芦塚先生のFacebook(そのW)抜粋

                   
FacebookTへ  2014年9月4日より2015年12月31日まで

FacebookUへ  2016年1月1日から2016年12月31日まで

FacebookVへ  2017年1月1日より、2017年12月31日まで

FacebookXへ  2019年1月1日より2019年12月31日まで




                 2018年より

      下のボタンをclickすると、それぞれの月のindexへ進みます。

1月  2月  3月   4月   5月   6月  


7月  8月  9月    10月   11月   12月



  


月別のindexです。

1月      

1月1日

1月2日

1月3日

1月4日

1月8日 18年1月7日の音人の会のご報告

1月9日 ・「Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの、articulationの手直し」

1月11日

1月12日

1月13日

1月14日

1月15日

1月17日 ・ 「古典派の奏法Nr.1」「古典派の奏法(2)periodについて」

1月17日 「古典派の奏法Nr.3」

1月18日 ・「古典派の奏法Nr.4ornament」

1月19日

1月19日 ・「古典派の奏法Nr.5表現について」

1月21日 ・

1月22日 ・

1月22日雪だ!!雪だ!!


1月23日「賞味期限のお話」


1月24日「日本人の持つ甘えの構造(U)」 ・

1月24日「体調不良」


1月25日「フレンチ・トースト」


1月28日Vivaldiのa mollのcello-concerto

1月29日「Vivaldiのcelloconcerto a moll T楽章の冒頭」


1月30日「古典派の奏法(6)bowslur」

1月30日Berlin Baroque Soloists


1月31日


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2月

2月1日「人手不足破産」

2月1日「スーパームーン」

2月1日「雪だ!!」

2月2日「いや〜あ、雪だ!!雪だ!!」

2月2日「ヒイカのお刺身」

2月5日 ・

2月5日「Vivaldi a moll celloconcerto RV418 bowslurの訂正」

2月6日「フレンチ・トースト」

2月10日

2月12日

2月13日「一万円のviolinとウン億円のviolin」

2月14日「今日は2月の14日です。」

2月15日 「踝が痛い!!」

2月17日「同じ門下ならば指導内容も同じ・・・」 ・

2月19日「Boccheriniの楽譜のversionの変更について」

2月19日「オケ練習開けの、月曜日の話です。」

2月20日


2月21日

2月21日「baroque、古典派時代の音の出し方」

2月21日「時短について」

2月22日

2月23日Veracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d mollのCiacona

2月25日「暗譜の練習と立ち机について」

2月28日

2月28日「教室のpipeOrganについて」


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3月

3月2日

3月3日

3月4日「3月4日のオケ練習(左足の痛みと腓返りと摂眠障害等々)」

3月5日「玉三郎さんのお話」

3月7日「最終稿のお話」

3月12日「ハイツからの朝焼け」

3月13日

3月15日「ハイツの傍のコンビニ」

3月16日

3月17日

3月19日

3月20日

3月21日

3月24日

3月25日

3月27日 ・

3月29日 ・

3月30日「春の夜嵐」

3月31日「baroque唱法」


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4月

4月1日「You Tubeに対しての勘違い」

4月2日「オケ練習や室内楽の練習の集合時間について」

4月2日J.S.Bach Aria in D

4月4日

4月5日Vivaldi Op.[Nr.11 D RV210の初版本の銅板印刷譜です。

4月7日

4月7日「NHKで言っていた、若者の失踪が30万人にもなるそうだが・・」

4月9日

4月10日

4月11日

4月12日この所、睡眠が上手く行っていない。

4月12日

4月13日「曜日の感覚が・・・」

4月16日「発表会次の日」

4月17日 ・

4月18日

4月19日

4月19日「子供達の一途さ、直向きさ」

4月21日

4月22日「反省会」

4月23日 ・

4月23日「反省会の打ち上げの手料理」

4月24日「ミスの連鎖」

4月25日Vivaldiの Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのU楽章のornament

4月25日「orchestraの並び方について」

4月26日「教室で使用する音楽用語について」

4月28日「事務所のパソコンの不具合」

4月29日「Haydnの弦楽四重奏曲」

4月29日「体調不良」

4月30日「足が痙った」

4月30日「オケ・室内楽の結団式」

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5月

5月1日「video-cameraのお話」

5月2日

5月3日「動画からの写真」

5月3日 ・

5月4日「今日はGWの中日」

18年5月4日8:27「悪意のあるコメント」

5月5日「Virus-mail」」

5月5日「今日も体調不良」 ・

5月6日「de ja vu??」

5月7日「歯が??痛い」 ・

5月9日「荷物の整理」 ・

5月9日「超、寒い!!」 ・

5月9日「部活動について」

5月10日「封を切っていないwineが」

5月12日「玄関の脇のflooringの部屋の整理」

5月14日「mein Tagebuch」 ・

5月14日「迷惑なExcelのversion-up」

5月14日「ここは俺の居場所ではない」

5月14日「言葉と音楽表現」

5月16日「高須院長がtwitterで若者に苦言を呈した・・・」

5月17日 ・lineから

5月17日「Kontrabassのお話:U」

5月20日「超、寒い!!」 ・

5月21日「時短について 『loss-timeとlost‐time』」

5月21日「Capuzziのorchestraのscoreについて」

5月21日「ヨージーの法則」 ・

5月22日「lecture-lesson」 ・

5月22日「今日は火曜日の引き籠もりdayです」 ・

5月23日「動画のuploadに・・」 ・

5月23日「腹減った!」 ・

5月23日「突然、lessonだと言われてもね〜ぇ??」 ・

5月25日「教育への親子のズレ」 ・

5月25日「pocket-scoreの棚」

5月28日「オケ練習が終わって」 ・

5月28日「発表会の写真について」 ・

5月28日「夢」 ・

5月29日「お勉強について」

5月29日「wide-conversion-lensとfisheye lensのお話」 ・

5月30日「体調不良が抜けない」 ・

5月31日「オケ練習が次回はお休みなので、今回のvideoを」 ・

5月31日「今の子供達の口癖は『それは、無理』・・・」 ・


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6月

6月1日「5月31日がいなくなった」

6月2日「梅ジャム」

6月2日「梅ジャム2」

6月4日「pipeorganの調律と絶対音感と和音感のお話」

6月5日「個人情報の保護について」

6月5日「糖尿病外来への紹介状」

6月7日「お誕生日会」

6月7日「ボンボン時計」

6月9日「椎名町のlesson室を改造した。」

6月11日「昨日の日曜日(6月の10日)は、オケ練習でした。」

6月11日「教わる・・という事 その1」

6月12日「教わるという事 その2」

6月12日「教わる・・という事について その3」

6月12日「passacagliaのoriginal-versionのorchestrationが終わった!!」

6月13日車の点検

6月13日「Veracciniのorchestrationを、しているのですが、」

6月13日「排水管の工事

6月14日 「Facebookの不具合」

6月16日「寒い!」

6月16日「ギャラリーの写真が」

6月17日「検見川教室でのlessonについて」

6月19日「肌掛け羽毛布団」

6月19日「またまた、オケ練習が撮れていなかった!!」

6月20日「2回目の血糖の注射」

6月21日くちなしの花

6月21日三回目の配管の工事

6月21日弦楽器での和音の弾き方弦楽器での和音の弾き方

6月22日baroqueの書かれたrhythmと演奏されたrhythm
(Hennry PurcellのBenjamin Brittenへの悪口)

6月22日噴水のように血が吹き出した

6月25日「紗來ちゃんの希望による[18番]の前の小節のDavid版への変更に伴うorchestraのrhythmの変更」

6月26日梅シロップです?

6月26日昨日は練馬は34.8Cだったそうです。

6月27日変な夢を見た?

6月27日オケ練習のvideoのuploadに関しての伝達

6月27日カレーのルーがなくなったので

6月27日今日のボケ捲り

6月28日高いお金を払って買ったのに

6月28日湿度が酷い

6月28日椎名町の事務所で取れたきゅうりです?

6月30日やっとこれでMozartやBeethoven等の退屈なつまらない曲から開放される!!
どういう分けか、芸大等に招待されるおばあちゃんpianistのお話です。教室では、そういう事を言う音楽家は絶対に許しません。



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7月

7月1日

7月2日連日30度超えの猛暑が

7月2日「巨大水膨れが爆発した!」

7月2日2日続けてひかりヶ丘の病院に行きます。

7月3日ひかりヶ丘の病院での2回目の診察

7月4日今日はひかりヶ丘病院の形成外科に行きます

7月7日薬を変えた日から、体重が

7月8日「体感温度」

7月10日オケ練習の基本中の基本

7月10日もどきナポリタンもどきナポリタン

7月10日今日は皮下注射の日です

7月16日今日は練馬では37℃だってよ!!

7月17日Hoffmeisterのarticulationを

7月17日Beethovenのduoのscore

7月18日HoffmeisterのU楽章の1stのmelodieを変更します。

7月18日HoffmeisterのU楽章の原譜の間違いについて

7月19日HoffmeisterV楽章rondoのarticulationの説明

7月20日体組成体重計が壊れた!

7月21日お勉強への心の置き所

7月22日落ち込み性の鬱

7月23日「BeethovenのDuoについて」

7月23日教育の原理 「言われた事を・・・」

7月24日配った市販の楽譜の訂正をなるべく少なくなるように

7月29日放送では、バケツをひっくり返したような音と言うのだろうけれど

7月30日「学校教育と音楽」


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8月

8月2日連日の猛暑日で

8月2日「覚え直しと記憶のすり替え、妄想性障害」

8月2日鬱と体調

8月3日「同じ注意を二度とされないようにする」

8月3日怒りに身を任せてビールを

8月4日足の甲の腫れが少し引いて足の甲の腫れが少し引いて

8月4日「limitとtiming」

8月6日「今年は生き抜く事が課題です。」

8月6日トロロ・スパゲッティ

8月6日「今日は安静dayにします。」

8月7日寒い!!

8月7日高校時代のすぐ傍の丘での自撮りの写真です

8月8日楽器選定

8月9日部屋に閉じ籠もっているので、台風は

8月11日昨日(8月10日)は、またまた35℃の猛暑でした。

8月11日東京都内23区は大雨警報で、私も

8月12日プチトマトが、詰め放題200円と、安かったので

8月13日今日はひかりヶ丘病院の日です。

8月15日久し振りで池袋に出掛けたのだが

8月16日「貞心尼と森女」

8月17日超、寒い!!

8月18日「動画の編集作業に関してのコモゴモ」

8月19日体調不良

8月24日時間帯で海釣りに来る人の属している世界が

8月25日多機能のミリタリー・パソコンバッグを購入しました

8月25日それはそうと、明日の26日の日曜日は

8月25日携帯でmailを見ていたら、突然、

8月26日今日の夜の8時は満月だそうです

8月26日余計なお世話だよな!!

8月27日牧野先生が可愛いアワビを買って来ました。

8月27日大雨と雷だ!!

8月29日「夏の合宿前日の下準備の買い出し」

8月31日またまた、Facebookが変な事を


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9月

9月2日おさらい会の「間違い探し」

9月2日おさらい会の動画が

9月2日「音楽おもしろ話」から「recordingのお話」です

9月3日突然の気温の低下

9月4日Faure のRequiem

9月5日またまた、Facebookが

9月5日「昨日の9月4日は私のFacebook投稿の誕生日になります。」

9月5日EdisonがBrahmsに依頼した演奏の

9月5日roll-Piano

9月7日ドルの秋のコレクションです

9月7日「偉大な作曲家と言えど、演奏は・・」と酷評されているようですが
実際にはこの演奏はrecordingではありません。

9月7日作曲家の自作自演は、結構、限がないので

9月8日「最低でも7時間・・」 練習時間のお話です。

9月8日「時短の話から」

9月8日合宿ではオケの練習毎に「暗譜に付いて」のお話をしました
立ち机のお話

9月9日「何故、弾けないのか?」を分析

9月12日病気の予兆

9月12日33℃から18℃というのは、幾らなんでも酷すぎる

9月15日ソノラマ

9月17日「信条、心情、Motiv、motto、座右の銘」

9月17日chopinのnocturne Op.15no.2の構造分析

9月18日心療内科のお話

9月21日秋の発表会に向けての練習風景です

9月21日VitaliのChaconneの練習風景です

9月22日先生に「熱があるんじゃぁないの?」と言われたので

9月24日病院に駆けつけるための準備と、昨日のオケ練習の

9月26日竹細工のコオロギ

9月27日人口の増加率

9月28日絶好の洗濯日よりだ

9月29日「公園の木のベンチで・・・」

9月29日「芦塚先生のお部屋」のdataが全部

9月29日「芦塚先生のお部屋」のdataが全部(U)

9月30日私の20年、30年の論文の集大成なのだから・・

9月30日windows10で、「壊れたアプリがあるので、リフレッシュをしてください。」とmessageがでたので

9月30日なんと、時間に正確な・・





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10月

10月1日深夜の1時の台風直下です

10月2日駐輪場の木が台風の風で

10月2日Vivaldiの[失われた手稿譜」という




10月5日「人生最悪の日」

10月7日突風が吹いた

10月8日videoで自分の演奏のcheckを

10月9日病院のハシゴだ!!

10月11日windows7を立ち上げようとしたら、「壊れたfileが見つかったので

10月11日納得の行かないconsulting

10月12日netで火事を探して見たけれど

10月13日今日は流石に、毛布を出してしまった

10月14日solo-リハなのだけど、絶対安静という事でハイツに閉じ籠もって

10月16日Ravi Shankar のimprovisationを聴いています

10月17日秋だ?

10月18日今夜もまた、時間の逆行が起こっている

10月19日事務所のメインのパソコンが壊れた!

10月21日昨日はsecond opinionの日でした。

10月22日昨日のオケ・室内楽のrehearsal のvideoを編集してupしなければ

10月23日物がつかめなくなって

10月24日Securityをinstallしようと思ったら、勝手にrecoveryを始めた

10月24日second opinionのための自宅待機

10月24日second opinionの続きです。

10月27日お茶飲み話の一部を復活させました

10月29日雲ひとつない小春日和の





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11月

11月1日川崎の病院でのsecond opinionの

11月1日そうだよな?Facebookなんてやっていては

11月1日「入院日記」

11月2日「入院日記」

11月3日音楽家の増上慢

11月3日11月11日の発表会までの私の所在地と予定です

11月5日Microsoftの陰謀か??

11月7日明日は、ひかりヶ丘から川崎までの病院のハシゴです。

11月7日「入院日記」

11月8日「入院日記」

11月10日文章の入力が出来ない

11月11日11時にハイツの自宅に帰ってまいりました

11月13日病院で風邪菌を貰って来たらしく

11月13日体調がすぐれないのだが、やっぱり微熱だ!

11月14日点滴の注射の痕です。

11月16日せめてFacebookででも、退院のメッセージを と斉藤先生から言われたので

11月17日抜鉤の日で、一人で川崎迄出掛けます。

11月17日楽しむという意味は、享楽をするという意味では

11月17日動画の編集をしていたら、80%ぐらい出来た状態で、

11月17日風呂に浸かる事が出来た

11月17日発表会の出来が・・

11月17日自宅のパソコンが壊れた

11月18日明日は発表会の打ち上げの日です

11月18日「うっかりミス=ポロ・ミスとポニョ・ミス」

11月19日「パソコンとsoftwareの整理について」

11月19日珍しく熟睡出来たのに、絶不調で

11月21日初の泌尿器科の診察です。

11月22日起きても寝ても、

11月23日パソコンをバラす作業を

11月26日パソコンは未だ死んだままで、気力も出ません

11月26日先生の言っている事を自分の都合の良いように思い換えて

11月27日自分の語彙に言葉を変換して解釈する

11月27日体調不良なのに、不思議な事に仕事が上手く行って

11月29日proのような生活という意味は、人生を真摯に生きる・・という意味なのだが・・

11月30日昨日は発表会開けの初lessonだった





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12月

12月1日な、な、な、なんと!

12月1日「丹田の指揮が出来ない!」

12月5日お久しぶりのひかりヶ丘の病院

12月6日「今度は牧野先生のnotePCが壊れたってよ!!」

12月6日兎に角、寒い??

今日は12月の8日です。

12月の10日「aulosのtraverso」

12月12日

12月12日「入院日記」

12月14日「入院日記」

12月15日「入院日記」

12月16日

12月16日「入院日記」


12月17日「入院日記」

12月18日

12月18日差し歯が欠けた?

12月18日「3拍子の3拍目の弾き方」

12月19日「清拭のお話」

12月20日「術後、1週間」

12月20日「オケ練習の訂正譜のcheckの伝達」

12月21日「腰痛が酷くて!」

12月23日「periodとは違うbaroqueや古典派の音の出し方」

12月24日ChristmasのEveです。

12月26日今日は合宿の中日です。今日は合宿の中日です。

12月31日なんと、今日は大晦日だそうな

12月31日スマホで入力した文章が


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1月


1月1日
大晦日、夜の11時頃に、年越しそばを食べに、バイクで椎名町に行ったのですが、江古田駅の前の神社には未だ、誰も来ていませんでした。
今は2年参りというのはしないのかな??  ・・と思いながら、バイクを走らせて、年越しそばを食べて、1時間半経った頃の12時半頃に、超寒い中を再び、ハイツに戻って来たら、例年ならば、ハイツ(金華学園)の入り口迄、一杯で、バイクを駐輪場に入れるのにも、困る程の混雑なのだけど、今年は、ハイツの入り口を塞ぐ程の混雑ではないのだけれど、一応は神社には行列が出来ていました。
浅間神社としては、1年に一度だけの行列です。
あたしゃ、氏子ではないし、お参りの行列に並ぶのも面倒くさいので、初詣のお参りはしませんがね。


1月2日



椎名町事務所の門松です。旧年中にイトーヨーカ堂で買って来ました?見えるかな?

買ったご本人も見逃したほどのかわいすぎる門松。これは見えませんな?

明けましておめでとうございます??
本年もよろしくお願いいたします




1月2日 ・

アップするとこんな感じ




ようやく見えました?

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1月2日 ・

1月2日 今日はスーパームーンだそうですね。
ハイツの仕事部屋の窓から見える事は見えるのですが、比較対象がないと、大きさが分からないので、チョッとタイミングを逃したのかな??
いつも愛用のバカチョン・カメラでの撮影です。
pm5時40分ぐらいなので、結構早い時間ですよね。
上の写真の横にチョコッと見えているのは、ビルの避雷針です。
それじゃあ、比較対象にはならんわな??






という事で、巷の夜景を中心にして満月を撮影してみました。
月はボケてしまうのだけどね〜ぇ??
只のデジカメなので、しょうがないよね??
もう、高性能の一眼レフをわざわざと、お蔵から出して来て、撮影するような気力は無いのでね??



初春のご祝詞を申し上げます!
益々ご活躍の新年をご祝詞申し上げます!

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1月3日 ・

牧野先生が池袋のデパートでタラバ蟹買って来てくれました。
歳の暮には天文学的に高かった蟹が正月2日ともなると、投げ売りで安く買って来れたそうです。
蟹の他にも食べ物があったのだけど、蟹だけでお腹がいっぱいになってしまいました。
牧野先生と斉藤先生はwineを飲んで乾杯していたけれど、私はバイクなので、ノンアルビールで乾杯にお相伴しました。
超大きな蟹だったので、私の愛用の蟹鋏で、カットしてコンガリと焼いて、マヨネーズで食べました。
う~ん、満足? 
今日は満月??
そう言えば、お雑煮に鯖の切り身は入っていたの??
記憶にないな〜ァ??



朝5時の定時に、体重測定にトイレに起きる。
夢見悪し。
胃の膨満感(ムカつき)が強いので、ガロールを飲む。
血圧、この所低めが続いていたのに、140と高めで、脈も早い。
体調不良の典型の症状である。
腹八分目は昨夜も守ったつもりだったのだが、蟹さんは、体調不良には、少しきつかったかな??
美味しかったのだけどな??
ドルプリっ歩もパスして、風邪薬を飲んでいる状態では、生物はきつかったかな?
それとも、なにを食べても同じ症状だったのかな??
まあ、良いか・・??
いずれにしても、体調不良の時には、お茶でさえ重たい??
冷蔵庫で作り置きをしている水素水を飲む?
後は、胃の膨満感の時には、梅湯に限るのだが、今は梅湯を作るだけの元気がないので、一眠りしてからにしよう。

朝の10時に起きて、梅湯を飲んでいます。
いつも、梅干しを買う江古田市場のお店が市場毎無くなってしまったので、超酸っぱい昔ながらの梅干しが手に入らなくなって、困っています。
あの店、何処に行ったのだろう??
ちなみに、梅干し屋さんではなくって、お味噌屋さんです。

きゅうりの古漬けを買ってたお店ですか?
体調、お大事にしてください。


きゅうりの古漬けを売っていたお店は、丁度真向かい辺りにお店を移転しています。
だから、今でも買うことは出来ます。
古漬けの超、酸っぱいのを、お茶をぶっかけただけのご飯に入れて、かき込むように食べるのは、人生最高の快楽ですよね〜ぇ??
大判焼きのお店はそのままあります。
江古田では、よく大判焼きのとても綺麗な有名なお店が出来るのだけど、片っ端から潰れて、この古ぼけたお店は、相変わらず、美味しいのですよ。
時々行くけれど、焼いていても、予約で売り切れで買えない時の方が多いのよ??

市場は全部なくなって、今は普通の住宅になっています。
買い物が出来なくなってしまって、超shock?だったのだけど、江古田駅の反対側にまん丸が出来たので、少しは助かっています。
・・ただ、24時間ではなく、11時迄なのだけど、9時以降は、食料品が全く売り切れ状態で、10時半ぐらいになって慌てて駆けつけても、何も無いのよね〜ぇ??
結局、食い逸れて、困っちゃうのよね〜ぇ??



よくよく前の日の動きを思い出して見たら、食あたりではなくって、単なる食い過ぎだという事が分かりました。
蟹さんを食べる前に、何と、牧野先生が池袋の西武で買ってきたbaqetで、ハムとCamembertのcheeseを食べていたのを忘れていた。
心臓の調子を悪くしてから、延々と腹八分目を守っていたのに、ついつい羽目を外してしまった。
baqetは、食べていると、ついつい量が分からなくなってしまいます。
悔恨???

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1月3日 ・

餅があるので、きな粉を探したら07年8月31日賞味期限のきな粉が食料の引き出しから出て来た。
ウン??  これで、美味しいきな粉餅が食べれるぞ??



えっと、、、
炒ってから使ってください??
煎る?


了解しました!
きな粉餅を食べる時には、炒って起きます。
真空パックなので、虫はいないとは思うのですが、七味は、よく虫が湧くみたいだけど・・??
実や種なので、卵が入っているようなので・・。
きな粉は粉なので、真空パックならば、それ程は問題はないと思いますが、勿論、風味は落ちますよね。
なかなかスーパーに買いに行けないので、有り合わせで間に合わせる事が多いので・・・





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1月4日

着たきり雀のカシミヤが経年劣化で、穴が開きそうになって来たので、サカゼンでセーターを買って来て貰った次いでに、西武のデパ地下の鶴屋吉信で、懐中汁粉を買って来て貰いました。
昔は懐中汁粉を常備していたので、鶴屋吉信は何時も身近にあったのですが、心臓の手術の後では、お菓子を常備する事はなくなってしまったので、実に、久し振りなので、値段をすっかり忘れてしまっていたのだけど、デパ地下で10個買ったら3000円超えで、ビックリしてしまいました。
(配送料が無い状態でも、3000円超えだったので・・という意味です。)
そんなに高かったっけ??  腰を抜かしたナ??
・・鶴屋吉信の和菓子としては、驚く程の値段でもないのだが・・、たかが懐中汁粉にしては、やはり高い。

そんなに高いのなら、文明堂の懐中汁粉が安くて良いよな?
江古田のスーパーが潰れて無くなる前には、何時も積み上げられて、一山100円くらいで売っていたのにな??
今でも、スーパー等で買うと、懐中汁粉の値段なんて、精々120円程度の、そんなもんだろう??
京都の名店は流石にお値段も良いようで・・・??
(何??高いと思ったら、買わなきゃ良いって??
そりゃあ、そうだけどさ~あ??
流石に、甘すぎず上品なのだよな??)
この懐中しるこは、昔から結構好きなのでネ?
文句を言いながら、結構買っているのだよ

   


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18年1月7日の音人の会のご報告

1月8日 ・

昨日(18年1月7日)は新春の音人の会を開催しました。
昨年同様に準備期間が非常に短く(昨年は先生達一同寝込んでしまったので、音人の会は2月に移動しましたが)自治会館が予約で塞がっていたので、人数が少ない事もあって、検見川教室での開催になりました。
この写真の後、春暉君も駆けつけてくれて、後片付けを最後まで(2時近く迄)手伝ってくれました。
感謝、感謝??
写真は取り敢えずの、私のデジカメの分です。




   



それはそうと、近場4,5年の帰宅時間の最遅レコードを作ってしまいました。
椎名町着が深夜3時で、ハイツに辿り着いたのが、もう早朝と言った方が良いのでは、と思える午前4時で、定刻の5時半にはベッドを起き出して、体重の測定をして、通常のrotationに戻って、雑用を始めています。
昨日は24時間の稼働なので、今日一日は寝込んでしまいたいのだけど、体が、routineで動いてしまいます。
いやあ〜、困ったものだ・・?? 
私としては、せめて、お昼すぎ迄は寝たいのだけどね??
眠れないのですよ。これが・・??

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1月8日 ・

私的には成人の日は、1月15日という感覚なのですが、今日の8日(月)は成人の日だったそうです。
昨日の7日は日曜日だったので、昨日、成人の日をする人達も多かったようで、検見川の神社の前の道路も大変な渋滞で、今回の音人の会は検見川教室で開催したのですが、検見川教室には厨房の設備がないので、料理は花園教室で作って、車で運ぶので、検見川教室に運ぶのは、最短距離の検見川神社の駐車場の前を通るコースになるのですが、その道路が、駐車場に入り切れ無い車で大渋滞をしていたので、反対コースの検見川の駅を迂回して運んだりして、何かと大変でした。
アルコールが出るので、車に載って来ない人が殆どなので、自治会館なら、人海戦術で、何とかなったのですが、車で2,3往復は、中々面倒でした。

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1月9日 ・ 「Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの、articulationの手直し」

9日の深夜、いつもの時間にベッドには入ったのだが、うだうだと、寝はぐれてしまって、結局、いつものように、起き出してしまった。
小腹がすいているような気もするのだが、しかし、眠れない本当の理由は、胃酸が出て、胃がむかついている性もあるのだよなぁ?
小腹は、胃が悪いので、空腹のような気がするのだよなぁ?
…という事で、胃の薬を飲んだり、梅湯を作ったり、色々と格闘をしながらなので、普段の鬱で眠れないとは、また違って、それなりに大変でした。


今日の10日も全く同じ事を書こうとして、躊躇してしまいました。
同じ事を毎夜書いていたら、それこそ、認知症だと思われてしまうからね。
せめて、眠れない原因でも書かないとそれこそ、認知を疑われてしまうので、昨夜の不眠の原因は、ここの所の左側の鼻詰まりと鼻水が根本的な原因で、寝苦しくて、眠れなかった。

取り敢えずは、漢方の蓄膿症の薬を飲んで、無理に寝ようとしても、苦しいだけなので、兼ねてからの心残りのVivaldi Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの、articulationの手直しをしました。

originalの楽譜の通奏低音が間違えている所の和音を訂正して、bowslurを全面的につけ直しました。
tempoの設定は88から96ぐらいまでの所をup、downする事を想定しています。
Vivaldi独特の流麗に歌う箇所や、figurationの早いpassage等のtempo-changeの設定も変更しました。
結構、満足行く所迄、持って行けたかな??
ただ、一箇所、54小節目の場所なのですが、melodieの音と、通奏低音の和音が論理的に不可解な所があって、目下、考慮中です。
53小節目はC#なのですが、53小節目の4拍目からC?のNapoliのchordによるC?が54小節目の4拍目、55小節目の頭の拍と、繰り返されます。melodieだけなら、とても自然な動きなのですが、basso continuoのpartが55小節目の2拍目に、(C?ではなく)C#の音になっていますが、このpassageはNapoliの6のchordでなければならないので、このA#は不自然です。
Cembaloのpartでは、54小節目の1拍目の和音をe mollのT度と見ている節もありますが、その次の2拍目はT度の+2となって和音としては成り立たなくなってしまいます。
これでは超不自然です。

You Tubeで生徒達の模範演奏のために、理想的な演奏を探しているのですが、今の所未だ見つかりません。
どの演奏団体もauftaktを突き弓にしているのですが、a moll Op.3Nr.6同様に、sostenutoの方が良い・・と言う事です。

:参考の楽譜はRicordi版です。



Querstand(対斜)を省いてC#にすると、余りにもC#とC?が繰り返されて、不自然になってしまいます。



melodieのC?とC#が不自然に聞こえないようにするには、寧ろ、思い切ってbasso continuoのmollのC#とA#を、C?とA?にすると、melodie-lineは生きます。我々の場合には、basso continuoの動きに慣れてしまっているので、このC?とA?には、違和感があるのですが、melodieには違和感はでません。
baroque時代にQuerstandが使用されるのは、Sequenzでquint-Zyklus等が使用される例外的な場合に限られていました。
こういったrandomに#と?が使用される事はありませんでした。
つまり、Ricordi版のように、BasにC#が出て来て、直ぐにQuerstandで、melodieにC?を使用するのは、本来的にはありません。
また、C?とC#を繰り返し、changeする事はbaroqueのtheoryとしてはないので、そこもRicordi版は不自然です。
と言う事で、54小節目のC?は自然なのですが、そうすると、basso continuoのC#とA#が不自然である・・という結論になってしまいます。
という事で、この楽譜の結論になってしまうのですが、これが不自然に聴こえるので、慣れとは困ったものです。



最終的にbasso continuoの変更の第二案です。
conceptはsolo-violinのmelodieの音がC?であるためには、このchordはNapoliのchordか、最悪でもsubdominantのchordである必要があります。
basso continuoのmelodieの流れで、54小節目の2拍目の和音がTonikaのchordであるのは、成り行き上、致し方ないとしても、3拍目がdominanteでは、solo-violinのmelodie-lineの大きなsubdominant上の動きとは整合しません。
・・かと言って、余り原譜の動きを変えたくないので、3拍目と4拍目の4分音符の音2個を3度上げて、C?⇒Dと弾く事で、恰もNapoliの和音を弾いているように聞こえるような動きにしました。
2拍目のbasso continuoの動きは、原曲のままでは、Tonikaのmelodieになってしまうのは、致し方ないとしても、兎も角、3,4拍目の和音はNapoliのような動きになったので、一番、原曲のimageを損なわないで、音の変更も2個の音だけと最小限に抑えられて、原曲の動きを損なう事の少ない、自然な動きになったのではないのかな??・・と、自負しています。
まあ、また暫らくしたら、別の方法論も思いつくかもしれませんがね。




てな事を言っている間に、またまた別の案(第三案)なのですが、Napoliのchordではなく、e mollからh mollへの転調楽節と言う事で、e mollのT度上の和音として、数字を付け直して見ました。これなら、原曲の音の動きを損なう事が全くなく、和音の訂正が出来ます。54小節目の3拍目からのe mollからh mollへの転調楽節には少し無理があるのですが、ホンの一瞬なので、気がつかない場合もあるか??とも、思われるのですがね。





3楽章は以前校訂をしたので、この譜面はRicordi版の2楽章なのですが、Ricordi版では、forteとPianoが対比するように演奏されています。
この校訂は現代のRicordi版に拠るarrangeなのですが、もし、Vivaldiがそういう風に作曲するのならば、という事でarrangeをして見ました。



baroque時代のConcerto Grossoの手法ならば、この書き方の方が自然な効果を出す事が出来ます。勿論、そういった、contrastを想定するのならば・・という前提の元に、ですが。
勿論、交唱的な意味はoctave移動にはあったとは思いますが、こういったdramaticなdynamicな意味は無かったと思います。しかし、こうった演奏も面白い・・という意味です。





1月11日

昔々、20年程前に、江古田教室のすぐ傍の病院に入院していた時に、ベッドに食事の時に、給湯配膳係のおばちゃん達が、お茶を超デカイ、アルミ製の湯沸かしで、湯呑みに入れてくれるのですが、食事が終わって、それ以外の時には、お茶を入れては、貰えないので、他の入院患者の人達も、家から魔法瓶を持って来ていて、自分達でお茶を入れて飲んでいたので、私も、先生達に西武でポットを買って来て貰いました。

その際、tableの上に置ける可愛らしいポットを持っていなかったので、先生達が、池袋迄行って、西武デパートで買って来てくれました。教室では何時でも自由にお茶は飲む事が出来たので、魔法瓶のポットなんかは要らなかったから、持っていなかったのです。反対に、ステンレス製の落っことしても割れないポットを車用に、愛用していました。でも、当時のステンレス製のポットは、お湯の持ち時間が悪くて、直ぐに覚めてしまったのでね。
やはり、ガラス製の魔法瓶に限ったのですよ。

病院の給湯室は、患者は使えないので、看護婦さん達誰かが、ポットにお湯を入れてくれれば良いのですが、それさえもして貰えないので、夜に、下着の着替え等を届けてくれた先生達が、ついでに、ポットも江古田の教室に持って帰って、次の日の朝に、お湯を満タンにしたポットを届ける・・という毎日でした。

その時に使用していた、先生達が買って来てくれた「ぷーさんのポット」ですが、20年経った今でも、現役で活躍しています。

勿論、中はガラス製なので直ぐに割れてしまいますが、今でも大切にしているので、一度も割れる事もなく、今も現役として、時折、必要な時には、それなりに活躍しています。

普段は、濃茶の粉茶を、トトロのマグカップに入れて、電気の湯沸かしでお湯を入れて飲んでいましたが、今は胃の調子があまり良くなくって、濃茶の粉茶が、胃にキツくなってしまったので、濃茶の代わりに、このボトルに紅茶を入れて飲んでいます。

このボトルに満タンにお湯を注いで、ティーパックを2個入れて、tableの上に置いて、喉が乾いたら、そのまま飲んでます。でも、トトロのマグカップも大きいので、このボトルでは、トトロ2杯半って所でしょうかね??だから、結構、面倒くさいのですよ!!ひっきりなしにボトルにお湯を入れている感があるのです。

人から、よく「お茶をひっきりなしに飲むね〜ぇ??」と言われてしまう事がありますが、私の場合には、血糖値を下げるための利尿剤の薬を飲んでいるので、薬の性でお茶を飲む・・という事よりも、意識して、水分を補充しなければならない・・という事で、ひっきりなしにお茶を飲んでいるのもありますので・・・ネ??



柄がプーさんである理由は、やはりあるのでしょうか?????

さて、それは先生達に聞いてください。その頃は未だ、80`の太り始め頃だったので・・・

一々、お茶を作るのが面倒くさいので、プーさんの魔法瓶を出したのですが、0.7gなので、マグカップで2杯半しか作れません。
と言う事で、昨日、イトーヨーカ堂でお弁当を買いに立ち寄った次いでに、1.5gのサーモスのボトルを買って来ました。
私的には2gの方が良かったのですが、ジュラルミン色とかしか無かったので、金額的には同じなのですが、1.5gにしました。
そのまま、オケ練習で初使用をしました。
オケ練習でも、薬のせいでひっきりなしにお茶を飲むので、その度に生徒にお茶を入れて貰うので、このボトル一つで、一回お茶を入れるだけで、オケ練習の全部の時間を保てたので、とても利便性が良いと思いました。
オケ教室用にも買おうかな??それと、ブリタの浄水器も・・・??





1月12日 ・

ハイツの各個人の部屋の下水管の清掃が11日から13日迄の、9時から16時半迄の間にあるので、「部屋でメンテが回って来るのを待て??」「部屋に居ろ??」とのお達しである。
「順番に回るので、居ないと、手順が狂うので、迷惑である?」とも言っている。

しかし、それならば、(配管の清掃は10分程度しか掛からない)と、言っているのにも関わらず、この3日間各部屋のメンテの予定が、掲示板に掲示されていないのだよな。

私は独居老人なので、人に気兼ねする事はないので、普段はハイツの自宅では、パジャマのズボンの上に、下着姿の超、薄着である。
という事で、昨日はメンテの時間を聞くために、わざわざ服を着変えて、1階の玄関の管理人室を訪ねて、rotationを聞こう・・とも、思ったのだが、わざわざその為に、着替えるのも面倒くさいので、一日、部屋に閉じ籠もって仕事をしてしまった。
昨夜の夜には、定形で、椎名町の事務所にバイクで移動して、小一時間のプリっ歩を済ませて、夜食を済ませて、ハイツに戻ってから、「さあ、寝よう!」と思ったのだが、次の日の朝の9時からのメンテの事が気になってしまって、眠れなくなったので、普段通りに、homepageや動画の仕事やfinaleの校訂を済ませて見たのだが、Rilke※)ではないので、あてもなく待っているのは、どうも耐えられない。
好きな時に、好きなように寝たいのだがね?
※)神様の話「Geschichten vom lieben Gott」

と言う事で、「今日は、頑張って、ちゃんと服を着て、1階の玄関迄行って、管理人にメンテの時間を確認して来なければなるまい」と考えるに至った。

本来ならば、伝言板にちゃんとメンテの時間を掲示すべきで、昨年までは、2時間単位ぐらいで、ちゃんと伝言板に予定の時間を掲示していた・・と思ったのだがね??

徹夜が祟って来て、超、眠たくなって来たので、急いでベッドに入るために、管理人に、creamを言いがてらに、メンテの時間を聞きに行こうと思って、着替えるのも面倒くさいので、パジャマの上にダウンのズボンを履いて、下着の上に直接、ダウンのジャケットを着て、玄関を開けたら、・・・ 何と???
・・・隣の部屋のメンテが丁度、終わる所だった??
なんというjust-Timingだ??

玄関の扉を開けて待っていたら、マジ、5分でメンテ終了??
風のように去って行った?? 
忍者か??

改めて、時計を見たら、何と、未だ、9時半である。
12部屋あるので、1部屋5分掛かったとしても、それでも1時間は掛かるぞ??
私の部屋が512号室で、5階の最後の部屋なので、なんで、1階、12部屋のメンテに、30分しか、掛からないのだ???

「前日に5階の半分は終わっていた」・・という事でなければ、例え5分掛かったとしても、5階の全部の部屋を、30分で終わらせる事は出来ないので、「前日に、5階の半分の部屋を終わらせて於いた??」と言う事にならないといけないのだが、そんな形跡は、昨日は、全く無かったぞ??
もしも、昨日に、メンテの作業をしていたのなら、高圧洗浄の水道のホースが廊下にみっともなく、横たわっているはずなのだからね。
ひと目見れば、直ぐに分かるのだが・・・??

でも、1年間の保証付きなので・・?まあ、どうでも、良いか???
こちとらは、寝れれば良いだけなのでね??

洗濯機を動かしたり、脱水機を元に戻したり、色々と、動かされた道具類を元に戻さなければならないのだが、まあ、目が覚めてからで良いか???




1月13日

今日はもう1月も13日の(金曜日ではなくて)土曜日である。
明日は新年始めてのオケ練習が検見川教室で、ある。
と言う事で、いつものように、変なpressureで、眠たような、眠れなかったようなbadな睡眠状態を繰り返している。

それは兎も角として、朝起きると、何と江古田ハイツの外界の温度はGoogleによると、-2度だそうな??

寝室は狭くてストーブが置けないので、暖房は基本的には入れないままに寝るのだが、流石に昨夜は寒かったので、エアコンの暖房を27度に設定して、点けっぱなしの状態で寝たのだが、起きて、室内の気温を確認すると17度である。
やはり、寝室は、超、寒い。

パソコンの部屋に移動して、ガスファンヒーターを22度に設定して、焚いているのだが、部屋が全く温まらない。
そりゃあ、そうだろうよな??
外界の温度が-2度では、ガスストーブでは、パワー不足で、どうしようもない。
取り敢えず、急速に部屋の温度を上ようと、パソコンの部屋のエアコンを点けた。
大型で、エコtypeのエアコンなので、一瞬で部屋の温度が上がる。

そのままにしていると、「ひねもすのたりのたりかな?」になって、パソコンの前でウトウトが始まって仕事にならなくなってしまうので、部屋の温度が快適な温度になったら、エアコンは消して、ガスだけにする。

基本的には、それで一日凌げるのだが、夕方から夜に掛けて、急速に温度が下がって来る日は、部屋の温度を上げるために、エアコンを併用する事がある。

しかし、部屋の温度が元に戻ったら、エアコンは消して、ガスだけにする。
大概の場合は、それで何とか凌げる。
しかし、ヒートアイランドの中心点である江古田・・くんだりで、-2度はないよな??



お昼になっても、睡眠が取れているのか、いないのかが分からないようなウダウダした生活をしてしまっているせいなのか、体調が、どうも良く無いのだ。心臓の調子が悪く、ポンプが空送りをしているような気分なのだ。血圧の所為かな??・・と思って血圧を計ったのだが、血圧は頗る正常だ。
寧ろ、普段よりも、理想的な血圧である・・とも言える。
この心臓の空虚感、stress感は何処から来るのだろうか??
仕事的には、色々とやらなければならない事は山積みしているのではあるのだが、それがpressureになる事は無いので、仕事が鬱の直接の原因にはならない、・・はずだ??・・かな??・・いや、多分・・・??
寝れば、多分、鬱っぽいのも取れるはずなのだが、未だにどうしても眠れない。困った??


お昼過ぎから、なんとか少し眠れたのだけど、やっぱり、stress感が取れない。これは、どうしたのかな??
何かしら別に原因があるのかな??

今日は、もう日曜日です。今の気温は江古田駅周辺で2度、日中の最高気温は7度だそうです。
12時頃には、椎名町に移動して千葉行きの準備をします。
それにしても、寒いな??バイクで移動するのは大変だ??

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1月14日

書き込んだfacebookの手直しをしようと思ったのだが、相変わらずfacebookが、フリーズして手直しが出来ない?
新規の文章は問題なく入力出来るので、しかたなく、手直しは諦めて、新規の文章を書き込むことにした。

今日の夜は余りにも寒いので、ドルプリッ歩は斉藤先生に任せて、私はパスを決め込んで、夕食代わりの弁当も食べ飽きたし、寒いのでハイツに閉じ籠もる事にした。
しかし、ハイツの冷蔵庫には何時もの通りに何も入っていないので、セブン位迄は買い物に出掛けないと、食べるものがないのだが、パソコンの部屋の扉を開けて、玄関の空気を体に感じた途端に、外出をするのはやめにして、ハイツの非常食である乾麺の日清の焼きそばに生卵をぶっかけて、夜食の代用にした。
せめて、くず野菜とひき肉、くらいは入れたかったのだが、食材は、買い置きは出来ないので、致し方ない?
Vivaldi Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの、YouTubeの、i'musiciの、ornamentの演奏を、参考迄に、楽譜に書き取りながら、TVを見ながら・・焼きそばを食べた?
余りにも寒いので、ドルプリっ歩も、牧野先生のお迎えではなく、早々に引き上げて帰って来たそうです。
斉藤先生も牧野先生も少々風邪気味だそうです。
明日はもっと冷えるという話なのだがね?
どうなる事やら・・??

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1月15日

ハイツ自宅の話なのだが、洗面所と言うか、洗濯機置場というか、更衣室というか、「狭い、暗い、汚い」の三拍子揃った小部屋なので、「せめて、暗いのを電球を交換して、明るくしよう?」と思って、昨年の暮にスーパーで40Wのled電球を買っておいたのだが、狭い場所に脚立を立てて電球を交換する、という事だけなのだが、たったそれだけの作業が億劫で、中々、電球の交換をする気にならなかった。
しかし、余りの、暗さに、やっと、やる気をおこして、頑張って、脚立を出して来て、電球の交換をした。
勿論、「狭い・・汚い」が変わる分けではないのだが、「暗い」・・が、なくなって、部屋が明るくなっただけで、なんとなく、嬉しい??
人間の・・と言うか、自分自身の感情のcontrolは分からないが、部屋が明るくなっただけで、心が弾むものなのだよな?
いっその事、どんよりと暗くって、鬱ってしまう寝室も明るくするか??
でも、そうすると、やっぱり、目が覚めて、眠れなくなってしまうかな??
…分からん???

この所、文章の編集や訂正がパソコンのコメントでは全く出来なくなってしまっている。windows7もwindows10も同じ症状だ。超、困っているのだが、ふと、思いついて、苦手なスマホで編集をしてみた。これは不思議に、問題なく出来る。要は、もう、Facebookはスマホに特化してしまっているのだよな??パソコンの市場はスマホに比べて比較出来ない程なのだろうかね??

洗面所の電球をledに変えたので、洗面所は明るくなったのだけど、そのために、元々暗かったトイレがより暗くなってしまったので、頑張って洗面所の元の電球もledだったので、それをトイレの電球と交換しました。
トイレは元々汚いので、明るくすると、汚れが目立つかな??と思ってワザと暗いままにしていたのですが、洗面所との明かりの差が余りにも酷かったので、仕方なく・・という意味なのですがね。

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1月17日 ・ 「古典派の奏法(1)」  「古典派の奏法(2)periodについて」

5,6年前から、おっかなびっくりに少しづつ、小出しに古典派の奏法、所謂、period奏法を子供達に指導し始めました。
なにせ、未だに日本では全くやられていないperiod奏法なので、(日本でよく演奏されているbaroque-楽器を使用して、pitchだけを514cycleにしたperiod instrumentsによる演奏とは違って、教室の演奏では、子供達にbaroque-violinを購入させる分けには行かないので、普段lessonで使用しているmodern-violinで、443cycleのmodern-pitchのままに、当時の演奏技術だけをperiodで演奏する・・という違いです。)一般的には、超、難しい奏法と言われているので、子供達が、実際にその奏法で演奏出来るか否かは、冒険だったのですが、指導し始めて驚いた事には、子供達は、未だmodernなviolin奏法に染まっていないので、両方の奏法が問題なく熟せると言う事でビックリしてしまいました。
若いと言う事は柔軟で、無理もなく現代の奏法もperiodの奏法も熟せてしまうという事です。
但し、教室の奏法が1点支持の奏法なのが基本的な理由です。
幾ら、年齢が若くても、最初に習った奏法が3点支持ではperiod奏法は演奏出来ません。

当然、曲の部分、部分で少しずつというか、一つづつ、periodの奏法を指導していたのですが、芦塚メトードでは、Motivを決めて、そのperiodで演奏をするので、themaとその演奏上のpatternをしっかりと把握するために、古典派の奏法についてのlectureを自治会館で2日に渡ってやって、その「lecture風景」をYou Tubeにuploadしていたのですが、昨年の暮辺りに間違えて削除してしまいました。
(「間違えて」・・というよりは、潜在意識的に意図して削除したのかも知れませんがね??)

音楽の奏法というのは、baroqueから古典に掛けての時代と、ロマン派以降の時代では、全く演奏法が違って来ています。
勿論、baroqueと古典派もperiodの奏法は違うのですが、そこは或る程度の整合があります。
しかし、古典派からロマン派に掛けては、音楽は別の次元に行って、整合というよりも、断絶をしているのです。

それ等の変化は、一般的には貴族社会から民衆の社会への音楽様式の変化という風に言われていますが、実際には、18世紀末から19世紀に掛けての産業技術の革新で、Pianoやviolin等の楽器を作る材料が格段の進歩を遂げて、音楽の主軸となるPianoや弦楽器が全く別の機構に改変されたからです。

通常では、それを改良という言葉で表現するのでしょうが、baroqueや古典の勝れた一面も同時に失われてしまったので、敢えて、「改変」・・という言葉を使用しました。
Pianoの場合には、forte-pianoから、modernのPianoへの移行、つまり、single actionから、double actionへの移行で、弦楽器ではbaroque-bowからTourteのbowへの移行や、baroque-violinから、modern-violinへの変更です。
それ等は、touchや表現等の細かい演奏技術的な面だけではなく、音楽の様式そのものを総て、現代の様式に変更させる事になったのです。

今日、Pianoの初心者が必ず勉強するsonatine album等は、当時の演奏styleでは、全く違った風に演奏をされていたのです。
そのPianoのtouchすらもね???

Renaissanceではありませんが、芸術を勉強していると、常に、「古典に帰れ??」・・という運動が起こって来ます。

18世紀から19世紀に掛けての時代は、鍵盤楽器の歴史としては、Cembaloからforte-pianoになって、現代のdouble actionのPianoに変遷した時なのですが、勿論、当時の作曲家はその楽器の特性を最大に活かした曲を作曲し、また、それぞれの楽器の演奏法を確立しました。

しかし、時代の流れは貴族社会から、プチブル達の所謂、ビーダーマイヤーの時代に移行して、楽器も時代にあったneedsに必要な楽器が制作されました。
当然、忘れ去られた過去の楽器に対して、人々はその楽器が廃れた原因を、その楽器の成熟度が無かったから・・、つまり、未だ楽器として未成熟であったから・・という誤った理由を付けてしまいました。

でも、社会の総ては残念ながら、経済活動によって総てが決まって行くのです。
つまり、その国のモラルも、国と国の争いである戦争も、基本的には、経済の活動に過ぎないのですよ。
つまり、音楽が王族の慰みであった時代から、貴族がその権力(=経済力)を失った時に、音楽は大衆の為のものになったのですが、その時に必要な物は、大きなホールと、一人でも多くの人達に届く大音量の楽器だったのですよ。
(丁度、今の電子楽器のようにね??)
double actionというのは、紀元前に石等をより遠くに投げるために使用された投石機にideaを求めたものなのですよ。
より遠くに物を投げる事が出来る代わりに、正確に当てるという機能は失われたのです。
それはChopinが死ぬまで、double actionを忌み嫌って、single actionに拘った理由なのです。

勿論、弦楽器も同じ憂き目を合う事になってしまいました。指板を長くする事で、弦長を長くし、より強い張りの弦を張って、Tourteの圧力の強い弓に負けないようにして、指板や胴体が弦の圧力で折れないように内部に力木を入れて、その圧力に対応出来るようにしました。
勿論、その結果、弦楽器特有の美しい響きは失われて、より金属的な強い音が出るようになったのです。

よく、一般の人達から、「baroque-violinと現代のviolinの違いを教えてください。」と言われる事がありますが、手軽に表面的な事を説明して、お茶を濁していますが、本当は、とても、一言で語れるものではありません。
てな事を言っていては、商売にはならないので、それなりにbaroque-bowやbaroque-violinを見せながら、通り一遍は説明しているのですがね。
教室の音大生にbaroque-violinを指導するのにも、理論を説明して理解させるのはとても大変なのですよ。




「古典派の奏法(2)periodについて」

音楽家(演奏家)という人種は職業としては職人の世界に属するので、どうしても、日本人に限らず、世界の、否、歴史的偉人でさえも、師を崇め奉る傾向が見受けられ、それ迄の歴史的な伝承に頼る要素が強くなります。どの派閥であるのかが、その人のi dentityを決めるのです。彼の傲慢無頼の代表であったBeethovenですら、Haydnの高弟を自称し、Haydnはそれを嫌っていました。

そういった家元制のような伝統的は、その技術や理論が歴史的に正しく伝承されている間は良いのですが、人間の個人的な判断というfilterに掛けられるので、どうしても、その判断の過程で歪曲されて伝承されて行く傾向が見受けられるのです。

所謂、「祖先に返れ?」というRenaissanceのような運動は、行き過ぎた誤った解釈を是正するという意味では、とても良いfilterの役割をしている運動でもあるのですが、そこに、歴史的事実の誤った解釈や伝承が伝わってしまい、中々、真のperiodの解釈を妨げる事がよくあるのです。

その一例なのですが、Cembaloが廃れたのは、音量が弱く、強弱やforte、Pianoの表現力に乏しかったからだ・・という当時の誤った仮定の元に、Wanda Landowska-Cembaloや Neupert-Cembaloのように、機械的actionを導入したり、見たこともないcrescendo機構や、色々な音色等を出すmonster-Cembalo等々、幾多の改良型のCembaloが発売されて、日本の多くの音楽大学もその楽器を所有しています。

1970年ぐらいからは、世界中でCembaloの復刻や補修がおこなわれてきて、Cembalo本来の良さ、美しさや、baroque楽器でなければ、ensembleが成り立たない(音量的にも音色的にも・・)という事が分かって来て、21世紀に入ってからは、世界のbaroque奏者の間では、当時の楽器の復刻modelを演奏する事が主流になって来ました。
ですが、音楽大学等では、一度受け入れたmodern-Cembaloやviolinの解釈等では、periodの奏法は、中々、一般的にはなりません。
金額的には、復刻のCembaloを買うのも、 Neupert等のmodern-Cembaloを買うのも、大した値段の違いは無いのですがね。

しかも、period instrumentsを使用していて、periodの演奏を歌っている演奏団体でも、世界の主流の演奏では、gamba-bowのようなぶっとい軸のbowで、力任せに、鋭く叩き付けるような演奏で、兎に角早ければ良い??というような演奏が、世界の主流となっていて、「何処がperiodなのだよ??」という腹立たしい思いに囚われて、忸怩たる思いでいます。一度、ナイロン・ガットではなく、本物のガットやジープや牛で演奏して演奏が可能かどうかを試してみれば、それがperiodとして可能か否かは分かると思うのですがね。

口伝による技術の伝承は、その技術が正確な正しいものであれば、問題は無いのですが、失われた技術を復興する時には、口伝程頼りないものはないのですよ。

いつも言うように、もし、時代考証を当時の楽器やpartsを(当時の技術で作って)総て再現して、実際のbaroque楽器で演奏して見るのならば、一発で、そういった誤った演奏や解釈は発見出来るはずなのですがね??
音楽の世界では、そこの時代考証はないのですよね??
これが科学ならばスタッフ細胞のように、世界的な大問題になるのですがね??



スタッフ細胞じゃなくてSTAP細胞ですよ〜。笑える間違い??


STAPと書くと、個人攻撃になるので、ワザと外しています。
正確を期するにはnetで調べれば済む事なのだけど、最初から外す予定だったので、単語はnetで調べてはいません。
本当は単なるダジャレで横文字で「staff細胞」と書く予定だったのだけど、横文字で書くと益々、シャレにならなくなって、分かりづらくなるしね??...もっと見る

鈴木杏梨ちゃん小4Stamitz celloconcerto 第1番ト長調 T楽章

https://www.youtube.com/watch?v=y4AE4mSklmw

14年4月6日芦塚音楽千葉教室Stamitz celloconcerto Nr.1…
..
娘に、普段の奏法と、ペリオド?奏法ってどう違うの?と聞いたら、「んーーーわかんない!」との回答でガックリしてしまったんですけど、それほどナチュラルに習得しているという判断でよろしいでしょうか??


Proの演奏家にとっては、エベレストに登るように大変な事なのですが、教室の子供達にとっては、ディズニーランドに遊びに行くような事なのだそうで、大変な事を学んでいるという自覚がない…という事は、カリキュラムが極めて上手く行っているという事なので、喜ぶべき事なのでしょうネ??

算数でも、極めてむずかしい数理を簡単に分かりやすく説明できる先生は極めて少なく、そういった先生を養成する事は生徒を育てる事以上に、極めてむずかしいのですが、極めてむずかしい事を簡単に学んでいる生徒にとっては、有り難みは全くありません?
その事は、先生にとっても、生徒にとっても、良い話ではありませんが、むずかしい数理が、難解で、むずかしいままならば、それは極めて当たり前の事なのでネ?
それが簡単に出来ると言う事は有り得ない事なのですよ。
あり得ない事を説明する・・これは困ってしまいますよね?


「period」という言葉に拘(こだわ)って、お話を進めると、分かり易くより具体的に説明するとして、音楽をより身近な日本文学に例えたとして、古典文学というと、多分、音楽では「Classic」という大前提の分類になると思います。
periodというのは、時代区分をもっと細かくする・・という意味なので、古典文学の中の、東海道膝栗毛やお富与三郎の「江戸文学」とか、源氏物語や土佐日記のような「平安文学」のように、ちゃんと時代区分された文学を指し、period奏法というのは、それぞれの時代の文学を古文の辞書無しで読むようなものでしょう・・。

私が高校2年生の時に長期に大学病院に入院していた時に、クラスの友人達が「長期入院で暇だろうから?」と言って、江戸の笑話集の本を差し入れてくれました。勿論、当時は未だ学生用の古語辞典は出版されていない時代でした。昭和30年代の話ですからね??
何というタイトルの本だったかは分からないのだけど、江戸時代のエロ話を集めた小噺集の本でした。
勿論、原文です。
本を読んでいたら、一緒の部屋に入院していたおじさんが「何の本を読んでいるんだね?」と聞いてきたので、「エロ本を読んでいます。」と言ったら、「フランスにもこの小洒落たgenreのショート・コントの文学があって、これは素晴らしい文学作品なのだよ?」と怒られてしまいました。
「真面目にちゃんと読むように??」という意味です。
黄表紙の本をね~ぇ??
高校生がネ~~ェ??
とは、思ったのだけど、当時の高校生は真面目だからね??1年の入院中にちゃんと読破しましたよ。

高校から音大に行って、留学をして、直ぐの頃、Munchenの音楽大学にいた日本人と他の国の人達と友人の部屋でパーティをした時に、「お喋りが個人的にならないように、皆でコントを披露しよう?」という事になって、一人一コントを披露する事になったのですが、勿論、ドイツ語でお話をしなければならないので、先輩の日本人の人達はもうドイツ語が喋れるのだけど、誰もコントが出来ないので(知らないので)、ドイツに来たばかりの全くドイツ語が喋れない私が、数話の江戸小噺を私なりに訳をして、ドイツ語で披露しました。(実は、仲良しのドイツ人の友達が私の拙いドイツ語を、ちゃんとしたドイツ語に直しながらの話だったのですが)、男女、人種を越えて、皆大笑いをしてくれたのですが、日本人の女の子達だけは、「それがどうしておかしいの??」と笑えなくって、困ってしまいました。
いや、カマトトではなくって、真面目に・・分からなかったのですよ??
落語の「落ち」を説明する程、つまらないものはないからね??

いやあ〜、日本人って真面目だよね~??
音楽の勉強を真面目にしていても、江戸小噺の笑いが分からない・・とはね~ぇ??
「それで、どんな話だったの?」って??
それが、書ける分けはないでしょう??
江戸小噺だよ??
フランス語でお話するのなら兎も角も、江戸小噺では、先生としての品格が問われてしまうよネ~~ェ??



私が産まれた時代は、テレビもスマホも無かったし、電話さえも有る家庭は珍しかったのです。唯一の娯楽は映画とラヂヲでした。だから、物心が付いた頃から、本を読む癖が付いていました。
中、高生の頃には、自分のお昼の食事代を貯めて、本屋で、文庫本を買い漁ったり、古本屋に入り浸ったりしていました。図書館は、バスに乗って行かなければならなかったので、郷里に居た頃には、一度も訪れた事は無かったし、借りて読むという事を考えた事もありませんでした。
学校の図書館??そんなものはあったっけ??

ドイツ留学から帰国して、姪っ子が「本が欲しいので、お小遣い頂戴!」と言って来たので、「どんな本が読みたいの?」と聞いたら、殆どの本が私の所有している本だったので、「私の書棚に読みたい本があったら、全部あげるよ?」と言ったら、「おじさんの本は読めないのよ!」というので、「どうして??」と聞き返したら、「だって、おじさんの本は、全部旧漢字でしょう?」と言われて、驚いてしまいました。

私が高校生迄に買った文学書の類いは、音楽大学に進学する時に、学校の先生に就職する事が出来た知り合いの人に全部presentしたので、音楽大学時代以降に買った書物です。つまり、昭和40年代以降に買った文庫本だったのです。
でも、言われて、書物をcheckして見ると、確かに、全部の本が旧漢字で書かれていました。

でも、私達は戦後に育った人間なので、学校での教科書は、全部新漢字なのです。
学校では旧漢字は習った事はありません。
でも、旧漢字が読めるのは、総ての出版されていた書物が旧漢字で書かれていたので、それに気付く事はありませんでした。

祖母が、「お前は嘘字ばかり書いて来るから」と、手紙にルビを振ってくるので、何度か文句を言った事がありますが、よく祖母の手紙の文字を読み返して見ると、なんと、旧漢字の旧仮名送りだったのですよ。

それじゃあ、新漢字は、嘘字に見えるわさね??
姪っ子に言われる迄、全く、気が付かなかったのですよ。
余りにも、当たり前過ぎて・・・

私の持っている亀の子文字のドイツ語の辞典を見たドイツのパパが、
「もう亀の子を読める人は殆どいない」と感慨深く言っていました。
ドイツ婆さん達はその時でも読めたのですが、息子達はもう無理でした。私の持っている何冊かの亀の子の小説もドイツ人にとっても無理なのだそうでした。


私の敬愛するErnst Theodor Amadeus Hoffmannの「牡猫ムルの人生観」Lebensansichten des Katers Murrの古い古書を持っているのですよ。勿論、読めないのだけどね??

Hoffmannは「ホフマン物語」や、Schumann(クライスレリアーナ=牡猫ムルの人生観)やTchaikovsky(くるみ割り人形)等の文学作品で多くの音楽家達に影響を与えただけではなく、フロイドの心理学の発明にさえ重要な影響を与えた偉大な人なのですが、高校生の時に文庫本で沢山のHoffmannの小説を読んだのですが、一般的には余り知られていない作家です。本当は皆、よく知っているはずの人なのですがね。


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1月17日


「古典派の奏法(3)」

という事で、基本的なperiod奏法を夏の合宿でlectureしたのだけど、どうして、削除してしまったのだろう??
時々、発作的に、自虐的になってしまうのかな??

音楽が個性的になるのは、ロマン派以降からです。まあ、BeethovenやSchubertも結構、個性的な独自性の強い作曲家ですが、基本的は古典派迄の作曲家は、職人であり、自分の個性を重んじる事はありませんでした。
ある意味、締め切りに追い立てられる現代の漫画家のような生活をしていました。
baroque時代や古典派の時代には、ちょうど、現代のpopular音楽のように、流行に乗って作曲をするという事が大切でした。MozartのPianoconcertoの23番のあの切なく悲しいmelodieは、C.P.E.BachのCembalo奏法の教科書からのパクリですし、Beethovenのsonateの1番のthemaはMozartの40番Symphonieからのthemaである事は良く知られています。
それも、200年も経つと、様式として捉えられるようになります。大作曲家であるBachやHaydnは、他人の作品と自分の作品を勘違いして、作品目録に入れていたりします。それぐらいに、多くの作品を書くのですよ。そういった作曲家で芸術家であろうとした作曲家はいません。Haydnが室内楽の書いていないgenreについて質問された時に、「誰も私に注文しなかったから・・?」と答えたのは有名な話です。

Genzmer先生も、「芸術家であるか否かを決めるのは時代である。」という言葉を言われる事があります。
蓋し、名言です。
「芸術を書くな??」「職人であれ?」という戒めです。
個性的な作風では一つの金字塔であるRavelは、彼の生徒達がHaydnやBeethovenの基礎を勉強する事なく、芸術家になろうとする事に対して、何時も苦言を呈していて、「徹底的に古人の技術を学んでそれで芸術家に成れなければ、その時は作曲家を止める時だ!!」と弟子達に言っていました。正にGenzmer先生と同じ言葉です。

日本では、美術であれ、陶芸であれ、音楽であれ、芸術家ばかりで職人はあまりいません。
私にとっては芸術家は、自称芸術家であって、歴史に残る芸術家ではないと思える人達が多いのですがね。
二科展を幾度入賞しても、納得の行かない芸術家は多いのですよ。アハッ!
昔の絵描きが一流の絵を描こうとした事と、芸術家であるために一流の絵を描いたと言う事は意味が根本的に違います。往年の天才達は、芸術家であろうとしたことはなく、一流の絵を描こうとしただけなのです。
そこの所は勘違いをしないように・・・


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1月18日 ・

「古典派の奏法(4)ornament」

色々な文献を読むと、baroqueのornamentや、即興は天の与えたgiftと書かれていて、そのmethodeのようなものは基本的にはありません。色々な出版されているornamentの文献は、音の二点を結ぶ音の繋がりepisodeやeingangと呼ばれるpatternを書いているものに過ぎないので、実際の装飾の役には立ちません。

私がornamentの基本を子供達に指導する時には、invention等に書いてあるtrillが、強拍の早いtrillであるか、弱拍を表す遅いtrillであるか?の課題を出して、蛍光ペンで色分けさせます。
日本で装飾音を指導する時には、trillの速度は非常に早い痙攣をするようなeccentricな速度の1種類でしか演奏されませんが、装飾音は強拍を表す早いtrillから、弱拍を表すゆっくりしたtrillまで、曲想に応じてその速度には幅があります。
それから、更に、ゆっくりとした弱拍のtrillよりも、もっと優しい悩ましげな装飾音であるprall=trillerがあります。
baroqueからrococoや古典派の装飾の理解は、音楽のmelodieの中の、音の一個一個の強弱の識別が、ornamentを与える意味を理解し、判断するための第一歩になります。つまり、ornamentはMotivのAgogikを表現するための手段であるという理解が、ornamentを加えて演奏する事の可否を問う事になるのです。

Cembaloからforte-pianoになっても、本来の表現力を壊すものではないので、melodieやMotivの強勢を表すAgogikになります。
baroqueや古典派の時代には、phraseを表すslurはありません。弦楽器と同じにbowslurが書かれています。
だから、MozartやHaydn等のoriginalのslurは原書(facsimile版)を見なくても分かります。
Pianoの初心者が弾いているsonate albumのslurは、後世の時代の校訂なのです。※)だから、本来のslurを付けて学ぶと全く違った音楽の世界が広がります。
古典派のforte-pianoは、弦楽器のbowslurに準じる分けだし、bowslurであると言う事は、bowの原則論に従うので、自動的にbowslur等も、そのAgogikも、bowslurとarticulationの延長で付けるので、古典派の音楽やbaroqueの音楽では、Cembaloの曲であろうと、弦楽器の曲であろうと、正しい拍節法を身に付けると、装飾や、articulationは、校訂者の、感情、感覚とは無関係に、客観的に付ける事が出来ます。
※)全音楽譜出版社からsonate albumとsonate albumの初稿の校訂版 今井顕著が出版されています。
forte-pianoの研究には、中々良い楽譜です。

melodieにMotivの拍節法を使用しなくなって、phraseによる強弱を演奏するようになったのは、ロマン派の時代からなので、その時代になると、baroqueや古典派の拍節法の概念は崩れてしまいます。
という事で、Cembaloからforte-pianoになって、double actionのPianoが発明されて、弦楽器もTourteの弓が発明されて、古いbaroqueや古典派のarticulationの特徴であった拍節法の概念も失われてしまう事になります。Agogikの奏法は演奏家達からはすっかりと忘れ去られてしまって、現在に至ります。


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1月19日





まるで、音楽教室の先生だなや??

おもちゃのシンフォニーの練習風景です。
Keyboardは、純性のharmonyのためのKeyboardです。
meantoneやKirnberger調律等の古典調律の音を出すためのKeyboardになります。
平均律ではない正しい音感を作るための楽器です。

https://www.youtube.com/watch?v=9GNo063fv4M

オモチャのシンフォニーT楽章
..
第二、第三楽章

https://www.youtube.com/watch?v=KuidAv7Jxa0

オモチャのシンフォニーUV楽章


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1月19日 ・

「古典派の奏法(5)表現について」

古典派の音楽の表現とロマン派以降の表現では、articulationやagogigを云々する前に基本的に表現に対する考え方が違います。
音楽の表現は、時代と共に、dynamikの幅が大きくなって来て、情緒や感情表現等が、overに表現されるようになってきます。
それは、前の文章でも説明したように、音楽が極て、限られた少数の貴族や王族達の為から、より多くの民衆大衆の為のものになり、ホールもどんどん巨大化して、そのために、音量は元より、大きなdynamik(音量の幅)を必要とされるようになったからです。
音楽の表現の色々は、tempoに属する表現の部分を除いたら、それ以外の表現、つまり、強弱(dynamik)やvibrato等の音楽表現はホールの大きさで、その音量(dynamik)の幅や、vibratoの振幅の幅が決まります。
勿論、それは演技者の表現そのものにも影響するので、歌舞伎やOpera、ballet等の総ての舞台芸術での、演技、演奏する人達に共通の表現認識として、ホールの大きさとその演技、演奏の表現の幅は、舞台芸術に共通するtheoryとなるのです。

ホールのお話として、私がよく引き合いに出す話は玉三郎さんの話です。
或る時に、谷町から娘さんの事で相談を受けました。「うちの娘がガサツなので、玉三郎さんの所に弟子入りさせて女性らしさを勉強させたいのだけど・・??」それに対して玉三郎さんは、「私の女性らしさは、舞台上の動きなのです。日常で同じ動きをしたら、とても奇妙な事になりますよ。」
舞台表現に関しては、同様の話をhomepageに書いています。「左甚五郎の鐘つき堂の泣き龍の話」です。(homepage参照の事)

Stamitz等のマンハイム楽派の作曲家達は基本的には、一般大衆をbackboneとして、音楽活動をしていた分けなのですが、それでも19世紀に入ってからのホールとは大きさが根本的に違います。
古典派の時代、所謂、Mannheim樂派(Mannheimer Schule)は、その当時としては、未だに、ホールの大きさ(聴衆の数)は、貴族や王宮でのホール(人数)としては大差はありませんでした。つまり、比較的小さなホールでの表現という事が出来るのです。

「ホールが小さい」と言う事は、その音楽様式にも、大きな影響があります。
先程の話のように、ホールが小さいと言う事は、音楽表現の幅も小さくなってしまいます。
しかし、面白い事には、時代が進んだから表現が大きくなる・・という分けでもありません。
ロマン派の時代にブルジョアの奥様達がスポンサーになって、芸術を担うサロン文化が主流となる時代がやって来ます。

Chopin等が活動の中心としたサロン・コンサートです。
音楽表現はよりsensitiveになって行きます。chopinの愛用のPianoはPleyelのPianoであったことが知られていますが、このPianoは現代のdouble actionのPianoではなく、forte-pianoであるsingle actionです。
大ホールでのコンサートを中心に活躍したFranz Lisztは、勿論、現代のPianoに対応した表現も大きなものでした。

古典派の時代に話を戻すと、貴族や王族、それに限られたブルジョアの人達を対象に音楽が作曲され、演奏されたので、その表現はOrdnungな貴族的な、節度と気品に溢れた演奏でした。(つまり、音楽の様式と対象となるAudienceの品格、ホールの大きさは、常に相関関係にあったのです。)

MozartやHaydn達は、次世代の作曲家の先鋒であるBeethovenの作品を表現過多なeccentricな作品と捉えていて、文豪で、時の総理大臣でもあったGoetheは、慎ましやかなSchubertの作品ですら、「激情的過ぎる」と生涯認める事はありませんでした。

つまり、古典派から、ロマン派への以降の時代の当時から、その二つの流れは断絶をしていたのです。(誤解の無いように確認をしておきますが、感情表出主義と呼ばれるロマン派の先駆のような表現は、C.P.E.Bachの時代には既に存在していたのですがね。)

この問題提起は、現代の演奏家達が古典を演奏する時の音楽表現が、乱暴な迄に強すぎる・・over過ぎる・・という事なのです。

古典派の時代の音楽表現は、その音本来が持つ、articulationや、音楽のmelodieやMotivが持つ本来のAgogikをslurやstaccatoで表す・・という程度で充分だったのですよ。

過度な情緒表現は、当時の貴族の間では、下品なものとされたのです。
そこいらの時代考証が、古典派の音楽を演奏する上では、とても大切だと思います。


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1月21日 ・

この話は以前にも、同じ事を書いた覚えがありますが、私の場合にはFacebookは、自分の「生存証明」ではないので、書く事がなければ・・、或いは書きたくない時には、書かないままに、何日も放置したままにする場合もあります。
一昨日の深夜から、体調不良と鬱で、Facebookはおろか、仕事としての簡単なroutineの作業ですら出来なくなってしまいました。

・・と言う事で、完全な物置状態になっていて、床さえ見えなくなってしまっているCembaloの部屋と玄関を入った最初の部屋であるflooringの部屋の片付けと整理を始めてしまいました。
作業をする場所を作るために、本来はその部屋にあるべきでない物を、全部玄関に積み上げて、出入りが出来ない状態にして、それから、丸々、一日掛かって、足の踏み場を作ったのですが、勿論、体調不良なので、普通の人達が整理整頓をするように、コツコツと作業をした分けではなく、ほんの少し片付けたら休んで、ほんの少し整理をしたら、また休むという、ダラダラとしたかったるい作業を繰り返しての一日だったのですが、それでも、丸々、一日やると、それなりに足の踏み場は出来て来ました。

仕事をやりたくなくて、仕事が捗らない時に、一日に一回だけ、たった1つの作業をする・・という私の時短の仕事法のやり方だったのだけど、「やりたくない」・・のではなく、「出来ない?」ので、そうなっただけです。

夕方の6時からは、梨紗から「本番前の室内楽で弾けない・・練習しても上手く演奏出来ない箇所をpickupして、見て欲しい」というmailで、急遽、椎名町に行ってlessonをしました。
練習と演奏上のpointを説明して、弾けるようにして、lessonを片付けて、夕食を先に食べて、ドルプリっ歩はパスをして、急いでハイツに戻って来ました。
体調不良が酷くなりそうだったので・・。

部屋に辿り着いて、パソコンの前の椅子に座ったまま、後片付けも、次の日のオケ練習の楽譜の準備もしないままに、小2時間くらい呆然自失してしまいました。(2時間ともなると、「小」という文字は付かないのだけどね??)
椅子に座ったままで、時間がワープしてしまったので、慌てて布団に潜り込んで寝てしまいました。
日がな一日はそこまで・・です。

朝一で、体重測定をして、朝食で昨夜の残りを食べながら、楽譜の準備をして、今日のtime表を確認して、驚いたね。
前回のオケ練習であれだけ、怒り捲くったのに、それが何も活かされていない。
time表に、intervalの時間が加えられていないのだよ。
1時に「音出し」はいいのだけど、移動timeは計算されていないし、準備の時間も配慮されていないじゃないの??
前回も、「このtime表は現実的ではない??」と、それを厳しく注意したでしょう??
今日も、最初から不可能だという事が分かっているtime表で、指導をするのかい????

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1月22日 ・

昨日(21日)のオケ練習は、古典派の弦の基本の奏法を指導するのに、楽器を手に音の違いを演奏しながら、lectureしたのですが、昨年の暮れ(Christmas会前)ぐらいから、弦楽器を演奏すると、爪が弦の太さにボロボロと欠けてしまう・・と言う事で困っています。
昨年の12月のクリスマス会以来、肋骨のヒビで悩んでいますが、その時にも、練習中に爪が欠ける・・という事で、「骨が脆くなってしまったのかな??」と随分悩んでしまいました。
勿論、今回も、途中の休憩時間にふと気付くと、しっかりと、爪が欠けていました。
オケの指導中に背中や腰が痛くなるので、先生や生徒達に叩いて貰っていましたが、もう、怖くて「叩いて貰う?」・・という事は出来そうにもありません。
困った?? 困った???

今日も、Vivaldiのcelloconcertoのa mollで、丁寧に、baroqueの奏法のlectureをしたので、練習の時間が、予定時間から随分遅れてしまったのですが、真雅ちゃんが風邪でお休みだったので、Boccheriniのcelloconcertoで時間を端折ろうか?・・と思ったのですが、折角、soloが居ないので、solo抜きのオケのpartだけをpickupして、lectureを開始したら、逆に、いつもよりも、時間を食ってしまいました。Vivaldiのcelloconcertoのa mollや、BachのAriaには、丁寧にbowslurを書いて、bowの弾く位置を丁寧に学習しました。
BachやVivaldiは純性のpure‐soundの音取りと、弓量配分を中心にlessonをしました。BachのAriaでは、最初の初見の演奏では、とても薄っぺらな演奏だったのですが、全員が総てのpartを弾き込む練習をして、それぞれのpartで、歌い込み方を勉強した後で、元のpartに分かれて演奏したら、見違える程、分厚いBach風の演奏になりました。
1曲、1曲をとても丁寧に練習したのですが、しかし、programの最後のBeethovenのQuartettのc mollの終わりの時間は、定刻の時間に終わりました。

子供達のお迎えが終わらないと、教室を出れないので、お迎えを暫らく待ってから、途中でガソリンスタンドに寄って、ガソリンを入れて、椎名町に帰ったのですが、それでも8時半には椎名町の駐車場に帰って来たので、早い時間なので、体調不良を押して、ドルプリっ歩に出掛けたのですが、久し振りのお散歩だったので、途中で、腰が痛くなって椎名町の駅のベンチで寒空の中を、少し休んでしまいました。(8時の次点でもう、16時間起きているので・・、体力が持たなかったようです。)

オケ練習の行き掛けにイトーヨーカ堂に寄って、お持ち帰り用の弁当を買っていたので、それを夜食として、食べ始めたのですが、途中で、疲労が酷くなって※)食べている途中で気分が悪くなってしまったので、大急ぎでハイツに戻ったのは良いのですが、ベッドに入るという大変な作業が今一つ出来なくって、何時もの様に・・椅子で呆然自失状態に入ってしまいました。
※)普段のオケ練習では、私は3時からのgroupを指導するので、8時、9時迄指導したとしても、5時間ですが、昨日は1時からだったので、早めの7時に終わったとしても6時間です。起床は4時には起きて、出発の準備を開始しているので、ドルプリっ歩が終わった10時には、もう18時間になっているので、当たり前の事かも知れませんね。もう、私も若くはないのだから、体力の限界なのですよ・・??

総てをそのままにして、取り敢えずはベッドに入って仮眠を取ったのですが、普段ならば、トイレに起きた次いでに、帰って来てそのままになっている荷物を片付けるのですが、ガス・ストーブをつけて作業をしようと思ったのですが、ガス・ストーブだけでは部屋の温度がどんどん下がって来てしまって、超寒くなって来たので、「エアコンをつけようかな??」とも思ったのですが、未だ、仮眠中だった事を思い出して、慌てて、頑張ってベッドに潜り込みました。

・・・迄が、今日、日曜日の一日でした。

22日早朝、テレビでは大雪の予報で大騒ぎをしているのだけど、足の爪が危険な領域迄伸びてしまったので、頑張って自分で必死に爪を切ったのだが、何とか切れた。
何年振りだろう??

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1月22日雪だ!!雪だ!!

雪だ?雪だ?



もううっすら積もってるんですね??

薄っすらではないよ??西武線がもうすぐ止まりそうだよ??

ダイヤはもう乱れているのだよ

えー??

牧野先生は帰るのは無理かもね??

斉藤先生、池袋で立ち往生かな

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1月22日 ・
引きこもり用にまん丸に買い物に出掛ける時の写真なのだが、まん丸で、買い物をして、早々に帰って来たのだが、帰りにはこの道は、倍の積雪になっていた?
西武池袋線は既にぐちゃぐちゃのダイヤになっている?
写真の中の点々のシミは、雪です。







1月22日 ・
超寒い?これからも降り続ける?



8時頃に向けてピークになるらしい。と、テレビで言っている。
近年来無い大雪だ??と言っている
ホントかね??

5時前なのに、ガス・ストーブが温度が上がらなくなって来た??
超寒くなって来た??
エアコンを併用するか??
それともflooringに置いたままになっている灯油のファンヒーターを持って来るか??
室内なのに、超、寒い??

ソロソロ、「寒い??寒い???」を繰り返すのは、飽きて来たけれど、9時現在で、都心は21aだってさ??マジ??
斉藤先生、池袋の西武線で缶詰だってサ??
・・だから、あれだけ、言ったのに・・??

池袋で西武線に乗ってから、椎名町の駅まで50分掛かったな?? 
そりゃあ、遠いよな??
牧野先生からも、「要町に着いた!」って連絡があったよ!!
出発の時間が1時間以上違うのに、どうして同じ時間に椎名町着(要町着)なるの??
不思議だ?????

斉藤先生、ユーカリが丘から3時間半掛かったって事だよネ??

flooringで片付けをしていたら、突然、凄い風の音がして来た??
超、怖い音だ?
北風の音だ??

ダイヤモンド・ダストのように、霧が氷になって、廊下に北風が吹き荒んでいる。

東京の午前0時の積雪は23aだってさ??
冷え〜っ??

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1月23日 ・

今の首都高の状態です。
車のお出かけは・・??
自己責任で・・




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1月23日「賞味期限のお話」

「賞味期限のお話」

昨日のような都内でも23aの積雪での非常事態でもない限り、自宅では食事を作る事はありません。

食事を作らない朝、昼と夕方の軽食(1日4食になる事が多いのですが、夜の食事は先生達の帰りを待って、要町か椎名町の駅へのお迎えを兼ねたドルプリっ歩を先に済ませてからの食事になるので、早くても夜の11時、遅い場合には12時を過ぎる事すらあります。だから、お昼から夜の食事迄はintervalが長すぎるので・・)を椎名町から持って来たり、コンビニで買ったり、たまには外に食べに行ったりします。
夜は火曜日を除いたら、基本的には先生達と一緒に、椎名町で食べます。
夜を椎名町に食べに行かない時には、必ず体調不良の時なので、幾ら自宅で食事をするとしても、食事を作る元気はない・という事なので、非常事態、所謂、体調不良とは別の要因で自宅で食事を作ると言う事でもない限り、自宅で食事を作る事はない・・という事なのです。

昨日のcaseでは、非常に珍しく、体調不良ではなく、大雪のせいで、先生達は帰れるかどうか分からないし、先生達が帰れた・・としても、私がこの大雪の中を、バイクで椎名町まで移動するのは不可能なので、大雪のための自宅への引き籠もりに備えて、朝早くに江古田駅の前のスーパー「まん丸」(仮名)に買い物に行って、生焼きタコ足等が美味しそうなので、つまみに買って来ました。
勿論、刺し身なので、わさびはパックの中に付いてはいたのですが、量的に不足なので、冷蔵庫の中から買い置きのわさびを出して、ふと、賞味期限を見て、驚いてしまいました。
なんと、「2010年の8月」です。
でも、全く傷んでいないし、気も抜けていない、充分に辛いのですよ。
生ワサビは2,3日しか持たないのに、加工したわさびは7年経っても、びくともしないのですね~??
驚いてしまいました。
勿論、美味しく食べて、冷蔵庫に戻しましたがね。

幻の素麺を探している時に、賞味期限が1年とか2年になっているのを見て驚いた記憶があります。
私の感覚では、熟成させた素麺は、10年ものやそれ以上熟成させたものが高価で販売されているからです。
乾燥した冷暗所に虫を避けて密閉して保存すれば、個人の家庭でも普通に10年は持つからです。

過日はテレビで、東北地方の古い酒蔵から100年前の梅干しが出て来て、非常に高価に落札されたという話を聞いた事があります。
私の祖母が、梅干しを作っていましたが、6年目になると、梅干しが化けます。
熟成して、それ迄の梅干しとは全く別の梅干しになるのですよ。梅干しが6年目に入ると崩れ始めて、梅干しの呈をしなくなります。しかし、その分、極附に美味しくなるのです。

祖母は、最低でも6年物の梅干しを私達に食べさせていました。
超、酸っぱいけれど、その味は最高でした。
今は亡き、江古田の味噌屋の超酸っぱいパック入りのお徳用の梅干しを、大きなパックで保存して、どんどん梅干しを足して、6年物の梅干しを私なりに作っていたのですが、体調不良が続いて、梅干しの需要が激しくなったので、とうとう新しい梅干しだけになってしまいました。
梅湯だけは、どうしても古い梅干しではないと、体調不良の折には、美味しく食べれないのでね。

昔々、お袋が作っていた20年物の梅酒を、お袋から貰って大切に飲んでいましたが、それはもう、50年以上の梅酒になってほんの少しだけ残っています。
極々たまに小さなリキュールグラスに入れて、一杯だけ飲んだりしていますが、極上の宝石、rubyのような味です。

逆に、保存用のインスタント・ラーメンなのですが、地方でしか売っていない特別のインスタントを、長崎に帰省した時に、わざわざと買って来ましたが、賞味期限を過ぎて1,2ヶ月もすると※)、ちゃんと麺がパサパサとして不味くなってしまうので、勿体無いけれど、買い置きの大量のインスタント・ラーメンを、ゴミにして処分してしまいました。期限切れのラーメンは、食中毒の元なのでね。※)賞味期限から1,2年ではなく、なんと1,2ヶ月なのですよ。超、ビックリ??

パスタは、賞味期限はあるのかな??
それ以前に、無くなってしまうので・・・。

美味しそうな香の物を、椎名町のスーパーで牧野先生が買って来たのだけど、その日に買ったものなのに臭いがしていたので、食べないで捨ててしまいました。
賞味期限は全く信用はおけません。

私自身は、鼻詰まりが酷くて、夜安眠出来ないぐらいなのですが、臭いには、私が一番敏感です。
先生達が分からないぐらいの微妙な臭いでも、腐った臭いがすると、捨ててしまいます。健康一番だからね。

腐った・・とか、不良品ではないのだけど、ヨーロッパから輸入されるwineには、防腐剤が入っているので、それが非常に強く残っている場合が殆どです。
オーダーでwine‐makerから直接注文したwineでも、1本1本、防腐剤の臭いが強い物と、殆どしない物があって、6本setの内に2本程は、超美味しいのですが、後の4本が酸っぱくって、安物wineの味しかしないので、orderするのをやめて、安物wineであるMadonnaに鞍替えしてしまいました。(ちなみに、ma donnaの短縮表示がmonaで、所謂、da Vinciのモナ・リザで有名なモナです。)

しかし、wineを売りに来る人達には、wineを開けたばかりの時の防腐剤の臭いが分からないらしいので、その説明に、困ってしまいます。
しかし、wineの防腐剤、所謂、亜硫酸塩は空気に抜けてしまうので、コルクを開けて4時間程放置するか、邪道かも知れませんが、白wineでも構わないで、一度デキャントすると、亜硫酸塩は抜けて本来のwineの味に戻ります。
(こういった話は、wineの解説書には乗っていないので、飽く迄、私の個人的な方法論です。)

wineから食料品の話に戻って、・・・食料品の臭いは、最初から醗酵食品の場合には、本来の匂いか腐り始めの臭いかが、どっちか分からない時があります。そういった場合には、臭いを諦めて、舌で味を見ます。
醗酵食品の場合には、舌でも判断が難しい場合があります。

醗酵は食品自体が醗酵したりするものもあるので、本来の醗酵か、食品が醗酵してしまったのかが、分からないものすらあります。醗酵が、スパークリングの場合には、美味しいと感じてしまう場合すらあるのだから。

酷い時には、アルコールや酢になっているものすらあります。
そこでの最終的な判断は、究極的には、やはり、人間の五感です。

発酵食品は腐らない・・とテレビで言っている人がいたので、「それは間違いだよ?? 納豆でもちゃんと腐るのだよ??」と言いたかったのだけど、番組では、その話題はスルーされてしまいました。

人がbrandや鑑定書を頼るようになった時に、美味しい蕎麦や美味しい蕎麦美味しい蕎麦を

「人がbrandや鑑定書を頼るようになった時に、美味しい蕎麦や美味しい蕎麦美味しい蕎麦を   」

(またまた入力出来なくなったので、こちらで入力をする事にしました。)

子供の頃からの蕎麦好きで、30代の頃には蕎麦打ちにも挑戦したのですが、蕎麦を絞める時に、座卓を壊してしまい、それ以降は自分で蕎麦を打つのは諦めてしまいました。
本当に美味しい蕎麦は、やはりproでないと無理だと思ったので。

気が向いた時に、若い頃には仕事で全国を回る機会があったので、東京だけではなく全国の蕎麦の名店を訪れて見たのですが、漫画や食べ物の紹介の本で推薦の名店や、江戸時代からの老舗で私が「美味しい」と思ったお店は全くありませんでした。

寧ろ、無名の巷の店で、美味しい蕎麦を打つ店を何軒か見つけ出したのですが、結構、気に入ってそのお店に通い始めると直ぐに店を閉じるcaseが多いので、常連になる前にお店が無くなってしまって困ってしまいます。

江古田から椎名町の事務所にバイクで行く途中の、美味しいお店を、数軒pickupしたのですが、先生達と2,3回行くだけで、1,2年も経たない内に、もう潰れてしまいました。
今は、まあまあ、のお店が5軒あるだけですが、その内の2軒は、まあまあなのですが、何度行っても、開いていないので、「食べたい」と思って行っても、空振りの時が殆どでした。。

後の3軒は、まあ、絶対に行きたくなる程、それ程、美味しい分けではないのですが、それぞれのお店の蕎麦の特徴がはっきりとしているので、「今日のお蕎麦」というその日に食べたい蕎麦で、今日はどのお店に行くか??を、その都度、choiceしています。そのお店に行きたいと言う事ではなく、蕎麦を食べたいと言う事でね。

蕎麦好きの人で、名店や案内書を頼る人はいないと思いますが、私も、所謂、名店と呼ばれる店や老舗と言われる店を、味のベースを知るために、取り敢えず、可能な限り行って見たのですが、「名店に**無し」・・と言う諺の通りでした。

同様の事では、若かりし頃には、自分でをラーメン作る事もあったので、美味しいラーメン店を求めて、食べ歩いていたのですが、余りにも多いラーメン屋さんの中から、美味しいお店を探す事は至難の業なので、先ずは行列の出来るお店を、一緒に並んで食べ歩いて見たのですが、そこで「美味しい」と思うお店は見つける事が出来ませんでした。

昔々は、江古田にも、人集りで行列の出来るお店があったのですが、近所からのcreamで、場所をその場所から、30b程引っ込んだ場所に、引っ越したのですが、たった、30bで、そのお店に行列が出来る事は、その後、2度とありませんでした。
今もお店は残っているけれど、昔の面影はもうなく、いつも閑散としています。
「行列の出来る・・」なんて、単なる流行に過ぎない・・そんなもんなのですよ。

感性にしても、五感にしても、或いは審美眼にしても、自分の判断力(=感性)を磨く事が最も大切だと思います。
それは弦楽器の鑑定書でも同じなのですよ。blandのような作られた流行に振り回されて、音の出ない楽器を高価な金額で買う程、バカバカしいものはありません。
鑑定書に頼る演奏家が、素晴らしい音色が出せる分けはないし、有名大学に頼っても、それが仕事に反映される事はありません。
実力は外にあるのではなく、自分の中にあるのですからね。
私は自分の楽器を選ぶ時や、生徒に楽器を紹介する時に、鑑定書を見る事はありません。楽器を選んだ後で、鑑定書が付いて来る場合はあるけれどもね。最初から、考慮の対象にはならないのです。
何処かの宝石店と同じで、鑑定書があろうとなかろうと、査定が変わる事はないのでね。


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1月24日「日本人の持つ甘えの構造(U)」 ・

「日本人の持つ甘えの構造(U)」

日本人の子供の教育に関しては、親の考える男女の教育に対しての差は非常に大きく、世界のglobalstandardとは、異質のものがあります。
男の子の場合には、社会的に生きて行く事を前提として教育されるのですが、女の子の場合には、普通である・・という事がその前提であるように思われます。つまり、普通と言う意味は、人の上に立つ事も、社会人としての役割もなく、父親の庇護の元で、健やかに育ち、年頃になったら、結婚をすると良いという発想です。
世界の教育としては考えられない発想なのですが、しかし、これは日本の家庭に横たわる伝統のようなものでもあるので、「旧態然だ」とか、「誤った教育である」・・という事を、私は言う事は出来ません。
日本のtraditionalなstandardなのですからね。

日本のtraditionalである、「女性は庇護され、依存して生きて行く」・・という、この問題は何度も、homepageやFacebookで取り上げているのですが、究極的には、それぞれの家庭の問題と言う事なので、教室でそれぞれの家庭に介入する事はありません。

もし私に娘が居て、すずちゃんのように可愛かったら、「一生傍に居てくれて、私の末期を看取って欲しい!」と思うかもしれないのでね・・。
このお話には落とし穴があって、「最後を看取った後の生活の面倒は誰が見るのだ?」という回答は常に無い!!という事なのですよ!!
つまり、自分の最後を看取ってくれれば良いだけであって、看取る娘の将来の事は何も考えてはいないのですよ。
実に自分勝手な(身勝手な)考え方なのですが、日本ではこの考え方は当たり前とされます。
愛情というのは、相手の将来を見据えるのであるべきなので、こういった日本古来の儒教的な考え方には私は付いて行く事は出来ません。余りにも、男性中心の身勝手な考え方にしか見えないからです。
でも、現代の今の今の子供達でさえ、父親のそういった身勝手な教育方針で悩んでいる子供達は多いのですよ。流石は日本の女性の地位は世界の140番目の地位に過ぎないのですよね??日本は儒教の国であり、世界の女性の地位の劣等国に過ぎないのですよね〜ぇ??


その場合には、「勉強も出来なくても良いから」、「普通で良いから」、「人生を楽に、楽しく、お友達と一緒に」・・と、言う事になり、一見すると、聞こえは良いのですが、それこそ、娘に、手に職を付けさせないための口実になりますよね。
手に職が付かないという事は、女の子は勉強をしなくても良い・・という意味にもなりますから、勉強をしたくない・・・、今を楽しく遊びたい女の子達にとっては、渡りに船になります。今を楽しく遊んでいる子供達は、誰かに寄生しない限り、生きてはいけない分けなので、中、高生の時は、父親の良き伴侶になります。
そうすると、「私(=父親)の元を離れる」という唯一の例外は、娘に彼氏が出来た時だけになるので、まあ、これは仕方のない事で、1度だけの事であり、父親が娘を失う確率は、ぐっと低くなりますよね。

「手に職を持つ」と言う事は、「自立心を養う」という意味でもあります。
また、「社会的に人の上に立つ」と言う事は、「社会的な自立」を意味する分けですよね。
社会的に自立して生きている人間が、一生、自分の周りで傅(かしづ)いてくれる事はないでしょうからネ??
という事は、女性が手に職を持つ・・という事は、一生自分に傅いてくれるという事は、無いという事になります。


例え、音楽の勉強をしていたとしても、その音楽が本人に取って、趣味に過ぎないのならば、その程度の技術で、生活が出来る事はないのだから、自分の周りを離れては、生きて行く事はないでしょう??
だから、男性にとっては、娘が手に職を持ちたいと望む事に対しては、危機感を感じてしまうのですよ??

古来、「三従(さんじゅう)」という言葉があります。
「幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫 死しては (老いては) 子に従う」という意味です。

「幼い時には父母の言付けをちゃんと守り、彼氏が出来たら彼氏に従い、彼氏が死んで、子供が残ったら、子供の言う通りに老後の生活をする。」という意味です。結婚して、旦那さんに尽くして、子育てと、趣味で、一生を終われば女性としては充分に幸せで良いのではないでしょうか??・・という日本古来の考え方なのだけど、21世紀になった今日でも、よくその話を未だに、あちこちで、そのお話を聞くのよね〜ぇ??
アハッ!

そこまでは、子供の教育のお話ですが、昔々は、教室をやっていて、よく母親からの離婚相談を受けた事がありました。
(昔は毎週、2,3日も千葉の教室に通っていたのでね)

その時に私が母親にadviceをした事は、「離婚によって失われる生活の水準をどう考えるのか??」と言う事です。
女性の手に職が無い場合には、生活の水準は極めて低くなって、生活の水準を維持する事は、かなり難しくなります。
ましてや、子供達への子育てや、教育迄は非常に困難なものになります。
私のそのadviceで、多くの母親が現実に引き戻されて、離婚を踏みとどまったのですよ。

しかし、女性の側に、手に職があれば、離婚の話は、女性の優位になります。
子供は基本的に女性の側に権利があるからです。
結婚して主婦をやっていて音楽から離れていたとしても
、音大の卒業生は、基本的に音楽で働く事が出来ます。
ひょっとしたら、旦那様よりも稼げるかも知れません。
だから、同じ離婚の相談でも、生活力や、財産の話が問題になる事はありません。
そこは、同じ日本の家庭でも、女性の働く力という力量の関係で、大きな差がでるのです。
女性の側に、仕事をする能力や経験があって、結婚していても、離婚しても、生活の生活に対しての、意識のlevelに差がなければ、男性とも対等に話合いが出来るからです。
その場合には、日本独自の男性優位のstandardの問題はありません。
それこそ、世界水準のglobalstandardでの話合いです。

まあ、そういう事もあって、男性は娘に手に職をつけさせる事を極端に毛嫌いします。
子供の手に職が付けば、親が見捨てられる可能性すらあるからです。


でも、小、中学生の娘にその選択権はありません。
手に職を付ける迄は、親の庇護が必要である・・という矛盾が起こるからです。
子供は親の手を離れては生きて行けません。
だから、そこは母親の責任になってしまいます。
子供の将来は寧ろ、父親ではなく母親に掛かっているのですよ。

しかし、もし、離婚を前提としての子供の教育に対しての話合いならば、父親に勝ち目は絶対にありません。
何故ならば、そう言った娘の手に職を付けて欲しくない・・という願望は、潜在意識的には、娘を失いたくない・・という気持ちから来るものなので、子供が自分を捨ててでも、音楽の勉強をしたい・・と思うのならば、これは絶対的に勝ち目のない戦いなのですから・・。娘と母が「離婚しても良い」という前提で、主張してくるのなら、男性は最早戦う術はありません。子供がいないのなら、離婚は大した問題ではないのだけど、娘が参戦した場合には、男性に取っては抗う術は無いのです。

これをadviceにするには、少し問題があります。それは、子供が自分の人生に対して、音楽を人生の全てとして、掛けているか、否かによって、答えが変わるからです。

でも、この話を余りしないのは、私が最初に教えた生徒の一人が6年生になって、音楽の勉強を本格的にするか否かで、両親が喧嘩になった時に、「私の音楽のせいで両親が喧嘩をするのならば、大好きな音楽を止める??」と言って健気にも最愛のPianoを捨てて、一般の子供になってしまったのです。
多くの人達がその才能を残念に思ったのですが、幾ら天才的な少女でも、両親の離婚には抗え無かったのですよ。

しかし、・・と言う事は、その生徒に取っては、両親の離婚が音楽よりも重要だったからなのです。
現実的には、勿論、離婚よりも、音楽を優先させた子供も数多くいますが、どうなのでしょうね??

実際には、私が音楽教室を開設する迄には、こう言ったお話はありませんでした。
私が指導していた生徒達は音楽家になりたい・・という夢があって、親も子供もその事に何の問題も疑問も無かったからです。
はっきり言うと、巷の音楽教室の生徒で、音楽大学に進学したり、高校生から直接留学したり、concoursで全国大会で入賞したり、proになったり、という指導が出来る教室は、多分ないと思います。
そういった教室があったとしても、その教室で育った優秀な生徒を芸大や有名音楽大学の教授につけたり、或いは有名音大の先生を教室に呼んで指導させたりするのが実情でしょうかね??
世の中にない事を説明する程難しい事はありません。私達の教室が唯一の例外だとすれば、教室でやっている事を信じてくれる人は絶対的にいないし、教室で、皆と一緒に勉強している人達ですら、信じてはくれないのですよ。
世間はもっと、凄いのだ!」「という発想しかないのです。

教室の愚痴は兎も角としても、家庭の教育の問題は、日本の江戸時代からのtraditionalを引きずった話なのです。とても、根深いものがあるのです。だから、私が幾ら、私の体験として、その矛盾を説明したとしても、それを理解してくれる人はいません。

こう言った文章を書くと、何時も、必ず「私の家庭の事を書いている」と思われる人達がいます。
しかし、この文章の大元は、今から40年前の大学講師時代にupした論文からの引用なのです。
折に触れて、同じ事を何年も繰り返しuploadしているのですが、それで、何かが改善された・・という事はありません。
事が良好に移行したという話もないのです。

つまり、それは各家庭の問題であり、啓蒙活動も家庭には入り込めないのです。
今回も、昨年の11月28日のFacebookに「日本人の持つ甘えの構造」として、問題提起をしています。
日本社会の何処の家庭にもある、極めて一般論なのですよ。
娘を一人前の社会人にしたいのか?それとも可愛いだけのお人形にしたいのか?だけの違いです。
女性が何か一芸を極めると碌な事はない・・というのが、日本社会の通年ですからね。この問題は男の子の場合には、ありません。日本のtraditionalな社会通年に於いても、男性が働くのは当たり前の常識であり、仕事の為に努力するのなら、それは当然だからです。また、男の子の場合には、父親や母親に将来の相談をする事は殆どありません。私の場合のように、医者で家を継ぐ・・という場合だけは唯一の例外かも知れませんが・・。それでも、女性のように、絶対ではないのですよ。
それはそうと、もし私の娘がスズちゃんのように可愛くなかったら、(つまり、親目にも可愛く無かったとしたら、)どうするか??って??そりゃあ、手に職を付けて、その道のproにさせますよ??
異性に持てないのなら、ちゃんと自分の力で生きて行けるように・・??
当たり前でしょう??



1月29日の朝の7時過ぎなのだが、テレビをつけっぱなしで仕事をしていたら、実に、timelyに「女性の引き籠もり」についてのお話がNHKで今やっていました。

そう言った問題を抱えている女性達が立ち上げた団体はさておいて、内閣府も本格的にこの問題に取り組む姿勢を明らかにした、というなのです。

女性の引き籠もりの主な原因は、男性の無理解というよりも、「手に職がない」と言う事が直接の原因だそうな。
私的には、男性の無理解が最大の原因かな??とも思ったのだが、男性の女性に対しての考え方が一番ではないその分けは、子育てが終わって、女性としての役目を果たした妻は、男性の束縛は、既にその理由を失ってしまっているからだ。

結婚をして、子育てで20年以上も家庭から買い物以外には外に出た事がない・・という主婦が非常に多く、社会問題になるはずなのだが、日本の女性に対する独特の考え方で、それがこれまで問題として、提起されなかったという結論になっている。

政府も今年から(今更ながら・・・)緊急の課題として取り組む姿勢を明らかにした。・・という事なのですよ。

NHK の話としては、主婦だけではなく、未婚女性の社会対応が出来ない問題も提起していて、やはり、手に職がその根本的な原因になっている・・と位置づけている。
その問題は、私がドイツ留学から帰国して来た40年前から、ヨーロッパの女性の地位と日本の封建的な女性の地位の落差について、大学等で何度となく論文等で問題提起をしていた話なのだが、やっと、一般的にその話が表面化して来たのだが、それまでに40年も掛かった・・という事なのだよな??
さて、政府はどういう手を打って来るのかな??

