concertoだったので、前回のように夜の演奏会とは違ってノンアルコールのワインではなく、私自身も本物のマイ・ワインを久しぶりに飲む事が出来ました。

         
星那さん達は結婚式の時の演奏のリベンジって言っていましたが、勿論、Lisaさんは星那さん貴文君のHandel=Halvorsenのpassacagliaは聴いていないので、Handel=Halvorsenの編曲の曲を初めて聴いて、「この曲、私も是非弾きたい。」と言っていましたので、今日は眠れぬままに、教材研究がてら、楽譜は斉藤先生は持っているのでしょうが、私の自宅にはないので、Heifetzとprimroseの歴史的な演奏を聞いてみました。曲はとても素晴らしいものなのですが、演奏も作曲も、period奏法的な私としては、interpretationが、擬古典として、解釈しても「う〜ん??」という感じになって、納得が行かなくなってしまって、またまた発作が起こって、originalのpassacagliaをorchestra-versionに、眠そびれたままに、transposeしてしまいました。勿論、曲は長いので、途中までなのですが、今週中には出来ると思います。それはそうと、星那さん、貴文君、音人の会の演奏の証拠動画、uploadして良いですか??

アップロード大丈夫ですよ?ビデオ撮っていたんですね…

ありがとうございます!頑張ってuploadしてみます。どうも、Facebookの調子がいつも悪いので・・・あの手この手でやっていますので。

おう!!今回は文字の入力を除いたら、動画の方はサクサク行った!!



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Handel=Halvorsenのpassacaglia g mollです。

Handel=Halvorsenのpassacaglia g mollです。「結婚式で誓いの言葉の代わりに演奏した曲で、その時のリベンジです。」・・とかいうのは冗談かな?ひょっとしてマジ??アハッ!

https://www.facebook.com/100004230614853/videos/582386258579056/?l=90473932842193008
多分、これでFacebookのアドレスを持っていない人でも、Facebookの動画を見る事が出来ると思います。

素晴らしいです!
来月お誕生のお嬢様がご両親様が奏でられます音色をどんなに嬉しそうにお聴きかと!、、と思いを馳せ 魅せられました!


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Handelのpassacaglia g mollのAshizuka-version T

芦塚 陽二さんが2 new photosを追加しました
   
1月14日 7:15

昨日の夜から書き始めたHandelのpassacagliaのorchestra-version、ついに書き上げました。Concerto Grossoの型で、Cembaloの通奏低音のpartも書いたよ。後は、暫く寝かせて熟成するのを待つのですよ。半年程寝かせると、熟成の具合が何とも言えなく丁度聴き頃の曲になるのだ。今日はワインではなく、珍しくエビス・ビールで、曲を聴きながら、一人乾杯!prost!!善哉!善哉!!

ビールに合う曲に仕上がったのですか?

そうです。con spiritoで、アルコールを持って(飲んで)!!。かなりパッショナブル(ファッショナブルではありませんよ!)に出来たので、悦に入って、(エビスビールが一缶しかなかったので、今は何時ものワインで飲んでいます。)でも、タマにのタマですから、お許しを・・!!  finaleの音源をFacebookにupしても良かったのですが、finaleはノーテーションのソフトなので、音源は苦手で、Concerto Grossoのsoliとorchestraの音の区別がないのですよ。だから、soliの演奏とorchestraの演奏の区別がつかない。困ったものです。 今は、教室の子供達の腕は(八千代効果で)超、上がっていて、こういった難しいパッショナブルな曲の演奏自体は問題なくこなせるのですが、なにせ人数が少ないので、grandorchestraとsoli(ソロ群)の対比が出来ません。以前は、Concerto Grossoも演奏可能だったのですがね。

何事にもcon spiritoで挑みたいと思います!

娘がやりたい!と叫んでおります。
初演、
楽しみにしています。


教室の生徒達では人数が少なすぎるので、Concerto Grossoは、無理です。どこかの大学の学生orchestraでは、技術的に無理です。初演は、遠い未来の話になりそうです。教室も日本の社会に子供達が多かった頃、そう、貴文君達が小学生だった時代では、Vivaldiの4台のviolinのためのconcertoなんかをやっていたのにね。検見川の教室に40名ぐらいが詰め込まれて練習していたのですよ。遠い昔々の思い出の中の話ですがね。アハッ!



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Handel passacaglia Ashizuka-version U

芦塚 陽二 added a new 動画 from 1月15日 11:30 to his timeline.
1月15日 11:30
昨日は荷物が着くので、2時間程部屋に缶詰になりましたが、今日は引き続き年に1回の下水のメンテで、午前中はまたまた部屋に缶詰になりました。しかし、殆どの場合には、一日中部屋に一人で居て、パソコンの作業や、論文等の仕事をしているので、基本的には何も変わりません。しかし、殆ど誰も訪れる事のない部屋に、見知らぬ人が来るという事は、結構プレッシャーになります。意識的には、缶詰にされているような気がするので、気を紛らわすためにも、昨日に引き続き、Handelのpassacagliaのarticulationとornament(装飾譜)を入力しました。やっぱりbaroqueはornamentを入れると絢爛豪華になって、如何にもHandelという感じで悦に入っています。uploadした動画を入れ替える事は出来ないのか?調べているのですが、やり方がよく分かりません。私には、Facebookは難しいです。


前の動画を差し替えようとしたら、何と、動画だけではなく、コメントも削除されてしまいました。何とか復活させようと試みたのですが、相変わらず、Facebookの説明を読んでも、私には理解不能です。「動画を削除」というのは、動画だけが削除されるのか?と思ったのですが、そのコメントが全部削除されるとは??元に戻す方法もないらしいのですが・・、どうすりゃあいいのかな?コメントに投稿して戴いた皆様、特に中野様、ごめんなさい(._.) 平謝りです。Facebookは私には難しい!!無知な私をお許しください。
1月15日 12:30


この曲はHandelのCembalosuiteの第14番の中のpassacagliaで、よく特立しても弾かれる秀作です。
音人の会では、Handel=Halvorsenのviolinとviola2台へのarrangeで、現代風に作られていましたが、私はperiod奏法のように、なるべく原曲のmelodieとbasso continuoのcelloのpartはなるべく弄らないで、baroqueのConcerto Grossoのstyleで編曲しました。うっかり削除してしまったコメントにも、書いていたように、独奏のsoliとorchestraの対象、対比がパソコンの音源では表現出来ません。また、音源はstereoで録音されているので、本当ならばbaroque時代のorchestraの並び方で1stと2ndの交唱が活かされていれば良いのですが、どっかでモノラルになってしまっていて、そういったbaroque音楽の立体的な演奏が表現されていません。  という事で、この動画はYou Tubeにはuploadはしていません。生演奏が出来たらYou Tubeへupする事にします。
1月15日 16:12

とは、思ったのですが、教室の生徒達の人数では、Concerto Grossoはmember的に無理です。技術的には演奏可能ですが。amateurorchestraでは、violaとcelloが無理でしょう。という事で、You Tubeへのuploadは夢のまた夢になる予定です。パソコンの音源はClassicでは、無理っぽいしねぇ??


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大雪だ!

2016年1月18日6:41
わ〜お〜!一面、銀世界だ!!
今年の初orchestra練習の初日の夜です。
「え〜っ?もう、17日だよ??月の半分は終わったよ!!」
うん、でも教室の色々な行事的の関係で、ローテーション的にはそうなってしまいました。
正月開けで楽しい日々を過ごした・・というよりも、センター試験や、私立の入学試験などが目白押しの1月です。
皆、終わり次第頑張って、練習に駆けつけてくれました。
子供達にとっては受難の1月です。
でも、子供達は私には、
「上手く行った」としか言わなくって、失敗した事は言わないのよね。
牧野先生には、失敗した事を、こっそりと話しているようだけどね。



千葉はぜんぜん積もってないです…

あれ??昨日の深夜のニュースでは千葉の方が積雪が酷いという話だったのだけどね。不思議だ??

確かに雪は降っていません。夜中は暴風雨でしたが。

昨日は千葉からは、いつもよりは少し早めで10時頃に、東京に帰ったのですが、未だ雨がパラパラという感じでした。

それはそうと、今のデジカメは真っ暗な中を写真を撮っても、こういう風に実に綺麗に撮れてしまうので、凄いです。しかし、ある意味、今現実に肉眼で見えているように撮るとなると、目で確かめながら光量を調整しなければならない・・という変な話になってしまって、逆に難しいです。今回の雪の写真は深夜に撮影したので、肉眼で見ている通りに補正をしなければ、闇夜のカラスの状態で、何も分からないので、デジカメが補正した写真をそのまま掲載しました



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またまたまたまた、山芋のお話です。

1月23日 10:54
またまたまたまた、山芋のお話です。
またまた、結構長々と書き込んだ文章が、写真を追加しようと画策している間に、全部ぶっ飛んでしまいました。また、同じお話を書くの??チョッとめげたな!!
気を取り直して、・・・・
昨年の暮れに、偶然にも色々な方達から自然薯や山芋を戴きました。
山芋(自然薯も)は、土の付いたままならば、日持ちがするので、焦って料理をする必要はないのですが、どうしても忙しいと、山芋を擦るという一手間が、山芋の料理のネックになっています。
勿論、板状に切って、天ぷらを作ったり、短冊切りにして、おつまみも良いのですが、やはり王道はトロロでしょう。
右側の写真のフードプロセッサーはおろし器の円盤も付いているのですが、これで擦ると、繊維が切れてしまってネバを引かないばかりか、パサパサになって非常に不味い味になってしまいます。
昔、最初に買った餅を作る機械で作った餅は、お雑煮に入れると溶けて無くなってしまいました。
「そんな感じかな??」という事で、20年、30年前におろし専用の電動おろし器を買いました。


流石に、おろし専用の器種なので、普通に手で擦ったのと同じように擦れますが、
「後の片付けが大変だから・・」と言って、先生達は使ってくれなかったので、ハイツで御蔵入りになっていました。
折角、沢山自然薯を戴いたのだから、腐らせると勿体なので、30年ぶりに御蔵から出して、(30年振りなので)早速試し刷り(ではなく、擦り)してみました。
流石に早い・・というか、一瞬で擦ってしまうし、何せ手軽です。
不真面目なようですが、この状態からすり鉢で御汁を足しながら、山椒のすりこぎで、本擦りをすると、不真面目は不真面目ではなく、「下ごしらえ」になると思いますよ。

2016年1月18日6:41

上記のコメントに写真を追加して一つのコメントにしたかったのですが、写真の追加方法が分からないので、こちらにupしておきます。

パーツが幾つもに分かれるので、確かに見た目には洗う手間がかかりそうですが、中性洗剤を10倍ぐらいに希釈して、ザッと、擦った山芋のこびりついている辺りから全体的にスプレーをします。
後は流水で流すだけですが、不精者の私は、ブラシを使用して洗うので、手を濡らす事はありません。

実は昨日、コードを纏めるのに、マジックテープを使って纏めるのですが、マジックテープをコードに糸で縫い付けるのが面倒くさかったので、ホッチキスで止めていたら、その玉が少し開いていて、親指に刺さってしまいました。

糸で手縫いをするには、布テープが厚すぎて、指が大変だし、ミシンでは作業の場所が狭すぎて、小さ過ぎて、機械に引っかかってしまうので、私には縫うのは無理です。

という事で、不精をしてホッチキスで留たのですが、それが裏目に出たようです。
もう、それから1日経つと言うのに未だ親指が痛いのですよ。

だから指は濡らさないで、水仕事をします。
・・というか、普段も手を濡らす事はあまりしないのですがね。
という事で、シンクを占領していますが、洗うのは一瞬です。
そこは、先生達が思っているのとはチョッと違うかな??



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非常階段で踵を踏み外した。指が・・・

1月26日 8:38
昨日の夕方、自分の部屋のすぐ傍のマンションの非常階段の足元が暗く、よく見えなかったので、踵が滑って、思いっきり、階段をから転げ落ちそうになって、不安定な姿勢のままで、左手で全体重を支えてしまいました。手が痛くて20分程動けませんでした。痛みが止まって暫くして、3指の指4の指(中指、薬指)の関節が痛くなって、左手では物を持てない・・ご飯茶碗すら持てない・・というか、パソコンのキーボードすら、全く打てなくなってしまいました。帰り道のバイクのブレーキ・バーが引けなくって、とても大変でした。という分けで、この文章はキーボードを使用しないで、音声で入力しています。しかし、コマンドはキーボードの操作をしなければならないので、パソコンの操作が難しいので、暫くFacebookはお休みする事にします。まあ、私の場合のコメントは、存在確認のため・・ではないので、悪しからず。Facebookを見るだけなら、問題はないので、皆様のコメントを楽しみにしています。



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山芋のお話の補足説明です。

1月27日 20:57
補足説明です。
自然薯の毛を焼くのに、バーナーを持っていない場合は、ヤットコ(トング)のような耐熱の鋏でガスで山芋をしっかりと掴んで、ガスで焼けば良いのです。
ここで使用している鋏は病院でリネンの消毒に使用する鋏です。
家で使わなくなっていたので、他の用途に使用しています。
自然薯の場合には、皮は剥かないので、食器用のブラシで汚れを落とします。
手でする場合は、上まで擦るので、上の乾燥した部分をスライスして捨てますが、4枚目の電動のすり器の場合には上の部分が残ってしまうので、敢えて上は切り落とさないでそのままにしておいて、後で擦り残しの部分を捨てます。
味の付け方は、山芋の量に対して、いつも目分量なので、卵の周りの少し濃い部分はかつお丸で、コクが出て良いのですが、味が強く、しょっぱくなってしまうので、極、少量をコク付に入れます。
周りは基本は昆布汁なのですが、それでも味が強くなってしまうので、蕎麦の麺つゆで薄めて、6枚目の写真ぐらいの色になったら、出来上がりです。
味は時間がある時には本当に出し汁から作ったり、味噌汁を隠し味に入れたりしますが、普段は市販の麺つゆを使用します。
味のバリエーションは、その都度、気が向いた味付けにするので、かなり多いです。
トロロ蕎麦の場合や、トロロ飯では、少し味付けを変えるので。
  

  

  


ブラシで泥を落とし、ガスでひげを焼いて、電動オロシ機に入る大きさに切り、オロシて、昆布だし、カツオだし、生卵と、白ゴマを振って、炊きたてご飯にかけて、掻き込みます。大食いでなくとも、どんぶり3杯は軽くいけますが、ご自重下さい。
1月27日 21:15

山芋は食欲がない時や、疲れが抜けない時には、理想的な食べ物ですよね。疲れを取る働きもあるようです。
ご飯は気を付けないと、噛まなくなるのが弊害かもしれません。
1月27日 21:18


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土鍋に小鉢が嵌ってしまって

1月28日 19:00
お粥を作るための土鍋に小鉢を入れていたら、何と嵌ってしまって、取り出せなくなってしまった。(写真1枚目、2枚目)
石鹸でも、土鍋を温めても、トントントンと、軽く叩いても、1時間ぐらい頑張ったのだけど、小鉢や土鍋に傷が付くだけで、どうにもならない。
入れる時には、全く普通に入ったのに、何故取り出せなくなってしまったのか、不思議だ!!
そのままではらちがあかないので、意を決して、どちらかを割る事にした。
高価なのは小鉢の方なのだが、利用頻度では、そんなに高価なものではないのだが土鍋の方だ。
・・という事で、泣く泣く小鉢を金槌で割る事にした。(写真B)
割ってしまった小鉢だが、どうも、捨てるのにもしのびなく、なんとも割り切れないので、ボンドでくっつけて土を入れて、花を入れる事にした。勿体無いのでね。これも執着・・・!

    




外の土鍋に水を入れて火にかけたら取れなかったかな〜
1月28日 23:47

勿論、火で温めるのはやってみたのだけどね。石鹸も・・。
入る時には、何の問題もなかったのだけど・・・??
1月29日 2:16

土鍋も結構立派そうに見えますね。
1月29日 7:24

わざわざ、立派そうな土鍋を買わなくても、スーパーで売っているような万古焼の極々普通の土鍋を、どういうわけか、大量に持っているのですよ。それこそ一人用の小さな土鍋が2,3個とか??勿論、私が買った分けではなく、昔からあるものなのですがね。それなのに、宣伝に釣られて、同じような土鍋を買ってしまったのです。ご飯専用や燻す専用のや、このお粥専用のも・・。ヒョッとして、私も、土鍋が好きなのかな??
1月29日 7:34 ・




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ランタン型のストーブ
2016年2月1日12:28
先週、一週間は千葉の教室ではlessonがない週だったので、昨日のオケ練習は一週間ぶりの千葉行きでした。
ここの所の厳しい寒さが、昨日は和らいでいたのでオケの練習はストーブも焚かないで練習しましたが、夜は深夜になるに従って、流石に、急速に冷え込んできました。
東京に戻ってから、いつものように事務所から自宅にバイクで戻って、自宅で、オケ練習の楽譜等の後片付けをしようとしていたら、パソコンの椅子でまたぞろ眠りかけてしまいそうになったので、慌てて、全ての雑用をそのままにして布団に潜り込みました。
寝室が余りにも寒いので、普段は点けないエアコンのヒーターをつけて寝たのですが、2時間、否、1時間おきに、目が覚めてトイレに行きます。
それが体が凍りつくように寒い。これはおかしいな??と、体温計で計って見ると、やはり7度超と微熱があります。
エアコンのヒーターは喉に良くないので、灯油のランタンにしようと思ったのですが、体が芯から凍えてしまって、隣の部屋にある暖房器を取りに行く勇気がない。
結局、朝まで寝たのか、寝てないのか?寒〜いお話でした。
yahooによると練馬の外界は2°だそうです。
写真は部屋の窓からの如何にもどんよりとして、寒そうな眺望です。時間は午前5時半頃です。
5時は未だ暗かったので、写真は無理でした。


それはそうと、先週はVeraciniのsonate accacemiche Op.2Nr.12 d passacagliaのbaroqueviolinのversionをfinaleに入力する作業をして、更に、その譜面を演奏譜に改編して土曜日迄には完成させました。
とても長い曲なので、orchestraversionでは3分の1程にカットしていますが、baroqueviolin-versionでは、カットを減らしてもう少し長めになるようにカットしています。それでも、かなりの長さになります。
そして出来たversionをたたき台にして、更に、ornamentや即興を書き込んで、Ashizuka-versionのpassacagliaを完成させて行きます。

昨日の練習は殆どの生徒達が、受験のために生徒の集まりが悪く、練習が今一でしたが、私のAshizuka-versionのVeraciniの新しく訂正になった部分を確認しながら練習しました。
流石に八千代組(専科生)の生徒達は、難曲である私のarrangeの曲を上手に弾き熟(こなし)ます。中々の腕です。
後に続くはずの中級の生徒達が全員学業中心になったって、続かなかったので、後進の生徒達は小学生迄下がってしまいますので、専科生の間で一緒に練習するのは、非常に難しいし、チョッとかわいそうです。
困った!困った!!(?????)


2016年2月1日19:38
またまた楽屋内の言葉で「灯油のランタン」等と言ってしまいました。
「ランタン型の灯油ストーブ」の意味ですが、この優しく弱々しい灯りと火力がなんとも魅力です。

温度もそんなには強くないので、寒い時には、ストーブとしては、何の役にも立ちませんが、寝室のようなほの

ほの暗い明かりとヒートショックを防ぐぐらいの優しい温度が丁度良いです。wineにもちょうど合いますよ!! 
インバーター型の強い温度が吹き付けて来るタイプは、私は苦手なので、今のストーブは温度調節に困惑しています。
このランタンのストーブ、チョッとバッチイですが、使ってそのまましまっていたのでこの有様です。
でも、バラして銅磨き布でちゃんと拭いて、ガラスも水洗いをすれば一瞬でピカピカになります。しかし、わざわざピカピカにしなくても、ストーブに火つければ、とても綺麗なのですが、頑張って隣の部屋から(ダルマストーブではない、船のランタンのimageだそうですが、)ストーブを寝室に運んで来たら、灯油が入っていませんでした。

それどころか、何と何と自宅に灯油が全く無かったのですが、事務所にも灯油がなくて、灯油を買いに行くのに、車に灯油のポリを積み込むのを忘れてしまっていて、スタンドで灯油を買う事も出来ませんでした。
いずれにしても、凍てつく中を無理して寝室に運んだとしても、結局の所、使えなかったのですよ。
超、凍りついている中を取りに行かなくって不幸中の幸いでした。
危うく、遭難する所だったのですよ。そうなんよ!!
2月8日 17:29


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過日の土鍋の話の続きです。
2016年2月1日18:39
過日の土鍋の話の続きです。自分で買った土鍋は土鍋としては過日の土鍋と、コメを炊くご飯用の土鍋だけで、他の土鍋は先代か母親がコレクションしたものです。1枚目の土鍋の写真はオーソドックスな普通のスーパーに置いてある土鍋で、全部普段使用の土鍋です。これよりももう一サイズ小さな一人用の土鍋を2,3個持っているのですが、しょっちゅう使っているはずのものなのですが何処に仕舞ったのか、今は見つかりません。ある場所は多分、分かるのですが、腰がかがめないので、出す事が出来ません。2枚目と3枚目の写真は同じ土鍋と言うか?燻製を作るための土鍋です。勿論、私が趣味で買ったものです。桜のチップだけではなく、色々なチップを試す事が出来るので色々な美味しい燻製が自由に出来ます。でも、このお話はキリがないので、これくらいにしておきます。ドンドコドーン!!
  

全く未知の世界でした。
私は香炉を少し集めていますが、これほどの存在感はありません。
恐れ入りました。
18:56
私自身は、お気に入りのものが一つあるとそれを全てに使います。だから、コレクションをする・・という概念は基本的には持ち合わせてはいません。
ただ、よく勘違いされるのは、本当に気に入ったたった一つのものが見つかるまで、それによく似た物・・近い物を、探して、探して、買ってしまうので、人様から見ると、同じようなものをコレクションしているように勘違いされる事が多いようです。

右側の写真は、実家から持って来た珍しく気に入っている湯呑ですが、大人数が集まる事が多かった江古田教室に置いていた湯呑ですが、段々数が減って来たのと、可愛らしいので、ハイツに持って帰って、味噌汁のお椀やスープ入れ、ヨーグルト等々色々と湯呑以外のものに使っています。


砥部のミルクのマグは、大瓶がちょうど半分入るので、ビールコップに代用しています。
砥部の口当たりがとても良く、気に入って教室用に追加で欲しかったのですが、今はもう、なくなってしまった、このマグカップを最初に買った長崎のデパートの陶器売り場の売り子の人に、お袋が相談したら、その人がマグを作っていた陶芸家の人と知り合いだったそうで、もう作っていなかったそうなのですが、頼み込んで、40客程作ってもらいました。
以前、私は、気に入って10脚程、(デパートにあるだけ・・)買い占めていたので・・ね。




お袋さんは陶器を買う事が、ストレスの発散で、使用するために買うのではなかったので、置き場所や使い手に困るとすぐに私の所に送って来ました。私が
「部屋が狭いので、陶器なんか置くとこないよ!」と言うと、プンプンと怒っていました。 
私の場合には利用頻度が優先なので・・・!!
・・・という事で、私の自宅には、一度も使用した事も見た事もない私の知らない陶器があふれています。
私のあづかり知らない未知の物に囲まれて生活をしています。

2月2日 20:22


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難攻不落のblog作成
2月3日 14:50
yahooblogに挑戦してみよぅと、2日前から始めて見たのですが、難解で理解不能でurlを送ってもblogへの書き込み等々が何も出来なかったので、諦めて閉鎖する事にしました。協力してくださった人、申し訳ございませんでした。url等削除してください。もう少し楽なblogがあったらいいのにな??・・・そう言えば、Facebookも誰かが教室の事を書き込んでいたのを見るために・・というのが、本来の直接のきっかけだったのですよね??mixiのblogを見るために2度入会した事があったのだよな・・??そっち開いて見るか??・・・な、な、な、何と!アメーバブログのaddressが残っていた。
アハッ!mixiは間違いだった!

そうなんですね。先ほど試しにブログにコメントを書き込んだところでした。
2月3日 19:35


yahoo??アメンバー??どっちに??
2月3日 21:53

やふー
2月4日 0:39


yahooはもう削除したので、入って来ないよ!!今はamebablogだけ!
2月4日 1:55

そう言えば昨日、お昼のCriminaldoramaで「40年物のウイスキー」の話が出ていましたが、そんなウイスキーは売ってあるのかな?
2月4日 16:20

国産の山崎の40年ものでも、4〜50万するのですよね??普通に100万200万では、手に負えないなぁ〜??
という事で、mixiにも開設しておきました。名前は一静庵です。mixiを持っている人はよろしく・・??
2月4日 16:37

てな事を書いたのですが、その後、全くmixiもAmebaも開いていませんし、書き込みもしていません。このお話は、・・忘れてください!!
2月26日 6:08


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Veracini passacaglia
2月6日1:28
2012年の11月の26日の八千代のコンサートでは、PachelbelのchaconneをMueller-Hartmannのarrangeの曲で演奏しました。しかし、Pachelbelの原曲がpipeorganのために作られていて基本は3声部に書かれているので、それを忠実にarrangeしたために、なんとも、薄っぺらで納得が行かなかったので、翌年の13年の12月22日のクリスマス会でAshizukaversionとして改訂版を作って、Probeとして演奏しました。(15年11月21日の投稿を参照にしてください。)同様に、Hennry purcellのchaconneやMarin Maraisのla folia、その他多くの擬古典の作品を改訂して演奏し直しました。勿論、全ての曲を改訂し直した分けではありません。Corelli=Geminianiのla foliaやVitaliのchaconneは、そのままの版で演奏しています。
arrangeをするに至るpatternとしては、これまでは、出来る限り元の版をそのままに演奏して(練習中にどうしても納得がいかないと、その部分だけを訂正したりしてお茶を濁す事にして・・・)、その後、どうしても納得が行かなくって元の曲のarrangeのし直しをしたのですが、今回の4月の発表会で演奏予定だったLupi版のVeraciniのpassacagliaに関しては、練習の段階で早々と、納得が行かない所(というよりもarrange上のミスが)続出したので、最初はその誤りの部分を訂正するだけ、と思ったのですが、その箇所が余りにも多かったので、最初からAshizuka-versionの改訂版を作った方が訂正するよりも早い・・という事で新しい版を作る事になりました。
そこでAshizukaversionの改訂版の第一稿を皆に配って、練習に入りました。(初稿の初見練習(Primavista)はYou Tubeにupしています。)
その後、第二稿が更に大幅に変更になって赤入れだらけになったので、私が「scoreを新しくして欲しい!」と言ったのですが、「どうせ、本番まで改訂が続くのだから、本番が終わってからprint outすれば・・?」と言われてしまいました。「partは赤入れでも構わないけれど、scoreはそれでは指揮は出来ない。」という事で、新しくprint outする事になったので、「どうせ、作り直すのなら・・?」という事で、print outするまでの間に、大幅に改訂しました。皆に訂正用のpart譜を見せる前に、その旨を伝達したら、「どこをどういう風に改訂したのか?」と言われたのですが、これまでの練習の時にもう、既に決めていたarticulation等々演奏上の留意点等を実際のscoreに書き込んだり、入りの位置やpizzicatoを新しく加えて、弱いpassageに別の旋律を付け加えたり・・と、かなり大幅な変更をしたので、全てを思い出す事が出来ません。scoreとlayoutをしていないpart譜から赤入れをする事になったのですが、「出来るかな??」と、心配です。それに楽譜を見て変更箇所をすぐに見つけられる程、今までの楽譜を覚えてはいないと思うので、貴重な練習時間が、変更pointのcheckのそれだけで終わってしまうと思うのだけど・・と、心配しています。
楽譜を新しくprint outし直して配り直す手間と、変更箇所を生徒達に書き直させる手間では、失う物の大きさは分かりそうなものなのだけどね。まあ、しゃ〜ないか??テレビで、こないだ道義さんが「楽譜に忠実に演奏するのがClassicですよ!」と言っていたのを聞いて、考え込んでしまいましたが、確かに一般の音楽を勉強する人達の場合には、楽譜を忠実に演奏するだけで、楽譜をkritikするという事はありません。勿論、私もoriginalの曲をkritikする事は、(余程の誤りでもない限り)ありませんし、その楽譜上の誤りも放置する事にしています。
だから、kritikして改訂する曲はoriginalから制作された擬古典の曲に限っています。時々、伴奏等が難しいので、簡単versionを書いて欲しいとか、この曲をオケに直して欲しいとか言われて改訂する事はありますが、それは、how-toのお話なので別の次元の話です。
兎に角、私の方針で、演奏が終わった後でも、納得が行くまで改訂を続けます。でも、結局の所、死ぬまで納得する事はありませんよね。endlessですよ!当然・・!!それがproというものだ!という事が中々分かって貰えないのですよ。amateurとproの境目がそこにあるのにね??

取り敢えず、分かっている所だけ、書きます。
T8T14Org.9小節目viola、melodieの変更24~25cello+Kb.、T29B2、T35viola・articulationT41cello+Kb.articulation、53viola+Vc.T53 tempoT73viola 86~87Org.88T116Kb.org
取り敢えず此処まで!!
後は自分で探してください。



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オケ練習の連絡です。
2月7日 7:51 ・
オケ練習の連絡です。今日2月7日のオケ練習は6時から以降の専科オケは参加人数不足で中止になりました。1stが完全に全滅したので・・・!(代講はありません。)勿論、6時までの練習は平常通りあります。・・・という事で、煽りを食らって、8時からの専科の室内楽も時間の都合上、今日の練習はお休みになって別の練習日に移動します。専科は試験等の都合でのキャンセルですが、小学生もインフルで欠席の人が多くなって来ました。うがい等ときっちりとするように注意してください。教室でもイソジンや殺菌の石鹸等を準備していますので、利用してくださいね。取り急ぎの連絡です。ちなみに、時間が出来たので、初見の伴奏合わせを7時までします。これは伝達です。


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参考までに:
新しい動画を追加しました。
2月8日 11:34 ・
昨日(2月7日)の上級生のオケ練習が人数不足で中止になったので、Veraciniのpassacagliaの土曜日までの音やarticulationの訂正や変更箇所をパソコンの音源でuploadしておきます。finaleのサービスの音源なので、音は本当の楽器とは似ても似つかないショボい音なのですが、ちゃんとした音源を買って本物の音に近づける勇気とそれだけの手間を掛ける時間もないし、教室はあくまで生音が建前なので、「参考までに:」という事です。「参考までついでに」絵はHieronymus Boschの絵です。ボスと呼ぶ人達が多いようですが私はボッシュと呼んでいます。1450年頃に産まれて、1516年8月9日の死までに活躍した画家ですが、Gustave Moreau同様に、時代に超越した人で、他の追従を許さない孤高の画家でした。実際に生きた時代は、ルネサンス期のネーデルラント(フランドル)の画家ですが、絵のほとんどはプラド美術館に所蔵されているようですが、国籍や活躍した場所などの詳しい事は、私は専門的に調べた分けではないので、よく分かりません。


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Mozart kirchenconcerto G
2月10日 12:17 ・
  

一昨日の日曜日のオケ練習は、専科の生徒さんは受験で、2回、3回オケの人達はインフルでお休みが多くて、orchestraの練習にはならなかったのですが、逆に初参加の人達の個人練習という感じで、一人一人の課題がしっかりと出て、それなりにマンツーマンの指導の成果がでたような気がします。
(相も変わらず、Facebookの入力ですが、今度は編集画面が出ません。何度打ち直しても、文章が消えてしまい、困ってしまっています。3回ぐらい同じ文章を打ったり、変換をすると、変換する前の単語に戻ったりしてしまいます。困った!これでは文章が打てない!!)
Mozartのkirchensonateというか、kirchenconcerto Gなのですが、basso continuoのpartが余りにも酷かった(ヘボかった)ので、kadenzを書くのと一緒に、basso continuoも作り直してしまいました。しかし、orchestraのpartは書き直さなかったので、楽譜を作る時に、orchestraのpartを書かないままにprint outしました。
(Facebookへの文字の入力が出来なくって、超面倒くさいので、予めメモ帳に書いてコピー&ペーストする事にします。)
でも指揮をする時のscoreは、通常の市販の譜面なので、楽譜上の音と実際の生徒達の演奏の音に整合性がないのでこの二、三回のオケ練習では、指導が面倒くさくって、ヒステリーを起こしてしまいました。ということで先程の文章に続くのですが、・・・finaleで作り上げたピアノ譜の上に、orchestraのパートを、一昨日から書き上げてしまいました。ついでに、カデンツで不自然な所や、Ayaちゃんに「こう弾くんだよ! 」と私が、模範演奏のつもりで初見で弾いて見せたときに、(私は作曲をする時には、昔からPianoを全く使いません。楽譜上に直接作曲するので、実際に弾くのはその時が初めてなのですよ。)譜面上で見たり、音で聞いてる分には全く問題は無かったのですが、実際に弾いてみると、不思議な事に難しくて私でも、何度か引き直さないと、弾けないpassageがあったので、簡単に演奏できるように修正しておきました。kadenzの4分の3の拍子に変わる所がその変更箇所です。
私が以前、手直しをして、ayaちゃんに渡しておいたbasso continuoのpartにも、少し不自然な音の動きの箇所があったので、ついでに修正をしておきました。ついでのついでに、前回では少ししか書いてなかったarticulationも、もう少し精度を上げて書き足しておきました。



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baiduやGoogleの不具合

2月14日 11:18 ・
先週にひき続き、教室を開いて35年以上になりますが、ボランティアで、毎週の日曜日にオケ練習を始めて以来、初めてと言えるぐらいの出席率の悪さ(欠席の多さ)で、2週連続で専科オケ練習がなくなったので、発表会での演奏の出来や教育上の問題等々、色々と悩んでいます。・・・とは言っても、それで、今回の日曜日のオケ練習の空時間には、時間が出来たので急遽、緊急にしなければならないlesson(どうしても入れなければならない緊急を要する時間)を入れたので、時間的には、東京に戻る時間は、余り変わらなくなってしまいましたがね。
それはそうと、相も変わらず、Facebookに関しては、どうしても文字の入力が出来ません。どうしようもない。100回入力して変換を確定しても、自動的に変換が戻ってしまって、誤変換になって、入力出来ないのです。入力した文字が片っ端から消えてしまう・・という状況も変わらないし・・。という事で、すっかり困ってしまって、色々とnetで調べて見ると、このFacebook上の変換の問題は多くの人達がFacebookに苦情を呈しているようで、Internet ExplorerとFacebookの相性の問題である事が判明しました。という事で、explorerを使っている人達の殆どの人達は、私と同じように、memo帳やワードパッドに予め文章を書いて、それをFacebookにコピー&ペーストで持って来るという人達が多いようでした。
でも、毎回それではとても面倒くさいので、Internet Explorerで、Facebookを開くのをやめて、Googleのhomepageをdown loadして、GoogleからFacebookを開く事にしました。netで調べた時に「Googleを使用すると、文字の変換の異状は出ない」と言う事が書かれていたので早速試みてみました。Googleをパソコンに取り込む時に、チョッと手続き上で手間取ったのですが、実際に開いて見ると、文字変換の誤作動はなくなりました。という事で暫くの間は、internetexploreでFacebookを開く事をやめて、Googleで開く事にしました。
・・暫くの間・・という意味は、Googleも、特有の動作があって、完全に満足の行く解決法ではないからです。
私はKeyboardの入力が遅いので、普段使用する単語を全て単語登録して使用します。
先生はssで生徒はst のように、漢字の頭文字をローマ字で「読み」に登録するのです。
これはMicrosoftでもbaiduでも全く問題なく使用出来るのですが、Googleだけは、促音の入力の仕方が違います。
「ss」と入力すると、「っs」と入力されます。
「sss」と入力すると、「っっs」と入力されてしまいます。
このGoogle独特の促音の変換を、一括で「読み」を指定すると、今度は、促音が変換されなくなってしまいます。
つまり、「学校」が「がkこう」のように変換されてしまいます。
・・という事で、面倒くさいのですが、辞書ツールから、読みの一覧を出して、一つ一つ「読み」の「tt」を「っt」のように、変換して登録し直さなければなりません。
しかしながら、baiduやMicrosoftでは、プルダウンで、変換の候補一覧が出て来ないので、面倒くさくてもGoogleの方が未だ良いのかもしれないので、促音に関しては、諦める他、仕方がありません・・かな?有料の日本語softは使いたくないので・・・

GoogleでFacebookを開く用になって、Facebookに文字を入力するのは、支障がなくなったのだが、今度は、メモ帳やoutlookで、変換の候補が表示されなくなってしまった。baiduに問い合わせたら、他の日本語入力softを使うように指示されたので、急遽、baiduの推測変換と一番近い動作をするGoogleの日本語入力softを入力した。保存が出来ない単語があったり、色々と変換して欲しくない単語を捨てる事が出来ないとか、問題はあるのだが、文字の変換の候補が出ないと面倒くさいので、暫くはGoogleで変換する事にした。
2月18日 22:56

今度は、Googleの日本語変換でmmやss、或いはppなどの文字が2個続けて出てくる場合には、全てっmとかっmmとか変換されて、baiduの辞書が使えなくなってしまった。Googleの辞書でローマ字テーブルの変換の一覧からmmやpp、或いはttを小文字つに変換されないようにエントリーを削除したら、こんどは、「しmtた」等々が変換されなくなtてしmtた(なってしまった。)(natte(なって)!これは小Mateた(困った)!やはり、Google日本語入力softは超ヘボい!!という事で、取り敢えずは、baiduで入力して、変換の候補が出なくなったら、その時点でGoogleの日本語入力に変える事にした。つまり、推測変換を持っている二つの日本語ソフトを両方同時に使うという事ですよ。
2月24日 8:50



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石見焼き
2月16日 16:50 ・
昨日の夜から今日の朝にかけて、発表会で子供達が弾く曲で、指が届かないpassageやrecorderのensemble等の曲で、音が低すぎて出ない所の手直しをしています。原曲のimageを損なわないようにするには、その音だけを変更するだけでは無理なので、曲のimageを壊さないように、音を変更するのは結構難しいのですよ。まあそれは私にとっては本職なのだからね。
それはそうと、すり鉢は巨大すり鉢から極少のすり鉢まで、色々なサイズのを沢山持ってはいるのですが、しかし、普段使いで、使うサイズは一つ二つに決まってしまいます。前回、カワハギの肝をスる時に使用したサイズのすり鉢は普段使いには実に良いサイズなのですが、カワハギの後で、事務所に置いたままにしていたら、二度と出て来なくなってしまいました。山芋をスる時にも必要だったので、そのサイズのすり鉢を探すように頼んだのですが、色々と教室の雑用が忙しいので、探しても貰えませんでした。という事で、頭に来て、発作的に「石見焼きのすり鉢」を買ってしまいました。写真@です。今の人達は多分見た事もないと思いますが、石見焼きとは昔、井戸水で生活をしていた頃に、水を溜めるための水瓶として、江戸時代から昭和に至るまで、人々に重宝されて来ました。写真ABの巨大な壺は、井戸が水道に代わり、水瓶がポリタンクに代わってからは、この巨大な水瓶はもうすっかり見かけなくなってしまったのですが、石見焼きの特徴を残した、梅干を入れてある大きめの壺や、卓上の小鉢としてお袋が買っていたのが、自宅に置いてあります。金継ぎの時に紹介した長崎から持って来たお茶碗ですが、石見焼きにしては、随分優しい感じのお湯呑みですが、これも多分石見焼きの釜だと思います。
    


  


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ニャンニャンデイ
2月22日 6:35 ・
今日は欝です。
日曜日の定形のオケ練習から帰って来て、色々とあって、疲れ切って自宅に辿り着いて、直ぐに寝たのですが、欝が酷いのでなかなか寝付けず、小一時間ぐらいベッドで格闘したのですが、ついに眠る事を諦めてベッドから起き出して、何もする気も起きないままに(・・それも欝の症状の一つなのですが・・)珍しくビールを飲みながら、You Tubeから、自分のuploadした曲の中から、欝コンサートの曲をselectして聴きながら欝に浸っています。

私の鬱の原因は・・と言うと、自分が積み上げて来た努力の結果が、人々に理解される事がないままに、・・自分のこの音楽教室の先生という居場所が自分自身になじまない・・という所に尽きます。(・・つまり、私の音楽教室での生徒一人一人へ「本当の音楽の素晴らしさを教えたい!」の努力は、巷の音楽教室に過ぎないここの場所では、生徒からも父兄からも「そんなだいそれた事は望んでいないし、単なる趣味に過ぎないのだから」と、必要とされていないばかりか、重荷にさえ捉えられて、私の努力の総てが、無駄な努力に過ぎない・・)てな虚しさに思えて来てしまって、「ここは私の居場所ではないのだ!!」と、自分の生活圏や、果は自分の存在理由、自体が意味の無い事を努力しているように思えてしまって、毎日、積み上げて来た長い長いこれまでの総ての努力が無駄だった事のように思えてしまうのです。
(という事で、ここで漢詩を一つ書きたい所ですが、「鬱々欝の所何をか欝をせん」てな感じか、それよりも「無為無為の所何をか無為をせん」の方がよいのかな??という事で・・)ろくでもなくなったので、音楽家らしく、
「欝の曲でもuploadしようかな??」とも思ったのですが、被害を周りに撒き散らすのも、それも私の本意ではないので、やめておく事にしました。ハイ! 


月曜日は、あまり眠つけないままに、lessonの呼び出しの携帯電話の音で目が覚めて、睡眠不足のまま(・・・本当は今日はその生徒の定形のlesson日ではないのですが、)受験生という事で、今日のlessonを定形のlesson回数のままに、無しにすると、何とか受験日迄には、水準をキープ出来るようにしたいという、rotationが間に合わなくなってしまうので、体調的にもかなり無理をして起き出して事務所までlessonに行き出しました。
この生徒は、中、高生の時には、学校を優先していたので、中、高生の時に学ばなければならない基本の技術が抜け落ちています。
親には何度も、
「中学高校で学業を優先するのならば、有名私立の音楽大学には入学出来たとしても、芸大や桐朋の生徒達は、勉強をする上での意識が全く違うのだから、それは無理よ!!」と言い聞かせたのですが、実際に音楽大学を受ける1年前になって、突然、芸大か桐朋でないと嫌だ!!という話になりました。
嫌だ!嫌だ!で世の中通るのなら、そんな簡単なことはないと思うのだけどね〜ぇ 
本来ならば、中学生、高校生の時に学んでおかなければならない技術や、意識が全く育っていないままに、日本の最高学府を受験したいと曰わっているのよね〜ぇ???
それなら、俺が言ったように、中、高生の時に、もっと江古田詣をちゃんとして、して意識をを育てるべきだったのよね。高校に入っても海外ステイ等で遊び回って、lessonには殆ど来ていないじゃないの???だから、その分俺が追加のlessonをしなければならないハメになる。悪いのは俺かよ!!こういうのドイツ語でpech gehabt!! と言うんだよ!!!

lesson自体は椅子の上でも出来るので、体力的には問題はないし、受験生の水準(Niveau)ならば、初心者を指導するのとは違って、精神的にも疲れないので、問題はないはずだったのですが、それでも、ドルプリっ歩の時には帰り道は腰痛で歩行が困難になるし、夜食の時には、もう殆ど意識がなく、何を食べたのかすら、よく分からない意識朦朧の状態で、バイクで帰る時には、メガネをしないままにバイクで走って行って、途中で
「おかしいな??」と気づいて、慌てて事務所にメガネを取りに戻りました。

ベッドから起きて、必死に、自分の額に乗っかっているメガネを探しているSchubertのようなもんですね。でも、私も寝起きで意識が朦朧としている時には、メガネをしたまま、必死にメガネを探している事もあるのでね??それって、普通かもしれませんよね。

それにしても、私のarrangeの鬱々コンサートの曲も溜まったよねぇ?? 
鬱々コンサートの曲だけを集めて、演奏してくれる弦楽orchestraや会場はないのかな? 
今回のHandelのpassacagliaは、専科生が受験勉強のためにお休みして、オケの参加者が減る一方だから、折角Handelの曲も作ったのですが、出演者の人数不足で演奏不能です。
専科生の次のグループは、中学生になったばかりの年齢ですが、全員、塾で、orchestraには参加していないので、orchestraの練習に来れるグループはそのもう一つ下の年齢のグループになります。

そうなると、技術的にも年齢的にも鬱々的にも、私の曲の演奏はチョッと無理なのですよね。
という事で、困った事に私の新曲は演奏のチャンスが無くなってしまいました。
それ以外の私のarrangeの曲も、結構、溜まったけれどね。

今日は2月22日で、ニャンニャンdayだそうなので、プリと一緒に散歩する黒ニャンコの写真です。
近頃は、そのニャンコ道に散歩に行かなくなったので、そのおニャンコ様達にも、お会い出来なくなってしまいましたが・・、その次の2枚の写真は今は亡きRami様です。
1枚目はuprightpianoのフタの上に座っているRamiで、2枚目は風呂の縁に乗って洗面台の水道の蛇口から直接に水を飲んでいるRamiです。でも、これは猫の本能らしいですね。
Ramiちゃんとの出会いは、名神の高速のサービスエリアで、産まれたばかりの幼猫が一人ではぐれていたのですが、私は自分の方針で、猫がいくら可愛くても、誘拐してそのまま連れて来る事は絶対にしません。・・・という事で、いつもの通りに幼猫に
「私について来るのかい?」と尋ねたら、喜んでついて来たので車に乗せて連れて帰りました。
その時には、まだ産まれて間もないばかりでハグレてしまっていたので、ミルクを飲む飲み方も知りませんでした。
私の指をミルクで濡らして、おっぱいを吸うように吸わせる所から、順番にお皿からミルクを飲めるように少しずつ教えて行きました。だから、私が運転中には私の傍のフロントガラスの所に座っています。変よね??
ノンやドルも運転中にお腹の上に乗って来て、ハンドルに手を置いたりして、運転の邪魔をして私を困らせます。

最後の写真は生前のノン様です。おお、美し〜い!!ノン様!!

        

その後」です。普通は日曜日明けの月曜日は、ヘバッて寝込んでいます。そうすると次の火曜日以降は、何とか普通の日常の生活が出来るようになりますが、この何ヶ月かは、受験生がいるので、月曜日もちゃんと起き出して、真面目にlessonをしています。今回も、受験生にとっては、気持ちを維持させるための「要の日」だったので、私も無理ヤリに起き出して、自分の仕事やlessonをこなしたのですが、鬱が酷い時には、私にとっては、普段の必要以上のpressureを自分に与えてしまい、月曜日の次の日の、火曜日と水曜日は、体力気力が喪失して、全く部屋から出れなくなってしまいます。(とは言っても、引き篭りではない・・ただの体力と気力の問題です。月曜日を頑張ると、火、水が持たなくなってしまう・・というのは、何時もの事で、言わば、単なる「routine」なのです。)しかし、私の仕事は、ノルマ作業なので、普段は火曜日、水曜日は時間を拘束されていないので、寝込んでいても、その日一日の内に何とか作業を片付ければ良いので、そういった意味では精神的なpressureは少ないのです。しかし、それはそうとしても、「お腹が減ったから、セブンまで食料を買い出しに行こう。」と思っても体が動かない・・。「・・なら、真面目に仕事をしよう」と体力を必要としないパソコンに向かって仕事をしていると、いつの間にか、椅子の上で眠りコケている・・。その状態が、無限に(二日間)続くのです。たった、二日の出来事なのに、「無限に・・」というのは「変」と思われるかもしれませんが、その意味は、2時間、3時間おきに、起き出して、パソコンの前に座って作業をするという、同じ事を何度も繰り返して、パソコンの前で居眠りを始めるという同じ結果になるので、本当は、二日間だけの話なのですが、体感的には、もう無限に(一週間以上も)同じ事を繰り返しているように感じてしまうのです。 朝、仕事を始めようとして、脱落!昼、再びチャレンジして挫折!夕方またまた・・、で体調が・・・の前に既に、眠ってしまっている。困った!!多分この文章を打ち終わる頃には、また眠ってしまっているでしょう??  何を言いたいの??って??  routineであるせいにして、自分が二日間仕事が出来なかった事に対して、自己弁護をしているのですよ。「私は悪くない、routineのせいだ・・!!」ってね!
2月27日 17:57




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寒い!!

2月25日 2:14 ・
な、な、何と・・!!雨ではなく、雪でもなく、氷の粒だ!ハイツ周りは一面の銀世界だ!今日は大寒と同じ気候だそうです。1月中旬だよね??凄い!





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2月28日は春の発表会のリハーサルでした。
3月1日 10:30 ・
日曜日、16年2月28日は千葉教室の春の発表会のオケ・室内楽のリハーサルでした。子供達のオケの乗りが悪かったので、急遽、私が乗せまくり指揮をしました。こういう練習は度々やると、逆に音が荒れて演奏が雑になってしまうのですが、極々たまの練習の一発には、結構効果があります。
https://youtu.be/nPAmbUNujOI
子供達を乗せるには、結構体力が必要で、すっかり息が上がってしまいました。千葉から東京の事務所への帰りの運転が・・???・・、あっ、牧野先生が運転するからいいっか??
ちなみに発表会の予定は4月の3日千葉市文化会館アートホールです。未だprogramは確定ではないのですが、orchestraの演奏はちょうどお昼ごろの予定かな??と思っています。芦塚音楽研究所のFacebookから訂正してください。


昨日はありがとうございました。帰り道、『あんな速さで弾いたことなかったけど楽しかった?ズドーンが面白かった』とルンルンでした。
3月1日 10:43


子供は、一旦、乗ってしまうと、思いもよらない、通常では不可能な事も可能にしてしまいます。子供の潜在的な能力は素晴らしいものがあります。しかし、その潜在的な能力を引き出す方法論は、一般の社会(の常識)の中にはありません。その素晴らしい教育法を40年間提唱して来たのですが、今はそういった教育論に、すっかり挫折して、一般社会の慣習に従順に迎合してしまいました。それが私の睡眠を蝕む欝の根本的な原因と言えます。アハッ!
3月1日 10:53



今回のリハーサルで、VivaldiのV楽章を子供達が演奏しているのを聴いて、Cembaloのpartがあまりにも酷すぎるので(Cembaloを弾く子供の演奏が・・ではないですよ!!・・楽譜に書かれている音符が酷すぎるって話で・・・!!)、shockを受けてしまい「このCembalopart、ヒョッとして俺が書いたの?」と質問してしまいました。「この曲八千代でもやったよね!この楽譜で弾いたの??」と聞いてしまいました。 私ともあろう人間が、どうして、八千代では、手直しをしなかったのだろう??不思議だ??人生には不可思議な事があるもんだ!! それにしても、shockが結構酷くって、結局、東京に戻って、その日は勿論、午前様だったので、バタンキュ〜で、次の日の月曜日の早朝から楽譜の手直しを書き始めました。それからもう今日は二日目の火曜日ですが、Cembalopartだけでなく、orchestra全体の入力を終わって、articulationもちゃんと書き上げました。チョッと凄い速さだと思わない?? アハッ! basso continuoのcelloのpartを、proの演奏家の人達ですら、ただの伴奏として、ぞんざいに一辺倒に「伴奏だから・・」と言う理由で無為無策に演奏する人達が結構、多いので、basso continuoのpartの演奏の仕方をちゃんと書き表しておきたかったからです。今日は、定形の仕事を済ませて、Vivaldiの楽譜作成に取り掛かったので、結局の処、夜の11時頃まで掛かってしまいました。 一仕事終わった後のビールは最高だな哉(や)!!   ちなみに、この労作は、残念ながら、今回の発表会では使用しません。上級生ならば、演奏会の当日に楽譜を「舞台渡し」しても、なんの問題もないのですが、何せ今回の出演者は小学低学年生(6歳から3年生の9歳)のためのorchestraなので、それだけの譜面に対するresponseはありません。だから楽譜はちゃんと事前に渡しておかなければならないのです。つまり、私が2日で書き上げたのは、・・今回の発表会のためではないのですよ。・・・ね??
3月3日 7:45


近ければ聴きに行きたい!
3月2日 10:50


是非、是非に・・、と言いたい所ですが、発表会は、音楽を聴く・・と言うことよりも、どちらかと言うと、子供達の成長を見る・・と言う事ではないでしょうかね。兎に角、かわゆい!!それに楽しそうです。屈託の無い音楽の原点かな?? そういう事で、業者の人達や、教室に無関係の人が、子供達のフアンになって、聴きに来てくれたりしています。「あの子は今年は著しく成長しましたね!?」とか、「あの子はどうしたのですか?」とか、身内の人のように聴いてくれるのも教室の発表会の特徴です。しかし、同じ教室の演奏でも、対外出演は、自分に対する勉強が目的ではなく、人へのappeal(説得)なので、それは聴くものです。でも対外出演に参加出来るmemberが塾や受験ですっかり居なくなってしまったので、暫くの間、対外出演の予定はありません。寂しい事ですが、巷の音楽教室じゃあね〜ぇ?? それも仕方がないか?? 人生、諦めが肝心よ!!「生を諦め死を諦めるのは仏家の因縁なり」・・てね!アハッ!
3月3日 7:57


このリハの日にちは2月28日です!本番が4月3日です。本番も芦塚先生指揮おねがいしますよお〜。
3月2日 14:57


Titleが紛らわしかったですよね。You TubeのTitleを直しておきました。ハイ!
3月3日 8:02


素晴らしいです!
芦塚先生のタクトから生まれる波動が子供達に直列!
「直伝」の素晴らしさに魅せられました!
3月1日 14:53

中野先生 有難うございます。でも、一頃とは違って、息が上がってなかなか収まらなくなってしまいます。発表会で「Vivaldiprogramを全部振って!」との話ですが、体力が持たない・・、心臓が・・!!です。以前、腰痛の時には、舞台に椅子を持ち込んで指揮をした事もありましたが、殆ど意味はありません。気力と瞬発力なのでね
3月2日 8:35




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就学年次以下の子供のcelloの演奏
3月1日 14:43 ・
一般的には、チェロという楽器は、楽器の中でも特に習得が凄く難しくって、大人の人達でも、「簡単なmelodie(ドレミファ)が弾けるようになるまでに、最低でも7年くらいは掛かる・・」・・と言われています。
この間も、テレビで高島さんが「就学年次以前の小さな子供がチェロという楽器でmelodieを弾けるようになるという事は有り得ないのだ」という会話を、素人さんならイザ知らず、本職の演奏家達がしていましたが、私達の教室では3歳から始めて、5歳までにはVivaldiのconcertoを弾けるぐらいになるのが普通です。
信じられない方は、就学年次以下の生徒のcelloの演奏を、幾つもYou Tubeにはuploadしているので、参考にして貰えたら??・・と思うのですが、動画でuploadしても、
「それは有り得へん!」と、なかなか信じて貰えません。
自分の目で信じられなければ、どうすれば信じられるのかな??
分かり切った事です。他人の言葉なら信じられるのですよ。
動画でだめなら、もう、お手上げです!! 
この動画の最初で演奏している桃迦ちゃん(右側の梨紗ちゃんの前に見え隠れしている小さなcelloを弾いている子です。)も、未だ6歳で就学年次以前の幼稚園生ですが、もうVivaldiのconcertoをこれまでも数曲、演奏しています。
今回の発表会では、このVivaldiの曲をsoloした後は、オケ・バックでオケチェロを弾いていますし、室内楽やsoloの演奏も有ります。また、桃迦ちゃんの発表会で出演する楽器はPianoもあるので、その楽器の出演回数も加えると大変な数になるので、先生達もよく把握していません。という事で、You Tube等にupしているビデオは、桃迦ちゃんが出演する曲の全てをupしている分けではありません。同様に、桃迦ちゃんのbasso continuoを演奏している真雅ちゃんも小学3年生の9歳ですが、1年生からcelloを始めたので、未だcello歴は2年で6歳の桃迦ちゃんよりも後輩になります。一人の生徒の、1回の発表会の出演回数だけでも、大変な出場回数になるからです。出演回数の多い生徒では、20回以上で、出演時間は有に一時間を越す大変な時間になります。それに、殆どの弦の生徒は、サブ・楽器としてピアノも習っているので当然発表会でもサブ楽器でも演奏していますから、その時間も加えると1時間どころではない大変な出演時間になってしまいます。 また、サブ・サブの楽器であるrecorder等の楽器は、出演回数には入れていないので、その楽器も入れると、大変な時間を1回の発表会で出演する事になります。上級生のお姉さん達は、副科としてコントラバスを弾いたりしますが、クリスマス会や発表会の全体合奏では、violinでも出演しています。一度も習った事はないのですが、オケ練習でviolinの生徒達と一緒に練習している間に、何となく弾けるようになってしまったそうで、綺麗な楽器の持ち方で、正しい運指で普通にvibratoを掛けて演奏しています。いつの間にか習わなくても色々な楽器が普通に演奏出来るようになっているのですが、それが私の教育の理想です。これは、私達が死に物狂いになって、大変な教育を生徒達に施しているように、・・或いは、生徒達が、死に物狂いで音楽に専念しているように見えるかもしれませんが、私達の教室の生徒達に限っては、そういう事はありませんから、ご心配なく・・!!ヨーロッパに行くと、それが普通の教育であり、私の師であるGenzmer先生に、「先生の弾けない楽器は何の楽器ですか?」と質問したら、先生は、20分近く考え込んでしまいました。「clarinetは師匠のHindemith先生のconcertoを初演したのだから、上手いはずだし・・pipeorganは毎週教会でのGottesdienstで演奏しているし、Pianoは伴奏pianistとして、Hindemithの「マリアの生涯」の伴奏でproとして演奏活動をしているし、大学で作曲を指導するようになるまでは、オペラ座で第二violinを弾いて、飯を食っていたし・・」と言う事で、弾けない楽器の答えは結局出ませんでした。そんなもんなのですよ。  「学ぶ」・・という意味は、「教わる」・・という意味ではありません。教えて貰って出来る用になったとしても、それは出来るようになった・・という意味ではありません。出来るようになる事は師匠から「盗む」という事なのです。勉強とは学ぶものではなく、盗むものなのです。そこが今の人達には分からないようですね。困ったものだ!!日本人の持つ「甘えの構造」かな??



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相変わらず食い物がない
3月2日 9:29 ・
昨日は夜遅くまでfinale(音符入力soft)の入力をしていたので、近所の行きつけの寿司屋にも飲みに行かなかったので、部屋に買い置きをしている食料品を探し回ったのですが、頼みの綱の冷蔵庫の中には、全く何にも食材が入っていません。それは、村田さんのように、マメではないので、買い置きをすると、冷蔵庫の中に入れて置いたとしても、材料を直ぐに腐らせてしまうので、食材は確実に食べると分かっている時以外は、買い置きはしないようにしているのです。それにしても、昨日の夜も全く何も食べていないので、二日間で一食しか食べていないので、兎に角、腹が減ってしまいました!!ふと周りを見ると、チョッと前に作ったスパゲティの麺が袋に少し残っていたのを、発見しました。
「う〜ん、でも具材は・・??」冷蔵庫には、「なまもの」は何もないな〜ぁ? じゃあ、千秋先輩(のだめcantabileの、2枚目役者の・・)がテレビで宣伝していた、松茸のお吸い物とバターだけで作るスパゲッティでも作るか?でも、バターはあったかな??「あった!あった!バター発見!!」勿論、スパゲッティは、お鍋で茹でるのではなく、電子レンジでチンして茹でます。

たまにはダイエットを・・・(笑)
3月2日 9:40

ハイ!明日からやります。
3月2日 19:54

あっはは!
3月2日 10:49




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J.S.Bach fantasia Improvisation

3月2日 19:38 ・
先程、別のコメントとしてuploadし直した動画ですが、layoutを変更したり、音を少しだけ訂正しましたので、renewalという事で、お引越しをしてしまいました。そういう分けで、こちらは最初のままの旧versionの楽譜になります。
私の悪い癖で、完成しても、何度か聴き直している間に、ドンドン手直しをしてしまいます。だから、先生達が、
「どれが最終校訂ヨ!」て、怒り出したりしてしまいますが、その時の私の口癖は、「芸術に最終校訂なんて、あるわけないじゃん!!」と言う事で、早速、改定しましたので、改定分を新たにuploadしました。どこが、変わったのか?クイズです。・・・「嘘だッツピー!!」  
Improvisation fantasia und fuga bei Ashizuka Yoji


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J.S.Bach fantasia und fuga Improvisation fur fantasia
3月2日 22:06 ・
下の楽譜は、J.S.Bachのfantasia und fugaのfantasiaのImprovisation(即興演奏譜)です。私が音楽大学在学中にCembaloの演奏をするために書いた楽譜を、20年程前にnotationのsoftであるfinaleで入力したものを、更に入力して完成稿を作り上げました。前回の楽譜がその第一槁になります。
・・・しかし、ご多分に漏れず、その日のうちに早速改定してしまいました。
このコメントに掲載されている楽譜と動画は第二version(稿)になります。。
しかし、今回の校訂では音の変更等は殆どしていません。基本的にlayoutを弄っているだけです。普段の仕事としての改定ならば、私は通常、エンドレスに作業するtypeなので、常に改定して行くのですが、これは学生時代の演奏のための単なる習作のnotationなので、仕事として、ではなく、単に昔懐かしさで、残していたものなので、改定はこれでおしまいにしておきます。

Facebookというのは、画像を削除すると文章も消えてしまうのですね。(つまり、投稿そのものも消えてしまう・・。)画像が後で気に食わないから選び直す・・という事は、出来ない・・という事なのかな??(勿論、画像の削除menuで削除しても・・です。menu⇒option⇒この写真を削除⇒承認の手順を経た話です。それとも、もう一枚dummyの写真を入れておけば良いのかな??)
折角、文章をある程度書き上げたのに、また最初の最初から書き直さなければならないのです。 ヽ(`Д´)ノプンプン

何かの原稿を椎名町の私のビューローから探す時に、偶然、私が音楽大学生の学生時代に作った「BachのCembaloのためのfantasiaとfuga」の「fantasia」のpartにImprovisationをした時の手書きの譜面が出て来ました。
しかし、その後、spinetの上に置きっ放しになっていたので、「これではまたまた、ブラックホールに落ちて二度と再会出来なくなる、と思ったので、慌てて、自宅に持って帰りました。
曲を作ったのは音楽大学在学中の話で勿論、finaleもMacもない頃の時代ですが、その後、20年以上経った後の話ですが、「芦塚音楽研究所」のhomepageの「Cembalistの条件」というPageに参考までに掲載するために、当時の古いversionのfinaleで入力をした「BachのImprovisation」です。
当時は、finaleだけではなく、Mac自体も超ヘボくって、それに初期のfinaleも(今のfinaleのsoftに比べると天文学的に高価なのにも関わらず)動作も今のfinaleに比べようもないぐらいに超ヘボくって、しかも、音符の入力も、今の操作性とは全く違っていて超面倒くさくって、入力するだけでも大変な労力を必要としたので、homepageにupする分だけを、finaleに入力して、その後は、finaleのfileを完成させないままに、そのまま放置していました。
私が学生時代に書いた昔々の手書き譜と、古いfinaleでprint outした2枚の楽譜が、lesson室のビューローから出てきたのですが、隣の部屋のプリドルの部屋(居間です。)に移動されて、暫くの間、そのままに放置されていたので、大した作品ではありませんが、それでも紛失したら、懐古趣味的にそれなりにshockなので、自宅に持って帰る事にしました。
ちょうどタイムリーな話なのですが、調べ物があって、ネットサーフィンをしていると、私の論文を、参考にして、blogを書いている人達がいて、ちょうど、つい先日も、このPageを参考にしてblogが炎上していたので、慌てて、私のPageを開いて、「参考の曲」として掲載されている「Cembalistの条件」というPageを開いて見ると、uploadされている音源や楽譜が最初の所だけで、音楽が途中で「ブッチッ!」と終わってしまうので、どうも、聴き応えがなく、不精をしているようで、すこぶる気持ちが悪い!!・・という事で、(昨夜まで、finaleにVivaldiを入力して、その楽譜を更に手直ししていたばかりなのですが、引き続き・・)学生時代の作品であるBachのImprovisationのfinaleの入力と動画の作成をしました。まあ、結構勤勉だよね。・・というか、他に趣味はないのかね??・・・勿論、homepageの「Cembalistの条件」のPageに今まで貼り付けてあった楽譜や音源も速やかに訂正をして、一段落しました。
Page全体の内容も少し手直しをして、新たに書き込みもしました。という事で、やっと一段落をしたので、何か食べ物を探すために冷蔵庫を漁っています。
深夜の台所で、食料品を探している、どっかのパパさんではないよ!!私は一人暮らしなのでね・・。
Gott sei Dank!(やれやれよかった!)誰に気兼ねする事も必要はないので・・・ね?? アハッ!


芦塚先生
チェンバロの美しい音色!を居ながらにして聞かせて頂けます事など
、、、先ずは稀有の至福です!
難しいことは解らないながら同じ音色が、、、。
雪原を駆け回っておりましたとき森の彼方此方で雪が落ちてゆきます情景が即思い浮かびました!
何故かはわかりませんがとても不思議な体験を、、。
3月2日 22:46


中野先生 お褒めいただき消え入りそうに恐縮しております。当時は、音楽大学に入学したばかりの若輩者の私の自己満足的な研究なので、今聴いて見ると、「手直しをしたい!」という衝動に駆られます。それでもキラキラとした美しい音色とは、多分、Cembaloという楽器の音色の事をおっしゃられているものだと了解しております。音楽の楽器の歴史は一般的には、不完全な楽器が時代と共に改良されて来て現代の素晴らしい楽器に鳴った、・・とされています。しかし、本当にそうでしょうか??Cembaloは音量的にも表現的にもPianoに劣っている・・と言われて、19世紀から20世紀の前半期にかけて、強い音を出すためのaction(機構)が開発されて、modernCembaloとして、20世紀の前半を君臨しました。しかし、1970年代の後半から、baroque時代のCembaloがrepairされて、或いは新しくCembaloがbaroque時代の設計図に基いて復刻されるように鳴って、Cembaloの持つ本来の音を、聴く事が出来るようになりました。period奏法として当時の楽器の復刻で当時の演奏のstyleの再現で、baroque時代の本当の美しい音色を聴く事が出来るようになりました。私の自宅にある Goujonmodelの復刻の2段鍵盤のCembaloは、パソコンの音源とは違って、本当に美しい音を出します。教室の1段2列のCembaloは Ruckers modelですが、確かに、現代Cembaloとは違って音量は弱いのですが音色は比べ物にならないぐらいに美しいのです。要するに時代と共に音は強い音が出る用になったのですが、音の美しさは失われて来たのです。 鍵盤楽器の大まかな歴史は、Cembaloから始まって、forte-piano⇒Piano⇒Keyboardと、変化していますが、その最たる理由は、音量です。つまり、当世の若者達には、Pianoの音でも物足りなくって、鼓膜が破れそうな大音量のロックの音楽が良いのですよ。私には、蒸気機関車の警笛でも、耳がおかしくなってしまうのですがね?  私の自宅にちんざまします2段鍵盤Cembalo Goujon(グジョン)modelの写真です。特に朱色が美しい・・!
「茜さす、紫のゆきしめのゆき」・・
3月4日 9:53


ほんとうに美しいです!
3月4日 2:25


芦塚先生
機構の開発と音色のお話とても興味深く伺いました。
かそけき、、、の言葉が失われてきました今の時代
絵画におきましてもバロック時代
味覚に置き換えましても、、、
滋味の本物になかなか出会えない時代になりました。
いつの日か今伺いました美しい音色に拝せますこと念じます。
3月3日 18:42


ちなみに、この2段鍵盤のCembaloは、古典楽器センターの佐藤さんの制作の楽器で、昔は日本に演奏に来た外国の演奏家達の演奏のお供をして日本中を旅した事もある楽器です。NHKのイ・ムジチの演奏会のvideoにも、この楽器が頻繁に(というか殆ど)登場しています。少し歳をとったので、現役を退いて、私の所で老後を過ごしています。
勿論、とても健康で元気ですよ。今の処は、徘徊もありませんしね。
3月3日 22:59



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ドルちゃんのひな祭り

3月7日 4:24 ・
昨日(3月の6日の日曜日)はsoloリハーサルでした。
「今から千葉の教室へ出発だよ!!」…て、言ったら、いつもの通りに、プリとドルがくんずほぐれつに大騒ぎになって、車に乗るのにも
「私が先!」「俺が先!!」って、収集がつかなくなったので、芦塚先生が、口に指を当てて「し〜っ!」と言ったら、プリドル達は「こっそりと誰にも気付かれないように出るのだな!?」と思ったらしく、一瞬で静かになってしまって、玄関で待っている時も、車に移動するために、抱かれる瞬間も、何時もは大暴れして、先生の腕に飛び乗るのだけど、次の順番を待っているドルちゃんも、超お利口にして、ひっそりと待っていた!
そんな事は、一度も教えた事はないのに、流石はワンちゃんで、狩猟用語は教えなくても分かるらしい!!

ちなみにドルちゃんの写真は、昨日のリハーサルとは全く無関係で、ひな祭りバージョンです。
手作りのちらし寿司を前にして、ドル・・
「これって、あたいの??」「う〜ん??ドルちゃんは確かに女の子だけど・・・??」「酢飯だから、ダメだよ!!」って、横から芦塚先生の一言が・・。

さて、肝心の昨日のsoloリハーサルの最中にも、しっかりと楽典の勉強をしています。(勿論、楽典の授業は希望者だけの毎週日曜日のlessonなので、オケ練習やリハーサルの中に組み込まれてしまいます。)同じ部屋で、テーブル毎に分かれてそれぞれのgradeで勉強するので、課題もtable毎に違います。
*ちゃんと+ちゃんはもう少しで左側のtableに移れるかもよ!頑張って・・!!

      



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甘いものが食べたくなって


3月8日 14:56
月曜日はsoloリハ開けで、いつもの通りに、殆ど半病人状態で、一日、半覚醒状態でウダウダしていました。火曜日も同様に・・薄らぼんやりとしています。
・・というわけで、マンションのすぐ側のセブンにも、近所のスーパーにも行っていないので、口休めの甘いものが全くありません。(食い物は、昨夜、ドルっ歩の時に忘れずに、買って来たのに・・)・・と言う事で、日曜日に事前に先生達のお弁当を買う時に、黒糖の蒸しパンや、饅頭を買っておいたのですが、日曜日の深夜に自宅に戻る時に、疲れ切って、荷物を軽くするために、弁当だけを持って帰って、甘いものは持って帰らなかった事をすっかり、忘れていました。
と言う事で、この二日間、体は甘いものを求めているのですが、何も無い!! 
ふとマシュマロが目に入ったので、いつものヨーグルトにミルクを足して、即席の甘味を作りました。
それはさておき、月曜日には、ウダウダついでに、教室のhomepage上に、発表会や音人の会、四日市の発表会のPageが予告のままに、そのままになっていたので、新しくPageを新設して、そのPage上に、私の自宅にある情報だけは、大急ぎで見れるようにuploadしました。
但し、四日市の情報は写真も含めて自宅には未だ届いていないので、手を付けていません。
昨年の10月の発表会の動画も、忙しさにかまけて、全くchckをしていなかったので、未だにhomepage上にはuploadしていませんが、暫時、select作業に入る予定です。

教室のhomepageの発表会関係の作業を取り敢えず済ました後は、「芦塚先生のお部屋」の、「Bachの無伴奏cello組曲第三番ハ長調 bourreeのviolaversion」のlesson風景のvideoを、無駄話のお喋りの不必要な部分をトリミングして、Titleや説明のtelopを加えたりしました。
この作業が、一つ何かに手を加える毎に、パソコンがstopしてしまう、という、大変な時間の掛かる作業で、作業自体はそんなに大変な作業ではないのですが、時間だけが無駄に掛かってしまう・・という、神経戦の作業でした。
1日がかりで、作り上げた動画を、You Tubeと、それから「芦塚先生のお部屋」の中の、無伴奏のcello組曲のPageを新設して、それにYou Tubeからのlinkを貼って、それから、・・・等々と、日がな一日をウダウダと過ごして、今日も朝から、同様の作業を、ウダウダとしています。  

し・・し・・しまった?!?! 
写真を撮る前に、トトロのマグの茶渋をちゃんと綺麗にしておくのだった!!

芦塚先生!
トトロのドングリマグカップ??
湯沢に有ります磁器はほとんどトトロシリーズでメンバーさん方に音羽時代 画廊庵が展開してきました六古窯作品展開との余りのギャップに長年???
でしたので嬉しいでした!
沢山種類がでていますが好きなのはドングリシリーズだけでしたので!
3月8日 18:32

アハッ!中野先生もトトロのマグカップをご存知でしたか?? 
トトロさんのシリーズは教室でお茶を飲みながらのlessonに、極めて良いサイズで気にいっていて、各教室に置いていたのですが、毎回、同じ所が欠けてしまうので、それぞれの教室から、トトロのマグを全部、自宅に引き上げてしまいました。
欠けたトトロの一つ、2つはトトロの底に穴を開けて、路傍の雑草の花を飾る鉢にしたのですが、後も同じように使っては、芸がないので、金継ぎをして普段使いに使用しようと思って、今は金継ぎの作業中です。
トトロさんの形は見るからに、ボーンチャイナのノリタケの工房で作られたもので、昔々は、普通のマグも売っていましたが、今はどうでしょうかね??
トトロのマグは、とても可愛らしいのですが、それなりに高価なので、今までには買い足しはしていません。
下の写真は、普段はあまり使っていないのですが、トトロシリーズのティーカップ(ソーサー付き)です。普段は仕舞ったままになっています。
理由??高価いから・・ですよ。
・・・尤も、同じティーカップでも、マイセンなら2万、3万していたよね。そっちは何時も、普段用に使用しているので、高価なのは、トトロよりも高価だよね??それなのに、普段使いとは、どういう理由だろう??
私にもよく分からん・・???
3月8日 19:17


芦塚先生!
今はなき赤プリのノリタケさんで!
仰せの通りティーがタップリなのと仕事にボロボロ状態脱出にはトトロや小ちゃなクロスケ君&大好きだドングリ??即効薬でした??!
3月8日 23:10




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突然、鬱が

2016年3月10日 21:35 ・
突然、鬱が襲って来ました。心臓は不整脈も頻脈もなく、極めて正常なのに、体調も良いとは言えないけれど、今の状態なら普通の状態なのに、そういった体のコンディションとは全く関係なく、精神的にストレスがある分けでもないのに、突然、鬱が襲って来ました。いや〜あ、困った!困った!今からドルプリの散歩に出かけようと、厳重に着込んで出掛けようとしたら、夜のしじまにミストが襲って来るように、鬱が私に襲い掛かって来たのですよ。
昔なら有りもしなかった原因不明の鬱・・ですが、通常なら、こういう時にはwineを飲みながら、私の指揮をする鬱々コンサートの動画を片っ端から流しながら、鬱にどっぷりと浸かって潰れるのを待つのですが、何と、明日は月一で発表会直前のPianoclassのlessonで、今夜は酔い潰れる事が出来ません。缶ビールの大缶と中缶を買って来たので、それでも飲んで、眠れないとしても、横になって、明日に備えます。鬱にもなれないのは、問題だな!!




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突然、パソコンのoutlookのdataが


3月20日 5:25 ・
私が仕事の連絡と先生や生徒達との連絡をしているoutlookの住所録と、日常の生活と教室の仕事の管理をしている予定表が全部ぶっ飛んでしまいました。shock!!分類して保存していたmailは何とか復活出来たのですが、受信folderや送信folderに入っていたmailは、これまでの2,3年分のmailが、ぶっ飛んで失くなってしまいました。パソコンの復元もoutlookには関係がないので、どうしようもありません。でも、不思議な事に、私がoutlookを弄った分けではなく、homepagebuilderでFacebookが立ち上がらなくなったからです。それに、この何時も仕事をしているパソコンではなく、windows10のパソコンにwebmailを入れて、その住所録を入れる予定だったのですが、webmailにはoutlookのmailは入らないので、弄る必要も無かったのだけど、・・、
・・・つまり、何故、何時、どうして、outlookがぶっとんだのかが私には全く分からないのですよ。何時もの事なのだけど、outlookがぶっ飛ぶ瞬間の事は分かりません。これまでも、2年か3年起きにoutlookが飛ぶ事があって、昨年は教室の先生のoutlookが飛んでそれを治すのに、一日掛かりでしたがね。
失くなってしまった受信・送信mailは諦めたとしても、時間があれば、何とか住所録だけは、一日掛かりで・・戻せるかも知れませんが、予定表はback・upがないので、どうしようもありません。
明日は総合練習なのに、もう、5時半を過ぎました。それでも、にっちもさっちも行きません。あ〜!!ミゼラブル(miserable)!!と言うか、もう、寝なくっちゃ〜!!・・で、元凶のFacebookにコメントを載せているのは、outlookの手直しの作業をしないようにして、ちゃんとホンの小一時間でも寝るために・・なのです。
肝腎要の事を言い忘れていました。私へのmailの連絡は、住所録や予定表には関係ないので、問題はありません。普通に連絡は出来ます。


気になってしかたがないので、少し仮眠をしてから、住所録と分類保存のfolderに入っていたmailだけは、他のoutlookからback・upしたのですが、予定表は他のパソコンとは、共有していないので、そればかりは、どうしようもありません。教室の仕事に関しては、教室の予定表を入れて、何とかなるのでしょうが、自分のprivateな予定表は全くback・upがないので、手入力でするしかありません。しかし、過去の予定は、再生するのは無理かね??あ〜、ショック!!
3月20日 12:45

pcエラーは一番心身共に応えます!
ご無理には成りましょうが睡眠だけは確保なさってください。
3月20日 20:07

中野先生、有難うございます。根が肝細で、いつまでもウジウジとするタイプなので、身の回りの事が巧くいかないと、ウダウダと落ち着かなくなって、直ぐに落ち込んで、眠れなくなってしまうのですよ。今回はFacebookで自分を逃がしたので、何とか、心身のバランスは保てたようです。明日、教室の予定表を添付して貰ってoutlookに入れます。(・・その明日は、今日なのですが、つまり、一日飛んで、・・)今日は、オケ練習の日でした。しかし、まあ、子供達よりも、元気にパワフルに出来るな〜!!と、我ながら驚いています。若くなればなる程、パワーがないのだよね。こんなに体はボロボロでも、パワーは出せるのにね??てな事で、写真はかなりボケているのですが、降り番の生徒が撮ったもので、少しブレているのですが、動きは良く出ていると思ったのでこの写真をupしました。
指揮は斉藤先生です。オーケストラ全体が同じ門下であるということは結構珍しく、同じ奏法になるので、アンサンブルが良く合うという利点があります。

3月21日 10:16

芦塚先生の波動は必ずや皆様方に??と拝察しました!
3月21日 17:25



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私の鬱が何時の頃から始まったのか?



3月23日 9:34 ・
私の「鬱が何時の頃から始まったのか?」というと、一般的には歳を取ってからと思われがちなのですが、私の場合には、小学生の頃から鬱が酷くって、寧ろ中、高の頃が一番酷い鬱に苦しんでいました。その鬱の酷い状況の結果が、高2の1年間の大学病院への入院になります。
私にとっては、歳をとってからの方が、寧ろ、鬱は軽いようです。
それよりも、齢を重ねてからは、体調不良の方が問題なのです。
60歳ぐらい迄は、仕事で疲れても、一晩寝れば次の日には、元に戻っていたのですが、それが、歳を重ねてからの体調は、次の1日は疲れ切って仕事にならないようになって、それから、更に年齢を重ねると、オケ練習の次の日はテンションが上がったままなので、月曜日なのに、そのまま猛然と仕事をして、その次の火曜日になると疲れ切って半病人のようになっていました。
日曜日にオケ・室内楽の練習の指導をすると、火曜日にはパソコンの椅子の前で、Keyboardを打ちながら、いつの間にか、あちらの世界にtripするという状態が続いていましたね。
近頃は、その状態が、もっと酷くなって、次の日も、その次の日も、二日間も続けて、半病人状態のパソコンで仕事をしながら、tripするようになってしまいました。
おまけに、近頃はパソコンの調子も悪くなって来て、何かの作業を指せる度に、30分待ち、1時間待ちは当たり前になって来てしまいました。
と言う事で、昨日は、体調不良の気分転換に「しらたまの・・一人侘びしく飲むべかりけり」と、行きつけの寿司屋に飲みに行こうと思っていたのですが、これも、何時もの通りに、椅子の上で眠りこけて、行き逸れてしまいました。
・・なんだろね??気持ち的には気分転換をしたのですが、体力がついて行かないのですよ。
さて、この日曜日の練習のvideoは、3月20日のオケ練習の風景です。
曲はLocatelli のOp.3Nr.8ホ短調V楽章Vl.soloは古川紗來ちゃん(新4年生だけど、未だこの時は3年生(9歳)です。basso continuoのcelloは森真雅ちゃん、同じ新4年生です。basso continuoのCembaloは新中学生の七星ひかりちゃんですが、このvideoでは未だ小学6年生です。
Vivaldiのcelloconcertoの1楽章と3楽章の2曲は、You Tubeにuploadしたのですが、この動画はFacebookのみで見れます。
Locatelli の演奏の、一番の問題点は4分音符の長さが揃わない・・毎回、「4分音符はお団子で弾くんだよ!」と言い続けているのですが、お姉さん達も、自分達の音符が伸びてしまっているのが、分かっていません。弦楽器の弾き心地でbow(弓)が流れてしまうのです。
Vivaldiとは違って、Locatelli の新しい課題は、phrase毎に、tempoや曲のimageを変えて演奏するので、それがVivaldiの時とは、全く違って、もう一つ演奏上の難しい課題を要求されています。
ritornelloのthemaの4分音符の長さがちゃんと揃うともっと良くなるのですがね。お姉さん達も治っていないので、後輩たちには、難しい課題でしょうね。
この曲のkadenzは、Locatelli の膨大な長さのkadenzから、斉藤先生にpickupして貰ったphraseをつなぎ合わせたものですが、どう考えても演奏不能なpassageが2箇所、あるのですが、CDではちゃんと弾いているのだよね〜??不思議だな〜!!指が6本あったのかな??
だから、紗來ちゃんの演奏で、拙い所がありますが、それは紗來ちゃんの性ではなく、Locatelli の書いている演奏不能なpassageなのですよ。次回の演奏の時には、そのpassageは割愛する事にします。ちなみに、Locatelli のkadenzは、そのまま楽譜通りに演奏すると、小一時間は掛かるでしょうね。ハノンのような指の練習曲が書かれているだけなので、全部を演奏する事はありません。今回のようにそのEtudeの中のpassageを使用して、自由に展開すれば良いのです。勿論、そういった楽譜は未だ出版されていません。「じゃあ、普通は、どうすれば良いの??」って??
solisteが自分で自由にarrangeして演奏するのですよ。
Locatelli を子供が演奏する事は一般的には有り得ないのでね。
Piano伴奏の譜面も出ていないしね??

https://www.facebook.com/100004230614853/videos/610219245795757/







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花園教室の階段でまたまた、足のつま先を



3月26日 2:07 ・
今日は花園の教室でlessonだったのだが、階段の最後の一段で靴の先を引っ掛けてしまって、思い切りコケてしまった。勿論、ゆっくりと、老人用の手すりに掴まりながら、結構注意深く登っていたのにも関わらず・・である。 
3,4年前超寒い夜の事なのだが、lessonが終わった後の車への荷物の積み込みの時に、疲れ切って階段を上がる時に、最後の一歩の足がどう頑張っても上がらなくってしまい、思いっ切りコケて、スチール製の郵便受けで肘を切ってしまって、とうとう腕に痕が残ってしまった。今回は、lessonの前で、天気も良く、穏やかな天気だったので、最後の一歩が上がらなくって、コケる一瞬に体を捻ってお尻から落ちたので、何処も怪我はしなくて、単にお尻と手のひらが痛かっただけで済んだ。・・ッと思っていたら、しっかりと左手の人差し指の爪が欠ていた。これでPianoを弾くと爪が割れるのだよな??という事で、少し深爪気味だけど、爪を切り揃えた。昔は爪もぶっとくて、爪を欠かすという事は全く無かったのだけど、足の爪や手の指の爪を欠かすようになったのは、何時の頃からだろうか?着実に老いが忍び寄っているのだよな。一つ一つの老いを味合い確かめながら・・だよな。まあ、いずれにしても、花園の階段は、最後の一段だけ、高さが微妙に違うのかな??今まで、気にした事は無かったのだがね。


大事にならなくて良かったですね。反射神経は鈍ってないようで(笑)・・・でも気を付けてくださ〜い!
3月26日 7:22


ゆっくりと落ちたので、考えるゆとりはありました。よく、体が付いて来たとは感心しましたがね。二度目なので、三度目は危ないかな??
3月26日 11:38

アメフト用のプロテクター付けて歩きましょう(笑)
3月26日 14:20

羽毛のジャケットとズボンでも、重たいのですよ!!ヌーディストではないけれども、裸で歩けたらなんと楽なのだろう・・と感じるぐらいなのだから、・・・それぐらい、体に付いた肉が重たい・・と言う事なのです。
3月26日 18:59

ダイエットを・・・昔の面影がほとんど何処消えてるよ(笑)
3月26日 19:45


それは、40歳になった辺りから、延々と繰り返して来たthemaだな?ありとあらゆるダイエットを試したし、病院にも、2回も入ってチャレンジした。良しという事は総てしたよ。予定では、アメリカの最先端のダイエット法がソロソロ認可されるはずなのだけど・・日本では未だらしいけどね。
3月27日 3:31

それはそれは・・・体質ですかね?
私は64kg〜66kgの間を行ったり来たり、ややバンドがきつくなってきたかなぁ〜なんて時にはご飯を少し減らせば調整できる体質なんで(笑)
3月27日 6:23


当然、私も30代の前半までは、少し運動をしたり、食事を減らしたりして、高校生の時の体重を維持していました。しかし、30になって直ぐの時に祖母が亡くなって、近親縁者の従兄弟達が集まった時に(孫の世代では私が一番年下です)お寺の周りから、車や人がいなくなってしまいました。何処の組の葬式だ??皆黒服で黒眼鏡で、迫力満点で・・。あ〜あ、そういう家系なのですよ。
3月27日 9:55

やはり(笑)
3月27日 10:01





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近所のドラッグストアで


2016年3月26日 18:42 ・
駅近くのドラッグストアに常備の鼻の点鼻薬を買いに行った。
以前から、この点鼻薬は同じメーカーで同じ名前で同じパッケージの違った点鼻薬が色々と会って、お店で、薬を間違えて渡される事が多くて困ってしまうので、薬の空き箱を持って買いに行ったり、空の使い切って空になった薬を持って行ったりして、自分なりに、間違えて買って来るのを防いでいた。
今回はその一貫で、携帯に薬の写真を撮って、ドラッグストアの店員に見せて、買って来たのだが、店員は
「これで、間違い無いですよね。」とその場で、私に確認を促したのだが、違いが箱の外からでは分からない・・のだから、写真を撮って見せたのに、店員は自分で「これですよね。」と確認をしようとしない。
買う方の私も、外の紙箱では、その薬の違いを判断出来無いので、色々な同じ種類の点鼻薬を箱毎持って来れば良いのだが、それすらしないので私としてはすこぶる不安に思っているのだが、同じメーカーの同じ名前の点鼻薬の種類が多すぎて、一種類の箱しか持って来なかったので、自分が求めている薬と、あっているのか、間違えているのかを、確信の持てないままに買って来てしまった。
家に帰って箱を開けると、案の定、(新しい!!)別の種類の薬だった。
「容器が丸い円筒の形ではなく、少し横広の・・」と確認したのだが、店員はこの薬の事をよく知らなかったらしく、確認を私に委ねたのだよ。
それならそれで、このメーカーの同じ名前の点鼻薬はこれだけあるのだけど、・・・と、箱を全部持って来て来れば良いのに・・自分で一種類だけを持って来て、確認は客に委ねてしまう・・・、丸投げは政治家だけで良いと思うのだけどね?? 
でも、私達は、薬の専門家ではないので、薬の箱を見せられて、何が分かるってんだよ!!

このドラッグストアで薬を買う以前は、江古田北口の潰れてしまった、大きな量販店のドラッグストアに行っていて、爺さん達や、変な茶筅髪のおっさんの達が、接客をしていたので、こんな凡ミスをした事は一度もなかった。
それでも、箱や空き薬のケースを持参したり、それなりに、対処はしていたのだがね。
今回の店は、潰れた店の代わりに行ったドラッグストアだったのだが、薬の箱自体は、客が手に取る事の出来ないカウンターの内側に置いてあるので、客としては、買う前にじっくりと見てcheckする事が出来ない。
レジで人が並んでいる状態で接客されて、即断を迫られるのだから、そこは俺のミスにされてもね〜ぇ??・・とは思うのだけど、肝細の私には、クレームで返却する事は、恐ろしくてとても出来ないし、今回は、常備するために、余分にもう1個買ったので、ショックは倍である。
あの、接客していた30代の店員の自信のなさ気は、私にも伝染して、
「ひょっとしたら、間違えているのでは??」とは思ったのだが、proが間違える分けはない・・と思ってしまったのだが、それは所詮、一般の量販店では有り得ない事だよな。
お店のカウンターの中にいても、所詮は、proの意味が違うからな?? 


昨日も、東長崎の大手のスーパーでヱビスの大缶と中缶を一個づつ買ったのだが、レジで大缶を2個と打っていたので、
「大と中缶で値段は違うよね!」と確認したら、「えっつ??」と、缶のサイズを確認し直していた。カゴの中の箱が重ねられた状態で、ビール缶が幾つ、とまとめてレジを打つのは楽なのかもしれないが、それぐらいの労力を惜しんでいてはproとしての仕事は出来ないよ。
金銭の事なのだから、ちゃんと確認しろよな!!

江古田や東長崎だけの地域限定で、学生のバイトの無責任な若者の話なら分かるのだが、ある程度年齢を経た、しかし、アルツハイマーがかった婆さんでもない、子育て年齢の、一番油の乗り切った人達の「やる気のなさ」、「責任のなさ」・・に、この所がっかりする事が多いのだよな!!
親がそれでは、日本の将来は困った事だ!!・・って、俺が言う事ではないよな・・・??アハッ!
いずれにしても、お店の名前は出しません。
両方とも全国展開のお店なのでね。
       

次の日(昨日)の日曜日の午前中は、simulationのprogramで、広い会場が必要だったのですが、自治会館が塞がっていたので、チョッと遠かったのですが、美浜文化ホールのリハーサル室で動きの練習をしました。
四方に窓が無いために、狭く見えてし舞うのですが、自治会館よりも広く、大勢に人数でも自由に動けるからです。
午後は京成検見川教室に移動して、オーケストラの確認練習(練習ではなく、一回だけ通して練習のポイントを確認する・・という練習)をしましたが、総ての練習が終わる1時間以上も前に牧野先生がコイン駐車場に車を取りに行ったのですが、30分以上も経った頃、牧野先生からmailが会って、・・・何と、コイン駐車場のお金を払ってもフラップ板が下がらず、電話をして業者に来て貰っても、1時間近く掛かっても、その業者の人が、フラップ板へ対処が出来ず、同じ作業を繰り返すだけだったので、40分以上経って何の音沙汰もないので、私も駐車場に行って状況を見たのですが、ただウダウダとしていたので、呆れ果てて、
「車を待っている人達もいるので、フラップ板を避けて車を出しても良いか?」と聞いたら、「車が傷ついても何の保証も出来ない!」と、それは困る・・と、ケンモホロロでした。その後も、超寒い中を、辛抱強く、20分近く待ったのですが、何ら新しい試みは無いままに、同じ作業を繰り返していたので、とうとう、ブチ切れて、業者に対して怒鳴ってしまいました。
業者も対応のしようがなくて、諦めたので、一応業者に
「こういう風に車を動かして、フラップ板に触らないようにして、出すから!」と断って、一回の切り返しのみでサッサかと出してしまいました。
まあ、フラップ板が壊れたのは、機械の事なので、業者のせいではなく、単なる不可抗力なのでしょうが、それを警備保障の爺さんが来てどうすんのよ!!
そこは管理している警備保障が、自分の所の人材ではなく、専門家を呼ぶべきでしょう!!
フラップ板が上がったままで、あたしが車を出すのに、5秒も掛かっていないのだけど、料金は払った後だから、不法ではないのだけれども・・チョッと、気分は悪いよね。
まあ、業者の見ている目の前の出庫なので、文句は無いはずだけどね。  
まあ、ここの所、何かしら、こんな話が続いているよな???
あっちが壊れて、こっちを失くして・・・手な具合に・・。
(壊れたのは、花園のトイレです。教室が全面的にお金を出してrenewalする事にします。)
2016年3月27日9:08

江古田の町が住みやすかったのは、一つには大きなスーパーが駅の側に幾つもあって、又、大きなドラッグストアが幾つもあったからなのです。
それが、この1,2年の間に全く無くなって、チョッとした買い出しにも困る事になってしまいました。
北口の行きつけのドラッグストアは今はコンビニになっていて、その隣の100均は、1年も経つのに、未だ、お店が開いていません。江古田に多かった文具店も残すは一つだけになって、置いてあるものも少なくなって来ました。ボールペンのスペアーを買いに行ったのですが、
「スペアーは種類が多いので、置いてオケないので、池袋の文具店に行って来れ!」と言われてしまいました。
昔はそんな事は無かったのにね。
買い置きしてももう売れないのですよ。
これも無気力の表れ・・かね??


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日本の音楽大学のこもごも

2016年3月29日10:14 ・
周知の事実ですが、日本の音楽大学は先生を生徒が選ぶ事は有り得ません。
学校側が、先生を適当に割り振リます。
教授であっても、自分の教え子であっても、生徒を選ぶ事は基本的には出来ないのです。
自分の愛弟子を、他の音楽大学の先生に指導して欲しくない先生は、自分の生徒を一般大学に進学させて、それまでと同様に、プライベートにlessonをするという方法をとったりします。

一般の勉強と違って、一人一人の先生のメトードがそれぞれに違うので、先生の選択を間違えると、その生徒にとっても、致命的になって、長年必死に努力して習得して来た技術をホンの一瞬で失ってしまう事もザラにあります。
しかし、有り難い事に、日本の音楽を指導し学ぶ人達の90%までは、古いtraditionalなメトードで勉強をしているので、音楽大学に進学して先生が代わったとしても、そのメトード自体には何ら変わる事はないので、大学に入学した後も、普通に、自然に学んで行くことが出来るのです。
問題なのは、研究熱心な努力を惜しまない先生達の場合で、traditionalな日本のmethodeとの狭間に苦しめられる事になります。
日本の常識、世界の非常識と言ってね。
教室からの受験生が受験を前にして、学校の先生や学校の雰囲気を見てみたいという事で、某国立音大の先生の公開講座を見学に行ったのですが、その音楽大学の主任の先生のlessonが、チョッと(??)余りにも(てな、表現は無いよね??・・婉曲的な表現をしたら、分けの分からない表現になってしまいました。)酷かったので、「その大学に行っても、その先生には、師事したくない」、・・「嫌だ!」と言っていたので、結果論に過ぎないのですが、唯一、ヨーロッパの音楽大学と同様に、生徒が先生を選ぶ事が出来る某音楽大学に入学する事が出来ました。。
この音楽大学に合格した事自体は、全くの偶然で、本来ならば受験生は取っていなかったはずなのですがね。
という事で、帯び襷の日本人の演奏家の中から、
「まあ、この先生なら、日本人でも、許容範囲のlevelかな??」と言う事で、私がYou Tube等で演奏をcheckして、なるべく被害の少ない先生を決定しました。
ところが、昨日学校の事務から突然連絡があって、
その先生が『京都在住になったので、lessonが出来ない』・・と、言う事で断られたので、「別の先生を決めて欲しい」・・と「即断するように」・・という電話があったので、慌てて、その大学で、指導者として名前を連ねている他の4名の先生の演奏をYou Tube等で調べたのですが、皆さん、某国立のorchestraの奏者達なのですが、それこそ、帯び襷に過ぎません。
昔なら、その某国立orchestraにも、私の知り合いの奏者もいたのですが、私自身がこの歳なので、私の知り合いの他の人達も、当然、現場は勿論の事、教育界も、もう完全に退いているようなのでね。
でも、学校の都合で、昨晩中にどうしても決めないといけない・・という事で、泣く泣く、ドングリの先っぽのヒゲの部分が、1ミリぐらい長いという先生に決めました。
その先生の悪い癖は、ちゃんとYou Tubeでcheckした上で、変な影響を受けないように注意した上での話です。
そうしたら、今日は更に、学校の事務から電話があって、そのドングリの
先生も基本・・生徒を取っていない・という事なので、期待に添えない場合がある・・という話です。そうしたら、付ける先生から逆算した方が早いわさ!!・・と、思うのだけどね!!
先生が4人いて、2人が指導していないのなら、教えて貰える先生は、最初から残りの先生、2人に決まっているじゃん!

なんで、そんな七面倒くさい事をさせるのかね??
流石は、大学は現実的でなく、暇だよな!!
それなら、最初から生徒が先生を選ぶ権利なんて無いじゃん!!
それなのに、なんで指導教授や講師として名を連ねているのかね??それって、詐欺じゃン??
proを目指す生徒達は、教室では最初から高校から直接留学させていたので、そのlevelの生徒が日本の音楽大学を受験するのは、随分久しぶりで、人様の評価や意見を参考にして、受験させたのだけど、まあ、いい加減なものなのだよね。
しかし、留学はさせない・・という事なら、安心して、全面的に任せられる先生が日本にいなけりゃ、誰でも良いと言う事になってしまう・・という事で、諦める他は、仕方なかんべサ!!

大学なんてそんなもんよ!!
音楽は大学で学ぶものではないのだからね。
まあ、このおしゃべりは、タダの愚痴に過ぎないのだけど、最終的に言いたい事はサ??教鞭を取る可能性のない先生を講師陣に入れとくなヨ!!て事よ・・!!
それは、「名義貸し」っていう、立派な詐欺だよ!!


受験で何処の音楽大学を目指すかは、生徒個人の実力や、本人の希望なので、私的には、どの音楽大学を推薦するか?どの音楽大学が優れているのか??という事を言う立場にはありませんし、また、書きたくもありません。
一人一人の生徒に取っては、どの大学がベストチョイスであるか・を判断するだけです。
今年は、他の生徒も某国立音大を受験して合格していて、もうすぐ入学式もあるので、その大学を貶す立場には指導者としては、無いのです。
特定の音楽大学を貶す事は音楽大学に進学を希望する生徒がいる限り、私の立場では、出来ないのです。
つまり、ある生徒に取ってのベストチョイスの音楽大学は、その生徒に取ってのベストチョイスの音楽大学であり、他の生徒に取っては、また別の音楽大学が、その生徒のベストチョイスになるからなのです。

東大のように、国立の大学が、日本でも、一番の大学である・・というのは、大学の本来の意味を知らない、外から見ているだけの、人達の無責任なうわさ話にしか、過ぎません。
国立だから最高の大学だ・・というのは、無知蒙昧なlacherlich(笑える事)であり、だから上の文章は、音楽大学についての感想ではなく、花園教室の階段の話や、特別lesson室の近場の駐車場の話と同じ、私の個人的な愚痴の延長線上の話に過ぎないのです。  

日本人は兎角、ブランド志向で親方日の丸的な発想があります。
しかし、本当に受験する立場の人間になって、それが自分の将来を決定づける事になると、東大というブランドよりも、科によっては、別の一般大学の方が優れている場合が多いし、日本では東大というけれど、世界の水準では、そんなに日本で言われている程は、認められている分けではない・・という事を知るでしょう。

一般大学の場合には、教養課程を終了すると、それぞれの教授の科に行く事になるので、自分が師事したい先生を選べるので、それで大学を選ぶ基準とする生徒達も多いのです。
私が高校生の時には、高校の卒業生で、東大を卒業した洗濯屋さんや、屑拾いの人達が、高校の周りに沢山いたので、東大にそこまでの価値観を見いだせませんでしたよね。
何処の大学に行くか?よりも、自分は何をしたいのか?で、行く学校が必然的に決まって来るからです。 

高校生の時には、友人達から
「芦塚君は才能があるからいいよね〜」と言われた事があります。
しかし、私が音楽の勉強を始めたのは、病院を退院した後の高3になってからの事だし、人は小学校に行く前から音楽の勉強をしているのだから、当時の私はcomplexの塊だったのよね!
私にとっては、
「才能と言う言葉は、怠け者の弁解の言葉である」と理解しています。
だから
「才能がある」と言われる事は、私にとっては、何の努力もなく、そこに居るという意味の、私への侮辱なのですよ。 
音楽大学の問題は、それだけではありません。
音楽大学の先生で、自分が教鞭を取っている音楽大学に、自分の生徒を受験させたとしても、その生徒が自分の生徒になれるのかどうかは、全く分からないのが音楽大学の常識なのですから、一般大学のように、山下教授の心臓外科のように、心臓外科をselect的すれば、その教授の門下になれる一般の大学とは、全く状況が違います。
大学の選択はそれこそその生徒にとっては、一生の分かれ道になってしまうのですよ。
3月30日2:15

昨日、学校のオリエンテーションから帰って来て、学校の教務科から電話があって、以前
「ダメかも知れないけれど・・」と言っていた(私が抽出した)二人の内の二番手の先生に、何とか先生が決まったそうです。普通なら、学校で、「どの先生でも希望の先生に付ける」・・と、言った時点で、「教授を指名するのが普通」・・なのでしょうから、まあ、「教授が嫌だ!」と言った時点で、先生探しで、揉めるのは仕方なカンベさ〜ネ?? 学校も「教授は嫌!!」って言った時点で、さぞ驚いた事でしょう??「え〜っ??教授じゃあないの??」「普通、教授なら、御の字でしょう??」ってね・・・??
昨日は、安心したのか、もう、すっかり大学生の顔になっていましたよ。う〜〜ン??チョッと複雑・・・
2016年4月2日8:40






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orchestraのarrangeの話

3月31日 7:04
Facebookを書いていたら、またまた、弱鬱になって、結局、眠れないままに悶々として朝になってしました。鬱だからと言って、愚痴ばかり書いていても、仕方が無いし、時間も勿体無いので、ふと・・・「violinからBeriotの作品」と「celloからはGoltermannのconcerto」から、それぞれ、bestchoiceの1曲づつ、牧野先生と斉藤先生に選曲して貰ってから、orchestraに編曲しよう・・と思い立ちました。しかし、市販でorchestra-versionの楽譜が売ってあったら洒落にならないので、netとYou Tubeで演奏と楽譜を探して見たのですが、You Tubeでは、celloのGoltermannは4番のconcertoと3番のconcertoの演奏があって、violinのBeriotは7番の演奏だけがありました。しかし、楽譜に関しては、出版されている楽譜は皆どれもPianoscoreで、orchestra-versionのscoreやpartは皆無だったので、改めて「鬱の時の眠れぬ夜のために、徒然なるままにPiano譜からstringsorchestraにarrangeでもしようかな?」と思っています。
選曲は牧野先生と斉藤先生に、私ではなく、教室にとってのbestchoiceを選んで貰って、締め切りは無い事にして、あくまで、私の個人的な鬱対策の一貫として、気を紛らすために・・としてです。
何時出来るか分からない仕事も、乙なものですよね。さて、何時の発表会にお目見え出来るか・・・こういうfuzzyが、又、なんとも良いのだよ!下の曲は2年前の春の発表会で演奏した私のarrangementの曲で、violinの学習者には、おなじみのSeitzの学生協奏曲(studentconcert)です。
   

Seitz violinconcerto Op 15 D Dur Ashizukaversion
2014年4月6日芦塚音楽研究所千葉地区の発表会の風景です。

T楽章のviolinsoloは大田千夏13歳(中2)U楽章は本田梨紗16歳(高2)V楽章は佐山凛12歳(中1)です。

この曲は、本当はorchestraのpartが別売で売っていました。
・・・と言う事で当然、partも一緒に買い求めました。しかし、指揮用のscoreは売っていなかったのですよ!
仕方なく、finaleでpart譜からscoreを起こして練習に入りました。
(この会のお話は、今回の発表会のお話ではなく、以前の発表会の話です。)

その時にも、Pachelbelのchaconne同様に何か物足りない・・と感じてはいましたが、その時には、そのまま演奏をしました。
しかし、今回はその物足りなさが、どうしても我慢が出来なくって、全面的に改編をしてしまいました。でも、もし、この曲をorchestrationしたのが、Seitz先生ならば、私はせいぜい間違いを訂正するぐらいで、全面改訂はしなかったのですが、出版社専属のarrangerが下手なarrangeをしたので、容赦なく改定作業をしました。 とは言っても、そのarrangerは、音楽大学の教授クラスの人達なのですがね・・?だからと言って、それだけの技術がある分けではありません。という事で、楽譜上の間違いや、arrangeでの弱い所を訂正して行ったら、全くのrenewalと言ってもいいぐらいになってしまったのですよ。私が何時も言っている事ですが、arrange作業の中で一番下手なarrangeは、Pianoのpartを弦楽器にそのまま移す事です。そうすると、Pianoでは、然程気にならなかった音の充実感が、orchestraになった途端に、薄っぺらな貧弱な音になってしまうのです。つまり、Pianoのpedalの効果が全く配慮されないからなのです。しかし、だからと言って、pedalの代わりに、和音の音を持続させていては(これをorchestrationではpedaltoneと言います。)、orchestraを演奏する人達は、演奏が、全くつまらない音楽を弾かされる事になってしまうのです。某国立orchestraの人達が、私に日本人の作曲家について、何時も言っていた事なのですが、「violinのpartは良いよ!でも、violaのpartやcelloのpartは酷いのよね!!」と、怒り捲くっていました。ヨーロッパの実力のある作曲家は、総てのpartが活きているのですよ。つまり、orchestraの総ての楽器が活きて動いて行く事が大切なのです。私の師匠であるGenzmer先生はそれを「spielbar」と言い表しました。本当の優れた作曲家の曲には、この「spielbar」が必ずあります。この「spielbar」という言葉は、日本語では何と訳すのかな??多分、「弾き心地!」とでも、訳すのではないでしょうかね?? そういった、細かいarrangeを、「何処をどのようにarrangeをしたのか?」また「何を補正したのか?」・・という細かい説明が私のホームページに書いてありますので、次のURLから、ホームページを読んでください。チョッと専門的な内容で、読み難いかも知れませんがね??http://music.geocities.jp/ashizu・・・/seitz-cct-d-op15.html・・・

netsurfingとは面白いもので、同じ単語でinternet上で探していても、見つからない時には見つからないのだが、一度見つかると面白いように見つかる。まるで釣りのようだなや? ・・という事で、同じ人の演奏だとは思うのだが、「入れ食い」のように、BeriotとRodeのオケ・バックの曲が見つかった。但し、どの曲もフルオーケストラの大編成の曲なので、もし楽譜が見つかったとしても教室でそのorchestraの楽譜通りに演奏するには無理だな? celloのstudentconcertoは相変わらず見つからないのだが、violinに関しては、orchestraにarrangeしようという気力が失せてしまった。フルオケで華やかに演奏されていては、弦オケでは、幾らarrangerが上手にarrangeしたとしても、叶う分けは無いのだからね。と言う事で、arrangeはGoltermannだけにしよう・・と思うのだがね。当然、Goltermannのorchestra-versionが見つかったら、この話は無かった事にしよう。それにしても、楽譜が見つからないとは、どういうこっちゃ??
3月31日 22:47

フル編成の大orchestraは、とても華やかで良いのですが、時としてはsoloの楽器を邪魔してしまう事があります。優れた伴奏者であったジェラルド・ムーア先生の言葉ではありませんが、ChopinのPianoconcertoは、orchestrationが貧弱だ・・という事で、多くの人達がarrangeを試みたのですが、そうすると折角のChopinのPianoのVirtuositatな部分迄が損なわれてしまう・・という事で、今は殆どの人達がorchestraのpassageをChopinの原曲のままにして、変更は最小限にするだけで演奏しています。Rodeのorchestrationも少しオーバーな気がしますね。古典派のorchestrationは、orchestraのtuttiの部分は結構派手に演奏しても、Begleitung(伴奏)にまわる所では、オケは控えめに演奏するようにorchestrationされています。イワシの刺し身を日本刀で作るようなものかね?
16年4月1日 2:29

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桜が咲いた

3月31日 10:27
鬱でいつもの通りに、夜は全く眠れなかったので、朝一で、外の銀行周りに行って来ました。玄関を出たら、何と素晴らしい天気なのでしょう。お花見には少し時間が早すぎて、折角の桜の花が影になってしまいましたが、空の澄んでいる事!春はおぼろの、春ではないみたいですよね。部屋の玄関を出た所の手摺からの、毎年の定点観測の金華学園の桜なのですが、明日、明後日が満開なのかな??外回りを済まして、部屋に戻ると、何時もの鬱状態に戻ります。でも、外に遊びに行く元気は、所詮鬱なので、ある分けはありません。体調と天気が一致する事は中々無いのよね。
青空の中の白い筋は、写真の傷ではなくって、飛行機雲です。 桜の木はマンションの影で、半分暗く、反対側はハレーションを起こしています。
      


桜の木からは完全に1階分高いのですが、今日、事務所から帰ると、廊下に花びらがいっぱい落ちていました。そんなに、風はなかったと思ったのだけどね。
16年4月1日2:00




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4月3日春の発表会

4月3日 ・
発表会無事終了!
皆頑張った(^_^)
頑張った、、、
けど悔しい??^_^;
と。長女。
悔しいことをバネに頑張れ!!






「全体合奏?」
「同年代の仲間たち?」

今日は先約があり見に行けず??
娘も残念がってましたm(_ _)m
皆さま〜お疲れ様でした??
4月3日 21:06


ありがとうございます(≧∇≦)
朝の準備を子供達が大分手分けしてやってくれるようになったのと、下も手がかからなくなったのでー、あまり疲れなかった!!

半年に一回あるので、またタイミングが合えば見に来てやってくださいまし??
4月3日 22:05

悔しい、と思えることが
成長だよねー(*^^*)
3人とも素敵???
4月3日 22:09


そうだよねー!
帰り道は悔しいと言っていたけど、帰宅したらもう、次の曲に取り掛かっていて、お風呂では「今回はいっぱい成長出来たな?嬉しいよ!」て。前向き。
子供ってすごい。
いいね! ・ 返信 ・ 1 ・ 4月3日 23:27

子供から教えられるね???
4月3日 23:31


お疲れ様!!頑張ったみんなに拍手?
4月3日 22:42

ありがとう(^ ^)!!
拍手???
4月3日 23:28



お疲れ様でした。
娘ちゃん、帰宅されてから練習とはさすが。初めての3回オケ、たくさん成長した娘ちゃんに拍手???
4月3日 23:30


本人、楽しめたようです?
皆様のお陰です?
どうやってフォローしよー?と考えていたのに、不要でした(≧∇≦)!・・・もっと見る
4月3日 23:44



お疲れ様でした〜!うちもすごく楽しかったそうです。毎回成長がみられて嬉しいね♪
4月4日 9:40

ホントホント!
うちはレベルはまだまだだけど、みんな一生懸命やってるところみると応援したくなっちゃうね!
さ、私達は仕事を頑張ろう。笑
4月4日 9:57

お疲れ様でした?発表会終了後から次の曲の練習、さすがです??
4月4日 13:28

それしか興味のある事がないので??
娘さんのようにオールマイティーに出来ると、胸中穏やかでいられるのですが??
いいね! ・ 返信 ・ 4月4日 14:18
それが、そうでもないよね〜??這えば立て!立ったら歩めの親心ってね!親の夢(いや、願望っていうのかな)果てしなく広がって行くのですよ。
4月4日 14:55

確かにそうですね。
出生したては、五体満足で良かったと思いました。
4月4日 15:43
その気持を持ち続けることが大切です。「知足(足りるを知る)」という言葉は、こんにちでは、「節度を持つ」という風に誤解されていますが、本当は何が大切なのかを知るという意味です。ゲームをやって楽しいのも、violinをやって楽しいのも、同じ楽しさと思っている人が多いのですがそれは貧しいのですよ。お金を持っていて安心かも知れないけれど、お金はあの世には持って行けないのです。お金は安心にはなりません。お金は活かしてこそ、意味があります。学業も同じです。何処の大学に入ったか?という事は何の意味もありません。そこで何を掴むのか?が本当の価値に繋がって行くのです。何か一つの事に邁進して行く事は、本当に楽しいことなのですよ。しかし、音楽を勉強しているから楽しい分けではありませんよ。だって、音楽を勉強したことのある人で、音楽が楽しかった人って、殆どいないでしょう??音楽大学に行って学生さんに質問しました。「音楽は好きですか?」「音楽やって楽しいですか?」その質問をした時に、音大生は怒り出しましたよ。「音楽は辛くて苦しいものです。」「好きで音楽を勉強している人なんかいませんよの。」「それはproとは言えませんよ!!」「え〜ツ、そんなに辛いものなら、やめたら??」・・って、あたしゃ、老婆心ながら、思ってしまいました。でも、教室の子供達は、音楽を勉強することが楽しくってしかたが無いのよね??何故、音楽は楽しいのかな??high?? ソモサン?? 宿題です。
4月5日 2:59
では、日曜日のお茶会でゆっくりと(^_^)
4月5日 7:47
是非に・・!ただ、難しいのは、一人一人の人生の目的に合わせて、音楽のcurriculumが全く違うのも、教室が誤解されてしまう原因の一つなのですよ。目的が違えば歩む道も、生き方も、音楽のcurriculumさえも、全く違うのです。私はそれが当たり前だと思うのですがネ。真央ちゃんになりたいのなら、真央ちゃん達の生き方をしなければならないのは、私には、当たり前と思えるのですが、それが、殆どの人達には当たり前では無いらしいのです。それで、悩んでいるのですよ。殆ど鬱の原因の90%ぐらいかな??だって、私自身には悩みは無いからね?アッ〜、自分の悩みといえば、体が言う事を聞いてくれない「加齢の悩み」は、如何せん仕方ないけれどね。
4月5日 11:54




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反省会と保護者の方の慰労会

4月17日2:32
2016年の4月3日の春の発表会が終わって、一週間後は、恒例の生徒達の反省会と発表会でお手伝い頂いた保護者の方たちの慰労会です。写真は何時も、お食事の所ばかりで、ちっとも反省会の写真がありません。今回も、誰も撮っていなかったらしいのです。これじゃあ、「発表会の打ち上げ」って思われても仕方ないですよね。
斉藤先生が四日市教室への出向だったので、子供達ご希望のオムライスのニャンコの絵は、斉藤先生の代わりに、千夏お姉さんが書きました。上手いもんだ!!
楽しいお食事の後は、反省会なのですが、子供達の反省会はすこぶる真面目で、シリアスな、辛辣なものですよ。私は、今回は初めて保護者の方たちに誘拐されてこの場には、いなかったので、子供達の反省会には立ち会っていませんが・・。誘拐された現場では、結構忌憚なく、子供達の将来の夢と教育について、お喋りは出来たとは思っています。これまでも、教室のあり方についてのconceptをhomepageや冊子等で、折に触れてはお話して来たのですが、幾ら説明をしても、その事柄が、全く比較する対象になるものが無い物を説明されても、それを理解する事は、困難であり難しいからです。proの世界というものは、人の出来ない事をやるから、浅田真央ちゃんでも、proと言えるのであって、人の出来る事をするのが、学校であり、一般なのですよ。ですから、人の出来ない事をやれれば、誰だってproに成れるのです。逆から言えば、学校等で、人と同じことをやっていても、proになれる分けはないのですよ。そんな当たり前の話が、なかなか分かって貰えない。
自分の子供にはそんな危険な目に合わせたくない。
人と同じ事をして行けば、安心かも知れませんが、皆が出来る事をやっても、生きて行ける事はないはずなのですよ。
それが、i dentityなのです。
少子高齢化になればなるほど、その人そのものの、価値付けを要求されるのです。proという人間は、二人、三人は必要はないのですよ。じゃあ、音楽の世界にproは一人しかいらないの??
音大生はそういう風に考えてしまいます。音楽の世界は広いのですよ。ゴビ砂漠のように・・??いや、宇宙空間のように広いのです。その中で、誰もapproachしていない場所は幾らでもあるのです。本当に音楽で人々から必要とされるgenreも沢山あるのです。
学校では、皆が勉強していることしか勉強しません。その延長にi dentityはないのですよ。当たり前でしょう??
でも、その当たり前の事がどうしても分かって貰えない・・・人生なんてそんなもんですよ。
いやあ、今回は、一人一人の人達に対して、具体的に、個別に、直にお喋りをする機会を得て、一人一人についての夢を叶える方法を具体的にお喋りする事が出来た事は、大変有り難い事でした。
いや、しかし、少し調子に乗って、飲み過ぎたかな??
牧野先生や梨紗ちゃんは、「7時近くまで芦塚先生が飲んでいた!」と驚いていましたけれど、(飲酒運転にならないような時間は、7時間です。・・・)否、だって、そのために、牧野先生は免許を取ったのでしょう??「イヤ、違う!」って・・・??そりゃあ、そうだよね!!
いずれにしても、牧野先生の運転で、定時の時間通りに、東京の事務所に帰り着きましたけれどね。
反省会の次の日からは、まるまる1周間、超、鬱が続いてしまいました。
原因は、それなりに、無数に山積していたのですがね。一つ一つを取り上げて、愚痴るのは、今日は、やめときましょう!
明日は、恒例の譜面渡しの模範演奏と初見大会で、また、花園自治会館での演奏と初見の練習をします。

  

  



誘拐した犯人でございます。
牧野先生、運転ごめんなさい??
ところで、あの後参加した保護者の方には大好評でした。あんな様子でいて皆実は真剣に聞いていたというのです。
教育に対しての貪欲さ故の誘拐と、どうぞご理解下さいませ。

今日も宜しくお願い致します!
4月17日 7:34
忌憚のない、楽しい時間を有難うございました。写真があったら、良かったね??子供達が興味シンシンだったので・・・。

一部しか写っておりませんが、、、
芦塚先生の姿をおさめたかったので?
4月17日 9:01


あれ??また、返信が送られていないゾ??という事で、有難うございました。さっそく、自宅のパソコンに、保存して起きました。
4月17日 9:24

先週は楽しい時間をありがとうございました。

『時間』の概念、自分では子どもに示しているつもりでしたが先週のお話以降改めて具体的に伝えてみたら子どもに変化ありました。娘は『最近、ママ優しいね』って。私のイライラも減ったようです(笑)
4月17日 8:37


ジャネーの法則(Janet's law)ではありませんが、子供が手間が掛かるのは一瞬です。手間が掛からなくなった後で、「あの時が懐かしい・・」と過去を惜しんでも、仕方のない事です。そのイライラが楽しいひと時なのですからね・・??そのイライラをうんと楽しんでください。
4月17日 8:52

とても有難い楽しい時間でした。まさか大先生とあんなカタチでお話できるとは!!ありがとうございました♪次回また是非よろしくお願いします(笑)
4月17日 22:35



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楽譜渡しと初見大会

4月18日 19:23 ・
早いもので、反省会で鬱に浸っている間に、もう、秋の発表会に向けての楽譜渡しと初見大会になりました。
(あれまあ、変なことを書いてしまいました。反省会で鬱になったのではなく、反省会が終わって、自宅に戻って、現実に引き戻されて、鬱になったのです。失礼しました。子供達と一緒にいるのは、楽しいので、鬱になる事は、基本的にはありません。基本的には??ネ)
日曜日は、通常ならば、自治会館での楽譜渡しと初見大会となる予定だったのですが、自治会館がお昼過ぎまで塞がっていたので、急遽、花園教室で、楽譜渡しと模範演奏をしました。3時過ぎからは、自治会館に移動したのですが、大風で公園の砂がみんな吹き飛んでしまって、土台が見えて閉まっていました。(写真3)いつもの通りに、2回オケ迄は、上級生のお姉さん達が模範演奏をしてくれました。3回オケは、いきなり初見のin tempoでの演奏でした。(頑張って、ついてこれたかな?)動画をuploadしようと思ったのですが、SDcardがデッキに取り込めなかったのですよ。SDcardの不良なのかな?ここの所何回か、そういった問題が発生しています。まあ、どうしても再生出来ないのなら、その時には、パソコンに取り込んで再生出来るようにしますので、もう暫くお待ち下さい。
そうれはそうと、Locatelli の新曲を決めて、楽譜屋さんにpart譜やscoreが売っていないのかを、聞いて見たのですが、partは売られていないようで、「partがないと演奏出来ない」と言われてしまったのです。以前のように、もう少し若ければ、scoreで暗譜してから、弾けばpart譜がなくても弾けるよ!!と、お説教したのですが、今は、ひたすら、小さいものに巻かれて、忍耐です。今日は月曜日で、昨日の今日なのですが、朝から、お茶も飲まないで、ご飯も食べないで、1時、2時にはscoreを完成させました。
これで、生徒達に、文句言われないで済むよな・・・???本日の営業はこれにて終了しました。またの、ご来店を・・・!!!乾〜杯!!

千野さんのlinkです。
一応、私の携帯で撮った三回オケの6曲の動画、リンクで貼りますネ!(Facebookのlinkの不具合で、linkを外してあります。)

4月18日 20:48
月曜日は教室の動画を再生しようと思ったのですが、再生が出来なかったので、寝る前に、千野さんの動画を見させて貰いました。3曲目では、半分意識が飛んでいたので、慌てて寝ました。朝起きて、残りを見ながら仕事の準備をしています。「日曜日まで待てない!練習が出来ない!」と「pdfで送って・・」という生徒もいて、今、finaleからダイレクトにpdfで送る方法を調べています。
4月19日 5:53

大先生大活躍ですね!

動画は動画として機能していないかと。音源、として捉えたほうが良いかな、というクオリティです、ごめんなさい!

