2,021年5月9日芦塚音楽研究所千葉音楽教室春の発表会での演奏風景です。
Luigi BoccheriniのCelloConcertoですが、一般的に演奏される有名なGrützmacher版ではなく、Boccheriniのoriginalのperiod版になります。
写真をclickするとYou Tubeへ飛びます。
2014年9月4日より、2015年12月31日まで
2016年1月1日より、2016年12月31日まで
2017年1月1日より、2017年12月31日まで
2018年1月1日より、2018年12月31日まで
2019年1月1日より、2019年12月31日まで
2020年1月1日より、2020年12月31日まで
2022年1月1日より、2022年12月31日まで
2023年1月1日より、2023年12月31日まで
2024年1月1日より、2024年12月31日まで
Dittersdorf KontrabassConcerto ⅡⅢ楽章 川島綾乃16歳 写真をclickするとYou Tubeへ飛びます。
1月1日明けましておめでとうございます
1月1日『即興演奏とSequenzと速記法』
1月2日baroqueの即興演奏
1月5日仕事始め
1月5日Facebookをhomepageに移行させる意味について
1月6日ハイツの断水とgasfanheater
1月8日夢見が悪くて
1月8日非公開のmemo
教室に対しての考え方
1月9日緊急事態宣言と下水の高圧洗浄·
1月10日非常食での林ライス 4:25 ·
1月10日今日は-4°だそうです。
1月11日糖質cutの電気釜が
1月13日歯医者とFacebookのお引越し
1月13日『日本人の音楽家の持つ誤った奏法』
1月14日『取説の理解は取り敢えずやって見る事から』
1月15日『古いパソコンの話しといつものFacebookの悪口』
1月15日『腸風邪になった!』
1月16日『Facebookのお引っ越しの作業』が終わった!
1月17日『芦塚先生のお部屋のHome Pageの改訂』
1月18日『入れ子の表と腸風邪』
1月19日体温が上がらない
1月21日熱が・・・
1月21日超、嫌な夢を見た❢
1月23日You Tubeのtrimmingのtrouble
1月24日homepageの修復作業
1月24日東京でも雪が降る予定なのですが
1月24日2018年から2020年までは、激動の2年間でした。
1月26日『自営業』と『自由業』
1月27日『とうとう諦めてアンカを出した❢』
1月28日雪だ!雪だ!!
1月30日1月ももう終わりです。
1月31日鼻の手入れをしたのに息が・・
1月31日『windows10の余計なお世話のphoto』
2月2日昨日の2月1日は体調不良で・・
2月2日 You Tubeのお引越し作業で、1日の限界点が
2月3日120年ぶりの2月3日の立春だそうです
2月14日今日は2月の15日の月曜日の朝の4時半なのですが・・・
2月16日『tuningの話し』
2月16日rear-cameraが外れた。
2月17日『左足が引き攣った!』
2月19日『今日は寝た切りの1日であった。』
2月20日今日は16°も気温が上昇する予定です。
2月21日skypeのlessonが始まらない
2月22日今日は猫の日、ニャンニャンday
2月23日ハイツに戻って来れたのは深夜の1時過ぎでした。
2月23日ぬいぐるみです。
2月24日頭の回転がstopしている
2月26日cover写真を変更しました。
2月26日テレビが壊れた
2月27日虎落笛のように
2月27日Facebookに書いていた文章がぶっ飛んで・・・
2月28日今日は満月だ
3月1日動画の保存が出来ない
3月1日「這えば立て!立てば歩めの親心」
3月2日温度差がこの所
3月2日Sarasateが演奏しているSpanishdanceを
3月3日『ポロミスについて』
3月3日声明とtone-cluster
3月5日Je crois entende -Alfredo Kraus 真珠採り
3月6日テレビの交換の話
3月6日bierのRosarysonateのCembalo-partをOrgan用に書き直した。
3月7日草案スキのない音楽
3月8日教室のゴミ
3月9日終の棲家
3月9日教室を開いた花園教室が・・・
3月10日homepageの復活作業
3月10日Facebookの繰り返されるうざい宣伝
3月12日ニャンコ号出動
3月13日ニャンコ号の千葉への移動です。
3月13日パソコンのaccount
3月13日15年も前のRosary Sonateの演奏
3月14日privacy設定がが自分のみになっているのに、公開されたままだ
3月15日発狂しそうな欝
3月16日 1日飛んだ
3月18日悪夢を見た
3月19日銀座の画廊「art‐space羅針盤」
3月20日テレビ電話とbiberの楽譜の作成
3月22日昨日はbaroque-Koncertの日でした。
3月22日detoxのお粥diet食
3月22日baroque-Koncertの楽器の展示
3月23日『那須与一のお話と絶対音感のお話』
3月24日夢のまた夢
3月25日展示された楽器の写真
3月25日studio録音の話し
3月27日Cyberlinkの音飛びの原因が分かった
3月29日今夜は満月??
3月30日br biberのRosarysonate
3月31日年度末です
4月1日新年度です。
4月3日『Tartiniのgrandsonateについて』
4月4日時間が逆行して
4月4日videoの編集
4月6日日にちが飛んで
4月6日『録音録画の時のstandにMicやvideo-cameraを取り付けるネジのお話し』
4月7日変な夢を見た
4月8日『フアンのお話』
4月10日『徒然無い=とぜんない』 ·
4月11日web=rehearsal
4月12日入力した文章がぶっ飛んだ
4月13日「鼻詰り」とBoccheriniのCello・concerto
4月14日突然の欝になって
4月15日ロックでパンクな夢を見て
4月15日鉛筆立てを作った❢
4月16日 ダラダラと時間を使っても、まだ
4月16日体重が・・
4月17日『David版のLeclairのviolinSonate Op.ⅤのNr.12のinterpretationのお話』
4月18日4月の16日から17日に掛けてのpech!
4月19日『corelliのla foliaのthemaの冒頭の演奏』
4月20日入眠障害の話
4月20日今日は良い天気だ!
4月21日You Tubeのvideo-studioを使ってtrimmingをしたのだが・・・
4月23日『続け樣に嫌な夢を見た!』
4月24日体調不良で
4月24日TabletのFacebookが同期出来ない!
4月25日摂眠不良
4月26日『気温の差と布団との格闘!!』
4月27日『今日は4月の26日の月曜日の深夜での布団騒動の続きです。』
4月27日この所一番の体調不良
4月30日工事中で休めない
5月1日今日の夢
5月2日緊急事態宣言下のゴールデンウイーク
5月3日お久し振りに寝落ちした
5月3日dietのためにブルブルマシンを探していたら、Bachの無伴奏の
5月4日ハイツにゴキの子供のような
5月4日「鼻詰り」が酷くて
5月5日今夜も鼻水で眠れない
5月7日lessonのvideoのお話
5月10日手順書:取説
5月10日 『発表会こもごも』
5月10日トトロのマグがまた割れた!!
5月13日コロナワクチンの接種券
5月15日『芦塚先生はコンクールを否定していて、生徒達をコンクールに出さない』・・という噂話しについてのお話
5月15日『アフレコとアテレコ』
5月17日ワクチン接種の許可が出た
5月19日再手術が決定した
5月21日[violaとcelloのduo]
5月22日『前の文章から』
5月22日教育は私の天職ではない
5月22日柿渋の可愛いリュックが
5月23日黒のショルダーのポシェット
5月24日天候不順で体が ·
5月25日入院前の薬のtrouble
5月26日薬のtrouble
5月28日クチナシの季節
5月28日『Finaleの愚痴です❢ 派生音一覧』
5月28日 練馬区は東京ではないのかな??
5月29日手持ちの写真が失くなった
5月30日オケ練習が休みになったので、
5月31日気が付いたら足の爪が割れていて
5月31日私自身の格言では「人は求めれば夢は叶う」というのが、私の主義主張でもある。
5月31日今日は手術日とdouble-bookingしたので、変更をして貰った糖尿病外来の日です。
6月1日今日から6月1日です。
6月1日『有意義な無駄と無意味な無駄』
6月3日violinとCelloのための二重奏曲集から『第二番』
6月3日「violinとCelloの二重奏曲集」から『第一番』
6月4日コンビニ・クーラー
6月5日『Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembalo譜作成のお話』
6月6日『今回の発表会への選曲について』
6月10日無事生還を果たしました。
6月13日今日は、第二回目のワクチンの注射の日でした。
6月13日『人と芸術の関わり』
6月14日『大雨のお話』
6月15日昨晩も寝はぐれてしまいました。
6月17日テレビ等では『東京都は**°、練馬は++°でした。』と放送されるからね??
6月17日『マイ・隠れ家』
6月18日violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲
6月18日私が高校生の時に纏めた詩と童話、essay等の散文集である「ある少年のメルヘン」は、
6月19日『芦塚methodeでのオケ室内楽の練習に関してお話』
6月21日眠れない❢
6月21日足の爪が
6月22日今日はこれから川崎に術後検査に行きます。
6月23日すっかりバテてしまって、
6月24日『今日は6月24日の木曜日です。』
6月25日You Tubeを3つに分けて
6月26日original楽譜の校訂について
6月27日ペットボトルを左足の指の上に落とした
6月28日学校で学ぶ事
6月29日台風性の前線の色
7月1日『またまたパソコンが突然・・!!』
7月3日『あいも変わらないFacebookの不具合!』
7月4日「なんで寝起きたばかりなのに、欝っているのかな??」
7月4日『proを目指すのは簡単だ・・という意味』
7月5日『やっぱり、Officeが修理出来ていなかった!!』
7月5日『おお、無慈悲なる時の女神よ!!』
7月7日『大変嬉しいご報告です。』
7月7日『余計なお世話のOneDrive』
7月8日Paderewskiの演奏
7月10日『scorereading』
7月10日やっとけないよな~あ??
7月11日『お久しぶりの対面lessonと楽譜のお話』
7月12日体調不良です。
7月13日最大の無駄は「物を探す」という事である。
7月13日『美音ちゃんのTartiniの悪魔のtrillのbaroque-violin-versionのlessonの続きのPageです。』
7月14日『音楽への意識と職業としての音楽』
7月15日日にちが飛んだ❢
7月16日『引き籠もりの勧め』
7月19日『パソコンのiconがまたまたぶっ飛んで・・』
7月20日『フリの社会の日本』
7月20日『連日の練馬区の35°の猛暑日』
7月20日『David版のLa Foliaの譜面作成』
7月21日『veranda用の椅子と摂眠不良の話』
7月22日『Home Pageの修復作業のお話し』
7月25日腹が立って、眠れない❢
7月25日イライラの対応策は
7月25日借金をする人
7月26日芦塚先生のお部屋の復活作業
7月27日『ウダウダtimeに対しての自己弁解』
7月27日明日は土曜だ・・・
7月28日『自由業』
7月30日二日掛かりでVivaldiの
8月1日光陰矢の如し•••とは言ったものだが
8月3日今日は8月3日の火曜日なのだけど
8月3日『CASIOのpriviaが壊れた!』
8月3日昨日は、lessonや練習の合間に、lesson室の楽譜棚を制作しましたが、
8月3日バナナ・ジュースのレシピ
8月4日『お蕎麦の話し』
8月4日今日の8月4日は危険な気温という事だそうです。
8月5日『今日からブルブル・マシーンを使えるようにした。』
8月6日既に練馬区の気温は34°で、体感温度は37°だそうです。
8月9日『夏合宿のお話とその後・・・』
8月9日『音声入力』
8月9日毎日あれだけ大騒ぎしていたコロナのnewsが
8月9日『音声入力』その2
8月9日『ハイツのpriviaが・・』
8月10日ドッと疲れが押し寄せてきて
8月11日ブルブル マシンの椅子が壊れた❢
8月13日『finaleの上書きの問題』
8月14日オムロンの血圧計が壊れた❢
8月11日ブルブル マシンの椅子が壊れた❢
8月14日思考と意識が停止した
8月15日兎に角、寒い!!
8月15日La Cetra Concerto Op.9 Nr.1 C Dur(F.Ⅰ.n.47) ⅡⅢ楽章
8月16日水が冷たい!
8月17日Keyboardが突然・・
8月18日電気ケトル
8月20日今日は満月・・ではありません
8月21日リコーダーのお話
8月21日VitaliのChaconneのお話
8月23日なんと、椅子の上で爆睡してしまった❢
8月23日『VitaliのChaconneのお話の続き』
8月24日お久し振りで爆睡出来た❢
8月25日「まえぶり」
8月26日超、大汗をかいて目が覚めてしまった。
8月26日「暑さ、寒さの・・」彼岸はいつ来るのだ??
8月27日Chaconneの編集です。
8月28日『調律のお話』
8月28日季節の終わり
8月29日鼻詰りで目が覚めて
8月30日『別の楽器を学ぶ事のお話』
8月30日『La CetraのⅡ楽章のornament(装飾音)の演奏法についての考察』
8月30日「21年8月29日日曜日のTeleworkのオケ練習」
8月30日暑くて寒い
8月31日8月最後の日です。 ·
8月31日『パソコン音源に寄るHennry purcellのChaconne g triosonate』
9月1日夢の中の夢
9月2日クーラーを入れたらなんと暖房になってしまった
9月3日夜間頻尿と鼻詰まりと汗もと超、寒いので目が覚めた
9月4日夢のまた夢
9月4日Jcomの調子が悪くて、web-lessonが
9月4日今度はFacebookが開きません
9月7日鬱がひどくなったので
9月7日netが繋がらなくなっていたので、
9月9日携帯をverandaに持って行って
9月10日モデムの点滅が止まらないので
9月11日Googleのcalendarのマイナーチェンジ
9月13日悪魔のtrillのperiodversionを
9月13日monitorテレビがblackoutした
9月14日いや~あ、今日は術後第1回目の膀胱鏡検査だ。
9月15日powerdirecter
9月16日uploadの時間が膨大で
9月17日5年振りに寝室に新しいカーテンがついた
9月18日突然、欝が収まった。
9月19日printerのお話
9月20日体力の限界で
9月20日詐欺のmail
9月21日シンクのゴキの防止に
9月21日文章が確実に投稿のボタンを押したハズなのに
9月22日「今日は中秋の名月で満月だ!」とテレビでは大騒ぎをしているのだが、
9月22日彼岸花
9月23日の木曜日の午前2時を回った所で、携帯の通知音で目が覚めた。
9月24日web-lesson
9月25日何度もFacebookにuploadしても
9月26日未だ9月なのに暖房を入れたのだ
9月27日危うく予定をすっぽかす所だった
9月28日時間は二度と戻っては来ない❢
9月29日整理整頓のpointは簡単に探し出せる事である。
9月29日体調が悪くなると、新鮮な海鮮でも気分が悪くなる事がある
9月30日体調不良なのだが、検査dataが
9月30日鬱というよりも体調不良なのですが
10月4日日本の音楽教育では
10月5日空気が爽やかで
10月6日『芦塚音楽研究所の歩み』
10月9日明日は発表会だ ·
10月11日発表会のvideoの編集作業
10月13日発表会後から突然肥り始めた
10月14日の朝の5時を回った所なのですが、まあ、なんと寒い事??
10月14日VHSのrewinder(リワインダー)です
10月15日椎名町の事務所からvideoをリュックで
10月16日放しで寝込んでしまったので、起き出して
10月18日残暑から突然真冬になってしまった
10月19日夏の布団から毛布に
10月20日自分の人生が無駄に思える一日
10月22日冷蔵庫がこの2,3日空っぽのままで
10月24日鼻詰り予防にパブロンのカプセルを
10月25日疲れが取れなくって
10月25日常設曲の通し練習
10月25日友達の友達は赤の他人
10月26日天候不順
10月28日変な夢
10月31日はHalloween・Concertoの日でした。
11月1日You Tubeに昔の発表会の動画が
11月2日1日から2日に掛けて書いた文章が
11月2日記憶の中の時間軸を調整しています。
11月3日『ダメ出しmarkについてのお話』
11月4日『あの人に 伝えておくれ 今夜も私は眠れない・・と・・』
【初音ミク】 マーラー: 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス
11月6日こもごも
11月7日『パソコンのmonitorがとうとう壊れた!』
11月8日体調不良や鬱やパソコンも壊れたので
11月8日ハイツにmonitorテレビが着くのを待っていたのだが
11月8日『芦塚methodeの基本は「時短」である。』
11月9日タイタニック号でのお話しです。
11月9日タイタニック号のお話しの続きです。
11月10日『believe、trust、Delusion』
11月10日世の中にはYou Tuberという不思議な職業があって、
11月10日今日は歯医者だ
11月11日今日はone・one-dayです。
11月12日powerdirecter18のtrouble
11月13日パソコンの作業が飽きてしまったので
11月13日『音楽のproを目指す人達の妄想』
11月14日『通奏低音の初lessonのお話』
11月14日 部屋の汚れは、体調不良の原因である。
11月15日『100年に一度の天才』
11月16日普段使いのマグにジャムの瓶を落として
11月16日『音楽を学ぶ人達の究極の目標:音楽への目的』
11月16日石橋メモリアルホールを売却するという
11月17日コロナワクチンの予防接種
11月19日おう、月蝕だ❢
11月19日4kのmonitorテレビをパソコンに接続した途端に
11月20日『こむら返りのお話』
11月21日videoの取り込みとman-to-manのlesson
11月23日dietは明日から
11月24日VivaldiのRecorder(flute)Concerto、Op.10Nr.5inFのⅡⅢ楽章をChristmas会で演奏する予定なのだが、
11月24日全面改訂
11月25日日本のClassic界の音楽はentertainmentである
11月25日4k画面では文字が読めない
11月26日鬱が超酷くて
11月26日明日は一日車検です。
11月27日電子Pianoのバザールに出掛けた
11月27日超、疲れているのに、眠れないのです。
11月29日『11月29日の月曜日のお話しです。』
11月30日明日からは12月です。
12月1日『orchestra、室内楽のcurriculumと運営についてのお話し』
12月2日こむら返りが
12月4日お久し振りに、昔のvideoのcheckを始めました。
12月5日『「ブレない」と「不動心」の違いについて』
12月7日まあ、どうでも良いか??
12月7日徒然無い夢をみた
12月7日寝すぎた❢
12月8日尾骨が痛い❢❢
12月9日惰眠から不眠へ
12月10日不定愁訴
12月11日 You Tubeでいろいろな演奏を聴いてみたのだが
12月12日finaleでlayoutをして、print outしようと思ったら
12月12日Facebookのお薦めのgroupが
12月12日超、寒い❢
12月13日 『Roland⇒転倒⇒ひびきホール⇒Roland』
12月17日layoutがまたまた元に戻った ❢
12月18日人生とは列車の旅のようなものだ。
12月18日不動心とブレない
12月19日今日は腰痛が更に酷くなって、
12月19日腰痛、3日目なのだけど、
12月20日Cyberlinkの音声の同期が全く出来ないままです。
12月21日チョッとでも動くと微熱が・・
12月22日腰痛5日めとパソコンのrecovery
12月24日布団に入ると鼻水が
12月25日 今日は25日のChristmasですよね?
12月27日冷え〜っ??
12月28日被害甚大な子供の悪戯
12月29日パソコンの再installと燃え尽き症候群
12月30日『超、寒い❢』
12月31日 の大晦日の木曜日の朝の5時半を過ぎた所です。
Vivaldi BlockflöteConcerto Op 10 Nr 5 F Dur Ⅰ楽章 内川楓(小6)
芦塚音楽千葉教室2021年10月10日
会場のannounceで「教室としてはRecorder・Concertoの演奏は初めて」と言っていたのですが、誤解の無いように付け加えておくと、Vivaldiのrecorder-Concertoは同時に、flute-Concertoでもあります。You
Tubeでもrecorderで演奏している場合とfluteで演奏している場合があります。
私は、留学から帰国して、cantataやbaroque-orchestraで色々と回って演奏をしていましたが、その当時から、fluteの人と、時折公開演奏をしていました。
中でも、特に「五色ヒワ」は、よく演奏をした曲になります。
Vivaldiのflute-Concertoは弦楽orchestraは兎も角として、それをrecorderと言う楽器で演奏する事は、結構至難の業であり、とても、子供達には無理だと思っていたので、これまでVivaldiのflute-Concertoが教室のprogramに上がる事はありませんでしたが、今回、牧野先生がrecorder-Concertoとして曲をselectしたのは驚いてしまいました。
小学校や中学校で学ぶrecorderとは、別世界の音楽なので、小学生がよく頑張ったと思います。
楓ちゃんはPianoが専科なのだけど、副科のKontrabassの他にも、色々とよく熟すよね??
写真をclickするとYou Tubeへ飛びます
1月1日明けましておめでとうございます·
新年明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い致します
2021年の1月の1日の早朝ですが、VivaldiのOp.ⅣNr.6のCembalo譜を作成していたので、初日の出はどなたかにお任せする事にして、これから惰眠に入る事にします。
それはそうと、今は練馬区は-2°だってよ?
寝室は寝る時には暖房は入れないので、パジャマくらいは着て寝た方が良いのかな?
(昨晩からの話ですが•••)
少し早めの11時くらいに、月見海老天•年越し蕎麦を食べて、年越しの年跨ぎは毛ガニを食べました。
少しカロリーオーバーかも知れないけれど、昼食夕食兼用の年越しのお蕎麦なので、まあ、そんなもんかもね??
お蕎麦のそばにあるおせちもどきは、つまみ代わりなので、全部食べた分けではありません。
少し摘んだだけです。
今年はどう言う分けか、コロナ対策の各自バラバラの、ボッチ年越しです。
小池さんから表彰されるかもね??アハッ❢
テレビを見ながらの年跨ぎは、毛ガニを食べるのが直ぐに面倒くさくなって来て、飽きて来たので、FinaleでVivaldiのOp.Ⅳの6のⅠ楽章のCembaloのpartを作りました。
テレビを見ていたらBachのdoppelのⅠ楽章を弾いていたので、聴いていたら無性に演奏に腹が立って来たので、チャンネルを変えて、アニメを見ながらVivaldiのCembaloのpartを作りました。
ただのEventに腹を立てる事も大人気無いとは思うのだけどねぇ??
歳を取ると、堪え性が無くなるのかね~ぇ?
Finaleの入力は、tenkeyが最初から分離されているMicrosoftの Ergonomic Keyboard のbluetooth型を注文したので、右手で鍵盤を弾きながら、問題の左手で音価を入力する事が楽になったので、入力が捗ったのだよな??
keyboardの交換は、部屋全体を動かして配線のやり直しをするのだけど、全てのテーブルやラックを動かすので大変な作業なのだけど、30日に一人でやりました。
大変な思いをしても、仕事が早く終わった方が良いからね?
という事で、Finaleの入力がとても楽になったのと、keyboardが小さくなったので、机が少しだけ、広くなりました。
つまり、Finaleを入力する時には、tenkeyを左側に置くと、右手で鍵盤を弾けるので、とても楽なのだよ。
それに、tenkeyは普段は使わないので、作業spaceから退けておく事が出来るので、それもメリットです。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。コロナで千葉にまでも行けない・・というか、ハイツの自宅から一歩も外に出ないで引き篭って1年が経ってしまいました。今年こそは、外に出たいよね~ぇ??
うちも何処も行けず家で引きこもりで、パソコンやってました。たまに外に出て写真を撮ったりとしてました。昨年は、羽田空港に用事があって、国際線ターミナルを通過するだけで、ハラハラ、ドキドキでした。
1月1日『即興演奏とSequenzと速記法』·
「初めての即興演奏」
Münchenの留学中に、下宿のあるPlaneggの村で偶然知り合いになった神父さんと音楽大学のorganistの友人と一緒にAlpsの山に登りました。(写真は同じmemberと日本人のPianoの女の子と一緒に登った時の写真で、別の時の写真です。)
山の頂上にある山小屋で、Chitaとbase弦の付いた二股の民族guitarが置いてあったので、神父さんがChitaを、音楽大学の友人がguitarを弾いて、即興で民謡を歌い始めました。Alpsの山々に谺してとても素晴らしかったのだけど、次の歌に入る時には調を言って(合図して•••)、もしその曲を知らなかったら、Baßのchordを指示をして、延々と4時間近く全く音楽を全く切らないままに歌い続けて、演奏をし続けていました。
即興の妙技・・というか即興演奏の原点を見て、その素晴らしさを身を持って実感出来た瞬間でした。
しかも、organistである友人と神父さんという専門家ではない人達が見せた即興演奏の妙技は、とてもamateurの領域ではない素晴らしいものでした。(proの演奏家として日本に呼ぶ事が出来る程の・・)
私自身は、高校生の頃に音楽を始めたので、・・また周りにそういった音楽を即興で演奏する人達の環境が全く無かったので、そういった即興演奏というgenreがある事は音楽大学に入学した以降に知りました。
・・という事でその頃(音楽大学時代)は、Bachの曲等の即興の指示に従って実際の音符に直す・・というRealisationを譜面に起こしたりしましたが、その場で即興で演奏する・・という所まではとても無理でした。(楽譜参照)
Karl Richter教授は演奏会でfugaの演奏中にド忘れをして、fugaを即興で30小節程弾き繋いで、記憶している小節に入って行ったのですが、当日の演奏会でそれに気が付いた人は批評家も含めて一人もいませんでした。
私は・・??
私は楽譜を見ていたので・・ね!!
素晴らしい即興の妙技ですよね??
fugaを即興で演奏するなんて・・・??
私が指導した生徒の中には、音楽大学を卒業してから生徒になった女の子がいたのだけど、彼女はPianoの即興演奏を得意としていました。
彼女には電子楽器の生徒達が多かったので、当然popularの曲の即興演奏を指導したり、外での演奏活動をしたりしていたので・・・
彼女にその方法を尋ねると、3つ、4っつの種類の音楽のpatternの変奏を作っておいて、新しい曲はそのpatternに嵌めて演奏をするのだそうです。
後は、何度か奏く間に、少しづつ修正をしていって、originalityを出すのだそうです。
「baroque時代の音楽の価値観」
baroque時代のConcertoは、ritornello形式で出来ていますが、今のpopularの音楽と同様に、当日、演奏会場で楽譜を渡されて、その場で初見で演奏するのが通常だったのです。
今とは違って、当時は、radioもrecordもありませんでした。
その静けさ、寂しさをこんにちの人達が理解出来る事は難しいと思います。
音楽が身近な日常の生活に全くなかった当時では、音楽を聴く事は、日常の最大の娯楽だったのですよ?
立場を変えて、演奏する側に取っても、演奏をしたくても、今のように楽譜が直ぐに、手に入る分けではありません。
当時は楽譜は手書きの写譜によるものしかありませんでした。
銅版印刷による楽譜もあるにはあったのですが、非常に高価なので、楽譜が欲しければ、楽譜を借りて写譜をするしかなかったのですよ。
写譜をする作業は、それは、Finaleのようなパソコンのsoftがない当時の時代では大変な重労働だったのです。※)
という事で、村に取ってはその村の作曲家の作品が唯一の娯楽の音楽だったのですよ。
そのために、演奏家達はこんにちでは考えられないような重労働を強いられていたのです。
当時は、殆ど毎週のように、否、週に2回も3回も、違った曲を作曲家から手渡されて即、演奏するのが常だったのです。
教会の毎日曜日のGottesdienst(ゴッテスディンスト=日本語ではなんと訳すのかは知りません。missaとは違うようなのですがね??)や、貴族達のdinnerは、最低でも2時間は続きます。その時間を埋めるだけの曲を作ってそのneedsに応えるには、instantの作曲法=所謂、即成作曲法が必要でした。
その方法がbasso continuoによる作曲法であり、ritornelloの音楽形式だったのです。
ritornelloの音楽形式は、演奏家達に取っては頗る利便性の高い音楽形式であって、最初に出て来たthemaを繰り返し弾けば良かったので、missも最小限に抑えられてとても良かったのです。
「Vivaldiのritornello形式」
例外的な作曲法としてはVivaldiのritornelloの作曲法が挙げられますが、VivaldiのConcerto等では、繰り返される度に、ritornelloのthemaが微妙に違うのですが、それはVivaldiの曲を演奏する演奏家が普通の作曲家達のとは違っていて、Proの雇われ演奏家達ではなくって、Pietà音楽院の女の子の生徒達がVivaldiの作品を演奏していたのです。
つまり、Vivaldiが直接、音楽を指導して来た生徒達がVivaldiの作品を演奏していたのです。
という事で、例外的に、Vivaldiの曲をVivaldi本人からlectureを受けて、勉強をして、練習を積み上げる事が出来たからなのです。
つまり、Vivaldiの曲を演奏していたのはVivaldiの生徒達だったからなのですよ。
では、何故、Vivaldiの生徒達ならば、ritornelloの繰り返しを変化させる事が出来たのでしょうかね??
その生徒達が、演奏をより完璧にするためには、確実にMotiv(motif)の小さな違い=kleinigkeitの楽譜上の変化を覚える・・という事は、音楽だけではなく、教育においても大変素晴らしいmethodだったのですよ。
当時は多作の時代だったので、曲を覚えて演奏する・・という風潮は全くありませんでした。
オケの演奏家達だけではなく、solisteでさえも、暗譜で演奏する習慣は無かったのです。
しかし、音楽をより完璧に演奏するためには、暗譜による演奏が重要である・・という事はこんにちではよく知られている事ですよね。
VivaldiのConcertoのritornelloのthemaの繰り返される毎の変化は、Vivaldi-methodによる記憶法のcurriculumの重要なlectureをするためのkleinigkeitの変化でもあるのですよ。
同じbaroque時代の作曲家達でも、proの演奏家に演奏を依存している殆どの作曲家達の場合には、仮に、そういった手法があるという事を知っていたとしても、その手法を使う事は出来なかったのですよ。
その理由は、演奏をproの演奏家達に依存している場合には、練習の回数が、運良く「出来た!」としても、せいぜい一回だけで、後は本番になるし、今現在でも練習1回、ゲネプロ・本番が定型です。練習の1回目は初見なので、殆ど演奏の説明で終わってしまいます。だから、ゲネプロで1回合わせて、大丈夫かcheckをして、そのまま本番に臨みます。
それが練習がある場合なので、殆どの場合には、作曲家の都合で初見の演奏になるのでね!!
漫画家ではないけれど、締切りギリギリというのは作曲家の常なのでね??
超、高名な作曲家でも締切りに間に合わなくて、近所の他人の作品で間に合わせている場合があります。
Bach然り、Haydn然りなのですよね??それが、偽作の問題を生み出します。Bachはlifeworkとして、教会の全日程を自作のcantataで間に合わせられるように頑張って作りましたが、そのcantataの中にも、他の人の作品が紛れています。教室でよく全体合奏として演奏しているcantataもその中の一つです。私の場合には、別にBachの作品ではなくても、曲が美しければ良いというpolicyなのでね??
「baroque時代のensembleの様式」
ここまでは、orchestraの演奏家の人達のお話ですが、baroque時代の音楽は、例えsoloの曲であったとしても、Ohne Begleitung(無伴奏)という指定が無い限り、basso continuoを従えたensembleで演奏されます。
無伴奏(Ohne Begleitung)というgenreは特殊なgenreなので、通常はsoloという場合には、solo楽器と伴奏のpartをsoloと見做します。
伴奏とsoloではなく、対等の場合にはduoになり、ensembleに分類されるようになります。ViolinとPianoの作品でもBeethovenのように二つの楽器が対等であっても、分類はPianoと伴奏でsoloの分類になります。
baroque時代のsoloの曲の場合には、soloのpartに和音を表す通奏低音(basso continuo)の二段の譜面で書き表されます。
上の1段は当然soloの楽器が演奏しますが、問題は、下の段のお話です。(譜例参照:EcclesのViolinsonateのoriginalの楽譜です。)
baroque時代では楽器の指定は曖昧だったので、下の段をguitarやLauteのような楽器で奏く事もありますが、通常は、下の楽譜である、通奏低音の譜面はcontinuoの低音を奏く楽器奏者と和音を補填する鍵盤楽器奏者の二人で演奏されます。
通奏低音の低音楽器の奏者の楽譜は書かれている楽譜があるのですが、和音担当の奏者は、その低音楽器のmelodieの上に、左手の譜面はそのままに弾いて、その音の上に数字で指示された和音を演奏します。つまり、soloの曲であっても、3人で演奏をするのが通常なのです。
ちなみに、baroque時代には、未だPianoは存在はしていません。
だからPiano伴奏のbaroqueの音楽は、全て擬古典の作品(所謂、arrangeの曲)になります。
Concertoのritornelloのsoloの部分のお話に戻って・・・・
基本的にはritornelloのsoloの部分は、soloのpartが即興で演奏される事が多いので、それを楽にする方法論として、Sequenzという手法(手段)があります。
Sequenzとは英語のシーケンスと同じ言葉(意味)なのですが、同じFigua(型)を繰り返す事を言います。
その方法は、2度の上行pattern、若しくは下行patternの繰り返しとか、4度のpatternか、5度のquint-Zyklusの繰り返しが一般的です。
(譜例のVivaldiのOp.ⅣNr.6のⅠ楽章のSequenzの部分は2度上行形のpatternです。scoreではsuggestする冒頭の16分音符だけを示していますが、教室のmethodeでは、生徒達はMotivの冒頭と変化をした音を示している音符だけを参考にして演奏をして行きます。)
Mozartの有名なPiano-sonateのハ長調K.545のsonateでは、3度の下行のSequenzのpatternも出てきます。
Sequenzの場合には、当然、調が変わって行くので臨時記号も変わるので、finale入力の場合のneckになってしまっています。
一々音を変更しなければならないのでね??
