芦塚先生のFacebook(そのⅤ)抜粋


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FacebookⅡへ 2016年1月1日より、2016年12月31日まで

FacebookⅢへ 2017年1月1日より、2017年12月31日まで

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7月

Händel-Ashizuka sarabande(passacaglia) orchestra-version


1月      

1月1日皆々様、新年おめでとうございます

1月1日今日は寒い!

「2019年1月1日pm1時11分」

1月2日amとpmの

1月2日飛び散ったヨーグルトで

1月4日排尿痛が・・

1月4日不立文字

1月4日爆発したヨーグルト

1月5日出来たチーズ

1月5日もう一つのチーズ

1月6日超寒い!

1月6日初めてのwebでのオケ練習

1月7日摂眠障害が

1月8日超現実的な夢

1月9日Händelのpassacagliaのrenewal-version

1月9日右足の爪が

1月10日今日はもう1月も

1月12日今日は今年、初めて椎名町迄

1月12日日本の演奏家の3拍子の

1月12日宮崎駿さんの

1月19日homepageが壊れて

1月22日やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった

1月23日本当の本物とそうでない物を区別する事

1月25日今日こそは、ドルプリっ歩に

1月28日無理をしてオケ室内楽の練習に

1月28日ペースメーカーのお話村田さんからのlink

1月29日思いっきり、突き指をした

1月29日携帯用の心電図計です。

1月29日ますます鬱が酷くなって来た

1月30日理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ

1月30日Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった


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2月

今日は一日意識朦朧と・・
2月1日

今日は夜から、不定愁訴と言うか
2月3日

昨日はお蕎麦を食べて
2月3日

今日のオケ練習は、インフルや受験やら
2月3日

昨日辺りからまた、不整脈が出て
2月4日

今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
2月9日

「AI時代を生き抜く教育とは・・」
2月9日

「昨日は、音人の会でした
2月11日

またまた、書き上げる直前の文章が
2月11日

「TafelMusicについて」
2月12日

世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で
2月13日

突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
2月13日

「ame-logのお話」
2月13日

ガスストーブを焚きっ放しにしているのに
2月15日

baroque-dance
2月16日

流石に今日は、鬱と意識混濁が
2月16日

テレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikです。
2月16日

体重は、精神的な物らしい
2月19日

VivaldiのCello-concerto G Durの音
2月20日

春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど
2月20日

足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなって
2月22日

努力はしても、工夫はしない。
2月22日

「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
2月23日

ハイツの部屋で美伶ちゃんのlessonをしたのだが、
2月23日

毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると
2月24日

「放下著」
2月24日

「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら
2月24日

禅の基本的な概念は、
2月24日

Veracini introduction und Ciacona d Ashizuka=orgel-version
2月26日

「Veracini Ciacona 続き」
2月26日

「今日のドジ」
2月28日

今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。
2月28日


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3月




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                                 本文

1月

ベッドで寝たままに、Facebookを読んでいたら、いつの間にか、年を越してしまいました。

皆々様、新年おめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。

普段のジルベスターならば、椎名町の事務所で先生達とテレビのカウントダウン・コンサートでも見ながら、年越し蕎麦を食べながら、迎えているはずなのですが、腰痛が酷くて、先生達やプリドルとは別に、江古田の自宅の寝室のベッドでぼっちで、安静にしています。
ベッド・サイドででも見れるように、ワンセグやフルセグの映るテレビを折角買った所までは良かったのですが、動けないので、そのテレビの設定(配線)をする事が出来ないので、結局、テレビは見れないままなのですよ
これじゃあ、なんのためにテレビを買ったのか分からんわな

居間兼食堂兼パソコンルームのパソコンの椅子で・・ならば、テレビは見れるのですが、長時間、椅子に座っているだけで、疲れてしまいますので、今の状態では無理です。
・・・という事で、一日中、横になって寝ているベッドの中では、これ以上は眠る事自体、無理難題なので、退屈凌ぎに、ベッドに寝ていても唯一いじることの出来る携帯で、Facebookを読んだり、書いたりする事が、mainになってしまいます。
(寝室にnet環境がないという事は、ある意味致命的だよなぁパソコンがないという事は、ベッドでは仕事をする事は、無理だという事が、確定しているしね)

という事で、本年は、正月も新年もない、うれしくも楽しくもない、寝正月です。(とは言っても、毎年、大晦日から、正月休みの間は、高熱を出して寝込んでいたよな冬休みは毎年、病気で唸っている時期なのだよな今年に限っては、冬休みの期間が、11月からになっただけなのだよな)
まあ、そう、考えると、毎年の恒例の事なのだとも思えるのかもね

体調が整って、せめて部屋の中だけでも歩けるようにならないと、正月所ではないのでね




明けましておめでとうございます。
ジルベスター、15秒ほど早く終わり最後の音をのばすといういつものドキドキがなかったです。
今日、届きました
ありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。


それは見てみたかったな今日届いたのはDVDの話しですか

DVDと楽譜です。

ロカテリは、エチュードなみに難しいので、まだ、もう少し技術が上達するまで、保留で良いと思います。ヴィヴァルディは、技術的には、簡単かも知れませんが、音楽的には、とても高い水準の曲です。
これまで、紗來ちゃんと瑞希ちゃんが演奏していますが、今回、美音ちゃんのチャレンジは、三人目のチャレンジになります譜づらを見てください簡単だと思わないように、課題をしっかりと把握してください
DVDは子供には、文章も言葉も難しいので、説明をしなければなりません。紗來ちゃん達の課題も、出来ても出来なくても、それだけの課題があるのだ、という事が分かれば良いという考え方です。


先生!
明けましておめでとうございます!
先生!
ご健康年の幕開け❣️
最高のお正月をお過ごしです!


先生 ありがとうございます本年もよろしくお願いいたします。いっそうのご活躍を楽しみに致しております。


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今日は寒い!
1月1日 5:09

何故だかは、分からないが今日は寝ていても兎に角、超寒い
以前は、先生に羽毛の布団を押入れから出して貰って、それで寝ていたのだが、暑すぎて寝れなかったので、何時ものイトーヨーカ堂で緊急に買って来た毛布に戻したのだけど、それでも暑いので、部屋の温度設定を1℃低くして、何とか布団の温度が安定しているのだが、今日はどういう分けかは分からないのだが、兎に角寒い

ベランダ側のカーテンを見ると、2か所少しカーテンがずれて開いているのだが、ベランダ側の窓ガラスが室内から見えていると、超、寒いのだよ❢❢
それを直しに行くのは、体力的に無理なので、今回はエアコンの温度の設定を変更するだけで、辛坊する事にした...
練馬区の気温を見てみると、やはり0℃と、東京にしては低い。
まあ、それもあって寒いのだろうが、だからといって、またまた羽毛の布団を出すだけの気力はない

そこまでするのならば、毛布にしがみついて、震えていた方がましだ
体力気力がそこまでない・・という話だよ❢❢


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1月1日 13:08

「2019年1月1日pm1時11分」
ベッドの中でのFacebookの見たり書いたり・・は程々にして、兎にも角にも、寝ようと試みたのだけど、どうしても眠れなくて3時ぐらいになってしまった。それから、何とか熟睡出来て、朝、目が覚めたのだが、時計を見てみると何と未だ朝の6時半である。これは大変だ❢❢と思って取り敢えずトイレに行ってそのまま寝直したのだが、今度も熟睡出来たと思ったら、未だ9時頃だ。
一体、どうなっているのだ??と不思議に思いながら、また入眠に挑戦する❢❢ 絶対に今度は夕方の6時ぐらいだ❢❢と思いながら時計を確認すると、またまた、11時ちょい過ぎぐらいである。
その寝ている間、妙に現実的な夢を見て、どちらの世界が現実の世界であるのか・・分からなくなってしまう。部屋にある物を見て、現実界との確認をする始末である。夢の世界では、私が持っているはずのないものが身の回りにあるので、直ぐに判断出来るのだが、夢の中でも現実の部屋の小物になってしまったら、私が戻って来る場所が分からなくなってしまう。それは困った事だな??
夢の中の世界を現世と思った時がこの世に帰れなくなる時か⁉⁉


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amとpmの
1月2日 6:33

何とか爆睡出来て起きた所なのだが、6時という事で、はたと困った❢❢
Facebookでは、これまでも同じ話題で、よく書いている事なのだが、6時という時間は、朝なのか、夜なのかが、目覚めたばかりでは、時計を見ても分からないのだよな❢❢

つまり、2日の朝なのか? 2日の夜なのか? はたまた、3日の朝なのか、3日の夜なのかが、全く分からないのだよ❢❢
私の回りにある時計の数々を見ても、24時間表記の時計はないし、テレビをつけても、6時だという事はあっても、午前か午後かの、その話だけは出ないのだよな??つまり、それまで起きている人にとっては自明の事であるからだよ

6時という時間が、朝か夜かが分からないという人は、その時間に起きた人にかぎられるからだ
しかも、長時間寝れる可能性のある人に限られる
世の中は、そういった極めて稀な人には、対応する事はない
困った事だ❢❢

・・とは言っても、迷っているのはホンの2,30分に過ぎない。
6時半ともなると、空が明るくなってきて、朝焼けが始まる。
(もっとも、雨の日には、明るくならない事があって、それこそ9時10時になっても、朝か夜かが分からない事もあって、そうなると、体感的に時間が狂ってしまって、悲惨な事になるのだが・・)

今日は、絶好の正月日和らしく、6時半には空が朝焼けの空になって来た。「写真を・・・」と思ったのだが、いつもいつも、同じ窓からの同じ朝焼けの風景の写真では、あまりにも芸がなさすぎるので、写真を撮るのはやめにした。



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作っておいたヨーグルト3本の内の1本が爆発して、飛び散ったヨーグルトで周りが大変な事になっていた。
仕方がないので、そのままチーズでも作るか??
それにしても、濾し布がないぞ?これは困った

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排尿痛が・・
1月4日 0:11

たった今、12時を過ぎて4日になった所です。
病院の指示する術後3週間目の安静期をやっと過ぎた所なのですが、私の場合には、バイアスピリン等の血液サラサラの薬を飲んでいるので、血尿や腰痛が未だ収まりそうにありません。

勿論、それは担当の先生から予め言われていた事なので、然程は気にしてはいないのですが、今日(というか、昨日の3日の事なのですが・・・)はどういう分けか朝から頻尿になって、30分起き20分起きぐらいにトイレに行かなければならなかったのですが、足腰が痛くて、トイレまで歩く事が困難なので困ってしまいました。

勿論、それまでも、トイレに行く度に激痛を感じていたのですが、一時間以上は開いていたので、何とか堪えられていたのですが、同じ痛みでも、20分起きともなると、我慢の限界になってしまいます。

排尿痛も相変わらずです。...
でも、「術後直ぐの痛みを10にすると」・・という質問を良く受けるのですが、確かに、血尿、腰痛も術後直後からすると幾分は改善はしているようなので、気長に体調の回復を待つしかありません。
歳を取ると、治るのに時間が掛かるのは、自明の理ですからね。
時の過ぎ行くのは早いもので、休み中にやらなければやらなかった事が、全く出来ないままに、教室の休みがあけてしまいます。
死活問題なのに、何も出来ないでは、困った事です。




ベッドに入って、アンカにしがみついていても寒くて叶いません。勿論、エアコンはつけっぱなしなのに、寒いのですよ
何故だろうと思って、スマホを開いて気温を見て驚いたねなんと、練馬は-2℃だって
気力と体力があれば、毛布と羽毛布団を交換したのだけど、ベッドから起き出す気力がないのでね

4日になったのに、尿道の瘡蓋が剥がれて、真っ赤な血尿と一緒に大きな皮膚片の塊が出た。これは1、2週間目に何度となく出なければならないものなので、3週間目が終わった今頃出るのは、とても治りが遅いという意味でもある。まあ、ある意味、気長に解釈すると、「治って来ている」という意味でもあるのだがね



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不立文字
1月4日 9:59

不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉がある。
言葉にした途端に意味が変わってしまう・・というか、言葉で表す事の出来ない・・という意味でもある。
人間が自分の経験の中で知っている知識に、教わる事を無理矢理当てはめようとすると、教わる事は経験の外にある分けなのだから、当然、意味が変わってしまう。
そういった学び方をする生徒は、100回同じ事を指導して、何とかそれなりに格好をつけても、暫くすると、また元の木阿弥の自分の思い込んでいるstyleに戻ってしまう。
世界的に数人の優れた指導者がいると言われているのだが、そういった先生に師事している生徒の数は何千人という膨大な数である。
その中のたった一人、二人が優れた演奏家として育つ分けなのだけど、逆の言い方をすると、そのたった二人の生徒はどの指導者に師事したとしても、優れた演奏家になるのだよ。つまり、優れた指導者ではなく、優れた学び上手の生徒がいるのだよ。...
逆の言い方をすると、どの様な優れた指導者に師事しようと、学び方が出来ていない生徒が、優れた演奏家になる事はないのだよ。

どの様なclassであったとしても、その中でも1を聴いて10を知る事の出来る生徒は、どのようなclassでも、どの様な境遇にあったとしても、必ず頭角を表す事が出来る。
つまり、そのような生徒は、優れた指導者に師事出来なかったとしても、目標に到達するという事には、関係はないのだ。
道に至るは易く、道より出るは難しい。
しかも、家元制度の中では、道より出る事は、認められないのだよ
破門になってしまうのだよ。
ひたすら、その枠組みの中で、井の中の蛙になる事が良しとされるのだ。


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濾し布を持って来て貰って、さっそくチーズを作ります。



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出来たチーズ
1月5日 3:12

1回目のチーズが出来上がりました。
お気に入りのヨーグルトを種にして、空のヨーグルトのボトルに5分の1程入れて、成分無調整の牛乳に結構大量のオリゴ糖をボトルの9割り程、入れて、常温で、二日間ほど保存します。
完全にいっぱいに入れると、発酵したら溢れてしまいます。
蓋を締めても、開ける時に爆発します。
そこだけ気を付けると良いと思います。

そうすると、2、3日後には、美味しいヨーグルトが完成します。
大量のオリゴ糖は、乳酸菌のエサになるので、甘くはなる事はありません。
普通のさっぱりしたヨーグルトになります。

しかし、私の場合には、同時に3本も作るので、本当は残りの2本は冷蔵庫に保存して、出来上がりのタイミングをずらさなければならないのですが、冷蔵庫には朝昼晩と次の日の食料も入っているので、予備のヨーグルトを入れるスペースはありません。
作るタイミングをずらせば良いのですが、それも面倒くさいので、同じタイミングでヨーグルトが大量に出来てしまいます。
今、ヨーグルトを大量に作っているのは、リハビリに必要なある重要な目的があるからの必然的な理由で、趣味で作っているの...ではありません。
極度の便秘で、どうしても、toiletでいきんでしまうからです。
病院からも、便秘の薬を貰ったり、色々な市販の薬を試したりしたのですが、どうしても、上手く行きません。
という事で、苦肉の策でのヨーグルト作りです。

リハビリがある程度終わって体調が回復したら、ヨーグルト作りは終わりにします。
普段に食べるヨーグルトの量ならば、スーパーで買って来るボトルで充分だからです。
今は腸内の環境を整えるために、大量のヨーグルトを薬と一緒に、食べています。
2回目のチーズは、美味しいヨーグルトの状態から作る事にします。
1回目のチーズもそれなりに美味しいのですが、発酵し過ぎて、少し酸味が強めなので、2個目のチーズは、甘めのカマンベールのような味を目指します。


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もう一つのチーズ
1月5日 3:18

2つ目のヨーグルトから作ったチーズのもとです。
このヨーグルトはまだ酢が立っていないので、普通に食べても美味しいヨーグルトです。だから、チーズとして熟成させると、少しもの足りなくなるかも知れません。ここの帯襷(塩梅)は超難しいです。
ちなみに、横に写っているバナナは全く何の関係もありません。片付けるのが面倒くさかっただけです。



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超寒い!
1月6日 6:50

今日は6日の日曜日です。
昨夜から、真面目に布団に潜り込んではいるのですが、足の指先から膝まが冷て寒くて全く眠れません。
勿論、アンカに足を絡めて、しがみついているのに関わらず・・・です。

それに、エアコンもフル稼働しているのにも関わらず・・寒いのですよ?

またまた、練馬の気温が0℃になってしまったのかなと思って調べて見ると、2℃はあるようです。
勿論、外の温度で、室温ではないのですが、エアコンをフル稼働させているので、室温としては、寒い分けはないのですがね(部屋の温度が何度と言わないのは、部屋のあちこちに温度計を置いているのですが、その全ての温度計が、バラバラな数字を示して、どれひとつとして信用おけないのですよ。

試しに同じ場所に温度計を3つ、4つ置いて、試して見たのですが、結果は、アナログ式のメトロノームのように、酷いものでした。

今の所は、車の室内と車外の温度計が一番正確なのだけど、あれは、netのデータだよな)...
困ってしまいます。

それはそうと、今日の日曜日は、オケ練習の初練習です。
腰が痛くて、まだトイレまでも歩けないのですが、無理をしてでも、千葉まで練習に行くつもりでしたが、牧野先生から、「weblessonでも良いのでは?」というadviceを貰って、それに甘える事にしました。

まだ、一度も、椎名町の事務所までも、行けていないので、いきなり千葉までという事は、冒険になってしまうからです。
今年、初のオケ練習での、初のweblessonになるので、どうなるのか?まあ、乞うご期待! ですよね?