だって曲が長いんだもの。笑


そういえば、真っ暗で音だけの場所があったよね??それと、最後のMozartのPianoconcertoは、人数と楽器が揃っていないと、初見大会は無理でしたよね。でも、どういう曲か?と言うのが分かっただけでも、子供達にとっては、良いですよね。approachのし甲斐のある曲です。昔は、音大生の管を雇って、演奏した事があったのですが、チョッと、チョッとで、二度と集めてはいません。管楽器の音大生にとっても難しい曲なのですよ。einsatzは殆ど音大生に対してだけ出して、教室の生徒達には、出す暇も無かったのだけど、指揮を見ても、入って来れなかったのよね。教室の生徒達は普通に弾いているのにね。
4月19日 15:52

真っ暗のは、疲れたので床に置いて録音しました、、、。
でも途中から美音ちゃんがとってくれました(^_^)

六曲目は、これからどんな風に育つのか、楽しみです(^_^)
4月19日 16:19
初見大会でエネルギーを相当消費したようで、今朝は皆眠そうでした。
日曜にパート譜いただけるのでしょうか(^_^)楽しみです!
4月18日 20:48

パート譜が無いとか買うお金が無いときはスコアのコピーを切り貼りでパート譜を作ります(^∇^)学生の時は武満のオーケストラ曲とかそれで弾いてました。
4月19日 0:38

芦塚 陽二
芦塚 陽二 教室の楽譜も探してみると、未だに、昔のオケの楽譜の切り貼りの楽譜が沢山あります。先生達の内職や生徒達も切り貼りで台紙に貼って楽譜を作るのが結構、日課でしたね。いやあ〜、懐かしい。finaleがWinに変わってから、随分良くなって、入力が楽になりました。今回の楽譜は、Cembaloは土曜日に作っていたので、scoreの入力は、全体で6時間でした。baroqueなので、殆ど、コピペで行けます。
4月19日 0:51

「baroqueなので、コピペで・・云々」は意味が分からないよね??baroqueはritornello(循環形式)で作曲されているので、同じthemaやMotivは全部コピペでthemaを貼っていくのですよ。調が変わっても、コピペして移調で直すと早いのです。だから音符を入力する事は少ないし、Keyboard入力なので、それも昔に比べてダントツに早いです。生徒達もfinaleを買った生徒が増えているので、mailでやり取りして手伝って貰っています。ハイ!
4月19日 5:22

いえいえ、繰り返しとか再現部とかコピペで行けるのかなぁと思っていました!コンピュータだと速いですね^^
4月19日 10:42


Mozartは再現部は小節数だけ書いて、つなぎのpassageから、書きます。だから、間に転調楽節等が入っていると、#なのか、♭なのか分からなくなってしまいます。baroqueのritornelloは、繰り返しのその都度、小節数やMotivの組み合わせが変わるので、油断出来ません。だから、16小節そのまま、コピペ出来るのは、極めて少なく、2小節単位に、コピペして移調して・・等々、Technikを駆使してscoreを作成します。武器は蛍光ペンです。12色は必要かな??それだけ手間暇を掛けたとしても、コピペよりも早いですよ。
4月19日 15:53


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今回の発表会の曲とhomepageの解説のPageのlink

4月20日 8:59 ・
曲決めと楽譜渡しと初見大会が終わって、少しhomepageの整理を始めたのですが、今回、子供達が演奏する曲の解説のPageが幾つかあったのですが、内容がチョッと専門的過ぎるので、「一体誰が読むのよ??」という感じなのですが、基本は構造分析譜なので、音楽大学の学生達もしないので、どうしようかな??と悩んでしまったのですが、一応、参考までにlinkさせておきます。先ずは、Vivaldiのe mollの解説のPageです。

Vivaldiのviolinconcerto e moll
Analyseritornellol形式について蛇足ですがbasso continuo soloについてsoloのpartの分析演奏について楽譜を読むという事trillerについて一つを得ると言う事は、一つを失うという事です(ヨージーの法則)…


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4月20日 9:03 ・
時代と様式が合っていない作曲家は、Boccheriniも典型的な例ですが、このMatthias Georg Monnも同じように、オーパーツな作曲家です。同様に誰を対象にして書いたのかよく分からない論文らしい論文です。子供達には無理ではあるとは思いますが、こちらもあくまでも、「参考までに・・」のPageです。




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優しい愉しいlessonは趣味のlevelであると思い込んでいる日本人

4月20日 15:06 ・
先々週は、保護者の方達の知り合いの人が子供の頃に「先生が厳しくて、音楽をやめた」・・という話をしていて、その苦い経験から「自分の子供に音楽をさせるかどうか迷っている」というお話を伺いました。
そのお話は、又聞きの話なので、その延長線上のお話として、・・教室に講師面接に来た学生さんに、教室のconceptとしての説明をしている時に、「子供達に音楽の楽しさと素晴らしさを教えて欲しい」と言ったら、その学生から「音楽は楽しいものではありません。辛い厳しいものです。」と、きつく返されてしまい、私が「私達の教室はタダの、巷の音楽教室だから・・それでは困ります」と、言ったのですが、腹を立てて、頑として聞き入れては貰えませんでした。
「楽しい」・・と言う事は、その学生達にとっては、子供達に迎合しているpopularやアニメのarrangeの音楽ばかりを指導させられる低いlevelの音楽教室、・・と言う風に受け取られてしまったのです。
つまり、日本の教育の概念は、「楽しい=水準(Niveau)の低い」・・所謂、Classicではない、levelの低い音楽であり、またそういった事を要求する音楽教室は、教室の生徒を増やすために、生徒達や父兄達に迎合する・・そう言った教室だ・・と思い込まれてしまったのです。
その学生にとって、Classicの音楽が楽しくて美しい・・と思った事は有り得ないし、そういった音楽が素晴らしい、と思った記憶はないのですよ。
では、その人達にとっての音楽とはどういうものだったのでしょうか??
音楽大学にまで、登り詰めてきた学生の殆どの学生は、子供の頃は、親に強引に引っ張っられて、いやいやながら先生の所に通って、親も子供も、泣きながら、先生の辛く厳しいlessonに耐えて、やっと、音楽大学に入学する事が出来たのです。つまり、一般の音楽大学生にとっては、音楽とは「辛さに耐えて、辛抱してやっと得る事の出来た」という事が彼女達のstatusだったのです。
日本の音楽界の基本の理念は「100回練習して弾けなければ、1万回練習すれば良いのだよ!」という無意味な無駄な練習を信じて、不自然な姿勢を強要されて、腱鞘炎に苦しみながら、タダ意味も分からないで、先生の暴言に耐えて服従する・・それが日本の音楽の世界です。
しかし、子供達が何かを追求して行く上で、もっと問題なのは、日本の学校教育との兼ね合いの問題です。子供時代の真央ちゃん達アスリートを苦しめて来たのは、学校教育の中でも、学校の出す宿題です。もし、宿題を学校の休み時間にやってしまおうものなら、先生達は烈火の如く怒り出して、宿題を追加するか、増やすでしょう!!
何故なら、宿題は、家庭で勉強をする躾のために出すものだからなのです。
だから、真央ちゃん達のように、何かの一芸を目指す子供たちにとっては、学校から帰ってきたら、その一芸の勉強をひたすら、一生懸命しなければならない、子供達の場合には、それは当て嵌まらないのです。アスリート達は、朝、学校行く前も、人が寝静まった9時、10時以降も、もし、自分に与えられた課題が出来なければ、出来るまで努力を続けなければならないのです。しかも、空いてる時間に宿題をこなそうとするその努力と、一般人の家庭に戻ったらゲームやって遊ぶと言う人達とを同列に一把一絡げに評価する事は出来ないはずなのですがね??
学校の先生は、一芸を目指した事がないから、理解して貰えないのは仕方のない事かも知れませんが、学校で、使用する教科書ですら、ひたむきな勉強をする学者の先生たちが研究し、作成して来たものである・・という事も認めようとしないのです。つまり自分たちの生活が、唯一社会で正しい生き方なのですよ。
一般の人達にとっては、一度も先生に叱られないで、楽しく皆と遊びながら、それでも上達出来る・・その結果、音大には進学出来るし、留学も出来て、proにも成れる・・・、そんな夢みたいな事がある分けはないし、そんな世界が存在するはずはないのですよ。
でも、もし・・世界に芦塚音楽教室が無かったら、その事は本当の事実なのですよ。
遊びながらproに成れる世界はないし、現代の教育の誤りを指摘する巷の音楽教室もある分けはないのですよ。
大体、巷の音楽教室で、室内楽やオケをやっている教室がある分けはないのですよ。
一般的には、音楽教室で室内楽というのなら、それは室内楽ではなく、ensembleと言えばディズニmelodieをお気楽に囓るだけであり、Vivaldiのcurriculumや、室内楽のcurriculumなんて世界を探してもないハズです。
cello子供にやらせたい人が、「弦楽器は先ず、Pianoで音感が出来てからしか、習えない・・」と、世間一般の話を信じていて、斉藤先生が「弦楽器は2歳からでも、始められますよ!」と幾ら言っても信じて貰えなかった・・という話を斉藤先生から聞きました。
まあ、それが世間の一般通念なのでしょうからね。
教室の生徒達が、教室の中では、皆、普通にお友達皆が出来ている事だから、一般の音楽の世界でも、違っていたとしても、自分の受け入れる事の可能な許容範囲だろうと思い込んで、実際に体験をしてみて、cultureshockを受けてしまう。
昨日、tmkちゃんが半べそかきながら10時近くまで先生に訴えかけて、嘆いているのを見て、本当に可哀想だとは思ったのだけど、その話は、もう何度も、何度も、しているよね。
部屋に50分間閉じ込められ、初見でなにか弾かされたのだけど、隣の子が全く違う音を延々と弾いているのに、そのまま曲は進んでいく、誰もそれを訂正しようとしない・・ということ自体にびっくり。その狂い捲くった変な音に、先ず、耐えられない。獅子舞のように髪がばっさばっさと前後に乱れながら体を動かして弾いてる生徒もいるかと思うと、他にも変な動きの先輩が多数で、各自がそれぞれに独特の動きで動いていて、オケ全体としては、全く動きがそろっていない、管楽器が入ってくると耳が壊れそうに酷い音、まず、最初に、調弦だけは合わせて欲しい。
先輩が後輩に弓の持ち方を教えているのだけど、3点指示の最悪の持ち方を教えていて、「それ、やめた方がいいよ。」とは言えず、50分の体験入部だけで、もう体が拒否反応。
「でも、それが世間一般のレベルなのだよ。」と先生。
「でもそれは、うちの教室が特別なわけで、みんなうちの教室が普通だと思っているから困るのよね。
どれだけすごいことを習ているのか分かっていないのは、簡単に習っているから、そう言った事を、一般で学ぶのはどれだけ大変な事なのか?が分からないのよね。でもそういう話は今まで何度もしたでしょ?」
「オケ部に入るのなら、うちの教室で習ってきた純正の和音の響きや古典派のボーイングや、そんな高度な事ではなくって、あらゆる技術も失われてしまうよ、という話もしたよね?」
「つまり、初心者が集まって無理やり、難易度の高い曲を弾いて、技術的な土台も無く、闇雲に合わせるだけなのだから、当然、音は滅茶苦茶だし、と、そういう事が分かった上で、それを承知の上で、それでもやりたいならやりなさい、という話もしたよね?」
それでも、部活は趣味の範囲のものなのだから、素人的なapproachでも許せるけど、それが日本のtopの音楽大学に行ったって、そのlevelはとんでもないのだからね。日本の音楽界のトップの先生についても、3点支持の手首は動かしちゃいけない、体は動かしちゃいけない、足首は折ってはいけない、上下動はとんでもない・・というレッスンなのだから、どうしようもないよね。
「え〜!!音大の先生って、そんなんで勤まるんですか?」だってさ!!
「その先生はそう習ってきてその中で日本の音楽の頂点にいるのだから、自分が一番正しいと信じているし、トップの先生なのだから、周りの人もその先生が正しいと思っているのだよ。」
つまり、誤ったメトードで、腱鞘炎になりながら、能率も全く上がらず、タダ一生懸命に頑張って練習して来て、その成果として今の地位があるのだから、練習もしないで、さらさらと演奏出来る生徒がいたら、その生徒を許せる分けがないでしょう??
だって、自分のこれまでの努力と苦労を否定される分けじゃない??その先生にとってはi dentityの否定に繋がるよね!!
また、練習もしないで、上手くなる事など、そんな世界が世の中であっては、ならないのよね。
分かり易い例を挙げるとして、以前、CNNのテレビで、絶対音感についてのドキュメント番組が合って、多くの人達の取材をしていた時の話なのですがね。
CNNで取材した結果、世界の音楽を専門にする人達の2万人に一人の人しか絶対音感は持っていないのだよ!って、言っていて、絶対音感は、神からのgiftだと言っていました。
しかし、「教室で育った生徒達の殆ど全員が絶対音感を持っている」・・て知っていた??
「だって、それは当たり前でしょう??」「だって教室の皆が持っているのだから・・」
その感覚が一番、端的に、教室の位置づけを、分かり安く説明しているんじゃないの?
proのオーケストラの奏者でも、絶対音を持っている奏者は極めて少ないし、音楽大学の先生でも絶対音を持っている人は極めて少ないと思うよ!!
音楽教室とは言っても、普通の音楽教室で絶対音感を持っている人達は、殆どいないのよね。
でも教室の生徒達は、普通に持っているでしょう??
教室の普通は、音楽社会では、特別なgiftの世界なのよね!
一般の音楽教育を受けて、社本当に厳しい無意味な練習に耐えて、その結果でも、絶対音感は身につかないのよね。
つまり、本当に特別な人達だけに与えられるgiftなのよ。
でも、教室の生徒達は、皆趣味でも持っている・・・だから、有り難みが分からない・・・、いやあ、困ったものだ!!
一般の音楽教育の辛い辛い練習に戻って、
でも、音楽は修行じゃあ、無いと思うのだけどね。
私は練習が音楽の目的じゃあないと思うのだけどね??
音楽を感じて、その心に触れて、感動をする事が音楽を勉強する目的じゃあないの??
座禅を習っていた時に、足を組んだら痛くって、ホンの2,3分したら、顔や体中から脂汗が滲み出て大変で、辛かったのだけど、和尚さんに質問したら、「その辛さを克服して、痛みを集中して感じなくなった時に、禅定に入るのですよ。」と言われて、随分、悩んだ。その後、上智の横井先生の門下に入って(半年だけだけどね)同じ質問をしたら、インドでは、この座り方が日本のあぐらに相当するのだって!!(ΦωΦ)も杓子も普段からその座り方をするんだって!!それ聞いてshockだったよね。いやあ、cultureshockだよな??
なら、弥勒菩薩の半跏趺坐で良かったのよね。白隠禅師の仰臥禅というのもあるのだよ!!
そういった何が何でも、禅を組まなければ禅の修行は出来ない・・というのを無駄な努力というのだよ!!
しもた!!歯医者に、出かける時間だ!!遅れる・・!!



因みに、上記のお話の中で、「一把一絡げ」という諺を使ってしまいましたが、今では(現代国語では)「十把一絡げ」の方が正しい、・・とされています。・・ですが、「一把」の意味は、勿論、「一束」という意味で、本来はひと抱えほどの薪や草を束ねたものを言う単位で、ひとまとめにしても、軽く担げるほどの大したことはない・・という意味になります。だから、古文の中に実際の使用例として、「どいつもこいつも大しち役に立ちゃせん、いっぱひとからげじゃ(どいつもこいつも、さして役に立たない。みんなまとめて担げるほど軽い)」という表現を実際には見る事が出来ます・・引用:豊後林/ことわざ、慣用表現  十把一絡げは、色々な物を一つに纏めるという意味なので、諺本来の意味が全く違ってしまいます。色々な異なった物を一緒に纏めて・・という意味になるので、一纏めにしても、軽い(価値のない、意味のない・・)と言う意味とは別の意味になって、「色々な物を一つに纏めて」・・という意味になってしまいます。烏合の衆が幾ら人数を揃えても、それは、不必要な者の集団になってしまいます。だから、一把一絡げなのですよ。十把一絡げでは、呉越同舟で、この文章は成り立ちません。
4月22日 23:08

玄君の部活についての一言、
「割り切って楽しむしかない!世の中にはいろんな人がいるんだから!」流石は、男の子!!
4月23日 2:03


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日本の音楽教育や音楽大学の批判ばかり書いていると

4月20日 17:20 ・
・・・・でも、日本社会の音楽教育界についてそんな事ばかり書いていると、世間一般からは、
「芦塚音楽教室とは独善的で、閉鎖的で一人よがりな指導をする教室」のように思われてしまいますよね??
でも、独善的で独りよがりのメトードでないと言う証明は、いとも簡単にできます。
それはこれまで教室が上げてきた実績です。
教室からは趣味で音楽をやっているに過ぎない生徒が、有名な数名の教授陣の生徒に混じって、コンクールの全国大会に入賞したり、趣味で音楽を勉強していたのにもかかわらず、高校2年生、 3年生になって、突然、音楽大学に進学したいと言い出したりして(せめて、高校受験前後までにしてくれよな! ! )、その生徒達は全員、 1人の落ちこぼれもなく音楽大学に進んでいます。それに、音楽のプロを目指す生徒には、直接海外の音楽大学に進学させていますが、日本やアメリカの生徒たちからすると、ヨーロッパの音楽大学に進学するには 1学年足りません。つまり、日本の高校から直接ヨーロッパの音楽大学に進学することはできないのです。つまり、教室から進学した生徒達は、ヨーロッパの音楽大学には、多くの音楽大学の卒業生を押しのけて、飛び級として音楽大学に入学しているのです。つまり日本であろうと世界であろうと、教室の生徒達は多大の評価を受けています。
日本の音楽界でも、教室で勉強していた生徒の多くが、今もプロとしていろいろなオーケストラ等で活躍しています。もちろん、音楽大生の先生になった人もいます。
日本の音楽教育と相容れない指導の仕方をしているのにもかかわらず、どうしてくて音楽大学に入学できるのか?コンクールに入賞できるのか?海外の音楽大学に飛び級で入れるのか?…なぜ、そういうことが起こり得るのか?
そういう事が出来るという事は、それなりのちゃんとした評価を日本人の先生達にもされているのですよね。教室のメトードを否定しているはずの先生達が、教室の生徒の演奏を評価し、コンクールに入賞させたり、音楽大学に合格させたりしている・・・矛盾していますよね。
何故、そういった矛盾が起こるのでしょうか?
それは、つまり、音楽大学の受験であろうと、日本の音楽コンクールや世界の音楽コンクールの評価も、海外留学の受験の審査も、音楽の出来上がりの評価ではあり、勉強してきた結果の評価になるからです。
それに対して、生徒達のlessonに対しての評価は、学習過程の評価であり、その過程の延長線上にどういった結果が生み出されるかという評価では無いからです。

日本の一般の教育では、生徒の努力や苦労、掛けた労力や時間を評価しようとします。
「この生徒は努力したのだから、その努力を認めてやらなければ… 」という思いやりの心です。
親たちは自分の子供に対して、この
「努力を認める」という言葉を、周りの人たちにも要求します。
私は、就職活動中の音大生が教室の作業をお手伝いして、「努力したのだから・・」とか、「それだけの時間を事務所にいたのだから・・」と言われて、バイト代を請求されて困った事があります。homepageを弄ったのは良いけれど、homepageがすっかり壊れてしまって、飛んでもない事になってしまって、私がそれを元の状態に戻すのに1周間掛かったのですが、「パソコンを弄ったのは、その時間分、弄ったのだから・・」、と言って、壊れた事は無視をして、バイト代を請求して来たのには、呆れてしまいました。さすがは、世の中が理解出来ない音大生です。

私達が仕事と理解しているのは、その仕事の内容がちゃんと出来るか否か、であり、その報酬は、注文が出来た事に対してペイするものなのです。(つまり、ノルマ制であり、成功報酬なのですよ。)
教室に研修に来て、先生の指導を受けながら仕事を熟したとしても、その時には、指導の先生は教室のために、お金を稼ぐ事が出来ません。指導に時間を取られてしまうからです。研修の間は、会社はマイナスの収入になるのですよ。
それに対して、学生達が好んでするバイトで、所謂コンビニ等のバイトは、基本的に、誰でも出来る仕事であり、その時間、そこに居れば良いのです。これを、私達はバイトと呼んでいます。
基本、バイトと職業は、根本的にその意味が違うのですよ。先ず、バイトは技術を必要としないから、誰でもよく、職業は、先ずその技術を習得しなければなりません。だから、その技術を持った人だけが評価され、必要とされるのです。
現実の社会の中では、仕事は、まず完成度が第一です。
それについでというか、それと同じぐらいに重要に評価されるのが、仕事の出来上がりの速度です。
仕事が同じ完成度ならば、次に優先されるのは完成までの期間が評価の対象になります。
この話は、音楽の世界とは無関係と思えるかも知れませんが、それは違います。音楽の勉強でもこれはかなり重要なポイントを占めます。学生の延長線上にいる音楽家達は、演奏会を決めて練習に入ります。それは、自主公演だから出来る事で、基本発表会と同じなのです。proの世界では、演奏会の日時は、主催者や業者が決めます。演奏の曲目も、自分が決める事は稀です。企画運営は、他の人がするのですよ。その世界でチャンスを物にするには、timingがあります。だから、自分で色々な場所で演奏活動をしながら、repertoryとなる演奏曲目を増やして、そのチャンスを待ちます。
なぜならば、音楽の社会でチャンスが巡ってくるのは、 1日、 2日前、運が良くて1週間前のオーダーなのです。予め、曲を練習しておく時間等はありません。しかも、その時に、自分が対応できなければ、そういったチャンスが二度と巡ってくる事はありません。発表会の幕間演奏(spot演奏)がその練習になります。発表会の前日、どんなに早くても、1周間前にしか、演奏時間が決まらないからです。
日本の勉強法の基本的な姿である「100回練習してできなければ、 1万回練習すればよい」という名言は、私にとっては、これは名言ではなくとんでもない迷言です。間違えた練習を1回して、正しい練習を1回したとすると、プラマイ、練習の回数は0になるのですよ。当たり前の事でしょう?? 練習の無駄を全部省いて、練習の意味とその結果をよく考え抜いて、集中をして練習をするとすれば、そんな集中した練習が、proの人達は兎も角として、生徒学生達に2時間、3時間も出来る分けはありません。もしそれが出来るのならば、その人は、日本ではtopの演奏家であるはずです。
リヒテルのような、世界的な演奏家でないかぎり、1日に6時間も8時間も練習出来る分けはないのですよ。一瞬の気を抜く事もなく、その時間を完全に集中して熟せるのならば、その人はすでに超一流の演奏家であるはずです。
教室では、2時間、3時間しか練習出来ない生徒が、某有名な演奏家に師事した途端に、1日、6時間、8時間の練習が出来るようになりました。
ご両親が喜んでいました。「流石に一流の演奏家に弟子入りすると、練習時間も増えるのだよね!」
じゃあないのよね??・・自分の音を聴かなくなったから、何時間でも、練習出来るようになったのだよ。
これは日本の有名な演奏家の人が「徹子の部屋」で全く同じ事を言っています。「自宅の狭い部屋で、Pianoの音を集中して聴くのはどんなに頑張っても4時間が限度ですよ。」「・・でも、Pianoを弾かなかったとしても、一日中、楽譜とニラメッコして、音楽の勉強、表現の勉強はしているのですよ。」「楽譜が無くても、頭の中では、どう演奏するか??何時も考えているのですよ!」
よっぽど、頭に来たのか、熱っぽく、Pianoの前で練習をしていなくても、常に音楽の事を考えて悩んでいる・・と熱っぽく語っていたのが印象的でした。
いずれにしても、結論的に言うとすれば、将来、音楽とどう関わって行くのか?そして学生である今現在を、学校教育を優先して、趣味的に教室と関わるのか?音楽大学の先生達の指導に任せるか?教室のメトードについて来るのか?は、一人一人の個人の選択肢の中にあります。時々、教室から大学の教授の所に行った生徒が、「教室を追い出された」とか「教室をやめさせられた」と、まわりの人達に言っているのを耳にする事があります。これはチョッと驚きで心外でもあります。教室は、単なる「巷の音楽教室に過ぎない」ので、その生徒の要望の総てに対応していて、教室が生徒を締め出す事は絶対にないからです。私が選択肢に対して、どうこう言った事は一度もありません。ただ、私が言っているのは、一つを選ぶのなら、一つを失うと言う事なのですよ。
但し、先生を代わったからと言っても、教室がその生徒を出入り禁止にする事は絶対にありません。現に多くの人達が先生を代わって他の音楽大学の先生に師事したとしても、大学を卒業した後でも、教室に出入りしていますよね。
選択肢のお話は、別のお話です。
音楽大学に進学を希望する生徒が、学業を優先出来る事はないと思いますよ。当たり前の事でしょう??真央ちゃんの話はそういう事なのですよ。学生生活をインジョイして、proを目指す・・て、そりゃ、無いよね??
世の中、そこまでは甘くないと思うよ。
でも、それは私の意見ではありません。それは一般論ですよ。
私は通常の一般論を言ったに過ぎないので、私の意見では無いのです。
教室が先生の言う事を聞かなかったから、生徒を追い出す??って??
・・だって、教室は巷の音楽教室ですよ。
殆どの生徒は音楽は趣味なのですよ??趣味で音楽の練習なんて、して来る事はないし・・、それで、先生から怒られる事もないでしょう??それでも、音大に行きたい・・と言ったら、その通りにしてあげてるじゃない!!これ以上の選択肢はないでしょう??それでも、教室が文句を言った事は一度もありません。
当たり前でしょう??そんな事をしたら、音楽教室としては成り立たくなるからね。

まあ、いづれにしても、これまでの生徒達には、ちゃんと望みは叶えてあげたのだから、この話はこれまでにします。後は、自己裁量の自己決断ですよ。
4月21日 8:12


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歯医者のやり直しと、 今回のcelloconcertoの articulationの変更

4月22日 14:56 ・
今日も体調が優れないのですが、歯の型が上手く取れていなかった・・という事で、急遽、歯医者に型取りに行く事になりました。
朝から、終わったオケや室内楽の楽譜を自宅の本棚に仕舞いながら今回の曲のcheckをしていたのですが、折角、教室用に、私がscoreをfinaleで作成したのに、肝心の私の自宅には、出版されている原版のリコルディ版しか無かったので、どうせまた、Ashizuka-versionのVivaldiのviolinconcertoをprint outしなければならないので、オケ練習の時に何時も口頭で説明しているAshizuka-versionのarticulationを、最初からscoreに書き込んで配る事にしました。
今日は朝早くから、その入力の作業をしました。
これが、ベテラン組ならば、普段の練習の時に、口で伝達しておけば、それで良いのですが、今回はオケの「初めて組」が多いので、口頭でのlectureには慣れていないし、それに今回は、assistをするお姉さんの人数も少ないので、楽譜に予め書いておけば「時短」に繋がるのかな??・・という意味なのです。
しかし、今回のarticulationは、「初めて組」なので、難しいbaroque奏法の所謂、period奏法によるarticulationではなく、通常の現代のbowslurによる極めて普通の、一般的なVivaldiのbowslurによるarticulationです。
period奏法は本来的には、上級生のgradeではなく、もう一つ上の専科生の領域になるのでね。
それと、曲目の変更なのですが、ひかりちゃんと、上級生のMozartのPianoconcerto d mollは、前回の初見大会をやってみて、チョッと無理なようなので、冒険はやめて、正攻法のA Durからやっていこう?と思っています。いきなりd mollは無理だったようなので・・??




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カタカナ表記と原語表記について

4月23日 13:38 ・
Vivaldiのe mollの3楽章は、bowslurが以前のversionでは、あまりよくなかったので、訂正をしようかな??と思ったのですが、scoreが自宅のハイツに無かったし、part譜も古いfinale(旧versionの)で入力したものや、それこそ切り貼りで作ったものの混合の譜面だそうなので、それなら、articulationを全面改訂して、Cembaloのpartも作って・・と、renewalする事にしました。
『・・・renewalが終わって、articulationの入力が終わったら、何と、別の曲のfileの中に、私が以前(1年程前に)入力した楽譜が出て来ました。今回の努力と失われた時間は何だったのだ!!と怒り心頭に発したよね!!「何で、俺の言う事をちゃんと聞いて、キチンと探さないのだよ!」「物を失くすのは、その場で整理整頓をするという習慣が無いからだよ!」「後で纏めて・・」は絶対にダメだ!!と、何回も注意しているのに、未だに守れないのだよな!!』
 元の、文章に戻って、・・・
昨夜のドルっ歩から帰って来てから、思い立ったが吉日とばかり、早速、改訂版の作業に入り、12時頃に書き上げました。(勿論、ちゃんと寝たよ!)
これまでは、楽譜がない場合には、昔の切り貼り譜をfinaleにrenewalして来ましたが、出版社への敬愛の念の意味から、楽譜はなるべく忠実に入力していました。しかし、どうせ、演奏の時には、全面的にbowslur等やarticulationを変更するのなら、最初からscoreに書き込めば良いのでは??と、意識を改めて、私がfinaleに入力した楽譜を片っ端から、改定している最中なのです。
出版社によるbowslurは、基本、所謂、演奏効果を狙ったものですが、私の場合には、音楽の構造式、所謂、作曲のAnalyseからのbowslurやarticulationによるものなのです。
ですから、楽譜の中の場所によっては、出版されている楽譜よりも、演奏が難しくなる場合も時としては有り得ます。
曲の「homepage上の曲の解説のPage」についてですが、linkされたhomepageの解説が、難しくて読めない・・というお話なのですが、それについて少し説明をしておきます。
私の論文では、まず最初に、文章を見づらく、難解にしている一つの要因が、「カタカナ文字を原語表記にしている」ことなのです。
大学の論文(これは音楽論文の話ではなく、一般の研究論文の話ですが)、論文は総てカタカナ文字は原語表記になります。これは、慣れて来ると、カタカナ表記の方が、読みにくくなるからです。でも、私の論文の場合には、そういったtraditionalな理由ではなく、もっと、単純な必然的な理由からです。
それは、私が使用しているカタカナ文字は、殆どの場合の文字が音楽用語なので、日本語の訳語が音楽大学の先生によって、違ったり、極端な場合には、その文字の意味する事さえ違ってしまう場合があるからなのです。
しかし、この理由は、何も音楽の世界に限った事ではなく、一般の医学界でも、教育界でも、全く同じ状況なのです。
一例なのですが、日本の心理学の学会に行くと、喧々諤々、各派閥の教授達が集まって、討論をしているのは良いのですが、同じ言葉(心理学用語)なのに学派で内容(意味)が違うのに、定義をしないままに、討論をしているので、不毛の無意味な討論になってしまっているのを、よく見受けます。言葉の定義をしないままに、言葉に囚われてしまう・・日本の音楽家達と同じ状況に陥っているのです。
厳密であるべき、一般の学会の討論ですら、そういった現状なのですから、音楽界・・推して知るべしです。
パソコンの作業をしている時には、音楽用語や演奏用語は、パソコンには入っていないので、その都度、単語登録する事になります。
Galamianというのは、人の名前で、著名なviolinの教育社であり、アメリカのジュリアードのviolinの看板主任教授である事でも知られているのですが、勿論、パソコンには、そんな単語は入っていないので、カタカナ文字でガラミアンと入力しようと思ったら、絡み案、強制的に絡み案と変換されてしまいました。
なんじゃこりゃ??
原語表記にすると、見た目が難しくなってしまうので、音楽大学の学生達ですら、文章が読めなくなってしまうのですが、よくよく見ていると、「カタカナ表記」を「ひらがな表記」にしても、「原語表記」と同じくらいに、読めなくなる事に気が付きました。
それに、殆どの音楽用語の単語は、「日本語表記」にしたとしても、意味は分からないままだ・・と思いますので、「芦塚先生のおーけすとら・室内楽の演奏指導用語一覧」を、初級ヴぁ〜じょんと、中級ヴぁ〜じょんを作成して、その内(いつになるかは、分かりませんが)お配りする予定です。(楽語編は既に作っているので、新しく作る予定の一覧は、「演奏指示の用語集」になります。子供達が、ローマ字を読めるようになったら、少しでも早く、「原語表記」に慣れさせたい・・という意味です。
昔々、celloの高校生の男の子が、公開lessonで、ロシアの教授に指導を受けた時に、「君はritardandoを知っているのか?」と、質問されて、「いや、習った事はありません。」と答えて、先生がshock死しそうになっていました。だって、オケ練習で毎回のように、「そこ、rit.!」と、言われているのに、rit.がritardandoの略だと、知らなかった・・という事は有り得ないよネ。
楽語は楽典のlessonでちゃんとやっているはずだよ!!
まさかのまさか??だよネ。
因みに、この文章の中の「原語表記」の部分を括弧で、日本語に訳をしようかと思ったのですが、殆どの単語が日本語の訳語は無く、カタカナ表記になるだけでした。音楽用語でも無く、一般的によく知られた単語である「Analyse」という単語は「分析」という日本語訳が知られていますが、音大の先生によっては、「分析」ではなく「解析」だ!と、主張し、怒り捲っている先生もいます。
「分析」と「解析」の言葉ジリの話なのですが、困ったもんですョ。 どっちでもいいじゃん??
音楽用語に戻って、「bowslur」という単語は、弦楽器の生徒達には必須の演奏指示の単語なのですが、弦楽器の演奏指示の単語なので、日本語の訳語はありません。
slur(スラー)は、「弧の中の音を繋げて滑らかに演奏する」・・という意味ですが、bowslur(棒スラー)は「弓を何処までひと弓で演奏するか?」の指示の意味になりますので、先程の、「音を繋げて滑らかに演奏する」という意味は何処にもありません。
Pianoでは、同じ音にslur(スラー)をすると、音が結合して、Tie(タイ=ネクタイ・・ネックを結ぶという意味の単語)・・と同じ意味で、「結ぶ」という意味になります。・・になるのですが、弦楽器の場合には、必ずしも、Tieになる分けではありません。「超、滑らかに結ばれた」二個の音に演奏する事が多いのです。
これを更に強調して、「弓速はそのまま変えないで、vibratoの濃淡だけで、音の切れ目を表した奏法」が、baroque時代の独特の奏法であるbebung(ベーブング)という奏法になるのですが、bebungは、元来はClavichordのvibratoを表す奏法なので、violinの教則本にも、その奏法の解説は出て来ません。
勿論、私達の教室のオケ練習では、baroque時代によく演奏された奏法として、子供達がVivaldiやBachの曲を演奏する時には、発表会等でよく演奏する奏法ですが、日本のオーケストラでは、演奏しているのを見た事はありません。しかし、ヨーロッパのorchestraでは、結構、普通に演奏しているのを、聞く事が出来ます。
「そこは、bebungで!!」と注意したとしても、日本の音楽大学の先生達や、orchestraの奏者達には、チンプンカンプンでしょうね??
つまり、カタカナ表示にしても、原語表示にしても、どっちみち、誰も分からないのですよ。
それなら、原語表示の方が良いと思いませんか??
訳の無い単語を無理矢理にカタカナ表記にしても、労力の無駄ですよ。


こういった、超、専門的な事を指導したいのならば、音楽教室ではなく、子供でもない、どこかの音楽大学で指導すれば良いのでは??・・と思われるかも知れませんが、実は、それはもう試みた事があります。しかし、音楽大学では、音楽を専門医勉強して来た学生が集まって来ますが、色々な先生の門下の生徒が集まって来て、レベルも技術も酷いもので、4年間という限られた期間で指導するには、proになるための専門的な技術をマスターさせる事は、とても無理で、その生徒が持っている「悪い癖」を取る事ですら、4年間では、とても出来ないのですよ。中村紘子さんのお話ではないのですが、生徒が子供時代を熱心に勉強した子供であればある程、その癖を取り去る事は出来ないのです。だから、未だ何も習っていない白紙の子供達に、専門的に高度な技術を指導した方が、遥かに早く技術をマスターさせる事が出来るのです。大学生では、手遅れなのですよ。手遅れ!!
4月25日 6:44

あまりに意味不明だった(これは私の知識不足の問題で)ので、とりあえず、お教室に置いてありました用語集を買ってきました!
これを読むと娘の弾く曲を理解出来るのかなと(^_^)楽しみたいと思います!
4月23日 23:25



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超、腹が立って!!

4月23日 19:39 ・
超、shock!!
Vivaldiのe mollの1楽章と3楽章のarticulationを書き上げて、椎名町の事務所に譜面を持って行って、皆で最終checkをしようとおもったら、何と、2,3年前に入力した、Ashizuka-versionの譜面が出て来て来た。
・・・だから私が、譜面を作成する前に何度も「part譜があるのだから、昔、俺が入力したはずだ!!」と、何度も、確認したのに・・である。私が尋ねた時にも、「絶対に作っていない。」と確信的に言ったので、それはcheckをした後で、自信を持って言っているのだろう・・と思って、それ以上問い詰めるのをやめて、頑張って、体調不良の中で、4日掛かりでパソコンで入力して、やっと、楽譜を作りあげたのに、何てこッだ!!
この大チョンボの原因は、生半可な記憶を、絶対に正しい記憶だと信じて、たった、一手間、パソコン上でcheckすれば、それだけで良いのに、その一手間をする事もなく・・、そのために、どれだけの時間と労力が失われたと思っているのだ・・??
自分の記憶を信じて、人のadviceを受け入れないのだが、これは今回に限った事ではない! 毎回の事だ!!
パソコンへの音符の入力から、articulationの入力等々、苦節1,2週間の時間と労力を返してくれよな〜!! う〜ン〜!?返す返すも腹立つ!「記憶を信用しては(頼っては)絶対にいけない!」と、何度も注意しているのに、やはり朧気な記憶な記憶を、確信的な記憶と、勘違いしてしまう。朧気と確信の違いが分からない!!それは、教室のメトードとして、生徒達に指導する最も確信的な事ではないか?? 私は「時間の無駄が一番嫌いだ」と言う事は、知っているはずなのに、どうしてそれが守れないのか?? あたしゃあ、この1,2週間、何をやって来たのだ??その一手間を惜しむ事が、逆に、時間の無駄を引き起こすのだよ!!
・・と、何時も言っているのに!!〜!
同じミスを繰り返すのだよ!
そのためのハインリッヒの法則だろうが・・!!
catastrophe(カタストロフィ大事故)になる前に、checkするのだろうが・・・!!
何で、一度ミスをした時に、二度目のミスを犯さなように、直さないのか・・??
お〜、miserable!!



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体調不良が酷くなって

4月27日 0:30 ・
2週間近く(以上??)体調不良で、体のcontrolが利かなくって、困っていたのですが、ついに今日は、体調不良も来る所まで来て、結構、最悪で、ベッドから起き上がる事も難しくなってしまいました。何時もは、朝になると、「冷蔵庫に食い物がない・・」と喚いていうるのですが、今朝は、どういう分けか、ちゃんと冷蔵庫の中には、食べるものが、あるのだけど、食べるだけの気力がありません。お茶も体にきついので、紅茶と和菓子を一切れ食べて、一日の食事の代わりにしました。
・・という事で、ワンちゃんだけのお留守番と、収監されたドルに会いに行くというルーチンは、とても無理になってしまいました。今現在も、寝たきりなので・・・!!
夕方に、頑張って、気力を振り絞って、朝食は、取り敢えず、食べて、薬も飲んだのだけど、夜食を食べる気力はもう無いかな・・??
パソコンのmailのcheckも終わったし、また、寝ます。
このまま、寝たきりになったら、大変だよな??
明日は、また、歯医者です。〜あ〜ア、そう言えば、薬も無いや!!採血だったよな??
寝たきりも結構忙しいな〜ぁ??
Guten Abend, gut' Nacht(おやすみ、)
Morgen fruh, wenn Gott will Wirst du wieder geweckt !
(明日、朝早く、もし、神様が望むのなら、又、再び、お前は目覚めるだろう)
Brahmsの子守唄の一節です。

    


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動画がupload出来ない!

4月29日 9:43 ・
先週の日曜日に16年の秋の発表会で演奏するHaydnのQuartettのA Durの初練習をしました。このグループは、HaydnのQuartettは、もう2,3曲やっているので、室内楽の「初めて組」ではないのですが、今回の曲は結構、tempoが早いし、メロディの入りが難しいようなので、急遽、各partに助っ人が入って練習をしたのですが、violaの助っ人を担当する人がいなかったので、急遽、私が助っ人をするように言われてしまいました。だけど、先々週の曲のお披露目でもある初見大会には、私は年長組の遅い時間から参加したので、初級中級の室内楽の練習には立ち会っていないので、この曲は、全く初めての知らないままの助っ人になったのですが、それにもましてpart譜の小節線が小さくて、詰まっていて、直ぐに小節線を見失って、初見の練習にもなりませんでした。
そのアップアップの練習風景のvideoをFacebookにuploadしようと思ったら、Blu-rayそのままでは、upload出来ないので、拡張子を変換しようと思ったのですが、PanasonicのDigaで、分割をした時に、前の動画の一部が入り込んでいたので、その部分をtrimmingをしたら、どのソフトを使っても、拡張子の変更が出来なくなって、Facebookにはupload出来なくなってしまいました。他の動画は、普通に拡張子の変更が出来たので、そのままYou Tubeにuploadしました。この曲のみ、どうしても、こうしても、Facebookには、uploadが出来ない・・という事で、一晩掛かって何とかしようと思ったのですが、ついに挫折して、Facebookではなく、You Tubeにuploadして、それからlinkを張る事にしました。・・と思ったのですが、やはり、You Tubeでも、どうしてもupload出来ませんでした。
trimmingをする前の、videoの状態から、(videocameraのSDcardの段階から、)やり直さないとダメなようなので、二日掛かりの大変な事になってしまいました。

中野先生、折角「イイね!」を貰ったのに、すみません。
掲載している楽譜は今回のHaydnのQuartettOp.9Nr.6 A Durのscoreとviolaのpart譜です。いつもの事だけど、オケ練習の間だれも写真を撮っていなかったので、動画から写真を起こして見ました。正攻法的なやり方では、写真が小さすぎて使えなかったので、裏ワザというか、とてもイージーな方法でやってみたら、そちらの方が、1024×1280ぐらいのサイヅになって、とても綺麗でした。正規のやり方では、450ぐらいにしかなりませんでした。う〜ん!分からん!!

  

       
涙の出るようなご苦労、ありがとうございます!
4月29日 16:50


映像や動画は、何でそんなに拡張子があるのかな?とビックリするぐらいあって、PanasonicのDigaのように、手順を外すと、何処にも取り込めなくなってしまいます。パソコン関係の人達なら、その手あの手があるのでしょうが、そういった時に相談出来る相手もいないし、私の知り合いには誰もその道のproがいないので、一人で覚束無く歩いているのが、現状です。もっとも、ワープロやパソコンを弄り始めた頃から、そうだったので、何を今更・・という感じですがね。素人の悲しさ・・何処で、切れば良いのか?(諦めれば良いのか??)のタイミングが分からないのですよ。・・という事で、諦めきれずに、トコトン徹夜してでも、何とかせにゃ、あかんとバイ!!動画は諦めて、SDcardからchapter分割をし直して、ハイツに持って来ました。これで、拡張子の変更もFacebookの取り込みも出来るはずです。.・・これで出来なかったら、残念ですがuploadは諦めます。アハッ!
4月29日 17:19

はやり出来ない!0〜舞碁っと!!(オーマイゴット!)
4月29日 23:40

やはり、半分壊れたような、おかしなfileを扱うので、段々パソコンが壊れて来て、修復不可能な状態に近づいて来ました。netワーク異常で、思いもよらない場所で、勝手にfileが開いていたり、私のlesson風景のfileがnetワークの中に出来ていて、それを削除したら、本体のfileまで削除されて、ゴミ箱にも何処にも居なくなってしまいました。その他、色々と、あれもこれも・・と、パソコンがbugり始めて来ました。これはもう限界だなや??という事で、最後の最後で、videocameraのSDcardから、何時も動画を処理している大型のDigaではなく、少しライトなDigaで、もう一回だけ、問題の23分の練習のfileなのですが、それに前後に20分づつ足して、小1時間を分割して、それを、aviに変換して、それから、trimmingをして、23分の本来のfileに縮めます。それでupload出来ないのなら、マジ、本当に諦める事にします。
4月29日 23:51

すみませんが先生の論文以上にちんぷんかんぷんです笑
宜しくお願い致します。
4月30日 0:02


何とか、4分+αぐらいはaviに、変換出来ました。後は、どっか、行ってしまったけれどね。
4月30日 1:20
スマホは動画もそのまま、自分のホームページにuploadする事が出来ます。しかし、videocameraで撮影した動画をパソコン上のホームページに持って行こうとすると、パソコンとvideocameraの互換性で、難しい問題が派生します。特に、Blu-rayになってから、直でホームページには取り込めなくなってしまいました。スマホならmp4という拡張子で、大体upする事が出来るのですが、パソコンのホームページでは、そう簡単ではありません。・・という事で、宇宙人の言葉のようになってしまいました。
4月30日 5:16
ふむふむ。
mpは音源の拡張子だと思っていましたが、映像でもそうなんですね?。
4月30日 9:15

mp3が音声の拡張子でmp4は音声と映像の拡張子です。
4月30日 9:50



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初見大会の後の、第一回目のオケ練習

4月30日 1:25 ・
いや〜ぁ??二日掛かりで何とか、4分だけは、aviに変換出来ました。まあ、雰囲気を見るだけなら、それでも、充分だとは思いますが、1時間分をtrimmingして、不思議な事に、録画されていた順番が変わっていて、何とかvideoの端っこに残っていた、HaydnのQuartettのA Durの練習風景です。video自体は、Facebookや、You Tubeにuploadしなければ、普通に通常に再生出来るのですがね。いずれにしても、何かやる度に、パソコンが可笑しくなってしまうので、これ以上、パソコンが壊れるのは困るので、4分半ですが、これぐらいで、取り敢えずはupload出来たので、満足する事にしておきます。

uploadをしましたが、Facebookを開くと同時に音が再生されてしまうので、uploadを中止しました。
FacebookのPageで見てください。

早速見て、練習に精を出しています!絶大なる4分の効果!!
ありがとうございます!
4月30日 9:13

隣の部屋から流れている曲はアレンスキーのPianotrioです。
4月30日 11:24

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発表会で子供達からお手紙を貰って、 「ちゃんと返事を書かなければ・・」と 思っているのだが・・・
4月30日 6:09 ・
発表会が終わって、子供達からお手紙を貰って、
「ちゃんと返事を書かなければ・・」と思っているのですが、ただ、有り難うのmailではなく、そのお話に答えるような文章を書こうと思ったら、子供達にも理解出来るようにお話をするのは、中々難しいものです。
それに、子供達が、二人いると、それぞれの夢が二つあるように、少しずつ夢が違っていて、それによって私が子供達に答えるお話の内容も少しずつ変わって来るからです。
教室からは、音楽大学に進学したり、コンクールに入賞したり、教室から直接海外留学したりしているので、音楽大学と同じような、proに成りたい子供達が集まって来ているようなあたかもフランスのConservatoireのように捉えられる事も有りますが、どうしてどうして、所詮は、個人の巷の音楽教室に過ぎないので、
「proになりたい」という夢を持って教室で勉強している生徒は、この10年、20年一人もいません。
「一人も・・」と言ったら、「そんな事はないよ!私はproに成りたいって先生に言ったよ!」と言う生徒もいそうな雰囲気ですが、それは、ちゃんと一貫してproになるために、勉強を続けている生徒の話であって、学業が暇な或る時に、「proに成りたい!」と、言ったからとしても、受験等で、そちらに専念するのであれば、それは、「一過性の夢」としか言わず、それは「夢の夢」単なる妄想にしか過ぎないからです。
何かを目指して、邁進するのならば、そこには必ず「脇目もふらず・・」という一言が必要で、生きて行く上での一貫性が必要になります。
そうして、初めて、
「私は**に成りたい!」という夢を叶える事が出来るのです。
世の中には、沢山の「音楽の道を目指す子供達」がいますが、その総ての子供達が
「proに成りたい」と、思っている分けでは無く、そういった「夢の夢」を持ち続けている分けでもありません。一途に夢を追い続ける事は、結構大変な事なのかも知れません。技術力や、才能に恵まれていたとしても、年齢に応じて、夢が変わって行く人達を見て、「惜しいな?」「ざんねんだな?」とは思いますが、私としては、それはそれでも、良いと思っています。
音楽を自分の楽しみとして、そばに置いて奥、・・という姿勢も、それはそれで素晴らしいものだからです。世の中には、人生を愉しむ(享楽する)タイプの人達と、世の中の人達へ奉仕をする事を生きがいにする人達の二種類の人達がいます。それは行き方の違いになるからです。
音楽を聴く人であっても、音楽を演奏する人達であっても、音楽は基本的に愉しいものであるはずなのですが、音楽を勉強として捉えている人達にとっては、音楽は決して、愉しいものではありません。
その最たる人達が、音楽大学で音楽を勉強している人達でしょうかね??有名音楽大学の生徒達や教授達で、音楽を楽しいものとして捉えている先生や生徒はいないでしょうかね?? 音楽は、厳しく辛いproの道へのイバラの道で、「Gradus ad Parnassum(パルナス山に登れ)」という克己心の強さを要求され、小学校にやっと入学した幼い時から、高校生の受験に至るまで、たった一日、一時間の気の緩みさえも許されていない、まるで禅宗のお坊さん達の修練の場のような人生を要求されているのです。
でも、それは別に「音楽の世界」だけの話ではなく、フィギアスケートの浅田真央ちゃん達のようなアスリート達や、ローザンヌを目指すproのバレリーナに憧れる人達もみな同じような道を歩んでいるのですよ。

音楽に限った話かも知れませんが、一般的には、
「演奏のproになりたい」という夢を持った人達のコース(歩く道)は、有名な音楽大学の先生に師事して、有名なコンクール等に入賞して、有名音楽大学に入学して、卒業と同時に、そのまま海外に留学して、(中には海外の留学中にもコンクールを受けて)帰国して、何度か(1,2回)演奏会を開いて、・・それで、proと自称し、夢が叶った・・として、結婚して、子育てに専念します。
日本中の音楽を勉強して、proの道を目指す学生さんが、全く同じように、この音楽への道を「判で押したように」歩んで行きます。
儒教の国民である日本人の考え方の基本は、「出る釘は打たれる」の諺に表されるように、人と同じ事をしないと夢が叶わない、と思っているように、人と同じ考え方をして、人と同じ行動をする事が最も、安全で確実な道のように、勘違いをしているのです。実際には、その道で夢が叶った人は一人もいないのにね。
でも、儒教の理念は、封建自体の為政者のために、或いは、軍国主義のように、或いは、大企業主義のように、topdownの方式であり、下から上には、全く行かないという致命的な欠陥を持っているのです。
こんにちでは、そういったtopdownの方式では、globalな世界の中では生き延びては、行けません。社会が求めている人材は、個性豊かな、柔軟性に溢れた、発想力のある人材なのです。
子供達が社会人として、社会の中で、自分をアピールして、自分のi dentityを社会に認めさせようとする時には、人が出来ない事を、自分が出来るのだ・・という事で、i dentityを出すのですよ。
人と同じ考えで、誰もが出来る事をするというのは、もう社会では必要とはされないのですよ。
両親の言う事をひたすら忠実に守って、勉強して、有名大学を卒業して、一流の会社に入ったのだけど、自分のやって来た努力が全く認められない・・という事で、引き篭もりになってしまったり、SNBP(負の転換点)を越してしまって、社会問題を引き起こしたり・・と、教育制度による問題は山積しています。
でも、そんな事を言うと、今度は、ワガママな自己中・・が、i dentity(所謂、個性)と勘違いされてしまう・・ワガママはワガママに過ぎず、社会では必要とはされません。自己中も同じです。
個性を育てるという事と、野放図に育てるという事は基本、全く別の次元の話なのです。
先ず、そこの所が理解出来ないと芦塚メトードの話を理解するのは難しいのです。)
有名な先生に付いて、有名音楽大学に進学して留学して、それでproになる・・・・、でも、それは、羊が針の穴を通るよりも、超、狭き門ですよね。だって、皆そうしているのに、誰もproにはなっていないでしょう??有名大学でもそうですが、群がっている所で、topになるのは難しい。皆がやっている所で、仕事をしても、認められる事は殆ど無いでしょうよ!! アホらしい!!皆のやっている道の、その道の延長上にproの世界はないからですよ。
夢を叶えるのは、そんなに難しい事では無いし、大変な厳しい事でも無いからです。proになるのも、そんなに大変な事ではないのです。逆転の発想を持てば・・ね??
今までの話とは、又、別のapproachなのですが、何故、日本の音楽大学でproになろうとする人達は、幾ら頑張っても、proになれないのでしょうか?それは、何時も私が言っているように、日本の音楽大学の学生達や先生達は、音楽で上手くなろうとするからです。人よりも、更に自分が上手になろうと努力するからです。それじゃあ、どうしてダメなの??
だって、その目標の延長線上にclientがいないじゃあないの?clientのいない職業なんて成り立つ分けがない。音楽大学の学生達は、音楽が職業であるとは思っていないし、音楽で生活が出来るとも思っていない。当然、練習だけをしていれば、それで、世の中が通用する・・という妄想を持っている。
幾ら技巧が優れていたとしても、ヨーロッパではそういうpianistの事をコンクールpianistと呼ぶのですよ。永遠にproになれない、技術だけのpianistの事です。私もヨーロッパのコンクールでそういった人達を沢山見て来たのです。
メチャ上手いのだけど、proにはなれないコンクールpianist達・・、でも、それが日本人の音大生の理想の姿ですよね。
それを目指して頑張っている。技術さえ完璧になれば、そこにproの世界が待っているのだと・・!!
私は子供達に、上手く無くても良いから、お客さんを泣かせる演奏を・・!!と、何時も言っています。
でも、人を泣かせる演奏は、やはり上手いのですよ。でも、その技術は、技術のための技術ではなく、表現のための技術なのです。根本から違うのですよ。
それはそうと、この文章は誰のために書いているの??って?・・??、実は、小学4年生の生徒のために書く予定だったのだけど、普段は、中、高生を対象にお話しているので、いずれにしても、こりゃ、無理だよな??



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Etudeをしっかりとさせる先生が 良い先生という風潮があるのだが、

5月1日 3:21 ・
日本の音楽教育界では、基礎を勉強させるために、Etudeをちゃんとさせる先生を基礎をしっかりと教えてくれる良い先生とする風潮があります。音楽大学に進学する生徒ならばイザ知らず、ただ単に音楽を趣味として、学びに来ている生徒達にもそれを要求するのでは、溜まったものではありません。多くの音楽を大好きな子供達がその日本流のcurriculumの尊い犠牲となって、自分の子供達には二度と同じ経験はさせたくない・・と仰っている人達の声をお聞きする事があります。
日本の音楽界はそういった累々とした犠牲者達の上に成り立っているのかもしれませんよね。〜海行かば〜♪
Pianoの導入の教材であるBeyerやBurgmullerは、初歩の教材なので、それは兎も角としても、Czerny30番、40番、50番と、生真面目に指導されては、幾ら音楽が好きで、Pianoが好きだとしても、チョッと耐えられませんよね。
今はどうか知りませんが、昔は、学生コンクールの小学生の部門や中学生の部門で、CzernyやcramerのEtudeが、3,4曲、課題になっていた事がよくありました。
それこそ、曲の水準をクリヤーするために、半年がかりで、Czernyの指定の曲、数曲を、tempoやleggiero奏法、forte、Pianoのdynamismの幅や、音楽の表現等々をCzernyの指定したin tempoで、しかも、ノンミスで表現出来るように指導し、練習させて、何とかコンクールの全国大会までに持って行くには、私の指導力を持ってしても、半年で曲を仕上げるのは、ギリギリのtimelimitでした。コンクールまでの日にちの最後の一週間に、練習が間に合うか否かで、泣いたり笑ったりしたものです。(泣くのは、常に私ではなく、出遅れた本人なのですがね・・??)コンクールのお話をここで、持ち出すのは、Etudeがそう演奏されなければならない・・という、Etude本来の水準は、コンクールで全国で入賞する生徒の演奏する水準なのです。30番も40番も50番も、クリストフ・エッシェンバッハさんの演奏でCDが出ています。日本人の先生はEtudeとして演奏していますが、エッシェンバッハさんは曲としてとても美しく演奏しています。CzernyのEtudeは本当に上手な人が演奏すると、まるでSchubertの曲のように、wien情緒に溢れた曲になるのですよ。そこまで、曲の水準(Niveau)を上げると・・・なのですがね。
例え、初歩の教材であるCzernyの30番のEtudeであったとしても、Czernyが出している指定通りの課題のMetronomのtempoで、しかも、ノンミスで演奏するとなると、容易な事ではありません。
昔々のお話ですが、私が教室を立ち上げたばかりの頃には、音楽を専科として勉強している生徒達(その頃はそういった生徒達がいたのですよ!!オ〜ォ!遥かな昔々よ!!)には、先ずCzerny30番を一回目は、暗譜とノンミスで演奏出来るまでにし上げて、同じCzernyの30番を、二回目のapproachとして(この場合の専科生というのは、音楽大学に進学をする・・という意味は未だありません。音楽を学校の勉強よりも中心として勉強する・・という意味に過ぎないのです。)同じCzerny30番を、Czerny先生が、楽譜上で指定したtempoやdynamik、表現を守って演奏出来るように、lessonをします。
そういったlessonは、とても厳しいlessonのように見えるかも知れませんが、一度勉強したEtudeの復習なので、暗譜は元より、ある程度は弾けているので、そのTechnikの水準(Niveau)を上げるだけなので、そんなに大変な事ではないし、難しい事ではありません。それに、その課題が熟せるようになったら、40番、50番は飛ばして、いきなり、ChopinのEtudeやLisztの Paganiniの練習曲、或いは、Rakhmaninovのprelude等の曲に入るのですが、それは難しい事ではありません。つまり、曲を順番に、まるで、学校の教科書のように、コツコツと勉強したとしても、それぞれの曲の水準が低ければ、50番のEtudeまで、完全走破したとしても、ChopinのEtudeが弾けるようになる事は無いのです。30番のEtudeだけでも、完璧にマスターすれば、ChopinやRakhmaninovの曲を演奏する事は、そんなに大変な事ではないのですよ。そこの所が教科書至上主義の人達には分からないのです。全部を、バカ真面目に勉強しないと、基本の落としがあるような、虫食いがあるような気がしてしまうのです。
approachが自然に出来るのは、曲をどの水準で勉強したかによる分けなので、絶対に、Etudeのlevelによるものではないのです。
そもそも、音楽の勉強は、学校の勉強ではないのですから、Etudeにlevelなんてものがある分けはありません。
それは、学校や塾のAchievementのテスト形式の錯覚です。
その段階の事を音楽大学の先生達も勘違いをしてしまっています。それなら、未だ許せるのですが、音楽大学の先生達は、もっとlacherlichな間違いをしています。
それは、一つ一つの課題を一つづつマスターさせようとする事です。
一つの課題が出来ない限り、次の課題をやらせようとはしない事なのです。
一番簡単な、Pianoのlessonの勘違いなのですが、「指先をしっかりとさせて、手首を柔軟にして弾きなさい!」という先生が結構います。でも、それは、人体の生理学的に無理な話です。人間の手は親指や指先に力が入ると、必ず手首が締まります。
体を硬直させて、演奏が出来る分けは無いのですが、それが日本のアカデミズムの主流なので、私が何を言っても誰もそれを聞こうとはしません。だから鬱になるのだよ。
あたかも、算数の計算問題のように、Etudeを一曲づつ、練習をして、何とか弾けるようになったら、次のstepに入ろうとする・・、それが日本のレッスンの有り様なのですが、音楽は、そんなに、簡単なものでも、イージーなものでもありません。
音楽は、どんなに簡単な曲で、子供が学習に使用する教材であったとしても、その曲を録音のために、proのversionで演奏しようとすると、それが鈴木の1巻のBachのMenuetの曲であったとしても、簡単に演奏出来るものではありません。
困った事に、100回撮り直しても、ちゃんと完璧には、弾けないのですよ。
それに、練習曲のCzernyを、30番、40番、50番、或いはcramerのEtudeと、順番にクソ真面目に練習したとすれば、小学生のコンクールに入賞出来るlevelまで、持って行くとすると、・・・そのlevelで、ちゃんとapproachをしっかりとするとすれば、単純計算で、60年は、必要となります。
もし、Pianoの先生がCzernyのEtudeを、毎週、2,3曲づつ合格させていたとすると、・・そういう風なlessonをしている先生ならば、その先生は、自分の生徒に「曲を雑にapproachさせる癖と、いい加減に曲を仕上げる事」を教えている先生だと言う事です。私なら、そういう先生は、即刻、やめてまともな先生の所に弟子入りし直すね。
もし、ちゃんとCzerny先生が意図したように指導し、演奏させている先生ならば、1曲を仕上げるのは、半年がかりが普通なので、もし、半年クールを5曲セットで勉強したとしても、1年で約10曲、30番は30曲あるので、Czernyの30番を終了させるのに、勿論、丸々、3年は掛かる事になりますよね。
CzernyのEtudeを5曲セットで練習し、仕上げたとしても、(これは大変な努力と練習量が必要で、コンクール組だから出来る事なのだとは思うのですが・・)30番を終わるのに3年、40番を終わるのに4年、50番を終わるのに5年と、それだけで、有に12年掛かる事になりますよね。それから、次にcramerの教則本は60曲なので・・Clementiもあったよね。あれは100曲以上だったよね???・・・etc.etc.でがなもし・・??
もし、それらのEtudeを、全曲練習すると言う事は、余っ程不真面目に、雑っぽく、練習して来たのか?それとも、人生を3度ぐらい産まれ変わって、反芻して来たか?・・なのですよ。
大学の先生の所に弟子入りすると必ず、「基礎が出来ていないからEtudeを勉強しなさい。」と言われて、無味乾燥なEtudeを復習させられます。
つまり、そのEtudeを一通り練習しないと、曲を見て貰えないのです。
しかし、それは単なるレッスンのセレモニーなのですよ。
笑えるよね??
もっと、笑えるのは、基礎が出来るまで、体を一切動かして弾いては行けない!と硬直して演奏する事を要求する先生の多い事です。そして、その先生の門下生は、ロマン派のSibeliusの曲等を弾かされる時も硬直したままなのだから・・まともな神経を持っているとすれば、それこそ、溜まったものではありません。
それなのに、その先生自身は、体を揺らして演奏するのですよ。
「私ぐらいのlevelになったら、揺らして弾いても音楽には、関係がないのだよ!」「音楽に関係が無いのなら、それこそ、揺らすなよ!!なにを言っているのだろうね〜ぇ??」
音楽を感じて演奏する事も邪道ならば、その勉強の先に、一体、何が、あるのだろうかね??
お先が見えないンじゃあないの??
体を動かして演奏してはいけない・・というのは、確かに、演奏家の大半が、体を感情的に動かしているだけで、陶酔であって、無意味なモーションなのですから、言いたくなる事は分かりますがね。
しかし、理に照らして、体を動かしたとしても、その事が分かっている分けではないのだから、幾ら、体を固定して、勉強したからと言っても、それで、本当の意味で、曲を上手に表現出来るようになる分けではない・・と思いますよ。
だって、心で感じる音楽ならば、自然と体は動くものですから、それを否定するのなら、それはもう、音楽では無いのですからね。
それでも、先ず、基本を学ぶ時には、一切の無駄な事はしないで・・、と主張して、先ず、一つを学ぶ時には他の事は総て無視をして、ロボットのように、硬直して練習するのならば、それは上手くなる分けはないと思いますよ。
あ〜ぁ、ロボットの名誉のために、弁解をしておきますが、未だ、ロボットの第一世代の時に、確かにロボットは、ロボットのような動きをしていました。
しかし、そのロボット特有のギクシャクした動きが、ロボットがコケないで、動くための最大の欠点だったのですよ。ロボットだって、自然にコケないで、安定した状態で、歩くためには、腰のひねりが必要だったのですからね。
腰のひねりや体の揺れがない動きでは、ロボットが、自然に歩るく事は出来なかったのですよ。
音楽の先生は演奏をするという、大変な作業を生徒に要求しながら、自然な人間工学的な動きに対する知識も無く、Pianoの先生に至っては、椅子を低くするのが当世風の座り方とか曰うのですよ。でも、それこそ人間工学的に言うと、低い椅子の位置では、人間は長時間の作業は耐えられないのです。
どうして、音楽家は、自分が学んで来た、100年も前の誤った個人的な経験則のみを頼りにしていて、学術的に物事を考えようとはしないのかね??そこが不思議だよ!!反省だけなら、猿でも出来るンじゃあないの??
そういった不自然な要求ばかりするから、celloを勉強する年齢は、就学年次以前では、曲を弾くのは無理難題で、小学校に入ってからも、先ずPianoのlessonを受けて、音感が育ってから・・じゃないとcelloは初めてはいけない・・とか言う話が一般には流布していて
、教室に習いに来るもの、考慮中という話の人もいます。又、大人の場合にも、基礎の音階を7年程勉強してから、やっと簡単なメロディの曲が弾けるようになる・・という話で、ついついcelloを学ぶのに、二の足を踏んでしまうようです。
確かに、どんなに馬鹿に指導したとしても、5年、10年基本の音階や、型だけをやれば、どんなバカに指導されたとしても、少しは弾けるようにはなるでしょうよ。そりゃあ、単なる、時間の無駄ですよ。
私達の教室では3歳でも4歳でもBachやVivaldiのconcertoやGoltermann のconcertoを演奏します・・と、言っても誰も絶対に信じないのですよ。だから、「じゃあ、You Tubeを見てください。」と言っても、その子供だけが特別で、天才だと思って、誰でも、ある程度ちゃんと、真面目に練習すれば、普通にそれぐらいは弾けるようになるのだよ!!という事は、絶対に、認めようとはしないのですよ。(特に、既に、何年も習っている場合には、投資が総て無駄なものになってしまうからなのですよ。投資というのは、親の出した金銭的なものだけではなく、本人が必死に努力して来たその努力さえも、無駄なものとして、否定されてしまうからなのですよ。)
日本の社会は、事、教育に関しては、驚く程頑迷なのですよ。
年金の話も、私が30歳の頃に、区役所で、「日本の人口は1億2千万で頂点なので、それからは人口減少が起こって、年金は成り立たなくなりますよね。」と言ったら、「絶対にそんな事はありません。お国がやっている事に間違いは絶対にないのですよ。」と反論されてしまいました。で、その3年後には、もう、少子化のお話が出始めていましたよ。
原発の時でも、原発に事故は絶対に起こらないように作っているという大学教授達のお話だったので、「でも、もし、何らかの理由で、事故が起こったら??その時には、100年以上のカタストローフェになるのでは?」と質問したら、「絶対に起こらないという前提なのに、「起こる」という仮定の質問には答えようが無い!!」と怒って切り捨てられてしまいました。
それをテレビで公言した人は、未だ存命なのですがね。自分が公言した事について、今回の事故が起こった後でも、未だに、一度もマスコミには出て来て、自分の主義主張の誤りを訂正、謝罪した事はありません。
これがヤマトの国の日本人のあるべき姿かね??
国を代表する人達ですよ!
自分で自分の言った事への責任は取れないのかよ!!
なら、大学の先生なんかやるべきではないのでは??ねぇ??主張するだけなら、猿でも出来るんだよサ!!
口先だけで「proに成れる」と言ってもね〜ェ??
つまり、日本の音楽教育で普通にやられている、練習曲を真面目に順番に練習し、或いは、先生として、生徒達に、それを指導すれば、生徒達の将来の夢が叶えられる・・と言う有りもしない・・事を主張しているのは、実は、日本の先生だけの話なのですよ。
ヨーロッパでは、練習曲は薬として、生徒達に処方されるのです。「君は、和音のlegatoが苦手だから、この曲とこの曲を勉強しよう!」とか、「君はこのpassageが熱っぽいので、このEtudeのこの部分を練習しておいで!!」と、言う風にネ。
つまり、そのEtudeの全曲を練習させる先生なんている分けはありません。それじゃあ、4年間の大学での指導の時間があっても、足りる分けはないからなのです。
一般の教育でも、算数の成績を上げるための勉強で、計算を早くするための、**式とか***計算とかありますが、幾ら計算能力が早くなったとしても、そろばん教室の生徒には叶わないだろうし、大学の入学試験には、電算機持ち込み可の大学の方が多いのですよ。ましてや、計算力なんて、スーパーの買物にも役にたたないですよね。
英語でも英単語を生徒に必死に覚えさせている学校も多いようですが、英文科でも辞書持ち込み可であったりして、今まで何で一生懸命に英単語を覚えていたのだろう??てな事になってしまいます。それに、英語は、お喋りが出来るようにするのが目標であるはずで、東南アジアの山奥の小学校では、椅子もない土の上での授業なのですが、ネイティブの人達が3,4年生の子供達の指導を始めて3ヶ月ぐらいで、普通に簡単な会話を出来るようになります。
1,2年もして、5,6年生にもなると、立派に英語で自己アピールが出来るようになっています。
これは、日本の英語の目的が会話ではなく、文法なのだからです。
私が高校生の時に、アメリカから交換留学生が来たのですが、彼が高校の英語の試験で、topの生徒達が90点や80点を取っているのに対して、60点しか取れなくって、「アメリカの国語のテストよりも難しい!」と驚いていました。それなのに、英語のテストで90点を取った生徒も、80点を取った生徒も、全く普通に英語が喋れないのですよ。・・・どうして???
先程の数学のテストの話に戻りますが、大学の入学試験では基本的に答えが合っている必要はなく、計算の方法論や方式(考え方)が合っていれば満点になるのです。私が未だ高校生の時に、同級生の友達が、東大の数学の受験の時に、わら半紙に3枚も掛かるような模範解答を、全く無関係の定理を作って、その定理の証明に3行掛けて証明して、残りの1行で解答を証明してしまいました。という事で私達の高校の数学の先生が3ヶ月から半年も、東大に通って、色々な大学の教授達の合格の判定の会議に引っ張りだされて、ブツブツ文句を言っていました。「もう!変な解き方をして・・!!」って・・。私達は数学の授業がお休みになったので、大歓迎だったのですがね・・。
私達が本を書いたりする時には、弟子達に必ず注意する事は、年代や数字に関しての注意です。その人が、100%完璧に覚えている年代も、一々記憶に頼らないで必ず、書物から移す事が大切なのです。
だから、私の場合には、歴史の流れは理解しているのですが、年代は全く覚えていません。必要がないからなのです。
その必要のない事、意味のない事が、学校教育では大切なのです。何故??って??・・・そりゃ、簡単ですよ。人と区別するため、差別するためにですよ。
だって人の出来ない事を比較しろ!と言われても、音楽の世界だって、理解は出来ないのですからね。
車の免許の更新で、今年は、平成何年か?という質問をして、答えられなければ、痴呆の始まりだそうで、更新が出来ないそうです。
馬鹿じゃない??私なんか1年の内に平成の年号を使用するのは、1回あるかないかですよ。元号なんて、高校生の頃から全く知らなかったよ!平成元年は、西暦何年?なんて、世界の誰が知っているの??
役所の人間だけでしょう??それで痴呆の検査になると思い込んでいる心理学者がいるというのも馬鹿げているよね。
音楽の技術の勉強は、音楽の表現があって、始めて必要になります。お客様を感動させるのは、表現であって、技巧ではないのですよ。
Etudeを無味乾燥に勉強したとしても、それをどの曲のどの部分に使用すれば良いのかを言える先生は殆どいません。どういう表現が正しい表現で、どういう表現が自己満足の一人よがりの表現かを答えらる先生はいませんよね。
だって、もし、そういった事を、言える先生がいたとすれば、その曲のその部分でその技術を、教えているでしょうから、Etudeなんて、事は口にはしないはずですよ。
何故そう言い切れるの??って?? ・・・だって、それはすこぶる当たり前の話で、どの曲のどの部分に使用される技術であるかで、その技術のmechanicな表現の技術は、全く別物のように変わってしまうからですよ。つまり、ニュートラルなEtudeの技術表現では、追いつかないという事なのですよ!
技術表現は、作曲家にもよるし、時代区分にもよって変わるのでね!!
それなのに、materialとしてEtudeの技術を学ぶのは、何のために、因数分解や微分積分を習っているのかを知らないままに習っている日本の学生のようなものですよ。
そんなTechnikを使いこなせる人は、設計技師か、それとも、宇宙学者か・・??いずれにしても、一般人には必要のない技術ですよ。
勿論、音楽の基礎の勉強はEtudeだけではなく、Bachのinventionやsinfonia、平均律等々の曲も勉強します。それに、古典派のsonateや、Chopin等も勉強します。BachをEtudeと言えるのかどうかは、チョッと・・チョッとなので、Etudeに限ってお話を進めて行きました。
まあ、これは私のホームページにも同じ事が書いてあるのですが、一番読まなければならない生徒達が、このお話を全く理解出来ていないので、・・・う〜ん、全く理解してくれていないので、敢えて、ここにもう一度書いてみました。ホームページを見ても理解出来ない生徒達が、Facebookを読んで理解してくれるとは思わないのだけどね。



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Vivaldiのcelloconcerto a moll 3楽章  のCembalo譜を作成したのだが、

5月3日 4:14 ・
まあ、何を今更・・、という感じですが、今回の鬱・・というか、体調不良の期間が2週間と長くて、意外と酷かったので、一昨日の夜からなのですが、リハビリを兼ねて、Vivaldiのcelloconcertoのa mollの3楽章のCembaloのpartを作っていなくって、出版社の印刷されたままのoriginalの楽譜だったので、急遽、Cembaloのpartを取り急ぎ作って見たのですが、今回の発表会でのCembalo担当の女の子が初めてorchestraのCembaloのpartに挑戦するらしく、私としては、一応はそれでも弾けるように、2声のpartで簡単に弾けるようには、書いたつもりだったのですが、「2声でも、難しくて演奏出来ない」・・と先生に却下されてしまったので、振り上げたfinaleの行き場所が無くなったので、折角、楽譜を書いた意味が無くなってしまったので、「それなら・・」という事で、Cembaloのpartには少し簡単な即興を入れてお洒落にして、また、そのついでにorchestraのpartも新たにscoreに入力して(・・Cembaloのpartを作っていたので、最低必要な通奏低音のcelloのpartとcelloのsoloのpartだけしか入力はしていなかったのですが、急遽、orchestraのpartを入力して、)それからorchestraのpart総てに、Ashizuka-versionの(超高度な)articulationを書き込みました。
だから、当然、celloのsoloも上級version(難易度)のarticulationになってしまいました。・・という事で、(今回の発表会では、この譜面は使わない事になったので)、この曲は、articulationや即興をふんだんに取り込んだ折角の労作なのですが、この曲は、そのままお蔵(Archiv)に入る事になりました。
以前は、arrangeや研究は必要に迫られてやっていたので、直、Archivされる事は無かったのですが、近頃は、必要に迫られて・・というのは私だけの事らしく、「Greensleeves to a ground in C Dorisch」や、「Handelのpassacaglia」の譜面のように、演奏されないままにお蔵入りして本棚の肥やしになる楽譜が増えて来ました。
私自身は、教室のrotationとは別に単独に行動しているので、教室のお休みは関係は無く仕事をしているはずなのですが、やはり、一人では無理で、先生達に手伝って貰う仕事も多いので、教室の休みはそれなりに重要になります。という事で、私の自宅の本棚やフローリング周りの部屋(所謂、Archiv)が、片づけられない症候群になって来たので、この2,3日前から、先生に手伝ってくれるように頼んでいるのですが、休み中のrotationや、私自身の体調の性で、折角の休みなのに、出来ないままになっていました。今日こそは・・、です。
その内、溜に溜まった私の作曲やarrangeの楽譜の断捨離でもするか???
困った!困った!・・また、鬱が再発しそうですよネ。





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5月3日の文章の手直しです。

5月6日 7:46 ・
5月3日の文章(コメント)の手直しの文章です。
私達の子供時代、学生時代には、国語の授業で文章を書く・・という事を習った事はありません。学校が塾化して、受験のための授業になってしまい、点を取るための授業になってしまったからです。作文は書く方も、評価する方も、双方の個性が出てしまうので、テストのような評価の対象とは成り得ないからです。
genreは違っても、音楽のコンクールの場合も似たようなもので、勝れた個性的な演奏に対してコンクールの審査員から好評価を貰える事は有り得ません。つまり、個性の豊かな演奏に対しての審査員達の評価は一致する事は絶対になく、ある審査員が絶賛した演奏は、別の審査員が必ず逆の最低(!)の評価を出すからです。
だから、proとしての将来を約束されたような個性的な演奏家の演奏は、コンクールでは限りなく最低値の50%の平均値に近づいて評価されてしまいます。
通常、コンクールでの最低の合格ラインの評価基準は、地方予選でも60%は越さなければなりませんし、全国大会を基準とした本選では、80%を越さなければ、本選を受ける事は出来ないでしょう。
勿論、それでも、合格ラインに達する受験者はいます。
では、審査員の誰しもが、一律に好評化をする演奏とはどういうものでしょうか?
それは大学の入学試験と全く同じで、没個性的な味も素っ気もない、教科書的な演奏です。
模範的な教科書的な演奏をすれば、それなりに高得点を得る事が出来ます。
教科書的な模範解答に近づけるために、爪楊枝で重箱の隅をつつくように訂正して、ミスの無い演奏をすれば、85点は取る事が出来るのです。
私の高校時代の思い出話なのですが、私が高校の1年生の時に、国語の先生から「夏休みの体験を作文にするように」・・という宿題が出題されました。
高校の生活なんて、全くインジョイしていない私は、「音楽大学の作曲科の学生と、Pianoを習っている女子中学生の淡い恋物語」を作って、その小説の最後の文章に、・・・「そんな妄想をしていた夏休みだった!」と無理やりにこじつけて、作文を提出しました。
高校1年生の時のお話だったので、未だ、Pianoの勉強もしていない頃の、・・音楽とは無縁な時のお話・・なのですよ。
出題は、「夏休み中の体験にもとづいて」・・という課題だったので、こういった小説まがいの作品は、課題に忠実に・・とは違うので、多分、職員室呼び出しで、説諭があるのかな?・・と思っていたのですが、特別に職員室に呼び出される事も無く、教室で生徒全員に原稿を返却する時に、最高得点がAなのに、Aの上に二重丸を付けて頂いて、「なかなか、面白かったよ!!」と言って貰えました。高校の先生達は実際にも、朝日新聞の西日本の俳句の選者をやったりして、その後は同級の女の子がその選者を引き継いだり、と高校の先生というよりは、現場の実践的な文人達だったので、私の洒落も認めて貰えたのだ・・と思います。
という事で、作文の書き方や方法論は一度も学校では習った事は無いので、以下の文章の書き方の方法論は、自己流の方法論に過ぎません。悪しからず
文章が読み難くなる原因には、大きく三つの場合があります。
その一つは、読み手の人が「何について書いているのか?」を分からない場合です。
その典型が次の「まあ、何を今更・・、という感じですが」の文章になりますよね。何に対して、今更・・という事が、書かれていないので、「今更」を何について言っているのか?が分からないという事なのです。
二つ目は、一つの文章のsentenceの中に、幾つかの項目があって、その中のどの事について書いているのか、主語が変わってしまう・・という事です。改めてそれぞれの項目について纏め直して見ると・・・
@鬱とそのリハビリについて
ACembaloの譜面がoriginalの楽譜だったので、書き直した・・という事と、
Bは今回はCembalo担当の女の子がbasso continuoを演奏するのは初めてだったので、渡した楽譜を交換したくない・・という教室側の意向について、楽譜を作ったのに無駄になってしまった・・という述懐・・の文章になります。
という事で、文章の手直しですが、先ず、@の文章です。
以下、本文・・・
今までもFacebookに何度も何度も繰り返し、「鬱だ!」「鬱だ!と書いて来て、御託を並べて来たので、人が聞くと「まあまあ、何を今更・・」という感じになってしまうのでしょうが、「今回の鬱・・」というよりも、体調不良で、体が思うに任せられず、仕事にならない期間が、2週間と何時もよりも長期に渡った上に、精神的にもコントロールが出来なかったのですが、一昨日(5月1日)の夜からなのですが、少しだけ、精神のコントロールが出来るようになって来たので、鬱のリハビリを兼ねて、自室で出来る軽作業の中から、出版社の楽譜の手直しで、Cembaloのpartをrenewalする作業を始めました。
A今回の発表会で演奏する事が決まった、「Vivaldiのcello−concerto a moll」の3楽章の「Cembalo−part」が、未だに私の書き上げたCembalo譜として作成していなかったので、取り敢えず、今回の発表会のために、急遽、Cembaloのpartのみ(!!)を、作って見ました。
「のみ・・」という意味ですが、Cembaloのpartを作成するには、orchestraの全partを、finaleに打ち込む必要は無いのです。cello−soloのpartと、basso continuoの伴奏celloのpartのみを打ち込めば、本当ならば、celloのpartの上に書かれた数字( bezifferten Bas=数字付き低音とも言います。)の数字の指示に従って、和音を充填して行けば良いのです。
所が、・・なんと、この楽譜には、数字が書かれていませんでした。まあ、よく有ることなのですが、orchestraの音から逆に数字を読み取らなければなりません。これが、一手間・・!!
思ったよりも、時間が掛かってしまいました。
いつもそうなので、何を今更・・という感じではあるのですが、そうやって、詳しく調べ直すと、間違い探しになってしまって、書かれているbasso continuoが、逆に邪魔になってしまうのですよ。
ついつい、思ったよりも時間が掛かってしまいました。
第一のつまづきとでも、言うのかな??
Bそれでも何とか一晩で、Cembaloのpartを書き上げて、事務所に楽譜をprint outして、意気揚々と楽譜を持って言ったのですが、楽譜を実際に見てcheckする前に、「今回は、譜面をrenewalするのは無理!!」と、その場で、私の書いたCembalo−partの譜面は却下されてしまいました。
それはつまり、今回の発表会でのcelloconcertoのCembalo担当の女の子が、「初めてorchestraのCembalo−partに挑戦する」・・という事で、私の改定版の譜面は難しく弾けない・・という事なのだそうです。
しかし、私としては、一応はそれなりに、それでも弾けるように、2声部の書法で、簡単に弾けるようには、配慮したつもりだったのですが、「今回は、2声部でも無理で、演奏出来ない」・・と先生に却下されてしまいました。
B鬱のリハビリついでに・・、と、頑張って書き上げて見たのですが、頑張った意味が失くなってしまったので、折角、finaleに入力した意味が無くなったので、「どうせ出番が無いのなら・・」と、気分を一新して、Cembaloのpartは、折角簡単に書いた譜面に、新たに即興を加えて、お洒落にrenewalさせて、また、手を加えるそのついでに、orchestraの全partも、新たにscoreに入力して(・・Cembaloのpartを作っていたので、最低必要な通奏低音のcelloのpartとcelloのsoloのpartだけしか入力はしていなかったのですが)、orchestraの総てのpartに、Ashizuka-versionの(超高度な)articulationを書き込みました。
だから、Vivaldiのcelloconcertoは、中級versionだったはずなのですが、当然、cello−soloを含めて、「上級version(高難易度)」のarticulationの曲になってしまいました。
今回の発表会のcelloconcertoのグループは、中級の生徒達なので、この譜面は使えない事になったので、この曲はそのまま私の自宅の楽譜棚、所謂、お蔵(Archiv=NHK的にいうとアーカイブで、学校教育的にいうと、アチーブです。)に保存されてしまう事になりました。
Cまとめ
以前は、Vivaldiのscoreのarrangeや研究は、生徒達の技術的な必要に迫られて、手直し、書き直しをしていたので、私のそういった仕事が、そのまま、直にArchiv(この場合は、お蔵入りという日本語があるわナ!!)・・される事は無かったのですが、近頃は、必要に迫られて・・というのは、私が必要をするだけの意味であって、教室への具体的なback・upという意味は薄くなった作品が多くなってしまいました。
先生達のためのlifeworkや、上級生達のための、音楽への真摯な取り組みを指導するために、一般の生徒達のlevel(水準=Niveauニボー)を無視して、homepageを書いたり、楽譜の手直しをする事が多くなって来たのですよ。
終活とでも言うのかな??
今回の発表会で演奏する予定のVivaldiのcelloconcertoだったのですが、折角のCembaloのpartが難しくって使用出来ないという事だったので、上級versionに変更して、更に改定した事で、・・・articulationや即興をふんだんに取り込んだ折角の労作なのですが、
「Greensleeves to a ground in C Dorisch」や、「Handelのpassacaglia」と同じに、演奏されないままにハイツの楽譜棚にお蔵入りして、「本棚の肥やし」になる楽譜が増えて来ました。
D後述筆記
私自身は、教室のlessonの時間割りとは関係なく、教室とは別に、単独で行動しているので、今回の、ゴールデンウイークの教室のお休みは私には関係は無く、通常通りに、仕事をしています。
しかし、教室のオケ練習のrotationや、先生達のlessonの時間割り等々は、私の預かり知る所では無いので、先生達が休みの時に、相談をしながら、作業をしなければなりません。
という事で、教室の休みは、先生達にとっては、休みである・・というよりも、打ち合わせ等々で、それなりに重要な時間になります。
これは、教室の事なので、私の自宅の本棚(所謂、Archiv)やフローリング周り、或いはCembaloの部屋が、長年の間に、蓄積された「片づけられない症候群の部屋」になって来たので、この2,3日前から、先生に手伝ってくれるように頼んでいたのですが、先生達になんとか都合を付けて貰っても、私自身の体調が優れない性で、折角の休みで、何とか時間の都合が付けられるはずなのに、片付け出来ないままになっています。
今日こそは・・、の、毎日です。
その内、溜に溜まった私の作曲やarrangeの楽譜の断捨離でもするか???
体調不良になってからの、私の口癖なのですが、「整理整頓のコツは、手の届く所から整理する」という事なのですよ。
それだけは、今回の連休中には、実行したいよね。
困った!困った!
そんな事を考えていると、・・またまた、鬱が再発しそうですよネ。



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concours(コンクール)のお話

5月6日 11:35 ・
先程の文章のコンクールのお話の続きなのですが、東京近郊の県の新聞社主催のPianoのコンクールでの昔々のお話なのですが、その市の大御所の先生が審査員長をしたコンクールで、(私はその方は存じあげてはいないのですが)生徒の保護者の方がこのコンクールはおかしいので、調べて欲しいと隠し撮りしたカセットテープレコーダーを持って来ました。小学生のコンクールだったので、30名程の生徒達の演奏を聞いて確認をして、分類をして見たのですが、ノンミスで演奏した受験生は、そのカセットテープを持って来た生徒を含めて3名程度だけで、軽いミスタッチ程度が気になってしまう2,3箇所の生徒がやはり3名で、後の20数名の生徒達は止まったり弾き直したりと惨憺たる演奏だったのですが、評価の新聞発表を聞いて驚いてしまいました。それは、ノンミスで完璧に演奏していた3名の生徒達は、皆、不合格で、止まって弾き直しをした生徒や、ミスの多い生徒達が合格していたのです。「このコンクールはその先生の門下生の個人的な主観によるコンクールなので、なんの意味もないですよ!」と保護者の方を慰めたのですが、お母様も子供もコンクールに対して抱いていた気持ちが否定されて、その結果に納得がいか無くて憮然としていました。コンクールというものに対して、どうしても権威を抱いてしまうからなのですよね。
もっとも、その新聞社主催のコンクールは2年後まではその大御所の先生が審査をしていたようですが、それ以降の3年目からは、先生を東京から呼んで、審査基準を変更したり、色々と手直しはしようとしてはいたのですが、4年後には、もう潰れて無くなってしまいましたけれどね。
切っ掛けがそれじゃあ、誰もコンクールなんか、受けに来なくなるよね。
今も色々な所で、無数のコンクールがあって、教室にも毎月のように募集要項のパンフが届くのですが、そのまま、ゴミ箱行きになります。
昔の生徒達は、
「コンクールよりも、芦塚先生のlessonの方が怖い!」と言っていたのですがね〜ぇ。
「コンクールの審査員なら、幾らでも騙せるけれど、芦塚先生は、弾く前の音を出す前から、見られてしまうのでね!!」とも言っていたようですがね。

コンクールは審査員長や審査員の構成等で評価がどうしても異なってきますからね。人間が主観的に評価しますからこの問題は付きまといますね。文学でも〇〇賞を受賞した小説でもつまらないものもありますから(笑)
5月6日 12:14

ひと昔前には、Pianoやviolinのコンクールと言えば、兎に角、
「凄い速度で弾き捲くれば良い」という時代もありました。
そういったスピードと曲芸で音楽を捉えている風潮が、未だに残っているのは、すこぶる残念です。
音楽を席捲している世界の若い音楽家達でも、そういった人達が多いのは、音楽の正しい方向性としては、嘆かわしく、私としては、
「音楽はオリンピックではないのだけど・・!!」というPianoのアスリート達に文句を言いたいのですが、それだけ音楽家達は幸せなのでしょうね??
BachやBrahmsの諦観は何処へ行ったんでしょうね??
指が回るという事と、音楽表現は無関係なのですがね。
5月6日 15:12
凄い速度で弾くなんてところでの評価は客観的で一番簡単な方法だからでしょうね(笑)
5月6日 17:58

だから、タイムトライアルなんて、アスリート達の領域なのですよ。
笑えてしまうのだけど、本人達はすこぶる真面目にチャレンジしているのだから、困ってしまいます。ほぼ、毎日失笑しています。それぐらい世界的に普通なのですよ。タイムトライアルがね・・・??
5月6日 19:49

学校教育とか、一般の日本のtraditionalな教育を否定して、教室のメトードに従って、若しも、まかり間違えて子供や父兄が、教室の要求する努力を続けると、するのならば、世界一級の子供達のproのensembleを作り上げる事は、夢ではないし、そんなに難しい事ではありません。
世界最先端の演奏家、演奏団体である・・Davide Amadio やFabio Biondiの演奏に勝るとも劣らない子供のorchestraを作る事は夢では無いし、そんなに難しい事では、ありません。それを教室として作り上げる事は、学校教育と音楽の選択の問題で、難しいものがあり、教室の枠を越して閉まっています。そういった演奏団体を育てる事は、個人の教室の領域ではなく、外部のスポンサーに援助を求めて、そこの指導に教室の先生達がback・upをする事が最良の方法です。しかし、今までそういった機会が何度も訪れたのにも関わらず、それが、先生達にとっては、教室からソフトの流失のように思われて、これまでそういった申し出を断り続けて来ました。しかし、私もいよいよ後期高齢化の域に達して、終活の時期に入り、・・・寧ろ、教室の存続は、芦塚メトードによる演奏団体を外部に作る事ではないかと思うようになりました。(実は、結構昔から、私的には、そうは思っていたのだけど・・ソフトの流失を恐れる先生達のダメ出しが強かったのでね。) でも、今の子供達が100年前の旧態然年経、日本の音楽教育に悩まされる事はなく、globalstandardとして、私の音楽理論、演奏理論を信じて、勉強を続けて行けるためには、そういった芦塚メトードが、世界に冠する場所が必要だという事を、必要とする・・という事に、自覚するに至りました。 勿論、私だけのためなら、今のままで、生徒を芦塚メトードで指導するだけでも、充分なのですがネ。名前だけではなく、本当の本物の意味でも、世界にbaroqueensembleの団体は非常に数も少なく、マニアの限られた演奏団体になっています。超、マニアックな演奏団体であるとも言えます。しかし、今の子供達が大人になる頃はそのマニアックな演奏団体がstandardになるのですよ。  という事で、20年後の子供達が成長した頃を見計らって、芦塚音楽教室の外郭団体のproのbaroque-orchestraが、教室の延長線上で世界に羽ばたく子供達のpro−orchestraになる、・・と言う事・・・そんな夢のような事が世界に一つはあっても良いのかな??と思うようになりました。私の終活の10年の奉仕には、ちょうど良いタイムリー(タイムリミット)な塩梅かな??って思ってネ・・?  いや、そんな、長生きは期待してはダメだよ!!って・・?? https://www.youtube.com/watch?v=3rWBx5TekfI
いやあ〜、今更だけど、それにしても、八千代のprogram総てが、鬱々programだよねぇ〜??





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Haydnの日の出

5月9日 16:22 ・
昨日(5月8日)は久しぶりの検見川教室(・・花園教室ではなく・・という意味です。)でのオケ練習でした。
この2,3日は、私にとっては非常に珍しく元気で・・、天気も良く、湿度も少ない事で、体調も良く(私は湿度が弱くって乾燥していると元気です)、仕事も捗っていたのですが、日曜日のオケ練習の最中に、チョッとshockな報告を受けて(ここの所、自分が長年掛けて積み上げて来たものが、一瞬の無理解で壊されてしまうような事が、度々繰り返されるので、その都度、自分のこれまでの人生が無駄だったように思えて、それで鬱が続いているのですが・・そのダメ押しの報告みたいなもので・・)、何時ものオケ練習ならば、練習をしていると、音楽でエネルギーを発散するので、だんだん溜まり溜まった鬱が少しずつ解消されていくはずなのですが、昨日は、そのshockで、発散させるだけのエネルギーが無くて、逆で練習の後半になると、自分の気力を維持させるのさえもが困難なぐらいに、鬱が酷くなってしまいました。
しかし、そういった時ですら、未だ一度も、「もうダメ!」・・と、練習を放り投げた事も、誰かと代わって貰った事もありません。
誰かと代わろうにも、代わってくれる人がいないので、体力が失くなって、気力さえもが維持出来なくって、練習を放り出したい時にも、無理矢理気力の続く限り、練習の時間まで何とか持たせているのですが、今回も、そういったエネルギーが切れたままでの室内楽のHaydnのstringsQuartettのOp.76Nr.4の「日の出」の1楽章のlessonと、 https://www.youtube.com/watch?v=VtzmlJv4ZFY と
「Handel=Halvorsenのpassacaglia」のlecturelessonでした。
動画には、私の魂の抜け切った抜け殻の状態のlecturelessonの様子が、写っていて、旗から見ると、中々、面白いですよね。
まあ、人生、いつも100%ではないので、それもありなのかな??
何とかlessonをこなして、その後、自宅まで、なんとか辿り着いて、ベッドに潜り込んだのですが、鬱が酷くて、それでも仕事をしなければならないという気持ちだけが残ってしまって、そういった場合に、よく有ることなのですが、ベッドから起き出して、パソコンに向かって一生懸命に文章を考えて、入力をしているのに、ふと、気が付くと、それが、単なるベッドの中での夢かうつつか、妄想に過ぎない・・という繰り返しで、自分としては、一日中仕事をしているのに、実際には、ベッドの中で、寝ているのですよ。
これって、幾ら寝ていても、結構、疲れるのよネ。寝ていて、それで疲れるのでは、如何せん、これはどうしようもない!!
これは困った!!実は、このFacebookの文章も、ベッドの中の妄想だったりして・・・??
・・それよりも、昨日のオケ練習自体が夢に過ぎなかったりして・・・・。
・・否、「私がこの世界に存在した」・・という事すら、妄想に過ぎなかったりして・・・アハッ!
是もまた夢 非もまた夢 沢庵禅師


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Handel=Halvorsen passacaglia g

5月10日 6:16 ・
Blu-rayの動画をそのままFacebookやYou Tubeにdown loadしようとすると、m2ts等々の拡張子が認知されなくって困ります。ということで、aviやmp4に、変換しようとしても、パソコンに入っている変換のソフトは、超ヘボいので、変換が出来なくって、大変な思いをしてしまいます。videocameraによっては、この難解な変換も、いとも簡単に変換されたりする事もあるので、困ってしまいます。動画の編集は、panasonicのDigaというレコーダーでやると、パソコンでやるよりも、速く簡単なのですが、そうすると、拡張子が問題のm2tsの拡張子になってしまい、FacebookやYou Tubeでは認知されなくなる事が多いからです。「多い・・」というのは、それで上手く行く場合も良くあるからです。という事で、鬱々の昨日は、ついに大枚7500円も払って、netでm2tsのfileを変換するソフトを探して、買ってしまいました。変換に無茶苦茶時間が掛かるのが欠点だけど、簡単に拡張子をaviやmp4に変換出来るので、「まあ良いのかな??」と言う事です。これで、動画を変換する時にループが起こる現象も防げるのかな??
Handel=Halvorsen(ハルボルセン)の練習風景です。Halvorsenはノルエー生まれのviolinist兼作曲家でGriegの後継者として知られています。
https://www.youtube.com/watch?v=zI320wUukzo
先程のHaydnの日の出とこのHandel=Halvorsenの動画は、新しいソフトでのお試しです。



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Vivaldi violinconcerto Op.8Nr.11 D

5月13日 10:59 ・
あいも変わらない難解で理解不能な文章ですが、今回の発表会で演奏する曲の解説のhomepageです。興味がある方はアクセスしてください。
http://music.geocities.jp/ashizuka_sensei/vvd-op8-no11.html
いつものように、学術論文である文章が鬱に任せてだんだんと崩壊していって、ただの愚痴になっています。


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同じチャンネルで、その番組だけ録画が出来ない
5月18日 8:42 ・
昨日は、昨年の暮れからの歯の治療がやっと終わりました。歯医者に行き出したのは、1月末からなのですがね。夜は、2年後しで、テレビが、或る一つの番組だけが、何度設定の変更をしたりして、録画が出来るように挑戦しても、出来ないので、色々とnetで調べたりしてみたのですが、そんな症状は何処にも書いていないのよね。色々と設定を弄っても、それでも何度やっても無理なので、ついに諦めてテレビを初期化する事にしました。初期化が終わってやれやれと思っていたら、超、薄型テレビなので、音声にビビリ音が出るので、外付けのボスのテレビ専用のスピーカーを取り付けていたのですが、音声がでなくなってしまいました。解説を読んでも何も書いてないのよね。外付けのスピーカーも初期化をしてみたりテレビの設定を変更してみたり、あの手この手をやってみて、諦めかけた時に、音声の設定を自動からpcmに変更したら、治った!!ボスはpcm音声だったのだよな!取説に書いとけよ!!・・で、何で自動ではダメなの?? 昨日は丸一日、実に無駄な時間を費やしてしまった。・・で、本来の録画が出来ない・・症状は治ったのか??・・って??それは、未だです。夕方が過ぎないと分かりません。アハッ!


最近の製品には取説がコストダウンのためか付いてないのが多いですね。ネットで見るようになっている。元々私は取説の下手な編集の仕方で読むのが嫌でほとんど見ない派なんですが、何かあった時には一応必要。最近ガラホに替えて時も、付いてなくてネットで検索するようにと・・・パソコンがなければどうするのかね。操作を知るために必要なのに
5月18日 8:55


もう、型式が古いので、取説は紙で取ってあります。面倒なので、netで取説を開こうと思ったのですが、機種が出てこないのですよ。未だ、2,3年の機種なのにね。型番を打ち込んでも出てこない。netではよく有る事なのですがね。
5月18日 8:55

メーカーの対応がコスト重視になってきましたから・・・
取説をPCで検索して印刷してと・・・ユーザーに負担させてる。しかも、その内容がどうでもいいことは記述してありますが、必要とする内容が書かれてない事が多い。次から次へと改善or改悪製品を世に出すから取説作るのが手抜きになるのか、ユーザーの立場に立っての取説が作れないんでしょう。
5月18日 9:04

で、大騒ぎをして、半日潰して、結局、あいも変わらず録画出来ないのですよ。予約を取り消そうと思ったら、「録画中なので、削除出来ません。」だって??それで、録画されていない。しかも、同じチャンネルの次の番組はちゃんと問題なく録画出来るのですよ。つまり、そのチャンネルだけ、出来ない。尤も、他のディッキで録画すれば録画出来るのだけどね。分からん!!
5月18日 13:19

何かの呪い、とか言った世間受けしそうな話ですけど、そうも言っていられない現実ですね、、、
5月18日 16:53


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5月19日 2:39 ・
テレビの特定の番組が録画出来ないというのは、1年後し、2年後しの話なのですが、色々とリセットまでして、修理しようとしましたが、結局、色々と他の所が、おかしくなっただけで、肝心要の録画は治りませんでした。テレビの録画の何処を調べても、おかしい所はないし、それいがいの同じチャンネルの番組は普通に録画出来るからなのです。もし、間違えた設定をして、その番組だけ録画出来ないようになったとしても、リセットすれば、治るはずだからです。 
それはともかくも、1年ほど前にFacebookをback・upするためにhomepageにFacebookのPageを作ったのですが、homepagebuilderで、fileを開こうとしたら、それこそ、一晩掛からないと開かなくなってしまいました。色々と調べたのですが、原因が分からなくって、メモリーが重くなったせいなのかな??という事で、新しくFacebookUのPageを作りました。コメントの量が多くなったので、特定のPageを探すのも大変になって来たので・・どっちみち、株分けするつもりではあったので・・、という事です。
その後、fileを更新するためのリサイクルfileをback・up保存する事が、fileを開く時に時間が膨大に掛かる原因だ・・というか、back・upを保存する手間が大変だ・・という事が分かって、back・upをしない設定にしたら、FacebookTも、結構サクサクと開く様になりました。
それが、今度は、1,2週間前から、新しく作成したFacebookUのfileが同じような症状になって、homepagebuilderで開くまでに3時間、4時間も掛かるようになってしまいました。設定を調べたのですが、fileのback・upはcheckを既に、外してあるので、これが原因ではありません。これもネットで調べたのですが、原因不明です。でも、直感的になのですが・・・、どうも、動き的には、Facebookとのlinkの相性が悪いような感じがして、linkを読み込む設定を自動から手動に変更して、読み込まない設定にしたら、何とかサクサク開く様になりました。
またまた、それはそうと・・なのですが、1,2週間前に、パソコンの部屋の蛍光灯が30Wの玉が切れて、交換したのですが、今日は突然、40Wの玉も点滅を始めてしまってしまって、部屋にいることも難しくなってしまったので、11時以降も開いているスーパーにバイクを飛ばして、40Wの丸玉と点火灯を買って来て、交換した所です。天井の作業は、足元がふらつくので、流石に歳を取ると、ヒヤヒヤものです。来年はもう無理かな??
いつものことなのですが、timingよく(ではなく、悪く・・ですよね?)、色々な所の色々なものが交換や修理になるのは、不思議ですよネ。synchronicityとでも言うのかね??
他の場所は、大丈夫だろうかね・・・??



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スマホに機種変更した!!

5月21日 2:11 ・
またまた、またまた、synchronicityのお話です。
色々なトラブルが、同時並行進行なので、どちらからお話をしようかと迷う所ですが、先ずは、花園教室のノートパソコンwindows7に、水曜日頃からだそうですが、近頃話題のウイルスソフトであるwindows10が突然、サイバー攻撃を受け初めました。(windows10へのgradeupの事です。まさに、サイバー攻撃ですよね。)
教室のノートパソコンは、仕事用のfinaleや動画編集ソフト等のかなり高額なソフトが入っているので、windows10になってしまうと、ソフト類が使えなくなってしまい、我々に取っては死活問題になるので、windows10へのupgrade-programの削除や、updateをしないようにパソコンで設定したり、最終的には、アンチwindows10のソフトまで入れて、パソコンをガードしていたのにも、関わらず、敢え無く玉砕してしまいました。
恐るべし、ウイルスソフトであるwindows10です。
トロイの木馬等及ぶ所ではない、最強のウイルスソフトですね〜ぇ?? 
同じ水曜日だ・・と思いますが、その魔の水曜日に、牧野先生のガラ携が死んで仕事にならないので、
「これは大変だ!!」という事で、次の日に急いでauショップに持って行って貰ったのですが、「保守期間の6年が過ぎているので修理が出来ない」・・と、にべもなく、却下されてしまったそうで、急遽、私が、au-shopに行く事になってしまいました。流石に、先生達の持っている他の携帯や私の携帯も、同じ時に買った同じ機種なので、6年以上も経っていて、そろそろよく不具合を起こすようになって来たので、(私の携帯はcameraの接触の不具合でcameraが使用出来ません。)「スマホは、余りにも利用料金が高額なので、シムフリーで中古のスマホで・・」と考えていたのですが、シムフリーを買うとなると、手続き等々に日にちが掛かってしまうので、その間、携帯がないと仕事にならないので、「仕事優先」という事で、諦めてそのまま、auショップで、口座等々をそのままに引き継いで、機種変という事でスマホに変更しました。
3台分なので、手続きに4時間も掛かってしまい、入り口のシャッターを下ろした後でも、頑張って手続きをして貰いました。
花園のパソコンはwindows10になってしまったので、私のlessonの後で、ハイツに持って帰って、その日は、流石にバテて、死んでしまったので、次の日の朝早くに、windows10を元の7に戻して、牧野先生が花園教室に行くと、携帯が無いので、花園教室と連絡が取れなくなると困るので、牧野先生の出発の前の、午前中の9時までに、頑張って、notePCのwindows10を椎名町の事務所に届けて、午後は、携帯3台をスマホに変更する手続きで、今日は一日丸々、notePCと携帯で終わってしまいました。au-shopの人がお薦めのプランの説明を受けて、機種変の即断即決をして、手続きだけで一日が終わってしまった。
なんともはや、無駄な一日であった!!
斉藤先生が
「スマホになったから良かった・・と思い替えたら??」と、言ってくれたけれど、私は、スマホにする意味が理解出来ないのですよ。
スマホは携帯にはそんなに利便性は無いし、パソコンやタブレットとしての機能は殆ど無い。電話にしては大き過ぎるし、金額もアメリカ等に比べてもべらぼうに高い。
ガラ携とパソコンでは、「帯び襷」だと思うし、タブレットは電話の機能がないから問題外だしね。
簡易versionのパソコンなら、それなら、11インチぐらいのDellのnotePCの方がOfficeが入っている分だけ、使い手があるし・・。


私はスマホ勧められたけど拒否してガラホにしました(笑)
突然の攻撃でW10にはやられて・・・戻す時に何かあったらと思いそのまま使用してますが何もメリットはなく腹立つメッセージが度々出て来る。
XXのソフトが使えなくなりましたなんて・・・お前が使え亡くしたんだくせに・・・XXソフト名が表示されても何のソフトだったか記憶にないから(笑)
5月21日 6:02

(windows10は) 未だ未完成のソフトなので、ひっきりなしにupgradeして来て、その都度パソコンが使えなくなるそうです。私の部屋の10も、玉にしか、使わないので、立ち上がりが異常に遅い時がしょっちゅうあります。
5月21日 8:59

確かにそうですね。少しも早くないです。
5月21日 9:01

これからは日曜や合宿のスケジュールも写真を撮ってちょちょいで連絡可能なんですね(^_^)
毎度、何時イン、どこで・・など連絡が大変そうだなぁと思っていたので。。
しばらく慣れるのに大変だと思いますが頑張ってください!
スマホは、電話が掛けにくいですよね。
5月21日 16:37


幾つか、動きが不自然な所があって、困っています。立ち上がってからの初期画面でフリック(というのかな?)して、最初の待受画面になるのだが、それが5秒ぐらいと極めて短い。タッチペンを探している間に、もうブラックアウトしてしまう。作業に入ってからの時間は設定から変更出来るのだが、初期画面の変更は探しても見つからない。電話やメールが掛かって来ても、そのまま出る前にブラックアウトしてしまって、立ち上げ直さないと行けない。待受画面にメールが入って来ても、それをダブルクリックしても受信トレイにしか行かなくって、もう一度クリックして受信メールの一覧から、選んどクリックして着信したメールを開かなければならない。着信メールなので、ワンクリックで良さそうなものだが・・。その他色々な面白くない無駄な動きがあるので、今度au-shopに行ったら、設定して貰おう
・ 5月22日 10:26

それはオカシイですね。
5月22日 14:43



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5月21日 12:22 ・
という事で、スマホからのFacebookへの入力です。まだ慣れていないので、たどたどしいですねぇ?messageはそのまま、パソコンと同じFacebookで表示されるのですがね。


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高齢者講習の話

5月22日 7:30 ・
初スマホでメール一つ打つのに時間が掛かって仕方が無いのでイライラしているのに、運転免許の更新に高齢者講習が3時間もあって、しかも有料で・・とのハガキが着いた!何とかして高齢者から免許を取り上げようという事なのだろうが、日本社会は高齢化社会なので、それでは、一般の人達の生活が立ち行かなくなる場合も多く出て来ると思うよ。それに、高齢者が運転を出来なくなると、それをサポートする人達が要求されてくるのだよね。でも、若者達の人数と老人の人数のバランスが取れないと、そのサポートは構造的に成り立たないのだよね。
昔は定年まで頑張って働いたら、後は国家が面倒を見てくれる・・という事で、年金の制度が始まったはずなのだが、今では、介護費用やその他の費用も老人のお金から搾取しているのだよ。年金を貰っても、ありとあらゆる事で搾取されて、生活が出来るだけの費用は貰えない。特に女性の場合には悲惨な老々介護の時代が待っている。老人が年金を当てにしないで、働き続けるためには、車は絶対に必要条件になるのだよなあ。
高齢者の事故率の問題は、現実的に考えて見ると、若者達の無謀運転や飲酒運転の事故率に対して、余り大差はないと思うけれどね??老人の人口の比率が若者達に対して急激に増えているので、老人の事故率が増えたように思われると思うのだけど、老人が増えたから、老人の事故が増えただけで、人数に対しての割合いならば、変わってはいないはずですよ。(出生率が顕著に変わったのは、2,3年前からなので、未だ数字にはちゃんとは現れていないはずですよ。)だから、老人の事故率と若者達の事故率は、人数で割らなければ、本当には、平等とは言えないのだよ。
テレビのニュースを見ていても、色々なカタストロフィが起こる度に、コメンテーターの人達の、建前の、さもしたり顔のコメントで、「責任の所在がないから・・そういった問題が起きるのだ!」とか言っているのだけど、責任が厳しくなればなるほど、皆責任を逃れようとするのだよ。お役所仕事を見ていれば、その堂々巡りはよく分かるはずなのだがね。責任の所在を厳しくすればするほど、その責任から逃れようとする人達が増えて来るのだよ。だから政府や役所の役人は、必死に自己弁護をして、責任を逃れ捲くるのだよ。そうして、お上が責任逃れをして行くから、一般大衆も、無責任になってしまう。昭和の30年代から40年代に掛けて、無責任時代という映画が流行った覚えがあるのだが、それが、現代ではもう、パロディではなく、現実の話になってしまっている。・・だから、それに対抗して、法律をどんどん厳しくして行って、結局、その厳しい法律は結局、自分に跳ね返って来て、自分達自身が住みにくい社会を作って行く??
人っ子一人、車一台通らないような道で、過去10年間に一度の接触事故すら起こった事がない道で、一旦停止の取り締まりをやるような意味のない建前社会は、ギリシャ時代から、国家の崩壊の前兆現象としてあったのだけどね。
もし、「法律は守るためにあるのだから・・」と官憲が宣ふのなら、高速で歩いている人を跳ねても、「前方不注意」とか言う、相殺は無くすべきだよね。ヨーロッパでは、歩いている人も法規を守らないと、車に跳ねられても、何も言えないのだよ。
法律をルールとするならば、日本の温情法律や、責任の所在の話は出来ないはずだよ。
車が人間に対して絶対に強い立場なのだから、車には常に責任があるというのなら、法律遵守と、日本の情緒論的法律は両立はしないのだよ。
これからの子供達は、可哀想だな??
国民に義務を守らせるには、軍国国家になればよいのだ・・という原理は知っているのかな?国家の言う事を聞かなければ、処罰すれば良い・・という、誰かが理想と掲げる全体主義国家の建設の一歩一歩近づいているのだよ。明治時代から大正、昭和と軍国主義ねの道を歩いて来た、100年前の時代の世相の移り変わりを見ていれば誰でも分かるのにね。


自動運転のタクシーをオリンピックまでに実用化させるとかって話があります

実現されれば、免許の件も少し明るい話になるのかなぁ??
5月22日 20:42


昭和の時代は、政治にもまだ人間的な部分がありました。しかし、基本的に日本は「建前社会」なので、責任の所在と搾取と言う2つの妄挙が根本理念になっています。定年退職まで一生懸命働いて、老後は余生を楽しむための年金であったはずなのですが、今では高齢者からも、自らの介護費用を支払うために、年金から天引きされてしまっています。つまり、高齢者がカーナビの目的地検索のように、目標地点をセットして、自動運転させる事は技術的にはさほど難しいことではありません。そうなると、交通法規の順守や事項の回避などはさほど難しいことではなくなります。それでも、機械にすべてを頼るという事は、ロボットの介護の話でも、それで何かあった時の責任の所在と、金銭的な問題を回避できて、それが大手企業の経済活動の効率化につながるのならば、少しは明るい話題につながるのかもしれません。 (それはそうと、この文章は、ほとんどキーボードを打たない音声認識ソフトで入力をしています。)長文を打つのには、とても便利ですよ! !
5月23日 8:15

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NHKの受信料の話

5月22日 8:21 ・
この所、仕事が忙しい分けではなく、無駄な雑用に追われてしまっている。この週は、高齢者講習のハガキや母の死でそのままになってしまっている家の固定資産税の請求や、
「携帯ではパケット料が高額になるので、ワンセグ・テレビは絶対に見ない」と言ったにも関わらず、「携帯にワンセグが入るという事で徴収するのです。」と強制的に徴収されているNHKの請求だが、スマホに買い換えたので、ワンセグテレビが無くなったので、解約をしなければならないのだが、その手続がまた無礼な対応で、半官半民の大手の意識丸出しで、許せない。その他にも・・。
ああ、今日は千葉のオケ練習で、そんな事を言っている暇はないのだよ。楽譜を準備したり、髪の毛を洗ったり、結構、時間が取られてしまって、世の中を憂うる憂国の士である、暇も元気もないよな。
それに、今日の夜の気温はどれぐらいになるのかな?バイクの体感温度は結構、低くなるのだからね。


NHKも必死ですものね。。
本日夜10時頃は都内で18度の予報です
5月22日 13:02

・・という事で、昨日は、士気が上がらないままに、それでも、頑張ってオケ練習の指導をして、最後はHaydnのQuartettの「日の出」のlectureをして、大急ぎで椎名町に戻ろうと思ったのだが、未だスマホで、渋滞状況を見る迄の、時間を惜しんで、車を走らせてしまったので、逆に工事渋滞に巻き込まれて、20分以上の時間を失って、椎名町に到着したのは、12時直前の、危うくシンデレラタイムでした。
それから、千葉行きの途中でスーパーで買ったお弁当をチンして食べて、ハイツに着いたのはいつも通りの1時頃でした。
昨夜は珍しく、気分転換に2時、 3時までやっているいつもの寿司屋に飲みに行きたかったのですが、それどころではなく、荷物を置いたままで、おにぎりなども放りっぱなしで寝てしまいました! !
朝になって、その惨状を見て、昨夜の後始末をしているところです。
今日のメインイベントは、高齢者講習の予約を取ることと、天下のNHKのワンセグの電話をすることです。
なぜそれがメインエベントだと思われるかもしれませんが、両方とも、電話をするということで、(対人恐怖症が直接の理由で、音楽家という選択をした私にとっては、)人とを直接、話すという事は、ある意味、鬱の状態と同じような恐怖なのです。
プレッシャーが私を襲ってくるのです。
電話してしまえば何でもないことなのですがね? ?
5月23日 7:56




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毎回の練習をvideoに撮影する事の意味

5月24日 9:11 ・
千葉市花見川区の花園教室での2016年5月22日のオケ練習で、曲はVivaldiのStravaganza、Op.4Nr.2 e mollのT楽章の2回目の練習です。専科生は受験勉強中なので、今回のオケには参加しないので、小学生組の練習風景になります。当然、基本的な練習が中心になりますので、芦塚メトードでの基礎的な演奏法のlecturelessonになります。Vivaldi等のbaroque時代の曲を中心にしたorchestra-programのlessonになりますので、一般の人達から観ると、baroque音楽の奏法の勉強に限られたmethodeだ、と思われるかも知れませんが、violinの演奏法のルーツでもある1点支持の弓の持ち方は、1790年以降の弓の製作者であるTourteが作り出した、現代bowからの奏法になるので、baroqueや古典派の時代の音楽は演奏出来ないし、ロマン派から近現代のまでの奏法でも、殆どの弦楽器の奏法が、violinが初めて制作された1670代からのルーツになりますので、勿論、現代の弦楽器を演奏する場合にも、本当の本物の奏法としては、必要な技術になるのです。
そういったルーツからの音楽を学ぶ・・という意味では、基本中の基本を知る上でも、小学生組のオケ練習では、今までの音楽指導とは、少しapproachを代えて、最初から、period奏法を指導しているので、このorchestraの練習風景を見学する事は、類の無い、得難いものになると思っています。
・・でも、この練習風景をuploadする本来の目的は、子供達への私のlessonのfeedbackのためなのですがね。
feedbackについて、言えば、私自身も、自分が生徒達をlessonするようになってからは、(videoがない時代にはカセットtapeで、動画が撮影可能になってからは、)動画で、この50年間、録音、録画して来て、必ず、自分のlessonをcheckして、反省をしています。
それは、50年経った今でも、欠かした事はありません。
勉強は、勉強しっ放しではダメなのですよ。必ず、確認なのですよ。確認をして、分からないところがあったら、 (それで学校の先生に質問しても忙しくてなかなか丁寧に答えてもらえなかったとしたら…)そういうときには、周りの人に聞けば良いだけなのですよ。
教室ならば、算数でも英語でも得意な人はたくさんいますし、塾の先生をやってる先輩も結構いますよ。
私がMunchenに留学をした時に、まだ語学が堪能ではなかったので(大学で必要な語学力は、不思議なことに、大学の講義や授業を受けるだけの語学力( ! )が必要なのですよ! ! でも、大学で必要な語学力というのは、音楽の場合、すべて専門用語(共通言語)になるので、そんなに多くの単語を必要とはしません。)
ということでGenzmer先生が「きみは語学学校に行くのかね? 」と質問されたので、私が「私の語学学校は、路上です! 」と言うと、 Genzmer先生は殊の外(大変)喜んでくれました! !
はてさて、Genzmer先生は、何故喜んだのかな?・・・その理由はわかるかな? ?
その答えは2つあります。
その1つは、先ほど書いたように、大学で必要な言葉は、専門用語なので語学学校では学べない単語なのです。だから、むしろ音楽の伝記映画などを見に行った方が色々な言葉が学べます。不思議なことに、ドイツの映画館では、上映されている映画の殆どがドイツ語なのですよ。 MozartやPucciniのoperaさえドイツ語で演奏されることの方が多いのですから… 。
もう1つの理由は、(それは、とても大切な理由なのですが、)ほとんどの日本人が、それを持っていないということで、 Genzmer先生は喜んでくれたのですが、その理由は・・・以下、口伝

Vivaldi violinconcerto Op.4Nr.2e moll Stravaganza芦塚先生lecturelesson
芦塚音楽研究所千葉花園教室5月22日の「2016年10月16日の秋の発表会」に向けてのオケ練習です。曲はVivaldiのviolinconcerto Op.4Nr.2から1楽章…

仰せのすべてが身にしみて拝読させて頂きました!
芦塚先生に学べる方々は本当にお幸せです!
5月25日 5:29

同日の他の曲の練習風景です。曲はDittersdorfのforte-pianoconcerto A Durの1楽章です。Pianoのsoloも小学生です。   
https://www.youtube.com/watch?v=7IPRN783XRA

Dittersdorf Pianoconcerto A Dur 1楽章 kadenz Bei Yoji Ashizuka
5月25日 20:04

瑞希がオケから帰宅して開口一番、「きっと練習風景アップされるから、頑張った!!芦塚先生もテンション高かったと思う!!」と興奮気味に言っていました。
内心 何を考えながら練習しとるんじゃー 普段から気合いれろし!!
なぁんて聞いておりましたが、そういう事も子供はやる気に繋がるのだと感じました。
アップされて喜んでいました。(アップされた本来の目的と違うところで喜んでいる気もしますが?)
5月26日 9:10

子供達が、「上達するか否か?、音楽を好きになってくれるか否か?」は、大きく二つのpointがあります。その一つは、その曲のlessonの内容を先生が何処まで深く追求するか否か?・・に依ると思います。しかし、深く追求をするとすれば、子供達は悲鳴を上げてしまって、一瞬で、先生に対しても教室に対しても、音楽そのものでも、嫌いになってしまうでしょう。一般的には、「lessonが厳しい先生は、lessonで教えてくれる内容が深い」と思われがちなのですが、それは違います。lessonで先生の言葉が幾ら厳しくとも、内容は全く別物なのです。その逆もあって、私達が子供達に対して、笑いながら、ふざけながらlessonをしていると、日本社会での建前型のlessonを良しとする・・よその先生達からは、不真面目だ!とか、遊んでいて真面目に指導していない!とか、捉えられ、批判されてしまいます。私の場合には、どんなにふざけて子供達と遊んでいても、指導内容がちゃんと掘り下げられて追求されて、その指導がなされていれば、そのlessonの形態がどのようなものであったとしても構わないと思っています。少なくとも先生が声を荒げて子供に接するようなlessonを、まかり間違えて私に強いられるのならば、私は子供達を指導するのは即、やめます。人生、楽しくないとその価値はないからね。 でも、「愉しい」という意味は、ゲームをする事でも、おデートをする事でもありませんよ。音楽を追求し、人生を極める事が本当の意味での愉しい事なのです。ディズニーランドなんて、かったるくって疲れて、しかも遊ぶ事にお金を使うなって、考えられないのですよ。第二点は、深く追求するためには、lesson時間の問題が出て来ます。生徒達がその長い時間の集中力を要求されるlecturelessonに耐え得るかは、子供達自身がそのlessonに何処まで付いて来ているのか、理解が出来ているのかによります。子供達は、朝早くから、夕方の7時、8時まで、それだけの集中をしなければならないので、それは大変な事です。総ての曲を水準を上げて、lectureをすると、子供達の集中力は切れてしまいますので、お茶菓子timeや、公園での遊ぶ時間はとても大切なlectureの一貫になります。上級生が、小さな生徒達をしっかりと面倒見れなければなりません。それが、コンマスの責務の一つです。音楽の技術が上がるという事は、(あくまで、私達の教室の場合だけのお話ですが)その分、周りへの配慮が出来るようになっていなければなりません。人の上に立つという事はそれだけの、責任感を身に付ける事が大切で、日本社会の「自分だけが、自分の責任を果たせば良いのだ。」という、日本の建前社会の常識は、私は大嫌いです。人の上に立つという事は、社会的に責任を負うという意味でもあるのですからね。lectureは、一つの曲に対して必要なlesson時間を、総ての曲に使うとすれば、24時間、徹夜でlectureして、練習しても、時間が足りる事はありません。時間的にとてもとても足りないのです。しかし、baroqueの音楽や古典派の音楽は、同一のtheoryの上に成り立って書かれています。だから、一つの曲を突き詰めて勉強すれば、それが生徒達のNiveauとなって、他の曲は「以下、同文・・」で、指導が出来るのです。勿論、生徒に「以下、同文!」何て言い方は絶対に、しませんよ!!「このpassageは、さっきやった曲の何小節目のあの部分のTechnikでしょう??」「じゃあ、説明も練習も、もう分かっているよね??」 本当に前のlessonで、ちゃんと理解出来ていれば、それだけの説明で、パッと弾けてしまいます。そこの部分で、もう一度、説明し直す必要はないのですよ。これが、究極的な「時短」のmethodeなのです。
5月26日 17:54



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斉藤先生のお誕生日
6月6日 7:00 ・
https://www.facebook.com/100004230614853/videos/643104115840603/ へのリンク
再生255回
homepagebuilderの中に直接取り込むと、どんなに設定し直しても、勝手に音声や動画がスタートしてしまうので、linkにしておきます。文章はダブってしまうのですが、悪しからず・・・

昨日の日曜日は斉藤先生のお誕生日でした。オケ練習のお茶菓子timeに牧野先生が内緒で斉藤先生にお誕生日のケーキを作ってくれて皆で食べました。子供達が即席でHAPPYBirthdayを演奏してくれました。言い忘れていたけれど、後で紗來ちゃんが言っているように、happyBirthdayのQuartettへの編曲は梨紗お姉さんです!!昔々の教室を作る前の売りカルの時には、市販の楽譜を使っていたので、芦塚先生のarrangeのhappyBirthdayの楽譜はありません。「書いて・・。」とは言われていたのですが、いつも、前日辺りに突然言われるので、そういったやっつけ仕事は、基本嫌いなので、せめて、10日は貰わないと仕事としては書かないのです。勿論、「書け!」と言われて、その日の2時間後、3時間後には、もう、大概の場合には、書き上げています。私は作曲はとても早いのですよ。しかし、その後が、長いのです。いつまでもウジウジとあっちを手直し、こっちを変更して・・、と、いつまでも訂正が終わらないのですよ。endlessなのです。だから、時間を貰えれば、キッと書いたとは思うのですが、中々、その時間のタイミングが合わなかったのでね。紗來ちゃんの希望で、「次回のお誕生日会ではPianoを弾きたい。」という事なので、梨紗姉さんが自分のarrangeのhappyBirthdayーQuartettをPianoquintettoに手直ししたのですが、それの楽譜を私がlecture-adviceをしたついでに、そのadviceに従った模範解答を作りました。梨紗お姉さんのarrangeのQuartettの譜面は、室内楽には慣れているので、流石に、ちゃんと室内楽の譜面になっていて、とても良い出来だったのですが、Pianoと弦の組み合わせはお互いが異種楽器なので、そのensembleの作曲は難しいのです。作曲の場合には、曲を上手にarrangeする事と同じぐらいに、その譜面が楽器で演奏するにふさわしい譜面になっているのか?・・が大切なのです。日本人の作曲家の場合には、日本の風潮として、色々な楽器を弾きこなすのを、邪道とする傾向があるので、作曲科の学生は、弦楽器的な特性を知らないままに作曲するので、室内楽の譜面になっていない場合が非情に多いのです。弦楽器に堪能であったとして、QuartettにKontrabassを加えるのは、同種の弦楽器なので、ensembleとして成り立ち、arrangeも難しくはありません。しかし、Pianotrioの場合には、Pianoと弦楽器が異種楽器なので、音が溶け合わないので、Pianoの低音で弦楽器を支える事が出来ません。という事で、HaydnやMozartのPianotrioでは、baroque時代のbasso continuoのように、Pianoの左手をcelloのpartとダブらせています。これは、蕎麦のつなぎの小麦粉や山芋のように、orchestraの場合には、hornという楽器のように、弦楽器とつなぎを取るためなのです。弦楽器が独立して歌っている場所は、Pianoは基本的には、passage(figuration)を演奏します。それとは逆に、Pianoが歌っているpassageは、弦楽器は和音を演奏しています。これは作曲用語(そんなのがあるのかどうかは知りませんが・・)では、「pedal-tone」という言い方をします。という事で、私が梨紗お姉さんへ添削をしたついでに、添削をそのまま楽譜に反映させた模範解答の譜面を作ったのですが、その譜面は、未だ誰にも見せていません。斉藤先生と教室のパソコンだけには送っているのですがね。梨紗お姉さんが自分で曲を完全に作り終わったら、その後で、ヒョッとしたら私のarrangeも公開するかも知れませんが・・否、多分このまま、公開はしない・・とは思いますよ・・??公開したら、私的には後悔するのでね。

6月14日 4:57

お誕生日おめでとうございます!
楽しい誕生日でよかったですね。
これからの1年が佳き年でありますように
益々のご活躍を
6月6日 7:07

あ〜、私じゃあ、ないですよ!!
6月6日 7:49

そうなんですか?読んでてそうかなって思つてしまいました(笑)・・・1歳早く年とらせてしまったか(笑)
月6日 7:52

他のコメントからの続きだったのですが、動画がup出来なかったので、動画をトップでupしたので、脈絡がなくなってしまいました。Facebookのchatに貼り付けてあった動画と写真を私のFacebookに持って来るのに手間取って、コメントが疎かになってしまいました。メンゴメンゴ!!
6月6日 7:58
笑っているサメが取り込めませんでいた。
という事で、かわりの写真を


6月6日 7:59

梨紗ちゃんのスマホで撮影した写真と動画です。chatに送ってくれていたので、そのまま私のFacebookにupしました。蝋燭の炎の光がいいですね〜〜??

