芦塚先生のFacebook(そのⅤ)抜粋


FacebookⅠへ 2014年9月4日より、2015年12月31日まで

FacebookⅡへ 2016年1月1日より、2016年12月31日まで

FacebookⅢへ 2017年1月1日より、2017年12月31日まで

FacebookⅣへ 2018年1月1日より、2018年12月31日まで

FacebookⅥへ 2020年1月1日より、2020年12月31日まで

FacebookⅦへ 2021年1月1日から、2021年12月31日まで

FacebookⅧへ 2022年1月1日より、2022年12月31日まで

FacebookⅨへ  2023年1月1日より、2023年12月31日まで


FacebookⅩへ  2024年1月1日より、2024年12月31日まで






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1月  2月  3月   4月   5月   6月  


7月  8月  9月   10月   11月   12月

Händel-Ashizuka sarabande(passacaglia) orchestra-version



上の写真をclickすると、外部siteのYou Tubeへlinkします。


1月      

1月1日皆々様、新年おめでとうございます

1月1日今日は寒い!

「2019年1月1日pm1時11分」

1月2日amとpmの

1月2日飛び散ったヨーグルトで

1月4日排尿痛が・・

1月4日不立文字

1月4日爆発したヨーグルト

1月5日出来たチーズ

1月5日もう一つのチーズ

1月6日超寒い!

1月6日初めてのwebでのオケ練習

1月7日摂眠障害が

1月8日超現実的な夢

1月9日Händelのpassacagliaのrenewal-version

1月9日右足の爪が

1月10日今日はもう1月も

1月12日今日は今年、初めて椎名町迄

1月12日日本の演奏家の3拍子の

1月12日宮崎駿さんの

1月19日homepageが壊れて

1月22日やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった

1月23日本当の本物とそうでない物を区別する事

1月25日今日こそは、ドルプリっ歩に

1月28日無理をしてオケ室内楽の練習に

1月28日ペースメーカーのお話村田さんからのlink

1月29日思いっきり、突き指をした

1月29日携帯用の心電図計です。

1月29日ますます鬱が酷くなって来た

1月30日理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ

1月30日Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった


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2月

今日は一日意識朦朧と・・
2月1日

今日は夜から、不定愁訴と言うか
2月3日

昨日はお蕎麦を食べて
2月3日

今日のオケ練習は、インフルや受験やら
2月3日

昨日辺りからまた、不整脈が出て
2月4日

今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
2月9日

「AI時代を生き抜く教育とは・・」
2月9日

「昨日は、音人の会でした
2月11日

またまた、書き上げる直前の文章が
2月11日

「TafelMusicについて」
2月12日

世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で
2月13日

突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
2月13日

「ame-logのお話」
2月13日

ガスストーブを焚きっ放しにしているのに
2月15日

baroque-dance
2月16日

流石に今日は、鬱と意識混濁が
2月16日

テレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikです。
2月16日

体重は、精神的な物らしい
2月19日

VivaldiのCello-concerto G Durの音
2月20日

春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど
2月20日

足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなって
2月22日

努力はしても、工夫はしない。
2月22日

「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
2月23日

ハイツの部屋で美伶ちゃんのlessonをしたのだが、
2月23日

毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると
2月24日

「放下著」
2月24日

「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら
2月24日

禅の基本的な概念は、
2月24日

Veracini introduction und Ciacona d Ashizuka=orgel-version
2月26日

「Veracini Ciacona 続き」
2月26日

「今日のドジ」
2月28日

今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。
2月28日


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3月


3月1日今日は千葉で月1のone lessonと

3月2日

3月4日今日はお雛様です。

3月4日今日は欝が久し振に

3月5日period-baroque

3月6日prideとcomplex

3月7日寺田寅彦調で書いてみました。

3月8日ロマネ・コンティの思い出

3月9日花粉症になった??

3月11日Capuzziの練習で

3月13日昨日,今日と連ちゃんで病院に

3月13日ひかりヶ丘の病院で

3月14日Facebookがおかしくなったと

3月16日 「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」

3月16日 「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」補遺「見切りについて」

3月17日

3月18日

3月19日

3月20日 「指揮と弾き振りについて」

3月22日

3月23日 糖質diet電気釜·

3月23日 ·

3月24日「美味しいものは脂肪と糖で出来ている」

3月25日「最後のオケ練習」

3月31日



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4月

4月1日「今日は19年の4月1日です。」 ·

4月6日 ·

4月13日 ·

4月14日 · 今日は椎名町のお泊りが3人になりました。

4月14日 ·

4月15日またまたFacebookが開かなくなって ·

4月15日 Marin Maraisの秀逸な演奏

4月16日 ·

4月16日相変わらずFacebookと格闘している

4月17日「orchestraは軍隊よりも、統率が厳しい!」

4月17日Providerのお引越し

4月19日Jcomの解約 ·

4月19日「絶対音感のお話」続き ·

4月19日鬱と血尿が ·

4月20日食わなきゃ痩せる

4月20日発表会直前の代講lesson

4月22日発表会直前での最後の練習 ·

4月22日発表会直前の練習passacaglia ·

4月23日またまたFacebookが

4月23日VivaldiのOp.ⅣNr.2

4月23日 Vivaldi Cello concerto·

4月24日「音叉とtuningのお話・2」 ·

4月26日「平成最後のone lessonの後で・・」 ·

4月27日「period(ペリオード)について」 ·

4月28日「有名な人=凄い人ではない」 ·

4月28日「進行表について」 ·




4月30日 「発表会から一夜明けて・・」

4月30日 videocameraのangleが・・・·



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5月


5月1日「編集作業の悲喜交交」

5月2日パソコンでのvideoの編集が ·

5月6日発表会から1週間後になりますが ·

5月6日 今日は発表会から・・・の文章の続きです。·

5月7日 「昨日(5月6日(月))の話の続きです。」·

5月7日 5月6日から、一夜開けて、 ·

5月9日You Tubeが開かなくなった

5月10日今日の月齢は??

5月10日SoftBank光の工事が来たのは良いのだが、 ·

5月11日明日の日曜日は上弦の月(月齢7.2)だそうな⁉

5月12日今日は5月の12日日曜日上弦の月である。

5月12日SoftBankとのtroubleの続き

5月13日顔合わせの初見大会から、一夜明けて、13日の月曜日です。 ·

5月14日13日の月曜日の続き・・と言うか ·

5月16日今日は五月の15日でした。 ·

5月18日順調に今日は17日の金曜日でした。 ·

5月18日車が傷を付けられていた

5月19日近頃は、Facebookは、何度入力してもEnter-keyを押した途端に、

5月19日音楽教室を開設するにあたって、 ·

5月20日今日は満月でした。 ·

5月20日昨日の5月19日(日曜日)のオケ練習は ·

5月21日昨日(5月20日の月曜日)の続きです。

5月23日今日(・・・というのは22日の水曜日の話しです。)は、 ·

5月24日昨日はcinderella-timeの30分前には、 ·

5月24日今日(5月24日の金曜日)も朝から

5月24日今日(5月24日金曜日)は今年最初の真夏日に ·

5月25日今日は土曜日です。 ·

5月26日「似て非なるもの」 ·

5月26日仏教の寓話 ·

5月26日今日は五月26日の日曜日です。 ·

5月27日 今日は5月27日の月曜日です。·

5月27日病院への愚痴

5月28日windows10のcleanup ·

5月28日今日は28日の火曜日の夕方の

5月29日一昨日の夜に続いて、 ·

5月29日「似て非なるもの:追記」 ·



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6月

6月1日violaの弓の交換に出掛けた

6月1日SoftBankとのtroubleが未だ延々と ·

6月2日 今日は6月2日の日曜日です。·

6月4日 ·

6月4日摂眠障害が治らない

6月5日6月5日の朝のお話です。

6月6日6月6日の6時を過ぎた所です。 ·

6月6日深夜におばあちゃんの声が

6月8日ブラインドが壊れて

6月8日写真のuploadが

6月8日水のお話

6月9日 暖房が入った

6月9日霧雨の中をポンチョも着ないで

6月10日音楽は感性であり、才能である???

6月10日VivaldiのConcertoの和声のtrick

6月10日interpretationのお話

6月11日レインスーツ ·

6月12日パソコンの調子が

6月13日「高齢ドライバーの急加速・急発進による事故」

6月13日東京には空しかない

6月13日糖質dietご飯

6月15日電波時計 ·

6月15日梅茶漬け ·

6月15日金華学園の台風

6月16日碎啄について ·

6月16日「日本人の持つ独特の価値観」 ·

6月16日「闇雲練習について」 ·

6月17日ストロベリームーン

6月19日「深謀遠慮=Vivaldi-methode」 ·

6月19日川崎の病院

6月20日Facebookはよく文章がぶっ飛んでしまう

6月22日フラワー公園のみかんの子供 ·

6月23日眠い

6月24日「不毛の教育」 ·

6月25日netが繋がらない

6月27日今日は千葉に行く日です。。 ·

6月28日「勉強しない勉強法」 ·

6月30日睡眠時無呼吸症候群

6月30日「人生へのブレ」 ·


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7月

7月1日大根の葉

7月1日なんと、ふと気が付いたら、 ·

7月2日教育の理念について

7月3日ひかりヶ丘の糖尿病外来

7月3日『もう一つの闇雲練習』 ·

7月4日体調不良 ·

7月6日7月6日の深夜です。3時過ぎです。

7月6日『㈲芦塚音楽研究所のhomepage』が、やっと

7月7日今日はひょっとしたら、七夕さんでは

7月8日教育の違い

7月8日教育について

7月8日月曜日のroutine ·

7月9日DvorakのPiano-quintetto ·

7月10日引き籠りday ·

7月13日「人生の究極の目標」 ·

7月15日今日は7月15日の月曜日です。

7月21日「摂眠障害」

7月21日「巷の音楽教室の先生という立場の私への評価」

7月22日夏休みの前の最後のオケ練習です。 ·

7月23日前のFBの続きになります。

7月25日finaleの入力

7月25Il favoritoの即興演奏譜

7月26日今日は首都高が閉鎖されていて

7月28日夏のおさらい会の日です。

7月29日「人生の選択」 ·

7月29日鬱が再発した

7月30日写真を貰ったのだけど全部同じ写真

7月30日合宿明けの火曜日なのです。

7月31日なんと今日は34°もある

7月31日焼肉屋のお話


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8月

8月4日ユーカリが丘教室の草刈

8月5日『Wohl um die Elfe! 』の続きです。

8月10日虫と体内時計

8月14日先生達の帰省と台風と

8月17日クーラーが効かない

8月19日夏休み開けの練習

8月24日電子レンジ依存性

8月27日欝と動画

8月29日秋だけが入っていない

8月29日baroque-styleのcsárdás

8月30日ハイツの朝焼け

8月31日Händelのsarabandeのお話



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9月

9月2日近況報告

9月3日PichlのKontrabass・Concertoなのですが、

9月4日楽器とは、巡り合わせです。

9月4日『学ぶ』と言う事

9月6日未だ朝の6時というのに ·

9月6日『gift』

9月7日4時55分(土曜日)の朝焼け ·

9月9日「ゆとりの薦め」

9月9日『油断も・・隙きも・・ストリーズも・・・』

9月10日台風一過の次の日です。 ·

9月10日「Aus meinem Tagebuch」 ·

9月11日baroque-guitar

9月12日updateのお話

9月12日「Aus meinem Tagebuch」

9月13日の金曜日、仏滅でJason の日です。 ·

9月14日中秋の名月 ·

9月14日 videoを焼くのに

9月17日giraffe piano

9月18日 辞世の歌·

9月18日川崎の駅ビル

9月19日倍音のお話

9月19日「Giftedの危うさについて」

9月21日憂き世

9月24日「夢とまどろみの中で・・」 ·

9月25日privacy確認の携帯

9月25日多胎児家庭

9月25日今日のドルプリっ歩は

9月26日欝が酷いと電話に出るのが

9月27日論文を書くsoftが

9月28日椎名町のゴーヤ

9月28日写真の修正

9月28日享受と与える側の考え方

9月29日pitchのお話

9月30日今日は9月最後の日

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10月

10月1日久しぶりに摂眠障害です

10月2日トトロのマグカップが

10月2日このトトロは既に使用中のマグだぞ??

10月2日私と作曲

10月3日またまた、windows10の悪口なのだけど、

10月5日写真を取り込んで

10月5日なんと素晴らしい雲一つ無い秋の空・・

10月6日「Václav Pichlのscoreの改定について」 ·

10月6日Václav Pichlのお話の続きです。

10月6日南部鉄器のパン焼き器

10月8日寒いのか?暑いのか??

10月8日「lineのmailがぶっ飛んだ❢❢」

10月8日「10億円のStradivariのViolinと100万円のViolin」 ·

10月9日「10月9日の2時半の夢」

10月9日 江古田のau-Shopが撤退して、その跡が

10月10日 腹の膨満感で吐き気がして·

10月11日なんと❢しっかりと、1㌔も肥っていたのですよ??

10月12日羽毛布団のお話

10月12日台風と酒盛り

·10月12日台風の思い出

10月12日練馬区にも大雨特別警報が初めて発令された

10月12日高速道路も、全面閉鎖

10月14日 台風当日の発表会

10月14日 『video撮影に関してのお話です』

10月14日『子供が練習を全くしない』

10月14日発表会のvideoの編集

10月15日真っ赤ッカのhard-diskのお引越し

10月15日酸っぱくって食べれない青いみかん

10月16日hard-diskのお引越しが終わった

10月16日bugの修正作業

10月19日「出来る」と「分かる」

10月19日テレビでは、『また直ぐに25℃を越す暑い天気になる』と言っているので

10月20日明日は千葉での「発表会の反省会」・・という

10月20日忘れ去られた日本の

10月21日合同での「打ち上げ」

10月21日人にやらせるよりも、自分でやった方が確実で早い

10月21日いつもの月曜日

10月22日なんと、今日は『国民の休日』で、lessonはお休みだってよ⁉

10月23日の水曜日、光が丘の病院の日です。

10月24日今日は気が付いたら誕生日だったのだよな?? ·

10月25日蕎麦day・Christmas会の曲決め・WeberのviolaConcerto

10月26日素晴らしいお天気のように思えます。。

10月28日下準備が

10月28日『学業との板挟み』と『芦塚methode』

10月29日 tunerのお話・楽譜のdataのお話・Albinoniのお話・等々

10月30日大量の仕事と体調不良で・・・

10月31日finaleに入力しようと思ったら、パソコンが ·

10月31日芦塚先生のfinale教室



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11月

11月2日finaleの入力について

11月2日の土曜日です。(の続きです。)

11月4日右の奥歯が砕けてしまいました。

11月5日黒曜石で作られたナイフです。

11月5日体重と血圧の測定

11月6日砕けた歯は義歯ですよ

11月7日『お久し振りで楽器屋さんまで、お出かけをしたお話』

11月8日今日で腹部大動脈瘤の手術からちょうど1年になる

11月8日proを育てたのは

11月10日「時短」の意味が分かっていない。

11月11日bikeが突然エンストした

11月11日『学びについて』

11月12日実際には1日遅れで書いています

11月13日今日の火曜日は満月でした

11月14日やっぱ、鬱の曲は良いよな~ぁ??

11月14日『病院疲れ』というか、『diet疲れ』と言うか??

11月14日天高く·

11月15日Christmas会の曲決め

11月17日食物がなくて

11月18日 TorelliのWeihnachts-ConcertoとMünchen時代の思い出

11月18日紅玉が2,3個腐り始めていたので、

11月19日麻酔で焼いた歯茎が腫れ上がって痛いので

11月19日『学問の勉強の仕方』

11月19日音楽への思い出

11月20日 糖尿病で歯からの出血が止まらない

11月21日鼻詰まりと歯が痛いので

11月22日の金曜日です。

11月22日ハイツからのからのview

11月22日Facebookの不具合 ·

11月24日ドイツビールとソーセージのお店に行った

11月25日TorelliのWeihnachts-Concerto

11月25日『本当の意味での教育とは』

11月26日『行きは良い良い、帰りは怖い』

11月27日Giuseppe TorelliのWeihnachts-Concertoについて ·

11月27日暑いのか、寒いのか

11月27日games依存について、始めて政府の調査が入って

11月28日『腰痛が起きた❢❢』 ·

11月28日『キャラバン生活』

11月29日『出来る・・という意味』

11月29日摂眠障害で朝昼逆転の生活をしているので、



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12月

12月2日今はcinderella-timeの0時半

12月3日Christmas会に向けての最後の練習の後で ·

12月3日『子供の教育に於けるstandardとglobalstandard』

12月4日惰眠day

12月6日Facebookの自己紹介の文字数制限

12月6日『淘汰の原理』は適応という事が基本で

12月6日腰痛と坐骨神経痛

12月8日腰痛が起きてから、今日で丁度10日目になります。

12月10日の火曜日のcinderella-time(0時を過ぎた所)になった所です。

12月11日『可もなく、不可もなく』

12月12日『練習風景を公開する事へのpolicy』

12月13日『ゴミ屋敷』

12月14日『ネズミのお話』 ·

12月15日『manual世代』

12月15日今日はChristmas会の前の最後のオケ練習の日です。

12月16日『学ぶという事への意識について』

12月17日芦塚methodeを実践証明するための公開lessonや、

12月18日今日も、寝はぐれてしまって、

12月19日『basso continuoのTetrachordについて』ー『2段階終止について』ー『保続音(orgelpunkt)について』

12月19日独居老人の生存証明

12月19日『double-bookingのお話』

12月21日Christmas会の前日です。

12月21日なんと、教室関係の写真のfolderがブッ飛んで無くなっていた

12月23日またまた、卵かけご飯~❗、で、

12月23日Christmas会の次の日です

12月24日『不運の始まり』

12月25日Christmas会の動画が手に入らないので

12月25日12月25日の早朝の続きです。

12月25日Christmas会の大トリは ·

12月25日音飛びが ·

12月25日Christmas会の写真が·

12月26日千葉は合宿の2日目ですよね??

12月28日いよいよJcomとのtroubleが・・・

12月29日仕事のできない人の仕事は『先ずは仕事が汚い。』 ·

12月30日『お正月は無くなった❢という話』

12月31日世間一般では大晦日です。




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1月

ベッドで寝たままに、Facebookを読んでいたら、いつの間にか、年を越してしまいました。

皆々様、新年おめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。

普段のジルベスターならば、椎名町の事務所で先生達とテレビのカウントダウン・コンサートでも見ながら、年越し蕎麦を食べながら、迎えているはずなのですが、腰痛が酷くて、先生達やプリドルとは別に、江古田の自宅の寝室のベッドでぼっちで、安静にしています。
ベッド・サイドででも見れるように、ワンセグやフルセグの映るテレビを折角買った所までは良かったのですが、動けないので、そのテレビの設定(配線)をする事が出来ないので、結局、テレビは見れないままなのですよ
これじゃあ、なんのためにテレビを買ったのか分からんわな

居間兼食堂兼パソコンルームのパソコンの椅子で・・ならば、テレビは見れるのですが、長時間、椅子に座っているだけで、疲れてしまいますので、今の状態では無理です。
・・・という事で、一日中、横になって寝ているベッドの中では、これ以上は眠る事自体、無理難題なので、退屈凌ぎに、ベッドに寝ていても唯一いじることの出来る携帯で、Facebookを読んだり、書いたりする事が、mainになってしまいます。
(寝室にnet環境がないという事は、ある意味致命的だよなぁパソコンがないという事は、ベッドでは仕事をする事は、無理だという事が、確定しているしね)

という事で、本年は、正月も新年もない、うれしくも楽しくもない、寝正月です。(とは言っても、毎年、大晦日から、正月休みの間は、高熱を出して寝込んでいたよな冬休みは毎年、病気で唸っている時期なのだよな今年に限っては、冬休みの期間が、11月からになっただけなのだよな)
まあ、そう、考えると、毎年の恒例の事なのだとも思えるのかもね

体調が整って、せめて部屋の中だけでも歩けるようにならないと、正月所ではないのでね




明けましておめでとうございます。
ジルベスター、15秒ほど早く終わり最後の音をのばすといういつものドキドキがなかったです。
今日、届きました
ありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。


それは見てみたかったな今日届いたのはDVDの話しですか

DVDと楽譜です。

ロカテリは、エチュードなみに難しいので、まだ、もう少し技術が上達するまで、保留で良いと思います。ヴィヴァルディは、技術的には、簡単かも知れませんが、音楽的には、とても高い水準の曲です。
これまで、紗來ちゃんと瑞希ちゃんが演奏していますが、今回、美音ちゃんのチャレンジは、三人目のチャレンジになります譜づらを見てください簡単だと思わないように、課題をしっかりと把握してください
DVDは子供には、文章も言葉も難しいので、説明をしなければなりません。紗來ちゃん達の課題も、出来ても出来なくても、それだけの課題があるのだ、という事が分かれば良いという考え方です。


先生!
明けましておめでとうございます!
先生!
ご健康年の幕開け❣️
最高のお正月をお過ごしです!


先生 ありがとうございます本年もよろしくお願いいたします。いっそうのご活躍を楽しみに致しております。


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今日は寒い!
1月1日 5:09

何故だかは、分からないが今日は寝ていても兎に角、超寒い
以前は、先生に羽毛の布団を押入れから出して貰って、それで寝ていたのだが、暑すぎて寝れなかったので、何時ものイトーヨーカ堂で緊急に買って来た毛布に戻したのだけど、それでも暑いので、部屋の温度設定を1℃低くして、何とか布団の温度が安定しているのだが、今日はどういう分けかは分からないのだが、兎に角寒い

ベランダ側のカーテンを見ると、2か所少しカーテンがずれて開いているのだが、ベランダ側の窓ガラスが室内から見えていると、超、寒いのだよ❢❢
それを直しに行くのは、体力的に無理なので、今回はエアコンの温度の設定を変更するだけで、辛坊する事にした...
練馬区の気温を見てみると、やはり0℃と、東京にしては低い。
まあ、それもあって寒いのだろうが、だからといって、またまた羽毛の布団を出すだけの気力はない

そこまでするのならば、毛布にしがみついて、震えていた方がましだ
体力気力がそこまでない・・という話だよ❢❢


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1月1日 13:08

「2019年1月1日pm1時11分」
ベッドの中でのFacebookの見たり書いたり・・は程々にして、兎にも角にも、寝ようと試みたのだけど、どうしても眠れなくて3時ぐらいになってしまった。それから、何とか熟睡出来て、朝、目が覚めたのだが、時計を見てみると何と未だ朝の6時半である。これは大変だ❢❢と思って取り敢えずトイレに行ってそのまま寝直したのだが、今度も熟睡出来たと思ったら、未だ9時頃だ。
一体、どうなっているのだ??と不思議に思いながら、また入眠に挑戦する❢❢ 絶対に今度は夕方の6時ぐらいだ❢❢と思いながら時計を確認すると、またまた、11時ちょい過ぎぐらいである。
その寝ている間、妙に現実的な夢を見て、どちらの世界が現実の世界であるのか・・分からなくなってしまう。部屋にある物を見て、現実界との確認をする始末である。夢の世界では、私が持っているはずのないものが身の回りにあるので、直ぐに判断出来るのだが、夢の中でも現実の部屋の小物になってしまったら、私が戻って来る場所が分からなくなってしまう。それは困った事だな??
夢の中の世界を現世と思った時がこの世に帰れなくなる時か⁉⁉


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amとpmの
1月2日 6:33

何とか爆睡出来て起きた所なのだが、6時という事で、はたと困った❢❢
Facebookでは、これまでも同じ話題で、よく書いている事なのだが、6時という時間は、朝なのか、夜なのかが、目覚めたばかりでは、時計を見ても分からないのだよな❢❢

つまり、2日の朝なのか? 2日の夜なのか? はたまた、3日の朝なのか、3日の夜なのかが、全く分からないのだよ❢❢
私の回りにある時計の数々を見ても、24時間表記の時計はないし、テレビをつけても、6時だという事はあっても、午前か午後かの、その話だけは出ないのだよな??つまり、それまで起きている人にとっては自明の事であるからだよ

6時という時間が、朝か夜かが分からないという人は、その時間に起きた人にかぎられるからだ
しかも、長時間寝れる可能性のある人に限られる
世の中は、そういった極めて稀な人には、対応する事はない
困った事だ❢❢

・・とは言っても、迷っているのはホンの2,30分に過ぎない。
6時半ともなると、空が明るくなってきて、朝焼けが始まる。
(もっとも、雨の日には、明るくならない事があって、それこそ9時10時になっても、朝か夜かが分からない事もあって、そうなると、体感的に時間が狂ってしまって、悲惨な事になるのだが・・)

今日は、絶好の正月日和らしく、6時半には空が朝焼けの空になって来た。「写真を・・・」と思ったのだが、いつもいつも、同じ窓からの同じ朝焼けの風景の写真では、あまりにも芸がなさすぎるので、写真を撮るのはやめにした。



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作っておいたヨーグルト3本の内の1本が爆発して、飛び散ったヨーグルトで周りが大変な事になっていた。
仕方がないので、そのままチーズでも作るか??
それにしても、濾し布がないぞ?これは困った

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排尿痛が・・
1月4日 0:11

たった今、12時を過ぎて4日になった所です。
病院の指示する術後3週間目の安静期をやっと過ぎた所なのですが、私の場合には、バイアスピリン等の血液サラサラの薬を飲んでいるので、血尿や腰痛が未だ収まりそうにありません。

勿論、それは担当の先生から予め言われていた事なので、然程は気にしてはいないのですが、今日(というか、昨日の3日の事なのですが・・・)はどういう分けか朝から頻尿になって、30分起き20分起きぐらいにトイレに行かなければならなかったのですが、足腰が痛くて、トイレまで歩く事が困難なので困ってしまいました。

勿論、それまでも、トイレに行く度に激痛を感じていたのですが、一時間以上は開いていたので、何とか堪えられていたのですが、同じ痛みでも、20分起きともなると、我慢の限界になってしまいます。

排尿痛も相変わらずです。...
でも、「術後直ぐの痛みを10にすると」・・という質問を良く受けるのですが、確かに、血尿、腰痛も術後直後からすると幾分は改善はしているようなので、気長に体調の回復を待つしかありません。
歳を取ると、治るのに時間が掛かるのは、自明の理ですからね。
時の過ぎ行くのは早いもので、休み中にやらなければやらなかった事が、全く出来ないままに、教室の休みがあけてしまいます。
死活問題なのに、何も出来ないでは、困った事です。




ベッドに入って、アンカにしがみついていても寒くて叶いません。勿論、エアコンはつけっぱなしなのに、寒いのですよ
何故だろうと思って、スマホを開いて気温を見て驚いたねなんと、練馬は-2℃だって
気力と体力があれば、毛布と羽毛布団を交換したのだけど、ベッドから起き出す気力がないのでね


4日になったのに、尿道の瘡蓋が剥がれて、真っ赤な血尿と一緒に大きな皮膚片の塊が出た。これは1,2週間目に何度となくでなければならないものなので、3週間目が終わった今頃出るのは、とても治りが遅いという意味でもある。まあ、ある意味、気長に解釈すると、「治って来ている」という意味でもあるのだがね??



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不立文字
1月4日 9:59

不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉がある。
言葉にした途端に意味が変わってしまう・・というか、言葉で表す事の出来ない・・という意味でもある。
人間が自分の経験の中で知っている知識に、教わる事を無理矢理当てはめようとすると、教わる事は経験の外にある分けなのだから、当然、意味が変わってしまう。
そういった学び方をする生徒は、100回同じ事を指導して、何とかそれなりに格好をつけても、暫くすると、また元の木阿弥の自分の思い込んでいるstyleに戻ってしまう。
世界的に数人の優れた指導者がいると言われているのだが、そういった先生に師事している生徒の数は何千人という膨大な数である。
その中のたった一人、二人が優れた演奏家として育つ分けなのだけど、逆の言い方をすると、そのたった二人の生徒はどの指導者に師事したとしても、優れた演奏家になるのだよ。つまり、優れた指導者ではなく、優れた学び上手の生徒がいるのだよ。...
逆の言い方をすると、どの様な優れた指導者に師事しようと、学び方が出来ていない生徒が、優れた演奏家になる事はないのだよ。

どの様なclassであったとしても、その中でも1を聴いて10を知る事の出来る生徒は、どのようなclassでも、どの様な境遇にあったとしても、必ず頭角を表す事が出来る。
つまり、そのような生徒は、優れた指導者に師事出来なかったとしても、目標に到達するという事には、関係はないのだ。
道に至るは易く、道より出るは難しい。
しかも、家元制度の中では、道より出る事は、認められないのだよ
破門になってしまうのだよ。
ひたすら、その枠組みの中で、井の中の蛙になる事が良しとされるのだ。


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濾し布を持って来て貰って、さっそくチーズを作ります。



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出来たチーズ
1月5日 3:12

1回目のチーズが出来上がりました。
お気に入りのヨーグルトを種にして、空のヨーグルトのボトルに5分の1程入れて、成分無調整の牛乳に結構大量のオリゴ糖をボトルの9割り程、入れて、常温で、二日間ほど保存します。
完全にいっぱいに入れると、発酵したら溢れてしまいます。
蓋を締めても、開ける時に爆発します。
そこだけ気を付けると良いと思います。

そうすると、2、3日後には、美味しいヨーグルトが完成します。
大量のオリゴ糖は、乳酸菌のエサになるので、甘くはなる事はありません。
普通のさっぱりしたヨーグルトになります。

しかし、私の場合には、同時に3本も作るので、本当は残りの2本は冷蔵庫に保存して、出来上がりのタイミングをずらさなければならないのですが、冷蔵庫には朝昼晩と次の日の食料も入っているので、予備のヨーグルトを入れるスペースはありません。
作るタイミングをずらせば良いのですが、それも面倒くさいので、同じタイミングでヨーグルトが大量に出来てしまいます。
今、ヨーグルトを大量に作っているのは、リハビリに必要なある重要な目的があるからの必然的な理由で、趣味で作っているの...ではありません。
極度の便秘で、どうしても、toiletでいきんでしまうからです。
病院からも、便秘の薬を貰ったり、色々な市販の薬を試したりしたのですが、どうしても、上手く行きません。
という事で、苦肉の策でのヨーグルト作りです。

リハビリがある程度終わって体調が回復したら、ヨーグルト作りは終わりにします。
普段に食べるヨーグルトの量ならば、スーパーで買って来るボトルで充分だからです。
今は腸内の環境を整えるために、大量のヨーグルトを薬と一緒に、食べています。
2回目のチーズは、美味しいヨーグルトの状態から作る事にします。
1回目のチーズもそれなりに美味しいのですが、発酵し過ぎて、少し酸味が強めなので、2個目のチーズは、甘めのカマンベールのような味を目指します。


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もう一つのチーズ
1月5日 3:18

2つ目のヨーグルトから作ったチーズのもとです。
このヨーグルトはまだ酢が立っていないので、普通に食べても美味しいヨーグルトです。だから、チーズとして熟成させると、少しもの足りなくなるかも知れません。ここの帯襷(塩梅)は超難しいです。
ちなみに、横に写っているバナナは全く何の関係もありません。片付けるのが面倒くさかっただけです。



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超寒い!
1月6日 6:50

今日は6日の日曜日です。
昨夜から、真面目に布団に潜り込んではいるのですが、足の指先から膝まが冷て寒くて全く眠れません。
勿論、アンカに足を絡めて、しがみついているのに関わらず・・・です。

それに、エアコンもフル稼働しているのにも関わらず・・寒いのですよ?

またまた、練馬の気温が0℃になってしまったのかなと思って調べて見ると、2℃はあるようです。
勿論、外の温度で、室温ではないのですが、エアコンをフル稼働させているので、室温としては、寒い分けはないのですがね(部屋の温度が何度と言わないのは、部屋のあちこちに温度計を置いているのですが、その全ての温度計が、バラバラな数字を示して、どれひとつとして信用おけないのですよ。

試しに同じ場所に温度計を3つ、4つ置いて、試して見たのですが、結果は、アナログ式のメトロノームのように、酷いものでした。

今の所は、車の室内と車外の温度計が一番正確なのだけど、あれは、netのデータだよな)...
困ってしまいます。

それはそうと、今日の日曜日は、オケ練習の初練習です。
腰が痛くて、まだトイレまでも歩けないのですが、無理をしてでも、千葉まで練習に行くつもりでしたが、牧野先生から、「weblessonでも良いのでは?」というadviceを貰って、それに甘える事にしました。

まだ、一度も、椎名町の事務所までも、行けていないので、いきなり千葉までという事は、冒険になってしまうからです。
今年、初のオケ練習での、初のweblessonになるので、どうなるのか?まあ、乞うご期待! ですよね?

でも、ビデオlesson自体は、βの時代からやって来た分けなので、パソコン上でのlessonは、慣れているので、問題はありません。
問題となるのはwebの電波の状態だけですかね



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今日(6日)は初めてのweblessonでした。
weblesson自体は問題はないのだけど、音声がブチブチ切れて意味不明になってしまうのは、困ってしまいました。
パソコンの音声出力からスピーカーまでの配線の問題か、net環境の問題なのだろうけれど、事前のcheckをする事が出来ないので、時間ばかりロスをして困ってしまいました。
lesson内容自体は、曲を渡してから演奏上の解説の確認に留まりました。
weblessonでは、出来る事に限りがあるからです。...
結局、クリスマス会までは、発表会の曲は、ザッとしか見ていなかったので、それまでに、私が注意をして来た事を、ちゃんと理解出来たか否か、とかの確認のはずだったのですが、3回オケに新しく入って来たgroupは、私の注意を書き留める事もしていなかったし、注意や、練習のpointの説明を記憶すらしていなかったのは、初めてでは致し方がないのかも知れませんが、そういった「学ぶ」という基本的な事を、学校では教えないのかね
学び方のハウツーを教えれば、指導するのは、極めて楽になるのだけどねえ

私の教育の基本方針では、「学んだ事を、ちゃんと記憶して、応用する事が出来れば、メモは取る必要はない」と教えます。
でも、覚える事が出来ない人は、メモをちゃんと取らなければならないのですが、そのメモの取り方は、「メモが必要な時に、そのメモが出て来ない」という書き方なのですよ。
つまり、メモをちゃんと書いても、そのメモが役に立たないから、メモを取らなくなるのです。
この事は、「ニワトリと卵」かも知れませんがね
一般的な子供達の勉強法はそういった無駄な勉強(努力)の積み重ねなのですよ
全ての勉強は、必要な時に、その知識が活かせるものでなければなりません。その方法論は、優れた子供の場合には、自然に身に付く場合もあります。でもその方法論を学んで、身に付けると、全ての分野に応用が効いて、その子供の人生が極めて楽になるのです。
しかし、私がそういった方法論を、惜し気もなく子供達に指導しているにも関わらず、中々、子供達の身に付かないのは、その方法論が一般的な勉強法と真逆の勉強法で、儒教社会である日本では、儒教の勉強法が一般の通念(常識)として、通用しているからなのです。




それにしても、12月の24日のChristmas会以来、一度もハイツの部屋から外に出ていません。
というか、12月の18日の川崎の病院からの退院以来、24日の外出が唯一の外出で、ハイツの部屋から一歩も外に出ていないのです。
そろそろ我慢の限界です。歩く練習をしないと、筋肉も段々落ちて、rehabilitationが大変になります。
しかし、リハビリはやり過ぎの判断が難しい。

去年の暮から部屋に閉じ込もったままという事だったのですが、そう言えば年賀状もたまにはハイツ宛に来るので、郵便受けのcheckをしなければならないのですが、部屋から一歩も出ていないので、食事を運んで来る時に郵便受けのcheckをしてくれるように頼んだのですが、忙しいので、中々、その場で思いついてくれないようです。年賀状をハイツ宛に送った人達は、ごめんなさい!!



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摂眠障害が
1月7日 5:57

今日はもう既に月曜日の朝になった所ですが、土曜日の夜から、久しぶりに、摂眠障害が起こって上手に睡眠を取る事が出来ません。この二日間、全く眠れないのですよ
それに、江古田周辺では、な、な、な、なんと今日の朝の気温は-2℃だそうです
それは大変 今日こそは、頑張って羽毛の布団を掛けようか?・・とも悩んでいたのですが、やっぱり、体調不良を優先して、アンカにしがみついて辛抱する事にしました。
エアコンも入っているので、私が体験した一番の寒さである、ミュンヒェンでの時のような、-27℃の肌がそのまま凍ってしまうような寒さ、・・・ではないからです。
ミュンヒェン時代は、駅の寒暖計が-7℃だと、「今日は暖かいな~あ!」という感じで、寒さには、すっかりと体も慣れてしまっていたから、-27℃と言っても、今思う程の寒さではありませんでした。...
しかし、歳を取ってしまってからは、すっかり、暑さ、寒さに弱くなってしまいました
たかが、氷点下2℃で、ウダウダと騒いでいます。
・・・などと、言いながら、それにしても、あまりにも寒いので、室温を見ると20℃は越しています。それにしては、なぜだか超寒い

ふと、湿度計を見て驚いてしまいました。
なんと、湿度が30%を切っていますこれでは寒いはずだ
という事で、慌てて、物置きから極超音波加湿器を出して来ました。
水分の粒子が細かいので、吹き出し口にガラスを当てても、水分が付かない加湿器です。
部屋が湿気っぽくならない優れものなのですが、同じtypeの大型の加湿器は出せなかったので、小さな方の加湿器を出しました。
だから、部屋の温度が上がるには、だいぶ時間が掛かるとは思いますが、これで、布団の中でも、少しは暖かくなるはずです。

やっと少しうとうととする事が出来たのですが、なんと、私が幽霊になった夢を見てしまった。それにしても、若い無分別な少年になって、無意味な行動を繰り返しているのですよ。唯、何処かへ、行こうと焦って歩き回っている。次から次に出て来る見も知らぬ光景と見知らぬ人達
何処へ行こうとしているのだろうか?ひたすら無駄に歩いている
この夢には、いったいどういう意味があるのだろうか?
夢判断は通用しそうにない
随分昔にも、人っ子一人いない超大都会を訪れた夢を見た事があったが、今日の夢では、普通の住宅街なのだが、やはりなにかが違う孤独で無機質なのだ人が登場する事があっても、人形か、ロボットのように、実存感がないのだ
たしかに、子供の姿の見えない住宅街は、人気もなく寂しい
限界集落から始まって、シャッター街と、人気の途絶えた住宅街と続けば、次には、人影の見えない建物だけの大都会と続く。
まもなくそれは現実の問題になって来る。


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超現実的な夢
1月8日 5:18

今日は8日の朝4時過ぎです。チョッとだけ仮眠が出来て、トイレに起きた所ですが、なんとも不思議な、超現実的な夢を見ていたのですよ。

・・・とは言っても、今回だけのお話ではなく、いつも夢を見る時には、超現実的な夢を見るのは、いつものお話なのですがね?

超現実的・・・という意味は、surréalisme(シュールレアリスム)という意味で使用した分けではありません。...
登場人物もその場所も、一度も会った事も行った事もないのですが、妙にrealisticなので、超現実的と言っているのですよ。所謂、de ja vuとでも言うのかな??

今日の夢に登場した姪の女の子も、一度も見た事のない超可愛い人なのですが、誰なのか、私には分からなかったのですよ。
私・・とおぼしき青年も、どこから見ても私の若い頃には似てはいない。
それなのに、私と思われるのは、夢の中の主人公だからに過ぎません。
夢がその青年を中心に流れて行くからに過ぎないのです。

夢の中のお話では、海の見える林の中のひと部屋だけの一軒家を、突然に追い出されて、引っ越す事になって、一人で色々と荷物を纏めていると、姪が突然訪ねて来たのだけど、初めて見る顔なので、誰なのかが分からなかったので、誰なのかを知るために、「私が、ここに住んでいる事は誰に聞いたの?」と聞くと、「真おじさんに・・」という答えだったので、内心、『ああ、あの小さかった**ちゃんが、そこまで成長したのか??』と分かったのだけど、勿論、それは現実の話しではありません。但し、真おじさん・・の姪っ子の**ちゃんは、実在の人物ではありません。私の従兄には、息子はいるのだけど、娘はいないからです。
従兄に隠し子がいて、本当に娘が存在したとしても、彼女ならば、当然、年齢が合わないし、顔立ちも従兄とは、全く違います。
勿論、私の年齢も随分若いし、そのおじさんという従兄は、もう30年近くも前に、自宅で突然死をしているので、この夢の世界は、現実の今からは、30年以上も前の話しになってしまいます。 

私の何時も見る夢の中では、私は何時も30歳程は若返っているので、その時代が私の心の居場所だったのかも知れません。
しかし、当時の私は、19世紀の若者達のように、Cosmopolitanな生活をしていました。(※1.)
夢だけではなく、現実的にもフワフワと居場所の安定しない生活をしていました。
(Cosmopolitanという言葉には、世界市民とかいう良い意味と、住所不定とか、無政府主義者とかいう悪い意味の両方があります。)
一応、江古田の住まいを本拠地(ベース基地)にして、群馬の大学や、千葉に教室を作ったり、大阪や長崎等と、日本各地に活動範囲を拡げていました。
毎日、飲みに行くお店も、帰国したばかりの頃は、渋谷で、大学の先生をやっていた頃は、新宿に行きつけのスナックがあって、出版業界の人達と毎日のように飲んでいました。やがて、行動範囲が池袋駅周辺にになって、江古田から一歩も出なくなって、今は自宅に閉じ籠もっています。アハッ!

人間、歳を取ると、動ける範囲が狭くなって来てしまいます。
歳を取っても、世界をまたに、活動を続けている人達もたくさんいますが、本当に羨ましい限りです
私も、早く、自分の出来る限り、出来る事をしたいと思っていますが、全く歩けない日にちを重ねていると、気力が湧いて来ないのですよ
とどのつまり、元気な頃の昔を懐かしんでいるだけなのかな
それならば、実につまらん




今は朝の8時半を過ぎた所です。天気は快晴らしいのですが、まだ0℃のままです。昨年のクリスマスから、一度も雨が降っていないそうで、これも、記録的な事だそうです。湿度がないので、インフルエンザの大流行が始まっているのだそうです。そろそろ、あちこちの学校で学級閉鎖が始まっているそうです。東京、千葉は大丈夫かな

千葉も年末からインフルエンザになったと聞くようになりました。

学校で貰って来ないように注意しないとね

髪の毛が黒い!!

「Bachの珈琲cantata」の演奏風景です。  大学1年生の頃!!



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Händelのpassacagliaのrenewal-version
1月9日 6:24 ·


全く眠れない日々が2,3日続くと、今度は惰眠のように、起き出してパソコンの椅子に座った途端に、意識が飛んでしまう日々がまたまた2,3日続く・・という、困ったroutineを繰り返して、病気療養のbalanceが全く取れません。
昨日、今日は眠れないroutineで、療養中という事で、仕事が全く手に付かないので、激しい自責の念(つまり鬱という事ですかね?)に襲われてしまって、何とか「療養中なのだから・・」と自分自身に言い聞かせてはいるのですが、夢の中で迄、自分自身が、苛まれてしまいます。

仕事をする気力が出ないのなら、せめての事で、気力、体力を使わない軽作業という事で、16年の1月の14日にarrangeをした Händel-Ashizuka-versionのpassacagliaという曲なのですが、パソコンの音源として16年の1月にYou Tubeにuploadしましたが、1年後の、17年の4月の発表会で、やっと教室の生徒達の手によって、演奏をする事が出来ましたが、パソコンの音源の音とは違って、曲の後半部で擬古典のstyleになった所から、オケが分厚く成り過ぎてsolo(soli)の旋律が活かされていなかったので、2台のfluteと、continuoのcelloとcembaloのversionに、今日、眠れぬままに、深夜にオケバックのpartを簡明に訂正をし直して、そのままYou Tubeに新しくupしました。

但し、使用している写真は、以前、パソコン音源としてYou Tubeにuploadした長崎への旅行の時の写真をそのままに使用しています。
つまり、音声だけの変更です。

しかし、まあ、それにしても、baroqueのpassacagliaはなんと、patheticなのでしょうか??
パソコンの音源と分かっていても、ついつい心打たれてしまいます。
fluteを弾いてくれる人が二人いるのなら、音人の会で演奏したいのだがね⁉
後は、弦5部とcembaloの6人が居れば室内楽として演奏可能だけどね⁉

更に、1月9日と11日に改定renewalしました。

https://www.youtube.com/watch?v=jDHMuxT1t9w&fbclid=IwAR2XtlJg3Z9eSl-rgDoT92Qo70josUOMH7D6d_JkMP0s1mHUMuVCx6UzECo

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右足の爪が
1月9日 10:57 ·

手術前後の4ヵ月以上も、体を曲げる事が全く出来なかったので、自分の足の状態、特に爪の状態を見る事が出来ないままであった❗
何とか、足や、足の爪の状態をcheckするために、デジカメで写真を撮ってみたり、大きく拡大されて見える手鏡で見たりしたのだけど、上手くはいかなかったので、観察出来ないままだったのですよ‼

やっと、昨日くらいから、足腰が痛い事は、痛いままだけど、足の指の状態をcheckする事が出来るくらいまで、体を曲げる事が出来るようになって、改めて、爪を見て驚いてしまったのですよ❗

なんと、右足の爪が、全て、爪の半分以上が死んでいたのだよ❗
親指の爪は上の半分が死んでいて、白濁していて、やっと下の半分が何とか生きていた。
中指は上の半分くらいが、欠落していて、傷の所が瘤になっている。
小指の爪に至っては、紫色になっていた。

左足の爪は、見る限りでは全部正常だと思われたのたが、右足の爪は、全部の爪が、何かしら怪我をした状態だったのだよ。

以前、足の中指を常にぶつけて、何度も、爪を剥がしていたので、それを防ぐために、部屋の中でも、必ずスリッパを履くようにしてからは、爪を剥がす事は無くなったはずなのだが、これはいったいどうした事だろうか⁉
全く、理由や、その原因が分からない❗
否、爪を傷付けた覚えすらないのだよ⁉
糖尿病では、足の指先の感覚が無くなって、怪我をしても気づかずに、足先を腐らせて、足の切断という事になる・・という事があるので、かなり神経質に、注意をしていた積もりだったのだが、全く身に覚えがないのだよ⁉
これは、全く困った😨😥



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今日はもう1月も
1月10日 9:33 ·

今日はなんと、もう一月も、10日だそうです。
やっと、お正月になったと思っていたら、いつの間にか一月も中旬になってしまっていました。
今日の練馬の朝の6時の気温は、なんと、-2℃だったそうです。
すっかりと明るくなった今も、練馬に限定したら、netでは-1℃なのだそうです。
尤も、色々なproviderによって、常に練馬の気温は、2~3℃は温度が違うようですがね⁉

今日も、昨日から全く一睡も出来ていません。
ベッドから起きて、パソコンの作業をしたり、またまた、ベッドに潜り込んで、うだうだしたりしているのですが、どうしても、眠れないのですよ❗
困った事です❗

しかし、まあ、段々と椅子に座れるようには、なって来たので、眠れない夜には、少しずつではありますが、仕事が捗るようになって来ました。
・・・という事で、大分、仕事が出来るという事で、精神的には落ち着いて来ているはずなのですが、・・・という事は、少しは眠れるようになって来るはずなのですが・・・、そうは、とんやが卸さないのよね❓

摂眠障害は、要因が分からない、理由が不明のままです。
心療内科も、逆に上手くいかなかったしね😭


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今日は今年、初めて椎名町迄
1月12日 4:59 ·

今日は1月の11日でした。今日は、3週間振りに・・・、というか、今年は初めて椎名町まで、夜のご飯を食べに椎名町まで出掛けました。
・・・・というか、行く事が出来ました❗

残念ながら、歩くとやはり足腰が痛むので、ドルプリっ歩まではまだ無理で、もう少し練習をしてからで、今日は兎に角、椎名町の事務所までバイクで行く所まで・・、という所で辛抱します。

・・焦らないで、少しづつ、少しずつ・・、一歩一歩・・です。

以前(とは言っても13年も前の事になりますが・・)の冠動脈の手術の後でのリハビリでは、主治医の「頑張って、リハビリに励んでください。」という言葉を間に受けて、頑張って元気な時のノンとジーグっ歩に付き合って歩いていたら、逆にover‐workになって、リハビリを失敗してしまいました。

結局、逆に、3ヶ月も治りが遅れてしまったので、その轍を二度と踏まないように、今回はover-workに気をつける事にします。

病院の示唆している一般の患者さん用のリハビリのrotationよりも、私の場合には、治りが1,2週間遅いリハビリの進行情況なのですが、治りが遅いという事は、勿論、私が高齢者という事もありますが、現在服用中の血液サラサラの薬の性もあるので、病院のrotation通りに行かないのは、致し方はありません。

前回(先週)のオケ練習には、私の予後の状態は、足腰の痛みも酷く、血尿も全く治ってはいなかったので、バイクと車の乗り継ぎをして、千葉の教室までの移動は、とても体調的に無理だったので、パソコンのwebを使用して、自宅でオケ練習の指導をしたのですが、いざ、練習が始まって、生徒達が楽器を弾き始めると、誰もパソコンに映っている私の事を見てくれなくなるし、幾ら私が、注意事項を叫んでもパソコンの音量では皆に聞こえる分けはないので、speakerに接続をしてみたりもしてみたのですが、接続が上手くいかず、教室が静かな学習系のclassならばwebでlessonをする事も可能ですが、オケの練習ではとても無理だという事が今回よく分かりました。

という事で、明後日の日曜日こそは、頑張って、千葉の教室まで、オケ練習に行きたい・・と思っているので、先ずはバイクに乗って椎名町まで行く練習からの、初挑戦になります。
何事もstep by stepです。
焦らずに、一歩一歩・・・です❗

写真は、椎名町のlesson室のアップライトピアノの上のノンちゃんとぬいぐるみです。分かるかな~💕


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日本の演奏家の3拍子の
1月12日 20:23 ·

日本人の演奏家達の3拍子の演奏の歯切れの悪さには辟易させられるものがありますが、まあ、それは日本の伝承音楽には歴史的に、3拍子というものが存在しない・・・という事に理由があるので、どうしても3拍子の弾き方が変になるのは、致し方はありませんがね。

特にfoliaの場合には、2拍目に強拍が来るので、日本人の演奏の場合には、例えperiodの演奏団体であっても、2拍目の強拍がコブシのような後押しになってしまいます。
今現在、音大の学生である生徒に、その日本のプロの古楽器の演奏の話しをしていたら、「その[後押し]の中で勉強しているので、そのimageはよく分かります。」と言っていました。
ヨーロッパの人達の演奏する[膨らまし]と、日本人の演奏の[コブシ]は似て非なるもので、その違いは非常に大きくはっきりとしているのに、日本人には、その違いがよく分からないらしいのですよ?
私がヨーロッパに留学していた頃は、顔を見ると、何処の国の人なのか分かったものなのですが、日本に帰って来ると、ヨーロッパの人達は皆、同じ顔に見えてしまいます。
ヨーロッパの人達の場合、伸ばす音は、残響のように、段々と消えて行くのが、主流ですが、日本の場合には、段々と押して行くのが、普通のようです。
日曜日の深夜のNHKのアニメのテーマ・ソングを聞いていたら、音の一個一個を[押し]て歌っていたので、気持ち悪くなってしまいました。
つまり、船酔い状態です。
でも、日本人には、心地好く聞こえるようですね⁉
困ったものです。

classicの場合には、その違いが一番よく表れるのが、la foliaのthemaなのですが、その、ゆっくりしたla foliaと、早いla foliaの両方を堪能出来る演奏をYouTubeからselectしました。
la foliaに関しては、私の一押しの Savall さんの即興演奏です。
sessionの一人の、とても美しいハープのお嬢さんは、Savallさんの娘さんです。
ヨーロッパでは、家族でsessionを組んでいる団体がとても多いのですよ❗


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宮崎駿さんの
1月12日 20:48 ·

今日は生徒達が椎名町に来て仕事をしているので、早めに椎名町に行く予定で準備を初めていたら、なんと、今度は右腰側ではなくて、左足首が痛くて、椅子から立てなくなってしまいました。日頃、右足腰を庇って歩いているせいです。
椅子から離れる事が出来ない・・と言う事で、椎名町に行く準備が全く出来ないので、暫く休んで様子を見ている所です。

YouTubeのlinkは、Marin Maraisのla foliaのperiod instrumentsの演奏です。
ガンバの優しい音色をお聴きください。

そう言えば、昨夜は宮崎作品の「みみをすませば」とかというアニメを、テレビで放映していたようですが、少年がヴァイオリンを弾いて、主役の女の子が歌を歌うシーンで、伴奏していたお爺さん達の楽器はガンバとコルネットでしたよね?
ギターのような楽器は、リュートだったのかな?
仕事をしながら、ちょこっと見ただけなので、よく見えなかったので、確認出来ませんでしたが・・・・⁉
古式豊かな古楽器アンサンブルでしたよね?
こんな所にも宮崎さんは、凝っているのだなと驚いてしまいました。


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homepageが壊れて
1月19日 5:14 ·

19年の1月の19日の朝の4時です。
toiletに起きたついでに、随分、お久し振りに芦塚音楽研究所のhomepageのtop-Pageを開いて見たら、なんと、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageが開いてしまうのですよ。
有り得へんわサ❢❢

Pageが殆ど壊れてしまっていて、何処を開いても、惨憺たる事になっていました。 超、shock❢❢です。

windows10以降のパソコンの不具合は、もう仕事にならんよな??
パソコンで仕事をする・・という想定自体が大体ないからな??

朝の7時になりました。取り敢えずは、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageも「芦塚音楽研究所」のtop-Pageも開くように、パソコンのbugを修正しておきました。19年の4月の発表会までのオケ室内楽の予定等は今日中に出来たら良いな??



つい先日は開けましたけどね。予定見ましたし💦
なんででしょ?


ああ、それなら、椎名町でホームページを操作したのですかね⁉
ダブルブッキングしたという事ですかね⁉
それだけは、やるな😡と言っていたのだけど❗
ホームページを改定したら、必ずその旨、連絡をするように言っていたのですがね⁉


スマホでちょこっと見てみましたが『芦塚先生のお部屋』見れるページと見れないページがありましたね…


「芦塚先生のお部屋」のindexのPageで赤字で書いてあるのは、壊れたままのPageです。
次ページというのは、ぶっ飛んで無くなってしまったPageです。
古いdataでも、dataが残っているのは、再入力をしました。
紙のdataとして、残っているPageもあるので、次にはそのPageを手入力する予定ですが、手術やリハビリが難しくて、そこまで手が回りません。
ましてや、芦塚音楽研究所のhomepageは、私が直接教室の指導に携わっていないので、難しいので、昔のPageを再入力するぐらいしか出来ません。


芦塚先生のお部屋の山芋のページとベラチーニのパッサカリアのページを少し補修を始めました。
エンドレスなので、完全に復旧する事はないのだけど、出来る所までは、何とかやらないとね⁉


LINKが飛んでいて、文章そのものがない場合には、その文章を探すのは(文章が無くなっているのを知る事は)至難の業です。


やはり、教室のhomepageのオケ・室内楽の練習の日程は昨年度分でした。
後半期分はuploadしておきました。



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やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった
1月22日 14:57 ·

19年1月22日の3時なのだが、CapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった。まあ、なんと、間違いだらけの譜面なのだろうか??
俺が・・、じゃないよ!!
原譜がなのだが、取り敢えずは、一箇所を除いたら楽譜通りに入力したよ。
どうしても許せない箇所が一箇所あったのだけど、・・でも、今回は訂正譜は作らないように頑張ろう!!
この譜面は限がなさそうなのでね??
それにしても、今日は鬱が酷い❢❢



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本当の本物とそうでない物を区別する事
1月23日 17:59 ·

今日(23日)は、昨日に引き続いて、鬱が酷くて落ち込んでいます。そういう時に限って、周りからは、良い話は聞こえて来ません。
・・という事で、耳に栓をして、朝からCapuzziの3楽章のorchestraのpartの入力をして、午後はFacebookⅣをhomepageにtransposeする作業を途中までやり、ついでに今年の19年のFacebookを新たに新設しました。

兎に角、鬱が酷い時には、何もやる気が起こらないのだよな??外に出掛ける気力も無くなってしまって、ただ引き籠もりの毎日を徒に過ごしています。

音楽を究める事や職人の優れた業を学ぶ事は、本当の本物と、そうでない物の区別を知る事がとても大切で、その目を育てる事が音楽教育の目的だと思っています。
言い方を変えると、本当の本物が分からないとimitationを本物と勘違いしてしまうからです。

楽器とは言えない教育楽器や、世界の何処でも使用されていないジャーマン式リコーダー、ドイツではジャーマン式リコーダーと言っても誰も知らないし、そのリコーダーを作った張本人であるドルメッチが、自らジャーマン式のfingeringは間違いであった・・と言っているのにも関わらず、その誤りを認めようとしない小学校のRecorder教育とか、福祉の活動も3Kを省いた状態で体験学習させて、実際の福祉の現場に言って、あまりにも過酷である・・と挫折する学生の多い事!!
全く、綺麗事の過保護社会の学校教育なのだよね??

子供達が小、中学生であったとしても、そういった社会の厳しさを知る事は、とても大切な事だと思うのだが、日本の社会では、「子供だから・・」という事で、過保護に守る事が教育だと思われているのですよ。
「子供だから・・・」という事は、「proの世界には無い!!」と口を酸っぱくして言っても、一般の人達には、その事は、分かって貰えないのだよな??
腹が立つよな!!
ほんと、鬱になってしまうわサ!!
とは言っても、別に、日本の子供の教育が、私の鬱の原因ではありません。
昔、私が、子供の教育について、悩んでいた時に、ある人から、「その教育に対しての(親の)意識を含めて、その子供の才能というのだよ❗」と、諭された事があって、それ以降は、子供の才能とは、親の意識を含んだものである、と認識しているからです。
私達の時代は、子供の夢を親がbackupする事が、無かったとしても、阻害する事は無かった、という放任主義の時代だったので、自分の人生を歩む事は、楽でした。つまり、自分に、夢があれば、自分自身で歩んで行けば良かったからです。
だから、私の鬱の原因は、そう言った風な、私の活動そのものではなく、私自身がこの世の中に、居場所を見いだせないという事なのです。
あと、30年もすれば、私の主義主張は、当たり前の極々普通の事になってしまいます。その時には、一般の人達からは、「何を、そんな当たり前の事を言っているの⁉」としか、評価はされないのですよ❗
しかし、今の時代では、「何をそんな馬鹿な事を言っているの⁉」と、誰からも認められる事はないのですよ❗つまり、どっち道、社会から認められる事はないのですよ。損な選択ですよね⁉
それでも、体力気力がある時には、周りの誰一人として、自分を認めてくれなかったとしても、自分を信じて生きて行く事が出来たのですが、体調不良で、気力が上がらない時には、鬱が自分を支配してしまうのですよ❗


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今日こそは、ドルプリっ歩に
1月25日 22:12 ·

今日こそは、頑張ってドルプリっ歩に付き合おう・・と思って、椎名町までバイクで出掛けたのだが、杖にすがりながら、玄関を出たのだが、痛くて、20歩ぐらいしか歩けなかった。
ドルは怒っていたぞなもし!「なんで帰るんだよ!!」てか!


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無理をしてオケ室内楽の練習に
1月28日 5:34 ·

この所、腰痛が酷くて、ドルプリっ歩にも行けない日々が続いているので、木曜日は千葉でのlessonを延期してしまいました。

今回、昨日のオケ練習も参加出来るか難しい状況だったのですが、午前中の室内楽の練習で、MozartのPiano-QuartettのⅡ楽章があるので、無理をしてでも、出掛ける事にしました。この曲は演奏がとても難しいのですが、古典派のMozartやHaydnの作品の常として、(Sonate-album等の演奏を見ても分かるように・・・)演奏の技術的には然程、難しくないので、一般的には、(古典派の作品は、)雑に下手に弾かれる傾向があります。

Mozartの室内楽を勉強するにあたって、一度も、そういった演奏上の留意点(point)を説明、lectureしていないので、室内楽の練習は原則、月一のlecture-lessonなので、自主練習が基本なので、生徒達が、ちゃんと、練習のpointを理解した上で練習をするのと、そうでなく子供達が感性だけで、闇雲に自主練習をするのでは、全く練習のNiveau(水準)が変わってしまうので、一度も私がlectureをしないままでの練習では、とても心配なので、常日頃、「練習のcheckをしに行きたい!」とは思っていたのですが、Mozartの室内楽のlecture-lessonは、本来の私のlessonでは無く、自主練習が建前なのと、練習が朝からの時間なので、私の体力がオケ練習の最後まで、持つか・・という事を先生達が心配してくれて、折衷案として、先週の室内楽の練習なのですが、・・生徒達に、室内楽の自主練習の様子をvideoに撮影させて、それをcheckして、私がone point-lessonでのadviceをするように、しようという事になりました。

監督出来る先生がいないので、生徒達の準備の様子もcheckをしたいので、生徒達には、楽器の準備から練習を開始するまでの状況も含めて、videoを流し撮りをするように、条件を付けてのvideo撮影でした。

videoの撮影が終わって、SDcardがハイツに届いて、練習の状態をcheckして見たのですが、やはり、Mozartの室内楽の難しさは尋常ではなく、「どうしても、一回は演奏のpointのlectureが必要だな?」と逆に痛感してしまいました。

という事で、昨日のオケ・室内楽の練習は、私が朝早く出掛けて、練習のcheck-pointをlectureする事を日延する事は、徒に時間を無駄にする事で、結果的に発表会での発表でも満足する結果を得る事が出来なくなってしまいます。
・・・という事で、先生達は私の体力が、椎名町に帰るまで持つか??を心配してくれていたのですが、今回は無理をしてでも、timelimitという事で、敢えて挑戦する事にしました。
まあ、それにしても、Mozartは難しい❢❢の一言に尽きます❢❢

オケ練習の最後までは、とても、体力的には持たない・・という想定で、lectureをしていたので、練習の時間割りをちゃんと見ていなくて、終わりの時間をいつも通りに、定型の7時半終了と思い込んで練習をしていたので、最後のVeraciniのpassacagliaの時間が「15分くらいしかない❢❢」と思い込んで、梨紗も月一ぐらいしか練習に参加出来ないし、愛ちゃんも風邪でお休みだったので、兎に角、一回だけは、時間的に目一杯でも、取り敢えず「通し練習」をして、今日の練習を終わる事にしました。
半ギリギリに曲の「通し」が終わって、「今日はここ迄だよな?」と言ったら、誰かが「今日は8時までですよ❢」と言いました。
「え~っ❗早く言ってよ~❢」
でも、もう流石に、それから練習を続けるには、幾ら何でも、気力が戻らないので、定型の7時半を持ってオケ練習を終わりにしてしまいました。
普段ならば、大ブーイングの所なのですが、流石に、Veraciniの後では、子供達もエネルギーを使い果たしているので、おとなしく練習の終わりの挨拶をしていました。アハッ!

それでも、私達は、それから、後片付け、後始末が有るので、コンバスの花園への移動や、花園教室の後片付け等々を済ませたら、東京に戻るのは9時直前になってしまいました。

東京に到着しても、夜の食料の準備が全く出来ていないし、食材の準備も出来ていないので、半年振りに外に食べに行く事にして、私はハイツに戻って、斉藤先生はドルプリっ歩に出掛けたのですが、な、な、な、なんと、練馬は0℃です。超、寒いし、自宅に到着した途端に、やっぱり疲れがドッと出てしまって、半年振りの外食も、ハイツの保存食を食べるのも諦めて、持ち帰った荷物や脱ぎ捨てた服の全てを散らかしっ放しのそのままにして、爆睡してしまいました。
アハッ!



またまた、入力出来なくなってしまったので、暫く、書きかけの状態で放置する事にします。


体調をおしてみてくださり、ありがとうございます!
子供達にこの情熱が伝わるといいんですけど……😭


文章がおかしくなって以降の書いたコメントがぶっ飛んで無くなっていました。
編集履歴に一つだけ残っていたので、bugる前の文章の最後にコピペしておきました。
まあ、なんだろうね~え??  Facebookは・・・???


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1月28日21:38

親ゆずりの無法者が あきら:45
 夕暮れの風景:今の気持ちのような空
心臓エコーでは心臓自体にはやはり異常はなかったが、24時間ホルダーで、徐脈、頻脈の双方が・・・前者は悪化して死につながる危険もあるので、ぺースメーカーを、後者はカテーテルアブレーションで・・・回生病院では双方やる方がいいとのことで、でも前者はここで行ってるが後者はやってないからと、桜橋渡辺病院への予約をされて、2月7日に紹介状と今までのカルテ、データーをもって行くようになった。そこでの判断になるだろうけど、双方やる必要があるなら一度の入院中にやってもらえるように・・・そして合唱、声楽活動に影響が出ない日程で手術するつもり・・・成功したら不安ながらに練習に参加しなくても良くなるから・・・迷ったがこの際、やると決めた


私の場合には、3回程、不整脈が出た事があります。最初は、環動脈のバイパス手術の後、退院しても、不整脈が取れなくて、主治医に相談したら、「心臓は1回でも止まるとそれで終わりだから・・・」と言われて、「即ペースメーカーの手術を」と言われてしまい、すっかりめげてしまいました。
同じ病院の中なのですが、心外の先生から、循環器の先生に代わって、薬のcheckをして貰って、処方された薬を、半分に割って呑むようにしたら、不整脈は治まってしまいました。
その次は、鬱が酷く、不整脈が出ると、鬱になるのか、鬱になると不整脈になるのか、という事で、自宅のすぐそばに出来たばかりの心療内科に行って、薬を処方して貰ったのですが、最初に、処方して貰った薬はとても良くて、日常生活も随分と楽になったのですが、医者に薬の効き具合を尋ねられた時に、「一週間の間に、2回だけ、軽い鬱状態にはなったのだけど、とても楽でした。」と答えたのですが、医者は、その2回程度が、よほど気に食わなかったらしく、より強い薬に変更されて、逆に鬱が酷くなってしまい、「前の薬の方が・・」と何度も言ったのですが、毎回より強い薬が処方されて、等々、毎日、ベッドから起きれなくなってしまいました。調剤薬局に相談をすると、「処方された薬は、老人等で寝たきりでも良い人にしか処方されない薬で、芦塚さんのように、日常働いている人には処方しない薬だ!」という事で、処方された薬の量を減らしてみたのですが、やはり、無理があるようで、それで、その心療内科に通院するのはやめてしまいました。
病状の説明も、やたら難しい専門用語を連発して説明するので、難解で困ってしまったのですよ。
その事を調剤薬局に話たら、「商売敵のように専門家に思われたのではないのかな?」と言っていました。
「私は音楽教室の先生で、子供達を相手にしている職業だ」という事は、初診の時に説明をして、カルテにはちゃんと書いてある筈なのですがね??

またまた、入力出来なくなってしまいました

クスリでの治療は回生病院の医師はあまり進めない感じでした

病院によって、考え方の違いもあるのでしょうが、心臓は一度でも止まるとそれで終わり!」という考え方がきほんなのでしょうね??
私の場合には、「また手術??」という事と、日常生活や、その後の病院での検査等で、色々と制約を受けるというのが、second opinionの理由でした。
術後5年間は、体調は安定しなかったのですが、、不整脈はそれで一応収まりました。
その後も度々ひどい不整脈に襲われることがあったのですが心臓のバイパスで入院している時に買った携帯用の心電図の機械で即医者に駆けつけるべきや否やの状況を判断できるしまた全く晋三とは関係ない随分遠い箇所でのトラブルが始まると結果として不整脈も治ってしまうのでペースメーカーを預けないままで14年間を過ごしています今回の大きな手術の前にもそれが発覚する以前の8月9月ぐらいにも少し不整脈が出たたのですが血尿で色々な重篤な病気が見つかって体調不良の原因が特定されてからは 脈は出ていませんこの14年間その繰り返しです体は自分を守るためにいろんな信号を出しますが現在の医療ではその状況でしか判断をしないので心臓の調子が悪いと心臓のチェックしかしません血尿と膀胱癌が見つかったと言うのですがその結果より緊急性のあるサイレントキラーの腹部大動脈瘤が見つかったのは私はラッキーだと思っています



前回のペースメーカーの時にも、同じ病院でのsecond opinionだったのですが、薬の処方を変更した医者は、ペースメーカーの事については、何も言いませんでした。
腹部大動脈瘤の手術も、最初の病院では、「動脈の形状からステント治療は絶対に無理で、開腹手術になる」と言われて、「どこの病院にsecond opinionに行っても同じですよ❢」と言われたのですが、手術件数の多い順番に病院を探して、ちょっと遠いのだけど、川崎の腹部大動脈瘤の専門病院に行きました。
そういった病院では、難しい患者しか来ないので、私程度の症状では、「そんなに難しくない」「充分、ステント治療で対応出来る!」・・という事でした。
これは手術の経験値の違いだと思います。
それに、前の病院ではriskの話ばかりしていて、consultingを聞けば聞く程、不安感が増長されていくのですが、川崎の病院の先生の話では、言葉に安心感があって、信頼に足る先生だ、と思いました。
病院に通う上で最大に必要なものは、先生に対しての安心感だとつくづく思い知らされました。


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思いっきり、突き指をした
1月29日 5:31 ·

椎名町から、帰って来て、寝る準備のために、テーブルの上に置いた明日の食料品を冷蔵庫に片付けている時に、茶筒を落としたのですが、無意識に掴んでしまったのは良いのですが、思いっ切りテーブルの縁に指先をぶつけてしまいました❗うん十年振りの突き指です‼超、痛かった❗多分、骨にヒビが入ったのだよな⁉
いや、これで暫しパソコンが打てなくなってしまう❗これは困った❗
また、仕事が滞ってしまうよな⁉




今日は右手薬指の第2関節が少し腫れ上がって超痛くてパソコンを打てません。
昨夜は第一関節だったのにね??


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携帯用の心電図計です。
1月29日 10:53 ·

携帯用の心電図です。
心拍と心電図を10個程、保存が出来、ABCDと4段階で、緊急性の判断をしてくれます。

勿論、パソコンと連動させて、パソコンに記憶させる事も出来るし、私は不安な時には、これを医者に直接見せて、波形の判断を仰ぎます。

14年前に、冠動脈バイパス手術の時に、大和成和病院の売店で買ったものです。

今では、もう少し良いものが売られているのではないでしょうかね??



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ますます鬱が酷くなって来た
1月29日 17:08 ·

またまた、鬱が酷くなって来た。
それなりに仕事を片付けながらの、自宅静養だったはずなのだが、突然、仕事をするだけの気力が失くなってしまった。
音楽教室は先生達に任せて、海の傍の丘の上に引き籠もろうかな??と、マジに思ってしまう。

「Von Herzen - Möge es wieder - Zu Herzen gehn!"」
Beethovenが自分の作品(Missa solemnisミサ・ソレムニス)の楽譜に書き込んでいたその作品に祈りを込めた言葉です。
天下のBeethovenが自分の作品で、人々に願いを込めていた事が分かりますが、果たして・・・

日本の伝統芸能は歌舞伎や能、話芸等の落語の世界では、物語り性や、人を感動させる事が究極の目的とされます。

しかし、Classic音楽に限っては、そういった人を泣かせるような演奏を忌み嫌う傾向があり、コンクール等で、テクニックを競いあう、styleの方が一般的です。つまり、秒やテクニックを競いあう、アスリートの世界に近いものがあります。

私の主義主張では、大人の人達を泣かせるには、メカニカルな技術は不必要で、真摯な心からの語りかけのテクニックがあれば、小さな子供達であっても、人を泣かせる演奏をする事は出来ると思います。
それは音楽を追求する姿勢の問題だと思います。

数億円のヴァイオリンで演奏していても、その本来の楽器の持っている美しい優しい音を追求しないのならば、数万円のヴァイオリンで弾いた音でも、変わり映えはしない・・という事なのですよ。

だけど、プロの音楽家達には、素人には、本当の本物の音楽は分からないのだ・・という自負(自惚れ)があります。

その自負とprideだけで、一般の人達が音の違いが分からない・・と言ったり、演奏の違いが分からない・・という事を、「自分はこれだけ、一途に音楽を極めようとしているのだから・・?」というprideで乗り切っています。

確かに、Classicの音楽は、或る程度の慣れが必要かも知れません。
でも、本当の音楽の良さ、楽しさ、美しさ、感動を教えるのも、プロの役目ではないでしょうかね?
「音楽は、限られた特別な人達のもので、私の努力を分かってくれる人達だけのものだ❢」という事で、一般の人達に感動を与える努力をしないのならば、「音楽は、芸術だから、一般の人達が分からないのは当たり前なのだ❢」という姿勢ならば、音楽は、より限られたmaniacな特別な少数の人達だけの音楽になってしまいます。

明治維新が始まって、ヨーロッパの社会に追いつけ、追い越せ・・という運動の一環として、廃仏毀釈運動の一つとして、日本の伝統芸能も位置は低いものと定義付けられて、ヨーロッパからのClassicは上流階級のstatusとして入って来たのです。

その時代のお金持ちの上流階級のお稽古事としての延長としての意識が未だに日本の音楽に残っていて、statusとしてのClassicという意識が、未だに一般の人達への音楽への理解を妨げているのです。
そのうちClassic音楽のフアンは一人もいなくなったりして・・


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理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ
1月30日 9:29 ·

テレビを見ていたら、(勿論、仕事をしながら、付けっ放しをしていたら・・という意味ですが・・・)「教育とは、子供達に『理不尽』を教える・・という事だ」という話をしていました。
「子供の教育とは大人社会の理不尽を学び、妥協する事を学ぶ、という事だ❢」という論旨で、異を唱えるコメンテーターもいなくて、盛り上がっていました。
コメンテーター達が言っている「理不尽」という意味は、「対社会的な妥協」という意味のように思えました。
テレビのコメンテーターたちは、「子供達が、社会的に成長して大人になるという事は、妥協する事を覚えるという事だ❗」と、「随分、大人の理論として勝手な事を言うナ??」と半ば呆れて、聞いていました。

世間の一般通念で、自分の志を曲げる事を学ぶ・・、それが大人になる事だ・・・そんな大人社会の理不尽さを、子供達の教育に持ち込まれては、子供達が大人達に反抗して、言う事を聞かなくなる、・・・大人達の指導に付いて来なくなる・・という事は、当たり前の話です。

何故??思春期の子供達がギャング・エイジの子供達に憧れるのか?何故、子供達は、大人に相談する事もなく自殺してしまうのか??
それが、理不尽な要求を突き付ける大人への不信感である・・という事を理解しようとしないのですよ。

音楽教室では(別に音楽教室でなくても全ての教育機関であれば同じですが・・・)、clientは親になります。
教育に熱心な先生は、親からの将来の希望や、家庭での子供の状態を聞いて、それを子供の教育に活かそうとするのですが、子供の側の希望や意見は、「未成熟な考え」として、聞こうとはしません。
子供の話しを聞くことを、信条としている先生達でも、子供の話しを聞いて、その未熟な論理性の弱点を突いて、説伏しているに過ぎません。所詮は、ポーズだけの理不尽な大人に過ぎないのだけど、一般的には、それだけでも、非常に優れた教師として、評価される事が多いようです。
つまり、ポーズだけだとしても、子供側の話しを聞くという事をする大人は、非常に希であるということなのです。

そして、子供がSNBP(負の転換点)として、社会に反抗した時に、言い換えると、子供が社会の理不尽さに、耐えられなくなった時に、初めて、理不尽を要求する大人達は自分達の教育の誤りに気づくのですが、残念ながら、もうそこに「後」の手段はありません。
「何か??」が出来るのは、「前」だけだからです。

しかし、私が常に、前へ、前へとそのターニングpointのadviceをしても、「前のadvice」では誰も私の忠告を聞こうとはしません。

何故なら、そこには、まだ何かが出来る余地があるので、今まで出来なかった指導説伏が、後、一歩で、何とか出来るかも知れない・・という願望があるからです。今までダメだったけど、後、一歩で、何とかなるかもしれない❗
でも、その余力の一歩で、駄目だった時には、そのSNBPに対して、大人達が出来る事、子供に対して成すべき事はもうないのです。

死者は生き返る事はないのですよ。(生物学的な死にしても、心の死にしても・・です。)

親と指導者は、教育上の観点が全く違わなければなりません。
子供の夢に合わせて、子供の将来の長期的な教育のprojectを組むのは教育者です。
それを、親に説明するのも、教育者の役割です。
「将来、このようになりたければ、今、現時点で、これをこうしなければならない。」という説明です。
親が、今現在しか見えないのは、当たり前の事で、教育上はそれで良いのです。
将来を見るためには、経験と客観性が必要だからです。
親が教育者になってはいけません。
子供と一緒に一喜一憂する事が大切だからです。
小、中学校の先生である親が、子供の教育に失敗するのは、子供を生徒と同様に、客観的に見てしまうからです。

ここまでが、Facebookの限界のようで、そろそろ入力出来なくなってきました。
残念ですが、この文章はここで終了します。




あら~続きが読みたいです‼


「芦塚先生のお部屋」から、一般教育論文のindexのPageが一番該当して、特に「摩訶不思議な日本の教育」というPageが一番該当する文章だったのですが、この教育論文のPageの殆どのPageがぶっ飛んだままなので、「摩訶不思議・・」のPageは、膨大な論文なので、print outされた紙の原稿すら残っていません。
先ずは、どのPageが、ぶっ飛んでいるのか?をcheckする所から・・の作業なので、assistantが必要なのですよね??
冒頭のindexと、それぞれのindexのTitleを赤字にする事で、読めるPageか否かのPageにするという、単純作業なのですが、これがやはり、一手間なのですよ。
indexをcheckしてみたら、紙の原稿は残っているのだそうですが、文字のフォントが小さ過ぎて、OCRが出来ないので、保留になっているようです。あまりにも長い文章なので・・・??


パソコンを弄っていたら、昔々、downloadした、古いOCRのsoftが出て来ました。
「それならば‼」と、超小さな文字でprintoutされた原稿をスキャンして見たら、なんと、なんと、なんと、OCRが出来たのですよ‼
プリンターのsoftでは、全く無理だったのにね⁉

勿論、誤変換や、解読不能な箇所も多々ありはするのだけど、27pageのOCRの変換は、3、4時間で終わって、homepageにup出来たのですよ❗
後は、indexを付けて、誤変換を訂正すれば良いので、なんとか、recovery出来そうです❗
indexを付ける作業も、30日の内に終わりました。後は、ご変換だけです。


このFacebookのPageの最後の部分の文章がまたぶっ飛んでいました。
編集履歴からコピペしてrecoveryしました。
なんだろうね~え?   Facebookは・・・
人様(client)に対しての敬意がないのだよな?? 
勝手に削除する・・とは無礼極まりないだろうが❢❢


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Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった
1月30日 11:56 ·

「教育は理不尽」のPageで、斉藤先生が、「続きが読みたい!」と書いていたのだけど、色々とあって、超、面倒くさくなってしまって、続きを書く気が失くなってしまったので、「『芦塚先生のお部屋』から、続きを書いている(欠落していない満足な・・)Pageが無いのかな??」と、パソコンのPageやdataをcheckしていたら、Vivaldiの a moll Op.3Nr.6の解説のPageが、printoutするためにwordに変換して保存されていたのを見つけたのだよ!!
Bravo!
Recovery出来たぞよ!!
Pageが1分で戻った!!
喜!喜!喜!!