でも、ビデオlesson自体は、βの時代からやって来た分けなので、パソコン上でのlessonは、慣れているので、問題はありません。
問題となるのはwebの電波の状態だけですかね



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今日(6日)は初めてのweblessonでした。
weblesson自体は問題はないのだけど、音声がブチブチ切れて意味不明になってしまうのは、困ってしまいました。
パソコンの音声出力からスピーカーまでの配線の問題か、net環境の問題なのだろうけれど、事前のcheckをする事が出来ないので、時間ばかりロスをして困ってしまいました。
lesson内容自体は、曲を渡してから演奏上の解説の確認に留まりました。
weblessonでは、出来る事に限りがあるからです。...
結局、クリスマス会までは、発表会の曲は、ザッとしか見ていなかったので、それまでに、私が注意をして来た事を、ちゃんと理解出来たか否か、とかの確認のはずだったのですが、3回オケに新しく入って来たgroupは、私の注意を書き留める事もしていなかったし、注意や、練習のpointの説明を記憶すらしていなかったのは、初めてでは致し方がないのかも知れませんが、そういった「学ぶ」という基本的な事を、学校では教えないのかね
学び方のハウツーを教えれば、指導するのは、極めて楽になるのだけどねえ

私の教育の基本方針では、「学んだ事を、ちゃんと記憶して、応用する事が出来れば、メモは取る必要はない」と教えます。
でも、覚える事が出来ない人は、メモをちゃんと取らなければならないのですが、そのメモの取り方は、「メモが必要な時に、そのメモが出て来ない」という書き方なのですよ。
つまり、メモをちゃんと書いても、そのメモが役に立たないから、メモを取らなくなるのです。
この事は、「ニワトリと卵」かも知れませんがね
一般的な子供達の勉強法はそういった無駄な勉強(努力)の積み重ねなのですよ
全ての勉強は、必要な時に、その知識が活かせるものでなければなりません。その方法論は、優れた子供の場合には、自然に身に付く場合もあります。でもその方法論を学んで、身に付けると、全ての分野に応用が効いて、その子供の人生が極めて楽になるのです。
しかし、私がそういった方法論を、惜し気もなく子供達に指導しているにも関わらず、中々、子供達の身に付かないのは、その方法論が一般的な勉強法と真逆の勉強法で、儒教社会である日本では、儒教の勉強法が一般の通念(常識)として、通用しているからなのです。




それにしても、12月の24日のChristmas会以来、一度もハイツの部屋から外に出ていません。
というか、12月の18日の川崎の病院からの退院以来、24日の外出が唯一の外出で、ハイツの部屋から一歩も外に出ていないのです。
そろそろ我慢の限界です。歩く練習をしないと、筋肉も段々落ちて、rehabilitationが大変になります。
しかし、リハビリはやり過ぎの判断が難しい。

去年の暮から部屋に閉じ込もったままという事だったのですが、そう言えば年賀状もたまにはハイツ宛に来るので、郵便受けのcheckをしなければならないのですが、部屋から一歩も出ていないので、食事を運んで来る時に郵便受けのcheckをしてくれるように頼んだのですが、忙しいので、中々、その場で思いついてくれないようです。年賀状をハイツ宛に送った人達は、ごめんなさい!!



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摂眠障害が
1月7日 5:57

今日はもう既に月曜日の朝になった所ですが、土曜日の夜から、久しぶりに、摂眠障害が起こって上手に睡眠を取る事が出来ません。この二日間、全く眠れないのですよ
それに、江古田周辺では、な、な、な、なんと今日の朝の気温は-2℃だそうです
それは大変 今日こそは、頑張って羽毛の布団を掛けようか?・・とも悩んでいたのですが、やっぱり、体調不良を優先して、アンカにしがみついて辛抱する事にしました。
エアコンも入っているので、私が体験した一番の寒さである、ミュンヒェンでの時のような、-27℃の肌がそのまま凍ってしまうような寒さ、・・・ではないからです。
ミュンヒェン時代は、駅の寒暖計が-7℃だと、「今日は暖かいな~あ!」という感じで、寒さには、すっかりと体も慣れてしまっていたから、-27℃と言っても、今思う程の寒さではありませんでした。...
しかし、歳を取ってしまってからは、すっかり、暑さ、寒さに弱くなってしまいました
たかが、氷点下2℃で、ウダウダと騒いでいます。
・・・などと、言いながら、それにしても、あまりにも寒いので、室温を見ると20℃は越しています。それにしては、なぜだか超寒い

ふと、湿度計を見て驚いてしまいました。
なんと、湿度が30%を切っていますこれでは寒いはずだ
という事で、慌てて、物置きから極超音波加湿器を出して来ました。
水分の粒子が細かいので、吹き出し口にガラスを当てても、水分が付かない加湿器です。
部屋が湿気っぽくならない優れものなのですが、同じtypeの大型の加湿器は出せなかったので、小さな方の加湿器を出しました。
だから、部屋の温度が上がるには、だいぶ時間が掛かるとは思いますが、これで、布団の中でも、少しは暖かくなるはずです。

やっと少しうとうととする事が出来たのですが、なんと、私が幽霊になった夢を見てしまった。それにしても、若い無分別な少年になって、無意味な行動を繰り返しているのですよ。唯、何処かへ、行こうと焦って歩き回っている。次から次に出て来る見も知らぬ光景と見知らぬ人達
何処へ行こうとしているのだろうか?ひたすら無駄に歩いている
この夢には、いったいどういう意味があるのだろうか?
夢判断は通用しそうにない
随分昔にも、人っ子一人いない超大都会を訪れた夢を見た事があったが、今日の夢では、普通の住宅街なのだが、やはりなにかが違う孤独で無機質なのだ人が登場する事があっても、人形か、ロボットのように、実存感がないのだ
たしかに、子供の姿の見えない住宅街は、人気もなく寂しい
限界集落から始まって、シャッター街と、人気の途絶えた住宅街と続けば、次には、人影の見えない建物だけの大都会と続く。
まもなくそれは現実の問題になって来る。


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超現実的な夢
1月8日 5:18

今日は8日の朝4時過ぎです。チョッとだけ仮眠が出来て、トイレに起きた所ですが、なんとも不思議な、超現実的な夢を見ていたのですよ。

・・・とは言っても、今回だけのお話ではなく、いつも夢を見る時には、超現実的な夢を見るのは、いつものお話なのですがね?

超現実的・・・という意味は、surréalisme(シュールレアリスム)という意味で使用した分けではありません。...
登場人物もその場所も、一度も会った事も行った事もないのですが、妙にrealisticなので、超現実的と言っているのですよ。所謂、de ja vuとでも言うのかな??

今日の夢に登場した姪の女の子も、一度も見た事のない超可愛い人なのですが、誰なのか、私には分からなかったのですよ。
私・・とおぼしき青年も、どこから見ても私の若い頃には似てはいない。
それなのに、私と思われるのは、夢の中の主人公だからに過ぎません。
夢がその青年を中心に流れて行くからに過ぎないのです。

夢の中のお話では、海の見える林の中のひと部屋だけの一軒家を、突然に追い出されて、引っ越す事になって、一人で色々と荷物を纏めていると、姪が突然訪ねて来たのだけど、初めて見る顔なので、誰なのかが分からなかったので、誰なのかを知るために、「私が、ここに住んでいる事は誰に聞いたの?」と聞くと、「真おじさんに・・」という答えだったので、内心、『ああ、あの小さかった**ちゃんが、そこまで成長したのか??』と分かったのだけど、勿論、それは現実の話しではありません。但し、真おじさん・・の姪っ子の**ちゃんは、実在の人物ではありません。私の従兄には、息子はいるのだけど、娘はいないからです。
従兄に隠し子がいて、本当に娘が存在したとしても、彼女ならば、当然、年齢が合わないし、顔立ちも従兄とは、全く違います。
勿論、私の年齢も随分若いし、そのおじさんという従兄は、もう30年近くも前に、自宅で突然死をしているので、この夢の世界は、現実の今からは、30年以上も前の話しになってしまいます。 

私の何時も見る夢の中では、私は何時も30歳程は若返っているので、その時代が私の心の居場所だったのかも知れません。
しかし、当時の私は、19世紀の若者達のように、Cosmopolitanな生活をしていました。(※1.)
夢だけではなく、現実的にもフワフワと居場所の安定しない生活をしていました。
(Cosmopolitanという言葉には、世界市民とかいう良い意味と、住所不定とか、無政府主義者とかいう悪い意味の両方があります。)
一応、江古田の住まいを本拠地(ベース基地)にして、群馬の大学や、千葉に教室を作ったり、大阪や長崎等と、日本各地に活動範囲を拡げていました。
毎日、飲みに行くお店も、帰国したばかりの頃は、渋谷で、大学の先生をやっていた頃は、新宿に行きつけのスナックがあって、出版業界の人達と毎日のように飲んでいました。やがて、行動範囲が池袋駅周辺にになって、江古田から一歩も出なくなって、今は自宅に閉じ籠もっています。アハッ!

人間、歳を取ると、動ける範囲が狭くなって来てしまいます。
歳を取っても、世界をまたに、活動を続けている人達もたくさんいますが、本当に羨ましい限りです
私も、早く、自分の出来る限り、出来る事をしたいと思っていますが、全く歩けない日にちを重ねていると、気力が湧いて来ないのですよ
とどのつまり、元気な頃の昔を懐かしんでいるだけなのかな
それならば、実につまらん




今は朝の8時半を過ぎた所です。天気は快晴らしいのですが、まだ0℃のままです。昨年のクリスマスから、一度も雨が降っていないそうで、これも、記録的な事だそうです。湿度がないので、インフルエンザの大流行が始まっているのだそうです。そろそろ、あちこちの学校で学級閉鎖が始まっているそうです。東京、千葉は大丈夫かな

千葉も年末からインフルエンザになったと聞くようになりました。

学校で貰って来ないように注意しないとね

髪の毛が黒い!!

「Bachの珈琲cantata」の演奏風景です。  大学1年生の頃!!



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Händelのpassacagliaのrenewal-version
1月9日 6:24 ·


全く眠れない日々が2,3日続くと、今度は惰眠のように、起き出してパソコンの椅子に座った途端に、意識が飛んでしまう日々がまたまた2,3日続く・・という、困ったroutineを繰り返して、病気療養のbalanceが全く取れません。
昨日、今日は眠れないroutineで、療養中という事で、仕事が全く手に付かないので、激しい自責の念(つまり鬱という事ですかね?)に襲われてしまって、何とか「療養中なのだから・・」と自分自身に言い聞かせてはいるのですが、夢の中で迄、自分自身が、苛まれてしまいます。

仕事をする気力が出ないのなら、せめての事で、気力、体力を使わない軽作業という事で、16年の1月の14日にarrangeをした Händel-Ashizuka-versionのpassacagliaという曲なのですが、パソコンの音源として16年の1月にYou Tubeにuploadしましたが、1年後の、17年の4月の発表会で、やっと教室の生徒達の手によって、演奏をする事が出来ましたが、パソコンの音源の音とは違って、曲の後半部で擬古典のstyleになった所から、オケが分厚く成り過ぎてsolo(soli)の旋律が活かされていなかったので、2台のfluteと、continuoのcelloとcembaloのversionに、今日、眠れぬままに、深夜にオケバックのpartを簡明に訂正をし直して、そのままYou Tubeに新しくupしました。

但し、使用している写真は、以前、パソコン音源としてYou Tubeにuploadした長崎への旅行の時の写真をそのままに使用しています。
つまり、音声だけの変更です。

しかし、まあ、それにしても、baroqueのpassacagliaはなんと、patheticなのでしょうか??
パソコンの音源と分かっていても、ついつい心打たれてしまいます。
fluteを弾いてくれる人が二人いるのなら、音人の会で演奏したいのだがね⁉
後は、弦5部とcembaloの6人が居れば室内楽として演奏可能だけどね⁉

更に、1月9日と11日に改定renewalしました。

https://www.youtube.com/watch?v=jDHMuxT1t9w&fbclid=IwAR2XtlJg3Z9eSl-rgDoT92Qo70josUOMH7D6d_JkMP0s1mHUMuVCx6UzECo

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右足の爪が
1月9日 10:57 ·

手術前後の4ヵ月以上も、体を曲げる事が全く出来なかったので、自分の足の状態、特に爪の状態を見る事が出来ないままであった❗
何とか、足や、足の爪の状態をcheckするために、デジカメで写真を撮ってみたり、大きく拡大されて見える手鏡で見たりしたのだけど、上手くはいかなかったので、観察出来ないままだったのですよ‼

やっと、昨日くらいから、足腰が痛い事は、痛いままだけど、足の指の状態をcheckする事が出来るくらいまで、体を曲げる事が出来るようになって、改めて、爪を見て驚いてしまったのですよ❗

なんと、右足の爪が、全て、爪の半分以上が死んでいたのだよ❗
親指の爪は上の半分が死んでいて、白濁していて、やっと下の半分が何とか生きていた。
中指は上の半分くらいが、欠落していて、傷の所が瘤になっている。
小指の爪に至っては、紫色になっていた。

左足の爪は、見る限りでは全部正常だと思われたのたが、右足の爪は、全部の爪が、何かしら怪我をした状態だったのだよ。

以前、足の中指を常にぶつけて、何度も、爪を剥がしていたので、それを防ぐために、部屋の中でも、必ずスリッパを履くようにしてからは、爪を剥がす事は無くなったはずなのだが、これはいったいどうした事だろうか⁉
全く、理由や、その原因が分からない❗
否、爪を傷付けた覚えすらないのだよ⁉
糖尿病では、足の指先の感覚が無くなって、怪我をしても気づかずに、足先を腐らせて、足の切断という事になる・・という事があるので、かなり神経質に、注意をしていた積もりだったのだが、全く身に覚えがないのだよ⁉
これは、全く困った😨😥



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今日はもう1月も
1月10日 9:33 ·

今日はなんと、もう一月も、10日だそうです。
やっと、お正月になったと思っていたら、いつの間にか一月も中旬になってしまっていました。
今日の練馬の朝の6時の気温は、なんと、-2℃だったそうです。
すっかりと明るくなった今も、練馬に限定したら、netでは-1℃なのだそうです。
尤も、色々なproviderによって、常に練馬の気温は、2~3℃は温度が違うようですがね⁉

今日も、昨日から全く一睡も出来ていません。
ベッドから起きて、パソコンの作業をしたり、またまた、ベッドに潜り込んで、うだうだしたりしているのですが、どうしても、眠れないのですよ❗
困った事です❗

しかし、まあ、段々と椅子に座れるようには、なって来たので、眠れない夜には、少しずつではありますが、仕事が捗るようになって来ました。
・・・という事で、大分、仕事が出来るという事で、精神的には落ち着いて来ているはずなのですが、・・・という事は、少しは眠れるようになって来るはずなのですが・・・、そうは、とんやが卸さないのよね❓

摂眠障害は、要因が分からない、理由が不明のままです。
心療内科も、逆に上手くいかなかったしね😭


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今日は今年、初めて椎名町迄
1月12日 4:59 ·

今日は1月の11日でした。今日は、3週間振りに・・・、というか、今年は初めて椎名町まで、夜のご飯を食べに椎名町まで出掛けました。
・・・・というか、行く事が出来ました❗

残念ながら、歩くとやはり足腰が痛むので、ドルプリっ歩まではまだ無理で、もう少し練習をしてからで、今日は兎に角、椎名町の事務所までバイクで行く所まで・・、という所で辛抱します。

・・焦らないで、少しづつ、少しずつ・・、一歩一歩・・です。

以前(とは言っても13年も前の事になりますが・・)の冠動脈の手術の後でのリハビリでは、主治医の「頑張って、リハビリに励んでください。」という言葉を間に受けて、頑張って元気な時のノンとジーグっ歩に付き合って歩いていたら、逆にover‐workになって、リハビリを失敗してしまいました。

結局、逆に、3ヶ月も治りが遅れてしまったので、その轍を二度と踏まないように、今回はover-workに気をつける事にします。

病院の示唆している一般の患者さん用のリハビリのrotationよりも、私の場合には、治りが1,2週間遅いリハビリの進行情況なのですが、治りが遅いという事は、勿論、私が高齢者という事もありますが、現在服用中の血液サラサラの薬の性もあるので、病院のrotation通りに行かないのは、致し方はありません。

前回(先週)のオケ練習には、私の予後の状態は、足腰の痛みも酷く、血尿も全く治ってはいなかったので、バイクと車の乗り継ぎをして、千葉の教室までの移動は、とても体調的に無理だったので、パソコンのwebを使用して、自宅でオケ練習の指導をしたのですが、いざ、練習が始まって、生徒達が楽器を弾き始めると、誰もパソコンに映っている私の事を見てくれなくなるし、幾ら私が、注意事項を叫んでもパソコンの音量では皆に聞こえる分けはないので、speakerに接続をしてみたりもしてみたのですが、接続が上手くいかず、教室が静かな学習系のclassならばwebでlessonをする事も可能ですが、オケの練習ではとても無理だという事が今回よく分かりました。

という事で、明後日の日曜日こそは、頑張って、千葉の教室まで、オケ練習に行きたい・・と思っているので、先ずはバイクに乗って椎名町まで行く練習からの、初挑戦になります。
何事もstep by stepです。
焦らずに、一歩一歩・・・です❗

写真は、椎名町のlesson室のアップライトピアノの上のノンちゃんとぬいぐるみです。分かるかな~💕


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日本の演奏家の3拍子の
1月12日 20:23 ·

日本人の演奏家達の3拍子の演奏の歯切れの悪さには辟易させられるものがありますが、まあ、それは日本の伝承音楽には歴史的に、3拍子というものが存在しない・・・という事に理由があるので、どうしても3拍子の弾き方が変になるのは、致し方はありませんがね。

特にfoliaの場合には、2拍目に強拍が来るので、日本人の演奏の場合には、例えperiodの演奏団体であっても、2拍目の強拍がコブシのような後押しになってしまいます。
今現在、音大の学生である生徒に、その日本のプロの古楽器の演奏の話しをしていたら、「その[後押し]の中で勉強しているので、そのimageはよく分かります。」と言っていました。
ヨーロッパの人達の演奏する[膨らまし]と、日本人の演奏の[コブシ]は似て非なるもので、その違いは非常に大きくはっきりとしているのに、日本人には、その違いがよく分からないらしいのですよ?
私がヨーロッパに留学していた頃は、顔を見ると、何処の国の人なのか分かったものなのですが、日本に帰って来ると、ヨーロッパの人達は皆、同じ顔に見えてしまいます。
ヨーロッパの人達の場合、伸ばす音は、残響のように、段々と消えて行くのが、主流ですが、日本の場合には、段々と押して行くのが、普通のようです。
日曜日の深夜のNHKのアニメのテーマ・ソングを聞いていたら、音の一個一個を[押し]て歌っていたので、気持ち悪くなってしまいました。
つまり、船酔い状態です。
でも、日本人には、心地好く聞こえるようですね⁉
困ったものです。

classicの場合には、その違いが一番よく表れるのが、la foliaのthemaなのですが、その、ゆっくりしたla foliaと、早いla foliaの両方を堪能出来る演奏をYouTubeからselectしました。
la foliaに関しては、私の一押しの Savall さんの即興演奏です。
sessionの一人の、とても美しいハープのお嬢さんは、Savallさんの娘さんです。
ヨーロッパでは、家族でsessionを組んでいる団体がとても多いのですよ❗


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宮崎駿さんの
1月12日 20:48 ·

今日は生徒達が椎名町に来て仕事をしているので、早めに椎名町に行く予定で準備を初めていたら、なんと、今度は右腰側ではなくて、左足首が痛くて、椅子から立てなくなってしまいました。日頃、右足腰を庇って歩いているせいです。
椅子から離れる事が出来ない・・と言う事で、椎名町に行く準備が全く出来ないので、暫く休んで様子を見ている所です。

YouTubeのlinkは、Marin Maraisのla foliaのperiod instrumentsの演奏です。
ガンバの優しい音色をお聴きください。

そう言えば、昨夜は宮崎作品の「みみをすませば」とかというアニメを、テレビで放映していたようですが、少年がヴァイオリンを弾いて、主役の女の子が歌を歌うシーンで、伴奏していたお爺さん達の楽器はガンバとコルネットでしたよね?
ギターのような楽器は、リュートだったのかな?
仕事をしながら、ちょこっと見ただけなので、よく見えなかったので、確認出来ませんでしたが・・・・⁉
古式豊かな古楽器アンサンブルでしたよね?
こんな所にも宮崎さんは、凝っているのだなと驚いてしまいました。


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homepageが壊れて
1月19日 5:14 ·

19年の1月の19日の朝の4時です。
toiletに起きたついでに、随分、お久し振りに芦塚音楽研究所のhomepageのtop-Pageを開いて見たら、なんと、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageが開いてしまうのですよ。
有り得へんわサ❢❢

Pageが殆ど壊れてしまっていて、何処を開いても、惨憺たる事になっていました。 超、shock❢❢です。

windows10以降のパソコンの不具合は、もう仕事にならんよな??
パソコンで仕事をする・・という想定自体が大体ないからな??