6月6日 7:58

聴きたかったな〜と思ってたので嬉しいです♪ありがとうございます(^_^)
6月6日 20:59

さらちゃんのピアノを活かせなくてごめんなさい…!
6月7日 10:36

そんな!謝らないで下さい(汗)全然大丈夫ですよ〜(^_^;)演奏ができてすごく喜んでました。梨紗さん流石です!ありがとう♪
6月7日 15:45

紗來ちゃんのPianoを活かす・・て、なんの話ですか??
6月7日 16:56

紗來がピアノ弾きたいと梨紗さんに希望出したみたいで…気にしてコメントくれたんだと思います。優しいですね(^_^)紗來は、梨紗お姉ちゃん作曲のおめでとうカルテットすごいでしょ?楽しかった〜って話してくれてましたよ♪
私も弾いてるのを聴いてなかったので最初から聴けてとっても嬉しいです。ビデオ撮りたかった〜って言ってたくらいです。
6月7日 20:40

なるほど、そうですか?
6月7日 21:06

はい。そうです♪みんなの希望聞いてたら大変です(^_^)
6月7日 21:22

教室の方針としては、子供達の希望が前向きなものであれば、大変な作業であったとしても、必ず聞くようにはしています。ただ、皆の希望を聞いていたら・・限が無いので、その分、時間が掛かります。極端な場合には、1年後、2年後に夢を叶えて上げるというタイミングになる場合もあります。それでも、希望を聞いてあげるのが教室の方針なので・・・。
6月13日 8:43

とても嬉しいコメントありがとうございます。
出来る出来ないは考えなくていいから、やりたいことは何でも言ってみなさい、とずっと私が言ってきたので、先生方や上級生の皆さんにまで言いたい放題言って困らせてる感じがしてます(-_-;)少しずつ先を考えて言動するように諭してるつもりですが、なかなか…
希望を聞いて下さって本当に感謝してます。
6月13日 23:26

私は大人でも子供でも、何かにひたむきに突き進んで行く姿を見るのが好きです。そういう人達を見るとよその教室の生徒であっても、困っていれば、adviceをしたりして、助けてあげたいと思います。子供達が少しでも夢に近づけるのなら、老骨にムチを打ってでも、お手伝いをしてあげたいと思っています。という事で、私はこれまで、中学生以上の受験生と教室のinstructorになりたいという希望の生徒達だけに和声学のlessonをしてきましたが、今回は、初めての試みとして、小学4年生以上の希望者の生徒にだけ楽典とは別にlessonをしようかな?と思っています。勿論、希望者が0なら、そのまま、ポシャりますが・・。和声学は音楽大学でも重要な教科なのですが、基本はマンツーマンでしかlesson出来ない教科なので、殆どの生徒達が理解出来ないままに音楽大学を卒業してしまいます。音楽の構造や作曲の技法などを正しく理解するためにはとても大切な教科なのですが、その難しさ故に、おざなりにされて、作曲科や学理の生徒だけがその理論を理解出来る存在になっています。そういったところにも、日本の音楽大学の遅れがあるのですがね。
6月14日 6:12

本人が希望しましたら、その際には是非宜しくお願い致します。
6月14日 19:11





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6月13日 6:32 ・
この2週間は、体調不良で、殆どハイツに引き篭もりになってしまって、普段なら、1日一回の夜のdolprippo(ワンちゃんとのお散歩)もままなりませんでした。いつもなら、体調が優れなくって、寝込んでいたとしても、トイレに数回、起きたついでに、(一度トイレに起きると中々寝付けないので、)その寝付けない時間に、パソコンに向かってチョッと一仕事、二仕事・・を片付けていたのですが、今回の体調不良は、思いの外酷くて、パソコンの前に座っても、うつつの状態のまま意識が戻らなくって、全く仕事にならない・・というか、起きているのが辛いという寝たきりの、今までにない体調不良の毎日を送ってしまって、すっかり、鬱って凹んでしまいました。
部屋の後片付けも、2週間放ったらかしで、すっかりゴミ屋敷状態です。ただ台所のゴミだけは、事務所にバイクで出かける時に、バイク置き場がゴミの集積場の傍なので、ついでに、ペットボトルと生ごみだけは、マメに、出しているので、ゴミの臭いはしないで済んでいるのが、Gott sei Dank!(有り難い!!)事です。
2,3日前に、テレビで「元気な人達でも、この天候には付いて行けなくって、体調を崩してしまうような大変なお天気です。」と放送しているのを聞いて、「あ〜ぁ、一般の人でもそうなのか??」と、少し自責の念が取れて、気が楽になりました。
近況はそこまでにして、・・・
昨日の日曜日は、斉藤先生が四日市教室への出向のために、オケの練習ではなく、それぞれのpartの分奏と、basso continuoのsolo組の演奏法のlectureをする予定だったのですが、soloのpartで、弾けていない所のcheckと、その確認で終わってしまいました。しかし、流石に、先輩達お姉さん達は、basso continuosoloも、お手の物で、violinもcelloもそれぞれ先輩のお姉さんが付いて、模範の実演を生徒の前でしてくれたのでimageを掴むには、多分、分かりやすかったのではないのかな??と思います。
練習の間のお茶菓子timeでは、千夏ちゃんの「お誕生日おめでとう会」をしました。今回は段取りも子供達に任せっきりだったので、千夏ちゃんのケーキが蝋燭で焦げそうになったり、いつの間にかhappyBirthdayの曲の演奏が終わっていたり・・と、よく分からない進行だったのですが、それはまあまあ〜愛嬌として、牧野先生が紅玉でアップルパイを焼いてくれました。私はこの熱々のパリパリのアップルパイが大好きです。甘さも、私好みの薄味に調整してあって、お店のようにしつこい甘さではなく、軽い甘さなので、おかわりをねだっている子供達もいましたよ。それが誰だったか?はナイショです。
という事で、私はhappyBirthday演奏の動画も、ケーキの蝋燭の写真も撮っていなかったので、誰かよろしくお願いします。お任せします。
それはそうと、これからが本題で、・・1週間遅れで、すっかり遅くなってしまいましたが、「参考までに:」の6月5日の検見川教室のLocatelli の練習をYou Tubeにuploadしました。14年の8月の長崎で撮ったJ・C・Bachのforte-pianoconcerto以来になりますが、今回も、画面に練習内容、lecture内容のTitlebackを入れて見ました。文字を入れるソフトがヘボイので、文字を入れる毎に、時間を浪費していたので、面倒くさいので、これまではやっていなかったのですが、内容が結構難しいので、少しでもvideoを見易くするために、内容の説明を入れようとは思ったのですが、編集のための時間が膨大になるので、これまではやっていませんでした。今回ふと思いついて、・・・Media Playerで再生しながら、timelineの数字を見て、編集ソフトの画面のtimelineの数字に合わせながら編集をしたので、編集ソフトが止まらないで、文字入力が出来たので、かなりの「時短」が出来ました。唯、Titleを入れた分のtimeがずれたので、その分は頭で換算しなければなりませんでした。それは、編集が終わって、最後にTitleを入れれば良かっただけなのですがね。私の作業はendlessが多いので、いつ終わったのか?は、そう簡単には行かないのでね。
https://www.youtube.com/watch?v=65Ig5wxR_YM
6月5日京成検見川教室Locatelli  F1練習風景

16年6月5日検見川教室でのviolinconcertoFのLocatelliのlecture風景
2016年6月5日の京成検見川教室でのオケ練習の風景です。曲はLocatelli のL'Arte del Violino Op.3 No.10 F Dur…

気候不順の昨今 ご無理が重なりませんように!
6月13日 7:36


有難うございます。兎に角、私は、湿度がダメなのですよ。昭和の御代の人間なので、暑さ寒さはへっちゃらだし、雨も結構好きで、少々の雨なら傘はささないのが主義なのですが、湿度が98%はないですよね!!そりゃ、聞こえませぬ、でんべ〜ぇさんto,ttttですよ!!
6月13日 7:48

湿度ダメなんですね?
昨日は最悪だったんですね?
では強力な除湿機を、、、置く場所があれば提供したいのですが。。

おめでとうカルテットの動画あります!
しかし画像はアップ出来るのですが、動画はここに貼れなかったので、芦塚先生にメッセージで送ります(*^^*)
一応、リサさんにも送ってあります!
6月13日 10:52

有難うございます。早速、upさせてもらいましたが、何度もupしてもホームに反映されないので、困ってしまいました。Facebookは兎に角難しいです。
6月14日 4:51

そう言えば、以前教室に頂いたガスストーブは、ハイツのガスストーブが壊れてしまったので、随分前からハイツのパソコンの部屋にあり、熱量も大きいのでとても助かっています。小型のガスストーブは、未だ幾つかあったのですが、足元が温まるだけなので・・使い物にはなりませんでしたので。
6月16日20:00

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6月13日 12:54 ・
早速、瑞希ママから動画を送って貰いました。という事で、6月12日のオケ練習の間の千夏さんのHappening-happyBirthdayの風景です。前回の斉藤先生の時のhappyBirthdayと同様に、梨紗さんがhappyBirthdayのmelodieを弦楽Quartettにarrangeした楽譜を、今回は紗來ちゃんの希望でPianoと弦楽Quartettにarrangeし直したversionですが、前回のarrangeは私は全く添削をしなかったのですが、今回の楽譜は、一応添削を求められて、直ぐに、checkをした譜面を梨紗さんに送ったのですが、楽譜の訂正をする時間が全く間に合わなくって、添削する前のそのままの楽譜での初見演奏なので、子供達に取っては少し難しかったのかな??・・と思いました。それはそうと、この動画は、2回もuploadしたのに、未だにFacebookに反映されません。どこに行ってしまったのかしらね〜ぇ??
暫く待っても、とうとう、このPageには動画がupされませんでした。動画は動画で別サイトになっているのかな??どうも、このFacebookとは相性が良くないようなので、無理やりにlinkを貼ってuploadしました。それは有り・・なのかな??よく分からん。という事で、プルダウンの連絡のmenuから、動画を開いて、その動画にlinkを貼ってFacebookでも見れるようにしました。こんな手ってあるのかな??




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6月13日 13:00 ・
先、動画をuploadしてcheckしたのですが、Facebookには反映されてきません。かあさん!あの動画何処へ行ったのでしょうね??
versionupのPianoquintettoのhappyBirthdayです。




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6月13日 13:11 ・
という事で、半ば強引にlinkを貼って、Facebookに持って来ました。どういうことなのか、よく分からないのですが、動画の投稿がいなくなってしまったので、致し方ない・・という事かな??いつもなら、自動的に動画がupされるのにな??不思議だ??


写真が来ました。という事で・・

6月13日 20:40

こんな感じかな??

6月13日 20:41

ついでにもう一つ!

6月13日 21:06










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世界の国と日本が一番かけ離れているのは、日本人の持つ中庸の精神です。
6月14日 5:57 ・
世界の国と日本が一番かけ離れているのは、日本人の持つ中庸の精神(こんな事を言うと怒られそうですが、事なかれ主義)です。
人と同じ事をやる事が美徳とされる不思議な国なのです。
とは言っても、二次大戦の時のHitlerのやったscapegoatのユダヤ人の排斥運動にドイツ国民が巻き込まれてしまう、という戦略は今の日本でも顕在で、末は学校の集団のいじめから始まって、マスコミを上げての後先の事を一切考えない排斥運動等々、その右倣え的は傾向は未だに日本の社会では極々普通に見受ける事が出来ます。
今のglobalな社会では、世界視野に立って世の中を見ていかなければなりません。世界では企業ですら、一昔前のtopdownの軍隊的な人材ではなく、一人一人のi dentity(個性)を求められますからね。
そういった儒教的な社会背景の日本の社会でも、その日本を支えているのは、今現在、世界をリードする技術を持ちながら、後継者を見いだせない職人達なのですがね。
世界に誇る日本技術伝統工芸は今日も、確実に一つ一つ、失われていっているのですよ。

それは、日本がいつまでもバブル期のままの日本であるという幻想を夢見て、子供達の老後が国家によって100%保証されている・・という妄想を抱いている、今現在、確実に沈没しようとしている船の上で優雅にcruisingを愉しんでいるプチブルの人達の邯鄲の枕(ヨーロッパではペール・ギュント)です。

大人にとっての、「子供の夢」は、「夢の夢」に過ぎないので、小学生の間は、教育として親は子供を夢に向かってひた走りに走らせます。
何故ならば、それは幾ら子供が努力したからと言っても現実味を帯びないからです。しかし、中学生、高校生になった頃には、子供の努力は突然、現実味を帯びてきて、親にとっては子供の将来を危惧し、なるべく人と同じ具体的な道を歩ませようとします。
子供の将来が、身近なものになるので、大人は、子供達の「夢のような夢」を否定して、なるべく自分の周りの人達と同じような具体的な道に進むように勧めます。有名大学、一流企業です。或いは、身近な職種かも知れません。
(林先生がテレビで東大生を集めて講義をしていた時に、人は苦労をする事に価値を見出してしまって、その成果を見てはいない・・という風な事をおっしゃられていました。楽な道に・・云々のお話もされていたのですが、楽というのは林先生の前提は「楽に出来る」という意味なので、楽な仕事という意味ではないので、誤解はしないように!)

しかし、そういった、誰もが歩む普通の道は、現実的には、proになるよりも何倍も、競争の激しい(過当競争の)、辛い厳しい道なのです。
何故ならば、誰しもがその道を歩くから、必然的に過当競争になし、誰でも出来るから、i dentityもないから自分を必用とされなくなるからなのです。
しかも、その道を歩く子供達は、実際には、その努力は、好きでやっている子供は少ないのです。
それを人に合わせて歩くには、仕方のない現実・・として捉えるので、嫌々ながらではなかったとしても、好きで喜び勇んで勉学に励んでいるとは言い難いのです。
仮に、その道に淡い夢を持ったとしても、その道で何を学ばなければならないのか?どういう仕事をしなければならないのか?等を具体的に知っている子供は先ず・・と言って良い程、いません。
「学校等での体験学習があるではないか?」と、おっしゃられる方がいたとしたら、それは余りにも、現実に目を背けた人です。
その例を一つ上げると、教育界が昔から子供達に体験させるボランティアの体験学習で、「赤い羽根募金活動」という活動がありました。
私はその活動をしている子供達を見て、
「如何にも、如何にも」・・と、いう感じにしか思えてならなくって、そういった風なボランティア活動は私はあまり好きでは無いので、赤十字の運営をやっている人に、「それなら、子供達が実際に体を使ってお金を稼いだ方が、効率が良いのでは?」と、質問しました。
上の人の答えは、
「そういった地道な活動では、誰も付いて来ないし、人の前でそういった活動をさせる事で、あたかも、ボランティア活動をしている気にさせること・自体が目的」・・なのだそうで、「経済効率等の話は最初から全く考えてはいない」・・のだそうです。
自分は、そういった社会に役の立つ活動をやっている・・と、中、高生の若者達に、その気にさせる事が、その活動の目的なのだそうで、啓蒙活動なのだそうです。
だから、本当の意味の直接活動、若者が自分自身の身を粉にして、汗を流して、山間地の臨海部落の雪下ろしや、壊れた家や橋の修復の手助けをしている姿を見ると、私は、その虚飾のない活動に、本当に感動します。
汗を流す所には、大義名分の、型だけのボランティアは無いのだからね。

小、中学校の体験学習では、子供達に対して、将来、そういった職業に従事させるために、外目にかっこの良い所だけを、体験学習させます。
辛い、汚い、危険は、中、高生には体験させてはならないのだそうです。

それでは、実生活の体験は出来ません。
小学校から、中、高と、優等生の模範生徒で、有名な会社に運良く就職出来た学生が、それまで、先生や親に褒められて、認められたのに、社会に出た途端に無駄扱いをされて、認められなくて、ニートになるぐらいなら、未だ良い方で、30歳を前にして自殺をする若者の殆どがそういった有名な塾や大学を出ている学生だったそうで、教室の保護者の人が祭儀場でバイトをしていて、ショックを受けていました。
男の子を持つ同じ親として、何かが間違えていると身につまされた・・と話てくれました。
教室の生徒ではありませんが、看護師の実習に行った女の子が、認知症の老人にオッパイを握られて、ショックで看護師になるのをやめてしまいました。

勿論、それだけが原因ではなく、周りのいじめもあったようですが、現実的に看護師をやめる誘引になったのは、事実のようです。
小、中学生の頃、ボランティア体験をして、将来社会貢献をするという夢と希望に燃えて、介護士になった女の子も、現実では思いも寄らない、老人の下の世話もしなければならない等々、3kの辛さを、改めて経験して、夢と現実のギャップに挫折をして行く若者を見るに付け、本当の介護とはどういうものなのか、人の命を預かるとはどういう事なのか・・という、現場の先輩達のadviceを、綺麗事でなく、貰えれば、将来の正しい知識を持って夢を見る事が出来るのならば、挫折に至る事はありません。

子供達が将来を正しく知る事は、如何に大切な事なのかと思います。
へんな(綺麗事の)夢を与えるのなら、最初から夢なんか子供には見なければよいのに??・・と思います。
私に言わせれば、仮にどのような道を歩むとしての、その道を極めて、proになるのは、極めて、簡単な事なのです。
本当にその道が好きであれば、良いだけなのですからね。

しかし、
proになる事が難しい、と思われているのは、proになる道が辛い厳しいものだ・・という誤った前提であり、勘違いであるからでしょうね。
本当に、proへの道を歩んでいる人達は、その勉強が楽しくってしょうがなくって、それを辛いと思う人は一人もいないでしょうね。
もし、proになるために、一生懸命に辛く、厳しい努力を続けているのなら、そんな勉強はサッサと止めて、他の先生の所に行くべきです。

音大生に
音楽が好きか?と質問した時に「音楽が好きだ!」と即答出来た生徒は皆無だ・・という話をしました。
日本人の皆さんは、proになるために、厳しい辛い先生や親からのシゴキに耐えて勉強しているのですよ。
可哀想に・・?
多くの人達がproの道を目指しながら、断念せざるを得ないのは、proの道を進むための水先案内人の人選を間違えるからです。
目標を間違えて、間違えた道を一生懸命に歩いていても、目標にたどり着く事はありません。
ましてや、日本人特有の
『私達はこれだけ、努力したのだから、その努力だけは認めて欲しい』なんて、言われても、不味い蕎麦には金は払えないのですよ。

教室のお母さん達は結構辛辣で、有名な音楽家の演奏会に行って、聞くに耐え難い演奏を聞かされて
「『金返せ!』ものでした。」という話をよく聞きます。

何が、辛辣か?・・・それは、
「その演奏家が有名な人だから・・」だからといって、その演奏が素晴らしい音楽だった・・とは言えない事です。

ルイビィトンのバッグを持ったからと言っても、審美眼が養われる分けでは無いのです。
本当の物を見極める目を持っているとすれば、師事すべき師匠の選択も間違える事はありません。

幼い子供の目は、経験がない分、直感力に優れていて、ひたむきに・・教えられた事を捉えて吸収していきます。
書き込みが全くされていない真っ白な紙に書き込むように、しっかりと吸収していきます。

でも、年齢と共に、社会の常識や知識が身に付いて、正しい知識と間違えた情報の区別が付かなくなっていきます。
色々な事柄に目が行くようになって、純粋さが失われて行きます。
それとともに、夢のNiveauや目標の価値観も徐々に下がって行くのですよ。

若い女の子に恋人が出来ると、proの道はなくなります。
だって、その女の子にとって、その女の子にとっての人生で、pro以上の価値のものが出来たのですから、芸術はどうでも良くなるのは当たり前でしょう??

よく、一般のマスメディアの人達はathleteに向かって、金メダルへの期待の話の後で、質問します。
「・・で、今恋人は・・??」
athlete達の困った顔が面白い!!
だって、
「います!」と答えてそれが真実なら、金メダルを放棄して形だけの努力をしている事になるし、嘘なら、相手に失礼だからですよ。
大体その質問自体がathleteに対して失礼な質問であるという事を、マスメディアの人達は知っているのかな??
athleteや職人やproの芸術家の絶対条件はそういった子供の時の純粋な目と心を持ち続ける事が出来た人なのです。

つまり、幾ら歳を取っても、幼い頃の夢と目標を持ち続ける事の出来る人・・それが、職人や芸術家の絶対条件なのです。
結論的に言うと、勉強や努力の結果ではないのだよな・・??


ヨージーの法則:99%の**と1%の努力・・
さて、「**」は漢字二文字で、なんという言葉でしょうか?

なんて、クイズは出さないで、直ぐに解答をしましょうかね・・・??
「**」の答えは「意識」です。アハッ!
言い方を変えると、99%の意識があれば、努力は1%で充分なのですよ!!

私は子供の持つひたむきさ、純粋さが好きです。
それは、99%の意識を産まれながらに持っているからなのです。
人間として、大人になるという事はそれを失うという事なのですよ。ハイ!!
放下着です。 
下着を捨てる・という事ではないですよ!
アハハ!!


親は子供が、i dentityに溢れた特別に人よりも優れた能力を持つ子供である事よりも、極、普通の子供である事を望む。
不思議な事に、そのi dentityの能力を磨き上げる事よりも、普通の道を歩む事がi dentityの道を歩くよりも、より多くの困難を招くとしても・・である。
普通である・・という事は、それだけ多くの競争相手を産み、それに打ち勝つ事が非常に高いhurdleを要するという事は自明の理であるにも関わらず、それでも、それが一番安全で楽な道であると思い込んでいる。競争社会に於いては、それが一番困難な道で、多くの脱落者を産み出しているのにも関わらず・・である。
この文章は、私の論文の中では「耳タコ」の文章なのだがね??


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6月14日 14:57 ・
昨夜(13日夜から14日に掛けて)は、事務所でのドルプリの散歩と食事が終わって、日曜日のオケ練習のSDcardを貰って、ハイツに戻って、早速、パソコンへ取り込んで、編集作業をやってしまいました。昨日のオケ練習は、私が先生達に常々言っていたsolo組の練習だったから、細かな内容を分かり易くcheckを入れるのが目的の編集作業だったはずなのですが、・・これが失敗の元・・!!
SDcardを編集する時には、その作業をやっているパソコンの編集作業が終わるまで、パソコンが使えなくなってしまうので、待っている時間を時短で、2台めのサブパソコンを開いてFacebookのcheckでもしようかと思ったのですが、以前から2台目のパソコンはDVDドライブの調子が悪いので、ついつい、ソフトの修理を初めてしまいました。HPのパソコンなのですが、DVDプレイヤーが機械的に壊れているので、プレイヤーを交換すれば良いだけなのですが、最初からハードディスクの容量やcpu等のcheckが失敗した機種なので、交換修理をする気がないのですよ。昔の機種でBlu-ray-driveでは無いので、外付けでBlu-rayを付けているので、必要性が無いのです。だから機械的な不具合は放ったらかしにしておけば良いのですが、ついつい、DVDドライブを削除してみたり、と色々とやってみて、チットも、編集作業の間だけ・・と思って始めた、本題のFacebookのcheckにまで辿りつけません。そのまま鬱が再発して、朝9時頃までパソコンを弄ってしまいました。寝る事に集中すべきであって、それ以外の事は何もするべきでは無かった・・と、目下、猛反省中です。
入眠のゴールデンタイムは1時頃までだそうですが、帰って来るのが1時は過ぎているので、2時までには眠る(少なくてもベッドに入る)ようにはしたいのですが、いつも、ついつい・・(後一仕事)になってしまいます。
団塊の世代の貧しさ・・ですかネ??・・困ったものです!!





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Vivaldi e moll solo組のlesson風景
6月15日12:41 ・
baroque時代のconcertoの殆どの曲がritornelloという循環形式で書かれています。だからorchestraのpartは同じthemaが変形されながら繰り返されるだけなので練習を纏めて行くのはそんなには難しい事ではありません。但し、オケ練習の中で、soloのcheckを集中的に見ると、オケの人達がやる事が無くなって、練習にならないので、soloのcheckは少なくして、オケ全体の練習に掛けます。でも、その勉強に必用なlectureは、個人のlessonの時にちゃんと先生がlessonしてくれるので、それでも問題はありません。
ritornelloのthemaに挟まれたsoloの部分は、基本はSequenzで繰り返されるbasso continuo上に即興でfingeringを繰り返して行きます。fingeringの説明は難しいかな?CzernyのEtudeや、ラーメンのドンブリを考えてくれれば良いのかな?所謂、arabesqueもfigurの重なりあったfingeringという事が出来ます。乱暴な言い方をすると、同じpatternを繰り返す事です。orchestraの練習は、基本的には、最初の注意事項をちゃんと練習して演奏出来るようにしてくれればそれで終わりです。だから、solo組の練習ですが、solo自体はlessonで先生がcheckをしてくれるのでも、何とかなるのですが、問題は伴奏のcelloとCembaloのpartです。それをsoloと一緒に3人で練習しなければならないのですが、その時に裏では、orchestraのpartの生徒達を指導する先生が必用です。降り番には出来ないので、それにsolo組の練習する部屋も必用なので、条件がとても難しくて、中々、その練習が出来ませんでした。しかし、baroqueのconcertoを勉強するためには、basso continuoの演奏法を学習する事が、とても大切なので、今回、斉藤先生の四日市の出向で、orchestra全体を分奏にする事が決まったので、solo組を別に私が指導する事にしました。lesson内容はとても高度なlevelになるので、お姉さん達にsoloとbasso continuo soloに付き添って貰って、実際にその場で私のlectureを演奏して貰って、指導が分かり易くなるように、配慮しました。お姉さんの付き添いの意味は私のlecture内容をお姉さん達に覚えて貰うという意味もあります。今回の日曜日はVivaldiのDとeとMonnのgのlecturelessonをしましたが、取り敢えず、今回は、e mollの1楽章をYou Tubeにuploadしておきました。

Vivaldi Op 4Nr 2e moll T楽章basso continuoとsolo組のlecturelesson
芦塚音楽研究所千葉教室16年10月の秋の発表会に向けてのオケ練習ですが、珍しくbasso continuo組のlecturelessonです。
花園教室で6月の12日のlesson風景です。芦塚先生指導

随分難しいコトしてるんですねー!
レッスン見るのはとっても楽しみなんです。
しかし下の子もいるし見る場所もないので、、、YouTubeへのアップありがとうございました!
我が家は8時すぎは楽器を弾けないので、ビデオでイメトレします(*^^*)
6月15日23:09

私の指導方針は、子供のために作られた簡易version的なものは一切使用しない・・、という事です。子供の時から本当の本物の楽器で指導します。同様に、日本では、子供には簡単な方法で演奏させたり、編曲の楽譜を与えたりしますが、教室ではそういった事は一切しません。小学生がChopinのEtudeを弾いたとしても、簡易versionで演奏する事は無いのです。梨紗さんと瑞希ちゃんが同じ要求(level)の指導を受けているのですが、それはproに要求のと同じ課題です。それが出来るか否かは、問題では無いのですよ。オケ練習でも、子供に対して簡単な子供の言葉で説明する事はしません。大人が使用するのと同じ言葉を子供用に分かり易く何度も繰り返し説明します。その年齢の時に完璧である必用はないのです。もし、大学生になったとしても、proの演奏家になったとしても、学ぶ事は終わらないからです。同じ事を繰り返し、何度も何度も説明していると、その事が理解出来る瞬間があります。でもそれは、その子の学年(年齢)が上がったからではありません。その子供の心のNiveauが上がったからなので、小学3年生の子供に理解出来ても、中学3年生の子供が理解出来ない事はザラにあるのです。子供の成長とは年齢ではなく、一途に物事に向かう姿勢なのです。そういった意味では、瑞希ちゃん達はかなり辛辣ですよネ??それは結構音楽にも反映されて、音大生でも出来ない事を平気で出来たりします。  それはそうと、時間で練習出来ないのは辛いですよね。でも、音出しが出来ない時間になったら、KeyboardでPianoの練習をしたり、学校の宿題をやったりして、その環境をフルに使い熟せば良いのです。教室の楽譜の覚え方は一般とは違っていて、楽譜を見て覚えます。楽器を弾いて覚えるのではありません。ですから、斉藤先生達が中、高生の時には、自宅から教室迄の、電車の中で楽譜を覚えるのが課題でした。教室を代わって来たばかりなので、楽譜を覚えるのが苦手だったからです。私の家には本物のPianoはありません。その代わりに、二段鍵盤の大型CembaloとKeyboardが2台あります。後は弦楽器が数台ですかね??でも、大型のパソコンが3台あってフル稼働しています。作曲は深夜、鬱が酷い時に、wineを飲みながら、パソコンに向かって、midi=Keyboardを使ってします。ひどい時には、テレビを付けっ放しにして、聴きながらしている時もあります。
6月16日2:56


まあ、手な事を書いてしまうと、大変な事をしているように思われてしまいますよね。でも、大変なのは先生だけであって、生徒は昔も今も同じようにしか勉強はしていません。子供の内から、最初からproとしての技術を学ぶという事は、とんでもない事のように思われるかも知れませんが、職人の世界では、学習のためのcurriculumというのはありません。それは学校だけなのです。athleteも芸術家も同じです。だから、職人になるために、meisterの所に弟子に入りますが、その時に皆、学校で学んできたものがなんの役にも立たない事に気づきます。勿論、なんの役にも立たないのは、職人やathleteや芸術家の世界であって、一般のお話ではありません。そういった職人の世界では、学校を卒業してproに成れるのは、ホンの一握りもいませんが、職人として学ぶ人達には落ちこぼれはありません。最初からその世界の中で物を見ているからです。音楽学校の院生が私に「音楽が職業だと思ったことは一度もありません。」と言っていました。本当に素朴に、何の疑問も持たずに言っていたのですよ。私は小学生に対してでも、「それじゃあ、お金は貰えないよ!」って言っているけれど、その違いかな??
6月17日 9:04


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Vivaldi e moll T楽章演奏法の解説
6月20日 12:03 ・
baroque時代のconcertoの弦楽器の音楽的な表現はVivaldiだけではなく、その時代の作曲家に総て共通した演奏法になります。それどころか古典派は元より、近現代の弦楽器の奏法の基礎にもなるのです。また、baroque時代によく使用された奏法なのですが、近現代の弦楽器の奏法としてまかり通っている奏法すらあるのです。私がMozartやHaydnの室内楽等の指導をしていると、時々、「ああっ、wien奏法ですか?」と質問される事があります。ウィーン・フィルが古典派の曲を演奏する時に、演奏する独特の奏法なのですが、私がウィーン・フィルの奏法を真似して教えている・・と勘違いされる事があるのです。しかし、近現代のwien奏法は、実はbaroque時代の奏法がこんにち迄伝承されているに過ぎないのです。日本でも地方の方言には江戸時代の言葉がそのまま使われていたりします。先日はジプシーの人の演奏の中に、baroque奏法が混じっていて、驚いてしまいました。これも古い奏法がそのまま残っていたりした例なのです。baroque時代の直前に弦楽器(violin属)が完成したのですから、当時の奏法が今日の弦楽器の奏法のルーツになるのです。baroque時代のconcertoを1曲、丁寧に学習する(lectureする)と、他の曲(他の作曲家、他の時代の演奏法)は「以下同文で・・」という事になります。
・・という事で、先週、6月15日に、Vivaldi violinconcerto in e Op.WNr.2の1楽章のsolo組(basso continuo組)への私のlesson風景をYou Tubeにuploadしましたが、分かり易くその一つ一つのMotivを動画で、言葉の説明ではなく、音の出し方を演奏して、補足説明する事にしましたので、教室のオケ組の皆さん達はその動画を見て練習してください。
演奏は梨紗ちゃんがsoloviolinを・・、斉藤先生がbasso continuoのcelloを演奏する人がいなかったので、急遽、飛び入りで、代わりに演奏しています。Cembaloは私が演奏すれば良かったのですが、violin演奏のcheckと一緒にでは、チョッと無理っぽかったので、無しにしました。でも、斉藤先生のbasso continuo−celloは、少しでも伴奏のpartがあった方が曲の構成が分かり易いので・・ネ??  
Vivaldi violinconcerto in e Op.WNr.2 T楽章の演奏法解説

これですね
ありがとうございます!
斉藤先生がチェロ!
6月20日12:58


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Locatelli のkadenz
6月22日 18:23 ・
時々、動画を編集しようとすると、元の動画がとんでもない事になっている事がある。videocameraの編集は本来はvideocameraに情報が入っている状態の時にやるようになっていて、パソコンで編集するようには、なっていないからである。
今年の1月の11日の「音人の会」の時に、入試直前なので、梨紗さんの受験曲のrehearsal をさせて貰ったのだが、保存してある、3曲連続で撮影した動画を編集しようと思ったのだが、普通に再生は出来るのだが、どの編集ソフトを使っても編集が出来ない。・・というか、ソフトに取り込めないのだ。
・・という事で、ふと思いついて、拡張子を変えれば編集が出来るかな??と思いたって、今朝、3時ぐらいから、色々なソフトを使って、拡張子の変更を試みた!!
フリーメークというソフトでは、最初から取り込めないし、ワンダーシャーレという有料ソフトに至っては、12時間掛かって、何とか98%まで行ったのだが、そこでfreezeしてしまった。(それなら、最初から「これは取り扱えない形式です」とかmessageを出せよ!!)てな、感じかな??
その理由は、大元の動画がM2TSという拡張子で、1.72Gだったのに、MP4に変更しようとしたら、何と、66.4Gというとんでもない重さになって変換されるのだよ。分からん!理解不能だ!!
これは元のfileが壊れているのか??所詮、無理だよな!!という事で、半分、諦めていたのだが、もう一つ、何かの都合でdown loadしていたprismというフリーソフトを、ふと思いついて、そのフリーソフトで、もう一度試みて見たら、何と普通に・・出来た!!やってみるもんだ!!M2TSという拡張子は、Blu-rayの拡張子なので、いきなりMP4に変換するのをやめて、取り敢えず、aviという拡張子に持って行った。そうしたら、何とか出来たのだよ。
そこまで出来たら、aviのままでも、編集は出来るし、一般的な拡張子であるMP4への変更も簡単だ。兎に角、M2ts以外に変更出来たら、もうこっちのものである。一番簡単なソフトであるフリーメーカーでトリミングをして、曲別に動画を1曲づつにした。
なんとも、動画は難しいし、時間が掛かる!!
作業をしているのは良いのだが、今日は、湿度が98%もあって、外の温度は何と22度なのだ!クーラーを付けると寒いし、消すと湿度で気が狂いそうになる。寝室には、除湿機が置いてあるので、クーラーは使わなくて良いので、助かってはいるのだが、仕事をしている部屋は、実は台所で、そこをパソコンの部屋にしている。お茶を飲むのに、すこぶる好都合なので・・。
動画の編集で朝の3時頃から6時まで掛かったのだが、並行でLocatelli のkadenzも出来た。今までのは、応急の仮のkadenzだったので、これで、少しは格好良くなったかな??

  
お疲れ様でした<(_ _)>難しそうですね?? 早速弾いてましたが初見(?)ではやはり無理でした??どんな風に仕上がるのか楽しみです♪
6月22日 20:05

この楽譜は、私が書いたままの楽譜なので、この後、斉藤先生が指使いとbowslurを付けて紗來ちゃんに渡します。以前渡して置いたkadenzに付け加えたものですから、以前のkadenzの楽譜はそのまま活かしてそれに新しいpassageをプラスした・・という事なので、以前のkadenzの練習は全く無駄にはなりませんョ。
6月23日 3:28
頑張りますっ
6月23日 5:41
先生が編曲すると素敵ですが難しいんですよね笑
さらちゃんファイト?!!
6月22日 21:53

大丈夫!大丈夫!サラ!!っと弾けますよ!!
6月23日 3:30
ありがとうございます??笑
6月23日 5:43



kadenzについての雑談(よもやま話)です。  kadenzというのは、演奏者が自分の演奏技術をひけらかすための場所という事はご存知ですよネ。 だから、演奏家一人一人が「私こんなに上手なのよ!」て、自分の演奏技術をひけらかす感じで、自分にあった、自分の最も得意とする技術を駆使して、kadenzを作るのが本来なのですが、baroqueの時代や古典派の時代、当時は作曲家が演奏家も兼ねていたので、作曲家本人が、その日の気分で即興で演奏するのが一般的なstyleでした。だから、作曲家自らの手で、kadenzを後世に残すように作曲したと思われがちなのですが、残念ながら、先程も書いたように、kadenzは基本的には、演奏会で即興で演奏されるのが、常だったので、kadenzが後世に残されるという事は極めて稀でした。  今回の教室の発表会で、ひかりちゃんが演奏するMozartの23番のPianoconcertoのkadenzは、Mozartの手によるkadenzなのですが、それは、例外中の例外になります。  Mozartのkadenzは非常に均整の取れた勝れた作品なのですが、これは自作に対してのkadenzなので、或る程度は当たり前かも知れません。 ロマン派の時代からは、concertoのkadenzは、作曲者自らの手で書かれる事の方が一般的になって、他の人の手によるkadenzというのは有り得なくなってしまいましたが、古典派の時代の作品には、kadenzが書かれていない作品の方が多いので、多くの大作曲家が、他の人の勝れたconcertoに対してkadenzを作曲しました。・・・・がしかし、面白い事に作曲の大家であるから、kadenzの作曲が優れているという分けでもないのですョ。   大作曲家中の大作曲家であるBeethovenは、MozartのPianoconcertoのために、kadenzを幾つか作っているのですが、とてもBeethoven風で、Mozartの曲には馴染みません。 Beethovenの力強さがMozartの洗練されたstyleとは咬み合わないのですよ。   教室のmethodeと同じmethodeである1点支持のベルギー派の大家であるviolinistのグルミョーさんが未だ若い・・駆け出しの頃、彼を世に送り出した名pianistinのクララ・ハスキルさんのMozartの24番Pianoconcertoのoriginalのkadenzは大変美しく、まあ、個人的な好みもありますが、エドウィン・フィッシャーさんの24番のkadenzや、勿論、Beethoven先生の24番のkadenzよりも数倍流麗で美しく悲愴な感じです。 kadenzは個性や自己主張が強すぎても、逆に様にならないのですよ。 私がkadenzを作る時には、その時代のその作曲家の様式を大切にして、時代考証が絶対に、はみ出さないように気を付けているのですが、Locatelli の時代には、未だkadenzの様式が確立されていなかったので、当然、時代考証は出来ないので、theory通りには行かないので、少し時代をはみ出して、baroqueではなく古典派の様式に近い様式で作曲をしています。   という事で、私がkadenzを作る時にも、それを演奏してくれる生徒の顔を思い浮かべながら、その生徒のギリギリのTechnikを駆使出来るように作曲します。しかし、それでは時折、実際には子供達に無理難題を押し付ける事にもなり兼ねないので、担当の先生にcheckをして貰い、指導可能か否かを判断して貰います。 発表会までのlessonの回数と、生徒自身の練習の量を計算して、難し過ぎるpassageは、簡単に改定するし、もう少し派手派手しくした方が良いpassageはその生徒の実力が思いっ切り発揮出来るように改定して行きます。 前回や前々回に既に作り上げているkadenzを、その次に演奏する生徒が上手にkadenzを練習出来た場合には、発表会までの日にちにゆとりがある場合には、kadenzをより難しく長く訂正する場合もあります。forte-pianoconcertoのように、倍近い長さまで改定するケースもあるのですよ。 同じkadenzでも、生徒の年齢や技術等々を考慮して、その都度、変更をします。あたしって、ほんとマメよネ?  アハッ!   写真はクララ・ハスキルさんです。

6月23日 3:23
マメですね?
そしてクララさん美女ですね!
6月23日 6:43

ハスキル先生は、横顔は多いのですが、正面の写真は少ないようです。この写真は大変珍しい写真です。先程の写真よりも、少し歳を取った時ですね。
6月23日 8:26
芦塚先生ステキです♪ハスキル先生は外見も心も美しいのですね〜聴いてみたいです??
6月23日 14:47

思春期の私がクララ・ハスキルの20番24番のレコードを聴いて、改めて音楽の素晴らしさ、美しさに感動して、音楽への道を歩む切っ掛けとなったのは、homepageにも書いていますが、その美しい演奏の収録されている I.マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管の20番24番の演奏が入っているレコードはCDに焼き直されて、廉価版としても今でも販売されています。多分、探せばYou Tubeでも見つける事は出来るでしょうね。勿論、それ以外の演奏のCDも(今回の23番のCDや、グルミョーと組んだMozartのviolinsonateのCDも持っています。)私に取ってはbestchoiceの演奏である・・と、思って(確信して)、何か、参考までに追記する事はないのかな??・・と、netで「クララ・ハスキル」を検索して見たら、色々な人達がハスキルを酷評して、盛り上がっているサイトを見つけてしまって、「いつも愛聴している内田光子&テイトやアルゲリッチの演奏と比べると表現力、繊細感、唄心に乏しいようです。」・・という一節に、少なからずshockを受けてしまいました。え〜っ??歌心が乏しい???  また、「ハスキルの良いところはオリジナルのカデンツアを弾いているところ。ベートーベンより優れているとは思いませんが、・・」という一節も私にとっては、とてもそうは思えなかったので、結構、shockでしたね。またまた、後述の「男勝りの演奏」・・というワンフレーズには、私はこのハスキルの演奏は女性らしさの繊細さや、音の透明感が出ていて素晴らしい・・と思っていたので、評価が正反対だったのには、すっかり驚いてしまいました。未だ、音楽大学の学生であった頃は、私も466のconcertoにkadenzを作って演奏したりしていたのですが、あまりの陳腐さに、その後は、そのkadenzは破棄してしまって、現在は、そのkadenzは残ってはいません。私は、一応、音楽をナリワイとしているので、参考に・・という事で、色々な人達の演奏のCDを持っています。有名処では、ルービンシュタインのCDも持っているし、音楽大学時代にはゼルキンの演奏もNHKの演奏で聴きました。  人によって、評価がそこまで分かれるのですよね。・・と、改めて驚いてしまいました。人を感動させる・・という事は、本当に難しい事なのでしょうね。 参考までに、ハスキルは18歳の頃に病気を発症して、その後も25歳の頃の演奏も酷評されて、経済的にも社会的にも肉体的にも、貧困の生活を余儀なくされてしまいます。また、ユダヤ人であったために、ヒトラーの侵攻で国外に亡命を余儀なくされてしまいました。そういった不遇な人生を乗り越えて演奏の深みと優しさが音楽に滲み出ているような気がするのですがね???人によっては受け取るimageがこうも違うものですかね?? アンチ・ハスキルとは違って、こちらの人のサイトは、私と同じハスキルのフアンの人のようなので、詳しいLebenslauf(生涯)が書いてあるので、参考までにlinkしておきます。酷評しているアンチ・ハスキルさんのサイトは、その評価が私が納得行く基準の上での酷評ならば、別の意見としてlinkさせても、良かったのですが、ハスキルの演奏が男勝りと言われては、私にとっては論外の不本意の意見なのでネ??という事でlinkは貼りませんでしたが、直ぐに見つける事は出来ると思います。

   でも、どういう風に聴けば、この繊細で優しくて、透明感の溢れた女性らしい演奏が、「男勝りの演奏・・」になるのだ??不思議だ?? 
http://yessatoh.web.fc2.com/Haskilpage.htm
6月24日 8:10

探していただいてありがとうございます??…と同時に先生に悲しい思いをさせてしまい申し訳ありません??芸術はやはり難しいんですね。人それぞれ感じ方も違うし…強さ、必要ですね??
6月23日 19:54

・・という事で、酷評のサイトを参考にして、その人達が素晴らしい・・と、絶賛していた、内田光子さんやマルタ・アルゲリッチさんのMozartのK.466の演奏を聴いて見ました。感じた事は、音の粒々の立ち上がりが、私のimageとは、根本的に違っていて、Haskil先生の演奏では、touchがちゃんとforte-pianoのleggiero-touchになっていて、音の粒々がコロコロと際立っているのですよね。時代が違う分、他の演奏者は当世風な力強いtouchになっていて、私の耳には少し痛くて、音の粒々を聞くのが辛く感じられます。Haskil先生のMozartの20番466は無数のrecordingがあり、近現代の演奏家としては、珍しく自作のkadenzを演奏している事はお話しましたが、驚いた事にrecordingが代わる度に、その都度、kadenzも変えて演奏しています。 シャルル・ミュンヒの指揮では、少しorchestraのtempoが遅かったのか、Haskil先生のPianoが走ってしまう所があって、それに、kadenzは少し派手過ぎるのかな??・・と思いました。 やはり、マルケヴィッチの指揮の方が、Clara よりも17歳も若く、65歳の大御所を労るような演奏で、ほのぼのとして安心して聴けるようです。共に古典の音楽に造詣が深くて、こんにちのperiod奏法にまで通じる事があるような演奏なので、Mozartの本当の意味での時代考証が一般的になって来ると、また、評価は代わって来るのかも知れませんがね??・・いずれにしても、太鼓は強すぎていただけません。私なら、太鼓は入っているのか分からないように、そっと演奏させますがね。いずれにしても、Haskil先生のkadenzはMozartの時代のkadenzとしては、チョッと派手な事は派手なのですが、詩情に溢れていて、60年代の演奏としては秀逸なのではないでしょうかね??  私は音楽大学の学生時代の頃から、kadenzの作曲は、あくまでも時代考証に基いて、その時代の作曲技法からは逸脱しないように、(Mozart風に)書いていましたがね。確かに、それでは近現代の演奏会の演奏としては地味過ぎるかも知れませんがね。23番のように、Mozartが書いたという証があれば、また別なのでしょうがね??
6月24日 9:53


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wineglassを落とした!

6月25日 7:37 ・
昨夜、寝酒で飲んでいた飲み残しのwineglassを起きて洗っていたら、手が滑って割ってしまった。(wienglassというよりも、Champagneglassか、寧ろcocktailglassなのかも知れない。)trimも独特で面白いのだが、絞り込んだ口が見た目とは違って、私には寧ろ飲みにくい。
本来は、赤のwineglassと白のwineglassでは、香りを愉しむ楽しみ方が違うので、形状が違うらしい。という事で、白専用のwineglassを幾つか買って見たのだが、これがバカ高い!!(だから馬鹿ラ(Baccarat)のwineglassという!)そうれじゃあ、いくらなんでも高価で小心者の私には普段使いにはとても無理なので、ariseのglassを使用していたのだが、1代目は、割ってしまって、この写真のglassは2代目である。それでも1客7000円はする。飲んでいる時には、こういった高価なglassは使わなければ良いのにネ??
こうやって見ると、随分沢山のwineglassにお別れを言って来たものだ・・。一つ一つに愛着があって、今でも戸棚の中に居て、いつも
自分の出番を待ってくれているような気がしていたのだが、写真をuploadしようと思って改めて戸棚を探したら・・無い!!そう言えば、あの時に割ったような気がする。
でも、いつも私の傍にいるような気もするのだよ。
信州長野の新蕎麦よりも、わたしゃぁおぬしのそばが良い・・てか??


左から写真1枚目です。クチボソなので、wineglassではなく、shellyglassかChampagneglassだと思うのですが、trimが結構いい感じでした。長崎から持って来たので、完全には揃っていなくって、最初は4客しかない思っていたのだけど、これで3客になってしまった。
写真2枚目です。このwineglassはお気に入りで購入したBaccaratの白wine専用のwineglassです。余りにも高いので、2客しか買えませんでしたが、気に入って買ったので、満足はしています。ハイ!このtrimの細さ・・怖い!!
一番右側の写真です。ariseのwineglassとBohemianglassのセットで買ったものです。Bohemianglassの一番お気に入りのdekyannta-glassが先の東北の大震災で、割れてしまったので、このBottleをdekyannta用に使っています。赤は基本飲まないのだけど、白でも輸入の瓶詰めのwineは、空気を入れて硫化水素臭を抜いた方が美味しいのですよ。Bottleのコルクの蓋を開けて4時間程放置しても匂いは抜けますけれどね。
  

写真左側1枚目です。ariseのglassによく似ていますが、snowmanのglassです。結構、trimが大変な大きさなので、とても持ちやすくて、愛用していたのですが、いつの間にか、居なくなってしまいました。記憶には無いのですがね。
真ん中の写真です。所謂、Crystalglassですよね。そう言えばテレビの女性キャスターが「私はクリステルで、クリスタルではないのです。」と怒っていました。笑ってしまいました。私はポストコをコストコ(プライスdownの意味ですよ!)という人だから・・。後ろのwineは両方共icewineです。前のチーズは、勿論、勿論、Mimolette、長崎のカラスミの味がして、結構好きなのですがね。勿論、カラスミの方が好きです。長崎人なのでね。
右側の写真です。長崎次いでにですが、これはビードロのwineglassです。結構どっしりとして使い易いし、wineglassは高価な物になればなる程、唇を切りそうに口当たりが細くなるのですが、その点、ビードロの口当たりは優しいので結構好きです。Beerglassに砥部焼のミルクのマグカップを気に入って、40客程作らせましたが、冷たいBeerglassの縁が口にあたると気持ち良くないので、
  
一つ一つの写真にコメントを書いていこうと思ったのですが、容量制限が出て、Facebookを取り消すよ!!と脅されてしまったので、慌ててそこまでで、中止しました。後のコメントは、homepageの方で折に触れて(機会があったら・・という意味ですが)書いて行こうと思っています。




  

  

写真に一つ一つ、説明を加えていたら、容量制限の警告が出てしまいました。文章自体はそんなに長いとは思わなかったのですが、写真のメモリーも合計されたのかな??という事で、解説は途中で頓挫してfreezeしています。途中までしか写真の解説が無いのは、私のせいでは無いので、悪しからず・・!!
いいね! ・ 返信 ・ 6月25日 9:17 ・ 編集済み

口当たりが悪いので、

で止まってしまったので驚きました
え??あとは想像にお任せ?!ですか!!!?て勘違いしました。

好きなグラスで飲むと美味しいのでしょうね!!
6月25日 9:30
でも、不思議な事に飲み終わると酔っている事の方が多いので、glassを割らないように、気に入ったglassでは基本飲まないのですよ。こりゃぁ、どういうこっちゃ??それに高いglass程良く割れる・・!これは人生の哲理ですかな??
6月25日 9:50



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Handel Ashizuka passacaglia g fur Concerto Grosso(九州への旅renewal‐version)

6月29日 18:38 ・
今日の朝は、Handel-Ashizuka passacaglia gの改定を少しして、You Tubeにuploadし直しました。前にuploadしていたpassacagliaは削除しました。芦塚音楽研究所のhomepageに「芦塚先生の鬱々コンサート」のPageを新設して、そのPageへのlinkをtopPageから貼りました。生徒達の発表会での演奏は、教室別の教室の活動報告から入れるので、(勿論、鬱々コンサートでもないし、音楽教室としての活動なので)鬱々コンサートのprogramには入れませんでした。という事で、対外出演の分のしかも、私が鬱が酷い時に、wineのつまみにする曲だけを集めたものです。
Handelのpassacagliaは、pc音源では弦オケの曲のimageが全く違って、別の曲と見紛うようになってしまうので、何とか教室の年長さん達だけで演奏出来ないのかな??とmemberのcheckをして見たら、何とか人数的には行けるかな??(若干一人、二人名足りないか、否、充分足りているかな??・・)という事で、先生達に秋の発表会に向けての可能性の相談をしたら、今回の子供達は既にcapacity的に目一杯で、また日曜日の練習のprogramに新曲を割り込まさせるのはとても無理だ・・という事で、却下になってしまいました。上級生の生徒達の殆どが受験のためにお休みなので、新memberを育成中なので、one cours3曲セットなのに、2曲しか見れなくって、最後の1曲にいつも皺寄せが来てしまっている現状だからです。外で演奏出来るlevelまで、持って行くのは生徒もとても頑張って練習に付いて来れないといけないし、指導する先生も曲がちゃんと演奏出来ればよい!・・という水準ではなく、外部の人達に聴かせる事の出来る水準に達し無いと、それから上手にはなって行かないので、そこまで持って行くのは、大変ですよネ。
先生達は、「次回に最初から曲を組んでprogramを作ったら無理なく出来るから」・・と言う話だったのですが、困った事に、私は、本当に1年1年、体力の衰えが酷くて、私の「鬱で、パワフルな曲」を指揮するのが、段々と、キツく・・シンドく・・無理っぽく・・なって来るのですよ!
前回の4月の発表会の時も、orchestraの曲が数曲、続いたので、曲を指揮している途中で息が上がってひっくり返りそうになってしまって、指揮棒を振りながら、「どうしよう??」と、悩んでしまったりしていたのでネ。proのオケと違って、指揮者が手を抜くと、子供達のorchestraは、ふにゃふにゃしてしまうのですからね。全く、気力を抜けないのですよ。発表会が終わると3日ぐらいは寝込みます。アハッ!
それと、今年の1月の15日の古い方のpassacagliaのuploadはYou Tubeでは削除したので、「1月のFacebookの動画が再生されないよな??」・・と思ったら、何と、今でも、再生されるのだよな??不思議だ!!何で??
kleinigkeitの変更なので、何処が変更されたのか・・分かるかな??
勿論、写真も増やしましたが、それはkleinigkeitには、入りませんよ!!
Handel Ashizuka passacaglia g fur Concerto Grosso(九州への旅renewal‐version)



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lessonの仕方

6月30日 9:51 ・
今日は2週間ぶりに花園教室で私のone lessonがあります。
(私のlessonの話ではなく、私が花園教室でlessonをするという紛らわしい意味です。Pianoの生徒は、基本検見川教室でlessonをするので、教室の使い分け・・という意味です。分かり難くてごめんなさい。。)
通常のlessonでは、先生が「生徒が何処まで勉強をして来たか?」を、生徒さんの演奏を聴いて、確認してからlessonを始めますが、私のlessonの場合には、通常lessonするのは、他の先生なので、その先生から、事前に、その生徒の今現在の指導方針や、lessonや自宅の練習で生徒が行き詰まっている所とか、これから何を中心にして指導をして行けば良いのか?等々の目標を、先生から事前に、報告をして貰って、その事に付いて予め先生と、mailでやり取りをします。(・・それが先なのですよ。)
だから、lessonの時には、もう殆どlectureの内容は決まっている事が多いのです。
通常のlessonでは、一人一人の生徒の抱えている問題点は違っていて、それに応じて、lesson内容も当然、一人一人違って来るのが当たり前なのですが、私達の教室(私のlesson)では、それは違って来ます。
今回、頑張っている小学生達なのですが、曲が難しくなったので、一人一人の生徒達が、それぞれの課題曲のそれぞれの部分の難しい所で引っ掛かってしまっているように見えます。つまり、一人一人が、別のそれぞれの課題を抱えているように思われるのですが、それはチョッと違います。本当は、同じ課題を指導し、その根本の部分を直せば良いだけなのです。
一般のlessonのように、生徒が弾けない部分の箇所を指導して、曲を弾けるようにする事自体は、本当に簡単な事で、その指導は基本的には担当の先生にお任せして、私がそれを指導する事はありません。それは、越権行為になりますからね。
ただ、一般的に指導されている、一番単純で簡単な頭を使わない指導法は、弾けない所を教え込めば良いのですからね。
でも本当に、その指導法で、その課題がクリヤー出来るようになったかどうかは全く別の次元のお話なのですよ。つまり、その箇所が弾けるようになったとしても、次のPageに出て来る同じpassageがまた、同じように弾けなければ、それは何の解決にもなっていないと言う事なのです。
本当に「分かった!」という事は、その曲に限らず、別の曲で同じ課題が出て来た時にも、サラサラと弾けなければならないのです。
同じ課題があった時に、いつでも問題なく弾けるようになったとしたら、本当にその課題がクリヤー出来たという事になるのです。
それが、本当の教育になりますからね。
指導者にとっての、一番の問題は、無数にあるように見える課題の根本を探し纏める事です。
それには、gradeの理解(別にgradeでなくても、stepでも良いですがネ。それは単なる言葉の問題で、日本語で纏めるならば「段階」という事です。)
それぞれのgradeには、それぞれ・・「出来ないければならない課題」があります。
それは曲が弾けるようになるのとは、別の次元の課題なのです。
その曲を弾けるようにする・・という事は、その曲の技術を指導すれば良く、また、その技術の練習法を指導すれば良いのです。後はその生徒が家庭でどの程度、練習に集中して勉強するか??だけの事なのです。
勿論、生徒や先生が頑張って練習していても、成果が見受けられない場合もあります。
それは、その生徒の練習の仕方が、あっていない場合で、私の場合には、一つの技術的なthemaに対して、最低でも10種類の方法論を準備しています。先生達にも、一つ一つの技術的なthemaに対しては、最低でも7種類の解決法は作るように指導をしています。
つまり、あるAという生徒には@という練習法がその生徒の練習にとっては有効であったとしても、Bという生徒にとって、その@という練習法で上手く行くとは限らないからであります。しかも、Aという生徒には絶対に上手く行かなかった練習法のDがBの生徒には、非常に有効であるという場合も有り得るからなのです。
最低でも、7種類というのは、大体、7種類のpatternを持っていればお父さんが「うちの子は、チョッと他の子とは変わっていて特別なので、大変だと思いますよ!」と言われるケースでも、問題なく指導出来ます。親は、子供は一人、二人しか経験が無いとしても、先生は、最低でも100名以上の生徒を育てているのですから、例外の特殊な生徒はいないのですよ。本当に・・!!特別な特殊な生徒であったとしても、教室の指導の会議では「あの子は〇〇ちゃんと同じpatternだから・・、指導の時には留意してね・・・??」ってね??
ようするに、生徒達が引っ掛かる曲を演奏する上での問題点は、簡単に指導し、練習させる事が出来ますが、それは曲が弾けるようになっただけで、音楽の技術の水準が上がった分けではないのです。
今回のlessonでも、「芦塚先生がおしゃべりばかりで、折角、曲を頑張って練習して行ったのに、余り見て来れなかった!!」と、不平不満を感じていた生徒もいたように思いますが、実は「芦塚先生の雑談・・」は、lessonを受けるよりも、生徒の技術を伸ばす不思議な効果があるのですよ。
昔々のお話ですが、検見川教室でlessonをしている時に、生徒が教室の入り口のドアを開けた時に「今日はお父さんと喧嘩したのかい?」と聞いたら、生徒が「顔も見ていないのに、何故分かるの?」と不思議がっていました。「足音が『お父さんと喧嘩した』と言っていたからだよ!」というと、「ふ〜ん」と驚いていましたよ。普段は教室に来る前の足音も落ち着いていて、ドアの開け閉めも、もっと優しい子だったのでね。
その生徒が不思議がっていたのは、所謂、「芦塚先生のお説教time」であって、丸々lessonの1時間を一回もPianoを弾かないで、全部をおしゃべりで終わってしまうことです。
でも、その生徒は、芦塚先生がおしゃべりだけで、Pianoを見てくれなかった事について、不満に感じた事はありません。(その生徒が言った話ですよ!)それは、そのお説教を受けた次の週のlessonでは、その前の週の一回lessonを受けるよりも、確実に上手くなっている事が、その生徒にとっては、自覚出来るからなのです。
音楽の技術の水準を向上させるためには、練習という事よりも、その練習をする時の「心の拠り所」をキチンと定めてから、練習しなければならない場合の方が多いのです。
昔々、私が未だ幼稚園や小学生の頃、おばあちゃんが私にいつも言っていました。『心此処にあらざれば、見えど見えず、聴けど聞こえず!』ってネ!!
音楽のproになって、色々な曲が演奏が出来るようになったとしても、心のNiveauが伴わなければ、弾けるようになった・・という意味はない・・という事です。
次のお話は、「時短」のお話です。
「芦塚メトード」としての、指導の骨幹の中の一つになります。
世間の、一般的なlessonでは、先ず・・・
第一stepとして、子供は譜読みをします。最後まで、ちゃんと譜読みが出来るようになったら、次に・・・・
第二stepとして、指使いを丁寧に治して行きます。それが出来るようになったら、いよいよ・・・・
第三stepとして強弱とnuanceのお勉強です。そして最後に・・・
第四stepで、仕上げに暗譜をします。
私自身は、とても短気な性格なので、lessonも短期決戦をします。だから、そんなまどろっこしい指導はしません。
その曲で、マスターしなければならないTechnikと、その練習に必用な諸注意を、予め全部、最初のlessonで注意します。
もっと、焦っている時には、曲(楽譜)を生徒に渡した段階で、出来上がりまでの練習の行程を、説明指導してしまいます。
上級生には、曲を渡す前に、次の曲の課題を説明する事さえあります。
「え〜っ??大人の音大生なら兎も角も、子供にそんな指導が出来る事はあるの??」って??
これがチョッとした工夫(how-to)だけで、子供達でも、出来るようになるのですよね。
「是非に知りたい」って??
京都の豆腐屋さんのお話と一緒で、・・そういった独特のcurriculumは、私のlessonや、斉藤先生や牧野先生の普段のlessonでも、いつも見る事が出来るのだけど、lessonの聴講に来ていたとしても、それが「極めて稀な独特のlesson」に見えて来ないのが不思議ですよね〜??
今日、指導予定のone point adviceも、本当ならば、小学生達が全員一緒にlessonを受けると、時間は3倍の時間でlectureを受ける事が出来るのですがね〜??しかも、先生は1回の説明で済んでしまう。同じadviceを3回もしなくても良いのですよネ。
ただ、今までも、多くの外の先生達が私達のlessonを聴講していても、「lessonは楽しそうですよね?」とか、「普通のlessonを普通にしているだけですよね??」という感想なのは、困って、呆れてしまいます。
京都で、何百年以上続いている豆腐屋さんも、とうとう跡継ぎが出来なくって、終わってしまいましたが、その豆腐屋のおじいさんが言っていた事は「豆腐作りは見て覚えるものです。教えるものではありません。」との口癖だったのですが、全開の引き戸の先で作られている豆腐は、レシピ通りの普通の豆腐だったのですよね。でも、京都古来の味だったのです。
「心ここに在らざれば視れども見えず、聞けども聞こえず」・・なんだな〜ぁ??これが・・・
だから、聴講や見学は、先生の教えを、盗むという姿勢が大切なのですよ。盗むという心が無ければ、レシピは普通にしか見えないのですよ。それが、学校の勉強の仕方と、職人の勉強の仕方の違いなのです。
今の学生(アハッ!そうではありませでしたよね!昔もそうでしたが・・・が正解かな??)は、教えて貰わなかった事は、出来なくて当たり前・・としか思いません。私の元にやって来た院を受けたいという受験生に、論文の課題を出したら、「国会図書館まで行って調べたのに、その課題について書かれている書物が見つからなかった!」と怒り捲って教室にやって来ました。「院は研究をする事を学ぶ所だから、netや図書館で調べられる課題は、所詮課題ではないのだよ!」と説明したのですが、その学生の人生に、netや図書館以外での勉強の仕方がある・・と言う事を、「推論は探偵小説を読むように面白いのだよ!」と幾ら説明しても、理解出来ずに怒り捲くるだけでしたね。(勿論、やめちゃいましたがね)
今の時代は、総てが便利になって、コンビニになってしまっていて、其処にあるもので、何かを作って行くという事が出来なくなってしまっているのですよ。本当に社会人として必用な能力は、理解力、分析力、判断力と想像力、と創造力です。進行表は、統合力と企画力ですよ。その中に記憶力は入らないのですよ。だって、記憶でdataを言われてもそれは信じられないよね。生徒が教えて来れたdataをそのまま本に書ける分けはないでしょう??これは信じている・・いないの問題ではないのですよ。本にするには、記憶に寄らない正確なdataが必用なのですからね。
私は、祖母に育てられたので、「男子厨房に入るべからず」という精神で育てられました。だから、中学生、高校生になって、一人暮らしを始めた時にも、米を炊く事すら出来なかったのですよ。だから、大学生になって、毎日夜は寿司屋のカウンターでトックリを並べながら、寿司屋の板さんの包丁さばきを見て、魚の開き方を覚えました。いつの間にか魚も開けるようになっていたよ。
教室のmethodeが、何処かに在る分けは無いのです。
それぞれは私の人生で人に劣っている所を、自分なりに改良して来たものをmethode化しただけなのですから。
その一つ一つのmethodeを、立ち上げて行くと、とんでもない量のmethodeを覚えなければなりません。
しかし、その一つが10になるのなら、或いは、日常の生活の中で必然的にそれを使用しなければならないのなら、人はそれを覚える(学習する)のは然程難しい事ではありません。
ある物をどんどん使って、それを改良して行けば良いだけなのですからね。
その一つの例を上げるとすれば、ただ単に、新品のnoteパソコンのKeyboardに色を塗ってしまえば良いだけなのですから・・。
新品のパソコンのKeyboardに、色を塗る事が出来るか否かが、「時短」が出来るか否かになるのですよ。
色を塗れれば、ブラインド・タッチが出来るようになります。それだけで、パソコンの入力がおしゃべりをするのと同じぐらいに早く入力出来るようになるのですよ。後は単語登録の方法ですが、そこまで書くと、大変なPageになりますので、homepageの「芦塚先生のパソコン教室」を参考にしてください。
こういった、一つ一つの方法論を指導し、マスター出来るように、教育するsystemが、教室のlessonであり、オケ練習であり、室内楽のcurriculumなのですよ。
芦塚メトードのモットーは常に「時短」ですからね!!
人生は短い!急げ!急げ!!
これはBeethovenの言葉でっせ??


今日は仕事の都合で間に合わなかったですが、次回はさらちゃんのレッスンからも勉強がてら行きたいと思います!
そしたら、最低二回で済みますね!?
あ!私が行けなくても本人が行ければ良かったんですね!
ありがとうございました!
7月1日 0:33
lessonの聴講迄は、人はよくする事がありますが、でも、聴講する相手の曲を下調べする人は少ないのです。聴講をする相手の楽譜まで事前に準備する人は極めて少ないのです。でも、楽譜を準備するだけでも、聴講を受ける時の内容の理解度は違うのですよ。また、聴講の有益性は、聴講は自分がlessonを受ける分けでは無いので、「折角、先生の言う通りに練習して来たのに怒られてしまった!!」とか、情緒的感情的に、自分の立場で判断するのではなく、外の立場(第三者の立場)から見る事が出来るので、指導する側、受講する側の両サイドから客観的に見る事が出来ます。  という意味もあって、聴講はあまりlevelの違う上級のlevelの人のlessonを見学する事は、お薦め出来ません。水準に寄って全く反対の指導をする場合も多いからです。また、瑞希ちゃんのlessonのvideoでも、上級生から見ると、優しく指導しているように、見えるかも知れませんが、後輩の人達から見ると、「随分、厳しいlessonを受けているのだな〜?」と見えてしまうでしょうね??  これから先は、チョッと、別のお話になりますが、学校や塾等で、是非、指導して欲しい事があります。塾や学校では勉強は教えて来れますが、勉強の仕方を教えては来れません。でも、勉強の仕方を指導してくれれば、勉強を教えるのに、時間を費やす必用はなくなります。子供達が大人になるために必用な重要なhow-toの一つにmemoの取り方があります。しかし、「memoを取りなさい!」とか、学校で黒板に書いた文章を、noteに書き取らせる事はしますが、noteの取り方の指導はしてくれません。昨日のlessonの時に、memoの取り方の話をしていた時に、千夏ちゃんが学校の宿題で、videoを見せられて、その解説を先生がお話をして、その事に付いて書いて来るような宿題が出たので、記憶で先生の言った通りに一言半句そのままに書いて提出したら、先生に「気持ち悪い!」と言われてしまったそうです。その話を聞いた斉藤先生に「一言半句書き取れる事、それ自体は能力かも知れないけれど、それだけではダメなのよね!意味がないのよね!!」と怒られていました。「気持ちが悪い!」という先生も問題だけどね??  日本の学校教育で言う所の「memo」は、実は単なる「忘備録」にしか過ぎません。「忘備録」と「memo」は、似て非なるものなのです。 memoにはstageがあります。本を書く人なら、そのstageを理解しています。長い文章には、大項目、中項目、少項目と分かれて、書かれています。教室でオケ練習に参加して、中級、上級のlevelになると、オケの楽譜に、生徒達が練習番号を付けます。通常、練習番号は、出版社等の公式の場合でも、練習の都合で感覚的に付けます。だから、「何故、こんな所に練習番号があるの??」とか、逆に必用な所に練習番号がなくて困る事がしょっちゅうあります。でも教室では、練習番号付には、先ず、大きく大項目を探します。それは曲の終止のあるpassageで、それをABCと大文字で分類します。今度は、「A」の中の終止句を探します。それで「Aーa」とするのですが、教室では紛らわしいので「A−あ」とします。そして、必要なら、更に「A-あ-1」とか、細かくする事が出来ます。このlevelになると、phraseではなく、Motivの領域になります。  先程も言ったように、一般的には、練習番号は感覚的に付けるので、同じ練習番号が付く事はありません。しかし、教室では、こういう約束を取り決める事により、練習番号の宿題を出すと、全員が同じ解答になります。この練習番号付は、同時に音大生でも、中々学ぶ事が出来ない形式学の勉強に繋がります。形式学はとても難しくって、論文の本も高価なので、音楽大学でも学べる事(時間を割く事)は少ないのですが、形式学という難しい勉強を無意識に勉強しているのです。練習番号付から学べる事は、論文や小説の書き方、企画の仕方、絵の描き方に通じて行くのです。曲の形式は、国語で言えば3段論法、4段論法(所謂、起承転結)に繋がって行くのですからね。作曲をする・・という事は、建築の設計図を書く事に似ているのですよ。教育学的に言うと構成力を付けるための学習になります。
7月1日 11:42



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Greensleeves to a ground in C Dorisch (ハ調のドリア調の定旋律によるグリーンスリーブス)
7月1日 14:13 ・
Handel-Ashizuka passacaglia gのrenewalの・・次いでというか、またもや・というか、昨年の秋の発表会のために作曲したGreensleeves to a ground in C Dorisch(ハ調のドリア調の定旋律によるグリーンスリーブス)を、作曲と同時に5月26日にはFacebookにuploadしたのですが、演奏時間と発表会の進行の関係で、昨年の秋も今年の春も演奏する事が出来ませんでした。
今年の秋の発表会も演奏時間の都合で多分演奏は無理だとは思いますが、これまで先生達のbaroque音楽のperiod奏法の研究の一貫としての演奏会を(教室のrotationとは無関係なので)今まで東京で開催して来たのですが、超、スーパー・ウルトラ・マニアックなperiod instruments(baroque楽器)によるperiod奏法(baroque奏法)であったのにも関わらず、また、曲も通常はコンサートには載らないbaroqueのマニアックな曲であったにも、関わらず、演奏会の日にちが決まって会場に報告を入れた段階で、僅か2,3時間の間にチケットが完売して、千葉の保護者の方に「是非に聴きに行きたかったのに!!」と何度も怒られてしまいました。というか、私の席まで完売してしまって、私もカウンターの中でマスターと一緒に、先生達の演奏を聞いていたのですよ。
僅か、30席の客席しか無かったので、リピーターの人達だけで、完売してしまって、その後で、ポスターやチラシが出来る・・というとんでもない状況でしたが、私の入院で、この10年の間は、年に2,3回も開いていたbaroque-concertoは病気消滅してしまい、それでも何とか細々と発表会の一部を借りて演奏を続けていました。
今回は11月の23日に千葉の「さや堂ホール」で、10年振りぐらいに、改めてbaroqueのコンサートを開催する事にしました。・・という事で、それならば、Greensleeves もお目見えする事は可能かな??と思って以前から気になっていた最後の1Pageのkadenz=eingang(独)=episode(英)をrenewal(改定)したのですが、1Pageだけなので、そのまま、You TubeもFacebookも、何もしないで、放ったままにしておこうかな??・・とも思ったのですが、折角、改定したのだから・・と、思い直してYou TubeとFacebookにuploadする事にしました。
15年5月26日にuploadした動画の改定版で、音符自体は最後のkadenzが少し弄られただけなのですが、写真も少し増やしてrenewalしておきましたので、少しは、お楽しみ頂けるかな?と思っています。




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挫折とスランプ
7月3日 9:53 ・
YouTube

長女の発表会動画?
これと比べるとこの発表会終わってからの3ヶ月でもかなりレベルアップしてるんだなぁということに気づく。
最近気づいたこと。教育といえど親は教えなくていい。でもいつでもフォローはする準備をしておくこと(特に経済的にと、広いこころ)が大事。笑



ですね!凄い納得!
広いこころ…
私に1番足りないものです。
7月3日 11:48

いやー
教え育てるって、どんだけ上から目線なんだ!?とふと思ってしまいまして。
広いこころというか、こどもの心がガクってなってしまった時に受け入れ可能な状況があれば安心して前に進めるのかなぁと
難しいよね。。
7月3日 13:05

大事ですね。
7月3日 13:55
とても大切な事ですが、この話には幾つかのpointがあります。ガクってなった・・というのは、多分挫折した時という意味かも知れませんが、私のhomepageには子供の挫折には、こういう風に書いてあります。「何かに突き進んでいる時に、行き詰まりはしょっちゅうあります。それで、突き進む事を止めると挫折になりますが、ペースダウンしたりして、状況が改善するのを待つのは、ただのスランプになるのです。私の理論では、人間が成長して次のstepに入る前には、必ず、次のstepに飛び乗るためのスランプがあるのです。スランプが長い場合には次のstepは大きく括目して凝視しなければならないほど、飛躍する事が出来ます。スランプを乗り越えるためには、ありとあらゆる事を試して、努力を惜しまずチャレンジしなければなりません。その一つ一つの努力がその子供の思わぬ成長を即すのです。だから芦塚メトードでは生徒が行き詰まり(スランプ)に差し掛かると、芦塚先生からのお褒めの言葉があります。「君は次のlevelにupgradeする準備に入ったのだよね!」と・・。そして、或る日、生徒の力が抜けて、突然、理由もなく楽になった時には、そこに産まれ代わって成長した全く別の子供がいるのです。それは驚きですよ??
7月5日 2:10

でも、その大切なスランプを「ただの行き詰まり」として捉えていたら、スランプに巡り合う度に、逃げていたら、その子供の生きて行く場所は、とてもとても狭い物になってしまいます。「私には、何の能力もないから・・」とか「私には・・」と、『自分の可能性』を信じる事さえ出来なくなってしまうのです。悲しいですよね。  昔、「私の子供だから、何も出来なくて当たり前なのです。」と、公言している親がいました。だから、その親に、「能力は学習によって得れるものなのだから、あなたには、その能力を得るチャンスが無かっただけであって、それを勉強する場所だったのですよ。」「ですから、あなたも、子供の時代に、そのチャンスさえ有れば、色々な能力を持つ事は出来たのですよ。」と説明、説得したのですが、「いや〜、私は・・」とか「私の子供だから・・」という考え方を正す事は出来ませんでした。
7月5日 16:18

あわわ!
挫折!!
今、芦塚先生のもとで音楽を教えてもらっているので挫折というのはイメージ沸かなかったです??

ガクっていうのは、例えば子供が学校で友達とケンカして泣いて帰ってきたとかを想定していました。私はいつでもあなたの味方だよ、と安心できる港になりたいです。
7月5日 7:26

それはそれは、失礼しました。私の場合には、逆に学校での友達との喧嘩・・がimageがわかなかったのですよ。学校での怪我や同級生との喧嘩は、私達の時代では生活の一部であって、それが、何かしら、波風を立てる事はなかったのですがね。ましてや、幼稚園や小学生の喧嘩で親が相手の子供の家に謝りに行ったり、学校にパワハラする事もありませんでしたからね。それは子供の日常に過ぎなかったのです。今のご時世を見ていると、世知辛く、兎角、人の世は住み難くなっていますよね。 私が高校生の時に、同級生の男の子(今時は草食系男子らしいので力業で女の子と喧嘩して負けていじめられる事もあるそうなので、ワザワザ男の子と書かないとダメらしいですネ?)と喧嘩をして、歯を折って家に帰って来た時には、母が「あんたも喧嘩するのネ!安心したわ!」て言って、笑っていました。同級生(別の)お母さんのやっている歯医者に治療に行ったら、「(治療の)請求は相手にしなさい!」と言われて、「いや、原因は僕にあるので、自分で払います!」と言ったら「あら、そう??」てなのどかな時代でした。次の日に学校に行ったら、私を見て、数学の先生が、私の顔を見て、顔を真っ赤にして笑っていました。私が喧嘩をしたのが、余程面白かったらしいです。誰も、私の喧嘩の相手の男の子が誰で、その喧嘩の原因は・・なんて、気にしていないのどかな昭和の時代でした。もっとも、同級生の応援部のキャプテンの子(男の子ですよ!)は、「応援部として仕返しに行ってやろうか?」と言って来たので、「いや、原因は俺が悪いのだから・・」と言って引き下がって貰いました。そのキャプテンは今は長崎大学の医学部の教授ですがネ。それが、唯一の高校生の時の喧嘩・・・。 その前の記憶にある幼い時の喧嘩は小学校の5年生くらいの時で、私は「戦争未亡人のおばあちゃん子」という事で、ひ弱で、軟弱な男の子というimageが定着していて、女の子達にも相手にされなかったのですが、学校のボスと副ボスの二人に掃除の事で因縁を付けられて、二人を相手に(2対1で)喧嘩をして、結果は当然ですが、お粗末にもボロ負けして・・家に逃げて帰ってしまいました。しかし、それ以来、私は「おとなしそうに見えるだけ」の結構喧嘩っパヤイ、やばい子だ・・という風に見られるようになって、周りからは一目置かれるようになり、二度とイジメのような事を受ける事はなくなりました。ボス達も二度と私に因縁をつけるような事はありませんでした。私にチョッかいを出したら、負けると分かっていても、その2倍は抵抗されるという事が分かったからです。中学生1年生まで、田舎で過ごして、2年次からは、勉強のために、母の元に引っ越しました。高校生のその喧嘩まで、一度も喧嘩をした事はありません。長崎の街は田舎と違って、流石に、子供達も洗練されていて、田舎特有の暴力的な野蛮さは無かったのでね。でも、有りがたかったのは、そのどちらも、当時は子供の喧嘩という事で、笑い話で、放ったらかされていたことです。大人が介入したら、結構陰湿なものになったでしょうね。そういった意味では、今の子供達は色々と可哀想です。国が豊かなので、大人が暇なのでしょうね。
7月5日 14:50

かなり長い曲を見事に
やりきってて、感動???
後半 どんどん波にのってて
かっこいいわぁ??????
7月3日 12:52

千野 由実
千野 由実 ありがとう!
最後まで聞いてくれてありがとう(*^^*)
技術もそうなんだけど、何かに打ち込めるって凄いことだよね。
私も生きるの頑張ろうと思ったわ?
7月3日 13:06

何かにひたむきになっている姿を見るのは私に取っては感動です。でも、そのひたむきさは、時として、社会の常識に惑わされて目標の視点がズレてしまっていて、それでひたむきに頑張っている姿を見るのは、私としては、(理解をしようとはしているのですが)・・やはり辛いです。その子供達の延長線上に、目標がないだけに、また、その頑張りが一般的なだけに、私のadviceは耳に入らないので、諦めてただ漫然と見ている他はありません。しかし、そういった社会の常識に囚われていない幼い子供達は、自分の感性に従って、pureに目的目標に向かって走っています。その姿を見る事は、やはり感動なのです。私がいつも言っている事が時折、間違えた事を生徒達や保護者の方達に示唆しているように思える事があります。でも、古の昔の人のお話を紐解いて見ると、実に「当たり前の正論」を言っています。純粋に何かに打ち込む事は、決して辛く頑張っているのではありません。楽しいから一生懸命になっているだけなのです。生きるのを頑張る事は、子供に取っては当たり前の事なのですが、大人にとっては、非常に難しい事です。余りにも沢山の美味しい話が自分を取り囲んでいるからで、情報に振り回されてしまっていて、自分を見失ってしまうからです。生きるのを頑張る事は、その刹那、刹那を味合う事です。今日はどんな良い事があった??と、毎日を暮らして行けるのなら、怨霊病魔は退散します。日々是好日ですよ。でも、これを言うと、また私は誤解されてしまうのです。つまり、ただ単に、周りに振り回されて生きて行ったら、目先だけしか見えない・・という「刹那を生きる」人になってしまうのですよね。「今を楽しく」という信念は、人の妄言に惑わされない・・という意味もあるのですよ。「正しく見る」という事は本当に難しいのですよね。私には理解出来ませんがね。
7月5日 14:55



凄い!!!???出会った時に赤ちゃんだったみーちゃんがこんなにお姉さんになって頑張ってる姿をみて感激!!!!!本当に子供の吸収力って凄いですよね!!!親がうまい具合にフォロー出来たら良いですよね!
7月5日 10:03

千野 由実
千野 由実 まなちゃんありがとう?
当時はおむつも替えていただいたんじゃないかしら?
バス旅行とか、、楽しそうだったよね!恵まれた環境でした!
そそ、親って言われても。私がまだ子供?。。教えるなんて無理?応援は出来るけど!
いいね! ・ 返信 ・ 1 ・ 7月5日 11:54

皆でBBQしたりもありましたね??楽しかったですねー??
私、バイオリンとかピアノ(ピアノは習わしてくれたのに続かず??)とか出来ないのでもう尊敬です??
私も陰ながら応援してます!!!????
7月5日 15:12



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高校と大学時代のお話

7月3日 11:24 ・
似たような話なので、そのまま前のコメントに続けても良かったのですが、話が余りにも(いつものように)長くなり過ぎるので、こちらに書きます。
私が高校生の時には、周りの人達は、私が当然、医者になるものだ!と思い込んでいて、私が「音楽大学に進学したい!」と言ったら周りから総スカンをくってしまいました。
特に、養父からは、病院を継いでくれるのなら、医学部の裏金も出してやるし、当時は極めて珍しかったマンションも買ってやるし、車も・・当時の学生では、車を・・・、等々の好条件を提示されて、もし、それ以外なら、大学の入学金や授業料、生活費は自分で出すように・・と言われました。
まあ、当時の長崎大学の医学部の教授達は、私の父親の教え子だったので、裏金は必用は無かったとは思いますが、マンションと車には触手が動いたかもね・・??でも、高校生の無謀さと一途さで、なんと、音楽大学に進学してしまったのですよ。あ〜ぁ、勿体無い!!という事で、入学金は伯母に借金をして、養父と交渉して、何とか授業料だけは出して貰うようにはなったのですが、流石に、勘当の身では、生活費迄はどうしようもありません。という事で、当時受験で師事していた先生達に泣きついて、受験生を回して貰ったり、Classicというgenreに限ってですが、色々な呼び屋さん(プロダクション)の仕事等をバイトしました。教授達の音楽会の評論を書くお手伝いから映画のPianoを演奏する髪の長い後ろ姿の美しい女の子や、NHKの唄のお姉さん役の大学の後輩の年上の女の子等々、或いは第九の合唱のmemberを集める仕事等です。受験生を指導する他に、色々な雑多なバイトで、当時、東大の卒業の初任給が1万5千円の時代に、私は大学生のバイトだけで、月7万稼いでいたよね。2013年の東大生の初任給は19万8千円だそうだから、13倍という事で、単純計算で月91万円ぐらいの収入になります。年収では勿論、1092万円になりますかね。でも、毎日、寿司屋でトックリを17本も並べていては、ダダのあぶく銭ですよね。でも、留学の費用は出来たよ!!(ああ、1$=360円の時代ですよ。)
音楽大学を卒業して、留学から帰って来ても、大学に努めながら、それに近い金額は稼いでしました。唯、大学を除いたら、仕事は定職ではないので、「働けなくなったら、どうしよう??」という一抹の不安があった事は事実ですが。定職ではないのでね。
今でもたいして変わらないのですが、音楽大学の学生達のバイトは、男の子は西武の配送係で、女の子達はパルコのレストランの接客と相場が決まっていて、お金が欲しい女の子は、弾き語りの出来るスナック等でバイトしていました。
「折角、音楽大学にいるのだから、もうチョッと、音楽の勉強に繋がるバイトをしたら??」・・というと、決まって、音楽教室でのPianoの先生でしたかね??
「それしかないの??」と質問すると、応えは「それしかないのよ!」でした。「音楽大学って職業学校じゃあないの?」と聞くと、「音楽って職業なの??」という応えが帰って来て、は〜ぁ、何じゃ、そりゃ??・・てな具合で、堂々巡りですよ。
教室に来た男の先生が、私に「芦塚先生、男性がClassicで生活をするのは無理ですよね??」と聞いて来ました。
あれ??俺って、生活出来ていないように見えているのかな??
確かに、音楽教室では、生活するのは無理かも知れないけれどね
音楽教室ヤメれば、私って結構豊かに生活出来るのだけどな〜ぁ!!兄貴と同じように、房総の山奥に・・否、海辺が良いなあ〜ぁ??
と言っていたら、先生達のキツ〜い一言:「芦塚先生!コンビニとビック・カメラがないと生活出来ないでしょう??」だって!!・・・?(?`^´?)?


・・で、何を言いたかったの??って・・?? 音楽大学では、職業として音楽を教えてはいないのですよ。だから、音楽大学の卒業生はproにはなれないのよね。当たり前でしょう??
7月3日 11:27

ええとですね。
ええとですね。
ええと。最近考えていることがあるのですが、流石にネット上で言っていいものか微妙なので、今度ゆっくり聞いてくださいませ。

芦塚先生は引退出来ません!ハイ!
7月3日 11:45

有名になりたいです。有名になれば、連絡取れなくなった友人と連絡とれたり、子供や嫁が、尊敬してくれそうな気がします。
7月3日 22:00


有名になる・・という事と、名前を知られるようになる・・という事は基本的に違います。奇を衒えば有名には直ぐに成れるかも知れませんが、忘れ去られるのも同じように早いのですよ。奇を衒ってしまえば、名前は売れるかも知れませんが、子供には馬鹿にされるかも知れません。連絡が取れなくなった友人ですが、相手の人があなたに思い入れがあれば、必ずいつかは連絡が取れるようになります。しかし、Facebook等で、どのように自分の名前をappealしても、相手にとってあなたが必用のないただの知り合いに過ぎない場合には、基本的には連絡は取れるようにはなりません。全くの偶然の機会の時に、連絡が取れるかも知れませんが、それも長続きはしないでしょうね??私は、鬱が酷いので、ろくすっぽのadviceしか出来ません。あなたに有益なadviceをするのは、とても無理かも知れません。私も、同じように、色々と悩んでいるからです。但し、私が私自身の事で悩むのは、肥満と糖尿病と、体力の衰えだけです。後の、私の悩みは、総て、他の人の将来の事で、私には関係のない話です。だから、本当ならば、私の事が、信頼出来ないのならば、その人の事を思い悩む事はしなくても良いはずなのですがね。それが分かっているはずなのに、それでも、ついつい悩んでしまう・・それを業と言います。昔は私にはlifeworkが合ったはずで、弟子を教えなくても、作曲や論文や詩作に専念すれば、私としては、それなりに幸せなのですよ。 一範君が、子供達や嫁さんに尊敬されたい気持ちは、私もよく理解出来ます。私も実は、生徒達や父兄の人達から尊敬されたい・・とか、私の事を本当の意味で理解して貰いたいと、思った事もあるからです。でも、そういった周りの人達へのappealと、家族が父親を尊敬し、愛してくれる・・と言う事は、その父親が、有名である必用も、尊敬出来る必用もなく、父親が日々を活き活きとして、人生を楽しんでいる姿を見せられれば良いだけなのです。格好良い親を演出する必用は全くありません。自分の信念に従って、コツコツやっている人、頑迷なぐらいに自分の生き方に忠実な人・・、周りの人達に頼り甲斐がないと思われたとしても、常にハッピーな気持ちを持ち続ける人、そういった人になれば、家族も周りの人達からも愛されるようになります。尊敬される人よりも、愛される人を目指してください。間違えても、人から愛される・・と言う事は、他の人に取っての、「都合の良い人」・・という意味ではありませんよ。人の役に立つから、人の望みを叶えてあげるから・・愛されるという分けではないのですよ。今日は、たった今、千葉から帰って来たばかりなので、疲れてしまったので、独居老人のように、ちゃんと一人でwineでも飲んで、寝ます。お休みなさい〜!!・・今からね・・???
7月4日 1:25

あ〜っ!!この厳しいmailは、私の弟子に対してですから、悪しからず!!この程度の、お説教は私の弟子なら、毎度の事なので・・、何をか言わんや!・・ざんす!!尤も、その説教も、耳タコかも知れないけれどね。
7月4日 1:33


大分心が、楽になりました。正論です。また自分が、振れそうになった時、読み返します。
7月4日 18:45


コンビニとビッグカメラで爆笑しました!??
7月4日 11:38








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ensembleの難しさ

7月4日 13:52 ・
Vivaldiのviolinconcerto Op.4Nr.9 F 1楽章 途中空中分解したけども、とまらず合わせちゃうあたりが芦塚クオリティ?
・・って、コメントを呼んで、笑ってしまいました。
・・という事で、指揮に関するよもやま話系の雑談です。
私の昔々の音楽大学時代の経験なのですが、私に取っては指揮での苦い体験があります。
当時の音楽大学には(指揮の授業はありましたが)指揮科すら無かったので、1年生の夏休みを前にして、有志を募って、私設(私個人)のcantataのorchestraを作りました。(大学1年生の頃から、作曲科の作品発表の場がなかったので、大学祭で作品発表をしたり、Cembalo科が無かったので、Cembaloの先生とCembalo科を作って、その学生に収まったり・・と大学を完全に私物化していたので・・)勿論、楽譜は私が個人的に購入したものです。そうして練習を始めていると、その話が教授達の間でも噂になって、「cantataをやるのなら・・?」と外人教授から、「愛弟子の院生を、是非使って欲しい」と、楽譜を渡されて、段々話がでっかくなって行きました。最初は、仲間内で、練習を楽しんでいたのですが、その院生は北海道在住の人なので、中々練習に参加出来なくって、私は、10月の本番を危惧していましたが、イギリス人の女性の教授もその女の人も自信満々で、私の心配はどこ吹く風・・でした。北海道からワザワザ、飛行機で練習に駆け付けてあげる・・という上から目線で、練習2回のゲネプロ本番の定形の練習だけが、その院生の出来る範囲という事だそうで、仕方なく、本番に臨みました。余りにも、練習回数が少ない・・という事を危惧してはいたのですが、本番当日、Bachのcoffeecantataの美しいLieschenのAriaで、fluteのobbligatoが始まって、sopranoの歌が入って来る場所で、・・・な!な!な!なんと!・・私のeinsatz(指示)を待たずに1小節も早く歌い始めてしまったのです。歌をやり直す事は出来ないので、慌てて、私はbasso continuoのCembaloとcelloとfluteに1小節飛ばすように指示を出したのですが、通常のorchestraでは、そういう事は出来ません。
soloの子供が弾く場所を弾き間違えた途端に、それを1拍を待たずして瞬時にorchestra全体が移動して子供に合わせる事が出来るというのは、世界広しといえども私達の教室のorchestraだけなのですよ。だけど、そのための練習を何かやっている分けではないのですがね。いつの間にか出来るようになっているのですよ。牧野先生が「私にcelloを習った事はない!」とか、生徒達が他の楽器を習った事がないのに、平気でviolin等を上級者に混じって弾いたりしています。牧野先生には、「オケでcelloを弾いているのを見ているだけで演奏出来るようになるのかい?」と逆に質問すると、「それは有り得ない!」という答えが帰って来ます。生徒達も何故一度も習った事のないviolinが弾けるのか分かって弾いている生徒はいないのですよ。それが芦塚メトードの七不思議です。
世間一般では、楽器を習っている生徒が、別の楽器を習う場合には大変な努力を要します。だから日本では、一つの楽器に専念するように教えられるのです。でも、ヨーロッパでは、私の師匠であるGenzmer先生も、「先生はなんの楽器が弾けないのですか?」という質問に先生は答える事が出来なかったのですよ。Genzmer先生はHindemithのclarinet・concertoを初演しています。という事は、世界一のclarinet奏者という事ですよね。若い20代の頃は、オペラ座の第二violin奏者と教会のオルガニストという職で生計を立てていたそうで、チャンスは、Hindemithのマリアの生涯という大変長い歌曲の演奏会の時に、伴奏者が本番の直前に病気で出演出来なくなって、Genzmer先生に電話が掛かって来た時に、「20分ください。」と頭の中で楽譜を思い出して、完璧に覚えている事を確認して、演奏会のオケ−を出して演奏会に臨んだ所から、その後の地位を築けたそうです。
私が、「自分が怠け者である事を悩んでいます。どうすれば先生のように勤勉に成れるのですか?」と質問をしたら、Genzmer先生は30分程、考えこまれて、一言「私の師匠のHindemith先生は、画家マーラーのpart譜を一月で書き上げる程、勤勉だった!」と言われました。
色々な事が出来る用になるのは、一つの正しい方法論を学べば良いのです。間違えたやり方では、その一つでも出来るように成る事はありません。作曲家が違っても、楽器が違っても、或いはgenreが違っても、その方法論に違いはないのです。だから、私のmethodeでは、たった一つのmethodeを学ぶ事によって、色々な分野の色々な事が出来るように既に予めprogrammingしてあるのですよ。
指揮のお話に戻って、大学時代、大学のorchestraの学外の演奏会でのお話ですが、外人教授の指揮をする演奏会の時にorchestraの生徒が入りを間違えてしまいました。その時は、Hellner教授はorchestraの演奏を止めて、最初から演奏をやり直しました。会場はシーンとなって、聞いていた私達も、皆、真っ青になったよね。あれは、とんでもない恐怖でした。
私の大学祭の時には、最後の10小節ぐらいで皆が気がついて私の指示に合わせて、小節を飛ばしてくれたのですが、彼女としてはPianoのpartで合わせたりしてそれなりに、練習はして来たのでしょうが、少人数のcantataでも、オケはオケなのですよ。入りのeinsatzを見ないで勝手に、入ってしまっては、上手く行く分けはありません。私に取っては、一生忘れられない苦い思い出になってしまいました。
その女性は練習に来なかった事を、平謝りに謝ってはいたのですが、幾ら誇り高い院生が1年生の若年の私に謝ったとしても、本番のミスはミスなので、謝って許されるものではないのですよね。
そこは同じ大学でも、一般の大学とは全く違うのですよ。(一般の大学ではゴメンで済まされる事も、音楽大学では、許されないのですよ。そこが分からんとね。)
大学の学生時代に、私が外で演奏会を開く事があって、学生科にその旨の報告に行ったら、基本的には、音楽大学では、学生が外で演奏会をするのを認めていない・・と、言われてしまいました。理由を聞くと、外での失敗は学校の不名誉になるからだそうです。だから、私の公開の演奏会は、当然、許可して貰えました。私は学生扱いではなく、特待生だったからです。
話を戻して、・・その学祭での一回の失敗は私に危機管理の大切さを教えて来れました。
如何ようなミスをも、どうすれば最低に抑えられるのか、その演奏会の失敗が、芦塚メトード独特の失敗の練習のmethodeを産み出しました。
(音楽の場合には、自分の責任ではないミスでも、結果は自分のミスになってしまいます。人様が犯すミスでも、それをミスさせないようにするのがproの技なのですよ。)
その話はそれまでとして、今度は逆のお話です。
proのorchestraでは、指揮者の指揮(einsatz指示)を見て入って来る演奏家は殆ど居ません。逆に、指揮者から、入りのeinsatzを指示されると、「自分が下手な演奏家であるように思われている」・・と、「馬鹿にされている」・・と思って怒り捲くるオケマンも多いのですよ。
しかし、音大生の場合には、全く違います。
千葉に教室を開設したばかりの頃、子供達がMozartのPianoconcertoを演奏する事になって、Keyboardの音が嫌なので、少しでも生音という事で、音大生の管楽器の学生を雇った事があります。条件は「音楽教室なので、子供達のお勉強なので、einsatzは子供達に出すので、管のpartには出さないので、自分達で責任を持って入って来るように!」という約束をしました。しかし、練習の時から、何度、練習をやりなおしても、全く入って来れないのですよ。とうとう本番直前から、子供達にeinsatzを出すのではなく、音大生の管楽器の人達にだけeinsatzを出したのですが、本番も、それでも入って来れなかったのですよ。その大学のlevelが低かったのかも知れない??という事で大学を変えて、その後も二度程、挑戦して見たのですが、結果は全く同じでした。それ以降は音大生を雇うのは諦めてしまいました。弾けもしないのに、お金はちゃんと一人前に請求するのですがね。出来た事に金を払うのが筋ではないのかな?というのが、私の考え方なのですが、それは音大生には通じないようです。昔、知り合いのトロンボーンの人が、トラでFaure のレクイエムの演奏に行って、本番のtuttiで演奏をして、後は最後のtuttiまでトロンボーンが出て来ないので、ウトウトと寝てしまって、気づいた時には自分の出番は終わっていたそうです。「半分しか弾かなかったのに、ギャラを貰ってしまった。芦塚さん、ギャラ、返した方が良いのかな?」と嘆いていました。おいおい、嘆く場所が違うだろうが・・!!
指揮の神様とも言われているカラヤンの練習風景を見ると、演奏会の時の指揮との余りの違いに驚かれると思います。あの優雅な指揮は、練習の時には全く見る事が出来ず、Metronomのように、上下に動く、所謂、1拍取りで、正確なtempoを振り下ろすだけなのです。実に、単純で、正確で間違いようのない分かり易い指揮です。
これは他の多くの指揮者も、練習の時の指揮は同じなのです。
殆どの指揮者は、指揮棒ではなく、言葉で演奏表現や、tempoの揺れ等を指示します。私が学生時代に読んだ本の解説では、指揮者はバトンだけで演奏表現の総てを表せなければならない・・と書いてあって、感動した覚えがあります。しかし、ヨーロッパで勉強をし直したり、NHKの岩城先生とも、親しくお話を伺ったりして、指揮者はそんな場当たりの演奏はしない・・と言う事を注意されました。演奏は言葉で正確に伝達して、batonは、それ付随的なTechnikに過ぎないのだと言う事を学びました。
という事で、本番の指揮は殆ど、Performanceと言っても良いと思います。・・とは言っても、指揮のTechnikはとても大切なのですよ。殆ど見えないような微妙な動きで、orchestraは見違えるように変化をしますからね。
次は演奏者の話です。
指揮に慣れていない人達の場合は、指揮棒を見ながら演奏する事が出来ないので、自分の耳で、他の楽器のpartを聞いて、それに頼って音を合わせようとします。
しかしそれは、いつもの文化会館の小ホールのように狭い舞台でも、耳に頼って音を合わせると左右の楽器の音がズレてしまうのですよ。
本人はちゃんと合わせているつもりでも、時差(timelag)が出来てしまうのです。教室の常設曲であるcanonは、それが尤も顕著に表れてしまう曲なのです。melodieが追っかけっ子をするので、相手のmelodieを聞いて合わせようとすると、どんどん曲がズレて行きます。memberが新しくなる度に、最初から合わせる訓練をします。ですから、通常は、もし耳で演奏したとしてもズレ内容に、1stviolin、2nd、3rdと並ぶのが普通です。そうするとrhythmが微妙にズレるのを防ぐ事が出来るのでね。
教室の場合には、曲が立体的に聴こえるように、それぞれの追っかけっ子のpartが一番遠くになるように、並びを決めています。その分、演奏は難しいし、batonを見る事がとても大切になるのです。
 
実は、指揮棒をちゃんと見れるように訓練する事は、そんなに簡単な事ではなく、音楽大学の学生オケや、proのオケでも、大人の「なぁ、なぁ、やぁ、やぁ〜」の慣れ合いで、演奏しているのに過ぎない場合が多いのです。
でも、慣れで演奏している演奏では、不可抗力の事故には対応は出来ません。
教室の演奏で体を揺らして、演奏するのは、勿論、弓のパワーを得るためなのですが、同時にtempoのtimingを合わせるという意味もあります。もし、指揮が見れなかったとしても、体の揺らしが合っていれば、聞こえて来る音のtimeragを失くす事が出来るからです。
但し、今回のVivaldiのFのviolinとbasso continuoとのズレは、そう言ったbowが見えるか否かの問題ではなく、その前の段階の問題です。演奏している子供が、一生懸命になってしまって、周りの音が聞こえなくなって、自分の演奏だけに集中してしまったからなのです。soloの場合には、それでも伴奏者が合わせてくれるので、破綻をきたす事はありません。しかし、ensembleでは、そうは行かないのです。曲を統合する指揮者に合わせて演奏する技術が必用になるのです。自分に閉じ込もって演奏している時には、周りの事は見えません。だから、私の目を見れた瞬間に、我に帰って、指揮を見る事が出来たのです。指揮が見れれば、問題はありません。という事で、後半は安定して演奏する事が出来たのですよ。


笑ってしまいましたか(*^^*)??
失敗することでまた次にチャレンジ出来ますよね。成長出来るって素晴らしいことです!

失敗は成功のもととはよく言った事ですね。

それにしても 指揮されてるのは 芦塚先生、ですよ、、ね?!笑
7月4日 15:20


失敗は、そのままでは失敗に過ぎません。失敗をバネにして・・てな、根性も、私はトンと持ち合わせてはいません。根が弱い性格なのでね。失敗を分析して、そこで学ぶには、根性は要らないのですよ。ケ!ケ!ケ!と笑い飛ばせば良いだけです。ケセラセラはダメです。成るようになっては、ダメなのですからネ。それに、[自分は失敗しないので・・」という過信もよくありません。車の運転に自信持っている人によく注意する事は、事故の大半は貰い事故なのですよ。自分の腕が幾ら良くても、事故を防ぐ事は出来ないのです。  失敗の反対の言葉は成功ですが、音楽に成功はありません。芸術が100%というのは、その人の行き詰まりを意味するからです。私は生徒達には、自分が満足の行く演奏が出来た時は、音楽家を止める時だ!と言っています。その人の限界を意味する分けなのだからね。ダビンチでも、ゲーテでも死ぬまで自分の作品を訂正し続けたのですからね。演奏もそうです。同じVivaldiの同じ曲でも、年齢と技術が向上して、精神的にもNiveauが上がると、演奏もそれに連れて向上する・・という事は、昔完璧に演奏出来るようになった曲が、完璧ではなかった・・という意味になるのですよ。究極の完成はないのですよね。
7月4日 16:23

ああ、指揮しているのは、多分、ハタチ前の・・未成年の私です。つまり、50年以上前の写真なのですよね〜ェ!
7月4日 16:29


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体調不良

7月5日 4:01 ・
近頃は毎週の事なのですが、千葉行きの次の日の夕方からは、睡魔と意識混濁が起こって来て、8時、9時頃から寝込んでしまって、毎日のプリっ歩、ドルっ歩に行けなくなってしまいます。実は、今日もその典型的な一日でした。事務所では先生が食事の用意をしてくれているのに、体が言う事を聞いて、起きてくれないのです。
それでなくても、普段は、一日中パソコンに向かって作業をしているので、夜のプリっ歩、ドルっ歩がなくなると、全く体を動かす事がなくなってしまいます。それどころか、夜の2時や3時に目が醒めると、夜食を抜く結果になってしまうので、一日一食のお相撲さんの食事になってしまいます。肥満には最悪の状況ですよね。という事で、先生が夜の食事をこの2,3回、お弁当にしてくれました。深夜、目が覚めた時に、バイクで取りに行けるように玄関にお弁当を置いてくれました。という事で、3時過ぎにバイクを飛ばして、お弁当を取りに行きました。(ついでに公共料金の支払いも、コンビニで・・)は〜ぁ、それで、コンビニがないと私は生活が出来ないのかな??
でも、上手くコントロールが出来る時には、8時頃に睡魔が襲って来た時に、上手に寝れると、ドルっ歩の10時頃には、2時間か2時間半の睡眠で、起き出す事が出来て、ドルっ歩や食事もちゃんと、出来ます。それが上手く出来ないのは、疲れもそうですが、それよりも、やはり体調なのでしょうね。
今日の夜は超寒いです!部屋の中は閉めきっているので、クーラーが必用な程、暑いのに、外は寒くて風も強いです。窓を全開に開ければ良いのですが、ただ問題は外の湿度が96%もある事です。部屋の窓を開放すると、やがて、畳や床が湿気って来ます。私は湿度が一番苦手なので・・それはまずいのです。その湿度をもろに浴びていると、悪性の巨大な湿疹が出来て、膿んだりして、ケロイド状態になったりして、大変な事になります。でも、長崎では、なった事はないのですよ。長崎も結構湿度は高かったような気はするのですが、湿度の種類が違うように思います。港町なので、空気が潮風なので平気なのかな??
普段も先生達の仕事の関係で、夜食は極めて遅いのですが、これは私達だけ・・というのではなく、一般の音楽家達も、演奏家達は全員そうなのですョ。音楽家は基本的に夜の仕事なのでネ!
或る演奏家の女性の人が、いつも午前中は寝ているので、配送業者の人に「水商売の女性」と勘違いされて怒り捲くっていたました。・・・(笑)
Classicの奏者ではないかも知れませんが、スタヂヲ・ミュージシャンはinは夜の11時頃で、outは朝の4時半から5時ぐらいです。これじゃあ、完全に水商売ですよね。でも、水商売並に稼げる事も事実ですがネ。
何故、スタヂヲは夜に録音をするのか??・・ですが、その時間は、車が少ないので、振動が録音に影響し難いからなのです。
スタヂヲの一本ウン百万円のマイクは、腕時計の音までも拾ってしまいます。私がスタヂヲで仕事をしてた時に、proのorchestraの演奏家の人が、PAさんに腕時計をしてスタヂヲに入ってしまい、怒鳴られていました。Classicの演奏会でも、腕時計はしないだろうに、オケマンに取ってはスタヂヲの仕事は滅多にしないので、ついつい忘れてしまったのよね。「クオーツだったら、耳に聞こえないので、マイクは音を拾わないのでは・・?」って??
それは違うよ!耳には聞こえないクオーツの振動でも、マイクで増幅されてピーという「ピー音」に成るんだよ。だから、人間には感じられない地面の振動もマイクは拾ってしまうのだよ。
私は、夜は極めて就寝が遅いのですが、老人性の早起きで、寝付きが悪く、朝が早いので、5時、6時には、(時には4時頃には)もうベッドを起きだして、仕事を始めています。
でも食事は、通常の9時頃や、遅い場合には夕方の4時、5時まで、食事を取れない事もあります。結構忙しいので、忘れてしまうのですよね。仕事が忙しいので、お腹が空いて、食事をしたい時でも、どうしても、「ながら食事」の悪いパターンになってしまいます。『ながら食事』は肥満には極めて悪いのは分かっているのですが、独居老人の誰に気兼ねの要らない「一人食事」なので、食事時間を取るのも惜しんでしまい、ついつい皆には「やってはイケない!」と戒めている・・「ながら食事」をしてしまいます。
もっと、日常のメリハリを付けないとね〜?
分かってはいるのですがね〜ぇ??・・時間がないのよね〜ぇ??時間だけは、神様が皆に平等に与えた物なのにね〜ぇ??
時間を無駄に使う人は、時間の足りない人に、その無駄な時間を売る事が出来ると良いのにね〜ぇ??


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16年4月3日Seitz Op.15Nr.4 D DurV瑞希
7月5日 ・

https://www.youtube.com/watch?v=eFC16j_8S1Y&feature=share
16年4月3日Seitz concerto No.4Op.15D DurVMizuki Chino(9歳)
16年4月3日の芦塚音楽研究所千葉教室の春の発表会の演奏風景です。
千野瑞希ちゃん(小4)が、Seitzのconcerto第4番の3楽章を演奏します。
伴奏は本田梨紗さん大学1年生です。


あれ??シェアしても、コメントは付いて来ないのですよね??それは困った!!
7月5日 11:46
では、タグ付けしましょうか?
いや、させていただきましょうか?
いいね! ・ 返信 ・ 7月5日 11:49
お願いします。
7月5日 11:50


突然芦塚先生がこれをシェアしたらみなさんびっくりするでしょうね。
コメントが重要なんですけどね笑い
7月5日 11:50
そうです。コメントが必用だったので・・。
7月5日 11:51
ついでに公開友達限定も解除しておきました(*^^*)
いいね! ・ 返信 ・ 7月5日 11:55
了解です!
7月5日 11:58
旅の恥は掻き捨てという事で・・
7月5日 12:04
光陰は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり・・、で、旅の恥に繋がります。ハイ!
7月5日 12:06

下から読むんですね!ハイ!

芦塚先生はいつも公開限定してませんよね?
7月5日 12:20
自分の事は、チョッと私的過ぎて公開には則さないと思う事でも、人にとっては必用な場合もあるかもしれないので、私の個人的なお話でも、基本的には公開しています。何かの参考になれば・・という事です。・・人生を旅に見立てて、恥の掻き捨て・・に繋がります。教室の活動に関しては、本来ならば私のFacebookではなく、教室のFacebook上にuploadしたいのですが、先生達が忙しくて、Facebookを書く暇がないし、事務所の2階までロッククライミングするのは、もはや、体力の限界なので、仕方なく私のFacebookに教室のこもごももuploadしているので、公開非公開が混乱してしまっています。原則としては、演奏や練習に関しての公開は、3回オケは私の指導なので、公開を前提としています。また、orchestraや室内楽の練習風景は、勉強のために、是非、他の生徒達にも見ていただきたいので、今年から公開する事にしました。2回オケは、今は、一々、面倒でも、soloを演奏する子供の・・保護者の方に確認をしていますが、音楽は多くの人達に対してのmessageなので、人へのappealが大切なので、非公開はそもそもそぐわないし、しかもオケ・室内楽は集団教育なので、原則として公開にしてしまいたい、という事で、オケ・室内楽の申し込みにそういう風に書きたいのですが、先生達の意見もあるので保留中(思案中)です。
7月5日 13:56


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さ、さ、寒い!!
7月5日


7月5日 ・

ハイツの窓の下の公園には、午前中には子供達が騒いでいたのですが、今は人っ子一人居なくなってしまいました。雨は降っていなくって、風も収まっていますが、何せ寒い!!ついに20度を切ってしまいました。でも、湿度は相変わらず90%を越しています。寒いのに湿度が高いとは何事よ!!空もどんよりとして今にも雪が降って来そうな雰囲気です。アハッ!

その寒さを少し分けてほしい(笑)
7月5日 12:20





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あ、あ、暑い!!
7月8日 ・

そろそろ天気の話をするのもマンネリ化して来ましたが、昨日はなんと練馬は今年一番の温度で37.7度だそうで、今朝のハイツの温度は21度で寒いです。湿度は相変わらずの90%超えの93%です。私の人生ではこんなことは無かったと思うのですが、テレビ等を見ていると、それでも、異常気象にはしたくない人達の方が多いようですね。何故だろう??

(8日の話です。)朝は涼しいと思っていたら、そのまま気温が上がり続けて、お昼には30度超えになってしまいました。それでも、湿度は相変わらず全く変わらないので、ついに、息が出来なくなって水素水や携帯酸素のお世話になったのですが、全く意味がなく(当たり前か??)、いよいよ肺気腫のボンベが必用になったのかな??と思いました。諦めてベッドで、1,2時間、ひたすら安静にしていたら、7時8時頃から温度も27度と安定して来て、体調も戻って、やっと息が出来るようになりました。一昨日は37.7度だったのに、その時には肺気腫状態にはならなかったので、温度だけが原因では無いようなのですがね。
7月8日 21:22

大丈夫ですか。
今日も雨が降って、湿度高いですよね。。
7月9日 23:52

今日は日中は比較的に元気だったのですが、夕方の7時頃から夏時間の散歩に出掛けたあたりから突然体調不良になってしまい、公園のベンチで座りっぱなしでした。食事も早く9時頃には、食べたのですが、余りにも気分が悪いので大急ぎでハイツに戻ってベッドに潜り込みました。明日はロングランの予定ですが、千葉までたどり着けるか心配です。という事で、又、頑張って、明日に備えて、寝込みます。(楽屋内の言葉=夏時間の散歩:夏は道路が熱いので、柔らかな肉球には、アッチッチと、耐えられないので、道路が熱くなる前の朝早くに散歩に出掛けます。8時、7時がもうそろそろダメなようなので、6時代の散歩になると、遅くても夕方は7時頃には散歩をしないと、限界になってしまって、お漏らしをしてしまいます。それが、夏時間です。)
7月11日 11:32



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高齢者講習
7月13日 ・

昨日は始めて高齢者講習に行って来ました。勿論、任意の講習ではなく、法定の講習なので、その証明書がないと、免許の更新が受けられません。平成の10年から、もう18年もやっているのだそうです。知らんかったな〜ぁ?? どういう事をやるのだろう・・という情報不足や、もうかれこれ50年ぐらい「技能検査を受ける」という立場になかったので、結構なプレッシャーを感じていました。コンクール等の審査員に呼ばれて審査をする機会は、ちょこちょこあったのですが、逆の立場のはね〜ぇ??
講習の会場への道は、一応、パソコンで下調べはしていたのですが、結構入り組んでいたし、パソコンで行き先の道順を調べたのですが、パソコンに表示されたコースは、私の思っているコースとは全く違ったので、地図を一度print outして、赤で線を引いてコースを決めて、その地図に従って走るつもりでした。しかし、当日の朝の出発直前に、「折角、スマホを使っているのだから・・」とスマホにバイクナビをインスツールして、その音声の案内に従ってバイクを走らせました。バイクナビで表示されたコースは、私が予め、地図に赤を引いたそのままのコースでしたので、最短でミスも無く走れました。
講習は教室毎に12名づつselectされて、更に担当の教官が3名で3名の人数を指導する形でした。グループの参加者は不思議な事に老人ばかり来ていました。とは言っても、75歳迄の人達だったので、皆さん、現役で働いている人達だったので、講習の進行も早く、予定時間よりも早く終わりました。基本的には、視力と視野の検査と、ディスプレーでハンドルの操作をしながらのブレーキとアクセルの踏み変えのテストがあったのですが、おもちゃのような画面でも、一人もゲームをやった事のある人がいない・・という年齢層の人達でもあり、私も画面を見ながらのハンドル操作でしたが、アクセルとは無関係に速度が出てしまうので、自分の思っているスピード感とは違っていて、ハンドル操作も少しは画面が動くので、体が実際に動いているような錯覚に囚われて、画面を見ながらの練習があったのですが、それでは操作に全く慣れなくって、本番のテストの半分ぐらいは、動きに慣れないままでミスを連発してしまいました。後半は画面の操作に慣れて来てミスは出なかったので、採点は驚く程高得点だったのですがね。その次は実際の教習所の車で実技だったのですが、そこは、皆さんベテランの人達なので、逆に問題はありませんでした。私もかなり緊張して、喉がカラカラになってしまったのですが、運転には支障はありませんでした。
唯、今回は75歳までという事で、受講すれば合格する・・と言った類の講習だったそうで、次回の75歳以上のクラスになると、試験内容もかなり厳しくなって、認知のテストも入って来て、失格者も多く出るそうです。そのために、次回の75歳以上の高齢者講習に対しての心得をlectureする事が、今回の講習のconceptのようでした。・・それは助かりますよネ。
次は、体調のお話です。
普段は、日曜日にオケの練習が入ると、月曜日は1日寝込んでしまって、全く仕事にならないのですが、どういう訳か、前日のオケ練習が私にとってはこれまでとは違って、かなりロングランだったので、かなりバテてしまったのですが、次の日の月曜日は、朝の早くから起き出して仕事を始めてしまって、不思議な事にフルタイム稼働をして、夕方から夜に掛けては、練習の解説で舌足らずだった部分のvideoを、斉藤先生と梨紗ちゃんに演奏して貰って解説をして、時間切れになったので、慌ててドル・プリの散歩に行きました。という事で、食事の準備をする事も出来なかったので、コンビニ弁当で間に合わせました。
余りにもフルタイムで活動してしまったので、ハイツに戻っても、次の日の高齢者講習の準備も、何も準備しないままにひたすら大急ぎで、寝ました。とは言っても、バイクのガソリンが無くなっていたので、帰り道、遠回りをして給油をしてから、自宅に帰りました。
という事で、昨日の火曜日は、朝早くから、講習の準備をして、余った時間はvideoの編集をしながら、講習会場の地図の下調べをして、時間ギリギリにハイツを出発して、バイクを走らせて講習会場まで駆け付けました。
3時間、4時間の講習が終わったらそのまま、ドル・プリのお守りに事務所まで直接バイクで駆け付けたのですが、流石にオーバーワークになってしまって、頭がクラクラ(多分熱中症になりかかったのかな??)し始めたので、ドル守りを大急ぎで1時間くらいで切り上げて、急遽、ハイツに戻って、未だ8時頃で、時間は早かったのですが、即、ベッドに入って寝ました。夜の11時頃になったら、お腹が空いて、目が覚めてしまったのですが、・・そういえば、朝もろくに食べていなかったので、行きつけの寿司屋に軽く飲みに出掛けて、12時過ぎには、自宅に戻って来て、又、videoを少し編集し直して、改めて寝直しました。
いや〜あ、慌ただしい3日間であった!〜ぞなもし・・・!!
文章を読んでも、時間軸がよく見えて来ないのですが、今は水曜日のお昼になった所です。
きちんと熟睡が出来ず、短時間の睡眠を繰り返していて、その時間について書いているので、読んでいる方は、一日の内に、何回、起きて寝ているのか、分からなくなってしまう、と思いますが、書いている私は、その日に起こった事を書いているので、一日の時間軸は狂っていないので、未だ認知は出ていないと思うのですがね。
読むと支離滅裂に見えるかも知れませんね??日曜日、月曜日、火曜日と文字色を色分け出来ると良いのですがね。




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Vivaldi violinconcertoOp.8Nr.11D DurT楽章のsoloの部分のperiod奏法
7月13日 ・

月曜日にVivaldiのviolinconcertoのOp.8Nr.11D Durの1楽章のsoloの部分の解説のvideoを撮りました。この曲の冒頭のthemaは、F Durのconcertoのthemaと同じで4分音符が3個出て来るのですが、3回目がslurになっているので、通常は、最初の2個の音を切り気味にして、3回目の音を少し長めに演奏して、slurを強調して演奏します。
それはVivaldiが3回目の音にTieを書いているので、それを強調するためにそのように演奏する分けなので、極、稀には、違った解釈で、3回とも長めにsostenutoで演奏しているorchestraもあります。但し、その場合には、最初の2回の音符の長さと、3回目のTieの音符の長さの違いが聞き手には分からなく、3回とも同じ長さに聞こえてしまうので、それを前提にした演奏になります。でもそれはTieを強調するか否かの(ドイツ語ではDas ist Geschmackssche.)好みの問題になります!
ある時に、You Tubeで教室の生徒さん達に参考になる良い演奏を探していた時に、proのbaroque-orchestra(所謂、period奏法のbaroque-orchestra)の演奏にヒットしました。
そのorchestraは、最初の2回の4分音符を思いっ切り短くstaccatoにして切って演奏して、3回目のTieを繋げて演奏していたので、「そこまでオーバーにしなくても・・??」と、思わず笑ってしまいました。
しかし、実際に次のオケ練習で、子供達に演奏させると、(これまでは、いつもちゃんと出来ていたはずなのに、又々、元の木阿弥で、)3回とも短く切って弾いていたので、驚いてしまいました。
いやあ〜、proのperiod-orchestraの奏法は、笑い事ではなかったのですよね〜???
暫く放って置くと、またぞろ、元に戻ってしまうのですよ。教室の子供達のorchestraが、毎回同じ注意をしなければならないのは、子供達にとっては、3回とも、同じように切って演奏する方が自然なのかも知れませんね??
私達、指導する側にとっては、正式のarticulationに慣れて閉まっているので、3回目をslurにする事に慣れてしまっているのですが、proのオケがそこまでオーバーに演奏しなければならない程、3回目のTieを強調する事は難しいのでしょうかね??不思議だ??(もっとも、子供達にとっても、そのpassageは、技術的に難しい分けではなく、単に思い込みによるものなので、1回注意をすれば、その場は治ってしまう事なのですが、次にはまた元の木阿弥になるので、単なる根比べなのですがね・・・、問題は3回目をslurにする事については、私にとっては、それほど思い入れがない事なのですよ。ついつい、そう弾きたければ、そう弾けば・・??と思ってしまいます。・・いやいや、正しく指導しなくては・・・!!)
以上の注意点は、この動画には入っていません。この動画はsoloの注意だけなので・・。
この動画で取り上げているsoloの2箇所のpassageは、実は同じbaroque時代でも、Vivaldi先生しか使用しない独特のpassage(と言うか、表現)なのです。Vivaldi先生の作品には、色々な作品の中で、時折、同様のpassage(表現)が見受けられます。Vivaldiの最も有名な作品である「四季」の中にも、何回か出て来ますが、同じbaroque時代の作曲家としては考えられないような、調の理論を無視した転調を繰り返して、まるで近現代の12音音楽のように、無調の音楽のように、recitativo風にと言うか(セリフのように)、monologueのように(一人芝居)書かれているので、世界の名演奏家達ですら、どのように弾いたら良いのか迷ったままで、疑問を持ったままに演奏している人すらいる・・という場所です。このD Durでは、そういった2箇所のpassageの、Vivaldi先生の独特の演奏の仕方の説明をします。
実際のviolinの演奏は斉藤先生と本田梨紗ちゃんにお願いしました。
今回は通奏低音は無しです。演奏の都合ではなく、当日の人数の関係です。アハッ!
https://www.youtube.com/watch?v=cXfVnN3T-jc
(16/07/11撮影)

Vivaldi Op.[Nr.11D Dur1楽章のsoloの部分の演奏法の解説
芦塚音楽研究所千葉教室16年の10月の秋の発表会のstringorchestra VivaldiのviolinconcertoOp.8Nr.11D Dur1楽章のTK84〜91とTK122〜133の演奏法の解説です。
解説は芦塚陽二、演奏は斉藤純子と本田梨紗です。



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追記
7月13日 ・

16年の6月の15日にVivaldiのviolinconcertoのe mollの1楽章のlessonのvideoを撮影して、20日にその演奏法の解説をYou Tubeへuploadしましたが、その解説が今少し・・「舌足らず」で心残りだったので、D Durのconcertoのlecture-videoを月曜日に撮影したので、その機会に前回のe mollのviolinconcertoの補足説明のvideoを再び「撮り直し」しました。
https://www.youtube.com/watch?v=J5GHw6T3P8I
(16/07/11撮影)
主な説明の箇所は、18小節目からの、1対3のbowslurの説明なのですが、baroque時代のbowslurでは、調の重要な音やthemaの中心になる音に弓が使われるようにbowslurを書きます。殆どの弦楽器の演奏家や指導者の人達に、「Bachの不可思議な机上のbowslur」と言われている一見するとeccentricに見られるbowslurも、そのbaroque時代の音楽理論によるbowslurの原則に従って書かれているものなのです。
baroque時代は、神への崇拝が数学的物理的な論理性と相俟った時代で、そういった数学的な合理性が神への賛美として評価された時代でもありました。Bachに見受けられるように、複雑な対位法(Kontrapunkt)によるfuga等の複音楽(polyphony)の作曲がなされていた時代です。当然、その様式は、作曲だけではなく、音楽の演奏にも表れています。それが論理的なharmonyを表現するbowslurになります。そういったbaroqueの様式への行き過ぎに対しての古典派なのですが、その過渡期には、所謂、galante様式(1750〜1770)であるロココ(rococo)の時代(CouperinやC.P.E.Bach等)が来ますが、VivaldiやBachは未だその一昔前の、baroque様式にどっぷりと浸かっていた時代なのです。未だ、音楽と論理性(数学)が結合していた頃の時代なのです。
そういった時代様式の論理的な理解がないと、BachやVivaldi達が無意味、無策にbowslurを書いたように曲解されてしまう事が多いのです。
という事で現代の結構高名なviolin奏者でも、当時のbowslurを、「単に、violinの黎明期で、時代的にも幼稚な弓使いである。」等々とか、・・とんでもない事を平気で言っているのですが、それは単に、その時代の様式に対して無知である・・にしか過ぎません。
それがアマチュアならばいざ知らず、proがそういう事を言う事は、無知だけでは済まされないのですが、未だに、世界的に見ても、高名な弦楽器の奏者でも、baroque時代のbowslurの意味を理解出来ている人達は少ないので、困まってしまいます。
流石に、世界のperiod奏法の演奏家達は、その原則論をちゃんと理解して演奏しているのですが、日本には自称baroque音楽奏者が多いので・・ネ??酷い人達では、baroque楽器も持たなくって、単にbaroque音楽が好きだ・・というだけで、自称baroque音楽の演奏家・・と、曰わっている人もいたりします。
という事で、baroque時代のbowslurの説明も兼ねての補足説明です。
それはそうと、こんなとてつもなく難しい音楽原理を音大生ならいざ知らず、小学生のオケ練習で指導説明をしているのを、不思議に思われる人も多いようなので、それに対して弁解をしておきます。
オケ練習では、年齢に関係なく技術で割り振りして曲にチャレンジしているので、冗談抜きに小学生から音大生までが一同に会して練習をしていますが、不思議な事に私の説明を理解して来れるのは、年齢ではないのですよ。小学3,4年生の子供が私の言う事を理解し、覚えて、中、高生の方が、チンプンカンプンと言う事は、普通なのですよ。普通!!それに音楽大学では私の理論は間違いとされるので、私のtheoryで演奏すると、音大の先生達に叱られてしまうので、弾き分けをしなければなりません。教室では音大型の演奏をすると、「aids奏法だ!」と厳しく怒られるので、その板挟みになるのですよ。(aids奏法という事を言い出したのは、BerlinPhilのconcerto-masterであるSchwalbe先生です。何度注意しても改善されない日本人特有の演奏上の問題点を藁半紙2枚に30項目以上も書き出して、「あなたは、数字の○番と○番と・・、に該当するので、それを直して置いてください。」とカザルスホールでの公開lessonでやっていました。生徒達は、皆憮然としていたね。それでも、ちゃんと注意をしてくれるから良い方ですよ。
最前列には、某国立音楽大学の教授連中が並んで座っていて、「フン!フン!」とうなづいていたのだけど、「おいおい、君達の事、注意されてんじゃないの?」と、どこ吹く風と聞いているのには、笑えたね!!
Aaron Rosand先生に至っては、violinの演奏は放っておいて、伴奏者に対してのみ、これ見よがしにlessonをするというイジメをやっていたからね。でもこれはRosand先生の性ではなく、先生の注意を誰も守ろうとしなかったからなのですよ。自分の先生の言う事が常に正しいと思うのなら、(或いは認められる事を前提としたlessonを受講したいのならば)公開lessonは後悔するだけなのだよ!世界的に著名な演奏家で、日本流の演奏法を認める人はいないのだからね。
余談はさておき、音大でこういった弦楽器の奏法のルーツであるVivaldi等のbaroqueの演奏法やStamitz等の古典派の奏法を学ぶ事は絶対にありませんからね。academicな音楽大学はacademicではなく、日本の家元制そのものの情緒的感覚的な世界なのですからね。教室から音大に進学した生徒達に、必ず注意する事は、音楽大学の先生に「どうして、そのように弾くのですか?」と質問してはイケない・・と言う事なのです。質問をする事は、先生が生徒から、自分のi dentityを否定された事になるからです。質問に答えられる先生はいないしね??
教室では、質問をしないと怒られるので、そのギャップは大きいのですよ。

Vivaldi violinconcerto e mollOp.4Nr.2 1楽章lecturelesson補足説明
前回16年6月15日のlessonを、細かく20日に解説をしてYou Tubeにuploadしましたが、そのlecturelessonで、舌足らずだった部分を改めて補足説明しました。もう少し詳しく説明を・・という事です。




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車の急発進
7月16日 1:19 ・

今日は、千葉教室のPianoとcelloのclassのlessonがあって、車を飛ばして千葉に行って来ました。
lessonが終わって、東京の事務所に何とか、やっとこ帰りついて、バイクに乗り換えてから、自宅への一方通行の帰り道を走っていたら、結構、道の真ん中に大きなワンボックスの乗用車がハザードを付けて止まっていた。
「道の真ん中に、邪魔だな〜ぁ?」と思いながら、横を通り過ぎようとしたら、突然、ハザードを付けたままで、幅寄せをして来て、走り出しました。とっさに、バイクを道の端ギリギリの、植木に肩が当たる所までカワしたのですが、バイクでその車の傍を通り過ぎる時に、「結構道の真中に止めているな〜ぁ!」と、無意識に車を避け気味に走り抜けようとしていたので、その余白ととっさのハンドルを切った事で、何とか接触しないで、無事に抜けて通る事が出来ました。
相手の人は訪問した人との挨拶に夢中になって、後方確認も、横の確認もしていなかったようです。・・という事は、前方も見ないままにいきなり走り出したという事なのかな?? 
「路上に車を止めている時には、走り出す前の、後方確認がとても大切です。」・・とは、高齢者講習では注意されなかったけれど、(高齢者講習の時に指導教官が「今日、ここに来ている人達は、運転歴50年以上の人達だけです。」と言われて、「ああ、そうか?」と納得しました。勿論、高齢者でも、20年ぐらいの人達は居るはずなのですが、運転歴でクラスを作ったようです。)はそれは、当たり前の事ですよネ。
トサカに来たけれど、疲れていたので、睨み付けただけで、帰って来ました。
本人達も余っ程、驚いたのか、車が見えなくなるまで、停車したままでした。
しかし、それはそうとしても、今頃、改めて、頭に来ています!!?(?`^´?)?

