夢 コンサート

八千代市生涯学習プラザ主催 芦塚音楽研究所賛助出演

2013年6月30日


index

programは演奏会の当日のprogramを掲載しました。 演奏曲目のご紹介のindexをクリックするとそのページに飛びます。 文章は八千代の予告のページに掲載されていた内容です。 第一部のprogramへ


第二部のprogramへ
                       演奏曲目のご紹介のページ (抜粋)


index Ⅱ
You Tubeへは、それぞれのページからlinkします。

ヘンリー パーセル(ジェレマイア・クラーク) トランペット・ボランタリー

マスネー タイスの瞑想曲

ヴィヴァルディ チェロコンチェルト ニ短調 全楽章


芦塚陽二 編作曲 グリーンスリーブス

マラン マレー 芦塚陽二 編作曲 ラ・フォリア

セバスチャン バッハ ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調

ガブリエル フォーレ 夢のあとに

ラモー 新クラヴサン組曲集より「ガボット」

モンティ チャルダッシュ


ハインリヒ ビーバー 物まねソナタ

ゲオルグ テレマン ドイチェ マニフィカトより アリア

ジュリオ カッチーニ アベ マリア

演奏会当日の風景


それぞれのページのタイトルをクリックすると、You Tubeにリンクします。 また、下線付きの青い色の付いた文章をクリックすると参考のYou Tube にリンクします。

program


第一部









第二部










 ヘンリー パーセル作曲:トランペット・ボランタリー

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
 名曲としてよく知られているヘンリー パーセルのトランペット・ボランタリーですが、近年は、ジェレマィア・クラーク(1674頃~1707)の作曲とされる事が多くなってきました。
クラークがチェンバロの曲「デンマーク王子の行進曲」として作曲した曲を、H パーセルがトランペット用に編曲してそれで有名になった曲だそうです。

そういった経緯で、ヘンリー パーセルの作品と勘違いされる事が多かったようです。
ちなみに、ヴォランタリー(Voluntary)とは、教会で礼拝の時に演奏される曲の事です。
全音楽譜出版社のリコーダー教則本の中に掲載されている芦塚陽二編曲のトランペット ボランタリーですが、今回は八千代の演奏会用に少し改編されています。




 
Massenet Meditation de Thais
violin 廣川智
Piano 萩元美紀

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。

この曲はアナトール フランシスの「タイス」という小説から作られた、オペラ「タイス」の二幕の第一場とに場の間に演奏される間奏曲です。
と言う事で、本来のタイトルは「Meditation」ではなく、「intermezzo」が正式の名称です。

 この「タイス」のルーツは、4世紀の聖女タイスと砂漠の修道士がモデルとなっていて、この修道士はのちの聖バフヌティウスまたは聖アタナシウスであるといわれています。




  
 Vivaldi celloconcerto d moll 芦塚陽二校訂版
Ⅰ楽章    cellosolo  鈴木杏梨  (小3)
Ⅱ.Ⅲ楽章  cellosolo  清水千聖 (中2)

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
Vivaldiは30曲近くのチェロコンチェルトを作曲していますが、本来的にはバロックチェロが未だ未成熟な楽器であったために、ビオロンチェロ・スパッラという5弦の楽器のために作曲されたとされています。
と言う事で、Vivaldiのチェロコンチェルトを現代のチェロで演奏するのは、ある意味難しいのかもしれません。
チェロの特徴である、足(エンド・ピン)は、実は近現代のプロコフィエフの時代になって、やっと取り付けられたものです。ですから、古典派の名曲であるハイドンによる二つのチェロコンチェルト(ハ長調とニ長調)の曲は当然の事、ドボルジャークやシューマン、サン・サーンスのチェロコンチェルトの名曲も、ビオラ・ダ・ガンバのように、足で挟んで、エンドピン無しで演奏されていたのですよ。
この曲も、芦塚陽二kritikAusgabe(所謂、校訂版)になっていますが、Vivaldiの時代の作品は、スコアーやpart譜が完全な形で残っている事自体が、奇跡になります。
殆どの作品は、作曲者の楽譜は、虫食いの状態でそれを、校訂者が足りない所や判読不能な所を補足、追記をして、完全な形にして出版をします。
他の所でも同じ事を説明していますが、校訂の元になった楽譜が、Vivaldi自身の完全な手書き譜である事は少なく、他の人達の手による、それも教会や宮廷に残っている楽団員の手書きのpart譜や、反対側に他の作曲家の譜面が書いてあるような、反古の紙から楽譜をリペアする事すら、珍しい事ではありません。そういった、多くの困難を経て、復元されたものが多いのです。
ですから、権威のある出版社から出版されている楽譜であったとしても、その楽譜を鵜呑みにする事は、現実的ではありません。
という事で、権威のある有名な演奏団体や指揮者は、それぞれ、独自のinterpretationで演奏するのが一般的なのです。
そういった、慣例に倣って、私も明らかに出版社の校訂ミス(間違い)と思われるpartや、和音進行を、kritikし、校訂して演奏しています。
その校訂の詳しい説明は別のサイト「芦塚先生のお部屋」の「教材研究とAnalyse」の中の「Vivaldiのcelloconcerto d の楽譜の誤りと考察」 に詳しく解説していますので、そちらのページを参照してください。





 イギリス民謡 芦塚陽二編作曲 グリーンスリーブス
          スペインのグラウンドによるla folia
                   violin solo  斉藤純子

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
 前回(2012年)の八千代の秋のコンサートでも、アンコールにグリンスリーブスを演奏させていただきました。
 前回のアレンジは、トランペット・ヴォランタリーと同様に、私が随分以前に全音楽譜出版社から出版していた既存の楽譜を使用しました。

全音楽譜出版社の版は学校教材用の作品で、小、中学校のrecorderの授業のためのアレンジなので、楽器上も作曲上も、色々と制約があって編曲がなされたので、今回、Greensleevesを演奏するにあたって、もっと弦オケの特性を活かした・・「弦楽オーケストラ用の曲はないか?」と、探してみましたが、かの有名なイギリスの、現代作曲家、ウイリアムズのグリーンスリーブス幻想曲しか、思い浮かばなかったので、「今回の八千代にはちょっとimageが違うかな??」 という事で、何時もの通り、探して無ければ、仕方がないので、全音楽譜出版社から出している私のアレンジのグリーンスリーブスをベースにして、大幅に変更を加えて、ソロ楽器と弦楽オーケストラによる改訂版を作りました。

元々のGreensleevesの編曲は、recorderとしての編曲の難しさだけではなく、学校教育教材用のためという文部省的な学校教育上の幾つかの作曲上の縛りがあったのですが、今回、新しく編曲をし直すに当たって、その束縛を離れて、土の香りのする、土着的なmelisma(メリスマ、日本風に言うとコブシでしょうかね)と、ドリア調という旋法(ミー、ド、ラのドが#ではなく、ナチュラルになります。)、先生達が「soloはオカリナがいいな?」と言うような、民族っぽい音楽に仕上げました。

左側の写真は、私の個人所有の世界の民族楽器のコレクションの一つで、日本の弥生時代の土笛を復刻したものです。
土を低温で焼き上げた素焼きの笛で、素朴な独特な、オカリナに良く似た音が出ますが、言ってみれば、オカリナの祖先でしょうね???
こういった楽器は世界中のどの国にも見られます。
勿論、定まった音階は出ません。
しかし、音の高低はしっかりと出ます。
呪術的な意味合いを込めた音なら、充分すぎるぐらいの神秘的な音が出ます。




確かに、violinでは、そのイメージを出すのは、ちょっときついかな??

violinじゃなくて、fluteなら、それでも、まだあっていると思うけれどね・・・!!

アハッ!!

この曲の生い立ちは、殆ど分かっていませんが、スコットランドとイングランドの国境の近くで誕生したといわれています。
最も、古い文献は1580年に(A New Northern Dittye of the Lady Greene Sleevesとして記録が残っています。
原曲の歌詞を掲載しておきます。
出典(Wikipedia
)

Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously.
For I have loved you for so long,
Delighting in your company.

Chorus:
Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight,
Greensleeves was my heart of gold,
And who but my lady greensleeves

.
日本語訳

ああ、私の愛した人は何て残酷な人、
私の愛を非情にも投げ捨ててしまった。
私は長い間あなたを愛していた、
側にいるだけで幸せでした。

グリーンスリーヴスは私の喜びだった、
グリーンスリーヴスは私の楽しみだった、
グリーンスリーヴスは私の魂だった、
あなた以外に誰がいるでしょうか。





 マラン マレー=バズレール 芦塚陽二編作曲 ラ・フォリア
                 solocello 清水千聖(中2

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
  ラ フォリアは、15世紀ぐらいにスペインかポルトガルで発祥した曲だそうですが、余りにも古すぎて、この曲の発祥の起源や場所はよくわかっていません。
古い時代のルネッサンスの頃から、近現代に至るまで、多くの作曲家達がこのla foliaのthemaで曲を作曲しました。
ヴィオール(ヴィオラ ダ ガンバと呼ばれる6本弦を持つ楽器)の名手であるマラン マレーは、この曲を古楽器であるヴィオールと通奏低音のために作曲しました。
今日では、この曲はヴィオールの代わりに、チェロで演奏される事が多いのですが、ヴィオールはギターのように4度調弦の楽器であったとしても、ギターと同じに、6弦という事で、音域がとても広く、指も4度調弦なので、とても速く動くので、このマラン マレーのラ フォリアは、難曲中の難曲としても知られています。
参考までに、originalの楽器で演奏すると、・・・・という事で、ヴィオールの名手Jordi Savall(ジョルディ サヴァール)のoriginalのMarin Maraisのla foliaの演奏をお聞きください。
マラン マレーの若き日を画いた「旅立ちの朝」という映画がありますが、そのサントラは上記のJordi Savallの演奏です。
内容は伝記映画とは言い難いのですが、何ともフランス映画らしく男女の機微がかったるくて、う~ん!!
映像は素晴らしい!!
tres bien !


勿論、original版は、弦の数も違うし、チェンバロと通奏低音という事で、室内楽扱いになるし、曲も難しく地味なので、教室では、小編成の弦楽オーケストラにarrangeされたバズレール版を使用して演奏をしてきました。

バズレールという作曲家は、ストラヴィンスキー等の大作曲家とも親交のあつかったパリのコンセルトバトワールの作曲科の教授だそうですが、通奏低音のパートを弦楽オーケストラにアレンジをしています。
所謂、フランス風に、軽妙洒脱に書かれていますが、パリ管のような世界一級のオーケストラならいざ知らず、これまでも何人かのチェロの生徒達がこの曲に挑戦しましたが、私達のような、子供のオーケストラでは、オケの音が薄すぎて、評判もよくありません。
軽妙洒脱が、逆に、軽くて薄い物足りなさが出てしまいます。音域の低いチェロのsoloを活かすために、最大限にオーケストラの音を削ぎ落としているのでしょうが、それが薄っぺらな印象になってしまっているのです。
また、最後の foliaのthemaに戻る所も、今一つ盛り上がりに欠けて上手く行かないのです。

という事で、是非、上手な模範的なorchestraの演奏を是非聞いてみたい・・・という事で、レコード(今ではCDというのかな??)を探したり、You Tubeでこのアレンジの演奏を探してみたのですが、結局、一枚も探し出せませんでした。
とうとう、見つからなかった、ということです。

という事で、今回は、バズレール版を使用して演奏する事を諦めて、私が大幅にオーケストラpartに手を加えて、芦塚陽二編作曲版として改訂、リニューアルさせる事にしました。

という事で、今回、千聖ちゃんが演奏するMarin Maraisのla foliaは、これまでにも教室のあまたの先輩諸氏が演奏してきたバズレール版とは、全く違う、新versionで演奏をします。
ご期待ください。

私の新versionとバズレール版との違いは、曲のVariationが少し増えたのと、orchestraも、チェロと対等に活躍するので、オーケストラの演奏技術も、高度なtechnicを必要とする大変な難曲になっています。
celloの千聖ちゃんだけではなく、orchestraを演奏する生徒達も、より高度なtechnicの練習に四苦八苦しています。

一体、誰が、そんなに難しく編曲したのかね???

