芦塚先生のFacebook(そのX)抜粋


FacebookTへ 2014年9月4日より、2015年12月31日まで

FacebookUへ 2016年1月1日より、2016年12月31日まで

FacebookVへ 2017年1月1日より、2017年12月31日まで

FacebookWへ 2018年1月1日より、2018年12月31日まで



       下のボタンをclickすると、それぞれの月のindexへ進みます。

1月  2月  3月   4月   5月   6月  


7月

Handel-Ashizuka sarabande(passacaglia) orchestra-version


1月      

1月1日皆々様、新年おめでとうございます

1月1日今日は寒い!

「2019年1月1日pm1時11分」

1月2日amとpmの

1月2日飛び散ったヨーグルトで

1月4日排尿痛が・・

1月4日不立文字

1月4日爆発したヨーグルト

1月5日出来たチーズ

1月5日もう一つのチーズ

1月6日超寒い!

1月6日初めてのwebでのオケ練習

1月7日摂眠障害が

1月8日超現実的な夢

1月9日Handelのpassacagliaのrenewal-version

1月9日右足の爪が

1月10日今日はもう1月も

1月12日今日は今年、初めて椎名町迄

1月12日日本の演奏家の3拍子の

1月12日宮崎駿さんの

1月19日homepageが壊れて

1月22日やっとCapuzziのV楽章のfinaleへの入力が終わった

1月23日本当の本物とそうでない物を区別する事

1月25日今日こそは、ドルプリっ歩に

1月28日無理をしてオケ室内楽の練習に

1月28日ペースメーカーのお話村田さんからのlink

1月29日思いっきり、突き指をした

1月29日携帯用の心電図計です。

1月29日ますます鬱が酷くなって来た

1月30日理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ

1月30日Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった


indexへ


2月

今日は一日意識朦朧と・・

























indexへ


3月














indexへ


4月












indexへ


5月














indexへ


6月















indexへ


7月









































       indexの最後尾へ


indexへ



FacebookTへ


FacebookUへ


FacebookVへ



 
               



                                 本文

1月

ベッドで寝たままに、Facebookを読んでいたら、いつの間にか、年を越してしまいました。

皆々様、新年おめでとうございます?
本年もよろしくお願いいたします。

普段のジルベスターならば、椎名町の事務所で先生達とテレビのカウントダウン・コンサートでも見ながら、年越し蕎麦を食べながら、迎えているはずなのですが、腰痛が酷くて、先生達やプリドルとは別に、江古田の自宅の寝室のベッドでぼっちで、安静にしています。
ベッド・サイドででも見れるように、ワンセグやフルセグの映るテレビを折角買った所までは良かったのですが、動けないので、そのテレビの設定(配線)をする事が出来ないので、結局、テレビは見れないままなのですよ?
これじゃあ、なんのためにテレビを買ったのか分からんわな?

居間兼食堂兼パソコンルームのパソコンの椅子で・・ならば、テレビは見れるのですが、長時間、椅子に座っているだけで、疲れてしまいますので、今の状態では無理です。
・・・という事で、一日中、横になって寝ているベッドの中では、これ以上は眠る事自体、無理難題なので、退屈凌ぎに、ベッドに寝ていても唯一いじることの出来る携帯で、Facebookを読んだり、書いたりする事が、mainになってしまいます。
(寝室にnet環境がないという事は、ある意味致命的だよなぁ?パソコンがないという事は、ベッドでは仕事をする事は、無理だという事が、確定しているしね?)

という事で、本年は、正月も新年もない、うれしくも楽しくもない、寝正月です。(とは言っても、毎年、大晦日から、正月休みの間は、高熱を出して寝込んでいたよな?冬休みは毎年、病気で唸っている時期なのだよな?今年に限っては、冬休みの期間が、11月からになっただけなのだよな?)
まあ、そう、考えると、毎年の恒例の事なのだとも思えるのかもね?

体調が整って、せめて部屋の中だけでも歩けるようにならないと、正月所ではないのでね?




明けましておめでとうございます。
ジルベスター、15秒ほど早く終わり最後の音をのばすといういつものドキドキがなかったです。
今日、届きました
ありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。


それは見てみたかったな?今日届いたのはDVDの話しですか?

DVDと楽譜です。

ロカテリは、エチュードなみに難しいので、まだ、もう少し技術が上達するまで、保留で良いと思います。ヴィヴァルディは、技術的には、簡単かも知れませんが、音楽的には、とても高い水準の曲です。
これまで、紗來ちゃんと瑞希ちゃんが演奏していますが、今回、美音ちゃんのチャレンジは、三人目のチャレンジになります?譜づらを見てください簡単だと思わないように、課題をしっかりと把握してください?
DVDは子供には、文章も言葉も難しいので、説明をしなければなりません。紗來ちゃん達の課題も、出来ても出来なくても、それだけの課題があるのだ、という事が分かれば良いという考え方です。


先生!
明けましておめでとうございます!
先生!
ご健康年の幕開け??
最高のお正月をお過ごしです!


先生 ありがとうございます?本年もよろしくお願いいたします。いっそうのご活躍を楽しみに致しております。




indexへ

今日は寒い!
1月1日 5:09

何故だかは、分からないが今日は寝ていても兎に角、超寒い?
以前は、先生に羽毛の布団を押入れから出して貰って、それで寝ていたのだが、暑すぎて寝れなかったので、何時ものイトーヨーカ堂で緊急に買って来た毛布に戻したのだけど、それでも暑いので、部屋の温度設定を1℃低くして、何とか布団の温度が安定しているのだが、今日はどういう分けかは分からないのだが、兎に角寒い?

ベランダ側のカーテンを見ると、2か所少しカーテンがずれて開いているのだが、ベランダ側の窓ガラスが室内から見えていると、超、寒いのだよ??
それを直しに行くのは、体力的に無理なので、今回はエアコンの温度の設定を変更するだけで、辛坊する事にした?...
練馬区の気温を見てみると、やはり0℃と、東京にしては低い。
まあ、それもあって寒いのだろうが、だからといって、またまた羽毛の布団を出すだけの気力はない?

そこまでするのならば、毛布にしがみついて、震えていた方がましだ?
体力気力がそこまでない・・という話だよ??



indexへ

1月1日 13:08

「2019年1月1日pm1時11分」
ベッドの中でのFacebookの見たり書いたり・・は程々にして、兎にも角にも、寝ようと試みたのだけど、どうしても眠れなくて3時ぐらいになってしまった。それから、何とか熟睡出来て、朝、目が覚めたのだが、時計を見てみると何と未だ朝の6時半である。これは大変だ??と思って取り敢えずトイレに行ってそのまま寝直したのだが、今度も熟睡出来たと思ったら、未だ9時頃だ。
一体、どうなっているのだ??と不思議に思いながら、また入眠に挑戦する?? 絶対に今度は夕方の6時ぐらいだ??と思いながら時計を確認すると、またまた、11時ちょい過ぎぐらいである。
その寝ている間、妙に現実的な夢を見て、どちらの世界が現実の世界であるのか・・分からなくなってしまう。部屋にある物を見て、現実界との確認をする始末である。夢の世界では、私が持っているはずのないものが身の回りにあるので、直ぐに判断出来るのだが、夢の中でも現実の部屋の小物になってしまったら、私が戻って来る場所が分からなくなってしまう。それは困った事だな??
夢の中の世界を現世と思った時がこの世に帰れなくなる時か??


indexへ

amとpmの
1月2日 6:33

何とか爆睡出来て起きた所なのだが、6時という事で、はたと困った??
Facebookでは、これまでも同じ話題で、よく書いている事なのだが、6時という時間は、朝なのか、夜なのかが、目覚めたばかりでは、時計を見ても分からないのだよな??

つまり、2日の朝なのか? 2日の夜なのか? はたまた、3日の朝なのか、3日の夜なのかが、全く分からないのだよ??
私の回りにある時計の数々を見ても、24時間表記の時計はないし、テレビをつけても、6時だという事はあっても、午前か午後かの、その話だけは出ないのだよな??つまり、それまで起きている人にとっては自明の事であるからだよ?

6時という時間が、朝か夜かが分からないという人は、その時間に起きた人にかぎられるからだ?
しかも、長時間寝れる可能性のある人に限られる?
世の中は、そういった極めて稀な人には、対応する事はない?
困った事だ??