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2月


今日は一日意識朦朧と・・
2月1日 23:30 ·

10時過ぎに食事だったのだが、その直前から意識混濁になってベッドの中で、「動けない!」とか「食べに行けない!」とか事務所のlineに送ったはずなのに、今、toiletに起きたついでにlineを見てみると、一切メールが送られた形跡がない。
どうやら、「送った❢」と思ったのは、夢の中だったらしい❢❢
しかし、夢の中で「書いた」「送った」というのは、実に頻繁によくある事なのだがね❢❢
という事で、今日はまるまる、一日中、意識朦朧としていて、何も出来なかった。仕方がないので、videoの編集と纏め・・だけをした。
videoの編集で、trimmingや色々なangleの調整とかしないで、単純に動画を幾つか結び付けるだけの作業では、実際の編集作業は2,30分程度で、routineの作業なので、意識朦朧状態でもなんとかこなす事が出来るし、後は、パソコンが独りで勝手に5時間、6時間掛かって、仕事をしてくれるので、パソコンがbusyで、他の仕事が出来ない時には、頗る良いのだよね??
こういった、やる気が起きない時や、意識混濁で、仕事にならない時に、videoの編集作業のように、computerが勝手に仕事をしてくれる作業は、逆に「時短」になって、全体から見ると、仕事効率が良いのだよ❢❢
「時短」とは、千**子さんが言うように、「急ぐ」事ではない。教室ではそれはタブーの勉強(仕事)法なのだよ!!
「慌てる乞食は貰いが少ない」のだよ!!
効率を良くして、ノルマを上げる事を「時短」というのだよ。
日本人は兎角、「考える時間があったら、先に仕事をしろ!」という傾向がある。
何処かのviolin-methodeの先生が何時も言っている「1時間でダメなら10時間、10時間でダメなら100時間」という努力に対しては、世間一般は評価をして、その努力を認めるのだが、逆に、頭を使って1時間でする事を10分で済ませる・・という要領の良さに関しては、絶対に評価をしない。
昔、大人の生徒で、経理の会社をやっている人が、会社のためにより良い社員を集めたいと相談があった。
「取り敢えず、バイトで学生を集めて、その中から会社に正社員として雇用する生徒を探す」という事のようだった。
私がadviceをしたのは、ノルマ制のバイト代である。
仕事がちゃんと出来るのならば、1時間を10分で終わっても、同じ給与ならば、実力のある生徒にとっては美味しいバイトになる。と言う事で良い学生だけが集まって来る。
出来の悪い生徒はノルマが終わらないから給与の枠も減ってしまうからだ。
社会とはそんなものだよ!!
昔々の(未だ音楽教室を立ち上げる前の)お話しなのだが、小学校の4年生を担当する事になった学生から「4年生のクラス対抗で、漢字のテストがあって、何時も学年主任の先生がtopで、若い先生達のクラスの生徒達は中々漢字が覚えられないので・・」と、相談があった。
ルールは、毎週新しく出た漢字のテストをして、クラスの全員の成績で評価を出すのだそうな。
・・と言う事で、子供達が書いていた漢字の練習帳を見せて貰った。
宿題は「一つの漢字を20個書いて覚える」と言う事なのだが、最初の2つ、3っつは丁寧に書いてあるのだが、数が増えれば増える程、雑に、乱暴になっていく。
「芦塚メトードの記憶法の良い実証機会だ」、と言う事で、生徒達には、漢字を書く宿題を「覚えるだけ書く事」「書かなくても覚えられるのならば、書かなくても良い」という宿題に変えた。
次の週からは、その若い先生のクラスだけ断突に成績が上がって、一月も経った頃からは、全員100点満点を取るようになった。
芦塚メトードとそうでない一般の教育法との区別を付けるために、若い先生には、「その指導法を他の先生にはlectureしてはいけない!」という条件を付けたので、学年主任の先生は、ムキになって、一つの漢字を100回書くように宿題を出した。
子供だけでは、宿題をこなすのはとても無理なので、両親が漢字帳で毎週100個の漢字を書く羽目になって、そのテストは終了してしまった!
(当然、保護者のclaimによって・・だが)
この学習法は、教室を立ち上げた後に、更に改善されて、オセロ練習法として、ゲーム化されているのだけど、見た目は楽しく遊んでいるようにしか見えない練習法なのだが、実はproの演奏家でも、非常に難しい練習法なのだ。でも、子供の内から、その練習法に親しんでいると、その難しさは然程ではない。
日常生活を、より効率化するために、学校から帰ってから音楽の練習に専念するために、「学校の宿題を学校の休み時間に済ませて、宿題の時間を練習に当てたら・・??」とadviceしたら、学校の先生が「学校で宿題を済ませるのならば、別の宿題を追加で出す!」とか怒り捲っていたそうだ。(これは、一つの特定の学校での話しではなくって、色々な学校でのお話です。今は、宿題は必ず家でやらなければならないのだそうです。)
それじゃあ、会社に勤めるとかいう実社会生活では社会適応は出来ないよな??



またまた文章が、(今度は文章の80%以上がぶっ飛んでしまっていた。
編集履歴から・・多分これだ❢❢と思われる文章をコピペしたのだが、最終稿が分からないので、どれが最終履歴かは、当てずっぽうである。
長文でも文章の飛ばない、homepageにでも、戻したい所なのだが、homepageは、homepageでそれなりに色々と問題があるのだよな?
要は、こういったnetでは、essayのようなものは書けないのだよな?



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今日は夜から、不定愁訴と言うか

2月3日

今日は夜から、不定愁訴と言うか、心悸亢進というか、鬱になりそうな感じで、携帯心電図計で心臓の調子を見たのだが、「気になるようならば、医師に相談をしろ」という不整脈迄は行かない、微妙な判定だ。

健康な時ならば、行きつけの寿司屋で日本酒の熱燗を飲んで憂さ晴らしをするか、心の置き場所を臍下、丹田まで下げて、心臓を落ち着かせる所なのだが、心が捕まらなくて、どうも上手く行かない。

鼻詰まりも少しあるので、呼吸の性もあるようだ。...
胃も、少し胃酸過多気味だ❢❢
それに、心臓も不整脈気味である
まあ、結論的にいうと、自律神経失調症、所謂、不定愁訴である

要するに、心と体のbalanceが崩れているようだな??
困った❢❢ 
さてどうするか・・???

明日、オケ練習がなくて、自宅に閉じ籠る事が出来るのなら、鬱々の曲を聴きながらwineでも飲んで、この鬱々の時間を味わうのだが・・・・

出発の時間のtimelimitがあるので、それも出来ない
wine-timeでは、飲酒運転に、引っ掛かってしまうのだよな?
alcoholが完全に抜けるのには、7時間以上は掛かるからだ

あの手この手の、「無い無い尽くし」である
鬱に堪えながら、ベッドで横になるしかあるまいて?



4時近くまで、ベッドと椅子を往復していたのだが、4時頃には、無事に入眠する事が出来た
普段の土曜日でも、timelimitのpressureから、中々入眠が出来なくって、3、4時間も眠れたら良い方なので、鬱々なのに、無事に眠れたのは、luckyと言う他はあるまいtoilet-timeで、7時頃に起きたのだけど、3時間は、しっかりと眠れたのだから、良しとしよう

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昨日は夕方の4時から5時の間に、お蕎麦を食べて、lessonをして8時近くにハイツの自宅に帰ったのだが、それから、すぐに鬱に襲われて、寝たので、持って帰った夜食は食べないまま出会った。12時過ぎにtoiletteに起きて、3時間程鬱々として、また寝たので、痩せたはずなのだが、そうは行かない❢❢
しっかりと、前日比で0.5㌔、痩せた時からは、約1㌔リバウンドしてしまった。鬱によってホルモンバランスが崩れたせいだ。
オケ練習の後は、必ず1,2㌔は肥るので、都合、3㌔程のリバウンドが予想される。オケ練習で肥るのは当然予想されているので、一度は何も食べないでお茶だけ飲んでいたのだが、関係なくやはり肥っていたよ❢❢
オケ練習が人生のpressure(精神的なpressure)になる分けはないのだから、単なる日常のbalanceの崩れ・・という理由のハズなのだから、月曜日から日常のrotationが戻ってくれば、体重も戻るはずなのだが、そうは行かない❢❢
困ったものだ❢❢





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今日のオケ練習は、インフルや受験やらご不幸とか、何とかかんとかで、お休みが多かったので、オケ練習は出来ないのかな?という状態だったので、逆に分奏をっかりとし勉強する事にして、私はお休みにしようかな??と思ったのだけど、後半の専科オケの練習では、曲が大変難しいので、逆に分奏になると、抜き出し箇所のpointや分奏にしても、その練習の方法が非常に難しくなるので、「ここ一番」は私がいないと仕方がないので、頑張って千葉まで、車を飛ばして、オケ練習に出掛ける事にしました。
いやあ、なんと真面目な先生だろうか??
・・・・と、思ったら、大学、高校入試の終わった人達や、お姉さん達が、練習に来てくれたので、逆に普段の練習よりも、人数が多くなって、partも充実して、練習が楽になりました。
・・という事で、年齢層が高かったので、普段の練習よりも、一層集中力のある緻密で無駄のない練習が出来たので、lectureもとても楽でした アハッ!



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昨日辺りからまた、不整脈が出て
2月4日

昨日辺りからまた、不整脈が出て鬱が酷い❢
鬱が酷くなったから、不整脈が出ているようだな?
鬱が酷いと、横隔膜が上がって来て、丹田呼吸が出来なくなってしまうからだ。
一番、必要な時に、呼吸法が出来ないと言う事は、意味がない・・というか、問題だよな??
一つ一つ鬱の根本的な原因を取り除いて行かないと、段々とより不整脈が酷くなって、control出来なくなってしまう。...
なんとかcontrol出来ている間に、何とかしないと・・ナ??


取り敢えずは、寝る事にした。多分、起きたら元の木阿弥だろうが、何も出来ない時には、安静にしておくには、越した事はないのでね



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今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
どうしよう??

鬱の対策には、「仕事をしない」・・のが、一番だと思われるので、溜まりに溜まったシンクの洗い物を洗ったのだが、勿論、足腰が痛いので、普通に、シンクの前に立って洗う事が出来ないので、何時もやっているように、椅子に座ったままで洗うのだが、手の肘まで洗っている水が伝わって濡れて来るのだよ❢❢
手より肘の位置が高いと何の問題もないのだが、椅子に座ったままでは、致し方はない❢❢...
洗い終わったら、腕全体を乾いたタオルで拭く他はないのだよな??
弁当箱のタッパー類は、食器洗いの棚に入り切れないので、机の上に置いて、椎名町に持って行けるように直接準備をします。
ハイツの食器類は入れ場所が決まっているので、取り敢えずは「水切り」に置いて、体調を見ながら暫時仕舞って行きます。
仕舞うにしても、椅子から立ち上がって水屋に仕舞うのが難しいので・・・

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TBSの報道特集で、「AI時代を生き抜く教育とは・・」、という、私が40年前に提唱したcurriculumの授業をやっていた。
それは、今でも、毎回のオケ練習でも、結構な時間を使ってやっているよ!!
ただ、私の場合には、目的は音楽を理解させるためなので、半分遊びのように・・、冗談のようにやっているに過ぎないのだけどね??
だって、読解力や、読み解く力を身に付けさせるのが目的ではないからね??
指導者は、子供達が何処まで理解出来たか??・・、を正しく把握して、どういう風に説明すれば、理解するのか??を判断出来れば良いだけなのだからね??...
目的は、音楽に対する理解なのだから・・、そんなくだらない事に時間を浪費出来ないからね??
相変わらず、コメンテーターは、「情報が多すぎるからだ!」、とか、素っ頓狂な事を言っている。
困った事だ!!

番組に触発されて、云十年も前に書いた教育論文にlinkを張ろうと思って、ホームページを開いて見たのだが、殆どのページがブッ飛んでいるので、紙原稿からスキャンして取り込まなければならない。
(殆どと、いうのは、ブッ飛んでいないページもあるから、先ずはそのcheckからなのだがね)
教育論文は、音楽論文よりも、後回しになってしまっているのだが、ブッ飛んでいるページをpickUPして、それから、取り敢えずは、紙原稿を探す所から始めるのだが、その作業を、全部を一人でやるのは、結構辛いものがあるよな
assistantでも雇うか
今は、経済的にも、技術的にも、それは無理だよな
まあ、気長にやるか
今日は、やる気がなかったので、料理教室のページを大分、復元したけれどね



またまた大幅に文章がcutされているなんだろうねFacebookは腹が立つ


編集履歴から復元しようと思ったのだが、その編集履歴に追加した文章が無かった!!これは如何ともし難い!!為す術がない!


結論的にいうと、このテレビを見ていて感じた事は、「主人公であるの指導者指導者という立場の人自体が、日本の権威主義的な体質から抜け出せてはいない」・・という事です。
英語等の語学(そもそも、語学という言葉自体(言葉という表現)が私は嫌いです。「学」が付くから・・アハッ!)は、「人と意思を通じ合うための、communication-toolsに過ぎない!」と思っています。
だから、教室の生徒達には、塾ではなくて、会話教室を勧めています。

自慢ではないけど、私は英語を学校で学んで大学を卒業する迄に、10年近くも英語の勉強したのにも関わらず、片言の英語も話せないのですよ
よその国では、学校と呼べるものすら無く、土の上に、直接座って勉強している学校後進国の小学校四年生の子供達が3ヶ月も経たない内に、ネイティブの人達と、片言の英語で、会話を始めるのにね
その違いなのですよ。


ぶっ飛んでしまった、元の文章を記憶を伝手に書き戻します。
テレビを拝見していると、要は、難しい数学の言葉の定義を、小学生の子供達に説明する事に必死になっているのだけど、一生涯に一度も使わないような数学の言葉を学ぶよりは、物事を筋道を立てて考える力を養うべきが数学の数学たる所以ではないでしょうかね??
難しい言葉(所謂、専門用語というのは、大学に入ってその道を仕事(生業)とするようになった時に、それから覚えても良いのではないか?と私は思うのですがね。
それよりも、何をどのように考えればその事を正しく理解出来るか??というのが数学や物理を学ぶ意味だと思うのですがね??
いつまでも、お魚さんに説教をする聖フランシスではしょうがないのでは??Mahlerは素晴らしい!!私の先生の先生だって、知っていた??会った事はないけれど??
私はMahler先生とHindemith先生の孫弟子になるのですよ!!格好良くない??アハッ!



昨日のオケ練習で、試験前の中学生の生徒が「算数が分からない」と言っていたので、一級上の同じ中学生の生徒に説明をさせたら、その指導が上手くて驚いてしまいました。その生徒は塾には行っていないそうで、その時に、テレビでのAIの話を思い出して、「『定義と定理と公理』の違いは分かっているのかな?『abcとxyzとn'の意味は説明出来るのかな?」と質問したら、全く分かっていないそうで、塾に行っていないその生徒は「あ~あ!」と言って私の言う事をよく理解出来ているようでした。(何が欠落しているのか・・の意味を・・)つまり、自分で学習するから、何が理解に必要なのか?をよく分かっているのですよ!
教えられた事は身には付きません。成績が上がったとしても、受験が終わった途端に、全て忘れてしまいます。それではなんの意味もないのだよ!!そこの所がどうしても、一般の人達には分かって貰えないのです。良い大学に入学出来れば、将来が保証されたのは、私達の次の世代、所謂、団塊の世代の人達の話なのです。
global社会では、その終身雇用制度は、もう既に崩壊しているのですがね??そのために、安倍さん達が必死になっているでしょう??学校の教育改革とか言って・・・
それでAIのテレビの話につながるのですがね??

その前提で、一般の先生達が幾ら頑張って努力をしても、それなりの効率、効果は出ないはずですよね??
私のオケ練習でも、言葉の定義に(子供達の理解の範疇である言葉で説明をする事に)、非常に多くの時間を費やしています。でも、それがい一般の聴講生にとっては、無駄話にしか見えないのよね??
私や、教室の先生達を聴講に来た学生や、他の音楽教室の先生達が、「芦塚メトードと言うけれど、普通のlessonを普通にしているだけなのですよね??」という感想を戴きました。「見えていなければ、見えないのよね??」
当たり前の事を・・って??
違うんだよな~ぁ??
「違いが分かるには、それなりのNiveauが必要だ」・・という事なのだよ!! 自分のlessonを自信を持って教えている先生には、理解は出来ない!!という意味なのだよ。



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「昨日は、音人の会でした
・・・という文章を書いていたはずだったのですが、朝起きて、追記の文章を深夜書いた文章に書き込もうと思ったら、どうした事か、元の文章がありません。
確かに、ベッドの中で文章を書いていると、勝手に文章が居なくなったりして、再起動を何度もかけたりしたので、その間に文章がブッ飛んだのかもしれません。
書いた文章を私の記憶に依ると、・・・先生達に負担の掛かり過ぎる音人の会を、新しくshapeUPして、renewalして企画し直すつもりで、食事付きの「TafelMusic」よりも、alcoholの出ない「おさらい会」に近い形にして、大学生達が参加しやすいような会にして、積極的で、若々しい雰囲気にするつもりだったのだけど、牧野先生が、頑張ってお料理を作っていて、恒例のTafelMusicになっていたので、驚いてしまいました。
先生達のお料理の準備が、ちょつと、大変なのと、私もalcoholを控えなければならなくなったので、sandwich位のMatineeとして企画する予定にしていて、飲み会だと呼ぶのに躊躇していた大学生達を今回か...ら積極的に参加させるようにしていたので・・・、等々のお話です。

二つ目のcommentは、「音人の会」が終わって、やっとこ、ハイツに帰りついてからのお話ですが、(これも、色々とhappening続きで、お話が尽きないのですが、それは割愛して・・・)何とか・・かんとか、ハイツの自宅に辿り着いて、バテバテなので、直ぐに眠ろうとしたのですが、昨夜は余りにも部屋の中が超寒くて、一晩中眠れなくって、寒さと格闘していた・・というお話です。
寝室が余りにも寒くって、寝室のエアコンと加湿器では、部屋が温まらなくって、布団に潜り込んでいても、寒くて仕方がないので、居間兼パソコン室兼食堂のガスストーブをつけたままで、サーキュレーターで、温かい空気を寝室に流し込んで、しかも、電気アンカにもしがみついて、何とか、やっと眠る事が出来たのですが、目が覚めると、小一時間しか、寝ていない事に気がついて、驚いてしまいました。
ガタガタ震えながら、toiletに行って、またまた寝直しましたが、何時もの、小一時間の頻尿timeの繰り返しになってしまいました。
・・・てな事を、そこはかとなく書き綴ったはずなのですが、何処にも見当たりません。
「母さん、あの文章は何処に行ったのでしょうかね?」
「Facebookは・・・」と、いうよりも、携帯自体が、私には向いていない感じがします。
しょっちゅうブッ飛ぶしね
幾ら、老人の暇潰しにしても、不安定で、故障が多すぎる
これが飛行機だったら、catastropheものだよ


それはそうと、音人の会の雰囲気を伝える写真が欲しかったのだけど、私はデジカメの入ったバックを事務所に忘れて来たし、ビデオも撮っていなかったようなので、影像がありません誰かUP用の写真をください


またまた、文章がブッ飛んでしまった

  
    


私が撮ったのはこれしかなく


了解しました!有難う!!


昨日はありがとうございました。東京に戻られたんですね。雪、一昨日より積もってるように感じます(車の通る道はぜんぜんですが)お気をつけて。


帰ったのは、何時もの通りに私だけで、牧野先生と斉藤先生は後片付けのために、花園に残りました。東京は雪が降っていないので、千葉の様子が分かりません。でも、車を出すのはお昼からなので、多分、雪の影響はないと思うのですがね??
昨日は、遅くまで珠実ちゃんと友花ちゃんが残って片付けを手伝ってくれたのでとても助かりました。感謝!!感謝!!



珠実ちゃんは、明日のオケ練習から、発表会後まで、永のお休みです。明日からは、多分Aborigineになっていると思いますよ?? いや、冗談!!


そう言えば、大学生達の集合写真が一枚もなかったよな??

デジカメで撮った分を先生にお渡ししないと、と思っていましたが、次の日はオケ練習でバタバタとしているうちに忘れています。皆さんもう少しお待ちください~

そちらからupしてください。私はもう終了しましたので・・


発表会の報告とか、オケ練習の公開とかは、timelyなもので、生物のようなものだから、日にちが経つと腐ってしまうよ!!もうそろそろ、臭い初めている頃じゃないの??


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またまた、書き上げる直前の文章が、書いている最中に、ぶっ飛んで、跡形もなく失くなってしまいました。
つまり、他の人がFacebookに文章をuploadした途端に、私の入力中の文章がぶっ飛んでしまうのですよ。
勿論、一度も保存されていない状態なので、編集履歴にも全く残りません。
私の、この1時間の努力は一体何だったのだろう!!Facebookに弁償して貰いたい感じなのだけど・・
長年の努力の結晶が、一瞬でぶっ飛んでしまった「芦塚先生のお部屋」と言い、パソコンはどうも、いただけないよな??...
パソコンの不安定さは、Facebook等で昨年や、一昨年と、見て行っても、毎年同じ事を書いているし、そんなに不安定で、どうして仕事として成り立つのだろうか??と不思議でしょうがないのだけど・・・よく、皆さん、辛抱しているよね??
私は、パソコンは、どうしても、好きにはなれないけれど、だからと言っても、なければ無いで、仕事にならないし・・・、全く困ったものだよ!!




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Tafel=テーブルと言う事で、食卓の音楽と和訳されているようですが、演奏styleのgenreの一つであり、且つ、Telemannの有名な曲のTitleでもあります。
古の作曲家達はbaroque時代から、貴族か教会に属し、音楽を作曲して来ました。
教会の場合には、毎週の日曜日毎のGottesdienstや、宗教行事のために作曲をしましたが、貴族の場合には、食事の時や、partyの時のBGMとして作曲される事が殆どで、当然、会食の雑談のBGMとして使用されて来ました。
ロマン派の時代に至って、音楽家の地位が向上して来た時には、かの有名なFranz LisztやClara Schumann等の名pianist達の努力によって、音楽とpartyに於ける雑談はしっかりと分けられるようになって、「音楽を真摯に聴く」という状況、姿勢が作り上げられて来ました。

...

しかし、日本では、ちょうどその頃の時代に、文明開化の一つの方策として明治政府の手によって「音楽事始め」として、西洋音楽が富国強兵政策の一環として導入されたので、音楽は貴族階級の物、若しくは軍隊教育を目指して、「畏み畏まって聴く」という状況のみが導入されて来て、音楽の原点であったBGMとしてのClassic、娯楽としての音楽は日本には入って来ませんでした。

そのために、BGMとしての音楽はClassicではなく、あくまでもeasy listeningの音楽としては、popularの音楽がその地位を占めたのです。
つまり、popular音楽の場合には、生演奏、生バンドとして、Tafelmusicとしての、形式のpartyが開催される事は、日本でもよくあったのです。

日本のclassic界でもparty形式で演奏会がなされる事は多いのですが、その場合には、先ず最初に演奏会があって、その演奏中は「畏み畏まって」演奏を拝聴して、その後の使役の対価報酬として、tableに軽食が運ばれて来て、お食事timeになる事が殆どで、お食事を食べながらのBGMとしてのclassicの演奏会は日本ではこれまでも開催された事はありません。

私が日本に帰国した時に、この「TafelMusicとしてのpartyを是非企画したい」と言う願望があって、帰国当時は音楽大学生以上の大人の生徒達しか私の生徒達は居なかったので、当時行きつけで、私がお店のインテリアを企画したスナックで徹夜の飲み会と同時に演奏会を企画したのが最初です。その後、音楽教室を主催するようになってからも、40年間「音人の会」として、その企画が継続し、存続しています。

そして、その企画や音楽会の趣旨をご説明するために、冒頭にTelemannの「TafelMusic」の冒頭の曲をalto2本とtenor、Baßrecorderによる演奏をして、「この演奏会が『TafelMusic』としての企画であり、趣旨である」・・という事を宣言していました。(いつの頃からか、TelemannのTafelMusicの演奏は無くなってしまいましたが)

元来は、音大生の発表会(Probe)としての意味合いが、mainの趣旨なので、「自分のrepertory(持ち曲)を人の前で弾き続ける」と言う事が本来の意味なので、ご招待のお客様達もproの人達が多くいて、対抗して演奏をするので、当然、一日中弾き続ける事になって、音楽の途切れる事のない演奏会だったので、alcoholを飲みながらの発表会なので、お喋りをしながら・・の無礼講の実に楽しい音楽partyでした。

勿論、当時はお食事やスナックは、Restaurant等のお店が担当していたので、先生達がpartyのお食事の準備をする事は、全くありませんで、音楽の演奏の準備だけでしたが、会場を提供出来るRestaurantが無くなってしまったのと、Restaurantでの会場費が少し高額になってしまったので、学生達からは、「会場費が、経済的に無理がある」・・というclaimを受けたので、或る時から、「お食事を持ち寄って、partyをする」・・という現在の形に改められました。
お食事や軽食を安く請け負ってくれるというRestaurantが見つからなくなったせいであります。

このBGMとしての音楽であるparty‐styleは、日本では未だに私達の教室の「音人の会」だけで開催されていて、一般的ではないので、このTafelMusicの形式に慣れさせる・・という事は、日本では、そのような演奏会を見る事は無い・・と言う事で、若い生徒達に、このTafelMusicの形式の演奏会に慣れ親しませる・・という事には、無意味に思えて、音楽を学ぶ学生にこのTafelMusicの形式を学ばせる事に対しては、二の足を踏んでいます。

自分のrepertoryを弾き続ける・・というrepertoryを持った生徒も数少なくなって来て、alcoholを飲みながらのコンサート・・という事も、歳を取って、難しくなって来たので、私のこれまでの意図であった「本来的なTafelMusicは終わりにしよう!」とこの2,3年言い続けているのですが、なんとなく、今回も継続してしまいました。
毎年、来年は、Matineeとして、軽食で、alcoholは抜きで、乾杯も無しで・・と言っているので、来年こそは、「Matinee形式で「音人の会」を企画する事にします。」・・・と、毎回言っています。アハッ!



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何時も愚痴っている事なので、繰り返しに過ぎない事ではありますが・・・、世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で、自分の子供のNiveauを判断します。
子供達は、それを逆手に取って、教科書の下にゲーム機等を置いて、教科書を見ているフリをして、ゲームに余念がありません。しかし、それでも、机に向かっている姿を見て、親は安心するのですよ。

つまり、親が、子供の努力をする姿を見る事がなければ、子供のNiveau(この場合は意識かな??)は低いものである・・と、判断をするのです。

...

だから、親にとって、良い音楽教室である条件、良い学習塾である・・という事は、「子供に努力を促す」塾であり、教室なのです。
逆の観点から言うと、努力をしているフリ、勉強をしているフリをすれば良いだけなのだから、子供にとってはこれ程楽な事はありません。成績は、塾の先生が頑張って何とかしてくれるからです。

そういった人達が、良い大学に入学して、公務員になって、言います。「私達は一生懸命に何が出来るのか?を、探して努力しているのですがね!」と・・・
でも、その努力をしている間に、どんどんと子供達は死んで行きます。探しているのではなく、今出来る事をやらねば、なんの助けにもならないのですよ。

交通事故で血を流している人を、見ながら、私は医療関係者ではないから、医療行為をすると処罰されるから・・、といって、死んでいく人を見守る事が正道になってしまっているのですよ。警察がよく言う言葉は、家庭内の暴力については、警察は不介入だから・・・なのですよ。

教室で2時間しか練習が出来ない生徒が、一般の人達から「それでは大学の入試に合格出来ない」と意見をされて、音楽大学の教授を紹介されて、師事をしたのですが、「その日の内から、毎日7時間も練習が出来るようになった」・・という事を、親は「流石に、大学の先生は違うよな?」と感激していました。
その後、一月も経たないで、その先生の生徒達の発表会を見た生徒が、「教室から代わって行ったその生徒が一月も経たないにに驚く程下手になった!」とビックリしていました。勿論、親にはその音楽のレベルの事は理解出来ないので、上手くなったか下手になったかは理解出来ないのですがね。

つまり、練習で、自分の音を聞く事もなく、練習の方法を何も考える事もないままに、ただ闇雲に練習をすれば、どんな人でも、何時間も練習出来るようには、なるはずなのですよ。それを勉強が出来るようになった!!と思い込むのは、単なる無知蒙昧の世界なのですよ。

私が、いつも、主張している日本型の無駄な練習の典型的な勉強法が、テレビでは、超一流になるためには、そこまでの努力をしなければならない・・と言う趣旨で放映されていたので、それなりに超Shockで、専科の生徒達に、番組を見て、その感想を尋ねたのですが、orchestraに参加している教室の生徒達は、毎週、日常的に私から注意喚起をされていたはずなのに、「誰もその批判が出来なかった」・・という事は、私の教育不行き届きで、私のsystemも、色々と問題点が多いようですね?と、自己反省させられました。

生徒のみならず、親も教育に対して、成績を上げる事のみの教育ではなく、AIに対しても、負けない考える事の出来る、(判断を正しくする事の出来る)教育を受けないと(学ばないと)、2045年のAIの問題には対処出来ませんよね??
しかしながら、公開授業を見ている限りでは、無駄な定義の問題に多くの時間を裂いて、子供達の興味ややる気を阻害しているような気がしてなりません。
まあ、そこが私との立ち位置の違いかな??

それが、私の日本の教育界に対しての最大の批判です。

日本音楽のClassicの世界は兎も角としても、一般の社会では、唯、単に、時間だけ掛かって、効率を上げる事が出来ない仕事は、「お役所仕事」でしか成り立たないのですよ。
私達が仕事に対して、望むのは、「速い、丁寧、より良い」所謂、効率に対しての三原則です。
「児相」のように、「遅い、雑、逃げ(保身)」・・では、社会では、仕事としては成り立たないのですよ!
それでも首にならないのだから、日本のお役所仕事は、生涯教育として素晴らしい!!
日本の音楽教育とよく似ていますよね??



つい先日も、テレビで「イタリアで靴のマイスターに付いて学んで来た」・・という人が、そのマイスターから、「私は彼を指導した覚えはない!」と否定されているという放送がされていましたが、それは「詐称した」と言う事ではなく、お国柄のお勉強のstyleの違いだと思います。(・・思いたいですよね?)
別にその人に対して、好意を持っている分けではありません。それを認めると、日本の音楽家の多くの人達が、震え上がってしまうからです。

日本では学校教育で学べば、「その先生に直接師事した事になる」・・ようなのですが、マイスターの国では、直接師匠の所に弟子入りをして、寝食を共にしないと、弟子とは認められないのですよ。
これは、所謂、マイスター(master)制・ギルド(Guild)制であって、日本では職人さん達がこのやり方でんでいます。
私はこの違いを説明するのに、よく料理教室のお話を例に出して、説明します。
料理教室では、多くの人達が一緒くたに同じ食材を使用して、同じレシピで料理を作りますが、驚く程人に拠って出来栄えも味も・・曰く、その全てが異なってしまいます。
音楽も靴を作る事も同じで、その作り方は学校ででも学ぶ事は出来るのでしょうが、それは所詮はamateurの趣味の領域に過ぎません。
行列の出来る料理店を目指す料理人は多いと思いますが、本当に美味しいと言われるお店は、一見のお客様は、紹介がなければ入る事も出来ませんし、一般的には知られてもいません。つまり、店でもないのですよ。有名
有名料理人が経営する料理教室で学んで100点満点で卒業出来たとしても、その先生から「のれん分け」をして貰う事の出来る人はいません。その先生から「暖簾分け」を許して貰える人は、その料理教室の生徒ではなく、やはり弟子なのですよ。
つまり、生徒は学校で学ぶ人を指し、弟子は師匠と寝食を共にして、その師匠の料理に対しての考え方や心の落とし所を学んで行くのです。
Brandの美と、本当の美の区別が付かない人には、masterになる資格はないのです。
今回の靴職人を目指す**さんのお話は、学校教育を是とする日本人と、マイスターから認められる事を命として努力をするギルドの国の人達との考え方(心の落とし所)とのギャップだと思いました。(と言うよりも、思いたい・・ですよね??)

私が音楽教室を開いて以降は、音楽大学に進学する事を目指す数多くの生徒さん達が、音楽大学の先生の所に教室から代わって行きました。
そういった生徒さんの一人で、教室のtopの生徒が、某国立の音楽大学の教授の所に代わって行ったので、その生徒の将来の動向が興味があるので、その先生の発表会での生徒のdataを取ろうと思って、毎年、(今の先生達が未だ高校生ぐらいの時ですが、)その生徒が教授の元をやめる・・というか音楽そのものをやめるまでの5年間ぐらいの間をcheckし、調査したのですが、毎年、その先生と奥さんの生徒が発表会の度に、総替えになるのには、驚いてしまいました。
毎年、その先生達の生徒20名以上が新しくなって、古い生徒は一人もいなくなるのですよ!
しかも、驚く事に、常にいなくなった20名が補填されているのですよ。これは一般の音楽教室では有り得ない事ですよね??毎年20名の生徒がやめたら、教室は一瞬で潰れてしまいますよ!!
毎年その先生の元から数名の生徒がその先生の生徒として、某国立音楽大学に入学するのですが、発表会で演奏した生徒は当然、一人もいません。
大学の入試に合格するその生徒達は、入試直前に、1、2回lessonで教授に見て貰った生徒達に過ぎないのです。
つまり、音楽大学に入学出来れば、その教授の門下生として音楽大学に入学出来るし、入らなければ、一回こっきりのlessonを見ただけのご縁なのですよ。
では、「なんのために、たった、1,2回でもその教授に師事させるの?」と先生に質問したら、安心のためで、直接は意味はないそうです。
でも、音楽大学では、公平を期するために、私立、公立を問わず、弟子(生徒)の試験の評価は出来ないのですよ。
それでも、「私立だったら、先生の引きもあるか?」と思ったのですが、学校の入試担当の先生からは「絶対に無い!」と怒られてしまいました。
ならば、なんのために・・でしょうね??
concoursならば、審査に便宜を図って貰える事は普通なのですが、入試では、有り得へんわな??
何度書き直しても、途中でぶっ飛んでしまうので、裏技を使ってFacebookに掲載しています。



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突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
12時のCinderella‐timeに、ドルプリっ歩の前に、千葉でのlessonが終わって、椎名町に帰って来た牧野先生が、椎名町から夜食を運んで来てくれて、それから、遅い食事を食べたのまでは、記憶の範疇(時間の認識)の中にあるのだが、それから、突然、何故にこの時間(深夜の3時過ぎ)になってしまったのかが、よく理解出来ないし、突然、鬱になってしまったのだけど、何故、鬱になってしまったのかの原因も、自分自身では、よく分からない!!

そう言えば、その時間の間に、動画の編集をしていて、その練習風景を見ながら、ある会話に動揺して、その愚痴をFacebookに書いたような記憶もあるのだがね?

それにしても、ガスストーブを焚きっ放しにしているのに、どんどんと部屋が寒くなって行くのはどういう事だ??...
外界の気温が冷えて来ているせいなのかな??
それとも、心が冷え切ったせいなのかな?
鬱が酷くなる前に眠らないと、明日は川崎まで、足腰の痛みを我慢しながらの難行苦行が待っているのだからな



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普段は、私のFacebookやhomepageでは、私が、一方的に、自分自身の自己主張をぶちあげるだけで、他の音楽の指導者の人達の主張を聞くことはありません。
それは、基本となる立ち位置が違うと、その主張が平行線になってしまい、発展的な意見交換ではなく、相容れない物になってしまうからです。
不毛な会話をする程の体力は、私にはもう残っていないから、極力そういったtroubleを避けるのが目的です。

...

今回、珍しくも、石川先生のblogを見て、音楽指導者の人達のお悩みや、その解決法のお話に興味を抱いて、ameba-blogを閲覧したのですが、やはり、先生達のお悩みは、「音楽を指導する上での、立ち位置の問題かな?」と思いました。
私は、音楽を始める時に、一度も音楽の基礎、基本から始めていません。いきなり、高校生の時から音大受験の勉強を始めて、いきなりドイツ人の先生に師事したので、日本人の先生に音楽を学んだ経験は音大時代以前の1,2年だけで、経験がないからです。つまり、音楽大学に入学する1,2年前までは、なんの音楽経験もない一般人だったのですよ。

と言う事で、殆どここから先は、その音楽のお話ではなくて、「ameba-blogのお話」です。

昔々の私の古い生徒が演奏活動をしていて、その活動の一環として「ameba-blogをやっている」という話を聞いたので、そのサイトを閲覧するために、私もameba-blogに入会して、昔の生徒とchatをした記憶があります。

その生徒は、古い生徒で私が、始めて子供達を指導した時の生徒だったので、私はとても懐かしかったのですが、活躍中の演奏家だったので、「ちょつと、私の生徒である事が、迷惑だったかな?」という事でアメーバブログは、さっさと退会してしまいました。一フアンとしての立場だったら、良かったのですが、後の祭りでした。

その後、別の生徒の話しになりますが、「ame-logに、私の悪口が書いてある・」・・・という事を聞いて、・是非とも読んで見たい」、と思って、ふたたび、ameba-blogに入会しました。

その悪口のblogを読んだのですが、逆説的に大変なお褒めの言葉がしたためられていて、生徒のいう悪口は全く書かれていませんでした。
その生徒にとっては、逆説的表現の理解が未だ難しかったようです。

そのお話も、今となっては、随分、昔々のお話で・・・、ameba-blogは、私にとっては使い手が難しく、そのまま一度も使わないままに、ameba-blogを持っている事さえも忘れていました。

ということで、今回、昨日も少し弄って見たのですが、全く理解不能で、機能が分かりませんでした。
どうも、ame-logとは、相性が良くないようです。
今回も、何も生かされないままに、そのままになってしまいそうです。それでも、退会して
・・・・・これ以降の文章がぶっ飛んで、編集履歴にも残っていません。如何ともし難い事です。



またまた、入力が出来なくなってしまいました。愚や愚や汝、如何せん!!


・・・・いないのは、複数の教室関係者の方がこのamebablogに登録されていらっしゃって、昔懐かしくその人達のcommentを閲覧する事もあるのかな??・・という軽い気持ちがあったからなのですが、10年以上も一度も開く事無く、放置したままだったので、マジに退会をしても良いのかな??と思っている矢先に、石川先生がame-logにblogを掲載されている事を知って、新たに、開き直しました。





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朝起きてガスストーブを焚きっ放しにしているのに、20℃から部屋の温度が上がらないので、netで練馬区の気温を見たら、なんと1℃で体感温度は-1℃でした。湿度が30%なので、部屋の中でも体感的には超寒いのですよ!!
加湿器の大を未だ出せないので、応急処置でおやかんでお湯を沸かして、加湿しています。部屋の温度を急激に上げるには、やかんが一番です。

一昨日は、お久しぶりで、外出して、1日、川崎まで電車で出掛けました。次の日はすっかり疲れで寝込む予定だったのですが、なんと、股擦れで椅子に座っていても痛いのですよ。
たまに歩くから、そうなる・・・、ドルプリっ歩をサボっていた報いです。...
体力の衰えだけは、防がないとね??



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baroque-dance
2月16日

periodの演奏と歌とdanceでLullyのBühnenwerkです。baroque時代の服で、リコーダー等の古楽器の演奏で、baroque-danceです。舞曲のrhythmというか、stepを学ぶ事が出来ます


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今日は鬱が酷くつて、意識混濁で、ベッドから起き出す事が出来ない
困った
しかし、まあ、考えて見ると、音人の会にCscheduleに、一日がかりの川崎の病院と、今週は、何かとhardだったのだよな
一日、二日は寝込む予定だったのだけど、それにしては、元気だったのだけど、流石に今日は・・・という事なのだよなぁ?




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テレビを付けっ放しでのFacebookへの入力です。
5channelテレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikのapproachです。
manualを作る側が「『何が出来るか?』と言う事で、作っているのに・・」と口籠っていたのだけど、2次世界大戦の時の大本営の弁解のように聞こえてしまいました。

「何が出来るのか?」と言う事は、自分自身が大上段に居て、安全な所から、バタバタと死んでいく戦士達に対して「何が出来るか?」という事をんびりとの考えているように見えてしまいます。...
本当に、子供達のためを考えるのならば、真逆の発想をしなければなりません。
「何が出来るか?」ではなく、「今、子供達が何を望んでいるのか?」の聞き取りや、それに対しての取り組みです。
病院でさえも、先ずは患者の痛みを取る所から始めます。
その被害者が子供ならば、痛みに対する抵抗力はないはずです。
だから、「何から出来るのか?」というような時間的なゆとりは無いはずです。だから、「今でしょう!!」というはずなのですが、「だから、今、考えているでしょう??(考えている・・という事をやっているでしょう?)」と言う人は、もう、その時点で、子供の痛みに対して、他人事なのですが、そこの所(自分が子供に対して、他人事である・・という事)が分からない人達に何をさせても、子供達への対応が出来る分けはありません。
つまり、いま子供に対して出来る事は考える事しか出来ない・・という弁解なのですからね??

本当に必要な事は、「今、出来る事をする」・・という事なのですよ。
そんな当たり前の簡単な事をしようとしないのは、子供の痛みを体感として感じられないからで、自分の保身しか考えないからなのですよ。

今の「第三者委員会」は、あくまでもtop-downの中央集権的な構造になってしまっているのです。
音楽教育も同じです。
それが日本人の儒教的な体質なのですよね??

この40年間、全く同じ事を延々と、喋っているので、もうすっかり、疲れてしまいました。




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いやあ、超、鬱が酷くなって来た。鬱がどんどん膨れ上がって来るのがよく分かる。今にも心臓に来そうな雰囲気だよな??参った!参った!!
鬱には基本的に心臓が張り裂けそうになるHennry PurcellのChaconne gのような爆発性の鬱と、丹田から落ち込んで行くようなPachelbelのChaconneのような鬱がある。
一応は、doctor-stopが掛かっているので、alcoholは呑まないようには、していたのだが、今日は諦めて呑むことにした勿論、おつまみは、パーセルとパッヘルベルのシャコンヌからだが
それでも、不思議な事に、しっかりと、肥るのだがや?!
体重は、精神的な物らしい



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前回のオケ練習でscoreとpart譜の音符の違いを調べました。「い」の2、25小節目の2拍目の8分音符ですが、Vivaldiのfacsimileでは4分音符になっているようです。part譜の方が正しいと言う事で、前回のオケ練習での訂正が正しいという事です。scoreを訂正しておいてください。







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春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど、今日は一日意識混濁状態で、何度も何度も、椅子の上に座ったままで、眠ってしまった。
テレビでは、「暖かくてとても良い天気だった!」と、梅の花の情報等を放送していたが、私にとっては、体がもうついていかないのだよな?
これでは、仕事にならないよな~ぁ??
いやあ、困った事だよな?

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足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなって
2月22日 ·



足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなった頃から、特に牧野先生のインフルで斉藤先生が一人でドルプリの散歩に行かなければならなくなったので、少しでも時短を計るために、この所、夜食を弁当にして、ハイツに持ち帰って自宅で一人で食べる事にしている。たったそれだけの事でも、3,40分の時短にはなるからだ。しかし、椎名町に行って弁当箱に食料を詰めて貰って、自宅に戻って来ると、積年の慣習とでも言うのだろうか、それで食べた気になって、空腹感が失くなってしまうから、不思議なものだ。

深夜になって、いよいよと寝る準備を始める頃になると、寝る準備よりも、バテが先行して椅子の上で仮眠を始めたりして、意識混濁状態で体が動かなくなって、椅子から立ち上がれなくなってしまう事がよくある。

昨夜は、それに加えて、なんとなくなのだが、所謂、弱欝状態になって、意識混濁状態と摂眠障害が同時に起きてしまった。まあ、なんと、複雑な事・・・!

特に、次の日に予定が入っていない場合には、この所、鬱には逆らわない事にして、wineでも呑みながら、弱欝状態を耐えている。
昨夜も、それで、やっと眠る事が出来たのだが、睡眠中に突然、胃酸が逆流して気管に入りそうになって、飛び起きてしまった。
咳き込んでしまって、超、苦しかった。
・・・と言う事で、体を休めるために起き出してこの文章を書いている所だ。


大丈夫ですか?
無理しないでくださいね。


有り難うございます。今日は一日丸々寝込んでしまいました。
鬱が酷いので、このまま引き籠もる予定です。

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努力はしても、工夫はしない。
2月22日 ·

日本はとても、儒教的な国である。コツコツと努力をする事は推奨され賛美されるのだが、工夫が評価される事は余りない。
教育に関してのhow-toは、なるべく書きたくなのだが、それは教育問題とは一つの根本的な解決があるのではなく、その子供の状態や、将来の目的やそれぞれの家庭環境に対しての全く異なった、それぞれの回答があるからなのだ。※1)
つまり、論文としては、case by caseで、その人に対してのadviceしかなく、論文全体としては、常に矛盾した事を言わなければならなくなってしまうからなのだ。

その最たる物が、子供の教育とは「その子供が将来何を目標とするのか?」で、「現在、その子供が、何を学ばなければならないのか?」を判断しなければなりません。
しかし、教室が親に与えるadviceが、その親が望むadviceである事はとても希で、親がそのadviceを聞き入れるという事は希で、逆に反感を持たれる事の方が多いのですよ。
一般的には、adviceを求める人は、自分の求める答えを言ってくれる人に対して、adviceを求めに行くのですよ。自分が求める答えと反対のadviceを聞きに行く事はありません。
私ならば、子供が求める夢を達成している人にadviceを求めようとするでしょうが、そういう人は希です。
しかも、親と子供の目標が同じである事は稀なのですよ。それに、親は男性と女性がいます。
この場合には、親と子供が同じ目標を夢見る場合という想定です。

しかし、私達はadviceをする時に、その真逆の事を言う事もある。
「将来、という事は、現在の積み重ねなのだから、現在が幸せでなければ、将来幸せになる事はない」という論旨を展開する事もある。
つまり、真逆の事をadviceする事もあるのだよ。

自分の将来が自分自身のために・・であっても、それがathleteのように、将来の目標があって、それに到達するためには、克己心が必要なものであれば、また、未来に自分がtopに立てる事を目指すものであれば、その日一日の現実とは、克服すべき課題となってしまう。

その日一日がhappyならば、それで良い・・という考え方の人達の方が、社会には、現実的には圧倒的に多いと思われるのだが、それは夢を挫折させる・・という前提・・、つまり、日本流の「夢は叶わぬものであるから夢なのだ」という儒教的な発想になってしまうのだよ。

一般的には、余り知られていない事なのだが、学校教育において最も大切な科目は、なんと!!部活なのだ!!
学校教育の本来の目的には成績を上げる事は含まれていないのだよ。
それを学校の先生達自身も勘違いをしている。
子供達が大人になって、社会で生きて行くためには、人間関係が最も大切な勉強になるのだ。私立の学校では、学校の教育方針を打ち上げてその中で生徒をpickupして選別して、対人関係の均一化を図ろうとする学校も多い。
しかし、公立ではその選別は許されていないので、ひとclassの中に、成績や正確のありとあらゆる子供達が同室するのだよ。
学校教育場合には、学校をやめると言う事は、義務教育なので有り得ないので、もしも、それを望むのなら、転校という手段しかない。
そこには絶対的な強制力がある。

今は昔、教室を作る前の40年以上も前の話になるのだが、初めて子供達を教え始めて、自分の子供の事を信用しない親を見て、超、驚いてしまった。「私の子供だから、才能等ある分けがない!」とかで、私が「それはあなたが、より良いmethodeで学ばなかったからだけで、あなたのせいではないのですよ。」と何度説明しても、分からなかった。
同様に、「子供が可愛そうだから・・」と、子供の一生懸命な姿を否定する親がいる。それを親は愛情だと思っているようだが、私に言わせると、子供を信じていないに過ぎない。
子供が行き詰まりを感じるのならば、先生と親が解決法を大人の知識で指導してあげて、子供の夢を叶えるべきであり、

※1)教育問題に関するhow-toを書きたくない理由にはもう一つの決定的な理由がある。
私が書いている教育論文は一般の保護者に向けての論文なので、結構、綺麗事で終わっているのだ。
教育問題には、絶対的に書けない、教育者が立ち入る事の出来ない根本的な理由が別にあるからなのだ。
それは、余りにも厳しい事なので、教室で指導をする先生達にしか、その理論と問題点は指導lectureはしていない。
今現在、社会問題になっているイジメの問題や家庭内の暴力に関する問題もその原因と解明については、通り一遍の綺麗事の話しかテレビや講演には出ないのだが、深層心理学的に追求すると、人間の深い心の闇の解決しなければならない問題は一目瞭然となる。
それは決して、甘いものではない。

子供は、未だその心の闇が育っていない・・だから、教育をする事は簡単である。


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「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
2月23日 ·

今日も術後の足腰は痛い事は痛いのだけど、それでも珍しくドルプリっ歩に付き合う事が出来ました。頑張って歩行訓練をしなければ、歩けなくなったら一巻の終わりだからね??
牧野先生もインフルから立ち戻って、食事とドルプリっ歩を一緒にする事が出来ました。

「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
定型のドルプリっ歩が終わって、明日の朝、昼のお弁当を持って、深夜の独居老人の一人部屋であるハイツに戻ったら、当然のように、鬱が始まって来ました。
この2,3日のroutineになっています。

よく人からは、「一人暮らしで寂しくなるので、鬱になるのでは・・?」と言われるのですが、よくよく考えて見ると、私の回りの近親縁者も含めて、友人達も皆独居老人なので、私が一人暮らしである事自体は、決して珍しい事ではないし、他の人達を見ても、独居老人を楽しんでいる人達ばかりなので、一人暮らしの孤独が、鬱の原因になる・・という事は、今の所は考えられません。

深夜の一人暮らしは、仕事が捗るので、私的には結構、気に入っているので、例外的に、病気で寝込んでいて、気力が弱っている時でもない限り、一人暮らしが鬱の直接の原因になる事はない・・と思っています。


病気で気力が弱って、人生を儚く思える時には、例え・・傍にラミ(メイクイーンの)が居ようと、ドルが甘えて来ようと、如何せん、自分の理性的なcontrolが利かないのですよ。
まあ、そういった外因性の鬱の場合を除いて、心因性の鬱の場合には、基本的には、テレビでNHKの環境videoを見ながら、パソコンに向かって、何か作業をするのですが、それでも、もっと鬱が酷くって、仕事も手に付かないような時には、仕事をする事は諦めて、自分の指揮をした鬱々の曲を聴きながら、wineを飲む時間は、とても鬱々として、至福の充実した時間です。

ただ同じ鬱でも、鬱の原因がはっきりしていて、それが如何ともし難いものである時には、魂が怒りを覚えた鬱状態になるので、精神的に余り良いものではありません。
所謂、stress性の鬱とでも言うのかな??
40年間、啓蒙活動をして来たのに、社会は何一つ変わっていないのだから、自分の人生が無意味だったように思えて来て、困ったものです。
まあ、「芦塚先生のお部屋」のdataが全部ぶっ飛んでしまったのも、そういった意味合いもあるのかな??
つまり、私の人生が無意味だった・・私の仕事は私と一緒に、あの世に持って行け!!・というような、神様の意地悪だったりして・・・アハッ!



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ハイツの部屋で美伶ちゃんのlessonをしたのだが、
2月23日 ·

私は、鬱が酷い時には、wineを呑みながら、You Tubeで鬱々の曲を聴く・・というお話をしました。
しかし、この所の鬱には、いつも鬱の時によく聴いている「Hennry PurcellのChaconne g」も、「PachelbelのChaconne f」も、私の鬱のimageに曲が合わないで困ってしまっていたのですよ。
つまり、「wineを呑みながら、おつまみに聴く鬱々の曲」が見当たらない・・という事だったのですよ。
これまでの鬱だったら、発狂しそうな爆発性の鬱の時には、PurcellのChaconne gがよく合うし、落ち込んで、消えて逝きそうな鬱の時にはPachelbelのChaconne fがよく合いましたが・・

過日、『音人の会』で美伶ちゃんがBruchのKol Nidreiの曲を弾いていたのだけど、「大学のオケをbackにCelloのsoloをするので、lessonをして欲しい!」と言う事で、急遽、ハイツでlessonをする事になりました。(因みに、この渋い曲を選曲したのは美伶ちゃん自身だそうです。演奏会のチケットは既にsold outだそうです。)

lessonの前日の深夜に、牧野先生に楽譜を急遽copyして貰ったので、曲のimageを確認するために、You Tubeで5,6人の名演奏家達の演奏を聴いて見たのだけど、驚いた事にJacqueline du Préが一番良かったよ!!
つまり、この曲が、私のこの所の鬱々の気分にjust・fitしたのだよ。
マイスキーよりも、カザルスよりも、du Préが良かったのだよな?
私の心琴に・・というか、私の鬱々に、ピタッと嵌ったのだよ!
つまり、celloの神様であるCasals先生の演奏では、私の鬱々にはfitしないのだよね?

でも、不思議な事にlessonでは、幾らdu Préの演奏に感激しても、その影響は全く出ないのだよ!
lessonは、私のoriginalのinterpretationでのlessonなのだよ??
聴いて感動するのと、私が演奏したり指導するのは、別次元の話なのだよ。普通は、自分が一番感動をした演奏に自分のimageも似て来るものなのだけど、私の場合は全く別の話になってしまうのですよ。
これも、普通とは変わっていて・・・、面白いでしょう??

美伶ちゃんのlessonの時の写真は、lessonのvideoから起こしたものです。
今、ハイツに置いてあるvideo-cameraは、超安い小型のpocket-cameraなのですが、昔のβのcameraやVHSのvideo-cameraと違って、動画から写真を起こしても、これだけの画質があります。
文明の発達は驚くべきものですよね??

この2,3年の間は(ヒョッとしたら、10年以上も・・)、ハイツで私がlessonをしたり、人が私を尋ねて来る事はないので、この写真はハイツのlesson室を撮影した超、貴重なレアな写真です。
但し、Cembaloの部屋ではありません。

以前もlesson室にした事があって、今回も生徒さんの都合で、斉藤先生に頼まれて、急遽、整理をしたviolinのlesson室です。

ハイツには、二段鍵盤の大型のCembaloが置いてあります。
一応は、Cembaloのlesson室になっているのですが、しかし、その部屋も今は倉庫状態になっていて、lessonをするのは不可能になってしまっています。

お袋が死んで、長崎の家を畳んで、荷物が一杯になったのに、突然、江古田教室を追い出されて、そこの楽譜や荷物もハイツに来たので、荷物だらけの部屋が更に荷物で溢れ返ってしまいました。
そうこうしている間に、病気になってしまったので、ハイツの部屋は、楽譜や資料類が山と積まれたままで、体力的にも片付けられなくってしまいました。
・・という事で、体調不良で片付けるのが難しい・・という事もあるにはあるけれども、もう、何かを捨てない限り、部屋には何も入らないのですよ。(・・か、倉庫として、Pianoのlesson室でも、別に借りない限りですが・・。)
後ろのdesk に楽譜や資料が山と積まれたまま・・・
というのが見て取れます。


悲しいね!の意味は、物が多すぎて、体調不良で部屋が片付けられないままに、2,3年経ってしまっている・・という事について・・です。ハイ!


先ずは、机の上の楽譜類と資料のnoteを片付けて、ウサギちゃんが座っている揺り椅子を、寝室に移動させて・・、なのですが、その前に寝室の大量の本類を捨てないと、その移動が出来ないのですよね??

今、出来るnormaとして、1日一個は何かを片付けて(移動させて)います。出来る限り断捨離も・・

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毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると
2月24日 ·

毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると、人は「ああ、またか??」と思うだけで、誰も同情も金をくれる事もない!(昔々、流行った安達祐実の名セリフ)
今夜もまた、stress性の鬱で、「何とか眠ろう!」とバタ狂って、すっかりとヌルくなってしまっていた風呂に入ったりしていたら、それでも何とか2時間程は眠れた。
しかし、toiletteに起きて、そのまま、またまた眠れなくなってしまったのだよ。
Komm, du süße Todesstunde!

明日はオケ練習で、千葉までの移動があるので、wineに逃げる事も出来ない!
布団で眠れないままにいると、そこはかとなく心に浮かぶ世迷い言が私を苛んで来る。

と言う事で、またまた愚痴を書きなぐっているのだが、「『ああ、またか??』と思う人は、私のtweetを読まなければ良いのだ!」と、開き直って、Facebookに、心の丈を書き綴る事にしたのだよ!
勿論、鬱の根本的原因を、人に吐露する事は絶対にないのだけどね??



とうとう、朝になって、眠れないままに起きる時間になった。でも、これも毎週の事なのかな??先週はどうだっけ??
忘れた!
艱難辛苦をなめてきた老人にとっては、忘却は最大の癒しだそうな?
善い事も悪い事も、全てが痴呆の彼方へと消えて逝く・・・、それも神からの贈り物だそうな?
(・・・・これは、私の考えではありませんよ?ある宗教の教典に書かれていたものです。)


延々と書いていたcommentがまた、ぶっ飛んでしまった!!始めからのの文章なので、書き始めのsentenceも残っていない。頭さ来るな~ぁ??


何とか2時間弱は眠れたのだが、千葉へ移動の時間になったので、頻尿を避けるために、ハイツを出る時にtoiletteに行って、椎名町を出発する時にも、toiletteに行った。途中箱崎の渋滞を回避するために、湾岸まわりに進路を変更したのだが、途中で、尿意をもようして、検見川教室まではとても無理だという事になったので、イトーヨーカ堂に緊急避難をしてtoiletteに駆け込んで、ビックリしたのだが、なんと、お久し振りの血尿が出たのだよ。
検見川教室に辿り着いて、すぐにtoiletteに行ったら、今度は鮮血が出た。
「病気が再発したのか??」と思って、超、Shockだったよな??
血尿は、基本的にはコーヒー色の場合が膀胱からの出血で、鮮血の場合は尿道からの出血と考えられる。勿論、専門的にはもっと細分化されるのだが、一番簡単な解釈の場合という前提での素人判断では・・、である。
まあ、医者からは、「時折、手術痕の血餅(かさぶた=瘡蓋という言葉が中々出て来なくて、何時も血餅という聞き慣れない言葉しか出て来ないのだよな??)が剥がれ落ちて、血尿が出る事がある」とは、言われていて、「それは心配する事ではない」とadviceは受けているので、落ち着いて見れば、なんの問題もないのではあるのだが、突然血尿が出ると、そのShockで、これまでの超鬱の原因がぶっ飛んでしまった。人間より大きな心配事があると、それ以前の心配事が消えてしまうのだよ。
血尿が出て、鬱が飛んでしまったので、私としてはluckyなのかも知れない。
突然の血尿・・という事で、常日頃の持続性の鬱がぶっ飛んだのだから
これが、『外に出る』と言う事なのだよな??


てな、事を書いていた文章が全部ぶっ飛んでしまったのだよ!
結構、メゲルよな??



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「放下著」
2月24日 ·

昔々から、よく繰返し言っている事があります。
その一つは、もし、竹林山の七賢人が本当の意味で隠遁生活を送っていたのならば、これ程の有名人にはならなかっただろうという事です。
元来、隠遁とは、人に知られる事なく、生活をする事であるからです。

禅宗では、人間本来無一物と言って、物や心に執着をする事を忌み嫌いますが、その割には、高僧と言われた人達は、書や絵の名人であったり、優れた彫刻を残したりしていますが、それは美に対しての(完璧に対しての)執着がないと出来る事ではありません。
それでは、放下著とは言えないのではないでしょうかね⁉

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「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら
2月24日 ·

「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら、またまた教育を口にしてしまうのは、私の性(さが)・・という分けではなく、そういう職業だから致し方はないのだよ。

人は、「どうでもよい事」をやたらと大騒ぎするのだが、本当に大切な事に対しては、誰もが無頓着である。
「どうしてそうなのか??」というその理由と意味は、「どうでもよい事」は、今、その場の「今、直面している現実」であり、「今の現在の痛み」であるからなのだよ。

しかし、それは、「今の痛み」であるだけで、一生を左右するものではない。
その場を乗り切れば、何とかなるものなのだよ。
本当に大切なその人の将来を決定し、左右する痛みについては、人は気にする事はない。
何故ならば、その事が、今現在の痛みではなく、今の現実を左右する事ではなく、まだ見ぬ将来に起こる事なのだから、痛みは未だに起こらないのだよ。
人は将来起こるであろう痛みには、その痛みが一生の人生を左右するものであったとしても、結構無頓着なものなのだよ。

つまり、その人が将来を見据えた上で、今、現在を生きるtypeの人でない限り、今現在に起こる事の価値を推し量る事は出来ないのだよ。

このお話の元の論文は、「芦塚先生のお部屋」の中の教育論文の項目の、「対処と治療」という話として書かれている。

そのお話を、子供達にも、分かり易く説明するために、私はよく虫歯に例えて説明をする。
人は虫歯になって、痛くて堪らない時に、痛み止めを飲んだりするが、痛みが無くなると、虫歯の事を忘れてしまいがちになる。
痛みが止まったとしても、虫歯そのものは治る事はないのだから、痛みが抑えられている間にも、虫歯そのものは、進行して行って、必ずもっと酷い痛みが襲って来るのだよな。
だから、痛みが収まったからと言っても、その痛みの根本的な治療が必要である事は、誰にしても明白な事実として、認識、理解している。
例え、病院に行くのが、嫌であったとしても、その必要性を疑う人はいない❗

虫歯の痛みは、日常的なありふれたものだから、このお話はよくも悪くも、誰にとっても、理解しやすい話なのだが、そのお話が、教育の話に姿を変えた途端に、同じお話だとしても、理解し難い話に形を変えてしまうのだよ⁉
不思議な事に・・・だよ⁉



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禅の基本的な概念は、
2月24日 ·

禅の基本的な概念は、勿論、「束縛から離れる」という事なのだが、そこから、学べる事は、「外から見る=客観的に見る」という事に他ならない。

その中に居ては見えない事も、外から見ればよく見える。
そのstageをclearした人が、階段を登って、次のstageで、自分が経験して来た前のstageの中で苦しむ人達の事をよく見れるのは、一つ上の場所から全体を見るから、よく見る事が出来るからなのだよ‼

言い方を変えると、上からは下がよく見えて、下からは上は見えないのは、当たり前の道理なのだよ。

しかし、その中に居る人達は、その当たり前の事を認めようとはしないのだよ。
今、どのように頑張っても、それが(解決法が)見える事はないのだから、それなのに、「見える人がいる」という事は、とても認められないからなのだよ‼ 

上に居る人は、「あと一歩だけ階段を上がればよいのに・・・❗」と思うのだが、下からは、その階段の高さは、見えないのだよ‼
そこがdilemmaなのだよな⁉

まあ、しかし、大人達と違って、正しく教育された子供達は、「その階段を、何回も登る」という自らの経験を通して、「階段を登りさえすれば、そこから全てが見えるようになる」・・・という事を、経験として覚えて行く。
そこも慣れで、階段を登る事を、段々と恐れなくなって、階段を登る事が楽になる事だ・・という事を覚えるのだよ‼

しかし、そのたった一度の体験すら得る事がなく、堂々巡りを何年もしている人達がいる事も事実である。
多くの場合の例としては、その人達の着眼点が微妙にズレている場合が多い。
本人は、正しくやっているつもりなのだが、微妙にpointがズレているのだよ。
そのズレの原因は、何度となく繰返してadviceをしている、「自分のcapacityの中の語彙に翻訳する」事に起因する事が非常に多い。
本人は、先生の言っている通りにやっているつもりなのだが、何時の間にか、自分のやり方でやっているのだよ。そして、酷い場合には、「先生の言う通りにやっているのに、出来ない❗」と言う事になってしまう。
先生は、「何時まで経っても、俺の言う通りにやってくれない❗」と、怒り出す❗
百々のつまり、平行線の堂々巡りなのだよ。
無駄の積み重ねなのだよ‼

このお話も、一番の解決法は「外から見る」と言う事に尽きるのだよ。
行き詰まったら、一度、その束縛から離れて、外から見る事を学べば良いのだよ。
人は、外から見る事を、非常に難しい事として、捉えている。
そのために、禅meditation等という、難しいcurriculum等も、ある。しかし、外から見る事自体は、そんなに難しい事ではない。ほんのチョットだけ、その環境から逃げ出して見ると良いだけなのだよ。
お菓子を食べるのも良し、散歩をするのも良し❗ 自分を違う環境に置いて、そこから、悩んでいる自分を見つめ直してみると良いのだよ。
意外と簡単に、自分のチョッとした間違いに気づく事が出来る❗



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Veracini introduction und Ciacona d Ashizuka=orgel-version
2月26日 ·

今回の発表会のprogramのオケ・トリの曲であるVeraciniのpassacagliaなのだが、その曲に初めて巡り会ったのは、私がまだ若かりし頃、25,6歳のドイツ留学中の頃に、Münchenの中心の聖マリア教会の傍の楽譜屋で古いLupi=ルピ版の弦楽オケの楽譜を見つけた時に・・・である。
楽譜を見て、その曲を気に入って購入したのだが、その時には楽譜は既にもう充分古く、既に楽譜の紙は黒く変色し始めていた。
その楽譜は、曲としてもstoicで、演奏も難しいので、私の蔵書の中で、45年近くも、一度も陽の目を見る事もなく、休眠したままになっていた。
その長い眠りの間には、その曲のoriginalの曲(元曲)である「violinと通奏低音」の楽譜も手に入れたのだが、余りにも重厚な曲であるために、その曲を演奏するのは、発表会は勿論の事としても、periodのbaroqueの演奏会としてのrepertoryとしても、演目に載る事はなかった。

私が、超、super、ultra重厚な鬱々の・・「この曲を演奏してみよう❗」という気になったのは、私の生徒の一人が、このVeraciniのoriginalのPassacariaの曲を彼女の「好きな曲」として、教えてくれたからである。
「そうか?この曲の良さが、中学生でも分かるのか?」と、生徒に後押しされて、早速、楽譜棚の肥やしになっていたLupi版のオケの曲を、発表会で演奏する事にした。

Lupi版は、Veraciniの原曲の1/3の長さにcutされていて、発表会という舞台であっても、堪えられる長さになっているので、それも、この曲の選曲の後押しをしたのだ。

生徒達に楽譜を配って、練習に入った段階では、「曲が暗い!」とか「かったるい!」とか、非難ゴウゴウであったのだが、練習が進むにつれて、曲の良さが分かって来て、曲に対しての評価はすこぶる良いものになって来た。

そこまでは良しとしても、実際にLupi版のpassacagliaの練習を始めて見ると、余りにも楽譜の間違いが多い事に辟易させられてしまった。

擬古典にするために、わざと不自然に鋭い音にしているのか?・・それとも、単なる楽譜の間違いなのか、それも出版社の間違いなのか?編曲者の間違いなのか??・・悩まされる事が余りにも多く、この手の楽譜の常として、訂正に次ぐ訂正の連続になってしまって、ついに、全面改訂版を作成せざるを得なくなってしまったのだよ。

生徒達の頑張りで、何とかLupi-芦塚versionとして、1年後の16年の4月3日の千葉の文化センター・アートホールの発表会で、演奏を果たしたのだが、Lupi版の編曲に納得が行かなくなった事!
original版の出版されている曲の楽譜が、全てcembaloと通奏低音の編成で、基本的にsolo-violinと通奏低音のCelloの二声部に、和音が書き加えられただけの書法なので、曲のimageに対して、音楽の厚みが薄っペラいので(・・でも、それが通奏低音の書き方なのだけど・・・??)出版されている楽譜のCembaloのpartの作曲に納得が行かなくて(・・いや、それが通奏低音でしょう!!)、それとは、別の・・全く関係のない理由なのだけど、・・私のoriginalのpipeorganが、何時までも使用される事が無く、一般の人達の目に触れる機会がないので、Veraciniのpassacagliaを、pipe-organの伴奏で書く事を思いついた。

最初に斉藤先生に、そのideaを話た時には、斉藤先生からは、「violinとpipeorganの音量的に無理❗」との反対があったのだが、positive-organの意味を説明して、折衷案として、baroque-violinではなく「modern-violinで演奏をする」という事で納得して貰った。

このOrgan-versionの一番originalに近いと自負しているpassacagliaの公演は、発表会等での公開演奏としての企画では、曲がstoicで、重過ぎて、一般の聴衆を対象にする演奏会しては、ととても舞台に乗せるのは無理なので、検見川教室の私のpositive-organで、萩元先生の伴奏で、YouTubeにupする事で、演奏会の代わりにする事にしました。

私のこのpassacagliaのorgel-versionは、原曲のままの全曲版なので、四部に渡る大変長い曲になります。

録画録音の時のvideo-cameraの位置と、organとviolinの音量の兼ね合いが非常に難しく、violinの音量をmainに録音すると、Organの音が割れてしまって(videoの映像では音割れはないのだが・・)、mp4に変換した段階で、どうしても音割れしてしまうのだよ。


2回のvideo撮影にも関わらず、Micの位置の設定等に失敗してしまって、もう再度の撮り直し(3回目)が出来ないままになっている。まあ、部屋が狭いので、録音が困難なのは当たり前なのだけどね??



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「Veracini Ciacona 続き」
2月26日 ·

originalの曲であるviolinとOrganの曲の、positive-pipe-organのorganのpartを書きながら、ほぼ、同時進行的に、弦楽orchestra用のscoreを書き始めた
曲の全体的な構造は変わらないから同時に曲を作曲する事は、同じ手間なのだからである。

「演奏形態について」
一番悩んだのは演奏形態で、愛ちゃんが「オケsoloの曲が欲しい」というrequestがあったので、そこはちゃんと押さえた上で、「soloと弦楽オケ」や、「Concerto Grosso」のstyleや、幾つもの、演奏形体を試行錯誤し、書き直した。


結果的には、Quartett+弦5部という演奏形態の形式になったのだが、baroque時代には無かったstyleの音楽の演奏形態の形だったのだが、ViolaをCello(gamba)の代わりにcontinuoにする・・というのは、古典派の時代にはよくやられていたので、Vivaldiのa mollのdoppel-concertoの時にも、Violaをcontinuoに据えてやった事は、何度かあるのだが、流石に、「Quartettをsoliに置く」という演奏のstyleのversionはbaroque時代には、存在する事は無かったので、一度は躊躇した演奏形式だったのだが、これまで、とても良い状態で子供達のQuartettのgroupが育って行っているので、baroque時代としては有り得ない形式なのだが、それを無視して(承知の上で、教育的な意味合いを込めて)、quartet+弦五部という演奏形態にする事にしたのだが・・・、まあ、それはそれで、致し方ないか?

「音楽形式について」
baroque時代の当時の楽曲形式としては、originalのviolin・soloと通奏低音という音楽形式では、kammersonata(室内ソナタ)とkirchensonta(教会ソナタ)の二つの音楽形式がbaroque時代にはある。
kammersonataは、民衆の(と言うか、貴族階級の民衆という意味なのだが)音楽の形式なので、舞曲を中心として急緩急緩のtempoの設定で、それぞれの曲が組み合わされる。

それに対して、kirchensontaは、壯重な緩徐楽章から始まり、それぞれのpartが独立してmelodyを演奏する複音楽=polyphonyの音楽として演奏される。
当然このpassacagliaは、polyphonyのkirchensontaの形式の音楽である。

「Veraciniのblack-humorについて」
ただ、この曲の中間部(第二曲目)には、突然、民衆の音楽であるはずの、hurdy gurdyかbagpipeの伴奏で演奏されるような民族音楽の様式が突然、挿入されて、あるべきはずの音楽ではない音楽が顔を出して来る。
多分、Veracini先生の趣味=jokeなのだろうが、当時の人達はどういう顔をしてそのpassageを聴いたのだろうか??
笑える!!
「笑える!」と、いう意味は、kirchensonataであるこの曲が演奏される場所は、神聖な教会の中であるはずなのだからだ。
つまり、その音楽にとっては、教会で演奏するという事は、非常に不適切な場所であるからなのだ。
教会の神父さん達が、苦虫を噛み潰したような顔をするのが目に浮かぶ。
今では、・・と言うか、キリスト教の歴史の浅い日本では、このBlack-humorの重さは分からない!
・・・というか、当時からとすると、下手をすると十字架の刑(はりつけ)になって、命を失なったかも知れないBlack-humorなのである。

「練習について」
いつもの事で、悩んでも詮無い事ではあるのだが、練習の度にmemberが違って、前回や前々回に注意した約束毎を繰り返してlectureしなければならないので、非常にresponseが悪い。
前回のオケ練習(2月24日)では、この難しい曲のあらすじが、やっと、何とか曲(それぞれのpart)が聴こえるようになって来たのだが、未だそれぞれのpartの「入り」は、まだ少し不安ではある。
勿論、member不足という事だけではなく、曲そのものが非常に難しいからでもあるのだが・・。

尤も、今回の練習でも、練習に参加するのが、受験を終えて初参加の生徒や、member変更のために、今回突然に、secondからviolaに、楽器を変更してくれた美音ちゃんのように、楽譜を見る事が初めての生徒が多くいるからでもある。

やっと、「次回からは、それぞれのpartの音楽表現に入れるのかな?」と期待している所である。
しかし、未だ、全員揃った練習は一度もない事も事実ではあるのだが・・・


2016年の4月3日の芦塚音楽研究所千葉教室の発表会での演奏です。
上の発表会の動画はLupi版を改定したものですが、下の練習中のVeraciniは、originalの元曲から、私が作曲作成したものです。Lupi版は1/3をcutしたものなので、当然、曲的には3倍の長さがあるので、練習も大変です。しても、しても、終わらないのですよ。アハッ!
https://www.youtube.com/watch?v=JiGe-5oMwpI

またまた、書き終えた文章が全部ぶっ飛んでしまった。ほんとFacebookの不安定さは腹が立つよな??


hurdy gurdy=ハーディ・ガーディと言ってもどんな楽器か分からない・・と言われたので、写真を載せて起きます。空を飛ぶdroneではないのですが、持続する音(drone)の上にmelodieを演奏するのは、bagpipeも同じです。Bachのイギリス組曲の第Ⅲ番のト短調(g moll)のgavotteⅡや、第Ⅵ番のニ短調(d moll)のgavotteⅡにも、左手にdroneのpassageが出て来ます。第Ⅲ番のgavotteⅡには、ou la Musetteと書いてありますが、Musette de cour 若しくはbaroque-Musetteとはbagpipeの事です。「農民の楽器」として知られています。


この楽器の場合には、右下の2本の弦がdrone弦で、上の鍵盤でmelodieを弾きます。真ん中の駒の後ろの大きな円盤はhandleで回転して持続した音を出します。
https://www.youtube.com/watch?v=Mpe8YQVkdYE


このhurdy gurdyという楽器は、Schubertの冬の旅のLeiermann(ライエルマン)という曲や、Beethovenの歌曲の中の「モルモット使い」という曲のLeiermannにも登場します。
hurdy gurdyを持って旅をする辻音楽師の歌です。
左手の保続する音はhurdy gurdyのimageです。
https://www.youtube.com/watch?v=sIIS-UgixGE


そういえば、梨紗さんのお友達(か先輩か単なる知り合いかよくわかりませんが)が、古楽器にはまって、ハーディガーディを演奏しまくっているようですよ。生の演奏は聞いたことが無いので、是非演奏会があるなら聞きに行きたいですね。

hurdy gurdyを演奏会場で聴く・・って??そりゃあ、有りえへんわ・・??


なんでんかんでん、芸術になるのは、どうもいただけんのやんねん!


確かに、そこら辺の道端でストリートパフォーマーとしてとか、お祭りでパレードしながらとかの方がしっくり来ますよね。

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「今日のドジ」
2月28日 ·

買い物をするのに、池袋まで行くのが億劫になって、次には自宅近くの駅の周りのお店に行く事も体調的に難しくなって、チョッとした買い物でも、netの通販に頼るようになってしまった。

そこでの「ドジ話し」なのだが、今回初めてではなくって、前にも同じような経験をした事がある。
今回は伊藤園の「お~い、お茶」の濃茶の粉茶を注文に出したのだが、間違えて「粉茶」ではなく「普通の葉っぱのお茶」を注文してしまったのだよ。

パッケージの色も、粉茶と全く同じで、届いた商品を何度見返しても、「粉茶」という表示が無いだけで、全く同じなのだよ!!
普通のお茶と同じであっても、粉茶だとすぐに分かるようにして欲しいと思うのは、ドジな俺だけなのだろうか??(後で、よくよく確認して見たら、確かに、気がつくと、違いはあったよな⁉)

そもそも、このドジの以前の原因は、検索エンジンにある、と思っている。
以前の「ドジ」では、肩掛けのショルダーバッグをして外出中に、突然腰痛が起こって、歩けなくなってしまって、直ぐに、ショルダーが原因だと気がついたので、直ぐにリュック・タイプのバッグをnetで探したのだが、検索にリュック・タイプと入れていたはずなのに、商品を探す段階で、いつの間にか、片掛けの肩がけのショルダーバッグも同時に検索されていたのだよ。


勿論、パソコンのプロバイダーの検索エンジンでは、曖昧検索は外しているのだが、商品の検索に入ると、条件の設定は見当たらない。
てっきり、商品のバッグが届くまで、自分は「リュックを注文した」と思い込んでいたので、まあ、こちらのミスでもあるので、「その内、使う事もあるだろう」と諦めてタンスの肥やしになっている。

今回も、「お~い、お茶」の濃茶の粉末を検索をしていたのだが、料金の比較をする段階で、32㌘以外のパックで、100㌘パックが比較計算上、非常に安いので、1㌔も大量注文してしまった。
パックの装丁が全く同じなので、「粉茶」と信じて疑わなかったのだよ!!
何処で検索条件から「粉末」が外れてしまったのだろう⁉
パックは未だ開けていないので、封を開けて気づいた分けではない。
最初に「粉茶」ではないと気づいたのは、牧野先生なのだが、それも「パックの装丁を見て❗」からではなく、値段が安すぎるから、「「粉茶」では有り得ないのでは??」と疑問を持った・・・というのが理由なのだよ。

ここでは、伊藤園の濃茶のパックの装丁を非難すべきなのだろうか?
それとも、粉茶と条件を設定しているのにも関わらず、その条件が外れてしまう通販の検索サイトを批判すべきなのか、はたまた、単純に俺のドジを責めるべきなのか??
まあまあ、いずれにしても、メゲてしまうわナ??

これでまたまた弟子達に「返品すると良い」と言われそうなのだけど、「返品」となると、「その一手間が・・」超、面倒くさいのよね~ぇ??
鬱で対人恐怖症の私としては・・・なのだがね⁉

(写真はskype用のパソコンのcameraです。)



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今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。
2月28日 ·

今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。(本当は先週の予定だったのですが、私の体調不良で延期して貰いました。)
・・で、昨晩から、本降りの雨です。
自宅から、バイクでの事務所迄の行程は、レインコート等を着込まないといけないので、何かと準備が大変です。
楽譜の準備は昨夜の内に済ませておいたので、準備と言っても、服を着るだけなのですが、レインコートを着ると、厚みで、普段のコートが着れなくなってしまうので、衣装の総替えになってしまいます‼



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3月





2019年3月1日 ·



「今日は月一の千葉でのonelessonの日」のお話の続き・・・なのですが、
それと、今日は月に一度の蕎麦の日でもありました。
牧野先生は私が事務所に着くのと入れ違いに、ユーカリの教室にlessonに出掛けてしまったので、私は、斉藤先生と千葉に行く前に、取り敢えずお蕎麦で腹ごしらえして出掛ける事にしたのですが、牧野先生が花園で頂いた伊勢芋(写真)が椎名町にあったので、早速トロロ蕎麦用にすってみました。
伊勢芋は、私は初めて食べたので、トロロの蕎麦汁は、お芋の味が分かるように卵や胡麻は入れないで、昆布味のお汁だけを薄味にして、お芋本来の味が出るようにしました。
伊勢芋は、元々とても粘りは強いのですが、味は癖のない淡泊なお芋なので、薄味にしたてたトロロでも、とても美味しかったですよ。
トロロ以外の蕎麦汁のラインナップは、いつもの蕎麦汁のsetで、京ネギとワサビの蕎麦つゆと、大根おろし、なのですが、ワサビは生の本ワサビを、買いに行く時間もなかったので、普通のチューブのワサビです。
折角の蕎麦dayなのに、それは残念でした。
でも、普段も本ワサビは超高いので、比較的に安い本ワサビがあった時にしか、買いません。
普段も、チューブのワサビでお茶を濁す事の方が多いのかな? ・・・?
大根も辛み大根ではなく、普通の大根なのですが、少し酸化させると充分に辛くなります。
という事で、いつもの蕎麦dayと代わり映えはしないのですが、「今日のお蕎麦」の写真を撮ってみました❗













2019年3月2日 ·



夜のcinderella-timeを過ぎて、3月の2日になったばかりなのですが、「な、な、な、なんと!」・・突然、久しぶりの鬱に襲われてしまいました。
ここの所、1週間程、毎日問題なく日常をすごしていて、安心していた後の「突然の鬱!」です。
しかしまあ、鬱々になるのは、私の心の問題なので、それで良いとしても、それが原因で眠れなくなってしまうのは、仕事に直接関係してくるので、被害が大きく、困ったものです。
いつもならば鬱が起こった時には、心身のcontrolのために、音楽を聴いたり、テレビのドラマを見たりして、鬱に心を捕らわれるのを避けるのですが、今日の鬱は音楽に逃げる事を拒否していて、音楽を聴きたくない・・とか、テレビを観たくないと、心が逃げようとする事を拒絶する「面倒くさがりや」の「ズボラtype」の鬱です。

・・・普段ならば、鬱のつまみに「鬱々とした音楽」を聴きながら、wineを飲んで、憂さ晴らしをしながら、鬱に浸っているのですが、今日の鬱は、音楽を聴く事で、鬱を外から見る事を心が拒絶しているのですよ。
テレビも観る気にならない、という事は、alcoholにでも逃げて、酔ってしまえば良い、と思うのですが、でも、鬱が酷い時には、alcoholを飲んでも、酔わないのよね??(You wanna 酔わない・・・とか、言わないよ!)
という事で、仕事もしたくないし、何もしたくないままに、ぼんやりと時間だけを費やしています。
全く、非経済的で、人生の無駄な時間だなや??
鬱になって困る事は、時間の無駄という事よりも、驚く事に、実は「体重のリバウンド」なのだよ。
鬱になると、極端に食欲が失せてしまうので、自分としては、「痩せたのではないか?」と思ってしまうのだが、体重計に乗ってみるとしっかりと肥っているのだよ。
昨日も、朝と昼に、パンを二切れづつ食べただけなので、夜食の時には、嚥下不良になって、食べ物が食道に詰まって大変苦しかったくらいに体が食べ物を受け付けていなかったのに、体重はしっかりと増えていたのだよ。
嚥下不良は、食物が食道の中を通って、食道が開いて来ると、何でもなく普通に食べれるようになるのだけどね⁉
体が「食べる」という事を、忘れて食道が小さくなってしまうのだよなあ⁉
それなのに、「痩せない」って、なんか、凄くない⁉




2019年3月4日 ·



今日は3月3日のお雛さまです。
いつもの通りに、前日、土曜日の深夜は眠れなくってバタ狂っていたのですが、それでも何とか、3時過ぎ、4時過ぎ頃には、3時間程度は眠れて、朝の7時に目が覚めました。
オケ練習は検見川教室にお昼2時からのinなので、少し早めに千葉に向けて出発して、「溜りに溜まった買い物」を途中で済ませようと、超、大雨の中を、早めに椎名町に移動しました。
この所、千葉までの車での移動では、椎名町で車に乗る前に、必ずをtoilette済ませてから運転するように、気を付けているのですが、それでも車の移動中にtoiletteが間に合わなくなってしまうので、コースをいつもの京葉道路周りから、湾岸周りに変更をして、途中のイトーヨーカ堂の駐車場に車を止めて、toiletteに寄ってから、教室に行っているので・・・。
今日は、外での買い物をなんて思いつく程、比較的に元気な状態で椎名町の事務所に行ったのですが、車への荷物の積み込み中に、なんと、バイクの鍵を紛失してしまい、必死に探したのですが、ついに出て来なくて、すっかりメゲて、精神的にもバテてしまいました。
今日は大雨なのですが、それでも首都高の出口、出口は東京マラソンのために閉鎖されていたので、大渋滞になるはずでしたが、大雨が降ったので、車の大渋滞は避けられたようです。
頑張って車を走らせて、池袋で買い物をする予定の、多雑な買い物を、千葉のヨーカ堂で済ませたのですが、それでも、予定よりもかなり早い時間に、検見川教室に辿り着く事が出来ました。
しかし、検見川の教室に入った途端に、超、バテて、疲れと鬱で、生徒達の前に立って指揮、指導をする事が出来なくなってしまいました。
まあ、普通ならば、そこで、自分で指導する事を諦めて、斉藤先生にでも代役を任せる所なのでしょうが、転んでも・・、鬱でも・・、疲れても・・、ただでは起きない所が私の良い所で・・・!!!
・・と言う事で、コンマスの生徒達を一人づつ、私の指導する場所に立たせて、「弾き振り」をさせる事にしました。
子供達は、指揮棒を用いての指揮は、未だに経験をさせた事が殆どないので、今、それをさせても、ぎこちないし、無駄なので、先に指揮振りや指導に慣らすためです。
指揮棒を持っての指揮は、次の段階で良いからです。
体調不良の時には、指揮の位置には立たず、オケの後ろの方で、お茶を飲みながら、楽譜をcheckして、生徒達のlectureをします。
生徒の前での指導とは違って、かなり体調的には、楽になるのですが、演奏表現を生徒達に伝達するには、やはり、距離感が出てしまいます。
だから、指揮指導をコンマスの生徒に代講させるのですが、先生の代わりに、演奏指導をする事は、自分の立ち位置で演奏するのとは違って、pressureがあるので、以前は、「出来ない!」という気持ちが先行してしまって、気持ちが引いてしまって、全く演奏しようとしなかったのですが、今回は皆、頑張って積極的に演奏表現の代役を熟していました。
まあ、私が「疲れた!」「眠ていない!!」と言っているから、「仕方がない!」という気持ちなのでしょうが、それでも、大きな進歩です。
ほんと、step by step、日進月歩ですよね。
一回毎に・・、少しづつではありますが、進歩が見受けられます。
先週は、violinの先輩でしたが、今週はCelloの先輩が助っ人に来てくれました。
流石に、幾ら疲れていたとしても、la foliaとpassacagliaは、私が指導、lectureしないと無理なので、(老体に鞭打って・・)皆の前に立って、指揮とlectureをしました。
la foliaはCelloのsoloが、殆どviolin-soloと対等に動くので、初見ではとても大変なのですが、珠加ちゃん、頑張って演奏してくれました。
私のimageでは、八千代のcorelliの演奏の時には、(ワキだとしても、)珠加ちゃんも舞台に出ていたような気になっていたのですが、8年も前の事なので、珠加ちゃんはその頃は、未だ10歳ぐらいすよね?
と言う事は、la foliaの演奏には出演していなかったのだよね??
corelliを前回演奏したのが、そんな前の昔の話だったとは、すっかり驚いてしまいました。
corelliの演奏も、演奏表現の伝達は、随分出来て来て、後は個人の技術練習だけになって来ましたが、passacagliaの方も、随分、曲のimageが出来て来たようで、melodieの移り変わりの所のtempoの揺らしも、大分大きく変化が付けられるようになって来たようです。
頑張りましょう!
(追伸:失くしたバイクのkeyは、検見川教室行きの袋の中に落っこちていました。オケ練習の最中に荷物をcheckしていたら、keyが出て来ました。アハッ! ・・と言う事で、帰りは恙なくバイクで帰る事が出来ました。大雨の中、・・レインコートを着込んで・・、ですが・・)



2019年3月4日今日は欝がお久しぶりに·



今日は4日の月曜日です。
朝、目が覚めてからも、鬱が再発しそうな感じなのだけど、朝からこういった状態ならば、夜は100%、超、鬱になる事が決まっている・・のだよな??
勿論、鬱が起こりそうな状態の時には体調も良くはない。
体も、思うように動かないのだよ!
起きていても仕事にならない時には、パソコン作業等の軽作業で、前に書いた原稿を推敲するのが一番楽で良いのだよな?
・・なんだか徒に時間を浪費しているような気もするのだが、推敲をする事は、それなりに重要な作業なので、体調不良で部屋で引き籠もりを余儀なくされる時には一番良い作業なのだよな?
鬱が酷くて体調不良の時には、「ドルプリっ歩を断念する」事は当然なのだけど、それだけではなく、部屋で寝込んでしまう事の方が多いのだよ。
それでも、椎名町から食事の時間の連絡があれば、無理をしてでも、椎名町までバイクを飛ばして出掛けるのだが、今日はドルプリっ歩の時間の連絡はあったのだが、食事の時間の連絡は無かったので、(鬱が酷いし、超冷たい雨も降っているので、)連絡の無い事にかこつけて、食事のために椎名町まで行く事をやめてしまった。
「食事を抜いてしまうのでは、お腹が減るのでは??」と、思われるかもしれませんが、鬱が酷いと、同時に食欲も失くなってしまうので、体調の無理をしてまで、食事に行く気も起こらないのだよな?