アハッ!??     
⇒それは私です!!!

練習風景の動画は、la foliaの練習開始から大分経ったので、削除して、6月2日の練習風景に更新しました。
2013年6月2日京成検見川教室オケ練習風景





  セバスチャン バッハ ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調

           flute or Traverso 櫻井香織(賛助出演)
           violin         斉藤純子
           Cembalo       岡村智子  (中2)

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。

  八千代組の子供達は、これまでにも la foliaや chaconneなどの曲を演奏するに当たって、その曲の中で、baroque時代の弓の持ち方や、baroque特有の奏法でもよく演奏しています。

当然、子供達も専科生ともなると、斉藤先生のbiberの演奏のように、baroque楽器を使用して、全くのbaroque奏法で演奏する事も出来ます。

ここで言っている、「baroque奏法」という意味は、誤解の無いように確認のために、敢えて説明をしておきますが、一般的によく勘違いされて言われているように(思われているように)、現代の弓と楽器を、ただ単に、baroqueのviolinと弓に持ち替えるだけでは、baroque奏法と言う事は出来ないのです。
人によっては、安直に、「vibratoを無しにして、押し弾き気味にして、音を膨らませて演奏すればbaroque奏法なのだ!」と乱暴に、勘違いをしている人迄居るので困ったものです。
本当のbaroque演奏とは、当時の楽器の構え方、弓の持ち方は当然で、当時の演奏上の慣習を忠実に再現したものでなければ、baroque奏法とは言わないのですからね。

ですから、「餅は餅屋」の理屈で言うと、baroqueviolinの奏法は、ヴァイオリニストの領域ではなく、寧ろ音楽の研究者の人達、音楽学や音楽史の(本当は音楽の演奏様式や時代考証の)分野の人達の得意とするgenreなのです。

だから、見よう見まねで、今の日本でviolinを習って来た人達が、日本での先生に習ったままの弓の持ち方(3点支持の持ち方と言いますが)で、演奏すると、弓が折れてしまったり・・、と、大変な事になってしまいます。

(何故、ここで「日本では・・・」と、敢えて言ったのか、と言うと、・・・ヨーロッパの場合には、baroque専門の音楽大学や研究所がそれぞれの国にあって、そこでbaroqueの優れた演奏家を沢山輩出しているからです。
日本と違って、ヨーロッパでは、viola奏者や、伴奏ピアニストのように、それぞれのgenreが専門的に分かれているからです。
だから、「baroqueの音楽が好きだから・・・」というヴァイオリニストが、modern楽器のviolinをbaroqueのviolinに持ち替えて、baroqueviolinの演奏する事はありません。)

先程もお話したように、現代のviolinの弓の持ち方で、baroqueの弓を使って演奏すると、上に掲載している写真のような、本物のbaroquebowでは、弓が折れてしまうからです。
baroquebowを、日本流の弓の持ち方の3点支持の持ち方をする人は、先ずいない・・・とは思いますが、時代が新しくなって来るに従って、弓の強度も強くなってきます。
ということで、baroquebowは時代の変遷に伴って、色々な形があります。

上に掲載してある写真は、私が個人的に所有している一番古いタイプのbaroqueの弓と、現代の弓とを、比較のために並べて撮影したものです。

上の弓は、数あるbaroquebowの中でも、一番初期の時代のbaroquebowのタイプで、baroque時代が始まった1600年頃の少し以前から、1700年頃までの時代に主に使用されていました。

つまり、baroque時代の殆どの時代で弾かれてきた弓だと言う事が出来ます。

上の弓の特徴は、一番古い時代の弓を復刻したものなので、弓の毛の張りを調整するスクリュー式のアジャストが未だ付いていません。

象牙で出来た毛箱は、取り外し式で、弓の毛の張りの調節は毛箱を替えて調整します。・・とは言っても、弓の毛が緩むのは毛箱のサイヅでは1ミリ単位のサイズの調整になります。毛箱自体をそのサイズで作る事は不可能です。
そのために毛の張りの調整は、殆ど出来ないと言っても過言ではありません。
日本のような高音多湿の国で、毎日のように、毛の長さが激変する国では、毛の張りを一定にするのは、殆ど不可能で演奏者を四苦八苦させています。
当然、日本では私を除いては、このタイプの弓を持っている人はいないと思いますよ。

比較の為に置いた下の現代bowは、弓の反りが、毛の張りを強くするために、逆反りになっていますが、これが、bowのストラディバリと呼ばれる、フランスのトルテという人が1790年頃に考案しました。

baroque時代の弓と現代の弓との間には、当然、幾つかの改革がなされてきました。
その最たるものが、アジャストスクリューと呼ばれる、毛の張りを調節するための工夫です。

このbowは、未だ、同じbaroquebowに属しますが、それでも、大分、時代が下ったもので、俗にTartini bowと呼ばれるものです。
1700年頃にcorelliが使用したとか、1740頃にTartiniが考案したとも言われていますが、そこの所は定かではありません。
baroqueviolinなら、楽器が結構現存しているので、比較対象をする事によって、かなり詳しい細部に至る所まで、研究されているのですが、弓は見た通りの消耗品なので、時代考証が絵画等に頼らざるを得なくて、今一、考証が上手くいかないからです。

このTartinibowは、かなり現代bowに近い強さを持っているので、日本で弦楽器を習って来た3点支持で弓を持つ人達はこの弓しか使用しません。(・・出来ません。・・・と言うか、世界でも古いタイプの弓でbaroqueの音楽を演奏する人は少ないのです。それはヴァイオリニストの技術的な問題なのですからね。forte-pianoを演奏出来る人が、世界中に未だに一人もいないのと同じです。)

と言う事で、baroqueviolinを奏する人達は、その殆どの人がTartinibowを使用しているのですが、Tartinibowは1740年からの時代になりますので、もうbaroque時代は、ほとんど終わり間近で、前期古典派の作曲家達が活躍し始めた頃の時代です。

baroquebowと呼ぶのは、チョット難しいかも知れませんね??


という事で、結論的に言うと、古い時代のbowになればなる程、華奢で、弱いbowになってしまいます。

日本でbaroquebowとしてよくbaroqueviolinの演奏に使用されている弓は、modernbowに変わる直前の所謂、Tartini-bowと呼ばれているいる弓ですが、現代bowに変わる前なので、その弓なら、現代的なviolinの弾き方や、3点支持の弓の持ち方をしても、折らないで演奏出来るかも知れないけれどね。

しかし、3点支持の弾き方では、現代の強いbowでも、しかもviolin族の中でも、最も頑丈なviolaのbowを、演奏会の最中に折った人がいたそうだけど、それは凄いね!!

勿論、「弓を床に落っことして折った!」 という事ではなく、「演奏していて折った!!」と、いう意味ですよ!
弓を落っことしたりすると、そりゃあ、教室の生徒でも、折れちゃうからね。


振出に戻って、私達の教室の小さな生徒達が、平気でbaroque奏法が出来るのは、日本の弓の持ち方と基本的に違って、violin奏法のルーツである、1点支持の持ち方をしているからです。

一般的にはこの弓の持ち方は、ベルギー派の持ち方と呼ばれます。
グルミョーや、シェリング等の大家達や、ベルリン・フィルのコンサートマスターで、世界的にも有名な演奏家のシュバルベ教授等もこの弓の持ち方をしています。
世界一級の演奏家と呼ばれる人達は、皆全てこの持ち方で演奏します。

ロシア派と呼ばれる、近代的な3点支持の持ち方に対して、トラディショナル(伝統的)な持ち方になるのですが、日本の常識は世界の非常識で、日本ではこの持ち方、構え方をする教室や先生は殆どいません。

教室の生徒達が、極めて少人数であるのにも関わらず、柔らかい音で、しかも大オーケストラのような音量を出すのも、このviolinの基本の持ち方で演奏しているからなのです。

日本では、1点支持の持ち方をする教室は殆どありません。
聞いた事はありません。(勿論、音楽大学の先生達を含めても・・・です。それに対して、プロのオケマンで、1点支持の持ち方が出来ない演奏家はいません。当たり前の話で、オケで一番格好良い弦楽器の弓の先端を素早く演奏するトレモロは、1点支持でないと演奏出来ないからです。)


という事で、私が専科オケの生徒達に、「どうせ、皆、baroque奏法は出来るのだから、折角だから、斉藤先生にbaroqueviolinで演奏して貰って、fluteの人はTraversoを演奏出来る人を雇おうか?」と子供達に提案したら、「絶対にダメ!!」と総スカンを食ってしまいました。

勿論、通常の曲の中でも、その一部をbaroque奏法で演奏する事は、しょっちゅうあるので、総スカンの理由はbaroqueviolinの演奏上の技術的な事ではありません。

その本来の意味は、所謂、baroque時代の音楽を演奏する時に使用するbaroquepitchの問題です。
baroquepitchは、教室の場合には、通常、Aを、440cycleや、通常の演奏会高度の443cycleではなく、A=418cycleのpitchになります。
約半音低い音になります。
教室の生徒達は全員絶対音感を持っているので、楽譜に書かれた音符と演奏する音が違うのは許せないのですよ。
そういう意味です。


baroque時代のpitchのお話
参考までに、上の文字をクリックすると、別のサイトにリンクします。

さて、Traversoというbaroque時代のフルートは、ピッチが392~435Hzまでの間です。
一般的なrecorder(学校用に作られた教育用のリコーダーは、440の標準ピッチなのですが、本当の木製や象牙のrecorderの事ですが)は、430か435Hzぐらいに調律されているのが普通です。

現代のチェンバロはモダンピッチ(A=443)にも対応出来るように、鍵盤を下にスライドさせて、ソ#の音がAの鍵盤になるようにする事が出来る機能を持ったチェンバロが増えてきました。

ですから、Aのピッチを440cycleに調律した場合には、半音低いソ#の音は415cycleになるために、便宜上baroquepitchを415cycleと一般では、定めました。

「一般では・・・??」というのは、半音低くするというのは、あくまで利便性の話であって、歴史的な根拠は全くないからです。
言い換えると、当たってはいないけれども、外れてもいないというぐらいの、あやふやな根拠なのです。

ちなみに、日本のトヤマ楽器のアウルスブランドでも、Traversoを作っていますが、baroquepitchでは415cycleだそうです。
また、驚いた事に、世界初のmodernpitch(しかし、標準の440cycle)のTraversoも作っているそうなので、それなら、baroquepitch恐怖症の子供達でも、良いのかな??