今日は何と2月の26日なのだが、またまた、テレビを付けっ放しで、パソコンの作業をやっていたら、モーニング・クロスという朝の7時からの番組に初登場の国際コラムニストのケビン・クローンという人が日本人の持つ決断力の無さ、自分で考える事が出来ない事について、母親の既得権益の性である・・という事で、私が昨年からFacebookに何度も書いている「日本人の持つ甘えの構造」について、同じ話を切り口を変えて話、していた。

「twitterに始めて聴いた話だ」・・というような事が書いてあったが、やはり、日本人には、親も子供も相互依存症である・・という意見は理解出来ないようだ。
そのうちに、それは国際社会に於いての日本の大問題になってくる・・という話をしていたよ?? 
私にとっては、「何を今更・・」、という話題なのだけどな・・・・・??


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1月24日「体調不良」

色々と買い物があったので、100均とbebeに出掛けて、帰りに「まん丸」に寄って買い出しをして帰るつもりだったのだけど、100均もbebeも全く空振りで、bebeを出た途端に、体調不良になってしまって、まん丸での食料品、食材の買い物が出来なくなってしまいました。
慌てて、ハイツに戻って来ました。
やはり、少し仮眠した方が良いのかな??
今体調と相談中です。
最早、これまでかな・・・??・・・と超、弱気になってしまいます。
取り敢えずは、救心でも飲んで様子を見るか??

牧野先生とmailで相談をして、超、寒いし、道が完全に凍っているので、バイクでは結構、危険なので、今日は体調不良と言う事で、ハイツに引き籠もる事にしました。
先程、bebe迄は行ったのだけど、まん丸には体調的に行けなかったので、食材はないのだけど、何か食べる物はあると思うので、取り敢えず寝る事にします。
少し心臓も落ち着いて来たので

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1月25日「フレンチ・トースト」

何かしら小腹がすいたので、スイーツのようなものが欲しいな?・・・と、思ったのだが、何もなかったので、急遽フレンチトーストを作る事にしました?
砂糖の代わりに、前回はオリゴ糖を使ったのですが、今回は蜂蜜にしました。洗い物を減らすために、このお皿は、萬古焼きの耐熱皿で、直接ガスやオーブンで焼く事が出来ます。
普段は、フライパンで焼くのですが、折角、耐熱皿で焼くので、今回は、電気オーブンで焼く事にしました。その方が、フワッと焼く事が出来るからです。
この所、体調不良で、椎名町に食事に行かない夜が、すっかり増えてしまいましたが、今日も、このフレンチトーストは、今日の夜食になってしまいますが、本当は、平行作業で、一緒に、ついでに野菜鍋も作ったのですが、それは明日の朝食にして、今日はフレンチトースト1枚だけで、夜食と言う事にします。
体調不良で食欲が無いので、それで充分なので・・。


   



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1月25日 ・

テレビで、「東京は今氷点下4度だ?」と言っている?
ガスストーブに、エアコンを平行でつけているのにも関わらず、超寒い?
頭痛がしてきたので、仕事を中座して、布団に潜り込む事にする?
・・と思ったけれど、5分も持たなくって、またぞろ、パソコンの前に座って意識喪失している。
どうしようもないな??

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1月26日 ・

今日は、色々と、最悪の一日だった?
めげた?
先ず1つ目は・・、大雪のアイスバーンのせいで、車庫入れの時に、…
二つ目は、車の点検が終わって、ハイツにバイクで戻る時に、サミットと桜小学校の前の道が凍結状態で、しかも、バイクのタイヤが古かったので、もろ、ひっくり転けて、バックミラーが折れてしまいました??
かなり、へこんだけど、そのまま、バイク屋に直行して修理してもらいました。替えのタイヤが一本しかなかったので、月曜日にもう一度バイク屋に行って、タイヤの交換をします?
三つ目は、 ……ああ、めんどくさくなって来たので、以下省略します?
四つ目は………??
あ〜あ、今日は色々と最悪であった

先生ファイト!

有り難う?? でも、歳も歳なのでね??
もう、頑張れる程の体力がない??
(体力があったら、めげないのだけどね)

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1月28日Vivaldiのa mollのcello-concerto

「Am Sonntag」
今日は久しぶりの日曜日です。
と言う事は、オケ練習の日なのですが、早々と朝の7時迄には、Vivaldi a moll celloconcertoのU楽章をfinaleに入力しました。

幾ら、U楽章だけだ・・としても、超、早い入力ですよね。
勿論、超、早いfinaleの入力には、色々な入力上のトリックがあります。
細かいたくさんの音符の入力は、パソコンの前に置いてある小さな卓上の??(Keyboard)を使って入力します。
入力する音符は、コピペをするのに都合の良いphraseを優先して、虫食い状態に小節を飛ばしながら、入力をします。(殆ど同じ音型ならば、後は移調や音符を一個動かすだけで、入力が出来るからです。)
後はメインのphraseの音符を入力して、(例えば、soloのmelodieやbasso continuoのmelodie等を・・)コピペと移調をするのは、多分誰でもやっている事なのでしょうが、コピペをした後の音符の訂正をするための、(一々音符を入力しないでも良いような)音符のselectの方法に、色々と、効率を上げる(というか、無駄を省くというか…)時短のための色々の工夫があるのですよ?

そういう事で入力は結構早く出来たので、次いでに、CembaloのpartもRealisation(作成)をしました。
いつもの通りにRicordi版のCembalo‐partは超、ヘボいからです。

これで、Vivaldi a moll celloconcertoは全楽章をfinaleに入力し終わって、後は、細かい校正の作業が未だのU楽章を除いたら、全楽章、ホボ校正の作業は終わりました。
後は、実際にarticulationやbowslur等の訂正なのですが、これは難しい。
私としては、「・・でなければならない」というarticulationやbowslurがあるのですが、実際には、「子供達が演奏出来なければ・・」という問題があるからです。
つまり、理想的なpro‐versionとしてのarticulationやbowslurを付ける前に、「子供達に演奏可能なarticulationやbowslurにするのか??」という問題なのです。

ちなみに、下の手書きの楽譜はいつもの通りにVivaldi先生の手書き譜です。
所謂、facsimile版です。




facsimileの楽譜は非常に高価なので、collectionをするのは、経済的なpressureと、それなりの決断と勇気が必要なのですが、以前も、Facebookにも書いたように、近々年、世界の公的な図書館等で、一般の社では、出版出版されていないような貴重な楽譜やfacsimile等をnet等で開示閲覧出来るようになったのは、すばらしいことです。(昔はfacsimileと言えども、閲覧する事が難しかったからなのです。)
私にとっては、facsimileの楽譜の収集というのは、単なるcollectionという意味ではなく、楽譜を校正する時の、底本となるRicordi版やPeters版、Eulenburg版等の校正上の楽譜の間違いや作曲者の意図を出版されている楽譜と比較して、正しく校訂をする上での、最終の判断材料になるからです。(作曲者の意図は全てに優先されるからです。)

この間、オケ練習の時に、子供達にPachelbelのCanonのfacsimileを見せて「これがPachelbelの直筆譜だよ?」と言ったら、子供が「本物の楽譜なの??」と言ったからです。
ちゃんと、「本物の楽譜の写真版だよ??」と言わないと、通じないようですよ???
アハッ!

教室で使用している楽譜は、その殆どが外版なので、orchestraの楽譜でも室内楽の楽譜でも、本当は非常に高価なのです。
基本的には、一般的には、音楽教室で楽譜を購入する事は、法務局的には認められていません。
ですから、一般的には、教室のように大量の楽譜を所有するという事は有り得ません。
勿論、教室の楽譜は私の個人的な楽譜を教室に貸与しているのです。
教室でのorchestraや室内楽は、先生達のボランティアになります。
まあ、音楽教室でorchestraを指導している所はないと思いますよ。

地方自治体に附属するorchestra(県や公的ホール等で主催されているorchestraですが・・)は、先生も生徒も寄せ集めなので、methodeとしての指導はありません。
それぞれの先生がそれぞれの指導をするだけです。
「オケを皆で楽しむ」というconceptなので、選曲する上でのcurriculumはありません。

そろそろ、Facebookの調子がおかしくなって来たので、ここまでにします。

昨日のオケ練習で、Vivaldi a moll celloconcertoT楽章の冒頭のA⇒A⇒CのA⇒Cのunisonの10度を、「絶対に繋がらないけれど、繋がっているように聞こえるように弾く??」とか注意していたのを、今、ふと思い出したのだけど、その10度を、ひょっとして、2弦飛ばしで弾いている??
それでlegatoで弾くのは無理だよ??
1st-positionのまま弾くのではなく、position移動をしてA⇒Cを弾いたとしても、それでも、1弦飛ばしになるので、それでも、音を繋げるのは難しい。
せめて、1弦飛ばしで弾かなければ音は繋がらないよ??


病院の日だったのだが、結構、混んでいて、待ち合わせ時間が長いようなので、facebookの修正でもしようと思ったのだが、スマホのFacebookが何度やっても、修正画面になると、フリーズして動かなくなってしまう?
今日は携帯でのFacebookの入力は駄目だ?

折角、時間があるので、Facebookでもやろうと思ったのだがね??

病院からの帰りに薬局に寄って薬を貰うのだが、血糖を下げる薬が非常に問題があるので、・・と、こんこんと説得されてしまった。
透析になると、仕事が出来なくなってしまうので、その前に、体に合った薬を処方して貰うべきだ・・という事だ。
所謂、second-opinionなのだが、色々と面倒くさいな??

文章が何処かに飛んでしまって、文が滅茶苦茶になってしまった。
またFacebookがおかしくなって入力が出来ない??

病院から薬局に寄って、ハイツの自宅に戻って、空き時間に作業をして、4時過ぎには、また同じ道を、今度はバイク屋にタイヤの交換に行く。
そこでも、小一時間の待ち時間があるので、一番近い喫茶店迄、歩いて行ってお茶でもして待とう・・と思ったのだが、千川通りを、歩けど、歩けど、喫茶店がない。
結局、江古田駅の傍のミスド迄戻ってしまった。
小一時間、つまり、ドルプリっ歩とほぼおなじ時間を歩いたぞ??
タイヤ交換が終わって、バイク屋の先のガソリンスタンドに寄ってから、またぞろ、ハイツに戻って、やりかけの仕事を片付けて、今度は、事務所にまたまた、同じ道をバイクで走る。シーソーゲームだなや??

模範になりそうな演奏をYou Tubeで探したのだが、この冒頭は、殆どの演奏団体がforteでstaccatoで弾いていて、3小節目からlegatoにしてお茶を濁している。
periodの演奏では、下のAの音を省いて演奏している団体もいた。(幾ら何でもそれは無いだろう。)巧妙に弾いているように、下のAの音だけをpianissimoで弾いている団体もいた。
それなら、私なら、最初のoctaveだけをslurで弾いて、次のC⇒D⇒Aをlegatoにするのなら、何の問題もない。
しかし、その逃げ道をやっている団体は無かったぞ。
実に上手に冒頭のunisonをlegatoで演奏している日本人のsoloのperiodがあったけれど、残念ながら、soloの楽器はcelloではなく、violoncello da spallaという特殊な楽器だよな??
https://www.youtube.com/watch?v=mdJoQoZwXDk

Vivaldi - Cello concert RV418 - Ryo Terakado & CroBaroque

相変わらず、periodのorchestraもgamba-bowのようにぶっとい弓で弾いているし、soloの先生は3点支持なので、downの時にspitzeに弓が行くと、指板の位置迄弓が流れて、音が抜けてしまっている時がよくある。
音出しで大切な事は、音の比重が一定でなければならないので、そのためには、接弦の位置が常にcontrolされた位置でなければならない。
模範演奏として、生徒達に聴かせるには、私の推薦の上手な演奏とは言えないのだが、それでも、他のperiodの団体の演奏よりもマシなので、困っているのだよ??
反面教師としてなら、まあ、良いか??


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1月29日「Vivaldiのcelloconcerto a moll T楽章の冒頭」
.
冒頭のunisonのpassageは、下のAから上のCへの1弦飛ばしがあるので、legatoで演奏する団体は殆どいない。
大概の場合には、上の譜例のように、non legatoで演奏する。
例外的にlegatoで演奏している団体もA⇒Cの音の切れを避けるために、下の譜例のように弾く団体や、下のAを弾かないで誤魔化して弾いているperiodの団体もいた。
幾ら何でも、そりゃあ、ないよな??? 
A⇒Cを恰もlegatoのように弾くのは、そんなに難しいのかな??
理解出来ない??


periodではないのだけど、少しマシな演奏で譜例上のstaccatoのpatternの演奏になります。
https://www.youtube.com/watch?v=Q_cV3C_FPQU


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1月29日 ・
バイク屋で時間を潰すのに千川通りを歩いていた時に立ち寄ったリサイクルのお店で衝動買いをした。
ベネチアンマスクとはまた違った趣がある。



以前にも同じ写真を掲載したような気がするのだが、ベネチアンマスクです。写真の顔隠しのニコニコマークよりもいいと思うのだがね。
もっとも、音楽家になりたければ、結構早い時期から顔を覚えて貰う事が重要なので、個人情報はありません。
そこは一般人とはまた違った所です。





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1月30日「古典派の奏法(6)bowslur」

「古典派の奏法(6)bowslur」

baroqueや古典派の時代は、長いslurの後に短いslurが出て来たり、その逆で、16分音符一個に対して、16分音符3個の音符が出て来たりする事がよくあるのだが、period奏者と言えども、譜例:2の場合には、その1個の音を乱暴に強めに弾く。これは「何故そういう弓使いをするのか??」という意味が分かっていないせいなのだ。
最初の譜例のscoreは、BachのG線上のAriaとして知られている有名な曲なのだが、この長い全音符にslurされた8分音符の後の8分音符を弓の返しで強く弾く奏者をよく見かけるのだが、それはamateurの領域であるとしか言いようがない。




長い音符は、当然、messa di voceになっているのだから、徐々にcrescendoされて、最後の8分音符ではforteぐらいの強めの音になっているはずなのだが、その音量を次の16分音符(tieされているので、弓量的には8分音符)を乱暴に弾く事で美しい旋律の流れを、不自然に壊してはならない。
長く引き伸ばされた最後の音の強さ(音量)と、同じ強さ(音量)で弾き継がれなければならないのです。

次の二つ目の楽譜は「Vivaldiのcelloconcerto a mollT楽章」のsoloの部分の面ですが、その楽譜の譜例でも、16分音符のslurの数が、1:2や1:3になっていますが、当然、弓の量は、逆の音符1個に対して、2:1や3:1るので、音量をそのように変えて演奏している人が結構多いのですが、しかし、baroqueや古典派の時代では、基本的には、音量はslurに左右されないで、同じ強さで演奏されなければなりません。



この弓量配分は、articulationに於いての音の比重を表すもので、音の強さを要求するものではないからなのです。
baroque時代や古典派の時代のarticulationは、melodie(旋律)の強弱を表すものではなく、Motivの拍節法を表すものだからです。(拍頭の際立たせの音や、melodieの終わりの弱拍の音が、強弱ではなくって、articulationによって弾き現されます。)
このarticulationを現す独特のbowの奏法が失われたのは、Tourteが非常に強い弓を発明したからで、baroque-bowならば、自然にこの奏法は出来ますが、Tourteの(所謂、現代)bowでは逆にarticulationの奏法は難しくなってしまいます。

・・と言う事で、教室のオケ練習では、生徒にbaroqueの奏法のlectureをする時に、生徒には、練習の一貫として、「baroque持ち」と言って、弓を2/3程度の場所に持たせて弾かせますが、それだけで、現代の弦楽器奏者に多く見受けられる不自然な音のaccentはなくなります。

baroqueや古典派のTourte以前の弓は基本的に弱いので、何とかmodernな弓のpowerが欲しいperiodの奏者達はviolinやcelloを演奏するのに、gamba-棒のようなぶっとい弓を使って、圧力を掛けて演奏していますが、それでは本物のガット弦ならば切れてしまいます。
折衷案としては、現代の弓に近い、所謂、Tartini-bowで、現代のbowと同じに演奏する人達が殆どなのでしょうが、それではbaroque-bowにした意味はいでしょうね。
しかし、baroque時代や古典派の時代のbowslurが、melodie(旋律)の流れを表すものではなく、もっと、minimumなMotivの音の比重を表している・・という意味を知らなければ、そのinterpretationは、とても基本的に楽曲の分析の勉強をやり直さなければ、baroqueの音楽を正しくperiodで演奏する事は無理です。
でも、こんにちでも、未だに、そう言ったbowを使用して乱暴に演奏するのがperiod団体では普通なのです。baroqueや古典派の時代では、音楽は感情を表現する事よりも、端正に数学的に理論的に演奏されました。baroque時代には教会では、美しいものであるという定義は、数学的、論理的なものが、宇宙の摂理、神の領域とされたのです。Bachの絶筆である「fugaの技法」は、b,a,c,hというBachの名前を音で表したthemaを書いた所で終わっていますが、パソコンを使用すると、それ迄に、登場した7種類のthemaが完全に組み合わされる事が解析されています。
また、Bachは彼の弟子が非論理的な演奏や作曲をすると、「それは何処から転がり込んで来たのだ??」「神の意志ではない」と厳しく怒ったそうです。
神の子であるようなMozartでさえ、他の作曲家の非合理的な転調楽節を、父親に「私の方が数倍も上手に転調が出来る」と言って、怒っていたそうです。
音楽の勉強をする時に、「技術さえちゃんと学べば、演奏家になれる」と思い込んでいるのは、日本人だけか??と思っていたのですが、世界のstandardだとは、この歳になって、periodの世界に足を踏み入れる迄、知りませんでした。
でも、1952年にI Musiciが、初めてbaroqueの合奏団を結成して、MozartのEine kleine NachtmusikとVivaldiの四季を携えて、世界中にbaroqueと古典派の音楽を啓蒙して回って、最初のbaroqueブームが起こってから、現代の思い込みの解釈による、baroque音楽や古典派の音楽が一般に定着してしまいました。
分かり易くするために、現代様式で演奏されるbaroqueや古典派の音楽が、一般的な音楽になってしまったのです。
しかし、1965年代には、早くもCembalo等の楽器の復刻が始まって、当時の楽器が詳しく調べられるようになって、同時にbaroque時代の演奏様式や、演奏のための技術も理解されるようになって来て、1990年頃には、period instrumentsによる演奏団体も世界に登場するようになって来ました。教室の先生達がtriosonateを中心としたbaroqueの演奏活動を始めたのも1990年からです。
baroqueの演奏は、現代曲の演奏よりも超、modernな革新的なtraditionalなのです。私の生徒がHindemithやStravinskyの曲を演奏する時に、私が「現代曲を演奏する事よりも、baroqueや古典派の曲を演奏する事の方が、数倍も難しい??」と言うと、「baroqueや古典派の曲が現代曲よりも簡単なのですか??」と、絶句していたのだけど、「現代の曲が難しい」と言う事は私には理解出来ません。
その点、文学と美術の世界は、今は完全に分離しているabnormalな状態になってしまっているのですがね。ある意味、美術の世界の所謂、abstract-artは、baroqueの時代の論理至上主義になっているのでしょうかね??
Genzmer先生の「Objetとして捉えるように??」というadviceが活きて来るものも多く見受けられますがね。まあ、abstract-artの文学というのは、定義上成り立たないのは当たり前ですよね。だって、文字をabstractにしたら、誰も読まないでしょう??それは、文学ではなく、最早、絵画の領域なのだからね。
私の「予言」は、(年金の破綻の話でも、少子化でも、私の主張する教育のmethodeでも、periodの演奏でも、)通常は、30年から40年経って具現化されるので、periodの正しい演奏をする団体も、もうそろそろ、現れても良い頃なのですがね。



BachのAriaの弓量配分の楽譜を作って見ました。
この配分の音量が一定でなければならないのですよ。
如何に難しいか分かりますよね??



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1月30日Berlin Baroque Soloists

この演奏はBerlin Baroque Soloists の演奏なので、当然、baroque楽器なのかな??・・と思ったら、普通のmodernの楽器で、modernのinterpretationで演奏しているようなのですが、celloの音が抜群に綺麗なのと、間のとり方やtempoの揺らしがとても素晴らしい秀逸の演奏です。

勿論、celloのsolisteを筆頭に約半数の人達は、1点支持の弓の持ち方で演奏をしています。
オケの連中は通常の3点支持が若干名程度なのですが、コンマスの人が3点支持の悪い癖が一番、酷くって、指板の上まで弓が流れているので、音も抜けてしまうようです。それでも、他の演奏者達は、まあまあ弓のholdingをしていて、2の指(中指)に支点を持っていってるので、baroqueの演奏としては、音質的にはまあ、余り問題はないのだけど、コンマスの人だけの3点支持が目立ってしまいます。コンマスの人も同じ1点支持の演奏者を使ったら、もっと音がbalanceが取れて、baroque風な綺麗なorchestraの音になったと思うけれど、まあ、指揮者のいない室内ensembleなので、コンマスを変更する事は出来ませんよね。
cellistの弓の持ち方は1点支持で、全く弦に弓でpressureを掛ける事のない自然な演奏で、素晴らしいですよね。
だから音の伸びが素晴らしいのですよ。

私が教室で生徒達を指導する時に、baroque棒の体験の勉強に、「baroque持ち」と冗談で言っている弓の付け根から10aくらい上を持って練習させています。
それだけでもbaroque風に、随分音が柔らかくなるからね??

私的には、これでinterpretationがperiod奏法ならば申し分なかったのですが、まあ、これだけ音楽に対しての真摯に向かい合っている演奏は少ないのでね。

Vivaldiのconcertoというと、イタ公が、殆ど、You Tubeを独占していますが、音楽と言うよりは、ボクシングかサッカーを見るようなperformanceの演奏だなや???
私ぐらいの歳になると、そういった演奏はもう疲れるし、カッタルイのでね。
このBerlin Baroque Soloistsの演奏は、soloの演奏とては、教室の模範演奏として勉強するのには、とても良い演奏です。
是非、見習って欲しい演奏ですね。

いつもの蛇足なのだけど、このcellistの名前の「Faust」はGoetheの名作「Faust」のFaustと同じ名前です。

ちなみに、オケの並び(編成)としては、1st、3名、2nd、3名、viola、2名のそこまでは良いのだけど、basso continuoのcelloがいなくて、Kontrabassがcontinuoを弾いている。とは言っても、そんなに珍しい編成ではなくって、periodでは時々見かける編成のstyleなのだけどね??Organ( positiv organ)や、theorbeのような楽器の場合に、basso continuoを省く場合が多いのだけど。

https://www.youtube.com/watch?v=dzWgqotZsKU


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1月31日 ・

分かったつもりになっていても、説明が出来ないと本当に分かったとは言えない。本当に分かっているのか否かは、後輩に教えられるかどうかで分かります。・・・と林先生が言っていました。アハッ!
これも本当は、40年前の論文に書いていた事なのですがね。

どっかの塾の宣伝で、「分かったつもりでも説明できない生徒が80なん%」「説明してみて」と先生が言っていて、「話して成績アップ」みたいな売り文句になっていまいたが、芦塚メトードでは、「え?今さら?」ですよね。まあ、うちでは「後輩に分かるように」という条件がつきますがね。更に出来るまで面倒みるということは練習の仕方まで分かってないと出来ませんからね。うちの生徒が勉強しなくても勉強も出来るようになってくるのはそこなんですが、あまりに自然に出来るようになりすぎて、保護者の皆さんや一般の方には理解出来ないのですよね。一般の塾ですらそう言うことを言うようになってきたのだから、そろそろ分かってくれても良いのではないかと思いますがね。40年も経ったんだからねえ?

日本では、親方日の丸や、一流企業のバックアップのあるものに対しては、価値があるのですが、巷の個人が何を言っても、ただのお茶飲み話になってしまうのですよ?だって、間違えた事を習っている事を知っていても、親方日の丸の方が、世間に対しての当たりが良いという事だろう?
mozartやbeethovenや、brahms等の歴代の作曲家達は、そういった権威主義的な人を極端に嫌ったのだけど、演奏家はまた別の人種だからね?

私のmethodeでは、「分かったつもり」はもう少し踏み込んで、「説明する・・」と言う事を、「分かっていない後輩」に指導する・・というsystemにしています。これは同じよう見えるかも知れませんが、内容的には根本的に違います。つまり、その生徒が「本当に分かっていた」としても、色々な角度から説明出来ないと「分かっていない」後輩に理解させる事は出来ないからです。もう一つは、オケ練習でも譜面の覚え方として、常日頃から注意している「うる覚え」と「しっかりと覚えている事」の違いを、自身で判断出来る事です。この判断が出来るようになると、突然、成績や学習能力が一気に上がります。周りの人達や本人自身が驚くほどにです。
これは残念ながら、教室だけのmethodeなので、厳しいオケ練習から、勉強のために学業に専念すると、一時的には成績は上がるかも知れませんが、直ぐに急激に落ちます。後は一般の子供達と同じように、必死に努力しても、それなりの成果しか出ません。芦塚メトードでは、勉強しなくても、成績が上がっていたのにね。

この話をすると、単にオケ練習に参加していると成績が上がるように誤解される人達がいます。勿論、ある程度は、成績も上がるのでしょうが、それは単なる勉強に対しての要領の良さが身に付いたに過ぎません。うる覚えの理論が理解出来て、身に付いて来ると、勉強をする事がなくても、成績が上がるという不思議な現象が起こります。
東大等にtopで入学するような生徒達は、本当に勉強をしないのですよ。

私がドイツに留学していた頃に、後輩で可愛い女の子がMunchenの大学に入って来て、その年にもう、大学のコンサートで、BrahmsのHandel-Variationを演奏していました。Double-trillの超難度の所で、両手で弾く場所なのに、右手に持ち替えて、汗をハンカチで拭いていました。絶句したよな??教授達も呆れていた。
でも、彼女は小一時間程しか練習しないのですよ。マジに??後は映画を見たり、兎に角遊び回っているのですよ。名前??そんなの忘れた??当時一緒に行動を共にした人達の名前も殆ど覚えていないのだからね。

またまた、4月に向けての、どっかの大手の音楽教室の宣伝が始まった?このどうしようもないレベルの低い聴くに堪えれないコマーシャルは、なんとかならんかね?
堪らん?


うちも頑張って宣伝せねば?宣伝のノウハウだけは大手の企業さんに負けてますもんね。あの酷すぎるコマーシャルを見て良いと思って入会する人が沢山いるのだからねえ・・・・信じられませんがねぇ・・・・

可愛いだけがちょうど良いのよ??
あの拙さが可愛いのよ???
うちの教室のように、超幼い子供が驚くような演奏をしていたら、可愛げがないのよ。performanceのために、厳しいlessonを1年近く続けて、撮影している・・としか思わないのだよ。日本的には、成果は労力と整合するとしか思わないのだからね。


ちいちゃい子供の体験入学ぐらいのlesson風景で充分なのだよ。
室内楽やorchestraと言われても、乳飲み子を連れて来る分けなので、そんな将来の事なんか、想像すら出来ないだろうしね。

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1月31日

先日の病院に行った帰りに、処方薬を調剤して貰った薬局で、色々と脅かされてから、(…いや、その言い方は良くないよなぁ? 親切に色々とadviceをして貰ってから…)どうも、体調管理が上手く行かなくなって、体重が3日で4`も増えてしまった????
幸せ肥りという言葉があるが、実は鬱肥りもあるのだよ???
私の場合には、今回は、食事のcontrolが、めちゃめちゃになっているのだよなぁ?
勿論、薬を飲んでいないせいも、あるにはあるのだが・・。
私なりには、至極まじめにセカンドオピニオンを考えているのだが、近場(と言っても隣の駅にはなるのだが)で、評判の良い糖尿病の病院には、循環器がないので、それも問題なのだよなぁ???
人生は難しい?

それはそうと、もう3日も薬を飲んでいないけど、血圧も心電図も安定している?(血糖値はもともと酷いからね?)
つまり、何も変わらないのだなぁ?
薬を飲んでいないのは、何かしら私なりに考えがあっての事…、ではなく、事務所に薬を仕分けのために、置いたままだからなのだがネ?
循環器の薬は、しばらく飲まなくても、昔のようには血圧が上がる事はないし、糖尿の薬は、まじめに飲んでも、数値が改善する事はなく、私は腎臓が1個しかないから、薬を飲む事は、逆に腎臓が死んで透析になる可能性が大きいのだよ?
一般的には、血糖値を下げるための利尿剤は50_が普通なのだろうが、飲み続けても数値が下がらないので、50_を2回、100_も飲んでいるので、腎臓にはかなりの負担になっているはずなのだろうが、それに対しての処方の改善はない?先生は何でこの薬に拘っているのだろうか??

練馬の大病院は、一日がかりになる上に、ドクハラで診察が終ると、その後、一週間も鬱になってしまって、逃げ出して今の病院になった分けだし、糖尿外来と循環器の二つの病院に梯子して通うのも、大変だしなぁ?
そのウチに、近所の婆さん達のように、毎日、病院に行くのが趣味になったりして???

今日は4日目だが、更に1`増えて5`も増えてしまった。全く、リバウンド状態だ。何とか、体重の急激な増加を食い止めなければならない。当面は、それが最優先だ。
糖尿も血圧も体重が原因なのでね。でも、だからと言っても、いつもの通りの食事の量で、何かをそれ以外に食った分けではない。
普段の日常の、普段食べているものを食べているに過ぎないのだけど・・・。それでも、精神的な事だけで、体重が増加してしまう。
鬱は美味しい高カロリーの食べ物なのだろうかね??

今日は2月の3日節分なのだが、2月1日を体重の頂点として、リバウンドは治まり始めた。
2日で2,2`体重が落ちた。
精神的に何とかcontrolが取れて来たのかな??



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2月


2月1日「人手不足破産」

テレビで「人手不足破産」というdocumentを放映中だ??
仕事があるのに、働き手がないので、受ける事が出来なくって破産してしまう。
「働き手」がいない・・と言う事は、少子高齢化が直接の問題なのだろうが、それだけが原因ではないと思うのですがネ。

就労と言う事に対して、テレビ等で色々と問題提起がなされてる分けなのだが、雇用や失業率では、世界に対して然程劣っているようには見えないのだが、そこには日本社会特有のtrickがある。
つまり、「働こう」という意志がない場合や、就職活動をしない場合には、失業率にdataとして最初から組込まれないのだよ。
結構、統計上のtrickを信じてしまっている人達が多いのだが、統計の数字は「どういう回答が欲しいか」と言う事で、統計を取るのだよ。客観的な正確な統計は、「無作為に統計を取れば良い」という分けには行かないのだ。

警察が「検挙が出来ない事件は最初から被害届を受け付けない」と言う事で検挙率が、世界に冠たる日本警察を自負していたのだが、日常的な事件や検挙出来る可能性のない事件も受け付けるようになった途端に、検挙率が落ち込んだという事がある。

つまり、働きたくても、働く場所がない人達や、働く事を最初から諦めている人達、アルバイト的にしか働けない主婦等を入れると、日本の失業率はAmerica等の先進国と何ら変わらなくなるのだよ。

特に、女性の場合には、大学を卒業して、就職したとしても、結婚、出産等で会社を退社して、再雇用を望んだとしても、現在の日本社会では、なかなか仕事にありつく事は難しい。
出産育児期が過ぎても子育てや、家事は日本では主婦の肩に掛かっている場合が殆どの場合が多いからである。
ヨーロッパの社会のように、外国の労働者を求めるよりも、先ずは日本にいる潜在的な労働者を活用すべきである。
その方が国が疲弊しなくて良いからだ。

東京で再び働き始めた40数年前に、年金の問題の時に、人口の減少について論文を書いた事がある。
ヨーロッパの歴史を見ていても、人口は徐々に増加して行って、或る頂点に達すると急激な減少をする・・という、所謂、人口増加率というのが、自然界の定理として存在するのだ・・という事を問題提起したのだが、どんどん人口が増えて、押せ押せの日本社会の中で、私の問題提起に耳を貸す人はいなかった。
何千年も掛けて、少しづつ人口が増えて来て、その勾配が突然上昇する時には、ピークと極端な人口の減少が近づいているのは、明らかなのに・・それが社会的にどんな影響があるのか・・すら判断しようとはしない。

人口の減少を食い止めて、出産率をあげるのに、政府や役所はあの手この手で躍起となっているようなのだが、それは対処療法にしか過ぎない。
未だに治療には至っていないのだよ。

人口の減少を食い止めようとする、そのconceptが違うのだよな??
若者達を優遇し、(私には甘やかし・・としか見えないのだが)金食い虫の老人からは絞れるだけ絞り搾取する・・という日本社会では、出産率を上げる事は望むべくもなかろうに・・。
出産育児の前に、働きたくなるような夢のある社会、子育てに夢を持つ事が出来る社会を作る事の方が先決なのだよ。

歴史的には、子供は家庭の労働力であった。
国家が他の国と戦争をするようになると、子供は兵士となり軍の力は、消耗品である兵士の数で決まった。過日の二次大戦でも、軍は兵士の命よりも、戦闘機の価値を優先したのだよ。将棋の駒のように、「ここを取られたら、ここで取り返す」という事で、「取られるものが命である」という概念は戦争にはないのだよ。「最後の一人迄が、敵国と戦う」という事ならば、「何処に国家が存在するのだろう??」一人の民も居ない国家というのは、あるのだろうか??強大な敵対する国に組み込まれて終わりなのだよな。それで滅びて無くなってしまった国が歴史上には無数に存在するのにね。

日本も戦後の疲弊した日本を、世界に冠たる国に押し上げた団塊の世代は、一つだけ大きな過ちを犯した。
それは経済が全てに優先するという金権社会を作り上げた事である。
世界に冠たる日本で必要な人材は企業戦士であり、型に嵌った一元化された人材である。
次世代の社会を担うであろう人材を育成するために、教育界そのものすら、企業の求める人材に育成にかけた。

当然、型に嵌らない人間は落ちこぼれとして社会から削除されたのだよ。それがニートであり、引き籠もりであり、最悪のcaseでは若者の自殺になる。
今現在では、小学生の自殺さえある・・という事は私には考えられない事である。
その原因は夢を持つ事を許されない教育社会、一元化された子供社会にその原因がある。
そう言った子供達は、団塊の世代的な言い方をすると、「社会の競争に落ちこぼれた」・・「脱落した」・・という風に解釈されてしまう。

「ドラえもん」と言う漫画があるが、その漫画が絶大な支持を受けているのは、その中に登場する主人公達(男の子達)のキャラクターにあると思う。
主人公である、のび太君は、平凡で特に勝れた所もない普通の少年なのだ。
勉強は出来ないのだけれど、のび太の「のび」は、漫画では「のんびりした」という風に設定されていると解説されているのだけど、藤子不二雄先生のimageとしては、「のびのびと育った」という意図が隠されているように思う。

乱暴でpowerfulなジャイアンも、それなりに、昔々から、日本社会にはいるリダーとしての存在である。また、ジャイアンの引っ付き虫として描かれているスネ夫も、社会でへつらう理想的な会社人間として描かれているのだよ。

滅多に登場しないのだが、成績優秀で、現代の親達の理想的な子供であるはずのできすぎ君は、現代の親や学校の先生者達に取っては、理想的な存在であるはずなのだが、実際の「ドラえもん」の解説や評論にはその名前すら出て来る事はない。
つまり、ドラえもんに登場する「できすぎ君」は、学校教育界から巣立った大人社会では、型に嵌まった無性格、無人格のロボットに過ぎないのだよ。
同じ、成績優秀で思いやりのある理想的な子供で、親や教育者の理想的な存在であるしずかちゃんは、意志薄弱で頼りない存在であるのび太を支える理想的な女性として描かれている。旧態然とした理想的な日本女性としての姿である。
このドラえもんの社会構造は、古い日本社会の構造そのものである。

現代の日本社会では、型に嵌まった一元化された子供が理想とされる。
私の教育心理の論文では、SNBP(負の転換点)という現象を説明しているのだが、それが、引き籠もりや子供の自殺、或いは事件の理由になっているのだが、そう言った事を起こす子供達は、その直前まで、親や社会にとっては、理想的な子供である場合が殆どで、テレビや教育界、一般社会でも、「原因が分からない」とされるのだが、それは単なる無知に過ぎない。
心理学的には、極めて当たり前の反応なのだがね。

親から褒められるだけの型に嵌まった人間、一元化された人格、・・・そういう人間になりたい子供がいるのかな??
それでも、子供の夢は夢に過ぎないと、成績を優先にして、無性格な無人格な子供を教育しようとしている親や社会がある。
そこに人口が増加する社会を作れると思うのかね??

人間は、社会の影響に従って生きているのだが、人間としての尊厳は潜在意識の中に断固として存在しているのだよ。
そう言った教育を自分の子供にしながら、自分の深層では、無意識下に、「こんな日本の社会は嫌だ」と思っているのだよ。
そう言った大人になった若者達は、結婚すら忌み嫌い、涯生独身の大人が増えていくのだよ。

「生まれて来る時には、お金は要らない」としても、「死ぬ時には莫大なお金を必要とする」・・、そんな社会は嫌だよな??
自分でせっせとお金と貯めて、老後はそのお金で余生を暮らした時期もあったのだけど、それは昔の夢なのだけど、それを人口減少のせいにしている国もある。
国民がせっせと貯めたお金を、湯水のように無駄に溝に捨てたのは誰なのかいな??
そして、その挙句、自分達の無作為を棚に上げて、「働けるのなら、お金は払わない」とすら宣ふ。
まあ、lacherlichだよな??

そんな社会に誰が生きていたいのだろうか??
1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)迄がバブルの絶頂期だった。

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2月1日「スーパームーン」

1月31日のスーパー・ムーンですが、最初は仕事が終わらなくって、最後は途中で寝てしまったので、半欠けの状態の写真はありません。3脚では角度が無理だったので、手持ちでの撮影です。バカチョンのデジカメで充分だよな?

    

  


  


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2月1日「雪だ!!」


今日(2月1日)はテレビでは12時を過ぎた辺りから雪が積り始めるという話だったのだけど、まだ10時だけど、もう江古田駅周辺の家々の屋根には、既に、薄っすらと雪が積もっている。

今日は、牧野先生が風邪でdownしたので、急遽、夜食は各自で食べる事になったので、2日続けてハイツに引き籠もる事になってしまった。
でも、その連絡のmailが9時過ぎだったので、まん丸に食材を買い出しに行く時間もないし、靴下を履いて、セブンに「お弁当」を買いに行く気力もないので、有り合わせのミックス野菜と豚肉で野菜鍋を作って、冷凍のうどんを放り込んで、軽くお茶を濁しました。口休めの和菓子かなんかを食べたかったのだが、甘味はないのだよな?

引き籠もりが長いと人間ボケるので、たまには、誰かと、会話をしないとね~??とか思っても、それも、カッタルイのでね。昔は1週間とか、一月とか、誰とも会話しない事もあったのだけど、そうならないように、夜食だけは先生達と一緒に食べるようにしているのだが、近々のように、超、寒いと椎名町迄、バイクを走らせる事が億劫になってしまうのだよな??バイクは夏場は良いけれど、冬や雨の時には、カッタルいので、ついつい引き籠もってしまうのだけどね??
否、その引き籠もりが、既に老化の始まりだよな?

今日の雪は、雪というよりは、ミゾレだよな??
(この文章は11時半頃に書いています。)
霧雨のようで、超寒い??

写真はハイツのベランダから撮影したものですが、まるで窓ガラスを通して撮ったように、光の筋が出来ていますが、これはレンズの具合です。
ベランダの手摺りよりも、先に霧雨か沙雨雪に濡れながら撮った写真です。
光のcontrastの関係で、光の筋が出来てしったのかな?? と思って、全画面に拡大してみたら、なんと、みぞれの氷が反射して、光の筋を作っていました。
雨なら、撮れないのに、氷だから、粒が大きいので、光に反射して、筋を作ったようですね。
肉眼的には見えなかったのですが、写真になると、氷の粒が落ちる速度も撮影出来るのだよね??
まあ、それも乙なものかな??と思ってそのままupします。

ビルの手前、屋根の向こうの明るい所が江古田の駅です。




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2月2日「いや〜あ、雪だ!!雪だ!!」

いや〜ぁ、雪だ?雪だ?



ついに東京が雪国に(笑)

車庫入れの時に車がスリップして擦ったり、バイクでモロコケたり、大雪の時は結構メゲてしまいました。
もう雪が降ったら外出しないぞ??
と言う事で昨日はレッスンをすっぽかしてしまいました。

歩行、運転等、雪に不慣れな方々が東京は多いでしょうから・・・注意してください!

雪道は慣れているはずだったのですが、どうした事でしょうね??
ボケて来たのかな??

ボケてなくても雪道は滑りますって?

我が家はぜーんぜん積もりませんでした…
つまらないでーす
同じ東京なのにですー

テレビでは場所によっては5aと言う所もあったようですよ。

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2月2日「ヒイカのお刺身」

牧野先生は風邪で起きれないようだし、斉藤先生は忙しくて夕食の用意はとてもそれどころではないようなので、8時半過ぎになっていたのだけど、スーパーまん丸に食材を買いに行った。相変わらず、ミックスの野菜はもう売り切れていて、陳列棚には全く無かったのだが、鮮魚コーナーでヒイカが余りにも安くて美味しそうだったので、刺し身用ではないのだが、迷った挙句、衝動買いをしてしまった。しかし、一杯一杯が余りにも小さいので、薄皮を剥がしたり、背骨を取ったり、スミを洗ったりする手間が大変だと言う事に気付いた??
これを、後の祭りと言う。

  


ヒイカは面倒だから皮剥かないで食べてます(^^♪

最初はそう思ったのだけど、何せスーパーの安売りのヒイカだからね??
ちゃんとした卸で買うともっと美味しいのだけど

そうなんですか・・・でも面倒くさい(笑)

その通りで、超面倒くさかった??
でも、シコシココリコリで美味しかった??
久しぶりにビールも飲んだし??

そう言えば一時よくイカ類を食べたたけど最近買ってないなぁ〜・・・近々、新鮮なイカが売られてたら買って来よう・・・食べたくなって来た(笑)

スーパーで見かけて発作的に買ったのですよ。
発作です。

5月頃にスルメイカが渡船で渡る防波堤で釣れていたのに、ここ2年程釣れなくなって・・・海流、水温の関係なんだろうけど釣ってすぐに沖漬作ってたのが出来なくなって楽しみが減ってしまって・・・タコはよく釣れてるみたいなので、今年はタコ釣りに行こうかなぁ〜(笑)


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2月2日 ・
左上の黒い塊は薄皮です。






2月2日 ・

根性で皮を全部剥いで、洗って刺し身の下準備が終わった。開くとワタが少し残っているので、包丁でコサイでワタを取る??






2月2日 ・

最初は、ゲソも刺し身にするつもりだったのだが、面倒くさくなって、塩焼きにした。1味を振り掛けてとても美味しいかったのだが、トンビを取るのを忘れた・・と言うか、余りにも小さいので、無理だわさ??
トンビの大きさは1~2_だよ??
目玉は苦くなるから一応取ったのだけどね??




いやあ〜??超美味しい??
半分くらい食べた所で、発作的にビールが飲みたくなってしまった。
と言う事で缶ビールを開けて飲み始めた。
ヒイカのコリコリ感がたまらんね??


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2月5日 ・

昨日は久しぶりのオケ練習でした。
つまり、久々の車の移動です。

鬱や睡眠不足のような特定の原因が見当たらないのですが、朝起きてからも、どうも、注意力が散漫で、物忘れも酷く、車やバイクを走らせていても、正面は未だちゃんと見えていて、良いのですが、左右の確認が一歩遅れてしまいます。
視野狭窄ではないのだけど、目が疲れていて、左右の確認が一歩遅れるようです。所謂、ハインリッヒの法則の第一stageの「ひやり」です。
帰りはlecture後で、体も疲れているので、その「ヒヤリ」が無いように、極端に注意をして走りましたが、2回ぐらいチョッと無意識に乱暴な運転になるcaseがありましたが(信号が黄色に変わったので、急ブレーキに近い状態で止まったり・・、の過剰安全運転で・・とか)、勿論、何事も無く椎名町に到着し、車庫入れも問題なく出来て、バイクの運転も何のtroubleもなくハイツに到着はしましたが・・・。

昼間の話に戻って、・・オケの指導に関しても、注意が散漫になる事もあろうと思ったので、私が直接指揮をしないで、斉藤先生に弾き振りをお願いして、私は流し(シンク)の所に引っ込んで、外から観察をする事に専念しました。
子供達は八千代のおかげで、小手先技の技術はとても良くなったのですが、根本的な「音を一つに揃える」とか、「bowを揃える(※1.)」とか言う根本的な基礎の練習が出来ていません。
学校の部活等では、練習は根性なので、そうった無味乾燥な練習はとても強いのですが、教室では、「時短」を優先しているので、そう言った根性練習は一人の練習、所謂、宿題にしかしていないので、オケ練習でそう言った無味乾燥な練習をする事はありません。
しかし、曲のimageを優先してlectureをすると、「音を揃える」と言った事が甘くなって、音に雑味が出来てしまうのですよ。
pureな透明感のあるは、どうしても、この単調な練習を乗り越える必要があるのです。とは言っても、学校の部活の音を揃える練習を100年続けたとしても、pureな音が出せるようになる事は絶対に有り得ないのですがね。(そこは、別の次元のお話なのでね??)

昔の八千代組の生徒達は、そう言った辛い単調な練習と楽しいノリのある練習を週ごとに交互に練習したので、音を1本にするのは格段に上手だったのですが、先ず、年齢の差があるので・・、小学生には、辛い練習なので、本当はそこまで要求する必要はないのですがね。Vivaldi等の古典の音楽を演奏する事は難しいのですよ。

Stravinskyの「春祭」やProkofiev、Hindemith等の近現代の曲を演奏するのは、極めて、簡単なのですけれどね。
日本の音楽家達は「baroqueや古典派の音楽を弾く事は簡単で、近現代の曲は難しい」と言いますが、それは大きな勘違いがあります。
baroqueや古典派の曲を、ただ単に弾くだけなら、小学生の子供達でも、弾ける簡単な事でしょうね??
しかし、proの音楽家がそういう程度の古典に対する認識では、近現代の曲を弾くと言う事も、お寒い物があります。音楽のapproachがおそ松君なのでしょうね。アハッ!

時代と共に、bow-technikは簡単になります。小手先技の技術は色々と増えて行くのですが、それは、全て古典の奏法の上に成り立っているのですからね。
根本が出来れば、末梢的な技術は楽なのですよ。

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2月5日 ・

Instagramは公共性がFacebookよりも大で(※1.)、教室の宣伝には良いと思っていたので、椎名町のパソコンに梨紗にinstallして貰いました。
※1.)Facebookは友人の友人迄という限定公開です。
パソコンのInstagramは、どうも機動力がないので、そのままになってしまっていますが、教室のInstagramを見るために、私のスマホ(アンドロイドですが)と、ハイツのwindows10に私の名前のInstagramをinstallしました。
これまで、一度もインスタは見た事がないので、実際にはどういうものか、私には分からないのですが、見よう見真似にしても、どういうものか、未だにその操作が分からないままでいます。

何が分からないか??・・というと、シンボル・マークです。
と言う事で、netでInstagramの解説を探して見たのですが、全体の凡例のようなサイトは見つける事が出来ませんでした。
・・と言う事で、今現在でも(もうInstagramをdown loadしてから3日も経つのに・・)、分からないままになっています。
windows10にもInstagramをdown loadしたのですが、パソコンからは、どうしても書き込みや、操作が出来ません。

いずれにしても、(windows10のパソコンにも、スマホにも、否、uberhaupt全体的に、)私の一人で写っている近々の写真が全くありません。勿論、スマホの自撮りなんてものは持っていないので、撮影出来ませんし、撮影した所で、高齢者の写真なんて見たい・・と思う人もいないと思うので、これまでも撮影する気は無かったのですが、自分の写真は無い・・という事で済ませようと思ったのですがね。
この写真も、Facebookに何か書くために撮った写真ではありませんが、cameraを椎名町の事務所か検見川教室に忘れて来たので、大型一眼を出すのも、カッタルイし、仕方がないので、「スマホで写真を撮ってパソコンに送るようにしよう」と思ったのですが、スマホで保存した写真をパソコンに送るのがmemoryの関係で、超、難しいので、手軽にFacebookに送りました。

ハイツ(所謂、自宅)のパソコンはmainのパソコンとsubパソコンはwindows7なので、lineやInstagramは入れていません。
3台の大型のパソコンは、ネット回線で全部繋がっているので、真ん中のwindows10から、mainのパソコンに、写真を持って来れる事は出来るのですが、その一手間が超面倒くさいので、だからFacebookを媒介にしてパソコンに写真を送りました。アハッ!

2日掛かりでスマホとwindows10にInstagramをinstallしたのですが、何せ、Instagram音痴なので、何が何やら分からないし、私が分からないと、先生達は、折角のInstagramを、活用してくれないので、この2,3日でInstagramの取説を覚える事にします。

ハイツの仕事部屋兼食堂兼居間でしょう??







両方のパソコンの上にはweb-cameraが取り付けられているのですが、乗っ取り防止ではなく、ホコリが凄いので、ホコリ避けのカバーをホッチキスで無駄紙を切って、作りました。3分も掛かった労作です。ホイ?? 突然のskypeでも、下着のままで仕事をしていてもこれで大丈夫です。アハッ!
ちなみに、これを作ったのはもう、2,3週間前の話です。パソコンを見ていてふと感じてしまったので、次いでにupしました。





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2月5日「Vivaldi a moll celloconcerto RV418 bowslurの訂正」

「Vivaldi a moll celloconcerto RV418 bowslurの訂正」
桃迦ちゃんのa mollです。

この曲に関しては、随分、You Tube等でnet-surfingをやって、生徒達に模範の演奏を探したのですが、結局、見つかりませんでした。そんなに難しいのかね??

冒頭の2,3拍をslurで演奏する・・というのは、結局、無くて、以前書いたように、全部をstaccatoにする演奏、下のAを弾かないという裏ワザ??(そりゃあ、ないよ??)で、今回のslurが一番、無難なようでした。・・と言う事で、proの人達が出来ないのをうちの小学生が出来る分けはないよな??と言う事で、下のslurを採用する事にしました。でも、あくまで、理想は、楽譜の通りのsulrですよ?

1小節目のslurはオケ練習で説明した通りです。5小節目以降のcellosolo、violaから下のcelloとKontrabassのpart、Cembaloの左手は、8小節目から13小節目迄、5小節目と同じ4:2の弓量配分で演奏します。45小節目themaと、49小節目から52小節目の低弦、94小節目のthemaと低弦97小節目からの102まで、112小節目からの1st、2nd、116小節、141からも同様です。



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2月6日「フレンチ・トースト」

月曜日は帰りが遅くなったので、ハイツに辿り着いたのが、深夜3時過ぎになってしまいました。
急いで寝るための準備をしていたら、気がついたら椅子の上で1時間以上寝込んでいました。眠る為のroutineの作業がひと手間なのですよ。
そのために、普段は4時起きなのですが、珍しく9時過ぎ迄寝込んでしまいました。
・・と言う事で、朝昼兼用の食事になってしまいました。

買い置きの食パンがあったのですが、既に、乾燥して来ていたので、いつものフレンチトーストを作ったのですが、前回のように萬古焼の耐熱皿で、食パンを漬け込むのが、洗い物が増えて、面倒くさいので(萬古焼の耐熱皿は、油を引かないので、結構、こびりついてしまうので・・、食べた後のお皿の後片付けが面倒くさいので・・)、青汁を注文した時に、サービスでついて来た青汁を混ぜるコップに牛乳と卵と蜂蜜を入れて、シャッフルしてスプーンでパンに塗って吸い込ませました。
牛乳入りの蜂蜜トーストだと思えば良いのかな??
パンに牛乳を塗り込むのに、お皿を汚さないように、スプーンで塗り込んで、網で焼き上げましたが、スプーンが汚れたので、次いでにコーンスープを作った・・(と言ってもお湯を注いだだけなのだけど・・)、ポットに紅茶とコーンスープとフレンチトースト風のパンと・・、結構、朝食としては贅沢な食事になったかな??
「サラダが無い??」・・って?
買い置きは、野菜炒め用しかしていないのでね。
振り掛けている茶色の粉は、勿論、シナモンシュガーです。

チョッと早めに・・とは言っても、もう既に、夕方の6時は過ぎてしまったのだけど、まん丸に夜用の食材を買いに出かけようと思ったのですが、次いでに、bebeにflooring用の本棚の隙間家具を探しに行ったのですが、エスカレーターは登りの2階迄の分しかないので、3階の家具売り場迄、階段を歩いて登って、お目当ての商品が無かったので、今度は地階迄、階段を歩いて降りて行きました。
そこでもお目当ての商品は無かったので、階段の昇り降りだけで終わったのだけど、そのまま、夜食の食材を探しに、まん丸に行こうと思ったのだけど、Instagram初心者なので、せめてアイコンの説明の載っている解説書でも買おうかな?・・と思って、駅の傍の本屋で探したのだけど、パソコンコーナー自体が小さくなっていて、スマホ関係の書籍は1冊もありませんでした。
この2,3日、netで探してcheckして見ても、indexのような、或いは凡例のようなアイコンの説明がpickupされているサイトは見つから無くって、それで、本屋で、書物を探そうと思ったのだけどね??

そして、まん丸で更に階段を登って、2階に行って、今度は地階から階段を上がって、一階の出口迄・・と、今日は階段の昇り降りで疲れてしまいました。それに、買い置きをするつもりの食材のレジ袋が重たかった事・・・??

写真は手抜きのフレンチトーストの作っている所です。

    






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2月10日

今日は、土曜日、なんと2月も10日だそうな?
2月も10日・・という意味は、私的には、「未だ2月になったばかり、まあ、せいぜい9日ぐらいかな??」と思っていたので、携帯の日付を見て驚いてしまった。じゃあ~ね・・・??の法則ではないけれど、歳を取ると、いちにち一日の進み方が早くなってしまう。
今日は、小学生の生徒が椎名町教室に始めてのお泊りをする。久しぶりに、その生徒の月一のlessonをして、それから斉藤先生がweblessonをしている間に、その生徒と一緒にお弁当を食べてから、急いで、ハイツに戻る。
今日は、2時間睡眠で、夜迄頑張って起きているので、早めに雑用を済ませて、寝たい??

頑張って、雑用をこなしているのだが、だんだんと鬱が酷くなって来て、少しも寝る前のroutineの作業が捗らない。
明日日曜日のオケ練習はお昼から規定の時間に行けば良いのだが、その途中で色々と教室の雑多な買い物をしなければならないので、普段よりも早くに出発しなければならないのだよ。
買い物が出来た時に、池袋まで、パッと買いに行けば良いのだが、そのためにわざわざと買い物に行くだけのenergy(体力)が、今はもうないのでね。

rotationが狂ってしまったのは、3日前の木曜日に花園の教室でlessonをするために、千葉迄行った後で、帰りが遅くなった事によるのだよ。
先週の豪雪で規定の予定日のone lessonをお休みにしてしまったので、その代講が3日前のlessonになったのだよ。

中一月以上開いて、お久し振りのlessonを、花園教室でしたのだが、lessonは定時に早くに終わったと思ったのだが、なんとなく、椎名町に辿り着いたら、結果的には、遅くなってしまっていた。

それ以来、またまたローテーションが狂ってしまって、入眠が上手く行ったとしても、1時間半も寝ると、トイレに目が覚めてしまって、それからは、再び眠る事が出来ないので、仕方なく、普段のように、椅子に座って、「ならば、仕事でもするか?」と思っても、意識が朦朧として、パソコンの作業が出来ない??・・・という最悪のroutineになってしまっている。

…「ならば眠るか?」と布団に戻って入眠を試みても、今度は目が冴えて、眠る事が出来ない…という事の、いつもの繰り返しだよ?

普段ならば、そういった場合には、眠る事を諦めて、眠たくなるまで・・仕事をするのだが、椅子に座った途端に、条件反射的に意識が無くなり、何かを考える事すら出来ないのだから、遺憾ともし難いものがある?

鬱の原因はいつもの事で、木曜日のlessonの時から、今日の土曜日のlessonでも、毎日毎日、同じ説明を色々な生徒、父兄にしている。
・・・何十年も同じ話の繰り返しなのだが、それでも、何も変わらない。
幾ら、話をしても、説得説明を繰り返しても、これまでも誰も、何も変わらなかった、・・・そう、40年間も・・・
「変わらない」・・と言う事が分かっているのなら、最初から、変えようとしないで、他人の事は、介入しないで、自分は自分と・・・もっと人生を楽に生きれば良いだけなのだが、・・・それが出来れば良いのだがね??
と言う事で鬱で悶々としている。
ハイツに帰ったら大急ぎで寝ようと思ったのだが、何もしないままに、2時間、3時間とダラダラと時間だけが流れて行く。

下の写真の説明なのだが、17年の10月の9日の発表会で、何人かの生徒さんに「ハイツの部屋でlessonが受けられると、交通が便利なのだが??」と言われて、それ以来、体調の許す限り、少しずつ部屋の整理を始めた。
独居老人なので、1日に1箇所、2箇所を3、4ヶ月も一人でコツコツと続けて来たのだが、それでも、やれば何とかなるもので、やっと少し、床が見えて来た所だ。

お袋が趣味で集めて、要らなくなった高級陶器がハイツに山のようにある。
何度も「俺ンちの部屋はそんなに広くないのだから、物を送って来ても困る??」と、お袋には、しょっちゅう言っていたのだが、それでも送って来るのだが、財産分けのつもりなのだろうか???・・捨てるにも捨てる事が出来ないので、結果、一度も使わない超高給陶器が山のようにハイツに置いてある。(今は大分、ユーカリが丘に持って行ったのだが・・)
それから更に、お袋が死んで、家の整理で、殆どの物は非常に高価な家具等も、置き場所がないので、家と一緒に処分してしまったのだが、お袋が荷造りを済ませて送るだけになっていた陶器類まで処分するのは、流石に忍びないので、しかたなく、ハイツに山のように積み上げてしまったのだよ。
まあ、なんとか使える物は使うようにはしているのだが、好きな陶器のimageがお袋と私とでは、全く違うのだよな??
親子と言えども、まあ、当たり前の話かも知れないが・・・??

私の場合には、陶器は自分が気に入っている陶器で、ご飯をよそいだり、お味噌汁を作ったりする。なるべく、洗い物を増やさないように、必要最低限の陶器しか使わないようにしているし、それ以上の陶器は必要はないのだよ。

人生の無駄な買い物と言えば、・・私が、必要以上に無駄な買いをしているのは、「カバン類」なのだが、仕事で必要なカバンがどうしても、見つからないので、必要に迫られて買い足したカバンが、50個近くある。
流石に、顰蹙ものなのだが、買っても、買っても、全てのカバンが帯襷で気に入った使いでの良い物が未だに見つからないのだよ。
困った事だ??
私としては、本当に必要なカバンが一つ、二つあれば良いのだがね??
一つ、二つ、という意味は、私が、普段Pocket代わりにしている黒いポシェットなのだが、用途が普段の免許証や小銭入れ等を入れているのだが、カバンの袋の中のサイズが、病院等で貰うA5版のサイズは入らないと言う事なのだよ。
つまり、カバンを作っている人達は、A5版の大きさのカバンであったとしても、そのカバンに書類を入れて見ると、入り口のチャックにゆとりのマチがないので、入らないのだよ。
つまり、A5版の書類が入るサイズであったとしても、実際には、お洒落優先で実用性がない・・、本当に書類を入れる・・という想定がないのだよ。
だから、ちゃんと規定の書類が入るビジネス用のカバンを探してみると、これが無骨で味も素っ気もなくって、とても普段使いには出来ないのだよ。お洒落でもなく、だからと言っても、機動性もそれ程ではない。

楽譜は菊倍判と言って定形外のサイズになる。
だから、楽譜の入るバックは稀なのだよ。
lessonやオケ練習に行く時には、お気に入りではないのだが、ニャンコのイラストの入ったトートバッグに入れてlessonやlectureに行く。
トートバッグそのものが、カジュアルなのだから、とても、ビジネスに使える代物ではないのだよな。
一つ一つの用途の性で、とうとうお気に入りを探す・・という事ではなく、「それを入れるバック」というselectだけで、写真のようになってしまった。
おう、miserableである???


   



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2月12日

昨日(2月11日の日曜日)のオケ練習は、色々とHappeningがあって、瑞希ちゃんのHoffmeisterのviolaconcertoとしおんちゃんのオケの練習が出来なくなったので、急遽、教室で撮影しているvideoを編集して(先生達の指導の参考のためにビデオは回しっぱなしにしているので…、不必要なところを削除してからネ?) ギガ便で送ってやる事にしたので、ハイツに戻ってから寝るための常日頃のroutineの作業をするついでに、videoの編集をしよう…と思って、まず、パソコンに動画を取り込むところ迄は取り込んだのだが、なんと、再生すると、画像が荒れて再生が出来ない?? 

もともと、大分以前から、外付けのハードディスクが2Tぐらいはあるのに、動画は1日の練習だけでも、パソコンに取り込もうとすると、4Gくらいは行くので、1T 、2Tクラスの外付けのdriveを2,3台取り付けているのだが、オケ練習の動画を入れているdriveが許容量を越えてしまったと、真っ赤っ赤になってしまっている。
勿論、17年からの動画だけでも、ダメなので、秋の発表会からの動画しか保存していなくて、他の古い動画は、別のパソコンの外付けに入れてback・upをしているのだがね。
それでも、目一杯で、真っ赤っ赤・・なのだよ?

今年と昨年の動画の保存のために、すでにビック・カメラで4Tの外付けのハード・ディスクを買って来て、いつでも交換出来るように準備はしてはいるのだが、パソコンの8個もあるUSBの接続端子が満タンで全部塞がっていて、配線を工夫したりと、接続をさせるだけでも、大変なので、これまで保留のままになっていたのだったのだが、オケ練習に行く途中で、ヤマダ電機に寄ってUSB端子の増設のアダプターを買って来た。
配線に色々と工夫をして、何とか、4Tのハード・ディスクをパソコンに取り付けたのだが、それで1Tの動画のfileを移動させるのには、丸1日掛かるので、それだけは、夜の内にやっておかないと、明日起きてからは、仕事が出来なくなってしまう・・という事で、意を決して、パソコンのhard diskの取り付けを、USB端子の入れ替え等、朝の4時半迄掛かってやった。

勿論、それから問題の容量がoverした動画のfileを移動させたのだが、その移動のためには、丸々1日掛かりになる・・とパソコンが言っている。
動画が移動したら、真っ赤っ赤になったdriveのdataを削除して、作業がスムースに出来るようにする予定だ。※実際には、動画が移動し終えたのは、26時間後であり、それから、赤のハードディスクのデータの消去をしたのだよ?
26時間のdataのお引っ越しが終わったら、別の1Tの4Kcamera用のハード・ディスクからの動画fileへのお引っ越しである。これも、7時間とか言っている。
・・という事は、今日のお昼頃に終わるという事かな??
外付けハード・ディスクのお引っ越しは、超大変だ??

当日の深夜に、話を戻して、…だから、パソコンを作業させたまま、なんとかベッドに入って、寝たのは4時過ぎになってしまって、まあ、それでも、ちゃんと眠れれば良いのだが、しかし朝の8時前には、トイレtimeで目が覚めてしまって、それからもう、すっかり眠れなくなってしまったので、無理やりに仕事モードにしてしまったのだよ。
勿論、dataの移動と、元のdriveのdataの削除は今日、丸1日掛かってしまうので、文章を書いている今現在もパソコンはしっかりと稼働中なのだよ。

それはそうと、昨日のオケ練習はHappening続きで、しょっちゅう、練習の進行がstopしてしまったので、不必要な雑談は当然なのだが、happeningで、オケ練習の進行が狂ってしまっている所も、編集で削除しなければならないのだよ?
それも、まじ、一日掛かりなのだよ。
最初、話たように、パソコンにdataが取り込めて、パソコンで編集が出来たら、結構早いペースで作業が出来るのだが、video-deckでの作業は、とても面倒で時間も掛かる。
それでも、パソコンでfileの移動の作業をしながら、videoのdeckで編集の作業をパソコンと並行でやっているのだよ??

video-cameraで撮影した画像をそのままパソコンに持って来れれば、powerdirecterで一瞬で、編集が出来てギガ便で送る事が出来たのだが、パソコンにdataを取り込む事は出来たのだが、画面がおかしくなって再生が出来ないのだよ?
再生が出来なければ、当然、編集も出来ないから、仕方なく・・の作業なのだよ?

video-cameraのSDcardはパソコンには取り込めない(一応は取り込んだのだが、画像の再生がブチ切れて見れないので、仕方がないので、一度、PanasonicのDigaで編集をして、Blu-rayに焼いて、パソコンに持って来たのだが、またまたパソコンに取り込めない。
PanasonicのDigaは編集したdataをSDcardにはdubbing出来ないので、一度、Blu-rayに保存して、パソコンに持って来なければならないのだが、パソコンではDigaのfileを見る事は出来ないし、ギガ便もBlu-rayからでは、直接は保存出来ないので、一度Blu-rayに変換したものを、更にパソコンのfreemake-video-converterでmp4に更に変換した。

まあ、これで、18時間も同じ動画を延々と編集している。
根性だよな〜ぁ?
パソコンとvideo-deckのbluerayと、ギガ便との拡張子の違いでまあ、なんと面倒くさい事なのだろうか??
私は、音楽家であって、ビデオの編集技師ではないし、ビデオカメラからblueReyに焼くだけなら、一瞬で作業は終わるのだが、編集を今日中に終わらせたとしても、郵送でも、手渡しでも、一週間のロスタイムが出来てしまうのだよ?
それなら、もう、次のオケ練習になってしまうのだから、それでは、完全に一回分、オケ練習が抜けてしまうのだよ?

だから、焦って無理をしているのだよ?
いや〜ぁ、困った????困った?

お願いします??
今度美味しいみかんを差し入れします??

待ってます??

やっと、パソコンのハード・ディスクの整理整頓が終わった。
なんと、都合36時間・・丸々一日半掛かった事になる。

それでも新しく買った4TのHDDはもう2/3が使用中になっている。
本来的に、ならば、Blu-ray等に保存した段階で、パソコンのHDDのdataは削除すべきなのだろうが、disc に保存したものは、一番壊れて失くなる可能性も高いし、保存期間も1,2年しかないので、新しいdisc に保存し直して行かなければならない・・という原則がある。だから、tapeに保存し直す企業も増えているのだが、それでも20年は持たないらしい。

私も、古いβのvideoやVHS、8_等々、汎ゆる媒体で教室の活動が保存されているので、DVDやBlu-rayに保存し直して、tapeを捨てていたのだが、「tapeは捨ててはいけない??」という常識らしく、捨てるのをやめたら、資料が大変な事になってしまった。
AV(audio-visual)の媒体は、保存が難しい。
広い家ならば、問題もないのだろうが・・・??

ありがとうございました??
無事にダウンロード出来ました!
再度送りますの方しか来ていなかったので、送り直していただいて正解でした

送っていないのに、無意識にそのサイトを出てしまったようで、「あれ??送信ボタンを押していないのに、なくなったぞ??」と言う事で、もう一度、取り込む所からやり直しました。
どっちみち、シオンちゃんにも送らなければならなかったので、手間は一緒だったのですけどね??
いやあ、てえへんな時間が掛かってしまった???


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2月12日 ・

「今日は2月の12日の月曜日である。」
Boccheriniのcelloconcertoのfacsimileの楽譜をprint outしていたら、途中でインクが無くなった・・というmessageが出て印刷が止まってしまった。

インクを交換しようと思ったのだが、何度、プリンターにセットしてもセット出来ない。
どこがおかしいのか??とよく原因を探して見たら、なんと、ツメの先っポの方が、1,2_、割れて無くなっていた。
不良品だ??
spareの予備のインクはone-setしか置いていないので、それが交換出来なければ、困ってしまう。
・・とは言っても、インク自体を交換して貰うために、クレームを付けにわざわざ池袋のビック・カメラ迄持って行っても、その分、今日の仕事が出来なくなってしまうので、暫し考えて・・、カッターナイフで欠けた部分を似せて、端っこの1,2_を成型した。
やって見るもんで、なんとか、セット出来た?? 
並行では、パソコンのhard-diskのdataの移動をやっているのだが、中々、一作業毎に、上手く行かない。
まあ、今日は、なんとHappeningだらけの一日なのだろうか??


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2月13日「一万円のviolinとウン億円のviolin」

動画の編集をしながら、テレビを見ていたら、有名な女流ヴァイオリン奏者の特番をやっていた?
ウン億のヴァイオリンと、ウン千万の弓を四、五本も持っていて、(「多い時では」と、断ってはいるのだが…、)一日に14時間も練習をして、練習時間を捻出するために、食事も作らない・・という事よりも、食べるものも食べないで(所謂寝食を惜しんで…食事とは言えないもので、お腹をごまかして…)という生活をしていて、楽器が盗まれないように完全セキュリティの部屋で生活をして……本人は、練習時間を確保するために「時短」のために、歩く速度まで急いで歩くというような究極的なstoicな芸術家の日常生活のような暮らしをしているのだが、テレビをよく見ていると、目の前にある事をこなすために、闇雲に焦り捲ってしているだけで、時短のための創意工夫が全くないので、結局は、時間を失って損をしてしまっているようにしか見えないのだよ?
テレビのクルーが同じ事を言っていたのだが、彼女の動きを見ていると、一事が万事で、彼女の生活そのもののように思えて来る。
とどのつまり、「練習さえすれば良い」と練習の時間だけを頼りにして、自分に厳しいだけで、本当に有意義で、内容のある生活を送っている分けではないのだよ?

私が何時も言っているように、「時短」とは、今目の前にある作業を最短で片付ける・・という意味ではない。
色々な複数の作業をどういう手順で作業すれば、一番効率良く仕事を達成する事が出来るか??・・という技術であり、その為のtechnikの事を指すのだよ。

超、昔々の話なのだが、私がまだ高校の1、2年生だった頃に、東大の数学の入試問題が出題されて、その回答で、模範解答が、わら半紙で20頁にもなる問題を、同級生の生徒が、その問題とは全く無関係な定理を作って、その定理の証明に二行、その定理を使っての解答に僅か一行で、その問題を解答してしまった?
高校の数学の先生は、文部省に呼び出されて、半年間、学校を休んで、東大に罐詰になったので、ぼやいていましたよ。
普段は、全く目立たない生徒だったけど、本当に頭の良い人は、そういう人達の事をいうので、そういった人達は、人生の無駄はしないのですよ?

女流violinistが自慢している「14時間の練習」も然りであろうか?
1日に14時間も練習を集中してやる事は難しいし、全く持って意味はない。
それよりも、どのように演奏したいのか??
そのためにはどういう手順で練習をすれば良いのか??
そういった演奏で人の心を動かす事が出来るのか??…等々を考えなければならない。
その目標に近づくための手順とその方法論、それから、その演奏の仕方が作曲家の意図や当時の時代様式に合致しているのか??そう言った事を考えるのが先決である。
そして、練習の手順と練習の目標が整った時に、始めて練習が始まるのだが、その演奏が他の人達に取って、どう受け取られるのか??は、別の課題であり、それを反省する事は大切である?また、練習のための狭い部屋ではなく、どの会場のどの広さのホールで演奏するか??…でも、音の出し方が変わるはずである。
そういった諸々の事を熟考した上での14時間練習ならば私が口出しをする余地はないのだがね。

闇雲練習というのは、私が最も忌み嫌い、生徒達に戒める練習である。
その女性も「時短」を云々するのならば、14時間練習の無意味さを悟るべきである。
da Vinciは未完成のMona Lisaの絵の前で、1,2週間、考え込み、一筆だけを加えた・・と言われている。
究極の完成度とは、そんなものだ。それこそ芸術家の姿だよ。
本当にどう演奏しなければならないのか??・・という事を、総てのgenreから探求し、心の底から湧き上がる音楽的な感情を正確に表現するためには、どのように演奏すべきなのか??・・と悩む姿が芸術家の本当の姿なのだよ。
そこまでの熟慮の上での、14時間の練習ならば、本当の意味の14時間練習なのだが、そこに至るためには、先ず、14時間、充分に悩む事なのだよ。

日本人が良くやる、この無為無策な14時間練習は、「音楽家の日常は、かくあらねばならない?」という日本人の持つ音楽家(芸術家)そのもののimageであり、音楽家が、abnormalな人間としての、エキセントリックな滑稽な人種であり、その人間達の無意味な日常の生活のimageを、そのままこの女流violinistが具現化しているに過ぎない。
つまり、テレビの放映は、abnormalな音楽家、所謂、芸術家への揶揄に過ぎないのだよ。 (これじゃあ、意味が分からんよな?一般の音楽を目指すような人達が抱く、音楽家の日常の生活は各べかりける…という模範的な生活という意味である??) これでまた一般の人達の抱く音楽家へのimageが、非人間的なabnormalなものとして、い悪imageが付いてしまうのだよな?
困ったものだ?

塚原卜伝の伝記には、1万回の素振りを続けたら、鹿島の御神が舞い降りてきて・・、という逸話があるのだが、事、音楽の世界にはそれはないよな??(1万回の無駄足だよ???)

そんな生活をしていて、・・そんな心根で、ウン億のストラディヴァリの本当の音が出せる分けではなかろうに?

それこそ、話は違うが、(別の番組のお話になるのだが・・) 二、三日前にテレビで特番で放映していた、別の女流ヴァイオリニストの話なのだが、一万円のヴァイオリンとウン億のヴァイオリンの弾き比べで、一万円のヴァイオリンと何ら変わらない音で弾いている?

2台のviolinを弾き比べた後で、彼女がテレビのメインの出演者に「どちらがStradivari??」と質問したら、著名なタレントから、1万円のviolinの方を「Stradivari?」と言う答えが返って来たので、一瞬、ビックリした顔はしていたのだが、「所詮は素人なのだから、音が分からないで、当たり前・・」・・と思っているようだったな??
それにしても、話を続ける事(番組を続ける事)に、困ってしまっていたよ?

私に言わせて貰うと、幾ら、聴き手が音楽の素人だったとしても、弾き比べて、「1万円のヴァイオリンとウン億円のヴァイオリンの違いが分からない」・・という事は、それではウン億円の楽器を持つ意味はないのではないのかな??と思うのだがね??

つまり、Classicが分からないというずぶの素人を対象にしている・・としても、その1万円とウン億円の違いが分からせるようではないと、ウン億円の楽器を持つ意味・・はないのではないのかな??という事だよ?

一般にはよく勘違いされている事なのだが、弦楽器は高価になればなる程、その楽器を鳴らすのに、時間が掛かるようになる。
一般的には、Stradivariの楽器を鳴るように作音をするには、約半年は掛かる・・と言われている。

傍なりの楽器・・、所謂、安い楽器は、鳴らすのも簡単だが、その楽器の鳴る限界も狭い。まだ、鳴らされていない楽器を鳴らすようにするのは非常に難しいし、楽器に対しての忍耐力も必要である。
一般の音大生の場合には、練習をしていて、弦楽器が鳴らなくなったら、「楽器の調整」と言って、楽器屋に楽器の調整に出して、魂柱の調整等をして貰う。
でも、楽器を鳴らせる人達は、楽器をmaintenanceに出すと「楽器が鳴らなくなる」と結構忌み嫌って、楽器がどうしてもmaintenanceが必要になると、楽器が返却されてから、1月ぐらい掛かって、楽器の音を作音をやり直して、元の状態に戻すので、メンテを極端に嫌がるものだ。

基本的に楽器を鳴らせる演奏家と、鳴らすという事を知らない演奏家に分かれる。
楽器は、人間同様に、鳴らすtypeの演奏家と楽器が鳴るのを引き出すtypeの演奏家が居る。日本人の多くの演奏家達は、楽器を鳴らすtypeの演奏家であり、楽器の鳴りを引き出すtypeの演奏家ではない。その人達にとっては、1万円のviolinもStradivariも、大差はないのだよ。どんな楽器であったとしても、自分の音でしか鳴らせないのだからね。
まるで、型に嵌った日本の教育と同じだわな??アハッ!

教室では、基本的には、その楽器を「それ以上は鳴らない」・・という楽器の限界になった時に、始めて、楽器のgradeupを勧めるのだけどね??

確かに、安い楽器は、すぐにその楽器のキャパの限界が来てしまう。
しかし、弦楽器の初歩の人達には、それで充分な時間なのだよ。それでも、1,2年は掛かってしまうものだからね。
勿論、腕は兎も角としても、お金があって、「良い高価な楽器が欲しい」・・という人の場合には、教室としては、ダメ出しはしないのだけどね??
楽器が人を育てる場合も、稀にはあるにはあるからね?

今でも、極々、稀な事だけど、教室外の人から、「楽器を選んで欲しい」というorderが来る事がある。
教室を作る以前には、私がしていた多くの音楽関係の仕事の内で、そういう仕事もしていた事があるからだ。

proの演奏家なのだけど、「自分には楽器を見る目がない」と思っている人が結構多くて、その人達からの依頼なのだけど、楽器の選定は結構良い金になるのだよ。
楽器の選定料は、相場としては、1割、2割の金額が当たり前なのだから、1千万の楽器を購入したとして、100万ぐらいは貰っても常識の範囲なのだけど、私はそんなには要求しないので、100万の楽器迄は1,2割で、それ以上はそれなりに貰っているのだよ。

教室を作ってからは、そう言った美味しい話はすっかり無くなってしまった。
何故ならば、教室の生徒からは、薄謝と交通費しか貰っていなくって、選定料は貰っていないからね・・??(選定料は技術料なので、或る程度の相場があるのでね。)
でも、今でも教室外の人達からの注文があった場合には、規定の選定料は頂いている。
それだけのお金を選定料として払ったとしても、当然、相手に取っては、私が選定すると、100万以上(多い時には、金額にもよるけれど、2,3百万ぐらい)のmeritが見込まれるからなのだよ。
より良い楽器を安く購入出来る事で、私に支払う選定料よりも、それ以上のmeritが見込まれるからだ。

1万円とウン億円の音の違いが、素人目にも分かるように、奏き分けられないと、所詮は、ウン億円のviolinや、雲仙万の弓を持つだけの意味はないと思うのだけどね。(誤変換が面白かったのでそのままにしています。)
流石に、そこは、日本人特有の14時間の練習の賜物だなヤ???

1日に14時間も練習をする・・という事は、音楽の追求の仕方や、音楽に求めるものをはき違えている・・という事なのだよ?
人生、・・悩まなければならない事は、もっとあるのにね??

それに、よく「Classicの音楽では、生活は出来ない!」と一般の人達が、言う事を聞くけれど、私は、Classicの音楽だけをやっていて、お金に困った事はないし、私の持っている楽譜代や楽器代で、それ相応の家の1,2軒は立つと思うよ。
だからと言っても、stoicに音楽だけにお金を使っている分けでもないので、江古田の駅から1分の所にMansionを持ち家として持っているし、勿論、私だけではなく、牧野先生も江古田駅から2、3分の所にMansionを持っているのだけど、常時、プリドルと一緒に居たいらしいので、自のMansionに帰った事はありません。つまり、牧野先生が事務所に寝泊まりしているのは、寝場所がない分けではなく、プリドルと一緒に居たいからに過ぎないのだよ。
別に、プリドルを自分の家に連れてっても構わないのだけどね??

つまり、Classicであっても、ちゃんと真面目に働けば、普通のサラリーマンよりは、お金は稼げるはずなのですよ。
だって、音楽は技術職、(所謂、手に職)・・なのだから、お金にはなるはずですからね。

一般の人達の言う、「音楽家達が、『Classicで生活が出来ない』のは、音楽を勉強している人達が金持ちのお嬢さん、お坊ちゃん達で、生活をする必要性(お金を稼ぐという必要性)を感じてないからなのだよ。」
つまり、「音楽をたつきの糧」と思った事がないからなのだよ??

以前も、何度か同じ話をhomepageに(Facebookにも)書いた覚えがあるのだが、(・・こう書いておかないと、同じ事を繰り返し、何度も何度も…言っている・・だからAlzheimer症だって思われてしまうからね??)

という事で、ある時に、教室に就職の面接に来た大学院のお嬢さんに「音楽学校は職業学校だから・・・」って言ったら、「エッツ??音楽って職業だったのですか?」「一度もそう思った事はありませんでした??」と、マジに驚いていたので、私もそれに負けずに驚いてしまいました。

そのお嬢様は、「音楽は崇高な芸術であって、職業とは無関係なものだ。」と思っているようでした。
つまり、もっと詳しく言えば、そのお嬢様に指導をする先生達も、一度もお金に不自由した事のない・・曰く、一度も社会で生活のために、働いた経験のないお嬢様、お坊ちゃまが大学の先生になっている分けですよ。先生が社会で生活のために働いた事がないのに、その生徒が生活の為の音楽を学ぶ分けはないでしょう??だから、一般の人達が勘違いしているのは、Classicの音楽なんか勉強していて、お金が稼げる分けはないのではなく、お金を稼ぐ必要がない人達の集まりなのですよ。だから音大生達は音楽活動といっても、社会の活動ではなく、statusとしての演奏活動しかしません。本当にお金の欲しい人達はpopularの世界に身を投じるからです。それで、生活が成り立たなかったとしても、音楽大学を卒業していると、お金持ちの人達からの結婚のお誘いしかないので、結婚をして、まあ、そこそこ、生徒を教えたり、音楽活動をしたり、・・で、それが生活に結びつかなくても、所詮は関係無いのですよ。
何せ、お金に困っている分けではないのでね???

(これも耳タコの話なのですが、Alzheimerではない・・という前提の元に、繰り返すと、Genzmer先生の口癖では、「音楽家は職人しかいない。芸術家であるか否かを決めるのは、歴史の淘汰なのだよ??」という事を何時もおっしゃっていました。
・・勿論、私も自称芸術家は、bland嗜好と同じぐらいに大嫌いです。)

有名音楽大学を卒業したとしても、それで通用するのは「巷の音楽教室」に就職する時ぐらいか、音楽教室に来る生徒の親から、極めて稀に尋ねられるくらいで、音楽のproの世界では、履歴は全くの無意味だろうし、海外に留学したとしても、concoursに入賞したとしても、それが音楽の世界ではstatusになる事はない。
音楽とは、技術の世界であるからで、技術さえあれば、音楽の社会では、それ以上の事は聞かれないからなのだよ?
自分のポスターに音楽歴を、「これでもか??」という程詰め込んでいる人達は、自分に自信のない未熟な・・演奏家とも呼べない亜流の音楽家なのだよ。
中には出身大学「命」の演奏家すら日本にはいる。
ほんと、日本の社会はbland嗜好で親方日の丸の社会だなや??
私の履歴は凄いのだけど、一度もそれを豪語した事はないし、生徒保護者ですら、私の経歴は知らない。だけど、netで調べても、そんな事は出てこないよ。だって、一度もnetに書いた事は無いからね。誰が誰の弟子で・・って、書いても、本人の実力とは無関係なのだからサ??

 日本人の音大生や、音楽家達は、自分に自信を持っていないから、総てを履歴に頼る・・。しかし、それは日本の音楽社会に限った話ではない。
日本の教育社会全般に、普通な意識なのだよ。
だから、日本人の仕事感(職業意識)なんて、全てがbland嗜好で学歴社会で・・という、つまらない社会なのだよ。日本の音楽界なんて、そんなものなのですよ。
だから、音楽大学の教授に習って、有名音楽大学に入学して、留学して、concoursにでも通って、日本に返ってくれば、proの音楽家になれる・・という妄想が、一般の人々ならいざ知らず、音楽家達にさえも、通用しているのですよ。
アホらしい?

それで、誰もが歩く道を、同じように歩んで、それで音楽家になれなかったら、才能が無かった・・と、いとも簡単に諦めてしまう。

女性の場合には、音楽大学を卒業したり、留学していると、結婚には超、有利なのだからね。
所謂、statusとしての・・音楽大学であり、留学なのだよ???
まあ、結婚を永久就職と見立てた場合なのだけど・・、しかし、今時、もう流行らないか??

でも男性の場合には、音楽で身を滅ぼすのは、結構悲惨なものかも知れない?男性の音楽家が演奏で身を立てられなかった場合には、学校の先生になるか、音楽教室の先生になるか??ではあるが、男性の先生の場合には、中学・高校の先生としてなら、いざ知らず、音楽教室の先生や、自宅で子供を指導しようとしても、子供は男の先生の元には、集まらない場合が多いからね?

私の場合には、音楽教室の経営は私の私財を使い果たしている、単なる道楽に過ぎないのだけどね?
私は音楽の指導以外でも充分にお金を稼ぐ事が出来るからね。
orchestraや室内楽は、私にとっては道楽に過ぎないのだから、世界で何処もやっていない教育が出来るのだよ?
生活の為だとすれば、こんなにお金にならない事を出来る分けはないだろうしね??

私自身は、音楽で金を稼ぐ方法論はよく知っている。(日本に帰国したばかりの頃は、経営コンサルタントの仕事をしていた事もあるからね。)
魚を釣るには、一番魚が群れている所に、網を打てば良いのだよ?
私達の教室の「生徒集め」という事を引き合いに出す・・とすれば、教室の看板から、classic専門というロゴと、芦塚メトードというconceptを取れば良いだけなのだよ?人が一番多く集まる所に、網を投げるにこした事はないのは、当たり前だよ。
アハッ?

名門高校から有名大学に進学して、有名企業に就職をすると、幸せになれる・・という意識しかないから、今の官公庁や、政治家には、人を見下すだけど、思いやりや勞りを持った人がいないのだよ?? 
brand嗜好と、優越感しか育てていないのだからね。
音楽を心として感じる事が出来ないままに音楽を技術のみで習って行く。
私が100年指導し続けたとしても、音楽の技術だけを学ぼうとする姿勢は常に変わらない・・、幾ら音楽の心を説明しても、學ぼうとする、その音楽の延長線上には、演奏の技術だけしかないのだよな??
音楽で、心を伝えようとすると、本当に、心が砕けてしまう。・・折れてしまうのだよ。
ベートーベンの言葉がある?
「心から心へ至らん事を…」

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2月14日「今日は2月の14日です。」

「バレンタインのチョコレートのお話」
なんかの特異な日のような気がしたので、netで調べて見たら、なんと「バレンタイのチョコレートの日」だそうです・・ネ。

何時の頃からか・・(と言うか、江古田からハイツに住まいを移してからは・・ぐらいなので、もう10年近くになるのですがね)・・バレンタイの日は私には関係のない日になってしまったので、興味をそそられない日になってしまったのです。
バレンタインが14日というのは、覚えてはいたのですが、何月の・・というのは、忘れてしまっていました。

それにしても、今年はテレビ等では、そんなに騒いではいないように感じるのですが、どうでしょうかね??
もう飽きたのかな??
ゴディバが「義理チョコはやめよう?」と言うコマーシャルをupして、それが反対に評判になっているようですがね。
この所、義理チョコすら貰った事はないのでネ。

本来的には、私はchocolateは食べないのですが、唯一、Whiskey Bon Bon(ウイスキーボンボン)は、妙に好きで、たまにpresentして貰う事があります。
江古田には、Whiskey Bon Bonではないのですが、地下鉄の桜台駅の出口の傍に、ボンゴというチョコレートの専門的があって、バレンタインには関係なく、年中リキュール入りのチョコレートを売っていたのですが、中のザラメが極附に美味しくって、超?お気に入りだったのですが、何年か前に、お店を畳んでしまいました。
本当に素朴で美味しかったのですがね。
10種類以上のリキュールのボンボンが売っていて、それぞれ大きさや形が違っていて、それなりに、どのボンボンも、お気に入りだったのですよ??
Liqueurをchocolateに混ぜたtypeのchocolateもありますが、やはり、Whiskey Bon Bonでしょうね?

「オムロンの体組体重計と血圧計のdataの保存のお話」
さてさて、・・・今は、朝の6時を過ぎて、もうすぐ7時になる予定なのですが、実はトイレタイムで朝の5時に起き出して、トイレに行って、そのまま、パソコンの前の椅子で呆然自失したまま1時間半が経過した所なのです。

縹渺とした霧の中の世界のように意識が戻って来なくて、体も全く動かないので、いつものroutineの体重測定、血圧の測定すら、ままならなく、1時間半を経過してやっと、意を決して、なんとか、今やっと、体重と血圧を計り終えた所です。
体重計、血圧計と言えば、パソコンにdataが自動で保存出来るから・・、と言ってビック・カメラの人にお勧めされて、このオムロンの体組成計と血圧計を購入したのですが、一方的に3月付で、パソコンのdataのサービスを停止するのだそうです。
慌てて、型番を調べて見たら、私の使用している血圧計と体組体重計は対象外なのだそうですので、ひとまず安心と言う事なのですがね。

「新しい車の乗り降りのお話」
糖尿病の性で、骨が脆くなったせいなのか? 車の車高が高くなって、乗り降りが困難になって、足首をブツケた性なのか、昨日の夜は、右足の内側のくるぶしが痛くって、とても散歩に行ける状態ではなかったのですが、今日は、寝ている間に酷くなって、トイレまで歩いて行く事も覚束ない有様になってしまいました。
歳を取ると、体のあちこちにガタが来てしまいます。

病院に行って、お医者さんに相談しても、「加齢ですよ?」の一言で、相手にしてくれません。
まあ、老人のたわ言をいちいち聞いていてもしょうがないのかもしれませんがね。
「でも、それで金を貰っているproなのだろう??」って、言いたくなる時もあるのですが、それで、どう治療のしようもなければ、そういう対応でも、仕方がないのかな??

多分、踝の痛みの原因は、糖尿病と加齢で骨が脆くなったと言う事よりは、新しい車の車高が高く、また、駐車場からの車の乗り降りが、超狭くって、とても、大変で、踝に負担が掛かったせいだと思うので、そんなよじ登らなければ運転席に乗れない車に、「上手な乗り降りの仕方はないのか?」と、色々な車屋さんに何度も聞いたのですが、「そんな便利な方法はない」・・「慣れないと仕方がない」という事らしいです。
しかし、斉藤先生は助手席に何気なく乗っているよな?? 
不思議だ??

折畳式の足台に紐を付けて、車に常備してみようと思ったのですが、車から降りる所がフエンスと車の隙間に足台が入らなくって、中々難しいらしいのですよ。(あれ??この写真では足台が大きく広く見えるよな??
本当は横20aぐらいのサイズなのですがね?? 
これは大きさを見るために、車の横に置いて見ただけです。
実際には紐を取り付けて、車を走らせる時には、車に引き上げて、運転席の横に置いておく予定なのですがね??)


今日も朝起きてトイレに行こうとするのだが、踝が痛くて、ベッドの上で暫し、固まってしまった。
寝ている間に、足首の筋肉が緩んでしまうので、骨の痛みが直接当たるのだよ? 
足首の筋肉に力を入れて、おっかなびっくり着地する。
杖でもあればもっと良いのだろうが、本棚やラックに?まりながら、トイレに歩き始める。
もっと酷くなると、ベッドの横に尿瓶でも置いておくか??
探せば昔、退院して自宅で療養していた時の尿瓶があるかもね??
吸い飲みもあったはずだしな??


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2月14日 ・
なんと、教室のhomepageの更新が出来ない。
それなりに、色々と試して見たのだが、どうもproviderに問題がありそうだなや??
困った?? 今日はもう無理かも
明日、もう一度トライしてみるか??

パソコン(windows7で)・・homepageの更新をしながら、・・てな事を打っていると、突然、一緒に横のデスクで開いているwindows10のパソコンが再起動を始めた。
超、驚いたよ??

同時作業中でなくて良かった??
作業中のdataがぶっ飛ぶ所だった??
腹立つな〜あ??
勝手に再起動するなよな??

やっぱり、夕方の7時を過ぎたらupload出来た??
最後の更新の分が未だ出来ていなかったので、急いで作業を済ませておこう??
またおかしくなるかもしれないからね。

意味のわからない故障ですね?

J-comはhomepageは関係ないので、yahooが変なのだろうか??と思ったのだが、yahoo?Japanは普通に立ち上がる。yahooジオシティーズだけがおかしいのかもね??と言う感じで、放ったらかしたのだけど、やはり、暫らくしたら、直った??
netなんてそんなもんよ??



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2月15日 「踝が痛い!!」

3日目、4日目になっても、踝の痛みが治らないので、右足の親指を回していたら、踵の内側の付け根の所も少し腫れていて、触ると痛い事に気が付きました。ひょっとすると、これは痛風ではないのかな??慌てて前回の血液検査のdataを見たのだが、尿酸値は正常な範囲に収まっているし、痛風の薬も飲んでいるので、身に覚えはない。それとも突然尿酸値が悪くなったのかな??血液の検査キットがないので、血液検査をして貰いに病院にまた行くか??
それとも・・・??う〜〜ん??

キットを取り寄せれば、自分でも尿酸値の検査は出来るのだが、それで病院の先生に尿酸値の結果を報告したら、確実に、単なる「claimer」になってしまうよな?? そりゃあ、困るよな??
やっぱり、病院で検査を受けた方が病院の先生には、当たりが良いよな??
歩けないのだけど、バイク迄なのだから、頑張って、病院に行くか??

病院に行って下さいっ?

足首の血流を良くするために、電気アンカを付けて、足首を温めながら、寝ていたら、足が痛くなって来て疼き出して来て、目が覚めてしまった。
こりゃ、たまらん?? 超、痛い??
・・と言う事でベッドから起き出して、諦めて、パソコンの椅子に座った。
こう言った時のために、わざわざとカウチソファーを通販で、書い直したのだが、それを組み立てる事が出来ない。
場所がないので、組み立てたままにしておくのは、無理なので、畳んでしまったままなのだよな。
寝ていると足が痛いのだが、本当は、温まると足が痛くなるのかもしれない。
まあ、明日は頑張って病院に行こう??

椅子に座っても、なかなか椅子の上でも眠れないので、昨年のクリスマス会の「きよしこの夜」のvideoの編集をしたり、八千代の演奏をもう一度聞いたり、Boccheriniのcello-concerto B Durの一般的なversionの演奏を聞いたりした。
こういった暇な時間は中々無いので、結構、checkが捗った??
Boccheriniは、「とても良い演奏がYou Tubeにあったので、今回は楽譜を変えて、新しい版で演奏を・・」と思ったのだが、solo-celloのpartが結構変更箇所が多いので(orchestraのpartは逆に易しくなるのだが・・)結果的には、最初からapproachしないと無理だと言う事になった。
私のarrangeの「きよしこの夜」も、水準が一般的なlevelには到達していないので、次回と言う事になって、You Tubeへのuploadは断念した。
残念だよな??

とか、何とかで、起きるのが午前中ギリギリになったのだが、大急ぎで病院に駆けつけて、超珍しく、色々と話を聞いて貰ったのだが、前回の検査値が正常の範囲だったので「痛風の可能性が低い」という事で、「整形外科で診て貰ったら??」と言う事で痛み止めだけを貰った。
問題の血糖値を下げるスープラ(これは仮名です)は無しにしたのだが、同時にメトグルコも無しになったので、薬剤師のオバちゃんが、「それでは血糖を抑えられない」と懸念していた。
スープラを無しにしたのだけど、それに変わる薬を処方した分けではないので、それでは逆に血糖値が上がってしまって、問題だよな??
薬疹の問題は、スープラを2錠に増やしてからだと思うので、スープラを無しにするのは正解だと思うのだが、メトグルコも無しにすると、血糖値を抑える薬が全く処方されていない事になるので、それは超、もんだいだよな???
やっぱり、second-opinionだよな??
諦めて、大きな病院に行くか??
紹介状は無いのだが・・??

病院から帰って来て、すっかり遅くなってしまったのだが、今日の薬を飲もうと思ってスープラだけを薬から抜いて、飲むための準備をしていたのだが、何時の間にか椅子の上でそのまま熟睡していた。
いつものように1時間半程経ってしまって・・、寒くなって目が覚めた。何か、薬を飲む前に、腹に入れないと・・と思うのだが、食べる物がない。

朝は、ぶどうパンの小さなパンを二つ食べて、それで薬を飲むつもりだったのだが、そのまま仮眠してしまったので、薬は未だ飲んでないのに・・時間が経ってしまって、病院の診療時間ギリギリになったので、慌ててそのまま飛び出したのだよ。
時間が経ち過ぎているので、食前にはならなくなってしまった、・・という事だ。


この所、一日中、同じ事を繰り返しているので、朝、昼、晩のどの時間のお話か、timelineが全く見えなくなってしまうのだよな??
今回の、このお話のtimelineは、夕方、薬を飲み終えて、軽く作業をしようと思った時のお話になるのだよ。

疲れて、疲れて・・仕方がないので、未だ夕方で、仮眠を取る時間では無いのだが、体調不良と言う理由にして、・・諦めて、ベッドに入ったのだが、ベッドに入った途端に目が冴えて眠れない。
これもroutineなのだが、やはり、少し病的だなや??
座っていると、頭迄血液が回らないという事なのか??
それじゃあ、まるで「大男、総身に知恵が回りかね・・」だよな


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2月17日「同じ門下ならば指導内容も同じ・・・」 ・

よく「あの先生の弟子なのだから、指導内容は同じだ」という話をよく聞く事があります。
しかし、「その先生の弟子であれば、その弟子も指導内容は同じである」、という考え方は基本的に誤っています。
大学の教授クラスの先生では、通常下見の先生がある程度lessonを見て、その後、教授に見て貰う事が多いのですが、いつも、そこで生徒達が悩む事は、下見の先生と教授が言う事が食い違って、お互い譲らない事なのです。
私は絶対に他の先生の下見はしないのですが、可愛い生徒にねだられて、仕方なく、「ワンポイントadviceでよい、という事ならば…」という条件で、教授がlessonの時に求めている意味、内容を説明してあげたことが、何度かあります?

半年間、1年間・・と下見の先生と教授の元を往復して、悩んでいる生徒へ、教授にcheckされて注意されたpointを聴いて、私が教授が求めているその曲を演奏する上での、意図を説明すると、僅か10分程度のlecture‐lessonなのですが、次の教授のlessonの時には、その曲は合格します。
助教や講師の先生達に何回もlessonを受けても、教授の元では合格を貰えないのに、私の簡単な説明だけで、合格すると言う事は、生徒は私の「one pointのlesson」に「不思議さ=miracle」・・さえ感じているようでした。
私にlessonを見てあげる時間も無い時には、珈琲館で、お昼を食べながらlessonをする事さえあります。それでも、生徒達は教授のlessonで合格出来るのですよ。
それは、「その教授が、何処の所を、checkしたのか?」さえ分かれば、その先生の要求している事は、私には簡単に理解出来るからなのですがね。

一般的な指導者達の場合には、下見の先生が、その教授の弟子であり、その大学の助教や講師であったとしても、音楽の解釈そのものは、人間の顔のように、教授の解釈とは全く違って来ます。

そこの所は、日本伝統の家元制度の師弟関係とは、根本的に違うのです。
私達の教室で、普段やっているように、私のlesson風景をvideoに撮影して、担当の先生が、私のlesson‐videoをcheckして、私のlessonの意図を生徒に分かり易く、伝達をする・・というlessonのやり方は、教室独自のstyleであって、日本はおろか、世界でも、そういったlessonのやり方はありません。

家元制度の元でも、**先生の流派と言えども、lectureの内容は、厳密には同じではない、と、お叱りを受けました。家元制度下に於いても、師匠の指導内容を厳密に伝承していくのは難しいのだそうです。
これはこの文章のthemaの応えなのですが、家元制度の中に居ても、methodeを伝達する事は難しい・・という事で、教室のように、先生の元を音楽大学進学や、留学等で、別の先生に師事した場合には、lesson内容は、同じであるはずの技術的な内容であったとしても、著しく変貌して行きます。

「技術的なthemaならば、数学の定理のように、誰が指導しても、同じだ」と一般的には思われるかも知れませんが、その先生の弟子が、音楽大学進学や留学等で、他の先生に師事して学んだ場合には、前の先生から学んだ技術的な内容は次の先生によってcancel(erase)され、methode・・そのものが変わってしまう事の方が多い…というよりも、寧ろ、普通なのですからね。

もしも、その生徒が、運良く一人の先生にしか、ついて学ばなかったとしても、その先生に学んだ事は、音楽表現の手法にしかありません。
音楽を指導する音楽上の指導法であり、その方法論ではないのです。

もっと、困ってしまう事があります。
それは、弟子が私のmethodeを信頼して、後輩達に正しく伝承しようとしている・・という極めてluckyな場合に於いても同じなのですが、それは、「人間の感性程頼りないものはない」という現実なのです?