・・とは言っても、迷っているのはホンの2,30分に過ぎない。
6時半ともなると、空が明るくなってきて、朝焼けが始まる。
(もっとも、雨の日には、明るくならない事があって、それこそ9時10時になっても、朝か夜かが分からない事もあって、そうなると、体感的に時間が狂ってしまって、悲惨な事になるのだが・・)

今日は、絶好の正月日和らしく、6時半には空が朝焼けの空になって来た。「写真を・・・」と思ったのだが、いつもいつも、同じ窓からの同じ朝焼けの風景の写真では、あまりにも芸がなさすぎるので、写真を撮るのはやめにした。



indexへ

作っておいたヨーグルト3本の内の1本が爆発して、飛び散ったヨーグルトで周りが大変な事になっていた。
仕方がないので、そのままチーズでも作るか??
それにしても、濾し布がないぞ?これは困った


indexへ

排尿痛が・・
1月4日 0:11

たった今、12時を過ぎて4日になった所です。
病院の指示する術後3週間目の安静期をやっと過ぎた所なのですが、私の場合には、バイアスピリン等の血液サラサラの薬を飲んでいるので、血尿や腰痛が未だ収まりそうにありません。

勿論、それは担当の先生から予め言われていた事なので、然程は気にしてはいないのですが、今日(というか、昨日の3日の事なのですが・・・)はどういう分けか朝から頻尿になって、30分起き20分起きぐらいにトイレに行かなければならなかったのですが、足腰が痛くて、トイレまで歩く事が困難なので困ってしまいました。

勿論、それまでも、トイレに行く度に激痛を感じていたのですが、一時間以上は開いていたので、何とか堪えられていたのですが、同じ痛みでも、20分起きともなると、我慢の限界になってしまいます。

排尿痛も相変わらずです。...
でも、「術後直ぐの痛みを10にすると」・・という質問を良く受けるのですが、確かに、血尿、腰痛も術後直後からすると幾分は改善はしているようなので、気長に体調の回復を待つしかありません。
歳を取ると、治るのに時間が掛かるのは、自明の理ですからね。
時の過ぎ行くのは早いもので、休み中にやらなければやらなかった事が、全く出来ないままに、教室の休みがあけてしまいます。
死活問題なのに、何も出来ないでは、困った事です。




ベッドに入って、アンカにしがみついていても寒くて叶いません。勿論、エアコンはつけっぱなしなのに、寒いのですよ?
何故だろう?と思って、スマホを開いて気温を見て驚いたね?なんと、練馬は-2℃だって?
気力と体力があれば、毛布と羽毛布団を交換したのだけど、ベッドから起き出す気力がないのでね?

4日になったのに、尿道の瘡蓋が剥がれて、真っ赤な血尿と一緒に大きな皮膚片の塊が出た。これは1、2週間目に何度となく出なければならないものなので、3週間目が終わった今頃出るのは、とても治りが遅いという意味でもある。まあ、ある意味、気長に解釈すると、「治って来ている」という意味でもあるのだがね?




indexへ

不立文字
1月4日 9:59

不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉がある。
言葉にした途端に意味が変わってしまう・・というか、言葉で表す事の出来ない・・という意味でもある。
人間が自分の経験の中で知っている知識に、教わる事を無理矢理当てはめようとすると、教わる事は経験の外にある分けなのだから、当然、意味が変わってしまう。
そういった学び方をする生徒は、100回同じ事を指導して、何とかそれなりに格好をつけても、暫くすると、また元の木阿弥の自分の思い込んでいるstyleに戻ってしまう。
世界的に数人の優れた指導者がいると言われているのだが、そういった先生に師事している生徒の数は何千人という膨大な数である。
その中のたった一人、二人が優れた演奏家として育つ分けなのだけど、逆の言い方をすると、そのたった二人の生徒はどの指導者に師事したとしても、優れた演奏家になるのだよ。つまり、優れた指導者ではなく、優れた学び上手の生徒がいるのだよ。...
逆の言い方をすると、どの様な優れた指導者に師事しようと、学び方が出来ていない生徒が、優れた演奏家になる事はないのだよ。

どの様なclassであったとしても、その中でも1を聴いて10を知る事の出来る生徒は、どのようなclassでも、どの様な境遇にあったとしても、必ず頭角を表す事が出来る。
つまり、そのような生徒は、優れた指導者に師事出来なかったとしても、目標に到達するという事には、関係はないのだ。
道に至るは易く、道より出るは難しい。
しかも、家元制度の中では、道より出る事は、認められないのだよ?
破門になってしまうのだよ。
ひたすら、その枠組みの中で、井の中の蛙になる事が良しとされるのだ。



indexへ

濾し布を持って来て貰って、さっそくチーズを作ります。





indexへ

出来たチーズ
1月5日 3:12

1回目のチーズが出来上がりました。
お気に入りのヨーグルトを種にして、空のヨーグルトのボトルに5分の1程入れて、成分無調整の牛乳に結構大量のオリゴ糖をボトルの9割り程、入れて、常温で、二日間ほど保存します。
完全にいっぱいに入れると、発酵したら溢れてしまいます。
蓋を締めても、開ける時に爆発します。
そこだけ気を付けると良いと思います。

そうすると、2、3日後には、美味しいヨーグルトが完成します。
大量のオリゴ糖は、乳酸菌のエサになるので、甘くはなる事はありません。
普通のさっぱりしたヨーグルトになります。

しかし、私の場合には、同時に3本も作るので、本当は残りの2本は冷蔵庫に保存して、出来上がりのタイミングをずらさなければならないのですが、冷蔵庫には朝昼晩と次の日の食料も入っているので、予備のヨーグルトを入れるスペースはありません。
作るタイミングをずらせば良いのですが、それも面倒くさいので、同じタイミングでヨーグルトが大量に出来てしまいます。
今、ヨーグルトを大量に作っているのは、リハビリに必要なある重要な目的があるからの必然的な理由で、趣味で作っているの...ではありません。
極度の便秘で、どうしても、toiletでいきんでしまうからです。
病院からも、便秘の薬を貰ったり、色々な市販の薬を試したりしたのですが、どうしても、上手く行きません。
という事で、苦肉の策でのヨーグルト作りです。

リハビリがある程度終わって体調が回復したら、ヨーグルト作りは終わりにします。
普段に食べるヨーグルトの量ならば、スーパーで買って来るボトルで充分だからです。
今は腸内の環境を整えるために、大量のヨーグルトを薬と一緒に、食べています。
2回目のチーズは、美味しいヨーグルトの状態から作る事にします。
1回目のチーズもそれなりに美味しいのですが、発酵し過ぎて、少し酸味が強めなので、2個目のチーズは、甘めのカマンベールのような味を目指します。



indexへ

もう一つのチーズ
1月5日 3:18

2つ目のヨーグルトから作ったチーズのもとです。
このヨーグルトはまだ酢が立っていないので、普通に食べても美味しいヨーグルトです。だから、チーズとして熟成させると、少しもの足りなくなるかも知れません。ここの帯襷(塩梅)は超難しいです。
ちなみに、横に写っているバナナは全く何の関係もありません。片付けるのが面倒くさかっただけです。




indexへ

超寒い!
1月6日 6:50

今日は6日の日曜日です。
昨夜から、真面目に布団に潜り込んではいるのですが、足の指先から膝まが冷て寒くて全く眠れません。
勿論、アンカに足を絡めて、しがみついているのに関わらず・・・です。

それに、エアコンもフル稼働しているのにも関わらず・・寒いのですよ?

またまた、練馬の気温が0℃になってしまったのかな?と思って調べて見ると、2℃はあるようです。
勿論、外の温度で、室温ではないのですが、エアコンをフル稼働させているので、室温としては、寒い分けはないのですがね?(部屋の温度が何度と言わないのは、部屋のあちこちに温度計を置いているのですが、その全ての温度計が、バラバラな数字を示して、どれひとつとして信用おけないのですよ。

試しに同じ場所に温度計を3つ、4つ置いて、試して見たのですが、結果は、アナログ式のメトロノームのように、酷いものでした。

今の所は、車の室内と車外の温度計が一番正確なのだけど、あれは、netのデータだよな?)...
困ってしまいます。

それはそうと、今日の日曜日は、オケ練習の初練習です。
腰が痛くて、まだトイレまでも歩けないのですが、無理をしてでも、千葉まで練習に行くつもりでしたが、牧野先生から、「weblessonでも良いのでは?」というadviceを貰って、それに甘える事にしました。

まだ、一度も、椎名町の事務所までも、行けていないので、いきなり千葉までという事は、冒険になってしまうからです。
今年、初のオケ練習での、初のweblessonになるので、どうなるのか?まあ、乞うご期待! ですよね?

でも、ビデオlesson自体は、βの時代からやって来た分けなので、パソコン上でのlessonは、慣れているので、問題はありません。
問題となるのはwebの電波の状態だけですかね?




indexへ

今日(6日)は初めてのweblessonでした。
weblesson自体は問題はないのだけど、音声がブチブチ切れて意味不明になってしまうのは、困ってしまいました。
パソコンの音声出力からスピーカーまでの配線の問題か、net環境の問題なのだろうけれど、事前のcheckをする事が出来ないので、時間ばかりロスをして困ってしまいました。
lesson内容自体は、曲を渡してから演奏上の解説の確認に留まりました。
weblessonでは、出来る事に限りがあるからです。...
結局、クリスマス会までは、発表会の曲は、ザッとしか見ていなかったので、それまでに、私が注意をして来た事を、ちゃんと理解出来たか否か、とかの確認のはずだったのですが、3回オケに新しく入って来たgroupは、私の注意を書き留める事もしていなかったし、注意や、練習のpointの説明を記憶すらしていなかったのは、初めてでは致し方がないのかも知れませんが、そういった「学ぶ」という基本的な事を、学校では教えないのかね?
学び方のハウツーを教えれば、指導するのは、極めて楽になるのだけどねえ?

