2014年9月4日より、2015年12月31日まで
2016年1月1日より、2016年12月31日まで
2017年1月1日より、2017年12月31日まで
2018年1月1日より、2018年12月31日まで
2019年1月1日より、2019年12月31日まで
2021年1月1日より、2022年12月31日まで
2022年1月1日より、2022年12月31日まで
2023年1月1日より、2023年12月31日まで
2024年1月1日より、2024年12月31日まで
Johann Pachelbel=Ashizuka Chaconne in f
1月1日『携帯の電話がつながらない!!』
1月3日Jcomの設定
1月5日
1月6日『教育の方向性について』
1月7日『またまたJcomと大喧嘩をした!』
1月8日『今日はハイツの断水の日です。』
1月11日のwindowsの7から10へのupgrade作業
1月11日のパソコンのお引越し作業の続き
1月13日『音楽の習い事は先ずは近所の先生から・・』
1月14日windows10へのupgrade
1月14日『箸が指に刺さった!』
1月15日「合理的の反対語は非合理的
1月15日買ったばかりの電子レンジが
1月15日windows10のtop画面が
1月16日 『升のお話し』
1月17日『夢のまた夢』 ・
1月18日 Ergonomic Keyboard
1月19日電波懐中時計が
1月21日今更Jcomのserviceが
1月21日折角、買い物に出かけたのだけど
1月23日『超無駄な無意味な1日』
1月24日夢を二つも見たのだが
1月25日『time-Traveler』 ・
1月26日『夢を叶えるには・・・補遺:愚痴』・・未完成
1月28日大雨なのでbikeではなく歩きで歯科医院に行った ・
1月30日hard-diskが壊れた ・
1月31日ドアが開かないぐらいの強い風
2月1日『臨界tempoと絶対tempoのお話』
2月1日恐怖の病院周り
2月2日『才能と夢』
2月3日windows10にupgradeしたら、cardreaderが ・
2月5日エアコンのコードが
2月5日memoを書いたままで、timerをsetする事を忘れてしまっていた。
2月6日ボールペンのお話・
2月6日『trillのお話 original譜とornament譜併記』
2月8日『自宅の整理整頓』 ・
2月10日『音人の会』
2月10日寿司屋の夢
2月14日嫌な事があって
2月15日『音楽の先に求めるもの』
2月15日ウダウダと
2月17日重い雨・軽い雨 ・
2月17日『夢の定義』 ・
2月18日『和声学』 ・
2月19日『Vivaldiの夏よりⅢ楽章のsoloの声部の交差について』
2月19日『windows10への悪口とMicrosoft Ergonomic Keyboardの不具合』 ・
2月20日『1日中、寝てしまった!』 ・
2月21日『漏斗(じょうろ)と漏斗(じょうご)』 ・
2月23日『夢の定義・補遺』
2月25日『時間のお話』 ・「下準備のお話」
2月26日『初心忘るべからず』 ・
2月27日寒いのでアンカを出したのだが
2月28日『2月の28日の金曜日の深夜からのお話』 ・
2月28日『2月28日の金曜日のお話の続きです。』
2月29日ニッパチ
3月1日『熱燗用のコップ』 ·
3月2日『昨日3月1日の日曜日は、春の発表会への最後のオケ練習でした。』
3月3日のお雛様の日です。
3月4日『ここから前日のお話ですが・・・』
3月5日timeーslip
3月6日『久しぶりに肥満のお話です。』
3月6日 頭サ来た!引き籠る事にする。
3月7日卵焼き
3月8日『Locatelli のWeihnachts-Concerto Op.1Nr.8』
3月9日「肥満のお話」続き
3月11日 本当は満月の予定だったのだよね??
3月11日Lepi社製のMadonnaは、
3月11日今夜は『十六夜』ではなくて、立待月の月だそうです ·
3月13日今日は13日の金曜日、ジェイソンの日です。 ·
3月14日今はみぞれで1°だそうな??
3月16日orchestraのrehearsalの予定だったのだけど、コロナで
3月16日今日は北風が強くて
3月17日『Vivaldiの四季の夏のinterpretationについて』 ·
3月19日『江古田ハイツのblackhole』
3月20日人は知っている事を学ぼうとするけれど ·
3月20日『椎名町のblackhole』
3月22日桜は満開で
3月23日orchestraのrehearsal の次の日の朝です。
3月24日『音楽への求める姿勢』
3月24日 L’Estateの楽譜のcheckをしながら、
3月24日いつもの寿司屋でボッチ飲み
3月28日八方美人
3月29日Facebookに動画がupload出来ない
3月29日subパソコンが死んだ
3月31日買い占めの大騒動
3月31日『超現実的な変な夢を見た』
4月1日変な『夢のあとで・・』
4月1日PachelbelのChaconneのarrangementについて
4月3日Webーlessonのお知らせ
4月4日『珍しく日本酒を飲んだ!』 ·
4月4日自粛避難民 ·
4月5日『今日は突然腰痛になった!!』
4月6日『消せるボールペンのお話』
4月7日パソコンの修理 無駄な作業
4月8日昨夜は緊急事態宣言が出た
4月8日腰痛と病院回り
4月10日web-lessonの準備
4月11日homepageのupload ·
4月12日腰痛が再発した
4月12日Evernoteの導入
4月13日手作りの詩集
4月14日パソコンの作業の事ばかりをuploadしているので
4月15日Facebookと病院回り
4月16日糖質cutの日本酒 ·
4月17日You Tubeでのgroup作成
4月18日Energieが・・・
4月18日食べた後の根っこを ·
4月20日先読みのドル
4月20日今日はうっとおしい天気だ
4月21日体調不良で仕事が進まないのだが
4月22日欝と体調が
4月23日、折角「少し良くなって来た!」と思っていた、超欝が再発した
4月24日『鬱の話』
4月25日『人生のお話』
4月25日『予知欝のお話』
4月25日『音楽教育へのいつもの愚痴』 ·
4月27日日本人の持つ音の感性
4月27日『もう帰れぬならば 帰れる場所を探そう』
4月28日昔ながらの超酸っぱい梅干
4月28日コロナと病院の予約と激しい雨
4月28日『今日は鬱です。』
4月29日5勺の一口ぐい呑
4月30日『勉強と勉強の仕方』
4月30日ドルポンのお話
4月30日『終活ではないのだけど、部屋の整理を始めたのだ』
5月1日今日から5月です
5月2日今日は、29℃だそうです。
5月4日鬱と腰痛とpurcellのChaconneと
5月4日『音に入りて、音より出ずる』 ·
5月7日ヒョッとして、今日は満月❓❓ ·
5月8日師曰く ·
5月8日デジカメのzoomのtest
5月8日twilight ·
5月10日『部屋の乱れは心の乱れ』
5月10日『今日も未だ5月10日の夜の8時直前の話です。』
5月12日PCR検査と縄張り争い
5月13日明けやらぬそらの月です。
5月13日まるまる二日間寝込んでしまった
5月15日雑用とパソコンのhomepageの作業と
5月15日着て行く服が見当たらないと
5月16日糖質cut-sweet·
5月17日『潜在意識と内観』 ·
5月17日今日は本当ならば千葉の発表会の日でした。
5月17日音楽のgenreのお話 ·
5月17日『潜在意識と内観Ⅱ』
5月18日鼻詰まりが
5月20日今日は超寒い
5月21日寒くて眠れないので
5月22日プーさんの魔法瓶
5月22日『今日は5月の22日金曜日です。』 ·
5月22日『Beyer教則本はつまらない』という人がいます。
5月24日高齢者の認知症検査を ·
5月26日使えないアベノマスク ·
6月1日自粛要請の解除と ·
6月3日『6月1日からの文章の続きで、2日の朝からのお話になります。』
6月3日『6月2日からの文章の続きで、3日の朝の10時過ぎです。』
6月4日腰痛が酷くなって ·
6月5日再び、『positive thinkingとMinor thinking』
6月6日ぐい呑のお話
6月7日『腰痛の再々再発』 ·
6月8日『囚われ人の唄』
6月9日今日のお天気は
6月10日外出禁止のボッチ飲み ·
6月10日糖尿病外来の予約をすっぽかした ·
6月10日『調のお話』 ·
6月12日暑くて目が覚めてしまった ·
6月13日死に至る病 ·
6月14日雨の音 ·
6月15日『音に溺れる』 ·
6月15日mainのパソコンの背景画像が、subパソコンの ·