また、当時のbasso continuoのpassageを活かして、定旋律(cantus firmus)上に曲のVariationを繰り広げて行く色々な曲が産まれました。
la foliaやpassacaglia、groundやChaconne等の曲です。それぞれの曲のBaßの定旋律のthema上に華やかなVariationを繰り広げて行く音楽形式です。
※)手書きの楽譜の書き方は、私の生徒達の中で、教室に残ってくれる生徒達だけにlectureをしました。
パソコンのFinaleのsoftが入って来る以前の生徒達で、しかも教室の先生になる事を希望する生徒だけにです。
それは、出し惜しみでは無くって、写譜の仕方のlectureは、大変な忍耐力を要するからなのです。普通の手習いに来ている生徒達には、とても辛い技術なのですからね?
出版社と同じ浄書の技術と、普通の楽譜、演奏家、特にpopular音楽の演奏家達が必要としている速記の楽譜の3種類の書き分け等も指導してきました。
ですから昔の生徒達である牧野先生や斉藤先生達はそういった写譜の技術や書き分けの技術は持っています。
その次の世代のinstructorを希望する生徒達には、もうFinale世代なので、写譜の技術は指導してはいません。これからの音楽家達にはもう必要がないからです。
(勿論、今の生徒達にも、楽典のlessonの一貫として「音符の書き方」は指導しています。しかし、それは写譜の技術とは全く違ったものです。写譜の技術とは、Proの写譜屋の技術なのですからね?今でも、大半の楽譜は手書きなのですからね?自分のmemoやちょっとした伝達のための楽譜の書き方には写しの技術は必要はないのですからね?)
1月2日baroqueの即興演奏
ふと、気が付いたら、もう正月も二日です。
お正月とは言ってもコロナの引き篭もり中で、全く外出をしない、何もないお正月なのですが、全く外に出ていないので、今日は流石にぎっくり腰になってしまいました。
・・・てな事を書いて、お久し振りに椎名町に食事にお出かけをして、ドルプリっ歩に付き合ったら、な、な、な、なんと!
もう三日になってしまいました❢
ぎっくり腰は相変わらず、治りません!!
困った事です。
この調子で行くと、次に気が付いた時には、大晦日という事にも成りかねないのですよね??
正月番組の相棒を録画して、3回も見てしまいました。
つまり、3回も相棒に挑戦してみたのですが、途中で椅子に座ったままで寝てしまって、storyが断片的にしか把握出来ていません。
storyが繋がらないのですよ。
今日はstoryを繋げるために4回目に挑戦して、やっと、何とか最後まで見る事が出来ました。
•••という事で、やっとvideoを消去出来ました❢
昨年の暮には、即興演奏についての文章を書いていたのですが、私が初めて即興演奏と巡り合ったのは、BachのCembaloの曲である「Fantasiaとfuga」の曲のfantasiaの和音で記された楽譜を演奏譜に直したのが初めての即興演奏用の楽譜なのです。
それは、半世紀以上も前の、私が音楽大学に入学して間も無い頃の18歳、19歳頃のお話しです。
当時は、まだ日本にはCembaloが2,3台しか無い時代で、baroque音楽と言えば、BachのAriaとかVivaldiの四季ぐらいしか知られていない頃の時代でした。
勿論、baroque時代の演奏の様式等というものは全く解明されていなくて、今、超有名なPachelbelのcanonさえも、世界的にも全く知られていない頃の時代でした。
だから、即興演奏というstyleの音楽があるという事すら、未知の世界だったので、即興的に演奏をする・・と言っても、楽譜に書かれた通りに演奏するか、せめて和音で書かれた楽譜をarpeggioで演奏するぐらいが関の山で、即興演奏というのには程遠い演奏だけなのでした。
しかし、こういった即興の書法はBachだけではなく、Händelの組曲などにもよく見受ける事は出來たのですが、それをどう弾けば良いのか・・という事、和音やsuggestされた音を見て、即興で演奏する・・という弾き方が一般的に知られる事は未だまだ、ありませんでした。
Bachの場合には、Cembaloという楽器ではなくて、violinの無伴奏の演奏法として、その即興演奏の方法が知られていました。
・・・とは言っても、和音にsuggestされた自由な即興ではなくて、和音を定型のfigure(Figua)で演奏するとは言った初歩的な演奏に留まっていたのですがね??
この書法の演奏法には、二つのstyleがあります。
その一つは、和音をmelodyに変えて演奏するstyleと、和音をmelodyで繋いで行くstyleです。
私が初めて手掛けたFantasiaはsuggestされた和音が8小節に渡って書いてあるので、最初の4小節の和音を和音をmelodyに変えるstyleで作って、後半の4小節を自由にmelodyを追加して行くstyleで作りました。
•••という事で掲載した楽譜は、私のBachのFantasiaの即興演奏譜なのですが、即興演奏の譜面を部分だけは、論文によく使うので、元々の楽譜は、Finaleどころかパソコンや携帯すらなかった時代だったので、当時の手書き譜の譜面から、後に、Finaleに入力をし直したのですが、fantasiaの方は兎も角としても、fugaの方は全く楽譜の変更は無く、楽譜上の変更は改訂としては、全く弄っていないので、fugaの入りの数小節の部分だけをFinaleに入力して、論文等に掲載していたのですが、後のfugaの部分は入り部だけを入力して、お茶を濁して、後は放ったらかしていたのですが、何を思ったのか、今回の正月休みに、二日掛かりでfugaの部分の入力も全部入力してしまいました。
fugaの部分はoriginalの譜面からの変更はkleinigkeitの音の校訂以外には、無いので、これまでの演奏する時には、大元の楽譜で演奏するので、問題はなかったのですが、finaleに入力する事は、無駄な作業と思ったのですが、途中までで放ったらかしにしている事が我慢出来なかったのだよな?
いや〜あ、無駄な作業であった❢❢
寝正月を決め込んで、布団の中で、この文章を書いていたのですが、鼻水が止まらなくなって来たので、起き出して仕事をする事にします。
1月5日仕事始め
今日は正月の三が日が終わって、「仕事始め」・・という事で、先生達はlessonに千葉の教室にお出かけです。
私は暮れも正月休みも無いままなので、関係はないのだけど、それでも、何度か起きて仕事に挑戦しようと思ったのですが、パソコンに向かって椅子に座ると、腰が痛くなって、立ち上がれなくなってしまいます。
思いの外、腰痛が酷い状態で、お昼間には殆ど寝込んでしまいました。
夕方になって、「椅子に座れないのならば、立ったままに作業をすればよい」・・という事に思い当たって、立って入力が出来るKeyboard-standを出して来て、パソコンの作業を開始しました。
その仕事なのですが、まるまる2年間近くも放ったらかしにしていた「Facebookからhomepageに移動する作業」を夕方の4時頃から、夜の10時頃までやってしまいました。
19年の3月の18日から手を付けていないかったのですが、コピペをするだけの単純作業なので、後はひたすら忍耐だけの作業になりますが、今日は3月の18日から4月いっぱいをまでのFacebookを、Home Pageヘtransposeしました。
2020年は全く手を付けていないので、まるまる一年分と8ヶ月を1日でtransposeするとすると、残りは20ヶ月なので、10日もあれば、何とか入力は出来る作業ではあるのですがね••••??
なにせ単純作業なのでね?
私にとっては、退屈極まりない、何のmeritもない作業なのですよ?
私にとっては•••という事は、本来ならば、「私の下で音楽の勉強したい」という生徒ならば、その単純作業は、作業ではなくて、とても良い勉強になるのですが、千葉の生徒達にやらせるには、残念ながらHome PageBuilderがsoft的に大き過ぎて、noteパソコンには、入らないのですよ。もしもsoftが入ったとしても、Dataも膨大な物になってしまうからね?
それに、Facebookは教室の仕事ではないので、「私が自分のPocketmanyでバイト代を出してあげよう」、とは言ったのだけど、そうすると椎名町に泊まりになってしまうからね〜ぇ??
同じPocketmanyを出すのならば、教室の生徒ではなくて、もっと気楽に、「人を雇って」・・・という手もあるのだが、以前、パソコン教室の先生をやっていた音大生を雇って教室のHome PageのTop Pageの手直しを頼んだら、僅か10分、15分でTop Pageのlayoutをめちゃくちゃに壊されて、それでも、「仕事のしたのだから」とバイト代を請求されてしまって、しかも彼女が壊してしまったTop Pageを直すのに、私が一週間掛かって修理をしてしまった・・・というaccident・・というかcatastropheがあった。
音大生の職業意識は、norma制ではなくて、時給制なので、自分が迷惑を掛けたという事実と、自分が得るギャラは別物なのだよ❢バイトはそこにその時間、居れば良いだけなのだからね??
それにパソコンやHome PageBuilderの使い方を指導するには、結構付きっ切りでなければならないので、自分自身で作業をした方が早いのだよ。
Home PageBuilderだけではなく、Finale等も『出来る❢』と言う事と『無駄無く出来る❢』と言う事とは、根本的に違うのだが、それが学校教育では分からない。
学校の場合は『出来る❢』でもなく『噛じる』だけなのだからね?
しかし、それを言っていては教室の先生は育たないのだが、今の生徒達は、技術を覚えるよりは、即金になる方が良いのだよな?
digital世代なので、苦労して何かを得る事はかったるいのだよな?
私達の頃の手に職という考え方とは立ち位置の考え方が根本的に違うのだよ?
私が、親の期待の医学部を蹴って、音楽の道を選択した時には、「音楽大学に進学するのならば、一切の援助はしない!」と言う条件だったので、当然、親に勘当されたので、音楽大学に入学した時には、入学を喜ぶよりも、先ずは当面の生活費を稼ぐためにバイトを探さなければならなかった。勘当とは言っても、授業料は援助してくれたので、自分の家賃と生活費を稼げば良かったのだよ!
周りの音大生達なのだが、普通は皆音楽以外のバイトをしていた。
snackの弾き語りでさえ、ある程度は技術を持っていなければならないからなのだよ。
だから、何の技術も持ち合わせていない学生入った、デパートの配膳係や荷物の搬送係のバイトで、良くて家庭教師なのかな?
お金が欲しければ、女の子はsnackで接客のバイト、男の子はパチンコ屋のバイトと相場が決まっていたのだよな?
当然、音楽のバイトなんてある分けはないのだよ❢
歌の子達は合唱のトラもあったのだけど、それは電車代で無くなるようなスズメのなみだのバイトだったからね?
生活費の足しにはならなかったのだよな?それに滅多には無いからね?
それなのに、私が自分自身に課した課題は、「音楽のバイトでしかもClassicに限ったバイト」という事だった。
先輩諸氏は「そんなバイトはある分けはない❢」
「あったとしてもそんな技術職が出来る分けではない❢」というのが、周りの冷ややかな目であった❢
その時の私は、確かに経験も技術も持っていない、音楽大学に入学したばかりの学生だったので、そう言った批判は、至極、当たり前だったのだよ❢
しかし、「最初は誰でも初めてなのだから❢」というのが私の持論で、周りの目を気にする事もなく、その批判を押し切ってしまった。
大学の教授達に片っ端から仕事をお願いして、幾つかの仕事を回して貰う事が出来た。
音楽のバイトは、一回だけの飛び込みの仕事なので、その他に、ニッパチの間期を防ぐために、受験生を指導する事を始めた。これは一年を通じての安定収入になるので、精神的には安定するのだが、逆に、落ちこぼれた受験生を100%合格させなければならないので、それなりに真剣勝負ではあった。
まあ、そういった努力の結果、当時は、東大生の卒業生の初任給の3倍を稼いでいたよ。
東大の卒業生の初任給がやっと2万5千円の時代に、7万以上も稼いでいたのだよ。
今のrateの換算では、東大卒の初任給が22万なので、単純に計算すると、66万円か?
そんな大した金額ではないよな??
年間所得で約800万だもんな??
共稼ぎならば、普通ぐらいか??
それでもmeritは、音大の勉強の予習復習も完璧なのだよな?
音大で学ぶ上の段階の仕事をしている分けだからね??
4年間で、当然、留学の費用も貯める事が出来たのだが、そういった勉強の仕方を真似する生徒は一人もいなかっね?
音大生自体が、生活費に困っている分けでは無いから、そこまでの苦労をする必要もないしね?
またもう一つの理由は、軌道に乗るまでの勉強が大変なのだけど、私に言わせれば、『音楽の世界で生きて行きたければ、どっちみち必要な技術なのだ』けれどね?
今の教室の子供達に何時も言っている事があって、「発表会の直前で必死になって一週間で暗譜をするのならば、その同じ努力を、楽譜を貰った時にすると良い❢」と言う事だ。
同じ努力でも、timingがちゃんと出来れば、その成果は全く別次元の成果になる。
一事は万事で、それはこういった地道な努力でも、同じなのだよな??
1月6日ハイツの断水とgasfanheater
1月6日の水曜日でハイツは午前中は断水で、全く水を流せないので、頻尿の私としてはtoiletteが困ってしまいました。
午後は歯医者に行きましたが、今日は被せてある歯が虫歯になったとかで被せているのを取りました。
被せても虫歯になるんだ~ぁ??
そのまま椎名町に行こうかと思ったのだけど、返事が無いので、ハイツに戻って来ました。もう一度出掛けるとなると、色々と面倒くさいのだけど、連絡が無ければ致し方は無いよな??
牧野先生が江古田周りの次いでに、ガスファンヒーターを運んでくれたので、setしました。
サーモが壊れていないので、部屋の温度の調節が必要がないので、とても楽です。設定した温度のままに、ファンヒーターの温度が固定されているので、助かります。と思っていたのだけど、やっぱり、温度が設定した温度を越して来た!
ガスの場合には、設定温度で調整する事は無いのかね?
•••と思っていたら、エコと足元とスポットの設定があって足元は強にしておくと、足元から温度が上がって行くので、足が冷える私にはとても良い!温度が上がり過ぎたら、エコにすると、断続的に運転するので、部屋の温まり過ぎは無く、寧ろ肌寒いくらいの温度になる。
組み合わせると、なかなか良いようだ!
やはり、新しいファンヒーターは性能も良かった!
それはそうと、今日はFacebookの19年の9月分のcommentをhomepageに移しました。
チョッと大変だったよな??
後、3ヶ月分だよな??
まあ、一週間は掛からないって、ことだよな??
それと、2020年の1年分なので、都合、15ヶ月分という事だよな??アハッ!
そうだ! 今日は椎名町に行く途中でまるでタヌキのような、つがいのモコモコとしたタヌキと遭遇しました。
大型の猫ぐらいの大きさで尻尾が丸くて真っ黒でした。
bikeなので写真を撮る暇は無かったのが残念!!
5月10日手順書:取説 ·
手順書、若しくは取り扱い説明書というのは、機器の操作の説明の文書であり、取り扱い解説書である。
当然、大手企業の作成した機器等にも取り扱い説明書(以下、取説とする)が付いているのだが、法的な文章が大多数を占めて、肝心要の取説の部分が欠落している、若しくは説明不足である場合も多い。
簡単な日常生活で使用する機器であったとしても、その取説は結構膨大なPage数を持つ場合も多くて、実際に使用するにあたって必要な所を赤でmarkingしていかなければならない場合が、極めて多い。また、肝心要の所が落ちているので、書き込まないといけない取説も多いのだよな??
昨日は発表会で、体調不良の折からの4時半起きの朝早くからの激務であり、夜の食事も食べれなくってしまって、ハイツに戻ったcinderella-timeには、流石にEnergie切れで、食べ物の整理もしないままに、bedに直行してしまった。
いつものように、routineのtoilette-timeを繰り返しながらも、何とか朝の6時頃からは、パソコンやDigaに発表会のvideoのdataの取り込みやBlu-ray-disc に焼く作業を開始した。
パソコンの作業は体を休めるには絶好の作業だ。並行作業で2台のパソコンとPanasonicのBlu-ray-recorderを2台同時に稼働させて、1カメから4カメまでのSDcardの作業を同時にする。
50GのBlu-rayでもそれぞれのSDがdubbing出来る分けでは無いので、容量を減らして4枚のBlu-rayに焼いている。100Gのdiskもあるのだが、ハイツのパソコンには外付けのrecorderはあるのだが、椎名町のパソコンのBlu-rayの再録は50Gまでしか出来ないので致し方ない。
発表会の進行表といのは、私が考案した発表会を子供達が自主的に運営出来るための手順書なのだが、会場が変わると全体が変わってしまうので、常に同じ会場を取って開催している。
Hallが取れなくて、別の会場での開催になった場合や、今回のコロナのように、進行を大幅に変更しなければならない場合もあるのだが、基本は変わらないので、問題は無い。
教室の発表会の記録のための写真やvideoの撮影等は、これまでは業者に任せていたのだが、少子高齢化で生徒数が減って来て、発表会の運営に外部委託は難しくなって来たので、私がCyberlinkを使用してvideoの編集や写真の作成をする事にしたのだが、homepageが教室のhomepage、所謂、『芦塚音楽研究所のhomepage』と、私の論文を集めた『芦塚先生のお部屋』と、privateな闘病記である『芦塚陽二の闘病記』の3っのhomepageを同時に作って行くのは少し無理があって、その上に徒然草のようなFacebookを始めて、流石に、「無理かな??」と思っている所に、鬱と体調不良がやって来て、入退院を繰り返す羽目になってしまった。という事で、この2、3年、homepageの作業が後回しになってしまったので、「教室の事は教室に任せよう」と言う事にしたので、homepageの作り方やhomepagebuilderの使い方、Cyberlinkの使い方、videoの編集の仕方等等、のlectureに、この2,3年追われてしまって、blankが空いてしまった。
5月10日 『発表会こもごも』·
東京や千葉の緊急事態宣言の様子を見ながら、昨日の5月9日に2021年の春の発表会は恙無く終了しました。
今回の発表会も昨年の発表会と同様に、web-lessonのみのオケ練習で、realに子供達と会う事は、発表会の当日、会場での1回のみで、流石に、子供達も初歩の生徒達は、私の指揮を見る事が難しくなっていて、子供達への「入り」のeinsatzを送っても、怖がって、入って来てくれません。
日常の生活も部屋に閉じ籠っての生活なので、自分の意識を鼓舞する事が難しくなっていて、どんなにwebが発達したとしても、実際には、子供の教育は親の背中を見て育つように、オケ練習に関しては、先生の背中を見て育つので、毎回の練習で、生徒達とrealに接する事が出来ないと、どうしても生徒達の士気が乏しくなって、responseも悪くなってしまう事は致し方はありませんでした。
私もハイツの狭い部屋に閉じ籠って、2年近くになるので、体力の維持管理も、鬱のcontrolも、もう出来そうにもありません。
体力維持のために続けている毎日のドル・プリの散歩も、散歩とは言ってもウダウダ散歩なので、体力の維持のための散歩にはならないのだよな??
それに近頃は、またぞろ腰痛も酷くなって来て、散歩もままならないので、25年ぶりに腰痛corsetを買いました。
老人に取っての足腰を鍛える事は、体力を維持して、寝た切り老人にならないための絶対条件なのでね??
私の場合には、歩け無くなってしまったら、独居老人としての一人暮らしでは、生活に窮してしまうからね??
コロナでの自粛が2年間も続いている事に対しての愚痴を言ったとしても、それは世界的なcatastropheなので、どうしようも無い事なので、その話はさておくとして、2ヶ月近く続いている体調不良を、発表会に向けて、なんとか改善しよう・・と、発表会の2、3日前から体調のcontrolを図ってみたので、発表会の荷物の搬入から搬出までは、何とか体力の維持は出来たのだが、千葉から椎名町に戻って、いざ、食事の時間になっては、流石に体力的に無理になって、食事の途中で、食事をやめて、ハイツに戻って、そのまま何もしないで、寝た。
ハイツに辿り着たのは、ちょうど、just12時のcinderella-timeであった。
routineのtoilette-timeで、bedから起き出したのは2時だったのだが、そこで椅子に座ったままで、one coolの1時間半も爆睡してしまって、寒くて目が覚めてしまった。
流石に3cool目は寝付きが悪かったのだけど、まあ、寝た事は寝た。
朝の5時半からはvideoのパソコンやDigaへの取り込み作業を開始した。
1カメから4カメまでの取り込みなので、平行作業をしても数時間は掛かる作業なのだよ。
とは言っても、付きっ切りではなく、同時に別の作業も出来るから、それ程大変な作業にはならないのだけどね??
5月10日トトロのマグがまた割れた!! ·
普段使いと言うか、愛用のトトロのマグカップがまた割れた!!
超Shockだ!!人生、最悪の日だ!!
これで何個目だろうか??
絨毯にお茶が溢れたままの状態なのだが、証拠写真として写真を撮ろうと思ったら、そう言えば携帯は新教室に置いて来たままだよな??
じゃあ、仕方が無いので、代わりにデジカメで撮ろうと思ったら、充電切れでデジカメが立ち上がらない。
何をやっても上手く行かないのだよ。
今日は、兎に角、物が落ちる。
要するに、昨日の疲れが未だ抜けていないのだよな??
Digaに取り込んだvideoをcheckしながら、椎名町に今日のrotationの時間を聞く。
今日はbikeの給油をしなければならないので、遠回りで椎名町に移動しなければならないから、時間の計算が普段とは違うのだよ。
食事とドルプリっ歩を済ませて、ハイツに戻って来て、さてお茶を飲もうと思ったのだが、cupが無い。
絨毯の上には、お茶を吸わせたkitchen-paperが無残なままに散らばっている。
先ずはごみ捨てからだよな??
シンクの中には、薄汚れた使い回しの割れたcupが一つ・・というか、幾つかの断片がある。
そりゃ、そうだ。
さっき、割ったばかりなのだからね??
未だ掃除機を掛けていないので、絨毯が光っている。つまり、割れた欠片が残っているのだよ。
掃除機で掃除をしなければならないのだが、深夜なので気が引けてしまうのだけど、怪我をしては困るので、致し方はあるまい。
なるべくご近所の迷惑にならないように、speedyに掃除をする他はあるまい。
予備のトトロのmug-cupを出して、お茶を入れて飲んだ。
予備の予備はもう一個ある。
形ある物は必ず壊れるからね??
所謂、risk管理だよ。。
5月13日コロナワクチンの接種券 ·
今日は5月の13日の木曜日です。
今は深夜の4時を過ぎた所なのだが、寝直そうとして再び布団に入ってたら超寒くて、眠れないのだよ。
余りにも寒いので、netで練馬区の気温を調べてみると、何と16°もある。
それにしては寒さが酷いので、合いの羽毛布団を、出しっ放しになっているフカフカの毛布に交換をした。
これでやっと暖かく眠れるだろう・・・かナ??
発表会が終わってから、もう既に4日も経っているのだが、この4日間は体調のリハビリと、videoの編集とYou Tubeへのuploadの作業で終わってしまっている。
昨日は、コロナのワクチンの接種券がハイツのポストに入っていた。
開いて見たのだが、読むだけ面倒くさい。
行政の文章らしく、接種の予約と、問診に関して・・と、病院を選択する場所が、それぞれ独立した別々のチラシに書かれていて、それらの予約をするための時系列が書かれていない。
お役所の人達は、担当なのだから「読めば分かるでしょうが??」と言うのかも知れないのだが、私の場合には、色々な病院に掛かっているので、私のhome-doctorの居る病院はどこになるのだ??
全部専門の病院なので、問診だけでも先生が病院に診察に来るのは週一の予約になるのだよ。
当てずっぽうに何処かの近所の個人病院に行けば良いのかよ??
そこで問診を受けてその病院で予約を取れば良いのかよ??
じゃあ、何のためのnetの予約なのだよ。
病院には無許可で予約を取るのか?
手順が手順になっていないよな??
まあ、いつもの事ではあるのだけどな??
掛り付けの病院・・って言っても、全部の病院が手術可能な大病院なので、電話して、先生とcommunicateするのも、大変なのだよな??・・・と言うか、事実上は出来ないのだよ。
・・てな事を愚痴りながら、取り敢えずは、書類に書き込む所を書き込みながら、文章を確認して行くと、「基礎疾患で病院に行っている人は予約を取る前に、主治医に相談をしろ!」という一節があった。
主治医と面談するには、予約を取らなければならないし、主治医が病院で外来の問診をするのは、毎週水曜日の一回だけなのだよな〜あ?
外来でなければ、月曜日も病院には見えられているようなのだけど・・・??
病院に問い合わせて、話を聞いて貰ったのだが、病院の受付がコロナの接種のお達しを理解していないので、対応が全く出来ないのだよな??
政府のお達しを理解していないとは言っても、個人の病院ではなく、練馬区の大病院で、集団接種をする病院でもあるのだがね??
それにこの病院は、以前には、cluster感染で大勢の感染者と死者を出した病院なのに、ワクチン接種の手順を説明出来ないとは、コロナに対して、懲りていないよな~ぁ??
先生のご都合もあるだろうから、受付で、先生のいらっしゃる月曜日に先生に確認をして貰う事にして、私は、何も動かなくて、取り敢えずは月曜日まで待つ事にした。
私的には、近所の個人病院でお茶を濁したいのだが、掛かり付けの病院という事ならば、まあ、今は練馬区内の病院は、そこの病院にしか行っていないのでね??
『あたし、ま~つ~わ~!いつまでも、ま~つ~わ~!』
それは困るよな〜あ?
time-limitもあるだろうからねぇ?
あれ•••??
今まで、何の仕事をしていたのだっけ??
忘れてしまったぞよ??
電話が鳴るまでは、隣の部屋で何かをしていたのだよな??
隣の部屋で、していた事となると•••??
5月15日『芦塚先生はコンクールを否定していて、生徒達をコンクールに出さない』・・という噂話しについてのお話 ·
父兄の間で、生徒達が『コンクールに出たい』と希望しても、芦塚先生のpolicyでコンクールに出して貰えない・・と、思っている人達がいる・・という噂話しを、保護者の人達から聞いて、「何処から、そういった勘違いが出たのか??」・・と、驚いて、理解と判断に苦しんだ事があります。
「コンクールを受けたい」と希望する生徒が立て続けに、その噂話しを信じて、他の教室に替わったからです。
私としてはその生徒達から「コンクールを受けたい」という相談を受けた事は無いし、勿論、当然の事なのですが、「コンクールを受けてはいけない」と生徒に言った覚えはありません。
寧ろ、「コンクールを受けて見たら??」と誘った覚えはあるのだけど、「嫌だ」と断られた記憶はあります。
私がコンクールを否定している・・という噂話しは、保護者の間で、先生に対しての忖度としての噂話しの延長なので、私の預り知らぬ事なのですよ。
そもそも昔は、教室からコンクールに出演する子供達が多かったので、地方予選や本選の賞状は数限りなくあったので、全国大会で入賞した生徒達に限って、コンクールの賞状を花園教室に貼り出していたのですが、それでも、入賞する子供達が多かったので、花園教室の壁一面に貼る場所が無い程になってしまって、流石に、壁の全面が賞状だと見苦しいので、賞状の殆どを倉庫に保存して、その中の1,2枚だけをコンクールの入賞のsampleとして教室にdisplayにする事にしました。
花園教室の入口の扉の上にあった先生達の賞状と星那さんの賞状です。
同じコンクールのその年のその回での全国大会で、複数の生徒を入賞させたので、私や牧野先生も指導者賞というのを戴いてしまいましたので、その賞状も飾っていました。
だから、私が「コンクールに生徒を出さない」という噂は眉唾である・・という事は教室を見れば分かる事だったはずなのですが、昔々から、人は自分の目や先生のお話よりも、噂話を信じるのですよね~ぇ??
コンクールの事に限らず、一般の社会に流布するこの噂話には、困ってしまうのですがね??
対外出演やコンクール等で多くの生徒達を入賞させるようになると、近所の音楽教室や父兄の間では「あの教室は、入会するのにはとても厳しいtestがあって、入会出来ても、とても厳しいlessonが待っているので、親も子供も泣きながら、lessonを受けなければならない・・という、一般の人はとても耐えられない教室ですよ。」という噂が流れて、教室に入会する人が極端に減って、困った事がありました。
教室の保護者の人達がその噂話しの払拭に努力してくれたのですが、誰も信じてはくれなかったそうです。
日本流の水準が高い教室はlessonが厳しいという常識で判断するからなのです。楽しければ、上手くなる・・なんて信じる人はいないからね??困った事です。
教室の先生達が学んで来た芦塚methodeでは、「lessonで演奏出来なくても、生徒を叱ってはいけない。」「練習して来なくても、怒ってはいけない」という、確固とした先生達へのruleがあって、練習して来なくても、先生と一緒にlessonで練習する事に因って、大学生ともなると、それなりに難しい曲を弾き熟せるようになるのですよ。
つまり、継続は力なり(time is power)なのですよ。
だから、先生達が目くじらを立てて、怒り巻くってlessonをするというような日本的な風景は私達の教室のlessonでは見られ無いのです。
それこそ、私のpolicyなのですからね??
でも、人の噂も、75日では消えませんでした。
・・という事なので、「猫も杓子も」コンクールに出すのはやめにして、『その生徒が音楽への道を歩む』という前提がある場合に限って、コンクールに出す事にして、一般の普通の趣味の生徒をコンクールに出す事は、推奨しない事にしました。
とは言っても、・・・まあ、それも建前に過ぎないので、一般の音楽に進む事を決めていない趣味の生徒でも、本人の希望でコンクールに出て、全国大会で入賞を果たした生徒もいます。
本人が望むならば、将来音楽へ進もうと、amateurに徹しようと、私には関係の無い事なので、ましてや、「コンクールに出たければ出れば良い」・・というのが私の本音であって、「コンクールに出たい」という気持ちを否定するつもりはありません。
つまり、私が生徒達をコンクールに出さないというのは、完全な勘違いに過ぎないのですが、一般の音楽教室のように、先生の方からコンクールに出る事を生徒へ薦める・・という事は極めて稀なので、それが教室の保護者の中で「私が、コンクールを忌み嫌っていて、生徒達をコンクールに出さない」・・という噂話しの元になったのかも知れませんよね??
『コンクールの種類』
私がお勧めしているコンクールは予選、本選、全国大会等の勝ち抜きのコンクールです。
私の場合には、コンクールのための追加lessonは基本的にしないのですが(勿論、希望があれば、追加のone lessonはします。但し、規定のone lesson料は月謝とは別料金になります。・・当たり前か??)
殆どの先生達、ほぼ毎日のようにlessonをして、それでコンクールに出場するのですが、それでも、中々コンクールに合格する生徒はいないと思いますよ。
教室の生徒達が追加のone lessonも無しに、コンクールに入賞出来るのは私が生徒達に課している「コンクールに出場する条件」に因るからなのです。
その条件こそが、取りも直さず『生徒達を100%確実にコンクールに入賞させる方法』なのです。
一般の音楽を学ぶ生徒達がコンクールに出場する場合には、通常は、コンクールに申し込んで、予選、本選の日にちが決まってから、その日にちに向かって、課題曲の練習を開始するようなのですが、私の場合には、もう既に演奏済みの、所謂、合格してる曲をコンクールで演奏させます。
それは課題曲が主催者sideで決められている場合でも同じです。
また、コンクールは予選と本選と、東日本と西日本の予選に、全国大会が更にあるので、曲は地方予選の曲から、少なくても2曲以上準備しておかなければなりません。
いやしくも、全国大会での入賞を狙うのならば、地方予選の時点で、全国大会の曲を仕上げておかなければなりません。
それは地方予選の水準と同じlevelで、全国大会を受けても、それでは水準に達する事が出来ないからなのです。
少なくても、地方予選や地区の本選の水準よりも、遥かに高い水準で曲を仕上げておかなければならないからです。
そういった曲がコンクールを受ける前に予め準備出来るlevelになったら、コンクールを受けて、全国大会まで勝ち登る事が出来るようになります。
でも、そういった事前の準備が出来ていなくて、コンクールを受ける・・という事は、コンクールで合格出来ない・・という前提の元に、コンクールを受けている事になるのですよ。
これが、私が言っている儚い夢なのです。
夢を見て、コンクールを受けるのならば、厳しい現実に直面して、挫折を感じてしまいます。
それこそ、音楽を勉強するのは二度と嫌だ!!という事になって、趣味としても楽器の蓋を開ける事は無くなってしまいます。
でも、それは、予め分かっている事なのですよ。
水準というものがあって、コンクールに入賞する事を希望するのならば、その水準に達しておく事なのですよ。
コンクールは入学試験と同じなので、夢を見る事は出来ません。あるのは、厳しい現実だけなのですからね??
『教室の範囲外の地方規模のコンクールや教育関係のコンクール等々』
そういったproを目指す人達が集まって来る、所謂、『全国の規模のコンクール』ではない、もっと楽に合格出来る地方のコンクールがあります。
しかし、地方のコンクールには色々と、地方独特の問題があって、以前千葉市でも新聞社主催のコンクールがありましたが、千葉の大御所の先生が審査員になって、その先生の生徒たちだけが、ミスをしようと、弾き直しをしようと、合格してしまって、その先生以外の生徒さん達で、とても上手な生徒たちが、落選してしまうので、次の年からそのコンクールを受ける人達がいなくなって、慌てて主催者が東京から紐付の無い審査員を呼んだのですが、時・既に遅く、3年目にはコンクールは無くなってしまいました。
地方や企業主催のコンクールでは、常に土地の大御所が地方を仕切っているので、全国大会を持つ規模の地方予選でも、公平性が取り沙汰される事がよくあります。
それに、地方予選で大御所の先生からの引きで、大きな全国大会に出場出来たとしても、関東関西blockから、全国大会への大規模のコンクールに出る人達は、音楽の道に進む登竜門としてコンクールに挑戦している人達が殆どなのですから、例え大御所先生の後押しで全国のコンクールに出場出来たとしても、そういったproを目指す人達と同じ舞台に立った場合には、水準に達していない生徒は舞台で悲惨な結果を生み出してしまいます。
だから、cleverな人達は、地方予選で或程度の成果を上げると、関東関西blockや全国大会を辞退する人達もいます。
挫折をするよりも、現実を優先する分けなのですよ。
初めてコンクールに出たいと思う人は、そのコンクールを、ちゃんと予選から本選までを一度聴いてみて、『それでも出たい!』・・と、確実に納得してから出演を決めるべきなのですよ。
そうすれば、コンクールでmissをしても、なんの問題も起こりません。
多くの保護者の人達はコンクールの意味を勘違いしています。
だから、私は、コンクールを受ける前の心構えのお話や、このコンクールの種類に付いての説明もFacebookやhomepageで、何度もお話をしているのですが、噂話しは聴く事があっても、実際の現実のコンクールを調べて見る事は無いのですよね??