朝の7時になりました。取り敢えずは、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageも「芦塚音楽研究所」のtop-Pageも開くように、パソコンのbugを修正しておきました。19年の4月の発表会までのオケ室内楽の予定等は今日中に出来たら良いな??



つい先日は開けましたけどね。予定見ましたし💦
なんででしょ?


ああ、それなら、椎名町でホームページを操作したのですかね⁉
ダブルブッキングしたという事ですかね⁉
それだけは、やるな😡と言っていたのだけど❗
ホームページを改定したら、必ずその旨、連絡をするように言っていたのですがね⁉


スマホでちょこっと見てみましたが『芦塚先生のお部屋』見れるページと見れないページがありましたね…


「芦塚先生のお部屋」のindexのPageで赤字で書いてあるのは、壊れたままのPageです。
次ページというのは、ぶっ飛んで無くなってしまったPageです。
古いdataでも、dataが残っているのは、再入力をしました。
紙のdataとして、残っているPageもあるので、次にはそのPageを手入力する予定ですが、手術やリハビリが難しくて、そこまで手が回りません。
ましてや、芦塚音楽研究所のhomepageは、私が直接教室の指導に携わっていないので、難しいので、昔のPageを再入力するぐらいしか出来ません。


芦塚先生のお部屋の山芋のページとベラチーニのパッサカリアのページを少し補修を始めました。
エンドレスなので、完全に復旧する事はないのだけど、出来る所までは、何とかやらないとね⁉


LINKが飛んでいて、文章そのものがない場合には、その文章を探すのは(文章が無くなっているのを知る事は)至難の業です。


やはり、教室のhomepageのオケ・室内楽の練習の日程は昨年度分でした。
後半期分はuploadしておきました。



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やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった
1月22日 14:57 ·

19年1月22日の3時なのだが、CapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった。まあ、なんと、間違いだらけの譜面なのだろうか??
俺が・・、じゃないよ!!
原譜がなのだが、取り敢えずは、一箇所を除いたら楽譜通りに入力したよ。
どうしても許せない箇所が一箇所あったのだけど、・・でも、今回は訂正譜は作らないように頑張ろう!!
この譜面は限がなさそうなのでね??
それにしても、今日は鬱が酷い❢❢



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本当の本物とそうでない物を区別する事
1月23日 17:59 ·

今日(23日)は、昨日に引き続いて、鬱が酷くて落ち込んでいます。そういう時に限って、周りからは、良い話は聞こえて来ません。
・・という事で、耳に栓をして、朝からCapuzziの3楽章のorchestraのpartの入力をして、午後はFacebookⅣをhomepageにtransposeする作業を途中までやり、ついでに今年の19年のFacebookを新たに新設しました。

兎に角、鬱が酷い時には、何もやる気が起こらないのだよな??外に出掛ける気力も無くなってしまって、ただ引き籠もりの毎日を徒に過ごしています。

音楽を究める事や職人の優れた業を学ぶ事は、本当の本物と、そうでない物の区別を知る事がとても大切で、その目を育てる事が音楽教育の目的だと思っています。
言い方を変えると、本当の本物が分からないとimitationを本物と勘違いしてしまうからです。

楽器とは言えない教育楽器や、世界の何処でも使用されていないジャーマン式リコーダー、ドイツではジャーマン式リコーダーと言っても誰も知らないし、そのリコーダーを作った張本人であるドルメッチが、自らジャーマン式のfingeringは間違いであった・・と言っているのにも関わらず、その誤りを認めようとしない小学校のRecorder教育とか、福祉の活動も3Kを省いた状態で体験学習させて、実際の福祉の現場に言って、あまりにも過酷である・・と挫折する学生の多い事!!
全く、綺麗事の過保護社会の学校教育なのだよね??

子供達が小、中学生であったとしても、そういった社会の厳しさを知る事は、とても大切な事だと思うのだが、日本の社会では、「子供だから・・」という事で、過保護に守る事が教育だと思われているのですよ。
「子供だから・・・」という事は、「proの世界には無い!!」と口を酸っぱくして言っても、一般の人達には、その事は、分かって貰えないのだよな??
腹が立つよな!!
ほんと、鬱になってしまうわサ!!
とは言っても、別に、日本の子供の教育が、私の鬱の原因ではありません。
昔、私が、子供の教育について、悩んでいた時に、ある人から、「その教育に対しての(親の)意識を含めて、その子供の才能というのだよ❗」と、諭された事があって、それ以降は、子供の才能とは、親の意識を含んだものである、と認識しているからです。
私達の時代は、子供の夢を親がbackupする事が、無かったとしても、阻害する事は無かった、という放任主義の時代だったので、自分の人生を歩む事は、楽でした。つまり、自分に、夢があれば、自分自身で歩んで行けば良かったからです。
だから、私の鬱の原因は、そう言った風な、私の活動そのものではなく、私自身がこの世の中に、居場所を見いだせないという事なのです。
あと、30年もすれば、私の主義主張は、当たり前の極々普通の事になってしまいます。その時には、一般の人達からは、「何を、そんな当たり前の事を言っているの⁉」としか、評価はされないのですよ❗
しかし、今の時代では、「何をそんな馬鹿な事を言っているの⁉」と、誰からも認められる事はないのですよ❗つまり、どっち道、社会から認められる事はないのですよ。損な選択ですよね⁉
それでも、体力気力がある時には、周りの誰一人として、自分を認めてくれなかったとしても、自分を信じて生きて行く事が出来たのですが、体調不良で、気力が上がらない時には、鬱が自分を支配してしまうのですよ❗


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今日こそは、ドルプリっ歩に
1月25日 22:12 ·

今日こそは、頑張ってドルプリっ歩に付き合おう・・と思って、椎名町までバイクで出掛けたのだが、杖にすがりながら、玄関を出たのだが、痛くて、20歩ぐらいしか歩けなかった。
ドルは怒っていたぞなもし!「なんで帰るんだよ!!」てか!


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無理をしてオケ室内楽の練習に
1月28日 5:34 ·

この所、腰痛が酷くて、ドルプリっ歩にも行けない日々が続いているので、木曜日は千葉でのlessonを延期してしまいました。

今回、昨日のオケ練習も参加出来るか難しい状況だったのですが、午前中の室内楽の練習で、MozartのPiano-QuartettのⅡ楽章があるので、無理をしてでも、出掛ける事にしました。この曲は演奏がとても難しいのですが、古典派のMozartやHaydnの作品の常として、(Sonate-album等の演奏を見ても分かるように・・・)演奏の技術的には然程、難しくないので、一般的には、(古典派の作品は、)雑に下手に弾かれる傾向があります。

Mozartの室内楽を勉強するにあたって、一度も、そういった演奏上の留意点(point)を説明、lectureしていないので、室内楽の練習は原則、月一のlecture-lessonなので、自主練習が基本なので、生徒達が、ちゃんと、練習のpointを理解した上で練習をするのと、そうでなく子供達が感性だけで、闇雲に自主練習をするのでは、全く練習のNiveau(水準)が変わってしまうので、一度も私がlectureをしないままでの練習では、とても心配なので、常日頃、「練習のcheckをしに行きたい!」とは思っていたのですが、Mozartの室内楽のlecture-lessonは、本来の私のlessonでは無く、自主練習が建前なのと、練習が朝からの時間なので、私の体力がオケ練習の最後まで、持つか・・という事を先生達が心配してくれて、折衷案として、先週の室内楽の練習なのですが、・・生徒達に、室内楽の自主練習の様子をvideoに撮影させて、それをcheckして、私がone point-lessonでのadviceをするように、しようという事になりました。

監督出来る先生がいないので、生徒達の準備の様子もcheckをしたいので、生徒達には、楽器の準備から練習を開始するまでの状況も含めて、videoを流し撮りをするように、条件を付けてのvideo撮影でした。

videoの撮影が終わって、SDcardがハイツに届いて、練習の状態をcheckして見たのですが、やはり、Mozartの室内楽の難しさは尋常ではなく、「どうしても、一回は演奏のpointのlectureが必要だな?」と逆に痛感してしまいました。

という事で、昨日のオケ・室内楽の練習は、私が朝早く出掛けて、練習のcheck-pointをlectureする事を日延する事は、徒に時間を無駄にする事で、結果的に発表会での発表でも満足する結果を得る事が出来なくなってしまいます。
・・・という事で、先生達は私の体力が、椎名町に帰るまで持つか??を心配してくれていたのですが、今回は無理をしてでも、timelimitという事で、敢えて挑戦する事にしました。
まあ、それにしても、Mozartは難しい❢❢の一言に尽きます❢❢

オケ練習の最後までは、とても、体力的には持たない・・という想定で、lectureをしていたので、練習の時間割りをちゃんと見ていなくて、終わりの時間をいつも通りに、定型の7時半終了と思い込んで練習をしていたので、最後のVeraciniのpassacagliaの時間が「15分くらいしかない❢❢」と思い込んで、梨紗も月一ぐらいしか練習に参加出来ないし、愛ちゃんも風邪でお休みだったので、兎に角、一回だけは、時間的に目一杯でも、取り敢えず「通し練習」をして、今日の練習を終わる事にしました。
半ギリギリに曲の「通し」が終わって、「今日はここ迄だよな?」と言ったら、誰かが「今日は8時までですよ❢」と言いました。
「え~っ❗早く言ってよ~❢」
でも、もう流石に、それから練習を続けるには、幾ら何でも、気力が戻らないので、定型の7時半を持ってオケ練習を終わりにしてしまいました。
普段ならば、大ブーイングの所なのですが、流石に、Veraciniの後では、子供達もエネルギーを使い果たしているので、おとなしく練習の終わりの挨拶をしていました。アハッ!

それでも、私達は、それから、後片付け、後始末が有るので、コンバスの花園への移動や、花園教室の後片付け等々を済ませたら、東京に戻るのは9時直前になってしまいました。

東京に到着しても、夜の食料の準備が全く出来ていないし、食材の準備も出来ていないので、半年振りに外に食べに行く事にして、私はハイツに戻って、斉藤先生はドルプリっ歩に出掛けたのですが、な、な、な、なんと、練馬は0℃です。超、寒いし、自宅に到着した途端に、やっぱり疲れがドッと出てしまって、半年振りの外食も、ハイツの保存食を食べるのも諦めて、持ち帰った荷物や脱ぎ捨てた服の全てを散らかしっ放しのそのままにして、爆睡してしまいました。
アハッ!



またまた、入力出来なくなってしまったので、暫く、書きかけの状態で放置する事にします。


体調をおしてみてくださり、ありがとうございます!
子供達にこの情熱が伝わるといいんですけど……😭


文章がおかしくなって以降の書いたコメントがぶっ飛んで無くなっていました。
編集履歴に一つだけ残っていたので、bugる前の文章の最後にコピペしておきました。
まあ、なんだろうね~え??  Facebookは・・・???


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1月28日21:38

親ゆずりの無法者が あきら:45
 夕暮れの風景:今の気持ちのような空
心臓エコーでは心臓自体にはやはり異常はなかったが、24時間ホルダーで、徐脈、頻脈の双方が・・・前者は悪化して死につながる危険もあるので、ぺースメーカーを、後者はカテーテルアブレーションで・・・回生病院では双方やる方がいいとのことで、でも前者はここで行ってるが後者はやってないからと、桜橋渡辺病院への予約をされて、2月7日に紹介状と今までのカルテ、データーをもって行くようになった。そこでの判断になるだろうけど、双方やる必要があるなら一度の入院中にやってもらえるように・・・そして合唱、声楽活動に影響が出ない日程で手術するつもり・・・成功したら不安ながらに練習に参加しなくても良くなるから・・・迷ったがこの際、やると決めた


私の場合には、3回程、不整脈が出た事があります。最初は、環動脈のバイパス手術の後、退院しても、不整脈が取れなくて、主治医に相談したら、「心臓は1回でも止まるとそれで終わりだから・・・」と言われて、「即ペースメーカーの手術を」と言われてしまい、すっかりめげてしまいました。
同じ病院の中なのですが、心外の先生から、循環器の先生に代わって、薬のcheckをして貰って、処方された薬を、半分に割って呑むようにしたら、不整脈は治まってしまいました。
その次は、鬱が酷く、不整脈が出ると、鬱になるのか、鬱になると不整脈になるのか、という事で、自宅のすぐそばに出来たばかりの心療内科に行って、薬を処方して貰ったのですが、最初に、処方して貰った薬はとても良くて、日常生活も随分と楽になったのですが、医者に薬の効き具合を尋ねられた時に、「一週間の間に、2回だけ、軽い鬱状態にはなったのだけど、とても楽でした。」と答えたのですが、医者は、その2回程度が、よほど気に食わなかったらしく、より強い薬に変更されて、逆に鬱が酷くなってしまい、「前の薬の方が・・」と何度も言ったのですが、毎回より強い薬が処方されて、等々、毎日、ベッドから起きれなくなってしまいました。調剤薬局に相談をすると、「処方された薬は、老人等で寝たきりでも良い人にしか処方されない薬で、芦塚さんのように、日常働いている人には処方しない薬だ!」という事で、処方された薬の量を減らしてみたのですが、やはり、無理があるようで、それで、その心療内科に通院するのはやめてしまいました。
病状の説明も、やたら難しい専門用語を連発して説明するので、難解で困ってしまったのですよ。
その事を調剤薬局に話たら、「商売敵のように専門家に思われたのではないのかな?」と言っていました。
「私は音楽教室の先生で、子供達を相手にしている職業だ」という事は、初診の時に説明をして、カルテにはちゃんと書いてある筈なのですがね??

またまた、入力出来なくなってしまいました

クスリでの治療は回生病院の医師はあまり進めない感じでした

病院によって、考え方の違いもあるのでしょうが、「心臓は、一度でも止まると、それで終わり❢」という考え方が基本なのでしょうね?
私の場合には、「また、手術??」という事と、日常生活や、その後の病院での検査等で、色々と制約を受ける・・というのが、second opinionの理由でした。
術後5年間は、体調は安定しなかったのですが、不整脈はそれで一応は収まりました。
その後も、度々、酷い不整脈に襲われる事があったのですが、心臓のバイパスで入院している時に買った携帯用の心電図の器械で、即、医者に駆けつけるべきや否やの状況を判断出来るし、また、全く心臓とは関係のない随分遠い箇所でのトラブルが治ると、結果として、不整脈も治ってしまうので、ペースメーカーは付けないままで、14年を過ごしています。
今回の大きな手術の前にも、それが発覚する以前の8月、9月ぐらいにも、少し不整脈が出たのですが、血尿で色々な重篤な病気が見つかって、体調不良の原因が特定されてからは、不整脈は出ていません。
この14年間、その繰り返しです。

体は自分を守るために、色々な信号を出しますが、現代の医療では、その状況でしか判断をしないので、心臓の調子が悪いと、心臓のcheckしかしません。
血尿で膀胱癌が見つかったのですが、その結果、より緊急性のあるサイレントキラーの腹部大動脈瘤が見つかったのは、私はラッキーだと思っています。

前回のペースメーカーの時にも、同じ病院でのsecond opinionだったのですが、薬の処方を変更した医者は、ペースメーカーの事については、何も言いませんでした。
腹部大動脈瘤の手術も、最初の病院では、「動脈の形状からステント治療は絶対に無理で、開腹手術になる」と言われて、「どこの病院にsecond opinionに行っても同じですよ❢」と言われたのですが、手術件数の多い順番に病院を探して、ちょっと遠いのだけど、川崎の腹部大動脈瘤の専門病院に行きました。
そういった病院では、難しい患者しか来ないので、私程度の症状では、「そんなに難しくない」「充分、ステント治療で対応出来る!」・・という事でした。
これは手術の経験値の違いだと思います。
それに、前の病院ではriskの話ばかりしていて、consultingを聞けば聞く程、不安感が増長されていくのですが、川崎の病院の先生の話では、言葉に安心感があって、信頼に足る先生だ、と思いました。
病院に通う上で最大に必要なものは、先生に対しての安心感だとつくづく思い知らされました。


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思いっきり、突き指をした
1月29日 5:31 ·

椎名町から、帰って来て、寝る準備のために、テーブルの上に置いた明日の食料品を冷蔵庫に片付けている時に、茶筒を落としたのですが、無意識に掴んでしまったのは良いのですが、思いっ切りテーブルの縁に指先をぶつけてしまいました❗うん十年振りの突き指です‼超、痛かった❗多分、骨にヒビが入ったのだよな⁉
いや、これで暫しパソコンが打てなくなってしまう❗これは困った❗
また、仕事が滞ってしまうよな⁉




今日は右手薬指の第2関節が少し腫れ上がって超痛くてパソコンを打てません。
昨夜は第一関節だったのにね??