6月16日ボッチ飲み ·
6月17日私のViolinーsonateのfinale入力を ·
6月18日電線の上にハクビシンが ·
6月19日パソコンが勝手に自動更新を始めて·
6月19日自動更新でパソコンがおかしくなってしまった
6月20日相も変わらないパソコンの不具合 ·
6月24日ひかりヶ丘の病院にお久し振りに
6月25日パソコンがおかしくなったので、業者を頼んだのだが·
6月29日mainのパソコンが壊れてしまったのでsubの ·
6月29日subのパソコンではfreezeしてしまうので ·
7月1日パソコンが6月の19日の夜に突然壊れて ·
7月2日とても良い天気なのに公園には一人っ子一人 ·
7月2日パソコンの入れ替え ·
7月4日新しいパソコンが·
7月5日お久し振りのオケ練習です。 ·
7月6日持ち帰りのお弁当
7月8日Teleworkのオケ練習
7月8日一々面倒くさいSecurityなんて、希望者だけに
7月10日subの待ち受け決めがmainのパソコンの
7月11日パソコンのupdateで動画が壊れて
7月12日今度は突然、printerが ·
7月12日今日は2回目のTeleworkの ·
7月13日SDcardがパソコンに取り込めない ·
7月14日「深夜の3時33分33秒を堪能してしまった!」 ·
7月14日またまた待ち受け画面が ·
7月14日待ち受け画面を ·
7月16日web‐cameraが到着した ·
7月16日Canonのrazor-printerが、 ·
7月17日体調不良で曜日の感覚が ·
7月18日明日はオケ室内楽の部の発表会です。
7月19日コロナで延期になっていた発表会の
7月21日『3年目の壁』 ·
7月22日flower公園でのミカン ·
7月23日コンビニ除湿機 ·
7月23日発表会が終わって4日間も経つのに、
7月23日『orchestraのsocial distance』
7月25日教室のconcept ·
7月26日ドルがプリのご飯を食べた ·
7月27日体調を崩すpattern ·
7月27日気力が出ない·
7月29日自撮り用のbluetoothリモコン ·
7月30日椎名町教室のゴーヤ
7月31日DittersdorfのKontrabass・Concerto ·
8月1日コロナ、コロナと ·
8月1日『常設曲』としての『VitaliのChaconne』 ·
8月2日日本の民族音楽の歴史の中には3拍子は存在しない。
8月3日cooler病 ·
8月3日『basso continuoについてのこもごも』 ·
8月4日夢の中で ·
8月5日ぐい呑のお話 ·
8月5日『音の立ち上がりの話』
8月6日蝉の鳴く頃に ·
8月8日Pianoの譜面をarrangeする時に『音痩せ』する理由 ·
8月8日baroque時代のnotation ·
8月10日ヒョッとして熱中症?? ·
8月10日『楽器の音の質感について』 ·
8月11日熱中症警戒アラート ·
8月12日『勤勉性と安心感』 ·
8月13日『親指shiftのお話』 ·
8月13日今日は認知症の検査があります。 ·
8月15日『Il favorito Vivaldi e moll ⅡⅢ楽章』 ·
8月15日突然、VitaliのChaconneのAshizuka-versionを作り始めた。 ·
8月16日楽譜standの角度の調整 ·
8月18日David版からのorchestration ·
8月19日proを養成する虎の穴的な超、専門的な教室 ·
8月20日『いや~ぁ、今日は猛暑だ!!いや、今日も酷暑だ!!』 ·
8月21日超、怖い真夏の夜の夢 ·
8月22日ゴウヤの天ぷら ·
8月22日『音に溺れる・補遺』 ·
8月22日 こもごも·
8月24日熱中症ではないのかな?? ·
8月25日Facebookの不具合 ·
8月26日Facebookはなにをやっているのかね?? ·
8月26日濃厚接触者への病院の対応·
8月28日『Tartini grandsonate Op.1 Nr.5 e moll』 ·
8月28日食べなきゃ太るのだよな??
8月29日やることなすこと ·
8月29日地球最後の日 ·
8月29日rucksackやshoulder等のcollection ·
8月30日 8月28日の『Tartiniのgrandsonate e moll』の文章の続きです。 ·
8月31日『Karl Richter教授の思い出』 ·
9月1日今日から9月です。 ·
9月1日肩当て顎当てのお話 ·
9月2日入眠前のユンケル ·
9月2日夢で美味しい鰻を食べた ·
9月3日駐車場の場所を忘れた・・という夢 ·
9月4日相も変わらない不定愁訴·
9月4日オケの指導のpoint ·
9月4日ドルプリっ歩の最後の500㍍ ·
9月5日real漫画の夢
9月7日『久し振りの腓返り』 ·
9月8日「VitaliのChaconneの改訂の作業」 ·
9月8日『9月7日の干からびた足』 ·
9月8日人生の悲哀 ·
9月9日今日はまるまる1日ヘバッてしまった。 ·
9月10日今日も暑い ·
9月11日この1週間は惰眠を貪って ·
9月11日椎名町のパソコンがまたまた ·
9月12日Facebookの文章がまたまた ·
9月12日レインコートが役に立たないほどの大雨で ·
9月12日椎名町のパソコンと格闘をして・・ ·
9月13日超寒かった・・ ·
9月13日携帯の音声入力のsoftは ·
9月13日小学生の低学年の時からパソコンの教育を ·
9月14日大学生の室内楽·
9月15日今日のゴーヤ·
9月15日幼少期の思い出と ·
9月15日嚥下不良とtimeparadox ·
9月16日江古田の周りを散歩した·
9月16日一途な眼差し ·
9月17日夢の中で ·
9月17日ヨージーの法則 ·
9月18日ハクビシンとネズミの道 ·
9月18日人生、胡蝶之夢の如しだよな?? ·
9月19日体調不良で髪の毛を洗えない ·
9月19日趣味と仕事 ·
9月20日友達リクエストに対してのお詫び ·
9月20日殺陣師の話 ·
9月20日『一芸に秀でる』 ·
9月20日仕事とバイト ·
9月21日rehearsal ·
9月22日tuningのお話 ·
9月22日「足りるを知れ」 ·
9月23日久し振りに飲みに誘われたのだが ·
9月25日なんとか羽毛布団を引っ張り出した ·
9月26日体調不良の ·
9月26日period奏法としてではないとしても ·
9月26日printerが3台ともぶっ飛んで ·
9月28日何度も教えた同じ事が、 ·
9月28日何でもない1日 ·
9月29日椎名町教室の曼珠沙華·
9月29日食べ物 ·
9月29日取り敢えず眠れるのならば、それは鬱ではない ·
9月30日掃除機の掃除が ·
10月1日notePCの設定をしt。 ·
10月1日アクリルの台を作った ·
10月1日今日は中秋の名月だそうです。
10月2日徒然ない ·
10月3日独居老人のつぶやき ·
10月3日calendarの共有 ·
10月4日体調不良が
10月5日Teleworkの総合練習 ·
10月6日今日は引き籠もりdayです。
10月7日動画がhomepageには埋め込めなくなってしまった。
10月7日糖質0のビール
10月8日studentConcerto
10月8日Student−concerto続き ·
10月9日今日は何日?? ·
10月9日勝手に造影剤の検査をされてしまった ·
10月9日車の保険の更新 ·
10月10日明日は発表会です。 ·
10月11日音楽と表現 ·
10月12日携帯のmannersを学ぶ
10月12日久し振りに指揮をしたので ·
10月13日体内時計が
10月13日継続は力なり ·
10月13日You Tubeに動画をuploadするのに
10月14日今日は13日の31時・・,つまり、14日の朝の7時を ·
10月16日『夢ですっかり鬱になってしまった』 ·
10月16日テレビガイド的に言うと ·
10月17日プーさんの魔法瓶 ·
10月17日ハイツの食堂の食器類が ·
10月19日You Tubeのaccess ·
10月19日「発表会のconcept」
10月19日「親と先生の違い」 ·
10月21日『mein Tagebuch=日記』 ·
10月22日『mein Tagebuch=今日交々』 ·
10月23日後期高齢者講習会ので実技講習の日なのです ·
10月23日『設備投資=環境設定=Telework』 ·
10月25日『baroque時代のsoloの曲の音楽形式』 ·
10月25日曲に対する子供の反応 ·
10月25日 なんと、なんと・・??? 錫杖での指揮だ!!