保護者の人達は夢と現実がごっちゃになって、色々な種類のコンクールがあっても、そのコンクールの違いや目的を理解されないままに、「コンクール」と十把一絡げで同じコンクールのように解釈してしまっているように思われます。
つまり、コンクールとは言っても、その種類は多種多様あります。
そのコンクールの種類の定義と目標を知っておかなければなりません。
10、コンクールがあれば10の種類のコンクールになってしまうので、その一つ一つを詳しくお話する事は出来ませんが、全体的に取り纏めて、簡単にお話をしておきます。
『コンクールの種類と多様性』
コンクールには、趣味の人達でも合格出来るコンクールや、amateurを対象としたコンクールがあります。
その違いの一番簡単な差別化は、コンクールに出演する人達の住まいの範囲でしょうかね??
一番狭いコンクールで、しかも子供達に取ってや、保護者の人達に取って一番身近なコンクールというのは、学校が主催する教育の現場の世界のコンクールのお話でしょうかね??
先ずは、学校の中の、しかも学級単位のコンクールでしょう。
次は学校の中で・・、その次は市が単位になって、その次は県!
ここまで行くと、「凄い!!」という事になるのかな??
次のブロックは西日本と東日本で、最後に全国大会になります。
私が高校生の時に大学病院に入院していた時に、お見舞いに貰った鉢植えの花を、色鉛筆で書いたのですが、それを友人が私に内緒で社会人のコンクールに出品して、その花の絵が、西日本ブロックで入選した事があるのですよ。
小学生の時から中学生まで、私は絵の授業の成績は、万年赤点だったのですがね??
「高校??」・・高校では絵の授業は取っていません。
選択教科は音楽を取ったのでね??(・・ああ、そう言えば、確認をしておきますが、学校のコンクールではなく、一般のコンクールです。私は入院中だったので、実際に展示された絵は見ていないのですがね??)
しかし、残念ながら、もし、学校のコンクールで全国で1位になったからといっても、学校のコンクールでの一位の入賞では、社会的なprofessionalなコンクールでは、とてもとても、予選すらも通過出来ないでしょう。
学校の中のコンクールは、教育上の教育界のコンクールであって、社会に認知されているコンクールではないからなのです。
教室の高校生の生徒で、テニスで千葉県で2位になった生徒がいました。
彼に「将来はテニス・プレイヤーでも目指すのか?」と尋ねたら、「千葉で1位の生徒は、半年の海外テニス留学をするのですよ。1位と2位だけど、全く別世界なのですよ。」と嘆いていました。
テニスのproにはなりたいのだけど、経済力が続かないそうです。
私は音楽の先生なので、テニスの世界のお話ではお助けのしようが無いよな~ぁ??
そういった国体等のコンクールや、企業主催のコンクールでも全国大会を持つコンクールがあります。
日本では最も権威のあるコンクールとされるコンクールでも、音楽界の重鎮の先生達が、予め、コンクールで一位になる生徒を先生の持ち回りで決めているコンクールがあって、その予選を聴きに行ったのですが、私の周りの女の子達が「次の子が、今度入賞する生徒なのよ?」と言っているのを聴きました。その生徒の時だけは、予選なのに、満席になって、次の生徒の時には、数人の人しか席に残っていなかったのが、妙に印象に残っています。
それよりも更に遡って、私が未だ留学中の話なのですが、私がドイツから、そのコンクールの作曲部門を受ける予定で、作品を郵送した後で、事後承諾で、重鎮の先生である私の恩師に、コンクールを受ける了解を取った時に、先生から、「あなたがコンクールを受ける事を1週間前に、知っていたら、コンクールで一番にしてあげたのに・・」と非常に、怒られてしまいました。
その後、N響の岩城さんに、お会いした時にその話をしたら、「予選で撥ねられる作品は、よっぽどの駄作か、よっぽどの秀作なのだから、part譜を書いて持って来れば、N響で演奏してあげるから!」と言われて、2週間の時間を貰ってpartの作成に取り掛かったのですが、その時に、Genzmer先生が言った言葉が思い出されました。
「Hindemith先生は、実に勤勉な人で、画家マチスのpart譜を1月で書いたのだよ!!」という言葉です。
私は2週間貰って、たかが10分程度のorchestraの曲のpartを作れなかったのですよ。
という事で、岩城さんとのmeetingの約束をすっぽかしてしまいました。考えると未だに冷や汗が出てしまいます。
岩城さんごめんなさい。代わりに今でも、指揮棒は岩城modelを使っていますよ。アハッ!
当時は、finaleなんて便利なものも、computerさえも無かったanalogの時代だったのでね??
part譜を作るのも手書きだったのですよ。
これは日本では、一番権威のある音楽コンクールのお話でしたがね??
まあ、コンクールなんてそんなもんなのよね??
同じ全国大会のあるコンクールでも、企業が運営しているコンクールがあるので、その選考基準もその企業の方針に寄って評価されます。
学校のコンクール等でも、当然、文科省の紐付けがあるので、コンクールの審査の基準は主催側の方針に拠るのです。
学校のコンクールでも全国大会のあるコンクールはあるのですが、それは音楽の世界とは隔絶した学校教育上の評価しかないので、professionalな音楽界で学校教育界で受けたコンクールの評価が、評価の基準にされる事はありません。
また、音楽コンクールで全国の入賞を望んで努力を重ねる人達は皆proになる事の登竜門として、コンクールを捉えているので、一般の人達のコンクールに対しての考え方とはその根本が違っています。
つまり、コンクールに入賞出来るのであればどんな努力も金銭も惜しまない親子の集団なのです。
そして、一位を獲得出来るまで、何度も何度も挑戦を重ねて行くのです。
Europaの小さな村のコンクールで、「こんな田舎のコンクールならば、日本人は誰もいないだろう?」と思ってコンクールを受けたら、小学生の時からのいつものmemberが全員居た!という笑えない・・笑い話があります。
皆さん、コンクールの履歴を付けるために必死なのですよね??
Pianoが上手いから・・violinが弾けるから、あわよくば・・という理由でコンクールを受ける人達は、コンクールの世界では、論外中の例外の、門外漢なのですよ。
コンクールに出るのであれば、同じコンクールを受ける人達が自分の将来、音楽家としての未来を掛けてコンクールに出演しているのだ・・という事を理解して、コンクールに参加しなければ、大恥を掻いてしまいます。
コンクールでは、日本のコンクールや世界のコンクールに入賞して、更にproを目指す人達が受けるコンクールがあります。
所謂、国際コンクールです。
その中でも頂点に君臨するのが、violinのTchaikovsky-concoursと、PianoのChopin-concoursでしょうかね。
日本のある音楽雑誌で過去20年間のコンクールの入賞者の名前を列挙した雑誌がありました。
そのコンクールでの1位入賞者の中で、現在でも一流の演奏家として世界に名前を知られている人は、ほんの一人、二人しかいないという事に、愕然としてしまいました。
正に、コンクール・ピアニストとしては、一流だとしても、professionalの音楽の世界では生きてはいけない・・という事の証明でした。
(勿論、このお話は、自称一流の演奏家の人達のお話は含まれていません。自称ならば、猫も杓子も一流になれるからね??)
Genzmer先生の言葉では、その人がproであったか??、一流の芸術家であったか??は、その人の死後、歴史が決める事で、本人や社会が決める事ではない・・という事でしたよ。
『例外として、水準に達していない生徒をコンクールに出す場合』
私の場合にも、生徒がコンクールに出るだけの水準に達していない生徒の場合なのですが、「どうしても将来、proの演奏家になりたい」とか「音楽の世界で生きていきたい。」と、希望する生徒に対して、同じ年代のproを目指す生徒達の水準(Niveau)を理解させるために・・や、proを目指して、コンクールに出ている人達の意識や心構えを教えるために、例外として、その生徒がコンクールの水準に達していなかったとしても、コンクールに生徒を出した事があります。
その時には、周りの人達から「よく出したわね?」と、驚かれ、「芦塚先生って、生徒思いなのね??」と、感心された事がありました。
つまり、「そのlevelで生徒を出すという事は、その先生のlevelがその程度に低い」と思われてしまう・・というriskがあるのだから、そのNiveauに達していない生徒をコンクールに出すという事は、通常の先生達の間では、prideの問題で、絶対に有り得ない事だからなのです。
私自身は国際コンクールで1位に入賞した経験が有る分けなので、当然、『それを承知で、生徒を敢えて出す』という事なので、先生の尊厳を否定されても構わない・・という勇気が相当なものだ・・という意味なのですよ。
まあ、私の自画自賛は兎も角としても、それでNiveauに達していなかった生徒が、二度と立ち直れなくなって、音楽の世界から身を引く、・・所謂、挫折をする・・という危険性のある賭けなので、生徒に対して、余程の信頼を持っていないと、出来ない賭けである事には違いはありません。
『コンクールの延長線上にproがいない・・という理由』
コンクールの審査は、複数の審査員が採点するので、コンクールで100点を取るという事はありません。
音楽の評価は一人一人の審査員で違うからです。
コンクールの採点では最高得点は80点から90点までの間でしょうかね??
コンクールで競うのはその80%までが、技術点になります。
だから、コンクールで1位に入賞出来たからと言っても、それでproとしての将来が約束された分けではありません。
世界で活躍している人達の殆どはコンクールの入賞歴を持っていない人達なのですが、それはコンクールを受ける前から演奏活動をしているからに他なりません。
proとして演奏活動をしている人がコンクールを受けると思いますか??
それは余りにもコンクールの水準を理解出来ていない人達です。
日本人の人でTchaikovsky-concoursに一位で入賞した人がいます。世界最高のコンクールなのですが、その人は外国の音楽大学に入学し直して、基礎から勉強をしていましたよ。
奢らない人ですよね??すばらしい!!
Alfred Denis Cortotという名pianistがいます。否、神様かな??
優れたお弟子さんを育てた人でもあります。
彼の名を冠したコンクールで審査員として行った時に彼が言った名言があります。「このconcoursを私が受けたら、私は予選も通らなかっただろう?」
concoursの水準の高さを言ったのかな??
否、私にはただのironyに聴こえるけれどね??
但し、proの人達が、コンクールに出なかったとしても、コンクールに出れば1位になれる水準(技術)を持っている事は当たり前の事です。
しかし、proとして音楽界に君臨するには、その人の個性が必要になります。個性の無い技術だけのpianistの事をEuropaではコンクールpianistと言って馬鹿にしています。
日本では個性的な演奏をする事は極端に忌み嫌われますので、日本の演奏家集団はコンクールpianistやコンクールviolinistの集まりに過ぎません。
本当の一般の社会でも通用するような、professionalな演奏家を育てるには、concoursをproへの登竜門とする音楽界を否定しなければなりませんが、日本のClassic業界そのものが、個性を尊重するような時代にはなっていないので、proが日本で育ってくるには未だ数百年は待たなければならないのかもね???
でも、私的には、コンクールの功罪はあって、先程も言ったように、コンクールで重箱の隅を楊枝でほじる事を学ぶ事は、proを目指す過程の中の一つとしては、とても良い事であると思っているので、コンクールそのものを否定してはいません。
ただ、教室からproになった人達の多くは、コンクールを馬鹿にしている事が多いので、それが、「私がコンクールを馬鹿にしている」と勘違いされた元になったのかも知れません。
でも、お話をしたように、私は子供達の技術力や集中力を獲得させるためにコンクールを使って、そこで重箱の隅を楊枝でほじるような練習をさせる事が、よく(?時折??)あるので、必要があれば積極的にコンクールを活用します。
歴代の先輩諸氏の生徒達がコンクールで全国での入賞をしているのは、その指導の結果論になります。
コンクールはただの減点法なので、重箱の隅を楊枝でほじれば良いだけなのだから・・です。
だから、私が指導した教室の生徒達の殆どの人達は、コンクールの合否の発表を見ないままに会場を後にしてしまいます。
減点法なので、自分の得点が分かるからです。
「私が示したcheck-pointの何%がちゃんと弾けたか??」が分かれば自分の得点が、発表される前でも自分自身で分かるからです。
だから、生徒達も、コンクールに対して、無駄な夢を見る事が無いのです。
「ひょっとしたら、合格したのかな??」という風な儚い夢・・です。
しかし、コンクールでは周りの得点も低い場合が多いので、それでも、合格してしまう事がありますが、それで喜ぶ生徒もいません。つまり、自分が満足の行く成果を上げる事が出来なかったからなのです。
そこまで、しっかりと意識を持つ事が出来れば、コンクールを受けても弊害にはなりません。
教室の先輩諸氏の皆さん達は、コンクールに対しては、冷ややかなものです。
つまり、出来なかった事は、出来なかった・・に過ぎないのですよ。
そこまでの水準に達すると、コンクールに対しての見方も、覚めたものになってしまいます。
それに、もっと大切な事は、コンクールに入賞出来たからといっても、その生徒の将来が約束された分けではありませんし、その曲を演奏する技術に到達出来た分けでも無いのです。
コンクールに入賞させるのは先生の指導力と技術であって、生徒の技術や表現力では無いからなのです。
だから、私がいつも言うように、コンクールは先生達の生徒指導の力量を試す場であって、生徒の技術力を示す場では無いのです。
生徒がコンクールに合格出来るか否かは、先生の与えたcheck-pointを何%clear出来たかに過ぎないのですからね??
コンクールではなくて、その子が将来的にproとして生活出来るようになるか否かは、直ぐ分かります。
その子の音楽に対する価値観がその子自身の価値観である場合には、その子の音楽には魂が入ります。
つまり、魂のある音楽を表現出来るようになると、技術力は兎も角としても、充分にはproとしての資格を持つ事が出来るのです。
ドイツの名車であるフォルクスワーゲンなのですが、見えない所には、手間を掛けていません。
日本の車のように、見えない細部まで丁寧に仕上げている車とは大違いです。
Europaの多くのPiano等も全く同じで、見えない箇所には、全く手間を掛けていません。
どんな細部にまでも、手間暇を惜しまない日本の製品とはえらい違いなのですよね??
「それがコンクールと何の関係があるの?」
という事なのですが、日本の音楽家の場合のは、細かい細部まで上手に音楽を作り上げているのですが、肝心要の音楽が無いのですよ。
凄い可愛い女の子のviolinistがいて、演奏をしているのですが、とても上手で完璧に演奏をしているのにも関わらず、何かが違っているのです。
よくよく注意して聴いて見ると、phraseのmelodieに言葉が入っていないのですよ。
美しくて美味しいのに、二度と食べる気にはならない。今日だけで充分なのだよな??そんな料理の感じです。
国際コンクールで特賞を取ったパテシエのお菓子・・・、美しくて、とても美味しいのだけど、一度だけで満足・・・という感じなのですよ。
「毎日でも食べたい」・・、そんな気にはなれないのです。
コンクールの音楽家達の殆どは、そのまま、忘れ去られて行くのです。
コンクールはそれをきっかけにして、音楽家への登竜門にすると良いのだけど、それが出来る人達は非常に稀だし、そういった人達はコンクール等は鼻にもかけないのですよ。
コンクールに間違えた期待を掛けて、「コンクールに合格するとproになれる」・・とか、「有名になれる」、と思っている人がいたら、「それは、間違いですよ。」と正しているに過ぎません。
コンクールを目指す余りに、音楽への道を踏み外している人達が多いのが現実なので、コンクールを受けたいと希望している人に、コンクールの意味を説明しているのに、過ぎないのですが、それが、『私がコンクールそのものを否定している』という事になっているようです。
音楽とは、語りかけなのです。
語りかけの無い音楽は所謂、魂の無い音楽なのです。
演奏には二つのstyleがあります。
演奏家が自分の感情を音楽に託して演奏する場合と、演奏家が作曲家の感情を聴衆に代弁して行くstyleの二つです。
日本人の若くて可愛い女の子が一生懸命に演奏をしているのに、美しいのだけど、音楽が伝わって来ません。
楽しいのか?悲しいのか?暗いのか?明るいのか?さえ分からないで、ただ単に美しく弾いているのですよ。
今時のロボットでもそういった演奏はしないのだけどね??
困った事です。
もっと、最悪な事は、音が箱の音なのですよ。楽器の音ではなくて・・ね??
5月15日『アフレコとアテレコ』 ·
アフレコとアテレコは良く混同して使われる事があるので、定義をしておきます。
アフレコとはafter-recordingの略で、撮影したvideoの上に音を重ねて行く事を言います。(その場合は、元の音声はそのままで、その上に重ね録りをします。)
当てレコは、日本語の『当てる』とrecordingの合成語で、animationでのcharacterの会話や、映画の日本語訳のように、配役の口の動きに合わせて言葉をrecordingする事を言います。
私がaround30歳の頃の時代では、未だvideoというものがこの世に存在しなくて、film-cameraが主流だったので、音楽の録音の場合でも、映像をcameraで撮影してから、録音だけは録音としてStudioで録音をしていました。(同時に音声も録音すると、cameraのmotor音が録音されてしまうからです。)
その頃は、未だ音楽教室を作る随分以前で、日本に帰って来たばかりの頃の話しなのですが、学研から、突然「Pianoの可愛い高校生の女の子を貸してくれ」とofferがあったのですが、その当時は未だ生徒は基本的には教えていなかったので、手持ちの中学2年生の女の子を「高校生に見えるかな?」と言いながら、連絡を受けた2日後に、HallとStudioのある会場に連れて行きました。
最初の予定では、「Beethovenの月光の曲とか、Chopinの子犬のwaltzとかいう有名な曲を撮影したい」という話だったので、2日間で、その2,3曲を準備して行ったのですが、Hallで撮影する段階で、「絵的に、曲が気にいらない」・・と言う話で(録音staffの人が自分で決めたのも関わらずなのですが、業界の人は常に我が儘なのでね・・・??)Hallに付属している売店で、他の曲の楽譜を買って来て、「この曲でお願いします。」という無茶振りでした。
中学生、高校生ともなると、音楽を目指す子供達は、有名大学の教授達の生徒に数多くの優れた子供達がいる・・とは思われるハズなのですが、そういった優秀な子供達をさておいて、私の所にofferが舞い込んで来たのは、私が指導している子供達の初見力・・というか、初見の暗譜で演奏するずば抜けた力量だったのですよ。
・・という事で、当日、連れて行った女の子も、まあ、初見の暗譜は、全く問題は無い子供だったので、その場で渡された楽譜も難なく弾きこなして、舞台でのcamera撮影が終わって、今度は、Studioで、その曲の録音になったのですが、確認のために、3回程、録音をした後で、staffの人達が驚いて、「流石は芦塚先生の生徒さんですね??3回とも100分の1秒のズレもありませんでした。」と絶賛していました。
という事で、恙無く録音録画が終わったのですが、後日には、videoのtapeとしても、高校の教材として配布されたので、私も完成した動画を見る機会があったのですが、どう見ても、やっぱり中学生にしか見えなかったので、冷や汗ものでした。
当時の生徒は大学生だけで、子供は基本的に教えていなかったので、私が指導している子供の生徒は、中学生の3人しかいなかったので、致し方は無かったのですよ・・・ね??
教室を開いた頃からは、βの巨大な録画機器とvideoのcameraが発売されて、非常に高価だったのですが、購入してlessonの風景や、発表会での演奏風景を撮影しました。
勿論、よっぽどの家庭を除くと、一般家庭には未だvideo-cameraを持っている家庭は、非常に少なかったので、最初の時代には私が自分自身の指導のための勉強のために撮影していたのですが、その後、videoのrecorderが一般家庭にも、購入されるようになっても、流石に、各家庭でvideo-cameraを持つ事は稀だったので、希望者には、発表会の録画のtapeを実費でお分けする事にしました。
その後、βやVHSの時代から徐々にcompact-video-cameraの時代に変わって来て、業者sideでも、写真の撮影と同様に、発表会のvideoを生徒たちに販売する事が一般的になって来たので、教室では、営利目的のvideoの撮影や編集の作業は、教室本来の仕事ではないので、videoの撮影と編集の作業は業者に委託する事にしました。
但し、一般の音楽教室の発表会の場合には、写真やvideoを販売する場合には、全体写真とその人の演奏の写真があって、基本的には発表会に出演した子供達の全員が写真を購入する事になっているので、業者を雇っても、採算が取れてその音楽教室には経済的な負担は無かったのですが、私達の教室の場合には、朝の10時開演で夜の8時終演では、生徒達を全体写真のために待たせて置く事は不可能なので、自分の部が終わった時点で帰っても良い事になっているので、写真やvideoの購入者も任意になってしまいます。
そのために、写真・videoの購入者が非常に少なくて、写真の業者から撮影を断られてしまいました。
その後、教室の保護者や関係者の人達に写真の撮影をお願いして教室で代わりに希望者には写真を売っていたのですが、手間が大変だし、営利目的でやっているように思われても嫌なので、教室としては、写真を撮影する事自体を止めてしまいました。
保護者の人達が勝手に撮影しているようなので、教室での写真撮影は不要だと思ったので・・。
同様に、videoも購入者が非常に少なく、業者の損失を教室が負担していたのですが、結局、発表会の経費としては、莫大な赤字が出てしまうので、業者と協議をして、videoの外部委託も止めて、教室での自主撮影をする事だけにしました。
教室でvideo-cameraの撮影をする・・という事は、結果的には私一人で作業をしなければならない・・という事なので、私に取っては大変な負担になってしまいます。
特に、4台のmulti-video-cameraで撮影して編集する作業は大変手間の掛かる作業なので、私としてはやりたくない作業なのですが、生徒一人一人の進歩の過程を残して置くという事や、生徒達が自分の演奏を客観的に見て、自分の勉強に役立てるためには、とても有意義な事になります。
音楽の勉強は色々な人達が演奏を見てからの話になります。
音楽大学等では、一般的には学生の対外演奏を禁止している所が多いのですが、それは学生の水準で対外出演をされると、学校の不名誉になってしまうからなのです。
しかし、音楽は人に話掛けて、説得をする、所謂、舞台と同じなのです。人の前で演奏する事が即ちその人の成長に繋がるのです。人の前で演奏する事無しに、その人の音楽が説得力を持つ事はありません。videoで演奏を公開する事は、その人が音楽の世界で羽ばたく限り、必ずその人の将来に繋がって行き、役に立って行きます。
ほんの少し前までは、自分の音楽歴を映像に残して、映像としての略歴を作る事は不可能でした。本当に今の人達は恵まれています。
私でも私の現役の頃の演奏の動画は残っていないのですよ??
また、このmulti-video-cameraの編集の作業を学ぶ事は、proとして音楽界で活動を続けるためには、その技術や方法を知っておく事は、大変な勉強になります。
私がいつも言っている事なのですが、proがamateurと違って上手なのは、videoの録画録音の撮影があるからなのです。
通常、recordingの作業のは、音楽関係以外の人達が集まって録音・録画の作業を進めて行きます。
10人のstaffがいたとしても、その中で、音楽家である人はpianist本人と作曲家、指揮者の3人だけで、後は、録音関係の人達やproducer達だけなのですよ。
またコンクール等を受ける人達に取っては、アフレコやアテレコの技術を学ぶ事は、proの演奏家達の音楽の作り方を学ぶ上での音楽技術の上達の基本となるので、とても重要な勉強になります。
私がmulti-video-recordingの技術を学んだとしても、私自身は演奏家ではないので、なんのmeritもありませんが、あくまでも生徒達への指導上の教育的な意味でのvideoの撮影と編集になります。
5月17日ワクチン接種の許可が出た ·
お昼過ぎに主治医の先生からの電話が直接あって、ワクチン接種の許可が出たので、早速携帯で申し込んだ。
パソコンではQRコードの読み込みが出来ないからだ。
passwordや接種券の番号を打ち込むのが、携帯では文字が小さいし、番号の確認も出来ないので、数字を打ち込むのに、チョッと手間取ってしまったのだが、10分も掛からない(電話が通じる迄には、予約の取る事の出来ない日にちが分からないので、当てずっぽうに日にちを開かなければならないので、非常に無駄なaccessでした。
最初から駄目な日にち以外の予約の取れる日にちをselect出来れば、selectするのには、ホンの2、3分しか、掛からなかったと思います。
予約が空いている一覧表に入ってからの、日にちの予約を取るのは、2,3分しか掛からなかったのですがね?)で登録予約が完了した。
超、楽であった。
という事で、今週は恰もまるで老人のように、病院通いの週になってしまった。
携帯だけで、人を介さないで、出来るというのは、とても楽で、負担が少なくて良い。
特に、私のような対人恐怖症の人間に取っては、人と会話をする事自体が苦痛なので、とても良い。
これで接種もロボットが全自動でやるともっと良いのだが・・??
今日のmain-eventが終わったので、「仕事modeに入ろう」とパソコンの前に座ったら、突然、体調不良になって動けなくなって来て、意識が混濁として来て、座ったままで眠り始めたので、慌ててbedで寝る事にした。
昨日は新教室のパソコンのbluetoothの設定が出来なかったので、急遽、千葉に車を出して、今まで買っていた小物を使用してbluetoothの復活を試みたのだが、出来なかったので、疲れが溜まってしまっていたらしい。
突然virusが入って来て、McAfeeがとんでもない事を始めたので、急遽installを中止して、Security0をdown loadしようとしたのだが、virusとMcAfeeが邪魔をしてdown load出来ないので、disc 版を購入する事にした。
virus-busterは入れていたハズなのだが、hard-diskを交換した後で、virus-busterだけ、戻していなかったらしい。
いずれにしても、hard-diskをrenewalしたのだから、virus-busterもversionupしなければならないだろうしね??
5月19日再手術が決定した ·
昨日、5月18日の火曜日は、3ヶ月振りの川崎の病院での検査でした。
検査結果は・・・???
いや~ぁ、超、Shockだよな??
前回の検査で、疑わしい・・と思われた所が、完全に再発して、またまた、二泊三日の手術になってしまいました。
今回は、コロナ対策のために、色々と複雑な検査や準備があって、病院での検査内容も複雑怪奇です。
それとは別に、コロナ・ワクチン接種のtimingと歯医者や糖尿病内科の外来の診察とも全部被って、double-booking所ではなく、tripleもquadrupleもダブってしまいました。
いや~ぁ、今日からは、病院に電話を掛けまくって、予約の変更をしなければならない。
病院間の調整が大変だ。
コロナ対策で、今日からの体温を術日まで毎日計って書き込んだり、入院の前の日に、コロナ検査をしたりで、今までは、見た事もない手順だよな??
それに、前回の入院の時は、晩秋から冬だったので、病院での寝巻きも冬用だったのだけど、今回は6月なので、夏用の寝巻きがないぞ??
病院で借りたのは小さくてつんつるてんだったので、慌ててスーパーで買って来たのだよな??
それに病院は何処も、スリッパ禁止なのだよ。
転倒するからなのだそうだ。
以前買ったナースシューズは、足が狭くて長時間履いていると痛くなって使えないのだよな??
それにしても、プリドルっ歩を済ませて、深夜1時過ぎにハイツに戻って、一人になってからは、少し落ち込んでしまって、眠れなくなってしまったのだよな??
早く仕事を始めて、仕事modeに戻らないと鬱が起こってしまうよな??
5月21日[violaとcelloのduo] ·
今日は5月21日の金曜日です。
今回、発表会で瑞希ちゃんと珠加ちゃんが弾いてくれた、私の『violaとCelloの二重奏曲集』の中の第一番の楽譜のお話なのだが、私がこの曲を作曲をしたのは、1976年5月5日の30歳の時なのだが、当時はnotationのsoftであるfinaleが無かったので、・・という事ではなく、パソコン自体が未だ一般的ではなかったので、当然、楽譜は全て手書きの原稿をそのままcopyしていた頃の時代の譜面である。
手書き譜は、出版されている楽譜のように、(或いは、パソコンで入力した画面のように・・)音符の単位で書かれている(音符が2段でも拍の単位で上下の音符が整合性を持って書かれている)分けでは無いので、私のようにfacsimileの手書きの楽譜を読み慣れている人間は別として、手書き譜を見た事がない人達にとっては、拍子感や拍のimageが直感的に見えないようで、今回のduoの第一番も、譜読みには、苦労したようだ。
基本的には、私達作曲家は、習性上楽譜を書く時には、原則として横に書いて行くので、縦のlineが合わない・・という事がよくあるのだよ。
勿論、私達も楽譜を書く時にはそれなりには、注意して書いてはいるのだけどね??
今回の私のduoの楽譜は、手書き譜を見て演奏をするという事なので、手書きされた楽譜からは、拍(rhythm)のimageが沸いて来ないらしい。
という事で、今回のduoの演奏にあたって、Celloを担当した珠加ちゃんが、自分の演奏のために、finaleに入力をしてくれたのだが、手書き譜を入力するのは作曲者本人でないと、なかなか難しいものがある。
発表会は終わってしまったのだが、videoの撮り直し・・という事で、昨晩、珠加ちゃんからfinaleに入力をしてくれた楽譜のlineで送って貰って、そのfinale-dataの手直ししながら、「どうせなら、第二番も・・」と、欝に任せてfinaleに入力作業をしてしまった。
記譜上は、第一番よりも第二番の方が複雑なrhythmになるからだ。
私は、一応は作曲家でもあるので、finaleの入力の速度は極めて速いので、2時間程度で、朝の9時前には、入力が終わったのだが、まあ、改めてfinaleで初めて自分の曲を視聴して見ると、なんと、鬱々で寂寥感に溢れた曲である事よ❢❢
未だ、若さに溢れていたアラ・サーの時代でも、私は欝に浸っているのだよな~ぁ??
マジ、産まれついてのpessimistだなや〜??
若い頃に作ったこの曲が45年経った今も、しっくりと来るのは、人間、45年経っても何も進歩していない・・という事だよな~ぁ??
なにを、今更、言っているの・・・?
って言われそうなのだけどね~ぇ??
それにしても、finaleでのパソコンの音源では、演奏がカクカクして、melodieの自然な歌い込みが全く無いよな??
いかにもロボットの音源という感じだよな??
finaleって、パソコンのくせに、3連音さえも、満足に正確に、ちゃんと弾けないのかね??
3連音が、初心者のように、すっかりよたっているよなぁ?
困ったものだ。
まあ、finaleはnotationのsoftなので、演奏は付録に過ぎないので、致し方は無いのかな??
音もdigitalの音で薄っぺらで聴くに堪えないし、な~ぁ??
duoの第一番の方は、撮り直しとvideo-dataの編集が終わり次第、生の音でお伝えする予定ですが、第二番の方は今の所、アテがないので、気に食わないけれど、取り敢えず、パソコンの音源でupして起きます。
勿論、出来れば、二番の方も、なるべく早くに、生の音にしたいよな??
芦塚陽二作曲violaとCelloのための二重奏曲集より第二番『寂寥』 - YouTube
5月22日『前の文章から』 ·
この文章は前の文章の続きになります。「21年の5月の21日の金曜日」の文章と同じ日に書いた文章です。
•••てな事を書いて、朝の11時頃になって、突然、眠くなって来たので布団で仮眠を取ったツモリが、夕方の4時ぐらいまで爆睡してしまった。
熟睡出来なくて苦しんでいるのだから、当然、「善哉!善哉!!」・・となるハズだったのだが、体内時間が狂ってしまって、どうしても朝と夕方の区別が付かなくって困っていたら、突然、強烈な鬱に襲われてしまった。
超、お久しぶりの、いたたまれない絶望的な鬱である。
はてさて、どうやって、この鬱を逃げようか??
先ずは普段の鬱対策で、鬱々Koncertを聴きながら、雑用を片付けた。
しかし、私の鬱々Koncertも全くの効果は無しだ。
お酒に逃げるのも、明日の22日の土曜日はコロナの接種日なので、チョッと問題だし、・・
という事で、かなりの集中力を必要とする作業・・という事で、私の「duoの第一番」の校訂と動画を作ってYou Tubeの隠しsiteにuploadする事にした。
という事で、さっそくfinaleで前に訂正をしていたハズのdataを開いて見て、折っ魂消た!!
なんと、3連音や16分音符のlayoutが見た事のないような壊れ方をしている。
これはbugなのか??
かなりの部分を新たに入力し直さなければならないのだが、それは、余分な大変な手間暇が掛かってしまうぞなもし!!
どうやら、このbugはFinale同士のversionの違いで起こってしまったようだ??
America-versionのfinaleのsoftで開いてしまったのが、bugの原因のようだ❢
finaleへの再入力の作業をする中で、ついでに、気に食わないphraseの訂正もしてしまった。
瑞希ちゃん達が弾いたversionとは、いつものように、変わってしまった。
これは作曲家のサガだよな??(と言うか俺の・・??)
と言うか、全ての職人の・・だよな??
まあ、いずれにせよ、finaleの見た事もないbugの所為で、近年来無かった超絶な鬱がぶっ飛んでしまったのは、助かったよな??