その一つの例を挙げます。
私は常日頃から、日本人の持つ音の感性と、ヨーロッパ人の音の感性の違いを表現できるように、求めているのですが、チョッと油断していると、教室の全員が、日本流の音の出し方、所謂、「三点支持の持ち方」「弾き方」に変わってしまうのですよ?
まるで、誰か、三点支持の日本人の先生に習って来たように…です?
Pianoの弟子の場合の、一番早くに出てくる、日本人独自の感性は、「pedaling」です。チョッと、放っておくと、「音の濁り」に対して、無頓着になってしまって、pedalingが甘くなってしまいます。ヨーロッパの人達には、あまりそんなpedalingの甘い人はいないので、やはり、左脳的国民であり、noiseを美しいものとして捉えられる日本人特有の感覚なのでしょうね??3点支持のような、引っ張られた強い切り裂くような音に対して、好感を抱く・・しかし、これは、日本人・・というよりも、高温多湿の東洋人的な感性なのでしょうね?

それは、ともかくとして、芦塚メトードで学んだ生徒は数多くいて、それぞれproの道を歩んでいますが、その私の生徒であった人に学んだとしても、その先生から、芦塚メトードが学べる分けではありません。
その先生は、私から、芦塚メトードで学んだのであって、芦塚メトードを学んだ分けでは無いからです。
と言う事を、口を酸っぱくして、いい続けているのですが、芦塚メトードで学んだとしても、芦塚メトードで指導出来る分けでは無いという事が中々分かって貰えないのです。

芦塚メトードとは、芦塚先生の指導法を論理的にlectureするメトードで、大きく分けて、教育法と、指導法(同じように感じる人もいますが全く別のジャンルになります。)と、技術指導の二つに別れます。

芦塚メトードが習得する事を、複雑で分かり難くしているのは、芦塚メトード独特の「時短」のmethodeにその原因があります。

例えば、orchestraを勉強している生徒達に、練習番号付けを宿題に出します。
練習番号付けは、非常に感覚的なものなので、生徒全員の回答が同じになる分けは本当は無いはずなのですが、そこにメトードを持ち込む事に依って、教室の生徒達の回答は全く同じ回答になり得るのです。

それは、曲を大項目、中項目、小項目に分けて、大項目は英語の大文字で分けて行きます。中項目は、数字の1、2、3と分けて行きます。同様に小項目は、平仮名のあ、い、う、え…にします。そして、ある場所を示す時には、「A-1−あ」とかの、練習番号になるからです。

大項目は、Vivaldi等の場合には、ritornelloのthemaとsolo部に付けます。
repriseの場合には、D=(A)とか書いてそれがrepriseである事を表します。
つまり、これは練習番号を付けているのと、同時に楽曲分析や音楽形式学を勉強している事にもなるのです。
課題のthemaが、楽曲の分析であれば、回答は一つになるので、宿題として出す事が出来るのです。

古今東西の楽譜の中で、練習番号を楽曲分析で付けてある楽譜は一つもありません。
これもコロンブスの卵なのですよ。
練習番号付けにはもっと色々な工夫が施されていて、練習番号を知る事で、曲の構成そのものを学ぶ事も出来るのです。
音楽大学では、楽曲分析は、その都度、色々な曲で解説をされますが、教室の場合には、今現在学んでいる曲で、楽曲分析や、曲の形式を学ぶ事が出来ます。
これは大変なメリットです?

同様に、芦塚メトードの考え方の多様性は、暗譜のmethodeも、非常に独自のmethodeです。
いつの間にか暗譜が出来ているか?否か??だけではなく、無意識にscorereadingや、絶対音感すら学ぶ事が出来るようになっています。
教室での暗譜は、先生が何処から演奏し始めたとしても、次の瞬間には入って来れなければなりません。
これを、授業として勉強したとすれば、途轍もなく辛い厳しいlessonになるでしょうね。
でも、普段のオケ練習の中で、小学生達が、笑いながら何気に、普通にやっています。
勿論、出来なくても、先生からも、他の上級生達からも叱られる事も、馬鹿にされる事もありません。
普通だからです。
出来なくても良い・・という前提だからなのです。

芦塚メトードの「指導の勉強」を受講出来る生徒は、教室の生徒という事ではなく、「教室の先生になりたい」・・という希望者の生徒のみなのです。

勿論、教室の先生になるためのlectureに対しては、そのためのお月謝等は必要はありません。
通常のviolinやPianoのlesson代だけなのです。

何故、一般のCulture-schoolのように、月謝が要らないのか??と言う事は、先生になりたい生徒の場合には、仕事を覚えるという、職人としての立場になるからなのです。
つまり、「教室の先生になる」・・という事は、「指導者としての職人になる」・・という事なので、職業としての、実地の訓練で、出来る所から学んで行きます。
学校の勉強の場合には、出来なくても、それなりに許されるのですが、職人の場合には、もし出来なかったとしたら、それは「売り物」にはなりません。
「出来る」という前提で仕事を覚えて行くという、あくまでも「売り」としての実地の訓練で学んで行くと言う事です。

今までの、教室の先生を希望する生徒は、中学の1年生ぐらいから、1人、2人の生徒を(その生徒の保護者の方に協力を依頼して)、保護者側からのcheckと本人の疑問質問を先生に聞いて、その次のlessonで活かして行きます。
それと、教室で音楽教室の経営に必要な雑用雑事を学んで行きます。
その一つ一つが、直接、お金になるので、失敗をする事の許されない職業としての勉強になります。
そういった、修行中は規定のlesson時間(これはlesson代は必要です)以上にはlessonを受ける事はないのですが、周りの人達が驚く程、技術も上達します。
だから、他の人達から見ると、「芦塚先生や斉藤先生から個人的に特別lessonを受けているのではないか??」と勘ぐられてしまう事がよくあります。

しかし、教室の雑用の仕方を指導している時には、とても個人的にlessonを余分に見て上げるだけのユトリの時間は捻出出来るものではありません。

要は、日常の雑用の全てが、仕事になってくるので、勉強をしている本人の意識のNiveauが非常に高くなるからなのです。

しかし、教室で、同じ作業をしていたとしても、本人が、教室の日々の雑用を、ただの雑用・・、或いは、先生達のお手伝いだと思ってしか、仕事を熟していなければ、その作業は、非常に辛い厳しいものになってしまいます。
折角の「椎名町詣」も、ただ単に辛いだけのお手伝いとしての、作業になって、自分のNiveauに跳ね返って来る事は無いのです。

そこは私達の指導とは違って、本人達の意識の問題なので、指導する側としても、如何ともし難いものがあります。
2017年の4月4日のFacebookや、12月の3日のFacebookに芦塚メトードの説明がしてあります。
Facebookではなく、芦塚音楽研究所のhomepageのFacebookのPageからは、indexが付いているので、探す手間が省けます。
また、芦塚音楽研究所のtop-Pageから芦塚音楽研究所の解説のサイトに行っても、同様の論文が多く書かれています。
決して、秘密のmethodeではないので・・・


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2月19日「Boccheriniの楽譜のversionの変更について」

今日(2月19日)(・・とは言っても深夜の3時前なので、もう昨日の事なのですが)、オケ練習で、私が「一般的に演奏されているBoccheriniのcello-concertoは、Brahmsと殆ど同世代(GrutzmacherがBrahmsよりも1歳上です。)のGrutzmacherのarrangeによる、ロマン派的な派手派手しい解釈によるarrangeで、Boccherini本来の持つ古典的な美しさや典雅さなどが失われてしまっているので、次回の演奏からは、Grutzmacher版から、originalの楽譜に戻したい。この演奏をGrutzmacher版の演奏の最後にしたい。」と生徒達に話をしたら、生徒達が「教室でoriginalの版で演奏した事はあったのか??」とか、「その時は誰の演奏だったのだ??」と、根掘り葉掘りの質問攻めになって、練習が出来なくなってしまいました。

牧野先生によると、教室の演奏でoriginal-versionによる演奏は、渉君が昔々、original-versionで演奏してから、その後Grutzmacher版になったそうなのですが、私はoriginal-versionでのorchestraの指導や指揮をした記憶があまりありません。
また、何故、その後、Grutzmacher版を採用したのかという経緯も、記憶がありません。
そこいらはcelloのlessonの都合だと思っています。
渉君の演奏なら2001年のVivaldiのcello-concertが小学4年生なので、それ以降なのですが、ハイツの資料では見つかりません。(教室のパソコンで探して貰わないと、analogで全部の発表会のprogramをいちいち開いて探すのはとても無理な話です。)
当時、切り貼りでscoreから作成したpart譜に2007年制作と書いてあったそうなので、今日(2月の20日に)発表会のprogramの2008年の10月12日のprogramをcheckしたら、渉君のBoccheriniがありました。

先生達の対外出演では、1990年よりも前から、baroqueのperiod奏法を指導して、90年からは、実際の演奏活動をしていましたが、2008年当時は、生徒達には未だperiod奏法は教えていませんでした。
originalのBoccheriniは、現代の奏法では、やはり物足りないので、それで記憶から削除されたのかもしれません。
まあ、一度videoを聴いて見れば、全部思い出す事は思い出すのですがね。

結局、今回の発表会本番迄には、丁度、2ヶ月で、リハーサルや総合練習を除いたら、オケ練習自体は、5回ぐらいの練習しか出来ないので、新しい曲に変更した場合には、余り練習回数が残っていないので、私としては、今回の発表会迄は、Grutzmacher版を使用して、次回の以降の発表会で、生徒にoriginal版を演奏させる予定だったのですが、それでも、「original版で演奏をしたい。」と子供達が言ったので、急遽、版の変更・・(とは言っても、全く別の曲になってしまうのですが)をする事になってしまいました。

orchestraの演奏としては、小学生の子供達にとっては、period奏法は八千代でも、充分に勉強して経験しているはずなので、これからoriginalのversionに変更したとしても、そんなには難しく感じる事はないと思います。

今現在練習をしているGrutzmacher版は、結構、室内楽的な書法でarrangeされていて、orchestraとしての演奏としては、結構、難しいのですが、Boccehrini本来のimageからは、かけ離れた、殆ど、擬古典に近い編曲なのです。
音楽もロマン派の曲のように「揺らし」を多用して演奏しなければ成りません。

それにしても、You Tube等の演奏の殆どの演奏団体がoriginal版ではなく、Grutzmacher版の演奏をしているのですよ。(当然、出版されているscoreの殆どが、Grutzmacher版なので、originalのversionを探すのが、とても難しくって、困ってしまいます・・・)Breitkopf出版社のように、original版とGrutzmacher版の両方を出版している所も多いので、どの出版社がoriginal版を出版しているのか??という事ではないのですよ。
何処かの音大の図書館でBoccheriniの譜面を調べていたのですが、目録にはBreitkopfとしか書かれていなくて、その譜面がoriginalなのかGrutzmacher版なのか、分かりませんでした。
音楽大学の図書館ともあろう所がそんなドジするのかね??

確かに、original-versionでは、orchestraのpartは少し簡単なのですが、逆に、Boccherini自身もcellistだったので、celloのpartは少しは難しくなります。
また、通常の一般的なorchestraでは、periodの奏法を演奏する事はありませんから、逆に、originalの演奏は難しいのかも知れません?
私達の教室では、小学生のうちからperiodの奏法に慣れ親しんでいるので、子供達にとっては、「古典派の奏法が難しい」という意識はないようです。
つまり、曲が本番に間に合うか否かは、orchestraを演奏する子供達ではなく、「真雅ちゃん一人が頑張れるか否か??」に掛かっている・・という話は、本人にはくれぐれも、したのだけどね。

まあ、直前の楽譜の変更は、八千代でも散々慣れているからね。
proの世界では、当日の舞台での変更も当たり前なのだから、文句を言う生徒は一人もいなかったけどね??
左側の楽譜はoriginalのHandschriftのfacsimile版です。
右の楽譜はGrutzmacher版の楽譜です。
譜ヅラだけ見ても、とてもても同じ曲とは思えませんよね??


   


ここの所、またまた鼻詰まりが酷くなって、それでも、うつ伏せで寝ればなんとか眠る事が出来たのですが、土曜日の夜は、うつ伏せでも、息が出来なくって、2、3時間しか、眠れていないのだが、7時の定刻には、練習を切り上げて、帰ったので、11時過ぎにはroutineの眠る準備に入れたのだが、足が冷えて温まらないのと、いつもの鼻詰まりと、実に嫌な夢を見て、小一時間くらいで目が覚めてしまった?
そのまま、また、朝まで色々な仕事を済ませてしまった?
良いんだか?
悪いんだか?

Jacqueline du Pre の演奏が、何と・・(と言うか?当たり前か)Grutzmacher版だったよ。
何故、「当たり前」・・というのか?というと、結構、du PreはBoccheriniを、ロマン派的に演奏しているのでね。
Grutzmacherは殆どBrahmsと同時代に生きたcellistなので、ロマン派の代表のような人なのだよ。
だから、曲のimageが、Boccherini本来の作風とは違って、ロマン派のcello-concertoになっているのだよ。
当然、periodの面影はない。
当時の人達は、「古いものは劣っている」・・と思って、その前提の下に、Pianoやviolin等の改革に臨んでいたし、古い時代には表現力が無かったので、それを補って演奏するのが主流だったのだよ。
だから、baroqueや古典派の演奏でも、こんにちからすると、非常にeccentricなoverは表現の解釈が多かったのですよ。

つまり、一昔前の時代では、baroqueの音楽でも、古典派の音楽でも、現代的に演奏するのが、当たり前だったのですよ。
今でも、音楽大学等では、そのままの現代の解釈で演奏され、指導されるのが普通なので、学生達はそういった演奏が世界で罷り通っていると勘違いしていますが、世界の主流は、段々と、当時の音楽は当時のstyleで・・というのが一般的になりつつあります。

だから、du PreのGrutzmacher版の演奏は、往年の演奏としては、中々勝れた演奏だとは思いますが、今はその版で演奏する人は徐々に少数派になりつつあります。
但し、これは「du Preの演奏の良し悪し」を言っている分けではないので、誤解のないように、お願いします。あくまでも、演奏様式の違いを述べているに過ぎないのですからね。
Faure のElegieのように、鬱々な曲を演奏するのは、なかなか上手だと思っています。
du Preの隠れフアンとしては、映画のDVDも買っているしね。
(買って3,4年経つけれど、未だ見ていないや???)
中々、暇がないし、暇がある時には、SFを見ているのでね・・・??
https://www.youtube.com/watch?v=KbBb3M7L8-M

Jacqueline du Pre - Boccherini cello concerto - part 1

・・で、今回演奏予定のoriginal版の演奏です。
HaydnやDittersdorfよりも歳下で、Stamitzよりも年上と言えば古典派のど真ん中ですよ。
古典派の美しい端正な典雅な響きです。
やっぱり、Grutzmacher版とは違うよな??
絶対に、こっちの方が、Boccheriniだよ??
https://www.youtube.com/watch?v=IUSnRLPbZGk&t=23s

Boccherini - Cello concert Bb-dur, Xavier Phillips

8小節目の4拍目の裏のA?は、後世の人の書き足しによります。


昨日の日曜日(2月25日)には、Boccheriniのoriginal-versionでの初練習をしたのだが、cello-のsoloは極附に難しくなったのだけど、orchestraは、超簡単になってしまったので、「面白くない??」Grutzmacher版の方が良かった・・という事を美音ちゃんが言っていたそうです。
多分、口には出さないけれど、皆の意見だとは思うのだけど、私としては、Grutzmacher版に戻しても良いとは、思うのだけど、それは真雅ちゃんに任せる事にします。
本番でどちらの版を弾きたいかは、私にはどちらの版でも良いので・・ね??

Boccheriniのoriginal-versionは、soloは兎も角として、orchestraのpartについては、そんなに難しくはない。
しかし、本当の事を言うとすれば、難しくない音楽なんて、ないのだよ??

例えば、sonatineというalbumがあって、Pianoを学ぶ初心者が皆、学習する。
pianist達にとっては、当然、音楽大学の先生達も、一般のPianoの指導者達も、それ以上学ぶべきもののない初歩の教材でしかないと、把握している。
しかし、このsonatineの曲が(譜面)ふずらは超、簡単な曲なのだが、これをちゃんとしたforte-pianoのperiod奏法で演奏するとなると、これがproのpianistにとっても、なかなか難しい曲なのだよ??? 
という事で、今の所、periodで演奏しているsonatineの演奏を見つける事は難しい。
ornamentや即興の方法については、それなりに出来ていて、兎も角としても、forte-pianoのtouchで演奏しているpianistは皆無なのだよ。
baroque-violinの1点支持と同じだやな??


と言う事で、次回のオケ練習では、solo抜きでオケだけで、徹底的に簡単なphraseを、当時の演奏法通りに弾くためのtrainingをする事にします。
「簡単な曲は存在しない」という事をちゃんと理解して貰う為のlessonです。ハイ!


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2月19日「オケ練習開けの、月曜日の話です。」

日曜日は、1週間の中でその日だけhardな動き回るオケ練習の日なので、次の月曜日は基本的には、何時も仕事も出来ないで、寝込んでいます。
それが一週間の通常のroutineなので、月曜日は仕事をしないで、ただ寝込んでいるのが普通なのですが、何時も、月曜日という事を忘れてしまうのか、ぐうたらと寝込んでいる事を自分で悩んでしまうのです。
暫し、悩んで、「ああ、今日は月曜日で、寝込む日だったのだよな??」と思い直し、改めて、安心して、寝込みます。

・・・と言う事で、何時もの通りに、意識が戻ると、何時の間にか??・・パソコンの椅子で爆睡していたのだが、「さあ、ベッドで寝よう?」と起きようとするのだが、なかなか、有意識界の現実界に戻って来れない?
意識が混濁して、体が全く動かせない?
朦朧状態から脱け出せないのだよ?
気持ちの中では、「早くベッドに入らなくっちゃ??」と思って、体に動くように命令してはいるのだが、心が思っているだけで、体が全く反応しないのだよ?
「椅子から起きなくっちゃ??」…と、思う気持ちだけが、空回りするのだよなぁ?
……等々、考えている間に、また眠ってしまった?
なんじゃ、そりゃ?

普段は、摂眠障害で中々眠れない?? 
しかし、一度寝てしまうと、今度は起きれない??
覚醒しないのだよ??
困ったこっちゃ??

と言う事で、今日は、そのままの月曜日(19日)の夜なのですが、やはり、鼻詰まりで夜は眠れなかったので、摂眠障害と格闘して、四苦八苦していたのだが、「叶わぬ相手」と、諦めて、眠くなるギリギリ迄、テレビの映画を見たりしていたら、突然、またまた、気付くと、椅子で爆睡していたので、急いでベッドに行ったら、今度はなんと、ちゃんと6時間ぐらい眠る事が出来た。
いや~あ??もう、火曜日の夕方の6時だよな??? 
何日ぶりだろう?? こんなに長時間、眠れたのは・・・???

久しぶりに、気持の良い夕方だ??(・・・?・・へ?) 
・・・と思っていたら、目が重たい?? 
「なんだろう??疲れ目にしては、よく寝たのに・・」と思って、鏡で自分の顔をしみじみと見たら、なんと、まつげに上まぶたが覆い被さっていたよ。 

「なんだ??」「本当には、疲れが抜けていないのじゃあ、ないのか??」
「 まあ、今日だけ、半日寝たぐらいだけで、日頃の疲れが取れる分けはないわな??」「もうそんなには、若くは無いのだからな。」

夜になって、「食い物が無い」と言う事に気が付いたのだが、飲み屋に飲みに行く元気が無い?? 
どうすんべ〜ぇ??と考えている間に、なんと、なんと、cinderella-timeを過ぎてしまった。

今更、食事を作って、食う気は無いけれど、まあ、食材でも買っておくか??と気持ちを振り絞って、近場のセブン迄出かけた。
野菜炒めのパックと、ちゃんぽんを買って来た。
勿論、それを今から食べる分けではないのだが・・
まあ、単なる気分転換かな?? 
今日は一日部屋に引き篭もっていたのでね。



ノンちゃんとぬいぐるみの写真です。つまり、一匹は本物のワンちゃんです。

え?いや、全部ぬいぐるみですよ?

ノンの顔を見忘れたかい??アハッ!
ノン薔薇??





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2月20日

この写真の正面の建物は西武池袋線の江古田駅です。自宅マンションからの道が、道路の工事で、全く塞がれてしまいました。バイクならば、違反はともかくとして、ハイツの裏の公園を抜けて、表通りに出る方法があるのですが、車は工事を止める他は、やりようがありません?
工事中は流石に、一通の逆走や遊歩道への乗り入れも、取り締まらないようですがね?まあ、そうしないと、家に戻れないのでね?
この工事、結構、長くやっているのですがねぇ?
ちなみに、昔々、私個人の乗用車を持っていた頃は、丁度この写真の真裏の金華学園の中の駐車場を借りていました。丁度、マンションの真裏になるので。




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2月20日 ・

「音楽史の時代区分なのですが、通常はその時代を席巻した作曲家の死を持ってその時代のperiodとするのが一般的です。」

しかし、歴史は常に絡め合わせになります。つまり、時代をleadした作曲家であっても、晩年には、若い作曲家達が時代の先端を走って、古い時代の作曲家として終わるのですよ。
そのために、作曲家の伝記で音楽史を区分しようとすると、色々な所で矛盾が起こってしまいます。そのために、baroque時代や古典派の時代の区分には、色々な音楽史的解釈が起こってしまいます。つまり、古典派の終わりの年代というのは、正解が無いのですよ。

だから、私の場合には、作曲家の生死に囚われないで、楽器や音楽の小道具の発展から、その時代の区分を定義します。
或る意味,synchronicityと言っても過言ではないのかも知れませんが、baroque時代や、古典派の時代が終わったのは、勿論、作曲家の作曲様式が変わった…と言う事で、音楽史の時代の流れが変わったという事なのですが、それはその時代に使用されていた楽器の性能が変わったと言う所に作曲家の作曲様式の変化の原因を見つける事が出来ます。

一番大きな時代様式の変化は、古典派からロマン派への作曲様式の変化だと思われます?
社会的には、貴族社会から民衆の社会に主権が移行して、少数の王族貴族社会が音楽を独占していた時代から、一般大衆のおお人数のaudienceを対象にした音楽に変わり、また、産業革命に寄って、工業の技術が飛躍的な発展を遂げて、色々な楽器に対しての改造が可能になって、そう言った社会情勢から、violinで言えば、Tourteが1790年にVottiから新しい新型の弓の注文を受けて、5年掛かりでTourte-bowを完成させて、そのbowを携えて、Vottiと二人でヨーロッパ中をTourteの弓を広めた。
当然、にそれ対応出来るように、violinや弦等もbaroque時代に使用されていた楽器のパーツから、近現代の楽器のパーツへと発展を遂げて行ったのです。

冒頭で、synchronizationという言葉を使用したのは、それらの弦楽器の発展とほぼ同時期(1790年から1795年の間)に、それ迄のcembaloからforte-pianoへと、鍵盤楽器も、一大変化が起こるのです?
Haydnもその頃に、彼の作曲の楽器をCembaloからforte-pianoに変更しました?彼のpiano-sonataは、それ以降の作品では、forte-pianoの為に書かれていて、彼はcembaloへの興味を失ってしまった?と、手紙に書いています?

つまり、forte-pianoの楽器としての完成度が上がって、Haydnの作曲様式もCembaloのための作風から、pianisticな、forte-pianoの様式に代えて、そのFunktion(楽器的な特性)に特化対応してその作風を変化させたのです。

つまり、1790年から1800年の僅か10年間で、前期、中期の古典派のstyleから、後期古典派からロマン派へ到る様式へと、驚く程に、音楽の作曲様式が様変わりしたのだよ。

当然、作曲様式だけではなく、それに対応する演奏様式演奏styleも、また、音楽表現をも含めて、1800年を堺にして大きな変化をしたのですよ。

一般的な音楽史の変遷の歴史は、その時代を代表した作曲家の没年と、次の世代の作曲家の登場で、音楽史の変遷を論じているのが常なのだが、それではこう言った、大きな時代の変化を捉える事は出来ない?
また、時代区分としても、非常に不正確で必然性に欠ける。
音楽史の書物等によると、古典派の音楽の開始から終わり迄は、一般的には1730年代から1810年代までと言われています。
何故1810年か私には、その理由が分からないのだけど??

古典派の最後の巨匠であるBeethovenは1827年に没をするのだが、その時代は、ChopinやSchumannは既に17歳になっている。
ロマン派の先駆者である Carl Maria von Weberは、 1786年産まれで、Beethovenよりも1年早く、1826年に没している。
つまり、Beethovenは、古典派の最後の作曲家であると同時に、ロマン派の時代を27年間も生きて来たガラケーの作曲家でもあるのだよ。
仮にchopinやschumannが、1810年産まれだとしても、1810年には、まだ0歳なので、音楽史的には、意味はないよな?

このお話はJ.S.Bachや他の音楽史の基本となる偉大な作曲家達に於いても同様なのだよ。
どうも一般の音楽学者達は、音楽史を作曲家の死を持って区分する傾向があって、困ってしまう?
でも、楽器等の音楽を支える道具の発明改造の歴史で見ると、音楽様式とは別に、もっと正確に年代を区切る事が出来るのだがね。

弦楽器で言えば、Gasparo da Saloが始めてviolinを制作したと言われる1600年の後半(現存する最古のviolin)から・・なのだが、それもsynchronicity的に、Amatiを始めとして多くのviolin製作者が同時期にviolinの開発をする。
と言う事で、1700年をbaroque音楽(baroque様式)の始まりとして、Tourteの現代bowの開発という1800年を持って、古典派の終焉とする。
つまり、Beethovenの没年の1827年は、もう既に前期ロマン派の時代なのだよ。つまり、beethovenの没年では、ロマン派の音楽は、既に一般的になっているのだよ?

音楽技術は、それを支える楽器や弦、弓等、色々な構成要素で成り立つ。
VottiがTourteに、弓の制作を依頼したのは、それ迄の、王宮のホールでの貴族達への演奏から、プチブル的なBiedermeier時代の大衆に音楽の需要が移ったからであり、多くの聴衆に音楽を届けるために、大音量の楽器が必要になったからである。

当然、弓の張りが強くなって、多大の力がviolinに掛かるようになったので、violin自体も、竿を長くして、弦長と弦の張りを強くする事でTourteの強い弓に対応出来るように改造された。
ガットの弦にも工夫と改良が加えられ、強い力に弦が耐えられるように改良されてきた。
そこで弦の張りの強さに耐えられるように、violinの響板には、力木と呼ばれる響板を支え、保護するための支えの木を充てる事で、弦の強い張りに耐えられるように改造した。
そういった改造に因って、violinは非常に大きな音量を出せるようになったのだが、その反面、優美な響きと、柔らかな華美な音を失う事になった?

violinは作られた時のままの楽器をbaroque-violinと言い、強い弦の張りに耐えられるように改造されたものを、baroque時代に作られたviolinであっても、modern-violinと呼んでいる。
(紛らわしいのは、violinが制作された年代でold-violinという言い方もあるのだが、それは制作年代を言う言葉なので、所謂、modernとbaroqueの区別とは意味が違う??)

そう言った、楽器の変化は、弦楽器のみではなく、所謂、Piano・・、つまり、forte-pianoにも、大きな違いが見受けられる。
forte-pianoは、Haydn時代の初期のforte-pianoと、chopinが愛用したPleyelのPianoは、同じ、single actionなのだけど、一番の違いは、Hammerの違いである。
Chopinの愛用したPleyelのforte-pianoは、現代のPianoに近い音を出すのだが、Haydn時代のforte-pianoでは、寧ろ、Cembaloの音色に近いものがある。

私が、子供達を指導するのに、touchの勉強に必要なforte-pianoをorderしようと思ったのだが、初期のforte-pianoとMozart時代のforte-pianoでは、音色の違いが多過ぎて、同じforte-pianoとは呼べないぐらいの音色の変化がある。
Chopinの愛用のPleyelのPianoに至っては、言われなければ、現代のPianoのBosendorferのPianoの音色と大差は無い。
single-actionのforte-pianoは、更に、改造を重ねて、非常に強い音を出すdouble-actionのpianoへと変遷をしていった?
beethovenは試作品のdouble-actionのpianoを弾いて、「もし、私がこのpianoを弾かなければならないのなら、もう二度とpianoの曲は作曲しない?」と言った?まあ、pianoの発展の過渡期の話ではあるのだがね?

音楽の作曲様式の変遷は、楽器の変遷に影響を受けている事が多いので、だから、作曲家の活躍した時代背景ではなく、楽器の変遷を見ている方がより正確に音楽史的な様式の変化を捉える事が出来るのだ。
まあ、そこいらは、音楽の演奏技術でのみ音楽を捉えている、現代の音楽家達には、理解出来ないapproachなのだろうがね??
作曲家の立場で、曲を見ると、その理由がよく理解出来る?
https://www.youtube.com/watch?v=ki0_xW2WRjU





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2月21日

2月の1日をリバウンドの頂点に11日には、一度は元の体重に戻ったのだが、21日の今日はまた、11日以上にリバウンドしてしまっている。
勿論、体調もそれに合わせて不調が続いている。ここの所の薬の処方と鬱とは最悪だ?? 眠れない・・という摂眠障害も、今日は頂点に達していて、昨日から未だ全く眠れていない。体調、全てのbalanceが上手く行っていない。
困ったもんだ????
初期目標の体重は未だclear出来ていないのだけどね。

肩でもお揉みしましょうか??
美女(11歳)にもんで貰ってリラックスしたら眠れる…かも??
あ、どこだ?美女??

今日はそれから2日後の2月の23日です。
な、な、な、なんと、体重がこの半年間で最大値迄reboundしている。
どうなっているのだ??
reboundに歯止めが効かない??

本日美女派遣の日です笑
宜しくお願いします

了解しました??

昨日今日の話で一喜一憂してもしょうがないのだけど、昨日の23日を境にしてやっと、体重が減り始めました。
何をしたか??というと、頑張って、よく寝るように勤めただけなのだけど、私の場合には、手の甲や、まぶたの皮膚細胞が水気を失って伸びっ放しになると、体に疲れが蓄積されている証になります。
この2,3日、頑張ってよく寝るように努めたのですが、それでも、なかなか良い睡眠が取れなくて、皮膚細胞は伸び切ったままだったのだけど、やっと今日は、張りを戻して来ました。
手の甲迄で、未だまぶたの方は、まだまだなのですが、少しはよい兆候です。


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2月21日「baroque、古典派時代の音の出し方」

baroqueや古典派の時代の音の出し方を、何時も先生や生徒達にlectureしているのだが、何時の間にか、またまた、元の木阿弥になってしまっている。
何度教えても、直ぐに忘れてしまう一つの原因には、その奏法が時代の主流の音の出し方だったので、その演奏法に対して、名前が付けられていない・・という事に原因があるのかもしれない。
また、何故、そう言った演奏法が出来たのか??・・という問い掛けに対する回答がどこにもなされていないのも、その奏法が理解されなくなっている理由の一つでもあるになっている。

baroqueや古典派の時代の弦楽器の音の出し方の基本は、石作りの部屋に音を響かせる事なのだが、日本人を含む東洋の人種では、高温多湿のペーパーハウスや、モンゴルのように平野での演奏を強いられる。
乾燥したヨーロッパの風土とは、真逆の環境なのだ。
だから、日本人にbaroqueや古典派の独特の音の出し方をlectureするのは難しい?? 
一生懸命にlectureをして、なんとか音が出せるようになったとしても、次の曲ではまたまた、黙阿弥先生なのだからね??
まあ、それは日本人の体質なのだろうけれど・・・??

ヨーロッパの音楽は、教会と王宮の大きなHallで演奏される事が常であった。

2枚目の写真はMunchenでよく音楽会が催されている有名なHerkulessaalであるが、これは本来は、ギルドの商工会議所であり会議場であって、コンサートホールではない。
ヨーロッパでは新しく音楽ホールとして作られたホールを除いては、音楽ホールは存在しない。
あくまでも、多目的なホールなのだよ。
だから、acousticは、その会場でマチマチなのだ。
それを昔の人達は演奏技術で音の響きを調整した。

それがWien奏法であり、Mozart奏法であり、baroque奏法と呼ばれる余韻を演残す奏法の事なのだ。

それぞれの演奏会場で余韻の響き・・所謂、残響は異なる。
と言う事で、余韻の弾き方はそれぞれなのだよ。
つまり、残響の響かせ方は、それぞれのHallとその曲に合わせてcase by caseなのだよ。
残響の音を減数させて、自然に消えて行くように演奏する事もあるし、pianissimoで、次のattack迄、切れないように弾き続ける事も当然ある。

3枚目の写真は、昨年、baroque-concertoを開催した千葉のさや堂ホールなのだが、この建物は以前は銀行だったそうだ。
このさや堂ホールは石造りで天井が非常に高いので残響が大きく、目白の大聖堂である目白cathedralと同じぐらいに残響が大きい。
ヨーロッパの教会でも、非常に大きな教会になると、これぐらいの残響を持つ教会は多い。

こう言ったHallの音の出し方は、音の立ち上がりに、丁度、Pianoを演奏するように、attackを入れて演奏して、その一瞬後では、余韻の音だけを弾くようにする。
そうすると、音の残響がHallに残るのだが、音が交じり合って、響きが汚くなる事は無いのだ。
こう言ったbaroque、古典の奏法は、耳タコぐらいに毎回毎回オケ練習で教えているのだが、実際に、そう言ったHallで演奏した経験がないので、自分の耳に聴こえて来る音と、客席の音の違いが分からない。


先生達や生徒達も、本格的な教会のような所で演奏した経験がないので、baroque古典の奏法と言っても、残響のない部屋で、飽くまでmethodeとして練習しているのに過ぎないので、実際の残響の大きなHallで演奏した場合には、どういう演奏の仕方が、Hallの残響を利用した奏法なのかが、分からないのだよな??

videoでcheckをして、「この音は、とても良い響きになっている??」とcheckするのだが、それは、後日、video-checkでの話で、演奏しながら、そのcheckが出来ている分けではない。

これは、経験なのだが、私の場合には、こう言った残響の多いHallでの演奏経験は多いのだが、考えて見ると、先生達、生徒達は全くの経験が無いのだよな??
こればっかしは、理屈よりも、経験の方が上だよな??
日本では巨大な銭湯等も、そう言ったHall効果があるし、検見川駅の傍の地下道も、同じような音のズレがある。
(でも、地下道を占拠する分けにもいかないしな??   無料で借りれる場所、誰か知らない??)

ヨーロッパの家は基本的に石造りだし、王宮や貴族の家での演奏会も普段に聴く事が出来るし、病院詣での老人のように、毎週、教会に通うのは、若い人達にとっても、当たり前の話なので、そういった、大きな深い残響には、慣れているのだよ。
狭い残響の全くないペーパーハウスで育って来た日本人とは根本的に違うのだよな??

こう言ったホールで、日本流に、普通に音を引っ張って、弦楽器を演奏すると、音が混じりあって、とても聴くに耐えない汚い響きになってしまう。

それは大きな教会に限らず、大きく広ければ、王宮のevent会場でも同じ事だ。
そのためにbaroque奏法と言う奏法が存在するのだよ。
ところが日本人はこのwhite-noise的な音を、「汚い」とは感じない傾向がある。
Pianoの演奏家達が、ちょっと油断していると、pedalを濁らせて演奏するのは、pedalで伸びた音に対しての響きの意識がないからなのだよ。

一般的にはヨーロッパの演奏家達は、pedalの音の濁りにはうるさい??
少しでも濁らせようなら、直ぐにclaimが返って来る。

昔々、目白のcathedralでOrganの演奏会をする友人の為に、Organの曲「introduction in C」という曲を作った。
一緒に演奏した曲目がBachの**とMax Regerの**だったので、私の曲を聴いた人から、
「やっぱり、日本人の曲は薄っぺらなのね??」と感想を頂いた。

BachやRegerはこの教会lの為に曲を作った分けではないので、残響で何の曲を弾いているのか分からなくなる程音が濁ってしまっていたのだが、私の曲の場合には、残響で重なった音(melodie)がもう一声部のmelodieになるように作っているので、音が重なっても、濁らないように作曲されているのだが、私のそこの所の意図は有名な演奏家である彼女も理解出来なかったようだ。

私はそのattackの後の「残響の音」を、自然なHallのacousticではなく、弦楽器の技術として演奏する方法を、私個人では「technical-acoustic」と、呼んでいる。

私の教室の生徒達で、対外出演のlevelの生徒達は、コンサート等で、多目的Hallの残響の無さを、弦楽器の演奏の技術として響きを作り出して演奏している。

4枚目の写真は、何時もお世話になっている八千代多目的Hallの写真なのだが、典型的な多目的ホールなので、音楽の演奏を想定した会場ではないので、残響が全く無い。

だから、普通に演奏してしまうと、音がカスカスになってしまう。
そのために余韻を弾く奏法で演奏しているのだよ。
baroque古典派の奏法のattackの部分ではなく、余韻の部分を強調して演奏しているのだ。

Pianoの音は、瞬間的な打撃音だけで、後、音が響いているような音は、楽器の共鳴音である。
実は、baroqueや古典派の時代の音の出し方の基本は、Pianoと全く同じで、打撃音ではなく、「刳りの音」を瞬間的に弾き、後は共鳴の音を響かせるのだよ。

attackに関しての話なのだが、現代の演奏者達がよくBeethovenの演奏等で弾いている鋭いclipの音は、Tourteが新しい弓を作って、始めて、clip奏法と言う鋭い強い弾き方が可能になっただよ。

・・という事で、Beethovenのviolinの曲やQuartett等で、曲の冒頭からclipで演奏するのは、時代錯誤も甚だしいのだよ。
音の冒頭のattackは、響き過ぎる会場に、残響を濁らせないようにするための演奏法であり、時代と共に、そのattackは柔らかなattackから、ロマン派以降のclip奏法に近づいて来たのだが、古いtypeの弓の特性上、それがclip迄強くなる事は無かったのだよ。

それがbaroque-bowの演奏のlimitなのだけどね??
今の演奏家達はTourte-bowしか知らないから、時代考証はないのだよね。


不思議な事なのだが、現代のgrandpianoでも音はhammerで弦を叩く一瞬しか出ていないのだが、後は共鳴の音が持続しているだけなのだ。
それは周知の事実で、何も不思議ではないのだが、私が「不思議な事」・・というのは、演奏者が変わると、Pianoがポロンポロンと短い音の粒で演奏するpianistと、まるでOrganのようにズ~ンと音を持続させるpianistがいる・・という事なのだよ。

同じ楽器を使用した演奏なのに、どうしてこんなにも、音の質が変わるのだろう?? 
不思議な事だ。
私もよく言われる事なのだが、Pianoの音が、弾いた後で増幅されて大きくなってしまうので、伴奏合わせが大変なのだよ。
※)このお話はここでは場所が違うのかも知れませんが、教室でもmessa di voceという奏法をさせる事がよくあります。(くれぐれもmezza voceと勘違いしないように??)
・・messa di voceは元来は歌の練習法なのです。
声を糸のように細く、鼻腔の骨にぶつけて骨の芯を共鳴をさせて、鼻腔全体を響かせたら、それを頭全体に響かせます。
次に体全体に響かせて、最終的には、舞台の響板からHall全体を響かせるのです。
これは、最初の鼻腔に音を当てる事が出来て、鼻腔が響くようにする事が、出来るようになると、後は、比較的に簡単です。
丁度、人口の増加率のように、一旦響き始めると、後になればなる程、音量は増して行きます。
でも、洋の東西を問わず、歌の世界でも、やはり力で押して行く人達が多くて、messa di voceは、夢のいにしえのtechnikになってしまっています。
Renaissanceの時代には、messa di voceの奏法はviola da gamba等では極々普通の奏法だったのですがね。
よく日本人には、演歌の押しの歌い方と間違えられて、日本人独特の、エイズ奏法の元になって、Schwalbe教授達を怒り狂わせています。

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2月21日「時短について」

人(他人)の時間を優先しないと、自分の時間は創れない?
時短が出来ない人は、どうしてその事が分からないのだろうか???
(「時短」が出来ない人は、自分の仕事を片付けてから人の仕事を発注する。それでは、時短をする意味が無かろうに??
・・そこの所が時短の出来ない人は、分からないのだよ??)

「時短」とは、ある意味自分を外から見る・・という事なのだ。
これは客観的に観る・・という意味ではない。
外のstageから自分や周りを観るという事なのだ。(客観的に観るのならば、同じ同一のstageでも観る事は出来る)でも、それでは、取捨択一は出来ないのだよ??
そこが大きな違いになる。
安倍さんも、昔の日本(一次、二次大戦の前)も、よく「大局的に観る」という事を言っていた人がいました。
しかし、その人達が見ていたのは、大局ではありません。
自分達にとっての大局に過ぎないのです。

同様に、これだけ社会を変えても、少子化はなくならない。
少子化に歯止めが効かない・・?
その原因を子育ての支援活動や、社会の整備の不足として、一生懸命に改革をしようとしているのですが、それはチョッと違うのではないかな??
それは少子化に対しての問題の提示が、根本的に間違えているからなのだよ。
少子化に歯止めを掛けるのは意図も簡単な事だ。
私が子供の頃の日本では、家に鍵は無かったし、doorを閉ざす事もなかった。
今でも地方に行くと、未だそういう場所が残っているそうだ。
そういう原日本の風景をもう一度見てみたいものだ。
自分達が幸せだと感じて、産まれ返っても、もう一度この世界に住みたいな??と思える世界ならば、少子化の問題は自動的になくなるのだよ。
自分達が将来に夢を持てないで、子供達に未来を託す事はなかろうに・・??
そこの所がどうして分からないのだろうね??
必死で、東京に・・(都会に・・)しがみついていたとしても、けして、幸せだから・・ではないと思うよ??
そこはbland嗜好と同じ所からの発想なのだよな??
無意識下では、そこにしがみつこうとは思っていないのだよ。
ただ、それに変わる物がないだけなのだよな??

     


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2月22日

眠れぬままに、鬱々コンサートを聴いているのですが、以前テレビを見ていたら、お笑い芸人の人が客がコントで、受けなかった(客が笑わなかった・・)ので、怒り出しているのを、偶然、見て驚いた事を思い出してしまいました。

昔の落語家は、客席を見渡して、絶対に笑わなそうな客を見つけて、そのお客を笑わそうと必死に話したそうです。(それに似たような事はviolinistのKreislerもよく口にしています。)
私はそれが、芸人(演奏家)としての当たり前の姿勢だ・・と思っていたので、お約束の所で笑わない客に怒りだす今風の芸人の気持ちは理解し難く、その姿勢が全く分かりません。
また当然、現代のお笑い番組は、「時流に付いて行っているのか?」とか、「流行のアイドルや芸能人に付いて知っているのか??」とかのお約束が多過ぎるので、アイドルにも有名タレントにも興味のない私としては、その笑いに付いて行く事も出来ないし、その話を聞く事も馬鹿馬鹿しいし、「面白ろい?」とも思えないので、全く、そういった番組は見ようと思った事はありません。

だからと言っても、お笑い番組が嫌いな分けではなく、どちらかと言えば、古典落語が好きなので、往年の、・・と言うか初代の落語の名人の話を聴いていて、一通りの前口上が終わって、突然、古典落語の本題に入って、雪が降るシーンになった時に、たった一言、二言の言葉で、私の目の前に雪が降る光景が見えて来たのには、流石に驚いてしまいました。
凄い?? 
「これが話芸だ??」と唸ってしまいました。
名人と呼ばれる人達の話芸には、これがあるのですよね。

残念ながら、指揮者はお客様にお尻を向けているので、自分の指揮でお客様がどういう反応をしているのかは、分かりません。
反応を目で見ながら、確認をしながら・・演奏をする分けにはいかないのですよ。
しかし、演奏の後で、会場のスタッフの人達にお客様の感想を伺って、子供達の拙い演奏でも、泣いてくださるお客様がいてくださる事を教えて貰って、感謝感激です。
子供達が、真摯に(?)演奏や練習に立ち向かう限り、私も、(後、何年それが出来るか??分かりませんが・・)老骨に鞭打って子供達のお手伝いをしたいと思っています。


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2月23日Veracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d mollのCiacona

次の譜面はVeracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d mollのCiaconaの銅板印刷の抜粋の部分である。

・・と思ったら、楽譜の順番が入れ替わってしまったので確認をします。
1枚目の楽譜はPeters版の原典版です。



2枚目は、上の説明通りのVeraciniの初版で銅板印刷の楽譜です。マジ美しい??



3枚目の楽譜は、今日朝私が入力したfinaleの譜面です。




「原典版の bezifferten Bas(数字付きバス)の問題点」
98小節目と102小節目の bezifferten Bas(その数字付き低音)が和声的に論理的に理解不能であります。
しかし、単なるミスではなく、98小節目と全く同じ繰り返しの箇所である102小節目も同様に同じ数字が付けられているので、Veraciniの意図と思われるのだが、やはり、不自然な事は不自然に変わりはありません。
Veraciniが間違えている(或いは勘違いをしている)とは思えないので、解釈上の問題だと思われるので、(Veraciniの数字付きBasには、非和声音が出て来ないので、和声音のみを書いている・・と思われる節があるので・・、131小節目を参考にして・・97小節目の3拍目のCembaloのAの音をtieにして、次の1拍目の音を繋留音にして、2拍目で解決音のGに持って行くと和声上の問題はなくなる。と言う事で、)数字の6の位置をずらして、非和声音を入れて見た。
和音学的にはこれで一応美しく整っているのだがね。

もう少し時代を下ると、同じ銅板印刷であったとしても、 bezifferten Basに関しては、もう少し細かく丁寧に非和声音まで丁寧に作曲家の皆さん達は書くのですが、Veraciniさんは、数字付き低音の数字は、非和声音は「見りゃ分かるだろう??」てな感じで、なんともはや大雑把(和声音のみ)で、付けられているのでね??

「何と、何と・・、」
今日訂正、入力した楽譜をfinaleのfolderのVeraciniのfileに保存しようと思ったら、Veraciniのfileの中には、もう既に、passacagliaのdataが3つも保存されていた。
曲が三つというのは、passacagliaの曲が余りにも長大で、finaleに入力すると、50Pageにもなるので、finaleの入力時にbugが出ないように、前、中、後の部分の3つに分けて保存していたのだよ。
修正改定が終わったら、3っつの曲を一つに纏める予定なのだがね。

「Lupi版のお話」
2016年の4月3日の千葉の発表会で、Veracini-Lupi版の演奏をしたのだが、そのLupi版のオケ練習では、余りにも楽譜上のミスや編曲上の間違いが多くて、その都度、訂正、修正していたのだが、本番前には、とうとう、全面改訂をせざるを得なくなってしまったのだよ。

勿論、その時には、先ず最初に、Veracini-Lupi版のstrings-orchestra用の楽譜からfinaleに入力して、それから、全面改訂の作業をした。

・・が、そのfinaleの入力の作業の時に、同時に、ついでにVeraciniの原曲であるPeters版のoriginalの譜面もfinaleに入力して、Peters版に書いてあるCembaloの右手のpartは抜いて、同時にその右手のCembalo-part(cembaloのpart)も、一緒にAshizukaversionとして作っていたのだ。(まあ、なんとマメな事だろうか??)

・・とは言っても、その時に一気に力任せに作った分けではなく、Veracini-Lupi版を改定する時に、折に触れて、その都度その都度・・虫食い式に、思いつくままに作って行ったのが、何時の間にか完成形になっていたのだよ。

16年4月3日の演奏のorchestra-versionのLupi版では、originalの曲を全体から1/3程度に割愛して作ってあるのだが、実際のVeraciniの原曲であるoriginal版をfinaleに入力するにあたっては、全部の部分をノーカット(=uncut)で曲を入力した。

「Lupi版の弱点」
発表会でのorchestra-versionであるLupi版の演奏を聴いてみて、生徒達は、それなりに上手な演奏をしているのだが、理想とする演奏としては、とても満足の行くものではない。
とは言っても、それは生徒達の演奏の出来不出来の問題ではなく、Veracini-Lupi版のarrangeの問題なのだよ。

その一番大きな原因は、passacagliaのthemaが、何度も新しく繰り返されるのだが、その繰り返しの都度、pianissimoの部分とfortissimoの頂点を作ってしまうので、所謂、頂点の見えない、怒鳴り散らすだけの曲のようになってしまって、曲の流れが見えない・・という所に、説得力が欠ける大きな原因があるように思われる。

※)Lupi先生のために、敢えて弁解をしておくと、Lupi版でも、前半部が155小節、後半部が140小節と、約半分の小節数なのですが、後半部はtempoが非常に早いので、感覚的には前半部が曲の7割り程度、後半部が残りの3割の時間であるように構成されていて、balanceから見ると、なかなか良い楽曲構成になっています。それなのに、pointがズレて感じるのは、themaの入りがfugaやCanonのように入って来るので、その都度、単旋律で何度も入り直しているからなのです。実際の曲で言うと、勿論、冒頭の4小節、2回目は73小節目、3回目は133小節目、4回目は156小節目で、この小節が後半部の開始と思われるのですが、この入りの後の163小節目にLupi先生はkadenzを書いています。その後、166小節目から5回目の入りが始まるのですが、そうすると、166小節目の5回目入りが後半部の開始に感じられてしまいます。
そうなると、前半部166小節と後半部の49小節になって、曲のゆっくりした部分を考慮したとしても、約3:1のbalanceになって、後半部は「追い出し」部としてしか成り立ちません。
これが、Lupi版の盲点になってしまっているのです。

発表会の後で、後日改めて、大幅改定と削除をしてLupi版の半分程度の長さで、約2:1ぐらいのbalanceにしようと思って、曲の構成を改めて纏め上げようと考えていました。

つい先日、16年の発表会から2年振りに、改めて16年の4月の発表会の演奏を聞き直して、問題点をもう一度改めて考慮して見ると(※orchestra-versionでの演奏はLupi版として探しても私達の演奏しかYou Tubeでは見つける事が出来ませんでしたので・・。)、Lupi版では、5回も繰り返されるpassacagliaのthemaの入りが、その都度、曲が新しく入って来るように感じられて、それが全体のbalanceを壊す元になっていると言う事を、前回の演奏の時に感じていたので、そこの構成を手直ししなければ・・と考えていました。

今回、改めて、発表会の演奏を聴いて見ると、編曲上の手直しではなく、何回も新しく入りが、入って来るのを、(演奏上のtechnikで)、入りとして・・ではなく、演奏上で2声部に対して、1声部で呼応しているような演奏にして、曲全体の構成を大きく2部構成になるように強弱を全面的に付け直して・・演奏するだけで、Lupiが書いた構成上の脆弱性は直るのでは・・、と思うに至りました。

Lupi版では、冒頭のunionからfortissimoで切り裂くようなimageで演奏するのですが、そこを逆にpianissimoで内省的(innerlich)に演奏する事で、曲の中心を後半に譲る事が出来る・・と、思いました。

originalの曲は、violinと bezifferten Basのcello(若しくはviola da gamba)の2本の弦楽器で演奏します。
勿論、和声を充填するCembalo(若しくはtiorba)が入りますが、それはmelodieではなく和声なので、声部には数えません。
つまり、2声部のduoと考えて良いのです。と言う分けで原曲では、繰り返される1声部の入りは、新しい曲のabteilung(分割)ではなく、2声部の内の1声部が入りを開始したに過ぎないのです。なまじ、orchestraにarrangeしたために、その入りが意味不明のものになったのです。ハイ!
※)ですから、当然、originalのperiodの演奏では、その入りのpassageは、なんの不都合もなく、問題なく演奏されます。

orchestraの演奏者に取っては、冒頭から恰もsolo楽器のように、pianissimoで演奏をする事は、途轍もなく大きなpressureになるのだが、それはそれで良い勉強にはなるだろうと思います。(可愛い子は、千尋の谷から突き落とすか、旅をさせるか??ですからね??)
と言う事で、眠れぬままに、forte-Pianoのdynamikを付け直した所・・迄は、取り敢えずは終了しました。

「baroque時代の音楽形式である教会ソナタ(kirchen-sonate)について」
前回と同様に、今回はこのVeraciniのviolin-sonateのoriginalのversionも是非、公開演奏の機会を設けたいとは思うのだが、曲が余りにも長大であり、且つ、宗教的な真摯な曲であるので、そこいらの課題を日本の一般の聴衆に、どうappealするか、どのような企画として公開するのかの問題も、解決されないままに、残っている。
つまり、こう言ったgenreの曲は、聴衆を選んでしまうからだ?

Veraciniのこのpassacagliaは、音楽様式としては、教会ソナタ(kirchen-sonate)という音楽形式のgenreになって、その形式の名前の通りに、教会で演奏される事を想定した曲であるからである?

つまり、宗教行事の中の一貫として、Gottesdienst(宗教の事はよく分からないのだが、礼拝の事なのだろうか??)の中で演奏される曲として作曲されているからなのである。
くどくどしくなってしまったが、つまり、日本ではそういった場所はないし、また教会でこういう曲を演奏する習慣も無い。
歴史と社会慣習の違いと言ってしまえば、それ迄なのだがね。

若し、これが私の故郷の長崎ならば、教会の幹事をしている友人も、大きな教会も多いので、何時でも、何処でも演奏する事は、可能なのだがね??
また、神父さんを抱き込んで、本当の日曜礼拝の時に、ヨーロッパの本当の古いstyleのGottesdienstを再現すると、面白いとは思うのだが、幾ら、クリスチャンでも、日本人は日本人なので、やっぱり、ついては行けないかね?

それはそうと、basso continuoはCembalo用に書いてあるし、私も同じようにCembaloの為に書いたのだが、教会を想定するのならば、Pipe-Organが普通だよな??
Organ用のpartも作るかな??

検見川教室のPipeorganも、何時でも、演奏出来るように、そろそろ調律をしておかなくっちゃネ。
でも、教室のPipeorganは、baroque-orchestraのbasso continuo用に私がorderをしたPipeorganなので、soloとcontinuoとでは、少し音量が強すぎるかも知れませんよね??
(baroque-orchestraとは、基本的には10〜13名ぐらいの編成が一般的です。 余り人数が多くなると、純正の響きが取れなくなるからです。)

このPipeorganの特徴は、多分、このPipeorganが閉管で作られている事で、これは世界でも例を見ない事だと思います。

日本に帰国したばかりの頃、文部省から笛に付いての論文の依頼を受けました。
音楽関係の人達でそういった論文を書ける人が見当たらなかったので、音楽大学からの紹介で私に回って来たのです。

その論文の中で、理論気柱の話を書いていますが、それがこのPipeorganを作る時のヒントになっています。

positiv organだとしても、低い音域用の大きなpipeは3bを越してしまうので、55鍵ともなると、有に500`を越してしまいます。
と言う事は、自前でOrganを運ぶ事は不可能なので、そこで思いついたのが閉管と言うわけです。

このpipeのsizeならば、本当はoctave上の音が出るのですが、閉管にする事で、実音が出せるのです。
言い換えると、このPipeorganの左側のpipeは、本来ならば、3bを越す長さのpipeになります。
閉管にする事で、半分の長さのpipeにして、西日本でも演奏出来るように、Organの肺の部分は弁が入っていて、空気圧の調整をして、東日本と西日本の電圧の違いでpitchが上がら無いように調整をしています。
バンを想定していたので、pipeは3っつに別れて、勿論、台も取り外す事が出来ます。
ついでに譜面台も取り外し可です。
普段は取り外した状態で置いてあります。






「なんで、今回の発表会に関係のない曲を勉強しているの??」といわれそうなのですが、生徒達にも、よく今回の発表会とは関係のない曲をlessonしたりしています。
(昨日は、紗來ちゃんにVitaliのchaconneのDavid版のlecture-lessonをして、伴奏に来ていたひかりちゃんに初見で伴奏をさせていました。つまり、普段からlessonはそんなものなのですよ。あまり、発表会のlessonを真面目にしている分けでは無いのですよ。

私が研究中のこのVeraciniのoriginal-versionの研究も今回の発表会とは、全く関係がないし、次回の発表会に乗せる予定もないのです。
(何故なら、この曲はノーカットで演奏するのは余りにも長大で深刻なimageだからである。)

Veraciniのお話とは無関係のお話なのですが、昔々、音楽家の人に、「この曲を練習したいのだが?」と言うと、「その曲は何時演奏予定ですか?」と聞き返されて、「今の所、演奏の予定は無いのですが??」と答えると嫌な顔をされたので、演奏の依頼を断ってしまいました。
そういう人達とは練習をコツコツとしていくのは、辛いと思ったのでね。

・・でも、こういった考え方は殆どの音大生達も同じだ・・と思います。
というよりも、コンサートが決まってから練習を開始するのが一般的な考え方なのですよ。

だから、教室のように、repertoryとして曲を勉強する事は無いのですよ。
そこには、大きな考え方の違いがあります。
普段、自分が演奏したい曲を練習しておいて、その曲の演奏水準、所謂、Niveauが演奏に値するlevelに達した時に、演奏会のrepertoryとしてprogramに載って来るのです。
そこには、発表会に間に合わせようという考え方は根本からありません。
そこが私と一般の音楽家達との大きな違いかな??

https://www.youtube.com/watch?v=iBWEdG2Py2Q&t=915s







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2月25日「暗譜の練習と立ち机について」

「暗譜の練習」については、同じthemaの話を、あちこちに書くのは、良くないので、Facebookの中で、以前に書いた「暗譜について」の話に、追記しようと思ったのだけど、そのtitleで書いたのは、どうやら今年ではなかったらしく、幾ら探しても見当たらなかった?
でも、しょっちゅう言っている事なので、今更、またぞろ繰り返しても、「耳タコ」なので、今更繰り返す事もないだろうから、私の記憶へのmethodについての話は割愛させて貰って、今日は暗譜についての話と立ち机の話をする事にしよう。

「暗譜の癖」
暗譜の癖が中々身に付かない人達には、私が「暗譜は癖(※)なのだから、練習の時に、暗譜で練習しないとダメだよ?」と注意するのだけど、それ(暗譜での練習)が中々出来ないと弁解する人達が圧倒的に多いのだよ?
(※)「暗譜が癖」という言い方は、一般的には通用しないので、私がそういう風に言う理由を説明しなければなるまい。

私の周りには、電話番号を覚えるのが得意な人や、人の名前を覚えるのが得意な人がいる。
しかし、面白い事に、必ずしも、電話番号を覚えるのが得意な人が、人の名前を覚えるのも得意である分けではないのだ。
色々な事に付いて覚えるのが得意な人でも、或る特定の分野になると、全く覚えられなくなったりするのは、極めて面白い。
つまり、言い方を変えると、その人が得意と思い込んでいる分野に限って、覚えるのが得意なのだ。
・・つまり、得意だから、覚えられるのだよ??

私はその習性を逆に使う事を思い付いた。
つまり、覚える事を癖にしてしまうと、無意味な数字の羅列でも、人は覚える事が出来るようになるのだよ。

教室に入会したばかりの子供で、「暗譜が苦手」で暗譜の宿題を嫌がる子供達がいる。
そういう時には、私は「暗譜じゃあ無くって、目をつぶって弾いて見よう??」と言う。
不思議な事に「暗譜は嫌でも、目をつぶって演奏する事は然程嫌ではないらしい。」 

・・と言う事で、見学していた母親は呆れて見ている。
「『暗譜じゃあ無くって、目をつぶって・・』ですか??」結構、中学生、高校生でも、この会話が成り立つのだよ?? 
分かっているんだか??

楽譜を覚えるのが苦手な人達は、「譜面無し」で練習する事が、不安でしょうがないのだよな?
そういう人達の場合には、その不安な気持ちを越える不自由な環境を作ると良い?

「譜面台について」
初見で曲を練習する時には、譜面台は必需品なのだが、曲の譜読みが終わって、それから練習に入る時には、この譜面台が「暗譜で練習する癖」を妨げる原因にもなっているのだよ?

以前の論文でも書いているように、暗譜に慣れるコツは「練習をする時に譜面を見ないで練習する事」なのだよ。


私のPianoのlessonでは、初見の段階が終わった次点で、譜面台を倒して、大きな紙製のボードを下敷きにして楽譜のcheckをします。
(アクリル・ボードではないのは、端が硬くて重いので、Pianoの譜面台を傷つけてしまうからです。)

「暗譜の癖は抜き出し練習から」
私が暗譜での練習を要求すると、「そんなに、直ぐに暗譜は出来ない!」と言い訳をする生徒達が多いのだが、そんな時に生徒にadviceをする事は、「暗譜の練習のコツは『通しの練習』ではなく、『抜き出しの練習』をすると良い。」という説明をします。一小節くらいならば、その場ででも、覚える事が出来るからです。

私のlessonでは、「抜き出し練習」は、初歩のBeyerの教則本の段階から、指導、lectureしているので、「抜き出し練習」は慣れているので、問題はないのだが、一般の教室では「抜き出し練習」をさせる先生は少ない。

だから、他の教室から中途入会して来た生徒には、「抜き出し練習」の意味や方法も説明しなければならない。

「抜き出し練習」は、先生が丸をした小節を抜き出しをすれば良いという分けではないのでね。



「抜き出しの練習は、1小節ぐらいの難しいpassageを抜き出して、色々な分解練習、分析練習等をするのだから、細かな音やmelodieの出来不出来を知るには、音に集中しなければならない。」「譜面にしがみついていて、音に集中出来る分けはないのだよ。」と説明している。

それから「抜き出し練習」に入って、「オセロ練習」をするのだが、その出来不出来をcheckするのには、1枚目、2枚目の写真のように、譜面台は使わずに、譜面に書き込む為の机があると効率が良く、「時短」にもなるのだよ?

「立っ奏台について」
立奏の場合の机の高さは、学校等で勉強する時の椅子に座った時の机の高さと同じ高さが、立った時の机の位置と同じくらいの高さに、ちょうど、みぞおちくらいの高さにくると良いのだよ?

小学生くらいでは、体の成長が著しいので、最低でも、2、3回は買い直さなければならない?
これはviolinの楽器のsizeの変更に準じる?楽器のsizeを大きくする時は、多分、机の高さを変更する時なのだ?

しかし、このたかが普通の立って仕事をする机・・というだけで、「何で?」って、言いたくなる程、高価な値段である。
それは、日本では、この立ち机を使う人達は、まだまだ、エグゼクティブの人達のみに限定されているからだ?
その人達は、疲れ方や仕事の能率が変わると言う事ならば、幾ら高価であっても、購入するからなのだ?


しかし、立ち机は、寄りかかれれば、机の中に、足を入れる分けではないので、別に高価な机である必要はない?
だから、私は、キャスターのついている多段引き出しを購入した?
広さも、高さも、自由に選べるし、造りも立派で、引き出しも色々と仕事内容に合わせて、自由に選べるのに、兎に角、安い?
なにも、意匠登録の入った高価な立ち机を買う事はあるまい?

memoを取ったり、checkをするには、譜面台よりも机の方がはるかに捗るのだが、演奏中に、暗譜が不安になった時に、譜面台とは違って、パッと見れない・・という弱点がある?

体から、横を向いて譜面を見なければならないという、不便さがあるのだよ?
しかし、その不便さが大切なのだよ?
不便だから、無意識にしっかりと覚えようとするのだよ?
その無意識を持つ事が肝心なのだよ?

私が大学生の頃は、一日の大半を大学に居たので、学校の練習室で練習をするのが普通だったのだが、学校で練習するとしても、学校に練習のために、譜面を持って行く事はなかった?

勿論、その理由は様々なのだが、その主な理由は、勉強中の楽譜が20冊以上になって、当時はコピー機もなかったので、非常に重かったのだよ?
だから、学校には譜面を持っていかないで常に暗譜で練習をした?
それでも、度忘れをしたら、家に帰って譜面をcheckするまで、実に気持ちが悪いのだよ?

その気持ちの悪さが、1日中続く事がとても大切で、「次の日には絶対に忘れない!!」という気持ちが、より暗譜を完璧なものにしてくれるのだよ?


立奏の時に、譜面台を高くして、譜面台ではなく机を使うという事は、別の大きな利点をもたらしてくれる?
欧米では、普通の小学校でも、座って勉強するための机ではなく、立って使用するための机が一般的に採用されている。
椅子に座る事は、体にも(特に成長期の子供達にとっては…)、勉強の能率を上げる意味に於いても、良くないとされているからだ?

日本でも、一流の先端を走るような企業では、会社に椅子を置かない(立食のカウンターのような)テーブルを採用している所が増えている。
社員の健康面と仕事の能率化の配慮によるのだ。
こう言った話が、語られるようになるだいぶ以前から、「座りっ放しは良くない…」という事を自分でも感じていて、ハイツの三台目のパソコンのdiskは、ちょうどパソコンのキーボードの広さのsizeの、95aくらいの高さの小引き出しを買って、立ったままでパソコンの作業が出来るようにしている?

音楽の勉強の場合でも、私の場合には、譜面台でviolinを弾く事自体が稀で、練習というよりは、譜面をcheckするために楽譜を見るのだから、楽譜に書き込む事が殆どなので、常に机の上での作業なので、譜面台を使用する事自体が、逆に稀なのですよ?

私のpianoの練習の場合でも、椅子の横にtableを置いてその上に楽譜や赤鉛筆等や、メトロノーム等の練習セットを置いている。

それは、先程と同じ理由で、記憶のために、という事ではなくって、譜面台に楽譜を置くと、譜面に書き込むのが、逆に面倒くさく、作業が困難になるからだ?

という理由なので、私の場合の、譜面台を使用しない理由は、暗譜には直接は関係がなく、寧ろ、作業効率の時短のために…である



Facebookの調子がまたまた、おかしくなって、文章がぶっ飛んだり、写真がぶっ飛んだりした。
編集履歴から文章を復元して、写真をもう一度入れ直して、と小一時間くらい文章を元に戻す作業をしている。
何時も同じ事を言っているのだが、本当にFacebookは嫌いだ??
それでも、文章の書ける、snsがないので、仕方がないのだけど、

右のテーブルは、練習用の小物を置いたり、お茶を置いたり・・と、多目的なテーブルです。キャスターがついているので、移動がとても楽なので重宝しています。






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2月28日

今日は2月の28日なのですが、何と、明日はもう3月なのだそうです。Hieee~??
今日、夜から春の嵐のだそうで、台風並みの風が吹くそうです。


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2月28日「教室のpipeOrganについて」

私が日本に帰国して直ぐの時には、弟子達にviolinやcelloの演奏法の他にも、歌の生徒に、cantataの特別な呼吸法を指導して、その生徒が或る程度、cantataが歌えるようになると、他の私の弟子達と一緒に、solo-cantata(※)で、教会でのcantataの演奏をして回っていました。
勿論、Bachのcantataだけではなく、VivaldiやPergolesiやHandelやその他多くの作曲家達のcantataです。

(※)cantataはドイツの村々では、毎週日曜日に村の教会の楽団がGottesdienst(日曜礼拝)の時に、演奏をしていました。Bach先生は1年、365日のそれぞれの日のGottesdienstに合わせて、曲を作曲しようとしていましたが、2百数十曲を書いた所で、寿命が尽きてしまいました。Bachの作品目録はBachの作品番号としてBWV(Bach-Werke-Verzeichnis=バッハ作品目録=そのままの意味ですが)1番から216a番まで・・(作品には小文字のaが付いている番号がありますが、後で、発見された曲を足すために、小文字のaが付いた曲があります。)と、後日、完全に「偽作である」と証明された曲があります。

cantataはミサ曲や受難曲とは違って、曲も比較的(ミサ曲や受難曲は演奏時間が有に4時間を超えるものも多くありますし、orchestra等も大orchestraで、演奏には、非常に多くの人数を要します。とても、村の教会で、その村の教会の専属のorganistがこなせるものではありません。本来ならば村々では、毎週の日曜日毎に、cantataが演奏されたはずなのですが、そこはその教会に所属しているorganistの力量によります。

baroque時代の多くの作曲家達がcantataの作曲を手掛けましたが、弦楽orchestraとsoloの歌だけで演奏出来るsolo‐cantataというgenreがあって、多くの演奏家達を所有していない小さな村の、小さな教会に取っては、非常に貴重な演奏可能なcantataのgenreになります。

私が日本に帰国したばかりの頃は、未だ本物のPipeorganを所有している教会は非常に少なく、ヤマハのエレクトーンや、黒田さんの黒田Organと言う電子楽器が、Pipeorganの代用をしていました。
(ヤマハやカワイ、黒田オルガン等の教会用の電子楽器は、通常のエレクトーンや、電子楽器とは違って、ただの電子Organと言うものではなく、世界中のPipeorganの音や、世界のHallのacousticを出せる非常に高価な楽器でした。つまり、教会で使用するための専用の電子楽器だったのですが、やはりPipeorganの音に比べると、本物には比べるべきものではありませんでした。)

その当時は、兄貴は北区の一軒家に住んでいました。そのご近所さんにお願いをして、中学生の子供を、指導の勉強にhome‐lessonに場所を借りていました。
だから兄貴の家には、時々、生徒の指導の様子を見るために、訪れていたのですが、その帰り道に、気が向いたので、「歩きの散歩」をしながら江古田の事務所に向けて、散歩をしながら帰っていた時に、偶然に黒田Organの工房を見つけて、アポなしに工場見学をしました。

その時に、私が、「cantataに使用する、そんな楽器があったら良いな??」と思っていたideaを色々と披露して、「個人でも運べる positiv organ」の話をしたら、工房の人達が面白がって、それで、社長の黒田さんが「pipeの実費を出すのならば・・」と言う事で制作を引き受けてくれました。
Organを作る作業料とか技術料は、私の30数項目のidea料と相殺と言う事でpipeをドイツに注文する費用だけで作ってくれました。
・・とは言っても、Pipeの材料費だけでも、ウン百万はするのですがね??

当時は、世界的にも、未だperiodという言葉さえ無かった時代で、単に「現代の解釈で、baroque音楽を演奏する」・・という事が、総て・・だったのでですが、Organを作るに当たって、「pitchをbaroqueにするか、modernのままのpitchにするか??」と言う事を悩んでいましたが、当時は未だbaroque-pitchが一般的ではなく、それ以上に、pipe organの利用頻度、演奏回数を考えると、「baroque-pitchは、通常は、有り得ない」と言う事で、modern-pitchを採用する事にしました。
まあ、pitchはmodernでも良いとしても、次には音量の問題です。
利用頻度から考えると、solo楽器に対しての、basso continuoのOrganというよりも、20名ぐらいの小編成のcantataの為のorchestra用のcontinuoの楽器としてのneedsを考えていたので、baroque編成のorchestraのbasso continuo専用のOrganと言う事で、音量は、soloの楽器としての、音量よりも、少し強めになっています。
ですから、演奏会でviolinの伴奏と言う事で、持って行くとしても、solo-violinの伴奏用の楽器としては音量が強すぎるという問題が派生します。
soloの弦楽器の為だけではなく、4名で演奏する、(2台のviolinとcontinuoのcello(gamba)Cembaloの為の、)triosonateの場合にも、少し、強すぎるかも知れません。
でも、それは演奏会の会場の場合の話で、録音をする時には、PAのmikeの位置を調整する事で、録音用には何とか音量の調整が出来ます。
まあ、いずれにしても、このPipeorganは、当時演奏に回っていた教会での、solo‐cantataの演奏用を想定してorderしました。


その後、教室を開設してからは、教会にcantataを演奏しに行く事はなくなりました。
その理由は、教室の発表会と、教会でのcantataの演奏のDouble‐stageでは、私の負担が大き過ぎたからなのですがね。

発表会では、車でCembaloとOrganの二つの楽器を会場に持って行くのはとても、負担が大きいので、2,3度、発表会会場に持って行っただけで、後は、Organは演奏の場が無くなってしまい、単に、教室のdisplayになってしまっていました。

世界でも稀な positiv organなのに、displayとしてしか、使われていないのでは、余りにも勿体無いので、今回は、斉藤先生に、baroque‐violinとOrganの演奏を公開する目的で、Veraciniの「passacaglia sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d moll」を、16年の4月3日の発表会での演奏のために、orchestra用に、arrangeしたついでに、折角、同時並行で作り上げたCembalo用の譜面を、今度はOrgan用に書き換え始めました。

Organ譜の作成は、今日、18年2月28日、(2月の最後の日)からになります。

Cembalo譜の場合には、Cembaloという楽器は音量が弱いので、右手の和音を厚めにして作曲します。
しかし、Organの場合には、逆に、音量が強すぎるので、なるべく音を薄く作ります。

また、Cembaloの場合には、basso continuo(左手のmelodie=基本的にはcelloと同じmelodieになります。)に対して、右手は、和音として演奏しますが、Organの場合には、右手は「和音として」ではなく、「melodie(旋律)」としてbasso continuoに対しての対旋律(Kontrapunkt)を作ります。

基本、優しい柔らかいpassageでは、音量を弱くするために、対旋律は、1声部の、都合2声部の書法で書きます。

元気なfortissimoのpassageでは、3声部や4声部と必要に応じて、声部を増やして音量を増やして行きます。

Organのpartに、和声学上の禁則を書くのは、言語道断の事なのですが、海外の権威のある楽譜でも、Cembaloとsoloのpartが引き起こす禁則に付いては無頓着です。

異種楽器なので、同じ声部間の禁則のようには、目立たないからなのですがね。
しかし、禁則は禁則なので、異声部間の禁則も厳密に対処するのが本当なので、Organとviolinのpartとの禁則が起こるとまずいので、細心の配慮が必要になります。

取り敢えずの叩き台の楽譜は、edition Petersの版を使用していますが、やはり、basso continuoのaussetzungは素人っぽくって、とても上手なaussetzung だとは言えません。

どっちみち、書き直すので、私に取っては、関係はないのですがね???

まあ、いずれにしても、この曲のvortragsのコンサートの日にちが決まっている分けではないので、のんびりやって行きます、・・と言っても、もう3部に分けた内の、T部を完成させてしまいました。(2月28日の内にです。)

finaleのsoftの悪口を何時も言っているのですが、オモチャにしても、実際の音でcheckが出来るのは、とても楽です。
但し、notationのsoftなので、音量とかは自由にchange出来ないので、そこいらは、やはりヘボいのですがね??

・・・てな事を書いている間に、未だ、2月1日の朝の9時前なのですが、V部も完成させてしまいました。
U部は、チョッと、身構えなければならないので、今日はもうやらない事にします。
目が限界に差し掛かって来たので、今日は目を休めないといけないからね??

と思って、2月中には、風呂にでも入って寝る予定でだったのですが、chatが入って来てしまったので、chatの相手をしながら、平行で一緒に作業をしていたら、(まあ、次いでに、)残りのU部の校訂も終わってしまいました。

・・と言う事で、F.M.Veraciniのpassacagliaは、丸々1日掛かりで、第T部から、U部、V部と全部終了してしまいました。
(28日の深夜から1日の朝に掛けての、18時間ぐらいの時間です。今年は閏年ではないのでネ??)
バテたぞよ??
今から頑張って寝込むぞよ??

ちなみに、叩き台にしたPeters版の元の譜面は、Cembalo用の譜面です。
私が入力したfinaleの楽譜には、右手のpartは入力されていません。
ですからPeters版を見ながら、それを叩き台(※)にして、Organ用の譜面を作って行きました。

(※)今、ふと「『叩き台』・・という意味が一般的には別の意味で解釈されるよな??」と思い付きました。
一般的には、「敲き台」というのは、それを元にして、その上に改定を重ねて行くという事になるのでしょうかね??
つまり、元の形をarrangeして推敲をする・・という意味ですよね??

それならば、basso continuoの「 bezifferten Bas」の場合には、「叩き台」という言葉は使えませんよね??
何故ならば、数字譜の場合には、basso continuoの上手な人に拠る右手の回答は、答えが同じになってしまうからなのです。

baroqueの鍵盤partの bezifferten Bas(所謂、数字付きBas)なのですが、一々、音符を書かなくても良い為の、作曲家の速記法なのですが、ジャズやrockのような自由さはありません。
jazzの場合には、chordは指定されていても、その配置迄の指定はないからです。

和音が決められているだけでなく、同時に、和声進行や、非和声音等の動きも細かく指定されているので、誰が解いても、大体同じような楽譜が出来上がります。

上手な人になればなる程、模範解答に近づくので、上手な人の書くbasso continuoは、誰が書いても、同じ楽譜になってしまうのですよ。

しかし、下手な人が書くと、それこそ、面白い回答集が出来上がります。
ヨーロッパの権威のある楽譜と言えども、この bezifferten Basに関しては、碌な回答はありません。
音楽学者やCembalistが回答を書くので、間違いが多くて困ります。
また、演奏効果も然程ではありません。

元来はperiodの演奏家達は自分で作るので、それこそ、叩き台にもしない場合が多いのです。

proの演奏家の場合には、baroque音楽の譜面は、出版されている楽譜を演奏する事はありません。
period奏法の場合には、それぞれの演奏家達が自分の演奏をするのがruleなのですからね。

出版されている楽譜に書かれているCembalo‐part等の楽譜を使用して、演奏するのは、一般の音楽愛好家か、未だ未熟な音大生ぐらいだけなので、proの演奏家達が参考にする事はないのですよ。

・・と言う事で、今、私が参考にしているPeters版でも、Petersの校訂者がちゃんと模範解答として、正しく回答出来ている所は、私が回答を作成しても、全く同じような譜面(回答)になります。

しかし、今回は、Cembalo譜として・・ではなく、Organの為の bezifferten Basなので、そのPeters版の bezifferten Basの回答が正しい回答だとしても、Organ用には使用出来ません。
全く新しく、編集、回答し直さなければなりません。

練習の過程で暫時、またまた、修正していくので、仮に、Peters版を参考にして bezifferten Basを書いたとしても、Peters版の面影は全くない、完全なAshizuka‐versionが出来上がる事になります。
叩き台があろうとなかろうと、 bezifferten Basの場合には、回答の違いはないのです。


今日は3月3日、雛祭り兼満月の朝9時前です。
朝の体重測定を終えて、Veraciniのpassacagliaを書き上げました。
Veraciniが書いているviolinのsoloのmelodieと対旋律のcontinuoのmelodieに対して、更にもう一声部を書き加えるのは、作曲家の腕が確かな場合には、その作曲家の書き下ろした声部が非常に強いので、非常に難しくなります。
作曲家の腕がそんなに確かでない場合や、多作で、書きなぐった兆候がある場合には、その声部は弱いので、新たに声部を加えるのは比較的楽です。

Veraciniは、BachやHandelに劣らない非常に優れた作曲家なので、もう一声部を書き加えるのは、至難の業でした。
なんと、3日も掛かったぞよ??
生音が撮れる迄の応急処置として、何時もの様にfinaleの音源でも、載せて起きますかネ??

https://www.youtube.com/watch?v=HzmyhX_iV7I



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3月



3月2日

今日は日本中春の暴風雨の話で、明日のお雛様の話は出なかったのですが、それ以上に、明日は満月の予定なのですがね??
昨夜は、満月と見間違うばかりのお月さまが、とても美しかったのですが、気がついた時には、天空の・・ど真ん中だったので、顔を向けようと思っても、首が痛くて良く見る事が出来ませんでした。
真上を見上げると首が痛いのですよ。ハイ!
勿論、写真は撮っていません。撮るとしたら明日かな??

それはそうと、ハイツの自宅では、トルネード型の掃除機を使っているのですが、その掃除機のジョイントにこびりついたホコリを取るのに、小型のハンディ掃除機が必要なのは、参ってしまうよな??
掃除機を掃除機で掃除する・・って、超、笑えるよな??
それじゃあ、洒落にならないよな?
どうして誰も何も言わないのかな?
それは、当たり前の事なのかな?

まだ、二日なので、満月ではありません?
後、二、三時間で満月になります??
写真はデジカメではなく、スマホの写真です。
夜の公園から満月を臨む。





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3月3日

1週間程前の出来事なのですが、電動ノコギリの歯を取り付ける1aくらいの大きさのネジがtableの下に落っこちて、3,4時間も机をどかして探して見たのですが、とうとう出て来ませんでした。探す場所がないのに出て来ないのです。歯を取り付ける事が出来ないので、たった1aにも満たないネジ、一つで、ノコギリを使用する事が出来ません。
その後も降りに触れて探しているのですが、やっぱり出てきません。

今日は、朝ご飯が遅くなったので、昨夜の手巻き寿司の残りを食べたのですが、お醤油のちょいかけスプレーの蓋がtableの下に落ちて、また、出てこなくなってしまいました。足元に落ちただけなのに、tableをどかして探しても出てこないのですよ。
これって、Alzheimerとは関係ないよね??
落ちた所に見つからない・・というのは、やはり、ブラックホールなのかいな??


⇒なんと、7月の3日にノコギリ本体の奥から出て来たのだよ!!不思議だ!!


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3月4日「3月4日のオケ練習(左足の痛みと腓返りと摂眠障害等々)」

「3月4日のオケ練習(左足の痛みと腓返りと摂眠障害等々)」
この一週間は昼夜逆転の時間を過ごしてしまったのだが、今日はいつものオケ練習の日で、普段ならば熟睡している時間帯に、子供達の指導をしなければならない?
子供達の指導には、結構、体力が必要なのだよ??夕方の6時、7時にはもうバテバテなのだよな??それからの東京迄の移動が超辛いのだよな??
今日のために、昨夜の12時過ぎには、なんとか眠ろうとはしたのだが、昨夜はなんと、両足の腓返りに苦しめられてしまった? 寝ていて、これはなんとも痛い???
後、二時間でハイツを出発しなければならないのだが、その二時間さえも眠れそうにない?
それに、昨日からは、左足が痛くて、杖を出して、何とか歩いていたのだよ。
「一晩寝れば治るかな??」と思ったのだが、やっぱり、今日も歩けない。ベッドからトイレ迄の僅かな道行きさえままならない。車迄の動きや、駐車場から検見川教室の2階への階段が怖い??
困ったものだ??


眠れないままに、千葉行きの準備をしていたら、皮肉な事に、出発の2時間ぐらい前になったら、突然、眠くなって来てしまった。まあ、当たり前だやな??
「取り敢えず、小一時間ぐらいしか時間は無いのだけれども、仮眠をするか??」と、ベッドに戻って見たのだが、やはり、眠れない。
これでは、何時まで体力が持つか、分からないので、早過ぎるのだが、千葉への移動を開始する事にした。
移動をしてしまえば、千葉で、時間を潰す方法は幾らでもあるからだ。

オケ練習では生徒達にも、先生達にも「今日は全く眠れていないので、途中で体力気力が失くなる予定なので、ちゃんと手伝ってください。」と言っていたのだが、何時もの通りに、オケ練習だけは、誰も手伝わないのだよな?
・・というか、手伝えないのかな??

気力を振り絞って、実にオケのtime‐tableの時間に忠実に練習を進行させた。
6時50分から3分前に終わったよ??
最初のVivaldiのaも4分前に始まって、3分前に終わったからね??

オケ練習が終わって、生徒達のお迎えが終わる迄の小一時間に、ルミノスのrackを、梨紗と春暉に組み立てて貰った。
段の高さの微調整は、実際にnotePCやprojector等を置いて、その高さでの使い易さを見てからの話だ。
送って来たルミノスの棚板を取り付けるpartsの1個が割れていて、数が足りなかった??
昔のルミノスの場合には、必ず、予備のpartsが1個入っていたのだが、近頃は、数分(かずぶん)きっかりとしか入っていないので、一番近場で置いてあるお店の、駅前のbebeで買って来なければなるまい。
たかがparts1個でのnetでのお店に対しての、claimは、手間暇が掛かるし、私の負担が大きく、それをするには、超、かったるいのでね。

頑張って、車を走らせて、椎名町に帰って来たのだけど、足の痛みが酷いままなので、ドルプリっ歩はとても無理なので、一緒に、イトーヨーカ堂のお弁当を食べて帰ったのだが、流石に、最後の方では食べながら寝てしまったよ?? 
余りにも、眠たくて、味が分からなかったよ??

居眠り運転のバイクでハイツに何とか、辿り着いて、何もしないで、そのままベッドに直行した。
普段も、よく「何もしないで、ベッドに・・」と書いてはいるのだが、実際には、昭和産まれの私の場合には、「何もしない・・」という意味は、脱ぎ捨てた服や、楽譜等は、所定の位置に戻して、歯を磨いて・・と、寝るためのroutineを済ませて、それからベッドに行くのが、習慣なのだが、昨夜は、流石に、routineを果たすのは無理だと、断固、何もしないように自分に言い聞かせて、(片付けそうになるのを、しないように)頑張って??・・寝た。
どうせ、2,3時間したら、トイレに起きるのだから、その時に、やれば良い??・・という風に思うように努めたのだよ。
・・・と言う事で、今は、その(2時間後の)トイレtimeであるぞよ。

「夜間頻尿」の事なのだが、・・・
深夜、2時間起きにトイレに起きる事を「夜間頻尿」と言う。
当然、腎機能の低下によって起こる、既に病気とも言える。
私の場合には、高校生の時に「1年間大学病院に入院する」と言う大病を患って、その時に、度重なる医療ミスによって、腎臓摘出をしなければならないハメに陥って、大手術をして、それ以降は、腎臓が1個しか無いので、所詮は片肺飛行である。
しかも、歳を経てからは、腎機能も内臓の機能も極端に低下しているので、体調が不良の時には、起きて活動をしている時には、腎臓までenergyが行かないので、当然腎機能も一緒に低下する。日中に乏尿、無尿になる事はないのだが、いずれにしても、機能は低下するので、その分、夜、寝ていて他の臓器が休んでいる時に、腎臓がせっせと働いて、そのために夜のトイレtime(所謂、頻尿)になる。
今は深夜の2時過ぎなのだが、この小一時間の間に、トイレに3回も行った。
と言う事で、私の場合の睡眠時間は最初の睡眠時間では、内臓が半分は働いたままなのだよ。だから、そこで体内の疲労が取れる事はない。
そのトイレtimeの頻尿睡眠時間が終わると、(腎臓が役目を終えると、)今度は本当の睡眠時間が始まるのだよ。

その時には、toilette‐timeによる小刻みな覚醒は無しで、5.6時間の熟睡timeが取れるのだが、そういったluckyな事は日常的には、あまりない。
たまに、そういった熟睡が出来ると、体に蓄積された慢性的疲労感は、兎も角としても、なんとなく心が彈んで嬉しい。
「やっと寝れた??」という充足感があるからだ。
でも、そんな事は、月に1回ぐらいだろうかね??
一つには、意を固くした、「今日は働かないぞよ??」という意志が必要なのだよ??
しかし、日常の作業を、普通にこなしている分けでは無い。人の半分も出来ないで放置したままなのだよ。だから、小まめに、少しづつ、見つけた所を片付けていかないと、直ぐにゴミ屋敷になってしまうのだよな?



toilette‐timeに起きた次いでに、眠れないままに、Hennry purcellのtriosonateのg chaconne(発表会や八千代でbaroqueのperiodのAshizuka-versionとして演奏した曲です。)を、更に手直ししていました。(「しました。」と言う事ではなく、現在進行中・・という事です。「どうせ、眠れないのなら、」・・という事です。
「手直し」は、何百回となく、最初から音楽を聞きながら、楽譜のcheckを繰り返します。
それこそ、今日だけではなく、明日も明後日も、・・この曲を最初にapproachしたのは、2015年の5月の事で、私の独断で、baroqueのperiodの演奏を決めて、発表会と八千代のコンサートで、baroque‐violinによるperiodの演奏をしました。
それ以降(15年の5月13日)延々と、校正推敲を続けています。
Veraciniのpassacagliaに至っては・・云々、・・まあ、そんなもんでしょうね??どの曲も最終稿ではないのですよ。私が生きている限りです。

日曜日のオケ練習開けの月曜日は、全然使い物にならない・・というか、最初からもう諦めて、体のリハビリの日にしています。
だから、1日ウダウダとしているのですが、日曜日の緊張感が持続しているのか、疲れていても、よく眠れないのが普通です。緊張を和らげるには、鬱々の音楽を聴くと良いのですが、どうせ、聴くのならば、ついでに校正推敲をすると「時短」にもなるのかな??アハッ!
鬱々ではなく、元気な曲は、体調不良の時には、聴く事が辛いのですよ。nocturneのような優しい曲ですら、体が疲れてしまうのですよ。
だから、鬱々の曲なのです。

体のリハビリの機能も低下しているので、月曜日に頑張って、休憩日にしたとしても、一日では疲労回復は出来ません。
どうしても、火曜日迄も、日曜日の疲れが持続してしまいます。
つまりは、この所、火曜日迄も、ウダウダdayが続いています。
でも、それも、もう諦めました。
まあ、もう歳だから、無理をして、頑張らなくても良いのかね??
でも、80過ぎでも、90代でも、否、100歳超えの人でも、闊達に日常を普通にこなしている人達が多くなったのですよね〜ぇ??
お国や、時の総理に頼れなくなったら、100歳過ぎても、自分で頑張る他は無いからね〜え??
頑張りましょう、死ぬまでは??(二次大戦の時の標語かな??アハッ!嘘です。ハイ?)


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3月5日「玉三郎さんのお話」

何気なくテレビをつけたら、玉三郎さんが「娘道成寺」の細かい動きの解説をしていた。
手拭いを垂らして左右に振るのも、手で手拭いを振るのではなく、両膝で振ると、色気が出る・・、恋をするのではなく、恋に落ちるという表現が望ましい・・・等々と話をしていた。
本当に玉三郎さんは所作は奥が深くて美しい。
教育テレビなのに、ついつい見とれてしまうのだよな??

「クドキ」という言葉は、「功徳を積む」という仏教の用語から来た言葉だと思っていたのだが、「クドクドしい」という言葉から来たらしい。「クドク」は、歌舞伎の所作を表す大切な用語でもある・・と言う事は、全く知らなかった。
玉三郎さんは、娘道成寺の女心の微妙な心の動きを表す「クドキ」というtechnikを説明していたのだが、音楽の微妙な心の演奏表現の為にも、本当に勉強になるのであるぞよ??

「クドキ」の場面が終わると舞台の山が終わるので・・、お客様が引いてしまうので、次の場面転換の鞨鼓(両手に持つ小さな鼓)の場面が始まる前に、場面のchangeをしっかりとしてお客様の心を掴んでおかないと、次の場面に転換した時に、お客様が付いて行かなくって(お客様が引いてしまって)、舞台が失敗に終わってしまう・・。
鞨鼓の場面転換でお客様を引き付ける事が出来ないと、止まっている時も動いている時も、始まる時も、終わる時も、その所作一つ一つで、澱み無くお客様を引っ張っていかないといけないのだそうな。

「何の話・・??」って??
オケ練習の時の私の演奏指導の話なのだよ??
普段、オケ練習で私が口を酸っぱくして言っている事でしょう??
分かった??



全くFacebookの入力出来ない・・手直しが出来ないのだよな?
何だろね??Facebookは・・・???

玉三郎さんのお話は、オケ練習でも、丁度同じ事を、度々、注意しているのですが、手だけで感情を表現すると、音楽が表面的な演奏になって、魂が籠もる事はありません。薄っぺらな形だけの表現になってしまいます。
膝をちゃんと折って、体全体で音楽を表現すると、心が自ずから籠もって行きます。
でも、少しでも、その事を注意する事を怠ると、直ぐに(まるで日本人の先生に習ったように)形だけの表現に戻ってしまいます。
心を込めると言う事はそれだけかったるい事かも知れません。

「体を揺らす」と言う事は、日本人の場合には、情緒的、感情的に揺らすようなのですが、教室では、必然的なtheoryに従って、或いはviolinのbow‐technikの技術によって、揺らしを学びます。
つまり、「揺らし」は揺らすものではなく、「揺らし」の動きをちゃんと学ぶもので、自然に情緒的に揺らしているように、見えるかも知れませんが、ちゃんと学び、体得するものなのです。

ですから、Canonのような追っかけっ子の曲は、NHKの教育テレビのalgorithm体操のように、動きも追っかけっ子になるので、「揺らし」が情緒的、感情的ではなく、技術としての「揺らし」があるという事がとても分かり易いと思ったので、八千代の演奏では、canon並びではなく、順列並びに、左手から1st、2nd、3rdの順にならんで、「揺らし」の追っかけっ子を表現しました。
しかし、「動き」をpatternとして見る・・という事が出来ないと、やはり、分からないと言う事で、canonが、動きも、追っかけっ子になっている・・という事は、言われないと、分からなかったようですがね???


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3月6日 ・

「3月6日の火曜日です。」
今日は鬱が酷くて、気持ちのcontrolが出来ない。
昨夜から未だ眠れないのだが、まるで、4日の日曜日のオケ練習の時のrotationのように普段なら熟睡している時間に眠れないのだよ。
何度もベッドに潜り込んで、入眠に挑戦しているのだが、イライラとするだけで、眠くならないのだよな。
仕方がないので、Hennry purcellのchaconneとVeraciniのpassacagliaの校正と編集をやって、心のcontrolをしている。
しかし、鬱がその心のcontrolの邪魔をしているのだよ。

軽作業で、体を少し動かすと、心のcontrolも必要ないので、外に食材でも買いに、気分転換に行けば良いのだが、それが出来ない・・というのが鬱なのだよ。
駅を越したらスーパーがあるのに、その近場のスーパーにさえ、行く事が辛いのだよな??

引き籠もりの場合には、玄関(部屋の扉)を開けて外に出る事が出来ないのだが、私の場合には、引き籠もりではないので、天気を見たり、外気温の確認をするために、平気でスリッパのままに玄関を開けて、外気を吸う事がある。
外出のnecになっているのは、外を歩いている時に歩けなくなる事に対する不安だ。
それと、靴下を履く事が異常に辛い。(それは単に太っているせいなのだが・・??)外出の時に、「何を着て行くのか??」も鬱状態の時には、決断力が低下して悩んでしまって、途中で外出をやめてしまうのだが、それを防ぐために、着たきり雀・・という方法を取っている。
千葉行きの時の服装と、近場の江古田周りの服装を予め決めて置いて、悩まないでそれを着るという方法だ。だから、着る服を悩むという事は無くなったのだが、靴下は履くために、ベッドに行くという大手間が、pressureとなっている。
勿論、体力の事も・・・。。
我ながら、困ったもんだ??

今日も、気分が滅入るし、買い物にも行けないので、昔、心療内科に処方して貰った抗鬱剤があったので、それを飲む事にした。
薬の上限が60_なのだけど、20_のカプセルになっているので、20_の1回のみなら、前のように、動けなくなる事もないだろう。
入眠剤もあるのだが、それと一緒に飲むと、心療内科の時の再現の時のようになって、動けなくなってしまうので、今回は抗鬱剤だけにしておく。
食材の買い物は諦めて、兎に角、眠れるようにしよう??


抗鬱剤が何で入眠剤(睡眠薬)になるのか、よく分からないが、兎に角、鬱が少しでも楽になると、眠れるらしい。
熟睡出来て、toilette‐timeも無しに爆睡出来た。
完全に鬱が治った分けでは無いのだが、self‐controlは大分楽になった。途中で目が覚めて、食い物もないし、食材も無いので、乾麺のラーメンを食べて、腹を誤魔化した。
夜、目が覚めて腹に入れるものは無いのだが、だからと言って、セブンに食い物を買いに行く程の元気が戻った分けではないので、さあ、食べ物がない。
困った??

やっと寝れた?と喜んでいたのも、束の間の話で、直ぐに吐き気がして来て、気分も悪くなって来た?
多分薬の副作用だ?
仕方がないので、またまたベッドで眠る事にした?

頑張って、そのまま、寝たのだが、胃のむかむか感は治らない?
というか、ますます酷くなる一方である?
仕方がないので、梅湯でも飲むか???

梅湯を飲んでいるのだが、胃のムカつきは治らない??
何も食べていないので、腹は減っているのだが、胃はムカついている。
困った事だよな?
眠れないので、パソコンの前に座っているのだが、今度は、意識がtripしてしまう。
まだ寝ていた方が良いのかな??
昨日は1日ウダウダと寝ていたので、寝るのにも疲れたな??
もう、3日目だよな??いい加減、脱却しないとな??

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3月7日「最終稿のお話」

朝から森友学園の原本の話をテレビでしている?
今日のテレビは、どのchannelもレスリングのパワハラの話と、国会と役所の「原本を出す・出さない?」の話だけだ? 
マスコミは、もう何日もそのままの話を、手を変えて品を変えて放送しているだけだ?

こちとらは、鬱と不眠と体調不良で、すっかりへばってしまって、テレビをつけたまま、ベッドに入ってしまったので、聞きたくてテレビをつけているのではないのだが、コメンテーターの「どれが原本なのか分からなくなっているのでは?」…という「何処かでよく聞く」・・恐ろしい話をしているのを聞いて、思わず、身につまされてしまったよ?

勿論、忖度をして原本を改ざんする事は許されない事なのだが、不可抗力的に原本が分からなくなって来るのは、法律的な問題とは関係はないのだが、一般の会社でも、勉強をしている学生に取っても、書類の保存のsystem上の問題として、何処にでも有り得る事なのだからである。

役所の書類や会社の契約書等の場合には、受け付けた段階でそれが原本になるので、それが書き直されているとすれば、それは改ざんになるので、それは法律的にも許されない事は当たり前の事なのだが、個人的な芸術の分野に限って話を進めるとすると、・・・最終稿というものが存在しない場合も多い。

私の仕事というか、音楽という分野に限らず、多くの芸術の分野の場合には、最終稿と言うものは基本的に存在しない場合が多いのだ。
敢えて、「多くの芸術」という言い方をしたのは、陶芸のように、作ってしまうと修正の効かない分野の芸術もあるからだ。

陶芸家の多くの芸術家の人達は江戸時代から、満足の行かない作品は、割って、その作品が一般に流布しないようにした。
江戸時代の古い窯の後を発掘して、状態の良い作品を掘り出して高価な値段で売る・・と言う人達もよくいて、私も幾つか江戸時代のぐい呑み等を貰って所持している。
私がその作品を作った本人であったとしたら、頗る不本意なのだろうがね。
※)写真の順番が逆さまだけど、江戸時代の窯の後から出て来たお猪口です。


音楽の場合には、公開演奏や、出版を済ませた作品でも、第2稿、第3稿と修正を重ねて行く作曲家も多い。

私の場合には、昔は、最終稿を作ったら、なるべくその楽譜は見ないようにしておく事にしていた。
一旦、手直しを始めたら、全く別の曲になってしまう事が多かったからだ。
何度も、推敲改定を試みて、全く別の曲になってしまうので、途中で改定を諦めた事も何度もある。

文章の場合には、手直しのPageを差し替えれば良いのだが、作曲の場合には、その都度、曲の全体を浄書しなければならないので、その手間隙は、怠け者で面倒くさがりの私としては、その作業は、とてつもなく苦痛であったからだ。
私の個人的な趣味として、日本の文豪達の原稿のfacsimileも所有している。赤入れの跡が結構面白いからだ。
楽譜のfacsimileは、半分は趣味で、半分は仕事なので、完全な趣味とは言い難い。

Beethovenのように、個人的に浄書屋を雇って浄書させている作曲家は珍しい。
殆どの作曲家達は、自分で浄書をするし、Hindemith先生のように、orchestraのpart迄、自分で浄書をする作曲家さえいるのだから。
私が、自分の怠け癖について、Genzmer先生に相談をした時に、Genzmer先生が、恩師、Hindemithの勤勉性について、「驚いた??」と語ってくれた事がある。
勤勉性についてのadviceは無かったのだがね??

大学の勉強と、社会に出てからの作曲では、基本的に幾つかの違いが認められる。私も留学から帰国して、最初はテレビや音楽界での作曲家を目指そうとした事がある。
紹介されて、超、有名番組のBGMの音楽を担当すべく、NHKの看板であった番組の製作者と打ち合わせをして、そのまま大喧嘩になって、その後も2,3人の人達を紹介して貰ったのだが、結論的には、マスコミの業界の人達とは、私の性格上相容れないと言う事が分かった。

もし、そこで私が番組を担当して作曲をしていたとしたら、それは現代の職人としての作曲になる。
トドのつまり、自分の望むままに作曲をする事は、Mozart以来の作曲家達の夢であり、作曲家が自分の望む曲を書く・・という事は、所謂、芸術家の世界であり、clientのいない趣味の世界の話になるのだよ。(まあ、Classicの音楽の世界そのものが趣味にしか過ぎないのだから、致し方は無いのだがね??)