私の教育の基本方針では、「学んだ事を、ちゃんと記憶して、応用する事が出来れば、メモは取る必要はない?」と教えます。
でも、覚える事が出来ない人は、メモをちゃんと取らなければならないのですが、そのメモの取り方は、「メモが必要な時に、そのメモが出て来ない」という書き方なのですよ。
つまり、メモをちゃんと書いても、そのメモが役に立たないから、メモを取らなくなるのです。
この事は、「ニワトリと卵」かも知れませんがね?
一般的な子供達の勉強法はそういった無駄な勉強(努力)の積み重ねなのですよ?
全ての勉強は、必要な時に、その知識が活かせるものでなければなりません。その方法論は、優れた子供の場合には、自然に身に付く場合もあります。でもその方法論を学んで、身に付けると、全ての分野に応用が効いて、その子供の人生が極めて楽になるのです。
しかし、私がそういった方法論を、惜し気もなく子供達に指導しているにも関わらず、中々、子供達の身に付かないのは、その方法論が一般的な勉強法と真逆の勉強法で、儒教社会である日本では、儒教の勉強法が一般の通念(常識)として、通用しているからなのです。




それにしても、12月の24日のChristmas会以来、一度もハイツの部屋から外に出ていません。
というか、12月の18日の川崎の病院からの退院以来、24日の外出が唯一の外出で、ハイツの部屋から一歩も外に出ていないのです。
そろそろ我慢の限界です。歩く練習をしないと、筋肉も段々落ちて、rehabilitationが大変になります。
しかし、リハビリはやり過ぎの判断が難しい。

去年の暮から部屋に閉じ込もったままという事だったのですが、そう言えば年賀状もたまにはハイツ宛に来るので、郵便受けのcheckをしなければならないのですが、部屋から一歩も出ていないので、食事を運んで来る時に郵便受けのcheckをしてくれるように頼んだのですが、忙しいので、中々、その場で思いついてくれないようです。年賀状をハイツ宛に送った人達は、ごめんなさい!!




indexへ

摂眠障害が
1月7日 5:57

今日はもう既に月曜日の朝になった所ですが、土曜日の夜から、久しぶりに、摂眠障害が起こって上手に睡眠を取る事が出来ません。この二日間、全く眠れないのですよ?
それに、江古田周辺では、な、な、な、なんと今日の朝の気温は-2℃だそうです?
それは大変? 今日こそは、頑張って羽毛の布団を掛けようか?・・とも悩んでいたのですが、やっぱり、体調不良を優先して、アンカにしがみついて辛抱する事にしました。
エアコンも入っているので、私が体験した一番の寒さである、ミュンヒェンでの時のような、-27℃の肌がそのまま凍ってしまうような寒さ、・・・ではないからです。
ミュンヒェン時代は、駅の寒暖計が-7℃だと、「今日は暖かいな〜あ!」という感じで、寒さには、すっかりと体も慣れてしまっていたから、-27℃と言っても、今思う程の寒さではありませんでした。...
しかし、歳を取ってしまってからは、すっかり、暑さ、寒さに弱くなってしまいました?
たかが、氷点下2℃で、ウダウダと騒いでいます。
・・・などと、言いながら、それにしても、あまりにも寒いので、室温を見ると20℃は越しています。それにしては、なぜだか超寒い?

ふと、湿度計を見て驚いてしまいました。
なんと、湿度が30%を切っています?これでは寒いはずだ?
という事で、慌てて、物置きから極超音波加湿器を出して来ました。
水分の粒子が細かいので、吹き出し口にガラスを当てても、水分が付かない加湿器です。
部屋が湿気っぽくならない優れものなのですが、同じtypeの大型の加湿器は出せなかったので、小さな方の加湿器を出しました。
だから、部屋の温度が上がるには、だいぶ時間が掛かるとは思いますが、これで、布団の中でも、少しは暖かくなるはずです。

やっと少しうとうととする事が出来たのですが、なんと、私が幽霊になった夢を見てしまった。それにしても、若い無分別な少年になって、無意味な行動を繰り返しているのですよ。唯、何処かへ、行こうと焦って歩き回っている。次から次に出て来る見も知らぬ光景と見知らぬ人達?
何処へ行こうとしているのだろうか?ひたすら無駄に歩いている?
この夢には、いったいどういう意味があるのだろうか?
夢判断は通用しそうにない?
随分昔にも、人っ子一人いない超大都会を訪れた夢を見た事があったが、今日の夢では、普通の住宅街なのだが、やはりなにかが違う?孤独で無機質なのだ?人が登場する事があっても、人形か、ロボットのように、実存感がないのだ?
たしかに、子供の姿の見えない住宅街は、人気もなく寂しい?
限界集落から始まって、シャッター街と、人気の途絶えた住宅街と続けば、次には、人影の見えない建物だけの大都会と続く。
まもなくそれは現実の問題になって来る。



indexへ

超現実的な夢
1月8日 5:18

今日は8日の朝4時過ぎです。チョッとだけ仮眠が出来て、トイレに起きた所ですが、なんとも不思議な、超現実的な夢を見ていたのですよ。

・・・とは言っても、今回だけのお話ではなく、いつも夢を見る時には、超現実的な夢を見るのは、いつものお話なのですがね?

超現実的・・・という意味は、surrealisme(シュールレアリスム)という意味で使用した分けではありません。...
登場人物もその場所も、一度も会った事も行った事もないのですが、妙にrealisticなので、超現実的と言っているのですよ。所謂、de ja vuとでも言うのかな??

今日の夢に登場した姪の女の子も、一度も見た事のない超可愛い人なのですが、誰なのか、私には分からなかったのですよ。
私・・とおぼしき青年も、どこから見ても私の若い頃には似てはいない。
それなのに、私と思われるのは、夢の中の主人公だからに過ぎません。
夢がその青年を中心に流れて行くからに過ぎないのです。

夢の中のお話では、海の見える林の中のひと部屋だけの一軒家を、突然に追い出されて、引っ越す事になって、一人で色々と荷物を纏めていると、姪が突然訪ねて来たのだけど、初めて見る顔なので、誰なのかが分からなかったので、誰なのかを知るために、「私が、ここに住んでいる事は誰に聞いたの?」と聞くと、「真おじさんに・・」という答えだったので、内心、『ああ、あの小さかった**ちゃんが、そこまで成長したのか??』と分かったのだけど、勿論、それは現実の話しではありません。但し、真おじさん・・の姪っ子の**ちゃんは、実在の人物ではありません。私の従兄には、息子はいるのだけど、娘はいないからです。
従兄に隠し子がいて、本当に娘が存在したとしても、彼女ならば、当然、年齢が合わないし、顔立ちも従兄とは、全く違います。
勿論、私の年齢も随分若いし、そのおじさんという従兄は、もう30年近くも前に、自宅で突然死をしているので、この夢の世界は、現実の今からは、30年以上も前の話しになってしまいます。 

私の何時も見る夢の中では、私は何時も30歳程は若返っているので、その時代が私の心の居場所だったのかも知れません。
しかし、当時の私は、19世紀の若者達のように、Cosmopolitanな生活をしていました。(※1.)
夢だけではなく、現実的にもフワフワと居場所の安定しない生活をしていました。
(Cosmopolitanという言葉には、世界市民とかいう良い意味と、住所不定とか、無政府主義者とかいう悪い意味の両方があります。)
一応、江古田の住まいを本拠地(ベース基地)にして、群馬の大学や、千葉に教室を作ったり、大阪や長崎等と、日本各地に活動範囲を拡げていました。
毎日、飲みに行くお店も、帰国したばかりの頃は、渋谷で、大学の先生をやっていた頃は、新宿に行きつけのスナックがあって、出版業界の人達と毎日のように飲んでいました。やがて、行動範囲が池袋駅周辺にになって、江古田から一歩も出なくなって、今は自宅に閉じ籠もっています。アハッ!

人間、歳を取ると、動ける範囲が狭くなって来てしまいます。
歳を取っても、世界をまたに、活動を続けている人達もたくさんいますが、本当に羨ましい限りです?
私も、早く、自分の出来る限り、出来る事をしたいと思っていますが、全く歩けない日にちを重ねていると、気力が湧いて来ないのですよ?
とどのつまり、元気な頃の昔を懐かしんでいるだけなのかな?
それならば、実につまらん?




