花園教室「黒ピアノ部屋私達が呼んでいる部屋には古びただらけの黒いアップライトピアノあります
教室の楽器の事を、まだよく知らない
子供達が、いやー!このボロピアノ鍵盤黄色く薄汚れている」と、驚いてしまうピアノです。

しかしこの古ぼけたピアノが、当時17歳だった芦塚先生を、地方の片田舎から東京の音楽大学入学させてくれてしかもそれからミュンヘン国立音楽大学にまで連れていってくれた芦塚先生にとっては、最愛友人であるピアノなのです
驚くのは、それだけではなく、現在も芦塚音楽研究使用している無数楽器一番高価楽器でもあります

芦塚先生がピアノを習い始めた頃は、まだ、「夕日ガ丘の時代」・・まだ、戦後の面影が残っている昭和の時代でした。
という事で、
ピアノは、非常高価な楽器で庶民には手が届かない楽器で、一般では、まだ足踏みのぶかぶかオルガンを持っていれば、結構、「凄い」という時代だったのです。
ということで、地方の
街としては、結構大きな町ではあった長崎の町にも、当時は数台ピアノしかなかった頃の時代だったのです。

音楽家になる事を夢見ていた高校時代の芦塚先生にとっては、ピアノを買う事は、それこそ、夢のまた夢でした。
音楽家になる事を一番、反対していた祖母ですが、そういう私の事を見るに見かねて、一番最初に、私が音楽家になる事を許してくれて、田舎の1反(約300坪)を売って、そのお金でオーダーで、浜松のピアノの工房に作らせたハンドメイドの非常に高価なピアノなのです

 



当時は、戦後間もない事もあって、スタインウェイのピアノというのは、例えアップライトピアノであったとしても、天文学的な値段がしました。
つまり、1ドルが360円の時代だったからなのです。

という事で、この古ぼけたピアノは、いたる所にスタインウェイと同じ仕様がなされています。

古ぼけたピアノ
中を開けるとレンナーのハンマーレスローの弦張ってあります。

これ音楽家たちあこがれピアノであるスタインウェイアクション全く同じものを使用しています。

子供達評判悪い薄汚れた黄色鍵盤とは、大人の方はお分かりように、今日ではもう使用すること禁止されてしまって、今ではもう作る事の出来なくなった象牙鍵盤です

 教室で子供たちが使っているため、傷だらけになってしまった
黒いニス、何宇和島七回塗り塗装
この塗装だけでも相当高価もので、この塗装の金額だけでもアップライトピアノが一台は買えます



ピアノの音量や、音の深さは弦の長さで決まります。
家庭用に、狭い部屋に入るように、軽くコンパクトにされたアップライトピアノは、当然、弦の長さも、短いために、音の美しさが犠牲にされています。

でも、このオーダーメイドのピアノの弦の長さはグランドピアノ並みに長くしてあります。

弦長をグランド並に長くするために、高さ通常大きなアップライトピアノ高さほぼ同じです横幅鍵盤
15センチほどプラスして長くしてあります
左側の写真は、その低弦側のあそびの部分の写真です。

弦長が長く、あそびも多いため、普通のアップライト・ピアノよりもかなり大型のアップライト・ピアノになっています。

通常アップライトピアノ重たいものでも250キロぐらいしかありませんが、この黒ピアノの
重さグランドピアノ同じぐらい450キロと、通常の倍近い重さに達します
ピアノの運送業者が「おっ!おっ!重い!!」と、悲鳴を上げるゆえんなのですよ。

この黒ピアノに関しての薀蓄は、まだまだあるのですが、取り敢えずは、この程度の事をおしゃべりすると、子供達の反応は180度変わって、おお、すごいとか言って、尊敬でこの黒ピアノ見つめるようになります
はっ、はっ・・・!


教育の本質は、目的のそのものを教育するだけでは、形だけを教育する事になってしまいます。
それが現代のコンビニ教育の欠陥なのです。
学校では、思いやり教育という事は、他人に対しての思いやりを育てる教育なのでしょうが、教室では少し違います。
人に対しての思いやりを見せる事で、自分の身を守る事が出来ない場合があるからです。
「田吾作さんのお話」
本当の思いやりの心はその人の心のゆとりから産まれる物なのです。

子供達の虐めの問題や、ネグレクトの問題も、自分自身に対しての愛情の不足から産まれるのです。
自分を大切にする気持ちが、自分の家族や身の回りの物を慈しむ心から生まれるのです。
しかし、それはエゴイズムの自己愛とは、根本的に異なるものなのです。
自分を愛する気持ちや、家族を愛する気持ちがエゴイズムに過ぎないものであったら、他人の楽器を愛する気持ち、他人を労わる気持ちは育ちません。それこそ、今日の社会で一番問題にされている、「自分さえ良ければ良い」という典型的なエゴの考え方なのです。