しかし、computerの発達は、私にも、多くの大芸術家と同様に、自分の作品の手直し、推敲のchanceを与えてくれた。
私は作曲家としての自分を、怠け者である・・と卑下していた。

音楽教室で音楽を指導するようになって、それ以上に、勤勉性を持った生徒達を高く評価する事になった。
そして、その勤勉性に対抗して、自分の性格を活かしたmethodeである「時短」の技術を開発する事に努めた。

「しかし、computerの発達は・・・」と続くのだが、私は「勤勉である」・・と思っていた生徒達、弟子達が、私が思うように勤勉ではない・・と言いう事に気づいた。
computerの発達で、wordやExcel の使い方を覚えて行く段階で、私は自分が無駄な作業が嫌なだけであった・・という事に気づかされた。

computerでは、その無駄な作業の場所は、コピペで簡単に済ませる事が出来る。
だから、校訂が、或いは推敲が必要な所だけに、全Energieを注ぎ込めばよいのだよ。
これなら、作業は頗る楽しい。
ちなみに、「勤勉である」と思っていた生徒達や弟子達が勤勉で無い・・という意味は、「勤勉」になればなる程、自分がやっている作業の意味を知ろうとしないからだ。
練習の意味を根本から理解しようとしないで、routineとして練習をする・・・??
しかし、それは、私にとっては、単に無駄な作業の積み重ねに過ぎない。
兎角、日本人は、「努力」という言葉が大好きだ?? 
「下手の鉄砲、数撃ちゃ当たる??」というのも日本人特有の考え方だ。
そういった日本人の精神論は、現代のglobalな社会ではもう通用はしない。
無駄はglobal社会では、経済的な損失として計算されて、負債として認識されるからなのだよ。

パソコンは、私達がこれまでやらなければならなかった時間的な損失である無駄な作業を私達から取り除いてくれた。
パソコンを使用する事で、修正推敲が極めて簡単に楽に出来る。
その修正の箇所だけを修正して、後は、上書き保存すれば良いだけだからだ。

その改定、修正が行き過ぎたと思ったら、元に戻すのも一瞬だ??
その改定、修正を保存をしなければ良いだけなのだからね。

生の原稿を大切にする文学の世界では、パソコンは、未だ余り使用されていないのだが、音楽の場合も、パソコンに疎い職人流の仕事法を取る演奏家達が多い。

音を電子音やKeyboardを使用する事の多いpopularの演奏家達には、もうcomputerが無くては何も始まらない。

作曲には、パソコンのコピペは極めて有効な校訂、編集の手段になる。
Mozartの手書き譜に至っては、コピペ(同じpassageが繰り返される)の箇所(所謂、再現部=reprise)を虫食い状態にして省略している。
※)譜例:Mozart Pianosonate K.333の赤で囲んだ部分・・・

そのために転調を含むpassageでは、細かい音の動きが分からないために、解釈の違いが生まれて混乱を招いている。調が変わると、微妙な音が変化してどちらの音になるのか??・・が分からなくなる場合も多いからだ。

CouperinやRameauの作品も、themaとCouplet、或いはDoubleに関しては、「thema、CoupletT、CoupletU、DoubleT、等々」と書き表していた。
つまり、出版されている楽譜がそのように印刷されているのだから、曲の形式の手順に従って演奏しなければならないのだよ。

日本版では、親切にも、演奏手順通りに印刷されているので、楽なのだけどね??
楽譜の量的には、半分で済む。



私が生徒にChopinのValseやscherzoの楽譜を渡すと、だ未Chopinの演奏の経験の少ない未熟な生徒の場合には、Page数で驚いてしまう。
その場合には、生徒と一緒に、繰り返される部分を、赤や青のグラフペンで囲って、練習しなければならない譜面だけをpickupする。
8Page、9Pageの楽譜が、僅か、2,3Pageに集約される。
後は単なる繰り返しに過ぎないからだ。
それはorchestraのbaroque音楽のritornello形式でも同じである。
所詮は「時短」の作曲のための「速記法」なのだよ。

昔、手書きで楽譜を書いていた時には、清書、浄書の譜面を作ったとしても、赤入れが入ってしまうと、全Pageを書き直さなければならない・・という、訂正されていない箇所も書き直さなければならない・・という超、面倒くさい作業が常に付き物であった。

computerの発達で、finaleというnotationのsoftが出来た事によって、写譜の手間、清書、浄書の手間が無くなったので、computerが購入出来るようになった次点で、一早く楽譜の入力(作曲)もfinale等のsoftで、曲の原稿を書くようになった。

と言う事で、私が作曲の時や、曲の研究の時に、五線紙上に譜面を書くと言う事は、この20年近くは、全く無くなってしまった。
手書きの五線紙の原稿が全く無くなってしまったのだよ。

手書きの原稿が無い?? 
その反故すら無い??と言う事は、その原稿を保存する事が作業効率を上げるための重要な要素になって来る。

音楽のsoftに限らず、パソコンでの総ての作業は、その作業を保存するのには、「別名で保存」と「上書き保存」がある。
当然の事ながら、第一稿、第二稿と上書き保存して行く分けなので、必ず同じ名前で修正校正推敲をして行かなければならない。

その稿を旧versionとして保存するには、必ず、名前を変えなければならない。
たった、それだけの「決まり」を守るだけで、元の原稿を間違えて削除したりという、凡ミスはしないからだ。

しかし、逆に、「上書き保存」をする時には、元のdataがもう必要はないのかどうかをちゃんと、確認しておかなければならない。
パソコンの場合には、一度「上書き保存」で元のdataを消してしまったら、元のdataを参照する事は極めて難しくなるからである。

これも、よくやるミスなのだよな??
上書きした後で、元の原稿をcheckしようとして、dataがないので、print outした旧稿があれば良いのだがもし無かったら・・という取り返しのつかない凡ミスとはもう呼べないミスをしてしまう。

この上書き保存というのは、日常の仕事や作業に置き換えると、作業の為に出した道具(楽譜等)を作業が終わった次点で元の場所に戻す・・という事と同じ事になる。
作業が完結していない場合には、どうしても出しっ放しにしがちなのだが、それが長期になると、ブラックホールになって、大切な原稿が二度と出て来なくなってしまうのだ。
「出しっ放し」というのは、超怖い事なのだよ??
ここまでは、誰しもある事かも知れない。
(人によっては「絶対にそれはない??」という人もいるかも知れないが・・)

私の場合には、その「出しっ放し」を避けるために、二段階の作業の場所を作ってある。
第一段階は、作業中の仕事の資料を、discの上に、置き場所を作って置く・・という当たり前の事なのだが、その作業が保留になったら、discに一番近い場所に、「現在進行中」という置き場所を作って、現在進行中の仕事とroutineの作業であるオケ練習の楽譜、室内楽の楽譜、one lesson用の楽譜と4段階に分類して置いてある。

「現在進行中」という分類があるのは、同時に幾つかの仕事を並行して作業しているからである。
その作業が更に、保留(所謂、長期保留)になった場合には、元の本棚に戻すのだが、その時に資料やfacsimile等も一括してfileに入れて、Titleを付けて戻す。
そのfile毎、抜けば、元の作業に一瞬で戻せるように・・である。
systemというのは、作業の内容が変わったとしても、同じ行程で作業が出来なければならない。
出来なければ、そのsystem自体を改造すれば良いだけなのだ。
systemが先にある分けではなく、どういったsystemが利便性があり、使い易いか??・・なのだから・・


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3月12日「ハイツからの朝焼け」

今日(3月12日月曜日)の、ハイツの仕事部屋から見た朝焼けです。
色的には、もう少し、赤が強いのかな?
スマホの中の補正では、originalの写真の方が、一番赤が強かったので、originalのままにしておきました




綺麗ですね!!

twilightは結構好きで、部屋の灯りを全て消して、blindを開けて見とれている事がよくあります。大嫌いな都会のビルの景色ですが、この時ばかりは、とても美しいです。「夕映え」は残念ながら、反対の方向なので、見る事は出来ませんがね??

ああ、ちなみに、cameraは、一番安いauのスマホのcameraです。携帯の写真も結構、凄いよね?こないだは、満月を撮影したし・・・??


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3月13日



けっこう若いなあ?何年前かなあ・・・・・

2000年の1月1日の写真です。
18年前と言う事かいな??

18年間で結構、このCembaloの部屋も、Fettとゴミが増えたようだな??
今や、ゴミ屋敷のゴミの部屋だなや??


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3月15日「ハイツの傍のコンビニ」

昨夜は、丁度、食事timeに寝過ごしてしまい、先生達が寝た頃に目が醒めてしまった。
何時もの通りに、ハイツでは、昨日のお昼に、お持ち帰りのお弁当を食べてしまったので、何も食べ物が無くなってしまったのだけど、外に、お弁当を買いに行くのも、かったるいので、諦めて、そのままお腹を空かせたまま、寝てしまった。
次の日には、定時に起きて、朝の仕事を片付けて、7時頃になって、15時間以上も空腹が続いていたので、そろそろ諦めて、頑張ってコンビニにお弁当を買いに1週間振りにハイツを出発した。(昨日の夜は寝過ごして椎名町には行けなかったのだが、通常は、火曜日の夜を除いて、事務所にバイクで駆けつける時間を無しにすると、江古田周りを徘徊するのは、1週間振り、否、10日以上、外には出ていないのかな??多分もっとになるのだろうけれどね??)

久しぶりに、コンビニに行って驚いたネ??
朝の6時から7時のgolden‐timeというのに、お弁当類の棚が全く空っぽのママだ。
お店の女の子に尋ねたら、お弁当が入るのは10時以降で、昨夜も夜から、12時間以上も一度も配送は無いそうだ。
超、shockだなや?
12時間も弁当の無いママのコンビニ・・という事は、このお店は、やる気はあるのかい??
今時、そんな大名商売をしていると、幾ら地の利が良くても、お店、潰れるよ??
まあ、私が心配する事ではないし、心配もしていないけれどね・・・??



お昼に先生から「昨夜の食事をお弁当にするから、取りに来れるか??」と言うmailがあったので、早速バイクで取りに行った。
頬に当たる風が爽やかで優しい。
「え〜っ??」もう、そんな季節になったのかいな??
後、5日で桜の開花だそうな??


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3月16日

https://www.youtube.com/watch?v=t0icEUJQNNo

この素晴らしい演奏とhistorische‐Cembaloの美しい音色に巡り合ったのは、私が中学生から高校生に差し掛かった時代です。LP‐Recordが長崎の楽器屋でも売られるようになったのは、私が中学生になったばかりの頃の話で、※)母から貰う昼食代を貯めて、月に1枚のRecordを楽器店で購入するのが最大の楽しみでした。(勿論、楽器を習う・・という事は、時代的にも、経済的にも、とても無理な事でした。)このRecordは、予定では、2枚組でしたが、HandelのCembalo‐suiteの1番から8番迄が収められていました。どの曲も驚く程、重厚でpatheticな素晴らしい曲で、見事な演奏でした。
そのすぐあとに、Clara HaskilのMozartのPiano‐concerto20番d mollと24番c mollの悲劇的な音楽に邂逅し、「この世にこんなに美しいものがあるのなら、音楽への道を歩もう」と決心しました。
中学生の頃の、単なるClassicのLibhaber(愛好家)から音楽家としての道を開いてくれた2枚のRecordの内からの1曲です。
※)私の小学生の時代は、sp‐Recordの時代で、故郷の家にある蓄音機のハンドルを回して、鉄のピンを挿して、意図も悲しげなnoiseだらけの音から音楽を想像していました。私が勝手にspのRecordを聞いても祖母は文句は何も言いませんでした。

音楽大学に行く頃になると、このRecordも大分ヘタって来て、ちゃんとした音が出なくなる恐れも出てきました。Recordは擦り切れて聞けなくなってしまうのですよ。
留学時代にWienに行って、当時は未だConservatoireであったWienの音楽大学の近くのRecord屋で、同じRecordを1枚だけ見つけたので、(本当はRecordの第2巻が欲しくて探しに行ったのですが・・)予備として買って来ました。

Anton Heillerは、WienのOrganとCembaloの教授で、先生に弟子入りを認められて実際に指導して貰うには、6年から7年待ちの超売れっ子の先生でした。有名な指導者は、6,7年待ちは当たり前の事なのですがね。自分の大学を卒業して、proとしての活動を続けながら、先生の指導の空きが出来る迄待ち続けます。日本では有名大学に入っただけで、お鼻が高くなってしまう人達が多いのに、世界の音楽家達は日本人とは違って、とても謙虚です。この姿勢が学べない限りの日本音楽家達が世界に本当の意味で認められる事はありません。
このAnton Heiller先生は、日本では余り知られていない演奏家ですが、ヨーロッパでは超有名な演奏家です。
盲目の現代の最高峰の演奏家として知られるHelmut Walchaと双璧をなす素晴らしい演奏家なのですが、Walchaの演奏が現代的で論理的な演奏で、使用するCembaloもmodern‐CembaloであるAmmer Cembaloを使用して演奏しているのに対して、Heillerの演奏は、historischeなCembaloで、当然、period的な演奏のstyleを取っています。
勿論、1950年代頃には、誰も未だperiodという言葉すら知らなかった時代なので、その頃にそういったstyleの演奏をすると言う事は、40年近くも時代を先行をしていた演奏家とも言えます。
私が大学生の頃は、Helmut Walchaは世界最高のOrgan奏者であり、Cembalistであり、Bachの権威だったのですが、今では、periodが主流に成りつつあるので、periodの奏者に評価が移りつつあります。


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3月17日

いよいよジャスミンの季節になってきましたね??
江古田の自宅から椎名町の事務所迄のバイク道では、ジャスミンの香りがあちこちに漂っています。私が「君知るや?南の国・・」の長崎に居た頃は、ジャスミンなんて渡来の花は未だ、何処にも無かったので、それが路傍の花のように線路下に自生している・・なんて事はありませんでした。
それこそ、あちこちの家々からジャスミンの香りがして来る・・なんて事は、近々の事で、私が長崎に住んでいた高校生迄の頃の、そんな昔々からではありませんでした。
写真の植木鉢は、お茶碗サイズの可愛い鉢ですが、金色の縁がとても気に入って、西武で買って来たものです。植木鉢を撮るにはangleが上から過ぎますが、今日の被写体は、あくまでもジャスミンなので・・




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3月19日

昨日(3月18日)の日曜日はorchestraと室内楽のrehearsal でした。四日市教室からのしおんちゃんが、深夜バスでrehearsal に来てくれて、オケ・リハが終わった後に、大学に入学が決まったばかりの男の子達が挨拶に来てくれて、急遽、大学生達ばかり集まってのrehearsal になりました。
実に良い雰囲気で、まるでSchubertiade(salon‐concerto)のような楽しい音楽の演奏の雰囲気でした。

「あれ?? 春暉君の写真が1枚も無い??」
実は、写真を撮影しているのが春暉君です。
唯一の中学生の康貴君も入れると、男性が4人も一同に会するのは、発表会やおさらい会を除いたら、時間的にも非常に珍しい光景です。
高校生、大学生ともなると、教室に来る時間が、皆さん少しづつズレてしまうのでね。

このdigital‐cameraは、本当は360度のpanorama撮影がcameraで、出来るのですが、その場で春暉君に渡して撮影して貰っているので、下の写真はpanorama撮影ではなく、合成写真です。
しおんゃんとち珠実ちゃんと春暉君の顔が写った写真がないのだけど、angleが一方向からだけだったのでね。
ちなみに、デジカメのpanorama撮影が出来るのは、動かない被写体を撮影する時だけです。演奏中の撮影は出来ません。
10秒ぐらいの時間を掛けて場面を移動するので、演奏ならぶれてしまうからです。
風景写真ならとても面白い写真が撮れるのだけどね。




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3月19日 ・

usen‐broadbandは、internetに無料のserviceとして、homepageが付いていたのですが、J-comの売り込みの人が、J-comにもhomepageのProvider‐serviceが付いていると、言われて、少しでも安いのならば、とJ-comに乗り換えたのですが、8月11日に配線工事に来た人が「昔はProviderのserviceもやっていたのですが今はやっていないので、Providerに個人的に契約してください。」と言われてしまい、始めて騙された・・という事が分かりました。

契約をする前には、何度も口頭では売り込みに来た業者の人に確認をしたのですが、それで安心してしまって、契約書を確認する時には、業者の人の説明で「宜しいですか?」と言われて一つひとつの確認はしたのですが、その中に、homepageの無料契約の項目が無い・・と言う事には、その時には、全く気づきませんでした。
そこら辺が、騙しのtechnikなのだよな??

芦塚音楽研究所のhomepageは教室のhomepageなので、事務所のProvider契約です。
それに、「芦塚先生のお部屋」のPageも内容は音楽関係のお話だけで、教室の生徒や保護者の方達を対象にして書いているので、教室のProviderに「相乗り」をしています。

それに対して、私の個人的な「鬱日記」や「病床記」は、私の自宅のinternetのusen‐broadbandでhomepageをuploadしていました。
と言う事で、昨年の8月からは、私の個人的な「病床記」は、homepageに公開出来なくなってしまいました。

本来的には、さっさと、J-comの契約を解除して別のProviderを探せば良いのですが、Mansionなので、導入されているProviderからしか、選択権がない、・・選べないので、困りものです。
Wi-Fiのような無線lanを使用するものは、skype等の映像関係がどうしても弱いので、未だwiredの方が動画、映像関係は勝れています。

U-com光契約時は月額1980円だったので、喜んで契約をしたのですが、「契約料が安過ぎるから」…と言って一方的に3980にされた・・という経緯があります。
2,3年前には、「新規の契約者には、永年198で契約をするというキャンペーンのチラシが入っていたので、超頭に来て「永年の契約者に対しての感謝の念がなくって、新規契約の人に対してノミにserviceをするとは何事だ??」とU-com光に電話で文句を言ったのですが、幾ら上司の話になっても、取り付く島がなかったのです。挙句の果てには、その上司の人が「198にするには一度解約をして・・」と口を滑らせたので、「U-com光との契約は取りやめる??」と宣言していたので、このJ-comの話は「渡りに船」だったのですがね??
「船で渡って見たら、行き先はボロボロだった」・・という事ですかね??
回線の通信量が弱くて、余り大きなdataを送っていたら、途中で止まる事も何度かあったりして、大手の方が良いのだろうけれど、yahoo等のProvider料は、倍以上の値段になって、高いからね???

「病床日記」は、私に取っては、日頃の体調管理にはとても重要な日記なのですが、毎日、日記を書く・・という勤勉さは、私は持ち合わせていないので、折に触れて、uploadするhomepageの「病床記」はとても大切な過去の情報の保存方法なのでした。

J-comにhomepageのProviderがなく、upload出来無かったので、今は、仕方なく、たまにFacebookに「病床日記」をupしていますが、Facebookは、寧ろ軽いchatのようなPageが普通だと思うので、もっと、公開性の低いhomepageで、uploadした方が良いとは思っているのですが、そういったMansionの回線の事情で、直ぐには別のProviderと契約をする事は出来ません。
今暫くは、諦めてこの状態から抜け出せるのを待つ他はありません。

「pech!」ついで・・・と、言ったら、その後の4日には、44年間も住み慣れた江古田教室でしたが、大家がかつてに不動産屋に売ってしまって、連絡がつかないままに、引っ越しのタイムリミットが近づいていたので、練馬区で物件を探したのですが、広い音楽教室が出来る物件を探したのですが、音楽教室可の広い物件は全く見つからなくて、やむなく、八千代の周辺で探す事にしました。8月の10日が一応のtime‐limitなので・・・(このお話は17年の8月のお話です。)

「病床記」のような、個人的な暗い内容のお話をFacebookにする・・という事に付いての弁解の話だったのですがね??
歳取るとクドクなるのかね??
否、ほんと・・??


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3月20日

「病床記」への追記の文章を、アチラコチラを開かなくても良いように、wellnesslinkのcommentの後に書くつもりだったのですが、文章が長くなってしまうので、新しくcommentを始める事にしました。

血糖値のdataが下がらないので、血糖値を下げるための利尿剤を増やしたのは、昨年の11月の10日の病院の時でした。
(この間は色々な事があったので、話がややこしくなってしまうので、先にtime-lineは前後してしまうのですが、血糖値の話だけを先にする事にします。)

この話の前提となるのは、私の腎臓が高校生1年生の時に、internの医療ミスによって左腎を摘出して、片肺飛行である・・という事です。当時は、未だ腎臓の摘出手術自体も珍しく、担当の医者からは「30歳になっても、生きている人もいるから・・」と、安心させるためなのでしょうか??力づけるお言葉を頂き、「何だ、余命は30歳・・という事か??」と不満に思った事があります。
つまり、最初に手術した人は30歳でも生きていた・・という事なのでしょうがね??
(似たような話は冠動脈の手術の時にも、色々と言われたのですが、それって今はドクハラになるのだよな??)

人によって異なりますが、腎臓が機能を停止すると、当然透析と言う事になります。私のように仕事を持っている人間に取っては、週3回、4時間の透析は、その日一日が失われてしまうので、致命的になります。右側の腎臓を生命のある限り、大切に活かして行かなければならないのです。

血糖値がこの10年間延々と上がり続けていて、薬も効いていないので、利尿作用を上げる事で、血糖値を下げる薬が17年の7月の26日に50r1T追加されました。確かに、利尿作用には少しは効果があったのかも知れませんが、血糖値は、余り下がらなかったので、11月の4日の次点で、その薬の量を倍の100rに増やす事になりました。 頻尿の始まりです。
しかし、頻尿になった以外では、余り血糖値には変化は無かったので、18年(所謂、今年の話なのですが)2月の16日の病院に行った時に、先生にお願いをして、利尿作用の薬は処方しないように、別の選択肢をお願いしました。
暫くの間は、頻尿は治って、乏尿を心配していたのですが、1日の尿量を量る迄は行かないので、透析を心配しながら、日常を暮らしていたのですが、2週間ぐらい前の3月12日あたりから、まるで、利尿剤を飲んでいるように、1時間起きにトイレに行くようになってしまいました。
え〜っ??? 
頻尿は薬とは関係無かったの??
これは超問題です。


ご無沙汰を致しました。幾重にもおいといくださいますように!


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3月20日 ・

今日は何と、Hoffmeisterのrehearsal とlecturelessonの動画の編集とYou Tubeへのuploadで午前中から夜の9時過ぎ迄掛かってしまった。
つまり、12時間以上も動画をuploadしているのだよ?? (勿論、働いているのは、パソコンで私はタダ待っているだけ・・なのだけどね??)
何度、uploadをしても、・・今までと同じaccountの「402a42ka」にuploadしているはずなのに、別のサイト(Googleのaccount)に保存されてしまって、履歴が付かないのだよな??
uploadして、削除して、またuploadして・・と、3回繰り返しただけで、9時間以上も掛かってしまったのだが、その間、「恨み重なる・・J-com」の回線は超ヘボくって、netが全く出来なくなってしまうのだよ?? 
mailすら出来ない?? yahooのサイトすら開かないのだよ??
仕事にならん??
腹立つよな??

諦めて、一度も使った事のないこのaccountに動画をuploadしたままにして置いた。
発表会が終わったら、削除する予定の動画なので、その時に、差し替えではなく、別のaccountを何とかapproachしてみるつもりなので・・・

・・・と思って放置しておくつもりだったのだが、やっぱりどうしても 納得いかないので、今は、次の日の朝になっているのだが、もう一度アップロードを試みて、やり直した。
アップロードをしている間は、私自身は暇なので、その間は、昨日からの疲れが取れていないので、ベッドで休もうと思って寝たのだが、今度はイライラして全く眠れない??
最悪のパターンである??
眠れないので仕方なく、またぞろ起き出して、computerやnetが全く使えないので、唯一使える携帯のnetで雑用をしている??
まあ、それに部屋の雑用も同時進行でこなした。
と言う事で、何とかもう一度(同じaccountではあるのだが・・)別のfolderの場所からuploadを試みた動画である。
これが駄目ならば、もう理解不能なのだが
・・・と言いながら、更にもう一回挑戦してみた。都合、昨日からのuploadし直しの回数は6回だなや???
もう、根性だなや!???


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3月21日

今日(3月21日水曜日)もAlzheimerなのか、(・・いや、時々ある事なのだけど・・、否、よくある事なのだけど・・)5:00に起きて、テレビをつけて窓の外を見たのだけど、全く夕方の5時7日、朝の5時なのか・・が分からなくなって、全ての時計やchannelを見たのだが、朝or夜・・am or PMの表示があるものがない。
テレビをつけると隅に時計のdigital表記がされて、時間が出ている分けなのだが、24時間表記だとしても、12時迄はam表記Pm表記の5時なのか、24時間表記の5時なのかは、分からないのだよ?? 
どうしてテレビや時計の表記をさせる人達はそこの所が分からないのかな~??

1時間程、朝か晩かが分からない状態が続いて、バタ狂ってしまった。
6時を過ぎて、やっと空が明るくなって来て、今が「朝だ」・・という事が魂上で認識出来た。
錯覚の心理と同じで、一度「朝だ?」と認識出来ると、今度は夕方と取り違える事は無い。
錯覚でどちらか分からない状態になると、頭が正しい判断が出来ない・・とpanic状態になる。(不安になる)

しかし、錯覚も一度正しく見えてしまうと、今度は、見えない状態を再現する方が難くなる。
脳の無意識の修正能力は、恐るべきものがある。
入眠や覚醒が正しく出来ている人達にとっては、夜寝て、朝起きる事は、自明の理なのだろう。
しかし、非常に多くの人達が、体調不良に起因する入眠障害で悩んでいる事も事実なのだよ。勿論、加齢によっても、その状態は引き起こされる。

日常で使用する道具で、私の場合、拘りとなって、溜に溜まって困ってしまう物となっているのは、カバン(バッグとリュック)と時計である。
カバンや時計は見た人達が驚く程、数を持っているので、時々、趣味で集めているものと勘違いされる事がある。
実際には、普段から気に入ったカバンや時計を探すために、何時も注意していて、「これは・・??」と、思った時に、折に触れて買っては見るのだが、結果は、何時も帯襷になってしまうのだよ??

カバンはポケット代わりの免許証や、保険証、小銭入れを入れるpochette代わりの小さな物と、仕事の楽譜を入れるためのA4sizeよりも、ほんの少し大きめのカバン、日常の生活用品(食料品)を入れるためのリュックの3種類が必要なのだが、A4sizeの書類の入る物となると、ビジネスバックになって、突然、大きく重くなってしまって、機動性に欠けてしまう。
後のsizeも似たり寄ったりで、全く選択肢がないのだよ。

つまり、pochetteは、同じsizeであったとしても、マチがないために、ジッパーの端に証書類が引っ掛かって入らないし、お洒落なカバンに至っては、A4の書類が入らない。つまり、ビジネス・ユースとは別の企画のsizeで作られているからなのだよ。
だからといって、ビジネス・バックは、重くって、とてもお洒落・・とは言えないのだよな。

時計に至ってはもっと酷い??
私の場合には、先程の時間・・つまり、amかPmか??という違いが直読出来るか否か・・と、もう一つ、私の場合には、子供達と同じように、時間と曜日で動いているので、「今日は何曜日か??」というのが直読出来る時計が必要なのだが、置き時計でも、「日にち」を大きく表示するものは、結構あるのだが、「曜日」を大きく表示するものは見当たらない。

amかpmか・・という表示も、表示されている時計はあるのだが、お義理のように、端っこに小さく表示されていて、一々、その置き時計を取り上げて凝視しなければ、見えないのだよ??

腕時計も、私は数本も持っているのだが、基本的には腕に時計をする事はなく、どうしても時計を持つ必要がある時には、懐中時計を持ち歩く。

携帯は常に持ち歩くので、以前のガラケーの時には、表示画面(待機画面)をanalogの時計にしていた。
ガラケーの場合には、常に画面がonの状態だったので、時計が必要ないぐらいに便利だったのだが、スマホに機種を代えたら、待機電力の節約で、一々、電源をonにしないと、時計を見る事が出来なくなってしまったので、頗る不便になってしまった。
だからといって、スマホと時計を合わせて持ち歩く気持ちにもなれない。

私の場合には、ガラケーに戻して、pocket‐sizeのnotePCか、tabletを持ち歩く方が、理に叶っているのかも知れないが、そうなると、またまた、notePC用に、Provider契約をしなければならないので、余分な出費になって辛い。

今日(3月21日水曜日)ですが、午前中は(昨日からのYou Tubeのuploadの作業に掛かってしまったのだが、Hoffmeisterのuploadが何とか終わって、午後になって本来の作業に戻って作業をしていると、突然、疲れが襲って来ました。仕方なく、取り敢えずは、「ベッドに入って眠ろう!」と試みたのですが、疲れているのにも関わらず、イライラして眠る事が出来なくって、またぞろ、パソコンで仕事をしながら、同時並行で部屋の後片付けをする・・という日頃の一日を繰り返してしまいました。
bedとパソコンを行き来しながら・・
要するに、何時もの「最悪のpatternの繰り返し」です。
外は季節外れの雪が降り止まない。
・・積りはしないのだけどね??


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3月21日 ・
携帯ではキラキラとしか光っていないけれども 実際にはかなり大粒の 花びらのような 雪です

LINEでも受信しましたよ(^^♪

lineは20秒しか送れない・・と言う事だったし、先生達のgroupだけに送信したつもりだったので、改めてFacebookにuploadしたのですが、・・と言う事は、私のlineのaddress帳の全員に送られた・・という事なのかな??
それは大変だ??

タイムラインという個所に出てました。私はLINEまだ初心者で、確かに受信の知らせが来たのに友だちのところになくてタイムラインに印が入ってたのでそこをクリックしたら観ることが出来ましたよ(^^♪

私もline初心者で、今日始めて動画をupしてみて、動画は20秒しかup出来ないという事とか・・色々学習しながらです。

私もマニュアルはなんでもほとんど読まないであれやこれやと操作しながら覚えるので・・・遠回りしてることも結構ありますけど(笑)

肝心要のlineのgroup送信には送れなかったようです。送っていないはずの所に勝手に送られてしまいました。

そうなんですか?group作られてるんでしたら、そのグループを表示してファイル送信でその動画のファイルをクリックしたら添付できるのではないかと・・・まああくまでも推測ですけど・・・

写真をselectして、lineのgroup送信にして、5分近く掛かって送ったのですが、送れませんでした。35秒ぐらいあったので、次に、19秒ぐらいまでtrimmingをして、もう一度group送信で送ったのですが、それでも送れなかったので、諦めてFacebookに送ったら、自動的にlineのtime‐lineに保存されたようです。

検索したらLINEは動画は現在動画の長さは5分まで送信可能となってすよ!

私の携帯で、撮った動画を送ろうとしたら、出て来たmessageです。
一番安いandroidなので、機種によっても送れる容量が違うのかも??
今は回線の残data容量が無い?!とか言われていて、それでも、送れないのかも

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3月24日

体調不良のために、雑炊を作って貰っているのだけど、流石に、毎日ともなると、飽きてしまうので、残った雑炊にトマトペーストとジュースを入れて、パルメザンチーズを入れて、Risottoにしました。
味の濃さは適当に調節出来るので、簡単に別の料理に変わって、それなりに美味しいです。ハイ!

トトロのマグカップに入っているのは、杜仲茶です。
随分、昔に飲んでいたのですが、暫らく続けていたら、体に合わなくなったので、捨てても良かったのですが、真空パックで保存してありました。

昨年の暮れ頃から、体毒が溜まっているように感じたので、ハト麦でも飲もうかと思ったのですが、dedoデドックス用の漢方を買いに行こうか、とも思ったのですが、体調不良の折は、直ぐ側のドラッグストアにも買いに行く気にもなれません。
それにこの杜仲茶も、何時迄も場所を取って邪魔だったので、それから始末する事にしました。

煮出し用の陶器製の土瓶で毎日作っています。
最後のパックが無くなったら、別の漢方に挑戦します。
漢方はその人に合うか、合わないかで、効果が変わります。
人に良く合ったとしても、自分に合うとは限らないのですよ。

先日、薬を総替えして貰ったのですが、利尿剤を無しにしたのですが、1月程は正常に戻ったのですが、この1週間は頻尿が起きてしまって、昨日のlessonで千葉に行く時には、運転中に尿意に襲われて、教室迄持たなくって、利尿剤を飲んでいる時のようにイトーヨーカ堂にトイレを借りに寄ってしまいました。

血圧の薬も新しくなったようで、薬が変わってから血圧が高くなって困ってしまいます。
血圧の薬は元に戻して貰った方が良いのですが、先生にも、考えがあるようで、戻すのを嫌がられているようなのでね。

薬の総替えは、一つは利尿剤の事もありますが、もう一つは昨年の暮れから薬疹が出て来たからです。
だからどの薬か分からないのだけど、アレルギーが起きてしまったのが、薬の総替えの理由なのです。


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3月25日

我が家のマスコット犬であるプリドルは、先生に「今日はお留守番だよ?」と、言いくるめられると、私が玄関を開けても、ふてくされて姿さえ見せない?
私が、部屋に入っても、頭さえ上げない?? 
徹底的な無視である?
でも、先生が「明日は、ブーブーで千葉行きだよ?」というと、盛大な「連れてって?連れてって?」のお迎えになる?
当然、今日は、rehearsal なので、連れては行けないので、徹底的に、無視無視dayである??
ownerには、もう少し、愛想よくしろよな??





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3月26日 ・

日曜日から薬が無くなったので、今日は朝一で病院に行こうと思っていたのだが、大きな病院に行くとなると、色々な科を転々と回されるので、二の足を踏んでしまった。4時前から、昨夜の後片付けや定時検査をして、5時6時には流石にお腹が空いたのだが、病院に行くには、血液検査があるので、食べれないのだが、4時間も空腹を続けているのは、流石に辛いので、今日病院に行くのは止めにして、今日は、ニャンコ号の荷台の発注に掛ける事にした。
3時半頃目が覚めて、結構鬱が酷かったのだが、病院に行かない・・と決めた途端に鬱が治った。アハッ!

荷台の注文は、またぞろ、発表会直前の無茶振りなので、朝一からmakerに何度か、電話をして、適合機種と製品のselectをして、やっと、一つを選び出した。
明日、銀行振込をすると、何時荷物が事務所に着くのかを確認した。
発表会に間に合わなければ、注文する意味はないからね??
ドタバタと、お昼迄掛かったのだが、取り敢えず、注文は出しておいたので、業者も発表会に間に合うように、急いで準備は開始しているはずだが・・。

男の子達が皆さん大学生になって、地方に行ってしまうので、苦力がいなくなってしまったので、搬出搬入の作業が大変だ。

なるべく物を少なくする工夫はしているのだが、どうも難しい。



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3月27日 ・

今日は18年の3月27日、中々消費出来なくって残っていた生たらこを、これ以上置いていては、もう傷んでしまう・・という事で、椎名町から持って帰って来ました。
一緒にバターも2a角、持って来たのですが、(理由は、基本的に私はバターを食べないので、料理にもバターを使う事はないのです。)だから、バターは事務所から持って来ないとハイツにはないのです。
そのバターと生たらこを潰してお皿に敷いて、パスタをアルデンテで茹であげお皿でまぜ合わせます。
真面目に強めの塩水で茹で上げるのはとても大変で手間も掛かるので、若い頃は兎も角として、今は、簡単にレンジでチンで茹で上げてしまいます。
勿論、高血圧なので、塩抜きなのですが、生たらこも、バターも結構塩分が強いので、麺迄強めの塩で茹でると塩分の取り過ぎで大変です。
私は結構岩塩や、海水から作った塩のコレクションをしています。
お砂糖も、黒糖からきびざとう迄色々な種類の砂糖をコレクションしていますが、それはマジコレクションで、実際に食する事はありません? 
食材に塩を使う事は私は殆どないので、生野菜等も、好みのドレッシングがない場合には、他の市販のドレッシングはかけないで、そのまま食べる事の方が多いのです。
私のoriginalのドレッシングもありますが、近頃は滅多に作りません?
生たらこのパスタは、そのままでも、塩加減も丁度良い出来上がりになります。
最後に、刻み海苔を振り掛ければ出来上がりです。
私、お得意の、・・超簡単手抜きのレシピですよね??
刻み海苔は、もう20年近くも月一で送って来るように頼んでいる生蕎麦に付属で付いて来るのですが、私は、基本的に蕎麦に海苔は、味や香りが強過ぎて、折角の蕎麦の味や匂いが無くなってしまうので、小ねぎや生山葵や、山芋等々の薬味で食べるので、刻み海苔は全く使いません。
だから、結構、溜まってしまうのです。
タラスパは、一般的なレシピでは、フライパンでパスタとタラコを一緒に、火を通すようですが、それでは折角のたらこの美味しい味を落としてしまうし、折角の生たらこの色が白っちゃけてしまうので、とても勿体無いと思います?


またまた、折角書いた文章が全部ぶっ飛んでしまった??
すっかりやる気が無くなったので、暫らくこのままにして起きます。   ハイ!


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3月29日 ・

本来ならば薬が切れてしまうので、先週の土曜日には病院に行って処方して貰わなければならなかったのですが、大きな病院になれば、またまた、色々と問題もあるので、(何処かにその問題点は列挙したと思うのだが・・)病院に行く事がかったるくって後回しになったままで、とうとう水曜日を迎えてしまいました。薬の処方がどうも合わず薬を代えて以来、血圧が非常に高くなってしまったので、**先生の常で、「このまま、暫らく様子を見ましょう!」となってしまうので、血圧のdataを1月分をprint outして持って行く事にしました。

利尿剤をやめても、尿量や頻度が変わらない事、血圧が下がらない事、体重が落ちない事等を説明して、薬を元の血圧の薬に戻すようにお願いしたのですが、いつもの通りに、腎臓に対しての利尿を促す薬との相乗作用で血圧が下がるという説明で、「もう少しこの薬のままに、様子を見ましょう!」と言って、前回の処方のままでした。

前回は、足の踝が非常に痛かったので、痛み止めのロキソニンを貰ったのですが、今回は、足の痛み等は無かったのですが、そのまま、ロキソニン迄も、処方されていて、薬局でそれに気がついたので、電話をして貰って、ロキソニンは無しにして貰いました。

マジにsecond opinionに行かなければならないのかも知れませんよな??

病気でなければ、とても良い医者なのだけどね??


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3月30日「春の夜嵐」


お昼間は暖かい・・と言うよりも、夏のように暑い・・と言ってもよい素晴らしいお天気だったのですが、深夜12時を回る頃から、冷たい北風が吹き始めて、バイクで椎名町から自宅への帰り道で突風でバイクが飛ばされそうになってしまいました。
自宅に辿り着くと桜の花びらが、夜嵐に渦を巻いていました。
あ〜あ、折角の満開の桜の花が・・・??
勿体無い??
昼間はとても暖かかったのだけど、多分、夜は、寒くなるだろうな??・・と予期して、薄手のブルゾンを持って行っていたので、バイクでの、帰り道は何とかなりました。
季節的には少しズレているのかもしれないのだけど、一応は花冷え・・とでも言うのかな??
写真は花園のグリーンベルトの恒例の桜です。兎に角、ここの桜は毎年、凄い??


自宅に辿り着いたのは、12時過ぎになってしまって、超、疲れたので、食料品も含めて、何もしないで、そのまま、寝てしまいました。
朝起きた時には、腰痛で動けません。体重や血圧を計ってパソコンに取り込みながら、少しづつ動くために体をほぐしています。



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3月30日 ・

毎日毎日、寒暖の差が激しいので、冬物の服と厚手の羽毛布団等が狭い寝室に散乱して、ゴミ屋敷状態になってしまいました?
流石に、昨日今日の温度では、もう冬物は押し入れに仕舞おうと思ったのですが、非常に多くの課題があって、また、狭い場所での作業を強いられる体力気力が必要なので、今日、その作業をしようかと思ったのですが、収納の場所を作って、物を捨てる所からの作業になるようで、一筋縄では行かないようです?
いやぁ、困った????困った?

昨夜からの冷たい北風が激しく吹いているのですが、南向きのベランダは無風状態で、ポカポカ陽気なので、仕舞い込む予定の厚手の羽毛布団を日干しする事にしました。とは言っても、長年使っていない物干し竿を中性洗剤で拭く所からの作業です。腰痛もあるので、息を切らしながらの作業になりました。
仕舞い込む予定の物は、冬の出したままで一度も袖を通さなかった厚手の服も一緒に干そうと思っているのですが、布団を干した所迄で、一休み、一休み??
有漏路(うろじ) 無漏路(むろじ)の一休み (・・「漏」は穢れ、煩悩。)

それはそうと、昨日の千葉行きでは、何とお金を持って行くのを忘れてしまっていました。普段は携帯か免許証が入った黒バッグを忘れるのだけど、お金を忘れたのは始めてです。
そのうち、帰る家を忘れたりして・・・???


2時には太陽が沈み始めるので、一気に温度が下がります。慌てて、布団を取り込み終わった所です。


寝室が羽毛布団に占領されているので、昨日は、意を決して・・防虫剤と真空パックを押入れから頑張って取り出しました。ここまで出来れば、布団を詰め込んで空気を抜く作業は大した事はない。出来ないのは、押入れから真空パックを取り出す作業だったのだから・・。
何とか、布団をパックに詰め込んで掃除機で空気を抜いたら、何か「サー??」という音がする。二重のジッパーをcheckしてみたのだが、しっかりと閉まっている。では、掃除機の空気抜きの所から空気が抜けているのだよな??これは如何ともし難い??1,2時間もすると、すっかりと布団が膨らんでしまっている。また、押し入れに戻す時に、もう一度、空気抜きをしよう??


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3月31日「baroque唱法」

以前も多分Facebookにuploadしておきましたが、久し振りに、また聴きたくなったので、もう一度uploadしておきます。しかし、椅子に座ったままで何で、発声が出来るのだろう??不思議だ??
高音域でも、力を抜いたままでmessa di voceの発声が出来るのは、凄い??
periodなので、一般的には名前は知られていないと思うのだが、凄まじい実力です。美人なのは兎も角としても、
tiorbaの伴奏が何とも良い雰囲気ですよね??
これぞperiodです。

私は一応作曲家なので、genreを好き嫌いをする事は出来ませんが、Bel Cantoの強い発声法は余り好みではありません。こう言った Theodor Stormの小説「Ein stiller Musikant」に登場する歌姫の歌声のように優しい響きで、心をほっこりとさせてくれます。

この舞台は前にバロックダンスとかもやってましたよね?そういうのばっかりやっている教会なのかな?日本にはないかね?こういうバロック演奏にピッタリな綺麗な教会か舞台。


教会や舞台は幾らでもあるのですが、知り合いでもないと、中々貸して貰えないし、売りの教会は結構高く吹っ掛けて来ます。Cembalo込とか、Organ込ですが、

有料にして、客を集客すれば、Payは出来るのかも知れないけれど、無料の持ち出しでは結構辛い

以前、私がやっていたcantataの時の教会は、ギャラは無かったけれど、ご馳走が凄かった??
10名ぐらいの編成のcantata‐orchestraなのだけど、それでも人数なので、「出費が大変では??」と言ったら、教会も持ち出しではないそうで、ちゃんと本部からお金が出るのだそうです。お客様は教会が集めてくれるので、こちらがなにかをする事はありませんから、曲をちゃんと演奏すれば良いだけなので、とても楽でしたが、但し、それで生活は出来ないのでね??

.
長崎に戻れば、下の浦上天主堂のやな幹事をやっている人が私の同級生で医者なので、彼に頼めば何時でも演奏可能なのですが、長崎じゃあね〜ぇ??periodを作るのは無理だよな??私の年齢制限で・・。ああ、でも幹事が医者なら、可能かも??

素晴らしい!??
こんな風に私も、歌えるようになりたいものです・・。


いやはや、美しい歌声は兎も角として、それ以上に私が驚いたのは、座ったままで歌っている??という事ですよ??
pianissimoからのlong‐toneのmessa di voceを座ったままで、楽に息を溜めている・・って言うことは、肺の下の腹筋は、どうなっているのかな??
或る意味、それは驚異ではないのかな??
歌の事はあまり分からないので、どうしてそんな事が出来るのだろう・・て、素人目には思ってしまうのですよ。

ちなみに、私の友人子供の頃から近所のmilanoのopaに忍び込んでoperaを見て育った美しい女の子は、当然、Bel Cantoで、milanooperaが日本に公演に来た時に、遊びに江古田のlesson室に来てくれたのですが、Richard Straussの四つの最後の歌から、夕映えにを歌ってくれたのですが、私が伴奏をしていて、鼓膜が破れるか??と思ったよな?? 
本当に窓ガラスが割れるのではないか・・と心配しました。
歳を取ると、Bel Cantoが辛くなってしまいます。
こう言った優しい歌声の癒やしに包まれていたいです。
メイクーンでも良いけれどね?? ニャンコのツンデレは付いて行けないのだよな??

最大限に声量を生かすベル・カントを学んでいるからこそ(まだまだ不完全ではありますが)、「引き算の美学」でmessa di voceを習得しなければ、と思っております。
引き算と言うと、一見、楽なようですが、その為には倍以上に「丹田から足の土踏まずまで」支えが必要になりまして・・!??

そうなのでしょうね??しかし、このお嬢さん、足を斜めにして楽に椅子に座っているように見えますよね??
この発声、或る意味、私のperiodの歌い方の理想なのですがね。

そこが謎なのです!本当に、どうなっているのでしょうね???

私は以前、フースラー発声法を推奨する先生に師事した事があり、
腹筋のみならず、大臀筋や太腿の筋肉を「締める」唱法を教わってから、座った姿勢でも高音が出せるようになりました。
しかし、支えを入れる度に体が多少上下するのは隠せず、上に挙げて頂いた女性のように、寛いだ雰囲気で歌う事は、まだまだ難しいです??


それに、最後のlong‐toneのmelismaでも、声量が落ちないのですよね~ぇ??
勿論、konsonanzの響きなのだけど


もう、脱帽です!??


messa di voceの奏法というのは、baroqueや古典派の時代の「歌の練習法」から来た奏法なのです。
それを弦楽器や他の楽器が真似をして、konsonanz奏法として、演奏に取り入れられているのですが、弦楽器でも1800年にTourteが現代bowは発明してから、そのkonsonanz奏法は失われてしまいました。
極、限られた超、有名な歴史的なsoliste達が現代でもその奏法を平気で使用しています。pianissimoでも、会場の隅々迄音を響かせる奏法です。その奏法を習得するには、まず、konsonanzの音を聴き取れるようにすれば良いだけですが、現代人は、al denteの芯の音だけを聴く癖が付いていて、中々響き=所謂、konsonanzの音を聞き取ろうとしません。先代の八千代組のorchestraでは全員がkonsonanz奏法が出来たので、corelliのla foliaでも、2人編成の超少ない人数でも、大音量を出す事が出来たのですが、今の子供達は、未だ勉強未満で、大学生が今現在やっとkonsonanzの奏法を学んでいる・・という段階なので、夢よ再びのoopartsは難しいようです。まあ、頑張っては見ますがね??

浜までは、海女も 箕着る 時雨かな

誰だったかな??思い出せない??

思う所があり、先程、ウチの猫が寝ている側で歌ってみました。
特別怖がった様子は無く、ウィンクを返してくれたので、どうやら「うるさい声」では無かったようです。
たまには、猫を師匠代わりにするのも良いかも知れません(笑)

私の兄貴がfluteの練習をすると、猫がいつの間にかいなくなって、練習を終えるといるのだそうです。私は傍にはワンちゃんも猫ちゃんもいないので、しかも、練習もしないので、そういった経験はありませんが


では、もう一つ、例のおじさんの歌声です。
https://www.youtube.com/watch?v=roJSYFu3pYk

このおじさんのVivaldiをもう1曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=Pms4a0Gih4U



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4月1日「You Tubeに対しての勘違い」

You Tubeに誤解がある質問があったので、回答をしておきます。
質問の内容は、ある人が「お友達が演奏会を開いたのだけど、その人の演奏をYou Tubeで検索したのだけど、検索出来なかったので、proとしての評価がなされていないのでは??」・・という質問でした。

しかし、それは大きな間違いで、You Tubeで検索して、ヒットするか否かは、原則として、その人かその人の仲間(それを動画の権利者(演奏者か主催者)と言います)が、You Tubeにuploadしたか、していないか・・という事なのです。

会場で「とても演奏が良かったから」と言って、フアンがその演奏を、(好意として・・であったとしても、)他の人が他の人の演奏をYou Tube等にupすると、それは著作権の侵害になってしまいます。
ですから、法律的には、処罰はされなかったとしても、You Tubeのuploadは削除されてしまいます。
その演奏者や管理責任者が、そのuploadに対して、異議を申し立てると、その動画の削除の通知が管理者に来ます。

また、一度、You Tube等にupしてしまうと、その動画は、自分のsiteからURLが拡散されてしまう事があります。
勿論、勝手に、他のSiteに使用されたりする事もあります。
但し、一応、You Tubeでもuploadする時に、著作権保護のために「その動画の管理者か否か?」を尋ねられます。

ですから、You Tubeは人気投票とは違うので、その動画の持ち主か、それに近しい管理責任者の人がuploadしない限り、その人の演奏が勝手にSiteにupされる事はありませんし、当たり前の話なのですが、access数は年月が経てば自然に増えて行きます。
つまり、uploadした年月日が古ければaccessの数は多くなるし、uploadしたばかりなら、accessの数が少ないのは当たり前なので、それは評価の基準にはなりえないのです。

また、access数はTitleの表示の仕方にもよって変わります。
Titleを日本語表記にするのならば、accessは、基本的に日本人だけでしょうし、原語表記をすると、世界中にappealは出来るでしょうが、その分、日本人の中では、maniacな人達だけが閲覧する事になります。
教室のように、「period」とかいう単語をTitleにつけると、もっとaccess数が減ってしまって、超maniacな人達だけが閲覧する事になります。
当然、access回数は減ってしまうのですが、その分、一見の客はいなくなります。(教室の場合には、Facebook等では、友達限定で限定公開なので、当然、access回数は少なくなります。access回数を上げたければ、発表会という項目を削除して曲名だけにして一般公開にすると、一気にaccess数は上がります。或る程度、視聴者をselectしているのですよ。)

また、You Tubeの動画は、人に広く知られる事を目的としているので、その動画がCDやDVDのように、現行で営利目的に一般発売されている場合には、売りあげ上の問題がある・・という事で、レコード会社とかその曲の演奏団体がuploadを削除する場合も結構あります。
「聞くのなら、金を払ってdvdを買ってください。」と言う意味の削除です。
でも、同じ演奏家でも、人によっては、DVDを買わなくても良いから、演奏を聴いて欲しい・・という人達も結構います。
DVDを作っていない場合の演奏家達にとっては、自分の演奏を知って貰う意味でも、名前を覚えて貰う意味でも、You Tube等にuploadする事は、自分の演奏をより多くの人達に聴いて貰う方が良いので、拡散を希望する人達も多いのです。

また、著作権に関しては、その権利所有者が演奏家のみではなく、一つの曲に対しては、演奏に対する権利と、作曲著作に対する権利があります。作曲者の権利は良く知られているように、死後50年、作曲者やその親族に著作権料が入りますが、出版物そのものに対しての権利もあります。
と言う事で、曲に対しての権利・・とは、当たり前の話としては、演奏者が演奏した事に対しての権利、作曲者が作曲をした権利、出版社が出版した事に対しての権利・・です。

ここまでは、納得なのですが、これも、中国の標章登録と一緒で、全く作曲者とは関係のない人が著作権を持っていたりして、困ってしまう事があります。
日本のご当地名物を、中国人が登録をしていて、逆にご当地の人達が登録料を払う事を要求される事がある・・という事です。
同様の事は、音楽にもあって、Vivaldiとは関係のない人が(勿論、作曲家の著作権は死後何百年も経っているので、無いはずなのですが、)著作権を取る場合があるのです。

杏梨ちゃんが八千代で演奏したVivaldiのcello‐concertoの2楽章が典型的な例です。(なぜか2楽章だけなのですが・・・)
通常は出版社が出版に対しての版権を主張するのならば、一理はあるのですが、全く無関係に何処かの誰かが勝手にVivaldiのcelloconcertoの版権を取得したのです。

popular音楽ではないし、baroqueの結構、maniacな分野の曲なのですから、access数も限られているので、それでお金が入って来る分けでもないし、なぜ、出版社でもないのに、版権を申請して通ったのかは理解出来ません。(You Tubeのaccess数は1万回を越さないと、お金になる分けではありませんし、単位は10万回のaccessでやっと幾らかの金額になります。精々1万円になるかならないか??ぐらいの・・)

自分が演奏会を開いたとしても、自分自身か、近親縁者かがYou Tubeにaccessしない限り、You Tubeで幾ら検索を掛けても、その演奏を聴ける事はありません。
色々な人達に自分の演奏を聴いて欲しければ、自分で一度You Tubeにuploadすると、興味を抱いた人達が拡散してくれます。

以前にも同じ事を説明しましたが、著作者の権利は死後50年ですが、版権(出版社が出版に関して持っている権利)は、切れる事はありません。
ですから、Vivaldiの版権も存在しています。
Blu-rayやDVDには映画を見る・・という前提で、著作権料がdiscの料金に加算されています。
dataというdiscは映画をdubbingしない・・という前提なので、その分安くなります。
Classicの音楽家達はパソコンが苦手な人達が多いので、You Tubeと言ってもaccessの仕方も知らない人達が多いと思いますよ。


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4月2日「オケ練習や室内楽の練習の集合時間について」

昨日は発表会2週間前の練習でした。
私は体力体調の関係で、3回オケからの、orchestraと室内楽の練習をcheckしてlectureしているのですが、1曲1曲の出来具合は、相変わらずsolisteの意識でorchestra全体の出来に影響します。
同じ練習時間であっても、練習の成果に或る程度の差が出来てしまいますが、こればっかしは、私の指導能力の粋を尽くしても、如何ともし難いものがあります。

室内楽については、オケ練習の後でしか時間が組めないので、(オケ練習の前には、2回オケや小さな子供達の室内楽等が組み込まれているからです。)どうしても、遅い時間でも練習可能な上級生のlessonになってしまって、小、中学生達の練習は時間切れで見る事が出来ません。
小、中学生の場合には、練習の出来よりも、お迎えの時間が、どうしても優先になってしまうので、時間厳守になってしまうので・・
学校とは違うので、出来が悪くても、時間を延長してlessonをする・・という事は出来ないからです。
そこは巷の音楽教室の限界かな??

時間を優先するのならば、曲のNiveauを落として時間内で練習可能な曲にすれば良いだけなので、それも配慮しなければなりませんね。
塾の場合には、成績でクラス分けをするので、或る程度のbalanceは取れるのですが、昔は兎も角としても、今の生徒数ではそれも出来ません。

オケや室内楽の集合時間とお迎えの練習の終わりの時間なのですが、これも、誤解があるようなので、何度も保護者の方達に確認をするように言っているし、何度も文章として、申込み用紙等にも書いているのですが、誤解は治らないままです。

教室の練習の時間として、決められた時間は練習の開始時間と練習の終わりの時間です。
ですから、集合時間はそれ以前の時間でなければならず、お迎えの時間はそれ以降の時間になるのです。

では、なぜ、その準備開始の時間やお迎えの時間をrealtimeで連絡しないのか??・・という事ですが、練習を開始するためには、弦楽器の生徒の場合には、楽器を出して、譜面を準備して、調弦をして・・、と音出し開始迄に掛かる時間があるのですが、それは遅い子供では30分近く掛かる生徒もいるし、5分で準備出来る生徒もいるのです。
勿論、弦楽器だけではなく、Cembalo担当の生徒も、Cembaloのcoverを外して、準備して、・・等々、それぞれに役割があるので、その時間はそれぞれの生徒によって違います。
だから、生徒一人ひとりに「自分が準備をするのに、必要な時間を計るように??」と毎回言っているのですが、年齢が下がれば下がる程、理想の時間と現実に掛かる時間は違ってくるのです。

それ以上に、保護者の方には、教室から言われた、練習開始時間が集合時間になる・・という勘違いがあるようです。
でも「あなたのお子さんの場合には、準備に**ぐらい掛かるので・・集合時間に**時間をプラスしていらしてください。」とは中々言えないのですよ。
曲によっても、違うし、年齢が上がって要領が良くなると準備時間はどんどん短縮されて来るし・・ネ??

そのお話は、当然、練習の終わりの時間でも同じで、練習が終わって、後片付けが終わって、ドアを出る迄の時間は、高校生達なら、5分も掛かりません。しかし、小学生では、20分以上も掛かる生徒もいるのです。
つまり、その時間は教室では決められないのですよ。

そういった準備に掛かる時間で、練習の時間に食い込んだ時間の事を、私は「intervalのloss-time」と呼んでいて、曲と曲の「loss-time」time係の生徒に計らせて、書かせています。
曲の練習がちゃんと出来ている曲の場合には、曲と曲の間のintervalは非常に短く、3分とか5分ぐらいで次の曲に入れるのですが、曲の出来が悪い曲の場合には、曲と曲のintervalは20分掛かっても準備が終わらない場合もあります。
30分の練習で、20分のloss-timeが出来たとしても、教室としては時間を延長する事は出来ないのです。
それは本人達の問題なのでね。
videoを編集する時には、そのintervalに要したragtimeは編集でcutしてしまうのですが、実際には練習時間の半分にも渡る事はザラなのですが、その原因を作っている生徒は、ほんの一人二人なのですよ。

室内楽の曲決めは、今回は私はtouchしていないので、昨日になって(発表会の2週間前になって)始めて室内楽のcheckをしたので、time-overになってしまい、曲の1Pageをlessonしただけで、時間切れになってしまいました。
この曲もウダウダの無駄話が多過ぎて、練習時間が無くなってしまっただけなのです。しかし、それなら、怒鳴りつけてでも、喋らないようにさせればよいのでは??と思われるかもしれないのですが、叱ってメゲてしまうと、音楽で引き出すべき、パワーのような意識の部分が欠落してしまうのですよ。

先生の話にお集中する事で、お喋りをしなくなると、その時間内にちゃんとlectureをする事は出来るのですが、そこが出来るか否かが、上級生と小学生のlevel差なのかな??
勿論、子供達の室内楽が終わった後では、上級生のlessonが、音出しの時間ギリギリ迄、あります。

timelimitで生徒達の練習が終わって、更に上級生のlessonが終わった後では、rehearsal や発表会に使用する楽器や道具の準備で車に積み込み、移動と積み降ろし作業があります。
その大変な所は、何時ものように、春暉君や梨紗ちゃん(芸大桐朋組)が手伝ってくれたのですが、だから私としては、何も重いものを持つような作業はしていないのですが、何時もの事で、腰痛になって、明け方には、ベッドから起き上がれなくなって、歩けなくなってしまいました。
トイレまで歩いて行けないのですよ。・・と言うか、起き上がる事すら出来ないのですよ。
これは、カイロ的には「寝腰」というらしく、少しずつ慣らして行くしかありません。

時間を戻して、千葉から11時に椎名町に到着して、食事を半分寝ながら食べて、超急いで自宅に戻って、12時になったのですが、それはとても早い方で、普段ならば1時、2時の予定なのですよ。

自宅に到着してからは、食料品だけを、何とか冷蔵庫に放り込んで、楽譜等の腐らない物はそのままにして寝たのですが、1時間半ぐらいに、困った事に目が覚めて眠れなくなってしまいます。・・これは確かに病気だなや???

体もバテているし、腰痛も酷いので、パソコンでの作業はやめて、ベッドで体を休める事にしました。
珍しくMunchen時代にmasterした仰臥脱力をしました。(日本的には仰臥禅とでも言うのかな??)時間が無くなるので、これは良い方法なのですが、集中力を要するので、気が飛び散っている時には出来ないので、普段はやらない方法なのですがね??
seisi精神的に落ち着いている時には、脱力等やる必要は無いし、眠れない時には、イライラしているので、精神的な集中等は出来ないからね・・??
今日は満月らしいですよ?? 桜に満月とは、乙なものですよね??


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4月2日J.S.Bach Aria in D

この演奏がbest‐selectという分けではありませんが、今は忙しくて、best‐selectの演奏を探す時間がないので、本番2週間前という事で「取り敢えず」・・なのですが、純正調の和音に耳を慣らす為の演奏です。
これでも、それなりに美しいですぞよ??
負けないように、頑張って演奏しましょう?????

https://www.youtube.com/watch?v=pzlw6fUux4o


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4月4日

日、月と、何とか頑張ったのだが、火曜日からは、とうとう体のcontrolが利かなくなって、今日はbedから起き上がる事が困難になってしまった。
toilette-timeにbedから起き出して、toilet迄歩いて行くのも大変なのだが、そのついでに、動画の編集作業を少しでもやろう・・とするのだが、パソコンを前にして座ると、瞬時にtripしてしまう。※)
でも、不思議な事に、ウダウダと、無意味な時間を費やしているように思えても、日頃の、「何時に」・・・「何をしている」・・という絶対時間のrotationは、今回のように、状況が悪化しているように思えても、普段と、余り変わらないのだよな??
寝たり・・起きたり・・で、お昼の12時近く迄、頑張って、また寝て・・・と、2時間睡眠のintervalを、何度となく繰り返しているのだ。

とは言っても、よくよく日常を思い起こすと、毎回の月曜日、火曜日には同じ事を書いているよな??
つまり、それが、毎週の月曜日と火曜日のrotationなのだよな??
「きょうは・・??」と思っても、よくよく考えて見ると、何時ものroutineのrotationだよな??

なにを言いたいのか??・・って??
こういう状態の時には、何とか頑張ろうとはしないで、体に任せれば良い・・という事を自身に確認すれば良いのだよ??という自問自答なのだよな?

※)瞬時にtripと言えば、ProviderがJ-comに変わってから、You Tubeの動画をuploadしようとすると、全てのnet関係の作業が出来なくなってしまうのだよ。つまり、mailも見れないし、yahooのhomepageも開かなくなってしまうのだ。
ひたすら、You Tubeへuploadが終わる迄、2時間、3時間待たなければならないのだよ。作業を始めて、突然、仕事がfreezeしてしまうのだ。
それも、パソコンの前で、tripする原因の一つではある。


4月1日の総合練習 京成検見川教室でのVivaldi cello-concerto a mollT楽章の練習風景です。

https://www.youtube.com/watch?v=mMukTiDobmU


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4月5日Vivaldi Op.[Nr.11 D RV210の初版本の銅板印刷譜です。

綺麗だよな??



18年4月1日の総合練習のlecture-lessonの風景です。

https://www.youtube.com/watch?v=QQTEgWsORTY&t=889s

Vivaldi violin‐concert Op.8Nr.11D 18年4月1日lecture‐lesson Mio9jahre alto
.
昔の音符ってコンピユータの音符より綺麗ですねえ〜

じゃあ、彫刻刀で銅板を削る???

参考までに:


春だ??


今年は春はあったのかな??
冬と初夏と、今日は真夏らしいけれど・・??
春です。
すごく綺麗ですな??

え?秋ですよ?


そうだ??
譜面を見ると未だ秋ですよね??
パソコンでは画面が小さくて見えなかった??
・・けど、季節がよく分からないのだよな??

気を取り直して、こちらが「春」です。


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4月7日

今日(四月七日)…というか、もう昨日(六日)の事になってしまいましたが、午後には、baroque-violinのパーツの打ち合わせや、車の棚の組み立て等の雑用があって、午前中に動画の編集等を片付けて、「さてviolinの工房に打ち合わせに行こう?」と、バイクのセルを回したら、昨夜(五日)はなんともなかったはずのセルがうんともすんとも言わないのですよ?
バイクはキーを抜くと、全ての電源が落ちるので、車のように、バッテリーの点けっ放しはない?・・・(というか、教室の新しい今の車は、半ドアや助手席のシートベルトの嵌め忘れに関して迄も、極めつけに、警告音が煩いのだがね?)
時間がないので、仕方がないので、キックでエンジンをかけた?
昔の、バイクに乗っていたのだから、キックはお手のものなのだよ???
バイク屋迄バイクを走らせて、「昨日までバッテリー上がりの徴候はなかったのだけど?」と言ったらバイクの場合には、突然、バッテリーが落ちる事は、よくある事なのだそうだよ?
という事で、一日、仕事回りなのだが、昔ながらに、キックでバイクを始動させていたのだよ。でも、昔のバイクと違って、1,2回で始動出来る。※)
バイク屋には、今日(七日)のお昼にバッテリーの交換に行く迄、丸々1日、バッテリーの充電をして貰っている。
今回は発表会の進行表の入力や、program作成のお手伝いが殆ど居なかったので、斉藤先生が目一杯でup・upしているので、バイク屋に行く次いでに事務所に手伝いに行くか・・??
※)昔のバイクと違って、1,2回のキックで・・と言う話なのだが、バイク屋に聞いた所では、今のバイクは、電気が少しでも残っていると、キックで始動するのは可能なのだが、私が昔乗っていたカブやmonkeyとは違って、電気が完全に飛んで死んでしまうと、キックでは始動出来ないのだそうな?その状態でもキックで始動出来るように、今改良中なのだそうな?


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4月7日「NHKで言っていた、若者の失踪が30万人にもなるそうだが・・」

「近況」
お昼を過ぎた頃(一時半頃)、突然突風が吹いて、空気が冷たくなって来た。
さてさて、今日の予定を、バイク屋から、はじめなければ・・・・とても今日中に、間に合わなくなってしまうぞ??・・と言う事で、今日の雑用を始めようと思ったのだけど、車のリアシートがワンちゃんの抜け毛でとんでもない事になっているので、バイク屋に寄る前に、テレビで宣伝していたこびりついたペットの毛をとるスポンジを買いに、ペットショップ・コジマにバイクで立ち寄ったのだが、ワンちゃん専用のコロコロしか無かった。

コロコロなら、普通typeのコロコロの小さいのがハイツにも、教室にもあるからね。
高い値段でワンちゃん専用のを買う必要も無いだろうし、スペアのテープも特殊になっているので、それをわざわざ買いに行くのも、てぇへんだ?

(削除したはずの文章が、突然、復活してしまって、見てみると全く同じ内容の話が書いてある?
またまた削除しなければならない?
本当、Facebookの不具合は腹が立つ?)

今日は一日、体が重くって動けません。仕事にならない。
コロコロなら、家にあるので代用出来るから、買うのはやめて、バイク屋に向かった。
バイク屋でバッテリーを交換して、violin工房に行って、指板に貼るornamentの相談に行って、椎名町に着いた。

たった、それだけの事なのに、何かしら大仕事をしたように、疲れたのだよな??ようするに体調不良なのだよな?
チョッとだけ、事務所の雑用をして、直ぐにパソコンの作業をするためにハイツに戻った。

ハイツに戻って、パソコンの椅子に座って「さあ、仕事をしよう」と思ったら、そのままtripしてしてしまった。
慌てて、ベッドに入って、2時間程、ベッドで意識を喪失して、ドルプリっ歩と晩の食事のために、またまた、椎名町に戻って、1時間ドルプリに付き合ってウダウダ散歩をした。

「仕事が立て込んでいるから」、と言われたので、仕事の邪魔にならないように、事務所で食事をするのはやめて、ハイツに弁当を持ち帰って食べる事にして、持ち帰りのパック詰めを頼んだら、その持ち帰りの準備を開始するまで35分も待たされた。

「35分も待たされた」・・という意味は、教室の仕事である・・「Faxでの遣り取り」を弁当を作る事よりも優先したので、「食材をタッパーに詰めて」・・とかいう単純作業に入る迄に、35分も待たされた・・という意味であって、それから食材をタッパーに詰めて、それを持ってバイクに乗って自宅に戻るまでの話は、その後の話だ。

という事で、何とかハイツに戻って来たのは、2時になってしまったのだが、明日の出発のための準備をするのに、手間取ってしまって、3時過ぎ迄掛かったのだよ。

何故に、そんなに時間が掛かったのか、というと、椎名町を出る辺りから、超、鬱が酷くなって、(今回はマイナスの鬱で・・)人生が虚しくなってしまって、思考と体の動きが停止してしまったからだよ。

「NHK のdocument番組で10代、20代の失踪が30万人にもなるそうだが」
それはそうと、夕方の8時頃の事だと思ったのだが、パソコンでこの文章を打っている時に、偶然、NHKで「10代から20代迄の若者の失踪が3万人になる」・・と言って、documentをやっていた。

そのお話は、40年も前から、私が繰り返し、言い続けている事に過ぎない事だけど、心理学的には極めて当たり前に起こり得る事なのだけど、その表れ方が、スマホの子供達への広がりで、lineやsnsになっただけの事で、子供達の反抗心が強ければ、家庭内暴力になって、親をバットで殴り殺すのだけど、大人への反抗が出来なければ、自殺や自閉症や引き籠もり等になってしまうのだが、家から逃げ出す・・という意味で、失踪になったに過ぎない。

「親に対しての反抗」・・それが出来ない程弱いから、escapeして、家庭から逃げ出すのだよ。snsが、昔は無かったから、当然、自殺をするか、それも出来ない場合には引き籠もりになるし、それも出来ない程、両親の束縛が強く、本人が弱い場合には心身症になるのだよ。一度、心身症になると、基本的にはもう治らない。一生、やまいを引きずって行かなければならない。

大人は、社会的な道義や世間の一般的な常識で、子供達を縛ろうとするのだが、それに耐えられないから自分の事を知らない人達の所へ逃げ出すのだけど、それは心理学的には、昔からSNBP(負の転換点)という言葉で知られている。

これ程有名な心理学用語を、Interviewerは知らないのかな??
その言葉を知らないままに、Interviewするという事は、余りにも子供の社会的教育に対して、無理解で無知だと思うよ??

何時もの事なのだが、interviewする側の基本的な姿勢は、子供達(若者)の心の闇を理解する事、「分かろう」という姿勢に徹する事なのだ。

そういう態度ではなく、失踪する子供達が、精神的に未熟だから・・とか、社会性が育っていないから・・という、子供達の未熟さを引き出そうとするNHKのInterviewerの姿勢は許せない。

子供達の気持ちを理解しようとしないで、責任を子供達になすりつけるだけなので、Interviewerは、素っ頓狂な質問を子供にブツケている。自分の人間性の無さ、思いやりの欠如を如実に表している。

まあ、有り難い事に、今、子供が家に毎日、毎時間、ちゃんと、戻って来ている家庭の親達には、「自分達の子供がそういう事になるかも」・・というのは、他の家庭のお話で、 とてもとても人ごとで 理解出来ないだろうな??

でも、40年近く教室をやっていると、そういう話はチョッ中あるのだよ??
何も今起こった話ではないのだけどね??snsが若い子供達にまで、広がった事で、SNBP(負の転換点)が年齢的に早くなっただけの事なのだよ??


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4月9日

昨日(4月8日)は、発表会に向けての最後の練習でした。2回オケ室内楽までのgroupはmini-rehearsal とone point-lessonだったようですが、3回オケ※)からはrehearsal は無しにしていきなり練習に入りました。勿論、進行が遅れに遅れていたので、時短のためです。
※)2回オケ、3回オケは、練習の回数です。基本的に申し込み制です。但し、練習回数は、建前は2回オケは2回の練習と、3回オケは3回の練習のはずなのですが、実際には自主練習(※2)が入るので、3回オケは月4回になって、毎週の練習になってしまいます。
八千代組は、pro-versionの練習なので、原則、音楽優先の条件優先での申込みになります。3回オケの生徒達は2回オケの曲は、既に学習済みなので、助っ人で、練習や演奏に参加したりします。
指導する事が学習の基本なので・・ネ。

私の個人的な話なのですが、色々とhappeningがあって、楽譜やcamera(デジカメなのですが)ポット等々をバイクのシートの中に忘れてしまいました。
色々と積み込み時の雑用が多かったので、てっきり積み込んだと思ったのです。ドルプリも積み込んだしね??
棚が2段になったので、下の段については、視覚的に確認がし難い・・と言う事なので、これから以降の積み込み時の要注意点ですよね??



cameraを持って来るのを忘れてしまったので、スマホの写真です。(道具一式を袋毎忘れたので、当然cameraもないのです。)
曲はMozartのkirchen-sonateなので、主役はPianoなのですが、自治会館では、Pianoが隅っこにあるので、一番遠くに微かに写り込んでいます。
と言う事で、angleを代えて・・・



angleを変えて撮影した写真なのですが、自治会館では、Pianoが隅っこにあるので、何時もPianoの生徒だけ写真に後ろ姿しか写りません。
と言う事で、私のスマホで顔を入れて撮影しました。
今度は、オケの子供達全員が後ろ向きになってしまうので、練習の時の写真撮影はやっぱり無理ですよね??
ちゃんとした写真は、発表会の時に期待しましょう??






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4月9日 ・

またまた、この写真について、書いた文章が無くなってしまいました。腹立つな~あ〜??
私は、60歳前後から、リュウマチが酷くなって※)指が全く動かなくなってしまったので、人様の前で演奏する事はしなくなったのですが、始めての鬱々を中学生の生徒が演奏するので、伴奏をする生徒を探したのですが、Faure の独特の揺らしが難しいので、伴奏で引っ張らなければならないので、「pianoの先生でも無理」…という事で本番前に、急遽、先生から無茶振りで、伴奏をする事になってしまいました。
私は、柔らかく弾いている時でも、pianoの絶対音量がかなり強いので、grandpianoの蓋を全閉めにして、頑張って、出来る限りのpianissimoで演奏してみたのですが、3/4分数のsizeでは、幾ら、八千代の(semi-conよりも小型の)grandPianoでも、これ以上音量を抑えるのは無理・・という事で、四苦八苦している所です。これ以上Pianoの音を抑えると、音が抜けてしまうので・・ギリギリの所で演奏しています。
また、急遽、頼まれたので、伴奏合わせの時間が取れず、直前に、軽い打ち合わせ程度の練習を一回やっただけで、「本番の合わせ」という恐ろしい事になってしまいました。現役時代は、proの演奏家達とは練習の時間が組めないので、電話で打ち合わせをして、本番と言う事もザラにあったのですが、流石に教室の生徒の伴奏でそれは、無いわな??
まあ、師弟コンビという事で、何とか「合わせ」を乗りきっているのかな?

※)リュウマチ( rheuma )は、高校生、大学生の時から、血液検査で、潜在的な存在が分かっていて、60歳近くで発病する事は宣告されていました。大学時代にリュウマチの時の痛み止めを既に、貰っていたのですよ。60歳になっても、一度も痛み止めは飲んだ事は無いのだけどね・・・??




んん?
発表会で?聴けるんですか?芦塚先生の伴奏?
伴奏気になっちゃいますねぇ

先生が弾いてるの聴いてみたいです!!

YouTubeにはupしているのですがね〜ぇ??

先生としての尊厳が…??

おぉ?すごいですね??

君でしょう?? 君・・???

次いでに、当時の演奏をuploadしておきましょう??
おう、キャワユイ?? 
何年前だったのかな??
https://www.youtube.com/watch?v=6KBWjPo2Y2Y

Faure Apres un reve cellosolo shuka Yamamoto12Jahre alt

そうですね??
めちゃくちゃ懐かしいの出てきましたね笑

access数はもうちょっとで、850です。珠加ちゃんのbachの無伴奏はもうすぐ2000ですよ?
相変わらず、評判が良いです?

ええそうなんですか???
みてみますね?!

HoffmeisterやBoccherini、Genzmerの演奏をYou Tubeにuploadしておきました。
桃迦ちゃんと美音ちゃんのVivaldiは下手側の赤カメのSwitchの押し忘れで、顔のupが撮れなかったので、お母さんのvideoを待って保留中です。

雲仙の従兄弟のホテルでの演奏風景ですぞ??
曲はキュイのorientalです。




You TubeにuploadしているのでURLを載せて起きます。
お袋の介護の帰り道なので、練習は当然やっていません。
と言うか、家のPianoも壊れたままで弾けなかったのでね。

https://www.youtube.com/watch?v=cw03DhL9Xa8

Orientale(オリエンタル)Cui violinsolo Junko Saito.wmv


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4月9日「最後の練習」

昨日の最後の練習の続きなのですが、何時もの通りに、昨日の練習の時に演奏の変更を伝達したので、「risちゃんやtmkちゃん、tmちゃん、sonちゃん達」の大学生組が発表会当日の連絡になってしまいますので、私が覚えている所だけ確認をしておきます。他の大学生は練習に参加しているので、連絡は必要ないので・・・。

総合練習で、「何を注意したのか、忘れてしまった?」ので、videoでcheckしようと、SDcardを事務所から持って来て、パソコンにdubbingしたのだが、何と、BeethovenのQuartett以降の動画が全く入っていなかった。
つまり、checkをしようと思っていた、動画が一つも入っていなかったのだよな。困った事だ。超、問題のBoccheriniや、Hoffmeister、それに、一回も通っていない恐怖のGenzmerも動画が無かったのだよな??
Genzmerは2ndの二人だけでは心許無いのだが、応急的に斉藤先生が入って練習したら、中々良い音で歌って弾けるのだけど、要するに自信が無いのだよね??
暗譜だけではなく、入りが分かっていないので、怖いのだよな??
pointは決まっているので、ちゃんと楽譜上で勉強すれば良いだけだがね??

(写真はこのangleでも、全体が入らない。・・Kontrabassが切れて入り切れないのだよな?)
練習風景で唯一桃迦ちゃんが写り込んでいる記念すべき写真ですよ?(検見川教室では、オケバックの影になって、写らないのでね?




Vivaldiのcello-concertoのa mollの練習が途中からなのだけど、videoがあったので、色々な変更もあるので、後、5日しかないけれど、一応uploadしておきます。telop(これも和製英語だけど・・正式名称だと誰も通じないので・・)だけでも、見ておいてください。

https://www.youtube.com/watch?v=xAUPstYhKVI


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4月10日

今日(4月10日)、寝室に閉じて、置いたままになっていて粗大ゴミになっていたroom-runnerを、頑張って、使えるように場所を作った。
ゴミ屋敷のゴミ寝室で、room-runnerを稼働させるだけの場所を作るのは、大変な手間で、動画をYou Tubeにuploadしている間だけの時間が掛かったよ。
アハッ!

市販の格好良いroom-runnerは耐荷重が100`未満が殆どなので、気を付けなければなりません。中には、とてもお洒落なのだけど、耐荷重が70`迄の女性用というのもあるので、男性陣には注意が必要です。
・・と言う事で、私のroom‐runnerは、中国製で不格好で不安定なroom‐runnerなのだけど、唯一、耐荷重が100`程度でも大丈夫で、100`以上の耐荷重のroom‐runnerは基本的には業務用しかないので、非常に高価になります。しかし、私のroom‐runnerは、普通の家庭用で、しかも、安いので、別に気に入って買った分けではないのだけど、昔々、他に選択肢がないままに、仕方なく買ったのだけどね。

それはそうと、room‐runnerを何時でも使用出来るように置く、そのSpaceに元々あったゴミの山を、何処に片付ければ良いのか、これも、大変な問題だよな??
そもそも、片付ける場所がない・・・??
断捨離が出来れば良いのだが、仕事で使用する事が多いので、今直ぐには使わないとしても、捨ててしまう事は、物の性格上、難しいのだよな?

去年の暮れ辺りから、薬が合っていないのか、体調不良がとみに酷くなって来て、近頃は、プリドルのウダウダ散歩でも、疲れて歩けない時があるので、パソコンの合間に少しでも足を動かせるように、足踏み式のを買ったのだが、1分ぐらいしか続かない。
足踏み自体は、軽くって、体への負担は感じないのだが、結構、大腿の筋肉に来るのだよな? 直ぐに、歩けなくなる。
同じ運動をroom‐runnerですると、5分ぐらいは何でもないのだけど、足踏み運動自体がネジリが入っているので、筋肉に結構負荷が掛かるようになっているのかな?
しかし、まあ、1分、2分しか続かなかったとしても、1日に何回も乗り続ければ、totalでは20分、30分は行くはずだしね。

パソコンの作業は、無駄な待ち時間が多いので、その都度やれば、結構な時間になるかもね??
但し、部屋が狭いので、部屋の中を移動する度に、足をぶっつけてしまうのは、困るよな??
一々、端っこの方に立てて寄せておくには、少々重すぎるのかな?


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4月11日

月曜日は持ち帰り出来る食材がなかったので、火曜日のお昼迄には冷蔵庫の中の食べ物を食べ尽くしてしまいました。
「夜食は外に食べに出るか?」と思っていたのですが、仕事が思ったよりも時間が掛かったので、気がついた時には、寿司屋とラーメン屋しか開いていない時間帯になってしまっていました。
体力的に、チョッと思ったよりもバテてしまっていたので、食事は諦めて、そのまま寝てしまいました。

と言う事で、朝起きて珍しくコンビニに朝食を買い出しに行きました。

外に出掛けるにあたって、一番、精神的にも肉体的にも負担になるのは、「靴下を履く」・・という作業なのです。
服は常に着たきり雀なので、迷う・・という事はなく、すぐに着れるのですが、靴下を履く事は、結構、心臓に負担が来るし、膨れ上がった足首の血流を止めてしまい、酷い時には、足首が痛んだりします。

昨夜は、部屋の空気が淀んでいたので、窓を開けたまま、(うっかりして)寝てしまったのですが、起きて見ても、肌寒いくらいで、大した事はないので、靴下を履かないままに、近所のコンビニ迄、お弁当を買いに出かけました。

しかし、やっぱり、何時もの通りにコンビニのお弁当の棚は、スッカラカンで、食べれるものが全くないのですよ。
6時半というgolden‐timeなのに、どうだかね〜ぇ??

食事をして、薬を飲んで、パソコンの作業をして、恒例の二度寝、三度寝を繰返して、定刻の1時になって、またぞろ起き出したのですが、何と朝とは違って、肌寒いし、凄い風の音がしています。
公園の子供達も、午前中はいっぱいいたのに、早々と一人も居なくなってしまったようです。

・・と思ったら、夕方のテレビで今日の都内全域の強風の事故のニュースをやっています。
江古田の駅前だけか??と思ったら、関東全域だったのね?? 
そりゃ、また??





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4月12日この所、睡眠が上手く行っていない。


今日も朝から寝起きが悪く、起きても体が動かないし、寝直そうと思っても、中々上手く眠れない。
周知の事実ではあるが、睡眠を上手に取る・・という事は、1日の生活の充実度を左右する事でもある。

私の場合、仮に何とか寝る事が出来ても、睡眠がよく取れていない原因は、睡眠時の鼻詰まりである。

一般的には、「鼻詰まりは横向きで眠ると、解消出来る」とされているのだが、私の場合にはそんな生やさしいものではない。横向きに寝たとしても、鼻詰まりは直らないのだよ?

(以前も書いた覚えがあるのだが、探し出せないので、同じお話をする事になるかも知れないが)・・・、椅子に座った状態でいると、鼻詰まりが無くなるので、息が出来て熟睡出来るのだが、その分、座ったまま脱力してしまうので、その分、腰に負担が来て腰痛が起こってしまう。
こちらが良ければ、あちらが・・・の話だよな?

昔、パイパス手術の後で、江古田の住居部分の部屋で、何時でもチョッと休憩が出来るように・・、と言う事で、折りたたみ式のカウチベッドを買ったのだが、「場所を取る」・・という事で、その後、断捨離として、捨てられてしまいました。
私は何度も反対したのだけどね??
この所、余りにも鼻詰まりで眠れない時が続くので、意を決して、もう一度、折り畳みの椅子typeのカウチをハイツ用に買った。
(ハイツは私しか居ないので、誰にの文句は言わせないもんネ??)

今日のような眠れない時には、絶対に必要なベッドなのだが、置き場所がなくて、寝室の奥に置いているので、出すのに一手間で、疲れて、体力が無い時にはベッドを出す事が出来ない・・という悪循環なのだよな?(元気な時には、普通に眠れるしね??)

眠れない事、・・体調が戻らない事に、ブツクサ文句を言いながら(誰に??・・わからん??)鼻の掃除をして、ベッドに戻って、仮眠をしたら、何とか定刻の1時半迄は休む事が出来た。

無論、熟睡出来たという良い睡眠とは程遠いのだが、睡眠の時間だけは確保出来たので、今日は取り敢えずは良しとしよう。
さて、仕事に入るか??


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4月12日

千葉の発表会迄には、後、中2日しかないので、無駄なあがきと思われるかも知れませんが、実際には、動画を見るだけでも、少しは違って来るので、今日は頑張って動画を編集しました。
You Tubeにuploadしておきますので、一度は開いて見るようにしてください。このD Durの曲は色々な箇所で変更があるので、確認をしておいてください。
一度、uplordしたのですが、最初の部分のお喋りが無駄だったので、
videoの編集をし直しました。元のvideoは削除して、もう一度、uploadをやり直しました。
access‐countは0になってしまいますが。そちらの方がすっきりとして良いので……


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4月13日「曜日の感覚が・・・」

先週の日曜日(4月8日)の次の月曜日から、曜日の感覚が1日ズレてしまい、火曜日が水曜日に思えてしまい、水曜日のrotationで動こうとして、困ってしまいました。何度も、「今日は火曜日?? 夜の食事は自宅で一人ぼっちで、する日だよな?」
と、実際には、曜日は分かっているのに、どうしても感覚的には1日進んで水曜日の感じでいました。
こう言った場合には、無理矢理に日にちの感覚を戻すと、正しい曜日には中々ならずに、逆に、1日遅れになってしまいます。
・・・と言う事で、感覚的には、今日は金曜日である事が、体感的には出来ていません。
逆に、1日戻ってしまって、体感的には、木曜日の感じがします。
こういう事もたま(?)にはよくある(??)事なのですよ。
木曜日迄は、金曜日の感覚だったのだけどね??

変な睡眠を取っても、1日を2日に感じてしまって、こういう風になってしまいます。
極々、稀に(?)よくある(??)事なのですがね??

と言う事で、明日は、土曜日の中・1日で、発表会ですよね?

「alzheimer(認知症)の初期症状じゃあないか?」って・・?
そうじゃなくて、これは高校生ぐらいの時から、時々、よく(?)ある事なのですよ??
他の人からは、そういった時間がズレた(日にちがズレた)という話は、あまり聞いた事はないけれどね??

まあ、いずれにしても、金曜日ぐらいから体調不良で起きていても仕事にならない日々が続いているのだが、今日の土曜日は夕方から、+超鬱が酷くなって心のcontrolが利かなくなって来た。
明日は発表会・・、これは困ったぞ?? 
どうすんべ〜ぇ??
抗鬱剤が入りそうなくらいの鬱の状態だ??

あれまあ、闇夜を切り裂くような風が吹き荒れているぞ??
明日の車は大丈夫かいな


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4月16日「発表会次の日」

昨日の発表会は恙なく終了しました。保護者の方々や先輩諸氏のご協力を心から感謝致します。
とても温かい雰囲気で開催出来たのではないかな??と自賛しています。有難うございました。
また、幕間というとんでもない場所に賛助出演頂いた細川様、happeningで出演順番の変更等とてもご迷惑おかけしました。まあ、発表会の恒例なので、お許しを・・アハッ!


昨日はお世話になりました。
自分がお呼び頂いた、と言うよりも勉強させて頂いた気分で非常に楽しく、終演まで堪能させて頂きました。ありがとうございました!

発表会にハプニングは付き物ですよね。気持ちの準備は出来ておりましたし、私サイドのお客様も、時間の前後を見込んでいらした方が殆どでしたので、お気になさらず(笑)


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4月17日 ・

今日は月曜日(4月16日)の夜、椎名町の事務所から食事兼打ち上げをして、帰って来た所です。
直ぐに寝ようと思ったのですが、勢いで、取り敢えず動画の編集をしました。ここで手を付けておかないと、後々になってしまいがちなのですからね??

2018年4月15日千葉教室の春の発表会の動画です。
お久しぶりの1カメから3カメ迄の編集なので、編集の仕方を思い出すために、練習を兼ねて編集作業とYou Tubeへのuploadをしてみました。
音声に関しては、特には編集はやっていません。
・・と言うか、mainのvideo-cameraに、標準装備の外部音声mikeを取り付けるのを忘れてしまいました。綾乃ちゃんがsettingのassistに来てくれたのだけど、rehearsal 等で三脚の組み立て方や、使い方を習っていなかったので、そのlectureをしながらの、settingだったので、うっかりして、mikeがあるのを確認していませんでした。
高性能の外部mikeだったのだけど、これで、2回目の失策です。(私は今回が始めてだけどね??)

画像がボケている場合は、右下の歯車のマークをclickして、解像度を360Pから720Pに上げると、かなり画質がクリヤーになります。mainのvideo-cameraは、orchestraの時に全体が入るように(舞台全体が入る)位置にsetしているので、かなり遠い場所からの撮影になります。
と言う事なのですが、mainのvideo-cameraの本体でzoom-inをすると、かなり綺麗にup出来るのですが、編集でupをさせると、画素数は一定なので、どうしても画像がボケてしまいます。正面のcameraは実際には2台あった方が、機能的には良いのですが、それでも、angle的には、soloの立ち位置が弦楽器とPianoの場合にはズレてしまうし、orchestraでも、basso continuoで、soloとbackのcontinuoの二人を入れて撮影する時には少し引かなければならないので、どうしても限界が出来てしまいます。業者の場合には、video担当は2名で来ていたので、編集は楽なはずだったのですがねえ??

瑞希ちゃんはフルサイズのViolaを弾いているけれど、orchestraの音量に対抗するための、彼女の希望で私の教室用のfullsizeのViolaを弾いています。小学生では、少し無理があるのだけど、彼女の希望なので、大人sizeにしています。チョッと小ぶりの楽器ならば、私がオケ練習で普段に弾いている私のViolaでも良かったのだけどね??
という事で、かなり大きめの楽器になります。Violaとしては、少し小さめの楽器なのですが、それでもフルサイズの楽器なので・・・日本人の場合には、大人の女性にとっても、大きめのsizeになるので、結構、体の大きな人達を除いたら、Violaは嫌がられて弾いて貰えない事が多いのです。
(・・・しかし、それでも、フルサイズのViolaというのは、本当のsizeからすると、3/4のサイズの楽器になるのです。本当の4/4sizeのViolaは、弾ける人は世界的に見ても数人しかいないオバケsizeのViolaになります。)

※)Kontrabassも同様で、日本でfullsizeのKontrabassとされている楽器は3/4sizeになります。fullsizeのKontrabassの場合には、日本人でも体の大きい人は、fullsizeで演奏している人も数多く見受けます。逆に1/2と1/10のKontrabassは世界的に見ても全く製作されていないので、教室にしかない特注品です。


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4月17日 ・

何時もの通りに、朝早く体重血圧測定のために起き出して、そのついでに、Genzmer先生の曲を編集しました。とは言っても、結構編集作業には時間が掛かるのよね??
1カメ、2カメ、3カメと3台のcameraを編集する分けなのですが、それぞれのdataが途中で分断されているので、合計6っつの画像プラスアルファの動画を編集しなければなりません。


ゲンツマー先生の曲懐かしい!


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4月17日 ・

4月15日の千葉音楽教室の春の発表会です。
Boccheriniのcello-concerto B♭です。
利用頻度からorchestraを先にuploadしましたが、Vivaldiのcello-concertoとviolin-concertoのD Dur、BeethovenのQuartett c mollは、2カメのSwitchの入れ忘れでdataが不足しているので、作業を保留にして起きます。


Boccherini cello-concerto 第9番G.482 B♭ T楽章18年4月15日Maya11jahre alto

芦塚音楽研究所千葉音楽教室の春の発表会の演奏風景です。cello-soloは森真雅11歳指揮は芦塚陽二先生です。

2カメスイッチ入れ忘れ?!どこのカメラでしょう……


下手側の赤カメラです。上手からはちょうど指揮者の陰になってしまい、モカちゃんや、美音ちゃんの表情が見えません。今、表情の撮れているカメラを募集中です?

表情かぁ…きっとソロのご家族は撮っていらっしゃるでしょうね。
私は全体でオケは撮っているのでお役に立てなそうです


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4月18日 ・

今は、4月18日の水曜日の朝5時です。
昨日は超寒かったのですが、発表会開けで教室がお休みなので、ハイツの冬物の片付けを斉藤先生に手伝って貰って、何とか「ゴミ寝室」から「片付けられない寝室」迄、昇格しました。
本当は、5月からハイツの自宅をlesson室に貸し出すので、余分な荷物をユーカリが丘行きに仕分けする所迄、やりたかったのですが、ドル・プリっ歩の我慢のtimelimitになったので、仕事は次の日送りにして中座をして、小雨の中を大急ぎで、椎名町に移動して、雨で体が濡れるのを超嫌がってお散歩したくないドルを無理矢理に引っ張って、お散歩に連れ出して、それから遅い夜食をして、自宅に戻って、パソコンもテレビも付けないままに寝る用意をしていたら・・・
・・・何と何と、椅子に座ったまま、朝迄熟睡してしまっていました。
また、やってしまった???
と言う事で、定型の体重血圧の測定の時間だったので、体重血圧等々をパソコンに入力して、「さて、寝直すか??」「それとも、仕事timeに入るか?」と悩み、考慮中です。
どちらにしても、時間的に中途半端ですよね?・・・う〜ん、困った??

と言う事で、悩む次いでに、発表会の動画を編集してしまった。
しかも、2曲も・・・


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4月19日

いやぁ〜、困った???
また、一睡も出来ない?
眠れん??
これから、ユーカリに行く前に、ハイツで荷物の積み込みをしなければならないのだが?
眠れん?
足先が冷えて仕方がないので、風呂にお湯を溜めて、足湯で温めてみたのだが、布団の中でまたまた、段々冷えてしまうのだよな?
これは困った?
いやはや、眠れん??

deで、何時もの事なのだが、動き出す頃になると、突然、眠たくなってくるのだよな??
ひょっとして、これは仕事したくない症候群??
まさか??
起きなければいけない時間になった途端に、超、眠たくなって来た??
これは、「寝なければ・・」というpressureが、「起きた??」と言う事で、解除されたからだよな??アハッ!


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4月19日 ・
「子供達の一途さ、直向きさ」

私は子供達の「一途」な「ひたむき」な姿をみるのが、とても好きです。
時には、子供の一途さ、ひたむきさに感動さえ覚える事があります。※)

ドイツに留学した頃迄の私は、一般の音楽家達と同様に、子供達の音楽を小馬鹿にしていました。幾ら上手でも子供の演奏は、先生のものまねであり、子供の音楽に過ぎないからです。

ヨーロッパで、小、中学生ぐらいの子供達が、音楽に「ひたむき」に向って邁進している姿を初めて見て、それ迄の、私の「子供を指導するのは嫌だ??」と言う姿勢を改めました。

それに、日本の音楽教育界では、proになれなかった音楽家達が子供の音楽教育をする・・というのが一般的な概念だからです。私も学校の先生や子供達を指導する音楽教師にだけはならない・・と決めていました。

しかし、私が考え方を改めたのは、優れた天才的な子供達に巡り会えたからではなく、子供達の音楽に向かう真摯な目が、大人達音楽家の「一生懸命」な目とは、根本的に違っていたからです。※)

※)大人の場合の「ひたむきさ」は子供の場合と違って、その「ひたむき」の目標が音楽からズレているような気を抱く事がよくあります。
子供達でも、中学生や高校生ぐらいになって、色気づく年齢になってくると、「格好良く弾きたい??」とか「間違えずに弾きたい??」とか、音楽を表現しようとする姿勢が微妙にズレて来ます。
それにもまして、音大生の演奏が許せなく、とても嫌いなのは、「私は上手いだろう??」と私達に促して来る・・その演奏が、とても、許せないからです。

「あなたの歳で幾ら間違えずに弾けた・・としても、私の歳の人間を感動させるのは出来ないよ??」という話なのですよ。
「上手く弾きたい??」という感情では、人を感動させる事はありません。
幾ら上手く弾いたとしても、音楽はolympicではないのだし、演奏家はathleteではないのですよ。
そこの所を幾ら説明しても、音大生には音楽の本質が中々分かって貰えません。

※)(昔、私が子供の教育(音楽教育ではなく芦塚メトードとしての、一般教育についてのofferなのですが)、その時にも、文部省の関係者の人から(当時は未だ文部省でした。)「子供の教育は21世紀の日本を支えるものなのだから、日本で活躍をしている世界的な人達が子供の指導に当たらなければならないのですよ??」と熱く語られて、感動してしまいました。そして教室を作る事を約束させられてしまいました。後の後悔・・ですがね??)

※)(またそれとは別の話なのですが、私が「キリンさんの教則本」を書いた時に、私の教則本を弾いたPianoの先生達から「伴奏Pianoが難し過ぎる」というcreamがあったので、全音の編集長の山口さんに、「伴奏のpartを易しく改定しましょうか?」と尋ねたら、編集長の山口さんは、Pianoの指導者は、この伴奏が弾ける事が指導者になるための最低条件なので、芦塚さんの伴奏譜のlevelは絶対に譲れません。」と言う事でした。
まあ、それも一理あるけれどね??」キリンさんの教則本は当時としては、全く独創的なstyleの教則本で、最初の6000部を1週間で売り切って、半年で1万部にもなった、音楽教育関係の楽譜としては異例のbest-sellerになりました。
今では先生の伴奏で子供が教則本を演奏する・・というのは、orthodoxになってしまいましたが、それでも、未だ、簡単な3和音で伴奏をする・・という旧態然なstyleは、頑固にも残っていますよね??)

日本でもコンクールに挑戦している子供達を見て、子供の姿には感動しました。(あくまでも、一生懸命に一途に頑張っている子供の姿であって、子供達の技術そのもの・・ではないのだけどね?)これだけ、頑張って、ひたむきに、一生懸命に音楽を勉強しているのなら、私なら、もっと上手に出来るのだけどな~ぁ??と思ったのが、後の祭りです。

日本の一般の教育では全ての成績で子供達が評価されます。
所謂、努力が総ての儒教教育です。

しかし、2020年からは、日本の教育界でも、globalstandardとして、子供の能力を活かす教育に教育の方針が転向されます。
世界のstandardでは、随分前から、一芸に秀でた子供達の特殊教育が、国家の政策として行われて来ました。

computer社会になって、人が専門的な仕事を要求されるようになった時に、今の受験体制では、大人の社会に巣立った時には、もう社会的には成り立たないようになってしまったからなのです。

日本の教育界の対応は、遅れ馳せながら・・の対応なのですが、しかし、そういう方針に転換したからと言っても、直ぐに教育界が変わる分けではありません。つまり、問題は山積しているのですよ。何一つ変われる体制にはないのです。

日本の教育界には、そういった一芸に秀でた生徒を教育するsystemがありません。真逆の教育を「良し」としてきたから、それを発想の転換をするのは、無理難題なのですよ。

ヨーロッパやAmericaから導入するにしても、それを学ぶ先生達は今の学校の先生達なので、儒教型の教育のsystemで教育をして来たので、今更、真逆の教育を学ぶと言う事は、不可能なのです。
だから現在の教育界での対応は、とても、臨むべくはありません。
しかし、政府としては、教育界の混乱は承知の上で、「もう、後が無い」・・という選択なのです。
それが2020年のolympicの年です。
どうなる事やら・・・アハッ!
あたしゃ、知らんわよな??
花梨ちゃんが「あたしなのよ?? あたし??」と、オケの皆に対して、戦々恐々として言っていましたよ。
あと、2年後の話なら、もろ花梨ちゃん、だもんね・・??

写真はイタリアの天才少女でPianoのロベルタちゃんです。
日本では中1ぐらいかな?・・・女性に年齢を尋ねるのは失礼なので・・、(冗談)
北イタリアのGara-Concertで私の子供の為の曲集を弾いてくれた少女です。
イタリアの女の子なのですが、普通にドイツ語と英語は話せますので、会話に不自由はありません。
それまでは、私も、日本の一般的な概念で子供達の音楽の演奏に関しては、小馬鹿にしていて、子供への音楽教育自体も軽視していたのですが、ロベルタちゃんとあって、優れた指導者の元ならば、子供でも大人の演奏家と対等の演奏が出来るのだと、考えを改めた一瞬でした。
勿論、だからといって、当時の私には、「子供達を指導する」・・なんて恐ろしい事はオクビにも考えた事はありませんでしたがね??

まあ、しかし、何とも、背、っ背が高い・・??(この頃の私は、背が縮む前だから、これでも170aはあるのだよ??)



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4月20日 ・

昨日の木曜日(4月19日)は、ハイツからの荷物運びと、発表会開けの休日中のone lessonで、ユーカリが丘迄、車を走らせましたが、前の日からのpressureからか、またぞろ一睡も出来ないままだったので、行きも帰りも、睡魔との戦いでキシリトールガムを噛みながら頑張って運転しました。
椎名町の事務所に帰り着いたら、プリドルが早速お待ちかねでしたが、疲れ果てていたので、プリドル期待のお散歩は、超縮小コースで、不満タラタラのドルでした。
作り置きのカレーがあったので、夜食はそれを食べて、半分居眠り運転のバイクでハイツに戻ったのですが、荷物の全ては、そのまま放置したままで、歯だけを必死に磨いて、即、寝ました。
流石に、昨夜は不眠の神様もトイレの神様もいらっしゃらなかったようです。

ユーカリが丘教室のone lessonは希望者のみの、3家族のlessonでしたが、お母様や生徒達には、発表会の荷物を整理する棚の組み立てや、草茫々になっていた、庭の芝刈り等々、大きなゴミ袋に6個も作業をして貰いました。
肝心要の私は、本当は私が率先して作業を指揮しなければいけなかったのですが、車が着いた時に、ほんの少しだけ玄関と裏の草むしりをして、ルミノスのラックの組み立て方を一緒にlectureしていたのですが、徹夜で腰に来てしまって、庭の草むしりのお手伝いは出来ませんでした。
皆さん、ごめんなさい??

私達の教室ならではの、とても、珍しい不思議な光景なのですが、誰か写真撮っていなかったのかな?? 
私はcameraはちゃんと持って行っていたのですが、大人の方の面接とlessonで、写真を撮るゆとりがなかったのでね・・・??

牧野先生が携帯で写真を撮っていたので、upしておきます。 
草茫々??

先日はワンレッスンありがとうございました。
斎藤先生の素敵な演奏でだいぶイメージが湧いたようです。
写真撮ってましたのでUPしますね??
お庭が少しさっぱりしてよかったです!

ユーカリが丘教室の皆さん、本当にありがとうございました。
普段レッスンがあるとなかなかお庭の手入れまで行き届かず、やらなきゃやらなきゃと思いつつこんなにボサボサになってしまいました?
大変助かりました?
また夏ごろやらないと雑草がたくましく育ってしまうのだろうな?




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4月21日 ・
昨日は、一昨日のユーカリが丘の荷物運びとlessonと面接の疲れで、一日起きれないままに、ウダウダと過しながら、violinの工房にbaroque-violinの製作の打ち合わせに行きました。指板に彫り込む象嵌を色々と探したのですが、古いbaroque時代の象嵌で、中々気に入ったものがないので、打ち合わせで、斉藤先生が指板の唐草模様の象嵌のornamentの絵を書く事になりました。
夜には、cello-concertoの仕込みをして、朝一で編集作業を終わりYou Tubeにupする所迄終わりました。


Vivaldi cello concerto a mollT楽章芦塚音楽千葉教室Moka 8jahre alto

2018年4月15日の芦塚音楽研究所千葉音楽教室の春の発表会の演奏風景です。cello-soloは澤田桃迦8歳です。…


斉藤先生の描いた唐草模様
これは第2案です。
第1案は、この唐草模様が指板の両sideに、パーフリングのようになっているものですが、そうすると模様を細くしなければならないので、折角の唐草模様が目立ちません?
縁取りを大きくすると、全体がうるさくなってしまいます?
だから、唐草模様は、それ自体を大き目のままにして、模様にうねりを持たせて、指板全域になるように、adviceをした所です。
最初からの、書き直しなので、大変で時間も掛かりますが、その分楽しみです。
テールピースの方にも、私のアイディアで、一工夫する事にしました。
それは、出来上がってからのお楽しみにします。





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4月21日

なんと、今日は7月の陽気だそうです?テレビでは、「体が慣れていないので、無理をしないで、早めにクーラーをつけるように」…と何度も言っています?
27度くらいにはなる予定だそうです? ほんとかね?
という事で、朝の気持ちの良い時に、今日の予定のビデオの編集を2曲も、してしまいました?
 