今は朝の8時半を過ぎた所です。天気は快晴らしいのですが、まだ0℃のままです。昨年のクリスマスから、一度も雨が降っていないそうで、これも、記録的な事だそうです。湿度がないので、インフルエンザの大流行が始まっているのだそうです。そろそろ、あちこちの学校で学級閉鎖が始まっているそうです。東京、千葉は大丈夫かな?

千葉も年末からインフルエンザになったと聞くようになりました。

学校で貰って来ないように注意しないとね?

髪の毛が黒い!!

「Bachの珈琲cantata」の演奏風景です。  大学1年生の頃!!




indexへ


Handelのpassacagliaのrenewal-version
1月9日 6:24 ・


全く眠れない日々が2,3日続くと、今度は惰眠のように、起き出してパソコンの椅子に座った途端に、意識が飛んでしまう日々がまたまた2,3日続く・・という、困ったroutineを繰り返して、病気療養のbalanceが全く取れません。
昨日、今日は眠れないroutineで、療養中という事で、仕事が全く手に付かないので、激しい自責の念(つまり鬱という事ですかね?)に襲われてしまって、何とか「療養中なのだから・・」と自分自身に言い聞かせてはいるのですが、夢の中で迄、自分自身が、苛まれてしまいます。

仕事をする気力が出ないのなら、せめての事で、気力、体力を使わない軽作業という事で、16年の1月の14日にarrangeをした Handel-Ashizuka-versionのpassacagliaという曲なのですが、パソコンの音源として16年の1月にYou Tubeにuploadしましたが、1年後の、17年の4月の発表会で、やっと教室の生徒達の手によって、演奏をする事が出来ましたが、パソコンの音源の音とは違って、曲の後半部で擬古典のstyleになった所から、オケが分厚く成り過ぎてsolo(soli)の旋律が活かされていなかったので、2台のfluteと、continuoのcelloとcembaloのversionに、今日、眠れぬままに、深夜にオケバックのpartを簡明に訂正をし直して、そのままYou Tubeに新しくupしました。

但し、使用している写真は、以前、パソコン音源としてYou Tubeにuploadした長崎への旅行の時の写真をそのままに使用しています。
つまり、音声だけの変更です。

しかし、まあ、それにしても、baroqueのpassacagliaはなんと、patheticなのでしょうか??
パソコンの音源と分かっていても、ついつい心打たれてしまいます。
fluteを弾いてくれる人が二人いるのなら、音人の会で演奏したいのだがね?
後は、弦5部とcembaloの6人が居れば室内楽として演奏可能だけどね?

更に、1月9日と11日に改定renewalしました。

https://www.youtube.com/watch?v=jDHMuxT1t9w&fbclid=IwAR2XtlJg3Z9eSl-rgDoT92Qo70josUOMH7D6d_JkMP0s1mHUMuVCx6UzECo


indexへ


右足の爪が
1月9日 10:57 ・

手術前後の4ヵ月以上も、体を曲げる事が全く出来なかったので、自分の足の状態、特に爪の状態を見る事が出来ないままであった?
何とか、足や、足の爪の状態をcheckするために、デジカメで写真を撮ってみたり、大きく拡大されて見える手鏡で見たりしたのだけど、上手くはいかなかったので、観察出来ないままだったのですよ?

やっと、昨日くらいから、足腰が痛い事は、痛いままだけど、足の指の状態をcheckする事が出来るくらいまで、体を曲げる事が出来るようになって、改めて、爪を見て驚いてしまったのですよ?

なんと、右足の爪が、全て、爪の半分以上が死んでいたのだよ?
親指の爪は上の半分が死んでいて、白濁していて、やっと下の半分が何とか生きていた。
中指は上の半分くらいが、欠落していて、傷の所が瘤になっている。
小指の爪に至っては、紫色になっていた。

左足の爪は、見る限りでは全部正常だと思われたのたが、右足の爪は、全部の爪が、何かしら怪我をした状態だったのだよ。

以前、足の中指を常にぶつけて、何度も、爪を剥がしていたので、それを防ぐために、部屋の中でも、必ずスリッパを履くようにしてからは、爪を剥がす事は無くなったはずなのだが、これはいったいどうした事だろうか?
全く、理由や、その原因が分からない?
否、爪を傷付けた覚えすらないのだよ?
糖尿病では、足の指先の感覚が無くなって、怪我をしても気づかずに、足先を腐らせて、足の切断という事になる・・という事があるので、かなり神経質に、注意をしていた積もりだったのだが、全く身に覚えがないのだよ?
これは、全く困った????




indexへ


今日はもう1月も
1月10日 9:33 ・

今日はなんと、もう一月も、10日だそうです。
やっと、お正月になったと思っていたら、いつの間にか一月も中旬になってしまっていました。
今日の練馬の朝の6時の気温は、なんと、-2℃だったそうです。
すっかりと明るくなった今も、練馬に限定したら、netでは-1℃なのだそうです。
尤も、色々なproviderによって、常に練馬の気温は、2〜3℃は温度が違うようですがね?

今日も、昨日から全く一睡も出来ていません。
ベッドから起きて、パソコンの作業をしたり、またまた、ベッドに潜り込んで、うだうだしたりしているのですが、どうしても、眠れないのですよ?
困った事です?

しかし、まあ、段々と椅子に座れるようには、なって来たので、眠れない夜には、少しずつではありますが、仕事が捗るようになって来ました。
・・・という事で、大分、仕事が出来るという事で、精神的には落ち着いて来ているはずなのですが、・・・という事は、少しは眠れるようになって来るはずなのですが・・・、そうは、とんやが卸さないのよね?

摂眠障害は、要因が分からない、理由が不明のままです。
心療内科も、逆に上手くいかなかったしね??



indexへ


今日は今年、初めて椎名町迄
1月12日 4:59 ・

今日は1月の11日でした。今日は、3週間振りに・・・、というか、今年は初めて椎名町まで、夜のご飯を食べに椎名町まで出掛けました。
・・・・というか、行く事が出来ました?

残念ながら、歩くとやはり足腰が痛むので、ドルプリっ歩まではまだ無理で、もう少し練習をしてからで、今日は兎に角、椎名町の事務所までバイクで行く所まで・・、という所で辛抱します。

・・焦らないで、少しづつ、少しずつ・・、一歩一歩・・です。

以前(とは言っても13年も前の事になりますが・・)の冠動脈の手術の後でのリハビリでは、主治医の「頑張って、リハビリに励んでください。」という言葉を間に受けて、頑張って元気な時のノンとジーグっ歩に付き合って歩いていたら、逆にover‐workになって、リハビリを失敗してしまいました。

結局、逆に、3ヶ月も治りが遅れてしまったので、その轍を二度と踏まないように、今回はover-workに気をつける事にします。

病院の示唆している一般の患者さん用のリハビリのrotationよりも、私の場合には、治りが1,2週間遅いリハビリの進行情況なのですが、治りが遅いという事は、勿論、私が高齢者という事もありますが、現在服用中の血液サラサラの薬の性もあるので、病院のrotation通りに行かないのは、致し方はありません。

前回(先週)のオケ練習には、私の予後の状態は、足腰の痛みも酷く、血尿も全く治ってはいなかったので、バイクと車の乗り継ぎをして、千葉の教室までの移動は、とても体調的に無理だったので、パソコンのwebを使用して、自宅でオケ練習の指導をしたのですが、いざ、練習が始まって、生徒達が楽器を弾き始めると、誰もパソコンに映っている私の事を見てくれなくなるし、幾ら私が、注意事項を叫んでもパソコンの音量では皆に聞こえる分けはないので、speakerに接続をしてみたりもしてみたのですが、接続が上手くいかず、教室が静かな学習系のclassならばwebでlessonをする事も可能ですが、オケの練習ではとても無理だという事が今回よく分かりました。

という事で、明後日の日曜日こそは、頑張って、千葉の教室まで、オケ練習に行きたい・・と思っているので、先ずはバイクに乗って椎名町まで行く練習からの、初挑戦になります。
何事もstep by stepです。
焦らずに、一歩一歩・・・です?