10月25日baroque-danceのstepの解説videoです。
10月28日肝臓の数値が ·
10月29日免許の更新に都庁まで行きました ·
10月30日薬をやめて2日目なのだけど ·
10月30日calendarの設定で出来る事と出来ない事 ·
10月31日明日からは、いよいよ11月! ·
11月1日昨日はHalloweenでした。 ·
11月1日信じられないことにTartiniの悪魔のtrillのperiodの演奏が
11月2日今日は川崎の心臓血管外科の
11月3日悪魔のtrillの原典版 ·
11月3日period奏法について ·
11月5日TartiniのViolinsonateについて ·
11月6日『Violinのneckにsealを貼って音を取らせる』 ·
11月7日お久し振りで、超、欝が酷くなった!! ·
11月8日『自分の居場所』 ·
11月8日散歩の途中で歩けなくなってしまった ·
11月9日時間が飛んだ
11月10日『作曲家と演奏家の立ち位置の違い』 ·
11月10日お久し振りに爪が欠けた ·
11月11日お友達requestのpolicy ·
11月12日ひかりヶ丘の病院の腎内科での検査 ·
11月15日corelliのla folia
11月15日2合半も飲んでしまいました。 ·
11月17日鼻詰まりが酷くて ·
11月18日『食わなきゃ、肥る!!』 ·
11月20日「人は潜在意識の要求するようにしか行動しない」 ·
11月21日『ニャンコ号の荷物運びとfinaleのGarritanの音源の入力の話』
11月22日最後のオケ練習や室内楽の練習 ·
11月22日眼下の公園が ·
11月24日『今日は川崎の検査日です。』 ·
11月24日音楽は舞台芸術である。 ·
11月25日川崎の病院の ·
11月26日「蛍来い」 ·
11月27日鬱で眠れない ·
11月28日memo ·
「時短」と日本社会でのその評価について
11月29日教室のお引越し ·
11月30日兎に角寒い
12月1日globalstandard ·
12月1日子育ての常識の間違い
12月4日『基本に戻るという事』 ·
12月4日40肩50肩
12月5日アプリのミキサーを ·
12月6日引き籠もりの
12月6日『新教室での初オケ練習』 ·
12月8日Il favoritoのPv動画 ·
12月9日PV版の欝の曲
12月12日こむら返りが ·
2月12日『PachelbelのChaconneの続きです。』 ·
12月12日『EcclesのViolin-sonateのarrangeのお話し』 ·
12月15日『TorelliのWeihnachts-Concerto Op.1Nr.8』 ·
12月16日ゴキブリとの遭遇が ·
12月17日 芸に対しての考え方
12月19日Christmas会の準備の最中にcopy機が壊れた·
12月21日分散型のChristmas会
12月23日いゃあ、変な夢を見た!
12月24日Christmas前夜の朝です。
12月24日鬱が取れん
12月25日『Vivaldi Violin-Concerto g moll Op.ⅣNr.6のお話し』
12月26日超お久し振りでhomepageを弄った
12月28日明日から教室のお正月休みに入ります。
12月29日bluetoothのtenkey
12月30日bluetoothのearphonesのcheck
12月31日今日は大晦日、明日は泣いても笑っても新年です。
1月1日
今日は、なんと、2020年1月1日のお昼の12時です??
皆様、あけましておめでとうございます??
本年もどうぞ よろしくお願い申し上げます??
『携帯の電話が繋がらない??』
正月元旦・・とは言っても、斉藤先生が女子会で実家に帰って、実家から「新しい携帯が全く繋がらない」というmailのが送られて来たので、慌てて、操作法を書いて返信のmailを送ったのだけど、配信不能になって戻って来てしまいました。
・・・返信で送ったのに、戻って来たのですよ??
勿論、電話も通じなくて、斉藤先生はお母様の携帯からmailを送って来たのですが、お母様の携帯にそのまま返信しても、配信不能になってしまいます。
斉藤先生の実家の住所も、電話番号も何も情報がないので、全く連絡が取れないで困ってしまいました。
・・取り敢えずは、牧野先生の携帯だけでも、設定をしようかと思って電話をするのだけど、牧野先生の携帯も教室の固定電話も全く繋がりません。
一体どうなっているのだ???
地球上に私だけが、取り残されているのかな???
夜になって、斉藤先生が椎名町に帰って来てから、私が椎名町に移動した後で、携帯電話のcheckをしていて分かった事なのですが、固定電話は斉藤先生の携帯への転送設定になっていたので、「斉藤先生の携帯の電話」が繋がっていない・・という事で、全く連絡が取れなかったようです。
正月元旦から全くのpech!(不運)だよな~ぁ?
しかし、昨年の12月の28日に、業者がハイツに来て、携帯の設定をしたのだけど、それが12時過ぎから夜の8時前まで掛かっても、全く出来なかったので、私が、その日の内に池袋のビック・カメラまで急いで買いに行って、Wi-FiのRouterを2台、椎名町用と、江古田ハイツ用に買って来て、それぞれ設定をしてしまいました。
という事なので、私の携帯の電話はWi-Fiの環境下なので、なんの問題も無く繋がっていたので、外で(Wi-Fiの環境の無い場所で)は、携帯が繋がらない・・という事は、全く気が付かなかったのですよ。
斉藤先生から「電話が繋がらない?」という連絡を受けて、慌てて、試みに私の携帯も携帯のWi-Fiを切ってしまうと・・電話もmailも、全く繋がらなくなってしまう・・という事が分かりました。
・・やっぱ(り)、『auの携帯の契約を切らない限り、Jcom携帯に切り替わらない』・・という事が分かったのだけど、auの契約を切るためのpass-chordを、12月の20日に来たJcomの人がそういったdataを持って帰ってしまったので、私の手元には解約を申し込むための『chordが無い』ので、私の携帯からは切る事が出来ないので、元旦の朔日からJcomのsupportに電話をして、一人ボッチで延々と契約の手続きと解約の手続きの作業を、Jcomのsupport-centerの人と一緒に、やって貰ったのは良いのですが、auの契約を解約した後でも、斉藤先生にも牧野先生にも、他の教室にも、何処にも通じないのだよな~ぁ?
まあ、電話が通じないのは、auの時代でも、いつもの事なのだけどね~ぇ??
という事で、お引越しの作業は元旦の1日の5時には終了しました。
あ~ぁ?・・28日からの3日間はJcomの携帯に掛かりっ切りで、て~へんだった??
・・と思ったら、やっぱ、携帯の電話が通じないので、またぞろJcomのsupport-centerに電話をして、Remote-supportで色々と携帯の設定をcheckして貰いました。※)
※)このRemote-supportが、Jcomとの次の『大pech!』を齎してしまう事は、思いにも及びませんでした。
Remote-supportで調べて貰った結果は、私のスマホの設定は間違えていなかったので、何の問題もなかったので、結論としては、先生達のスマホの設定の確認なのですが、牧野先生にはlineでcheck項目を送って修正して貰いました??
・・netは繋がっていたのでね??
でも、斉藤先生の携帯は・・・????
やはり、お昼の3時頃から作業に取り掛かって、5時頃には携帯が完全に通じるようになったのですが、auのezwebのmailが無くなってしまったので、私はJcom-mailになるのですが、※)先生達は各自のmailなので、基本はgmailで設定しなければなりません。
※)この説明もJcomから受けていなくって、Remote-supportのtroubleに発展して行きます。(つまり、Jcom-mailが携帯にお引越し出来なかったのですよ??その説明は受けていないのだよな~ぁ??)
これまでも、@の後ろがgmail.comか、gmail.co.jp若しくは、gmail.ne.jpなので、先生達のmail-addressは変更無しのままでそのまま使用出来ます。※)
※)私の携帯もJcom-mailはパソコンにしか入って来ないのですよ。
牧野先生のlineのmail-addressは@ezwebだったので、lineが全部ぶっ飛んでしまうので、大晦日の1日前の30日にlineのaccountをgmailに変更して、ついでに、dataをGoogleのserverにback・upしておいたので、機種変後もトーク履歴が無事に復元出来ました。Jcomの作業員は「トーク履歴のお引越しは、出来ない?」と言っていたのだけど、19年の2月からは、出来るようになっているのですよ。
Jcomの業者の人が、「トーク履歴はback・up出来ない!」と思い込んで、私の携帯のトーク履歴を全部ぶっ飛ばしてしまったのですが、netで調べると、2019年の2月から、トーク履歴のback・upも出来るようになっていたのだそうです。
Jcomの取説はdataが古いので、それが書いていなかったし、netでも「出来ない?」と書いてある方が多かったのですが、彼は『自分でnetで調べる』・・という事をやってみた事はなかったようで、それで知らなかったようなのですよ。
今は使えなくなった住所録のmail-addressのdataを削除したいのだけど、住所録からe-mailのaddressだけを削除する・・という事が出来なくって、またまた、引っ掛かっています。
つまり、他の機種からdown loadしたdataなので、本来の住所録には入っていないので、削除が出来ないのです。
だから、一度、その住所を削除して、新しく住所を入力し直さなければなりません。
超、面倒くさいのだよ?