Vivaldi Op.8no.11D Durの1楽章です。
パソコンのような大画面で、You Tubeを開くと、解像度が360Pになって画質が落ちていますが、これは、スマホのような小さな画面で再生するためだそうです。パソコンで再生する場合には、歯車マークをclickして画質を自分で上げて見るのだそうです。古いvideoからupされている場合には、歯車マークをclickしても、360pの解像度からは上がりません?HDの解像度は新しいデジタル映像で撮影した時のみです?
デジタル映像で撮影した画像でも、上記の理由から、360pで再生されますが、でも、暫く、その都度、高画質で見ていると、パソコンか画質を覚えてくれるようで、HD画質で再生されるようになるはずです。



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4月22日「反省会」

今日は4月22日の日曜日です。反省会の日です。今回の発表会は次回の発表会のrehearsal です。
とても大切な事は、色々と出て来た反省のpointを「次回の発表会に如何に活かせるか?」という事です。
反省会が反省会のままでは、何の意味もありません。ただの打ち上げになってしまいます。
反省会を反省会として終わらせないためには、次の発表会ではなく、rehearsal や、普段のオケ練習で、その反省点を練習する事なのです。
日常で反省点を活かす事が出来れば、それはとても有意義なものになります。
頑張りましょう??

さて、昨夜から今日の朝に掛けて、Beethovenの弦楽四重奏ハ短調Op.18Nr.4のT楽章を編集しました。


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4月23日 ・

昨夜と言っても、cinderella-timeを過ぎて、もう23日の月曜日になってしまったので、一昨日の21日の土曜日の話の事になってしまいましたが、夜になって、突然強烈な鬱に襲われて、体も思うように動かなくなってしまい、心身のcontrolが全く出来なくなってしまいました。

でも、心臓の調子も正常だし、脈も然程の不具合もなく、取り立てての原因は何も見つからないままの「鬱」です。
先生達は「疲れが溜まっていたからだろう」という事を言っていました。
普段は鬱が酷い時には、当然なかなか寝つかれないので、心配していたのですが、実際には、酷い疲れのために、即、入眠出来て、朝には鬱は大方収まっていました。

という事が21日の夜の話で、22日(日曜日)の朝は比較的に元気で起き出したのですが、夕方ぐらいから、またぞろ、急に疲れに襲われて、反省会後のお食事会の時には、うたた寝をしてしまいました。
そして、反省会を終了して、無事に東京に帰ってから、(今現在の話なのですが・・・)、再び強烈な鬱に襲われています。

でも、今日の鬱は、勿論、蓄積された疲れからの原因もあるのだけど、それよりも精神的なshockで引き起こされた鬱です。

つまり、私の音楽教育に対しての水準と、conceptをなかなか理解して貰えない・・という教室を開設して40年来の悩みです。

40年間も同じ悩みで鬱になるのは、「何を今更???」で、「阿呆かいな??」・・とも思うのだけどね・・・? 
そこは、私のprideの限界かいな??
それとも、これも加齢・・??

「うぬぼれ=慢心(Conceit)と妬み=嫉妬(jealousy)」
音楽を勉強する上で、何かに向けて努力し、邁進している人達へのadviceとして、なのですが、「絶対に持ってはいけない」・・と自分にも生徒達にも、キツく戒めている感情的な資質は、「自惚れ」と「jealousy」の感情です。

「うぬぼれ」は、時折、プライド(pride)と勘違いされる事があるようですが、全く別次元のものです。
「自惚れ」は自分自身をも貶める負の感情であり、「pride」は自分を高めてくれる正の感情なのです。

本当に優れた演奏家達は、とてもprideが高いのですが、同時に非常に謙虚でもあります。
私は仕事柄、国内外の多くの著名な演奏家達と接する機会がありましたが、有名な演奏家になればなる程、とても腰が低く、よく普段、日常的に見かけるprideをうぬぼれと勘違いしている多くの自称演奏家達とは全く別の人種です。

「自惚れ」る人達は自分よりも優れた一面を持つ周りの人達を否定し、認めようとはしません。
周りの人を全否定するのなら、その人が学べる事は希薄になってしまいます。

音大生によく見受けられるcaseでは、自分の先生だけは、無批判に尊敬し、絶対的な存在として言う事を忠実、忠誠をするのですが、それは単に「虎の皮を着た狐」になるための方便に過ぎません。
結局は、師匠の権威に寄り掛かって、自分を偉く見せている権威主義者なのです。

往年の歴史上の作曲家達が最も忌み嫌った人種になりますよね。

自惚れる人でも、或る程度の技術迄は持ち合わせる事も可能なのですが、自惚れる人達の持つ表現や技術、それは、所詮、ギスギスした人間性の乏しいものであり、本当の意味で広く人々に認められる事はありません。

勿論、そういった「自惚れ」の芸術を、芸術と勘違いする人達も多いので、それなりに市場はあるようではあります。
そういった人達とは・・・所謂、Brand志向の人達です。
Brandに頼る人達は、自分の目で、物や人の価値を見出す事が出来ないから、その判断を金銭的な価値に委ねるのです。
本当の本物が理解出来ないから、老舗Brandに頼ってしまうのです。

自分自身で本当の本物を見極める目があれば、周りの人達の妄言や風評、虚言に、心を乱す事はありません。

自分の判断を人に、或いは社会的な風評に委ねる事は、大昔のキリスト教でも厳しく戒められていました。
所謂、 新約聖書マタイ福音書で厳しく教えられている、Bruegel の「盲人の行進」に過ぎないのですからね??

人様のadviceが本当に自分に取って、有意義なものか否かは、その人がその社会、そのgenreの事をどれだけ具体的に知っているのか??
そのgenreについて専門的な知識を有しているか否か??
また、その Adviserとなる人が、adviceを受ける対象の水準がどれだけのNiveauを持っているのか??を、ちゃんと判断出来た上でのadviceをしているのか??という事を、しっかりと判断した上で、その忠告を聴きなさい・・と、私はadvice(??)をしています。

一般的な Adviserは「巷の音楽教室で学んでいるから」・・・という事だけで、子供のlevelを判断します。
それは、その子供のNiveauを何も知らないで判断をしている事と同じ事になるのです。
だから、「自分の子供の演奏を聴いた事はありますか??」と聞き直すだけで、殆どの人が、一度も聴いた事がないままに、巷の音楽教室という事だけでadviceをして来ている・・という事が暴露されます。

自分の事、子供の事を全く知らないままに、ましてや音楽界の問題点を一つも知らないままに、ただ一般的な風評だけでadviceをしてくる人達の無責任さに自分の子供を委ねる人達もまた、自分の人生に対して、或いは必死に一途に努力をしている子供達に対して、不遜、不誠実ではありませんか??

しかし、それは、人の一生を左右するadviceという事を知っているのかな??
平気で、adviceをしてくる人達の、その軽さ、無責任さには、本当に驚いてしまいます。

そういったadviceマニアの人達の意見は右の耳から左の耳に流してしまうのがコツなのですがね??
その人達は、それで何か、責任をとってくれる分けではないからね??
それでも、そういった人達の意見に身を委ねる人達が多いのは、驚きです。
それこそ、 Bruegel の忠告、忠言を地で行っている人達なのだよな??

有名人嗜好の生徒が憧れの演奏家に弟子入りを望む時には、私の方針としては、引き留める事は絶対にしません。
自分の先生達のNiveauが分からない人達に何を言っても、私自身が小馬鹿にされるだけなのでね。

少しでも、私の事を認めてくれる弟子を、新たに持った方が、私の指導で頭角を表した生徒を後生大事にしがみ付くよりも、マシです。
余命の残り少ない私の人生を、少しでも実りを上げるためには、同じlevelの生徒や弟子を養成する事はそんなに難しい事ではないからです。
去りゆく人は、去らせる方が、自分には、精神的な負担を持つ事がないので、残りの人生の効率を良くする方法でもあるからです。

去る者は追わず来る者は拒まず・・の一期一会です。
喫茶去????ですよ? ハイ! 
今は、抹茶ではなく、紅茶でもなく、・・・な、な、な、なんと! 杜仲茶ですがね??

jealousyは自分だけでなく、周りの人達をも貶め不幸にする「自惚れ」よりも更に恐ろしい感情です。

ライバルとも勘違いされる事がありますが、rivalは相手の人の、自分よりも優れた一面を認め、それを目標にして、追いつき追い越すために努力をする人達が言う事を許される真の友人の事を言います。

ですから、優れた人達には良きrivalが居る場合が多いのです。

しかし、お互いが競争し、相手に負けまい・・としのぎを削るだけの仲間は、rivalとは呼びません。それでは、友人にも友達にもなり得ないからです。
寧ろ、ジェラシックな関係だと言う事が出来ます。

jealousyは相手の持つ自分よりも優れた一面を、全否定し、自分の低いlevelに迄、相手の水準を引き落とそうと必死に努力をします。
ジェラシックな友人を持つと、自分の周りだけではなく、その人達の周りの人達も不幸せにしてしまうのです。

ジェラシックな友人から得れるものは少なく、失うものは非常に多いのです。そういった否定的な、Jurassicな一面を持つ人がいたら、私は、なるべく目を合わさないようにしています。 というか、極力、近場には置かないようにしています。
君子危うきに近寄らず・・ですからね。

こう言った2つの感情は、同居する場合が多く、それを正しく指導し、矯正する事は、如何に優れた人生の指導者にとっても、非常に難しいのです。
何故なら、人の意見、他人の考えを否定する事が、このtypeの人間の常だからなのです。 
つまり、どんなに良いadviceでも、聞こうとはしないのが、こういった人達の常だからなのです。

こう言った人が、救われる唯一の方法があります。
それは、その人が心の底から愛している・・という人からのadviceがあった場合です。

その愛が単なる名声に対しての憧れであったとしても、自分に謙虚になれる一瞬では、人のadviceを受け止める事が出来るのです。
但し、それはラクダが針の穴に入るよな稀な事なのですがね??

教室に勉強に来る先生達の指導のcurriculumで、一番の初歩の段階では「生徒に好かれる先生」というstepがあります。先生が好きな生徒は、先生の諸注意を真面目に一生懸命に聴いてくれるから・・です。
それを私が言うと、若い講師希望の人達は、私が「子供達に諂うように?」と言っているように解釈されます。
実際には、子供の指導をする場合には、子供の機嫌を取ってlessonをする事は、子供に馬鹿にされる事になるだけなので、絶対的に有り得ません。
私はそういう事を言っている分けでは無いのですがね??
分からない人達には、その事すら分からないのですよ??

教室を開設して以来の、古の昔から、私は私の指導に懐疑的な生徒に良く言う事があります。(音楽教室を開設する以前の生徒達は、私を求めて私の指導を仰ぎに来ているので、その問題はないからです。)
「少しでも、巷の音楽教室の先生である私の指導に疑問を感じたら、遠慮無く、速やかに、私の元を去って、自分の憧れる有名な先生に師事しなさい。」と・・
それは、その先生の指導力やNiveauが、私のそれよりも低かった・・としても、尊敬の念や、敬愛する心は、そんな少しだけのNiveauよりも多くの効果を出すからです。
でも、残念ながら、そういった有名な先生に師事出来るlevelの生徒達は、批判力も、判断力も一般の人達よりも勝れています。
だから、ほんの一瞬、成長したような気になったとしても、次の瞬間には現実が来るだけなのです。
まあ、極稀には(?)、自分のNiveauが下がってしまったことに気づかないままのhappyな人達も数多く(??)見受けられますがね??
アハッ!


今夜は24から25日になる所です。今日も一日、バテバテで、仕事にはなりませんでした。
夜の11時半を過ぎた頃には、昨夜と同じような疲労感と倦怠感が襲って来て、鬱状態になってしまいました。体感的には、熱も上がって来ているような気がするのですが、体温計で計って見ても、熱はありません?熱が出ていれば、風邪なので、それそうおうの対応が出来るのですが、鬱が根本原因ならば、対応処置は結構大変です?
本来ならば、心療内科で貰った薬を飲めば良いだけなのですが、その薬が1週間も飲み続けないと効果がないので、困ってしまっています。こちらは即効性のある薬が所望なのですがね??
医者は、こちらの要望通りの薬を処方してくれないので、結局は市販の薬を使わなければならなくなってしまいます。
それもね〜ぇ??




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4月23日「反省会の打ち上げの手料理」

反省会の後の打ち上げのお食事パーティの牧野先生手作りの料理の写真を千野さんから送っていただきました。
反省会の真面目に会議をしている時の写真は、教室のデジカメと私のデジカメに撮っているのですが、昨日は、超バテて鬱も酷かったので、sdcardのdataを持って帰りませんでしたので、upする事は出来ませんでした。
という事で、取り敢えずは、お食事timeのお料理の写真だけ・・です。 ハイ!

凄い量に見えるけれど、これでも、子供達には、少し足りなかったのだよね??牧野先生が驚いていました??
小学生中心なのだけど、演奏のpowerの分だけ、やっぱり食べる量も凄い量で、なかなかの食欲だよな??(お喋りも超、うるさいけれどね??・・・私は、それで、疲れたのかな?????)

     

      



     


    


     




昨日はお伺い出来ずすみませんでした??
賑やかさ、想像できます…
牧野先生の海老フライ食べたかった???


今回は、普段のパーティーの時の何時も通りに料理を準備したにも関わらず、ほぼ完食でした。(何時もは大人用に、料理を作っているので、そんなには量は必要無いのですよ??)
エビフライも写真に更に追加で作ったのですが、椎名町に持ち帰りの時には、4本しか残っていませんでした。勿論、それも、昨夜、食べてしまいましたがね??アハッ!

エビフライ美味しかったよ〜??

魚介系はなんとなく私が好きじゃないので敬遠してあまり作らないんですけど、とても美味しかったので、勉強になりました。
また合宿でお勉強しようっと?

今回は場所が広かったので自由に取れて早くなくなっちゃったのかなぁ…と思います??

椎名町の教室の近くには、ビッグ築地という鮮魚の専門店があります?
勿論、超安くて新鮮なのですが、箱売りなので、あまり買いには行きません?
余らせてしまうのでね??

後、午前中に鮮魚は殆ど売り切れてしまうので、お昼から買いに行っても、掘り出し物はあまりありませんです??

牧野先生のお料理教室なんてやったら、皆さん喜んで集まりそうですよね?

牧野先生のお料理教室、あったらぜひ参加したいです(笑)??いつも本当に美味ですよね!



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4月24日「ミスの連鎖」

24日(火曜日)の朝です。
昨夜(月曜日の夜)は、酷い鬱状態でドル・プリっ歩と超遅い食事を済ませて、バイクで自宅に帰り着いたのですが、そのままベッドに入るつもりだったのですが、鬱々なままに、パソコンを開いて、これまでも延々と鬱が酷くて、なかなか編集の作業が進まない心残りの「Brahmsのtrio」の編集を始めてしまいました。

しかし、やっぱり、意識が朦朧としている状態で、とても、パソコンで仕事が出来る状態ではなかったので、早々に編集をやめて、寝ようと思ったのですが、その時に(仕事を終わらせる時に・・)、私が日頃、生徒達や先生達に「絶対にやってはいけない!!」と、いつも厳しく注意をしている失敗を、私自身がやってしまいました。
「Oh? miserable??」です。

私は仕事を始める時に、興が乗らないとなかなか仕事を始めようとはしないので、必ず、下準備の作業をして、その下準備の作業のfileを残しておいて、仕事をしようと思った時に直ぐに作業が開始出来るようにしています。

私が仕事を進める上での留意点(注意点)の、一番のpointは、「鬱々な状態、気分が悪い、乗りの悪い状態では仕事をしない。」という鉄則があるのですが、それを体調を無視して、無理に、やってしまった事です。
しかし、まあ、そこまでは、大したミスにはならないのですが、その後始末に関してのミスです。

作業をしていて、意識朦朧状態が酷く、とても集中が出来ないので、「やっぱり、今日作業をするのは無理だわ!!」と思い直して、作りかけのfileを保存してしまったのですが、その時に、うっかりして、事前に作っていたfileの上に上書き保存をしてしまいました。
(うっかりと、同名のfile名で作業をしてしまったのですよ。)

そのために、以前に丁寧に、Brahmsのtrioの編集の為の下準備をしていた作業が、全部失われてしまって、全くこれまでの作業が、更の白紙の状態になってしまいました。
負の連鎖です。
「馬鹿の**休むに似たり」です??
それを地で行ってしまいました。
芦塚先生の言う事を聞かないと、こうなるのだよ??・・の良い見本だなや??

負の連鎖の場合では、幾ら頑張っても、いたずらに時間と労力を失うだけで、得るものは一つもありません。

間違えた方法論で幾ら努力をしても結果的には、そうなってしまうのですよ??
分かる??

またまた、Facebookがおかしな入力を始めたので、このお話は、ここまでにします。 


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4月25日Vivaldiの Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのU楽章のornament

今日(24日)の火曜日でしたが、月曜日に引き続いて1日中寝込んでしまったので、寝込み次いでに、花梨ちゃんに前に書き取りを頼んでいたVivaldiの Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのU楽章のornamentの手書き譜をfinaleに入力しました。
period奏法の装飾法としての模範解答として・・なのですが、そのまま、演奏してしまうと、剽窃になってしまいますので、それを叩き台にして、新しく変更を加えて、ornamentを徐々に書き換えて行きます。

写真のscoreの一番上の段は、ornamentを加えた花梨ちゃんの書き込みを入力した譜で、2段めがoriginalの譜です。
3段目から6段目までは芦塚-versionとして、dynamikを強調するために、単純なorchestraの譜面から、concertanteのsoliのpartsと、orchestraのtuttiのpartに分けて演奏するように、原曲を大きく変更しています。
ちなみに、Cembaloのepisodeのpartも、私の書き込みです。



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4月25日「orchestraの並び方について」

「settingについて」
発表会のorchestraの並び方やその他の多くのsettingについて、色々と教室独自の一工夫があるので、それを説明します。

「orchestraの並び方」
baroqueや古典派の並び方は、左側(下手側)から1stviolin、Vc.(Kb.)、Viola、2ndviolinと並んでいて、直ぐ最近の、第二次世界大戦前迄頃迄は、一般的なorchestraの並び方でした。

現代の並び方のように、楽器が大きい順番に、1stviolinから、2ndviolin、Viola、celloへ、と並ぶ並び方はStokowski-shiftと呼ばれ、二次大戦以降にStokowskiによって始められた並びです。
ですから、教室でbaroqueの時代の曲を演奏する時に、orchestraが並んでいる教室の並びの方は、よくeccentricな、非常に珍しい並び方と思われがち・・なのですが、実は、baroque時代から戦前までの、実にtraditionalなorthodoxな並び方なのです。
でも、現代のorchestraの並び方であるStokowski-shiftと区別するために、「baroque並び」と呼称されるようになってしまいました。
そのために、baroque時代の特別な並び方のように、誤解されてしまう事になったのですよ。ハイ!

確かに、古典派時代からの、1stviolinがmelodieを演奏して、他の楽器が伴奏に回る場合には、Stokowski-shiftの方が、音の立ち上がりが勝れています。
しかし、教室で、traditionalなbaroque並びをしているのは、単に時代考証のためではなく、baroque特有の作曲法である、1stviolinと2ndviolinが交唱する・・と言った複音楽の持つ音楽の立体性を活かすためには、baroque並びは非常にstereo効果のある並び方なのです。
それは、現代のmovieに使用されているaudioの特性でもあるmulti-truckを最大に引き出す事にもなっています。
baroqueの音楽はbaroqueの並び方の方が歴史的にも、作曲学的にも、より効果的なのです。

そして、私は、baroque音楽のconcertoのstyleを最大に活かすために、soloとbasso continuo-のCembaloとcelloをオケの前にtrioのように出して演奏させる事にしました。
この独特の並び方は教室(私)独自の考え方で、本来ならば、orchestraの左側(下手側)のconcert-masterの位置にsolisteが座るのが一般的なのですが、solisteを現代のsolo-concertoと同じに、指揮者の脇に立って演奏させるようにしました。

また、doppel-concertoの場合の1st-soloと2nd-soloを左右に配置して、真ん中にCembaloとcontinuo-celloを配置して、orchestraが取り囲むように配置するのも、私、独自のorchestraの配置です。

「舞台マナーについて」
concertoの時に、solisteは演奏する位置で挨拶しますが、指揮をする時には私はconcertmasterの横で挨拶をしています。
この位置で指揮者が挨拶をする事は、一般的にはありません?
それは、soloの生徒を立てるための教室独自の演出です。

教室のorchestraの演奏の場合でも、solisteの子供がいないorchestraだけの演奏の場合には、私も、通常の一般のorchestraを指揮をする場合と同様に、舞台の中央の指揮者の位置で挨拶をしています。

同じように、伴奏の場合も、子供達の場合には、伴奏者とsolisteが並んで挨拶をしますが、これは、子供達が音楽を学ぶという姿勢の現れで、「伴奏者とsolisteは対等である」・・という事を意味しています。

ですから、soloを演奏する生徒が高校生、大学生の場合には、通常の音楽界のコンサートマナーを使用しますので、一般的な演奏会と同様に、伴奏者はPianoの椅子の位置で(一歩下がった形で)挨拶をします。

演奏会の場合は、基本はlady-firstなのですが、こんにちではladyfirstのマナーは、あまり守られていないようで、舞台上でも時代と共に、演奏会のマナーも私の時代では、変わりつつあるようですね。
「昔、当たり前だったマナーが、どんどん変わって行くのは、ある意味、寂しい事だよな?」と思っています。古き良き時代とまでは、言いませんがね??

図と写真は実際の並びの例です。
この編成は少し変則的な配列になっていて、solo-Vl.1と4名、continuo-celloと2名、Kb.3名、viola2名、2ndVl.3名になっていますが、それは通常オケ練習に参加出来る人達の都合によるもので、普段のオケ練習のbalanceを考えて・・の編集になっています。
このmemberならば、理想とする編成は1st-solo+3名,continuo-cello+2名、Kb.3名,Viola3名、2nd3名、とCembalo1名の編成の方が望ましいのです。つまり、violinの1人がViolaに入ればよかったのですがね??
美音ちゃんがsoloを弾かないtuttiの部分では、美音ちゃんがsoloに入るので、1st、4名、cello3名、Kb.3名、Viola3名、2nd3名のとても良い編成になるのですがね。
まあ、今回のmemberの編成だとしても、殆ど気にならない程のbalanceなのですがね・・・・

ちなみに、Pachelbelのcanonなのですが、baroque並びの応用で、1stviolin、3rdviolin、cello、2ndviolinと並んでいました。
この並び方は交唱が一番遠い場所になりますので、melodieがズレやすく、演奏する上では、非常に難しい並び方になります。
つまり、指揮と相手の動きを見て居ないとズレてしまいやすいからです。
しかし、前々回から、一般的な順番型の並び方に変更していますが、これは、体を動かして演奏する・・という事が日本では、情緒的、感情的に体を揺らす・・としか、解釈されないので、NHKのalgorithm体操に習って、1stから順番に「揺らし」が移動して行く事を見て貰えれば、「揺らし」がcontrolされたものである・・という事を理解して貰えるのかな??という思いから、簡単な順番型の並びにしました。
結論的には、「揺らし」が順番に移動していく事を視覚的に認識するのは至難の業である・・という事が分かりました。
古武道では師範の「模範演舞の動きを一度見て、記憶して、その動きを再現するように!」と厳しく注意されますが、動きを認識するのは、一般的には至難の業のようです。
子供達の勉強の為にも、教室の本来的なcanon並びに戻そうかな??・・・と思っている所です。


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4月26日「教室で使用する音楽用語について」

紗來ちゃんから、「ロンカプの楽譜で分からない楽語があったので、辞書で調べたけれど載っていなかったので・・」、という質問がありました。
私も、音楽辞典とnetでも調べてみたのですが、その単語の解説はありませんでした。

ロンカプに書いてあった音楽用語はala pointeと言う単語と、saltatoです。
ala pointeはイタリア語で同様の音楽用語は、pointe d'archetフランス語で日本語の「先弓」の意味になります。
教室は基本的に、ドイツ語なので、「Spitze」という単語を使用しています。

saltato(イタリア語)は、演奏指示の言葉なので、言葉で説明するのは非常に難しいので、楽器で実際に演奏の仕方を説明した方が分かりやすく、早いと思います。紗來ちゃんはもう何度も、saltatoは曲の中のpassageに出て来ているので、実際にはこれまでにも何度も弾いた事があるので、「ああ、この奏法のことね??」と理解出来れば、何も難しい事は無いと思います。

音楽用語はそれぞれの時代背景で使われる「原語」が違います。←「用語」ではなくって、「原語」ですよ。ドイツ語、フランス語の「原語」です。

Renaissanceの時代はイギリスが世界の文化の中心だったので、英語が音楽用語でも使用されています。ですから、エリザベス王朝時代のvirginal音楽、ウィリアム・バード(William Byrd)等の作品を演奏する時には、古いイギリスの英語が必要になります。(勿論、音楽用語としてですがね)

baroque時代には、楽器の中心がviolinに移った時代なので、violin製作に適した木材が産出する、主に北イタリアのクレモナを中心にして、楽器が制作されて、文化の中心もローマやナポリに移ったので、イタリア語が公式の音楽用語になりました。世界中の音楽家達は公用語としてイタリア語が話せる事が音楽家としての条件になりました。

古典派の後期のBeethovenやWeberの時代には、音楽(文化)の中心はWienに移って来ました。Mozartの晩年の作品もドイツ語を主軸の音楽用語に変わって来ました。

ロマン派の時代はWienとparisがしのぎを削っていますが、ロマン派後期から、近現代になると、文化の中心はフランスに移るので、音楽用語にもフランス語が使われる様になってきました。
所謂、印象派の音楽からです。

contemporaryな時代に於いては、音楽用語もbilingualな使い方になっていて、ともすれば、音楽用語も国籍不明のごちゃごちゃになってしまっているので、昔、若かりし頃、指揮者の岩城宏之さんにそれを指摘されてからは、私は出来る限り、なるべく使用する原語を統一するようには、努めています。
西洋音楽なので、日本語が音楽の公用語になった事はないので、作品をglobalなものにするためには、どうしてもヨーロッパの言葉を使用する必要があります。
今は、どちらかと言うと、英語(アメリカ語)の方が主流で、finaleでも音楽用語の使い方に非常に困ってしまう事がありますが、米語は原則として、popular音楽や、jazzの音楽に使用されているので、やはりClassicの音楽の現場では、音楽用語としては、traditionalなイタリア語が標準の公用語になります。説明は英語でする場合が殆どなのですが、ドイツ語で説明をする指揮者も多いです。

紗來ちゃんの質問のrondo capricciosoの作曲家であるSaint-Saensは、フランス人なので、当然、フランス語の楽語が楽譜の要所要所に出て来ます。今回の紗來ちゃんの質問した単語はイタリア語ですが、violinの演奏指示の単語だったので、音楽辞典には掲載されていなかったのですよね・・??

幾ら、音楽辞典であったとしても、violinの演奏上の技術的な演奏指示の用語なので、超、専門的な単語になるので、辞書には載っていません。
載せても、誰も理解出来ないからね???

ここまでが、いつものように、長い長い前ブリです。
演奏指示の音楽用語は結構難しいので、普段のオケ練習やlessonでは、教室作成の音楽用語を使用しています。(エグリbowとか、抜きbowとかの教室用語の意味です。)

正規の音楽用語(イタリア語とか、ドイツ語とか・・)にすれば良いと思われるかもしれませんが、そこは、そうは行かないとても難しい音楽業界のとても複雑な問題があります。

家元制度は心理学の世界でも全く同じで、日本で心理学会を開くと、その論争の殆ど大半が心理学用語(単語)の定義の問題で、侃侃諤諤と徒に時間だけが消耗して行くそうです。皆さん、自分の流派の定義している単語を、心理学の用語にしたいという願望があるので、その単語の意味する定義だけは譲れないようです。
まあ、音楽界も同じなので、genreを問わず、どこの世界も似たようなものかね??

次の「saltato」もイタリア語なのですが、こういった演奏指示の用語は、それぞれの流派によって著しく、その演奏法の方法論が異なってしまうのです。
(saltatoぐらいの有名な奏法になると、どの流派でも同じ奏法を定義しているのではないか??とは思いますが、それを知る事は不可能に近いし、無駄な努力なのでね。)

世界の一流のviolinist達が普段使っている演奏用語を比較対照した一覧がviolinの解説書に掲載されていたのですが、(多分、Galamianのviolin奏法ではなかったか??とは思うのですが)椎名町教室と同様に一度見当たらなくなると、blackholeのように、二度と出てきません。(もし、出てきたとしても、著作権の関係で掲載する事は出来ないのですが、たった一つの音楽用語が、先生が変わると意味(奏法)がどう変わるのかを知る事は、超、馬鹿馬鹿しくて、面白いですよ??

教室では、どの流派でも変わらない音楽用語は、そのまま原語で指導、lectureをしていますが、流派によって変わってしまう、曖昧な音楽用語は子供達が将来音楽界で活躍する時のために、教室の自作の音楽用語を使用しています。

ちなみに、saltatoが属しているnon legatoの世界では、staccato、martele、跳弓、投弓等々があります。
また、その中にportatoが存在しますが、martele-portatoというのもあります。
staccatoは、投弓、flying-staccato、standing-staccato、そしてsaltatoがあります。つまり、列挙していくと限がないのですよ。曰く、曲の数だけ、奏法がある・・とも言えますよね??

この音楽用語一つについても、それぞれの演奏法が流派によって、存在するのですよ。
つまり、音楽用語の中の演奏指示に関しては、流派によってその定義や、奏法自体が全く違うのですよ。

ヨーロッパに於ける家元制度っていう事かな??
それぞれの人が自分が元祖、家元である・・と主張しているので、聴いていても馬鹿馬鹿しいです。作曲家が求めている演奏法を、演奏すれば良いだけなのだけどね??
そこに流派が登場すると、複雑怪奇な事になってしまいます。

さしずめ、うちは古流だったりして・・アハッ!
windows10で入力していても、遂に入力がおかしくなって来ました。今日はここまでにしろ??と言う事なのかな??
では、ドクハラにでも、行って来るか・・・??



智ちゃん、messageを書いて送ろうとと思ったのだけど、windows7のメッセンジャーでは、全く、送信が出来なくなってしまっていたので、Facebookはチョッと問題だけど、lineがないので、Facebookに返信します。
そうです。それを探していたのだけど、Galamianの本だと思ったのだけど見つからなかったのだけど、何処の本にあったの??
書き込みがあるのを見ると、教室が生徒達に配ったもののようですよね??
それじゃあ、今回も子供達に配らなくっちゃあ、いけないのかな??

windows7のメッセンジャーの具合がますます酷くなって来て、送信出来なくなってしまいました。windows10で受ければ何とかなるのだけど、暫く、書き込んでいると、windows10でも、やはりおかしくなってしまうようです。
2,3日放っておくと、また、治るのだけど、その間、携帯で入力するのは、超、面倒くさいのだけどね???
Facebookは相変わらず、超、しょぼいのだけどな??


四半世紀前に??先生からいただいたコピーで、元の本はわからないんです。
もし先生の手元にもうないのでしたらPDFファイルか何かにして送りましょうか?


有難う??
もう、私のパソコンに画像は保存しましたが、pdffileの方が見やすくて、良いかな??
事務所に送っておいてください。

はい!今晩送ります!

4649!!

あー今事務所のパソコンが故障中なので、もしかしたらアウトルックも使えないかも。
芦塚先生のパソコンに送ってください?


その話は初めて聞いた??
パソコンが故障ならば、最優先の修理ではないか??
仕事が滞るぞ??
何で、連絡しない??

さっきから何度もLINEで送ってますよおお〜
困った?
助けて〜

またまた、mailは入って来ていないよ??
何回同じ話をしているのかい??

わはは(´ψψ`)

メールじゃなくて携帯のLINEですよお??

outlookはwindows10には入らないし、lineはwindows7に入れるには、これまでのlineのdataを全部削除しなければならないので、windows7にはlineは入っていません。
lineでmailのやり取りをしていて、突然outlookのmailを送られると、windows7のパソコンを開かなければなりません。
超面倒くさいし、ミスが起こるので、連絡はlineならline、outlookならoutlook一本にして欲しいし、もし、outlookで送る必要があるのなら、webmailの時と同様にoutlookに送った・・というmessageが必要ですよ??

智さんへ。メッセンジャーが何故かつながらないのでこちらで連絡します。演奏指示単語一覧表、探してみたら見つかりました?お手数おかけしました。送るのに手間取ってると聞いたので、取り急ぎご連絡です。

よかったです!ありがとうございます。


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4月28日「事務所のパソコンの不具合」

事務所のパソコンが数台、動きが遅くなって、その修理に昨日の朝から、今日の朝迄徹夜で、修理をしてしまった????
一台は誤操作に因る故障で、もう一台の方は、原因は不明だが、一番の原因は、何日もパソコンの電源をOFFにしなかった事もその原因の一つに考えられる?
パソコンの修理に関しては、「動きが遅くなった」と感じた段階で、修理を依頼されれば、比較的に修理をする作業は、少なくて済むのだが、故障が酷くなってから頼まれると、一つ一つの作業毎に、実に長時間パソコンを放置して待たなければならないので、パソコンの電源をつけたまま、一つ一つの作業をするのは、苦痛でもある?

それ以上に、パソコンの修理は、原因が不明な場合も多く、recoveryをしなければ、根本的には、治らない場合が極めて多い?

自分のパソコンならば、付随するソフトウェアのpasswordや、dataのCDがあるのか、netでdownlordしたものなのかは、必ずmemoをしてあるのだが、教室のパソコンのsoftに関しては、そう言ったdataの保存は、心許ない限りである?
つまり、教室のパソコンの場合には、おいそれとは、recoveryが出来ないのだよ?

ハイツのmainのパソコンのhard-diskが壊れた時には、機械的な故障なので、Dellのmakerに修理を依頼したのだが、recoveryをする時に、Blu-rayに焼くsoftを壊されて、makerの人が、video-driveの故障かも知れないという事で、video-driveを取り寄せて交換したのだが、結果はvideo-driveのせいではなかったのだが、そのvideo-driveの金額は返金してくれないし、video-cardがブッ飛んだ原因も、makerは、自分の所が原因だとは、絶対に認めないので、半年間に渡って超大喧嘩になってしまった???

Dellは「自分で勝ってにrecoveryをしろ」、って言うのだが、ハイツのパソコンともなると、softを完全に元に戻すのには、丸々一週間はかかるし、その間はハイツのパソコン作業は、全くstopしてしまう???
勿論、hard-diskの故障は機械的なものなので、修理しないと仕方がないので、まるまる一週間掛かって、softを元に戻したのだが、その間はパソコンが使用出来ないので、つまり、営業的にも、大損害なのだよ???

Dellのrecoveryのmissは、私がnetからdownloadしていた動画の編集softのCyberLinkと、Dellのvideo-cardの相性が悪く、先にCyberLinkを削除してから、recoveryをして、後でCyberLinkをinstallしなければならかったのだそうな?
それも、Dellの別の部署の担当の人が教えてくれたのだけどね?
事前には分かっていなかったので、Dellの人もmissをした分けなのだろうよ??
しかし、それを絶対に認めないもんね??
OCNのNTTとの大喧嘩も、日本中の部署を回された挙げ句、上の部署の担当の人が、「大手を相手にしても、絶対に認める分けはないので、裁判でもなんでもやってください。」と言う結論だった。こちらが被った損失の数十倍、数百倍のお金を掛けても、失策は認めないのが大手企業だ??と、言っていたよ。
それ以来OCNの売り込みに対しては、その話をして引き取って貰っているのだが、大手企業の驕りは凄いものがある。

私のDellのパソコンの故障でも、強いclaimを言ったので、一応は、会社側としては、そういう事が有り得るという、checkはしたようなのだけどねぇ?

CyberLinkのsoftからBlu-rayが焼けないのは、パソコン作業としては致命的なのだけど、recoveryで、一週間もパソコンが使えなくなるのは、もっと大損害なのだし、analog的ではあるのだが、video-cardに付随するsoftwareを、空いている時間に、片っ端から、downloadして上書き保存して行ったら、そのうち、Blu-rayがまた焼けるようになった?
Dellの私の担当の人には、「担当を別の人に変えてくれ?」と言っているのだが、代わったという報告はまだない?そういったtroubleを上司に相談する分けは無いか??

まあ、いずれにしても、また使えるようになったのは、ブッ飛んでいたsoftが、戻ったからだ?
しかし、相変わらず、Windowsを立ち上げる時には、「映像softが見つからない」という警告のmessageが出るのだが、ほんの一瞬の事なので、気にしない事にしている?


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4月29日「Haydnの弦楽四重奏曲」

今日(4月28日土曜日)は、前日から延々と曲決めと楽譜のコピー作業で徹夜続きですよ? ハイ!
芦塚先生が…ではないですよ??斉藤先生が…ですよ? ハイ?

曲決めで、室内楽、・・と言うか、室内楽の基本である弦楽四重奏を、初めて演奏するgroupでは、orchestraと室内楽の違い・・、それも、弦楽四重奏の演奏法の基礎を学ばなければなりません。

一般的には、室内楽の基本を学ぶためには、Haydnの弦楽quartetを勉強すれば良い…と言われているのですが、実は、弦楽四重奏を演奏出来る事が可能なlevelの人達は、かなりの技術levelを持った人達で、音楽大学等の弦楽科の生徒達の中でも、topの成績の生徒のみしか、室内楽の勉強をする事は出来ません。

「orchestraや室内楽の勉強をしたい?」「そして音楽大学を卒業したら、Proのオケに入って…」と夢を膨らませて、憧れの音楽大学に入学したとしても、topの成績を取らない限り、弦楽科の生徒であっても、一度もorchestraや室内楽の勉強を受ける事がないままに、音楽大学を卒業する生徒の方が、圧倒的に多いのです。
不思議に思われるかもしれませんが、実際には、proのorchestraであっても、Quartettを組んで演奏会をするmemberは、orchestraのPult-masterだけなのです。
殆どのorchestraの団員達は室内楽を組む事はないのです。
現実的には、指導者がいないと、室内楽の練習は喧嘩喧嘩の修羅場になるからね??

ましてや、子供達が室内楽を組む・・という事は世界的にも極めて稀な・・事件なのですよ。

先ず第一に子供達の技術では室内楽は弾きこなせません??

環境的には恵まれているはずの音楽大学等の付属の子供科でも、topの生徒達を集めたとしても、指導出来る人がいません。
violinの先生はviolinの技術しか見れないし、celloの先生はviolinの事は分からないからです。ましてや、violaの先生がviolinの生徒の事を注意すると、violinの先生が飛んできて、血の雨が降るからね。これは世界の現状を見ても同じ事なのです。
ましてや、室内楽の楽曲の構成や解釈ともなると、それを望む事自体が、無理難題でしょう?

「では、教室では何故出来るのか??」って??
当たり前でしょう??
指導者も生徒も全員芦塚先生の門下生なのだから、血の雨は降らないのですよ??
しかも芦塚先生の本職は作曲家なので、楽曲分析やinterpretationはお手のものだからです?

しかし、芦塚先生を持ってしても、そうは簡単には行かない室内楽の現実があります。

それは、過去一度も、子供の教材として書かれた(作曲された)弦楽四重奏曲はない・・という事なのです。
という事で、極めて例外的に芦塚先生に子供のための弦楽四重奏曲集を書いて貰っていますが、Haydnに至る迄の、(丁度、Pianoのキリンさんの教則本のように、Beyerに至る迄の)教則本としての、Quartettの数はありません。あくまで、one pointとしての教材として作曲しています。(その時の無茶振りのorder-madeです。「どうしても、この子を参加させたいから、1個の音だけで、弦楽四重奏を弾かせてよ??」と言う、極めて有り得へん無茶振りです。)なんとか繋いで、Haydnの室内楽に持って行きます。

そこで、Haydnについてのお話しです。

Haydnの人となりを最も表す言葉であり逸話は、Haydnが弟子達に何時もしていた口癖によく表れています。
それは、「人間は無から有を作り出す事が出来る。」「私を見なさい??」という言葉でした。

Haydnは貧しい馬車屋の息子として産まれ、子供の頃は、音楽的な教育、素養は全く受けた事がなく、唯一の音楽体験としては、教会の聖歌隊の団員として、声変わりの時期まで、歌を歌っていました。変声期を迎えて、教会を追い出されたHaydnは、仲間達と歌のQuartettを組んで、窓辺で歌を歌って、おひねりを貰う生活をしていました。そのgroupが結構有名になって、エステルハージ(Eszterhazy)がその事を聞きつけて、宮廷で雇ったのが、Haydnの躍進の始まり、つまり、芦塚先生が生徒達に何時も言っている、Genzmer先生が、Karl RichterのMunchenerBach Chorの伴奏者として、仕事をするか悩んでいる女の子へのadviceを、側で聞いていて、感激したGenzmer先生のadvice(忠告)の「誰の人生にも3回のchanceがある」という言葉です。

彼女の悩みは、対外的には、「Bachのcantataの練習は、その日のRichter教授の気分で決まるので、予め練習していくのが困難である。」という事と、「一旦、演奏旅行に参加すると半年は戻って来れない」・・という悩みでした。

それに対して、Genzmer先生のadviceは、cantataは200曲しかないので、2,3ヶ月も準備をして譜読みをしておくと、何時でも伴奏出来るようになる。
マタイやヨハネのような大曲は、全員が練習が必要なので、事前の連絡があるので問題はない。
半年間、自宅を留守にする事が問題なのは、彼女の恋人の話なので、これはadviceの問題外の事だと、先生は言われていました。
彼女がKarl Richterの専属の伴奏者になれるか否かは、明白な事ですよね。
それが自分に取って、一生の内の3回に1回のchanceだとしても、・・それは本人の考え方の問題だからね??

Haydnの伝記を読むと、Haydnが、その3回のchanceを確実に自分のものにした・・という事が分かります。

ある時には、作曲の技術を勉強したい・・と思うのですが、お金がないので、ある作曲家の家に執事として雇われます。
ご主人が作曲中には、ドアに耳をつけて主人が作曲しているのを、聞いて作曲の技術を盗んでいたのですが、それがご主人にバレてしまい、追い出されてしまいます。
ですから、Haydnは正規の作曲法を学んで勉強した人ではないのです。
だから、遅咲きの音楽家としては、本当に苦労に苦労を重ねて、音楽の勉強をして来た人です。

エステルハージ(Eszterhazy)に見出されて、宮廷に就職した時でも、当時のEszterhazy家の宮廷の音楽のlevelはかなり低く、雇われている数少ない音楽家達も大した演奏家達ではありませんでした。
つまり、Haydnの優れた作品を演奏する事の出来る技術は持ち合わせてはいなかったのですよ。

ですから、Haydnの初期から中期に掛けてのQuartett(Op.50番代までの作品)は、1st-violinだけが非常に難しいtechnikで作曲されていて、2nd-violin以下のpartは、楽器の初心者が初見で演奏しても、演奏出来る範囲のlevelに統一されて作曲されていました。

当然、1st-violinはHaydn自ら演奏し、それ以外のpartは、エステルハージ(Eszterhazy)の宮廷の音楽家達が演奏したからです。
(でも、何時からHaydnは弦楽器を演奏出来るようになったのだろう??
Haydnの後期のQuartettの作品を見ると、そのlevelは現代のviolinを勉強する人達にとっても、超難しく、Haydnはそれだけの演奏技術を持っていた、violinの演奏水準はかなり優れた演奏者であったと言う事だよね??
 
Haydnがどういう風に弦楽器の演奏のtechnikを身に着けたのかは、・・その話は伝記には出て来ないようだけど、幾ら大天才といえども、初心者の時期もあったはずなのだがね??
少なくとも、Eszterhazyの宮殿に就職する迄は、そういった素養はなかったはずなのだが・・・??)
おっ??・・面白そうな研究のthemaを見つけたぞ??

Eszterhazyの宮中の音楽会は、Haydnの努力でヨーロッパ中に名を轟かせる事になりました。
その結果、Haydnの地位も上がり、優れた演奏家を雇う事が出来るようになって、HaydnのQuartettは、音楽的水準も技術的にも非常に高度なものになっていきました。
名もない大道芸人(巷のムジカント=Musikant)に過ぎなかった若者のHaydnの才能を見いだして育て上げたEszterhazyの眼力も素晴らしいのですが、海千山千の若者に過ぎなかったHaydnがヨーロッパ中に名声を博すようになったのは、Haydnの、たゆまぬ努力の賜物でしょうかね?

と言う事で、通常ならば、作曲家が努力し、作品の水準を上げて行く過程が作品に現れるのですが、しかし、HaydnのQuartettを見ても、他の作曲家に見受けられるような研究的な作曲法は見受けられません。
あくまでも、難しいpassageは自分が演奏して、他の団員には迷惑が掛からないように作曲しています。
職人だわな〜ぁ??

それが突然、levelupするのだから、驚きです。
勿論、音楽水準の向上は、団員が変わったから、当たり前なのでしょうが、それに合わせて作曲の水準、つまり、音楽のNiveauが突然上がるのですからね。
ビックリですよ?ハイ!
しかも、それが、四季や天地創造迄登りつめるのだから、奇跡です。
Haydnに言わせれば、「無から有を造り出す事は出来るのだよ?」「私を見なさい?」となるのでしょうがね?

それはそうと、Julius KlengelのKindertrioです。澤田桃迦ちゃん達のgroupです。


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4月29日「体調不良」

先週の土曜日から、突然、体調不良になって、次の木曜日の夜は腎臓の辺りの背中が腫れ上がってしまいました。しかし、金曜日には、不思議とぐっすりと眠れたので、背中の腫れは治ってしまいました。
一応、病院に紹介状を書いて貰う事にして、私としては「総合診療科で腎臓の機能検査を含めた総合的な検査をして貰いたかったのですが、お医者さんは、「病院は自分で探して、医者の名前まで分かれば、紹介状を書いてあげる」という事で、先生としては、糖尿病の専門外来の方が良い…という事だったので、早速、調剤薬局に尋ねたのですが、薬剤師の人も、糖尿病が心配らしく、糖尿病の病院を中心に教えてくれました。
近場ならば、私がドクハラで逃げ出した***病院が総合診療内科を持っているのですが、待ち時間も超長く、通うのも大変です。
まあ、逃げ出した、前歴もあるしネ。
いやあ、病院には、困ってしまうよな??

今日は、曲渡しの初見大会の日ですが、事務所のパソコンの故障と修理のために、殆ど眠れていないので、またぞろ、腎臓の辺りが腫れてしまいました。
安静に寝ていると、また治るのでしょうが、これもなんとも心配ですよな??
曲決めで昨夜も2時過ぎに、ハイツに戻ったのですが、それもあって、少し寝が足りません。
今日は体力は持つのかな??


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4月30日「足が痙った」

4月30日、超困った!!
2日続けて眠れない??
・・・まあ、しかし、明日からは、ゴールデンウィークの休みだから、まあ、いいか??※)
※)土曜日は平常のlessonだったし、日曜日はオケ室内楽の結団式と初見大会だったし…で、今日からが、ゴールデンウィークの休みなのですよ?????

どうせ眠れないのなら、起きて雑用でも片付けるか??

時間を巻き戻して、…椎名町から帰って来て、ベランダを開けたら、とても明るかったので、夜空を見上げたら、ほぼ満マルのお月さまが見えました。
今日は満月の前日だそうです。
つまり、14夜・・だそうです。
眠れないからwine片手に月見とでも洒落込むか??…とも思ったのだが、外は結構寒いのよね??
ベランダでの月見は諦めました。
眠れない?と思っていたら、今度は、足の親指が、つってきた?
これは痛い?これは困った?
二日間よく寝れていないので、uploadを2つしたので、今日の営業は終了しました。おやすみなさい。


Votti violin-concerto Nr.22 a moll T楽章Mio9jahre alto

お疲れ様でした。
お月様、とてもきれいだね?と息子がよろこんでました。今日が満月なんですね!!
私もよく寝てるときに足がつりますが着圧の靴下を履いてからはツルことがだいぶ減りました。

一時期毎日のように攣って困っていましたが、暫く出なくって安心していたのだけど・・・


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4月30日「オケ・室内楽の結団式」

昨日はオケ・室内楽の結団式と発表会への抱負の発表と新しい曲の初見大会でした。
オケsoloは、希望で、Kontrabassのconcertoや、violaの延長戦のHoffmeisterのUV楽章、Vitaliのchaconne等々の初見練習をしました。
勿論、Vivaldi等のその他の曲も・・。
今回は、長調の曲が多く、珍しいです?
室内楽はmemberは希望にしています。
だから、今現在は保留です。
写真はお茶菓子を食べながらの発表会への抱負の発表の風景(??)です。




息子が起きて1番に
『リコーダー』と…
リコーダーやると先週から決めていたので吹きたくて仕方ないみたいです??

そんなに楽しいものが一杯ある事は幸せだな〜ぁ??


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4月30日 ・

今日は久しぶりのお休みなのだけど、お休みのウダウダついでに編集をもう1曲しました。
これで3曲目かな??






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5月




5月1日「video-cameraのお話」

多分、今日は満月だ・・と思ったけれど、誰も興味が無いようですな??
ひと頃よりも、満月が珍しくなくなったのかな???

「私は今夜も眠れないでいると・・・」という事で、眠れないままに、朝の定時の体調の計測をしながら、紗來のSarasate・・所謂、sara-saraの編集をしました。

上手袖の白カメは、3回も修理に出しているのに治りません。
常時、不具合が出る分けではないので、修理も困難です。

以前は、videoの撮影は業者の方に任せっ放しだったので、業務用のvideo-cameraなので、教室のvideo-cameraの不具合は、あまり気にしなかったのですが、videoの編集も私がする事になって、教室のvideo-cameraの故障が問題になって来ました?

・・・と言う事で、「新しいvideo-cameraを買おうかな??」とも思ったのですが、以前、故障したという事で、今は使っていない・・sonyのvideo-cameraが1台あったので、そのvideo-cameraを昨日確認のために、checkしたのですが、私が見た限りでは、故障というよりも日頃の使い方に問題がありそうなので、誤作動を起こさないようにコード類に一工夫をして、取り敢えずは休み明けのオケ練習から、(故障中の白カメと、昔のvideo-cameraを入れ替えて、)使用してみよう・・・と言う事で、そのsonyのhandycamを、暫く検見川教室で実際に使用して見て、故障が出るか否かを、試して見ようと思っています。

こう言った故障は、常時出る分けではないのですが、本番は12時間以上の長時間に渡るので、故障が再発すると問題です。

もし、そのvideo-cameraが正常ならば、中央遠景を4Kcamera、中央近撮をsonyのhandycam、上手を赤カメ、下手に故障中の白カメをsub-cameraとして配置すれば、今の映像よりも、数倍良いくっきりとした映像が期待出来るのでは、と思っています。

「何故、沢山のvideo-cameraを配置するのか??」・・と言う事なのですが、今はmainのvideo-cameraで、遠景とupの画像を編集のsoftでやっているのですが、編集softでzoom-upすると、どうしても画像が荒れてしまいます。

video-cameraでzoom-upすると、画像の劣化は起こらないのですが、そのためには、videoに掛かりっ切りのvideo担当の人が必要になります。
長時間、それを複数の人達にお願いするのも心苦しいので、video-cameraを複数台使う事で、何とか、切り抜けようと思っています。

video-cameraが複数台になると、zoom-upした画像も、しっかりとpintoが合った画像になると思います。
但し、編集は今まで通りの私一人の素人仕事ですがね。
無いよりも、あった方が良いぐらいの感じでお願いします。アハッ!


Sarasate Zigeunerweisen 18年4月15日芦塚音楽千葉教室Sara11jahre alto

11jahre alto ってなんだ? 
11 years old の間違いでは?

え〜っ??
そりゃあ、失礼しました。
そりゃあ、間違えているわいな〜?? 
何時の頃からかいな??
全部訂正しなきゃ〜なんめ〜ぇ?? 
てえへんだ?? てえへんだ??
Jahre altoではなく、Jahre altだなや~?? 
今、言われて、始めて、気がついた??
無意識に、読み通りに書いてしまった??
Zigeunerweisenもドイツ語なので、(基本、私はドイツ語なので・・)原語が混じらないように、ドイツ語に統一して書くように心懸けています。(一つの文章の中に、色々な国の原語が出てくるのは、結構みっともないのでね??
英語のyears oldと全く同じ意味のドイツ語ですよ?
ハイ?????



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5月2日 ・

昨夜は、連日の休日というのに、食事時間がcinderella-timeを過ぎたために、私は寝過ごしてしまって食事にはありつけませんでした。
・・と言うか、目が覚めたのが、深夜の2時過ぎだったのでね。
やっと今、朝の6時過ぎですが、2日振りの朝食を、videoの編集をしながら、食べてます。

・・と言う事で、食事を取りながらの、編集作業が終わったので、You Tubeにuploadします。
今回は、少し、・・まあ、限界まで画質を上げて見ました。
これがこのvideo-映像の最高画質です。

所で、4月の15日の発表会の朝は、超、暴風雨で、お昼は超、好天気と言う事で、天候の変化が目まぐるしく、気温と湿度が著しく変わったために、子供達の楽器も舞台袖で、しっかりと、調弦したのにも関わらず、舞台上では一瞬に弦が上がってしまい、多くの子供達が舞台と舞台袖の間で、調弦が狂ってしまい、演奏をするのに困ってしまいました。

天候の激変があった日には、舞台上で、「ポロロン」と指で弦を弾じいて、調弦を確認する必要があるのだけど、上級生達は出来ているのだけど、小学生のgroupは、そういった現場の教育が未だ、行き届いていませんよね??

流石に、celloのような大型の弦楽器は無理かも知れないけれど、violinやViola迄の楽器では、演奏中の、取り敢えずのtuningの応急処置の方法もあるのですが、そこで、失敗すると、取り返しがつかない事になるので、子供達には敢えて、教えてはいません。

音大生が、調弦が出来なくって(雑に舞台袖でtuningをしてしまって)、舞台で弦の狂いに気がついて、先輩諸氏から無責任に教わったその応急手当の方法で、調弦をして、逆に調弦が大きく狂ってしまって、(・・弦が緩んでしまって)演奏出来なくなった状況をよく見かける事があります。

応急処置は慣れていないと、或る程度のリスクを伴うのだけど、そのリスクに気が付かないままに、やってしまう素人的なミスです。

半音の半分ぐらいを上げるだけなら、リスクは少ないのですが、今回のように、逆に、弦が上がってしまった場合の対処は、結構危険です。
弦が一気に緩んでどうしようもなくなってしまう事がよくあるからです。
くわばら?くわばら??

実際のorchestraの場合には、solisteの場合には、concertmasterの楽器を弾いて、concertmasterは2Pultの楽器、2Pultは3Pultと、楽器を申し送りします。
一番奥の人が楽器を持って舞台袖に引っ込みます。 かわいそうに??

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5月2日 ・
Pianoのsoloの演奏が1曲もuploadしていなかったので、ひかりちゃんのRavelのLe Tombeau de Couperin(クープランの墓)の演奏をuploadします。



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5月3日「動画からの写真」

実は、一時間程前に、写真を3枚くらいと、その写真の解説の文をfacebookに投稿したのですが、削除してしまいました?

これまでの発表会の写真は、昔はcameraの担当を誰かに頼んでいたのですが、videoのcameraを業者さんに頼んでいた頃には、videoの業者の人が写真もついでに撮ってくれていました。
しかし、videoのついでなので、発表会の出演者の全員の写真が無いと行けないのですが、ついついと落としがあったりして、video屋さんも撮影のvideoから、発表会のvideoから写真をお越していたりしました。

この所、全く写真の担当の人を決めないままに発表会に臨んだ事が何回かあったのですが、その時には、仕方がないので、videoの動画から、生徒の演奏風景の写真を起こしました。

問題は、業者さんのvideo-cameraと違って、教室のvideo-cameraの画素数の話の問題です。
動画から写真を起こす際の、画素数が足りない場合の写真お越しの不具合についての話です?

4K-video-cameraからの場合は、業者のvideo-cameraと、そんなに遜色はないので、写真に起こした場合でも、そんなには問題はないのですが、一般的なhighvision-cameraの場合には、画素数が足りないので、ギザギザに画面がぶれたりするので、写真するには問題があります?

しかし、video-cameraを全部買い換えるのは、少々無理があるので、どうしたら、その問題を解決出来るか??・・という事について、色々と、結構長い間悩んで来たのですが、5月の1日に、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、power-director15を16にversion-upしました?

ここで、「清水の舞台」…という言葉を使わざるを得なかったのは、単なるversion-upだ、というのに、powerdirecter15を購入する時よりも、エライ高かったのですよ???
しかし、powerdirecter16は、これまでのHi-Vision-video-cameraの画素数の不足から起こるギザギザ画像や、波を打つ画像を、編集soft上で消す事が出来るのです。
violinを演奏する生徒の弓が波を打っているのを、テストでpowerdirecter16のsoftで修正、補正する作業をしました。
なんと、見事に消えたのですよ?これは凄い??
Hi-Vision-video-cameraの映像もこれで使えるようになります。

子供達の演奏技術が上がって、表現力が身に付いて来ると、音楽と心が一つになった一瞬に、えもいわれぬ素晴らしい表情をします?
(proの演奏家の一瞬の画像も、結構、良いものがありますが、どうも、その表情に大人の作為を感じてしまい、中々感動出来ないのですよ??)

写真では、偶然に歯科、なかなか捉えられないその子供のほんの一瞬の得難い表情を、動画から写真に取り出すのです。
これまでの、power-director15では、動画の動きが抑えられず、波を打った、ショボい写真になってしまっていたのが、powerdirecter16では、見事に写真にする事が出来ます?

それで、清水の舞台から飛び降りた覚悟のpower-director16で、編集のsoftをversion-upして、波を打っている映像を修正して、画素数を上げて、それから、写真起こしをしました?
それが以下の写真・・・となるのですが、その写真は削除しました。


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5月3日 ・

先日迄は、入眠障害で眠れなくって困っていたのですが、今度は、この3,4日、一日中眠っていて起きれない日々が続いていて、全く仕事になりません。困った??
まさか?「よく眠れて良いだろう?」なんて言う人はいませんよね?
何時間寝ても起きれない時には、何時間寝ても、疲れが取れなくって、全く動けないのですよ?ただ眠たいだけではなくって、意識混濁で体も全く動かないのですよ?
つまり、何時間寝たとしても、寝た意味すらないのですよ?
寝る事で、疲れが蓄積して行く?って、体験した人はいるのかな?
歳を取ると、いつか、自然に体感するようになるのかな?
いや〜あ、それにしても、困った?困った?
いや、全く困った??????


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5月4日「今日はGWの中日」

今日はGWの中日、5月の4日です。4月の28日の土曜日辺りから、摂眠障害が、嗜眠というか惰眠に変わってしまって、一日中起きれなくて、頑張ってパソコンの前に座っても、意識朦朧状態で、全く仕事にならない・・のですよ?ハイ??

GW中は楽譜のコピーの作業や、普段、時間が無くて、出来ない作業に追われてしまっていたので、斉藤先生が「1日だけは、何処かに遊びに行きたい??」・・と言うので、東急ハンズの買い出しが溜まっていたのを(??)思い出して、今日のお昼から池袋迄行きました。

驚いたネ??池袋駅がhomedoorになっていたよ??
西武デパートの入り口が広くなっていた。
昔のLENOTREの後のお店も縮小して小さくなっていたよ??

東急ハンズは私が買いたいものは、一つも見つからなかったので、何をしに行ったのか、分からなくなってしまった。所謂、無駄足だったのだよ??

久し振りの池袋だったので、人混みに酔ってしまった。
・・と言うか、連休中に行くもんじゃあないよな??

久し振りに長時間歩いたので、夜のプリドルっ歩が行けるのかどうか分からんようになってしまった??

朝の6時過ぎに、Facebookに「良いね??」と「駄目出し???」のマークについての意見を書いたのだが、uploadしてから、5分後に削除してしまった。
私が時々書いている鬱の話は、自分自身の心情に対してのお話しなので、それは良いのだけど、他人の批判だけはしたくないからね??
(勿論、音楽の演奏を批判するのは、商売だから仕方がないとしても・・だが)
タダ、チョッと頭に来ただけだから、胸に仕舞っておくことにします。
明日からは、また頑張って、オケのcurriculumを作らなければなるめ〜ぇ??

やっとこ、さっとこ、ハイツに辿り着いたら、夕焼けの色がとても美しくて写真に撮ったのだけど、色の補正をしないと、元の色は出ませんよね??

左側の黄色の夕日の光が強過ぎて、右側の薄いピンクの得も言われない色合いが写真では死んでしまっています。
Highlightの位置をズラしてピンクの色を少し強めに出すと、自然な色に近づくのかな??

すっかり、疲れたので、色調補正は、今日はやる気は無いのだけど、まあ、良いか・・・??

・・と言うか、どうせ、補正の作業は、もうやらない・・と思うよ??
動画の編集でそれどころではない。
testとして、上手側の白カメの映像がボケまくっているのを、修正補正作業をするのだが、その補正に3時間、4時間パソコンが死んでしまうのでね。
(・・その間、パソコンの作業が何も出来なくなってしまう・・という意味です。ハイ??)
俺は一体何屋なのだ????



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18年5月4日8:27「悪意のあるコメント」
Facebookのコメントによると、良いね??の反対は、本来的には、「悲しいね??」という意味だったそうです。
今は、色々な気分を表現する絵文字があるので、「悲しいね??」は絵文字で表現される事の方が多く、駄目出しのマークは、Facebookが恐れていたように、悪意のある駄目出しのマークの意味になってしまっているようです。
You Tubeの場合には、良いね??と駄目??の二種類のマークしかないので、悲しい表現であっても、良いね??になるようです。ですから、駄目のマークはそのものズバリ「駄目??」「つまらない?」「最低??」とかの悪意のあるimageにしか鳴らないようです。

Facebookでこの「良いね??」のマークの「反対のマーク」を作った時に、多くの人達が反対をしたそうです。
つまり、悪意のあるマークとして、表現の自由を阻害される可能性があるからです。

私としては、jealousyや悪意の意味で、反対のマークをclickするのならば、最初から、そのサイトを見なければ良いのにね??・・と思うのですが、Jurassicな人達には、それすら通用しないようですね。

ましてや、upされている演奏が、発表会の子供達の演奏で、しかも、批判する本人も、教育者の場合には、他の教室の生徒であったとしても、子供には違わないので、自分の生徒と同じように接するべきだと思うのですがね。
先生がそういう先生ならば、生徒の将来は悲しむべきものがあります。
私は「良い評価をしてください。」という事を言っている分けではありません。意味のある、しっかりとした批判ならば、子供達にもとても有意義な勉強になるからです。悪意のある批判は、そこからは何も産み出す事はありません。

FacebookやYou Tubeに関しては、良いね??マークや駄目??マークは、そこの部分のSecurityは、そんなには厳しくないので、簡単にaccountを特定出来ます。
人を特定するのは、通常のmail等やhomepage等とは違って簡単なのですよ。
そこには、個人保護の観点はないからね??
無知とは怖いものです。
イタズラに、人を貶める事でしか、自分を表現出来ない人は不幸せですし、音楽を学ぶ資格はありません。

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5月5日「Virus-mail」」

昨夜、と言いたい所ですが、もう、12時のcinderella-timeを過ぎた所なので、3日の金曜日と昨日の朝の事になってしまいましたが、time-lineの順を追って話を進めると、まず、3日の金曜日の夜に、自宅のwindows7のmainのcomputerで仕事をしていたら、突然、microsoftからのmessageが入って来て、「OSが壊れているので、dataが消滅するので、softをinstallしろ??」と言って来て、何をしても、そのPageが消去出来なくなってしまいました。それと同時に、「壊れてdataが飛ぶ迄に300秒しか無い??」と、count-downが始まったのです。
秒単位なので、思わず焦ってしまいました。
パソコンのkrushも恐怖ですが、それ以上にdataがぶっ飛ぶのは困ります。(勿論、back-upはしているのですが)

入って来た警告のmessageは、何をclickしても、元のmessageに戻るだけで、それ以外は、softのinstallへの行程だけが開いていて、それ以外のkeyは、何のkeyを押しても、元のPageにloopしてしまうのです。

そのinstallを求めているsoftをよく見ると、有料の怪しげなsoftです。(そう言えば、昔《数年前にも》もそういうsoftが入って来た事があったよな??)

にっちもさっちも行かなくなって、パソコンを強勢終了して、windowsのupdateをして、Securityのcheckをして、等々、パソコンの大掃除をして、それからもう一度、パソコンの状態のcheckをして、事なきを得ました。

それは1昨日の事なのですが、今日(4日)の朝、windows10のパソコンで仕事をしていたら、突然「ぴーーっ??」とけたたましい警告音がして、また同じ状態になりました。
microsoftからのmessageなのですが、microsoftが怪しげな自社以外のsoftを売る分けはありません。
これはmicrosoftに見做しのvirus-softなのですが、microsoftを冠っているので、今回も、Security-softが効きません??
今回も強勢終了で何とか、そのmessageを削除しました。

うっかりと、そのsoftをinstallしてしまうと、それが常駐してfile等をどんどん盗んでしまうので、パソコンの動きも非常に悪くなります。

パソコンのnewsを調べれば、そのvirusについてのmessageが掲載されているはずなのですが、時間がないので、私は調べる事は出来ません。
これはsoftを売っている分けなので、会社ぐるみの悪さです。
パソコン新興国では、こう言ったsoftを専門的に作って、世界中に拡散させている会社がある・・という話はよく聞く事なのですがね???

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5月5日「今日も体調不良」 ・

今日はGWの中日を過ぎた5月5日の子供の日です。
世間一般は、明日の日曜日で、GWは終わりだそうです?
「世間一般・・」という意味は、明日は秋の発表会に向けてのオケ室内楽の練習の1回めが始まるからで、教室はお休みは1日早く終わっているからです。
子供達にとっては、練習が1回抜けるだけでも、地球がなくなってしまうような、大騒ぎです。たった、1回抜けただけ・・・なのだけどね??

なんと、斉藤先生から指摘を受けて、実は、明日の日曜日もGWのお休みで、オケ練習は来週の、5月の13日の日曜日からだそうです。・・オケ練習が2回抜けるから、子供達が「休みが長い」と、文句を言っていたのだよな?? 
・・と言う事で、私のパソコンのcalendarの明日のオケ練習の予定を、休日に訂正をしておきました。
それで、何も変わらないのだけどね???

しかし、私のパソコンの予定表は、何処から間違えたのだろう??
連絡が入る度に、その都度、calendarを書き換えているので、その時にコピーし間違えたのかな?

・・・それはそうと、今日の朝のもう一つのhappeningは、朝ベッドから起き上がる時に、左足首以下が攣ってしまって動けなくなってしまった事です。
引き攣るので、足に無意識に力が入ってしまって、死ぬ程痛くなってしまうので、必死に足に力が入らないようにしながら、パソコンの椅子まで歩いて行きました。
これって、至難の業なのよ?
パソコンの椅子を挟んだ反対側の水屋の引き出しが薬入れの引き出しになっていて、腓返り用の飲み薬を常備していたからです。

大急ぎで薬を袋から出したのですが、いつものように薬が袋から下に落ちてしまいました。
いつも、先生達は「また~あ〜??」と怒るけれど、手が油切れでパサパサで、物を掴む事が非常に難しくなってしまっているからなのです。先生達ももう少し歳を取ると、直ぐに物を掴む事が難しくなってしまうのだよ??これは加齢ですよ?ハイ??

探し始めると、ハイツはミニチュアーのブラック-ホールなので、2度と出てくる事はないかも知れません。
と言う事で手元に残った薬を、まずは先に飲んで、それからゆっくりと下に落ちた薬を探したのですが、今回はblackholeの入り口で止まっていたようで、何とか見つかって大急ぎで残りの薬も飲んで、事なきを得ました??
10分もしないで、足の引き攣りは収まって来ました。しかし、まあ、・・・
危ない??
危ない???

・・・それはそうと、序の話なのですが、今日もパソコンで仕事をしようと思っても、いつものように意識が朦朧として、仕事になりません。「寝が足りないのかな??」と思い直して、またぞろベッドに入り直すのですが、状況は改善されません。外に、雑用の買い物にも行きたかったのですが、億劫で出る気にもなりません。では、風呂にでも入って気分転換でもするか??とも思ったのですが、風呂の水を抜いて、風呂を洗うという作業が出来なくって、それこそ、1日掛かりです。(今は、浴槽の洗剤を入れて水抜き作業中なのですが、・・)浴槽を洗う・・という事がシンドくって出来そうにもありません。
また、showerになるのかな??アハッ!
疲れた????動けない????

と、言いながら、夕方まで掛かって、何とかお風呂にお湯を張ることが出来ました?
疲れが酷いので、今日はぶくぶくは無しで、おとなしく、ぬる湯にして入りました?
・・・・lineから、「疲れた??動けない??」が、何とか、コピー出来た????? カラフルで良いな??

ん?
明日の日曜日もまだお休みですよ?今期初のオケ室内楽練習は次の週の13日からですよ〜??

ン?????
俺の予定表には、明日からの予定になっているのだけど???

どうなっているの??????????


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5月6日「de ja vu??」

今日はGW最後の6日の日曜日です。
朝6時から8時の間を何度も繰り返しています。toilette-timeでベッドから起きてtoiletteに行って、「何だ、まだこの時間か??」と、再び睡魔に襲われて、ベッドに戻る・・・というroutineを繰り返しています。もう、4,5回はtoiletteに、行ったかな??
それなのに、未だ朝の8時を回らないのですよ? image的には6時から8時の間を繰り返している感じです?実に、不思議だ??

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5月7日「歯が??痛い」 ・

7日の朝方は5月らしい爽やかな、とても良いお天気だったのに、お昼頃から雨が音を立てて降り始めた。
時折、パトカーのサイレンのような音が遠くから聞こえて来る。
「風のせいで、看板でも飛んでいるのかな??」・・と思ったら、なんと、窓から吹き込む風の音だった。
これも、もがりぶえ(虎落笛)の一種なのかな?

結構、強い風も吹いているようなので、外に外食に行こうかとも思っていたのだが、ついつい、雨足の激しさに、二の足を踏んでしまうよな??

しかし、腹も減ったぞ??
さて、どうするか??
パトカーのサイレンのような音は、いつの間にか、魔女達の叫び声のようになっていた?

しかし、泣く子と空腹には勝てないので、超、暴風雨の中を、濡れるのを覚悟で、近場の蕎麦屋に、蕎麦を食いに行く事にした?(江戸言葉では、蕎麦は食べるものではなく、ましてや、啜るものでもなく、手繰るものだそうな??)

そう言えば、昨日テレビでラーメン屋の二代目のドキュメントをやっていたが、正にラーメンを啜っていたよ??
啜ると手繰るという言葉の意味の違いは、落語の名人が実に巧みにやっていたよ。流石は、名人芸、音だけでそこまで表現するのだよな??
音楽の表現にも一脈合い通じるものがあるのだが、分からんだろうな??

さすがに、暴風雨の中では、蕎麦屋には客は誰もいなくて、店主が一人手持ちぶさたにしていた?
普段、お昼に蕎麦を食する時には、通常は、何処の店に行ったとしても、セイロか、トロロと決めている。メニューを見て、考える時間が無駄だからだ。

但し、千葉の花園の蕎麦屋に行く時には、基本はあいのり田舎蕎麦と更科を半々に盛ったものか、季節の変わり蕎麦を頼む事にしている。
つまり、お店によっては、そのお店の一番の私の好みを決めている蕎麦屋もある。

私の好きな蕎麦は蕎麦が光っている。光っている蕎麦を出すお店は、やはり数が少ない。
今日の蕎麦屋の蕎麦も、どよ〜んとしているし、どてっとしている。
おまけに小さくブチ切れていたよな??
結構、常連も多くて、ブッている江古田では立派な蕎麦屋なのだがね??
客が来ないから、蕎麦打ちもやる気が無いのだよな??普段からそんなに美味しいお店とは思わないからな??

極めて稀な事なのだが、素蕎麦が好きな私でも、大海老が立派な時には、大海老の天そばを頼む事もある。
勿論、温かい蕎麦ではなく、冷たいお蕎麦ではあるのだが・・。
油っ濃いものが嫌だから蕎麦を食いに行くのだから、海老天とか鴨蕎麦は、基本的に注文する事はない。

・・とは、言っても極めて稀には、気分で、注文をする事もあるので、「絶対」という意味ではない。時々池袋に出掛けた時に寄る蕎麦屋は支店なのだが、本店はもう無い。そこの海老天は大海老で特大なので、2,3回は食べた事がある。未だ本店があった時は、お店のownerと思しき老人が、私を見留て、頼んだ分けでもないのに、蕎麦猪口を別に出してくれた。客をよく見ている。
と言う事で、鴨セイロや天麩羅蕎麦も食べない・・という分けでは無い。美味しければ食べるのよ??
私には絶対という言葉は存在しないからだ。  

私が、長々と蕎麦の話をしたのは、「今日、外食をするにしても、蕎麦でないといけない」・・という必然的な理由があったからだ。

・・・実は、昨夜から、歯茎が痛くて、物が噛めない?
蕎麦なら、すするだけ(手繰るだけ)なので、何とかなるのかな?・・・と、思ったのだが、実際には、そうはうまくはいかないようだ?
蕎麦は喉で味わうものだ・・と言うが、蕎麦でも、やはりある程度は、咀嚼はするのだよな?

う〜ん?? と言う事で、やっぱり、痛いものは痛い????
「歯医者に行け??」って・・??
いや、シュミテクトで歯磨きすれば、2,3日で治るのよ??
これがね・・・・?????????



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5月9日「荷物の整理」 ・

頑張って、段ボール二個分をこれだけに纏めた?素晴らしい?
GW中の作業だよ?(GW中掛かったという意味だよ?)
いや〜あ、大変だった




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5月9日「超、寒い!!」 ・

今日はもう9日です。昨夜は超寒かったけれど、今も(朝の5時なのですが・・)超寒く、5月としては10年振りの寒さ・・とか、テレビでは言っています。3月まで季節が戻ったとか・・??


Yoji Ashizuka Vier Gesange fur soprano und Piano

留学中の写真です。
Wolfの墓の前で・・


どなたか分かりません!笑

斉藤先生もそう言っていました。
これぐらい痩せてると作曲家に見えるかな??


先生の曲は昔から魅惑的なんですね??


はて、どの曲の事かな??
私の曲を演奏した経験のある子供達によると、BartokやStravinskyのような、超現代曲よりも、私の曲の方が和音の響きがキツいので、難しいのだそうです。
私はそうは思わないのだけど、私のPianoの曲よりも、StravinskyのPetrouchkaの方が易しい・・と言っていました。
まさか???

このFacebookにリンクが貼ってある曲を聴きました!


そりゃあ、そうですよね??
三好達治の詩による「四つの唄」という曲なのですが、歌(Lied)ではなく、唄(Gesang)にしたのは、「こんな巨大な曲はLiedとは言わない、Gesangだよ??」とのGenzmer先生の発案です。
私は最初は慎ましやかに「四つの歌曲(Lieder)にしていたのですがね。

ちなみに絢美は先生の曲が導入曲だったので、先生の曲の方が楽しい、弾きやすいと言っていました。
意味わかりません!

私のKindertrioは、音大生が初見で弾いても、練習して来ても、中々弾けなくって、「どうして?」と悩む程、色々と仕込んであります。
隠し味的嫌がらせなのだけどね。
でも、教室で、最初から勉強している生徒達は基本的な事をちゃんと学んでいるので、それが当たり前になって、普通に弾けるのですよ。
だから、音大生が弾けないと「何故??」「どこが難しいの??」ってなってしまいます。
嫌味ではない、素朴な疑問なのですがネ??


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5月9日「部活動について」

今テレビで、行き過ぎた部活動に対して、文科省が苦言を呈したという事で、延々と話しをしている。

『運動部活動に関するガイドライン(指針)を検討するスポーツ庁の有識者会議が16日、東京都内で開かれ、中学では休養日を週2日以上とし、1日の活動時間を平日2時間、休日3時間程度までとする指針の骨子が大筋で了承された。』毎日新聞

中々良いテレビのdocumentで、テレビを見ながら、仕事を進めていたのだが、おおむね、私がこれまで批判してきた内容と同じなのだけど、その前提となる子供の条件に、色々な分野で、夢を叶えるべく、頑張っている子供達の事が、全く想定されていないのは、全くの驚きである?
あくまでもテレビの取材というのは、一般的な人達だけを対象とするのであろうか??
音楽に限らず、athleteを目指す人やBallerinaを目指す人、絵や、職人を目指す人達等、分野を問わなければ、一芸を目指す人達は、一つの学校にも多く見受けられるとは思うのだが・・、それでも絶対数は少ないのかな??

文科省が苦言を呈した理由は、部活動を指導する教員の労働時間が、ブラック企業の労働時間にも匹敵するし、日曜日に至っては、全くの賃金の補償がない…という事に対してであり、子供達の立場に対しての苦言ではない・・という事も知っておくべきだ?
学校の教員が日曜日に全日働いたとしても、保証される金額は2000円に過ぎないそうで、後は、手弁当なのだそうな??教員は残業も保証されていないので、部活動は殆ど先生達のタダ働きになるのだそうな??
(まあ、教室のオケ・室内楽の練習も似たり寄ったりなものだけどね???)

元来、部活動というものは、子供の自主的な希望で、入退会も自由であるべきはずなのだが(文科省の指導にはそう明記されているのだがね?)、学校や、教育委員会では、全員参加と、一度入部すると(建前は兎も角としても)、絶対的に退部、転部を認めない学校が殆どである。(この事は、体育系の部活動のみならず、音楽系の部活動でも同様である?)

この部活動の本来の意味を見失った活動は、学校コンクール等で、全国大会で一位を目指すといった、本来の教育の目的を見失った、行き過ぎた教育に依るものである。

何故ならば、甲子園を目指して部活動をする為に、全国から生徒達が集まって来るような特別な学校は、生徒の要求と、学校の指導は合致しているので、教育上の問題は起こり得ないし、野球のproになろうとする生徒達の登竜門としての学校なので、それはそれで有り得ると思う。
つまり、その学校への選択権は生徒の側が握っているからだ。
しかし、部活動に対してのそういったトラブルを抱えている生徒達は、コンクールで一位になる事を求めてその学校へ入学した分けでもないし、ましてやその部活動に入部している分けではない?殆ど大半の生徒達が先生の勧めや、お友達の強引な勧誘によって入部したに過ぎない。

生徒達の身近な目標と言う事で、コンクールを認めるとしても、ましてやその場合には、生徒に入部を強要する事は認められないし、入部した後でも、本人が部活動を辛く感じて、日常の生活にも支障を来すようならば、率先して退部を許可するべきである。

よく教育者が引き合いに出す、挫折の上に成り立つ達成感というのは、それを望んで集まって来た限られた生徒のみが手に出来るものであり、一般の生徒達にとっては、単なる挫折そのもの以上にはなり得ないのだよ?仮に、そこでコンクールを全国大会で1位になったとしても、その生徒は、二度と音楽はやりたくない・・と思うだろう。

ましてや、退部をさせないための条件として、よく指導者がやる手は、進学の時の内申書をちらつかせるようだが、そういった教育者は、ブラック企業の上司というよりも、既に人を恫喝するヤクザの領域にいると言えよう?
はっきり言って、そこに教育は無い。あるのは、自分の指導力に対しての自惚れとつまらないprideだけだ。

繰り返し、確認をしておくのだが、日曜日も全日部活動をする・・とか、一回の休みもなく、長時間の練習を強いると言う事は、文科省は認めている分けではないのだよ。地方の教育委員会でも、それを認めていない町も多いのだよ。
一部の教育が進んでいる・・と認められたい県や市だけが、それを強行しているのだよ。
文科省は来年以降になるのだそうだが、その行き過ぎた部活動への指針を発表するそうだ。教育関連の改善は、いつも遅いよね??

しかし、3年も前から、こう言ったコンクールを目的とした行き過ぎた部活動に反対して、ゆる部活動への動きも見られるようになった。その一例として、『スポーツ庁が今月決定した運動部活動に関するガイドラインにも、いわゆる「ゆる部活」の設置が盛り込まれた。運動が苦手な子どもなど、多様なニーズに応えるのが狙いだ。』 (小林由比)東京新聞

少しずつ改善されていくのかな?? 


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5月10日「封を切っていないwineが」

な、な、な、なんと、封を切っていないwineが…???

コルクがいかれていたのだろうか、wineが1/4程抜けてしまっていました。
3,40年間で始めての体験です。
封を切って様子を見て見ないとね??


酢になってないといいですけどね??

そうか??急いで開けて見ます。

超、硬いcoverを何とかwineopenerで開けて、wineを開けたら、なんと、コルクではなく、プラスチック性の栓だった??

栓が緩んでいたのですよ。
wine自体は傷んではいなかったのだけどね。

wineは基本的に辛口(trocken=トロッケン)と、甘口(lieblich=リープリッヒ)がありますが、それ以上に大切なのは、甘口(sus=ズース)と(酸っぱい)sauer(=ザウアー)があります。
ドイツwineで一般的な味は、sus-sauer(=ズースザウアー・甘酸っぱい)味なのでしょうが、私は基本的にsauerな味が苦手です。
つまり、柑橘類や酢の物が苦手なのです。
このwineはドイツwineの定番らしく、sus-sauerなwineでした。

残念??

しかし、sus-sauerなwineは、decantage(=デキャンタージュ)をすればsauerが抜けて、上質の甘口になる事があります。
decantageはwineに空気を触れさせれば良いだけなので、別に専用のbowlは入りません。
何もない時には、wineの瓶に空気を入れてブクブクする事もあります。

輸入wineには、防腐処理のために、酸化防止剤が入っているので、その酸化防止剤を抜く事が大切です。
wineは口を開けて、すぐに飲むのが一般的ですが、匂いに敏感な人には、亜硫酸塩臭が気になってしまう事があります。

亜硫酸塩臭が余りにも酷い時には、wineに空気を通す(decantageの)作業をしますが、口を開けたwineを4時間程寝かせれば亜硫酸塩臭は無くなります。



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5月12日「玄関の脇のflooringの部屋の整理」

昨日今日(5月12日(土))と、倉庫・・物置・・ゴミ屋敷状態のflooringを何とか片付けて、lessonが出来るようにしたので、この2,3日は結構動いて汗をかいていたので、体調的には良かったのだが、夕方の6時半ぐらいになって、突然、強度の鬱になってしまった。
急いで、ハイツに戻って、homepageの残りの作業をしながら、少し安静にして様子を見る事にする。

ハイツに戻って、心臓のペースを下げるために、ぬるま湯に入って、髪を洗った。
同時に、homepageの更新を幾つかした。
少し鬱が改善したので、急いで椎名町に駆けつけて、ドル・プリっ歩に行った。
たったそれだけで、大急ぎでハイツにhomepageの続きと、明日の日曜日のオケ練習の準備をするために戻ったのだが、なんと、ハイツに着いた時には、もうcinderella-timeを過ぎているのだよ。
なんで・・??

まあ、時間は若者達のためにあるのだよな???
という事は、私には若者の時代は無かった・・という事かな??
何かを求める・・という事はそんなもんだよな??




ちなみに、この写真は、片付ける前ではなく、片付けた後です?はい??

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5月14日「mein Tagebuch」 ・

今日…というか、昨日のオケ練習は、予定よりも15分早く切り上げて、7時前には終わったので、大雨の中の車の移動や、お久しぶりのオケ練習で、非常に疲れたので、早めに椎名町を出発しました。それで折角早く、夜の11時頃にはハイツに辿り着いたのだけど、小一時間程、ハイツのパソコンの椅子に座って、茫然自失としていたので、気がついたら、もう昨日の事になってしまいました。

慌てて、直ぐにベッドに入って寝ようと思ったのですが、湿度が高いと、鼻の具合が悪くなって、中々寝つけないので、鼻の薬を塗ったり、wineを飲んだりして、hypnos眠りの女神様の到来を待っています。
いつも言っている事なのですが、私は気温よりも、湿度が苦手なのです。6月の梅雨の時期には、気分の問題ではなく、体に巨大な湿疹が出来たりします。クーラーの除湿機は基本的に、部屋の温度を下げてしまうので、小型のmobile型の除湿機を買って、凌いでいます。それなら、部屋の温度は下がらないので・・??

「日曜日のオケ練習(5月13日)」
さて、連休とお休みで、中、2回のオケ練習がなかったので、昨日のオケ練習は、お久しぶりのオケ練習となりました?

前回(4月29日の顔合わせ)は、「楽譜渡し」と「member決め」だったので、お久しぶりの今回の練習は、「曲の出来上がりのimage作り」と、曲の「練習のpoint」のlectureでした?

・・という事なので、今回の練習のconceptは、弾けても、弾けなくても、発表会の目標tempoでの練習でした?曲のimageをしっかりと付けて、そのimageを活かして練習に臨むため・・です。

曲の大きなinterpretationの注意をしただけで、曲の細かい練習は、来週からの練習になります?

しかし、3時から7時までの都合4時間で6曲を休憩込みで練習するのは、(実質的には、3時間半に6曲を練習する事は・・)時間的に超hardなものがあります?以前のオケ練習では、memberが変わる曲迄を、ひとgroupにして、その中で時間の調整をしたのですが、今回はお迎えが1曲毎になっているようなので、groupingが上手く出来ません。出来れば、solo組とtuttiだけを分けて練習出来れば効率は良いのですがね??・・何時・・、何処で・・・が付き纏います。 

昨日(日曜日)は、夕方からは、超大雨でしたが、練習を開始する直前までは、雨は降っていなかったのにも関わらず、湿度が超、高く、空気が重たくて、音楽の乗りも良くなく、演奏のpitchも低く聞こえて、練習自体もどんよりとして、上手く行かなかったので、pitchを444に上げて練習をしました?
444のpitchでの練習は、実に久し振りです?
極々、稀に、HallのPianoのpitchが444の時があって、444cycleで演奏する時がある以外は、普段はpitchの変更はしません。

練習では、曲が新しくなって、まだ、弾きこなせていないので、雑談のお喋りが多くて、私が曲の奏法の解説や弾き方の説明をしているのに、お喋りに夢中で、私の諸注意を全く聴けていなくて、何度も、斉藤先生や、牧野先生に叱られている人達がいたのだけど、まあ、今回はよしとしましょうかね?

私が中学生の時からの、私のmottoは、「同じ注意を2度と受けない??」と言う事なのだけど、それは耳タコになる程、オケ練習の時に、何度も何度も、注意しているのだけど、お喋りをしていては、それこそ、先生の話は聞こえないだろうに、お久しぶりの練習の始まりなので、まあ、しょうがないかね〜ぇ??

教室のオケ練習で、こうも、先生のお話が聞けていない・・というのは、学校でも、先生のお話を聞かない・・という意味ですよね??
集中力が欠如するのは、練習が煮詰まっていないからなのだけど、それ以上に、音楽の練習の仕方を見ていると、勉強の効率が良くないのが、非常に分かります?

折角、オケ練習で、学んでいる芦塚メトードとしての、「勉強の仕方」「方法論」が全く日常に、応用出来ていないのですよねぇ???

多分、オケ練習はオケ練習として、学校の勉強は、学校のstyleで勉強しているのだよね?????
学校の勉強も、芦塚メトードのstyleで勉強出来るのだけど、今の子供達は応用力が全く無いからね??
先生が全て手取り足取り教えてしまうから、そうなるのだけどね??

超、勿体ない?

前にオケをやっていたうちの生徒さんですが、昔弾いたオケの曲を超早口でバラバラと階名で歌っていて、「教室でやった曲はこんなに覚えられるのに、何で学校の勉強は覚えられないのかなあ・・・・」と嘆いていました。「それがメトードの違いなのだよ。」と言っておきましたが、応用力があって芦塚メトードを学校の勉強に活かせれば、勉強なんて簡単何だけどねえ・・・・芦塚メトードの塾を作ったら学年トップなんてのは当たり前になるだろうな。

日本人の場合には、「勉強をしている」「させている」というポーズが大事なのだよね??だから、お散歩をしながら・・とか、遊びながら勉強をする・・という態度は、不実で許せないのだよ。学校で宿題をやってしまったら、追加で宿題を出すというのも、同じ思考patternなのだけどね??
日本人の常として、勉強しなくても、良い成績が取れるという事は、天才の為せる業と判断します。天才でない場合には、要領の良さ・・と判断し、それ以上の追求はしません。しかし、要領の良さとは、判断力や分析力に記憶力が付随したものです。だから、当然、勉強し、習得する事が可能な能力なのですよ。そこが分かっていない。

だから、いつも言っているように、芦塚メトードとは、一人一人の子供達の潜在能力を最大に引き出すための、methodeで、別に音楽でも勉強でも、何でも良かったのですよ。
だから、教室を開設する時には、「音楽教室を作るか?」「学習塾を作るか??」で、悩んだのですよ。

methodeというのは、そのsystemが私個人の指導力ではなく、どの先生にとっても、同じように指導のちからが出来る、汎用出来るものでなければならない。
そのためには、(私の指導のcurriculumがmethodeであるためには、)それを私から学んで、指導出来る弟子が必要だったのです。それを募集した時に、名乗りを上げた人がviolinの先生だったので、音楽教室になっただけです。
名乗りを上げた人が、一般教育の先生だったら、花園教室は学習塾になっていましたよ。ハイ!


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5月14日「迷惑なExcelのversion-up」

Excel で保存していた年譜に新しいdataを打ち込んで、保存しようと思ったら、「versionが古くなったので、dataを書き換える」と言うmessageがでて、元のExcel -dataが保存出来なくなってしまった。
仕方がないので、別名で新しいExcel の書式で保存したら、別名で保存したのにもかかわらず、古い書式が削除されてしまった。
慌てて、新しいExcel を開いたら、dataが全部消されて、白紙の状態になっていた。
古いdataを保存出来ない・・というのは、不親切の極みだよな??
要は、古いdataを、新しいExcel を開いて、それにコピペすれば良かったのだろう??
でも、それって、Excel 上で出来るはずじゃん??
なんだろうね??
今日の午前中・・(とは言っても、未だ、朝の7時半なのだけど・・)の仕事が全部フイになってしまった。
超、頭に来る???
普段、Excel は使わないので、腹立つよな???


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5月14日「ここは俺の居場所ではない」

昨日のオケ練習の後辺りから、今日(5月14日)にかけて、超、鬱が酷くて、「ここは俺の居場所ではない??」とか、「俺の居る場所が違っている」・・と悩んでいて、それでも、朝から仕事をしようと頑張っているのだけど、チョットも捗らない。
ウダウダと、無為に時間ばかりが進んで、やる気が起こらない。
典型的な鬱の症状だなや???

しかし、今日は風は強いのだが、なんと良い天気なのだろうか??
昨日の天気が嘘のようだ。
それなのに、それなのに、気分が落ち込んでどうしようもない。
「これは、どうしたことか??」と悩んでいて、ふと気がついた。
「何だ??」・・「今日は、日曜日の次の日、月曜日ではないか??」
普段ならば、月曜日から火曜日に掛けて、ベッドに臥せって、寝込んでいる日にちではないか??
そうだとすると、今日は、朝から動き回っている。
普段から比較すると、意識があるだけ、頗る元気な事なのだよな???

しかし、日曜日の勢いで、月曜日は元気なままで、火曜日、水曜日と寝込んでしまうpatternも、この所よくある。
つまり、木曜日からしか、仕事にならないのだよな??





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5月14日「言葉と音楽表現」

鬱の原因と、疲労の原因が日曜日の「オケ練習の疲れと状況」と言う事という事で、理由が分かって、routineの疲れが大半だったので、いつまでも、鬱っていても、仕方がないので、昨日、練習が終わって、帰り掛けに花梨ちゃんから質問された「音楽表現」についての返事を書きます。

花梨ちゃんの質問の骨子は、「音楽の演奏表現で、『心を込めて??』とか『感情を込めて』と言われる事が多いのだけど、『心を込める』という事がどういう事なのか、分からない??」という話しだったのだけど、この質問の内容は花梨ちゃんの質問だけではなく、梨紗さん達、音楽を目指す大学生、上級生達にとっても、大変大きな問題でもあります。
という事で、公開のFacebook上で、私の所見を述べる事にします。

私の場合には、この回答に答えるには、大きく2つのapproachによる回答があります。
その一つは、「言葉」の問題です。
言葉に関しては、先ず、「語彙」のお話をします。

私が大学生の頃、胃潰瘍になって、(未だ、ピロリ菌が発見されてなかった頃の時代は胃潰瘍は作曲家の職業病と言われていて、)大学病院に入院した時に、担当の先生から「胃はどういう風に痛みますか??」と聞かれて、「う~ん??」と、答えに窮して悩んでいると、先生が「刺すように痛いですか??」「キリキリと痛いですか??」「づ~んと痛いですか??」等々、30ぐらいの言葉をさらっと列挙されて、「お〜う??凄い??」と感激した事があります。
流石は、餅は餅屋ですよね??

私が、オケ練習で、言葉を毎回教えているのも、音楽の表現をするのに、微妙な感情を表現するには、色々な感情表現の言葉を知っておく事が大切だからです。
音楽の演奏での「感情表現」の第一歩は、微妙な情緒表現を言葉で表現出来る・・という事です。
極端な場合には、「言葉に置き換える事が出来ない情緒表現は、表現する事が出来ない」という人さえいます。
ここまでが「語彙」のお話です。

次の問題は、言葉で何処まで、感情や情緒の表現が出来るか否か・・という言葉の可能性のお話です。

日本に住んでいると、人間の持つ感情表現や情緒表現は、日本語で全て、表わす事が出来るように思いがちなのですが、世界の言葉の中には、実際には、日本人の持たない感情の表現の言葉(日本語に訳する事の出来ない言葉)も多いのです。(勿論、その逆もありますが・・・)

例えば、MozartのOperaで、mezzo・sopranoの女の子に要求されるcharacter※)なのですが、「coquetterie」というか、コケティッシュという単語ですが、日本語の訳では「色ぽいさま」とか「艶(なまめ)かしく色っぽいさま」と訳されます。

歌舞伎では、主人公のheroine(美少女役)が最初に立てられる看板で、それを1枚目と言います。heroineの恋人役が当然、二枚目なので、handsomeな若者を昔々は、「彼は二枚目だよね??」という事もありました。
そして、恋人役の対立する醜男の役が所謂、三枚目になります。

しかし、これは、歌舞伎のお話ではなく、世界の舞台の配役の立ち位置で、世界共通の認識になります。
音楽のthemaの演奏表現ですら、この原則に従う事が多いのですよ。

そこで、先程のMozartのLe Nozze di Figaro(フィガロの結婚)の配役のお話に戻るのですが、当然、heroineの役はSusanna(スザンナ)でsopranoの女性が担当します。
勿論、heroの2枚目はFigaro(フィガロ)役のBasが担当している。Figaroでは、三枚目は伯爵のConte d'Almaviva(アルマヴィーヴァ伯爵)のbaritone役が担当するのですが、Le nozze di Figaroでは、二枚目半が登場します。

heroineに対向するのがBarbarina(バルバリーナ)のsopranoで、Figaroに対向するのが、Cherubino(ケルビーノ)という思春期の少年役なのですが、この役は、ズボン役と呼ばれる事が多く、女性が少年の役をします。
という事で、mezzo・sopranoの担当になります。

勿論、Le nozze di Figaroでは、それ以外の役も多いのですが、この4人が基本的な配役になります。
スザンナやバルバリーナは、女性らしい役柄なのですが、このケルビーノ役は、男性でもなく、女性でもない、中性的な思春期の少年を演じるという事で、coquettishな役柄になります。

日本では、このcoquettishな女性の表現はありません。
菱川師宣の「見返り美人」等は、花も恥らうお年頃の若い女性の、それこそ「色っぽさ」を表現しているようだけど、これは「色っぽい」のであって、coquetterieではないのですよ。

coquettishという単語の持つ意味は、2才児や3才児からの女の子達が生まれつき持っている(所謂、中性的な)女性の艶(つや)やかさなので、日本語の持つ「色っぽい」とか「なまめかしいさま」のような大人の女性に培われてくる大人の色気とは少し・・ではなく、大きくその表現も異なってしまいます。
日本で、coquettishな情緒表現が育たなかった理由は、日本人の子供達が幼い子供の内から要求される、儒教的な教育である女性の「慎ましやかさ」への教育にあります。三従とも言いますが「幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫死しては (老いては) 子に従う」という儒教で厳しく定められた女性の道徳であり、日本の(儒教の)女性らしさとは、感情を抑制したかしずく女であり、女性が己の意志を表す(出す)事はtabooとされていたからです。

つまり、それではcoquetterieは、表現する事は出来ないのですよ。だから、こんにちでも儒教的な教育が主流の日本社会では、coquettishという概念が無いのです。

ヨーロッパの世界では真逆で、80歳を過ぎた女性でも、そのcoquettishで、上品な色気をとても大切にしています。
その感覚は、歳を取ると、女性である事を否定されてしまう日本の社会と、年老いて死ぬまで、女性らしさを大切にするヨーロッパでは、心の持ちようが、根本的に違います?

例として、日本人が音楽表現をする時に、一番難しいcoquetterieという言葉を上げましたが、外国語では、日本語に訳が出来ない単語が、結構あります。

ドイツ語でも、Hermann Hesseの有名な小説も、望郷をthemaにしているのですが、そのSehnsucht(ゼーンズーフ)という単語は、日本語では「憧れ」と訳されるようですが、(文庫本では、「望郷」と訳されています。)Sehnsuchtの意味には、Gedult(渇望)する程の願望という強い感情的な意味があります。

「ここまでは日常の言葉を扱って来ましたが、音楽用語でも、日本で受け止められている音楽用語と、ヨーロッパの音楽用語には大きな違いがあります。」

その実例を上げると、音楽用語の場合には、「tempoを表す」と思われている速度標語にも、その速度に情緒表現が伴うものが多いのです。
文部省が定めた音楽用語の訳ですが、文部省の定めた音楽用語の解釈は、音楽の世界では実際には、使用不能です。

音楽用語のlargoは、「遅く」・・と言うよりも、幅広く気持ちの良い爽やかな遅さを言います。つまり、単に「遅く」という意味を表す分けではありません。

演奏表現に関する用語も同様です。
staccatoも、単純に「音を短く切る」という意味だけではあり得ません。
staccatoには、20種類近くのstaccatoがありますが、その他に楽器特有の演奏表現のstaccatoがあります。
staccatoという単語は、その多くのstaccato類の総称に過ぎません?

「ここからは、その固有の単語が持つ表現の違いを述べます。」
Shakespeareの舞台を見ると、同じ戯曲であっても、演じる人によって、その舞台は全く別のものになってしまいます。
勿論、音楽もorchestraや、指揮者が違うと、曲は全く別の音楽になってしまいます。
全てのジャンルも、全く同じなのですがね。

つまり、言葉という概念は、普段の生活では、自分の気持を言葉に乗せて、伝達するための手段なのでしょうが、それで、本当の感情が伝わったか否かは、疑問です。

先程の痛みを表す言葉であったとしても、「痛い」という感情は、言葉では伝わらないのですよ。(言い方を変えると、「痛い」という概念を抽象的に表したに過ぎないのです。

「音楽の演奏表現」では、言葉という抽象的な定義を伴わないで、より直接的に、感情から感情へと伝達する事が出来ます。
Beethovenの言葉である、「Von HerzenMoge es wiederZu Herzen gehn!」所謂、心から心へとのmessageであります。
音楽は、言語というものを使用しないので、時代や、異なる言語の国の人達にも、直接語りかける事が出来ます。
ひょっとしたら、宇宙人とも、感情の共有が出来るかも知れません。

「技術表現と音楽表現の勘違い」
日本の音楽家達の演奏は、interpretationやdynamikとか言う技術的、技巧的な所は、とても勤勉に練習をして、研鑽を積むのだけど・・・、つまり、楽譜に書かれた所迄は、音楽を完璧に表現して、しかも、音符のmisstouch等は1個もなく、演奏としては、非の打ち所のない演奏をする演奏家達が多いのですが、それでは、computerの音楽と同じになってしまいますよ??
ヨーロッパの多くの演奏家達とは、根本的に求めているものが違うように感じるのですよね??
つまり、日本の音楽教育には、演奏表現の指導はないし、日本人の音楽指導者は、演奏表現は感情的な個人的な表現方法だと思い込んでいるのですよ。

baroqueや古典派のperiodの演奏styleの基本を学ぶと、そのperiodの表現の中に音楽表現の情緒的な演奏効果は殆ど含まれています。
また、ロマン派のChopinやLiszt等の作曲家の音楽も、舞曲の演奏のtempo感や、rhythmの特徴を表現すると、その作曲家の演奏styleの大半が表現されるのです。しかし、そういった舞曲の基本のstepを表現する事を日本人の指導者達は極端に忌み嫌います。
そういった、感情表現をする事を、日本人の音楽の指導者達は許せないのですよ。
不思議だ??
音楽は情緒や感情を表現するものなのに・・・??

私がいつも言っている箴言ですが、「子供達の演奏でも、大人の人達を感動させる事は出来る。・・・しかし、proの演奏家達の演奏と言えども、人を感動させる演奏が出来る人は限りなく少ない。」のです。
つまり、演奏技術や技巧的な表現は完璧なのだけど、感情表現の勉強はお座なりで、全く、心が伴っていないのよ〜ねぇ??