芦塚陽二violaとCelloのための二重奏曲集より第一番「悠遠」パソコン音源 - YouTube
5月22日教育は私の天職ではない ·
私は日頃から「教育者には向かない」「教育は私の天職ではない」・・と、周りの人達に言い続けている。
世間の勘違いでは、私が音楽の才能のある生徒だけを依怙贔屓をして育てているように言われている事もあるのだが、それは勘違いも甚だしい。
音楽は全く同じに教えても、生徒の意欲に拠って、直ぐに伸びる生徒と、全く伸びない生徒がいる。
それは、学校でも塾でも同じである。
塾の場合には、熱心に勉強をして来る生徒達を集めて特別classを作って教えるのだが、そこに勉強しない、勉強に対しての熱意の無い生徒を放り込んでも、成績が上がる分けでは無い。
勉強が出来ない生徒は出来ないgroupで、手取り足取りの丁寧な指導を受ける方が効率が良いのだよ。
優秀な生徒を集めたclassでは、1を聴いて10を知る生徒達なので、勉強に熱心で無い生徒では授業に付いて行ける分けはないのだよ。
しかし、親は優秀な生徒を集めたclassに自分の子供を放り込むと優秀な成績を取れるようになる・・と勘違いをする。
学校教育では一般の生徒をみんな一般のように同じ指導をする事が公平なのだ・・という発想なのだが、それでは運動が苦手な生徒も、Olympicに出るような優秀な生徒も同じ教育をする事になるのだが、それは公平とは言わないのではないのかな??
私に対して、依怙贔屓を云々する人達は、公平の意味を履き違えているのだよ。
私に取っては、どの生徒であったとしても、私の言う事をちゃんと聞いて、私の言う通りに勉強をしてくれる生徒ならば、才能とは無関係にその生徒を伸ばす事が出来るので、私に取っては、生徒の才能の有る無しは関係はないのだから、依怙贔屓をする必要は無いし、生徒の実力も関係は無いのだよ。
つまり、私がある生徒に依怙贔屓をするか否かは、(本当は、依怙贔屓が出来るか否かは・・)その生徒がどれだけ音楽が好きで、音楽の世界にのめり込んでいるか??・・で決まるのだよ。
音楽に大して興味のない子に、器用な事を才能と勘違いをして、「才能がある」・・という理由だけで、私がその生徒を集中的に指導をしたら、その生徒は一瞬で潰れてしまうだろうよ。
音楽の場合には、(と言うか、学び事は全てそうなのだが・・)先生が生徒に対して、丁寧に、手取り足取り、より長い時間を掛けて指導したから、と言っても、それで生徒が伸びる分けではなく、逆に生徒がlessonに飽きてしまい、lectureに付いて行かなくなって、結果的には、潰れてしまうのだよ。
くどいようなのだが、私が生徒に対して依怙贔屓をする事が出来る場合は、その子供や親が私の依怙贔屓に対して、耐え得るだけの意思や、決意、熱意を持っている場合だけなのだよ。
つまりは、その生徒が自分の人生に対して音楽にどれだけ熱中しているのか??という事と、私が指導する事に対して、どれだけ熱心に自分の身に吸収しようとしているか??・・という話だけである。
これだけでは分かり難いと思うので、逆の言い方をすると、どんなに優れた優秀な才能があっても、・・或いは、音楽の演奏表現技術に優れていたとしても、音楽に対しての思い入れが薄い生徒に対しては、私もその生徒の自由に任せる事にしている。
昔々、私が毎週、直接子供達を指導していた頃は、音楽に進む生徒か、さもなくば、例え音楽の道に進まなかったとしても、勉学と同じ程度に音楽を勉強しようとする生徒達に限定して指導をしていました。
私は不真面目にlessonをする事が出来ないので、私が真面目に趣味でしか無い生徒の指導したとすれば、その生徒を潰してしまう可能性があるからです。
だから、或程度の意識を持った生徒でないと、怖くてlessonが出来ないのですよ。生徒を音楽嫌いにしてしまう事だけは避けたいのでね??
一人一人の生徒達も、lessonを受ける曲数も非常に多いので、1時間、2時間のlessonの間では、1,2曲しかlectureをする事が出来ません。
一人の生徒の持ち曲の数は10曲、20曲に及ぶ事があるので、1回lessonを受けると、次にその曲を見て貰えるのは2ヶ月後ぐらいになります。
つまり、半年coolのlessonでは、一曲を見て貰えるのは、三回ぐらいになるのです。
それで、完璧に曲を仕上げる事が出来るようにならないと、上級のlessonは受けられないのですよ。
私の場合には、出題する音楽の課題曲には到達すべきNiveauが必ずあるからなのです。
私が生徒に出す条件は、子供達の技術のlevelではありません。
私の言う事を真面目に聴いて、それを一生懸命にやってくれれば、子供の演奏する技術は全く問題にはしません。
熱心で有りさえすれば、全くの初心者でも良いのです。
音楽の楽しさや、音楽の厳しさ、音楽の奥深さを教えるのは先生の役割なのです。
だから、私の場合には、生徒の技術level(水準)は全く問題はありません。
Pianoを一度も弾いた事の無い生徒でも、私に取っては全く問題では無いのですよ。
Pianoが弾けるように、それを教えるのが先生の役目だからです。
私からBeyer教則本とCzerny30番を学んだら、その次には、ChopinのwaltzやEtudeを演奏する事が出来るでしょう。
ChopinのEtudeやRakhmaninovのpreludeは、MozartのSonateやHaydnのSonateよりも簡単だからなのです。
「私は教育者では無い」という意味なのだけど、私が子供達を指導する時には、「子供達への教育は、楽しい」・・「喜ばしい」という事もある一面、反対に非常に「苦痛を感じる事」が多くて、歳と共にそれが耐え難くなって来ているからなのだ。
つまり、私の鬱の原因の99%までは、音楽を指導する以前の、子供と家庭の教育に対しての、私とのgapに起因する悩みであり、それが原因となって引き起こされる鬱に苦しめられているのだよ。
つまり、一般の音楽の先生達のように、子供の教育を、その家庭に任せてしまって、その中で、可能な所までを指導する事でお茶を濁すのならば、私が鬱になる事はないのですよ。
所謂、悪い意味での『放下著』であります。
子供が「音楽の道に進みたい」と言うから、その望みを叶えようとすると、一般的な常識とぶつかってしまうのだよ。
ついつい、子供が望むのは音楽家になる・・という事ではないのかな??と思ってしまうからです。
でも、一般の人達が言っている「音楽の道に進む」という意味は、音楽大学に進学する事なのです。
でも、音楽大学に進学する事はproになる事ではありません。
美大を卒業したからといっても、proの絵描きに成れる分けではないでしょう??どうしてそれが分からないのかな??
それが私の子供を指導し始めてから40年間、延々と続いている一般の人達の勘違いなのですよ。
つまり、何度も口を酸っぱくして言っているように、音楽大学を卒業してconcoursに入賞して、留学して、日本に凱旋したとしても、その延長線上にproは無いのですよ。
どうして、皆さん、現実が見えないのかな??
不思議だよな??
だから、昔から楽器店の人に言われているように、「芦塚先生、生徒の面倒見が良すぎるのよね?」「生徒が『音楽に進みたい』と言ったら、芸大の先生の所に放り込めば良いのよ。」「そういたら、その先生の所で、脱落した生徒を回して貰えるわよ??」
それは分かっているのだけれど、それでも、どうしても子供が可哀想でね??ついつい、面倒を見てしまうのだよ??
でも、結果的に、教室をやめて、大学の音楽教室に行くのならば、結果は同じなので、私が頑張って、悩みながら、面倒を見る事も無いのだよな??
円満に「音楽に進みたい」と言った時に、大学の先生に紹介すれば良いのだよな??
そりゃあ、楽だよな!!
まあ、「大学の先生よりも、絶対に芦塚先生の方が良い!」・・と言った生徒だけを残して、指導すればlessonもlectureも非常に楽で、欝になる事もないよな??
なまじ、子供達に「日本流の間違えた教え方で学んで欲しくない」・・と思ってしまったのが、間違いだったのだよな??
どっちみち、音大に進めば日本流の演奏法になってしまうのだから、早いか・遅いかの違いだけだろうしね??
子供達が私から音楽の指導を受けて、音楽を勉強する事で、私自身が、鬱になる事は無いのは当たり前の事なのだよ。
子供が練習をして来なかったとしても、或いは、子供が音楽を大して好きでなかったとしても、それは本人の問題なのだから、それが私の心を乱す分けではない。
発表会で本人が勝手に練習をして、(つまり自己流に言われた事を守らないで・・)大失敗をしてもそれは本人の問題であって、俺の言う事を聞かなかっただけの事なのだからね?
それなのに、私は何故鬱になるのか??
その原因と言えば、私は子供を見る時に、その子供の未来の可能性を見てしまうからなのだよ。
つまり、その子供が一生懸命に努力を続けて行った時に、到達出来る水準を見る事が出来るのだ。
しかし、それはその子供が道草を食って、他の道に迷わなかった場合の話であって、殆どの子供達は、自分の能力の最大を引き出す事が出来ないのが現実なのだよな。
『ここから以降の文章は、全くの別文章で、子供への教育のお話とは関係は無く、専門家の指導の問題です。』
教育をする上で、常に相手が成長をする上での障害のpoint、所謂、neckになっている事が二つある。
その一つは整理整頓であり、もう一つは意識の持ち様(心の置き所)である。
これを日本に帰ってから弟子達に、或いは、教室を開いてからは保護者達や生徒達に言い続けているのだが、どうしても理解しては貰え無いのだ。
仕事には、同じ仕事を積み重ねて行く仕事と、毎回、approachから新しくなってしまう仕事がある。
仕事が増えて行くと、当然資料も増えて行く。
そこで、所謂、「出来る人」と「出来ない人」の違いは整理整頓の技術である。
仕事の出来る人は、仕事が速いのが常である。
仕事が遅くて丁寧な人も、「遅い」と思われても無駄な作業がないので、結果は速いのだよな。
つまり、遅くても結果を出せない人は、「出来ない人」に過ぎないからだよ。
仕事で「時短」を望むのならば、当然下準備が大切である。
仕事を前にして、下準備をする人は仕事が遅くて、出来ない人になる。
仕事の出来る人は、今やっている仕事の完成が近づいた時に、次の仕事の下準備をするので、仕事と仕事の間にragが出ない。
複数の仕事を同時に熟すのが一般的なのだろうが、その連絡をline等でする場合には、一見するとline上にdataが保存されているように思われるのだが、「いざ探そう!」とすると、なかなか見つからないで、時間が掛かってしまう。
そこで、整理が必要になる。
仕事上で、外回りが必要な場合、つまり、買い出しの場合には私は行き先別に纏めている。
仕事の分類がどうであれ、買い物をする時には、場所が優先であるからだ。
分類が出来ない人は、そういった柔軟性が無いのだよ。
lineのmailを読んだ時に、必要な項目をコピペして、分類別のfileに保存すると、必要な時に、探す事が無くなるので、極めつけの「時短」になるのだが、幾ら説明をしても、後回しにする癖のある人達は、幾ら注意してもその癖は、永遠に治らない!
私のmottoは、『同じ注意を二度は受けない』という事である。
二度も、三度も同じ注意を受ける人は、結果、その注意が治る事は無い。
毎回同じ注意をされる人は死ぬまでその注意は治らないのだよ。
それがその人の限界である。
人の言う事が聞けない人は、伸びる事は無い。
5月22日柿渋の可愛いリュックが ·
今日は5月22日の土曜日なのですが、コロナのワクチン接種の日なので、朝はその準備のためもあって、結構早めに起きてしまったので、余分な時間で、私のduoの一番の曲をfinaleで校正•編集して、写真を貼り付けてYou Tubeにuploadしました❢
そういったYou Tubeへの動画の編集作業をしながら、同時進行で、風呂に入ったり、シンクの中の洗い物を片付けたり、等々の雑用をしながら、ワクチン接種の書類の準備をして、いよいよ、直前の時間になったので、出発しようと思って服を着ていたら、何と準備したハズの病院専用の柿渋の可愛いリュックが無くなってしまいました!
超、shock❢で、慌てて探したのだけど、見つかりません。
出発時間のtimelimitは過ぎてしまっているし、焦ってしまいました。
何度も部屋を見直して、ついには玄関の外までも確認したのですが、見つかりません。
時間はどんどん経過して行くし、焦ったよね??
何度も、何度も物をどかしながら、それぞれの部屋を確認した後で、いつも座っているOffice用のエクゼチェアの後ろに、落っこちているのを発見しました。
見ているようで、死角となっている場所は見えないものなのだよな~ぁ??
霧雨だったのだけど、会場でのraincoatの脱いだり着たり・・という無駄は省きたかったので、少しぐらいは濡れるのは覚悟で、会場までbikeで、携帯のカーナビを使用して行きました。
テレビでは、予約が取れた老夫婦が会場の道を確認にわざわざ行っているドキュメントの放送がありましたが、そこまではね~ぇ???
会場までの道は、練馬周辺の道が、非常に混んでいたので、ナビの指示ではなく、渋滞を避けて、迂回を重ねながら会場を目指して走ったのだけど、まあ、私のrisk回避の予定の時間の設定なので、随分遅れたのだけど、決められた時間よりも15分は前に着いたよな??(ナビでは、12、3分の予定だったけれど、実際には渋滞で迂回した分、16、7分は掛かってしまいましたが、着は予約の30分前に設定していたので、それでも10分は余る計算になるのです。)
会場では、予約の時間に関係なく、来た人からどんどん処理をしていたので、全く、待つ事も無く、スムーズにワクチン接種と待機が出来て、ハイツを出発して戻って来るまでは、1時間で収まりました。
これはお役所の仕事としては素晴らしい事です。普段から、これぐらいの処理能力があると良いのだけどね~ぇ!!
(褒めているのだよ!!)
次回の予約は、明日からnetでの予約になるそうで、ちょうど20日間後の土曜日の同じ会場を取るように注意されました。
お役所の作業をsmoothにするためだそうです。
接種後は何の変化も無かったのですが、6時間後の深夜の1時頃からは、接種した注射の後が少し痛み出したようですね。
触るとピリリと痛いです。
6時間、7時間経っても、痛みが少しづつ増しているようなので、これがコロナの注射の痛みだよな??
まあ、想定内という事なのかな??
熱っぽい感じなのだけど、実際には熱は無いので・・ね??
2,3日もすれば治るでしょうかね??
それと、深夜、寝ていて寒けがしたので、薄手の合いをまたまた毛布に変えたのだけど、これもワクチン接種の所為??それとも、マジに寒かったの??
でも16°はあるようだったのだけど、温度と寒さ暑さとは関係ないようなので、温度だけでは分からんよな??
池袋の駅で買った柿渋の小さなリュックです。結構、高かったぞよ。でも、病院用にしているので、結構利用頻度は多いのかな??bikeで背負って走るにはちょうど良いからね??
コメント3件
中野 卯月
大切な時に限って
探し物発生します!
予約時間に間に合われご無事に接種を終えられ良かったです!
· 返信する · 31週間
芦塚 陽二
ありがとうございます。第二回目の接種日の予約も確定しました。その前に手術が入ってしまって、手術日と診察日がdoublebookingしたので、予約日の変更をお願いしている所です。6月いっぱいまでは病院月になってしまいました。
· 返信する · 31週間
中野 卯月
芦塚先生
頑張ってくださいませ!
5月23日黒のショルダーのポシェット ·
今日は23日の日曜日です。
後期の秋の発表会に向けての、オケ室の練習の開始日になります。
楽譜渡しの日なので、私は今日のTeleworkはお休みです。
昨日コロナワクチンを接種したばかりなので、ひたすら部屋の中で安静に過ごす事にしています。
お昼の3時半の練馬の気温は25°で、体感温度では26°なのですが、私は、不思議な事に、寒くて昨晩変えた毛布にくるまって震えています。
結局、1日ウダウダとしていて、ロクな仕事も出来ないと落ち込んでいたら、やはり、夜は流石に熱が出て来たのだが、暫く安静にしていたら、直ぐに平熱に戻った。
しかし、平熱とは言っても、体温は私にしてはかなり高めのギリギリの平熱です。
ワクチン注射の所為なのかな??
それとも、単に風邪をひいたのかな??
それとも単に体調不良の所為なのかな??
無理だとは思ったのだが、ドルプリっ歩にも付き合った。
ハイツに戻ったのは1時を過ぎていた。
流石にバテバテで、持ち帰ったお弁当もそのままに寝てしまいました。
普段の椎名町とのBikeでの移動には、免許証と小銭入れと携帯か、保険証のどちらかが入る黒のショルダーのポシェットを使っています。弁当や楽譜等は別のリュックや手提げ袋等を使うからです。
5月24日天候不順で体が ·
今日は5月24日の月曜日です。
日曜日から、ますます体調不良が酷くなって、月曜日の今日も、まるまる1日をパソコンの前で椅子に座ったままに意識を無くしていたり、布団の中で、せんもない悪夢を見ていたりと、ウダウダと一日中、無意味な一日を過ごしていました。
・・とは言っても、未だ今日が終わった分けではなく、斉藤先生が10時頃に帰って来るので、頑張ってそれまでにbedから起き出して、椎名町に移動します。
「ドルプリっ歩は無理!!」と言いながら、この所は、shortcutだとしても・・お散歩には付き合っているのですが、今日のお散歩はcinderella-timeの12時過ぎになってしまいます。(勿論、月曜日のいつものroutineなので、毎週毎回、同じ事なのですがね。)
椎名町で食事をしながら、テレビのnewsを見ていたら、コロナワクチンを受けた人達が、その後の2,3日を不定愁訴に悩まされていたという事を言っている人達も多かったようなので、それこそヒョッとしたら、私の体調不良も、「コロナのワクチンの所為なのかな??」と、思ったりもしました。
まあ、いずれにせよ、余り悩まないようにしたいとは思っているのですがね。
この所、ず~と、一日中霧雨や小雨が降ったりやんだりのどんよりとした、私の心を反映したような鬱々な天気が続いていたのですが、今夜、椎名町にbikeで移動する時には、(私としては、小雨・霧雨を心配していたのですが、)晴れて夜空には雲が殆ど無い美しい13夜(12.5ぐらいかな??)の月夜になっていました。(今日も、お昼間は延々と、曇天の鬱陶しい天気が続いていたのですがね??夜には雨も上がったようです。)
明後日の26日の水曜日の夜は、満月でフラワームーンとスーパームーンと皆既月食だそうです。(それだけ蘊蓄が寄り集まると凄い満月が見れそうですよね?? アハッ!)
最も27日は雨で18°。 26日は曇りで28°の予想だそうです。
1日で7月から4月へ逆戻りするようなのですが、この所の朝晩の温度差が10°以上なのは珍しく無いようなので、余り驚きませんが、体は、歳を取ると、やっぱりもう付いては行かないようだよね??
10代,20代の若い人達は体調はどうなのかね??
体力があるから、関係無いのかな??
5月25日入院前の薬のtrouble ·
今日は5月の25日の火曜日です。
朝から曇りなのか、晴れなのか?よく分からないけれど、太陽はちゃんと顔を見せているようで、チョッと湿気っぽいけれど、一応爽やか風なので、部屋のdoorというdoorを明けて、窓を全開にして部屋の空気を入れ替えています。
少し風が強いので、書類が飛ばないように注意しながら・・。
昨晩、Security0をハイツに持ち帰って来たのですが、流石にcinderella-timeの1時を過ぎていたし、体調不良も酷かったので、昨晩のcomputerのinstallの作業はとても無理だったので、今日は、朝から(Dellがwindows7から10にupgradeした古いパソコンだったので壊れたhard-diskの修理を断わられてしまったハイツで使用していた高性能のパソコンなのですが、壊れたhard-diskをmaker外のSSDに交換して、versionを更にupしたパソコンにSecurity0を入れて、更に8Tのhard-diskに保存してあった古いパソコンのback・up-dataを元のパソコンに戻す作業をしています。
これはdataが膨大なので時間が掛かるのだけど、発表会の練習風景のvideoや発表会当日の4台のcameraのvideo-dataが半年分でちょうど1Tになるので、mainのパソコンのhard-diskが一杯になって来たので、古いdataを旧Dellにback・upさせるために、8Tのhard-diskを開けるための作業です。
これは半日作業かな??アハッ!
と思ったら、お昼の12時チョッと過ぎ迄には何とかなりそうな雰囲気です。相当に速いです。流石はSSDだよな??
何とか12時15分ぐらいには、設定とhard-diskを空っぽにする作業が終わりました。
ついでに、dataを共有するために、3台の大型パソコンを共有設定したのだけど、同じ作業をしたのに、AはBとしか共有出来ないし、Cは全てのfileが共有出来るのだけど、AとBはCを見る事が出来ないのだよな??
どうなっているのだ??
頭がスッキリしている時に、もう一度やり直すか??
体調不良でお粥食をしているので、梅干が終わった。
また、1月分の梅干を戻さなければ・・・!
今日はその作業もしなければ・・だよな??
・・・てな事を書いていたら、突然川崎から電話があって、「入院日までの外出は絶対にするな!」とのお達しの電話だった。
それはそれで良いのだが、手術日が、元々はひかりヶ丘の診察日なので、糖尿病の薬がそれ迄で切れるので、糖尿病の先生に相談して貰ったら、病院からの電話では、「診察をしないでは、薬を処方する事は出来ないので、川崎で糖尿病の薬も診察の日まで出して貰ってください。」と先生に言われた。
その事を、川崎からの電話で、話をしたのだが、まあ、受付では通じない事・・、何度も同じ説明を繰り返して、やっと先生に伝達して貰える事になった。
薬が切れる日にちが手術日である・・というtime-lineが見えないのだよな??
私が診察を受けて、手術の日にちが決まった時には既にひかりヶ丘の診察の日は決まっていたので、川崎の方がdouble-bookingなのだよ。
だからひかりヶ丘に変更をして貰ったので、薬が2週間切れてしまうのだよ。
手術日がひかりヶ丘の後で決まったので、double-bookingは、俺の所為では無いのだよな??
ひかりヶ丘にしても川崎にしても、患者が直接、電話で、先生に予定を相談する事は出来ないので、必ず受付が患者に変わって先生に相談する事になるのだよ。
「担当の先生では無いので、状況が分からない」では済まされないのだけどね??
通常ならば、同じ病院で糖尿病の外来も見て貰う事が筋なので、予約を取る段階でdouble-bookingは起こらないのだろうけれど、川崎は県外で遠いので、毎回の病院は同じ練馬区でないとね??
川崎はひかりヶ丘から逃げ出した、second opinionの病院になるのでね??
話がややこしくなっているのだよ。
その昔、同じひかりヶ丘の場所に、日大病院があって、江古田の教室の傍の掛り付けの病院からそこを紹介されたのだが、そこで手術の予定になって、「冠動脈を1本しか助けられないので、生涯、寝た切りになる」・・という話だった。
慌てて、先生達にnetで名医を探して貰って、当時大和成和の心臓外科の先生が、当時は最先端であったオフポンプ冠動脈バイパス手術をしてくれる・・という事で、先生に手術をお願いした事がある。術後も5年以上も診察に通ったのだが、練馬からは流石に遠いので、江古田の近場の練馬区の大学病院という事で順天堂の病院に紹介状を書いて貰った。
その時には、未だ日大病院はあったのだけど、流石に逃げ出した病院に戻るのは嫌だったのでね??
順天堂の先生は検査の度に、ステントの寿命は5年で、長く持っても7年という。
とっくに、7年は過ぎているので、「だから、ステントの寿命が来たら、私はどうすれば良いのですか??」と尋ねると、それに対しての答えは無いのだよ。
「もう一度、切れば良いのですか?」と尋ねると、「ステントはもう取れないので、それは無理!」との答えだ。
では、死ぬしか無いじゃあ、ないの??
病院に行く度に、1週間以上も鬱になってしまうのだよ。
これは、精神的によろしくない。・・という事で、近場の循環器内科の個人病院に行く事にした。
個人の先生に「病院を変わる手続きをしましょうか?」と言ったら、「もしもの時の用意に、うやむやにしておいてください。」という事ですっぽかしたままになって、10年以上も経つ。
その間に糖尿病の数値がどんどん悪化しているのにも、関わらず、何の対応もしないので、薬局の薬剤師から緊急に糖尿病の専門外来を受診するように意見をされて、已む無く、ひかりヶ丘の糖尿病の先生が有名なので・・という事でひかりヶ丘の病院に行く事になったのだよ。とは言っても、その時のひかりヶ丘の病院は既に日大病院ではなく、個人の病院の集合の病院なのだ。区の病院でも無い。
この25年の間、病院を転々としているような具合なのだよな??
次に同じ「ひかりヶ丘病院」に行ったのは、日大病院が撤退した後の民間のひかりヶ丘病院なのだが、そこで、膀胱の癌と腹部大動脈瘤がCTで見つかって、腹部大動脈瘤のステント手術をする予定が、「出来ない」という事で、急遽開腹手術になったので、またまた、ひかりヶ丘を逃げ出して「出来る」川崎の病院にお願いをする事になったのだよ。
どうせなら、ついでに膀胱癌の切除手術も川崎でやって貰う事にしたのだ。
順天堂もドクハラで逃げ出しているし、練馬区にはロクな病院が無いのだよな。
大学病院もたかが知れているしね??
日大病院が逃げ出したので、今は順天堂病院だけか??
大学病院は・・??
それはそうと、今日は練馬では30°になったそうです。真夏日だよな?
体調不良の後期高齢者にとっては、16°から30°の気温の変化は、ちょっと辛いよな〜あ?
5月26日薬のtrouble ·
昨日のお話なのだけど、私が1976年に作曲をしたduoをパソコンの音源で、You Tubeにuploadしたのですが、45年も前の作曲なので、手書きの譜面からfinaleに入力する段階で少し改訂をしました。
楽譜を書き写す度に、少し改訂をするのは、作曲家のサガなので、致し方は無いのですが、まるまる1日、パソコンの音源を聴いていて、両方の旋律のbalanceや、finaleで入力したハズのdynamikが、音源では全く表現されていない事に、我慢がならなくなって来てしまいました。
という事で、今日の朝からuploadしたYou Tubeを削除して、finaleで記譜上のdynamikでは無く、finaleで演奏させる上でのdynamikにfinaleの記譜を書き換えてしまいました。(あくまでも、finaleというsoftの操作性に対してのdynamikやarticulationなので、本来の楽譜上の演奏指示ではありません。)
誰かが生楽器で演奏をする時には、この譜面で演奏をすると、楽譜が実際の演奏を指示した楽譜ではないので、困ってしまいますが、finaleの音源では音の強弱(dynamik)や、楽器間のbalanceが余りにもヘボくて、forteと書いているハズの譜面が突然Pianoになったり、と分けの分からない事をしていたので、これまでは作曲家としての立場上、表情記号やMetronomやdynamikをfinale専用に書き換えるのは、流石に差し控えていたのだけど、今回、余りにもfinaleの音の再生が酷いので、再生用専門にfinaleの楽譜を書き直す事にしました。
だから、本来ならば、演奏用の楽譜、(所謂、印刷用の譜面)を別に作らないといけないのだけど、今回は、まあ、時間的にも、労力的にも、そこまでのEnergieがありません。
なにせ、入院・手術がすぐそこに控えているのですから、それどころでは無いのですよ。アハッ!
暫く様子を見て、体調が戻ったら、印刷用の楽譜を作る事にします。
いやあ、これは全くの時間の無駄だよな~ぁ??
•••てな事を言っていたら、またまた川崎から電話があって、「専門が違うので、薬はひかりヶ丘で担当の先生から貰ってくれ!」との先生からの伝言でした!
直ぐに光が丘に電話をして、入院の直前の日に、ひかりヶ丘に診察に行く事になりました。ひかりヶ丘の診察日を変更したばかりなのにね??
まあ、歳を取ると、病院の調整だけでも大変だよな??
歯科のdouble-bookingの変更も未だ、そのままだしねぇ??
それにしても、今日は蒸し蒸しして暑い!!
練馬区の今の気温は26°なのだそうな??
体感はそれよりも高くて28°ぐらいはあるのかな??
それはそうと、肝心要の事を書くのを忘れていたのだけど、今日は24年振りの、スーパームーンで皆既月食だそうです。
皆既月食になる時間にverandaに出て空を仰いで見たのだけど、雲が厚くて月は全く見えなかった。
10時頃に、椎名町に移動するので、マンションの外に出てから、空を見上げると、半分に欠けた月が雲を通して見えました。
下の写真です。
それから外に出る度に、何度も空を見たのですが、雲が厚くて、満月の状態は結局一度も見る事が出来ませんでした。
まあ、今日の曇り空は、日本全国的なお話なのだけどね??
それはそうと、24年前っていう事は、冠動脈のbypass手術の次の年で、術後の管理が上手く行かなくて、それどころでは無かったのだよな??
今回も2週間後には手術の日だしな??
昨晩もハイツに戻ってきたのは深夜の1時すぎで、お弁当の保冷バッグに入れたままに、机の上に放置してしまいました。
toilette-timeではなく、ちゃんと起き出してから、慌てて冷蔵庫にしまった所です。
外はどんよりとした分厚い雲で、今現在の練馬の気温は16°だそうです。
寝ている間に、鼻詰まりが酷くなって、口呼吸もままならなくなって来たので、(喉が腫れて来たので・・)空気が吸えるように、四苦八苦している所で、窓を全開にして、空気の入れ替えをしている所なのです。大夫、呼吸が戻って来ました。
鼻は詰まってはいないのですが、鼻の穴の奥が狭くて呼吸が上手く出来ません。
どうしても、口呼吸になってしまいます。
困った事だよ。
諦めて座って仕事をしています。
大切なオペを控えられどうぞご無理が重なられませんように!
ありがとうございます。
昨日も「自宅に引き篭って居るのか??」の確認の電話が病院からありました。所謂、コロナのcheckです。まあ、世知辛い事ヨ❢❢
5月28日クチナシの季節 ·
5月もあと二日になってしまいました。
とうとうクチナシの季節になってしまいました。
それにしても、今日は寒かったよね?
プリはお散歩、拒否するし、ドルも超ショートコースだったし!
路面が濡れていたので、嫌だったのだよな??
帰る時に、玄関にクチナシが買って来て、置いてあったので、私が貰ってハイツに持って帰ってしまった。
椎名町にも育てているクチナシがあったのだけど、ハイツに持って帰るには少し大きくなり過ぎたようだしな??
持ち帰りにはこれぐらいのsizeが良いよな??
長崎の家をたたむ時に、庭に咲いていた大きな鉢植えの八重のクチナシを車に積んで持って帰って来た。
ハイツのverandaで5年程は元気で、いたのだが、真夏の休みに部屋を一週間殆ど留守にする時に、水やりの留守番が見つからなくて、とうとう枯らかしてしまった。
今は夏休みでも、出掛ける事はないので、ハイツを留守にする事は無くなったので、八重の大輪のクチナシを買う事も出来るのだが、時間が出来たのとは反対に、体調不良が酷くなってしまってverandaに出る事すら少なくなってしまった。
折角のverandaなのに、勿体無いよな~ぁ??
ベランダでボッチの酒盛りでもしようと思って買ったお洒落な外用のテーブルも、寒かったり、暑かったりと、活用出来なくて、とうとう先生にせがまれて、新教室のベランダにプレゼントしてしまったしな??
それはそうと、市販の鉢植えのクチナシは匂いが少ない。
地面に直接植えられているクチナシは、遠くの方から香って来るのだが•••
ブロイラーの卵のようなものか??
5月28日『Finaleの愚痴です❢ 派生音一覧』 ·
finaleの自動的な臨時記号の入力は、notationの設定をする時の調の設定によるようです。つまり、曲の設定画面で調を設定すると、途中で転調しようが無関係に臨時記号が設定されるようです。
10keyで入力をする場合には、臨時記号は、音符を入力した後で+-で入力するので、♯や♭の書き間違いの問題はないのだが、Keyboardで音符を入力する時には、♭や#がなかなか正しく入力されてくれないので、イライラして頭に来る事がよくある。
(♯でなければならない音符が♭になってみたり、♭でなければならない音符が#になったり・・というenharmonic、所謂、異名同音のお話です。)
特に、baroqueの音楽の場合には、g mollの曲でも、F DurのDorianとして♭一つの調で書かれる事が多いので、当然、finaleに入力する時の調号の設定は、「♭一つの短調」なので、g mollであっても、「d moll」に設定するのですよ。
その場合のd mollの派生音は主音のdの音から派生音は、[♭]23[#]4[♭]56[#]7[#]となり
ます。
しかし、それがd mollであったとしても、g mollだったとしても、Tritonusの関係なのだから、dの主音から開始しても、gの属音から開始しても、全く同じ派生音のintervalになるので、入力上は問題は無いハズなのです。
しかし、それなのに、finaleで臨時記号を入力すると♯や♭が思ったように入力出来ないのは何故だろう??
派生音の設定はdefaultで良いハズなのだが、調を設定したとしても、上手く行く事は少ない。
まあ、それは基本的な調の場合なので、曲の途中で出てくる転調楽節にかんしては、もっと問題なのだよな??
設定画面で調を指定した時に、転調楽節が出て来ると、その転調を読み取れる程には頭は良く無いのだから、長い転調が続く時には、defaultではなく、その都度、そのpassageに付いては、対応一覧表で書き換えなければならない。
それもまた、超、面倒くさいのだよな??
finaleの解説を読むと、或程度はfinale自体が調を判断するように書いてはあるのだが、それを感じた事は一度も無い。
逆に、「120小節目から150小節目まではB Dur」とか、その都度、そのpassageの調の設定が出来れば簡単なのだがね??
まあ、転調楽節は、そんなに長くはないのだから、シコシコcursorKeyで移動させて、+−Keyやenharmonic(異名同音)Keyの打ち直した方が速いのかも知れないよな〜あ?
それと、この長調と短調の一覧表を見ていて、気が付いた事なのだが、この表を見た時に長調に対しての短調は平行調を想定するのだが、この表では同主調になっている。
つまり、C Durの平行の臨時記号一覧では、c mollになっているのだよ。
5月28日 練馬区は東京ではないのかな??·
明日は東京は29°で、練馬はまたまた30°だそうです。
近頃はテレビでいつもそう言っていて、東京の気温は、練馬とは違っているのですが••••
「エッ??」
練馬は東京ではないのかな??