もう、チョッと疲れてしまったので、それは明日の作業にするのかな???
1月3日
今日はもう、1月の3日になったばかりのcinderella-timeの1時をほんの少しだけ、過ぎた所です。
もう昨年のお話になってしまいましたが、11月の26日に川崎の病院に検査に行って、その2日後の28日には、腰痛が起こって全く歩けなくなってしまいました。
病院の帰りの電車の大混雑ですで、不自然な姿勢を強いられたせいなのですがネ?
という事で、12月の28日では、丁度ひと月目になってしまうので、痛みを堪えながら、少しずつ、歩く練習をしていたのですが、一昨日の大晦日の前から、頑張って、椎名町教室の周りだけの、超、Short-courseを・・・、昨日はフラワー公園までの定型のお散歩courseを・・、そして、今日はフラワー公園から椎名町の駅までのlong-course(1時間超)のドルプリっ歩に付き合いました。
未だ杖を突きながら、腰を庇いながらのお散歩なのですがね?
『今日のお話に戻って』
・・今日の2日は、お昼からは自宅で2時間程、私の携帯なのですが、携帯の中の住所録に、牧野先生と斉藤先生mail-addressの削除と入力の作業をしました。
28日にjcomからやって来た携帯の設定をするはずの業者が私のlineのトーク履歴をぶっ飛ばしただけで、帰っていった後直ぐ後で、もう、8時を過ぎていたのですが、大急ぎで池袋まで、外付けの無線ルーターを買いに行って来てから1日までの4日間も携帯のお引越しの作業に掛かったままなのです。
・・・たかが携帯のお引越し作業に、そんなにも時間が掛かっている理由は、『netの設定の作業』そのもののせいなのではなく、一つのsoftを入力する度に・・、『そのmail-addressはもう他で使用されています。』とか、『そのpasswordは他で使用されています』・・とかのmessageが出て来て、・・その都度、作ったmail-addressが無数にあるのですが、(そのmail-addressがどのsoftのaccountであるのか??)・・(そのmail-addressのpasswordはどのsoftのpasswordなのか??)が、全く分からない・・と言うか・・、先生達が自分のaccountやpasswordをmemoに控えていないから・・、softのお引越しでは、passwordを更新しなければならなくなるのだけど、passwordが分からないので、新しいpasswordを設定しようとすると、その都度、「新しいpasswordを作るのならば、古いpasswordを入力しろ??」と、言うmessageが出て、延々と堂々巡りを繰り返してしまうのです。
古いpasswordを知っているのならば、新しいpasswordを作る必要はないのにね??
何を聞いているのだろうかね????
passwordに飽きたから新しいpasswordを設定する・・という人はそんなに多くは無いと思うのだけどネ??
そういった作業を全部で3台分の携帯に設定しなければならないのだから、どんなに急いでも、3日、4日間は掛かってしまうでしょう??
今日は、椎名町に行く前に、私の携帯で使えなくなってしまったmail-address、つまり、**@ezwebのmailと、そのmail-addressに紐付けされているsoftのmail-addressを削除して、今回設定した新しいmail-addressに紐付けする作業と、携帯のアドレス帳に取り込む作業をしました。
mail-addressが余りにも多いのですが、そのmail-addressのそれぞれが、それぞれのsoftに紐付けされていますからね???
超、Shock??
今日のpech!(不運)になってしまいましたが、椎名町から持って帰って来た食料品を保冷バッグから、冷蔵庫に移していたら、(12月の28日に池袋のビック・カメラに行った帰り道のついでに、わざわざ池袋のデパ地下に寄って、)買って来たばかりの『松浦漬け』が冷蔵庫から落っこちてしまって、ガラスの瓶が粉々に割れてしまった。
ガラスの瓶なので、その破片が鯨の軟骨の粕漬けの中に入ってしまって、危なくって、もう食べられないのですよ??
池袋のデパ地下にしか売っていないので、次に買いに行けるのは何時になるのか??
・・超、Shockだ・・??
未だ、一口も食べていないのに・・・???
1月5日
今日は20年1月5日の日曜日になったばかりの、いつもの通りのcinderella-timeの2時を過ぎたばかりの所です。
あっという間に、お正月を5日も過ぎてしまいました。
お正月さんは、何処にごじゃったのだろうか?
今日・・、今現在の練馬区の気温は2℃で、体感温度は-1℃だそうです。
・・という事で、椎名町から帰りついたハイツの部屋の中でも、超冷え切っていて、ガスストーブだけでは、部屋が中々温まらないので、ガスストーブと平行でエアコンをつける事にしました。
部屋の中で、こんなに冷えるのは、結構珍しい事なのですよネ?
『以下は昨夜のお話です。』
・・夜、遅くなって椎名町に食事に行く途中でgasoline-standに寄ってbikeの給油をしたのだけど、ハイツを出る時には雪はパラパラとしか降っていなかったのだけど、standで給油をして、standを出るまでのほんの少しの時間の間には、しっかりと雪が降り出して来ました。
・・・尤も、椎名町での食事が終わってから帰りの頃には、雪はすっかりと降り止んでいたのだけどね??
今日は(・・とはいっても、もう前日の話になってしまったのですが・・・)その夜はすっかりと、寝はぐれてしまいました。
鼻詰まりが酷くって、しかも熱っぽくって、体調もすぐれなかったので、lessonに出かけるのを諦めて、cancelにして、お昼から安静にして、寝直してしまいました。
勿論、プリドルのお散歩もパスですが、食事だけは、頑張って食べに出かけました。
・・・という事で、上記の文章に戻ります。
『以下は今日1月5日日曜日のお話です。』
今日は今年初めての日曜日、・・・年が明けてからの初のオケ練習の日になります。
実は、教室の新年のlessonの開始日は6日の月曜日からなのですが、オケ練習は、練習の回数の都合上で、1日早くから始まります。
オケ練習の最後の練習が、合宿の最後の日の27日が私のオケ練習のを日だったので、中、10日だけなので、私自身で。、携帯のドタバタ等々のtroubleがあった事もあって、超、忙しく、慌ただしく年の瀬を迎えてしまったので、お正月というお正月はありませんでした。
尤も、この所何年間かは、お正月らしいお正月としての冬休みはありません。
冬休みは、母の介護と、ふるさとを畳むという事で、この数年間は、忙殺されて来たからです。
一昨年は、大病による手術を繰り返す、という私にとっては大変な冬休みになってしまいましたので、今年こそは、超お久し振りに「やっと、冬のお休みで、のんびり出来るはずだ」と喜んでいたのだけど、逆に、携帯3台のお引っ越しの作業や、パソコン数台のお引っ越しの作業で、超、忙しくって、お正月処ではない、マジ、松飾りすら無い、勿論、お屠蘇や年越し蕎麦さえもない普段の日常のままの冬休みとなってしまいました。
師走とはよう言うたよな??
1月6日
教育の方向性に対しては、大きく二つの方向性があります。
それは『今を見つめる方向性』と『子供達の将来を見つめて現在を教育する』という方向性なのです。
それが『手に職を・・』
そういった考え方の生徒は学校のclassの中では、100人に一人もいない・・と思われます。
外から見ると、教室はそう言った、『超、レアーな特殊な子供達が集まって来る教室だ』と世間一般には思われているようなのですが、実はそうではなく、普通に趣味で来た近所の子供達が、教室で育って行く過程で、将来の目標を音楽とするようになったのに過ぎません。
言い方を変えると、100人中の100人の普通の子供達が教室で音楽を学ぶ過程で音楽に対して目標を見出したのに過ぎないのですよ。
残念ながら、それを何度言っても分かって貰えません。
今日はもう1月の7日の火曜日です。
つまり、もう年が明けてから、あっという間に一週間が過ぎてしまったのですよ??
『歳を経る毎に、時間は加速して行く』というのは、私だけの話しなのかなぁ?
この時間の移ろいゆく速さは、超、驚きです。
今は朝の9時を過ぎた所なのですが、朝起きた時から、いろいろと、体調的なtroubleに見舞われて、チョッと滅入ってしまっているのですが、そのお話に触れる事は、加齢のお話しなので、「私の個人的なお話し」という事で割愛します。
昨日の月曜日は、結構予定が詰まっていて、忙しかったのですが、朝起きて、ふと新しい携帯電話にmailが入って来ない事に気付きました。
・・つまり、これまでauの**@ezweb.ne.jpの契約からJcomのmailの**@jcom.zaq.ne.jpに契約を変えたのですが、AUの携帯やパソコン等では問題なく、Jcom-mailが入って来ていたので、当然、jcomの携帯の方にもその設定が入っていると思っていたのですが、その形跡がないのですよ??