昨日(13日)のオケ練習の現場で、私は紗來ちゃんと、春暉君の会話を、聞いていた分けではないので、「なにがどうなって、誰かがその言葉を言ったのか??」は、よく状況が分かりませんが、多分、紗來ちゃんが春暉君に、何かのお礼を言ったのかな?? ・・多分そういった、前提の話です…??

それを他の誰かが、「心が伴っていない??」と言っていて、それで一騒ぎありました。
変な陰湿な意味ではなく、オケ練習の集中が伴わない、ただの遊びの中の話なのですがね。
チョッとした言葉でも、心が伴っていないと、直ぐに、回りの子供達が、checkをしてくるのは、教室らしくって、面白いです。

昔々、教室を作る前に、芸大の高名な作曲科の教授の弟子で、その生徒の副科(作曲以外)の教科を全部、教えていた女の子がいたのだけど、普段のlessonでの会話は、とても良い状態で、何も問題は無いのだけど、帰る時にその生徒が言う「先生、ありがとうございました。」のphraseが、私にとっては、何とも気持ちが悪かったのよね??
その言葉だけが、なんか取り繕った魂の無い空虚な言葉に聞こえて仕方が無かったのだよ。
「ああ、この子は、作曲の教授に挨拶をする時に、そういった距離を持った状態で学んでいるのだよな〜ぁ??」と、暗澹たる気持ちになってしまいました。

音楽でも、心がこもった演奏と、ただ単に、抑揚(intonation)を付けただけの演奏では、全く同じ表現であったとしても、人に与える何かが違うのですよ。

ヨーロッパ人に取っては、音楽は言葉のない歌なのです。
人間にとっての人生最大の関心事は、「死」です。
偉大な歴史上の、それぞれの作曲家達にとっても、「死」は最大の音楽上のthemaとなります。
多くの作曲家達、BachやMozart等の大作曲家達は、「死」を、それぞれの作曲家独自の音符の進行で表します。

例えば、BrahmsのSymphonie第4番の1楽章のthemaは、シ⇒ソ⇒ミ⇒ド⇒ラetc.と続きます。
これは、シの音から始まった3度の音程の下行形なのです。
Brahmsの場合には、このシの音から始まる下行3度は何を意味するのか??・・という事ですが、同じ、音から始まる下行3度の曲があります。

多くの作曲家達は、自分の辞世の歌とも呼べる作品を書いていますが、Brahmsの辞世の歌は、「Vier ernste Gesange(4つの厳粛なる歌)」で、その最後の曲は、やはり、シの音から始まる下行3度で、O Tod(お〜、死よ??),O Tod(お〜、死よ??),と始まります。
つまり、この音律は、BrahmsのSymphonieの4番と同じthemaなのですよ。

しかし、全く同じ、シの音から始まる下行3度のSequenz(ゼクエンツ=反復)の旋律の進行なのに、Mendelssohnのviolinconcertoの場合には、甘く流麗で美しい華美なimageであって、恋の予感はあっても、死の面影はありません。

Richard Straussの「Vier letzte Lieder(四つの最後の歌)」の最後の曲、「Im Abendrot (夕映えに)」では、
O weiter, stiller Friede!
So tief im Abendrot.
Wie sind wir wandermude
Ist dies etwa der Tod?
・・と、Wie sind wir wandermude(私達は歩き疲れた??)の一節から、一歩一歩と足の下の深い闇に歩き落ちて行くように、和音の色が変わって行くのは、見事で、背筋が寒く凍り付くような死への描写です。でも、決して、死は恐怖ではなく、穏やかな疲れの中で、Eichendorffの「これが死なのかな?」の一節が、その死を表現しています。
実に見事な作品です。

Brahmsの場合には、「死」は厳しく、悲劇的なものとして描かれていますが、Straussの場合には、「死」は、旅に疲れた旅人が、木陰に憩う安らぎのようです。人生という旅を、優しい胸に懐いて、終わらせてくれる聖母のようでもあります。この二人の歩んで来た人生そのものかも知れませんよね??

この二人の作曲家だけではなく、色々な作曲家達が辞世の歌を書いているので、是非、聴いて見てください。

「蛇足で・・」
私が日本に居た頃には、SchubertやSchumannの歌曲を歌う歌手はDietrich Fischer-DieskauかHermann Preyの二人のどちらかかだったのですが、声の美しさはFischer-Dieskauの方が断然勝れていたのですが、音楽表現に関してはHermann Preyの方が・・というのが、一般的な評価でした。
Munchenに留学をして、1年程経った頃、Liedを聞く機会があって、その二人を聴き比べたのですが、その時に驚いたのですが、Fischer-Dieskauの歌う歌詞は、とても美しいドイツ語だったのですよ。
言葉が分かるようになって、歌手の好みも変わってしまいました。
当時、私が住んでいたPlaneggの村の郊外にHermann Preyのとてもでっかい別荘があったのだけどね??一度も会った事はないけれど・・・??
それはどうでも良いか??

留学をしたばかりの1年未満の頃、天下のNHK交響楽団のorchestraがヨーロッパ公演で演奏旅行に来て、また、時を同じくして、日本の某有名音楽大学のorchestraが演奏旅行にMunchenに来ました。両方のコンサートを半ば強制的に聞く機会があったのですが、Munchenに来た当初から、Munchen放送交響楽団(所謂、Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunksと言いますが、)の演奏を聴いても、左程上手だとは思わなかったのですが、久し振りに日本のorchestraの演奏を聴いて、「なんと日本のorchestraは上手なのだろう????」と感激して、それをMunchenに長く在住している先輩音楽家に話ました。
彼は私に、「1年後に、もう一度、日本のorchestraを聴いて、その時に同じ感想だったら・・」という事を言っていました。

本当に、1年後にNHK のorchestraと、某有名音楽大学のorchestraがヨーロッパ公演でMunchenに再びやって来たのですよ。
その時に、本当に驚いてしまいました。
「なんと下手なんだろう??」「何かが違うぞ??」って・・
その頃には、それ迄、「下手だ??」「下手だ??」と思っていたBayerisch Rundfunkが、とても上手に聴こえていたのですよ。

日本に帰って来て、未だに、その感覚の差に困っています。
「日本人は何をやっているのだろう??」ってね??

それにしても、未だ「音楽で(演奏で)の、感情表現という意味が分からない?」・・って…?

まあ、それならば※)、古典落語の昔の名人の話芸を聞いて見てください。
雑談をしていて、突然、古典落語の世界に入るのだけど、「雪が降って来ました?」と、言ったとたんに、目の前に、雪が降っている光景が見えてくるのですよ?

その、話芸の表現力は、兎に角、凄い?
但し、国宝的な名人の落語に限るのですよ。CDがいくらでも出ているので、何時でも聴くことが出来ますよ。
音楽も、古典落語の名人ぐらいの演奏が出来るようにならないとね??

※)言葉に頼り過ぎて、「言葉が感情の全てを表現するものである」・・と勘違いする所から、この「情緒表現」と言うものが、理解出来なくなるのですよ。
「自分の気持を幾ら説明しても、伝わらなかった」・・という事が、語彙の不足としか思っていないのでは??
ひょっとしたら、言葉では伝わらない感情を人に伝えようとしていたのでは・・??
またまた、蛇足ですが:
ドルや、プリはよく喋ります?
勿論、言葉ではなく、音声としてです?
「キュ〜ン、キュ〜ン」と甘えてよく喋りかけて来るのですが、牧野先生達が、プリドルがなにを言っているのか、あまり分からない時には、私に、通訳を求めて来ます?
「代わりに、言って?言って??」という事です?


昨夜、「またまた、蛇足ですが・・」以下の文章を、眠たいのをこらえてベッドの中で、書き込んだのですが、朝、パソコンを開いても、その文章がFacebookに反映されていなかったので、「また、Facebookがおかしくなったのかな??」と思ったのですが、ふと思い直して、携帯を開いて見たら、なんと、昨夜ベッドで書いた文章が保存されないままに、そのまま残っていたのですよ。
何の事はない、書きかけのまま寝てしまっていたのです。
アホらしい・・・???


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5月16日「高須院長がtwitterで若者に苦言を呈した・・・」

高須院長がtwitterで若者に苦言を呈したという事で、大炎上したという事をテレビでやっていた。
同じ団塊の世代なので、チョッと興味を持って、twitterを見てみようかな??と思ったのだが、(勿論、炎上に参戦する気は全くないので、見るだけ〜〜なのだが・・)twitterを開いて見たら、なんとログイン出来たのだよ??え~~っ??どうして??と思って確認してみたら、15年の6月にtwitter登録をしていたよ??ビックリ??

〜で、感想は??・・って〜??
ん・・なの、ある分けないじゃん??
だって、今の教育制度は若者は夢を持っては駄目・・という教育なのだから、幾ら高須先生が何か言っても、話は平行なだけじゃん??
子供の将来は総て学校が決めるのだろう??
あれはダメ?
これもダメ??
それは当然、ダメ???と言われて育って来て、それで、社会人になって、突然、「自分で夢を持て??」と言われてもね〜ぇ?? 
若者は自分で夢を見て、何かを断決出来るようには、育てられてはいないのよ???
それで、なにを決めれば良いの??

夢を持つ事が出来るようになるのも、夢を持つ事が出来るようにするための教育が必要なのだよ??

それって、当たり前でしょう??
何も教わってなくて、何かが出来る分けは無いでしょう??


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5月17日 ・lineから

lineから: 保存日時:2018年5月17日 5:3:56

21:58 斉藤純子 double bassは、2台のコントラバスではなくて、double bass がひと単語でコントラバスのことですよ。
21:58 Karen そうなんだ!
21:58 Karen ダブルな理由ありますか?
23:19 芦塚先生 ダブルな事を説明するのは、とても大変なので、ノートには、後で暇に任せて、ゆっくりと書くことにします? 暫し待っていてください?

2018/05/16
01:56 芦塚先生
ノートを作る前に、論文の書き方のpointを説明します。
論文の趣旨が簡単な3段論法や起承転結のの場合には、いきなり、ノートに書く事もありますが、論旨が長大になる時には私の場合にはindexを先に作ります。

今回の場合は、point1はDoubleーBas、Kontrabassの意味の説明と、point2では弦楽器のrootsのお話です。

しかし、rootsの話は、カンブリア紀のように、実験的な混沌とした膨大な楽器群の中から淘汰されて現代の楽器に繋がって来るので、そのviolin属とKontrabass属のrootsをお話するのは容易ではありません。それだけで、論文ではなく、1冊の本が出来てしまいます。

という事で、rootsのお話は、軽く触れる程度にしておいて、そういった前提で論旨を展開していきます。

本題に入る前に、lineのchatをFacebookに持って来たのは、lineでは、書いた文章を、後で推敲する機能が無いからです。Facebookはlineよりも、公開性が高いので、仲間内の場合にはlineの方が良いですが、推敲機能が無いのは、論文を書く上では致命的です。
一応、Facebookで推敲してから、lineに持って行けば、チョッと面倒だけど、完成度は高くなります。
以下後述:

「本題」
言葉の意味なのですが、Double-bassですが、現代ではbass(英語読みでベース)という事も多いですが、それはDouble-bassのDoubleを略した言い方なので、「2台のKontrabass」では、Double-bassが、2回反復されてしまいます。
それは単純ミスです。

Double-bassもKontrabassも、その意味は正しくは不明なので、諸説紛々です。

一番有力な解釈は、baroque時代から古典派の時代迄の弦合奏の場合には、violinとviolaとcelloのpartで書かれていて、そのcelloのpartを補強する意味で、Kontrabassが同じpartをoctave下の音で、celloと一緒に「Double」で弾いたからだ・・という説です。
つまり、bassのpartをcelloと、補強するoctave下の音域の楽器で演奏した・・という意味で、partはあくまでも、bassのpartをDoubleで演奏しただけの事という意味です。
今の所、この説が一番orthodoxです。

これはDouble-BasのDoubleの意味ですが、それに対して、KontrabassのKontraという意味は、「対する」という意味で、英語では「counter」になります。

「counter」という言葉が、一般的によく知られているのは、counter-tenor(カウンター・テナー)で、もののけ姫で、米良 美一さんが歌っているcounter-tenorですよね??
countertenorは、contratenor altus(ラテン語)の略で、contratenor bassusは、tenorに対して低い声域を言った、という事です。

昔々の教会では、女性が音楽の演奏に立ち入る事は出来なかったので、女性のaltoの音域の代わりに、男性がfalsetto(裏声)で女性のaltoのpartを歌ったのです。
その後、去勢した男性歌手(castrato)がその力強い肺活量で、女性のsopranoのpartを歌うという事が19世紀に至るまで、なされていました。
(20世紀始めの最後のcastrato歌手の歌は、You Tubeにuploadされています。)

つまり、contra bassusとは、octave下の音域で演奏する事を意味したのです。
それを現代表記するとKontrabassになりますよね??

次のpointは、楽器のrootsなのですが、カンブリア紀のように、Renaissanceからbaroqueに掛けては、色々な弦楽器が作られて、その大半が淘汰されて消えて逝きました。

私達に一番馴染みのある消えて逝った楽器では、ギターのgroupであるリュート群の楽器、リュートとギターの仲間の、撥弦楽器であるはずのリュート群の中に、不思議な事に、Schubertの作品で有名なアルペジオーネがあります。

何が不思議かと言うと、6弦でviola da gambaのように見えて、しかも、弓で弾くのにも関わらず(撥弦楽器ではないのに、)リュート群にいます。

カンブリア紀の弦楽器を超大雑把に分類すると、Viole族と所謂、violin族に分類されます。
(violin族というものが会ったとしたら・・ですがね?? そこの分類は、まだ確定はしていません。分類に関しては、私の管轄ではなく一般的な話なので、私がとやかく言う事は出来ないのでね??)

花梨ちゃんが論文を書くようになったら、定義の事を注意しなければなりません。
論文は同じ土俵(同じruleに従って・・という意味です。)なので、成り立つのですが、言葉の定義が違っていては、論文は成り立たないのですよ。

音楽の世界でも演奏用語に関しては、流派によって、演奏法が違うので、それが理由で教室では演奏用語をヨーロッパの音楽用語にはしていません。

教室で、一般的通念である音楽の演奏用語を原語で教えないのは、時々、馬鹿な音大生が「そこは、**で弾くと先生が言った!」と噛み付いて来るのをよく聞いて見ると、演奏用語の定義が違っているのに、自分達の定義の言葉で言おうとしているという馬鹿げたミスを何度も目にしたからです。
つまり、音楽大学に進学して他の流派の先生に付くと、演奏指導の言葉が変わってしまうので、lessonが成り立たなくなってしまうからです。最初から日本語で指導していれば、それがその先生にとっては何と言う名前の演奏法であるか??は当て嵌める事が出来るからです。
orchestraに入ったら、指揮者によって、演奏表現の言葉が全員違うから、大変だよね??
指揮者の演奏表現の言葉をちゃんと理解しているorchestraはその指揮者のhome-orchestraだけ・・になりますよね。

日本の心理学会でも、論争が噛み合わない原因の大半は、同じ単語をそれぞれの流派で別の意味に解釈しているのに、その摺合せをしないままに討論しているからだそうで、それこそ不毛な議論です。



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5月17日「Kontrabassのお話:U」

Kontrabassというのは、楽器の名前ではなく、partの事だという説明をしましたが、それを学校の音楽のtestで書いたりすると0点になるので、気をつけてください。多分、この話は日本のKontrabassの奏者の人達も知らない事だと思いますよ。

さて、rootsのお話ですが、Kontrabassのrootsの楽器はViole族のVioloneです。
Violoneの意味は「大きなViola」を意味し、viola da gambaよりも、5度低い楽器や、またはoctave低いKontrabass-gambaを指しました。
蛇足だけど、「gamba」とは、サッカーではないけれど、「足」や「すね」を表すイタリア語ですよね。

viola da braccioは「braccio」、つまり、「腕」のViolaという意味なのだけど、昔々、私は本物のviola da braccioを持っていたのだけど、楽器屋さんに紛失されてしまったのだよ。
Kontrabassのように裏板が平らで、肩がKontrabassのように超なで肩で、超珍しい楽器だったのだけど、当時、お金に困って、楽器屋さんに依託販売をお願いして貰っていたら、楽器屋さんが、いつの間にか、紛失してしまったのですよ。(と言うか、そういう楽器を預かった事すら覚えていなかったのだよ??)
写真も残っていないのは残念だよな??
その頃は教室を作ってperiod instrumentsの演奏をする・・なんて恐ろしい事は考えた事もない頃だったからね??
当時は、そういったperiod instrumentsの楽器は、実用性のない、ただの趣味の楽器だったのでね??今のように、periodの演奏をする・・という事は考えもしなかったのだよな??

celloも正式名称は、violoncelloだけど、Violaもcelloもviolin族なのだよね??
今の楽器はね??
viola da gambaがcelloのrootsという人もいるけれど、今のcelloとは、全く別の属なのだよ。
Violaはviolin族だ・・というのが世界の常識なのだけど、世界の常識は兎も角として、本物のviola da braccioを私は持っていたので、Violaはやっぱりviole族なのだよね??
勿論、今のViolaはviolin族なのだけどね??

scoreのpartの名称は、それぞれviolinの1,2とViola、celloなのだけど、(e'.Kb.)なのだよね?
cellopartのoctave下とかいう意味しかない・・可愛そうな楽器だよね??
正式な楽器としての名称は誰も知らないのだよね??

ちなみに、ドイツではViolaの事をbraccioと言います。
viola da gamba(膝のViola)に対して、viola da braccio(腕のViola)という意味で、braccioなのだけど、Violaは本来はgamba族ではないのだけど、先も言ったように私は昔々、viola da braccioを持っていたのですよ。小ぶりのViolaの大きさの・・
ちなみ次いでに、ドイツでは、violinの事をGeigeと言います。ついでに、Kontrabassの事はBasgeigeとも言います。
violinを表すGeige(ガイゲ)と、舞曲のgigue(ジーグ)は、語源はどちらも鹿のもも肉から来ているのだそうです。そんな事を言ったら、弦楽器は全部似ているし、鹿のもも肉が何でGeigeなのか、gigueなのか、語源を調べても分からない??鹿のもも肉がGeigeに近い名前見つからない。(少なくてもドイツ語では・・・)

蛇足ですが、花梨ちゃんに文句を言われそうなので、確認をしておきます。rootsを表す族は属が正解です。族はgroupを表し、属はrootsを表すからです。


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5月20日「超、寒い!!」 ・

今日(19日の土曜日)の朝は、斉藤先生が江古田でのlessonだったので、ついでに椎名町に起きっぱになっていたニャントレ(長袖)をハイツに持って来てくれました。
朝から昼にかけては、少しは湿度が高いけれど、Im wunderschonen Monat Mai(麗しき5月)に相応しいとても爽やかな日だったので、ベランダや窓を全開にして空気を室内に取り込んでいました。

いつものように、パソコンでの仕事三昧だったのですが、夕方から、突然、energyが切れて(私の場合には普段から段々疲れて来るのではなく、突然にバタン9〜と疲れるのですよ??)慌ててベッドで横になっていたら、5時半を少し過ぎた頃から、突然、空気が、超、冷えて来ました。

慌てて、窓を閉めて回って、疲れを取るために、少し休んだのですが、バイクの車検が月曜日迄で切れてしまうのを思い出して、9時少し前だったのだけど、大急ぎで、バイク屋に駆けつけました。

1人でやっている小さなバイク屋なので、お昼に休んだり、夜遅くにも仕事をしたり・・と、自由なので、仕事をしている方に賭けて、バイクを走らせたら、案の定、煌々と明かりがついたままで、仕事中だったので、無事、自賠責の保険料を払う事が出来ました。

椎名町に辿り着いて、ドルプリっ歩なのですが、大急ぎでハイツを飛び出して来たので、超薄手のダボダボの半袖のTシャツだったので、バイクを走らせる迄もなく、ドルプリっ歩のヨタヨタ歩きでも、超、寒いのですよ??

でも、こいつらには、快適な温度と風です。
爽やかそうな顔をしてルンルンと散歩です。

椎名町の駅の前に新しくopenしたLadies-barの可愛い女の子達に媚びを売って囲まれて、ルンルンとしていましたよ。
勿論、ドルが・・です。
プリは、もう歳なので、可愛い女の子達は、どうでも良いようですがね??
おいおい、あのお姉ちゃん達は、有料だよ??
結構、高いと思うよ??

帰りは、長袖が椎名町には無くなってしまったので、仕方なく、レインスーツの上着だけを着て帰りました。
それでも寒い。
今の気温??
なんと13度です。
昨日は29度だったのに、たった一夜で、一気に16度のdownですよ??
体がついて行かないよな??


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5月21日「時短について 『loss-timeとlost‐time』」

5月20日の反省点で・・・
loss-timeとlost‐timeについては、昨年(17年)の12月の16日にFacebookに書いているので、そちらを参照してください。

今日はその、結果論で、頼まれた仕事を忘れる・・という事について・・です。

頼まれた仕事を、忘れないようにするためには、(昔ながらの買い物の忘れ物の対策の、指に輪っかをはめるという事を除いては)memoしかないのですが、問題は、そのmemoを見る事を忘れる・・という事です。

この対処は、忘備録のような物は作らないで、一番しょっちゅう見る媒体で、memoを取る事です。
私の場合には、総てを携帯でcontrolしていますが、memoは、忘備録としてしか使っていません。(忘備録とは忘れている事を思い出すためのmemoです。例えば、検見川教室の郵便受けの暗証番号や、ハイツの暗証番号や、本を何巻迄買ったのか??とか、覚える必要のない数字や番号等の日常の汎ゆる事です。)忘備録は物忘れの対処にはなりません。最初から覚える事が出来ない事だからです。

私は、以前はoutlookのmemo帳で物忘れの対処をしていましたが(・・とは言っても、パソコンが日常に使うようになったのは、私の45歳を過ぎた辺りからなのですがね??つまり、パソコンが一般的に使用されるようになったのが、それぐらいの時期からなのでね??)、今の携帯では、lineが一番よく見る機会が多いので、lineの私のaddressをmemo帳として使用しています。
何かの仕事が出来る度に、私の携帯から私自身のlineのaddressにmemoを書いて送ります。
終わった仕事はどんどん削除するのが、コツです。
不要なdataは絶対に残して置かないというのも、携帯のlineが「片付けられないゴミ屋敷」になる事を防ぐ手法です。

昨日のオケ練習の前に、(検見川教室は、お昼のお食事から始まったので・・)先ず、最初のお約束として、『整理整頓の第一歩は、座っている手の届く範囲をお掃除して、片付ける』という約束を、子供達としました。
残念ながら、帰る時には、雑談とお迎えが気になってしまって、その約束は反故になってしまったようですがね。

「物忘れを繰り返す人」
の一番の大きな原因は、「後で纏めてやろう??」と思う事で、それが、結果的に物忘れの原因になっている事です。
物忘れを繰り返す人にとっては、今、目の前に在る事をサッサとこなす事が、最大の時短である・・と思っている事で、指示された事は「後で纏めてやる事が時短だ??」と思い込んでいる事なのです。

・・で、ちゃんとやらなければならない時間には、忘れてしまい、その対応に莫大な時間を使うのですが、本人は「時短のために、後回しをした分けなので、それ自体は時間のlossではない??」と思い込みです。
loss-timeの一番大きな原因は、その対応を、本人が「それが時短になる」と思い込んでいる・・という事なのです。

先週のvideo-cameraのdataを持ち帰る事を忘れたという事の原因は、SDcardが初期化されていなくて、SDcardにdataを取り込む事が出来なかったのか、video-cameraの、本体かSDcardへのdataの保存の切り替えを忘れたという単純missか・・です。
しかし、それが単純missで済まないのは、その単純なmissが繰り返されてしまった・・という事なのです。単純missを繰り返す場合には、それなりの原因があります。この場合は2つのpointを留意しなければなりません。

@video-cameraの本体に保存されてしまったdataをSDcardに移す作業は、もしそれで時間が掛かるという事なら、練習の開始の前のオケ練習の準備をする前に最優先にやるべきなのです。何故なら、それはvideo-cameraに付きっ切りでいる必要は無いからです。
video-cameraがdataをSDcardに移し換えている時に、別の作業が出来るからです。
A・・でも、video-cameraのdataを移すためのSDcardを持って来る事を忘れたのなら、それは、前回のオケ練習での失敗が、オケ練習の準備をする時の、memo帳に書かれていない・・という事です。
何処に原因が在るのかを知る事が基本なのですよ。手順が間違えて、忘れる・・という事を繰り返したのか??・・準備をするtimingを誤ったのか??です。

それ以前の、最初のmissの場合には、dataが本体に保存されたのか?SDcardに保存されたのか??の原因の問題だけなのですが、次の週に、同じmissを繰り返したのは、超、問題で、根本的な問題なのですよ??

もしも、@の前回のdataを保存するためのSDcardをちゃんと準備している場合のお話ですが、SDcardvideo-cameraの本体のhard-diskに残されたdataをcameraを使用する時にSDcardに保存してしまえば、「頼まれた仕事を忘れる」事はないのですが、それを後回しにするから、忘れてしまうのです。
hard-diskに残ったdataが必要だったのは、先週の話です。
だから、それを忘れてしまったら、その作業をするための、1週間と、そのvideoを見て練習をする生徒達の1週間も無くなってしまいます。
私の仕事の時間も、生徒達の練習する時間も、無くなってしまいます。
もう失われた時間は戻って来ません。
だから、lost‐timeなのですよ。

しかも、video-cameraのdataをSDcardに保存し直すためだけに、花園教室からオケ教室に行かなければならない。
それこそさらなる莫大な時間と労力の損失です。

その損失を補填するために使用する時間や労力を使う事を、「勿体無い??」とか、(事前に)思わないのが、勤勉性の為せる業です。

仕事の場合には、missをしたから・・と言っても、それを無い物にする事は出来ません。
missをしたからと言っても、その仕事を放り投げる事が出来ないのです。
時間に間に合わなかったからと言っても、timelimitに間に合わなかったからとしても、それでその仕事は済んだ事には出来ないのです。
そこが、日常生活と仕事の違いです。

今日は今日で、随分以前から頼んでいる仕事があります。
その仕事をして貰わないと、私が仕事をする事が来ない・・つまり、滞って澱んでしまうのですよ。
時間は追いかけて行くものです。
時間から、追い掛けられる・・という事は、最悪の仕事の仕方です。
そうすると、必ず、「時間が無いから??」という弁解が聴こえて来ます。

しかし、時間は「在るもの」ではなく、「作るもの」なのです。
その原理が分からないと、学校教育的な勤勉さには何の意味もないのです。
学校教育的勤勉さという事は、決められた(定められた)時間に定められた仕事をする・・という事です。
私の場合には、怠け者の仕事法なので、どういう順番で、どういう手順で作業をすれば、最短の労力で済むのか??と考えるのですが、それが皆さん出来ません。
オケ練習の時に、いつも「暗譜はtoiletteの中で・・」というお話をするのですが、勿論、お風呂に入っている時にも、学校への行き帰りでも、教室への電車での移動でも、考える時間は在るのです。
でも、小学生の子供達には、toilette(音入れ)の意味(暗喩)が分かりません。他の作業をしていて、体を拘束される時間だから・・時間があるでしょう??という意味です。
紗來ちゃんが学校の行事で、先生達のお話を聴くだけで、2時間、3時間の時間を拘束されて、練習が出来ない・・と、泣きべそをかいていましたが、2、3時間の暗譜のcheckの時間が出来たのでしょう??・・と言ったら「あ〜っ!そうか??」と喜んでいました。楽譜を見ないで暗譜のcheckをする事はとても大切な勉強なので、何も出来ない拘束時間(電車での移動や、お風呂の時間)を有効に使えば良いのですよ。
時間は在るものではなく、作るものなのですよ。










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5月21日「Capuzziのorchestraのscoreについて」

昨日(5月20日)のオケ練習で、購入したCapuzziの曲が余りにも、間違いだらけで、全く使い物にならなくって、全面改定が必要だという事で、超、shockを受けていたのだが、You Tubeでoriginal-versionを聴いて見たら、とても素晴らしい曲であった。
arrangeした人が超ヘボかったのだよな??
ならば、original-versionで練習しましょうね??
part譜を配り直します。
私の全面改定の作業は、やる必要はない・・という事だよな?
良かった??
良かった??  (善哉?善哉??)



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5月21日「ヨージーの法則」 ・

「ヨージーの法則」
出来る時にやっておかないと、二度と出来る事はない。




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5月22日「lecture-lesson」 ・

cello-soloの桃迦ちゃんが運動会で、オケ練習に来れなかったので、練習のpoint出しのlecture-lessonだったので、練習風景をYou Tubeにuploadしておきました。
教室の子供達はFacebookを見れない子供達が多いので、携帯でも見れるようにlineにもupしておきました。


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5月22日「今日は火曜日の引き籠もりdayです」 ・

今日は5月22日、火曜日の引き籠りdayです??

夜の8時を過ぎたので、そろそろ夜は何を食べるのかと、夕食の心配をしなければならないのですが、(江古田の街は、9時を過ぎると、食材を売っているお店や、飲食店が殆ど閉まってしまうからです?)だから、7時、8時頃までには、食材の買い物に出掛けるか、外食に行くかを、決めて、実際に行動しなければ、食べ物を食べる事に、はぐれてしまいます??

と、いう事で、直ぐにでも、頑張って、食材を買いに行くか、何かを食べに出掛けなければならないのですが、今日は、(…も)普段のroutine通りで、体調不良で、外に出掛ける元気(体力)が全くないのですよ??
パソコンも、動画のuplordで、止まったままだしね?
……とは言っても、パソコンで、何か仕事をしようとしても、単純な簡単な作業ですら、今は出来そうにはないぐらいのバテバテなのだけどね?

今は、全く、ウダウダ状態で、鬱が起きる寸前です??
しかし、これも、よくよく考えてみれば、毎週のroutineだったりして??ね????? 

routineならば、気にしない事だよな??????


20日の死と乙女の練習を少しだけ編集して、You Tubeにuploadしたのはいいのだけど、もう、7時間ぐらいuploadを続けています。loopではなく、ちゃんと6分起きに1%ぐらいは進んでいるのだけど、uploadが終わる迄には、後、3時間も掛かるそうです。何だろね??この遅さは・・・??

深夜1時を過ぎても、たかだか1時間の室内楽の練習の動画をuploadするのに、もう、既に8時間掛かっているのに、未だ70%に満たない??パソコンは放ったらかししていれば良いだけなので、その間、なにか負担が増える分けではないのだが、兎に角、mainのパソコンが使用出来ないのだよな??


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5月23日「動画のuploadに・・」 ・

なんと、たった1時間の「死と乙女」の練習をYou Tubeにuploadするのに、12時間も掛かったよ??
黒カメ(故障と思われて長年使用していなかったvideo-camera)の画質が非常に悪かったので、編集段階でhi-vision迄、画質を上げてから、You Tubeにuploadしたのが悪かったのか??
時々、天文学的に時間が掛かる事があるのだが・・・

追記:後日、sonyの黒カメを椎名町に持って帰って、ACがすっぽ抜ける事を調べたのだが、昔、それは修理に出した事があって、回答は構造上の欠陥という事だった。
つまり、使い方を工夫しなければならない、という結果だった。wide-conversion-lensを注文して、fisheye lensとの競合と、リモコンのcheckを済ませた。
前回の画質は標準で撮影されていたので、最高画質に変更をした。
これで、多分、upload時間が短縮出来ると思われる。

問題の白カメは、私が使用している限り問題は発生しない。
長時間撮影すると、cameraの温度で色が狂ってしまうのだろう・・とは予測は出来るのだが、それは具体的ではないので、判断のしようがない。



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5月23日「腹減った!」 ・

今は5月23日のお昼の3時を過ぎた頃なのですが、兎に角、腹減った??
そう言えば、昨夜からハイツには食い物が無かったのだよな??
という事で、雨の中を何か食べに行くかな??と考えている所です。

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5月23日「突然、lessonだと言われてもね〜ぇ??」 ・

突然、明日lessonだ??と言われてもね〜ぇ??
まあ、今は体調のcontrolは上手く行っているから、良いけれど・・・、突然過ぎるよな?
もう、チョッと計画性を持っても良いと思うけどねぇ

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5月25日「教育への親子のズレ」 ・

昨日は、4月15日の発表会から、始めてのlessonがありました。勿論、新しい曲での始めての、私のlessonです。(始めて…というのは、私のlessonが、…という意味であって、当然、斉藤先生のlessonは、それまでには、何回かはあったはずなのですがね?)

滞りなく、lessonをしていたのですが、(23日の続きではありませんが)、突然、energyが切れてしまいました?
energyが切れた・・という事は、突然に疲れが襲って来たという意味です。
でも、lessonをしていて、疲れてしまう…(という事は、今回はきわめて珍しく、体調不良も、体調管理の不備もなかったので、)そういった、自分への体調管理の失敗がないとすると、私はlessonをする事自体で疲れる事はないので、「lessonをしたから疲れた」、という意味ではありません?

今回のcaseでは、lessonをする前から、落ち込んで、鬱っている子供の心のケアをする事で疲れてしまった????…という事なのです。
これは、本来は私の担当する領域ではないのですがね?

私が子供達に真摯に向かい合っている姿を見て、人は私が子供達の教育が好きなように誤解をされる事がよくあります?
(昔々、教室に講師面接に来た学生が、「先生達は、教育に真面目に取り組んでいるのですね?」と質問されて、驚きを通り超して、呆れ果てた事があります?)教育に対しての、位置付けの軽さは、別に音楽の世界に限った事ではないのですがね?

音大時代や、留学時代の私を知っている友人達は、私が子供達…というよりも、兎に角、誰かを教え指導している事を知ると、皆が「え〜っ、信じられない?」と驚き、受験生の場合には、面接の時に私の門下だと知ると、「超怖いだろう?」「厳しいだろう?」と先生達から質問されてしまいます?
若い頃の私を知る人には、私が子供達…というか、それ以上に、誰かを指導している…という事は、ありえない、信じられない事のようです?

私が子供達を指導するようになった経緯は教育論文やhomepageやFacebook等のあちこちに、書いています。

近々では、4月19日のFacebookのPageにも、その切っ掛けとなったイタリアのピアノの天才少女との廻り合い・・について書いていますが、だからと言って、そのgenieとの廻り合いがあったからと言っても、それで、私が、子供達の教育に、関心や興味を持った、という分けではありません?
それは、私にとっては、子供達や、音大生達への教育、音楽を指導する事は、私とは、所詮、私が追究する音楽の世界とは、所詮、次元の異なる別世界の異次元の話しだったからです?
私は元々、プレイヤーではないのでね?
教育には私の居場所はないのですよ?

ただ、そうは言っても、子供達の裏のない、心の底からの耀くような笑い顔を見るのは、とても素敵な事であって、私自身も癒やされます?
同じ、何かにひた向きに向かっている姿であっても、下心のある大人のひた向きさと、子供の一途さでは、根本的に、顔に表れる表情が違うのですよ?
超一流と言われる人達は、その子供の心を、歳をとっても、持ち続ける事が出来る超、稀なる人なのです?

それは、音楽の世界に限った事ではなくって、アスリートでも、アイドルを目指す子供達でも同じなのです?
ひた向きさは美しい?

でも、直向きさや一途さは、儒教的な横並びの教育とは、根本的に相反するものなのです?
ひと昔前に、日本の文部省的な教育を「型にはまった人材を育成するための教育」と、批判された事があります?「出る釘は打たれる」という、日本のドングリのように、人と同じであれば、安心という親や社会の考え方その物が、儒教的な教育で育って来た結果なのです?
徳川政権下の外部からの影響が全くない封建的な世界ならばいざ知らず、グローバルスタンダードの現代社会では、横並びの考え方はあり得ないのですが、日本社会では、未だに旧体然として、個性的な事、飛び抜ける事、identityを認める事はありません?
ヨーロッパ諸国や、アメリカでは、優れた子供達を育成する事は、国家のprojectとして力を入れています?
教育は日本では、伏魔殿です。日本の教育を育成する立場の政治家達自身が、封建的な世界を信じて疑わない人達の集まりだからです?

それでも、世界に立ち遅れた日本を、見せる分けには行きません?
喩え、張り子の虎だとしても、個性を育てる教育は、やっている・・という姿勢は見せておかないと、諸外国からは、日本は、先進国とは最早認めて貰えなくなってしまうでしょうからね?

という事で、世界中の人達が日本を訪れるOlympic-yearの2020年迄には日本の教育のsystemが変わります。

しかし、幾ら教育のsystemや体制が変わったとしても、教育をする先生の側も、される側の家庭も、それで何か変わる事はありません。
学校も家庭も、親の考えも変わらなければ、教育制度が変わっても、社会的には何も変わることはないでしょう?

多分、Olympicが終わったら、「文科省だけの先走り」という事になって、一般の人達からの批判が続出して、ゆとり教育のように、またまた、破綻を来す事になるでしょうね??
家康の始めた儒教の教育はそう簡単には変わらないのですよ。

日本の女性の地位が、現在、世界のlevelでは144位だとして、世界の先進国としては、恥ずべき事だとしても、それでも、日本の女性達が現在の生活に満足している限り、旧体然とした儒教の国の封建的な世界が変わる事は有り得ないのですよ。
それは女性が自分自身へのidentityに対しての価値観と、自分への尊厳に対しての意識が変わらない限り、何も変わることはないからなのです。

でも、親はそれで良いのだけどね?
未来に生きなければならない、子供達はそうは行きませんよね??




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5月25日「pocket-scoreの棚」

pocket-scoreを入れる棚をorderしていたのだが、やっと着いて組み立て終わった?
既製品の文庫本の棚ではscoreは、定形外で無理だったので、order家具でscoreのサイズに合わせて注文しました。これでpocket-scoreを出し入れするのが楽になった?

作業は殆ど斉藤先生がやってくれたのだけど、それでも「疲れた〜ぁ??」
「超、バテた??」

写真の本棚に入っているscoreは、小型のpocket-scoreだけです。
大型のscoreや楽譜は幾つかの大きな本棚に分散して置いているし、教室で演奏する指揮用の大型scoreやpart譜は椎名町に置いてあります。(椎名町に置いて在る楽譜ですが、それだけでも、数千冊はあります。)

それとは別に、・・つまりハイツに置いてある楽譜は私の勉強用の楽譜だけです。


これだけの量の楽譜は、分類が命です。
適当に放り込むと、二度と楽譜が見つからなくなってしまうからです。
だから、椎名町の楽譜であれ、ハイツの楽譜であれ、同じ分類で仕分けされています。
棚は常に作曲家の年代順に並んでいます。大型の場合には、先ず、genre(orchestra、室内楽、クリスマス会等々)別に分けられて、例えばorchestraは、baroqueからですが、ハイツの場合には、先ずla folia(chaconne、passacaglia)から、Vivaldi(violin、cello)Bach、等々と分類されます。
室内楽は大きく、trio、Quartett、それ以上の編成、それから、Pianoを含む室内楽と分類されます。
それから更に細分化されて行くのですが、基本は、作曲者の年代順に並んでいます。
そういう風に緻密に分類する事で、楽譜を探す手間を省きます?
とても大切な事は、正しく元に戻す事です。
私の仕事場であるパソコンの後ろには、今回の使用中の楽譜が何時でもパッと見れるように置いてありますが、それも、オケ、室内楽、soloと分けられて、そのほかに、私の現在進行中の研究用の楽譜類が置いてあります。
時短は分類にあります。





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5月28日「オケ練習が終わって」 ・

昨日(5月の27日)は室内楽の自主練習でした。
前回のオケ練習では、オケの曲のimage作りをしたので、今回はorchestraのtuttiの部分の緻密な演奏表現についての細かい説明をしました。

オケ練習を時間きっかりの秒単位で終えて、大急ぎで東京に戻って、ドルプリっ歩を済ませて、食事が終わって、それからハイツに戻ったのは、それでも11時頃でした?(それでも、cinderella-timeの前には帰り着いたのですよ。)
それから、大急ぎで腐る物だけを冷蔵庫に放り込んで、大急ぎで、シャワーを浴びて髪を洗って、ベッドにもぐり込んだのは、やっぱり、どうしても、眠るのは、2時頃にはなったのかな??

しかし、それから、2時間おきの頻尿で、眠れたのは眠れたのだけど、腰が抜けたようになって、起きる事が出来ず、toilette迄行くのも、腰を養生するために家具に捉まりながら・・でした。

色々な毎日の薬が土曜日で切れてしまったので、本当は、今日の月曜日には、病院に行って薬を貰って、一緒に、紹介状を書いて貰わなければならないのですが、部屋の中を歩くのがやっとなので、今日は病院に行くのはやめておきます。

通常ならば、月曜日はなんとか勢いで動けて、寧ろ、火曜日から水曜日に掛けて、寝込むのが、普通だったのですが、今回は、月曜日に寝込んでしまいました。

しかし、それでも、体を動かさない、椅子に座ったままの作業ならば、なんとか出来るので、「今日はパソコン作業の日にしよう!!」・・という事で、注文のあった珠実ちゃんのvideoの編集を1日掛かりで、少しずつ、起きる度に、出来る範囲でしました。
たった、1曲を1日掛かり・・という事なのだけど、実際の作業時間は大した事はないのですが、チョッと作業をすると、疲れが出て、寝込んで、また、起きて・・という、チョッとずつ、チョットずつの、少しずつ、少しずつの作業という事です。




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5月28日「発表会の写真について」 ・

発表会でのvideoの撮影ですが、教室でvideoの撮影をするようになって、教室ではこの数回、video-cameraを3台使用して撮影しています。
業者の場合には、video-cameraは基本的に2台で撮影していますが、1台づつにそれぞれ担当者がつくので、cameraが2台しかなかったとしても、それぞれに色々な事が出来ます。

教室の場合には、videoに付きっ切りの人はいないので、それぞれのcameraに予め役割りを決めて撮影しています。
正面と左右の合計を3台のcameraで撮影して、後でパソコン上で編集します。

正面のmainのvideo-cameraは舞台全体を撮影するようになっているので、編集段階でzoom-upするのですが、そうすると、どうしても画質が荒れてしまいます。
編集のsoftをversionupして、補正が出来るように試みたのですが、写真の場合には結構はっきりと画質補正が出来ているのが分かったのですが、動画の場合には左程の違いはないようです。
Aは単純にzoom-upしたもの、Bはzoom-upした動画を編集のsoftで補正したものですが、違いは分からんよな??

    


次回の発表会からは、cameraを一台増やして、正面のvideo-cameraのzoom-upのvideo-cameraの場所に4Kを置いて、白カメか黒カメを舞台全体の写真にしようかな??(つまり、正面をupのcameraと全体のcameraの2台のvideo-cameraで撮影しようかな??)と思っています。
そうするとzoom-upの%が少なくて済むので、画質はその分綺麗になります。

但し、upの撮影では、Pianoの位置とviolinや、celloの立ち位置が変わるので、Pianoだけをupする分けにはいきません。
そこが難しい所です。
そのtestもしないとな・・???

普段の検見川教室での「オケ練習」も、video-cameraを設置する位置が、pianoのlessonや、violinやcelloのlessonの位置、室内楽のlessonの位置迄しか想定していないので、オケ練習では、Kontrabassが入口で、celloがcameraの真下のシンクの前になるので、wide-conversion-lensを付けても、cameraのangleから外れてしまいます?
pipeorganを利用頻度で、使いやすい位置に移動して、ルミノスのラックをCembaloの先端の位置に持って行くと、その位置にvideo-cameraを取り付ける事が出来るので、orchestraの全員がvideoに映り込みます?

という事で検見川教室の部屋を模様替えしたいのですが、オケ練習のある日は、部屋の模様替えをする時間は全くありませんから、珍しい教室のお休みの日に、わざわざその為だけに、出掛ける他はありません。
来週の日曜日(3日)は、その・・極めて珍しい・・教室のお休みの日なので、頑張って、オケ教室を、使いやすく模様替えしに出掛ける予定です?

オケ教室に置いてある、教室のPipeorgan(私のideaが沢山詰まった positiv organですが)・・の宣伝も兼ねて、Veraciniのpassacagliaを、violinとPipeorganのために私が書き下ろしましたが、その演奏のために、Pipeorganの位置を移動させて、教室の中央に近い位置に持って来ます。Organだけがcameraに映り込むようにするため・・です。

また、模様替えの序(ついで)と言ってはなんですが、Pipeorganの調律は、前の列のpipeは前からで、後ろの列のpipeは後ろ側から調律をしますので、人一人が入る分だけのSpaceがOrganの後ろに必要となります。

勿論、pipeorganの調律は、pipeをtuningする人と、音律を出す人のpairでないと出来ないので、誰かに手伝って貰います?

「序のついでに、部屋の整理もしたいな??」
次の発表会やおさらい会迄使用しない道具類はちゃんと仕舞うか、ユーカリが丘にでも持って行くか・・にして、教室をなるべくすっからかんにして、普段のオケ練習でも、使い易い教室作りを目指して模様替えをします。
はてさて、1日で出来るかな??
まあ、出来る所迄・・という事だよな??





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5月28日「夢」 ・

大人は子供に人生を諦める事を教えようとしますが、人生を諦めなかった人だけが、人生の成功者になるのです?

おはようございます!100いいネ!!位したいです!!??

有難うございます。
音楽に進もうとする子供達の勉強にお金を使う事は、100%投資になります。(勿論、音楽に進もうとする場合のみですが・・!)
子供が勉強をしたい・・という気持ちを阻む事は誰にも許されない事です。
私の場合には、そのお金が無かったので、祖母に、Pianoを買って貰ったり(先祖伝来の土地を売って・・)伯母に、音楽大学の入学金や留学の費用等を貸して貰ったり・・して、なんとか音楽の勉強を続けて来ました。
勿論、医者になって、母親の旦那の病院を継ぐのならば、金銭的な援助は全額して貰えたのだけど、私が我儘で、「音楽に進む!」と言ったから、Stiefvaterからは、勘当状態だったのでね。(あっつ!!経済的な勘当だけですよ!!入学金以外の通常の学費は出してくれましたよ。だけど、生活費迄はくれなかったしね!!)まあ、大学生だから当たり前か???

音大生は「音楽では食べれない」という事が常識のようになっています。
だから、音大生のバイトは男性は西武の配送係で、女性はパルコの接客、金が欲しければ、クラブの弾き語りと相場は決まっていたようです。

でも、私の場合には、そこで一捻り、・・折角、音楽の勉強をしているのだから、音楽のバイト・・それもこれから音楽で生きて行くための勉強の足しになるように、Classicに限ったバイトをする・・という事を決めて、受験生の指導や、orchestraや合唱の呼び屋、教授の先生達の論文や評論の原稿を作ったり、大学の入学試験の問題を作ったり等々、ありとあらゆる仕事をしました。
それで、当時は、友人達東大生の初任給が2万5千程度だったのですが、その当時に毎月7万は稼いでいて、毎晩、アパートのすぐ近くの寿司屋で徳利を10本並べていたよな??
その寿司屋・・まだあるのよね??
一度も行った事はないけれど、勿論、板さんは代替わりしているけれど・・。

本当に投資ですね、、!
生まれるかわからない卵を元気に生まれるよう大事に温めてあげたいです。
経験談ありがとうございます。
芦塚先生のように逞しく賢く生き抜ける子に成長してほしいです!!
それにしても学生で寿司屋で徳利10本は贅沢ですね?笑




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5月29日「お勉強について」

世間一般では、音楽の勉強でも、学校の勉強でも、無限に繰り返すだけのお勉強を推奨されてしまいます。
音楽の世界でも、「proになるには、1年中、絶対に休まないで、最低7時間は練習をしないと・・」という通念がはびこっています。

確かに、音楽には、体の運動(指の運動)に関する部分があるので、或る程度の練習は必要です。
しかし、どの程度の練習量(練習の時間量)が良いか??というのは、その人の集中力の持続時間に拠るのです。
4時間以上の練習をする人達の練習をしているのを見ると、音を聴いていないし、音楽をcontrolしていません。つまり、指に任せて練習しているだけで、音楽的な表現が無いのですよ!!

「暗記をする」・・という事でも、一般的には(特に、学校教育では)「紙に100回書いて覚えられなければ、1000回書けば良い!! 1000回書いても覚えなければ1万回書けば覚えられるようになる。」とされます。

このやり方は古代の儒教の、無知蒙昧で無学な民百姓達庶民を強い兵士に育て上げるためのmethodeで、前提には、何も考えなくても、工夫三昧がなくても、なんとかロボットのように、反応が出来るようにする・・という考え方なのです。

昔々、小学生達のクラス対抗の漢字のテストのお話をしましたが、「毎週、子供達が5個、10個の漢字を覚えて、土曜日にちゃんと書けるようになったか??覚えられたか??」のテストをクラス対抗でする・・という事で、5教室ある中の、ベテランの主任の先生のクラスがいつも一位を独占していました。

私の教育大学時代の教え子で、先生になったばかりの若い先生が担任をしているクラスは、いつも最下位で、その先生から、「最下位をなんとか、脱する事は出来ないか??」と相談を受けました。

全クラスの生徒達が、単語帳のノートに覚える単語をそれぞれに10個づつ書いて覚えさせていたのだけど、「生徒達が中々覚えられない」・・というのが、先生の悩みだったようです。

私が生徒達が書いたノートを見せて貰って気がついた事は、5個の漢字を10個づつ書く(都合、50個の漢字を書く)宿題なのですが、最初の2個ぐらいは、子供らしくとても丁寧に書いてあるのですが、3個目ぐらいからは段々雑になって来て、10個目では、かなり乱暴になっていました。

私のmethodeでは、物事を雑に書く(記憶する)という事は忘れるためのmethodeでもあります。雑にいい加減に書いたものを覚える事は出来ないのですよ。

・・という事で、先生へのadviceは、「生徒に覚えるだけ、書きなさい」と、宿題を変えさせました。
つまり、2個書いて覚える事が出来るのなら、2個だけ書けば良いし、書かなくても覚えられるのなら、書かなくても良い・・という宿題です。
生徒達も最初は面食らって戸惑ってしまって、5個書いて見たり、3個書いてみたり・・していたのですが、最終的には、1個だけ、とても丁寧に書くようになって、そのクラスの全ての子供達が常に満点を取るようになって、学年のtopになってしまいました。

驚いた学年主任の先生は、宿題の量を一漢字に対して20個に増やしたのですが、それでもだめで、最終的には1つの漢字を50個書かせるようにして、・・・それは子供達にもとても無理なので、親が代わりに書く・・という風になってしまいました。

学年主任の先生に、その方法論を教え無かったのは、その頃はまだ芦塚メトードを作り上げる段階の時期で、芦塚メトードを用いた教育systemと、一般的な教育の違いを知るのが私の目的だったからなのです。

それはそうと、私が小学生の時に、父親がいない事を心配した祖母が、藩の居合の道場に私を通わせる事にしました。
怖い大人達の間で練習が出来るからです。

当時は、銃刀法も、模造刀も無かったので、お公家さん用の小ぶりの日本刀を買って貰って、つまり真剣で練習をしました。

私がまだ、10歳ぐらいの小学生の当時、既に90歳にもなる著名な古武道の達人がいて、私に正座をしたまま、或いは片膝立て、とか、色々な姿勢のままで、真剣の素振りさせて、「うん、今のは切れた!!」とか「今のは、切れていない!!」とか、素振りの練習をしました。真剣の素振りの練習で大切な事は、ピタっと臍の下の丹田の位置で刀が止まるという事です。解釈の時等も、首の皮を一枚残して止めます。

郷里を出て、長崎に住んでいた高校生の頃、友達と竹刀(しない)で合わせをやったのですが、パンパンパンと3回程、刀合わせをすると、相手の竹刀がこちらの竹刀で切れてしまいました。
何度やっても、竹刀が切れてしまうのです。学校の常備されている竹刀です。
竹刀も結構高価なので、3,4回ぐらいやって2度と竹刀合わせはしませんでした。
学校からcreamがついたのでね!!

剣道をやっている学生と、居合で人の切り方を練習しているのでは、「切る」という根本的な考え方が違うのですよね。
東京で居合の指導をしている人が同じ流派だったので、30年振りぐらいに、刀無しで、手刀で、型だけを見て貰ったのですが、「古流だ!!」と言って驚いていました。
今は、居合もスポーツ居合になって、「人を切る」という前提にはないのだそうです。

テレビで「一郎選手が毎日同じ素振りをやっている。それに耐えられるから凄い!!」とか、commentをしていましたが、「一郎選手が、毎回同じ素振りをしているわけではないのにな??」・・「このコメンテーターは同じ素振りをやっているように見えるのかな??」と驚いてしまいました。

**和音さんが徹子の部屋でのinterviewで、「あなたは4時間しか練習しないのだそうだけど・・」と意地悪な質問された時に、和音さんの答えは「私のPianoの狭い部屋では、4時間の練習が耳が耐えられる限界なので、4時間しか練習しないのです。」「でも、楽譜上で演奏の勉強をするのも含めると、それ以外の時間は、Taxiでの移動の時間も含めて・・起きている時間は常に音楽の勉強の時間なのですよ。」と反論していたのですが、同じ音大卒業である徹子さんは、意味がよく分からなかったようです。

昔は、私も音楽大学に行っている生徒達には、行きつけの喫茶店でlessonをしたものです。勿論、近所の喫茶店には、Pianoは置いてないし、・・という事で、Pianoを使用しないで・・、楽譜上で、だけで・・のlessonなのです。

私も含めて、作曲家の殆どはPianoを使って作曲をする事はありません。
作曲の時間は、HandelやBeethovenも、Richard Straussも、散歩をしながら・・が一般的です。
Mozartのように、ビリヤードをしながら・・とかいう人もいますがね??

私が子供達に要求しているのは、学校の行き帰りの道で暗譜をする事です。
勿論、楽譜無しでの暗譜です。
斉藤先生は中学生の終わり頃から私が指導するようになったので、高校生の頃から苦手の暗譜を電車の中でするように宿題にしました。

「おtoilette」で暗譜をする・・という事は、勿論、「音入れ」の駄洒落なのだけど、この40年前からの駄洒落の意味が分かっていない人達が多かったのは、驚きです。
「無駄な時間や拘束された時間は暗譜に使えるよ!!」という意味なのですがね??
「安禅必ずしも山水を須ひず,心頭滅却すれば火も自ずから涼し」というのは、織田信長に焼き討ちをされた快川和尚の弟子達に言った言葉なのですがね。
音楽の勉強も楽器を使わなくても出来るのですよ。
それは、とても、当たり前の話なのですがね??

内容がとてもいい、というか、一般の保護者の方々にも分かりやすいおはなしかと思いますので、この文章をもうちょっと整えて、次回の発表会で「芦塚先生のお話第4集」として製本して受付に置くことにしませんか?
ちょうど、今日大の悪質タックル問題で世間が大騒ぎしていますが、これまでの日本の教育体制の欠点が浮き彫りにされ、理不尽な繰り返し練習などにようやく世の中が疑問を持ち始めて、やっとすこ〜しだけですが、芦塚メトードの素晴らしさが一般の人たちにも理解されるのではないか?という兆しは見えてきたように思います。
(かなかなかな・・・・?????やっぱりまだ無理かな???)
このタイミングで芦塚先生の論文(特に日本の間違った教育と芦塚メトードの比較のような内容のもの)を発表できれば、すこ〜しは分かる人がいるかも(かなかなかな?)しれませんよね?




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5月29日「wide-conversion-lensとfisheye lensのお話」 ・

「Facebookの悪口」
私がFacebookを書く場合には、先にcommentを書いて、後で、そのcommentの説明のために、写真を掲載するのですが、この所、Facebookでは先に写真をuploadしてから編集をしないと写真が掲載出来なくなってしまい、commentを先に書いて、後で、写真を足そうとしても、写真をuploadする事が出来なくなってしまいました。
Facebookは、しょっちゅう勝手に変更して来るのだが、これは私としては非常に困るのだよな〜あ??

おそ松なFacebookの話はそこまでにして、本当は、5月28日にupした発表会でのvideo-cameraのピンぼけの話の続きの話です。

「オケ練習の定点の位置決め」
27日のオケ練習の時に、video-cameraのtestとして、wide-conversion-lensを装着したvideo-cameraを、以前からの所定の位置ではなく、grandpianoとupright-Pianoの隙間の位置に三脚を立てて、撮影したのですが、やはり、Cembaloや1stviolinの斉藤先生がcameraに写り込んでいませんでした。

全体が写真に入る撮影pointは、Pipeorganを移動させた後の、Cembaloの先っぽの位置一箇所しかないようなので、部屋の模様替えをした後でのtestになります。

3日にpipeorganを移動するので、その時に、ルミナスのラックに、video-cameraを取り付けるので、実際の撮影は、10日のオケ練習からになります。※1)
fisheye lens(魚眼レンズ)も準備してあるのですが、流石に、fisheyeでは、映像がStravaganzaか、eccentricか、珍妙になってしまいます。

この写真は通常のwide-conversion-lensですが、目一杯のwide状態なので、それでも、四隅が丸く黒くなってしまっています。
この隅の黒の部分の事を写真の用語では「ケラレ」と言うそうです。※2)
本来的にはその四隅の黒い部分が写り込まない所までが、wideの限界なのですが、私の場合にはあまり気にしないのでね。
(ちなみに、fisheyeのlensを目一杯wideにすると、画像全体が丸くなってしまっています。そういう効果も面白いと思うのだけど、写真のproに人達に怒られそうなので、一応しない事にして起きます。)

※1)Venetian maskの入っていたお洒落なガラス戸棚や、Metronomや指導用の小物を入れていた小机もユーカリが丘行きになってしまいました。
pipeorganの横に置こうと思っていたルミナスのsteel-rackはOrganの隣では、Cembaloを傷つける恐れがあるので、却下されて、Cembaloの横では、三脚を立てて撮影をする事になりました。steel-rackは、石油stoveの位置に移動しました。

※2)「ケラレ」なんてネーミングは、最初は日本語だと思っていたので、「随分、ふざけたnamingだよな?」と思って、netで調べて見たら、なんと?ラテン語の「celare」という単語で、[隠す]とかいう意味の言葉だそうです。
それは知らんかった!!


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5月30日「体調不良が抜けない」 ・

この話も5月28日のお話の続きになってしまいますが、月曜日にしっかりと寝込んでしまったので、火曜日からは、普通に生活(仕事)が出来るはずだ・・と思い込んでいたのですが、今日は水曜日でもう5月の30日なのに、今日も1日寝込んでしまいました。今は5時半なのですが、ユンケルを飲んでもpowerが出ないので、困っていたら、冷蔵庫の中の食料品が昨夜で終わって、朝から何も食べていないのに、気が付きました。
冷蔵庫に生野菜が残っているのを思い出して、野菜炒めを作って、生焼きそば麺が残っていたので、焼そばを作って食べました。


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5月31日「オケ練習が次回はお休みなので、今回のvideoを」 ・

5月27日のオケ練習ですが、時間切れで後半は端折って仕舞いました。
1週間後の3日は、練習はお休みなのですが、予定では10日の練習は次の和音の課題を練習しなければならないのですが、後半の練習の課題出しも終わっていないし、とても、5月27日分の復習の練習は出来ません。

という事で、3日の休みの日の分の練習の分は、各自に任せる・・という事で、私が、(2日も掛けて)5月27日の練習をvideoを纏めて、更にその諸注意をcommentで確認をして、それから、You Tubeにuploadしました。

2日掛かりで編集をして(commentを入れて)、そこまでが2日掛かりなのですが、それから更に、You Tubeにupload出来るように、MP4に変換して、更にYou Tubeにuploadする迄に、10時間ぐらいは、掛かるのよね〜ぇ??
その間、パソコンが全く、使えないのよね〜ぇ!
他の仕事が結構滞ってしまうのよね〜ぇ???
 
まあ、今回は「教室の休み」なので、仕方がないので、練習の動画を編集して、それで皆がchaconneの復習を出来るようにしました。

丸々2日掛かりの作業なのですが、発表会のvideoならば、commentは必要ないので、同じ時間で、3曲は編集が出来ます。
だから、こういった無駄なサービスは、今回までにします。

次回からは、基本的には、練習のvideoはuploadしません。
ちなみに、発表会迄のオケ練習の回数は、6月が3回、7月は5回、8月は1回、9月は3回で、以降の10月と11月は、rehearsal と総合練習のために、オケ練習は全くありません。9月の30日のBscheduleが最後のオケ練習になります。rotationはしっかりと頭に入れておきましょうね??




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5月31日「今の子供達の口癖は『それは、無理』・・・」 ・


今の子供達は(それが小学生の子供であろうとも)自分の夢ですら(親からの夢ではなく…)、自分の限界を口にします。
「それは私には無理!!」とか・・・

勿論、それが、その子供の夢でなく、親の与えたものならば、「無理」という事を口にする事は許されます。
自分が望んだ事ではないからです。

大人にしても、子供にしても、人が夢を叶えるために、努力をしたとして、その行き着く所、所謂、「夢の限界点」は、その人が「無理」と感じた所(口にした所)までです。
自分が無理と言ったその限界よりも先に行ける・・というluckyな事は絶対にあり得ません。(それが「あった!」と思えたとしても、所詮は自分の立ち位置は変わってはいないからです。)

世界の子供達で、自分の夢に対して、最初から限界を言う子供はいません。
ましてや、夢に向かって突き進む若者達は、限界を口にする事は無いのです。

自分の夢に、突き進む前から、限界を見る・・それは日本人特有のどんぐり民族の儒教的な考え方で、ヨーロッパには無い思考です。

私は挑戦する前から、諦める人は嫌いです。

叶わぬ夢だから、最初から挑戦しなければ、人類の文化は無かったのですよ。
叶わぬ夢でも、死ぬ迄、夢を抱き続ける事が出来る人は幸せだと思います。
それこそ、「一歩でも前に進もう」です。
死ぬまで、夢を見続ける事が出来た・・という事が幸せなのですよ。

逆の言い方をすると、芸術で「夢が叶った」と思っている人は、野狐的な人達です。
その人の芸術は、張り子の虎に過ぎません。
もし、本当にその人が自分の夢が叶った・・と思い込んでいるのなら、それはその人が本当の本物という事を知ら無かった・・という幸せな人なのですよ。

芸術は叶わぬ夢なのです。
「天が後、10年・・」は、総ての芸術家達の共通の言葉なのです。

Goetheの 「Faust」然り、da Vinciの「Mona Lisa 」然りです。
世界の至宝は皆、未完成なのですよ。
完成する事は、見果てぬ夢の夢・・なのですよ。
夢に立ち向かう前に、諦めるのなら、最初から挑戦しない事です。

以下、蛇足です。

ヨージーの法則
「それは無理」と思った所が夢の限界です。

それでは、当たり前過ぎるので、「無理」を「無理」でなくする方法を、伝授します。
それは、「夢へのapproach」を楽しむ事です。
どんな困難でも、楽しめば、限界は逃げてしまいます。

失敗や行き詰まりは、失敗や行き詰まりではありません。
日本人は兎角、失敗する事を極端に恐れるようなのですが、それは単なる叩き台にしか、過ぎません。

ある実験が失敗に終わった時に、弟子から「失敗しましたね」と言われた(多分)Edisonが、弟子に「この方法では出来ない!という事が分かったから、これは失敗ではない。」と言った・・という逸話があります。
この逸話はEdisonの負け惜しみのように捉える人達が多いようですが、現代では無数の失敗の中から一つの成功を、computerが見つけ出して多くの発明をしています。

また、私達が恩恵に預かっている多くの事は、失敗の中から偶然見つけ出されたものが多いのですよ。

何故、それが失敗したのか?という事を、精査すれば、そこに成功のヒントが隠されているのです。





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6月




6月1日「5月31日がいなくなった」

今日は、6月の1日だそうです。
超、肌寒いけれど、よく晴れ上がった爽やかな朝です。
(実は、この文章を書く直前迄、5月31日と思い込んでいました。)つまり、記憶の中では、5月31日がぶっ飛んでなくなっていたのですよ。

6月の1日、・・という事は5月はもう終わってしまって、1年の半分が過ぎてしまったという事ですよね。

昨日の31日も(・・本当に31日という日にちはアッたのかな??5月は30日迄ではなかったのかな??)・・1日中、意識が混濁としたまま終わってしまいました。

「31日も・・・」という事は、27日のオケ練習が終わって、丸々茫然自失としたまま、1週間が終わってしまった・・という事なのですよね。

寝ても寝ても、体調が戻って来ない・・・そういった一週間でした。血糖値のせいかな??
近頃は、元気な一週間と、鬱ではないけれど、意識の混沌とした週が繰り返すようになっていましたが、この所、疲れて寝込んでいる週が続いているような感じです。

以前ならば、「疲れた!!」という事を言う前に、取り敢えず、体を動かして、「疲れた!」という事を乗り切る・・事が出来たのですが、そういった体力、気力に任せる事が出来たのは、既に、一昔前になってしまいました。

今は体を動かそうとしても、椅子から体が上がらないのですよ。
「よいしょ!!」と掛け声を掛けてもです。
困った事です。

やはり、薬が合っていないのだよな??
そろそろ、意を決して紹介状を書いて貰って、新しい病院に行って、診断をして貰うか??
今日は病院が休みだから、明日、紹介状を書いて貰う事にしよう。転院先の病院はかなり遠いのだがね・・・??

「今日は病院が休みだから・・」と思っているという事は、今日が木曜日だと思っているのだよな??
やっぱり、体感的には、今日は31日だと思っているのだよな??
今日は6月1日の金曜日!! 薬が切れてから一週間だから、全く効いていない薬でも、貰って来ないといけないよな?
・・という事で、9時半には薬を貰いに病院にバイクで出掛けて、ついでに、紹介状を書いて貰う事にしました。
紹介状を書いて貰って、病院に電話をして、予約を取ります。その病院の外来は月曜日だけなので、紹介状を書いて貰うのが月曜日で、電話をして予約を取ると、最短で来来週の月曜日に診察に行く事になります。
まあ、遅々として進まないのだよな?


とりあえず呑んでテンションあげる??も難しそうですねぇ?

そうですね〜ぇ??鬱になるのはいとも簡単なのだけどね〜ぇ??

取り敢えず、朝の9時半にはバイクで病院に行って、当座の薬と、紹介状を書いて貰う事にしました。但し、紹介状が出来上がるのは月曜日だそうで、月曜日に取りに来るように言われました。
斉藤先生が珍しい事に、今日は偶然にlessonが無いので、池袋のビック・カメラと眼鏡屋さんについて来て来れる事になったので、急遽、池袋に出掛ける事になりました。ビック・カメラでは、video-cameraのwide-conversion-lensのattachment(変換adapter)を買いに行ったのですが、随分丁寧に探してくれたのですが、ありませんでした。私はnetで見つけて購入しようと思ったのですが、変換adapterが350円なので、2000円にならないと購入が出来ないので、ビック・カメラだったのですがね。
眼鏡は今の眼鏡のcoatingが剥げてそのメンテが出来ないので、新しく作る事になったですが、近視が少し弱くなって、その変わりに、乱視が強くなってしまったので、眼科の病院で処方箋を書いて貰ったのですが、半年以上も池袋に行けなくって、やっと、眼鏡を作る事が出来ました。
久し振りで、人混みの中を歩いたので、超、疲れてしまい、ドルプリっ歩と夜の食事の時間に起きる事が出来ず、椎名町には行く事が出来ませんでした。
でも、梅はお水でサラしていたので、そのままには出来ません。
仕方なく、保存が出来る所迄は、終わらせておかないと・・・という事で、深夜、急遽、梅の仕込みを始めました。



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梅ジャム
6月2日 ・

梅シロップを作る次いでに、梅ジャムを作ろうと思った(本当は逆かな?)のだけど、梅の種のまわりの果肉を取る作業で、挫折してしまいました。
折角、種を取ったのだから、後、10個ぐらい種を取って、正規のやり方で作って、後は、自分用に、皮も剥かない、種も取らない方法の、私らしい怠け者の調理方でジャムを作る事にします?
梅の種を取っている間に、梅シロップの下ごしらえが出来たぞよ????
アク抜きが終わったので、冷凍庫で養生させます。




芦塚メソッド。

実のまま煮詰めていくと種から実が剥がれて行くから・・・まあ私は梅シロップが完成したらその梅を取り出して、ジャムにしますから楽ですけど。
   



梅シロップカラ・・って、手抜きで良いですね??シロップ作ったらやって見ます。部屋中ジャムだらけになりそうだけど

我が家も種そのままでジャム作ります
煮てからの方が種取りやすいですしね!


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梅ジャム2
6月2日 ・

取り敢えず、刻んだ分の梅を、一般的なやり方で、ジャムにしました。
写真の「紅玉」の瓶は、市販の紅玉のジャムを食べ終わった瓶を再利用したので、中身とは関係はありません。
同様に、梅シロップは蜂蜜の瓶で作ります。
種有りの梅ジャム用の梅と、シロップ用の梅は今は冷凍庫で養生中です。
まる1日程、冷凍庫で養生させます。
出来上がった梅ジャムも、粗熱が取れたら、冷蔵庫に保存します。

    


あらっ
長峰家でも職場用と自宅用の梅シロップ用に冷凍庫に2キロ入ってまーす♪
梅はとってもいいですよね!
りっかも梅のおへそ取りお手伝いしてくれました。



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6月4日 ・

「pipeorganの調律と絶対音感と和音感のお話」

「こもごも」
今日の3日は、お久しぶりの日曜日のお休みだったので、検見川教室のpipeorganの調律 写真Cと、violinとbaroque-violinとOrganの音のbalanceのcheck 写真@とB、Organのvideo撮影のための、spot-liteとback-liteの色合わせ写真 写真@、オケ練習のためのvideo撮影の位置決め、Christmasやおさらい会用の道具をユーカリが丘へ三代目ニャンコ号での移動等々、春暉君も手伝ってくれて、頑張って一日掛かりでやりました。

どこをどう片付けたのか??は、大して(見た目的には)あまり変わっていないかもしれませんが、教室としては大変な大掃除と模様替えになりました。

ユーカリが丘に荷物を運んでから帰って来て、12時近くになって、やっと、プリドルの散歩になったのだけど、チョッと疲れ果ててしまったので、半散歩も出来ない状態で大急ぎで事務所に戻って、遅い夕食を食べて、大急ぎでバイクでハイツに戻って寝ました。


明日は糖尿外来への紹介状を今の病院に貰いに行きます。(と思っていたのだけども、日曜日の次の日の月曜日に、外回りをするのは、やはりちょっと体力的には無理でした?)
「以上、今日こもごもでした。」

「Vitali=Guerrini版のPiano伴奏譜作成と和音感の育成の話」
前回のchaconneの練習が、余りにも酷かったので、一昨日の金曜日ぐらいから、finaleで、chaconneのVitali=Guerrini版のPiano伴奏譜を作り始めています。
(実際のオケの練習風景は、「5月27日のオケ練習」としてYou Tubeにuploadしています。)

violinやOrganのような鍵盤楽器と違って、弦楽器は単旋律楽器なので、和音感が育ち難い楽器です。


一般的な人達が、弦楽器を学ぶ場合や、弦楽器のlessonや練習では、発表会直前のrehearsal 等で、1回2回ぐらいしか合わせるchanceはないし、弦楽器の人達が、練習の過程で、Pianoと伴奏合わせをして練習をする…という事は、極めて珍しい事なので、多くの弦楽器の奏者の人はconcerto等の練習をしていても、orchestraの伴奏を感じて弾く事はありません。
弦楽器では、melodieを弾く時に、和音を感じて弾く人は、極めて珍しい存在なのですよ。

orchestraでProとして演奏活動をしている人達であったとしても、同じ楽器同士で音を揃えるという練習はするのかもしれないけど、それは単音の練習に過ぎないので、和音感は育ちません?
同族の楽器でensembleを組むのならば、和音感は勿論、育ちます。
その例としては、string-Quartettの練習等です。

優れた絶対音感の持ち主であったとしても、それと、和音感の能力とは、全く別の次元の能力になります?


講師面接の時にも、某有名音楽大学の卒業生で、全音楽大学の演奏会で大学の代表として演奏した程の学生なのですが、教室での面接の時に、大学のコンサートで演奏したその曲を途中から半音低いままで弾いて、その事を指摘しても、本人は分からないのですよ。

一般的には、作音楽器では絶対音感は育ち難いと言われています。
それは常に自分のpitchの狂った音を聴いたり、弾いたりしているからです。
日本では、弦楽器で正しい音を取る練習としては、Pianoの鍵盤に一音づつ、Pianoの音と楽器の音を合わせる練習をさせます。

教室的に言うと、Pianoの音を叩いて、violinの音取りの練習をする所からは絶対音感は、絶対に!育たないのですがね??


Aの音を一万回、pianoで弾いて覚えようとしたとしても、絶対音感、絶対和音感は勿論の事、正しい音程も身に付く事はありません。
日本の音楽大学の通念として、正しい音はPianoの音(調律されているか否かは問題ではなく・・)で、それ以外に正しい音(pitch)を知る術はないのだそうですよ。
つまり、弦楽器で正確な音を求める場合に、その拠り所となるのが、Pianoの鍵盤という事なのだそうです。
・・・まあ、おそ松な事???
呆れたネ??

絶対音感に限らず、人生としても、「物事を知る」という事は、意外と簡単な事なのです?
それは、その違いを知れば良いだけなのですから?

仮に、音大のpianoが「正しく調律されているのか、否かはさておいた」としても、※1)
※1)「正しく調律されているか否か・・という前提は、練習する前の段階で、「pitchが合わない」という前提にもなってしまうので、論旨が成り立たなくなります。
現実的には、正しく調律されていないPianoの方が90%以上になりますので、このお話を前提にすると、論文が成り立たなくなります。
・・という事で、このお話は「無視」です。

※2)音楽大学の先生達の大きな間違いは、Pianoを正しく調律した場合には、その音は正しい唯一の音(pitch)を出す・・という思い込み・・です。
原則として、平均律で調律されたpianoは全て同じ音(pitch)であるべきなのです(?)・・が、それは、少なくとも理論上は・・・という話に過ぎません。
それで、絶対音感が養われると思い込むのが、音大の先生方が犯す過ちの最大の間違いになります。

ここには大きく2つの問題があります。
その一つは、音大にPianoが何台あるかは知りませんが、そのPianoが総て完璧に調律されているという事は有り得ません。
ましてや、狂っているPianoで音取りをやる事の意味は、間違えた辞書で訳をしている子供達のようです。

二つ目のお話が肝心なのですが、一人の調律師が2台、3台のPianoを調律する場合に、同じpitchに調律が出来る事はありません。
教室のように、部屋に2台のPianoがある場合には、1台目を調律してから、そのpitchをもう1台のPianoに移すのです。

ならば、どこかの大手の企業の調律師のように、tunerでpitchを取って、Pianoに移せば正しい平均律が出来そうですが、それでは、正しいpitchを取る事は出来ないのです。
理論的な数字に拠るpitchは、「理論の世界のpitch」なので、実際に音楽に使用するpitchは全く別のpitchなのです。

機械が取るoctaveのpitchは、Aが440だと仮定して、octave上のpitchでは、880cycleになり、そのoctave下の音は220cycleであるはずなのですが、人間の聴覚の感覚では、同じ音のoctave上の音は、正しいpitch(倍倍の)では、高音域は低く、低音域では高く感じてしまうからなのです。

調律師は自分の感覚で、その差を耳で調整(補正)するのですよ。正しい音程を耳の感覚で狂わせる事が調律の技術なのです。
これは人間の感覚のお話なので、平均律でも、純正調でも同じ話なのです。

平均律ですら、Pianoが2台あってそれを同じ調律師が調律したとしても、調律した場合には、それぞれのPianoが微妙にpitchが違ってしまうのですよ。

Pianoの調律は平均律で調律しますが、本当の正しいpitchは純正調のpitchにあります。

このお話に踏み込む事は、 labyrintha に迷い込むような事で、それはとてつもなく大変なお話ですので、興味のある人達は私のhomepageを参照してください。※)
※)以前、テレビでNHKの音楽番組を見ている時に、Pianoの調律が高音域になるに従って、凄くflatになるので、驚いてしまいました。この調律をした人は、octaveのpitchを機械のmeterで合わせたのでしょうね??
教室には4台のCembaloと、pipeorganがあるので、生徒にも調律のやり方を指導します。Cembaloは、温度や湿度で狂いやすいので、弦楽器と同じように、演奏する前には、常に調律が必要なのです。Cembaloを購入する・・という事は自分で調律をする・・という意味でもあります。
Munchen時代には、今のような高性能のCembalo用のtuner(古典調律の出来るもの)は無かったので、Pianoや当時愛用していたReise-Clavichordの調律は、一般の調律師に人達と同じように、5度調律や3度調律の技術を駆使して、やっていました。しかし、実際の演奏会では、教室で事前に丁寧に調律をしても、車での移動で、微妙に狂ってしまうので、会場で大雑把に調律をし直します。
また、普段のオケや室内楽の練習では、そんなに丁寧に調律する時間がないので、tunerを使って、20分ぐらいで調律をしてしまいます。しかし、tunerで、丁寧に調律をするのは、基本となるoctaveだけで、後は、そのoctaveの音を耳で広げて行くだけです。基音となるoctave以外の音に対してはtunerは使用しません。
もし、まかり間違えて、全ての音をtunerで調律した場合には、NHKの音楽番組を調律した調律師のように、octaveが低い気持ちの悪い調律になってしまうでしょうね。

純正調の調律は、通常、古典調律と呼ばれて、それぞれの調律法で、meantone調律や、Werckmeister、Vallotti、Kirnberger等の調律法が色々とあって、それ等のpitchは古典調律の出来るtunerに有名所の古典調律として、10種類ぐらいは普通に入っています。

古典調律の場合には、渦巻き状に音が高くなって行くので、octave上でどうcycleの倍のpitchになる事はないので、開かれたoctaveという言い方をします。
それに対して、平均律は12個の音を一周したとしても、同じ音に戻るので、「閉じたoctave」と言います。
baroqueの時代には、そういった開かれたoctaveに対応出来るように、ラ#とラ♭を区別して演奏出来るように鍵盤が2つに分かれているものも多く存在しました。写真D

純正調では、「転調が難しい」という根本的な問題があるので、melodieはPythagoras律という平均律に非常に近いmelodie-lineで演奏しながら、和音は所謂、pure-sound、純性和音で演奏するという方法があります。
所謂、折中案です。

melodieは通常の調性を死守しながら、和音はpure-soundを使用する方法でperiodの団体の多くはこの方法を使用しています。
また、同族の楽器で構成される演奏の場合にも、pure-soundを使用する事が普通です。

純正調のpitchでは、同じドの音でも、ハ長調のドの音と、イ短調のドの音は、pitch(cycle)が違うのですよ?
オケ練習では、pure-soundを学ぶために、「その音は導音の音だから、もっと高めに?」とか、「基音から2octaveだから、もっと高めに?」とか、純正で、取った音を更に狂わせる技術を学んで行きます?

先生達や上級生の場合には、本当の古典調律でperiod奏法(ornament等を入れながらの・・)period instruments(所謂、baroque楽器)で演奏の勉強をします。
日本ではperiod奏法というと、baroque楽器を使用して、pitchを415cycleにするともうperiodのような気で、演奏会を開いているようなのですが、それはbaroque-楽器で440の半音低いpitchで演奏するmodernな演奏なのです。

八千代の対外出演では、以前からの演奏でも少しづつperiod奏法を取り入れて来ましたが、昨年の八千代では小学生達もperiodの演奏に挑戦しました。
(modern楽器に拠る、modern-pitchでの、period奏法による演奏です。)アハッ!一般のperiodの人達の真逆だよな??

この手の学習(正しい音律を学ぶ事)は、間違えた音感を学んできた音大生を指導しても、もう、手遅れなのですよ?
極々稀にはproとして活躍しているplayerでも、high-octaveのpitchが低い演奏家はいます。
勿論、一流になれる事はありませんがね。
音楽大学は、基本4年制なので、一生懸命に指導したとしても、「後、余命3年」とかね??

そんな間違えた勉強をして来たとしても、教室で根本から学習し直す気があるのなら、指導する事自体は、やぶさかではないのですが、音大生は実力は兎も角としても、prideだけは人並み外れたものを持っているので、おいそれとは、教室のmethodeを学んでくれはしません。
「巷の音楽教室風情(ふぜい)が何を言う!!」と言われてしまいます。ハイ!

以前も、教室に入会しに来た人から、「homepageを読んで教室に来たのに、指導内容が全く違う!!」とcreamが付いてしまって、困ってしまいました。
近場の教室だから習いに来た・・という事ならば、音大生つ業の先生の方が、「若くてピチピチして良い」と思うのですが、色々と教室を探して求めて来た人は、やはり芦塚メトードで指導しないと、そういうふうなcreamが付いてしまうのでね。
という事で、音大を卒業しただけの人を講師として雇う分けには行かないので、先生がいなくて、困ってしまうのですよ。
私達の教室でも、教室(部屋)はいっぱいあるのにね??
そうでしょう??

愚痴はそれぐらいにして、絶対和音感のお話に戻りますが、教室でオケ練習の時に、「一般の弦楽器の演奏家には、和音感がない」・・という話をしても、教室の生徒達は、それを誰も信じないし、「絶対音感を持っている生徒は数少ない」という話をしても、誰も信じないのですが、それは教室のcurriculumで、練習が未だ出来ていない状態の時から、伴奏合わせをしたり、オケや室内楽等で音を和音の中に合わせる・・という事で、いつの間にか、知らず知らずのうちに和音感が身に付いてしまっているので、「そんな簡単な事が音楽を専門に勉強している人達に取って、出来ない分けはない!!」と思い込んでいるのに過ぎません。

一般的に、弦楽器を学ぶ場合には、先生と生徒が1対1でlessonをします。
lessonや練習の途中の段階で、「伴奏が付く」という事は一般的には、有り得ないのです。
一般通念では、完璧にsoloも伴奏も弾けるようになって、始めて「伴奏合わせ」が始まるのですからね。

だから私が、未だ練習も出来ていない、曲も完全には弾けない状態のその段階で、伴奏合わせをしたり、初歩の生徒に、オケや室内楽の練習に参加させたりする・・という事の意味から含めて、子供同士で伴奏合わせをさせますが、その意味は、中々、一般には理解される事はないのですよ。

「早い時期から子供同士で伴奏合わせ等のensembleをさせると、楽しくて良い!」と、賛同してくださる先生達が時々います。また、自分も同様な事をやりたいので・・と楽譜を所望された事もあります。

しかしながら、本当は、子供同士でensembleをさせる・・という事は、curriculum的にも、指導力的にも難しく、異種楽器の場合には特に、指導上の難しさがあるので、proの人達を指導するよりも、子供達を指導する事は、非常に難しいのですが、そこの所は中々、分かって貰えません。

私の作曲した子供のためのPianotrio集ですが、簡単な童謡のthemaでVariationで作られているので、譜面だけを見ると、子供達への指導も簡単なような気がするのかもしれませんが、実は「音大生が弾けない」・・ぐらいのlevelの曲である・・という事を知っていた??
それぐらいの難曲なのですよ。

子供達は、子供のためのPianotrioが「難曲だ」と言っても、誰も本気にはしませんが、有名音楽大学の学生(卒業生)が教室に来て、その曲を弾けないのを見て、「なぜ弾けないの??」と素朴な疑問を投げかけて、しかし、体験学習に来た学生達は、有名音大生としてのprideが傷ついて、よく泣かなかったよな??えらい!!えらい!!
その代りにそれっきりで、二度とオケ練習の見学に来る事はありませんでしたよ。

人間は、努力をしないで、自然に身についたものに対しては、価値観を持ちません。

例えば、一般的な通念では、「絶対音感」は「神様が、音楽を学ぶ子供達の中から特別な生徒だけに与えたもの」と言われています。
アメリカのCNNのテレビでは「神からのGift」として音楽家の2万人に一人の割合で持つ事が許される・・とされて、絶対音感を持っている人達のdocumentが世界に放映されました。

日本でも、絶対音感を付けるための日本唯一の音楽教室が椎名町にあるのですが、全国から毎週高い交通費とlesson代を払って、時間を掛けて、熱心な子供達がlessonに椎名町迄、通って来ているそうです。ハイ!
勿論、私達の教室ではありませんよ!!

その椎名町に幾つもある絶対音感を身に付ける事を売りにしている教室(と言うかビル)の前を毎日、プリドルのお散歩をしているのですがね。アハッ!

私達の教室では、教室で学んでいる生徒の殆どは何の苦労も無く絶対音感を所有しているのですが、それも私のmethodeに因って絶対音感が身に付いているのだ・・という事を理解出来ている生徒や保護者の人達は殆どいません。

教室の生徒保護者の感覚では、「音楽の練習をしなくても、普通に教室に通えば絶対音感程度!!は身に付くのだろう??」てな感覚ですよ。一般の音楽を学ばせている親にとっては、絶対に信じられない事ですよね〜ぇ??

教えても有難味を感じなければ、ね〜ぇ??

ヨージーの法則:
「苦労をして得たものは、どんな些細なものであっても大きな価値があり、苦労しないで自然に身に付いたものに対しては、殆どその価値を誰も感じない」
・・・という事なのですよ。

蛇足:
絶対音感を持っている事で天狗になっている音大生がいたので、「では、キラキラ星を私の伴奏で歌って見てください。」とPianoで伴奏をしました。
ハ長調で歌ったのですが、2小節として、歌えませんでしたとサ。※3)

※3)世界ではありとあらゆる記憶をする方法はあるのだが、忘れるためのmethodeは無い・・という事から、私の記憶法の原理が編み出されました。
同様に、正しい絶対音感を如何にすると、狂わす事が出来るのか??・・という考察をして・・・そこから編み出されたのが教室で誰もが気が付かない間に指導されている絶対音感の訓練法なのです。

ただ、絶対音感の原理をそのままで使用してしまっては、非常に習得する事が難しくなるので、それを非常に簡単に身に付くように、色々とmethodeで改良したのが、現在の芦塚methodeなのです。
(どうするの??って・・それは論文を参照してください。簡単にその原理を説明する事は、難しいのでね!)

(それから何故、このchaconneの編曲のお話に飛ぶのか・・の関連性を説明するのが面倒くさいので、絶対音感の勉強の一貫として・・Pianoの伴奏譜を作成しているのだ・・とご理解ください。)

沢山のVitaliのchaconneのPiano伴奏譜の譜面が出版されていますが、Charlier版を始めとして、基本的にはDavid版を踏襲していて、今回のorchestra-versionのGuerrini版のPiano譜は勿論、出版されていません。
ちなみに、arrangerのGuido Guerrini さんは(1890-1965) An Italian composer, conductor and critic, Guerrini studied with both Torchi and Busoni at the Bologna Liceo Musicale, going on to direct the Florence Conservatory (1928?47), the Bologna Conservatory ぐらいしか資料がありません。

教室の作業の中には、オケ合わせの練習のために、伴奏譜を作る・・という作業は含まれていないので、私の作業の時間には組み込まれないので、暇に任せての作業になります。(楽譜が出版されていないという事は、まあ、当然、と言えば当然なのですが・・)という事で、折に触れて、時間がある時には、1小節、また、次の仕事との合間には、他の1小節と、気長にarrangeをしています。
(私が待たされる事が大嫌いなのは、その待たされている時間に幾つかの仕事が熟せるからなのです。30分も待たされれば、一つ2つの仕事は終わらせる事が出来ます。)

これは、単純作業に過ぎないので、結構finaleの入力の勉強になるので、本当は生徒達にやって欲しいのですがね。(昔は、智子ちゃんや美帆ちゃん達が中学生の頃には、Stamitzや他のCembalo-part等を作ったりしていたのですがね??)それも、「今や昔」の話になってしまいました。

それはそうと、検見川教室で部屋の模様替えをしている最中に、楽器の移動のために集めていたcelloのendpinで足を怪我してしまいました。
勿論、endpinには、capはしていたので、普通の人なら怪我はしないし、何も無いはずなのですが、糖尿病のために足のふくらはぎの部分が完熟トマトの薄皮のように薄くなっていて、プリがおねだりで前足でチョッとふくらはぎを引っ掻いただけでも、血が出てしまうのですよ。
そして、超痛くて、しかも、治りにくいのです。
深夜、ハイツに戻って大汗をshowerで流したかったのですが、足の傷が痛くて、髪を洗う事も出来ませんでした。
一晩寝て、次の日の朝になっても、その傷跡は痛んでします。
糖尿病の場合には、痛みは継続するのですよ。????



照明を取り付けるadapterが無かったのと、video-cameraを取り付けるadapterの蝶ネジが紛失していたので、ハイツで壊れたPartsから残しておいた蝶ネジがあったので、取り付けて見たらぴったりでした。つまり、規格品なので、大概は合うのですよ!! cameraの3脚に取り付けるadapterのネジが8_以下のを探したら、そういうadapterがあったので、それを検見川教室行きにして、video-cameraの取り付けadapterと一緒に日曜日に持って行く事にします。壊れたPartsでも、使える物は保存しておくと、camera-adapterの部品は売っていないので、書い直しになると、数千円の出費になります。殆ど企画なので、もしものときには便利です。でも、何に使うPartsなのかが分からないと、保存しても無駄かもね??


後は、spotlightを回すネジが超熱くなって、火傷をするので、それを改造するのですが、未だ良いbestな解決法が思い付きません。(後日、私が、ネジに被せるアルミのカバーを作って、この問題は解決済みです。)




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6月5日 ・

「個人情報の保護について」

教室を作って間もない頃は、生徒が全国から集まって来ていて、発表会等も色々な地方からの生徒さん達が多数出演していました。
そのために、一人ひとりの生徒さんが、折角遠方から通って来ているので、その労苦に報いるために「何処の地方からの参加者か?」という事が分かるように、という意味で、programには学校名を載せていました。

個人情報の保護が叫ばれるようになって、学校名の掲載に難色を示す保護者の方が居たので、ご希望通りに、学校名は掲載しない事にして、programは年齢別なので、学年だけを掲載するようにしました。

その頃には、地方の生徒さんの数は減ってしまったので、地方の出演者は、四日市からの生徒さんと東京地区からの生徒さんだけになったので、敢えて、学校名を記して、地方から参加・・という事をappealする必要もなくなった・・という理由もあります。

programに演奏者の実名を掲載するか否かのお話ですが、教室の規約は大手企業の音楽教室の規約に準拠しています。
お役所との関係も、大手企業がやっていて、大小に関わらない日本全国の音楽教室のstandard(基準)になっているからです。


日本の大手企業の音楽教室の発表会でも、programには、個人名だけは載せているようなので、一般に公開するhomepage上に掲載するprogramでは、演奏者の個人名は削除しておきましたが、会場に持って行く、program等には大手企業に倣って、名前を掲載しています。
蛇足ですが※1)

※1)未だ、個人情報の保護が叫ばれていなかった頃のお話なのですが、私が最初の楽譜を出版をする時に、出版社との契約で自分の公開する名前を登録する時に、「ペンネームを使用するか??」と尋ねられました。

小説家等の出版関係はペンネームが、結構普通なのですが、音楽家の場合には、世界standardでも、ペンネームで出版する事は基本的にはありません。
演奏家でも、pen nameの人は基本的にいません。
逆に俳優さん、talentさんの場合には、本名の人の方が少ないようですよね・・??
pen nameを使用するか、本名で活動するかはgenreに因って、大きく異なるようです。


という事で、「私は音楽家なので、それは無いかな??」という事で、ペンネームの登録はしませんでした。
音楽家の人でペンネームの人は聞いた事がないのですが、時々、人の名前で作曲をする人もいますが、実在した作曲家の名前を使用する事は、・・それはpen nameとは言いませんよね??
KreislerのPugnaniは、pen nameではなく、(見做しの)偽作ですよ!!
CacciniのAve Mariaも同様に偽作です。

教室の姿勢としては、音楽を目指す生徒と対外出演に関しては、公的な活動なので、名前や顔を覚えて貰ってなんぼの世界なので、一人でも多くのfanを作るために、名前は公表しています。
それは「proになるかならないか?」・・という事とは、関係無く、子供達が将来の音楽活動をして行く上で、fanを作れるか否かは、その子供達の成長に直結するのでね??
そういった教育的な意味もあります。

祖母は、「政治家で弁護士でもある夫」の妻であったので、「例え、社会に叩かれたとしても、名前が出るという事は、人に名前を覚えて貰えるので、有り難い事で、時が経つと、それは絶対に役に立つのだよ!!」と、公的な活動をする人のあるべき姿勢を教えてくれました。
「誰かに厳しく公的に批判されたとしても、凹んではいけない」・・との厳しい戒めです。
批判も3年後には、自分の利益になる・・という事なのですが、一時期、マスコミで叩かれていた政治家が、マスコミで人気者として活躍をしているの見ると、祖母の話が、改めて、「正しい覚えて貰える事の重要性」を確信する事が出来ます。

しかし、「音楽を趣味にしている一般の人達は、音楽で個人情報が流出する事は望まないのでは??」・・という事にも配慮して、You Tube等にuploadする人達の人選は、原則として対外出演の人を中心に教室の活動としてuploadをしています。

その配慮が、逆に、教室の宣伝のために、「上手な生徒だけをpickupしてYou Tube等にuploadしている」・・と思われている方達も多いようですが、教室で生徒を集めるためには、「上手な生徒達の演奏」をappealするよりも、「小さな可愛い子供達」を優先してuploadした方が生徒は集まるのですよ。

中、高生達の演奏でも、「上手な生徒達の演奏」では、「あの教室は、とんでもない厳しいスパルタ教育の教室で、特別な生徒だけを募集している教室だ!!」「厳しい先生のlessonで、親も子供も泣きながら教室の指導について行っているのだ!」と思われてしまって、逆に生徒は集まらなくなってしまうのですよ。
世間一般では、「音楽大学に進もう。」と思ったら、小学4,5年生から、「学校の勉強は諦めて、音楽の勉強に邁進しなければならない」・・とされています。「毎日、最低でも4時間の練習を、1年中、全く休まないで、練習を続けないといけない」とサれます。これは一般の音楽大学のお話なので、芸大ともなると、「小学校に入る前から、巷の音楽教室の先生ではなく、芸大の先生に付いて毎日休み無く、音楽の練習を続けなければならない」とされます。
芸大や桐朋に進学するには、中、高の進学のために塾に行った途端に、芸大や桐朋の先生達からは、「音楽への進学を諦めた」と見做されてしまいます。
教室のように、高校の1,2年生になってから、「音楽大学に進みたい!」という話は現実的には無いのですよ!!
それでも、生徒達が夢を叶えて音楽大学に進学するのは、芸大や桐朋の先生達のように、言う事を守らなかったから、生徒を追放出来る・・というような事は、巷の音楽教室としては出来ないから・・なのですよ。

教室の経営としてのみ考えるのならば、一番上手な高校生ぐらいのlevelの生徒が、せいぜい、Chopinの子犬のワルツぐらいで、可愛い小学生の子供達がクシコス・ポストや、乙女の祈りの「発表会レパートリー」を弾くぐらいの教室が、一番生徒が集まるのですよ。
基本はコンビニと同じ考え方なのですよ。
教室では、popularや発表会repertoryは原則認めていないのでね?? そこも、変ですよね??

行列の出来るお店で、本当に美味しいお店はありません。
本当に一流のお店は一見さんはお断りのはずで、味の分かる限られたお客様だけを対象にしているのですからね??

対外出演が個人情報に当たらないのは、音楽が趣味であるか否かに関わらず、活動が公的な活動だからです。
ホールで大人数の前で演奏するのならば、そこに個人情報はありません。ホールで演奏する事自体が、個人情報の流失に当るからです。当たり前の話ですよね?

個人情報の保護が叫ばれるようになった頃は、未だパソコンもそれほど普及しておらず、その当時は、或る程度の保護は意味はあったと思いますが、現在は、個人情報の流出は、You Tube等の動画からや、Facebookやhomepageから流失するよりも、寧ろ、普段のnetでの買い物、所謂、通販等の買い物で書き込んだdata等が流出する場合の方が多いようです。(通販で買い物をする時に書き込む個人情報は、家族構成や所得、会社関係等々、非常に多くの個人情報が含まれているので、非常に高く売買されています。)
大手企業では、毎週のように、securityの強化を言って来ますが、パソコンが一般に普及するに連れて、securityを破る技術も向上しているので、今現在は、殆ど、dataの保護は無理な状態です。

個人情報は、私のようなパソコンのズブの素人でも、名前さえ分かれば、netで、或る程度の情報は手に入れる事は出来ます。
勿論、名前が分からなくても、顔さえ分かればその人の事を検索するのは容易です。
「では、netに名前を出さなければ良いのでは??」と思われるかもしれませんが、同じ小学校の誰かが、netに自分の友だちの名前を書き込めば、それで個人情報は流失します。
その最たるものが、小、中、高校生達がよく使用している「line」です。lineとFacebookのsecurityの脆弱性は、国家levelで問題になっていますよね。

だから、50年振りぐらいで、高校生の友人達から突然の連絡があったりします。
「何故、音楽大学の学友ではないの??」って、言われても、同業者なので、関係が切れる事は無いのでね??

学校のお友達等に、とやかく言われるのが嫌なら、音楽家は無理ですね。
どの世界でも人の上に立つ人は名前を覚えて貰ってなんぼの世界なのでね??
とは言っても、これは意識のお話であって、実際の個人情報の流失とは関係ありません。You Tubeにuploadをした事がなかろうが、Facebookやlineを持っていなかったとしても、個人情報は、関係なく流失します。だって、あなた達が一度もaccessした事のない業者から、direct-mailは届きませんか??子供が小学校の入学直前には、学生服や学校カバンのdirect-mailが来ませんか??もし、来るのならば、あなたの個人情報は既に売買されていて、流失してそれを抹消する事は出来ないのですよ。

まあ、そう言った意味でも、既にFacebookを持っている人は、個人情報はあってないようなものなので、そこで個人情報云々を言う事は、現実的には論外なのですがね??
未だに、direct-mailの1通も来ない・・という竹林山の住人ならば、必死に個人情報の流失を危惧しても良いとは思いますがね。

お友達と撮影した顔写真をFacebookやhomepageにuploadする時の個人情報保護という意味でのmaskingのお話しなのですが、発表会での集合写真や、お友達と遊びに行った時の写真等をuploadする場合に、自分の家族の顔以外のお友達の顔写真にニコニコマークを被せる事が一般的常識になっているようですが、私はあまり好きではないので、maskingが必要な場合には、私は原則として、Facebook等の公開のsiteに写真をupする事は控えています。

教室としての姿勢としても、以前は教室に入会される時に、You Tube等に発表会や対外出演のお話をして、動画をuploadしても良いか否かを、一人ひとりに選択をして貰っていましたが、実際に、教室の活動を一般公開する時に、私が、一人ひとりの条件を把握するのはとても無理だし、それを調べる手間も面倒くさいので、発表会に出演する人で、教室に入会して間もない人達や、対外出演に参加しない人達の動画は、Facebookにもhomepageにも掲載しないようにしています。

その事が理由で、誤解を招いてしまって、特別に上手な生徒達だけをYou Tube等でappealしているように思われてしまっているのですが、近頃では、Facebook等で家族の写真を公開している家族も多いので、小さな子供さんの場合にも、個別に保護者の許可を受けて発表会等の画像を公開している場合もあります。
(あくまでも、例外的な話なのですがね。)

或る程度、保護者の方達と、お話する機会があって、その家庭の個人情報への姿勢が分かれば、動画を公開する事が可能か否か・・の家族の姿勢も分かるのでね??

但し、初心者や入会間もない人でも、orchestraや室内楽の参加者は、集団活動なので、You Tube等へのuploadの可能性を条件にして、それを構わない人達だけ参加して貰っています。

教室の発表会ならば、まだしもですが、八千代の場合や自治会館の場合等は、市や区の主催であって、教室の主催ではないので、情報公開に関する権利は教室にはありません。
そこの違いはしっかりと理解して頂く必要があります。
対外出演の場合には、対外出演に出演するための条件として、署名を頂いています。
それは、市や区がuploadしたものを、教室が個々の家族の理由で、市や区に対して、削除要請は出来ないからです。

逆に、市や区の場合には、「お客様の顔が写り込まないように注意をするように」と厳しく言われています。
教室としては、原則として、後ろ姿だけを映すように気をつけています。対外出演に出演してその写真をupする場合には、その条項を注意してください。※)

※)自治会館コンサートの時に、orchestraの演奏者達に、冗談で、ニコニコmaskの代わりに、「Venetian maskを冠って演奏をしようかな??」と思ったのですが、先生達に、即、却下されてしまいました。(集合写真で、maskを付けて・・とも思ったのですが、それも却下されてしまいました。)

※)自治会館コンサートも、花見川区の自治会の主催なので、教室の主催ではありません。(おさらい会やクリスマス会は自治会館で演奏したとしても、教室の主催です。)

公的な市や区の主催の場合には、市や区は、演奏に掛かる必要経費は払ってくれないので、教室の「持ち出し」になります。
ですから、私としては、対外出演は積極的にやりたいのだけど、先生達の機嫌は良くないのだけどね??それに、学校との兼ね合いがいつも問題になるのだけど、対外出演の場合は、発表会とは違うので、兼ね合いは無いはずなのですがね。そこら辺が、巷の音楽教室の弱点なのですがね。

それにしても、Venetian maskは、顔を隠すには、ニコニコマークよりも、お洒落でいいと思ったのだけどね??
3枚目のmaskは、anonymous(=不詳)と言って、実在の人物の顔からのmaskらしいのですが、「子供達が怖がるからダメだ!!」と言われてしまいました。※)アハッ!
※)anonymousは、作曲者不詳の場合に、作曲者の名前の所にanonymousと書かれていて、anonymousという作曲家が居るのか?と思い込んでいる音大生が居て困る事があります。
今は、anonymousという世界的なhacker集団がいて、cyber-terrorをやったり、逆にcyber-terrorを未然に防いだりして、大分有名になってきましたがね。



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6月5日 ・

「糖尿病外来への紹介状」

日曜日に大汗をかいたので、風呂か、せめてシャワーでも浴びたいのだが、火曜日の今日になっても、日曜日に怪我をした完熟トマトの破れた薄皮が治らない?