2019年3月5日 ·



昨夜、4日は、余りにも鬱が酷かったので、部屋に引き籠って、出来る仕事として、「昔、You Tubeにuploadした曲で、解説があまり書かれていなかった曲」に解説を新たに書き加えました。
You Tubeにuploadした曲は、ある程度期間が経つと、access数が極端に減ってしまうので、Titleを変えたり、内容が分かり易いように、コメントをrenewalして、新しい人がaccessし易いように、新しい人やrepeaterをもう一度、呼べるように工夫をします。
たまに、そういった一手間が上手く行く事があって、access数が幾らか増える場合もあります。
昔々にuploadした曲は、そういった工夫をしなければ、You Tubeのfileの肥やしになってしまうのですが、そういった作業は体力や気力を必要としない、単純な作業なので、仕事が出来ない鬱の酷い時に、コツコツとする事にしています。
元気な時には、もっと別の作業が一杯あるのでね?!
特に、baroqueのperiodの演奏は、Classic音楽の中でも、特にmaniacなgenreなので、元々、基本的にaccess数が極端に、少ない分野なので、そういった地道な努力の積み重ねが必要なのですよ。
こう言った努力を、隠匿・・(冗談です。)??・・・とでも言うのかね??アハッ!
私が、こういった地道な努力を、コツコツと、普段の仕事が出来ない鬱の時に、しているという事は、斉藤先生達も知りません。
だから、隠匿・・影でコソコソとする・・隠匿なのですよ!
陰徳ではありませんよ!!
Hennry purcellのtriosonate g moll chaconne 15年10月11日芦塚音楽研究所千葉教室秋の発表会、第4部1番baroque楽器による演奏(period instrumentsと奏法)です。 periodに関する演奏法とinterpretation、ornament指導は芦塚陽...



芦塚 陽二 2006年の9月23日の東京大泉学園ゆめりあホールでの演奏です。このホールは音の響きが室内楽的でbaroqueの演奏も可能なホールです。ホール取りがダブってしまって、このホールはキャンセルをする事が出来ないので、折角なので、ちょうど良い機会だということで、先生達のbaroqueの演奏会を企画、開催しました。
勿論、無料公演です。
その後は、東京の教室は基本的に畳んでしまったので、このホールでの発表会や演奏会はしていません。
現在はrenewalしているので「ホールの音響は現在どうなのか??」とかの具体的な状況は分かりませんが、この時の録音では、ホールの空調の音がうるさくて、演奏の録音が上手く行かなかったのが残念でした。折角、ホールのacousticはとても良かったのにね??

https://www.youtube.com/watch?v=mP-ZVPWoE1w




2016年の11月23日の千葉市美術館さや堂ホールでのbaroque-Konzertでの、BiberのRosary Sonate Nr,9のbaroque-violinでの演奏です。
このホールは、昭和2年に川崎銀行千葉支店として建てられた歴史的建造物なのですが、演奏会のホールとしても、使用されています。石造りの建物なので、残響が非常に大きく、baroqueの曲を演奏するにしても、演奏が難しいホールです。
演奏会は、私の擬古典の曲や、Trio-sonataや無伴奏の曲等色々と演奏しましたが、勿論、biberのrosary-sonataも、斉藤先生のlife-workの曲なので、当然、演奏をしました。勿論、baroque-violinとbaroque-cello、cembaloのperiod-instrumentで、scordaturaとbaroque-pitchのoriginal-baroqueでの演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=AYrHHc52Oj4




だいぶ古い演奏になってしまいましたが、06年の7月25日の珈琲館「ブナ」での演奏です。
カウンターの横が客席になっていて、30名限界の喫茶店です。
絵や色々な展示を常設していて、音大生達やproの人達も演奏会をしたりしています。
江古田に住んでいた頃は、行きつけの珈琲店だったので、私も「企画演奏をしても良いのかな?」と言ったら、「無料奉仕だけど、それでも良かったら、好きな曲を演奏しても良い!」て事を言っていたので、「それならば先生達の研究発表の場に・・』という事で、超maniacで、stoicな演奏会をする事にしました。
「お客様は0で良い!」と言う事だったのですが、演奏の日にちが決まってprogramを作る前に日にちだけの報告に行ったら、その日の夕方には、もうsold outで、私の座る場所も無かったのですよ。
千葉教室の保護者の人達が、「先生の演奏を聴きたいのに・・」と怒っていました。
それから、年2回程の予定で演奏活動を続けて行きましたが、毎回、時間で予約が埋まってしまうのですよ。
曲は超maniacで、面白くないと思うのですが、不思議だ!!

passacaglia d Heinrich Ignaz Franz von Biber Rosenkranz-Sonaten、珈琲館「ぶな」コンサートより抜粋の1曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=JYmS-EYKXiY




斉藤先生の演奏、素晴らしいです!!素敵な曲ですね〜。タイムトリップした気分になりました。バッハのシャコンヌみたいなところもありますね。難しそうですが簡単そうに弾かれていてすごいです。


嘘か真かは兎も角として、一般的には、Bachがこの曲を参考に勉強して無伴奏を書いた・・と言われています。でも、baroque時代には、genreとして無伴奏の領域があったので、がBachこの曲を勉強したのか否かは定かではありません。Bachの無伴奏の作品だけが有名だけど、教室ではBachの無伴奏に入る前に、Telemannの12のfantasiaという曲で無伴奏独特の演奏法の勉強をさせています。いきなりBachだと、「難しい!」というimageが先行してしまうので、そういったgenreの演奏法がある・・という事を知っておくと、導入は楽ですからね。
参考までに:Telemannの12のfantasiaよりNo.1の演奏です。
斉藤先生、18歳(高3)の時の演奏だそうです。
年齢を書き加えるついでに、教室のconcept等をYou Tubeのコメント欄に書き加えて起きました。

https://www.youtube.com/watch?v=G8csyetu0SU




やっぱり!!エキサイティングです。斉藤先生のテレマンも素晴らしかったです。実はこのテレマンの曲、私も、まさにバッハの無伴奏の前段階で生徒に教えたことがあるのですが、この中にも、バッハの作品にそっくりな部分があって、作曲年を調べるとバッハより先だったから、「もしかして?!」と生徒と話していたのです。先生のお話でリアルになり、またこの曲を勉強したくなりました。質問なのですが、無伴奏の重音の部分の暗譜が苦手です。やはり和声学の勉強ですかね・・。


勿論、和声学も手助けにはなります。でも、和声学をまだ習っていない子供達には、声部の動きをmelodie-lineとして教えます。「この音はこの音に掛かって・・・」という風に声部毎の流れを説明して、それぞれの声部を歌えるようにします。横の動きが把握出来れば、多声部の暗譜は簡単です。生徒達には、縦の和音ではなく、横の流れを・・と指導します。


ありがとうございます😊





拝見しました。素晴らしい!❣ヴィデオの下の詳しいご解説も大変勉強になりました。装飾音、難しいです。今ヴィヴァルディの「冬」を生徒とやっていますが、最後の長めの音にトリルがついているのの解釈がわかりません。どう弾けばいいのでしょうか?例えば2楽章のソロの最後の長い音符とか。


Ⅱ楽章のsoloの最後の長い音符というのは、私のオケ譜には無いので、分かりません。16小節目の2拍目のtrillの事でしょうか?その後の2小節半の伸ばしっ放しの音がoriginalでは伸ばしになっていて、trillは掛かっていません。violinの1stと2ndがpizzicatoでdecrescendoをしながら静かに消えて行くように終わるので、trillが入るとうるさいと思うのですが、長い伸ばしっ放しの音符は一つの伸ばしのように弾くのは、結構難しいので、trillで伸ばしっ放しを誤魔化しているのかな?
多分石川先生が千葉教室のオケ練習を見学に見えられた時に、ちょうど私が弓の上死点下死点のお話を生徒達にしていたと思いますが、この長いdecrescendoも弓が足りなくなるので、教室では円回転を使って、一つの伸ばしに聴こえるように演奏します。だからtrillが必要ないのです。
trillをすると上死点下死点が聴こえないからですよね??
このお話の答えでよかったのかな??それとも、場所や意味を取り違えてしまっていたのかな??
間違えたのならご免なさい!!


うわあ!解決です。ありがとうございます。オリジナルにはないのですね。それで全て納得です。疑問に思ったらオリジナルを調べるのが大事ですね。1楽章も調べてみます。


一般的には装飾音は、感覚的に付けるとされていますが、CembaloやpipeOrganのように、baroque楽器では音に強弱が付けられない楽器が多いので、以前にもお話したように、学校で教えているように、「拍頭が強拍になる」・・という事は、音楽の表現ではない事の方が多いのです。という事で、拍節法によって、弱拍であるはずの音符が強拍になったり、終止で弱拍になったり、という表現が、cembalo等の楽器では、音の強弱で表現出来ません。それで、articulationの表現のために、ornamentが発達したのですよ。
和声のdominanteの法則に合わせて、強拍と弱拍を装飾音で表現すると、音楽のmelodyが、活きて来て、自動的にbaroqueらしい音楽表現になります。
そのmelodyのarticulationによる表現の例は、装飾音に関してのpageの、Couperinの修道尼モニカの解説のPageに詳しく、articulationの表現の違いが詳しく書かれています。あれっ?ひょっとして、pageはまだ壊れたままだったかな??



originalは日本版のポケットscoreを買うと一応は充分です。Peters版やRicordi版とも殆ど変わらないので



子供達に、装飾音を最初に教える時には、強拍を表す装飾音と弱拍を表す装飾音から、演奏の違いを説明します。


なるほど。これまでに教わったことのない素晴らしい視点です!そういう物差しをいただくと演奏法が見えてきますね。いやあ、改めて、先生ところの子供達はラッキーです。


生徒がそう思ってくれれば、私もラッキーなのですが⁉誰もそう思っていないのよね⁉


そう言えば、物差しで思い出したのだけど、つい先日、ピアノの生徒に、melodyのどの部分からだとしても、scaleになるpassageは、そのscaleの指使いになる・・・と説明したのですが、scaleは物差しだという意味が中々分かって貰えなかったのですよ❗つまり、scaleの指使いと、melodyに出てくる指使いは、別物として、一々考えるのよね⁉人生の無駄だから❗って言うのだけどね⁉




2019年3月6日 ·



「Prideとcomplex」
prideと増上慢(うぬぼれ)とを勘違いする事があります。
人(他人)は兎も角としても、自分にとっては、complex(劣等感)よりはprideの方が、より積極性があって、マシではありますが、prideは兎も角として、増上慢(うぬぼれ)では、自分の成長を疎外し、止めてしまいます。
物事を学ぶ上では、謙虚さはとても大切で、人(他人)を理解する事は成長に繫がって行きます。
しかし、謙虚さはよくcomplexと勘違いされてしまい、prideは自惚れと誤解されてしまう事があります。
「jealousy(=嫉妬)とrival(=ライバル)」
また、成長をしようと、努力を続けている人にとっての、最も気をつけなければならない事は、jealousyです。
jealousyの最も気をつけなければならない事は、jealousyとは、自分を人と比較して、人よりも劣っている所を羨むだけであり、そこの所を努力して克服しよう・・という姿勢がないという事です。
jealousyが、もっと悪く表れた場合には、自分の周りの友人達の自分よりも優れた面を、自分のlevelにまで下げるために、並々ならぬ努力をする事さえあります。
「その努力を自分のために使えば・・・」、と、思われるかも知れませんが、その場合、自分の技術を下げるための努力をするのは相手であり、自分ではないからです。
jealousyを起こす人は、所詮、怠け者なのですよ。
日本の女の子が、よく口にする・・と言われている言葉ですが、「今のままの私を好きになって・・・❗」という言葉をよく耳にします。
有り難い事に、現実の世界で私が耳にした事は一度もなく、あくまでもテレビ等のdrama(=ドラマ)の中の世界の話ですが、その言葉の潜在的な意味は、「私はあなたのためには、何も努力もしたくはない❗」と言っているという事と、同じ意味なのです。
それを「可愛い❤」と言う人がいる・・という事は、私には信じ難い事です。
まあ、いずれにせよ、それは人様の勝手なので、私には関係の無い事ではありすが、私の場合でしたら、仮にその子が、どんなに可愛いかったとしても、そんな女の子と私が、直接、接する事はありません。
そのタイプの女の子は、何時かは必ず周りの人を不幸にするタイプの人だからです。
日本の社会ではでは「jealousy」は、結構、いろんな場所で、幅を利かせていて、社会的にも或る程度は、その存在を認められているので、「jealousy」を忌み嫌っている私としては、困ってしまいます。
athlete(=アスリート)に限らず、努力を続ける若者に一番必要な人は、ライバルです。
ライバルとjealousyが根本的に違っている所は、ライバルとは、相手の自分よりも優れている所を認めて、それを学び越えようと努力をするという所にあります。
優れたアスリートは、必ず優れたライバルがいて、その人を目標にして頑張ります。
ライバルは、時としては、歴史的なlegend(=レジェンド)である偉人の場合もあります。
Genzmer先生のclassで学んで、最初に教わったRat(=助言、忠告、座右の銘)は、「作曲を学ぶ者は、全ての作曲家に対して、謙虚でなければならない❗」という事でした。
つまり、作曲を学ぶ者は「作曲家に対しては、好き嫌いを持ってはいけない」という事です。
このGenzmer先生の言葉は、私が教室を開いて、音楽を学ぶ生徒達に「Genzmer先生の忠言として」、必ず教えているRatです。
私がイタリアの国際コンクールで1位入賞をして、Genzmer先生が私に対して、一人前の作曲家として対等に接して来たので、私は驚いて、先生のその態度の意味を尋ねたのですが、先生は「あなたが国際コンクールで1位になったという事は、社会で作曲家として認められたという事なので、私もライバルの作曲家として、あなたから学ばなければならないのですよ❗」と言われました。
流石は、世界のreader(=リーダー)の言葉は違います。
師匠のその謙虚な姿勢は、私達が本当に学ばなければならない姿勢であります。
ライバルを持つ人には、jealousyはありません。
jealousyがあれば、ライバルを持つ事は出来ないからです。
それはそうと、今日の(・・・というか、もう昨日の事になってしまいましたが)朝は、初めてドルちゃんがハイツにやって来ました。
全く知らない初めての部屋に、私が居たので、驚いていました。「え~っ?何でここにいるの⁉」てな感じかな⁉
ドルちゃんは、結構ジェラシックな女の子なのだけど、それでも可愛い❤



素晴らしい文章で、大変共感いたしました。公開設定にされていないので「シェア」できなくて残念😌


お褒め頂いて心いります。鬱日記的な文章が多いので、友達公開にしているのですが、この文章に限って(文章毎に)公開というのは出来るのですかね?


各投稿の右上の…マークをタップし、「プライヴァシー設定」から個別に設定可能です。




2019年3月7日 ·



3月7日の早朝です。
まだ眠れぬ深夜です。
椎名町から大雨の中をバイクで帰って来て、弁当を冷蔵庫に入れようと思ったら、ケースの中のお味噌汁の洪水で、ケースを洗って、濡れたレインコートを玄関のコート掛にかけて、パソコンに動画のデータを取り込みながら、ベッドで悶々としていたら、誰もいないはずの台所の方から、ガサゴソと人のたてるような音が聞こえて来ました。
「泥棒でも入ったのかな?」と思ったのだが、ベッドから起き上がるのも、かったるいので、泥棒ならば、そのうちに寝室にも、入って来るだろうし・・・と、そのままベッドで悶々としていたら、今度は、反対側のベランダからガサゴソと音が聞こえて来ました。
「ああ、なんだ?これは雨音ではないだろうか?」と思ったのだけど、やっぱりそれをcheckするために、布団から出るのが、面倒なのですよ。
雨音だろうが、泥棒だろうが、コートが落ちる音だろうが、パソコンの作業が終わった音だろうが、まあ、いずれにしても、寝室に誰かが入って来ない限り、何の問題もないのだから、どうでもよいのだよな!
・・・と、うだうだとするのだが、やっぱり眠れない❗
さっきは一瞬だけ、椅子の上で、ウトウトしている瞬間があったのだが、その時にベッドに行けば、なんとか眠れたと思うのだが、お味噌汁の洪水で、ケースを洗っている間に、その瞬間を逃してしまったのだよ❗
そろそろ、ベッドで寝ているのも疲れて来たので、起きようかな⁉
もうすぐ朝の5時です。
寺田寅彦調で書いてみました。




2019年3月8日 ·



3月8日(金曜日)の早朝というか、3月7日(木曜日)の深夜というか・・というと何時もの書き出しなのだが、まあ、定形句のroutineとでも思って貰えば良いのかな⁉

昨夜は遅い食事に出掛けて、帰ってから出発直前までやっていた作業を纏めながら、弁当を冷蔵庫にしまったりしていたら、どうしようもなく睡魔に襲われて来たので、大急ぎで、ベッドに入ったら、ベッドの冷たさで、眠気がブッ飛んでしまった。
さて、どうしようと思ったのだが、いつものように「wine逃げよう!」と思ったのだが、もうをmy-wineは飲んでしまって、注文中なのだが、注文してだいぶ経つのにmy-wineはまだ届かないので困ってしまう。
本当の事を言うと、高いwineは、数本あるにはあるのだが、普段の鬱に飲んでもしょうがないからね⁉

まあ、いつもの摂眠障害の分析をすると、膝から下が、・・特に踝から指先が氷のように冷たい❗
いくら、アンカで温めても、このpatternでは体は温まらないので追いつかない❗

昔、お袋が「足が冷たい」と言っていたので、電気の足温器を買ってpresentしたのだが、多分、一度も使わないままに、押入れに置いたままであったので、家を処分する時に、ユーカリに持って帰ったのだが、ユーカリは誰もお泊まりをしないので、そこでも押入れの肥やしになってしまっている。
足の冷えには、足湯はとても有効なのだが、準備や後片付けが大変なので、電気の足湯ならば簡単だと思ったのだが、お袋には、使って貰えなかった。新しいものには、苦手なので、使用法を説明するのだが、中々覚えて貰えないからね?

持って帰って来た電気の足温器は、私が自宅のハイツで、足が冷えて眠れない時に、使えば良いのだが、ハイツは部屋が狭くて、物が散乱しているので、何一つ置くことが出来ないのだよ❗
それにしても足だけを温めるのは、結構難しい課題だ。
寝室のアンカは、直ぐに準備出来るようになっているのだが、温まるまでには、結構、時間が掛かるし、それから足が温まるまでにはまた、時間が掛かるのだよ❗
しかし、鬱の時には、不思議な事なのだが、冷たい布団に入って、しばらくして、体は温まって来ても、足先だけは何時まで経っても温まらないのだよ❗
それこそ、一晩中でも、体は温まっても、足だけは冷えたままで冷たいままなのだよ‼
勿論、それでは眠れる事はない❗
と言う事で、摂眠を良くするためには、強制的にでも足を温める事しか方法はないのだよ‼


それはそうと、今日も超、鬱が酷くなって来て、心のcontrolが利かなくなって来た。
仕方がないので、高いwineしかないのだけど、諦めて飲むか??
と言う事で、Franken=フランケンのbottleをselectして、wineを開けようとしたら、なんとコルクが割れて、ボトルの中に入ってしまった。
コルクのクズが入らないように気をつけながら、wineglassにwineを注いだら、白wineなのに、なんと黒酢のような色をしていた。
「え~っ??」とビックリして、ラベルを見たら何と、1983年の、40年物のwineだったのだよ。
そりゃあ、美味しいわさね~ぇ??
今日のくだらない鬱のつまみにするには、超贅沢なwineだよ!!
まるで、味は濃くて、Brandyになる前のwineだなや??
日本酒のように、というよりも、もっとチビチビと、1滴づつ舐めるようにすると美味しいのだが、普通にwineのようにゴクンと口に入れると味が濃すぎる。
勿体ないおばけが出るかもね??


コルクを落とした・・・といえば、昔々、郷里の長崎に帰省していた時に、日フィルの三角氏に連れられて、ちいさなwineセラに斉藤先生を連れて行ったのだが、三角氏がmyーwineという事で、ロマネ・コンティの80年物を自宅のセラから持って来た。お店のソムリエ見習いの若い女の子にbottleを開けさせたのだが、女の子が緊張で、手が震えて、コルクを割ってしまった。残ったコルクの欠片が、どうしても取れない。100万以上するwineに、ソムリエの師匠は真っ青な顔で、見習いの女の子も半泣きだったのだけど、三角氏は「いいよ❗いいよ❗」とこともなげにコルクを瓶の中に落とさせた。「コルクがグラスに入らないように、気をつけて注いでね?」

オークションで落とした80年物のwineのコルクは、もうボロボロに腐っていたのだよな⁉
そういう事も、よくあるのだそうな⁉
私は、基本、赤は飲まないので、グラス一杯だけ、味見にお相伴して、後は白のwineを一人で飲んでいたのだけど、斉藤先生達は「美味しい❗」と言って、感激しながら飲んでいたよ。

アッシには、カビ臭かったけどねぇ?
どうも、赤の味は分からん⁉




2019年3月9日 ·



木、金と、24時間以上も全く眠れない日が続いた話しは、もう、しましたが、その間、産まれて初めての、花粉症のような鼻水ポタポタの状態が寝ても起きても続いてしまって、参ってしまいました。
「とうとう、この歳になって、花粉症になってしまったのかな?」という事です。
私達、回虫世代は、基本、花粉症にはならないと、たかをくくっていたのですが、病院では、「歳を取っても体が変わるので、アレルギーになることは、よくあるのですよ。」と先生に言われていたのでね⁉
布団の中でも、鼻水が出続けるので、全く困ってしまいました。

何とか、3、4時間眠れて、トイレに起きたら、何と、鼻水はすっかり止まってしまいました。
「何だったのだろうか⁉」 いつもの、鼻づまりの状態に戻ってしまいました。

明日は、通常の千葉でのオケ練習ですが、来週は病院weekで、川崎での、術後3ヶ月の膀胱鏡での検査と光が丘の糖尿外来が続けてあります。毎日では、体力的に厳しいのですが、病院の都合なので、二つの病院の予定が上手くかまないので、しかたありません。私の都合は、聞いて貰えないので・・・


大正生まれの私の祖父も、70歳を過ぎてから花粉症を発症しました。
「ワシも若いんだなぁ〜♫」と、本人は満更でも無い様子(?)でしたが・・💦




2019年3月11日 ·



3月11日の月曜日です。
昨夜、日曜日のオケ練習の帰りに高速に乗ってから雨が振り始め、ハイツに戻る頃には、とうとう本降りになってしまいました。
今日の朝になっても、延々と同じペースで降っています。
予報では明日は晴れる事になっているけれど、明日は術後3ヶ月検査で川崎まで電車とお迎えのバスを乗り継いで行かなければならないので、晴れてくれないと困るのだよな?
明後日の水曜日は、ひかりヶ丘の糖尿病外来だしな??
2日連チャンの病院通いは流石にきついし、川崎の病院の術後検査は麻酔を掛けての検査なので、帰りの電車が何かと心配なのだよな!
まあ、明日の事は明日悩むとして、昨日のオケ練習では、突然、大阪から碧人君が大学の春休みで、オケ練習の検見川教室に来て、VeraciniのpassacagliaのOrgan-partを初見で弾いてくれたよ!!
Organ-part担当のひかりちゃんが、練習の途中で熱が出て、早退させたのでね!
「Foliaとpassacagliaは、年齢層が上がった」と紗來ちゃんが言っていた。
確かに、Stamitzからは、大学生達の総出演で、グンと年齢が上がるよな?
毎週日曜日の、オケ練習のrotationでは、memberの入れ替えを休憩時間にするように組んであるので、休憩を挟んで3曲ずつのgroupingをします。
2回オケのgroupの3曲の練習時間は、それぞれ曲の練習時間が30分づつで、total1時間半で、問題はないのですが、私が指導する3回オケの前半のgroupの1時間半は、人は一応3人なのですが、曲が難しく、また1曲辺りの演奏時間が長くなったのと、曲が桃迦ちゃんのVivaldiのcello-concerto G を除くと、後の美音ちゃんのVivaldiのe mollのⅠ、Ⅱ楽章と綾乃ちゃんのCapuzziのⅡ、Ⅲ楽章で、実質的には、合計5曲になるのですが、練習時間は、仕込み(楽器の持ち替えやtuningの時間、楽譜の準備も含めて、なんと、2回オケと同じ、1時間半なのです。)
つまり、1曲あたりの持ち時間は、準備の時間も併せて18分しかないのです。当然、通しで、8分は掛かるので、もし、真面目に時間を守って練習をするとすれば、one point-lessonでもきついかも知れません。
という事で、桃迦ちゃんのlessonを通常のオケ練習のように指導をすると、次の、美音ちゃんのVivaldiのⅠⅡ楽章だけで、練習時間が終わってしまって、最後の綾乃ちゃんのCapuzziのconcertoのⅡⅢ楽章の練習時間は全く無くなってしまいます。
つまり、Capuzziの練習時間が、前の曲の練習のシワ寄せを受けて、ざっと、一度通しただけで終わってしまいます。
今回は、桃迦ちゃんが学校の試験でお休みだったので、順番をひっくり返して、Capuzziからオケ練習を始めました。
cello-concertoのオケのpartは、練習箇所は出尽くして、練習の箇所は、毎回同じroutineになってしまっているし、桃迦ちゃんの練習箇所も、抜き出しで牧野先生の個人lessonで、充分だからです。
と言う事で、今回のCapuzziの練習をuploadする事にしました。
最後のgroupは、StamitzのViola-concertoのⅠ楽章と、Corelli=Geminianiのla foliaと、Veracini=Ashizukaversionのpassacagliaの大曲3曲です。
出演のmemberの関係で、Stamitzだけは、最初に練習をしなければならないので、この3曲も順番の入れ替えは出来ません一番大変な膨大な長さの、体力勝負のpassacagliaがオケの最後に来るのは、とても大変なのですが、これも、致し方はありません。


https://www.youtube.com/watch?v=z07qAEy7cSs&fbclid=IwAR1BgK-3OVKozOXSBiK5_9BcFrFJCi
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芦塚音楽研究所千葉音楽教室、Antonio Capuzzi Kontrabass-concerto D Dur ⅡⅢ楽章、検見川教室の練習風景です。川島綾乃(中2)Kontrabass-solo、指導芦塚陽二先生 毎週日曜日のオケ練習では、午前中は小さな子供達の室内楽や全体合.....



てな事を書いていたら、今日はまた、血尿が出てしまった。
昨日は少し頑張り過ぎて無理をしたのかな??
それとも明日の検査へのpressureが原因・・・?? 
それにしても、今日は、未だ疲れが取れない!!



2019年3月13日 ·



川崎の3ヶ月点検に12時前に出掛けてから、検査を終えて、7時過ぎに何とかハイツに辿り着きました。病院の後片付けをしたり、火曜日の予定の注射をしたり、色々と雑用をして、次いでに、午前中に作っておいた、vivaldiのa mollの1楽章の分析譜を、homepageにupして・・・と、雑用を始めたのですが、超、バテてきたので、9時前に寝てしまいました。
2時間後の11時には、routineのtoilette-timeで起きたのだけど、それから何時ものように、眠れなくなってしまいました。
明日は朝9時からひかりヶ丘の糖尿外来の診察日なので、その30分前までには血液検査を済ませておかなければならないので、遅くても8時半にはひかりヶ丘の病院に着いていなければなりません。
・・と言う事は、8時にはハイツを出発しなければならないので、7時には起きて準備を開始しなければなりません。
と言う事は、今はもう3時なので、寝ておかなければならないのですが、pressureで眠れないのですよ。
昨日は、注文していたwineが着いたので、wineでも飲んで寝たい所なのだけど、血液検査があるので、alcoholは飲む事が出来ません。
困った事だよな??



2019年3月13日 ·



朝の7時45分には、ひかりヶ丘の病院に出発して、9時前には病院の検査を済ませて、9時の予約時間から、1時間以上待たされて、5分で診察を終わってしまった。それから、またまた、手続きで延々と待たされて、病院を出たのは、なんと11時過ぎだった。たった5分の為の4時間という、この途方もない時間の無駄は、もう、我慢の限界かも知れない。
診察の結果は、「腎臓の機能が半分くらいに低下しているので、問題だ」、と言っていたよ。
昨日の泌尿器科の検査の時には、腎臓の機能が衰える張本の科なので、先生はそれについては、何も言わなかったのだがね⁉
・・・で、糖尿の先生は、「痩せろ❗」としか、言わないし、「食べるから肥る」・・が、どうやら持論らしい事が判明した。
「このひと月近く、stressが続いていて・・・」と、話しても、それに対しての興味は全く無くて、聞く耳もないようだった。
あれだけ「食わなきゃ痩せる」という通念に苦しんで来た事を、毎回話して来たのに、今はもう、興味はないようだ。
病院を11時過ぎに出て、小一時間掛かって、12時過ぎにハイツに帰って来て、超、疲れが出たので、何もかにもそのままの状態で爆睡してしまって、公園の子供達の遊び声で目が覚めて、暫くの間は、次の日の「木曜日の朝だ!」と思い込んでいたのだが、時計を見て、未だ水曜日の夕方だと気がついた。
「時間を儲けたのかな?」と思って、パソコンを開くと、何時もの通りに、またまた、鬱な報告が・・。
まあ、これも仕事の一分なので、仕方がないのだが、でも、勘違いをされて、困るのは、「教室が何をしてやれるか?」ではなくて、「教室に何を望むか?」なのだよ。
もし、教室に何かを求めれば、それを与える事は出来る。
しかし、教室に望まなければ、教室が幾ら頑張って、とても大切な物を与えたとしても、その与えられた物には、何の価値もないのだよ。
その原理を知らないと、指導者は消耗してしまうよ⁉



2019年3月14日 ·



今日も、Facebookは使い物にならない‼upload出来ない❗
あれれのれ??
error-messageが出ているのにupload出来ているぞ??
不思議だ!
今度はuploadをしている文章が、uploadの保留中になっている・・とシェアを求めて来た。同じ文章が2つ出来てしまったので、求めて来たシェアの分は削除した。元の文章も削除されるかな?と危惧したのだが、それは無かった!!
何、やっとるんじゃ??Facebookは・・??
何と、テレビで今日はFacebookがおかしくなった・・という放送をやっている。
でも、今日に限らず、普段からじゃん!!何を今更・・・



2019年3月16日 ·
「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」


「出来る」から始める人と「出来ない」から始める人がいる。
それはその人の、仕事対しての姿勢に限らず、その人の人生そのものをも示している。
「出来ない」から始める人は、『もし、出来なかったら、どうするの?』と必ず聞いて来るのだが、「出来ない」で始めていなかったとしたらどっち道「出来ていない」のだから、それが「ダメ」で「失敗した」としてもequal=egalにしかならないのだよ❗
つまり、それ「以上の失敗」は無いのだよ。
「出来ない」という前提からは、何も「始まらない」のだが、「出来る」という前提からは、それを「成功させる」ためのprojectを作る事が出来る。
その過程で失敗があったとしても、失敗は、「その方法論では上手く行かなかった」という事を証明したに過ぎない。
つまり、その後には、必ず、別の方法論、つまり、別の道への可能性が幾らでも作れる・・と言う事なのだよ。
「ダメ元」という前提も、「出来る」かも知れない・・という前提に立っている。
つまり、「出来ない」という人達にとっての最良とは、現状維持の事であり、その現状維持が成り立たなくなっている・・としても、その現状維持を保とうと努力をする。
「現状維持」は、「取り巻く周りの環境が同じ場合・・」という極めて稀な不確定要素に満ちた前提条件の元にしか成り立たない。
儒教的な発想は、「何も変えない」「何も変わらない」という前提の元にしか、成り立たないのだが、それを「安定」と勘違いする人達がいる。
でも、この「正しい安定」を維持するためには、常に安定させるための「改革」、「工夫」と言った「努力」が必要であるという事を知っておかなければならない。
「安定」を得るための、「何もしない」という事は、必然的に衰退を招き、滅亡への道を歩む。
諸行無常、社会は時代と共に、常に変わって行くものであるから、「何もしない」という事は、「時代に取り残されて行く」・・という意味になるのだよ。
これが世の常である。
教育者である事を忌み嫌う私(余計な前提だが・・)が作り上げたmethodeは、子供は『正しく導けば全てが出来る』という前提で構成されている。
出来るようにするために、curriculumが組まれているのだよ。指導者が、その立ち位置さえ変えれば、子供達への可能性は無限になる。
最初から、子供だから「出来ない」という前提では、「何も出来ない」のだよ。
また、これは宗教ではないのだから、「出来る」と信じれば、「出来るようになる」という筋合いのものでもない。
「出来るようにする」ためには、「出来るようになる」ためのcurriculumが必要になるのだよ。
「子供だから出来る」という前提も、基本的には間違えている。
そこに「正しいcurriculumと正しい信念を持てば」・・という条件が付けば・・という事である。
たった、それだけの事が、40年以上も主張し、実証しているのに、未だに世の中に理解されない。
不思議な事だ!
子供達を指導して、子供達の可能性を作りあげても、親を指導する分けではなく、社会を改革する分けでもない。
子供達を取り巻く環境は、旧態然として、何も変わらないのだよ。親や世間の人達は自分の環境を変える事を良しとはしない。
だから、幾ら、良さげな箴言があったとしても、それは聖フランシスの魚達への説教に過ぎない。
見ても見えず、聞けど聴こえずなのだよな??
まあ、人間の人生なんて、そんなもんだ‼
タバコはもうやめたから、「人生はマッチ箱のようなもんだ‼」なんて酔狂な事は私は言わないよ‼
コメント
芦塚 陽二
補遺も書いたのですが、目下非公開にしています。文章がキツいので、もう少し、優しく一般的な文章になったら、友達公開にします。



3月16日 ·
「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」補遺「見切りについて」
この話しは、教育の話に限った話しではなく、一般的な全てに通じる話しであるという事で、教育ではない他の例をあげるとすれば、大人社会で、ある程度の地位を持った人の場合、特に会社経営等に携わる人達に多く見受けられるのだが、「出来ない」というtypeの人が、人生に英断をして、会社というprojectを始めて、或る程度の成功を収めた場合、そのprojectが時流に立ち遅れて、赤字経営に陥った場合でも、必死にそのproject(経営style)を守ろうとあがいているのをよく見受ける。
会社経営の場合には、赤字に転落した段階で、それが立て直し可能か否かの「見切り」が大切になる。
不動産や固定資産を全部処分したとして、赤字の補填に充てたとして、それで0円になれば、それは「見切り」が正しく行われた事になる。支払う事の出来ない負債が残ったとすれば、それは信用の失墜だけでは済まなくなる。何とかすれば、何とかなるでは、それは妄執に過ぎない❗
教育の問題として、この話しを言い換えるとすれば、教育が幾ら上手く行っていたとしても、親の判断が間違えていたとすれば、子供が幾ら正しい道を歩んでいて、それ相応の成果をあげていたとしても、親が教室の指導に不本意ならば、教室としては、それ以上の教育をしてはならないのだよ。
親が教室の指導方針に反対の立場を取るのならば、将来的に、必ず子供は行き詰まってしまうのだよ。
それは徒に、子供の挫折感を煽る結果となるだけではなく、指導者にとっても、砂地獄のような不毛は努力の甲斐のない教育をする事に他ならないからである。
それならば、親を積極的に指導して、親の教育に対しての考え方を変えさせれば良いのでは?と思う人達も多いと思われるのだが、大人はハウツーは変わることはあっても、産まれてからの本質は、変わることはないのだよ❗
日常的な生活を幾ら変えても、心の奥底にある本質が変わらないと、子供の将来が変わることはないのだからだ❗
「必ず、将来的に挫折をする」という子育を嫌という程見て来て、指導者の子供への教育の限界を正しく把握する事が、指導者自身だけでなく、教室にいる他の生徒達を守る事にも繫がって来るのだよ。



3月17日 ·
金曜日の夜のドルプリっ歩の時にこ、右足のふくらはぎの筋肉を痛めたのだが、土曜日の夜の散歩の時には、足の筋が断裂したように痛くて、全く歩けなくなってしまった。
まあ、歳取るとよくよく色んな事があるよな~ぁ??
歩けないと、バイクの移動と、ニャンコ号(※)への楽器の積み込み、積み下ろしが大変だよな~ぁ??
取り敢えずは、荷物の積み降ろしは子供達にさせるとして、それよりも、私自身が、駐車場から教室まで歩けるか?だよな⁉
(※)教室の車をニャンコ号と言っています。「何故、ニャンコ号と言うのか?」と言うと、初代のニャンコ号と2台目のニャンコ号の扉には、目立つように、教室のマスコットキャラクターであるニャンコが描かれていたからです。3代目の車もニャンコ号と呼んではいますが、今の所、車にロゴを入れる気はありません。ニャンコ号、廃名しないとな??

コメント
純子斉藤
あらあ・・・初代にゃんこ号懐かしい‼よく写真有りましたね?初代のときは業者が描いたものでしたが、よくこんなそっくりに描けるなあ、と、関心してました。今の時代だと磁気シートにプリントとかして作れるはずなんだけど、今のところそういう車対応の印刷をしてくれる業者は見つかりません。

1年前
芦塚 陽二
幾らでもあります。
1年前
千野 由実
純子斉藤
マグネットシートに直接印刷はできませんが、ラミネートシールに印刷してマグネットシートに貼って、車に、、てのは可能かと。
でも貼り付けていると車に跡が残っちゃうんですよねー。。。初心者マーク🔰貼り付けてる一年だけでも、だいぶ日焼けで跡がつきました。

1年前
芦塚 陽二
そう言えば、そうでしたよね⁉シルバー・マーク、しらばっくれて貼っていないので、忘れていました❗
1年前
芦塚 陽二
シルバー・マークや🔰マークは、小さいので、貼る場所を少しずつ変えていけば良いのでしょうが、ニャンコのイラストぐらいになると、大きいので場所が決まってしまうので、それは問題だよな⁉
1年前
千野 由実
芦塚 陽二 じゃぁ、ガラスに貼りましょうか😜
あとは、、、電光表示板のような!?




3月18日 ·
昨日(3月17日)のオケ練習は、(「この所、毎週」・・てな感じもありますが・・)練習の途中でEnergieが切れてしまって、牧野先生、斉藤先生に任せて、聴くだけにしてしまいました。
昨日は行きも帰りも事故渋滞で、普段よりも、疲れが更に酷くなってしてしまったし、金曜日からの脹ら脛(ふくらはぎ)の切れたような痛みでまともに歩けないので、ドル・プリっ歩は省略して、食事が終わってサッサと帰ろうとしていたら、「なんで、帰るの!」「帰るな!!」「散歩に付き合え!」とプリが怒って吠えていたのですが、吠えるプリを尻目にサッサとハイツに戻ってしまいました。
可愛そうだったけれど、私もそれどころではなかったしね・・??
深夜だったので、ハイツの部屋の中も結構冷えていたので、お弁当類も、冷蔵庫に入れる、そのひと手間を惜しんで、着ている物も、楽譜類も、何もかにも放ったらかしにしたままで、布団に潜り込んでしまいました。
通常ならば、その日、外出中に来ていたmailやFacebookのcheckをして、緊急の連絡やお返事等を済ませてから、寝るのですが、パソコンの電源を入れてしまったら、一巻の終わりなので、(その雑用に、小一時間以上は掛かってしまうので、)パソコンのような物は部屋にないものとして、(見ない事にして)、電源を入れる事無しに、寝てしまいました。
これは楽でいい!!
何時ものように、2回程、途中でtoiletteに起きたのですが、toiletの後も、そのまま眠る事が出来たので、熟睡が出来て、珍しくとても楽しい夢を見ました。
どこかは分からないのだけど、まるで大きな公会堂のような大ホールのあるヨーロッパの大きな教会で、その土地の民族舞踊や物語を題材にした子供達の華やかな演奏と舞台に招待されて鑑賞している風景で、子供達の踊りや歌、orchestraが素晴らしかったのよね??
すっかり、happyな気分になりました。
朝も、定時に目が覚めたのですが、定型の体重体脂肪、血圧の測定を済ませたら、またまた寝てしまいました.。
熟睡してタップリ寝たので、ほんの少しなのだけど、体重が減っていたのだよね??
日曜日の次の日は、必ず肥る・・というジンクスに逆らって・・・・なのだよね⁉
良い睡眠は体に良い・・という事だよな?
お昼の直前の11時半くらいに、起きたので、前日の夜から12時間程、寝た事になって、それから起き出したのですが、それでも惰眠を貪った分けでなく、toilette-timeや朝の体重測定の時間を除いたら、何とか通常の7,8時間程度の合計睡眠時間になるので、ちょうど良い睡眠時間になります。
私の場合には、普通は4時間ぐらいしか、眠れないので、本当に久しぶりの熟睡になります。
昨夜は未だ歩けなかった右足なのですが、今日は爆睡したおかげで(痛みは少し残っているのだけれど)、部屋の中では普通に歩く事が出来るようになりました。
勿論、未だ、ドルプリっ歩は無理だとは思いますがね??
YouTubeは、昨日の練習風景で、ぶっ潰れる前のStamitzのViola-concertoのlecture風景です。
まだ、この曲を含めて、後何曲かは、なんとか元気なのかな??
パッサカリア当りからは、もう限界だったよな⁉



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3月19日 ·

日曜日はover‐workになって、ベッドに倒れ込んで、そのまま、爆睡してしまいましたが、その御蔭で、良質の睡眠を取る事が出来て、何年振りかで鬱のない穏やかな一日を送る事が出来ました。
火曜日の今日(3月19日)も、そのままの体調、精神状態で、dietも血圧も非常に良い状態が続いていましたが、夕方の4時頃になったら、突然、意識混濁が始まって、「これはマズい!ベッドに行って寝なければ・・!」と思ったのですが、パソコンの前の仕事用の椅子の上で、体が動かなくなってしまいました。(まあ、それを意識混濁状態というのですがネ??)
小1時間程、椅子で意識朦朧としていたのですが、なんとかかんとか、5時過ぎ頃になって、椅子から立ち上がって、ベッドに潜り込む事が出来ました。
今は、夜の9時を過ぎた所ですが、なんとか、4時間近く睡眠を取る事が出来て、routineのtoilette-timeに起き出して、ついでに、今日の分のmailのcheckを、パソコンでやり始めた所です。
今日は、一日仕事にならんかったな~ぁ??



学生時代、自分が怠け者である事を常にcomplexを感じていた私がGenzmer先生に「どうしたら先生のように勤勉になれますか?」と質問したら、先生はPianoの前で、20分以上考え込んでしまって、やがて一言・・・「Hindemith先生は、 画家マチス(=Mathis der Maler)のpart譜を1月で書き上げる程、勤勉だったのだよ!」と述懐して、一言つぶやいただけでした。
そんなもんだよな??










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3月20日 ·

「指揮と弾き振りについて」

指揮の歴史のような専門的なお話は、そういった音楽の書物を参考にして貰う事にして、この文章はあくまでも、私的なお話です。
指揮棒を使って指揮をしたのは、一般的にはMendelssohnだとも言われていますが、それは通説(legend=レジェンド=通説)なので、詳しくは、専門的な書物を参考にしてください。
baroque時代や古典派の時代では、「弾き振り」と錫杖(しゃくじょう)による指揮が通例でした。
絵のJean-Baptiste [de] Lullyが手にしているのが指揮用の錫杖です。
床にトントンと打ち付けてrhythmを取りますが、ある時にLullyは自分の足の甲に杖を打ち付けて、それが化膿して死んでしまいます。
franceの超かったるい映画であるMarin Maraisの恋を描いた「巡り合う朝」にもMarin Maraisが錫杖で指揮をしているシーンが出て来ます。
baroque時代には、現代のような指揮棒は無かったので、通常は、作曲者がsoloのViolinを弾きながら、指揮をする「弾き振り」が一般的でした。
或いは、soloの楽器を弟子に任せて、自分はCelloのpartに、覚書の和音の数字を書いて、それを見ながら即興で、Cembaloのpartを弾きながら指揮をするという2つの指揮の方法が一般的でした。





つまり、和声学とは、baroque時代の作曲家達にとっては、即興演奏をするための速記法だったのですよ。
bezifferten Baß(=数字付きBaß)を見ながら、即興でCembaloの右手のpartを作りながら、指揮をするという「弾き振り」が一般的でした。楽譜はcorelliのla foliaの直筆譜です。
つまり、錫杖を用いての指揮は、余程大きなorchestraの場合だけ、だったのです。
baroqueや古典派の中期ぐらい迄の時代では、作曲者が弾き振りで演奏をするのが一般的だったのです。




コメント
石川 ちすみ
巡り会う朝!昔見た気がしますがもう一度探してみます。
Lully のエピソード、驚きました。杖の名前はなんと読みますか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
写真の説明はありません。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二

この杖の事は、日本では混乱してごちゃ混ぜになって、解説されているようなので、説明をしておきますが、Lullyが持っている指揮の杖は聖職者が持つ杖と同じものなので、錫杖(しゃくじょう)と訳されているようです。通常の長い杖(つえ)を持っている場合が多いので、その場合には単に杖(つえ)と書いて区別している場合もあります。
鼓笛隊や軍楽隊の指揮者が持つつえは少し短くなるので、英語でbaton、ドイツ語ではTaktstock(指揮棒)と読んでいて、これが現在の指揮棒のrootsになっています。短いので、床に打ち付ける事は出来ないので、振るだけの視覚で指揮をします。
錫杖は托鉢僧が鈴や金の輪っかを通して、地面に打ち付ける度に、シャラン・シャランととても良い音が鳴ります。
打楽器でrhythmを取るような感覚です。
錫杖を用いない場合には床を足で踏み鳴らす・・という指揮の場合もあったとされますが、石造りの床では音は余り鳴らないし、非音楽的だったので、orchestra等を指揮する場合には現実的ではなかったと思います。
錫杖は床に打ち付ける音ではなく、床に打ち付けた振動で、錫の輪っかが絡み合って鳴る音だからとても綺麗な音がします。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
石川 ちすみ
なるほど〜。大変勉強になりました。
· 返信する · 1年前



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2019年3月21日 ·
プライバシー設定: 公開
「指揮と弾き振りについてⅡ」
「指揮者のtype」
指揮法について、説明する前に、指揮者になる人にはその人の専門で、色々なtypeの指揮者が居ます。
(ここで言うtypeとは、その指揮者の性格ではなく、学んで来た専門の分野について・・です。)
一般的には、指揮者は、指揮を専門に勉強して来た人が、指揮者になる・・と思われているようですが、そうばかりでもありません。
主にその指揮者のrootsというか、専門は3っつあります。
その一つは、orchestraの団員から指揮者になる場合です。
歴史的に有名なlegendな指揮者はトスカニーニですが、日本でも岩城さんも元はNHK交響楽団で打楽器を担当するオケの団員でした。
蛇足ですが、私の大好きなWilhelm Furtwänglerの演奏するBeethovenの「運命」は同じlegendであるイタリアのArturo Toscaniniよりも10分も長いのだそうです。Furtwänglerの演奏timeは74分だそうです。有名な話ですがね・・・
二つ目としては、作曲家が自作の曲を指揮をする事は、当然良くありますよね?
StravinskyやRavel等のlegendな作曲家は当然有名ですが、それ以上に、指揮者としても一流で活躍した人もいます。Pringsheim先生の師匠でもあるGustav Mahlerも、指揮者としても活躍していました。
指揮者として勉強して来た指揮者は、当然、指揮(baton-Technik)は非常に上手なのですが、オケ畑から指揮者になった人は、オケの気持ちが良く分かるので、オケとの一体感が優れています。
それらに対して、作曲家の指揮は曲の事を良く理解して指揮をするので、曲に対してのsymbthyがとても良いようです。
それぞれに、指揮者の出身の専門性で、指揮に大きな違いがあって面白いです。
「指揮の指導に対して」
「指揮を学びたい」という話は良く聞きますが、私も大学で色々な先生の元で指揮の勉強をしてきましたが、先生によって、指導する内容も、how-toも全く違うので、「指揮の勉強とはなんぞや?」と、悩んでしまいます。
私がPringsheim先生やGenzmer先生の元を去ってから、早、既に半世紀以上にもなってしまいましたが、多くのpianistやviolinist、cellistを育てて来ましたが、自慢では無いけれど、一人も作曲家は育てていません。
・・というか作曲の弟子だけは教えていないのですよ。(勿論、指揮者もですが・・)
作曲の勉強というのは、先生から勉強として学ぶべき事は少なく、本人の実際の経験からしか学ぶ事は出来ないような気がするからです。
実は、指揮も同じように、基本的な単純な動きをmasterしたら、それ以上のbaton-Technikは、自分自身で経験で学んで行く他は無いような気がします。
勿論、作曲にしても、指揮にしても、proの人達からone pointで、advice料を貰ってadviceをした事は、何度もあります。でも、それは単なるadviceであって、弟子を育てる・・という事にはなりませんから、私は勿論、相手も「私の弟子になった」とは思っていないはずです。それに、Proとして、私よりも何倍も有名で稼ぎ巻くっている相手からふんだくるのは当然の事なのですからね・・??
「legendな指揮者の練習風景を見ると」
指揮者は、orchestraを統率して、とても格好良いのですが、でも、普段の練習の時から、格好良い指揮をする分けではありません。
カラヤンのような、素晴らしい格好の良い指揮をする指揮者でも、普段の練習の時には、単純な1拍取りの指揮しかしないのです。
私の趣味として作曲家の自作自演の動画や、作曲家の自筆の楽譜のfacsimileの収集の他に、多くのlegendな(歴史的に有名な)指揮者の練習風景のvideoを持っていますが、そのvideoで普段の練習の時の指揮を見ると、legend達の指揮は、1拍取りの実につまらない単純な指揮です。
それが、本番では、全く違う見せるための指揮に変わるので、笑ってしまいます。外用と内用の違いです。
Karl Böhmさんの練習風景のvideoを頂きました。(なんかの景品だったのかな?)BöhmさんのWagnerかなんかの練習風景だったのですが、Böhmさんが管の人を怒鳴りつけている風景でした。(「私はここで哀れなtrombaにeinsatzを出さなければならないのだよ!!どうして、君にeinsatzを出す事が出来るのだ!!」とBöhm先生は怒り捲っていました。管が音を取るtimingを間違えたからです。でも、「音を取るtimingを感じろ!」とは、無理難題だと思うのですけれどね??まあ、同じような話はKarajanにもあったしね??2本の腕と目線だけでは、orchestraを総て支配するのは無理難題だ・・という事だよな??)
「指揮をする上での留意点」
指揮を学ぶ上で一番気をつけなければならない事は、拍頭のpointを正確に作る事です。
練習にしても、本番での指揮にしても、基本となるのは、1拍目のpointです。
そのpointは必ず同じ空間上の同じ場所(point)でなければなりません。
pointの位置が少しでも上下に流れたり、ズレたりするようでは、オケの指揮は成り立ちません。
2拍目や3拍目が、ズレても、先程、練習に支障はないのですが、1拍目だけは、正確に指示をしなければならないのです。
弾き振りで最も難しいのは、演奏をする事に神経が注がれてしまうので、その1拍目のpointがズレてしまったり、einsatz(指示)がabout(曖昧)になってしまう事です。
音楽表現に関しては、特にproではない子供達を指導する場合には、演奏表現をoverにしないと、音楽の表現が伝わりません。
proの場合には、「なあなあ、やあやあ・・・」で伝わる表現でも、子供に対しては、かなりoverな表現でなければならないので、指揮の場合には、然程、難しくはないのですが、弾き振りでは、当然、自分も演奏をしているので、その表現がとても難しくなってしまいます。
「orchestraのresponseについて」
舞台では、耳で聴いて合わせようとすると、それぞれの楽器の間で、time lagが出て音楽がズレてしまう・・というお話はしました。
それとは違って、演奏する団員達が正確に指揮のpointに合わせても、実際に出て来る音のズレのtime lagのお話です。
orchestraの楽器では、大きな楽器(Kontrabassやtuba)のような大型の楽器になると、音を出す瞬間と実際に音が出るtimingでは、結構大きなズレが出てしまいます。
このズレのtimingは、舞台の大きさに比例します。
つまり、舞台が大きくなればなる程、ズレは大きくなっていくのです。
orchestraで低弦や低音楽器が遅れて発音して来るこのズレを「格好良い!」という人達も結構いますが(※)、これは所詮、下手なorchestraである・・という意味に他なりません。
訓練された上手な低音楽器の演奏家達はそのズレを計算して、指揮のpointよりも先行して弾き始めるのです。
ちなみに、pipeorganの奏者もorchestraや歌の伴奏をする時には、かなり早くに先行して演奏をしています。
今回のStamitzのViola-concertoの子供達の練習風景にも、Kontrabassに「tempoが遅れないように!」とeinsatz(指示)を出していますが、それはKontrabassは指揮のpointではなく、指揮のdownのmotionの時に、弓を動かし始めるための練習です。Kontrabass担当の生徒達は音が出始めるのを聞いて、演奏をしています。(他の楽器とは弾き始めのtimingが違います。)
(※)私も中学生の頃、始めて日本のproのorchestraを聴く事が出来て、MozartのSymphonieやBeethovenの第九の演奏を聴いたのですが、orchestraがズンと入って来るのではなく、ズ~ズ~ズン!と入って来るのを、「凄い!」と思って感激したものです。純真な中学生頃の子供にとっては、巨大なorchestraが「ずずずずっ~」と入って来るのは、超驚きだったからです。(今では、そんな純真な感動はなく、「なんと下手な・・・!」としか思わなくなってしまっているのだからね?)
コメント
石川 ちすみ
「弾き振りで最も難しいのは、演奏をする事に神経が注がれてしまうので、その1拍目のpointがズレてしまったり、einsatz(指示)がabout(曖昧)になってしまう事です。
音楽表現に関しては、特にproではない子供達を指導する場合には、(中略)かなりoverな表現でなければならないので、指揮の場合には、然程、難しくはないのですが、弾き振りでは、当然、自分も演奏をしているので、その表現がとても難しくなってしまいます。」
私のことを御覧になっているようです😆アインザッツが遅れるどころかスルーして弾いてしまっている箇所多々もあり・・・。

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3月21日 ·

和声の数字のfont(フォント)なのですが、今だに、10年以上も昔から持っているfontしか発売されていないようです。
たった一つの和音の数字を打ち込むのにも、実に面倒くさくて、使い手が余りにも良くないので、使えないままに、放ったらかしになっていたのですが、今回、昔よりは少しパソコンの使い方も上達したので、ショートカットの方法でも探して見ようかな??と思って、もう一度、使って見ようかな?と思ったのですが、やっぱり超、使いづらかったのですよ。
和声の数字を単語登録して、普段のmail等に使えるように出来るかな?と思ったのですが、やっぱり出来ませんでした。
縦に数字を積み上げる・・という単純な事がパソコンには出来ないようです。
Vivaldiの冬のCembaloのcontinuoのpartです。所々に数字が書かれていますが、和音の忘備録です。

コメント
石川 ちすみ
プリントアウトして勉強します。ア~でもまだ習っていない和音が・・。
頑張ります。

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3月22日 ·

3月22日の木曜日ですが、昨夜と今夜の間が、満月だったのですよね??
今日は実に変な1日でした。(・・とは言ってもお天気の話ですが・・)
お昼頃というか・・、日中は5月の陽気でとても暖かく・・と言うか、暑いぐらいの爽やかな天気でしたが、日の入りとともに北風が吹く超寒い天気になって、夜は雹が混じった強い雨が降ったりやんだりの目まぐるしい天気になりました。ドルプリっ歩のお迎えっ歩(夜のお散歩は、先生のお迎えを兼ねてのお散歩です。)は、予備の傘を持っての、霙か雹の中での大変な散歩になってしまいました。でも、Gott sei Dank!(有り難い事には・・)just timing(和製英語)で、バイクでの時だけは、雨が降らなかったのですよ。
それにしても、お昼のとても暖かい良い天気とは逆に、日中は私の弱鬱が酷くて、それに加えて突然、血尿まで出てしまいました。
病院の先生からは膀胱鏡検査の結果として、カサブタや死んだ皮膚偏が剥がれる時に血尿が出る事がある・・と注意はされていて、しかも、自分でも膀胱内部の画像をreal-timeで見ているので、血尿の状態は分かってはいるのだけど、それでも、出た時にはドキッとして、結構shockを受けてしまいます。2,3回もtoiletteに行けば収まる・・という事も分かっているのだけどね・・・??
夕方から夜にかけては、急激に温度が下がって来て、風も強くなって来たのですが、慢性的な体調不良が起こって来ると共に、不思議な事に鬱が治って来ました。これと言った理由もないのだけど・・
やはり、鬱と体調は全く関係ないようです。(今回は・・、と言う事にしておこう。)それにしても、毎回、自律神経のcontrolが利かないのだよな??
テレビでも、気温差について言っていました。東京は金曜日と土曜日の気温差が12℃になったと、言っていたのだよな❗
夜の10時を過ぎたら、なんと6度だってよ⁉更に深夜になると4度になるってさ⁉
という事は、気温差20度という事だよな⁉そりゃないよな⁉
ちゃう、ちゃう、4℃ではなく、3℃だってさ❗更に更新されたぞよ‼布団に入っていても、超寒い‼
体がついていくわけはないよな⁉
な、な、な、なんと、朝の7時過ぎなのに、気温が1℃になってしまった❗こりゃどうした事だ⁉
コメント
石川 ちすみ
お辛いですね・・。交感神経と副交感神経の切り替えが関係しているのでしょうか。私は産後の鬱を経験しましたが、ホルモンバランスや自律神経系はしんどいですね。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
外的要因なら簡単に問題を解決する事が出来るので、鬱は克服出来るのですが、外的要因とは無関係に鬱になってしまいます。では、体調不良が原因かな?とも思ってみたのですが、体調とは関係無く鬱になってしまうので、鬱のcontrolが出来なくなってしまいました。
という事で、最後の頼みとして心療内科を受診して、投薬での治癒を期待したのですが、投薬が上手く行かず、逆に鬱も体調不良も酷くなってしまいました。alcoholに逃げるにしても、医者に止められているので、如何せん・・どうしようもありません。ジッと、耐えているだけです。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
石川 ちすみ
向精神薬の副作用は怖いですね。必要に直面して調べた時、薬の副作用の説明に、「自殺願望に陥る」と平気で書かれていて、それではなんのために飲むのかと思いました・・。
· 返信する · 1年前
石川 ちすみ
それで、結局薬は飲まずに、カウンセリングの力のあるクリニックに通って、良くなりました。自分のことではないのですがね。幸運でした。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
私の場合には、意識が朦朧として、体が動かなくなってしまって、仕事にならなくなってしまったので、薬局に相談したら、老人で働かなくても良い、寝た切りの人に処方する程の強い薬で、私のように、常時働いている人間には処方してはダメな薬だったそうです。それを先生に相談したのですが、聞く耳が無かったので、病院に行く事はやめてしまいました。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
2年前の今日のFacebookという事で、読んでいたら、偶然、鬱についての話を詳しくしているPageでした。私の場合には、総てが上手く行っていても、鬱になるし、stressで死にそうな時にでも、元気な時があるので、私自身が私に対して理解不能です。
· 返信する · 1年前
石川 ちすみ
ああ・・その種の薬は山ほどあるようですね。お気をつけください!
ちゃんと話しを聞いてくださる、先生と人品の釣り合うお医者さんに出会われるよう願います。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
勿論、心療内科に行く前には、もう10年、20年も前からカウンセリングは色々な病院で受けた事はあるのですが、ちょっと話をすると、「あなたにはカウンセリングは必要ない」と言われてしまいます。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
近場に心療内科がなく、やっと出来た病院で、期待していたのですがね??


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3月23日 ·

随分前に買った糖質50%dietの電器釜なのですが、扱いが超面倒くさくて、1、2度使用しただけで椎名町のドルプリの部屋の粗大ゴミになっていたので、ハイツに戻してしまいました。
まあ、美味しい所は脂肪と糖で出来ているのだよね??
下の白い部分が、炊き込んだ糖質の水分を捨てる所です。
折角の美味しい所を捨てるのだから、中々使ってくれないのだよな⁉
という事で、ハイツで、自分用に炊く事にします。折角、高いのに使わないと勿体無いからね⁉
コメント
千野 由実
面倒なんですね?
カレーの時に使わせていただいた時は普通の炊飯器と一緒なんだなぁと思った気がししたのですが、、、使い方合ってたのかな😰
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
炊くのは難しくないようなのですが、後片付けを上手くしないと、排水口が詰まるらしいのです。色々と難しい事が書いてあったけれど、慣れればそうでもないのかな??routineなので・・・
· 返信する · 1年前

芦塚 陽二
武石で買ったいすみ米、一合の袋があったので、試しに炊いて見ましたが、斉藤先生の作った状態と全く同じベチャベチャになってしまいました。
コメはハイツには後は無洗米しかないので、椎名町でコメをめぐんで貰ってからもう一度だけchallengeして見ます。
目詰まりしそうな所は、何度も洗って確認をしたのですが、操作に関してはもう一度だけ確認をして見て、それで上手く行かなければ、claimですかね??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
芦塚 陽二 なんででしょーね!?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
教室に残っていた白い米を持っていって、テストをしたら、今度は何とか上手く行きました❗やっぱり、操作ミスなのかな⁉何度も、繰り返し洗ったので、それで出来たのかな⁉しかし、かためで炊いたのだけど、やっぱり、少し柔らか目だったので、米と水分量が難しいようです❗


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3月23日 ·

3月23日の土曜日です。毎日、毎日、同じ事の繰り返しになってしまっているのだけど、今日も鬱が超酷くて、上手く精神状態のcontrolが出来ません。
しかし、まあ、鬱が酷いのに、仕事は待ってはくれない❗
三つ、四つの仕事が重なって忙しい!
てんてこ舞いだよな?
・・とは言っても、一つ一つの仕事は大した事はないのだけど、三つ、四つ重なると、結構忙しくって、鬱っている暇が無くなってしまうのだよな⁉
ドルっ歩の時間になって、突然疲れている事に気がついて、散歩どころではない事に気がついて、散歩は斉藤先生に押し付けて、大急ぎで超寒い中を、バイクを走らせて、ハイツに戻った❗
明日の準備もしないままに、布団に潜り込んだ所です。
折角、10時台に布団に潜り込んだのに、寒くて体が温まらなくって、中々眠れませんでした。
部屋を暖めたり、何度も、試行錯誤して、なんとか、1時前には眠る事が出来たのですが、4時過ぎにはいつものroutineのtoilette-timeで起きてしまったので、ついでにオケ練習に持って行く楽譜の準備をしました。それは5時までには、なんとか終わったので、また、出来れば仮眠を取りたいと思っています。
それはそうと、オケの準備に1時間も掛かった分けではなく、ついでに、所謂、キリンさんの教則本のfinale入力の下準備を済ませて、templateを作る所まで済ませた所です。
ついでのついでに、昨晩、やっていなかったmailのcheckや、Facebookへの書き込み等々のパソコン作業も・一緒に済ませてしまいました・・!!
キリンさんの教則本のtemplateを作った次いでに、sampleとして、譜例を二題(生徒の譜面と先生の譜面のsetなので、都合は4曲になるのだが・・・)作ったのだが、fileが添付で椎名町に送れなかったのだよな⁉
譜例まで下げると送れるのだが、fileとしては、送れない・・という事がわかった‼
でも本当はtemplateを送りたかったのだがね⁉
コメント
千野 由実
猛烈なお仕事っぷり❗️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
いや、単なる鬱のはけ口です。
仕事に熱中している瞬間は鬱の事を忘れているので・・
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
絢美ちゃんに味が良く染みて美味しかったよ!ってお伝えください。
· 返信する · 1年前
千野 由実
芦塚 陽二 お口にあって良かったです!
出汁もちゃんととってつくったので、手はかかってます❗️


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2019年3月24日「美味しいものは脂肪と糖で出来ている」 ·
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「美味しいものは、脂肪と糖で出来ている❗
脂肪と糖は健康被害の元凶のように言われています。
しかし、自分に振り返って見てみると、全く同じものを食べて、同じような生活をしていたにもかかわらず、34,5歳を過ぎた辺りから、徐々に加速しながら肥り始めます。
「何故なのか?」というと、世間一般で言われているように、過食という理由ではなく、実は内蔵の老化なのです。
つまり、その人が或る時期を過ぎると内臓が急激に老化して、食物を食べなくても良いエコ体質になるのです。
部族の中で食べる事が必要な人間は、子孫を残す若者達だけだからです。
ひと昔前までは、歳を取った老人は社会的に不必要な存在として、姨捨が普通だったのですよ。これは150年前の時代でも色々な地方に存在したお話なのです。
「何故、歳を取ると、内蔵が老化するのか?」という事は、そこには、生物学的なrule(法則)が存在します。
人間は生物学的には基本的には動物に過ぎません。動物の一番大切なruleは子孫を残す事です。しかも、優秀な遺伝子を残すためには、若い或る特定の時期がとても大切なのです。
それは、時代や文化によって変わりますが、基本的には、男性として、女性として子孫を残すという健康で若々しい時期が必要なのです。また、優れた教養を有する女性が、どうしようもない、頭が空っぽで、肉体だけの男性に惹かれてしまうのも、libidoによって無意識のlevelで惹かれてしまうのです。それも生物的な本能の欲求に依るものなのです。
思春期症候群の一つに、娘が思春期に差し掛かると、父親や大人の男性に嫌悪感を抱く事がありますが、それも自然の摂理の一つで、遺伝子で、近親相姦を防ぐための自然な行動なのです。
人間は、そういった時期が終わってしまうと、生物学的なneedsは終わってしまうので、後は、その存在が必要最低限な量だけで、生存をするのです。近代文明で医学がこんにちのように発達しなければ、こんにちの日本社会の老人問題はありません。
自然の病気や老化でドンドンと死んで逝くからなのです。
そのお話を更に詳しくお話しすると、人生に絶望する人達が沢山出てくるので、これ以上はお話はしない事にします。
お医者さまでも草津の湯でも・・・、所詮は治せぬ、生理学上の悲劇とでもいうのかな⁉
しかし、ここでは音楽上の話しをしている分けではなく、一般的な全ての事柄についての話しとして、お話を進めているのです。
つまり、ここでのお話は、肥満の話ではなく、人は人生についても、全く同じ事が言えるという事なのですが、その意味は、人間は、自分に「得難い事」があると、それを、より「困難な事だ」として、自分に対して納得してしまうという事なのです。
つまり、人は、何かに向き合う時には、「困難だから自分にとって得難いのだ」と思うようにしてしまうのです。
私の考え方では、得難い困難ものとして、万難を排して(克服して)それを得たとしても、それは、似非的なものであって、本当の本物ではないのです。
「楽しく得れるもの」だけが、真に偉大な歴史に残るものと成り得るのです。
また、偉大な・・・といえる大家達は皆、人生を、否、自分の仕事を楽しんだはずです。
だから、あれだけの仕事をこなしたのですよ。
辛く厳しいものであるとすれば、あれだけの偉大な作品をこの世に残す事はなかったはずです。
大家に近づくために同じような努力を続けようとすると、そこに達していない人達にとっては、とても辛い厳しい事になってしまいます。だから、人々は、「大家達も、この辛さ、厳しさに耐えているのだ・・」と思い込んでしまいます。
しかし、それは大きな間違いです。
大家に取っては、その辛さ、厳しさは、難しい事への挑戦に過ぎず、至高の快楽になるのです。
つまり、プラモデルの工作が好きな人は、より難しい工作にchallengeする事を至高の快楽とします。逆の言い方をすると、単純な簡単な作業をさせられる事は、寧ろ、苦痛になってしまうのですよ。より難しいから楽しいのですよ。
そこの所が、大家と一般の人達の違いになるのです。
その人が、何に興味を持ち、それに人生を掛けているのか?・・その自分の人生に書けるものへの違いが、すなわち「落とし所の違い」となるのです。
一般の人達にとっては、それは至難の技への、挑戦になってしまうのですよ。でも、その人が同じ場所にいたとしても、心の落とし所を変えるだけで、至難の技への挑戦は、至高の快楽になるはずなのですがね??
そこは、楽しい・・という事への履き違えがあるのです。
楽しい・・という事を享楽と履き違えるのですよ。
享楽が楽しいのは、ほんの短い期間に過ぎません。
享楽は長く続けようとすると、苦痛を伴うようになってしまいます。
Piacer d'amor più che un dì sol non dura・・・なんて事は言いませんがね??
本当の本物の喜びには、幾ら長期間に続けたとしても、その喜びが衰える事はないのですよ。
しかし、人々は、より高い事を、厳しさや、苦痛に耐えて到達した証だと考えます。
それは、楽しい、嬉しい・・・・という事を、享楽と勘違いしている事に、気がつかないからなのです。
一般の人達は、真の喜びとは、享楽とは似て非なるものだ、という事が理解出来ないのですよ。
それが儒教的な考え方です。 
でも、儒教的な考え方には、その時代のneedsに合わせた、れっきとした目的があります。
儒教は当時の不安定な時代を安定させるための、国を纏める方策だったからです。指導者、為政者に一般大衆を服従させるためのtop-downの思想書なのだからです。だから、安定した世襲の治世をもたらそうとした徳川家康の眼鏡に適ったのですよ。当然、明治時代からの富国強兵策や、大企業の終身雇用制度にも適ったのです。
それが、現代のglobalな社会になって、突然、体制が変化してしまったのですからね


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3月25日 ·
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私も年に1回ぐらい突然、こういったインスタント麺が食べたくなる時があります。
但し、食べてからいつも後悔しますがね・・・??
私に取ってもしょっぱいので、基本的には大きい麺は半分に割ってか、小さな袋の方で作ります。
ティッシュ・ケースは長崎のドンキーで偶然見つけて買って帰ったのですが、しばらく検見川教室に置いていたのですが、誰も興味を示さなかったので、今は自宅に置いています。
どんぶりは、近所のセブンで、景品の売れ残りを纏めて数個買ったものです。
保温性のために肉厚でヒヨコが可愛いので、結構気に入っています。勿論、インスタントには使わなくて、スープ等の普段使いにしているのですが・・・ネ?
・・と言う事で、両方共、チキンラーメンの景品ではありません。
まあ、私は、景品に当たる程には、インスタント類は食べないので・・
コメント
千野 由実
どんぶり可愛いですね😍




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3月25日「最後のオケ練習」 ·
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今日は3月25日の月曜日ですが、お話は昨日、24日の最後のオケ練習のお話からです。
発表会は4月29日の月曜日なので、まだ一月はあるのですが、次回の日曜日からはソロ・リハ、オケ・リハと総合練習の1,2と続くので、実際のオケ練習は、昨日の24日の練習で終わりになります。・・・という事で、「最後のオケ練習」となります。
「鬱と千葉への移動」
昨日の日曜日は、私は、体調不良と鬱が強烈に酷くて、この10年来、一度か、二度くらいしか、休んだ事はないはずなのですが、とうとう、先生達に「練習をサボっても良いのか?」と確認のmailを送った程でした。
しかし、その返事が着くのが遅くて、もう車が出発した後だったので、車をUターンさせて、事務所に戻る事もかんがえたのですが、それも面倒くさいので、鬱を押して千葉まで出掛けて、練習を強行する事にしました。
日曜日は、椎名町の事務所を出発して、北池袋の高速に乗るまでに、2つ,3つ、事故があって、高速でも、周りの車の運転が不安定で、超、注意をしながらの運転が必要な「事故の日」でした。
「オケの指導風景」

Viola-concertoDⅠ楽章Stamitz19年3月24日芦塚音楽教室最後の練習 - YouTube

体調不良の時には、私は、急がないで良いように、早めに出発する事にしているので、途中で事故渋滞もあったのだけど、それでも検見川教室には、早めに到着して、普段は見る事のない2回オケもcheckをする事が出来ました。
勿論、発表会では私は指揮はしないので、オケの後ろから、注意を色々とするだけでしたが・・。
3回オケでも、前半部は注意だけで指揮はしなかったのですが、流石に、後半の専科オケのgroupになると、注意をして弾き直させるだけでは、全く様にならなかったので、仕方なしに、体調に無理をして、指揮をしながらの指導をする事にしました。
videoの前半のtime取りは、指揮無しの通しですが、今までの諸注意が、ちゃんと表現出来ていないので、後半は私が譜面台の前に出て、止めながらの通し練習をしています。
鬱の時には、自分の精神状態や体調に逆らって、これだけのpowerを出すのはとても辛いのだけどね・・??
「オケ練習が終わって・・」
Stamitz、corelliとVeraciniと大曲が続いて、体力が持たなくなったので、私としては少しでも早めに切り上げたかったのですが、最後の練習なので、そうも行かず、まあ、時間通りまで頑張って、超寒い中を、東京まで帰ろうと、何時もの武石の入り口に向かったのですが、またまた、事故渋滞で、5㌔を35分って表示されていたので、急遽、湾岸周りから、箱崎へのコースに変更しました。
椎名町に戻って、それから、散歩よりも、食事を先にして、後で「ドルプリっ歩に付き合おうかな?」と思ったのですが、食事中から居眠りが始まったので、ドルプリっ歩は省略して(勿論、私だけですが・・)大急ぎで自宅にバイクで戻ったのだけど、その寒い事、寒い事・・!!
部屋に戻って、後片付けもしないままに、取るものも取りあえず、布団に潜り込んで、眠ろうとしたのですが、冷たくて中々寝付けなかったのだけど、・・・そこらはいつものroutineだよな?
そこまでが日曜日の一日になります。
Viola-concertoDⅠ楽章Stamitz19年3月24日芦塚音楽教室最後の練習
YOUTUBE.COM
Viola-concertoDⅠ楽章Stamitz19年3月24日芦塚音楽教室最後の練習
2019年3月24日の芦塚音楽研究所千葉音楽教室の春の発表会に向けての最後の練習風景です。曲はStamitzのViola-concerto D DurⅠ楽章、soloは千野瑞希まだ小6です。(まだ・・という意味は、8日後には中学生になるという意味です。) ...
コメント
芦塚 陽二
それにしても、今日(月曜日)は鬱が酷い!!
買い置きの漢方でも飲むか??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
漢方薬は、封も切っていないのに、5年も前に期限切れで、飲めなかった!
残念!!
· 返信する · 1年前 · 編集済み

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3月31日 ·


「今日の日曜日(3月の31日)はsolo-rehearsal の日です。」
・・・というお話をcinderella-timeに書いているので、実はまだ日にち的には土曜日なのですがね??
という事で、今日・・というか、昨日というか、・・の土曜日は、美音ママのRakhmaninovのPiano-concertoのone lessonをするために、池袋のStudioまで出かけました。
爽やかな桜、満開の日和で暖かく、Studioでも、concertoのorchestra-partを弾きながらのlesson... もっと見る
コメント
石川 ちすみ
斉藤先生、頑張ってください!