不思議だ‼
今は未だ深夜の2時20分なのだが、19°しかなくて、兎に角寒いのだよ❢
布団はこの前から延々と毛布のままなのだが、それでも寒いのだよな?
布団に入っていても、中々体が温まらないので、仕方がないので、風呂に入ってなかば強制的に体を温める事にした。
風呂の中では体は温かいのだが、風呂から出ると、元の木阿弥なのだよな〜あ?
布団に入ると鼻詰まりで眠れなくなってしまうので、諦めて、violinとcelloのduoの終曲のFinaleへの入力を始めてしまった。
朝の6時7時頃には入力は終わっていたよ❢
相変わらず、入力は早いのだ。
duoの殆どが1976年の作曲になるので、この曲も1月の27日に書いたものだ。
この曲の楽譜には、祖母が亡くなった事への鎮魂の文言が添えられていた。
芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より「終曲」 - YouTube
5月29日手持ちの写真が失くなった·
勢いでviolinとCelloの二重奏曲集より『第4番』をfinaleに入力しました。
1日に2曲も入力したぞぃ??
凄くない??
You Tubeにuploadして、暫く聴き込んでいたら、balanceが悪いような気がして来て、作り直してしまいました。折角、uploadしたのに、削除してuploadし直しました。
背景用の写真は、里山と夕焼けと海で、もう手持ちが無くなったぞヨ❢❢
困ったな??
次のupload用の写真はどうしよう??
芦塚陽二作曲 violinとCelloの二重奏曲集より「第四曲』PC音源 - YouTube
5月30日オケ練習が休みになったので、·
今日の5月の30日の日曜日は2回目のオケ室内楽の練習です。
練習と言う程の人数もいないので、今日は、私のTeleworkでのlessonは無しになったので、突然、思いついて、日曜大工の日になってしまいました。
この所、気になっていた、パソコンのdisc と食卓の間の段差をフラットにするための梯子を作りました。
私の日曜大工は、日曜日大工とは言っても、本格的に、home・center等に行って、材料を買い揃えたりするような計画的な作業では無く、いきあたりばったりで、部屋にある、あり合わせの物を組み合わせて、思い付きで、作るのが私の日曜大工なのです。
パソコンと食台の隙間には、今までは100均で買ったアクリルのポケット・ティッシュ入れを2個、敷いて、その上にcutの台紙を置いて、なんとかフラットなbridgeにしていたのだけど、隙間が有効に使えないし、安定性に欠けていたので、蒲鉾板と丈夫な陶器の箱の蓋を組み合わせて、bridgeを作ってみました。
そうして出来たbridgeの下の空間には、普段使わないKeyboardの10keyを置く事にしました。
「普段、使わない10Key」って、何の事か分からないよね?
私が愛用しているパソコンのKeyboardなのですが、長時間Keyboardを打つので、手や指に優しいMicrosoftの「Microsoft Natural Ergonomic Keyboard」を使用しているのですが、そのKeyboardには、10keyが分離しているtypeのKeyboardがあります。
Finaleで音符を入力する時に鍵盤のKeyboardを使用して、finaleに音符を入力するのですが、その時に、右手で音符を入力して、左手で音価を入力するので、10Keyが分離されていると、逆手にならないので、楽だからです。
しかし、普段の入力の時には、10Keyは使用しないので、置いておく場所に困っていたので、ちょうど、10Keyの隠しspaceが出来て、中々、良い感じです。
作っている過程は、写真につぶさに解説を書いてはいるのですが、何の意味もない、ただの暇つぶしなので、興味がある人は・・・、読んでも仕方がないよね??
台の下の部分には、separateの10keyが入ります。普段は使わないからです。ちなみに、袋も私が昔作ったものです。アハッ!
5月31日気が付いたら足の爪が割れていて ·
5月31日の深夜の2時ですが、パソコンの前で椅子に座ったままで、意識が朦朧として来たので、Bedに入ったら、左足の爪が引っ掛かるので、見たら、左足の薬指の爪が割れていました。
足の爪を引っ掛けた記憶は無いのですが、結構引っ掛かって危ないので、お腹が邪魔で爪に届かないのを頑張って、なんとか爪を切ったのですが、結構深く裂けているようで、もう一度切り直して見たのですが、上手く行きません。
ガラスの爪ヤスリで、爪の表面を磨いてみたのですが、無理なようです。
木屋の極小の爪切りで、寝室の真っ暗な中で、目を瞑って指先と触感だけで、切ってみたら、なんとか切れたようです。
完全に・・とはいかないようなのですが、指先ではこれ以上は無理なようですかね??
次いでに、布団を毛布から、超薄手の夏用の羽毛布団に交換しました。
今の練馬区の気温は16°なのですが、確か、2,3日前は19°の時があって、その時には、「寒い!寒い!!」と、毛布を引っ張り出した記憶があるのだけど、今日は、16°でも暑くて、毛布を仕舞いました。
気温と人間の感覚は、どうなっているのかね??
ちなみに、現在の湿度は79%だそうな??
明日はひかりヶ丘の糖尿病外来に行って来ます。
6月の9日の予定だったのですが、川崎での膀胱の再手術日と、糖尿病外来の日がbookingしてしまったので、薬が無くなってしまうので、川崎の病院に薬をそのまま出して貰えるかたのんだのですが、担当の先生が専門外という事で断られてしまったので、急遽、ひかりヶ丘の診察日を前倒しに変更して貰った結果の、明日の診察日になります。
明後日の1日からは、いよいよ、血液サラサラの薬を術日まで、無しにして、術前の検査に臨みます。
術前検査は、車で行くので良いのだけど、次の日の入院日は、久し振りの電車だよな??
入院setをリュックに入れて背負って電車で行くのかな??
そりゃあ、問題だわな??
5月31日私自身の格言では「人は求めれば夢は叶う」というのが、私の主義主張でもある。 ·
しかしながら、現実ではなかなかそうは行かない。
夢を持って、必死に努力しても、夢を叶える事が出来る人はほんのひと握りの稀な人に過ぎない。
それは何故なのだろうか??
その答えは簡単である。
人間は自分の人生を都合良く考えがちだからである。
現実の世界では、絶対に有り得ないのに、一般の社会では、自分達が理解出来る範囲で、夢と幻想を抱くのですよ。
現実的には、そんな世界は有り得ないのに、一般人達が考えられる常識の範囲内で、非現実の世界を、一般常識の世界にしてしまうのですよ。
そして、それが常識であるから・・と自身で確信しているのです。
でも、本当の事ならば、実際の例を調べれば、それが夢に過ぎないのは直ぐに分かるのにね〜ぇ??
このお話は分り難いと思うけれど、brand嗜好の事を考えればよく分かります。makerがその価値を決めるので、その人個人が価値を決める分けではありません。violinの鑑定書も同じようなものです。鑑定書を付けても、他の楽器店でそれが通用する分けではないのだよな??私が楽器を選ぶ時には、鑑定書は全く信用しません。だって数百年も経ったlabelや、鑑定書を信用する方が変だよ。楽器は誰が作ったか??ではなく、どう鳴るのか??だよ。Suisse政府が発行したStradivariの鑑定書の例もあるしね??
proという人達は、人が出来ない事をするから、proというのですから、一般的な範疇で判断をする・・という事は、既に、「特異では有り得ない」という意味なのだよ。
勿論、『pro』には色々なrankがあります。
自称、proから始まって、世界的に自他共に認められるproまでいます。
というか、神様のようなproすらいます。
若しも、あなたが「proになりたい」思っていたら、あなたのなりたいproって、どのrankのproの事なのかな?
proという意味を狭義に捉えて、「音楽の演奏だけで自活出来ている人」と定義をするのならば、皆さん達が知っている世界的な演奏家達の多くの演奏家がproとは呼べなくなってしまいます。
給料で生活をしているのはオケマンだけですが、世界のオケマンでさえも、オケの給料だけで生活出来ている人は数少ないと思いますよ?
私は音楽教室の経営で生活をしているように思われているようですが、それは逆です。
この2、3年間でも一千万近く(否、それ以上かな?)教室に注ぎ込んています。教室は私に取っては、金食い虫なのですよ。
先生達が演奏しているbaroque楽器でも、私が貸与している楽器なのですよ。
私にとっては、音楽は道楽のような物かも知れません。
つまり、私はその定義ならば、音楽家ではありません。
日曜音楽家と言えば良いのかな??lessonもオケ練習も全部道楽に過ぎないのだから・・(つまり、それで生活をしている分けではない・・という意味です。)
一般的には、「何故、proになれなかったのか?」という質問の答えの99%までは、「技術がproとして充たなかったからだ」という事だと、思われます。
今までのお話を統括すると、一般論としてのこの問題に対しては、私のadviceは、以下の三つのお話になります。
そのお話に対しての明確な回答を持つ事で、あなたの夢は達成出来るでしょう。
第一番目は、professionalとは何を持って言うのか?
第二番目は、あなたの本当の夢は・・??
第三番目は、正しい学びをしているのか??
第一番目の「proとは何を持って・・」という言葉に対して、若しも、たつきの糧としての「演奏家」を目指すのであれば、proのorchestraの団員しか無いでしょうね??
しかし、それだけで、生活を満足させるのは難しいのでは無いのかな??
proのオケマンの給料なんてタカが知れています。
清貧に甘んじるのならば兎も角としても・・・、清貧に喘いでいても仕方が無いのだよな??
作曲家でも、或いは詩人でも、それでたつきが成り立つ職業ではありません。
自分が書きたい物を書いて、成り立つ職業はないのです。
ですから、マスコミ受けのする物を書いて『pro』となるか、自分の書きたいものを書いて、『amateur』に徹するのか・・の人生なのではないでしょうかね??
私の場合には、proとは「音楽を探求する人」を指す分けなので、音楽で生活をする事とは無関係なのです。
ですから、Europaでは、歴史に名を成す有名な偉人でも、本職は全く別の人だった・・という人達がいます。
それ以上に多いのは、無名の大演奏家達が数多くいるのですよ。
「何故、大演奏家が大勢・・??」と思われるかも知れませんが、日本では演奏家とは、その都度、色々な曲を演奏する人だけで、研究者の演奏家は皆無のようなのです。
まあ、たまには、特殊な地域に限定したpianistも数人は見受けるようなのですがね??
Europaのそう言った人達が無名なのは、自分の音楽を追究する事に興味があって、有名になる事や、お金に関しては、全く無頓着だからですよ。
だから、「こんな人が・・」と驚かされるような凄い人を、専門的な分野では見受けるのです。
日本でも、Classicの音楽という特別に閉鎖的なgenreを除くと、そう言った、凄い名人classの人達は、数え挙げたら切りが無いと思いますよ。
所謂、職人というgenreの人達です。
第二番目の夢は、「proの演奏家になりたい」という願望が、実は「有名になりたい」「偉い人と思われたい」という願望であったりする場合です。
稀には「金儲けがしたい!」と思う人も居るかも知れませんが、それはgenreを間違えています。
金儲けをしたい人は、popularの方に進むと結構稼げます。
「有名になる」という事と、「音楽の道を極める」・・という事とは、少し・・所か、かなり違っています。
まあ、月とすっぽんとか、提灯に釣り鐘とか、etc.です。
日本で有名な音楽家と称される人達の演奏を聴いて、感動を受けた事はありません。
何かが違うのですよ。
偉ぶっているとか、大仰なtalkとかは、凄いのだけど、音楽を演奏しなければ、凄い演奏家で通ると思うのだけどね??
結局の所、マスコミが作り上げた演奏家達なので、所謂、brandと変わらないのですよ。私は曲を聴きたいのであって、演奏を聴いて感動をしたので、brandを見てもその価値は理解出来ないのです。
しかし、一般の人達では、brand品をとても大切にしている人達がいます。
しかし、物の価値は自分でするものであって、brandで決まるものではありません。
楽器をlabelで購入する人達がいます。
証明書代が1割だったら、私ならばその分安い方が良いな??
私が弓を選ぶ時に、比較対照にTourteの弓を出して貰いました。
2、3千万ぐらいの弓かな??
それよりも6百万の弓の方が数倍も良かったのですよ。
つまり、演奏をする上では、骨董的な価値と楽器としての価値は全く関係はありません。Tourteの弓でも、ダメなものはダメなのです。無名の弓の方が良い場合もあります。
私は、心臓の手術の時には、大学病院から逃げ出して、地方の小さな病院の先生に手術をして貰ったのですよ。
周りの人達は、大学病院を逃げ出して地方病院で手術を受けた・・と驚いていましたがね??
命に関わる手術なので、大学病院よりも実力のある先生の方が良かったのです。そのおかげで、元気に未だ生きていますがね??
(尤も、その先生は、今現在では、日本の心臓外科のtopになっていますがね??当時は、その先生も私と同様に大学病院の事を馬鹿にしていたのだけどな??やっぱ、業界のtopは居心地が良いのかな??アハッ!)
とても、若くて可愛い女の子が、自分自身の力で、超有名な演奏家になっているのを見ていて、それはそれなりに夢が叶って良いので、是非に応援をしたい所なのですが、その女の子は有名になる・・という目標が達成出来て、これからどうなるのかね~ぇ??・・と心配しています。とは言っても、全くの傍目からの話なので、本人には関係の無い話でしょうけれどね??
彼女は可愛くて、とても、技術的にも上手なのだけど、何かが違うのよね??
先ず第一に、音楽が言葉として入って来ないのよね??
第二番目には、速度に逃げる所があって、歌い込みが弱いのです。
それに究極的な問題点は、演奏しているviolinの音が、violinの音ではなくて、箱violinの音なのだよ。
だから一応はそれなりには弾けてはいるのだけど、音楽としての、感動が無いのよね??
でも、歳が若くて、可愛いければ、それでもう充分なのかな??
後は、どうでも良いよな??
音楽への探求の道が、名声やお金や地位だとすれば、勉強の過程で、非常に近い道を歩んでいたとしても、目標が少し違っていれば、当然、到達点は全く違う世界になるのだよね??
表面だけをなぞって美しく着飾っていても、中身がなければ、本当の本物は一生努力をしても、手には入らないのだよな??
表面上を真似て行くだけでは、その延長線上には、やはり、野狐的な悟りしか無いのだよ。
功成り名遂げて、道に留まって、裕福に生きている人達もいるので、一概には言えないのかも知れませんが、それは稀な事で、求めるものが違っていて、名声に過ぎなかったのだと思いますよ。
政治家だって、権力やお金を目当てで政治家になる人達の方が多いのではないでしょうかね??
Europaでは政治家には給料が出ない国もあるそうです。
政治家であるためには清貧に甘んじないといけない・・という事なのですが、そんなものは日本では通用しないよね??
教室の多くの子供達が望んでいる「夢」はテレビや演奏会場で華やかに活動をしている人達なのでしょうかね??
それを求めるのならば、そんなにNiveauは高く無いので、「目標を達成する事はそんなには難しくは無い」と思えるのですがね??
つまり、approachを音楽よりも、芸能人的に見栄えにすれば良いのです。
衣装のsenseや、talkの技術に長けていれば、その世界にも通用すると思います。
勿論、マスコミの世界にもprofessionalな俳優の人達も多くいて、感激する事が多いのですがね??
音楽の世界でproに成れる人は、音楽漬けの生活をしていても、それで幸せと感じれる人達なのですよ。
それよりも、恋人との語らいを主にする人達は、日常の生活を主にする職業を選んだ方が幸せに成れると思いますよ。
まあ、若い頃は有名な演奏家を求めて、年齢が満ちたら、幸せな結婚生活をして、音楽の夢はきっぱりと捨てるとか・・・いう人も結構いるようなのだけど、それはそれでも良いか??本人が幸せならばね??
私の場合には、毎日毎日、どっぷりと音楽の中で暮らしているので、貧乏でも、それなりには幸せで、鬱等にはとてもなりませんよ?? アハッ!
第三番目の「正しい学び」とは日本の音楽社会では超難しい問題です。
つまり、Europaの音楽界では、traditionalがあるので、amateurの人達でさえ、正しい道を、或程度は知っているからです。
日本の音楽界では、音楽は軍楽隊を育てて、国家のためにEuropaの音楽が音楽事始めとして持ち込まれたに過ぎません。
音楽は権威の象徴として導入されて来たのです。
だから、世襲制度としての権威付けの一貫として家元制度を導入したのが、現代の音楽大学偏重の音楽界の基盤となっているのです。
音楽大学を卒業して、concoursに入賞して留学をしたら、proの道が確約されている・・と未だに信じている人達が居るとすればそれは、とてもlächerlich(笑える)な事です。
そんなに簡単にproに成れる程、proの道は甘くはありません。
音楽が好きで、音楽無しでは生きていけない人の場合には、どっぷりとproに足を突っ込んでいる人だと言えます。
proは経験です。
人の前での演奏を続ける事が一番の早道なのですよ。
早期教育とは早期に学ぶ事では無く、早期に社会で活動を始める事なのです。
そのための対外出演だったのだけどね??
誰も理解してくれなかったのだよな??
5月31日今日は手術日とdouble-bookingしたので、変更をして貰った糖尿病外来の日です。 ·
今日は、主治医の先生から年齢を聞かれて、主治医の先生の方が私よりも1歳年下であるという事が、初めて分かりました❢
「私達の子供時代には、ご飯が食べれ無い事がよくあったよね~ぇ?大変な時代を生き抜いて来たのだよね~ぇ?」としみじみと言っていらしたのだけど、絶対に先生の方が私よりも、十ぐらいは上だと思っていたので••••、先生の方が歳下と聞いて、超、shockだったよな〜あ?
bikeでの通院は、良好で、帰りには大きなスーパーに寄って、運転用の靴と、病院入院用のナース・シューズを探したのですが、運転用の靴は直ぐに見つかったので、問題は無かったのですが、白のバレー・シューズ(スクール・シューズ)が、E・typeのシューズが無くて、諦めて帰りました。
病院は普段のような朝一から•••ではなく、2時からの最後のグループに入れて貰ったので、診察が終わって、ハイツに帰り着いたのは、4時半を過ぎていました。
病院が終わってから、久し振りでデパートの中を歩いたので、流石にバテてしまいました。
という事で、仮眠を取ろうと思ったのですが、鼻詰りになってしまって、息が出来なくなって、良く眠れませんでした。
夜は先生が10時頃に千葉から帰って来るので、私もそれに併せて、遅い椎名町への移動なのですが、雨が激しく降り出したので、その雨の中を走る事の寒い事❢
Bikeを走らせる手が悴んでしまいました❢
ポンチョもびしょびしょになってしまいました。
椎名町で食事を済ませてから、「ドルプリっ歩に行こうかな??」と思ったのですが、雨は上がっていたのに、ドルプリ達は、嫌がってお散歩をしませんでした。
今は10時過ぎなのですが、練馬の気温は18°なのですが、これから16°まで下がるそうで、折角、昨晩は頑張って布団の交換をしたのに、一晩でまた、合いの羽毛布団か毛布を出さなければならないようです。
今は外では結構激しく雷が鳴っています。
なんだろうな〜ぁ??この天気は・・??
まるで、天変地異だよな~ぁ??
食事が遅かったので、帰りは1時を過ぎてしまったのだけど、なんとなく鬱が起こりそうな雰囲気だったので、violinとCelloのduoの続きのfinaleの入力をして、昔の作品の音を聴いて見たいと思ったのだけど、流石にそろそろ入力に疲れて来たよな??
やはり、自分でimageした音とは違うので、本当の演奏の時の音とは違うのよね??
この曲で暫く終わりにする事にします。
芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より「第三番」pc 音源 - YouTube
1976年の1月の8日に江古田の松盛堂で作曲しました。1976年というと、今からは45年前の事です。勿論、これまでの時代では、notationのsoftであるfinaleは疎か、その前に、一般の人達にとっては、パソコンすらありませんでし.....
オペの成功をお祈り申し上げています。
ありがとうございます
みどり輝く里山風景&次代を担われます方の素晴らしいweb lessonYouTubeにすっかり魅了され釘付けに成りました〜❣️
オペの日までどうぞお身体を冷やされませんよう幾重にも幾重にもおいといくださいますようにお願いいたします!
重ねがさね、ありがとうございます
頑張ります。
6月1日今日から6月1日です。 ·
今日は6月の1日です。
1年の後半期に入りました。
昨晩は、発作的にviolinとCelloのduoから、第三番の曲をfinaleに入力して、適当に写真を探して、mp.4に編集して、You Tubeにuploadしたので、寝るのがすっかり遅くなってしまいました・・というか、朝早くに入眠しました。
という事で、今日の1日は10時過ぎからになります。
・・という事は、one coursしか眠れていない・・という事だよな??
それにしては、朝から、風呂の止水栓を直したり、食堂兼、居間兼、パソコンの仕事部屋に、超お久し振りに掃除機を掛けて、toiletteの掃除もして、mobileの整理をしている所です。
別に手術前の終活をしている分けではありません。
単に、体調が良かっただけです。
不思議だよな~ぁ??
生活rhythmと体調が全く、無関係なのだからな??
昨晩、ハイツに辿り着いたのは、1時過ぎの深夜でしたが、それにしてはpanorama-viewが明るい感じでした。
つまり、雨で雲が低いので、街のチョッとした灯りが雲に反射して街全体が明かるかったのですかね??
結構真っ暗でも、180°視界でpanorama-viewで見る事が出来たので、携帯で左側と中央と右側の3枚の写真を撮ったので、更にphotoshop-elementで重ねて、1枚のpanoramaの写真を作ろうと試みている間に、photoshop-elementでは、自動で数枚の写真をpanoramaにする機能がある事を発見しました。
今まで、自動で「panorama写真が出来る」という事を知らなかったので、急遽その3枚の写真を使って、練習してみました。
四苦八苦して重ねていたのが嘘のように簡単に出来ました。
教室ではオケ練習の時や、室内楽の練習の時に、cameraのangleに収まりきれないので、Quartettの時等も、2枚に分けて写真を撮る事がよくあるのですが、その後、1枚の写真に合成するのですが、なかなか上手く行きません。
cameraのshatterのtimingが微妙にズレるので、動きが違ってしまうからです。
だから、同じ人物が重ならない位置でcutして繋ぎ合わせるのですが、多分、自動ではそれは無理なのかな??
風景のように、動かない物ならば、問題はないのかも知れないのだけど・・ね??
6月1日『有意義な無駄と無意味な無駄』 ·
私は非常に不器用で、しかも怠け者なので、人と同じ作業をさせると余りにも遅いので、周りの人達から驚ろかれる事がよくあります。
小、中学校の時には、絵を授業の時間内に描けた事が一度も無い事が自慢です。
だから私に取っては、人並みに仕事が出来るようになる事が•••、或いは、日常生活を人と差し障り無く生活出来るようにする事が•••、つまり、所謂、『人並み』・・という言葉が私の人生の最大の課題でした。
高校生ぐらいになって、或程度の社会的な知識が出来て来ると、自分のそういった劣等感を補うための小さな、日々の努力が始まりました。
それが今で言う所の「時短」です。勿論、当時は時短等という便利な言葉はなかったのでね?
小学生からの私のnoteを見ると、大きな乱暴な文字でハミ出すように濃く書きなぐっています。
中学生の時に、勉強の出来る女の子にnoteを見せて貰ったら、小さな丁寧な文字で丁寧に書き込んであって、びっくりして驚いてしまいました。
「noteって、こんな風に書くものなんだ??」ってね・・!
学校で書いているnoteという物は、家で読み返すためのものである・・という事をその時に、初めて知ったのです。
noteとは、読み返すためのmemoである・・・というnoteの意味を・・
その次の日から、自分のnoteを一新して、見えるか見えないかぐらいの小さな文字で、丁寧にlayoutを決めて書く事にしました。鉛筆も2Hぐらいのhardな鉛筆に変えました。
折角、書き始めたnoteなのですが、大学生になった途端に、memoを取る事や、noteを書く事自体が無くなってしまったので、折角のnoteもそれっきりになってしまいました。
でも、小学生の上級生辺りから、折に触れて書き綴った日記風の雑文は、大学生になっても書き続けていました。
私の雑文と、日記との大きな違いは、日常の生活をmemoryとして書く・・のでは無く、小説や詩の思い付き、アイデアや草稿、覚書になっているので、毎日、日々を顧みて書くものではなく、気が向いた時に、折に触れて書く・・という所謂、雑文なのです。
高校生の時から始めた自己改革の根本的な方向性は、人と同じ速度で仕事を熟す事だったので、その根本的な自己改革は徹底した時短と平行作業の二つを組み合わせたものでした。
しかし、日本の社会では、「時短」と言うと、「手抜き」と勘違いされて、馬鹿にされる・・というか、正しく認識して貰えない事が多いのですよ。
日本の社会では徹底的に根性主義の100回で出来なければ1000回の社会なのですよ。
しかし、それは間違えた学習法なのです。
教室ではtabooとして絶対にやってはいけない練習法なのですが、教室で学んだ人達ですら、自分の生徒や子供には、その根性主義の練習を要求してしまうようです。
社会常識というものは、幾ら教室で私のmethodeを教えても、直ぐに戻ってしまって、本当に困ったものだよな??
教室で育って、音楽大学に進学した生徒達ですら、いつの間にか日本流の練習法に戻って、頭を使った練習をしなくなるのですからね??
日常の中で、極端に無駄を省いて、「時短」を目指すと、私のようなブキッチョな人間でも、器用な人よりも速く仕事をする事が出来て、しかも丁寧に、ミスも無く仕事が出来ます。
その「時短」の中での最大の秘訣は、人よりも先に仕事を始める事なのです。
「えっ??当たり前じゃん!!」と思われるかも知れませんが、それが当たり前では無いのだよな??
元来、超怠け者である私は、自分が望まない仕事は逃げようとして、中々その仕事を始めようとはしません。
特に、私に取って『初めてとなる仕事』に関しては取っ付きが遅くなる・・というよりも、やろうとしない事に悩んでしまいました。
つまり、私の人生との戦いは、そういった私自身の一つ一つの怠け癖との戦いでもありました。
初めての仕事で中々、仕事をする気分に成れない場合には、ちょうど料理を作る時のように、先ずは下準備だけをして、いつでも仕事に入れる所までの作業をして、放ったらかしにする事にしています。
仕事のtimelimitが迫って来ても、下準備が出来ていれば、仕事にはsmoothに入れるので、締切に遅れる事はありません。
昔の学校の授業の殆どは「黒板に書かれた文章を自分のnoteに書き写す」事でした。
ふと思いついて、2,3日前に、そのお話を生徒達にしたら、今の多くの学校でも、黒板の丸写しを未だにしているそうです。
教育というのは、50年経っても、何も変わらないのだよな??
ビックリです。
人間は同時に二つの事を熟す事は出来ません。
生徒が黒板を書き写しながら、先生の説明を聴く事は出来ないのです。
だから、曲を演奏しながら、譜面を見る事は出来ない・・と子供達に言い続けているのです。音に集中するのならば、目は邪魔なのです。楽譜を見ている時には音に集中する事は出来ない・・というのは当たり前の話でしょう??
それが芦塚methodeなのですが、その当たり前の事が分からないのですよ。
「暗譜が出来ない」
それは間違いです。
暗譜は癖で、私が絶対に覚える事が出来ないのは、テレビに登場する若くて美しい女の子の名前です。
顔は当然覚えているのですが、名前がどうしても覚えられません。
顔は覚えている・・と言いましたが、それもあやふやです。
同じ顔が多くて、スズちゃんやアリスちゃんが無数にいます。
テレビでコマーシャルを見ながら、「この子はアリスちゃんではないよ!」と言うと、先生達も信じてくれないので、携帯でcheckをして名前を言うと、みんなが驚いてしまいます。
逆にこの子はスズちゃんだよ!と言っても、誰も信じません。私が携帯でcheckをするまでは•••??
記憶なんてそんなもんなのよ!!
今の子供達は、私の知らないアイドルの事ならば、とても詳しく知っているからね?
学校の授業では、先生は生徒達がnoteに必死に書き写しているのを横目で見ながら、書かれた文言の解説をお喋りするのですが、でも私は文字を書くのが非常に遅いので、先生が何を喋っているのかを聞き取る事が全く出来ませんでした。
だから学校で授業中に覚えた事は一つもありません。
流石に高校生ともなると、「これではダメだ!!」という意識が出て来て、教育大学の傍の本屋に行って、先生達の教科書の赤本を買い込んで来て、授業で先生達がお喋りをする内容を事前に読んでおく事にしました。
授業中に先生がお喋りをする笑い話までも、赤本にはそのまま載っていたのだから、笑い話よりも、笑えるよね??
文字を書くのが遅いので、文章の最初に出て来た一回目の単語の文字だけはちゃんと書くけれど、2回目からは、頭文字だけを書く事にしました。
省略する単語はunderbarで書き表します。
「t、ssが、wにあdvをstkrmt。(と、先生が私にadviceをしてくれました。)」という風に文字を書いたのです。
その当時は、パソコンすら全く無い時代だったので、あくまでも手書きを想定した、自分でmemoヲするための方法として作ったのですが、これは現在は「tgt(単語登録)として、pcでもそのままsysちms。」(単語登録として、パソコンでもそのまま使用しています。)
しかし、こういった一切の無駄を省くsystematicな方法は、今に限った方法論ではなくて、戦国時代の兵法ではたった一つの無駄な動きが「死」を意味するので、完璧に無駄を省く事が、剣道の極意だったのですよ。
そういった意味で、時代劇を観ていると、人を切る動作に無駄が多いよね?刀は歯と歯をぶつけたら、歯がこぼれてしまって切れなくなってしまいます。相手の刀はミネで受けるのですがね?
私の持っている古刀でもミネに歯の跡が付いていますよ?かなり深くね??
実は、勉強の仕方やviolinの奏法にも、全く同じ事が言えるのですが、勉強でもviolinのbowing一つでも、極力、無駄を省かなければならないのです。
戦国時代とは違って、間違えたやり方で練習をしても、それで死ぬ事は無いので、必要を感じ無い人達の方が多いのですよ。
封建制度を確率した徳川家康は、戦国時代の武将なので、とても合理的な考え方をしていました。
彼は、自分の子供達が自分と比較しても優れた人材になるような儚い夢は抱きませんでした。
まあ、徹底したリアリスト、それが戦国を生き抜く秘訣だったのでしょうからね??
そのために自分の子供達がどんなに凡庸であったとしても、家を存続出来るような制度を確率したのです。
閃きのある優秀な優れた人材は、極力、排除して、凡庸で努力だけで、成り上がる人材を権力の座に座らせたのです。
家元制度も同じで、師のcopyを完璧に出来る人に家元を継がせて、チョッとでも異を唱える人間を排除するのが制度を維持する秘策なのです。
日本の音楽界でも、師匠に異を唱える事は当然としても、質問をする事すら許されないのは、師が質問に答える事が出来ないという想定なのですよ。
だから、師匠が間違えた解釈で日本に持ち込んだ技術が100年経っても日本のClassicの演奏法の伝統になってしまって、BerlinphilのSchwalbé先生に「日本人のエイズ奏法だ!」と言わしめてしまうぐらいに、日本には間違えた演奏法が主流なのですよ。
まあ、日本の音楽がどうでも私にとっては全く関係はないので、私自身の話しに戻って、
私は、一つ一つの作業自体は非常に遅いのですが、その仕事を幾つも組み合わせる事に寄って、結果的に、人よりも速く仕事をする事が出来るようになります。
音楽の練習も同じです。
極端に無駄を削ぎ落とすと、殆ど練習をしなくても超、上手に演奏する事が出来るようになります。
しかし、日本の封建制度の中では、或いは、世襲制度の中では、根性主義の方が価値があるように受け取られガチです。
私が「時短」を口にすると、よく「手抜き」と勘違いされる事があります。
『手抜き』はNiveauを落とす事に繋がってしまい、結果的には社会的な信用を無くすので、結果的には「時短」にはならないのですよ。
「時短」は無駄を省く事だというと、「無駄にも意義がある」と返される事があります。
しかし、それは、無駄の定義の勘違いなのです。
芦塚methodeにも、致命的な欠点があります。
それは芦塚methodeでは、根性が身に付かないのですよ。
逆の言い方をすると、根性の有る人が芦塚methodeを学ぶと最高の効率を上げる事が出来るようになると思うのですがね??
根性のある人は、自分の練習法を悩まないのですよ。自分に疑問を持たない•••というのかな?
6月3日violinとCelloのための二重奏曲集から『第二番』 ·
「もう、finaleには入力をしない。
You Tubeにもuploadしない。」と6月の1日に言ったばかりなのに、次の日には、しっかりと、violinとCelloのための二重奏曲集から『第二番』の入力とuploadを終えてしまいました。
芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より『第二番』 - YouTube
6月3日「violinとCelloの二重奏曲集」から『第一番』 ·
曲は、「violinとCelloの二重奏曲集」から『第一番』という事で、violinとCelloの組み合わせでは、最初に書いた曲です。
やっと2分そこそこの、超、短い曲ですが、まるでお正月に子供達が遊んでいるような童歌のような雰囲気の曲ですが、1976年の1月の2日に鬱で眠れぬままに書いているので、マジにお正月の曲です。
写真は江古田ハイツのentranceの前のドウダンツツジなのですが、結構季節毎に雰囲気が変わって、楽しめるので、写真が集まっていました。
多分、区の管轄なのかな??