写真は、椎名町のlesson室のアップライトピアノの上のノンちゃんとぬいぐるみです。分かるかな〜??



indexへ


日本の演奏家の3拍子の
1月12日 20:23 ・

日本人の演奏家達の3拍子の演奏の歯切れの悪さには辟易させられるものがありますが、まあ、それは日本の伝承音楽には歴史的に、3拍子というものが存在しない・・・という事に理由があるので、どうしても3拍子の弾き方が変になるのは、致し方はありませんがね。

特にfoliaの場合には、2拍目に強拍が来るので、日本人の演奏の場合には、例えperiodの演奏団体であっても、2拍目の強拍がコブシのような後押しになってしまいます。
今現在、音大の学生である生徒に、その日本のプロの古楽器の演奏の話しをしていたら、「その[後押し]の中で勉強しているので、そのimageはよく分かります。」と言っていました。
ヨーロッパの人達の演奏する[膨らまし]と、日本人の演奏の[コブシ]は似て非なるもので、その違いは非常に大きくはっきりとしているのに、日本人には、その違いがよく分からないらしいのですよ?
私がヨーロッパに留学していた頃は、顔を見ると、何処の国の人なのか分かったものなのですが、日本に帰って来ると、ヨーロッパの人達は皆、同じ顔に見えてしまいます。
ヨーロッパの人達の場合、伸ばす音は、残響のように、段々と消えて行くのが、主流ですが、日本の場合には、段々と押して行くのが、普通のようです。
日曜日の深夜のNHKのアニメのテーマ・ソングを聞いていたら、音の一個一個を[押し]て歌っていたので、気持ち悪くなってしまいました。
つまり、船酔い状態です。
でも、日本人には、心地好く聞こえるようですね?
困ったものです。

classicの場合には、その違いが一番よく表れるのが、la foliaのthemaなのですが、その、ゆっくりしたla foliaと、早いla foliaの両方を堪能出来る演奏をYouTubeからselectしました。
la foliaに関しては、私の一押しの Savall さんの即興演奏です。
sessionの一人の、とても美しいハープのお嬢さんは、Savallさんの娘さんです。
ヨーロッパでは、家族でsessionを組んでいる団体がとても多いのですよ?



indexへ


宮崎駿さんの
1月12日 20:48 ・

今日は生徒達が椎名町に来て仕事をしているので、早めに椎名町に行く予定で準備を初めていたら、なんと、今度は右腰側ではなくて、左足首が痛くて、椅子から立てなくなってしまいました。日頃、右足腰を庇って歩いているせいです。
椅子から離れる事が出来ない・・と言う事で、椎名町に行く準備が全く出来ないので、暫く休んで様子を見ている所です。

YouTubeのlinkは、Marin Maraisのla foliaのperiod instrumentsの演奏です。
ガンバの優しい音色をお聴きください。

そう言えば、昨夜は宮崎作品の「みみをすませば」とかというアニメを、テレビで放映していたようですが、少年がヴァイオリンを弾いて、主役の女の子が歌を歌うシーンで、伴奏していたお爺さん達の楽器はガンバとコルネットでしたよね?
ギターのような楽器は、リュートだったのかな?
仕事をしながら、ちょこっと見ただけなので、よく見えなかったので、確認出来ませんでしたが・・・・?
古式豊かな古楽器アンサンブルでしたよね?
こんな所にも宮崎さんは、凝っているのだなと驚いてしまいました。



indexへ


homepageが壊れて
1月19日 5:14 ・

19年の1月の19日の朝の4時です。
toiletに起きたついでに、随分、お久し振りに芦塚音楽研究所のhomepageのtop-Pageを開いて見たら、なんと、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageが開いてしまうのですよ。
有り得へんわサ??

Pageが殆ど壊れてしまっていて、何処を開いても、惨憺たる事になっていました。 超、shock??です。

windows10以降のパソコンの不具合は、もう仕事にならんよな??
パソコンで仕事をする・・という想定自体が大体ないからな??

朝の7時になりました。取り敢えずは、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageも「芦塚音楽研究所」のtop-Pageも開くように、パソコンのbugを修正しておきました。19年の4月の発表会までのオケ室内楽の予定等は今日中に出来たら良いな??



つい先日は開けましたけどね。予定見ましたし??
なんででしょ?


ああ、それなら、椎名町でホームページを操作したのですかね?
ダブルブッキングしたという事ですかね?
それだけは、やるな??と言っていたのだけど?
ホームページを改定したら、必ずその旨、連絡をするように言っていたのですがね?


スマホでちょこっと見てみましたが『芦塚先生のお部屋』見れるページと見れないページがありましたね…


「芦塚先生のお部屋」のindexのPageで赤字で書いてあるのは、壊れたままのPageです。
次ページというのは、ぶっ飛んで無くなってしまったPageです。
古いdataでも、dataが残っているのは、再入力をしました。
紙のdataとして、残っているPageもあるので、次にはそのPageを手入力する予定ですが、手術やリハビリが難しくて、そこまで手が回りません。
ましてや、芦塚音楽研究所のhomepageは、私が直接教室の指導に携わっていないので、難しいので、昔のPageを再入力するぐらいしか出来ません。


芦塚先生のお部屋の山芋のページとベラチーニのパッサカリアのページを少し補修を始めました。
エンドレスなので、完全に復旧する事はないのだけど、出来る所までは、何とかやらないとね?


LINKが飛んでいて、文章そのものがない場合には、その文章を探すのは(文章が無くなっているのを知る事は)至難の業です。


やはり、教室のhomepageのオケ・室内楽の練習の日程は昨年度分でした。
後半期分はuploadしておきました。




indexへ


やっとCapuzziのV楽章のfinaleへの入力が終わった
1月22日 14:57 ・

19年1月22日の3時なのだが、CapuzziのV楽章のfinaleへの入力が終わった。まあ、なんと、間違いだらけの譜面なのだろうか??
俺が・・、じゃないよ!!
原譜がなのだが、取り敢えずは、一箇所を除いたら楽譜通りに入力したよ。
どうしても許せない箇所が一箇所あったのだけど、・・でも、今回は訂正譜は作らないように頑張ろう!!
この譜面は限がなさそうなのでね??
それにしても、今日は鬱が酷い??




indexへ


本当の本物とそうでない物を区別する事
1月23日 17:59 ・

今日(23日)は、昨日に引き続いて、鬱が酷くて落ち込んでいます。そういう時に限って、周りからは、良い話は聞こえて来ません。
・・という事で、耳に栓をして、朝からCapuzziの3楽章のorchestraのpartの入力をして、午後はFacebookWをhomepageにtransposeする作業を途中までやり、ついでに今年の19年のFacebookを新たに新設しました。

兎に角、鬱が酷い時には、何もやる気が起こらないのだよな??外に出掛ける気力も無くなってしまって、ただ引き籠もりの毎日を徒に過ごしています。

音楽を究める事や職人の優れた業を学ぶ事は、本当の本物と、そうでない物の区別を知る事がとても大切で、その目を育てる事が音楽教育の目的だと思っています。
言い方を変えると、本当の本物が分からないとimitationを本物と勘違いしてしまうからです。

楽器とは言えない教育楽器や、世界の何処でも使用されていないジャーマン式リコーダー、ドイツではジャーマン式リコーダーと言っても誰も知らないし、そのリコーダーを作った張本人であるドルメッチが、自らジャーマン式のfingeringは間違いであった・・と言っているのにも関わらず、その誤りを認めようとしない小学校のRecorder教育とか、福祉の活動も3Kを省いた状態で体験学習させて、実際の福祉の現場に言って、あまりにも過酷である・・と挫折する学生の多い事!!
全く、綺麗事の過保護社会の学校教育なのだよね??

子供達が小、中学生であったとしても、そういった社会の厳しさを知る事は、とても大切な事だと思うのだが、日本の社会では、「子供だから・・」という事で、過保護に守る事が教育だと思われているのですよ。
「子供だから・・・」という事は、「proの世界には無い!!」と口を酸っぱくして言っても、一般の人達には、その事は、分かって貰えないのだよな??
腹が立つよな!!
ほんと、鬱になってしまうわサ!!
とは言っても、別に、日本の子供の教育が、私の鬱の原因ではありません。
昔、私が、子供の教育について、悩んでいた時に、ある人から、「その教育に対しての(親の)意識を含めて、その子供の才能というのだよ?」と、諭された事があって、それ以降は、子供の才能とは、親の意識を含んだものである、と認識しているからです。
私達の時代は、子供の夢を親がbackupする事が、無かったとしても、阻害する事は無かった、という放任主義の時代だったので、自分の人生を歩む事は、楽でした。つまり、自分に、夢があれば、自分自身で歩んで行けば良かったからです。
だから、私の鬱の原因は、そう言った風な、私の活動そのものではなく、私自身がこの世の中に、居場所を見いだせないという事なのです。
あと、30年もすれば、私の主義主張は、当たり前の極々普通の事になってしまいます。その時には、一般の人達からは、「何を、そんな当たり前の事を言っているの?」としか、評価はされないのですよ?
しかし、今の時代では、「何をそんな馬鹿な事を言っているの?」と、誰からも認められる事はないのですよ?つまり、どっち道、社会から認められる事はないのですよ。損な選択ですよね?
それでも、体力気力がある時には、周りの誰一人として、自分を認めてくれなかったとしても、自分を信じて生きて行く事が出来たのですが、体調不良で、気力が上がらない時には、鬱が自分を支配してしまうのですよ?



indexへ


今日こそは、ドルプリっ歩に
1月25日 22:12 ・

今日こそは、頑張ってドルプリっ歩に付き合おう・・と思って、椎名町までバイクで出掛けたのだが、杖にすがりながら、玄関を出たのだが、痛くて、20歩ぐらいしか歩けなかった。
ドルは怒っていたぞなもし!「なんで帰るんだよ!!」てか!