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4月

4月1日「今日は19年の4月1日です。」 ·
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所謂、19年の新年度になります。
新しい年度になると、生活用品の一斉値上げとか、新しい元号の発表とか・・とか、年度が変わるのを切っ掛けにして、便乗なのか、色々と変わるようです。
その色々な年度の変化に伴った事で、教室に取っては非常に迷惑な事なのですが、yahoo-geocitiesが「Provider事業を終了させる」との連絡が一方的にあって、「芦塚音楽研究所」のhomepageと「芦塚先生のお部屋」のhomepageが、今日、4月1日を持って、開かなくなってしまいました。
発表会等の日にちや場所、時間の連絡なども、一般へのprogramやチラシの公開は、homepage上で公開していたので、今回の「春の発表会の連絡」も公開出来なくなってしまいました。困った事です。
勿論、yahooのhomepageの「Provider事業からの撤退の連絡」は半年以上前から連絡はあったのですが、昨年の後半期中は、・・・特に9月以降に関しては、緊急の入院手術等が必要な状態に陥って、今年の1、2月くらいまでの半年間は、私は、病気の手術と治療に専念しなければならず、術後の痛みと苦痛で、homepageの作業だけではなく、通常の仕事についても、満足な仕事を熟す事が出来ない状態でした。
また、不幸の連鎖とでも言うのか、・・時を同じくして、昨年の9月には、「芦塚先生のお部屋」の論文のページが、homepagebuilderの不具合で、全てぶっ飛んでしまって、その膨大な復刻作業も、しなければならない羽目になってしまいました。
dataが膨大であるが故に、dataのback・upが全くなく、30年来の研究や、音楽論文や教育論文の私の長年の仕事の蓄積の復旧の見込みも立たなくなってしまい、30年来の苦労が水の泡になってしまった・・という人生の悲哀を噛み締めている現在なのです。
また、教室のhomepageや、私の「芦塚先生のお部屋」の論文のhomepageの作業が、基本的には、椎名町のパソコンでの作業になる上に、2020年で、windows7が終了になるので、パソコンの状態が非常に不安定で、先生達のnotePCや椎名町のmainのパソコンが壊れて、修理不能な状態になってしまいました。
江古田ハイツの自宅のcomputerはDellの本社作業で事なきを得たのですが、椎名町のパソコンは業者を雇っても修理が出来ず、已む無く私が或る程度、仕事が出来る状態までは戻しました。
先生達のnotePCは業者から修理を断られてしまいましたが、それはwindows10に移行させるためのMicrosoftの謀略です。
常日頃私が口にしている事なのですが、windows10は、パソコンと呼べる代物ではなく、単なるTabletに過ぎません。windows10でパソコンとしての作業をするのは、とても面倒くさいのですよ。それに、パソコンの作業はパソコンそのものの機能でやるのではなく、softでやるのですが、パソコンの業者はパソコンが修理出来たら、softでやった作業はどうでも良い・・という意識しかありません。
パソコンの業者は、windows10にsoftが入らなくても関係ないのですよ。
パソコンはwindowsのXPから7で事実上は終わっていて、それ以降はパソコンの体をなしていません。
誰も、「windows10にversionupしろ!」なんて言っていないのに、勝手にやっているのだから、困ったものです。
(江古田ハイツのパソコンは、mainの仕事用のパソコンは勿論、windows7なのですが、subのパソコンは已む無くwindows10を使っています。まあ、その使い難い事・・、遊びのためのTabletにしか過ぎないのだよな??
パソコンはsoftを使って作業をするものだ・・という発想自体が無いのだよな??
昨年の9月に血尿が出て、慌てて、病院に行って、重篤な病気が幾つか発覚したのですが、実は、その2ヶ月前の7月に鬱が酷くなって、初めて心療内科を訪ねたのも、自分自身に対してのself-controlが出来なくなったのが原因なので、どうも色々な病気への体の悲鳴が鬱状態に表れたのかも知れない・・と思っています。
20年以上も前の冠動脈の時も、私が「冠動脈の調子が悪い」と言ったので、かかりつけの病院では、大事を取って、循環器科の先生に変わって、診て貰ったのですが、それから5年間も異常が見つからず、医者は「素人が何をいうのだ!」という目で見られてしまいました。
それで、やっと、心電図に病気の状態が発覚して、大学病院でカテーテル検査をしたら、何と逆に「5年前に死んでいた」と言われてしまいました。
だから、5年前に「冠動脈が・・」と言ったのに、誰も信じなかったじゃん!!
私は、大病の前には、必ず予兆を感じるので・・・
それはそうと、homepageの作業なのですが、江古田から椎名町への、移動しての作業が、私の病気に依る体調不良と殆ど寝た切りの状態が続いて、私がhomepageのお引越しの作業をする事が現実的に出来なくなってしまったので、冬休みから、斉藤先生に一任する事にしたのですが、それまで、先生達は、homepageを弄った事が無かったので、その操作の説明から・・という事で、homepageのお引越しの手続き等の作業が、とても難しくって、とうとう4月1日までに、間に合わなくなってしまったので、もう暫く、homepageの閲覧はお待ちください。
ひょっとしたらhomepageを再び開く事が出来るようになるかも、知れませんので、気長にお待ちください。
・・・・というか、やる気が出ないのよね~ぇ??
これも何かの予兆だったりして・・・

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4月6日 ·
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とても変な夢を見て、目が覚めたら、眠れなくなってしまった。
戸締まりの出来ない引き戸の、古い家の寒い部屋で留守番をしているのだが、トイレに行くと日本式のトイレで、古ぼけていてお化けが出そうな感じである。
夢の中で、💩をしようとしても出ないので、目が覚めたのだが、断片的な夢で脈絡がありそうでない夢だ。
夢が寒い!
トイレに起きて行ったのだが、勿論、💩が出る分けではない。
この2日間便秘状態なので、気になっているので、そんな夢を見たに過ぎない。
普通では、2日間の便秘は大した事はない・・と思われるかも知れないのだが、便秘が大変な分けではなく、一日開くと、糞詰りで💩が超固くなって、幾ら力んでも、肛門が切れるだけで、出て来ないで、体が鬱血して、心臓に来てしまうからなのだよ。
毎日、規則正しく排便をすると、何とか良い💩が出るのだが、1日、2日、食事制限のために食べる量を極端に減らしているので、当然、💩の量が少なくて、排便をしなくなると、💩が超、硬くなってしまって、それ以降の💩が出なくなってしまう・・という悪循環になるのだよ。
それが、排便に対してのpressureなのだよ。
不定愁訴を宥めるために、You Tubeで古い曲を探したら、periodの曲の演奏で、とても良い曲が見つかって、すぐに楽譜をdown loadしたのだが、今度は「トナーがなくなるので、準備をするように!」と、messageが出てしまった。直ぐにプリンターのトナーをnetで探したのだが、純正品のトナーが見つからないので困ってしまった。
リサイクル品はインクの持ちが悪いらしく、「保存を前提としない場合・・」という条件らしい。
ハイツのプリンターは、楽譜とか、資料とか、結構、長期保存しなければならない物をprint outしているのだから、「それは困る!!」という事で、一応純性品を注文した。
ほんとかね??
睡眠時間があまりにも少な過ぎて、昨日のドルプリっ歩は、腰に来てしまった。寝が足りないと、腰痛になりやすくなるのだよ。
と言う事で、・・・腰痛寸前である。
という事で、強制的に寝てしまいたいので、糖質0の如何にも体に悪るそうなビールを飲んだ。
こういう時のために買って来たビールだ。
糖質0でもAlcohol度数は6%もある。
見るからに、体に悪そうな対処の仕方だよな?


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4月13日 ·
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こういうお話をすると、「私の事を批判している!」と言われて被害者意識を持たれる方達がいますが、同じお話を40年前から延々と、お話しているのです。
つまり、毎年、同じ話を不特定多数の保護者の方たちにしているのです。netはない時代では論文と言う形や、公開講座を何度も企画して啓蒙活動をしたのですが、40年経っても、何も変わらない・・という事で、自分の人生の悲哀を噛み締めて、部屋で引き籠っていたのですが、またぞろ、同じお話をする事にしました。
子供の能力や才能は、子供達の一途さ、ひたむきさによってもたらされます。
子供の一途さ、ひたむきさは、子供達に驚く程の能力の成長を促(うなが)します。
本来的には、子供達の一途さ、ひたむきさは、驚く程、脆(もろ)く危ういものなのです。
だから、親や周りの人達は、子供のそういった行動に対して、細心の注意を持って接し、育(はぐ)んでいかなければなりません。
しかし、日本人の多くの大人達は、子供が一つの事にひたむきである事に対して、恐怖を感じます。
人と・・・否、自分達と違う事に恐怖感すら感じて、親は自分の子供に、世間的な一般的な常識的な日常の生活を要求します。
「一途さ」、「ひたむきさ」は「努力」と「継続」という言葉に置き換えられて、時短や効率を失なってしまいます。
個性を大切にするヨーロッパの家庭ですら、子供の個性を育てる事が難しいのに、更に、日本の人と違う事を極端に嫌う、横並びの風潮と、常に他人と同じである事を要求する風潮の日本社会では、子供達のそういった折角の優れた能力でも、一瞬にして、潰してしまいます。
そして、親は自分達が子供の能力を潰した事は認めようとはせず、自分達や、他の子供達と同じ土俵で、努力をさせて、それが達成出来ない事に、安堵感を覚えるのです。
「ああ、やはり自分の子供は普通の子供であった」・・・・と❗
これ以上書くと、またまた、鬱が再発するので、今日はここまでにします。homepageがまた開く事があれば、多分、これと同じ趣旨の論文は幾つも掲載されているので、気が向いたら読んでください。。




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4月14日 ·
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今日(4月の13日の土曜日)は超珍しく椎名町のお泊りが3人になりました。




江古田教室の時には、6畳3間の3部屋(2階の全室を教室で借りていたので・・)だったので、何人でもお泊り可だったのですが、椎名町教室は超狭い上に、以前、assistantが住んでいたお部屋が物置状態になってそこで寝泊まり出来なくなっているので、一々、2階から布団を運んでlesson室でのお泊りなので、「今回の3人はちょっとギリギリの人数かな??」という感じでした。私の願望としては、部屋に溢れかえっている資料類をちゃんと片付けて、部屋として機能するようにしたい・・と常日頃思っているのですが、教室の休日でも、実際上は先生達は休日にはならないので、後送りになってしまっていつまでも片付ける事が出来ません。
「椎名町詣」とは言っても、わざわざ椎名町まで来てお泊りをしたとしても、・・だからといって、何らかのmeritがあるわけではありません。
特別にlessonをして貰う分けでもなく、普段のオケ練習の時以上に、何かしらのadviceが貰える分けでもなく、単に、教室の作業を覚えて、パソコンの操作やfinaleの入力の仕方を覚えて行くだけなので、一般的には、逆にその時間は楽器の練習が出来なくなるので、「練習も出来なくなるので、下手になるのでは・・?」と思われるのですが、不思議と「江古田詣」や「椎名町詣」をすると、突然、上手になるので、お母様達だけではなく、指導をしている先生達も不思議がっています。
その理由が分かっているのは私だけなのかな??
写真1枚目はお食事前の風景ですが、牧野先生は花園教室で次の日曜日のオケ練習の準備なので、土曜日は帰って来ません。
2枚目は普段は全員で食事の後片付けやお皿洗いの風景なのですが、お姉さん達は2階の部屋で、進行表のパソコンの入力中なので、今回はお皿洗いは美音ちゃんと斉藤先生の二人です。
順番にお風呂に入って、誰かがお風呂に入っている間は、パソコンの入力をしていて、お風呂が終わったら交代します。全員がお風呂に入り終わったら、就寝時間です。
今日は9時半の就寝かな??
「早い!」と思われるかも知れませんが、明日の朝は、朝食を食べて、練習開始の時間に間に合うように出発するためには、6時には起きないといけないので、子供達にとってはギリギリの時間です。
先生達は、ドルプリっ歩を済ませて、それから次の日のオケ練習の準備と発表会の準備をすると、殆ど寝る時間がない、所謂、ブラック企業です。アハッ!
コメント
千野 由実
ゴールデンウィークは住み込みで椎名町の片付けに徹する、という方法もありますね〜みずきさんッ❤️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
お願いしたいのは山々なのだけど、結構、先生達に取っても、大変な作業なので、未だ年齢的に無理な作業かもね??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
芦塚 陽二 では、あしづかせんせいの手と足に!?余計難しいですね💦
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
作業自体は単純作業なので簡単なのですが、その分、面白くないので、つまらないのですよ❗パソコンも、2台、3台あるので、大学生くらいになって、つまらない作業に耐えられるようになったら、なのですが、会社なんて、そのつまらない作業だけの繰り返しなのだけどね⁉中学生になったばかりでは、ちょっと辛いかもね⁉
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
引っ越し作業は体力勝負だし❗
· 返信する · 1年前
返信する...

萩元 美紀
お皿、ちゃんと洗えてましたか?😬ゴールデンウィークも予定が合えばよろしくお願いします。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
普段の曜日の中で、もっとお喋りの出来る時間が出来ると良いのだけどね??軌道に乗ってしまえば、そんな時間を無理をして作る必要はないのだけどね??私は時間はあるのだけど、距離がね??


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4月14日 ·
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昨夜、椎名町から帰って来て、超急いで、寝るために、日曜日のオケ練習の準備をしたり、(やり残した仕事・・という事ではなく、)色々な突然に舞い込んで来た仕事を、片付けている時に、B6版のmemo帳を取り出す時に、何処にぶつけたのか分からないけれど、思いっ切り右手の肘を何処かにぶつけてしまった。
腕を持ち上げようとすると、目線の位置まで持ち上げると、肘が痛くてそれ以上は動かせない。
これでは、指揮が出来ないぞ???
困った!!
本番直前の練習で、指揮が出来ないと言う事は、超、困ったぞ??


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4月15日 ·
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またまた、Facebookが開かなくなって、他の人達のblogが読めなくなった!次へをclickすると、知らない人達が無数に出て来て、その人達をselectしても、また、この画面に戻ってしまう。当然、ニュースフィードのどちらをselectしても同じ画面になってしまう。
Facebookはもう、使わないで・・・というmessageなのかな??
コメント
芦塚 陽二
丸々1日経って、やっとFacebookが開くようになりました。ホント、迷惑だよな??
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二



・・と思ったのだが、2日、3日経っても、やっぱり一つのコメントしか開かない!
携帯では見る事が出来るのだが、パソコンでは見れないのだよ!腹立つな~ぁ??


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4月15日 Marin Maraisの秀逸な演奏·
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Marin Maraisの超有名な曲です。
演奏は勿論、名手中の名手であるJordi Savall大先生です。フランス映画「めぐりあう朝」でviola da gambaの吹き替えの演奏をした人で、日本ではgamba自体があまり知られていないので有名ではありませんが、ヨーロッパや中近東では神様のようなチケットを取るのが難しい超有名な演奏家です。
この扇情的な曲を素晴らしく演奏しています。
foliaの演奏も多数ありますが、la foliaのoriginalの即興も多いので、必ずしも、Marin Maraisのla foliaだけの演奏ではありません。

https://www.youtube.com/watch?v=5Frq7rjEGzs
何度かupした記憶がありますが、Jordi Savallのla foliaです。チラッと出て来るハープの美しい女性はSavall先生のお嬢さんで今では、アメリカではgamba奏者としてSavall先生よりも有名な演奏家です。


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4月16日 ·
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一人の人間に与えられた全寿命と言うか、・・・全人生というか、・・なのだが、それは時間軸に対して、均等な価値を持っている分けではない。
私にとっては、たった4年間の青年期の時代に過ぎないのだけど、Münchenに留学して勉学に励んでいた、そのたった4年間の時期が私にとっては、人生の価値の重さの大半を占める、非常に心の満たされて安定した充実した時期であったのだよな??
そのたった4年間の時期が、私のこれまでの70有余年間の全人生の中で、半分以上を占めるような重要な時期であり、価値のある時期だったのだよ?
人生とは、イタヅラに時間を費やす事ではない。
如何に、充実した時月を過ごす事が出来るのか??
それは年齢によるものではなく、人生に対して、「いつ」、「何を」・・掛けるか、に拠るのだよな??
私の幼年時代や小学生の時代、中学生の時代に至るまでの人生は、目標もなく、夢も希望も見出す事の出来ない無駄と思える時間の連続だった。
つまり、私の幼年期や少年期の15年間の人生には、ただの情景としての記憶しか無いのだよ。
音楽教室を開設して、小さな子供達と接するようになって、その充実した人生に感動を覚える事がある。つくづく、人生の充実感は年齢ではなく、ひたむきさに拠るものである・・と実感する。
私は一体何をやりたいのだろう??
信念を持ってやって来たはずの事が段々と自信が無くなって来てしまう。
つまり、私にとっては、留学から帰国した後の、この40年間も同じに、無意味、無価値に過ぎないのだ!と、言いたいのだよな??
・・・きっと??  多分、・・・??
コメント
石川 ちすみ
おっしゃる通りに思います。




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4月16日相変わらずFacebookと格闘している ·
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何とか、開くようになった・・と思ったら、ひとコメントしか、開かない!他の人達のコメントが開かないのだよ!困ったものだ!
何にも見れね~ぇ??
スマホでは開くようなので、パソコンだけの話なのだが・・



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4月17日「orchestraは軍隊よりも、統率が厳しい!」 ·
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「orchestraは軍隊よりも、統率が厳しい!」と、言われているのだが、それは或る意味、一般的には正しい。
しかし、proの音楽家達は、個性の強い集団なので、学校教育での集団活動や、軍隊としての集団行動とは意味が全く違っていて、集団であって、集団の体をなしてはいない。
それぞれの個性的な人間が個性的な自己主張をした上で、conductorの指示を忠実に守ると言う事なのだよ。
proとしての絶対的な条件は、『言われた事を「出来る」ようにするのが当たり前であり、出来なくても、「出来る」ように練習して来る事がproとしての常識になる』つまり、「出来なければ、orchestraから、首になるだけ・・・」の事なのだよ。
proのorchestraともなれば、集団の共同作業なんてものは有り得ない!
つまり、自分がorchestraのpartsとして、歯車の一部として与えられた課題を果たせば良いのだ。
協調的な作業なんて何処にもない、個性のぶつかり合いで、それがorchestraの一子乱れぬ協調的な演奏を産み出して行くのだ。不思議な世界であるぞなもし。
聴く側は兎も角・・としても、演奏する側にとっては、或る意味、つまんないよな??
その集団の中での技術の向上はあったとしても、所詮は人間性に欠けた単純労働者に過ぎないからだよな⁉
でもまあ、それが一人ひとりが技術を持った職人の世界なのだよな??
学校の部活のorchestraは、根本的に目的が違う。
音楽的な技術の向上を目指すのは、本来の目標ではない。
あくまでも、集団活動と協調性を学ぶ事が課題であり、目標である。
(勿論、思いやりや、いたわりの心を学校の部活働の中で学ぶ事は、学校教育も所詮は競争社会のMiniature版なので、子供達を競争させる事で勉強させているのだから、そういったいたわりや思いやりの心を学ぶ事は、理想であり、夢のまた夢に過ぎない事になってしまう。)
しかし、学校教育が子供達の成績を上げる事だけが目的ならば、学校に行く必要はない。
自宅でパソコンに向かって、netで学習すれば、寧ろ効率良く学習効果を上げる事が出来るし、教育という事に特化しない塾も、成績を上げる事だけが目的、目標なので、学校よりもよっぽど効果的に指導出来る。
私が、よくhomepageや、このFacebookの中でも、繰り返し書いている事なのだが、学校とは、子供達が将来、大人になって、社会の中で、生きて行く事が出来るようになるための集団の中で生活をするための訓練をする事が学校教育の本来の目的であり、教育の基本である。
しかし、多くの学校教育者達は、大人に向けての集団社会での役割や、活動をする事を教育する・・という本来の目的を忘れてしまって、徒に、成績を上げる事のみを考えて指導教育している。
その結果が、neet(Not in Education, Employment, or Trainingの略)であり、引き籠もりで、若年者の自殺なのだ。
日本人の自殺者の数は、交通事故の死者数よりも多く、戦争で亡くなった人達の数を遥かに上回っている。
親の期待に応えて、有名大学を卒業して、有名な企業に就職しても、結局脱落して、neetになるか引き籠もるか、果ては自殺するかでは、社会対応が出来るような大人になったと言う事は出来ません。
集団の中で生活をする事が出来ないままに(過保護という日常の中で、社会生活をする機会が全く与えられないままに)大人になったのだから、私達の目から見ると大人になったからと言っても、社会適応が出来ないのは、当たり前で当然の事なのに、一般では親の教育の性、学校教育の性ではなく、「大人になっても、それが出来ないのは・・・・」と、本人の性にされてしまいます。
幾ら大人になったとしても、その訓練の機会を与えられなかったとしたら、出来ないのは当たり前だよねえ?
子供にとっては踏んだり蹴ったり・・ですよね??
学校の先生達も、文科省の指導要録のcurriculumを熟(こな)すだけに始終しているのですが、学校の先生達に言わせると、子供達に与えなければならない課題が多過ぎて、curriculumを全部は熟せないのが現状で、とても、集団の社会性を指導するための教育が出来る状態ではない・・と言っています。
それも現実なのでしょうがね?
でも、そのために教員養成の大学で技術を学ぶのであって、その技術が身に付いたからの教員免状ではないのかな~ぁ??
私が思うには、小、中学校が義務教育であるのは、子供達が青年になって、社会に旅立って、自分の家庭を持つために、周りの人達と協調して生活出来るように、社会的なruleを学び、育てるための学校教育なのだと思うのですがね??
その教育の一つとしての部活なのだから、音楽の真髄を学び、音楽の技術の水準を達成するための部活動ではないのだよ。どうして、そんな簡単な事が理解出来ないのか、私には理解出来ない。
今の時代の子供達は子供が働き手であった時代とは違って、一人で産まれて来て、親や兄弟から「蝶よ!花よ!」と大切に育てられる。家庭の中でも中心に過ぎない。家族で助け合って生活をするというのは、第三国の話なのだろうね??
日本社会では、そこに他人との譲り合いや、協調をするという概念はない。
子供同士の喧嘩や虐め合いは、そういった思いやりの心を学ぶ時期や、いたわりの概念を形成する前の段階なのだから、際限がなく・・、とても厳しい。
自分が人から厳しく痛められて、虐められる事で、初めて何処までが、やって良い事か、いけない事か??を学んで行く。
私も小学生の頃から、高校生に至るまで、よく喧嘩をして、血を出しながら、自宅に帰って来たのだが、当時の親でそれを問題にする親は一人もいなかった。
私が高校生の時に、喧嘩をして歯を折って自宅に帰って来た時に、母は笑いながら、「あら、あんたも喧嘩するのね?」と喜んでいたよ!!
中学校の卒業式の時には、同級生をぶん殴って、卒業したのだが、相手の男の子が自分の卒業証書を破ってしまったので、担当の先生が「この忙しい時に、全く・・」と愚痴りながら、卒業証書を書き直していたよ。
勿論、それで先生から叱られる事も、全く無かったのだがね??
当時は、男の子の喧嘩は当たり前だったし、それに目くじらを立てる保護者も先生もいなかったのだし・・ね??
私は教育は大嫌いだ!
音楽大学の学生時代には、音楽大学の受験生である生徒達を指導していても彼女等に対して、教育上の問題で悩む事は全く無かった。
親にしても子供にしても、将来の目標が定まっていて、それがブレる事は無かったから、私が指導するのは技術だけで良かったからである。
体調不良で体が弱っていると、ちょっとした事でも、鬱の要因になってしまう。
自分はこんなにも弱い人間だったのか?と驚いてしまう事もよくあるのだが、それも加齢でもあるのかな??


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4月17日Providerのお引越し ·
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ハイツのProviderをJ-comからSoftBankに乗り換える作業をしなければならなかったのだけど、業者がやってくれなかったので、自分でやらなければならなかったのだけど、やる気が全く無いので、それっきり、放ったらかしにしているのだけど、イタヅラに時間だけが過ぎて行って、それぞれの仕事のtimelimitが迫って来る!!
困ったものだ!
椎名町は椎名町で、homepageのProviderの変更も中々出来ないし・・・
超、面倒くさい!!
コメント
芦塚 陽二
大分、日にちが経ったのだけど、思い切って、意を決して・・朝の4時からJ-comからSoftBankへのRouterの変更をした。次に朝の営業時間になったら、J-comを解約するための電話をしなければならない。
Routerは仮のWi-Fiの無線と有線のRouterなので、5月の10日に正式のRouterを持って来る予定だ。
そうすると私の唯一のパソコンのmailaddressであるa42ka-402heiz@jcom.zaq.ne.jpが死んでしまうので、新たにパソコン用のmailaddressを作らなければならない。
あ~あ、面倒くさい!
なんで、こんな無駄な作業をしなければならないのだ!
J-comのRouterを外す作業だけでも、Cembaloの部屋の荷物を片付けて、大型の花瓶や鉢を割らないように気をつけながら、ラックを移動させて・・と、大変なのだよ!
老人のやる作業じゃあないよな??
腰に来るよな??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
石川 ちすみ
私はxserver(エックスサーバーいと言うサーバーでサイトやっています。ドメインも一緒に管理してくれるので、楽チンです。独自ドメインになるし、@ashizuka.comなどのメールアドレスいくつでも発行できますし、まずもう2度と引っ越さなくて良いと思うのですが、いかがでしょう。ご参考までです。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
yahoo
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
が呈示した5つのレンタルサーバーの内のbestchoiceがXserverで、教室もレンタルサーバーはそれにしたのですが、何度upしても上手くいかないので、電話をしたら、やり方は合っているのだけど、ホームページが重すぎてuploadできないらしく、1ページづつupするように言われてしまって、休み中の宿題にしました。今、ホームページが必要な生徒が多いのですが、仕方がないので、printoutして渡そうかなと思っています。


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4月19日Jcomの解約 ·
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朝の4時過ぎから、J-comのRouterを外して、SoftBankの無線Routerにwiredでパソコンを接続する作業を、部屋の大荷物をどけながらやって、早朝の作業を終わって、仮眠を取り直して、やっと、営業時間内になったので、起き出して、J-comに解約の電話をしたのだが、電話が混んでいて、先方から今日中に電話が掛かって来る事になってしまった。その次の作業がまた止まってしまった。
結局の所、5月の10日がSoftBankの最終工事日なのだから、それまでは、何だかんだ・・と雑用をしなければならないのだよな??
それはそうと、何日ぶりだろうか??今日も突然血尿が出てしまった。デブリ(=debris)の性だとは、分かっているのだが、気分の良いものではない。




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4月19日「絶対音感のお話」続き ·
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絶対音感は音楽家の2万人に一人の割り合いで神が与え給うたGiftだと、CNNテレビで言っていました。
しかし、教室では、そういった勉強や訓練をしていないのに、教室で学んでいる殆どの生徒達が絶対音感を持っている事には驚ろかされてしまいます。
とは言っても、一般と同じ教育指導をしていては、この絶対音感の水準になる分けはないので、当然、生徒達に絶対音感が身に付くだけの指導上のtrick(curriculum)はあるのですよ。
私が留学を果たして、日本に帰って来た時には、やはり絶対音感は一つの壁であり、また憧れでもあったので、私の個人的な研究の一つとして「絶対音訓練」という教則本を、日本女子大のsupercomputerを使用して、作りあげようと試みました。
しかし、supercomputerを1時間も回しても、回答が得れなかったので、お金が莫大になるので、cancelをして、代わりにダイヤモンド・ゲームのようなゲームを作って、一月程弟子達と遊んで、そのゲームで絶対音感を導き出すための和音のpatternを作りました。
出来あがったpatternの和音の列を、実際に、芸大の作曲科の教授について作曲を学んでいる生徒で、絶対音感の持ち主である小学生の子供に、その教材を使って、絶対音のテストをしたのですが、絶対音を持っているのにも関わらず、1個の音も当てられなくなってしまう・・という不思議な結果を得る事が出来ました。
そうして、「絶対音感訓練」という絶対音感を育てるための教則本が出来上がりました。
しかし、折角、作りあげたのに、残念ながら一度も子供達に使用する事もなく、ライティング・ビューローのdisplayになってしまっています。
芦塚メトードとは、必ずしも、音楽教育のために作りあげたmethodeではありません。
汎用的に色々な分野で使用出来るように、色々な能力開発のための、methodeとして作りあげたものの一部なのです。
コロンブスの卵という事をよく言いますが、私の考え方では、着眼点を変えて、別の角度から物事を見れば、色々なものが見えて来ます。
そういった方法論の一つに、私の記憶法の骨子でもありますが、子供達が20数曲の曲を楽譜無しで暗譜で弾けるようにするためには、「忘れる」というMechanismを研究すれば良い・・という風に着眼点を変えるという事なのですよ。
ちょっとでも、あやふやな絶対音感ならば、容易にその音感を崩してしまう・・という事は、より確固とした絶対音感を身に付ける事が出来るという意味になります。
世の中には、色々な記憶法がありますが、その逆・・つまり、忘れる方法というのは無いのですよ。
芦塚メトードでは、何度書いて覚えようとしても、口で唱えて覚えようとしても・・、幾ら努力をしても、覚えられないものは、覚えられない・・と定義します。
つまり、覚える環境を整えれば、何の努力もなく、覚える事が出来るのですよ。
ただ、この芦塚メトードによる記憶法は、一般の学校教育とは根本から真逆のやり方なので、生徒達も中々、取り入れてくれません。
昔の生徒は私が説明しただけで、小学4年生から、大学受験まで、一度も勉強をしないで、topを通した生徒が何人もいたのだけど、今は、カサンドラ王女でも、イエス様ではないけれど、誰も私の事を信じてくれないのよね~ぇ??
日頃のオケ練習でも言い続けているのですが、「勉強して1番になるのは当たり前・・、勉強を全くしないで、1番になるのが格好良いのだよ!」・・と毎回言っているのだけどね~ぇ?

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4月19日鬱と血尿が ·
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気分が良く無い・・とか、言っていたら、今度は、鬱が超酷くなって来た。
精神的でけではなく、体が寒気がして来た。
血尿も続いている。
これは、困った!
さて、どうしようかな~??
どう、逃げるか??
コメント
石川 ちすみ
マフラーやストールなど、首元を温められのはどうでしょうか?足元も。足指の関節にカイロを貼るのと、レッグウォーマーはお持ちですか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
ご心配いただき、有難うございます。今日は東京はとても良い天気で、練馬の気温は24℃、自宅の部屋の中の気温は26℃で蒸れて暑いぐらいなので、寒気・・というのは、温感ではなく、皮膚の感覚で、所謂、鳥肌が立つという意味です。鬱に対しては、一つひとつの原因を丁寧に手直しして行かなければならないと思いますので、先ずは、息苦しい鼻詰まりを解消するために、薬を飲む所から始めて、次には、体を少し動かしてみようと思っています。
本当ならば、外に散歩にでも出かける事が出来れば、気分転換にもなって、一番良いのですが、そこまでは体力がないので、今日は、出来る事を探しながら・・一つひとつでしょうかね??
それはそうと、今日はピンク・ムーンの満月だそうです。
ちょっと春霞で、青空ではないので、満月が見えるか心配です。

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4月20日食わなきゃ痩せる ·
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とうとう、昨夜は動けないままに、何も食べないで寝てしまった😵💧とは言っても、チョコチョコとtoiletには起きるので、熟睡にはならないのだけど・・・・
朝起きて、体重を計ったら、半日で2.5㌔も痩せていた。
少し、やったぞ‼
てな事を言っても、勿論、なにか食べた途端に元に戻るのだけど・・・

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4月20日発表会直前の代講lesson ·
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今日(4月20日の土曜日)は、前日に引き続き体調不良で、体が全く動かないのだけど、長い事、放ったらかしているnetのProviderがそろそろtimelimitなので、代わりのmail-addressをg-mailで作ったのと、発表会直前の最後の東京でのlesson日になるので、無理をして椎名町まで出掛けて、生徒達にlessonをしたのだが、体がドンドンと落ち込んで更に調子が悪く鳴って行くので、・・どうやら、ひょっとしたら、風邪を引いているのかも知れない・・・、と言う事で、大急ぎでハイツに戻って、口の乾きと胃の荒れが酷いので、梅湯を飲んで胃を養生している所です。
多分、今日の夕食には、昨夜同様に、食べには行けないのかも知れないと思われます。
夜食を食べる・・よりも、今日はこれから絶対安静にして、明日のオケ練習に備えないとなりません。
明日は発表会直前の最後のオケ練習のlecture-lessonだからな??
幾ら何でも、明日は、休めないよな??
困った!困った!
コメント
萩元 美紀
お大事にしてください。
息子も木曜日夜から発熱して元気なんですが熱がなかなか下がりません…
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
息子君もお大事に!!4月の風邪は長引くからね??
私は熱はあがらなかったようなので、風邪か何かは分かりませんが、幾つか原因が重なったようで、不定愁訴とでも言うのかな??寝て、熟睡出来れば治るのかな??利尿回数が減っているのがちょっと心配ですが・・

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4月22日発表会直前での最後の練習 ·
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4月21日の日曜日は花園の自治会館での発表会迄の最後の総合練習で、・・基本的には全体合奏の曲と、未だ発表会には慣れていない初歩組のsoloのrehearsal がありました。
残った時間を使って、(・・とは言っても、とてもとても、練習をするだけの時間はないので・・)orchestraと室内楽の曲を、一回通して弾いて、one pointのadviceをするだけの練習をしました。
それでも、曲が膨大なので、自治会館の借りている終了時間の予定時間ギリギリまででした??

la folia Corelli=Geminiani19年4月21日芦塚音楽教室春の発表会最後の練習 - YouTube

発表会のrehearsal は、曲のrehearsal だけではなく、進行のcheckや、video-camera、merit5の使い方、楽器のcheck等々、大変な大道具を一つに纏めて、発表会の会場に持って行くための準備をしたので、花園を出発したのは、11時直前ぐらいの時間になってしまいました。・・とは言っても、これは発表会の前は何時もの事なのですがね??
何とかcinderella-time直前に椎名町に戻ってから、遅い夜食を取って、そして、一夜明けて・・の、今は月曜日なのですが、朝から体調不良と鬱が酷くて、臥せっています。
今日の月曜日は仕事にならない予定です。



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4月22日発表会直前の練習passacaglia ·
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今日(22日の月曜日)は、丸々一日、寝込んでしまいました。
金曜日の夜から、少し体調不良と鬱になって、土曜日から日曜日、月曜日の午前中に掛けては殆ど排尿が出来ず、このままでは、透析になるのでは・・??と心配していたのですが、月曜日になってからは、まるまる一日、体調不良と鬱が酷くて、殆ど何も仕事が出来ないままに、寝込んでいたのですが、そうしたら、段々と排尿感も戻って来て、延々とtoiletteに通う事になって来たのですが、そうしたら、気分も少し戻って来ました。
それに、月曜日は、まるまる一日寝込んでいて、何も食べれなかったので、今年になって最高に体重が減りました。
このまま、体重が減って行くと、良いのだけど、そうは行かないよな??
火曜日の食朝を食べたら、多分、元の体重に戻るよな??
Passacaglia Veracini=Ashizuka 19年4月21日発表会の直前の練習風景 - YouTube

石川 ちすみ
ああ、良かったです!




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2019年4月23日またまたFacebookが ·
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スマホで写真を撮って、Facebookにupしているのに、2回もupしたのに、up出来ない!!
どうしたのだよ??
コメント
芦塚 陽二
やっぱり出来ない!!3回目もoutだ!!



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2019年4月23日VivaldiのOp.ⅣNr.2 ·
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今日(4月23日火曜日)は5月中旬の気温で、今年始めて窓を全開にして部屋の中に空気を入れています。
曇り空で、地平線がはっきりとしないのだけど、久し振りの良い天気なので、写真を撮ってFacebookにupしようと思って、3回もuploadしたのだけど、up出来ませんでした。
デジカメではなく、携帯の写真だったので、大した画素数ではなく、これまでは問題なくup出来ていたのだけどね~ぇ??
今日のYou Tubeの動画は、日曜日の総合練習のrehearsal の様子です。
最後のオケ合わせなのだけど、練習時間がないので、one point adviceだけで、lectureと練習は出来ませんでした。
と言う事で、発表会は、まあ、今回はこんなもんかな??
今回はⅡ楽章を先に演奏して、Ⅰ楽章は後で演奏します。
Ⅰ楽章の後で、Ⅱ楽章を演奏すると、どうしてもⅢ楽章が必要になるからです。
Ⅱ楽章のsoloの部分のsoliのgroupは本来ならば、senza vibratoで膨らましで、演奏するはずなのですが、今回はsenza vibratoはやめにして、vibrato有りで演奏をしています。和音を膨らましで演奏するので、拍頭がズレて聴こえるので、soloが先行して弾かなければならないので、結構難しい課題です。
Violin-concerto in e ⅡⅠ楽章Op.4Nr.2Vivaldi 19年4月21日芦塚音楽教室発表会への最後のリハ - YouTube


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4月23日 Vivaldi Cello concerto·
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4月21日の発表会に向けての最後の総合練習の風景です。練習と言っても実際にはlectureの時間が全くないので、1回通すだけのrehearsal です。
You TubeにuploadしているVivaldiのcello-concertoのG DurのⅠ楽章のお話ですが、VivaldiのCello-concertoの低弦のpartは、非常に早い速度で、scaleを弾かなければならない・・という、時々Vivaldiがcello虐めをするための、celloにとっては超絶難度の曲で、しかも、celloと同じpartを補強して弾くKontrabassにとっては、マジ演奏不可能になってしまいます。
と言う事で、一般に出版されている世界的に権威のある版のKontrabassのpart譜は、Kontrabassのpartは拍頭だけを弾く事になっています。

Cello-concerto G RV413Ⅰ楽章19年4月21日最後の練習 - YouTube

教室ではKontrabassの生徒達もVivaldi先生と同様に甘やかす事なく、Celloさん達と一緒にscaleのfigurationを演奏させていますが、通常はproのオケでも、KontrabassはCelloと一緒にpassageを弾く事はありません。periodの場合には、Kontrabass奏者が一人なので、超絶難度にもかかわらず演奏している場合も多いのですが、それはKontrabass奏者がsolisteであって、超絶技巧の持ち主だからです。
・・・と言う事で、Kontrabassにとっては、無理難題のpassageを教室の子供達が演奏しています。アハッ!
確か、始めて3回オケに挑戦するんだっけ??そりゃあ可愛そうだよね??


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2019年4月24日 ·
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「音叉とtuningのお話」
私が音楽大学に在籍していた頃や留学していた時代には、まだ電子機器といったものは存在していなくて、小型の原始的なKeyboardがあるぐらいで、弦楽器のtuningには音大生達は全員、音叉かPianoの音からtuningをしていました。
pitchもA=442の演奏会高度の音叉は珍しく、普段に手に入る音叉はA=440の標準高度のみでした。

つまり、正しいpitchに合わせてtuningするためには音叉に頼らざるを得なかったのですよ。
ましてや、音楽大学の練習室のPianoは前世紀に調律したと思える程、pitchが狂っていて、合わせるには忍びなかったし、Pianoの音から、Violinへの調律は結構難しく、微妙な音が狂ったまま・・というのはザラだったからね??


Münchenの留学から帰って来ても、暫くの間は、弦楽器のtuningのみならず、Pianoの調律やCembaloの調律も音叉でtuningをしていました。



電子式Metronomが発売されたのは何時の頃かはすっかり失念してしまいましたが、教室を開設した辺りからは、もうMetronomでtuningをしていたので、40年程前から、発売されていたのでは??・・と思っています。
現在では、今腕時計やスマホでもtuningが出来るので、「音叉は過去の遺物になったのかな??」と、思っていたのですが、今でも、音叉は軽いので、楽器caseに忍ばせる事が出来る・・という事で、持ち歩いている人は多いようですね。
「音叉とpitchのお話」


元来、音叉が作られた時には、まだ古い時代(1859年)だったので、435cycle(コンチネンタル・ピッチ)としてフランス政府が定めました。
しかし、所謂、ベルサイユ・ピッチと呼ばれる392cycleや、所謂、鍵盤を半音スライドさせる事で(A=G#にする事で、便宜上のbaroque・pitchにするというスライド・鍵盤用のpitch)で得られる415Hzや、多数のpitchがありました。



そこで、標準音を世界で統一しようという運動が起こって、1939年のロンドン会議で、標準音を440Hzと定めました。
このpitchの利点は440という数が単純な数なので、倍音の計算がしやすいという利点があります。
と言う事で、学校等ではpitchは440Hzとして教えられますが、しかし、多くの演奏会場では独自のpitchが今でも取られていて、通常は演奏会pitchとして442cycleとされて、学校教育用の440cycleに対して、演奏会用のpitchとして、442cycleの音叉や管楽器等が一般に販売されています。
つまり、音楽大学では、pitchは442cycleで、教育大学では440cycleのpitchで生徒達を指導しています。
また、Recordのような古楽器は、学校教育用の440cycleの楽器に対して、古楽器としてのpitchである435cycleの楽器が一般的に販売されています。
私の所有するrecorderも、手作りの木製のrecorderは、435cycleのものです。
また、今回私が購入したtraverso(originalは黒檀や象牙製なのですが、とても高価になるので、ベークライト製ですが、それでも5万はします。)も、baroque・pitchの415cycleです。
また、海外のorchestraも、ベルリン・フィルは444cycleの場合が多いし、もっと高いpitchのorchestraもあります。
日本では、演奏会pitchは442cycleと言われていますが、日本の多くの演奏会場のPianoは443cycleで調律される事が多いので(極、稀に444cycleの場合もありますが・・)教室では、どのホールに行っても問題がなく、演奏が出来るように、443Hzで生徒達の家庭でのPianoにも、tuningをお願いしています。
音叉で調律をする調律師の人は443cycleの音叉がないので、その注文をすると困ってしまう人がいるのですが、教室でお願いしている調律師の人達は443cycleの音叉も持っている人もいます。市販はされていない・・と思ったのですがね??
家のPianoが440でtuningされていては、発表会の時に演奏が♭になってしまいますのでね??
正しい絶対音感を育てるためには、家庭のPianoのpitchと教室のpitchが整合が取れていなければならないからです。
日本でも、教育会館のような文科省直属の会場は440の標準音を取っています。
生徒達にとっては、444のような高いcycleに対しては、然程の嫌悪感はないようなのですが、低いpitchに対しては極端に嫌がります。まあ、当然の事ですが・・・
音叉はそれ自体では音がならないので共鳴させなければなりませんが、Violin本体に付けて音を出すのは楽器を傷つける事があるので、私は推奨していません。
云~千万クラスの高価な楽器を使用している人達は、原則的にそういう事はしません。
音叉で音を聴きたければ、意外と頭骨に音叉の丸い部分をくっつけるだけで、楽器に音叉をくっつけるよりも、余程、音はよく聴こえます。
音叉を使用するのならば、共鳴箱の付いた音叉が望ましいのですが、7千円程度はすると思いますので、初心者の子供達が購入するとなるとちょっと高い買い物かもね??
教室では、早い時期にMetronomの使い方を指導・lectureするのですが、市販の電子Metronomには、tunerが付いていて、baroque・pitchから448ぐらい迄のpitchを鳴らす事が出来るし、また、針でpitchの狂いを示唆するtypeのMetronomもありますので、とても便利です。
音叉と違って両手が完全に開くので、教室では電子tunerが発売された時から、色々なメーカーから使いやすいtypeのMetronomをselectして生徒に購入させています。
Metronomについては、「音楽性を育てる教育の邪魔になる」・・と言って毛嫌いする先生達も多いのですが、それはMetronomの使用の仕方に工夫がないからです。
proの人達は絶対tempoに対して、非常に大切にするので、Metronomは欠かせない道具になります。.
Metronomもパソコンも所詮は道具にしか、過ぎないので、如何に使い熟すかは、使う側の力量になるのです。
Metronomの歴史や使用方法についての解説は、詳しく冊子を作っていて、homepageにも同じ文章を掲載していたのですが、今、homepageは、お引越しの最中で見る事が出来ませんし、冊子も45Pageを超す本になっていますので、今の所、販売はしていません。本にするのが超面倒くさいので・・
写真1枚目の音叉は、442Hzと440Hzと435Hzの3つの種類の音叉を持っています。とは言っても、今現在は使用していないので、何処に置いたのか分かりません。
写真2枚目は、12本setのchromaticの音叉です。でも、PianoやCembaloの調律には音叉は使用しないので、使った事はありません。物珍しく購入しただけのdisplayです。

写真の、analog式のMetronomはドイツ・ウィットナー社のとても素晴らしいMetronomです。
日本のものとは違って音も性能もとても良いのですが、置き場所がちょっとでも水平を欠いていたら、正確なrhythmは取れないし、ensembleには音が小さ過ぎるので、電子式のMetronomに変えてしまって、今はハイツの自宅でのdisplayになってしまいました。電子式のMetronomならば、CDPlayer等で増幅して音を出す事も出来るしね??
写真のKeyboardは、検見川教室のオケ練習用のharmony‐Directorという古典調律や純正調、純正和音を出す事の出来るKeyboardで、Metronomも持っています。教室のオケ練習では、このヤマハのharmony‐DirectorでMetronomの音や、pitchの音を出すので、小型の携帯用の個人用のMetronomを使う事はあまりありません。
追加の写真のMetronomは、小型と言うには少し大きすぎますが、結構大きな音が出るので、lesson室で、生徒達がlessonの前のtuningに使用しています。
(文章が長くなったので、次のコメントに書きます。)

コメント

















石川 ちすみ
電子式メトロノームをCDプレイヤーに繋いで音を増幅できるんですか!?それなら室内楽ぐらいなら聞こえますね😉
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
石川 ちすみ 先生モニターのメトロノームのヘッドフォンの端子から、line-inに接続すれば、CDプレーヤーや、スピーカー、或いは、キーボードのスピーカーも使う事が出来ます。音量は自由自在なので、両方のボリュームを最大にすると、オケ練習でも大丈夫です。というか、うるさいくらいになります。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
コツは、両方の接続の端子の変換コードを電機の量販店で買って揃えておく事です。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
キーボードやスピーカーの端子は標準プラグが多いので、標準からミニプラグへの変換コードが必要です。長さも色々あって自由に選べます。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
キーボードやCDプレーヤーにはinの端子だけでも、色々とありますが、出力側と受ける側のインピーダンスと言いますが、電気の容量が合わないと、音が出なかつたり、音が割れたりします。インピーダンスが分からない時には、色々な端子を試して、一番合う端子を探すと良いでしょう。


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4月24日「音叉とtuningのお話・2」 ·
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tuningのAについては、Aの音に弦楽器のAの開放弦を合わせれば良い・・と思われるかも知れませんが、実はそんなに単純なものではなく、色々と難しい点があります。
tuningのAは電子計器の針を見ても分からない程度の、上のpitchで合わせるか、Aの下のpitchで合わせるかで、かなりのズレがあります。







Violinのように高音域の楽器の場合には、そのズレは少ないのですが、Kontrabassのような低音域の楽器の場合には、ちょっとした狂いがちょっとの狂いではなくなります。
pianoの調律の時には、turning-hammerを1,2㌢ズラして調律するくらいのズレでも、cembaloの場合には、turning-hammerに力を掛けるだけで、全く動かさなくても、同じくらいにpitchが動いてしまいます。
tunerの針で計測しても、出ない範囲のお話ですが、実際に純性の和音を出したりする時には、現実的にかすかなnoiseが出て雑味の音になってしまいます。
そういった意味でも、みがかれた人間の感性は計器類よりも遥かに素晴らしいものがあります。
教室でオケ練習の時のように、生徒各自がtuningをして、それを一気に確認する場合には、開放弦のGの音を一斉に鳴らさせます。
ViolinやViolaやCelloのようにAから下にGの音を取る楽器と、Kontrabassのように、逆にAから上にpitchを取る楽器の場合には、少しでも、5度の音のintervalがズレていると、そのズレは、増幅されて行きます。
開放弦のGが完全に音が揃っていたら、正確なAでtuningされている・・という意味なので、一人でもズレていたら、直ぐに誰がズレているのかが分かります。
多くの音大生や音楽家達がよく起こすミスなのですが、完全5度を完全に協和させてtuningすると、平均律とは大きなズレが出来てしまいます。
その一例として、Mendelssohnの彼の有名なViolin-concertoのⅠ楽章の中間部で出て来る開放弦のGの音ですが、orchestra伴奏ならば、或る程度のpitchの調整は出来るので、問題はないのですが、Pianoの伴奏の時には、学生達が(仮にAのpitchを正確に合わせたとしても)完全5度の調弦を完全5度に調弦してしまうと、PianoのGと合わなくなって、大変な音がしてしまいます。
つまり、Aからのtuningを狭めに5度を取って行かないと、大きくGの音が狂ってしまうからです。
これが、上のAと下のAのpitchを取る・・という意味になります。
純性の和音で演奏する場合にも、とても重要な意味になります。
(今日はここまでにします。また改めて・・・)
1枚目はCembaloのtuningのlecture練習風景、2枚目の写真は分割鍵盤、3枚目の写真は教室のPipeorganの調律風景です。


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4月26日「平成最後のone lessonの後で・・」 ·
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昨日(19年4月25日の木曜日)は平成最後の花園教室での平成最後の発表会に向けてのone lessonでした。
(・・テレビ等でも、「なんでも平成最後の・・」という文言が入って来たので・・私も、便乗して・・・)
発表会の直前と言う事もあって、long-runを覚悟して、プリドルも椎名町でのお留守番ではなく、千葉まで同伴してのlessonでした。
発表会直前のlesson・・という事で、最後の伴奏合わせになるので、「伴奏合わせ」を中心にしたlessonになり、結構、lesson内容としては、煮詰まって来ていて、ViolinとPianoの掛け合いのcommunicationのlectureが面白いlesson風景だったと思えるのですが、オケ室内楽の練習とは違って、「二人での伴奏合わせ」とは言っても、基本的にはViolin-soloの個人のlessonなので、You Tube等の公開はしません。
子供達へのlessonが終わっても、斉藤先生が、そのまま花園教室で、発表会の下準備をしたりして、結構、遅い時間に千葉を後にして、東京の事務所に帰って来たので、半分眠りながら・・というか、殆ど眠ったままの状態で意識朦朧と、ご飯を食べて、(lessonで使用した楽譜や、lesson道具の入っているruckやレインコートも持ち帰る気にもならないので、そのまま椎名町に置いたままにして、)大急ぎで霧雨の降る中を、バイクで江古田の自宅まで戻って、パソコンの電源を入れて、今日一日の舞い込んで来た仕事は絶対にしないように注意して、そのまま寝てしまいました。
ついでに、携帯も椎名町に忘れて来たのだけど、多分、携帯を忘れるのは、「携帯に束縛されたくない」・・という、願望が混じっているのかな??
・・携帯だけはいつも、必ず忘れるよな??
一夜明けての今日は、暖かい・・と言うか、暑いぐらいの5月中旬の気温の昨日から、一転して気温も10℃以上も下がって、強い雨が降っている※)、結構、寒い朝になりました。
練馬区の外の気温は、何と12℃だそうです。
昨日は26℃ぐらいの夏日だったので、その寒暖差はちょっと異常ですよねぇ~??
※)自宅の窓から外を見ると、雨に手が届きそうなぐらいですが、雨が強いのか?降っているのか??ですら、5階の窓からは、よく分かりません。
という事で、雨や気温をcheckする時には、玄関のドアを開けて、外の学園の木々を通して外界の状況を判断します。
それでも、「降っていないのかな?」と思われるような小降りの雨の時には、駐輪場兼ゴミ捨て場の出口から外に出ると、結構小雨が強かったり(?)して、部屋までもう一度雨具を取りに戻る事もよくあります。
霧雨ぐらいの小降りの雨でも、バイクでは結構びしょ濡れになってしまうからです。
この写真では、「雨が降っているのは分かるかな??」「云~??」
この写真をよく見ると、マンションの壁が少し湾曲していますが、昨夜は、私のデジカメも楽譜類と一緒に椎名町の事務所に置いたまま帰って来たので、スペアーの5千円ぐらいの安いワイド専用のデジカメで撮影した写真です。
解像度もホワイトバランスの調整もしないままに、何年も使用しています。
通常のデジカメではangle的に入らない画面を撮影するためのワイド専用のカメラです。(とは言っても、5千円じゃあ、ピントも解像度も、たかが知れているけれどね・・??だからと言っても、本物のニコンのコンデジには、ちゃんとしたwideから魚眼まで持ってはいるのだけど、面倒くさくて、とても出す気がないので・・)



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4月27日「period(ペリオード)について」 ·
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今日は2019年4月27日、まあ、平成最後の土曜日です。(そろそろ、「平成最後・・・」も、耳に付いて来たかな?)
発表会の直前なのですが、period奏法と言う事で、「period」についての説明をします。
periodとは英語ではピリオード、所謂、句読点を意味します。
音楽用語として使用する場合には、時代区分としての意味になりますので、本来は、baroqueや古典派の時代という意味はありません。
つまり、現代のcontemporaryの音楽でも、periodという言葉を使う事が出来るのですよ。
また、通常一般的には、period instrumentsというと、baroque時代よりも、寧ろ、Renaissanceの時代のViolin属よりも前の時代の、gamba属等の楽器を指す事の方が一般的だと思います。
ヨーロッパでは、一つの国に一つぐらいの国立のancient-Musikalische -institute(古楽研究所)があって、Renaissanceの音楽やbaroqueの音楽の研究をやっています。
勿論、音楽大学とは別の独立した研究所としてなので、学生達の年齢はマチマチです。
日本には当然ながら、まだそういった研究所はありませんし、音楽大学でもそういった古楽を専門的に研究している大学はありません。
(・・てな事を言うと、「私の大学には古楽研究クラブがある」と言われそうですが、私が言っているのは趣味としての古楽ではなく、あくまでも研究所としての意味です。)
何時も、私が口にしている事なのですが、「古楽器を使用して古い時代の曲を演奏する」という事だけでは、必ずしも、period奏法の研究にはならない・・という事です。
日本の古楽器の演奏は、period instrumentsを使用して古い曲を演奏したとしても、現代の奏法で現代の音楽解釈で演奏しているのに過ぎないので、それを持ってperiodの演奏とは言えないのですよ。
つまり、periodのinstrumentsを使用して、periodのinterpretationでperiodの演奏技術で演奏したものをperiodの音楽と呼ぶのです。
この分野では日本は、立ち遅れているのではなく、全く立ち上がってもいません。
折角period instrumentsを手に入れて演奏会を開いても、modern-楽器と同じ演奏をしていては、それをperiodとは言えないのでね??
私達の教室では、period奏法というのは、baroque時代から古典派迄の時代区分を言っています。
Violinが始めて作られたのは15百年代の後半、ガスパロ・ダ・サロが作ったと言われていますが、これは諸説紛々で、所謂、同時期にシンクロニシティとして色々な楽器製作者が作ったと思った方が正解でしょう。
だから、Violinの音楽はbaroque時代(1600年)から始まるのですよ。
Violinの奏法が、現代の演奏styleに変わるのは、 François TourteとSpohrの二人が新しいmodern-bowを作ってからです。
弓だけが、強い張りを出すようになっては、楽器は耐えられないので、当然、Violinやcelloの本体も強い張力に耐えられるように改造されました。つまり、Stradivariの楽器でも、後世の楽器工房の人達が現代のViolinに改造したものなのです。
Violinの竿(ネック)も長くなり、強い張力に耐え得るように内部に力木を入れて強い張力に耐えられるようになって、当然、Violinの演奏法や曲の演奏styleが変わって行きました。
シンクロニシティと言えば、弦楽器だけではなく、ほぼ、同時期にPianoもforte-pianoというsingle actionのforte-pianoから、現代のdouble actionのPianoに変わったので、touchや演奏styleも現代風に変わってしまいました。
私達は、そういった楽器の改造を改良と学んで来ましたが、実は音を強くするために、失った楽器の素晴らしさや音楽の表現があまりにも多くて、そういったbaroqueや古典派の時代の本当の表現を惜しむ人達も段々と増えて来て、世界基準ではperiod奏法の演奏も非常に増えて来て、優れた演奏をする団体も増えて来ました。


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4月28日「有名な人=凄い人ではない」 ·
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「有名な人」とは企業やマスコミが作りあげた人である場合が殆どで、「凄い人」は日本では当然としても、ヨーロッパでも無名な人の場合が多いのだよ。
それどころか、ヨーロッパでは超凄い演奏家が、全く無名である場合もよくあるのだ。特に、genreがmaniacな場合には、そう言った人が多いのも事実である。
有名店、所謂、行列の出来る飲食店には、原則として私は行かない。(これまでも、頑張って長時間待って、やっとこ食べても、普通の味しかしない事が殆どだったからだ。)
行列の出来るお店が、車の駐車の問題や近隣との問題で、お店を移転した後で、行列が出来ているのを見た事は無い。
「一見のお客様お断りの店」に、一見で入った事が何度もあるのだが、私がお店に入ると板さん達がいつもざわついて大騒ぎをしていたよ。
誰かと勘違いしていたのかな??
地方の寿司屋なのだけど、野球選手やスターが飛行機に乗って食べに行く程の有名店に、連れられて食べに行った事がある。私はお寿司を食べる時に、指先をしょっちゅう拭いたり、唇を拭く癖があるのだが、その寿司屋ではcounterの席の前に、指を洗うための水道があって、唇を拭く小さなタオルが出て来た。まるで私の好みのための寿司屋のようだった。
お店のご主人が出て来て、「今日は寿司ネタがないので、お店を閉めようと思っていたのですが、近場の雑魚ネタしか無いのですけど?」と言って来たので、「私は、雑魚の方が好きなのですけど・・」と言ってお店に入れて貰った。一列食べるだけで数万円を要求されると言う事で有名なお店なのだけど、余りにも美味しいので2列以上も食べたのだけど、超、安かった!!一人1万ぐらいで済んだよ!!
ほとんど、お醤油を使わなくて食べれたのが、超好みだった。
2年後にもう一度行った時にも、店長のおじいさんが私の好み等をちゃんと覚えていたので、「流石!」と関心したよな??
私はお店では、私の名前すら教えていなかったのにね??
こういうお店をproの店と呼ぶんじゃあないのかな~ぁ??
今日は4月28日というか、まだ27日の土曜日の深夜である。
発表会の前々日と言う事もあって、「超!」、「super!!」、「ultra!!!」、久し振りに、日本酒を4合も飲んでしまった。
何年振りであろうか??
発表会直前に鬱に苛まれて、conditionを崩すのを避けたかった・・という意味も有るのかな?
私の・・というか、私の場合だけではなく、一般的にも、鬱の根本原因は対人関係であろうか。
つまり、私の場合、自分に対しての鬱の原因は、体調の管理を含めても全く無い。
自分は自分に過ぎないのだから、生きるにしても、死ぬにしても、自分だから、その悩みは存在しないのだよ。
鬱の原因が人に有る事は、人が判断する価値を誤っているからに過ぎない。
人の価値など、無視をして、自分は自分を押し通せば、それで人生は安泰なのだが、それは、私が教育という事に携わった事が一生の誤りであるぞなもし。
日本人の価値は、「あなた任せ」である事が殆どである。
人は有名な人を、立派な仕事を成し遂げた人と勘違いする事が多い。
日本人のブランド嗜好は有名であるが、ブランドの意味は、「価値の判断を企業に保証して貰う」・・という意味なので、「寄らば大樹の陰」とか、「親方日の丸」とかと大して変わらない他人任せの判断基準に過ぎない。
しかし、昔々は、その親方日の丸の日本国政府が発行した、債権が無に帰して、ただの紙切れになった事が多々ある。
その紙切れを記念に祖母から貰ったのだが、今の貨幣価値では1千万ぐらいにはなる・・と聞いた時には、笑いが止まらなかったよな?ただの印刷された紙切れにしか見えないのだよ。
それも粗末な紙なのだよ。
赤い印だけが無意味に偉そうに見えるのだよ。
「こんな紙切れが1千万・・?」笑ってしまう程、お粗末な紙幣なのだよ。それぐらい、国の財政が切迫していたのだろうけれど・・・。 
その債券を銀行に持って行けば、お金には換えて貰えると聞いたのだが、その金額を聞いて笑いこけたよな?
お国のために、なけなしの財産を使い果たした国民に対しての責務は何処にもないのだよな⁉
私が産まれたばかりの頃は、5厘硬貨がまだあって、それを持って駄菓子を買いに行った覚えがある。
子供心にも小さな小さな硬貨だった。その次は、1銭硬貨で、その次は50銭硬貨だった。
つまり、あっという間のインフレなのだよ!
貨幣の価値が一日、一日で変わってしまって、お金がお金としての価値がなく、大昔の物々交換でしか、米を買う事も出来ない・・という時代のお話だよ!
昭和の戦後の時代というのは、映画の『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、nostalgicな時代では無かったのだよ。
あっという間に、百円札が出来て、五百円札ができた。
それから更に、千円札の到来だよ。超、インフレで、何も無い時代だったのだよ。まあ、一部の金持ちは別として・・・だけどね??
私が駄菓子屋に持って行った五厘の硬貨は、つい先日まで、記念に持っていたはずなのだが、探してみたら見つからない!!
昔の硬貨を色々と持っているのだが、同じ金額の硬貨を並べて見ると、色々な時期で出来ている大材質や硬貨の大きさが全く違っているのを見るのは面白い。
その時代の経済の状態が分かるよな??
親方日の丸なんて、こんなもんだよな??・・と言う事がよく理解出来る。
大学への進学も、就職も、その総てが他人任せ・・では、その人の一生なんて、たかが知れている。
学校の勉強の本来の目的は、社会性を身に付ける事と、将来、自分が生きて行く上での夢を探す事では無かったのかいな??
教育の本質というのは、学力を身に付ける事ではない。
人生を・・或いは人間を、否、社会の本質を見極める目を養う事である。
人を見極める事の出来ない人間が、社会の役に立つ人間になれる事は無い。
音楽にしても然りである。
音楽の本当の意味、それを見極める事も出来ない音楽というものは、所詮は亜流の音楽であるぞなもし‼
・・とは言っても、文字にも、チラシ有り、探偵小説あり、哲学書もあるし、聖書すらあるように、音楽でも、BGMから、popularや、所謂、Classicと呼ばれるgenreの音楽があるのは分かり切った事で、それ等がそれ相応の価値と位置付けを持って存在しているのは、当然の事だし、それを否定する気はサラサラ無い。
幾ら引き籠もりで、隠遁生活をしていたとしても、そこまで、非社会的な人間ではないからね?
あくまでも、教育上に於ける「育てる」という意味合いに於いてのお話なのだから・・
私自身は産まれながらのpessimistであり、引き籠もりであるので、「人の上に立つ」・・とか、「有名になる」・・とか言う願望は全く持って無い。
私の夢は静かに穏やかに暮す事なので、一静庵なのだよ!
海に接した断崖の上にある小さな森の中に庵を組んで、余生を過ごすのが夢だ。
ただ、社会に一石を投じると言う事は、自分の足跡を遺すという意味での教育だったはずなのだが、そこに手違いがあったのかな?
技術を指導する事は簡単に指導出来るのだが、心を伝える事は超、難しい!
久し振りの酒に溺れて、ついつい愚痴ってしまった。
反省、反省!!
反省ならば、猿にでも出来るか???
否~ぁ? それにしても、今夜は寒い‼
なんと、7℃だってよ!!
26.5℃から7℃は、幾ら何でも無いよな!!


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4月28日「進行表について」 ·
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私達の発表会では子供達が自主的に発表会の進行をします。
初めて、発表会で子供達が自主的に進行をした時に、当時の浦安のホールでは、会場のスタッフが「先生達が子供達に進行を手伝わせて、手抜きをしている」と思って冷ややかな目を私達にしてきました。しかし、子供達の進行を見て発表会も中程になると、スタッフの人達が子供達に進行をさせる意味合いを理解してきて、とても協力的に温かい目で子供達へのadvice等を積極的にして頂きました。
その後は、発表会の進行表を事前にホールだけではなく、「会場の進行のスタッフにも欲しい」・・という要望があり、その後は、新しい会場スタッフの指導のテキスト教材になっていました。その後は、どこの会場に行っても、ホール・スタッフの温かい協力を頂いています。
発表会を子供達の自主運営の場(自主性と協調の教育の場)にしようと思いついたのは、教室を開設した時期とほぼ同時でした。
子供達が自分達が自主的に動くためには、子供達が動くためのmanual=一人ひとりの動きを表した、発表会の「進行表」が必要だ・・という事で、進行表を作るための参考に、proオケの団員で同時に進行を担当している友人の所に行って気軽に「進行表を見せてくれない?」と申込みました。
彼の答えは意外なもので、「芦塚さんの頼みならば、どんな無理難題でも聞くけれど、進行表だけは勘弁して!」と拝まれてしまいました。
仕方がないので、NHKのtopの人の所へ行って進行表を見せてくれるように頼みました。
役員の人に紹介されて、進行表を貰ったのですが、(超、shockだったのは、)その進行表が東京都の電話帳よりも分厚くて、細かい文字で上下3段に別れて書かれていて、向こう3年分くらいの予定が毎日の秒単位で書かれていて、服の生地の発注からstageのsetや、演技をする人達の行動に至るまで、秒単位で書かれていたのですよ。
「これは、参考にするにも、とても無理!!」・・という事で、なければ、作る・・という信念に従って、子供達向けの進行表は自分で作る事にしました。
教室を開設した当時に、教室のinstructor希望の高校生達に、進行表の作り方を指導して、当時、まだ発売されたばかりのワープロで進行表を作りあげました。(それが斉藤先生達です。)
高校生の生徒が出来上がった進行表を外部の人達に見せると、あちこちから引き抜きが掛かって来て、「高校生でも良いから今直ぐに就職しに来て欲しい!」との申し込みが多数ありました。
「教員採用のお話」
その当時の一例として、当時は超、就職難の時代で、教員採用試験に合格しても、中、高校の学校の先生として就職出来るには、通常5年待ちでした。
「5年待ち」・・とは言っても、その間、別の職業に着くと、教員採用は取り消されてしまうので、家事手伝いぐらいしか出来ない状態で、所謂、ニートを5年間続けなければならなかったのですよ。
ちょうどその頃、大学受験の浪人生で、「受験ノイローゼになりそうなので、高校の部活で少し学んだ、Violinを9月頃の受験の追い込みの時期までの限定で、勉強もしたい」・・という浪人生が来ていて、教室でViolinを学びながら、受験のtechnikも指導して、大学の受験にViolinとviolaを持って、受験の試験会場に行って、試験が終わったらそのまま、本番に駆けつけるという変速的な受験をしました。その姿を見ていた回りの人達から、私は非常に厳しいブーイングを受けたのですが、本来的な意味は、受験浪人生である彼の受験のpressureを防ぐ意味と、日常のrotationを規則正しく守らせる・・という意味もあります。
という事とで、無事に希望の大学に入学して、恙無く卒業出来たのですが、卒業年次の時に、教育実習に行った時に、一クラス35名ぐらいのクラスに、3名程の問題児がいて、彼が「35名中ならば、3名ぐらいの落ちこぼれは仕方ないですよね?」と言って来たので、私が烈火の如く怒って、「大学院に行ったつもりで、特殊の学校に行きなさい!」と命じて、2年間の上智大学の特殊の教育を受けさせませた。
この2年間で、特殊教育を受ける事で、色々な問題児の扱いに慣れて、経験を積んで、無事特殊を卒業する事が出来て、郷里の超就職難の県の教員採用試験を受けたのですが、彼の友人達や先輩達を差し置いて、彼はストレートで採用されました。
つまり、特殊が出来る先生は5年待ちの先輩達を差し置いて、ストレートで就職出来ました。
つまり、現場の学校にとっては、特殊の出来る先生が欲しくて、ベテランの先生達を学校から出向させて勉強をさせるぐらいだったので、彼が特殊を勉強して来たという事は、就職に関しては優先度がかなり高かったのですよ。
学校に就職して、直ぐに、その年の学校の運動会や文化祭の企画進行を任される事になりました。
勿論、進行表が作れるから、veteranの先生達を差し置いての抜擢です。学校では、新任の先生であるにも関わらず、子供達の扱いに長けたVeteranの先生として認められて行きました。教室にいる時には、進行表の有難味は良くは分からなかったのですが、後日にはとても感謝されました。教育の現場に行った生徒達からはいつもその感謝を受けています。
教室が現場主義なので、一般的にはなかなか理解されないのですが、子供達からは、結構感謝されます。
「子供達のお話に戻って・・」
この進行表の作成のお話は良いお話の例なのですが、悪い例もあります。
教室の生徒達はオケ練習等や発表会等の自主活動で、集団の統率の訓練をされています。
だから、小学校等でもどうしても教室のまとめ役になってしまいます。
そこまでは良いのですが、classに問題児がいても、先生達がその問題児に対応が出来ないので、子供に問題児の指導と扱いを任せてしまう事が多いのです。
親にとっても、それはお友達に尽くす事なので、とても良い事のように思えし、子供も先生や親から高く認められて評価されるので、満更でもないのですが、実は、その事が、子供の教育上、とても問題なのです。
そのお話を子供に分かるようにするために、「田吾作さんのお話」としてhomepageに掲載しています。
他人のために何かをする事はとても良い事なのですが、それは自分がちゃんと人の上に立てるようになれるように、自分を確立しておく・・という前提があります。
勉強途中の子供が自分の勉強を差し置いて、他の子供の手助けをする事は、自分の夢や成長を犠牲にする事になるのです。
子供は「目先の良い事」と思われる事に出会った場合、それが本当の意味で、自分にプラスになるか否かの判断が出来ません。子供は、そういった社会的な意味に於いて、自分の個を守る事が出来ないのですよ。
もっと酷い例は、子供達がワープロを打てるので、先生が自分の仕事の手伝いを生徒にやらせていた事です。
その当時はまだワープロが発売されて間もない頃なので、学校の先生達はワープロを使い熟す事が出来無かった・・時代なのです。
その生徒からの「学校の先生の手伝いが大変で、自分の練習が出来ない!」というhelp=苦情を私が聞いて、直ぐに学校に対処を要求しましたがね??
(勿論、先生は反省をして、事を荒立てる事無しに、事なきを得ましたが・・)
「思いやり教育と伴奏のお話」
上級生達が年下の初歩の子供達の面倒を見る・・という事は発表会だけではなく、普段のlessonの時の、Pianoの伴奏でも先生が伴奏しないで、先輩の子供が伴奏をする・・という事でも協調性や思いやりの心が育ちます。勿論、それだけではなく、音楽は伴奏を込みで初めて音楽として確立するので、Violin等のmelodieだけでは、音楽とは呼べないし、音楽を理解する事も出来ません。
自分のViolinのmelodieにどういう和音が付けられているのか?どういうPianoのmelodieが付けられているのか?を理解する事無しに音楽を理解出来る事はないのです。
一般のViolinやVc.の教室の場合には、発表会の直前に、Pianoの先生がやって来て、一人、1,2分の伴奏合わせをして、本番に臨む・・という形になります。
しかし、それではViolinの生徒達も、音楽そのものを理解する事は出来ませんし、伴奏する生徒も、「伴奏合わせ」という特殊な技術をマスターする事が出来ません。
一般では、Pianoの伴奏者はPianoが楽譜通りに弾ければよい・・と思われているのですが、伴奏者の技術でコンクールでも入賞出来たり、落選したりするのです。
小、中学生や、高校・大学の弦楽器のコンクールの伴奏が出来る人は東京には、二人しかいないのです。
コンクールに入賞をする生徒達の伴奏は総てその先生が伴奏しているのです。勿論、そのお名前は出しませんがコンクールの伴奏者の欄を見れば一目瞭然です。
ViolinやCelloの演奏家や歌の演奏家の人達にとっては、優れた伴奏者を見つける事は、生命線になるのです。恋人はいつでも見つける事は出来るけれど、優れた伴奏者に巡り会う事は、人生の中で、非常に稀な事で、それこそ死に物狂いで探します。
教室のお姉さん達は、非常に伴奏が上手で、時折、外部から伴奏を頼まれて、軽い気持ちで伴奏(バイト)に出掛ける事があります。とても感謝されても、教室では当たり前なので(子供時代から伴奏をやって来ているので)、「まあ、私って、伴奏が上手いのね?」ぐらいの、簡単な感じです。技術として、価値としての伴奏のTechnikと思った事はないのです。
まあ、それはそれで、良いと思うけれど、少なくとも、コンビニのバイトとは比べようがないぐらいのお金が貰えるので、大学生には、「バイトに行きたかったら、伴奏をすれば?」と声を掛けているのですがね~ぇ?
しかし、一般の音楽教室のように、「先生に子供のPianoの伴奏をして貰いたい」と思われる保護者の人も時折はいますし、その場合にはそのように配慮しています。
但し、先生が伴奏する場合には、通常の伴奏の条件と同じになりますので、伴奏1回、2,3分の、本番直前のcheckのみになります。これは音楽教室の伴奏合わせだけではなく、プロの場合でも同じです。
基本的には初歩の間は、お母様、お父様が子供と一緒に伴奏で舞台に乗れるようにしています。子供とのensembleの思い出は貴重な思い出になるので・・ね??
また、子供同士のcommunicationが出来ない生徒の場合は勿論、率先して先生が伴奏をしますが、先生の伴奏の場合には、伴奏の勉強として、子供達同士で一緒に練習をすると言う事は時間的に出来ません。とても無理です。
生徒の曲の演奏が出来上がった状態での練習1回本番・・という感じになって、一般の音楽教室と同じになります。


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更新しました。
2019年4月28日 ·
高校時代住んでいた長崎の公営団地の直ぐ上の十字架山での自撮りの写真です。夕陽に薄の穂がキラキラとしてお気に入りの写真です。体重はこの当時から36~7歳から突然肥り始める迄、全く変わりません。




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2019年4月29日 ·
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明日の朝の出発まで、6時間を切ってしまった。これではwineを飲むことも出来ない!これは困った!!
と言うか、起きるまでには、4時間しか無い。そりゃあ、無いよな??
困ったぞ、時間が止まってくれない!!勝手に進んで行くぞ・・!!
さて、何から、何をすれば良いのだ??困った!困った!!
コメント
萩元 美紀
早く寝て下さーい!!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 さん 寝る準備が手間取っているのだよ😭飯も食わんとやっとるのにな~ぁ😥
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
芦塚 陽二 明日の準備に追われてるのかと思いました😅
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 さん それは12時前にさっさと終わらせたのだけど・・・
今度は、ベッドに入っても目が冴えて寝つかれない
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
芦塚 陽二 あまりお休みになれなかったようですね…
今日はよろしくお願いします
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 全く眠れなかった‼突然眠たくなってきた‼
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
· 返信する · 1年前


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4月30日 「発表会から一夜明けて・・」
·
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発表会から一夜明けて、なんと、今日は大雨で超寒い一日です。
一般の音楽教室の発表会では、先生達が身軽に自分の楽器だけを手にして出かけます。しかし、orchestraや室内楽を企画する私達の教室では、所謂、通常のorchestra同様に、大型のtruckが必要なぐらいの大道具や大型の楽器の搬入搬出をしなければなりません。(trackではなくtruckです。)
先生達が未だ、若い頃はCembaloも二人で持って、発表会や演奏活動をするために、Cembaloの2階上げやKontrabassの運搬等々もしたのですが、体力の限界、という事で、このところは大学生達に搬入搬出を手伝って貰っています。
コメント
萩元 美紀
昨日はお疲れ様でした。
久しぶりにCembaloを持ちましたが15年前は余裕で持ててたのにすごく重く感じました💦
昨日もあまり寝ていないようですがもうお仕事されてるんですね。子どもたちはまだ起きてきません(笑)
· 返信する · 1年前
純子斉藤
あれ?発表会の日にチェンバロ運び手伝ってくれたのですか?いつ?
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
純子斉藤 舞台から車に運ぶところです
· 返信する · 1年前
返信する...

本田 梨紗
朝は春暉くん玄くんと、夜は春暉くん碧人くんとcembaloなどの荷物積み下ろしでした!
写真の説明はありません。
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
2人でとは流石👏
階段の下の方はかなり重たいですよね…
お疲れ様でした!
· 返信する · 1年前
藤本 香
芦塚先生
昨日はお邪魔いたしました。
何曲もコンチェルトを弾いている生徒さんや、ピアノや他の楽器も弾きこなす生徒さんがいて、すごいと思いました。
舞台から緊張が伝わってこず、リラックスして弾いているのが伝わってきて、音楽に集中出来ました。
貴重な体験させていただきありがとうございました。

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4月30日 videocameraのangleが・・・·
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今日は1日videoのパソコンへの取り込み作業をしている所です。videoの編集をするための下準備の作業ですが、これが1日ではなく、2日、3日掛かりの作業になります。
先にパソコン上で保存先のfolderを作ります。作業がしやすいように、camera別に4Kcameraと黒カメ、赤カメ、白カメの4台のfolderを作ります。それぞれのfolderに、cameraからのdataを保存します。cameraに保存されたdataは、cameraの性質上、10分から15分ぐらいに勝手に分断されて保存されます。だから、曲の途中で勝手に切れてしまうので、それを繋ぎ合わせなければなりません。「**の途中から、++の途中まで・・」という具合です。
てな事を書きながら、videoのSDcardのcheckをしたら、とんでもない事になっていました。黒カメの全景のangleが両端を決めていたはずなのに、とんでもなく広いangleに変わっていただけではなく、画面が斜めに曲がっていました。撮影の位置も私の決めた位置から少し上手よりにズレていました。
それにmainの4Kcameraをsolisteのupになるように、ViolinのsoloとCelloのcontinuoの位置にangleを決めていたのだけど、cameraの位置がズレていて、Violinのsoloが写っていなかったのだよ!!これは朝一で私がangleを決めて、楽屋に戻った後で、ホールの人達が消防法がetc.で動かして、その後のangleが狂ったままになったのだ。今日の朝まで、全く気が付かなかったのだよ!!これは、超shockだ!!
水平は編集で何とか直せるのだけど、soloのupが出来なくなってしまった。黒カメは全体を撮るために結構後ろに置いていたので、upをすると画質がボケてしまうし、4Kは元々wide画面なので、ワザワザと最前列に持って行ったのに、逆にangleが狭くなってしまっている。三脚の棒に触れても動かないように、しっかりと締めたつもりだったのに・・動いてしまっている!
いや~あ、悲劇である。miserable!!




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5月


5月1日「編集作業の悲喜交交」 ·
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video-cameraのdataをパソコンに取り込むと、映像dataが10分起きぐらいに分割分断されて取り込まれて来る。前のFacebookのPageにupした写真の2枚目、3枚目の写真である。これはパソコンで編集の作業をする時の問題であって、video-deckでの編集では、何の問題も起こらないのだが、パソコンで編集softを使って編集する時には、この繋ぎ目が結構、悪さをする。
私のパソコンの編集softであるpowerdirecterを使って、それぞれのvideo-cameraの映像音声を同期させるのに、分割されて細々になった動画も、小さいながら、それぞれのtrackを使用するので、cameraが4台でもtrackは5つ、6つのtrackを使用するのだが、そうするとパソコンの作業が重すぎて同期に時間が掛かるし、最悪の場合には作業が出来なくなってしまうので、効率を上げるために、4台のcameraの分割されたdataを.、それぞれにmp4で一つに纏めて、4台、4本のmp4の動画にして、trackに取り込んだのだが、同じ演奏を撮影しているのに、後半になると、音声や映像がズレてしまって、編集が出来なくなってしまった。
 2回程、映像や音声の同期に挑戦して見たのだが、見事、挫折してしまった。
 今まで、powerdirecterを使って来て、今回のtroubleは、始めてのtroubleなのだが、こりゃ、どうした事なのだ?
仕事が進まなくなってしまったぞイ??
多分、編集を2段階、3段階と、続けてはダメなのだよな??・・・キッと??
デジタル録音・録画でも、映像と音声に誤差が出てしまうのだよな⁉
「やって見て、『ダメだ!』と言う事が分かるのも、進歩だ!」・・という事を、誰かが言っていたようなのだけど、やっぱり、「ダメなものはダメだよ!」って言いたくなってしまうよな‼
どう考えても、単なる時間の無駄だよな??
いやあ、それから、根性で、加工していない大元のdataを全部のtrackに放り込んで、最初から手抜き無しで、やり直して、再度checkをしたら、何とか音声と映像が同期出来ていたよ。
手抜きの作業が出来ないとなると、それは時間が掛かってしまって、てぇへんだよな~ぁ??



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5月2日パソコンでのvideoの編集が ·
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Corelli=Geminianiのla foliaの動画のお話なのですが、発表会のvideoの編集作業が、video-cameraからパソコンに取り込む時に、分断分割された動画のdataが、沢山のtrackに分断されて入るために、多くのtrackを使用する手間が、時間が掛かって、あまりにも大変で面土くさいので、試しに4台のcameraの動画の分断分割されたdataを、先に1台づつ、mp4に変換して、1本のdataにする事で、編集のtrackを4本に少なくして、編集の作業工程を簡略化したのですが、その結果、音声と映像がズレてしまって、またまたそれぞれの音声同士もズレてしまったのだけど、「まあ、古い映画を見るようで、それも良いか??」と開き直って、そのままYou Tubeにuploadしたのですが、改めて、wineを飲みながら、聞き直して見ると、「音声のズレはまあ、許せるとしても、音が籠ってしまって、言葉や多声部のmelodyや和音が聴き取り難くなってしまっているという事は、とても許せない」・・という事で、YouTubeにupしたのは、たった1日だけなのだけど、大急ぎで、新たに編集し直しました。
それぞれのTrackを1本化してから作業をする・・という事が上手く行くと、「時短」になるのだけど、今回のように、失敗すると、「手抜き」になってしまいます。
つまり、「手抜き」と「時短」の違いは、上手く行くか、行かないか?の違いという事なのだよな~ぁ??
・・と言う事で、これまでupしていたYouTubeのfoliaは削除して、新しくrenewalしたfoliaをYou Tubeにupし直します。

La Folia Corelli=Geminiani 指揮芦塚陽二Violin-solo古川紗來12歳芦塚音楽千葉教室発表会19年4月29日 - YouTube

パソコンの椅子に座って音質のcheckをしていたら、久し振りに椅子に座ったまま熟睡していた!!急いでベッドに潜り込まないと・・!!