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携帯用の心電図計です。
1月29日 10:53 ·

携帯用の心電図です。
心拍と心電図を10個程、保存が出来、ABCDと4段階で、緊急性の判断をしてくれます。

勿論、パソコンと連動させて、パソコンに記憶させる事も出来るし、私は不安な時には、これを医者に直接見せて、波形の判断を仰ぎます。

14年前に、冠動脈バイパス手術の時に、大和成和病院の売店で買ったものです。

今では、もう少し良いものが売られているのではないでしょうかね??



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ますます鬱が酷くなって来た
1月29日 17:08 ·

またまた、鬱が酷くなって来た。
それなりに仕事を片付けながらの、自宅静養だったはずなのだが、突然、仕事をするだけの気力が失くなってしまった。
音楽教室は先生達に任せて、海の傍の丘の上に引き籠もろうかな??と、マジに思ってしまう。

「Von Herzen - Möge es wieder - Zu Herzen gehn!"」
Beethovenが自分の作品(Missa solemnisミサ・ソレムニス)の楽譜に書き込んでいたその作品に祈りを込めた言葉です。
天下のBeethovenが自分の作品で、人々に願いを込めていた事が分かりますが、果たして・・・

日本の伝統芸能は歌舞伎や能、話芸等の落語の世界では、物語り性や、人を感動させる事が究極の目的とされます。

しかし、Classic音楽に限っては、そういった人を泣かせるような演奏を忌み嫌う傾向があり、コンクール等で、テクニックを競いあう、styleの方が一般的です。つまり、秒やテクニックを競いあう、アスリートの世界に近いものがあります。

私の主義主張では、大人の人達を泣かせるには、メカニカルな技術は不必要で、真摯な心からの語りかけのテクニックがあれば、小さな子供達であっても、人を泣かせる演奏をする事は出来ると思います。
それは音楽を追求する姿勢の問題だと思います。

数億円のヴァイオリンで演奏していても、その本来の楽器の持っている美しい優しい音を追求しないのならば、数万円のヴァイオリンで弾いた音でも、変わり映えはしない・・という事なのですよ。

だけど、プロの音楽家達には、素人には、本当の本物の音楽は分からないのだ・・という自負(自惚れ)があります。

その自負とprideだけで、一般の人達が音の違いが分からない・・と言ったり、演奏の違いが分からない・・という事を、「自分はこれだけ、一途に音楽を極めようとしているのだから・・?」というprideで乗り切っています。

確かに、Classicの音楽は、或る程度の慣れが必要かも知れません。
でも、本当の音楽の良さ、楽しさ、美しさ、感動を教えるのも、プロの役目ではないでしょうかね?
「音楽は、限られた特別な人達のもので、私の努力を分かってくれる人達だけのものだ❢」という事で、一般の人達に感動を与える努力をしないのならば、「音楽は、芸術だから、一般の人達が分からないのは当たり前なのだ❢」という姿勢ならば、音楽は、より限られたmaniacな特別な少数の人達だけの音楽になってしまいます。

明治維新が始まって、ヨーロッパの社会に追いつけ、追い越せ・・という運動の一環として、廃仏毀釈運動の一つとして、日本の伝統芸能も位置は低いものと定義付けられて、ヨーロッパからのClassicは上流階級のstatusとして入って来たのです。

その時代のお金持ちの上流階級のお稽古事としての延長としての意識が未だに日本の音楽に残っていて、statusとしてのClassicという意識が、未だに一般の人達への音楽への理解を妨げているのです。
そのうちClassic音楽のフアンは一人もいなくなったりして・・


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理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ
1月30日 9:29 ·

テレビを見ていたら、(勿論、仕事をしながら、付けっ放しをしていたら・・という意味ですが・・・)「教育とは、子供達に『理不尽』を教える・・という事だ」という話をしていました。
「子供の教育とは大人社会の理不尽を学び、妥協する事を学ぶ、という事だ❢」という論旨で、異を唱えるコメンテーターもいなくて、盛り上がっていました。
コメンテーター達が言っている「理不尽」という意味は、「対社会的な妥協」という意味のように思えました。
テレビのコメンテーターたちは、「子供達が、社会的に成長して大人になるという事は、妥協する事を覚えるという事だ❗」と、「随分、大人の理論として勝手な事を言うナ??」と半ば呆れて、聞いていました。

世間の一般通念で、自分の志を曲げる事を学ぶ・・、それが大人になる事だ・・・そんな大人社会の理不尽さを、子供達の教育に持ち込まれては、子供達が大人達に反抗して、言う事を聞かなくなる、・・・大人達の指導に付いて来なくなる・・という事は、当たり前の話です。

何故??思春期の子供達がギャング・エイジの子供達に憧れるのか?何故、子供達は、大人に相談する事もなく自殺してしまうのか??
それが、理不尽な要求を突き付ける大人への不信感である・・という事を理解しようとしないのですよ。

音楽教室では(別に音楽教室でなくても全ての教育機関であれば同じですが・・・)、clientは親になります。
教育に熱心な先生は、親からの将来の希望や、家庭での子供の状態を聞いて、それを子供の教育に活かそうとするのですが、子供の側の希望や意見は、「未成熟な考え」として、聞こうとはしません。
子供の話しを聞くことを、信条としている先生達でも、子供の話しを聞いて、その未熟な論理性の弱点を突いて、説伏しているに過ぎません。所詮は、ポーズだけの理不尽な大人に過ぎないのだけど、一般的には、それだけでも、非常に優れた教師として、評価される事が多いようです。
つまり、ポーズだけだとしても、子供側の話しを聞くという事をする大人は、非常に希であるということなのです。

そして、子供がSNBP(負の転換点)として、社会に反抗した時に、言い換えると、子供が社会の理不尽さに、耐えられなくなった時に、初めて、理不尽を要求する大人達は自分達の教育の誤りに気づくのですが、残念ながら、もうそこに「後」の手段はありません。
「何か??」が出来るのは、「前」だけだからです。

しかし、私が常に、前へ、前へとそのターニングpointのadviceをしても、「前のadvice」では誰も私の忠告を聞こうとはしません。

何故なら、そこには、まだ何かが出来る余地があるので、今まで出来なかった指導説伏が、後、一歩で、何とか出来るかも知れない・・という願望があるからです。今までダメだったけど、後、一歩で、何とかなるかもしれない❗
でも、その余力の一歩で、駄目だった時には、そのSNBPに対して、大人達が出来る事、子供に対して成すべき事はもうないのです。

死者は生き返る事はないのですよ。(生物学的な死にしても、心の死にしても・・です。)

親と指導者は、教育上の観点が全く違わなければなりません。
子供の夢に合わせて、子供の将来の長期的な教育のprojectを組むのは教育者です。
それを、親に説明するのも、教育者の役割です。
「将来、このようになりたければ、今、現時点で、これをこうしなければならない。」という説明です。
親が、今現在しか見えないのは、当たり前の事で、教育上はそれで良いのです。
将来を見るためには、経験と客観性が必要だからです。
親が教育者になってはいけません。
子供と一緒に一喜一憂する事が大切だからです。
小、中学校の先生である親が、子供の教育に失敗するのは、子供を生徒と同様に、客観的に見てしまうからです。

ここまでが、Facebookの限界のようで、そろそろ入力出来なくなってきました。
残念ですが、この文章はここで終了します。




あら~続きが読みたいです‼


「芦塚先生のお部屋」から、一般教育論文のindexのPageが一番該当して、特に「摩訶不思議な日本の教育」というPageが一番該当する文章だったのですが、この教育論文のPageの殆どのPageがぶっ飛んだままなので、「摩訶不思議・・」のPageは、膨大な論文なので、print outされた紙の原稿すら残っていません。
先ずは、どのPageが、ぶっ飛んでいるのか?をcheckする所から・・の作業なので、assistantが必要なのですよね??
冒頭のindexと、それぞれのindexのTitleを赤字にする事で、読めるPageか否かのPageにするという、単純作業なのですが、これがやはり、一手間なのですよ。
indexをcheckしてみたら、紙の原稿は残っているのだそうですが、文字のフォントが小さ過ぎて、OCRが出来ないので、保留になっているようです。あまりにも長い文章なので・・・??


パソコンを弄っていたら、昔々、downloadした、古いOCRのsoftが出て来ました。
「それならば‼」と、超小さな文字でprintoutされた原稿をスキャンして見たら、なんと、なんと、なんと、OCRが出来たのですよ‼
プリンターのsoftでは、全く無理だったのにね⁉

勿論、誤変換や、解読不能な箇所も多々ありはするのだけど、27pageのOCRの変換は、3、4時間で終わって、homepageにup出来たのですよ❗
後は、indexを付けて、誤変換を訂正すれば良いので、なんとか、recovery出来そうです❗
indexを付ける作業も、30日の内に終わりました。後は、ご変換だけです。


このFacebookのPageの最後の部分の文章がまたぶっ飛んでいました。
編集履歴からコピペしてrecoveryしました。
なんだろうね~え?   Facebookは・・・
人様(client)に対しての敬意がないのだよな?? 
勝手に削除する・・とは無礼極まりないだろうが❢❢


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Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった
1月30日 11:56 ·

「教育は理不尽」のPageで、斉藤先生が、「続きが読みたい!」と書いていたのだけど、色々とあって、超、面倒くさくなってしまって、続きを書く気が失くなってしまったので、「『芦塚先生のお部屋』から、続きを書いている(欠落していない満足な・・)Pageが無いのかな??」と、パソコンのPageやdataをcheckしていたら、Vivaldiの a moll Op.3Nr.6の解説のPageが、printoutするためにwordに変換して保存されていたのを見つけたのだよ!!
Bravo!
Recovery出来たぞよ!!
Pageが1分で戻った!!
喜!喜!喜!!

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2月


今日は一日意識朦朧と・・
2月1日 23:30 ·

10時過ぎに食事だったのだが、その直前から意識混濁になってベッドの中で、「動けない!」とか「食べに行けない!」とか事務所のlineに送ったはずなのに、今、toiletに起きたついでにlineを見てみると、一切メールが送られた形跡がない。
どうやら、「送った❢」と思ったのは、夢の中だったらしい❢❢
しかし、夢の中で「書いた」「送った」というのは、実に頻繁によくある事なのだがね❢❢
という事で、今日はまるまる、一日中、意識朦朧としていて、何も出来なかった。仕方がないので、videoの編集と纏め・・だけをした。
videoの編集で、trimmingや色々なangleの調整とかしないで、単純に動画を幾つか結び付けるだけの作業では、実際の編集作業は2,30分程度で、routineの作業なので、意識朦朧状態でもなんとかこなす事が出来るし、後は、パソコンが独りで勝手に5時間、6時間掛かって、仕事をしてくれるので、パソコンがbusyで、他の仕事が出来ない時には、頗る良いのだよね??
こういった、やる気が起きない時や、意識混濁で、仕事にならない時に、videoの編集作業のように、computerが勝手に仕事をしてくれる作業は、逆に「時短」になって、全体から見ると、仕事効率が良いのだよ❢❢
「時短」とは、千**子さんが言うように、「急ぐ」事ではない。教室ではそれはタブーの勉強(仕事)法なのだよ!!
「慌てる乞食は貰いが少ない」のだよ!!
効率を良くして、ノルマを上げる事を「時短」というのだよ。
日本人は兎角、「考える時間があったら、先に仕事をしろ!」という傾向がある。
何処かのviolin-methodeの先生が何時も言っている「1時間でダメなら10時間、10時間でダメなら100時間」という努力に対しては、世間一般は評価をして、その努力を認めるのだが、逆に、頭を使って1時間でする事を10分で済ませる・・という要領の良さに関しては、絶対に評価をしない。
昔、大人の生徒で、経理の会社をやっている人が、会社のためにより良い社員を集めたいと相談があった。
「取り敢えず、バイトで学生を集めて、その中から会社に正社員として雇用する生徒を探す」という事のようだった。
私がadviceをしたのは、ノルマ制のバイト代である。
仕事がちゃんと出来るのならば、1時間を10分で終わっても、同じ給与ならば、実力のある生徒にとっては美味しいバイトになる。と言う事で良い学生だけが集まって来る。
出来の悪い生徒はノルマが終わらないから給与の枠も減ってしまうからだ。
社会とはそんなものだよ!!
昔々の(未だ音楽教室を立ち上げる前の)お話しなのだが、小学校の4年生を担当する事になった学生から「4年生のクラス対抗で、漢字のテストがあって、何時も学年主任の先生がtopで、若い先生達のクラスの生徒達は中々漢字が覚えられないので・・」と、相談があった。
ルールは、毎週新しく出た漢字のテストをして、クラスの全員の成績で評価を出すのだそうな。
・・と言う事で、子供達が書いていた漢字の練習帳を見せて貰った。
宿題は「一つの漢字を20個書いて覚える」と言う事なのだが、最初の2つ、3っつは丁寧に書いてあるのだが、数が増えれば増える程、雑に、乱暴になっていく。
「芦塚メトードの記憶法の良い実証機会だ」、と言う事で、生徒達には、漢字を書く宿題を「覚えるだけ書く事」「書かなくても覚えられるのならば、書かなくても良い」という宿題に変えた。
次の週からは、その若い先生のクラスだけ断突に成績が上がって、一月も経った頃からは、全員100点満点を取るようになった。
芦塚メトードとそうでない一般の教育法との区別を付けるために、若い先生には、「その指導法を他の先生にはlectureしてはいけない!」という条件を付けたので、学年主任の先生は、ムキになって、一つの漢字を100回書くように宿題を出した。
子供だけでは、宿題をこなすのはとても無理なので、両親が漢字帳で毎週100個の漢字を書く羽目になって、そのテストは終了してしまった!
(当然、保護者のclaimによって・・だが)
この学習法は、教室を立ち上げた後に、更に改善されて、オセロ練習法として、ゲーム化されているのだけど、見た目は楽しく遊んでいるようにしか見えない練習法なのだが、実はproの演奏家でも、非常に難しい練習法なのだ。でも、子供の内から、その練習法に親しんでいると、その難しさは然程ではない。
日常生活を、より効率化するために、学校から帰ってから音楽の練習に専念するために、「学校の宿題を学校の休み時間に済ませて、宿題の時間を練習に当てたら・・??」とadviceしたら、学校の先生が「学校で宿題を済ませるのならば、別の宿題を追加で出す!」とか怒り捲っていたそうだ。(これは、一つの特定の学校での話しではなくって、色々な学校でのお話です。今は、宿題は必ず家でやらなければならないのだそうです。)
それじゃあ、会社に勤めるとかいう実社会生活では社会適応は出来ないよな??



またまた文章が、(今度は文章の80%以上がぶっ飛んでしまっていた。
編集履歴から・・多分これだ❢❢と思われる文章をコピペしたのだが、最終稿が分からないので、どれが最終履歴かは、当てずっぽうである。
長文でも文章の飛ばない、homepageにでも、戻したい所なのだが、homepageは、homepageでそれなりに色々と問題があるのだよな?
要は、こういったnetでは、essayのようなものは書けないのだよな?



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今日は夜から、不定愁訴と言うか

2月3日

今日は夜から、不定愁訴と言うか、心悸亢進というか、鬱になりそうな感じで、携帯心電図計で心臓の調子を見たのだが、「気になるようならば、医師に相談をしろ」という不整脈迄は行かない、微妙な判定だ。

健康な時ならば、行きつけの寿司屋で日本酒の熱燗を飲んで憂さ晴らしをするか、心の置き場所を臍下、丹田まで下げて、心臓を落ち着かせる所なのだが、心が捕まらなくて、どうも上手く行かない。

鼻詰まりも少しあるので、呼吸の性もあるようだ。...
胃も、少し胃酸過多気味だ❢❢
それに、心臓も不整脈気味である
まあ、結論的にいうと、自律神経失調症、所謂、不定愁訴である

要するに、心と体のbalanceが崩れているようだな??
困った❢❢ 
さてどうするか・・???

明日、オケ練習がなくて、自宅に閉じ籠る事が出来るのなら、鬱々の曲を聴きながらwineでも飲んで、この鬱々の時間を味わうのだが・・・・

出発の時間のtimelimitがあるので、それも出来ない
wine-timeでは、飲酒運転に、引っ掛かってしまうのだよな?
alcoholが完全に抜けるのには、7時間以上は掛かるからだ

あの手この手の、「無い無い尽くし」である
鬱に堪えながら、ベッドで横になるしかあるまいて?