頭にきて寝れなくなっていたりして…先生の運転技術のおかげで何事もなくてよかったです。
7月16日 2:17

高齢者講習で、色々と身につまされて自戒していたので、車の人が、見送りの人と話込んでいたので、
「多分、ヒョッとしたら・・」との危機回避で、車を避けて大回りをしていたので、とっさのハンドル操作もそうですが、それよりも安全な距離をキープ出来ました。車の方は、さぞ驚いたのでしょうね??直線でミラーに見えなくなるギリギリになっても、道の真ん中に止まったままで、硬直していましたよ!!初心忘るるべからず・・です。
とは言っても、美紀ちゃん運転しないのよね??
7月17日 9:15



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ヒョッとして、熱中症??
7月16日 3:24 ・

2016/07/15 (金) 5:00
暑くって、深夜、眠ろうと思っても眠れない・・と思っていたら、汗が吹き出して、止まらなくなってしまったので、クーラーを何度も下げたのだが、それでも汗が止まらない。
普段はクーラーは苦手なので、28度や29度に設定しても寒くて、クーラーを使う事は非常に稀なのですよ。しかし、その反対に、湿度が苦手なので、温度を下げない除湿専用の除湿機を使用して、部屋の温度を下げないように注意しているのだが、今日は室温を27度にしても、26度に設定し直しても、暑くて汗が吹き出して止まらない。
「これは、ヒョッとしたら高熱が・・」と、慌てて体温計を出して図ったのだが、な、な、な、何と、平熱だった?

クーラーの冷気が部屋中に回らないのだろう・・ということで、扇風機を回そうと思ったのだが、扇風機は倉庫に片付けたまま、未だに一台も出していないので、すっかり、困ってしまった?
それでも、汗は止まらないので、仕方なく、クーラーと一緒に除湿器を回してクーラーの風を拡散させることにした。
扇風機の代用にはならないのだが、少しはましになるのかな?
ストーブを焚きながら、クーラーを入れているようなものだから、電気代がたまったものではないよな?
しかし、まあまあ、
「これでやっと、今夜は寝れる」・・と、安心していたのだが、クーラーと扇風機で部屋全体を室温26.5度まで下げているのに、汗がまたぞろ出始めて、止まらなくなって眠れなくなってしまいました。
いつもだったら、凍死する温度なのですがね??? 
体温計で体温を計っても平熱で・・少し高めかな??という程度です。
多分、所謂、「のぼせ」ているのですよね。
それなら、首巻きタオルを首に巻いて、頭を冷やせば良いかな??と、思って首巻きタオルを探しましたが、昨年までは、車の運転の時には、首を冷やすタオルを巻いて運転していたのですが、首巻きタオルが今年は全部古くなってしまったので、処分してしまったので、今年は、買わないとないのだよな??
大急ぎで、タオルでも冷凍庫で冷やすか・??それまでどうしよう?氷でもタオルに包んで首に巻くか??
七転八倒の光景です。
それにしても、運転中に首巻きタオルを使った事はあるのだが、自宅の部屋の中で、首を冷やした覚えは、今年まで一度もないのだが、気候のせい??
それとも、加齢のせい??
そうそう、2,3年前までは台所にはクーラーすらなかったのだよな?
一夏の内にクーラーが必用な日は、7月の間に、1日、2日だけだったのだよな???
暑くても、扇風機だけで充分だったのだよな???
それが、昨年からは毎日クーラーを入れっぱなしだよ!!
扇風機はもう、クーラーの冷気の拡散用だよな〜ぁ??
・・・という事で、今日は私が、千葉まで、Piano組とcello組のlessonに行っている間に、斉藤先生にお願いして、ハイツの倉庫から扇風機を出しておいて貰いました。(ここまでは15日のお話です。)
(ここからは16日のお話です。)
それはそうと、扇風機のリモコンが作動しない。
「う〜ん、困った!」多分、リモコンが違うのだろう!
台所のリモコンを寝室に持って行ったら作動しました。
「よし、よし・・!」・・で、寝室のリモコンを台所に持って行ったら、作動しないのだよな!
・・バッテリー・チェッカーを出してcheckしても異常無しです。じゃあ、リモコンは壊れたので捨てて、古い型落ちのリモコンでもネットで買うか??
・・でも扇風機は長崎から持って来た奴なので、型番が古すぎて、替えのリモコンはないよな〜ぁ??
リモコン無しじゃあな〜ぁ?? 
しやぁない!・・バラして修理するか!! 
細密ドライバーを出して、基盤の点検をして、接触を確かめて・・・!!
一つ一つ順番に・・、オット??やってみるもんだ!!
直った!!素晴らしい!!
タオルに氷を入れて首に巻いてい作業をしていたけれど、すっかり溶けてしまいました。これで寝れるかな??・・かな??・・かな??
首はすっかり冷たくなったのだけど、頭は相変わらず火照ったままです。
〜う〜ん、困った!もう少し冷やすか??
・・と思ったら、扇風機を消す時にリモコンをもう一度操作したら、また切れなくなっていました。
「直った!」と思ったのは、一瞬の気の迷い・・だったようです。基盤にはICが入っているので、古くなるとよくこういった状態になるのだけど、面倒くさいので、やっぱり捨てる事にしますか??
高齢者講習の時の散文もそうですが、私がFacebookに書いているのは、自宅に戻ってからの寝る前とかのオフタイムの時で、リアル・タイムの時ではありません。
だから、文章に書かれている時間軸は、当日のお昼のお話であったり、前の日のお話だったりします。
自分の時間が出来て、それも寝る準備をしているウダウダ・タイムの時に書いているので、折に触れて、徒然のままに書くと、思い出しながらのタイムラインが、現在の感想とは、少しづつズレてしまうので、読み難いので、その修正をしながら書く事になります。
時としてその時間軸の違いが、読みにくさを引き起こしてしまいます。
・・気をつけなければ・・
自戒です!

このムシムシの中ではクーラーが機能しないと大変な事になってしまいますね
クーラーガス?の補充を我が家は昨年してもらったら、かなり良くなりました(*^^*)
あとは、フィルター掃除もかなり違いますよね。

のぼせは心配ですね。首巻きタオルってどんなのでしょう??
7月18日 0:02

クーラーは台所のクーラーは、普段パソコンを使っている部屋なので、一日中、パソコンに向かって仕事をして、閉じ込もっているので、先生達に最新のクーラーを買うように言われて、20万近い値段の高い機種を、諦めて買いましたが、お任せの温度が私の温度に咬み合わないのですよ。寝室のクーラーは、普段は冷え過ぎで寒いので、使っていないのですが、今回は、クーラーで、ギンギンに冷えているのに汗が止まらなくなってしまいました。所謂、のぼせの症状ですかね??首巻きのタオルは、保冷剤を冷凍庫で冷やして、タオル地の袋に入れて首に巻くタイプです。結構な時間、冷えているのだけど、車の運転以外の時に使ったのは、今回が始めてです。クーラーを入れているのに、汗が吹き出したのも今回が始めてだし・・・理解不能です。一昨年までは、それこそ、クーラーすら使わなかったのに・・です。体はクーラーで冷えているのに、顔から汗が止まらなくなって、吹き出している‥・とは、どういうこっちゃ??熱中症の症状を調べたけど、そんなの無かったゾ??
8月19日 14:19

保冷剤を冷凍庫で冷やして、布タオルの中に入れて首に巻きます。氷枕の襟巻きヴァージョンだな??
   
8月19日 14:23

これは良さそうですね!
お熱の時も頸動脈や鼠蹊部を冷やすといいですもんね!
8月19日 19:22


非常手段で タオルに氷を入れて首を冷やしましたが、それでは タオルが溶けた氷で濡れて、 布団を濡らしてしまいます。 その点保冷剤は タオルが濡れることがないので 布団の中でも 安心して使用できます。 今回の 体はクーラーで冷えているのにもかかわらず 頭だけがほてって 汗が出たケースも 、この 保冷剤入りの襟巻きで 一発で 良くなりました。
8月19日 20:11


確かに、私メも2年前はクーラーはほとんど作動させてませんでしたね。昨年から作動させる日が増えて、今年はほとんど毎日です。
サーキュレータを置いていて部屋中、冷気が行き渡るようにしてます。今年の日光は顏をたき火の前に持っていったように暑い!
練習で外出すると汗だくで・・・互いに熱中症にはならないようにしましょう!
8月19日 22:34





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StravinskyモドキのTrumpet-concerto
7月16日 21:38 ・

16日のリモコンの修理のお話の続きなのですが、修理とは関係ありません。修理をしながらBGMで流していたStravinskyモドキのお話です。
リモコンの修理をしながら何気なくテレビを付けたら、Stravinsky風のトランペット協奏曲を外人のトランペット奏者の人が演奏していました。
「え〜っ?聞いた事のない曲だよな?」Stravinskyにしては、作曲技法はそのままなのだけど、Stravinsky特有の音楽の切れがないよな〜ァ??でも、何処から聞いても、Stravinskyだよな〜ぁ??きっと、火の鳥やペトルーシュカを作曲する前の、習作かも知れない??・・と言う事で、ついつい、最後まで聞いてしまいました。
前日の事なのですが、千葉のlessonで久しぶりに美帆ちゃんのlessonをしたのですが、StravinskyのペトルーシュカのsoloのPiano-versionを渡したのですが、
「譜読みが難しい」と言ったので、牧野先生が近現代の譜読みの仕方の方法論を簡単に説明したら、「ああ、分かった!」と言って、ペトルーシュカの全曲!!を、2週間ぐらいで、譜読みをして来たそうです。
「え〜っ、そりゃないよ〜!」と言う事で、lesson時間の都合で、最初と次の曲の2曲だけをlessonをして見ました。
演奏を聞いて驚いたのですが、殆どintempoで、音の間違いも殆ど無かったのですが、interpretation的におかしい所と指が回り切れてない所が、1,2箇所あったので、Stravinskyの作曲技法の説明で、中心となる複調(polytonal)の説明と、何故Cに対してFisでなければならないのか?というTritonus(増4度=悪魔の音程というそうですね??)の遠隔調の説明と、付加rhythmや等々の技法の一般論的な事を軽く説明して、その理論で改めて演奏をさせました。
簡単な説明だけで、不安な箇所が何の問題もなく演奏出来るようになったので、
「現代曲がこんなに譜読みが強いってね〜?」と言うと、「芦塚先生の遊び唄の方がStravinskyよりも、数倍難しかった!」と言ったので、「それは、美帆ちゃんが中1の時に始めて現代の曲に挑戦したから、難しく感じただけで、今のように、BartokやProkofievのような近現代の曲を沢山弾いた後で、私の曲をもう一度見たら簡単に見えるはずだよ!」と言いました。音のぶつかりも、私の曲の方がキツイそうで、慣れていたので、Stravinskyの強烈な音は然程でもなかったそうです。ホントかよね??

という事で、テレビのトランペットコンチェルトをリモコン修理の作業のBGMにして、最後まで聞いたら、Stravinskyではなく、別の現代作曲家の作品でした。てっきりStravinskyだとばかり思ったのだがね。曲が似ている・・というよりも、作曲の手法がネ・・??でも、それにしても、Stravinskyの作品にしては、やはり切れがね〜ぇ??音楽が甘いのよ!! Stravinskyの作品は、駄作でも、やっぱり音楽の切れがあるのですよ!本物の大作曲家の風格がね・・


上の文章の続きなのですが、悪魔の音程と言われたTritonus(増4度)のお話の続きで、Renaissanceやbaroqueのoratorio等の音楽では、歌詞の(意味ではなく)言葉の意味を音型で表す事がよく行われていました。
例えば三全音はTritonus(トリトヌス)と呼ばれ、死、罪、嘆きを意味するそうなのですが、それは6度、7度の跳躍やそのほかの色々な音程についても、音程に言葉の意味を持たせて、音楽と言葉との整合を図っていたそうです。ですから、Bachのcantata等を聞くと、言葉の意味がよく聞き取れなかったとしても、音の進行で或る程度内容が分かるように作曲されているのです。
でも、Renaissanceやbaroque時代の教会音楽から離れて、ロマン派以降の作曲家達は、それぞれの作曲家がそれぞれに自分の音の言葉を決めていました。という事でBrahmsの死を意味する下行3度の音程(同じ音の進行を使っていても、Mendelssohnでは、甘いviolinconcertoの恋のthemaにしかなりません。Brahmsでは、Symphonie第4番のthemaや、Brahmsの辞世の句である4つの最後の歌の
「おお、死よ!」の下行3度のmelodie)や、Richard Straussのティル・オイレンシュピーゲルの死刑宣告のシーンで、決然と「死刑!!=den Tot(e)!」とorchestraのtuttiで宣告されて、しょげ返って情けないオイレンシュピーゲルのmelodieが演奏されて、と、音と言葉の結びつきの関係は、Renaissanceから現代の曲まで脈々と引き継がれて来ます。つまり、Bachのcantataに見られる不思議な音程や、Richard Straussのeccentric(エキセントリック)な音程は、ドイツ人にとっては、そのまま言葉として聞こえるのですよ。ホ短調の死を表す調性が同じ主音であるホ長調になると、恋の調である事は愛と死が表裏一体である・・というドイツ人の観念と相まって面白いですよね。
Wilhelm Richard WagnerはTristan(トリスタン)で、宗教的な死であるニ短調から、永遠の希望であるロ長調への果てしない求め続ける調の回旋をしましたが、ロ長調は愛の調であるホ長調への憧れの調(つまり、dominanteの調)であるのですよ。
近現代の無調音楽の先駆けとなったWagnerのTristanにはそういった調性的な意味が込められています。ハイ!
音楽はヨーロッパの作曲家達にとっては、単に美しさを追求するのではないのですよ。
もっと、哲学的な意味があります。
それは神の子であって、天賦の才能で何苦労なく想いのままに作曲をしていた・・と言われているMozartも、作曲技法的に研究して行くと、結構他の作曲家達と同じなのですよ。仮面(mask)とペルソナ(Persona)の関係は奥が深くて面白い!!
7月18日 14:49




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7月20日 20:17 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行
その1(旅行の準備)
7月の20日前後から

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行
その1(旅行の準備)
7月の20日前後から
7月31日の長崎への最後の帰省を前にして、練馬の大泉インターから圏央道の入間まで飛ばして、車の補修をした。7月はとても、忙しくて、車を修理に持って行けるのが、その日一日だけであったからである。後の日は総て塞がっていたのだよ。
高速を小1時間ぐらいの行程で、修理に行って、その帰りにインターチェンジによって、休んでいたのだが、夕日が沈みかけて行くのを見ていると、なんとも言えないSehnsuch(憧憬)な感情に襲われてしまった。
いつもの長崎への帰省の旅行の時にでも、インターチェンジで車を休ませていて、辺りが夕映えになって来ると、とてつもなくnostalgicな悲しげな気分にどっぷりと浸かってしまう事が多い。
でも、今日は、長崎への帰省には、まだ間がある分けだし、夏のおさらい会という大仕事も残っているので、帰省の気分に浸れる分けではなく、一仕事、二仕事の残った仕事をこなして行かなければならないのだが、それでも、車で滅多に通らないこのインターチェンジに入って休んでいると、何となく異国へ旅をしている旅人特有の望郷の念が襲って来るような気分になってしまった。
もう既に、帰省のプレッシャーが、鬱々しく襲って来ているようなのかも知れない。
多分、今回のふるさとへの旅が、家という自分の宿泊地を手放すための旅であり、しかも、体力的にも金銭的にも、もう最後の旅に成るのだろうという、そういった感慨もあるのかも知れない。
いずれにしても、その話は、まだまだ先の事で、今週から来週に掛けては、ほぼ毎日、千葉の教室に行事を熟すために、車を走らせなければならないので、その体力的なプレッシャーも、何処かには、あるのかも知れない。

どうぞお気をつけられ運転のお疲れが重なりませんように!
7月20日 20:29


有難うございます。極力、気をつけるように努めます。
7月20日 20:46

連日千葉へとなると、確かに大変ですよね。
お食事のサポートはできるだけさせていただきますね!
(本当は牧野先生に作っていただいた方が美味しいのでしょうがね、、、)
7月20日 21:25


若い頃は、毎日でもへでもなかったのですがネ。歳と共に段々キツくなって来てしまいました。
7月20日 21:38

私は三日間、近くでも大変でしたよ。
先生方のタフさ、やってくださるその想いに感謝してもしきれません。
今回も宜しくお願いいたします!(あ、またプレッシャーかけましたかね??)
7月20日 21:49



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Klengelのfinaleへの入力
7月28日 5:44 ・

「KlengelのcelloQuartettのfinaleへのscore入力」
夏休み前の7月は、通常のオケ練習の他に、one lessonから始まって、車の修理や23日からの夏の合宿、24日の「おさらい会」に26日の追加のlesson等々と、慌ただしいscheduleで、夜、寝つかれない摂眠障害が続いていて、2時間、3時間睡眠が続いていたので、合宿のなかびの24日の「おさらい会」の日には、丸々一日、寝込んでしまいました。
そうそう、屈辱的な高齢者講習ッテなものも、12日には、あったよな!?そのすぐ後の15日には、cello組のone lessonで千葉に行って・・、その次は17日は斉藤先生がいないオケ練習なので、・・、それからほぼ毎日、lessonと合宿と・・・てな具合・・!!
その次の25日、26日には、戦線復帰して、取り敢えず千葉に駆け付けて後片付けを済ませて、やっとこ、事務所に帰り着いて、さて、明日の水曜日(27日)は何の制約もなく眠れるぞ!と事務所から帰って、深夜の2時過ぎにはベッドに入ったのは良いのだが、・・どうした分けか、疲れている筈なのに、やっぱり眠れない。
しかし、
「次の日は、時間には、拘束されていないから」・・と、思い直して、合宿のvideoや写真、lessonのvideo等々をBlu-rayに保存する作業を朝の6時、7時頃までして、安心して熟睡した・・と思ったら、2時間程熟睡した所で、携帯の着信音で目が覚めてしまった。「一体誰のmailだ??」と、携帯をcheckしてみたのだが、誰からもmailが入っていない。
Facebookや、updateの着信音は鳴らないようにしてあるし、lineは着信音を違う設定にしてあるので、携帯ではない!
mailと思しきものを全部checkしてみたのだが、やはり、何も着信していない。 不思議だ!!
スマホはやっぱり理解不能だ!!
今回の10月の発表会のcello組のensembleの曲が、KlengelのcelloのQuartettの曲になったそうなのだが、教室には、part譜しかなくて、scoreがないので、私も色々な出版社を探して見たのだが、やはり、scoreが全く見つからない。
この曲を選曲したのは、私ではないのだが、Klengelのこの曲は、チョッと近現代的なpassageも随所にあって、曲の構造が難しく、part譜だけでは、中々、その構造が分からないし、You Tubeで曲を演奏している団体を探しても、見つからないので、生徒達の申し出で、
「夏休み迄に、それぞれのpartをfinaleに入力してscoreを作りたい!」と言って来たので、実際には、このKlengelのVariationをfinaleに入力するには、結構、上級難度のfinaleの入力の技術が必用なので、「finale初心者の生徒達には入力、出来るかな??」と半信半疑に思ってはいたのだが、・・子供達のやる気を損なってはイケないので、いつでも私に質問をして良い事にして、その場のfinale入力の時のhow-toのadviceのみで、任せていたのだが、とうとう合宿に入ってしまって、ソロソロtimelimitなので、「後は、私が入力してあげようか??」と声を掛けたら、「是非、お願いします。」と、生徒達から頼まれてしまったので、合宿が終わった次の水曜日(27日)に目が覚めてから・・、(とは言っても、お昼の2時以降に、)生徒達の努力の結晶のfinaleのfileをmailに添付して送って貰った。
「さて、では、可愛い生徒達のために、出来ていない箇所を入力をするか?」と思ってcheckを始めようと思ったのだが、ナ、ナ、ナ、なんと、楽譜(part譜)を持っていない。「バイクを飛ばして、椎名町迄取りに行くか??」とも思ったのだが、「pdfで送って貰えばよいか??」と、事務所にmailをした。それで、何だかんだで、4時過ぎになってしまったのだよ。
実際に、finaleのfileを開いて、
「未だ出来ていない所や、間に合っていない所を入力すれば良いかな??」と軽く考えて、よくよく楽譜を見てみたら、ナ、ナ、ナ、ナント、曲の後半は殆ど入力されていない。それに、前半部分も、入力ミスが多すぎて、最初のPageから、総てのpartをcheckする所から始めなければならない!!
大変な手間暇で、困ってしまった。

しかし、子供達が入力をサボった分けではなく、確かに、この曲はfinale初心者には難し過ぎる曲では、あるのだよ。
でも、自分達で入力をしようと思ったその気持が大切なのだよ。感心!感心!
生徒達が何日掛かって入力を試みて、挫折した作業であろうと、私にとってはそれは本職の仕事・・、夜の11時ぐらいまでには総てのpartを入力し終わって、ミス探しのcheckをしている時に、ナ、ナ、ナ、ナント、生徒達にいつも注意している初歩的な一番大事な、やってはならないミスを、やってしまった。
そのミスと言うのは、・・・つまりfinaleのsoftはパソコンにとっては、重すぎるsoftなので、入力中に、よくパソコンが、ぶっ飛んで(freezeして)、それまでの作業が水泡に帰するのだよ!!
だから、私は生徒に指導する時には、一作業(1行程)終わる毎に、必ず保存(S)を押すように指導しているのだが、仕事を急いでいる時には、たったSのkeyを押すだけの、その一手間が面倒くさいのだよ。ついつい、自分自身が、入力の作業に熱中し過ぎて、ついつい何時saveしたのかを、忘れてしまう。
案の定、最後の最後で、finaleがfreezeしてしまった。
saveした所迄は、助かるのだが、結局、頑張って必死に修正を加えていった1,2時間の作業が、全く無駄になってしまった。
今日こそは、夜の2時、3時には寝れる予定だったのだが、結局、5時を過ぎて、朝を迎えてしまった。
生徒に注意をしていて、自分がやってしまうとは、目も当てられないワサ!!
(ヨージーの法則の)「急いでいる時程、丁寧に」・・という原則を忘れてしまったのだよな。

愚痴とぼやきはそれぐらいにして、生徒さん達への伝言です。
出来上がったfinaleのfileは事務所に送っておきますので、パソコンとプリンターを持っている人はpdfで送れますよ。
finaleを持っている人達はそのまま、fileを添付して送っても良いです。
checkは各自が自分のpartの間違い探しをしてください。
他の人が打ち込んだ音の間違いを探すのは、私にとっては至難の業なのですよ。
何故なら、音が間違えて書かれていても、私達は正しい音で読んでしまうからなのです。
心理学の実験でトランプのカードの中に、ハートの8ぐらいの任意のカードを黒い色のハートのカードにしておくのですが、人はそれを赤のカードに読んでしまうのですよ。だから、これからは、endlessの作業になってしまうのだよ。だから、これからは自分のpartのcheckを自分達でやってください。。
私のhelpはここまでです。
それと、お約束の
「You Tubeでの演奏を探して見る」・・という事なのですが、本当にマジに1曲もヒットしないのだよな!?こんな難しい曲にscoreがなければ、そりゃ、proと言えど演奏するのは無理だろうよ!出版社の怠慢だよな〜ぁ!!
楽譜がすぐに見れるように、Facebookにuploadしようと思ったのですが、楽譜のPageと、音楽を整合させるsoftを持ち合わせていないし、homepagebuilderのwebvideostudioは、楽譜の容量が大き過ぎて無理で、しかたがないので、moviemakerで作りましたが、softが超ヘボsoftで、映像や音楽の操作が出来ないので、画面と音楽が合致しませんでした。映像と音楽を整合させるという選択権がないのよね。
だから、あくまで、練習の参考までに・・という、私のサービスです。
それにしても、パソコンやシンセの音は管楽器の音は何とかなるのだけど、弦の音に関しては、どうして、あんなに酷い音しか無いのかね??
それにしても、Klengel先生の今回の曲には、どうしても、許せない音(音楽理論的にも)が時々あるのですが、今回は、一切、変更はしませんでした。



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KlengelのFacebookへのlinkの不具合
7月28日 16:06 ・

Klengelの楽譜の動画が、前のPageでuploadの待機状態と言う事なのだが、何時まで待ってもuploadされないので、こちらからuploadする事にします。音楽と映像のTimingが合っていないのは、moviemakerというsoftがヘボいので、最大30秒までしか、1画面を表示出来ないからです。また、表示の秒数も2,3秒単位にしか選べなくて、上手く曲とはかみ合わないのですよ。これでも、全Pageの22Pageが総てちゃんと見れただけでも、感謝ですがネ!??webvideostudioでは、画面自体が重すぎて取り込めないのですからね?? 1Page毎の秒数を出して、音楽に合わせるのは、結構苦労したのよね!!勿論、有料のsoftを入れれば、チョチョイのチョイと出来るのだがね!?
Klengelの書いていたMetronom-tempoの設定なのですが、pro-versionなので、子供達にはまだ設定が少し速すぎるようなので、今回の発表会で、生徒達が演奏可能なMetronomのtempoに設定し直しておきました。 悪しからず・・。
最後から2小節目の1stcelloの音は、ハーモニックスの演奏譜でなく、実音に直しておきました。finaleの場合には、ハーモニックスの演奏上の音を、そのままの音として、音が出るので、とんでもない和音になってしまうので、正確な和音が聴こえるように、実際に演奏上で出る音を書いておきました。




https://www.youtube.com/watch?v=MuEETBbMH5I




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7月30日 6:21 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行
その2(旅の前日)

またまた、パソコンの動画の編集のお話です。
videocameraで撮影した動画は、Diga等のvideodeckで編集出来るのですが、ちゃんとしたtrimmingをしようとすると、やはりパソコンで編集しなければなりません。しかし、不思議な事に、Diga等のvideodeckで編集した動画は、パソコンでは読み取れなくなってしまいます。Digaで或る程度、簡単に編集しておいて、それからパソコンに持って来て、丁寧に編集すると時短になって、作業も楽なので、そのために有料の編集softを購入したのですが、それでも読み込めないのです。
と言う事で、なるべく、元のvideocameraの拡張子のままで編集をするのですが、これが困った事に、videocameraでは、曲の途中(演奏の途中)等で、勝手に分割され、寸断されています。編集のsoftを使って、結合させるのは、簡単なのですが、そうすると、今度は動画が重くなって来て、編集をするのに、一手間の時間が掛かってしまいます。videoの場合には、一つの作業をする度に、videoを保存するのに、莫大な時間が掛かってしまいます。videoは、教室にとってはメインの仕事ではないので、楽に早くというのが、大切なのです。
元のvideocameraの中で編集をすれば良いのでしょうが、教室では各教室に色々なメーカーと機種のvideocameraがあるので、同じSDcardに入っている動画が、別のcameraでは再生出来ないのです。撮影の度にvideocameraを事務所迄持ち帰る事は、教室毎にvideocameraの置き場所が決まっているし、常設されているので、何かのハプニングの時ぐらいしか持ち帰る事は出来ません。
しかも、同じSONY製のvideocameraでも、機種が違えば、同期しない場合があるのです。型番が違えば、再生は出来ても、編集迄は出来ない・・というケースさえあるのです。
発表会等で演奏をYou Tubeにuploadするのが、2,3ヶ月以降になる時もあるんですが、編集はとても時間が掛かるのですよ。
1人の生徒の演奏を編集するのに、徹夜をする事がザラにあります。専門の人が専門の器械を駆使して、それなりの作業をするのなら、或る程度は、時間も短縮は出来るのでしょうが、本職の仕事の合間、合間に、時間を見つけて作業するとなると、とても大変だし、楽な作業ではありません。
とても、とても1日の時間が足りないのですよ。
今日はドル・プリっ歩をサボってパソコンの作業の続きをやろうと思ったら、先生に怒られてしまいました。
「1日パソコンに齧り付いていると、体力が直ぐに無くなって歩けなくなるよ!!」てね!!
そりゃ、そうだワね!!慌てて、お散歩に出かけました。歩けなくなる事の無いように、少しでも今、頑張って、歩いておかなければネ!
・・で、何の話か??って??
昨日はKlengelの楽譜をFacebookとYou Tubeにuploadしましたが、今日は、おさらい会の動画の、途中で切れていない曲をホンの少しYou Tubeにuploadしました。
・・つまり、その愚痴です!!

明日は、四日市を経由して、長崎までの旅に出ます。
多分、旅行中にヘバッてしまうかもしれないけれど・・
いずれにしても、合宿の報告は旅行中は出来ません。
夏の合宿のhomepageを作っておきたかったのですが、時間切れで旅に出発します。
最後に上級生の室内楽の練習風景を2曲uploadしておきます。
曲は私のGreensleeves to a ground in C Dorischで、楽譜を渡したばかりなのでほぼ初見練習ですが、baroque風なので、演奏法がまだ慣れていないので、練習はこれからです。
https://www.youtube.com/watch?v=2iqnTGKy5Cw
それとArenskyのPianotrioのlecturelessonの風景です。
Greensleevesの方が技術的には簡単だと思うのだけど、やっぱり慣れで、ロマン派の曲の方が、演奏は上手ですよね。period奏法はまだ高校生に難しいのかもしれません。
とは言っても、Greensleeves to a ground in C Dorischは、genre的には、擬古典になるのですけれどね。



次のurl は、ArenskyのPianotrioの練習風景です。
https://www.youtube.com/watch?v=mlK0584uhqc
演奏はVl.太田千夏、Vc.山本珠加Piano(Cembalo)岡村智子です。

16年7月25日合宿3日目Greensleeves Ashizuka-version初見練習
2016年7月25日芦塚音楽研究所千葉教室の夏の合宿3日目のGreensleeves to a ground in C Dorisch芦塚陽二作曲 の第一回目の練習風景です。Vl.太田千夏Vc.山本珠加 Cembalo岡村智子指導芦塚先生先生です。


長崎まで帰られるんだ!お気を付けて!
7月30日 10:55


有り難うございます。体力もソロソロ限界なので、今回の里帰りが最後になると思います。ふるさとは遠くになりぬ。山の端に・・
7月30日 15:45



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7月31日 13:33 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行

その3(旅の初日31日から次の日の8月1日へ)
椎名町⇒滝野社 体調不良の始まり? 始まり?


今日は、いよいよ帰省の旅の始まりですが、でも、遅くてもお昼の12時頃には事務所を出発しないと、四日市のお迎えに間に合わなのですよ。とてもとても、直ぐには出れそうにもない。
「どうすんべ〜ぇ??」てな事をFacebookに書いている時間は無いはずなのだがね〜ぇ??
1時過ぎに起きて、もう、半も過ぎた!でも、体が動かない・・。正確には、11時には事務所に行って準備を初めて12時には出発なのだが、もう既に、2時だ!3時間も遅れている。
実は、それには理由があります。一昨日も昨日も、・・というか、ここ2週間3週間、摂眠障害が続いて、朝起きのrotationを守るのが難しいようなのですが、11時timelimitの今日も、朝の7時頃になっても、眠れなかったので、ついに諦めてマイスリーを飲むことにした。長丁場の車の運転がままならなくなってしまうからです。
本当なら市販のドリエルの方が眠りが浅くて寝覚めも良いのですが、薬箱の中に見つからなかったので、処方薬になってしまった。マイスリーはすぐにでもよく眠れるので、そこの所は良いのだが、起きる時になかなか意識が戻らなくって、体が言う事を利かなくて困る。心臓の手術の前の時には、2錠飲んでも、全く効かなかったのに…である。朝のトイレに行くのにも、あっちにぶっつけこっちにより掛かり・・と散々なのだよ! お袋の姿を見ていると、今の私ようなの体の動きなので、私のこの情況は加齢によるものなのだろうか??着実にまた1歩ずつ確実に老いている証なのだろうか??

後になって、よくよく考えてみると、そういう時には、出発するのを諦めて斎藤先生には、東京まで帰ってきて貰って、次の日の1日に鋭気を養って、改めて出発すれば良かったのだよ?  

しかし、たった2週間で家の残された荷物の整理や、不動産の処分の手続きをするには、そのたった1日が勿体なかったのだよね?
少々の無理ならこれまでも、度々やって来た私たち団塊の世代なのだよ!企業戦士は滅私奉公、お国と会社のためなら、エーンヤコラ?

普段なら一番早くて5時間で行けるのだけど、いつもは安全パイを取って、7時間で早く着き過ぎて店も開いてなくて畑の中を小一時間もくるくると回った事もあるのだが、同じ道を今回は8時間以上掛かった事になる。
休憩を多くとった分けではないのだが、スピードが出ないのだよな?勿論規定の80キロから100キロで走っているはずなのだが・・・・?
勿論、7時半の待ち合わせには、間に合わせるのは、不可能なのだが、四日市まで迎えに行くのはムダなので、私の車と斎藤先生が四日市からの電車で名古屋方面に向かうのの中間地点で合流しようと、mailを打つのだが、手が震えて文字が打てない? 普段の元気な時ですら、keyの大きさと指のサイズが合わないので満足に入力出来た事はないのだから、手が震えていてはこの細かいキイーを打つのは、不可能に近い? それでも何とか斎藤先生が高速の出口に近いJRの駅を探してくれたのだが、そこは名古屋の市内であっても、車で走ると、四日市に向けて直接走るのよりも、むしろ時間が掛かって遠いのだよ。 結局待ち合わせ場所を変えて、わざわざ時短を図った意味は全くなかったのだよな。 
四日市からは、普段は甲賀の里を経て京都へ抜けて行くのだが、東名高速を真っ直ぐに走って時短をはかろうと思ったのだが、東名とJRの駅が接近している所が分からない。
道路地図にはJRの駅は載っていないし、普通の地図には高速の出口は詳しくは書かれていないのだよ? そのためにも、ナビの地図をリニューアルしようとしたのですが、この機種のversionupがなかった…という話に繋がるのだよな。
諦めて、どこを走っているのか分からないままに、ひたすら走り続けるしかない。5時間近く待つのなら、東京に戻った方が良かったのだよ。
止かも、昨年の10月に新しい最新versionにしたはずのナビの地図が、第二東名の途中から表示されなくなって、到着時間の連絡もどこに着くかも表示されなくなってしまった。
出発直前にナビの地図の最新versionをダウンロードしようと、ネットで調べたのだが未だ発売されていなかったのにも、関わらず、なのだが・・・・
通常は宿泊地が二箇所決まっていて、東京から、2泊3日で到着する。しかし、養父の突然の死の時には、飛行機のチケットがてに入らなかったので、24時間で、東京?長崎間を走破した。
それなのに、今回は遅れに送れて、最初の宿泊地である滝の社に着いたのは予定の夜ではなくて、昼過ぎであった。でももう体力の限界ということで、ホテルを延長して、夕方まで寝た?
それからが悲劇の始まりである?

しっかりと、寝たので、何とか疲れは取れたのかな?…と思いながら、その日の夕方から、再び高速に乗ったのは、良かったのだが、超P -don (水下痢)が始まって、S A ではなく、すべてのP A に停車しなければならなくなってしまった?
痛みとP-don を堪えながら、必死に、頭から、油汗を出しながら、車を走らせた涙ぐましい努力の結果なのだが…車が前に進む事はなかったのだよ?
ということで、目的の第二宿泊地迄にたどり着く事はなく、滝野社から、ほんの少し進んだだけで、挫折してしまった?
「旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る?」 

病院に行くか?救急車でも呼ぶように
と言われたのだが、このまま、緊急入院ともなると、目的も果たせないままに、それで夏休みが終わってしまう?
来年に引き伸ばす事は、もう出来ないのだから、なにがなんでも、何とか長崎大学病院までたどり着ければ、私の父親の教え子達である教授達はもう定年でいないとしても、未だ私の同級生達の何人かは、教授をやっていたのだから、無理難題も聞いてくれる…?…?…?
・・・否…? やっぱりもう同級生達も、もう、大学病院にはいないか…??


長距離運転ですからお気を付けて・・・無理な運転はされないように!
7月31日 13:40

いずれにせよお気をつけて行ってらっしゃいませ!
7月31日 18:51


炎暑の日々です。どうぞお気をつけられまして!
8月1日 8:59




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8月4日 23:35 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅

その4(8月2日から4日の長崎着まで)
滝野社(7月31)⇒津山(8月1日)⇒広島北(8月2日)⇒瓜坊との遭遇!!(8月3日0:24分)


第二東名から、斎藤先生を何とか拾って、名古屋から少し走った東名のPA で、少し車を止めて、ほんの20分ほど休憩をして、気を取り直して第一宿泊地の滝野社まで、予定時間からは大分遅れたのだが、深夜には、何とかたどり着く事が出来た。(ここまでが7月31日です。)
第一宿泊地では、深夜に辿り着いたのだが、急いで仮眠をして、チェックアウトのギリギリの時間まで休んで、疲れが取れたのかな?という感じで、お昼ぐらいから、また次の第二宿泊地点を目標に、頑張って車を走らせ始めた・・・のだが、いよいよ体調不良が、少しずつ酷くなって来たのですよ?(ここからが8月の1日のお話です。)
その体調不良の予兆は、先程も書いたP-don (水下痢)の始まりでした。
そう?・・・東京から四日市迄の長旅にでも、斉藤先生を拾ってからの、名神から中国道に入ってからも、全く、固形物が食べれなくなっただけではなく、スープやお茶さえも受け付けなくなってしまったのですよ? 
それなのに、P-donが酷くなって来て、10分おき・・なのですよ。

それだけならまだしも、眠ろうとしても、気分が悪くて眠れないのですが、しかし、眠れないのは合宿の前からだったよね?
この状態で、第二宿泊地の下関まで向かうのはとても無理だし、もう体力の限界を感じてしまって、滝野社から一番近場のIC である津山のIC で、すぐに高速を降りる事を決断しました?
この決断は、非常に正しい決断で、なんとかかんとか頑張って、ホテルに到着したとたんに、留まる事のないP-don と薬の全く効かない腹痛と、咳による頭の痛みに、全く眠る事も出来ずに、七転八倒をしてしまった?(ここからが8月の2日のお話です。)

まさに、救急車を呼ぶか否かの判断をするぐらいの病状でした。
時間軸が狂っているので、他の章に書いてしまったのだけど、
「救急車で病院に行ったら絶対に入院になるな!?」という判断で、それなら、無理をしても、長崎大学までは、辛抱しようと、決断したのも、この津山のホテルでした。

ギリギリ延長をして、夕方に再び高速に乗ったのだけど、それからも、P-donが続いて、総てのPAでトイレに駆け込みながら走ったのですが、やはり、体力の限界を感じて、次のICの広島北で降りる事に決定しました。

安佐のICのレストランで従業員の人に尋ねたら、このまま中国道に入ると、もう宿泊の施設は無い・・という事だったので、急遽、山陽道の広島方面に宿泊を求めて南下しました・・。(ここからが8月の3日の0時24分頃になります。)

広島北から、最も近場のホテルは、とんでもない山奥のとんでもない奥まった場所にあって、片側は川で、反対側は、「今は枯れ野の箒草」の畑でもない里山でもない、山間地で、一車線ギリギリの真っ暗な道で、突然、瓜坊に遭遇しました?
親と二、三匹の兄さん瓜坊達は小さな崖の隙間をよじ登って、母親と一緒に、逃げたのだが、後の小さな4匹は、車の前で慌てて逃げ回った?
実は、あの可愛い瓜坊の写真は、この大変な状況下で、ナビに従って、山奥の道を走らせていた時の写真なのですよ?
昨夜は、次のポイントまで走らないで、安佐で見切りをつけて、広島北で降りたのでまたゆっくりと眠れて、体調も少し戻ったような気がするのだが、久しぶりにある程度眠れたのは良いのだが、体が寝疲れで、腰が痛くなって、逆に寝れなくなってしまった。


先程の文章に、瓜坊と水漏れの動画をuploadしたのだが、12時間経ってもuploadされないので、再チャレンジした。
とりあえずは車から見た瓜坊です。

https://www.facebook.com/100004230614853/videos/674394906044857/
瓜坊の動画





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8月5日 0:04 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅

その5(長崎着の4日の0時まで)


広島北で、結構長時間の休憩を取ったおかげで、4日は、やっと、車が真っ直ぐに走るようになって、速度も80キロから落ちる事はなくなった。
しかし、安全パイを取って100キロではなく、90キロの定速走行をする事にした。
一応、旅行の遅れを取り戻すために、休憩は無しにして、ガソリンスタンドに寄るだけで、頑張って走って、出来れば3日の内に、到着したかったのだが、4日に5分、10分は過ぎてしまった?
事前に、水道局に電話をして、止水栓を8月の1日から15日まで開いて貰ったのだが、水道局の人から、
「今年の一月の大寒波で、水道管から水漏れをしている」、ということで、水道は使えるようになったのだが、「水漏れが酷い?」ということで、着いたら自分達で止水栓を開けることになった。

駐車場に車を止めて、早速、
「どこから水漏れがしているのかな??」と、試しに水道の止水栓を開いてみたらな、な、な、何と、ザーーッという噴水のように、水の吹き上がる音がする。
慌てて止水栓を止めて、
「これは大変だ?どうしよう?」ということになったのだけど、水がないと、トイレにも行けないので、一度、部屋中の蛇口を開いてバケツや風呂場や洗面所の栓を閉じて、水が溜められるようにしてから、もう一度、止水栓を開いて、応急の水を溜めようとしたのだが、全く部屋中の蛇口からは水が出ていないのだよな??
さあ、困った?
トイレはどうしよう?

ふと思いついて、昨年、雨漏りの箇所に置いておいたバケツを見ると、何と満杯に水が溜まっている?
助かった?
これでなんとか朝までは、トイレに行ける?

それで、取り敢えずは一段落なのだが、頑張って、折角、日捲りの12時チョイ過ぎには到着出来たのに、何だかんだで、深夜の3時過ぎにはなってしまった!!
昨年は雨漏りだけだったのだが、今年は色々と何が起こるのか思いやられる?
でも、これが最後の奉公だと思い直して、今回だけは頑張ろうという事だよなぁ?




実は、この後に、頑張って詳しい経緯等を書いていたのだが、画面が突然小さくなって、入力画面がなくなって、やっとこ開いたと思ったら、2時間がかりで書いた文章が全くなくなってしまっていました?超ショック?
やはりスマホは不安定で、仕事にならない?

仕事をするために、旅行には毎年ノートパソコンを持って来て、部屋の片付け等々の雑用で疲れたたら、ノートパソコンで仕事をして、気分転換をするのですが、斎藤先生が合宿中に、Wi-Fiを紛失したらしく、車中でそれを聞いて、チョイ・ショックでした?

事前に東京にいる時に、その旨、連絡を受けていたら、私なりに何らかの対応が出来たのに、旅行の途中の車の中で、突然聞いても、何の対応も出来ないのでね? 
最悪の場合でも、b- mobile が2万円分残ったままで解約しているので、契約を復活したら、写真は無理でも、mail等は何とかなったかも知れないのだが?

ということで、この文章も、スマホのスーパーウルトラ小さな画面で打っているのですよ?姿勢は勿論なのだが、目と肩が痛くなってしまうのですがネ?
今日は、2時間の努力がふいになってしまったので、もうすっかりと、やる気はないなあ?

お気をつけて!
8月5日 0:08

腰は大丈夫ですか?お気を付けて。
8月5日 0:14

座りっぱなしだったので、腰よりも、尾骨が痛くなって、座れなくなってしまいました。
これは,昔々病院に入院していた時に、大腸カメラをした時に着いたカメラのケーブルで尾骨を動かしたのが理由で、一時は酷くて、全く座れなくなって、逓信病院の有名なペインの先生の病院に一年間通いつめたのですが、ついに先生から、
「尾骨が曲がっていて、針が届かないから無理?」って言われてしまいました?それなら、一年間通いつめる前に言ってくれよなぁ?
8月5日 8:27


とりあえず、ご無事の到着、ほっと一安心です。
8月5日 17:41

水漏れの動画もuploadされなかったので、改めてuploadします。
https://www.facebook.com/100004230614853/videos/674396249378056/

6時間前

滝のようですね(°_°)
6時間前

水道局の話では・・金属接触による静電気のサビと、今年の異常寒波で管が裂けたのだそうです。
応急の工事をした人も同じ話をしていました。音の凄さに、驚いたネ??工事の人は、経年劣化なので、あちこちで水漏れするかも・・??と言っていたのですが、その後、水回りを確認したら、この1箇所だけで後は2階への配管もサビ等の痕跡もなく実に正常でした。




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突然、スマホからハイツのパソコンへmailが送れなくなった!
8月5日 6:13 ・

昨夜、突然、スマホから東京の自宅であるハイツのパソコンへのmailが送れなくなって、パソコンに色々なデータを保存している私としては、困ってしまいました。
住所録のアドレスを調べたら、同じハイツのmailアドレスで、ハイホンで繋いでいるmailaddressと、underbarで繋いでいるmail-addressの2つがあったのですが、(・・・何で?)、てっきりそのaddressが原因かと思って、その両方にテストmailを送って、エラーを試してみたのですが、やっぱり、両方とも同じで、error-messageが出て、両方のmai-addressでも送れませんでした。?
何度も試したのですが、ついに諦めて、hotmailの方に送ってしまいました。
1つのデータを色々なmailで送ると、間違いの素になってしまうのですが、緊急避難で致し方ありません?
⇒やっぱり送られていませんでした。東京に帰京して、改めてlive mailのcheckをしたら、やはりエラーメッセージが出て、テスト送信してもエラーが出てしまいます。それなのに、同じaddressのlive mailがスマホには普通には着くのですよ。困った!!不思議だ!!
という事で、今まで使用していたlive mailを削除して、スタート⇒すべてのプログラム⇒live mailを表示して、自分のプールダウンメニューからアカウント情報の表示で、mailを表示するを開くと、windows10のlive mail画面になって、普通にmailが入って来ます。それを画面に貼り付けておくと、何とか見れるようです。
要するに、live mailのversionが上がったのに、自動でversionupをしてくれない・・という事らしい。まあ、live mailは写真を送る時や、受信する時にしか使わないので、面倒くさくても、どうでもよいのですがね???


また、8月5日に戻って・・・
朝は同じaddressですが、斎藤先生の携帯で送ったのですが、問題なく送れています?
昨日もauの業者から新しいプランの宣伝の電話が来たので、スマホは若者達の遊び道具として、作られているのでまた私達のようにビジネスユーズの仕事道具として使っている人に取っては、非常に使い勝手が悪いと、散々文句を言って、ガラケーに戻したいと八つ当たりをしてしまいました。
色々と気にいらない設定になっているので、電話帳は我々の場合には、ビジネスユーズなので、mailやSkypeをしたくない業者のaddressが殆どなので、自動的に取り込まれるのなら、削除も出来るようにして欲しいのだが、というと、笑って逃げられてしまいました。
勿論、ネットで調べて、幾つか、試しては見たのだが、その解説の画像にすら、ならないのだよね?それに、同じ住所録のaddressの中に、同じmailaddressや、住所、電話番号が複数入ってきて、この無駄な設定には、腹がたってしまう?生徒達に時短と無駄を省く事を、信条として指導している私にしては、許せない設定である。しかも、私達の場合には、必ずしもその人や職種を詳しく知っている場合は、むしろ少ないので、そういった情報やデータを書き込む欄があって然るべきなのに、前提は、幾つかのグループ分けしかない。お粗末の極みである?
7時くらいから、2時間殆ど掛けて、addressに勝手に入って来ているbugを探してながら、不具合の起きているaddressを片っ端から削除して、勝手にダブルになっているデータを削除してやっとこさ、mailが自宅のパソコンに送れるようになった。
スマホが安定しているのなら!この作業は必要のない作業なのだよ!
2時間も時間を無駄にしてしまった?
腹立つなぁ?


mailが出来なくなるとは困りますね。
私は買え換え時にスマホを同料金だからと勧められましたが、私の用途から今年の1月からガラホにしました(笑)
8月5日 6:55

さすが村田さんです?
賢明な判断です。私もそうしたかったのですけど、先生達がスマホを欲しがっていたので、と、人のせいにしよう?
8月5日 7:09




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8月5日 14:21 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行

その6(4日実家の整理と残務整理)


朝は一番で、不動産屋と書類を作って、それから、運送業社に電話をして、タンスや机を運送する時の見積りを出させているのだが、まだ電話がない?
ない電話を待っていてもしかたがないので、早々と部屋中の後片付けを始めたのだが、お袋さんが認知症になって、ホームに入ってからなので、何年越しになるのだが、片付けても、片付けても同じものがまだまだ幾つも出てくる?今日1日だけでも、引っ越しのトラックを雇った方が良いぐらいの荷物の量になってしまった?
それにしても、不思議なのだが、お袋の葬儀の時には、あったはずの巨大なかなり高価なカメラの除湿機のケースが、2週間後の8月に、部屋の整理に、再度、訪れた時には、もう、なかったのだが、誰か合鍵でも持っているのかな?
お袋の認知症が始まってからは、金目の物から、片っ端になくなってしまって、タンスや、現金等もなにもなくなってしまっているのだが、お袋は、
「泥棒が入って…」とか、「隣の部屋に、誰かが居て…」とか、しょっちゅう電話が入って来たりしたし、お袋自身も警察に言ったりしたようなのだが、認知症ということで、警察もあまり真面目にはうて合わなかったようだ。私が実家に訪れても、お袋の話を聞いても、認知症の話なので、どこまでが、真実で、どこからが妄想なのかの境が分からないので、私自身も、他人が入っている事は理解出来るのだが、今ひとつ警察に行くまでは、確信が持てなかったのですよ?
猜疑心が強くなって、自分の知っている人に対して、疑いを持っ事は、認知の症状の典型的な形なので、それは問題外の話なのだが、それにしても、お袋が出来る範囲を越えた範囲の出来事が多すぎたのだよなぁ?
お袋が認知が酷くなって、ホームに入ってからは、ホームを一歩も出る事は出来なくなったし、ホームの部屋には、なにも置くことは出来ないのだから、誰が持ち去ったのだろう?

私も、学生時代から、私が親友だと信じていた人に裏切られてしまって、人の悲哀を感じてしまいました?50万、百万の金を返さないで、大学で、生徒を指導している先生や、豊かな生活と家族に囲まれて、幸せな生活を送っている昔の友人達は、その自分を家族に知られた時には、どうするのだろうか?

認知症を良い事に、金目の物から、こっそりと持ち去って行く事は、立派な窃盗であるとは、思わないのかな?
自分の友人に、借金をしたままで、10年20年、何度催促しても、その場しのぎの言い訳だけで、逃げ回ったりする事を何とも思わない人達は、自分の幸せと天国へ行く事を夢見ながら、平気で他人から物を奪い、人を殺すis と、意識の点では、なにも変わらないと思うのだがネ?
でも、私が昔、親友と思っていたやつらも、彼らが30代40代の頃には、普通の常識を持ち合わせていた、人に信頼される人間だったのだがね?

私は、幾ら歳を取ったからと言っても、金や物に執着する人間には、なりたくはないなあ?これも、老醜のひとつだと思うのだけどね?
老人問題なんて興味がないって?
ノルマばかりを上げる事だけに一生懸命になって、クライアントの事は全く考えようとしない若い営業マンとは、もう取引はしない事にしたのだよ!営業の電話をかけて来て、
「仕事中だから…」と言ったら、「電話じゃないからいいだろう?」と、ストーカーのように、mailを何度も送りつけて来る人とは取引する分けはないだろうよ?
ある会社の人が、問題を起こして、
「私は、同じ会社かも知れないけれども、私はその人ではありません?」と言われても、残念だったね〜え?そんな会社とは二度と取引はしないのだよ? 一度失った信頼を取り戻せる事は、基本的にはないのだよ?




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8月8日 2:43 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行
その7(エンドレスの片付け作業)

明日は、もう8月の8日である。
明日で、長崎に到着して5日にもなるのだが、私は食堂のテーブルに座ったままで、ニャンコ号の置いてある車庫までも歩いていない?
通常なら到着したその日には、出前の皿うどんやチャンポンをお袋が近所のチャンポン屋さんに頼んでくれて、翌日の朝は、その余りで済ませて…というパターンが普通だった。しかし、その慣れ親しんだ郷土料理のチャンポンや皿うどん、長崎ラーメンのお店も、片っ端からお店をたたんでしまい、折角、長崎にたどり着いても、出前をしてくれるお店は、ほとんど無くなったし、デリバリーの専門のお店は、やっぱり美味しくないのだよなぁ?

長崎の街まで、出かければ、雲竜軒のポーズ、松屋の素うどんや、吉宗の茶碗蒸し、イカのフルコース、お金があれば、オコゼのフルコース等のルーチンの食べ物を食べに出かけて、鋭気を養ってから、色々な作業に入るのですがネ?
今回は食欲も、気力も起きないのだよなぁ?

それに、私の摂眠障害も、相変わらずで、昨年の帰省の時と同様に、ウダウダと、仕事にならないのだよ?
昨年同様に、斎藤先生は、朝早くから、夜遅くまで、コマネズミのように、くるくると働いてくれているのだけど、私は、今回も、腰が痛くて、椅子から立ち上がることすら出来ない?情けない話だよ?

それはそうと、昨夜(6日)の深夜のNHK の番組で、中村紘子さんの追悼特番をやっていたので、(最後のチャイコのコンチェルトの3楽章の途中は風呂に入ってしまって、一部、聴くのが抜けてしまったのだが)ほとんど全編を見てしまった?昔々、彼女が16歳の時にN 響とヨーロッパのツアーに出掛けた頃は、私は、まだ中学生、高校生で、音楽のおの字の勉強も、始めてはいなかったのだよなぁ?……と、暗たんたる気になってしまった?

ジュリアードに留学して、それまで信じてひたむきに努力して来た日本の音楽教育界のアカデミズムの勉強が、全否定されて、一度身に付いたその癖を取って、本当の正しい技術を身に付けたいと思っても、一度身に付いたものを、学び治す事は出来ず、また、やっと学んでなんとか取得できた音楽技術も、日本に帰国してみると、今度は、日本の古い教授達のアカデミズムに全否定されて、日本の音楽の常識とヨーロッパの音楽の常識の狭間で、堂々巡りに陥った彼女にとっては、彼女がピアニストという立場を貫く事は大変な困難に陥った…ということだそうです。

私がドイツ留学から帰ってきて、日本の大学で指導していた頃、中村紘子さんのNHK のピアノのお稽古が評判で、友人のピアニストの女性の生徒が、
「TVにでるから見て欲しい」と言われて、「あの人のピアノの弾き方は最悪だから」と、断って来た事がありました。しかし、ピアニストの女性や、彼女の生徒の超可愛い女の子が、私のピアノ教則本の写真のモデルになってくれると言われて、中村さんのその少女へのレッスンを見る事になったのですが、改めて、中村さんのピアノのレッスンを見て、すっかり驚いてしまいました?
レッスンの内容そのものは、彼女の演奏とは全く違って、トラディショナルで正統的で素晴らしい内容だったのですよ?

模範演奏をした後で中村さんは、
「演奏は私を真似ないでね?私も頑張って、この弾き方を治そうとしたのだけど、とうとう治らなかったのよ?あなた達は、最初から、そういった悪い癖を付けないように注意しなさい?」と言いながら、ピアノのタッチや、演奏の方法などを、注意していました?模範演奏とは違って、言っている事は全く正しいのですよ?

まずその事に、私はTVを見て、すっかり驚いてしまいました?
分かっているのに、出来ないと言う事は、ある意味では、悲劇なのですよ?
彼女が、ヨーロッパのトラディショナルな演奏法を主張する上で、ピアニストという立場で、日本のアカデミズムの音楽界から、身を守ろうとしたのかもしれないのだが、彼女が音楽の道を究めて行く上では、逆にその立場が、彼女自身の足かせになってしまったのかも知れない。

私にとっては、彼女がピアニストとしての自分を貫く事よりも、偉大な作曲家達の音楽に対する姿勢や気概等を素直に学んでくれたら、音楽技術的などうでもよい問題は自ずと克服出来ただろうに……と思っているのですがね? 
彼女の悩みを、精神論に逃げないで、真っ向から日本のアカデミズムに立ち向かう音楽のジャンヌダルクになって欲しかったのだが、音楽の精神論として、心に逃げてしまったのは残念である?(…等々と偉そうに言っているのだが、私は中村紘子さんとは、直接の面識はないし、演奏もほとんど聴いた事はないので、あくまでも、昨日のNHK の番組を観賞した上での、NHK の番組上での中村さんへの解釈を踏まえた上での感想なのですがね?)16歳の時のchopin のコンチェルトよりも、チャイコの方が更にエキセントリックになってしまっていたのは、残念だった。しかし、bach のパルティタは、彼女の死生感を表すような、なかなかの秀逸な演奏であった。でも、癌の宣告の後の演奏としては、録画の日にちが昔過ぎるのかな?

そのパルティタも緩徐楽章だけではなく早いパセージも是非とも聴いて見たかったのだが?
早いパセージも、緩徐楽章同様に典雅な演奏であれば、最高の演奏だと思うのだが?
私がドイツ留学から帰ってきて、当時評判の外人若手ピアニストの演奏会に出掛ける機会があったのだが(その当時は私も音楽大学でピアノの先生をしていたのですよ…?)、その演奏会に来ていたオーディエンスの華やかに着飾った若く美しい女性達を見て、
「これはちょっと何かが違うぞ?」と感じて、それからは音楽界とは、一線を画すようになってしまった?

日本の音楽のアカデミズムの世界は当然としても、音楽のリープハーバー達の音楽への意識も、私とは、ちょっと違うのかな?と思えてしまったのだよ?



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8月8日 12:20 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行
その8(長崎への原爆投下の前日)
(8月8日 父親の命日の前日)


(8月8日 父親の命日の前日)
「20年ぶりに口角炎になった!」
明日は、もう8月の9日、TVでは、オリンピックと天皇のビデオメッセージと、原爆のニュースで、長崎の数少ないTVのチャンネルは、目一杯である。
今日は、少し涼しくなった夕方から、今回の帰省で始めて街に買い物と、夜食を食べに出かけた。街では今回持って来ていなかった胃の薬や、睡眠導入剤(マイスリーとドリエルは持って来ていたのだが、ドリエルは2錠しか持って来ていなかったので…?)等を買ったのだが(今回の旅行では10年ぶり以上になるのだが)、口角炎が出来てしまいました。
音楽大学時代には、胃酸過多で胃潰瘍が中々治らず、大学の作曲の若手の先生に、
「胃潰瘍は作曲家の職業病だよ!」、と言われてしまいました。
しかし、50歳を過ぎた頃に、慢性の疲労で、救急車で近所の病院に入院して、ついでに、胃潰瘍の検査をして、その5年前に新たに発見されたフェリコバスターピロリという胃酸の中で生きる菌の治療をして、30年来の慢性の胃潰瘍は、一週間の薬の投薬で綺麗さっぱりと治ってしまいました。
ということで、それからは、胃潰瘍は全く再発する事は無くなったので、口角炎もこの20年、全く出なくなりました。
その口角炎が20ぶりにでたという話です。
「長崎の街にぶらりとする事も出来なかったので・・」
長崎の街に、買い物をしよう・・と出掛けた目的のお店が、相変わらず、毎年の事なのですが、潰れてなくなっていたり、建て直しでビル自体がなかったり・・と、結局今回は、ほとんどの買い物は出来ないままに、時間切れで、唯一、吉宗で茶碗蒸しの定食を食べて長崎の食事は終わりだった。
しかし、生ビールを一月ぶりにやっと、おっかなびっくりではあったのだが、飲む事が出来て、少しでも、体力が戻って来ているのが実感出来て、喜ばしい限りでした?
「長崎ぶらり」の感想は、その程度のものかな??


猛暑の昨今 お疲れが重なりませんよう どうぞおいといくださいませ!
8月8日 13:52







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8月9日 11:04 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅行
その9(8月9日の原爆投下の日)

奇跡的にフェリーのチケットが取れた!」
朝から、毎日の荷物の整理の繰り返し。
今日は原爆投下の日で、式典のセレモニーをテレビで見ながら、なんとなく駄目元で
「絶対に無理!!」と言いながら、再チャレンジした「新門司⇒東京のフェリーのキャンセル分」が奇跡的に取れた? 無理を承知でやってみるもんだ‥・??
これで、帰りは車の移動ではなく、二泊3日の船旅になる?
お盆休みは高速道路は「国民の大移動」の期間なので、長崎に着いたその日に、一応、フェリー会社に電話したのだが、当然ではあるが
、「もう予約は一杯で、キャンセル待ちも大勢いる」との事で、それ以上のアクセスは諦めていたのだが…?
奇跡は起こらなければ奇跡ではない?
奇跡は起こるものなのだよな?

「集荷と査定」
明日は、クロネコが、家具類を集荷に来て、本類の査定に、ブックオフが来る?
駐車場がないと集荷してくれないそうで、家の駐車場を開けるために、朝の11時から、私の車をコインに持って行かなければならない?
超、暑い中、めんどくさい?
しかし、クロネコの集荷やブックオフの査定が、一日にまとまったのだから、「それで良し!」としなければなるまい?

「冷蔵庫が寿命で・・・」
昨年、整理に来た時にも、冷蔵庫がそろそろ寿命で、食料品が冷えなくなっていたのだが、今回も昨日くらいから、マジに、だんだん冷えなくなって来て、氷も出来なくなって来ました。
二階の小さな冷蔵庫で、氷を作って、一階の冷蔵庫に移し変えてなんとかしのいでいる。
なんとか、後、3日持ってくれれば良いのだが?

「尾曲猫」

 

写真左側は、尾曲猫の赤ちゃんです。すばしっこくって、全体がよく撮れた写真はピンボケで削除しました。あまりにも可愛かったので、誘拐して来たかったのですが、左側から2枚目の白猫の母親がしっかりと、ガードしていたので、連れてこれませんでした。アハッ!もう1匹は兄弟らしいのですが、とてもこの猫も可愛いのですが、残念ながら尾曲ではありません。食事を作る暇が無かったので、ただ一度、街に食事に繰り出した時に、尾曲がり猫のお店の前で撮影した写真です。

ついでに、吉宗での茶碗蒸しです。
 

芦塚先生!
ご褒美フェリー!
ほんとうに良かったですね!
あとひと頑張り!
ご無理は重なりましょうが 何とか休み休み頑張ってくださいませ?!
8月9日 13:28


有り難うございます。出来る範囲で頑張る事にします。
9日のセレモニーを見ながら、なんとなく、無理を承知で電話をしたので、両親からのご褒美かな?と思っています。けっこう頑張ったので…
8月9日 15:05

きっとどんなにかご両親様お喜びですね!私はまだ果たせずにおりますので頑張らねば!です。
8月9日 16:19



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8月10日 11:09 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅

その10(8月10日)集荷とゴミ出し

(8月10日)集荷とゴミ出し
ゴミ出し
朝、6時代なのに、もう暑くなってきているので、慌ててゴミ出しをした。燃えるゴミ以外のゴミを全て、今日出さなければならないので、超大量のゴミが出て、コロコロ(写真参照)4往復のゴミ出しだ?
集荷
集荷の車を駐車場に止められるように、私の車を家から一番近いコインに持っていったのだが、それでも5分以上はかかってしまうので、日中のほんの一瞬で、タオルがビショビショになってしまったのだよ?
家具類等も、幾ら良い物であっても、家に収納出来なければ、どうする事も出来ない?兄貴の家と、私の家、それに事務所や、一時しのぎに教室にも、荷物を置かせて貰ったのだが、それでも、4分の1に満たない量が、片付いたに過ぎない。しかし、それぐらいの量であっても、ほぼ引っ越し荷物と同じくらいの値段になってしまった?しかし、一切がっさいを引っ越し荷物として持って行く分けには行かないのだから、金銭的な事は致し方ない?金額がかかったとしても、こまごまと持って行く物を決めて行く他はないのだ。

ブックオフ
持って行かない事にした立派な飾り本棚の中には、高価な写真集や医学書等が入っていた。奥の仏間や二階にも、書籍があったので、勿論、時間さえあれば、ネットオークション等で、欲しい人に譲る事も出来たのだが、ゴミにするのは忍びないので、ブックオフに電話して引き取りに来て貰った。若い頼りなげな女の子がひとりやって来て、頑張って査定をしていたのだが、100冊で1215円であった?一万じゃあないよ?千二百だよ?
吉永小百合の超デカイ重たい写真集1冊だけですら、単品ならば、それぐらいの値段はするのじゃあない?これじゃあ、全ての貴重書が、1冊100円くらいの査定だよね? 東京で、時々持って行くブックオフでも、コミックマンガを持って行っても300円くらいになる事もあるのだがね?
でも、棄てるよりはましなのかな?
時間があったら、ネットオークションがよかったのだけど、それは無理な話しなのでね?棄ててしまうよりも、精神的に楽という意味だよな?


教育の話し
出る釘は打たれる!

しかし、ドングリの中で、より良い生活を望むのは、もっと難しいという事を、人は知ろうとはしない?
一芸を求めて、ひた向きに人生を歩む人達は、素晴らしい?
若者がひた向きに生きている姿を見る事は、感動すら覚える。
しかし、きょうびの横並びの教育社会では、人よりも秀でる事は、極力否められる事になる。
私は、ひた向きに人生を歩んでいる若者を見る事は、素晴らしい事に思えるのだが、きょうびの親達は、それを極力否定する。
その理由を尋ねると、子供に苦労をさせたくないから…という事である。
しかし、それは本当だろうか?
競争社会に於いては、人と同じ事が…、人と同じようにする事が…、如何に、より多くの、激しい労力を必用とするのかを、理解出来ている人は少ない。
それは極めて簡単な理屈なのだが?
つまり、競争相手が5人と100人では、どちらが大変なのか?という理屈である。
最初から、人よりも秀でた能力を身に付けながら、それを否定して、一般と同じ土俵で、人と同じか、それよりも劣っている能力で、非常に苦労しながら、無為な努力を積み上げる事は、私には理解出来ない?
しかも、人と同じ努力をするという事は、その日常の生活も、今時の若者達とシンクロした生活をするという事なのだが、その今時の若者達の日常を、親達は垣間見る事はあるのだろうか?
音楽を目指していた生徒が、一般の高校、大学を目指すようになった時、その生徒の日常の興味を知って衝撃を受けた事がある。男の子は、その生徒の目標が変わっても、その生き方が変わる事はない。しかし、女の子の場合には、その生き方そのものが変わってしまうのだよ?
これは怖い?
一芸に真摯であり続ける事は、そんなに難しい事ではない?
ピアノでショパンの演奏で世界一の称号を受けるのは、よっぽどの事である。
しかし、誰も挑戦していない、ペリオード奏法の分野で世界の最先端を走るのは簡単である。まだ未知の分野であり、真面目で真摯な姿勢で探求心を持ち続ければ良いだけだからだ。
教室の保護者の方が、斎場で仕事をしていた。超エリートの大学を卒業して、超一流の会社に就職した若い青年達の自殺が、あまりにも多くて、千葉市という狭い地域でさえも、何人もの若者の葬儀に立ち合わなければならず、同世代の男の子を持つ母親として、少なからずショックを受けていたのだが、本当は、話題にすら上らない、その何倍もの引きこもりやニートの若者がその下にいるのだよ?
人と同じ事をする事は、一番楽で、安全な事のように思っている人が多いのだが、実際には、一番、競争が激しいのだという事に、気付いている人は少ないのだよな?
私が全音で楽譜を出版する時に、編集長から言われた事は、「一番売れているgenreの本を作ると確実に売れる!」と言う事でした。
しかし、それはチョッと違うんだよな!
皆が同じように真似て本を書いても、その中では独自性は生まれないので、結局は売れなくなってしまうのだよ。
世界のコンクールで一番になったからといっても、ChopinやLisztを引っさげていては、Pianoの神様の演奏に敵う分けはないのだよ。
つまり、2流、3流のChopin弾きであって、一流には成れないのだわさ!!
という事で、私は決して、私が教えている生徒達に、音楽大学に進学する事を薦めている分けではないのだよ?
何故ならば、私がいつも言っている事なのだが、音楽大学の先生達ですら、音楽が職業である事を、理解している人は少ない。ましてや、音楽を学んでいる音大生は然りである。
それでも音楽大学が成り立っていられるのは、音楽大学の学生が、皆、生活に困る事のない生活のために音楽をする必要のない良家のお嬢様達だからである。
しかし、それは日本の音楽界だけの傾向であり、ドイツのように、音楽大学の学生の大半が、男性で、数少ない女性達も音楽を勉強するのに、苦学をして勉強している人達が多い所では、「音楽は芸術であると同時に、職業でもある」と理解している人達が殆どである。
言うまでもないが、勿論、指導する側の教授達も然りである。
日本での職業としての音楽は、オケマンと、学校の先生、主婦のバイトとして、音楽教室の先生くらいなのかな?
演奏会を開いていても、それにタツキがかかっている分けではないのだよ?
自分の音楽の向上のための演奏であって、クライアントのための演奏ではないのだよなぁ?
話しが、ついつい愚痴になってしまったのだが、私にとって、一芸に秀でる事、ひた向きに何かを追及する事は、別に音楽である必用はないのだ。
芦塚音楽教室を開設した時の音楽教室である理由は、いつも言っているように、私のメトードを、勉強しても良いと言ってくれた人が、私が音楽大学に入れた人で、音楽家だったからに過ぎないからである。
実は、この愚痴の文章を書く前に、またまた、音楽とは無関係なのだが、愚痴を延々との書いていた文章がなくなってしまいました?
夏休みの子供達の日常の行動についての恐ろしい一文で、けっこう、頑張って書いた文章です。
それがごっそりとなくなってしまっていたのだが、その理由が分からない?
スマホは、やっぱり、私には、相性が悪いようです。
本当ならば、親が知っておかなければならない、自分の娘達の行動のお話だったのですが、ぶっ飛んだ文章を、これからもう一度書く元気は、もう持ち合わせていないので…ね?
それに、子供と言うのは、親や周りの親族達が望んだようにしか育たないのだよ。私が一人で、馬鹿みたいに幾ら指導しても、人の上に立てる人間に成れる分けはないのですよ。
私が子供達の教育に人生を捧げようと言う妄想に取り憑かれたのは、子供達の真摯なひたむきな姿を見て、その指導者達の技術の水準の低さに驚いたからであって、その若者が、自分の信じる道をひた向きに歩むのならば、アスリートであろうと、絵画、文学であろうと、技術者であろうと、私としては、何ら構わないのだよ?
でも、良いとこ取りの野狐の芸術家を望むのならば、私が助けられる所はないよな??
今は、
「私は芦塚先生の弟子です。」といってくれる生徒が、たった一人でも良いから、欲しい。・・・それだけです。



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8月11日 3:31 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅
その11(8月11日今年初めての山の日だそうな?)

今日のメインイベントは、帰京のための車への積み込み
な、な、なんと、後一日を残して、シャワレットが壊れた?
まぁ、明日までなのだから、まあ、いいか?
冷蔵庫も、辛うじて、なんとか頑張ったようだ?
二階の寝室のクーラーは、4、50年は経っていると思えるのに、ギンギンに冷えるし、一階の食堂のクーラーは、お袋がまだこの家にいる時に、私が買ったものなので、そんなに古い物ではないので、問題はなかった?昔のクーラーは、壊れないのだよな??新しい順番に壊れて行くのはどうして??
超暑い長崎で、それだけは助かっているのだよ。
心残りの家具が二つ、なんとか集荷に間に合えば、送ろうと思ったのだが、やはり、クロネコさんの集荷には、時間的に無理なようだった。結構、立派な食器棚だから、昔々、江古田に住み始めた頃に仮に買った安物の食器棚と長崎の食器棚を交換したかったのだがネ?
もう一つは、検見川教室の入り口のチェストを、パインの格好の良いチェストと交換したかったのだよ?
今日もクロネコは集荷に来るのだが、段ボールと家具では、部署や車が違うらしい。急いで電話をしてみたのだが、出発の次の日の集荷になってしまうらしい。残念無念?
斉藤先生は、もっと前に決断して、前回の集荷の時に集荷して貰えれば良かったのに・・と言っていたのだが、私は、「オケ教室の入り口のチェストの横幅の寸法だけを図って・・」とは、何度も言っていたのに、結局、誰も図ってくれなかったし、食器棚もハイツの古い食器棚と交換すると何度も言っていたのに、本気にして貰えなかった・・私としては、決断はしていたつもりになっていたのだがね。優柔不断ではなく、私は、棚が着いてから、古い食器棚から陶器を出して、新しい食器棚と入れ替えて、陶器を戻すという事を、自分一人でやるという自信がなくて、ダンボール系の荷物だと、ハイツには所詮誰も来ないので、ダンボールを出しっ放しにしておいて、体調の良い時に、暇な時に、その都度少しずつやれば良いのだが、食器棚ならば、そうは行かないので、悩んでいたのだよ。
そこいらの事が中々理解して貰えないのだよな。
明日は長崎の家からの出発のtimelimitが11時半くらいなのだな。長崎から、オーシャンフェリーの新門司まで、高速で3時間半の行程なのだが、これは計算値なので、実際には4時間以上は見なければなるまい。
後、ひと苦労だなや?
頑張れ?? 頑張れ! 団塊の世代よ?
後、一日?

感傷に浸る暇も無かったような!?
気をつけて帰ってらしてください!
8月11日 7:12




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8月11日 23:27 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅
その12(8月12日)その前日の夜

その前日の夜
「連日の荷物の整理という単純作業で」
すっかりバテてしまって、二階の寝室で寝込んでしまっていて、夜の10時過ぎに目が覚めて、日にちへのメリハリが無くなってしまい、今は何日かが全く分からなくなってしまった?
スマホで、日にちの確認をしたのだが、感情的には「明日朝、長崎を出発する」…と言う日にちへの切迫感が無くなってしまっていて、タイムリミットが理解出来なくなってしまっていた?
本来は13日に出発する予定だったのだから、フェリーで一日短くなって閉まっているのだが、その日にちの修正が出来ないのだよ!!思い変える事が出来ない‥・というのは、アルツハイマー症の兆候かいな?
東京へ持って帰る分の車への「積み込みの時間」を最短にするために、今、「明日、車に積み込む物」を分類しなければならないのだが、疲れが取れなくって、何にも出来ない…というか、する気にならない?……というか、椅子に座っている事さえも、体の負担になって疲れ切ってしまっているのだよ?(後日、テレビを見ていて、驚いたね??8月は3日から16日迄の猛暑日で、熱帯夜にならなかったのは11日だけだそうですよ。老人には生きて行く事さえ辛い毎日かもね‥・?
「体調不良の対処を・・」
勿論、7月の合宿の前の早い時期に、病院の先生には、この慢性的な疲労の相談をしているのだよ?
しかし、今の所、病院の先生からは、「安静にして」…とか、「体調管理に気をつけて」…とかしか言われない。
若い先生に取っては、老人が疲れ切っているのは、あたり前の事だからね。
しかし、7月の最初の頃からもう既に、バテてしまって、「多分最後の整理」‥・というのに、全く、仕事にならないのだよなぁ?
荷物は、可能な限り、クロネコで送ってしまったので、後は車に積み込めるだけ積み込むのだが、トイレットペーパー一個にまで、何とか救ってやりたい気になって、「こんな物まで…」と、情緒的感情的になってしまっている! それでも、後で、思い残しをするよりは「こんな物まで・・」という方がマシと思っての話なのだがね?
「パソコンの仕事が出来ないので・・」
Wi-Fiを持って来なかったので、パソコン絡みの仕事が何も出来なかったのが、心残りな帰省であった。
普段は、体調不良で動けない時には、パソコンの前に座って、パソコン関係の仕事をしている。
だから、いつもの様にパソコンの作業をすれば、「何も出来なかった。」と、自虐する事は無くなったと思うのだが・・
・・という事で、長崎の街に出たついでに、「即日、買ったその日から使用出来るWi-Fiの入ったパソコンでも買おうかな?」とも思って、聞いて見たのだが、お店の人に、「そんな機種はありません」と、事もナゲに言われてしまった・・・!!
等々、なんだかんだとウダウダしている間に、光陰は矢の如し・・で、とうとう12日になってしまった?
勿論、スマホをWi-Fiの代わりに使用する方法も考えたのだが、一つはスマホの契約が一括の契約ではないので、通信料が別途掛かって、その金額が膨大になるのだよ。Wi-Fiの場合の通信料は無制限なので、問題はないのだが‥・?
もう一つは、長崎の家では、普段仕事をしている場所、食堂なのだが、そこではWi-Fiが入らないのだな??
だから、クーラーのない玄関の接客スペースで仕事をしなければならないので、これがまた、辛いのだよ。
しかし、多分、これが、ふるさとへの最後の旅なのだよな? 心残りが色々と溜まるな〜ぁ??
という事でタイムリミットが過ぎて・・
「長崎の家を出発しての道中・・」
時間通りに長崎の家を出発して、途中で諫早に寄って鰻を食べて、本来的には、おみやげを買いに行く時間が全く無かったので、長崎の街でおみやげを買いに行く時間が全く無かったので、帰りがけのついでに、おみやげを探そうと、諫早の町で面白そうなお店を見つけて入ったのは良いのだが、身障者のお店とかで、殆ど趣味的なお店で、親切でお茶は出してくれるのは良いのだが、包装するのにえらい時間が掛かるし・・で、とんだ道草をしてしまった。しかし、面白い手作業の人形や、お地蔵さんのタペストリー等を色々と買ってそれなりには面白かった。雲仙市にある茜工房の出店のお店らしい。
「サービスエリアの食堂で」
という事で、SAには一切寄らないで、一気に車を走らせて、フェリーでは、夕飯が食べれないので、(コインの食料しかないので)、ちゃんとしたレストランで食べようと、九州道では一番大きな、古賀のサービスエリアに入ったら、大変な人だかりで、おみやげを買うにも人が並んでいてとても無理な状況だった。お店の案内に、ペッパー君が何人もいて、目があうと、覗きこまれてドギマギしてしまった。「なんか話ないの??」ってな感じかな??お客さんが一人もいない、一番空いていたちゃんぽん屋さんがあったので、一番シンプルなちゃんぽんを食べようと頼んだら、出来上がるまでにえらい待たされてしまうし、(この混み合いの中で、一人のお客さんもいないので、当然、混んでいるからではなく、単に手順が悪いからで、当然、美味しくもなく‥・、・・だから空いていたのか??なる程‥・!!)・・てな具合で、あちらこちらで手間取ってしまい、フェリーの埠頭には結構、ギリギリに着いてしまったのだが、時間15分ぐらい前から、フェリーに乗る事が出来た?
「必死にフェリーに間に合うように走って来たのがtraumaになって・・」
私の記憶の中では、フェリーの待ち合わせ時間に、1,2分差で間に合わなくなって、乗れなくなって、他の車がフェリーに乗るために走っているのに、なぜ私だけ乗せないのか?と、フェリーの人と喧嘩をしている夢(?)を見た。結果はゴリ押しで乗ってしまうのだが、それが結構traumaになった・・という夢?・・記憶??‥・妄想???・・、フェリーでは、どちらの記憶が正常な記憶か、分からなくなってしまっていたから不思議だ??
フェリーは今年からリニューアルして、けっこう綺麗になっただけではなく、とても広くなって、快適になっていた?

    

  



一応、スマホにはテザリング機能ついていますがね、、データ量が膨大ですものね(?_?;)
寝込んだということは、寝られたんですね!?
長崎から帰りたくないというお気持ちが先に立って理解を阻んだのですね、きっと。
8月12日 17:20

その手もあったのですよね??でも、スマホの料金を考慮中で、今の所、パケットの方が安いのかな?てな感じです。逆に、Wi-Fiにスマホを乗っけて、パケット料金を安くしています。
8月14日17:20

基本的にはWi-Fi接続ですよね。
日本ももっとWi-Fi整えないといけませんよね。
きっと都内はオリンピックまでには広がるでしょうが、、
8月14日17:52


そうそう、近場のお店でWi-Fiを飛ばしている所はないのか、探してみましたが、流石は田舎(失礼、老人の街)、アンテナが1本も立たないのよね。
8月14日 17:58

そうそう、寝込んだという事は寝れた‥・という事とは違います。起きて唸っていた・・という意味なので、休めたとは程遠いですよね。それに、実家と言っても、養父の家で、私は住んだ事はありません。養父とは直接はあまり付き合いはありません。中、高生の時から、親達とは別居していたので、一緒に暮らした事は一度もないのですから、当然、父さんと呼んだ事も一度もありません。お医者さんだから、常に「先生」です。紹介する時にはお袋の旦那です。ハイ!寧ろ、私の産まれ故郷である祖母の家が私に取っては、故郷のimageなのですが、相続の20年、30年戦争で、荒れ果てて、見る影もない状態で、裁判所での遺産相続の時には冠婚葬祭の時でも、一度も会った事のない親族という人達がいっぱい表れて、相続を持って行きました。人間なんて、そんなもんですよ!


ヨージー節!?が戻って嬉しいです(*^^*)
8月14日20:37


来年もありますよ
最後はゆっくり旅されるのもイイのでは♪
猛暑の中お疲れ様でした。気を付けて帰ってらして下さい。
8月12日 18:06

高校の友人達とも、もう20年来会っていません。伊藤一長は凶弾に斃れたし、東由多加も等に鬼籍に入っていますし、日Philの三角君も、お盆は忙しくて会えないのでね。坊主は稼ぎ時なので・・・。今回も、町に出かける事も出来なかったので、誰とも会っていませんし、美味しい食べ物も具合が悪くて食べれませんでした。それに、昔の友人達は、爺さんになってしまっているので、話が合いません・・。それに、今回の長崎行きは実家を売却に出掛けたので、来年行こうとしても、もう長崎に泊まる場所はないのです。アハッ!
8月14日17:22
それに、荷物の受け取り日を入れたら、今年の夏休みは1日もありませんでした。来年からは、たっぷりあるかな??
8月14日17:59

そうでしたか…実家はいずれなくなるものだとわかっていてもさみしいですね。
親孝行も実家も親がいるうちなのに、年々 帰省することが減ってきてしまい今年はとうとうお正月だけになってしまい、とても悲しいです。
それはさておき、お疲れ様でした。ご無事で何よりです。ゆっくりお休みになって下さい。来年はたっぷりゆっくりありますよ
8月14日18:07



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8月12日 6:35 ・

紀行文
ふるさとへの多分最後の旅
その13(8月13日)

「フェリーは外洋では、携帯の電波が届かないので・・」
この章は、フェリーが外洋上を航行するので、携帯のFacebookのおしゃべり(書き込み)は、リアルタイムのuploadは出来ません?
外海上では携帯の電波が届かないので?
それは今までの経験で、分かっている事なので、取り敢えずは、スマホ上で書き溜めておいて、電波が通じたら、uploadしようかな?と思ったのですが、保存をクリックした途端に、それまで書き溜めた文章がぶっ飛んで、しまいました。
「電波が通じない状況では、Facebookへの保存も出来ない」という事は知らなかったのよね?
気長に時間潰しに書いていた文章が、全てぶっ飛んでしまったのだよ?超、shock!!
海上では、電波が届かないという事は、つまりWi-Fiを持って来ていたとしても、パソコンの仕事は出来ないし、今回は本屋に本を買いに行く事すら出来無かったので、読む本もないし(フェリーでは食堂も売店もないのですよ。)、唯一の娯楽であるはずのテレビは、どのチャンネルもオリンピックで同じメダルを取った画像を繰り返し放映するだけで、おしゃべりをしているコメンテーターが違うだけなのだが、そのコメンテーターすらどのchannelのコメンテーターも同じ事を繰り返している。まるで、右倣えの日本の教育界の縮図のように見えて滑稽でした。
後、あるchannelはshopchannelだけなのだよな〜ぁ??
どうして日本の放送はこう同じ番組をやるのか??と聞いた事があります。今は番組を放送局が作るのは、大変時間と手間とお金が掛かるので、配信会社から買うのだそうですよ。だから、皆、同じ番組(映像)を使用して、ナレーションも同じになるのだそうです。
「歳を取って、船酔いをするようになってしまった!!」
今回は、SOLD OUTのフェリーの切符が、直前にかけ直した電話で、キャンセルが出ていて偶然にも奇跡的にチケットを取る事が出来たので、「楽で良かった!」と言って来れる人が多かったのだが、私がフェリーを嫌いで、フェリー使わない事が多いのは、フェリーでの帰京が結構体力的に、大変なのだからですよ!!
釣りをしたりするので、船酔いには結構強いのですが、流石に外洋の土用波や台風性の浪は、遠ければ遠い程、浪が大きくなって悪酔いをするのですよ。
とは言っても、私も昔から、船が苦手であった分けではないのです。
元来、私の家系は、真面目に調べて見ると、(そういう研究者の人達が結構いるので、homepage等で系譜を遡る事が出来るのです。)祖先は、どうやら倭寇の家系らしく、私に限らず、親族一同大変船には強い。
台風の最中にフェリーを出すという事は、今では有り得ない話かも知れませんが、私が未だ中学2年生の時には、中学校の修学旅行に出掛けた時も、バスの旅行で、台風の真っ只中をフェリーに乗りました。台風の直撃の真っ最中で、フェリーが大揺れに揺れて、先生も生徒も、恐怖と具合を悪くしている中で、特攻隊の生き残りの先生と私と友人の3人だけが、デッキのベンチに座って、浪風を受けながら、喜んで台風を満喫していた。
特攻の先生は、「これがピッチングで、これがヨーイングだよ!」と、船の揺れ方を指導してくれていた。
昔の話ついでに、私が留学から帰国して、大学で講師をやっていた頃、同じ東京に住んでいた従兄と、台風の真っ最中に大島に遊びに行くという事で、定期航路の船に乗っったのは良いのだが、台風の直撃の大波で、お客さんの若者達皆さんが、40畳もある座敷の端から端まで、放り投げられ、転がされて、「きゃあ〜!きゃあ〜!」と喚いている時に(大部屋だから、捕まるもの(柱等も)もないのだよ!)、私と従兄はケロとして、甲板で、大波を見ながら、Beerを飲んでいた。
その揺れは、ディズニーランドのアトラクションの比では無かったのだよ!! 
その時は、トイレの便器にしがみついている若者もいたのだが、トイレが逆流して、大変な有様だったよ!! それが大島に着いた途端に、湖のように静かになるのだから、海は分からん!!
ところがやはり、高齢者になっ来たこの2,3回の船旅は、大きなフェリーでも、近場の台風の揺れではなく、遠くの台風の影響を受けた浪でも、船の揺れが、体に辛くなって来た。
斉藤先生は倭寇の出身ではないので、私以上に船の揺れは辛いようで、勿論、これぐらいの揺れになると、船酔いの薬は効きはしないのだよ。
今回の船は、今までのフェリーよりもrenewalされた大型の、とても綺麗な船で、船室も4人部屋を2人で借りていたので、非常に広くて旅館の一室のように楽だったのだが、流石に外洋に出た辺りからは、台風の余波と思われる大波に二度も出会ってしまって、大変な思いをした。
斉藤先生は一回目の揺れから、薬を飲んで寝ていたのだが、私も、流石に今回は辛かったので、2回目は、諦めて、私も薬を飲んだのだが、全く効き目は無かった。
冗談じゃなく、死ぬか??(心臓が止まるか?・・)と思ったのだが、やはり、高齢者には、もう、船旅はキツイのだよな〜ぁ。幾ら海賊の子孫でも、歳には勝てんわさ!!
「東京帰京のrotation」
何度も書いているように、今回は長崎に着く前から、体調不良で、それに腰痛も再発してしまって、運転中からなのだが、尾骨まで痛くなって、座ることすらままならなくなってしまって、長崎にやっとこさっとこ辿り着いたのに、長崎の異常な暑さと、尾骨の痛みで、部屋の整理、荷物の整理をする事は何一つ出来なかった。という事で、斎藤先生1人が、こまねずみのように朝から晩まで働いて、荷物をまとめていたのだが、一人で作業をするのと、二人で作業をする事は、根本的に速さが違うので、 12日に出発をするのを、13日に出発する事にしてのrotationを組んだ。
しかし、フェリーの切符が取れた事で、作業の幾つかを見切りをしなければならなくなって、大きな心残りが出来てしまった。
いつもの里帰りでは、教室が17日には始まるので、斉藤先生が中一日だけは休憩したいという希望で、遅くとも、14日の朝早くには、事務所に到着するようなローテーションで帰京しているのだが、今回は、多分最後の帰省と言う事になると思われるので、無理をして、最初は、15日の朝早くに到着するような予定を組んで、斉藤先生にも了解して貰っていたのですが、ナ、ナ、ナ、ナント、フェリーは、日曜日は出港しないという事で、出港は予定よりも一日早く、12日の夕方の出港になりました。
だけど、それでも奇跡的に取れたのだから・・ね??
だから、東京の有明埠頭には、予定よりも1日早い、14日の午前中の早い時間に着く事になりました。
日曜日の次の日の16日出発では、lessonの開始に間に合わないからなのですよ。
東京の埠頭には朝の6時には着きましたが、船を出てからはすぐに高速なので、30分もしないで、事務所にたどり着く事が出来ます。
それから、ゆっくりと、改めて、寝るのかな?
「以前も書いた同じ文章なのですが、慌てて書いているので・・」
今日(13日の)、朝早くに、洋上で新しく大きくなったフェリーについての感想を書いたのですが、保存をクリックしたら、保存されないで、そのまま消えてしまいました。
Facebookは、ネットに繋がっていないと、保存も出来ないようですね?
この文章は、途中停泊の徳島の埠頭に接岸中に打っています。
もうすぐに出港なので、中途半端なのですが、急いで保存をする事にします。
「このフェリーの問題点は・・」
この大きなフェリーは中々気に入ったのですが、この船で1つだけ欠点を挙げるとすると、トイレに行くのに大きなロビーを通らなければならないので、ちゃんと服を着てトイレに行かなければいけない・・という事です。
老人になったからという分けではなく、疲れている時には、トイレに行く回数が1時間起きに1回か、疲れがもっと酷くなると、それよりも短いインターバルでトイレに通ってしまいます。
その度に服を着て、ズボンを履いて、漏れそうになるのを堪えながら必死にトイレに行くのは、結構大変な思いでした。
腰痛が酷いのでズボンを履くのも結構必死なのですよ??
ああ、それに台風性の揺れで、船が大きく揺れるので、真っ直ぐに立っているのは、中々、難しいのですよ。私のような老人でなくても、子供達でも、ふらふらとしてしまうのですよ。ハイ!

陽二君気おつけてね???お祈りしてまーす^_?☆
8月12日 9:23

さぞかしお疲れが重なられておられましょう!
潮風パワーを満喫され&体力充電の船旅を祈念致します??
8月12日 11:17



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8月14日 4:36 ・

紀行文
ふるさとへの多分、最後の旅
その14(8月14日)

「フェリーから事務所到着まで」
長崎から高速で、新門司港に着いて、フェリーに乗って、瀬戸内海を航行して、徳島港に停泊して、出航したら、いよいよ外洋(外海)です。
今回のフェリーの旅は、新門司港を出航する時には、素晴らしい天気に恵まれていたのですが、しかし、毎年この時期は台風の影響で、外洋では、大波が酷くて、大きなフェリーであったとしても、思いの外揺れが酷いのです。
という事で、今回も(ご多分に漏れず!)外洋に出た途端に、斉藤先生は、船ではすっかり寝込んでしまいましたが、本来ならば、船には強いはずの私も、だんだん、歳と共に船に弱くなってしまい、人並みに気分が悪くなってしまって、結構、苦しくって、眠る事すら出来ず、今回もまた、大変な思いをしていましたが、やっと、東京湾の中に船が入った頃から、揺れがすっかり落ち着きました。
・・と同時に、それまで殆ど丸一日繋がらなかった携帯の電波も復旧しました。
東京湾に入ったとしても、直ぐに埠頭に辿り着く分けではありません。湾の外口から埠頭まで、延々と丸々小一時間程は航行していました。(考えて見れば、それでも海なので、直線なので、早いのだよね??車ならとても1時間では着かない距離だよな〜あ!!)
しかし、一旦、埠頭に着いてから、東京の事務所までは、車で高速のC3で約25分しか掛かりません。
朝の7時の渋滞の前には、もう既に、事務所に到着しました。
それから、大急ぎでなま物だけを事務所の冷蔵庫の中にしまって、後の腐らない物や大荷物は、夕方一休みしてから改めて、作業をする事にしました。
「子供の悪戯で、ハイツの郵便受けが開かなくなって・・」
椎名町の駐車場は、塀の外なので、長期間、バイクを外に置いたままにして置くと、悪戯されてしまうので、今回は、自宅のハイツの駐輪場(ドア付きの専用の駐輪場です。)に置いて行ったので、朝の8時15分頃には(約、小一時間後には・・)急いで寝ようと思って、電車に乗って、ハイツに戻って、ハイツの玄関に入って、留守中の郵便物を取ろうと郵便受けを開けようとしたら、ダイヤルキーが回されていて、扉を開ける事が出来なくなっていました。
以前も、子供に悪戯されていて(キーを動かされていて・・)、暗証番号をちゃんと合わせても、(その番号を何度も、合わせ直しても)、ロックが解除出来なくって、旅の疲労と暑さで、10分ぐらい汗だくになりながら、keyを回して、やっと、何回目かでロックが解除されました。
番号が間違っている分けではなく、単に鍵の接合不良なのですが、何度合わせても、開かない時には開かなくって、困ってしまいます。
前回も悪戯されていた時には、私は諦めてしまったのですが、管理人が後で、開けてくれたので、助かりました。
私の場合には、いちいちロックを解除するのが、面倒くさいので、普段は鍵をロックはしていないで、数字0の状態にしています。
だから、誰かが、数字キーの文字盤を回さない限り、鍵がロックされる事はないのです。
子供の悪戯というのは、管理人が悪戯する子供を特定しているのらしいのですが、管理人は親との軋轢を恐れてどうも注意出来ないようです。
怖い人なのかな??
「折角、部屋に着いたのに、眠れないのだよな〜ぁ??困った!!」
手に持てる荷物だけを手持ちでハイツに持って来たので、ハイツで冷蔵庫に保存するなま物だけを冷蔵庫に入れたら、大急ぎで、取り敢えず、夕方、改めて車を出しに椎名町に行く迄、お休みをする予定です。
すぐにでも、寝たいのだけど、雑用が多くて・・・??
取り敢えず、大急ぎで済ませて、・・と思ったのだけど、眠れないのだよな・・これが・・??
ベッドに横になっては見たのだけど、眠れないままに、起き出して、荷物の整理やパソコンのcheckを始めて、夕方になったら、そのまま長崎から持って来た荷物を、それぞれの取り敢えず置いて置く部屋への移動のために、車をもう一度、車庫から出して、搬出の作業を始めました。
疲れ切ってはいるのだけど、眠れないので、仕方が無い、・・困ったものです。
それはそうと、寝付きやすくなる薬(睡眠導入剤)ではない・・、良質の睡眠を取れるというmittelの事を、フェリーのテレビで、しょっちゅう宣伝していたので、それでも買って見るか??

お帰りなさ〜い!長崎には現役の頃に仕事で何回か行って、その変わりように少しがっかりしましたが(笑)・・・やはし懐かしく思ってます。最後の旅などと言わないで・・・子供の頃のおくんちが懐かしい!
8月14日 5:59


ご無事にご到着!
ほんとうに々お疲れになられました事でしょう!
お身体を幾重にもお大事にいたわってあげてくださいませ?!
8月14日 10:32

有り難うございます。今は、パソコンの前で呆然と自失しています。ハイ!
8月14日 17:29


https://www.facebook.com/100004230614853/videos/674670582683956/

フェリーが出航したばかりの時は、海は凪いでいたのですが、フェリーは結構早いのですよねぇ〜??
動画なら、フェリーの速度を感じれると思います。

潮風!ですね?!

お出かけなら、Bon voyage!なのでしょうが、帰りは何と言うのかな??








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紀行文
ふるさとへの多分、最後の旅
その15(8月15日16日)後書き

この紀行文は、chapter14の東京着で、2週間の行程という事で、旅の区切りも良いし、この紀行文は終わりにしようと思っていたのですが、何と、荷物の後始末の段階で、斉藤先生も疲れで何も食べれなくなってしまい、私は左足首と右の膝が痛くなって、立ち上がる事が出来なくなって、ハイツの荷物の後片付けが出来なくなってしまい、大きな雑多な後片付けは、14の朝に着いて、15日には終わっているはずなのが、ダラダラと、後片付けが継続してしまい、終わりが見えなくなってしまいました。
東京に辿り着いた14日の朝は、電車で手持ちで持って帰れるだけのナマ物だけを持ち帰り、その日の夜に改めて車を出して、大荷物をハイツに持って行きました。
細々した仕分けの必用な雑多な荷物は、斉藤先生に先に仕分けして貰って、15日にバイクでハイツまで持って帰る事になっていたのですが、その14日の深夜、ベッドに寝ている時から、左踝が痛くなって、ついでに右膝関節も痛くなって、とうとう、ベッドからトイレまでも歩けなくなってしまいました。
しかし、55歳を過ぎた辺りから、時折、腰痛が酷くなって、トイレ迄も、歩けなくなってしまう事がよくあったので、(その時は、今回の踝とは違って腰なのですが・・・)ハイツには、トイレまで歩くために、杖が常備されています。
だから、その杖をベッドサイドに持って来て、ベッドから、杖を使って壁伝いに掴まりながら、転ばないように注意しながら、トイレまで歩いています。(まるで、老人だよな??)
杖を準備していたおかげで、今回も、部屋の中を歩くだけなら、何とか踝の痛みにも対応する事が出来ました。
という事で、最初の14日に、電車でハイツに持ち帰ったナマ物を整理するだけで、15日は終わってしまいました。
14日の夜に、車で大きな荷物は移動してしまったので、後は、16日に、殆どの小物の細々とした荷物の移動はバイクで大きなリュックに入れて、持ち帰りました。
しかし、そのまま玄関に起きっパ・・では、玄関の出入りすら出来なくなってしまうので、少しずつ、足首に相談しながら、出来る範囲から、部屋の片付けを始めています。
という事で、この2日間、買い物にも外には出ていないし、事務所から何か食べるものを持って帰って来た分けでもないので、ハイツの冷蔵庫には、食べ物が全く無くなってしまったし、直ぐそばのセブンにすら、買いに行く元気もないので、取り敢えずの、非常食で間に合わせていたら、折角、長崎の旅の病気で、5`近く痩せたのに、2日で2`もリバウンドしてしまいました。食わなきゃ、痩せる・・と、昔々の病院の先生は言っていたのだけど、どうすりゃ良いのかな??
その後も食事が出来ないままに、4日目になってしまいましたが、非常食のインスタントを1日一回食べるだけなのに、痩せないのよね??
逆にリバウンドしている・・・不思議だ!!
非常食のインスタントって、そんなにカロリーがあるの??




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lessonを嫌がって泣いている子供を引きずって
8月17日 7:07 ・
昔々のお話ですが、教室に二人の娘さんを連れて入会しに来たお母さんがいました。
「毎週、子供達が逃げ回っているのを探しだして、泣いている子供達を引きずってピアノのお稽古に連れて行くのが疲れたので、何とかして欲しい。」という事で、私達の教室を探し出して来て、教室に入会しました。勿論、家でピアノに向かって練習する事はしない、(ピアノの蓋を開ける事さえしない)ので、直前にお母さんがガミガミと叱りながら(取り敢えず)練習させて、ピアノの先生の所にレッスンに行くのですが、厳しく先生に叱られて、親子で泣きながら家に帰るのが毎週だったそうです。
私達の教室の先生から、
「練習はして来なくても良いから、教室にいらっしゃい。」と言われて、それから、生徒達は練習して来なくても、先生から叱られないので、毎週、お母さんに言われなくても、喜んで教室に通って来るようになって、半年も経たない内に、親に言われなくても、家庭でも自分で一人で練習をするようになりました。その内に姉妹でピアノの取り合えいになったそうですよ。
勿論、見違えるようにピアノが上手になったのですよ。
「それから・・??」、・・って??
母親は、泣く子を強引に引っ張ってピアノの先生に連れて行く楽しみが無くなったし、子供に
「練習しなさい!」と叱る楽しみが無くなったので、「親の役割が無くなって、つまらなくなった!」・・と言って教室をやめてしまいましたとサ!!
これ、実話よ!!!


勿体無い?ですね?
8月17日 22:25



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「勉強しなさい!」と言っても
8月17日 7:12 ・
先程の話の続きです。
「勉強しなさい!」と言っても勉強しない子と、
「勉強しなさい!」と言うと、しぶしぶと、勉強している振りをする子と、
「勉強しなさい!」と言うと、一応は勉強する子と、
勉強しなくても、やたらと成績の良い子とは、どちらが良いですか??
〜えっ? 本当に、本音で、そう思いますか??


これで、あなたの子供への教育の本音(潜在意識)がわかるのですよ??


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8月18日 8:36 ・
「擬古典について」
(前置き)(・・「まえがき」ではないよ!)

(前置き)(・・「まえがき」ではないよ!)
この文の内容は、雑文というよりは、ある意味・論文に近い文章なので、Facebookにはそぐわない文章だと思う。
ただ、こういった音楽論文系の内容の話をする事は、中々その機会と場所がない。音楽教室のオケ練習等で、生徒達を前にして、こういった話をする事は、もう少し掻い摘んだ状態で、オケ練習の最中にする事はあるのだが、しかし、ここまでの楽典とも論文ともつかない内容の事柄を、生徒達に説明をするだけの時間的なゆとりは、ただでさえ、1曲に対しての時間の割り振りが少ないオケ練習では、とても無理だし、man-to-manの個人lessonで、一人一人に個別にlectureするのは、とても不効率だし、それこそ時間的に無理なので、取り敢えず、Facebookにupする事にした。とは言っても、小学生、中学生の子供達には、ネットを自由に使える環境はないので、一部のスマホを持っている生徒達、限定の話である。(パソコンでhomepageを見れる環境のある生徒達はもっと少ないのだから・・。)勿論、これは暫定的な処置なので、後で文章は削除して、homepageに移動する予定である。
(以下・本文・・・・)
八千代の「芦塚先生の鬱々コンサート」では、多くの一般的に「擬古典」とされる作品を演奏して来た。
しかし、本来的は「擬古典(主義)(pseudo-classicism)」とは、文学や絵画のgenreに対して使用されて来た言葉である。それを同じ芸術という括りで称される音楽も、その言葉を共有したに過ぎない。
という事で、この「擬古典」という言葉が曖昧なままに、一般に使用されて来た事は否めない事実である。
この一文を掲載した理由は、擬古典主義という言葉が、私がしようしている「擬古典(主義)」とは別の意味で、この言葉が使用されていた事を発見して、その事に対しての、問題提起という意味もある。
まずは、この文を進めて行く上で、最初に問題にしなければならないのは言葉の定義なのだが、その方法論としては、類語をあげて、その詳細な違いを定義して行く事が最良の方法である。
と言う事で「擬古典主義」という言葉に対して、類語を上げると、「新古典主義」と言う言葉がある。
「新古典主義」という言葉に対して、「新バロック主義」という言葉もある。
通常ならば、これらの言葉は、ツリー構造としての階層を持つべきなのであるが、これ等の言葉(類語)に関しては、その階層を持たず、混沌として使用されている。
つまり、一般的には、この3つの言葉が、定義が不完全なままに、それぞれの研究者の手によって、別々の意味で使用された事による混乱が、この類語の混乱の底辺にある。
また、日本人の論文の掲載者のように、「擬古典主義(pseudo-classicism)」という言葉を、「新古典主義」という言葉と同義語として区別をしないままに使用してしまっているのは問題である。
擬古典主義という言葉を、時代的に「広義」に捉え過ぎて、BrahmsやMendelssohn等の作曲家達がバロック(baroque)や古典(Classic)の作曲家に対しての尊敬の念による所の古典的な手法と、ロマン派の作曲家達の音楽形式よりも、より人間的な情緒や、感情の表出のために、それまでの音楽の形式を無視し、情緒的な表現に走る事に対しての批判とが相まって、音楽形式的に、均整の取れた「古典に還れ!」という主張とを、Hindemith等やStravinsky等の新しい音楽技術の表現方法としてのneo-classicismとは、根本的に作曲への考え方が異なっているので、例え、baroqueの技法による形式を使用しての作曲であったとしても、それを同一のbaroqueのstyleによる作曲法として語る事は出来ない。(「読んでも、超分かり難い!」という事なので、平たく掻い摘んで、乱暴に纏めて言うと、Brahmsから、Stravinskyまでの作品を一絡げに擬古典と定義するのは、そりゃ、聞こえませぬ伝兵衛さん〜だ!という意味です。つまり・・・)
・・・BrahmsのSymphonie Nr,4のe mollの終楽章のpassacagliaや、Variations and Fugue on a Theme by Handel, Op. 24が懐古的な手法で作曲されていたとしても、これらの作品を擬古典と言う人はいないだろうと、私は思うのだが・・・。それを擬古典と定義しているので、異論がある‥・という意味です。
更に、Brahmsが、baroqueの作曲技法で作曲したとしても、baroqueの音楽表現とは根本的に違い、ロマン派の作曲技法上に、baroqueの形式を応用したに過ぎない。
ましてや、baroqueの音楽的な表現すら取り入れている分けではない、20世紀の新古典主義の作曲家達と、Brahms達、ロマン派の作曲家達の技法への考え方は基本的に違うので、同一の括りで括るのは、そりゃぁ〜・・・、無理ですよ!!
私の場合には、「新古典主義の作曲家達」という定義は、Stravinskyを始めとする、20世紀の新しい音楽的な様式による、新しいgenreを意味する言葉であり、StravinskyのPulcinellaや、ギリシャ悲劇(Tragodie)のオイディプス王(Oedipus Rex)等々の作品や、ドイツのHindemithの一連の作品に見られるような20世紀に見受けられる新しい作曲技法であり、作曲様式の事を総称して、新古典主義(neo-classicism)と呼んでいる。
勿論、これらの作品を、新バロック様式(Neo‐Baroque style)とも言ったりするのだが、これは全く別の次元でのお話であって、Classicという言葉の定義の違いによるものであり、これも混乱を招くもう一つの理由となっている。
いずれにしても、これ等の言葉は、基本的に建築や絵画のgenreで使用される言葉である。(このneo-baroqueとneo-classicの違いは、既にhomepageに論文として掲載している。)
先程の、Brahmsの新古典主義(neo-classicism)の定義を理解するには、絵画のダビッドやアングルの手法を思い出すと良い。
それは謙虚にbaroqueの大家の手法を学び、その技法をTechnikとして、作風の中に取り込んでいる事が具体的に見えて分かり易い。
それに対して、同じ新古典主義(neo-classicism)という呼び名で表されているのだが、20世紀以降の作曲家達の作品は、模倣ではなくデフォルメ(deformer)という手法を基本的に使用して、自分の語法で表現している・・つまり、模倣された作品は素材としての利用にしか過ぎないのだ。つまり、様式として捉えるには、全く別のgenreになってしまうのだ。
長い長い前振りなのだが、実はここからがこの文の本題となる。
ここまでは、オーソドックス(orthodox)な音楽様式を表現する言葉の定義の話であるのだが、ここに「擬古典」とか言う怪しげな言葉が入って来ると、話は更に、複雑に込み入って来て、その内容も混乱して来る。
日本人の書いた「擬古典様式」についての、論文や解説のPageは、その混乱が随所に見受けられて、学術としての論文の体をなさない。
論文の基本となる最たる重要な事は、一つ一つの言葉の定義である。心理学の世界でも、音楽の技術の世界でも、一つ一つの奏法が、同じ言葉を使用しながら、その言葉の意味する所が違っているので、例を挙げるとすると、proのオケ練習の時等に、それぞれの奏者が学んで来た音楽技術の対する言葉の定義が異なるので、指揮者の意図がオケに伝わらなくって、見ていて呆れてしまう事が多い。
(音楽の友版で出版されているGalamianのviolin奏法であるが、一例として世界の有名なviolinのmethodeでの、演奏用語の比較の一覧表を掲載している。非常に素晴らしいものなのだが、著作権の関係で添付は出来ない。)
私の場合には、「擬古典」と言うと、Vitaliのchaconneの編曲家であるFerdinand Davidや、Busoniの「Bachのchaconne」に代表されるような作品をimageするのだがね。
但し、Busoni=Bachのchaconneは、Bachのoriginalの作品をPianoの技法でvirtuoso風に散りばめて行ったのだが、音楽そのものを変えて行った分けではない。あくまでも、装飾的な変奏なのだ。
それに対して、一般的にはVitaliのchaconneとして世に知られているDavid版のchaconneは、その作品の殆どがVitaliとは無関係のoriginalの作品である。
様式的にも、作曲技法的にも、その上に、楽譜上も、Tommaso Vitaliのbaroque時代のoriginalの作品ではないし、あくまでもロマン派の様式による作品であり、baroqueの様式の作品では有り得ないのだから。
(本来ならば、Bach=Busoniのchaconneよりも、Max RegerのMozartの主題による変奏曲とフーガ(Variationen und Fuge uber ein Thema von Mozart)を取り上げるべきであろうが、知名度でBach=Busoniを優先した。)
また、arrangerが、細心の注意をして、原曲を損なわないように、単にmelodieを他の楽器に当て嵌めた(transposeした)だけの作品でも、楽器の編成が変わったために全く別の擬古典の作品となってしまう事はよく見受ける事である。(Pachelbelのchaconneをオルガンの作品(orgel=Werk)からstringorchestraにtransposeしたPachelbel=LupiのarrangeやのLupi-Veraciniのpassacagliaの場合のように‥・。)但し、LupiのVeraciniのpassacagliaは挿入されている和音がbaroque時代には用いられていない非和声音を使用しているので、近現代的に‥・というよりは、致命的に汚い響きがして、演奏会には使用出来ないし、それ以外にも、色々と問題点が多かったので、やむを得ず全面改訂でAshizuka-versionを作って発表会に臨んだ。
もっと、複雑怪奇になって来ると、同じbaroque時代の作曲家によるarrangeも、数多く見受けられて、別のgenreの曲になってしまっている場合もある。
その例はcorelliと同時代のGeminianiの編曲によるCorelli=Geminianiのchaconneである。
しかしながら、私が勘違いをして、てっきり、「Hennry purcellの主題によるrondo」と同じような曲だとばかり思い込んで、買ってしまったBenjamin Brittenの手による
「Hennry purcellのchaconne g」は、元来、そうあるべきbaroqueの奏法を譜面に表しただけなので、(Benjamin Britten版としてまでは許せるのだが、)この曲に「著作権」が生じる事は、断じて許せないし、納得が行かない。この著作権は取り消して欲しい!!
Brittenの話はさておいて、事をより複雑にしているのは、曲はそのままなのに、全く別のimageの曲としてarrangeをしてしまっている曲の場合である。
その実例の曲は、「TelemannのAria」のorchestra-versionなのだが、melodieと、基本の和音だけはTelemannの作品そのままなのだが、なにせ、tempoの設定やorchestrationが違い過ぎて、originalの曲は、baroqueどっぷりのcantataなので、このAriaに関しては、全く別のimageの曲になってしまっている。
だから、Kurt Redel編曲のTelemannのAriaは、曲としてはTelemannの作品とは、全く別のimageの曲となっているので、これを「擬古典」と呼ぶ事が出来るか否かは甚だ疑問である。
この擬古典の話を、更に、複雑にして、混乱を引き起こしているのは、偽のバロックの作品の存在である。
baroqueの作品と称しながら、実際にはbaroque時代には存在しなかった作曲家や、存在はしてもその作曲家の作品ではない作品を、その作曲家の作品である・・と詐称する事である。
ではあるが、そもそも、「作家の偽称」とは言っても、楽器や絵画ではないのだから、そのarrangerに取っても、偽称されたbaroqueの作曲家に取っても何の経済的な利益ももたらさないのだよ。これは単なる洒落にならない洒落にしか過ぎないのだ。
その最たるものは、CacciniのAve Mariaであろう。
これは、Cacciniという作曲家の名前を勝手に拝借した現代の作曲技法による作品である。
このバロックの作曲家の名前を勝手に使用して、一つのgenreを作り上げたのは、violinistのクライスラー(Kreisler)であろう。
Francois Franc?urの様式によるシチリアーノとリゴードンや、Gaetano Pugnani の様式による前奏曲とAllegro等々の作者不詳の無数の作品を作って、評論家を翻弄したのは有名な話である。
これはKreisler特有のblack-humorなのだが、現代でもそのblack-humorに引っ掛かっている演奏家がいるのは、呆れ果てて何も言えない!!
私はこういった、見做し-baroqueの作品を、洒落で、「偽古典」と呼んで区別していたのだが、ある時に生徒から、
「先生、偽古典って洒落ですか?それとも、先生の勘違い(字の間違い)なのですか??」と聞かれてしまって、それから、自分の尊厳のために、その区別はやめてしまった。
直感的に笑えない洒落は、分からなければ、洒落にはならないからね!?
でも、私も人の分からないhumorが大好きで、2,3年経ってから意味が分かって、電話が掛かって来たりする事もある。
もう一つの混乱は、擬古典の古典という言葉は、本来は古典の時代の音楽のstyleではなく、baroqueの時代の音楽styleなので、だから正式に「neo-baroque」と、言ってしまうと、今度は言葉の定義が別の意味になってしまうので、困ったものである。
つまり、neo-classicとneo-baroqueは甚だ混乱して用いられているのだよ。
それは一つのamateurismから、Classicという言葉が、広義には「Classic音楽」という、ポピュラーやジャズの音楽に対する言葉としての意味に捉えられ、専門的には、狭義に「Classicの時代」という狭い時代を意味するからである。
一般の人達が「あなたはClassicが好きですか?」と尋ねて来た時に、まさか??「古典派の音楽が好きですか?」という意味では決してないのだよ。
そのくだらない音楽上の定義の話は、同じ職業音楽家の場合でも、頻繁に起こるので、困ったものなのだよ!!こちとらは、古典派の音楽の奏法の話をしているのに、相手(この場合は演奏家の場合なのだが)は、Classic音楽として広義に捉えて話を聞いている・・阿呆らし‥・!!
私のVivaldiの校訂のように、baroqueの様式を損なわないように、細心の注意を払いながらの校訂と、同じようにbaroqueの様式を損なわないように、注意しながらでも、Organをstringorchestraにarrangeをすると、どうしても、近現代の響きがしてしまう。baroqueの時代には、そういったorchestrationが存在しないから、どうしても近現代の響きがしてしまうのである。
それも、当然、擬古典の領域になる。
それに対して、Ferdinand Davidのchaconneのように、最初から時代考証を無視して、その時代(彼の時代)の技法でarrange(編作曲)をする場合がある。
それを擬古典の作品と呼ぶのが忍びないので、私は敢えて、偽古典と呼んだのだがね。
本来的に言うのならば、VitaliのchaconneのDavid版は、「Tommaso VitaliのthemaによるFerdinand Davidの変奏曲」で良いのだよ。所が一般的には、このDavid版がVitaliのoriginalと思われているのだから、お粗末極まりない!!
Vitaliのchaconneのoriginalのfacsimile版の譜面は、一般的には売られてはいないのだが、facsimileを所有している図書館が一般公開をしているので、手に入れる事は難しくはないのだからね。
全く別の曲だよ!!この版で演奏している人もいるのだが、それはperiod奏法のgenreになるので、聴いた事のある人は、殆どいないだろうね。(これも楽譜が出版されていないのだから、violinとbasso continuoのCembaloとcello用にnotationしておかなければ‥・!!ああ、忙しい!!時間(人生)は限られているのに、やらねばならない事が多すぎる!!)
教室の先生達から、私のarrangeした曲が、編曲なのか?作曲なのか?とよく聞かれるのだが、擬古典の場合は単なるarrangeなのだから編曲であり、偽古典の場合には、originalとは関係がないのだから作曲なのだよ。
Benjamin Britten版のHennry purcellのchaconneは、時代考証で奏法を書いただけの、編曲でもarrangeでもないのだから、著作権は異議申し立てを出版社にした方が良いと思うよ。
Benjamin Brittenはイギリスの誇る作曲家なのだから、作曲家自身が、そんな自分の品性を貶めるような事はする分けはないのだから、そんなお下劣な事をしたのは、出版社だろうけれどね??
他人の著作権の異議を唱えるなんて、私にはそんな、無駄な時間はないので、そんな事はしないけれどね。
period奏法を現代譜に「譜起こし」しても、それを作曲かarrangeとか、称する事は出来ないのは、当然の事だからね。
本当に出版社の品性を疑うよね??


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8月26日 14:26 ・

体調不良

一昨日から、何かしら鬱になりそうな雰囲気だったので、どうしたのかな?と思っていたら、鬱ではなくって、体調不良だったようで、全くこの2日間体が動かなくなって、普段なら体調不良の時にデェスク作業としてやっているパソコンの仕事さえ出来なくなってしまいました。
この2,3日の内に、ハイツに大きな荷物が届くので、玄関に出しっ放しの長崎からのダンボールがそのままなので、このままでは荷物を部屋に入れる事が出来ないので困ってどうしようかな??と考えこんでしまいました。
二日間、丸々寝込んでしまったので、今日の体調は少しは良いのですが、なにせ、とても暑いので、もう少し、気温が下がったら、頑張ってダンボールを隣の部屋に移動させて、取り敢えず、荷物が入るようにだけして見るか??とか、パソコンに向かって書いていると、だんだんと体に汗が滲んで来たので、慌てて部屋の中の温度計を見たら、な、な、な、何と、32度もある!
こりゃあ、大変だ!急いで、クーラーを入れないと・・。


どうぞお疲れが重なりませんように!
8月26日 21:36


有難うございます。昔なら何でも無かった一つ一つが、今は一仕事、一苦労です。体調を見ながらの毎日です。ハイ!
8月27日 0:16





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8月27日 15:31 ・

「月末の金曜日は蕎麦dayです。」
30年来、月一で定期購入している生蕎麦8食分なのですが、冷蔵庫では、3日程しか持ちません。毎月最後の週の木曜日に届きます。‥・で、金曜日のお昼は蕎麦dayです。小ねぎ(京葱)と大和芋、本山葵を買って、皆で食べます。トロロの味付けは私が専門に即席で付けます。生蕎麦なので、冷蔵庫でも3日とは持ちません。食べ切れないものは、蕎麦の着いたその日の内に冷凍庫に仕舞って置くと、何とか一月は持つのですが、やはり、冷凍すると不味いので、冷蔵庫で腐らせてしまう事が多いのです。・・と言う事で、今週も金曜日に皆で蕎麦を食べたのですが、残りの4食分は、今週は事務所には誰も居ないので、
「ハイツに持ち帰って、自分で茹でて食べるように‥・」と言われて持ち帰って来ました。しかし、昨日は体調不良で、とても料理する気にならなかったので、今日、頑張って、作ろうと思ったのだが、‥・と言うよりも、事務所にあったはずのネギも、私が買っといた山芋も、山葵も入っていないよ!!薬味0じゃん!!
さて、いよいよ蕎麦を茹でようと思ったのだが、ハイツはダンボールだらけで、ガス台に近づけないのだよな!!
「こりゃあ、困った!」と言う事で、ガラスの入ったダンボールの箱類を割らないように注意しながら、ガス台の傍から移動して調理スペースを作りました。この作業だけで、小一時間掛かったよな?
蕎麦を茹でるための準備をする前に・・、疲れた!!
腹は減ったけれど、食わなくてもいいか??アハッ!
ハイツに持って帰った分のお蕎麦なのですが、この写真の蕎麦の箱が冷蔵庫にもう一箱あります。
今日中には食べ切らないよね??そりゃ、無理だな‥・??
今週は不思議な事に、バケットのハーフサイズのも買っていたのだけど、体調不良の影響で、食べれないままに放ったらかしていたので、すっかりと固くコチコチと石のようになってしまって、食べれなくなっていたので、牛乳と卵、オリゴ糖(!!)でフレンチ‥トーストを作りました。
今日はドルプリは長時間のお留守番なので、トーストを食べ終わったら大急ぎで、事務所にドル守りに行く事にしました。
出かける前に、それまで着ていた普段の服を洗濯機に放り込んで、長崎から戻って来た箱の中から、着替えを探したら、短パンしか無かったので、仕方が無いので、短パンで小雨の中をバイクで走ったら寒い事、寒い事‥・何と、今日は日中でも22度だそうです。
昨日は33度だったのに、どういうこっちゃ・・ね??
こりゃ、体がついて行かんわサ!!
小一時間、ドルプリの相手をして、(・・とは言っても、私はワンちゃんとは、一緒には遊ばないので、当然、ワンちゃんを構う事もなく、プリドルは、傍で勝手にしていただけなのですが・・)それでも、帰る時には一応、「帰るな!ワンワン」コールでした。
ほんと、動物は可愛いよね??

外の玄関を出ようとすると、クチナシが咲いていたので・・(なんでやんね??今はクチナシの季節じゃあないだろう??)一枝を折ってハイツに持ち帰ったのですが、ちょうど良い大きさカタチの花瓶がないのだよ!帯び襷でね。という事で、昔々から故郷の本家にあった古い明治時代か江戸時代の肥前の花瓶を東京に持って来たので、その花瓶に放り込みました。剣山を探したのだけど、ちょうど良い大きさの剣山を何処にしまったのか分からなくなったからです。
この花瓶は、別段、大切にしているものでもなく、お気に入りでもない普段使いの物なのですが、ちょうどその大きさの花瓶がない時には中々重宝しています。
椎名町の事務所のドル守りから戻って、クチナシを花瓶に活けたら、またぞろ、ダンボールの整理を始めました。


今は12時を過ぎて、次の日になった所ですが、2個目の整理が終わった所なのですが、仕舞い場所が見当たらないので、机の上が急須で満タン状態です。
殆どが朱泥の急須なのですが、趣味で集めているものなので、利用頻度は全くありませんし、壊れ安いので、普段使いにも出来ません。
お袋が趣味で集めていたものなので、利用頻度がなく困ってしまいます。
売るにも売れないしね〜ぇ??


長崎から急いで箱詰めして持って来たので、やはり、ダンボール一箱では、1個は割れてしまった急須が出て来ます。もうチョッと時間を掛けて、丁寧に包めば良いのだろうけれど、兎に角、タイムリミットとの勝負で、時間も無かったしね〜ぇ??
もう一個の朱泥は蓋のサイズが合っていません。探して見たけれど、蓋が見当たらない・・・。これは、多分おっかさんのせいでしょう??
・・そう言えば、夜食を食べるのを忘れていました。食べる場所もないしね〜ぇ??
さて、どうすんべ〜ぇ??









無事、ガス台にたどりつけましたか?
生蕎麦、継続されていたんですね。美味しかったな?

8月27日 15:49

お試しや贈答用で単品でも注文出来ますョ??
8月27日 16:43

ずいぶん前に個人で注文したことあります。久々に注文してみます(^ ^)
8月27日 16:47


10月頃は新蕎麦が出るので美味しいですよ。8月9月は蕎麦に取っては、端境期なので、どうかな??水もぬるいしね。
8月27日 18:00

新蕎麦??10月に届くよう注文しまーす??
8月27日 17:01


わたしもー?食べてみたいから一緒に注文しよー??
8月28日 0:06

そば会、やりますか??

  


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8月29日 7:30 ・

今日は、24度としのぎやすいので、窓という窓、ドアを全開にして空気を入れていたのですが、畳やフローリングが汗をかいてきたし、体がベタベタして来たので、yahooを開いて練馬の湿度を見たら、何と96%もあった!こりゃ、サウナ状態だなャ??クーラーだと、除湿にしても冷え過ぎるので、困ってしまいます。

それはそうと、ハイツのベランダでは、長崎から持って来た植木や自分の気に入っていた植木の手入れをしていたのですが、体調不良や長崎の旅行で、この5年10年とベランダの手入れが全く出来なくなってしまったので、小さな花類は椎名町に持って行って自生させる事にして、桃ちゃんが江古田にいた頃は、夏休みの帰省の時には、ベランダの植木の水やりを頼んでいたのですが、その後は、諦めて1年、2年、植木には水をやらないで、全部、枯れさせて処分してしまいました。
ベランダには一切何も置かないで、空にしておこう・・と思っていたからです。





何も置いてなければ、夏場はベランダでwineというのもありかな??
昔の写真です。
ところが、この二つの植木だけは、夏の超暑い時にも全く水をやらないにも関わらず、干からびても干からびても、未だしつこく生存しています。ベランダの超高熱の砂漠状態で死にそうになっても、断固として未だにこの5年、10年、生存しているのです。
見習わなくっちゃ‥・!!

湿度には敏感なお年頃?ですものね(*^^*)
畳には調湿作用があると聞いたことがありますがさすかに96パーセントには太刀打ち出来ないんですね??
8月29日 7:34

96%では、フローリングはもとより、ベッドのシーツも濡れたような感じで気持ち悪いです。高校生で長崎に住んでいた頃は、30度を越す温度でも、7月の梅雨の時期でも、アセモが出来たとかの問題は無かったのですが、関東に住むようになってからは、7月の梅雨の時期には、アセモが巨大化して、病院で切って貰ったりして大変になってしまいました。でも、ドイツの留学中はアセモが出来た事はありません。同じ梅雨でも(アハッ!ドイツには梅雨はありませんよ!)関東と九州の梅雨は性質が違うのかな??同じ、7月の梅雨でも九州の梅雨はサラっとしていると思います。
8月29日 8:01




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8月29日 16:19 ・
お蕎麦のお話の補足説明
このお話は、突然始まりますが、実は28日の千葉教室でのお話の続き(補足説明)です。
スパゲッティや蕎麦の生麺が簡単に手に入るようになって、老婆心から乾麺との茹で方の違いを書いておきます。
勿論、蕎麦作りの本職の方から見ると許せない記述が多いと思いますが、私のなんちゃって料理の延長なので、悪しからず!!