頑張って、アットノンを塗り巻くっているのだが、飛び上がる程痛い?
右足だけを風呂桶に入れて、体の左半分だけシャワーを浴びてみてはいるのだが、やはり、体全体を洗っている分けではないので、体の気持ち悪さは治らない?

勿論、シャワー用の傷口の上から貼るシールも持っているのだが、抉れている傷口の周りの皮も、完熟トマトの薄皮のようになっているので、シールを貼る事が出来ないのだよ????

昨日の月曜日に、糖尿外来への紹介状を貰って来る予定だったのだが、routineの月曜日なので、寝込んでしまったので、今日(火曜日)は頑張って、病院に紹介状を貰いに行った次いでに、日用品の買い出しをした。
荷物が思ったよりも重くって、食料品の買い出し迄は出来なかったし、ハイツに戻って来る頃には、すっかりと疲れてしまって、メゲてしまった?


今日は、ふくらはぎの薄皮だけではなく、足の甲もパンパンに膨れ上がっている?
これは、明らかに、血糖の症状だよなぁ?

肥満糖尿の外来の受付は、月曜日の午後か、水曜日の午前なのだが、夜は眠れない事の方が多いので、午前中の予約は酷しい?

しかし、月曜日は、日曜日のオケ練習の次の日になるので、日曜日の夜は、就寝が遅いし、月曜日の朝は、疲れ切って起きれない事の方が多い。
月曜日の外来は午後なのだけど、その時間に行けるのかは問題だよな?

今の病院は、起きて体調が良い日時に行けるので、時間や体調のpressureはないのだが、いつまでも効かない薬を、新しい薬に変えてくれないので、あまり診察を受けに行く意味がないのだよな〜ぁ????


取り敢えずは、今回は牧野先生が外来の予約を紹介状を貰って来るよりも、先に取っててくれたので、取り敢えずは頑張って光が丘迄、行かねばならぬのだ?
またまた、pressureになりそうだな??



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6月7日

「お誕生日会」

火曜日は、斉藤先生は千葉泊なので水曜日に振り替えてのお誕生日会です。パエリアと牛とトンと蟹とエビのしゃぶしゃぶが、mainの食事と手作りのフルーツケーキと、シャンパンですが、私はバイクなので、オールフリーでお付き合いです?




















      



ん?ドルちゃんの誕生日みたいな写真ばっかり。

2日遅れましたが…
お誕生日おめでとうございます?


ありがとうございます?またまた一年、全力で頑張ります?




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6月7日 ・

「ボンボン時計」

今日も、朝から、意識混濁状態で何度も寝直ししています?
12時40分に目が覚めて、「今度こそ、起きて仕事をしよう?」と思ったのだけど、やはり強烈な睡魔に襲われて、ベッドに潜り込んで、寝てしまいました?
「・・・う〜ん、またまた、同じ話を・・」、「alzheimerでは無いのかな??」・・と、疑われてしまいそうですよね??
でも、チョッとの新展開が・・・

小一時間程寝て、目が覚めて時計を見ると、なんとまだまだ、12時40分です?
時計の振り子はちゃんと動いているのですがね???
寝ている間に、timeslipでもしたのかな?
そういうドラマがあるのはよく見受けるけれど・・・??
(ボンボン時計なのですが、音はうるさいので、切っています。)

「とうとう、痴呆が始まったのかな?」…と、他の懐中時計を見ると、ちゃんと、2時40分で、時間は二時間も過ぎていました?

振り子は未だ動いているので、この時計は、振り子と針の乾電池が別々のtypeだったのかな? ・・・と思ったのだけど、私は、「単1電池一個だったよな??」・・と記憶しているのだが…?  ・・・(その後、・・・電池交換の時に、確認したのですが、やはり乾電池は単1電池一個でした!! ・・・・振り子を動かす方が、針を動かすよりも、energyが少なくて済むのかいな??
それは、驚きだよな??)

乾電池の交換は、脚立で、時計を壁から下ろしてするのだが、脚立の上に立つのは、体調を見なければ、ふらふらとしてしまうので、気にはなるのだが、体が動くようになるまで待つ事にしよう。
今すぐに電池の交換をするのは、危険だから、止めておこう?

後日談…というか、後時談というか(そういう言葉があれば・・)、2、3時間後の話しなのですが、やはり、時計が動いていないと、気になってしまうので、「さっさと片付けた方が良い」・・という事で、そのまま放置しておく事は諦めて、夕方の4時頃には、脚立に乗って、電池を入れ替えました?(勿論、steel・rackに捉まりながら、ですがね?)
今は、時計はちゃんと時間通りに動いています。





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昨日(6月の8日)は、椎名町のlesson室を大改造しました。
超、狭いlesson室なのですが、私のlessonの時には、4人も詰め込まれて、そのギュウギュウ状態でlessonをしなければならない・・時がよくあります。

それに、lesson室がcelloやviolinの楽器置き場になってきてしまい、狭い上に更にlessonをする場所がなくなって来ています。

...

私が、「2階に楽器を置いたら・・」と文句を言ったら、空調や、利便性という理由で、「1階が良い!!」と却下されてしまいました。人が居ないと、2階の部屋は結構熱くなるようですが、それはハイツも変わらんよね??(ハイツにはbaroque-violinやbaroque-violaがあるし、大型のCembaloもあるのでね・・・??まあ、二階からの階段でcelloを移動するのが面倒くさいのが本音でしょうがね・・??

・・という事で、業務用の大きなsteel-rackを買って、celloやviolin、guitarやKeyboard等、所狭しと置いてある楽器類を、整理しました。

次に、江古田教室の時には、結構活用していたのですが、椎名町に持って来てからは、殆ど使用していないままに、物置状態になっているwriting-bureau(ライティング・ビューロー)を、斉藤先生のweb-lesson用とlesson用のdeskとして、明け渡す事にして、それまでの小さなdisc(電話台)は、子供達の勉強机として使用する事にして、writing-bureauと、digital-Cembaloとwriting-bureauの場所の大移動をして、部屋のlesson-Spaceが少しでも広くなるように、整理をしました。

しかし、bureauに入ったままになっていたfileや書類の整理は、とても一日では出来ないので、acrylic(アクリル)製の折畳式のcontainer(コンテナ・・そういう商品名なのですが)に、取り敢えず詰め込んで、後で気長に整理していきます。

幾ら整理を上手にしたとしても、部屋が広くなる分けではないので、所詮は限界があります。

中古Piano専用の倉庫で見つけて来たretroな日本製のupright-Pianoも部屋の真ん中にドデンと置ければ、左側に先生が座れるので、lessonには頗る都合が良いのですが、兎小屋の日本の家屋で、Pianoを置く位置は自ずから決まってしまうので、如何ともし難いのですよ。
東京では特にね??
部屋全体の写真が無かったので追加しました。



    



生徒から模様替えする以前はどうだったの??」と聞かれたので、以前の写真を1枚だけupしておきます。

wide専用のデジカメで撮影しているので、結構広く見えますが、これはwide写真のせいです。


実際に人が入ると次のようになります。







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昨日の日曜日(6月の10日)は、オケ練習でした。(などと言ったら、変わり映えしないように思われるのだけど、)先週の日曜日に検見川教室のお部屋の模様替えをしたので、掃除機やwhiteboard、その他の小物類を時間切れで、整理をしないままに、「出しっ放し」の状態で帰ってしまったのですよ。

当然、そのツケはオケ練習にそのまま、跳ね返って来ます。最初のオケ練習のcello-concertoの練習時間の30分以上が、そのまま後片付けに費やされてしまって、30分遅れで練習が開始してしまったのですよ。
勿論、出しっ放しの整理で、30分遅れになった分けではありません。何時もの事なのですが、楽器を出して、譜面を出して、椅子を出して、譜面台を組み立てて・・・の作業をするのに、お喋りをしながらでも、良いけれど、ちゃんと平行で作業が出来るようになると、良いのですが、お喋りをしている時には、準備が止まってしまうのですよ。まあ、今回は2週間振りだったので、子供達にとっては、久し振り・・という感覚だったようなので、ついついお喋りが・・過ぎてしまったようです。

...

それにしても、オケ練習はいつの頃からか、時間(お迎え)優先になったので、お喋りで時間が遅れたとしても、練習時間を延ばす事は出来ません。
今日は、chaconneのsoloの子がお休みだったので、これ幸いにchaconneのorchestraのpartの練習に全力を掛けるつもりだったのですが、お迎えを30分、待たせても最後の曲であるchaconneは半分迄しか、出来ませんでした。

曲の水準に対して、純性の和音の響きを聴く練習や、part間で音を繋げて演奏する・・とかいう、基本的な練習がこのgroupは未だ出来ていないのだけど(まあ、音大生を含めてもその練習が出来るとは思わないけれど・・)、以前の、八千代組の子供達は、その基礎の練習に多くの時間を割いて、練習をしたので、八千代のコンサートの時には中々の出来ですた。
その当時に、chaconneのために作った和音練習表等を今回の練習でも、生徒達に渡して、ちゃんと、和音の感覚を身に付けるように練習させよう・・と思っていたのですが、楽譜の準備が出来ていなかったようで、純正の和音の練習は、次回送りになってしまいました。
chaconneを今回練習すると「曲決め」をした段階で、和音練習の楽譜を渡すように、注意していたのだけど、後へ後へと、後回しになってしまうのですよね。
困った事だ!!
(昔のgroupは練習優先だったので、終わりの時間はあるようでなかったのですが、)今のgroupは、年齢層が低いので、お迎えは優先になってしまっているので、練習が間に合わなかろうと、時間で切り上げてしまいます。

という事で、台風の大雨の中を7時に切り上げました。
練習が上手く行かなかった時は、基本的に超バテてしまうのですが、大雨の中を睡魔と戦いながら、椎名町に戻って、しかも、プリドルっ歩に頑張って出掛けました。
しかし、肝心のプリドル達が、散歩をする気分ではないようで、半分も歩かない状態で切り上げてしまいました。(私達が・・ではなく、プリドルが・・です。)
まあ、お蔭で助かったけれど・・・ね?

さて、今日は、恐怖の肥満糖尿内科のsecond opinionの日です。
台風はそれたようなのですが、バイクで病院迄行くには微妙な天気です。
という事は電車で取り敢えず、光が丘迄行って、それから更に、歩いて行かなければならないので、憂鬱が又、一層増して来ます。
前回、光が丘の病院が日大病院だった頃には、検査に行ってそのまま、入院していた事もあったのだけど、歩いて行った記憶は無いのだよな??行きゃあ、思い出すかな??
アハッ!

Vitali=Guerrini版のPiano譜へのarrangeと平行して、Veraciniのpassacagliaのorchestration(以前、Veracini-Lupi版が、余りにも酷かったので、全面改訂をしましたが、Lupi版は、originalの曲の1/3程度をpickupしてarrangeしてありました。曲の長さ的には、丁度良い長さかもしれませんが、曲的には中途半端なので、)全曲版のorchestrationに挑戦し始めました。

という事で、朝起きたら、毎日、小一時間ぐらいは、Veraciniのorchestrationに挑戦しています。
(勿論、平行でVitali=Guerrini版のPiano譜へのarrangeも・・ですが)

それと平行でお昼からは、光が丘まで、病院にsecond opinionに行って、帰り道で、眼鏡屋に眼鏡を取りに行って、車の半年点検に出して・・それから・・
後はmemo帳を見ないと忘れた・・・ぞな??




朝は大急ぎで風呂に入って、台風の中を電車で光が丘迄行きました。
西武線から、練馬で大江戸線に乗り換えて、光が丘に着いたら、病院迄、階段のup-downの繰り返しです。体調不良で、しかも老人の私には過酷な行程です。
大雨は、すっかりと霧雨になっていたので、傘をさしていても、何も役には立たなくって、病院に付くまでにはずぶ濡れになってしまいました。
食事をしないままに、出発したので、30分ぐらいのゆとりの時間を考えて出発したので、光が丘で食事をする予定だったのですが、以前、入院していた頃とは大違いで、大きなスーパーが2つも入っている商業ビルが立っていました。
そのビルの中に、リンガーハットを見つけたので、早速、皿うどんを注文したのですが、従業員の手順が悪くて30分の間、20分も待たされて、10分間で食べなければなりませんでした。口の中を火傷してしまったよ!!

それでも、何とか時間直前に受付を出来て、時間の3時半には診察を受ける事が出来たのですが、薬でbalanceを取るのは、難しいという事で、丁寧にdietの説明を1時間以上の説明して貰いました。

肥満糖尿病内科の院長先生からは、実に丁寧にdiet法の説明をして貰いました。
しかし、33歳ぐらいから太り始めて、病院長の説明の、その全部の方法を既に、実践した事があるのだけどね??
その一つひとつが、何故私には合わなかった事をちゃんと説明出来るのですが、そこの所は、院長先生も理解出来ているようなので、それに対しての不満はありませんがね。
(これ迄の、色々な病院での診察では、色々と私に質問をして来て、《「10日間ぐらいの間で、口に入ったもの総てを書き出せ!!」という課題があった時には、面倒くさいので、デジカメに全部撮影して、print outして持って行きました。》一応に言う答えは、「これだけ注意深くcontrolしているのなら、すぐに痩せますよ!!」という答えが帰って来るのですが、それで痩せた事は無いのだよな?)

今回は、院長先生が「この数値は笑える!」と仰られた血糖の数値だけにTargetを絞って、未だ前の病院での処方薬が3週間分残っているので、それを飲み切る迄、注射だけで、対応する事になりました。
(インスリンは、副作用として太るので、私には禁忌だそうなので、別の薬です。)
「注射は怖い!」と冗談を言ったら、看護師さんが「そうですよね?」と相槌を打ってくれました。アハッ!

帰り道にup-downの地下鉄の階段を頑張って、上り下りして、池袋迄直行して、眼鏡屋に行ったのですが、7時半だというのに、もうシャッターが降りていて、無駄足、無駄骨になってしまいました。

一度、ハイツに戻ってVeraciniのpassacagliaのorchestrationを少し手直しをして、プリドルっ歩のために、改めて椎名町迄バイクで出掛けました。
いや〜あ、よく歩いた!!
大汗ぐっしょりです。





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2018年6月11日

「教わる・・という事 その1」

英語が小学生から義務教育になるようですが、私達も中学生の時から大学生の歳まで、10年間も学校で学んでいるのですが、片言も話せない人の方が多いのではないでしょうかね??
実は、そういうこの私も、英語は全く話せません。

...

しかし、東南アジアの国では、学校というのは名ばかりで、土の上に座って、机さえ無くって、授業を受けている国が多いのですが、小学3,4年生の子供達が、3ヶ月もすると、普通に会話が出来るようになるのですよ。
日本では、教育というと、箱物ばかりを考えるようですが、黒板すらない、掘っ立て小屋の壁すら無い、教室で、1,2ヶ月もすると、片言で英語での会話が出来るようになるのは驚きです。

とは言っても、私達でも、2,3週間も、海外で生活をすると、片言の日常生活での買い物ぐらいは出来るようになります。
頗る、当たり前の事なのですが、学校では、その当たり前が当たり前ではないようですよね??
10年も学んでいるのに、何で片言も喋れないのかな?
そっちの方が、よっぽど不思議だよな?

これから、大学に進学しようとする人や、会社で働こうとする人達にとっては、日本語での授業や、会社での、仕事も行わない所が増えて来ているようですよ!!

私も音楽大学に入学して、トップの成績で入学した生徒だけは、1年生の時から外国人の客員教授に師事する事が出来、私も名誉教授のPringsheim先生に師事をする事になったのですが、その当時、Pringsheim先生は既に、日本に30年近く住んでいらしたのですが、全く片言の日本語も出来ませんでした。

素晴らしい?30年も日本に住んでいて・・・
音楽をなりわいにしていると、周りの人達は、必ず外国語は喋れるので、何の不都合もなかったのだそうです?

という事で、最初のlessonの時には「芦塚君、授業は英語、ドイツ語、フランス語のどれでやりますか??」と尋ねられて、「将来的には留学する予定なので、ドイツ語でお願いします。」と答えました。
それ以降授業だけではなく、日常の会話もPringsheim先生とはドイツ語で会話をする事になりました。
(外人教授の生徒は、相手の先生が何国人であろうと、殆どの生徒達は英語で会話をする事が主なので、私のドイツ語での会話は学校では例外中の例外になります。
勿論、Pringsheim先生もドイツ人なのでね・・)

高校生までは、当然一度もドイツ語を聞いた事はないので、入学してすぐにドイツ語でlessonを受けるというのは、冒険というよりは、無謀なお話なのですよ。

中学、高校の英語は兎も角としても、ドイツ語に至っては、確か大学でも、四年間、学んだはずなのですが、ドイツ語の授業があった・・という事すら覚えていません。
そんなもんよなぁ

そもそもこのお話は、「英語が出来ない!」と悩んでいる生徒が授業で、先生がとんでもない発音で問題の単語を発音した・・という所から、オケ練習の最中に生徒同士で炎上した話を聞いた事に端を発しています。

昔々、私が未だ大学生になったばかりの頃のお話ですが、従兄弟の家庭教師をしていた美人の英文科の女子大生の子から、外人のtouristのguideをするので、(bodyguardとして)着いて来て欲しい・・という事を頼まれました。
定型のguideは良かったのですが、touristとの会話になると、よく外人さんから「彼女、何を喋っているのだい??」と聞かれて、(英語の会話を私が・・!)通訳する事がよくありました。お喋りが上手過ぎて(流暢過ぎて)、聞き取れないのだそうです。
私の金釘流のお喋りの方が、よく聞き取れるのだそうです。
いや〜あ、ただ下手なだけなのだがね??
そう言えば、出版社の編集長にも、同じ事を言われたネ??
中学校の時に、始めて体験したお習字の時に、「やっと、字のようになってきましたね?」とおばあさん先生に言われた事があって、字には、しっかりとしたcomplexがあったのだけど、作家先生達の字は、達筆で、読み難いそうで、私の文字は、金釘流でも、人に対して書かれているので読み易いのだそうです。

桐朋のPiano科の主任教授の先生のお宅にお食事に呼ばれて言って、Pianoをorderで作る話になっていた時に、何気なくPianoを弾いていたら、「芦塚さんって、Piano下手だと思っていたら、本当は上手いのね?」と言われてしまいました。
それと同じ事は、音楽大学時代に芸大の教授のお宅にもお呼ばれした時に、全く同じ事を言われました。
音楽大学でPianoの先生をやっている時にも同僚の先生にも言われた事があります。
私にとっては、意味不明なのですがね??
下手に聴こえて、上手い・・ってどういう事??




自慢じゃないですけど私も学校で学んであろう文法やら何やらは忘れました
ただ、シンガポールに一年住んでいたので、リスニングは割と出来ます
アウトプットが出来ないので、私が英語を理解できないと思って周りで色々喋っていたりしますけど、結構解ってますよ?!?笑
というわけで、現在の状況も結構仕事にも役立つ(公然の盗み聞き!?)のです笑
んなこと言ってないでアウトプット出来るようになりたい=喋らなくては?

私は会話は勉強ではなく、単なる反射的行為だと理解しています。私の場合には、返す言葉は日本語でも出ないので、アウトプットは根底から諦めています。私の兄貴の場合には、日本語の場合には、訥々として、アウトプットはsmoothには出来ないのですが、英語だと超早く返って来ます。ありゃあ、絶対に頭の中は英語で考えているのだよね??


私の留学時代にお世話になった、ドイッチェ・ママですが、勿論、お説教でも、何でも、ドイツ語だったはずなのですが、今は、記憶の中では、日本語でお喋りをしています。これも不思議だ!!
勿論、Genzmer先生の授業も、今は日本語になっています。
私の留学時代にお世話になった、ドイッチェ・ママですが、勿論、お説教でも、何でも、ドイツ語だったはずなのですが、今は、記憶の中では、日本語でお喋りをしています。これも不思議だ!!
勿論、Genzmer先生の授業も、今は日本語になっています。



だって、日本人のあかちゃんも片言の日本語話せるんですしねぇ。
言語ってそういうことですよね



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2018年6月12日

「教わるという事 その2」

儒教の國では、「教わる」という事は、學ぶ(まねぶ)という事であり、copyをするという事なのです。
それは、生徒だけではなく、先生としても、然りなのです。
多くの生徒達を教育するには、多くの先生を教育しなければなりません。...
先生達を教育するにも、manual通りに教育する方がより効率的なのです。教育に情熱を持っていたとしても、教育の勉強をする事に情熱を持っているとは限らないからです。

多くの音大生達は(殆ど99.99%の音大生だとも言えますが・・)音楽の指導は、音楽大学迄に習った事で充分で、指導にmanualがある・・という事さえ、理解しようとはしません。その点では、学校の先生達と考え方は同じなのかな??

文盲率の高い国で、ある程度の教育水準をkeepするためには、生徒も先生も、ロボットのように、正確にmanualをcopyをすれば、ある程度の兵士を育成する事が出来るのです。
昔、日本の教育制度について、「型に嵌まった人間・・・」と、揶揄された事がありました。copy教育は多くの人口に対応する量産型の教育に他なりません。勿論、昔から、「型に嵌まらない教育」というのもありました。所謂、少数精鋭型の教育で、「寺子屋型の教育」に対して、「塾型の教育」とでも言うのでしょうかね??
或いは、職人型の教育法でもあります。

しかし、あまり優れた人材を育ててしまうと、逆に為政者の立場が危うくなってしまいます。
儒教の社会では、あまり優れた人材は、(出る釘は打たれるの喩え通りに)、周りの社会から、異端児として排除されてしまいます。(天子を守るための秘策とも言えます。)
ドングリのように、人と横並びに同じで、ほんのチョッとだけ、人よりも優れているぐらいが、一番良しとされるのです。

私がまだ、大学生の頃の、禅の本に京都の府長さんの文章が、掲載されていました。
京都にとても美味しい豆腐を作るお店がありました。しかし、豆腐作りの名人は、もう高齢なので、そのお爺さんに、京都の府長さんが、お弟子さんを、取るようにすすめました。しかしお爺さん、答えて曰く、「私は、何も隠してはいません?技術を学びたかったら、勝手に盗めばいいのです?
京都の府長さんは、お爺さんの答えに、すっかり、感服してしまいました。
「教わる」という教育に対しての「盗む」という教育です。
この「盗む」という学習法を地で行ったのは、彼の有名なHaydnです。彼は馬車屋の息子として産まれて、一回も優れた指導者に師事する事もなく、歴史のtopに迄登り詰めました。(homepage参照:)

私がよく、子供達へのお話として、引き合いにだす例は、料理教室の例です。
同じ材料で、同じ手順で料理を作ったとしても、一人ひとり、全く味が違います。
不思議な事に、同じレシピで作ったとしても、味が10人十色で、同じ味にはならないのですよ?
学校教育のようなcopy教育であっても、子供達の成績表のように、或る程度のlevelの差は仕方のない事とされます。
万年赤点の生徒が、一心不乱に勉強したとしても、topの生徒達のgroupに入れる事は稀です。
でも、勉強は総てダメでも、絵は非常に上手とか、体操には一目置く存在だとか・・人には何か優れた一面があります。
それを見つけ出すのも、教育者の役割なのですが、そこに配慮出来る先生はいません。
どうしても、目先の成績の事が目の前にちらついてしまうからです。

日本全国のlevelとして見ても、top-classの技術を持ちながらの生徒でも、学校教育的な普通の一般教科の平均的なlevelを求める・・という日本独自の社会通念の考え方は、傍目からは、非常にもったいないと思えるのですが、そこがドングリ国民の総意なのでしょうね??

芦塚メトードとしては、学校教育に関して、子供達に成績を上げさせる事は頗る簡単なのですが、音楽ではmethodeに(或る程度は)乗っているのに、学校の勉強になった途端に、学校式の勉強法になるのは、私には理解出来ません。

学校教育では、応用というのは習わないらしいので・・・ね??
人生は全て応用で出来ているのにね??




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2018年6月12日

「教わる・・という事について その3」

日本の教育用語には「手取り足取り」という言葉があります。
これが、教育上の最大の弊害になっているのですが、分かるかな??
つまり、手取り足取りでは、「自分の力で考える」という自主性が育たないのですよ。...
日本の儒教特有の、「足りるを知れ!」という言葉や、「夢を見極める」という事は、実際は、自分自身の可能性を自分で削ぐ(自分に限界を与える)事になります。
つまり、程々で満足する事は、その人にとっては幸せなのかも知れませんが、それは本当の幸せではありません。
そこの所の落とし所の違いが、その人の未来の違いを産み出すのかも知れませんね??

その2で書いた「盗む」という勉強法なのですが、「盗む」という言葉は感じの良い言葉ではありませんが、職人の世界では、昔々から使われている言葉なので仕方ありません。
この「盗む」という言葉は、その人にとっては、意識の高さを表す言葉では、「教わる」という受動的な勉強法よりも、数倍、積極的で、能率的で効果が良いのですよ。

「盗んで覚えた事」は、その積極性から、絶対に忘れないのですが、「教わった事」は、殆ど覚えてもいないし、内容を理解する事も出来ていません。当然、試験が終わると、綺麗サッパリと忘れてしまうのですよ。

以前、「回答を間違えるとお母さんに叱られるから」・・と言って、学校のテストの間違えた回答をゴムで消し消して、正しい答えを書き直して、バツをマルに書き換えている子供がいる・・というお話をしました。
確かに、結構怖いお母さんで、「まあ、いいか??」と思って放置していたのですが、ただ単に、厳しく叱る(怒鳴り散らす)だけだと思ったら、「食事抜き」という体罰も付いていたのですよ?

昔々、教室の生徒が、発表会でミスをすると、食事抜きと言われてしまう子供がいて、自分の出番が終わって、「これで晩御飯にありつける?」と、言っていたので、「冗談だ?」と、思っていたのですが、本当だったのですよ?
同じ話のように、思われるかもしれませんが、最初の例は学校のテストのお話で、小学生の女の子のお話です。二つ目のお話は中学生の男の子の話なのですよ??(驚き・・です。)

間違えた回答を消しゴムで消す・・という行為なのですが、ドイツ・・というか、ヨーロッパでは、小学生の時から、授業では鉛筆やシャープペンは使わせません。(シャープペンは日本独自の製品で、外国では売っていません?) 書いた文字を消さないように、必ず、ボールペンの黒で書かなければなりません。

ヨーロッパでは(というか、アメリカ等でも同じなので、外国では・・と、言った方が正解なのかもしれません。)間違いをとても大切にします。
間違えた所から、「何故、間違えたか??」という事を、研究させます。
子供達は、間違いの理由が分かると、二度と同じ間違いはしません。

しかも、多くの優れた発明品は、その間違いの実験から見つけ出されたものが多いのです。
間違いを正しく勉強する事もとても大切な勉強なのですよ。

子供が「間違えたか否か」を問題にする事は、本来ならば、点数主義の成績だけで子供の成長を評価する、という極めて良くない教育法であります?

出題された問題の意味を理解する事はなく、反射的に回答だけを、オウム返しに答える分けなので、答えの意味を理解している分けではないので、出題された問題の形がほんの少し変わっただけでも、もう答えられなくなってしまいます。

親は子供の成績が上がらない事を、ただ単に、勉強不足か、真面目に勉強していないのかと思ってしまうので、より勉強をするように要求して行きます?

子供は、「理解する」という勉強の意味を分かっていないので、その勉強が、学校の成績に反映して来る事はありません?
…というよりも、日本の学校教育そのものが、勉強の内容を、子供自身に対して、理解させる事はないので、致し方のない事ではありますがね?

教室でもオケ練習の時には、少しでも言葉を教えるように努めていますが、その時も、単に意味を説明するだけではなく、rootsの説明やその単語を使ってどういう単語が作れるかの指導もします。

教室のmethodeそのものも、Votti=Tourte以降の改悪された奏法ではなく、rootsでの、正しい奏法です。
同様に、Pianoの演奏法ならば、古典派の時代のforte-pianoの奏法に準拠しています。
rootsを知る事は、その演奏法の原理を知る事でもあり、正しい奏法を理解する事でもあります。




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2018年6月12日

やった〜あ!!
Veraciniのpassacagliaのoriginal-versionのorchestrationが終わった!!

取り敢えずのlayoutもやったけれど、それでも、55Pageにもなる。
曲が長大で、演奏人数も、それなりの技術も必要なので、教室で演奏出来る可能性は極めて少ないのだけど・・・生音で聴いてみたいな??...
もしも、教室の発表会で演奏するとなると、オケのが、何人ぐらい必要になるのかな?

弦5部が4,3,3,2、とOrganが最低人数かな?
それでも、1stは常時、soloがあるので、continuo-celloと2人は常に抜けるのだよな??
soliで抜けたら、3,3,2,2で、まあ、それでも何とかbalanceは良いのかな?

これからの作業は、楽譜上の「間違い探し」とミスのcheckです。
articulationの細かい指示がよく落ちるのですよ?
それに、finaleで演奏させるために、Metronomのtempoの設定を細かくやらなければならないし、celloにKontrabassを被せるか?・・という演奏指示の判断も結構大変です。

これ以上は、endlessの作業になってしまうので、取り敢えずは、finaleの作業をお終いにして、先ずは次の仕事をしなければなりません?
・・という事で、薬局迄、バイクを飛ばして、注射器を貰って、それからdirectに、事務所迄、更にバイクで行って、claimの付いたdiskのcheckをやる予定だったのですが、大雨でバイクを出すのは諦めて、池袋の外回りにしました。
池袋ならば、地下街なので、雨には濡れないので、池袋周りの雑用を先に片付ける事にしました?

昨日は、病院の診察が終わってから、光が丘から、頑張ってdirectに池袋迄行ったのですが、未だ7時半なのに、眼鏡屋のシャッターが閉まっていて、メガネを持って帰る事が出来なかった。

という事での、再challengeなのですが、大雨でバイクが出せないので、電車での池袋へ行きました。
な、な、な、なんと・・池袋に着いたら、雨は上がっているのですよ??
眼鏡屋で眼鏡の合わせをして、眼鏡屋を出ようとすると、今度はまた、大雨なのです。
つまり、台風性の雨という事かな??

・・という事で、今日の行程は、再度、池袋に行って、眼鏡を貰って来て、それから、ビックカメラに行って、江古田のハイツの毎朝の工事対策で、noisecancelerのイヤホンと、検見川教室のオケ練習を撮影するための、video-cameraからmonitorのテレビにつなぐ配線コードを買って、今は、お蕎麦の田中屋で、遅い朝食をしています?
「遅い」…とは言っても、もう、6時半だよな
幾ら何でも、朝食が夕方の6時半では、遅すぎるよな?

しかし、それでも、仕事は熟せていないのだよな??
未だ、薬局に薬を貰いに行っていないし、椎名町にclaimのdisc を取りに行ってもいない。
何がclaimなのか??checkをしてからの話なので、1日遅くなると、ズルズルと行き兼ね易いのです。

それに、明日の水曜日は、車の半年点検に出す予定だし、結構忙しいのだよ!!
不思議な事に、体調不良になって、「注射だ!!」と言いながら、毎日外回りをしているよ。

池袋に2日連チャンで行くのは、5,6年ブリになるのだよ。
ここ数年は、池袋に行く事自体、1年間で1,2回だったに過ぎなかったのに・・・ネ?? (この文章は、書いていたはずなのに、いつの間にか削除されてしまっていて、FacebookのPageには反映されていませんでした。おかしいなぁ〜??という事で編集履歴を見たら、一箇所に見つかりました。コピペしておきます。)



You Tubeの演奏は、16年4月3日 「passacaglia d fur Streichorchestra Veracini=Ashizuka-version」の発表会での演奏です。
最初は、私がMunchen時代に購入したorchestraへのarrange版でもあるLupi版の楽譜で演奏する予定だったのですが、arrangeが余りにもヘボい・・と言うか、ミスの音が多すぎるので、オケ練習が成り立たなくなってしまったので、已む無く全面改訂をしました。

曲としては、劇的で、強い音楽表現が必要な曲なのですが、演奏する人数が2,2,2,2,のKb.1とOrgan1の10名の編成で、余りにも音が弱わ過ぎるので、arrangeを更に変更して、少人数でも大きな音量が出るように編曲をしています。

これは教室の生徒の人数が減って、大orchestraの音量が出せなくなってしまって、Barberのadagioや、Pachelbelのchaconneの曲を演奏する時にも、同様な演奏人数の問題が起こってしまったので、orchestraとしては、音量的に、人数には辛いものがあるので、arrangeで、大きなorchestraと同じ音量に聴こえるように、編曲をしています。

・・という事で、全楽章のversionを今の人数で演奏するのは無理なので、教室の発表会のために、曲をarrangeをするのは無駄だ・・と言う事で、教室の生徒達が人数的にも、技術的にも、演奏するのは無理・・という事で、Veraciniの全楽章版のarrangeはずっと、保留にしていたのですが、何を思ったのか、突然、今回、全曲版のarrangeに挑戦し始めました。

勿論、教室で生徒達が演奏するのを、想定している分けではないので、かなり、大掛かりなarrangeになっています。
編成はQuartettのsoliのgroupと、弦5部とOrganのための編成です。

血糖値が悪化して来て、「何が何でも、second opinion」に行かなければならない・・という事で、ひかりヶ丘の病院に行く事になったので、・・そのpressureへの反動なのですよ。
アハッ!
少なくても、arrangeをしている時には、鬱では出来ないからね??

https://www.youtube.com/watch?v=mbl6Wy7LoSs





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車の点検
2018年6月13日

朝起きて、Veracciniのorchestrationとlayoutをして、1時頃に遅い朝食を食べて、バイクで薬局に注射器を貰いに行って、そのまま、椎名町で車をとって、トヨタに半年点検に出している所です?
点検の間だ、一時間程、お店で待つので、楽譜のcheckをする事にしています?
点検は、3時からの予約だったのたけど、2時50分には着いたのだけど、直ぐに、作業に入ってくれたので、その10分は早くなるのかな?

(否、時間通りの4時過ぎに終わりました。)




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まだ、トヨタで車の整備を待っている所です。
Veracciniのorchestrationを、しているのですが、soliとtuttiの対話がarticulationの単語で一々書き込むのが、超、七面倒臭くなってしまいました?
トヨタからハイツに戻ったら、baroque-concertoの形式に、scoreを直そうと思います?

という事で、ハイツに戻って、大急ぎで、Vivaldiのviolin-concertoと同様にsolo-violinとcontinuo-celloを独立させて、baroque-styleのTypische Musikalische Formen(基本的な音楽形式)として、書き直してみたのだが、やはり、soloとtuttiの対比が見にくい。

・・という事で、更に、Concerto Grossoの形式に直したのだが、それでも、チョッと違うよな??

ここ迄やったのなら、もう一度、challengeして、(「3度目の正直」という事で、)Quartett-concertoという、超、珍しい形式で書く事にした。

う〜ん!! これでどうだ!?

soloの譜面とorchestraのpartが同じ5線上で書かれている・・という見難さはなくなったので、・・・取り敢えずは、これで良し・・とするか??
限が無いもんね??







血糖の初注射をした。
おう!クラクラする!!
結構頭がボケる!! 
結構、顔に、クワ〜っと来るぞ!




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明日は排水管の工事で、朝の9時から夕方の4時迄、一切水回りが使えません。
1階の部屋のrenewal工事なのだけど、排水管が経年劣化で大変らしいので・・・
水周りが使えないという事は、生活に支障を来すのだが、「どうせい??」と言うのだよ??





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パソコンのFacebookのホームのPageが、下の写真の「Facebookへようこそ?」の画面にしかならなくて、「次へ」に行っても、お友達の検索画面になって、ホームの画面に戻る事はありません?
以前ならば、一度、ログアウトしてログインし直すと、何度かホームをclickすると、表示されるようになったのですが、今回は何をしても、ホームが開かなくなってしまった?

しかし、この不具合に関しては、もうこれまでにも、既に何回か、繰り返えし、起きている不具合なのだが、これまでは、先程の「ホームを何回も、クリックする」をすると直ったり、ログインのやり直しで直ったりして、最終的には、2,3日放ったらかししていると、何時の間にか戻って、直っている事が多かったのだが…? 今回は、何をしても、直らない?
それにしても、Facebook側として、何の対応もないのは、超、腹が立つよな?

...

windows10や、スマホなら、どちらかが正常な場合もあるので、正常な方のFacebookで、コメントを見たり、コメントの入力をしたり・・しているのだが、今回はwindows7だけでなく、windows10でも全く同じ状態だ?
私は携帯の入力は、超苦手で、普通の文章の入力ですら、儘ならないので、パソコンでの入力が出来ないのは、頗る迷惑である?

果てさて、次の日の6月14日になったら、やはり、ちゃんと直っている。
ただ単にbugなのかな??
それにしても、迷惑な事だよな??

・・・「直った!!」と思ったら、やっぱり直ぐにまた同じ状態になってしまった。
これで、windows7のFacebookは使えなくなってしまった。困った事だよ・・・windows10で編集しようと思ったのだが、10も、全く同じ状態だ?
唯一スマホだけが正常な状態なので、超時間の掛かるスマホで文字をシコシコと入力しているのだよ!!
腹が立つよな??
写真は開かなくなったホームの画面です。




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2,3日前には「30度超え」・・とか言っていたのに、連日寒くって、今日の夜のプリドルの散歩では、手がすっかりとかじかんでしまいました。
それも、バイクならば兎も角も、お散歩で…ですよ
散歩から帰って、手の悴(かじか)みを取るために、何とお湯で手を洗いました。
指先を温めるためにです?
寒いよ〜お??

...

またまた、Facebookが変な動きをしています。
今度は、このコメントが、ホームでは表示されなくて、真ん丸のストーリーの枠の中に表示されて、タップして開いても、一瞬でまた、真ん丸の枠の中に閉じてしまいます?
今までにない新しい動きなので、他の人達にはどの様に見えているのかな?
近頃のFacebookの不具合は、目に余るものがあります?

この所、余りにも寒い日が続いているので、夏用の薄手の羽毛の肌掛け布団を探したのですが、見つからないので、押入れの中を全部出して探して見たのですが、それでも、見つかりませんでした。
昨年の夏から、冬の布団に変えるまでは、その羽毛の肌掛け布団を掛けていたはずなのに、不思議な事です。(洗濯に出すために、事務所に持って行ったのかな?)
毎年、合いの時期には、いつも使用していた羽毛の布団なのですがね??2枚組で持っていたはずなのに、1枚も出て来ない??どうなっているのだ??

いや〜あ、今夜は、超、寒いので、真夏用の布製のタオルケットでは、凍えてしまいます?
しかし、冬用のふかふかの毛布は、もう、熱すぎるので、押入れに仕舞い込んでしまったしな?
押入れを引っ繰り返して、もう一度、毛布を出す気にはならないしな?(仕舞い込むのが一苦労なので?)

慌てて、薄手の羽毛布団を、ジャパネットの通販で注文したのだけど、布団が届く迄の2,3日は、凍えてしまうわな?
いや〜あ、超、寒い?
とてもタオルケット一枚では、今日は眠れそうにないぞ???

寝ようとベッドで試みたのだけど、体が段々と冷えて来て、足先も冷たくなってしまいました。
このままでは、眠れないだけでなく、風邪をひいてしまうかも知れない。
取り敢えずは、風呂にでも入って体を温めるか??
歳を取ってしまうと、もし、暖かい布団を被っていたとしても、自力では体を温める事が出来ないのですよ。
はてさて、どうしたもんか??・・・と考えてふと気が付いた!!
「なんだ、エアコンの暖房を点ければ、良いだけではないか??」「喉をやられるかな??」そうでなくても、今日は喉が腫れて痛いので、「風邪の兆候かな?」と思っている所なのだがね??
それでも眠れないよりは、ましか??



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ギャラリーの写真が
2018年6月16日

Facebookのcheckをしていたら、何と、ギャラリーの写真が3/4ぐらい吹っ飛んで無くなっている?
超shockだ?
以前、backupを取ろうと試みたのだが上手くいかないので、そのまま保留になったままにしていたのだよな?
いや〜あ、超shockだよなぁ?
今更なのだがね?

...

(2,3時間後の話なのですが・・・)
吹っ飛んで無くなってしまったと思っていたギャラリーの写真が、突然戻って来ました?
不可思議な事だけど、他の作業をしていたら、何と全部の写真が正常に戻って来たのです?
Facebookだけではなく、携帯も、怪しげな動きをしているので、なんとも信頼性がないよな?



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明日…というか、もう今日なのですが、突然、オケ練習の前に、lessonが入ったので、急遽、検見川教室でlessonをする事になりました?

12時5分前のlesson開始(なんで・・5分刻みなの・・??)なので、イトーヨーカ堂に寄って、夜食を買って行くと、ハイツ起床は8時、椎名町出発は9時半になってしまいます。
(オケ練習、室内楽の練習が終わってからでは、スーパーはもう閉まっているから、お店が開いている時間に買わないと夜食が食べれないからです。)

...

「このroutineは、極めて普通の時間だ!」と思われるかも知れませんが、この所は、深夜の作業が続いたので、ここの所、しばらくは、朝7時頃の入眠が続いているので、突然のroutineの変更になります。
という事で、またまた完徹になってしまいます。
流石に、この歳では、徹夜は超辛いのですがね?

なるべく、ほんの少しでも、眠るように、努力をしているのですが、突然のいきなりでは、rotationはおいそれとは変わりません。
それどころか、寝ようと努力をすればする程、pressureで更にまた更に、眠れなくなってしまうようです。

若い頃ならば、無理やりに寝なくても、(徹夜を決め込んでも・・)ある程度の無理は利いたのですがね?

なんて、書いている間だにも、どんどん眠る時間が少なくなって来てしまいます?

昨夜に引き続いて、今夜もエアコンの暖房を入れて寝ようと試みているのですが、昨夜と同じで足が凍り付くように冷えて、痺れています。

しかし、今夜は、昨夜のようにお湯を溜めて、温湯で足を温めるだけのEnergieはないので、なるべく体力を使わないで良いように、厚手の靴下を履いて寝る事にします。

何とか、時間ギリギリまで二時間ぐらいは眠れたので、何とか、時間ギリギリまでには、駐車場にたどり着いたのですが、駐車場で荷降ろしをする時に、お弁当とオケの楽譜と室内楽の楽譜とpotを両手に持って
車から降りる時に、駐車場の車止めの板に足を取られて、思い切りひっくり返ってしまいました?
怪我はなかったのですが、右手の人指し指の爪を、またまた欠がしてしまいました?
pianoは当然ですが、パソコンのキーボードを打つのも、嫌な感じです。
オケ練習の後の片付けが、オケ練習の状態なので、lessonが出来る状態にしておくように、言ってはいるのだけど、先生達には、オケが、直ぐに出来るような状態にしておきたいらしいので、その状態からlessonが出来るような配置にするのは結構大変です?
この2.3回、私が一人でその作業をしているので、再三文句を言っているのですがね?




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肌掛け羽毛布団
2018年6月19日

6月の16日にジャパネットに注文した肌掛け羽毛布団が月曜日に着きました?
早速、ハイツに持って帰って、超寒かったタオルケットの肌掛け布団と交換しました?
最初見たときには、以前使用していた肌掛けの羽毛布団よりも薄くって、羽毛は入っているのかな?…と思って、寒いのではないのか、心配しました?
しかし、保温性は見た目とは違って、これ以上は熱すぎる程でした?ベッドがセミダブルなので、シングルを注文したので、少し心配したのですが、思ったよりも大きなサイズで、安心しました。



羽毛布団は、体温を吸収して温かくなるので、肌に直接かけるのがいいそうですよ。


肌に直接では気が引けたのだけど、準備する気力もガーゼの袋も無かったので、そのまま寝ました。結果オーライ・・という事かな??



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今日は一昨日の日曜日のオケ練習の疲れが、月曜日にも一日中、取れなくってウダウダとしていたのだけど、2日経った今日(火曜日)も、朝からベッドから起き出せなくって、仕事にならないので、toiletに起きる度に、少しづつ、日曜日のオケ練習のchaconneの編集をしました。

昨日の月曜日には、撮影が中途半端になっていた、Hoffmeisterの編集をしたのですが、練習の最後の部分がSDcardのmemory不足で撮影出来ていなくて、有りませんでした。(SDcardを初期化しないで使用したので、古いmemoryが一杯で、memory不足になったのです。)
でも、二楽章の練習videoも、全くなかったのだよな?
始めと最後がない、なんて、どうなっているのだ?

...

SDcardでは、そういった消し忘れのミスが多いので、事前に初期化して教室に持って行けば良い・・と思われるかも知れませんが、実は、SDcardの初期化は、それぞれのvideo-cameraごとに初期化が異なるので、(メーカー毎に、・・ではなくvideo-camera毎に・・なのですよ。)別のvideo-cameraで初期化したSDcardは「このSDcardは使用出来ません。」とmessageが出て、別のcameraには使用出来ないのです。
ですから、その教室のcameraでしか、初期化が出来ないのです。

という事で、月曜日は1日掛かりで編集をして1本の動画にしたのですが、今日、火曜日も課題の多いchaconneを編集して、生徒達がcheck出来るようにYou Tubeにuploadしています。

「・・しています。」・・というのは、お昼の12時頃からuploadしているのに、夜の10時になっても、現在進行系のupload中・・という事で、You Tubeにuploadしてから、既に、10時間は経っているのに、未だ終わっていません。

今日は1日、You Tubeへのuploadのために、パソコンが塞がってしまって、一日使用出来ませんでした。
J-comになってから、You Tubeにupload中はnetが繋がらないので、mailのcheckすらも出来ないのですよ。
そういった意味でも仕事にならないのだよな??


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2回目の血糖の注射
2018年6月20日

昨日の火曜日の夜は、2回目の血糖の注射をしました。
その瞬間には、体が火照って来るのを感じるので、結構強い注射のような気がします。
一回の注射で1週間も効いているという事は、結構強い注射なのは当たり前か??
薬が効いていて、血糖値が改善されているのか否かは体感的には分からないのだけどね??

...

それにしても、相変わらず体調不良が続いていて、無理をして起きても、意識が不良で、茫然自失としている。
この状態はもう、日曜日から3日目になる。
夜の9時半になった。
とうとう今日は一日中寝込んでしまった。
「眠ろう」・・と思っても、息苦しくって眠れない。

「眠ろう」とうつ伏せになったら息が出来なくなってしまった。
鼻詰まりだ!!

鼻の手入れをして、息が出来るようにして、眠り直した。
いや〜あ、やっと、熟睡出来たよ!!
とうとう一日中寝込んでしまった。
困ったもんだ!!
「えっ?? うん〜??」

それにしても、昨夜(火曜日の夜)から食べ物が無くなって、丸々、一日何も食べていないのだよな??
しかし、動いていないのだから、お腹も空かない!!
気が付いたら、一日何も食べていなかった・・という事なのかな??

明日の木曜日は、朝の10時から夕方の4時半まで、排水管の工事で、toiletも使う事が出来ない。全く、水を流せないのだよ。
これで、3回目の工事だ!!
いい加減にしてくれ!!と言いたいよな??




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くちなしの花
2018年6月21日

くちなしの季節ですね?
椎名町の玄関にあって、とても良い香りがしていたので、ハイツに持って帰りました。
小さな虫が無数にいたので、ハイツで水浴びをさせて、消毒をして玄関に飾りました。
一人暮らしなので、老人臭の防止に・・・



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三回目の配管の工事
2018年6月21日

配管工事で、水出し禁止は、もう、三回目だよな?
もう、いい加減にして欲しいなぁ?
toiletもダメなんだってよ!!
一階の会議場のtoiletまで、一々「行け!!」という事らしい。そんなの、無理に決まっているだろう??
頻尿で15分起きにtoiletに行ったらどうなるの??...
20世帯ぐらいの人達がtoiletに行くのだろう??そりゃ、無理だわさ!!




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今回のVitaliのchaconneのlesson-videoには、checkをしていませんでしたが、今回のgroupはゆっくりとした4和音の弾き方はとても良くなったのですが、「12」からの、早いforteの2和音に関しては音が汚いので、次回の課題にします。

しかし、この課題は技術不足という事ではなく、八千代での先代のgroupもMarin Marais-Ashizuka-versionのla foliaのVariationV(49小節目から64小節目迄の)の4和音の音が汚くって、かなり厳しく練習を重ねたのですが、とうとう本番も直らないままでした。練習不足という事よりも、感性の問題かもしれませんよね??
勿論、ゆっくりと弾くthemaの4和音に関しては演奏上の問題はありませんでしたがね??

この早いforteの和音を弾く時の問題は、実は日本人とヨーロッパ人の音に対する感性の違いに起因する事があります。

音の響きに関する日本人とヨーロッパ人の感性の違いは、この和音の弾き方に限らず、色々とあります。
Pianoの場合なのですが、音楽教室のPianoの指導講師の先生が、Pianoの先生達に模範演奏をしているのを聞いた事があるのですが、pedalを踏みっ放しでゴウゴウと凄い音をさせて弾き捲くっていて、「得意顔をして、上手いだろう!!」という感じでした。
勿論、その教室の他の先生達もそういう風に演奏していたのですが、実は、その指導講師の先生は、Pianoのtouchをする瞬間のattack音しか聞いていなくて、pedalで響いている音を全く聴こうとしていないのです。pedalで響いている音が幾ら濁っても、聴いていないので、気にならないのです。
音楽大学のPianoの学生でも、最後の音を揃える・・という事が出来ている生徒は少ないようで、pedalを切って音を切るという事で、鍵盤から指を離すreleaseを意識出来ている生徒は非常に少ないようです。8分音符分とか、4分音符分とかの音の伸ばしという事ではなく、右手と左手をまちまちに取っても気にならない生徒が多いのです。
古典派の場合には、曲の最後に3和音が3回繰り返される事がよくありますが、その場合に3回目の音を長く強く弾く習性が日本人にはあります。でも、多くの曲の場合には、同じ長さ、同じ強さで弾かなければならないのです。特に、3回目を長く強く弾く場合には、そのように楽譜に書かれています。

ある有名音楽大学の外人教授の演奏を聴く機会がありましたが、その先生がpedalを踏み変える度に、Piano全体がゴン、ゴンとpedalの音がして、折角の演奏がブチ壊しで、聴いている大学の学生達も苦笑気味でした。
pedalを踏み変える時に、素早く踏み変えようとpedalから足を放してしまうので、pedalのspringでaction全体が振動してしまい、総ての弦が共鳴してしまうのです。
最初は、「その外人教授だけの癖かな??」と思っていたのですが、現場のpianistでも、何人か、そういう癖のある演奏家を見かけたので、そういう病もあるという事が分かりました。アハッ!

pedalの踏み変えは、timingの問題なので、timingさえちゃんと取れば、そんなに思いっ切り早く踏み変える必要は無いのですよ。
pedalを踏み変える時にpedalの背の部分にぶつかるようでは、とても良いpedalingとは言えません。完全にpedalから足を放してしまうから、そういう音がするのですよ。
背に当る少し前で踏み変えれば良いのですよ。

「踏み変えpedal」には、踏み変えるtimingをちゃんと指導すれば、汚い濁った音を生徒達がさせる事は絶対にありません。
踏み変えpedalの場合には、私がBurgmullerで最初のpedal操作を指導する時には、和音が変わる次の音を弾くtimingで、pedalを上げます。
踏むtimingはゆっくりでも音は濁らないからね??
(多くの指導者の場合には、次の和音を弾くと同時にpedalを踏むようにします。それでは和音と和音の間に切れ目が入ってしまい、legato-pedalにはならないのですよ。)

弦楽器奏者の場合も同様です。
弦楽器の和音も日本人の場合には、3点支持で弓のfroschで、強い圧力で思いっ切り弾きます。
つまり、2弦、3弦なので、強い圧力がないと音が出ないというとんでもない勘違いです。

先程の日本人特有のPianoのpedalの踏み放しも、弦楽器の和音の汚さも、日本人の持つ音の感性に起因しています。

つまり、日本人にとっては、古池に飛び込む蛙の音も、木の葉ずれの音も、風の音さえも、音楽として捉えてしまいます。

つまり、日本人の場合には、楽音ではなく、濁った音(White Noise)に対しても、象徴的な音(音楽表現上の音)と捉えてしまいます。
ヨーロッパ人に取っては、木の葉ずれの音は一つの騒音に過ぎませんし、古池に飛び込む蛙の音に、心象を感じる事はありません。
これは日本人特有の右脳型の国民の独自性であって、globalstandardの感性ではないのです。

という事で、ヨーロッパ人は、和音に響きが重なって濁った音は、汚い音として、とても忌み嫌います。
Genzmer先生が日本の芸術でとても耐えられえない音として、浪花節の声を上げていました。
大昔では、声を潰すために、水銀を飲んで、あのダミ声を出した・・という逸話もあるぐらいなので、声を潰して出す発声は、多分、ヨーロッパの人達には理解はされないでしょうね??

ヨーロッパの音楽上では、強すぎる音は、歪や音割れを起こすので、楽音とは言いません。
また、弱過ぎる音も、楽音にはならないのです。(日本人の持つ音の感性:芦塚先生のお部屋:homepage)
本来の楽音というのは、弱いかすれた音、強すぎて割れた歪んだ音、の間にあるnoiseを伴わない音の事をいいます。
(勿論、音色はnoiseによって作られます。ですから、個々で言うnoiseは、音色を司るnoiseではなく、音の歪やかすれの事を言います。)

(NHKの新人演奏家の募集では、審査員で音楽家は楽器のsoliste1名、指揮者、作曲者、書く名ずつで、後はProducerや、音響等、放送に必要な各分野の専門家が審査に携わります。
また、使用されるPianoはsteinwayではなく、Bosendorferです。
BosendorferのPianoは、楽音の範囲がsteinwayに比べて非常に狭く、少しでも乱暴な音を出そうとすると、直ぐに音割れや歪を起こしてしまいます。
放送や録音では、ほんのチョッとした音の歪でも、のそ歪が増幅されて、聴くに耐えない音になってしまいます。
という事で、放送局等やレコーディング会社では、それだけ繊細なtouchを要求しているのですが、殆どの音楽大学の指導者は、強過ぎる歪んだ音に対しての感性を持った日本人の指導者は少ないのです。
それだけ日本の音楽界での音楽教育は、とても難しい課題を含んでいます。)
・・てな事を、この40年間も書いているのにね??

私達の場合には、幾ら3和音、4和音でも、力で抑えつけた音は聴くに耐え難いと感じています。
力で抑えつけた音は、楽音としては成り立たないのです。
Sarasateのrondo-capricciosoの中の4和音でも、衝撃音ではなくviolinの音がしなければならないのです。

今回のVitaliのchaconneですが、「12」の4拍目の裏と頭の拍に2和音が出てくるのですが、ただの2和音に過ぎないのに、accentが付いている性なのか、兎に角、音がhystericで汚い。
「12」の3小節間の、たった3箇所だけなので、今回はちゃんと美しい和音で演奏するように留意しましょう。
accentが付いていても、froschからでは汚くなるので、2/3からちゃんと弓で弾けば汚い音はしなくなります。froschを避けるのがコツです。

まあ、この和音のお話も私が日本に帰国して、直ぐに論文で書いているので、同じお話を40年間もしている事になります。
よくも、飽きもしないで、同じ話を・・・・ね??
まあ、聴く人達は皆新しい事を聴いているのだろうけれど、お喋りしている私は40年間同じ話をしているのだよ!!
認知症かね??




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baroque音楽の場合には、書かれた音符と実際に演奏されるrhythmが異なる場合が多い。幾つかの慣習的なpatternによってrhythmが変更される。
その変更されたrhythmの多くは、舞曲のrhythmであり、こんにちでも、そのrhythmを体感する事が出来る?
(舞曲のrhythmは、体の動きを伴うので、微妙なrhythmのrubatoは正確に表現されるからです。)

Hennry purcellのchaconne gをBenjamin Brittenが編曲した楽譜があったので、purcellの曲を擬古典にarrangeしたものであろうと、期待をして楽譜を購入した。...
purcellの主題による変奏曲とフーガ(青少年のための管弦楽入門)という名曲を連想したからだ?

楽譜が届いて、scoreを見て驚いたネ??
なんと、それは単なる演奏譜だったのだよ。
それをBrittenの編曲として著作権を取っている。
これは許せない事だよ。
baroque音楽に造詣が深い人ならば、当時の慣習に従って、全員同じように演奏するので、それは編曲ではなく、単なるinterpretationに過ぎない。
そのrhythmは、普遍性を持っているので、baroque音楽に造詣が深い人ならば、皆、同じ解釈になってしまう?
そういう事(単なるinterpretationを自分の作品として出版するという事)をイギリスを代表する天下のBenjamin Brittenがやっては絶対にいけないのだよ!!

purcellのchaconne gは発表会でBritten版で演奏するつもりだったのだが、単なるinterpretationに高い印税を払うのもバカバカしいし、楽譜にも頭に来たので、急遽、purcellのoriginal版を使用して、発表会は演奏をする事にした?
勿論、八千代の演奏会でも、originalから少し更訂をして、renewalして、Ashizuka-versionにして演奏をしたよ?

ちなみに、発表会の2ヶ月後が八千代の演奏だったのだが、演奏するmemberが、殆ど入れ変わったので、演奏のinterpretationを全く変えて、発表会の演奏では、普通に比較的に楽譜通りの演奏をして、八千代は演奏する年齢層が高かったので、baroque様式のrhythm等で演奏した。
とは言っても、period奏法とまではいかないのだけど、ほぼperiodみたいな・・演奏である。

曲の情緒的な表現も、演奏者の年齢層の低い発表会の演奏よりも、八千代の演奏はOB.OGが多く出演していたので、少し鬱々の度合いを強くして演奏しました。
聴き比べていただければ、おもしろいかな?と思います。

今回の、Veraciniのpassacagliaはviolinとcelloのduoで書かれているので、それをorchestraにtransposeする事は編曲ではなく、創作になります。
多くの声部を加えながら、編曲するので、originalとは全く異なったimage(曲)になってしまうからです。

Veraciniのpassacagliaのdを編曲するにあたって、生徒達が演奏しやすいように、演奏譜として(実際に演奏するrhythmで)、Veraciniがoriginalで書いた楽譜を慣習的な演奏のstyleで書いたのだが、よくよく考えてみると、・・教室の生徒達はoriginalのbaroque(擬古典ではなく)の曲も、多数、演奏しているので、敢えて、演奏譜として書く必要はない・・原譜のrhythmのままで、口頭でcheckをするだけでも大丈夫だ、と思い立って、折角、演奏譜として書いた楽譜(演奏譜として書くという事は、rhythmを細かく書かなければならないので、結構、骨の折れる事だ。)をもう一度、originalのrhythmに直す・・という極めて無駄な作業をした。
慣習的な演奏上のrhythmは、原譜を見て、ちゃんと演奏出来なければならないからです。
今日の馬鹿げたひと手間であった。

但し、教室外の人達のために、演奏譜は削除しないで、残しておきました?




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今日(22日金曜日)の夕方の6時頃の事なのだが、左足首の10a程上に5_程度の血の固まりが痒かったので、何気なく軽く掻いたら、ポロリと取れて、噴水のように血餅の跡から、10aぐらい血が吹き出してしまった?

手の届く範囲でティッシュやタオル等を取って、必死に静脈を押さえて、噴水のように飛び散る血を、止血しながら、救急相談に電話をして、病院に行くまでの、応急の対応処置を聞いたのだが、今、当座やっている事以上の方法は何も聞くことは出来なかった?
血を仮止めして、歩いて病院に行くという事が出来る迄の処置なのだが・・、対応措置は何も無いのだそうな??

...

取り敢えずは、止血が優先という事なのだが、血液さらさらの薬を飲んでいるし、血圧も高いので、20分くらいは、止血を継続するように言われた?

言われた通りに止血を続けたのだが、応急でタオルやティッシュで止血しているので、上手く行かない。
そのまま20分が40分になっても血が止まらない?

「こりゃあ、やばい!!」という事で、大きな病院の救急外来に電話をしたのだが、対応した医者は、「カッターで切った…とか言うのなら、傷を縫うとかの、手当てがあるのだが、5_や1a程度の傷では、救急としては、対応のしようがない」という事で、「自分で止血を頑張ってする他はない」…というつれない返事であった?

「一時間近く経っても、血が止まらないようならば、また電話をしてください?」とのことであった?
なんじゃろかね?

その後、一時間程、経ったら、何とか出血が少なくなって来たので、(出血がだいぶ収まって来たので、)止血に使用していたティッシュやタオル類を棄てて、バンドエイドに交換して、その上から止血用に包帯を強くまいた?止血帯の交換は、少し出血が続いている状態だったので、ティッシュ等がくっついていなくて、楽だった?
やっと、これで完璧?
歩こうと思えば、歩けはする?
つまり、「病院に行ける」、という事だ?

最初は、近場に何もなかったので、手の届く範囲にあったタオルと日本手ぬぐいとティッシュで押さえて止血をしていたのだが、あまり効率は良くなかったので、ズボンのベルトで止血をした?
これはかなり良い?

少し収まって来た所で、やっと、ベッド迄行って、抱き枕で足を高くして、傷を上に向けて、横になって、2時間程経って、やっと血が止まったようだ?

たかが10aぐらいでも、血が吹き出す体験は始めてだったので、すっかりびびってしまった?
ぜんぜん出血が止まらないので、出血多量で、死ぬか?と思ったよ?

絨毯やタオル類やティッシュが真っ赤になったのだが、実際の出血の量は15ccから20ccぐらいなもんだろうかな・・?
まあ、血液検査の採血の2回分てとこか?

タオルはもう使い物にならないので、全部捨てるとしても、絨毯は捨てる分けにはいかないので、絨毯の血抜きは大変だよな?
血の跡が、足の下の溜まった部分は兎も角、左側の方へ、シャワーで撒いたように、ブツブツと点状に付いている?

糖尿病の性であろうか?両足のふくらはぎには、血餅がいっぱいあるのだが、普段は触らないようにしているのだけどね?
何で今回…?
チョッと、痒かったのよね?

しかし、後で、よくよく考えてみると、結構、怖い事に気がついた?

痒いくらいで、軽く掻いただけで、血餅がポロリと取れるのならば、ベッドで寝ている間だに、何かの拍子にポロリと取れても、不思議はない?
そうすると、例え、10a程度の出血であっても、二時間、3時間、出血が続けば、出血多量で意識を無くしても不思議はない?
そうするれば、朝までには、確実に、死んでいた所だよな?
起きている時で、本当にluckyだったのだよな?
危ない?危ない?

昔々、私が高校1年生の頃、大学病院に診察に行って、そのまま緊急入院になったのだが、その後、2日目には、昏睡状態になってしまって、1週間程、意識が戻らなかった。大学病院に入院するのが、2日遅かったら、出血多量で死んでいたと思う。(その当時は既にアパートで一人暮らしだったので、私の事を見る人は居なかったのだがね??)
昔のそういった経験を思い出してしまった。


とりあえず救急車呼んでください??
救急車は、出動したらそのまま患者を放置するわけにいかないらしいので、時間がかかっても(逆にいえば患者がもう大丈夫ですと言ったとしても)病院に連れて行ってくれます??
一人で大変な止血作業もしてくれますし。


Facebookには書いていませんが、血が止まらないで、右往左往している時に、救急に電話して、救急車を呼ぶべきか、否かの対応を相談しました。それで、救急相談に電話を掛けて、相談するように言われました?勿論、最初から救急車を呼ぶすべもありましたが、結果は、「おいおい?」対応の病院に行くだけです?病院の救急外来の椅子に座って、「はい?ここを押さえていて?」と言われて、小一時間も放置されて、「はい、血が止まったから、帰って良いですよ?」と言われて終わりです?
それぐらいなら、自分でも出来るからね?


先生?読んでるだけで恐怖ですご無事で何よりです

ホラー作家になれるかな?でも、血が吹き出した時には、流石にびびってしまいましたけどね?意識がある間だに、何とか対応をしないと…とか、焦りましたよ?

今日(日曜日のam1時25分、反対側右足の瘡蓋が剥がれました。右足の方は静脈には接していないので、何事も無かったのだけど、チョッとビックリしたなあ。
問題の右足の外脹脛の包帯は、血が滲み出して来ないので、大丈夫なようですが、痒みが出始めました。痒くても掻けないので、チョッと辛いかな??月曜日ぐらいには包帯が取れるかな?
でも、少しでも不自然な動きをすると、問題の箇所のまわりが痛くなるので、まだ完全とは言えないのだよなぁ?


今日は24日の日曜日のオケ練習から帰って来たところです?椎名町でおっかなびっくり、包帯を取って、バンドエイドだけにして、パンパンに膨れ上がった膝下を見て驚いている所です。マッサージ等をして、急激に血流を上げるのも、怖いし、自然に腫れが引く事を待つ事にしましたが、少し腫れが引くと、傷の所が、異常に痒くなって来ました?しかし、これでバンドエイドを取ると、また、血が吹き出すかもしれません。ひたすら、痒いのも、触らないで辛抱です?
包帯を取って、2時間、3時間経って、やっと、少し膝下の腫れが引いて来ました。





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「18番の前の小節のDavid版への変更に伴うorchestraのrhythmの変更」

紗來ちゃんの希望で、David版の所々に取り入れて演奏するのですが、このpassageに関しては、先輩達も何人かDavid版に変更して演奏していますが、orchestraへのtempoの変更は、今まで口頭で伝達するだけでした。

しかし、今回は、中々その伝達が伝わらないので、楽譜に書き表す事にしました。
譜面を見れば一瞬で済む事を、口でしゃべるから何度も練習をし直さなければならない。
時間の無駄だよ!!




以下の楽譜のように演奏してください。写真2枚めです。

...

3枚目の写真は「18」の前の小節のCharlier版です。
Vitaliのchaconneといえば、David版かCharlier版が一般的なので、このpassageは写真のように演奏されるのですが、勢いを付けて入って来て、kadenzのようになった所までは良いのですが、2拍目でrhythmが急ブレーキが掛かってしまうので、殆どの演奏家達はそれをpiu allargandoでpiacereで弾きます。実際の演奏では、1枚目の私が採譜した楽譜のように演奏する人達が多いようです。tempoが倍になっているように思われるかも知れませんが、実際の演奏ではDavid版もCharlier版も、allargandoの小節から突然、倍に遅く演奏するので、実際のtempoは、私の採譜した楽譜のように演奏されます。


大元のGuerrini版は検見川教室にニャンコbackを忘れて来たので、楽譜がハイツにありません。
finaleに入力途中の楽譜を参考までに掲載しておきます。このpassageは自然な感じで、問題はない良いように思います。

水曜日に斉藤先生が検見川教室に行って持って帰って来てくれる予定なので、それまでお待ちください。

(水曜日になったけれど、楽譜を取りに行くのを忘れたそうなので、今回、説明は省く事にします。次回のオケ練習で忘れていなかったら、します。・・もう必要ないか??)



前奏のOrganの8小節で、後半の4小節にorchestraを入れる事にしたので、楽譜の訂正があります。
Geminiani版は、soloとorchestraが同時に弾き始めますが、David版には、定旋律(cantus firmus)の4小節が2回繰り返されて、soloに入ります。orchestra-versionでは、多くの演奏団体がDavid版のように、前奏の8小節を付けて演奏しているので、今回は教室もそのように前奏の8小節を付けて演奏する事にします。
scoreを付けておきますので、訂正書き込みをお願いします。




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梅シロップです?
2018年6月26日

梅シロップです?
初めて作ったのだけど、なかなか甘露である?
チョッと味が濃すぎるかもしれないのだけど、薄めるのも、もったいない気がするのだけど、皆さんはどうしているのかな?




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昨日は練馬は34.8Cだったそうです。
真夏じゃん!
その前の日迄、寒かったのだよね??体がついて行かないよな??

2時過ぎ頃から、ヘバッてしまって、お昼寝をしたのは良いのだけど、5時過ぎ頃に汗だくになって起きて、体中が発狂しそうな感じになって、部屋という部屋のクーラーを付けてまわりました。暫らく経って、「これは熱中症の初期症状だ」と気づきました。...
今年初めての熱中症です。アハッ!
例の静脈の出血のせいで、シャワーだけになって、数日が経ちます。
髪の毛はちゃんと真面目に洗わないと発狂しそうになってきたので、今からシャワーで髪の毛を洗い直して、3回目の注射をします。 インスリンではないよ!!
・・まあ、似たようなものだけどね?
そうこうしている間に、部屋の温度も大分、落ち着いて来ました。
ああ、やっと、普通に暮らせる・・・・
でも、今日の練馬区の最高気温は32度だそうですね。
ならば、昨日の34.8度よりは、3度近く低かったのだよね??
昨日はあまり暑さは部屋の中では感じ無かったのだけど、今日の方がたまらない暑さです。
それは湿度の関係かな?
・・という事で、netで調べてみたら、やっぱり、86%もあるのだよな??それじゃあ、暑いはずだ!!

体調不良のせいか、季節に体がついて行かないせいか、日曜日のオケ練習のroutineの疲れのが取れないせいか、いずれにしても、寝ても、寝ても、元気が回復しない。
感情的にも、結構落ち込んでしまって、やる事、なす事、総てが、鬱に思えてしまう。
体がイリイリとしてセクような感じで、感情がcontrol出来ない。
困った事だ!!



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変な夢を見た?
2018年6月27日

変な夢を見た?

高層マンションの外側に、四畳半ぐらいの網網を張って、洗濯物を干したり、自転車を置くスペースを作ったのだけど、子供が自転車を置くと、「この網網は、耐荷重がないので、自転車は置いてはダメだ」と言っている私がいる・・という変な夢だ?

日頃、自宅の部屋が狭くて、「物の置き場所がない?」と悩んでいるので、そのstressが出たのかもしれない?
或いは、私は高所恐怖症気味なので、この所の、静脈からの出血での、命に対する不安感や焦燥感が現れたのかもしれない?
高層マンションの外側に、網で、ベランダのような物を作る…という発想も、なにか変だが、その網の上に立っている私はもっと変だ?
私自身は高所恐怖症気味なので、アトラクションの高い場所ですら、私にとっては、有り得ない場所なのだから…
基本的には、ジェットコースターにすら乗らないのですからね?

体調不良は、単に心に鬱を引き起こすだけではなく、色々な健康障害をも、もたらして来ます?

それは、当たり前の事と思われるかも知れませんが、それが当たり前の事ではなく、たった一つの体調の異常が、多くの健康障害をもたらして来るのです。

糖尿病を一つ取っても、それがもたらす多くの重篤な病気がある事は、よく知られています?

多くの病気を惹き起こした場合には、その全ての治療よりも、結果的に健康被害上で体にとって最優先のものから対処せざるを得なくなってしまうのです。

私自身を例に取って、お話すると、目下の最優先の症状の課題は、血糖の改善です。

それに対して、健康障害の根本的な課題は、勿論、肥満が全ての症状の根本的な原因である事は明白です。

しかし、肥満はもっとより深い所に、根本的な原因があって、人に因って、その原因が異なります。
原因の追求は、太り始めた頃に、生活慣習上、何が肥る前と変わったのか?・・を考えて見ると、思い当たる場合もあります。

また、肥満は遺伝子に拠る事もよく知られています。
私の場合には、母方も父方も代々肥満体質です。
両親とも、糖尿病の家系であります。

肥満は、医者に相談しても「食べなきゃ、痩せる?」という暴論を平気でいう医者がいる程、無理解で遅れている医療分野であると思います。

どこかの国の少子化問題を、根本的な理由を知ることもなく、ああでもなくこうでもなく、場当たりの対応ばかりに走っている、傲慢な政治家の人達のようです。

今の日本は、戦後の混沌とした時代よりも住みにくい時代です。
人々の価値観が、昔とは変わってしまい、人間を信じる事の出来ない社会になってしまっています。
現に、その人が、父親であっても、女の子と手を繋いで歩く事すら出来ない不思議な国になってしまいました。
(何処かのお下げ髪の中学校は、40年以上も前から、男性と一緒に歩く事は、兄弟父親であっても、禁止だったのですが・・、それがstandardになって来たのには驚きを禁じえません。)
私の子供の頃は、どの家も、開けっ放しで、鍵のある家なんて珍しかったのですがね?
子供達も、カラスが鳴くまで、遊んで来る事が出来たのですが、今は子供同士であっても、誰かが管理しない限り、外で遊ぶ事は出来ません。

人間を信頼出来ない環境で、親になる事を望まない若者が増えて来るのは当然の事でしょう?
とは言っても、道徳教育で「人を信じろ!」「他人を愛せ」と言っても、それで事件が起きてしまう世の中では、そんな1言論は成り立ちません。社会の根本の考え方から変えていなければならないのですよ。

肥満の対処の一番は、その根本的な理由から、太らない…という対処を作り出す事ですが、困った事に、その根本的な理由が、複数の原因に起因する場合が多いのです。
そして、もっと困った事には、その理由が、相反する場合もあります。

33歳を過ぎた頃から、人は急激に体力が衰えて来ます。
アスリートやスポーツ選手等の体力を必要とする人達が、体力の限界を感じる歳でもあります?
しかし、一般的な社会では、33歳を過ぎた頃から、人間として、社会的に必要とされて責任を持たされる歳でもあります。
体力の衰えと、人間としての責務、免疫力の低下と、stress?
これ等の相反する原因が、肥満の根本的な理由をより複雑なものにして行くのです。

食事を制限すると、体は、よりエコノミック体質、省エネ型の体になります。
より運動をする事を避けて体力の温存をはかるようになるのです。

高蛋白を取って筋力を増やす?
エコノミックになった体は、500ccの軽車両です。
それに3000ccのエンジンを積んで、ハイオクのガソリンを燃やしたら、車はバラバラになって壊れてしまいます?
どうして、そんな当たり前の事が分からないのか?…私には、理解出来ません?

20代迄の肥満は、その原因が病気でない限り、簡単に痩せる事が出来ます。
20代迄で、それが出来ない場合には、原因を体の病気に求めた方が良いかも知れません。
30代後半からの肥満は、その根本的な原因が、体力の衰えに起因するものか、免疫力の低下によるものかを、知る必要があります。
勿論、論外としては、生活習慣上の暴飲暴食による肥満です。
それは、医者が言うように、「食わなきゃ痩せる」という事が成り立ちます。

生活習慣上の暴飲暴食の一番大きな理由は、会社の接待とか飲み会ですが、会社人間として、接待はこれ迄は、絶対的な事でしたが、globalstandardでは、もうその必要性はありません。
少子高齢化社会では、そういった体育系の会社や飲食店はもう成り立たないからです。日本特有の飲み会型の社員教育は、若者だけと思われますが、その若者さえ、今は飲み会を嫌います?
時間までは、働くけど、時間になったら、自分のprivateを大切にするのが、現代っ子なのですから?

私が、最初に病院に掛かるようになったのは、何と、腰痛です?
腰痛でハイツの自宅のベッドの上で、左側を下にしたまま、全く動けなくなってしまいました。ほんの少し動いても、激痛が走って、産まれて始めて、救急車を呼びました?知り合いの医者の紹介で、江古田の教室のすぐ傍の病院に緊急入院をしました。

その年は、教室がとても大変な時で、病院の先生には、心労と過労の性だと言われてしまいました。
心労の性で、胃潰瘍も再発し掛かっていたので、その当時は最先端で発見されたばかりのピロリ菌の治療をしました。
大学時代からの持病である胃潰瘍のヘリコバスター・ピロリ菌の注射をしました。
その後は、20年以上、一度も、胃潰瘍は再発していません?
胃潰瘍は入院には、直接はなんの関係もなかったのだけどね??

血圧が少し高かったので、そのまま通院する事になって、腰痛の原因と思われた、肥満入院をしました。
高校生の頃から33歳迄は、55`だった体重が腰痛で入院した頃には、85`にもなっていたからです。

食事のcontrolで、最初の一週間で、80`に迄痩せたので、病院の担当の先生は「ほら、ちゃんと管理すれば痩せるじゃあないの?」と自慢気でしたが、その後、二ヶ月間ダイエット入院を続けたけど、1`も痩せる事はありませんでした?
つまり、寝た切りで動く事が無かったので、筋肉が落ちただけだったのですよ。それを病院では「痩せた!」と主張する・・、医者の無知ですよね??そんな医者にdietの難しさは理解出来ないでしょうよ!!

それに、腰痛も全く収まる事はなく、二ヶ月後には、杖を二本ついて、病院の前からtaxiに乗って、知り合いのおばあさんに、紹介されたカイロに行きました。
これ以上、病院に入院していても、やる事はないからです?

カイロに行って、3週間ぐらいで何とか、歩けるようになったのだけど、腰の痛みは残っていたので、鍼のところを転々として、何とか普通の生活が出来る所迄、持って来る事が出来ました。

入院していた病院には、心臓に不整脈が出るので…、と言ったら、同じ病院の中の循環器担当の先生に交代しました。
その先生に「不整脈が出ているので冠動脈が心配だ」、と言ったら、「素人が何を言う」と怒られてしまいました。
当日担当の若い女の先生に「EDが酷くて・・」と言ったら、セクハラと勘違いされたらしくて、「心臓には関係ないでしょう?」と怒られてしまいました。
バイパス手術をした後で、もっと早く気づく事は出来なかったのか?と調べている時に、冠動脈の詰まりの症状にはEDも含まれる事が最新の研究で分かったそうです。
専門医ならば、もうチョッと、勉強しろよな??

その後、5年後に、心電図に引っ掛かって、大学病院で、検査をしたら、「来るのが、5年遅かった?」と言われてしまいました?
私は、「5年前に、冠動脈が…と言ったのだけど」、と言ったけれど、誰もその話しは聞いてくれませんでした?

カテーテル手術の時に、ステントが「ダイヤモンド・ドリルでも無理だ!!」という事で、バイパスの手術になったのだけど、「心臓を止めて、人工心臓で手術をするので、一時間が限界なので、3本の心臓からの動脈の一本しか、助けられないので、頭に行く動脈だけを、助けます?」と言われてしまいました。
「殆ど寝たきりで、働く事は出来ない!!」という宣告でした?

大学病院の循環器に入院していた時には、その階にしか、いる事が許されず、下の階に買い物に行くのも、看護婦同伴で、24時間心臓の状態を無線で看護室に送っていたのですが、心臓のバイパス手術が決まった途端に、手術の予定日迄の一月間を自宅待機になりました?
笑っちゃうよね?
その間、心臓が止まったらどうするのかね?
自宅じゃあ、心臓が止まったら、間に合う分けはないのだけどね?
ここで、怖い話を一つ
バイパスもステントも寿命があって、5年から7年だそうです。バイパスで使用した血管はもう変える事が出来ないので、バイパスの血管がボロボロになったら、後はステントが出来るか否かだそうです。大学病院の先生は、自分が患者に余命宣告をしている・・という意識が全く無い。若い先生達は「70過ぎてもまだ生きたいの??」という意識が見え見えで、当時、59歳だった私でも、余命後10年と言われるのは、非常に心外でしたがね??

まあ、一月の時間的な猶予が貰えたので、second opinionを試みて、名医と呼ばれる人に電話を掛けました。ステントの第一人者と呼ばれる先生に電話をしたら、「dataを見る限りステントは難しい」と言われて、バイパス手術を決心しました。同じに「・・難しい」というのでも、第一人者の先生の言う事は、思いやりが合って語り口が優しい。ここらが実力の違いだろうな??
second opinionの話を大学病院の窓口で言ったら、「絶対に戻って来るな!!」とか「何処に行っても同じだよ!!」とか、dataを送るのに、「2週間は掛かる」とか、散々嫌味を言われてしまいました。
でも、実際には、second opinionに心臓外科の先生の所に緊急の診察に行ったら、既にdataは着いていて、入院手続きをする前に緊急入院になり、即、手術をして貰いました。
という事で、大学病院の手術の予定日よりも早く手術が出来ました。
その先生は、テレビ等で良くお目に掛かる先生で、当時は、未だ珍しかった心臓を止めないでバイパスの手術をするので、timelimitがないので、冠動脈の3本とも活かす事が出来る先生でした。

まあ、ここら辺の経緯は、本来ならば、私のhomeページの「闘病記」に細かく書いてあるのだけど、そのサイトは、J-comに騙されて、今は立ち上がっていないので、少し細かく書いて見ました?


読ませて頂きました。私は医者不信が強いのでヤバいと思ったらそれらに関する知識をかなり持ち得てから医師の指示に対して妥当かどうか・・・そして疑問なら質問も・・・で納得いくように説明される医師と、それが出来ないまたはしようとしない医師が・・・
妻を亡くした時に痛切に感じました。ダメ医師がなぜ増えてきたのでしょうね



医術が医学になったのは、computerが出来て以降だと思います。
私が高校生の時に腎臓を摘出した時に、医者から言われた事は、「30歳を過ぎてもまだ生きている人が居るから・・」でした。それって、余命のようなものでしょう??つまり、初めての腎臓摘出の手術から、まだ10年ぐらいしか経っていない・・という意味だったのですよね??
本来ならば、バイパス手術も、通常の大学病院での手術ならば、寝た切りで、それこそ余命10年・・とか言われたのかも知れませんが、私を救ってくれた心拍動下のオフポンプの手術も、今は既に、リスクの多い過去の手術になろうとしています。
足の静脈を取ってバイパスの血管に当てていたのですが、それが、寿命が10年と言われています。
今は動脈からグラフトの血管を採取するようで、それなら、寿命はない・・と言われています。
私の場合には、もはや、既に、手術から12年余の歳月が流れているので、今現在の体調不良は、血管の狭窄のせいかも知れないのですが、その検査をどうすればよいのか?誰に相談すれば良いのか?を思案中です。
私の場合には、腎臓が1個しか無いので、CTの造影剤は無理なのです。それにヨードのアレルギーもあります。特別なMRIがあって、15万程で検査をしてくれるそうなのだけど、その前に、体調不良が血糖値のせいか、血管のせいか?判断が付きかねている所なのです。
何とか、せにゃあ、あかん!!とは思っているのですが、中々そこまでは手が回らんぞなもし!!

まあ、いずれにしても、医学の日進月歩は凄い!!
当然、時代についてこれない医者も多いと思います。後は、勉強だけ出来て、「医者ならば生活には困らない」と考える学生が多いようです。
教室でも、男の子達が今医学部で勉強していますが、彼らはまともな考えをしているようですがね。
要は医学への考え方次第でしょうね??
まあ、音楽への道もそうなのですがね??



如何にしたらこの患者の命を救えるか・・・一担当医がそうしようとしても、今の大病院等のシステムがそう出来ない場合が多いんですよね。総合病院であるにもかかわらず縦組織に邪魔されて、関連科が一致団結して何とかしようとは超重要人物でない限り動かないでしょう。ですから本来救えた命も救えてないことが多々あるようです。



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左足の外脹脛の出血事件のドタバタで、24日のchaconneの練習videoを編集して練習のpointが分かるように解説も付けたvideoを作ったのですが、そのvideoへlinkを張るのを、後回しにしてしまいましたが、(・・・教室の生徒達はYou TubeやFacebookを見れない生徒が多いので、lineにupするのを先にしました・・)チョッと遅くなってしまったのだけど、一応Facebookにもlinkを張っておきます。

orchestraのscoreが入ったニャンコバッグを検見川教室に忘れてしまったので、楽譜がないので、videoにcheckの内容の説明を入れる時に、色々と困ってしまったのですが、練習の内容自体は、ちゃんと記憶しているので、uploadに関しては問題は無かっっっったのですが、(この文字入力はわざとではありません。windows10とmicrosoftのKeyboardの調子が良くないせいです。)chaconneは兎も角としても、楽譜が無い・・という事では、Capuzziのscoreの間違いの訂正等々、色々な宿題が今週は未だ何も出来ていません。
困ったもんだ!!




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朝から椎名町から持って来たカレーを食べていたのですが、お昼も残っていたカレーを食べていたら、ルーがなくなって、御飯が余ってしまいました?

カレーのルーの代わりに、牛乳とトマトケチャップとすりニンニクと、パルメザンチーズで、即席のルーを作りました?

普通に美味しく食べれたのですが、どこかで食べた事のある味だよな?

という事で、よくよく考えてみたら、なんでもない、ただのリゾットの味だよな?




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2018年6月27日

今日のボケ捲り
お茶を煎じるのに、お茶の袋を入れないままに煎じてしまった。お湯を煎じてしまったのだよ!! ズコ・・・!!



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綾乃ちゃんがkontrabassのコンチェルトをやりたいと言っていたので、やっと、高いお金を払って、originalの楽譜を手に入れる事が出来た!と思っていたCapuzziのorchestra-scoreが間違いだらけ使い物にならない!

今回の楽譜の前に購入した楽譜は、何と、arrange版で、素人の仕事と思われるヘボいarrangeで、間違いだらけで使い物にならなかったので、今度こそ!!という事で、思い切って書い直したのだが、それが又、間違いだらけ・・というmiserableな事になってしまって、double-shockを受けてしまった。

前回のオケ練習(6月の24日の・・)で、余りにも、間違いが多くて、練習にならないので、私がCapuzziの譜面を全面訂正する事を生徒達に約束したのですが、オケ練習から帰る時に、orchestraのscoreの入ったニャンコバックを検見川教室に忘れて来てしまったので、譜面の間違いのcheckが出来ないままになっているので、斉藤先生のscoreを借りて、checkをする事にしました。...
(・・なぜオケ練習の次の日の月曜日に、直ぐに斉藤先生に借りなかったのか??・・という事ですが、間違い探しには、楽譜に直接、赤入れをしなければならないので、そのscoreは、もう演奏には使えなくなるからです。赤が入って汚くなってしまうからですよ。)

私が曲の訂正をする場合には、主観がなるべく入らないように、古典の法則に気を使って、traditionalに忠実にkritikをするのですが、You Tubeのperiodのorchestraの演奏は、中々良い演奏で、interpretationです。
楽譜は、originalの楽譜を探しているのですが、今の所、見つかりません。
今回、買い揃えた楽譜をを含めて、Piano-score(伴奏譜)の楽譜がこれまでに一番missが少ない事が分かりました。

これまで私が訂正した箇所は、Piano譜ではその通りに書かれています。つまり、訂正した楽譜が同じになる・・という事は、古典的なtheoryに従って忠実に楽譜のkritikをしている・・という意味になります。

・・という事は、楽譜の間違い探しの、最初はPiano-scoreとオケ譜のcheckからで、それで殆どの間違いが訂正出来るのでは?・・と思っています。
これなら、みんなにも出来るかな??
早速、今日のone lessonの時にやってみよう!!
・・・という事で、lessonに早く来れる人は早く来てくださいね??

それにしても、この楽譜では演奏会はおろか、練習をするのでも無理だよな??
この楽譜は、出版自体、もう詐欺に等しいよな?



結局、間違い探しのchallengeしたのは、紗來ちゃんだけだったのだけど、少し難しかったかな??
今は金曜日の朝の10時でストロベリームーンの次の日だけど、朝の5時から5時間も掛かって、Capuzziの修正と訂正をfinaleでしました。
勿論、score全部を入力するのはひと手間なので、訂正箇所だけを虫食いで修正しました。
入力してない白紙のscoreは、前回渡した楽譜そのままです。
日曜日には修正譜は渡せるかな??



更に夕方の5時まで、12時間掛かって虫食いの箇所も総てを、(scoreの全部を)入力し直しました。
horn in Dが移調がヘボくて、全く音が間違えているので、管partも書き直さなければならなかったし、弦も無駄な重音とか、数え上げれば限が無いcappuccinoであった。Vitaliのchaconneのoriginal-versionぐらいに間違い探し等々で、手間暇が掛かったぞ!!
まあ、一応和音の濁りは総て訂正出来たかな??
よくよく、聴いたら、まだあったりして・・・???
体調不良だ!!と言っている割に、精力的だよな??



朝の5時から夜の8時まで15時間Capuzziの校正をして、流石に酷く疲れて寝込んでしまった。12時に目を覚ましたのだが、腰に来て、toiletまでも歩けない。パソコン作業は椅子に座ったままで、目も疲れるのだよな??
ドルプリっ歩はとても無理なのは兎も角としても、椎名町まで夜を食べに行くのも、とても無理になってしまった。
今日は夜食は抜きだよな??完全1日一食だよな?夜食抜きは兎に角太るのだよな??






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湿度が酷い
2018年6月28日

クーラーや除湿を入れていると温度差で疲れるので、今日はone lessonなので、極力疲れないように、自然の風を、という事で、窓を全開にしてみたのですが、温度は良いのですが、なんと湿度が超酷い!! 部屋の床がベタベタしてきました。これは、もう限界だよな??
天気予報では現在霧雨になっている。
こりゃあ、窓を全開にするのは、無理だよな?



楽器に湿気は大敵なので、全開はお勧めできないかと・・。



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2018年6月28日

椎名町の事務所で取れたきゅうりです?



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木曜日のone lessonの時に、音楽を勉強する上での姿勢のようなお話をしている時に、斉藤先生から・・「徹子の部屋のインタビューで、芸大にも呼ばれて演奏をお披露目しているおばあさんpianistのお話で、その先生がDebussyの曲を貰った時に、「やっとこれでMozartやBeethoven等の退屈なつまらない曲から開放される!!」と思った・・・と、言うお話を聞きました。」とのお話がありました。
(伝聞は、まるで珈琲館のメッセージのような人称の変化があって、理解しにくい文章になってしまいますよね??)

そのお話に戻って、・・・それが若気の至りで、そういう事を若い頃言ったのを、今反省をしている・・というお話ならば、何も問題はないのですが、もうおばあちゃんpianistになった現在でも、そのままの考え方を得々としてお話している…という事では、若い音楽家達を育てる立場の演奏家としては許せない事です。

...

教室の生徒達は、orchestraの練習で、古典派の作曲家達の曲を演奏し、勉強しているので、古典の音楽の演奏の難しさはよく知っています。
だから、「近現代になればなる程、音楽表現(作曲の表現)が強くなる分、演奏技術は楽になる」・・という事を身を以て、よく知っているので、おばあさんpianistの言葉に「なぜ??」とビックリしていました。

また、そのpianistから尊敬されて語られた作曲家であるDebussyやRavel等の作曲家達自身は、古典やbaroqueの曲をとても大切にしているので、自分の事を尊敬して、BeethovenやMozartと比較されたとしても、その古典の作曲家達が軽くあしらわれたとすると、DebussyやRavel等の作曲家達は、自分の事はさておいて、そのpianistに対して、怒り出してしまったかも知れません。

Ravelは自分の作曲科の生徒達が「自分の作品のマネをして、近現代の曲ばかりを書いて、BeethovenやHaydnの古典の曲を勉強しようとしない。」と嘆いているのが、自伝にも書かれています。

作曲家達の古典の研究の成果は、例えば、Brahmsの編纂したCouperin全集は有名な権威のある全集だし、Lisztは初代のBach全集の編纂をしました。

教室でしょっちゅうお世話になっているSaint-Saensも、Rameauの研究の権威として知られていて、私のRameau全集もSaint-Saensの編集です。
BartokもBachの平均律の編集で知られています。
Stravinskyも作品の多くをrococoや古典、ロマン派の作曲家達のhommageで作曲しています。

つまり、古典の勉強をしない・・、古典から学ぼうとしない作曲家は(proである限り)、いないのですよ。

そういった意味でも、歴史に名を残す名作曲家や名演奏家は、とても謙虚なのですよ。
また、そういう姿勢を持っていないと、歴史に名を残す事も、人々に名声を博す事も出来ないのですよ。

芸大に招聘されたおばあちゃんpianistの**さんが、古典を馬鹿にしている限り、その名声は、マスコミに作られた張子の虎のようなものですよ。
私達が彼女を評価する事はないのです。

brandにしてもそうなのですが、マスコミが作り上げた名声に演奏家本人も酔いしれて、舞い上がってしまっています。
(たまに、自分の名声が実力を伴わないマスコミの作り上げたものと、よく知っていて、敢えてそれに乗っかっているviolinistもいますが、それは自分を良く知った上で、それがその人の生き様としての成功の方法なので、私としては、なんとなく許せてしまうのですがね。

音大生や音楽の指導者達は、教育用の教材は学び終えて、そこから(sonatine-album等の教育教材)から学べるものはない・・(初歩の教材から学べるものはない)・・と信じていますが、CDを探しても、You Tubeで探しても、本当にちゃんとsonatineをperiodで、正しく弾けている演奏者はいないのですよ。これらは次の世代の課題なのですよ。

sonatineですら、世界に弾ける人がいないのに、HaydnやBeethovenの演奏をちゃんと出来る・・という事が如何に難しいか??

その難しさが分かれば、音大生も、演奏は少しは変わってくるのにね??
ChopinやLisztだけが、一流の作曲家で(・・学ぶべきものがある作曲家で、ClmentiやHaydnからは学ぶ事はない・・と思い込んでいる)古典の作曲家達に対しての、謙虚さがないのよね??

古典を学ばない人が近現代を知る事は出来ないのにね??
なぜ、それが分からないのだろう??
不思議だ!!

近現代の奏法は古典のrootsの上に成り立っているのだけどね??
昔の名演奏家達は全員古典の奏法が出来るのだけどね??


自分が弾けないからって「嫌い」とか、「つまらない作品」とか言って作曲家のせいにするなんて、演奏家の風上にも置けないとんでもない低いレベルだと思いますね。ああいうピアニストの演奏は聞きたくない?


音大生や殆どの音楽家は、「初歩の教材はもう、完璧に弾けた!!・・それ以上、(初歩の教材だから)、追求する何かも、それだけの価値もない」・・と思い込んでいるのです。
BachのMenuetのG Durですら、真面目にrecordingしようと思ったら、何度撮り直しても難しいという事が分からないのですよ。
それこそ、間違えなく弾けたら合格・・という誤った考え方に支配されているのですよ。lessonは間違えなく弾けた所から、始まる・・という事をご存知ない・・のです。ハイ!



驚きましたね・・( ゚д゚)
むしろ、歳を重ねるほど(食べ物で例えると、さしずめ煮物の美味しさが分かってくるかのように)、古典を研究&演奏したくなるものだと思っていただけに・・。

ソナタや協奏曲のような大曲は勿論、私もソナチネアルバムが大好きです。
学校の授業で
「クレメンティとモーツァルトの作風の違いは、当時、彼らが其々使っていたピアノの構造が、イギリス式・ウイーン式、と異なっていた事と関係が深い」
という講義を聴いてから、益々その違いを弾き分けてみたいと思っていました。

件のピアニストは、そういった「幸せな学び方」が出来なかった気の毒な人なんでしょうか?



MozartはWalterのPianoが欲しかったのですが、余りにも高価で生涯買う事が出来ませんでした。
Clementiはイギリスに行って新しいdouble actionのPianoの開発に一生を捧げたのですが、Beethovenはそのイギリス製のdouble actionのPianoの試演を頼まれた時に、「こんなPianoのために作曲をしなければならないとしたら、私は二度とPianoの曲は作曲しない!」と怒り狂っていました。

forte-pianoから現代のdouble actionのPianoに移行する過渡期の時代の研究は、非常に面白いのですが、古典派の曲を演奏するのに、forte-pianoの奏法を勉強する・・という事は日本では未だ非常に珍しいオーパーツな分野なのです。
子供達にforte-pianoの奏法を教えたいので、forte-pianoを作って欲しい・・と古典楽器の製作者に頼んだら、「後、30年待つように!」と言われてしまいました。
今はCembaloの70年代から80年代の時代だそうです。



私は、そのpianistを、「生涯、夢を見続けたamateurの人」だと思っています?
チョッと、その人の挫折まがいの人生が面白かったので、マスコミが飛びついたのでしょうね?
まあ、世の中では、よくいる…思い込みの強い、よく見掛ける人種なのだけどね?
ストイックや寛容の意味を勘違いしているのだよね?



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7月





2018年7月1日

深夜のcinderella-timeになったのに、部屋の中は茹だって熱い!!
外界の気温をyahooで見てみると、26度だ。
それならば、涼しいはずなのだが、湿度が86%もある。
部屋は締め切っているので、部屋の中の温度は29度もあるので、この落差は異常だ!!
部屋を全開にしたいのだが、布団や畳が湿気ってしまうので、出来ない。仕方なく、部屋を締め切ってクーラーにするのだが、基本、クーラーは嫌いなので、直ぐに消してしまう。
夏はクーラーと体調の戦いだよ!!




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連日30度超えの猛暑が続いています。くれぐれも室内の熱中症にはお気をつけください。
折角の良いお天気だと思うのですが、やはり、湿度は連日80%を超す高温多湿の状態で、けして凌ぎやすい気候ではありません。

今日は2日の月曜日、2時半からひかりヶ丘の病院で2回目の診察があります。診察の前までに、受付と血液検査を済ませておかなければならないのですが、その時間はなんと、予約ではなく、時間迄に通院して、手続きと検査を済ませておくように・・・という事だそうです。

受付や血液検査にどれぐらいの時間が掛かるのかは、皆目分からないので、お昼の受付開始は1時からだそうなので、今日はゆとりを持ってその時間には行こうと思っているのですが、今日の炎天下、練馬やひかりヶ丘の地下鉄のupdownを歩けるかな??
それともバイクで行こうかな?
悩んでしまいます。

10時の段階で、もう既に32度を室内の温度計が表示しています。
熱くて目が覚めて、慌ててクーラーを入れた所すが、クーラーは28度に設定したのですが、それでも寒い!!
いずれにしても、今日は、熱中症になりそうだな??
さて、どうすんべ〜え??



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明日、形成外科で処置をして貰う予定のバンドエイドの痕の巨大水ぶくれが布団で寝ていたら弾けてしまった。
水ぶくれの中の袋半分の液体はシーツに飛び散ってしまった。
シーツに染みてしまうなぁ〜?
いやあ、参ったな〜あ!!
困った




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今日は、二日続けて光が丘の病院に行きます?
・・とは言っても、今日は形成外科で、吹き出した静脈の跡の確認と、昨夜、破れてしまった皮膚を見て貰います。

今は、まだ朝の5時なのですが、室内の寒暖計は31℃になろうとしている所です。(いやいや、6時になろうとしている所ですが、既に33度超えで34度になろうとしています。)

出来れば、薬局が開く時間に薬を処方して貰って、それから、椎名町に直行して、昨夜食べれなかった夕食を、お弁当にして、貰って来ようかと、思っています。
それから、今日は、病院迄で、バイクで挑戦しようか?と考えています?

光が丘の駅から病院迄では15分以上、歩きなのですが、大きなスーパーが二つ並んでいるので、猛暑と直射日光を避けるために、お店の中をぎりぎりまで歩いて、最後の5分程度を直射日光の下を歩いているのですが、西武線と大江戸線の乗り替えは、結構、複雑で歩きも多く、大変だったので、昨日は、エレベーターやエスカレーターを探して、必要最低限の労力で済むようにして見ました。

バイクは、歩きがないので、楽なのですが、この所の超、炎天下の猛暑日なので、ヘルメットの中が、どれくらいの温度になるのかが、心配です?

試しに、窓の枠に温度計を置いて見ました。炎天下の直射日光の元でどれくらいの温度になるかを確認するためです。
な、な、な、なんと!443.4℃まで上がっているよ!!
屋外の温度よりも10℃も高いぞ!



熱中症には十分気を付けてください!


有難うございます。昨日は、自宅に辿り着いて、火照った体を冷やそうと水風呂(ぬるま湯の)に入ったり、安静にして横になったり・・と、色々とやってみたのですが、3,4時間は火照りが取れなくて困ってしまいました。ヒョッとしてこれが熱中症の症状だったのかな??


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ひかりヶ丘の病院での診察は、緊急の血糖値の皮下注射だけを新しく処方して、その後の3週間(次の診察迄の)は元の病院で処方された薬をそのまま飲み続けていました。
昨日は2回目の診察ですが、薬の処方の見直しを中心に診察を受けました。

以前(3年程前の最後の長崎への旅行から)、1年掛かりで25`の減量に成功したのに、昨年の夏頃から、薬の処方が変わって利尿剤をDoubleにした辺りから、血圧が乱高下を始めたのと、体重もリバンドをして10`から12`も戻ってしまいました。
昨年の12月からは、その状態をキープしたままで、リバウンドしたままで、食事を制限して、頑張って見ても痩せません?...
血圧の薬も「体感的には全く効いていない」・・という事で、前の病院での処方を見た、ひかりヶ丘の院長先生も、首を傾げていましたが、取り敢えず、問題の血圧の薬が良好な状態の時から半分に減らされていたのを元に戻して、・・と、色々と改良を試みる事にしました。

足の血餅や心臓の肥大も、お腹の肥満が原因なのだけど、食事制限よりも、運動をする事が望ましいのですが、心臓に負担が来ないように運動するのは、非常に難しい(簡単ではない)ので、一筋縄では行かないようなので、それ相応に色々と試みて見るつもりです。
運動も、体調や心臓に相談しながらの運動になるので、その判断が大変です?
幾つかの簡単な運動のadviceを院長先生から貰いましたが、椅子から立ち上がる時に、手をつかないで立つ・・とか、歩く時に、少し歩幅を大きく歩くとかの運動ですが、そういった運動は、既に、もうやっているのよね??
出来る運動というのは限られているので、既に試みているのですよ。
昨年の12月以前の体調不良になる前は、mansionの階段を1,2階だけ歩いて、それからelevatorを使うという事も試みていましたが、1,2段の階段を上がるのすら大変になって来たので、今はやっていませんが、体力の衰えだけは防ぎたいので、出来る事は努力は続けているのですよ。
太っているので、そこら辺は見た目で勘違いをされているようですがね??