勿論、携帯mailの設定は出来ていたのですがね?
慌ててまたぞろ、Jcomのsupport-centerに繋がらない電話をしたのですが、やっと繋がったと思ったら、「携帯の技術担当はパソコンの担当とは部署が違う」という事で、またまた掛け直しをして、やっと繋がって、話をしたら、「Jcomのスマホではmailの設定をしただけでは、携帯には入らないので、携帯の種類に寄って設定の仕方が違うので教えられないので、有料の遠隔操作の契約をしてくれ??」という話だった。
一回こっ切りの契約ではなく、月決めの定期契約で、毎月500円だそうな・・・???
そんな話、聞いていないよ??
「JcomなのにJcomのmailの設定が出来ない」なんて話はあるのかね???
そのためだけに『2年縛りで500円を払う』・・と言う事は、1万2千円を無駄に払う・・・という事だよな~ぁ?
そんな説明は私は受けていないので、超、頭に来たのだけど、Jcomの技術担当の人は、「私としては決まっている事なので、他に手の打ちようがない??」と宣った。
サービスで1回だけ、無料の遠隔操作のsupportがあるのだが、その1回は、設定に来たJcomのsupportの人が7時間も掛かって、携帯の電話の設定が出来なかったので、その時にもsupport-centerに電話したら、無料supportで、私の携帯の設定ミスを探してくれて、(・・私が設定したのでね)その結果、異常もミスもなかったので、「他の人の携帯の設定が違う」という結論だった。
しかし、そのために『無料の遠隔操作のsupportを使用した』ので、「一回の無料のサービスは終わっている??」と宣っていて、「後は有料になる?」・・という事を言っているのだよね???
でも、そのsupportは、本来ならば「Jcomの訪問設定の人がするべき作業を、その担当者が出来なかったので、「次の訪問設定の予約は1月の後半になる」・・という事で、「1つきも携帯が通じるのを待つ?」・・という事は私達の場合には、仕事として携帯を使っているので、その間をうやむやにする事は出来ないので、・・已む無く、私が開通の作業をやった分けなので、「私が望んでその作業をした分けではないし、私が無料の遠隔操作をお願いしたわけでもない」・・と言う事で、遠隔操作が有料になるし、(勿論、1回だけが500円ならば、何のclaimもないのだけど)、「そのmailの設定だけのために、延々と500円を月決めで払い続けるのはおかしい??」と言ったのだけど、「それは自分の権限にはない?」冷たく突き放すだけで、取り付く島もないのだよな~ぁ?
「俺のミスでもないし、俺はその事に対しての説明を受けていない」・・と言ったのに、Jcomのsupportの人は、聞く耳を持たないのだよ??
小さな会社に過ぎないのに、まるで、お役所仕事だよな~ぁ??
超、腹が立ってしまった。
現代の学校教育のせいなのだろうか、まるでAIのように、manual通りのままの回答しか返って来ないのだよ?
所謂、manual世代とでも言うのか、書いていない事・・・、言われていない事には全く対応が出来ないのだよ??
先生に言われた事しか、出来ないという学校教育のせいなのだけどね~ぇ??
人との会話ですら、manualなのだから、腹が立ってしまうのだよ??
人間的な温かい会話の片鱗もないのだよな~ぁ??
まあ、携帯の料金を安くあげようと、格安にしたわけなので、サービスが劣悪なのは致し方のない事なだ・・と諦める他はないのかいな??
新しいスマホの手帳型のcaseを斉藤先生に買って来るように頼んだのだが、その純正のcaseが2種類しか無いので2個しか買って来なかったので、仕方がないので、私が、池袋まで、Pianoのlessonに行くついでに、家を2時間程早めに出て、ヤマダ電機にスマホのcaseを買いに行ったのだけど、「格安スマホなので、caseを置いていない」とにべもなく言われてしまって、仕方がないので再度ビック・カメラに行って探したのだけど、二種類だけではないけれど、確かに種類がなくって色も黒しかなく、選択権はなかった。
同じ黒なのだけど、微妙に色の違う種類のを買って帰ったのだけど、牧野先生は「netで既に注文をした??」とご立腹だよ??
だけど、牧野先生がnetで注文した携帯のcaseは、純正品ではないので、自分で孔を開けないと適合しないのだけどね?
俺は牧野先生が携帯のcaseを注文した・・という話は、聞いていないし、lineで「俺が牧野先生の携帯のcaseを買いに行く?」とも言っていたはずなのだけど、またまた、「聞いた?・・聞いてない??」のdouble-bookingの話になってしまったよ??
またまた・・だよな~ぁ??
超、腹立つよな~??
腹が立ったので、ついでに自分用の携帯の外付けのKeyboardを買って帰って来た。
ビック・カメラでの、買い物が終わって、Pianoのlessonの待ち合わせの時間には30分も時間が余ったので、「行き付けの喫茶店でお茶をしながら、待っていようかな???」・・と思って喫茶店まで行ってみたら、なんと行列が出来ていて、とても30分では帰って来れそうにもないので、諦めて駅の改札口の前で待つ事にしたのだけど、座る椅子もない??
周りを見ると、みんな立ちん坊で待っている。
昔は、駅の構内にも椅子や何かしら座る場所があったのだけど、今は完全に撤去されてそう言った待ち合わせの場所というものは無い。
ドイツ等では散歩courseにはいたる所に、木のベンチがあって、散歩の途中で休んでいる老人夫婦を良く見掛けたものだけど、今の日本では、そういった労りや優しさは無いのだよな~ぁ?
ホームレス対策で、ベンチ等の座る物を置かなくなったそうで、テロ対策でゴミ箱も撤去した・・とかで、日本の社会全体がお互いの不審になってしまって、老人や病人に対しての優しさは微塵も無いのだよ。
ホームレスや酔っ払いがベンチで寝ないように、わざわざと真ん中に仕切りの板を置いて、横になれないようにしている。
つい先日の東京の危機的大雨の時に、避難してきたホームレスの人達を、「区に住所がないから・・」と言って大雨の中に追い返して、海外からの旅行者は、住所がなくても受け入れる・・という何処かの差別的な行政のような人としての思いやりのない国になってしまったよな???
思いやりの喪失は、学校教育の競争教育の結果なのだけど、それをボランティア活動をさせる事で、なんとか補える分けではなかろうに・・・???
社会全体がお互いを不信する時代になって、それで、少子化対策が出来る分けはなかろうにねぇ??
私が子供の時代には、私達は「知らない人を見掛けたら挨拶をしよう!」と習って来たのだけど、今は、「知らない人を見掛けたら先ず逃げる」事を教わるのだよな~ぁ?
それでいて、「子供達を見守る社会を作ろう」というのは、矛盾していて、そんな論理は滑稽でもあるよ??
物事を筋道を立てて考えれば、そんな論旨はなりたたないのにね??
それは、・・・いったいなんだろうね???
その教育社会の論理性の無さは・・??
思いやりのある見守り社会でなければ、若い親達の子育ての社会は出来ないのだよ??
日本ではとうの昔に大家族制は崩壊しているのだよ。
だから、遠くの血縁よりも、近くの他人を頼らないとダメなのではないのかな??
働かなくなった老人は、経済の損失とばかりに、老後のために必死で貯めた、なけなしのタンス預金からも必死で搾り取るために、全てをキャッシュレス社会にしても、ますます、老人達は身を守るために、政府を信用しなくなるのにね??
老人に生き甲斐を持たせるために、高齢者の富裕層から搾取しても、それで、高齢者に生き甲斐が出来る分けは無いのだよ。
それに、今の若者達に、「タンス預金を2000万作れ?」と言われても無理だろう???
子育てに掛かる時間と、働く時間を行政だけで、なんとか出来るものでも無かろうに???
行政としては、『やっている』という姿勢さえ示せば良い・・という態度も見え見えなのだよな~ぁ?
親の立場に立っての、行政の政策ではないのだよ??
それじゃあ、結婚をする気にもならなくなってしまうのではないかいな????
箱物を幾ら作っても、それが少子化対策に結びつく事はないのだよ??
『与えられた事は、ちゃんとやっている』・・という姿勢では、社会は回らないのだけどな??
そんな簡単な当たり前の事がどうして、分からないのかね??
Jcomのような小さな企業ですら、型通りの対応しかしないのだから、日本全体がそうなって仕舞っているのだよな???
日本の社会は、そこまで、貧しくなってしまったのかね??
それとも、日本人の持つ思いやりやいたわりのalwaysの世界は、幻想に過ぎなかったのかな??