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5月6日発表会から1週間後になりますが ·
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今日は発表会から、ちょうど一週間後の月曜日になります。発表会でstaffをやった生徒達の反省会と打ち上げ会を兼ねて、また、ゴールデン・ウィークのために発表会でstaffをやって頂いた、保護者の方達の慰労会を、子供達と一緒にお食事会として自治会館で開催する予定です。
私は午前中は自宅のnetのProviderの引っ越しの作業で、J-comがnet機器の取り外しに来るので、午前中は自宅待機で、午後に千葉に移動する予定で、部屋に引き籠もり中です。
J-comの工事とは言っても、J-comとのnetの契約は既に切れていて、回線は使われていなくて、Softbankから既にrouterが送られて来ていて、J-comのrouterは取り外しているので、「工事に来た」と言っても、routerの回収と書類に署名するだけです。玄関で済むのだけどな~ぁ??
しかし、朝からJ-comからの時間の変更の連絡の電話等があったり、昨日は携帯を忘れたままで椎名町に出かけていたので、mail等の返事を書いたり、等々・・・、「引き籠もり中」とは言っても、「部屋でのんびりと朝食でも・・・」、という事が出来ないのが、玉にキズですかね?? 
歳を取ると、結構、雑用が多くなるのでね・・??
明後日からは、またまたお久し振りの病院dayの一週間になります。(それが終わると、5月いっぱいは何もない・・月になるのですが・・)


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5月6日 今日は発表会から・・・の文章の続きです。·
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今日は発表会から一週間後の・・・の、文章の続きです。 ・・・という事で・・・・、
 それはそうと、この文章は、5月の1日にFacebookに投稿した写真とcommentが、今日になっても未だ転送中のままで、同じ投稿の文章が複数の転送中のdataになって携帯に残ったままになっていました。
 携帯で撮った写真を、Facebookに送ったのですが、その写真のdataが、Facebookに送れないままになってしまっていて、再送をする度に、前の転送中のdataに+されてしまって、どんどん転送中のdataが増えて行ってしまったようです。
 私達が携帯の写真を送る場合のdataは、そういった映像の記録としての写真以外にも、時間割の表の写真とか、連絡のmemoとしての紙を撮影した写真のように、色々な重要なdataやmemo類とか、仕事の連絡等にも使っているので、写真がlineやmailに転送出来ない、という事は仕事にならない、という事で・・大問題です!
近頃は、携帯が重くなってしまったのか、写真をFacebookに送ると、常に、loopをするようです。
 これは普通に使用する携帯としては、大問題だし、それ以上に、携帯電話の機能性としては異常だよな??
 そろそろ真面目に買い替えなければ・・・!!
 次の仕事になるのだよな??大変だ❗
 という事で、Facebookに直接uploadする事を諦めて、転送中のdataを全部削除して、携帯で撮った写真を、一度、パソコンにSDcard-readerを使って取り込んで、それから、改めてFacebookにuploadしました。
 つまり、パソコンからなら、何の問題もなく、upload出来るのでね・・??
 この写真のjasmineの花は、ドルプリっ歩の時の夜のお散歩の時に、真っ暗な中、携帯で撮った写真なのだけど、それにしては良く撮れていると思うよな??


 それと、upされている右側の写真のjasmineは椎名町の事務所の玄関の門扉に咲いているjasmineです。
 最初は、眠れなくて困っている時に、睡眠導入剤の代用品として、ハイツのパソコンの部屋のテーブルの上に鉢植えのjasmineを買って来て、その香りを楽しんでいたのですが、鉢植えなので、結構直ぐに枯れてしまったので、そのまま捨てるのに忍びなく、可哀そうだったので、椎名町の玄関の門扉の傍の土の所に、ハイツから土ごと持って来て、まいたのですが、なんと、次の年から自生して蔓延ってしまって、隣の家まで勢力を伸ばしそうなので、迷惑にならないように何度か刈り込んだのだけど・・・、それでも毎年、律儀に咲いています。


 玄関を入ろうとすると、jasmineの香りがして来て、なにかホッとします・・!
 それにしても、最初に携帯からFacebookにuploadして、写真と一緒に削除されてしまった文章についてなのですが、私としては、写真だけが削除されて、文章は残る・・と思っていたのですが、写真のuploadの丸いグルグルを削除したら、元の文章も失われてしまったので、今更、Facebookで、何を書いたのかは思い出すよすがもないのだが、多分、・・・
『5月に入った途端に、江古田から椎名町への道のあちらこちらから、jasmineの香りが漂って来て、木々の精の妖艶な香りもしてくる。雨が降るような気配の中でツツジは爛漫と咲き誇り、季節は、この天候不順と言うか、天候異変というか・・・にも関わらず、確実に初夏の兆しが見えて来るのだ。』
・・てなessay風な事を書いていたような気がするのだが・・??
 愛しむべきjasmineのために、一言座右の名言を・・・、とも思ったのだが、残念ながら、 Goetheのmignonには可憐なjasmineの花は出て来ない。
「君知るや、南の国・・」・・・
Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn,
Im dunkeln Laub die Gold-Orangen glühn,
 レモンの花とオレンジの花が・・と歌われているけれど、jasmineの花も香りも、どこにも出て来ないのだよな~ぁ??
可哀想な律儀なjasmine・・・
私はここにいるよ⁉




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5月7日 「昨日(5月6日(月))の話の続きです。」·
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 J-comが帰ってから、大急ぎで朝ごはんも食べないままで、そのまま千葉行きの準備を済ませて、それから椎名町の駐車場に移動して、それからそれから・・・、大渋滞を覚悟でプリドルを積んで、千葉に向けて出発しました。
 ところが不思議な事に一箇所も渋滞に合わないで、smoothに千葉に着く事が出来ました。
 こりゃあ、奇跡だわサ!!
今回の反省会はお手伝い頂いた保護者の方も一緒に自治会館を借りて合同でやりました。

 但し、1時からは2つのgroupの楽典のお勉強が残っていて、それが終わってからの反省会です。
 実に久し振りに楽典のlessonを見たのだけど、初級は教室で作った楽典の課題を回答しているので、問題はないのだが、上級組にsolfege課題は、市販の教本を使っていて、これは超問題だ・・と思った!!
これでは効率も時短も無い!!
教室のオケ組の生徒達は全員絶対音感が有るのだから、「絶対音感は無い」という想定の問題集では何に意味もない!!
絶対音感を持っているのだから、pitchは取れるし、rhythm-cardも出来る分けなのだから、出来ないのは、それを音符に書き表すという作業が出来ないだけなのだよ。

先ずは、文科省が定めている100名曲のthemaを更々と書くという事が出来なければならない。
例えばBeethovenの田園のthemaを、調を貰わなくても、その調で書く・・という風に・・だよ!!
音楽の勉強は、学校の勉強ではなく、現実的なhow-toでなければならないのだよ。
英語だって、会話が出来るのが目的であって、英検を取っても、自己主張が出来なければ、なんの意味もないのだよ。


 反省会の始まりは、中々遠慮して皆が、喋り始める事が出来なかったので、芦塚先生が先にvideoの課題や、総合的な反省のpointをお話して、それから、大学生の智子さんが「きつい~い!」・・でも、とても有意義なcommentを発表してくれました。

先生が言うと、萎縮してしまうような厳しい事を、先輩が言ってくれるのは、大変有り難い事です。
 
それから生徒達、各自の発表になったのですが、皆、積極的にとても良い反省改善のpointをたくさん述べてくれました。

 反省会に参加出来なかった人達はlineで全員commentをよこしてくれたので、斉藤先生がそのcommentを読み上げて発表しました。
commentの内容は箇条書きでwhite-bordにぎっしり・・という感じですよね。
 紗來ちゃんが書記係をして、瑞希ちゃんがパソコンの入力を担当しました。
 先生達からの感想なのですが、反省会はとても上手に発表出来るようになりました。
善哉!善哉!


 それから、お楽しみのお食事会なのですが、今回は大人の人達も合同なので、いつものmenuとはちょっと変わって、とても豪華なお食事会になりました。
 とは言っても、大人の食事の半分以上は、普段のpartyのような肉系ではなく、芦塚先生用のdiet食なので、さっぱり系の野菜料理中心なのだけどね??
 お食事会の準備も後片付けも全員でやったのだけど、ずいぶんと手際が良くなって、時間も掛からないで早めに自治会館を後にする事が出来ました。
(尤も、、花園教室では、その後が大変で・・、ドルプリの散歩やお食事会の後片付けで、先生達が、花園教室を出発したのは、12時頃だったのだけどね??)

いずれにしても、有意義で楽しい反省会とお食事会になったよね⁉



芦塚先生が手にしているのは、イチゴのヨーグルトです。


コメント
芦塚 陽二
朝のJ-comの工事から千葉に移動して楽典と反省会のlong-runと言う事で、ハイツに戻れたのは深夜の2時頃になってしまいました。という事で、一日寝込んでしまいました。
疲れ切って寝込んでいたので、超、surréalismeな・・と言うか、超Realisticな鬱々な夢を見てしまって、toiletteに起きた時に暫し、夢が現実のように思えて、落ち込んでしまいました。 困った事です。
・・・とは言っても、明日は朝8時半から糖尿病外来でひかりヶ丘の病院まで出かけなければなりません。1日開けて金曜日には今度はSoftbankの工事がハイツにやって来ます。日曜日の予定は未だ、ハイツには届いてはいないのですが、多分「曲決め」の初見大会があるはずです。そしてその次の日、つまり、来週の月曜日は、な、な、な、なんと!腹部大動脈瘤の術後半年の検査で川崎まで、電車を乗り継いで1日掛かりで行かなければなりません。な、な、な、なんと忙しいのだよ???



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5月7日 5月6日から、一夜開けて、 ·
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5月6日から、一夜開けて、疲れが取れないままだったのと、変に妙にrealな夢を見て、その夢見が悪かったので、すっかりと一日中鬱が酷かったのです。
起きてから暫くの間は、それが現実の話しのような気がして、人生を悩んでしまいました。
昨日も今日も変わらない日常なのにねぇ??
それで、憂さ晴らしを兼ねて、「たまには寿司屋で一杯飲むか??」と思ったのだが、なんと明日は糖尿病の外来の日で、朝8時半には病院に着くように、ひかりヶ丘までバイクで行かなければならない。
今から、飲みに行くとなると、明日の血液検査の数値が悪くなるよな~ぁ?? 困った!困った!!
どうすんべ~ぇ??
とか、思っていたら、牧野先生から「部屋の鍵を忘れた‼」とmailがあって、「それは大変‼」という事で、慌てて椎名町に行く準備をしていたら、「自転車で取りに来る❗」というmailがあったので、そのまま待つ事にしました。
なんだかんだで、夜の食事timeを逃してしまったので、諦めてそのまま寝て、明日の検査に備える事にしました。
それにしても、腹が減ったよな~ぁ⁉
コメント
芦塚 陽二
結局、悩んでいて時間が経ってしまったのと、牧野先生の鍵のドタバタがあって、飲まない・・どころか、何も食べないままに寝てしまった。目が覚めて超絶に空腹を感じているのだが、検査直前には何か食べる事は出来ないよな~ぁ??
今からひかりヶ丘に行って、病院の診察が終わって、なにか食べれる用になるまでには、お昼までは掛かるよな~ぁ??
腹減った!
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
12時直前なのだけど、大急ぎで病院から自宅に戻って来たのだけど、冷蔵庫を開けて見たけれど、月曜日からすっからかんのままだ!
しゃけの食べ残しが残っていたので、糖質cutご飯の残りで、お茶漬けの元でお茶漬けを何とか1杯だけ作れた。まあ、それで良しとするか??


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5月9日You Tubeが開かなくなった ·
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今日(5月の9日木曜日)は、突然、You Tubeがerrorで開かなくなってしまいました。
フムフム~、と言う事で、windows10で開くと問題もなく開く・・、と言う事はパソコン側の問題と言う事だよな??
再起動してみたけれど、ダメ! 
logoutしてloginし直してもダメ!!
ならば、やりたくは無いのだけど、仕方なく、Chromeでloginしたら、やはり問題なく再生出来た。
要するに、もうwindows7に対応しなくなっているのだよな~ぁ??
まあ、windows7も、今年一杯・・という事らしいので、仕方ないのかね??
windows10は嫌いなのだけどね~ぇ⁉
選択権はないのかね~ぇ⁉
長いものには巻かれろの話だよな??
明日はお昼からSoftbankがnetの工事に来る予定です。
まあ、部屋でおとなしく待っていれば良いだけなのだけど・・・??



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5月10日今日の月齢は?? ·
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・・・とは言っても、写真は5月の9日の10時頃、月齢も、4.5日ぐらいでしょうか?
椎名町にドルプリっ歩と食事に行くために、玄関を開けたら、むせ返るような木の精の匂いがして驚いてしまいました。
驚いてしまった・・・という事は、バイクで走るには手が悴んでしまいそうに寒いのに・・、という意味なのですが、それでも、確実に初夏が近づいている感じがします。
練馬区の気温は14℃なのですが、体感としてはもっと寒い感じがします。
今は、椎名町から帰って来て、日にちが変わって、次の日の10日の午前1時過ぎになりましたが、月齢は4.7だそうです。行きと帰りは手足が寒くて悴みそうだったのですが、バイクのライトに蛾が飛び出して来て、驚いてしまいました。
寒くないのかね??やはり、季節は代わりつつあるのだよね??
でも、寒いのは今日だけで、明日は28℃まで一気にあがるそうです。
朝は15℃からお昼頃には28℃の夏日になるそうで、半日の間の寒暖差が15℃も変化する予定だそうです。
そりゃあ、ないよな~ぁ??
体が持たないよ!!


今月の新月は5月の5日の日曜日、子供の日だったそうですが、今週は、日曜日ではなく、月曜日に千葉の反省会だったので、日曜日は特になにもないお休みのハズなのだけど、何をしていたのかは、記憶にないな~ぁ??
ひたすら、videoの編集をやっていた頃だよな?だから、曜日の感覚がないのだよな~ぁ??
今日の写真のお月様はデジカメで撮影したものです。
勿論、flashは届かないので、真っ暗な中を自然光で撮影するので、cameraがブレないように、何かにcameraを固定して持って撮影する事が大切です。ハイツでは廊下の手すりを利用して撮影しています。廊下の明かりがcameraに入らないように気をつけながら・・・ね??
でも、今回、使用したcameraには、暗い所を普通に速いシャッターで撮って、後でdigital補正をして、普通に写り込むようにする機能もあるようなのだけど、取説を見ないと使い方が分からないので、宝の持ち腐れになっています。アハッ!

それだと、真っ暗な中でもブレないで普通に撮影出来るのだけどね??しかし、夜や明け方の暗いimageが出ないので、あまり使ってはいません。

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5月10日SoftBank光の工事が来たのは良いのだが、 ·
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SoftBank光の工事が来たのは良いのだが、なんと、Mansionが古くて電話の配管が詰まっていて、光fiberのcordが通らない・・という事で、工事そのものがCancelになってしまった。
その旨の連絡のために、SoftBankに電話しても、電話が混んでいて、10分程待たされてしまった。
やっと電話が通じたのは良いのだが、「工事業者からの伝表が付いてからの解約手続きになるので、その間、3,4日snsのshort-mailを待ってからの手続きになる」と言う事だそうな??
まあ、超、面倒くさい!!
今から、工事で汚れた部屋の跡の後片付けだよ!!
なんで、俺が・・・


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5月11日明日の日曜日は上弦の月(月齢7.2)だそうな⁉ ·
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明日の日曜日は上弦の月(月齢7.2)だそうな⁉


それにしても、今日は久し振りに超、鬱が酷い❗
これはwineでも飲まなきゃ、やっていけない‼
寝が足りないせいか、慢性的な疲れのせいか?
はたまた、・・・


という事で、wineのコルクを開けた‼

何度入れ直してもwineの写真が入って来ない❗

これはwineを飲んでいる事を無しにするという事か??

コメント
芦塚 陽二
飲んで・・、飲んで・・、酔い潰れて寝るつもりだったのだが、体調が良くなく、この一杯しか飲めなかった!!
まあ、それでも、良く眠れたので、良しとするか??
· 返信する · 1年前


千野 由実
芦塚 陽二 経済的っ❗️良かったですね❗️にしても、写真アップするだけなのにすごい経由です。。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
写真と撮ってFacebookにupするだけなのに、すっかり出来なくなってしまっているのです。
携帯の写真を携帯のFacebookにupしているのに・・・
· 返信する · 1年前
千野 由実
芦塚 陽二
FBをバージョンアップするか再ダウンロードするとか、ケータイを再起動してみる、ぐらいしか思いつかないですね。。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
それは全部やったけどFBのバージョンアップも出来ないし、リロードも出来ないので、新機種に買い直ししかないと思っています‼なにせ、もう古いのでね⁉


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5月12日今日は5月の12日日曜日上弦の月である。 ·
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子供達にとっては、待ち兼ねた「室内楽とorchestraの曲決め」と「楽譜渡し」と「初見大会」の日である。※)
 orchestra・室内楽の「曲決め」は、先ず生徒達の室内楽とorchestraへの参加申し込みが出てから、その参加者を見てからorchestraや室内楽のgroupを作ってから、曲決めをする。
それから楽譜を準備するので、楽譜を渡す前日の土曜日は、copy作業で一日中大変な作業をしなければならない。
今回の土曜日には梨紗さんがお手伝いに駆けつけてくれたので、何とか深夜までに、copy作業を終わらせる事が出来た。
※)初見大会という聞き慣れない言葉なのだが、貰った楽譜を子供達に、CD等で聴かせるのではなく、ensembleの先輩達が、初見の演奏で後輩の子供達に聴かせる・・というeventである。
演奏をしない先輩は、子供に楽譜を見せながら、指で音符を追って、曲のimageを作らせる・・・という事をする。
CD等の缶詰めの音楽と違って、先輩達が生で聴かせてくれるのだから、子供達にとってのインパクトは頗る良い‼
梨紗と夜の食事をしている時に、「作曲のlessonは何をどう教えるのか?」と聞かれて、答えに窮してしまった。
「私が作曲の生徒をどう教えたか?」・・どころではなく、Pringsheim先生やGenzmer先生から作曲を「授業として、何をどう学んだのか?」・・が、全く思い出せなかったからである。
作曲のlessonとは言っても、先生の出した課題(=楽器編成と時間)に沿って曲を作るだけで、後は、作曲上の問題点を先生を交えてDiskussion(討論)するだけなのだから、とても、lessonと呼べたものではない。
私は、PianoやViolin、Celloの生徒達や和声学の生徒達を多数指導して来たのだが、作曲の生徒を指導した事は一度もない。
唯一の例外は、日本に帰国したばかりの頃に、popularの作曲家のorchestrationや曲の構成等の指導をした事はあるのだが、彼はスイスの音楽大学の作曲科の卒業生で、多くの作品を書いて世界に名を売っているproの作曲家なので、弟子とはとても呼べないしね・・・??
まあ、その話しは、桐朋の作曲科のclass-maitか、作曲の先生にでも聞いとくれよ⁉
また、梨紗と食事をしているその時に、私のarrangeをした「PachelbelのChaconne」の話が出て、梨紗が「何故、原曲のf mollではなく、e mollにしたのか?」という質問をされたのだが、勿論、それに対しての答えは、「baroque-pitchで演奏すると、f mollの曲はe mollのpitchになるからである」と言う事なのだが、困った事に、弦楽器の場合には、f mollで書かれた譜面とe mollで書かれた譜面では、konsonanzが違うので、spielbar(弾き心地)が全く違う。
また、同じpitchであったっとしても、f mollでbaroque-pitchで演奏されたChaconneと、e mollでmodern-pitchで演奏されたChaconneでは、曲の雰囲気(image)がガラリと変わってしまうのだよ。
pitchの混在は、orchestraは当然の事ながら、originalの楽譜を演奏するPipeorganでの演奏でも、この2つのpitchが混在している事は驚きである。(つまり、教会によってはbaroque-pitchのPipeorganとmodern-pitchのPipeorganの教会があるからなのだよ。)
勿論、Pachelbelの教会のpipeorganは、当然ながら、baroque-pitchなので、ほぼe mollになるのだよ。
梨紗としては「e mollの華やいだ雰囲気よりも、f mollの暗く悲劇的な鬱々な雰囲気が欲しい」という事なのだが、それは私としても、鬱鬱の方が好きなので、同じf mollの方が良いので、梨紗の好みも、良く理解出来るのだが、それにしても、同じpitchで演奏しているのに、e mollの調で演奏しているのと、f mollの調で演奏しているのでは、imageが全く変わってしまうのは、不思議な話なのだよな??
(尤も、PachelbelのChaconneの楽譜をe mollからf mollにtransposeする事は、編曲をfinaleのパソコンsoft上でarrangeをしているので、曲のtranspose自体は、パソコン上で、one clickで済む簡単な事なのだがね??)
PachelbelのChaconneは、最初は、出版されている楽譜のMueller-Hartmann版の楽譜で演奏する予定だったのだが、練習に入って、Mueller-Hartmannの版は、originalのPipeorganの3声の楽譜をそのまま、弦楽器に置き換えたものに過ぎないし、Mueller-Hartmannのarrangeした楽譜のOrganのpartもoriginalのOrganのpartをそのままに演奏しているだけで、とても、聴くに耐え得る・・ものではない・・と言う事が分かった。
そもそもPipeorganと言う楽器は、それぞれのpipeが重厚で音の厚みもあり、3声部の書法でも、充分に聞くに耐え得る重量感を持つ。Pipeorganには、Bachの得意とする「triosonate」という両手と足が、それぞれ1声部づつの独立した声部を弾くという演奏形式すらあるのだから・・。
しかし、それを、そのまま弦3部に置き換えると、例え弦3部のorchestraで演奏したとしても、薄っぺらな軽い音楽になってしまうのだよ。
ということで、Pachelbelのchaconneのmueller-hartmannのversionなのだが、オケ練習の過程で、聞くに堪え難くなってしまって、練習をしながら、少しづつ改編改良をして来たのだが、八千代の演奏会が終わってから、ついに、その暫定的な改編に堪えきれなくなって、Baßと上2声部に対して、もう一声部を加えて、上3声部とBaßという結構、分厚い編成に作り直した。
また、盛り上げた頂点から最初のthemaのmelodieに戻るのが、Pipeorganでは、然程でもないのだが、弦楽orchestraでは唐突に終止のthemaに、なってしまうので、繋ぎのpassageを、更に2回程繰り返す事により、時間を稼いで、自然にthemaのmelodieに戻れるようにした。
八千代からは、1年を経たずしての改編改定になったのだが、それから次の発表会に向けて、練習を積み上げて、発表会の舞台で演奏をするには、曲のimageが、子供達主役の発表会という舞台には相応しくないという事で、発表会での演奏をする事を却下されて、なまの音を聴く可能性がなかったので、arrangeが終わって3週間後のChristmas会で12名の先生生徒達と一緒に、Probeとしてvortragをした。
12名とは言っても、Organ(Keyboard)1名とKontrabass1名と、Cello2名、Viola2名、1st、2ndそれぞれ3名ずつの編成の超conpactな、室内orchestraなのだけどね??流石に迫力はあるよね⁉
おおよそ、鬱鬱で、楽しいChristmas会らしからぬ雰囲気の曲なのだけど、お客さんの事は無視、無視・・・
私は、自分のarrangeした音が聴ければ良いのだから・・・・

Chaconne Pachelbel=Ashizuka second-version 芦塚陽二2013年12月Christmas会 - YouTube
Chaconne Pachelbel=Ashizuka 2013年12月 芦塚音楽教室Christmas会
YOUTUBE.COM

コメント
芦塚 陽二
参考までに、八千代でのChaconneの演奏です。
mueller-hartmann版によらないoriginalの楽譜からの大幅改編をする前の演奏で、まだMueller-Hartmannのarrangeに近い演奏だけど、演奏している人達が次のChristmas会での演奏よりも、昔の弟子達が多いので、年齢層が高くパワフルなのですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=7H0J7wq7evI
Chaconne Pachelbel=Ashizuka2012年11月八千代市生涯学習プラザ主催芦塚弦楽合奏団
YOUTUBE.COM

千野 由実
芦塚 陽二 これですね、シャコンヌって曲いっぱいあるんですね!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
Chaconneというと、VitaliのChaconneが有名でViolinを勉強する子供達の憧れの曲になりますが、proのviolinistの憧れの曲はBachの無伴奏のChaconneです。
Chaconneの曲のthemaは、その曲のmelodieではなく、Baß(低弦)のmelodieがthemaになります。
cantus firmus in Baßと言うのですが・・??
la foliaや、Purcell等のイギリスの作曲家達のGroundも同様にBaßのmelodieがthemaになります。
丁度、canonのように、繰り返されるBaßのmelodieの上に、変奏を繰り返して行きます。



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5月12日SoftBankとのtroubleの続き ·
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これから千葉に移動して、新曲渡しと模範演奏の初見大会と、3回オケの新曲の初見練習をしなければならない・・という、朝の超忙しい時間にSoftBankからの光ケーブルの話しが来て、「解約するのならば、直ぐにAIRのrouterを送り返せ」と言って来て、頭に来てしまった‼
「配管の工事をして、申し込みをして、再度、光ケーブルを入れれば、契約時の料金になる」という話なのだけど、工事はこちらの責任だから、費用の負担は自分になるという話なのだが、解約をしてAIRにするのならば、金額が、Jcomの時よりも多くなると言って事だ‼
それで、「SoftBankを解約して、J-comに戻すのならば、エアのrouterを直ぐに送り返せ!」と言っているのだよ。
「J-comが開くまでの間、netが出来なくなるのではないか?」と、言っているのに、聞く耳を持たない!!
その都度、電話を回されて、その間、待たなければならない。
こちらの落ち度ではないのに、踏んだり蹴ったりの酷い話だ‼
コメント
芦塚 陽二
まだまだ、SoftBank光とのtroubleが尽きない!!
電話が来る度に同じ事を延々と説明して、それからまた別の人に回されて・・と、電話を延々と待たされるのだよ。
時間の無駄だよな?
根負けするよな!・・というか、相手はその都度、人が変わって、同じ事を聴いて来るのだけど、俺は一人で同じ話をしなければならないので、超、面倒くさいのだよな?



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5月13日顔合わせの初見大会から、一夜明けて、13日の月曜日です。 ·
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今日のmain-eventは、またまた、大動脈の術後の半年検診で、川崎まで電車で出かけます。
川崎の駅に着いたら、病院からの送迎バスがあるので、それに乗って病院に行きます。なんだかんだで、二時間半の行程です。
・・・と思ったら、電車の乗り換えの連絡がsmoothに出来て、なんと川崎まで一時間15分で到着して、しかも、検査時間を診察時間と勘違いしての、2時15分の予定と思っていたのが、実は3時30分の予定時間で、二時間近くも余ってしまった😵💧
・・・とは言っても、血液検査やCTがその前に入るので、そんなに長時間待ちくたびれる分けではなかったのだけど、血液検査の受付中に光が丘病院での検査のdataがある旨を申告したら、採血がcancelになってしまったので、CTの単純撮影だけになった。
検査の結果は、良くも悪くもなっていないということで、半年後にまた経過観察をする・・と言う事で落ち着いた。それで、診察は終わったのだが、帰りの送迎バスに、同じクリニックの送迎バスが、バックをして来て擦ってしまった‼
実は、昨日の顔合わせで、車を走らせて、花園の駐車場で始めて気が付いたのだが、ニャンコ号の右後輪のタイヤハウスの所を結構、思いっ切りぶつけた跡があって、擦った傷が、もう、サビが来ていた。
「え~っ??」「何時」、「何処で」、「どういう風に??」という感じなのだが、椎名町の駐車場は、ブロック塀に右側ギリギリに停めているので、歩く事が出来ないので、全く気が付かなかったのだよ!!
う~ん、分気・・・悪い!!
血液検査がある予定だったので、朝から何も食べていないので、川崎の駅ビルの中で帰りがけついでに、なにか食べてから江古田に帰ろうと思ったのだが、ビルの中を探しても、食べれるものが何もないので、そのまま帰る事にした。
急行の高崎行きが来て、乗ったのだが、混んでいて座れずに、上野の駅で池袋行きの電車に乗り換えたのだが、山手線のホームに行くのに、エレベータもエスカレータもないので、階段の登り降りになってしまった。体調も随分良くなって来て、歩くのも楽になって来たのだが、流石に、帰りはキツくて、歩くのも立っているのもしんどくなってしまったのだが、山手線は混んでいて、座れなかったのだが、つり革に捕まっていたら、同じ年配の老人が席を譲ってくれたのは、luckyというよりも、超、shockである。
よっぽどショボくれて見えたのかね⁉
流石に、池袋では、荷物を持っている指が震えてしまった‼
overworkになったのかね・・・⁉
7時15分に、ハイツの自宅に辿り着いて、直ぐに仮眠をする準備をしたのは良いのだが、横になっても眠れない‼
どうやら、精神的にイライラしているらしい‼
なにかを考えている分けでもないのだが、だからといって、テレビを見る気にも‼音楽を聴く気にもならないし、心臓の調子も、良くない‼
帰ってから直ぐに、救心を飲んだのだが、効果なしだよな~ぁ⁉
さても、困った‼
風呂に入って、体を休めて、なにをするとはなく、身を任せる・・・、出来る事はそれくらいかな⁉
コメント
石川 ちすみ
今期は皆さんどんな曲をされるのでしょうか...またYoutube 楽しみにしています!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
前々から分かっていた事ではありましたが、今回は、オケの参加者が壊滅的に少なくなってしまい、しかも、今回私が楽しみにしていたrevengeの曲が次回(次次回)送りになってしまったので、3回オケはなんと5曲になってしまいました。
6時には終わるのかな⁉・・という感じで、memberも室内楽の人数しかいないので、オケとしての練習になるのかな⁉・・・・という感じです。
 トリのMarin Maraisが、次回か、次次回送りになったので、紗來ちゃんのvivaldiの秋の全楽章が昇格して今回のトリになりました。
曲の技術的には難しくないので、歌い込みで、絵画的に演奏する・・という課題を設定しました。八千代での千夏ちゃんの時のinterpretationと同じ解釈なので、難しくはないです。
瑞希ちゃんのStamitzのⅡⅢ楽章は古典派の奏法の課題なので、もう、そんなには、難しくないと思います。ここまで古典派のconcertoを詰めれば、Mozartの4番、5番のconcertoも楽に弾けるか、飛ばしても良いでしょう。
美音ちゃんのvivaldiのOp.11Nr.2e moll「il favorito」のⅡⅢ楽章です。Ⅰ楽章は昔、美音ちゃんが発表会で演奏しているので、今回はⅡⅢ楽章へ挑戦ですが、前回のe mollのⅠⅡ楽章とほぼ同じ課題なのですが、技術的にや、表現としては遥かに難しくなっています。
桃迦ちゃんのvivaldiも同様に指の回しの課題です。
綾乃ちゃんのKontrabass-concertoはPichlというボヘミアの作曲家の作品でscoreもpart譜もないので、さてどうしよう??という感じです。scordaturaは、調弦が2度高く調律されるので、演奏の音と実際の音は違うのだけど、練習ではそれは問題なかったよな??
2回オケはChristian Bachと、StamitzのPianoーconcertoと、Antonio VivaldiのViolinーconcertoの課題です。Pianoーconcertoは2曲とも、長大で当然難易度も高くなります。特にStamitzはtempoの設定がMetronomで2個分遅くなっただけでも、長ったらしいつまらない曲になるので、tempo設定に技術的に付いて行けるかが課題になります。
オケ練習と言っても、超、こじんまりとしてしまいましたが、その分丁寧に出来るのかな⁉・・・~ン、???
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
そうですね。
曲が少ないよぉっ‼️て、訴えてきましたが、私がどうこうできるわけもなく。。。
瑞希はオケソロほぼ暗譜したみたいなこと言ってました笑 こりゃ仕上がり楽しみです‼️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
「曲が少ない!」・・って、皆、言うけれど、実は、前回の『VeraciniのPassacaglia』の分に相当する『Marin Maraisのla folia』が抜けただけで、曲数は、前回の発表会と全く同じ・・なのですよ!
「曲が少ない⁉」
 それだけ技術が上がったという事なのだよな??
では、代わりに、PachelbelのChaconneでも入れるか??
梨紗の言う『f moll version』での・・⁉
自治会館コンサートでのChristmas会で演奏をした『e mollーversion』を『f moll』にtransposeするだけで、演奏は非常に難しくなるからな??
やる・・?? 
やりたい・・⁉
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
芦塚 陽二 やりたいか分かりませんが、聴きたいです!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
私もChristmas会の出来・・と言うか、追加の小節の所を大きく間違えて演奏しているので、私的にはrevengeしたいのだけどね??
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
綾乃ちゃんのKontrabassのconcertoのPichlだけど、名前の読み方はドイツ語読みのピヒルという読み方と、ウェンツェル・ピフル (Wenzel Pichl)というボヘミアの読み方があるらしい。
楽譜は、Piano伴奏譜が出版されているようだけど、orchestraのscoreやpart譜は全く出版されていないので、originalの手書き譜で演奏しなければなりません。
問題は管のpartだよな?? 
さて、どう作るか?? だよな~ぁ??
Kontrabassはscordaturaで、下からFis、H,E,Aの2度上の(4度)調弦なのだけど、綾乃ちゃんが問題なく弾いていたのは、素晴らしい!
2度高い調弦なので、Kontrabassの楽器が痛むな~ぁ?
空きのKontrabassで、専用のpitchの楽器を作っておけば良いのだが、教室の全部のKontrabassは、既に誰かが弾いて塞がっているよな??
困ったナ??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
純子斉藤
あれ?ピアノコンチェルトは2曲ともクリスチャンバッハですよ?シュターミッツではないですよ~?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
あら、そう??今回の初顔合わせでは、練習のprogramさえなかったからね??曲の確認が未だ、出来ていないのだよな?
楽譜、持っているか、ハイツでscoreの棚を探して見ます。


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5月14日13日の月曜日の続き・・と言うか ·
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13日の月曜日の続き・・と言うか、深夜なのですが、風呂に入ってベッドで横になっていても、眠れなくて苛つくだけなので、だいぶ頑張ったのですが、ついに諦めて、wineを飲む事にしました。
この所、体調不良で、wineも飲めない(alcoholににも、逃げる事の出来ない・・・)日々が続いていたので、久々に、鬱々のBGMをパソコンで流しながらの、鬱々timeで、朝まで呑んだくれていました。ひとビン空にしてしまいましたよな⁉
昨日の食事は炭水化物食だったのだけど、overworkだったので、全く体重が増えていません。
適度なoverworkの運動だったのがdietには良かったのかね??
PachelbelのChaconneを次回の発表会で演奏するか否かは別として、八千代での演奏と8小節程増えた自治会館のChristmas会での演奏timeを出したのだけど、小節数が増えたにも関わらず、timeが変わっていないのはどういう事だ??
Christmas会の演奏の方が八千代の演奏よりも、30秒程、縮めている・・という事だよな??
corelliのla foliaは八千代と今回の発表会では、演奏時間を比較すると、八千代の時が約14分で、今回の発表会では16分弱の演奏時間だ。
今回の演奏時間は八千代に比べて、1分半以上も遅いtempoになっているのだよな。
要するに、今回のla foliaは全体的に遅いのだよな??
それって、単に、しっとりとじっくりと、というinterpretationのせい??
それとも、歳を取って、powerが無くなったからのせい??
・・てな事を考えながら、悩みながら、呑んだくれていたのだよ・・!!アハッ!
コメント
芦塚 陽二
・・・てな感じで、とうとう一晩中、呑んだくれてしまって、酔っ払って、なんとか寝込んでしまったのだけど、朝を迎えて、起き出して、そのまま、finaleで、PachelbelのChaconneの曲を見ている。
それにしても、「PachelbelのChaconneを、今回の発表会でRevengeするにしても、しないにしても、梨紗の言うfmollの versionを作っておこう!」と、朝、起き出してから八千代と自治会館のChristmas会で演奏をしたe mollのversionのChaconneを、finaleで、fの調にtransposeをしたので、細部のpassageを変更をしなければならなくなったので、そのための改定作業をしていたら、な、な、な、なんと!・・・お昼過ぎになってしまった。
そろそろ、お腹も空いて来たので、お弁当を取りに行くために、バイクで椎名町に出かけたのだけど、ボツボツと小雨が降って来たので、慌てて戻ろうとしたら、超、珍しい事に、ドルちゃんが玄関まで、見送りに来て「エッツ??もう帰っちゃうの??」という風に見つめられてしまった。 きゃわいい・・!!
写真??
お弁当を取りに来ただけなので、写真はないよ!!


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5月16日今日は五月の15日でした。 ·
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なにを狂ったのか、この二日間、Pachelbelのchaconneを、f mollにtransposeする作業と、それから更に改訂renewalする事に熱中してしまいました。
今回の発表会で演奏するか否かは決まっていないのに、お疲れさんの事ですね~ぇ??
唯のtransposeというよりも、冒頭のthemaのmelodyに対するcontrapunkt(=対旋律)も大幅の変更をしました。それぞれのpartを大変更です。
変更に関しての作曲学的な問題は全くないのですが、後はspielbar※)の課題が残っているので、part譜をprintoutして、実際に楽器を使用してspielbarのcheckをします。
※)spielbarに対しての日本語訳はないので、いつも困ってしまうのですが、ヨーロッパの作曲家達は楽器の「弾き心地」をとても大切にします。この楽器への「弾き心地」が所謂、spielbarと言う言葉で言い表されます。
それはそうと、私は、この20年来は曲をarrangeする時も、作曲をする時も、全く五線紙に音符を書く事は無くなってしまいました。というか、作曲をする時に、Pianoを弾く事も無くなったので、ハイツでは、Pianoの音が聴こえて来る事はありません。
音楽と言えば、テレビやパソコンで音楽を聴いている時に、音が流れて来る事だけが唯一なのです。
とても、音楽家とは言えないよね??
PachelbelのChaconneのarrangeも、いきなりパソコンに入力をして終わりなので、下書きすら無いのです。
自分の曲を作曲する時も、直接、パソコンに入力していますので、買い置きの五線紙がこの20年、全くそのままになっています。

買えば結構な値段なので、捨てるにも捨てられないからね??(但し、B5判やA5判のような楽典や和声用の五線紙は、lessonで今でも使用していますが・・・)

そういえば、昔から文字を書く事が苦手なので、memo書きをする事が苦手で、手紙や長い文章を書く事が非常に苦手だったのですが、文字の汚さもさる事ながら、楽譜でも文章でも、推敲をするtypeだったので、推敲する時に、同じ文章や音符を何度でも書かなければならない・・と言う事が、苦痛で、それが理由で文章や作曲をする事が億劫になってしまっていました。




それがパソコンの普及に伴って、one-clickで推敲が出来るようになって、私本来の、楽譜や文章を何度でも推敲に推敲を重ねて行くという事が出来るようになりました。
推敲をする事自体は全く嫌では無いので、推敲をしない・・元の文章を書かなければならない・・という無駄な作業が嫌いだったのだ・・という事が良く分かりました。
まあ、世の中は、何かと便利になった事・・・!!
写真のKeyboardは37鍵のパソコンのfinale専用の入力用の鍵盤式のKeyboardです。
左手前の白いポッチを押すと、octaveづつ鍵盤のpitchが代わります。上に3octave、下に3octave変化します。
コメント
千野 由実
ところで、無知でアレなんですけど(どれでしょうか)
Chaconneと書いてカノンと読むんですか?どうもシャコンヌと読んでしまうのはシロウトだからでしょうか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
Pachelbelは、弦楽orchestraのCanon(カノン)が超有名ですが、Chaconne(シャコンヌ)は、原曲はPipeorganの曲なのですが、とても美しく、悲劇的でpowerfulな曲です。Canonがニ長調という明るい美しい曲であるのに対して、Chaconneはヘ短調という暗い陰鬱なimageの曲です。
私はMünchen時代に、Mueller-HartmannがChaconneを弦楽orchestraに編曲した楽譜を購入・所持していたので、その楽譜で八千代の演奏会で演奏しようと思ったのですが、実際に練習を開始してみると、譜面上では問題は無かったのですが、実際の演奏では、色々と問題が出て来て、私が練習の指導をしながら、改定しなければならなくなってしまいました。
八千代での演奏の時には、Mueller-Hartmannの編曲の楽譜を、私が暫定的に、校訂訂正した曲で演奏をしたのですが、取り敢えずの・・暫定的なarrangeに納得行かなくって、1年後のChristmas会の3週間前に、突然、一晩掛かって、wineを飲みながら、PachelbelのOrganの原曲から、新たに編曲をして、3週間後のChristmas会で子供達に演奏して貰いました。
本番までに、練習が3回しか無く、そのまま本番だったのだけど、受験や学校行事等で、全員が揃って演奏出来たのは、唯一、Christmas会本番だけだったので、演奏はpowerfulで、それなりに良かったのですが、初見同様だったので、単純な譜読みの間違いがあったりして、模範演奏としては、不本意なままに終わっているので、何時かはrevengeをしたい・・と思っていました。
今回、Marin Maraisのla foliaがポシャったので、orchestraの曲として、Chaconneのrevengeでも良いのかな?・・と、先生達に言っているのですが、返事はまだ貰っていません。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
またまた、Facebookでの文章の入力が出来ません!
Facebookがすっかりと変になったままで、文章が入力出来ません!
・・・という事で、一度、uploadしてから、編集をし直したら、入力出来るようになりました。毎度、一度uploadしなければ、正常に入力出来ないので、超、面倒くさい!!
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
Facebookの5月12日のPageにlinkを貼っている自治会館のChristmas会でのPachelbelのChaconneのお話です。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
作曲家の名前や曲名に関しての、原語表記とカタカナ表記についてのお話は、Facebookやhomepageにもそのconceptを度々書いていますが、基本的には室内楽やorchestraの曲の場合には、日本版の楽譜は出版されていない場合が殆どで、楽器店でも楽譜を探したり、You Tube等で演奏を探したりする場合には、カタカナ表記で探す事は困難で、見つからない場合が多いのです。
また、カタカナ表記では書き表せない人名や曲名が多くて、子供達にも、なるべく早く、原語表記に慣れて貰う事が大切だと思っています。教育上や利便性を考えて、私の場合には基本的に原語表記にしています。
· 返信する · 1年前
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芦塚 陽二
今日(5月18日)にPachelbelのChaconneのf moll-versionのscoreをlayoutとcopyと、製本を梨紗にして貰った次いでに、「前回の自治会館のChristmas会の時の演奏(13年の12月)は梨紗は何年生の時だったのか??を聞いたら、なんと「中3の時!」だってさ!!
今年・・というか、来年は、桐朋をもう卒業するのだよな??
なんと時間の経つのは速いのだろうか??
そう、じゃあ~ね~っ??(Janet's law)


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5月18日順調に今日は17日の金曜日でした。 ·
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順調に今日は17日の金曜日でした。(どうやら、日曜日は満月らしい。)「・・でした。」「どうやら・・」というのは、この文章を書いているのが、もう既に18日の土曜日だから・・です。
「Václav Pichlのオケ譜作成のこもごも」
まあ、それは兎も角として、綾乃ちゃんのCapuzzi(カプチ)の次のKontrabassの課題のconcertoは、牧野先生の選曲でVáclav Pichl(ピフル)のconcertoに決まったので、楽譜屋さんの在庫のカタログで、orchestraの楽譜(scoreやpart譜等)を探して見たのだけど、海外注文分も合わせて、とうとう楽譜が見つかりませんでした。
通常はオケの曲を決める時には、楽譜を先に見つけて購入してから、曲決めになるのだけどね? 今回も「次の課題」・・という事で、数曲をdown loadしてprint outして、曲のlistupをして、楽譜を牧野先生に渡しておいて、その中から選曲するように、と頼んでいたのだけどね??
・・「楽譜を貰った覚えがない」という事だとさ!! 
超、shockだよな?? 斉藤先生に「楽譜棚のKontrabassの所から、楽譜を探しておいて!」と言っておいたのだけどな?? 探して貰えなかったのか、探しても見つからなかったのか??その報告もないままに、Pichlの選曲のままになってしまっていたので、急遽、scoreを作る事になってしまいました。結構、大変な作業なのだけどね??
愚痴を言っていても仕方がないので、netで探して見たら、Schweria公文書館の所有するPichlのoriginalの手書きの楽譜(facsimile譜)を見つけたので、早速down loadして、print outしたのだけど、長休符、大休符の休みの小節数が書いてないので、とても困ってしまいました。(concerto等のpart譜では、20小節以上の休みはザラなので、長休符、大休符では書き表わせないのですよ?=写真参照:)前回のオケ練習では、その手書きの楽譜で初見の合わせをやってみたのだけど、私達と違って、手書きの譜面で演奏をした経験がないので、惨憺たる結果になってしまいました。(今の子供達は「最低でもfinaleでprint outした楽譜」しか見た事がない・・のでね??)
長休符や大休符は、楽譜上の休符を読んで(参考写真の丸で囲った部分ですが・・)計算しても、数が正確に記されている分けではないので、牧野先生の持っているHoffmeister-verlag版の「PichlのPiano伴奏譜」をcopyして、ハイツに持って帰って、それを手書きのpart譜と比較対照させながら、次のpassageの音符の入りの小節を探して、手書きの楽譜上に書き込む・・という超面倒くさい作業をしたのだけど、長休符の小節数の計算に時間と手間が掛かってしまって、結局、今日1日中というか、14,5時間もorchestraのscoreの入力作業をしてしまいました。
その過程で、手書き譜の「間違い」・・単純な書き間違いと、結構、深刻な作曲者の間違いを数箇所見つけました。
勿論、単純な間違いはその場で訂正したのだけど、深刻な間違いの方は、Hoffmeister版のPiano-scoreでその訂正箇所を確認して、原譜を訂正しています。
こういった作業は、只の単純作業なので、ただ、ひたすらの忍耐力でした。
私にとっては、こういった手作業は慣れ切った作業の一つに過ぎなくって、単なる楽譜作成上のroutine作業にしかならないのですが、もしも、教室で音楽の勉強をしている生徒の中で、「将来、音楽を職業としたい」という希望・願望がある生徒ならば、この作業は、単に「finaleに音符を入力する」・・という事以上に、(つまり、単純なcomputer作業である・・という事以上に)、「曲の構成を学ぶ」・・とか、「作曲の手順や分析を学ぶ」・・とか、色々な多くの事を、その作業を通じて学ぶ事が出来る・・という、結構重要な勉強になるのです。
昔の生徒達は、自ら申し出て、競い合って奪い合って勉強しようとしていたのだけど、今の子供達はそんな七面倒臭い事はしようとしないのだよな??
時代が変わるに従って、何かを覚えようという姿勢は無くなって来ているように、easy-going的な姿勢・・、「先ずは自分の生活を中心に・・」というlife-styleが優先しているように見えてしまうのだよな??
昔々は、私も子供達と直にlessonやオケ・室内楽等で、接する機会が多かったので、「音楽の勉強にとっては、何が必要で、何を優先すべきか??」という事を身近に教える機会もあったのだが、今は3回オケの生徒達と日曜日に接する時間が唯一になってしまったので、こう言った作業の重要性を指導出来る機会は無くなってしまった。
そういった事を口で伝えても、「年老いた爺さんのお説教がましい話」になってしまって、「直接、心に届く事はないのだよな~ぁ??」
こういった事は話を聴いて学ぶ事ではなく、師匠の背中を見て学ぶものだからね??
・・と言う事で、こういった事を敢えて説明する・・という事が、どうしても億劫になってしまって、ついつい、子供達に、その仕事をする事を誘うよりも、自分で済ませた方が、面倒くさくなくて、速く終わってしまうので、ついつい、自分で済ませてしまう方が良くなってしまうのだよ。
だからと言っても、こういった作業は私にとっては、単純作業に過ぎないので、私の勉強(something)になる事は全くないのだけどね??
大休符と長休符を足して、何小節休みか計算して見てください。

全く文章が入力出来ない!!
どうなっているのだ??
· 返信する · 1年前

芦塚 陽二
Pichl のconcertoは、調弦がscordaturaで、4弦共に長2度高くtuningする。Kontrabassは2分の1sizeで、前回のCapuzziの時に2分の1の専用のとても良い弦を買って張り替えたのと、今回のscordaturaで長2度高くtuningしたことで、普通のKontrabassのようなモゴモゴした音ではなくって、baroque-Kontrabassのような美しいKontrabassの高音域の音が出ている。
Kontrabassは元々scordaturaで演奏する場合が多い楽器なのだけど、2度高くtuningする事で、如何にも古典派の美しい音が聞けて良い!!



· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
水曜日から順調に肥っている! どうして???

コメント
千野 由実
口酸っぱくして、可能な限りお教室に通わせていただいたら?と言うのですが、、、なかなか、、、
思考が無いですよねって、人のことあんまり言えませんけど、私は^^;
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
Olympic-yearである2020年には世界中の人達が日本にやって来るので、日本の教育制度に関して、globalstandardで恥をかかなくても良いように、日本の政府は教育の改革をせめて見かけだけでも、ヨーロッパなみの水準まで改革を試みようとしてはいるのですが、残念ながら、幾ら頑張っても、所詮は、張りぼての虎であって、manualや指導が出来る人材の育成は全く出来ていないままなのですよ。
日本社会の人口減少の問題と同じで、場違いの所を幾ら改善しても、本質的な所へのapproachがなければ、なんら改善される事は無いのですよ。
間違えた教育を受けた場合には、それと同じ年数、正しい教育をしても、それで0になるだけなのです。音楽の教育でも近場のone coinで間に合わせて、もしも、才能の片鱗でも有るようならその時に・・と、思っても、最初、間違えたmethodeで入った場合には、そこから才能の片鱗が見れる事は無いのですよ。それに、間違えたmethodeを訂正するのに、学んだと同じ年月が掛かるのならば、音楽大学で生徒達を指導するよりも、音楽教室を作って0からの生徒を教えた方が早いからね・・??
間違えた事を学んでしまうと、それを学んだのと同じ年月をそれを0にする事に掛けて、それから、更に教育を積み重ねて・・初めて、教育の内容が加算されるのです。
その教育の方法論は芦塚メトードのオセロ練習法と同じ方法論であり、考え方なのです。つまり、100回練習して出来なければ、1000回練習すれば良い・・、1000回練習してダメならば、一万回練習すれば良い・・??
Czernyの練習曲をちゃんと、concours-versionで弾けるようにするには、半年間の練習が必要です。だったら、Czerny30番から50番とcramerのEtudeをちゃんと終わらせるには50年間は必要になる計算ですよね。阿呆らし!!


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5月18日車が傷を付けられていた ·
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多分、2,3週間前にはなるのだろうが、何時、ぶつけられたのかは全く分からないままなのだけど、車の右側の後輪のタイヤハウスの辺りに、バックでぶつけられた形跡があって、もう、サビも出始めていた。
こういった修理を業者に頼むと、その費用は決して安いものではない。
paintの作業は業者の場合には、車体のパーツ毎にやるので、安くても10万以上掛かる。叩き出しを入れると下手をすると、30万近く掛かる場合もある。(勿論、極端に安いコンビニ的な所もあるが、その分、サビ止め等の下処理等の手抜きも多くて、仕事も雑である。)
昨年の暮に、タッチアップ用のPaintをトヨタに作って貰っていたので、先ずは、サビ落としとサビ止めをして、それからtouchup用のPaintで厚めに塗って、完全に乾くのを待ってから、水研ぎ用のsandpaperの1000番程度で水研ぎをして研磨する。自分の車専用のPaintも1000番のsandpaperも椎名町には準備してあるので、何時でも修理可能にはなっている。
・・と言う事で、昨日の金曜日に斉藤先生がtouchupをした。
touchuppaintもsandpaperも、だいぶ前に準備していた物だから、今回の費用は0円である。(・・・と、思ったら・・どうして・・・??)
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芦塚 陽二
18日の土曜日から、丁度、19日の日曜日の満月になった所なのだけど、夜食が終わって、ドルプリっ歩の途中から、突然、鬱に襲われて、困ってしまった。ハイツに戻って、明日のscoreの準備をしながら、当然、寝る準備もしなければならないのだけど、なんか、鬱が酷くなって来て眠れそうな雰囲気ではなくなって来たぞなもし!!
今からwineってな雰囲気でもないのだが、眠れそうになくて、困るのならば、未だwine-timeは可能ではあるのだが・・?
・・で、何を悩んでいるのか??って???
よう俺にも分からん!! でも、それが鬱って言うものだよ!鬱に理由はいるもんか??理屈抜きに鬱なのが鬱というものなのだよ!
まあ、良く良く考えると、鬱の要因になったような事はあるにはある。しかし、だからと言っても、それを鬱の原因とする事は出来ない。日常的なくだらない事だからだ。
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芦塚 陽二




5月19日近頃は、Facebookは、何度入力してもEnter-keyを押した途端に、 ·
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近頃は、Facebookは、何度入力してもEnter-keyを押した途端に、文章が消えてしまう現象が起こって、中々、改善されない。
windows7だからと言う分けではなくwindows10でも同じ現象が起こったままだ。
この不具合は、日記の代用にFacebookを使っている立場としては、日々の入力が出来ないと、その日その日のmemoryが出来ないので、頗る困るのである。
色々と試している時に、コピペをすると、文章がそのまま入力出来る事に気が付いて、だいぶ前からの話なのだが、入力出来ない時には、WordPad等に予め入力をして、その文章をそのままコピペする事にしている。
時々、「Facebookに文章が入力出来なくなった」とcommentが入るのは、そういった理由で、wordpadからコピペをしたからである。
本来ならば、「入力出来なくなった文章を入力する事は出来ない」から、矛盾した話しなのだが、言っている事は正しいのである。
後のFacebookの困ったちゃんは、文章を入力すると、下に余白がどんどん増えて行く現象も起きて困っている。構わず打ち続けて、ある程度、余白が広がったら、delete-keyを押しっ放しにして、一気に余白を消す。そしてまた入力をすると、また余白が出来て行く・・、という犬の卒倒one pattern状態である。
3つ目は、カーソルが文字を打っている最中に突然、どこかへ飛んでしまう現象が多々見受けられる。
返信のcommentを打っている時等には、隣のcomment欄に勝手に飛んで、2つのcomment欄が開きっ放しになる事がよくある。文章の入力欄が2つも開いたまま、という事は、有り得ないので、これも困った事である。一つの欄を終了させても、もう一つの欄が終了しないままに、どのkeyでも終了出来ない事が起きてしまうからである。
Facebookのメンテの連中は一体何をメンテしているのかね??
それで、よく給料を貰えるよな??



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5月19日音楽教室を開設するにあたって、 ·
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音楽教室を開設するにあたって、この40年間ホームページやFacebook、或いは冊子等でもいい続けている事があります。
その事は、40年間言い続けているのにも関わらず、どうしても、一般的には理解・納得して貰えないのですが、それは、一般的な通念では、「子供をお稽古事に連れて行く場合には、嫌がる子供の手を強引に引っ張ってlessonに連れて行くのが普通」であって、それとは逆に、「子供達が楽しんでlessonに通う教室は、子供達の好きなアニメのソングやテレビで流れる少女達の歌う曲や、classicの曲だとしても、お稽古事用に簡単に弾けるようにアレンジされた曲を習うだけの子供に迎合した教室だ」・・という事なのです。
「正統的にclassicの音楽を指導する先生や音楽教室では、scaleや練習曲や、超難しく面白くもないBach等を叱られながら、親子して泣きながらlessonに通うというpatternが普通である」とされています。
Classicの音楽はスコラ哲学の様に教義的で面白くない・・つまらないもので、難しいものとされています。
教室で講師を募集した時に、若い女性の先生に「教室としては、子供達に音楽の楽しさや美しさを指導して欲しい❗」と言ったら、「音楽は楽しいものではありません❗」と烈火の如く怒り捲られてしまいました。
「私達の教室は、巷の音楽教室に過ぎないので・・・」と、やんわりと面接をお断りしたのですが、多かれ少なかれ音大生の音楽に対しての考え方は、そんなものです。
音大生のprideとは、音楽に対しての尊厳や芸術性ではなく、自分自身が、厳しいlessonに耐えて、ひたすらの辛抱と、言うも得ない忍耐と、人生の全ての楽しみを楽器に捧げる事で、やっと手に入れる事が出来た「音大生という地位」なのだからです。※)
音楽を勉強して行く上で、「楽しい」なんて思う事は、一度もなかったし、自分のprideのために全てを捧げて来たのだから・・楽しい音楽なんてある分けは無いのですよ。
教室から「楽しい音楽という事を指導して欲しい」と言う事は、つまり、自分の尊厳を否定して、子供に迎合するような、自分を貶める事を要求される・・という意味になってしまうのですよ。彼女等にとっては、教室の子供達がClassicの音楽を楽しんで、練習を、lessonを楽しみにしている・・という事は、考えられない・・現実の世界では起こり得ないん・・mysteryなのですよ。
※)儒教的な思想では、「自分(その人)の価値(pride)とは、その努力と忍耐に比する」・・と書かれています。厳しいlessonに耐えて来たのは事実で、落ちこぼれないで、音楽大学に入学出来たのも事実なので、そのprideは、実に確信的なものがあります。
また、自分に価値付けをするために、虎の皮を着た(師匠に依存した家元制で、家に価値を付けた)狐のように、他者に依存をします。
「何故、それが正しいの?」「だって、私の先生がそう言ったから・・」と言われてもね~え??
教室の生徒達の場合には、この40年間、一人の生徒も4時間、5時間の練習を続けて来た生徒はいません。だから、自分に対しての自信が希薄です。自分よりも遥かに劣った生徒に対しても、練習時間が自分の2倍、3倍以上毎日練習をする・・という事に恐れをなして、complexを抱いてしまう事があります。
私が口を酸っぱくして、「練習の効果とは量や時間ではなく、質なのだよ!」と何度言っても、世間の信頼度の方が、信頼性があるのですよ。
世間一般の通念や社会常識よりも、私の信念を心から認めて、私を信頼してくれる生徒や保護者の人達は極端に少ないのですよ。
つまり、classicの音楽という事に妥協をしないで、classicの音楽の素晴らしさや、楽しさを指導するためには、指導者には、一般の音楽に対する常識への180度の意識の変革と、そういった楽しい音楽を指導出来るようになるための、大変な勉強と指導法の習得へのたゆまない努力が必要とされるのです。
子供達はアンサンブルが好きだからといって、子供達に教室の課題曲を与えたら、子供同士の喧嘩になって収拾が付かなくなって、大変な事になってしまった教室もあります。
子供達が楽しんでアンサンブルを勉強できるようにするためには、緻密なカリキュラムとマニュアルが必要な事は当然の事ですが、それ以上に子供達の心の成長に配慮が必要になります。子供達は、共同の勉強を通じて、社会性を学んで行きます。子供が虐めと感じたら、それは虐めである。というもっともらしい考え方では、子供達の社会性は育ちません。「何処までが虐めで、何処からは虐めではないのか?」は、子供自身の心のcapacityになるのです。その軋轢に耐え得る事が出来ればそれは虐めではないし、耐えられなければ虐めになるのですよ。
でも、子供達は、何処からが虐めになって、何処までが虐めでは無いのか?はまだ、理解出来ません。「これぐらい」とは、その相手の子供の体調や成長によって決まるからなのですよ。それも、経験で学んで行く事なのです。
子供を過保護に育ててしまっては、相手の心の痛みの分からない、社会性のない大人に育ってしまいます。つまり、温室で育った花は自然界では生きて行けないのですよ。
それが、引きこもりや、自殺、反社会的な人格を産んでしまうのですが、人はそんな将来の事迄は認めようとはしません。60歳になった引き籠もりの息子に対しての公の助けの手さえ否定してしまうのだから・・ね??自分の息子が死ぬまで、自分が生きて面倒を見る事が出来る・・と思い込んでいる。
でも、私達の育った昔の時代には、過保護という言葉さえ、なかったのですよ。
「生きる」・・という事が、それ程楽では無かった時代なのでね⁉「学ぶ」と言う事は、簡単な事ではないのだから、ましてや、教える・・という事は・・・❗
コメント
中尾正義
さすがです。大賛成!楽しくなければ、創造などあり得ません。


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5月20日今日は満月でした。 ·
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真っ黒な夜空に満月だけが、明るく3っつ、4っつ、ダブって見えていました。
土曜日の昨夜は曇天(どんてん)で、お久し振りの日曜日の満月を見る事が出来るか否かを心配していました。
満月を心待ちにしていた割りに、一枚の写真も撮っていないのですが、それは写真に修めると、不思議な事に、何時の満月の写真も、同じに見えてしまうからです。尤も、写真に撮ると、月は一つなのだけどね??
土曜日は、夜遅くから突然の鬱に苦しめられたのだけど、無理をしないで、早々とwine-timeに逃げてしまいました。
という事で4時間程の鬱々コンサートで、朝の4時頃には、無事に寝る事が出来たのだけど、8時にはtoilette-timeに起き出して、出発迄には未だ時間があるので二度寝を試みたのだけど、どうしても眠る事が出来なくて、3時間半睡眠のままに、千葉の移動とオケ練習に入りました。
つまり、オケ練習の最後まで・・或いは椎名町までの運転で・・、体力が保つかどうか・・が心配でした。
今日、日曜日のオケ練習の時間になって、PachelbelのChaconneの曲の「楽譜渡し」をしたのですが、この曲は、・・子供達からの「mainの曲がない!」と、言う事で、急遽、今日になってから、「楽譜渡し」をしながらの・・初見の初練習なのだけど、相変わらず・・scoreの製本ミス(print outのミス)があって、後半のPageが印刷されていなかったので、仕方なく古い(前回、校訂した)e moll-versionのscoreを斉藤先生が持っていたので、それを借りて、指揮・指導をしたのだけど、それでは、今回の改定をする前のscoreとは調が違っていたり、音符も大幅に変更されているので、記憶による指導になってしまって、子供達の指導をするのが超、大変で、困難を極めてしまいました。
それでもオケ練習の定刻の終了時間である7時半には、何とか時間通りに練習を終わらせる事が出来て、後片付けや花園教室への荷物の移動のroutineの作業を済ませて、千葉の教室を後にして、東京に出発・・、10時頃までには何とか椎名町に辿り着いて、食事の後のドルプリっ歩にも付き合ったので、cinderella-timeの12時の定刻頃までには、ハイツに辿り着く事が出来て、・・パソコンの電源を入れないように頑張って、何もしないで、(腐りやすい冷蔵庫に入れなければならないものだけを冷蔵庫に入れて・・後は何もしないままに、そのまま入眠しました。
その後、定時の深夜3時に、またroutineで、toilette-timeに起き出したのだけど、中々寝付けないので、窓という窓を全開にして、お茶をガブ飲みして、ビタミン剤を飲んで、bedに入ったら、何とか無事に寝付く事が出来ました。
以上が、今日、日曜日のroutineです。ハイ!
地球の次元が崩壊して、人類が絶滅するという大変面白いsfの夢を見ていたのだけど、まあ、それはmemoを取るまでもないか・・??
・・・てな事を3時のtoilette-timeの後で、眠れないままに、携帯のFacebookに打ち込んだような気がするのだけど、起きて見たら、やっぱり夢で、Facebookには入力されていないままだったのだけど、内容は正確に覚えているので、パソコンを開いてそのまま打ち込めば、携帯とは違って入力の作業はほんの一瞬で終わってしまいます。
・・・という事で、昨日の日曜日のオケ練習の風景は、これからパソコンに取り込む所です。
コメント
芦塚 陽二
Facebookの後半の文章もこのcommentも入力をしてEnter-keyを押すと、消えて無くなってしまいます。という事で、wordpadに一度書き込んでコピペをするという面倒くさいDouble工程の作業をしています。ホント、バカFacebookだよな?


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5月20日昨日の5月19日(日曜日)のオケ練習は ·
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昨日の5月19日(日曜日)のオケ練習は、事実上の初練習になるので、「これから発表会までの練習のpoint、所謂、conceptを纏めてlectureしておこう」・・という事で、練習風景のvideoをpoint毎に編集して、説明、確認のテロップ・・を入れておこう・・と思ったのだけど、videoの編集作業に入って見て、驚いてしまった!!
・・・な、な、な、なんと!
・・美音ちゃんのVivaldiのⅡ楽章のvideoや、PachelbelのChaconneの練習のvideoが全く撮れていなかったのだよ。
video-cameraの撮影開始のswitchを押すのを忘れたり、timingが遅かったりしたのだけど、役割分担が未だ理解出来ていなかったり、オケ練習のroutineを忘れてしまったり・・と、久し振りの話だったからね??
しかし、この2曲に色々と新しいbaroque-奏法の課題が出て来るし、事前にその奏法を、ちゃんと理解出来ていないと、練習が滞ってしまって、中々上手く行かないので、それだけは、ちゃんと欲しかったのだけどね??
後の曲・・・今回の課題曲は、・・・(桃迦ちゃんのVivaldiの曲やPichlのKontrabassのconcerto等は、)・・基本的な古典派の技法なので、これまでのオケ練習で学んで来たbaroque奏法の演奏の技術表現の復習になるので、弾けるか否かは、兎も角としても、その練習で勉強すべき内容は、当然、良く理解出来ていて、練習のpointも分かっているはずなのだからね。
・・で、今回の2曲の課題は、・・超、難しくて、新しく学ぶ事が多いので、その技法の説明と解説をするために、曲のvideoを見ながら、説明をすると良いと思っていたのだが、美音ちゃんのVivaldiとPachelbelの曲のvideoが無い・・というのは、練習pointの説明、lectureが出来ないので、超、Shockであるぞよ⁉
果てさて、超、困ってしまった‼


それはそうと、Pachelbelに関しては、scoreの後半部が飛んでいて、Pageが無かったので、練習が上手く行かなかったし・・・、どうも新曲に関しては、何時も何時もcopyやprint outの作業が上手く行かないようだよな??
美音ちゃんのVivaldiはscoreしか無いので、今回part譜を作るか否か・・は、別の問題だとしても、Pachelbelはfinaleの最終稿の問題で常に揉めているのだけど、仕事を始める時のroutineとしては、起きたら、必ず、先ず第一に仕事を始める前に「mailのcheck」から一日を始めなければならない・・と言う事を口を酸っぱくして言い続けているのに、その「mailを見る」というroutineが、ドルプリっ歩や、教室の作業の後の、出掛ける時になっていて、何時も「順番が逆だ!」と怒っているのに、直さないのだよな?
1日のroutineとして、mailを見て、その日一日の動きと時間を決めるのだよ。Influenza等で、お休みが多い時には、lessonの開始の時間さえ変更しなければならない時が良くあるのだけど、その変更が「時間切れになって、変更出来ない」という自体さえ起こりうるのだがね??
その日、一日の動きは、mail-checkで決まるのに・・・どうしてそういった基本的な事が出来ないのだろうかね??
今回も、またまた、同じミスをしている。
ミスのroutineだよな??



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5月21日昨日(5月20日の月曜日)の続きです。 ·
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昼間はとても良い天気でしたが、夜のドルプリっ歩にバイクで出かける時には、ほんの少し雨が降って来たのだけど、レインコートを着るまでもないかな??という事でそのままバイクで出発しました。
椎名町に近づくに連れて、少し雨が酷くなって来たのだけど、私は傘をささないままに、ドルプリっ歩に出発しました。ドルは、未だそんな酷い雨にもなっていないのに、「濡れるのが嫌だ!」と言って、サッサと家に帰ってしまいました。
食事を終えて、私がハイツに戻る頃には、雨の音がパラパラと聞こえるような感じになったのだけど、最初からレインコートを着て来なかったので、椎名町に置きッパのレインコートやポンチョ等は着ないで、濡れるに任せてハイツに戻りました。濡れるには濡れたけれど、まあ、許容範囲の中だったのかな??
江古田の自宅に着いて、部屋に入ったと同時ぐらいに、突然大雨になった。
ほんの一瞬の差だったよな??
取り敢えずはluckyと言う事かな??
写真は次の日、・・・今日(火曜日)の土砂降りの雨の風景です。

写真では、大雨・・という事は分からんよな??
動画が良かったかな??


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5月23日今日(・・・というのは22日の水曜日の話しです。)は、 ·
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今日(・・・というのは22日の水曜日の話しです。)は、ちゃんと真面目に食事とドルプリっ歩を済ませて、テレビのヒストリアも見たのに、超、珍しくcinderella-timeの前の11時半にはハイツに戻って来る事が出来ました。
しかし、今日はお腹の調子が一日中悪くて、胃は痛くは無いのだけど、膨満感があって、お腹がパンパンに腫れています。何かを食べ過ぎた覚えは無いのだけど、何かいっぱい食べたみたいにお腹が膨れ上がってしまっています。
仕方がないので、胃の薬を飲んで様子を見ているのだけど、今の所、胃の状態は改善はしていません。
だんだん、お茶も飲めない感じになって来たので、梅湯を作って飲んでいます❗


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5月24日昨日はcinderella-timeの30分前には、 ·
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昨日はcinderella-timeの30分前には、江古田ハイツに戻って来れたのだけど、今日(23日の木曜日)は、何と、深夜の1時半になってしまった❗
今夜は早く帰れたはずなのに、なぜ??どうして??何処で、遅くなってしまったのだ・・・??
おおかた、lineで連絡のあった約束の時間には、flower公園までドル・プリを迎えに、ちゃんと行ったのにも関わらず、ドル・プリとも会えなかったし、それで椎名町に直接、戻って夜食を食べ終えて、それだけで、1時過ぎになってしまったので、急いで自宅にバイクを走らせて、やっとこさっとこ、ハイツに辿り着いたのは、まあまあ、それなりに良いのだが、どうした分けか、バイクで移動中に、突然、鬱になってしまった。
これは困ったぞ・・・!!

それとは全く別の話になるのだが、またまた、このFacebookに文章を入力をしても、Enterを押した途端に文章が消えてしまう現象が始まって困ってしまった。
他のsoftには出ない、Facebookにだけ、現れる現象なのだが、全く、困った事だ!!
折角の鬱なのに、Facebookに、鬱の状態を書く事が、唯一の鬱対策になっているのだが、Facebookに直接入力出来ないと言う事は、その欝対策も出来なくなってしまった!
一昨日からの、お腹が腫れて胃の調子が悪い・・という状態が、まだ改善出来ていないので、alcoholに逃げて、You Tubeでの鬱々コンサートに入る事も出来ない‼
風呂に入って、のんびりと気分を変える・・という手段も考えたのだが、風呂に入れるようにするには、先ず、溜まり水を捨てて、風呂桶を洗う所からしなければならないので、鬱で体調不良の時には、体力的に無理なのだよ‼
こういう時が「為す術がなくて」一番困ってしまうのだよな。


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5月24日今日(5月24日の金曜日)も朝から ·
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今日(5月24日の金曜日)も朝から日本国中、超、良い天気だ‼
冬にお世話になった羽毛の布団をベランダで、天日に干して、仕舞い込みたいのだが、それには、物干し棹を雑巾で拭く所からの作業になってしまうので、泣く泣く諦めてしまった😵💧
そこ迄の体力と気力はないのでね⁉
折角の天気なのに、勿体無い話しなのだが、体の事なので、いかんともし難い❗
10年前ならば、そういった「雑用をする体力がない」・・・なんて話しはあり得なかった事なのだよな⁉
老いは確実にやって来る❗
この所、体調管理は非常に巧く行っていたのだが、この二日、三日間の不調は、どうした事だろうか⁉
暴飲暴食の覚えもないのに、胃が腫れて膨満感がある・・・、これも、突然の原因不明の体調不良なのだよな⁉
原因が見当たらない・・、という事はstressなのだろうか?
体調管理が上手く行っている時には、体重も順調に減っているのだが、体調不良になると、食事の量・・・ではなくて、体調で、食事を取る事すら出来なくても、体重が増加してしまう。
体重の増減は、食事の量ではなく、精神状態に強く影響を受けているのだよな⁉
それは私にとっては常識の話なのだが、一般的には非常識の話だよな??
特に「食わなきゃ、痩せる」・・の人達にとっては・・、多分理解不能な話しだろうよな⁉



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5月24日今日(5月24日金曜日)は今年最初の真夏日に ·
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今日(5月24日金曜日)は今年最初の真夏日になったそうで、31℃だったそうです。もうすぐ夕方の5時になるのだ・・・というのに、温度が全く下がらず、仕方がないので、窓を全開にして、外の風を部屋に取り込んでいます。それでも、空気自体が暑いので、部屋の温度は下がりません。
「五月にクーラーもないよな~ぁ」、という事で、悩んでいます。
まあ、湿度は低いので、凌ぎやすくはあるのでね⁉
コメント
萩元 美紀
今日から真夏日が続くそうですね…明日は小学校の運動会です💦
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
明日はトランプが来るので、明後日の千葉行きは、王寺小菅回りか、地下道回りで移動しなければいけないのだけど、首都高が使えない・・という事は、結構渋滞するのかな??
30℃超えの外の活動は、子供には結構負担で無理ではないのかな??
・・・超暑いのも、トランプのせいかもネ??早く、京都議定書に調印して欲しいな??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
芦塚 陽二 あまり暑かったら午前中だけで終わるかもしれないという話も出てます💦
なるほど、トランプの来日のせいでしたか(笑)
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
順延ではなく・・??
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
芦塚 陽二 今日も練習中に具合が悪くなった子がいたとか。
延期という連絡は今のところないです…
各自、保冷バッグに保冷剤など冷やすもの、水筒以外にペットボトルOKの連絡があったのは初めてです。
· 返信する · 1年前
返信する...

芦塚 陽二
明日から・・というか、もう日にちが変わって、今日(土曜日の午前の5時)になったのだけど、今日明日は、32℃の予定だそうです。でも、まだ、五月だよね⁉それじゃあ、八月だろうがね⁉
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
芦塚 陽二 真夏日になるかも、ですもんね…運動会は30分繰り上げでスタートになりました。これからお弁当作りです💦💦
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 繰り上げ❗ですか⁉それは、それは・・・てえへんだ❗


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5月25日今日は土曜日です。 ·
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今日は土曜日です。定刻の6時半ぐらいに起きて、雑用を片付けていたのですが、朝の10時頃になったら、どうしようもなく眠たくなってしまったので、ベッドに戻って寝直しました。
夢を見たのですが、山奥の駐車場に車を停めるのだけど、自分が借りていた駐車場を忘れてしまって、「多分、ここだった!」という所に、車を停めて戻ってくると、車が無くなっていました。車を取り戻すために、駐車場の地主の家に行って、レッカー業者の電話を聞こう、と思ったのですが、腹が立つので、考え込んでいたら、目が覚めました。
東京でも千葉でも駐車場には悩まされて何度もトラブった経験があるので、トラウマになっているのですョネ!
不動産屋なんてものは、土地の利権者の言いなり・・なので・・・、借り手側に立ってくれた事は一度もありませんよ??
そうれはそうと、スリッパに爪が引っ掛かるので、よく見ると、左足の中指の爪が欠けていました。欠けた部分を爪切りで切り取ろうと思ったら、内側に欠けていて、無理でした。
ガラスのヤスリで爪を磨いて、引っ掛かりを取って、お茶を濁す事にしました。


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5月26日「似て非なるもの」 ·
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日本の学校教育では、より有名な大学を受験して、より有名な企業に就職するためには、幅広く勉強をして、全ての教科の成績を上げる事が要求される。つまり、日本の学校教育では、全ての教科について、オールマイティーである事が、良しとされるのです。
しかし、この事は、非常に矛盾した事になるのだが、知識が広いだけでは、専門家にはなれないのだよ‼
つまり、学校の教科書を作っている学者の人達は、より専門性の高い勉強をして来た人達なのだよ。
より専門性の高い勉強法は、深い知識と洞察力が求められるのだよ。広く浅く・・では、専門性は得れないのだよ。結局の所は、学校の教科書は専門家によって作られているのだよ。昔、この話しを小学校の先生達にしたのだが、全く理解して貰えなかった。学校の教科書は、小学校の先生達が集まって作った、と思い込んでいたのだよ。阿呆らしい❗
より専門性の高い勉強法は、職人の世界で見受ける事が出来る。
しかし、職人的学び方の問題点は、そこで、優れた技術力を身に付けたとしても、応用力や発想の転換に、欠けてしまうのだよ。経験で学んだ事は、応用力や発想の転換力に乏しい、という原則論がある。
伝統的な芸術や技術の伝承には、職人的な勉強法はとても優れているのだが、globalな社会では、もはや、そういった職人的な技術は、その技術を伝承する人材が見つからなくて、その存続すら危ぶまれているのだよ。
封建制の社会では、自分の直系の子孫に財産や技術を残すために、中央集権的な家元制度が考案されて、ヨーロッパでは、価値の規準をbrand(企業)が支配・決定するようになった。
そういった社会では、学業(勉強)に対しての考え方も、物事を追求するのではなく、与えられた課題を果たせば、それで良い、という安直な考え方になってしまっているのだよ。
それが、現代の学校教育の学び方の規準になってしまっているのだ。
音楽を学ぶ生徒達の多くは、練習の目標を、学校の学び方の規準のように、先生から与えられた課題を、先生の言う通りに、「こなせばそれで良い」という風に、捉えてしまっているのだよ。恰かも、学校でのテストや宿題と同じように、音楽の勉強さえも、学ぶための目標が、先生の与えた課題になってしまっているのだよ。それでは、音楽大学に入る事は出来ても、Proを目指す事は出来ない。(但し、それはProの定義による話しであって、人の前で演奏する事をProと呼ぶのであるのならば、別に音楽大学に行く必要もない。)
「このpassageは、こういう風に弾きたい❗」とか「練習をする事が、楽しくて仕方がない❗」とかいった、音楽に対しての価値や気持ちが希薄で、「ちゃんとやればそれでいいんでしょ」という、一般的なコンクール型の優等生の勉強法を見ているようで、音楽の表現を学んでいる、とか、自分を磨くとかではなくて、勉強に限りを見ているようで、そのような練習では、見ていても非常につまらない。
ものを学ぶコツについては、料理教室を例にして説明すれば分かり易くて、良いのかな⁉
料理は、同じ材料で、同じレシピで作っても、作った人によって、全員の味が変わってしまう。
例え、料理教室で如何に上手に学んだとしても、プロの料理人にはなれないのはどうしてなのか、分かるのかな⁉
子供達に言い続けている事がある。
それは、下手でも良い❗心を打っ演奏をする事だ。
上手でも、魂のない演奏よりは、遥かに良い❗
上手なamateurよりも、下手でもProの演奏を人は好むのだよ。
いずれにしても、人の役に立つ・・・という事は、人の出来ない事をするのか、人が面倒くさがる事をするか・・・なのだから⁉⁉
藍は藍より出て・・・とか、形に入るのは易く形より出るは難し、とか古人は言っているのだが、学校の勉強も然りで、「古」を学ぶ事は、単なる知識にしか、過ぎない。
つまり、学校の評価は、知識の記憶を問うているに過ぎない。本当に人間に必要な能力は、分析力であり、判断力であり、ひらめきや、構成力等である。学校で学ぶ知識は、現代の社会では、パソコンが人間の限界を越えた膨大な知識を提供してくれる。
公文式の計算能力ですら、大学受験には、必要はない。
大学の数学の受験では、設問から、解答の手順を書くだけで、計算が合っている必要はないからだ。
コメント
芦塚 陽二
書いた文章が見事に消えてしまっている!なんと腹立たしいのだろう!!編集履歴も出て来ない!もうFacebookは諦めた方が良いのかも知れない。何度打ち直しても、消えてしまう。これではもうFacebookは二度と使えない!!netで調べて見たら、スマホでは、その不具合は出ないようなので、スマホで入力するように❗というadviceであった❗
どうしようもないよな‼全く❗
· 返信する · 1年前 · 編集済み
純子斉藤
ええ~続きを読みたかったです❗
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
まあ、いつも言っている愚痴だけど~ね??