今は短く刈り上げられたので、この所の1,2年は写真には撮ってはいません。
芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より「第一番」 - YouTube
6月4日コンビニ・クーラー ·
今日は6月4日の金曜日です。
今日の椎名町からの帰宅は、いつもの通りにcinderella-timeを遥かに過ぎた深夜の帰宅で、しかも、ドルプリっ歩の間に結構雨が強く降り始めて来たので、rain-coatでの帰宅になりました。
なんとなく、そのまま眠る気になれなかったので、録画してあったテレビのdramaを見ながら、uploadしていたduoの手直しをして、You Tube上の動画を差し替える作業をしてしまいました。
曲の手直しや、You Tubeにuploadするまでの作業が思ったよりも掛かってしまって、朝の6時を過ぎてしまったので、慌てて布団に潜り込んだのですが、結構寒くて、超薄手の夏用の羽毛布団を毛布に戻すのか、それとも中厚の羽毛布団に戻すのかを、悩んでしまいましたが、結局の所は、面倒くさがりの私なので、そのまま、寒いのを辛抱して、夏用の羽毛布団で寝てしまいました。
昨晩から降り続いている雨は、段々と強い風を伴って来て、玄関の外ではもがり笛が鳴り響いています。
玄関の外が、騒がしい・・・という事は、北風が強いという事なので、未だまだ寒くなる・・という事なのです。
結構、満足が行く所まで、finaleの作業も出来て、You Tubeで確認をしていたら、そのまま、椅子に座ったままで寝落ちしていました。
だから、お弁当類を仕舞い忘れたままに、大急ぎでbedに潜り込んだのですが、寝落ちするぐらいなので、直ぐに眠れたのですが、眠りが浅くて、超現実的な変な夢を見て、one coursで目が覚めてしまいました。
超、現実的な・・という意味はsurréalismeという意味ではなく、現実の生活と区別の付き難い・・という意味ですがね??
toiletteに行って、直ぐにbedに戻ったのですが、鼻詰りと弱鬱と、湿気で眠れなくなってしまったのです。
(私は極度に湿気に弱いので、梅雨の季節には、吹き出物が体中に出て、化膿して大変なのですよ。九州の梅雨は、湿度がそんなに強く無いので、体も平気なのですが、関東ではこの時期には、除湿機が無いと全く生活が出来ません。チョッとでも油断していると、大きな発疹が出来てしまうのです。市販の汗疣の薬では対処出来ない程の、困りものです。)
こういったまるで梅雨のような、鬱陶しい季節には、部屋の温度を下げてしまう大型のcoolerではなくて、買い置きのコンビニ・クーラーの方が、除湿をしながら部屋の温度を上げるので、気持ちが良いのですが、作業部屋は狭いので、移動用のcoolerが不必要な季節では、隣の部屋に仕舞い込んでいるので、食堂兼作業部屋まで、持って来なければなりません。
大した手間では無いのだけど、寝起きの今は、チョッと体力的に負担が大きいので、寒さを辛抱する方が楽なのだよな~ぁ??
マジなお話では、隣の部屋からコンビニ・クーラーを持って来るのは怠け者である所為だけではありません。
私の場合には、寝起きには、腰の筋肉が緩んでしまっていて、チョッと下を向いたり、重い物を持ち上げたりすると、ギックリ腰が再発してしまうのですよ。
うっかりと下に落ちていたティッシュを拾おうとしても、腰に来る事があるのです。
そうすると一月程は、動けなくなってしまうのですよ。
てな事を言いながら、思い切って隣の部屋からコンビニ、クーラーを持って来ました。早速電源を入れたのですが、湿度が高いので、部屋の湿度が下がりません。諦めて、取り敢えずは大型のcoolerで除湿をしてから、コンビニ・クーラーに切り替える事にしました。
流石に、大型coolerで除湿をすると、ほんの10分もしない内に、寒くなってしまいました。
そろそろ、コンビニ・クーラーに切り替えるか??
6月5日『Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembalo譜作成のお話』 ·
今日は6月7日の火曜日で、泌尿器科の術前検査の日で、夕方から川崎の幸いクリニックまで日帰りの検査に出かける予定です。
朝一で、2時間程この文章の手直しを、昨日書いた全く別の文章と結合させて、完成稿に近づけていたのですが、「後少しで終わる」・・という所で、な、な、な、なんと! 全部の文章がぶっ飛んで午前中の2時間の作業と前日の入力した別の文章も無くなってしまいました。
まあ、Facebookのぶっ飛びは、いつもの事なのだけど、ほんと腹が立つよね~ぇ??
Facebookって日本の小さなsoftの会社では無いよね・・・多分??
・・という事で、小一時間程は、呆然としていたのだけど、気を取り直して、思い出せるだけ思い出して書いて見る事にします。
なんという鉄のような忍耐力だろう!!
我ながら感心してしまうよな??
以下、本文
『Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembalo譜作成のお話』
『Cembaloのpart譜作成についてのお話』
昨晩、牧野先生から「Vivaldiのrecorder-concertoのscoreにCembaloのpartが付いていないのでcembaloの譜面を書いて欲しい!」というorderが入った。
市販のorchestraの楽譜でも、orchestraの楽譜ともなると、Cembaloのpart譜が付いている楽譜は少ないし、またCembaloの譜面が付いていたとしても、右手のpartの動きが不自然で、演奏不能なものさえある。
また、中々良いarrangeであったとしても、基本的には子供が演奏するようには書かれてはいないので、子供には技術的に不可能なarrangeが多いのだよな。
私がCembaloのpart譜を作る場合には、音楽教室で子供達が演奏するという前提で作るので、Cembaloを担当する子供が演奏出来るように、予め、Cembaloのpartを「誰が弾くのか」が、決まってからCembaloのpart譜の作成に取り掛かる事にしている。
そうしないと、その子供の力量に合わない場合には、作り直しをさせられる事がよくあるからなのだ。
Cembalo譜の作成は、予め「誰が弾くのか??」を決める事が先決なのだよ??
但し、教室でも、しょっちゅう、多くの生徒達が演奏をする常設曲では、その年代のgroupが変わるので、演奏する生徒の力量も変わる場合がよくある。
例えば、日本中の色々な音楽教室で演奏されている、初歩のviolinの教材として有名な『VivaldiのL'estro Armonico(調和の霊感)の中のOp.ⅣNr.6 a mollの曲』なのだが、出版されているorchestraの楽譜は、proの演奏を想定しているので、Cembaloのpartは結構難しく書かれている。
こういったbaroqueの音楽の名曲の場合でも、本来は、子供用の教材では無く、proが演奏する曲としてのa mollなので、楽譜もamateurのための楽譜では無く、proが演奏するための楽譜として、書かれている。
という事で、教室としては、仕方が無いので、教室の子供達のために、Cembaloのpartを作るのだが、その時にCembaloを担当する生徒の力量に合わせて、対旋律一個のversionから、対旋律2個のversion、簡単versionから、対外出演用のversionまで、多数のCembaloのpart音のversionがある。
勿論、対外出演用のpro-versionも作ってある。
同様に教室のorchestraのthema曲でもあるPachelbelのcanonも、超初級versionから初級、中級、上級versionと、更にpro-versionの4種類のCembalo譜が準備されているのだよ。
という事で、今回は、或程度のveteran組の生徒が弾くという事なので、結構、難しめのCembaloのpart譜になったぞよ!!
『finale入力に際してのtemplateの作り方』
routineの食事とドルプリのお散歩が終わって、ハイツに戻る直前に書き込み用の楽譜をcopyして貰って、持ち帰った。
「書き込み用の楽譜」と私が言っているのは、普段の楽譜で、指揮をしたり、楽譜をcheckをしたりする冊子になったscoreとは違って、最初から、scoreからfinaleに入力する時に、間違わないように、小節番号を書いたり、練習番号を書き込んだり、同じMotivの箇所を蛍光ペンで色塗りをしたり、その曲全体を書き終える頃には、その書き込み用の楽譜は、checkで真っ赤っか・・になって、普段使いの楽譜としては使い物にならなくなってしまう楽譜の事なのだよ。
普段ならば、仕事が派生した次点で、(椎名町からハイツに辿り着いた時点で、)recorder-concerto用のtemplateを作る所までは、その日の内にやっておくのだけど、まあ、しかし、昨晩は、流石に、超、バテていたので、取り敢えずは何もしない事にして寝た!
幾ら疲れていても、眠れないものは眠れないので、朝は通常通りに、one-coolの1時間半後の5時50分には目が覚めててしまった。
所謂、頻尿のtoilette-timeで目が覚めただけなのだが、その後の「二度寝」が出来なくって起きてしまった。
仕方が無いので、ウダウダと昨晩持ち帰って来たお弁当を冷蔵庫に仕舞ったり、持ち帰って来た、色々な小物類を所定の場所に収める作業をして、それから、何とかやっとVivaldiのscoreのtemplateの作成を始めた。
『templateのお話』
scoreから書き出す必要なpartはCembaloのpartのみなのだが、私の場合には、常に、『大は小を兼ねる』で、full scoreのtemplateを作るのだ。
他の楽器のpartが必要では無い場合でも、full scoreにしておくのは、仕事の速度と間違いを少なくして、作業の正確さを期するために、必須の条件なのだよ。
「時短」を図ろうと、Cembaloのpartだけを作るのは、『**休むに似たり』で、逆に、間違いを誘発して、作業効率も悪くなるのだよ。
「時短」の原則は、常に『急がば回れ』なのだ。
finaleで、先ずは、Vivaldiのscoreのtemplateをscoreに楽器群と小節数を正確にscoreに合わせて、作成する。
Cembaloのpartを作成するのが目的なので、先ず、取り敢えずは、score上のCelloのpart(所謂、basso continuoのpart)を、finaleのCelloのpartに入力をするのだが、その前に、(この場合の「その前に」という意味はscoreからfinaleに入力をする前に・・という意味である。)書き込み用のscore上で、themaをコピペ出来る箇所をscore上で探して、蛍光ペンで塗り絵をして、それから最初に、templateにthemaを入力したら、そのthemaをコピペ出来る小節にコピペをする作業を始める。
Celloの「虫食い」のpart譜が出来上がると、次に、その「虫食い」の箇所の穴の部分に、コピペの出来ない箇所をscoreから入力をする。
そしてCelloのpartが完成したら、そのpart譜を、Cembaloの左手のpartにdrug&pasteをする。移調をすれば良いだけのMotiv等や、1音符だけ打ち直せば良い箇所もしっかりとコピペするのだよ。
通常の場合ならば、これでscore入力の半分ぐらいまでは出来上がるのだ。
『蛇足のお話:Keyboardという言葉について』
通常は、鍵盤のKeyboard(パソコンのfinaleでの作業では、鍵盤のKeyboardとcommand-keyを入力するためのパソコンのKeyboardを両方使うのだが、どちらもKeyboardとしか言わないので、ややこしい。MIDI-Keyboardという言い方もあるのだが、今は殆どMIDI端子を使わないので、その言い方も、問題だよな??)と手入力を駆使して入力するのだが、baroqueのconcertoは、通常は、ritornelloの形式なので、repeatが多いハズなのだが、今回のflute-concertoのOp.10 Nr.5では、コピペ出来る箇所が殆ど無かったので、結構、入力をするのに、手間が掛かった方かな??
『real-time入力のお話し』
私の弟子達は、real-time入力でMetronomの音に合わせながら、入力をするので、音価を決めるための10keyを打つ必要がないので、非常に入力の速度が速く、つまり、演奏時間だけしか掛からないのだが、私の場合には、音価の計測の範囲を8分音符単位ぐらいまでに、大きく設定しても、音価をfinaleが判断してくれないのだよ。
finaleの場合には、releaseの音で、音価が判断されるので、legato奏法を取る私の演奏styleでは、音が重なった部分の判断がfinaleでは出来ないからなのだ。
今の音楽家の殆どの人達は音のreleaseが速いので、私が聴くと、音が粒粒と切れて聴こえるのだが、所謂、Czerny奏法とかMozart奏法とかleggiero奏法とか言う奏法になるのだよ。
特にpopularの人達の場合には、音のハギレの良さが命になるので、legato奏法の奏者はいないのだよ。
私の場合には、cembaloやorganの奏法を学ぶ前から、pianoを学ぶ時に、legato奏法で学んで来た。Cembalo奏法、Organ奏法 cramer奏法 legato奏法とも言うのだよな??勿論、チェルニーの教則本やMozartのソナタはレジェロ奏法的学んだので、弾き分けは出来るのだが····
いずれにせよfinaleでは、音はrelease(after-touch)がしっかりしていないと、real-time入力は出来ないのだよ。(設定が4分音符と8分音符ならば、誰でも出来るのだろうが?)
『校訂作業』
取り敢えずCelloのpartを入力したら、scoreを眺めて、「 bezifferten Baßの数字の間違い」や、score自体の音の間違いを探すのだよ。
出版されている楽譜では、間違いは無い・・と思い込んでいる人達が多いのだが、「それは勘違い」で、出版されている楽譜でも、間違いは、結構あるのだよな?? これが・・・
単なるミスプリの場合や、楽譜を制作した時の根本的な間違い、それに加えて作曲者自身の間違いも見受けられるのだよ。
言い方を変えると、間違いの無い楽譜は無い・・・と言っても過言では無い。
scoreを見ながら、 bezifferten Baßの数字と照らし合わせて、数字の間違いや音符の間違いの訂正をするのだが、数字の動きが複雑な箇所は、soloのpartや、1st-violin、2nd-violin等のpartを虫食い状態で、書き込んで、より正確に和音が見えるような状態にして、score上の楽譜から bezifferten Baßの数字や、音の訂正をしなければならない。
より複雑なpassageでは、melodieを書き込む事に寄って、Cembaloの和声のpartを書くのが視覚的に楽になるからだ。
『layout作業』
まあ、私がやる所は、layout作業もscoreまでで、part譜のlayoutは基本的に作らない。
part譜の場合には、視覚的な出来上がりよりも、譜めくりのtiming等の演奏者としての立場が必要になるからである。
私が、全部のpart譜を作り上げるのではないので、Cembaloのpartを書き終わってからは、2時間程を掛けて、checkを二度、三度と繰り返しやって、(・・・とは言ってもfinaleの入力上の間違い探しをしている分けでは無い。finaleを音源で聴くので、目からの情報ではなく、耳から情報なので、極めて正確なので、間違いを探す事は有り得ないからである。最終checkでは、演奏上のspielbar(弾き易さ)とか、ornamentを書き加えたり、即興を入れたり、等々の作業をするのだ。)、それでも、10時頃には椎名町にlineで楽譜を送った。
part譜のlayoutは、原則として、私はしないので、斉藤先生が私の送った楽譜のpart譜をlayoutをして、椎名町の大型のprinterでprint outをして明日の日曜日のオケ練習までには、Cembaloを担当する生徒に渡す予定である。
『蛇足:Vivaldiの教育methodeについて』
Vivaldiの作曲法は一見すると単純明快で簡単(simple)に見えるのだが、これが『さにあらん』のだよな。
人間は、themaのMotivが偶数ならば、覚えやすいのだが、奇数でしかもその都度、randomに繰り返えされると、人は、覚える事が難しくなってしまうのだよ。
唱歌形式に寄る簡単なmelodieは、2小節単位にa+b,という所謂、歌謡形式で作られているのだが、VivaldiからHaydnに至るまで、themaが奇数の延長上で作られて、甚だ複雑な形態を取っている事が多いのだ。
Vivaldiの超簡単な初心者用の教材として知られている『L'Estro Armonico(調和の霊感)Op.3Nr.6』のa mollの曲ですら、至る所にそのrandomな繰り返しのtrickが散りばめられていて、初心者の子供達を悩ましている。
Vivaldi先生の考える指導者としてのmethodeでは、正確に記憶する・・というtechnikを生徒達に指導するのが目的なので、kleinigkeit(小さな)なveranderung(変化)・・・の『違いが分かる』ようになると良いのだよ。
全く同じように見えても、強弱が逆だったり、小さなskipが入っていたりと、微妙に変化させるのだよ・・な??
そういった所に気が付くようになると、記憶力はかなり正確なものになって来るのだよ。
記憶のmethodeの極だよな??
現代の日本の教育界では、dataだけを丸暗記して・・その意味を理解しようとはしない教育を受けている。
だから、子供達はそのdataの意味を知らない。
意味の無い記憶は、違いが分かるどころか、記憶でさえ無いのだよ。
という事で、今の子供達には、「記憶」というものは無い。
人生の大半を無意味に過ごしているので、昨日の事すら定かに覚えている分けではない。
1週間前に教えた事ですら、「習った事はありません。」とすまし顔で言う。
時には「若年性のAlzheimerではないのかな??」と思う事さえあるのだよ。
困ったものだ。
私のhomepageの論文のsiteである「芦塚先生のお部屋」の論文の全文章がぶっ飛んでしまった・・と思っていたのだが、「Vivaldiの『L'Estro Armonico(調和の霊感)Op.3Nr.6』のa mollの曲のAnalyseのhomepageが、奇跡的にback・upの原稿が見つかって、復活する事が出来たので、全文を復活させる事が出来ました。
この論文は、読む事が出来ます。
という事で、繰り返されるthemaが、繰り返される毎に変形されていくのを一覧表で見る事が出来ます。
Gott sei Dank!(ありがたや!!)
Vivaldi a moll Analyse
ASHIZUKA-S-OHEYA.ASHIZUKA-ONGAKU-KENKYUJO.COM
Vivaldi a moll Analyse
まえがき ritornello形式について tuttiの部分の比較譜 soloの部分の比較譜 出版社について version Cembaloについて baroque時代のorchestraの並び方と演奏者の人数 この曲を演奏するのに必要な最低人数 VivaldiのLebenslau....
Vivaldi a moll ⅠAnalyse (ashizuka-ongaku-kenkyujo.com)
この後に書いていた文章と、二つの文章を一つに纏めてこの文章を完成原稿に持って行っていたら、突然、エラーで文章全体が、ぶっ飛んでしまって、元の文章も書き直した文章も見つからなくなってしまった。
「エラーが出ました!」の一言で以前書いた文章も、全く何も無くなってしまったのだよな。
今日の1日の作業が無駄になってしまった・・・!!
とは言っても、未だ朝の7時なのだがね??
削除をした別の文章はゴミ箱に保存されているハズなので、archiveを見てみたのだが、ゴミ箱を見ても保存されていないのだよな??
全く紛失してしまったという事だよな??
超Shockだよな!!
マジ、Facebookはよくあるよな??文章がぶっ飛ぶ事が・・
これが世界企業とは片腹痛いわさ!!
6月6日『今回の発表会への選曲について』 ·
教室での「曲決め(所謂、選曲)」は、一人一人の子供達の音楽の成長に合わせて課題となる曲を決めている。
次のstepへの課題となる技術のthemaが含まれている曲を選曲する分けなのだ。
だから、一般の発表会のように、「有名な曲だから」とか、「子供が好きだから」という理由で「曲決め」をする事はない。
但し、年2回の「夏のおさらい会」と、冬のChristmas会のお楽しみ会」は、生徒が自主的に弾きたい曲を弾くような企画でやっている。
勿論、教室の方針でpopularの曲は無理だが、実際には、生徒達が弾きたい曲で「popularの曲を弾きたい」と言った生徒は今まではいない。
また、会場もKoncert・Hallではなくて、自治会館等の多目的Hallになる。
当然、衣装も発表会衣装ではなくて、普段のお出かけ衣装になる。
発表会やおさらい会等の形態の異なる演奏会をするのは、そういった演奏会場でのTPOやmannersを学ぶ意味もある。
また、一般的には発表会は多くても、1年に1回か、1年半に1回ぐらいであろうか?2,3年に一度という教室もザラである。
それは発表会を開催するための雑事がとても大変だからなのだ。
その煩わしさを回避するために、楽器店に発表会を委託している教室も多い。
私達の教室が外部委託をしないのは、発表会やおさらい会、Christmas会等に明確な教育的な配慮をしているからなので、それを外部の楽器店のstaffに理解させるのは無理だからなのだ。
初めに戻って、・・・発表会を目標として、明確な技術習得を目的として「曲決め」をするのだが、「曲決め」は、その生徒に最も必要なtechnikや音楽表現の技術を学ばせるための選曲である。
子供は成長の過程で、指を回す訓練をした方が良い時期と、音楽的な表現を学ぶべき時期があり、それはその生徒の心の成長に寄って、その時期とcurriculumが決まるのだよ。
一般的には小さな子供でも「技術的に優れているから、」とか、「よく練習をするから・・」と、いって、無理に大人びた曲を弾かせている動画等をYou Tube等でよく見受けるのだが、それは傍目には無理な背伸びをしているだけの、やはり、笑いものに過ぎない。
早期教育の意味の全くの勘違いである。
そんなに焦って早期に難しい曲を無理をして弾かせなくても、歳を取ると(或程度、年齢が行くと)、どんなに難しい曲でも普通に弾き熟すようになるのだ。
それが5歳で弾けたから・・と言っても、それでその生徒が音楽のproに成れると確約出来た分けではない。
余りに、早期に難しい課題をひきこなしてしまうと、逆にその過程で学ばなければならない事を、飛ばして学んでしまうので、逆にproの道に進む事が難しくなってしまう。
下手に指が回るようになると、細かい音や細部の注意をするのが難しくなってしまうし、初歩に戻って学び直す事がprideに障るからだ。
小学生で学ぶ事、中学生で学ばなければならない事、高校生でしか学べない事等々が、それぞれの年齢で、数多くある。その時期を逃しては学ぶ事が出来ないからだ。
また、これは論外中の論外のお話ではあるのだが、「中学生では受験に専念して、高校生になったら音楽に掛ける・・と言う生徒もいるのだが、そんなに都合の良い事が出来る程、proの道は甘くはないのは自明の理である。
勿論、生涯をamateurに徹するのならば、その時期で、人生の目標を変えたとしても、やぶさかではないのだが・・ね??
しかし、覆水盆に返らずで、proがamateurになれる事はあっても、その逆は有り得ない。
一度道を外したら、元の道に戻って来れる事は無い。
自分自身に与えられた、それぞれの時期を精一杯に、努力を続けた人達だけが、proの道を歩む事が出来る・・と言いたいのだが、実は、音楽はそれ程簡単で、甘くは無い。
それはあくまでも、優れた指導者に巡り会えた場合・・という前提の元で・・なのだよ。
一般的には権威と地位のある人間が優れた指導者とされているのだが、それはとんでもない間違いである。
有名なだけで、指導力の無い間違えた指導者に付いた場合には、どんなに努力を続いけたとしても、道に至る事は無いのだが、一般の人達にはそれだけは分からないらしいのだ。
brand嗜好の人達に取っては、音楽の価値とは、一般の人達が評価する価値であり、とどのつまりは権威と名声に尽きる。
一般的には、権威のある人達や、有名な人達に自分もそうなりたいという人達が、名声や権威を求めて、集まって来るので、より名声のある家元の所には、より名声を求める人達が集まって来る。
brandとは、それだけの事なのである。
本当の意味で音楽を追究する人達は、権威や名声には興味を持たない。ひたすら、音楽を追究するだけである。
そういった無欲の人達が本当に優れた人であり、優れた指導者となり得る。
しかし、今の日本の音楽の社会で、そういった事を理解出来ている人は極めて少ない••••というか、皆無であろう。
哀号!哀号!!
また、日本でのもう一つの誤解は、「音楽のproになるには、技術的に優れていれば良い」・・という誤った風潮があって、未だに、多くの音楽を志す人達が、その誤った考え方から抜け出す事が出来ないのだよ。日本人は音楽を演奏する時に、音楽に合わせて笑ったり、体で乗ったりして演奏する事を忌み嫌う。
Europaの演奏家達とは真逆のstyleである。
教室のオケ練習や室内楽の練習でも、「自分は充分にその技術に達したから・・」と思い込んで・・というか自惚れて、練習に来なくなる生徒がよく居る。
でも、それは周りの生徒が下手なだけなのだから、その生徒が抜きん出て上手になった分けでは無い。
OB、OGの連中が毎回のオケ練習に参加すれば、慌てて練習に来るのだろうが、それはあなた任せで本意では無い。
なぜならば、私のlessonの内容は変わらないからなのだ。
全体のlevelが下がったとしても、指導するlevelを落とす事はないから、そこで学ぼうという姿勢があれば学べるハズなのだが、それが無い・・という事は、proの世界では所詮は通用しない。
proは、周りの水準がどんなに落ちようとも、自分の水準を落とす事は無いからである。
という事なので、私が常に子供達に注意をしている事は、どのgroupに対しても、どのNiveauの子供達に対しても、いつも同じ事を説明して、同じ事を指導している。
オケ練習の時に私が投げ掛ける質問に全て答える事が出来るようになったとしたら、練習を免除してあげる事もあるだろうが、実際には未だそういった生徒にお目に掛かった事は無い。
私が私のmottoは「一度言われた事を二度は言われない」と繰り返し言っているのだけど、100回言った事も、記憶の片隅にも無いのだよ。
音楽への正しい理解がなければ、そこはどんなに技術力が付いたとしても、学生の域を出る分けでは無いからだ。
しかし、このお話は教室の生徒達に対してのお話ではないのだ。
それは今の若者達の一般的な考え方であって、「自分は一流の演奏家である」と信じて疑わない、You Tube等で、何十万回とaccessをされている若い女の子の演奏でも然り(同じ)なのだよ。
彼女に対しての、厳しい批判やcommentも時折見受けるが、彼女がそれを聴く事は無いだろうし、今の彼女の音楽の方向性を変える事はないだろう??
多分、今のままで、30の壁は越せないだろうな??
その時に彼女が言う言葉も分かっている。
「音楽でやるべき事はやり尽くしたから、次は愛に生き、恋に生きるのだ!」とね??
やり尽くしたと言っても、技術的には取り敢えず演奏が出来ているのに過ぎないので、兎も角も、音は出ていないし、音楽もブチ切れで、melodieの説得力も無いのだよな。
だから、アニメ・ソングを弾く時は上手いのかもね??私はアニメ・ソングはよく知らないのでね??
自己満足的な自己appealだけの音楽は、その女の子の若さや精気が失われた時に、彼女のフアンも逃げて行くだけなのだよ。
その若さで勝負の人達と実力派の人達が入れ替わる歳を私は30の壁と呼んでいるのだが、29歳から34、5歳までの間に音楽家は入れ替わるのだよ。
音楽大学を卒業しても、コツコツと音楽の研鑽を続けて来た人達が30歳を過ぎた頃に日本に帰って来る。その時期には若くて美人の人達も、「花の色は移りにけりないたずらに・・」であるぞなもし。
幾ら技術的に上手いからと言っても、未だ精神的に幼くて、精神的に演奏表現が出来ないという生徒の場合の選曲や、音楽を遅く始めたので音楽は分かっているのだが、その音楽の表現力が足りなくて、演奏技術が表現力に伴っていない生徒達の場合もよく見受けるのだが、そういったunbalanceな伸び方をしていて、行き詰まっている生徒を時折見受けるのだが、それも教室でならば、選曲の妙技でどうにでも解決をさせて、本道へ戻す事は簡単なのだ。
要は指導者のrepertoryの広さと曲への分析力に掛かっているのだよ。
そういったcurriculumに合わないunbalanceな技術levelしか持ち合わせていない生徒でも、選曲一つで上手にその段階を乗り越える事が出来るのだ。
子供の技術的な成長と指導者の指導のconceptが噛み合わないと、教育が上手く行く事はない。
碎啄とは、お互い同士が呼応し合わないと、そこからは何も産み出されないのだ。
生徒がどのように技術的に優れていたとしても、その生徒の音楽に対してのmotivationが低ければ、その生徒が自分自身の能力を活かせる事はないのだ。
勿論、その逆で、とても高いmotivationを持っていたとしても、その生徒の技術levelがその曲のNiveauに達していない場合も、同様である。
つまり、技術の水準を上げる事の出来る指導者は世界でも、ほんの一握りに過ぎないからだよ。
baroque音楽の場合には、そのritornelloの形式に含まれるsoloの部分のfigurationも、concertoという楽曲の性質上、Etudeのような無味乾燥なものではなく、情緒豊かな音楽性を持ったpassageに満ちているのだよ。
音楽の世界には、「Koncert-Etude」と呼ばれている、Etude本来の目的である音楽技術の習得を目的とする分けではない・・genreの音楽がある。
ChopinやRakhmaninov等の作曲家達は、figurationで作曲された曲を、或る意味、謙遜を込めてEtudeと呼んだ。
しかし、それらの曲と、本来、技術習得を目的とするEtudeでは、演奏する場所が根本的に違うのだよな。
後者のEtudeの場合には、演奏をしたとしても、観客を想定しないのだよ。
初心者のconcours等では、課題曲にCzernyやcramer等の練習曲(Etude)が課題になる場合があるのだが、Koncert・Hallで演奏されて、そこに観客がいたとしても、その観客は音楽を聴くのが目的ではなく、演奏者同士の、演奏技術を比較するのが目的となるので、Koncert会場での演奏とは全くgenreが違う。
Etudeは技術を磨くのが目的なのだから、だから、私が「Etudeは必要はない」と言っているのは、本来のEtudeには音楽的な表現が希薄である・・という事、それが理由なのだからね。
そもそもbaroque時代にはEtudeというgenreの曲は無かった。ritornelloのsoloの部分がfigurationで、完全なEtude様式で作曲されていたからなのだよ。
私としては少子化やコロナの所為にはしたくはないのだけど、教室の生徒不足のために、後期の発表会の「曲決め」では、本来ならばcurriculum通りの曲に進むべきなのだが、orchestraのmember不足や、技術不足のために、curriculum通りの選曲が出来なくなってしまった。
という事なので、今回も、私としては、一人一人の生徒の学習目的に合った曲として決めた曲が、orchestraのmember不足や、技術不足によって、演奏する事が出来なくて、結局、timelimitになってしまって、先生達に一任する事になってしまった。
『recorder-concertoについて』
・・という事で、本来、私ならば選ばなかった・・という曲も多いのだが、今回の「曲決め」の中でも特に驚いたのは、Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのⅠ楽章であろうか??
recorder-concertoを発表会で演奏するのは、教室が始まって50年間の歴史の中で、『初めて』の選曲となる。
recorderの名曲はSonateや室内楽、concerto等、数多いのだけど、その演奏上の難しさから、教室のrepertoryとして上がった事はかって一度も無い。
recorderという楽器は、日本の教育界では、簡易楽器の延長として導入されて来たので、Europaのtraditionalなrecorderの曲とは、全くの別楽器として、隔絶したものがある。
日本のrecorderを指導している教育者達が、若しも、Europaのtraditionalなrecorderの名曲、例えばHändelのrecorder-Sonateや、TelemannやVivaldiのrecorder-concertoを聴いたら、なんと思うのだろうか??
多分、「これはrecorderでは無い。recorderという名の別の楽器だ!!」と言うかも知れないよね??
Vivaldiのrecorder-concertoで、私が「一押し」をするのならば、同じOp.10の曲集の中から、超、有名な、Nr.3 の「五色ひわ」を選曲しただろう??
しかし、超、難しいので、今回の選曲からは、外れたようだ。
但し、いずれの作品も、文部省が簡易楽器として導入した縦笛としてのrecorderではなく、ちゃんとしたEuropaのtraditionalな楽器としてのrecorderなので、その演奏のtechnikはとてつもなく難しい。
それはそうと、牧野先生に頼まれて、recorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembaloのpartを作る過程で、問題箇所をscoreに入力しながら、「これは非常に不完全なscoreである」という事に気がついてしまった。
Vivaldi時代(around1700年代)の作品では、完全にscoreやpart譜が残っている事は稀であって、教会に残っている反故の資料の中から、復元したものが大半なのだ。
Pageの紛失は当然の事、汚れて読めなくなっている箇所も数多く見受けられるのだ。
特にbaroque時代のviolaは、未だorchestraの中の楽器としては認められていない時代なので、violaのpart譜が完全な形で残っている事は少ない。(violaの奏者が少なかったので、violaのpartが作られていない場合も多かったからなのだ。)
HoffmeisterやStamitzのような優れたviolaのconcertoを作曲した人達でさえ、orchestraのviolaのpartは、取って付けたようにしか作曲しないのが普通なのだよ。
但し、Vivaldiの場合には、彼の愛弟子が名viola奏者であったと伝えられている。(これは伝聞です。)
だから、この曲もbasso continuoのpartが五色ひわと同様に、violaがcontinuoを演奏するようになっている。
音域のbalance的にもcontinuoがCelloよりもviolaの方が良かったのだとVivaldiが考えたのだと、思う。
教会や宮廷の中で、奇跡的に現代まで残って来た少ないpart譜やscore等の資料の中から欠落した部分を「多分、ここはこう書いてあったのだろう」と推定して作られたscoreが多いので、当然、絶対にVivaldiならばするはずの無い、実に素人っぽい間違いも多く見受けられる。
Vivaldi本人ならば、絶対に書かなかっただろうというpassageが随所に見受けられるのだが、ひょっとしたら、score作成時には、Vivaldiの愛弟子に作曲の手解きをしたのかも知れない。
Vivaldiの作品番号は、その時代のVivaldiの生徒達の力量を配慮して書かれたものが、多いからなのだよ。
まあ、余りにも素人っぽい部分は、訂正を加えておいたがね??
それを含めて、一般的には『校訂』と呼ぶのだよ。
scoreのTitleの下に、小さく書いてある奴だよ。
但し、その校訂者達も、100年以上も前の人達なので、periodに対しての考え方が現代とは違っていて、感情的に「多分baroque時代はこうだったのだろう?」と言ったような、baroqueに対しての感情的な、感覚的な、現実性の無い、役に立たない校訂の場合も多いのだよ??
こんにちでは、楽器が復刻され、当時の奏法等も分かって来て、かなり正確に当時の音楽を再現出来るのだが、それは、この10年2010年以降になってからの話なのだよ。
つまり、昔(2000年以前)のbaroque音楽の研究は、非常に感覚的なものなので、現代の時代考証にはあっていないのだよ。
だから、こういったbaroqueの曲は自分で責任を持って校訂する他は無いのだよ。
一頃は、「baroque音楽とはこういうものだ!」との思い込みから、eccentricな、速い乱暴なだけの音楽が1990年代から2000年代まで、baroque音楽として流行してしまった。
しかし、2010年以降は、流石に、そういったeccentricな演奏は形を潜めて来て、本来のbaroqueの姿を取り戻しつつあるのだよ。
まあ、そういったinterpretationが出来るようになって、初めて、一流の演奏家と呼ぶ事が出来るのだけどね??