1月8日
今日は1月の8日水曜日です。
『今日はハイツは断水の日です。』
今日は朝の9時からハイツは断水なので、朝一で風呂に入って髪を洗ったり、toilet用の水を溜めたり、飲水を準備したりしています。
度重なる造影剤の使用で、腎臓の機能が低下しているので、お水を飲まなければならない量が決まっていて、毎日、結構なお水を飲まなければなりません。(お水というのは、勿論、お茶も含めてのお話です。)
喉を乾かす事がないように、結構ひっきりなしに水を飲んで、その分、頻繁にtoiletteに行くように気を付けています。
だから、飲み水は結構生命線なのかもね??
深夜の頻尿も、夜、寝る前もお茶をよく飲んでいるせいなのですが、そのせいで、深夜のtoilet-timeで熟睡が出来ないのは、困ってしまいます。
でも、熟睡中は、体を動かしていないので、結構腎臓が働いてくれます。
2回目や3回目のtoilet-timeに行くと、次には腎臓も休めるようになるので、4回目ぐらいからの睡眠が、ちゃんと出来ると、熟睡をした事になります。
頻眠とでも言うのかな?
うまく眠れた時には、次の1日、体力も持つのだけれど、睡眠がうまく行かなくて、夜の睡眠の回数が少なかった時には、仕事をしている最中でも、椅子に座ったままで意識混濁になってしまいます。
昨晩は、10時頃に寝たのですが、なんと深夜の12時には目が覚めてしまって、2時間しか寝ていないのに眠れなくなってしまったので、断水になる時間まで雑用をしてしまいました。
朝の8時を過ぎて、シンクの中に洗い物が溜まっているのに気が付いたので、慌てて、食器類を洗いました。
9時の断水までにはなんとか洗い終えたかな??
これで、断水の対策は、準備万端かな???
朝9時の断水の時間になって、「水が使えないのならば・・・」という事で、寝たのですが、なんと??起きたら4時だったのですよ??
つまり、7時間も寝てしまったのですよ?
そんな長時間、熟睡出来たのは何年ぶりだろうか??
いや~ぁ? 嬉しくなってしまったよ?
断水も、終わってしまっていて、私には関係なかったしね?
明後日の10日には、排水管の清掃でまたまた、9時からハイツに閉じ籠もらないといけません。
排水管の清掃自体は10分も掛からない・・ほんの一瞬で終わるのですが、待っている時間が長いのですよね???
私の自宅には知らない人が来る事はないので、業者の人が来るにしても、結構、人見知りのpressureがキツいのです。
今日はもう既に1月の10日の金曜日です。
昨日というか、一昨日というか・・、夜に寝逸れてしまってお昼近くまで、ウダウダとしてしまいました。体調的にお酒が飲めなかったのですが、鬱々コンサートをするにしても気分的に重たいので、チョッと精神状態のcontrolが大変で、11時頃になって・・やっと疲れて眠る事が出来ました。
windows7からのお引越し作業が後5日なので、もうnet通販の注文では間に合わないので、何が何でも池袋まで行って、パソコンのback・upをするためのhard-diskと、homepagebuilder等や色々なwindows10に変わる事によって、開かなくなるsoftのversionup版を買って来なければならなかったのですが、どうしても体が動かなくて、池袋まで行く事が出来ませんでした。
それでも、時間は待ってくれないし、パソコンのhard-diskのback・upだけでも、1日掛かりなので、それを数台分も作業をしなければなりません。天文学的に超hardなのですよ。
仕方がないので、mainのwindows7のsubの10ではなくって、更にsubのwindows7に付いているhard-disk3台分から、2Tの1台のdataを他のhard-diskに移動させて、真っ更に開けて、当面のback・upのhard-disk用にして、椎名町に持って行きました。
finaleは5本のsoftが有るはずなのですが、不思議な事に2本しか見当たりません。後の3本のfinaleやPrintMusicのsoftが見当たらないのですよ。その1本は牧野先生が買った最新版のfinaleです。
マジ、椎名町のblack hole化は、前々から先生達に超文句を言っていたのだけど、私が全てを管理する事は不可能なのでね??
困った事です。
それよりも、大変なのは、softのCDや箱が見つからないので、IDやpassが分からない事です。お引越しには元のsoftを元のCDを使って削除して、またinstallすると、問題なくお引越し出来るのだけど、IDやpassが見当たらないとお引越しそのものが出来なくなります。finaleに至っては、同じsoftが各パソコン毎に4,5本あるので、それぞれがどのfinaleか??判別不能です。
今日は1月の10日の金曜日なのですが、昨夜から、折角SETしたFaxのcheckが出来なくって困っています。
設定のcheckをするのに、椎名町の事務所とFaxをしているのだけど連絡が付きません。
椎名町は人がいても電話や携帯に出た試しがないのだよな~ぁ?
Faxを送るように電話をしているのに、固定電話も携帯も通じないのだよ??
超、腹が立つよな~ぁ???
やっと、電話が通じたのだけど、Faxが出来ません。
色々と設定を試して見たのだけど、どうしてもFaxが通じないのです。
斉藤先生が控えていた電話番号も違っていたのだけど、それを訂正しても通じないのです。
最終的に思いついて椎名町に電話をして、電話番号を見て貰ったら、・・・・なんんとなんと、Jcomがまたまたやらかしていて、12月の20日に来た最初の人が冊子に書いて置いて行ったハイツの電話番号が、末尾の一桁が無かったのだよな~ぁ?
最後だけが「832」と3桁になっていたので、不思議だな??と思ったのだけど、椎名町に電話をして、電話番号を確認させたら、なんと、「8321」の4桁だったのだよ??
それじゃあ、電話が、通じる分けは無いじゃん。
これで、また1日無駄をしたぞよ??
全くmissだらけじゃん??
・・Jcomさんよ??
しかし、2,3度、間違い電話が掛かって来たのだけど、それは正しい電話番号で掛かって来た・・という事なのだよな~ぁ?
とんでもない話ではないか????
・・てな風に、Jcomに、怒り捲っていても仕方がないので、珈琲館にでも行って息抜きをしようと思って、ハイツを出掛けてふと気が付いたのだが、昨日は、配管のメンテで、業者の人が部屋の中に入ったので、いつも忘れないように、一番目立つ所に置いているポケットマネーを、人目に付かないように、机の引き出しの中に仕舞っていたので、持って出るのを忘れてしまったのですよ??
でも、硬貨の財布はあるし、免許証の財布の中には非常用のお金もあるので、risk管理は万全なので、構わないで、珈琲館に行く事にしました。
わざわざ取りに戻る事も無いのでね・・??
後で非常用のお金を戻して於けば良いだけなのでね???
今日は1月10日の金曜日でした。
10時過ぎにドルプリっ歩に出かけたのですが、雲一つない天空に満月がとても綺麗でした。お迎えっ歩を終えて、食事を済ませてハイツに戻る頃には、分厚い雲で満月はもうすっかりと影を潜めてしまいました。
ハイツに戻ったのはCinderella‐timeの12時を過ぎた1時頃だったのですが、暫し呆然とパソコンを見つめていました。
なぜならば、10日からwindows10への移行は4日あるように思えるのだけど、日曜日は千葉のオケ練習なので、実際には3日しかないのだけど、ハイツのパソコンのお引越しと椎名町のパソコンのお引越しをするとなると、今日を含めても、4日しかない・・という事で、timelimitはとうの昔に過ぎてしまっているからです。
という事で、2時頃になって突然、windows10へのupgradeを始めました。朝の5時半ぐらいにやっとwindows10へのupgradeが終わったのだけど、いつもの通りにMicrosoftのIMEしか入りません。Googleの日本語入力は出来ません。
MicrosoftのIMEは単語登録の共有が出来ないので、私の省略入力が出来ないので、とても辛いので、頑張ってGoogleを入れようとしたのだけど、やはり無理で(とは言ってもお隣のDesktopの10のパソコンではGoogleで入力しているのですがね??)
baiduの日本語入力はdown loadしたら、install出来たのでそちらで入力をする事にします。(単語帳はGoogleと共有出来るので・・)
9時過ぎになって、気を取り直してGoogleの日本語入力のsoftをdown loadしました。
しかし、memo帳では問題なく入力出来るのだけど、Facebookでは全く反応しません。MicrosoftIMEとbaiduは使えるのだけどね??
Googleの辞書とbaiduの辞書では切音同じ文字の繰り返しはGoogleではっ*となって、baiduではそのままggとかになります。読みが全く変わってしまうのですよ??