食事の制限は、昔から色々な病院で、何度も口に入れた物をデジカメに撮って、2,3週間分を専門の人に見て貰ったのですが、(以前にも何度か書いたように)・・病院の先生からは「こういう食事をしていると、2,3週間もすると痩せるよ!!」と、毎回の病院のお墨付きだったのですが、それで痩せた事は一度もありませんでした。
そこは(肥満を扱う医者だとしても、)食わなきゃ痩せるの考え方が根強く残っているのですよね??

食事を制限する事で、一番の留意点は人間に必要な最低限の希少物質なのですが、そこが食事制限で不足する事のないように、高価なサプリで補う事が出来るのですが、院長先生の配慮で、病院で処方として出せば、コストを抑える事が出来るので・・という事で、専門の人と院長先生が相談をして、私に対応したサプリを処方して貰う事になりました。(次回の診察の時に処方して貰う予定です。

私としての課題は、リバンドで戻ってしまった体重を、リバンドする前の状態に戻す事ですが、薬の処方が元に戻ったので、次の診察迄の1月間で戻そうと思っています。

一月で12`を痩せるのは、超、危険なように思われるかも知れませんが、これは痩せるという事よりも、リバンドした分を元に戻すという事なので、左程体に負担が掛かる分けはないはずです。
リバンドというのは、常にそれぐらいの乱高下はしているからです。




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今日(7月3日)は、昨日の糖尿病内科に引き続いて形成外科にバンド・エイドの後の水ぶくれを診て貰いに、ひかりヶ丘まで行きます。(普通ならば、水ぶくれなんて、針でつついて絞り出して、それで終わりなのですが、糖尿病では、それは出来ないのでネ?)
今日はバイクで光が丘までの移動に初挑戦します。
同じ練馬区ですが、乗り替えを含めて5駅はあるので、バイクでは、少し遠い距離かもしれませんよネ?

朝6時には既に33℃まで気温が上がっているので、helmetの中の温度が心配です。

朝は、いつも通りに、5時には起きて仕事を始めていたので、薬局の開く9時からは昨日光が丘の病院で処方して貰った薬を調剤して貰いに薬局に行き、そのまま椎名町に行って、昨夜のお弁当を貰って、一度、取り敢えずハイツに戻って、弁当や皮下注射の薬を冷蔵庫にしまって、それから、意を決して移動時間までのtimingを図ってひかりヶ丘の病院に出掛けました。

本当は豊玉のドイトにも寄ってクリスマス会のspot-liteの絞りの釘を探したかったのですが、ほんの少し動線が外れるので、明日に回す事にしました。

病院迄の道のりは、bluetoothで携帯で道案内をさせたので、初めての道でも、行きは道に迷う事はありませんでした。
病院に着いて形成外科の受付に行ったつもりが、「形成外科は2階ですよ!」と注意されてしまいました。形成外科ではなく、整形外科の受付に行ってしまったのです。アハッ!
「形成ではなくて、整形ネ?」と言ったら、「よく間違われるのですよ?」と言っていました。・・・ならば、対処しろよナ?

それでも、形成外科には、早めに着いたけれど、予約時間よりも待たされるのは、大きな病院の常ですかね?
待っていたのは私一人しかいなかったのだけどね・・??
受付を済ませて、小一時間程待って、説明と治療は、10分程
度で終わって、病院を後にしました。
静脈からの出血も甘皮からの水ぶくれも、やりようがない(他に治療のしようがない・・)ので体力の回復とdietしかないらしいのでね・・

帰り道では、Bluetoothのナビの道順の選択をしなかったので、車の多いメインの道を通るようにselectされてしまったのと、イヤホンが、強い風を受けて、風の音で、道順の説明の声が聞き取れなくて、道順を2,3度間違えて、結構、遠回りになってしまったので、思ったよりも時間がかかってしまいました?
とは言っても、それでも電車に乗っているのと同じくらいの時間なのですがね??

流石に二日続けての、病院通いは疲れてしまって、夕方から深夜12時過ぎまで熟睡してしまいました?
結局、1日、何も食べていなかったので、深夜3時頃になって、椎名町から持ち帰って来たお弁当を食べました。
「それじゃあ、痩せないよね??」って思われるかも知れませんが、それまで、病院だったので、1日何も食べないのはチョッと、辛いのでね???

まあ、病院に振り回された二日間でした?

それはそうと、今日もベッドで治療したはずの、水ぶくれの袋が爆発しました。
寝返りをした時に、右足が水ぶくれに触れてしまったのですよ。

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てぇへんだ〜!薬を変えた日からdietどころではなく、毎日1`づつ体重が増加して歯止めが掛からない・・・!!
困った!
これ以上は絶食しかないぞ!!
どうしよう!!
通常ならば、食事制限と軽い運動を気をつければ、少なくとも、現状維持には、なるはずなのだが、それどころか、リバウンドして以来、最高の体重を毎日、更新している。...
心臓の調子も芳しくなりので、携帯血圧計でcheckしているのだが、何時もの感じのままだ。
これ以上の運動は無理だし、後は、マジに絶食する他はないぞ!!
なにか切っ掛けさえ掴めれば、体重を減らせるのだが・・・
冗談抜きに、マジに絶食をするか??




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2018年7月8日

「体感温度」
久し振りで、陽がさして、「爽やかだよな〜ぁ!」と空気を室内に取り込むために、窓を全開にしていたのですが、頭が痛くなって来たので「風邪でもひいたのかな??」と思っていたので、薬でも飲んでいたのですが、何気なく、窓の傍の温度計を見ると、室温が、何と「36.5℃」にもなっていました。
湿度が35%と極端に低かったので、体感的に温度を感じ無かったのです!! 
危ない!危ない!! 
「これは、熱中症だ!」と慌てて部屋中の窓という窓を閉めて、クーラーに切り替えました。

千葉に車で移動して、通常に、オケ練習が終わって、どちらかと言うと、体感的には、寒いぐらいの気温になったので、「やっと、凌ぎやすい温度になったか・・??」と思いながら車を走らせていると、高速道路の脇の電光掲示板で外界の気温が31度との表示が出ていたので、車の中の計器に表示されている車外温度を見ると、やはり30度超えでした。

体感的には、「湿度が多くて鬱陶しいなあ??」と思っていたのですが、湿度計では、35%しかありません。
なんだろな??・・・この体感と実際の温度差は・・??

私がもう老人なので、体の感覚が麻痺しているのかな??とも思ったのですが、先生達も同様に感じていたので、私の感覚のせいでは無いみたいです。




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紗來ちゃんが「comment入の練習のvideoをupして欲しい!」と言っていましたが、7月の1日のオケ練習と、8日のオケ練習のvideoを一応は編集してcommentを入れかけて・・はいたのですが、全く同じ箇所の練習を繰り返して、そこで停滞してしまっていて、6月の24日の練習から何も進んでいません。
必要なのは、オケ練習の基本中の基本である音を揃える・・という事と、そのpassageの表現を理解する・・という事なのですが、古典派の曲の勉強の時にも、よく注意をしている事なのですが、曲全体のimageや表現等よりも、個々のpartの音楽的な表現がとても大切になります。soloはsoloとして歌うのだけど、celloやKontrabassは自分のpartの音楽的な表現を個別にしなければなりません。
HaydnやMozartのphraseの終わりの音が8分音符になっていたり、4分音符になっていたりして、不揃いなのですが、(室内楽やorchestraだけでなく、なんとPianoのsoloの曲でもそのように書かれている事があります。)私が学生時代に先生に質...問したら、「Haydnは楽譜を書くのがいい加減だったのよ!」と言われて、shockを受けた事があります。
この言葉からは、HaydnやMozart等の作曲家に対しての、明らかな蔑視(軽視)が見て取れるように思われます。
いつも言うように、sonatine‐albumやsonate‐albumの作曲家を初歩の教材の作曲家として蔑視する傾向が音大の先生方にもあるのです。※)
※)困った事に、新しい出版では、わざわざとその不揃いを直してある楽譜まであるのです。困った事です。

それはそうと、phraseの終わりの音価が異なった音符で書かれる・・というその意味・・・、勿論、その説明は、色々な書物には書かれていません。

歴史的、慣習的な書法なので、orchestraや室内楽を指導する時に、体験的に理解し、学習する事なのです。
「ぴよ、ぴよ」の奏法の時に、後ろの「よ」の音が4分音符になっている箇所が多いのですが、それを日本のorchestraのように、後ろの音を4分音符分伸ばして演奏するorchestraはヨーロッパにはいません。
これも、伝統的な(=所謂、periodの)奏法になるからです。
このような書法の事を私達は「室内楽的な書法」と呼んでいますが、勿論、室内楽だけではなく、orchestraや、それこそPianoのsoloの曲にも、そのような書法はしょっちゅう見受ける事が出来ます。それぞれのpartでの整合性という事で見ると、その音価の正しさを理解する事が出来るのですがね??

Vitali=Guerrini版は勿論、近現代のarrangementなので、scoreでは、声部の独立(自立)がとても大切になります。それぞれのpartが独立して、自分の声部の独自のnuanceを表現しなければなりません。

という事で、寧ろ、オケ練習よりも、partの練習が必要なのです。
chaconneばかりをYou Tubeにuploadしていますが、他の曲と比べて、この曲の出来上がりが特に遅れているからです。
時間も多く取っているのだけど、曲が膨大なのと、練習のtimingが一番最後になっていて、Energie(集中力)が持続出来ていない事も原因の一つです。でも、同じ注意を2回、3回受けても直らない・・という事は、単なる練習不足という事なのかな??

「蓮祭の次の日は学校のお休みなので、15日は時間を延長して練習すれば・・??」と、折角、牧野先生が言ってくれたのだけど、15日は、「蓮祭なので、オケの練習時間を短縮して欲しい・・」と、言っていた人もいたらしいので、折衷案として、(・・勿論、時間を延長して欲しい子供もいたので・・)中を取って、当日は通常通りに時間まで練習をして、7時にはちゃんと終わるようにします。
(7時に練習(音出し)が終了なので、教室を出る時間は各自の後片付けによります。いつもと全く同じなので、多分教室を出る時間は、どんなに早くても7時10分ぐらいかな??)

前回のBoccheriniのcello‐concertoでも、これまでの発表会では、先輩諸氏は、一般的に演奏されるGrutzmacher版を使用して演奏をしていたのですが、interpretationが擬古典になってしまうので、古典派特有の端正な優美な表現が失われてしまう・・という理由と、もう一つは、技術的に「それ以上練習を重ねても、限界が見えている」という理由で、originalのversionに急遽変更しました。original版は、celloのsoloのpartは、楽器が古典の時代の楽器になるので、逆に演奏が非常に難しくなるので、真雅ちゃんには負担になるのですが、orchestraが限界ならば致し方は無い・・という事で決断しました。

(ちなみに、Vitaliのchaconneは、originalではなく、David版で、このVitali=Guerrini版も、David版の底本に拠るものですが、Grutzmacherは、そのDavidに見出されて活躍の場を与えて貰ったcellistでもあります。)

Vitaliのchaconneも、orchestraが、余りにも、酷い出来ならば、「Vitali=Guerrini版」ではなく、少し簡単な「Respighi版」で演奏した方が良いのかな??・・とも思案中なのですが、Respighi版は、orchestraのpartが、少し簡単なのだけど、その分、曲が「盛り上がり」に欠けるので、Respighi版での演奏は、今まで一度もした事はありません。
しかし、楽譜は通常に出版はされているので、楽譜作ったりする必要はないので、曲の変更は楽で、楽譜を購入する事自体には問題はありませんが、曲的にはGuerrini版の方が音楽的な表現が優れているので、私としては、このままorchestraの子供達が頑張ってくれたら・・ね??・・と思っているのですがね・・??



芦塚先生こんにちは。毎日暑いですね
お忙しいのに 娘が無理を言ってすみません本人にはその場で覚えて直すか自分でビデオ撮って勉強しなさいと言い聞かせているので、ご無理をなさらないようにしてください


大人であろうと、子供であろうと、積極的な要求には応えてあげるのが私の信条なので、それは喜ばしい事です。それに、orchestraは、全員が同じ程度に演奏する事が出来なければならないので、全員が同様に理解し努力をする事が必要になります。解説はそういった意味でも、ちゃんと全員の理解の手助けになれば・・と思っています

ありがとうございます?
暑い日が続く上にご多忙の毎日…どうかお体を大切にお過ごしください。



7月8日のchaconneの練習風景の編集とuplordに、何と28時間も掛かってしまいました?

YouTubeに動画をuploadしている間は、何度も言っているように、mainのパソコンだけではなく、同じnet回線を使っているsubのパソコンも、netの使用が出来ないのですよ?

携帯以外は全てのパソコンのnet回線が死んでしまいます。そこが痛い?Jcomにする前には、mainのパソコンが死んでも、subのパソコンで作業が出来たので、仕事が滞る事はなかったのですがね?

たかだか、一時間の動画をupするのに、一昼夜どころか28時間も掛かるようでは、providerを変えないと、被害甚大です?

後は、発表会の動画ではなく、練習のcheckのためなのですから、解像度を少し下げても良いのでは・・??とも思っています。
解像度を下げると、時間がだいぶ違うのかな?

パソコンの掃除は「ゴミ屋敷」とは違って、結構、毎回ちゃんと掃除しているので、パソコン側の作業で遅くなっている・・という事は考え難いのだけど・・ネ。
後は、問題のgoogle‐chromeなのだけど、あまり使いたくないのだけどね??
Google‐chromeでuploadしたら、少しは早くなるらしいのだけどな??

https://www.youtube.com/watch?v=kBm1w3jPzW4&t=67s


抜き出し練習の箇所をlineにupしたのだけど、Facebookにもuploadしておきます。動画ですよ!!You Tubeにはupしてはありません。こちらからのみです。





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もどきナポリタン
2018年7月10日

今日も冷蔵庫には、何も入っていなかったので、もう夕方の5時になったので、買い置きの挽き肉とトマトケチャップとすりニンニクと冷蔵庫に入っていた野菜ジュースで、ナポリタンを作りました。
外に食料品の買い出しに行くのが、超暑くて、しんどかったので、外には出ないで、有り合わせのもので、適当に間に合わせたので、スパゲッティーになりました?
朝食が夕食になったのはいつもの事で、朝と昼は食べる元気がないからです
折角スパゲッティーを茹でるので、新しいchallengeとして、フライパンでアル・デンテに茹でる事に挑戦して見ました。
何時もの、レンジでチンよりも上手く出来たかな?...
スパゲッティーのナポリタンなのに、ルーをかけるのではなく、スパゲッティーを、あえてあるのは、野菜ジュースでスープスパのようになったからです?
スープスパでも良かったのですが、なんとなくどっち付かずになってしまいました?




昨日から今日の夕方に掛けても、外に買い物には出掛けていないので、冷蔵庫には、相変わらず食い物がない?
日がな一日うだうだとしているだけだ。
シャコンヌの編集を2、3回試みたのだが、あまりの酷さに、やる気を無くして、3分の1もcheckが進んでいない?

冷蔵庫の中に真空パックのベーコンの切り身があったので、昨日に続けてスパゲッティーを食べる事にしたのだが、それ以外には材料が全くないので、オリーブオイルにチューブの擦りニンニクを絞り出して、七味ではなく一味と玉ねぎの皮の粉末とで、ペペロンチーノもどきを作った?
茹で汁が必要なので、今日は、レンジで、スパゲッティーを茹でて、和えた?
まあ、何とかそれらしい味にはなったが、具がベーコン以外は何も入っていないので、見た目にも、つまらないので、写真は撮らなかった



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深夜の11時半、気温は32℃で、昨日よりも3℃減だそうです?
…ちゅうことは、昨日は35℃だったということだよな?
室内だと、2℃は確実に高いので37〜8℃はあったという事かな?
それでは、クーラー無しでは、確実に死んでるよな?

数年前迄では、クーラーを全く使わないで、暮らしていたのに、今はクーラー無しでは生きていけないようになってしまっている?
…とは言っても、私が温度に弱くなったのではなく、6月7月からの30℃超えの気温が普通になってきたという事なのだけどね?

それはそうと、今日は皮下注射の日であった?(インスリンではないのだけどね?)
流石に皮下注射の薬は強い?
お臍の周りに注射したのに、口がalcoholの臭いがして、頭がくらくらする?
それぐらいでないと、一週間は持たないだろうしな?

体重さえ減れば、皮下注射は必要無くなる予定なのだが、その肝心要の体重が全く減らないどころか、増加傾向にある?
しかし、これ以上のdietは、少しきついよな?
運動も心臓の調子が良くないので、中々難しいしな?

バイパスの手術から既に12年以上過ぎているので、グラフトがそろそろ寿命で、腎臓が一個しかないので、造影剤を使う検査は難しいのだ。
3D-MRIを所有している病院を探して、検査を受けるにしても、その後の処置は難しい。
取り敢えずは、気長に行く一つ一つをclearして行く他はあるまい。



またまた書いた文章がぶっ飛んで消えてしまった。
編集履歴から探してコピペした。
Facebookの不安定さは困ったもんだ!




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今日(7月16日)は練馬では37℃だってよ!!体温よりも高いってよ!!



息子のサッカーの練習の付き合いで8:00?15:30まで外にいてかなりきつかったです…この暑さのなかサッカーして子どもたちすごいなぁ…息子のサッカーの練習の付き合いで8:00?15:30まで外にいてかなりきつかったです…この暑さのなかサッカーして子どもたちすごいなぁ…

部活動で身が入らずミスを連発したペナルティーて、この暑さの中校庭を80週させて子供が熱中症で倒れ、問題になっていると言うニュースを今朝やってました。外を歩いているだけでも危険を感じる暑さなので、試合中でも少しでも気分が悪ければ頑張らずにすぐに先生に言うように言い聞かせておいた方がいいと思いますよ。

ニュース見ました。
そうですね…
コーチも体調悪くないか?と聞いたりこまめに水分補給、待ち時間は冷やすなど対策気をつけていても数人、熱中症っぽい症状が出ていてすぐに休ませてました。


身が入らないのは、この猛暑のせいだったかも知れないのに・・根性論で子供さんを危険に晒すのは止めて欲しいですよね!


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28時間はとてもとてもだから、お久しぶりのHoffmeisterを、画質を3840×2160から1920×1080に落として、Google=chromeでuploadしてみました。確かに時間は半分以下で編集とuploadが出来ました。

芦塚音楽研究所千葉音楽教室Hoffmeister…



V楽章のthemaなのだけど、ぴよぴよと同じように赤◯の所もぴよぴよな感じで弾きます。
4分音符として書かれているので、伸ばさないように気を付けてください。




本来的に楽譜を書くとすると、次のようなarticulationになります。
bowslurが変わっていますので、注意して、確認をしてください。



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Beethovenのduoのscore
2018年7月17日

室内楽のscore、つまり、Quartett以上の編成の室内楽のscoreは出版されているのですが、不思議な事に、弦楽の2重奏や3重奏のscoreは発売されていません。
二重奏や3重奏を演奏をする時に、「scoreでcheckする」という発想自体が無いのです。
二重奏や三重奏ぐらいならば、演奏する時の音だけで、checkが出来ると思われるからなのですよ。

BeethovenやStamitzやHoffmeisterぐらいの高度な曲ならば、結構、頭の中でのcheckは、難しいので、scoreがあっても良さそうなものですが、残念ながら、scoreは発売されていません。...
・・という事で、日曜日に、真雅ちゃんと紗來ちゃんのBeethovenのDuoを全楽章聞いて見たのですが、30分の練習時間で、準備に10分、演奏に20分・・と、全く一言のadviceも出来ないで、演奏を聴くだけで終わってしまいました。

Beethovenは古典派の作曲家なので、古典派の演奏原理に従って弾けば、それで良いはずなのですが、弾き通す事で精一杯で、それ以上は行かないようです。
ただ、「弾く」という事だけなので、演奏する事に、「魂」が入っていないように見えます。

座禅(参禅)と同じで、魂の入った演奏には、演奏の形が大切なのですよ。難しく言ってしまったけれど、演奏する時の姿勢が良く無いし、弓をholdingする持ち方も良く無い。

形が出来ない・・という事は、やる気の問題ではなく、approachのNiveauが作れていない・・という事なのでしょうね??

・・という事で、Beethovenの作品を理解するために、(真雅ちゃん,紗來ちゃんのために・・)Duo1番C Durのscoreを作りました。
今日(17日の火曜日なのですが)は、朝一から、お昼の1時迄、掛かって、Beethovenのduoの全楽章のscoreを作りました。

取り敢えずは、「scoreだけを作成して、articulationは、実際にlessonの時に付けて貰おう」・・と思ったのですが、出版されている楽譜、part譜のarticulationが、それほど良くなかったので、periodの基本的なarticulationの原理に従って、論理性のあるarticulationを付ける事にしたので、午後は、結局、全楽章のarticulation付で、結局、1日掛かりになってしまいました。
いやあ〜ぁ、てえへんだった!!
高校生、大学生ぐらいならば、「以下、同じなので、そういう風にやっといて!!」で済むのだけどね・・??

   




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HoffmeisterのU楽章の1stのmelodieを変更します。
3拍目の16分音符の動きが、とても不自然で、納得が行かなかったのですが、繰り返して出て来る他の同じpassageではただの8分音符になっています。

Aの音を強調するための前打音(acciaccatura)として書き加えたのだと思いますが、G#の音が強すぎて、古典派の端正な響きからは逸脱しています。
という事で、今回は、原型のAの8分音符に直して演奏する事にします。

譜例では、真ん中の8分音符のversionで、演奏します。...
1小節目のmelodieは、2拍目の頭の拍まで、pのままで演奏して、1拍目の裏のsyncopationの4分音符でfにします。
3小節目の16分音符は膨らましで演奏します。

6小節目迄のtuttiは、完全に収め(終止させ)ます。
少しrit.気味になっているので、音の取りを指揮を見て、ちゃんと合わせるように気を付けて演奏します。
バラバラに終わり易いので気を付けるようにしてください。

「い」の1のsoloは、pianissimoからmessa di voceで音を膨らましながら開始します。
soloはauftaktのようにpianissimoから入って、オケは充分に膨らんでから入ります。(但し、「え」の1、38小節目と、「お」の1、53小節目の入りはmessa di voceではありません。普通に入ります。

themaのbowing以外のbowingも、同時に、古典派のbowingに変更します。
どういう風に変更したのかは、図で確認をしてください。








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Hoffmeisterの原譜の間違いに付いて、何処かに書いた・・と記憶しているのですが、Facebookを探しても見つからないので、同じ事を書いてしまう・・ダブリになるかもしれないけれど、一応、確認のために書いておきます。
Facebook等に書いていなかったとしても、オケ練習の時には、何度も注意をしていて、楽譜も書いて渡してはあるとは思うのですが、見つからなかったので・・・、面倒くさかったのですが、一応、確認です。
U楽章、27小節目から28小節目の1,2拍目のファの音と2ndのミの音のぶつかりです。赤で囲んだ部分になりますが、28小節目の3拍目のcelloとKontrabassのAの音とViolaのAのぶつかりも芳しくはありません。
同じような箇所が44小節と46小節にもあります。



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昨夜は、ドルっ歩の時間の前、迄でに、二楽章の入力にarticulationを加えた入力を済ませたのだけど、椎名町からハイツに戻ってから、虫食い状態になっていた三楽章の入力を、articulationも含めて、朝の6時半迄掛かって済ませた?
いゃ〜ぁ、根性だなや?


rondoは、8分の6拍子なので、2拍子のルンルンとした跳び跳ねるような感じになるので、bow-slurは.rondoのthemaのpassageについては書いたのだが、走句は型に嵌まったpatternのSequenzよりも、それぞれの生徒のspeed感の出るbowingの方が良いのかもしれません?

passageについては、そのbowingの可能性が多すぎるので、articulationは、或る程度は、弾き手に任せた方が良いのかもしれません?

(という事で、passageのarticulationは、詳しくは書き込んではいません。・・でも、古典派のTypisch(典型的)なmotiveである箇所のbow-slurは書いた方が良いのかな??)

gigueでも、演奏譜と実際の音符の表示は違いますが、この曲も演奏譜では次のような音符の表記に近い事になります。

古典派時代のperiodな表記では、現代の人達が現代の感覚で演奏する時には、auftaktの8分音符に対して、拍頭の4分音符が強く長めに演奏されるので、舞曲風の飛び跳ねた、ルンルンとした感じが出ないだけではなく、固く重たい感じになってしまいます。


流石に、ヨーロッパのorchestraではperiodの演奏ではなかったとしても、traditional的に、舞曲風に演奏する団体が多いのですが、若い古典の演奏の経験の少ない指揮者では、譜面通りに、どうしようもなく重たく演奏する人達も多い事も事実なのは残念です。

という事で、極稀には、楽譜を演奏の表記に変えてある版もあるようなのですが、それでも、拍頭の4分音符に対しての、古典派独特の余韻の演奏が無くなってしまうように感じるのは、私だけでしょうかね??

だからといっても、4分音符を8分音符に直してある譜面での演奏も、余韻のないパサパサとした演奏になってしまうのは、残念な限りです?

それはそうと、V楽章、117小節目の1stの音はscoreではミになっていますが、part譜では、ファになっているようですが、scoreのミの音は間違いです。

part譜のファの音が正解です。

一応確認なのですが、古典派の常識として、曲の終わりはrit.をしないで、in tempoのままに突然に終わります。
最後の和音を伸ばさないで、前の和音と同じ長さにする・・という事も古典派の常識です。

ここいらは、ちゃんと、誤り無く出来ていたようなのですが、一人でも間違えた奏法をすると、拙いので・・という意味でのダメ押しの確認です。



V楽章、「お」の1の前のkadenzはoctave下に書かれていて、オケとのつなぎが不自然です。
kadenzを新しくしました。瑞希ちゃんは、次のkadenzを弾いてください。





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長年、体重の管理に使用していた、体重体組成計が、突然、一昨日の18日水曜日辺りから、壊れてしまい、Errorとしか、表示しかされなくなってしまった。
電池を入れ替えたり、色々と工夫してみたのだが、治らない。

体調の管理で、新しい病院の先生に「体重を減らすのが最優先だ!」と言われて、出来る限り体を動かして、食事の量を減らすように、努めてみたのだが、全く減らないので、「薬のせいかな??」とも考えて、相談してみようと思っていた矢先の出来事で、食事の制限や、日常の生活面の管理で、今一番重要で必要欠くべからざる計器なのだが…。
一日、一日の体重の変化を、毎日checkしていて、体のcontrolには、一番重要な計器で、今、それがないと、生活の指針として、非常に困ってしまうのだが、・・・つまり、たった一日でも、修理に出す時間が、今はない…という結構、切羽詰まった・・実にbad‐timingなのだよな〜あ??...
まあ、取り敢えず、omronに故障の状態を、mailをして、返事待ちの状態です。

今日20日は朝、起きたら足の甲がパンパンに腫れていて、特に左足がジンジンと痛んでいました。
普段のマッサージャーで足の甲から、脹脛に掛けてマッサージをしてみたのだけど、全く痺れと痛みが取れないので、重くて場所的にも、邪魔になるので、ベッドの奥に置きっぱになっていた超高価なマッサージのマシーンを出して来て、朝から足のマッサージをして見ました。
流石に高価なだけあって、足の痛みは軽くなったのだけど・・??
まあ、一時しのぎではあるのだけどね?

お昼過ぎにomronからのmailがあって、修理の見積もりが書いてあった。
体重体組成計の修理の基本料金は5000円で、送料が1000円で、最低6000円掛かる・・という事だそうな…。
同じような種類、メーカー等は気にしないで、新しい体重体組成計を購入しよう…と思ったのだが、殆どの機種がスマホかAndroid対応でパソコンに対応している機種は見つからなかった。
「夜に、時間を掛けて、少し丁寧に探して見よう。」という事で、保留にする事にした。

色々と、家の雑用をしている時に、胸の高さの位置にあった引き出しからボンドを取ろうとして、引き出しを開けた時に、引き出しがすっこ抜けて、足の脛と甲の上に落ちて、思い切りぶつかって、怪我をしてしまった。
脛は皮が剥けて、足の甲は切れて血が出ている?傷は大した事はないのだけど、場所が場所だけに、超痛いし、血液さらさらの薬を飲んでいるので、血が止まらないのだよ?
困った
暑くてボケているのかな?
練馬は、ヒート・アイランド現象で、東京の気温とは無関係に、連日35℃を超しているのでネ?

夜になって、時間が出来たので、パソコン対応の体重体組成計を調べたら、新品でヨンキュッパで売っていた。送料を足しても、修理の6000円の基本料金よりも安い。
まあ、そんなもんかね??
無いと困るので、早速、注文して於いた。
月曜日には着くそうだ。
4日間、dataが抜けるけれど、まあ、それは仕方ないか・・??

ドル・プリっ歩に出掛けようとして、椎名町迄来てみたのだが、足の甲の傷はちょうど、サンダル(リゲッタ)の親指のベルトの位置で、当たって痛いので、絆創膏を貼って、ドルっ歩に出掛けました。
痛みは絆創膏のおかげで収まったのだけど、擦れてしまうので、血が止まらなくなってしまいました。
とは言っても、たいした出血ではないのだけど…
プリっ歩と食事を終えて、ハイツに着いたら、脛に出来ていた水ぶくれが爆発して、ズボンが濡れてしまいました?

持ち帰りお弁当を冷蔵庫に仕舞って、Hoffmeisterの二楽章の諸注意を少し書き加えて、暑さと傷の処理で気分がメゲてしまったので、今夜の営業は、終わりにして寝ます?
…とは言っても、もう既に、深夜3時は過ぎているのだけどネ?
以上20日のお話です。



23日の月曜日に体重体組成計が届いて、早速、設定をして、計ってみて驚いた。dietで25`痩せてから、最高にリバウンドをしている。超、shockだ!!結構、頑張って食事の量も減らしているのに、全く効果が見られない。


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勉強しなくても、常にtopの成績を取っている超羨ましい人がいます。
勉強を頑張ってしても、それなりの成績ですら、とれない人もいます。
…で、その違いは何処にあるのかな?…という事なのだけど、それには、その人達自身の基本的に大きな考え方の違いがあります。
一生懸命努力をしても、中々報われない人は、人生の無駄を省いて、その目標についてだけを、一生懸命に頑張ろうとします?
勿論、それは、一般の人達にとっては、至極、当たり前の事なので、「何を言っているの?」…という感じかな?

しかし、頑張らないで、全てをこなしている人は、日常の些細な事に至る迄、完璧に時短を図ろうとします?
人生の全ての無駄を省こうとするのです。
でも、それはひた向きに一生懸命に頑張って、努力している分けではありません。
日常の生活が、無意識に、無駄を省いているのです。
そうする事で、頑張らなくても、全てを楽にこなせるようになるのです
つまり、日常の何でもない事に対しても、やはり無意識に時短を図ろうとするのです。
それが、薄利多売のように、多くの時間を産み出して来るのです。
それは努力して、培うものではなく、心の落とし処で、自然に身に付くものなのです。

日本人は、必死に努力して、体に教え込むのが好きです。
努力しなくても身に付くものに価値観は感じない国民なのです。
だから、私が「心の落とし処さえ、ちゃんと作れば…」なんて言っても、誰も信じてはくれません。

昔、ホームページにプロになるための方法として、「プロになりたかったら、プロの人達と同じ生活をしなさい。」と書いた事がありました。「人生の心の落とし処を、正しい位置に落として、プロと同じ思考方法をすれば、必ずプロになる事が出来ます。」…と書いても、誰も信じないのですよ?

「有名になりたかったら、有名人のように行動すれば良いのですよ。」
でも、「プロの行動を真似をすれば良い」と言っている分けではありません。言っている事は、「プロのように、考えなさい?」と言っているのです?

しかし、私が言っているプロとは、必ずしも、有名な人の事ではありませんよ。有名である事は、必ずしも、プロとしての条件にはなり得ないからないのです。
つまり、有名なだけで、プロとしては成り立っていない人があまりにも多いからです?
有名人とプロの間には、大きな落差があります。
そこの所が理解出来ないと、日常の生活は、何も変わらないのですよ?

プロになったとか、音楽に進んだとかは、兎も角としても、小学3、4年生の時から、高校を卒業するまで、私のadviceで、topの成績を続けた人達はたくさんいます。
(芦塚先生のお部屋:音楽と学業の両立)
それが出来る人と、出来ない人達は、何が違うのかな?
外から見ていると、よく分かるのだけどネ?
単なる「心の持ちよう」の違いという事なのがネ?
心の持ちよう一つで、人生楽になるのにネ?
不思議な事に誰も信じないのですよ?






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落ち込み性の鬱
2018年7月22日

今日(21日の土曜日)は、夕方ぐらいから、なんとなく予兆はあったのですが、深夜の12時を過ぎた辺りから、鬱が再発してしまいました。
原因不明の鬱です。

いつも私が説明しているように、鬱には暴れだしたくなるような「発狂性の鬱」と、死んでしまいたくなるような「落ち込み性の鬱」の二種類があります。
勿論、それに対しての対応には、それぞれ「違い」があるはずなのですが、その事は診療内科の先生達にはあまり知られていない事実です。...
対応の薬の種類も変わって来る・・と思うのに、対応は常に同じですよね??

という事で、今日(今回)の鬱は「落ち込み性の鬱」のお話です。

こういう時には、明日のオケ練習に備えて、早め(・・とはいっても、もう1時を過ぎているのですがね??)に、寝るのが最良の策なのですが、鬱の場合には、心のcontrolが出来ないのが原因で鬱になるので、「寝る事が最良の策である」という事は、良く分かってはいるのですが、「眠る」という、そのcontrolが出来ないのです。
それが鬱なので、当たり前の事なのですが、精神的にはcontrolをするのは無理な話しなので、本来的には薬でcontrolをしなければなりません。

ところが、以前、診療内科の先生に処方して貰った薬は、飲み続けて、一週間も経たないと効果が出ないという薬なので、今回のように突然に鬱になった場合には、なんの意味も効果もありません。

私の場合には、突然、鬱になる時以外は、自分で精神面のcontrolは、出来ているので、鬱でもない状態で、鬱の薬を飲み続けるのは無駄というよりも、普段の体調のcontrolをする上でも、酷ですし、その薬で逆に体調不良を引き起こしてしまっていたので、心療内科で処方して貰った薬は、私にとっては論外の処方薬でした。

鬱に浸って鬱々の曲を堪能しながら、wineでも飲むのも乙なもので、それなりに良いと思うのだけど、しかし、それも体力次第、精神力次第です。
あまりにも、鬱が酷い時には、そういったselfcontrolは逆効果になって、鬱を増長させてしまいます?
つまり、今日の体調では、「音楽を聴いたり、wineを飲んだりして、鬱に浸るのは、無理」・・という事です。

「酔いつぶれて寝る」という方法もあるにはあるのだけど、明日はオケ練習で、朝から千葉に車で移動なので、alcoholに逃げる事は出来ません?

…という事で、「布団に入って頑張って、眠ろう!」と試みるのですが、寝ていると、体が辛く苦しくなって、ベッドの隅に座り込んで、ぼんやりとしています。
いつもそうなのだけど、座っているのが一番楽です。
老人介護用のカウチベッドが一番良いのだろうけどね?

そういえば、昔、実在の作家の伝記映画のラストシーンで、精神病院に閉じ込められた作家が、ぼんやりと座って、見るでもなく、何かを見ているシーンがあって少なからず、衝撃を受けた事があったよな?

眠れなくて、ベッドの隅に座っている私の事を、はたから見たら、私も、そういう風にも見えるのかな?

それだけは、チョッとshockで、勘弁・・だぞよナ?

明日は、オケ練習の後に、BeethovenのDuoの演奏法をlectureする事にしているので、通常よりも千葉からの「帰り」が1時間遅くなります。
という事で、「眠れない!」・・てな事も言っていられないので、鬱がより酷くならないように、寝室の明かりを点けたままで、無理をして寝ように心懸けて、横になって体を休めるようにしました。

これまでも、何度となく、鬱で眠れない状態になりましたが、その時の対処は、結局は、その方法しか無いようなので・・ね??

体のcontrolが或る程度、効いて来ると、眠らなくても、死者のポーズで、寝たのと同じ状態を作り出す事は出来るのでね!
それで、頑張って、夜の8時迄、保たせるしかないかね??



オケ練習は、最初は問題なかったのですが、2曲目、3曲目辺りの途中から、energyが切れてしまって、夜まで、Energieが持つのか??lessonが出来るのか??どうなる事か?と思ってしまいました。
しかし、夕方、日が入った辺りから、なんとか体調を持ち直して、最後のBeethovenのduoまでlessonを続ける事が出来ました?
どうやら、35度超えの気温で、参ってしまったようなのですがね??
しかし、流石に、最後のドルっ歩は死んだけどね


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「BeethovenのDuoについて」

前々から、感じていた事ではあるのだが、violinとcelloのC Durの二重奏曲のscoreを作りながら、改めて「この曲は、Beethovenの真作ではない。」という事を確信した。
Stamitz風の典型的な初期の古典派のstyle自体は初期のBeethovenであっても問題はないのだが、Beethovenにしては、曲の構成が全くなっていない。Beethovenがまだ修得期の稚拙な時期であったとしても、構成力は将来を想像させる実力がある。しかし、この曲にはそれがないのだよ。特に繋ぎの部分が弱い・・というだけではなく、稚拙でもある。
所謂、kindereiなのだよな〜あ??...
紛れもない偽作である。
時代考証的にも少し逆行している。
しかし、themaや繋ぎ以外の部分は、意外としっかりと作曲されている。それなりの実力も見受けられる。
これだけの力量を持っているのならば、繋ぎの部分もちゃんと作曲出来たはずなのに・・・??
締切に間に合わなかったのかな?




ええ〜?いったいどなたが作ったのでしょうね?

偽作を書く人の名前は普通は分かりません?
通常は、分かったらその人の作品になるからです。
しかし、Bachのcantataのように作曲家が分かってもそのままになっている場合や、「おもちゃのsymphony」のように、未だに、作曲家が未定の場合もあります。出版社に取っては、の方がそ売れるからです。本当の作曲家の場合には、誰も楽譜を買ってくれないからです。
それこそ今回、秋の発表会で演奏予定のVitaliのchaconneのように、本当は作曲家不明なのですが、誰も作曲者を調べる事のないままになっている曲の場合もあります?

それは、誰もが「Vitaliが作った」、という事を信じて疑わないからですが、Vitaliのchaconneと書かれた写本を、Ferdinand Davidという人が、教育教材として、Piano伴奏とviolinのためにarrangeして、その曲が世界的(歴史的)に知られるようになった時に、Vitaliの作品として定着してしまったのです。(そして、その誰が書いたのか不詳のままの写本がVitaliの真筆として定着してしまったのです。残念ながら、そのfacsimileの楽譜には、もしTommaso Vitaliが書いたとしたら、絶対に犯さないであろうkindereiな間違いが余りにも多く見受けられます。楽譜の書記自体はとても美しいのに、余りにも素人的なミスが多く見受けられます。)

今回、教室で演奏する予定のorchestra‐versionのchaconneは、Davidの教育教材用のchaconneを定本にして、現代の作曲家であるGuerriniがarrangeをした版なのですが、殆ど同世代の有名な作曲家のRespighiのarrangeした版もあります。(GuerriniもRespighiも現代作曲家なので、当然擬古典の作品になりますよね!!)

またviolinとPianoのためのDavidの楽譜なのですが、Chalrieのように「自分が作った?」という人も現れて、困ってしまいます。
Charlierはviolinのpartにbowingを付けただけなので、それでは、「更訂」とも言いません。
後、DavidのPianoの伴奏のpartを少し弄っただけで、編曲と口にする人もいて困ってしまいます。

先程も書いたように、出版されているVitaliのoriginal版は、写本であってTommaso Vitaliのoriginalの手稿ではありません。
Tommaso Vitaliのchaconneの楽譜は無いのですよ。

という事で、一般的にTommaso Vitaliの定本と言われている手稿は、残念ながら写本に過ぎないので、basso continuoの和音の数字が間違いだらけで、前回16年の11月の23日の千葉のさや堂ホールでのbaroque‐concert用に編曲をし直す時に、原本を正しい数字に訂正しながらの作業だったので、original版の作成をするのには、大変な手間暇が掛かってしまいました。

Ferdinand Davidは、この写本を参考にする程度で、自由にarrangeをしてPiano伴奏のchaconneを作った分けなのですが、彼は他の作曲家の作品に関しては、少なくともviolinのpartだけは、原曲を忠実にcopyして、伴奏のpartのみを、彼の時代であるロマン派風に(擬古典風に)arrangeしたのですが、この「Vitaliのchaconne」に関しては、violinのpartもmelodieを或る程度、要処要処にmelodieを参照したに過ぎません。
曰く、Vitaliのchaconneによるhommageとか、Paraphraseとかの名前でも良かったのですがね??

Davidは、彼のviolinの生徒達のために、baroqueの多くの作曲家の作品を、Davidの生徒達のための教育教材としてarrangeをしているので、Vitaliのchaconneもその中の一環としての曲に過ぎません。
本来ならば、「Tommaso Vitaliの主題によるchaconne」というTitleでも良かったのですがね。

私が今年、挑戦した、「F.M.VeraciniのpassacagliaのOrgan‐partの作成」は、Veraciniの書いたbasso continuoの数字が、かなり大雑把な書き方ではあったのですが、論理的には間違いではないので、非和声音の処理をちゃんとすれば、良いだけだったので、その処理は楽でした。



(殆どの演奏家達は、basso continuoの数字の和音と、melodieの和音のぶつかりを無視して、恰も「Veraciniがそう書いたから・・そのように弾かなければならない」・・という風に、間違えたまま、演奏していましたが、それは、Veraciniが、後世の作曲家達のように、非和声音を数字で書き表さなかったからです。

非和声音を真面目に bezifferten Basとして書くか否かは、その作品を作曲家以外の人達が演奏するか否かに掛かっています。
私のbasso continuo Aussetzung des bezifferten Bassesでは、非和声音の処理をちゃんとしています。(譜例参照:)


でも、Vitaliのchaconneの場合には、原本ではなく写本に過ぎなかったので、その数字が間違いだらけだったので、拠り所がなかったのですよ。
古曲を扱うには、そういった難しさがあります。それも楽しい事ではありますがね。


参考までに:Veraciniのpassacagliaの原譜です。
ちょうど、その非和声音処理の場所のoriginalの箇所が読み取れます。
参考までに:Veraciniのpassacagliaの原譜です。
ちょうど、その非和声音処理の場所のoriginalの箇所が読み取れます。







参考までの次いでに、Vitaliのchaconneのoriginal譜です。
原譜のインクの色は褪せて殆ど見えないように薄かったので、補正をして見えるようにしています。(・・私が、です。)
原譜では数字も殆ど判別不能ですが、色補正によって判別可能になっています。
パソコンがあると、ここ迄出来るので助かります。
市販されている楽譜では、勿論、こういったcomputerの処理はされていないので、original譜は超、見難いので、楽譜起こしされた譜面も同時発売されています。
そちらの譜面はとても見易くて助かるのですが、数字が読み取れ無くって、数字の上に?が幾つもついた箇所が多く見受けられます。(しかも、その数字自体が間違えていたりして、演奏不能な箇所も多く見受けられます。)
David版を見て、originalの版を想定するのは無理!!というものですよ。
全くの別の曲です。(最初の十数小節を除いては・・ね??)





教育の原理 「言われた事を・・・」

@言われなくてもやる
A言われたらやる
B 言われてもやらない

教育の殆どは、この言葉で言いつくされているのではないかと思います。

仮にその言葉を、音楽の勉強に当て嵌めると、

@技術がちゃんと自分のものにできていて、言われたらすぐにそういう風に演奏出来る
A 言われてすぐには演奏出来なかったとしても、ちゃんと練習をすると 演奏出来る段階に進む事が出来る
Bまだ技術の修得段階で、言われても演奏出来る段階にない
・・・となるのかな?

このお話を、音楽のお話に当て嵌めて見たのは、このお話が特別の何かのgenreに限ったお話ではなく、日常の生活そのものにも、関するお話だからなのです。
つまり、分かり易く言えば、学校のお勉強のお話だけではなく、音楽の勉強であったとしても、或いは日常の生活であったとしても、このお話に関する事が密接に関係して来るのです。

だから、音楽のお勉強のお話としてではなく、(音楽論ではなく、)教育全般のお話しとして、一般論に戻って、お話を進めて行く事にします。

「言われた事を、やったのか??」という、その言葉を質問された時には、理想的な回答としては「言われなくてもやる」という事でしょうが、現実的には「言われたらやる」という事までは、出来て欲しい所です。

しかし、いつまで経っても、「言われなくてもやる」とか「言われたらやる」・・という事が、身に付かない・・と悩んでいる人達は、はたから見ると本当は、Bの「言われてもやらない」人達が大半なのだが、「出来ない」と言っているその殆どの人達は、自分は@かAだと思い込んでいるのですよ。

つまり、「やらなかった」・・という結論に対して、「言われた事を忘れてしまった」・・とか、思い込んでしまって(思い変えてしまって・・)、それを自己弁護の理由にするのですよ。
決して、「言われても、やらなかった」とは思わないのだよ。

つまり、いつまでも「出来ない」と悩んでいる人達の殆どの人は、自分がBのtypeだとは、自覚出来ていない(自覚しようとしない)人達なのだよ?

なぜならば、もしも、Bの自覚して、やらない人が居たとすると、その人は「確信犯」だから、advice的な事を言う事自体が無駄な人・・・という事になるのだよ?
つまり、このtypeの人の場合には、他人の意見を聴く事が出来ない人なので、指導者という立場であったとしても、そのadviceをする事自体、無意味で、論外になるからだよ?

「やろう」という事をしようとしない人達を対象にして・・・の前提で、adviceをする・・という事は成り立たないからね??

なんで、こんな当たり前の事をくどくどと・・と、お話するのか??と、思われるかも知れないので、もう少しくどくどとお話を続けるとすると、「やろうとしない人」には、潜在意識的に「やりたくない」という条件も含まれるから、なのですよ。

つまり、「やりたくない」という潜在意識には、「楽をしたい」という意識や、「それはやりたくない・・聞きたくない」という反目も含まれるからなのですよ。

「楽をしたい」から言われた事をしようとしない・・という人には、その人が「言われた事をやらない」という事で、「目標に到達出来なくても良いのかな??」というantithesisが有効かもしれないし、別のtypeの人で、潜在意識的に「やりたくない」という人の場合には、その潜在意識的な理由を話し合う必要がある。
つまり、その「adviceに納得が出来ていない」・・という意味だからだ。
つまり、同じ「やりたくない」でも、その原因で、対処は変わって来る。

このお話の趣旨は、いつも怒られている人は、@やAのtypeではなく、まずは、自分がtypeBである・・・・という事を自覚しなければならない・・というお話しなのだよ。
「typeBである」という事を自覚したら、次のstepに初めて進めるのだよ。

つまり、自分では言う事を聴いているつもりでも、言われた事が出来ていない・・という人は、自分自身では自覚が出来ていない場合であったとしても、Bのtypeの人間である・・という事を、改めて自覚する必要がある・・というお話しなのだよ。

そこで自分が「typeBである」という事を認めさえすれば、typeBの原因を見つける事が出来るのだが、まあ、そのtypeBの人は、それが分かったとしても、それを認めないだおるけれどね・・・??

なぜ、認めないのか??というと、それが日常で、普通なので、危機感が無いからなのだよ。
それで、怒られたとしても、それが、その人にとって、日常で当たり前であるからなのだよ!!

という事で「言ってもやろうとしない人」は始末に負えないよな?



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18年の7月22日のオケ練習では、出版されている楽譜のbowingの訂正で、bowの訂正箇所の説明で練習が度々止まってしまいました。

当初は、生徒達に負担が増えないように、「オケもsoloも・・なるべく、楽譜通りの譜面を重視して、訂正箇所をなるべく少なくしよう」という思いが、逆に災いして、毎回のオケ練習でのbowingの訂正を引き起こしてしまっていて、速やかな練習の妨げになっていました。

・・という事で、何時も同様に、毎回の練習でのbowingで悩む事の無いように、元の譜面(出版された楽譜)上のbowingから、一度全面的に離れて、originalのperiodのbowingを付けてしまえば、毎回のbowingの訂正はしなくて済む・・という事で、急遽、scoreをfinaleに入力して、楽譜を作成して、古典派独特の基本的なperiodなbowingを楽譜に書き込みました。...
これで、今までのああでもない、こうでもない・・というbowingの問題は全て解決です。

 


  


(以下は元の文章です。)
「HoffmeisterのViola‐concertoのD DurのU楽章のsoloのbowingを、出版されている楽譜のbowingから、古典派の時代のperiodのbowingに全面的に更訂し直しました。
このbowingを練習する事は、他の古典派の作曲家の作品を演奏する時ににも、そのままのbowingで演奏出来る…という汎用的な古典派特有のbowingなので、何時でも演奏出来るようにmasterしておいてください。
勿論、今回の発表会でもこのbowingで演奏しますからネ?



土曜日(7月28日)ですが、台風で部屋に閉じ込められています。長崎産まれの私的には、台風は年に10回は来るので、gewohnt(慣れてしまっていて)で、たいした雨風ではないので、通常の生活でも構わないのですが、それにしても、見たこともない軌跡の台風で、「なにが起こるか分からない」という異常気象の産物なのだそだという事をHNKが言っているので、取り敢えずはおとなしくしている事にします。

この所ずっと、部屋を閉め切ったままにしているので、窓を開けてあめかぜのcheckをしてみたのだけど、確かにあめやかぜは強いのだけど、それにしても、えらい寒い(!)台風だよな〜ぁ??
温風が吹く普段の台風とはえらい違いだよな〜ぁ??
部屋の中でも、「熱中症だ」「37度超えだ!」と騒いでいたのが、嘘のような肌寒いこの2,3日だよ!

・・という事で、今日は台風下の28日の朝なのですが、mansionの部屋の中に閉じ込められている次いでに、前々回(15日)のchaconneの練習のvideoがswitchの入れ忘れで、殆ど撮れていなかったので、紗來ちゃんからSDcardを借りて教室の保存用にしたのですが、そのSDcardをハイツに持ち帰って、chaconneの編集をしました。

普段の撮影では、video-cameraの位置の関係で、pipeorganがvideo-cameraのangleから切れてしまっていて、ひかりちゃんが弾いている所の「手」までをangleに入れるのが目一杯だったのですが、紗來ちゃんが私のPetrofのuprightのPianoの上にcameraを置いて撮っていたので、pipeorganの全景が写っていたので、22日の動画の最初の方に、ほんの遊びで合成しました。
本当は、22日のオケ練習はにはひかりちゃんは、お休みで居ないのだけど、ひかりちゃんが入っている部分だけは、15日のvideoです。


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高校時代のすぐ傍の丘での自撮りの写真です。当時は自撮りという言葉もなかったのだけどね高校時代のすぐ傍の丘での自撮りの写真です。当時は自撮りという言葉もなかったのだけどね
自分の写真は殆ど無いので、八千代の伴奏の写真もそろそろ飽きて来たので、思い出の昭和30年代の高校生時代に住んでいた長崎市の公団アパートの後ろ
の十字架山からの地鶏の写真です。自分を撮った写真は殆ど無いので、選択権が無いのですよ??

まだお腹がスマートな頃の地鶏ですね?


20年とは言わないけれど、後15年はこのままの体型の頃です。

2018年8月7日
高校時代、住んでいた長崎の公営団地の直ぐ上の十字架山での、自撮りの写真です。夕陽に薄の穂がキラキラとして、お気に入りの写真です。体重はこの当時から33歳を過ぎる迄、変わりません。






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28日の深夜の2時過ぎです。オケ練習の準備が終わった、荷物を出発の準備のために玄関に置きに行くと、doorの外から凄い音が聞こえて来ました?
doorを開いて外を見ると、まるで高圧シャワーのケルヒャーで放水している状態です。(放送では、バケツをひっくり返したような…というようですがね?)
証拠写真を撮りたかったのだけど、深夜の大雨では、写真を撮るのは無理なので諦めました。

mansionは、結構、気密性が高いので、閉めきっていると、部屋の中では、あまり音がしないので、外の状態が分からないのですよ。...
明日の朝は、結構、早い出発の予定なので、台風一過とはいかないかもしれません。まだ雨が残っているかも・・??

外に全く買い物にも出なかったので、椎名町から持って来た食料が尽きてしまって、以前から買い置きをしていた材料を使って、応急の焼そばを作ったのですが、一人分の小分けの材料が多過ぎて、夜食分だけではなくて、三食分にはなったのかな?
明日、オケ練習に出かける前にも食べれそうな感じですよな??
小分けの一人分のミックス野菜でも、食材にして使うと、結構な量になるのでネ?

今日も、土曜日の深夜から、曜日を越した辺りから、いつもの鬱が襲ってきました。
しかし、今日の鬱の原因は、分かっていて、心臓の不整脈が原因です。
バイパスのグラフトが、そろそろ13年になるので、ステントをするか、次の手を考えないといけないのだけど、腎臓が一個しかない上に、糖尿病で腎臓がへばって来ているので、像影剤を使ったCTやステントが出来ないのです。
3DのMRIを持っている病院は少ないしね?

今は、取り敢えず、やっとこ、6月から、糖尿病の管理に入ったばかりなので、まずは、出来る所から焦らないでやらないと・・・ですかねえ?

それにしても、病院の先生は、「痩せれば全てが良くなる」・・とおっしゃるのだけど、痩せないのだよねぇ、これが・・・?
食事の量を減らしても、所詮、運動不足なので、痩せる事はないのだよねぇ?

私なりには頑張って、ドルプリっ歩には、付き合ってはいるのだけど、散歩という程の散歩ではないのでネ?
(時間だけは矢鱈と長いのだけど、歩く速度がどうしようもないのですよ?)

まあ、・・それなので、ドルプリの散歩は先生達に任せて、ドルプリは無視をして、私だけ、一定の速度で歩いてはいるのだけどネ?(Ф_Ф)

それでも距離に換算すると、運動と呼べる程は、大した運動にはならないのだろうけれどね?
そこも、今出来る事なのよね・・・??




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「学校教育と音楽」
2018年7月30日

「学校教育と音楽」
このthemaでは、もう、それこそ、論文やホームページ、Facebook等に100回も書いて来て、「何を今更」、「・・・好きにすれば」・・・という感じで、今更、またまた同じ文章を書きたくはないのだけど、生徒達の為にくどくどと書く事にしました。

学校のcurriculum上では、「音楽」に対する扱いは主要五教科のような重要な扱いではないし、家庭科や体育と比較しても、正規の授業としてではなく、付随的にぞんざいに扱われています。

学校教育上での音楽の部活としての目的は、生徒達の集団活動としての教育をするのが目的であり、音楽そのものの技術を向上させるのが部活のオケや室内楽の教育活動が目的ではありません。

技術の修得や向上が目的というcaseでは、音楽以外の分野ならば、一部の有名女子の一貫校での新体操の部活動では、olympicの金medalistが指導を担当する学校もありますし、野球の有名私立高校では、プロ野球の選手が、高校球児達を指導している学校もあるようです。
proとして、通用するように・・というのが、本来の目的なので、生徒の側でも、プロの野球選手になるのが目的で、その高校に進学する生徒も多数いるようですね?
勿論、学業との兼ね合いも、一般教科よりも、当然部活動の方が優先されています。

そういった極限られた一部の学校での、例外的な部活動の教育を除いては、音楽の部活動に限って言えば、音楽大学の教授やproの演奏家が中学や高校の指導に来る事は皆無のようです。
つまり、音楽に限って言えば、学校の部活動の延長線上に、音楽大学進学を含めて、proへの道はないのです。逆に言えば、音楽大学の付属高校がそれに該当しますが、もはや一般の高校と比較出来る段階ではないでしょうね。

野球や新体操のような、そういった極めて稀な例外を除いては、小、中学校での部活動や教育指導に関しては、趣味の域をでないamateur的な指導がなされていて、文部省でも対応に苦慮していたようです。

今は昔、・・つまり、もう40年以上の前のお話になるのですが、私が、文部省の全国の大学担当の人で、21世紀の子供達の教育の生来を憂えている人に、「本当のproの人が、子供達の教育指導をすべきである」とこんこんと説得されて、已む無く、私の教育理論の実証の場として花園教室を作った…というお話は、「私が子供達を指導するようになった経緯」・・という事でhomepageに掲載しているし、Facebookでも、何度となくお話しているので、もう、皆さんには「耳タコ」だと思います。

しかし、それでも、不思議な事に、学校神話というものがあって、学校の部活等をちゃんと学習すれば、proへの道も、何とかなるのでは・・という妄想が、一部の人達には、未だに信じられている・・という事は信じ難い事です。

音楽のgenreでも、管楽器の場合には、中学校の部活動で楽器に興味を抱いて音楽の道に進む生徒もいるようですが、これは楽器的な特性で、管楽器の場合には、体の発達の関係(呼吸器を扱うので・・)で、小学生までの間に、楽器を勉強する事が出来ないから・・という例外的な理由からです。管楽器に限っては、Pianoや弦楽器のように、早期教育をする事が出来ないから・・という特殊な理由によります。同様に歌も肺が未成熟な間は、ちゃんとした発声法を学ぶ事は出来ないので、中学生以降で、変声期が終わってからの勉強になります。管楽器や、声楽の場合に限って言えば、中学の部活動で音楽に興味を持って、そこで正規の指導者を探して、勉強をし直して、音楽大学への道を進む・・・というcourseもある、という事は例外としてあります。しかし、それは管楽器や声楽が体の呼吸器官を使用する特殊な分野なので、そういう例外の分野を除いては、早期教育が重要である事は否めない事実です。

仕事として、プロとしての専門的な勉強には、高校生や大学生になってから、学んでも、充分に間に合う医者のような知識優先の職業と、子供の内から体を作って行かないと、間に合わない、athleteや音楽家、ballerina等の技術優先の特殊な職業があります。(それは職人の世界でも同じで、比較的歳を取っても学べる職業と、子供の内から技術を修得しなければならない高度な技術を要する職業に分かれます。)

音楽の勉強に限って言えば、子供が高校生くらいになって、将来音楽大学等に進学して、proの世界に進むか・・を自分自身で判断出来るような年齢になってから、自分の進む道を決める…という事は、技術を身に付けるという意味でも、有り得ない事なのです。
それからでは、技術の修得は有り得ませんし、体や音を魂として修得するという事が出来なくなってしまいます。
それ迄に、子供の成長に応じた、その年令に必要な技術を、その年令で身に付けて、その年令で到達出来ていなければならない技術が、その年令に応じた水準に到達していなければならないのですよ?
勿論、その水準の高さは、目標のlevelで違います。

つまり、音楽を愉しみとして捉えるのか、職業として捉えるのか?では、音楽への水準のlevelが変わります。
同じ、職業として捉えるとしても、その人に取って音楽が生活の一部なのか、生活の全てなのか・・でも、その人が捉える音楽の水準(Niveau)が変わってしまうのです。
つまり、ある人達にとっては、音楽は愉しい娯楽であり、ある人達にとっては美しい芸術であります。また、ある人達にとっては、音楽は崇高な宗教のようなものなのです。

同じproという立場を取ったとしても、音楽への心の置き所で、目標とする音楽の水準(Niveau)が変わってしまうのです。

という事で、何を持ってproというか・・という事は、それを学習しようとする人達にとっても、富士登山を指すのか、エベレストの登山を目指すのか?というように、人生の目標が異なってしえば、目標の高さも違ってくるのですよ。
その目標の違い(富士山か、エベレストかの違い)を、水準(Niveau)という言葉で言い表す事も出来ます。

人生の中で…、或いは、世の中では、仕事の何たるか?を判断する上での最も重要な判断上の基準は、「水準(Niveau)」です。

その水準(Niveau)についての捉え方を説明するに当たって、一番身近な分かり易い例として、「料理を学ぶ」・・・という事を例にとって、お話を進めて行く事にしましょう。

子供達が、料理を学ぶという機会は、家庭で母親から学ぶ・・・という事を除いては、小学校で、学校のカリキュラムの一つとして学ぶ・・というのが一般的でしょうかね?
学校では、家庭科の授業があって、そこでは、料理を指導します。
しかし、学校の授業の家庭科で料理を習ったから…、といって、それで子供達にとって、料理の基本が修得出来た・・とか、proの料理人になれる道筋が出来た・・と思う人はいないはずです。
それは、とりもなおさず、皆さんが理解している、学校の料理教室の教育水準なのですよ?
料理という分野は、誰にとっても、身近な存在なので、学校の料理教室の水準に対して、そこで疑問を持つ人はいません。
その水準を第一段階の水準とする事にしましょう。
学校の料理教室は、料理への道という事の導入とするか否かでは、皆さんも疑問に思う事でしょう。料理に対しての興味を抱かせたとしても、そこから料理のプロへの道へ歩み始めるにしては、まだいくつもの工程経なければならないでしょうからね?

つまり、同様なお話は幾つもあるのですよ。
その一例として、今は、学校でパソコンの授業もあります。
しかし、一般の授業の範囲で、子供達がパソコンの使い方をマスター出来る分けはありません。パソコンが授業に導入された・・という事で、子供達にExcel やwordを使えるようになったのかな??と思って、生徒に入力を頼んだのですが、呆れてしまいました。shortcut-keyの使い方すら全く習っていなかったのですよ。授業でパソコンを学んだ・・とは、何を学んだのか・・今持って分かりません。

(勿論、今でもパソコンの授業に特価した小学校はあるようなのですが、それは全国でも非常に珍しい学校のお話なので、野球や新体操の、それを特化した学校と同じ話なので、別のお話になります。)

しかし、文科省の指針では、これからは2020年を目指して、小学低学年の内から、「パソコンで簡単なsoftを作らせる」というcurriculumを導入するそうです。
それならば、学校教育でも、パソコンの導入ぐらいにはなりそうですよね??

文科省も、学校の教育に、なんとか実用性を持たせたいのでしょうが、指導する側も学ぶ側も、それに対しての技術力や指導力は兎も角としても、それ以前に、子供達一人一人がパソコンへの必要性を感じるのかな?
必要性のない所で、新しいカリキュラムを始めたら、またぞろ、大変な事になりそうですよねぇ?
私と同世代の人達には、mailさえ全く使えない人達が多くて困ってしまいます。今どき、達筆なお手紙を頂いてもお返事が出来ないのですよ。
私は、文字に全く自信がなかったので、mailやwordは結構助かりましたのでね??

はてさて、料理のお話に戻って、・・学校に家庭科という授業があって、子供の頃に、そこでごはんの炊き方や、調理の仕方を学んだはずの大人の人達ですが、それで、日常の食生活が出来る分けではありません。
そこで、大人になって、料理を学び直すことを決心した場合、殆どの人達は料理教室に出掛けて、そこで学び直します。

さて、巷には、多くの料理教室があります。
普通の人が、料理について興味を持ったとしても、それは、全くの趣味の世界の話しに過ぎません。

そういった、ただ「料理が上手になりたい?」といった自己満足的な願望だけならば、巷の「料理教室」で、ある程度の基礎を学べば充分に満足する事が出来るでしょうね?

趣味の世界を逸脱した、「男の料理教室」なんてmaniacな教室もあるようですが、それでも所詮は趣味に過ぎません。つまり、作る対象が自分や家族を喜ばせるために過ぎないからです。個人の範囲を逸脱しないからなのです。
これが第二段階の水準です。

しかし、「料理の腕を活かして、お店を開きたい」という事ならば、そういった、一般的なcourseとは違って、proになるための、道順がレッキとして存在します。
proになるためには、まずは資格が必要です。

試験を受けて資格を取れば、お店を開く事が出来ます。資格とは基礎知識の事です。
つまり、言い方を変えると、お店を開くだけならば、料理の腕は必要ないのですよ。
必要なのは資格だけなのですよ。
という事で、ここには水準はありません。

「車の運転をしよう」と思った人は、自動車学校に通って、車の運転免許を取ります。
試験に合格して、そこで警察がいつも言っている事は、「車の運転免許というのは、車を運転しても良い」という意味であって、「車の運転の技術が認められた」・・という意味ではない・・という事なのです。
「車を一人で運転しても良いと認められたから、車の運転を勉強しなさい」という意味なのですよ。
それまでは、同乗者が居ないと車の運転は認められなかったのですからね。車を一人で運転するだけの基礎知識を学習した・・という意味なのですよ。

調理師の免許も、調理師の基礎知識を持った・・という意味であり、料理の腕を保証するものではないのですよ。
巷の料理教室ではなく、プロを育て上げる料理の専門学校があり、料理人を目指す人達がそこで学んでいます。勿論、調理師の資格を取っただけで、自分が独学で学んだ技術のみでお店を開いて、結構それなりに成功している人もいます。
とどのつまりは、お店を開くには、調理師の学校を出る必要はないのですよ。

一つ不思議な事は、調理師を養成する専門学校はあるし、料理教室もあるけれど、料理の大学は聞いた事がありませんよね?
栄養士の大学はあるけれど、料理の大学は世界的に見ても、聞いた事がありません。
その理由はよく分かつているけれどネ?
・・・分からない??
答えは、技術は職人の世界であり、学校の一般論で学ぶ事は出来ないからですよ。料理を学校で学んだとしても、作り方に大差はないのです。同じ作り方をしても、proとamateurでは歴然とした落差があるのですよ。
それを学校で学べる分けはないでしょう??
そんな当たり前の事を信じて疑わないのは、音楽を勉強する人達だけですよ。

料理を勉強するために、そういった専門の学校で学んだからといっても、それで、お店が成り立つ分けではありません。
資格を取って、専門の学校で勉強をして、お店を開くためのお店の経営等の、万全の準備をしたのにも関わらず、現実の世界では、それが通用する分けではありません。
事実、江古田の町では、新しいお店の大半が半年も経たないでどんどん潰れています。
私も興味本位で、新しいお店が出来た時には、よく食べに行って見るのですが、不思議なくらいに、そのお店がいつまで持つかが分かるのですよ。
ラーメン屋に至っては、全国規模に店舗を構える超有名店ですら、江古田の町では、半年持たないで潰れてしまいます。
江古田の町はそれくらいのラーメンの激戦区です。
ここまでのお話が、第三段階の水準のお話です。

Niveauのお話をしているつもりでしたが、お話の骨子とはズレてしまったので、お話をもう一度Niveauのお話に戻して、お店を開きたいという思い・・ではなく、本当の本物の味を追求するために料理を学ぶ・・という料理人もいます。

本当に美味しい料理とは、一般的には、美味しいお店は「行列の出来るお店」と言われていますが、私は行列の出来るお店には基本的には行きません。
勿論、昔々は、私が若い頃には、お店で並んだ経験もありますが、それで美味しいと思った事は一度もありません。
本当の美味しいお店は、行列の出来るお店ではありません。
寧ろ、一元さんお断りの、一般的には知られていないお店の方が、本当に美味しいお店は多いようです。
但し、超高級店なので、私は、自分から食べに出かける事はありません。

本当の本物の味を勉強したい人達はそういったお店で弟子になって、修行をして料理の勉強をする事が多いようです。
しかし、そういったお店での、修業は大変です。
弟子になる事すら、容易ではありません。
ラッキーにも、弟子に成れたとしても、先生に認めて貰えるようになるまでには、大変な努力を必要とするでしょう。
つまり、このお話が、プロの中のプロのお話になります。
ここまで行って、やっと芸術の域に到達するのですよ。
水準も、この第四段階迄登り詰めないと、料理が芸術になるという水準にはならないのです。
では、第三段階はなんという水準なのでしょうかね?
それは、職人の水準なのです。
でも、芸術という水準は、自分で芸術家であるか否かを判断する事は出来ません。
それは職人を続けた人が後世の時代から受ける評価だからなのです。

ここでとても大切な事が一つあります。
それは、趣味の世界の延長線上にproの世界はない・・・という事なのです。
汽車の旅のように、出発の路線が違った場合には、目的地に到達する事はないのですよ。
目指すのが上野のお山なら、スニーカーで出かける事が出来ますが、エベレストに挑むのならば、登山の専用の靴を履かなければなりません。靴から違うのですよ。

趣味で音楽を楽しむのならば、学校の部活動はとても有意義です。
教室でオケに参加して来た先輩諸氏も多くの人達が学校での部活動にも力を注いで来ました。
教室もそういった書先輩方のバックアップや応援を積極的にして来ました。

でも、「将来音楽の道に進みたい」「音楽の専門家になりたい」という希望が千分の一、万分の一でもあるのならば、「趣味の世界の延長線上にproの道はない」という、この言葉を噛み締めて置かねばなりません。

何故、趣味の延長線上にプロの世界はないのか?という理由は、余りにも無数にあります。
しかし、その最たる理由を挙げるとすると、正しい技術を学ぶ事は大変に難しく、誤った技術は意図も簡単に身に付いてしまうからです?しかも、一度身に付いた誤った技術を正しく修正する事は、至難の事になります。

私が、子供の教育を求められた時に、音楽大学で、間違えた技術を学んで来た学生達に、その誤った技術修正してやるだけで、4年間は掛かるという事で、全く何も学んでいない子供達になります正しい指導をした方が、極めて効率が良いという事でした。

部活動の中には、正しいsystemやカリキュラムはありません。
そこで誤った技術を身に付けてしまうと、二度と正しい技術が身に付く事はないと確信します。
趣味の人の場合には、音楽技術を追究する事が、目的ではないので、腱鞘炎になったとしても、腱鞘炎にならないような技術を身に付ける必要性はないのです。

日本の音楽の社会では、腱鞘炎は練習のし過ぎとされて、ある意味プライドを擽るものなのですから。
教室の場合は、腱鞘炎になるという事は、その場所に不自然な動きがあるという事で、演奏技術の未熟さの証しになってしまいます。

私達の教室は、「巷の音楽教室」に過ぎません。
プロを育成しようとしている音楽大学ではないのですよ?
ですから、教室の大半の生徒達は、音楽は趣味に過ぎないのです。

ましてや、一般的には、「巷の音楽教室」から、proになる人達が輩出される事はありえないのです。
たかが巷の音楽教室から、音大に進学したり、飛び級で海外の大学に留学したり、concoursで全国大会に入賞する事は皆無のハズです。

教室の事を誰かに説明しようとした人が相手が理解してくれない・・と嘆いている人がいました。

しかし、それは当たり前の事です。
有り得ない教室の事を理解させようとしても、理解出来ないのは当たり前ですからね。
有り得ないのだから…ですよ?
有り得ない事を理解出来る人は、或る意味、有り得ないものを作り出せる、天才的な人達だけなのですから。
一般の音楽大学の先生やorchestraの演奏家達には理解出来ない、のは当たり前なのですよ。

文部省の人達が求めるように、優れたプロの指導者が子供達を指導するためには、プロが指導出来る環境が必要になります。
プロの演奏家が、子供達を指導出来る場所は、conservatoireです。
でも残念ながら、日本には小学生の間から、子供達がプロの指導を受ける事の出来るConservatoireは一校もありませんし、私達の教室も残念ながら、Conservatoireではないのです。
また、教室を今の大学に合わせて、音楽大学にしようと考えた人もいましたが、文部省側のカリキュラムの制約が色々とあって、教室の体制とは合わないのですよ。
文部省の体制に合わせると一般の音楽大学と同じになってしますしね。
2020年以降ならば、可能性は或るのかな??



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8月

連日の猛暑日で
2018年8月2日

連日の猛暑日で練馬も35℃超えが続いています。政府のお達しで私も室温を27℃に設定して見たのですが、私にとっては外界の気温との落差で体感温度を感じるので、−9℃近い温度差は耐えられなく寒く感じるので、今日も35℃超えなのですが、エアコンは限界温度である30℃に設定しています。
それでも、寒いのだよな??
除湿ならば、良さそうなものですが、除湿は冷房よりも冷えるのですよ。
温度を下げないで除湿にすれば好いのでしょうけれど、それはクーラーの最新機種の「売り」のお話で、今テレビで宣伝していますよね??



私は夏風邪にかかってからは冷えすぎないように窓を開けた状態でエアコンは30度に設定して、サーキュレータも回してます。エアコンの風と外気の風を混ぜて・・・冷えすぎない暑すぎないように・・・電気代はもったいないですけど・・・

なんで、30℃以上の設定がないのでしょうね??

それ以上となると暖房かも(笑)
31度の設定してもエアコンから出てくる風は冷たいから外気と混ぜて・・・室温はほぼ30度ですね。サーキュレーターが回ってるので、上手く混ぜて・・・ときどき涼しい風を感じます。


昔々の安い機種では、温度差の設定があって、−1℃差とか2℃差とかあったのだけど、30℃超えでは利かないのかな??


今日はなんと38℃だったそうで、今でも34℃あるのだそうです。突然、部屋が暑くなって来て、27℃に変更して、サーキュレーターで部屋の空気を撹拌しているのですが、全く冷えて来ません。どうなっているのだ??
ヒョッとして、熱中症の初期症状??

急いで、首に保冷剤の首巻きを巻きました。



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2018年8月2日

「覚え直しと記憶のすり替え、妄想性障害」

学校教育では、指導された内容というのは絶対であり、それが変更される事はありません。
ですから、子供達が一度覚えた内容を、覚え直すという事は、学校教育上や塾の教育では有り得ない事なのです。
それが子供達の成長を阻む大きな障害にもなっています。...
人生の中では、それまでの知識を棄てて新しい知識と交換する事で、人間として成長をして行きます。記憶の書き換えは、成長する上での必然なのです。

しかし、それを阻むものとしては、権威としての絶対性があります。
音楽を学ぶ場合でも、出版されている楽譜は絶対であり、bowingやarticulation指使いに至るまで、変更する事は、日本の音楽教育と同様に有りません。日本の音楽教育の場合でも、文科省的に定められた音楽の定義は、おおよそProにとっては、理解し難い世界です。でも、それが、文部省的には正しいとされるので、子供達に音楽を教える立場としては、困ってしまいます。

まあ、いずれにしても、子供達の教育で、学んだ事を、訂正しなければならないという事は、有り得ない事でしょうかね?
・・・という事で、今の子供達は、学んだ事を訂正されるのがとても苦手で、それが明らかに間違いだと分かっていたとしても、そういった事を訂正する事は有り得ないのです。
音楽の世界でも、音符やbowingを訂正するのは、基本的には、タブーとされていました。

しかし、本当は、音楽の世界に限らず、あらゆる芸術の世界では、最終稿というものは存在しません。
勉強をし続ける限り、訂正や変更等の推敲は絶対だからなのです。

ましてや、proのorchestraに就職したりすると、同じ曲であったとしても、毎回新しい指揮者が来て、独自の解釈をorchestraに、要求します。
「私達のorchestraではこの曲はこう演奏します。」という事はプロの世界に限らず、たとえamateurのorchestraの演奏家であったとしても、有り得ない事で、また許されない事です。

私の場合でも、出版された楽譜をそのままに使用する場合には、基本的には、演奏上の変更はないのですが、時代考証をしたperiod奏法での演奏の場合には、100年も以上前に出版された楽譜では、ロマン派的な解釈で、正しい演奏とは言えないのが現実です。

医学や宇宙科学の世界でも、毎日のように、その常識が変更されてしまいます。
悪い意味に使用されている言葉ですが、朝令暮改などということは、もはや、死語の話しです。
私が小学校や中学時代に学んだ科学の知識の殆どが、今は、誤りとされています。

「俺は、小学校の時にそのように習ったのだよ?」と言っても、今の子供達には、通じないのですよ?
いや?困った事です。

今現在、私が子供達に教えている音楽の内容が、一般的な解釈になるのは、後30年くらいは必要かも知れません。
時代考証を伴った音楽の演奏のstyleは、1990年代から始まった、時代の最先端の音楽の分野になります。

子供達が大人になって、音楽の世界で活躍するようになった時には、その知識は絶大な力となってくれると思います。
また、rootsを知るという事は、正しい奏法を知る事にもなるので、100年以上も前に、音楽事始めで、全く無知のまま、西洋の音楽教育を富国強兵のために取り入れた誤った基本を、未だに信じている日本のアカディミズムの誤りを理解する上でも、良い勉強になります。

また、日本の子供達への一般教育上の問題でも、「子供達に一番足りない」とされる記憶への柔軟性の教育が、いくつものpatternをこなす能力であり、記憶したものを覚え変えて行く能力です。

よく似て非なるもののお話ですが、「記憶の覚え直し」とは、時折、一般の人達によく見受ける「記憶を自分の都合の良いように、思い変えて記憶する」のとは、全く違ったものです。

都合の良いように、思い変えて記憶する人は、その記憶が潜在意識的に書き換えられるので、本人には、覚え直したという自覚はありません?
こういった事が、病的になると「妄想性障害」となります。
これが社会の迷惑となる元凶です。
「言った!」「言わない!」というtroubleは、その殆どがこの「記憶のすり替え」によって引き起こされます。

それに対して、記憶を覚え変えて行く技術は、その理由や過程を自覚しているので、その変更をいつでも再現できるのです。
それは、根本的に別の能力になります?




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鬱と体調
2018年8月2日

疲れたので、寝なくちゃぁ?と思ったら、既に、布団の中で、寝ているところだった?
じゃあ、ついでに、このまま寝るかと思って寝た?
なんだろね

流石に、この暑さは体がついて来ない?...
連日の35℃超えである。
この所、心臓の調子も、今一なので、鬱が久し振りに始まった?
doublepunchだなや

体調不良の時に、鬱になるのは困るのだが、しかしながら、体調が良い時には、鬱にはならないのだよ。で当たり前の話しなのだ・・・と思われるかもしれないけど、言い方を変えると、体調不良でも、必ずしも鬱にはならない・・・時もある・・・という事だよな
逆、必ずしも真ならず?・・・いや、少し意味が違うか?不可逆的とでも、言うのかな?
う〜ん、頭が働かない?
言葉が思いつかない?
暑さのせいにでもしておくか?

そう言えば、動画の編集をしている最中だったのに、energy切れで布団に入ったのだよな?
それで、仕事モードのままだったのだよな?
という事は、ベッドから起きて、パソコンのcheckをしに行かなければならないのだ?

暑さに耐えながら、うだうだと仕事をしていたら、夕方から夜に掛けて更に鬱が酷くなって来た。
心臓の調子、所謂、不整脈と、体調不良と、仕事上のstressがダブって鬱が酷くなってしまった。

stress、所謂、人生の行き詰まりの鬱の時には、そのstressには関係のない、あらゆる解決されていない要因があれも・・これも・・と、全てが浮き出して来る。
人生、全てが完璧とは行かないのだから、問題を幾つ抱えていても、至極、当たり前の事なのだけど、普段ならばどうでもよいような良し無し事が、そこはかとなく思い起こされる。
坊さんの場合ならば、全ての束縛から離れて、「人間本来無一物」で片付くのだが、人に囲まれて生活をしている今は放下著とも行かない。

よくhomepageにも書いている事だが、私が作曲家という職業に憧れた第一点は、小、中学校の頃に、作曲家の伝記を読んで、その孤独な生き方に感動したからだ。その当時に読んだ本は今は知らない。
只、誰とも口をきかなくても、出来る仕事だ・・と若気のいたりで、勘違いしたからだ。

私が音楽家になった事は、私の作曲家という職業への無知だったのかも知れないが、音楽家になった事自体は、私は後悔はしていない。
日本の音楽界に対しては、私自身のstanceとしては、相も変わらず批判的ではあるのだが、音楽そのもの2楽章対しては、これだけ歳を取っても、相変わらず素晴らしい、幸せだと感じる一瞬が多いのだよ。

私が音楽教室を開いた事についてという事なら、喜びと煩わしさが半々で、私の事を中々理解して貰えなくて、「・・・俺の居場所が・・」とよく悩んでしまう。

しかし、当初のように、音楽大学に勤めていたとすれば、別の意味での対人関係に悩んでいただろうし、periodの研究も、自分の校訂した曲の演奏も出来てはいなかっただろうしね。

時代の最先端の教育、・・・・これは、不思議な事に、巷の音楽教室の先生だから出来る事なのだよ。
アカディミズムの大学の世界では、traditionalな教育しか認められないからだよ。そこは、一般の大学とは、大きな隔たりがある?

periodという分野が、アカディミズムの世界に普及しないのは、period奏法を認めるという事は、一般の音楽の世界の奏法を全否定する事になってしまうからで、自分が学んで来たものを捨て去る事は、非常に難しいからだよ?

そう言った、音楽理論上の話しではなく、単なる教育上の問題だけだとしても、巷の音楽教室としては、相も変わらず世間の無理解に悩んでいるのだが、それは音楽教室としての宿命かも知れない。

日本の女の子の場合には、音楽や勉強に対して、職業という意識が希薄なのだよ。
だから、生徒のみならず、音大生を指導したとしても、その日本女性特有の甘えの構造と、ぶつかる事になる。(そういった女性の意識が、日本の女性の地位を世界の130番代の位置に甘んじさせているのだけどね?)

男の子の場合には、その甘えの構造は、小学生の児童でも持ち合わせてはいないのだから、この男女格差は驚きだよな?
音楽教室の指導者が男の先生達の教室で、生徒も男子生徒が中心ならば、私が教育論文を書く必要もなかったろうし、指導でも、何の苦労もなかったのだろうが、日本社会では男性が音楽を勉強してproになる・・という事は極めて稀な事だから致し方はない。

私自身は、何が何でも、生活のために、音楽教室を経営しなければならない・・という事はないので、こういう鬱で体調不良の時には、ひたすら、一人っきりで、引き籠って安静にしておけばよいのだが、教室の経営者としては、休み中は逆に結構雑用が忙しいので、引き籠もりが出来ないのが難点だよな??

ここの所、不整脈が酷いので、本当は安静にしなければならないのだが、あまりにも鬱が酷いので、本当は節制しているbeerを飲む事にした。
心の緊急避難ってとこかな?
ついでに、風呂にも入ってのんびりとしたい所なのだが、不整脈にalcoholでは、何時心停止してもおかしくないので、流石に風呂はやめておく事にする。

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今、一番オケ練習で、子供達への指導で一番に注意している事は、「同じ注意を二度とされないようにする」・・・という事です。
これは勉強嫌いの中、高生の時の私のmottoです。
私が子供の時に自分に科したモットーなので、教育的に恵まれた今の子供達には、難しい要求ではないと思います。
「勉強しろ!」という注意を聞き入れるか否かは兎も角として(勉強をしたくないので、先生の説明や注意をしっかりと聞くという意味なので、「勉強しろ」という注意は、論外です。)、それ以外の細かい注意や指示は、ちゃんと頭に入れておけば、勉強をしなくても或る程度の成績は確保出来るからです。
それで時間を作って、音楽の勉強に当てたかったのでネ。

オケ練習で、私がお話をしているのに、曲の演奏上の注意事項を説明しているのに、その本人が、全く私の話しを聞いていない?という事がよくあります。
自分に対してのお話である・・・という事を理解していない・・・という事よりも、自分に関係がなかったら、お話を聞く必要はない・・・という姿勢が問題なのです。
困った事です。
・・というよりも、大変勿体無い事です。

教室のmethodeは基本的には、「時短」のmethodeだよ・・というお話は何度もしていると思うのですがね??
何を持って時短になるのか?という事を、分かっていないという事なのですよね?

昔の生徒達のオケ練習では、楽譜に書き込んでいると、練習をする事が出来なくなって、練習の進度に付いてこれなくなってしまうので、練習中に楽譜に注意事項を書く事はさせませんでしたし、どうしても、私の言う注意事項が覚えられない生徒は、楽譜の上に数字でcheckだけをさせて、内容を書くのは、練習が終わってからにさせていました。(数字で書くのは、注意事項が幾つ有ったか??を把握させるための意味もあります。)
数字を見ても、練習の内容を思い出せない生徒は、カセットテープレコーダーを持ってこらせて、自宅に帰ってから、練習風景を聴く事で、注意事項を書き取らせていました。
教室で始めから学んでいる生徒達の多くは、発表会で演奏をすると、幾つ間違えたか??(より正確に何をどう間違えたかを言う事が出来ました。)塾に行き始めると、そういった能力が消えて行くのだけどね??
それは塾の教育が「教え込み」で、自分で判断する事を嫌うからです。塾や学校で「なぜ、そうなるの??」という事を懇切丁寧に指導しようとすると、時間が足りなくなって、curriculumが成り立たなくなるからです。

仮に、2020年から、新しい授業が始まったとしても、文科省がcurriculumに時間を取り込む場合には、その教育は成り立ちません。教育はゆとりなのですからね?

日本の学校では、私達の時代では、黒板の文字を書き取らせながら、先生の説明を聞くような教育が一般的だったのですが、アメリカやヨーロッパでは、先生がお話をしている時には、生徒は筆を持ってはいけない約束なのです。先生のお話を集中して聴かなければならないのです。
子供達が、先生のお話をちゃんと聴けて理解出来ているのかを指導者は正確に判断しなければなりません。こで、対話型のそ授業が必要になります。このそ手順を誤ると、授業は極めてつまらないものになってしまいます。

人間は、同時に二つの事に集中は出来ません。
文字を書いている時には、理解は出来ていないのですよ。
つまり、今の子供達は先生のお話を聴く・・という一番大切な事が出来ていないのですよ。

先生のお話を聴く・・という事には、もう一つ大切な要素があります。
それは、「何処まで理解出来たか??」「どこが理解出来なかったか?」を判断しながら聴くという事です。
それが、「積極的に聴く」・・という意味になります。
子供達が積極的に聴けないのは、先生のお話を聴く・・という事が受動的だから・・に他なりません。
受動的では何も身につかないのですよ。

記憶力は、集中力によって産み出されます。
集中力は、その事に対しての興味で産み出されるのです。
そして、その「興味を抱く」という事は、積極的に聴く事からしか、産み出されないのですよ。

オケ練習で、先生が説明をしている時に、雑談をしたり、ボンヤリしているという事は、「その練習に興味がない」ってという事になってしまいます?
「え〜っ??私の話がそんなに面白くないのかな??」と悩む事もあります。

オケに参加している生徒達全体を見ていると、流石に、上級生達は、全員、ちゃんと私のお話を聞けているので、私のお話がつまらないせいではないようですがね?
特に、他の人が注意を受けている時に、自分が注意されている分けではないので・・・と、お話を聞かない人がいて、困ってしまいます。

「人の振り見て、我が振り直せ」ということわざは、とても大切な言葉ですよ?
修身的には、「人の悪い行いを見て、自分がそれをしないように注意しなさい!!」という意味に解説されますが、人が注意されるのを見るだけではなく、褒められている所もちゃんと見て、そのように行動出来るようにすると良い・・という意味です。

人には「1を聴いて、10を知る」というとても素晴らしい能力を持った人がいます。
そういった人になりたくても、社会で「そういう人であれ」と要求されても、それは能力なので、中々出来る事ではありませんが、「人の振り見て我が振り直せ」ならば、簡単に出来るし、それをmottoにするだけで、上司からや先生達からも、注意される事は少なくなりますし、教わらなくても出来るようになる事が可能となります。

でも、大学の聴講とか、公開lessonというのは、「人の振り見て我が振り直せ」という意味の授業なのですよ。
人様のlessonを見て、どういう風にすれば良いのかを学習したり、授業を受けている学生達の様子を見て、勉強する事は、取りも直さず「人の振り見て我が振り直せ」という事ではないでしょうかね??



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昨夜は色々とゴタゴタでの怒りに任せて、深夜一人になった・・・というのに、鬱のぼっちで、久し振りに飲み食いをしたので(…とは言っても、beerの中缶を一缶だけ飲んだだけなのですがね)、その余波で、今日はもう、お昼の2時を過ぎたのに、まだ一食もしてません。
それに、昨夜は先生達、全員もメゲたので、夜の食事は何も作らなかったので、前日の残りの有り合わせの食材しか、なかったので、ごはんだけをお持ち帰りのお弁当にして持って帰ったのですが、おかずは何も持って帰らなかったので、ハイツに置きっぱの買い置きの乾物だけで、ごはんを食べなければならなかったのですが、相変わらずの鬱で、食べる準備が出来なくって、食事をするのを躊躇しているところです。
しかし、薬を飲むtimelimitもあるので、そろそろ、なにかしら、食べなければならないのですが、昨夜の鬱をまだ引きずっていて、気分があがらず、食事のために、わざわざ体を動かす気にはなりません。
困った事です?
しかしながら、こういう事で一日の食事の量が減っても、少しも痩せないのだよな?困った事だよ?



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今日(8月4日の土曜日)も30℃超え(34℃)でクーラーのつけっぱなしが何日も続いています。今日も朝から疲れたので、ベッドで寝ようと思ったのだけど、寝苦しくって横になれないのですよ。でも、椅子に座ったままでは、どんどん疲れて行ってしまいます。困ったよな??
しかし、薬が変わってから、足の甲の腫れが少し引いてきたし、足の脛の腫れも引いて来たように感じたのだが、その話しを人にしたら、夏休みだから、stressが少ないのでしょう?と、言われてしまった。
そりゃ、そうかもね?



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「limitとtiming」
2018年8月4日

「limitとtiming」
仕事や勉強には、私が「endless作業」と呼んでいる仕事があります。
統計の作業のように、データを蓄積させて行く作業です。
同じendless作業でも、芸術のように終わりのない目標に向かって突き進む仕事もあります。逃げ水のように、目標に近づくと、それは逃げて行ってしまいます。
目標に到達出来た・・と思う事は、芸術の行き詰まりを表すのです。その時には、芸術家を止める時です。
果てしのない、終わる事のない作業です。
しかし、実際には、世の中には、endless作業の方が多いのかも知れません。

音楽の勉強でも、通常は、「Beyer教則本を1曲づつ合格させて、次に・・」というふうに、「曲を合格したら、次の課題に進む」・・のが一般的な勉強の仕方でしょうね??
指導力のない先生は、一度教えた技術について、次の曲では、復習させる事はありません。
常に、新しい事を指導する事が、先生の力量と勘違いをしています。

優れた先生は、一つの技術が完全に身に付く迄?何年間も、同じ技術を、繰り返し指導します。生徒にその技術が身に付く迄、諦める事はありません。

つまり、曲が変わる度に、新しい技術を指導する事は、傍目には、誠意を持った指導のように感じるのかも知れませんが、実際の指導では、基本中の基本が身に付く事はないので、必ず行き詰まりを産み出して、挫折の元になってしまいます。

私の「キリンさんの教則本」でも「Beyer教則本」でも、最初に登場した課題は次の曲でも、その次の曲でも、必ず出てきます。
そうした技術の積み上げをして行って、始めて難しい曲が楽に弾きこなせるようになるのです。

そのお話は、単なる技術の話しだけには、留まりません。
一つの曲を学ぶ事でも、同様なのです。
一般的な音楽の教育では、曲を一度学ぶと、その曲をもう一度学ぶ事は、通常ありませんが、私の教室の指導では、同じ曲を小学生の時、中学生の時、高校生の時・・と、繰り返し学ぶ事がよくあります。
時々、「それでは子供達が飽きてしまって、嫌がる事はないのか?」と、質問される事があります。
しかし、私達の教室では、それはありません。

「飽きる」という事は、同じ事を同じlevelで指導するから「飽きる」のです。誰でも、出来た事を復習させられる程無駄で嫌な時間の無駄はないからです。

私が指導する場合には、小学生の時のapproachと高校生の時のapproachではその水準(Niveau)が全く違うので、子供達も、同じ曲であったとしても、全く別の曲として感じ、学ぶ事が出来るからなのです。

以下はクール(coursフランス語=和製英語?)のお話です。
教室での発表会は、半年をone coursとして、春と秋に年2回のpaceで開催します。

一般的な音楽教室の場合には、1年半くらいのpaceで発表会を開催するのが、普通なので、大変多いpaceで、大変ではないのか?と質問される事もあります。
たしかに、先生達にとっては、年2回のpaceは、大変なのですが、生徒にとっては、発表会は希望参加なので、年1回しか参加しない生徒さんもいるし、発表会に、全く出ない生徒もいます。
しかし、或る程度、上手になるために音楽を学んでいる生徒にとっては、この年2回のpaceはとても重要な意味を持っています。
子供の勉強のための目標とするには、年1回では、緊張感が持続出来ないのです。
将来の目標が5ヶ月以上は現実味を持って、捉える事が出来ないからなのです。

また、上級生や、目標を音楽に持つ生徒の場合には、その生徒達の力量に合わせて、年に数回の対外出演をする事もあります。
つまり、発表会の回数は、生徒の音楽に対しての意識で決まるのです。

さて、ここからが本題の勉強のtimingのお話です。
子供達は発表会を曲の勉強のlimitとしてlessonで曲を学習します。
でも音楽が趣味で練習も好きではない生徒の場合には、発表会の直前になって、その発表会までの1週間ぐらいの間、一生懸命頑張って、何とか発表会に間に合わせる・・という生徒もいます。

一週間ぐらい、一生懸命頑張って、間に合わせるつもりが、後、2日、3日分、間に合わなくって、「1週間前に、頑張ったら良かった!!」と反省をしてい嘆いている生徒もいました。

或る時に、そういった生徒にお話をして、「どっち道、発表会の直前になって一生懸命頑張るのなら、その頑張りを、曲を貰った時の1週間にしたら??」とadviceをしました。「同じ、1週間の頑張りならば、発表会直前でも、曲を貰ったすぐでも同じでしょう??」というお話です。
「発表会直前に、間に合う・・とか、間に合わない・・とか言うriskもないしね??」というと、「発表会直前に頑張らなくても良い」という条件に納得して、曲を貰った直ぐに、或る程度は弾けるように、1週間だけ頑張る・・という努力をするようになりました。
その生徒は、見違えるように、Pianoが上手になったのですよ。

だって、譜読みの段階のlessonを半年続けるのと、曲を弾けるようになってからの、lessonを半年続けるのでは、lessonそのものの内容が違って来るからです。
これがtimingのお話です。
同じ時間の努力でも、その努力をするtimingを変える事によって大きな成果を挙げる事が出来るけれど、そのtimingを誤ると、目標を達成出来ない・・という悲しむべき事にもなってしまうのです。

より専門性の強い分野では、技術を得るのに、年令の制約を受ける分野があります。
心と体の成長に応じて、勉強をしなければならない・・というgenreもあります。
音楽の場合には、学校教育上の6,3,3,4制度に強い影響を受けてしまいます。
一般中学や、高校の受験を志す場合には、受験勉強のために失う時間が、音楽の勉強に取り返しのつかない遅れを産む事があります。

また、特に、自主性が産まれる中学生の時期に、学業に専念すると、音楽で学ぶべき、音楽を心で感じる・・という最も大切な事を学ぶtimingを喪ってしまうのです。
timingをずらして、高校生の時にでも、改めて学習すれば良いのでしょうが、その時には心への刷り込みが出来なくなっています。機械的な練習は小学生の低学年迄に、身に付けると、苦しむ事なく、単純な練習が出来るようになります。
しかし、この単純な練習を中学生や高校生の時に要求すると、非常に辛い勉強の仕方になってしまうのです。
年齢に寄って修得出来る能力は、全く違うのですよ。

非常に高い技術を必要とする場合でも、あまり年令には関係をしない分野の方が、一般的には多いので、子供の内から、一日も休まないで練習をし続けなければならない・・・という分野については、一般の人達からは、あまり理解して貰えない分野も多く、音楽はその典型的な分野であるとも言えるでしょう。
高校生になって、自分自身で社会の事が分かってから、音楽の道に進むかを判断すれば良い、という忠告は音楽の分野だけではなく、アスリートやバレリーナ達にとっても、有り得ない無知による忠告です。
その時には、そのgenreに進むのは、既に遅いのですよ。
という事で、一芸を目指す子供達は、自分自身の技術の勉強とは別の、人々の無理解とも、闘わなければならないのです。
芸術をよく理解するヨーロッパや、人生の全てを自分自身で決めなければならないアメリカでは、こういった問題は極めて少ないのですがね?
これも、儒教の国だけのお話でしょうかね??

これもまたtimingのお話です。
こういったtimingに関する無理解のお話はそれこそ無数にあります。

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お会いしたお年を召した方に(とは言っても、殆ど私とは同世代だと思いますが、)、「今年の夏は暑いのでお気をつけて・・」と言ったら、「今年は生き抜く事が課題です。」という答えでした。
今年の夏は、老人にとっては、サバイバルの季節なのですよね??
30℃越えの夜は、冷房をかけていても、寝苦しくよく眠れません。
これまでには、経験した事のない、思いもよらない驚きの気候です。
トランプさんを除いたら、世界規模の地球温暖化の異常現象です。
トランプさんだけは、「そんな、気象異常はない」・・そうなので・・



是非ともトランプ氏を、日本のゴルフ場??にお連れして、酷暑????を味わって頂きたいものですね。
もしかしたら、二年後の東京五輪を「暑いから10月以降に延期!」と、考え直して下さるかも(笑)


その時、阿部さんが一緒に廻るのかな?えっ?

勿論ですとも!
暑さをバックに、負けずに相手と渡り合って頂かなくては!


特にマラソンは、死者が出るのではないでしょうかね?

走る側も観戦する側も、ですよね・・

沿道の応援もですよねぇ?

命懸けのサバイバルゲームだったりして


「平和の祭典」と言われても、説得力が無くなりますね(笑)

昔々、私が学生時代、知り合いの留学生が自分の位牌を抱いて飛行機に乗っていったのを思い出しました。位牌って、誰かに持っていて貰うものではないのかな?と、不思議に思ったのですが
いゃ変な思い出でした


どこのお国かは存じませんが、
「最期まで自分の身仕舞いに責任を持たねばならないような文化」を持つ国なのでしょうか?



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我 石麻呂にもの申す、夏ばてによしという、トロロ取り召せ
私のoriginal‐menuのトロロ‐スパゲッティです。
普段のトロロ蕎麦をスープversionにしただけなのですがね??

チョッと強めのひたひた・だし汁にトロロと生卵、今回は小ねぎですが、刻みノリでも美味しいですよ。...
夏バテで、食欲が無い時に最高です。温かい方が良ければ、スープを温かめにすれば良いですよ。冷たい方が良ければ、冷蔵庫でスープを冷やせば良いだけです。
簡単お手軽料理ですよ。






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「今日は安静dayにします。」
一昨日の土曜日の夜は寝はぐれてしまって、小一時間しか眠れなくて、日曜日のユーカリ行きは大変でした。
特に帰りの車の運転は睡魔との闘いで、大声で歌を歌いながらの運転でした。
夜は流石にバテてしまって、ドルプリっ歩もパスをして、食べるだけ食べてから帰ろう・・・と、思ったのですが、食べながら寝てしまう有り様で、食べ終わるかいなかで、大急ぎで、居眠りバイクで、ハイツに戻ったので、流石に「明日は一日、爆睡するのかな?」と思っていたら、小一時間程寝て、トイレに起きたら、空調が上手くいかなくって、蒸し暑苦しくて眠れなくなってしまいました。

今日は、久し振りのお休みdayなので、リラクゼーションという事で、先生達は、豊島園のお風呂に岩盤浴にお出掛けをしましたが、私はお風呂に行くだけの元気が無くって、ハイツに閉じ籠って、ひたすら、寝ています。
極力、パソコンも開かないで、外部との連絡も、必要最低限の電話連絡等だけにして、徹底的に引き籠っています。

それはそうと、夜が近づくに従って、温度が下がって突風が吹くようになって来ました。
ドルっ歩は大雨が心配になって来ました。

時間が過ぎて、夜のドルプリっ歩の時間になったのですが、ドルっ歩どころ・・・ではなく、気がついたら、完全に、寝過ごしていました。
先生達は既に、お休みの時間で、夜食は、抜きになってしまいました。
お腹が空いたのだけど、相変わらずハイツには何も食べ物がないよなあ?  困ってしまうよな?





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寒い!!
2018年8月7日

8月7日の火曜日です。
東京は、今日はなんと一転して、激しい雨で、気温は現在の表示温度は21℃です。
ビデオでは、台風13号が関東直撃とか言っていますよ。

今いる居間の窓を開けて、玄関の扉を半開にして、ドアを開いて風を入れ換えています。寒いぐらい…ではなく、寒いです。

外の気温とは無関係に、ハイツの部屋は、部屋を閉め切っていると、パソコンやテレビの熱で部屋の中は結構な温度になります。
だから、外が寒くても、部屋の中の温度は、まだ厚いのです。だから、外の空気を入れて、温度調節をしました。
風は、北の方から吹き込んで来るので、玄関のドアを半開するだけでも、強烈に吹き込んで来ます。
渡り廊下越しなので、雨は部屋には入り込まないので、助かります。とは言っても、結構な湿気は入って来ます。

流石に、寝室は、布団が湿気って眠れなくなってしまうので、密閉していますがね。Cembaloの部屋も湿気は大敵なので、密閉して当然ですが・・・。

温度が低くてクーラーを入れなくても、結構凌ぎやすいので、安眠出来そうだったのですが、鼻の調子が悪くて、今日も眠れませんでした。
・・いや、鼻詰まりではなく、蓄膿気味で、息が苦しいのですよ。酸欠気味になると、口で呼吸をしなければなりません。それが結構大変なのです?
何時も言うように、椅子に座っていると、呼吸も楽なのですがね?
鼻の洗浄機を持っているので、生理食塩水を作って、ポンプで鼻の洗浄をすると、2,3日は治っているのですが、洗浄した後、2,3時間後に鼻から水が溢れ出るので、外出前や人に会う時にはそれは出来ません。
という事で、それが鼻に良い事は分かっているのですが、中々やりません。





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楽器選定
2018年8月8日

今日(8月8日)は、大型台風13号が関東に上陸予定します。
昨夜から既に、雨、風が強くなって来て、外の気温は肌寒いくらいに冷えています。
今日は、この雨の中を、代官山まで、出掛けます。
勿論、電車でですがね