Europaではそれは普通なのだけど、日本ではそれが出来る人はいるのかね??アハッ!
所詮は外国の音楽なのだからね??まあ、致し方は無いのかな??アハッ!
6月10日無事生還を果たしました。 ·
大変お騒がせしました。
無事生還を果たしました。
というか、今日は超疲
れ切ってしまって、全く使い物にはならないようなので、ご報告やその他の雑文は明日からにします。
取り敢えず・・先ずは一筆あらあらかしこみかしこみまいらせ・・・、ほんじゃね~ぇ??
先生!
おめでとうございます!
2021年6月11日 ·
プライバシー設定: 公開
今日は6月の11日の金曜日です。
昨日は、病院から電車で、手術で寝込んで、すっかりと腰痛が再発したので、体調・体力を維持するために、遊び遊び帰って来たのですが、流石にハイツに辿り着いたらバテてしまって、入院setの後片付けを斉藤先生に任せて、私は爆睡してしまいました。
当日は、bikeでの椎名町への移動は、bikeの振動が直接、膀胱の傷に触るので、夜はそのまま移動しないで、ハイツで引き篭る予定だったのですが、何を思ったのか、夕方に目が覚めると、そのまま、椎名町にbikeで移動をして、外付けbluetoothの取り付けの説明をしに行きました。
なにせ、もう、生録のsetが、そろそろひと月近く何も進展しないままに保留のままだったので、その仕事が溜まりに溜まってしまっていて、我慢出来なくなってしまったのです。
外付けのBluetoothなのですが、その使い方を覚えないと、録音の当てレコの作業が滞ってしまうからなのです。二つのearphonesが同時に使用出来るtypeのbluetoothなので、その分設定が難しいのかもね??
しかし、色々な編集作業の中核になる重要な行程なのですから、「出来ない!」では済まされないのですよ・・ね??
パソコン系のtroubleは、チョッとした手順のmissでも、全く動作が出来なくなってしまうので、その操作を覚えるまでは、丁寧に手順通りにやって、よく理解しておく必要があるのです。
それにしても、人様がどこでmissをしているのかを判断するのはとても難しいのですよ。
だって、皆さん、「解説書通りにやっても出来なかった!」としか、言わないのだからね??
いくらなんでも解説書通りにやったら出来るでしょう??
まあ、出来ない時も時折あって、赤で取説に書き込んだりはしているのだけどね??
それから食事をして、ドルプリっ歩はpassをして、そのまま、ハイツに帰る予定だったのですが、ドルプリが「一緒に行こう!」とおねだりをするので、その眼差しに負けてしまって、なんとfull-courseの逆回りをしてしまいました。
夜は、肌寒いぐらいに、涼しくなったので、お散歩は体調的にも問題無く出来ました。(手術の次の日なのにね??)
それでも、椎名町に行った時間が早かったので、12時にはハイツに戻れました。
流石にバテバテなので、「直ぐに眠れるのかな?」と思ったら、弱鬱が始まってしまい、2時過ぎまで眠れなくなったのですが、alcoholは禁止なので、漫然と録画していたテレビの番組を見たのですが、何も頭には入って来ません。
・・という事なので、色々な番組のつまみ食いをしてしまいましたが、何とか2時過ぎには眠る事が出来たのですが、直ぐにtoilette-timeで4時頃には目が覚めてしまいました。
変な夢を見ていたので、それでも嫌な気分で起きてしまいましたがね??(変な夢?? それは日常生活の現実の延長上のお話なので、面白くも何とも無いのですよ。私の意図を誰も理解してくれない・・という現実の悩みなのでね??)
5時、6時と「鼻詰り」と格闘しながら、bedの上で悶々としていたら、「Gott sei Dank!」いつの間にか、また眠っていました。
起きたのは9時を回った辺りです。
今度は、暑くて起きてしまいました。
練馬は、連チャンの30°越えなのですが、今朝は未だ26°なのに、暑くて目が覚めてしまいました。
(とは言っても、この文章を書いている間の一瞬で28°越えになってしまっています。恐!!)
超、珍しく寝室のcoolerを付けてしまいました。(普段、寝る時にはcoolerは付けないのですがね??今日は嫌な温度だったので・・。)
病院では退院の前に、看護士さんが清拭をしてくれたのですが、ハイツに戻って直ぐに風呂に入り直しました。
深夜も体が気持ち悪くて目が覚めたのもあるので、2回も、3回も風呂に入り直しました。
まるで『禊』だなや??
その甲斐あって、まあ熟睡は出来たかな??
今日一日は安静dayにして、明日は、また2回目のVakzin接種です。
次の日には8°越えの高熱が出る人が多いようなのだけど、大丈夫かいな??
チョッと心配だよな??
日曜日は東京には誰もいないしな??
東京にgrandpianoは置く部屋が無くなってしまったので、東京でのprivateの生徒がいなくなったのが、問題だよな??
弟子が作れなくなってしまったのでね??
6月13日今日は、第二回目のワクチンの注射の日でした。 ·
今は6月13日の日曜日の深夜の4時になる所です。
•••と、毎回同じ事を書くのですが、深夜の4時とは、12日の深夜の事なのですが、まだ明けぬ13日の早朝の事でもあります。
同じ話しなのですが、もう一つの困ったちゃんが0時です。
24時間表記ではお昼の0時は12時なので、0時は深夜だけなので、分かりやすいのですが、それでも時折、混乱をする事があります。
今が朝の5時なのか、それとも夕方の5時なのか分からなくなってしまいます。•••て、そりゃあ別の話しだよな??
入院をした8日の夜の0時に、手術に備えて、下剤を処方されたのですが、手術直前になっても全くその気配が見受けられず、そのまま手術をしたのですが、手術の次の日の10日の朝になって、突然下痢になってしまいました。薬が効いて来るまでに30時間掛かったという事ですよね?
本来ならば、その一回で、下痢は収まるハズなのですが、どうした分けなのか、その後、今日は13日にもなろうというのに、まだまだ下痢が止まりません。
部屋で安静にしている時には、なんの問題もないのですが、ドルプリっ歩等の外歩きの時の脈絡のない突然の急な下痢には困ってしまいます。
これはあくまでも、私の素人考えなのですが、下痢は体に入った有害物質を取り除くための生理現象と捉えているので、基本的には私は下痢止めの薬は飲みません。
体の中に入った異物が取り除かれると、自然に下痢をしなくなるので、それを待っている最中なのです。
膀胱癌の術後は血尿が収まったら退院の予定なのですが、結構真っ赤な状態だったので、退院出来るかどうかが心配だったのですが、先生や看護士さん達に拠ると、それでも、結構、きれいな尿なのだそうで、「退院は問題無い」という事でした。「結構、赤い色に見えるのですが?」と尋ねると、「赤い人はもっと赤いのですよ。」という事でした。
排尿痛と血尿が、中々治らないのですが、前回の手術の時を思い出してみると、やはり、ひと月以上も、中々血尿が治らなかった記憶があるので、そんなものかも知れません。
血液サラサラのお薬も飲んでいるので、それも治り難い原因の一つらしいのです。
今日は、第二回目のワクチンの注射の日でした。
前回と同様に、予約の時間よりも早目に到着したのですが、またまた前回ど同様に、待たずに接種する事が出来たので、予約の時間の5時には、ハイツの自宅に戻る事が出来ました。お役所仕事でもやれば出来るのだよね??
たっぷりと時間が出来たので、duoの手直しや、論文の推敲をしようと思ってパソコンに向かっていたのですが、突然倦怠感と睡魔に襲われて、仕事を放ったらかして寝てしまいました。
爆睡して、目が覚めた時には、食事の時間を過ぎていたので、慌てて、食べ散らかした弁当箱を軽く洗って椎名町に大急ぎで移動しました。
その後、ドルプリっ歩の時に、突然の下痢になったのは、書いた通りです。
ワクチンの注射を打つ時に、女医さんが、「利き手じゃあ無い方に打ちましょう?」とか言っていたので、「なんで??」と思っていたのですが、朝になって、注射の後が痛くて、左手が上がらなくなって来て、パソコンを入力するのにも、ちょっとだけ、困ってしまいました。
「なるほど、女医さんが言ったのは、この事だったのか?」と、納得出来ました。
少しだけ、顔も火照っているようなので、熱を計ってみたら、6度9分と微妙な数字です。
熱が上がらないように、大事をとって、安静にして、一日ダラダラと寝る事にしました。
とは言っても、お昼ぐらいには肩の痛みも取れて、普段の40肩50肩の痛みだけになってきました。
顔の火照りも良くなって来たようです。
しかし、まあ、政府のお達しなので、一日、二日は安静にして様子を見るように・・との事なので、敢えて、自己嫌悪に陥る事は無いのではないのかな??・・多分??
それはそうと、ダラダラと寝ていたら、なにやら、お腹が空いて来たので、ふと考えてみたら、前回の食事から、19時間経っていました。
「そりゃあ、腹減る分けだよな??」という事で、やおら起き出して、「食事timeにしようかな??」と思っている所です。
つまり、コロナ・ワクチンの副作用は心配無いようですね??
もう、24時間は経っているようなので・・
という事を書いていたら、テレビでは「2日目が危ない」とか、またぞろ、言っていたのだけど、もう、イイや!!
コロナのお話は終わりにします。アハッ!
コロナ・ワクチンの副反応がほとんどなくてよかったですね。
私は7月1日に第一回目のワクチン接種予定で二回目は7月29日予定なんですが・・・やや不安‼
私も結構不安だったのですが、何事も無くて良かったです。今日は兎に角安静dayです。
ワクチンは2回めがヤバいのです、meが毎週健康増進の注射をしてもらってるところの🏢看護師さん達のほぼ全員が頭痛で薬(カロナール)を飲んだ、発熱した、などになってる。アタシはインフルエンザ予防接種はしたことがないし、、コロナワクチンも本当はやりたくないのだ、アロマ関係の友人は皆『ヤラない!』って言ってる、でも、しかし、やった方がいいのかにゃ😹
ワクチン接種の副反応は免疫の暴走と言われているようですね??私の場合には、基礎疾患と体調不良で、もう私自身の体本来の免疫力が全く無いので、もうすぐ2日目が過ぎますが、全く無反応でした。つまり、あまりワクチンの効果は無かった・・という事なのかな??
インフルの方は、4,5年前に、一度死線を彷徨うぐらいの酷い掛かり方をしたので、病院の先生にしっかりと怒られてしまいました。「老人の場合には、インフルでも死病になるので、ワクチンは必須だ」と・・。それ以来、この2,3年は、出来る限り、真面目に受けるようにはしています。
インフルに掛かったとしても、軽く済むようなので・・。
勿論、真面目で無く受けない時もありますが・・
私はワクチンはマスクと同じだと思っています。ワクチンがコロナに有効か否かは別として、マスク同様に唯のエチケットだと思っています。マスクを着けたからと言っても、感染の防御にはならないし、人にうつす対策にもならないと思います。なにせ運動場に居る子犬一匹ぐらいの比較なので、マスクでウイルスを防ぐ効果が期待出来るとは思えないのでね??
6月13日『人と芸術の関わり』 ·
音楽を学んでいる人達の憧れは、『proになる事』・・と言っても過言では無いと思われます。
音楽を目指す・・という事は、一般的の場合には、proになる事を意味する場合が殆どのようですね。
そして、ひたすらに音楽大学を目指し、コンクールを受け、留学をするのですが、残念ながらそれでproになれた人は極めて少ないのですよ。
少なくとも、proへの道はそんなelevatorが約束されている分けではないのですからね??
音楽大学を卒業して、暫し華やかな世界に身を置いて、しばらくの間は、proになれた・・と思い込むのだけど、やがて、その生活が何一つ変わらない・・という事に気が付いて、自分なりにやり遂げたと自己満足をして、恋をして家庭を築く・・というpatternですかね??
そして、Pianoは物置きの棚になって、violinの弦はcaseの中で切れたままになってしまう。
それまでの死にものぐるいの努力はいったいなんだったのだろうか?
まあ、人生なんてそんなもんだよねぇ??
但し、その逆のお話なのだけど、教室の生徒達の中には、proを目指す事が可能な技術があったとしても、「音楽はあくまでも自分自身の愉しみにしたい」と望んで、音楽以外の職業を選ぶ学生達も多くいるようで、一般の人達から「折角、音楽家になれるのに何故??」と不思議がられる事が多いのです。
まあ、それは私の影響なのかも知れませんよね??
私の場合は本職は作曲家なのですが、日本に帰って来て、果てさて何をたつきの糧にしようか??と、around30の時に、悩んでしまいました。日本の場合にも、多分世界の場合でも、作曲家が自分の書きたい曲を書いて、それがたつきの糧になる・・と言う事はありません。
テレビ局で売れっ子の番組の作家さん達と面談をしていた時に、私が書きたい曲のimageと、作家さんの求めるimageが真っ向から対立してしまい、喧嘩寸前になってしまいました。私をその有名作家に紹介してくれた人には、本当に申し訳無い事をしてしまいましたが、作曲では私は譲れないのですよ。人生、なんでも譲る事が出来たとしても、自分の作曲だけはね??
もう少し若い頃と言うか、音楽大学に入学したばかりの1年生の頃、中野のブロードウェイの中にある小林亜星さんの事務所に呼ばれて、作曲のassistantをしないか??と誘われました。私が「Classicの作曲で行きたいので・・」とお断りしたら、「Classicじゃあ、稼げないぞ!!」「生活出来ないぞ!!」と亜星さんに言われてしまいました。
勿論、大学1年生であっても、それはじゅうじゅう承知の事なのですがね??
around30の時にも、自分が書きたい曲を作る限り、作曲家としては生きてはいけない・・という事は分かっていたので、その時には、取り敢えずは。大学の講師という職業を選びました。
しかし、それも5年が限界で、朝、大学に出勤すると、教授室で碁を打っていた老教授達が夕方、私が大学から帰る時にも、全く同じに碁を打っていました。
私が大学でする事が無いのならば・・、という事で、教育の6領域を網羅するmethodeである「創作劇の作り方」という本を出版したのですが、大学で教材としてその本を売るために共著という事で出版の半額を出してくれる予定であった助教授は、「売れたら払う」ととんでもない事を言い出して、結局、私が全額を負担する事となりました。また、その6領域に対しての教育論文は、日本の著名な心理学の先生が自分の研究として発表してしまい、事後承諾で、bier1本寄越さなかったのですよ。
私の一般大学へ就職した高校の時の友人達も、教授から研究を盗まれたという理由で殆ど全員大学をやめているか、教授になっているかのどちらかです。
大学なんてそんなものなのですよ。
精神の安静のために、5年以上は大学には居ない・・と決めて、5年目には大学を辞してしまいました。
自分が本当に好きな事は仕事にしてはいけない・・というのは、私の場合には、マジにその通りだったのですよ。
つまり、「音楽を仕事にしてしまうと、音楽は愉しみでは無くなる」・・という考え方なのです。
まあ、そういった考え方も、あるのかな??
でも、しかしながら、その前提には、日本流の『仕事は辛い』という想定があるように見受けられるのだけど、私の場合の本来的な考え方では「仕事は生き甲斐だから仕事にするのだ」、という真逆の発想なのですよ。
生活のために・・、或いは家族のために、嫌々ながら「嫌いな事を生活のためだけにする」のならば、その人の人生は辛いものだし、そんなに辛い仕事を無理をしてしているのだったら、私達は、その人には仕事は頼みたく無いのだよな?
「好きだから喜んでやってくれる」人に仕事は頼みたいよな?
私の場合には「好きだから仕事にする」・・という発想なので、「嫌な仕事ならば、やりたく無い」し、「好きな音楽を仕事にした方が、毎日嫌な仕事をするよりは、楽しくって良いのでは??」と私は思うのだけどね??
勿論、他の事もやりたい事で、やりたい事が幾つもあったのなら、それはとてもhappyな事なので、やりたい全部の仕事を、仕事にしてしまえば良いのだよ❢
好きな仕事ならば、幾つでも並行でする事は出来るハズなのだからね??
人生はやり直しは出来ないからね?
次の人生では別の仕事・・という分けには行かないだろう??
私がよく教育の事や音楽の事で悩んで、Facebook等で愚痴っている事が多いので、人は私が「音楽で苦労をしている」と思い込んでいる人達もいますが、敢えて、音楽のために、一言、言っておくと、私が悩んでいるのは対人関係に悩んでいるだけなので、音楽そのものに対して悩んでいる事は絶対にありません。
生徒達に音楽を指導する上で、生徒自身のために、世間の無知に対して悩んでしまっているのですよ。
余りにも、その鬱が非常に酷い時には、鬱の音楽を聴いたりして、鬱に浸って・・鬱から逃げたりするので、音楽が嫌いになって鬱になっている分けではありませんよ??
音楽が嫌いになったら、欝の時に音楽で逃げる事なんて出来ないでしょう??
アハッ!
お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いた時に、お釈迦様は悟りに寄って彼の人生の全ての悩みから救われた・・と思う人達がいたら、それは大変な誤解です。
お釈迦様は、その悟りの境地を衆生に伝えるために、より大きな苦悩を背負ってしまったのですよ。
煩悩な人間達に悟りの素晴らしさを伝えようとして、得た悟りよりももっともっと深くて大きい悩みを背負ってしまわれたのですよ。
でも、この『proになる事』というお話の前に、『proとは何を持ってproというのか??』という定義をしておかなければ、お話は共通認識が出来なくなってしまいます。
私の音楽のお話をする時に、私が目標とする音楽というgenreがあります。
それは、一般の人達が考えている音楽ではありません。
先ずその第一は、proというのは、有名になる・・事ではないのですよ。
そこが一般の人達に理解して貰えないのです。
音楽と一言で言ったとしても、popularからClassicまで、popularと言っても、jazzやrock、民族音楽のgenreまであります。当然、Classicと一言で言ってもOperaやPianoの曲、baroqueやロマン派の曲、近現代の作品もあるし、同じClassicでも多種多様なのですよ。
そういったgenreの違いを無視してClassicという言葉でお話をしては、共通認識が得れないのは当然なのです。
それに所謂、『pro』という人種なのですが、それは音楽というgenreでは無く、またありとあらゆるgenreにprofessionalと呼ばれる人達がいるのです。
つまり、私達が普段、音楽の世界で、『何を持ってproというのか??』というお話をしている時には、そのproの定義は、人に拠って、違っている、色々な定義が混在しているのです。
この『何を持ってproと言うのか??』と言う「問い掛け」に対しての答えは、genreを細かく分けて、お互いが共通認識を得る所まで、細分化して行かなければならないので、それだけで、一つの大きな数巻の冊子の一大論文になってしまいます。
非常に狭義にproを、単に『有名な人』と定義するとしたとしても・・
『proになりたい』と思う人達が、音楽大学を目指して、concoursを受けて、海外留学を果たして帰国したとしても、それでproに成れる分けではない事は自明の理であると言えます。
それで「自分はproだ!」と思っている人は、所謂、『自称のpro』に分類されてしまうのですよ。
私の師匠であるGenzmer先生は、自分が芸術家であろうとする人達の事をキツく戒めて、「自分が芸術家であるか否かは、後世の人達が決める事であり、作曲家であらんと欲する人は職人に徹するべきである」・・と言われていました。
デパート等でとても偉そうな絵描きさん達を見る度に、芸術家であるか否かは、デパートが決めるものではないよな??と思っているのですがね??アハッ!
デパートに取っては、芸術家である方が絵が高く売れるし、そのお絵描きさんが死んでしまうと、もっと価値が上がるからね??
「お歳だから、直ぐに死んじゃうので、値打ち物ですよ??」と言われても、ね~ぇ??
音楽大学での勉強や、concours、海外留学を含めても、それは、academismのcourseの延長線上の列車に乗っているだけで、外の世界に踏み出した分けでは無いからです。
(例え、1、2回、コンサート等で、proとしての活動をしたとしても、)列車のお話に例えて、列車の外に降りたとしても、それは駅のプラットフォームの中に過ぎないのですよ。
だから、それでproとは呼べないのです。
30年、40年前からhomepageに書いているお話なのですがね??
また、私がいつも言っている事ではあるのですが、音楽の世界はそのfullcourseの料理のように、予め準備されたcurriculumを熟したとしても、・・つまり、それを完食したからと言って、それでproに成れる程は、甘い世界では無いのですよ。この場合の甘いは揺いとでも、書くのかな??アハッ!
Europaではconcoursでproを目指す人達の事をconcours-pianistとか、concours-violinistと言って揶揄する傾向があります。(もっと酷いのは、Primadonnaという単語を辞書で調べると、「自惚れの強い女」と出てきます。tenorも似たような意味が出てきます。)
concoursの評価は、色々な人達の評価の集合と言う事と、他のKandidat(競合者)との比較評価なので、減点法になってしまい、個性豊かな才能に溢れた人はspoilされる傾向にあります。
つまり、無味乾燥で杓子定規なだけの演奏の方が、総合的統括的に、より良い評価を受けてしまうからなのです。
一般大学の入試や入社試験でも、その弊害が叫ばれているのは、周知の事実です。
それは日本の音楽大学でも同じです。
但し、こんにちでは、少子高齢化のために、受験どころの騒ぎでは無くなっている事も事実です。
随分前から、定員割れの状態になっているのですよ。
子供の自殺が今社会問題になっているようですが、教育学者や心理学者の人達が子供の心を理解出来ているとは思え無いのです。
子供はロボットではないのだから、大人が考えるような考え方はしません。
現場に携わる人達がよく言っているように、子供が100人居れば、100通りの状況があるからなのです。
心理学者先生達が言うような、そんな、教科書通りの通り一遍に子供達の心理を解釈出来る分けは無いのですよ。
人が芸術(音楽)と関わる時、その関わり方には色々な関わり方があります。
その関わり方に拠って、目的や勉強方法や勉強内容も変わってしまうし、毎日の努力も変わります。
という事なので、同じ芸術でも舞台芸術や色々なgenreの芸術があるので、話を複雑にしないためにも、この際、音楽というgenreの中のClassicというgenreに限ってのお話としてお話を進めていきたいと思います。
人が芸術(この場合には音楽に限ってのお話をします。)に何かを求める時には、その中でも最も多いと思われるのが、自分のための音楽です。
或る意味では究極の目標という事も出来ます。
つまり、「有名になりたい」という願望は、その前提は「自分が有名になりたい」という自分を目的とした、自己中(利己的)な意識から来る事には変わりはありません。
でもそれが自分を認めて貰いたい・・という願望であったとしても、それ自体は悪い事ではありません。
私は、そういった人達でも応援したいと思っています。
マスコミや、現代ではSNSを使って、有名になる事を求めている人達もいます。
有名になりたい人は、それこそ有名になるための努力を惜しまないようにする事です。
但し、有名になる事は、有名になった事であって、その事で、音楽が研ぎ澄まされた分けではありません。
特に陥りやすい落とし穴は、表面的な見せかけの技術です。
ともすれば、奇を衒ったりしてしまいガチになります。
You Tuberが見て貰うために、悪い事をしてしまうのも、同じ落とし穴なのです。
運良く、有名になった事で、自分の音楽が高く評価をされたように勘違いをしている人達も多く見受けます。
つまり、自分の実力が認められたから有名になったのだ・・という、勘違いです。
しかし、それは有名になるための努力が認められただけであって、音楽の技術や実力が認められた分けでは無いのです。
マスコミが作り上げた評価はマスコミだけのものであって、それ以外の社会ではまた違うハズなのですが、日本の社会ではマスコミが全てなので、そこは分からないのですがね??
日本の音楽界そのものも、マスコミとは大差が無いようなのでね??
Europaでは非常に優れた演奏家であって、研究者であっても、全く無名の人達が多く見受けられます。
その道の専門家というのは、一般受けはしないからです。
日本では、ノーベル賞を取る人の事を、ノーベル賞を受ける以前に知っている場合は、殆どありません。
マスコミが「この人は絶対にノーベル賞を取る」と言って騒いでいる場合を除いたら、専門分野の人達なので、一般に知られる事は全く無いからです。
しかし、一旦、ノーベル賞を取って、有名になってしまうと、人々は100年も前からその人の事を知っているような気になってしまいます。
ほんの10年、20年前までは、日本の音楽界だけではなく、Europaの音楽界でも、そういった隠れた非常に優れた演奏家を知る事は超難しかったのですが、今はSNSやYou Tubeのおかげで、結構、その人達の演奏を聴く事が出来る機会が多くなりました。
良貨は悪貨を駆逐するの諺のように、そのおかげで、10年、20年前に流行して、奇を衒って速いだけの所謂、その当時は『period奏法である』と言われていた、似非periodの演奏styleは、今は急加速的に、淘汰されつつあります。
僅か、10年ぐらい前までは、この似非period奏法の時代で、そういった奇を衒う奏法がbaroqueの奏法として流布していました。
You Tube等で、色々な演奏を聴く事が出来るようになって、より優れた時代考証が出来るようになって来て、本当の本物が淘汰されて生き残って行く時代になった事は非常に喜ばしい事です。
日本の音楽界も早く淘汰されるようになると良いのですがね??
100年経っても変わらないものは、1000年経っても変わらないのかね~ぇ??
次には、芸術に名声と富と権力を求める人達も多く見受けられます。
大学の教授達や家元達等々は、権力と富を求めたのかもしれませんよね??
大学の教授という事だけでは、儲からないのだけど、その肩書きを使ってお金を稼ぐ事が出来るからです。
自分のための音楽と、有名になるための音楽、権威とお金儲けのための音楽・・・、それ以外に音楽との関わりは無いのでしょうかね??
日本の社会では政治はお金です。
でも、海外では、政治は全くお金にならない国もあるのですよ。
政治家に国を運営する力量が無い事は、このコロナという非常事態で、暴露されてしまったのですが、政治という体質が金権にまみれているので、これから先も、何も変わらないのが現実なのでしょうかね??
音楽大学の世界も同じですがね??
音楽界の体制のお話を論じても如何せん致し方は無いので、それでは、もう少し別の観点から音楽の有り様を見てみましょうかね?
「音楽は人を楽しませるためのものである。」
それはそうかも知れませんが、その意味は色々な意味、解釈があるのですよ。
「楽しい音楽を楽しく演奏すれば、音楽が人を楽しませる」・・と言えるのかな??
そこには、娯楽と芸術と宗教の違いがあります。
そこを誤解してはいけません。
BachやBeethovenやBrahms先生達は、楽しい音楽を聴衆に提供したのかな??
Beethovenは自分の作曲をした五線紙に「Von Herzen - Möge es wieder - Zu Herzen gehn!"」と書いています。
日本語では、「心から心に至らん事を・・」という名訳があります。
私は鬱人間なので、教室で生徒達に音楽を指導する時にはよく、「上手な音楽ではなく、泣かせる音楽を・・」と指導します。
ともすれば、生徒達は技巧的な見せかけに逃げてしまい、音楽の本質を忘れガチになります。
楽しんでくれるよりは、聴いて感動して、泣いてくれるようなsymbthyのある『泣き』の音楽です。
このBeethovenが自分の五線紙に書いたmottoは、ひょっとしたら全ての作曲家が持っている、共通するmottoなのかも知れませんよね??
私がGenzmer先生から学んだ作曲技法は、あくまでも舞台での公開の演奏を前提とする音楽だったのですが、Europaのtraditionalな音楽の世界では、音楽の有り様は、人々と密接に結びついた日常生きて行く上で無くてはならない存在であり、娯楽であり、愉しみであり、宗教でもあり、且つ又、哲学でもあるのです。
残念ながら日本の音楽のClassicの社会では、私が最も要とするgenre・・(つまり、私の居場所)が、未だ育まれていません。
所謂、Classicの音楽の世界は不完全な歪な形でしか育ってはいないのです。
その昔、「音楽事始め」として、日本に軍事訓練を学ぶための道具として持ち込まれて、権威とéliteの象徴としての音楽が、未だに日本のClassicの音楽の世界を占めているのです。
つまり、Classicの音楽はélite階層のstatusであるのです。
éliteの女の子達の衣装を華やかにするための飾りでしかないのです。
6月14日『大雨のお話』 ·
6月の14日になったばかりのcinderella-timeの時間なのですが、椎名町からの、帰り道は超、土砂降りになったので、rain-coatを来て雨の中をbikeでハイツの自宅に戻りました。
腹が立つ事に、ハイツに辿り着いてから暫くすると雨は霧雨に変わってしまいました。
何故腹が立つのか??・・というと、土砂降りの直前の話なのですが、・・いつもの定形で、ドルプリっ歩の時には、絶対に雨は降らないのですよ。
つまり、私がハイツに戻る時だけ、大雨なのです。
「こら!! プリ!!」(プリのお散歩の時だけ晴れるのは、未だに続いている奇跡です。マジ、妖怪か??)
『オケ練習のSDcardのdubbingのお話』
ハイツに戻る時に、斉藤先生から今回のオケ練習と前回のオケ練習のSDcardを預かった来ました。
本来ならば、video-cameraからBlu-ray-disc へのdubbingは、通常の手順ならば、パソコンにPlayMemories Homeというsonyのsoftをinstallして、そのsoftで、video-cameraから、directにパソコンのdisk−recorderで直接、dubbingすれば良いだけなのですが、いちいち千葉から東京までvideo−cameraを持ち帰るのが大変なので、SDcardだけを持ち帰って、一度PanasonicのDigaというrecorderにdubbingしてから、bluerayに焼き直します。
SDcardだけならば、パソコンに取り込む作業が増えるので、DigaのようなBlu-rayrecorderで作業した方がその後の作業が速いのです。
とは言っても、そのDigaに取り込む作業とBlu-rayに焼く作業が二度手間で超、時間も掛かって、面倒くさいのですよ。
それに、先生からは「SDcardからDigaに動画が上手く取り込めないので、SDcardの問題だ」・・と言って来るのですが、私がDigaに装着してみると、何の問題も無く取り込めるのですよ??SDcardの挿入の仕方は何度も教えてはいるのですがね??
例外的に取り込めなくなったSDcardも1,2枚ありましたが、そのSDcardは、全部、今は捨ててしまったので、今使用しているSDcardは問題は無いハズなのですがね??
まあ、いずれにせよ、Blu-rayのdisc に焼く作業は、私がしているので、「前回と今回のSDcardがDigaに取り込めない」という事なので、SDcardを預かって、ハイツに持って帰りました。
ハイツでは、帰り着いたら、そのまま、bedに入って、寝る予定で、SDcardをDigaに取り込む作業は明日にやる予定だったのですが、何となく、軽い鬱に襲われて、寝そびれてしまったので、起きてウダウダするついでに、SDcardからBlu-rayに焼く作業をしていたら、なんと一晩掛かりの作業になってしまい、完全に徹夜になって寝そびれてしまいました。
『SDcardをBlu-rayに焼く作業から、梅雨入りのお話へ』
Blu-rayに焼く作業が2時間以上も掛かるので、Digaを回したままに、気分転換に、霧雨の中を雨に濡れながら、深夜の徘徊に出てみたのですが、気温は肌寒いぐらいで、寧ろ、心地良いのですが、湿度が高いので、気分が滅入って来ました。
どうやら、今日からの「梅雨入り」は決定のようなので、とても湿度が高いので、その所為で、歩いていても、気分がスッキリとしないのです。
折角、頑張ってmansionの外に出て見たのですが、気分が乗らないので、早々とハイツに戻ってしまいました。
私は暑さ、寒さは結構平気なのだけど、湿度だけは苦手で、体感的に嫌だ・・という事では無く、体中に巨大湿疹が出来て、そのcareにいつも大変なのですよ。
同じ梅雨でも、九州の梅雨は平気なのだけど、関東の重いジュクジュクした梅雨は、耐えられないのです。(同じ湿度でも重い覆い被さるような湿気と、軽いサラサラとした湿気があります。)
体が耐えられ無いのは、湿度だけの問題なので、coolerを付けてみたりするのですが、coolerで除湿をすると超寒くなってしまうし、・・ねえ??
という事で、コンビニ・coolerというのをそれぞれの部屋毎に買っています。つまり、寝室用とか、居間用とかのそれぞれの部屋用です。
(コンビニ・coolerというのは、商品名だそうで、何の事か分からないと思いますよね。casterの付いた移動出来る除湿機の事です。取り付けtypeのような大型では無く、超小型の除湿機です。)
この除湿機は部屋の温度を上げてしまうので、暑い時には使えません(coolerの代用にはなりません。)が、逆に梅雨の時期のような寒くてジメジメした季節にはとても便利です。
等々、とりとめも無い事を徒然と書いているのですが、この所、深夜眠れない日が続いています。
多分、体内時計が半日程ズレてしまっているのだと思いますが、私の仕事は基本的にはnorma制なので、予定の仕事を予定の時間内に熟しさえすれば、・・無理をして、正常な時間に戻さなくても、ズレたままでも良いのかな??
・・と思って、そのままにしています。
だから本当は夜眠れなくっても、悩む事は無いのだけどね??
6月15日昨晩も寝はぐれてしまいました。 ·
6月の15日の火曜日の、もうすぐ8時になろうとする所です。
昨晩も寝はぐれてしまいました。
しかし、取り立てて急ぎの仕事もないので、パソコンの前の椅子に座って、ぼんやりとしていたら、突然、忙しさにかまけて、注射を打つのを忘れていた事を思い出しました。
慌てて、調べてみると、もう三日も遅れています。
注射の予定日は、ワクチン接種の次の日だったのですが、この注射もワクチンと同じように熱が出てしまうので、注射するのを躊躇したのが、そもそもの原因になります。
もしも、ワクチン接種で翌日に熱が出るようならば、この糖尿病の注射をするのは、一日、二日はズラしても良いか??・・とは思っていたので、「忘れた」としても「予定通り」と言えば予定通りなのですが、「忘れてしまって」という事では、いけないよな〜あ?