@生麺は保存が効かないので、冷蔵庫で2日から3日が限度です。
冷凍する場合には、届いた最初の日に冷凍するようにする事。
麺は茹でる前には絶対に濡らさない(湿らさない)ようにしてください。茹でても、固まったままで、食べられなくなります。茹でるための、お水の事を書くのを、忘れていました。茹でた後のお湯は、蕎麦湯として、とても美味しいので、蕎麦を茹でる時のお水は浄水を使うようにしてください。

A茹で時間は、よく沸騰した大きな鍋に入れて、軽く一振りほぐします。そして、もう一度沸騰して蕎麦が湧き上がって来たら、すぐに冷水で冷やします。乾麺と違って、秒単位の勝負です。人によって茹で時間が違うので、敢えて、時間を書かないでおいたのですが、生麺の場合には、ひと煮立ちなので、1分か、以内の場合もあります。茹で過ぎると、閉まらなって、味が悪くなるので、注意してください。麺掬いでは、時間が掛かるので、私の場合には、鍋の中にちょうど同じサイズの網を入れていて、それを上げて蕎麦を移します。この鍋はスパゲッティ専用のお鍋なので、網が最初から付いているタイプです。大きめのボールで、水を何度も交換して、かき回した後の水が澄んで来たら合格です。手早く、ざるに移しましょう。


B薬味ですが、これは好みでしょう。私の場合には、・・・
*京葱(小ねぎ)・・関東では、普通の長ネギを細く切って出すお店も多いようですが、味が強すぎて蕎麦の風味を損なうと思うので、私は好みではありません。



*山芋は、長芋よりも、大和芋や自然薯その他の山芋の方がより美味しいと思います。おろし器はセラミックで良いでしょう。味付けは、付属している蕎麦汁と卵1個で味付けをします。しかし、蕎麦汁だけでは味が薄いと感じる場合には、昆布つゆやカツオ丸で味を濃くします。通常はごま油で味を締めるのですが、ごま油が一滴、二滴になって、難しいので、金ゴマを大量にふり掛ける事にしています。



*次の写真は辛味大根です。食べる時よりも10分以上前に擦って、空気に晒して置く事がコツです。酸化して辛くなります。これも、おろし器はセラミックあたりで良いと思います。





*一番大切な薬味は、本ワサビです。
昔は大変手に入りにくかったのですが、今は大きなスーパーで常時売っているので、チョッと高いかもしれませんが、これは欠かせません。

ワサビは絶対に鋼やセラミックのおろし器で擦ってはいけません。本わさびを買うのなら、一緒に鮫肌も買ってください。大きければ大きい方が良いです。力は入れないで擦ってください。


*ざる蕎麦には、刻み海苔が着いていますが、海苔は香りや味が強いので、本当に美味しい蕎麦の香りを愉しむには不向きだと思います。
*お店によっては、ざる蕎麦に卵を付けて、蕎麦汁に入れさせるお店もありますが、蕎麦汁が生臭くなって、どぶ汁を飲んでいるような、大変な不味い味になってしまいます。



C蕎麦チョコに残った蕎麦汁に、蕎麦を茹でた後の茹で汁の底の濃い部分を入れて、小ねぎやワサビを少し足して、御汁を作って頂きます。蕎麦湯はとても美味しいです。
斉藤先生は、残った蕎麦湯でお味噌汁を作ります。お味噌汁が濃い味になり、また別の味になって、良いです。(但し、同じ生蕎麦でも2,8蕎麦や、3,7蕎麦では、蕎麦湯が不味いので、その場合は、別に蕎麦粉を使って蕎麦湯を作ります。蕎麦100%の場合は、茹で汁がそのまま、蕎麦湯になります。美味しいです。
      

蕎麦湯が大好きです(蕎麦よりも!?)。味噌汁やってみます!
8月29日 22:56

ええ?私が蕎麦湯で作るのは、味噌汁じゃなくてすまし汁ですよ?はまぐりとお出汁、塩ほんの少々で、小ネギを入れて、美味しくいただけます。お味噌汁はやったことないけど、美味しいのかな?
8月30日 14:53

Aで絶対に忘れちゃいけないのは、夏場は必ず最後に氷水でしめるってとこですね。冬は水道の水が冷たいのでそのままいけますが。冷たい水でお蕎麦がきゅっとしまった感じが手触りで感じられれば、美味しくなった証拠ですよ〜
8月30日 14:57


お味噌汁の場合には、けんちん汁のように、とろみの付いた感じになります。サラッとしたお味噌汁を好みの人には合わないかもね??
8月30日 15:20


ハマグリの澄まし汁もやってみたいです☆
8月31日 21:52





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8月30日 15:18 ・

「夏休み明けのオケ練習から・・」

7月の22日から8月の16日迄は教室の長い夏休みになります。
しかし、7月の休み中には合宿と夏のおさらい会があるので、実質は22日の休みなのですが、7月の26日は希望でone lessonがあったので、21日間(3週間)の夏休みになりました。
但し、芦塚先生に取っては、先生の郷里の家の後始末があって、その仕事で全く休みが無かったので、実質的に芦塚先生は、夏休みが取れないままにオケ練習の突入しました。
(・・と、書いていたら、芦塚先生から、
「そう書かれると、今年だけ、夏休みが無かったように見えるよ!」「でもそれはこの5年ぐらい、毎年の話だからね?!」という指摘がありました。余分な話ですが、一応、確認しておきます。)
 








「夏休み中の自主練習の成果は・・」

今回の夏休み明けの第一回目の練習は8月21日にあったのですが、1回目のオケ練習で、夏休みの勉強の成果を見たのですが、曲によって練習の成果のバラツキが余りにも酷かったのと、3回オケ組のclassは、流石に夏休みボケは少なくって、練習の量が減ったという事は無かったようですが、2回オケは練習の量や質ともやはり問題が大きくて、3回オケとの夏休みの練習の成果の落差が酷かったので、通常、芦塚先生は2回オケは指導しないのですが、28日のオケ練習では、急遽、芦塚先生が2回オケの指導も、する事になりました。
27、28日は、斉藤先生の四日市のlessonのrotationで、lessonと発表会があるので、斉藤先生がオケ練習の指導に来れない・・という事もあったので、3回オケからの芦塚先生の指導を、急遽、千葉に早く駆けつけて貰って、2回オケのclassからの指導をお願いしました。






「グループ分けの説明」

2回オケと3回オケの意味は、文字通り、月の練習の回数の意味で、月2回、オケ練習があるグループと、3回あるオケのグループに分かれています。
グループ分けの基本は、オケ練習自体が、基本的に希望参加なので、生徒達の希望で、オケ練習に参加するのか、しないのかを、自分の音楽との関わりとか学校との関係で、自主的に決めています。音楽に関しては、教室がadviceをする事は可能なのですが、学校や塾に関しては、教室の外の話になるので・・。それに、オケや室内楽に参加出来るのか否かは、オケ・室内楽が集団活動になるので、(特に室内楽の場合には、一人でも休むと曲自体が練習出来なくなるので)自分の学校や塾との兼ね合いで、休まないで練習に参加出来るか否かの問題になってしまいます。
そこは本人達とか家族で決めて貰わないとなりません。
オケのグループが二つある・・とは言っても、2回オケに参加するか、3回オケに参加するのかは、但し、2回オケと、3回オケは、全く別のグループではなく、原則として、3回オケの人達は、2回オケの人達の指導の練習をするので、原則として、2回オケはmemberとして参加しています。
という事で、2回オケのmemberは、2回オケだけのmemberと、3回オケ組のmemberの合同練習になります。
ですから、2回オケ組は、オケに初めて参加する人や、学校との兼ね合いで、練習回数が2回しか無理な人達で構成されています。
当然、オケ練習の意識も同様なので、休み中の練習の成果も必然的に、その差が出てしまいます。でも、生徒の音楽の練習に対する意識を持たせるのは、生徒達本人よりも、指導する先生の役目であると言う事で、芦塚先生から急遽、「乗せまくり練習」というlecture練習をして頂きました。

「芦塚先生のオケの指導は元来は・・」

本来的には、芦塚先生の指導は、昔々は、基本の3回オケだけの不定期の指導だったのですが、何時の頃からか、不思議な事に、毎週3回オケを指導をする事になってしまっていました。
それについて、芦塚先生は、再三、先生達に「何故??」ッと、質問しているのですが、何かうやむやなままに、継続しています。
芦塚先生のオケのlessonは、基本は3回オケのgroupからの指導なので、3時,4時からの指導になります。

その理由は芦塚先生の体力的なものが一番なのですが、それ以上に、lessonの「煮詰め方」、所謂、「集中」にその理由があります。芦塚先生のlessonを生徒達は皆「とても楽しい!」と言っていますが、それは芦塚先生のlessonについて来れる生徒達だからなのです。
勿論、未だ芦塚先生の要求に応える事の出来ない生徒達ならば、先生や先輩が練習のお手伝いをしなければなりません。その場合には、「全体指導」所謂、オケ練習にはならない、man-to-manの指導になってしまいます。本来ならば、man-to-manの指導は、lessonの時にすべきなのですが、lessonでは個人の曲の練習をするので、オケの曲の練習に先生が付き合ってあげるのは、時間的にもlessonのrotation的にも難しいのです。
という事で、牧野先生が原則として、午前中にそういったman-to-manの練習を組むようにはしているのですが、午前中は全体合奏の曲やら、初級のensemble組の練習やらと、それなりに時間が詰まってしまいます。その皺寄せで、午後のオケ練習では、生徒間の曲の出来、不出来のバラツキがどうしても、出てしまいます。オケは個人の出演ではなく、全体の活動なので、そのためには、各個人個人が自主的に練習を積み上げる必用があるのです。

勿論、2回オケのmemberが決まって、各個人の曲が決まった時点で、芦塚先生が、それぞれの曲の技術なpointや、練習上のconceptを生徒本人達に伝達します。
しかし、そのpointやconceptは、2回オケ組の生徒達にとっては、未だ一人で勉強をするのは難しいので、2回オケの生徒、一人ひとりの指導係の先輩達に、先生が指導上の留意点等をlectureをします。
芦塚先生のlecturelessonは、基本的には、最初の曲が決まった時点、中間地点で、或る程度練習が出来た時点で、その練習の進行の修正等、それからいよいよ発表会が近づいて仕上げの段階‥・と、練習の段階で、芦塚先生が生徒達に直接、指導し、課題出しをします。学校教育は、その殆どが個人教育です。集団活動を指導するはずの部活は、生徒の自主管理に任されているので、これは教育ではありません。教育には指導者のcurriculumが必用になるからです。その指導者のcurriculumを持って、集団教育として指導がなされるのが、オケ練習なのです。集団教育の難しさは、ちまたの野球やサッカー教室でも見られるように、個人のlevelの統一です。そういった意味では、野球やサッカーでは、levelに達しない生徒は試合には出る事は出来ません。しかし、一般のジュニア・オーケストラでも、levelに達しない生徒達は「降り番」と言って、オーケストラの舞台に乗れないのは、当たり前の話なのです。
練習をサボらないで、参加しさえすれば、確実にオケの舞台に乗る事が出来る‥・という教室のオーケストラは、例外中の例外だと言う事は、知っておかなければなりません。それを可能にしているsystemが、先輩に指導のlectureをする・・という芦塚メトードの独特の指導方針なのです。
しかし、それでも、各自一人一人の生徒が、落ちこぼれないように、芦塚先生から具体的に与えられたその曲の課題を確実にマスターしなければ、全体の人達のオケ練習が上手く行く事はないのですよ。そこの課題は技術ではなく、一人ひとりの意識の問題になります。

「28日の練習は・・」

しかし、今回は、夏休み明けの最初のオケ練習の時に、2回オケのgroupの曲の進捗状況にあまりにもばらつきが酷かったので、急遽、芦塚先生が、lecturelessonをする事になりました。
子供達の練習の乗りが良くなかったので、芦塚先生の「乗せまくり練習」をしました。
Mozartのkirchenは、Pianoを代弾き出来る生徒達が皆、オケで弦を弾いているので、仕方なく、急遽、梨紗さんがPianoを演奏しました。Piano専科の人達ならば、このlevelの曲は初見でもin tempoで演奏出来るのですが、梨紗さん達に取ってはPianoは副科なので、初見はチョッと難しいかな??
Vivaldiのa mollのcelloconcertoの3楽章は、曲がとても難しくって、練習が地味になってしまったので、曲のimageを見失ってしまったので、今回は急遽、珠加ちゃんに急いでオケ練習に駆けつけて貰って、in tempoでの練習をしました。という事なので、今回の練習は、soloのpartを珠加ちゃんが演奏してくれるので、演奏は曲のimageが分かり安いように、in tempoで練習をしています。
また、芦塚先生の諸注意も、珠加ちゃんのNiveau(水準)に合わせて、要求しています。
だから、オーケストラが曲のimageを掴めるようなlecturelessonなので、桃迦ちゃんが、今回の芦塚先生のlessonに合わせて演奏しなければならない・・という事は、絶対にありませんので、ビックリしないように、或いは、そのtempoで弾かなければならない・・と、勘違いしないように、注意してください。
あくまでも、オケを演奏している人達の演奏の乗りが良くなるようにするためのオケ練習なので・・・。
短い練習時間だったのですが、芦塚先生の「乗せまくり練習」で、少しはこの曲の乗りは良くなったような気はします。・・かな??
「2回オケの動画の公開について」
これまでは、2回オケの練習風景は、一度も公開した事はないのですが、今回は芦塚先生の「乗せまくり練習」という事で、特別にuploadする事にしました。芦塚先生は、「体力を消耗するので、あまり「乗せまくり練習」はしたくない。」「体力の限界!!」と言っていましたがね。
「毎度の事ですが、動画の編集が上手く出来ない・・」
しかし、このuploadが、またまたですが、いつもの通りに、日曜日の練習のvideoを、パソコンに持って来て編集してYou Tubeにuploadするのですが、何度もやり直しても、映像が乱れていたり、再生がされなかったり・・と、上手く行きません。
結局、月曜日の夕方から、今(火曜日)の朝まで、徹夜作業になってしまいました。
昔のDVDの時には、こんなに面倒くさい事は一度も無かったのですがね。videocameraが直接、スマホに対応するために、拡張子が代わったりと色々と、新しい操作とパソコンや、レコーダー等との整合性が上手く行かないのでしょうね〜ェ??mp4に変換したら、You Tubeでは画面の比率が上手く行かなくって、黒縁が出てしまったので、折角、解説入りでYou Tubeにupしたのですが、画像の乱れも酷かったので、削除して、最初から作り直したので、何回やり直したのかな〜ぁ??
「次回9月4日のオケ練習の予定では」
次回の9月4日のオケ練習も、芦塚先生が、soloとbasso continuo組だけのlecturelessonを希望されているのですが、soloは梨紗ちゃんが指導の手伝いをしてくれると思いますが、basso continuoのcelloの奏法がとても難しいので、珠加ちゃんがlecturelessonに間に合って来れれば良いのですが‥・??
basso continuoのcelloは、それなりに独特の奏法があるのですが、オケ練習の時間の関係で、指導する時間がなく、これまでは、中々出来ませんでした。この1,2年、少しづつbasso continuoの奏法も指導するようにしています。オケ組とsolo組を最初から分けて練習して行けば、良いのでしょうが、時間的に無理なので‥・ネ??
今回は、私のsolo組のlessonと平行で、斉藤先生と千夏ちゃんでオケの指導をして貰う事にします。
但し、本当は、solo組のlesson時間は、オケ組の倍の時間は掛かるので、オケとの時間の平行は難しいのですがネ。
参考までに2回オケの練習風景のURLを乗せておきます。
最初は、Vivaldiのcelloconcerto a mollの3楽章です。
https://www.youtube.com/watch?v=04eBhHOHDGE
次の曲は、同じVivaldiのviolinconcerto e mollの3楽章です。
https://www.youtube.com/watch?v=y7JATivmWi4
昔々のお話ですが、芦塚先生のオケ練習を見学に来た指導者の人が、芦塚先生の「乗せまくり練習」を、安易に解釈して、「曲のtempoを上げて、早く弾かせれば子供達が『乗る』」と勘違いして、自分のオーケストラで生徒達を乗せるために、同じ事をやって、取り返しが付かない程、オーケストラがメチャクチャになってしまった・・という話を聴きました。芦塚先生の「乗せまくり練習」・・実は簡単そうに見えるかも知れないけれど、これは本当は真似の出来ない芦塚先生の名人芸なのですよ。
(写真は8月28日の検見川教室でのオケ練習の光景です。)


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8月31日 12:07 ・

昨夜は20度という超寒い夜だったのに、今日はまたまた、30度超えの33度の予定だそうです。昨夜は、久しぶりに、魚河岸にでも飲みに行こうかと思った のですが、準備を始めたあたりで、 突然、 心臓の下あたり、 胃かすい臓 あたり(胃下垂ではないよ!胃か?膵臓だよ!)が痛くなって 急遽 ベッドに横になってしまいました。⇒これは、長崎への旅の時の、四日市から車を走らせている時に、急性の下痢に襲われた時に、一緒に痛くなっていた胃の痛みなのだが、常備薬を持って来ていなくて、そのまま治り切らないで、長崎に着いてからも、時々、痛みが出て来るので、薬屋で薬を買ったのだけど、良く治らなかったのだよね。何処が痛いのか、お腹を押して、痛みの箇所を探して見ても、よう分からんのよね??
長崎から帰京して、もう2週間以上になるのに、 この2,3日は 、腰痛が酷くて、 座骨も痛い ので 、椅子に座ることもままならないので、すし屋のカウンターのとまり木にも座れないかもしれない・・という事で飲みに行くのも諦めてしまいました。
あいも変わらず、食料品が冷蔵庫には入っていないので、セブンにでも、今夜の食料品を買いに行こうか? と思ったのだが、それも、体が動かなくなって、かったるくなってしまったので行くのをやめてしまいました。全く何も食わないで、飲まないで、寝てしまった。いや〜あ、健康!健康!!食わなきゃ痩せる!!っては、どっかの病院の先生の話‥・。


余りにもの猛暑続きの今夏を頑張られました全身が悲鳴をあげています事と存じます。
ご多忙と存じますが検査だけは是非に!
8月31日 14:23


有難うございます。そろそろ病院に薬を貰いに行く日なので、病院の先生に相談してみます。
・ 8月31日 15:44






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九月です。中秋の名月です。


9月1日 7:44 ・
「夜が結構凌ぎやすかったので・・・」

昨夜は20度という超寒い夜だったのに、部屋中の湿度計が50%を切って、結構凌ぎ易い夜だったので、夜風を部屋中に入れて寝ました。
朝、朝日が登るに連れて、温度が鰻登りに登って、窓の枠に置いてある陽のあたる温度計は、どれも34.5というとんでもない温度になっていました。
yahooの練馬区の湿度は88%で大変な湿度です。ところが部屋の湿度は相変わらず50%に満たないので、体感温度は27度ぐらいの感覚です。幾ら、部屋の湿度が低くても、温度が34度超えで、体感温度がこれでは、これはチョッとマズイのでは・・??と言う事で、慌てて、部屋の窓を全部閉めて、仕事をしている部屋だけはクーラーに切り替えました。
勿論、設定温度は28度から29度なのですが、それでも外界とは5度以上の開きがあります。
クーラーに切り替えるのは、老人の一人暮らしなので、体感温度が信じられないからです。
前のように、幾ら温度を下げても、頭からの汗が止まらないのでは、困りますのでね‥・??
今日はviolin組のlessonなので、今から千葉行きの準備をします。
この温度の落差は、体に大きな負担です。
皆々様もご慈愛ください。


気温差はこたえますね…窓を開けっ放しで寝ていたら朝方は涼しくて目が覚めました。
日中は暑くなりそうですね。
お気を付けて。
9月1日 8:43


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9月3日 3:12 ・
「高波のお話」


今日は「思い出話」です。
下に掲載した写真のお話ではなく、もっと昔々の教室を作る前の、ヨーロッパ留学から帰国して大学の講師をしていた時代のお話です。
海に因んでのお話なので、Titleは「高波のお話」とでもしておきましょうか??
八月の一三日の紀行文13ので書いた時の「大学講師時代」のお話の続きになります。
台風の大時化の中を何とか、転覆もしないで、大島に辿り着いて、(とはいっても、大時化で、とても船中泊にはならなかった深夜便だったのですが、その外には、)宿泊も、食べる所の予約も何もしていない、男二人の成り行き任せの「ぶらり旅」だったのですが、私が嫌がるので、従兄は黙っていたのですが、どうやら実は、大島での磯釣りが本来の目的だったようで、ちゃんとルアー等釣具の用意をしていました。
「釣りに行こう!」とかの誘いもなく、当然、私の分を準備するような思いやりのある従兄ではない金持ちのボンボンなので、私は仕方なく、従兄弟に付き合うために、餌を売っている小店で千円程度の安い竹竿を買って、磯釣りの穴場である車を停めている断崖を垂直に下って岩場で釣りを始めました。
周りには、ちゃんと本格的な釣りの格好をした人達が20人ぐらい、結構広い岩場で、各々自分の場所を決めて釣りに興じていました。
流石に竹竿で釣りをしている人なんか一人もいなかったよな???
竹竿のホンの2メートルぐらいでは、魚なんか釣れるわけないよな?とボヤキながら、釣りを始めて、ホンの30分も経たないぐらいの時に、岩場の先の方にいる人が大声で「高波だ〜!!」と、叫びました。
海の水平線の方を見ると、小さな黒い帯のようなものが1本、こちらの方に近づいて来るのが見えました。
岩場の上から見た水平線だから、岩場の高さを考えると、5`から、6`先ぐらいかな??
20人ぐらいいた釣り人達は竿もクーラーボックスもそのまま投げ捨てて、必死に崖の入り口を目指して逃げ始めました。
私は、千円の竹竿だから勿論、当然、その場に投げ捨てて、逃げ始めようとした途端に、大波が直ぐ傍に押し寄せて来ました。
逃げようと思って、1歩、2歩歩くか歩かないかぐらいの感覚です。
目の前にあった岩に必死で怪我をするのも構わずしがみついて、思いっ切り息をしました。その瞬間浪が私の上に覆い被さって、浪の中で上を見上げると、3階か4階ぐらいの高さの所に、空が見えました。しばらく、浪が止まって淀んでいるので、「こりゃ、浪が引くまでには、息が持つかな??」と心配する間もなく、今度は引き波です。グ、グ、グッと体が持って行かれそうになって、死に物狂いで岩に必死でしがみつきました。
何秒ぐらいの間だったのでしょうか?とてつもなく長く感じたのだけど、息が持ったのだから、1分ぐらいではないか?と思っています。でも、本当の所、時間は全く分かりません。とてつもなく、長い時間に感じたからです。
かろうじて、引き波の凄い力で持って行かれるのを、辛抱して耐えたのですが、その浪が岩場から引いて去って行くと、また、穏やかな夏の日差しが、何事もなかったように照りつけて、セミが普通に鳴いていました。
ホンの一瞬だけの出来事だったのですよ。
周りは、穏やかな何事も無かった磯の光景です。
私達が釣りをしていた岩場では、20人ぐらいの人達は、釣り道具を持って行かれただけで、皆無事でしたが、反対の岸壁でスキューバをやっていた人達は沖に流されて、私達に向かって救助を求めていました。でも、携帯も、それこそ赤電話すらあまり無かった時代なので、釣りをしていた人の一人が必死に漁協まで走って行って、無線で沖の漁船に連絡を取って、事無きを得ました。
スキューバの人達はお互いが離れないように、くっついて流されていたので、それで全員助かったようです。
大きな海でも、潮の流れは、驚く程速いのですね。船を見ていると、自力で走行しているので、海の流れは分かりませんが、流されている人を見ると潮の流れの速さは、本当に怖いです。
高波にのまれた貴重な経験でした。でも、30代の若い頃で体力があったから、こうして思い出話が出来るのですよね。
今磯釣りをしていて、高波に会ったら、否応もなく、波に持って行かれるのがオチなのよネ!!


写真は長崎の橘湾の大名釣りです。

  



      


大名釣りとは、船頭さんが釣り糸や餌などの道具を揃えてくれて、釣り方をすべて手とり足とり教えてくれて、おまけに、船頭さんが釣った魚もお持ち帰り出来る大変オトクな釣りです。
但し、船が小さいのでトイレはありません。(大きな船にはトイレはついているのですが、釣りをする場所は、厳格に決まっていて、古老の人達は、とても良い漁場を持っています。大きな船が一匹も釣れない時も、おじいちゃんの船なら、大漁です。
船のチャーター料の他に、掘り出し物の日本酒やウイスキーをおみやげに持って行くと、じゃんじゃんと釣れる所に案内してくれます。チョッとでも釣果が悪いと、「じゃあ、別の所に行こう!」と釣れる所に案内してくれます。大きな船はそういう漁場を持っていないので釣れません。アハッ!)飲酒運転じゃあ‥・??  おりゃ、知らん!!

いやいや、凄い経験ですね。皆さん無事でよかったですね。
私も現役時代に若狭湾へ会長からよく誘われて釣りに行ってましたが・・・磯に渡って釣りしてる時にヤバイ経験を・・・でも書けば長くなるので(笑)
リタイヤしてからは一人で行くのが億劫で・・・それと最近は地震が良く発生するのが頭にあって、磯や沖の防波堤などで地震が発生したらなんて思うと(笑)・・・でも太刀魚が防波堤から釣れだしてるんで行こうかと・・・夜釣りで電気浮き流して太刀魚を狙うのは面白いからですが・・・ただやはりひとりで行くと何が起きるかわかりませんから、つい躊躇してしまって・・・でも行こう!(笑)
9月3日 6:27


皆さんとっても楽しそうですね!!
9月3日 21:40


超、大漁です!!
9月4日 0:45





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9月5日 14:36 ・

basso continuoのお話


9月5日 14:36 ・

昨日(9月4日)のオケ練習は、オケ組とsolo組が平行出来るように、二部屋が平行で使用出来る花園教室で練習をしました。
12時半には花園に到着出来るように、朝は4時起きで頑張ったので、バテてしまって、今日は朝起きても、右お尻が痛くって、椅子にもベッドにも座れない状態です。
8月の長崎旅行からの坐骨神経痛が治りません。座布団を左側のお尻の下に敷いて、辛うじて座っています。疲れるのよね??コレ!
ここまでは、私の近況です。
それはそうと、日曜日から1週間、雨の予報だったんじゃあないの??連日,超良い天気・・というか、暑いじゃん!予報??どうなっているの??


「昨日の練習についての説明」
さて、先週の日曜日(昨日の日曜日ではなく、8月28日の話ですよ!)は、夏休み明けのテコ入れ練習で、「乗せまくり練習」というのをしましたが、昨日は「乗せまくり練習」で、solo組の練習が出来なくって、練習の予定が落っこちてしまったsolo組の練習をしました。
solo組とは言っても、soloのlessonのcheckは、lessonの時にも先生から見て貰えるので、今回は、いつも練習から落っこちてしまうbasso continuoのlectureを中心にしてlessonをしました。



basso continuoの簡単な説明をします。
古典派以降から近現代迄のconcerto(協奏曲)では、orchestraとsoloの楽器の協奏になりますが、baroque時代のconcertoでは、orchestraとsolo組(solo楽器+通奏低音のcello(viola da gamba)と和音を演奏するCembalo)の協奏になります。

soloが複数の場合(soli)大コンチェルトと言う意味で、Concerto Grossoとなります。但し、二台の楽器のコンチェルト所謂、doppel-concertoという形式があって、明らかにConcerto Grossoとは形式が違うので、注意が必用です。いずれにしても、soloであっても、soliであっても、それを支える低音は通奏低音の楽器+Cembaloのbasso continuoになります。

さて、そのbasso continuo《バッソ・コンティニュオ=通奏低音》についてですが、baroque時代のconcerto《バロックのコンチェルト=バロック協奏曲》では、先程もお話したように、orchestra組とsolo、若しくはsoliとの協演ではなく、orchestraと、solo組として、通奏低音のcelloとCembaloのpartを演奏します。
通奏低音(=常に演奏される低音)のcelloのpart《若しくはviola da gamba》と、Cembaloが、左手で常に、celloのpartを上書きとでも言うのか、ウワ演奏しながら、右手で即興で和音を充填しながら演奏するという役目で、常にcelloとCembaloがセットでsoloの伴奏んをしながら、solo組として演奏して行きます。
basso continuoの意味は、basso=バッソ=低音、 continuo=コンティニュオ=続く:常に続く、で通奏低音という意味になります。


日頃のオケ練習では、全体活動であり全体練習なので、個人練習にならないように、注意(留意)しながらlectureをします。
baroqueのconcertoでは、orchestraの曲が、ritornello形式(循環形式)で作曲されているので、どうしても、orchestraのgroupだけのlecture-lessonになってしまいます。練習時間を30分以内に収めなければならないので、soloの箇所は飛ばして練習をしてしまいます。楽曲を通すだけで、7,8分は掛かるので、30分では、3回通すだけで、時間になってしまいますのでね。


soloやbasso continuo組に対して、先生がlessonするとなると、その間は、orchestraの生徒達が、待っていなければならないので、退屈してしまうので、soloのみのlessonや、ましてbasso continuo組のlessonをする事は時間的に不可能なのでネ。

ですから、私がsoloに対しての演奏上の注意をしている時には、直ぐに、平行でorchestraの練習のpointを、コンマスやプルト・マスターの生徒達が指導係になって、練習をさせるようにしているのですが、大きなintervalの時にはそれが可能なのですが、チョコチョコした練習ではそれが出来ないので、最初からsolo組を練習するという、方向で練習の企画をしておかないと、どうしてもorchestraの生徒達の練習が犠牲になってしまうのです。
という事で、soloの演奏を中心に指導するために、これまでも、orchestra組とsoloを分けて、soloに関しては、集中してlessonをした事は何度かあるのですが、教室開設以来のこれまでの教室の長い発表会の歴史の中でも、soloの伴奏をしているbasso continuo組に対してのlessonをした事が無いので、それが私のこれまでのオケ練習の指導上で、心残りになっていました。
発表会までの練習の回数の関係で、どうしてもlessonの時間が足りないので・・仕方なく、なのですが・・。
しかし、baroqueのconcertoの奏法に関しては、basso continuoの演奏法もそれなりに独特な奏法があるのですが、これまでは、時間の関係でどうしても出来なかったbasso continuo組のlecturelessonを、今回思い切って企画する事にしました。勿論、soloの生徒には、幾分のリスクはあるのですが、solo組の中のbasso continuoのlessonなので、当然、soloの生徒もちゃんと知っておかなければならないという事なので、riskにはならない・・と言う事で、今回のオケ練習では、basso continuo組のlessonを企画しました。
今回のオケの曲別のrotationなのですが、2回オケでも、Mozartのkirchen・concertoはオケとPianoのconcertoで、通奏低音がないので、basso continuoのlessonは必用は無いし、Monnは、basso continuoの担当が、珠加ちゃんなので、basso continuoの奏法は熟知しているので、本当にbasso continuoのlectureが必用なのは、2回オケから3回オケまでの真雅ちゃんの担当の5曲だけです。
曲によってcontinuoの奏法のTechnikの比重にバラツキはあるのですが、基本的には30分以内に収まる予定です。


「オケ練習の最中に怪我をしてしまった。」
それはそうと、またまた、近況に戻って、オケ練習の最後は室内楽のHaydnの「ひばり」と、KlengelのcelloのQuartettでした。隣の部屋では、平行でHandel=Halvorsenのpassacagliaでしたが、私が牧野先生に呼ばれてKlengelをcheckに行こうとしたら、「先生、行っちゃうの??」と、言われてしまいました。こんなにモテたのは、何十年振りカシラ??アハッ!
尤も、私はGreensleevesの練習の出来が心配で、チョッとcheckをしたかったのですが、「Klengelと日の出が優先だ!」と牧野先生に怒られてしまったのですが、ち−ちゃんが、「準備に時間が掛かるから、やっていてください。」と助け舟を出してくれたので、一度だけの通し分は聴けたので、checkpointが分かって助かりました。ちなみに、GreensleevesのCembaloのpartは、部屋の関係でCembaloではなく、Pianoで演奏しています。隣の部屋にはspinetが置いてあるのだけど、そちらの部屋をQuartett組が使用するのでね??
Klengelの指導の前に、celloのQuartettの準備をしている時に、一回だけ、通しだけという事で、「ひばり組」の演奏を聞く事になったのですが、これが色々と問題で、先ず椅子の座り方が芦塚メトード(1点支持)の座り方ではないのだな??そうやって、改めてお姉さん達の椅子の座り方を見て見ると、これが全員、日本流のお着物の座り方をしている。超、shock!!教室開設以来、椅子の座り方や立ち方、弓の持ち方等々の基本中の基本は厳しく指導して来たはずなのだが・・・??「ひばり」の演奏も、曲を弾かせる事が精一杯で、室内楽の基本的な演奏法が全く指導出来ていない。これも超、shockなのですよ!!何かしら、日本の普通の音楽大学の演奏法になってしまっている。寄らば大樹なのかいな???
オイ!!芦塚メトードはどこへ行ったのだよ!!
Klengelの練習が終わってからの話ですが、大人サイズのハードケースのcelloをしまう時に、下に置いておくと大変な場所を取ってしまいます。ハードケースは、死体ぐらいは隠せるかもね??(普通は立てたままに仕舞うのですがネ?)と言う事で、隣の部屋に行こうしてして、ハードケースの取り付けの金具で足の皮を2箇所も剥いてしまいました。私はメガネを掛けていても足元は見えないのですよ。だから、下に物を置かないように、椎名町の事務所でも、四六時中先生達に注意しているのですがね。練習が終わった後では、譜面台とか楽譜の置きっパとか部屋中に散乱しているのでね。痛い!痛い!!
東京の自宅に帰って、汗でベタベタして気持ちが悪いので、風呂に入りたかったのだが、傷が痛くて水に濡らすと大変なので、仕方が無いので、諦めて寝ました。長崎からの荷物が積み上げられて倉庫状態になっているフローリングから、防水用の絆創膏を発掘して、やっと、シャワーを浴びる事が出来ました。
善哉善哉!


1枚目の写真は、当然basso continuo組のlesson風景の写真ですが、2枚目の写真は私の所有するviola da gambaです。プリの写真ではありません。
gambaの写真を取ろうとしたら、僕の写真を撮るのじゃあないの??と、カメラ目線で飛び出して来ました。viola da gambaは、通常、6弦で、ギターと同じ4度調弦です。






https://www.facebook.com/100004230614853/videos/693034080847606/





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9月6日 7:44 ・

Greensleevesの方向性と映画castratoのお話

あれやこれやと、雑用に追われている間に、4日のオケ練習から、もう2日も経ってしまいました。光陰矢の如し・・か、ジャネーの法則か・・?定かではありませんが、確実に、1年毎、1日毎に、時間が加速して行きます。

という事で(・・何が??)、子供達の室内楽と、Greensleevesの練習が、時間が無くて、1回通しただけで終わってしまったので困ってしまいました。特に、Greensleevesの練習の方向性が問題で、曲のimageが付けられなくて困っているようなので、方向性を指示するために、
「楽譜上で、説明をしながら、videoで演奏のpointをlectureしようか??」とも思ったのですが、よくよく考えて見ると、videoの撮影のためには、撮影するための部屋を片付けたり、服を出して着たりしなければならないので(⇒ハイツでは独居老人の一人暮らしで、訪れる人も全くないので、一日、下着姿で暮らしています。だから、撮影用に服を着る・・という意味です。)、・・かったるいので、video撮影は、やめてしまいました。来週の日曜日に組んでくれてはいるようですが、実際の演奏会迄には間に合うのかな??外での演奏ならば、間に合わないのなら、曲をカットする事になるのだけど、そこの所は、生徒も先生も、分かっているのかな??心配で、鬱になりそうですョ!
Greensleevesは、古い曲なので、無数の歌詞があります。その中でも、一番orthodoxな歌詞を掲載しておきます。これは、古式豊かな歌詞なので、著作権は無いと思いますので・・。(これもあったりして・・そりゃ知らんわ・・!!)


Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously!
For I have loved you so long,
Delighting in your company.
 Greensleeves was all my joy,
 Greensleeves was my delight,
 Greensleeves was my heart of gold,
 And who but my lady greensleeves?
Alas, my love, that you should own
A heart of wanton vanity!
So must I meditate alone
Upon your insincerity?
 Greensleeves was all my joy,
 Greensleeves was my delight,
 Greensleeves was my heart of gold,
 And who but my lady greensleeves?
Your vows you've broken like my heart.
Oh, why did you so enrapture me?
Now I remain in a world apart,
But my heart remains in captivity.
 Greensleeves was all my joy,
 Greensleeves was my delight,
 Greensleeves was my heart of gold,
 And who but my lady greensleeves?

https://www.youtube.com/watch?v=sYrUYQYeJCk
Olivia Newton John


歌詞は途中から違いますが、4小節単位で歌っている事には変わりは無いので、phraseの取り方を覚えて貰えれば・・と思います。
これがRenaissanceのstyleになるとこうなります。
https://www.youtube.com/watch?v=AVWhxoIkHtY

同じGreensleevesですが、面白いですネ。

「Greensleevesの話はそこまでにして、次はHandelの歌の話です。」

Handelより超有名な曲を2曲です。
所謂、countertenorの歌で、勿論、baroqueのperiod奏法になります。senza vibrato(ビブラートの無い)のpureな純正の響きです。
その分、音程の正確さが要求されます。
Andreas Scholl: Largo di Handel : Ombra mai fu : Aria da Xerxes HWV
https://www.youtube.com/watch?v=N7XH-58eB8c
Handel - Lascia ch'io pianga
https://www.youtube.com/watch?v=QFheoVsUAIc
Philippe Jaroussky (born 13 February 1978 in Maisons-Laffitte, France)] is a French sopranist countertenor

以上は、実在の、countertenorです。


castratoという映画で、実在したカストラート歌手のFarinelliの映画ですが、これはcastratoの音声は合成されて作られたものだそうです。かなりショッキングな映画ですが、歌は合成されたものとは思えないぐらいに、天国的に美しい。
castratoの歌の声が合成された理由は、countertenorでは、高音域が出ないという事と、音質が優しすぎるから、もっと張りのある声で・・という理由だそうですが、私が聞く限りでは、音質や張り、声量に至るまで、合成されたcastratoの歌声とcountertenorの歌声は遜色はないように思えますがね。
1900年の頭には最後のカストラート歌手がいて、古い蓄音機のレコードが残っています。声の質は兎も角としても、歌はそんなには上手くないので、linkは張りません。

HandelのAriaで映画「カストラート」(原題はFarinelli)より:先程の曲と同じ曲なのですが、合成された音声versionです。
Handel - Lascia ch'io pianga
https://www.youtube.com/watch?v=u7rsigVubUI
https://www.youtube.com/watch?v=9zF-8JGxvR4

castratoで歌っていた曲と同じ曲ですがね?変わらんのじゃないの??
Le castrat Farinelli. Nostalgie d´une voix perdue". Un film de Gerard Corbiau et Marc David. (1994)
Derek Lee Ragin (countertenor) and Ewa Mallas - Godlewska (soprano), while recording the soundtrack , conductor Christophe Rousset.

ヨーロッパから日本に帰って来たばかりの頃は、大学の講師をやっていて、子供は未だ教えていなかったし、教えるつもりも無かったので、自分の弟子にcantataの発声と呼吸法を教えて、弦楽器の生徒達と一緒に、VivaldiのStabat Mater や、他のaltoのcantataを引っさげて、教会回りをしていました。これは私のcantata研究の完全な趣味です。
私的には、VivaldiのStabat Materをuploadしたかったのですが、PergolesiのStabat Materは、sopranoとcountertenorのduoなので、そちらを優先しました。発声の違いを見て欲しかったからです。

Pergolesiという作曲家は、26歳で夭折したのですが、もしもう少し・・せめて、34歳まででも生きていたら、きっと音楽史上に多大の貢献をしたに違いない・・と思われる作品の完成度が素晴らしいです。
Pergolesi - Stabat Mater
https://www.youtube.com/watch?v=qzOmPUu-F_M

Andreas Scholl: Largo di Handel : Ombra mai fu : Aria da Xerxes HWV 40 - Bonazeta YT
http://www.youtube.com/user/bonazeta Caricato da Bonazeta in data... 19/ott/2011 Handel Xerxes HWV…
YOUTUBE.COM


仕事しながら聞きました?
仕事がはかどりませんでした。(気になりすぎて。)

なんともいえない空気感がたまりませんね???
9月6日 10:15


Handelの Ombra mai fuはcontrotenoreの歌です。
もう1曲は音大生が勉強のために良く歌う曲ですが、映画「カストラート」の中で主人公のカストラートが歌っているシーンなのですが、いずれも、弦楽orchestraの伴奏も、period奏法で純正のHandel時代の再現風景です。
映画のストーリーはショッキングなのですが、歌もオーケストラも衣装や劇場迄も、当時の時代考証が正確で素晴らしい。
やはり、音楽の基本や基礎がヨーロッパでは、映画ですら、全く違うのですよねぇ〜??
日本では、国立の音楽大学と言えども、そんなperiod奏法の時代考証等のような事は、出来る分けはありませんからね。
その所は、100年遅れている・・所ではなく、そんな世界がある事すら知らない、全くの無知蒙昧な世界ですからね。
9月6日 15:06






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9月7日 19:13 ・

HaydnのQuartettとGreensleevesの練習時間が取れないので

昨夜(6日)の夜に今後の練習の曲目について、話し合ったのですが、どうしても生徒の練習の都合で、11日のオケ練習に、先週に引き続き、HaydnのQuartettのlessonと、Greensleevesの練習の時間が取れないという事なので、lecturelessonをするのを諦めて、昨日の深夜(9月7日の午前中)から、Greensleevesのscoreの方に、bowslurとarticulationを入力して、pizzicatoが聞こえなくなる所の音符の単位を変更して、最後のImprovisation(即興)のpassageを実際の音符の単位に近づけるために装飾音を小節に収まる音符に直しました。装飾音は本来は、楽譜上の音符よりも、少し小さな音符で、しかも、tempoとは無関係の音価で書かれるのですが、馬鹿finaleの場合には、あまり音符が多い場合には、装飾音で入力する事が出来なくなる事が多いので、実音を混ぜて書いていたのですが、どうしても、その音価の束縛から逃れる事が出来なくなって、何度弾き直させても、ad lib.(自由に=音価の束縛から離れて)で弾く事が出来なかったので、実際のtempoで演奏される音価に変更しました。
勿論、それから更に、ad libitumで、monologue風に演奏しなければならないのですが、細かい音価になった時に無意味に早くなるのはこれで無くなるのでは??・・と思いますので・・。

それからreprise(再現部)のCembaloの付点2分音符の音符のarpeggioから、動きのある4分音符の単位に変更しました。figurationから突然、付点2分音符に遅くなるのには、figurationの最後でpiu ritardando(sostenuto)が必用なのですが、これも練習量がないと出来ないので、安全策を取る事にしました。
こういったkleinigkeit(小さな変更)で、
「これで少しは、私の意図が理解出来るかな??」と思って(願って)います。

小学生の室内楽の練習なのですが、時間が全く取れ無くて、「ひばり」の練習だけになってしまったのですが、lessonをしてあげる事が出来なかったので、代わりに「通し」をvideo撮影をしました。 5分です。

曲を弾いている子供達を見て、全員が、日本流の椅子の座り方をしているのが気になってしまいました。
曲の注意よりも、子供の場合には椅子に座ってviolinやviolaを弾くという事の方が難しいのです。
日本の音楽大学やN饗のオケでは、女性は膝を揃えて、左側に寝かせて演奏するのだそうですが、昔々、この話を始めて聞いた時には、笑いが止まらなかったのですよ。男性と女性のviolinやviolaの構えで、膝と足の位置が違うという事を私は始めて聞いたのでね・・・???

日本の音楽大学の教授達は、何のために女性が長い裾のドレスを着るのか、意味が分かっていないのですよね。弦楽器を弾く時は、「お着物」を着るのでは無いので、小笠原流礼法は要らないのですがね。
確かに、3点支持の弓の持ち方では、足を広げていては弓を足の間には持って来れないのですよね。1点支持で弓を持たない限り、(ちゃんと弓を持つ薬指と、短い小指が弓から外れない限り)小笠原流でないと弓が膝にぶつかってしまうし、そうなると弓が後ろに逃げてヨーイングをするのは、避けられない事になってしまいますね。

という事で、仕方が無いので、1分半だけ椅子の座り方のlessonをしています。1分半だけね!!
Haydnのひばりの演奏に関しては、ハイツに帰ってからvideoで改めて、checkをしたのですが、HaydnのQuartettは、Haydn時代の室内楽の独特の音の出し方(ウィーン古典派の音の出し方)が分かっていないと演奏出来ないので、その奏法は一つ一つ、実際に楽器を持って、音の出し方(奏法)として、楽譜上で、その音型に対しての音の出し方をlessonをしなければならないので、ハイツで、何らかの方法で何とかなるものではないので、ハイツでの私の作業としては、子供達には、何もしてやれないので、実際のオケ練習の時に、ちゃんと時間を取って貰わなければなりません。
しかし、今週に続いて来週も、(生徒の時間の都合で)Quartettとしてmemberが全員揃わないので、私のlessonが出来ない・・という事で、午後のHaydnのlecturelessonは省かれた分けらしいのですが、室内楽の奏法が分からないままに、自分達で練習を積み重ねても、練習をする事自体無意味だ・・と思いますよ。

学校の部活ではないのだから、意味が分からないままに、時間だけ一生懸命に練習したとしても、それは無駄に過ぎません。
練習に参加出来る残ったmemberだけで・・でも、30分、1時間は私のlecturelessonを受けて貰わなければ、先行き、どうにもなんね〜ョ!それをしないのなら、午前中に皆が集まって練習する事自体、私は
「無駄!!」だと思うのだけどネ!!先週はlesson出来ていないのだから、練習のconceptも無いままに練習するのなら、練習がない方がbesserだと思うよ!!


なんとか揃うといいですがねぇ(。-_-。)
9月7日 21:07


「揃う」・・というのが、memberの事なら、lectureは、別に全員居なくても、その時間にそこに居る人達だけで良いのです。
芸大や桐朋のような「学校」ではなく、「巷の音楽教室」なので、そんな生徒の出欠の事なんかを一々気にしていたら、教室としては、やってらんないのでね。
普段のlessonでも、次の人が休んだり遅れたりすると、前の人が特をする事が多いのですよ!その人が着くギリギリまでlessonが見て貰えるのでね。
でも、子供をお迎えに来ている保護者の人で、
「lesson時間が伸びて待たされてしまった!」とクレームをいう人も結構、いるので、その場合には、空き時間になっても、時間通りに終わらせます。lessonの時間が空いてしまったら、その時間は、休憩してお茶でも飲んでいれば良いだけだしね。
「時間が伸びるのなら、事前に連絡をして・・」と言われても、遅刻する人に「あなた、今日はどれぐらい遅刻するの??」とは聴けないですからね?? 

昔々、コンクール組の女の子がいました。普通のlessonの生徒ではないよ!コンクール組の生徒の話なのですよ!! 
その生徒の出来が、とてもコンクールに間に合わないので、千葉から東京に帰る時間を割いて迄、lessonをしていたら、お母さんが家に電話で
「未だ終わんないのよネ??」と、嫌味たらしく話ていました。このままでは、コンクールに落ちたら可哀想なので、サービスでlessonをしてあげたつもりだったのですが、迷惑だったようですね。
でも、そういう人に限って、コンクールに落ちると教室のせいにしてしまうのですよ。
「あなたは、それだけの努力をしていないでしょう?」と言っても分からない。コンクールに入れるのは先生の実力と責任で、lessonを怠けるのは、自分の都合という分けです。
親が
「小学生なのだから、コンクールはこれぐらい演奏出来れば入賞出来るだろう!」・・と思う程、世間は甘くはないのだよね???学校や家庭を優先して、音楽も程々に熱心である人達と、音楽家を目指して、音楽にひたむきに真摯に向かってコンクールを受けている生徒とは、基本、考え方が違うのですよ。
別に、音楽でなくても、アスリートでも、一芸を目指す人達は、人生感が違うのですよ。だから、・・つまり、こういう事は、人によっての、ケース・バイ・ケースという分けなのですがネ。
9月8日 20:51

最近次女のピアノのレッスンのあとが15分空き時間になっていて、ちょっとお得させてもらってます??それでも、バイエルを見てもらえなかった??と目を真っ赤にして訴えるので????明日追加でレッスンしていただきます?
レッスンがあまり好きでなかった私は、ちょっと羨ましいです?(また怒られるのかー嫌だなーって。言われたのを直さないで行く自分がいけなかったんですけどね)
9月8日 11:43

勿論、一般的な教室はそうだし、私自身もそういう風に習って来ました。
当然音大の教授達は練習してちゃんと弾けるようにしてからlessonに行かないと、lessonは見てもくれません。厳しい事が教授の尊厳でstatusだったようですね。私はそう言った考えには根本から反対です。効率の点から言っても、耐えながら練習するのと、楽しく練習するのでは、全く違います。他所の教室では練習が出来ていないと、lessonに行っても無意味なのだろうけれど、私達の教室では練習が出来ていない段階で、練習の仕方を指導するので、譜面が見れてなくても、lessonは関係ないのですよ。練習して来たとしても、間違えた練習ならば、その癖を取るのに、その分の時間が掛かるのだからね!!だから、生徒が練習して来なかったとしても、怒らないのですよ。練習しない方が無駄を省けるからね。  他所の教室からPianoの先生に叱られるから・・とか、練習が嫌だから・・とかで、教室に変わって来る生徒がいて、全く練習しないのだけど、先生と一緒に練習するだけで、結構上手くなってしまいます。オケ練習でも生徒達は、練習が終わっても次の練習迄の1週間、多分、一度も楽譜を見たり、練習をしたりは、していないと思いますけれど、結構、練習を積み上げて行くと、上手くなるものですよね。それは、その1日だけではあるのだけど、先生が極力無駄を省いて練習をするからなのです。昔、音大の音楽教室でtopの生徒が教室に来て、「音楽大学に進学したいから、お遊びのオケ練習はしないで、その分、家で一生懸命に練習したい。」と言ったのですが、同じ音楽大学の音楽教室でビリの生徒が、お遊びのオケ練習に真面目にサボらないで通っていたのですが、1年も経たない内に、音大でビリの生徒がtopの生徒を抜いて上手くなったのですよ。「子供達は子供達同士で何かやるのが好きだから、子供達を集めてensembleでもさせれば、上手くなるのよね!」と言った人もいたけれど、そうは問屋が卸さないのよね!! そこには、ちゃんとしたsystem・curriculumが必用なのですよ。日本人は勉強は辛いもので、辛抱して学ぶものと思っているのだけど、音楽は楽しく美しいから、人が聴いてくれるのよね??人生が、辛く厳しい物ならば、私は努力をするのは嫌だね!!努力は楽しいからすんのよ!!  Renoirの言葉です。「人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない。」・・・だから、鬱も結構、味合うと、楽しいのよ???  唯、この話も誤解し易い話で、教室に面接に来た音大生に、「叱らないで、楽しく教えて欲しい!」と言うと、音大生から「音楽は楽しいものではありません。厳しく辛いもので、それに耐えれた人だけが享楽出来る芸術なのです。」と叱られてしまいます。楽しい音楽=子供達やpopularに追従した、低俗は妥協の音楽と思われてしまうのですよ。確かに一般的には、楽しい指導は、そのまま、popularの音楽やarrange物のimitationの音楽でしかないからね??Classicで、本物の演奏を追求して、しかも、楽しいなんて、そんなの、あるわけないじゃん!! いや〜あ、あるんだな〜あ、これが・・!!!
9月8日 21:47

子供達を上手くするのは、いとも簡単なのですが、それで本人が、音楽で食べて行けるかどうかは別のお話なのですよ。上手いからproに成れる分けではないのよね??それは本人や家族の音楽に対する価値の問題なのよね??趣味の500万の車が安くて、50万のviolinが高ければ、そりゃぁ、音楽には進まない方が良いと思いますよ。音楽は勉強ではなく、職業なのだよ!と言い続けているのだけど、日本では無理なようだよね。でも、私の若い頃は、音楽も手に職と考えられていたのよね。今の子供達は勉強も出来て、音楽も程々にやって、英語だの、何だの??そりゃぁ、無理だよ!!それは単なる道楽なのだよね!! 二兎を追う者は・・というのは、古い日本の諺なのだけどね?? 一芸に秀でれば、自ずから色々な分野に堪能になるのよね。富士の裾野は結構標高が高いのよ!!
9月8日 14:52


Haydnの「ひばり」と「A Dur」は、基本的には、普通科の室内楽なので、専科生の日の出組やArensky組とは違って、私がlessonをする必用はないそうなのだそうです。
「〜あ〜れ〜??、そうなの??」「普通科の、水準に達していなければ私の特別lessonを組むけれど??」と、言われたのだけど、勿論、ひばり組や、A Dur組とも水準には達しているのだけどね〜ぇ?? 
まだまだ、余力があるから、言っているんだよ!
古典派のperiod奏法であるwien奏法が出来ていない・・って、言っても、そりゃあ、日本人なら芸大生でも無理だろうサ! 
でも、小学生の内から古典派の奏法に熟知しておけば・・ん?・ん?・ん?・・・?? 
そんな高度な事をやっても、日本じゃあ、誰も理解出来ないか?? 
そんなの、
「有難迷惑!」って言われるだけだよ!
そんじゃぁ、人生、何も変わらんか・・??
wien古典派の奏法なんて、知っている演奏者が日本に何人いるのか、分からんからね〜ぇ?? 
多分、片手の指だと思うよ!
否、それでも多すぎるかな???
9月9日 12:35




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9月7日 19:40 ・
「島原の幻のそうめん」
20年以上も前の話かも知れませんが、「島原の幻のそうめん」というのを、長崎の友人にダンボールで送って貰いました。
それこそ、10年近くもったのかな?
袋を破って、虫がそうめんを食ったので、一昨年ぐらいに、虫に食べられた分は、全部捨ててしまったのですが、残ったそうめんはその後、しっかりと食べてしまいました。
もう潰れてしまった江古田教室の傍の何時も行っていたスーパーでも、常時「幻のそうめん」は売っていたので、気にもしていなかったのですが、そうめんがなくなったので、幻のそうめんをネットで買い求めようと思ったら、何と、「幻のそうめん」では、ヒットしないのですよ。私以外の何人かの人が「幻のそうめん」を同じように探したりしていて・・見つからないようですね。困った!!
仕方が無いのでの、斉藤先生が椎名町の近所のスーパーで揖保乃糸を買って来たのですが、同じ揖保乃糸でも、等級が多くあって、三神というランクだと、麺の太さが0.55ミリで私の希望の太さなのですが、それでも、微妙に味が違うのよね??
そうめんの細さだけでお話をすると、極めつけは、三輪素麺の0.3ミリと言うのがありました。白髪というランクらしいのですが、今年は私の好みのそうめん探しのついでに、その0.3ミリのそうめんも注文中しました。楽しみデス。
0,5ミリは、相当特殊だと思っていたのですが、色々なメーカーでも、結構オーソドックスな商品だったのですよねぇ〜??知らなかった・・!!色々と比較すると面白いですよねぇ〜!
それに熟成期間なのですが、昔々はそれこそ、熟成10年物という代物も売っていたのですが、今は、熟成を重ねても無意味・・という事で、一年を限度とするようになったようです。0.5ミリぐらいの太さになると、それこそ糸のように細くて、今では機械で伸ばすようですが、昔々はそれこそ棒で天日で何日も掛かって、干しながら伸ばしていたようで、とてもとても、腰が強かったのですよ。小麦粉も油も独自の製法らしく、通常の小麦粉では、伸ばす過程で切れてしまうので、強力粉のように腰の強い粉を独自に栽培して作っていたそうです。だから、強力粉のような雑味の味ではなく、本当の粉で、しかも腰が非常に強くて美味しかったのですが、幾ら調べて見ても、もうそれに該当するそうめんが見当たら無いのですよ。
同じ九州なので、同様の製法をしているそうめんはないか??と、神埼そうめんも五島のそうめんも調べて見たのだけど、チョッと違うのよね??
私の行きつけの日本全国の老舗のお店も、今は殆どが閉店してありません。
昔通りにお店を続けている老舗もあるにはあるのですが、それこそ、少しづつ改良されて来て、昔の味じゃあ、なくなっているのよね?
蕎麦屋にしても、うなぎ屋にしても、100年来の行きつけの店(それこそ先祖代々行きつけのお店で、100年、200年と贔屓にしているお店なのですが・・・)で、食べ続けていて、或る時に
「味変わった??」とお店の雇われ店員の人に、こっそりと訊ねると、「親父さん、死んで2代目になったのですよ。」と、言われる事が多かったのですよ。
蕎麦屋も、お爺さん達がお店に来ている時には、とても美味しいし、細かい所まで気を配ってくれていたのですが、お店に居ない時には、はっきりと味が違うのが分かったのよね。まあ、それでも他の老舗の店よりは美味しいのだけどね・・??


同じように『島原の幻のそうめん』を探してる方がいてここに辿り着きましたがこちらのそうめんではないですか?
http://www.citydo.com/soumen/men/men_05.html

CityDO! そうめん特集 島原そうめん
日本の夏の風物詩、そうめん。CityDO!そうめん特集は、千年に渡るそうめんの歴史、ルーツが2種類あるそうめん…
CITYDO.COM

9月7日 20:14

ネットで「幻のそうめん」と検索すると、上のサイトに辿り着きますよね。でも、島原には、昔々からのそうめん屋さんが数多くあって、それぞれが独自の製法でそうめんを作っています。その中には宮内庁御用達のお店もあります。それぞれのお店にネットで書いてあるだけの情報で、作り方をcheckして、私の好みのそうめんを探しているのですが、ネットに書いてある情報は少なすぎて、味を知る決めてにはならないのよね?? しかも、その数少ない情報の中でも、チョッとずつ、それぞれに製法が違うのよね??細かい作り方や、そのお店のポリシーをもう少し書いてくれれば、自分の好みのそうめんを探し易いのですがネ。私自身は友人が幻のそうめんを送って来れるそれ以前までは、佐賀の神埼そうめんを愛用していました。
9月10日 10:13

取り敢えず・・の「幻のそうめん」が見つからないので、「幻のそうめん」と銘打っている分けではないのですが、宮内庁御用達で、皇太子さまが訪問されて、いっちゃんも取材に訪れた・・という超有名なそうめんを先ず頼んで見ました。そうめん自体の値段は、単なるそうめんなので、宮内庁御用達のそうめんでも、そんなには高価ではないのでね・・?? 島原の色々なお店から取り寄せれば、その内に「幻」と同じ製法で同じ味のするそうめんに行き当たるかも知れないし・・ね?? 30軒目ぐらい迄には・・多分ネ。(10年くらいは、掛かるかも知れないけれど・な??)
9月10日 10:16

幻のそうめんの条件です。上に同じ事を書いていますが、0.5ミリ前後の太さで、腰があって、熟成は最低でも1年以上で、良くもみ洗いをすると、クリスタルのように麺がキラキラとひかるのが条件です。よく光るそうめん、・・それは美しいですよ。
9月10日 10:17


そうめんの薬味のお話です。
そうめんの薬味の基本はネギと生姜とミョウガが中心でしょうが、ネギは太いネギと細いネギがあって、太いネギの場合には、白ネギ(根深ねぎ・長ネギ)を髭のように細く切った芸術的なものもありますが、それはお寿司のツマの場合なので、単に丸く切ったものが出て来る場合もありますが、私的には好きではありません。
味が濃すぎてそうめんやお蕎麦には合わないと思うからです。
小ねぎにも、青ネギ・九条ねぎ・わけぎ・あさつきと、色々な種類があって、この中から細く切ったネギを使うのが一般的なのでしょうが、わけぎの太さが2ミリ程度のものを、細かく切った薬味が最高です。
しかし、関東では大きなスーパーでも、細いネギを手に入れるのは至難の技で、大きなデパートの地下の食料品売り場でも、滅多には置いていません。
九州では、このネギを買う事は、そんなに難しい事はないのですがね。  生姜は、チューブのものも売っています。通常、チューブのものは、決して美味しいとは言えないのですが、特に、生姜のチューブの製品は、科学薬品の匂いと味がして最悪です。
生姜だけは、冷凍の保存したものを擦っても、チューブよりはマシだと思います。
9月12日 20:01


細いネギの写真です。1ミリから2ミリぐらいの細さです。

9月19日 16:18












今日は、宮内庁御用達のそうめんと三輪そうめんの白髭の食べ比べをしました。
白鬚は麺が細すぎて、食感がそうめんの食感とは違って、別の食べ物になっていました。
そうめんとして食べるのならば、0.5ミリが限界なのかな?と思いました。そうめんは二束で一人前だそうですが、私達は一人一束の感覚で茹でましたが、白鬚は、一束で2人か3人前でちょうど良いのでは・・と思いました。
三輪そうめんの白鬚はお吸い物に3,4本を流すのは美しくて、美味しいと思いますが、昼食にそうめんとして食べるのは無理があるのかな??
9月19日 16:16





次回は、美紀ちゃんの探して来れたそうめんを注文して見ようかな??と思っています。
9月19日 16:20




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9月10日 22:57

開かれた五度圏と閉じた五度圏のお話と、五度圏時計のお話も・・・

「私の夜の食事は、事務所で先生達と一緒に食べます。」
 ご存知の方も多いと思いますが、私は夜食は東京の事務所で、先生達やプリ・ドル達と一緒に食べる事にしています。
通常の日は、先生達が千葉教室から東京の事務所に帰って来るのは、夜の11時頃から12時頃までの間なのですが、先生達の次の日のlessonが非常に早い場合には、東京に戻って来ても、次の日の午前中には何の仕事も、事務的な作業も出来ないので、千葉泊りにする日もよくありますので、そういった先生達が椎名町に一人も居ない時には、(夕方にドル・プリのお守りに事務所に行って、後は)一人でハイツで食事をします。
その場合には、勿論、夕食は、当たり前の事ですが、ワザワザ、夜遅くに食べるのではなく、早めに、自分の時間の中で食事をしたり寝たりします。

 そういった例外的な日を除くと、通常の夜食は椎名町の事務所で、仕事の申し送りをしながら先生達と一緒に食事をするので、どうしても夕食が時間的に非常に遅くなってしまい、夕食を済ませて、椎名町からハイツの自宅に戻って来るのは、深夜の1時頃、2時頃になってしまいます。

 深夜に食事を済ませて、ハイツへのバイクでの帰宅ですが、ここの所、毎夜、毎夜、それまでは、雨が降っていなかったとしても、私の帰宅の時に限っては、霧雨が振り始めます。

 まるで、誰かが、嫌がらせをしているような感じで、この一週間丸々椎名町の事務所を出る時には、降っているのかいないのかが分からないぐらいの霧雨とも言えないぐらいなのですが、ちょうどハイツ迄の途中、半分くらいの長崎の郵便局の手前で、必ず雨が本降りになって来て、ハイツに着くまでには、びしょ濡れになってしまうのですよ。

 それが一日、二日ならばそういう事もあるでしょうが、この一週間、毎日なのですよ。
不思議だ!!
〜まるで単なる嫌がらせのようですね??
・・
「誰の・??」って??
・・勿論、プリの・・ですよ!
「帰るな!!」って言っているのですよ!!

「検見川教室のCembaloの調律を美紀先生にお願いしました。」
 昨日の金曜日は千葉の検見川教室でone lessonでした。
11月のbaroque-concertoの練習に備えて、検見川教室のCembaloを美紀先生が古典調律で調律してくれたのですが、普段の検見川教室のCembaloのpitchはA=443で調律をされています。

「baroqueのpitchとスライド鍵盤について」
当然、今回のオケ練習の時のCembaloのpitchも443cycleですが、baroque音楽の演奏の時には、他の楽器も当然、baroque楽器を使用するので、pitchはbaroque-pitchになるので、鍵盤をスライドさせて、Aの音をGisの鍵盤の所に持って行きます。
(鍵盤をスライドさせて、Aの音がG#の所になるように鍵盤を移動させるので、Aのkeyを弾くと、半音下のG#の音が出ます。)
通常は、CembaloをA=443の演奏会高度で調律するので、G#のpitchは418のcycleになります。
但し、一般的な書籍での説明では、Aのpitchを、標準のA=440のpitchとして説明するので、その場合には、Gisは415cycleとして、説明してあります。

 しかし、実際には、A=440の標準pitchは、演奏会では使用される事はなく、日本でも教育会館や、教育大学の場合だけが使用していて、音楽大学では、通常は442で調律されるのが一般的です。
という事で、一般のホールでも、442cycleから443cycleが普通で、経験上は、443のpitchが日本でもorthodoxになっています。

「家庭でPianoを調律する時には・・」
 音楽教室や、家庭でのPianoの調律を、調律師に人にお願いする時には、特にオーダーとしてお願いをしない限り、440の標準pitchで調律をされてしまうので、(一般の教室で、絶対音が身に付く事は稀ではありますが、一旦、440で絶対音が付いてしまうと、音楽界で演奏活動をしようとする時に大変な事になってしまいますので)、教室に入会する生徒の人達には、調律の時に、調律師の人に必ず443でtuningをするようにお願いするように、指導しています。教室では、非常に稀な絶対音感を簡単に身に付ける事が出来るので、教室の生徒の大半は絶対音感を持っていますので・・。
 
という事で、教室では、子供達の将来のために、Aのpitchは、演奏会用のpitchである、(A=443の)演奏会高度を採用しているのですが、その場合には、baroque音楽のための、スライド鍵盤では、A=418cycleのbaroque-pitchになります。

「演奏会pitchを古典調律で調律した時に、スライド鍵盤でbaroquepitchにした場合のお話ですが・・」
何時もの長い、長い前置きで、ここからが、今日の本題のお話なのですが、実際に、Aのpitchを443のcycleでmeantoneで古典調律をして、それをbaroque-pitchのA=418cycleに(スライド鍵盤でGisに)鍵盤をスライドさせると、通常の三和音がとんでもない響きになって、色々な曲の演奏が出来なくなってしまいます。
つまり、A=443のpitchで、A Durの和音を調律したとして、スライド鍵盤でAの音をGis(ソ#)に持って行くと、A Durの三和音の実際の音は、Gis,His,Disという三和音になってしまうからです。enharmonic(異名同音)で読み替えて、As Durの主和音としても、A Durからの距離は、一番の遠隔調が、Tritonusの増4度のE♭なので、その一つ前の調になって、大変遠い調になってしまうからです。

・・という事で、調律を変更するとしても、AとAsの両方に良い効果をもたらす調性等というものは、ありませんので、meantoneよりも、許容範囲が広く、しかも、WerckmeisterやKirnbergerの調律よりも、pureな純正の調律に近い古典の調律法を選ばなければなりません。

という事で、「Vallottiの調律法」に変更して、調律をし直す事にしました。

「検見川教室のCembaloを調律し直そうと思ったら、な、な、な、何と・・??」
 
という事で、調律のための1時間を考慮して、それと牧野先生のlesson開始に合わせて3時半に千葉に着く予定で事務所を出発する予定だったのですが、当日は、都内の高速が大渋滞で、少し早めに事務所を出る事にしました。
予定した通りにあちらこちらで渋滞に出会ったのですが、思ったよりも渋滞が流れていて、時間が掛からなくって、私のlessonの2時間前に検見川教室に到着しました。

 「2時間もあるから、ゆっくりと調律出来る!」と思って検見川教室に入ったのですが、「な、な、な、なんと!」検見川教室は、その前のオケ練習で使用した時のままのオケversionの状態になっていたのですよ。
私のone lessonが入る事は、先週は決まっていなかったので、パッと練習に入れるように、オケ練習を想定して、楽器類を整理していたのですよ。

 私一人で、Kontrabassや荷物置きのラック等の位置(置き場所)を移動して、lesson用に部屋中の物の置き場所のlayoutを変更するのに、小一時間は掛かってしまって、ゆっくりと調律出来ると思ったのは糠喜びでした。

やっと、tuning出来るように、環境が整って、「じゃあ、tuningをしようか?」とは行きません。
古典調律で、どの種類の調律が一番上手く行くのかを、確かめないといけないからです。
と言う事で、いきなりtuningには取り掛からないで、先ず最初に、最初1列のoctaveだけtuningして、鍵盤をtransposeした時の和音が聞くに耐え得れるかを、色々な和音を弾いてcheckして、最終的に、先程のVallottiの調律に決めました。
それ等の雑用で、tuningのための時間は、30分強ぐらいの時間しかなかったのだけど、何とかlesson開始の5分前までには、tuningを終わりました。
いや〜あ、冷や汗ものだったよな??

整理済みの写真です。

 だって、オケ練習が終わって、全員で片付けた楽器類やラック等を全部一人で、整理し直したのだから・・ネ??













lessonは桃迦ちゃんのPianoから始まって、高校生のDvorakのconcertoまでで、10時終了だったのだけど、それから後片付なので、検見川教室から出発は11時近くになります。
それから椎名町に戻って、今日、始めての朝食を食べて、椎名町からハイツに戻ります。
・・と言う事で、上の文章につながります。めでたし!めでたし!!
でけた!でけた!!アハッ!


「でけた!」ついでに、今日(12日の夜は逆versionで、ハイツから椎名町に出かけるために、駐輪場を出発する時には、未だ雨が降っているのかどうか、分からないぐらいだったのですが、長崎小あたりで本降りになり始め、椎名町に着いた時にはびしょ濡れになりました。
そのままドルっ歩だったのですが、お散歩になった途端に雨は完全に止んでしまいました。プリの晴れ晴れ星人の妖怪度は年間にすると、95%超になります。
どんなに大雨で暴風の時でも、散歩の時だけはピタッと止んで、散歩が終わって部屋に入るか否かの瞬間に大雨に戻ります。


古典調律の仕組みを一度先生から教わりたいと思いつつ、一朝一夕では無理そうで、はじめの一歩を踏み出せずにいます(>_<)
9月10日 23:05

調律の原理は、wineと同じで
「開いているか?」「閉じているか?」だけの話です。

平均律と古典調律の違いを簡単に説明します。時計の文字盤をイメージして、時計の文字盤の12時をCとした時に、上方の五度のGの音が属音(dominante)で、下方の五度が下属音(subdominant)になります。
勿論、属音の更に五度上の音はdoppeldominanteになります。
そのように、それぞれの音を完全5度でtuningすると、12個の音をtuningして、Cの音に戻った時にはCの音が同じ音ではなく、だんだんに開いて行きます。(トルネードのように渦巻状に・・です。)
それを開いた調律という事があります。

そのために戻ってきたCの音を、最初のCと同じpitchの音にして、半ば強引に円になるように引き寄せて、12等分したのが、所謂、平均律になるのですが、実際には、そのpitchの狂いは、完全に均等に狂わせるのではなく、音の利用頻度に寄って、或る程度の狂いが決まっています。
平均律も本当ならば、自分の好みに楕円形にする平均律の調律があっても良いのです。(ダリ風の時計かな??) 

それに対して、pure3度と完全5度を使用して調律する、所謂、古典調律には、pure3度と完全5度で調律をすると、必ず、どこかの音に皺寄せが来ます。
その皺寄せの音をWolf-toneと言います。 
その音の狂わせ方が色々にあって、有名な調律法だけでも、8種類か、9種類があります。
音を順番に3度とpureな5度で調律して行くと、meantoneに非常に近い調律が出来ますが、私の場合には、一々順番を思い出しながら調律するのは面倒くさいので、古典調律の出来るtunerを使って、音の調律をします。proの調律師は、真面目に、音の唸りで合わせて行くのでしょうけれど、私の場合には、30分や小一時間の間に、大急ぎで、調律をしなければならないので、時短んが勝負なので、そういった難しい理論的なapproachは
「ネットで、でも調べてくれ!!」・・ってな感じで、生徒達にも教えてはいません。
私自身もそこまでの興味はないし・・ね?? 



兎に角、私の場合には、調律は時間との勝負なので、理屈は放ったらかしで、古典調律の出来るチューナーを買って、それで音を合わせています。今は、スマホのアプリにも古典調律のアプリが出ているそうで、教室のcelloの生徒が入れていましたよ! 

調律自体は耳で音を合わせるだけなので、難しいものではありませんが、平均律とは違って、純正の響きが必用なので、それぞれの音の狂いは、かなり精度を上げて行かないと、tuningし終わった時に、美しい響きがして来ません。 
でも、純正調の理論は音響学の世界なので、調律には必用ないので、実際に音楽家に取っては、・・Cembalo等のtuningをする場合には直接は必用はありません。 
古典調律でどの調律法を採用するのか?というのは、その人の好みもあるでしょうが、基本的には、曲の調性にもよるので、それぞれの調律の特性を覚えておけば、良いのです。
しかし、困った事にそういった各調律の特徴や特性を説明した論文は見当たらないので、色々とお話をしても、私の個人的な感想になってしまいます。  

という事で、実際に調律する上の「tuning」で難しいのは、Cembaloの場合には、Pianoのような巨大なハンマー(tuning-hammer)で、ぐいと力を入れてtuning出来るのですが、Cembaloの場合のtuningでは、小さな十字のtuning-hammerを使用するので、つまり・・Cembaloの弦の場合には、弦がとても細いので、ほんの少し、チョッと力を入れただけで弦が切れたりするので、難しいのはそこの慣れです。 
・・でも、私はこれまで一度も弦を切った事はないし、生徒達もありませんので、注意して乱暴にしなければ大丈夫なのですよ。 もしも、tuningの時に、弦を切ってしまうケースでは、よく間違えて、隣の弦をtuning-hammerで回してしまって、弦を切ってしまう場合があります。だから、私は弦のpitchが変わらない場合には、先ずpitchを下げるように指導していますが、それはviolinの調弦でも同じだよね!! 

T字hammerの使い感は、spinetのような一列の鍵盤で、4,5回も練習して、力加減を覚えれば、別に難しくはないと思いますよ。  色々な調律の種類の好みは、個人の好みと演奏する曲で決まります。  
よく、Bachの平均律クラビア曲集で、
Bachは平均律の調律を使用した・・と言われていますが、そうではなくて、Bachの「平均律クラビア曲集」のTitleの「Wohltemperierte」の「temperirte」の意味には、平均律という意味の他に、完全に調律された音律という意味もあって、曲毎に、その曲にあった調律をする・・という意味も含まれています。
それ以前に、Bachの時代に、近現代の平均律に近い調律法があったのかね?? 
未だ古典調律の時代なのだからね??  
また、古典調律でも、Bachの好きな、(というか、お弟子さんでもある)Kirnbergerや、Werckmeisterの古典調律は、平均律に近く調の自由さは持っているのですが、その分当然、3度の響きが甘いので、純正調の響きが弱く、私的には好きではありません。

Mozartがmeantone(ミーントーン=中全音律)という調律を好んだのは有名な話で、MozartのPianosonate kv.333B Durの曲をmeantoneで調律しされたforte-pianoで演奏したYou Tubeを聴いた時に、
「この世にこんな美しい響きがあるのだ!」と、感動してしまいました。この歳になると、「感動した!」なんて言葉はそうそう出て来るものではないのですがね。 

meantoneの調律は一番純正の調律に近いもので、それはそれは美しいのですが、残念ながら、当然、限りなく純正に近く調律するので、その皺寄せとなる音が幾つか出て来ます。A♭(G#)と、E♭(D#)の音で、所謂、Wolf-tone(狼さんの唸り声)です。 その音のために、使用出来る調が限られて来ます。



例えば、Hennry purcellのchaconneの場合には、g mollの主要3和音は問題ないのですが、napoliの6の和音の時(N6♭)、EsとAsとCという和音になるために、とんでもない汚い和音の響きがしてしまい、meantoneが使用出来ないのです。・・と言う事で、そういった調の不具合を是正するために、meantoneには、二つの調律が考えられているのですが、それでも、使用出来る調が限られて来ます。
・・それで、今回の調律の話になって、美紀ちゃんがbaroqueのpitchでmeantoneで調律して、スライド鍵盤で標準のA=443に戻したら、和音がすべてダメになって、演奏不能になったから・・、という事で斉藤先生に
「何とかして!」と頼まれて、調律のやり直しに行ったのですよ。
先ず、1列だけ、しかもA2〜A3のoctaveだけを調律してcheckをしてVallottiの調律が一番被害が少なくて、しかも、WerckmeisterやKirnbergerよりも、純正の調律に近いという事で、今回は取り敢えず調律して起きました。


但し、今回の秋の発表会では、先生達のbaroqueの演奏はないので、Vivaldiのa,e,DとMonnのgとLocatelli のFだけなので、多分meantoneに調律し直すと思います。
調律の勉強は全く必用はありません。
「兎に角、慣れろ!!」・・です。

9月14日 14:05

古典音楽を純正に和音で、violinと演奏するという意味ならば、Rolandのデジタル・ハープシコードをお薦めしますよ。
古典調律は色々と元から入っているし、pitchも任意に設定出来るし、Cembaloの音色もフレミッシュ・モデル等の音色のCembaloが選べるし、forte-pianoの音色や、教室にあるのと同じ室内楽用のポジティーフ・オルガンの音も、素晴らしいです。(クリスマス会でAlbinoniのadagioで、音が聴けますよ!)コンパクトで運ぶのには理想的な大きさなのですが、何と、持ち運び用のケースが売っていないのですよ。足だけでも結構な重さなのですがね??でも、ケースがあれば、そんなに重くはない・・と思いますがね。 楽器についての細かい説明はFacebookの15年の11月の2日前後の欄に書いてありますので、参考にしてください。 PianoのないホールやCembaloとオルガンやforte-piano等の楽器の交換もボタン一つだし、baroquepitchとmodernpitchの切り替えも楽だしね??

9月14日 14:12

あの渦巻きが昔からどうしてもぴんと来なくて、そこでつまずいているんです。
学生の時にわからなかったことがある日突然、あ!わかった!ということがたまにあるので、渦巻きもそれに入ってくれるといいのですが。
ローランドのハープシコードは一度触ったことがありますが、そんなにたくさん機能があったんですね。家にあったら楽しそう・・・
9月12日 20:24


Rolandは私の是非お薦めの電子Pianoです。勿論、Cembaloやforte-piano等や古典調律などのbaroqueと古典派の時代の専門の楽器なので、popularやjazz、Classicでも近現代が趣味の人達には、無用の長物なのですが、MozartやBachの時代の音楽が好きならば、欠かせない楽器ですよ。
9月13日 7:39

私が留学をした頃は、貧しい部屋借りだったので、Pianoのような音を出せるものが欲しくて、しかし、当時はKeyboardのような電子機器は未だ無かったので、ライゼ・クラヴィコードを買いました。下の写真です。当然、今のような電子tunerのようなものは無かったので、調律の本を買い込んで来て、3度調律や5度調律で調律をしました。勿論、私が留学をしていた60年代には古典調律等というものは未だ無かったのですよ。(誤解を招くので補足説明をします。・・勿論、古典調律は歴史的なものなので、その存在はありましたが、古楽器でperiod奏法で演奏するという習慣が失われて、そういった技術的なものがオーパーツになってしまって、そのために、文献も一般に目に留まるように出版される事は全く無かったのですよ。)でも、弦楽Quartett等の同族楽器による純正の響きにはとても興味があったし、Munchenの学校でのカール リヒター教授の影響もあって、純正の和音には強い興味があったので、私のClavichordで、主要三和音と、常時使用する副三和音をpurに調律してbaroqueやrococoの音楽を演奏するという事をして遊んでいました。その時に、purな和音を積み重ねて行くと一つの音に皺寄せが来る事を発見して、・・では、どの音に皺寄せを持って行くか??とか、試しました。今にして考えて見ると、それが中全音律、所謂、meantoneだったのですよね。開かれた調律というのは、12時をCとして完全5度でtuningしていくと、11時のFから12時のCは、開いてかなり高い音になってしまいます。だから私はCからFへ完全5度を取って、何処かに皺寄せを作るのですが、私の場合には、よくB♭に皺寄せ(Wolf)を作りました。meantoneの場合には♭二つまで、#を三つまでに限定して、調の利用頻度を上げているだけなのですよ。baroque時代では、一番多い調なのでね。 ちなみTですが、だから、それぞれの完全五度を少しずつ、素人目には分からない程度に縮めて、12個を調律すると、理論的には閉じたCにする事が出来ます。理論的には・・?という意味は、全部の音を均等にズラすと、慣習的には余り良くないので、利用頻度の多い調にリスクを少なめに調律するのが一般的です。 ちなみUに、violinやcelloの弦を五度調弦する時には、私の場合には、Aの基準音に対して、Eは狭く、DとGもAに対して狭めにtuningします。それはPianoやorchestraが平均律でtuningされるので、その異差を少なくするためです。
MendelssohnのconcertoのU楽章の長い開放弦のGの音ですが、教室の生徒の場合には、5度を詰めて調弦するので、余り気にならないのですが、開いた5度で調弦するviolinistの場合には、五度がもろハウリングして気持ち悪いです。
演奏家本人は「正しくtuningしているのだから・・」と気にしていないようなのですが、汚いものは汚い!!のですよ!
9月13日 7:43

なんだか12時のやつが少し解った感じがします!
9月15日 12:21

本物の時計でpitchの出る五度圏の時計が欲しかったのですが、写真の時計ともう一つ同様の時計があったのですが、いずれも今は、制作されていなくて購入は出来ませんでした。 

それに市販の時計はAの音が標準pitchの440なので、proの活動をする場合でも、amateurとして、オケに乗る場合でも、すこぶる都合が悪いので市販の時計は買う事が出来ません。
 pitchを演奏会高度に合わせて、オーダーで作ろうと思ったのですが、オーダーの時計を受け付ける所は、1点物は作って来れないし、余りにも金額が高いので、断念しています。 





さて、古典調律で一番美しいとされるmeantoneですが、
meantoneでは、何故、AsとEsの音をWolf-tonに調律するのか?という事が気になって、その理由を調べようとしたのですが、文献にもネットでも書いて無かったので、私なりの理由を、補足説明しておきます。 

Aを12時にしたmeantone用の時計を作って見ました。
この時計を見ると、一番遠い調(遠隔調)のTritonusの調が、D#であり、その次の選択肢がB♭か、G#の調になります。
そうすると当然、調性としての利用頻度から、G#若しくはA♭よりも、♭2つのB♭の調になります。


実はこの時計で一番の問題点は、Cが、0時(12時)から始まっている事にあります。
Cembaloを調律する場合には、基準音はAなので、この時計を3時を正時にしなければならないのです。 

そうした場合には、一番の遠隔調(Tritonus)はEs(Dis)になるのです。そして、その次の犠牲になる調ですが、その候補となる調は時計回りと反対のB♭と、時計回りのAs(Gis)ですが、#と♭の数の問題ですが、B♭DurがAisDurになる事は有り得ないし、GisDurの可能性もないので、♭系だけを考えれば良い事になって、Wolf-ton の音を持って行くのは、B♭かAsの音になります。
弦楽器の場合には、♭2つのBDurと、♭4個のAsDurでは、利用頻度は圧倒的にBDurの方が有利になるので、必然的にWolf-ton はAs(Gis)の音になります。
勿論、色々な調に対応出来るようにmeantoneの調律にも色々なvariationがあって、調に対応出来るように複雑怪奇な調律の種類があるのですが、(その理由は、基準音をAにしたままで、音の比を調整して調律しようとするからです。)  私だったら、皺寄せのWolf-ton のTritonusの位置をズラすだけで、安直に対応しますがね。
3時のAの基準音を12時に持って行けば、Wolf-ton はFisとHの音になりますからね。
時計を見て基準音を決めれば良いのですよ。
どうして、人はもっと単純にシンプルに物事を考えられないのかな〜ぁ?? アハッ!
9月23日 14:47



調律、ありがとうございます。私もイマイチ理解が出来ていなくて…
ローランドの電子チェンバロ、オシャレで機能もいろいろあっていいですよね。
9月13日 3:08

素晴らしいのは、コンパクトさでしょうね。Cembaloやオルガンの場合には本当の楽器自体も、基本55鍵から61鍵なので、Pianoと違って大変コンパクトになります。クリスマス会でのオルガンの音です。初お目見えかな??https://www.youtube.com/watch?v=J7QvAUNsQ-s

Albinoni=Giazotto adagio…
YOUTUBE.COM
9月13日 3:43


大人2人で運べるのは魅力的ですよね??
9月13日 7:46

Rolandの電子Cembaloは、本当はケースさえ有れば、男の子一人で運べますが、標準装備で付いていないので、ネットで探して、楽器のケースは何とか代用出来るものが見つかったのですが、足の部分を運ぶケースが見当たらないのですよ。Keyboardのケースで良いと思っているのですが、ちょうど良いサイズのが見当たらない。ライゼ・クラヴィコード 蓋を閉めると、長細い箱になって、片手で運べます。一人で深夜にBachやCouperin等の作品を愉しむのは良いのですが、音が小さすぎてensembleが出来ません。と言う事で、spinetと交換しました。
9月13日 7:56

クォリティ重視でなければケース作りますよ(*^^*)
9月13日 8:21

有り難いですが、結構重いので、そう言った材質の布はあるのかな?或いは、大きめのKeyboardケースを買って、それを縮めるというのでも良いのかな??そこら辺の話は全く分かりません。
9月13日 9:10


ネットで探した開いた五度圏の図ですが、著作権の問題があるし、enharmonic用の(日本語ではなんと言うの??全音階的な・・とでも言うのかな??)五度圏なので、絵の意味が違うので、※1)その内に私が作った図に交換したいと思います。

※1)このトルネードの部分は単に、異名同音を書き表しているだけなので、ワザワザ、トルネードにする必用は、あるのかな??だって、トルネードの意味は「音が違う」という意味でしょう??enharmonicという意味は、同音という意味を含んでいるのだからね??
9月15日 11:16









円の五線は解決しましたか?
9月22日 0:00

この五度圏は平均律の調性を表しているだけの、閉じた五度圏の表なので、渦巻きの意味は、単にenharmonicの表記を表しただけなので、渦巻きである必然性は全くありません。
開いた(純正律の)五度圏の場合には、渦巻きの交差する場所は、(もしCの0時からスタートするのならば、)同じ調である0時のCから開きます。
勿論、それ迄の5度の音も少しずつ開いて行くのです。

という事で、開いた五度圏の渦巻きの五線紙を書く問題は未だ解決していません。
絵が上手ならば、取り敢えずは、手書きで渦巻きの五線紙を書けば良いのですが、私は手書きは超苦手なので・・!他の方法を考えています。
9月23日 16:56

五線紙をプリントするハンコを線と線の間のサイズ違いを2種類netで購入しました。
板の上に厚紙を置いて、中心に手芸用の針で糸を通して、円と楕円を書いて、それをtemplateにしてscannerで取り込んで、作る予定です。
取り敢えずは、photoshopで、meantoneのWolfの表を作りました。
Aの音から一番遠い的ritornelloの音に、Wolfの皺寄せを作ったという意味の表です。12時の位置にAの音が来ているのは、Aの音を基準音としてtuningをするからです。tuningの場合には、和音は異名同音のenharmonicでtuningされるので、12時の位置には、a mollが来ます。(同主調では無いのですよね。)






補足説明に少し追記をしました。
9月22日 2:23










もう一つ大切な事を説明するのを忘れていました。
その補足説明です。 

baroque時代の作曲家達は、このmeantoneのWolf-toneの問題をどう解決したか??・・・という話です。

その大きな解決の一つが、meantoneのような、極めて汚いWolfが出来るkeyを上下に分割する・・という方法でした。

左の写真は古い分割鍵盤の楽器です。
上記と同じ理由で、baroque時代、当時から2個の鍵盤だけが分割されるのが一般的でした。
両方の楽器とも、一番低いF#のkeyも鍵盤が分割されていますが、この場合には、縮小鍵盤の役割も出来るので、便利だからだと思います。
勿論、純正調のためには、24分割という楽器があっても良い(実際にはある)のですが、実際の演奏上の理由と、楽器制作上に掛かる技術的、経済的な理由から一般的にはなりませんでした。
9月22日 2:12

baroque時代の楽器やmodernの楽器で、12個の鍵盤が全部分割鍵盤になっている楽器を見た事がありますが、とても贅沢な高価な楽器であると同時にそれだけtuningしても、如何なものか?という気がします。

何故、如何なものか??という意味は、先ず24分割では、和音を弾く時に、どのkeyがその和音上のkeyなのか、楽譜上では判断が付かなくなってしまうからです。
24分割の音楽はインドの音楽がその音階ですが、楽譜上で??で一々表すのならば、新しい記譜法を考えて24平均律の楽譜を作った方が、手っ取り早いのですよ!!

という事で、meantoneのWolfの音(Gis=As,Dis=Es)の二分割だけで充分では・・ないのかな??と私は思います。
そういう事で昔からあった楽器の復刻楽器なのですが、新しく制作された楽器での分割鍵盤です。
写真として、見やすいので、同じ分割鍵盤の楽器ですが、もう一度、掲載しておきます。

9月22日 2:20  






正規のmeantoneの時計です。五度圏ではなくって、音階の時計なので、7分割の#と♭で21分割になります。cycleの一覧表は、次にupします。
つまりbaroque時代や古典派の時代には、極めて純正調に近い時代だったのですよ。
だから、当時の人達の方が、音楽のpureな音に敏感だった分けですよ。

















5度圏の時計、売っているのかなあ・・・欲しい!
9月23日 13:54

前のコメントにも書いているように、五度圏の文字盤の時計は壁掛けのタイプと腕時計のタイプが売られていたのですが、いずれの時計も、もう販売されていません。
それに、五度圏の時計の時報がそれぞれのpitch(単音)や和音が鳴っていたとしたら、・・もしも、今でも販売されていたとしても、教室ではそれを購入する事は出来ません。
「それは、何故か??」と言うと、一般的には、Aの音は標準のpitch=440を使用するので、通常の音楽の社会では、そのpitchは使用されていないからなのです。
もし、今も標準のA=440のpitchを使用していたとすれば、そこは、小学校から高校迄の教育界の現場と、教育会館等の文科省の管轄の会場だけなのです。音楽の専門の音楽大学や、一般的な音楽ホールでは、演奏会高度という基準音を使用します。他の音楽教室から教室に入会して来た生徒の中には、極稀にですが、絶対音の基準のpitchが440cycleの生徒がいます。

絶対音感は、一度身に付いてしまうと、直すのが難しいので、最初に音感を身に付ける時に、正しいpitchを身に付けた方が望ましいのです。
ですから、家庭で学習するPianoの調律等も、調律師の人に、440ではなく、442か、443の演奏会高度で調律をする事をお願いする事を忘れないようにしてください。
Keyboard等を購入する時には、必ずpitchの調整が出来るタイプの楽器を購入しなければなりません。
電源を落とすとpitchが元の標準pitchに戻るタイプの楽器が多くて困ります。
こういった所にも、日本人の親方日の丸的な、基準を一般的な音楽界の常識ではなく、文科省のお役所が決めた基準に従う・・という、所謂、double-standardがまかり通っているからなのです。

9月24日 8:57

(最初のお話に戻って・・・)それはそうと、この所、立て続けに、夕食の時間に寝込んでしまって起きれなくなって、一緒に食事をする事をスッポカシてしまっています。
夜の1時、2時の、普段ならば食事を終えて、事務所から帰って来る頃に目が覚めて、慌てて先生達にmailをするのですが、食事は諦めて、寝込む前の仕事を片付けたり、2度寝をしたりしています。
腰痛のロキソニンを飲み始めてから、それが酷くなったように思います。
下手な睡眠導入剤よりも、良く熟睡出来たりして・・・??アハッ!
9月24日 23:16





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9月12日 5:33 ・
何と、始めてオケ練習をスッポカシてしまった。

4日、5日から、
「11日のオケ練習にHaydnの「ひばり」のlessonをしたいので、何とか入れてくれ!」とゴリ押しをして、staff会議の時に、横で平行でlessonが出来るようにしてもらったのですが、な、な、な、なんと、オケ練習の当日の11日は、寝込んでしまって、起きれなくなってしまったのですよ!!「起きよう!」「起きよう!」としても、意識が混濁したままで、体が全く動かないのですよ・・。
何とか、体に鞭を打ちながら、ベッドから椅子まで辿り着いても、今度は椅子に座ったままでfreeze・・で、手も持ち上がらないのですよ。

それでも、夕方迄にはなんとか頑張って、頑張って、4時、5時には自宅から椎名町の事務所までバイクを走らせて、そこで車に乗り換えて、やっとこさっとこ、夜の7時前には検見川教室に辿り着いたのですが、その時間迄にはlessonをする予定であったArenskyのPianotrioとHandel=Halvorsenのpassacagliaのlessonは却下にしてGreensleevesと(これも夜の)8時以降の梨紗=美帆のBartokと美帆のStravinskyのPianoのlessonだけをlessonして東京に帰りました。

私のGreensleeves to a ground in C Dorischは、曲的には何でもない、簡単な曲なのですが、melodieがどうしても小節単位になって、歌い込む(melodieを流れるように演奏する)事が出来ないので、毎回同じlessonになってしまうので、bowslurを変える事で、melodieが流れるように、(phraseを大きく取れるように)譜面を変更してみました。その新しい譜面でのlessonです。
Greensleeves to a ground in C Dorisch Ashizuka-version
https://www.youtube.com/watch?v=-LdO2Eodvuk

曲は、全部で3曲だけをlessonしたのですが、それでも、10時迄掛かってしまって、それから大急ぎで、検見川教室の後片付けをして、10時半には教室を後にしましたが、それでも、事務所に荷物を降ろして、またまたバイクに乗り換えて、ハイツの自宅に到着したのは深夜の2時過ぎです。

まあ、体調不良とは言え、惨憺たる有様でしたが、次の週の秋分の日を、私のlessonの日にして、出来なかったひばりや、私がlessonをした方が良い他の曲のlesson-dayにする事になりました。

22日の秋分の日に、「ひばり」や、今回見れなかったArenskyやHandel=Halvorsenやそのほかの曲を優先して、lessonを組み込んでくれるそうですから、ウンと厳しくシゴク予定なので、ウンと体力を蓄えて、ウンと楽しみに待っててくださいネ。ウンウン!!


「何故、寝込んじゃったのか??」・・・というと・・今週は金曜日に、千葉のlessonがあったので、次の日(の土曜日)は殆ど丸々一日、日曜日のオケ練習に備えて、部屋の中で外出しなくて安静にしていたので、「日曜日は大丈夫かな??」と、思っていたのですがね。

近頃は、よく「なかふつかの原則」という言葉を先生達には言っているのですが、その言葉の意味の説明ですが・・
若い頃は、オケ練習等々で疲れ切っても、その日の夜にしっかりと睡眠を取ると、次の日には、体力はすっかり回復して、元気モリモリと仕事は出来たのですが、60代に差し掛かると、体力がなくなって来て、lessonをした次の日は、丸々一日、使い物にならなくなって、更に60代の後半になって来ると、次の日には、逆に意識だけが「仕事version」で、元気なのですが(気力だけが持続して、あたかも元気なように錯覚してオーバーフローしてしまうのですよ)その次の日に疲れで寝込むようになってしまいました。
つまり、仕事をした次の次の日に、1日飛ばしで疲れが出るので、「なか二日の原則」と私が自分勝手に言っているのですよ。

・・しかし、70歳を越した、・・更に近頃は、1日、間を開けないで、その日の夜から、延々と丸々2日間、半病人の状態で寝込んでしまう事が多くなって来ました。

私の通常のlessonは、斉藤先生の木曜日と牧野先生のcello組の金曜日のlessonなので、木曜日は次の金曜日と土曜日があって、lessonをしたとしても、椎名町教室でのlessonなので、楽なのですが、金曜日のlessonは、間に土曜日1日しかないので、そろそろ体力的には、無理になって来たのかな??・・と、思っています。

今回は、体力の温存を考慮して、先週、先々週と、2週続けて2回オケ組のオケを指導したので(それはサービスですが・・)、正規の3回組のオケから教室にinすれば良いのかな??・・という事で、前日に、先生達にも了解は取っていたので、多分、午前中にしっかりと休みを取れば、3時からのin(12時ハイツ出発)ならば、そんなに無理なく何とか体力はオケ練習の最後迄は、持つかな??と思っていたのですが、当日の朝になってみると、疲労が抜けきらなくって、そうは問屋が卸さなかったようです。

年々、体力の衰えは、仕方のない現実ですよねぇ〜??
80過ぎてエベレストに登頂する人を見習いたいのですがネ〜ぇ??
ぇ〜っ??
普段の生活が違う!!って??そりゃそうよね!!
lessonの内容の話なのですが、先生の指導の時の体力の点だけを見ていくと、他所の(教室以外の)先生のlessonを見学して、感じる事は、驚くほど、体力や気力を使っていないのですよね。
「そこはもっと感情を込めて歌うのよ!!」とか、口で話すだけの先生や、弾きまくって「こう弾くんだよ!!」と言って終わりで、何故そう弾かなければならないのかの説明は一切しない先生が殆どのようですね??  楽でいいよな〜ぁ??それなら、私だって、次の日もルンルンで行けるよな??

日本流の感情を出さないで、冷静に指導するのならば、毎日、長時間教えても、体力は温存されますよね。
「そこはもっと感情を込めて弾くのよ!!」で、済めば、先生とは気楽な商売だなや??挙句の果てには「私、あなたが何で弾けないのか、分からないわ??」だって・・・??? ・・なら、金取るなよ!!
でも、生徒達のパワーを引き出すためには、生徒の何倍ものパワーをぶつけて行かなければ、生徒はパワーを出してくれません。
演奏して指導する場合でも、生徒達の何倍も大げさに表現しないと、伝わっては行かないのですよ。

昨日も、サロン・コンサートのように30名ぐらいの会場で演奏するのと、500席、1000席の広さのコンサート・ホールでの音楽表現の違いの説明をした所です。
兎に角、私達の教室でのlessonは、先生も生徒も、体力勝負なのですよ。
「音楽は格闘技である」・・というのが私のポリシーです。ハイ!

儒教の国日本では、先生が、頭から湯気を上げて、エキサイティングにlessonをするのは、
「感情的なlessonだ!」として、忌み嫌う傾向があるので、私のようなlessonのstyleは珍しいのですよ。


若かりし頃、留学で、Munchenに着いたばかりの頃、道で頭から湯気を上げて口論しているおじさん達を見て、
「ドイツ人って、なんて喧嘩っ早い国民なんだろう??」と思った事があります。
・・それで、近くに寄って、
「なにを口論しているのだろう??」と、耳をそばだてて聞きいって見ると、「この道を真っ直ぐに行って、次の角を右に曲がるんだよ!」「そうか、次の角を右に曲がるんだよね!!」「タバコ屋が目印だぞ!!見逃すなよ!!」と、熱心に会話していました。「え〜っ??ただ、道を尋ねていただけなの??」驚いてしまいました。

長崎の高校から、東大に行った音楽部のリーダーの極めて温厚な同級生が、東京に始めて到着して、道で喧嘩をしている若者達を見て、
「あれは話をしているのだろうか?喧嘩をしているのだろうか?」と、悩んでいたそうで、温厚な彼が悩んでいたので、笑ってしまいました。
お国柄とは、面白いものです。


それはそうと、この文章を書いている、今現在は月曜日の12日ですが、またまた、なか二日(多分)が起こって、昨夜は2時間ぐらいで目が覚めて眠れなくなってしまったのですよ。もう直ぐにお昼なのに、2時間睡眠のままで、眠れない。体調不良なのに無理矢理に気持ちを緊張させて、lectureをしたのが、そのまま持続しているのだよね。体調不良の所を無理をして千葉のlessonに出掛けて、疲れ切っている筈なのに、またまた、眠れない・・、これが「なか二日」の原因なのだよ!!


昨日は22日の秋分の日でした。
「次の秋分の日には、lessonの遅れている曲を中心に、プログラムを組んで・・」・・と言っていた昨日の秋分の日だったのですが、violin組の月一のlessonが入ったので、ArenskyのPianotrioやHalvorsen等の他の曲は見る事が出来なくって、何とか「ひばり」だけのlessonになってしまいました。
今回こそは、最後までcheckしようと思ってlessonを始めたのですが、でもやっぱり「ひばり」は前回と同じ3分の1のrepeatの所までしか見れませんでした。
「ひばり」をちゃんとlessonするには、最低でも1回のlesson時間を、半日(12時間)ぐらいの時間は掛けないと無理だよな??




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9月16日 2:14

今日は中秋の名月だそうですね?



今日は中秋の名月だったそうですね。一日、雨が降っていて、結構今も雲が厚いので、雲の間からお月様が顔を覗かせたtimingで撮影してみました。月のupも撮影したのですが、雲で霞んでいたので、雲を中心にして撮影してみました。雲のモコモコ感が気に入っています。お月様の後ろに雲があるように見えますが、合成写真ではありません。何の細工もしていません。偶然、そういう風に撮れたのですよ。アハッ!



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9月18日 5:59 ・

Handel=Halvorsenに於けるbaroque奏法とmodern奏法の違いについて

昨日(土曜日)に久しぶりに千夏ちゃんが「椎名町詣」に来たので、体調不良や練習のprogramが多すぎて、programに入りきれなかったのでlectureが出来なかったHandel=Halvorsenのpassacagliaのlecture-lessonをする事が出来ました。
私がHalvorsenのlessonに拘っているのは、この曲の演奏で、私と同じimageの演奏を探して聞いてはいるのですが、曲の持つimageのせいか?duoという少ない人数で多くの演奏効果を出そうとして無理をしているせいなのか?・・You Tubeにupされている殆どの演奏が、良く言えばPowerfulで、(悪く言えば乱暴で、)単音で演奏する所は兎も角としても、和音の響きの美しさが全く感じれない演奏ばかりで、しかも、三和音のpureな響き(pure三度の響き)がなく、私のimageする所のpassacagliaのimageに程遠いからです。
私流には、「baroqueのpassacagliaらしく、純正のharmonyや、上品な音への追求をlecture出来たらなあ〜??」・・と考えているのですが、そういった演奏は、HalvorsenをPowerfulに演奏する事よりも、演奏家達にとっては、どうやら難しい事のようですね・・。
日本人に限らず、弦楽器の奏者が、音を汚く演奏するその理由は、特に、和音を演奏する時の奏法にその原因を見る事が出来ます。
特に日本人の演奏家の場合(※)には三和音、四和音になると、三弦同時に、(特に四和音の場合には、四弦同時に奏するのは不可能なのですが、)それでも、四和音が同時に響いたように見せるために、鋭く短く演奏させるのが一般的です。
それは弓で弦を極端に力で押さえつけた、とても汚い響きになってしまいます。
 困った事に、baroqueの音楽や、古典派の音楽の場合でも、そのように弾かれる事の方が多いのですよ。古式豊かに、美しく和音を弾く演奏者は、少数派に過ぎません。大勢に正義があると言うのは、寧ろ例外なのですよ。日本の政治を見ていても、分かるように・・です。
(※)「特に日本人の弦楽器奏法の場合」という意味なのですが、これは、よくhomepageに書いていますが、高温多湿の東洋の場合には、音を出すのに、喉を細くして、音を鋭くするのが、遠音を効かせる方法です。日本の和楽器の場合には、鋭い音が出るように楽器の構造がそういう風に作られています。鋭い音を「美しい」と感じるのは、日本人の風土から来るもので、特に俳句で有名な水の音や笹のサラサラという音を、心象として受け取るのは左脳国民である日本人の極めて稀な特性です。という事で、日本人のviolinistにとっての理想の音は二胡の音であり、cellistにとっての理想の音は、草原の中で演奏される馬頭琴の音なのです。
そういった東洋人特有の音に対して、ヨーロッパ人の理想とする音は、乾燥した空気の中で、石造りの部屋の中で、よく響く、残響のある音なのです。押さえつけた音と響かせた音の違いが日本人とヨーロッパ人の音に対する感性の違いになります。
 それが一番顕著に現れるのが、日本人とヨーロッパ人の3弦同時の撥弦であり、4弦同時の和音の弾き方の違いになります。
modern楽器の場合には、弓で相当強い力で押さえつけたとしても、隣の弦に弓の毛が触れないように、指板のRが大きくなっています。
「雑談ですが・・・」
梨紗ちゃんが弾いているBartokのRumanische Volkstanzeのviolin-versionの曲は、民族音楽の真似(※)なので、その相当に強い力で押さえつける奏法が出てきますが、それは多少汚い音であったとしても、その奏法の方が、民族楽器的な表現(fiddleの楽器のような・・)として、より良い演奏表現なのです。つまり私は、その演奏法自体を否定している分けではなく、奏法はその曲のその場所にあった、適材適所に過ぎないのです。
 Bartokの場合には民族音楽としての作曲なので、兎も角としても、当然、Gypsyの音楽を演奏する時には、それがSarasateのような、Classicというgenreの作曲家の作品であったとしても、Gypsyのviolinの奏法を取り入れて、演奏させる事はザラです。
(※)BartokのRumanische Volkstanzeは当然、原曲がありますし、その原曲の殆どは、歌の曲です。また、楽器で演奏されていたとしても、それは民族楽器で演奏されている事の方が多いのです。violinで演奏されていたとしても、fiddle(※)である場合が多いのです。Bartokは、村々を訪れて、当時、最先端であった蝋管の録音機材で民族音楽を研究し、それを作曲の原材料にもしました。私がユーゴスラビアの市場で買って来たRecordでも、不思議な(12音階によらない)無調の音律の曲が沢山あります。また、市場ではそういった民族楽器も私の貧しい財布の中から、可能な限り、購入して来ましたが、公開する機会は無いままに、こんにちに至っています。
(※)fiddleについては、諸説紛々なのですが、基本的には安いviolinであったり、violinの原型で、もっと原始的なviolinであったりします。violinの歴史よりも、fiddleの歴史の方が古いので、fiddleがviolinの原型であったとも考えられます。でも、これは、そう主張している分けではなく、あくまで、諸説紛々なのですよ。(詳しくはhomepageを参照してください。URLは後で調べて載せます。)
「話を元に戻して・・」
それに対して、baroque楽器の場合には、指板のRもmodernの楽器に比べて柔らかいRをしているし、弓も反りが少なく、弓の張りも弱いので、確かに、和音を弾くのは、modernの楽器に比べて、楽ではありますが、それでもperiod奏法では、四弦同時に演奏する事は不可能です。
私がMunchen時代に、大学で教鞭を取っていらして、何度か先生のrecordingに対して、率直に質問をした事のある、オットー・ビュンヒナー教授が、試みに、巨大なハサミのお化けのような弓を作って、4弦や3弦が同時に演奏出来るような弓を作ってBachの無伴奏の半分の曲をrecordingされていました。まるで、オルガンのような美しい和音の音がしたのですが、recordingは無伴奏組曲の半分で終わっていました。教授に質問をした所、弓の奏法が余りにも難しいために、一生懸命練習してはいるのだが、recordingまで行かないなぁ〜?・・とボヤいていました。先生は「後、2,3年で・・」とおっしゃっていらしたのですが、現実にはrecordingはされないままだったと記憶しております。(その後、recordingされたのなら、是非また購入したいとは思っているのですが・・。)(この演奏は実験的な試みに過ぎない「あだ花」のお話です。)写真のジャケットは、私の持っているRecordのジャケットの写真ではありませんが、Recordが江古田教室に置いてあるので、ネットで探したものです。弓の箱の部分に毛を取り付けたハサミのようなものがあって、親指に取り付けて弓の毛の張り具合を調整しながら演奏します。勿論、演奏している楽器はbaroqueviolinではありません。modernviolinです。当時はbaroqueviolin自体が無かったので・・。
baroqueのperiod奏法の場合でも、三弦同時の和音の場合ですら、二弦、二弦に分けて演奏する事の方が多いのです。
これは和音に対する音の入り(和音を一回で弾き切る場合)のお話ですが、Halvorsenのように、二弦の音を長く演奏する場合にも、日本人の場合には、弓が浮いてしまわないように、どうしても、弓を強いpressureで押さえつけて演奏します。
これがHalvorsenの音が汚くなる一番の理由になります。
今回のlessonの動画では、弓を軽く持って、二和音を演奏する所のlectureはしていませんが、(これまでも何度もそのlecture-lessonはしているのですが、なかなか難しいようで・・)弓を軽く持って二和音を奏くと、音が外れやすく(二音のどちらかが切れ易い)ので、どうしても一般的な外の奏法と同じように、pressure(弓を押さえ込む事によって、二音が切れないようにしてしまいがちです。
つまり、長い二和音を優しい音で演奏するのは、かなり正確な弓のcontrolが必用になるのです。
因みに、「pureな三和音」というのは、「純正調で演奏する」という意味ではありません。あくまで三和音に対して、pureな響きをさせるという意味になります。
violinやcelloのような作音楽器の場合には、固定されたpitchというのはありませんので、弦楽器の場合には、その調とkonsonanzの音が調の基音(幹音)を決定づけます。
Handel=Halvorsenのpassacagliaの場合は、g moll(ト短調)なので、主音(Tonika)であるGの音と、属音(dominante)のDの音、それに下属音(subdominant)のCの三つの音が、幹音になります。
上属音(上主音)のAの音は、一応、純正の音を作る上での大切な音にはなるのですが、純正の3和音を取る場合には、ケース・バイ・ケースで少し動いてしまうので、その都度、微妙なpitchの調整が必要になります。
passacagliaのthemaは、melodieではなくBasの動きがthemaになります。
通常は(cantus firmus in Bas)と書きます。Basの音が定旋律である・・という意味です。
Handel自身が、最初のthemaだけG⇒Es⇒F⇒B(♭)・・と書いていますが、勿論、本来は五度圏時計の1時(G)から、左側に12時(C第3音を代用してEs)⇒11時(F)⇒10時(B)⇒9時(Es)⇒8時(本来はAsなのですが、Chromatik半音階ではなく全音階なので、Aになるのですが、themaはこれも第3音を代用してCの音にしています。)⇒7時(D,これも本来はDesなのですが、DiatonikなのでDとしています。⇒6時のGesがDiatonikなのでGになって、これで一巡をして終わりです。
themaでは、1小節目の3拍目と3小節目の3拍目の音が第3音で代用されていますが、Variationに入ってからは、5度圏の音をそのままに使用しています。
     

https://www.youtube.com/watch?v=C-dcwSyqc6k
(写真はvideoから起こしたものです。結構よく写っていますね。昔からすると考えられない画素数ですよねぇ〜??)

Heifetzを始めとして色々な演奏を探していましたが、私の解釈に一番近い演奏をやっと、見つけました。baroque風ではありませんが、(そこの所は少し解釈が違いますが、)これまで色々な演奏を聴いた中では、一番良い演奏だと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=SVdgQjB23kQ


最後の方では、「行きすぎかな??」と思える程の悪ふざけ(performance)をしていますが、絶妙なensembleのTechnikに支えられた理想的な「悪ふざけ」です。・・殆どの日本人の音楽家はこの「悪ふざけ」を、行き過ぎと思うのかな??



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9月19日 10:02 ・

solo組のrehearsal と進行表作成と「ひばり」のlessonと坐骨神経痛と

昨日はsolo組のリハーサルでした。

私はここの所、坐骨神経痛が酷くて、椅子に座る事すら出来ません。
という事で、牧野先生からは
「余り酷いようだったら、リハーサル休んでも良いよ!」という申し出もあったのですが、リハーサル自体は後でビデオでcheckが出来るのでそれでも良いのですが、当日のgroup毎のone point adviceや、個人のadviceが出来なくなってしまいますので、生徒達にとっては物足りないかも知れませんが、どっちみち、先生達にはvideoで指導のpointをlectureする事は出来るので、実際上は大した問題はないのですが、それとは別の話で、私が「lessonをしてあげる!」と言っていたのにも関わらず、私自身の体調不良で、lecturelessonをすっぽかしてしまった室内楽の「ひばり」の話なのですが、先生達に無理を承知でお願いして、リハーサルの合間に「ひばり」の練習も組んで貰ったので、(とは言っても、・・室内楽の「ひばり」は、本来的には「専科生達の室内楽」ではないので、私がlessonをしなければならない義務は無いのですが、私が個人的な希望で、本当の、「室内楽の奏法」というものをlectureしたかったので、「ひばり」のlessonは私の個人的な希望なのですよ・・!!)・・そういう事で、結構、自分の体に無理をさせて、リハーサルに出かけました。


ひばりのlecturelessonと、それぞれの組のリハーサルを聞いて、恒例のone point adviceをしていたのですが、最後のgroupの途中から、椅子に座っている事も、(痛みを避けるために・・)立っている事も難しくなってしまいました。
椅子に頭を乗っけて、四つん這いになって、何とか凌ぎました。
痛み止めを飲めば良かったのですが、教室の置いてある常備薬の中に、ロキソニンもセデスも入っていなかったのよね??
私は常備薬は目薬ぐらいしか持ち歩かないしね??


リハーサルが終わってからも、来週の室内楽のリハーサルの準備のために、1時間以上、検見川教室の部屋のsettingをしましたが、体調が維持出来なくて、すっかり気分が悪くなって、
「吐き気が酷くなって、これでは、ひっくりかえってしまうのかナ??」と思いました。
荷物の移動が多いので、車が必用なので、私だけ先にハイツに帰る分けにも行かないのでね!!

余りにも、痛みが酷いので、予定は金曜日なのですが、明日の月曜日にも行きつけのカイロにでも行こうかな?・・と思ったら、何と、世間は月曜日は休日だったのですよね!!
・・知らんかった・・!!
教室は、祭日とは、無関係なので・・ネ?? 

発表会直前で、先生が、
「休日だからお休みネ・・!」なんて言ったら、生徒達から吊し上げを食ってしまうからね!!


写真はひばりのlecturelessonと平行で作業をしている発表会の進行表作成の風景です。



進行表の入力には、かなり高度なパソコン入力のTechnikが必用になるのですが、先輩達がパソコン入力の基本的な打ち方の説明をしてくれます。
先輩にとっても難しい所は、先生に質問します。
そうして、パソコンの使い方の基本を覚えて行きます。


ひどい痛みは本当に筆舌に尽くせない辛さです!
私がこのたび頚椎の3番から7番までMRI画像にて出血痕が見られます頚椎損傷によります激痛の今夏でした。
神経根の激痛に特効薬との事でDRから投与頂きましたリリカ服用2日目の夜でした。
服用アレルギーでアナフラシキー発症。
喉の呼吸粘膜が気道をふさぎ& 血圧が60を切り視力が無くなる劇症に
生死をさまよい気道確保に救急車搬送三回になり一度は喉の切開も覚悟の経験をしました。
諸体験を通しお辛さはいかばかりかと存じますが痛み止めのロキソニンやトラムセットで何とかクリヤーが一番安全かと思います。
激痛から しびれの無感覚に進行しませんよう幾重にもおいといくださいませ。
9月19日 14:16

それは大変な経験をなさったのですよね?15年ぐらい前に、私も横になったままで、全く動けなくなり寝返りも、トイレに行く事も出来なくなって、救急車を呼んでicuに入った事があります。背骨に穴を開けて直接麻酔を流し込んだのですが、全く無駄で、2ヶ月程、動けないままに病院のベッドに寝込んでいました。今は未だ歩けるから、マシなのですがね。
9月19日 14:25


今夏の異常猛暑の中を遠路だけでも大変ですのに山積みの激務を成し遂げられお疲れを必死で持ち堪えてくれましたお身体の悲鳴かと拝察いたします。いま少しもみじする頃までご無理をなさらずいたわってあげてくださいませ!
9月19日 14:44

そう言えば、腰痛や坐骨神経痛を薬で抑えるという感覚が無かったので、今日は諦めて、中野先生のadviceに従って、ロキソニンを飲むことにします。横にさえなれば、痛みが出ないので、チョッと仕事をしては、横になって・・という事を繰り返していて、だんだん酷くなっているようなので・・。
9月19日 16:25


芦塚先生!びっくりしました?!
その激痛を投薬無しで我慢ひとすじでこられたのですか?? いくら強靭な我慢でもそれでは心身共にお仕事に備えてとてもとても 持ちこたえません!
即効と胃の保護を考え私は長年の経験から食事中に胃薬と必ず一緒に服用しますと即効! 食後には痛みが軽減され動けます。
ロキソニンは市販されトラムセットはDR処方ですが効果は数倍勝ります。副作用も少なく人体実験?済みで?す!
さりとて決して多用されず我慢出来ない時こそに!お使いください。

可動時に痛む腰椎激痛はシンプルなジッパーコルセットで仙腸関節を固定する事で80%回避できます。
2_か3_の隙間の仙腸関節のズレにて激痛となります発症時お休み前に仰向けに寝て 全身の関節痛の根源である関節ズレを自己矯正してゆきます。
ゆっくり右足&左足を大腿部から大きく数回交差させるだけでユガミやズレが矯正され痛みは治まります。

医師免許不要のカイロプラクティックはあの衝撃で体内の細い骨が飛び散り内臓に刺さり生死を分けた方々を随分見てきました。自分の身体は出来得る限り自己防衛が!と存じます。お試しくださいませ。
9月19日 17:35

それは、怖い話ですよねぇ〜?? 
私も、そこまでは酷い体験ではありませんが、カイロで逆に腰痛が酷くなってしまったという経験があります。  

昔々、音楽教室を置いている場所近くで、大層流行っている有名なカイロのお店をそこに通っていた方に紹介されて半年程通った事がありますが、その時には逆に腰痛が酷くなってしまって、動けなくなってしまった、・・という苦い思い出があります。
それを直すために当時の弟子に紹介された中国鍼が打てる先生の所に1,2年通いました。
とは言っても、その先生が中国鍼を打つのは、1年間で3人程しかいないそうですが、私の場合には太っているので、日本鍼の場合には、鍼が届かないそうなので、「痛くなければ・・」という事で中国鍼にして貰いました。
確かによく効いて、鍼で痛みがやわらぐのは良いのですが、電車での帰りは鍼の影響で意識がぼんやりしてしまって、1時間の通院が大変でした。辛抱出来る範囲の痛みまで治ってからは、当時教室の隣にあった温灸の所に通って、その痛みを取りました。
今のカイロは、15年ぐらい前に、疲れと心労から、全く動けなくなって救急車で運び込まれた病院で、色々な医学的な治療を試みたのですが、改善が認められず、手術を勧められたのですが、他の手術をした経験者達からその後の症状を聞いて、すっかりと恐れをなしてしまい、違った方法論を取らなければ、その人達と同じ経過になると言う事で、アメリカのカイロを始めた大学の先生に師事して学んで、アメリカのカイロの資格を取って来た人に、病院の入院での全く歩けない状態から、普通に歩けるように戻して貰いました。
東京では、結構有名な音楽家達も通っている所です。
ストレッチは、教室の先生達からも勧められるのですが、私の場合には生まれ付き体が固く、何度も挑戦したのですが、挫折しています。
体をほぐす事が腰痛の防止には有効というのは、良く了解しているのですが、私がストレッチをしようにも、先ずその手が届かないのですよ。

先生 ストレッチでも 手でも有りません。
ベッドに休まれた状態で右足&左足を反対側に交互に大腿部から右足は左側まで。
左足は右側まで。自分が出来る範囲で動かす事により 腰部のユガミとズレにより出ている痛みを緩和?脱出出来ます。
9月19日 18:17

ああ、それは、そういう方法があるのは知りませんでしたが、無意識にやっています。
私の場合には、体が非常に硬いので、筋力をほぐす一環として出来るストレッチのような事が非常に少ないので、その限られた出来る事として・・。
3:03

カイロプラクターのはしくれとしてその方法は、超絶オススメです?
あとは、首元にかまぼこ状にした枕を入れて、首の歪みをとると、腰の骨の歪みにも少し良い影響があります!
寝具は柔らかくないほうが良いのですが、今の状態では厳しそうですね。
9月19日 19:52


疲れを取る方法として、ヨガでは死者のポーズというのがあるそうですが、私の場合には、体中の筋肉を弛緩させて、体を楽にして行く方法を昔はよく使って疲れを取っていました。
不眠症の時にもね??
寝具は硬い方が良い・・・・という話はよく聞きますが、私の場合には、一瞬でも畳の上に寝たり、普通の布団の上に寝たりすると、腰痛が再発してしまい、動けなくなってしまいます。
今のベッドにする前は、結構頻繁に腰痛が起こったのですが、今の超柔らかいベッドになってからは、再発が防げているようで、私の場合には、エアーベッドやウオーターベッドのような柔らかいタイプの方が体には良いようです。
これは太った事にもよるのではないのかな??
痩せている人は、理想の体型が硬い畳で作れるので、柔らかいと包み込まれて、体型が崩れるからではないでしょうか?
私達のように極端に太っていると、畳のような硬いものでは、体が歪んでしまいますからね。
3:11

筋膜リリースの事ですかねぇ?
9月19日 19:53

先生のadviceに従って、珍しくロキソニンを飲んで、久しぶりに痛みがかなり取れて、熟睡が出来ました。
でも、通常、痛み止めを飲まないのは、痛みが無い事で、体勢的にや、仕事をする上で、無意識に無理をする事が怖いからです。
痛みは体の救援信号と理解しているので、痛い所に無理が行かないようにするためには、痛い所を痛いと感じる事が大切だと思っているからです。
それと同じのが、下痢や熱です。
下痢は悪いものを食べてしまったり、胃や腸を楽にするために体が下痢をして、体勢を整えようとする場合が多いので、その時には下痢止めを飲まないで下痢が出なくなるのを待ちます。

とは言っても、常にそうすると決めている・・という訳ではなく、8月の帰省の時の下痢のように、急性の、非常に頻繁な下痢の場合には、早めに下痢止めを飲んでいます。常に、適材適所・臨機応変に・・・と考えています。
勿論、言わずもがな・・熱も体温を上げる事で、免疫力を上げている分けなので、今は医者も直ぐには体温を下げる薬を出す先生は少ないようですね。
3:17

途中で何回かは起きたのですが、それでもロキソニンのおかげで、4,5時間熟睡出来ました。
鬱も取れていました。
目が覚めてすっかりロキソニンの効き目は取れていて、痛みは再発していました。
さて、カイロの予約が取れたのだけど、痛みの箇所を押さえて確認をするのだけど、ロキソニンは飲めるのかな??
どうしよう??
8:13

クスリはリスクです。痛みも下痢も全て我慢してスルー出来る程度の症状で有れば服用は百害有りて一利なしです。身体が危険に侵されている劇症とは全く異なり誰にでも起きる一過性にて我慢して時が過ぎれば忘れ去り緊急罹病には当たらず案ずる必要は一切不要と思います。
8:19


私が音楽大学に進学出来たのは、高校2年生の頃、大病を患って、大学病院に1年間の入院と腎臓の摘出の大手術を受けて、人並みの受験勉強が出来なくなったから、回りの人達が私が医学部を受験するのを諦めたからです。
(音楽大学の方が、受験勉強はより大変だ!とは誰も思ってなくって、音楽は趣味の世界としか見ていなかったからね。)大学病院を退院してからも、音楽大学に入学してからも、延々と、転移した潰瘍からの出血が続いて、それを電気メスで焼き切るという手術を、20回近く、3年越し4年越しにしました。
腎臓摘出の時に、全身麻酔をやったので、それ以降は、もう、当然、局所麻酔は効かない分けですよ。
当時の麻酔薬なんて、そんなものなのですよ。いまの薬とは全く違うのでね??
電気メスの強烈な痛みに耐えかねて、大学病院中に響き渡るような叫び声を上げても、回りの先生達は楽しく冗談を言って、手術台の私を笑わせていました。
「コノヤロメ!!」
今にして思えば、その冗談も、痛み止めのためだったのですよね??
勿論、高校生、大学生の時もその意味は分かっていて、感謝はしていたのですがネ??大学生の時に、作曲家の職業病という胃潰瘍、十二指腸潰瘍に悩まされた時も、大学病院の先生に、
「痛みに強くなっているので、少しでも痛いと思ったら、我慢しないで、病院に駆けつけるようにしなさい!」と注意されてしまったのですが、私の場合には、痛みがあっても、その程度が何処からが、緊急なのか??病院に駆けつけなければならないか??が分からないのですよ。
スズメ蜂に刺されて、1週間寝込んだ時も、一昨年のように、40度の熱が出た時も、今年の、運転中の急性の超下痢の時も、病院には行っていないのですよ。
じっと、我慢の子であった!!のです。
もう、体力もなくなったので、我慢はしないようにしようとは思うのですが、なにせ病歴が多いので、どの病気で病院に行くか・・選り取り見取り(こんなのもありますな〜ぁ・寄鳥味鳥・・こりゃ面白い!!)なので、分からないのですよ。
ハイ!



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9月19日 19:24 ・

今日は雨です。今日も鬱です。

「Cronosは時の神様」

今日は雨です。今日も鬱です。今日は鬱が酷いようです。雨とは関係はないのだけど・・。
「習う」と「学ぶ」と「盗む」との違いが、子供達が分かるようになると良いですネ。

判じ物になってもしょうがないので、釈迦に説法で、必用はないのかもしれませんが、その違いを先ず、簡単に説明しておきます。

「盗む」という言葉は、相手から技術を教わるという事ではなく、相手の仕事のやり方を見て、その技術を勉強する事です。つまり、相手が指導しようとしなくても、見学をさせてくれれば、「盗む」事は出来ます。今の社会では、他のメーカーの作り上げた製品を分解して、相手の技術を盗んで、自分達の製品に活かしたりします。職人は、仕事の技術を教わる事はありません。先輩の仕事を見て、味を盗み見て仕事を覚えて行きます。

「学ぶ」とは、本来の万葉時代には「真似ぶ」という言葉から来ていて、お手本を真似る所から、訛って「学ぶ」になったのだそうです。

「習う」とは、当然、教えを請う事であり、手習いのように、指導者から教わる事を言います。ですから、「習う」という言葉の中にprofessionalな意味はありません。あくまで、趣味の世界の言葉になります。先程の手習いやお稽古事、学習塾等のお勉強の事を意味します。


音楽は良き趣味にもなり、はたまた職業にも成り得ます。
だから、音楽を習うのか、学ぶのか、はたまた、盗むのかは、教わる側の問題であり、音楽のせいではありません。


学校教育や趣味の場合には、子供達の努力に対して
「自分の出来る限り、一生懸命に努力しました。」という言葉が成り立ちます。

しかし、職業としての音楽を勉強する場合には、努力をする必用もないし、一生懸命に出来る限りをする必用もありません。
目標が職業であるとすれば、それに必用なものは、努力でも、誠意でもなく、自分が作り上げる物のNiveau(水準)なのですよ。

つまり、学校教育と職業の根本的な違いは何かというと、学校教育の場合の対象は生徒本人であり、50点でも、80点でも、
「その生徒の出来る限り」で、充分に回りからは評価されます。「頑張ったのだから・・!」と言う事です。100点である事は、寧ろ例外で、非常に良い評価の対象になります。

しかし、職業の場合は、評価の対象は、その仕事内容の完成度になります。完成度は100%以外は、評価の対象にはならないのです。99点であっても、それは
「傷物」であり、売りの対象にはならないからです。

職業を学ぶ人達は、100%が出来る迄は、例え、50点であろうと、80点であろうと、評価され、認められる事はありません。
「頑張ったのに・・」という評価は有り得ないのです。それは常に作られたものが、本人への努力の評価ではなく、clientという対象に対しての「売り」になるからです。


でも、その評価は常に正しい評価であるとは限りません。
人間は評価の基準を、自分自身の力量ではなく、外部の基準に委ねる事が良く有るからです。それは或る時はブランドであってみたり、親方日の丸であってみたり、はたまた、寄らば大樹・・であったりします。
**大学の卒業だから・・という判断基準です。
しかし、ブランドのバックを本人が持つのならばそれは良いとしても、自分の命が掛かる病気の場合には、
「何処其処の大学を卒業した医者だから・・」と言って手術を任せる事はありません。(いや、よく有るか??私は怖くてダメだけどね?)