殆どの音楽教室では、楽器の手入れの仕方や、弾き終わった時の、楽器の磨き方等は教えません。
教室では基本的に、ピアノの生徒であっても、ヴァイオリンやチェロの生徒でも、弾き終わったら楽器を手入れして、仕舞う所までが練習なのです。
教室の楽器で、徹底的に勉強します。

楽器屋さんのお話ですが、よその教室から、下取りの楽器が帰ってくる時には、傷だらけで、汚れたままで帰ってくるそうです。
教室では、楽器を下取りに戻す時には、よく楽器を磨いて、出来る限り元のように美しい状態で返却します。
その違いは、下取りの価格の違いで現れます。
他所の教室のヴァイオリンはパーセンテージが結構低いのですが、教室の生徒の下取りの場合には、ほとんど、(よっぽどの傷がない限り)100%で下取りしてくれます。
普段から、レッスンや練習が終わる度に、楽器をちゃんと磨いている生徒の楽器は、楽器に傷がほとんどありません。
何時も磨いていると、楽器の扱いも丁寧になります。
そういった、物に対する丁寧さが、自分に対しての思いやりを育てる事にもつながっていくのです。
コンビニの考え方では、「どうせ、また直ぐに練習するのだから、しまわないで、ピアノの上にでも出しっぱなしにするといいわよね!!」です。
しかし、それは、自分の人生を雑に送っているのに過ぎないのです。
本当に無駄な所は、徹底的に手抜きをするのが芦塚メトードなのです。
芦塚メトードは無駄な所を、徹底的に手抜きをする事で、本当に必要な場所に、人の倍の時間を掛けて丁寧に仕事をするのを目的とするのです。
そのための時短であり、手抜きなのです。
仕事を雑にするための、時短(手抜き)ではないですよ。

教室で、楽器を大切にするように、楽器の手入れの仕方を学んだ生徒は、当然、家のピアノや、自分のヴァイオリンも丁寧に扱います。楽器を傷つける事がない、という事は、注意深さや、物を大切にする心を学んでいる事になります。

芦塚メトードではそういう風に、根本的な部分から、本当の意味での自分への心の労わりを学んで行くのです。

つまり、「黒ピアノが古ぼけていて、鍵盤が黄色い!」と言っている先生には、物の価値や人間に対しての労わりはないという事なのだよ。





左の写真は、芦塚先生の楽典のlessonの風景です。
花園の黒ピアノとは全く関係のない写真ですが、黒ピアノの部屋での楽典の風景の写真です。
この写真を、クリックすると絵とは全く関係のない、「花園教室の黒のアップライト・ピアノ」のページにlinkします。

このページは、黒ピアノについて生徒が喋った事に対する、先生の対応のマズさに対しての、先生達へのお説教のページです。

昔、花園の教室で指導していたピアノの先生が、生徒が「鍵盤が薄汚れていて、このピアノは嫌だ!」と言ったのに対して、「このピアノは古いから、汚いのよ!」と、生徒に同調して言っていました。

それを他の生徒から聞いた先生が(芦塚先生ではありませんよ!)烈火のごとくに怒って、その先生にお説教をしました。
その時の経緯と、このピアノについてのお話を、芦塚先生がまとめ直したものです。
「音楽を勉強する人は、本当に良い楽器というのは、見た目の美しさ・・ではなく、ヴァイオリン等の弦楽器を引き合いに出すと、よく理解出来ると思うが、何百年も前の、それこそ傷だらけの補修に補修を重ねた楽器の方が、新品のピカピカした楽器よりも、遥かに高価なのだ!という事を知らなければならないのだよ。」
「でも、それは、日本の文化の中の陶器でも同じでしょう?」
「新品のブランドを、それこそ、値段でしか分からない人は、音楽の良さも決して分かる事はないのだよ!」
・・・と言って、生徒が本当の楽器の価値に目覚めるように、・・・・或いは、指導者の人達が、生徒に対して、本当の本物を見分ける事が出来るように、育てる事が、音楽を育てるという事なのだ、・・という事を、花園の黒ピアノを通じて、価値感という事をthemaに、このお話を論文にしました。
だから、お説教混じりの、結構キツいページです。
前は、passを入れて見る、非公開のページでしたが、教室の姿勢でもあるので、passを取り除いて、公開のページにしました。






                     


教室には他にもアップライト・ピアノがありますが、取り立ててお話しするような楽器でもありません。
オケ教室(検見川特別レッスン室)に芦塚先生の個人所有のペトロフのピアノがあります。
もし教室所有の色々な楽器に興味があったらアクセスして見てください。
芦塚先生のイラストをクリックしてね!