indexへ


無理をしてオケ室内楽の練習に
1月28日 5:34 ・

この所、腰痛が酷くて、ドルプリっ歩にも行けない日々が続いているので、木曜日は千葉でのlessonを延期してしまいました。

今回、昨日のオケ練習も参加出来るか難しい状況だったのですが、午前中の室内楽の練習で、MozartのPiano-QuartettのU楽章があるので、無理をしてでも、出掛ける事にしました。この曲は演奏がとても難しいのですが、古典派のMozartやHaydnの作品の常として、(Sonate-album等の演奏を見ても分かるように・・・)演奏の技術的には然程、難しくないので、一般的には、(古典派の作品は、)雑に下手に弾かれる傾向があります。

Mozartの室内楽を勉強するにあたって、一度も、そういった演奏上の留意点(point)を説明、lectureしていないので、室内楽の練習は原則、月一のlecture-lessonなので、自主練習が基本なので、生徒達が、ちゃんと、練習のpointを理解した上で練習をするのと、そうでなく子供達が感性だけで、闇雲に自主練習をするのでは、全く練習のNiveau(水準)が変わってしまうので、一度も私がlectureをしないままでの練習では、とても心配なので、常日頃、「練習のcheckをしに行きたい!」とは思っていたのですが、Mozartの室内楽のlecture-lessonは、本来の私のlessonでは無く、自主練習が建前なのと、練習が朝からの時間なので、私の体力がオケ練習の最後まで、持つか・・という事を先生達が心配してくれて、折衷案として、先週の室内楽の練習なのですが、・・生徒達に、室内楽の自主練習の様子をvideoに撮影させて、それをcheckして、私がone point-lessonでのadviceをするように、しようという事になりました。

監督出来る先生がいないので、生徒達の準備の様子もcheckをしたいので、生徒達には、楽器の準備から練習を開始するまでの状況も含めて、videoを流し撮りをするように、条件を付けてのvideo撮影でした。

videoの撮影が終わって、SDcardがハイツに届いて、練習の状態をcheckして見たのですが、やはり、Mozartの室内楽の難しさは尋常ではなく、「どうしても、一回は演奏のpointのlectureが必要だな?」と逆に痛感してしまいました。

という事で、昨日のオケ・室内楽の練習は、私が朝早く出掛けて、練習のcheck-pointをlectureする事を日延する事は、徒に時間を無駄にする事で、結果的に発表会での発表でも満足する結果を得る事が出来なくなってしまいます。
・・・という事で、先生達は私の体力が、椎名町に帰るまで持つか??を心配してくれていたのですが、今回は無理をしてでも、timelimitという事で、敢えて挑戦する事にしました。
まあ、それにしても、Mozartは難しい??の一言に尽きます??

オケ練習の最後までは、とても、体力的には持たない・・という想定で、lectureをしていたので、練習の時間割りをちゃんと見ていなくて、終わりの時間をいつも通りに、定型の7時半終了と思い込んで練習をしていたので、最後のVeraciniのpassacagliaの時間が「15分くらいしかない??」と思い込んで、梨紗も月一ぐらいしか練習に参加出来ないし、愛ちゃんも風邪でお休みだったので、兎に角、一回だけは、時間的に目一杯でも、取り敢えず「通し練習」をして、今日の練習を終わる事にしました。
半ギリギリに曲の「通し」が終わって、「今日はここ迄だよな?」と言ったら、誰かが「今日は8時までですよ?」と言いました。
「え〜っ?早く言ってよ〜?」
でも、もう流石に、それから練習を続けるには、幾ら何でも、気力が戻らないので、定型の7時半を持ってオケ練習を終わりにしてしまいました。
普段ならば、大ブーイングの所なのですが、流石に、Veraciniの後では、子供達もエネルギーを使い果たしているので、おとなしく練習の終わりの挨拶をしていました。アハッ!

それでも、私達は、それから、後片付け、後始末が有るので、コンバスの花園への移動や、花園教室の後片付け等々を済ませたら、東京に戻るのは9時直前になってしまいました。

東京に到着しても、夜の食料の準備が全く出来ていないし、食材の準備も出来ていないので、半年振りに外に食べに行く事にして、私はハイツに戻って、斉藤先生はドルプリっ歩に出掛けたのですが、な、な、な、なんと、練馬は0℃です。超、寒いし、自宅に到着した途端に、やっぱり疲れがドッと出てしまって、半年振りの外食も、ハイツの保存食を食べるのも諦めて、持ち帰った荷物や脱ぎ捨てた服の全てを散らかしっ放しのそのままにして、爆睡してしまいました。
アハッ!



またまた、入力出来なくなってしまったので、暫く、書きかけの状態で放置する事にします。


体調をおしてみてくださり、ありがとうございます!
子供達にこの情熱が伝わるといいんですけど……??


文章がおかしくなって以降の書いたコメントがぶっ飛んで無くなっていました。
編集履歴に一つだけ残っていたので、bugる前の文章の最後にコピペしておきました。
まあ、なんだろうね〜え??  Facebookは・・・???



indexへ


1月28日21:38

親ゆずりの無法者が あきら:45
 夕暮れの風景:今の気持ちのような空
心臓エコーでは心臓自体にはやはり異常はなかったが、24時間ホルダーで、徐脈、頻脈の双方が・・・前者は悪化して死につながる危険もあるので、ぺースメーカーを、後者はカテーテルアブレーションで・・・回生病院では双方やる方がいいとのことで、でも前者はここで行ってるが後者はやってないからと、桜橋渡辺病院への予約をされて、2月7日に紹介状と今までのカルテ、データーをもって行くようになった。そこでの判断になるだろうけど、双方やる必要があるなら一度の入院中にやってもらえるように・・・そして合唱、声楽活動に影響が出ない日程で手術するつもり・・・成功したら不安ながらに練習に参加しなくても良くなるから・・・迷ったがこの際、やると決めた


私の場合には、3回程、不整脈が出た事があります。最初は、環動脈のバイパス手術の後、退院しても、不整脈が取れなくて、主治医に相談したら、「心臓は1回でも止まるとそれで終わりだから・・・」と言われて、「即ペースメーカーの手術を?」と言われてしまい、すっかりめげてしまいました。
同じ病院の中なのですが、心外の先生から、循環器の先生に代わって、薬のcheckをして貰って、処方された薬を、半分に割って呑むようにしたら、不整脈は治まってしまいました。
その次は、鬱が酷く、不整脈が出ると、鬱になるのか、鬱になると不整脈になるのか、という事で、自宅のすぐそばに出来たばかりの心療内科に行って、薬を処方して貰ったのですが、最初に、処方して貰った薬はとても良くて、日常生活も随分と楽になったのですが、医者に薬の効き具合を尋ねられた時に、「一週間の間に、2回だけ、軽い鬱状態にはなったのだけど、とても楽でした。」と答えたのですが、医者は、その2回程度が、よほど気に食わなかったらしく、より強い薬に変更されて、逆に鬱が酷くなってしまい、「前の薬の方が・・」と何度も言ったのですが、毎回より強い薬が処方されて、等々、毎日、ベッドから起きれなくなってしまいました。調剤薬局に相談をすると、「処方された薬は、老人等で寝たきりでも良い人にしか処方されない薬で、芦塚さんのように、日常働いている人には処方しない薬だ!」という事で、処方された薬の量を減らしてみたのですが、やはり、無理があるようで、それで、その心療内科に通院するのはやめてしまいました。
病状の説明も、やたら難しい専門用語を連発して説明するので、難解で困ってしまったのですよ。
その事を調剤薬局に話たら、「商売敵のように専門家に思われたのではないのかな?」と言っていました。
「私は音楽教室の先生で、子供達を相手にしている職業だ」という事は、初診の時に説明をして、カルテにはちゃんと書いてある筈なのですがね??