でも、Traversoを持っている人はいないか??
う~ん???
(+o+)じゃあ、また、俺が買うの????゚(゚´Д`゚)゚

私が買っても良いのだけれど、先ず問題点の第一番目は、演奏出来る人がいない事です。
音大でfluteを専攻してきた人が、楽器を持ち替えて、そのままTraversoを演奏出来る分けではないのです。
baroque楽器は押しなべて、演奏技術が大変に難しいのです。
第二点の問題点は、演奏出来る調性が非常に限られているのです。
勿論、このBrandenburgは演奏可能なのですが・・・。

aulosのTraversoの場合には、baroquepitchは415cycleになっています。
これは、先程もお話したように、Cembaloのスライド鍵盤で、鍵盤をスライドさせて、As(Gisソ#)の所までAのキーをズラすためです。だから、Aを440cycleでtuningした場合には、Asは415cycleになるのです。

しかし、弦楽器の場合には、415cycleでは、音が低すぎて、弦の振動が上手く行きません。楽器の鳴りがあまり良くないので、430~435Hzぐらいが本当は望ましいのです。

では、どうして、baroquepitchが一般的には、415cycleになってしまったのでしょうか??
その理由は、チェンバロは当然ですが、violinでも、チューニングをする場合に、一々pitchを変えるのは望ましい事ではありません。

その都度、pitchを変えると、楽器のpitchが中々定まらなくなるばかりでなく、楽器を痛めてしまう原因にもなってしまうからです。

ですから、一般は当然の事、教室でも、楽器の健康と保護ののために、通常はbaroquepitchを418cycleと決めています。

標準pitchのA=440cycleの半音下のA♭なら、415cycleのはずなのに、何故、教室のpitchが415cycleではなくって、418cycleか?というと、Aのピッチが440cycleという国際標準pitchは、今現在では、学校以外では全く使用されない、学校教育専用のpitchだからなのです。

日本国中の演奏会の会場のピアノのpitchは、その殆どが、所謂、演奏会高度と呼ばれる443cycleを使用しています。
教室も発表会等では、一般のホールを使用しますし、音楽大学等も演奏会高度を使用しますので、教室のpitchは、当然、一般の音楽界の443の演奏会高度を使用しています。

ちなみに、440cycleの標準pitchを使用しているのは、教育機関(音楽大学を除く)である、一般の学校と教育大学、また文部省(文科省)直属である教育会館のホールだけです。

私立の高校等も443の高度を使用する学校が増えています。
私立の・・・というのは、国公立は文科省のお達しの影響下にあるから・・という意味なのです。

教室では、当然、演奏会高度で調律しますので、半音下のソ#のbaroquepitchは418cycleになります。

以前、日本の或るbaroqueの専門の演奏会に行ってきました。その団体はbaroqueの演奏しかしないのに、Cembaloのスライド鍵盤を415cycleにしていました。
何故??
baroque専門の団体なら、440cycleの半音下に拘る必要はないのでは??
不思議だ???
baroquepitchが415だと勘違いしているのでは???


教室の先生達は、普段は普通のヴァイオリンやチェロのlessonをしています。
当然、pitchは443cycleです。

じゃあ、絶対音感のある先生達はどうして、楽譜を見て、418cycleのbaroquepitchで演奏出来るのでしょうかね。

勿論、それは経験に伴う「慣れ」ですが、慣れるまでのコツは、最初の間は、先ず譜面を見ないで(暗譜で)演奏する事にあります。

暗譜して譜面を見ないで演奏すれば、baroqueのpitchでも、問題なく演奏出来るからなのですよ。
そりゃあ、楽譜を半音下に移調すれば良いのでしょうが、演奏する曲目の数から言って、それは不可能です。

しかし、幾ら慣れたとしても、練習の時には、譜面を見て練習するので、パッとrepeat(繰り返し)した時に、無意識に、別のkey(鍵盤や音)を弾いてしまう事もあるのですよ。

それも、慣れです。そういうミスも慣れて行くと、段々減っていきます。
ハッ、ハッ、ハッ!




soloの部

Faure  夢のあとに
                  山本珠加 (中1)   cellosolo
                  芦塚陽二         Begleitung
(Piano)

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
何時もの私の愚痴ですが、18歳、19歳の高校生ぐらいの時の血液検査で、リュウマチが見つかってから、医者からは(医者とは言っても私の養父の事ですがね。)、「60歳ぐらいになると体中が痛くて、指や体が動かなくなるよ!」・・・と、宣告されていました。
本当に、40代の後半ぐらいから、リューマチが、マジに段々酷くなってしまって、指が全く動かなくなって、演奏活動が全く出来なくなってしまいました。

昔は練習しなくても、初見でスラスラ弾けていた曲が、60代の今は幾ら練習しても、弾けません。
・・・という事で、この20年間は、Pianoを練習する事はおろか、自宅で作曲をする時ですらも、音取りにピアノの蓋をあけると言う事さえなくなってしまいました。

リューマチを患って一番困る事は、幾ら事前に練習を積んで、指を慣らしていても、演奏会当日の朝の体調次第で全く指が動かなくなってしまう事がよくあるからです。
「リューマチだから・・」と言って、その分一生懸命に練習をより多くしても、当日の体調如何で、弾けなく(指が動かなく)なってしまうのですよ。
一生懸命の練習も、何のやくにも立たないのですよ。
だから、人前でピアノを弾く事は、全くやめてしまったのです。

自宅でピアノを弾かなくなった理由には、別のもう一つの致命的な理由があります。
心臓から来る体調の関係で、日常的には、鬱が酷くて、演奏(練習)しようとしても、どうにも気力が上がらなく、音楽の中に入ろうと努力しても、気力が上がらなくって、その音楽に入れない、と言う事が、日常的に多くあります。
だから、練習が出来ない・・・という病気から来る鬱状態による練習の都合の理由もあります。

気力のない、魂のこもっていない、指先だけの(私の師匠は・・oberflaech〈表面的〉な・・と言っていました。)演奏を私達は不誠実な演奏と言って、窮めつけに、忌み嫌います。
だから、幾ら一人っきりで、それも、ただの指慣らしの練習にしか過ぎなかったとしても、自分がそう言った練習をする事は、proとしてのプライドで絶対に許せないのです。

その場さえ何とかなれば良い、と言う気持ちで、音楽に向かう姿勢は私の場合には、絶対に許せません。
勿論、このお話は、私自身が私自身と接する時の、私のmotivationのお話で、proとしての姿勢のお話の事なのですよ。
だから、私以外の人達、しかも、音楽が趣味の人達は、その限りではありませんがね。
と言う事で、私の場合には、そのダブルパンチで、Pianoが弾けないのよね!!
あ~、かわいそう!かわいそう!(´・ω・)なのよね。

勿論、lessonでは、教室の生徒達も上級生ともなると、「演奏してみせる」、と言う口伝的な指導は必要なくなります。
私が指が回らなくて、演奏して見せなくても、「説明だけの、以心伝心」だけで、私が「どう演奏して欲しいのか?どう練習しなければならないのか?」を直ぐに分かってくれるようになっているので、私の指が回らない事が、レッスンの差し障りには、全くならないのです。

しかし、外での演奏という事であるのならば、そうはいきません。
指が回らない、misstouchをする、と言う事は演奏上致命的になります。

と言う事で、私に珠加ちゃんのFaure の伴奏を頼まれた時も、伴奏をする事を固辞して、他の生徒か、先生の誰かに任せようと思ったのですが、この曲ばっかしは、伴奏のrubatoのtempoの設定が難しくって、辺りを見回しても、この曲の伴奏が弾ける人はいないのよね。

という事で、今回は伴奏者探しは諦めて、私が伴奏をしますので、misstouchや指のもつれ等のハプニングは気にしないようにお願いします。

歴史的な名演奏家であったコルトー(Alfred Denis Cortot, 1877年9月26日・スイス、ニヨン - 1962年6月15日・スイス、ローザンヌ)先生も、指のもつれやmisstouchは酷かったしね。

それでも、歴史に名を残す名演奏家ぐらいにはになれるんだよ!!

もっとも、コルトー先生は、音楽大学の先生達からは、超、評判悪いけれどね。
当たり前か???
(逆に、その、音楽大学の先生達が、名演奏家として挙げる人達は、私達は上手いとは思わないのだよね!!!
音楽に対する価値観が、根本的に違うのだよね!)
ハッ、ハッ、ハッ!

13年6月の9日の練習の日、(所謂、昨日!!・・・) は、久しぶりで珠加ちゃんとの合わせのlessonがあったのだが、5小節目の所で、misstouchをボロボロとしてしまった。

⇒リュウマチが酷くなって・・・?? 
 いや、いや、・・リュウマチとは、ちょっと違うな??

その場は、何とか取り繕って、misstouchで悩むのはさておいて、あくまでも珠加ちゃんのcelloのlessonが優先なので、私のmisstouchは、はぐらかして、lessonを優先して、改めて・・・・

何でミスったのかな??
 おかしいな???・・・と、妙に気になってしまい、lessonから、やっと自宅にたどり着いてから、次の日の朝早くに
(・・・・千葉の京成検見川教室でのlessonが終わって、椎名町に車を置いて、事務所で先生達と遅い食事《毎週、千葉にlessonに行った帰りは7のお弁当ですが》をとって、改めてバイクに乗って、ハイツの自宅にたどり着くのは、何と、何時も、深夜の2時、3時頃になります。取り敢えずは、頑張って寝なくっちゃね!!!)
私の持っている楽譜をcheckしてみて驚いた!!

何と、私はこれまでにviolinversionと歌のversionとcelloのversionで伴奏をした事があるのだが、5小節目の3拍目と、その全く同じ繰り返しである20小節目の3拍目の和音が、違うのだよ。

同じ全音版の3冊なのに、全部が違うのだ。

しかし、この和音の違いには、全く論理的な根拠はない。
と言う事で、「どれが正しい」とは言えないから、困ったものであるよ。

左の楽譜は、歌曲の伴奏譜である。
(見りゃ、分かるよ!) そう、言わんといて~な~?!

その歌曲の後半の繰り返し部分の20小節目

ここでは、右手の和音の3拍目の下の音がG(ソ)ではなく、As(ラ♭)のままになっている。


次はviolinのversionです。













最初の5小節目の3拍目の和音の音は、前の歌曲の伴奏と同じで、G(ソ)に下りている。
後半の20小節目の音は、どうなっているのか、というと・・???










歌曲の伴奏の和音とは違って、最初の和音と同じ、G(ソ)の音のままです。

そして今回の珠加ちゃんの伴奏のcelloの伴奏譜ですが、最初の5小節目は

















な、な、なんと、今度は最初の和音の下の音はAs(ラ♭)のままです。
しかも、20小節目の3拍目は・・・











何と!何と!G(ソ)の音に下りています。
ちょうど、歌の伴奏譜とは、真逆になっています。

後、もし、別の楽譜があったとして、前後の2回とも、As(ラ♭)になっている版があれば、全部のパターンが出揃うかな??
アハッ!??

という事で、昨日の珠加ちゃんとの合わせの時に、5小節目の音を外してしまったのは、頭の中の記憶の音と楽譜の音が違っていたからなのですよ。

ここまでも、「それぞれの版の楽譜の音が違う!」って事は、経験上は余りないのだけどね。
・・・で、
当日は、どの版で演奏するの?って???

こういったケースの場合には、作曲家の手書き譜のfacsimile(写真)版を優先するのだけど、残念ながら、Faure のこの曲は写真版は出版されていないようですね。
と言う事で、どれが正しいのか?・・checkのしようがありません。
しゃぁないから、当日の気分で決めるか??
そ、そ、それは・・・・!!!!