オリンピックの選手が
「何処其処の体育大学の出身だから・・」と言って、金メダルを貰うことはないのですよ。(しかし、「どこの国の選手だから・・」という事は、よく有るかな??う〜ん、困った!!)

少なくとも、私はHandel=Halvorsenのpassacagliaを、Heifetzが弾いているから・・とか、Perlmanが弾いているから・・と、お薦めする事はありません。ちゃんと、自分の耳で、その演奏を確かめてから、しかお薦めはしないのですよ。
でも、
「音楽大学に進学するのなら、音楽大学の先生につかないとね〜」とまことしやかに、勧める人の多い事!!!で、その先生も元で、入学出来なかったとしても、その時には、「本人の努力が足りなかった性だ!」としか言わないのですよ。
本人に努力をさせるのも、先生の性だとしてもネ。

私も若い時には、自分の生徒達が、そう言った親方日の丸でダメにされるのを見て、許せない気持ちで、暗澹としていました。
或る時に、友人からadviceをされて、
「親方日の丸の先生を求めるのも、その人の才能だよ!!」「それも社会の淘汰だよ!」と言われて、納得しました。勿論、教室の場合には、生徒本人が、親方日の丸を求める事は、非常に稀で、回りの人達に流されるのですが、その環境も含めて、「淘汰」なのですよね。

今回のオリンピックでも、親方日の丸を無視して、自分の信頼する個人の先生のみを信じて、金メダルを取った人もいましたよネ。
親方日の丸になればなる程、体制を重んじるばかりになって、金メダルを取れなくなってしまっている古い体質のgenreもあって、考えさせられます。そのgenreの人達もその原因と結果をよく理解しているのにも関わらず、その体質から抜け出せないのですよね。
肥大して身動きの取れなくなった東京都のようなものですかね??
アハッ!

しかし、社会の複雑な構造は、オリンピックであったとしても、それが世界の、或いは歴史の頂点を目指すものではない・・という事も、不条理としてあります。
この話は、難しい事を言っている分けではなく、寧ろ逆の話です。
つまり、物事の価値観は、その人の趣味によって決定されるという事なのですよ。


音楽の世界でも、Classicを好みの人達は寧ろ、Minorityであって、standardではないのです。そのClassicを一つ取っても、operaを好きな人やballetを好きな人、symfonyが好きな人や、教会音楽が好きな人、或いはgenreで、Pianoの好きな人や、violinにしか興味のない人達もいるのです。
その他には、Classicとは言っても、 Walzerのような、楽しい曲だけが好きな人もいます。

勿論、同様に、jazzしか聞かない人もいるし、そのjazzも・・・、と好みは分かれて行きます。
そういう風に思いを巡らして行くと、総ての啓蒙活動は、全く無意味な物のように思えて来る瞬間があります。
啓蒙・・というよりは、「この指とまれ!」の世界では、ないのだろうか?という事です。
歳をとって、人生に対する気力が萎えて来ると、
「ついて来たい人達だけ、ついて来れば・・??」という気持ちになってしまいます。
それが鬱の始まりである・・と言う事は、重々承知の上での話です。
話が段々、愚痴に近づいて来たので、若い元気溌剌とした時代に話を戻して、・・・・。

Munchen時代に、Genzmer教授の元で、作品を提出して行くのですが、与えられた毎週2回の4時間超(計8時間)のlessonでは、徹夜して、作品を書いて行っても、lessonには間に合いません。
ヨーロッパの大学は夏休みや前期と後期の間の休みとか、冬休みとか・・兎に角休みが多いのです。
他の日本人の留学生が休みを利用してヨーロッパの国々を旅行して回っている時に、私は旅行に行くお金もないし、必死に作品を書き溜めて、授業が始まったら、小出しにlessonに作品を持って行きながら、更に書き溜めて、何とか次の休みまで、持ち堪えていました。
しかし、とうとう或る時、書き溜めた作品が尽きてしまって、授業に持って行く作品がなくなって、
「さて、先生にどんな言い訳をしようか?」と悩みながら作曲のlessonに出かけて、先生に「先生、あの・・実は・・」と言いかけたら、すかさず、先生が言葉を遮って、「理由は要らない!やってきたのか?否か?だけで良い!」と言われて仕舞いました。
このGenzmer先生の
「Nichit! Sagen!!」の一言は、日本流の勉強の仕方と、ヨーロッパの勉強の根本的な違いを知る事となって、私には、とても厳しい一言だったよね?!!
私は良く弟子達にこの話をします。

私の弟子で私の元から一番最初に留学をした賢治君も、ヨーロッパの音楽大学の先生のlesson時間の前後の生徒が日本人の女の子達で、練習も真面目に一生懸命にさらって来て、lessonも真面目に受けて、とても上手に演奏します。
そして、演奏し終わると、教授と顔を見合わせて、ニコ(^o^)っとすると教授が
「とても上手に演奏出来ました。」と褒めて、10分間でlessonが終わってしまいます。

その話に良く似たお話は、賢治君のlessonの時に、私が良くヨーロッパの指導の仕方と日本の指導の仕方の違いとして、良く話ていました。

私が未だMunchenに留学していた頃に、某国立の音大を卒業して音楽大学で講師をしていた女性がproのpianistを目指してMunchenに留学してきたのですが、とても上手に(勿論、concours等で入賞歴を持つ演奏家の人なので・・)演奏するので、弾き終わると教授と顔を見合わせて、教授が
「とても上手でした。素晴らしい演奏でした。」と言って、10分、15分ぐらいでlessonが終わりになってしまう・・という事で、留学して憧れの先生に師事して半年間のlessonで、とても悩んで、先生を変えようか?日本に帰ろうか?と、私に相談に来ました。

私自身が、日本に帰国する迄には、未だ半年近くあったので、
「lessonの受け方は日本の場合には、先生が教えてくれるのだけど、ヨーロッパの場合には基本は、自分の方から質問をしないと教えてはくれないのだよ!」と言う事で、彼女がlessonに持って行った曲を、私の前で演奏させて、「この曲ではここのpassageは、こういう弾き方と、こういう解釈があるとおもうのだけど・・」とか、問題点の提示や質問の仕方等々を、それから半年間、私が日本に帰国する迄の間、lectureをしてあげました。
勿論、食事を奢らせるだけで、無料で・・だけど・・。

賢治君は、音大の卒業生だけど、私の弟子でもあるので、その話は何度も耳タコで、聴いているし、又、ヨーロッパ流のlessonの受け方も当然、知っています。
しかし、賢治君のlessonの前後で、自分のlesson時間も入れて、3時間ぐらいの膨大なlesson時間が出来てしまうのです。
毎週、頑張って練習して来ても、とても、3時間のlessonに耐える量の練習は出来ません。
そこで、思い出したのが、私のlessonの受け方の方法です。
彼も、夏休みや、土日や祭日の休日を練習に使って、曲を必死に貯めてlessonに持って行って、次の休み迄持ち堪えたそうです。

しかし、ある時に、学校の練習室で練習している時に、練習している曲を教授に聞かれてしまって、
「明日、その曲を持って来なさい!」と練習している曲がバレてしまって、rotationがメチャメチャになって、休みの時迄、ストックの曲がなくなってしまい、練習が大変だったそうです。

ヨーロッパの教授達は、お稽古事ではなく、職業として練習して来る生徒に対しては、真摯にlessonで応えて来れます。でも、お稽古事で来ている生徒達には、褒めちぎってくれて、それで終わりです。lessonは10分も続かないのですよ。大人対応なのだよな??

今の教育では、子供達が一生懸命になるのは、多分、部活なのでしょうが、部活の一生懸命は、職業の一生懸命とは根本的に違います。そこに、curriculumもclientもないからです。


兎に角、リハーサルででも、子供達の演奏する音楽が闘争的でなくて、困っています。
つまり、何かに集中していても、若さがないのよね??
私よりも年下でしょう??
多分・・??
外見的にはそう見えるけれどね〜ぇ??
でも、演奏だけ聞くと、私よりも年上で、もう既に人生をやり遂げて、もうやる事がなくなった人のように見えます。


昔々、私の作った曲を録音するために、音大卒の女の子を雇って、演奏して貰った事があります。
私が
「あ〜ぁ、そこの所はもう少し色っぽく・!!」と言うと、
女の子・・
「色っぽくって、感情を込めて演奏する・・という事ですか?」と返して来ました。
「エッツ??・・・!」こりゃぁ、何言ってもダメだ!!
私は、彼女に、表現を要求する事を諦めて仕舞いました。
録音じゃぁないよ!
音楽をlectureする事をですよ・・・!!

音大を卒業して、proとして演奏活動している人ですら、そうなのですよ??日本人の場合、音楽表現は、無理なのよね??
日本の音楽家に、音楽の何かを期待するのは・・??
子供達を指導していて、
「上手く成りたい!」とか、「上手に弾きたい!!」とかの気持ちはとても持っていて、素晴らしいのですが、曲を見栄え良く演奏するという小手先技を習得する事は、比較的に簡単に出来ます。

しかし、「見てくれ」の演奏ではなく、本当の演奏の技術は小手先技ではなく、基本の基礎(Grundlage=土台)の上に成り立っているのですよ。
Pianoで言うと、椅子の高さ、体の姿勢と使い方、touchの仕方、手首の柔らかさ、指のeinschlag(touchとは違いますよ!)の方法等々です。


オランダの世界的に有名なCembalistである今は亡きGustav Leonhardt 先生が芸大のCembalo科の生徒達を1週間に渡って公開lessonをした事があります。
「世界的に著名なCembalistに受講する事が出来るのだ!」という事で、彼の素晴らしい演奏の技術等々のlessonを芸大の教授達もCembalo科の生徒達も期待していたのですが、いざ、公開lessonが始まると、Leonhardt先生の指導は、学生達や教授達を裏切って、その1週間の間、丸々と椅子の座り方と姿勢だけをlessonして、一度も曲を見てくれなかった・・という事で受講した生徒達やその指導者の教授達からは、不平不満だらけだったそうです。

この話は、
「椅子の座り方や楽器の構え方をlessonしていて、その重要性を音大生達が中々理解してくれない!」と私が不満を漏らした時に、Leonhardt先生の公開lessonで、Cembaloのtuningと通訳を担当していた古典楽器センターのCembalo製作者の佐藤さんが私に直接話てくれたお話です。

先程の例は、Cembaloのお話でしたが、当然、violinの場合ならば、基本的な弓の持ち方、楽器の持ち方(構え方)、立ち方(座り方)、tuningの仕方等々になります。それがちゃんと出来た上で、色々な種類のvibratoのかけ方や指板上での指や手首の構え方やeinschlag(touch)の仕方、音や表現に伴った弓の持ち方が次のstepとして、その基本的な勉強としてあります。

einschlag(touch)は、violin等の弦楽器の場合には、音の撥弦であり、Pianoの場合には音の粒粒の一つ一つの立ち上がりの事です。
その音の粒が美しく丁寧に出ていないと、melodieを表現しようとしても、所詮無理な話になります。

そう言った基本的な演奏法が理解出来ていないと、小手先技だけの真似の上手な演奏になってしまって、幾ら曲が上手そうに演奏出来たとしても、それは、
「本当に上手になった!」・・とは言えないのです。
総ての技術はその土台(Grundlage)の上に成り立つものだからです。


お釈迦様のお話です。
王様が、建築家を呼んで、立派な5階建ての宮殿を作るように命じました。
建築家が早速、高い建物を建てるための基礎を作るために、地面を深く掘り始めると、王様が、
「私が欲しいのは5階建ての宮殿で、地下ではない!」と大変立腹して言いました。
建築家が、
「5階建ての建物を建てるには、それに耐え得る土台が必用なのです。」と、何度説明しても王様は分かってくれませんでした。
その後、その建築家がどうなったのか?はお釈迦様はお話していません。
信念を通して、王様に打ち首にされたか、
「自分が言っているのだから、どうでもいいや!」と、信念を曲げて、土台を作らないで、5階建ての立派な宮殿を建てて、王様が住んでいたら、ある日突然、崩壊して、立腹した王様に打ち首にされたとか・・??或いは・・・??


私の音楽教育の基本は、
「急がば回れ!」という事です。
昔々、私がMunchenから帰国して直ぐに、初めて、日本の大学で生徒を指導する機会がありました。
大学生の生徒達の他に、その時についでにPiano科の生徒達なのですが、
「指導している大学付属の音楽教室の先生達が、指導を持て余している伸び悩みをしている生徒13名を、Piano科の主任よりも給与を出すから見て欲しい。」という依頼が学長からありました。
「主任待遇よりも上」という、甘言に釣られて、その依頼を引き受けたのですが、checkして見て分かった事は、その生徒達は、やる気はある生徒が多かったのですが、何せ、基本が出来ていない。

しかも、音楽大学の付属の教室なので、scaleの試験、Bachの試験、Etudeの試験と、毎月試験があって、曲を見る事だけで目一杯になっていて、所謂、基本のlectureが全く出来ないのですよ!!

そこで、私は子供達に
「試験なんて、どうでも良いから基本のlessonをしよう!」という事で、試験曲の勉強は一切子供達に任せて基本の音の出し方のlessonだけに、専念しました。

毎月、試験が終わると、先生達が集まって学長の元で反省の会議をします。
私の生徒の番になると、
「lessonの仕方が酷すぎる!」「何一つ教えていない。」「指導が滅茶苦茶だ!」「私が指導していた時には、もっとマシだったわよ!」とボロクソに言われてしまいました。

「さよう、然り、ごもっとも!」という事で、聞き流していて、試験の曲とは全く関係のない曲を指導していたのですが、半年が過ぎた頃の話ですが、あいも変わらずに「先生、来週、曲の試験なのだけど・・」
「う〜ん、適当に弾いといて??」との何時もの会話が終わったのですが、いざ試験の後での評価が私の指導して来た生徒達の半数が、それぞれのgrade(年齢別なのですが)で、topの成績を取りました。


その時の、反省会は呆れたね!!
「芦塚先生は、とても優秀な生徒だけをselectして貰ったのよ!!」だって!!
・・ でも、
「その生徒達は君達の生徒だったのだろうが!!」「先月も私の指導をクソミソに評価した、その生徒だよ??」でも、先生達は、自分の生徒であるという事すら記憶にはないようでしたね。
自分のネームバリューや給与のために指導に来ている先生は、一々生徒の名前何か、覚えていないのよね。
先生なんて、そんなもんですよ!!

・・で、もって、「ひばり」やVivaldiのlessonで、何時もlessonが止まってしまうのは、そこの(基礎に対する)意識を育てるためです。
日本では良く見かけますが、意識だけは持っているのに、技術が全くない子供達と、技術は凄いのに、全く意識のない子供達はどちらがproの世界に近いと思いますか?

まあ、この質問は、前提に問題があるのかな??
2番目の
「技術は凄いのに、全く意識のない生徒」・・というのは、世間一般では、有り得ない事なのだからね。


Chronus=クロノス=時の神さま  だからclock!!







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9月28日 10:36 ・
秋の発表会のリハーサルの風景と水たまりニャンコ
9月25日の自治会館でのリハーサルの風景を数曲だけYou Tubeにuploadしました。(各グループから、各楽器、1曲づつという感じですかネ?)

「撮影アングルが横からのショットである事について」
通常は、横を正面にして撮影するので、全員がvideoに写りますが、発表会の会場の幅に合わせて、settingの位置の確認をしましたので、撮影の位置が横からのアングルになっています。正面からでは、真ん中の指揮者の位置からは、2,3人しか写ら無いので、全体を撮影するために、横からのカメラアングルにしました。

「生徒さんに・・」
オケの練習のvideoに、字幕(というか丸付き数字)を入れて、そのPageの解説で注意事項を説明をしています。
内容は普段説明している事の繰り返しなのですが、音楽は相撲やオリンピックと同じで、1回のみの1発勝負です。
ですから、演奏する前にしっかりと、注意事項を確認して思い出してください。
くれぐれも「水たまりニャンコ」にはならないように!!
動画をよく見てよく読んで、scoreと見比べてcheckしてください。

そうそう、教室の生徒さん達以外の人達には「水たまりニャンコ」と言っても、何の事か分かりませんよネ??
「水たまりニャンコ」とは、子供達のポニョミスを防ぐために作られたキャラクターなのです。
子供達がポニョミスをすると、そのミスにポニョミスのハンコを捺されます。
「水たまりニャンコ」の数小節前で、ポニョミスをしっかりと意識して弾かなければなりません。
ポニョミスのハンコは結構、子供達のプライドを逆なでするのですよ!! 
詳しい解説は、homepageの「芦塚先生のお部屋」から、「子供達へのお話」のPageの「ミスタッチのお話」の中に掲載されています。
Direct・link:http://music.geocities.jp/ashizuka・・・/mizutamarinohanasi.htm
9月29日 21:04

youtubeのURLが欲しいです
9月29日 19:07

探せました??
9月29日 19:13


You Tubeは曲別なので、私のaddressをお気に入りに入れておくと、総てのuploadした曲が見れますよ。402a42kaがaddressになります。
402a42kaを開いて、動画という所をクリックすると、4,5曲出て来ますが、もっと見るをクリックすると、幾らでも私のuploadした曲が出て来ます。
これは楽です。
9月29日 19:24

ありがとうございます
9月29日 19:32




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9月28日 20:23 ・
Cembaloのpartをrenewalしました。
今日は、腰痛に加えて、慢性疲労と相続の問題と・・で、朝から鬱が超酷くって、精神のself-controlが効きません。

・・という事で、9月25日のオケのrehearsal の動画の編集や、練習のpointを書き入れたりしていましたが、余りにも鬱が酷くいので、VivaldiのOp.4Nr.2e mollの3楽章のCembalo-partを「智子ちゃんversion」に書き直しました。

Cembaloのpartは、かの有名なVivaldiのOp.3Nr.6のイ短調のviolin concertoのように、原譜のCembaloのpart(所謂、鈴木のPiano譜の事ではなく、orchestraのCembaloのpartのお話です。)が子供達にとっては難しくて、しかも、手の小さな子供達には演奏する事が無理な場合が多いので、(orchestraのCembaloのpartは、一般的な音楽を勉強する人達を対象にしている分けではなく、専門家の人達を対象にして書かれています。だから、当然、一般のamateurのPianoの人達に取っても、難しいのですから、当然子供達に演奏不能な楽譜も多くあるのです。と言う事で、・・)教室では、一人一人の生徒の手のサイズに合わせて楽譜を書き直す事もよくあるのですが、殆どの場合には、Cembaloを演奏する対象者が決まっていないままに、Cembalo-partを作り上げる事の方が多いので、不本意ながら、原譜よりも演奏が難しくなる場合もまま、あります

今回のOp.4Nr.2のホ短調の場合には、Stravaganza(シュトラバガンッア)なので、※.)演奏している子供の年齢は兎も角も(小2ですが)、曲のlevelは、とても難しい技術を必用とする曲になるので、当然、伴奏のCembaloのpartもかなり難しくなります。
[※.)Vivaldiは、ピエタの女子修道院で、子供達にviolin等の音楽を教えていたのですが、Vivaldiの作品の多くはその生徒達のために作曲されています。ですから、作品番号に從って、その曲の難易度が決まって作曲されているのです。Op.3は比較的簡単に演奏出来る曲が集められていますが、このStravaganzaは、Titleの意味である「奇妙な、珍妙な・・」という意味に表さられるように、高度なtechnicalな曲を集めた作品集になります。]
特に、この曲の3楽章は、violin-soloが、orchestraの伴奏も、Cembaloと通奏低音の伴奏もなく、一人で演奏する場所が多かったので、そういった場所の補強の意味と、orchestraのpartに、結構、syncopationが多くて、乗りが悪くなる場所が多かったので、そこの場所に、Cembaloのpartを補って、弾きやすくsoloを充填する事にしました。
本番は上級生の智子ちゃんが演奏するので、Cembaloのpartを少し難しくgrade-upしても、演奏上には何の問題も無いからです。rehearsal 1回だけ歯科、準備期間が無かったのですが、智子ちゃんには別に問題はないので・・という意味です。
ついでに、violin-soloの62小節目から64小節目への2弦飛ばしで、Basの音を弾くpassageなのですが、開放弦のDとGの音を良く響かせて余韻を残して演奏しなければならないのですが、(2弦飛ばしの余韻の開放弦の奏法は、紗來ちゃんのLocatelli や愛ちゃんのVivaldiにも出て来ます。)しかし、美音ちゃんの場合には、この難しいbowのTechnikは初めて出て来たTechnikで、tempoが16beatで早くて、2弦飛ばしをすると、弓が浮いて音が暴れてしまいがちなので、今回はviolaのsoloを入れて、演奏の補強をする事にしました。

音を補強するという事ではなくって、余韻を響かせるという意味なのですがね。







2,3時間掛かって、3楽章のCembaloのpartを、全部renewalしました。


baroque時代や古典派の時代では、作曲者が、Cembaloのpartを、celloの楽譜を使用して、(celloと同じpartを左手で弾きながら)・・右手は即興で和音やepisodeを入れて演奏したので、作曲者であるCembalistが、orchestra全体の指揮をする事は当たり前だったので、興に乗ると、Cembalistが、華やかに演奏して、soloを助けてくれる事が多かったのです。
今回は、そこまでのVirtuositat(技巧的なpassage)はありませんが、Cembaloが、violinのsoloやorchestra全体の乗りを助けてくれるようにしてくれると思います。
「弾き振り」について
Vivaldi時代のorchestraの場合には、指揮者が音楽を指揮する事は、寧ろ・・稀で、一般的には、soloを演奏する作曲者自身が(或いは、作曲者がCembalistを担当して、演奏をしながら指揮をする・・所謂、「弾き振り」が普通の演奏形体でした。
そういう事で、発表会では、これまでも「弾き振り」で演奏する事は良くありましたが、今回は教室としては初めて、斉藤先生が古式ゆたかに、弾き振りに挑戦します。proオケでは、弾き振りはsoloの人がする場合が殆どです。

オケを指揮する時は、指揮者のように客席に後ろ向きでオケにeinsatz(指示)を送り、soloのpassageになると、客席の方を向いて演奏しますが、今回の斉藤先生の「弾き振り」はviolaのpartを補強するためなので、基本的には客席に向かって演奏する事はありません。

「鬱の話に戻って・・・」
曲は、それで、中々良くarrange出来たのですが、不思議な事に、未だに、鬱が治りません。
どうした事かな??

人間、歳を取ると、鬱っぽくなるらしいのですが、病院で
「鬱が酷いのですが・・?」と、相談すると、当然、「ああ、それは加齢によるものですよ!」と言われて、薬も出してはくれません。
友人達(同級生達は、不思議な事に、皆私と同じぐらいの年齢なので・・)は、
「病院で薬を出して貰うと、結構、楽だよ!」と言っているのですが、そんな(鬱を)楽にする薬の話すら、出た事すらありません。
病院の先生の年齢が若いからなのかね・・??
私の慢性の鬱の症状は、多分、加齢によるものかな?? 
ちゃう!ちゃう!! 単なる慢性の疲労だよ!!
歳を取ると、人生からリタイヤして、少しは楽になるのかな??と思ったら、逆に忙しくなるから、困ったものだよ!
幾ら時間があっても、足りそうに無いのに、逆に体力は確実に衰えていて、体が付いて来ないのでね。




  



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10月2日 10:16 ・

音大生のバイト

昔々の私が未だ音楽大学の学生であった頃のお話ですが、同級生の女の子が、
学外で演奏のバイトに行きたいと学校に申し出たら、「学生の学外活動は認められていない」との返事があったと、私に泣きついて来ました。
(なんで私に・・??学校の総代でもないし、学生委員長でもないのに、何か問題がある度に、作曲科の学生に過ぎない私が学校に呼び出されて、私の個人的な了解を求められてしまいました。
学校での練習時間の縮小について・・とか、そういった学校の経営に関する問題も、生徒達の抑えに・・です。
でも、私は学生達とは、何の付き合いも、興味も無かったのだけどね〜ぇ??)

そうは言っても、クラスメートに泣き付かれた分けなので、仕方がないので、学校に話を聞きに行きました。
「外で失敗すると学校の恥になるから・・」というのが本音で、「芦塚君、本校の生徒が外でちゃんと演奏出来るとは思わないだろう??」と言われて、「それもそうですね?」と納得して、引き下がってしまいました。
それでは、同級生の女の子に頼まれた事にはならないので、
「学校の名前を出さないで、個人的に演奏する分には差し支えないんじゃあないの??」と、学校側と交渉をして、了解を取って、そのように本人達にはadviceをしておきました。
勿論、その演奏の話が学務に伝わったとしても、
「学校名を出さないで、個人で活動する分には、構わない」・・というのは、学校側の大人対応なのですよ。

私自身も、音楽大学に進学した事で、半ば勘当状態で、大学の入学金は伯母に借金をして、学費だけは養父が出してくれる事になりました。
生活費迄は出して貰えなかったので、お袋さんが、養父にはナイショでへそくりで月に1万円を送金して来れましたが、家賃が1万2千円だったので、差額の毎月2千円の足を出していました。勿論、勉強の費用や食費等の生活費の類は全くありません。

そこで、入学当時の1年生の時から自分自身の生活のために、学校の勉強の他に、プロダクションの「呼び屋」みたいな事をやって、第九のmember集めとかNHKの歌のお姉さんの人材探しみたいなバイトをしていたし、受験生の指導や、曲のarrange等のバイトを忙しくしていたので、私が結構苦学して、稼ぎ捲っていたのは、学生達は預かり知らぬ事だとしても、大学の教授達には、周知の事実だったのでね。(教授達が私のバイトを紹介してくれていたのでね。)
但し、お嬢様達の優雅なバイトとは違って、こちとらのバイトは、生活が掛かっていたので・・真面目なものでしたよ!!

今日のしのぎで、今日の一杯のご飯と、お魚・が一匹と・・、何とか食えるかな??・・、てな感じ・・では無かったけれどね??
実際には、豪盛に、毎晩夜は近所の小奇麗な寿司屋で、トックリを17本ぐらい並べていたけれどね・・??

当時、私の高校時代の友人である東大の卒業生が、当時、初任給で、1万7千ぐらいだったのだけど、私は同時期に、大学1年生の時から、月7万くらいはコンスタントに稼いでいたからね??
今の最新の東大卒の初任給は、アラウンド20万だそうです。という事は、月80万ぐらいは稼いでいた事になる。(勿論、現在とは貨幣価値が違うので、今ほどは、豊かではないのだけどね。)

しかし、・・だからと言って、どんな仕事でも稼げる仕事を優先していた分けでないのですよ。
私はバイトをしなければならない、という事が決まった時に、回りの音楽大学の学生達のバイトを見て、その殆どが、将来の勉強にならない、社会人になった時に活かされない仕事をしている事を見て、私は、どうせバイトをするのならば、将来の勉強になるようなバイトと、結構、仕事を選んでいました。という事で、私が選んだバイトは、音楽に限った・・、しかもClassic関係の仕事のみに限定して、バイトをするようにしました。

つまり、私はバイトそのものに、将来、私自身がClassicの音楽関係の仕事に従事した時の勉強になるように・・という意味を考えてしていました。
私の場合には、日本の音楽大学のcurriculumの中では、学ぶ事は何も無かったと思っています。


それよりも、私の日本の音楽大学時代では、先生達の仕事のお手伝いをさせて貰ったり、現場で仕事をする事でお金を貰いながら実践的に音楽の勉強をさせて貰いました。
勿論、実社会の現場なので、音楽の仕事とは言っても、絶対に失敗は許されないし、仕事の好き嫌いも有り得ません。例え病気になったとしても、
「体調不良だから・・」と言って、休む事すら有り得なかったのですよ。(本当に現場に行く事が出来ない場合には、私の代わりの代役を立てなければなりませんでしたよネ。
当たり前の事ですが、仕事のドタキャンは有り得なかったのでね。)
学校教育やコンビニのバイトの良さは、そう言った休む事が出来る、という拘束時間の自由さでしょう??
それが、仕事とバイトの違いですよ。今の学生達が理解出来ない所です。

そういった、生活としての仕事の厳しさを噛み締めながらのバイトだったので、お嬢様達の自由奔放なお稽古事の延長のバイト感覚は私には許せなかったのですよ。

勿論、今の生徒達は、お稽古事の延長で、仕事の真似事に過ぎないので、教室としても、そこまでの厳しさを求めている分けではありません。
そこは学校教育と同じで、教室の音楽のcurriculumも、模擬体験に過ぎないのですからね??
それでも、実際には技術的にも上手くなるから、現場体験は不思議なものです。
アハッ!



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10月12日 ・

「発表会前の(最後の一週間のrotationに平行した)日常の徒然」
 
 いよいよと発表会が近づくに連れて、私のrotationも教室の生徒達のlessonに振り回されて来て、自分の仕事との板挟みで、体調体力のある若い頃と同じrotationを熟さなければならなくなってしまいます。
「cello組のlessonとhard・driveのお引っ越し」 
 その10月に入ってからの「rotation」なのですが、先ずは最初は、30日の千葉のcello組のone lessonのための千葉への移動に始まって、10月の1日は、ハイツのパソコンの外付けのハード・ディスクが満タン状態になって来たので、新しい3Tのハード・ディスクを買って来て、それに発表会の動画のfileを移す作業をしました。
 
 パソコンの基本的な使用の仕方なのですが、色々なdataを、パソコンの本体に保存すると、直ぐにパソコン本体のメモリーがいっぱいになって、パソコンに不具合が起きるので、教室では基本的に、dataは、ディスクトップのパソコンは勿論の事ですが、notePCの場合でも、必ず外付けのメモリーに保存するようにしています。
 今回は私のデスクトップのパソコンのメモリーの一部を、もう一台のハード・ディスクにお引っ越しさせるのですが、動画の一部だけをもう一台のハード・ディスクにお引っ越しさせたのですが、これが10時間以上掛かってしまいました。
 つまり、その間は、10時間もパソコンが使えない・・、という状態、つまり、mailも見れない状態が続いたのですよ。
 ハード・ディスクの動画のお引っ越しが終わると、元のハード・ディスクに残った元の動画を消す作業をしなければなりません。
 本当ならば、一括でバン!と消せば良さそうなものなのですが、それは問屋がおろさないのですよ。多くの動画は、netとのlinkが貼ってあるので消す事も、dataをもう一つのハード・ディスクに移す事も出来ないのです。
 ・・という事で、一つ一つの動画を、消せる動画か、消せない動画かをcheck、(確認して、判断)しながら、1日掛かりで消して行きました。
 結果、2Tのハード・ディスクと3Tのハード・ディスクが同じ量のdataの配分になって、半分程の量になったので、暫くは、driveの容量に関しては問題なくなりました。
 2Tの半分でも、1Tはあるのでね。
 
 但し、それはハイツのパソコンの話なので、椎名町の事務所のパソコンは、ハード・ディスクが満タンの状態で、ハード・ディスクを買うように言っているのですが、私がnetかビック・カメラで買って来ない限り、誰もその作業はやりそうにはありません。
 いずれにせよ、10月1日の土曜日の椎名町の作業は、次の日の10月2日の千葉教室での総合練習1回目に配る発表会のprogramの打ち出しで、てんてこ舞いだったのですが、そういった単純作業は、ブキッチョな私が手伝うと、逆に仕事が遅くなって、雑になってしまうので、仕事的には私が手伝わない方が良いので、発表会の作業のために、おざなりになってしまう、教室の元々の軽作業を平行で作業するために、椎名町まで、お手伝いに出かけました。

「総合練習の1回目と銀行回りで」
 次の日は、総合練習の1回目なので、比較的に早めから千葉に車でプリドルを連れて出かけて、オケや室内楽の指導をして、飛び込みのone lessonを10時までやって、ハイツには、何時もの通りに2時過ぎに帰り着いて、寝るための準備をしました。
 まあ、目まぐるしい事なのですが、発表会が近づくと、それは定形のroutineです。
 次の月曜日は、体力の回復のために、しっかりと寝込んでおこうと思ったのですが、牧野先生に金曜日に頼まれた教室の経理関係の銀行の振込が、発表会の仕事で忙しくて、振込が出来ないままに、保留になっていたので、体調不良のままに、少し体に無理をさせて、江古田駅の周辺の銀行回りをする事にして、「ヒー、ひー」と言いながら振込に回って来ました。

「大泉のカイロへの往復」
 次の火曜日には、疲れが溜まって来て、腰痛が酷くなって来たので、火曜日の前日の月曜日に、急遽、カイロの予約を取ったので、大泉までカイロに出かける事になりました。
 私は、体調不良になると、必ず、トイレが近くなって、しかも、突然に尿意を催してしまうので、先ず電車でカイロへ出発する前に、事前に、ハイツでトイレに行って、電車が大泉に着いて即、駅ビルの中でトイレに行って、カイロを施術を受けてから、帰り道の大泉の駅ビルのイズムでトイレに行って、万全を期したはずなのですが、それでも、ハイツに着く直前の江古田駅の出口を出る頃には、またまた尿意が辛抱が出来なくなってしまいました。
 「駅でトイレに行けば・・」と思われるかも知れませんが、駅の改札を出るまでは、尿意は全く感じていなかったのですよ。それぐらい、突然に、尿意を催すのですよ。
 駅を出て、直前のハイツのビルを前にして、詠める・・・
「ハイツまで
持つかトイレの
玉の汗」

「江古田教室でのPianoのlessonと鬱」
 水曜日は、朝早くから、一日中、根拠の無い、酷い鬱に苦しめられて、それでも、Vivaldiのa mollの3楽章のCembalo-partを智子ちゃん‐versionに書き直しました。勿論、以前のversionはそのまま残して、その上にepisodeとornamentを付け加えたversionです。本来の私の予定としては、そろそろ、免許の更新に行くつもりだったのですが、江古田教室の生徒のPianoのone lessonが、急遽、入ったので、免許の更新は日延をしました。
 木曜日は千葉のviolin組のlessonが元のrotationとして入っていて、それに追加の生徒達のlessonも入ったので、夜遅く10時過ぎまでのlessonになりました。それから、大急ぎで、車を飛ばして椎名町に帰って来て夜食のお弁当を食べたので、当然、ハイツへの帰宅は、夜の2時過ぎになりました。

「免許の更新と、余りにも酷いarticulationの訂正のために楽譜をfinaleに入力した。」
 7日の金曜日には、歩きと電車で(牧野先生からは、
バイクの方が楽なのではないのかな?と言われていたのですが、)免許の更新に行って、そのまま、池袋に買い物に行って、帰ったらたら直ぐに、今回、斉藤先生と美紀先生が弾く「PergolesiのPianosonate」の出版されている楽譜に付けられているarticulationが余りにも無意味で、情緒的、感情的で、酷すぎるので、最初はlessonの度に、手書きで赤入れをしていたのですが、それでは、演奏する時のうっかりミスが多くなってしまうので、finaleでPergolesiのviolin‐sonateの全楽章を入力して、articulationの無いサラの楽譜にしてから、その上に新しくarticulationを付け直しました。殆ど、徹夜状態でありましたぞよ。
 2時間睡眠、3時間睡眠で、急いで起きたら、直ぐに土曜日の朝には、斉藤先生と萩元美紀先生に楽譜を渡せるようにしたのですよ。(本番、直前の話ですよ!!)
 結局、土曜日はまるまる一日中、violinのlessonをして、次の日の日曜日の最後の総合練習に掛けました。

「日曜日の最後の総合練習」
 日曜日も、大忙しの一日仕事なのですが、私の体力の関係で、「3時の検見川教室からのprogramを目安に、椎名町を出発する予定だよ!」と言っていたのですが、3回オケが1時15分から自治会館で始まるので、その前に、プリ・ドルを花園教室に放り込むために花園教室には、プリドルの引き取り手が、誰かいないといけないので、急遽、12時着に変更する事にしました。
 そのために、rotationでは、9時起きになって・・、とは言っても、前日の夜は、4時、5時に寝れたので、結局の所、2時間睡眠、3時間睡眠で、総合練習に入ってしまいました。
 それから、3時に自治会館から検見川教室に移動して、6時にはまた、検見川教室から花園教室に移動して室内楽のlessonとsoloの合わせの指導と、飛び込みのPianoのlessonと、この所、10時迄のlessonが日常化しています。 
 教室がそのままlessonで使用出来るように、簡単な後片付け(lessonが可能な・・ぐらいの簡単な整理整頓)を済ませて、大急ぎで、10時半ぐらいから椎名町に向かって車を走らせたて、到着して、routineの遅い夜食を済ませてハイツに向けてバイクを走らせました。勿論、ハイツの自宅着は2時半から3時です。

「エクゼチェアの組み立て」 
 月曜日は、疲れが酷くて腰痛が酷いので、腰痛の原因となっているパソコンの専用の椅子である、エクゼチェアを捨てて、新しいチェアを一人で頑張って、組み立てました。
 腰痛の主な原因の一つはパソコン用の椅子であるエクゼチェアが少し、目視では分からない程度に、傾いているのではないか??・・と私自身は、思っていたので、腰痛が余りにも酷いので、新しいエクゼチェアをnetで注文して、1月程前に、ハイツに届いたのですが、組み立てなければならないので、一人で組み立てる事は、難しいので、この一月間は、玄関にそのまま放置されたままになっていて、斉藤先生が組み立てを手伝ってくれるのを待っていましたが、斉藤先生の時間の或る時と、私の体調のtimingがなかなか合わなくって、そのままになってしまっていました。 
 しかし、腰痛が段々最悪な状態になって来て、発表会も近づいて来たので、斉藤先生も、もっと忙しくなるし、発表会が終わったら、「曲決め・member決め」や楽譜のコピー、オケ・室内楽組の日程等々、逆に今以上忙しくなるので、これから一月、ハイツの雑用を手伝って貰う事は、出来ません。
 ようするに、教室としては、これ以上忙しくなってしまうので、「待っても無駄」・・というい事で、一人で頑張って、椅子の組み立てを始めたのですが、結果、パーツのボルトの穴が合わなくって、ボルトを無理矢理に入れようと、椅子を斜めにして、作業をしていたら、椅子が滑って、倒れ込んで来て、膝のグラフトの痕の上を、思いっきり擦りっ切ってしまいました!!
 この2,3日は、便秘も最悪で、日曜日に、結構汗をかいて、ゆっくりと、湯船に浸かって、休もうと思っていたのに、逆に湯船に入れなくなってしまいました。

「総合練習の帰り道でのバイクの突然の故障」
 その日の夜、椎名町で食事の後、椎名町からハイツに帰る途中の日大の前の信号で、赤信号でバイクのブレーキをかけた途端にバイクがエンストをしてしまいました。
幾ら、キックをしても、坂道を転がしても、エンジンが掛かりません。諦めて、疲れ切っている体に鞭打って、バイクをハイツまで必死で押して帰りました。疲れ切っていた状態だったので、それこそ、死ぬ思いでした。

「バイクの修理」
 次の日の火曜日、つまり、今日の事なのですが、バイク屋に、電話をして、「軽トラでバイクを取りに来て貰おう」と思ったのですが、バイク屋の軽トラが出張修理で出払っている・・ということで、ハイツまでバイクを取りに来てもらえませんでした。
 バイク屋の人は
「自分で押して、持って来い!」というつれない電話だったのですが、そのバイク屋よりも近場のバイク屋が見当たらなく、それでも、一番近場のバイク屋なので、仕方なしに30分も掛かって、バイクを押して歩いて行きました?
ここの所、手ぶらの、30分、40分のドルっ歩ですら、歩けなくて大変なのにバイクを押しながらの30分は、超大変でした?
 車屋の若いアンちゃんは セルでエンジンがかからなかったので、キックでエンジンをかけたのですが、さすがに「餅は餅屋」 というのか、歳が若いせいか、2,3回のキックで、エンジンがかかったのですよ?
 バイク屋さんをしても、セルがかからなくなった原因は全く分からないそうなのですが、同様のホンダの同じ機種のバイクの故障があるようで、以前も、バイク屋さんが、メーカーに直接、電話をして、故障の原因と直し方を尋ねたそうなのですが、電話の相手がモゴモゴとのらりくらりで、埒が明かないままに電話を終わってしまったそうです。
 原因が分からないので、いずれにしても エア のフィルターとプラグを交換して、お茶を濁しておく事にしました。
それでも、直らなければ、その時はその時の事ですが、運転技術で、バイクを止める直前に、急にエンジンの回転が落ちないように、アイドリングになる前に、チョッとエンジンを吹かすのがコツなのだそうです。
 ということで、バイク屋にパーツを注文して、そのまま、ドル守りに椎名町の事務所に来たのですが、私はプリドルのお散歩に一人で連れて行った事は全く無いのですが、どういう分けか、 プリは 散歩に行く気満々で、私に散歩をせがんでいます?
ドルは一人で、自分のご飯を食べている・・・
??不思議な光景だ?
 早めに椎名町のドル守りを終わらせて帰って来たつもりだったのだけど、ハイツに着いたのは10時半を過ぎていました。
食事を食べに出かける前に、小腹をと、珍しくチキンラーメンを食べて、雑用を熟していて・・ふと、時計を見上げると何と、もう、12時を過ぎてしまっていました。外に食べに行く気が萎えてしまって、パソコンの作業をしていたら、またぞろ、眠れなくなってしまいました。若い頃ならば、「寝逸れた」と言う所なのでしょうがね。何度もベッドで眠る事に挑戦するのですが、結局の所、眠れぬままに、そのまま朝を迎えてしまいました。グスミンを飲んで寝たにも関わらず・・ですよね。

「後書き」
 こんな事をダラダラと書くと、私の毎日は、自分の勝手な事しかしていないように見えるかも知れませんが、実は仕事としての作業は、全部省いて書いています。
それは、至極、当たり前の話で、毎日、毎回の教室のroutine作業を書いても無駄なだけで、そのroutine作業を徒然と書く事は無意味な事なのでね・・・!!

「蛇足」
 そう言えば、私の近況とは、全く別のお話ですが、以前注文していた五線紙のコロコロ・スタンプが、金曜日頃に椎名町に着きました。これで、糸を使って紙に円と渦巻き状の五線紙を書く事が出来るので、また、五度圏の話の続きを書く事が出来ます。五度圏時計と古典調律を絡ませた図は、流石に、私の独自の理論らしくって、netでは、その図は見つからなかったのでね!!
とは言っても、私はとてもブキッチョなので、templateとなる綺麗な円や渦巻きの五線を書く事は出来ないので、誰か生徒にやって貰う事にします。私が作ると円が歪んでしまうので・・ネ??



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10月13日 ・

「Handelのsarabandeのarrangeを書くに至ったキッカケのお話」

「音人の会」の方から、「ヘンデル:ハープシコード組曲 第2集 第4番 サラバンド HWV437 [弦楽合奏版] をYou Tubeで聞いて、とても気に入ったので、celloでその曲を弾きたいのだが・・」という相談が牧野先生の方にあって、その話が私に回って来ました。
 実は、Handelのharpsichord-suiteの4番sarabandeの曲は、1,2年前に、子供達のstringorchestraのオケ練習用のためにarrangeをしたのですが、曲が短すぎるために、発表会の曲としてレパートリーにするのは難しいので、演奏しないままになっていました。
独立されて演奏される事の方が多いsarabandeなのですが、長い組曲の中の1曲なのでね。
 この曲は私以外にも多くの人達がarrangeをしているようなのですが、弦楽合奏版という事なら、殆ど私のarrangeと同じだろうと思いますし、この曲の弦楽合奏版からcelloのsoloの譜面にarrangeをするのは、効率的には良くないので、originalのCembalo-suiteから直接arrangeをする事にしました。
 最初はsimpleな伴奏を付けていたのですが、melodieが単純な繰り返しなので、飽きないように、virtuosoな伴奏譜を同時に作りあげました。celloのmelodieは全く変わらないのですが、伴奏で華やかなになるように作曲しました。You Tubeにuploadしました。下のURLから見る事が出来ます。⇒_(._.)_ ごめんなさい!URLは削除しました。新しいviola‐versionのarrangeをuploadしています。
 因みに、2小節目のcelloの低いc#の音が汚い音になるのですが、楽譜上はちゃんと合っている音で、そんなに汚い音がするはずはないのですが、パソコン上の話なのでよく意味が分かりません。一つ一つの音で確認すると合っているのですが、同時に和音を演奏すると酷い事になってしまいます。音源の音をcello以外の音にすると、多分改善されるのでしょうかね??

「Halvorsenがまた居た!!」 
それはそうと、このsarabandeをYou Tubeにuploadしたので、その動画をYou Tube上で、checkしていたら、何と、HalvorsenのHandelの「violinとviola-version」の「sarabande」がありました。
 themaとvariationのTからUまでは、比較的に原曲に忠実なのですが、variationVから、突然、近現代的は、Halvorsenらしいvirtuosoな曲に変わりました。余りにも突然の変化なので、別の曲のように聞こえてしまい、整合性に疑問を感じてしまうので、教室のrepertoryとしては、「どうかな??」と、チョッと悩む所ですが、Halvorsenのpassacagliaも、そういった感じの曲なので、一応、勉強のために、楽譜は発注をしておきました。



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10月15日 ・

「Handelのsarabandeのcello‐versionから、viola‐versionへtransposeして、更に、ドツボに嵌ったお話」
Handelのharpsichord‐suiteのsarabande(la folia)のarrangeをしているお話はしましたが、今日(発表会の前日10月15日なのですが)viola‐versionを作りました。celloとviolaはoctave違いで同じ調弦なので、そのまま音部記号を直せば良いのかな?と思っていたのですが、finaleで記号を直して、octave音をtransposeしたら、何と、violaでは演奏出来ない高い音が出来てしまいました。violaの方がcelloよりも、音域が広いと思っていたのですがね??celloの音符をviolaにtransposeして初めてcelloの方が音域が広い事に気が付いた!!(勿論、楽典の教科書等には、celloよりも、violaの方が音域が広い!・・と書かれているのですよ。人様が言っている事を、まるまる鵜呑みにするものではないよ・・な?? 楽典の教科書なんか書いている人はviolaやcelloは弾けないのだから・・ね??)いや〜あ、これまで、気が付かなかったな〜あ、、もう!!・・・という事で、何時もの通り、routine作業の手直しです。
 演奏出来ない音域を、単純にoctave下げても、辻褄が合わないので、そこはチョッとした、前後の手直しが必用になります。ハイ!
 いろんな手直しを経て、曲としては、中々の盛り上がりが出来るようにはなって来たのですが、そうなると、今度は3分15秒では、幾ら何でも短すぎて、物足りなくなって来ました。当初は、原曲を余り弄りたくないので、「短い曲のままにしようか、どうか?」悩んでいたのですが、ふと、思いついて、原曲のrepeatをそのまま活かす事にしました。
しかし、単純に原曲通りにrepeatをすると、今度は退屈なのだよね??勿論、baroque時代当時には、repeatの時には演奏者がornamentや即興をして演奏していたので、当然、私もrepeatに、更に即興を加えたくなってしまいます。Doubleのarrangeを始めてしまいました。
これは、限がないよな??
endlessのroutine作業になって来ているゾ??
それはそうと、明日は発表会のために、4時起きをしなければなりません。もう、12時を過ぎました。
急いで寝なくては・・・??
Double処ではないよ・・な??



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10月17日 ・

「発表会が終わって、ハイツ迄の道行きと、Handelのsarabandeの作曲のお話」
2016年10月の16日、満月の前の日だそうですが、恙なく発表会が無事に終わっ・・・た??大人楽屋では、前日の完徹と、頗る(ロキソニンの効かない)腰痛で、板の間と小さな丸椅子と、なんちゃって座布団のせいで、ちゃんと起きて対応が出来なくって、寝転がったまま応対をして、お顔を見せて頂いた方に大変失礼をしたと反省をしています。
 とは言っても、痛いのはしょうがないよね!!
オケの指揮も何時もの切れと乗りが無かったと思っていますけれど、まあ、今回は、勘弁してください。
 腰痛が治ったらちゃんと乗りよく指揮をしますので・・!
発表会については、折に触れて書くことにしますので、その日の近況報告だけにしておきます。
 頑張って椎名町に辿り着いて、15時間もひたすら私達の帰りを椎名町のお部屋で待ちわびていたプリドルちゃん達の・・お散歩を兼ねて、セブンにお弁当を買いに出かけたのですが、車の運転がやっとこ・・だった私は杖をついても歩いても、セブンの往復までが限界で、とてもドルプリっ歩までは付き合えません。しかも、やっとたどり着いたセブンでは、お弁当が売り切れて殆どなくっていて、手に入ったお弁当は、なんと、焼きうどんでした。
 
 まあ、夜食代わりに、そのうどんを食べたのですが、多分、食べながら寝ていたのですよね??
 気がついたら食べていたはずの、うどんがなくなっていました。アハッ!
 
 発表会の後の、後片付けはとても無理なので、荷物はそのまま椎名町に置きっ放しで、半分、居眠り運転でバイクを走らせてハイツに戻ったのですが、それから小一時間、体調不良の元である**と格闘をして、やっと寝たのは、「かあさん、あれは何時の頃でしょうかね??」

 これでは、昨日のお話の続きになってしまうようですが、Handelのsarabandeのviola‐versionが、3分15秒という事で、盛り上げた割には、余りにも短すぎるので、originalのHandelの曲にあるrepeatをそのまま楽譜に入れて、時間稼ぎをしましたが、そのままのrepeatでは、余りにも芸が無さ過ぎて、私の能力を疑われてしまうとイケないので、repeatをDoubleする事にしました。
 前半のVariationとDoubleは、当時の時代の様式そのままの装飾によるVariationにしました。それから、後半からは近現代の作曲法によるfigurationを駆使した変奏にしました。
 つまり、発表会で疲れ切っている筈なのですが、朝の4時に目が覚めてしまったので、そのままパソコンに向かってVariationとDoubleの作曲に取り組んだのですよ。
アハッ!
・・馬鹿じゃないの??

 そういう事で、何とか7時頃には、ornamentの作曲が終了して、今は、layoutや、音源の修正をしている所です。
 themaを含めて、全てのpassageにDoubleを入れると、6分30秒になるはずなのですが、曲の最後の部分のクライマックスの所は、Doubleをしないので(頂点が2回になるので・・)、実際の演奏時間は6分03秒になって、ちょうどよい長さに収まりました。
 sarabandeなので、2分音符がメトロノーム=60の非常に遅いtempoで、patheticなimageの和音で曲が始まります。
 でも、後半になって、Cembaloがfigurationを始めると、melodieのtempoも、とても速くなったように思われるかも知れませんが、それは実は錯覚で、本当はtempoは全く最初から変わっていません。作曲上のトリックです。ウシ、シ〜??騙しのトリックを楽しんでくださいネ??

 作曲は一応終了したので、次のcheckは、spielbar(演奏感覚)のcheckです。
 これは実際に楽器を出して演奏しながらのcheckなので、音出しをしなければなりませんので、朝、早い時間には出来ません。 
 演奏の困難な箇所の音の変更等々のkleinigkeit(小さな変更)は、今日、昼間の時間に回すとして、曲的には、一応、気に入った作品には出来上がったな?と思います。
 
しかし、改訂を重ねるに從って、難易度も結構上がって来たので、教室でクリスマス会か発表会に載せるとしても、誰が演奏出来るか、問題です。
 伴奏のCembalo‐partを演奏出来る生徒は、教室の生徒としては、多分、美帆と智子だけでしょうし、violaやcelloも専科生のみです。

 彼女達の誰かが演奏してくれれば、次のクリスマス会か、春の発表会では、是非、皆様の前に、この曲を、お目見えさせたいのですがね。果たして、弾いてくれるかな??かな??
かな??・・・・??  う〜ん (。???)  弾いてよ!!弾いてよ!!?

Handel sarabande(la folia)viola&Cembalo long‐version Yoji Ashizuka
Handelのsarabandeのviola‐versionです。

昨日頂いた楽譜に追加されていったということですよね?
10月17日 10:41


昨日の楽譜は半分ということです。それぞれの変奏にドーブルが付きます。
10月17日 11:48

梨紗さんにもフィナーレで送って弾きごこちを見てもらったら良いですよね。
10月17日 17:20


そうしてください。和音の弾き心地と、highpositionの伴奏場所だけで良いので・・・
10月17日 17:44

楽しみにしています(^ ^)!!
いつ、我が娘は弾けるようになるのかなぁ(´-`).。oO?
10月17日 22:19


指が回るようになって、high‐positionでvibratoが出来るようになれば、何時でもOKョ!!アハッ!・・!!(^o^)
10月18日 4:52

violaは、ハイツに超、珍しい分数のoldの銘器のviolaがありますよ!!でも、瑞希ちゃんには、もう、・・少し小さいのかな??多分、2:1ぐらいのサイズかな?? oldの分数のviolaは世界的にも珍しいのですがね??
10月18日 6:10

すごいですねー!
2分の1というと、もう、小さいですね、ともはるに期待します!
あ!息子だと扱いが心配ですね、、、(´-`).。oO

ハイポジションのビブラート。これからですね!
10月18日 8:11


「Handelのsarabande」    
斉藤先生にcheckをお願いしていた和音の所は、音的には変更はないのですが、楽譜の書き方を幾分修正をしました。それも音は変わらなくても、不思議な事にspielbar(弾き心地)は変わるのですよ!violaの音域を越すhigh‐positionの3個の音は、soloのクライマックスなので、手直しはしませんでした。私的にはCodaに戻る前のpassageがdominanteからdominanteへと同じmelodieを繰り返すのが、心地よい時と、不自然に感じる時が日によって違っていたので、orthodoxにdominanteからTonikaへと普通に終止させて、それからCodaに入るように修正しました。dominanteからdominanteのpatternでは、Coda以降の終止のpassageが余りにも唐突に終わるので、少し余裕を持たせて、終わらせたかったのも、あります。しかし、その字余りの2小節のpassageが、訂正をしても、いつまでも納得行かないので、今度は「simple伊豆座best」で、小節を減らして修正してみました。しかし、それでも、今一つ、(゜_゜)う〜ん・・納得が・・??・・てな感じで、こういうドツボにはまった時には、下手に悩まないで、またそのうちに、気が向いた時に何時の日にか、また、改めて、修正すると思います。まあ、そう言う事で、曲の演奏時間は3分15秒から、6分12秒に変わったし、You Tubeにupしている先行versionのとは、また随分、雰囲気が変わりましたョ。これから先は、九州人の特有の粘液体質で、納豆や山芋のようなネバリと根性の「endless作業」です。ゲーテやダ・ビンチや、Beethovenも基本的には、最低でも、40年,50年掛けて手直しをしていたので、凡人である私は、もっと長時間を想定して、校訂、改訂作業を続ける事にしています。どんなに、小さな作業でも、最低、一つの仕事を仕上げるには10年は掛けないとネ!! 改訂中のversionですが、You Tubeにはuploadしていません。つまり、また、改訂の改訂を重ねるので、基本的に公開はしません。これは音源を皆に伝達するための報告の動画なのでね。

11月6日 9:35

上の動画は削除して、今日(19日の午前中、というか深夜・・・とは言っても、もう夜が開けてしまいましたが・・)は、sarabandeを更に、新しい、チョッと短めのperiodのversionに改訂しました。前回のarrangeが擬古典的で、少しオーバーな表現になっている所を抑えめにして、曲も大幅にカットして、演奏のspielbarも、結構、violaのpartは簡単になった・・と思っています。CembaloのVirtuositatは、相変わらずなのですが、曲の前半は、periodの時代様式で作曲しているので、後半も、これならギリギリで、periodの可能性を追求しました。但し、結構なVirtuositatのfigurationで演奏するので、私的には、baroqueではなく、もう擬古典かな??とも思っているのですが、しかし、近年では、少なくともbaroqueのorchestraのbasso continuoを演奏しているCembaloの奏者は、これぐらいのfigurationは、普通に演奏しているので、・・時代考証的には、そんなには外れる事はないとは思うので、充分periodで行くとも思うのですがね。 椎名町の斉藤先生のnotePCの環境を整理して、mix‐padの無料ソフトを入れたり、コンデンサーマイクのpc用のマイクを新たに購入して(録音用のpro仕様のコンデンサーマイクは、何本か持っているのですが、近頃は録音機材を出す事すら少なくなってしまっているので、パソコン専用のコンデンサーマイクを購入した分けです。)、録音環境を整えていますので、そのうちパソコンの音源ではなく、生音での演奏をお聞かせ出来ると思っています。そのうちに・・・ネ??  ん??
10月25日 6:06

それはそうと、発表会の前後辺りから、突然、寝れなくなって、結局、発表会も徹夜で臨んだのですが、その後、3日目にもなるのに、未だに、よく眠れないのですよ。市販の薬を飲んだり、色々と試してはいるのですが、それに、同じ発表会の前後辺りから、血圧も突然上がってしまって、薬は今まで通りに、普通に飲んでいるのにもかかわらず、血圧が下がらないのです。眠れないのは、血圧の性でもあるようなのですがね。いい加減、sarabandeの改訂を止めたら血圧も下がるかな??とも思って見たのですが、逆よネ??  眠れなくて、布団の中でバタ狂っているから、作曲をして、心を静めているのですがね〜ぇ??  はて、さて、どうしたものか??
10月19日 7:36


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10月19日 ・

「baroque‐concertのmember紹介を書いていたら、Facebookがぶっ飛んでしまった!!」
超、ショック!!baroque-concertの曲毎のmember紹介と、詳しいprogramはhomepageを見るように、と書いてあって、「聞いてないよ!!」てな事で、Facebookに、私のbaroque音楽との関わりと、baroque-concertの今までの歴史を書いていたのだが、大体書き終わって、参考に、昔のbaroque-concertの演奏風景をuploadしようと思ったら、Facebookでは、動画が再生されない拡張子だったので、拡張子を変更して、作業を始めようと思ったら、元の文章が無くなってしまって、幾ら探しても、見つからなくなってしまったのですよ。
文章を移動しようとしても、「保存がされていない」と出て来るのに、保存しようと思っても、その肝心要の文章が見当たらない!!
ネットでそういった場合の対処を調べても、そういう状態のコメントが全く無い。
結局見つからないままに、1,2時間の作業が全く無駄になってしまった。
本当に、私とFacebookは、相性が良くないようですな!!
やる気が無くなってしまったので、programでの、細かい説明やご紹介等々は、後日、改めて書く事にします。
説明の文やご紹介の文が書き終わる前に、baroque-concertが終わってしまったら、その時には、ごめんなさい!!
でも、やる気の起こらない作業はしないのが私の建前なので・・・!!ハイ!


ほんの小一時間程、ひと眠りが出来たので、少しずつ、気を取り直して、元の文章を思い出しながら、書き始めています。  私が音大生であった頃は、baroque音楽と言っても、Vivaldiの四季と、Mozartのアイネクと、Bachの組曲ロ短調(所謂、G線上のAriaですが、)しか、知られていなかったのですョ。I MusiciのFelix Ayoさん達がその3曲を携えて世界中を演奏して回った頃の時代です。その当時に、私は音楽大学で自分の私設のorchestraを作って、HandelのConcerto Grossoや、Bachや他の作曲家達のcantataの演奏をしていました。 写真は大学祭でのcantataの演奏風景で、右側の大型Cembaloは当時は日本にはNHKを含めても、2,3台しかなかった Neupertの大型二段のCembaloです。勿論、指揮しているのが私です。演奏しているのは、大学生と講師の先生達の混合orchestraです。皆、私の呼びかけで集まってくれました。
10月21日 16:04

Munchenから帰国して直ぐには、当時の私が指導していた学生達を引き連れて、教会でcantataの演奏活動をしていました。cantataの発声法は、とても特殊で、日本では指導出来る先生がいなかったので、音大の卒業生で当時の私の弟子に、cantataの発声法を指導して、教会回りをしていた分けです。大学は努め始めた時から、5年以上はいないように決めていました。何もしなくても、生活出来るので、「大学ボケ」が起きてしまうのでね。30年前に作ったノートを読み上げるだけで、冗句も30年間変わらないでも、生きて行けるので、それは怖い事ですよ!そうは言っても、大学という所は居心地の良い所で、ついつい5年以上も(35歳までも)居てしまいました。自己嫌悪と反省です。
10月19日 12:59

大学を辞めてからは、2,3年間はモラトリアム期間で、何もしていなかったのですが、当時の文部省の関係者の知り合いの人から、実際に教育論を実践するように説得されて、5年間の限定で芦塚メトードを実践する事になりました。私が指導して生徒が理想の状態になるのは、当たり前だそうで、そうではなく、私が指導した弟子が私が指導した生徒と同じlevelになる事が、methodeである事の証明であり、私が指導する意味があるという事だそうでした。教育は根本的に嫌いなので、固辞したのですが、他にそれが出来る人がいない・・という、褒め殺しで、しょうことなしに、約束させられてしまいました。その生徒達が、「教室を卒業しても教室で働きたい」と、言い出したので、仕方なく、教室を会社に登録しました。と言う事で、本当ならば、methodeを提供するだけで良かったのですが、私自身も指導を実践して見せる事になってしまいました。
10月19日 13:13

日本では、「音楽大学を卒業すると、proとして通用する」と言う事が一般的で、その後、勉強を続ける事はありません。音楽大学で学んだ技術や知識が、proとして社会に通用するという思い込みがあるのです。医者であろうと、職人さんであろうと、技術をマスターする事は生涯の学びなのですよね〜ぇ??私の音楽への姿勢も、・・或いは、私の弟子達への教育方針としても、proという人種は、「生涯、勉強を続ける」という姿勢が、有る人達の事を言う分けで、当然、教室の先生達にも、弦楽器の「ルーツ」を学ぶという事で、baroqueの研究をする事が、即ち、正しい弦楽器の奏法を学ぶための、最短の勉強=所謂、王道を学ぶ事になるのだ、という方針で、baroqueの奏法を勉強させる事にしています。 1960年代迄の、「baroqueや古典派の音楽への知識」は、非常にお粗末なもので、情緒的、感情的な謝った解釈で演奏されていて、それがbaroqueの音楽と認識されていて、本当の時代考証からは、程遠いものでした。今では、笑い話としか思えないような弦楽器の奏法が罷り通っていました。・・と言うか、今でも、日本の音楽大学の中では、そう言った100年、200年前の、誤った解釈に拠る演奏法が今でも学校の中では、罷り通っているようなのですが、本当に困ったものです。100年前、200年前のeccentricな奏法がこんにち迄も、罷り通っているのですから、教育関係の常識は信じられないものがあります。もし、それが300年前だったら、それこそperiod奏法になるので、良かったのにね??そうは、都合良くは行かないのよね??  1970年頃からは、楽器博物館等に保存されているBachやHandelのoriginalの楽器を、再び、演奏出来るように修理、修復したり、また古い時代のoriginalの設計図から、当時の楽器が復刻されるようになって、それまで言われていた誤った弦楽器やPianoの奏法等が、正しく、訂正されるようになって来ました。しかし、それは極、一部の「金銭感覚を無視したお話」で、(つまり、当時の楽器をそのまま復刻しようと思ったら、とてつもない時間と労力と、資金を必用とするのですよ!!) ・・ですから、一般のマニアックな音楽家達が「periodの楽器」を買えるようになったのは、80年代に入ってからのお話です。・・と、言うことで、私も私財を投入して、baroque-violinや、baroque-cello、Cembaloやorgel等を、購入して教室の先生達に貸与しました。  1990年になってからは、世界でも、未だ数少ない人達ではありますが、現代になって初めて、period instrumentsによるperiod奏法の演奏がおこなわれるようになりました。その時には、教室の先生達のbaroque楽器によるperiod奏法の演奏活動も、同じ時期に始まったのです。世界のperiod instrumentsによる、period奏法の演奏と同じ時期に、synchronicityで、教室の先生達の演奏も開始されました。所謂、「ぶなコン」や、銀座の画廊でのconcertです。勿論、いきなり、period奏法が出来る分けでは無いので、その前の80年代に、充分なperiod奏法の研究や練習の準備期間を経た上での90年代からの演奏活動の話になるのです。ですから、私達の古楽器の演奏は世界最先端の演奏になるのですよ。


10月23日 5:32

baroque音楽のperiod奏法は、超maniacな世界なので、日本でも2,3の演奏団体がありますが、集客が悪く・・、・・と言うか、殆ど客席には人がいない状態で、偶然私が通り掛かって、聴きに入った教会での演奏も、演奏者が10名近くいるのにも関わらず、客数が(その演奏者の生徒達関係者だけで)それも10人いるかいないか??・・の、惨状でした。 その当時は、私達も、定期的に、年、2,3回のペースで、baroque-concertを、近所の喫茶店で開催していました。その喫茶店が、私達のperiod奏法の発表のhome-baseでした。勿論、その喫茶店で、だけ演奏活動をしていた分けではなく、その他も、銀座の画廊での毎年のconcert活動や、新宿のオペラシティーでの、7,8ヶ月に渡る隔週の超hardなconcert等を、やってまいりました。当時、ヨーロッパ帰りで、メルクスの元で4年間baroqueviolinを勉強して来た人が「帰国して4年間以上経つのに、一度もbaroqueの演奏活動をしていない。」とぼやいていましたが、私達の「ぶなコン」(近所の喫茶店のconcertで=ぶなコンです。)では、曲目と演奏する日にちが決まって、その報告を喫茶店にすると、その2,3時間後には喫茶店の30席の客席が一瞬で、sold outになって、或る時には、私の居場所もなくて困ってしまいました。千葉の教室のお母様達が「先生達の演奏を聴きたいのに?」との話がありましたが、日にちを喫茶店に連絡する時に、予め席を予約しておくように店のオーナーにお願いして、やっと席を取る事が出来ました。私達のbaroque-concertは、それこそmaniacなperiod奏法のconcertなので、私がbaroqueのperiodについての講義をしながらの、まるで、大学の講義のような、の面白くないconcertだ、・・と思っていたのですが、結構な集客力ですっかり驚いてしまいました。 音大生達や卒業生達、オケマン達が、楽しい有名な曲を集めて、その喫茶店でconcertをやっているのを良く見受けましたが、30名の席でも、半分も入っていないのが、普通で、私のconcertは、(どこが面白いのか??)毎回、異常な集客率でした。baroqueのperiodでは客は呼べない・・というのは、音楽家の誤解のように思いますがね。はてさて、今度の千葉のconcertではどうなることでしょうかね???  それはそうと、こう言う事を書くと、私達の演奏がperiod、所謂、baroqueや古典派の時代に限られているように、見受けられてしまいそうですね??  そういった演奏活動とは別に、ロマン派から、近現代迄のsoloやensembleの演奏活動も続けていたのですよ。但し、Classicに限る・・という、厳密な制約で仕事を引き受けていたのです。当時は先生達も若かったので、生徒達を指導しながらの、演奏活動も無理なくこなしていましたよ。教室から、教室の先生になって、10年以上も演奏活動を続けていたのですが、私の突然の入院や、先生達の結婚、出産等々で、教室に残った先生に指導上の負担がとても大変になってしまい、やむなく、演奏活動の休止になったのですが、教育という名目に託けて生徒達と一緒に、癌センターや大崎、溝の口での、ボランティアの活動は、休止する事なく続けてはいましたよ。それが、次の八千代につながって行きます。

10月20日 4:26

10年以上も続いたbaroqueのconcertでしたが、私の突然の入院や、先生達の結婚出産等々の指導者の不足の事もあって、教室の存続に関する経営上の問題も起こって、それ以降、先生達の演奏活動は、すっかりと、ポシャってしまいました。(教室としては、教室外の一般音楽大学の出身の先生を雇う事もやぶさかではないのですが、教室の方針と音大生達の考え方の根本的な違いや、指導者、演奏者としての実力不足で、部外の人を雇う事は、出来ないのですよ。だって、日本の有名な音楽大学を卒業して、洋々と教室を訪れて、子供達と一緒にオケ練習を体験して、小学1年生のちびちゃんに「そんな簡単な曲の初見も出来ないの??」と言われてしまっては、次に教室に来るだけの勇気は無いわよ・・・な?? 教室と一般の音楽大学の水準の違いなのですよ。) 細々と、ボランティアの活動や対外出演は生徒達と一緒に続けていたのですが、period奏法としての研究の演奏活動としてのconcertは、その後の、冠動脈の手術のための再入院とバイパスの手術等々で、すっかりとお座なりになってしまいました。

10月20日 5:11

子供達を含めて、演奏活動を何故するのか??と質問をされたことがあります。音楽大学等で学んでいると、音楽を勉強する事は音楽の技術を学んでいる・・という事と勘違いされてしまいます。必死に、先生の言う通りに技術を学ぶと、その延長線上に演奏家としての未来が有る!と言った誤解です。音楽は自己表現なのです。自己表現は対象があって、その人達に語り掛ける事で、始めて学ぶ事が出来ます。一回でも多く、人の前で演奏する事が、上達の一番の早道、所謂、王道となるのです。
10月20日 4:32


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10月20日 ・

「David版のTommaso Vitaliのchaconneと、baroque‐versionの楽譜のお話」
baroque-concertのprogramの中の「Vitaliのchaconne」のお話です。
 皆さんが知っている「Vitaliのchaconne」は、実は、Ferdinand Davidという人のarrangeによる作品なので、実は「Tommaso Vitaliの作品」というよりは、「Davidの擬古典の作品」という事になります。
 You Tube等々で、探してみても、総ての演奏がFerdinand Davidの版による演奏で、originalの古楽器によるbaroqueの演奏は一つもありませんでした。
 また、2,3冊のDavid以外の人(Charier版等)の校訂の版も出版されているのですが、総てDavid版を底本にしているので、擬古典としての楽譜になっているので、You Tube同様に、periodとして演奏する楽譜には、なっていないので、period奏法用の楽譜は、全く出版されていませんでした。※)
 
 Tommaso Vitaliの直筆譜と思われる(・・というのは、Attributed toと書かれているので・・ネ??)楽譜が、Leipzigの図書館にあって、昔々、そのfacsimile版が発売されたので、早速、購入しました。10年以上も前の事です。(私は「作曲家の直筆楽譜」を集めるのが趣味なので、ハイツの自宅には、Bachの直筆譜や、多くの作曲家達の直筆譜、或いは「Stravinskyの春の祭典」のsketch等の貴重な楽譜が大量にあります。)
(唯一、Leipzigの図書館のoriginalのfacsimileを音符に直した譜面が出ていたのですが、それはviolinとbasso continuoのcelloの楽譜のみのCembalo譜が書かれていない2段譜で、その楽譜で直接演奏をするのは無理な話でした。
 ・・という事で、今回のbaroque‐concertの演奏のためには、「楽譜起こし」から始めなければならなかったのですが、直接、facsimile譜から、楽譜を起こすのは、判読不能な箇所が多く、既に校訂者が判読して、印刷の楽譜にしてあるoriginalの譜面(勿論、2段譜のままなのですが・・)を手に入れて、今日(10月の19日の水曜日に・・)斉藤先生のbaroque‐violinと牧野先生のbaroque‐celloと私のCembaloの初見で、初練習(初合わせ)をしました。勿論、そのviolinのpartとcelloのpartだけが書かれた二段の bezifferten Basの譜面でCembaloのpartを弾いて・・、という事です。
ところが、Cembaloの右手のpartは bezifferten Bas(数字付き低音)の数字に從って、Cembaloの演奏を始めたのですが、楽譜上に書かれている色々な間違いの多さ!!に・・、特に bezifferten Bas(数字付き低音)の和音を表す数字の間違いが多くて、殆ど、小節毎に和音の訂正をしながら演奏しなければならなくって、全く、練習にならなくって、弾き通す事が出来ませんでした。
 ・・・という事で、急遽、Vitaliの練習は中止にして、その場で、斉藤先生にmelodieのpartを弾いて貰いながら、小一時間掛かって、楽譜に間違いの箇所に赤入れをしました。
(下に赤入れ途中の楽譜を掲載して起きました。総てのPageがこのように、赤入れされてしまいました。)
 ・・ここまで来ると、もう校訂の領域やkritikの段階ではないよな?? 
 私もこの歳になるまで、色々な楽譜を見てきましたが、ここまで間違いだらけの譜面は見た事がありません。
 この楽譜を底本にして、Cembalo譜を作り上げscoreを作り上げるのは不可能な事です。
当然、scoreとして、楽譜を出版するのは不可能なことです。
それで、楽譜が出版されていなかったり、periodの演奏が一つも無かった一番の理由ですよね??
 という事で、「無いものは作ろう!」という私の人生哲学の通りに、今作業途中の「Handelのsarabandeのperiod‐version」をハイツの自宅に戻ってから、大急ぎで仕上げて、その作業のまま、朝まで掛かって、半徹夜でchaconneのoriginal-versionの楽譜の作成に取り掛かった所です。
 思いの外、finaleに音符を入力する作業に手間取って、2日掛かりの作業となってしまいました。
 私が余りにも大変そうにしているので、斉藤先生が「finaleの入力だけなら、手伝ってあげる」と言ってくれたのですが、・・・でも、私のfinaleの入力の作業は、楽譜上に書かれている bezifferten Bas(数字付き低音の)数字の間違いを探して、正しい音符(数字)に直す所からなので、そこの所は専門的な知識を要するので、誰にも手伝っては貰えません。
  bezifferten Bas(数字付き低音)の数字が、もしも正しい数字で書かれていたとすれば、その数字を実際の音符に直す作業、所謂、「楽譜起こし」の作業は、単純作業になるので、私にとっては、Cembaloをcello譜を見ながら即興で演奏した方が数倍早い、退屈で面倒くさい作業になるのですよ。
  bezifferten Basの数字が、正しく書かれていた場合には、右手のpartを音符に書き起こす作業は、上級生の生徒達に数字譜をCembalo用に、Realisation(楽譜起こし)を、させた方が勉強になって良いのですが、今回はbaroque‐concertの日にちが迫っていて、timelimitが直ぐそこなので、生徒達に書かせるだけの時間のゆとりがありません。11月の23日が、baroque‐concertの本番の日までに作りあげるのではなく、それまでにensembleの練習をしなければならないので、今更、楽譜を作る作業に時間的な余裕は無いからです。
 という事で、音符起こしの単純作業ですら、私自身の手でしなければなりませんでした。
 折角、私が労力を費やさなければならないのならば、楽譜に訂正する理由や、何故、そう訂正するのか?という方法論のlectureを、しっかりと書いておけば、演奏する人達の参考にもなるし、・・という事で、kritikを楽譜上に書き込んで起きました。
 
このkritikの文章の入った楽譜は、実際の演奏に使用するには、向きませんが、finaleというソフトでは、「書き込まれた文章を削除する」のは一瞬なのですから、その書き込みのあるscoreと無いscoreの2冊のscoreを作って保存しておけば、良いだけなのだからね。

 前にもお話をしましたが、日本の音楽大学でもCembalo科のclassがある学校は、随分多くなって来たように見受けられます。 
でも、Cembalo科のlessonの内容としては、baroque音楽の勉強としては、Pianoでやっていたlessonの延長線上のままに、Pianoで楽譜を練習して行き、それをCembaloでlessonして貰う・・というだけのありきたりのlessonなのです。
 でも、「Cembaloを弾く」・・という事と、「Cembalo奏者である」という事は、全く別の次元のお話になります。
 Cembalo奏者である条件では、Cembalo譜のmelodieにornament(装飾)を入れて演奏したり、即興でepisodeを弾いたりしなければなりません。 
 もっと、専門的に要求するのならば、 bezifferten Basのcello譜を見て、即興で右手のpartを演奏出来なければならないのです。
 つまり、Cembaloを演奏するだけならば、Pianoが弾ければ、基本的には(Cembaloのtouchの事などを厳密に言わなければ・・)誰でも演奏する事が出来ますが、私達が普段period奏法として演奏している曲の楽譜は、専門の人達が弾く楽譜として出版されているので、 bezifferten Basの右手のpartは、参考までに・・という意味でしか、書かれていないのです。つまり、殆どのproのCembalist達は、右手のpartが書かれている譜面であったとしても、その右手のpartは参考程度にして、即興でその右手を演奏していくのです。
 つまり、その楽譜を見ながら、和音や音符を補填、補充して演奏しなければならないのです。
しかし、日本の音楽大学のCembaloのclassで、そういった指導がなされる事はありません。では日本では、何故そういったCembalo奏法の技術を指導しないのでしょうか??
 それは、装飾や即興の技術に関して、日本の音楽家達には間違えた理解があるからです。その顕著な言葉をnetで見つけました。それは「即興やornamentの技術は、神から与えられた能力であり才能なのだ!」という一文です。
 つまり、日本の音楽家達は即興やornamentをinspirationや、感覚的、情緒的に付ける・・ものである・・と、思い込んでいて、学習し、学び取る事が出来るものである・・とは考えないからなのです。

 話をチョッと元に戻して、・・・・
また、日本人の指導者達は装飾音が出て来たら、非常に素早く鋭く演奏させる傾向があります。この勘違いも、多くのPianoの指導者達が、普通に信じて疑わなく指導しているのですが、その間違いの演奏法がどこから来たのか、理解不能な事で・・
・・これも、考えられない日本独自の、勘違いです。
 実際には、trill一つ取っても、非常に多くの奏法があり、楽譜を解釈する時に、その曲の演奏に合わせて、ornamentの種類や速度等を選ばなければなりません。
 私が子供達にlessonをする場合には、一番最初のbaroqueの音楽である、「Bachのinvention(!)」※)を子供達に教える段階で、書かれているtrillに、accentを表すtrillや、弱拍を表すtrill等を蛍光ペンで色分けさせ、そのように、trillの奏き分けをさせます。
※)Bachのinventionは、殆どのPianoの指導者達は、一般の教育教材であるかのように錯覚して、Pianoの指導教則本としての指導をしています。そのinventionが、Bachの手により、baroque時代に書かれた作品である‥・という事は、何処かに置き忘れたままで・・ネ??
 
確かに、即興でepisodeを入れたり、eingangを演奏するのは、ある程度の、才能、能力は必用なのかも知れませんが、普通にbaroqueやrococoを演奏する時には、装飾音の一覧に書かれている記号を譜面のその表現に必用な部分に貼り付けるだけで、充分なbaroqueやrococoの演奏表現が出来るようになります。
 その一例として、ひとつの教科書(template)として、その当時に課題として勉強をさせていた、baroqueの室内楽であるHennry purcellのtriosonateのg molには、一切の即興やepisodeの類は入れないで、必用な場所に必用なarticulationを、ornamentを書き加えるだけで、表現させて演奏させています。
たったそれだけの事で、立派なbaroque音楽の演奏になからですよ。不思議な事に・・ね??
https://www.youtube.com/watch?v=25FKdc-KuPs

You TubeにuploadしているこのHennry purcellのtriosonate g mollの曲は、勉強している弟子達のために、一切、情緒的感情的な装飾やepisode等々を入れないで、演奏表現が必用な所にそのornamentの記号だけを付け加えて、arrangeしたものなのです。
のっぺら坊の裸の旋律が古式豊かなbaroqueの演奏に聴こえて来るので、不思議なものです。
つまり、それだけの知識を持つだけで充分なのですよ。

それはそうと、改めて、1年半ぶりに、You TubeにupしてあるHennry purcellの動画を見たのだが、パソコンの画面上の動画を、パソコンの操作だけで画面をつなぎ合わせて動画の編集ソフトで作ったのだが、編集ソフトが余りにもヘボくて、画面上の楽譜のPageが切り替わる毎に、動画の画面がブチッ!と切れて、間に緑のnoise画面が入って来て、非常に目障りで公開するには、余りにも良くない。
パソコンに入っているソフトを使用して、画面上だけで編集をしようとしたのが、良くなくて、結局、パソコンのソフト間のendlessの作業の「どつぼ」にはまってしまった?
それだけなら、まだ良いとしても、finaleでtempoを設定する時に、何を焦り捲っていたのか、ゆっくりしたtempoの設定は良いのだが、早い部分のtempoの設定が焦りまくっていて、苛ついた情緒が丸出しだ?
やはり、uploadされた動画を削除して、新たに同じ動画を作り直さなければならないのかも知れないが、simple is Best?で、変なパソコンのソフトを使用しないで、単純にパソコンで再生しているfinaleの画面をそのままvideocameraで録画すれば、何も起こらなかったのだよ??

(気を取り直して、次の日の早朝、22日の朝早くにfinaleのtempoの設定の変更をしました。これで、パソコンの苛ついた演奏はなくなると思います。でも、この演奏を動画に反映させるには、元のURLが死んでしまうのよね。動画の差し替えは、基本的に出来ないのよネ。)

 You Tubeにuploadされている、このパソコンによる動画の映像は15年の5月27日と31日に二つuploadしました。但し、5月の27日の分の動画はYou Tubeの方は削除したので、Facebookでだけ、見る事が出来ます。その他に実は10月の発表会でも、このHennry purcellのchaconneを「baroqueの室内楽の部」として演奏しています、がその方が生の音なのですが、その演奏はuploadしていません。
 この時の発表会でのこの曲の課題は、生徒達の「period奏法への初めての試み」であり、私のperiod奏法の生徒達への指導、lectureである。 勿論、斉藤先生、牧野先生の先生達は、これまで何度もperiod instrumentsでの公開演奏をしているので、演奏上の点では、何の問題も無いのだが、生徒達にとっては、period奏法でbaroqueの楽器で演奏するのは、始めての経験なので、やはり相当難しい事なので、発表会での演奏に関しては、period奏法の技術が未だに未熟なので、公開するだけのNiveauに達していない‥・という事で、動画のuploadはしなかったのだが、改めて聴いて見ると、音が汚いのは寧ろ、反省会用の圧縮された音源のせいだと思われるので、正しい録音をこれから聴いて見て、音的に問題がなければ、パソコンの音源よりも、マシなので、動画を差し替えようかな?と思っている所です。(ここのコメントは16年の10月の22日のお話です。)

 日本の自称Cembalo奏者の人達には、そのornamentを付けたり、episodeを加えたりするための技術を持っている人はいません。つまり、音楽大学では、そういった高度な技術指導して貰ったり、学んだりする事は無いからです。音楽大学の先生達がその技術を持ち合わせていないからです。(美紀先生は、教室の演奏活動をしている時に、必然的にその技術を、私からうるさくlectureされているので、「ここの所は32分音符のepisodeを入れて・・!」とか言うだけで、そのように即興で演奏出来ますがね。)

つまり、ornamentを付けたり、即興をする事は、一般で言われているように、天与の才能は、必用ありません。ornamentの意味を知り、楽譜上で、その必用なornamentの種類や場所を理解出来れば良いだけなので、教室の中学生でも、その程度は出来るようになります。(勿論、ちゃんと、Cembaloのlessonを受ければ‥・という事が、最低の条件ではありますが・・。)
 
  ※)「以下の文章は10月29日に差し込みをした新しい文章です。」
 《・・・・「全く出版されていない!」・と思ったのは、私の勘違いでした。
10月20日のFacebookにuploadした後で、
「Vitaliのoriginal‐versionが出版されていない・・というのは絶対におかしい!」と思い直して、私が探している検索条件を変更して、探し直す事にして見ました。
つまり、以前、私が書いたように、「Vitaliのchaconneの手書き譜」は直筆とは思えないという私の仮定を正しいとした前提で考え直して見ると、もし、図書館にあるVitaliの原譜が、「写本」だったら、UrtextというTitleは使用出来ないし、originalというTitleも使用する事が出来ません。
 
それなら、
「出版社はどのように、楽譜を出版するのか?」・・という事に留意して、どのように探したら、periodの譜面を探す事が出来るのか??という事を考えました。 

 「伴奏のpart」を「伴奏」として書いてあるのは、間違いなくDavid版なので最初から省いて、Piano伴奏と書いてあるのも、勿論、David版です。

それならば、「violin e basso continuo」とか、「Realisation・・云々」と書いてある楽譜に限定して探して見ると良い‥・という事で、改めて探し直したら、あったのよね!!これが・・・!!
 それがRicordi版と、Barenreiterのarchive版です。

 早速、その楽譜を取り寄せて、昨日(28日に)手に入った所です。
 ・・今日中には、checkを開始します。
 その版を、先に手に入れる事が出来たら、「Ashizuka‐version」は、作る必用がなかったのでは??・・と、先生に言われてしまったのですが、実は、そうでもないのよね??
 
 未だ、昨日の深夜に、ホンの一、二分だけ、楽譜をチョイ見せして貰ったばかりの段階なのですが、それでも、既に、Ricordi版もBarenreiter版も、帯襷なのよね!!
 伴奏譜やviolinのmelodieも含めて、まだ水準(Niveau)には達してはいないのですよ。
そこに、Ashizuka-versionを作った意味があります。 》

二分の三拍子!
初めて見ました!
いいね! ・ 返信 ・ 10月20日 6:37


キリスト教の世界観では、三位一体の三の数字が完全な調和を表す数なので、完全を表す円は、3拍子を意味します。
ですから、ヨーロッパの人達にとっては、3拍子の方が身近な拍子になります。二拍子は、「不完全な・・」とか、「欠けた」拍子である・と言って、円を欠かしてCのカタチにして4分の4拍子を表しました。更に、欠けたCに更に縦線を入れて、2分の2拍子を表したのですよ。 
Beethovenの英雄Symphonieとか、Mozartの魔笛の最初では、Es Dur(♭が3つ付く調性で、Cの音からから数えて3番目の音であるEsの和音)を、しかも3回鳴らして、天上世界や神の世界を表現します。

ですから、baroqueや古典の作曲家達に取っては(というよりもヨーロッパの民族に取っては)、基本の拍子は3拍子なのですよ。

日本の民族音楽の歴史の中では、3拍子は一つも登場しません。日本民族が3拍子を感じるのが弱い所の由縁です。芦塚メトードで子供達を指導する時には、拍子感を身に付けるために、基本のdanceのstepを教えます。
(danceのstepであって、danceを教える分けでは無いのですよ。私はdanceは出来ないのでね?)

基本的に、2拍子のdanceは、マーチのように、直線運動で、所謂、3拍子の舞曲は回旋運動になります。

それはstepから来る原則なのです。1で軸足を取って、2,3と回転するのですよ。だから、ウィンナー・ワルツのように、stepが端折って聞こえるのです。PolonaiseやMazurkaのような、舞曲のrhythmを覚えると、とても楽しいですよ!!Pianoを演奏しているのに、自分が踊っているような気分になれますからね??  

以前、智子ちゃんにPolonaiseのrhythmを教えるのに、自治会館で、バレーダンサーがPolonaiseを踊る時にする「ジャンプをして空中で足を3,4回交差させる」のをやって見せたら、「え〜ッ、踊れるんだ??」と、ビックリしていました。
でも、1回のstepだけで、もう青息吐息なのですがね??
balletで見ているので、stepだけは覚えているので、再現は出来ます。
1回だけならばね??
10月28日 21:09


楽器はモダンになってしまいますがオリジナル版弾いてみたいです。
10月20日 9:06


今私が作業しているCembalo譜のRealisationは、美紀さんがCembaloの即興で演奏が出来るので、私の「譜面お越し」は、一番単純な形の面白くも可笑しくも、何もない数学的で単純なRealisation譜で、和音が聞き取り易いようにorgelのpartで書いています。※)
baroque音楽では、皆と合わせる過程で、
「ああでもない!こうでもない!!」と、面白可笑しく作り上げて行くのですが、そのaboutさがなんとも、楽しいのですよ!!
そこの所はjazzのセッションと似ているかな?? 同じ演奏は二度と出来ない!!
そんな感じの譜面で良かったら、出来上がったら譜面を差し上げますのでよ、是非、どこかで演奏してください。You Tubeには皆無なので、面白いですよ!!
勿論、楽器はmodernでも、CembaloではなくPianoでも良いと思いますよ。
10月21日 15:45
※)・・・と思っていたのですが、ついついornamentやfigurationのepisode迄もかいてしまいました。ついついの悪い癖ですよね。




折角、Tommaso VitaliのchaconneのAshizuka-versionを作り終わった後の事なのですが、Vitaliのchaconneの出版カタログの楽譜を片っ端から調べて見たら、violin&basso continuoの譜面がRicordi版とBarenreiter のarchiveの部門で出版されているのが分かったので、早速手に入れました。この楽譜が出版されているのなら、私がkritik‐Ausgabeを作る事も無かったのに、・・と思ったのだけど、やっぱり、色々と解釈の違いや、Realisationの違い等々、色々と微妙で、やはり、面倒くさかったけれど、結果としては、自分で校訂していて良かったと思いました。 
でも、一般的には、通常のchaconneのbaroque‐versionとして、演奏する時には、二つの校訂を見比べて,良いとこ取りをすれば、それで充分なのではないか??・・と思いました。
この2冊を探し出せなかった理由は、2冊とも、「original‐Ausgabe」とか、「Urtext‐Ausgabe」という文言が入っていません。つまり、originalの底本にされている楽譜が、Vitaliの直筆である・・というよりも、写本の可能性の方が高いので、Urtextという肩書が入らなかったので、私が探せなかったのですよ。  

でも、絶対に、Realisationされた楽譜があるはずだと思って、楽譜のTitleに「violin&basso continuo」という言葉が入っているのならば、所謂、数字付き低音のRealisation譜なので、原典に近い版である・・と推論して、改めて、楽譜を探してみたら、この2冊をピックアップする事が出来ました。 

私のversionは、kritikだけで、basso continuoの数字のRealisationの譜面はなるべく単純に、数学的に書いていますが、他の2冊は、売るための演奏譜として、音の動きを留意して書かれているので、2冊を比べて見ると、passageによって、どちらの方が良いのかは、それぞれで、判断に苦しむ所です。 
それに伴奏がCembaloでなく、orgelの場合でしたら、私のsimple is bestのversionの方がより良いかも知れませんが、反対にCembaloで伴奏する場合には、勿論、物足りないと思いますよ。※)
10月29日 1:31
※)さや堂のbaroque‐concertでの演奏を想定して書いているので、「simple is the best」のorgel-versionは諦めて(却下して)、Cembalo-versionにrenewalしてしまいました。


今日は10月30日(日曜日)の早朝の3時半です。昨夜の土曜日の夜は、すっかり、気分が悪くなって、食事もしないで、ハイツに帰って来て、総てそのままにして、布団に潜り込んで、今起き出して、荷物の整理を始めた所です。ついでに、手に入れたTommaso VitaliのchaconneのRealisationの譜面を見ている所なのですが、これがまた、超、酷い!Ricordi版の方は、有名な指揮者であり、昨年亡くなったClaudio Abbadoのお父さんであり、高名なviolinistでもあるMichelangelo Abbadoの校訂した版なのですが、これがやはり、一昔前の、Realisationで、和声法の原理を良く知っていないズブの素人のarrangeなのだよね??
BachやHandelなら絶対にしない和音進行を平気でしているのよね?
こりゃ〜、問題外だよな・・・?? 
Barenreiter版は、Archivだけあって、妙な演奏効果を求めないで、和声進行は未だマシなのだが、 bezifferten Basを、勝手に書き換えているのよね??
ホンと帯襷なのよね??
困ったものだ!!
Ricordi版が間違いだらけなのは昔から、誰もが周知の事実だが、Barenreiter版 ですら、勝手な解釈をするのは、幾ら底本が写本であったとして、その数字が信用が於けないとしても、許せない。
10月30日 4:06


今日は10月21日(20日の夜という事)の深夜3時半です。間違いだらけのVitaliのchaconneの楽譜の訂正と bezifferten BasのRealisationが終わって、kritik‐Ausgabeの出来上がりですぞよ!!
さて、今から、orgelの音源で聴きながらwineでも飲んで「独り祝杯」でも上げるか???
蛇足ですが、勿論この動画はYou Tubeには公開していません。
このFacebookだけで閲覧出来る閲覧限定です。
10月21日 15:00

Tomaso Antonio Vitaliのchaconneは、こんにちではFerdinand Davidの作品である事を疑う人はいません。[Davidは、かの有名なviolinistで、作曲家でもあるシュポア‐とハウプトマンに師事して、頭角を表した演奏家であり、Leipzigに在住し、Leipzigの音楽院で教鞭を取っていて、Mendelssohnのviolinconcerto e mollの初演をした人でもあり、e mollのconcertoの作曲に関しても、Mendelssohnへ多くの助言をした人でもありました。

・・と、言うことでLeipzigの図書館で、Vitaliのoriginalの楽譜を発見して、Pianoの伴奏を付けて、この曲を世に広めた人です。
・・ですから、今回のfacsimile版はDavidが曲を作る時に、底本にした楽譜であると思われます。]  

しかし、このfacsimileの楽譜が、Tommaso Vitaliの直筆のoriginalの楽譜であると言う事は、にわかには信じ難いものがあります。 その主な理由は、曲の和音を示している bezifferten Basの数字が、余りにも間違いだらけであるだけではなく、melodieのpartも、、間違えて書かれている場所が多過ぎるからです。
つまり、作曲家自身が書いた譜面ならば、そんな間違いは絶対にしないのよね!!  

書き間違いの意味ですが、別にチョッとしたmelodieの書き損じ・・と言う意味ではなく、明らかに素人の書いたような、音符の読めない人が一生懸命に書いたような、有り得ない必然性のない音符の間違い・・それは、調性のなかではmelodieの体を成さないと言った明らかな間違いの箇所・・が数多く見受けられるからです。 

それはそうとしても、音符はとても書き慣れている人の手によるようです。あたかも、Bachの筆跡よりも、更に美しく繊細な筆跡であり、Bachと寸分違わない筆跡の、Bachの奥さんであるAnna Magdalenaの写本を思い起こさせます。 
当時は、コピー機も写真も無かったし、印刷するにも、作曲家自身の手で、銅板を削って音符を書き込んだ大変な作業だったからです。一般的には、殆どの楽譜が広がって行く場合には、曲はその曲を欲しい人自らが、手で書き写して広がって行ったのです。だから、当時に書かれた楽譜であったとしても、作曲家自らの手で書かれたものである、可能性は低いのです。

とう言う前提の元で、Leipzigの図書館に書き添えられている「Attributed to・・」の文字が意味を持って来るのです。 originalではないにしても、Vitaliの家族が書いたのか、弟子を含めた親しい人が書いたのか?それともフアンの人が、一生懸命に書いた写本であるのかも知れない・・という、可能性の方が大きい・・と私は、思っています。 尤も、こんな事を言ってしまうと、学者先生達に怒られてしまいそうですがね。

・・・でもこれは、作曲家としての、冷静な立場での見解です。
10月23日 1:50

枕草子なども、広く写本されたようですものね。
手書きで楽譜・・・す、すごいですね!!!
10月21日 22:01


先程のHennry purcellのtriosonateのg mollの装飾音の有る無しの違いを、動画にしました。
finaleでは、装飾音は、その速度まではcontrol出来ません。
ですから、装飾音は演奏譜として、実音で書き込まなければなりません。
今回はそこまでの作業はしていません。あくまで、装飾音の有る場合と無い場合の違いだけです。
10月22日 18:36

上記に書いたbaroqueの音楽に、装飾を入れる方法論のlectureを実際の演奏にしたものです。
つまり、課題はbaroqueの装飾法の勉強です。

trill一つでも、accentを表す早いtrill、弱拍や抜きを表す遅いtrill、音を持続させるための長いtrillや、vibratoを表すtrill、crescendoを表す速度の変化するtrillや、decrescendoを表すtrillの速度を遅くしていくtrill等、数えれば限がありません。そう言った基本の装飾記号の勉強でもあります。 

下のURLは、2015年10月の11日の千葉の秋の発表会でのbaroqueの演奏の光景で、梨紗さん、智子さんがperiod奏法に初挑戦している所です。
何が難しいか?と言うと、絶対音感を持っている二人に取っての、418cycleのbaroque‐pitchでしょうかね??だって、書かれている音符よりも半音低い音が出て来るのですからね。
昔、I Musiciの演奏を聞いた私の弟子が、Vivaldiの春が半音低いと言って、顔を歪めていました。慣れる迄には、それ相応に大変らしいですよ。 

それに古典調律のmeantoneの調律では、A♭の音がWolf-ton になるので、その音を純正調でハモらせるためには、微妙に音のpitchをずらしながら取らなければなりません。

violinにフレットが付いていないのはそれが理由なのです。正しい純正のpitchを和音毎に取って行くのは、とても難しい技術なのですよ。 

 https://www.youtube.com/watch?v=ki0_xW2WRjU

15年10月11日
purcell triosonate chaconne g moll
10月28日 20:42


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10月24日 ・
Happy Birthday dear Yoji???
て、SRちゃんのママが唄おうとしていました、昨日??良い宴でしたね!
おめでとうございます????

有難うございました。
マイボトルを持って行かなかったのは残念ですが、結構、飲んでしまいました。happyBirthdayのPianoquintettoは、中々、良い出来ですね〜ぇ??業務用に売れそうだな??Quartettじゃないから、やっぱり売れないか??本当は今日が舞・happyBirthdayですけれどね??
10月24日 15:45

いい出来ですよね^_^
酔っ払って弾いてますからご容赦ください(@ ̄ρ ̄@)!!



10月24日 18:11

いや〜あ、まるで誕生パーティのようですね??
発表会の打ち上げだったのでは・・・??
10月24日 18:27


お誕生日御目出とうございます?
これからの1年が佳きとしでありますように
10月24日 19:27

有難うございます。
10月24日 21:39



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10月25日 ・

「どういう分けか、反省会は私の誕生日の前日でした。‥・という事と、古典調律のお話」
誕生日の事はナイショにしていた分けではなく‥・というよりも、本人もすっかり忘れていたのですが、(免許の更新とか、何だかんだ、誕生日にかこつけた雑用が嫌と言う程あって、結構、無理をする事が多かったので・・それ等のヒチ面倒くさい仕事が終わってしまうと誕生日も終わった気がしてしまいました。)反省会で、突然の、happyBirthdayの演奏と、ケーキのロウソクには、すっかり、照れてしまいました。皆様、どうも有難うございました。生徒さん達もね??それと、これは生徒さん達にはナイショですが、何時もの通りにチョッと飲み過ぎてしまいました。
でも、ナイショと言うか、その子供達も、その場にいたのよね!!バレバレか???アハッ!
 
・・・という事で発表会の反省会の写真と誕生日のhappyBirthdayの風景と、ついでに、誕生日のケーキも写真を掲載しておきました。
https://www.youtube.com/watch?v=POcjlSwcPQg
  
 ‥・という事で、今日は、アッという間に、一日飛んで、誕生日の次の日になった所です。
 何故??「一日飛んだか??」と言うと、日曜日の次の日の誕生日の月曜日は、すっかり丸々と一日中、鬱が酷くて、体調もすぐれないので、すっかりと、寝込んでしまって、殆ど仕事らしい仕事もしないままに、日がな一日過ごしてしまったからです。

その日に出来た仕事と言ったら、発表会のvideoのcheckが少し(disc 3枚の内の1枚だけ・・)と、発表会前から、片付けられなくなっていた部屋の整理が少し出来た所だけだったからです。
 
後の夕方は、食事に椎名町に行ったついでに、baroque‐concertで使用する古典調律を決める作業を、椎名町の事務所に置いてあるRolandの電子Cembaloで音出しして探したりしました。
それが結構、難しいのですよネ。
 
古典調律には、基本的にWerckmeisterや、Kirnberger等の調律とmeantoneによる調律、VallottiとYoungの調律が有名です。
 
先ず、baroque‐concertで演奏する曲の総ての調性を出して、それに一番liskの少ない調律を探し出します。
 それから当日演奏するmodern‐pitchの曲の調性を、slide鍵盤で半音上げて確認をして、その中でbestな調性ではなく・・・、演奏可能な調性を探して、無けりゃあ、そりゃあ、もう平均律で調律するしかないのですよ。アハッ!

単純な話ですが、meantoneの場合を一例にしてお話すると、meantoneの場合には、Wolf-ton となる音をE♭とA♭に決めています。しかし、一番良く使用するa mollのX度のdominanteの和音は、E、G#、Hの和音なので、当然、G#が入って来るので、あまり良い調律であるとは言えません。また、meantoneでは、A♭に調律する方法とG#に調律する方法があります。この辺になると、netで調べても、実用的に解説をしている本や投稿はありません。
日本ではまだまだの分野なのでね。
 
・・という事で、これから先は、何時もの如くに私の手前味噌です。ハイ!
 
・・・しかし、baroque調律では、皺寄せになる音が決まっているので、逆にその和音を、演奏する和音の一覧から省くように、調律の基準pitchを変えて調律する方法がある・・と思うのですが、流石に、こんにちまで、その方法を試した人はいないようです。
予め、使用出来ない和音の一覧を出して、その使用出来ない和音を、私の作った五度圏の時計の時間軸からずらして、基準音が何の音になるのか??を出して、その基準音で調律すれば良いのですよ。和音が色々とあるようならば、私の21時の時計を使えばより完璧に、Wolf-ton の入った和音を避ける事が出来ますがね??
「今回のbaroque‐concertでも、その基準音をA以外の音で調律する方法で調律を・・??」
 
とんでもない!!誰が、そんな、ヒチ面倒くさい事、やる分けはないでしょうが・・?? 
それに、私の高校生の時の時代では、数列は学ばなかったのでね??
時計の1個目の文字盤なのですが、C⇒C#⇒D♭⇒Dとなっていますが、古典調律では#と♭ではpitchが違うので、こういった文字盤になっています。
参考までに、pitchのcycleの一覧表を掲載しておきます。
2個目の文字盤は12時の所にAが来ていますが、基準音がAなので、Aを0時として考えるからです。こういった文字盤はnetでは見つからないので、私がパソコンで作った文字盤です。

何故、見つからないのか??・・・・という意味は、五度圏の文字盤まではあるのですが、それはあくまで楽典の調性のためであって、古典調律のための表ではないからです。
9月10日のコメントに詳しく書いているので、そちらを参考にしてください。



日曜日の反省会の次の日の月曜日は、すっかり寝込んでしまって何も出来ないままにその日一日が飛んでしまった・・というお話でしたが、何も出来ない日がその次の火曜日はもっと寝込みが酷くて、部屋の中での作業であるパソコンの作業すら、何一つ出来ないままに、一日が飛んでしまいました。
やっと、ベッドから起き出したら、もう次の次の日の水曜日の深夜の1時過ぎになっていました。
これは、超ショックですよね。マジ二日寝込んでしまった!・・と言う事ですよ!!

発表会から帰って来たままの状態で、後始末をしないままになっているのですがね?? 

昨日と言うか、昨夜・・というか、昨日の夕方から夜に掛けて・・、椎名町にドル守りに行こうと思って、雨が酷いし、超、寒いので、押入れから出して準備をしたダウンのジャケットが、そのまま椅子の上に置かれているし、後は・・??  ・・後は、・・・独居老人の一人暮らしにしては、そんなに部屋の中は荒れてはいないか・・??
10月26日 7:53



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10月26日 22:32 ・

「腰痛を我慢しながらのパソコン作業だったのに・・パソコンが」
今日、もう水曜日なのですが、朝、起きてからも、坐骨神経痛が酷くて、右足がすっかりと痺れたままで、椅子に座る事もままならない状態だったのですが、放ったらかしになっている教室のホームページが気になって仕方がないので、トップページのリニューアルと、今回の発表会のページのリニューアルを始めました。
 
取り敢えずは、発表会当日の写真が、業者の方から椎名町に届いたので、その中の写真を選びながらホームページ用にトリミングをして、発表会のページに貼り付ける作業をしていたのですが、どうした弾みか、突然、ホームページビルダーがぶっ飛んでしまって、それまでのコツコツの作業が全部無くなってしまいました。発表会の前に公開していた古いページに戻ってしまったのです。
 
つまり、それまでの作業を、保存していなかったのよね。だから、それ迄の作業が丸々と全部ぶっ飛んだのよね〜ぇ!! 
 
腰は痛いし、鬱は酷いし・・、ロキソニンは効かなくなってしまうし・・、すっかりと、やる気を亡くしてしまいました。
 
生徒達には「いちにちなさざれば一日食わず」とか言いながら、痛いのを辛抱しながらの、今日一日の仕事が何も「なさざる事」になってしまったのよね!!ショック!!
 
という事で、やる気が出なくなってしまったのですよ??
 
やる気の失せたままに、パソコンのまえに座ったままで、意識がないまま、(つまり、茫然自失って事なのかな??)時間だけが過ぎ去ってしまったので、我に帰って、慌ててベッドに入って安静にしていたのですが、一休みしてから、改めて、気を取り直して、またホームページに再チャレンジし直している所です!!
 
 私のパソコンの操作上の単純なミスなのかな??と思っていたら、フェイスブックか、他のソフトを閉じる時に、ホームページビルダーが、一緒に閉じてしまう状態が何度か、再現されました。


これまでには、無かったパソコンの現象なのですので、私的には、理解に苦しみますが、直接的には、それがホームページの作業をぶっ飛ばした原因のようです。

 何のページを閉じると、一緒にホームページビルダーが閉じるのかは、今の所、良く分からないのですが、多分、グーグルか、クロムの影響ではないか?と思っています。
その状況を再現出来ないのですが、多分、写真のfileを開いたり、色々なページを開いたままにして、作業をしているので、何らかのパソコンのbugなのでしょうね。

今までは、そんな事は一度も無かったのに、パソコンは勝手に色々と変化していくので、困ったものです。
そう言えば、セキュリティ0で「ランサムウェアに感染した」と毎回出てくるのは、ソフトのbugらしいのだが、いつの間にか出なくなっているよね!やっと、修正したのかな?・・善哉善哉!!



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10月27日 4:26 ・

「homepageが長い間、更新されていなかったので、教室が潰れたのか?と思った・・という話に対しての弁解」
homepageに関してのお話は、・・全くの偶然と言うか、synchronicityというか??・・随分長い事、ホームページをおざなりにしたままだったので、気にはなっていたので、このお話を聞く、2,3日前から、大急ぎで発表会のPageだけでも、取り掛かろう・・と思って、その2,3日前に、業者の方から、発表会の写真を受け取ったので、発表会の報告のPageを、renewalし始めた所なのですが、・・・
 『
・・・教室の昔の生徒さんのお母様に「homepageを見て、教室の「発表会の日にち」や、「開催場所」を調べようと思ったのだけど、homepageが随分、昔のままで、全く更新されていなかったので、教室はもう潰れてしまったのか・・って思ったわ?」と、言われてしまった・・という話を・・・先生から聞きました。』・・・と続きます。(ここで前のsynchronicityの話に戻ります。)

 私(わたし)的には、
「・・そのお話を聞く2,3日前から、homepageのrenewalに取り掛かったのですが・・」という事は、単なる弁解に過ぎないので、随分以前からhomepageに関しては、放ったらかしにしてしまっていたのは事実なので、お母様のそのお話は、やむを得ない・・致し方ない事と思っています。


 実は、そのお話(homepageの作成が、どうしても、後回しになってしまっているという理由)・・は、何度かhomepageには、その言い訳を書いて説明をしているのですが、Facebook上では、その弁解は未だなので、homepageを読んでいない人達に向けて、改めて、もう一度説明をして起きたいと思います。


 という事で、「私(わたし)的なお話」を続けると、私自身は、homepage三つと、Facebook一つを常に、書かなければなりません。

 その作業には、勿論、優先度があるので、一番、Privateな私の愚痴だけのhomepageである「闘病記」に関しては、今現在は、全く放ったらかされたままになってしまっています!
 
 次に、私の本来の書くべき場所である「芦塚先生のお部屋」は、論文がメインのhomepageなので、これは、文章が専門的過ぎて、なかなか読んでは貰えません。


 しかし、生徒達のお勉強のためにも、このPageは定期的に頑張って、renewalしています。
ただ、オケ練習や室内楽のlessonで、或いは、個人のlessonで、出て来た重要なpointを、lesson上では、説明をするし、その指導も先生達にもお願いしているのですが、一つ一つを理解するのはなかなか難しいので、homepageにもlectureの時に時間が足りなくって、説明出来なかった事を、更に、詳しく説明していて、練習の終わりに、
「後は、homepageを見て、ちゃんと読んでね??」と、言っているのですが、パソコンを開く事は、中、高生でも・・無いようですね??
 生徒達は
「スマホででも、見れるから・・」と言っているのですが、あの小さな文字で、膨大な私の論文を読んでも、心に入るはずはない・・と思いますがね。

それでも、スマホで見て(!!)くれる生徒は未だ、良い方で、殆どの生徒達は、一度も
「見ていません!」と、平気で言っているのよね〜??

 でも、それって、最低限の努力だと思うけれどね??
その努力を怠っているから、今の子供達には、長文の読解力が無いのですよ。これも、単なる慣れなのだからね??

私は中学生の時には、ゲーテのヴィルヘルム・マイスターのシリーズや、ロマン・ロランのBeethovenの生涯やジャン・クリストフ等は読破したよ!!

 あ〜っ、昔はテレビも塾もなかったからね〜ぇ??
今の子供達はかわいそうなのだよな??アハッ!

Facebookとhomepageの大きな違いは、公共性という意味ではhomepageよりも、Facebookの方が優れていますが、専門性や持続性には逆に乏しいようで、私はFacebookにuploadした論文を「芦塚先生のお部屋」にお引っ越しをさせて後、renewalを加えて、もっと詳しい専門的な文章にしています。

 教室のhomepageや、発表会のPageを作成するにあたって、とても大切な事は、生徒達一人一人の勉強の出来具合や、発表会での出来、そのものを良く知っておく必用があります。
しかし、現在は、私が教室のhomepageも書いているので、実際に、私が直接指導したりして、顔を知っている生徒達は、三回オケや室内楽の専科生達からの生徒達になってしまいます。
 
 それでも二回オケの生徒達までは、時折、練習を見る事もあるので、そこまでの生徒達は、直接面識があるのですが、オケや室内楽に参加していない生徒達は、発表会で初めて顔を見る生徒達の方が多いのでスよ。

 ・・という事で、本来は発表会の報告等をhomepageにupするのは、子供達の顔や出来具合を良く知っている、先生達の方がhomepageを担当するべきなのですが、先生達の教える以外の仕事が、余りにも多すぎて、忙し過ぎて、homepage迄は手が回らないので、仕方なく、私が「取り敢えず」で代わりに書いているのが現状なのです。

 という事で、homepageの中でも、教室のhomepageだけでも、椎名町の事務所に持って行って、そこで、先生達と生徒達が、もっと身近なapproachで、homepageを書いて貰った方が良いに決まっているので、事務所のパソコンのhomepagebuilderも最新のversionにrenewalしたり、教室の生徒募集のためのプロバイダーを申し込んだりして、事務所へのhomepageの引っ越しを図っているのですが、やはり、どうしても先生達や、「椎名町詣」の生徒達が教室の仕事で手一杯なので、homepageに迄は手が回らなくて、ついついhomepageが後回しになる・・というか、そこまで辿り着かないので、私が代わりに、Pageのrenewalをする事になるのですが、そこでは情報不足だったり、私のこの所の体調不良だったり・・と、後回しになってしまっています。

 直接、保護者の方や、生徒達と接する機会の少ない私が、教室のhomepageを担当するべきではないのは、分かり切って、至極当然の事なのですが、仕方なく書いているのが、現状です。 

 教室のhomepageは、先生が無理ならば、生徒や、保護者の方に書いて頂いても、良いのでは・・と思ってもいるのですが、それも、色々と問題があってね。(問題と言うのは、パソコン上の技術的な問題ですがネ。)

 Facebookには教室のFacebookと、私の個人のFacebookを開いていて、教室のFacebookには、私は全く手を付けていませんし、私の方のFacebookは、どうも私の個人的なblogになってしまっているので、何度か、Facebookからblogに移行しようと試みたのですが、色々な理由(理想的な書式が見いだせない・・という理由なのですが・・)ので上手く行きません。

 なにせ、私は本職も趣味も、総て音楽なので、どうもblogger的な、或いはessayist的な日常の一コマを切り取るようなapproach(・・コメント)は、時間の無駄遣いのように思えてしまって、どうしても論文になってしまうようなので・・。これは、私の性格なのだよね?


 そういう話があったから‥・という分けではなく、一日、二日前には、おざなりになっていたhomepageのtopPageを手直ししたり、発表会のPageをrenewalしたり、既にしているのですが、「これは、私の仕事ではない」・・という洗剤意識が強いのか?※、なかなか進みません。


 でも、開店休業状態のhomepageでも、見てくれる人も、いたのですよね〜ぇ。
それならば、もう少しは、せっせか、読んでくれる人のためにも、頑張らなくっちゃ、ね〜ぇ!!
※この誤変換はワザと!です。ハイ!

ホームページ更新は仕事で少しやるのですが、やり方は知っていても、構造をよく知らないので一つつまずくと???なんですよね。
お手伝いしたいところはやまやまなのですが??

ホームページは、よく見ますよ。先生のお部屋?とか、所有楽器のページを見るのが好きです?
10月27日 6:26

「先生のお部屋」や所有楽器のご紹介のページの、そこら辺は、私の領域なので、ストレスを感じないでupする事が出来ます。教室の発表会の報告とかは、発表会で演奏を聴いても、中には写真を見ても名前が出て来ない生徒がいるので、(発表会で初お目見え・・とかの生徒も結構多いので・・)発表会までのlessonの状態も、生徒の雰囲気も分からないので、分からないままに、書かされるのは、結構ストレスになってしまいます。
だから、どうしても、身近な専科生の話ばかりになってしまうのだけどね。
10月28日 6:14

教室のhomepageで、発表会の報告のPage等では、結構、単純作業があるので、本当ならば、お手伝いして貰うと助かるのですが、それが出来ないのは、パソコン上のhomepageの問題なのですよ。
homepagebuilderでは、そのパソコンにdataが全部保管されるので、例えば「芦塚音楽研究所」というArchivをパソコンに作ってそこに、Cloudからdataをdown loadしてパソコンに取り込みます。
そこで、作業をするのですが、次に別のパソコンで、追加の作業をする時には、また、Cloudから全dataを自分のパソコンに取り込まなければならないのです。
何故、そんなに七面倒くさい事を・・と、思ったのですが、パソコンを作る側からすると、別のパソコンで弄られると、自分のパソコンのdataがめちゃめちゃになってしまうからです。  

以前、教室に「講師募集」で来た音大生が、バイトで
「パソコン教室の先生をやっているから・・」と言ったので、「では、homepageのここのPageを少し作り変えて・・」とお願いしたら、Pageをめちゃめちゃに壊されてしまって、それを元の形に戻すのに、私が1週間掛かってしまいました。
それなのに、
「バイト代をよこせ!」と請求して来たのですよ!!
勿論、homepageを壊した分の4時間分の時給を、払ったけれどね。

パソコンの業者とも、よく揉めるけれど、彼らの仕事は、掛かった時間なのだよね〜??
でも、技術が有れば、その人が一日掛かりでした仕事でも、proならば、1時間で済ませてしまうし、出来上がりも綺麗なのよね??

私は、報酬というのは、出来た事に対して払うものであって、出来なかった事に対しては、幾ら時間が掛かったとしても、払いたくはないのだけどね〜ぇ??
これは、コンビニなどでの時給の考え方なのかね??バイトは技術が必要ないので、誰でも出来るので、その時間に誰がいるのか?でバイト代が支払われます。
言い換えれば、誰でもそこに居ればよいだけで、別にその人でなくても良いのよね??でも、パソコンの作業でも、単に数字を入力する作業なばら、誰でも良いのだろうけれど、そこにlayoutや、文章を書かなければならない・・とすれば、それは誰でも良い仕事ではなくなるのよね。感性だけでは出来ない領域に差し掛かって来るのよね。  

教室で生徒達にパソコンを指導しているけれど、これはパソコンの入力の技術のlectureであって、指導であって、お手伝いではないのよね?  

私も、生徒にfinaleの入力をやらせたりするけれど、時間切れの時には、自分で入力するのよね!!
・・・今回のKlengelのように、生徒達が3人掛かりで、一月で仕上げられない作業を(梨紗も手伝った!と言っているから、4人掛かりかな??)私なら1日(・・それも、まあ、3,4時間ってとこ)で入力を終わらせる事が出来るのよね。
そりゃあ、proだもん!!時間何か掛けていては商売にはならないからね!!    

以前、やはり音大生なのだけど、私個人の研究のために、音源の入力をアルバイトで、している女の子に「inventionの入力」を頼んだ事がありました。
「全曲で、2,3万でやってくれる??」と頼んだら、「私はバイトなのだけど、一応proとしてやっているので、時給です。芦塚先生のオーダーのinventionの1曲を、入力するのには10分ぐらいしか掛かりませんよ。それ以上掛かると、仕事としては生活出来ない。だから、私の時給は今1000円だから、15曲で2時間半で、2500円にしかなりませんよ。」と言って、音符入力の相場を教えてくれました。
それにマジ2500円を請求されました。
「それ以上、取れるか!」と怒っていました。・・プライドなのでしょうね。
「そりゃ、安すぎる!」と言って、バイト代の2500円を払った上で、飲み代(のみしろ)として、1万円渡したら、恐縮していたのだけど・・・。  

・・ホント、将来、音楽を職業としていく予定の音大生ならば、そういう気概が欲しいよね〜ぇ??  
(時給というのは、これは昔々のお話なので、時給の一般的な相場が700円の頃のお話です。でも、このFacebookを書くに当たって、改めて調べて見ると、今でも学生は、750円とか800円ぐらいで、20年、30年前と全く変わっていないみたいですね〜ぇ??) 

でも、inventionの入力代とのみしろは、教室が払った分けでは無いのよね!! 
出来上がった楽譜は、生徒達に教材として渡すのだけど、そういった楽譜自体は、私の個人の研究として・・なので、私財になるので、利潤追求以外の出費は認められないのよね〜ぇ??
音楽教室は、学校でも研究所でもないのだからね〜ぇ??        
困った事です。
11月4日 13:17


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10月27日 12:33 ・

「近場のコンビニの話」
何時もの通りに、冷蔵庫には何も入っていないので、天気も良いし、痛む腰をいたわりながら、コンビニまで朝昼の兼用の食料を買い出しに出かけました。
昨夜の夜食も、未だに、日曜日の反省会の食料が残っていたので、その食料の整理を兼ねた食事で、お弁当としては持ち帰る事が出来ませんでした。
昨日は、何時ものお蕎麦が届いたので、本当ならば、今日は蕎麦の日だったのですが、斉藤先生がbaroqueの練習のために、朝早くから千葉の教室に出かけたので、皆が揃わないので、蕎麦dayは無しになって、‥・という事で、やむなく、コンビニに買い出しに出かけたのですが、行って、驚いたネ??あっさりとした食べ物が全く無いのですよ!!

例えば、食欲の無い時には、冷たいザル蕎麦や盛り蕎麦、そうめん等があっさりとして、唯一、病人食としても、食べれるものなのですが、その蕎麦さえも、けんちん蕎麦の温かい脂ぎった蕎麦で、油の入っていない、シンプルなザル蕎麦等や、野菜中心のお弁当が一つも無いのですよ!!
肉!肉!肉!・・・幾ら、江古田は若者が多い町だとしても、それはないよな〜!! 

体力が有れば、ハイツの反対側の別のコンビニに買い出しに行ったのだけど、それだけの体力が無いのだよ!!
だって、この二週間、ず〜と、寝込んでいたわけなのだから・・・。
それに、無理をして、もう一つのコンビニに行って、同じようなメニューしか無かったら、超、ショックだからね!! 


寒いから、
「お蕎麦も脂ぎった温かい蕎麦じゃないと、売れないだろう」・・って考えなのだろうが、それは短絡的過ぎるのでは??
 
私の場合には、歳を取ったから油物が苦手になった分けではなく、子供の時から肉より魚の、所謂、油ものは苦手の人だったのだよ。そんな人は今でも、結構いるんじゃないのかな??(例えば、ダイエットとかで・・??)

マニュアルで一律にしか物事を見れないお店!って、結構、不愉快だな!!
(お店の名前を一般名称に変更しました。別にお店に喧嘩売っているのではないので・・ね??)

お店の方に教えて差し上げたらいいと思います^ ^
貴重なご意見だと思いますよ。
10月27日 23:57

私にとっては、場所的に一番便利なお店ですが、オーナーが店にいないタイプのお店なので、以前は本の注文等もコンビニで受け取る事が出来たので、よく利用していたのですが、ある時に
「荷物が着いた」と連絡を受けて取りに行ったら、「来ていない」と言われて、納得が行かないので、夕方また再び行って、1時間以上待たされて、やっと見つかって、受け取る段になって、本人確認の身分証明書の提示を求められて、(それ迄、そういう事を言われた事が一度も無かったので、)超、頭に来てしまい、埒が明かないので、コンビニにnetで直接文句を言った事があります。

コンビニの本社からは丁重なお詫びの文言が届いて、厳しい指導がそのお店には行ったようなのですが、・・・それ以来そのコンビニのお店では、netの受注をするのはやめてしまいました。
郵送料が掛からないので、小さな物を注文する時には結構便利で、私的には気に入っていたのですがね。
バイトのおばちゃんのキャパでは、そこまでの仕事は出来ないようなのでね・・??  

オーナーがお店に出て、接客している所では、私は、結構、オーナーと仲良しになれるので、(歳が近いせいなのかな??)そういったトラブルは一切ありませんし、だから当然、そう言ったクレームを言った事もありません。
若いアルバイトの子達は店のためには誰も責任を取ろうとしないし、また、アルバイトという立場上、現実的に責任を取れないのだと思いますので、オーナーがいないお店という事では仕方のない事だと思いますよ。
責任を取る人がそのお店にいない場合でも、一昔前なら、お店の入り口には目安箱のようなものが置いてあって、クレームや希望を書いて入れていれば、オーナーの目にはとまるようになっていて、良かったのですが、今時にはそんなものを置いているお店も少なくなって来ました。オーナー自身が金は出すけれど、責任は持ちたくない、って感じで、お店の事は、コンビニのマニュアルに從って応対すれば良いだけ・・と言う事で、経営されているお店なのでしょうね。
責任をとるのがバイトだけならば、後、10年もすれば、人間の代わりにアシモ君達がお店で働くようになるのでは・・?? 

今、アシモ君の月給は、5万5千円だそうですよ。
毎月、そのお店に対しての、応対のクレームを受け付けて改良されて行くので、なかなかの接客だそうですよ。今は、人手不足の補佐という意味のアシモ君なのですがね。
・・その内、人間よりも、アシモ君の方が、まだまし・・ってな事になりそうだわね・・??
10月28日 14:47

「店に置いていても売れないので・・??」と言われたらそれで終わりですよねぇ〜??
10月29日 8:01


結論的に言うと、私が怒り心頭に発した分けではなく、人間をおしなべて一括で管理しようとする傾向に苦言を呈したのですよ。
学校教育でも、一芸を求める子供達を、周りと同期させようとして、学校の教育方針に順応させようとする。そのために、多くの一芸を極めようとする子供達が苦労し、挫折をしたりする。
特に、テレビ等は、何でもかんでも、誰かに責任を負い被せようとする。
社会をパソコンで一括管理するためには、総てが、規格の中に入っていないといけないのです。
でも、人の上に立つ人は、規格よりも上にいるから、人の上に立てるのだ・・という理屈が分からない。
何千年も前に、お釈迦様がその事に付いて述べていらっしゃるのにね。
人間は、文明が進歩して、情報が豊富になっても、この何千年も変わらないのですよね。
10月28日 11:19

私が未だ音楽大学の学生の頃、大クラスで講義をしている教授に講義内容に付いての質問をした事があります。
「どのレベルの生徒を対象にして、講義をするのか??」という内容でした。
その時の教授の回答は
「100人の生徒がいるとして、上の10人のために講義をすると、下の90人が落ちこぼれてしまう。下の落ちこぼれの10人に合わせて講義をすると、上の90人が退屈をして、講義に対する興味を失くしてしまう。という事で、上の10人は、放っておいても自力で勉強をするし、下の10人は、幾ら先生が頑張って指導しても、結局の所、遊びに逃げて、授業には付いて来ない落ちこぼれのグループだよ!!・・という事で、上の10人と下の10人を捨てて、真ん中の80人に合わせて講義をすると良いのだよ!」と、大学の講義の秘訣を教えてくれました。

・・でも、これは、マーケット・リサーチの原則でもあるのですよ。
商品棚に置ける物の数はタカが知れているので、売れない老人用の物から仕入れないようにする。
つまり、何が幾つ売れたのか??が問題であって、誰がそれを必用としたか?はリサーチの対象にはならないのだよ!! 

学校の教育目的は、子供達が国家に奉仕するように教育する事だと、教育法の授業で学んだはずですよ。そのように、教科書に書いてありますよ!! 
国家に奉仕する子供とは、一律に国家の言う事を聞くという子供達であって、それに反する教育、・・絶対に、子供の個性を育てる教育ではありませんよ。
時の権力者である**さんに聞いて見てください。きっとそのように答えるはずです。
10月29日 6:40


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10月30日 5:54 ・

今日は日曜日の朝です。と言うか、土曜日の深夜と言った方がよいのかな?
昨日の土曜日は、椎名町組にbaroqueのlessonをしました。
困った事に、相も変わらず,lessonにpowerが出ない! lessonが不消化で、これでは明日の子供達との初顔合わせの初見大会が思いやられる。
子供達が楽しみにしているのに、先生がこんなにpower不足では〜ねえ??
「lessonでの愚痴です。」
baroqueのlessonでは、melodieの中の要の音が和音になる場合がよくあるのですが、その和音の弾き方が、何度説明をしても、出来ない。
言葉で言えば、arpeggioで弾くのか?それとも2弦同時で弾くのか?・・・の二つなのだろうけれども、そんな弾き方を説明されても、分かる分けではなかろうに・・??

言葉で言ってしまえば、その二つしか無いのかも知れないけれど、でもその二つの間には、無数の(無限の)可能性があるのだよ!!

 私としては、
「一回でも、本物のgambaの演奏を聞いてくれれば、violinででも、弾けるようになるのに??」と思うのですが、これだけFacebookに、模範の演奏をuploadしたとしても、勉強型の生徒達は、教えて貰うのが総てで、実際の例を聴こうとはしません。
そこに模範があるのに、勿体無いですよねぇ〜??