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5月26日仏教の寓話 ·
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私が高校の一年生の頃、郷里の長崎の本屋で、仏教の寓話集という上下2冊の本を見つけて買った。
その2冊の本は、高校時代には勿論、長崎のアパートに・・・、音大時代には東京の6畳一間の住まいに・・・・、留学時代にはドイツのシェア・ハウスに・・・と、いつも私のそばにある私の座右の本として、常に、ともすれば道を踏み外しそうな、私を導いてくれた。
その中の一文なのだが、悟りに入った釈迦にバラモンが尋ねた。「悟りに入って、魂の平穏を得られたのか?」
釈迦は答えて、「衆じょうに悟りを導く事に、より苦しんでいる」と・・・
つまり、悟りを得ても、魂の平穏を得る事はなかったのだよ。
不思議に思われるかも知れないが、魂の平穏を得るという事は、人と一切関わらないという事だからだよ。
音楽と言っても、色々なjanreの音楽がある。
私のように、鬱で苦しんでいる時に、魂に語りかけてくる音楽を至上の音楽とする人間もいる。
落ち込んでいる時に、自分を高揚させ鼓舞させる音楽もある。
勿論、音楽とは、classicから、popularや、民族音楽に至る迄の多種多様な音楽があるのだよ。
音楽を学ぶという事は、一様ではない。
愉しく学べる音楽もあれば、厳しく辛い孤鋒のような近寄り難い音楽もあるのだよ。
人は自分の望むような音楽に登るように、学べば良い。
登山の装備すら必要のない山は多いのだよ。
ただ、人の前で演奏活動をするだけが目的ならば、その夢を叶える事は、そんなに難しい事ではない。
しかし、その演奏で、人を涙させるとなると、これはヒマラヤに登るようなものだ。
自分自身が、音楽に対して真摯に、死に物狂いで向き合わないと、自分の言葉に涙する人はいないのだよ。
音楽はOlympicではないのだよ。
完璧に演技が出来たとしても、そこにsamethingがないと、誰一人、泣いてはくれないのだよ。
自分の技術をひけらかすための音楽ならば、凄いと思う人はいても、そこで涙する人はいないと思うのだがね⁉
自分で音楽を演奏して、自分自身が涙する人は幸せである。
自己満足と思われるかも知れないが、それでも、他の人には分からなくても、少なくとも作曲家とはシンパテイを得る事が出来たのだから。
要は、自分が何に満足をするか?という話しなのだよ。



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5月26日今日は五月26日の日曜日です。 ·
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今日は五月26日の日曜日です。トランプ-dayで、首都高のreal-timeの道路地図上では、真っ赤っかと黒のバッテンだらけです。
次いでに、私も、昨夜から超、鬱が酷くって、一睡もしていません❗
出来れば、今日のlessonとオケ練習は、自習練習にして、サボりたい所です。
いつから毎週私が練習に付き合う事になったのかな⁉
そりゃあ、聞いてないけどな⁉
今回の第2回目のオケ練習は、瑞希ちゃんと紗來ちゃんのvivaldiの「秋」とStamitzのviola-concertの、二曲を除いたら、soloの部分を割愛して、オケの部分だけを中心に練習しました。
soloを弾く生徒達には、もう少し時間の猶予を与えてから、soloがintempoで演奏出来るようになってから、練習をします。
前回と前々回の発表会では、曲の練習のpointが、曲を弾く事に始終していたので、今日の練習では、久さびさに、violinの基礎的な基本の練習をしました。
弾く事だけに、意識が行ってしまって、大切な音に対しての、approachが希薄になってしまったので、基本的な音出しに戻って、lectureをしました。
基本、基礎の勉強は、練習をしていても、心の逃げ場がないので、久し振りに、ちょっと、泣きの入った厳しいlessonだったのかな・・・⁉
Pachelbelのchaconneは、技術的に難しくて、弾けていない小節のcheckと、指揮を見て、tempoを揺らす復習をしたのだけど、今回の練習では、まだ出来ない箇所が幾つかありましたけど、時間切れで、次回送りになりました。
個人個人で、しっかりと練習をして来てください。
専科オケの「初めて組」の生徒達にとっては、こういった密度の高い練習は、体力的にも精神的にも、練習に付いて行くだけで、目一杯・精一杯だと思うけど、よく最後まで頑張りました❗中々の根性だと思うよ⁉
私も、徹夜明けで、何とか練習をこなして、トランプ-規制を避けて、遠回りをして、なんとか椎名町まで戻って来て、半分眠りながら食事だけを済ませて、ドルプリっ歩はすっぽかして、何とかcinderella-timeの前には、ハイツに戻って来ました。
オケ練習では、クーラーが「暑い」と言う生徒と、「寒い❗」と言う生徒がいるので、室温のcontrolが儘ならなくて、大変で、大汗をかいてしまったので、そのまま寝るには、気持ちが悪いので、大急ぎで、シャワーを浴びて、髪を洗って寝たのだけど、1時半には、routineのtoilette-timeに起きたら、今度は、鼻詰まりが酷くって、眠れなくなってしまった。
困った❗困った‼
これじゃあ、睡眠時間が・・・足りないよな~っ??
頑張って、寝なければ・・・・



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5月27日 今日は5月27日の月曜日です。·
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今日は5月27日の月曜日です。
今日は下弦の月だそうです。
今日もとても良い天気で、窓をいつものとおりに全開にして、風を取り込んでいたのですが、ついに諦めてクーラーをエコ設定(28℃)で入れてしまいました。
久し振りに、熟睡出来たと思ったのだけど、クーラーを入れっぱなしで寝ていたら、体調が悪くなってしまって、すっかり後悔しました。
そう・・、私はクーラーが苦手だったのだよな⁉
クーラーのせいかどうかは知らないけれど、一日すっかり、半分寝込んでしまいました。
・・・とは言っても、月曜日に仕事にならないのは、routineなのでね⁉
近頃は、すっかり最初から諦めています。
長年だまし、だまし、使っていた台所兼、仕事部屋用の窓のブラインドが、とうとう修理不能な所まで、壊れて使い物にならなくなってしまいました。
ブラインドは買うと、結構高いので、修理をしながら使っていたのだけど、流石に、諦めざるを得ない所まで来たので、約半額の激安ショップを見つけたので、即、注文しました。
安いだけならば、プラスチックのもっと安いブラインドもあったのですが、安かろう、悪かろうでも困るからね⁉
それはそうと、Facebookの入力が、相変わらずパソコンでは出来ないので、大いなる忍耐力を持って、携帯のFacebookで入力をしています。
パソコンで入力するのならば、ほんの一瞬で入力出来るのに、超、面倒くさい入力をしなければなりません。
時間が掛かってしょうがないのだけどね~ぇ⁉
夜はだいたいいつもの時間の1時半頃に帰って来て、そのまま眠る気にもならないので、wineを飲む事にしたのは良いとして、部屋が蒸れて息苦しいので、クーラーを快適温度の28℃で入れたのだけど、やはり、クーラーは苦手で、ふと思いついて、何年も放ったらかしになっているベランダでwineを飲む事にしました。
先ず、サンダルが無いので、外用のサンダルをベランダに運んで、さて椅子が無いので、そこらの有り合わせの折りたたみ椅子を適当に選んで、wineをグラスに入れて真っ暗なベランダで飲みました。
折角の下弦の月というのに、薄雲に隠れて影しか見えません。


それに、部屋の中は、蒸し蒸ししているのに、外の寒い事・・、気分は最高だったのだけど、寒くてギブアップしました。
しかし、久し振りの深夜のベランダは、ちょっと乙なもので、気に入りました。
昔々、ベランダで、beerを、cheeseをツマミにして、一人で飲んでいたことがありました。(当時はbeerだったのですよ❗)
キャンプで使う灯油のランタンをベランダの天井から吊るして、灯りをとって、その薄暗い灯りが、中々乙なもので、気に入っていたのですが、病気になって、一人beerは、やめてしまったので、実に久し振り(10年以上・・・)のベランダです。
これなら、少しベランダを少し、清掃して、wineぐらいは何時でも飲めるようにしても良いのかな??
飲めなくなってから、ベランダには植木を置いていたのだけど、母の介護で、毎年の長崎への帰省で、植木は全て枯らしてしまったのだけど、一度も水をやらないのに、断固として枯れない木があって、生きているものを、捨てるに忍びなくって、今も、捨てられなくて、困っています。
断固として死なない植木は諦めて、必要のない庭いじりの道具だけでも捨てれば、ベランダの印象は大分変わるかな・・・・??
・・・という事を考えています。
とは言っても、やっぱり、ベランダの片付けは、一人では無理なのかなぁ⁉


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5月27日病院への愚痴 ·
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私の場合には、高校の1年生の頃ですが、近場の大学病院に入院した時に、インターンの学生がミスをして、その後、その対応のミスが続いて、半年後には、腎臓を1個摘出せざるを得なくなっていました。勿論、医療過誤のお話なので、一般には知られる事はない事件なのでしたが、家の養父の知り合いという事で、入院をしたので、医者同士という事とで、その医療過誤は報告という事で知らされていました。まあ、その結果、その後、大学を卒業するまでの、7.8年間は、電気メスによる潰瘍の焼く手術を、毎年、休みの度に繰り返したのですが、腎臓摘出の全身麻酔の後では、局部麻酔は全く効かないで、殆ど、麻酔無しの状態で、電気メスで膀胱や尿道の潰瘍を焼く手術を、数十回も繰り返しました。
医者は冗談で「あんたも、もう、手術のVeteranだから、慣れたろう!」とか言っていたけれど、麻酔無しの手術に慣れる・・という事は、絶対にありません。
高校生の頃は、私の死んだ父親の生徒達が大学病院の教授だったので、下にも置かない、その代わりにベッドに置いておく・・という高待遇だったのですが、その関係で入院をする度に、病院のミスも教えてくれるので、医療不信がつのってしまいました。
少なくとも、純朴な高校生に話す事ではないよね??
高校生の時からの作曲家の職業病とされて来た胃潰瘍は、約30年後の、50代の時に、近所の病院でピロリ菌の治療をしてからは、再発はしていませんが、その同じ病院での、冠動脈に関しての訴えは、「素人が何を言う!」という事で取り上げて貰えなかったのだけど、私が「冠動脈が・・」と言っていた頃に、ステントの手術をすると、バイパスの手術は必要無かったのだそうで、「5年前に来ていたら・・」とsecond opinionの更にsecondの先生に言われたので、「5年まえには『心臓が・・』と言って、胃腸科から、循環器に代わって、循環器の先生達に『冠動脈が・・』と言っていたのですが、全く相手にされなかったのですよ。」と文句を言ったら、同業者相憐れむ・・からか、「心臓の血管の詰まりの病状の判断は難しいのですよ。」と言われてしまいました。
冠動脈のステントの手術は絶対に無理という事で、バイパスの手術になったのですが、練馬の大学病院の心臓外科では、3本の血管の内、脳に行っている血管だけしか助ける事が出来ない・・と言う事で、手術をしても、その後は寝たきりになってしまう・・という事でした。
心臓を止めて人工心肺で血液を送るので、手術時間が最大でも1時間しか取れなかったからです。
netで探した結果、その当時には、最先端の手術であった「拍動下のバイパス手術」という事で、心臓を動かしたまま、手術をするので、時間に制約されないという事で3本の血管を全て助ける事が出来るというその手術が出来る当時は、非常に稀な手技を持った先生に直接アポイントを取る事が出来て、なんとか、手術も成功して、無事に、社会に復帰する事が出来ました。
でもその後、2,3年を経ずして、そんな手術をする事は無くなって、左足のグラフト血管を採取する手術はもう現在は過去の手術として、血管がもろくなって、再び詰まるという症状が起こるような手術は無くなってしまったそうです。動脈の詰まるのが、後2,3年遅かったら、体調不良はもう少し改善出来ていたかもしれません。
今回の腹部大動脈瘤の発見も、血尿が出て膀胱の検査でCTの検査をして見つかったのですが、その病院の泌尿器科ではステントは無理で、開腹の手術になる・・と言われてしまい、悩んで、それこそnetで病院を探して、症例をcheckしていて、今回の川崎の病院に辿り着きました。流石に、症例が多いので、難しい位置にあって、確かにステントは難しいのだそうですが、不可能ではない・・という事でお願いしました。
まあ、インフォームド・コンセントで説明を受ける時の安心感のようなものが、やはり、経験豊かだと全く違います。1年に数例・・と1週間で数例では、手術の経験数がお話にならないのですからね??
パソコンから文章が入力出来るかのテストです。
コメント
芦塚 陽二
commentが打てない!友達の返信欄に入力出来ない!!windows10でも、文章の追加修正も出来ない!!


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5月28日windows10のcleanup ·
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朝起きて、windows10のドライブCのクリーンアップをしたら、5時から9時になっても未だ終わらない。windows7の方は常に、updateしているので、一瞬で終わるのだが、windows10は滅多にしないから、時間が掛かるとは思ったのだけど、これまで掛かるとは思っていなかった!
ゴミが溜まり巻くっていたのだよな⁉




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5月28日今日は28日の火曜日の夕方の ·
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今日は28日の火曜日の夕方の5時頃です。
夕方になって、急に寒くなって来たので、「クーラーを止めなければ・・!」と思ってリモコンを取って、よく見たら・・、なんと、クーラーはつけていなかったのですよ。
自然の風だけの寒さだったのです。
昨日までとの、この温度差は驚愕です。
窓を開けて仕事をしていたので、寝室のベッドや畳が湿気っぽく、ジメジメしていました。
慌てて、窓を締めて、除湿でも・・と思ったのだけど、除湿をかけると、超、寒くなるし・・、コンビニ・クーラーを出すのも一騒動しなければならないので、かったるいし・・、と優柔不断に諦めてしまいました。(つまり、なにもしなかった・・という事・・です。)
コメント
芦塚 陽二
windows7では、全く文章の修正が出来ない!wordに貼り付けて、windows10に持って来て、windows10のFacebookを開いて、そこに修正のcommentを貼り付ける・・という超、面倒くさい作業をして、やっと修正した。頭に来るよな~ぁ??



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5月29日一昨日の夜に続いて、 ·
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一昨日の夜に続いて、今夜も寝逸れてしまったので、少し明るくなって来たベランダで、「外の風を浴びながら、wineでも飲むか?」という事で、wineをGlassに入れて、雨のそぼ降るベランダに出たのは良いのだが、超、寒くて5分も外に居れなかった!!
雨がベランダに降り込んで来るので、椅子を出して座る事も出来ない‼
雨の降り込む中を、glass片手に、風流を気取るのは難しい!!
暑さ、寒さに対しての、それ相応のやせ我慢力が必要だなヤ!!
いや、昔の風流人達は偉かったぞぃ❗
雨のベランダを、携帯で写真を撮ってそのままupしようと思ったのだが、この所、携帯で撮った写真がFacebookにダイレクトでupされた事は一度も無い。


仕方がないので、lineに写真を送って、一度パソコンで保存して、それからFacebookに開くとパソコンからならup出来るのだよ。
要するに、携帯が古いから「ギガがネぇ~❗」という事で、「もう、買い直せ!!」という事か??と思っていたのだけど、lineならば問題なく写真が送れるという事は、やっぱり、これもFacebookのせいらしいよな⁉
いつになったら、ちゃんと直るのかね⁉Facebookは・・・・






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5月29日「似て非なるもの:追記」 ·
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肝心要の「似て非なるもの」のテーマに入る前に、文章が入力出来なくなって、中座してしまったので、新たに「追記」をする事にした。
本来、書くべき論旨の骨子は、「日本の教育では、一芸を究める教育は、一般の人達から否定される傾向にある」・・と言う事なのだ。
勿論、その理由は、「一芸を追求しようとする人は、一般的な知識が皆無であり、人間的に(人格的に)問題とされる」からなのだが、その通念は、正しくはない。
しかし、一概に「それが誤解である」と言えないのは、実際には、そういった例をよく見受ける事があるからなのだ。
しかし、その問題は、(後で述べるように)「一芸の求め方」自体に問題がある場合なのだ。
実際の場合には、一芸を極めようとする人達は、結構、一般的な知識も広く深いものがある。(先に書いたように、これには、「但し・・」書きが入るのだがね・・・)
実際の例を上げるとすれば、確かに、一芸以外は無知蒙昧な人も多く見受けるのだが、それは全てのgenreで、そういったtypeの人達が見受けられる分けなので、それは当たり前の事になる。
但し、「逆、必ずしも真ならず」であって、幅広く学んだ人がdilettanteの域を超える事はない。
また、一芸に秀でた人が、幅広い知識を持っている事は、結構ザラなのだが、その知識は一般的な専門家の人達と肩を並べるくらいのlevelであるのだが、その場合には、その人の持つ一芸が、人よりも遥かに抜きん出ている・・・という事も必然的な条件・・なのだよ‼
そこをよく一般の人達は、安直に考えて判断する事で、勘違いをしてしまって、自分や自分の子供達に「一芸を求める事を要求し」ながら、一芸が、まだ道に至っていないのにも関わらず※)、更に広く勉強をさせようとする人達がいるので、問題なのだよ‼
※)「一芸が道に至る」とは、とんでもない高邁な話なのだが、この場合には、そんな横行な話ではなく、『一芸を追求する姿勢が自分の身になっている場合』と言った、生活習慣的な軽い意味の話です。
一芸を極めようとすると、それを理解し、追求しようとするだけで、姿勢が職人的で無くとも、充分に、必然的に多くの知識を必要とするようになるのだよ❗
但し、そのNiveau(水準)の問題はある。
何かを追求する・・という事は、「学校の中での一番ぐらい」や、その「小さな町ぐらいの一番」では、所詮は水準的には、趣味の域を出ないのだよ‼
親は、自分の子供に対しては、欲目があり、その欲目で自分の子供を評価して、全てを人よりも勝ったものにしようとする傾向がある。
子供の通う学校で一番を取った事が「proの域に達した」・・と思う事は、欲目による勘違いに過ぎず、その勘違いで、子供に対して過剰期待をする事になって、その子供自身を潰してしまう事がよくあるのだよ‼
親の過剰期待から、困った事(つまり、自分のcapacityを越してしまって・・)になって、肝心要の自分のmeritである(本来の)一芸さえも見失なってしまう生徒を、私達は、これまでも、数多く見て来たのだよ‼
『立てば這え、這えば歩け!の親心』は、子供の教育に取っては微笑ましい事ではなく、子供を徒に潰してしまう結果を招いてしまう。
「一芸を極める」・・という話は、日本の音楽社会では、逆に、「演奏家は自分の楽器の技術の向上だけを目指せば良い❗」という日本独自の風潮があり、昔々、私が音楽を学ぼうとしていた学生時代にも、音楽に対して幅広くapproachをしようとする私の姿勢は、「それは素人の姿勢だ❗」と多くの音楽の専門家や、音楽の関係者から批判され、否定されてしまった。
だからといって、人の話しをおいそれと受け入れるような私ではなかったので、そのRat(忠告)は無視してしまったのだけどね~⁉
しかし、その後、私が日本の音楽大学を卒業して、Münchenの音楽大学に留学をした時には、私の広く深く勉強をして行くというstyleは、ヨーロッパの音楽家達にとっては、至極普通の当たり前の、普通の勉強の方法に過ぎなかったのだよ‼
つまり、「日本の常識、ヨーロッパの非常識」・・・と言う諺、通りにね⁉
ヨーロッパの演奏家達は複数の楽器をソロ活動出来る水準で演奏出来るのが、当たり前だし、そこらの演奏家でも、交響曲やオペラを作曲出来るぐらいの音楽技術を持っているのが、当たり前なのだ。
私の師匠であったGenzmer先生が大学を卒業したばかりの若い頃には、生活のために、日曜日は教会のorganistをして、オペラ座で2ndViolinの奏者をして日銭を稼いでいたそうで、Hindemithのclarinet-concertoを初演した事もあるそうで、現在の地位を得る切っ掛けになったのは、Hindemithの歌曲である Das Marienleben (マリアの生涯)op.27という曲を伴奏するpianistが病気になって、演奏会の前日の夜に、「伴奏出来ないか?」と電話が掛かって来て、楽譜を暗譜しているか否か?を20分で確認してOKの返事をしてから、Münchenの教授の仕事が舞い込んで来たのだそうナ?
proとして生活出来るぐらいに、Pipeorganが演奏出来て、Violinが弾けて、伴奏pianistも出来るし、Hindemithのclarinet-concertoをorchestraで初演したという事は、世界一のclarinet奏者である・・という意味だよね??
超、凄くない??
自分の楽器を弾くだけで、interpretationも出来ない日本の音楽家達とはえらい違いだよな⁉
しかし、この幅が広く奥の深い勉強法は、「広く浅く」・・の学習法では、習得する事は出来ない。
富士山の裾野が、高く広く広がるように、一芸を深く究める事によって、もたらされる知識力なのだからである❗
私は、この事を『性格付け』と呼んでいる。つまり、一つの事を、追求する癖が付いている人達には、分からない事、出来ない事があったら、トコトン出来るまで、分かるまで、追求する癖があるからである。
当然、その事は日常の全ての事に及ぶのだよ。
学校教育のように、最初から追求する範囲を広げては、物事を深く掘り下げて行く事は、絶対に出来ないのだよ❗
広く浅くのdilettante的な性格では、物事を極めるという事は有り得ないからであるよ。
一芸に秀でた人が幅広い知識を持つ事と、学校教育のように、最初から幅広く学習する事は、全く「似て非なる」別の次元の話しなのだよ‼
コメント
純子斉藤
ん?「一般を極めることによって」ではなくて「一芸を極めることによって」なのでは?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
ンだ!!訂正しました。


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6月



6月1日violaの弓の交換に出掛けた ·
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昨日の5月31日は、連日、夜に眠れなくなるので、少し無理をしてでも、体を動かす事にして、長年の懸案であったviolaの弓の交換に、楽器店に出掛けました。体内時計を歩く事で正常に戻す事が目的です。土曜日の夜はちゃんと寝れないと、日曜日のオケ練習に差し支えるからです。
また、31日の金曜日は唯一斉藤先生が、毛替えに出掛けられる日でも、あるからです。
副都心線に乗ったのはよいけれど、なんと、代官山には停まらないので、渋谷乗り換えになってしまいました。何度行っても、渋谷駅の乗り換えは、病人や老人には、とても無理です。
通常ならば、江古田から練馬に逆行してから、代官山の直通に乗ると、一電車で乗り換えがなく楽器店まで行く事が出来るのですが、そうすると、斉藤先生とは、目的地の楽器店での待ち合わせになるので、今回は、池袋回りにしました。電車の中では、色々と打ち合わせもあるし、池袋待ち合わせの方が色々と便利だったからです⁉
まあ、なんとか辿り着いて、楽器店では、社長から、色々と国際的な情報を貰って、今の日本の経済力が、かなり危うい所まで来ているという話を聞いて、(楽器というのは、日本国内ではなく、世界のディーラーと直接取り引きをするからです。)かなり深刻なshockを受けました。昔々economy-animalと世界から批判された日本ですが、楽器の値段も、stradivariusのような大変な高価な楽器ではないはずの、弟子のまた弟子の楽器ですら、ウン千万の値段に吊り上げられて、oldの掘り出し物の楽器が、全くなくなってしまったのだそうです。
それで日本でも、本当の良い楽器がなくなって、imitationの楽器が本物として通用するようになって、私達だったら絶対に買わないような楽器が、とても高価な楽器として通用する事になってしまって、困った現状になっているのだそうです。
今回、私が楽器店に行ったのは、斉藤先生の弓の毛替えと、私のviolaの弓の交換するためです。
violaの弓は、気に入った弓が見つかるまでの、暫定的に使用していた弓なのですが、普通のviolaの弓よりも、ちょっと少しだけ高価なので、その値段の弓は、探すのが難しくて、中々交換出来なくていました。
それ以上に、日本では、「violaの高い弓は全く売れない」・・・という事で、お店も、200本ぐらいの高価な弓を持っていたのですが、全く売れないままに、倉庫の肥やしになっていたので、100万以上の赤字で業者相手に処分したばかりだそうです。
という事で、お店の在庫としては、売れる可能性のある安い弓しか置いてなくて、仕方がないので、そのお店が、Proのviola奏者の人に、貸し出している弓を、急遽、返却して貰って、私の弓と交換してくれる事になりました。
Proのviolaの奏者が、誰かは、いつもの通りに言いませんけど、「気に入って、演奏会で弾いている弓ならば、自分で買えよ‼」と言いたいよな‼ 
だから、返却させられるのだよ‼ あたしゃ、助かったけどね❤💕
私の弓の好みは、ちょいと小うるさくて、「柳腰で、吸い付きが良くて、粘りのある軽めの締まりのある細目の弓」です。
「そういう弓で、安いのがあったら教えて・・・❗」と常日頃、言っていたのだけど、中々見つからないようなので、諦めて今回、交換に行った分けです。アハッ❗
・・・・これは、冗談です‼
今時、そんな弓があったら、軽く一千万は越えますぞよ。
あたしゃ、Proのviola奏者ではないので🎵そんな高価な弓は必要はありません。
私には、「柳腰で、吸い付きが良くて、・・・・・・」の、安物の弓で充分なのでね⁉
斉藤先生の弓の毛替えの間、時間があったので、超、珍しく、社長と色々な話が出来て、面白かったのですよ❗
ちなみに、今回、毛替えした斉藤先生の弓は、本当は私の弓で、斉藤先生の弓は私が普段、弾いている弓です。
私のcelloの弓は、牧野先生が弾いているボアランという名作の弓で、私のcelloの弓はありません‼私はスペアーの超安い弓でいつも弾いています。
という事で、いつもオケ練習で弾いているviolaの弓は、値段的には、結構、高価なのですが、買いに行った時に、気に入った弓がなかったので、暫定的に仕方なく持って帰った弓なので、最初から「気に入った弓が出て来たら交換する」という約束をしている弓なのです。
今回の外出の基本は、私が、歩くのが目的だったので、渋谷駅だけではなく、池袋駅も西武線から副都心線までの超遠距離を歩いて、次いでに、オリエンテーリング用の方位磁石をデパートで探したのは良いのだけど、オリエンテーリング用の方位磁石・・・というのが、幾ら店員に説明も分からないのだよな❗
諦めて、自分で探したのだけど、子供のおもちゃに毛の生えた程度のしか、なくて、諦めて帰りました。
今の子供達は方位磁石なんてものは使わないのかな⁉山や海では、携帯は役には立たないのだけどな?
一度ハイツに戻って少し休んでから、更にドルプリっ歩も行きました。
これだけ、歩いたら絶対に安眠出来る・・・と思ったのだけど❗・・・そうは問屋が卸さないのだよな~ぁ⁉
運動不足と、睡眠は関係なかったのだよな~ぁ⁉
超、shock‼

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6月1日SoftBankとのtroubleが未だ延々と ·
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売り込みがあって、※※光と契約すると、月の契約料金が2千円台で済むので、月々の金額が半分程になるので、喜んで契約をしたのだが、「ハイツの光の配管(電話の配管)が錆びてケーブルが通らない!」という事で、工事が中断して、「管理組合に頼んで配管の工事をしろ!」とかで、毎日のように電話が来るのは、仕方がない・・としても、その電話を20分近く待たされて、状況を説明すると、電話を担当の人に回されて、その間10分程待たされて、また、同じ話をして、それから更に10分程、待たされて・・という事があって、延々と待たされて仕事にならないのが、何回か続いたので、とうとう癇癪を起こしてしまった。
・・・とは言っても、オペレーターの女の子を怒鳴り飛ばしたりは、していないで、自分がイライラしただけなのだよ❗
工事業者が「配管の工事をしろ!」・・と言って来ても、「何処を工事すれば良いのかさえ分からない」し、どこにオーダーすれば良いのかさえ分からないのだから、管理組合も困ってしまうし、私としても、面倒くさいので、Softbank光は一応キャンセルする事にして、元のJcomに契約を戻す作業をして・・・と、今日は朝から2時まで、延々とネットの会社に電話で終わってしまった。
私は、こういう雑用が一番嫌いなのだがね??
後はrouterを梱包して送り返せば完全に終わりだが、その前に次のrouterが来ないと、送れないのだ!
まだまだ面倒くさいのが続く・・!
でも、まあ、オペレーターと話さなくても良いので、楽か⁉
コメント
芦塚 陽二
という事を、めんめんと書いていたら、日曜日の午前6時頃に突然、routerの回線を切られてしまって、netが全く繋がらなくなってしまいました。火曜日の午後にJcomがrouterを持って来るので、それまではrouterを切らないように言っていたのですが、またまた部所が違うという事なのだろうけど、結果、今は携帯だけしか、繋がりません。悪しからず


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6月2日 今日は6月2日の日曜日です。·
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昨日は、「今年も半分過ぎた!」と思っていたのだけど、半分は7月1日だったよね??まだまだ、後一月は前半期です。
明日の月曜日は新月になります。月曜日、火曜日と、お月様は見えないのだよね⁉
今日も、今は、まだ5時です。
今日も、いつものように、ハイツに戻って来て、直ぐに寝たのは良いのだけど、2時・・、4時と、小刻みにtoilette-timeに目が覚めて、ついに4時には、ベッドに戻っても、すっかり眠れなくなってしまいました。
寝付けないと、ウダウダとよしなし事が思い浮かんで来て、鬱が段々と酷くなってきます。
このまま、オケ練習に行くと、結構キツいのよね⁉
昨夜は、ドルプリっ歩の最中の時から、すでに鬱になる兆候があったのですが、目が覚める度に、鬱が酷くなって来て、鬱が酷くなった時には、これまでの人生が全て無駄に思えてしまいます。
何もない人生は、それなりに幸せなのですが、人は何もなければ、より多くの幸せを求めて不幸せを招いてしまいます。
より大きな幸せを求める事で、今の幸せさえも犠牲にしてしまうのですよ⁉
人間とは、不思議な生き物なのですよね??
仏教ではそれを「足りるを知れ」という言い方をします。
コメント
芦塚 陽二
朝の6時半ぐらいですが、パソコンでFacebookを書いている最中にSoftBankのnet回線を切られしまい、文章がupload出来なくなってしまいました。
Jcomがrouterを持って来る火曜日のお昼まで、Facebookを始めとして、携帯を除く全てのnetへのuploadや、mailでの会話が出来なくなって、communicationがstopしてしまいます。
私のせいではないので、悪しからず‼
ちょうど、新月で、お月様もお隠れになって、見えないし、だから、netも通じない・・・という事で良いのかな⁉
良い事にしておきましょう❗



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6月4日 ·
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相も変わらず、携帯から写真をuploadしようとすると、グルグル回って写真が送れない!!質問をしても返って来ない。幾つもの写真とmessageが一緒にぐるぐると回っていて、削除も出来ない❗何度かは、出来たのだが、どうしても、その画面に辿り着けない‼

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6月4日摂眠障害が治らない ·
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6月に入ってもう4日になるのに、摂眠障害が治らない・・というか、体調不良が治らない!!
仕方ないのかな??
加齢という事とで諦めるか・・??
それにしても、月曜日、火曜日と、ベッドから起き出しても、昔のように直ぐには、仕事にならないのだよな??



少しでも体調を良くするために(腸内環境を整えるために・・)、ヨーグルトを買って来て飲んでいるのだが、焼け石に水・・て所かな??
ヨーグルトは結構高いので、成分無調整の牛乳と、甜菜オリゴ糖を加えて、飲んだ分のヨーグルトを作っているのだが、いつものように、ヨーグルトを作っていたら、爆発して、絨毯にも散ってしまって、染み込んでしまっていて、後片付けが大変であった!
溢れないように、少しゆとりを持たせるのと、栓をしないように、気をつけてはいたのだが、どうやら、うっかりと、栓をしたらしい。
今日、火曜日はJ-comが工事に来るのだが、朝一で来てくれるのは良いのだが、そのために、pressureで、とうとう昨夜は眠る事が出来なかった。
このまま寝ると、朝の9時前に、J-comが来ても起きれないので、そのまま、起きて部屋の掃除機掛けと洗濯機を回して、練習風景の動画をYou Tubeにuploadした。
約束の時間を指定されると、それがpressureで眠れなくなってしまうのは私の癖で、いつもの事なのだが、それにしても、困った事だよな~あ??
毎週、日曜日のオケ練習の前日の土曜日に眠れないのも、次の日の出発の時間のpressureのせいである事は分かっているのだがね??
起きたばかりの時には、意識が朦朧として、日本食堂の朝食すら、口には入らない。(ご飯一膳と、生卵、納豆、と味付け海苔に味噌汁一杯、梅干し一つ・・てな感じかな?小さな開きが付く事も有る。)
せいぜい私が朝食として食べれるのは、紅茶にパンぐらいが関の山だな。
お昼になって、やっとお茶漬けや冷たい蕎麦ぐらいは食べれるのかな?
・・という事で、前日の夜のお刺身を持って帰って、鯛茶漬けを作る予定だったのだが、白いご飯はハイツで、糖質offのご飯が炊けるので、「自分で炊くように!」と、言われて持って帰らなかったのだが、無洗米では炊けないので、普通の米を研ぐ所からなのだが、その作業が、寝起きで体が動かない時には、とてもかったるいのだよな??



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6月5日6月5日の朝のお話です。 ·
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このところ、体内時計が狂ったままに一日が終わる事が多くて、今日も、眠れぬままに一日中寝込んでいて、一日中雑用を片付けている・・という、一日の始まりも終わりも分からない日々を続けているのだが、今日も、その一日の終わり・・というか、眠れぬままに朝になってしまって、その朝に不思議な夢を見た。
旅行をしている先で、突然、泊まる予定の場所に泊まる事が出来なくなって、仕方なく、知り合いのhotelに行って見たのだが、「予約がない」という事で、にべもなく宿泊を断られて、ロビーのソファーに座ったまま、時間切れで、接客係が帰ってしまい、ロビーに誰も居なくなってしまって、何処へ行くあてもなく、途方にくれていると、従業員の人達が無数に出て来て、大騒ぎをしている。
どうやら、従業員の誰かが居なくなったのか・・、自殺をしたらしいのだが、私には、関係のない事なので、大騒ぎをしている話しの内容が分からない。
ただただ大変な事になっているらしいのだが、私には無縁無関係という事で疎外感に苛まれているという、そこまでの夢である❗
いったい、なんのこっちゃ⁉
夢の意味がよう分からん‼
まあ、そこの所が夢なのだろうけどね⁉
鬱と、たった一人で、何処にいるのかさえ分からないという孤独感と寂寥感に心が溺れて、息苦しくなって、そこで目が覚めてしまった。
なんと、「眠れない、眠れない❗」と思っていたのに、いつの間にか、外は白んでいるのだよな❗
「外は白んでいる❗」・・・というのは、これは夢の中の話しではなくて、現実の話しだよ。
「眠れない」・・と思っていたのだが、なんとなくは、仮眠はしていたのだよな・・⁉
・・だからの「夢現(うつつ)」なのだよな⁉
現実でも、あまりにも息苦しいので、窓を開けて空気を取り込んで見たのだが、ふと、「息苦しいのは、空気が重たいせいでは」・・と、気が付いて、netで練馬区の湿度を調べて見たら、夜の3時でも湿度は83%もあったそうで、現在の、朝の7時から8時でも79%以上もあるらしい。
私は暑さ寒さは結構平気なのだけど、昔から湿度だけは弱いのだよなぁ。
アレルギー性とでもいうのか、湿度で肌が真っ赤に腫れ上がって、ケロイド状態になる事もよくある程なのだから・・・!!
特に、東京の梅雨の時期は、ベタベタ感が強くて、超、苦手なのだよな??
九州の梅雨はもっと優しい。
さらっとしていて、爽やかで、ベタベタ感がないのだが、今現在では、温暖化で、超高温多湿の気候になっているらしいので、今ならば、もう、耐えられないのかも知れない❗
私が長崎に居た頃は、クーラーなんて高価なものはなかった❗
東京の梅雨の時期はベタベタとしていて、しかも寒い❗
クーラーは、除湿を掛けると部屋の温度が下がってしまう。
高性能のクーラーならば、部屋の温度を下げないで、湿度だけ下げるタイプもあるようなのだが、ハイツの部屋のクーラーは、古いタイプのクーラーなので、そんなに高性能ではないので、除湿をすると寒くてかなわない!
・・・・と言う事で、コンビニ・クーラーのお出ましになる。
部屋の湿度を取りながら、排気で逆に部屋を温めてしまうので、結果、温度はそんなには下がらない。
安かろう!悪かろう!が、逆に良い結果を産み出しているのだよな⁉
コロコロで部屋をあちこち移動出来るので、それも便利だ。
それにしても、今日は寒い❗
腰から下が悴んでいる❗
コメント
芦塚 陽二
体調不良を梅雨のせいにしかけて、ふと、気がついたのだが、昨日までは実に爽やかな天気だったのだよな⁉
やっぱり、鬱を天気のせいには出来ないらしいのだよな⁉それは残念!!アハッ❗


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6月6日6月6日の6時を過ぎた所です。 ·
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6月に入って、体内時計が狂い巻くって、体調も思うようには行かず、鬱も酷いし、よく眠れないので、当然、仕事の効率も落ちています。
「どれか、一つだけでも上手く行くと、随分、楽になるのでは・・・・」と、思っているのですが、中々上手くは行かないので、苦労しています。
まあ、散歩だけはサボらないで続けてはいるのですがね・・??
鬱や、体調不良も、基本的には、糖尿病がその根本的な原因で、私の場合には、父方、母方の双方が、当然、糖尿病の家系です。
糖尿病を治す基本は、当然、dietなのでしょうが、私も、これまでに、今回と同じ体重までは、落とした事が、3回も、あります。しかし、3回共、この壁を乗り越える事に失敗していて、reboundして、挫折しています。
今回も、昨年の暮れから、半年以上も延々と、同じ体重の付近を上下するだけで、1㌘さえも、この壁から越える事は出来ないので、悩んでいるのですよ‼
今回は、3年前のdietの時とは違って、立て続けに大病をして入院、手術をしたので、先生達に手伝って貰って、超、食事制限の糖質制限dietをしています。
食事の献立を野菜系にして、肉は・・等々の料理を作る側にとっては中々難しいdietです。
しかし、やっぱり、同じ体重まで痩せると、ピタッと止まってしまいます。
丁度、1年前の7月から、病院を変えました。
それまでは循環器の専門の先生の所で糖尿の薬も処方して貰っていたのですが、循環器内科はやめて、糖尿の専門の外来に行く事にしました。
最後のdietの時の話しですが、郷里の母親の家の整理や処分ですっかりと体調を崩したので、それを契機に一年がかりで、体重を落としたのですが、血糖値の値がどうしても下がらず、血圧やその他の薬を変えたのですが、それで体重がすっかりとreboundしてしまって、それを再三に渡って、先生に言っていたのですが、気に掛けて貰えなくって、すっかりreboundして、元の体重に戻ってしまったからです。
今かかっている主治医は、練馬区では結構有名な、糖尿病に関する著書が何冊もある権威のある先生なのですが、困った事に、adviceとしては、「痩せろ!」としか言っては貰えません。つまり、「どうすれば痩せるか?」という問いには、答えて貰う事はなく、相も変わらず、「食わなきゃ痩せる」の20年、30年前から、一歩も進歩してはいないのですよ。
・・という事で、最新のベストセラーのdietの本や、糖尿病の本を、牧野先生に買い込んで来て貰っているのですが、超、困った事に、それぞれの本が、全く相手のdiet法を否定して、「自分のやり方だけが正解で正しい!!」・・と豪語する事なのです。
糖尿病とdietブームなのでしょうか、テレビでも最新の方法論を毎日のように放送していて、全く何が正しくて何が誤っているのか・・ちんぷんかんぷんな状態です。食べて良いものや、食べたら毒になるもの、が毎日変わってしまうのですよ。朝、ダメだと言われて注意していた事が夜は、それが最良だと変わる事すら、しょっちゅう、あるのですよ。
肥満に対するadviceは、食事制限と運動なのでしょうが、運動は私の場合には心臓のbypass手術以降は、止められています。bypass手術の後で、先生に運動をするように言われて、ジーグとカノンの散歩に付き合って体調を崩して、ひとつき寝込んでしまいました。先生の言う通りに、普通に運動したつもりだったのですが、怒られてしまいました。
つまり、日常で出来る軽い運動しか、やってはいけないのだったのですよ。
コメント
芦塚 陽二
それにしても、昨日とはうって変わった絶好の洗濯日和だよな⁉湿度もなく、超良い天気だ❗
しかし、この気候の激変に体がついて行かないのだよなぁ⁉
まあ、洗濯でもするか⁉
洗濯器で2度洗い、3度洗いになっているものもあるし、・・・な😜


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6月6日深夜におばあちゃんの声が ·
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どうしても、眠れないので、諦めて「仕事modeに切り替えるか??」と、寝室を出ようとしたら、「**~??」と、お婆ちゃんの声が聴こえた!!
「これは幻聴か??」・・それとも、独居老人の孤独で、「とうとう認知症になったのかな??」と言う事で、寝室に戻って、doorの所まで歩いて行って、音の場所を確かめたら、doorの縁の所で、畳がキシキシとして、丁度、お婆ちゃんの声のようなキシミ音がした。
「幻聴の原因はこれか??」と安心した。
つい、先日も、玄関のdoorのキ~キ~音がまるで、あばら家の戸のように、酷かったので、「近所迷惑だよな?」と言う事で、CRC556 で音止めをした。
畳からの音は、近所迷惑にはならない・・とは思うのだが、あまり、良い気分ではないので、キシミ止めのsprayでもするか??
勿論、CRCではなくって、家具用の家具を滑らせるためのsprayなのだけどね??
それはそうと、昨夜は斉藤先生の誕生日だったので、夕食は誕生日の打ち上げを兼ねて、飲みに椎名町の駅周りまで、出掛けました。








・・と言う事で、今日用のお弁当の持ち帰りは無いので、帰りにスーパーに寄って、アサリを買って帰りました。
なんとなくアサリの酒蒸しが食べたかったからで、根拠はありません。
普段とは違って、レンジでチンの(私のレシピではない、)netのレシピで作って見ました。
たまには違った味で作って見たかったのだけど、お酒の他に、みりんやニンニク、生姜に醤油まで入れるので、「エ~ッ??」とは思ったのだけど、「たまには私以外の味も良いのかな?」と思って作って見たけれど、「やっぱ、俺の味じゃあ、無いわサな~ぁ??」無理矢理に作った味で、アサリ本来の味がしないし、アサリのスープでお澄ましを作ったり、雑炊を作ったり・・という事が出来なくなっているのだよ!スープの色はお醤油で黒くなっているしね~ぇ??
超、勿体ないよな~ぁ??
私の場合は、超simpleでお酒だけの味付けで、お酒はアサリをふっくらさせるだけで、味には関係ないし、スーパーに売ってあればカニを入れて味を出すぐらいなので、そのまま雑炊やお吸い物が作れるのだよ!(最後のタッパーの写真)
勿論、スープの色は白濁しているけれど、それがアサリ本来のスープの色だよな??
今の人達には、私のお酒だけの味は、薄味過ぎて、美味しくないのかな??
でも、教室の子供達は、結構、教室の薄味の料理は好きで、薄味の料理も「美味しい!」と言ってくれるのだけどね~ぇ??
コメント
芦塚 陽二
書いた文章がまたまた、全部ぶっ飛んでとんでもない事になっていたので、編集履歴から最後の一つ前の文章をコピペして、それから最後の文章の手直しの部分をコピーしました。ああ、超、面倒くさい!!これで、なんとか元の文章に戻ったのかな??・・かな??・・・かな???


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6月8日写真のuploadが ·
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以前は、携帯で撮影した映像を、そのまま直接、携帯のfacebookや、lineにuploadしていたのですが、それが、たった一つの写真でさえも、直接は、uploadする事が出来なくなってしまいました。
それで、一度、写真のdataをパソコンに持って行ってから、Facebookやlineにuploadをしていたのですが、それはとっても面土くさくって、なんとか、携帯の写真を、直接Facebookやlineにupload出来ないのかを、携帯の設定を色々と変えて、試みて見たのですが、何をどう、変更しても上手く行きませんでした。
以前は、駅のすぐそばに、auのshopがあって、色々と携帯の不具合の相談に乗って貰う事が出来たのですが、とっても混雑しているお店だったのですが、経営の合理化なのか、お店がなくなってしまいました。
という事で、仕方なく、netで、質問を掲載して、かたっぱしから試して見て、少しは携帯の動作が改善したので、そのテスト用の写真のuploadの写真です。

   





写真は、椎名町の家の前の駐車場周りに、勝手に自生してくるドクダミで、毎年、何度も、根っ子から引っこ抜いても、次の年には必ずこのような状態になります。曼珠沙華のような美しい花は、間違えて切ってしまうと二度と咲いてくれないのに、ドクダミは、兎に角強い!!
20年、30年前ぐらいまでは、ドクダミやスギナを干してお茶を作っていたのですが、昔、ドクダミ・アレルギーの生徒がいたので、作らなくなってしまったのですが、それ以来、この20年以上、一度も作っていません。


作らなくなってしまったら、もう一度作り始めるのはかったるいのでね??
テストの結果は、やっぱり、Galleryからは、lineやFacebookには写真が送れなかったので、逆にlineを開いて、lineから写真を取り込んだら、上手く取り込めました。
それにしても、いずれにしても超面倒くさいので、現実的ではありません。
写真の端しっ子に写っている有田焼きの火鉢は、お茶で母が使っていたものですが、(茶室には、囲炉裏があるのに、何故・・・?)私はお茶はしないので、何に使っていたのかは、分かりません。
東京に、わざわざと持って帰って来たのですが、それにしても、火鉢を置くスペースもないので、椎名町の玄関で金魚の水鉢になっています。


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6月8日ブラインドが壊れて ·
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6月も、とうとう最初の1週間が終わってしまいました。
後、3週間で今年も半年が終わる・・という事です。
いつもならば、摂眠障害で悩んでいるのですが、今週は、一日中起きれなくて、ウダウダと惰眠に蝕まれていて、仕事にならない1週間でした。
朝は窓のブラインドを開いて、朝の光りを浴びるように気を付けてはいるのですが、体内時計のリセットには、なんの効果も見られないようです。
眠れないのも辛いのですが、起きれないのも結構辛いのですよ。
特に、仕事が捗らないのは、結構、痛い❗
それはそうと、随分前にブラインドを注文を出したのに、まだ着きません‼
江古田ハイツの窓のブラインドは、まだ壊れたままのブラインドで、窓を全開に開ける事が出来ません。
早く着いて欲しいのだけど・・・⁉



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6月8日水のお話 ·
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今日、土曜日の今現在は朝の10時ですが、練馬の気温は20℃、湿度80%の鬱陶しい天気です。
湿度80%は、私にとっては体に湿疹が出来る湿度で、除湿機を入れなければならない気温なのですが、まだまだ、ベッドの上で鬱っています。
湿度が高いと、鼻詰まりが酷くなって、寝ていても、呼吸が出来なくなってしまい、疲労感が取れず、なにか動く事もままならなくなってしまいます。
寝ていると、息が出来なくなって、ベッドから飛び起きる事がよくあるので、私が一番嫌な事は、「海で溺れる事」かも知れません。
尤も、私は「潜り」は得意で、素潜りで10㍍ぐらいは潜れました。(高校生、大学生の時代の話ですがね??)素潜りで、一番危険な事は、海の中では、超冷えた水の固まりがある事です。うっかりと、その中に入ってしまうと、心臓麻痺になったりします。
ドイツに留学したばかりの頃、よく湖で游いでいたのですが、すぐ傍で游いでいた若者が、ボートが横を通って、水を掻き回してしまったので、心臓麻痺で、死んでしまいました。
湖は、水が動かないので、人が泳げる温度は水面から30㌢くらいまでしかありません。
海でも、全く流れない所は結構危険なのです。
海で潜りをする子供達は、下着を着て、ズボンを着たまま潜ります。下着一枚でも、冷たい水が直接体に触れないから、心臓麻痺の予防にはなります。
私の子供の頃の時代には、学校にはプールはまだなく、学校で水泳を学んだ分けではないので、私の泳ぎ方は、正式な泳ぎ方ではなく、近所の海で、漁をしながら覚えた泳ぎです。
ですから、クロールのようなかっこいい泳ぎは私は出来ません。
兄弟縁者達は、毎週ホテルで泳ぐ事を日課としていたようですが、私はセレブでは無かったので、私が泳ぐと言ったら、海や川で魚か貝を調達して来て、晩の食事に当てる事でしたからね??
私の鼻詰まりは、中学生の頃からで、大学病院や原爆病院で、何度も診察を受けているのですが、点鼻薬を貰うぐらいの処方しかして貰えなかったので、今は市販の点鼻薬を買って間に合わせています。
寝ていても、息苦しいので、気は心で、医療とは関係はありませんが、stick状の水素発生器を買って来て、ペットボトルに浄水を3/4程度入れて、ボトルの中の空気を完全に抜き切るまでボトルを潰して、栓をして、冷蔵庫に1,2週間入れて置くと、水素水が出来上がります。
水素水はスーパーやドラッグストアで買うと結構高いので、自分で作ると安くて良いです。
それを息苦しい時には、お茶の代わりに飲んで見ると、結構、呼吸が楽になります。
全くの根拠はありませんが、「**の**も、**から」という諺もあるようだしね~??
(※※は、結構色々な言葉が当て嵌まって、どれでも良いようだったので、敢えて、伏せ字にしました。洒落です。洒落‼)

コメント
芦塚 陽二
天気予報では、大雨になる・・・と言っていたのにもかかわらず、どんよりとした鬱陶しい雲のままに、寒い・・だけど、湿度の高いままに、一日が終わりました。梨紗も今日はコンサートと教育実習を一日でこなす毎日がやっと終わって、季節の変わり目からなのか、珍しく(・・もないか?)体調不良を訴えていたので、「季節について行かないのは、私だけではないのかな?」と、少しホッとしました。
体調不良も季節のせいに出きれば、気分も楽になるからね⁉
それはそうと、深夜になって(夜の3時過ぎになって・・)、大雨になってきました。明日のオケ練習が・・・???


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6月9日 暖房が入った·
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6月の9日、朝の9時半です。

定型の千葉教室へのオケ練習に出掛けるための準備をしている所です。
昨夜の大雨はなんとか収まったようなのですが、相変わらずのどんよりとした天気で、それにしても、湿度が高いので、部屋のクーラーを「おまかせ」で入れたら、なんと暖房が入ってしまいました。

慌てて、練馬区の気温を調べると、なんと、最低気温が16℃です。
びっくりして「おまかせ」から「除湿」に切り替えました。


体調はこの天気のようにどんよりとして鬱が起きる寸前の感じです。
この十日間、体調管理が上手く行っていなくって、今日の練習は、最後まで体力が持つか心配です。


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6月9日霧雨の中をポンチョも着ないで ·
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6月9日のオケ練習後の椎名町からの帰りは霧雨が降っていたのですが、着替えるのが、面土くさかったので、そのままの格好でバイクで帰ったのですが、実際にはポンチョかレインコートを着なければ、無理な霧雨でした。
走っている間に、下着にまですっかりと雨が浸透して、びしょびしょになってしまいました。
超、寒くて、バイクを運転する手が悴んでしまった事に、すっかり驚いてしまいました。
これまでの暑さは何だったのだろうか⁉
その温度差に驚かされるばかりです。
部屋に、やっとこさっとこ、なんとか辿り着いて、練馬区の気温を調べて見ると、気温は16℃で、湿度は94%だそうな??
ほぼ、100%だなゃ⁉
ベッドや畳が湿気を吸って、じめじめしてくる湿度です。
部屋に入って一番に、コンビニ・除湿機のスイッチを入れました。寝る準備をしている間に、ベッドを乾燥させるためです。
それにしても、今日は一日中、湿度との戦いであったような気がします。
朝、起きて、体調不良のままで、体が良くなっていない事と、鬱が起こりそうなので、予定よりも一時間早い時間で行動を開始しました。
体調不良や鬱が酷い時には、無意識に時間が飛んで、予定時間を過ぎてしまう事がよくあるからです。
歳を取ってからは、一生懸命動いていても、体が全く動かない・・・という事がよくあるからです。
でも、高速は空いていたので、予定通りに一時間早く千葉の教室に到着したので、時間を潰しがてら、近所の行き付けの蕎麦屋に行ったのですが、相変わらず行列が出来ていて、諦めて花園教室に帰りました。
今の所、蕎麦屋で食べる勝率は2割って所かな⁉
花園教室から検見川教室に移動して、オケ練習を開始したのですが、前回のオケ練習の時、同様に、私一人だけ汗をかいていて、頭がくらくらするので、熱中症のような感じです。
soloをしている子供だけが、私と同様に「暑い❗暑い‼」と、言いますが、他の生徒達や先生達も「寒い❗」を連発しているので困ってしまいます。
クーラーを、除湿にしても「寒い!」と言うので、とうとう暖房にしてしまいました。(6月だよ‼)
まじ、この時期は空調のcontrolが上手く行かなくて、困ってしまいます。
オケ練習の最中の、私の体調管理も上手く行かなかったので、諦めて、オケ練習は予定よりも、30分早く終わらせました。
しかし、だからといっても、私達が早く東京に帰えれる分けではありません。
子供達のお迎えの時間は、決まっていて、それは変わらないので (・・・練習の時間変更が決まってからは、保護者の人達に急いで連絡しても、お迎えに来る時間までには、間に合わない・・からです。)、練習の最後のprogramである、室内楽の「死と乙女」は、逆に、お迎えの時間までたっぷりと、練習時間を延長して練習をしました。良かったよね⁉
その間、私は、前回同様に、椅子に座ったままで、意識薄濁混濁朦朧状態になっていましたが、椅子に座った状態だったので、体中が痛んで大変でした。
頑張って、車を運転して、東京に帰って、食事が終わるまでは、なんとか頑張ったのですが、流石に、ドルプリっ歩に行くのは、「体力の限界」という事で、パスをしたのだけど、プリやドル達は、「何故、一緒に行かないの⁉」と言う怪訝そうな顔をして見つめていたので、その視線が、結構、痛かった❗・・・のですよ⁉
先週は、今回と同じ、日曜日の超、hardなroutineでも、散歩には、付き合ったからね⁉




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6月10日音楽は感性であり、才能である???
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「音楽は感性であり、才能である」・・という把握が一般的であろう。
しかし、そういった考え方が、音楽の勉強と進歩発展を阻害している事は、誰も気づかない。
まあ、こういった感覚的な学びの方法論は、日本のtraditionalな傾向であり、それが世界、所謂、global-standardに立ち遅れている原因にもなっている根本的な原因にもなっているのだから・・・。
或る時に、音楽家の人から、「人間はどれくらいの音符まで判別可能なのですか?」という類の質問を受けた。
何分の1秒の音符を聴き取る事が出来る・・という質問に答える事は、正しくは無い。
それは、聴音で、訓練された学生と、一般的な音楽だけを学んで来た人達では、その能力は雲泥の差があるからなのだよ。
つまり、判別をする対象になる人を「pro」と定義するのか、「amateur」と定義するか?で、全く違った答えが返って来るからである。
この質問に一般的な回答をするのは、簡単である。
それはMetronomに拠る、tempoの定義で、一般化、普遍化する事が出来るからなのだ。
Metronom=60とは、1分間に60個のbeatを打つ分けなので、言い換えると、1秒間に1個のbeatを打つ。
Metronomで脈を計る事も出来るのだよ!アハッ!
音楽初心者の教材であるBeyer教則本の卒業課題では、16分音符が4分音符=120程度で弾かれるように指定されている。
Metronom=120とは、1/2なので、16分音符が演奏の単位ならば、その速度は8分の1秒・・、つまり、1秒間に16分音符が8個入る事になるのだよ。
Beyer教則本の86番からの課題は指回しの課題である。或る程度の速度で演奏出来るようにしておかなければ、次のBurgmüllerやCzernyの課題に進む事が出来なくなってしまう。100番代では、120が無理でも100のtempoでは、弾けるようにしておかないと、次のstepには進めないのだよ。
Beyer教則本の次の教材であるCzerny30番の教則本では、36分音符が出て来る。
単純に計算すると、1秒間に36個の音のcontrolをしなければならない。
でも、これでも、「音楽をお稽古事として学んでいる子供達」の課題に過ぎない。
同じ小学生、中学生であったとしても、音楽を専科として学んでいる子供達の水準は、とても比べられるものでは無い。
私が音楽の初歩の子供達にPianoを指導する時には、子供達の負担を軽くするために、Czerny30番を2回lectureする。
一回目は、ミス無く、安定して弾ける所までが課題である。
二回目では、Czerny30番で教則本に指定されているMetronomのtempoで演奏をさせる。勿論、2回目なので、暗譜は出来ているし、ミスも無く弾ける分けなので、課題はtempoだけなので、難しくは無い。
Czernyの指定したMetronom-tempoで演奏が出来るようになれば、40番や50番の課題は必要ない。いきなり、Lisztやchopin、Rakhmaninovの曲に飛ぶ事が出来る。
Czerny40番や50番は課題自体は同じであり、曲の長さが長いだけなのだから・・・である。
と言う事で、もしproを豪語するのならば、1000分の1秒の音ですら、問題なく聴き分ける能力がなければならないのは自明の理である。
人間の能力は素晴らしいものがある。
開発された能力を見ると、奇跡としか見えないのかも知れないが、そうなると、世界は奇跡に満ちているのだよ。
ほんと、どれ一つを採っても奇跡だよな??
でも、努力がなければ、奇跡は存在しないのだよ。
努力の無い所に存在するものは、奇跡に見える・・偶然なのだよな?
「奇跡と偶然はどう違うのか??」って??
そりゃあ、当たり前の事だよ!!
偶然は一度しか起きないけれど、奇跡は、何度も繰り返し、起こす事が出来るのだよ!!
コメント
芦塚 陽二
またまた、パソコンで、文章が入力出来なくなってしまいました。windows10を閉じて、windows7を開いて入力をし直しています。
文章を入力する度に、下に空白の段が出来るので、超、面倒くさいのだけど、まあ、入力出来るだけでもマシか??


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6月10日VivaldiのConcertoの和声のtrick ·
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昨夜は、SDcardをハイツに持ち帰りするのを忘れたので、昨日のオケ練習の動画を作る事が出来ず、今日は朝から延々とウダウダと雨の中をSDcardを取りに椎名町まで行くのを、悩んでいたのですが、翌々考えて見ると、普段でも、月曜日、火曜日は寝込んでいて、いつも仕事にならないので、今日は潔よく、SDcardを取りに行く事は諦める事にして、代わりに昨日のオケ練習で説明した、vivaldiの超!大胆な和声法を五線譜(大譜表=Piano譜)に書き直す作業を先にする事にして、お茶を濁す事にしました❗
Vivaldi Cello-concerto in Sol Maggiore RV415(F.ⅢNo.22)Ⅰ楽章(4小節目から8小節目の頭まで・・と、27小節目から31小節目まで)
1段目と3段目の所謂、violaを省いた形では、とても美しいbaroque風の均整の取れた響きがします。
1段目と2段めのviolaを加えた形は基本的に同じharmonyです。
当然、通常ならば、ritornello形式なので、4小節目からのpassageと、27小節目からのpassageは、全く同じpassageであるはずなのですが、(3段目のviolaを省いた形では、そのようにbaroque風に単純に繰り返されています。)
しかし、Vivaldiは、27小節目から31小節目までの繰り返しのpassageの和声法では、violaのpartを新たに、新しい7度harmonyの要素を加えた現代風の和声法を使用しています。
そこでは、当然、とんでもない現代的な響きがします。
どうして現代的な響きがするのか、分かり易いように、5段目にviolaのpartを上のpartに、一緒に書き込んだ簡略譜を作って、使用されている和声が分かり易いように書き直して起きました。
それぞれのレイヤーの音符の動きが、色音符になると、もっと分かり易くなると思うのですが、色音符はfinaleでは出来ないのかな??
上2声部の典型的なbaroque風の繋留音のSequenzに対して、Baßは3度下がって2度上がる・・というSequenzです。更にそれらに対してviolaは5度下がって4度上がるという典型的な5度サークル(quint-Zyklus)のSequenz進行をしています。
そのbaroque的なone-patternの和声進行が、とんでもない現代的な響きを作っている所が、流石は「viva!! Vivaldi!!」です。
(和声の勉強をしている人達へのadviceです。)
非和声音を含めると和声が成り立たないので、和声を考える時には、非和声音を省いて和音を見ると良いのです。
3段目のviolaを省いた簡略化された譜面を見ると、良く分かりますが、単純な3度の中に、繋留された音が紛れ込んで、ミ、ファ、ソと隣り合った音が同時に鳴ってとんでもない響きがします。
それが次の和音で3和音に解決をすると、突然、前の和音の緊張感が崩れてしまいます。
つまり、3段目の譜面は、緊張感の持続という事では、実際には、正しい回答にはならないのです。
Hindemithの現代harmony法では、和音の緊張感を持続させる事が基本とされます。
300年近い昔に作曲された、このVivaldiの和声法でも、Hindemithのharmonyと同様に、非和声音に拠る強い響きの後に、7度のharmonyを持って来る事に拠って和音の緊張感という比重を均等にするように配慮しています。
つまり、3和音なのに、非和声音で鋭い響きがするようになった和音のpassageを、次に、7度の和音を持って来る事に拠って、3度の和音と和音同士の比重が同じになるように計算されているのです。
分かり易いように5段目に和音進行を書き直しておいたので、良く見てください。
Vivaldiの単純だけど、非常に優れた和声法を見てとる事が出来ます。
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6月10日interpretationのお話
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教室を作るず(づ)~と前の昔々の話しになるのだが、その頃、小さな子供の頃から芸大の先生に師事していた女の子で、私の所には楽典や音楽理論を学びに来ていた生徒なのだが、彼女のたっての頼みで、BeethovenのSonateの下見をする事になって、lecture-lessonをしていたのだが、その生徒が或る時に、息を弾ませて私の所にやって来て、「先生と全く同じinterpretationのpianistを見つけました。」と言って、recordを持って来た! (何と、当時は未だrecordの時代だったのだよ!)
二人でrecordを聴きながら、「次の小節はPianoにして!」とか、「次はfeintを掛けて!」とか言いながら、そのようにその演奏家が弾いているのを聴いて、二人して、ケタケタと笑っていたのだよ!!
しかも、その演奏家は、「情緒的・感情的に演奏する」・・という事で、悪評のあるArtur Schnabelという名演奏家なのだ。Schnabel版という彼の校訂した版があるくらいの、Beethoven弾きとして有名な演奏家である。
「笑った!」というのは、その悪評の「情緒的、感情的な演奏」が、私のinterpretationと全く同じで、まるで私のlessonを、copyをしたように、解釈が一緒だった・・と言う事なのだが、視点を変えて解釈すると、・・「それが同一の解釈になる」・・と言う事は、Schnabelの演奏が、一般の人達(この場合の一般の人達というのは、海外の音楽界の著名な評論家を含めて・・という話なのだが・・)が言うように、「Schnabelの演奏は、感情的で、情緒的で刹那的な演奏である」とすると、よその国の歳も違う私の解釈と全く同じになる分けはないのだよ。
つまり、・・・だから、実際には、Schnabelは、「あたかも、情緒的で感情的なように表現して、演奏しているのに過ぎない」のであって、曲に対しての解釈自体は、論理的で、理性的、理知的な分析に拠る、演奏表現・情緒的な表現にである・・と言う事なのだよ。
※)舞台での演奏表現については、別項目で述べる事にする。
Artur Schnabelに関しては、今、現在でも、情緒過多の表現をする感情型の演奏家として、把握され、理解されていて、頗る論理性に欠けた、情緒的・感情的な演奏家とされているのが、日本だけではなく、海外でも今でも一般通念である。
私がBeethovenのSonateを作曲家としての立場から、論理的に分析し、そのBeethovenの作曲技法から、このSonateはかくように弾くべきである・・と主張する演奏法の解釈と、Schnabelの解釈がcopyをしたように、同じである・・と言う事は、Schnabelが決して、情緒的・感情的な表現に溺れる演奏家でない事は、自明の理なのだが、相も変わらず、未だに、Schnabelがそういう評価を受けている事は、私に取っては、理解不能である。
何度も繰り返しになるのだけど、感情過多の表現が、他の人のinterpretationと共通の認識になる事は有りえ無い事だからである。
そのお話を何度も繰り返した意味は、古楽の研究をするようになって、こんにちに至って、非常に優れた古楽器奏者が出て来るようになって、喜ばしい反面、非常に困る事があるからなのだよ。
それは、You Tube等で聴く優れた古楽奏者の演奏が、私のinterpretationと全く同じ解釈・・という演奏を多く見受ける・・と言う事なのだ。
古楽の演奏の世界は、1990年頃からの、未だ、未発達の若い分野なのだが、古楽器の研究者は、未だにtraditionalではなく、時代の最先端の研究家であり、そのために、古楽器の演奏家は、同時に古楽の音楽の優れた理論家である場合が多いからなのだ。
それは、古楽器の演奏自体がtraditionalではなく、未だに最先端の研究に属しているからなのである。
つまり、古楽器奏者が、情緒的・感情的に演奏しようとも、古楽器の演奏法自体が、論理的なinterpretationに拠って、導き出されたものであるから、当然、どのように、情緒的・感情的な解釈を加えたとしても、根本的な基礎の部分では、理論的に導かれた上での音楽的な解釈である分けなので、一見すると情緒的な演奏に見える演奏であったとしても、interpretation自体は、古楽器を研究する我々と共通の認識になる事の方が多いのだよ。
つまり、古楽器奏者の音楽の解釈の場合には、その奏者の個性や情緒に拠るものではなく、論理性に拠るからなのだ。
Vivaldiを生徒達に指導していて、模範演奏を探していると、時折、困ったぐらいに同じ演奏をして来る団体を見る事が出来る。
しかし、未だ有り難い事に、非常に優れた演奏団体であったとしても、曲のinterpretationは、包括的には確立されてはおらず、未だに、一曲毎のinterpretationであるので、同じ演奏団体であったとしても、一律に曲のinterpretationの水準がキープされている分けではないので、「Vivaldiの演奏、解釈ならば、**の演奏団体がbest-choiceである」・・と言う風に、演奏団体が特定される事は、未だにないので、教室の生徒達の演奏の価値も未だにあるには有るのだが・・??
しかし、それが一般的になって、独自性や、価値が無くなってしまったら、私のinterpretationの必要性は、全くなくなってしまったりして・・・アハッ
それも、困ってしまうよな~?
コメント
芦塚 陽二
今回の「秋の発表会」の演奏では、子供達は、Vivaldiのe moll(Il favorito)や、Vivaldiの四季の「秋」の演奏では、紗來ちゃんが、soloのViolinを即興風に演奏をする事に挑戦する。
「秋」の場合には、basso continuoのCelloとCembaloも、一緒にtempoを揺らすのでensembleとしてのgroupとしての練習が必要なのだが、美音ちゃんのVivaldiのViolin-concertoの「Il favorito」の2楽章の場合には、ostinatoの「ViolinⅠとⅡとviola」のsoliが、tempoを揺らす事無く淡々と4beatで演奏する中での、即興風のつぶやきのようなtempoの揺らしを演奏して行くので、その演奏は非常に難しい。soloが適当にmelodieを揺らして演奏して行って、Violinとviolaがそれに併せて伴奏する・・という分けではないからだ。
ostinatoは、tempoをgiusto(正確)に演奏しなければならないからである。
また、Stamitzのviola-concertoでは、瑞希ちゃんが初めてのeingang(episode)の即興に挑戦する。
教室として、いや私が出した課題ではなく、本人が、「自分でepisodeを作りたい」との希望だからである。(kadenzではなく、eingangだよ!!)
綾乃ちゃんのKontrabassのconcertoもscordaturaで、tuningをしていたら、智子先輩が「え~っ、scordaturaなの??」って、目を丸くしていたよ。soloの譜面の音符と実際に出て来る音が一致しないからだよな??
いずれにせよ、皆さん、難しい事に挑戦なのだよな??
羨ましい限りである。
私も子供時代にそういう風に学びたかったのだが・・ね???
私の子供時代には、私をそういう風に指導してくれる先生である私がいなかったのだよ!!


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6月11日レインスーツ ·
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10日の月曜日の夜であるが、土砂降りの雨の中を椎名町にバイクで行くために、玄関を開けて、雨の降り具合と気温のcheckをしたのだが、超、寒い事!寒い事!!
慌てて、夏用の薄手のレインスーツから、折角、仕舞い込んでいた合いの厚手のレインスーツを引っ張り出して来て、着て出掛けたのだが、首が隠れないので、超寒いのと、防水の手袋がただのビニールの手袋なので、雨で冷たくて困った。
毛糸の首巻きはバイクの座席の中に常備しているのだが、雨が強く降っているので、バイクを止めて、シートを開けて首巻きを取り出すだけの勇気がなくって、それよりも一気に・・という事で、凍えながら椎名町までバイクを走らせた。
帰りも似たようなものではあったのだけど、首は毛糸の首巻きをしたし、濡れたレインスーツは先生が洗濯機で衣服乾燥してくれていたので、暖かくって結構助かった!!
雨も、途中から、霧雨になって来たので、行きとは違って、大分、楽であった。
しかし、気温は、ハイツに着いて、netで確認してみると、なんと練馬区の温度は15℃だそうだよ!!
東京では4月中旬の気候に該当するそうな??

今は、6月も中旬に入ったのだから、気候が2ヶ月も逆戻りした感じなのだよ??
これじゃあ、体調不良になるのも当たり前だよな??



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6月12日パソコンの調子が·
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今日は朝から、(というか、昨夜からの事なのだが、)段々と、鬱が酷くなって行くようなので、パソコンの作業を頑張ってやって気分を紛らわしています。
(windows10では、文字を入力する事が全く出来ず、Facebookに入力が出来ないので、今は7で書いています。携帯も余り調子が良くないので・・・??)
外の天気のように、部屋の中も、どんよりとして、パソコンの作業をしていると、段々と息苦しくなって来て、呼吸する事が難しくなって来たので、部屋の窓を開けて、玄関の扉を全開にして、部屋の空気を入れ替えています。
風も強いので、部屋の空気は一瞬で替わったのだけど、湿度が高いので、鼻詰まりが取れないので、息苦しさはあまり、変わりません。
鬱の対策を兼ねて、子供達のorchestraの弾けない箇所の、抜き出し練習と、練習法の色々なvariationの譜面をfinaleで作成して、前回の練習風景のvideoにfinaleの譜面やcheck・point等のlectureの譜面を今日一日中、作っていたのですが、もう少しで、後、もう1曲終わるかな??・・という段階に差し掛かった所で、「こんなに、丁寧にlectureをしていても、子供達にはその価値は分からない・・のだよな?~というか、子供達自身がそれを望んでもいないのだよな~??」と、ふと虚しくなってしまって、鬱に取り憑かれて、今日、1日の作業が、全く無駄な一日であって、私の人生そのものを、無駄にしたような気分になってしまいました。
気力が萎えてしまったら、次いでに、体が硬直して、全く動かなくなってしまいました。
仕方がないので、風呂に入って体を温めて、体をほぐしてから、「少しでもベッドに入って、休もうかな??」と思っている所です。
いや~あ、これは、鬱が超、酷いのだよな??
コメント
芦塚 陽二
喉が乾いて、幾らお茶を飲んでも、乾きが止まらないのだけど、糖尿病が悪化しているのかな??「乾き」を止める方法を色々と考えて試みているのだけど、胃に来て、ろくな事はないので、困っていたのだが、ふと、思いついて、梅湯を飲む事にしたのだが、超、酸っぱい昔ながらの梅干しを開けて、もう古い梅が無くなっている事に気が付いた。これでは胃に優しい梅湯は無理だよな~あ??困った事だ!!
· 返信する · 1年前
石川 ちすみ
それはお辛いですね・・。OS1などの経口補水液はどうでしょうか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
以前は冷蔵庫に常備していたのですが、まだ梅雨の時期なので、買っていません。すぐ近くのドラッグストアには、売ってはいるのですがねぇ⁉


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6月13日「高齢ドライバーの急加速・急発進による事故」 ·
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急発進、急加速を自動的に抑制する装置を付けた車のみを高齢者が運転するようにとの、公的な見解は、ある程度は理解出来る。
ただ、運転をしていると、急加速、急発進でなければ、安全運転(危機回避)が出来ない状況は、そんなに珍しい事ではない。
例えば側線から高速道路に進入する場合には、高速の車の流れに合わせて、急加速して高速に進入しなければならないのだが、極々、稀に、それが怖くて、じわ~と入って来る車がいて、非常に危険な思いがする事がある。
しかし、・・・という事は、これからは高齢ドライバーの車は高速道路に入る場合には、かなり危険な思いをする事になる・・という事だよな??
車のbackの自動停止装置もそうだが、椎名町の駐車場に車を入れるためには、車と塀の間が結構、㌢単位のギリギリにしないと、車が駐車場には入れ無いのだよ。だから、勝手にbackで車が止まるという事は、狭い駐車場では車は入れられない・・という事だよな??
車をbackさせる時に、体を捻じって後方確認をする・・というのも、非常に危険な事だよ。pedalの踏み間違いだけではなく、体を捻じる事によって、車の反対側の確認が全く出来ないからだ!!私の場合には、体を正面にして、左右のミラーと、真ん中のミラーで確認をしながらbackをするので、体の捻じれは起こらないので、当然踏み間違いもない。ましてや、新しい車には、video-cameraがsetされていて、夜でも、視界が非常に良好で、肉眼で確認をするのとは、雲泥の差がある。しかし、そんな事を教習所でやったら、点を貰えないので、その時だけは、教科書通りに、体を捻って「危ないな~ぁ??」と思いながらやっている。間違えた不合理なルールであっても、それが教習所のルールならば、致し方は無いのだよ。教習所の先生達が、規則を決める分けでは無いからね?? アハッ!
今回、教習所で注意された事は、backの車庫入れの時に、accelは踏まないで、離したままでbackするように注意されたのだが、実際の椎名町の駐車場は道路と駐車場に段差が1,2㌢あって、この段差でpedalを離したままでは乗り越えられないのだよ!!だから、最初に話をした、右足でaccel・pedalを踏んで、左足でBrake・pedalに足を乗せて置く必要があるのだよ。瞬間に、accel・pedalからBrake・pedalに右足を移動させるのは、結構至難の業なのだよな???
小池さん、あんた、車運転出来るのかな??
それ以前に、私が数年前に、Facebookに書いた事があるのだが、この50年間運転して来た車から、今回新車を購入した時に驚いた事が2つある。
その一つは、左足でBrake・pedalを操作出来ないように、間仕切りが入った事である。Brakeを踏みながら、accelを調整するといった、運転の技術が出来なくなった事だ。
まあ、右足でaccel・pedalを踏みながら、Brake・pedalをそ踏む事をする人は滅多にいないだろうから、間仕切りに関しては、それは良いとしても、Brake・pedalとaccel・pedalの感触が全く違って、踏んだ時の感触の違いが無くなった事と、踏み変える時の位置の高さが全く無くなって、足の感覚でBrake・pedalとaccel・pedalの違いが分からなくなった事だ。
昔の車には、そう言った事が全くなかった。accel・pedalとBrake・pedalの形状と位置、足の踏んだ時の感触は、古い車では、明らかに違っていたのだよ。
自分の車ともなると、半年ぐらいも運転を続けると、accel・pedalとBrake・pedalの感触は足が触っただけでも、充分に分かったのだが、その違和感が余りにも大き過ぎたので、Facebookででも、車の会社にも、claimを何度かしたのだが、瞬時にaccel・pedalからBrake・pedalに移動出来るように、改善されたのだ・・という説明を受けて、私の苦言は無視されてしまった。
高齢ドライバーは昔も多くいたはずなのだけど、昔は然程、問題にならなかったのは、そう言った事故が(人数に対しての事故の割合と年齢の比較が)、車のBrake・pedalとaccel・pedalの形状と位置の変化に対して、dataが出されていなくて、あくまでも、人為的な事故として、押し切ろうという企業や公的な姿勢では無いのか??と再び、苦言を呈する所である。つまり、車を作る技術者達は車を運転する経験値を理解しようとはしないで、事故は単なる運転未熟か高齢によるもので、車は常に改良改善されている・・という思い込みがあるのでは無いのかな?もし、Brake・pedalとaccel・pedalの位置や大きさの変更が難しければ、pedalの板の模様を変えるだけでも、足の感覚でBrakeかaccelかの違いを感じ取る事が出来る。そういった配慮はとても大切な事だと思うのだがね?
一高齢ドライバーとしての、長年の経験上の見解である。



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2019年6月13日東京には空しかない ·
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6月13日夕方の5時現在の練馬区の気温であるが、なんと、昨日とはうって変わって、気温25℃、湿度20%の快晴である。
絶好の洗濯日和なので、洗濯機を回したのは良いのだが、干す所までは、体力・気力が残っていなかった。残念!!(相変わらず、パソコンには文字を入力すると、確定させた段階で消滅して、文字入力が全く出来ない。というわけで今はワード・パッドに書き込んで、それをFacebook上にコピペしている。不思議な事にそれならば、upload出来るのだよ?Facebookは相も変わらず、ダメsoftなのだよな~あ??)


写真は食堂の窓の手すりを3脚代わりに使った定点観測写真になる。(天候を除いたangle的には、いつも同じangleの写真だよな~あ??)
「東京には、空がない!」とか、誰かが言っていたようだが、私に言わせると、「東京には空しか無い!!」



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6月13日糖質dietご飯 ·
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この所、米がハイツにないので、おかずだけの食事になってしまっていたので、今日は朝から頑張ってご飯を2合焚いた!
勿論、糖質カットご飯であるぞよ。




コメント
芦塚 陽二
小いなお弁当箱にゴム性の容器が小6個に大4個と分かれていて、多種多様なおかずを小分けして入れる事が出来て、夜食の残りを、詰めてお弁当にして持ち帰ります。でも、食欲が無い時には、この小さな容器の2,3個だけをチンして食べて、食事が終わった事にして、お茶を濁します。だから、今回も、折角、糖質制限ご飯を炊いたのに、体調不良が続いて、ご飯は、冷蔵庫でそのままになっていました。今日(14日)のお昼になって、やっと、鯛茶漬けで、ご飯を頂きました。アハッ!・・・・それでも、痩せない・・!!不思議だ!!



写真の説明はありません。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
今年になって、始めて携帯で撮影した写真をdirectにFacebookに持って来る事が出来ました。でも、写真のArchivからFacebookへ・・ではなく、携帯でFacebookを開いて、そのFacebookの写真の取り込みのカメラ・マークをclickしたら、出来ました。・・でも多分、もう一度、同じ事をやっても、もう、出来くなっていると思いますがね??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
やっぱり、出来なかった!!またまた、line経由で一度パソコンに保存してからのFacebookにupだよな??超、面倒くさい!!



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6月15日電波時計 ·
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今日は6月15日(土曜日の13夜)の早朝(5時~6時)である。昨夜から雨は、益々酷くなって、結構、ザアザア降りになっている。
いつものように部屋は空気が籠って生暖かいので、「取り敢えずは外の空気を入れて部屋の換気をするか?」と言う事で、窓と玄関の扉を全開にした。netでの練馬区の気温は19度で湿度は89%なのだけど、窓に置いてあるwebーの時計に依ると、なんと、温度は17℃である。(netの24時間の予報が変わって、現在の気温は遂に、15℃になってしまった。)・・・部屋の中にいても、超、寒い!!
本来ならば、doorや窓を閉めて、クーラーにすれば良いのだが、クーラーは苦手なのだよ。
(写真の時計の数字は、9時近くになってからの数字です。大部、温度が上がって来たのだけど、未だ、右側は17℃で、左側は20℃です。同じように見えるけれど、左側の時計は携帯用のvoice時計です。真っ暗な寝室等で時間を確認するための時計です。窓に置いているのは、web-clockなので、電波の良い場所に置いている・・という意味です。)
コメント
芦塚 陽二
netでの気温、湿度が16℃90%になってしまって、ますます、下がりつつあります。
温度計が右側が18.9℃、左側が19.9℃になっているのは、部屋の中で窓を閉めていたからです。右側の時計は窓の側に、左側の時計は部屋の中央にあったので、1℃の差が出ています。これは当然かな??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
一昨日の事なのだけど、携帯のストラップの紐を締めている輪っかが抜けて、ストラップが落ちてしまったので、昨晩は、紐を糸で縫って貰おうと牧野先生に頼んだのだけど、糸通しの段階で挫折してしまいました。糸通しの小さな道具が見つからなかったので、肉眼的には無理だったので・・
と言う事で朝起きて一番で、ストラップの紐を縫い込みました。ハイツには、超小型の携帯用の裁縫setがあるので・・
でも、私が手縫いをする・・なんて事は奇跡に近い事なので、結構、時間が掛かって、目も殆ど見えていないので、感を頼りに・・しているので、時間が掛かったよな??でも、自分でやる方が一番早い!!


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6月15日梅茶漬け ·
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今日のお茶漬けは、梅干しを入れて、梅茶漬けにしました。
というか、相変わらず、携帯からの写真の転送が出来ません。
またまた、文字入力が出来なくなってしまいました。

超、面倒くさいので、今日はこれまで・・・かな??