4時近くまで、ベッドと椅子を往復していたのだが、4時頃には、無事に入眠する事が出来た
普段の土曜日でも、timelimitのpressureから、中々入眠が出来なくって、3、4時間も眠れたら良い方なので、鬱々なのに、無事に眠れたのは、luckyと言う他はあるまいtoilet-timeで、7時頃に起きたのだけど、3時間は、しっかりと眠れたのだから、良しとしよう

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昨日は夕方の4時から5時の間に、お蕎麦を食べて、lessonをして8時近くにハイツの自宅に帰ったのだが、それから、すぐに鬱に襲われて、寝たので、持って帰った夜食は食べないまま出会った。12時過ぎにtoiletteに起きて、3時間程鬱々として、また寝たので、痩せたはずなのだが、そうは行かない❢❢
しっかりと、前日比で0.5㌔、痩せた時からは、約1㌔リバウンドしてしまった。鬱によってホルモンバランスが崩れたせいだ。
オケ練習の後は、必ず1,2㌔は肥るので、都合、3㌔程のリバウンドが予想される。オケ練習で肥るのは当然予想されているので、一度は何も食べないでお茶だけ飲んでいたのだが、関係なくやはり肥っていたよ❢❢
オケ練習が人生のpressure(精神的なpressure)になる分けはないのだから、単なる日常のbalanceの崩れ・・という理由のハズなのだから、月曜日から日常のrotationが戻ってくれば、体重も戻るはずなのだが、そうは行かない❢❢
困ったものだ❢❢





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今日のオケ練習は、インフルや受験やらご不幸とか、何とかかんとかで、お休みが多かったので、オケ練習は出来ないのかな?という状態だったので、逆に分奏をっかりとし勉強する事にして、私はお休みにしようかな??と思ったのだけど、後半の専科オケの練習では、曲が大変難しいので、逆に分奏になると、抜き出し箇所のpointや分奏にしても、その練習の方法が非常に難しくなるので、「ここ一番」は私がいないと仕方がないので、頑張って千葉まで、車を飛ばして、オケ練習に出掛ける事にしました。
いやあ、なんと真面目な先生だろうか??
・・・・と、思ったら、大学、高校入試の終わった人達や、お姉さん達が、練習に来てくれたので、逆に普段の練習よりも、人数が多くなって、partも充実して、練習が楽になりました。
・・という事で、年齢層が高かったので、普段の練習よりも、一層集中力のある緻密で無駄のない練習が出来たので、lectureもとても楽でした アハッ!



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昨日辺りからまた、不整脈が出て
2月4日

昨日辺りからまた、不整脈が出て鬱が酷い❢
鬱が酷くなったから、不整脈が出ているようだな?
鬱が酷いと、横隔膜が上がって来て、丹田呼吸が出来なくなってしまうからだ。
一番、必要な時に、呼吸法が出来ないと言う事は、意味がない・・というか、問題だよな??
一つ一つ鬱の根本的な原因を取り除いて行かないと、段々とより不整脈が酷くなって、control出来なくなってしまう。...
なんとかcontrol出来ている間に、何とかしないと・・ナ??


取り敢えずは、寝る事にした。多分、起きたら元の木阿弥だろうが、何も出来ない時には、安静にしておくには、越した事はないのでね



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今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
どうしよう??

鬱の対策には、「仕事をしない」・・のが、一番だと思われるので、溜まりに溜まったシンクの洗い物を洗ったのだが、勿論、足腰が痛いので、普通に、シンクの前に立って洗う事が出来ないので、何時もやっているように、椅子に座ったままで洗うのだが、手の肘まで洗っている水が伝わって濡れて来るのだよ❢❢
手より肘の位置が高いと何の問題もないのだが、椅子に座ったままでは、致し方はない❢❢...
洗い終わったら、腕全体を乾いたタオルで拭く他はないのだよな??
弁当箱のタッパー類は、食器洗いの棚に入り切れないので、机の上に置いて、椎名町に持って行けるように直接準備をします。
ハイツの食器類は入れ場所が決まっているので、取り敢えずは「水切り」に置いて、体調を見ながら暫時仕舞って行きます。
仕舞うにしても、椅子から立ち上がって水屋に仕舞うのが難しいので・・・

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TBSの報道特集で、「AI時代を生き抜く教育とは・・」、という、私が40年前に提唱したcurriculumの授業をやっていた。
それは、今でも、毎回のオケ練習でも、結構な時間を使ってやっているよ!!
ただ、私の場合には、目的は音楽を理解させるためなので、半分遊びのように・・、冗談のようにやっているに過ぎないのだけどね??
だって、読解力や、読み解く力を身に付けさせるのが目的ではないからね??
指導者は、子供達が何処まで理解出来たか??・・、を正しく把握して、どういう風に説明すれば、理解するのか??を判断出来れば良いだけなのだからね??...
目的は、音楽に対する理解なのだから・・、そんなくだらない事に時間を浪費出来ないからね??
相変わらず、コメンテーターは、「情報が多すぎるからだ!」、とか、素っ頓狂な事を言っている。
困った事だ!!

番組に触発されて、云十年も前に書いた教育論文にlinkを張ろうと思って、ホームページを開いて見たのだが、殆どのページがブッ飛んでいるので、紙原稿からスキャンして取り込まなければならない。
(殆どと、いうのは、ブッ飛んでいないページもあるから、先ずはそのcheckからなのだがね)
教育論文は、音楽論文よりも、後回しになってしまっているのだが、ブッ飛んでいるページをpickUPして、それから、取り敢えずは、紙原稿を探す所から始めるのだが、その作業を、全部を一人でやるのは、結構辛いものがあるよな
assistantでも雇うか
今は、経済的にも、技術的にも、それは無理だよな
まあ、気長にやるか
今日は、やる気がなかったので、料理教室のページを大分、復元したけれどね



またまた大幅に文章がcutされているなんだろうねFacebookは腹が立つ


編集履歴から復元しようと思ったのだが、その編集履歴に追加した文章が無かった!!これは如何ともし難い!!為す術がない!


結論的にいうと、このテレビを見ていて感じた事は、「主人公であるの指導者指導者という立場の人自体が、日本の権威主義的な体質から抜け出せてはいない」・・という事です。
英語等の語学(そもそも、語学という言葉自体(言葉という表現)が私は嫌いです。「学」が付くから・・アハッ!)は、「人と意思を通じ合うための、communication-toolsに過ぎない!」と思っています。
だから、教室の生徒達には、塾ではなくて、会話教室を勧めています。

自慢ではないけど、私は英語を学校で学んで大学を卒業する迄に、10年近くも英語の勉強したのにも関わらず、片言の英語も話せないのですよ
よその国では、学校と呼べるものすら無く、土の上に、直接座って勉強している学校後進国の小学校四年生の子供達が3ヶ月も経たない内に、ネイティブの人達と、片言の英語で、会話を始めるのにね
その違いなのですよ。


ぶっ飛んでしまった、元の文章を記憶を伝手に書き戻します。
テレビを拝見していると、要は、難しい数学の言葉の定義を、小学生の子供達に説明する事に必死になっているのだけど、一生涯に一度も使わないような数学の言葉を学ぶよりは、物事を筋道を立てて考える力を養うべきが数学の数学たる所以ではないでしょうかね??
難しい言葉(所謂、専門用語というのは、大学に入ってその道を仕事(生業)とするようになった時に、それから覚えても良いのではないか?と私は思うのですがね。
それよりも、何をどのように考えればその事を正しく理解出来るか??というのが数学や物理を学ぶ意味だと思うのですがね??
いつまでも、お魚さんに説教をする聖フランシスではしょうがないのでは??Mahlerは素晴らしい!!私の先生の先生だって、知っていた??会った事はないけれど??
私はMahler先生とHindemith先生の孫弟子になるのですよ!!格好良くない??アハッ!



昨日のオケ練習で、試験前の中学生の生徒が「算数が分からない」と言っていたので、一級上の同じ中学生の生徒に説明をさせたら、その指導が上手くて驚いてしまいました。その生徒は塾には行っていないそうで、その時に、テレビでのAIの話を思い出して、「『定義と定理と公理』の違いは分かっているのかな?『abcとxyzとn'の意味は説明出来るのかな?」と質問したら、全く分かっていないそうで、塾に行っていないその生徒は「あ~あ!」と言って私の言う事をよく理解出来ているようでした。(何が欠落しているのか・・の意味を・・)つまり、自分で学習するから、何が理解に必要なのか?をよく分かっているのですよ!
教えられた事は身には付きません。成績が上がったとしても、受験が終わった途端に、全て忘れてしまいます。それではなんの意味もないのだよ!!そこの所がどうしても、一般の人達には分かって貰えないのです。良い大学に入学出来れば、将来が保証されたのは、私達の次の世代、所謂、団塊の世代の人達の話なのです。
global社会では、その終身雇用制度は、もう既に崩壊しているのですがね??そのために、安倍さん達が必死になっているでしょう??学校の教育改革とか言って・・・
それでAIのテレビの話につながるのですがね??

その前提で、一般の先生達が幾ら頑張って努力をしても、それなりの効率、効果は出ないはずですよね??
私のオケ練習でも、言葉の定義に(子供達の理解の範疇である言葉で説明をする事に)、非常に多くの時間を費やしています。でも、それがい一般の聴講生にとっては、無駄話にしか見えないのよね??
私や、教室の先生達を聴講に来た学生や、他の音楽教室の先生達が、「芦塚メトードと言うけれど、普通のlessonを普通にしているだけなのですよね??」という感想を戴きました。「見えていなければ、見えないのよね??」
当たり前の事を・・って??
違うんだよな~ぁ??
「違いが分かるには、それなりのNiveauが必要だ」・・という事なのだよ!! 自分のlessonを自信を持って教えている先生には、理解は出来ない!!という意味なのだよ。



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「昨日は、音人の会でした
・・・という文章を書いていたはずだったのですが、朝起きて、追記の文章を深夜書いた文章に書き込もうと思ったら、どうした事か、元の文章がありません。
確かに、ベッドの中で文章を書いていると、勝手に文章が居なくなったりして、再起動を何度もかけたりしたので、その間に文章がブッ飛んだのかもしれません。
書いた文章を私の記憶に依ると、・・・先生達に負担の掛かり過ぎる音人の会を、新しくshapeUPして、renewalして企画し直すつもりで、食事付きの「TafelMusic」よりも、alcoholの出ない「おさらい会」に近い形にして、大学生達が参加しやすいような会にして、積極的で、若々しい雰囲気にするつもりだったのだけど、牧野先生が、頑張ってお料理を作っていて、恒例のTafelMusicになっていたので、驚いてしまいました。
先生達のお料理の準備が、ちょつと、大変なのと、私もalcoholを控えなければならなくなったので、sandwich位のMatineeとして企画する予定にしていて、飲み会だと呼ぶのに躊躇していた大学生達を今回か...ら積極的に参加させるようにしていたので・・・、等々のお話です。

二つ目のcommentは、「音人の会」が終わって、やっとこ、ハイツに帰りついてからのお話ですが、(これも、色々とhappening続きで、お話が尽きないのですが、それは割愛して・・・)何とか・・かんとか、ハイツの自宅に辿り着いて、バテバテなので、直ぐに眠ろうとしたのですが、昨夜は余りにも部屋の中が超寒くて、一晩中眠れなくって、寒さと格闘していた・・というお話です。
寝室が余りにも寒くって、寝室のエアコンと加湿器では、部屋が温まらなくって、布団に潜り込んでいても、寒くて仕方がないので、居間兼パソコン室兼食堂のガスストーブをつけたままで、サーキュレーターで、温かい空気を寝室に流し込んで、しかも、電気アンカにもしがみついて、何とか、やっと眠る事が出来たのですが、目が覚めると、小一時間しか、寝ていない事に気がついて、驚いてしまいました。
ガタガタ震えながら、toiletに行って、またまた寝直しましたが、何時もの、小一時間の頻尿timeの繰り返しになってしまいました。
・・・てな事を、そこはかとなく書き綴ったはずなのですが、何処にも見当たりません。
「母さん、あの文章は何処に行ったのでしょうかね?」
「Facebookは・・・」と、いうよりも、携帯自体が、私には向いていない感じがします。
しょっちゅうブッ飛ぶしね
幾ら、老人の暇潰しにしても、不安定で、故障が多すぎる
これが飛行機だったら、catastropheものだよ


それはそうと、音人の会の雰囲気を伝える写真が欲しかったのだけど、私はデジカメの入ったバックを事務所に忘れて来たし、ビデオも撮っていなかったようなので、影像がありません誰かUP用の写真をください


またまた、文章がブッ飛んでしまった

  
    


私が撮ったのはこれしかなく


了解しました!有難う!!


昨日はありがとうございました。東京に戻られたんですね。雪、一昨日より積もってるように感じます(車の通る道はぜんぜんですが)お気をつけて。


帰ったのは、何時もの通りに私だけで、牧野先生と斉藤先生は後片付けのために、花園に残りました。東京は雪が降っていないので、千葉の様子が分かりません。でも、車を出すのはお昼からなので、多分、雪の影響はないと思うのですがね??
昨日は、遅くまで珠実ちゃんと友花ちゃんが残って片付けを手伝ってくれたのでとても助かりました。感謝!!感謝!!



珠実ちゃんは、明日のオケ練習から、発表会後まで、永のお休みです。明日からは、多分Aborigineになっていると思いますよ?? いや、冗談!!


そう言えば、大学生達の集合写真が一枚もなかったよな??

デジカメで撮った分を先生にお渡ししないと、と思っていましたが、次の日はオケ練習でバタバタとしているうちに忘れています。皆さんもう少しお待ちください~

そちらからupしてください。私はもう終了しましたので・・


発表会の報告とか、オケ練習の公開とかは、timelyなもので、生物のようなものだから、日にちが経つと腐ってしまうよ!!もうそろそろ、臭い初めている頃じゃないの??


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またまた、書き上げる直前の文章が、書いている最中に、ぶっ飛んで、跡形もなく失くなってしまいました。
つまり、他の人がFacebookに文章をuploadした途端に、私の入力中の文章がぶっ飛んでしまうのですよ。
勿論、一度も保存されていない状態なので、編集履歴にも全く残りません。
私の、この1時間の努力は一体何だったのだろう!!Facebookに弁償して貰いたい感じなのだけど・・
長年の努力の結晶が、一瞬でぶっ飛んでしまった「芦塚先生のお部屋」と言い、パソコンはどうも、いただけないよな??...
パソコンの不安定さは、Facebook等で昨年や、一昨年と、見て行っても、毎年同じ事を書いているし、そんなに不安定で、どうして仕事として成り立つのだろうか??と不思議でしょうがないのだけど・・・よく、皆さん、辛抱しているよね??
私は、パソコンは、どうしても、好きにはなれないけれど、だからと言っても、なければ無いで、仕事にならないし・・・、全く困ったものだよ!!




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Tafel=テーブルと言う事で、食卓の音楽と和訳されているようですが、演奏styleのgenreの一つであり、且つ、Telemannの有名な曲のTitleでもあります。
古の作曲家達はbaroque時代から、貴族か教会に属し、音楽を作曲して来ました。
教会の場合には、毎週の日曜日毎のGottesdienstや、宗教行事のために作曲をしましたが、貴族の場合には、食事の時や、partyの時のBGMとして作曲される事が殆どで、当然、会食の雑談のBGMとして使用されて来ました。
ロマン派の時代に至って、音楽家の地位が向上して来た時には、かの有名なFranz LisztやClara Schumann等の名pianist達の努力によって、音楽とpartyに於ける雑談はしっかりと分けられるようになって、「音楽を真摯に聴く」という状況、姿勢が作り上げられて来ました。

...

しかし、日本では、ちょうどその頃の時代に、文明開化の一つの方策として明治政府の手によって「音楽事始め」として、西洋音楽が富国強兵政策の一環として導入されたので、音楽は貴族階級の物、若しくは軍隊教育を目指して、「畏み畏まって聴く」という状況のみが導入されて来て、音楽の原点であったBGMとしてのClassic、娯楽としての音楽は日本には入って来ませんでした。

そのために、BGMとしての音楽はClassicではなく、あくまでもeasy listeningの音楽としては、popularの音楽がその地位を占めたのです。
つまり、popular音楽の場合には、生演奏、生バンドとして、Tafelmusicとしての、形式のpartyが開催される事は、日本でもよくあったのです。

日本のclassic界でもparty形式で演奏会がなされる事は多いのですが、その場合には、先ず最初に演奏会があって、その演奏中は「畏み畏まって」演奏を拝聴して、その後の使役の対価報酬として、tableに軽食が運ばれて来て、お食事timeになる事が殆どで、お食事を食べながらのBGMとしてのclassicの演奏会は日本ではこれまでも開催された事はありません。

私が日本に帰国した時に、この「TafelMusicとしてのpartyを是非企画したい」と言う願望があって、帰国当時は音楽大学生以上の大人の生徒達しか私の生徒達は居なかったので、当時行きつけで、私がお店のインテリアを企画したスナックで徹夜の飲み会と同時に演奏会を企画したのが最初です。その後、音楽教室を主催するようになってからも、40年間「音人の会」として、その企画が継続し、存続しています。

そして、その企画や音楽会の趣旨をご説明するために、冒頭にTelemannの「TafelMusic」の冒頭の曲をalto2本とtenor、Baßrecorderによる演奏をして、「この演奏会が『TafelMusic』としての企画であり、趣旨である」・・という事を宣言していました。(いつの頃からか、TelemannのTafelMusicの演奏は無くなってしまいましたが)

元来は、音大生の発表会(Probe)としての意味合いが、mainの趣旨なので、「自分のrepertory(持ち曲)を人の前で弾き続ける」と言う事が本来の意味なので、ご招待のお客様達もproの人達が多くいて、対抗して演奏をするので、当然、一日中弾き続ける事になって、音楽の途切れる事のない演奏会だったので、alcoholを飲みながらの発表会なので、お喋りをしながら・・の無礼講の実に楽しい音楽partyでした。

勿論、当時はお食事やスナックは、Restaurant等のお店が担当していたので、先生達がpartyのお食事の準備をする事は、全くありませんで、音楽の演奏の準備だけでしたが、会場を提供出来るRestaurantが無くなってしまったのと、Restaurantでの会場費が少し高額になってしまったので、学生達からは、「会場費が、経済的に無理がある」・・というclaimを受けたので、或る時から、「お食事を持ち寄って、partyをする」・・という現在の形に改められました。
お食事や軽食を安く請け負ってくれるというRestaurantが見つからなくなったせいであります。

このBGMとしての音楽であるparty‐styleは、日本では未だに私達の教室の「音人の会」だけで開催されていて、一般的ではないので、このTafelMusicの形式に慣れさせる・・という事は、日本では、そのような演奏会を見る事は無い・・と言う事で、若い生徒達に、このTafelMusicの形式の演奏会に慣れ親しませる・・という事には、無意味に思えて、音楽を学ぶ学生にこのTafelMusicの形式を学ばせる事に対しては、二の足を踏んでいます。

自分のrepertoryを弾き続ける・・というrepertoryを持った生徒も数少なくなって来て、alcoholを飲みながらのコンサート・・という事も、歳を取って、難しくなって来たので、私のこれまでの意図であった「本来的なTafelMusicは終わりにしよう!」とこの2,3年言い続けているのですが、なんとなく、今回も継続してしまいました。
毎年、来年は、Matineeとして、軽食で、alcoholは抜きで、乾杯も無しで・・と言っているので、来年こそは、「Matinee形式で「音人の会」を企画する事にします。」・・・と、毎回言っています。アハッ!