 物事の理想形を見ないで、解き方だけを学んで、それで出来るようになる・・と思い込んでいるのですよ。


 ほんと、manual世代なのだよね?
だから見よう見真似のコピーは、とても上手なのだけど、本当に分かっている分けではないので、次のlessonでは、0に戻ってしまうのですよ。
自分が演奏したい曲を、自分が演奏する立場ではなく、一audienceとして聴いて見れば曲の本当の良さが分かるのにね〜ぇ??

 そこで、Marin Maraisのla foliaの模範演奏です。私の尊敬する演奏家であるjordi savallの演奏をお聴きください。originalのvioleの演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=ylBj5qZb71M
la foliaのepisodeの演奏です。一部分と思ってください。
Jordi Savallの妙技を見てください。
神業ですな〜ぁ!!

https://www.youtube.com/watch?v=ZqVMiIq8LHo
下のURLは私の持っているla foliaのCDと同じ演奏です。
勿論、Jordi Savallのla foliaのImprovisationです。
古い時代のタイプのla foliaの演奏です。baroqueに向けて、時代が下る程、上品になります。古い時代のfoliaは、このように民族音楽の部類に入るような演奏になります。
つまり、この斬新な演奏は新しい解釈ではなく、periodの再現なのです。
いやぁ〜〜、楽しいね〜ぇ?!

https://www.youtube.com/watch…
Jordi Savallの3題でした。ハイ!
ちなみに、ハープを弾いているとても美しい女の子・・と言うよりも女性が登場しますが、何と、Savall先生の娘さんです。ヨーロッパでは、こう言うふうに家族で演奏団体を結成している人達が多いのです。ヒョットすると、昔からの世襲の名残かも知れませんね??
ついでに、もう一つ、・・アハッ!4題目だな〜??
https://www.youtube.com/watch?v=MrxzwJtL_Ks
これもla foliaなのですが、何かしらアンデスの香りがありますよね。
あっ!!肝心要の事を書くのを忘れていました。このSavall先生は、フランス映画で、Marin Maraisの恋の物語「めぐり逢う朝」(勿論、完全な創作ですが)の、演奏を総てを担当しています。マランが、師として訪ねて、教えを乞う先生が多分Savallではないのかな?・・と思うぐらいよく雰囲気が似ていますが、俳優の人が演奏の雰囲気等をSavall先生を参考にして、役作りをしたのでしょうね。フランス映画らしく、ストーリーはあってないような内容ですが、雰囲気と音楽を味合う映画です。何時もの通りに、時代考証はヨーロッパの映画らしく、背景だけではなく、当時の生活慣習も、音楽の奏法も・・実に素晴らしい・・!!日本の音楽家達は、その時代考証を全く知らないままに、理解出来ないままに、今の弦楽器を演奏しているのですよ。・・全く別の世界の出来事として・・ね。少しは、ヨーロッパの人達の、音楽に対する姿勢を、「その爪の垢でも・・」と、言っても、日本人の音楽家達には、詮無いことですかね??

La Reveuse: Les folies d'Espagne de Marin Marais (extrait par Jordi Savall)

聞きました。
マランマレーってあのラフォリアのマランマレーですか?
11月2日 15:27


そうです。
あのMarin Maraisです。   
でも、story自体は、私のBeyerの伝記と同じで全くのでっち上げの創作です。しかし、フランス映画らしく、その映像はとても美しく素晴らしいものがあります。
冒頭のMarin Maraisが王様の前でorchestraを錫杖を持って指揮をするシーンは時代考証がとても素晴らしく、まるで絵を見ているようです。Beethovenの時代迄は、錫杖による指揮か、自分が演奏する弾き振りかのどちらかだったので、そういった指揮の仕方を一度見ておくと良いですよね。でも、相手は俳優さんですよねぇ〜??
11月4日 12:25

勿論、la foliaのoriginal・・つまりBas gambaで演奏するシーンも出てきます。ヒロインの女性も、Marin Marais役の人も、先生であるコロンブ役の人も、俳優さんなのに、完璧に演奏をしています。
勿論、音は、吹き替えなのですが、指使いや弓の持ち方、楽器の構え方等々、幾ら見ても完璧です。
役者さんがどうしてそこまで出来るの??と不思議になります。
やはり、仕事に立ち向かう姿勢の何か(something)が違うのですよね??
11月4日 12:27

「聞きました!!」って、「FacebookのJordi Savallの演奏を聴いた!!」って事ね??  
うっかりと、「めぐり逢う朝」の映画を見たのか??・・って、勝手に、思い込んでしまいました。  
勿論、Savallの演奏の中には、Marin Maraisのoriginalの演奏もあります。(それもまた、色々なversionで演奏していますよ・・)それはそれで、素晴らしいのですが、こういったImprovisationもSavallらしくて、gambaの妙技が聴けて良いと思ってuploadしました。originalのMarin Maraisは自分で検索を掛けて聴いてください。Savall+Marin Maraisでヒットするはずですよ。   
ちなみに、私がuploadしているURLの最初の曲も、Marin Maraisのla foliaのoriginal‐versionですよね。 
私がarrangeしているので、melodieは、同じなので、知っていると思いますがね。
写真はコロンブの所を破門になったマランに、恋人であるコロンブの娘がgambaの手ほどきをしているシーンです。

11月4日 12:28

ここまで書いてくださると映画とても観たくなったので借りて観ようと思います。
11月2日 16:28


ストーリーは恋と名誉の天秤で、Marin Maraisが功成り名遂げた晩年に自分の恋を後悔するという如何にもフランスらしい月並みなストーリーですが、映像と音楽は極上品です。一見に値します。

11月4日 12:29

月並みなフランスらしいストーリーも見たことがないので丁度良いです。ありがとうございます(*^^*)
11月3日 11:24



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11月6日 6:10

Savall先生と同じくらいに結構、お気に入りのStefano Montanariさん(私達はブルース・ウィルスさんと呼んでいますが※))のcorelliのla foliaの演奏です。以前は、Corelli=Geminianiのla foliaもuploadされていて、とても気に入っていたのですが、その後、開いて見たら、著作権の関係で削除されていました。ヨーロッパではSavall先生と同じくらい有名なperiodのbaroque‐violin奏者ですが、Savall先生の完璧な時代考証とは真逆の、Performance中心の演奏で、こんにちのヨーロッパのperiod奏法団体の演奏は、こういった速い弓速と非常に速いノリの良いtempo感がperiod奏法としての主流なのですが、時代考証的には、実際のperiod奏法としては、eccentricであって、正しいperiod奏法とは言えません。その一番の理由は、現代で、今の私達がbaroque‐violinに使用しているガット弦は、テニスのラケットに使用されるようなナイロン弦でとても強い弦で、基本的に演奏中に切れる事はありません。でも、本当のbaroque時代のガット(ひつじの腸の繊維)弦ならば、このような力強い弓速で、しかも、viola da gambaのbowのように、竿の太いbowで力任せに演奏したら、たった一音を弾いただけで、弦は切れてしまうでしょうね??また、昔のviolinはとても華奢だったので、本体も、gambaのbowに耐えられるような、そこまでの楽器的な強さはないと思います。あくまでbaroque風のperformanceの演奏であって、私達のperiod奏法の勉強は、period(所謂、時代考証の出来る)演奏であるので、periodとしての参考は、寧ろSavall先生の演奏の方です。
でも、このStefano Montanariさんの演奏、結構、私的には、好きなのよね。Powerfulで、ノリが良くて・・・、!!
昨日のbaroqueのlessonの時にお話に出た、baroque時代のviolinの構え方は、勿論、顎当ても肩当てもなく、手で持って弾いていたので、(ジプシーviolin等は、顎当ても肩当ても付けているのに、今でも手で持って演奏しています。)肩からハズして演奏します。現代の演奏のstyleでは、顎当てや肩当てがあって、violinを持つ・・という事が安定しているので、その分、近現代の演奏styleでは、position移動が多く使用されますが、baroque時代には顎当て肩当てが無かったので、楽器を持ったままの移弦を多く使用していました。第3position迄は、violinを手に持ったままに演奏出来るのですが、弦のoctaveである音は、4ポジになるので、baroque時代では、指を伸ばしてflagiolettoで足りない音をカバーする事が多かったようです。baroqueのsonateの多くの曲が、単独にoctaveの音を演奏させるのは、flagiolettoの音を出すためなのです。
 violinを肩から外して演奏するstyleは、Montanariさんの演奏では、la foliaよりも、VivaldiのEstateの方が分かり易いと思いますので、そちらの演奏を見て、参考にしてください。(肩から外して・・、と言っても、それがperformance的に、自然でないと何の意味もないですよ??無理して肩から外すのは、愚の骨頂ですよねぇ〜??)
corelli la folia1/2(前半)
https://www.youtube.com/watch?v=YOTHiagFhqk
corelli la folia2/2(後半) 
https://www.youtube.com/watch?v=DgcN7h_SLOk
A. Vivaldi - Estate (Le quattro stagioni)
https://www.youtube.com/watch?v=iS4B1HBP_8s

※)頭がハゲているから、ブルース・ウィルスさんという意味ではなく、勿論、それもあるけれど、普段の生活がそれっぽいのですよ。写真を掲載しておきます。アハッ!

これはviolinを演奏している時の写真ですが・・・

11月6日 6:33
これはどうじゃろ??


これはまるで場違いな・・・???
11月6日 6:34




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11月8日 13:30 ・

 「Tommaso Vitaliのbaroque‐versionのornamentとRealisationの作成が終わった。」
 今日は16年11月8日の火曜日です。この所、一週間程の間、VitaliのchaconneのRealisationを書いていました。
 しかし、11:47秒で兎に角、曲が長くて、書けども、書けども・・終わらない・・という感じで、endlessの作業でありました。
 私的には、折角、Barenreiter版とRicordi版の楽譜を手に入れたので、その両方の楽譜の「良いとこ取り」をして、剽窃でもして、当座は、でっち上げようかと思ったのですが、楽譜をマジマジと見て驚いたネ??うちの教室の生徒達の方が、数字譜はもう少しマシに書くよ!!
 
 剽窃と言うと穏やかではありませんが、それは冗談です。何故ならば、演奏をする場合には、通常は市販の楽譜を使って演奏するので、「演奏のために・・」という事で、市販の楽譜を使用することは、剽窃には当たらないのですよ。但し、市販の楽譜を、自分の楽譜として出版するとすれば、その剽窃の部分がホンの一部であったとしても、立派な剽窃になりますよね。※)
 楽譜は、当然、演奏するために売ってあるので、市販の楽譜を演奏に使用するのは問題はありません。しかし、Ashizuka-versionとして、演奏する場合には、ホンの一部でも、市販の楽譜と同じpassageがあると問題です。勿論、chaconneのthemaは、変更は出来ません。それを変更すると、もう、Vitaliのchaconneではなくなるからです。
 普段ならば、曲が出来上がってから練習に入るのですが、今回のように練習のlimitが近づいている場合には、曲が出来るのを待っていては、練習が間に合いません。そのために、最初は、既成の楽譜をtemplateにして、練習を開始して、曲が出来る度に、差し替えて行くと、自然に、元の既成の楽譜の部分は消えて行きます。
 しかし、今回の購入した楽譜は、「練習のためのtemplate」にもならない・・というぐらい「ヘボい楽譜」だったので、既成の楽譜から、取り敢えずは、良いとこ取りをする・・・というのは諦めて、真面目にコツコツと、しかし、大急ぎで、Realisationをしなければならなくなりました。
 scoreで26Page、violinのpart譜で8Pageという、非常に長い曲です。
 concertの日にちが決まっているので、締め切りに追い立てられる売れっ子漫画家の心境で、兎に角、一日も早く・・という感じで、体調を無視しての、大急ぎの作業だったのです。
 一日遅れると一日練習時間が減ってしまうからね。
 だって、もう本番まで、後二週間を切ったのだからね。
 「Vitaliのchaconne」と言えば、David版の印象が一般的なので、その印象が強すぎて、曲を「baroque仕様」にするのは、結構大変な作業だったのです。
 細部までよく知り抜いた曲を、全く知らない曲として、Realisationする事は、結構、難しいのですよ。
 それに、作る側ではなく、Vitaliのchaconneを聴く人達も、Vitaliのchaconneと言えば、David版のimageで聴いてしまいます。
 だから、全く別の曲として、作らないと、少しでも、元のDavid版のimageが残っていては、誰も聴いてくれなくなるのですよ。
 
 Realisationの作成にあたって、period‐versionにする上で一番最初に留意した事は、chaconneの独特のrhythmを用いてarrange(Realisation)をする事でした。
 David版では、擬古典風にromanticに演奏するために、chaconneのdanceのrhythmは、全く使用されていないので、単純なmelodieで、変えようのないpassageでも、Cembaloの伴奏にchaconneのrhythmが入って来るだけでも、斬新に聴こえるのかな・・???
 少し、熱が上がって来て、咳も酷くなって来たので、どこからともなく、「Facebookなんか、書いていないで、はよ、寝んしゃい??」てな声が聴こえて来るような気がします。ウツツで朦朧としていると、彼岸からの声が聴こえて来るのかな??
意識がtripして、比岸と繋がってしまっているのかな??
(写真は、Vitaliのchaconneの冒頭の1Pageと、Greensleeves to a ground in C Dorischの検見川教室でのlessonの風景です。どちらの曲も今回のbaroque‐concertのprogramです。)
※)楽譜には、演奏するための演奏料が含まれている場合と、演奏の度に払う場合と、楽譜が出版されていなくて、演奏目的でレンタルされる場合があります。オペラの場合等は、scoreは売られていなくて、演奏会が決まったらscoreをレンタルして貰って、演奏する場合があるのですが、その場合には、その都度レンタル料と演奏料のコミコミの金額を払います。
教室で演奏している曲も、一般の発表会用の曲とは違ってprofessionalな曲が多いので、発表会の度に著作権料が請求されます。発表会の度に、その都度、jasracに著作権料を支払っているのですよ。これはproのpianist、violinistでも同じです。勿論、一般の発表会用の曲は、楽譜料に込になっているので、著作権料は派生しません。
多くの演奏家達が誤解しているのは、著作権は作曲者の死後50年で消滅すると言われていますが、それは著作権料であって、scoreや楽譜は、その出版社の著作物なので、楽譜の使用料は、作曲者とは無関係に請求されます。だからbaroqueの曲を演奏していたとしても、その楽譜を使用する限り、楽譜の使用料は発生します。ですから、baroque音楽を演奏していたとしても、その楽譜が出版社に帰属する限り著作権料は払わなければなりません。発表会のように、無料の演奏会であったとしても、使用料は請求されます。
芦塚 陽二さんの写真


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11月8日 17:38 ・

二日前の日曜日(16年11月6日)のオケ練習は、クリスマス会と春の発表会への第一回目の練習だったので、体調不良をおして、頑張って2回オケから練習のcheck課題を出しに行ったのは良かったのですが、椅子に座ったままで、全く動けなくなってしまって、目を開けている事も出来なくなって、目を瞑ったままで、半跏思惟の状態で、(先生からの質問だけは、目を瞑ったままに答えていましたが、)いや〜あ、大変でした。でも、練習自体は、これからの練習の「課題出し」がthemaなのだから、私が直接lessonする分けではないし、先生達が指導するので、私は「one point advice」だけでも充分なのですよ。
 それにしても、Vivaldiのe mollとVivaldiのdoppelのcelloconcertoは、常設曲であるにも関わらず、私用のscoreがなくって、今回の指導の時に困ってしまいました。Vivaldiのdoppelconcertoは、八千代でも演奏しているので、scoreが無い分けは有り得ないのですが、どうしても見当たら無かったので・・。
 今回の曲からは、曲のgradeが上がって、fingerbowや、音に対するvibratoではなく、melodieに対しての歌うvibrato等の新しいviolin奏法のための技術(Technik)が、出てきます。
 Vivaldiの四季やDittersdorfの曲にも、そういった新しい技術をマスターする事が必要になります。
 勿論、専科生達にとっては、今までも何度も出て来ている技術なので、それが弾ける事が、当たり前なのですが、初めて組には、結構、難しい奏法なのです。
 それに、芦塚メトードでは音の立ち上がりと弾き終わりの音との奏き分けを時代区分でします。
 弦楽器で、音の弾き始めにclipが登場するのは、Tourteが現代bowを作って10年経ってからの1805年以降の作品から、つまり、Beethovenからになります。えぐりbowでも、Vivaldi⇒Haydn⇒Mozartとえぐりから、よりclipに近づいて行きます。
 作曲家によって弾き始めの音が違うのですよ。ですから、Vivaldiと古典は重要なのです。Mozartの奏法とHaydnの弾き方は根本から違うという事です。それを指と耳で覚えて行きます。オケ練習で勉強する事と、室内楽で勉強する内容は全く違うのですよ。
 室内楽のbow‐Technikはbaroque時代には無いので、古典の時代から始まり、ロマン派、近現代に近づいて行きます。※)
 とは言ってもロマン派では殆どのbow‐Technikが完成しているので、近現代では、Bartok等が開発した新しい奏法をその都度、加えて練習するだけです。近現代の奏法は、未だ確立している分けではないので、その作曲家にしか使わないのでね??※)baroque時代の室内楽と言うのは、基本的にtriosonateになります。triosonateを時代考証を整えながら勉強すると、それはperiod奏法の領域に入ってしまいます。これは、日本の音楽教育のlevelを逸脱してしまいます。つまり、より高度な専門的なperiod奏法の世界になってしまうからです。
検見川教室に移動してからは、baroqueの練習だし、専科生のversionになるので、演奏会の日にちも差し迫って来ているので、私が寝ていても練習にならないので、仕方がないので、頑張って、体調不良に鞭を打って、目を見開いて、lessonをしたのですが、相変わらず、お尻も痛いし、熱っぽいし、踏んだり蹴ったりの体調だよね〜??
 次の月曜日も、一日全く仕事にならないで、寝込んでいたのですが、baroqueの演奏会が近づいているので、Vitaliやcorelliの曲のornament等を付けて行く作業をしないとならないので、ベッドとパソコンの間を往復しながらの、有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み・・・要するに、パソコンの椅子に座ったままで入定していたのですヨ?? でも、意識だけ・・ね??
ベッドに入ると目が冴えて、パソコンの前に座ると、意識が飛んでtripしている・・・、困ったもんだ??
 それでも、timelimitがあるので、それなりに、睡魔とお尻の痛みに耐えながら作業をしていたのだけど、今日(火曜日)には、何と熱が上がって来た!!・・・えっつ・・?? なんだい?? 風邪かいな・・??
・・でも、未だ7度5分なのだけどね・・??
夕方には、咳が出始めました・・・!!! こりゃ、風邪で決定かな??



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11月14日 13:15 ・

もうすぐ??
11月23日水祝18時?千葉市美術館さや堂ホールにて
古楽器を使った、ピリオド奏法と、本格的なバロック音楽。
当時の音色を聴いてみませんか(???)!
(実はとってもとっても貴重な機会です!)
主催者ではありませんが、、お待ちしてます?

お友達と見に行きまーす。
とっても楽しみ!
11月14日 19:01
発表会で先生の演奏聴いてみたいと思いつつ、時間が、、、だったから、ほんっとうに楽しみ!
11月14日 21:26

うんうん、念願のー笑
子ども達も先生の演奏見れるのワクワクだよね!
11月15日 13:54


場所も素敵?きっと音色が
響き合うんだろうなー??
11/23は 大会だから
間に合わないかも……??
11月14日 19:49

そっか!そちらも頑張ってね?
いつか生演奏で踊れたりしたらかっこいいよね!
ヨーロッパの貴族みたいにさぁ??
11月14日 21:27


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11月21日 15:29 ・

「baroque-concertへの解説No.1」
@ バロックとperiodと古楽の違いと意味について、
D baroque時代に 作られたのにモダン楽器で現代でに作られたのにバロック楽器・・・
 baroqueの楽器とmodernの楽器は何が違うの??
F Cembaloとはどんな楽器?Pianoとはどうちがうのか?
「まえがき」
「バロック音楽とペリオード奏法と言っても、分からないのではないの?」
と言われて、一般的にはどの程度理解されているのかを、ネットで調べ用途、その事について書かれているblog等々を探してみました。結構、詳しく炎上しているblogを幾つか見つけて、その中でも、専門家である演奏家がperiod奏法や古楽に対して書いているblogを見つけて、読んで見たのですが、余りの内容に「う〜ん??」という感じで、困ってしまいまって、試しに、生徒達にも、mailに添付して読ませて見ました。
生徒達も呆れていたのですが、「音楽の専門家でもその程度の知識なので、その程度を前提にして・・」と、生徒達に解説文を書かせようとしたのですが、それはやはり、時間がないので、timelimitの関係で無理と言う事で、私が生徒の代わりに曲の解説をしようかな??と思って、先生達や生徒達に「コンサートの会場で一つ一つの解説をしながら演奏会をしようか?」と言ったのですが、先生達から、「解説だけで、演奏会が終わってしまうよ!」と言われてしまって、それではどうしようもないので、Facebookで説明をする事にしました。
子供達が、自分の演奏する曲を自分自身で解説する事は、クリスマス会や夏休みのおさらい会で、練習をさせてはいるのですが、やはり、外の演奏会では、pressureが酷いのと、曲の下調べ等の時間のゆとり、曲を仕上げるだけで、今の所目一杯なので、今回、演奏する生徒自身で説明をする事は、無理なようなので、今回は、私が代わりに、曲の紹介をする事になりました。
baroque-音楽も、普通の演奏会で、現代風の演奏として・・ならば、何の問題もないのですが、periodとしての演奏とするのならば‥・という事で、専門家であるはずの演奏家の人のblogから、間違えた解釈や、取り違え、無理解等々を、ピックアップして、ざっと、箇条書きにして見ました。その演奏家の人が、baroqueの演奏に対して、批判をしていた所を中心にして書き出しました。
それが以下の丸付き数字です。

@ バロックとperiodと古楽の違いと意味について、
A 4人で演奏するのに、なんでトリオ(3)・ソナタなの??
 ついでに、通奏低音(basso continuo)とか数字付きバス   (bezifferten Bas)とは何??
B baroqueの奏法の特徴で、ビブラートをしないのは、どうして??
C スコルダトーゥラについて・・
D baroque時代に 作られたのにモダン楽器で現代でに作られたのにバロック楽器・・・
 baroqueの楽器とmodernの楽器は何が違うの??
E pitchの色々
F Cembaloとはどんな楽器?Pianoとはどうちがうのか?
G programにRealisationとornamentと書いてありましたが、それぞれどういう意味ですか??
H celloのエンドピン
I baroqueのviolaについては
J Canon、chaconne foliaのthemaと、rhythmに付いて、
K Ferdinand Davidのchaconneについて
L baroque時代や古典派の時代のorchestraや室内楽の並び方


blogを取りまとめると、こういった事でしょうかね??
その一つ一つに付いて、私なりの解説を加えて行きます。

「以下、本文です。」
「@ バロックとperiodと古楽の違いと意味について、」

砕けた表現で言うと、modernの解釈は大河ドラマのように、時代区分を現代的に解釈し直して、分かり易くしたのが現代のバロックの演奏で、丁度、能や歌舞伎を見るように古典を古典芸能として見るという事がperiodである・・と言う事が出来るでしょうね。
その過程で、江戸の町の庶民の家に竃が合って、畳の上で白いごはんを食べて生活をしている。という風な、現代の生活に置き換えるという歪曲をしています。
たまに、NHKの時代劇等で、当時の生活を時代考証で再現すると、逆に違和感を感じてしまいますよね。
「え〜っ??当時の庶民の生活って、こんなだったの??」ってネ。
今の人達にとっての、ノスタルジーの戦後の昭和の時代も、私にとっての「夕陽が丘」の時代は、米のご飯が食べられない事もあって、ご飯茶碗に、昔の今は食べる人もいないかぼちゃが1/4切れ入っていた事もあったのだけど・・って、話をしていたら、生徒が「私、かぼちゃ大好き!」だってさ〜!!
当時のかぼちゃ、どっかで作っていないかな??食べさせて味を見させてあげたいね??アハッ!大根だって、青首は無かったし、トマトも桃太郎は無かったのだよね。

「バロック(baroque)とペリオード(period)について」
先ず、@ですが、バロックという時代は、ご存知のように、1600年から1750年に掛けての時代で、50年単位に前期バロック、中期、後期と分類されます。今回演奏する曲の中で、一番古い曲はBiberのRosaryのSonateですが、それでも、baroqueの中期になります。教室で取り上げる作曲家で前期baroqueの作曲家は殆どいません。寧ろ、Renaissanceの様式に近いからです。baroqueというと、中期からが一般的になります。
次に、ペリオードの意味ですが、一般的にはピリオードと言われている事が多いのですが、ピリオードは英語で、ペリオーデ(periode)はドイツ語になります。
別にピリオードとは言っても、終末の音楽という意味でも、もう終わった音楽という意味でもなく、ペリオードの本来の意味は、期間や時代区分を指す言葉なのです。
period(ペリオード)に奏法が付いて、baroqueや古典の時代の演奏法や演奏様式の意味になり、period-Instrumentsで当時の楽器、(勿論、当時の楽器を修理演奏出来るようにした物から、復刻楽器まで)をperiod -instrumentsと言います。

「古楽について」
ペリオード奏法とは当時の演奏様式と奏法(弦楽器の奏法)と作曲様式を言います。
演奏家のblogの中では、バロック楽器や、奏法を一把一絡げに、古楽として総称していますが、それはチョッと無茶苦茶で、私達が分類する場合には、古楽というと、Renaissance(ルネサンス)の時代様式を指す事が多いので、古楽という言い方はしません。
しかし、矛盾しているのは、バロック楽器については古楽器とも言う事があるのですが、バロック時代に用いられたviola da gambaのようなガンバ属の楽器は本来はRenaissanceの楽器なので、頗る時代区分が曖昧だから、仕方ないのかもしれません。

「D baroque時代に 作られたのにモダン楽器で現代でに作られたのにバロック楽器・・・」
「violinの誕生」

しかし、弦楽器のルーツは古すぎてよく分かっていないのですが、violinが誕生したのは、1570代にザロ(Gasparo da Salo)が作ったviolinが歴史上最初のviolinと言われていますが、同時期にシンクロニシティで似たような楽器が色々な工房で作られたとされるので、ザロがviolinの最初の作者であると言う事に付いては、疑問を挟む人もいますが、ザロの作品は現存しています。
ザロの弟子がストラディバリウスの先生でもあり、沢山の銘器の製作者であるアマティーで、violinという楽器の頂点は既にその時代に出来上がっています。
StradivariやAmati以降、多くの弦楽器の製作者が挑戦していますが、それ以上の楽器が作られた事はありません。
私が、未だ音楽大学の学生であった頃(昔々)には、未だAmatiの楽器で演奏する名violinistもいて、私もAmatiの音を聴いた事があります。とても柔らかで美しい響きなので、Amatiの愛好者の方がStradivariのファンよりも多かったのではないのかな・・とも思っています。
技巧的、性能的には、確かにStradivariの方が優れてはいたのですがね。
今はもう、Amatiの音は聴く事は出来ません。もう、寿命を迎えたので・・。
もうすぐにStradivariも寿命になります。
「バロック・ヴァイオリ(baroque-violin)とモダン・ヴァイオリン(modern-violin」
弦楽器奏者であれば、垂涎の逸品である(27億円の高値の付いた事もある)Stradivariですが、バロック時代に作られた楽器でありますが、楽器を改造して現代のviolinとして使用されているので、分類はmodern-violinになります。
バロック・ヴァイオリンとしてバロック仕様で作られたのであれば、現代に作られたとしても、それはバロック・ヴァイオリンであり古楽器になります。アハッ!
バロック時代に作られた楽器を、モダン仕様に改造して使用しているので、バロック時代に作られた楽器であっても、modern-violinになるのです。
ですから、現代の弦楽器の工房で作られたものであっても、バロックの仕様で作ればバロック楽器になります。それを復刻と言います。

「F Cembaloとはどんな楽器?Pianoとはどうちがうのか?」
「以下同様にチェンバロ(Cembalo)にも」

同様に、Cembaloにも、modern-CembaloとHistorische-Cembaloというのがあります。
Historische-Cembaloというのは、baroque時代の当時の楽器を修理して使用できるようにした物や、当時の設計図や実際の古い楽器から寸法を取って、復刻したものをHistorischeと言います。
このコンサートに持って来ている チェンバロは所謂、Historischeの楽器、つまり、復刻楽器で、andrea lucas というCembaloのStradivariのようなCembalo製作者の楽器(銘器)の復刻modelになります。但し、完全な復刻ではなく、 Lucas-modelでは、鍵盤の色が現代と同じように白鍵は白色で、黒鍵は黒色なのですが、一般的には、Cembaloは白黒が逆さまとされる事が多いので、説明するのが面倒くさいので、一般に合わせて、黒鍵と白鍵を逆にしてあります。
1段鍵盤で通常は8feetとoctave上の4feetなのですが、orchestraのbackで演奏する事が多いので、音量を増やす意味で、8feet、8feetにしています。後は、バロック時代には、当然必用の無かったスライド鍵盤を使用して、modernのA=443のpitchと、baroqueのA=418cycleに対応させています。
Cembaloが廃れた一番の理由は音量ですが、その音量の弱点をなくすために、20世紀になって作られたmodern-Cembaloでは、弦を引っ掻くのにスプリングを使用して強い音を出しました。
音量は強くなって、ホールでも演奏出来るようにはなったのですが、その分音がキツくなって、バロックの優しい響きが出ないので、今は評判が悪いようで、音量は劣っていたとしても、復刻の楽器の方が主流になっています。
教室には2段のグジョン-モデル( Goujon-model)の大型Cembaloと、1段の ルーカス-モデル(Lucas -model)のCembaloと、スピネットが2台ありますが、大型のCembaloの搬送には、専門の業者に委託しなければならないので、今回は自分達で搬送が可能な1段のCembaloで演奏します。

「現代のピアノと古楽器であるフォルテ・ピアノ」
ちなみに、CembaloとPianoの一番の違いは、弦を爪で引っ掻いて音を出すか、ハンマーで叩いて音を出すかの違いです。
同じPianoでも、鍵盤にハンマーが付いていてDirectに音を出す楽器をsingle actionと言い、鍵盤から、一度投石機の原理でハンマーを打ち出す仕組みの楽器をdouble actionと言います。
投石機とか投擲機のように、石を細い皮の紐で縛ってクルクルと回して投げると、人が投げる何倍もの距離を投げる事が出来て、遠くの敵を倒す事が出来ますが、しかし、自分の手で投げるよりも、不正確になります。だから、single actionの鍵盤では、微妙な指先のtouchを正確に弦に伝える事が出来ますが、投擲機と同じで、音量は、どうしても劣ってしまいます。
音量を強く出すためには、指のちからを増幅する投擲機のようなものが必要になります。それが、double actionです。Pianoのactionの部分を調律の時に、調律師の人に見せて貰うと、鍵盤からの部分と、投擲機で鍵盤の力を増幅する部分を見せて貰う事が出来ますよ。
という事で、single actionのPianoをforte-pianoと言い、古楽器のPianoになります。
double actionのPianoが現代の私達が普段弾いているPianoになります。
forte-pianoを復刻する上で、一番難しいのは、forte-pianoの音の再現でしょう。
single actionでも、ハンマーの部分が皮やフェルトで、音の質が全く変わってしまいます。
一般的にはHaydn時代のforte-pianoのハンマーの先の部分は、細くカバーも少ないので、音質は硬質でCembaloの音に近いようです。
Mozartの時代になると、ハンマーの大きさも少し大きくなって、かぶせてあるフェルトも少し厚くなって来て、丁度、CembaloとPianoの中間的な音になります。
ChopinのPleyelPianoは、現代のPianoの音と比べて殆ど違いがありません。
フランスのエラールピアノは、double actionではありますが、ChopinのPleyelとよく似た音がします。パリの友人の家に遊びに行っている時に、hungaryからPianoの勉強に来ている人が自分のエラールピアノを故郷から持って来ていて、弾かせて貰いましたが、本当にChopinのような素晴らしい、美しい音がしました。
ChopinのPleyelのPianoは、Chopinの家を訪れた人は誰でも弾く事が出来て、その演奏はYou Tubeでupされています。proのpianistよりもamateurの人の方が、上手にPleyelの特性を引き出したりしていますので、面白いです。
ChopinのPleyelPianoで探して見てください。
Pianoを最初に作ったのは1700年頃にクリストフォリが制作した、とされています。
その次に有名なのは、オルガンの制作で有名なオルガンのStradivariとも称されるジルバーマンの制作のPianoですが、それを試演に行ったBachが酷評した事でも知られています。
昔々、ジルバーマンのPianoを修理して、その音を再現したのを聴く機会があったのですが、何と、その後のforte-pianoの音よりも、現代のPianoの音に近かったので、驚いてしまいました。演奏はBachの音楽の捧げ物を弾いていたようなのですが・・ヒョッとしたら、今でもYou Tubeで聴けるのではないかな??

せっかく詳しく解説書いてあるから、印刷してプログラムと一緒に配りましょうか?
いいね! ・ 返信 ・ 11月22日 15:01

それでも良いけれど??時間次第だな??
いいね! ・ 返信 ・ 11月22日 15:13

江藤先生の悪口が書いてあるのは不味いですね
いいね! ・ 返信 ・ 11月22日 15:15


悪口ではなく、**先生のmethodeでは・・?という意味でしたので、気になって、改めて読み返してみましたが、私にとっては、悪口には思えませんでしたけれど、一応、気になるのなら・・という事で、名前を伏せ字にして、一般論としておきました。violinを専門にしている人だと直ぐに誰の事かは分かりますがね。これは、悪口ではなく、それぞれの流派の事なので、立場の違いを述べる事は、悪口ではなく、優劣を言っている分けでもないので、全く問題はないと思いますよ??
11月23日 3:05


是非配布お願いしたいです。
娘と一緒に読みしたが、この文章にも解説が必要です??
11月22日 23:00


理解不能な所や、よく分からない所は是非、質問してください。自分では分かり易く書いたつもりでも、人にとっては分かり難い所があると思いますので、そういう所は、気長に書き足して行きたいので・・?
11月23日 1:44

いえ、彼女の場合は日本語の問題ですが、理解できない箇所があった場合はお願い致します(???)!!
11月23日 9:08


ああ、日本語の問題なら、小学生から高校生まで、オケのmember全員です。オケのlessonは、殆ど日本語の説明で終わっています。ハイ!
11月23日 9:14


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11月21日 19:34 ・

「baroque-concertへの解説No.2」
A 4人で演奏するのに、なんでトリオ(3)・ソナタなの??
 ついでに、通奏低音(basso continuo)とか数字付きバス(bezifferten Bas)とは何??
G programにRealisationとornamentと書いてありましたが、それぞれどういう意味ですか??


「本文」
「A 4人で演奏するのに、なんでトリオ(3)・ソナタなの??

 ついでに、通奏低音(basso continuo)とか数字付きバス (bezifferten Bas)とは何??」
ピアノトリオというと、ピアノと他の楽器2台で演奏する事を言うのですが、トリオ・ソナタというと、同族楽器と通奏低音の楽器とチェンバロ等が入ります。分かり易くviolinで言うと、violin-solo1,solo-2とcello(若しくはgamba)にチェンバロが入って4人となります。この説明は「但し、」だらけなのですが、チェンバロの人は本当は、celloの楽譜を見て、celloの楽譜に書いてある数字を見て右手を即興で演奏します。ですから、楽譜上はviolin1とviolin2とcelloのトリオになるのです。

「G programにRealisationとornamentと書いてありましたが、それぞれどういう意味ですか??」
これはbaroque時代の総ての楽譜は同様で、現代の譜面では便宜上一応右手の数字を音符に直した楽譜が書いてありますが、この音符に書かれた数字の事をドイツ語で、 bezifferten (数字の振られた)Bas(低音)と言います。jazzのコードと同じだと思えば良いのですが、低音の動きは決まっているし、和音の動きも和声学である程度決まっているので、即興と言うよりも、作曲家の速記法だと思った方が良いでしょうね。この数字を音符に直す事をRealisationと言います。baroque時代の楽譜では、音符をこんにちのようにそのまま弾くことはありません。corelliや沢山の作曲家達が自分の書いた音符をどのように演奏したら良いのかの模範解答を書いています。下の譜例Aは下の段が書かれた音符で上の段が実際に演奏する音符であるという意味です。それをornament(装飾)譜と言います。Christmasのornamentと同じ飾りという意味です。これも、記譜上の楽譜はあくまで骨格だけで、肉付けは演奏者が自分でやらなければなりません。




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11月21日 19:54 ・

「baroque-concertへの解説No.3」
「B baroqueの奏法の特徴で、ビブラートをしないのは、どうして??」

音楽家達の一般的なbaroque時代の認識には、baroque時代の弦楽器の演奏家達は、vibratoをしなかった・・、酷い極論の場合には、baroque時代の人達はvibratoが出来無かった・・というのもあります。それは大変な誤解です。
確かに、baroqueの音楽家達が、現代の弦楽器奏者のように、常にvibratoを付けて演奏するような事はしませんでした。
baroqueの弦楽器奏者達が、vibratoを余り用いなかった理由は、現代の音楽と違って、音楽を純正調で演奏したからです。
和音の純正な3度と5度の響きをとても大切にしたからです。
今の音楽家達は純正で演奏する事は出来ません。
寧ろ、amateurの同族楽器のensembleの人達が純正を取る事が出来ます。
ブラスやグリークラブのような同族の響きの方が純正が取りやすく、vibratoを掛けると純正の美しい響きはvibratoのビブレーション(振動振幅)で、消えてしまいます。
私が留学中に食堂でよく論争をしていたかの有名なカール・リヒター教授もBachの演奏で優れた業績のあるミュンヘナー・カンマー・コアーでは、proの声楽家は一切雇わないので、その理由をリヒター教授に尋ねた所、「だってproの声楽家達はvibratoを無しに歌う事は出来ないだろう??」「vibratoは純正の響きを駄目にするからね!?」と言っていました。
しかし、勿論、歌でも、soliste達はproが歌います。しかし、proのsoliste達の発声法は、音楽大学で学ぶ発声とは、根本的に違うcantataの特別な発声法で歌います。
これは、全く別の世界のお話になります。
コンサート、冒頭のPachelbelのcanonでは、最初の入りの部分だけをvibrato無しで、純正の3度で演奏します。しかし、後は、皆様の聞き慣れた曲なので、違和感をあまり持たせないように、一般的な演奏で演奏します。
また、baroque時代には、曲のmelodieに必用なアクセント(accent)や、そのmelodieの頂点を表すような際立たせのvibrato等は、vibratoではなく、もっと表現の強いトリロやモルデントで表します。
vibratoは、装飾音の中の一つの表現型に過ぎないし、それよりも装飾音の方がより豊かに音楽を表現する事が出来ます。
装飾音はcrescendoやdecrescendoも表す事が出来ます。「チェンバロやオルガンのような楽器では、音の強弱は出来ない」とされていますが、それを装飾音で表現する事が出来るのです。しかし、日本で学んでいるような画一的で、感覚的な装飾音の入れ方では、その音楽表現をする事は、出来ませんがね??
教室のorchestraの子供達は、Vivaldi等のbaroqueの演奏と、DittersdorfやStamitz等の古典派の作曲家達のbowの弾き方、HaydnやMozart等の古典派の後期の作曲家達のbowを、弾き分ける事を学んでいます。それは弦楽器のbow(弓)が進化して来たbow(弓)の歴史と弓の使い方による、baroqueと古典派の音楽の演奏表現の違いを学んでいます。
こういった事が小学生でも出来るのは、弓の持ち方、楽器の構え方を、弦楽器の発達のルーツに從って、指導しているからです。
芦塚音楽教室の子供達が演奏出来る事が、日本の音楽家達に出来るとは、限らないのです。



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11月21日 20:35 ・

「baroque-concertへの解説No.4」
C スコルダトーゥラについて・・
J Canon、chaconne foliaのthemaと、rhythmに付いて、
L Greensleeves to a ground in C Dorischで、Greensleevesは良いけれど、groundとDorischってなあに??
K baroque時代や古典派の時代のorchestraや室内楽の並び方

「C スコルダトーゥラについて・・」
調弦を変える事をスコルダトゥーラ(scordatura)と言います。
教室でも、上級生がCanonを演奏する時には、Kontrabassの調弦は、下の弦からE⇒A⇒D⇒Gと4度に調弦しますが、Canonの低弦の音はD⇒A⇒H⇒F#⇒G⇒D⇒G⇒Aと、KontrabassのEよりも低いDの音が出て来るので、一番下のEの音をDに下げて調弦します。
これはギターでもよくやる調弦なのですが、これも立派なscordaturaです。
violinは勿論、下の弦からG⇒D⇒A⇒Eと調弦しますが、BiberのRosary Sonateでは、すべての曲が別の調弦をします。楽譜を見て演奏するのは不可能です。今回演奏するRosarysonate 9番は下の弦からC⇒E⇒A⇒Eと調弦します。楽譜を見て、実際の音を連想するのは不可能でしょうね??

「J Canon、chaconne foliaのthemaと、rhythmに付いて」
写真2はCanonの楽譜のpart譜ですが、celloとviolinの総てのpartを私が2Pageに纏めたものです。celloは、D⇒A⇒H⇒F#⇒G⇒D⇒G⇒Aの8個の音を28回繰り返します。violinはそれぞれ?で順番に弾き始めます。
終わりは当然、?で順番に終われば良いのです。こういった決まり決まった音の上にmelodieを作る事を、cantus firmus(定旋律)in Bas(バス)と言います。
シャコンヌやフォリアやパッサカリアにはそれぞれに定められたBasの定旋律上に、figuration(音型)を繰り返して行きます。
canonは日本語では遁走曲と訳します。意味は追っかけっ子という意味でしょうかね??遁走する・・とは、逃げるという意味ですからネ。

「K baroque時代や古典派の時代のorchestraや室内楽の並び方」
現代のorchestraの弦楽器の並び方は、舞台に向かって、左側から、1stviolin、2ndviolin、viola、celloと並ぶのが一般的です。例外的にviolaが弱いので、celloとviolaを入れ替える場合があります。
しかし、二次大戦の直前までは、寧ろ、Haydn並びと称される、Haydnの考案した並び方が一般的でした。でも、Haydn自身は、演奏の会場のlayoutで、その都度、orchestraの演奏効果が、最大に出るような並び方を、その都度、会場に合わせて、する事が多かったので、「Haydn並び」と決めつけられるのは、Haydn先生にとっては、甚だ不本意だったかもしれません。
いずれにしても、baroque時代の作曲法は、1stviolinと2ndviolinが対話をするように作曲される事が一般的だったので、最も効果的に対話の感じが出せるように、ステレオ型に並べて、対話の感じを出しました。
だから、baroque並びや、Haydn並びの場合には、1stと、2ndが相対するように、1st-violin、cello、viola、2nd-violinと並ぶ事が一般的でした。このviolaとcelloを入れ替えると、所謂、Munchen並び(型)と呼ばれる並び方になります。
Pachelbelのcanonの場合には、violinが1st、2nd、3rdになるので、Munchen並びの応用で、左側から、1stviolin、3rdviolin、cello、2ndviolinと並ぶ事で、音楽の立体性を出すようにしています。しかし、本当は、この並び方は、聞き合う相手が遠くになるので、音がズレやすいので、決して楽な簡単な並び方ではありませんね。一般的なオケ並びの、1stviolin、2ndviolin、3rdviolin、celloと並ぶ方が、音が隣合っているので、演奏する側に取っては、合わせがとても楽なのですがね??
教室の発表会で、Vivaldiやbaroqueのorchestraのsoloとbasso continuoのcelloとCembaloをorchestraの前に出して演奏させるのは、私の考案なので、歴史的な時代考証ではありません。教室独自の並び方です。
という事で、triosonateの並び方も、1stviolin、cello、2ndviolinと、ステレオ的に並びます。

「L Greensleeves to a ground in C Dorischで、Greensleevesは良いけれど、groundとDorischってなあに??」
Greensleeves to a ground in C Dorischも同じで、グラウンド(ground)が定旋律です。その定められた定旋律上にGreensleevesのmelodieをドリア調で演奏して行きます。写真4は有名なBachのMenuet(メヌエット)ト短調ですが、楽譜では♭が一つしか付いていません。つまり、ヘ長調のドリア調で作曲された・・という意味なのです。
ネットで見つけた教会旋法の一覧表を載せて起きますが、一覧表は「ハ調」(ハ長調ではありません。基準の音がハの音という意味です。)を基準にした場合なので、先程のBachのMenuetの曲は「ヘ調」を基準にしたドリア調が、現代のト短調になる・・という事です。

実は本日演奏するcorelliのla foliaもoriginalの譜面では、ハ長調で書かれています。
つまり、Greensleevesと同じで、corelli la folia in to Dorisch auf Cという事になります。

baroque時代の短調の曲は、Doria調で書かれる事の方が多かったのです。勿論、例外的ではありますが、長調の曲でもDoria調で書かれたcaseもあります。
Handelのharpsichordの組曲にその例が見受けられるのですが、殆どの楽譜の場合には、校訂者が調を書き直しています。
一般の人達が間違わないように・・という配慮なのでしょうが、私に言わせれば、余計なお世話ですがネ。
私達の場合には、寧ろ、Dorischで書いて合ったとしても、無意識に現代の調性で読む事が多いのでね。


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11月21日 21:03 ・

「baroque-concertへの解説No.5」
E pitchの色々
「古典調律とbaroquepitchのお話」

「古典調律のお話」

現代では調は平均律という調律法しかありませんが、baroque時代には、無数の調律法があります。
今回のコンサートでは、そのなかのKirnbergerの調律法という調律法で調律して、演奏する事にします。
baroque時代の調律法は重要な調律法だけでも、Werckmeisterの調律法、Kirnbergerの調律法、Vallottiの調律法、Youngの調律法、最も好まれているmeantoneの調律法等があります。
また、meantoneはA#、E♭等の種類に分かれ、YoungもWerckmeisterもそれぞれに1と2があります。
それぞれの調律法で、それぞれに特性が違うので、使う曲の調性や転調の具合でベストな調律法を選ばなければなりません。
Mozartはmeantoneの調律法を好んだとされます。
また、こんにちでは「Bachの平均律」とされている楽譜ですが、こんにちでは、あたかもBachが平均律を作ったと言われていますが、実際には、Bachは平均律を使用したことはありません。それは時代錯誤です。
Wohltemperirteというドイツ語の「wohl」を平均律と訳したのでしょうが、wohlには、平均律という意味はなく、「wohl(完全に)temperirte(調律した)」Clavierという意味で、それぞれの曲を、一番あった調律法で調律した・・という意味を書いています。
BachはWerckmeisterの調律を好んでいたそうですが、それはそれとして、適材適所に色々な調律で調律して演奏した・・と思います。
調によって、どの調律法が適しているのかは、それぞれの曲で、違うので・・。
ちなみに、今回使用するKirnbergerの調律法は、Bachのお弟子さんの調律法です。
Bachの時代には平均律は未だ確立してなくって、それに近い調律法があっただけです。
Bachが、平均律を推奨していたという事実はありません。
それも私達が平均律を使用しているので、それが絶対であると思う近現代人の手前味噌な勘違いです。
教室のorchestraの練習では、harmonytrainerというKeyboardを使用して指導をしていますが、うっかりとKeyboardの操作を間違えて、「平均律の和音の音」を出してしまうと、子供達からブーイングが出てしまいます。顰蹙ものなのですよ。
一般的に、平均律でしか和音を聴いた事のない人達には、理解出来ない事かも知れませんが、一度、純正調の響きを体験すると、平均律の和音の響きは我慢の出来ない程、汚い響きがします。
Mozartのピアノソナタでも、ミーントーン(meantone)で調律された演奏を聴いて見ると、「えっ??Mozartのピアノの音って、こんなに美しかったの??」と、カルチャーショックを受けてしまうのですよ。
近現代のorchestraのように、色々な調の楽器が集まって来ると、一番難しいのは、ド(C)の音一個を揃える事になってしまいます。クラリネットは変ロ長調で、ホルンはヘ長調で、etc、etc、でたった一つのドの音でもそれぞれの楽器の調の中のドの音になる音を弾かなければなりません。純正調処の話ではないのですよ。平均律の音を出すのが精いっぱいなのです。

「baroqueのピッチのお話」
baroqueを嫌う人でピッチが低いので・・と、言う人がいましたが、これは時代的なものだし、楽器の弦の張りの問題なので、如何せん・・どうしようもない事だ、と思います。
Beethovenの第9でも、Beethoven時代の演奏を、今聴くと多分ハ長調に聴こえるかもしれませんよね。
だから、pitchの問題を云々する人達は、baroqueに限らず、古典派の音楽に関しては、periodの演奏は聴かない方が良いでしょうネ。
今回のコンサートでは、3種類のpitchを使用します。
生徒達が演奏するCanonのピッチは、標準の演奏会高度の443cycleでの演奏です。
同様に、私の作品である、「Greensleeves to a ground in C Dorisch」の曲も、チェンバロの伴奏ですが、標準pitchの443cycleです。無伴奏のcello組曲のcelloの演奏は、標準pitchです。
同じ、Bachの無伴奏組曲のviola-versionにtransposeした曲なのですが、梨紗さんのbaroque-violaだけは、ヨーロッパのrecorderの標準pitchである436cycleで演奏します。
それ以外の先生達のbaroqueのperiod-Instrumentsでの演奏では、古式豊かに、スライド鍵盤によるピッチ(つまりG#をAに見立てて)で、A=418cycleで演奏します。
実際には、その他にも、もっと低いベルサイユpitchと呼ばれるpitch等や、色々なpitchがありますが基本的には、今はその436cycleと418cycleのpitchが標準だと思わるます。
教室の生徒さん達が、baroqueの音楽をbaroqueのpitchで演奏しないのは、教室の生徒達が全員絶対音感を持っているので、baroqueのpitchで演奏をすると、音符が読めなくなってしまうからです。
絶対音感がある人達が、baroqueの音楽を勉強する事は、baroqueのpitchと言う、大きなハードルがあります。
それは、baroque音楽を勉強する上では、絶対に避けられない問題になります。
音楽大学に進学するぐらいでは、そういった問題は生じないので、音楽に進む上での問題は全く無いのですが、もし、baroque音楽で
proの演奏家を目指すのならば、そのpitchの問題は訓練して、何とかクリヤーしなければなりません。
作曲家は、絶対音感を持っていたとしても、作曲のために、和声的な音楽進行の理解を即すために、移動ドの譜読みも出来なければならないのです。
Munchenの音楽大学に在学して居た頃には、オルガニストの学生の人が、絶対音の固定ドで歌う時には、ドイツ式で読んで、和声の時には、イタリア式のドレミ唱法で歌っていて、私的には、すっかり感心してしまいました。
そういった、使い分けも、modernのpitchとbaroqueのpitchでは、出来ませんから、そういったpitchを下げる勉強をするのが、無理な人達は、baroqueの演奏には近づかない事が懸命でしょうね。
歴史的な時代考証の問題なので、baroque音楽をmodern-pitchで演奏しても、period奏法にはならないので、そこは、個人でどうにかなる問題ではありませんのでね。
参考までに:baroque時代のpitchや古典調律に関しては、この私のFacebookの10月25日のコメントと、9月10日のコメントにかなり詳しく書いているので、そちらの方を参考にしてください。
ドツボにはまると、どこまでも詳しくなってしまうので、適当に逃げながらの、解説なので・・・。


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11月21日 21:22 ・

「baroque-concertへの解説No.6」
H celloのエンドピン
K Ferdinand Davidのchaconneについて


H番のcelloのエンドピンですが、19世紀の後半迄は、エンドピンは発明されていませんでした。
・・と言うか、viola da gambaとcelloの境目すら、曖昧で、5弦のcelloが主流だった・・という人もいるぐらいなので、時代考証的には、エンドピン処の話ではないのですよ。
だから、Beethovenは勿論ですが、Brahmsが生きて居た頃には、Brahmsのsymphonieを演奏する時でも、チェリスト達は全員エンドピンは付けていなかったのですよ。
それ以上に、violin属の肩当て、顎当てや、cello属のエンドピンは、全部、楽器の音の響きを阻害します。
それで、昔の演奏家達には忌み嫌われていたのですよ。
violinやcelloがmodern仕様になって、指板が長くなって弦の張りも強くなったので、響板の表板の裏側に弦の強い張りの力に耐えるために力木を入れて、violinが折れるのを防いでいます。表板の裏側に力木を入れることによって、弦の強い張りの力に耐えられるようになったのですが、自然な響鳴は失なわれることになってしまいました。
その強い弦の振動を、駒から表板に伝えて、中の魂柱を通じて裏板に振動を伝えます。つまり、baroqueとの一番の違いは、弦楽器の響鳴(共鳴ではありません。)を強制的に振動させるようになったので、あまり、violin、楽器そのものの、響鳴はそれ程大切ではなくなったのです。語弊がないように、確認しておきますが、響鳴が必用でなくなったのではなく、baroque時代程の響鳴は必用はなくなった・・という意味です。
baroqueの復刻のCembaloも、modern−Cembaloに比べて、響鳴が大きいのです。その響鳴で音を伝えているのでね。
こんにちでも、日本でのviolinの大御所と言われている**先生は「音が悪くなるから(響かなくなるから)・・」、って言って、生徒達には、肩当ては絶対に使わせなかったしね。
だから、当然、**先生の門下生達は、今でも肩当ては使わないですよね。
でも私的に言うのなら、それなら、顎当ても使わなければ、もっと良い音(よく響く)がするのにね・・??
ジプシーの人達は、violinを首に挟んで弾くよりも、手に持って、お客様の目の前に楽器を見せて、演奏します。
だから、肩当ても顎当ても、普通に使用していますが、必要性は非常に少ない・・つまり、なくても弾けるのです。
無ければ弾けない・・と、無くても弾ける・・では、基本的に違いますからね。※)
地方に行くと、方言で、江戸言葉が残っていて、感激しますが、地方の田舎のdanceの曲に、baroque時代のrhythmが残っていたり、民族音楽にbaroqueの様式の演奏法が残っていたりして、時折感激する事があります。
※)てな事を書くと、私が肩当てや顎当てを否定しているように思われる事がありますが、私は肩当ても、顎当ても否定した事はありません。教室では、幾種類もの肩当てを準備していて、その生徒に合った肩当てが見つかるように配慮をしています。(自分にはこれが合っているから・・と、総ての生徒に押し付ける事はしません。総ての生徒達はそれぞれに体型が違うのですから、合う肩当てや顎当てもちがうのですよ。)

KのFerdinand Davidのchaconneについては、10月の10日の投稿でかなり詳しく書いています。ピアノヴァージョンのVitaliのchaconneは底本をDavid版を使用しているので、Charier版等々も基本はDavid版と同じです。
Urtextと言われるBarenreiter版 やRicordi版も、底本の間違いの多さに、ちゃんとした楽譜が作れなかったようです。10日のコメントにも書いたように、facsimile版だったとしても、写本だと思います。作曲家本人ならば、絶対にしない間違いが多すぎるからです。
それよりも、chaconneも、la foliaも、舞曲なので、その舞曲の特徴を表すrhythmを使用しなければなりません。しかし、一般的に知られている大元のDavid版も、chaconneをarrangeする時には、舞曲としてはarrangeはしていません。その影響かは知りませんが、Barenreiter版もRicordi版も、chaconneのrhythmを使用していないので、今回、私のarrangeでは、そのrhythmを全面に押し出して、古式豊かに、chaconneらしくarrangeをしたつもりです。
それにしても、Vitaliのchaconneとcorelliのla foliaは、昨日の20日の日曜日迄でも、訂正改正をし続けているのだけどね??今、第何稿??もう、誰も分からんよ!!100稿は軽く越したかな??
1日に、3回も4回も改訂する事が普通なのでね。
写真1枚目は、ライプツィヒの図書館に所蔵されているVitaliの原本のfacsimileです。Vitaliのchaconneはこの版しか残っていないので、総てのchaconneの版はこの譜面を底本にしているのですが、これはどう見ても、写本であって、作曲家の直筆譜ではありません。ですから、この曲を底本にするには、クリティック(kritik=批評修正)が必用になります。
写真2枚目は、ネットからdown loadしたviolinを真っ二つに切った写真です。真ん中の棒が魂柱です。魂柱は上下の板(表板と裏板)で挟んでいるだけなので、violinの演奏の時の振動で微妙に移動します。良い音で弾くと、良い音の出る場所に魂柱が移動します。だから、楽器を鳴らせる人の楽器はよく鳴って、楽器を鳴らせない人の楽器は、音が出ないのです。



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11月21日 23:32 ・

「baroque-concertへの解説No.7」
I baroqueのviolaについては
baroqueのviolaは、viola自体が未成熟の時代だったので、violaの曲が非常に少なく、楽器もどの楽器の属の中に分類されるのか?が曖昧でした。今でも、ドイツでは、violaの事を、ブラッチョ(Bratsche)と言いますが、それはビオラ・ダ・ブラッチョ(viola da braccio)の略で、日本語では「腕のビオラ」という意味になります。つまり、baroque時代では、通奏低音等で、よくcelloの代わりに演奏されるヴィオラ・ダ・ガンバ(viola da gamba=脚のビオラ)の同族の楽器になります。下の文章では、私が昔々所有していたコントラバス(Kontrabass)の仲間であるヴィオール属のヴィオラの話が出て来ますが、そういう風にbaroqueの時代では、未だどれがヴィオラのパート(part=この場合には、中声部を意味しますが・・)を演奏する楽器であるかは、曖昧で、そのために、楽器自体も非常に珍しく、今、残っているヴィオラを見つける事自体が、非常に難しく、そういう事で、即、私の元にやって来た(買った)のですが、教室でorchestraーcurriculumの中で使用するには、教室が演奏する時のbaroqueの音楽は子供達の教育のために、baroque−pitchではなく、modern-pitchのままなので、baroque−violaは、baroque音楽を演奏する演奏のチャンスがないままに、ハイツのお蔵で、寝ていました。(私の自宅である江古田のハイツには、未だ日の目を見る事のない、そういったカンブリア紀に属するviolin達が多数、出番を待っています。)
Bachの無伴奏という曲は、学術的で発表会には向かないので、梨紗ちゃんが受験のために、Bachの無伴奏を勉強してから、音楽大学に入学後に、そのままBachの無伴奏の勉強を続けて行ったので、発表会でも、その組曲の中の1曲ぐらいは、発表会の幕間で演奏しても良いのかな??と言う事で、おさらい会や発表会の幕間でbaroqueのperiod奏法の勉強としての演奏を発表する事にしました。本格的に、Bachの無伴奏の勉強を始めたので、梨紗ちゃんに私の秘蔵っ子の本物のbaroque-violaを貸す事にしました。(本物‥・という意味は、復刻楽器ではなく、当時の楽器そのまま、・・という意味です。)
私は、昔々には、ヴィオール型(Kontrabassと同じで、背中が真っ平らな)baroque-viola(Renaissance-時代のviolaかもしれませんが)を持っていて、「ヴィオール属のviolaだ!」と言いながら、時々、演奏会で、violaの代わりに外でも弾いていたのですが、お金に困った時に、仕方なしに、売る目的で、ミュージックプラザに預けていたら、売れないままに、2,3年経った頃、いつの間にか失くなってしまいました。箱型のviolaなので、面白いけれど実際の演奏にはあまり向かないし、当時は先生達に未だbaroqueの奏法は教えていなかったので、私自身に、あまり、古楽器に対しての思い入れが無かったからです。
大変珍しい二度と手に入る事のないviola da braccio型かヴィオール属のviolaなのですが、もう既に寿命を迎えていて、演奏には向かない、どこかが壊れても、もう、修理不能なviolaという事で、私が、養老院代わりに、購入しました。
実際の演奏で使用する事は出来なかったので、たまに、orchestraで私がviolaを演奏する時に、面白半分に持って行って演奏するぐらいだったので、お金に困った時に、必用のない楽器という事で、一番最初に売り払おうと思ったのですがね。
今だったら、私達は古楽器の演奏をやっているので、かなり楽器の価値は上がっています。
そういった意味では、楽器屋が、なくしてしまったことは、私としては、非常に残念なのですがね??


それにしても、私の所有するbaroqueのviolaは、演奏する機会がなかなか無いままに、ハイツの自宅で眠っていたので、ティールピースや指板等は、ミュージックプラザから買った時のままの状態で、baroque仕様の復刻はしていません。
今回のコンサートには復刻は、間に合わないので、次回のコンサート迄には、復刻して完全なbaroque仕様にして、お目見えしたいと思っています。復刻とは言っても、内部を弄るのではなく、指板の交換とティールピースと駒を変えるだけなのですがね。内部はbaroque時代のままなので、寧ろ見た目の話なのですが・・ネ。

「梨紗さんが演奏している、写真の楽器は今回コンサートで演奏する私のモノホンの大変めずらしいviolaです。
本当はbaroque仕様に復刻してから写真を載せるべきなのでしょうが、・・Before-Afterも良いのかな??」


今日、violaの復刻を、ミュージックプラザにorderを出しました。
細かいorderは、工房の人とするので、楽器を届けた時にします。
・・・・という事で、来年は完全な形のbaroque‐violaをお見せ出来ます。







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11月23日 19:27 ・
夢のような時間でした??
娘たちもいつかこんな舞台に立てるかなぁなぁんて想像してドキドキしてみたり(親バカ全開ですみませーん、想像するのはただだからねっ!)
私も仕事がんばろうっと!




芦塚メトードでは、三つの条件さえ守る事が出来れば、夢を叶える事が出来るとお約束しています。
その三つの条件は別に極秘でも無いので、どなたにでもお教えしているのですが、難しい事は難しいようです。
その
一番目の条件とは、その夢を叶える事が潜在意識的に一番目の夢であるのならば・・、と言う事です。
アスリートやバレリーナを目指す人達が、学校とか家庭との生活とぶつかってしまう話をよく聞きます。
職人を目指す人達は職人の生き方をしなければならないのですよ。
何時もお話をしているので、耳タコですかね??
11月24日 22:01

知っているのと行動できるのと、違いますがねd( ̄  ̄)??
あと条件二つは何でしょう?
11月24日 22:36

二つ目の条件
とは、その夢と本人や家族が望む夢が合っているのか、否かです。
proにも段階があるので、どのlevelのproを目指すかで、勉強の条件も変わって来るからです。
それと、男性の場合には、音楽のproになる、という事は、音楽をタツキにするという事なので、それ相応の勉強をしなければなりませんが、proのオケに入団する事や、演奏会を開く事は大した事ではありません。

その程度の夢ならば、演奏出来る曲のレパートリーをちゃんと作れて、プロモーションの方法論を覚えるだけで充分なのですよ。
でも、ソリストとして音楽だけで生活をするのは、それなりの意識と勉強が必要だという事なのですよ。後のadviceは、自分が完成して、勉強する事はない・・と思ったら、その時は、音楽家である事を止める時です。音楽大学を出ただけで、音楽家であると勘違いをしている人達の音楽を聴く気はありません。もっと優れた演奏は幾らでも聴く事が出来るのでね。
道に至らなくても、その努力を続けている人達を見る事は、もう齢を経た私達にも勇気とエネルギーを与えて来れるのですよ。
音楽の完成度なんて、どうでも良いのです。それに向かう姿勢が大切なのですからね。
11月24日 23:08

三つ目の条件は、自分を正しく導いてくれる優れた指導者です。

世界の音楽を勉強する学生達には問題はないのですが、日本人だけのブランド志向の気質が問題点なのです。
日本では、どんな分野でも、親方日の丸が一般的なので、有名演奏家や、有名大学の教授等が優れた指導者とされます。
しかし、私に言わせれば、それだけ目的意識を持った直向きな生徒達をproに出来ないのは、とても、優れた指導者とは言い難いと思うのですがね??

病院に入院する時でも、何が何でも、東大病院が良いとか、大学病院のい友人の方が良いが良い・・とされますが、本当の名人はフリーランスの人が多いのですよ。
ドクターXとは関係はありませんがね。
私も、大学病院を逃げ出して、当時は地方の病院の先生に過ぎなかった先生に手術をして貰いましたが、命が掛かると、親方日の丸でもないのよね〜ぇ??

もっとも、大学病院の先生は、「何処に行っても、同じですよ!」と、怒っていましたがね??
「手術は、人工心臓でやるので、50分ぐらいしか心臓を止められないので、三つ詰まった血管の1本しか助けられないので、寝たきりになったとしても、生きていれるから!」と恩着せがましく言われても・・・(その事は病院の先生は言わなかったので、私が確認をしたのですよ。「この血管は脳に行く血管なのですよね。それなら、手術が終わったら寝たきり・・になるのではないですか?」と質問したら、嫌々ながら、「そうだ!」と答えていました。)人の迷惑になりながら生きて行くのも、結構重荷なのでね。逃げ出した病院の先生は、人工心臓を使わなかったので、時間の制約が無くて、3本ともバイパスを作ったのですよ。「この血管をこっちの血管に繋いで・・!」とかね・・??今では、こちらの手術が一般的になって来ていますが、私の時には、まだ出来る先生は、一人、二人だったのですよ。
その先生は今は親方日の丸の総代みたいな人になっています。
野にいても、有名になると、権力志向になるのかね?? 
ヨーロッパの音楽界では、演奏家と指導者は独立していて、演奏家をしながら、指導者を兼業をする事は出来ません。兼業出来るのは作曲家だけでしょうかね?それでもホームレッスンは出来ません。しかし、作曲だけは、作曲だけでは生活出来ないので、音楽大学でも指導出来るようですがね。
でも、私の友人が
「優れた指導者を見いだして、人の意見や、名声に揺らがない事も、一つの才能になるのだよ!」と言っていたのを聞いて、「なるほど!!」と、感心してしまいました。
一流の演奏家ともなると、目が曇らないのだよね〜ぇってね?? 
逆か??・・目が曇らないから、一流になれたのかね??
11月24日 23:31

 よく勘違いされるのは、
「proを目指すならば、努力と忍耐が必要だ!」という事なのですが、芦塚メトードでは、そんな「かったるい事!」は必用はありません。もし、その人が、「音楽が好きだから、音楽を勉強したい!」という事ならば、音楽にどっぷりと浸れる事は、楽しい時間なはずですからね??もし、その楽しいはずの時間が辛い、忍耐を必用とするものならば、それはその練習法が間違えているのか、練習の目的が間違えた方向に向かって練習しているからなのですよ。その間違いを正せば、音楽を勉強する事で、辛い事は一つもなくなるはずです。
11月24日 23:16

昔、私が指導した事のあるproのピアニストの女性が、Pianoに向かって、一日中、一生懸命練習しているのに、色々と問題点が直らなくって私の元にレッスンに来たのですが、1ヶ月も、2ヶ月も指導しても直らないので、「私の言った通りに練習しているの?」と聞いたら、
「ちゃんと、毎日、4時間は練習しています。」という返事だったのですが、それでも治らない事を不思議に思って、更に質問をしてみたら、私の言った練習法を「3時間、4時間やると、精神的に追い詰められてしまうので、気晴らしに残りの6時間、7時間を自分の思い通りに練習している」と言っていました。
それじゃあ、幾ら練習しても、変な癖が取れる分けはないよね?と言う事で、レッスンは、私の友人のproのpianistにお任せしたのですが、半年も経った頃、そのpianistの友人から、「ありゃ、無理よ!」と泣き付かれてしまいました。その後は・・、「多分、破門された!」と思いますが、知った事じゃなのよね?
11月24日 23:24

教室の講師の先生の面接をするために、音大の卒業生を面接した時のお話ですが、私が
「教室では子供達に音楽の楽しさを教えて、音楽を好きにさせて欲しいのです。」と面接をした人に言ったら、「音楽は楽しいものではありません。辛い厳しい練習に耐えて、音楽が上手になるのです。」と反論されてしまいました。
「音楽を楽しく・・」と言ったのが、「子供達に迎合して、コマソンやアニメの曲でも指導しろ!」と言った風に、誤解されたようです。「Classicの音楽そのものが、楽しい美しいものだ!」とは、信じてくれませんでした。「Bachはつまらない教科書か、参考書のようなもので、sonatineやHaydnのsonateは教育教材である・・そんなものが楽しい美しい曲である分けはない・・」と、信じていましたね。
「じゃあ、音楽やって楽しいの??・・」
と、聞き直したい所ですが、・・いやさ、それじゃあ、堂々巡りだよな??音楽の楽しさ、素晴らしさを教えないのなら、生徒達が音楽を嫌いになって、教室をやめて行くのは当たり前だよね??
11月25日 6:19

先日はありがとうございました。そしてアップロードもありがとうございます。
214回も再生されてる・・・!
11月25日 0:40


初めてライブ動画というものにチャレンジしてみました??
ケータイを横にして撮ったら、こうなっちゃったので、次回は縦で撮ります!
勉強させていただきました(???)

りささんカッコよかったです??痩せたいと言っておられましたが、痩せない方が舞台映えすると思います!
11月25日 18:01


どなたが生徒さんかは分からなかったのですが??
いらしてたら、ありがとうございました!
いいね! ・ 返信 ・ 11月23日 21:07


今度のレッスンできいてみます!
11月23日 21:12

あ?横になってる、、、
11月23日 19:30


行きたかったのですが、都合がつきませんでした。生徒に勧めたけど、行ったかな?

画像が横になってるけど笑
耳から入る音楽に変わりはないから大丈夫?
すごいすごい素敵だったのね????
やばいわ???
目 閉じたら天国行っちゃいそう(?>?<?)??
11月25日 9:33


そーなのよ。
横になっちゃったの。
ライブは縦で撮らないといけないみたい。
会場で聴くと、天井に上った音楽がふたたび降りてきて、本当に幸せな気持ちになれました??
11月25日 18:03




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11月23日 18:00 ・

さぁ、楽しい音楽のはじまりです!
(のだめカンタービレ風)



昨日は素敵なお花ありがとうございました。準備、片付けなどもお手伝いいただき助かりました。
11月24日 8:13

とんでもない!
楽しかった!
11月24日 12:15


23日はお花まで用意していただき、本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
11月25日 23:23


とんでもないです!

本当に楽しかったのです??娘もあっという間だった!と、充実した時間だったようです??
また楽しみにしています!
11月26日 21:40





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11月24日 20:44

昨日は、大変ありがとうございました。お久しぶりでお会い出来たり、色々とお手伝い頂いて、大変感謝しております。コンサートの報告のPageを作成しなければならないのですが、コンサートの前から、目が痛くてメガネをかけていられないので、パソコンの画面を見る事が出来ません。それに、未だ、写真や動画が、ハイツに来ていないので、dataが集まって、目の痛みが取れたら、改めて、baroque‐concertのご報告をしたいと思っています。


それはそうと・・どうして、文字が巨大になるのかな?文字数がある程度行くと、通常の大きさに戻るようだけど・・。スマホの設定のようだけれど、余計なお世話だよな??

文字が大きいのは余計なお世話ですね。笑

昨日はとても良い時間をありがとうございました?興奮してしばらく眠れませんでした??

目も痛いんですか??神経痛ですかd( ̄  ̄)?
お大事になさってください、我らが大先生!
11月24日 22:34

結構昔から、左右の目のピントが大きくズレていて、そのために、メガネをちゃんと作る事が出来ません。左右を均等にぼかして作ります。目からの肩こりや偏頭痛は長年続いていたのですが、それが歳とともに治るのではなく、酷くなって来て、年に何回か、酷い眼球の痛みに苦しめられます。こうなると、冠動脈からの肩こりか、目からの肩こりか、脳梗塞からの肩こりか分からなくなってしまいます。
11月25日 2:09

「目が痛い」と思っていたのですが、なんとそれは帯状疱疹の始まりだったのですよ。12月も正月休みに入って寝込んでしまいました。
17年3月31日7:20

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レンブラントの絵画の夜警のように、薄暗い中に夜明けを告げる鶏の鳴き声が聞こえて来ます。
夜明け間近い帳の中からはナイチンゲールの鳴き声も聞こえています。
11月25日 5:35

何時の頃だったかは忘れてしまいましたが、テレビを見ていたら、夜警の絵画のあの深み(渋み)は絵の具のニスの経年劣化による誤解で、Rembrandtが描いた当時の色合いをcomputerで再現した映像を見たのですが、Rembrandtがあの絵を描いた当時は夜警ではなく、これから出動する軍隊の明るい昼中の光景だったそうです。ニスの汚れは今は取り除かれて、明るい「夜警??」になっているそうです。
(・・パソコンに入力する時に、目が痛くて、メガネをかけられないので、文字が全く見えなかったので、・・
「夜警ではなく、夜景になっていた」・・と指摘を受けました。
慌てて訂正しました。)
Rembrandtの絵画に何処にも鶏の声も、ナイチンゲールの声も描いてないのですが、何処にそんな鶏の事が描いてあるの??とも指摘をされたのですが、それは昔々、未だRembrandtが夜警の出動前の風景を描いたものだ・・と信じられていた頃の解説を鵜呑みにして覚えていたので、それをそのまま思い出して書きました。

昼間じゃぁ、鶏もナイチンゲールも鳴かないわな・・??
11月25日 5:45

なんで、Rembrandtなの??と、聞かれてしまったので、そのお話ですが、Renaissanceの時代からbaroqueの初期、中期にかけてのBiberやPachelbel等の作曲家達の作品では、非常に静的な・まるで宗教画を見るような痛々しさを伴った作品が書かれる事が多くあります。

そういった描写的な静的な音楽は、baroqueも後期に差し掛かると動きのある壮大な音楽に取って変わって、それ以降はどの時代の音楽にも現れる事はありません。

また、そういった静的な音楽の次には、楽しい舞曲が演奏される事が多いのですが、静的な曲とは真逆に、素朴で、実に可愛らしい単純(primitive)なmelodie作曲されている事が多いのですが、この素朴さも、baroqueの初期、中期時代だけの特徴になります。

そのルーツは王宮のマヌカン達の踊りであったり、la foliaやchaconneのように、源流は、粗野で卑猥な酒場のdanceであったりします。そういった音楽がbaroqueの音楽には歴然とあるのですが、古典落語のように、ひねりが分かれば、とても面白いのですが、それが珍紛漢紛なら、baroqueの音楽は、宗教音楽のように面白くないのですよ。
(一般的なお話なので、宗教音楽から怒られそうなので、補足説明をしておきます。宗教音楽は、歌っている歌詞が分かると、テレビで物語を見るようなstory構成になっていて、テレビや映画の代わりの、民衆の娯楽にもなっていて、また同時に宗教の教育にもなっていたのです。
丁度、一休さんの説法のように、怖いけれど、民衆の心を引き付けていたのですよ。)

舞曲には、時折登場するhemiola(フェミオラ)のような、独特のリズム(rhythm)も音符で演奏していては、stepにはなりませんからね。
11月25日 6:49



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11月26日 17:11 ・

おまたせいたしました。先程、動画がギガ便でハイツに届いたので、早速、You Tubeにuploadしました。
残りの4曲は、今暫くお待ち下さい。
dataが到着次第、また、uploadする予定なので・・。
検索はbaroque‐concert さや堂ホールでも良いのですが、上手く行かない場合には、402a42kaのaddressでサーチして見てください。

夜には残りの後半の曲の動画もギガ便で着いたので、早速、trimmingして、You Tubeにuploadしました。
梨紗ちゃん、videoと写真、ありがとう!
今回は色々とハプニング続きでしたが、皆様のお陰で、万事恙なく行きました。
感謝です。ハイ!
11月27日 9:27



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11月27日 10:57 ・

「今日は久しぶりのオケ練習です。」

・・てな事はないよね??
ちゃんと、先週の日曜日もlessonしたもんね?? 
・・間の水曜日に、baroque‐concertが入ったので、もう一月も経ったような気がします。
あれは、何時の頃だったのだろうか??
(何だろね〜、このコメントのデカ文字は・・?? あれ? 文句を言ったら直ったゾ??)
気を取り直して、先週のオケ練習のlessonpointを思い出さなければ・・!!
「さあ、冬だ!冬だ!!」
クリスマス会迄は、後、何回日曜日があるんだ??
・・後、何回オケ練習があるのだ??????
「怖〜!!」



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11月28日 6:10 ・

「クリスマス会で演奏するVivaldiの四季の冬の練習の助けに・」

Vivaldiの四季より、冬です。
クリスマス会の冬versionもありますが、クリスマス会では人形劇の劇中音楽で、演奏が寸断されるので、クリスマス会の演奏ではない八千代のコンサートの風景です。クリスマス会の演奏は、14年のクリスマス会と15年のクリスマス会でも、冬を演奏しているようなので、そちらも参考にしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=Cg7B3sE-MUw
それはそうと、同じように参考までに、発表会か八千代のコンサートの春のYou Tubeにuploadした動画を探したのですが、何と、不思議な事に、夏と秋はあったのですが、春だけが、コンサートは勿論、練習風景も、upしていなかったのですよ。でも、今更、発表会か八千代のコンサートの動画をuploadしても、しかたないよね??
今回の企画は、クリスマス会とは言えども、四季のsoloのpartを小学生が演奏するのは、初めての事です。多分、世界的に見ても、超珍しい事だと思います。
という事なので、頑張ってくださいネ!!!

Vivaldi Le quattro stagioni L'Inverno
2011年12月18日八千代市生涯学習プラザ主催のクリスマス会での演奏です。芦塚音楽教室の生徒さんとOB・OGによる芦塚室内弦楽合奏団の演奏です。指揮は芦塚陽二先生です。 今回14年12月の千葉教室のクリスマス会で新しい小、中学生のmemberで冬を演奏をする事になったので、参考までに前回の演奏をuploadする...

iちゃんとsrちゃん頑張って下さい!
私、この動画探してました!ありがとうございます??
11月28日 13:44



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11月28日 14:52 ・

「光陰は矢の如く・・」

オケ練習のお話ですが、Dittersdorfの練習で、先週、先々週と、オケ練習で私が注意した事が今回、全く出来ていなかったので、「え〜つ?」と思ったのですが、ふと思いついて、
「この中でDittersdorfが初めての人、手を挙げて?」と、言ったら、ズッコケてしまいました。な、な、なんと!! 上級生のskaちゃんとcntちゃんを除いて全員初めてだったのですよ。
(risちゃんは公休で、他の上級生達のmemberは、もっと後の時間のオケの曲からの参加なので、Dittersdorfには参加していないのですよ・・)
「え〜つ?前回、Dittersdorfを演奏して、そんなに経ったの??」と、聞いたら、krnちゃんが、4年生の時に演奏したのが、最後だったのだそうです。・・だとしたら、もう4年以上経ったのだよね。
常設曲なので、私の頭の中では、耳タコで、つい前々回ぐらいに演奏したものばかりと思っていて、殆どの生徒達が演奏の経験があるものだとばかり思い込んでいましたがね。
いや〜ぁ、まさに「光陰は矢の如く、」ですね〜ぇ??

「少年老い易く・・」の時間にかんしては、私にはもうありませんがね??
それで、Dittersdorfの演奏法の説明とHaydnのcelloconcertoの留意点や、古典派としての、定石の説明等々で、練習時間が膨れ上がってしまい、後半の練習のprogramの曲が殆ど割愛されてしまって、またまた、私の「Handelのpassacaglia」が練習が出来なくなってしまったのですが、本当は、私の指導は、様式で奏法の技術の練習をするので、baroqueと古典派の演奏の指導は1曲きちんとそれぞれの曲の中の重要なpassageの細かな練習のpointを絞り込んで練習すると、「以下同文・・」で他の曲のpointの練習も出来てしまうのですよ。
その曲を練習しなくても、前の曲がちゃんと弾けるようになれば、後の曲も上手になるのですよ。
「それにしても、Haydn先生とDittersdorf先生はどちらが年上か分かったかな??」

それはそうと、Dittersdorfのviolin-concertの解説のPageがhomepageにあったので、URLを下に書いておきますので、一応、見てみてください。瑞希ちゃん達には、内容を理解するのは、チョッと難し過ぎるかも知れないけれど、発表会迄には、少しずつ、理解出来るように、梨紗お姉さんや千夏お姉さん達に、分からない箇所や言葉を質問をして、勉強してみてください。
音楽大学の大学生でも難しい領域なので、未だ、分からなくても、理解出来なくても、分からないのが当たり前の論文なので、今は分からなくても、気にしないで、少しずつ理解出来るようにしましょうね。     http://music.geocities.jp/ashizuka_sensei/dtsd-vcct.html...
11月28日 15:52

とりあえずコピーして先取り学習します!母!
11月28日 23:09


殆ど、専門用語の羅列で、読み難いと思いますので、理解不能な所や分からない所は、遠慮なく、Facebookで質問してください。分かる範囲内でお答えします。
11月28日 23:20

とりあえず一楽章の部分を読んでみましたが、読めました。
分かりやすかったです(???)
三楽章のところが難しそうですね、、酔っ払ったのでまた今度。
5歳の子が弾いたとは!!トモハルが5歳なので、ビックリです。。。
11月29日 0:18


女の子は5歳ぐらいはとても成長が早いので、男の子を見ると、その差に驚いてしまいます。女の子と男の子の成長の格差がなくなるのは、高校の2年生ぐらいだと思います。それまでは女の子の方が、全てに有利なのですよ。本当は体力もね・・!!
11月29日 2:58


音楽を聴くと、Dittersdorf先生の方が古い時代の人のような気がするけれど、実際には、Haydn先生は1732年の産まれで、Dittersdorf先生は1739年の産まれだから、Haydn先生の方が7歳も歳上なのだけど、死んだ年が、Dittersdorf先生は1799年で、Haydn先生は1809年なので、その後10年後まで生きていたのですよ。
でも、この1790年からは、Cembaloがforte-pianoに取って代わられて、同時期には、Tourteが、今の現代の弓を発明して、それから音楽のstyleが全く変わった時期なのですよ。
だから、この10年の差は大きいのです。Haydn先生の音楽がDittersdorf先生よりも新しく聴こえるのは、この10年の差にあるのかも知れませんね。
11月28日 23:30

この曲好きです。明るくてルンルンで、今にも踊り出しそうです!
(家に誰もいない時には踊りながら洗濯物干したりしてますが、、、恥)
いいね! ・ 返信 ・ 11月28日 23:53


この曲もhomepageで見つけました。何が書いてあるのか、知らないけれど・・・   http://music.geocities.jp/.../hyd-vccct-c1kth-no-soho.html

Haydn celloconcertoC1古典派の奏法
日本では、楽器を学ぶ時には、auftakt等の非常に細かい音符も含めて、常に非常に正確なrhythmで演奏するように…

11月29日 3:39


難しいね〜 知られた例なんかでは、オーストリーの連中はウインナワルツの音の間隔をこうとる、、なんて、聞いていると分かるんだけど、そのリズムを頭に浮かべながら弾こうとすると、聞いている人にはなんかギクシャクして。
以前、コンセルトヘボウのマティネでイタリアのすごく上手なアンサンブルが演奏していて、最初のイタリア人の曲は素晴らしかったけど、バッハになったら聞くに堪えなくってでてきちゃった。友人が言っていた、みんな自分の言葉で歌うからってのがよくよく理解できた日でした。
ヨーロッパでも踊りに源を持つ曲の演奏はちょっと大変ですよね。
DNAに刷り込まれたなんて簡単にいうけど、、、それならほかの国の人は弾けないじゃない。 
頭で理解してってのもありそうだけど、インドやトルコの音楽のリズムなんて普通の人間には理解不能、、、でも、聞いている限りは素晴らしいんですよね。
演奏法なんてのもあるけど、それだってごくごく一般的なルールでしかないし。
でも、その土着のリズムが、フレーズを作って、章を作ってなんてなると、困っちいますよね。
えい、そんなローカルにかかわるのは面倒くさい。それから全く離れて、これはあくまで自分の(たいがいは人類全般に通用する、「ゲージュツ的な」)演奏だっていう弾き方も天才には許されることかもね〜
11月29日 10:44


書かれた音符と、実際に演奏される音符は楽器の種類によっても、その常識が違います。先程のauftaktにしても、私が音大生の頃は、Pianoの先生から、BachのFrance組曲等で「16分音符なので、もっと鋭く!」と何時も叱られていたのですが、歌のpartのauftaktならば、実際の音価よりも長くするのが普通です。Haydn時代には、notes inegalesという奏法があって、慣習的にそのように演奏された・・というrhythmがあります。何故、そんな昔の演奏の事を分かるのか?というのが、orthodoxな反論なのですが、これは書物にもそのnotes inegalesの奏法のことは詳しく書かれているし、また、baroquedanceや、古典派のMenuet等の踊りはchoreographyが残っているので、そのstepに從って踊る事が出来るようです。PolonaiseやMazurka等の音楽は、chopin等の作曲家の作品だけではなく、baroque時代の作曲家の作品からもありますが、これは時代区分によって踊り方がかなり違うようです。balletの世界ではsolisteが踊る場合には、かなり高度なTechnikを駆使して踊りますが、一般的な宮廷やポーランドで今も教育されているdanceは静かでゆったりとした直線的なstepのdanceです。音楽のimageと違い過ぎていて驚いた事があります。ポーランドでは一番基本となるstepを幼年時代から、少し高度になると、中学生ぐらい、高校生とstepの技術を上げながら指導学習させているようです。(baroquedance:王は踊る) baroquedanceの基本のMenuet等は、日本人の女性の人もgambaの伴奏に合わせて踊っているのを観に行った事があります。Wienertanzはlandlerから、発展したdanceなので、基本のstepはlandlerと同じです。しかし、このWienertanzの場合は、なかなか訛が難しくて、stepが取れないのは事実です。先程のchopinのMazurkaやPolonaise等は、pianistでも、楽譜に忠実に演奏するpianistと、少しその独特のrhythmを活かしながら演奏するpianistに分かれます。Arthur Rubinsteinのようなポーランド産まれのpianistでも、アメリカでの演奏では、訛を抑えながら、端正に弾くようにしているようです。私的にはMazurkaをMazurkaのrhythmで演奏するから、Mazurkaであって、もし、そのrhythmが書かれたままの、近似値的なrhythmであれば、Mazurkaと呼ぶのはふさわしくないと思っています。だからと言っても、日本人がMazurkaを弾いてはいけない!と言っている分けではありません。あくまでも趣味の問題です。でも指導者としては、そういう立場で指導するのはいかがなものか?と思います。民族の音楽は例えそのrhythmが理解出来なかったとしても、そういうrhythmで書かれたのだ!という事を理解させる必用はあるからです。でも、そのrhythmで演奏をする事を強制しているのではないので悪しからず!!
11月29日 11:16

ダンスメインの曲の場合は特に面倒でしょうね。バロックもロマン派以降であっても。 物理的な制約がありますし、だって、ダンサーがジャンプして空中にあるときにもう次の音がでていたりして、、、ターンしていても、シャッセしていても、リズムが合わなくなってしまう。それ以上に、踊りとしての制約、ダンサーが気持ちを入れて指の先、足の先をゆったりと延ばしているようなときに音楽で邪魔されれば絶対にカチンとくるでしょうね。だからどっかのエトワールが著名な音楽家の演奏を「あれじゃ踊れない」って拒否しちゃったりして。
でも、ダンスのリズムを使った音楽というのは昔の曲になればなるほど、作曲家はオリジナルのダンスのことが頭にあるのかもしれませんね。
11月29日 11:21


日本の歌舞伎のように、日本の伝統芸能である分野に外国人が入って来て、勉強をする事をやぶさかとする人はいないと思いますが、アボガド巻のように、異国で日本から離れて、別の発展をするのも、一つの文化だと思います。しかし、それを「日本の寿司である」と思われるのは、甚だ心外です。あくまでも、日本の文化から発展した、寿司を素材にした日本流の食である・・と、解釈して欲しいのです。そこが、落とし所かな??
11月29日 11:22

ヨーロッパの作曲家のプライドでは、Mazurkaのstepの無いMazurkaという名前だけの(danceの名前から来る印象だけで)そのstepの名前の曲を書く作曲家はいません。日本人はそういった事には、無頓着で、印象だけを曲のTitleにする人が多くて困ります。指導者としては、子供達がそのrhythmで演奏出来ても、出来なくても、「Mazurkaのrhythmは本当はこういうrhythmなのだよ!」と指導する義務があります。日本の音楽大学のように、「私はこう弾く!」では、生徒達がMazurkaに独特のswingがある事すら理解出来ないと思われるからです。ヨーロッパでは、列車に乗って、ホンの12時間も揺られていれば、本場の踊りを堪能する事が出来ます。そこがヨーロッパ人と、日本人やアメリカ人の一番の大きな違いかな??つまり、身近ではないのよね!
11月29日 11:29

所で、これは何の話だっけ??あ〜っ??Haydnのnotes inegalesの奏法の話ね??
11月29日 11:31

baroque時代や古典派の時代の序曲等では、そのdanceが未だ残っているので、notes inegalesで演奏する事の方が一般的です。
その一例として、https://www.youtube.com/watch?v=JSAd3NpDi6Q 
私もcello用と、viola用に作曲したのよね??誰か弾いてくれないかな??クリスマス会か発表会で、でも・・??

Handel - Sarabande
Title : George Frederic Handel , Sarabande Handel 's Sarabnande…

11月29日 11:35

そこが難しいですね〜 マズルカのリズムがないマズルカは確かにマズルカという名前に値しない。でもマズルカ風のってなると困ってしまいます。外国人が作る、そして演奏するマズルカは厳密な意味でマズルカを弾いているのかどうか、、、
でも、ローカルなものが国際的になって行く過程で、多かれ少なかれ、音楽だけでなく全部の世界で同じことが起こっている。
柔道だって、もはや日本の柔道の概念から外れてしまったかもしれない。
俳句の持つ季節感も国際的になると、こりゃなんじゃがほとんどですし。(Haiku Internationalという団体の幹事さんが嘆いていました。枯葉って言葉の持つイメージが、南国に行くと、棕櫚の葉っぱがどさっと落ちてくる危険なものになってしまうなんて)
地域的なものと、それが普遍的になる過程で失っていくもの。そして時代的なものでもありますよね。かって常識としてあったものが今は普通では見られないもの。バッハの時代の民族舞踊とショパンの時代のそれは違うかもしれないし、現代では見たことも、踊ったこともない人がそれをもとにした音楽を作ったり、弾いたりする。
イネガルって言ってもそれはあくまでPeriodの世界であって、現代ピッチ・テンポで、現代の楽器で、それも現代のホールでやれば、どこまで意味があるのかな〜なんて。。。思うこともあり、でもだからこそPeriodってことに頭の中で意識しておいてほしいって思いもあるし、、、、
その辺が「難しいのよね〜」なんですよ。
11月29日 11:45


柔道に限らず、日本の古武道は、今段々と得点性のスポーツ化しています。居合の先生に「会に入らないか?」と誘われて、「もう覚えているか、分からないのだけど?」と言って、少し覚えている型を指刀で披露したら、「それは古武術の居合ですね〜?」と驚かれてしまいました。私自身が化石化していたのですよ。子供の時に90歳ぐらいのお爺さんから、「それじゃあ、人は切れん!」と厳しく剣さばきを習ったのですが、今はそれはタブーだそうです。人を殺すための武道はありえへんらしいですよ。その内に、「その茶筅さばきでは、抹茶のマイルドな味は出せない!!」とか言われたりして・・・!アハッ!
11月29日 11:45

あぁ、同じような感じを持っているのですかね。
私は、企画する方だから、ほんらい道具が持っている美なんてものを、今や鑑賞するだけで見ているってのに、助かっていたけど、不満でもありました。
お茶なんかでも、お許し(お免状)もらうのに、バカ高いお金を払う。でもこれで道具としてあるものが、美術館に収蔵されて観賞用だけになってしまうのを防げるんだって思いがありました。
まあ、刀を持って、「殺せてなんぼ」なんて評価は、現在はあり得ないのですけど、、、
11月29日 11:49


京都に行った時に、ホテルで、U30の和服の女性が、緑茶を入れて茶筅でお抹茶のように泡立てて出してくれました。まるでお抹茶のようでしたが、古式豊かな一流派の茶道なのだそうです。お茶を飲んだ代わりに、うんちくを言われたのですが、難しくて直ぐに忘れてしまいました。
11月29日 11:50

あっちの方ではいろんな煎茶の流れがあるようですね。仏教でもそれを扱うところがある。
時代に合わせるってことを、茶道で言えば、表は比較的に昔風を守り、裏千家は新しいものに合わせて行こうとする。千利休がそれを見越していたのかは不明ですけど。裏千家の方がお弟子は多いのですよね、、、残念なことに。
歌舞伎だって、新劇、前進座なんてのが出てきてますし、それ以降もね。
家の近くでは民間の雅楽を練習している団体があります(踊りも一緒に) 練習しているのが聞こえてくるんですけど、テンポが宮内庁当たりの楽部のに比べれば、速いんじゃないかなって、、、それが当世風なんでしょうか。
もっとも、バレエの衣装の裾が短くなってきたのも同列に考えられるかって言うと、考えたくないですけど。あれは単なる商業主義っていうと怒られるか。ごめん。
11月29日 12:03



なんで、文章が消えてしまうのだろう??不愉快だよな??ドイツで買った古い時代のコレオグラフィーの絵です。


2016年12月28日 19:50

それが、更に群舞になると、複雑怪奇な、まるで絵のような動きになります。



2016年12月28日 19:51

この一つ一つが足の動きを表します。

2016年12月28日 19:51

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11月29日 22:06 ・

「8月から12月迄の体調不良の日記1」
「腰痛・・というか坐骨神経痛と言うか、股関節の・・、と急性下痢」
7月31日は「長崎への最後の旅」の始まりの日でしたが、その出発の日の深夜から次の日の朝にかけて、高速の道路を運転中のお話なのですが、急性の下痢と大腿の付け根部分の激痛で、運転の座席に座る事もままならないようになってしまいました。8月の2日には長崎に到着しているはずだったのに、北の社や広島北でウダウダとして、高熱も出て、長崎迄、車を走らせる事が出来るだろうか??という事すら、疑問になってしまいました。何とか長崎に辿り着いても、長崎にいる間は当然の事ですが、それ以降の東京に戻って来た後でも、腰痛と坐骨の痛みで椅子に座れなくなってしまって、総ての仕事に差し障るようになってしまいました。
急性の激しい下痢に関しては、東京に戻って、病院の先生に頼んで、薬で便通を促す薬の投薬を止めて貰ったら、一応、下痢は治ったのですが、今度は逆に、厳しい便秘に悩まされる事になって、大変でした。
例え酷い下痢でも、便通があった方が寧ろ良い!・・と、色々の薬を試して見たのですが、薬の使い始めの時には、一度は便秘が改善するのですが、直ぐに下痢か便秘かのどちらかで悩む事になります。
丁度、その頃、netで調べていたら、病院の出す便通を促す薬の副作用に付いてのPageを見つけて、丁度私が、当にその状態になっているのを実感しました。
強制的に便を送るための、腸の繊毛を強制的に動かすので、あまり長期に病院の薬を飲んでいると、その腸の繊毛が死んでしまって、そうなると便通自体が失くなって大変な事になるというお話でした。
という事で、また、便秘の話をすると、当然同じ薬を処方されるので、病院から薬を貰うのは止めて、色々な市販の薬を試していたのですが、ある日テレビのコマーシャルで、私が希望しているのと、全く同じ事を言っている薬のコマーシャルを見て、その薬をnetで注文しました。
その薬は私の症状にピッタリなので、今までで、一番私に合っているようなのですが、しかし、薬の飲み方が難しい。
1日、2回3〜4カプセル)と書いてあるのですが、それでは強すぎて、やはり、急性の下痢になるようなので、1日に1回の3カプセルに減らしたら、今度は、全く効かなくて、便秘に戻ってしまいました。
1日1回にして、4カプセルにするのか、1日2回で、3カプセルにするのか、今は試行錯誤の最中なのです。
便秘と下痢の問題は今後自分の適量を見つける事が出来れば、毎日飲み続ける必用はなくなるようなので、良しとして・・・、元々の腰痛と大腿の付け根と股関節の痛みの話に戻りますが、・・・・
一月程、安静にして、自然治癒を図って見たのですが、自然治癒の可能性はまず無理だという事が分かったので、以前極めて酷い腰痛で全く歩けなかった時に、二月以上、病院に入院して様子を見たのだけど、改善しなくて、病院の方も、明らかに見放していて、早く出ていって欲しいのだな??という態度が見え見えだったので、知り合いの文具店のおばあさんが推奨してくれたカイロに行って、色々な病院を転々としていた腰痛がまあ、辛抱出来る程度に迄は、治ったのです。
という事で、もう一度そのカイロに行く事にしました。
9月の中旬から週2回のペースで通ったのですが、改善が認められず、本来ならば一月程で、効果が出るはずなのですが、一月半経っても、痛みが逆に酷くなっているので、「これは、どうした事か?」と考えて、「多分施術が効きすぎて、逆に痛みが止まらないのでは・・?」と思って、10月の21日のカイロの施術を最後にして、カイロに通う事を止めて見たら、2週間程で痛みが収まって来ました。
骨の位置が正常に戻ったら、後は暫く安静にして、体の自然治癒に務めないとね??
「目の痛みから、帯状疱疹へ」
10月の16日の発表会の頃は、未だに腰痛と骨盤の痛みの頂点の頃で、発表会の会場でも、大人楽屋で、痛みを堪えて、唸っていたのですが、発表会が終わって2週間後の30日頃には、少しずつお尻の痛みは収まって来たのですが、今度は、その痛みに代わって、眼球の痛みが段々と酷くなって来て、パソコンの作業をするのにも、差し障るようになってしまいました。
それは、原因が分かり切った話で、基本的には、パソコンの作業のし過ぎが原因なのです。
baroque‐concertのための曲作りで、finaleでcorelliのla foliaのRealisationや、VitaliのchaconneのCembaloのpartの作成や、baroque‐concertの前日や前々日には、演奏する曲の解説文を作って、一日中パソコンに向かっていたのが直接の原因だと思います。
baroque‐concertの直前ぐらいからは眼球の痛みが、あまりにも酷くなったので、1年前に眼科の病院で貰った、筋弛緩剤を飲んだのですが、1年前の薬なので、もう2日分ぐらいしか残っていなかったので、さや堂ホールのbaroque-concertの終わった次の日に体の疲労をおして、頑張って眼科の病院に行って薬を貰って来ました。
その薬は私にはよく合っていて、通常ならば、3日も飲み続けると眼球の痛みが取れるのですが、今回はやはり加齢というのか、薬の効きが悪く、3日間では治りませんでした。1週間は掛かるのかな??
しかし、何とか、眼球の痛みが少しづつ取れて来たと思ったら、眼球の上の右側の頭部にこぶが出来て、それが痛くて仕方がありません。今までにない初めての痛みの症状の状態です。息をしても、顔を横に向けてもキリキリと疝痛が走ります。
これは、何時治るのかな??病院には何処に行けば良いのかな??難しい判断です。
・・と思ったら、コブが出来て3日目になった昨夜の事ですが、コブが突然爆発して、血漿というか赤い液が出てコブが眉毛に沿ってもっと沢山出来始めました。「何だ、これは??帯状疱疹ではないか?」次の日・・つまり、今日の事ですが、一番近場の皮膚科を探して行こうか??と思ったら、調べて見ると、午前中だけで、午後は休診だそうです。困ったな??という事で、普段、いつも通っている循環器の病院に電話をして、「帯状疱疹だと思うのだけど見て貰えるのか?」と了解を取って、どっちみち、薬を貰いに行く時期だったので、午後一番で病院に行って薬を貰いました。「一応、眼科でも、見て貰った方が良い」というadviceで、循環器の薬を受け取ったら、その脚で、眼科にも行って来ました。薬を貰う時に薬局で、「疲れが溜まっていたのですね?」と同情されてしまいました。眼科でも、「帯状疱疹の経験は今までにありますか?」と聞かれて、「いや、全く初めてです。」と言うと、「帯状疱疹は加齢でも起こるので、この後は再発しやすくなるので、気をつけてください。」と言われてしまいました。
直ぐに1っ回目の薬を飲んだのですが、夕方から右目のまぶたが、腫れ上がって、あちこちの出来物も爆発し始めて、大変な状態になって来ました。
まぶたが腫れ上がって、右目が見にくくなってしまいました。お岩さん状態だなや??抗生剤は、最初の2錠、今日の分の薬は飲み終わったのだよな??3日程で、治るそうなのだが、それまでは大変だなや??ハイツに閉じ込もって引き籠もっておかないと・・ね??
抗生剤を飲み始めて1日と半分の12月の1日です。右のまぶたが腫れ上がって、目に被さってしまって、前が全く見えなくなってしまいました。触ると痛いし、困ったもんだ・・!!1日のお昼になっても、やはり改善はしません。膿が止まらない。これが止まれば治り始めるんだろうな〜あ??
まぶた迄が膨らんで、目が開かなかったのですが、今度は目の下も膨らんで来ました。病院で言っていた3日で治るというのは、とても無理そうです。でも、31日は夜から飲み始めたのだから、未だ二日目にはなっていないのだよな??明日の朝飲んだら2日目が終わる事になる。3日で二日目という事だよな?・お岩さん状態がとても酷いので、写真はupしないように、言われています。コンビニに食料を買いに行きたくても顰蹙で行けないし、バイクに乗ろうと思っても、片目なので、乗れない状態‥・という事です。酷いもんだ??
発表会場の大人楽屋で、お尻が痛くて、座る事が出来なくて、うつ向きにしかなれなくって、唸っている状態の写真です。

・・
「誰だ??こんなみっともない所を撮るのは・・?」



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11月30日 9:34 ・

「8月から12月迄の体調不良の日記2」
7月31日から体調不良になって、食欲不振になって、食べれなくなってしまいました。とは言っても、胃が悪い分けでは無いので、体感的に食欲不振なので、食べようと思えば食べる事は出来るのですが、なんとなく食欲が湧かないのです。これはシメた!と言う事で、長崎の美味しい食べ物の誘惑に負けないように、体調に合わせてお腹が空いたら、必用最低限の食事をする・・というダイエットを試みました。同じような、ダイエットは何度も挑戦した事があるのですが、ダイエットで食事を減らすと、今度はlessonや仕事での体力が維持出来ないのですよ。それで、その手のダイエットは何度も挫折しているのですが、今回は直感的に上手く行くような気がしていました。何故かは、分からないのだけど、・・だから直感です。この5,6年の間は、体重が目一杯に増加したままに、増えもせず、減りもせずの5,6年間を維持していたのですが、今回の体調不良を利用した体感のままに食事を取る・・という、変なダイエットは思いの外今までに無い効果を出して、2ヶ月と半で、15`のダイエットに成功しました。今も毎日体重計とにらめっこして、目標の二桁を目指しています。・・という事で、毎日、1`、2`の増減に一喜一憂しています。7月迄着ていたズボンがダボダボになってしまいました。
ヤッタネ??

2ヶ月余りの短期での15キロ!はご体調にご無理では無いですか?
ペースダウンでご無理が有りませんように、、、。
11月30日 9:41


有難うございます。
何キロというのを目標にダイエットをした分けではなく、体が必用最低限満足するだけの腹8分目の量程を目指して食事したので、空腹感も無く、逆に無理無く痩せたので、体はとても軽くなって楽でした。
小皿から少量づつ取って食べて(それ専用の枝豆の皮の形をしたお皿があって、それに入れると、バランス良く食べれます。)
痩せるのは無理無く痩せたのですが、体重を維持するための今の1,2`の調整の方が難しいのですが、それも2`増えたから食事を抑える‥・という事は決してしていません。
未だ、運動でダイエットや体を作る事が無理なので、早く、軽運動でも出来るようになりたいです。お皿は下の写真の枝豆のお皿に入るだけで、ご飯は小ぶりのお茶碗に一杯なのですが、夜は普段はご飯は食べません。おかず次第で、ご飯が必要な場合だけ小さなお茶碗一杯のご飯を頂きます。上のコーヒーカップは、私のお気に入りのお湯のみを先生達に割られてしまったので、その後、お湯のみがコーヒーカップになってしまいました。
でも、自宅のお湯のみも、トトロのマグカップだしね。

12月1日 10:10

身体に優しい目標を着々と!素晴らしいですね!
枝豆さん豆皿が伴走者!頑張ってくださいませ!
11月30日 11:59




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12月1日 2:49 ・

な!な!な!何と・・!?!?!?もう、12月になってしまいました。怖??加齢と共に、ジャネーの法則は、ますます加速を続けています!!
高齢者の余生の過ごし方には大きく2種類あるように思われます。一つは、自分の使命を果たして、趣味や好きに自分の余生を満喫する生き方です。自分の人生の仕事が終わったら、あれをやりたい!これもやりたい!!という余暇の過ごし方の人生です。
それに対して、もう一つの生き方があります。
それはその人の仕事が、endlessの仕事の場合です。
終わりがないので、余生がありません。歳を取れば取る程、やり残した事が出て来ます。今大流行中の画家、葛飾北斎の最後の言葉とされる「天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるのなら、 本当の絵描きになってみせるものを。」という末期の言葉です。どっかの国のテレビ局の番組でも「もう一歩前へ進もう・・」とかいうのもありますよね。Pianoやviolinの演奏と違って、作曲や論文の仕事は、絵画や詩と同じで、書き直す事が出来ます。だから、少しでも暇が出来た時には、古い作品を引っ張り出して、何とか水準まで持って行こう的と努力します。

「8月から12月迄の体調不良の日記3」
それはそうと、腰痛が治り始めた頃とほぼ同じ頃から、眼球の痛みが起こってキリキリと痛んで来たので、一年に一度くらいパソコンのやり過ぎで、全く同じ症状になるので、前回に貰って来た時の錠剤が二日分程、残っていたので、それを飲みながらbaroque‐concertを何とか凌ぎました。baroque‐concertの次の日には、体調よりも、優先度が高いと急いで眼科に駆けつけて薬を貰って来ました。眼球の痛みはいつもの通りに、3日程も経つと収まって来たのですが、今度は、頭の右側にこぶが出来始めました。それがキリキリと疝痛で痛いのです。なんだろう?と悩んでいると、29日には突然にそのコブが爆発して、膿を出し始めました。なんだ!!これは帯状疱疹ではないか? 慌てて次の日に、近場の皮膚科を探して、診てもらおうと思ったのですが、その病院は水曜日は午後は休診です。日頃の薬もソロソロなくなりかけて来ているので、行きつけの病院に電話をして、多分帯状疱疹だと思うのだけど、診て貰えるのかと確認をして、病院に行って薬を貰って来ました。同時に眼科でも目の状態を確認した方が良いからという事で、眼科にも駆けつけて塗り薬も貰って来ました。それが30日の事になります。病院から帰って直ぐに、薬を飲み初めて、今がやっと2日目になります。「3日程で治っても、薬は飲み続けてください。」と言われていたのですが、未だに、治りそうな予兆はありません。
「帯状疱疹で片目が全く見えないのに、パソコンで文章を入力している・・という話」
帯状疱疹で片目のまぶたが塞がって、目が殆ど見る事が出来ません。
だから、この文章は殆どブラインドタッチで入力しています。
片目だけ開いて入力すると、とても疲れるので、瞑って入力した方が楽だからです。勿論、私はblind・touch等は習った事はありません。これは私専用の私の開発した勉強しなくても、自然に出来るようになるblind・touchの技法なのです。
でも、私は学生時代や留学時代には、未だパソコンは無かったのですよ。ですから、留学をしてからの、タイプライターで文字を入力する所からのスタートです。
最初はドイツに留学したので、ドイツ語を入力出来るタイプのタイプライターを全く偶然に銀座で見つけて購入しました。ドイツに留学を予定していたので、ドイツ語のウムラウトの文字が入力出来るので、喜んで(ドイツ語用のkey配列)だったのですが、購入しました。
留学を終えて、帰国してからは、何と日本語の印刷機を購入して印刷を試みましたが、B4の紙1枚をタイプするのに、一晩掛かって、しかも、一文字打ち間違えても、最初からのやり直し‥・という事で、2,3回しか使用する事はありませんでした。
30代も半ばを過ぎて、教室を立ち上げる頃、丁度、家庭用のおもちゃのようなワープロが出来上がり、早速、購入して、使用しました。入力する文字がたった1行表示されるだけの、ワープロで、それが2行になり、6行になる度に新たに購入して、仕事に活用して行きました。
そのワープロが、何と、富士通の親指シフトのkey配列だったのですよ。
兎に角、仕事の遅い私としては、一つ一つの作業から効率を上げて行って、仕事の遅さを人に感じさせないようにする事が最大の命題だったのです。だから文字を入力するに当たっては、入力の速度をあげるのが目的だったのでね。
2001年にワープロがパソコンに飲み込まれる事になって、親指シフトが富士通でも廃止されるようになって、教室もワープロからパソコンに暫時、移行したので、仕方なくその2001年の56歳にもなってから、変換速度の非常に遅いローマ字変換にして文字を入力しているのですが、それでは文字入力の速度が余りにも遅すぎるので、(たった二つの単語を打つのに10文字以上入力して、複数回変換していては仕事にはならないのでね。)私の単語登録法を使用して入力しています。私はkeyの入力速度が他の生徒達に比べて極端に遅いので、その遅さをカバーするために編み出した方法です。(詳しくは私のhomepageの「芦塚先生のパソコン入門」を参照してください。)
文字入力の速度が遅い私が、他の生徒と同じ速度で入力するためのコツは、入力する文字数を少なくする事に尽きます。
殆どの文字を「1keyから4key迄の打ち込みで、入力する方法です。」この前の文章の場合をそのまま例にすると、(1kyikr4kyimadenouchikomidenyrsuruhhd。)と入力します。この方法の利点は、人の名前を打つg場合の、誤字が全くない事です。芦塚先生は「as」、芦塚陽二は、「ay」と入力しますから、間違いようがありません。
固有名詞だけだと思われるかも知れませんが、しかし、(は s、)と打ちます。常設の〜ください。も(kds)と打っているのです。です。も(d。)と打っているのですよ。
これだけで、Keyboard入力の遅い私でも、人の倍の速度では打てるのですが、誰も面倒くさがって、私の変換法を使ってくれる人はいません。
変換の単語登録のfileは総てのパソコンに送って共有しているのですがね。


0歳の子が1年たつのは1年だけど、10歳の子にとって1年たつのは1/10年。100才だったら1/100年ってやつでしょう? 
1年たったけど1/100年しかたってないって考えればいいだけですよ。
それより、1年たったこともわからなくなる方が問題あり。
もう1年たったって恐れているのはまだ大丈夫の証拠。ねっ。
12月1日 10:45



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12月3日 8:21 ・

「8月から12月迄の体調不良の日記4」

昨夜から今朝の3時、4時頃迄は、まぶたの腫れがほんの少し引いたように思えたのですが、朝8時に薬を飲むためにベッドから起き出して見ると、またまた、まぶたや目の下が腫れ上がっていたのですよ。やっと、薬が効いて来たと思ったら、ぬか喜びに過ぎなかったのです。抗生剤は兎も角として、塗り薬が合っていないのかな〜ぁ?? 抗生剤はいよいよ4日目に入ります。お昼になって、腫れが酷いので、ロキソニンを飲むことにしました。熱を測ってみると今までで一番高い7.5度です。4日目に入ったのだよね??抗生剤の効き目は全然という感じなのだがね。いや〜ぁ、福利抗生剤じゃあ、なかっぺかいな??お昼の薬を飲むために、昨日持って来て貰った焼きそばを食べてから、常設の薬を飲みました。病院の先生からは、3日で治ると言われたのですが、全く治る兆候が無いので、明日のオケ練習はお休みします。帯状疱疹は伝染る可能性があるので、公休になります。ハイ!もし楽譜やその他を運ばないといけないのなら、車で運びますが、そのままUターンして子供達には接しないことにします。私の顔を忘れないでね??

まぶたの腫れ??アレルギー症状では?
薬が合ってないってことはありませんかねぇ。。。

て、医者じゃないので分からないですけど??

お大事になさってください。
12月3日 22:53


帯状疱疹は本来は皮膚科の領域なのだけど、眼科が休診だったので、行きつけの病院の先生に「帯状疱疹なのだけど、診てもらえるか?」と、電話をしてから、駆けつけました。先生が、目の周りなので、「眼科にも行くように!」とのお達しだったので、その足で眼科ににも行って、目の周りの塗り薬を貰って来ました。薬を飲み始めて、1週間は経たないと多分、改善は見られないでしょうね。今日は夜になって、少しだけ、腫れが引いて来ました。熱はあい変わらずですがネ。それよりも、髪の毛の中でブツブツが爆発しているので、髪が洗えなくて困っています。これは気持ち悪い!!
12月10日 3:18

帯状疱疹ですか。。。
疲れると出るやつですね。。。
神経に沿って炎症が出るので痛いと聞いたことがありますが痛みはないんですね?
いずれにせよお大事に(T . T)
12月3日 23:59


極めつけに痛くてロキソニンで抑えています。
12月4日 0:24


まぶたの腫れは帯状疱疹の影響ですか?熱が下がってきてるようなのでこのまま回復するといいですね。お大事になさってください。
12月4日 7:07


三叉神経に沿って、吹き出物が爆発して、目が開かない状態になるのが、頭と目の帯状疱疹の典型的な症状で、兎に角、痛いです。
12月4日 7:36

いつものroutineのようなのですが、夜はまあまあ腫れが引いて来て、このままだと大丈夫かな??と思っていると、寝て朝は、目の周りがすっかりと腫れ上がって、熱も出て、痛くて目が醒めてしまいます。どうも、寝方が良くないようで、寝てる間に、目を刺激してしまうような感じです。困ったもんだ???
12月4日 10:53

オケ練習休んで良かった!今度は、熱も上がって来た!!
12月10日 3:19

わわわ(-.-;)y-~~~
12月4日 15:01


熱が上がって来たので、仮眠を取ったら、腫れがまた酷くなってしまった。あれを立てればこれが立たずってなもんかいな??
12月4日 17:24

薬が効かないんですね…インフル、マイコプラズマなども流行りだしてますのでお気を付けください。
12月4日 17:26


インフルの予防注射を打つつもりだったのですが、次から次へと色々な病状が出たので、予防注射を打つことが出来ませんでした。
12月4日 17:30

芦塚 陽二 インフルの予防接種、副作用が出る方もいたとききますね。
23日のビデオはDVDとブルーレイどちらのダビングがよろしいですか?
12月4日 18:09


なるべく高画質の方が良いのでそのままでも良いのですが、DVDは画質が落ちるので、Blu-rayの方が良いです。
12月4日 18:43

了解です
12月4日 18:58


目の下の大きな腫れも目のすぐ下の半分の部分だけが治って来たのですが、腫れが引いた部分だけが袋になっていました。皮膚の元に戻る力が無いのでしょうね。
完全に治った時に目の周りがカンガルーのように袋だらけだったりして・・??
あ〜ぁ、怖〜!!
12月10日 3:20


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12月4日 4:31 ・

「帯状疱疹」で明日のオケ練習には、行けないので、その代わりのお話です。つまり、明日のオケ練習のconceptを紹介します。子供達を上手にするのには、ただ単に曲を練習させても、大して上手になる分けではありません。「曲を弾く」という以外にも、色々な基礎的な能力を身に付ける必要があるのです。その基礎的な指導をオケ練習で着実に身に着けさせる、そういった指導上の根回しが必要なのです。
勿論、生徒がこういった内容を理解する必要はありません。先生がこのconceptに從って、それぞれの曲を指導していくのです。

「学び上手」のお話1
このお話は、別に音楽の勉強に限ったお話ではないのですが、目標を持って努力をしている子供達のために、少しお話します。(という前振りです。)

「夢を叶える三原則」の重要な一つは、良い指導者に巡りあえる事なのですが、もし、運良く優れた 指導者に巡りあって、憧れの先生に師事出来たとしても、その生徒達総ての人がproになれるわけではないのは、周知の事実です。
海外の有名な教授で、その門下から多くのproの演奏家を輩出している場合でも、その輩出した多くのproの、数倍の生徒達が夢破れて、その教授の門下という肩書だけにしがみついているのが現実です。
そこで私達は、優れた生徒の事を「学び上手」と言う言葉で言い表します。
優れた弟子は、優れた師匠に巡り会えなかったとしても、どのようなヘボな先生からでも、有意義な事を学び取って、自分の夢を達成する事が出来るのですよ。
では、学び上手な人とは、どういう人を指すのでしょうか?
それは簡単な事です。
先生の言った事を正しく理解し、その方法論をちゃんと忠実に守って練習が出来る生徒であると言う事です。
先程の優れた師匠に巡り会えなかった人の場合には、事象の総てから、自分が学び取る事を探し出して自分の血と肉にする事が出来るのです。人間はその技術levelが上がれば上がる程、その技術を指導してくれる人はいなくなのです。ピラミッドのように、頂点は孤高の一人しか存在しないのですよ。
先ずは、それが理解出来ていないといけません。
多くの生徒達、殆どの生徒達は、先生の言っている事を正しく理解している分けでも無く、忠実に先生の言った通りの練習をしている分けでもありません。
それも、聞く気が無くて、言う事を聞かないのは論外としても、言う事を聞かない分けでは無く、困ったことに、本人達は先生の言う事を守って練習している・・と思いこんでいる人達の方が多いのです。
優れた指導者である秘訣は、自分が指導した事を生徒がどれだけ理解出来たかを判断出来る指導者なのでしょうかね??
しかし、そこまでのlessonを私がやるとすると、大変な時間と労力が必要となり、以前のように極々少人数の生徒しか面倒を見る事が出来なくなります。
だから、教室のdouble teachersのsystemのように、生徒と一緒に、担当の先生も、lessonを見学しなければならないのです。「個々の部分をこういう風に・・」という具合に先生自信も、理解してなければなりません。
しかし、こういったlessonの形体は、日本の音楽大学は勿論ですが、世界の音楽大学ででも、そういった形体を取るlesson形体は私達の教室以外にはありません。
仮に、下見の講師の先生が、教授の愛弟子であったとしても、もう一人前の大学の講師なのだから、教授の元で、生徒と一緒にlessonのlectureを受けるという事は、屈辱的であり、prideとして、有り得ない事なのです。
(某国立音大の主任教授に子供の頃から習っていた女の子がいて、普段は下見の先生がlessonをして、一月半ぐらいで、教授に見て貰えるのだそうです。でも、半年経っても、合格が出なくて、私に泣きついて来た事があります。勿論、私は下見はしないので、断ったのですが、立っての頼みで、仕方なく「lessonではなく、one point adviceならしてあげても良い。」と言う事で、その教授がどういう事を注意したのかを、細かく聞いて彼女の演奏を、1回だけ聞いて、one point adviceをしました。私のadviceに從って練習をして、次に教授のlessonを受けたら、「一発で合格した」という事で、喜んでいました。私に取っては、その先生がどういう解釈で、どう弾かせたいのかが手に取るように分かるのですが、下見の先生は、教授との連携が全く出来ていないのですよ。だから、1年同じ曲をlesson受けたとしても、その教授の合格を貰う事は無いのですよ。
もっとも、Munchenでも、音楽大学の講師をしていたproのpianistがヨーロッパ式のlessonに付いて行かなくって悩んでいて、その相談を受けたので、lessonの受け方のlessonをしていたのですよ。
相手の先生が質問して貰いたい内容等は手に取るように分かるから、その先生に合わせたlessonをしていたのだけどね??
そういった音楽に対する姿勢は、私自身が産まれた時から持ち合わせている私のpolicyかも知れませんが、同時にGenzmer先生が何時も弟子達に言っていた事でもあります。
「作曲家は作曲家の好き嫌いや優劣を言ってはいけません。歴史に名を連ねて人達は、必ず何か学び取るものを持っているのです。」
私がイタリアの国際作曲コンクールで一位で入賞した時は、「これであなたもproの一員なのだから、私もあなたの作品から学ばなければならない!」と、とんでもない事を言われて恐縮してしまいました。でも、それがGenzmer先生のpolicyなのですからね。大真面目のお話なのですよ。
日本の音楽家には分からないでしょうがね・・・??
勿論、私のlessonを受けるだけのlevelにない初心者の生徒達でも、皆と一緒に、orchestraのlectureを受ければ、「音楽の勉強の基本的な勉強の仕方」を学ぶ事が出来ます。
もしも、そのオケ練習の時に、何も理解出来なかったとしても、牧野先生や斉藤先生からlessonの時に説明を受けたり、lessonして貰ったりする事が出来ます。
こういった整えられた環境を持っている私達の教室の中でも、私のlesson、lectureの内容を、個人の予断を挟まないで、そのままにストレートに 理解出来て、私の望むような練習が出来る生徒は、残念ながら教室には数名しかいないのですよ。
その生徒達は音楽の技術に関しては、何時でも、proに成れる程の音楽の技術を持っています。でも全員「proにはならない」と言っているのだけど、「どうして??」
「あたしゃ〜ぁ、理解不能!!」
完璧な技術を身に付けて、proとして生きて行けるだけの能力を持ったとしても、proになるためには、もう一つの別の能力??いや、proとしての特殊な性格が必要となります。
つまり、出たがり屋さんで、目立ちたがり屋さんという性格です。
常に、人に聴かせたい、人にappealをしたい・・という性格です。
残念ながら、この性格は、私にはありません。
私がproとしての活動をしていないのは、その私の性格のためです。
(でも、もし、少しでも、そういった人にappealしたいという願望が強い性格出会ったのなら、この教室は無かったと思いますよ。作曲をするのにも、指導者という立場とは、性格上、競合してしまうのですからね?)
私が音楽に進む事を決めた中、高生の時には、「作曲家という存在(職業)を、全く別の孤独で孤高な隠者のような存在」に思っていたのですよ。
当時、私が周りから求められていた医者という職業は、単なる接客業であって、人と接して行かなければならないのですが、(だって人の病を治すのだから人の体の事を知らなければならないでしょう??)私は小学校時代から、友達すら持たない極度の対人恐怖症だったので、人と接し無くても生きて行ける作曲家を選んだつもりだったのです。
音楽大学に入学して、これが実は全くの間違いであった事に気付かされたのは、いや〜ぁ、後の祭りだったのですよ。
音楽大学や、Munchenでの留学の時も、作曲家は統率力を求められて、音楽家達総ての人達を、指導、統合しなければならなかったのです。
対人恐怖症の俺に、そりゃないよ〜なぁ??
proを目指す多くの人は、先生の言う事を忠実に守ろうとするでしょう。
しかし、そういった生徒は、必ずしも上級生だけに いるわけではありません。
産まれながらにして、素直に先生の言う事を理解し、先生の言う通りに練習を出来る「性格」を生まれつき持っている小さな生徒もいるのですよ。
その子供達の事を一般では天才と呼びます。でも、天才と言うのは、ただ単に、自分の予断を挟まないで、先生の言う事を忠実に聴ける子供の事なのです。
それだけの事なのに、他の人が見ると天才に見えるのですよ。
教室の子供達が天才的に見えるのは、私がlectureを強要しなで、生徒達が自分から私のsystemを受け入れるように指導するからなのですよ。
先生の言う事を受け入れるのは、あくまで先生に強要されたものではなく、生徒からの自主的なものでなければなりません。
お〜お、教育とは、難しい!!
私が、クリスマス会等で、大人や子供達が「伝言ゲーム」をやっているのを見て、何時も不思議に思うことは、「伝言ゲーム」は頭が必要ではないのだから、(ただの遊びに過ぎないのだから)何も考えないで、そのまま 右から左へと伝達すれば、話の内容が変わって行く事はないはずなのだが、実際には感情や、情緒が入ってしまうのだよ。
それを社会では、「丸投げ」というのだよ!アハッ!
つまり、「伝言ゲーム」で話の内容を変えてしまう人は、勉強の仕方も、無駄が多い人だと言う事が言えるのですよ。
多くの弟子達が私の言った事を取り違えてしまうのだが、それは、自分の言葉に置き換える事に原因があるのですよ。
何かの新しい事を学ぶのに、自分の持っている言葉に置き換えて理解して学ぼうという姿勢です。一見するととても良い学習法に見えますが、この方法では、その人が持ち合わせていない新しいものを理解する事は出来ないのですよ。
だから、言った事を取り違えする人や、間違えたままで、記憶してしまうタイプの人はこのタイプの人が多いのです。自分の内部に無い新しい知識や技術を、何とかある物で間に合わせようとする・・、それは大変な時間と労力の無駄です。
あるがままに、受け入れる・・という姿勢も大切なのですよ。・・ネ??
私の普段のlessonでは、lessonの時間内に、難しい箇所の難しい理由を、しっかりと分かるように説明して 、更に、これからの「練習の仕方」を、筋道を立てて、説明します。
それから、lesson時間に余裕があれば、一緒に練習をして、ある程度は、ちゃんと弾けるようにして、家に帰っても、その通りに練習すれば良いようにして、lessonを終わります?(まあ、優しい事!!)
しかし、多くの指導者や生徒達が誤っているのは、練習をして、演奏出来るようになった・・という水準の問題です。
しかし、残念ながら、殆どの、多くの生徒の場合には、1週間後に再びlessonをしてみると驚くなかれ、殆ど、元の木阿弥状態であります。
最悪の場合は、同じlessonを半年間続けたり、 私が指導してきた事と全く無関係の練習をしてきて、上手になるどころか、どうにもならない状態になっている場合もあるのですよ。
本人たちは 先生の言う通りに練習をしたと思い込んでいるのだから 困ったものである?
また、Niveauの問題もあります。
10回練習して、その内に2,3回出来た・・としても、それを「出来た!」とは私達は呼びません。
100回弾いて、100回とも、ミス無く、思うように弾けた時に、初めて「弾けた!」と言う事が出来ます。
しかし、人生は過酷です。
フィギアスケートを見て分かるように、100回出来るようにして本番に望んでも、そのpressureは厳しいのです。
でも、この「習い上手」の性格を得る事は、そんなに難しい事ではありません。
教室では早期教育の一貫として、「学び上手」の生徒を育成するために、私が指導しているorchestraの 練習の時に「書記係」という役職を作って、先生の言うことを 一言半句漏らさず 書き留める訓練をしています。
この学習が出来るようになれば、思い込みの癖も、落としの癖もなくなります。
でも、その分かり切った「メモの取り方が、何故一般的にならないのか??」と言うと、memoを取る方法論を勉強しないからなのです。
つまり、Pianoのlessonやorchestraの練習の時に(或いは学校の授業の時に)、先生の言う事を、一々ノートに書いていたら、授業の流れに乗れなくなって、オケの練習や授業に取り残されてしまうからなのです。
それを改善したのが、「芦塚メトードの記憶法」の応用です。
昔々の子供達のお手伝いで、お買い物をする時に、指にコヨリを巻いて、お母さんの言った買い物を忘れないようにした方法です。
練習をしていて或る小節で、注意(check)を受けたら素早く楽譜にcheckを受けた回数の数字を書き込めば良いのです。
その数字を見て、後で、何の注意だったのかを思い出せば良いのです。
それでも、思い出す事が出来なければ、videoに撮って見るとか、ボイスレコーダーに録音して、後でその箇所を探すという方法があります。(つまりそこで、お道具のお出ましになります。何がなんでも、記憶に頼るような学校教育のような、かったるい方法は必要ないのです。もっと手軽に、その代わりに正確にmemoが出来るようにすれば、良いだけなのです。)
多くのPianoやviolinの指導者達、先生達は、生徒がlessonを録音するのを嫌う先生が多いのですが、私は、生徒に常に録音を勧めて、私自身も生徒のlesson風景を録音するのが常でした。
だから、子供達を教え始めた最初の40年前からのvideoやtapeが残っています。(40年前にはvideoは未だ無かったので・・tapeです。)
そういった箇条書きの前の段階のmemoの取り方は、仕事や勉強をする上では、非情に重要な方法論になります。社会人になって、一番必要な技術と言うのは、memoを取る技術かも知れませんよ!!
まず、重要な事を数字でcheck出来るようになったら、次には、その数字がなんの意味だったか?・・を、思い出す訓練が必要です。
音楽の勉強の場合には、とても、簡単です。
checkされた数字の下の音符に、先生に注意された箇所が含まれている音符に丸を付ければ良いだけですからね。
上手なmemoの取り方のコツは、そういったケース・バイ・ケースに、まず慣れる事なのです。
しかし、今の子供達は、箇条書きすらする事が出来ません。
と言うか、注意されている箇所に、数字を打つ事すら難しいのですよ!!!
そこら辺がちゃんと出来るようにしないと、上手にはなりません。
多くの作曲家達はフロックコートの中に五線紙を入れて、散歩をしている最中に浮かんだideaを書き留めていました。
そういった散歩中のmemo書きで、Richard Straussの「4つの最後の歌曲」から、「夕映えに」というfacsimileの楽譜を持っています。
素晴らしい曲です。
Straussの辞世の曲です。
一歩一歩、死に近づいて落ち込んで行く情緒がフルオーケストラの演奏で表現されています。
素晴らしい曲です。(ちなみに、Brahmsも「4つの最後の歌曲」を残しています。)
非常に優れた技術を持つ生徒であるのにも関わらず、全く、先生の言う事を、聞かない生徒がたまにいます。
しかし、その生徒の場合には、先生のいう事を聞かないだけであって、理解していないわけではないのです。
先生の言う事を理解 しないままに、自分では「先生の言う通りに忠実に練習している!」と思い込んでいる生徒と、先生の言う事の内容は正しく理解はしているのだけれども、なかなか先生の言う通りに練習をしない生徒では、どちらが伸びるか??って?
聴くまでもないでしょう??
話すのも嫌ですよね。

芦塚先生
こよりのお話!
祖父母から ことごとくに厳しい中解るまで重ねてくれました学びの楽しかった至福の日々を思い出し本当に嬉しいでした!
帯状疱疹!痛みが残りませんように!今はいいお薬のお蔭で快癒がはやくなりました。
12月4日 9:35


目立ちたがり屋ではない娘たち おかしいなぁ、私に似たのでしょうか???