という事で、慌てて注射をしました。
注射の間隔が或程度決まっているので、次の注射の予定日も変更して、予定表に新たに訂正をしておきました。
それは兎も角として、その後も、一晩中眠れなかったので、FacebookやYou Tube、homepage等のあちこちの文章を修正しました。
眠れないから仕事をする・・というのは健全ではないので、出来ればぼんやりとテレビのdramaでも見たいのですが、観たいテレビのdramaのstockも全く無くなってしまったので、眠れないと時間を潰すのが結構辛いのですよ。
この所、深夜と言わず、お昼間も観たいテレビ・dramaが全く無いので、録画が出来ないので困ってしまいます。
テレビドラマの端境期とでもいうのかな?ドラマが終わって、次のドラマが始まるまでの、何もない時期なのかな?
することもないので、取り敢えずは、Bedに入ってウダウダとしていますが、それでも眠れないものは眠れないのですよ。こういう時にalcoholでも飲めたら良いのですが、alcoholは肝腎の調子が悪いので、基本的に禁止にしているので、困ってしまいます。
6月17日テレビ等では『東京都は**°、練馬は++°でした。』と放送されるからね?? ·
昨日、今日、或いは、それ以前から、•••分かり易く言うと、術後、川崎から戻ってから、体調がなかなか戻らなくて、すっかりと文章が書けなくなってしまいました。
・・・という事で、する事も無く、自分の鬱のduoを聴いたり、今までFacebookを、論文の案出しのmemo代わりにして、公開設定を自分のみにして、覚書、memo書きにしている文章を、何とか完成稿までは行かなくても、公開が出来る程度の文章にはなるように、書き直し、修正を加え直して、この2、3日を掛けて、幾つかの文章を公開しておきました。
基本的には、いつでも読みたい内容の文章が、読めるように、Home Page上に、Indexを加えて、upしているのですが、自分のみの文章は公開していないので、定められた日にちに、付け加えなければなりません。
文章を書き加えた事で、また一つ、面倒くさい作業が増えてしまいました。
てな事を書きながら、自分のduoを聴いていたら、突然、激しい雨の音が混じって来たので、「そんなeffect掛けていたっけ?」と窓を見たら、激しく雨が窓に打ち付けていました。
そう言えばflooringの窓を全開に開けていたよな??
慌てて、隣の部屋に行って、窓を閉めました。
ちょうど、風で窓に雨が吹き付ける直前で何とか間に合ったよな??
後、2,3秒気付くのが遅れたら、部屋の中が水浸しであった所だ!!
•••てな事を書いていたら、あっと言う間に、青空が見えて来ました。
なんだ、これは??
squallか??
練馬は南国か?
確かに東京都では無いようなのだが・・
テレビ等では『東京都は**°、練馬は++°でした。』と放送されるからね??
6月17日『マイ・隠れ家』 ·
まだ若かりし頃、所謂、アラサーの頃の思い出なのですが、ドイツから帰って来て、住み始めたばかりの頃の江古田の街には、何軒か、私の行き付けのお店がありました。
そこに行ってカウンター席に座れば、menueにはない私だけの料理等が勝手に出てくるお店です。
だから、毎日、仕事が終わったら•••、或いは仕事中にでも、そのお店で気分転換をしていました。
しかし、行き付けの寿司屋も、私の隠れ家のような喫茶店も、10年ぐらいのintervalでお店が変わってしまいます。
その都度、新しいお店を探して、開拓するのですが、とうとう、この10年、15年ぐらいになってからは、私が行けるようなお気に入りのお店は無くなってしまいました。
・・というか、『馴染みのお店』・・という雰囲気のお店が江古田の街には、無くなってしまったのですよ。
教室が椎名町に引っ越してから、ハイツで独り暮らしになってしまって、一人で食事をする時に、よく通っていた寿司屋も最初の店長は私の好みを覚えていて、私だけのお寿司やお酒のツマミを出してくれていたのですが、チェーン店なので、3,4年したら、店長が変わってしまって、私の好みの裏menueのお寿司は、もう出て来なくなってしまいました。
次に来た店長に私の好みのお話をしても、menuに無いから、嫌がってなかなか作ってはくれないのですよ。
それに行く度に店長が替わってしまうので、段々とその寿司屋も足が遠のいてしまいました。
困った事ですよね。
大手チェーン店は従業員の想替えという事があるからね~ぇ??
結局の所、menueの中からだけのorderになってしまうのですよ。
私に取っての寿司屋というのは、私の好みを覚えてくれる居心地の良い場所であるのが希望なのですが、今時の寿司屋は、とても良い居心地の場所とは言えないつまらない店ばかりです。
つまらないよな??
勿論、他の個人の寿司屋も試しては見たのだけどね??
お気に入りの店は見つからないのですよ。
毎日のように、通っていた喫茶店も、お店が無くなって、つまらないお店ばかりになってしまったので、こちらの方も、時折、試しに新しいお店に入ってみるのですが、店をやる人の意識が、もうすっかり、昔とは違うのですよね〜ぇ??
喫茶店としての個性が無いのですよ。
お店ならではの、光るものが見当たらないのですよ。
・・という事で、この20年近くは、外でお茶をする自体が無くなってしまいました。
それに、歳を取って色々な大病をするようになって、タバコもお酒もやめてしまったので、外に出掛ける事も無くなってしまいました。
・・という事で、寿司屋で飲んだくれる事もすっかり無くなってしまいました。
それに、老人が集まって、喫茶店で談笑していたら、気持ちが悪いからね??
行きつけのお店が無くなって来たのは、江古田だから・・という事では無く、千葉も同じです。
チョッとこじゃれたお店はみんな、閉めてしまいました。
世相がそうなったのだよね??
全てが、なんとなくmenueと取説だけになってしまったような気がします。
マジ、つまらないよな〜あ?
独居老人になって、部屋で一日中、パソコンに向かって仕事をしているのですが、歳を取って体調不良が続くと、生理整頓はおろか、部屋に掃除機を掛ける事すら難しくなってしまいます。
今の季節のように、湿度が高くて、日々部屋に閉じ籠っている事が、うっとおしくて、イライラして爆発しそうな雰囲気になって来る事があるのだけど、そういう時に限って、部屋の生理整頓や掃除が出来ていないので、部屋が雑然として、落ち着かないのだよな??
そういう時には、気分転換に、こじゃれた隠れ家のような喫茶店に行って、美味しい紅茶でも飲めるといいよな~あ??
体調不良なので、体力が無いので、部屋全体の掃除は無理なのだけど、頑張って部屋の中の一部だけでも、整理整頓をするか??
少しは気分も変わるかの知れないのでね??
6月18日violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲 ·
ドルっ歩に付き合ったら、まあ、いつもの事なのだけど、ハイツに戻ったのが、午前様になってしまったのだけど、よしゃあいいのに、それでもviolaとCelloの二重奏曲の編集を始めてしまった。
編集とは言っても、この所、延々と続けているFinale音源での編集ではなくて、発表会での生演奏のvideoの編集である。
本当は、発表会での演奏は、色々と事件事故が多発したので、そのvideoは今回は一般公開はしないで、新教室で、新しくvideo撮りをしてから公開する予定だったのだけど、大学や学校が解禁になって来て、合わせの都合がつき難くなってしまったので、待てど暮らせど、練習も録音もしている様子が見受けられ無いし、再録のprojectの進捗が全く見受けられないので、ついつい、痺れを切らして、uploadする予定の無い発表会のvideoを弄ってしまったという分けなのだよ❢
まあ、撮り直しが出来たら改めて、差し替えるという事でね??
いや~あ、それにしても、編集作業は、てぇへんだったぞい!!
土台となる発表会のvideo自体が、迷走しているのだから?
普通は土台には出来ないのだよな??
その出来ない事に挑戦するのが、面白いのかもね??
alcoholは禁止なのに、ついつい、打ち上げに、久し振りに、bierとやらを飲んでしまった。
(禁止のハズなのに冷蔵庫にはしっかりとalcoholが、入っているのだよ!!)
やっぱ、生はいいな??
「・・ん??・・bierの事??」
Nett,生•演奏!!
下手でも、computerの音よりは、生の音の方がマシだよな??
violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲
violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲 - YouTube
2021年5月9日の芦塚音楽研究所千葉音楽教室の発表会での芦塚陽二作曲violaとCelloのための二重奏曲『悠遠』の演奏です。violaは千野瑞希、Cello山本珠加です。作曲は1976年の5月の30歳の時なのですが、作曲をしてから、45年振り....
あれ?いつのまにおしゃれな副題がついたの?それなら他の曲もつけてくださいね。
無理!!
相変わらず、摂眠障害で眠れ無かったので、ついでにTitleを付けておきました。Titleは原則として付けないので、付け焼刃になってしまいますが・・
6月18日私が高校生の時に纏めた詩と童話、essay等の散文集である「ある少年のメルヘン」は、 ·
私が高校生の時に纏めた詩と童話、essay等の散文集である「ある少年のメルヘン」は、小さなBalladeやSo-netやMärchen等の集まりで出来ていますが、それらの小さな文に使われている言葉が、その詩集の一冊全体で、全てのMotifが共通の意味を成すように作られています。
例えば詩や童話の中によく登場する『光』という言葉なのですが、詩集全体でのsymbolicな意味では、永遠なる物、歴史に名を残す作品を意味します。
つまり、小品に使用される一つ一つの単語が、詩集全体の共通の意味を持つように作られています。
一つ一つの作品では、甘い恋愛詩集のような形態を取っているのですが、全体では私の芸術論になっています。
こういった一つの作品が全く別の意味を持つ二重構造的な手法は、ダリの2重画像の手法にも、或いはエッシャーのだまし絵の手法にも近い物があります。
この詩集「ある少年のメルヘン」は、私の高校生の時の卒業記念に自費出版した詩集なのですが、当時の私の創作技法の粋を尽くした作品でした。そういったtrick-art的な文芸作品は、私の知る限り未だに、出版されていないようなのですが、その結果と言えるかどうかは兎も角として、結局の所、まあ、誰からも理解はして貰えませんでしたがネ??
このお話しをしたのは、今回、新たにFinaleに入力した「ある少年のメルヘン」から15年後に作曲した、violinとcelloのための二重奏曲集や、violaとcelloのための二重奏曲集にも、同様の技法が使用されていて、曲集全体の中で、それぞれの曲に共通したMotifが使用されているからなのです。
但し、作曲の世界では、楽章を統一するために、一つの曲の中で、同じMotivを使用するのは、Beethoven以前からの、極々当たり前の作曲技法になります。
勿論、duosで使用した、motifを統一させる手法は、traditionalな意味での曲集全体の統一性を持たせる意味でもありますが、それ以上に、それぞれの曲が共通の心情の下に作曲されている・・というからなのです。
写真は「ある少年のメルヘン」です。
この詩集、未だに大切に持っていますよ‼
いや~ぁ、大切にして戴いて、ありがとうございます。
発行者としての高塚 和子さん、高塚かずこ子さんは詩人として詩集を出され活躍されてるんですね。東由多加さんもそうですけど先輩方のご活躍素晴らしいです‼
高塚さんは西日本の新聞の現代短歌の選者としても有名なようです。東君の詩には高校の在学中に合唱曲を幾つか作曲して音楽部で発表してもらいました。大学病院に入院中の話ですが・・・
6月19日『芦塚methodeでのオケ室内楽の練習に関してお話』 ·
人は外面を見て、内なる物を理解しようとはしない。
人に取っては、地位やbrandそのものがその人の評価なのだよ。
「Beyer教則本を使用している」と言えば、一般の音楽教室の先生達や保護者の人達からは、「そんな面白くもない古めかしいカビの生えたような教則本を使っているのか?」となるし、「オケを教室でやっている」・・と言ったら、一般のorchestraのようにeventのための一発のorchestraと勘違いをして、教室でのorchestraのcurriculumを理解しようとはしない。
しかし、Beyer教則本を「古臭い!」と言っている人達はBeyerのmethodeや書かれているsystemを知らない。
それに、Beyerが面白いか面白くないかは指導の内容に掛かっているのであって、Beyer教則本自体の持っている価値では無い。
私もBeyerに思い込みがある分けではないので、Beyer教則本に変わる教則本を探しては見たのだが、帯襷所ではなく、殆どの教則本はsystemさえ持っていない。
step by stepで確実に指導して行くcurriculumを持った教則本は未だにBeyerがbestchoiceになってしまう。
オケも同じである。
orchestraや室内楽でcurriculumを作れば、オケで子供達の技術を指導出来るし、orchestraの技法だけでななく、演奏に於ける技術さえも指導する事が出来るのだ。
しかし、そういったcurriculumが実際に、有る分けではないので、そこは、ちゃんとmanualに従って、作りあげないといけない。
教室で作っているviolinの教則本にしても、殆どの人達に見せると名曲集と思ってしまう。
curriculumに従って、曲を配列している所に大切なsoftがあるのだが、外部の人達がそれに気付く事はない。
生徒達の利便性のために、市販のcardを使おうものならば、「それは市販の物だから、芦塚methodeでは無い!」と、来る。
芦塚methodeはsoftに掛かっているのであって、道具はどうでも良いのだけど、一般の人達は道具が芦塚methodeそのものである・・と勘違いをしてしまう。
ensembleについても然りである。
教室のensemble-methodeの内容を知らない人達からは、子供達はensembleが好きだから、子供達に媚びて、生徒を集めるために、子供達を遊ばせるために、看板menuとして、オケをやっている•••と思われてしまうのだよな?曲はその生徒が弾ける曲を探して来て、課題にしている・・と思うのだよ。
音楽史的に言うと、orchestraやensembleで、楽器の演奏法の指導をした人は、私が始めてでは無い。
violin音楽の黎明期であったbaroque時代に、既に、彼の有名な作曲家であるVivaldiもVivaldiーmethodeというviolinやCelloの指導のためのcurriculumがあって彼が育てたオケは、Europa中に名を轟かしのだよ❢
また、Vivaldi自身の教育のmethodは、彼の作品からしっかりと読み取る事が出来るのだよ。
Vivaldiの作品は明確な技術指導の目的が見て取れるからなのだよ。
しかし、残念ながら、BayerにしてもVivaldiにしても、自分自身の奏法の指導のmethodを遺している分けではない。
昔の人達は、著作権の保護が叫ばれているこんにちよりもなお、自分自身のsoft(manual)を大切にしたのだよ。
だから、そのsoftは、一子相伝の直弟子ぐらいにしか、指導はしないのだよ。
宮本武蔵の五輪の書のように、肝心要の箇所になると「以下口伝」となるのが普通なのだよ。
当時は現代の著作権法のように発案者を守る法律はなかった分けなのだからね??
しかし、世界共通の法律があったとしても、お隣の国のように、国毎でそれを守らなければ、その保護は全く意味を成さない事になってしまうしね??
もしも、Vivaldi-methodeにmanualが残っていたとしたら、それならば、どこの音楽教室でも、ensembleで子供達を教え育てれば、皆、こんにち、多くの子供達が経験している辛い孤独な練習から逃れる事が出来て、自己鍛錬のような厳しい練習で、大好きな音楽を学ぶ事に挫折をする子供はいなくなる分けなのだから、どこの教室でも私達の教室と同じ事をやりそうなものだが、それがそうでもないのには、未だ幾つかの障壁があるからなのだ。
その内の一つである、所謂、学習するための教材に相当する楽譜なのだが、私が集めているorchestraの楽譜や室内楽の楽譜は、一冊、1冊、非常に高価なので、その一曲だけならば、そのための出費もあり得るのかも知れないのだが、一旦、curriculumを作るため・・となると、一連の流れとして総合的に楽譜を揃えなければならないので、図書館並みの莫大な出費が必要となり、個人でそういった楽譜を揃える事は有り得ないのだよ。
私??
私は作曲家なので、曲を集めて作曲家の手法を知る事は、私の作曲のためのmainの勉強にもなるのだよ。
orchestraのcurriculumはその序なのだよ。
それに、市や県、或いは大手の企業がback・upをしたとしても、baroque時代のorchestraや古典派の時代のorchestraの曲には、part譜が付いている事は稀なのだよ。
「何故??」って??
それは明白である。だってpart譜を作って出版したとしても、その費用を出版社が回収する事は無理だからなのだよ。
印刷に掛かった費用だけpart譜が売れる事は無いのだよ。
part譜がある曲は、いつでも何処かで演奏されている超、有名な曲だけなのだよ。
だから、同じVivaldiの作品でも「四季」ぐらいに世界中で演奏される曲は当然part譜が出版されている。
しかし、それ以外の曲となると、数えるぐらいしかpart譜は作られてはいないのだよ。
私達の教室の生徒達はpart譜が無くて、scoreしか無かったとしても、平気で演奏をする事が出来る。
どっちみち、本番では暗譜で演奏するのだから、scoreで練習しても、part譜で練習しても、全く関係無いのだよ。
しかし、音大生にしても、proのオケマンにしても、scoreを覚えて演奏する事は無い。
暗譜で譜面無しに演奏する演奏団体はI Musiciぐらいなものだからだ。
だから、baroqueの曲を一般のorchestraが演奏しようとすると、part譜を作る所から始めなければならないのだよ。
これはとても手間暇の掛かる事だし、それをproの写譜屋に頼んでいては、とても採算が取れなくなってしまう。
だから、orchestra-curriculumというのは一般的には有り得ないのだよ。
proのorchestraでも、次の演奏会のための一曲、二曲として・・ならば譜面を作る事もあるのかも知れないけれど、curriculumとして無数の曲のpart譜を作るという事は経済的にも不可能な事なのだよ。
勿論、市や県や、或いは大手の企業の場合ならば、金に糸目を付けず、同様のorchestraのcurriculumを作る資金を準備する事は、可能なのかも知れないのだが、実際には、今度は、orchestraの楽器を指導出来る指導者はいない。
orchestra-curriculumとして指導する場合には、各楽器の演奏法を技術的に指導出来る指導者が必要になるからである。
それならば、指揮者が・・と思うかも知れないが、指揮者はそれぞれの楽器の演奏技術の指導は出来ない。
つまり、それぞれの楽器の演奏法の技術指導は指揮者の管轄では無く、表現された音楽が指揮者の領域なのだからだよ。
また、それぞれの楽器の指導者がそれぞれのpartを指導すれば良いようにも思われるかもしれないが、それぞれの指導者にはそれぞれのprideがあるから、仮に同じ楽器であったとしても、自分の生徒が他の先生に弄られたくは無いと思うからである。
ましてや、異種楽器の指導者からは・・ね??
大御所の先生が居たとしても、violinの先生はviolaやCelloやKontrabassの指導は出来ないし、その逆も然りである。
つまり、それを統括して指導出来る先生となると、日本はおろか、世界でもそうザラにはいないのだよ。
つまり、orchestraでcurriculumを作るとして、そういった楽譜を揃えるとなると、普通の家が一軒、2軒は建つぐらいにお金が掛かるし、且つ又、オケに参加している子供達にrentalしているKontrabassやviolaやCembalo等の楽器を揃えるだけでも、結構、豪華な家を買えるぐらいの費用は掛かるのだよ。
そういった費用は、orchestraは教室がやっているので、教室が購入して管理している、教室の楽器であり、教室の出費だと思う人達が多いのだけど、教室は個人では無く、会社なので、法務局の決まりに拠って、営利団体なので、営利を生み出さない楽譜や楽器に対しては、費用としての出費は認められていないのだよ。
楽器をrentalしても、その楽器をメンテする費用はrental代として回収出来るかも知れないけれど、楽器を購入する費用は教室には出ないのだよ。
proのorchestraでもorchestraの楽器としては、sponsorからの寄付で、個人の楽器は皆、自分の楽器なのだから・・ね??
当たり前の話なのだよ。
そういう事なので、これ等の楽譜や楽器を揃える費用は教室が負担する事は出来ないので、全部、私個人の、趣味としての出費になってしまうのだよ??
それに加えて指導者も見つからないので、指導の要々では、私が指導する事になってしまうのだよな。
という事で、orchestraやensembleを子供の内から指導したい・・という夢を抱いたとしても、現実的にorchestraのcurriculumで子供達を指導する事が、夢であったとしても、それは現実的では無く、夢物語の中の話に過ぎないのだよ。
つまり、私達の音楽教室でオケや室内楽をやっているのは、私の道楽に、先生達が付き合っているのに過ぎないので、日本の音楽界の中で、私以外に、個人の権限でオケや室内楽をやっている教室は無いし、ましてや、そのオケや室内楽にcurriculumがある・・という事は、Beyer教則本以上に有り得ないのだよ。
特に、室内楽と言うと、音楽を専門に目指す人達に取っては、超、難物のgenreなので、音楽大学に進学したPianoの生徒達や弦の生徒達でも、オケや室内楽に学校で参加出来る人達は非常に限られた優秀な生徒達だけで、一般の音大の生徒達は一度もオケや室内楽を体験する事は無く、音楽大学を卒業するのが落ちなのだよ。
室内楽というgenreは音大生達に取っては憧れのgenreで、その大学のtopの生徒だけしか学ぶ事が出来ないcurriculumなので、だから、私達の教室では、子供達が室内楽のcurriculumで勉強をする・・という事を言うと、それを信じる事は出来ないのだよ。
という事で、音楽教室で室内楽を勉強しているという事は、子供用にarrangeされた簡易楽譜で演奏をしている・・と、考えてしまうのだよ。
私が作曲をした『子供のための室内楽』や『子供のためのPianotrio』があるのだが、それは唯一、市販されている、子供がPianotrioの勉強をするために、Julius Klengel先生が作曲をした『kinder•trio』への導入の曲なので、一般的に思われるような子供達のための簡易versionのPianotrioの曲ではない。
kinder-trioはMozartやBeethovenのPiano-trioへの導入として書かれているので、決して簡単な物では無い。
楽譜を見て、BeethovenのG Durのsonatineが弾ければ、Klengelのkinder-trioは弾ける・・と思い込んで、教室から楽譜を借りて、発表会に臨んだ先生もいたのだが、大失敗をして、二度と楽譜を借りには来ないのだよ。
Klengel先生の子供達のための、kinder-trioの楽譜はあっても、それを指導出来る先生はそんなにザラでは無いのだよ。
技術levelはBeethovenのsonatineのlevelに合わせてあるのだけど、それは、ensembleの技術が必要なので、演奏技術を少し楽にしてあるだけなのだよ。
私の『子供のためのPianotrio』でも、ensemble慣れをしていない音大生が、いざ合わせようとしても、音大生でも、弾けないのだよ。「楽譜はこんなに簡単なのに、何故、合わないの・・??」となるのだが、そこはensembleのためのtrickがあるのだよ。
私の曲が演奏は簡単でも合わせは難しい・・という事は、You Tubeにも子供達の演奏をuploadしているし、曲のimageはちゃんと掴めるハズなのだから、外部からの、楽譜の注文があった時には、「子供のため・・とは言っても本格的な室内楽への導入のための作品なのですよ。」と念を押すのだけど、教室のYou Tubeでも就学年次前の「小さな子供達が弾いているから」との思い込みから、楽譜を受け取って、実際に指導して(或いは自分で弾いて)見てから、「本当に本格的なtrioなのですね??」と改めて、驚いてしまうのだよ。
例え小さな子供であるあったとしても、それまでに色々なensembleの曲を弾き熟して、ensemble慣れをしているので、その差は音大生よりも、大きいのだよ。
一般的な日本の音楽界では、orchestraや室内楽のcurriculumは、普通に出来るものではないのだが、教室に長く在籍している生徒達や保護者達は、私達の教室が一般的な普通の教室であって、日本国中どこにでも、同じような教室が存在している・・と段々と思い込んでしまう。
そう思い込んでしまう最たる理由は、私が肩書の無い巷の音楽教室の先生に過ぎないからなのだよ❢
人は肩書でしか、その人の価値を判断しない。
しかし、権威主義に批判をしている人間が、権威主義で自分を認めさせても、それも遺憾ともし難い。
また同様に巷の音楽教室がやっている事なのだから、「orchestraで子供達のcurriculumで指導する事や室内楽のlessonを普通に受ける事・・・それが日本の一般の音楽教室の水準であって、日本中のどこの音楽教室でも、或いは音楽大学の音楽教室でも同じ様に、やっている事なのだ❢」•••と思い込んでいるのだ❢
もしも、そんな教室が私達の教室以外にあるのならば、是非、見てみたいものだよな??ね~ぇ??
また、世間一般で『音楽教室』と言うと、一般の人達のimageでは、趣味でいい加減に指導するので、もしも、本当に音楽の道に進む事を考えるのならば音楽大学の先生に師事しないと・・という事になってしまう。
でも、その実態は、有名音楽大学の先生の生徒達を見るに付け、まあ、実に好い加減な指導を受けて、「仮に音楽大学に進学出来たとしても、音楽家としての未来は無いかな??」とも思えるような教育を受けている人達が多いのだが、それでも、一般の人達は、音楽教室の先生に学ぶよりは、良いに決まっているのだと、思ってしまうのだよ。
まあ、それはそうかもね??
しかし、「音楽大学の先生ならば、ちゃんと教えて貰える」と考えるのならば、まあ、それは、短絡的な発想であるぞなもし。
Europaの場合には、どんな超有名な音楽大学でも、音楽大学歴を口にする音楽家は殆どいなくて、口にするのは「**schule(所謂、**先生門下生)」である事を自慢するのだよ。
つまり、全く肩書きを持たない私は、そういった世間一般の言い方をすると、『Hochschule für Musik und Theater München(München国立音大)の作曲科の卒業生』では無く、『Hindemithの高弟であり、Deutschの誇る作曲家でもあるGenzmer教授の門下生』という事になるのだよ。(Facebookには、profileとして書いてはいるけれどね??誰も読まないよな??一般の人達には、どこに何を書いても、巷の音楽教室の先生に過ぎないのだからね??)
同様に日本の音楽大学の肩書きでも、Mahler門下で指揮者のBruno Walterの兄弟弟子で、Thomas Mannの義兄弟でもあるPringsheim先生の門下生になる。
という事は、私は二人の先生、所謂、MahlerとHindemithの孫弟子になるのだよ。
凄くない??
でも、それを口にしたら、典型的な虎の皮になってしまうよな〜あ?
(Hochschuleというのを、英語のhighと勘違いして高等音楽大学と分けの分からない訳が、昔は流行っていたのですが、それはAriaを空気と訳した明治時代の訳と変わらない迷訳で、Hochというのは、ドイツでは、単一の・・という意味なので、英語での高校の意味ではなくて、日本語で言うと専門の・・とか、単科大学という意味になります。つまり、Universität(総合大学)とHochschule(単科大学)の違い・・になるのですよ。)
私達の教室が、一般的に言うと単なる巷の音楽教室という分類に過ぎないので、水準の低い一般の趣味で学ぶ音楽教室の一つに過ぎない・・と思われるのは、それが一般的な社会的な音楽教室の概念なので、「さもありなん」・・「致し方無い」・・と思うのだが、教室に在籍している生徒達や保護者の人達までが、同じように教室の水準を音楽大学よりも低いlevelだと、思ってしまっているのだから、困ったものだ。
教室から音大に行ったら、curriculumやsystemが無くなってしまうので、教室で勉強するようには、なかなか上達しなくなるのだが、それを生徒達は、「私達の教室で学ぶよりも、より高度な事を勉強しているのだから難しくって、なかなか上達しないのだ」・・と、勘違いをして、思ってしまう。
だが、中には、その行き詰まった事を、私にone lessonでlessonを受ける要領の良い生徒もいて、半年間掛かっても治らない事が、僅か、小一時間のone pointのlessonの中で弾けるようになってしまうのだから、どちらが水準が上か分かりそうなものなのだがね??
しかし、やはり、恰幅の良い衣装を着て、大学の教授という肩書を頭の上に乗っけている方が、指導力や指導内容の水準が上に見えるのだよな。
まあ、それはlächerlichな事なのだがね??
つまりは、自分の目で見たとしても、何の違いも見えない・・、分らない・・という事なのだよな??
それは芦塚methodeで習っただけなので、芦塚methodeを習った分けではないからなのだよ。
つまり、芦塚methodeで考える事が出来るようにはなっていないから、正しく物を観る目が育っていないのだよ。
しかし、その原因は必ずしも本人達だけの所為ではなくて、教室の指導者達の、生徒や保護者正しくへの芦塚methodeを周知させる努力が欠如している所に原因があるのだよ。
価値が分からない事を学ぼうとしないのは当たり前の事である。
それがbrandでも、brand的な価値があれば衆人は必死に学ぼうとするのだからね??
折に触れて、オケ練習とは言っても、芦塚methodでのオケ練習でしか学べ無い事や、音大生の憧れである室内楽が何故教室では普通に指導出来るのか?••」という事に対して、芦塚methodeがそれを可能にしているのか?という事を、生徒達や保護者の人達に、周知させないといけないのだよ。
教室のmethodだから、オケや室内楽でlesson出来るのだ!という事を、知らしめる努力を怠ってはいけないのだ。
『個人のlessonでは学べない数々の技法』
日本の音楽家達は、オケや室内楽を練習する時に、part譜を見て練習するのだが、scoreを読んで音楽を研究する事はしない。
その弊害は思っているよりも大きく、日本人のClassicの音楽家達は和声感が乏しく、正しいrhythm感も欠如していて、tempo感も無い。
Metronomの死んだtempo感を音楽のRhythm感と勘違いしている音楽家が多いのだよ。それよりも更に大きな弊害は自分独りだけで練習をする弊害として、音楽に対話が無いのだよ!!
音楽は基本舞台芸術なのだ。だから、Motivのcommunicationが大切なのだよ。
対話の無い音楽とは死んだ音楽なのだ。
室内楽は、音楽家達にとっては、超難しいgenreとされているので、そういう曲をたかが巷の音楽教室の生徒のlevelで、弾く事(弾ける事)は有り得ないという一般的な常識である。
だから、当然、一般の人達の場合でも、音楽教室で演奏されるensembleは、所謂、音楽教室用にarrangeされた簡易編曲の安っぽいチーチーパッパの合奏と勘違いをされてしまう。
私の『子供のためのPianotrio集』はBeyerの下巻程度から弾けるように作られているのだが、音大生がその曲を演奏しても、ensembleが出来ないのだよ。演奏をした音大の卒業生達が「何故、弾けないのだろう?」と自分で不思議がっているのを、やっと就学年次に達した子供達が白い目で見ているのは、一種異様な光景だ。
小学生の高学年から中学生ぐらいになって、score-readingが出来るようになる生徒と、受験のために、オケや室内楽を休んでしまった生徒では、歴然とした差が出てしまう。
part譜だけで練習をして来た生徒達には、音楽の全てが見えている分けでは無いからなのだ。
それはscoreが読めるようになっていないと、楽器間の絡め合わせが分からないので、問いかけや答えが分からないし、和音を聴くという事すら難しくなってしまうのだよ。
日本の音楽教育ではensemble教育は無いので、日本人の音楽家達にはそういった総合力は無いのだよ。
力で弾く音と伸びのある音の違い、音に含まれる和音感、柔軟な生きたrhythm等々、言い出せばensembleで学べる事は限りが無いのだがね??
或る時に、日本を代表する若手の演奏家達がVivaldiの四季を弾いているのを偶然耳にしたのだが、驚いた事にcellistやCembalistがbasso continuoの弾き方を全く知らないのだよな。baroqueのconcertoには、独特の通奏低音の弾き方というのがある。
それを無視して、現代風にbaroqueのconcertoのbasso continuoを弾かれると、こちとらとしては困ってしまうのだよな。
日本を代表する若手ならば、もうチョッと勉強しろやな??
誰が??・・そんな事言える分けは無いだろう??
この文章に直接書き込むって出きるのか?
無いものを作るのは素晴らしいことで大変なことであるが、無いものを理解するのもまた難しいようだ。オーケストラや室内楽にカリキュラムを取り込んで教育として指導する。これをやっている先生或いは団体や教室などは、まず日本にはない。せいぜいオーディションで弾ける人を集めて集団教育をする程度の児童オーケストラくらいだ。だから、オケの速報の技術やリーダー教育も含めて、3つの音しかない初級曲からプロとして演奏活動出きる技術までの全てのレベルの曲を揃えたカリキュラムがあるオーケストラと室内楽など、一般の人達が理解できないのも無理はないのかもしれない。教室でそのカリキュラムで伸び伸びと上達した生徒でさえ、自分に特別な才能があって上達したかのように勘違いしてしまう。一般の人達がか理解できないのは致し方ないとしても、大して練習もしていないのに何故か沢山練習している他の教室の生徒より遥かに自分の方がうまいのはどうしてなのか、ちょっと考えたら分かりそうなものですが?
オケの奏法
音大ピアノ科卒業の人に教室のヴァイオリンの生徒の伴奏を頼んだことがある。チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトの伴奏をするのに「メトロノームのテンポ通りに弾いてればいいんですよね?」と聞かれて唖然としてしまった。聞いて合わせるという発想自体がなく、教室で子供たちに指導しているソリストの弾きたいものを感じ取って、カバーしてあげる伴奏などとは程遠い。伴奏法もアンサンブル教育も受けたことがなくスコアすら見たこともない人にとっては、教室で初級段階で練習させるキンダートリオや芦塚先生の子供向けピアノトリオも、全く弾けない難しい曲なのです。
6月21日眠れない❢ ·
ちょうど、日曜日のcinderella-timeに、椎名町から今日のオケ練習のSDcardを持ってハイツに戻って来ました。
直ぐにPanasonicのDigaにSDcardをdubbingして、Blu-rayに焼きながら、パソコンの並行作業をしました。
Blu-rayの出来上がりtimeをtimerでsetして焼き上がるまでのパソコン作業のつもりだったのだが、途中で睡魔に襲われて、bedで寝てしまいました。
熟睡