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何時も愚痴っている事なので、繰り返しに過ぎない事ではありますが・・・、世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で、自分の子供のNiveauを判断します。
子供達は、それを逆手に取って、教科書の下にゲーム機等を置いて、教科書を見ているフリをして、ゲームに余念がありません。しかし、それでも、机に向かっている姿を見て、親は安心するのですよ。

つまり、親が、子供の努力をする姿を見る事がなければ、子供のNiveau(この場合は意識かな??)は低いものである・・と、判断をするのです。

...

だから、親にとって、良い音楽教室である条件、良い学習塾である・・という事は、「子供に努力を促す」塾であり、教室なのです。
逆の観点から言うと、努力をしているフリ、勉強をしているフリをすれば良いだけなのだから、子供にとってはこれ程楽な事はありません。成績は、塾の先生が頑張って何とかしてくれるからです。

そういった人達が、良い大学に入学して、公務員になって、言います。「私達は一生懸命に何が出来るのか?を、探して努力しているのですがね!」と・・・
でも、その努力をしている間に、どんどんと子供達は死んで行きます。探しているのではなく、今出来る事をやらねば、なんの助けにもならないのですよ。

交通事故で血を流している人を、見ながら、私は医療関係者ではないから、医療行為をすると処罰されるから・・、といって、死んでいく人を見守る事が正道になってしまっているのですよ。警察がよく言う言葉は、家庭内の暴力については、警察は不介入だから・・・なのですよ。

教室で2時間しか練習が出来ない生徒が、一般の人達から「それでは大学の入試に合格出来ない」と意見をされて、音楽大学の教授を紹介されて、師事をしたのですが、「その日の内から、毎日7時間も練習が出来るようになった」・・という事を、親は「流石に、大学の先生は違うよな?」と感激していました。
その後、一月も経たないで、その先生の生徒達の発表会を見た生徒が、「教室から代わって行ったその生徒が一月も経たないにに驚く程下手になった!」とビックリしていました。勿論、親にはその音楽のレベルの事は理解出来ないので、上手くなったか下手になったかは理解出来ないのですがね。

つまり、練習で、自分の音を聞く事もなく、練習の方法を何も考える事もないままに、ただ闇雲に練習をすれば、どんな人でも、何時間も練習出来るようには、なるはずなのですよ。それを勉強が出来るようになった!!と思い込むのは、単なる無知蒙昧の世界なのですよ。

私が、いつも、主張している日本型の無駄な練習の典型的な勉強法が、テレビでは、超一流になるためには、そこまでの努力をしなければならない・・と言う趣旨で放映されていたので、それなりに超Shockで、専科の生徒達に、番組を見て、その感想を尋ねたのですが、orchestraに参加している教室の生徒達は、毎週、日常的に私から注意喚起をされていたはずなのに、「誰もその批判が出来なかった」・・という事は、私の教育不行き届きで、私のsystemも、色々と問題点が多いようですね?と、自己反省させられました。

生徒のみならず、親も教育に対して、成績を上げる事のみの教育ではなく、AIに対しても、負けない考える事の出来る、(判断を正しくする事の出来る)教育を受けないと(学ばないと)、2045年のAIの問題には対処出来ませんよね??
しかしながら、公開授業を見ている限りでは、無駄な定義の問題に多くの時間を裂いて、子供達の興味ややる気を阻害しているような気がしてなりません。
まあ、そこが私との立ち位置の違いかな??

それが、私の日本の教育界に対しての最大の批判です。

日本音楽のClassicの世界は兎も角としても、一般の社会では、唯、単に、時間だけ掛かって、効率を上げる事が出来ない仕事は、「お役所仕事」でしか成り立たないのですよ。
私達が仕事に対して、望むのは、「速い、丁寧、より良い」所謂、効率に対しての三原則です。
「児相」のように、「遅い、雑、逃げ(保身)」・・では、社会では、仕事としては成り立たないのですよ!
それでも首にならないのだから、日本のお役所仕事は、生涯教育として素晴らしい!!
日本の音楽教育とよく似ていますよね??



つい先日も、テレビで「イタリアで靴のマイスターに付いて学んで来た」・・という人が、そのマイスターから、「私は彼を指導した覚えはない!」と否定されているという放送がされていましたが、それは「詐称した」と言う事ではなく、お国柄のお勉強のstyleの違いだと思います。(・・思いたいですよね?)
別にその人に対して、好意を持っている分けではありません。それを認めると、日本の音楽家の多くの人達が、震え上がってしまうからです。

日本では学校教育で学べば、「その先生に直接師事した事になる」・・ようなのですが、マイスターの国では、直接師匠の所に弟子入りをして、寝食を共にしないと、弟子とは認められないのですよ。
これは、所謂、マイスター(master)制・ギルド(Guild)制であって、日本では職人さん達がこのやり方でんでいます。
私はこの違いを説明するのに、よく料理教室のお話を例に出して、説明します。
料理教室では、多くの人達が一緒くたに同じ食材を使用して、同じレシピで料理を作りますが、驚く程人に拠って出来栄えも味も・・曰く、その全てが異なってしまいます。
音楽も靴を作る事も同じで、その作り方は学校ででも学ぶ事は出来るのでしょうが、それは所詮はamateurの趣味の領域に過ぎません。
行列の出来る料理店を目指す料理人は多いと思いますが、本当に美味しいと言われるお店は、一見のお客様は、紹介がなければ入る事も出来ませんし、一般的には知られてもいません。つまり、店でもないのですよ。有名
有名料理人が経営する料理教室で学んで100点満点で卒業出来たとしても、その先生から「のれん分け」をして貰う事の出来る人はいません。その先生から「暖簾分け」を許して貰える人は、その料理教室の生徒ではなく、やはり弟子なのですよ。
つまり、生徒は学校で学ぶ人を指し、弟子は師匠と寝食を共にして、その師匠の料理に対しての考え方や心の落とし所を学んで行くのです。
Brandの美と、本当の美の区別が付かない人には、masterになる資格はないのです。
今回の靴職人を目指す**さんのお話は、学校教育を是とする日本人と、マイスターから認められる事を命として努力をするギルドの国の人達との考え方(心の落とし所)とのギャップだと思いました。(と言うよりも、思いたい・・ですよね??)

私が音楽教室を開いて以降は、音楽大学に進学する事を目指す数多くの生徒さん達が、音楽大学の先生の所に教室から代わって行きました。
そういった生徒さんの一人で、教室のtopの生徒が、某国立の音楽大学の教授の所に代わって行ったので、その生徒の将来の動向が興味があるので、その先生の発表会での生徒のdataを取ろうと思って、毎年、(今の先生達が未だ高校生ぐらいの時ですが、)その生徒が教授の元をやめる・・というか音楽そのものをやめるまでの5年間ぐらいの間をcheckし、調査したのですが、毎年、その先生と奥さんの生徒が発表会の度に、総替えになるのには、驚いてしまいました。
毎年、その先生達の生徒20名以上が新しくなって、古い生徒は一人もいなくなるのですよ!
しかも、驚く事に、常にいなくなった20名が補填されているのですよ。これは一般の音楽教室では有り得ない事ですよね??毎年20名の生徒がやめたら、教室は一瞬で潰れてしまいますよ!!
毎年その先生の元から数名の生徒がその先生の生徒として、某国立音楽大学に入学するのですが、発表会で演奏した生徒は当然、一人もいません。
大学の入試に合格するその生徒達は、入試直前に、1、2回lessonで教授に見て貰った生徒達に過ぎないのです。
つまり、音楽大学に入学出来れば、その教授の門下生として音楽大学に入学出来るし、入らなければ、一回こっきりのlessonを見ただけのご縁なのですよ。
では、「なんのために、たった、1,2回でもその教授に師事させるの?」と先生に質問したら、安心のためで、直接は意味はないそうです。
でも、音楽大学では、公平を期するために、私立、公立を問わず、弟子(生徒)の試験の評価は出来ないのですよ。
それでも、「私立だったら、先生の引きもあるか?」と思ったのですが、学校の入試担当の先生からは「絶対に無い!」と怒られてしまいました。
ならば、なんのために・・でしょうね??
concoursならば、審査に便宜を図って貰える事は普通なのですが、入試では、有り得へんわな??
何度書き直しても、途中でぶっ飛んでしまうので、裏技を使ってFacebookに掲載しています。



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突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
12時のCinderella‐timeに、ドルプリっ歩の前に、千葉でのlessonが終わって、椎名町に帰って来た牧野先生が、椎名町から夜食を運んで来てくれて、それから、遅い食事を食べたのまでは、記憶の範疇(時間の認識)の中にあるのだが、それから、突然、何故にこの時間(深夜の3時過ぎ)になってしまったのかが、よく理解出来ないし、突然、鬱になってしまったのだけど、何故、鬱になってしまったのかの原因も、自分自身では、よく分からない!!

そう言えば、その時間の間に、動画の編集をしていて、その練習風景を見ながら、ある会話に動揺して、その愚痴をFacebookに書いたような記憶もあるのだがね?

それにしても、ガスストーブを焚きっ放しにしているのに、どんどんと部屋が寒くなって行くのはどういう事だ??...
外界の気温が冷えて来ているせいなのかな??
それとも、心が冷え切ったせいなのかな?
鬱が酷くなる前に眠らないと、明日は川崎まで、足腰の痛みを我慢しながらの難行苦行が待っているのだからな



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普段は、私のFacebookやhomepageでは、私が、一方的に、自分自身の自己主張をぶちあげるだけで、他の音楽の指導者の人達の主張を聞くことはありません。
それは、基本となる立ち位置が違うと、その主張が平行線になってしまい、発展的な意見交換ではなく、相容れない物になってしまうからです。
不毛な会話をする程の体力は、私にはもう残っていないから、極力そういったtroubleを避けるのが目的です。

...

今回、珍しくも、石川先生のblogを見て、音楽指導者の人達のお悩みや、その解決法のお話に興味を抱いて、ameba-blogを閲覧したのですが、やはり、先生達のお悩みは、「音楽を指導する上での、立ち位置の問題かな?」と思いました。
私は、音楽を始める時に、一度も音楽の基礎、基本から始めていません。いきなり、高校生の時から音大受験の勉強を始めて、いきなりドイツ人の先生に師事したので、日本人の先生に音楽を学んだ経験は音大時代以前の1,2年だけで、経験がないからです。つまり、音楽大学に入学する1,2年前までは、なんの音楽経験もない一般人だったのですよ。

と言う事で、殆どここから先は、その音楽のお話ではなくて、「ameba-blogのお話」です。

昔々の私の古い生徒が演奏活動をしていて、その活動の一環として「ameba-blogをやっている」という話を聞いたので、そのサイトを閲覧するために、私もameba-blogに入会して、昔の生徒とchatをした記憶があります。

その生徒は、古い生徒で私が、始めて子供達を指導した時の生徒だったので、私はとても懐かしかったのですが、活躍中の演奏家だったので、「ちょつと、私の生徒である事が、迷惑だったかな?」という事でアメーバブログは、さっさと退会してしまいました。一フアンとしての立場だったら、良かったのですが、後の祭りでした。

その後、別の生徒の話しになりますが、「ame-logに、私の悪口が書いてある・」・・・という事を聞いて、・是非とも読んで見たい」、と思って、ふたたび、ameba-blogに入会しました。

その悪口のblogを読んだのですが、逆説的に大変なお褒めの言葉がしたためられていて、生徒のいう悪口は全く書かれていませんでした。
その生徒にとっては、逆説的表現の理解が未だ難しかったようです。

そのお話も、今となっては、随分、昔々のお話で・・・、ameba-blogは、私にとっては使い手が難しく、そのまま一度も使わないままに、ameba-blogを持っている事さえも忘れていました。

ということで、今回、昨日も少し弄って見たのですが、全く理解不能で、機能が分かりませんでした。
どうも、ame-logとは、相性が良くないようです。
今回も、何も生かされないままに、そのままになってしまいそうです。それでも、退会して
・・・・・これ以降の文章がぶっ飛んで、編集履歴にも残っていません。如何ともし難い事です。



またまた、入力が出来なくなってしまいました。愚や愚や汝、如何せん!!


・・・・いないのは、複数の教室関係者の方がこのamebablogに登録されていらっしゃって、昔懐かしくその人達のcommentを閲覧する事もあるのかな??・・という軽い気持ちがあったからなのですが、10年以上も一度も開く事無く、放置したままだったので、マジに退会をしても良いのかな??と思っている矢先に、石川先生がame-logにblogを掲載されている事を知って、新たに、開き直しました。





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朝起きてガスストーブを焚きっ放しにしているのに、20℃から部屋の温度が上がらないので、netで練馬区の気温を見たら、なんと1℃で体感温度は-1℃でした。湿度が30%なので、部屋の中でも体感的には超寒いのですよ!!
加湿器の大を未だ出せないので、応急処置でおやかんでお湯を沸かして、加湿しています。部屋の温度を急激に上げるには、やかんが一番です。

一昨日は、お久しぶりで、外出して、1日、川崎まで電車で出掛けました。次の日はすっかり疲れで寝込む予定だったのですが、なんと、股擦れで椅子に座っていても痛いのですよ。
たまに歩くから、そうなる・・・、ドルプリっ歩をサボっていた報いです。...
体力の衰えだけは、防がないとね??



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baroque-dance
2月16日

periodの演奏と歌とdanceでLullyのBühnenwerkです。baroque時代の服で、リコーダー等の古楽器の演奏で、baroque-danceです。舞曲のrhythmというか、stepを学ぶ事が出来ます


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今日は鬱が酷くつて、意識混濁で、ベッドから起き出す事が出来ない
困った
しかし、まあ、考えて見ると、音人の会にCscheduleに、一日がかりの川崎の病院と、今週は、何かとhardだったのだよな
一日、二日は寝込む予定だったのだけど、それにしては、元気だったのだけど、流石に今日は・・・という事なのだよなぁ?




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テレビを付けっ放しでのFacebookへの入力です。
5channelテレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikのapproachです。
manualを作る側が「『何が出来るか?』と言う事で、作っているのに・・」と口籠っていたのだけど、2次世界大戦の時の大本営の弁解のように聞こえてしまいました。

「何が出来るのか?」と言う事は、自分自身が大上段に居て、安全な所から、バタバタと死んでいく戦士達に対して「何が出来るか?」という事をんびりとの考えているように見えてしまいます。...
本当に、子供達のためを考えるのならば、真逆の発想をしなければなりません。
「何が出来るか?」ではなく、「今、子供達が何を望んでいるのか?」の聞き取りや、それに対しての取り組みです。
病院でさえも、先ずは患者の痛みを取る所から始めます。
その被害者が子供ならば、痛みに対する抵抗力はないはずです。
だから、「何から出来るのか?」というような時間的なゆとりは無いはずです。だから、「今でしょう!!」というはずなのですが、「だから、今、考えているでしょう??(考えている・・という事をやっているでしょう?)」と言う人は、もう、その時点で、子供の痛みに対して、他人事なのですが、そこの所(自分が子供に対して、他人事である・・という事)が分からない人達に何をさせても、子供達への対応が出来る分けはありません。
つまり、いま子供に対して出来る事は考える事しか出来ない・・という弁解なのですからね??

本当に必要な事は、「今、出来る事をする」・・という事なのですよ。
そんな当たり前の簡単な事をしようとしないのは、子供の痛みを体感として感じられないからで、自分の保身しか考えないからなのですよ。

今の「第三者委員会」は、あくまでもtop-downの中央集権的な構造になってしまっているのです。
音楽教育も同じです。
それが日本人の儒教的な体質なのですよね??

この40年間、全く同じ事を延々と、喋っているので、もうすっかり、疲れてしまいました。




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いやあ、超、鬱が酷くなって来た。鬱がどんどん膨れ上がって来るのがよく分かる。今にも心臓に来そうな雰囲気だよな??参った!参った!!
鬱には基本的に心臓が張り裂けそうになるHennry PurcellのChaconne gのような爆発性の鬱と、丹田から落ち込んで行くようなPachelbelのChaconneのような鬱がある。
一応は、doctor-stopが掛かっているので、alcoholは呑まないようには、していたのだが、今日は諦めて呑むことにした勿論、おつまみは、パーセルとパッヘルベルのシャコンヌからだが
それでも、不思議な事に、しっかりと、肥るのだがや?!
体重は、精神的な物らしい



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前回のオケ練習でscoreとpart譜の音符の違いを調べました。「い」の2、25小節目の2拍目の8分音符ですが、Vivaldiのfacsimileでは4分音符になっているようです。part譜の方が正しいと言う事で、前回のオケ練習での訂正が正しいという事です。scoreを訂正しておいてください。







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春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど、今日は一日意識混濁状態で、何度も何度も、椅子の上に座ったままで、眠ってしまった。
テレビでは、「暖かくてとても良い天気だった!」と、梅の花の情報等を放送していたが、私にとっては、体がもうついていかないのだよな?
これでは、仕事にならないよな~ぁ??
いやあ、困った事だよな?

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足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなって
2月22日 ·



足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなった頃から、特に牧野先生のインフルで斉藤先生が一人でドルプリの散歩に行かなければならなくなったので、少しでも時短を計るために、この所、夜食を弁当にして、ハイツに持ち帰って自宅で一人で食べる事にしている。たったそれだけの事でも、3,40分の時短にはなるからだ。しかし、椎名町に行って弁当箱に食料を詰めて貰って、自宅に戻って来ると、積年の慣習とでも言うのだろうか、それで食べた気になって、空腹感が失くなってしまうから、不思議なものだ。

深夜になって、いよいよと寝る準備を始める頃になると、寝る準備よりも、バテが先行して椅子の上で仮眠を始めたりして、意識混濁状態で体が動かなくなって、椅子から立ち上がれなくなってしまう事がよくある。

昨夜は、それに加えて、なんとなくなのだが、所謂、弱欝状態になって、意識混濁状態と摂眠障害が同時に起きてしまった。まあ、なんと、複雑な事・・・!