まあ、それは取り敢えずは良いとしても、しかし、Keyboardが全く動作しなくなりました。
同じMicrosoftのDeAgostiniのKeyboardなのですが、パソコンを立ち上げる度に、KeyboardとMouseが感知しなくなってしまうのですよ。
だから、普通のKeyboardとmouseを出して来て、USBの端子に接続して作業しないと、パソコンが動かなくなってしまいます。
でも、Keyboardの繋がっているUSBを抜き差しすると、感知してKeyboardやmouseが使えるようになるのだけど、そのためには、パソコン全体を机から動かさなければならないので、超大変な作業になってしまうのですよ。
installと諸々の設定で2時から7時頃まで掛かってしまいました。
5時間も掛かったのだけど、実際には、installだけで4時間は掛かったのだよな~ぁ??
これを後、ハイツのsubパソコン1台と、後は、椎名町のパソコンが、取り敢えず3,4台・・!!!!
今は1月11日の土曜日の夕方の4時半になる所です。
今朝は11時ぐらいまで、mainのパソコンのお引っ越し後のsoft類の設定の作業をしていたので、私的には、今が朝になっています。体内時計が半日狂っているのよね??
今からsubのHPのwindows7のパソコンをwindows10にupgradeしながら、平行作業で、mainのDellのパソコンのmouseとkeyboardの接続のcheckをします。
パソコンを終了させる度にmouseやkeyboardが認識出来なくなってしまうので・・・??
またまた、パソコンのrackやdisplayの机を動かすので、結構な体力勝負になります?
mainのパソコンからLANcableを外して、Hubからの接続ではなく、パソコン本体にdirectに接続して、パソコンがnatural-ergonomic-Keyboardを感知するかのcheckです。
感知すれば、仲介しているhubの不良です。
試した結果は、本体に直接、接続したkeyboardやmouseの接続は良好でした。
・・という事で、古くなってしまったhubの不良が決定しました。
hubの予備の在庫はあったかな??
USBの延長chordは??
残念??両方とも無かったので、夕方は6時を過ぎていたのですが、大急ぎで池袋のビッグカメラまで行って来ます
(一時間が経過しました?)
大急ぎで池袋まで買いに行って来て、ちょうど7時になった所ですが、帰りの電車の中でusbの分配器のcheckをして、ハイツに帰りついたら大急ぎで、Hubの配線のcheckと、問題のMicrosoft Natural Ergonomic Keyboardの配線のための延長chordを、mainのパソコンに取り付けて、動作確認をしました?
checkを始めたばかりのところですが、椎名町では、食事の時間になっているので、時間切れという事で、パソコンの作業は、まだ途中なのですが、取り敢えず椎名町に行く事にします。
今日は満月??
雲一つない中空に煌々と冴え渡って、とても美しい!!
食事とドルプリっ歩を済ませて、12時直前にハイツに戻って来たのですが、やっぱり、HPのinstallは出来ていませんでした。
多分、確認を求められる作業をしなかったのでtime-outしたのだと思います。
もう一度、最初からやり直しです。
朝の4時過ぎになって、やっと、HPのパソコンのupgradeが出来ました。まあ、2日掛かりだよな??
明日はオケ練習で、私は1日ハイツにはいないので作業は出来ないし、14日の火曜日は病院の日なの、結構時間を拘束されるので、頑張って、installに専念出来るのは今日の土曜日と月曜日だけなので、ハイツのパソコンのお引っ越しが終わったとしても、まだ椎名町の2台のパソコンのお引っ越しが私を待っているのですよ??
勿論、その二台のパソコンのupgradeは、同時進行させていかないと、14日までには、間に合いません??
という事なので、月曜日は1日中椎名町に閉じ籠って、パソコンのお引っ越し作業に掛かりっ切りの超大変な予定です。
とはいっても、明日は千葉でのオケ練習なので、これも体力勝負なので、大変です??
写真はお引越しの終わったwindows10になったパソコンなのですが、画面を見る限りでは、7の時と何も変わっていません。昔の10のディスク・トップの画面とは大違いです。
随分、7よりに治したのだよな??
善哉!善哉!!
それにしても、同じwindows10を入れたのに、パソコンによって、(Facebook等のsoftによって・・)日本語入力の相性が全部違うのは、驚きです。
mainのパソコンでは、FacebookではGoogleの日本語入力が全く使えませんでした。
baiduの日本語入力ならば使えるのですが、入力の時に頭の文字が入り難く、何度も冒頭の文字を入力しなければならない事があります。
しかし、不思議な事に、メモ帳等の他のsoftでは、Googleの日本語入力も使えて、文字の入力にも何ら問題はありません。Facebookだけの問題なのかな??
同じDELLのパソコンなのですが、subの10のパソコンでは、Googleの日本語入力は問題なく使えるのですが、逆にbaiduの日本語入力は出来ません。
そもそも、パソコンをwindows7から10へとupgradeする時には『baiduやGoogleの日本語入力softは、互換性がないので、使えなくなります』と、表示されて、削除の確認を促されるのですが、10が立ち上がった後で、再度、日本語入力をinstallすると、問題なくinstall出来ます。
私の場合には、単語登録がパソコンの生命線なので、IMEの日本語入力softは使いません。
※)IMEの単語登録では、単語帳の互換性が全くないので、これまで使用してきた単語登録が使えなくなってしまうのです。それに推測変換がないので、keyの操作が面倒くさいのです。MicrosoftIMEは、日本語入力は遅れているので、基本使いません。
まあ、いずれにしても、11日の夜までには、ハイツの分の2台のパソコンのお引越し作業を終わらせました。
1月の14日のsupport期限の火曜日までには、椎名町の2台の大型のパソコンのお引越しをしなければなりませんが、14日は結構忙しいので、timelimitは月曜日なのですよ。14日の火曜日は予備日にしかならないのです。
windows10のFacebookにはGoogleの日本語入力では書き込む事が出来ません。memo帳等ならばGoogleの日本語入力でも良いのですが、Facebookやlineでは無理なのです。MicrosoftIMEは長年使って来たユーザー辞書が入らないので、Google日本語仕事の代わりにbaiduの日本語入力でFacebookに入力しているのですが、Googleの場合には同じ文字を、例えば「gg」のように繰り返すと「っg」のように前に促音が入って登録されるのでGoogleで保存した単語登録でも「ggg」のような単語は登録出来ません。理解不能だよな??
1月13日
音楽の習い事をする場合には、多くの保護者の人達は、「取り敢えずは近所の先生にlessonをお願いして、そこで才能の片鱗でも見る事が出来たら一流の先生の元に連れて行って・・」と考えるのが一般的で、orthodoxなのではないでしょうかね??
しかし、子供を「将来的に音楽の道を歩かせても良い」・・と、ほんの少しでも考えているのならば、そういった考え方は根本的に誤りなのです。
勿論、「音楽なんて所詮趣味に過ぎないのだから・・」、と思っている人は、ご近所で充分なのですがネ?
日本の古い諺には「三つ子の魂百まで・・」という諺があるのだが、心理学的にも教育学的にも、それは全く正しいのですよ!
産まれたばかりの段階で学んで身に付いた事を訂正し、修正していく事は、例えそれが根本的な誤りだと知ったとして、いくら治そうと努めても、それを治す事は至難の技になるのです。
私達の教室に25歳を過ぎてcelloを学び始めた生徒がいます。
教室で習い初めて、暗譜や初見演奏も、なんの困難もなく出来るようになって来ました。
私達の教室に来る前には、子供の頃から大学を卒業するまでPianoを他の先生に習っていて、結局complexが身に付いただけなので、pianoも私達の教室でやり直したいと思ったのだけど、どうしても、最初に習った癖が抜けなくて、celloと同じように、暗譜も初見演奏も出来るようにはなりませんでした。
それどころか、pianoを弾く時の指のtouchや、演奏をする時の姿勢すら直せなかったのだよ。
そんなものなのですよ。
それこそ、『三つ子の魂百まで』の原理通りなのだよな~ぁ?