またまた、入力出来なくなってしまいました

クスリでの治療は回生病院の医師はあまり進めない感じでした

病院によって、考え方の違いもあるのでしょうが、「心臓は、一度でも止まると、それで終わり?」という考え方が基本なのでしょうね?
私の場合には、「また、手術??」という事と、日常生活や、その後の病院での検査等で、色々と制約を受ける・・というのが、second opinionの理由でした。
術後5年間は、体調は安定しなかったのですが、不整脈はそれで一応は収まりました。
その後も、度々、酷い不整脈に襲われる事があったのですが、心臓のバイパスで入院している時に買った携帯用の心電図の器械で、即、医者に駆けつけるべきや否やの状況を判断出来るし、また、全く心臓とは関係のない随分遠い箇所でのトラブルが治ると、結果として、不整脈も治ってしまうので、ペースメーカーは付けないままで、14年を過ごしています。
今回の大きな手術の前にも、それが発覚する以前の8月、9月ぐらいにも、少し不整脈が出たのですが、血尿で色々な重篤な病気が見つかって、体調不良の原因が特定されてからは、不整脈は出ていません。
この14年間、その繰り返しです。

体は自分を守るために、色々な信号を出しますが、現代の医療では、その状況でしか判断をしないので、心臓の調子が悪いと、心臓のcheckしかしません。
血尿で膀胱癌が見つかったのですが、その結果、より緊急性のあるサイレントキラーの腹部大動脈瘤が見つかったのは、私はラッキーだと思っています。

前回のペースメーカーの時にも、同じ病院でのsecond opinionだったのですが、薬の処方を変更した医者は、ペースメーカーの事については、何も言いませんでした。
腹部大動脈瘤の手術も、最初の病院では、「動脈の形状からステント治療は絶対に無理で、開腹手術になる」と言われて、「どこの病院にsecond opinionに行っても同じですよ?」と言われたのですが、手術件数の多い順番に病院を探して、ちょっと遠いのだけど、川崎の腹部大動脈瘤の専門病院に行きました。
そういった病院では、難しい患者しか来ないので、私程度の症状では、「そんなに難しくない」「充分、ステント治療で対応出来る!」・・という事でした。
これは手術の経験値の違いだと思います。
それに、前の病院ではriskの話ばかりしていて、consultingを聞けば聞く程、不安感が増長されていくのですが、川崎の病院の先生の話では、言葉に安心感があって、信頼に足る先生だ、と思いました。
病院に通う上で最大に必要なものは、先生に対しての安心感だとつくづく思い知らされました。



indexへ


思いっきり、突き指をした
1月29日 5:31 ・

椎名町から、帰って来て、寝る準備のために、テーブルの上に置いた明日の食料品を冷蔵庫に片付けている時に、茶筒を落としたのですが、無意識に掴んでしまったのは良いのですが、思いっ切りテーブルの縁に指先をぶつけてしまいました?うん十年振りの突き指です?超、痛かった?多分、骨にヒビが入ったのだよな?
いや、これで暫しパソコンが打てなくなってしまう?これは困った?
また、仕事が滞ってしまうよな?




今日は右手薬指の第2関節が少し腫れ上がって超痛くてパソコンを打てません。
昨夜は第一関節だったのにね??



indexへ


携帯用の心電図計です。
1月29日 10:53 ・

携帯用の心電図です。
心拍と心電図を10個程、保存が出来、ABCDと4段階で、緊急性の判断をしてくれます。

勿論、パソコンと連動させて、パソコンに記憶させる事も出来るし、私は不安な時には、これを医者に直接見せて、波形の判断を仰ぎます。

14年前に、冠動脈バイパス手術の時に、大和成和病院の売店で買ったものです。

今では、もう少し良いものが売られているのではないでしょうかね??




indexへ


ますます鬱が酷くなって来た
1月29日 17:08 ・

またまた、鬱が酷くなって来た。
それなりに仕事を片付けながらの、自宅静養だったはずなのだが、突然、仕事をするだけの気力が失くなってしまった。
音楽教室は先生達に任せて、海の傍の丘の上に引き籠もろうかな??と、マジに思ってしまう。

「Von Herzen - Moge es wieder - Zu Herzen gehn!"」
Beethovenが自分の作品(Missa solemnisミサ・ソレムニス)の楽譜に書き込んでいたその作品に祈りを込めた言葉です。
天下のBeethovenが自分の作品で、人々に願いを込めていた事が分かりますが、果たして・・・

日本の伝統芸能は歌舞伎や能、話芸等の落語の世界では、物語り性や、人を感動させる事が究極の目的とされます。

しかし、Classic音楽に限っては、そういった人を泣かせるような演奏を忌み嫌う傾向があり、コンクール等で、テクニックを競いあう、styleの方が一般的です。つまり、秒やテクニックを競いあう、アスリートの世界に近いものがあります。

私の主義主張では、大人の人達を泣かせるには、メカニカルな技術は不必要で、真摯な心からの語りかけのテクニックがあれば、小さな子供達であっても、人を泣かせる演奏をする事は出来ると思います。
それは音楽を追求する姿勢の問題だと思います。

数億円のヴァイオリンで演奏していても、その本来の楽器の持っている美しい優しい音を追求しないのならば、数万円のヴァイオリンで弾いた音でも、変わり映えはしない・・という事なのですよ。

だけど、プロの音楽家達には、素人には、本当の本物の音楽は分からないのだ・・という自負(自惚れ)があります。

その自負とprideだけで、一般の人達が音の違いが分からない・・と言ったり、演奏の違いが分からない・・という事を、「自分はこれだけ、一途に音楽を極めようとしているのだから・・?」というprideで乗り切っています。

確かに、Classicの音楽は、或る程度の慣れが必要かも知れません。
でも、本当の音楽の良さ、楽しさ、美しさ、感動を教えるのも、プロの役目ではないでしょうかね?
「音楽は、限られた特別な人達のもので、私の努力を分かってくれる人達だけのものだ?」という事で、一般の人達に感動を与える努力をしないのならば、「音楽は、芸術だから、一般の人達が分からないのは当たり前なのだ?」という姿勢ならば、音楽は、より限られたmaniacな特別な少数の人達だけの音楽になってしまいます。

明治維新が始まって、ヨーロッパの社会に追いつけ、追い越せ・・という運動の一環として、廃仏毀釈運動の一つとして、日本の伝統芸能も位置は低いものと定義付けられて、ヨーロッパからのClassicは上流階級のstatusとして入って来たのです。

その時代のお金持ちの上流階級のお稽古事としての延長としての意識が未だに日本の音楽に残っていて、statusとしてのClassicという意識が、未だに一般の人達への音楽への理解を妨げているのです。
そのうちClassic音楽のフアンは一人もいなくなったりして・・



indexへ


理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ
1月30日 9:29 ・

テレビを見ていたら、(勿論、仕事をしながら、付けっ放しをしていたら・・という意味ですが・・・)「教育とは、子供達に『理不尽』を教える・・という事だ」という話をしていました。
「子供の教育とは大人社会の理不尽を学び、妥協する事を学ぶ、という事だ?」という論旨で、異を唱えるコメンテーターもいなくて、盛り上がっていました。
コメンテーター達が言っている「理不尽」という意味は、「対社会的な妥協」という意味のように思えました。
テレビのコメンテーターたちは、「子供達が、社会的に成長して大人になるという事は、妥協する事を覚えるという事だ?」と、「随分、大人の理論として勝手な事を言うナ??」と半ば呆れて、聞いていました。

世間の一般通念で、自分の志を曲げる事を学ぶ・・、それが大人になる事だ・・・そんな大人社会の理不尽さを、子供達の教育に持ち込まれては、子供達が大人達に反抗して、言う事を聞かなくなる、・・・大人達の指導に付いて来なくなる・・という事は、当たり前の話です。

何故??思春期の子供達がギャング・エイジの子供達に憧れるのか?何故、子供達は、大人に相談する事もなく自殺してしまうのか??
それが、理不尽な要求を突き付ける大人への不信感である・・という事を理解しようとしないのですよ。

音楽教室では(別に音楽教室でなくても全ての教育機関であれば同じですが・・・)、clientは親になります。
教育に熱心な先生は、親からの将来の希望や、家庭での子供の状態を聞いて、それを子供の教育に活かそうとするのですが、子供の側の希望や意見は、「未成熟な考え」として、聞こうとはしません。
子供の話しを聞くことを、信条としている先生達でも、子供の話しを聞いて、その未熟な論理性の弱点を突いて、説伏しているに過ぎません。所詮は、ポーズだけの理不尽な大人に過ぎないのだけど、一般的には、それだけでも、非常に優れた教師として、評価される事が多いようです。
つまり、ポーズだけだとしても、子供側の話しを聞くという事をする大人は、非常に希であるということなのです。

そして、子供がSNBP(負の転換点)として、社会に反抗した時に、言い換えると、子供が社会の理不尽さに、耐えられなくなった時に、初めて、理不尽を要求する大人達は自分達の教育の誤りに気づくのですが、残念ながら、もうそこに「後」の手段はありません。
「何か??」が出来るのは、「前」だけだからです。

しかし、私が常に、前へ、前へとそのターニングpointのadviceをしても、「前のadvice」では誰も私の忠告を聞こうとはしません。

何故なら、そこには、まだ何かが出来る余地があるので、今まで出来なかった指導説伏が、後、一歩で、何とか出来るかも知れない・・という願望があるからです。今までダメだったけど、後、一歩で、何とかなるかもしれない?
でも、その余力の一歩で、駄目だった時には、そのSNBPに対して、大人達が出来る事、子供に対して成すべき事はもうないのです。

死者は生き返る事はないのですよ。(生物学的な死にしても、心の死にしても・・です。)

親と指導者は、教育上の観点が全く違わなければなりません。
子供の夢に合わせて、子供の将来の長期的な教育のprojectを組むのは教育者です。
それを、親に説明するのも、教育者の役割です。
「将来、このようになりたければ、今、現時点で、これをこうしなければならない。」という説明です。
親が、今現在しか見えないのは、当たり前の事で、教育上はそれで良いのです。
将来を見るためには、経験と客観性が必要だからです。
親が教育者になってはいけません。
子供と一緒に一喜一憂する事が大切だからです。
小、中学校の先生である親が、子供の教育に失敗するのは、子供を生徒と同様に、客観的に見てしまうからです。

ここまでが、Facebookの限界のようで、そろそろ入力出来なくなってきました。
残念ですが、この文章はここで終了します。




あら〜続きが読みたいです?