特に、次の日に予定が入っていない場合には、この所、鬱には逆らわない事にして、wineでも呑みながら、弱欝状態を耐えている。
昨夜も、それで、やっと眠る事が出来たのだが、睡眠中に突然、胃酸が逆流して気管に入りそうになって、飛び起きてしまった。
咳き込んでしまって、超、苦しかった。
・・・と言う事で、体を休めるために起き出してこの文章を書いている所だ。


大丈夫ですか?
無理しないでくださいね。


有り難うございます。今日は一日丸々寝込んでしまいました。
鬱が酷いので、このまま引き籠もる予定です。

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努力はしても、工夫はしない。
2月22日 ·

日本はとても、儒教的な国である。コツコツと努力をする事は推奨され賛美されるのだが、工夫が評価される事は余りない。
教育に関してのhow-toは、なるべく書きたくなのだが、それは教育問題とは一つの根本的な解決があるのではなく、その子供の状態や、将来の目的やそれぞれの家庭環境に対しての全く異なった、それぞれの回答があるからなのだ。※1)
つまり、論文としては、case by caseで、その人に対してのadviceしかなく、論文全体としては、常に矛盾した事を言わなければならなくなってしまうからなのだ。

その最たる物が、子供の教育とは「その子供が将来何を目標とするのか?」で、「現在、その子供が、何を学ばなければならないのか?」を判断しなければなりません。
しかし、教室が親に与えるadviceが、その親が望むadviceである事はとても希で、親がそのadviceを聞き入れるという事は希で、逆に反感を持たれる事の方が多いのですよ。
一般的には、adviceを求める人は、自分の求める答えを言ってくれる人に対して、adviceを求めに行くのですよ。自分が求める答えと反対のadviceを聞きに行く事はありません。
私ならば、子供が求める夢を達成している人にadviceを求めようとするでしょうが、そういう人は希です。
しかも、親と子供の目標が同じである事は稀なのですよ。それに、親は男性と女性がいます。
この場合には、親と子供が同じ目標を夢見る場合という想定です。

しかし、私達はadviceをする時に、その真逆の事を言う事もある。
「将来、という事は、現在の積み重ねなのだから、現在が幸せでなければ、将来幸せになる事はない」という論旨を展開する事もある。
つまり、真逆の事をadviceする事もあるのだよ。

自分の将来が自分自身のために・・であっても、それがathleteのように、将来の目標があって、それに到達するためには、克己心が必要なものであれば、また、未来に自分がtopに立てる事を目指すものであれば、その日一日の現実とは、克服すべき課題となってしまう。

その日一日がhappyならば、それで良い・・という考え方の人達の方が、社会には、現実的には圧倒的に多いと思われるのだが、それは夢を挫折させる・・という前提・・、つまり、日本流の「夢は叶わぬものであるから夢なのだ」という儒教的な発想になってしまうのだよ。

一般的には、余り知られていない事なのだが、学校教育において最も大切な科目は、なんと!!部活なのだ!!
学校教育の本来の目的には成績を上げる事は含まれていないのだよ。
それを学校の先生達自身も勘違いをしている。
子供達が大人になって、社会で生きて行くためには、人間関係が最も大切な勉強になるのだ。私立の学校では、学校の教育方針を打ち上げてその中で生徒をpickupして選別して、対人関係の均一化を図ろうとする学校も多い。
しかし、公立ではその選別は許されていないので、ひとclassの中に、成績や正確のありとあらゆる子供達が同室するのだよ。
学校教育場合には、学校をやめると言う事は、義務教育なので有り得ないので、もしも、それを望むのなら、転校という手段しかない。
そこには絶対的な強制力がある。

今は昔、教室を作る前の40年以上も前の話になるのだが、初めて子供達を教え始めて、自分の子供の事を信用しない親を見て、超、驚いてしまった。「私の子供だから、才能等ある分けがない!」とかで、私が「それはあなたが、より良いmethodeで学ばなかったからだけで、あなたのせいではないのですよ。」と何度説明しても、分からなかった。
同様に、「子供が可愛そうだから・・」と、子供の一生懸命な姿を否定する親がいる。それを親は愛情だと思っているようだが、私に言わせると、子供を信じていないに過ぎない。
子供が行き詰まりを感じるのならば、先生と親が解決法を大人の知識で指導してあげて、子供の夢を叶えるべきであり、

※1)教育問題に関するhow-toを書きたくない理由にはもう一つの決定的な理由がある。
私が書いている教育論文は一般の保護者に向けての論文なので、結構、綺麗事で終わっているのだ。
教育問題には、絶対的に書けない、教育者が立ち入る事の出来ない根本的な理由が別にあるからなのだ。
それは、余りにも厳しい事なので、教室で指導をする先生達にしか、その理論と問題点は指導lectureはしていない。
今現在、社会問題になっているイジメの問題や家庭内の暴力に関する問題もその原因と解明については、通り一遍の綺麗事の話しかテレビや講演には出ないのだが、深層心理学的に追求すると、人間の深い心の闇の解決しなければならない問題は一目瞭然となる。
それは決して、甘いものではない。

子供は、未だその心の闇が育っていない・・だから、教育をする事は簡単である。


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「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
2月23日 ·

今日も術後の足腰は痛い事は痛いのだけど、それでも珍しくドルプリっ歩に付き合う事が出来ました。頑張って歩行訓練をしなければ、歩けなくなったら一巻の終わりだからね??
牧野先生もインフルから立ち戻って、食事とドルプリっ歩を一緒にする事が出来ました。

「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
定型のドルプリっ歩が終わって、明日の朝、昼のお弁当を持って、深夜の独居老人の一人部屋であるハイツに戻ったら、当然のように、鬱が始まって来ました。
この2,3日のroutineになっています。

よく人からは、「一人暮らしで寂しくなるので、鬱になるのでは・・?」と言われるのですが、よくよく考えて見ると、私の回りの近親縁者も含めて、友人達も皆独居老人なので、私が一人暮らしである事自体は、決して珍しい事ではないし、他の人達を見ても、独居老人を楽しんでいる人達ばかりなので、一人暮らしの孤独が、鬱の原因になる・・という事は、今の所は考えられません。

深夜の一人暮らしは、仕事が捗るので、私的には結構、気に入っているので、例外的に、病気で寝込んでいて、気力が弱っている時でもない限り、一人暮らしが鬱の直接の原因になる事はない・・と思っています。


病気で気力が弱って、人生を儚く思える時には、例え・・傍にラミ(メイクイーンの)が居ようと、ドルが甘えて来ようと、如何せん、自分の理性的なcontrolが利かないのですよ。
まあ、そういった外因性の鬱の場合を除いて、心因性の鬱の場合には、基本的には、テレビでNHKの環境videoを見ながら、パソコンに向かって、何か作業をするのですが、それでも、もっと鬱が酷くって、仕事も手に付かないような時には、仕事をする事は諦めて、自分の指揮をした鬱々の曲を聴きながら、wineを飲む時間は、とても鬱々として、至福の充実した時間です。

ただ同じ鬱でも、鬱の原因がはっきりしていて、それが如何ともし難いものである時には、魂が怒りを覚えた鬱状態になるので、精神的に余り良いものではありません。
所謂、stress性の鬱とでも言うのかな??
40年間、啓蒙活動をして来たのに、社会は何一つ変わっていないのだから、自分の人生が無意味だったように思えて来て、困ったものです。
まあ、「芦塚先生のお部屋」のdataが全部ぶっ飛んでしまったのも、そういった意味合いもあるのかな??
つまり、私の人生が無意味だった・・私の仕事は私と一緒に、あの世に持って行け!!・というような、神様の意地悪だったりして・・・アハッ!



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ハイツの部屋で美伶ちゃんのlessonをしたのだが、
2月23日 ·

私は、鬱が酷い時には、wineを呑みながら、You Tubeで鬱々の曲を聴く・・というお話をしました。
しかし、この所の鬱には、いつも鬱の時によく聴いている「Hennry PurcellのChaconne g」も、「PachelbelのChaconne f」も、私の鬱のimageに曲が合わないで困ってしまっていたのですよ。
つまり、「wineを呑みながら、おつまみに聴く鬱々の曲」が見当たらない・・という事だったのですよ。
これまでの鬱だったら、発狂しそうな爆発性の鬱の時には、PurcellのChaconne gがよく合うし、落ち込んで、消えて逝きそうな鬱の時にはPachelbelのChaconne fがよく合いましたが・・

過日、『音人の会』で美伶ちゃんがBruchのKol Nidreiの曲を弾いていたのだけど、「大学のオケをbackにCelloのsoloをするので、lessonをして欲しい!」と言う事で、急遽、ハイツでlessonをする事になりました。(因みに、この渋い曲を選曲したのは美伶ちゃん自身だそうです。演奏会のチケットは既にsold outだそうです。)

lessonの前日の深夜に、牧野先生に楽譜を急遽copyして貰ったので、曲のimageを確認するために、You Tubeで5,6人の名演奏家達の演奏を聴いて見たのだけど、驚いた事にJacqueline du Préが一番良かったよ!!
つまり、この曲が、私のこの所の鬱々の気分にjust・fitしたのだよ。
マイスキーよりも、カザルスよりも、du Préが良かったのだよな?
私の心琴に・・というか、私の鬱々に、ピタッと嵌ったのだよ!
つまり、celloの神様であるCasals先生の演奏では、私の鬱々にはfitしないのだよね?

でも、不思議な事にlessonでは、幾らdu Préの演奏に感激しても、その影響は全く出ないのだよ!
lessonは、私のoriginalのinterpretationでのlessonなのだよ??
聴いて感動するのと、私が演奏したり指導するのは、別次元の話なのだよ。普通は、自分が一番感動をした演奏に自分のimageも似て来るものなのだけど、私の場合は全く別の話になってしまうのですよ。
これも、普通とは変わっていて・・・、面白いでしょう??

美伶ちゃんのlessonの時の写真は、lessonのvideoから起こしたものです。
今、ハイツに置いてあるvideo-cameraは、超安い小型のpocket-cameraなのですが、昔のβのcameraやVHSのvideo-cameraと違って、動画から写真を起こしても、これだけの画質があります。
文明の発達は驚くべきものですよね??

この2,3年の間は(ヒョッとしたら、10年以上も・・)、ハイツで私がlessonをしたり、人が私を尋ねて来る事はないので、この写真はハイツのlesson室を撮影した超、貴重なレアな写真です。
但し、Cembaloの部屋ではありません。

以前もlesson室にした事があって、今回も生徒さんの都合で、斉藤先生に頼まれて、急遽、整理をしたviolinのlesson室です。

ハイツには、二段鍵盤の大型のCembaloが置いてあります。
一応は、Cembaloのlesson室になっているのですが、しかし、その部屋も今は倉庫状態になっていて、lessonをするのは不可能になってしまっています。

お袋が死んで、長崎の家を畳んで、荷物が一杯になったのに、突然、江古田教室を追い出されて、そこの楽譜や荷物もハイツに来たので、荷物だらけの部屋が更に荷物で溢れ返ってしまいました。
そうこうしている間に、病気になってしまったので、ハイツの部屋は、楽譜や資料類が山と積まれたままで、体力的にも片付けられなくってしまいました。
・・という事で、体調不良で片付けるのが難しい・・という事もあるにはあるけれども、もう、何かを捨てない限り、部屋には何も入らないのですよ。(・・か、倉庫として、Pianoのlesson室でも、別に借りない限りですが・・。)
後ろのdesk に楽譜や資料が山と積まれたまま・・・
というのが見て取れます。


悲しいね!の意味は、物が多すぎて、体調不良で部屋が片付けられないままに、2,3年経ってしまっている・・という事について・・です。ハイ!


先ずは、机の上の楽譜類と資料のnoteを片付けて、ウサギちゃんが座っている揺り椅子を、寝室に移動させて・・、なのですが、その前に寝室の大量の本類を捨てないと、その移動が出来ないのですよね??

今、出来るnormaとして、1日一個は何かを片付けて(移動させて)います。出来る限り断捨離も・・

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毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると
2月24日 ·

毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると、人は「ああ、またか??」と思うだけで、誰も同情も金をくれる事もない!(昔々、流行った安達祐実の名セリフ)
今夜もまた、stress性の鬱で、「何とか眠ろう!」とバタ狂って、すっかりとヌルくなってしまっていた風呂に入ったりしていたら、それでも何とか2時間程は眠れた。
しかし、toiletteに起きて、そのまま、またまた眠れなくなってしまったのだよ。
Komm, du süße Todesstunde!

明日はオケ練習で、千葉までの移動があるので、wineに逃げる事も出来ない!
布団で眠れないままにいると、そこはかとなく心に浮かぶ世迷い言が私を苛んで来る。

と言う事で、またまた愚痴を書きなぐっているのだが、「『ああ、またか??』と思う人は、私のtweetを読まなければ良いのだ!」と、開き直って、Facebookに、心の丈を書き綴る事にしたのだよ!
勿論、鬱の根本的原因を、人に吐露する事は絶対にないのだけどね??



とうとう、朝になって、眠れないままに起きる時間になった。でも、これも毎週の事なのかな??先週はどうだっけ??
忘れた!
艱難辛苦をなめてきた老人にとっては、忘却は最大の癒しだそうな?
善い事も悪い事も、全てが痴呆の彼方へと消えて逝く・・・、それも神からの贈り物だそうな?
(・・・・これは、私の考えではありませんよ?ある宗教の教典に書かれていたものです。)


延々と書いていたcommentがまた、ぶっ飛んでしまった!!始めからのの文章なので、書き始めのsentenceも残っていない。頭さ来るな~ぁ??


何とか2時間弱は眠れたのだが、千葉へ移動の時間になったので、頻尿を避けるために、ハイツを出る時にtoiletteに行って、椎名町を出発する時にも、toiletteに行った。途中箱崎の渋滞を回避するために、湾岸まわりに進路を変更したのだが、途中で、尿意をもようして、検見川教室まではとても無理だという事になったので、イトーヨーカ堂に緊急避難をしてtoiletteに駆け込んで、ビックリしたのだが、なんと、お久し振りの血尿が出たのだよ。
検見川教室に辿り着いて、すぐにtoiletteに行ったら、今度は鮮血が出た。
「病気が再発したのか??」と思って、超、Shockだったよな??
血尿は、基本的にはコーヒー色の場合が膀胱からの出血で、鮮血の場合は尿道からの出血と考えられる。勿論、専門的にはもっと細分化されるのだが、一番簡単な解釈の場合という前提での素人判断では・・、である。
まあ、医者からは、「時折、手術痕の血餅(かさぶた=瘡蓋という言葉が中々出て来なくて、何時も血餅という聞き慣れない言葉しか出て来ないのだよな??)が剥がれ落ちて、血尿が出る事がある」とは、言われていて、「それは心配する事ではない」とadviceは受けているので、落ち着いて見れば、なんの問題もないのではあるのだが、突然血尿が出ると、そのShockで、これまでの超鬱の原因がぶっ飛んでしまった。人間より大きな心配事があると、それ以前の心配事が消えてしまうのだよ。
血尿が出て、鬱が飛んでしまったので、私としてはluckyなのかも知れない。
突然の血尿・・という事で、常日頃の持続性の鬱がぶっ飛んだのだから
これが、『外に出る』と言う事なのだよな??


てな、事を書いていた文章が全部ぶっ飛んでしまったのだよ!
結構、メゲルよな??