この膨大なホームページの中に、ロマン ビュスィヌの「夢のあとに」のフランス語と日本語の訳を載せたページがあるはずなのですが、何時頃制作した、どのページだったのか、全く、思い出せません。
またまた、だからと言って、改めて、このページにフランス語の原語を載せたりするのは、大変だし、さほど意味もないと思うので、参考までに、「そのページにリンクさせておこう」と思ったのですが、どこのページに載せたのか、分からないので、仕方がないので、詩の内容の説明だけを、簡単に書き留めておきます。


夢の中で、優しい恋人を見て、心は一緒に天に登って行く。
しかし、それは目覚めによって破られる。
もう一度あの夢を返して・・とこいねがう。


かいつまんでいうと、そんな意味でしょう。

この詩については、「陳腐である!」とか、「素人っぽい!」とか、色々な文献を読むと、結構、非難轟々なのですが、私はフランス語はよく分からないので、(・・・ムシュムシュとしか聞こえないし・・・!!)そこに参加して、兎や角言う程の知識は持ち合わせていないので、それについては、触れない事にします。

ロマン ビュスィヌ(R.Bussine1830~1899年)を批判する人達の根拠は、当時は彼は歌手として知られていて、パリ音楽院の教授でもあり、Sait-Saёnsと伴に、国立音楽協会(societe nationale de musique)の創設者の一人でもある、・・というのが元来のビュスィヌの本職で、Faure が作曲しているビュスィヌの二つの詩の大元は、トスカナ語、所謂、イタリア語で書かれていて、ビュスィヌの詩は、その詩の単る翻訳に過ぎない。そのために、フランスの詩の技法に則ったものではなく、長さも不揃いの自由詩になっている。と言うのが、その根拠の主な理由でしょう。

当の作曲家であるFaure (1845年5月12日~1924年11月4日)は、何とSait-Saёnsの作曲とピアノの生徒です。
若い頃はGenzmer先生と同様に、オルガニストとして働いていて、1871年からは、師匠のSait-Saёnsやfranckや、ビュスィヌと伴に、フランス国民音楽協会の設立に参加しています。(国立と国民の和訳の違いは、nationaleという言葉の解釈の違いだろうけれど、それは創設からの歴史の問題も関わってくるので、色々と面倒なので、ワザと統一しないで、文献をそのまま引用しておきます。)と言う所で、Faure とBussineの接点が見つかったけれど、要は歳の離れた友人だったのですよ。
そこの所が、Faure の作曲した他の詩人との違いです。詩人の詩に歌を付けた分けではなく、友人の詩に歌を付けたという事です。
納得!納得!!

参考までに
雲仙国立公園の従兄弟のホテル(有明ホテル)を訪ねた時のロビー・コンサートでの演奏です。
violinの演奏は斉藤純子で、ピアノの伴奏は私です。



演奏は、You Tubeで見ることが出来ます。

 Faure  夢のあとに

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
あれ・・・??
ピアノさんが酔っ払っているぞ!!
先生、もう、飲んじゃっているのかな・・??

いや、それは普通に弾いているつもりだけど・・・・???




  
Rameau gavotteVariation

(分かりにくいので、確認しておきます。上の文字をクリックするとYou Tubeで当日の演奏風景が見れます。)
Cembalosolo 遠藤美帆  (中2)

Francerococoを代表する作曲家はCouperinで、如何にも軽妙洒脱のFrance風で、自由で闊達なornamentやrubatoを多用して演奏しなければなりません。
それに対して、RameauはBachの息子のEmanuelのように、論理的な性格で、近代の和声学の基礎を作った人でもあります。
Couperinとは、双璧をなすFranceの後期baroque(rococo)の大家である事に懐疑の念を抱く人はいないでしょう。
その分、Cembalo奏法も技術的に難しくなります。
とは言っても、Couperinとはまた違った演奏技術的な難しさなのですがね。

左の楽譜は、gavotteVariationの4e Double(第4変奏)です。右手と左手の非常に素早い同音連打で演奏しなければならないのですが、2段鍵盤を用いて演奏する時はそれでもよいのですが、1段の場合には、Pianoと違って、鍵盤の戻りが非常に遅いので、演奏はとても大変です。
先に弾く方の指を鍵盤から素早く抜く、というtechnicが必要になります。
Pianoは鍵盤の戻りが早いので、そういった技術は必要ないのですがね。



次のpassageは、5eDouble(第5変奏)です。
右手の跳躍は、baroqueの音楽とは思えない、まるでchopinのEtudeを見ているようです。
勿論、Cembaloには、Pianoのようにpedalはありません。
手で音をしっかりと繋げて演奏しなければなりません。
革新的な音の使い方をしています。



Monti csardas
violin 斉藤純子
Piano 萩元美紀
(下の下線付きの文字をクリックするとYou Tubeにリンクします。)
Montiのcsárdásは、クラシックの演奏会唯一よく演奏される曲ですが、本来のジプシーの曲は、楽譜がなく、よく知られたメロディーや、ジプシー民謡等を即興で演奏します。
また、楽器の構え方から、violinの基本的な技術のtechnicに至るまで、独特の奏法になります。
そこまで行くと、またマニアックな世界なので、それはジプシーが専門の人に任せるとして、今回はMontiのoriginalの楽譜から、また少しarrangeを変えて、演奏しています。
勿論、violinのpartだけではなく、伴奏のPianoも自由にarrangeして演奏しています。


Heinrich Ignaz Franz Biber
  Representativa(描写)Sonate


baroqueviolin         斉藤純子
basso continuo cello    牧野由起子
basso continuo Cembalo  萩元美紀

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
この曲は、邦題を「物真似ソナタ」と言います。
色々な動物、鳥や猫、蛙、迄は分かるけど、マスケット銃でバグパイプハーディーガーディのような、ドローン(持続する低音)上で、踊り狂うさまは、baroque時代の人達にとっては、ディズニーの映画を見るように楽しいものだったに違いありません。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」のように、トランペットのファンファーレのような前奏が終わると、ナイチンゲールの鳴き声や、蛙の鳴き声、雄鶏と雌鶏の忙しない鳴き声に続いて、極めつけは、猫の鳴き声や、マスケット銃???で軍隊の行進等が始まります。
その曲と曲の間のツナギは、勿論、前奏で使われたmelodieが繰り返されます。
まるで、「展覧会の絵」のbaroqueversionです。

それにもまして、baroqueviolinでは上手にモノマネをするのは超絶技巧に難しいですね。
さあ、大変だ!!!



ちなみに、マスケット銃は、火薬を銃の先端から込めるタイプの銃です。最初に日本に入ってきた種子島の火縄銃もマスケット銃でした。










TelemannのMagnificat in G major Aria

上記のタイトルはTelemannのAriaの原題です。
上記のタイトル《ロゴ》をクリックすると、私のarrangeによる八千代の演奏風景へとlinkします。

実は、この曲は、コンサート直前まで、programには入っていませんでした。


「音人の会」の或る方から、牧野先生に、「・・・ところで先回のレッスンの時、お話ししたテレマンのアリアですが、教室でかつて演奏したことはあるでしょうか?(スコアがあるでしょうか?)」
 というご質問があったそうです。

という事で、牧野先生から、
「教室に楽譜が在庫しているのか?」「教室でかつてTelemannのAriaを演奏した事はあるのか?」という質問が私に丸投げされて来た分けです。


ご質問では、生徒さんの仰言られている、所謂、
「アルビノー二やパッヘルベルのカノンのように美しい、或いは、ジブリの天空のラピュタのテーマソングのようなテレマンのアリア」
・・・とは、Telemannのoriginalのcantataの中のAriaでは、有り得ないので、多分、Kurt Redel(クルト レーデル)のarrangeした、「TelemannのMagnificat in G majorの中のAria」ではなかろうか?・・・と思われます。

「多分、~~思います。」という意味は、なにせ、テレマンも、Bach同様に大変な多作家であって、アリアというタイトルの曲だけでも、数百曲にはなると思いますよ。

「ジブリの天空のラピュタ」は、私はまだ映画を見た事はないので、よく知らないのですが、私の「未だに、映画を見た事がない」という理由は、「忙しくて映画を見る時間がない」とかいう「カッコいい理由」ではなくって、結構、映画が好きで、・・・それもSF狂いで、SFがあると、どんなに忙しても、録画しておいて、後日必ず、見ることにするくらいに映画好きなのですが、(スペース・ウォーズやバイオハザードぐらいのlevelになると、チョッとついていかないのよね。)ストーリーらしいストーリーの展開が見当たらないので・・・ネ。

という事で、私自身は仕事としては、編曲の仕事は基本的にしないのですが、それでもたまに、「どうしても・・・」と、断れない人からの依頼で、ジブリの中の曲を、弦楽四重奏に編曲を頼まれた事があって、その時にも、慌ててレンタルショップにビデオを借りに行った事があります。
しかし、その時も、教室の先生に、ざっとその話の内容(ストーリー)を説明してもらって、videoを見た気になってしまって、借りて来たビデオは、そのthemaの音楽が出てくる所を、抜粋して見ただけだったね。


「Kurt Redelのお話」

あのお堅いテレマン先生の曲が・・・そんなに「ジブリ風になる」・・のなら、それは多分、Münche pro Alte管弦楽団の指揮者として有名なKurt Redel先生の仕業でしょう!!

クラシック畑の中では、そんなジブリ風の編曲をするのは彼だけだからですよ。

ここで、ご紹介したKurt Redelは1918 年10月8日生まれで、フルート奏者であり、指揮者でアレンジャーでもありました。
ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団を、1953年に創設しました。


BachやHaydn、Mozartの演奏で知られています。

また、バロック音楽の頂点とされる、パッヘルベルのカノンを世界初演した事でも知られています。
data的には、まだ存命の演奏家という事になっていますが、実は残念な事に、今年の( 2013 年)2月12日にお亡くなりになられました。

Kurt Redelの演奏スタイルは、genre(ジャンル)的には、baroqueや古典派の正当な演奏スタイルではなく、ロマンチックな擬古典の様式の演奏になります。

という事でそのカノンも、baroqueの古楽器を使用した、baroque時代の様式に従った演奏のスタイルではなく、(・・・・或いは、今日、私達が普段聴いているような楽譜に忠実なスタイルでもなく、)幾分、アレンジを加えた、ロマンチックな映画のサウンドトラックのようなイージーリスニングに近い演奏です。

私の個人的な好みで、よく教室のオーケストラも、擬古典の曲の演奏をしますが、Kurt Redelの演奏曲目とは、擬古典つながりで、結構、教室の演奏曲目と曲が、かぶってしまいます。
前回のパッヘルベルのシャコンヌ(パッヘルベルの有名なカノンの方ではないですよ。)
皆が、「こんな名曲があるんだ!!」と、ビックリしていた、パッヘルベルのシャコンヌですよ。
生徒達も曲を渡した最初は、「重たくってかったるい!」と練習の度に、非難轟々だったのですが、演奏会が終わったら、皆、「もう一度弾きたい!」と言っていました。
その曲も、良く調べてみると、Kurt Redelの名演奏が、You Tubeでupされていたり、という事で、よく私のprogramとKurt Redelの演奏曲目がダブって困ります。

それはそうと、教室でbaroqueの名曲の練習を始めると、テレビのコマーシャル等で色々な会社が同じ曲を流し出すのはどうしてなんだろう。

今回も、グリーンスリーブスを、八千代用に選曲しらた、もうコマーシャルで使われているそうですね。
残念ながら、私自身は、まだコマーシャルをテレビで見るタイミングが見つからないのですが。
もうすぐ、テレマンのariaも、コマーシャルに使われたりして・・・・????

ハッ、ハッ、ハッ!