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6月15日金華学園の台風
·
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明日(16日)の日曜日は、7月の上旬の気温だってよ!
今日の15日は、4月の下旬の気温だってサ! なんじゃあ、そりゃあ?? 体が付いて行かんわサ!!
パソコン上では、全く文字の入力が出来なくなってしまいました。
已む無く、超面土くさいけれど、携帯から入力しています。
練馬区の気温は遂に17℃になったのだけど、湿度は100%になったのだよ‼
体調不良というか?鬱というか?その原因の一つは間違いなく、湿度だよな⁉
ハイツから見た金華学園と浅間神社の森の雨に、台風性の雨を足して動画を編集したのだけど、BGMの曲をYou Tubeからの曲にしていたので、自作の曲に変更しました。発表会の時の生音でも良かったのだけど、動画がYou Tube経由ではないので、一応パソコンの音源にしました。(これは著作権の関係です。)


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6月16日碎啄について ·
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「這えば立て!立てば歩めの親心=碎啄について」
親にとっては、子供が産まれたばかりの頃には、「五体満足に育ってくれさえすれば・・・」と願う人達が殆どだろうかな?と思います。
しかし、子供が成長すると共に、親は、何時の頃からか、「這えば立て、立てば歩め・・の親心」と子供の成長を期待する心を持ってしまうようです。
古い昔々からある言葉で、既に江戸時代の頃には一般に流布している諺であって、何時の頃からあるのか??・・さえ分からないこの諺は、「我が子の成長を心待ちにしている親の愛情を言い表した言葉」だ・・とされていますが、・・仏教的には「親の業」、「親の欲目」を表した言葉でもある・・ともされているのです。
「子育て」そのものについては、私は門外漢なので、何かを言う立場にはありませんが、学校教育や音楽教育等の教育については、私は日本に帰国した28歳の頃から、大学で学生達を指導し、且つまた、教育上の多くの論文を書いていました。
また、学校の先生を養成するという立場から、この言い古るされて来た諺に潜む、多くの問題点に付いて論じて来ました。
私が以前からhomepageや大学の教育論文等に掲載しているthemaである、「碎啄同機」や「学校教育と音楽教育の両立は可能か」とか、「木の上に立って見ている人」とかの、色々な教育論文がありますが、それは全て、同じ教育に対する基本的な原理を色々な視点から言い換えて論じているだけの事なのでした。
日本人の独自に持つ教育への概念は、日本人の歴史的に培われて来た独特の慣習があって、そのtraditionalな慣習に、問題提起をする私の40年間に及ぶ教育のmethodeや、芦塚メトードとしての実践活動、教育に対する啓蒙活動は、江戸時代からの日本の断固としたtraditionalな社会習慣に対して、波風一つ立てる事の出来ない、無駄な努力と、無駄な活動として、いよいよ終わりを迎える事になりました。
私の箴言集である「ヨージーの法則」にも書いているように、「人生は無駄の集まりに過ぎない」・・という言葉通りに、最後の力を振り絞って、またまた、人生の終わりの無駄話として、同じ話をする事としました。
「這えば立て・」
本文
「這えば立て、・・・」の諺は、「美しい愛すべき親の心根を歌ったものだ」とされていますが、それは傍目(はため)に過ぎません。
つまり、「碎啄同機」の諺や「親という文字」の成り立ちにすら、教育の基本となる、親の取るべき姿勢が語られているのです。
実は、視点を変えて、江戸時代の落語に扱われている「這えば立て、・・」の諺は、親の子供の成長を望むあまりに、子供の教育を見忘れてしまう、親の業を語って、アイロニカルに捉えている小噺が殆どなので、この諺に親の愛・・という意味のapproachはないのですよ。
落語は当事者同士が欲や業で振り回される姿を揶揄する、第三者の立場で見る・・のが落語なのでね??
実は、ここまでも、「枕」に過ぎないのですよ。
音楽用語で言うと、「introduction」ですよね??
昔々の事ですが、生徒の父親から「発表会に向けて厳しく指導して欲しい」という注文がありました。
私が「なぜに?」と尋ねると、「辛く厳しい勉強を克服して達成感を味わって欲しい。」という事でした。
或る意味、教育の専門家でもあるその父親は、私の理論でcurriculumでもある「厳しさを喜びと感じる事が出来るようになるまでには、当然、それまでに、長いstepが必要で、それを学び体得する事無くしては、逆に、挫折を教える事になるのだ。厳しさだけを追求すれば、達成感を得れる事はあったとしても、それが子供達の学習への興味や意欲を齎す事はない」・・という私の説明には耳を貸しませんでした。
両親共に、教育に自信を持っている専門家でもあったのでね。儒教教育が、教育の理想であったのでね??
勿論、当然、その生徒(=子供)は挫折して、親の元を去って行きましたがね??(「親の元を去る」・・という意味は、「家を飛び出して、未成年なのに、彼氏の元に行ってしまった」という意味です。)勿論、それから、二度と親の元に戻って来る事も、挨拶に来る事もありませんでしたがね。
但し、そう言った辛く厳しい教育でも、短期教育の場合には、・・つまり、学校の勉強や部活や、趣味の世界での、辛い厳しいapproachは不可能ではありません。
それは、その辛抱が比較的に短期的な場合に限られます。(勿論、短期という概念は人によって違うので、それが一月、二月の場合や、5年、十年の場合もあります。)
学校の勉強でも、目標が高校や大学の入試・・程度の、短いstanceならば、「勉強の辛さ、厳しさに耐え抜く」 事は可能です。
しかし、そういった付け焼刃的な器用貧乏的な学習法では、その勉強の内容が身に付く事はありませんし、そう言った学習のstyleでは、人生の目標のような、長いstanceの目標は、達成する事は出来ないのです。
という事で、そう言った短期的な学習法は、人生に何も目標がなく、唯単に、有名高校や有名な大学に進学をして、将来の夢は、遠い将来に考えて見る・・という人達には、有効な手段かも知れません。
つまり、学校教育の基本は、将来の夢が未だ見つかっていない一般の子供達の教育を対象にしているのに、過ぎないのですよ。
ですから、人生を何かの『一芸に捧げる』事を目標にしている人達には、この勉強法は当て嵌まらないのです。
難しいのは、athleteや野球選手に憧れる高校球児達です。
athlete達も、憧れのOlympicに、(もしまかり間違って出場出来た!・・としても、)その後の人生にその技術が生かされて、その仕事に従事出来る人は極めて稀なluckyな人になります。
ましてや、野球の球児達も憧れの甲子園でplay出来たとしても、或いは、その後、proの野球選手になったとしても、生涯をその仕事で生きて行くのは難しい・・と言わなければなりません。
つまり、「憧れの甲子園でplay出来た!」とか、「憧れの音楽大学に入学出来た」という事で、「夢を達成出来た!!」と、しなければなりません。
でも、それで「夢が達成出来た!」としても、それ以降の人生の方が、とてもとても長いのですよ。「夢が達成出来た!」という記憶とprideだけを後生大事にして、その記憶に頼って生きて行く・・という事は、私にとっては、或る意味、それも挫折と思うのですがね。
つまり、その記憶があったとしても、それは過去の栄光であり、より現在を知って惨めになるだけの事なのです。
その人の夢が、真摯なものであれば、もっと長いstance、つまり、一生を掛けて、その夢に取り組まなければいけません。
コツコツと脇目も振らず、ひたすら歩んで行かなければ、何一つ、得る事は出来ないのですよ。
一つのことを一生続ける事が出来なければ、それはproとは言えないのです。
「這えば立て・・・」と、「辛く厳しい勉強のさせ方」を、あなたは子供に一生続けさせるのですか?
それは、単なる、虐めか、拷問か虐待かもしれませんよ?
音楽も学業も・・、趣味も、全ての快楽も、「辛く厳しい勉強を克服して・・・」という方法では、何も得る事は出来ないのですよ。
一流のproの人たちは口をそろえてこう言います。
「私は自分の好きなことを夢中でやってきただけです。」
(しかし、2流3流の自称proの芸能人並みに名前だけは有名な人たちは、「辛く厳しい勉強」を我慢してやってきたか、或いはそれで挫折して芸能人的な道に踏み外れたかです。そういう人たちが「日本を代表する○○ニスト」とか紹介されているのを見ると、日本の教育レベルの低さに、憤然としてしまいますがね。)
一つの曲を40年間、練習する事が出来なければ、proには成れないのは当たり前です。
proとは、人が出来ない事をやるのがproであって、誰でも出来る事をやるのは、amateurに過ぎません。
音楽を愉しみたければ、amateurで良いのです。
amateurでも、proよりも上手なamateurが幾らでもいます。
自分なりに、企画して、結構、素晴らしい演奏会を開いているamateurの演奏家の人達も居ます。
しかし、幾ら上手でも、amateurはamateurに過ぎないのです。
では、amateurとprofessionalとの違いは何処にあるのでしょうか??
それは、その人が抱く自分の芸術に対する価値観の位置付けなのです。
女性は結婚すると、家庭、つまり、子供や旦那の生活が一番になってしまいます。
その人達は必ず、こう言います。「私は音楽に向かっている時には、真摯に直向きに音楽に接しています。」
昔、NHKが汎ゆる世代と職業の人達を集めて、討論会をやっていました。
一般の会社の社長が、女性だけで会社の機械のmaintenanceをする会社と立ち上げている女性社長に向かって質問をしていました。「自分達の会社のlineが故障をした時に、深夜でも駆けつけてくれますか?」それに対して、女性社長は「私達はそうはならないように一生懸命に真摯に仕事をしています。」初老の企業の社長が「それでも、深夜にlineが故障した時には駆けつけてくれますか?」と再度訊ねても、答えは同じで、「故障のないように、一生懸命に仕事をしています。」との答えで平行線のままでした。
女性には家庭があるので、仕事を終えて家に帰ったら、主婦や親の立場があるから・・その理由は分かります。
しかし、故障でlineが止まったら、それこそ、その会社は存続の問題になってしまいます。
私が小学校の面倒を見ていた頃に、夏休みに、小学4年生の男の子がいなくなる・・という事件が起こって、深夜の2時に連絡が来ました。小学校の先生達や保護者会の人達が、それぞれの駅に飛び出て子供を探しました。女性の若い先生でも、子供のいる母親の先生でも、子供が行方不明になったりしたら、深夜何時であったとしても、即、探しに出なければなりません。それが教職員としての責任です。この時は、保護者会の人が池袋で遊んでいる子供を見つけて、なんとか問題が収まったのですが、先生達は次の日の授業は徹夜だよね??
どんな、仕事であっても、仕事というからには、それだけの責任はあるのですよ。
それが嫌ならば、社会人にはならない事です。
どうすんの??・・って??
そんな事、自分で考えてよ!!


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6月16日「日本人の持つ独特の価値観」 ·
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「日本人の持つ独特の価値観」
社会では、人や物に対する価値観をマスコミが作ったり、販売戦略として企業が作ったりする。
勿論、それは世界中で同じ事なのだが、それに付け加えて、日本人の場合には、家元制度等の権威主義や、親方日の丸等の寄らば大樹的な発想が強い傾向にある。
それは、日本人独特の、事なかれ主義で、自分が、「それが誤りの考え方である。」と知っていたとしても、世間一般がそれを「正しい」とするならば、それを「可し」とするという日本人独特の不思議な傾向である。
別の論文でも儒教的な社会は、徳川家康が、自分の子供達への治世を確立するために作り上げた思想なのだが、その社会の中では、凡庸な子供を為政者として守り抜くための世襲制度であり、家元制度でもあるのだよ。
物事に対する価値感を自分で判断するのではなく、マスコミによる人気の高さであったり、Blandが決めた金額による評価であり、価値でもある。
所謂、「行列の出来る料理店」とか、concours等での入賞歴等々、自分に対する評価を、そうった看板に委託するのだ。
という事で、日本の場合には、「一流の大学を卒業しているのか?」或いは「大企業に努めているのか?」という事で、その人間性自身が評価がされる事が多いのだよ。
「あの人は、**大学を卒業して、**の課長をやっているから、人間的に信頼出来る」・・という風にね??
でも、それは評価する側の人間の判断ではない。
同様に、芸術であるべきはずの、音楽(Classic)の世界でも、日本の有名演奏家と呼ばれている人達の多くはマスコミが作り上げた人達が多いのだよ。
しかし、Bland品に対しての価値を信じているのは、あながち日本人だけではなく、世界的な傾向でもある。
価値を金銭で評価する意味は、concours等で1位、2位と賞で比較する事によく似ている。
MünchenでGenzmer先生に忠告された事は、「proとしては、歴史に名を残す作曲家のより好みをしてはいけない。歴史に名を残すのには、それなりに、価値を持っているからなのだから、全ての作曲家から学ばなければならない。」と言う事であった。
音楽家というのは、一般人ではなく、芸術家でなければならないのだから、見る事、聴く事に対する評価は自分の審美眼を持たなければならない・・、という意味でもあるのだよ。
Blandやconcoursの評価でなく、権威主義的な音楽大学でも、超有名音楽家でもなく、自分自身の目を養う事が、芸術家であるための必要最低条件であるはずなのだが・・



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6月16日「闇雲練習について」 ·
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音楽はOlympicではないし、pianistはathleteでもありません。だから、指がどんなに早く回ったとしても、その一粒一粒の音が意識的にcontrolされてなければ何の意味もありません。
唯々、一心不乱に毎日7時間、8時間の練習をする事自体は、とても素晴らしい事ですが、唯、無心に弾くだけで、何の考えや目的も無く練習する事はを時間の無駄に過ぎません。そういった練習の事を、私は『闇雲練習』と言って愚別しています。
闇雲練習で練習する事は、一粒一粒の音に心を込めてcontrolして行く・・という大切な練習を、放棄した状態で練習をしている・・という事なのです。
ましてや、最高の音楽を表現するために、何度も繰り返し練習している分けではありません。
音の粒々も聴かず、音楽を表現する事もなく、練習時間だけが7時間、8時間と練習する事は、時間の浪費に過ぎません。
音楽で最も大切な事は、その音楽を「どのように表現するか??」という事に尽きます。
言い方を変えると音楽の技術は、その音楽をどの様に表現したら良いのか?というhow-toに対しての技術になるのです。
幾ら、演奏する技術を磨いたとしても、その表現をするものがなければ、その技術は無用の長物に過ぎません。
日本では、自分が弾きたい情緒表現をする事は、感情的に演奏をする事だ・・というimageで捉えられます。
しかし、それは大きな間違いです。
音楽の演奏表現をinterpretationする事は、それは、情緒的なものでも、感情的なものでもなく、時代の様式やその作曲家の語法を学ぶ事であり、その表現に従って表現する事なのです。
日本のClassic音楽は、分けの分からない家元制度によって、成り立っています。その音楽の解釈も、音楽事始めの時に、日本に音楽を持ち込んだ人の誤った150年も前の解釈が未だに、academismの主流として君臨しているのです。
私の兄貴は定年になる前は、オランダ大使館の文化部で、オランダに留学する学生達のtape審査をして、留学の合否を出す役目もしていました。そのために、毎日、数時間を留学希望者のtapeを聴く・・という作業をしていました。
(今は後期高齢者になったので、分かりませんが、大学生の頃の兄貴の特技は、Recordで最初の一発目の和音を聴いただけで、どこのorchestraで指揮者は誰で・・etc.一発で当てる特技がありました。流石に私はそれは出来ませんがね?)
その兄貴が、未だ現職の時に、私に愚痴っていた事があります。
留学の審査で毎日曲を聴くのだけど、同じChopinの曲を別の大学、別の教授に師事しているはずの生徒の演奏を聴いているはずなのに、誰の演奏を聴いても全く同じ音で同じ演奏をする。」とボヤいていました。
cameraの撮影が得意で、飛んでる鳥をピッタリとfocusを合わせる素晴らしい技術の持ち主なので、発表会の写真の撮影をお願いしました。
angleもpintoも申し分無いのだけど、好き嫌いが出て、好きな生徒の写真はとても多くて、素晴らしいのだけど、余り好きくない生徒には定形の写真分しか撮って貰えませんでした。
その当時は、私も10名近いPianoの生徒を指導していたのですが、その一人一人が、まるで、違う先生に師事しているように別々の弾き方をして、Pianoの音までも違う・・と喜んでいました。
同じ事は、Cembaloをtuningに来てくださった古典楽器センターの佐藤さんにも同様に評価を受けて、彼も、自分のフアンを作っていました。
私は生徒に対して、好き嫌いは出さない事にしているので、同じ曲には10年前の生徒であっても、全く同じ内容の指導をするのですが、結構、厳しく音楽をcontrolしているはずなのですが、不思議な事に、それぞれの演奏は全く異なった演奏のstyleをします。
そこが音楽の非常に面白い所です。
日本人は儒教の国民なので、『勉強しないで、勉強をする』というと、「怠けている」・・・と解釈して、罪悪感に苛まれるようです。
でも、私に言わせると、曲を分析する事も、演奏の目標を作る事もなく、唯、闇雲に時間だけを掛けて、練習をする事に対しては、私は非常に人間としての、不真面目さを感じてしまいます。
つまり、闇雲に7時間、8時間練習する事は、単なる自己満足的世界で、真摯に音楽に取り組む姿勢のない、それこそ『考える事を拒絶した怠け者の練習法である』と確信しています。
だから、よく、「私は毎日最低でも、7時間は練習します。」という生徒が私の所に来た時には、その生徒の日頃の練習をさせて、その練習の態度をcheckして、「ほら、意識が逃げたよ!」とか、「ここはこういう風に表現しないとダメでしょう?」と、練習で求めるべき事を要求します。その曲の、追求すべき課題を、checkをすると、小一時間のlectureもしない内に、「もう、限界です。」と生徒から泣きが入ります。
つまり、家では、7時間、8時間、平気で練習が出来たはずの生徒が、意識をしっかりと持って一粒、一粒の音をcontrolして、また、音楽表現を意識して、練習をしようとすると、たった一時間の練習にも耐えられないのですよ。アハッ!
それ以上に私達お生徒達が、驚く事は、間違えた箇所に対して「なぜ間違えたのか?」いう質問をすると、それに対して誰一人答えられる生徒がいないのですよ。
「間違いの理由」や、「どういう練習をすれば、間違えなくなるようになるのか??」という事を考える事もなく、ただ意味もなく練習を7時間、8時間とするのですよ。
それで上手くなる分けはないでしょう??
それを私は「闇雲練習」と名付けて軽蔑しています。
昔、私の所から、有名な大学の教授の所に変わって行った生徒がいました。
教室にいる時には、その生徒は毎日、1時間、2時間くらいしか練習が出来なかったのですが、その先生に代わった途端に、7時間、8時間の練習が出来るようになりました。
親は「やっぱり、有名大学の教授に師事すると違う!」と感心していたようですが、発表会を聴きに行った教室のお友達は、彼女が余りにも下手になっているのに驚いてしまいました。
勿論、本人は自分が下手になった事には気が付いていないのですがね。
(中には、その大学の教授の元で、勉強をして、下手になっている事をヒシヒシと感じている生徒もいます。その場合には、或る意味、悲劇であり、可愛そうでなりません。)
「何を学べば、音楽が上達するのか??」と言う事を知っている生徒は少ないし、それを知った上で指導している先生も皆無なのです。
教室の近所の子供達で、趣味で音楽を勉強しているのに過ぎない子供達が、(たった1時間ぐらいの練習さえして来ない、)精々5分の練習しかしない生徒達でさえ、音大生が「ひ~こら!ひ~こら!!」と、言って毎日7時間練習していて弾けない曲を、たった5分間の練習で、サラサラと弾いているのは、その5分間の練習に、7時間分の練習の密度を集約しているからに過ぎないのですよ。
言い方を変えると、「だから、5分間しか練習が出来ない」のですよ。
このお話は、「時間=練習の積み上げ」だと思っている学生には、理解出来ない事かも知れないけれどね?
そこが分からなければ、音楽家にはなれないよ!!
・・・と言うか、音楽家でも分かっていなかったりして・・・??アハッ!




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6月17日ストロベリームーン ·
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今夜(6月17日)はストロベリー・ムーンだそうです。
昨日のオケ練習は、子供達も、やっと曲に慣れて来て、曲のimageが出来て来て、練習のpointが定まって来ました。
これからは、少し、練習がし易くなると思います。
練習前の予定では、遅れ気味のPachelbelのchaconneを、Vivaldiの「秋」やStamitzのViola-concertoの前に練習をして、少し、煮詰めて遅れを取り戻す予定だったのですが、実際に練習を始めて見ると、逆に、詩ちゃんのJ・C・BachのSforte-piano-concertoとPichlのKontrabassconcertoと、StamitzとVivaldiの「秋」に時間が取られてしまって、Pachelbelの練習はcancelになってしまいました。Pachelbelは、オケの曲なので、soloがいないので、省いたのだけど、出来としては、一番難しいので、本当ならば、一日掛かっても、練習したいところなのですがね⁉
オケ練習では、指揮をしている場所が、クーラーが当たりにくい場所なので、このところ、毎回、熱中症気味になってしまいます。soloをしている人の場所はクーラーの風が良く当たるので、問題はないのだけど、クーラーの風が当たりにくいところは大変です。次回からは熱中症対策をして、冷え冷え首巻きでもして、練習に臨まないとな・・??
・・それはそうと、汗と言ったら、StamitzのⅡ楽章の練習中に、突然、瑞希ちゃんが大汗を吹き出して、斉藤先生がビックリしていました。
瑞希ちゃんも初めての経験なのだろうけれど、proの音楽家にはよくある事です。N饗の有名な指揮者である岩城宏之さんは汗かきで超、有名で、「彼が指揮をする周りは洪水になる」という冗談まで飛び出す事もありました。燕尾が一回の公演で塩を噴いて真っ白になってしまうので、海外の公演では、燕尾一着を、次の公演会場に送って、着た燕尾は洗濯をしてその次の会場に送る或る時に、手違いで、もう一つ先の公演会場に送られてしまって、2日に渡って、同じ服を着て指揮をしなければならなくなって、困ってしまったそうです。
映画で、ブルース・リーが「ハア~!」と気合を入れて身構えた途端に、体中から汗が吹き出すsceneがあって、「あれは、映画的な表現で特撮だ!」と思っている人達も多いようなのですが、あれは本当の事なのです。
pianistでも、Pianoに向かった途端に汗が吹き出す演奏家は多いのです。(実は、私も・・)でも、気持ちが音楽以外に向かっていて、中々、集中出来ない時には、汗をかく事はありません。集中が完全に出来た時だけ、汗が吹き出す事があるのです。(proの人達は、毎回集中出来ないとProとは言えないのですがね??)それぐらい、集中をする・・という意味です。
こう言った汗は、集中を表している汗なので、とても良い汗なのですが、但し、今回瑞希ちゃんが大汗をかいたから・・と言っても、次の練習でも同じように汗がかける分けではありません。
最初の内は10回に1回汗が出れば良い方で、それが10回に2回になり、10回に4回になる・・と言う風に、徐々にconstantに出来るようになって来ます。
たった一つの事に、集中出来るようになる・・それまでは長い長い道のりが掛かるのですよ。一年、二年とね⁉
これは別に音楽のお話ではなく、全ての道がそうなっているのです。
曲のimageを伝えるのに、ついついover-actionになって、over-workになってしまったので、すっかりバテてしまったのと、帰りの高速は久し振りの超絶好の行楽日よりだったので・・の行楽渋滞と、日曜日の定形の工事とが重なって、渋滞が酷くて、何時もの通りのノロノロ運転なのですが、睡魔と格闘しながらの運転で、椎名町に着いてからの食事は、半分以上寝ながらの食事で、途中で食べるのを諦めて、ハイツに戻って、ベッドに直行しました。
ただ、折角、入眠出来ても、相変わらず、2時間程度で、toiletに起きてしまうのは、毎度の事です。
という事で、当然の事なのですが、今日は朝から、体が動かないのと、仕事の持続が出来ないのだけど、それは、毎週の事だから、最初から諦める事にして、パソコンの作業で、パソコンが仕事をしている間に、ベッドに戻って、体を休めて、体調が戻って来るのを待っているところです。(videoの編集作業では、一作業毎に、小一時間や、2、3時間の空きが出来てしまうからです。)
明日は、膀胱癌の術後半年目の定期検査で、川崎まで、電車で行ってきます。まるまる一日がかりの検診なのですが、長いのは、待ち合わせと移動の時間だけです。
問題は、明日までに、体調を何処まで回復させる事が出来るか、なのですが、6月に入ってからは、疲労が全く取れないので、またまた別の所に別の原因でもあるのかな⁉とか、糖尿病の悪化とか、腎機能の悪化とか、まあ、色々と思い当たる事が多いので、困った事なのですが、明日は、ある程度の検査はして貰えるので、少しは、体調不良の状況が見えるかも(原因が分かるかも)知れません。




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6月19日「深謀遠慮=Vivaldi-methode」 ·
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vivaldiの生涯については、よく知られている事なので、敢えて、ここで言うまでの事もありませんが、Vivaldiの本職は作曲家ではなく、神父でした。髪の毛が赤いので「赤毛の司祭」と言われていたそうで、当時の捨て子を保護する女子修道院(ピエタ慈善院=Ospedale della Pietà)で、子供達に音楽の指導をしていたそうです。Pietàとは「悲しみの聖母」と訳されているようですが、私は宗教の事はよく分かりませんので、触れない事にして起きます。(音楽上の宗教音楽については別ですが・・)
Vivaldiの作品は、和声と創意の試み(Il cimento dell'armonia e dell'invenzione)作品8。この作品8の内の、第1番から第4番までが、所謂、四季(Le quattro stagioni)です。
「Violinの初心者が必ず弾く」・・という噂のあるOp.3Nr.6のイ短調のViolin-concertoも、この調和の霊感(L'estro armonico)作品3の中に入っています。
日本名はありませんが、ストラヴァガンツァ(La stravaganza)作品4や、チェトラというViolin-concertoもあります。
勿論、Vivaldiの慈善院では、生徒達の演奏で院の運営の足しにしていて、ヨーロッパの各地方から生徒達の演奏を聴くために集まって来たそうです。
当然、Vivaldiは、その曲集を生徒達の演奏のためだけではなく、教育のためにも書いているので、その音楽演奏上の技術のlevelは、その曲集毎に決まっています。
調和の霊感(L'estro armonico)作品3がVivaldiの作品の中では、一番の導入の曲になります。
曲の中には1st-positionだけで、弾ける曲もあります。
Beyer教則本にしても、Chopinのmethodeにしても、そのmethodeのcurriculumが残されている分けではないので、こんにちでは、作曲家の作品に書かれているmethodeやcurriculumを知る事は、それは作曲家の作品をAnalyseする事によってしか出来ません。
なにせ、宮本武蔵の五輪の書でも、肝心要の所になると、「以下、口伝」となってしまうのですから・・
実は、Vivaldiが自分の作品を教育目的としての使い方を考えた上で編集をしている・・という事に気付いたのは、Münchenに在学している時でした。
面白い事に、Beyer教則本の指導manual(Beyer-methode)を発見する10年近くも前の話でした。
「Vivaldiが自分の作品を教育上の目的に使用した」・・という事は明白な事実なのに、未だに、世界的にも知られていません。
それは一般の多くの人達が教育用の作品を、非常に低いlevelの曲であるように見る傾向があるからなのです。
つまり、「こんなに優れた曲なのだから、教育用の作品である筈がない!」という前提が一般的にあるからなのです。
「教育と芸術の両立はあるはずがない」・・というのが一般の前提なのですからね!!
BeethovenやChopin等の大作曲家が、作曲家自らが、教育用の作品を作曲するという無謀な挑戦をした・・という事は、不思議な事に意外と知られていません。
また、そこでも「教育音楽と芸術音楽は両立する分けはない。」という前提の元になっているからなのです。
半面、SchumannやBartokのように、その重要な作品が子供用の教育作品である作曲家もいるのです。
子供の音楽教育に対しての作品を作曲する事は、その曲の演奏の技術を平易にする事やlevelに従って曲を作る事・・以上に、作曲家を悩ませる問題は、「子供がどこまで、音楽の心を理解出来るであろうか?」という演奏表現上、或いは、精神的な音楽への理解力・・という課題もあります。
Vivaldiは、教会の司祭という立場から、「realに、子供の教育に直接携わった」・・という、特別の立場にあります。
Vivaldiの音楽教育上の立場は、音楽の歴史上の奇跡かも知れません。
そういう特別の立場にあったVivaldiが、その立場を利用しない分けはありません。
冒頭に述べたように、Vivaldiの職業は、作曲家ではなく、司祭という職業で、子供達の教育を教会から任された立場であるのです。
Vivaldiの曲に教育的な配慮がある事は、逆の言い方をすると、彼の日常の生活から、当たり前の事だったのです。
そう言った事を考えると、Vivaldiの作品には教育的な配慮と意味がある事は明白な事実となります。勿論、globalstandardで、その事を認めている音楽家はいません。誰一人として、そこに思い至る事はないのです。
しかし、もしも「子供達が弦楽orchestraを学ぶ事で、ViolinやCello、Viola、Kontrabassの技術を習得出来る」・・とすれば、それは教育上の革命になります。
世界中では、子供達の教育のためにorchestraを指導する音楽家が多数存在し、多くの子供達がorchestraで音楽を演奏する事を楽しみにしています。
しかし、残念な事に、curriculumとしては、orchestraで音楽技術の向上を試みる事は出来ません。
randomにorchestraの曲を練習して、演奏するだけなのです。
一般的には、orchestraの作品で、curriculumを作ると言う事は有り得ないのですよ!!
その不可能を可能にしたのが、Vivaldiであると思います。
しかし、残念な事に、Vivaldiは自分のcurriculumを残した分けではないのです。
「Beyer教則本を使用する先生は時代遅れの指導者だ!」とする人達が多くいます。
でも、そのBeyer教則本を批判する人達が推薦する教材は、大したcurriculumを持っている教材ではなく、そのために、ある程度のlevelに達すると、技術不足で行き詰まってしまいます。
Beyer教則本はとても優れた教則本なのですが、それ故に、そのmethodeの習得、curriculumを理解し、指導する事は難しいのです。当に「良薬は、口に苦し」なのですよ。
orchestraのcurriculumだけで、子供達の音楽教育を可能にしている、というのは、私のmethodeが始めてだと、自負しています。
尤も、(但し)私の場合には、Vivaldiのorchestra-curriculumと同時に、室内楽のmethode(curriculum)や、Hohmann教則本からの、duoのmethodeや、Cembaloのmethodeも同時期に作っているので、私自身はorchestraにのみ拘っている分けではないのですがね???
Pianoの生徒達への室内楽・・所謂、Pianotrioでのcurriculumでは、非常に優れたPianoを含む室内楽として、Julius Klengelというcellistで、小澤征爾氏の先生である桐朋の創設者でもある齋藤秀雄先生を育てた優れた指導者でもある、Klengelは、初歩のPianotrioの教材という事で、「Kindertrio」というPianotrioのgenreを作った。
しかし、子供用の教材として書かれたPianotrio、所謂、Kindertrioであっても、室内楽というからには、それ相応の技術が必要で、教則本に当て嵌めると、Czerny30番を卒業するぐらいの技術は必要なのである。
教室では、先生達の要望から、Beyerの後半、90番代、Burgmüllerの段階から演奏可能な、「子供の歌変奏曲」seriesとして、数曲のKindertrioを作曲して、Pianoを学ぶ子供達への室内楽の課題としている。。
いずれにしても、「音楽を学ぶには、個人の先生からlessonを受けて、無味乾燥なEtude(教則本)をコツコツと勉強して行くしかない!」と思っているのは、別に日本人だけの話ではありません。
それはglobalstandardな音楽の教育の話しなのです。
その最たる理由は、子供を指導する教育者が一つの楽器しか演奏出来ないからです。Violinの先生は、Violinしか指導出来ない、Celloの先生はCelloしか指導出来ない、それ以上にPianoの先生は弦楽器の事は全く分からない・・というのが、一般的なのです。それでは室内楽の指導は出来ないのが、当たり前になってしまいます。
Beyer教則本やBurgmüller教則本、sonatine-albumをcurriculumに取り入れている私達の教室では、Czerny30番以降の教則本はcurriculumには入っていません。
そういった技術の指導を中心にした教則本は、無味乾燥な技術のためだけの訓練が必要なので、音楽大学に進学する事を目標にする生徒だけで充分であって、音楽を演奏する技術を向上させるだけが目的だとすれば、そう言った教則本的な指導書は必要ないからなのです。そんな物を使用しなくても、音楽大学に進学しようと頑張って勉強している生徒達と遜色を取らないぐらいの技術をmasterする事は幾らでも可能だからです。
私達が音楽を学ぶ上で最も大切な事は、演奏の技術は音楽の表現のためにある・・という事なのです。音楽の表現は情緒的、感情的なものではありません。ちゃんと、音楽の理論を学び、時代やその作曲家の要求に答える事が音楽表現の骨子なのです。
しかし、残念な事に、音楽大学を目指して、音楽の世界に進もうとするPianoを学ぶ子供達が必須教材としてBachのinventionとSinfoniaを勉強していますが、時々、必死に音大進学のために勉強している生徒の演奏を聴く事があるのですが、一度として、一人として、正しくinventionやSinfoniaを、学んでいる生徒を見た事はありません。
それではbaroque時代の音楽を勉強する事は出来ません。困った事です。それは、sonatine-albumに対するforte-pianoの奏法に於いても同じなのです。古典派の様式を知らずして、古典派の音楽を弾ける事はないはずなのですが、それを勉強しているpianistやPianoの指導者の人はいるのかな??
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でも、Vivaldi-methodeを知れば、個人lessonによらなくても、近現代の曲まで演奏する事が出来るようになります。近現代の曲は、baroque時代の音楽の上に成り立っているからなのです。
(未稿)
Violin-concerto a moll Op.3Nr.6 Vivaldi Ashizuka-Knabenkammer period-style17年11月八千代 - YouTube
コメント
芦塚 陽二
上の演奏の8ヶ月前の花園自治会館主催の演奏会でのOp.3の曲の演奏です。Hallではないので、ニャンティstyleでの演奏です。backのorchestraはお姉さん達です。この時には、愛ちゃんが未だ5年生で、他の生徒達は4年生だったのだよね~ぇ?ひょっとしてこの時が、対外出演初débutだったのかな??
Vivaldi Op.3Nr.8 a moll doppelviolin‐concerto指揮芦塚陽二17年3月12日春待ちコンサート - YouTube



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6月19日川崎の病院 ·
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今日はもう6月の19日の水曜日なのだけど、未だ深夜の2時半を過ぎた所なので、18日火曜日の深夜・・と言った方が良いのかな??
朝は定刻の6時半には起き出して、川崎への出発の時間まで、オケ練習のvideoの編集をしていたのだけど、出発時間の2時間前になって、突然、疲れと睡魔が襲って来て意識混濁状態になりました。
・・とは言っても、そこでベッドに戻って休んでしまうと、出発の時間迄に起きるのはとても無理なので、予定よりも1時間以上も早いけれど、川崎の病院に向けて出発する事にしました。早く到着するのは覚悟で、時間まで待合室の椅子で仮眠をするためです。
川崎に着いて、受付と検査は事前に時間に関係なく済ませる事が出来るので、先に終わらせて、後は膀胱鏡の検査だけなのですが、診察は何時も通りに1時間遅れになっているので、都合、2時間のintervalが出来ました。
椅子で仮眠・・とは言っても、病院の待合室の長椅子なので、寝るには向かないのだけど、中には横になって、マジに寝ている豪傑もいましたが、流石に、私は、お行儀良く、椅子に座って目を閉じて、薄らぼんやりとしていました。
以前は、待ち時間用に、本を持って行ったのですが、目を開けていると、安静に出来ないので、結局の所、何も読まない、何も聴かない方が、時間を潰すのには、楽です。
音大時代にも、膀胱鏡での手術は電気メスで潰瘍を焼き切る手術を、麻酔が全く効かない状態で20回近くしましたが、麻酔が効かない状態での手術だったので、その痛みに、病院中に聞こえるような咆哮を立てながらの手術だったのですが、今回の半年検査では、color-monitorを見ながら、Doctorの説明を聴きながらなので、楽な事は楽でした。
検査の結果は再発の兆候は見受けられず、次回の予約を取って終わりました。今年、一杯の術後1年間は3ヶ月毎の検査なので、次回は9月の予定です。
病院を後にして、朝から何も食べていないので、駅で、もう、夕方なのだけど、「朝食の代わりに何か食べて帰ろうか?」と、思ったのですが、川崎の駅ビルの食堂街は、若者の街みたいで、私の食べれる食事を出すお店がありません。と、言っても、毎回蕎麦屋でもね~ぇ
諦めて、ハイツに戻る事にしました。
なんとか、6時半には江古田のハイツに辿り着いたのですが、疲れ切ったのは良しとしても、眠れないのですよ!!
どうして・・?? 不思議だ!! 何故?? 分からん‼
いずれにしても、火曜日は江古田ハイツに引き籠もりdayなので、仕事も出来ない・・眠れない・・テレビも面白くない・・、という無い無い尽くしで、漫然と夜を過ごしました。ああ、時間が勿体無い!!
そんなに、無駄な時間があるのならば、頑張って仕事でも、したら良いのにねぇ⁉飲みに行くのも良いし、巷を徘徊するのも、乙なものなのだが、疲れていて、何もする気にならないのだよな~ぁ。




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6月20日Facebookはよく文章がぶっ飛んでしまう·
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今日は朝早くから、今にも雨が降り始めそうな、どんよりとした天気です。練馬区の湿度は90%近くで、窓を開けて寝ていたのですが、布団がベタベタして来たので、慌てて窓を閉めたところなのです。
(・・・・と、ここまでの文章がぶっ飛んで無くなってしまいました。編集履歴に少し文章が残っていたので、コピペして復元しました。Facebookでは文章がぶっ飛ぶ事は、しょっちゅうなのですが、必ずしも文章の最初の方がぶっ飛ぶ分けではないので、気がつかない事もよく有って、文章をよく読み直している時に気が付いたりします。その時には、編集履歴にでも残っていれば、コピペ出来るのですがね・・。それすら不確定なのですよ。困った事だ!!)以下・・・
クーラーは苦手なので、湿気で窓を開けられないのは、ちょっと、困ってしまいます。
朝の4時半からは、昨日から延々と作業を続けている、Vivaldiの「秋」の練習風景のvideoにlessonの時の確認と説明を、編集作業の続きをしました。videoの編集作業をしながら、昨夜椎名町から帰って寝るまでの間に、意識朦朧状態で出来なかった「後片付け」の作業をしている所です。
(ながらの並行作業なのですが、特に、videoの編集作業の場合には、パソコンがその編集の仕事が終わるまでの時間が、結構、10分、20分とintervalの時間が掛かってしまいます。
そのlag-timeに、パソコンを見つめていても仕方がないので、そのlagの時間を使っての「後片付け」の作業です。
どうした事か、動画を編集する段階で、音声と画像がズレてしまって、テロップや写真等々がバラバラになってしまって、「もう一度最初からやり直した方が良いのか?」、それとも「このまま全部のpartsをコピペして位置をズラして、編集し直した方が良いのか??」と、暫し、悩んでしまいました。
結局の所は、コツコツと1個、1個のpartsをドラッグ&ペーストして、全体の練習風景の手直しをしたのだけど、単純作業なのに、ただただ時間が掛かって大変だったのだよ!
それにしても、今日は、朝から原因不明の鬱状態です。
「頑張って、気分転換を兼ねて、買い物にでも出掛けるか??」それとも、体調をおもんぱかって安静にして、「ひたすら寝るか??」悩んでしまいます。
果てさて困った事です!!
鬱の時には、決断力も低下するのでね??
「・・・で、『どうしたか??』って??」
答えは、何時もの通りに、・・・出掛ける事もなく、寝る事もなく、何をするでもなく、無駄に無為無策に過ごしてしまいました。アハッ!



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6月22日フラワー公園のみかんの子供 ·
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牧野先生のお迎え兼ドルプリっ歩にフラワー公園まで行った時に、拾ったミカンの子供です。
私は、朝の散歩には、付き合わないのだけど、斉藤先生との朝っ歩の時には、ミカンの子供は、もっと沢山落ちていたのだけど、近所の人が「子供のオママゴトに使うので・・」と、一生懸命拾っていたそうで、もう、殆ど落ちていなかったのだけど、それでも綺麗な実の所を手に持って帰れる分だけ拾って帰りました??




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6月23日眠い ·
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いや~あ、朝、定型で起きて、finaleで、構造分析の譜面を作っていたのは良いのだが、睡眠時間が足りないので、「このままでは、夜まで持たない」と思ったので、時間ギリギリまで寝ようと試みたのだけど、布団の中に潜り込んだまま、中々眠れないのだよな~あ⁉
浅い仮眠の中で、夢を見ていて、今日は、発表会に行く日で、行きつけの床屋で、髪を茶髪に染められている夢を見ていた。
勿論、現実では、行きつけの床屋なんて無いのだけどね⁉自分で髪を切るから、床屋には行かないのでね⁉
それにしても、出発までの時間は、ないのだが、今日は珍しく、超、眠たい‼
小一時間程、ベッドで横になっただけなのだけど、そろそろ、もう時間切れだよなぁ⁉
諦めて、シャワーで、髪の毛でも洗うとするか⁉
「土曜日に弓が帰って来るから・・・」と、言われて、もう、2週間が経ったのだが、昨日の土曜日に「弓が帰って来た」旨の電話があった。どうやら、土曜日と言うのは、2週間後の土曜日の事だったらしい‼
(・・・と、言うのは冗談なのだがね⁉)


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6月24日「不毛の教育」 ·
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globalstandardな時代になって、「日本の教育は50年、100年遅れている」・・と一般でも認識されるようになった。
昔から「詰め込み型」とか、「ロボット教育」とか言われて、その学習する内容の意味を理解する事のない、記憶偏重の闇雲な学習法に対しては、政府の教育関係者でさえも、その危険性を危惧し、教育の改革を試みてはいるのだが、なにせ、その解決策を持たないままの、言葉だけの改革に留まっていて、既に、数十年の長きが経過してしまっている。
今の学校教育が子供達の夢を育て叶えていないのは、明白な事実であっても、未だに、寄らば大樹の陰的な権威主義的な志向や、有名大学や大手企業への信仰とも言える偏重は、教育を経営と見る塾の経営戦略とも相まって、日本の大多数のstandardな考え方となってしまって、久しい。その教育に対しての一般的な傾向は、100年、200年経っても変わらない。(その理由は日本の教育の歴史として、何度も論文に書いているので、ここでは繰り返さない。)
日本独自の、そういった「不毛な教育」の中で、「少しでも、教育界や音楽界に波風でも立てられたら」・・と、私なりにも、30数余年、頑張っては来たのだけど、100年200年と続いて来た社会の常識は変わらないのだよな??
同じ事を30年以上言い続けて、結果、ある程度まで、上達して、その成果が見受けられるようになると、有名な教授や権威主義的な大学の所に行って、それまでに学んだ事は、一瞬で失われてしまう。
幾ら苦労を重ねて指導をしても、結局の所、生徒達には何も変わらないのだよ??
トドのつまり、求めている究極の目標が、私の夢とは違っているからなのだよな??
流石に30数年、同じ不毛の教育を続けていると、流石に、加齢による体調不良と精神的なpressureによる鬱が原因で、私も、そろそろ疲れて来たのだよな??
30、6,7歳になって、音楽教育関係の仕事に従事するようになって、私の後半の人生を全く無駄に使って来たように思えて、私の努力の全てが徒労に終わったような思いで、悩んでしまうのだよ。
私の元で音楽への道を見出して、音楽の世界に進んだとしても、それで、一度も感謝された事はないのだからね~ぇ??
だから、毎日、毎日が鬱になってしまうのだよ。
「ならば、直接子供達に接する事をやめて、音楽の理論に専念すれば良い」・・、なんて事を言って来る人達もいるのだけど、人によっては、proのorchestraを指導、育成すれば・・とか、音楽大学で音大生達を指導すれば・・とも言って来るのだけど、もうそういった年齢でもないしね~ぇ??
・・・中には、「いやあ~ぁ、それは加齢から来るのだよ!!」なんて事を言って来る人達も居たりして・・ね?? 
でも、まあ、加齢と病気に抗って、 未だに、諦めないで、頑張ってはいるのだから・・、結構偉かったりして・・・・、アハッ!


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6月25日netが繋がらない ·
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今日(6月25日の午前)は、朝起きて、パソコンをつけたら、なんと!netが全く繋がりません‼
朝は、携帯のnetも繋がり難かったのだけど、今は、携帯だけは繋がっているようです❗
パソコン2台とも同じように繋がらないので、パソコン側の故障ではないと思われるので、Routerをcheckしてみたら、やはり、Routerのランプが切れて表示されていました。
routerの再設定を2、3回して見たのですが、どうしても繋がりません❗
Jcomのhomepageも開いて見たのですが、「工事や不具合はない」という事だったので、このmansionだけのtroubleの話し・・・なのかな⁉
取り敢えず、お昼までは、netやパソコンの作業は何もしないで、パソコンを閉じたままにして起きます。
一応、lineとかFacebookは携帯で通じるので、仕事上の連絡等には支障はない・・と思います。
朝起きて、routineの血圧と体重測定をやってみたら、日曜日のオケ練習の時から体重が増え始めて、この半年の最高まで増えてしまいました。
でも・・・(とは言っても)、3㌔くらいの話しの間の話しなのですがね⁉
それにしても、火曜日に仕事をしていると、突然、意識混濁になってしまうのは、定型になってしまいました。
日曜日の疲れが、月曜日、一日頑張って休んでも、一日だけでは疲れが取れないからのようです。困った事です❗
椅子の上で、手足が動かなくなってしまったので、今日も(何時ものように、)慌ててベッドに潜り込んで、取り敢えずは横になって、眠れないままに・・夢を見ています。
覚醒していて、夢を見ている・・という意識があるのに、「夢を見ている」のです。(今日はとても素敵な夢を見たはずなのですが、夢の内容をmemoっていなかったので、時間が経っにつれて忘れてしまって、どうしても思い出せません。別に夢の話ではなくても、つまり、日常の場合でも、・・・隣の部屋に、物を探しに行って、ドアを開けて、部屋の中に入った途端に何を探しに来たのか忘れてしまう事がよくあるので、芋づる式記憶法のように、末端の枝の「何かしら」をmemoっておかないと思い出せないのですよ。)
pmの3時半過ぎになって、Routerの電源をまた入れ直したら、やっとRouterが生きて、netが復活しました。
あ~あ、これまで、何度Routerを再起動させたのだろう!!
4,5回??  6,7回?? やっと、緑色のランプが青色になりました。何時間掛かったのかな⁉
でもまあ、再起動出来たから、まあ良しとするか??
認知症、もう一発の話ですが、・・今日が火曜日という事は、認識出来ていて、火曜日の今routineである皮下注射等はちゃんと済ませているのに、今日が引き籠りdayなのに、それだけが自覚出来ません。
この所、食欲が無かったので、冷蔵庫のなかで、お弁当を腐らせる事が、1,2度あったので、お弁当のお持ち帰りをしていません。持って帰っても食べれないので、持ち帰らなかったのです。
と言う事で、今日は朝から、冷蔵庫の中には食料品が全く入っていないので、「お腹が空いたら、外食に出掛けなければならないのだ」・・・という事を、何度、自分に確認しても、全く意識的に、情緒的に感情的には認識出来ないのです。
何度も、「今日は火曜日で、外に食べに行く日だ!」と確認するのですが、いつの間にか、椎名町に食べに行く準備を始めています。
そうこうしているうちに、外食に出掛ける気力がなくなってしまいました。
今、寝てしまうと、寿司屋にも行けなくなってしまうのは自明の理だけど、だからといっても、「無理をしてまで、食べに行く。」というのも、しんどいのですよ‼
今日は、いつもと比べると、鬱という程は、鬱ではないのだけど、体調は差ほど良くないので、ユンケルでも飲みたいところなのだけどね⁉
そのビタミン剤を飲む事さえ、超、めんどくさいのですよ‼その辺が、充分鬱なのかも知れないよね⁉
それで、食べに行くのを諦めて、ベッドに横たわっているのですが、横になっていると、どんどんと疲れが体中に押し寄せて来るのですよ‼
鼻も詰まって息苦しいのです。
・・・とうとう横になって寝ているのは諦めて、体のmaintenanceのために、起きる事にしました。
先ずは、息が出来るように鼻のメンテとビタミン剤を飲む事から始めようと思います。




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6月27日今日は千葉に行く日です。。 ·
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今日は6月の27日の木曜日、千葉にlessonに行く日です。
朝の定時(5時前)に起きて、少しだけパソコンで作業をして、そのまま起きたままでは、lessonが終わるまで体力が持たないので、パソコンの作業を必要最小限に留めて、大急ぎで寝直しました。
ちゃんと予定の時間に起きれるか不安だったのだけど、ハイツを出発する時間の前に、起きれたのは良いのだけど、ベッドから起き出して、パソコンの前に座ったら、そのまま全く体が動かなくなってしまったのだよな??
風呂場でせめて、朝シャンをして髪の毛を洗いたいのだが、風呂場に移動するまでの、powerが全く無い。
体が全く動かないのだよな??
これは困った!!
果てさて・・どうしよう??困った!!



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2019年6月27日 ·
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「messa di voce=メッサディボーチェの成り立ち」
「messa di voce」とは元来は、声楽の発声の練習に関する技術(練習法)を指す言葉であります。
弦楽器でも同様の奏法があって、その奏法を、声楽の発声法の言い方に倣って、メッサディボーチェの奏法と呼ぶようになりました。※(それと良く似た言葉に、Voicingという言葉があります。Pianoの調律師がPianoの音を調整をしたり、fluteの職人が楽器の音を調整する時に使う言葉ですが、楽譜を書く時に符鈎の位置を調整したり、ギターの奏法の事だったり・・と範囲が広すぎるのと、意味が違うので、やはり、正しくmessa di voceという言葉を使った方が正解です。)それは、Renaissanceの時代は(チェロが未だ出来る前の時代だったので・・・)gamba属の楽器が主流でしたが、当時は、音を出して、その音を楽器の共鳴箱にkonsonanz(共鳴)をさせて、音を増幅させて演奏しました。(France映画で、邦名が※「めぐり逢う朝」というTitleの映画で、古楽器奏者のSavallさんのviola da gambaの演奏でも、messa di voceの奏法を見る(聴く)事が出来ます。)
konsonanzは、楽器が大きくなればなる程、konsonanzの幅が大きく出ます。
逆にViolinのような、(或いは、viola da braccioのような)小型の弦楽器では、大きなkonsonanzの響きはしません。
勿論、konsonanzを響かせる事は出来るのですが、大型の弦楽器に比べては、大して際立つものではありません。
所謂、先程のVoicingとしての、楽器を鳴らすための(楽器に対しての)訓練は、それこそ、無味乾燥な練習で、結構、練習に辛いものがあります。
勿論、それに成功して、楽器がよく響くようになったとしても、所詮は、gambaやCelloには敵うべくもありません。
whole consort(ヴィオール・コンソール)や他の楽器とのensembleをする時に、低音楽器であるBaß-gambaの増幅には、viole属のような小型の楽器のkonsonanzの増幅ではとてもついていけません。
ですから、Violin族のような小型の弦楽器では、一応はkonsonanzの音を弾きながらですが、それ以上の大きなkonsonanz(共鳴音)は意識的にkonsonanzの音の増幅の音を模倣して弾きます。
ensembleで、Baß-gambaやCello等との、音量のbalanceを取るためです。
現代では、伴奏付きのsoloであっても、ensembleの必要性はありませんが、当時の時代の音楽では、(無伴奏の曲を除く、全ての曲では)basso continuo(通奏低音)の楽器が入って来たので、常にensembleになってしまいます。
・・と言う理由から、messa di voceの奏法は、periodの世界では常識の奏法となっていたのです。
messa di voceの奏法は、教室の演奏では、八千代市主催の「Vivaldiの二台のviolinのためのコンチェルト、Op.3Nr.11」で子供達の演奏を聴く事が出来ます。
唯し、messa di voceの奏法は、日本では、一歩間違うと、日本固有の民謡や演歌で使用される、所謂、コブシの弾き方と誤解される事があります。
コブシの歌い方、これは全く別の演奏法なのですが、高温多湿の木と紙の国で、音を遠くへ飛ばす方法として、喉を締めて、力で押し出して歌う「歌い方」・「弾き方」なのです。
どこかの国の国立の音楽大学の教授が、音を繋げる(legato奏法の)ために、コブシの弾き方を生徒達に教えた事で、日本中の演奏家や学生達がそう言った誤った弾き方が日本の弦楽器の奏法の主流になってしまいました。
しかし、ヨーロッパでは、乾燥性の気候で、石造りの家が基本なので、そういった「後押し奏法」をとても、忌み嫌います。
ベルリン・フィルのconcertmasterであるSchwalbéさんが、日本に「公開lesson」に訪れる度に、その奏法について学生達に厳しく注意をするのですが、何年も、何十年も、注意しても治らないので、遂に、癇癪を起こして、その誤った奏法の事を「エイズ奏法」と呼んで、日本人の不治の病としました。
Schwalbé先生の公開lessonの時に、カザルスホールの最前列に、件の先生も座って聴講されているのですが、自分の生徒が注意されているのに、その事を自分が注意されているとは、お首にも思っていないようで、他の教授達と笑いながら談笑していたのは、驚ろいてしまいました。
私達はその奏法の事を「後押し奏法」と呼んでいました。
後押し奏法は、日本の土着の民謡や演歌、或いは浪花節の歌い方なのですが、ViolinやCelloの先生達の指導を見ていると、彼等の理想とする音、求める音、が二胡や馬頭琴のようなacousticの全く無い場所で演奏する楽器の奏法の音を追求されているようで、ヨーロッパの、乾燥した石造りの家に住んでいるヨーロッパの人達が求めている音とは、根本的に考え方が違います。国民性とでもいうのでしょうかね??
この奏法は未だに、日本の音楽家達の主流の弾き方で、私達は「芸大弾き」と言って揶揄しているのですが、勿論、ヨーロッパではそういう奏法をする人は皆無なので、ヨーロッパの人達からは当然、笑い者にされているのですが、それが正しいと信じてやまない日本人は、笑われている事すら理解していません。無知とは怖いものです。
困った事です。
また、ヨーロッパの音楽の歴史(所謂、Classicの音楽の歴史)の中でも、Violin族が出来て来たbaroque時代から、古典派迄の時代と、ロマン派から近現代までの弦楽器の音の出し方は、根本的に違います。全くの別物と呼んでも良いのかも知れません。
古典派までの時代とロマン派からの時代の分かれ目は、音楽の歴史学者によって、大きく分かれていて、その時代区分は色々と違いがあります。(SchubertやWeberはロマン派か古典派か?とはいつも問題になっているのですよ)と言う事で、分かりやすく1800年という年を境にすると、その時代は貴族社会が衰退して、petitブルの時代(所謂、Biedermeierの時代)になります。
だから、音楽の聴衆は貴族の宮廷の小さなHallから、より多くのpetitブルの大衆を集める事が出来る「大Hall」になり、音楽はより多くの人々のための音楽として、大きな音量が要求されて来るようになるのです。
そのために、baroqueや古典派で使われた弦楽器は改造されて、こんにちのmodern-楽器に改造されて、弓もTourteとSpohrの手によって、全く新しい張りの強い、力強い音を出す事が出来る現代のbowに代えられてしまいました。
それは弦楽器だけのお話ではなく、Pianoの歴史も同じで、HaydnやMozartの時代のforte-pianoも、single actionからdouble actionに代わって、大音量の現代のPianoが出来上がります。
そうして、baroqueや古典派の時代のkonsonanzの奏法は、古の奏法として、失われて行くのです。
messa di voceの歌唱法の妙技です。
曲はCacciniの「Amarilli, mia bella」です。
baroque唱法の妙技をご覧ください。Phoebe Jevtovic Rosquistのsopranoですが、椅子に座ったままで、高音域まで、無理なく楽に自然に歌っています。

Caccini: Amarilli mia bella; Phoebe Jevtovic Rosquist, soprano; David Tayler, archlute - YouTube
コメント
芦塚 陽二
Philippe Jaroussky, countertenorです。所謂、歌の女形です。当時は、女性のpartは男性が歌う事の方が普通だったのです。現代の歌唱法であるBel Cantoの発声法との違いが分かると思います。
Amarilli mia bella - YouTube




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6月28日「勉強しない勉強法」 ·
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この文章は、次のお話・・「人生へのブレ」と、内容的には全く同じ文章なのですが、approachが違っているので、別文章に見えてしまいます。
私が常日頃、口を酸っぱくして「勉強をしないでも、成績をupさせる事が出来る」という話を、オケ練習やlessonの時等の機会を捉えてよく子供達にするのだが、子供達のみならず子供達の親達からも信じて貰えない。
「勉強しないでも、成績の良い生徒は、特別の生徒なのか??」
実際に教室にも、勉強しないでも常に成績が良い生徒が結構いるので、「その生徒達の事について、どう思うのか?」を、他の一般の生徒達に質問すると、「勉強しなくても成績の良い生徒達は、頭が良い特別の生徒達なのだから、勉強しなくても、成績が良いのだ・・」と解釈しています。
一所懸命勉強をしていても、中々成績の上がらない生徒達とは、逆の立場の生徒達に・・・・、(所謂、子供の頃から、教室で私のmethodeで学んでいて、実際に、漢字を覚えたり、英単語を覚えるのに、一度も、鉛筆で書いて覚えたりと、した事さえ、ないのに、国立の大学に行っている先輩達に)「あなた達の机に向かわない学習法の方法論や利便性を後輩達に説明して、その意味を教えるように・・」と言うと、「でも、普通な事を、普通にやって来ただけだから・・」と言うのですよ。
つまり、机に向かわない学習法の「どこが普通でないのか??」が、本人達にも、全く分かっていないのですよ。
・・・「だから、あなたのやっている勉強法が、普通じゃあないのだよ!」と言っても、全くその事が、理解出来ないのだよな❗
それが「芦塚メトード」によってもたらされたものだ・・という事すら、全く、分かっていないのだよ。
大手の有名な塾や企業が芦塚メトードの中の記憶法を欲しがったのは、それが実に珍しいsystemだからである。
塾型の指導法を塾がするのは、それなりの理由がある・・、それは良しにつけ悪しきにつけて、塾の経営上の必要悪であるからなのだ。しかし、ここで塾の批判を展開しても、無意味である。勿論、ここでのお話は、「芦塚メトードについて」のお話なので、mainの音楽の勉強の仕方へのお話を主軸にしてお話をして行きます。
「喉元過ぎれば・・」
私達の教室に途中から入会して来た、他所の教室で音楽の学習(勉強)に行き詰まって、挫折しそうになって、教室に来た生徒達は・・・、最初の頃は、教室でのメトードの、その勉強の方法や、勉強の内容が、・・・、つまり、習う事、習う事の全てが、驚きの連続であった筈なのに、2年、3年と、教室の中で勉強を続けていると、周りの生徒達も、同じ学習法で勉強をしていて、同じ水準なので、いつの間にか、それが、音楽の勉強では、当たり前のように思えるようになってしまって、日本中の音楽教育の社会全体が・・・、或いは音楽を指導する指導者の先生達が、私達の、音楽教室と同じようなmethodeで、教育し、音楽の指導をして、生徒達が教室の生徒達と同じように楽しく音楽の勉強をしているように思い込んでしまいます。 (慣れとは本当に怖いものです。)
それで、周りの音楽の世界の事を全く知らない、無知蒙昧な無責任な薄学の知識しかない素人の「音楽に進むのならば、芸大の教授に師事しないとダメよ!」とか、「proになるのならば、テレビで活躍しているような有名な演奏家につかないとダメよ!!」という、世間一般のど素人考えの、温かい忠告に心を動かされて、教室をやめて、権威のある教授や有名な演奏家に師事して・・、lessonに行った途端に、(その先生の元で学び始めた途端に、)改めて「・・そうだった❗一般の音楽指導は、こうだった!!」という事に、改めて気づくのだが、それはもう、後の祭りに過ぎない。
気付いた時に、再び教室に戻って来れば良いと思うかも知れないし、世間の無責任な人達もそう忠告するのだけど、それで、実際に戻って来た人はいないのだよな??
間違えた道に堕ちるのは、一瞬でも、元の道に戻って来るのは、至難の業だからなのだよ❗
実際にこれまでも、高校生になる時に、芸大の教授の教室を去った生徒で、教室に戻って来た生徒は、非常に少ない❗
勿論、それは、どの世界のどの分野でも同じで、一番よく聞くお話は、結婚についてのお話だろう・・・。「一月も一緒に暮せば、アバタもエクボで、慣れて来て良くなって来るのよ!」という忠告を聞いて、後悔していたとしても、そこで戻れる人は超、少ないのだし、その時に、紹介者は、何の力にも、なってはくれない。ましてや、proの世界に「アバタもエクボ」なんてものが、ある分けは無いのだから!!
忠告に負けて、そんな当たり前の事も見えなくなってしまうのだよな??
「教室のmethodeは教室にしかないのだから・・、orchestraのcurriculumや室内楽のmethodeは、世界のどこにもないのだよ。」と口を酸っぱくして言っても、所詮、理解出来ない人達には、理解出来ないし、分かろうともしない❗
「掛かった時間が努力の時間」
世間の一般通念では、努力の時間の長さが、能力のlevelになる。
つまり、「この曲をこれぐらい演奏出来る」という事は、「これぐらいの時間、練習している」という事になるし、逆の言い方をすると、「それぐらいの時間しか練習していない人は、どんな曲を、どのように弾きこなしていたとしても、上手い分けはない❗」とされる。それが、その生徒の演奏を聞いたとしても、その演奏のlevel・・水準を理解出来る事はないのだよ❗
その人達の理解力では「proを目指す人達は、有名な演奏家や権威のある大学教授に師事して、辛い無味乾燥な練習を長時間して、その苦難苦行に耐え抜いた人だけに与えられるのがプロの世界である」と考えているのだよな❗「権威に頼る事もなく、練習を楽しんでいる人達は、所詮、趣味の世界で音楽を学んでいる人達なのだ❗」という解釈になってしまうのだよ。
つまり、「努力をしない」という事は、世間では、「出来ない」と言う意味になるのだよ。でも、ノーベル賞を受賞した日本の学者先生方は、全員口を揃えて「私達は楽しんでやって来たに過ぎません❗」というのだけど、その言葉さえも「特別な人達の言った、特別な言葉」としか、理解しないのだよな⁉
「仕事の出来と、時間」についてのお話なのだが、
私は教育関係者に対して、・・・ではなく、企業の関係者に対しての説明をする時には、仕事の出来と掛かった時間について、4マスで説明をする。
会社の新人研修の時によく説明する事は、「仕事が『速い⇔遅い』、『丁寧⇔雑』を4マスにした時に、企業が求める人材はどれか?」という質問である。
当然、best oneの回答は、『速くて、丁寧』である。2番目は、『遅くて、丁寧』であろうか。仕事に雑な仕事は有り得ないからである。
しかし、仕事でダメな人間、所謂、社会から落ちこぼれて行く人達は「私はこれだけ、時間を掛けて努力をしたのだ」と弁解、弁明して来て、それを認めようとはしない社会を批判して来る。
それは、学校教育の思いやり教育では、『生徒が努力をした場合には、その成果が伴わなくても、或いは、成果、目的が達成出来ていなくてもその努力は報われるべきであり、認められるべきである。』とされる事が多い。
当然、親もそういう評価を求めるのだが、学校は兎も角としても、社会に出てしまうと、そんな世界はどこにもないのだよ!!学校ではクライアントは生徒であり、保護者自身なのだからだよ❗
私の経験談を話すと、中学・高校生の頃の私は、否・・・、大学生になっても、ブキッチョで、仕事も遅く、丁寧さも皆無であって、しかも、トドメには、勤勉性の欠片もなかった。
つまり、音楽家としての職人性に全く欠ける・・というか、社会人としての資質にも欠ける怠け者に過ぎなかった。
その事が、私の、大きなcomplexであった。中、高生の頃は授業で先生が黒板(当時は、黒板だったのだよ)に書いた文章を、自分のnoteに書き写す事すら出来なかったのだよ。それぐらい筆記の速度が遅かった。それは40代になってから、ワープロやパソコンで、文章を入力する事が出来るようになった時でも、私の弟子達は、私が喋る速度で入力が出来たのに、私は、全くの金釘流で、箸にも棒にも・・という感じだったのだ。
memoの取り方が遅くて、学校の授業について行けなかった私は、memoの取り方の方法と、文章を速記する方法を編み出して、高校時代には私独自の速記法を作り上げた。その当時には、新聞社や国会には速記の専門家がいて、活躍していたので、その速記法を勉強しようとして見たのだけど、余りの難しかったさに、一瞬で断念してしまったのだよ❗
という事で、私の編み出した速記法の他に、単語を省略して書く・・方法は、ワープロやパソコンの単語登録の方法として、現在も使用している。
弟子達のパソコンの入力速度に遠く及ばなかった私だが、今では、どの弟子よりも速く文章を入力する事が出来る。尤も、音声入力を使うとそれよりも速く入力する事が出来るので、私の速記法も過去の物になりつつはあるのだが・・・。
私の生徒達や親達でさえ、私のmethodeの価値が理解出来ず、個人の能力と思い込んでいる。だから、幾ら私が声を上げても、methodeへの価値や有難味は所詮、理解出来ないし、分からないのだよ。
小さい子供の内から、最初から教室で音楽を勉強して、小学校に進学した生徒達の多くは、学校教育上の問題点(時間=評価)を身に付ける前に教室のmethodeを身に付けてしまったluckyな子供がいる。何の努力もなしに、学校の成績も音楽の演奏技術も高いlevelのままに、大学まで行ってしまう。
つまり、芦塚メトードを身に付けた覚えすらないのだよ。
これは、happyというか、悲劇というか?だよな??
日本型の教育は、単なる記憶力を評価するだけの教育である。それが大学受験までの評価となるのだ。
当然、教室の記憶法には、簡単に確実に記憶出来るようになるmethodeがあるのだが、それは一般的には知られてはいない。大手の有名な塾や企業が芦塚メトードの中から、記憶法だけを欲しがったのは、それが実に珍しいsystemだからである。(企業は音楽のmethodeや、子供の教育のmethode等は必要ないからね??)
しかしながら、現在、学生達を評価する基準になっている記憶力による学習成果による評価は、学生達の勤勉性と忍耐力を評価する事に過ぎないのだよ。
記憶による学習は単なる知識に過ぎないのだよ。
単に過去の経験を学び、それを現在に当て嵌める・・という事に過ぎない。
言い換えると、そこからは現代の社会に対応出来る革新的な発想は産み出されては来ないのだよ。
globalstandardな時代になって、日本社会も、やっとそこに気付かされる事になって来たのだよ。
勉強しないでも良い勉強の方法は、学校で先生の指導内容から重要なpointを聞き分けて、それをその場で覚えてしまう事なのだ。
塾型の教育には、当然、その理由がある。その、重要なpointを先生達が学び、そのpointを指導するから、塾に行っている生徒の成績をupさせる事が出来るのだよ。
どこの大学がどういう問題を出しているかは、塾ではパソコンを駆使して調べ、確立を出している。でも、そのresearch法は、生徒達には絶対に明さない。塾は企業なのだから、それは企業秘密なのだよ。それが分かれば、塾に行く必要はなくなるからね。
音楽は趣味で、一般大学へ進学をする予定だった、男の子が高校3年の秋口に入って、突然、「新設された芸大を受験したい」と言い出した。「2,3ヶ月しかないのだから、それはとても無理だ・・」と言ったのだけど、男の子なので意志は固いようだった。と言う事で、芸大の過去問を取り寄せて、課題別に、問題を分析した。・・・つまり、回答をしたのではなく、その先生の出題の傾向の分析をしたのだよ。その先生が出題をする限り、次の年度で出る課題の傾向は分かるのだよ。4,5回、lectureをしたら、後は「以下同文」・・という事で私のlecture-lessonを受ける事も無くなったのだけど、ちゃんと、次の年には合格していたよ。アハッ!
つまり、彼は子供の頃から、教室のmethodeで育っているので、練習しないでも、PianoやViolinを見よう見まねだけで、弾きこなしていたのだよ。
だから、受験勉強も同様に、私のlecture-lessonからpointだけを学んで、自分一人で、自分のrotationで勉強したのだよ。周りの人達は呆れていたけれど、教室としては至極当然の結果なのだがね??
まあ、彼一人の話ではないのだけど、prideが傷つくといけないので、他の生徒の話はしない。
・・・ねッ??
コメント
芦塚 陽二
またまた、文章の入力が出来なくなってしまっているので、推敲が出来ない。毎日毎回Facebookがおかしい!!と何年も言い続けているのだけど、未だに解決はしないのだよな??
それに、このcommentは非公開で書いていたはずなのだが、いつの間にか、公開になっている・・・それは問題だよ!!


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6月30日睡眠時無呼吸症候群 ·
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四日市のしおんちゃんが自分で企画した演奏会の本番に出演するために、今日の夜の「web-lesson」はお休みでした。
と言う事で、その時間分の食事の時間とドルプリっ歩が早くなって、・・・(まあ、食事の時間は、兎も角としても、それからのドルプリっ歩が、ウダウダと小一時間近く続くはずだったのだけど、霧雨が結構、酷かったので、)ドルがご機嫌斜めで、途中で「帰る!」とゴネ出して、サッサと事務所に帰って来てしまったのですよ。
・・と言う事で、(何と!!)10時にはハイツに戻っていました。
しかし、通常の事務所からの荷物を片付けている途中に、だもう、意識朦朧として来たので、明日のオケ練習の準備はしない事にして、大急ぎで、11時半頃には、もうベッドで休んでいました。
うつつな夢を見ながら、息苦しくなって、「そろそろ朝の準備をしなきゃぁ~ねぇ・・??」と、起き出して、時計を見て驚いてしまいました。
なんと、未だ、1時だったのですよ。
左の小鼻の鼻詰まりで、息が出来なくなったので、目が覚めてしまったのです。
多分、睡眠時無呼吸syndrome(症候群)になっていたはずです。
だから、目が覚めたのは正解・・・!!
toiletteに行って、鼻詰まりのcareをしている所です。
詰まっている小鼻に点鼻薬をさしている所なのですが、一回目では、鼻詰まりのために、薬が鼻の奥に届きません。
パソコンの椅子に座って、点鼻薬の薬が効いて来るのを待って、鼻の奥に届くように、2回目、3回目の点鼻薬をさします。それから、頑張ってもう一回寝る事にしました。多分、2時半か、3時頃でしょうかね??
次に起きたのは、4時です。
toilette-timeで起きたのですが、意識混濁状態なので、パソコンの椅子で休んでいたら、全く、ほんの少し休んだと思ったのに、6時を過ぎていました。2時間も時間が飛んでしまっていたのです。
無理矢理、動かない体に鞭を打って、ベッドまで動いて行って、兎に角、寝ました。
次に起きたのは7時過ぎです。
実際には、小一時間ぐらいしか寝ていないのに、体感的には、11時を過ぎて起きた感じがして、「起きる時間が遅れてしまった!」と、慌てていたのですが、時計を見たら、未だ7時を15分程過ぎたばかりの所でした。
うつつの夢を、・・(現実的な夢を)見ていた記憶があるのだけど、なんの夢だったかは忘れてしまいました。半分というよりも、ほんの糸口だけを覚えているのだけど、それが何だったのかが、思い出せないので、奥歯に物の挟まったような感じで、気持ちが悪いのですよ。
今日のroutineの体重血圧の測定や、髪の毛を洗ったり・・と、千葉に出掛ける前のroutine作業があるのだけど、それよりも、本来ならば、昨夜の内に、終わっておかなければならない楽譜の準備が、未だに、準備出来ていないので、それが最優先かな??
今日のtime-tableの時間割が間違えていたので、昨夜、lineで伝達して於いた返事が着いていたので、出発の時間が決まったので、準備のroutineの時間も分かりました。通常の1時半検見川教室着よりも、30分早い、1時に花園着なので、11時半には、椎名町の事務所を出発しなければなりません。・・と言う事は、11時には、江古田ハイツを出発しなければならないので、朝のroutineを済ませるのは、結構ギリギリなのかな??
て、勿論、体調が良い時には、1時間もあれば済ませられる準備作業なのだけど、体調不良な時には、一つ一つの作業が、倍も、3,4倍も・・時間が掛かってしまうのだよ!
特に、こんなに意識が混濁していると、準備したはずの物が、物忘れが酷くなるのだよ。それを防ぐ唯一の方法は、頭に浮かんだ時、目に見えた時に、間髪を入れず、それを準備の場所に置いて置く事なのだ。少しでも、後回しにしようとすると、二度と思い出せなくなってしまうのだよ!!そこが、老人性痴呆との境目かな?ほんのチョットした工夫で、でも、痴呆は防げるのだよ!!



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6月30日「人生へのブレ」 ·
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(またまた、文章がぶっ飛んでしまったのだけど、編集履歴を見ても残っていません。書き始めが文章の途中からになってしまっています。ほんと、Facebookは、超、腹立つな~あ??何時になったら、この不具合は、治るのだよ?! というか、最初から直す気がないのだよな⁉)
「本文」
●集中力の指導
子供達への教育で最も大切な事、それは、「集中力とその持続性」なのです。
元々、学生時代の私は、どうしようもない怠け者で、勤勉性の欠片もなく、勉強も全くしなかったので、一つとして人に自慢出来る物はありませんでした。
ただ唯一の私の自慢は、中学生の頃、高校生の頃を通じて、一旦、本等を読み出すと、4時間、5時間は寝食を忘れて熱中して読み耽る・・という・・・興味のある事に付いてだけは、熱中する事が出来る、という集中力なのです。(「なに⁉そんなのは、誰でも、持っている」・・・って??? それは、分かっているよ‼)でも、私は、自分の集中力を、大切にして来たのだよ‼
だから、芦塚メトードによる教育の基本を、保護者にlectureする時にも、「子供が集中している時には、それを次の予定で妨げてはならない。」「子供が集中を切らす、瞬間まで、それを邪魔してはならない。」という芦塚メトードの中で最も大切にしている基本の骨子があるのです。
オケ練習でも室内楽の練習でも、子供達への指導の骨子は、集中力であり、集中力を培うものであります。
勿論、lessonでも、「如何に子供達を音楽の集中の中に引き込むか?」という事が芦塚メトードによるlessonの基本なのです。
・・と言う事で、集中力を育てる事が、オケの指導、室内楽指導の基本であり、そこが芦塚メトードの教育の基本中の基本ともなるのです。
しかし、子供達が教室に入会して来る頃には、生まれついて持っていたはずの集中力は、もうすっかり失なわれています。
だから、子供達に音楽を指導する時には、0から教え直さなければなりません。
子供達は様々な条件によって、先生が幾ら努力をしても、集中が出来ないときがあります。私は、そんな時のlessonやオケ練習では、lesson時間よりも、集中力を大切にして、lesson(練習)そのものを早く切り上げさせる事がよくあります。
その代りに子供がとても良く集中している時には、lessonの時間を延長する事もよくあります。
lesson時間を時間で区切る教育は、所詮、誤った教育への理解に基づいた教育に過ぎません。
たった、5分ぐらいの時間を切り上げただけで、「lesson時間が少なかった!」と大騒ぎをする保護者がいる・・という話も時々ありますが、もし、集中しないままにlessonをしてしまうと、それがたった5分間に過ぎなかったとしても、その5分が子供にとって、害になる・・という事がそういった保護者の方は分かっていないからなのです。
そういう場合は、その5分を使って、集中の重要さを保護者に説明をすると良いと思います。
教室では、lessonで子供が3分しか集中出来ないような時には、その3分を、色々と別のcurriculumを混ぜる事によって、持続させようとしますが、それでも、15分、30分の時間を保たせる事が出来ない場合もあります。
そういう時には、保護者への教育のlectureに充てて、保護者が自信を持って子供達への教育にあたれるように、adviceの時間にするように先生達には指導しています。ここで、同じ話をしているのは、保護者に対して、教育に関してのlectureをする先生は、一般的にはいないからです。これも芦塚メトードの特徴なのですよ。
ところが、それだけ、本当に、コツコツと、苦労をして、長い(時間ではなく)年月を掛けて、努力を重ねて培って来て、やっと身に付いた集中力だとしても、たった一言の親の言葉で、ほんの一瞬でそれを失ってしまうことがあります。
たった、その一言だけで、子供達が培って来た長年の努力の結晶である集中力が失われて無に帰してしまうのです。
子供達は、自分達が受ける周りの人達からの色々な言動で、自分自身の信念を惑わされて、自分がそれまでに努力して培って来た能力を失ってしまうのですが、親は、その能力を「子供本来的に備わっているもの・・」と、勘違いをして、子供自身が他の事に意識を向けても、子供がこれまでに身に付ける事の出来たその能力は失われないものだと、誤った認識をしてしまいます。
その最たる物が学校の勉強(=成績)でしょうかね??
●学校教育と専門的な勉強
子供が集中力をmaster出来るまでには、一つ事にしか専念する事が出来ません。
子供の学ぶべきpointを、2つ、3つと複数の目標にすると、子供達が勉強をしている全ての水準が下がってしまいます。
まあ、それでも、要領の良い子供の場合には、学校内での試験ぐらいならば、all100点と言う事も有り得るでしょうが、音楽の世界、athleteの世界になると、そうは行きません。
そこでは、全くの専門的な別の世界なのですよ。
実際に、教室では、all100点を取るような、成績の良い生徒も何人も来てlessonをうけていたのですが、それは器用貧乏に過ぎないのです。
・・事、音楽の教育にだけに限定すると、音楽専科の生徒には、その専門性で、一般の音楽の教育の延長上のlevelでは、立ち打ちは出来ないのですよ。
所詮、学校教育は一般人を対象にした一般教育に過ぎないのだから、そこに専門性は無いのですからね??
そこで、私達の教室が生徒達に指導している、専門的な音楽教育に対抗する事は出来ないのです。
たまに教室で音楽を専門的に習っている生徒が、学校の成績の良い生徒を羨ましがって「〇〇ちゃんは頭がよくていいな。うらやましい。」などと言っているのを耳にしますが、それは完全なお門違いなのです。一般教育がall100点の器用貧乏な生徒は、何一つ専門的な能力は身に着けることは出来ていないのだからね・・・・
教育の基本はブレない事なのです。
いつも私が言っているように、この怠け者で、超ブキッチョの私ですら、「音楽の道に進む」と決めた時から、一度も、その「音楽への道」に付いてだけは、ブレた事はありません。
その事は、私だけの事ではありません。
私が、未だ、音大の学生であった頃にバイトとして指導していた「音楽大学への受験生達」でも、「音楽への夢と希望」だけはブレた事は全く一度としても、ないのです。
勿論、親達も子供の夢を邪魔する親は皆無でした。
そこは今現在の、巷の音楽教室と、音楽大学の教授先生達の考え方は根本的に違っていて、生徒の意識が、少しでも学校の成績等や部活等に生徒の意識が傾けば、即、その先生の元を破門とされてしまいます。
音楽大学に進学する生徒達を指導する大学の先生達は、「学業と音楽の両立」は、認めてはいません。
それは、「学業と音楽の両立」が可能か否か・・ではなくて、指導者としてのprideが許さないからなのですよ。
・・と言う事で、音楽大学への受験生を指導する場合には、例え、私の学生時代のバイトであったとしても、心のcareは必要ないので、指導者としては、超、楽で・・、鬱になる理由はないのですよ。
「ブレない子供」を育てるために、最も大切な事は、「音楽を好きになる」という事であり、「好きになる」という事が「音楽への夢」を育てると言う事です。また、その「音楽への夢」のNiveau(水準)が、その子供の心の水準を育てる事になって来ます。
つまり、step by step、一歩一歩なのですよ。
●記憶力と興味の関係
「学校教育は記憶力によるものである。」と私はよく言っていますが、子供達は、自分に興味のある事に対しては、素晴らしい能力(記憶力)を見せます。
女の子が年頃になると、彼氏の誕生日や血液型や・・、アイドルの名前等々・・、(私達に取ってはどうでも良い事で、肝心要の事は少しも覚えようとはしない癖に)・・どうでも良い事は本当によく知っています。
それが彼女等にとっての興味の中心なのですよ。
私はテレビに登場する超、美人で可愛い女性達の名前を覚える事が全く出来ません。
テレビにその女の子が登場する度に、毎週その子の名前を聞いても、2年経っても、3年経っても、覚える事が出来ません。
勿論、顔は覚えているのだけどね~??
そのクセ、作曲家の事になると、ほんの一瞬で覚えてしまうし、lessonで子供達に注意した事の全ては、以降10年間は覚えておくようにしています。
5年前、10年前のlessonで注意した事はちゃんと覚えておくと、lessonに困らないからです。
今、この所では、オケ練習で前回(一週間前に)した私の注意事項を、曲別に私の代わりに確認する(言わせる)作業を子供達にさせています。
その出来は、取りも直さず、その子供にとっての、オケ練習への価値、・・と言うか、私のlectureに対して抱いている価値感を意味します。
つまり、先週のオケ練習で、私が生徒達にlectureしたlessonの内容が覚えられていない・・という事は、私のオケの指導が面白くない・・興味がない・・と言う意味でもあるのですよ。
「先週、私がした注意を発表してごらん?」と生徒達に尋ねても、「出来ません。」「忘れました!」という生徒は、私のlectureに興味が無いのですよ。
もしそういう事ならば、私が、幾ら頑張って子供達を指導しても、上手になる分けはないでしょう??
●親は盲目?!
子供達が、音楽に立ち向かう真摯な姿勢が出来上がったら、本当はそこから初めてproになるための教育が出来るstart-lineに立ったに過ぎないのですが、親はそれを「そこまで行ったらもう大丈夫だ!」と次の他の事(学校で成績を上げる事等)に専念させようとします。
そうすると、折角、その子供が努力を重ねて得る事が出来た、集中力や記憶力等の大切な子供の能力が、ほんの一瞬で失われてしまい、それを取り戻すのは、その能力を得るのに費やした時間と同じ時間か、それ以上の時間や努力が必要となってしまうのですよ。
現実的には、後でその能力を取り戻すのは不可能に近いもので、子供の挫折を招くことになってしまうのです。
恐ろしいことです。
しかしそれは親の立場になると全く分からないのです。
それは「貞子以上に」超、怖い事なのですがね~ぇ??
そこの所は、「親は盲目」というか、親の欲・・というか、業というか、どうしても分からんのよね~ぇ?? 
かわいそうにねえ~・・・・
(またまた、書いた文章が全部ぶっ飛んで、編集履歴にも残っていない!!Facebookは超腹が立つよな~あ!!)
●おかしな脅し
私が一番腹が立つ事は、保護者の人達がよく子供達を勉強させるために、言う言葉で、「成績を上げないと、オケ練習に行かせないよ!」と子供を脅かす事です。
ちょっと待ってよ?
それって、超おかしな脅しではないですか?
確かに、その脅しは、最初の1回か、2回は、効果もあるのかも知れませんが、もし、それで子供が、「じゃあ、オケ練習、行かなくても良いよ!」と言って来たらどうするの??
実際に、教室の経験では、それで教室をやめた生徒達も数多くいるのだけどね。
だって、逆に、子供の立場から考えて見ると、厳しいオケ練習を必死に耐えて、音楽の練習を毎日しなくてもよくって、勉強もしなくて良いならば、子供達は、友達と遊ぶ事を優先するに決まっているでしょう??
「わ~い!思い切り、遊べるぞ!!」・・という分けなので、子供達にとっては、こんなに都合の良い、楽な条件はないのだよ??
・・という事に、どうして親は気づかないのかね??
「音楽が楽しい!」・・・なんて、誰が言ったの??
普通は、「音楽は辛くて、厳しい」ものなのだよ!!!
それを、教室の先生達が、苦労と細心の注意を払って、「辛く、厳しくないように・・」「楽しいように(!!!!)」lessonの方法と、無理なく上達出来るようにcurriculumを作って、指導しているのに、過ぎないのだから・・ね!!
そこが理解出来ないのは、不思議だ!!
その事に付いて、もう少し掘り下げて見よう!
●楽しいと勉強ではなくなる!?
保護者の人達の誤解・・・それは、とどのつまり、「子供達が楽しんで音楽を勉強しているのだから、音楽は遊びの延長であって、学校の勉強のような、所謂、『勉強』ではない。」という、超、間違えた考え方に基づく前提があるのですよ。
ノーベル賞をとった学者先生達が、必ず言う事があります。
それは、「勉強はつまらなかったので、やらなかったけれど、自分の好きだった研究は楽しくて、一度も辛かった事はない!」という事です。
つまり、ノーベル賞を取るような先生達にとっては、学問や研究は遊びに過ぎなかったのですよ。
誰も自分の研究を、勉強と思って研究をしていては、ノーベル賞を取れる分けはないのですよ。
そこが、学校の勉強との一番の違いになるのですよ。
そこは、音楽だって、同じなのですよ。
有名音楽大学の卒業生から、教室の先生を募集して一番困る事があります。
私達が面接をする時に、講師希望者の学生達に、「教室では音楽の楽しさを子供達に教えて欲しい。」と教室のconceptを言うと、必ず、帰って来る答えがあるのです。
その答えは、「音楽は楽しいものではありません。」「辛く厳しいもので、それに耐えた人だけが音楽の道に進む事が出来るのです。」と、烈火の如く怒られてしまいます。
彼女達にとっては、「楽しい音楽」を指導する・・という意味は、テレビで流れているアニメ・ソングや子供の曲を指導する事を意味するのですよ。勿論、大手の音楽教室等では、それをmainにして、生徒達を集めています。
そう言った商業主義的な音楽教育ではなく、子供達への真摯な音楽指導の場合のお話しです。
音楽に対して、真面目に(真摯に)取り組んでいる 彼女達の音楽を学ぶ上での前提に、「Classicの音楽が楽しい」・・という事は絶対に有り得ないのですよ。
日本の音楽家達の音楽が、楽しくなくって、つまらないのは、そう言ったacademismの教育の上に、Classicの音楽の世界が成り立っているからなのです。
教室が言う、「音楽の楽しさ」・・というのは、Classicの音楽が、しかめっ面のつまらない音楽ではなくって、本当は、とても楽しくて、美しくて、心を打つ、素晴らしいものである・・という意味なのですが、日本の音楽家には、そこの所は、絶対に、理解して貰えないのですよ。
音楽大学の教授先生の前で、心を込めて、音楽の表現をしようとすると、教授達は、それこそ、烈火の如く怒り出します。
Sibeliusのあの美しいViolin-concertoにしても、或いは、Kreislerの小粋な小品でも、体を固定して、絶対に揺らす事なく、譜面に忠実に、一つの感情の乱れも無く、機械のように、computerのように、演奏しなければならないのですよ。(・・と言ったらcomputerが気を悪くするかもね?今のcomputerは情緒表現は得意だからね??)
でも、まあ、音楽大学で学ぶ音楽・・、それが音楽かね??
困ったもんだ!!
「では、彼等が望む音楽家のstatusはなんなの?」と言う事なのですが、それはathleteのように、自分の技術をひけらかす事なのですよ。
曰く、「これだけ、難しい曲を、一つの誤りも無く演奏する事が出来ますよ!」と言う事なのですよ。
You Tubeで、超絶技巧をひけらかすamateurの人達を時折、・・というか、この所、よく見かけますが、彼等、彼女等が芸術家である事は、決してないのですよ。
だって、そういう音楽を聴いても感心はするかもしれないけど、決して感動することはないでしょう?
そんな当たり前の事が、どうして、教授連中には、分からんのかね~ぇ??
●学校の成績の責任は?
それに、学校の勉強が楽しいか否かは、学校の先生の役割であり、責任なのだから、学校の勉強が楽しく出来るか否かは、学校の先生の問題だろうよ!!
ましてや、子供達の成績に関しては、塾の先生でもなく、学校の先生の役割ではないのかね~ぇ??
学校の先生達が、子供達の勉強に対する興味を引き出して、楽しく勉強できる教育をしてくれないとおかしいでしょ?
今の子供たちの勉強の仕方を見ていると、まあ、酷いこと酷いこと・・・そんな勉強の仕方じゃあ、勉強がつまらないのもよくわかる。
余りにも酷いので、見るに見かねて牧野先生がオケ練習の合間に、数学や英語を教えたりしています。
ちょっと待ってよ!
なんで音楽教室の先生達が学校の勉強にまで責任を負わなければならないのだよ!! 
その話は学校の先生にしてくれよ!!
それじゃあ、毎日のようにテレビを賑わしている「児相の先生達」と変わらんじゃん!!
●芦塚メトードの実践のために
つまり、保護者が子供達に「成績を上げないと、オケ練習に行かせないよ!」と言う事に対して、私が烈火の如く怒り捲くるのは、私達が、子供達に集中する事を教えて、音楽に対しての技術を身に付けさせて、そこまで音楽表現を上達させるのに、どれだけの時間と努力、と多くの苦労を費やしているのか、ということを全くわかってくれていない、ありがたくも思ってくれていないということを痛感させられるからなのです。
教育とはお金さえ払えば、当たり前に子供達に提供してもらえる・・というものではありません。
私たちの教室はお金儲けや「タツキの糧」を目的に教育をしているのではないのです。
つまり、音楽教室は、私の教育の理念のために、私が私財を投じて開いている、ある意味、趣味的な「持ち出しの世界」なのだよ。
稼ぎを優先するのなら、オケの指導なんかせずにその為の楽器を全部売り払い、オケ練習のための部屋も解約し、私が長年かけて買い集めた楽譜類などは一切使わせずに、生徒自身に楽譜店で買わせ、生徒のために編曲をする度に通常の編曲料をがっぽりと頂いて・・・・・と、限がありません。
つまり、芦塚メトードの実践のためには、お金と時間と労力が莫大にかかるのですよ。
公共的な児童orchestraが存在するのは、個人ではお金が掛かり過ぎて無理だからです。
だけど、官や公がやるとすれば、芦塚メトードは使えないからね??(公が一人の指導者におんぶする事は出来ないのだからね?!)
だから私が私財を投資する事になってしまうのだよ。
子供達一人ひとりに私が幾ら出費をし、タダで手間暇をかけているのか、わからないだろうな~?
「音楽の勉強は、先生達が何も努力や苦労をしなくても、楽しいものだ」・・と思うのならば、・・否、「音楽は遊びの延長に過ぎないので、学校の勉強の対価としての価値しかない」・・と思うのならば、「音楽の先生はそれを指導するのが当たり前」と思うのならば、あなたはもう子供を挫折の道へ引きずりおろしかけていますよ!!?
そういう方は、子供に下手に夢をもたせてはかわいそうです。
何も教育はせず、何も夢や興味を与えず、ただ弾き方だけを教えてくれる大手の音楽教室にでも行った方がましかもしれませんね。
・・・・まあ、愚痴はこれぐらいにして、・・今日は、さて!・・オケ練習にでも、出掛けるとするか??