「芦塚先生のお部屋」から、一般教育論文のindexのPageが一番該当して、特に「摩訶不思議な日本の教育」というPageが一番該当する文章だったのですが、この教育論文のPageの殆どのPageがぶっ飛んだままなので、「摩訶不思議・・」のPageは、膨大な論文なので、print outされた紙の原稿すら残っていません。
先ずは、どのPageが、ぶっ飛んでいるのか?をcheckする所から・・の作業なので、assistantが必要なのですよね??
冒頭のindexと、それぞれのindexのTitleを赤字にする事で、読めるPageか否かのPageにするという、単純作業なのですが、これがやはり、一手間なのですよ。
indexをcheckしてみたら、紙の原稿は残っているのだそうですが、文字のフォントが小さ過ぎて、OCRが出来ないので、保留になっているようです。あまりにも長い文章なので・・・??


パソコンを弄っていたら、昔々、downloadした、古いOCRのsoftが出て来ました。
「それならば?」と、超小さな文字でprintoutされた原稿をスキャンして見たら、なんと、なんと、なんと、OCRが出来たのですよ?
プリンターのsoftでは、全く無理だったのにね?

勿論、誤変換や、解読不能な箇所も多々ありはするのだけど、27pageのOCRの変換は、3、4時間で終わって、homepageにup出来たのですよ?
後は、indexを付けて、誤変換を訂正すれば良いので、なんとか、recovery出来そうです?
indexを付ける作業も、30日の内に終わりました。後は、ご変換だけです。


このFacebookのPageの最後の部分の文章がまたぶっ飛んでいました。
編集履歴からコピペしてrecoveryしました。
なんだろうね〜え?   Facebookは・・・
人様(client)に対しての敬意がないのだよな?? 
勝手に削除する・・とは無礼極まりないだろうが??

indexへ


Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった
1月30日 11:56 ・

「教育は理不尽」のPageで、斉藤先生が、「続きが読みたい!」と書いていたのだけど、色々とあって、超、面倒くさくなってしまって、続きを書く気が失くなってしまったので、「『芦塚先生のお部屋』から、続きを書いている(欠落していない満足な・・)Pageが無いのかな??」と、パソコンのPageやdataをcheckしていたら、Vivaldiの a moll Op.3Nr.6の解説のPageが、printoutするためにwordに変換して保存されていたのを見つけたのだよ!!
Bravo!
Recovery出来たぞよ!!
Pageが1分で戻った!!
喜!喜!喜!!



indexへ





2月


今日は一日意識朦朧と・・
2月1日 23:30 ・

10時過ぎに食事だったのだが、その直前から意識混濁になってベッドの中で、「動けない!」とか「食べに行けない!」とか事務所のlineに送ったはずなのに、今、toiletに起きたついでにlineを見てみると、一切メールが送られた形跡がない。
どうやら、「送った?」と思ったのは、夢の中だったらしい??
しかし、夢の中で「書いた」「送った」というのは、実に頻繁によくある事なのだがね??
という事で、今日はまるまる、一日中、意識朦朧としていて、何も出来なかった。仕方がないので、videoの編集と纏め・・だけをした。
videoの編集で、trimmingや色々なangleの調整とかしないで、単純に動画を幾つか結び付けるだけの作業では、実際の編集作業は2,30分程度で、routineの作業なので、意識朦朧状態でもなんとかこなす事が出来るし、後は、パソコンが独りで勝手に5時間、6時間掛かって、仕事をしてくれるので、パソコンがbusyで、他の仕事が出来ない時には、頗る良いのだよね??
こういった、やる気が起きない時や、意識混濁で、仕事にならない時に、videoの編集作業のように、computerが勝手に仕事をしてくれる作業は、逆に「時短」になって、全体から見ると、仕事効率が良いのだよ??
「時短」とは、千**子さんが言うように、「急ぐ」事ではない。教室ではそれはタブーの勉強(仕事)法なのだよ!!
「慌てる乞食は貰いが少ない」のだよ!!
効率を良くして、ノルマを上げる事を「時短」というのだよ。
日本人は兎角、「考える時間があったら、先に仕事をしろ!」という傾向がある。
何処かのviolin-methodeの先生が何時も言っている「1時間でダメなら10時間、10時間でダメなら100時間」という努力に対しては、世間一般は評価をして、その努力を認めるのだが、逆に、頭を使って1時間でする事を10分で済ませる・・という要領の良さに関しては、絶対に評価をしない。
昔、大人の生徒で、経理の会社をやっている人が、会社のためにより良い社員を集めたいと相談があった。
「取り敢えず、バイトで学生を集めて、その中から会社に正社員として雇用する生徒を探す」という事のようだった。
私がadviceをしたのは、ノルマ制のバイト代である。
仕事がちゃんと出来るのならば、1時間を10分で終わっても、同じ給与ならば、実力のある生徒にとっては美味しいバイトになる。と言う事で良い学生だけが集まって来る。
出来の悪い生徒はノルマが終わらないから給与の枠も減ってしまうからだ。
社会とはそんなものだよ!!
昔々の(未だ音楽教室を立ち上げる前の)お話しなのだが、小学校の4年生を担当する事になった学生から「4年生のクラス対抗で、漢字のテストがあって、何時も学年主任の先生がtopで、若い先生達のクラスの生徒達は中々漢字が覚えられないので・・」と、相談があった。
ルールは、毎週新しく出た漢字のテストをして、クラスの全員の成績で評価を出すのだそうな。
・・と言う事で、子供達が書いていた漢字の練習帳を見せて貰った。
宿題は「一つの漢字を20個書いて覚える」と言う事なのだが、最初の2つ、3っつは丁寧に書いてあるのだが、数が増えれば増える程、雑に、乱暴になっていく。
「芦塚メトードの記憶法の良い実証機会だ」、と言う事で、生徒達には、漢字を書く宿題を「覚えるだけ書く事」「書かなくても覚えられるのならば、書かなくても良い」という宿題に変えた。
次の週からは、その若い先生のクラスだけ断突に成績が上がって、一月も経った頃からは、全員100点満点を取るようになった。
芦塚メトードとそうでない一般の教育法との区別を付けるために、若い先生には、「その指導法を他の先生にはlectureしてはいけない!」という条件を付けたので、学年主任の先生は、ムキになって、一つの漢字を100回書くように宿題を出した。
子供だけでは、宿題をこなすのはとても無理なので、両親が漢字帳で毎週100個の漢字を書く羽目になって、そのテストは終了してしまった!
(当然、保護者のclaimによって・・だが)
この学習法は、教室を立ち上げた後に、更に改善されて、オセロ練習法として、ゲーム化されているのだけど、見た目は楽しく遊んでいるようにしか見えない練習法なのだが、実はproの演奏家でも、非常に難しい練習法なのだ。でも、子供の内から、その練習法に親しんでいると、その難しさは然程ではない。
日常生活を、より効率化するために、学校から帰ってから音楽の練習に専念するために、「学校の宿題を学校の休み時間に済ませて、宿題の時間を練習に当てたら・・??」とadviceしたら、学校の先生が「学校で宿題を済ませるのならば、別の宿題を追加で出す!」とか怒り捲っていたそうだ。(これは、一つの特定の学校での話しではなくって、色々な学校でのお話です。今は、宿題は必ず家でやらなければならないのだそうです。)
それじゃあ、会社に勤めるとかいう実社会生活では社会適応は出来ないよな??



またまた文章が、(今度は文章の80%以上がぶっ飛んでしまっていた。
編集履歴から・・多分これだ??と思われる文章をコピペしたのだが、最終稿が分からないので、どれが最終履歴かは、当てずっぽうである。
長文でも文章の飛ばない、homepageにでも、戻したい所なのだが、homepageは、homepageでそれなりに色々と問題があるのだよな?
要は、こういったnetでは、essayのようなものは書けないのだよな?




indexへ


indexへ






indexへ






indexへ




indexへ







indexへ


5月





indexへ





indexへ













indexへ






indexへ


6月






7月



indexへ




indexへ




indexへ




indexへ








indexへ






indexへ





indexへ





indexへ





indexへ





indexへ






indexへ





indexへ