という事で、本題のテレマンのアリアのお話ですが、その原曲は、Georg Philipp TELEMANN の DEUTSCHES MAGNIFICAT  in G major   "Meine Seele erhebet den Herrn"「私の魂は主に清められる(昇華される)」というMagnificatで、演奏時間は15分39秒ぐらいの曲の中の曲で、Kurt Redelがarrangeした曲は、その中の10分ちょうどぐらいに演奏される曲です。

こちらをクリックしていただくと、テレマンの原曲を聞く事が出来ます。

私自身はcantataやMagnificat、missa曲等も大好きなので、この曲もたまりませんが、慣れていないと、cantataというgenreは、宗教的で少し気楽には聴けないかもね??

http://blogs.yahoo.co.jp/nijntje_blogyou/30115380.html

Telemannの原曲の方は、メロディは同じなのですが、テンポが早くて、軽快な愛らしい曲なので、甘く切ないジブリ風の曲とは、似ても似つかない曲ですよね??

(速度の話を、Metronomのtempoで言うと、原曲のtempoが2分音符の単位で92~94ぐらいの間なのに、Kurt Redelは4分音符の単位で90~93ぐらいの間のtempoなのです。
つまり拍の単位が元の曲の倍のtempoの設定なのです。

という事で、tempoの設定一つを見ても、、もう殆ど、「Kurt Redelのオリジナルの曲だ!」と言っても良いぐらいの、原曲の面影の全くない、レーデル風のアレンジなのですよね。


勿論、Kurt Redelが、ミュンヘン・プロアルテ室内オーケストラのオーケストラのために編曲した曲なので、パッヘルベルのシャコンヌ f mollと同様に、楽譜は発売されていはいません。
だって、自分で指揮したわけだから、楽譜は出版していないのですよ。

(勿論、Pachelbelのchaconneの原曲であるorgelの譜面は、私は所有しています。)



以下はKurt Redelのアレンジによるテレマンのアリアの演奏です。

http://www.youtube.com/watch?v=KzY7Mgz0eXo

という事で、皆さん達が、テレマンのアリアと言っている曲は、Kurt Redelの編曲による曲という事です。

私がネットで探して参考にしてみた、色々な楽器編成のアレンジ版も、全て、Kurt Redelの演奏をエアcheckで、書き取って、色々な楽器にアレンジしているようです。

つまり、ご質問のYou Tubeで視聴された、Quartettのversionは、日本人のJ Mizuvicさんのアレンジの版だと思います。
後は、ギターのsoloの版とギター合奏の版と、4台のチェロの合奏の譜面もupされていました。
勿論、それぞれ別の人がアレンジしています。
チェロ版は有料だったのですが、一応、お金を払って、down loadしてみました。


私は、「教室にはテレマンのAriaのscoreがあるのか?」というご質問があった・・・、という話を先生から聞いて、直ぐにアカデミアやヤマハ、その他の楽譜ショップにmailや電話をして、楽譜を探してみたのですが、(楽譜と言っても、Magnificatの原曲のお話なのですが・・・) 残念ながら、在庫は全くなく、やはり海外発注で、私達の手元に入るまでには、2,3ヶ月は掛かるという事でした。

2,3ヶ月も経ってしまうと、手に入ってから、原譜のcheckとarrangeを始めたとすると、八千代のコンサートは、練習がとても、とても、間に合わないので、今回、八千代で演奏するには、無理になってしまいます。
なにせ、コンサート迄は、後、6週間しかないのでね。
子供達が、いくら初見演奏が出来たとしても、演奏の水準をキープ出来る所まで、練習を積んで行くのは、日にち的に、無理になってしまいますのでね。

そこは、幾ら、一人一人の生徒の初見力や技術力があったとしても、学校行事と並行して勉強している生徒達のrotationの限界になってしまいます。


じゃあ、困った時の、図書館頼みで、近所の音楽大学の図書館に行って、探してみたのですが、Kurt Redelは当然論外ですが(音楽大学にはアレンジ物は置いていません。権威の象徴なので、有る分けはないのですよ。)、「original である
Magnificat in Gは、テレマンの重要な作品なので、置いてあるはずだ!!」 と思ったのですが流石に、音楽大学にも、置いていないようで、図書館の若い女の子が、パソコンを駆使して一時間近くかかって必死に汗ぐっしょりで探してくれたのですが、やはり、無理でした。
可哀想になって、「他を尋ねて見るから・・・」と言って、断りました。

という事で、ネットで検索して、先程のJ Mizuvic(水川 陽一郎さん)のQuartettversionのアレンジを見つけたので、早速、 Mizuvicさんにお願いして、Quartettversionにコントラバスとfluteを加えたversionを送ってもらいました。
青い文字をクリックしていただくと、You Tubeにリンクして、音が聞けます。↑

という事で、1件落着という事で、本来的には、Mizuvicさんに、折角送ってもらったのですから、その楽譜を使って、そのまま演奏出来れば、私としても大変楽なのですが、残念ながら、教室の子供達のorchestraとは、楽器編成の違いや、演奏上の目的やconceptが少し違うので、Kurt Redelの演奏と、Mizuvicさんのscoreを参考にして、教室用のオケ譜を一昨日の夜から、次の日の朝の4時まで掛かって書き上げました。
(5月15日の朝迄に・・・)

という分けで、来週の日曜日(19日)から、テレマンのアリアも、練習に入ります。
part譜のレイアウトも何とか頑張って、仕上げたのでね。

やっと、皆に配れるよね。
いやあ、てぇへんだった!!

勿論、この10年、20年は、作曲の時にも、arrangeの時にも、五線紙に音符を書くという作業は、全くやっていません。
それどころか、私のハイツの自宅には、ピアノも置いていないのですよ。
音出し禁止のマンションなのでね。

以前、音符を手書きでやっていた頃は、編曲や作曲のスピード自体は今と余り変わらないのですが、楽譜の浄書やpart譜作成に1月は掛かったのですよ。

それが、パソコンなら、wineを飲みながら、3,4時間でこの程度の曲なら、arrange出来る!
そして、次の日のお昼迄には、part譜やスコアーの浄書が出来上がっているのですよ。
まるで、奇跡だ!!

何と、楽なのだろうか!!
パソコン様、様だよね!!!

しかし、・・・ とは言っても、歳を取ると、疲れてくると、パソコンの画面がよく見えなくなるのだよね。
だから、パソコンで曲を作っていると目が疲れて、肩が痺れて来るのだよ。


という事で、大急ぎで、教室の生徒達が、演奏出来るように、arrangeを変更しましたが、ただ、Kurt Redelの版やMizuvicさんのarrangeの版とは、楽器編成は当然ですが、和音進行やmelodie等も、教室のニーズとは、異なるので、教室のorchestraに合わせて、大きく全体を変更しています。

通常ならば、私の場合には、曲のarrangeでは、原作者のoriginality を最優先にして、そのconceptを変えないようにarrangeをするのですが、今回は、守るべきoriginal の楽譜が未だ手元にありません。
という事で、テレマンのoriginalの譜面があれば、私のポリシーとしては、絶対的に和音進行は作曲者のoriginalの曲の通りに、そのまま従ったのですが、何せ、原譜がないので、Kurt Redelの版の和音進行を、そのまま私が追従する必要はない・・・と考えました。

また、明らかに間違いと思われる所が、数箇所あったので、そこの所は、訂正しておきました。

先ず、その一例なのですが、最初の・・・、多分、 Mizuvicさんや他のguitarの人達のarrangeにおいても、Bassのpartと中声部で、連続の平行5度をさせていますが、皆さんそうなので、多分、Kurt Redelさんのarrangeで、そういう風にarrangeされていたのではないかな?と思っています。

「思っています。」・・・というのは、色々と雑用に追われてしまって、中々、ゆっくりと、Kurt Redelの曲を五線紙を片手に聴く時間が、見い出せないからです。

しかし、平行5度の連鎖に関しては、baroque時代や古典派の時代では、原則として、使用する事はありません。
唯一の例外としては、極稀にpipeorgelの音栓を真似て、Scarlatti等が例外的に平行5度を使用していますが、それはあくまで例外なので、基本的にはやってはいけません。

平行5度を使用する事によって、現代的な7度の響きを導き出したという事でしょうかね??


私が言っているのは、単なる時代考証のお話ですから、Kurt Redelさんがこの曲に、近代的な和声の響きを、求めても、それを否定する気はありません。
それはそれで構わないとは思います。
baroque音楽と思わなければ良いのですからね。

そのための、擬古典というgenreなのですから・・・。
それは、それぞれのアレンジャーのポリシーの問題なのですから。

ただ、私のポリシーとしては、当時の和声学上の禁則は禁則なのですから、大作曲家であるTelemannが、敢えてそんな禁則を犯す訳はないのです。
つまり、Telemannの書いた原曲では、必ず次の和音進行をしているハズです。
所謂、古典的なbasso continuoの手法によるSequenz進行です。


この和音進行は、同時にPachelbelのcanonの低音の動きで有名な、canonchordと言われている和声の進行でもあるのです。



また、Telemannのoriginalの曲である、cantataの発声法は(tenorのpartの発声法は)、日本ではcantata独特の発声法を教える先生を探すのは、容易ではありません。

音楽大学でcantataの発声法と、cantata特有の息の長い呼吸法を指導出来る先生は非常に数が少ない(これは婉曲的な言い方なので、率直には皆無・・と言って良いと思いますが・・・)ので、私が、日本に帰って来たばかりの頃は、cantataに凝っていて、cantataを教会で演奏するのが夢だったので、私の当時の弟子で歌科の出身の女の子(二十歳は過ぎていたけれど)に、1年掛りで、cantataの発声法と呼吸法を指導して、他の弦やCembaloの弟子達と一緒に、教会回りをしていました。

cantataの発声は、one・breath(ひと呼吸)で16分分音符の音を30小節ぐらいは、一気に歌えなければならないので、呼吸法と発声法が、少しでも無駄な力が入った発声法であっては、歌えなくなってしまうのです。
しかも、オケの伴奏なので、Pianoのように、一人で合わせてくれるのではないので、(他のpartも、歌と同じように16分音符のpassageを演奏しているので、)breathのために待ってはくれないのです。

そのために、私が冗談で「金魚breath」と呼んでいる、あたかも金魚が餌を食べる時のように、素早くbreathしなければならないし、16分音符の音をしっかりと出す(立ち上がらせる)ために、強靭な腹筋による音出しが必要となります。

歌の生徒は、人間的に色々と取り扱いが難しいので、その後は、歌の弟子をとる事は、全く、やめてしまいました。
という事で、cantataを引っ提げて、教会まわりの演奏会をする事も、自動的におしまいになってしまいました。

TelemannのこのAriaの曲は、本来はtenor歌手が歌いますが、今回は、tenor歌手の代わりに、fluteにしました。
これは賛助出演者の都合上のお話なので、特別に「fluteでなければならない」という根拠はありません。

originalと違うのは、cantataでは、歌が自分の出番以外の時には、通常はお休みなのですが、お休みのpassageも、弦オケに色を添えるために、ホルンのような「pedal‐tone」をfluteのシャルモニ-音域で、演奏させています。
Kurt Redelのorchestraもフルオケの大編成なので、soloのpartはお休みしているようですが、弦オケでは、小編成なので、色を添えるためには、致し方の無い手法です。

ですから、今回のarrangeでは、fluteは、通常のオケsoloのfluteのように、「自分のsoloの出番までの休み」は全くありません。
(Greensleevesの方は、soloの楽器は通常通り、soloを演奏しない所は休みになっています。)

後は、Kurt Redelのarrangeが、ジブリのパクリと言われる所以のbaroqueにはない「pizzicato」の演奏ですが、 Mizuvicさんのarrangeのように、Kontrabassに担当させるのは、至難の業(不可能)なので、solocelloとsoloviolaの二人に絡め合わせで演奏させています。
千聖さんと梨紗さんの絡み合わせなので、音楽がとても立体的になって、pizzicatoが音楽に色を添えていると思います。

本来の歌の場所は、古式豊かに(古めかしく)Cembaloと通奏低音のcelloが担当して、ジブリ風のオケの演奏との対比を狙っています。

教室のorchestraのように、小編成の弦楽オーケストラでも十分な音量と音色が出るように、arrangeには配慮してみました。

という事で、私はそれらを踏まえた上で、次のようにarrangeしました。
スコアーで載せると大変なPage数になってしまいますので、最初の一段だけ、参考までに載せておきます。




また、最後から3小節目のviolinのpassageを、Kurt Redelさんは、次のようなmelodieにしていました。
Kurt Redelさんのorchestraの演奏では、全く自然に感じられておかしくはないように、思ってしまいますが、実は時代考証的には、*の部分の和音進行は正しくはありません。

他の人達も、当然、Kurt Redelさんのarrangeを底本にして書き取っているので、皆さん、同じmelodieになっていましたが、*のpassageの和音は、無理があります。この和音進行も、当時の古典的な和声法やSequenzの手法から言うと、禁則になってしまいます。







Telemannの楽譜が届くまでは、もうしばらくはかかるようなので、解答合わせはもう少し後まで待たなければなりませんが、理論的に正しく訂正すると、次の譜面のように、前に出て来た同じpassageと同様に、そのままのSequenz進行をさせる事になります。


という事で、私のarrangeしたversionでは、最後のpassageも、極めてsimpleに、最初のpassageをSequenzさせる形で終了させました。

という事で、次の動画は6月2日の京成検見川の教室での練習風景です。
(文字をクリックしてください。)
本番まで後、練習が3回しかありませんが、arrangeが出来上がったのが、直前なので、致し方ありません。失敗もそれなりの経験と言う事で・・・!
アハッ!