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「放下著」
2月24日 ·

昔々から、よく繰返し言っている事があります。
その一つは、もし、竹林山の七賢人が本当の意味で隠遁生活を送っていたのならば、これ程の有名人にはならなかっただろうという事です。
元来、隠遁とは、人に知られる事なく、生活をする事であるからです。

禅宗では、人間本来無一物と言って、物や心に執着をする事を忌み嫌いますが、その割には、高僧と言われた人達は、書や絵の名人であったり、優れた彫刻を残したりしていますが、それは美に対しての(完璧に対しての)執着がないと出来る事ではありません。
それでは、放下著とは言えないのではないでしょうかね⁉

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「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら
2月24日 ·

「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら、またまた教育を口にしてしまうのは、私の性(さが)・・という分けではなく、そういう職業だから致し方はないのだよ。

人は、「どうでもよい事」をやたらと大騒ぎするのだが、本当に大切な事に対しては、誰もが無頓着である。
「どうしてそうなのか??」というその理由と意味は、「どうでもよい事」は、今、その場の「今、直面している現実」であり、「今の現在の痛み」であるからなのだよ。

しかし、それは、「今の痛み」であるだけで、一生を左右するものではない。
その場を乗り切れば、何とかなるものなのだよ。
本当に大切なその人の将来を決定し、左右する痛みについては、人は気にする事はない。
何故ならば、その事が、今現在の痛みではなく、今の現実を左右する事ではなく、まだ見ぬ将来に起こる事なのだから、痛みは未だに起こらないのだよ。
人は将来起こるであろう痛みには、その痛みが一生の人生を左右するものであったとしても、結構無頓着なものなのだよ。

つまり、その人が将来を見据えた上で、今、現在を生きるtypeの人でない限り、今現在に起こる事の価値を推し量る事は出来ないのだよ。

このお話の元の論文は、「芦塚先生のお部屋」の中の教育論文の項目の、「対処と治療」という話として書かれている。

そのお話を、子供達にも、分かり易く説明するために、私はよく虫歯に例えて説明をする。
人は虫歯になって、痛くて堪らない時に、痛み止めを飲んだりするが、痛みが無くなると、虫歯の事を忘れてしまいがちになる。
痛みが止まったとしても、虫歯そのものは治る事はないのだから、痛みが抑えられている間にも、虫歯そのものは、進行して行って、必ずもっと酷い痛みが襲って来るのだよな。
だから、痛みが収まったからと言っても、その痛みの根本的な治療が必要である事は、誰にしても明白な事実として、認識、理解している。
例え、病院に行くのが、嫌であったとしても、その必要性を疑う人はいない❗

虫歯の痛みは、日常的なありふれたものだから、このお話はよくも悪くも、誰にとっても、理解しやすい話なのだが、そのお話が、教育の話に姿を変えた途端に、同じお話だとしても、理解し難い話に形を変えてしまうのだよ⁉
不思議な事に・・・だよ⁉



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禅の基本的な概念は、
2月24日 ·

禅の基本的な概念は、勿論、「束縛から離れる」という事なのだが、そこから、学べる事は、「外から見る=客観的に見る」という事に他ならない。

その中に居ては見えない事も、外から見ればよく見える。
そのstageをclearした人が、階段を登って、次のstageで、自分が経験して来た前のstageの中で苦しむ人達の事をよく見れるのは、一つ上の場所から全体を見るから、よく見る事が出来るからなのだよ‼

言い方を変えると、上からは下がよく見えて、下からは上は見えないのは、当たり前の道理なのだよ。

しかし、その中に居る人達は、その当たり前の事を認めようとはしないのだよ。
今、どのように頑張っても、それが(解決法が)見える事はないのだから、それなのに、「見える人がいる」という事は、とても認められないからなのだよ‼ 

上に居る人は、「あと一歩だけ階段を上がればよいのに・・・❗」と思うのだが、下からは、その階段の高さは、見えないのだよ‼
そこがdilemmaなのだよな⁉

まあ、しかし、大人達と違って、正しく教育された子供達は、「その階段を、何回も登る」という自らの経験を通して、「階段を登りさえすれば、そこから全てが見えるようになる」・・・という事を、経験として覚えて行く。
そこも慣れで、階段を登る事を、段々と恐れなくなって、階段を登る事が楽になる事だ・・という事を覚えるのだよ‼

しかし、そのたった一度の体験すら得る事がなく、堂々巡りを何年もしている人達がいる事も事実である。
多くの場合の例としては、その人達の着眼点が微妙にズレている場合が多い。
本人は、正しくやっているつもりなのだが、微妙にpointがズレているのだよ。
そのズレの原因は、何度となく繰返してadviceをしている、「自分のcapacityの中の語彙に翻訳する」事に起因する事が非常に多い。
本人は、先生の言っている通りにやっているつもりなのだが、何時の間にか、自分のやり方でやっているのだよ。そして、酷い場合には、「先生の言う通りにやっているのに、出来ない❗」と言う事になってしまう。
先生は、「何時まで経っても、俺の言う通りにやってくれない❗」と、怒り出す❗
百々のつまり、平行線の堂々巡りなのだよ。
無駄の積み重ねなのだよ‼

このお話も、一番の解決法は「外から見る」と言う事に尽きるのだよ。
行き詰まったら、一度、その束縛から離れて、外から見る事を学べば良いのだよ。
人は、外から見る事を、非常に難しい事として、捉えている。
そのために、禅meditation等という、難しいcurriculum等も、ある。しかし、外から見る事自体は、そんなに難しい事ではない。ほんのチョットだけ、その環境から逃げ出して見ると良いだけなのだよ。
お菓子を食べるのも良し、散歩をするのも良し❗ 自分を違う環境に置いて、そこから、悩んでいる自分を見つめ直してみると良いのだよ。
意外と簡単に、自分のチョッとした間違いに気づく事が出来る❗



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Veracini introduction und Ciacona d Ashizuka=orgel-version
2月26日 ·

今回の発表会のprogramのオケ・トリの曲であるVeraciniのpassacagliaなのだが、その曲に初めて巡り会ったのは、私がまだ若かりし頃、25,6歳のドイツ留学中の頃に、Münchenの中心の聖マリア教会の傍の楽譜屋で古いLupi=ルピ版の弦楽オケの楽譜を見つけた時に・・・である。
楽譜を見て、その曲を気に入って購入したのだが、その時には楽譜は既にもう充分古く、既に楽譜の紙は黒く変色し始めていた。
その楽譜は、曲としてもstoicで、演奏も難しいので、私の蔵書の中で、45年近くも、一度も陽の目を見る事もなく、休眠したままになっていた。
その長い眠りの間には、その曲のoriginalの曲(元曲)である「violinと通奏低音」の楽譜も手に入れたのだが、余りにも重厚な曲であるために、その曲を演奏するのは、発表会は勿論の事としても、periodのbaroqueの演奏会としてのrepertoryとしても、演目に載る事はなかった。

私が、超、super、ultra重厚な鬱々の・・「この曲を演奏してみよう❗」という気になったのは、私の生徒の一人が、このVeraciniのoriginalのPassacariaの曲を彼女の「好きな曲」として、教えてくれたからである。
「そうか?この曲の良さが、中学生でも分かるのか?」と、生徒に後押しされて、早速、楽譜棚の肥やしになっていたLupi版のオケの曲を、発表会で演奏する事にした。

Lupi版は、Veraciniの原曲の1/3の長さにcutされていて、発表会という舞台であっても、堪えられる長さになっているので、それも、この曲の選曲の後押しをしたのだ。

生徒達に楽譜を配って、練習に入った段階では、「曲が暗い!」とか「かったるい!」とか、非難ゴウゴウであったのだが、練習が進むにつれて、曲の良さが分かって来て、曲に対しての評価はすこぶる良いものになって来た。

そこまでは良しとしても、実際にLupi版のpassacagliaの練習を始めて見ると、余りにも楽譜の間違いが多い事に辟易させられてしまった。

擬古典にするために、わざと不自然に鋭い音にしているのか?・・それとも、単なる楽譜の間違いなのか、それも出版社の間違いなのか?編曲者の間違いなのか??・・悩まされる事が余りにも多く、この手の楽譜の常として、訂正に次ぐ訂正の連続になってしまって、ついに、全面改訂版を作成せざるを得なくなってしまったのだよ。

生徒達の頑張りで、何とかLupi-芦塚versionとして、1年後の16年の4月3日の千葉の文化センター・アートホールの発表会で、演奏を果たしたのだが、Lupi版の編曲に納得が行かなくなった事!
original版の出版されている曲の楽譜が、全てcembaloと通奏低音の編成で、基本的にsolo-violinと通奏低音のCelloの二声部に、和音が書き加えられただけの書法なので、曲のimageに対して、音楽の厚みが薄っペラいので(・・でも、それが通奏低音の書き方なのだけど・・・??)出版されている楽譜のCembaloのpartの作曲に納得が行かなくて(・・いや、それが通奏低音でしょう!!)、それとは、別の・・全く関係のない理由なのだけど、・・私のoriginalのpipeorganが、何時までも使用される事が無く、一般の人達の目に触れる機会がないので、Veraciniのpassacagliaを、pipe-organの伴奏で書く事を思いついた。

最初に斉藤先生に、そのideaを話た時には、斉藤先生からは、「violinとpipeorganの音量的に無理❗」との反対があったのだが、positive-organの意味を説明して、折衷案として、baroque-violinではなく「modern-violinで演奏をする」という事で納得して貰った。

このOrgan-versionの一番originalに近いと自負しているpassacagliaの公演は、発表会等での公開演奏としての企画では、曲がstoicで、重過ぎて、一般の聴衆を対象にする演奏会しては、ととても舞台に乗せるのは無理なので、検見川教室の私のpositive-organで、萩元先生の伴奏で、YouTubeにupする事で、演奏会の代わりにする事にしました。

私のこのpassacagliaのorgel-versionは、原曲のままの全曲版なので、四部に渡る大変長い曲になります。

録画録音の時のvideo-cameraの位置と、organとviolinの音量の兼ね合いが非常に難しく、violinの音量をmainに録音すると、Organの音が割れてしまって(videoの映像では音割れはないのだが・・)、mp4に変換した段階で、どうしても音割れしてしまうのだよ。


2回のvideo撮影にも関わらず、Micの位置の設定等に失敗してしまって、もう再度の撮り直し(3回目)が出来ないままになっている。まあ、部屋が狭いので、録音が困難なのは当たり前なのだけどね??



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「Veracini Ciacona 続き」
2月26日 ·

originalの曲であるviolinとOrganの曲の、positive-pipe-organのorganのpartを書きながら、ほぼ、同時進行的に、弦楽orchestra用のscoreを書き始めた
曲の全体的な構造は変わらないから同時に曲を作曲する事は、同じ手間なのだからである。

「演奏形態について」
一番悩んだのは演奏形態で、愛ちゃんが「オケsoloの曲が欲しい」というrequestがあったので、そこはちゃんと押さえた上で、「soloと弦楽オケ」や、「Concerto Grosso」のstyleや、幾つもの、演奏形体を試行錯誤し、書き直した。


結果的には、Quartett+弦5部という演奏形態の形式になったのだが、baroque時代には無かったstyleの音楽の演奏形態の形だったのだが、ViolaをCello(gamba)の代わりにcontinuoにする・・というのは、古典派の時代にはよくやられていたので、Vivaldiのa mollのdoppel-concertoの時にも、Violaをcontinuoに据えてやった事は、何度かあるのだが、流石に、「Quartettをsoliに置く」という演奏のstyleのversionはbaroque時代には、存在する事は無かったので、一度は躊躇した演奏形式だったのだが、これまで、とても良い状態で子供達のQuartettのgroupが育って行っているので、baroque時代としては有り得ない形式なのだが、それを無視して(承知の上で、教育的な意味合いを込めて)、quartet+弦五部という演奏形態にする事にしたのだが・・・、まあ、それはそれで、致し方ないか?

「音楽形式について」
baroque時代の当時の楽曲形式としては、originalのviolin・soloと通奏低音という音楽形式では、kammersonata(室内ソナタ)とkirchensonta(教会ソナタ)の二つの音楽形式がbaroque時代にはある。
kammersonataは、民衆の(と言うか、貴族階級の民衆という意味なのだが)音楽の形式なので、舞曲を中心として急緩急緩のtempoの設定で、それぞれの曲が組み合わされる。

それに対して、kirchensontaは、壯重な緩徐楽章から始まり、それぞれのpartが独立してmelodyを演奏する複音楽=polyphonyの音楽として演奏される。
当然このpassacagliaは、polyphonyのkirchensontaの形式の音楽である。

「Veraciniのblack-humorについて」
ただ、この曲の中間部(第二曲目)には、突然、民衆の音楽であるはずの、hurdy gurdyかbagpipeの伴奏で演奏されるような民族音楽の様式が突然、挿入されて、あるべきはずの音楽ではない音楽が顔を出して来る。
多分、Veracini先生の趣味=jokeなのだろうが、当時の人達はどういう顔をしてそのpassageを聴いたのだろうか??
笑える!!
「笑える!」と、いう意味は、kirchensonataであるこの曲が演奏される場所は、神聖な教会の中であるはずなのだからだ。
つまり、その音楽にとっては、教会で演奏するという事は、非常に不適切な場所であるからなのだ。
教会の神父さん達が、苦虫を噛み潰したような顔をするのが目に浮かぶ。
今では、・・と言うか、キリスト教の歴史の浅い日本では、このBlack-humorの重さは分からない!
・・・というか、当時からとすると、下手をすると十字架の刑(はりつけ)になって、命を失なったかも知れないBlack-humorなのである。

「練習について」
いつもの事で、悩んでも詮無い事ではあるのだが、練習の度にmemberが違って、前回や前々回に注意した約束毎を繰り返してlectureしなければならないので、非常にresponseが悪い。
前回のオケ練習(2月24日)では、この難しい曲のあらすじが、やっと、何とか曲(それぞれのpart)が聴こえるようになって来たのだが、未だそれぞれのpartの「入り」は、まだ少し不安ではある。
勿論、member不足という事だけではなく、曲そのものが非常に難しいからでもあるのだが・・。

尤も、今回の練習でも、練習に参加するのが、受験を終えて初参加の生徒や、member変更のために、今回突然に、secondからviolaに、楽器を変更してくれた美音ちゃんのように、楽譜を見る事が初めての生徒が多くいるからでもある。

やっと、「次回からは、それぞれのpartの音楽表現に入れるのかな?」と期待している所である。
しかし、未だ、全員揃った練習は一度もない事も事実ではあるのだが・・・


2016年の4月3日の芦塚音楽研究所千葉教室の発表会での演奏です。
上の発表会の動画はLupi版を改定したものですが、下の練習中のVeraciniは、originalの元曲から、私が作曲作成したものです。Lupi版は1/3をcutしたものなので、当然、曲的には3倍の長さがあるので、練習も大変です。しても、しても、終わらないのですよ。アハッ!
https://www.youtube.com/watch?v=JiGe-5oMwpI

またまた、書き終えた文章が全部ぶっ飛んでしまった。ほんとFacebookの不安定さは腹が立つよな??


hurdy gurdy=ハーディ・ガーディと言ってもどんな楽器か分からない・・と言われたので、写真を載せて起きます。空を飛ぶdroneではないのですが、持続する音(drone)の上にmelodieを演奏するのは、bagpipeも同じです。Bachのイギリス組曲の第Ⅲ番のト短調(g moll)のgavotteⅡや、第Ⅵ番のニ短調(d moll)のgavotteⅡにも、左手にdroneのpassageが出て来ます。第Ⅲ番のgavotteⅡには、ou la Musetteと書いてありますが、Musette de cour 若しくはbaroque-Musetteとはbagpipeの事です。「農民の楽器」として知られています。


この楽器の場合には、右下の2本の弦がdrone弦で、上の鍵盤でmelodieを弾きます。真ん中の駒の後ろの大きな円盤はhandleで回転して持続した音を出します。
https://www.youtube.com/watch?v=Mpe8YQVkdYE


このhurdy gurdyという楽器は、Schubertの冬の旅のLeiermann(ライエルマン)という曲や、Beethovenの歌曲の中の「モルモット使い」という曲のLeiermannにも登場します。
hurdy gurdyを持って旅をする辻音楽師の歌です。
左手の保続する音はhurdy gurdyのimageです。
https://www.youtube.com/watch?v=sIIS-UgixGE


そういえば、梨紗さんのお友達(か先輩か単なる知り合いかよくわかりませんが)が、古楽器にはまって、ハーディガーディを演奏しまくっているようですよ。生の演奏は聞いたことが無いので、是非演奏会があるなら聞きに行きたいですね。

hurdy gurdyを演奏会場で聴く・・って??そりゃあ、有りえへんわ・・??


なんでんかんでん、芸術になるのは、どうもいただけんのやんねん!


確かに、そこら辺の道端でストリートパフォーマーとしてとか、お祭りでパレードしながらとかの方がしっくり来ますよね。

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「今日のドジ」
2月28日 ·

買い物をするのに、池袋まで行くのが億劫になって、次には自宅近くの駅の周りのお店に行く事も体調的に難しくなって、チョッとした買い物でも、netの通販に頼るようになってしまった。

そこでの「ドジ話し」なのだが、今回初めてではなくって、前にも同じような経験をした事がある。
今回は伊藤園の「お~い、お茶」の濃茶の粉茶を注文に出したのだが、間違えて「粉茶」ではなく「普通の葉っぱのお茶」を注文してしまったのだよ。

パッケージの色も、粉茶と全く同じで、届いた商品を何度見返しても、「粉茶」という表示が無いだけで、全く同じなのだよ!!
普通のお茶と同じであっても、粉茶だとすぐに分かるようにして欲しいと思うのは、ドジな俺だけなのだろうか??(後で、よくよく確認して見たら、確かに、気がつくと、違いはあったよな⁉)

そもそも、このドジの以前の原因は、検索エンジンにある、と思っている。
以前の「ドジ」では、肩掛けのショルダーバッグをして外出中に、突然腰痛が起こって、歩けなくなってしまって、直ぐに、ショルダーが原因だと気がついたので、直ぐにリュック・タイプのバッグをnetで探したのだが、検索にリュック・タイプと入れていたはずなのに、商品を探す段階で、いつの間にか、片掛けの肩がけのショルダーバッグも同時に検索されていたのだよ。


勿論、パソコンのプロバイダーの検索エンジンでは、曖昧検索は外しているのだが、商品の検索に入ると、条件の設定は見当たらない。
てっきり、商品のバッグが届くまで、自分は「リュックを注文した」と思い込んでいたので、まあ、こちらのミスでもあるので、「その内、使う事もあるだろう」と諦めてタンスの肥やしになっている。

今回も、「お~い、お茶」の濃茶の粉末を検索をしていたのだが、料金の比較をする段階で、32㌘以外のパックで、100㌘パックが比較計算上、非常に安いので、1㌔も大量注文してしまった。
パックの装丁が全く同じなので、「粉茶」と信じて疑わなかったのだよ!!
何処で検索条件から「粉末」が外れてしまったのだろう⁉
パックは未だ開けていないので、封を開けて気づいた分けではない。
最初に「粉茶」ではないと気づいたのは、牧野先生なのだが、それも「パックの装丁を見て❗」からではなく、値段が安すぎるから、「「粉茶」では有り得ないのでは??」と疑問を持った・・・というのが理由なのだよ。

ここでは、伊藤園の濃茶のパックの装丁を非難すべきなのだろうか?
それとも、粉茶と条件を設定しているのにも関わらず、その条件が外れてしまう通販の検索サイトを批判すべきなのか、はたまた、単純に俺のドジを責めるべきなのか??
まあまあ、いずれにしても、メゲてしまうわナ??

これでまたまた弟子達に「返品すると良い」と言われそうなのだけど、「返品」となると、「その一手間が・・」超、面倒くさいのよね~ぇ??
鬱で対人恐怖症の私としては・・・なのだがね⁉

(写真はskype用のパソコンのcameraです。)



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今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。
2月28日 ·

今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。(本当は先週の予定だったのですが、私の体調不良で延期して貰いました。)
・・で、昨晩から、本降りの雨です。
自宅から、バイクでの事務所迄の行程は、レインコート等を着込まないといけないので、何かと準備が大変です。
楽譜の準備は昨夜の内に済ませておいたので、準備と言っても、服を着るだけなのですが、レインコートを着ると、厚みで、普段のコートが着れなくなってしまうので、衣装の総替えになってしまいます‼



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