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7月



7月1日大根の葉 ·
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今日は、定型の日曜日の千葉のオケ練習へ行く途中で、花園教室に到着する時間を連絡するために、武石のパッサージュに寄りました。
そこで、葉っぱのついている大根を見つけて、買って来たました。

私は、大根葉の塩漬けが大好きなので・・!!
でも、大根が大きく成長し過ぎていて、葉っぱが黄色に厚くなっていて、半分以上が枯れていて、虫食いも酷かったので、半分以上、捨ててしまいました。

私としては、葉っぱが青々として、まだ柔らかい時期の大根を買いたいのだけど、お店としては、葉っぱを売っている分けではないので、中々綺麗な葉っぱの大根は、売っていません。

大根の葉っぱは、「ただの観てくれ!」として、売っているのですが、大根の葉っぱは、大根の本体のみずみずしさを、吸い出してしまうので、大根の葉っぱを食べるのでなければ、葉っぱの付いた大根は買うべきではありません。
もし、大根の葉っぱを食用にするために・・・という意味で、付けたままで売っているのならば、葉っぱが厚くなる前の、柔らかい青くみずみずしい時の大根を収穫すべきなのですが、ここまで大きく育ててしまっては、大根も、葉っぱも両方とも、美味しくはありませんけどね?
でも、葉っぱの付いた大根は、東京では、中々売ってはいないので、なんとか、食べれそうな所を選んで、荒みじんに切って、塩もみまでした所です。
これから冷蔵庫でまる1日程、養生させて、水洗いをして塩抜きをしたら、出来上がりです。
「そうだ・・! この所、鯛茶漬けばかり食べていたので、ご飯がありません。
・・・コメも炊かなくっちゃ!!」
ハイツでは、まだ、ご飯は、(いつもの通りに、シツコク、・・・)糖質制限の炊飯器で炊いています。
(またまた、冒頭の4行が、uploadした途端に消えて無くなってしまいました。今回は、なんとか編集履歴に残っていたので、コピペして事なきを得たのですが、Facebookで、文章がぶっ飛ぶのは、ほんと、毎回の事だよな??)

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7月1日なんと、ふと気が付いたら、 ·
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なんと、ふと気が付いたら、私に断りもなく、7月の1日になっていました。
明日の2日と明後日の3日の間が新月で「朔」です。
今日の1日は暁月の27,7日です。
・・・という事で、気が付いたら、もう一年の半分が終わってしまっていて、後、半年になっています。
一年の過ぎ去るのが、なんと早い事なのでしょうかねぇ??
・・・てな、事をうだうだと考えているこんにちなのですが、今日は月曜日、つまり、日曜日の次の日であり、ようは、オケ練習の次の日なので、定型のroutineでは、一日中仕事にならない、寝込んでしまって、鬱々として、意識混濁になっているはずの日であります。
という事で、疲れが酷くって、日曜日の深夜から、もう既に、小一時間のintervalで、寝たり起きたり・・を繰り返して、心も、夢か、うつつか、よく分からない意識混濁の状態のままで、月曜日を迎えているのです。
という事で、仕事という仕事も出来ないままに、あっという間に、月曜日という一日が終わってしまいます。光陰が矢の如く終わったのではなく、その日一日が丸々存在しなかったのですよ‼
コメント
芦塚 陽二
改めて文章を読んで見ると、うだうだと意味不明の事を延々と書いているので、無駄なので、「文章自体を削除しようかな?」とも、思っていました。その原因は、夜になって・・とか、その次の日になって、改めてFacebookに、一日の感想を書き込む時に、Facebookの絶不調で文章を書き込む事(文章の入力)が出来なかったり、体調の不良が重なって、文章自体は思い浮かべているのに、体調不良で・・書く事が出来ず、timingを逃してしまって、書きたい事をすっかり忘れてしまって、・・・それでも、普段の体調ならば、ゆっくり考えると書きたい事を思い出せるはずなのに、心が乱れて、思い出す事に気持ちを集中させる事が出来なかったからなのです。「心、千々に乱れける」のですよ❗


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7月2日教育の理念について ·
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このお話もhomepageには、よく書いてupしてはいるのですが、今年の4月1日から今現在に至るまで、私のhomepage「芦塚先生のお部屋」が全く開かないので、已む無く、このFacebook上にも、教育論文と同じ内容の文章を書く事にしました。
私が、子供達の教育法についての「保護者へのadvice」を書く時には、私は音楽教室の先生としての立場で、「音楽を学ぶ上での教育」として、説明をする事が多いので、私が「子供達を音楽の道に誘(いざな)うためのみの教育」、音楽に進むための教育として、adviceをしようとしているように勘違いされる事が度々あります。
私の立場については、これまでも、誤解の無いように、多くの論文等にも掲載して来てはいるのですが、保護者の方達と接する機会が音楽教室の先生という立場である事が殆どなので、どうしても音楽教室の指導者と言う事で、音楽至上主義的立場に立っているように、見受けられる事の方が多いようで、私の主義主張が「音楽の道を歩む特別な生徒達を対象にしている」・・と思われている事は残念でなりません。
そもそも、私が文部省関係や教育関係の人達に委託されて、芦塚メトードの実証の為のmodel教室を立ち上げた時は、依頼して来た人達は政府の教育関係者や、民間の教育関係者であり、音楽とはまるで無関係の人達だけだったので、私としては、小学校で学業を完全に理解させるための学習塾に近い形態の教室を想定していたのです。
ただ、教育関係者の人達から要求された条件は、芦塚メトードが普遍的なmethodeであるための条件として、私が子供達を、直接指導するのではなく、私のmethodを使用すれば、どの先生が指導したとしても、生徒の成績が向上しなければ、methodとしての、普遍性はないので、それは一般の教室(学習塾)と何ら変わることのない教室になってしまうので、意味がありません。
つまり、私が育てるのは指導をする先生達であり、その先生達が優れた生徒達を育成出来るようになった時に、始めて私のmethodeが優れたmethodeである事を、証明出来る・・という意味なのです。
つまり、その当時、私が必要としていた弟子は、私の教育のmethodeを勉強してくれて、実践してくれる生徒だったのですよ。
私の教育大学の生徒や、音楽大学の生徒で、私のmethodを勉強して、model教室で子供達を指導するためには、私の生徒達は、勤めている学校を退職しなければならないというriskがあり、私としても、中々その事を、生徒達に頼む事は、辛いものがありました。
中々誰にも頼めなくって、悩んでいる時に、私のmethodeを「勉強しても良い」と言ってくれたのが、昔の私の生徒で、音楽の演奏家をしていた人だったので、結果として、音楽教室になってしまったのですよ。
しかし、音楽の教室と言えど、その音楽との関わり方には、多種多様な音楽があって、その形態も、勉強方も、色々なjanreがあるのです。
私個人としての場合には、同じclassicをなりわいにしている音楽家の人達の中でも、その多くの人達と私は、「音楽に対しての考え方」、「人生に対しての生き方」が根本的に違っているので、他の音楽家の人達に、私の音楽に対する態度と同じ姿勢を要求する事は絶対にありません。
プロの音楽家に対しても然りなので、ましてや、一般の子供達の教育の問題で、私の音楽に対する考え方、人生に対する生き方を、人様に対して、或いは、子供達に対して、要求する事は絶対にありませんし、全ての子供達に対して、音楽の道に進むように育てた事もありません。
いつも、私がお話ししているように、人と音楽との関わりには、千差万別の関わり方があるのです。
私の音楽に対しての関わり方は、極々、限られた人達だけの、超、狭い芸術至上主義的、・・音楽至上主義的な関わり方に過ぎないからで、それを、音楽教室の子供達に要求しては、全ての子供達が潰れて挫折をしてしまいます。
だから、私がいつも私のadviceとして、生徒達、保護者の方達に、お話ししている事の内容、或いは意味は、「夢と現実を一致させる」という事のみに過ぎないので、その「夢」の定義の中に「音楽」という限定的な意味はありません。
ただ、どんな夢であったとしても、夢を夢のままではなく、夢を現実に叶えるためには、そこで幾つかの条件が発生してしまうのです。
先ずは、夢を叶える事の条件の第一歩としては、「子供と親の夢」が一致していなければならない・・と言う事があります。
子供の教育の現場で、まだ社会性の必要性が少ない時期、所謂、小学生の中学年ぐらい迄の時期では、親も、子供と同じ夢を見る事が出来ます。
しかし、中学校、高校と子供が成長して行くに従って、受験や、大学進学という社会的な現実が眼の前に飛び込んで来ます。
そうすると、それまで大切にして来た子供の夢よりも、より身近な学校の問題が現実問題になって来てしまいます。
音楽の道に限らず、athleteを目指す子供達や、balletや音楽以外の芸術を目指す子供達は、そこで学業との二者択一を強いられる事になるのです。当然、athleteや、音楽等のProを目指す子供達や家庭では、そこに選択権はありません。
でも、それは子供達各個人と家庭内での問題であり、夢に突き進むのか、一般的な音楽を趣味として、学業に専念するのか?の択一の問題であって、音楽教室や私達が関わるお話ではありません。
その立場は、昔から今まで、一度も変わっていません。ただ、親がこの現実を直視しようとしないだけです。
私が、口を酸っぱくして何度もhomepageやFacebookに、この事を取り上げているのは、「夢を叶える」ためには、その「夢」の水準と、学業の両立には、相関性がある・・という事なのです。
でも、このお話は、私の意見ではなく、音楽関係者に取っては、常識であり、音楽大学の教授の先生達が書いた先生達や保護者に向けてのadviceの本が沢山出版されています。
この事は、音楽の教育に携わる者としては、実に一般的な意見なのですが、その例を具体的に上げると、
①「芸大(桐朋)を受験するには、小学校に入学する以前から、ちゃんと大学の教授の元で音楽の勉強に専念しなければならない。」
②「上記2校以外の有名音楽大学に受験を希望する生徒は、小学5,6年生迄に、受験体制に入らなければならない。」
③「中、高の受験のために、塾に行く事を希望する生徒は音楽大学の受験を諦めた生徒と見做して音楽への夢を見せてはいけない。」
④「小学生の内から、1年、365日音楽の練習を休んでは行けない。」
これらの事は、音楽の友社や全音楽譜出版社からの、Pianoの指導者に向けて、或いは、Violinの指導者に向けての指導者へのadviceの本として、芸大や有名なpianist達、violinist達の先生方が書いていて、沢山の本が出版されていて、音楽指導者達にとってのBibleにもなっています。
勿論、大きな本屋、楽譜屋であれば、何処でも手に入れる事が出来るbest-sellerなのですから、何時でも読む事が出来ます。
小学生5,6年生(或いは、中学生の時)から、塾に行って、中学受験、高校受験をして、それから音楽大学に進学をする・・という事は、原則として、有り得ない事なのですよ。
音楽はballetやathleteと同じ、職人的な世界なのですから、中、高校生になってから、自分で判断出来るようになってから、「音楽に進むか否か」を決める事が可能な世界では、(何度も繰り返し言っているように)、絶対に有り得ないのです。
「でも、教室では、何人もの生徒さん達が、高校生の時に音楽大学への進学を決めて、実際に音楽大学に入学しているのでは・・???」
それは、「100%助からない」・・と言われている癌患者が、奇跡的に助かったのに過ぎないのですよ。
それが教室では、100%の確立であったとしても、それは一般的には、誰一人として信じない、超、super、ultraな例外、所謂奇跡に過ぎないのです。
現に、その事を、教室以外の人達の誰に言っても、信じる人はいない・・でしょう??
一般的に有り得ない事は、有り得ないのですよ。
指導者は、常に子供と密接に、接しているので、「子供が自分の夢に、ひた向きに向かう」・・・という事を育てる事は、そんなに難しい事ではありません。でも、それは、私達の教室だけの例外中の例外なのですよ。
一般の教育では、音楽大学を受験する目的で音楽の勉強をする場合、音楽の楽しさを学べる事は、絶対にありません。
子供達は、苦痛と罵詈雑言に耐えて、親と子供がlessonの度に、絶望して泣きながら、挫折に耐えて、音楽大学に進学出来るのは、それでも、ほんの一握りに過ぎないのです。
巷の音楽大学を卒業して来た人達は、そう言った苦労に耐えて来たelite達なのです。
私はそう言った教育に対して、批判的である事は事実です。
しかし、だからと言っても、父兄の望む物、学業もProとしての音楽も、所謂、その両方、全てを与える事は無理なのですよ。



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7月3日ひかりヶ丘の糖尿病外来 ·
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2日の夜です。
明日7月の3日は、朝一で光が丘の病院の糖尿病外来に行きます。
糖尿病では、兎に角、痩せる事、体重を減らす事しか、言われないのですが、実際には、昨年の12月から、全く体重が変わっていないのですが、不思議な事に、病院の先生も、回りの人達も、「少し痩せた‼」といいます。
しかし、この半年の間は、体重の変化は全くありません。
明日の病院も、単に薬を貰いに行くだけなので、病院で長時間、待っている事が、少しマンネリ化していて、無意味な事のように思われます。ならば、以前の巷の個人病院と全く変わらないように思われてしまうのですよ。
毎回、検査は血液検査だけなので、その結果も全く変わらないし、なにか新しい検査等は、なにもないので、話す事も、聞くことも毎回同じになってしまいました。
3日の病院の日です。
兎に角待たされる事に苛立って、secondオピニヨンを考えている病院の検査なのです。採血の時に、血管が見当たらないと言う事で、手の甲の血管から血を抜かれました。手の甲の血管は良く見えるのだけど、細い上に良く逃げるので、皆挑戦するのですが、挫折してしまいます。でも、今回のひかりヶ丘の採血の人は、とても上手で細い血管を細心の注意を払って、無事に採血しました。(写真は川崎の採血の時の私の腕です。アハッ!)
病院の検査と診察が一通り終わったら、ついでに、色々な買い物を、光が丘でして帰るつもりだったのですが、余り、前日の夜に寝ていないので、病院での検査と診察が終わった時点ですっかり疲れ果ててしまいました。
だから、光が丘では、何処にも寄らないで、大急ぎで、ハイツに戻りました。
すぐに寝よう・・・と思っていたのですが、前日の夜に、Facebookの論文のcheckを斉藤先生に頼んでいたのですが、赤入れが終わって、mailに添付書類として、着いていたので、パソコンで、それを更に手直ししていたら、なんといつの間にか、夕方になってしまっていました。
突然なのですが、いつもの時間になって、意識混濁の睡魔が襲って来たので、ベッドで寝た所までは良かったのだけど、目が覚めたら、ドルプリのお迎えっ歩の時間を過ぎていました。
慌てて準備をして、出掛けたのだけど、椎名町の玄関には誰もいないので、霧雨の中を、フラワー公園までトボトボと、歩いて行ったのだけど、courseを変えてしまったのか、巡り合えなかったのです。
すっかり疲れ果ててしまったので、公園のいつものベンチで休んでいたら、お巡りさんが二人もチャリでやって来て、職質を受けてしまいました。
雨の公園のベンチで一人でポツンと座っていたので、痴呆徘徊の老人と間違われたようです。それとも、不審者かな⁉

お巡りさんが、「雨の中をベンチに座って・・」とか、言っていたので、「ここは木々が重なっているので、雨には濡れないのですよ❗」とか、「ワンちゃんを迎えに来たのだけど、会えなかったので、疲れてしまったので・・・❗」とか、説明したら、徘徊ではない事は、分かって貰えて、無事解放されました。


暗い誰もいない雨のぼっち公園を、楽しんでいたのだけどね⁉(写真は別の日の夜の公園です。雨が降っている分けではないので、これよりも状況は暗いのかな?)
これ以上近所の人に不審者と間違われて、通報されても、仕方がないので、急いで、椎名町に戻ったのだけど、実は、ドルプリのお迎えっ歩は既に終わっていて、部屋にいたのだけど、ドアを締め切っていたので、私が事務所に着いたのが、分からなかったようです。
いつもならば、私が着いたら、ドル達のお迎えがあるのですが、ドアが締まっていたので、お迎えに出れなかったようです。
霧雨の中を無駄に散歩したので、椎名町に着いたら、微熱が出てしまいました。
微熱で疲れが更に増して、ハイツに戻る準備が手間取っていたので、何度も催促したのだけど、持ち帰りお弁当の準備が遅くって、とうとうぶち切れてしまいました。待っている事が、とても辛かったからです。
大急ぎでハイツに戻って、体温計で測り直したら、更に熱が上がっていて、微熱ではなくなって、しっかりとした熱になっていました。
慌てて風邪薬を飲んだ所です。


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7月3日『もう一つの闇雲練習』 ·
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闇雲練習について、批判的である私ですが、一度も闇雲練習を体験しなかった分けではありません。
私が「音楽の道に進む」と高校2年生の時に、心に決めて、・・というか、腎臓の病気で左腎臓の摘出手術をしたので、周りの人達が、私が医大の受験には耐えられない・・と私の医大進学を諦めてくれたので、「音楽のような女の子の趣味的なgenreの大学でも良いか?」と言う事になって、音楽を学ぶ事が許されたのです。
Pianoの練習を始めたばかりの頃は、高校の授業が4時半に終わってから、超急いでアパートに戻って、5時から9時までの4時間、Pianoの練習を「scale、Etude、Bach、曲」と毎日、練習しました。
勿論、当然、日曜日のお休みの日は、朝の9時から夜の9時まで、寝食を忘れて練習三昧の日々でした。
それでも、「私が高校生になってから音楽の勉強を始めた」ので、そのcomplexは酷く、追い立てられるような練習を毎日やって来ました。





音楽大学の受験の課題曲は7月に発表になります。
東京から遠く離れた地方の街では音楽の勉強はままなりません。
・・と言う事で、担任の先生と、大学病院の先生、勿論、音楽の先生に相談をして、classの友人達には誰一人にも内緒で、学校の出席日数の限界である休みを計算して、12月の前には、大学病院の先生に絶対安静という診断書を書いて貰って、友人達に見つからないように、その日の内に東京に出発しました。
私は、高校1年生の冬から高校を休学しているので、復学して、そのまま留年しました。と言う事で、私の同級生達は、もう既に、受験が終わって、大学生だったので、同じ音楽部の同級生で、1年前に東大に入学している友人と一緒に東大の学生部に掲載されている下宿(一般の不動産業者の物件とは違って、東大専用なので、極めつけに安いからです。)を探し回って、久我山に間借りで、居を定めて、それから、東京で学生をやっている従兄弟の紹介で、離れにPianoのある独居老人の家のPianoを借りて、受験の日まで、毎日朝の9時から夜の9時までの12時間の練習を3ヶ月間毎日続けました。
この12時間の意味は、toiletteにも行かないで、勿論、食事も食べないで・・の、絶対的な12時間なのですが、それはtoiletteに行くためには、その独居老人の部屋を通らないと行けないので、そうすると、再び、離れのPianoの部屋に入りづらくなるからです。
1年と半に渡り、4時間練習と12時間練習を続けた分けなのですが、大学に入学した後は、再び4時間練習、12時間練習を続ける事は2度とありませんでした。
つまり、大学受験という短期目標があったから出来たに過ぎなかったのですが、「やろうと思えば、12時間練習も出来る!」という自信にはなったとは思います。
「もし、それ以降も音楽大学で12時間練習を続けていたら、proの演奏家に成れたのかな??」
「仮定の質問には答える事が出来ない・・??」「否、仮定の質問でも、答える事は出来ますよ!」
その答えは、「不可能です!」と言う事なのです。
私も、Rheumatismus※)で手が固くなって、指が回らなくなるまでは、伴奏pianistとして、公開の舞台に立って演奏をしていました。(動画が無いのは、βやVHSのvideo-cameraが発売される前の時代だったからです。Pianoは余り上手では無かったのだけど、幾ら優れたpianistでも、伴奏の技術は難しいので、結構『伴奏はうまい!』という音楽家の仲間内の評判で、あちこちでよく弾かされたのですがね??)
※)Rheumaは、国の難病に指定されている、血液の病気で、未だに不治の病です。
私が音楽の勉強を始めた頃、腎臓の手術を受けた過程の血液検査で、Rheumaの因子が発見されて、「60歳頃には、指や手が痛んで、苦しむだろう!」と言う事で、音大生の頃には痛み止めを処方されました。(尤も、その頃はその痛みは一度も飲んだ事はありません。今現在でも一度も飲んではいません。)
確かに、40代に入ってから、指の筋肉に柿渋が入ったように、渋くなって動かなくなってしまいました。その頃は、お湯に手を浸けて、温めてから解すとなんとかPianoを弾く事が出来ました。しかし、その内にそれも無理になってしまって、Pianoの演奏の現場からは全く離れてしまいました。
Rheumaは風邪と同じように、指の硬直や手に痛みに一般的に言われる事がありますが、それは全く別の病気で、Rheumaとは関係がないので、誤解のないように、注意してください。
Rheumaの診断には、定義が難しく、多くのcheck項目を経て認定される・・という、医者の間でも、簡易定義が認められる程に、未だに診断が難しい難病なのですからね。
「闇雲練習」は、何も考えないで闇雲に練習をする事なのですが、よく勘違いされる事は、無意識に練習をする事と混同されてしまいます。(「無意識練習」という事は、無意識を作り出す事は至難の技なので、無意識練習が出来る人はもう既にpro中のproなのです。)
athleteは勿論の事、武道でも、1万回の練習を経て、無意識に体が完璧に動くようになる事はとても大切な事です。
咄嗟の状況に反応する事は、無意識の反応だからです。
そのために、何万回も繰り返し練習して、無意識下でも完全に行動が再現出来るように体に教え込む事なのです。
私も、練習を重ねて行く過程で、自分が弾いている演奏が、Recordを聞いているように、BGMとして聴こえて来る事が、極めて稀にありましたが、そういった演奏を理想として、練習を重ねて行ったのですが、中々出来るものではありません。練習で出来たとしても、演奏会の舞台で出来ないとなんの意味もないからです。
闇雲練習を私がやめてしまったのは、それが余りにも非効率で生産性の無い練習であったからです。
BGMのように聴こえて来る事だけを目標にするのならば、Pianoを使って練習をする必要もなく、椅子に座ったままでも、歩きながらでも、そういった訓練は出来るからです。
その練習には場所や時間は必要はないからなのです。
オケ練習の時に、toiletteの事を「音入れ」という意味でもあります。アハッ!
大学生の頃は、自分の「ブキッチョさ」を直すために、日常生活の全ての改革を行っていました。
その中の一つの重要課題として、闇雲練習の改革を真っ先にしたのですよ。
それでも、こんにちになっても、弊害だらけの、音楽の道に進みたいという願望のある子供達を阻む大きなneckになっている「闇雲練習」が、失くならないのは、「塾に於いても」、「音楽大学の指導に於いても」、完璧にcopyさせる事は、見せかけだけでも、生徒達を「上手になった!」・・と、勘違いさせるには充分で、最大の方策だからなのです。
芸事が世襲として、自分の子供達に伝わって行くようにするためには、必ずしも、自分の子供が天賦の才に溢れて生まれて来る・・という願望は捨てなければなりません。
無知で、無能な自分の子供であったとしても、その子供が人々の上に立てるように、「見てくれ」だけでも完璧する必要があったのです。
戦国時代の多くの武将達は、本人達が幾ら冷徹な観察力を持っていたとしても、親の欲目を捨て去る事は出来ませんでした。
殆どの優れた武将達が、凡庸な子供に後を継がせようとして、国を滅ぼしてしまいました。
しかし、徳川家康だけは、自分の子供達に対しても、過剰な期待は全くしませんでした。
つまり、自分の子供達が平々凡々なお坊ちゃんだったとしても、ちゃんと為政者として君臨出来るように、思想を統一して、世襲制度の社会を確立したのです。
それが儒教の思想であって、忠君愛国の思想であり、また家元制度なのです。
その儒教の思想は、こんにちでも、学校教育や会社主義、家庭の中にでも、男尊女卑として、立派に息づいて、堂々と君臨しています。
学校や塾の教え方も、その内容を理解させる事は、塾のmanualに過ぎません。
clientである子供達には、問題の意味を理解させ、解き方の意味を理解させてしまうと、塾は必要なくなるからね??
・・という事で、塾でも、(現に今教室に来ている生徒達でも、・・)算数の意味が分かって、問題を解いている分けではありません。
教えられたから、そのように解いているのに、過ぎないのです。(問題を解くだけならば、猿でも出来る・・てか??)
小学生でも学ぶ代数ですら、中、高生になっても、「xyzの意味は?」「abcの意味は?」と聞いても答えられる生徒はいないのです。
「では、n`の意味は・・」そりゃあ、xyzも答えられないのに、無理に決まっているでしょう??
その理解力の、余りの酷さに、ほんの僅かのオケ練習の休み時間に、牧野先生が数学の意味や解き方を指導していました。
学校でも、塾でも、成績を上げるために、「問題の解き方」は教えるけれど、その公式の導き出し方や、公式の意味、定義とは何か?・・を教えてはくれないのですよ。
親は子供の頭の良さを学校の成績で判断しようとします。
それで、闇雲に子供の成績を上げる事に、専念しようとします。
でも、「闇雲練習」では、「頭を良くしようとすれば、する程、馬鹿になる」・・という事迄は、中々、理解出来ないのですよ。
頭の良し悪しは、「頭の使い方」を知らないだけの事なのですがね~ぇ??
それを親に言っても、子供に言っても、理解して貰えません。
教室のそれが理解出来ている生徒達は「何故、理解出来ないのか?」それ、さえ分からないのだけどね??
定年を迎えた、ある女の先生が、杉並区で、「落ちこぼれの生徒達を集めて、数学の意味を説明するための塾」を開きました。
その事を聞き付けて、東京中の、中、高生達が集まって来ました。
でも、その生徒達は落ちこぼれの生徒達ではなく、都立西とか、開成とか・・、その他の名門校の生徒達だったのですよ。
つまり、「公式の意味」を知りたかったのは、「落ちこぼれの生徒達」ではなく、有名、中、高の生徒達だったのですよ。(まあ、当たり前といえば、当たり前だけどね??)
大学の教授連中や一流の演奏家達が生徒を指導する時には、自分の思っている通りに演奏してくれる生徒が理想の生徒なのですよ。
だから、日本の女性達のように、従順に先生の言う通りに、従ってくれる生徒が理想の生徒なのです。
私のように、「どうして、そのように演奏しなければならないのですか?」と聞いて来る生徒に、教えるのは、先生としては、至難の技でしょう??
でも、私はそういう生徒を教えるのは大好きですけれどね??
だって、そういう子って、虐めがいがあるじゃないの??
一般大学を卒業して、音楽大学の院に入る事を希望する生徒がやって来ました。
2,3ヶ月指導した後での話なのですが、私が論文の課題を出しました。
1月程経って、その男の子が烈火の如く怒り捲くって、教室にやって来ました。
Q:「先生!国会図書館まで行って、先生の課題の答えを探したのに、その答えが見つかりませんでした!!」
A:「だって、書物や資料をcopyするだけの勉強ならば、高校までの勉強でしょう??院の勉強は研究・・という事なのだけど、それは、答えが無い・・所に、答えを類推して行くのが研究というのだよ。」「探偵小説みたいで、スリリングで面白いだろう??」
その生徒は怒ったままで、二度と私のlessonに来る事はありませでした。
でも、そう言ったthemaの課題は、私の昔の生徒達ならば、中学生の女の子達でも、ちゃんと解けた問題なのですよ。
その男の子は大学を卒業するまで、一度もコピペ以外の勉強はした事がない・・という意味なのですよね??
それでは、院に入れても、研究者になる事は不可能ですよね?
じゃあ、院に行く必要はあるのかな??



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7月4日体調不良 ·
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7月3日の夜の1:44分に書いた「2日の夜です。」のcommentの続きです。
次の日(7月の4日)になったのですが、朝早くの4時台からtoiletteに目が覚めるのはいつもの事なので、それは良い・・としても、今度はbedから起きれなくなってしまいました。
朝の6時を過ぎたので、普段の定刻の時間・・という事でパソコンの前に座って、作業を始めようとしたのだけど、意識が朦朧としてきて、諦めてbedに戻りました。
次は10時頃の話だけど、定例の体重測定と血圧を計ったら、なんと、これまでで、最高にreboundしていたよ。3㌔以上も体重が増えていた。これは非常事態だよな~あ??
本当は絶食が一番体調管理には良いのだけど、胃の調子も悪いし・・微熱もあるし・・、困ったな~ぁ??
・・という事で、パソコンで入力している今現在はお昼の12時を回った所です。
意識朦朧状態で朝一から全く仕事にならないので、パソコンが勝手に仕事をしてくれる作業をする事にしました。
作業の設定だけならば、簡単なはずなのですが、朦朧としているので、手元が狂ったりして、別のkeyに触れてしまったりと、まあ、色々です。
ベッドから起きてtoiletに行く度に、その都度・・・、通常の編集作業なのだけど、パソコンがvideoの編集の作業のために、1時間以上もbusyになって、使えなくなってしまうので、そういった時間の掛かるvideoの編集作業を、toilette-timeで起きる度に、その都度、setしました。
私がbedで寝込んでいても、パソコンが私の代わりに作業を継続してくれているから、楽で良いのですが、朝の6時から始めた作業が、6時間経ってお昼になっても、未だに継続中です。
それでもなんとか、後、20分ぐらいで、videoを曲毎にまとめる作業は終わります。
まあ、なんと、時間の掛かる事??
やっとこ、さっとこの世界だなや‼





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7月6日7月6日の深夜です。3時過ぎです。 ·
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真っ暗なままの部屋には、椎名町から持って来たクチナシの香りが漂っています。
部屋を真っ暗なままにしているのは、灯りをつけると公園から部屋が丸見えになるからです。
「あの部屋の住人は丑三つ刻でも起きていて、一体何をしているのだろう?」と、公園にたむろしている徘徊者達に思われたくないからです。でも、今日は小雨・・公園には徘徊者はいないのだけどね??





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7月6日『㈲芦塚音楽研究所のhomepage』が、やっと ·
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長らくお待たせしました!!
『㈲芦塚音楽研究所のhomepage』が、やっと再開出来ました。
検索エンジンで「㈲芦塚音楽研究所」と、検索して、お探しの方は、未だ、古いyahooのgeocitiesのaddressが残っていて、それをclickすると、『yahoo-geocitiesは終了しました!!』と出てしまうので、「芦塚音楽研究所」の下のURLが「ashizuka-ongaku-kenkyujo.com」になっているのを、確認してください。
日本語で検索をする場合には、「芦塚音楽研究所」ではなく、「㈲芦塚音楽研究所」と区別した方がヒットしやすいようです。
もう使われていない、古い、yahoo geocitiesのURLは、accessされなくなったら、自動的に消滅して行くらしいので、放っておいてください。
yahooの側では、削除は済ませてあるのだけど、既に「拡散してしまったaddressはどうしようもない」・・との事だったので・・!!
serverから、「芦塚先生のお部屋」のaddressと芦塚陽二の病床記のaddressも、貰う予定なので、論文系のhomepageは、もう少しお待ちください。
また、「㈲芦塚音楽研究所のhomepage」から、linkの張られている「芦塚先生のお部屋」のPageは、まだmail-addressを取得していないので、開きません。
それも、geocitiesの『yahoo-geocitiesは終了しました』のmessageが出てしまいますので・・。
お約束のhomepageを見やすくするための「layoutのrenewal作業」は、もう少し、お待ちください。
先にlinkの切れてしまったPageを復活して行きたいので・・
なにせ、homepage関係は、やる事が多過ぎるので・・、up、upしているので・・・超、大変です。アハッ!
2月、3月からの教室の報告のPageを作る作業も、全くやっていないので、その仕事もやらなければな~ぁ??いや~ぁ、てえへんだ!!

「新しく更新しました」と書いてあるのに2017年とかの更新だったりで、ホームページをサボっていたのがバレバレで、かなり恥ずかしい状態ですが、とりあえず復活させるところまでだけ出来た、ということで、ご理解いただければ幸いです。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
18年は私は入院と手術で、homepageどころではなかったので・・!!
ご理解あれ・・・


コメント
風戸 星那
お疲れ様です(^^)
スマホからですとashizuka-ongaku-kenkyujo.comまでアドレスが確認しにくいので、
新しいホームページのアドレスをフルで載せていただけると助かります!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
URLはhttp://www.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/のはずなのですが、私の携帯でaccessすると、見つからない・・と出てしまって、URLを確認すると、www.ashizuak-kennkyujo.comになってしまっていて、URLが入らないのですが・・検索には芦塚音楽研究所と出ていて、commentも表示されているのですがね??それがどうして開かないのかは、今の所不明です。原因を探している所です。どうしても、yahooのgeocitiesが邪魔をしてaccess出来ないので、access出来たらまた書きます。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
風戸 星那
芦塚 陽二 了解しました‼️ホームページなかなか大変ですね💦楽しみにしてます!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
教室のhomepageをそのまま、スマホ用に変換しようと思ったら、メモリー不足と出てしまいました。果てさて!次の一手が思いつかない!!
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
スマホの芦塚音楽研究所.comから、homeをclickしたら、なんと教室のhomepageに入れたので、そのページを携帯のtopに持って来て、そこから、clickしたら、なんと‼やっぱり、見つからない・・というmessageが表示されて、開きませんでした❗芦塚.comのスマホのページからは開いたのにねぇ⁉分からん😭
· 返信する · 1年前
風戸 星那
芦塚 陽二 なかなか一筋縄ではいかないですね😅
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
address(ドメイン)を貰ってから・・、uploadしてから・・それぞれ半日以上時間が掛かるようです。諦めて放っておいたら、開いたりして・・。よう、分からん??
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
星那ちゃん、放ったらかし、している分けではありません。先生達が使っている携帯も同じ携帯なので、checkが出来ないのです。誰かにスマホを借りてからcheckしなければならないので・・・。
http://www.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/
芦塚音楽研究所
ASHIZUKA-ONGAKU-KENKYUJO.COM
芦塚音楽研究所
芦塚音楽研究所
· 返信する · プレビューを削除 · 1年前
芦塚 陽二
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/ashi...
芦塚先生のお部屋
ASHIZUKA-S-OHEYA.ASHIZUKA-ONGAKU-KENKYUJO.COM
芦塚先生のお部屋
芦塚先生のお部屋
· 返信する · プレビューを削除 · 1年前
芦塚 陽二
このPageは携帯では開きませんか??それぞれのtop-Pageなのですが・・??芦塚先生の闘病記は、開くようには、なったのですが、未だ手付かずの状態です。完全な個人的なblogなので、チョッとupするのは恥ずかしいので、開かなくても良いのかな??とも思っていたので・・・
· 返信する · 1年前

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7月7日今日はひょっとしたら、七夕さんでは ·
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今日はひょっとしたら、七夕さんではなかったのかな⁉
昔々は、オケ練習の時に、笹に願い事を書いて、オケが終わって帰る時に、花見川に流したのだけど、近頃は、川に流す事も、燃やす事も出来なくなってしまったので、笹に願い事を書いて吊るすのは、遠い昔の行事になってしまいました。
牧野先生には、それに代わるような、環境に優しい七夕の行事はなかったのかな?と尋ねては、いるのだけどね⁉


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7月8日教育の違い·
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今は、随分改善されて来ましたが、私達の代では、中、高6年間と大学の2年間の8年間もの長い間、学校で英語を学んで来ましたが、それで全く話せるようにはなりませんでした。勿論、・・読めるようにも・・です。
しかし、交換留学生で、私達の高校にやって来たAmerica人の高校生が、「日本の高校の英語は、超難しい❗」といって、彼が40点、50点しか、解けない英語の試験を、同級生達が60、80点をとっているのは、私に取っては、超、驚きでした。
テレビを見ていると、アジアの奥地の床もない・・土の上に座って勉強をしている小学生の子供達が、たった2,3ヶ月で、片言でもお喋りが出来るようになっているのは、超、驚きでした。
日本ではクーラーさえ入っている美しい教室で、大学を出た先生達が教えているのに、8年経っても、片言も話す事が出来ないのですからね??箱物には、お金は掛けても、塾に超、お金を掛けても、その学習内容の中身は、お粗末そのものですよね~ぇ??
これで、2020年のOlympicなんかの「おもてなし」なんて、出来るのかね~ぇ??
超、昔々の、私達の時代では、英語は遠い国の異国の言葉であり、占領軍の言葉でもありましたが、globalな時代である現代社会では、英語が話せる事は、必須の課題ですよね⁉
子供の内から海外に遊びに行っている子供達に取っては、もはや英語は身近な言葉であり、遠い異国の言葉ではありませんよね⁉
しかし、学校教育だけで、学ぼうとすると、今でも、多くの子供達にとっては、昔々の私達と同様に、英語は異国の言葉に過ぎないのですよ❗
私にとっては、英語は単なるcommunicationの手段に過ぎないと思っています。つまり、話をしようという必要性がない所には、英語の価値観は産み出されません。
私達が子供達と接する時は、音楽教室の先生として・・です。
子供達に音楽家の伝記や音楽様式について、調べさせようとして、netのWikipedia等で調べると、実に間違いだらけの、oberflächlich(表面的な)解説しか出て来ません。
しかし、ヨーロッパでは音楽はお国の文化であり、歴史があります。
だから、私達も、より詳しく深く調べたい時には、approachを原語でsearchします。
そうすると、かなり専門的な事をnetで調べても、超、詳しい説明が何Pageにも渡って出て来ます。(勿論、原語か英語ですが・・)音楽の勉強をする時にも、曲のAnalyse等は、日本のWikipediaには、出て来ません。
あくまでも、ヨーロッパの文化の中の音楽であって、日本では、一流の音楽家であったとしても、未だに、異国の(fremd=未知の)音楽に過ぎないからなのです。
私達の時代には、videoはまだなかったので、私も留学前には、同じ国の映画を見る事で、少しでも、その国の言葉に慣れるようにしました。でも、私が留学を望んでいるドイツの映画は東京中の映画館を探しても、中々上映していないのですよ。仕方がないので有楽町の怪しげな映画館で上映していた映画を、パスポートの申請の間の待ち時間に見ていたのですが、何とMünchenの駅前の風景が出ていて、実にtimelyでした。・・内容は兎も角として・・
今はnet社会ですよね⁉
それに、七夕
文章が入力出来なくなってしまいました。以下の入力は諦めます。




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7月8日教育について ·
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そう言えば、私は大学時代から、人に教育を施すのは、(自分自身の鬱々のcontrolさえ出来ないのに・・・)とても烏滸がましい限りなので、人様を教育する事は嫌いで、教育の事について何かを述べる事は、なるべく可能な限り、避けようと心掛けているはずなのですが、いつの間にか、教育についての問題提起や、批判ばかりの論文やessayばかりを書いています。まあ、必要に迫られて、ではあるのですがね。
つい先日、テレビで、脳科学者で美人の女の人が、日本人とヨーロッパ人の違いについて、話しをしていましたが、ヨーロッパの人達は自分自身の考え方や個性をとても大切にするので、人の意見に流される事はないのだけど、日本人は、「それが間違いだ」と気づいていたとしても、人々の流れが、「それを正しい」とするのならば、その流れに敢えて追随するのが日本人の特性だそうです。
日本人の中にも、minorityではあるけれども、自分の考え方や自己主張の強いtypeの人達がいて、ヨーロッパ社会の中では住みやすくても、日本では色々と軋轢があって、住みにくいのだそうです。
私も、留学が終わってから、Genzmer先生の好意で、Münchenの音楽大学の口を、二つ程、紹介されたのですが、その時に、私の心に過ったのは、この異国の地に墓を設ける事です。
若い間は良いとしても、歳を取って、老人になった時に、この街に住んでいる多くの日本人の人達の、孤独と望郷の念が、ひしひしと私の心に伝わって来たのですよ❗
人は、若い時には、冒険にさえ憧れるものです。しかし、歳老いて、力尽きて、夢破れた時には、Peer Gynt(ペールギュント)のように、自分を故郷で待ってくれる人がいる事は、現実的には、ないのですよ。
浦島太郎のお話は、海外で暮らす人達にとっては、実に身近な現実のお話なのですよ❗
それが、Genzmer先生のご好意を、お断りした本当の理由です。
普段言っている、Münchenには美味しい寿司屋がないから・・・というのは、単なるjokeです。
Genzmer先生には、まだ祖母が存命だから・・と、謝って起きました。まさか、「Peer Gyntには、なりたくはない」・・とは、言えないのでね⁉
私自身も、日本人typeではないので、余り、社会に角をたてないように注意して、少しでも波風をたてないように、自己反省をして行きたいと思っているので、日本独特の教育の問題からは、なるべく、距離を持って接して行きたいと思っているこの頃です。例え、子供達が、自分の一番好きな分野で、一番得意な分野で社会に勝負する分けではなく、一番苦手な、一番劣っている、才能のない分野で、社会に挑戦しようとしていたとしても、それが、その家庭の目標であるとすれば、私の言う事はありません。
でも、私自身も、自己主張の強い、付和雷同型の、日本人typeではないので、Münchenに住んでいる時には、国民性が似ているので、気を使わないで良いので、とても楽でした。
帰国して、日本に住んでいる以上、あまり社会に、波風をたてないように注意して、少しでも角をたてないように、気をつけてはいます。
常に、「社会に軋轢をたてないように、自己反省をして行きたい」と思っているので、私の理念とは相容れない、日本独特の教育の問題からは、なるべく、距離を持って接して行きたい・・と思っている今日この頃です。
私とすれば、その子供が一番好きな事を人生の目標にして行く事が、その子の人生を豊かにして、幸せを掴む最大の可能性である・・と思うのですが、日本では、一般に追随する事が、安全で安定している・・とされます。また、追従型の子供達にとっては、その方が楽で幸せなのでしょうが、何かを追求する楽しみを持った子供達にとっては、意に反する事に人生を掛けるのは苦痛でしかありません。そこからは、何も産み出さないのですよ。
その子供の、一番苦手な、一番劣っている、才能のない分野で、社会に挑戦しようとしているとしても、それが、その家庭のpolicyであるとすれば、そこには、私の口を挟む事はもうありません。
私とすれば、その子供が一番好きな事を人生の目標にして行く事が、その子の人生を豊かにして、幸せを掴む最大の可能性である・・と思うのですが、日本では、一般に追随する事が、安全で安定している・・とされます。また、追従型の子供達にとっては、その方が楽で幸せなのでしょうが、何かを追求する楽しみを持った子供達にとっては、意に反する事に人生を掛けるのは苦痛でしかありません。そこからは、何も産み出さないのですよ。
美人の脳科学者の女性が言っているように、今現在、もう既に、今の子供達は、globalな世界に生きているので、今更の日本型の教育は、政府の省庁の中で一番遅れていると言われている文科省ですら、現行の教育の姿には、否定的で、個性の教育や、優れている一面を伸ばし育てる事を、何とか頑張って、教育の制度の中に取り入れようとしているのですがねぇ⁉
2020年になって、Olympic-yearになって、世界中の人達が日本を訪れた時に、日本の教育が恥をかかなくて済む所までは、なんとか体制を作りたいのだからね??
methodeは無かったとしても、形(入れ物)だけは・・ねぇ??
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芦塚 陽二
相も変わらず、書いた文章がぶっ飛んで、編集履歴からコピペしようと思ったのだけど、それぞれの文章でぶっ飛んだ文章が余りにも多くて、とうとう挫折してしまいました。WordPadかに文章を書いてコピペすると良いのだろうけれど、それでは推敲は出来ないからね??



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7月8日月曜日のroutine ·
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今日は7月8日の月曜日、・・routineといえばそれまでなのですが、朝はいつもの通りに、4時頃に目が覚めて、toiletteに行って、ウダウダしてまた寝て、起きて・・といつもと全く同じpatternを繰り返しました。ウダウダは良いのだけど、意識が朦朧として仕事にならないので、それもいつもの通りに、videoの編集作業をして、パソコンだけが働いて、私はbedとパソコンの椅子を往復していて、まあ、一日中がウダウダになっているのだけど、それが月曜日のroutineなので、諦めています。
土曜日には瑞希ちゃんに8分音符と16分音符の3連音のfinale入力の仕方を聴かれたのですが、そこがfinaleのamateurっぽい所で、取説の通りに入力しても、どうしても上手く行きません。・・と言う事で土曜日は、保留になってしまいましたが、日曜日の朝、千葉に出発する前に、大急ぎで、裏技でそういう風に見えるように入力をしてみました。
日曜日の夜には、東京に帰って来てからは、もう、体力的に使い物にはならないからです。
日曜日の練習は、Vivaldiの秋やPachelbelの難曲も、中々上手に演奏が出来ていたと思って褒めていたのですが、良く良く考えて見ると、超、珍しく、お姉さん達が5人も来てくれて、演奏を助けて来れたからだよな??
まぁだ、お姉さん達に依存しているのだよな~ぁ?




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7月9日DvorakのPiano-quintetto ·
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折角、You Tubeにupload出来た、と思った「DvorakのPiano-quintetto」の作曲家の名前が「Brahms」になっていたと、梨紗から連絡があって、慌てて、You Tubeの動画を削除して、動画を最初から編集し直しました。

Pianoquintetto Dvorak Op.81A Dur 第Ⅰ楽章芦塚音楽教室 第1回目初回のlesson - YouTube
Titleの作曲家の名前の書き換えの編集だけなのですが、dataとしては、どっちみち、全部やり直しをしなければならないので・・
・・・という事で、「編集のやり直し」と、「YouTubeにuploadする」だけで、今日の半日を、丸々費やしてしまいました。
とは言っても、パソコンが、今日一日busyで、塞がっていただけで、私が忙しかった分けではないのだけどね⁉





7月10日引き籠りday ·
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今日は(まだ)7月7日の火曜日です。
今日、火曜日は、唯一の自宅に「引き籠りday」で、ドルプリっ歩も、先生達との食事も無い日なのですが、この所、何時もと同様に、冷蔵庫の中身は、午前とお昼に食べ尽くしてしまったので、夜の食事の分の食べ物は、全く何もありません。
という事で、夕方から、寿司屋に呑みに繰り出すか否かで、悩んでいたのだけど、この所の火曜日は、一日の半分を寝込んでいるので、飲みに出掛けるだけの、勇気がありません。今日は、意さえ決したら、飲みに出掛けるだけの、体力はなんとか、残っていたのだけど、気力の方がなかったようです。
ダラダラしていたら、Cinderella-timeになってしまいました。 
仕事の方も、今日は、五重奏のtitleの間違いの訂正をしただけで、後は、あちこちの仕事の手を付けただけ・・・という事で、「仕事の下準備の下準備をした」・・・という風に、自分自身を納得させて、お茶を濁してしまいました。
まあ、この所の月曜日と火曜日は、毎週毎週、こんな風な感じだよな⁉
善哉、善哉❗

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7月13日「人生の究極の目標」 ·
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(この文章は、とても長い日本人の持っている「人生の目標」についての、批判的な論文の一節です。Facebookには、とても入り切れない長文なので、その一部分の抜粋です。)
人生の目標ではなく、人生の究極の目標(=目標を叶えた後のその後の目標という意味です。)というと、一般の人達は何を求めているのだろうか?
若い頃は、一生懸命働いて、定年を迎えて、老後を年金で、悠々自適に過ごすとか、大企業に就職して、安定した生活を目指して、老後は趣味三昧で過ごすとか・・曰く、何も建設的な事はしないで、ただ生きて過ごす事を老後の目標にして、今現在を生活しているように思えるのだがね。
しかし、老後に悠々自適を目指すのならば、若くて元気な時に、愉しく過ごせば、その楽しさは倍加すると思うのだが、歳老いて悠々自適になったとても、もう、そこで出来る事は限られてしまうのだろうから、実につまらないと思うのだがね⁉
老後に出来る事は、旅行にしても、趣味にしても、何にしても、もう、体力も気力も限られて来るのだから、若い頃のようには、然程は期待出来ないのだよねぇ⁉
それに、老後に、旅行や、趣味を楽しんでだ・・としても、人生100年の時代に、金銭的な問題もあるのだよ。
仮に、二千万の貯蓄があったとしても、政府にむしりとられていては、それ位の貯蓄では、悠々自適には、殆ど遠かろうしねぇ?
体力も気力も失せて、人生の残りを、慎ましく生きたとしても、その老後は、生きるだけの、人生ならば、その生きている意味は老醜となってしまうのではないのかな?
若い時に、自分の夢を犠牲にして、一生懸命働くという事は、何の意味があるのだろうか?
若くて元気で、美しい青春の時期を、何の目標を持って、努力して、勉学をするのだろうか?
そして、老いて、体力も気力も失せた後に、老後をどう生きて行くのか、という事を悩んだとしても、時既に遅いのだよな?
今の若者達には、どのような老後の生活が待っているのだろうか?
政府や、子供や孫達が、養ってくれるのかな?
それはいいな?
もし、そうならばいいよなぁ・・・・?????

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7月15日今日は7月15日の月曜日です。 ·
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今日は7月15日の月曜日です。
つまり、7月も半分過ぎて、もうすぐ夏の合宿と夏休みのおさらい会が始まります。
しかし、その前に、今日はいつものroutineの月曜日と火曜日のウダウダで、体が反応をしてくれなくてbedとパソコンの往復をしていて、やっと、夕方の5時になって、風呂に入って髪の毛を洗う事が出来るようになった所です。
でも、未だに体調は復活していません。
兎に角、「月曜日と火曜日は、仕事は出来ない・・と、諦めるように・・!!」と自分に言い聞かせているのだけど、根っからの貧乏性なのかね??


先週の7日はDvorakの五重奏があったので、お姉さん達が集まってくれて、オケ練習も盛況だったのだけど、昨日は、梨紗さんが練習に来てくれて、Schubertの死と乙女まで、付き合ってくれました。
お姉さん達が来てくれると、子供達は楽しそうだよな??


コメント
千野 由実
そんなお姉さんになれると良いですね〜、瑞希も✨
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
よそ見をしなければ、普通に成れますよ!!普通に・・・
· 返信する · 1年前
千野 由実
よそ見をしたくなる年頃ですよねぇーーーー(^_^;)
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
私が帰国して来たばかりの頃、長崎放送のテレビから10日間の密着取材の申し込みがありました。勿論、当時は子供達の指導はしていないし、大学で教えてもいません。生活をするための職業は、未だ考えてもいませんでした。留学でので体調を直すために、大学病院での検査と作曲三昧の日常だったので、テレビのproducerに、「作曲家の日常は、起きたら机に向かって、唸り声をあげながら書いたり、楽譜を破ったりだけの日常で、全くおもしろく無いのですよ。」と言うと「そこは編集でなんとかします。」という事だったのだけど、余りにもつまらないので、断ってしまいました。violinistの人生も単純で単調なものなのですよ。よそ見もする事も無いし・・
傍から見ていると、単調にしか見えない事が、実に面白いのですよ。アハッ!



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7月21日「摂眠障害」 ·
プライバシー設定: 公開

深夜の2時に寝て、二時間も眠っていないのに、toilet-timeに目が覚めて、起き出してしまった❗
部屋の温度が合わないし、鼻づまりと意識混濁状態で、体が動かないし、空気が重たいので、お風呂に入って、首を温めて、髪の毛を洗った!
クーラーは切っているのだが、なんとか、熱中症にもならないで、堪えているのかな??
「私の作品が紛失した。」
一昨日、金曜日の夜は、事務所のArchivに、私のViolinのduo集の導入の1,2巻や、他の作品が見当たらなくって、自宅のハイツの本棚の私のcornerを引っくり返して探す事になってしまった。
Violinのduoは演奏会用の難しい第4巻は見つかったので、今回のおさらい会には間に合いそうなのだけど、finaleに入力する前の時代のパソコンが無かった頃の作品なので、全部、手書き譜なので、間違って売ってしまったのか・・、単純に江古田からのお引越作業の時に紛失したのか・・、いずれにしても、俺の作品が段々と失われて逝くのは、慚愧の念に堪えない!
「homepageの再構築」
homepageはRental-serverで、芦塚音楽研究所のhome-Pageや、「芦塚陽二の闘病記」は、dataは欠損する事なく残っているので、後は、単純にlinkの落ちている所を復活させるだけの作業なのだが、「闘病記」は相も変わらず、serverに何度も設定を変えて送っているのだが、未だに公開されないし、「芦塚先生のお部屋」は論文は、結構、paperのdataが残っていたので、OCRの作業さえすれば、かなりのPageは戻って来ると思われる。
しかし、問題は、肝心要の「楽曲の解説と分析」のPage、所謂、interpretationのPageが殆ど全部がぶっ飛んでしまっている事だ!
こう言った論文的なものは、思い出しながら書く・・と言う程には単純ではない。
「VeraciniのPassacagliaの動画の編集作業と改訂版についての歩み」
昨日は、丸々一日掛かりで、VeraciniのPassacagliaの動画の編集をして、You Tubeにupする所迄やった。
VeraciniのPassacagliaは、MünchenでLupi版の楽譜を手に入れてから、なんとか初演をしたかったのだが、2016年の4月の3日の教室の春の発表会で演奏をした。しかし、Lupi版は原曲の1/3程にcutされたものだし、そのarrangeも酷いものだったので、originalの出版されている楽譜を探して見たのだが、少しはマシな、通奏低音の楽譜でも、所詮はCembaloとcontinuoを想定して書かれているので、imageが合わない。
教室には折角私が作った(この場合の作った・・という意味はideaを提供した・・という意味ですが)本物のpipeのorgelがあるのだから、そのOrganのための楽譜を作ろう・・と思いついた。音量のbalanceの点で、先生からは反対されたのだが、 positiv organではViolinのsoloの伴奏も可能である・・という事で、作曲を強行した。
本来的には、音響の優れたHallやfloorで演奏すべきなのだが、Organを移動させる苦力もいないし、・・という事で検見川教室で録音をした。
Organの伴奏譜を作成する時に、 bezifferten Baßは同じなので、愛ちゃんが「自分もsoloの曲が欲しい」と言うので、愛ちゃん用に、室内楽の伴奏とorchestraの伴奏のConcerto Grossoよりも、もう一つ大きな形式で作曲をする事にした。
愛ちゃんにconcerto-soloの曲を決めなかったのは、当時は、まだ、入退院を繰り返していた時期だったので、発表会の当日に彼女が演奏が出来るか否かが不確定で、分からなかったからです。
勿論、soloの演奏の場合には、まあ、彼女が病気で発表会に出席出来なくなったとしても、それによって、被害を受けるのは伴奏者だけなので、soloの場合には、当日のドタキャンも可能出。発表会の進行にはなんの支障もないのですが、オケや室内楽では、一人欠けても、曲全体が演奏出来ない事になって、他の生徒達に多大の迷惑を掛けてしまいます。
オケや室内楽は集団活動の場なのですよ。ましてや、音楽の世界では、通常は、ドタキャンは絶対的に、有り得ないのですよ。
でも、「病気で発表会に出れない」と言う事は、本人のせいではないし、一番、可愛そうなのは本人です。
私達の音楽教室は、proの教室ではなく、巷の音楽教室に過ぎないので、「子供達の幸せを優先させる」・・という事で、「solisteが、本番に病気で出れなければ、当然、お姉さん達の誰かが代奏すれば良い」・・というおおらかな気持ちで、VeraciniのPassacagliaの上演を強行する事にしました。
楽曲を制作するに当っては、一般のPeters版にはよらず、非常に珍しい、originalのfacsimile版を底本にしています。
Peters版はUrtextなのだけど、それでも、Veraciniのcontinuoの数字の付け方が曖昧なので、間違えて和音を書いてある場所が数箇所あるからです。
originalのViolinと通奏低音のCello(gamba)とCembaloの曲からのtransposeは、中々上手に出来た・・と自負しております。
(写真はVeraciniのPassacagliaのoriginalのfacsimile譜です。)




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7月21日「巷の音楽教室の先生という立場の私への評価」 ·
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作曲家として、否、音楽家として、自分のprivate-orchestraを持つ事は、大きな夢です。
Haydnや、Vivaldiの時代、所謂、baroqueや古典派の時代には、貴族や教会が音楽家を雇っていたので、雇われ楽長としての厳しい「縛り=制約」はあったものの、自分のorchestraで自分流に演奏する事は可能だったのです。私自身も、私のarrangeした作品を私自身の指揮と指導によって、演奏する事は至高の楽しみではあります。(勿論、ちゃんと、間違えないで演奏してくれたら・・??という条件は入りますけれどね??)
私はまだ若い時代、日本の音楽大学の学生であった頃から、periodによるbaroqueや古典派の演奏を考えていて、実際に学生時代にも、毎年、自分のprivateでorchestraを個人的に集めて、学校での演奏をしていました。(写真は大学生時代の時の、私のprivate-orchestraの演奏風景です。)
私が日本に帰って来てから、母校への就職は一番安直な可能性だったのですが、問題は、大学生を指導しても、大学に合格するまでに付いた悪い癖を取って、正しいmethodeを指導するには、4年間、6年間の授業では、不可能だという事で、教育の現場には立ち入らないように距離を保つ事に留意をしながら、十年以上の長きに渡って作曲や演奏の現場で働いていました。
大学での夢だけを見て、何の意識のない大学生達への指導だけは、したくない・・という事や、それ以上に、テレビやイベント等のマスコミの世界が大嫌いな私は、マジに音楽関係以外の職業に従事する事も考慮中でした。
と言う事で、私の自分で決めたtime-limitの33歳という年齢なのですが、そのtime-limitの意味は、「音楽だけで、生活を立てる事が出来なければ・・??」という意味だったので、実際には音楽で稼ぎ捲っていたので、その目的は果たせていたのです。
しかし、例えClassicの世界での「金を稼ぐ事」であったとしても、それが「仕事への意義」を見いだせなくなってしまうと、2年間も私に合った天職を探していたmoratoriumの時期の、当時の私の心の隙間に、「絶対に私がそれを仕事にすることはない」と思っていた教育の世界に身を投じる事になった事は、私に取っては信じられない事であって、37歳になった頃、ある教育関係者と会って熱烈な教育への話しを聞く迄は、考えた事もありませんでした。
ましてや、一般の子供達を対象にした音楽教室を作るという事は、考えてもいませんでした。マジに「何のために、この私が・・・」ですよ。
では、何が私に取っての「悪魔の誘惑」だったのか?というと、一つは当然、「私の教育のmethodeを実践してみたい。」と言う事と、「本当の音楽の基礎の指導をしなければならない。」という義務感、それに、弦楽器のrootsの演奏法に拠るorchestraは、日本の間違えた奏法を学ぶ前の時期にしか習得出来ないので、世界でも非常に珍しい本当の意味でのperiod奏法によるorchestraが作れる・・という誘惑でした。
そう言った演奏の出来る子供達を育てるのに、30年近くも掛かってしまったのですが、それは、period奏法が、音楽大学や、proの活動をした演奏家でなければ、そう言った演奏法は出来ないという、音楽界の人達からのadviceを真に受けて、誤った考えを私自身も持ってしまった事にも、その原因があります。
八千代での初回の演奏は、昔の生徒達のlevelから遥かに技術が低下していた生徒達を公開の演奏をさせるのは無理だ!!と先生達や周りの人達からのキツいバッシングがありました。(では、何故、昔の生徒達がlevelが高かったのか?という疑問を持たれるかも知れませんよね??私が若くて、やる気があったから??・・う~ん、ちょっと、違います。理由は、私の「日本の教育に対してのantitheseに興味を持った人達」が集まったからです。日本の教育制度に批判的な意識を持っている人達が集まったのが最大の理由なのです。)
しかし、子供達や親の意識が出来る迄、いつまでも、子供達の意識のlevelが向上するのを待っていては、永遠にそのchanceは訪れない・・というのが私のpolicyなので、「八千代で演奏する事は公開の演奏なので、学校や個人の予定よりも優先する」と言う条項を設けて、署名捺印を保護者の人にさせて、練習を強行しました。
そういった厳しい制約があるので、そのprogramの曲の中にperiod奏法による演奏のstyleを忍び込ませたのですが、驚いた事に、「音大生やproの演奏家でも出来ないperiodの技術を、子供は何の困難もなく出来る」と言う事を改めて知る事になりました。
ならば、回り道をする事はなく、最初から、正しい音楽の技術を習得させれば、もっと上手になるはずです。
と言う事で、一般のオケ練習の場でも、periodの教育を積極的に指導するようにしました。
但し、だからと言っても、音楽教室の開設に当って、私が最初から「子供達への教育指導をする」事を受け入れた分けではありません。
そもそも成り行きで、私が音楽教室を作る事になった時の経緯であり、条件も、私自身が子供達を直接指導して、子供達に成果が幾ら出たとしても、それは私の能力なので、当然であり、何の意味もないので、「私自身が子供達の指導をする」という事は、私自身も、周りの人達も、誰一人として、考えもしない事でした。
教育の関係者からのofferは、私が数人の先生達を指導して、私のmethodeをlectureする所迄が、私が教育機関から与えられた課題であったからなのです。
当初の目的、目標は、お約束の5年で達成出来たので、教室をその先生達に渡して、私は教育の現場からは、お暇する予定だったのですが、その時に先生達から指導を受けた生徒達から、「この教室のような所は、何処にもないので、この教室で働きたい」との申し出があって、では、教室を会社にして、就職出来るようにしよう・・と思ったのが、「間違いの始まり」でした。
音楽教室を立ち上げる迄(開設する迄)は、色々な音楽大学から多くの行き詰まった生徒達が私の所に、習いに来ていたのですが、音楽教室を開設した途端に、私が育てた生徒達の殆どが、中学生、高校生に進学するのを契機として、音大の教授の元に逃げて行きました。
それまでは、逆patternだったので、世の中の人間達は、実に面白い傾向があるのだよな??という事が、非常によく理解出来る現象ですよね⁉
それは、今現在でも全く変わっていません。
有名な権威のある教授や、テレビ等で活躍する音楽家達を見ると、その人達の生徒達の方が、levelが上で、技術力も優れている・・と思ってしまうのです。
子供達は私の指導を直接受けているので、見る目は育っているので、外面的な事ばかりには目は行きません。しかし、親や周りの人達は、評価の基準を技術や音楽そのもので見る分けではないのです。
と言う事で、ある時には、親の啓蒙活動のために、子供達と保護者の人達を大学の演奏会に聴きに行くように勧めて、後日、評価を聴きました。答えは「流石は大学生で上手ですよねぇ~??」と言う事でした。子供達に聴くと、小学生の子供達であったとしても、「超、酷かった!」と小節毎や、曲毎に演奏の批判を展開します。
それは、事前の刷り込まれたimageや、「大学生が演奏している」という目から来る視覚的な要素なのです。
だから、親には、「自分の子供の演奏と大学生の演奏を目を瞑った状態で聴いて見てください。」と、adviceをしました。親は、ビックリしていたよ??
本当の本物を見る目を養う事は難しいのですよ。
ましてや、そういった現場にいない場合でも・・ですよ。
それはproの音楽家でも同じなのです。子供達の演奏を聴いて驚いたとしても、子供達が自分達よりも優れた演奏をする・・という事だけは認めないのです。
(尤も、世界的に活躍している人達は、それが出来るようなのだけどね?orchestraをpromotionして、世界中を演奏している人が、昔、教室のオケ練習を《staff一同引き連れて》見学に見えられました。練習を聴いて一言、内緒話で、「この子達、私達のorchestraよりも上手何じゃない??」・・つまり、分かる人達には大人も子供も無いのですよ。上手か?下手か?の違いしかないのです。)
正しい判断にはそこまでのNiveauが必要なのですよね??
アハッ!そりゃ、無理だ・・・





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7月22日夏休みの前の最後のオケ練習です。 ·
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今日は7月21日の日曜日、夏休みの前の最後のオケ練習です。
オケ練習の練習のprogramは、曲数が少ない事もあって、早めに終わるように、時間が割り振られているので、曲数が少ないのにも関わらず、結構、時間ギリギリにlecture指導しなければならないので、私が子供達に雑談をしてしまうと、その日の次のオケの曲のprogram(time-table)が大変な事になってしまいます。
・・と言う事で、この所、何年にも渡って、子供達にとっては、一番大切なお勉強になる雑談(お説教-time)の時間が中々に取れないままに、lessonを繰り返して来たので、その皺寄せが、この所のオケ練習に出てしまいました。
・・という事で、何年か振りの、お久し振りに、大説教をしてしまいました。
本当に子供達が音楽の演奏が上手になるためには、日常の物事(接する、目にする)への姿勢が、とても大切です。日常の生活のNiveauを上げる事が、技術の向上や、人生の夢を叶えるための、本当の意味での重要な要素なのですが、そのお話をオケ練習の片手間に、ほんの少し口にするだけでは、理解出来る分けでもないし、雑談を雑談としてしか、聴けなくなってしまっているのです。学校の授業でも、先生のお話から、試験に出るpointや受験に必要な知識を得る事は、一生懸命に先生のお話を聴いたとしても、それが子供達の身に付く分けではありません。必要な事は先生のお話の中から、何をselectしなければならないのか?の判断が瞬時に出来る事なのです。だから、雑談が子供達の意識を集めるための面白話の部分から、子供達の勉強の上で必要な枕の部分に至る時に、それを理解する能力は、雑談に慣れる事なのですがね??
・・と言う事で、先生のお話を聞こうともしない(訓練されていない)今の子供達に取っては、私の超、お説教は、初めての経験だったので、結構、驚いたのかも知れませんが、しかし、それは、Des Antonius von Padua Fischpredigt(魚にお説教をするパドヴァの聖アントニウス)なのですよ。日本では「**の耳に念仏」・・というのかな??
まあ、それでも、失われた時間を、なんとか、出来の良い曲を端折って、時間通りにはオケ練習を終わって、室内楽の練習も済ませて、Kontrabassの移動も済ませて、椎名町の事務所には、なんとか予定の時間迄には戻れたので、ドルプリっ歩と食事を済ませても、まあ、なんとか、普段のroutineとしては早めの時間の、12時のcinderella-timeの直前には、ハイツに辿り着いたのですが、いつもの「帰って来た後片付け」をしていたら、またまた、パソコンの椅子で2時間程、寝てしまっていました。
「これは大変」と、慌ててbedに潜り込んだのだけど、椅子では熟睡出来ていたはずなのに、bedの中に入ってしまうと、今度は中々寝つけないのです。
横になると、「鼻詰り」が起こるからなのです。座っていると、血が下がるので、「鼻詰り」はしません。カウチベッドならば、良いのでしょうがね??
蒸しムシしている部屋を、頑張って、部屋の温度調節で寒くもなく熱くもない温度設定にして、なんとか寝たのだけど、またまた、2時間程寝たら、「鼻詰まり」と「toilette-time」で起き出してしまいました。
今回の「鼻詰まり」は、とてもシツコクて強烈で、酷くて、幾ら、点鼻薬を注入しても、鼻は通るようにはならなかったので、諦めて、熱めのお風呂に入って、首を温める事で、鼻をなんとか通しました。
それで、やっとまた眠れたのだけど、またまた、2時間程でtoilette-timeで起き出して・・以下同文の繰り返しになってしまいました。
つまり、言ってしまえば、土曜日と同じroutineになってしまいました。と言うか、何時も同じ状態で摂眠に苦しめられています。




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7月23日前のFBの続きになります。 ·
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今日は7月22日の月曜日です。
つまり、前のFBの続きになります。
朝が、来たので、仕方がないので、椅子で休む所を、今日の仕事の作業に切り替えて、生き返った「芦塚先生のお部屋」のPageの中の、途中でぶっ飛んでしまっているPageのrenewal作業、特にVivaldi Op.4Nr.2 e moll RV279 Stravaganzaの論文の欠落した部分の修正やlinkを再構築する作業、今までは、開かなかったhomepageの「闘病記」の設定の作業や、lessonの動画をBlu-rayに焼いたり、まあ、思いつくだけの入力作業を片っ端からやって、その次いでにfinaleの入力の作業や、生徒が入力をしたfinaleの修正、訂正をする・・・等々、朝から実に多彩な作業をこなしてしまいました。
それに、有線「光」のprovider契約が切れてから、開かなくなっていた私の個人的なblogである「闘病記」を新しいrental-serverに乗り換える事を、Xserverからのmanual通りに、何度uploadを試みたのですが、どうしても、一度もuploadが出来なかったのですが、ふと、「Xserverから、貰ったmanual通りではなく、全く新たに、新規に作り直したら良いのではないのかな?」と思って、自分勝手に、新規のpageをuploadして見ました。
勿論、結果は、真っ白な画面がhomepagebuilder上に、upされるだけで、それから先は、「ニッチもさっちも」・・・なのですが、その白紙の画面に、元々のupload出来なかったhomepageのindexのPageであるtop-pageをコピペすると、「なんということでしょう~⁉」開かなかった、「闘病記」のpageが、見事開いたのですよ‼
いや~ぁ?やったね‼
長い日月を、延々と、悩んでいたhomepageのuploadの作業がやっと、終わったのだよな⁉
後は、三つのhomepage「(㈲芦塚音楽研究所」のPageと、「芦塚先生のお部屋」のPageと「芦塚先生の闘病記」の、Pageのlinkの不具合等々を、見つけた時に、その都度、修正して行けば良いだけなのだよな⁉




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7月25日finaleの入力 ·
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今日は7月の24日水曜日の深夜なのだが、教室が夏休みに入って、先生達が合宿の準備で、rotationがめちゃめちゃになったので、私は、日曜日を除いたら、先生達とはrotationのsynchronicityはしていないはずなのだが、どういう分けか、私も、月曜日から昼夜の分からないbedとパソコンの往復で、VivaldiのIl favoritoのⅢ楽章のCembaloのpartやViolin、continuo-Celloのarticulationをfinaleで入力している。
大変な作業で、もう既に2日掛かりの作業になってしまっている。勿論、月曜日と火曜日の夕方迄は、homepageの復刻作業と論文のPageのrecoveryの作業も平行してやってはいるのだがね。homepagebuilderのwebvideoStudioの作業を始めた途端にパソコンが、freezeしてしまって、何度も強制終了でやり直したのだが、今回は全く出来ない・・という事が分かった。
パソコンがfreezeするsoftは、You Tubeのuploadの時と、homepagebuilderの幾つかの作業、finaleの音声の再生作業の時が、主である。
「finaleの入力」
finaleの入力作業には、私の決めた手順があるのだが、私の「時短」の法則というのは、必ずしも、時間の短縮だけをするためではない。寧ろ、ミスを事前に防ぐという意味合いが大きいのだよ。
芦塚メトードによるfinaleの入力法は、先ずは、templateを作る所から始まる。しかし、市販のRicordi版等のscoreは、小節番号が「通し」、つまり、Ⅰ楽章からⅢ楽章迄を通算で数えているのだ。finaleにも、開始の小節番号を任意に指定は出来るのだが、それは上級編なので、寧ろ、下準備として、Ⅱ楽章やⅢ楽章の場合には、自分のscoreに小節番号を書く作業をする。
その時に、全体のthemaのlayoutを同時にcheckしておいて、themaがどの様に、後半に使われているのかを知る事がその後の入力の速度を決めるpointになるのだよ。つまり、全体の構成を予め知っておく事が大切なのだよ。
そこまでの下準備が出来たら、入力の作業は先ず、themaだけを入力して行く。
Vivaldiやbaroqueの曲は、ritornello形式なので、コピペで次のritornelloにcopyをする。楽譜に書き込んだPage番号とfinaleのtemplateのPage番号を合わせて、どんどん入力をして行くのだ。虫食い楽譜が出来上がる。
勿論、themaをcopyをして、その調へ転調をさせて、その後、音の微調整をする。
その作業が終わると、その作業だけで、入力作業の半分は出来上がっているのだよ。
芦塚メトードでのarticulationは、感情的に演奏の都合の良いように作る分けではありません。themaに必要なarticulationは時代様式で定められているので、bowingに関しては、個人の自由や私の感性は必要はありません。
これまでも、延々と古典派の様式によるbowingや、baroqueの様式によるarticulationを説明して来たのだけど、同じ時代の作曲家であれば、同じ様式になるのだけど、未だに、オケ練習の度に、毎回、同じ事を説明しているのだよ。
それでは、私の言う「勉強をしないで、成績を上げる事」等は出来はしないよな??
先ずは、最低でも、それくらいはmasterして欲しいよな??
今の子供達は「1を聴いて10を知る」と言う事は、許されていないのだよ。そんな事をすると、「勝手な事はするな!」と先生に怒られてしまうからね??
自分勝手な事をされると、私でも怒るかも知れないけれど、theory通りに、先読みをするのは、勝手な事をする事とは、根本的に意味が違うのだよ。
(反故)

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7月25Il favoritoの即興演奏譜 ·
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なんと、今(午前11時)の練馬区の気温は体感温度39℃だってさ!
湿度73%だって!!
実際の温度は31℃で30℃超えだってよ。たまんね~よな??
・・・てな事を言っていたら、気温が更に32℃に上がっていた!!
確か・・クーラーを入れたままに横になって寝ていたはずなのだが、仮眠をしていて、余りの寝苦しさに、toilette-timeに起き出した次いでに、パソコンを付けて(部屋の窓の温度ではなく、外の・・)練馬区の温度を確認してみたら、なんと、温度は32℃迄、1℃だけ上がっていた。
・・・って事で、室温と体感温度は39℃のままなのだけど、1℃上がっただけでも、体感的には、熱く感じるよな??
今日はVivaldiのIl favorito のCembalopartが余りにも酷いのでいつもの通りに、continuo-CelloとCembaloのpartを作り上げて、私が前に指導してfinaleで演奏法を入力したViolinの弾き方がscoreに反映されていなかったので、basso continuo組と言う事で、soloのViolinのpartに細かく書き込みました。
homepageにIl favoritoのPageを探したのですが、見つからなかったので、この曲は今回の発表会の曲なので、練習も夏休み明けに、後1回で終わりなので、気長に探す事は出来ないので、timelyという事のために、Pageを新設する事にしました。本当は、練習風景の動画は、uploadの予定はなかったのですが、論文の曲の解説上の都合で急遽、uploadする事にしました。
一般的には、教育の現場では、全てのjanreの勉強の水準というのは、そのgroup自体の水準ではなく、その指導者が与えるlectureの内容のNiveauで、そのgroupの水準の高さが決まります。
つまり、指導される側の生徒達の水準や勉強の達成能力は、その生徒達の持っているmotivationの水準で決まるのです。
少年少女のorchestraでは、何処のorchestraでも、auditionで出演者のlevelを統一して、生徒達のlevelやmotivationを統一してからなの練習を開始します。そうしないと、集団の指導は出来ないからなのです❗
まあ、音楽大学の受験も或る意味では、auditionでもある・・と言えるかも知れません。音楽に進む生徒のlevelを統一する事で、先生達の指導が容易になるからです。
教室のorchestraの公開演奏を聴いた人達の多くが、orchestraを演奏している生徒達が、auditionでselectされた(選び抜かれた)生徒達である・・と思い込んでいるようなのですが、教室では周知の事実なのですが、実際には、音楽教室の生徒が少ないので、orchestraに参加したい人達が、各自任意で、申し込んで、orchestraに参加しているのですが、その事を、見学に見えられた人達に説明すると、「どうして、そんな任意に参加した子供達に、同じ水準のlectureが出来るのですか?」と質問される事がよくあります。
それは簡単です。
指導するlectureの内容を、一人ひとりの子供達の水準に合わせてlessonをして、それぞれの子供の技術的なNiveauを上げれば良いだけなのですよ。
アハッ!
と言う事で、Il favoritoのⅡ楽章は、ad libitumな即興風に演奏をしなければならないのですが、「自由に歌う」と言う事は、「自由なrhythmで歌う」という事ではないのですよ。
単調に淡々と演奏して行く伴奏の和音に乗って、自由に歌い込んで行かなければならないのですが、拍頭には必ず合わないといけません。
自由に狂わせたrhythmを、正確に拍頭に合わせるという事、それが至難の技なのですよね。
・・・と言う事で、昨日は、千葉に行く前に、ad libitumに歌うviolinの「歌い込みのrhythmを、音符に書き取って、print outしておきました。
即興風の演奏を譜面に置き換えると、逆に難しくなってしまったのかな??




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7月26日今日は首都高が閉鎖されていて ·
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今日(7月26日)は夏の合宿の下準備のために、千葉への移動だったのですが、何と北池袋の入口が、Olympicの渋滞のsimulationのために、首都高速の入口を閉鎖して、わざと一般道の大渋滞を引き起こして、警察官の渋滞の規制のtrainingをするという事なので、開いている入口まで、回り道をさせられてしまったのだが