G P Telemann Aria

 flute            櫻井 香織(賛助出演)

basso continuo cello 清水 千聖

Cembalo          遠藤 美帆

Drgt.            芦塚 陽二

上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。

芦塚音楽教室とOBのお姉さん達のオーケストラの演奏です。








Giulio Caccini Ave Maria


上記のタイトルをクリックすると、You Tubeの当日の演奏風景へとlinkします。
今回の八千代のコンサートのprogramの曲としては、今から、CacciniのAve Mariaをarrangeしたとしても、今からでは、殆ど数回しか練習の時間がないので、CacciniのAve Mariaは、次回の八千代のコンサートの目玉の曲として、気長に、のんびりとarrangeをして行こうかな?・・・・と、考えていました。

しかし、子供達が中学生、高校生になって、成長するに従って、子供達の日常生活も、これまでのように音楽にどっぷりと浸かった生活ではなくなって、学業が中心の生活になってしまい、教室のオケや室内楽の練習の時間と、塾や学校との行事の絡みが、中々噛み合わなくなってしまい、練習に参加する事や音楽の水準をキープする事が困難になってきました。
また、それ以前に、少子化の影響で、教室全体の生徒達の人数が減ってしまい、オケ室内楽に参加するメンバーを確保する事自体が困難になってしまいました。

と言う事で、今回の八千代のコンサートを一区切りにして、次回の秋の予定は、キャンセルにして、取り敢えず、しばらくの間、次の世代の子供達が育って来るまで様子を見てみようかな?と考えています。

当初は、一番最初に八千代からお話を受けた時は、教室のlessonの合間、合間に、proとして演奏活動を続けている先生達に演奏の依頼を受けたので、その最初のお話に戻って、「先生達や教室のOB、OG達、大人だけでのmemberで、秋のコンサートを企画しようかな?」とも考えたのですが、それでは、今までの先生達が、活動して来た、何時もの普段の営業活動と同じになってしまって、折角の、私達が企画して来た、八千代のコンサートの趣旨とは大きくズレてしまうので、それなら、次回に小さな子供達がもう少し上手くなって、皆様の前で演奏出来るようになるまで、チョッと休憩しようかな?と思うに至りました。
先生達の演奏活動なら、無理をして企画しなくても、何時でも出来るからです。
と言う事で、先生達は、八千代をお休みにしている間も、機会があれば、積極的に演奏活動は続けて行きますが、子供をproversionのNiveau迄、育成して演奏活動に参加させるのは、暫くお休みにします。

という事で、お休み前の出血サービスも兼ねて、次回の曲として、arrangeしようかなと考えていたGiulio CacciniのAve Mariaを急遽、教室のorchestra用に、取り急ぎarrangeをしました。

Ariaやla folia、Greensleevesと同じように、私がこの曲を、arrangeした理由は、文末にも、書いて起きましたが、Giulio CacciniのAve Mariaは、底本となるオリジナルの楽譜が、全く無いのです。
この曲の原譜は、全く・・・遺されていないのです。
その理由は、この曲はGiulio Cacciniの真作ではないからなのです。

You Tubeにこの曲をupしている或る人のコメントを読んでいると、このGiulio CacciniのAve Mariaを、Giulio Cacciniの伝記を一生懸命調べて、「この曲は彼の真作である」と、力説していました。
しかし、Giulio Cacciniは、生まれた頃は定かではありませんが、多分、1545年頃に生まれて1618年になくなったとされている作曲家です。

そういう分けなので、Cacciniはバロック時代の作曲家というよりも、寧ろ、ルネサンスの後期の作曲家と解釈した方が良いと思われます。

もし、この生年月日が合っているという事であれば、未だに長、短の調性(長調、短調の調性)が確立する以前の作曲家なので、この作品の和音の根幹を成すdominanteZyklus(五度圏)の和音進行は、当然、未だ出てこない(使用されない)ことになります。
dominanteZyklusは、バロック時代に調性が確立して以降から始めて作曲技法として採用されるようになります。
dominanteと言うのは、調があってのdominanteなのですから、調のない時代、所謂、教会旋法の時代に、5度圏の和音進行がないのは、当たり前の話なのですがね。

ですから、調というものがないルネサンスのCacciniの時代には、5度圏と言う手法は、未だ作曲技法としてはありませんでした。


詳しくは、私がホームページにupしたLocatelli やVivaldiの解説のページに、baroqueの作曲家達の作曲技法を詳しく解説したページにも、その五度圏の作曲の手法の例を説明していますが、このCacciniの例では、五度圏の和音が7の和音の連鎖で書かれているので、その手法はクライスラー等の近現代の擬古典の作曲家の手に依るものと断定出来ます。

勿論、五度圏はバロック時代になって調性というものが確立してからは、VivaldiやLocatelli 等の作曲家達によって使用されるようになった時から、単なる3和音の5度圏だけではなく、baroque時代、もう既に、7の和音の連結による5度圏も、頻繁に使われていたのですが、その使用方法は非常に上品な音であって、現代のような強い長7度のぶつかりを、グイグイと前面に出していくというような破壊的な行為は、まだなされていなかったのです。


+の印は、第7音を示しています。
全てのpartが5度圏という括りの中で、Sequenz進行をしているのが、良く分かります。


[歌詞から見た作曲年代の考察]

音楽上と言うか、作曲上の理由だけではなく、歌詞もまた、この曲がCacciniの真作では無い事を物語っています。
この曲のAve Mariaの歌詞は、Ave Mariaという言葉を、何度も繰り返すだけのシンプルな歌詞ですが、これでは、もしCacciniがまだ生きていた時代で、Cacciniが作曲をしたのなら、それは不敬罪に当たってしまい、多分、宗教裁判にかけられて、哀れCacciniは火炙りで処刑されたと思いますよ。

もし、Ave MariaがCacciniの時代の曲だとすると、宗教上の理由で、次の歌詞を使用しなければなりません。
もし、Cacciniが火炙りになりたくないのなら、ラテン語かイタリア語の歌詞で、Ave Mariaの歌詞をそのままに、作曲されなければならないのです。


Ave Mariaの歌詞は、正式にはラテン語で、次のように歌われます。

Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.

でも、これでは一般の人達には分からないので、それぞれの国に教会で承認した訳があります。
先程の、TelemannのMagnificatも本来はラテン語の歌詞が付きますが、DEUTSCHES MAGNIFICAT  in G major  と言う言葉に表されるように、ドイツ語の "Meine Seele erhebet den Herrn"「私の魂は主に清められる(昇華される)」という歌詞が付いて歌われています。
ラテン語は教会の内部や、極、一部の限られた有識者によって話されるだけで、一般の人達には、日本のお経のように、チンプンカンプンだったので、皆が母国語で、普通に理解出来るように、ドイツ語の歌詞に作曲されたのです。
勿論、教会の公認の元にです。

ちなみに、チンプンカンプンのお経は、原文のサンスクリット語の音を日本語の一番近い漢字に当てはめたものだそうです。(それじゃあ、チンプンカンプンなのは当たり前だよね!!)
私は高校生になったばかりの頃、偶然本屋で鈴木大拙師の「般若心経講話」という文庫本にめぐり合って、普段、祖母が仏壇に向かって祈っているお経の意味を知り、仏教に興味を抱くようになりました。
その後、町の大きな本屋で「仏教の寓話」という全2巻の本を買って、説話の面白さにのめり込みました。
高校生の時代に、宗教臭くない・・・というか、真っ向から宗教を否定する、原始仏教はそれまで思っていた宗教観を真っ向から否定されて、カルチャーショックを少なからず受けて、高校時代は、仏教哲学にのめり込んでいました。


サンスクリット語と仏教のお話のような大上段のお話ではなくっても、身近に言葉の壁の問題はあります。

日本でも、日本語に翻訳したオペラは、言葉とmelodie(音符)の整合性から、評判は余り良くないようですが、ヨーロッパでは基本的に、自国語に訳したオペラが常識です。

オペラは基本、劇なので、言葉が分からないと、その面白さは半減します。
ヨーロッパの人達にとっては、5カ国語ぐらい喋れる人は珍しくないので、原語のままに上演してもそんなに差し障りはないと思いますが、それでも、翻訳版が一般的なのは、国のプライドのようなものでしょうかね??

日本では、逆にヨーロッパ崇拝が一般的なので、全くお経のようなチンプンカンプンの原語の方が、ありがたいのかもしれませんね。

私達が音楽大学の学生だった頃は、オペラのチケットが手に入ると、対訳の本を買って来て、穴の開くほど読んで、言葉とmelodieが一致するように、涙ぐましい努力をして聞きに行きました。

留学から帰って来たら、今度は歌舞伎を見るのに、古典の本を買って、必死に勉強していました。
歌舞伎も、サンスクリット語かいな???
いや、江戸言葉は結構難しいですね。

そこまでして、オペラを勉強しながら、聞いたのは、あくまでも音大生という立場だったからです。

でも、分かり易い自国語のオペラは作曲家の夢なのです。
それまでの、イタリア語で書かれたオペラから、MozartやWeber達はドイツ語のオペラを作り始めました。
それは当然の流れです。

音楽は、そこまで、勉強して聞かなければならないといったような、ありがたいものでは、ないと思うのですがね・・・???

だから、「クラシックは難しい!!」「Pianoを習うのは難しい!!」・・という風説が一般的になってしまうのですよ。

「頭を垂れて、恭順に聴くのだよ!!」 という日本のコンサート会場の雰囲気はどうも、私には合わないので、もう、何十年も演奏会には行っていないのですよ・・・!!!
と言うと、語弊があるのかな??
会場での練習や、リハーサル迄は、商売柄、よく立会います。
リハーサル迄、立ち会うと、必ず演奏会のチケットを貰うのですが、私の場合には、会場の中には入らないで、外の食堂で、wineでも呑んでいる事の方が多いのです。(演奏会の後も、付き合わされる事が多いので、外で飲みながら終わるのを待っています。)


以前、ミラノのオペラが来た時も、練習に立ち会ったのですが、オペラに出演する友人がチケットをくれるというのを、断って、プレスのリハーサルだけを聞いて、サッサと自宅に帰ってしまいました。
演奏会嫌いなのですよ。


ドイツ人であるTelemannと同様に、Cacciniだったら、イタリア人なので、当然、イタリア語で、上記の歌詞は以下のようになります。

Ave, o Maria, piena di grazia,
il Signore è con te.
Tu sei benedetta fra le donne
e benedetto è il frutto del tuo seno, Gesù.
Santa Maria, Madre di Dio,
prega per noi peccatori,
adesso e nell'ora della nostra morte.
Amen.