書記さんにはそういう意味があったのですね!!

これからは
練習中 グッとこらえて 口出さない???♂
の状況はなくなるのかなぁ???と思うと楽しみです
12月5日 6:28


瑞希ちゃんは「目立ちたがり屋」で無い分けはありません。以前も言ったように、prideが高いので、自分に自信が出るまでは、自分を守っているだけなのです。昨日の話ではなく、もう一週前のオケ練習の時に、最初、オケ練習で私が注意した事をメモする役を子供達に自分達で決めさせました。最初の2回オケでは、皆がハイ!ハイ!と手を上げたのですが、2回オケでメモを実際にやってみて、3回オケで、「じゃあ、これからは、誰が書記係をするのかな?」と言うと、誰も手を上げません。先程の「ハイ!ハイ!!」が嘘のようです。「え〜っ、誰も上げないの?」と言っていたら、瑞希ちゃんが「じゃあ、(誰もやらないのなら)私がやります。」と言いました。皆、「お〜っ!!」って驚いていましたよ。少しづつだけど、着実に積極性が出て来ているのですよ。教育は10年ワンクールのprojectなのです。10年で一クールなのですよ!方向性だけブレなければ、目的地には100%確実に辿り着く事が出来ます。
12月5日 8:50

書記係はこれからは、全員が出来るようにして行きたいです。これが出来るようになると、音楽の勉強のみならず、学校の成績も見違えるように上がるしね。
12月7日 23:45

後は、相手の言った事が正しく認識出来ているのかは、オーム返しが正確に出来たとしても、それで、正しい認識や、理解に繋がる分けではない・・という事です。そこに判断力や理解力がオーム返しに伴った時に、初めて正しい意味でのオーム返しが出来て、その記憶の能力が活きて来るのです。相手の言った事を、私感を挟まないで、正しく理解、判断するのは、極めつけに難しい事なのですよ。本当は、そういった事迄も、音楽の学習で学べるはずなのですが、どうも、日本の教育制度とぶつかってしまって、教室で幾ら指導しても、上手く行きません。
12月7日 23:49

私も書記係やりたいです笑
せっかくチャンスがあるので娘達のレッスンで書記係しようと思います!

瑞希は自分の弾かない曲で書記をやりたいと思ったと言ってました

それがどういう事なのかは分かりませんけれど
楽しみです^_^
12月5日 14:18


初歩の段階では、先生の注意を何処まで覚えているのか?が、第一stepです。それが27日の宿題です。昨日の4日は回答合わせなのですが、先生が答えを教えては芸が無さ過ぎます。書記係が書いて来た答案が合っているのか、忘れたcheckは無いのか、皆と相談をしてみます。それが4日のオケ練習になります。その次は、You Tubeに、27日と4日の発表風景をuploadします。それで、書いた答案と比較して、100%芦塚先生の言った言葉が網羅されて、理解出来ていれば、その曲の練習方法は合格です。後はコツコツと練習するのみです。つまり、目標のない旅はゴールに辿り着く事はありません。なぜなら、目標が無いからゴールも無いのですよ。不思議だ!!
12月5日 17:44

You Tubeを一緒に見る時には、まず口出しをしないで、You Tubeと回答を見比べて正答を探します。まず大切な事は、書いている内容が正しいか?は、次のstepなので、無視して良いでしょう。checkpointが全部合っているかどうかが第一stepです。まずは、それだけで良いです。そこの所を先生が注意していた!と言う事が理解出来るだけで良しとします。ハイ!
12月5日 18:12

という事で、27日と12月の4日の練習の風景をYou Tubeにuploadしておきました。実際の回答と比べさせてください。
12月6日 1:32

ありがとうございます??
12月6日 6:42


自分が弾かない曲と言うのは、自分が弾くわけではないので、その分客観的になれるからですよ。
いいね! ・ 返信 ・ 2 ・ 12月7日 17:30 ・ 編集済み

先ず、はじめの一歩は、先生が注意した箇所を正確に言い当てる事です。今回の回答を見ても、生徒達の答案では、せいぜい4,5箇所しかcheck出来ませんでした。何も指導していない状態では、せいぜい、それぐらいなもんですよ。一歩一歩です。
12月7日 23:52


「人生の分かれ道・・、と言うか、人に寄っては人生で初めて訪れたchance」  

ドイツに留学している時に、Genzmer先生がPianoの女の子にadviceをしていた時にその場に同席していました。女の子はKarl Richter教授のミュンヘナーカンマ‐コアーの練習の伴奏者をしていたのですが、Richter教授から専属の伴奏者になるように要請されて、選択をGenzmer先生に相談に来ていたのです。本人の個人的な事情はさておいて、Genzmer先生が彼女にadviceをする時に、私を傍に置いていた事は、そのadviceを私に対しても聞かせているように思われました。 彼女の悩みの一つである伴奏に関してですが、専任の伴奏者になるためには、Richter教授が、その日の気分で突然に、「『今日はこの曲を練習する』と言うのにも対応しなければならないので、それに応える自信がない!」という話でした。 Genzmer先生は、彼女に、「でもBachのcantataは200曲しかないのですよ。それをこれから半年かけて総ての曲を伴奏出来るようにする事は不可能ではないでしょう??それにBachのマタイ受難曲やヨハネ受難曲のような大曲は、合唱もそれなりの準備期間がいるので、伴奏もそれなりの時間は貰えるのですよ。」という話でした。でも、Pianoの女の子はGenzmer先生のadviceには納得していませんでした。彼女の表情を見てGenzmer先生は、「人生には、3回のchanceがあります。その3回を自分の物に出来るか否かが、将来の夢を叶えられるかどうかの分かれ目になります。」という話でした。彼女の本当の悩みとは、専任の伴奏者になると、演奏旅行の時に、勿論、Richter教授とorchestraとミュンヘナーカンマ‐コアーと一緒に、半年以上、海外に演奏旅行をしなければなりません。年頃の彼女には、彼氏もいるし、(・・・ん〜??それが根本の理由か??)そりゃあ、無理だわ!!結論は半年後の話なので、その結果は聞いていませんが、押して知るべし!です。私は、所詮、引き篭もりの性格を活かすために音楽を始めたので、もし、私が一人で生活をしているのなら、1月でも2月でも、引き籠もって、誰とも会わない生活でも平気です。この10日間、退場方針(帯状疱疹)という理由ではありますが、斉藤先生が2回、食料を届けに来てくれただけなのですからね。ひょっとしたら、私の事が忘れ去られて、半年後にハイツで、ミイラ状態で見つかるかもね??独居老人って、誰しも、そんなもんでしょう??アハハ!!
12月7日 23:58

芦塚先生
帯状疱疹は自己免疫力が快復してくれば効果大の飲み薬で必ず治癒します。
頭部発症は身体部分より危険との事ですので異常を感じられましたら直ぐ再診をなさってください。
12月5日 9:01


有り難うございます。薬が明日で無くなるので、明後日には、再診の予定日です。
12月5日 9:05


学びの話とそれますが、一番好きなクラシック曲は?と訊かれたら、わたしは「Richard Straussの4つの最後の歌」です!
12月7日 23:22


本当に素晴らしい曲ですよね〜〜??後は、Rosenkavalierの砂糖菓子のような甘くてキラキラした音の粒の輝き・・、本当に夢の世界ですよね。Genzmer先生にRosenkavalierの作曲法について色々と教えて貰いました。ナイショの話も一杯あります。音楽は語る・・です。ハイ!
12月7日 23:33

明るい雲雀がさえずっている光景から一歩一歩、暗く落ち込んで行く音の響きが素晴らしい。それで、最後の一言、「これが死というものか?」という節も痺れるね!Wie sind wir wandermude  Ist dies etwa der Tod?
12月8日 0:05

Straussの明るさというのが、このwirという単語に表れていると思います。独居老人には、羨ましい話かな?そうでもないのだけどね??
12月9日 16:47



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12月6日 9:42 ・

「学び上手のお話2」
人の学習能力で大切な事は、「学ぶ」という事でしょうね?しかし、この「学ぶ」という事は、理解、判断、応用と言う事がくっついて初めて活かされて来ます。ただ単に、「古きを知り」だけでは、何の意味もありません。学ぶ事に必要な力は、ヒラメキや創造力、類推力とはまた違った力になります。
留学から帰国して、10年以上経て、私が40歳になった頃、ドイツやヨーロッパを旅する仕事があって、そのついでに、昔お世話になった人達を尋ねて、お礼を言いたかったのですが、その頃はドイツで、ネオ・ナチがまた台頭して来たり、移民が作った街が出来て、世界中で大騒ぎをしていたので、旅行をするのは諦めてしまいました。ドイツやオーストリアはナチの台頭であれ程、大変な目にあったのに、40年も経つと、「昔は良かった!」の意識が産まれるのですよね。日本の右翼化もそうですが、学力は高くても、学習能力には問題があるようですよね。
チョッと話が横道にそれたようなので、本題に戻して、「学ぶ」という意味は過去に学ぶという事になります。
つまり、「先人に倣う」、或いは、「過去に学ぶ」という意味です。
過去に学んで、二度と同じ間違いをしないようにする、という事は必ずしも、社会の事、政治の事だけではありません。
「自分自身が犯したチョッとしたミスを二度としないようにする。」というのが、私が何時も口を酸っぱくして繰り返し言っている、座右の銘である、「同じ注意は二度と受けない」「同じ間違いは二度としない」と同義語です。
「ハインリッヒの法則」を引き合いに出さなくても、どうでも良い簡単なミスを軽んじていては、大きなミスを引き起こすのは、自明の理です。
誰でも、大きなミスはやりたくないものですが、そのミスをやらないで良い・・という学習方法を知りません。
それは「ハインリッヒの法則」でも言われている事で、「大きなミスを犯さないコツ」は、「どうでも良い・・と思える小さなミス」を犯さない事に尽きるのですよ。
音楽の勉強は、元来は、「普段の練習を通じて、チョッとしたミスを犯さないための練習」なのですが、それがなかなか出来ない人は、日常の中で、チョッとしたミスを、気にもかけない事に理由があります。
日常のチョッとしたミスでも許せなくなると、音楽でミスを犯す事は自動的になくなります。
このチョッとしたミスを犯す人達は、タイプで決まっていて、ミスを犯さない人は犯さないのですが、ミスを犯す人が、ミスを犯さないようにするには、とても難しい壁があります。
演奏の場合には、このチョッとしたミスを犯す癖のある人は、演奏家には向かない・・という致命的な話になってしまいます。
だから、どうしても、このミスを犯さないように出来るように、教育をする必要に迫られてしまいました。
という事で、音楽上の300のミスを、技術上のミスと精神的なミスに分類しました。所謂、ポロミスとポニョミスです。
そして、子供達に「今のミスはポロミスか、ポニョミスか?」と即座に質問をすると、結構、分かるのよね〜ぇ!年齢とは、関係なく、理解出来るようです。そこが始めの一歩ですよ。
このお話は、子供達には、何度もお話しているので、「耳タコ」なのでしょうから、(Facebookにも何度も取り上げているので・・)次のお話に移って、「学ぶ」で大切な事は、私が何時も言っている「代数化」という事です。
算数を勉強しているはずの、教室の中学生、高校生達に、「算数で、XYZって何の意味??ABCって?? nて言うのは何を指すの??」と聞いて見たら、誰も、何も答える事が出来ませんでした。
(でも、中学生のときからでも、6年間近く、毎日、算数をやらされているのだよね??
それって、全く意味が分からないままに、勉強しているって事だよね?)
だから、それじゃあ、教室で勉強していて、私が「これは公式だから、以下同文・・」って言っても分からないのだよね?)
数学者は、世の中の事象は、総て数学で解くことが出来る。人間の感情の動きも数学で理解する事が出来る・・と、言っているのですが、公文式を100年やっても、代数の意味が分からないと、応用は出来ないのですよ。
「一級河川」というのも、「古典派」というのも、「今日はお腹の調子が今一だから、軽い食事にしてね??」の「軽い食事」も特定の何かではない、「代数化」なのですよ。
つまり、日常は代数化の上に成り立っているのです。だから代数化をちゃんと、理解していないと、世の中を正しく見る(正見)事すら出来なくなってしまうのですよ。
一事を見て、万事を直す事が出来る人は、その一事を代数化して見るから、その代数の元にある総ての万事を正す事が出来るのですよ。一を知って十を知る人は、物事を代数化して見ているのです。
万事を見ても何も見えない人は、何も見えないのですよ。
当たり前・・??いや、それは違います。
それを、ブリューゲルが「盲人の行列」として描いているのです。
「盲人の行列」の元来の意味は、新約聖書マタイ福音書に記される、盲人が同じ盲人を導くことによって、ついには両者とも穴へ墜落してしまうという寓意です。
正に日本の音楽教育そのものかな?



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12月8日 4:20 ・

「学び上手のお話3」
私が日本に帰国して、作曲を続ける上でやはり「violinぐらいは弾けた方が良いかな?」と思い立って、proのorchestraのconcertmasterである大学の後輩にlessonを頼みました。・・で、Hohmannか何かのEtudeでviolinの基本の(基礎の)練習を始めたのですが、「いや、そこはこうした方が良い!」とか「その弾き方は間違いだ!」とか言う事で、lessonを受けていても、その内どちらが先生か分からなくなってしまって、結局、お互い、lessonにならなくって、1月も経たない内に止めてしまいました。だって、普段ならば、彼等が私の部屋にQuartettを引き連れてやって来て、演奏会直前のadviceを乞うている立場で、私の方が、「そこは**のbowでこう言う風に演奏しなければならない!!」とか弦楽器の奏法の細部に渡って、つべこべと、曰わっている分けなので、幾ら楽器を手にしたからと言っても、逆の立場になる分けは無いのですよ。
作曲家は、演奏は出来なくても、どう言う風に演奏すべきか?演奏に際しては、どういう事に留意をしなければならないのか?という事について、作曲家は、弦楽器奏者の指導をする立場なので、演奏は出来なくても、弾き方のhow-toは、総て理解しているのですよ。だって、弦楽器の奏法は、作曲家が作り出すのですからね。
知識の点では、演奏家の比では無いのですよ。
これじゃあ、勉強にならない‥・という事で、今上天皇のcelloの先生である大学の教授に支持する事にしました。
その先生は、celloの促成法関しては、絶対の自信がある先生で、「3年間私の元で勉強すればcelloが演奏出来るようにしてあげる。」と言う事でした。
歳も歳だし、逆らわないで、真面目に3年間の勉強の後で、感じた事は、「この程度の事なら、私なら一月で充分指導出来るな?」・・と言う事で、その先生のmethodeを、もう少し合理性を持たせて、celloの教則本を書き上げました。

その頃偶然と言うか、丁度と言うか、楽器店から大人の女性の人が紹介されて来て「celloを習いたい。」と言ってくれたので、「この教則本で、1月で、Haydnの室内楽が演奏出来るようになりますよ!」というと、「まさか??そんな事が・・??」と言っていたのですが、まあ、取り敢えず、celloのlessonを始めました。

一般的な話では、celloは「scaleが弾けるようになるまで3年」、「簡単なmelodieが弾けるようになるまで、7年」掛かるそうです。
就学年次以前の子供がcelloで、melodieを弾ける事は絶対にないそうです。
アホらしい!!
次の動画は、5歳のviolinと4歳のcelloのensembleです。
https://www.youtube.com/watch?v=t5HDN9lUBp0

ちゃんと就学年次前の子供達が弦楽のduoを演奏しています。
未就学児童はcelloを弾ける事はない・・なんて、誰が言い始めたのかね??
常識は壊すものなのですよ。

勿論、大人の女性の人も、1月後にはamateurの大人の人達とHaydnのQuartettを楽しんでいましたよ。

日本の常識とされている事が、必ずしも正しいとは言えないのです。
日本の常識、世界の非常識ということわざがあるくらいなのでね。しかし、音楽の世界に限って言うと、世界の常識も然程、正しい分けではありません。
それにはちゃんとした理由があります。

一流の大家達は、当然その理由を知った上でその非常識をしています。
つまり、確信犯と言う事です。

でも、日本の音楽家達は、その理由を知らないままに、その非常識を忠実に守って弾いています。
でも、ルーツを知れば、何がどうして正しいのかは猫でも分かるはずです。

文化や技術は時代とともに、進化して来た・・と思うのは人類の悪い勘違いです。

人間の悩みは20万年変わっていないのですよ。

私達は魂を浄化するために4,000年前のお釈迦様に学んでいるのですが、人間は一歩も先へ進んではいないのですよ。
パソコンは人間を便利にしたのかも知れないけれど、その分考える力を亡くしたのかもよ!!
それが、分からないのは人間ぐらいなものかね??

「何を言いたいのか?」・・って・・??
だから「正見」の話だってサ・・!!



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12月8日 8:42 ・

「学び上手のお話4」
Facebookでは、誰かのコメントに返信したメッセージは、いつの間にか、自分のFacebookのホームでは再生されなくなるようですね。時々、読み返したくなって、「誰のコメントの何処に書いたっけ??」と探して回る事があります。
今回も、「『音楽を専門的に勉強したい』・・と思う人達は、発表会やconcertが終わったら、演奏の出来をよく反省して、次の演奏に繋げて行かなければならない。終わったconcertは、次のconcertへのrehearsal なのだよ!!」という趣旨のコメントを誰かの何処かに書いたはずなのに、見つかんないのよネ??
baroque‐concertが終わって、思いもかけないミスや、修正すべき点が色々と見つかったのですが、それを何処に書くべきか??で、悩んで、演奏した皆さんに発表するtimingを失してしまいました。homepageでは、chatは出来ないし、Facebookでは、一般の人達に、演奏をした人達のミスを曝け出す形になってしまうで、それはそれなりに問題だし・・・ネ??
やっぱりオケ練習の時にでも発表する他はないのかな??
それでは、情報として残らないのが問題なのですよ。
非公開のFacebookがあると良いのにね??
でも、最初は私がFacebookを作った時には、非公開を原則とするはずだったのですよ。
それが、教室のFacebookを作る前だったので、教室関係の事を代わりに掲載していて、いつの間にか、一般的な友達の友達までのFacebookになってしまったのですよ。
それとも、私が教室のFacebookに書けば良いのかな??
・・いや、それじゃあ、内容が違い過ぎるしね。
いずれにしても、baroque‐concertの反省が残ったままになっているのですよ。
一発目は、「何よ!あのcanon!」てな叱責から始まるのよね!!
エヘッ??(´ε` )

非公開グループを作成すれば、メンバー以外は見られないですよ^_^
ただし、フェイスブックのアカウントを必要な人がもたなくてはならないのですが、、、?
12月8日 11:30


アカウントを必要な人がもたなくてはならない・・とは、どういう事ですか?Facebookに登録している人は既にアカウントは持っているのですよね。だからログイン出来るのでは??それとは意味が違うのかな??
12月8日 13:51

その通りです。
たとえばaiちゃんママとかはアカウントもってませんよね
という意味でした。ま、登録すればいい話ですけどね??
12月8日 14:08


そのどこに書いたっけ?話は、私のお母さんに来たメールと同じ内容のようですがそれとはまた別ですか?
12月8日 18:54


あれ??そうなのですか??なんでだろう??
Facebookに一般論として書いたつもりだったのだけど、帯状疱疹で、やる事なす事、頭がおかしかったからね??
目が開かないと言うのは、致命的な事ですネ。多分詳しくはFacebookのどこかに書いている筈なのですがね??
だって、演奏した人達へのお説教なのだから・・お手伝いをしてくれた人達はコンサートを楽しんで貰えれば有り難いので、なんで、そのメールに書いたのでしょうかね??
関係のない文章なのだけどね??頭オカしくなったのかな??アハッ??
12月9日 11:31

メールは勘違いでした!私の母の、バロックコンサートの投稿に先生がコメント下さったみたいです!今いいねしましたので確認してみてください。
12月8日 19:26


見てみました。そうそう、「学び上手のお話」と全く同じ事を書いているのですが、baroqueに出た人達にadviceとして書いたのですが、人のコメントにレスをすると、Facebookは何時もどっか行っちゃって、見つからなくなってしまうのだよね。やはり、自分の投稿にコメントを書かないと、行方不明になってしまう・・。「行方も知らぬ逢坂の道かな」??てか??
12月11日 10:23

「逢坂」はワザとですよ〜〜!クレーム付けないでね??
12月9日 11:39

それよりも「退場方針」の方が笑えました??
12月11日 10:20


フムフム!!
12月11日 10:24


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12月9日 10:29 ・
     Jan pieter Sweelinck orgelWwek 「Mein junges Leben hat ein End」



智さんとRichard Straussの「4つの最後の歌」の話を、Facebook上で、していた時に、ふと、高校生、大学生の時に、よく聴いていたSweelinckのorgelwerkである「Mein junges Leben hat ein End」(多分、「若き日は終わりぬ」と訳してあるのかな?)を思い出しました。
Munchen時代は、教会で演奏活動をしていたので、そういった曲に色々とbaroqueやRenaissanceから現代の作曲家までorgelの作品を演奏するお手伝いをしていたので、教会でのorgelの響きは身にしみていましす。
薄暗い教会の木の椅子に座って、闇の中に吸い込まれて行くpipeorganの音の中に身を委ねてtripしていくのは、得も言われぬ恍惚の時間です。
orgelの作品は、Pachelbelのchaconneだけではなくて、素晴らしい作品が沢山あるのですが、教室としてのPianoや弦楽器を中心とした活動の中では、orgelの名曲を演奏する機会には、中々、巡り合う事がありません。
・・と言う事で昨日(16年の12月の8日)に、突然、発作を起こして、この思い出の曲を、orgelから弦5部へと、arrangeをしました。
この手の曲のarrangeは、4,5時間もあれば、出来るので・・・。
arrangeが終わってscoreで確認してみると、調がorgelの調のままでは、弦楽器にとっては音が低く過ぎて、弦の響きが良くないので、dの調から、aの調へtransposeしようとしたのですが、ナント、南都、finaleが移調をしてくれません。
調を認識出来ないのです。
それは曲がd mollではなく、CのDoria調として書かれているので、なにの調か分からないのですよ。
仕方なく、先ず5度高く移動させて、それから調を確定させなおしました。
その後、先程書いたように、5度高く移調したために、celloやKontrabassが、大変高い、演奏不能な音域になったので、そこはoctave下げて、調整し直しておきました。
勿論、全部の箇所ではなく、その一部のみなのですがね。
曲のtitlebackには、弦楽orchestraとなっていますが、動画をuploadするに際して、今回の音源は、弦の響きではなく、管の響きで作っています。
その理由なのですが、computerの音源は、管の音源は、何とか、辛抱出来る音源なのですが、弦の音は、何時も思うのですが、聞くに耐え難いものがあります。
以前、computerの人で音源関係の人に「もう少しマシな音源は無いのか?」とお店で尋ねたら、「それはあなたが弦の音を知らないからなのですよ。ちゃんと音型はviolinの音になっているのです。」と怒られてしまいました。
超ショック!!
俺って、一応proの作曲家なんだけどね〜ぇ??
それ以上追求するのは止めてしまいました。
その人はcomputerの音が弦の音だと思いこんでいるのだから、これ以上話をするのは無理でしょう・・・??
弦楽器の音をcomputerにデジタル化するのは、きっと、至難の業なのでしょうね??今は昔、音源を別売で買っていた頃のお話です。
無知とは怖いものですね〜ぇ??

https://www.youtube.com/watch?v=z9ifYreaBck

音源では、1stviolinは、recorderになっています。2ndviolinはoboeです。その他、諸々・・。
それでは、お楽しみください。
・・は、良かったのですが、uploadした動画をゆっくりと堪能しようと思ったら、動画の最後が切れていて、音楽が切断されていました。
音源を、Movie Makerを使用して、動画の制作をしたのですが、一応、最後の音も、titlebackまでしっかりと確認したのですが、You Tubeにuploadした時点で、fileが一つ前の保存の状態に戻ってしまったようです。
Movie Makerは、パソコンの付属のソフトで、videoの編集ように買ったソフトではないので、どうも動作が不安定だし、作成途中に、よくブッ飛んでしまうのですが、パソコンのソフトには付き物の、「一つ前の状態に戻る」というボタンが無いのです。
何度も作ってはブッ飛んでしまって、泣いてしまったのですが、今日はふと、Movie Makerというソフトを離れて、パソコン本来の機能である「control+Z」の機能が使えないのかな?と、思って試してみたら、6個ぐらい前まで、戻れたのよね〜ぇ!!
「control+Z」でこれが出来ちゃったのよね〜ぇ!!
今までの苦労は何だったのだろう!!
でも、これはMovie Makerの本来の機能ではないのだよ。
パソコン自体の機能なのだからね??
私のfinale教室でも、「finaleに無い機能は、パソコンの機能を使用すれば良い!」と言う事を書いていたのにね!!
今まで、思いつかなかった!!
な!な!な!何と・・・お粗末様でした!!
と言う事で、残っていたMovie Makerの前のdataに、後半の画像を付け足して、作り直しました。
以下の動画は、新しいURLになります。
Movie Makerでは、音源をいれても、画像がある部分までしか、音源が再生されないような設定になっています。
画像がなくなってしまうと、曲の途中でも動画がブチッと切れてしまって、今回の事のようになってしまうのですよ。
しかも、本来の設定では、画像の入力は、一枚に付き7秒で、最大30秒までしか再生されないのです。
だから、この曲は7:38秒の演奏時間なので、余白を10秒程取って、7分50秒ぐらいなので、画像が16枚必要になるのです。
同じ絵を1分も見せられるのは、たまらんわ!という老婆心からの発想なのでしょうが、まあ、それはそうだわ・・な??
下の動画は、ブチッと切れた動画に、新しい画像を付け足したものです。
You Tubeの機能としては、動画の差し替えは出来ません。
ですから、動画を手直しして、弄ってしまったら、前回の動画を削除して、新しくuploadしなければならないのです。
そこは、私に取っては・・ですが、チョッと不満かな?

スマホでは音源だけの再生が出来るようですが、パソコン上ではFacebookやhomepageでも音源だけの再生は出来ません。理論上ではhomepagebuilderでは、音だけの再生は出来るのですが、controlが出来なくって、音が出っぱなしになったりします。それを修正するには、また、有料の(ソフトではなく)driveが必要になるようです。

Jan pieter Sweelinck Mein junges Leben hat ein End arrangement by Yoji Ashizuka
2016年12月8日にSweelinckのorgelWerkからMein junges Leben hat ein…


日本では「若き日は終わりぬ」と訳されているようですが、「hat ein End」なら、「若い日には、終わりがあるんだよ!」てな意味になるので、曲のimageのように、「自分の人生が終わった!」という懐古の意味はありません。勿論、後半の歌詞では「私の可哀想な魂は私の体から分かれて逝くしか無く、喜びも苦しみも終わる」「人生は長いわけではなく、私の苦しみも彼方へと去っていく!」とかいう訳になるのでしょうね??死んで楽になる・・というキリスト教的な意味も含まれるのでしょうかね?
12月10日 3:00

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12月10日 11:20 ・
「帯状疱疹」
帯状疱疹を発症してから、丁度、10日が経ちました。殆ど、回復に向かって、普通に目も開くようになったのですが、寝て起きた時には、瘡蓋になった所がキリキリと痛んで、その部分だけなのですが、熱もあるようです。
押さえてみると、その部分だけが熱いようです。
瘡蓋が治って来て痒くて仕方がないのですが、?くと傷に障るので?くに?けなくって困っています。
良い痒み止の薬はないのかね??
未だに、抗生剤を飲み続けています。
・・・所で、抗生剤と言ったら、眼科の先生に「抗ウイルス薬ですよ!」怒られてしまった薬ですが、幾ら何でも10日は飲み過ぎかな?とも思うのですが、そこは医者に相談しても、踏ん切りがつかないようです。私と同じにね??

快方に向かわれてよかったです?(*´?`*)??
12月10日 12:16


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12月10日 14:48 ・

「vibratoのお話」
日本では、(・・と言うか世界でも)・・常識的にはvibratoは下に掛ける事が一般的で普通なのです。
vibratoの正しいかけ方は、正弦波を連想してください。


振幅の上下が安定していない場合や、幅が不安定な場合は、基本的には痙攣vibratoと呼びます。
また、振幅が不整ないなる場合は、チアノーゼvibrato ※)と呼んで戒めにする場合もあります。
正弦波のように、正確な振動と振幅を持ったものをvibratoと呼ぶのです。
※)チアノーゼとは、勿論、人間や動物達が死ぬ時に痙攣する事なのですが、音楽の場合には、hystericな痙攣vibratoもあって、区別されているので、確認ですが、痙攣vibratoの場合には、振幅の幅が異常に広くvibratoのbeatが異常に細かい事を言い、チアノーゼvibratoは、振幅の幅や、beatが一定でなく、発作的である事を言います。
ついでに、私の造語では、振幅の幅が小さく、小刻みなvibratoである、「さざなみ(漣)vibrato」というのもあります。こう言った「さざなみvibrato」しか掛ける事の出来ない可哀想なviolinの生徒も多いようです。
私達の教室では、音楽の必要な場所で、決められたvibratoの幅と速度を要求し指導するので、1種類のvibratoしか出来ない生徒はいません。それでは音楽を演奏する事は無理だからです。


「追記:」
「vibratoをいかに掛けるか?」という定まったmethodeは無いようで、vibratoに関する本も殆ど出版されていません。
唯、慣習的に指導されているだけなのですが、「親指とvibratoをする指で楽器をしっかりと挟んで、指の位置がズレないように押さえてvibratoを掛ける」とする先生が多いのですが、それでは物理的にvibratoを掛けるのは無理です。
昔、同様に、Pianoの先生で、「指先をしっかりと構えて、手首を楽にして弾くのよ!」と、指導されている先生がいましたが、(というよりも、殆どの先生達がそう指導していたように思いますが・・)それは、医学的に生理学的に、不可能な事です。
そんな風な指導をクソ真面目に聞いて、真面目に練習したら、一瞬で腱鞘炎になってしまって、二度とPianoを弾けなくなってしまいますよ。くわばら!くわばら!!
人間は正弦波の振幅の上の点を音のpitchと感じる傾向があります。つまり、正確なpositionを取って、その点からvibratoを掛けると、人間の耳に聴こえるpitchは、実際の音よりも高く聞こえてしまいます。

「図例:1」の例では、取ったpositionが茶色の線で、聴こえるpitch(高さ)の音は緑色の線になります。



本来の音は、上下の振幅の中心にありますから、vibratoをしない場合には、その音が演奏している音になります。指のpositionは常に正しい位置にあるので、純正の和音を弾く事は難しくはありません。
一般の弦楽器奏者が、baroqueの音楽を演奏しようとして、純正のpitchが取れないのは、無意識にpitchを実際のpointよりも下に取る傾向があるからなのです。


「図例:3」弦楽器の奏者がpitchとして取った音が緑色の線で、聴こえる音の高さが茶色の線になります。


この場合には、一見すると正しい音を出しているように思われますが、実際には低く聞こえます。(その理由は後述・・)
もしも、出来る事ならば、(可能ならば)pointを実際の音に取って、しかも、vibratoを下に掛ける場合には、振幅は半分になって、とんでもない事になってしまうし、(そんな波形は自然界には存在しないのですよ。)通常のtrillも下に掛けなければならなくなってしまいます。trillは演奏されたvibratoなのですからね。「図例:2」電気的に作り出したこの波形の音は、ブチブチとnoiseの音になってしまい、楽音にはなりません。

私が音楽大学の学生であった昭和40年ぐらいの時代には、音楽大学の先生には、(Pianoの先生であるにも関わらず、弦楽器のそういったtraditionalな解釈を信じ切って、Pianoのtrillを下に掛けさせる先生もいたのですよ。「Mozartの時代はtrillはこう掛けたのよ!」と、まことしやかに言っていたのですよ。) 
きっと、vibratoは下に掛けなければならない・・という弦楽器奏者の先生は、古典派の時代のtrillも、きっと下に掛けるのでしょうね?アハッ!
確かに、押さえたpitchを中心にして正弦波の振幅を掛けると、pitchは高めになってしまいます。
では、普通に正しいpitchを、positionとして取った上で、vibratoを掛けているのに、教室の先生や生徒達のvibratoは、(「図例:1」のvibratoを掛けているのに)どうして、高めに聴こえないのでしょうか?
それは、大きく二つの理由があります。
その理由は、いずれにしても音響学上に理由によります。
その一つは、本来のoctaveの音は、konsonanzに対して必ず、低めの音になるのです。
オシログラフ等で、octaveを作ると、その音は、必ず低め、低めの音になってしまうのですよ。
これは物理の法則上の音と、人間の感覚上の音の差なので致し方のない事なのです。
ですから、一流のviolinistは正確なpitchのpoint(所謂、konsonanzのpoint)から正弦波でvibratoを掛けますが、丁度、それがoctaveで低めになった音の補正になるのです。音と音の幅は高音域になればなる程、狭くなります。
理論では440サイクルの場合には、octave上の音は880で、octave下の音は220サイクルになります。しかし、実際には、そうはならないのですよ。440のoctave上の音は880よりも少し高めの音にしないと、低めの音に聴こえてしまうのです。
しかし、実際のpositionとpositionの感覚は上に行くほど狭くなっていきます。ギターのフレットを思い浮かべて見ると良いでしょう。
フレット間の幅は、下は広く、高音域になるに從って、等比級数的に、狭くなっています。
もしも、弦の最初のoctaveの時のvibratoの振幅の幅と同じ幅で、高音域もvibratoを掛けると、高音域になるに從って、vibratoの幅が広くなって行きます。
ですから、violinistは高音域になるに從って、vibratoの振幅を小さくして、その代わりに振動を速くしていきます。
低音域のvibratoは、真逆で、低音域に行くに從って、振幅の幅を広げて行き、振動の数を減らして行きます。
vibratoも、手首のvibratoから、腕のvibratoへと移行します。
vibratoの話という意味だけではありませんが、(vibratoには関係なく)実際の音よりも、高めのpitch(position)を取る事を「solopitch」と呼びます。

但し、solopitchにはもう一つ別の意味もあります。
それは、orchestra等のsoloをする場合に、orchestraよりも、少し高めのpitchで演奏する事を言います。その場合にはtuningのpitchをsoloだけ少し高めにずらして演奏する事が多いようです。
それでも、solopitchの一つになります。
こういったお話は演奏家には難し過ぎるのかな??
正確なpitchを軸にして、正弦波を掛けるのは、melodieの総ての音に対して、同じ比率(振幅と振動数)で、全体のmelodieを演奏します。

その話とは違って、もう一つの注意事項はoctaveに掛かるvibratoの事ですが、octaveに関してのpitchの補正は、勿論、Pianoの調律師の人達も、octaveは下に狭く、上に広くと、振幅の幅を補正して行きます。
その補正は感覚的なものなので、2台のPianoを調律する時には、1台をしっかりと調律してから、そのpitchをもう1台のPianoに移して行くのです。

私がCembaloのtuningの時に、基音のoctaveは、器械で合わせますが、それ以上、以下のoctaveは、耳で合わせるのは、その補正をするためなのです。

violinの先生はそういった事を意識して演奏しているのかね??
常にkonsonanzで取るpitchが、正しい本来のpitchだと思いこんでいるのではないかな??
Perlmanは、concertoでsoloをする時に、highpositionの音を半音も高く取っていて、聴いていた聴衆の人達から、「行き過ぎじゃあ、ないのかね?」と論争を巻き起こしましたが、Perlmanの場合には、意味が少し違っていて、指の大きさがぶっといので、highpositionのvibratoを掛ける時に、最小限の振幅でも、半音近いvibratoになってしまうのです。
Perlmanの場合に、驚いたのは、半音の下行進行を弾く時に、そのままの狭ポジ(enge lage)では、半音の幅が広くなってしまうので、指をすり替えて、少しずつずらしながら弾くのですよ。
これはとても、名人芸だと驚いてしまいました。
ですから、Perlmanの場合には、melodieの頂点のhighpositionの音で、大きなvibratoを掛けると、正確なpositionに音を取っていたとしても、半音ぐらい高い音になってしまうのです。
それでもPerlman先生遠慮して小さめにvibratoしていたのだけどね。
指が大きいとvibratoは小さめに掛けなければならないし、指が小さいと同じvibratoを掛けるにも、大き目のvibratoをしなければ、なりません。

「追記1」
もし、vibratoは下に掛けなければならない、と、その話をしたのが、一流の演奏家であったとしても、室内楽等のensembleをするためには、pitchのpointになる音は純正で取らなければ、ensembleがハモる事はありません。
つまり、音楽大学の先生の言うように、実際のpitchよりもpositionを下に取った状態で、ensembleで和音を作る事は不可能だからです。曖昧なpitchで取られたpitchで、和音が響く事はないからです。

でも、このpositionの取り方を公言する指導者は非常に多いのですよ。
つまり、図例:3のように、実際の音に対して、低めのpositionを取って、上にvibratoをして、実際のpitchに振幅の上を合わせる‥・という事です。
でも、取る音は常に、本当のpitchよりも、下の音なので、その人達が音程が正確に取れる事は有り得ないのですよ。
取った音は常に正確なpositionの下のaboutな音なのですから・・。
それでは、baroqueも古典派も、いやさ、音楽そのものが演奏出来なくなってしまうのでは、ないでしょうかね??
日本人の弦楽器奏者の音程の悪さは、そこいらの思考方法に原因があるようですよね。
ensembleのためには、positionは、baroqueの時の演奏と同じように、正確にそのpositionのpitchを取れなければ、ensembleで和音がハモる事は有り得ないのですよ。
だから正弦波を描くために、positionを下にとる事は有り得ないのです。
(その仮説ならば、そのviolinistは、positionを正しいpositionではなく、常に正確なpositionよりも、常に下に取る・・と言う事だから・・です。)

例:2のような、正弦波の下の部分だけを演奏する事は人間には不可能な出来事です。自然界には存在しない波形なのです。



そういった音を出す事は、パソコンにも難しいかも知れません。
それが耳に聴こえるか否かは兎も角としても・・です。
こう言った話は、一般の音楽家には分からんかね??
これも「盲人の行列」の一つなのですよ。


100年間も、申し送られて来た伝統は常に正しいという・・日本人特有の話です。
でも、実は、この伝統は、violinが作られた当時の伝統ではありません。
こう言った、私の主張は、一般的には、非常にeccentricでabnormalな主張のように、捉えられがちなのですが、実は、弦楽器のルーツを調べれば、全くorthodoxな事になってしまうのですよ。
古典派の時代の人達の多くが、vibratoの乱用を危惧していました。
orchestraの管楽器が自然管の楽器から、ベーム式の平均律の楽器に変わった時から、利便性の代わりに、純正のpitchを失ったに過ぎないのです。

つまり、baroque時代の人達はvibratoの意味をよく理解して、純正の和音の音を大切にするために、vibratoは必要最低限しか使用しなかったのですよ。
もし、そうならば、vibratoを下に掛けるというとんでもない話は有り得なかったのです。

つまり、近現代のorchestraの人達は、和音を純正で合わせる前に音の膨らみとして音を出していたので、pitchは然程正確である必要はなかったのですよ。
しかも、フル編成のorchestraに取って、「ドの音」一つ揃える事は至難の業なのでね。
「ドの音」一つが1つの音に聴こえるように、響いたorchestraはないのですよ。
何故って??
だって、B管のclarinetや、F管のhorn、それに、・・・限がないでしょう??
B管のAの音と、F管のAの音は、基本的に違う音なのですよ。
それにEs管のAは、基音から増の音程になるでしょう・・??
そんなのが合う事自体が奇跡なのですよ!!

昔、Clara Schumannがフランスに演奏旅行に行った時に、franceのorchestraを聴いて、「まるでQuartettのように聴こえる!」とビックリしていたのですが、残念ながら、私にはその経験はありません。
日本のorchestraはヨーロッパのorchestraと違って、vibratoを揃えて演奏する習慣さえ、ありませんからね。
アハッ!

「追記2」
私の兄がヨーロッパでのプロモの時にヨーロッパのorchestraの練習に立ち会う機会があって、丁度、弦楽器のgroupがvibratoの練習をしていたそうですが、concertmasterが「120!」とか「90!」とか声を掛けると、orchestra全体が瞬時にvibratoの速度を変えて、それはそれは素晴らしかったそうです。日本のorchestraでは1stviolinだけでもvibratoが揃う事は無いのですからね??


「追記3」
vibratoの方法の話ですが、タイスの瞑想曲や、G線上のアリア等のviolinの入りの音を、先ず最初に、全くvibrato無しに始めて、徐々にゆっくりと小さな振幅から段々振幅を速く大きくして行くvibratoを生徒達にさせていましたが、私が昔々買ったカラヤン指揮のベルリン・フィルのアリア(所謂、G線上のアリアなのですが、)orchestra1stviolin全体で、そのvibratoをしていて、驚いた事があります。でもその曲はorchestra全体のvibratoが聴こえるのですよ。
流石、カラヤン!!、見事です!!クラッチ!クラッチ!!

という事で、そのvibratoをグラフで表そうと思って、「人口増加率」や「等加速度運動」等々のグラフを探して見たのですが、丁度サンプルになる良いのが全く無いのよね??困ってしまいました。
等比級数のグラフなので、Excel で自分で作るのも考えたのですが、かったるくて、たかがvibratoの説明にそこまでしなくてもね〜ぇ!!面倒くさいし・・ね〜ぇ??という事で、弾き始めは座表のX,Y軸とも0の地点になります。
人口の増加率と同じなので、X軸のtimelineは動きますが、Y軸の振幅の幅は未だ動きません。
まあ、ただのsampleなので、2sec.ぐらいは動かしますかね?それから少しずつ0点の上下に振幅を始めるのですが、一番大きな違いはtimelineは放物線の点が均等に時間軸を表します。そうすると、X軸の目盛は段々と詰まって来ます。つまり、ゆっくり小さなvibratoから、段々おおきな振幅の速いvibratoへ変化していくのです。
まあ、只の関数よ!!
自分でワザワザと書くのが面倒くさかったので、そこらにあった等比級数のグラフを使ったので、正しいグラフを誰か書いてください。
y軸がvibratoの振幅の幅で、x軸がvibratoの速度、放物線を時間の目盛にすると、自動的に振幅の幅が広がって、vibratoの速度も速くなります。Metronomで、90以上、130ぐらいまでの間で、振動(vibratoの速度)は固定されるので、放物線は直線に代わります。(そこまで書くか・・??)



このお話は自然界の法則なので、crescendoやdecrescendo、accelerandoやritardando、forteからpianissimoに至るまで、総ての比率はこの等比級数の中に収まるのですよ。
西洋の音楽が等分割による音符を構成していたとしても、演奏に関する場合には、自然界の法則に従うのです。


baroque時代のornamentのtrillのように、vibratoも可変的流動的な動きをして、crescendoやdecrescendoを表したりするのですよ。


音楽大学時代に高校生の時から私の敬愛する Helmut Walcha の演奏を真似て、Bachの平均律でtrillのcrescendoとdecrescendoの膨らましをしたら、Pianoの先生に、
「Bachの時代のtrillは、ちゃんと数を合わせて弾くのよ!」と怒られて、16分音符の動きを等倍で分割して32分音符でtrillを弾かされてしまいました。いや〜あ、屈辱的であったよな??
俺、音大生なのだけど・・てな具合で・・!!

それはそうと、教室を開設したばかりの頃、音楽大学のPiano科を卒業した母親の子供のPianoを指導している時に、Bachのinventionのtrillで、3連音で演奏させていた時に、突然母親が「3連音のtrillは有り得ない!」と噛み付いて来ました。「音楽大学でそう習った!」と言う事で、相変わらず、根拠は「恩師がそう言った!」の一点張りです。「恩師が言う事は常に絶対的に正しい」のですから、説明をしても理屈が通らないのですよ。trillは曲に対して早すぎると美しい音の粒が痙攣になってしまいます。「連符のtrillは有り得ない」と言うのは、baroque奏法で言う所の、「trillはvibratoを表現している」という所に起因します。つまり、vibratoは3連音、5連音のvibratoは有り得ないので(単なる振幅なので・・)、等倍のvibratoしかないのです。しかし、trillは、vibratoの意味から発展して、音の持続やcrescendoを表現したり、弱拍をも表現する等の多彩な効果を出すように、vibrato本来の役割から独立して来ました。それ以上に、Bachのinvention等で、(例えば16beatの)音価の単位が早い場合には、それを更に等分割すると、trillが痙攣vibratoのようになってしまい、非音楽的になってしまいます。ですから、16beatの等分割された32beatの単位ではなく、16のままの3連音の単位にすると上品なtrillを演奏する事が出来るのです。だいたい、trillが等分割の単位である‥・という事自体が、おかしいのですよ。Bachが書いた装飾の一覧は、Cembaloを学び始めたばかりの息子に書いて上げた、templateに過ぎません。子供達が大人になった時には、素晴らしいornamentを演奏し、またそのように楽譜に残しています。Bachは非常に優れた教育者でもあった‥・という事を忘れないように・・・!!
いや、今から50年も前の話を、根に持っているのよね〜ぇ?
アハッ!

positionを実際のpitchよりも下に、掛ける奏法が音楽大学の先生方やproの演奏家達のvibratoとしては、一般的なのですが、その奏法には致命的な欠陥が幾つかあります。
1番目としては、正確なpitchよりも下にaboutな位置にpitchを取る事は正確なpitchを取る事が出来なくなってしまいます。
先ずは、高音域の音程のintervalは狭く、低音域の音程のintervalは広くなります。同じ振幅のvibratoを掛けていても、低音域では低めになってしまうし、高音域では高めのpitchになってしまうからです。
2番目の問題は、1つの曲の中であったとしても、melodieに対応して、振幅の早いvibratoや、狭いvibratoゆっくりした大きなvibrato・・、手首のvibratoや腕のvibrato等があって、聴こえる音とpositionが一定では有り得ないからです。
3番目の問題は、vibratoは必ずしも、全部の音にする分けではないので、vibratoを掛ける暇のない早いpassage等では、vibratoを掛ける音と掛けない音が混在する形になります。その場合には、vibratoを掛けた音が正しいpitchに聴こえたとしても、掛けない音は常にフラットな(低い)音になってしまうから、1つのpassageの中に正しいpitchと低いpitchが混在してしまう事になるからです。
4番目のお話は、正しい音を聴衆にappealするためには、最初の音をNonvibratoで演奏してそれからvibratoを掛けるという奏法が多いからです。勿論、baroqueや古典派の場合は当然ですが、近現代でもその奏法は出来なければならない、基本の奏法だからです。
5番目は・・、限がないのでこれくらいまでにしておきます。
つまり、日本や世界の常識として音を取る方法は、間違った奏法なのです。
それに、子供達を指導する時には、どんな先生でも正しいpitchを取らせます。それがvibratoを指導する時には、それ迄の指導を否定するのは、それ自体おかしいでしょうが・・・???

蛇足ですが、丁度、今回のクリスマス会に向けて、小学4年生の生徒が、今回始めて、MassenetのThaisの曲で、vibratoのcrescendoや、腕のvibrato等色々なvibrato等、或いは揺らし等に挑戦を始めました。
日本の一般的な指導法では、一つの種類のvibratoなら、その種類のvibratoだけを完璧に出来るまで指導、練習させ、それが出来上がったら、次の技術の習得に向かうのが普通の方法論です。しかし、私のmethodeでは、「どのような技術であったとしても、完成形はない」というのが私のmethodeです。だから、一つの技術が今だに未完成の間は、寧ろ、色々なvibratoの技術を同時進行的に指導します。
広く浅くの原則です。
そうして色々なvibratoの違いを先に身に付ける事が出来るように、或いは、理解が出来るように指導するのです。
そして、aboutな型としてでも、色々なvibratoが出来るようになったら、それから、一つのvibratoを徹底して勉強していきます。
この方法は最初に技術上の近いを理解させる方法なので、逆に確実に早く、色々な技術をマスターする事が出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=nOrDOSvOTPg
Massenet Thaisの瞑想曲 古川紗來(小4)伴奏岡村智子(高2)
2016年12月23日クリスマス会


このお話は一応はvibratoのお話とも関係しているのですが、pitchのお話なので、pitchのお話の所に書こうかな?と思って、探して見たのですが、見つからなかったので、このコメントに続けて書く事にしました。ご存知のように私達の教室のpitchは443cycleなのですが、音楽大学等では、演奏会高度として、442cycleが一般的になっています。私達の教室が、一般的な442cycleの演奏会高度ではなく、443cycleのpitchは、私がまだ教室を開設するよりも、大分、前の話なのですが、実際に日本の有名orchestraだけではなく、世界のorchestraの演奏会のお手伝いの仕事で、色々なホールを回った結果、殆どのコンサートホールが443cycleで、ヨーロッパのorchestraも基本的には443cycleを使用しているorchestraが多いので、子供達が発表会等でホールで演奏をすることを前提として、教室も443cycleを使用することとしました。 しかし、音楽大学や日本のorchestraでの練習も、未だに442cycleを使用していますので、音楽大学に行っている生徒が「大学の先生から『pitchが高いからPianoの音に合わせるように!』と言われた。」と報告して来たのですが、この手のお話(「音取り」をPianoに合わせる!ということ)は良く聴きます。一般的には、日本の弦楽器奏者は、調律されたPianoのpitchを正確な標準pitchとして、信頼していますが、これは大変な・・ズブの素人的な間違いなのですが、日本の最高のorchestraのsolisteが、平気でそんな誤った指導をするのは困ったものです。 その誤りの、まず、第一番目は、Aの音を一つとっても、本当は、B Dur(B♭major)の導音である「A」と、A Durの根音である「A」と、F Durの第三音である「A」の音では音(pitch)が全く、違うのですよ。もし弦楽器が平均律の音しか必要がないのなら、violinもギターのようにフレットをつけて演奏すれば良いのです。そうしたら、pitchを取るための練習など必要がなくなります。無駄な練習になってしまうのですよ。 今回の冬の合宿で、初見で、SweelinckのOrganの曲の合わせをしました。Renaissancele 風に、vibratoを最小限にして、純正の和音で演奏したのですが、生徒がcの三和音を弾いて、「なんと美しい響きなのだろう!」と感嘆していました。 第二番目には、orchestraのpitchは、(その先生自身がproのorchestraのsolisteであるならば)、orchestraのpitchは基本的には指揮者が決める事はご存知だと思います。コンサートの度に指揮者は変わるので、当然、同じ「Aのpitch」でも、ヨーロッパの指揮者では444のpitchや、もっと高いpitchを好む指揮者もいますし、日本の教育関係のorchestra(音楽大学のorchestraではなく、学校教育関係という意味ですが・・)では、440の標準pitchを取る場合もあります。もし、指導する先生に「pitchが高い」と言われたら、楽器のtuningを、442とか、441とかにtuningして演奏すれば良いだけなのです。もし、proのorchestraに入団したら、指揮者によって、pitchを変えなければいけないので、自分のpitchを頑迷に守る事は逆に良くありません。教室でも生徒のノリが悪い時には、pitchを444に上げて練習することもあるのだけど、それで文句を言う生徒は一人もいません。逆にそれで、ノリがよくなるので、みんな喜んでいます。その先生が高く感じているだけなので、多分violinの先生ならば、当たり前に感じるはずです。その先生の主観で、Pianoに合わせてpitchを取る練習をしてしまったら、折角育って来た純正のpitchが全部平均律の、aboutなpitchに置き換わって、折角の絶対音感が狂ってしまいます。それは大変な誤った練習であり、自分の能力を引き下げる元になりかねません。Pianoで音取りの練習をする事は、amateurの場合にでもお勧めしない、全く音の基準が無い人に対して(所謂、音痴の人)のaboutな音取りの練習なのですからね??proオケの先生なのにそんなこともご存知ないのかいね?? その先生は絶対音を持っていないのかな?? それに、baroqueのAのpitchは、標準では415、(教室では418とか、435なのですからね。)つまり、415cycleはA=440で言うならばGis(G#)の音になりますからね。結論的に言うと、Aのpitchは可変的でなければならないのですよ。それをPianoの音に合わせるとは・・・、まるで素人だよな〜?? 所詮は、教室とは、水準が違うのよね〜え??
2016年12月28日 18:24

読むのに だいぶ疲れました。紗來より
2016年12月28日 15:09

え???これ全部読んだの?それだけで偉いよ??
2016年12月28日 15:11

ママに読み方ききながら読みました。あんまりわかんない????
2016年12月28日 15:16

本文の分かり難い所を少し手直しをしたのですが、uploadが出来ませんでした。文章自体も消えてしまいました。Facebookは兎に角不具合が多いので、困ってしまいます。めげちゃうな〜ぁ??
2016年12月28日 21:42

文章は、書く時も、読む時も、小さな一つのまとまりの文として読めば、読み下す事が楽になります。だから、私の場合にも、大元の文章は、書いた後で、更に、読みやすいように、文章のまとまり毎に改行をします。私の場合には、生徒達が読みやすいように、1行を開けて、次の節に入ります。(改行だけの場合と、改行をして、更に1行を開けるという違いがあります。)1行開けの文章の場合は、その前の文章が一つのまとまったお話なので、その文章の中だけをしっかりと読み下せば良いのです。節と節の間は一つの文のまとまりで行を改ます。読みやすくするために、一文字を下げる場合もありますが、欧文では、一文字下げる代わりに、冒頭の文字を大文字で書いたりする事もあります。Facebookではこう言ったchat系のコメントを書く欄は、長い文章を想定していないので、改行も出来ないし、節を1行、開ける事も出来ません。それが、紗來ちゃん達が文章を読む時に分かり難い文章になる原因の一つです。でも大元のマスにそういった大項目の文章を書いてしまうと、一つ一つのコメントが独立しているので、暫くすると、どっかに行ってしまって、どの文章がどの大元の文章のために、書かれたのかが理解らなくなってしまいますので、仕方なく、こう言う風にchatのように、その大元から続けて書く事にしています。教室で、紗來ちゃん達が新しい曲を貰った時に、今、勉強している練習番号付のお勉強は、実は音楽の形式(構成)を勉強する目的で作られています。つまり、大項目、A、B、C、中項目、A-1,B-1、等々で、小項目で、「A-1-あ」とツリー構造になりますよね? しかし、これは音楽の楽曲分析だけではなく、文章を読む時にも、殆どの文章はこう言った音楽と全く同じ形式で書かれているのです。だから、文章を読む練習を兼ねて、私の書いたコメントでは、大Titleと、文章の中に更に中項目のTitleを、一つ一つの文章に「**」とTitleを書いていたりします。Titleがない場合でも、一行空白の行を入れているので、そこで、そのお話が終わって次の文章に移動します。そのまとまりの文章の中では、文が切れる時には、「。」や「?」の後は、改行をして節の切れ目を表しています。Titleは大項目よりも一つ上の、「1楽章」と同じrankになります。勿論、全楽章を練習する時には、大項目が1楽章、2楽章になるのだけどね・・??
2016年12月28日 19:32

教室では、弾き始めの音(pitch)を正確に取る・・という練習を、今現在小学生達のオケ練習でやっていますが、一般的には、「音出して、瞬間に耳で聞いて正しい音に補正する」・・という弾き方をします。 一般的な解釈では、violinは、ギターのようにfretが付いて無いので、正しい音(pitch)を正確に瞬間的に取る・・という事は有り得ない・・というのが、violinの指導者や演奏家達の前提です。 ですから、私達の教室の生徒達の音(pitch)の正確さは、有り得ない事なので、それを信じる事はありません。これだけYou Tube等でuploadしていても、信じ無いのです。耳で聞いても、目で見ても信じ無いのなら、何をすると信じるのか??って??そりゃあ、決まっているでしょう?日本人の音楽家達が唯一信じる事は、権威だけなのですからね?? 教室では初歩の間は指板にtapeを貼って、Fretの代わりをさせて、型を教えていますが、一般的には、「tapeを貼ると探り弾きになるので、良くない」特に「子供達の指導には良くない」と言われています。・・その「探り弾き」をしないようにするために、tapeを貼っているのに、tapeを貼るという、その理由と目的が全く分かっていないのですよね。似たような事では、「Metronomを使うのは、音楽性を壊すので良くない!」と言って絶対に買う事すら認めない先生の方が音楽大学では常識なのですよ。教室のオケ練習では、真逆で、絶対tempoとして、Metronomは幾つか?というbeatと絶対tempoを言えるように練習しますが、身に付けさせるのは比較的に簡単です。 作曲家や指揮者や、proの演奏家の人達はMetronomを何時も使用しているのですが、道具は使い方次第‥・という事を知らないのかね?? 兎角、日本で言われている常識と反対の事をすると、正しい指導が出来るようで、実に面白いし、愉快です。日本の常識、世界の非常識・・でね??
2016年12月28日 23:34

16年12月23日の千葉市花見川区花園の自治会館でのクリスマス会での演奏風景です。演奏は鈴木花梨ちゃん(中2)です。Kreislerの「ルイ13世の歌とpavane」で、伴奏は清水珠実ちゃん(高3)です。柔らかい手首のvibratoの奏法です。Couperinのstyleによる・・という副題がついているのですが、Titleは「Chanson Louis XV et Pavane」というTitleで、日本語で「歌」と訳されているのは「Chanson」という単語なので、「歌」とはチョッと違うのかな??ルイ13世については、特徴の少ない王で、モンスト王とも呼ばれています。何故??と言われてもよく分からん。太陽王と呼ばれ(絶対君主を誇った)ルイ14世の祖父に当たる人です。それに、Kreislerが、ルイ13世を引き合いに出したのかも、Kreisler独特のウイットにしか思えないので、ルイ13世時代風の(1601年9月27日 - 1643年5月14日典型的な初期baroque時代に生きていた王です・・)、ぐらいのimageに捉えていてください。でも、和声的には、Renaissance時代の弱進行の和声法ですがね??

https://www.facebook.com/100004230614853/videos/749175748566772/


1月1日 8:24





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12月11日 9:24 ・

「baroquebowの音の立ち上がりと日本のエイズ奏法のお話」
「弓の持ち方のお話」
弓の持ち方には、一般的な3点支持の持ち方と、教室で採用している1点支持の持ち方があります。日本の音楽大学や多くの演奏家達が採用している3点支持の持ち方の最大の利点は、直ぐに弓を持つ事が出来るとか、弓にプレッシャーを掛けるのが楽なので、強い音が出せるという利点(?)があります。※)利点に(?)を付けたのは、
「本当に、そうなのか?」という意味です。


3点支持の弓の持ち方には、多くの欠点があります。色々な演奏技術では、3点支持では演奏不能な奏法が多く存在します。

これは、baroqueとは無関係な話で、ロマン派の曲は元より、近現代の曲を弾く時にも、3点支持では弾けないpassageが多く存在します。

日本のorchestraの演奏家達も、その奏法の時だけは、右手の薬指と小指を離して、1点支持の持ち方に変えて演奏しています。

つまり、無意識にでも、意識的にでも、その時だけは、1点支持の奏法をしているのです。

「それなら、最初から1点支持にすれば良いのに?」・・私もそう思うのですが、これがtraditionalである・・という怖さと、実はもう一つの理由、・・1点支持で弓を持つ事は大変難しいのですよ。私も子供達に「弓がちゃんと持てるようになるには、10年は掛かるよ!!」と何時も言っています。

但し、violin演奏の神様達である、Grumiauxにしても、Szeryngにしても、ベルリン・フィルのSchwalbe先生にしても、多くの有名な演奏家達は、1点支持の奏法を取ります。そういった1点支持の奏法の事を、一般的にはベルギー派と呼ぶ事が多いのです。

教室もベルギー派と言われる事が多かったので、一時期は教室でも「ベルギー派のmethode」としていた事もあったのですが、本来はやはり「芦塚メトード」であり、完全にはベルギー派とは同一ではありませんので、今はベルギー派という呼び方はしていません。

単純に「芦塚メトードによる自然体奏法」です。

しかし、1点支持の弓の持ち方は、弓のmitteからSpitzeに掛けて、右手の薬指と小指を外さないと、violinの本体と並行に正しくは弓が行きません。小指を弓の背に乗せたままでは、腕の長さが届かないので、弓を後ろに弾いて逃がす形になってしまいます。1点支持の奏法の場合には、froschの時には、構えだけは通常の3点支持の構えとはあまり違わないのですが(弓のholdingは人指し指と親指の間で持つ事は変わらないので)、最初から人指指と小指と親指の3つのpointで支持をしている3点支持とは、やはり、基本的に構え方が違います。

mitteからSpitzeに掛けては、薬指と小指を外さないと、弓が楽器本体と真っ直ぐに動かないので、薬指と小指を外すように、1点支持で教えていても、いつの間にか、指を外すのが怖いので、3点支持のように弓を体の後ろ側に引いているのよね〜ぇ??

しかし、これは結構、自転車の乗り方と同じで、生徒の中には、一度教えただけで、本能的にパッと1点支持で持てる子供もいるので、これは、感性の問題もあるようなので、こればっかしはなんともね〜??



「弓の持ち方の歴史」
弓を持つという事の歴史を知る事は簡単です。
文献にも記してありますが、一番の説得はbaroque時代や古典派時代の絵画を見る事です。
3点支持の持ち方が出て来たのは、Tourteによる弓の改良(?)※)と、ガット弦の材質の向上なので、強い張りのある逆反りの弓が作られて強い押さえ込みに耐えられる弓になった所から、3点支持の持ち方が始まったのです。
※)Tourteが新しい弓の制作を始めたキッカケとなった出来事や、詳しい話をhomepageに書いたはずなのですが、indexがなっていなくって、探し出す事が出来ません。だから、Tourteの簡単な略歴を書いておきます。

「Francois Xavier Tourteと弓の簡単な略歴」
Tourteは、18世紀初頭に誕生した所迄は知られているのですが、フランス革命の混乱で戸籍は残っておらず、正確な出生日、住所等は不明です。
1748年4月17日〜25日の間に、大工であり弓職人そしてバイオリン作りでもあった父 Nicolas Pierre TOURTE の次男として Saint-Antoine で生まれたようです。
1782年34歳の時に、バイオリニスト Jean-Baptiste Viotti (教室でもよく、お世話になっているVottiですが)作曲家が、Tourte 兄弟の元を訪れて、ヘッドとフロッグの高さが等しい、反りのある弓の制作を依頼したのです。
1790年Tourte42歳の時に、Viotti と R.Kreutzer 両名のviolinistからadviceを受けながら研究を重ね、5年の歳月をかけて現代にその名を残す弓を完成させました。
弓毛の不安定さを補うためにリング(フェルール)を発明したり、同時にオープンフロッグからスライドのある、カバードフロッグへの改良、スティックの重量バランスを確立。
1792年44歳の時には、france革命の中を、Viotti はStradivariのviolinとTourteの弓を携えて、新しい弓を世界に広めるために、franceを出発しました。
「Tourteの弓が世界を席巻するに至ったもう一つの理由」
 VottiがTourteに、張りの強い弓を依頼したのは、France革命に寄って、音楽が限られた貴族達の音楽から、民衆の音楽へと移行下からなのです。
それまでの音楽は、王宮のホールで限られた貴族を対象に演奏したり、教会の中で演奏されたので、強い音量を必要とはしなかったのです。
音楽がpetit・ブルの物になって、大きな演奏会場や、劇場で演奏されるようになって、大音量を出す楽器が必要になったからです。Vottiの依頼には、そういった時代背景のニーズがあります。
マリー・アントワネットの悲劇は、音楽の悲劇でもあったのですよ。ハイ!


「本文に戻って・・」
つまり、Tourteが新しい逆反りの弓を作る迄のbaroqueと古典派の時代迄は、弓の持ち方はおしなべて総て1点支持であったわけです。
その理由は、絵画のようなものを持ち出さなくても、3点支持の持ち方では、baroqueや古典派の時代の弓では、一瞬にして折れてしまうからです。
ですから、3番目の写真は、Tartini‐bowの弓の先の写真ですが、教室で使用しているbaroque時代の古いタイプの弓先の写真が6枚目の写真であります。この写真を見て、分るように、先が細く繊細であることが伺えます。
ですから、この種類のbaroque‐bowでは、ほんの少しの力でも、加えると弓は折れてしまうでしょうね。(勿論、当時のガット弦も、直ぐに切れてしまうでしょうしね。)
ですから、この弓で演奏出来る日本人はいない・・(世界的にもこの弓で演奏している演奏家は非常に稀である)と、されているのです。
(私達の教室の生徒達は1点支持なので、この弓で演奏したとしても、弓先に力が加わって弓を折る事はありません。根本的に弓の奏法が違うのです。)
この弓を持つ・・という持ち方の違いが、日本人のviolin奏者がbaroque‐violinで演奏出来ないもう一つの理由です。(他の理由は、vibratoの話に書いてあります。)
1番目の写真の上のタイプの弓は、古い時代のbaroque‐bowで、弓の毛を緩める時には、写真5のように箱(毛箱フロッグ)を外します。
写真1の下の弓は、私達がTartini‐bowと呼ぶ、同じbaroque‐bowでも、少し新しい時代のもので、弓の張りの調整は現代のbowと同じように、ネジ(スクリュー)で毛の張りを調整出来るようになって、弓の長さも殆ど、現代bowと同じになっていて、しかも、弓の反り具合も大分現代のbowに近づいています。




・・・・という事で、少し強い圧力にも耐えられるような弓です。
ですから、この弓ならば、あまり意識をして強く押さえ込まない限り、3点支持の持ち方でも、弓が折れる事は(少)ないと思います。(ない!と言い切って、折れたから責任を取れと言われてもね〜ぇ??)
いずれにしても、3点支持の押さえ込みに対応するbaroque‐violinはないので、無理な事は無理ですが・・。(これは3点支持では楽器本体が壊れる事がある・・という意味なのですよ。弦の話は後でします。)
2枚目の写真は、baroque‐bowとmodern‐bowを並べて見ました。
長さの違いを見てください。


3枚目の写真は、baroque‐bowの弓の先の部分のクローズアップです。
この時代の弓には、弓の毛の張りを調整するネジ(スクリュー)は、未だ出来ていません。



4枚目の写真は、弓の張りを調整するネジ(スクリュー)のクローズアップです。古いタイプのbaroque‐bowの毛箱(フロッグ)のクローズアップです。



5枚目の写真は、古いtypeのbaroque‐bowの弓先の部分です。如何に華奢で、折れやすいかお分かりだと思います。




「音の立ち上がりについて」
やっとここまでの前振りで、本題の音の立ち上がりについてのお話が出来るようになります。論理的に説明するのは、兎に角、大変な手間なのですよ。アハッ!
現代の演奏家達が、Mozartや、Haydnの3弦を同時に演奏したり、fortissimoで弾き始める時に、思いっきりclipを入れて、sforzandoなaccentを付けて演奏する人達が殆どだし、また音楽大学の先生達もそのように指導するようなのですが、それでは、古典派の時代には、絶対に無かった奏法であって、baroque時代や古典派の時代の弓では、そんな弾き方をしたら、弓が一瞬で折れてしまいます。
また、こんにちでは、baroqueの演奏styleの代表と思われているstefano_montanariさんですが、彼のように、急速な弓を使っては、gut弦(gut string)が一瞬で切れてしまいます。
stefano_montanariさんが、演奏会等で、そういった奏法が出来るのは、弦がbaroque時代の本当のガット弦ではなく、ナイロンで作られた模造の弦で、modern‐violinで使用している金属弦よりも、強い張りを持った切れない弦なのだからです。
多分、私が思うには、baroqueや古典派の時代には、ナイロンやビニールの素材は未だ発明されていなかったと思われるので、その弓速で演奏する事は無理なのですよ。
(確かに私達も、baroque特有のsyncopation等を演奏する時には、ある程度の弓速を付けて演奏しますが、それも常識の範囲内の話です。)
・・という事を理解出来ると、音の立ち上がりでclipをしたり、強い力で押さえ込んで音を出したら、それはbaroqueや古典派の奏法では無い・・と、いう事が理解出来ると思いますがね。


初速がピストルの玉や、弓のように速すぎると、弦を切ってしまうので、上手な電車の運転手が出発するように、ほんの少し加速をして弓を弾き始めなければなりません。


このお話は、弦楽器の場合と、Pianoの場合では少し異なります。
現代のPianoの弾き方では、touch(打鍵)をする場合には、打鍵の速度は殆ど問題視されませんが、forte-pianoでは、打鍵のStroke(鍵盤に触れてから音が立ち上がる時までの遊び)が殆ど無く(7ミリ程度で)、しかも、直接、弦にhammerの力が伝わるので、少しの力が入っただけでも、音が割れやすいので、指先に力を加える事が出来ません。
音の音量は、私の理論では、Vectorで表されて、「速度×力(重量)」なので、forte-pianoの場合には、Cembaloの場合以上に、指の速度が必要になります。

しかも、音が立ち上がるまでの遊びが殆ど無いので、指先に瞬時に初速を付ける事がforte-pianoを弾く上での重要なpointになります。
こう言ったforte-piano特有のtouchをMozart‐touchと呼んだり、leggiero‐touchと呼ぶ事もあります。

しかし、forte-pianoを演奏する上で非常に難しい事は、初速を上げる時に、ほんの少しでも力が入ってしまうと、音が割れて歪んでしまう‥・という事なのです。その難しさは、殆どのforte-pianoの奏者が、Pianoを学び始めた時から、double actionのPianoでPianoを学んで来たので、forte-pianoのtouchが出来ない・・という事にあります。Beethovenが忌み嫌ったPianoのdouble actionの問題点が力んだ演奏にあるのです。優美は古典派の演奏のstyleとは相容れない奏法になるのです。

大学の楽器博物館に、若い女性の先生なのですが、forte-pianoの研究をしている先生がいて、私が質問をした事があります。

「forte-pianoの演奏のCDで、ornamentや即興は結構素晴らしい演奏をするのだけど、音がジャラン・ジャランと汚くて耐えられないのだけど、forte-pianoの独特の音を出す綺麗な音(touch)の奏者はご存知ないですか?」というと、即答で、「世界中に一人もいません!」と言われてしまいました。

chopinの家にあるPleyelのforte-pianoは、訪れた人達に開放されていて、誰でも試演をしてみる事が可能で、その演奏はYou Tubeにuploadされています。多くの演奏家の人達と多くのamateurの人達がそのChopinのforte-pianoを演奏しているのですが、本当にChopinのように美しい音で演奏しているのは、皆、amateurの人達で、proはそういった音は出せないようです。proの人達は、double actionの呪縛から離れられないのですよね。きっと・・!!




弦楽器の場合には、いきなり初速を上げてしまうと、音が裏返ったり、本物のガットでは、弦が切れたりするので、そういった演奏は出来ません。

そこが、baroqueと古典派の奏法の弓の立ち上がりの弾き方のpointになります。
弓の初速が速すぎると、ガット弦の振動が付いて行かなくって、音が裏返ってしまいます。
これを
「baroque楽器だから、responseが悪いので、仕方がない!」と曰わっているとんでもないbaroque‐violinの奏者がいますが、それは無知蒙昧な人で、所詮、baroqueの演奏は無理な人達です。

baroqueや古典派の音の出し方のもう一つの本領は、音を弓で弾いて出すのではなく、響かせて音を出すという事です。
つまり、konsonanzの音を増幅させて音量を出すのですが、それを日本人は後押しをした音と勘違いして、その「後押し」のSchwalbe先生曰くのエイズ奏法が)音楽大学の音の出し方の主流になってしまっています。
音楽大学の生徒達の殆どが、どんなに速い音でも後押し奏法をして弾くので、船酔いをするそうです。
船酔いではなくって、「弓酔い」という言葉でも作ろうかな??

日本人に取っての「後押し奏法」は、演歌に近い、或いは浪花節や民謡にもよく見受けられる日本人独特のこぶしの利いた歌い方に近い歌い方なので、日本人のClassicの音楽家達にとっては、民族的に違和感がないのでしょうが、そういった日本特有の伝統の無い・・ヨーロッパ人に取っては、大変に忌み嫌われる奏法で、以前、ベルリン・フィルのコンサートマスターであった、Schwalbe教授が、日本に度々やって来て公開lessonの度に注意しても治らない「死に至る病である」(当時は治療方法のない病だったのですよ。)という事で、日本人の後押し奏法の事を「エイズ奏法」と呼んで、その奏法の事を愚蔑していました。

(そのSchwalbe先生の公開lessonの会場には、毎回、その奏法の大元の教授もいたのですが、その先生は自分のことを言われているとは思いも掛けていないように見受けられました。自分の奏法を死ぬまで信じて疑わなかったのでしょうね??幸せな人ですよね〜〜??)

でも、その日本の音楽大学では有名な教授がお亡くなりになった後も、その忠実なお弟子さん達に寄って、その「エイズ奏法」が引き継がれて行って、多くの音楽大学で、未だにその奏法が頑として、見受けられるのですが、その奏法を生徒達に指導したのは、たった一人の教授なのですが、困った事に、未だに、その奏法の方が日本の主流の奏法なので、参ってしまいます。
いや、pandemicもたったひとりの感染者から始まるのですよねぇ??


教室では、長年の指導の中で、前々回ぐらいのオケ練習からは、orchestra組の3回オケからも、baroqueの基本的な奏法を取り入れるようにしました。

・・とは言っても、世間一般の音楽の道を目指す子供達とは違って、八千代組のmemberは、皆さん音楽は趣味で、今は、中、高生達は受験で、皆さん、音楽の勉強は、ポシャっているので、今の主流のorchestraのmemberは、小学生達なのですよねぇ〜??
マジにKnabenkammmer-Streich-orchestraだよね〜ぇ??

ドイツ語のKnabenは小学生までしか使えないのだそうですよ。
ですから、今回のクリスマス会の冬のsoloやorchestraは、小学生が主軸で演奏します。勿論、soloも・・!!
純正の和音の勉強は、教室開設の最初からしているので、どうせなら、難しいのは承知で、正しい音の出し方に挑戦させるのも悪くはない‥・という事で、冒険を始めて、1年、2年が経った所です。

1年、2年と始めた時期が曖昧なのは、少しずつ、出来る所から、取り入れて来ているからなのです。
でも、新しくオケに入る人は大変ですよね〜〜??
・・そのための2回オケなので心配は要りませんよ。


「私は弓の弾き方(運弓)を、弓の場所に合わせて3つに分けて指導しています。」
この話を真面目に説明すると、またまた一大論文になってしまいますので、軽く触れておく程度にしておきます。

@「弓の弾き始め(音の立ち上がり)」
弦楽器の場合には、先ず初歩の練習として、detacheの弾き方がありますが、実はこの弾き方は、自然界には存在しません。あくまでもimage上の架空の演奏方なのです。・・理由は簡単です。

a) 自然界では、いきなり所定の速度で動き出す事は有り得ないからです。電車でも飛行機でも、巡航速度に達するには、等加速度運動が必要だからです。

b) 音が出るためには、弦と弓の毛の間で摩擦が必要になります。
弓の毛替えをしたばかりで、未だ松脂を塗っていない弓で演奏しようとすると、全く音が出ません。微かに音が出る場合もありますがそれは、弦に以前の松脂の油脂が残っているからです。

c) 松脂を塗った状態の弓で、全くのpressureを掛けない状態で弾き始めると、(当たり前の事ですが)弓が空滑りをして、音が上ずった空滑りの音(flageoletの音)がします。音を出すためには、最初のキッカケの動作が必要になります。
このキッカケとなる最初の音の事を、私は音の「立ち上がり」と呼んでいます。

この「音の立ち上がり」はbaroqueや、古典派の演奏の時代区分に取って、非常に重要な意味があります。
今の演奏ではゾンザイに時代様式を無視した、modern‐bowで、現代的な演奏法で、BeethovenやBach、Mozart等の曲を演奏していますが、歴代の作曲家達は、そういった音は望んでいなかった、という事が、作曲者の手紙等によく書かれています。
作曲者が望む音は美しい音であって、決して乱暴なnoiseの多い音ではないのですが、音楽をスポーツとでも思っている音楽家が多くて困ってしまいます。

勿論、音の立ち上がりは、時代と共に、エグリの程度が強くなり、Beethovenの後期では、Tourteのbowが出来るので、clipの奏法が入って来ます。エグリの程度は、Sweelinckのような前期baroqueから、Biber等の中期、HandelやBachの後期baroqueと、少しずつえぐり具合が強くなって来ますが、HaydnからMozart迄は、未だ絶対にclipの奏法を使用してはいけません。Tartini‐bowを使用したとしても、Tourteのbowではないので、未だclipには耐えられないからです。
(弓が耐えられたにしても、弦の張力が弓の圧力に耐えられないのでね・・)

弓が弦が強いpressureに耐えられる、Tourte‐bow(のmodern‐bow)で、clipをした場合には、clipされている時は音は出ません。それは演奏者が、弓が動かないようにpressureを掛けて、clipしているからです。clip奏法では、弾き始めの一瞬には、clipを解除する時のnoiseが出るのですが、演奏家をそのnoiseを聞こえないように、一瞬で実音にします。そのnoiseが音のメリハリを出して音を立ち上げるのですが、それはorchestraの場合には、太鼓のような楽器で、音を立ち上げるのです。つまり、太鼓やcymbalsのような各種の打楽器もその殆どがnoiseを出す楽器なのです。




B「弓の弾き終わり」

弓の弾き終わりは、その残響の有無と、長さで、大きく分類されます。
a) 全く残響を残さない場合の奏法を「弾き止め」という言い方をしています。「弾き止め」を強く出す場合には、最後の「弾き止め」の音を丁度Pianoのdamperのように弓でclipして響きを止めます。
b) 通常は弾き終わりの音を弓速を弱めて、丁度、電車がホームに停車するように、ゆっくりと弱くしながら終わりの音を弾きます。

c) これらの奏法の他に、教室では、弓の弾き終わりに(melodieの終わりの音に対して)、弓をそ〜つと浮かせながら、残った残響の音に対して、vibratoを掛けて、余韻の音を作り出します。その響きは、あたかも、ホールで残響が残って響いているように聞こえます。八千代のホールのような、多目的ホールでは、弦楽器が演奏しても、全く残響は残りません。
ですから、弦楽器の演奏で余韻の音を、作ってしまうのです。

この奏法の事を、教室では「んのbowing」と呼んでいますが、これはproのorchestraの人達でも知らない技術(弓の奏法=bow‐Technik)です。(・・・もっとも、Wienのorchestraの人達は、生まれついてその奏法に堪能ですが・・)


A「弓の移動」
wien奏法では、(と言うか、baroqueや古典派の奏法が、伝統的にwienの人達の間に残っているのに過ぎないのですが・・)弾き始めの最初の音を出したら、一瞬で、弓の先っポに移動するという奏法をwienPhilのmemberはよくします。
日曜日の
「オーケストラがやって来た」という番組で、Wien奏法の説明をする時に、指揮者の人が、「wien奏法ではこういう風に弾くのだ!」と言って、弾き始めの音を鋭く引っ掻いて、一瞬で弓を弾き切る、「ギャン!!」という奏法をorchestraに演奏させていました。
そして一言、
「wienのホールは残響が大きいのでこれで、美しく響くのですよ!」と曰っていたね??


本当は、弓の弾き始めの時には、少し強めに弾いて(この強めの塩梅で、時代がbaroqueから前期古典派、中期、後期と分かれているのですよ。)教室では「エグリbow」と呼んでいますが、そのエグリ具合が大変に難しい。
「それじゃあ、Mozart時代だろう!」とか、「Haydnの時代は・・!」とか、叱責が飛ぶ要のbow‐Technikの方法です。
froschからSpitzeに一気に移動するのですが、決して、空中bowではありません。弦上を滑らせて、音が切れるのを防ぐのですが、音が立ち上がってしまっては、目障り(耳障り)になります。Spitzeの余韻の音を充分に出さなければならないので、その余韻の音を邪魔してはならないからです。邪魔しないように・・と空中bowをしたら、敏感な人には音が切れたのが聞き取られてしまいます。これは逃げなので、空中bowは駄目なのです。

私は、教室の生徒達に理屈で
「あ〜だ!こ〜だ!」と口を酸っぱくして説明しているのですが、wienの人達には、これが体臭になっているのだよね〜ぇ??口で説明しなくても、「この弾き方の事だよね!!」といとも簡単に、弾いて見せてくれる!!腹立たしいけれどね??お国柄なので、しゃ〜あないか???

しかし、それにしても、日本人の有名な指揮者の人には、すっかりと、呆れてしまいました。
無知にも程があるし、仮にも指揮者でしょう?
そんな、無知蒙昧な事は許されないはずですよ。
でもその程度のlevelが、日本の名指揮者なのだからね〜ぇ??
困ったものだよ!
泣けてくるよねぇ〜!!
ホールの残響時間とは関係なく、wienPhilは、演奏旅行の時には、何処の国のどのホールでも、wienで演奏する時と同じような余韻の響きで演奏しているはずですよ。

それは単なるbowのTechnikであって、ホールの残響のせいではないからです。
教室の子供達でも、それぐらいの残響を持った余韻の弾き方は普通に出来ます。
「子供が、何故出来るの??」って??
・・それはその奏法を知っているか、知らないかの違いなのですからね。じゃあ、芦塚先生はなんで知っているの??って??
それは内緒に決まっているじゃないの・・??wienの演奏家の人達に聞いても、絶対に教えてくれることはないのですよ!!
そこは日本人とは違うからね。
きっと、
「教えて!」と言ったら、「これはお国言葉なのでwienに産まれないと無理なのよ!」って言われて終わりなのよね。
アハッ!


先週は帯状疱疹でオケ練習はお休みしてしまったし、斉藤先生は今日は四日市の出向でいないので、遅れないように検見川教室に駆けつけないと、・・・という事で、今回のお話は、此処迄にします。
ご静聴、ありがとうございました!


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12月12日 13:26 ・
「常設曲のはずが・・・・」


baroque‐concertでの、弾き慣れている筈の「canonの演奏」で、ベテラン組の演奏にチョッと不安(不満??)を感じて、慌てて、昨日のオケ練習の時に、時間を作ってorchestraの生徒達全員で、canonを演奏しました。
私的には、当然・・完璧に演奏出来ているものだ!!・・と思い込んでいたので、途中で忘れてしまって、道に迷った生徒や、bowingを間違えた生徒、細かいnuanceの注意を守れなかった生徒等々、それぞれに居て、私としては、超、super、ultra、shock!でしたが、
「そう言えばDittersdorfも、殆どの生徒達が始めて組だったよな!!」とその事を思い出して、「皆??canonは、何回目なのかな?」と尋ねたら、再び・・超、ショックで、「1回目!」だの、「2回目!!」だの・・だって・・!!

中学生以上の生徒達にとっては、
「何回弾いたか分からない!」・・と、なるのだろうけれど、チョッと油断して練習をしないでいると、いつの間にかmemberが刷新されて、中、高生の生徒達が受験のために、殆ど居なくなって、常設曲であるはずの曲でも、小学生がmainのmemberになってしまうと、常設曲であるはずのcanonを、弾いた経験のある生徒が、つの間にか、殆どいなくっているのだよな〜??

え〜ッ?? という事は、小学生組の1年前の春の発表会での、canonが始めて演奏したcanonだって・・・???
という事は、今回の3回オケのmemberは、殆ど全員がcanon1年目・・って言う事になるのかな??
〜う〜ん!!常設曲のimageが・・・!!!
私のconceptが・・・???※)


※)私が「私の生徒達が、自分の演奏(勉強)する曲に向かう姿勢」の事で、一般の人達が、曲に対しての姿勢で、
「曲が完璧に弾けたから、その曲は合格をした。」・・という考え方は絶対に認めません。
私が、一番大切にしている事は、一つの曲が完璧に演奏出来たのならば、より一層の完璧を目指さなければならないのです。
音楽家の場合には、曲はお店に並んでいる果物やお菓子のように、商品なのですから、注文を受けたら、その場で演奏が出来ないといけないのです。

それを私達は「repertory」と呼びます。
当たり前のように思われるかも知れませんが、何時でも、何処でも演奏が出来る曲を「repertory」と呼ぶ‥・という事は、一般とはほんの少し違います。(一般の場合には、練習すれば弾ける曲をrepertoryと呼ぶからです。)

教室のcurriculumでは、proを目指す生徒(proという意味は狭義に、solo活動をする人と捉えられがちなのですが、一般的には音楽を職業とする《音楽で生計を立てる》人も広義のproと呼べる人になります。)の場合には、たった1曲でも、外で演奏出来る曲が出来たら、その1曲を色々な場所で演奏するようにして、その曲のNiveauを上げる訓練をします。

そういった機会を生徒に与えるために、教室では先生達の演奏活動の中に、前座として、生徒が演奏出来る場所を作ったり、(千葉の生徒が)東京の教室の発表会や四日市の教室の発表会で演奏したり、他の教室やイベントに参加して、その演奏する機会を探して演奏をします。


そういう風に、演奏の経験を積み重ねて、しかも、演奏が終わる度に、演奏の出来具合をcheckして、再びまた、その演奏で上手く行かなかった箇所の修正と勉強に入るのです。

まるで、フギァースケートの**さんのようですよね??

演奏の技術が上手になれば、上手になった分だけ、練習の課題は難しくなって行くのですよ。
勉強と違って、音楽に合格という文字はないのです。

私の口癖は、「もし曲が完璧に演奏出来た!と思えた時には、proとしての音楽活動を止める時期である。」と言う事なのです。

つまり、「これ以上、練習すべき点はない!」と思えた‥・という事は、その人がそれ以上向上する事はない・・という意味だからです。
頂点の先は下り坂しかないのですよ。

まあ、当たり前の事なのですがね。



音楽の勉強を始めたばかりの、年下の生徒達に取っては、「repertoryの考え方」と繰り返し音楽を勉強するという経験をさせる第一歩になる曲が、「Pachelbelのcanon」なのです。
オケ練習も、オケsoloの曲に挑戦して、soloの勉強が終わったら、今度は、同じ曲のオケbackに回って、何度もその曲をfeedbackをして練習して行きます。つまり、canonの練習と同じ、feedbackをしてNiveauを向上させる・・という、意味を持っているのです。

仮に、同じ曲を練習したとしても、小学生で学べる事、中学生で学べる事は全く意味が違います。
中学生の時期は、本当に音楽が自分の身に付くか否かの大切な時期になります。
その時期に集中して音楽の密度を上げて行く事が出来た生徒は、音楽の道に進んでも、音楽が身に付いているので、楽に努力を続ける事が出来ます。それ以上に、音楽を演奏した時に、聴衆に訴えかける力を持つ事が出来るようになるのです。
高校生の時の音楽の勉強は、自分の勉強よりも、その音楽が、人へ向かう勉強でなければなりません。
実際に演奏活動をしているproの人達が、音楽大学に入る前から演奏活動をしている人が多いのは、学習をする年齢が、音楽大学では遅すぎるからなのです。高校を卒業するまでの間に、音楽の基本となる考え方や基礎となる勉強を済ませておかなければ、proとして活動する事は難しいのです。

教室では、高校生になったこの段階で、子供達の面倒を見させる事が多いのですが、それは、「上級だから面倒を見る・・」という意味ではありません。
その最大の理由は、「自分で演奏出来ても、子供達に指導するのは至難の技」だからです。先生達は楽々と指導しているのに、自分も演奏は簡単になったのに、いざ指導するとなると全く出来ない!
本当に分かると言う事は、どの年齢層にも即対応して、子供達が「分かるように」或いは、子供達が演奏「出来るように」指導出来て、始めて本当に自分がその技術をマスターした・・と言えるのです。
これは、テレビで林修先生が私と全く同じ事を言っていて、東大生の3人の生徒を、特別な愛弟子として、自分の学習塾で指導させているのだそうです。

勿論、子供にちゃんと指導出来るようになると、その演奏は、見違える程、分かりやすい演奏になって、公開演奏をしても、高感度が上がるのです。
子供達に指導出来る程、砕いて理解出来た演奏は、「Classicのような難解な音楽」ではなく、一般の人達にとっても、「とても分かりやすい音楽」になるのですよ。

canonも、私のlessonでは、初歩の段階では、初級のversionの指導をします。
それから中級version、上級versionとstepとgradeを上げて行き、そして先生達の演奏しているpro‐versionと段階があるので、その都度、同じcanonの曲なのですが、approachのlevel(Niveau)は、上がります。一度、発表会で・・、或いは、コンサートで演奏したから・・と言って、「その曲が合格した」という事はないのですよ。
proを目指す人達は、もし、合格したと思ったら、その時にはproを目指す事を止める時期なのですよ。
毎回、耳タコで言っているように・・です。



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クリスマス会のためにプロジェクターを買った!
2016年12月13日 10:16 ・


教室の皆様!help!!
クリスマス会用のアニメチックな動画で、@サンタさんが雲の上をソリで飛んでいる風景と、Aアニメチックな吹雪の光景の動画が必要なのだけど、吹雪をサーチすると、アニメのキャラクターが出て来て、どうしても、自然の吹雪にならなくって、この二つの動画が探せないのだけど、可愛らしい動画を誰か見つけてURLをハイツのパソコンに送ってください。よろしく!!

いくつか見つけましたのでお送りします!
2016年12月13日 10:53

ありがとうございます。楽しみにしています。
2016年12月13日 11:09

ybbのアドレスにお送りします。
お役に立てれば良いのですが、、
YouTubeです。
2016年12月13日 11:11

早速、down loadして、先生達にcheckをお願いしました。有り難うございます。
2016年12月13日 11:34

余り可愛いくはなかったですね( ; ; )
また良いの見つけたらお送りします!
2016年12月13日 11:35

充分に可愛いと思いますが、音楽劇のストーリーの中で、どの動画がストーリーによく合っていて、ベストチョイスなのかは、台本の牧野先生の担当なので、牧野先生と斉藤先生でcheckをする事になります。
2016年12月13日 11:38

了解です!宜しくお願いします!
2016年12月13日 11:39

毎回、出演の子供達に合わせて少しずつ微妙にストーリーが違うのですよ。
2016年12月13日 11:39

ありがとうございます。とてもかわいい動画で、いくつか使えそうです。困ってしまうのは、せっかくいい映像なのに、どこかに会社のロゴマークとか入っているので、人形劇の背景に会社名はちょっと・・・・夢が壊れちゃう!ってことで、必然的になにも文字が入っていない動画を選ばざるをえません。あとは、ずっと吹雪だと良いのですが、場面が替わっていってしまったり、もともとの動画が15秒くらいしかなかったり、とかは、編集しないと使えないのですよねえ・・・・
2016年12月13日 12:57

2つ、3つ、編集はしてみたのだけど、自分のimageではないので、注文通りにしたつもりなのだけど、それで良いのかは分かりません。繰り返しは本来はループで設定するのだけど、私のはフリーソフトなので、そんな高度な事は出来ません。何度か繰り返させるのが関の山です。
2016年12月13日 13:39

いや、持っているフリーソフトでループも出来ました。
2016年12月13日 14:29

それぞれのソフトが一つづつしか出来ないので、時間が掛かってしょうがないのですが、出来る事は出来るようですよ!
2016年12月13日 22:13

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帯状疱疹は大分収まって来たのですが、

2016年12月14日 14:06 ・

帯状疱疹は、随分良くなって来ていて、眉毛と額の境目の所の大きな瘡蓋を除いたら、殆ど分からなくなって来ました。買い物にも問題なく行けるようにはなって来たのですが、未だ、少しだけ痛みと熱も残っているのですが・・ネ? 帯状疱疹がよくなって来たと思ったら、今度は、腰痛が再発して来ているようです。とは言っても、前回は坐骨と大腿骨のようなので、今回は前回のお尻の痛みとは、少し違うのかも知れないけれども・・。一昨日辺りから、鬱が酷くなって来て、明日は千葉でone lessonなのですが、鬱をcontrol出来るのかな?と言う事で、悩んでいます。少し辛いので、暫く、気分がまた楽になるまでの間、Facebookをお休みしようかな?と思っています。鬱の原因は体調不良と、対人関係のみなのでね。ごめんなさい!お休みなさい!!
https://www.youtube.com/watch?v=egK0oZb5M0Q
今日の気分・・・。
とか言いながら、クリスマス会と冬の合宿の前という事は、全く、引き篭もりが出来ない・・事に気づきました。それでなくても、人手が足りない教室なのに・・、「この師匠も走るという年末の超忙しい時に・・!」、と怒られて、今日もpart譜を作成したり、ビック・カメラにプロジェクターの取り付け方法の相談に行って来ます。家とは違って公共の場所なので、本当に天上に穴を開ける事は出来ないので、どうやったら、上からプロジェクターを稼働させる事が出来るのか・・という事です。



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2016年12月18日 10:23 ・

「『口パク』と『耳パク』のお話」

「口パク」とは、合唱等で、口を「パクパクと」動かして、あたかも歌っているようにする事ですが、弦楽器の場合には、昔は「弾きパク」という言葉もあったようですが、今はエア・ヴァイオリンとかいう言葉に押されて、「弾きパク」という言葉は完全に死語になってしまいました。
Pianoの場合には、鍵盤の上を撫でるように触って、音を出さないで弾く事をする場合がよくありますが、不思議な事にそれに対しての名前はないようですね。Pianoは一人で弾く楽器なので、他者に対しての音を出さない弾き方というのは成り立たないし、19世紀から音を出さない練習用の鍵盤はあったようです。よくSchumannとClaraの伝記にも登場します。今はどうか知りませんが、昔のBeyerの教則本には、88鍵の紙鍵盤が付いていました。これも一種のエアーですかね??
「口パク」の「パク」は、先程も書きましたが、「パクパク」と金魚のように、口をパクパクさせる所から、付いた名前と思います。私が音大生の頃には、もう一般的に存在していた言葉なのです。
それに対して、「耳パク」とは私の造語なので、一般には流通していない言葉です。
「耳パク」の「パク」は、「パクパク」とは違って、「パクリ」から来た私の造語になりますが、その言葉が自然発生的に誕生したのは、教室を開設して生徒達を指導し始めてからになります。
生徒に後輩の生徒のために、模範の演奏をさせる事がよくあるのですが、何度も模範の演奏をさせていたのですが、或る時、その生徒がその曲を公開の場所で演奏する事になって、その生徒から、楽譜を求められました。
「〜ェ~ツ??楽譜失くしたの??」「いえ、楽譜一度も貰っていません。」「でも、今まで何度も弾いていたじゃないの?」「他の子のlessonを見ていて、いつの間にか、覚えてしまったので・・」「でも、bowingも指使いも完璧だよ??今更、楽譜要らないのじゃないの??」「いや〜ぁ、それは〜ぁ、でも、やっぱり・・」
これは、一人の生徒のお話ではなくって、結構、中、高生ともなると、皆、そうなのですよ〜ネ??
私が最初に教えた子供達から、どうも、「耳パク」が上手で、Pachelbelのcanon程度の曲なら、皆、平気で覚えて演奏しています。
それが弦楽器の生徒なら、未だ、分かるのですが、Pianoの生徒まで、教室のviolinを借りて、canonをしらばっくれて弾いているので、驚いてしまいます。しかも、指使いもpositionも、bowingも完璧なのですよ。
「なんで??」って聞いたら、「lessonで伴奏をしている間に、なんとなく覚えてしまった。」と言って、canonをサラサラ演奏しているので、困ってしまいます。(homepageやYou Tubeには、その風景が載せてあります。)・・これも、一種の「耳パク」なのかな?
教室創設者の私には、出来ない芸当で、羨ましい限りですがね・・?
本人達は、このgiftを、特別な能力とは、全く思ってもいないようで、当たり前じゃあないの??としか思っていません。
誰か、彼女達に教えてやってよ!!それって、特別なgiftなのよね??って・・・?
そう言えば、絶対音感も教室では、普通なのよね??
オケやっている生徒達は全員が絶対音感の持ち主なので、当たり前・・としか、思っていないのよね。
「いや、それは本当に特別なgiftなのだよ!!」てな事言っても、教室の生徒は誰も信じないのだよな・・?? (T_T)

「Facebookの話」
この所、またまた、Facebookがおかしくなって、文字を入力していると、べつの箇所に入力されたり、入力した文字の順番が入れ替わったりします。「」と入力しているのに、」「と入力されてしまいます。
この、 」「は今現実に入れ替わっているのですよ。
文字も入力出来なくなってしまいます!
一度、Facebookを閉じて、開き直すと、暫くの間は、まともに入力出来るのですがね・・??暫くすると、またぞろ、不具合が起こって来ます。
Facebookの不具合には、よく泣かされますよね??



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2016年12月19日 13:59 ・


「浮き足立ち」のお話

昨日の日曜日は、クリスマス会のリハーサルを兼ねて、自治会館で人形劇の練習をorchestraでしました。

待ちに待ったクリスマス会が近づいて来たと言う事と、お母様達の人形劇の「人形の動きの練習等々」で、会場が、少しざわついた状態の場所での練習をしていたので、小学生の生徒達は、雰囲気に流されてしまい、流石に少し浮足だってしまって、芦塚先生から大目玉を頂いてしまいました。

でも、私の建前から言うと、子供達が浮き足立ちをするのは、楽しくて浮かれてしまうからなので、基本的には、(通常のオケ練習やlessonの中では、)「子供達が、浮かれ捲くっているから・・」と言っても、それで、怒鳴ったり、叱ったりする事はありません。
それが集中力を欠く元であったとしても、それは音楽をする事(ドイツ語でmusizierenと言います。訳語は思いつかないです。)に対する嬉しさの表れなのだからです。

私が子供達の「浮き足立ち」を叱るのは、2,3年に一度位のペースで、しかも、普段の練習ではなく、発表会の当日の裏で・・とか、せいぜいrehearsal の間の練習で・・・、です。

そこでは、ちゃんと押さえて於いて、「足を地につけておかないと」本番は大変な事になってしまうからなのです。

この「浮き足立ち」をそのままにしておくと、「浮き足立ち」をした生徒本人の発表会の出来が、惨憺たる結果になってしまいます。

だから、直前のカツの一発は、その子供達にとっては、大変、重要な「一括」になるのです。

一生懸命、練習を積み重ねたとしても、心が揺れ動いていては、練習の半分の力も出せません。ポニョミスやポロミスの連発になってしまいます。(ポニョミス、ポロミスは教室の造語ですけれど、説明は省略します。)
日常の努力の成果を100%出すためには、どのような舞台や場所であったとしても、どのような状況下であったとしても、平常心で演奏出来るようにならなければならないのです。
それは、日常の練習で、可能な限りの自分の心を集中力させる‥・という事で、発揮する事が出来るようになる・・という日頃の集中力を持った練習の積み重ねで、得れるのです。

日頃の練習が「浮き足立って」いると、発表会で100%の力を出せる分けはないのです。
まあ、言って見れば、当たり前の事なのだけど、そこには、最初に説明したように、子供達が、音楽をする事が楽しい(musizierenが大好き)という気持ちを削いでしまっては元も子もないのですよ。
丁度、そこの所で悩んでいる・・という、Facebook上のchatもあったようですよね??この文章は、丁度、ジャスト・タイミングかな・・??
「叱る」には、「叱っても良い」という絶妙のtimingがあるのですよ。そのtimingの事を、碎啄って言うのよね。その碎啄の一瞬まで、ちゃんと待たなければならないのですよ。

教室で勉強を積み重ねて来た中、高生達は、発表会であろうと、baroque‐concertであろうと、平常心を持って、演奏出来るし、ま他、当然、オケ練習や、soloのlessonでも、先生に対して、集中を乱す事はありません。
でも、しかし、それは、日頃の「平常心と集中力」の訓練の賜物なのです。

しかし、その平常心も、一歩間違うと謙虚さの伴わない、若者特有の生意気な「白け」に、取って変わってしまう事があります。

そうなると、生徒の「集中力」は、「prideだけの、努力を伴わない音楽への姿勢」に置き換わるのですが、一般の人達から見ると、その「生意気さ=自惚れ」が、「自信に溢れた態度」に見えるようで、格好良いように見られてしまいがちになり、そういった人生経験のない年下の子供達への悪影響を及ぼしてしまいがちになります。

私達の目から見ると、「親方日の丸のprideだけの自惚れ」は、それこそ、「張子の虎」にしか見えないのですが、子供達が「張子の虎」と、「本当の本物」を見分ける事は難しいのです。
年齢や人生経験ではなく、小、中学校の子供でも、そういった本物を見分ける目を持った生徒もいるので、一概には、年齢ばかりでは無いようですね。

教室では、生徒達がそういう風に、「張子の虎」に憧れないように、常に「本当の本物」が見えるように・・指導しているのですが、こればっかりは・・難しい。

なぜなら、日本の音楽界全体が、「張子の虎」で出来上がっているからに過ぎないからですよ。
演奏会のチラシの「音楽歴」を見て、よく笑う事があります。
たった一回、公開lessonで見て貰ったり、ヨーロッパの音楽祭で、1週間、或いは一月の研修を受けただけで、**門下を歌っても、その学生を指導した先生は、その人の事は覚えていないと思いますよ。
Salzburgの夏期講習を受講に行った音大生が、演奏会のチラシに「Mozarteum で学んだ・・」と書いていたのですが、Munchenの音楽大学の学生が、夏のアルバイトでSalzburgのMozarteum の夏期講習に、頼まれて学生のアルバイトとして、日本人達の指導に行くのですよ。(私もMunchenの学生であった時に、Pianoの学生と一緒にSalzburgまで、くっついて行った事があります。旅行の諸費用が学校持ちで、宿泊費、食費、総て、タダだったのでネ!)
(ちなみついでに、私がMunchen在住の頃は、ヨーロッパの各地に旅行に行きましたが、親から勘当されての留学だったので、総ての旅行はタダだったのですよ。つまり、演奏旅行のassistやpromotionの一環として、仕事として旅行をしていたのでね。そうしないと、貧乏学生には、お金のゆとりは無かったからですよ。)

勿論、この話は、一般論ではありません。
音楽を職業としない、所謂、Libhaber(音楽愛好家)の人達や、amateurの音楽家の人達は、音楽で自分が楽しめれば、それで充分なのですし、当然、それで全く問題はないのです。
しかし、もしも、その人が「proを自称する」のならば、そこには、ちゃんとした一線があります。amateurの音楽感と同じでは、許されないのですよ。
でも、だからと言っても、私が一般の音楽家達と同じに、「音楽は厳しく、辛いものです。」なんて、言う分けはありませんよね??
それは主義、主張に反しますからね。

proの人達が本物の音楽を求めようとするのならば、人生そのものでなければならないのです。そうでなければ、作曲家の書いた音楽を表現する事は不可能だからなのですよ。本当の「音楽の楽しみ」は、その人生の中に存在するのですよ。人生そのものが、音楽の人とは、どういう人なのか?日常の総てが音楽にどっぷりと浸かっている人達の事なのですよ。アハッ!・・要するに、タダの職人‥・という事なのかな??

本当の本物を見る力を養って、どうすれば張子の虎にならないで済むのか??
答えはイトも簡単です。自分のi dentityを信じて、(親方日の丸やブランドに頼らないで・・)自分自身を、切磋琢磨すれば良いのですョ。
学歴やブランド歴は、人様に頼る事であって、所詮は他力本願の世界なので、proに成りたいと思っても、それは学歴やブランド力に過ぎないのであって、本人の実力ではありませんよね。だからproには成れる事はないのですよ。
もし成り得た・・としても、それは、そのブランドの中の世界で、ノミなのですよ。
ブランドや学歴に頼る人達は、そう〜と、しておいてあげましょうね??
その世界で、充分に満足して満たされている人達なのだから、よそから冷水を掛ける必要はないのですからね。
もっとも、ノー・ブランドというブランドもあって、人気を博しているようなので、すこぶるややこしい・・!!
私もよくセブンに買い物に行くのですが、「コンビニもチェーンの飲食店も全国何処も同じ味なので、旅行をしている時など安心だ!」という人が多いので驚いてしまいます。それじゃあ、折角旅行しても、土地の味に触れる事もない・・という事なのですからね。私の兄貴が大使館で留学の審査をしている時に、持ち込まれたtapeを聞いて、「芸大生であろうと、有名私立の音大生であろうと、先生は違うし、弾き手の学生達は別の人間のはずなのに、Chopinの曲を弾くのに、全員が同じ音で、同じ解釈で、演奏して来るのは、何時間もtapeを聴いて審査する側としては、耐えられない!」と言っていましたよ。ついでに、教室の発表会でカメラの撮影を手伝ってくれていた時には、「指導しているのは、同じ一人の先生のはずなのに、一人一人の生徒が同じ曲を弾いても、全く違うPianoの音で、全く違う解釈で演奏するので、とてもおもしろい」と言っていました。アハッ!

でも、音楽の勉強途上の生徒達なので、自由に勝手気ままに演奏させている分けではないのですよ。
touchの基本や、演奏の時の姿勢、曲の作曲された時の時代様式に従ったinterpretation(解釈)等々、厳しい制約を守って演奏しているのです。でも音楽の個性の部分には一切手をつけていないのです。
音楽大学の先生ならば、「ここは、こう弾くのよ!!」と生徒にコピーをさせるのでしょうけれど、その「こう・・」の意味がコピーではなく、解釈なのですよ。そこが違うのかな??

私自身は一度も私の履歴を誇示した事はありません。
履歴で集まって来る人達に興味はないからです。
会社の就職ではないのだから、その人の学歴など、proの演奏家に取っては何の意味もなさないのは当たり前でしょう??

日本人(所謂、一般大衆)は親方日の丸や、ブランドの前では、中々、謙虚な姿勢を保つのですが、そういった有名なブランド力を持っていないものに対しては、逆にお高くなる傾向が強いようで、実際よりもかなり低く捉えられてしまいます。

ですから、日本人特有の(あれ??お隣の韓国は日本よりもその傾向が酷いそうですよね??)、何が何でも、学歴という社会が生まれています。
でも、日本は既に、globalな世界になっているのですよ。
日本人が世界に飛び出した時に、日本の東大や芸大ですら、知っている人達は少ないのです。
世界の音楽家達で芸大を知っている人は、限りなく少ないのですよ。
芸大が有名なのは、日本の中だけなのです。

ドイツでは、各州毎に国立の音楽大学があるのですよ。
1億人もの人口の中に、国立の音大は1つだけ・・と言うのも、考えものだけど、それだけ音楽をやっている人達の技術力がないから仕方ないのかな??
**さんも、地方再生・・なんて言っているけれど、ありとあらゆる箇所に、中央集権の一極型の政治体制が見え隠れしているのですよ。九州芸大というのもあるけれど、音楽大学ではないからね。

「本当の本物に学ぼう」とする姿勢を持った人は、極めて少ない人なのですよ。
「本当の本物を見る目を養おう」と、努力をする人は、中々いないものなのですよ。

自分の中の「i dentity」とは、自分自身の将来への方向性を示す言葉でもあります。
あなたは今、何処へ向かって歩いていますか??
その行き先には、何が見えるのかな??
「取り敢えず、歩いて見て」も、その先には、自分の望む将来は見えて来ないと思いますよ??
無明長夜(むみょうじょうや)
お地蔵さんが暗い夜に提灯で道を照らしながら、歩いている絵を大阪に仕事で出かけた時に、街を歩いていて、偶然、見つけて買いました。
とても素敵で気に入っていたのですが、人にプレゼントしてしまいましたので、今は手元にはありません。
これは代わりの絵ですが、今年の「長崎への最後の旅行」の帰り道で、偶然に入った諫早のお店で気に入って購入したものです。



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2016年12月21日 1:48 ・


「proに取っては音楽は必ずしも、楽しいものではない・・というお話」 


Titleを「演奏会のお話」から、上記のTitleへ変更しました。以前のTitleが、文章の趣旨にあっていなかったような気がしたので・・・。

「のだめ」のクラシック漫画よりも昔に描かれた音楽漫画があって、ストリーも漫画のTitleもすっかり忘れてしまったのですが、漫画の登場人物達が集う音楽大学の傍の喫茶店では、オーナーの配慮で、音楽が流れていない・・というシーンがあって、とても印象的でした。
オーナーが「お店で、音楽を流すと、君達は耳を欹てて聴いてしまうので、気が休まらないだろう?」というセリフに感動してしまいました。
私も、音楽が流れて来ると、ついつい耳をそばだててしまい、お喋りが止まってしまいます。漫画の登場人物ではありませんが、私も無意識にいつの間にか、流れている音楽を批判しているのですよ。
条件反射なのかな??

楽器店に楽譜を買いに行くと、Classicの音楽が流れているのは良いのですが、こちとらは、新しい曲を探しに行っているので、scoreを見ながら、その音楽を聴いていると、集中出来ている時には、BGM等は気にならないで、音楽が聴こえて来るのですが、集中出来ない気分の時には、scoreの音楽とBGMの音楽が混じってしまって、気が狂いそうになる事があります。
よく周りの人に、「なんで楽譜売り場で音楽を流すのだろう?」と聞く事があるのですが、「皆、曲と版が決まっていて、買いに来るので、BGMは関係ないのだよ!」という事でした。あたしゃ〜ぁ、曲を探しに来ているのだけどね??

音楽大学に入学する以前から、不思議な事に、私はチケットを買って音楽会に行った事はありません。
「学生時代は、勿論、超貧乏だから、チケットなんか買えなかったので・・・」、というのは、勿論、・・嘘です。

「音楽大学時代は貧乏だったので・・」、までは多分、本当なのでしょうが、Pianoの先生や、批評家の先生達が、招待券をくれたので、私自身がチケットを買って、演奏会に行く事は無かったのです。
音楽はとても素晴らしい!
特に、一流の(神様の)演奏を聴くのは最高のひとときです。
しかし、その反面、proとして音楽を聴く時には、常に演奏に対しての批判が伴います。(それは、自分の「好み」とは違って、時代考証や演奏技術等々のより専門的な批判です。「こういう所が足りない!」とか「これは勉強不足だ!」とかです。)音楽を学問として、見てしまうのですよ。
一般には、「(芸術が)好きならば、amateurに徹しろ!」という言葉があるようですが、それは私も「正しい」と思います。
音楽を演奏する事や、コンサート会場で聴く事も楽しく聴けるのでね。
私が演奏会に行かなくなったのは、未熟な演奏を聴いて、楽しめなくなったから・・なのでしょうからね。
(その芸術を)もっと好きになってしまったら、そりゃあ、proになるしかないよね??
「あんたと苦労をしてみたい」てな、都々逸の一節があったよな??アハッ!

Wilhelm Kempffや、Jorg Demus等の有名処から、新人の演奏会まで、或いは、ソビエトのフルオケまで、招待券の特別席で、ノーネクの汚い格好で聴いている顰蹙者は、私か、さもなくば、私の師匠のPringsheim先生でした。弟子だけでなく、師匠もノーネクなのよね??よく演奏会でばったりと会ってお互いの格好を見つめあったものです。ハイ!

「タダでチケットを貰える」と言う事は、先生に「その演奏会の報告をする」・・という(きつい報告)義務がありました。
その報告文は、先生達の手直しを経て、音楽の友等の雑誌に、その先生達の評論として掲載されていました。
批評家の先生達も、自分で聴きに行くのは、もう、とても辛かったのでしょうよ。その日のとても素晴らしい演奏会には、喜んで出かけていたのでしょうが、新人の演奏家や、あまり大した事のない外タレの演奏会は、私にお鉢(チケット)が回って来ました。お陰で色々な演奏が聴けたよ!!

concoursで審査員をやっていた時に、私の得点と評価が審査員全員のトータルの評価と何時も、ピタリと一致していたので、concoursの主催者の人が驚いていました。
「凄い客観的な批評力ですネ。」と言ってね??
だから、本来ならば、concoursに出る事すら、不可能なはずの教室の音楽に進むと決めている分けでもない趣味の延長線上の子供達がconcoursで入賞する事が出来るのですよ。

だって、評価基準は分かっている分けだから、何処をどう治せば100点満点が取れるか、分かっているので、通常のlessonの中で、concoursに出る生徒の得点が、分かるでしょう??どんなにウンが良くても、concoursでは、自分の出来た得点以上の点は取れないのよ。
学校の受験も同じ、・・一生懸命、勉強する事が大切なのではないのよね。どのような勉強をすれば良いのか・・で、合格出来るか否かが決まるのよ。ハイ!
それを要領という人もいるけれど、本当は合理性なのですよ。

音楽大学時代の話に戻って、・・・私のmemo書きがproの批評家の手によると、とても素晴らしい、「まるで見てきたような批評文」になっていて・・、学校で学ぶ勉強よりも、数倍も現実的な勉強になりました。
講釈師(評論家)、見て来たような嘘を言い・・、てか??


学校の勉強は殆どしなかった・・と言うよりも、音楽通論の授業等では、教室に入るのを先生に断られてしまいました。
「今年は一人だけ入学したそうだけど、作曲科の生徒はいるか?」「ハイ!」手を上げると、「授業の邪魔だから、教室から出て行け!」「え〜っ??何故ですか?」「歴代の作曲科の学生も、授業にイチャモン付けて、授業にならなかったので、作曲科の学生は免除にするから、教室には来るな!」他の授業も似たようなもので、授業を代行すると、とんかつ屋さんの上定食のチケットを貰えたのですよ。音楽鑑賞とか、和声の授業を上級生のクラスでも教授の代わりに授業をやっていたな??
そのとんかつ屋さん、代は代わったけれど、今でもあるのですよ。

私の大学時代のPiano科の後輩へのlesson風景です。
教授室を使用してのlessonです。
受験生や私のprivateな生徒達は、旭丘のアパートで指導していたので、あくまでも、音楽大学の後輩で、曲の解釈や奏法、練習法についての質問を受けた時のlecturelessonの場合のみです。。


短期大学の先輩が、
「4年制への編入試験の論文を代わりに書いて!」と言って来たので、論文を書いてやったら、学務に呼び出しを受けて、担当の先生が来て、「お前、幾らで請け負った?」と聞いて来たので、「**の寿司屋で寿司を奢って貰う事になっています。」と言ったらその先生が「特上でなければダメだ!と、俺が言った・・と言っておけ!」と言うので、その旨、先輩に言ったら、「仕方ね〜な!」と、本当に特上の寿司を奢ってくれました。
いや〜あ、真面目だね?? 昔は良かったネ〜な??

でも、こんな事を書くと、私が子供の頃から凄い勉強家で、クソ真面目に勉強ばかりしていた子供のように見えてしまいますよね??
私は、近親縁者達から医学の道に進むものと、決められていたので、高校のクラスも医学部進学クラスにいて、PianoのPの字も無かったのですよ。

高校2年になったばかりの時に大病をして、(と言うか、今で言うと、医療ミスが二つも三つも重なって、)腎臓を一つ取るハメになってしまって、そのために1年間、学校を休校したので、周りの人達が私が医者になる事を諦めてくれて、「もう一般人の生活は出来ないだろうから、好きな音楽でもやらせて、余生を送らせれば・・」と言う事で、音楽へ進学する事を許してくれたのです。
でも、許してくれただけで、お金を出してくれた分けではないので、入学金から東京での生活費から、大学の授業料以外は全部自分で出さなければならなかったのです。コンサートを聴きに行くのも、生活が掛かっていたのですよ。アハッ!

この時代には、地方の街の楽器店や本屋には、楽典や音楽史のような本は一冊も無かったのです。
だから、中学生の時から、昼の弁当代を貯めて買っていた、Recordのジャケットに書かれている解説文は、穴の開くほど、読み砕いて、知識として頭に入れていました。
音大生は物心がついた頃から音楽の勉強に明け暮れているので、頑張っても、追いつかないぐらいの、音楽の専門的な知識があるのに違いない・・と、思い込んでいたのです。それが、入学してみると、Beethovenの運命や田園さえ聴いた事がない・・・、その癖にProkofievの難しいPianosonateは知っている・・、音大生は、1年に1、2曲ぐらいのペースで曲を仕上げるので、5歳から音楽を始めたとして、17歳で受験だから、まあ、20曲ぐらいしか知らない・・という事になるのですよ。本当に音楽の知識がないのです。言われた通りに、Pianoをおさらいして来ただけ・・・!多分Recordも1枚も持っていないのではないのかな??

中学生の時には、ClassicのRecordは未だ、2,3枚しか発売されていませんでした。そんな時代よ!!私が高校生になった頃はLP盤からstereoのRecordも発売されるようになって、一気にRecordの枚数も増えて来ました。それと同時に昼飯代を抜いて、買い集めたRecordも増えて来たのですよ。それで、地方の都市でコンサート等は全く皆無だったけれど、耳だけは、肥えて行ったのかな?
音楽大学の学生時代に招待券で行った、Koganのviolinの演奏会の時も、上野の大ホールが満席で、凄い人気だったのですが、余りにも、violinの音が汚かったので、立腹して、一部の終わりで会場を出てしまいましたが、一人だけでしたネ??途中で逃げ出したのは・・??
Koganが、小さな日本人の女の子を連れて帰った年ですよ。

Munchen時代に、オペラやバレーを見に行く時だけは、あまり、「勉強している」という気がしなかったので、その時は楽しかったな〜ぁ??
Munchenでも、Argerichの演奏会のチケットを貰ったのですが、気が進まなかったので、恋人の分のチケットを必死に探している若いカップルにタダ(!)であげて、wineを飲みに行きました。

日本に帰って来て、有名若手のpianistが日本に演奏旅行にやって来て、カザルスホールで演奏会をやるので、聴きに行こう・・と思ったら、集まって来る女の子達のこぼれるように華やかな衣装を見て、少なからずショックを受けてしまいました。
俺は、こんなチャラチャラした連中のために、作曲の勉強をして来た分けではないぞ!!
お前達に弾かせるための曲は作らんぞ!!てね!!
勿論、その時も、演奏会を聴くのは当然、キャンセルして、そのまま飲みに出かけてしまいましたがね。
・・・まあ、それからは作曲をする気がすっかり失せてしまいましたョ。作曲は完全な趣味になってしまいました。趣味なら一般に公開する必要はないしね!!
幾ら作曲をしても儲かるのは、出版社だけなのですからね!!

それに、日本に帰ってからは、暫くの間、N響や室内楽のrehearsal やゲネプロ(Generalprobe)の手伝いの仕事をしていて、Neumannのチェコ・フィルの練習や、ミラノ・オペラの練習風景を見る事が出来たのですが、本番の演奏会は、いつも私はパスしてチケットを貰うのは断っています。
練習風景が楽しいのよね〜ぇ??音楽を作って行く過程が見えるから・・!!楽屋内を見てしまうと、演奏会なんて、Ceremonyにしか、見えないのですよ。お茶で言えば、美味しいお茶を飲んだ後の、出がらし!!

音楽大学時代から、作曲科の学生は、音楽大学ではなく、美大や演劇や文学部と一緒に勉強させて貰えばよいのに・・といつも思っていました。
だって、音楽大学は、職人を育てる所でしょう??作曲科の学生は、全然違う世界の住人だよ!!作曲科の学生に必要な勉強は、文学史や美術史、数学等の勉強でしょう??そんな科目は音楽大学には、一つもないからね??

それはそうと、音楽でproになろうとする人達にadviceですが、NHK の新人の演奏家の応募で、どういう人達が審査するのか知っていますか??PA担当(録音技師)の人や、指揮者や、Producerや、等々・・、Piano等、演奏家の人は、若干1名ぐらいしかいないのですよ。Pianoの演奏さえ上手ければ、proに成れる・・と思っている人には、チョッと厳しい試験かもしれないね?? 
後はどういう職業の人が審査員になっているのかは、自分で調べてください。
実際の演奏まで持ち込めたとして、会場では良くBosendorferのPianoが使用されるのですが、一次のtape審査も、Bosendorferも、その特徴は、音が割れやすいからなのですよ。チョッとでも、歪んだ音を出すと、電気を通すと、歪が増幅されていくのです。だから放送局では、歪の音(汚い音)にはうるさいのです。そこは音量重視の音楽大学とは根本的に考え方が違うのですよ。

あれれのれ・・・??
またまた、Facebookの入力の不具合で、文章が打てません。
「今日は、ここまでにしろ!!」という神様のお告げかな??
それでは、また、いつの日にか・・!!
それにしても、文章のTitleである「proにとって、音楽は・・」の回答が書いていませんね。
つまり、proに取っては、音楽は厳しいもので、自分を磨き上げる手段なのですが、その厳しさが、proにとっては無くてはならない楽しいもの・・なのですよ。自己満足的なNiveauでは、決して、許せない・・近づけば近づく程、道は果てしなく遠く遠のいて行くものなのです。・・・で「天が後、10年私に寿命を与えてくれたら・・」の一節に続くのですよ。


おっ!私の脳裏にある芦塚さんだ!(笑)
2016年12月21日 9:51


半世紀も前の写真ですよ!!
江戸時代と明治時代のすぐ後の・・、平成の手前の・・
2016年12月21日 10:15











2016年12月21日 10:18


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2016年12月22日 5:06 ・

「Handelのsarabandeのrenewal‐versionについて」

クリスマス会の準備が、やる事なす事うまく行かないので、3時前にやっとハイツに辿り着いたのですが、頭に来て眠れないので、Handelのsarabandeのviola‐versionをrenewalしてしまいました。
相変わらず、パソコン音源ですが、動画に落としたので、取り敢えず、Facebookで見れるようにしておきます。
その内にYou Tubeにuploadします。
折角、大勢の人が見てくれたのですが、これまでの動画は、You Tubeにupload次第、削除します。
climaxから終わりまでのtimingがチョッと短すぎて、終わった感が弱かったので、後部を少し長くして、全体のbalanceを取りました。
一応、予定なのですが、17年、来年の4月2日の千葉市文化センターアートホールでの春の発表会で演奏時間が取れたら、violaを梨紗さんが演奏をしてくれる予定です。
Cembaloは智子ちゃんの予定です。予定は未定でもあって、「時間が取れたら・・・」と言う曖昧模糊なのは、発表会は生徒達の発表会なので、生徒達の出演時間で、私の曲を演奏する時間が取れない事も多いからです。今回のHandelのpassacagliaも、曲を作ってから演奏するまでに、丸々、1年以上待ったしネ??(passacagliaの作曲は、今年の1月でした。)

sarabandeやfoliaでは、通常、梨紗さんが言っている、この動画の7分10秒辺りに出てくるMarin MaraisのHandschrift(手書き譜)ので書かれているように、1拍目ではなく、2拍目に和音が出て来ます。
sarabandeやfoliaの拍頭が2拍目に移動しているからです。(sarabandeもfoliaも、宮廷で演奏されるようになるまでは、結構、煽情的な舞曲だったのですよ。宮廷で、やんごとなき女御更衣の方達が踊る様になるまでは、結構早いstepで踊られていたのです。何度も、禁止令が出た事があります。その当時のdanceを見たかったのですが、民衆、大衆の文化は、余り残ってはいないのですよ。)
いずれにしても、1小節目は2拍目に和音が出てきますが、反対に2小節目では、1拍目が和音になっています。つまり、2小節目の頭の拍は通常通りに小節の頭にあるのです。
https://www.youtube.com/watch?v=VF9v-6B_O0A
soloの高度なTechnikを要するproのdanceです。舞台が洞窟の設定であるというのは、最初はGypsy達が隠れて踊っていた‥・という、意味が含まれています。

https://www.youtube.co