古典イタリア歌曲を勉強する歌の人達は、色々な作曲家達の曲の中で、何度もこの歌詞にお目にかかったはずです。

全音版のイタリア歌曲集の2巻のLuigi LuzziのAve Mariaですが、Luzziは1827年、ちょうどBeethovenが死んだ年に生まれた作曲家ですから、当然、ベタベタのロマン派の時代の作曲家ですが、それでも、歌詞は上記のままです。
これは宗教のお話なので、時代的な例外はないのですよ。

但し、Schubertの有名なAve Mariaは、ヴォルター・スコットの浪曼(ロマンとは中世の騎士物語の事です。)の有名な「古城の麗人」というタイトルの小説の中で、魔法使いに連れ去られて、湖上に浮かぶ島のお城に閉じ込められたお姫様が、窓から差し込む月明かりで、Maria様に、自分を助け出してくれるようにお祈りをするシーンで使われている詩なのです。
このストーリーは、ありとあらゆる騎士物語の映画のベースになっている程に有名なお話です。
ですから、基本的には、Ave Mariaのベースを踏まえながら、騎士物語の主人公の悲しみを表すという、無いようなので、宗教的な意味合いは少し少ないのです。
私がこのお話と巡り合ったのは、昭和20年代の中頃に、当時は普通に何処にでもあった、貸本屋で借りてきた、「古城の麗人」という挿絵の入った、子供用の貸本でした。
小学生の低学年頃です。勿論、親に言われて読んだのではないよ。その頃は、子供の趣味に親が介入することは全くなかったのですよ。親と子供は別の社会で生活をしていたのだからね。子供の面倒を見る程、親は生活が豊かではなかったのだな。
ついでのついでに、ヴォルター・スコットは、当時は、ゲーテやジャン・パウルのようなかったるい本格的な大作家、大文豪達を押しのけて、ビーダーマイヤー風な流行作家として超有名な作家であったのですよ。
こんにちの若者文化の代表のような赤川次郎のような流行作家だったのです。

ビーダーマイヤー時代は、きょうびの日本社会と全く同じで、マスコミ主導の感覚的な主観的な薄っぺらな時代で、ブランドの商品や流行の文化だけがもてはやされる時代だったのです。
「湖上の麗人」は、そういった時代の若者文化の権化のような作品だったので、こんにち、評価される事はなく、今改めて、資料として探してみたのですが、全く出版されていないようでした。
私の幼い頃とは違って、もう、SchubertのAve Mariaの歌詞の作者としてしか、名を残してはいないようですね。


さてさて、寄り道はそれくらいにして、本題のAve Mariaの歌詞に戻って、お話を勧めましようかね。

先程の、テレマンのMagnificat同様に、宗教の典礼に使用される曲には、定められた歌詞があるのですからね。
ついでに、日本語訳も掲載しておきます。
こちらも、日本の教会の承認の正式な口語訳です。

私達が昔から、よく知っている文語体の訳詩は、意訳が過ぎてラテン語の意味と微妙にくい違う「異訳??違訳!!」になってしまっているという事で、2011年6月14日に、こちらの訳に訂正されたのだそうです。

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。

私は、所謂、昭和20年代の、団塊の世代の人間なので、どうもこの訳はピンと来ません。
参考までに文語訳も掲載しておきます。

めでたし、聖寵(せいちょう)充満てる(みちみてる)マリア、
主 御身(おんみ)と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う(しゅくせられたもう)
天主の御母(おんはは)聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終の時も祈り給え。
アーメン


という事で、この曲は、Rakhmaninovのヴォカリーゼと同様に、ボカリーゼ(ボイス・トレーニング)の曲を、Rakhmaninovのように、「Aー」という母音で歌うのではなく、「Ave Maria」と少し意味(言葉)を持たせて歌詞にしたのです。
つまり、AveのA-とMaria,のMaーも母音のAになるからです。

そんな、クソ真面目なinterpretationをしかつめらしくしなくても、単純にmelodieの動き自体、近現代の音楽の動きで、どっかの誰かが、Cacciniに成りすまして、作曲したのは明白です。

とどのつまりは、洒落ですよ、洒落!!
成りすましでも、電話でなければ、害のない楽しい洒落なのですからね。

本当の所は、1970年にロシアの作曲家(Vladimir Vavilov 1925-73)が、当時多くの作曲家が、よくやっていた、擬古典というgenreの作曲で、ストラヴィンスキーのように、素材は古えの作曲家のmelodieやthemaを使用して、現代風にarrange(というか、全くの作曲なのですが)するか、クライスラーの一連の作品のように、「なりすまし」で発表してしまうか、の違いで、作曲家ヴァヴィロフ自身が自作である事を、主張しなかったので、彼の死後、1973年代から、ボチボチ演奏されてきたのですが、1980年代に入って、爆発的に世界中で演奏されるようになってからは、どういう分けか、Cacciniの真作としてまかり通るようになってしまったそうです。
その方が、擬古典とか言うよりも売れるからね。
それとも、著作権の関係???

だから、先程のTelemannのAriaと同様に、
(Telemannの場合には、彼のoriginalの作品はありますが、Kurt Redel編作曲のAriaとは似ても似つかない、正真正銘のcantataなので・・・)定番の決定稿がないのです。

という事で、皆さん、腕の見せ所というのか、You Tubeを開いても、パイプオルガンの伴奏やピアノの伴奏から、大オーケストラと合唱とオルガンまでの大編成のものから、何とジャズセッションや、本田美奈子さん(私は全く知らない人なのですが・・・)の生前の最後の録音迄と、種々様々です。



さて、さて、私が、敢えて、この曲をarrangeした時の経緯に戻って、自分のブログに戻って・・・
(えっ?!何時からブログになったの???・・・・)(そんな、細かい事、気にしない!!) 

13年の5月の16日の夜は、次の日の朝一番で病院の予約があったので、病院の事を考えると、鬱が酷くなって、体調も勝れず、次の日の朝の病院が早い・・と言う事で早く起きなければ!と言うプレッシャーで鬱々として眠れないのを、無理をして、急いで、強引に寝ようと、ベッドに入ったのですが、ベッドの中でも、鬱々とした厭世的な気分が収まらないので、じゃあ、無理をして、寝ようとしないで、気分転換に 
「何か教室に関係のない曲を聞きたいな~!?」 と、やおらベッドから起き出して、寝酒用のwineを開(あ)けて、パソコンを開(ひら)いて、「教室で今やっている曲では、仕事になってしまうから、完全にプライベートにするには、・・・・、Hun!Hun!あ~!?、それじゃあ、たまには歌の曲でも聞くか!?」と鬱々とした雰囲気に相応しい、Giulio CacciniのAve Mariaをnetで検索をしました。

曲は何でもそうなのでしょうが、特に、歌の場合は、ろくでもない歌手のヘボい発声なら、どんなに名曲であっても、つまらない、聞くに耐えれない曲になってしまいます。

昔々、うちの明治産まれの婆さんが、日本のソプラノ歌手がOperaのAriaを歌っているのを聞いて指、「鶏の絞め殺された時の声だ!」と揶揄っていました。

それについては、私も、同感ですがね。

・・・・という事で、wine片手に、CacciniのAve Mariaの名演奏をさがしたのですよ。
ネット・サーフィンとでも言うのかな??
「誰か、本当に心を癒してくれる歌声の人はいないかな??」ってね。

歌は、人間の声に一番近い楽器です。
だから、どんな楽器よりも、心に響くはずなのですよ。

と言う事で、パソコンでたくさんの人達の歌声を、囓り聞きをしました。

そこで、You Tubeの中で最もアクセス数の多い、Inessa Galanteの演奏を見つけました。

いや、どこかの国の大臣の言葉じゃあないけれど、「感動した!」・・・に尽きたね!!


後は、Inessaさんの載っているページの周りをサーフィンして、芋蔓式に色々な素晴らしい演奏を見つけました。


朝まで、Cacciniにドップリ浸りながら、wineに酔うのか、それとも、美しい歌声に酔うのか、素晴らしい「鬱々のひと時」を過ごしました。

写真は、私のお気に入りのbaccaraのwine‐glassです。

でもtrim(軸)が余りにも細くて繊細なので、基本的にはしまい込んでいます。
酔っ払って、チョット強く握り締めて、割ってしまったら、大損害だからです。
このwine‐glassは1脚3万ぐらいします。

若い時ならいざ知らず、今は、それぐらいの金額の出費は、もう働きがないので、辛いのでね。
だから、バカラは普段は使用しません。

普段使いには、長崎から、えっちらおっちら、車で持って帰って来た、ビードロのwineglassを使って、飲んでいます。

ビードロなので、baccara同様に、チョットでもぶつけると直ぐに割れてしまって、壊れやすいのは、baccaraのwine‐glassにも負けませんが、glassを口につけた時の口の当たりが、柔らかくて、優しい感じだから、気に入って愛用しています。

普段使いにしているので、wineだけでなく、ビールの時も、このビードロのwine‐glassで飲んでいます。

値段は余り、気にしてなかったのだけど、この間、西武デパートに、行く機会があって、食器売り場を見たら、何と、全く同じwineglassが1脚8千円もしたのよね。

でも、ビードロなら、それくらいの値段は当たり前か??

高級なレストランやホテルでは、とても繊細で美しい紙のように薄いcrystalglassをよく出しますが、見掛けと違って、口当たりが、キツくて余り好きではありません。口に触れた感触が、鋭く冷たく、冷徹で心が休まらないのですよ。

ちなみに、フリーになったキャスターの人が、「私はクリステルでクリスタルではない!」と 怒っていました。

だから、教室の先生達専用のビールglassは、baccaraは論外としても、ビードロではなく、(しかし、今でも先生達は、ビードロのglassを普段使いしているようですが・・・)私の個人個人的な好みで、陶器のglassを、砥部の工房に40脚ぐらい、特別にオーダーして作って貰いました。


昔々は、私はビールオンリーのビール党で、本当はミルク用のマグカップだった、このマグカップが、とても気に入って、ついにこのマグカップを作っている窯を見つけた時に、無理やりにお願いして、もう今は作っていないというこのマグカップを特別にオーダーして、作ってもらいました。

分厚い砥部の独特な柔らかな丸みのある飲み口の口当たりが、とても優しくて、ギンギンに冷やした冷たいビールが入っていても、周りの胴体が冷える事はなく、唇の感触も、とても優しく暖かく、冷たいギンギンに冷えたビールと言う事で、気持ちが逃げなくて済みます。

でも、このマグカップは、羊の皮を被った狼、・・・とでも言うのでしょうか、なんと、大瓶の半分の量が入るのですよ。
だから、このカップで2杯お替りをすると、大瓶を1本飲んでしまった事になるのですよ。

確かに、ミルクカップとしては、無理かも知れませんね。
でも、ビールのジョッキの代わりとしては最高のカップです。


本当は昔々の夕日ガ丘の時代では、ビールのglassは陶器だったのですよ。

私が未だ、幼かった頃に、街の一杯飲み屋で、分厚い素焼きのような粗雑なビールジョッキを片手に、ボロを着たオジさん連中が、わいわいガヤガヤと飲んだくれていたのを、覚えています。

その陶器のビール、ジョッキも懐かしいので探して見たのですが、流石に今では売っていないようでした。

よく、ヨーロッパに旅行に行った人達が、銅や錫のビールジョッキを持って帰ってきますが、私は金属のビールジョッキは余り好きではありません。
勿論、ご多分に漏れず、私もドイツから持って帰って来たのですが、それはあくまで飾りとして・・・で、そのジョッキで飲むことはありません。



            
左側は銀と錫のジョッキで、右側は蓋付の陶器のジョッキです。
いずれも、ドイツのオーソドックスなビール・ジョッキです。





















本題に戻って、Inessa Galanteの名演奏の、オケversionはこちらから、お入りください。
オーケストラという事で、実に伸び伸びと歌っています。

下は、Inessa Galanteのピアノ伴奏ヴァージョンです。
Inessa Galante sings Ave Maria
ピアノ伴奏という事で、控えめに抑えた歌い方です。


この名歌手の歌声は、天使のような美しい歌声で(とは言っても未だに天使とは会った事はありませんが・・・)、この年になると、魂を締め付けて、人生の悲哀を切々と感じて、涙無しでは聴けません。

歳を経て、人生の悲哀をひしひしと感じて、心が、鬱々として、定かではない時に、wineを片手に、一人、仄かな灯りの中で、寂しく涙を流しながら聴く曲としては、最高の1曲です。

という事で、wineを片手にYou Tubeの名演奏を聴きながら、ついつい、教室の八千代のアンコールにも使えないかな??と、思ってしまったのが、間違いの始まりで、それこそwineを飲みながら、弦楽orchestra用に手直しするのと、歌のpartをviolaに変えて、教室のstringorchestra用に、早速、arrangeしてしまいました。

wineで、へべれけに酔っ払いながら、次の日の(5月17日の)朝迄には、スコアーの印刷もpart譜の印刷も終わって、事務所に楽譜を届ける所までは、ちゃんとやったよ。

勿論、作曲が終わるまでには、朝の4時頃まで掛かったけれど、ちゃんと次の日の朝の病院の診察には遅れないで行ったよ。
朝の9時の診察予約の時間迄にはね。

・・・という事で、二日後の、今週の日曜日(5月19日)のオケ練習に、早速子供達とProbe(試演)をしてみます。

参考までに、本番の演奏の録音が終わるまで、パソコンの音源でも載せておこうかな?!と思ったのですが、私のパソコンの操作が今ひとつで、どうしてもプラグインが上手く行かなくって、ホームページを開いた時に、BGMが流れっぱなしになるので、うるさいので、やめておきました。

メディアプレーヤーのアイコンは、普通にホームページ上に開くのですが、stopさせようと思って、クリックしても、止まらないのですよ。

controls="console" autostart="false" repeat="false">のコマンドを埋め込んでも、ホームページ上では、上手く作動しません。
諦めてしまいました。

以前の、ホームページビルダーの古いversion(version10)では、簡単に出来たのですがね。

下手なパソコンの操作の話は終わりにして、話をCacciniのお話に戻して・・・

先程もお話したように、このCacciniのAve Mariaは、5月の16日の深夜にmelodieをYou Tubeから、書き取って、finaleに落として、朝がたにprint outしたばかりの曲なので、子供達とは、19日のオケ練習の時に始めて1回目の練習をしましたが、それは譜面渡しと初見練習と注意事項の伝達だけで終わってしまったので、本当の練習らしい練習は、26日の練習が事実上の1回目の練習をしました。
それから、まだ、1週間しか経っていないので、まだ練習になっていなくって、全く音を揃える所すらも出来ていないのですが、本番までは後3回しか、練習がありません。と言う事でホームページ上にup出来る練習の最後になります。
Marin Maraisのla foliaと同じ時の6月2日の京成検見川教室での練習風景の録画です。
よろしかったら、興味がある方はどうぞ、ご訪問ください。

八千代が終わって、
(7月9日追記)
コンサートの終了の後の後片付けの時に、「Cacciniはもう少し長い方が良かった!」というコメントを頂きました。
4:44秒というのは、originalの曲の長さのままなのですが、ただ同じmelodieを繰り返して、時間を引き伸ばしても芸がないので、イントロと後奏を付け加えて起きました。
次回は、何時、Cacciniを演奏出来るか分かりませんが、前奏と後奏を付け加えた事で、1分近くは伸ばす事が出来たと思います。




演奏会当日の風景


八千代に到着すると、ホール・スタッフの人達と一緒に、先ず会場作りから始まります。
Pianoの位置決めや、マイクの位置とボリュウム調整、Cembaloの位置決めもあります。

このお話は、何度も繰り返してお話していますが、八千代の会場は、コンサート会場ではなく、多目的ホールといっても、音楽以外のホールなので、Pianoの位置決め等が非常に難しいのです。

可動式の低い舞台は、演台なので、Pianoは耐荷重がオーバーするために乗せる事は出来ません。
必然的に下に置かなければならないのですが、soloの人が舞台で演奏する時には、チェロのように椅子に座って演奏すると、お互いの顔が見えなくなってしまいます。
細かいtempoの揺らし等は、顔を見て合わせるので、顔が見えないという事は、結構演奏上は致命的になります。
音楽は音を聞いて、合わせる分けではないのです。
八千代のコンサートでも、もし左側のviolinと右側のviolinが、お互いに音を聞いて合わせようとすると、完全にズレてしまうのです。
ですから、お互いの音を聞き合うのではなく、指揮者のタクトに合わせる事が非常に重要になります。

また、音のタイミングだけでなく、音量のバランスも、そこまで離れてしまうと、聞きあってバランスをとる事は不可能になってしまいます。
それでも、先生達は勿論ですが、教室の生徒達も、何気なく、普通に演奏しているのは、年に2回の発表会という、演奏頻度による慣れなのです。




対外出演の演奏会をする度に、主催者の方から驚かれる事がよくあります。
それは、柔らかい美しい音なのに、非常に強い音量がある、という事なのです。
それだけでなく、「演奏しているのが、子供達なのに、どうして、それだけの音量があるのか?」「人数が少ないのに、どうして大きなオーケストラと同じぐらいの音量が出るの?」 という事をよく質問されます。

その理由を説明する事は大変難しいのですが、かいつまんで言うと、弓の持ち方や、音の出し方(作音と言います。)vibratoのかけ方等、一つ一つが理に適ったメトードで指導している事にあります。



でも、生徒が、未だ分数楽器を使用している場合には、どうしても、音量の物理的な限界があります。
こればっかりは、致し方がないのです。celloの彼女の楽器も未だ4分の3のサイズの楽器なのです。
だから、どうしても音量には限界がある。分数は分数なのでね。

という事で、前回の時から、牧野先生の注文で、芦塚先生が、集音器を作ってくれました。
写真の集音器は芦塚先生手作りの集音器です。


集音器は、本当の本物の集音器は、非常に高価で、1個、20万ぐらいはします。

芦塚先生はジンジャーエールの2Lのペット・ボトルを、近所のスーパーで買って来て、いとも簡単に集音器を作ってしまいました。
一番大変だったのは、炭酸飲料を全く飲まない芦塚先生が、2Lのペットボトルを2本も飲まなければならなかった事です。
普段は飲まない、ウイスキーを買って来て、ハイボールを作って飲んだそうです。

集音器の内側には、プラスチックの内部に音が反射するのを防ぐために、スポンジが内貼りされています。

ペットボトルの長さがもっと長くなると、ガン・マイクと言って、超指向性のマイクになります。
教室には、ガン・マイクが数本あって、ビデオ撮影の時に、普段に使用していますが、会場のスピーカーとは、整合しません。

本物でも、手作りでも、集音器の操作は大変難しく、集音の性能を上げれば上げる程、マイクで音源を狙うポイントが狭く、マイク・スタンドの高さの調整やマイクの方向が、難しくなってしまいます。
マイクの狙うポイントが、たった1センチズレたとしても、音量は倍近く落ちてしまいます。

集音器よりも、前にスピーカーがあると、スピーカーの音を、集音器が拾ってしまい、大変なノイズが出てしまいます。
集音器の後方にスピーカーが来なければなりません。

そういった、全ての条件を、把握して、マイクやスピーカーの位置決めをして、楽器のF字孔を正確に正しい距離で狙うという事は、長年の経験と感の勝負になります。

勿論、集音器の中に入っているマイクは、高性能のコンデンサー・マイクです。
ほんのチョッとの衝撃でも、壊れてしまう、とてもビビットなマイクなのです。




MCのワイヤレス・マイクの音量checkです。
MC原稿を読んで貰って、その間に音量のcheckや、どのタイミングで入場するか、終わって、退場の時にはどのタイミングで、原稿を読み始めるかのcheckをします。

楽屋入口に待機しているお母様が、MCのタイミングを見計らって、ドアを開けて、オーケストラを入場させて、solisteと指揮者が入ってくるタイミングを、MCの原稿から、そのタイミングを探さなければなりません。















演奏会の最後に、演奏したメンバーと一緒に、いつもスタッフをしてくださったお母様、お父様と、集合写真を撮っているのですが、今回は早々と、後片付けに行かれてしまって、ご一緒の写真は撮れませんでした。
と言う事で、メンバーだけの写真になってしまいました。

今回は、参加者が減ったり、ハプニングで出演出来なくなった人もいたりして、四日市教室からも、参加して貰いました。

これまでは、6月の公演も、学校行事との兼ね合いは、差ほどの問題もなかったのですが、前回から、今回も、学校の行事や、試験等が色々と5月、6月に集中してしまって、練習のrotationが上手く行かずに、最後の最後まで、オーケストラ全員が一同に揃って練習する事が全く出来なくって、今一つ、何時もの音楽の水準(Niveau)をキープする事が出来なかったのが残念です。








次回の秋のコンサートは、教室の主力のmemberが受験なので、コンサートの水準(Niveau)をキープする事は難しい事が想像されますし、教室のmember的にも、対外出演に参加出来るmemberを確保するのは困難と考えられます。
対外出演は、子供達に、仕事としての意識を持たせるのが目的で始めたものなので、外の演奏では、発表会とは違って、出来たか否かが評価の全てになります。
決して、「子供だから・・」という、評価はないのです。
そういった社会の厳しさを、体験出来る唯一の機会で、その厳しさを学ぶことは、音楽の勉強だけでなく、学校の勉強だけでなく、成長していく上での貴重な人生の勉強になって、大人になってからも役立つ事である、と考えています。

ともすれば、私達の教室も音楽教室の括りなので、お稽古事の延長線上や、音楽教室なのだけど、チョッとレベルの高い教室という把握や、上手に弾ければ良い、とかいうconceptで対外出演をする事は許されません。

自分のための勉強の音楽と、人に訴えかける音楽は、音楽への接し方や考え方が根本的に違うのですからね。

何時も、私が口にしているように、音楽の感動は、音楽技術の上手下手ではありません。
音楽に対しての意識の違いなのです。
対外出演がマンネリになってしまい、本来の意味や目的を見失わないように、もう一度本来の意味を確認するために、そこの意識をしっかりと持って対外出演のオケ練習に臨めるように、反省と自戒の意味を含めて、大崎から八千代と数年間続けて来た対外出演活動は、しばらくお休みする事に致します。

勿論、先生達の演奏活動や教室の発表会のオケや室内楽の練習は今まで通りにあります。




楽屋で・・・・、