立場を変えて、指導する側からのお話しでも、同じような事が良くありますが、音楽大学を卒業して教室で先生として指導の勉強を始めたばかりの講師見習いの先生達が良く言う事があります。
BeyerやBurgmullerの教本を指導していて、『間違えなく弾けるようになったから、合格で良いですか?」という質問をされる事がある。
そこで、私が子供達の指導をして、「未だこういった所をきちんと指導出来ないと合格にはならないのだよ!」とlectureをすると、まだ指導しなければならなかった所がそんなにもあるのかと、驚いてしまう。
BeyerやBurgmullerの段階できちんと指導が出来ていないと、Czernyの40番や50番、或いはcramer-bulowやMoschelesやMoszkowski等のEtudeに進む事は出来なくなってしまう。
ましてや、legatissimo奏法と複雑な対位法の曲である平均律等の曲の指導は芸大の講師の先生達の指導でも超いい加減な先生が多くて困ってしまう。
教室ではBachのinventionを指導する段階からorganの音の出るKeyboardを使用したり、あるいは、生徒が二人いる時には、2台のPianoを使用して、それぞれの生徒達が各声部を1本づつ弾いて、polyphonyの奏法について、理解をさせているのだよ。
『sonatineは弾ける様になると、指導する事がない』と嘯く指導者が多くて困ってしまう。
確かにsonatineは古典派の作品の集合なので、演奏する技術的にはそんなに難しい事は無いのだけど、古典派の奏法をきちんと学んで、何故そのような奏法が産まれたのか??・・という古典派の音楽の表現法を学び、そのrootsを知れば、見違える程に古典派の曲は活き活きとして素晴らしい音楽に変わるのだよ。
古典派の時代のpianoの演奏法では、forte-pianoのtouchを学ばなければならないのだよ。
それが音楽の基礎であり、基本なのだよ。
教室のオケ練習でも2回オケや、3回オケの初めて組の生徒達は学ぶ事がとても多い。
3曲分の時間を1曲の解説とlectureに纏めて演奏表現の説明に費やしても時間が足りなくって困ってしまう?
逆に言うと、対外出演組の連中はそう言った基礎的な表現力は既に学んで、その技術は持っているので、「ここはWien-bow」とか「ここは抜きで余韻の奏法(nachklingen)で・・」とか「カナカナ蝉の奏法で・・」という事で、音楽の表現方法が通じてしまうので、課題を宿題にしても、ちゃんと演奏出来るようにして来るので、練習の「時短」は出来るのだよ??
課題を出しても、自力で復習出来ない初心者には、宿題にするという「時短」が出来ないので、丁寧にその練習に付き合って一緒な練習をしてやらなければならないのだよ。
だから、オケの初心者のlectureの時間は、非常に多くの時間が必要となるのだよ。勿論、それはマンツーマンのlessonでも同じ事なのだ。
それを一般的には、「初心者には教える事が少ないので時間が必要はない」と解釈されてしまうのだよ。
困った事だ!!
lessonとは何か?lectureとは何か?という事が、まるで分かっていないのだよな?
1月14日windows10へのupgrade
昨日の1月の13日は、お昼ぐらいから椎名町に行って、パソコンのお引越しの作業を1日するつもりだったのだけど、鼻詰まりが酷くて、全く眠れなくって、一日中体調不良でbedの中でうだうだとやってしまった。
月曜日がwindows7のsupportのtime-limitだという事となので、「何が何でも・・」という事で、夕方の6時頃になって、動かない体に鞭打って、椎名町まで出掛けて、パソコンのお引越しの作業を始めた。
いつも言っているように、私はwindows10の動きが嫌いなので、不承不承のいやいやながらの作業なので、気が入らない(身が入らない)のだよ!!
椎名町の新しく買ったDellのパソコンと今まで使用して来たHPの大型のパソコンと、subのDellの大型パソコンを全てwindows10をinstallしたのだけど、古い大型のDellのパソコンはパソコンを置いている位置を隣に移動させただけでdownしてしまって、全く立ち上がらなくなってしまった。
まあ・・・よくよく考えて見たら、このパソコン、元々はXPだったよな??
そりゃあ、もう無理だわさ??
windows10にパソコンをupgradeする事によって、printerのnet接続が全部ぶっ飛んでしまって、教室の普段の仕事用の大型のprinterだけはnet接続を戻したのだけど、いつもの通りにepsonの小型のprinterは全く接続しないのだよな。
テプラも全く接続しないのだけど、softをinstallして、softや機器の状態・・全てが正常なのに、テプラとパソコンが反応しないのだよ。
これはnetの問題ではなく、機械的な問題だわさ??
パソコンの設定では、accountという事で、mailやそのmailのpasswordを聞かれるのだが、そのaccountが分からないので、その都度先生に質問するのだけど、使っている方が分かっていないのであれば、俺は何をどうすれば良いのかい??
という事で、またまた、新しいaccountを作らなければならない。
つまり、endlessの無制限のmail-addressが出来てしまうのだよな??
・・という事とで、出来る所まで、朝の4時半まで掛かって頑張ったぞよ??
XPの大型パソコンを除いたら、2台とも、普通に使えるようになったぞよ??
・・なんとか、14日の朝までには間に合ったよな??
ひえ~っ!!箸が指に刺さった!!
シンクに箸が落ちるのを無意識に掴もうとして指に刺さったのだ!!
結構深く刺さっていて、血が止まらない!!
ティッシュで血を吸わせても血が止まらなくって限がないので、バンドエイドで血止めをしたのだけど、一瞬でバンドエイドのまわりから血が溢れ出てしまいました。
・・という事で、有り合わせのバンドエイドが全部なくなってしまった!!
ひぇ~っ??・・歯医者に出発する時間なのだが・・・どうしよう?
・・・なんとか歯医者に行く時間の直前に血が止まったのだが、歯医者から帰る時にはまたまた、バンドエイドのまわりから血が溢れ出て右手の薬指が血だらけになってしまった。
歯をガリガリと削られている時に無意識に手を握りしめてしまったのかな?
仕方が無いので、左手だけbike用の手袋をして、右手は血が流れるままの裸のままにハンドルを持って、指を風に当ててbikeを走らせました。
途中でコンビニに寄ってバンドエイドを買って帰ったのだけど、bikeで指を風にあてたおかげでなんとか血が止まったぞィ??
傷の周りは血だらけで見っともないけれど、交換するとまたまた出血するので、折角買って来たバンドエイドなのだけど、バンドエイドの交換はしないで、指も洗わないで、そのままにしておこう。
今日は外出はしないで(外食はしないで・・)部屋の中に閉じ籠って安静にしておこう!
少しでも指に力が加わると、またまた、出血してしまうので・・・
血が止まり難いのは、勿論、深く刺さったせいもあるのだけれど、それと、血液サラサラの薬を飲んでいるせいなのです。
だからチョッとした傷でも血が止まり難いのです。
まあ、仕方ありませんがね?
合理的なの反対語は非合理的になるそうです。
当たり前といえば当たり前だけど何かしっくりこない言葉ですね?
昔々のお話しで、教室を作ったばかりの頃の事なのですが、音楽大学の附属の音楽教室から、二人の小学校4年生の生徒がやって来ました。(音大の附属の音楽教室は3年生までで卒業で、それからは大学の先生に個人的に師事するからです。)
その一人は音楽教室でtopの生徒で、もう一人はビリの生徒でした。
その当時、ちょうど私は音楽教室を作ったばかりで、教室を作って直ぐに、別に部屋を借りて、教室とは別に、子供達へのオーケストラの指導を開始しました。
とはいっても、lessonとして、ではなく、集団指導が私の教育理論を実践するのに都合が良かったからです。
ほぼ毎週の日曜日を私の教育のmethodeの実践という事で、顎足、持ち出しのvolunteerの教育指導でした。(勿論、assistをする先生達や上級生達も・・顎足自分持ちです。)
教室に入会したばかりの生徒達もオケに参加するように誘ったのですが、音大の音楽教室のtopの生徒は、「将来音楽大学を目指しているので、日曜日に1日遊ぶ時間が勿体無いので、その時間は自宅で練習に専念したい?」と言って来たので、それ以上はお誘いしませんでした。
嫌々ながら、参加されても、私の場合にはvolunteerに過ぎないので、自分を抑えてまで子供達に尽くす必要性は感じ無かったのでね??
もう一人の、音楽大学の音楽教室でビリの生徒は、小さな生徒達への指導が大変好きで、後輩の子供達を指導する過程で、あっという間に、頭角を現して来て、技術的にも非常に上達して来ました。
一年後には、その技術の差は誰にも明白になって、毎、日曜日を自宅で必死に練習を積み重ねて来た生徒は、自分がtopで、ビリであったはずの生徒が自分よりも演奏技術が上になったshockで、その生徒は音楽をやめてしまいました。
どんな親にとっても、どんな子供達にとっても、必死の努力の結果よりも、年下の子供達と遊ぶ事の方が勉強の成果が上がる・・なんて事は認めたくない事ですからネ?
それこそ非合理の権化のようなものですよね?
一生懸命練習しても、オケで楽しく遊んでいる方が上達するなんて、誰も信じないよね?
有り得へんわネ?
だからといって、それを真似しても、・・・つまり、オーケストラの曲を子供達と一緒に遊んだとしても、だからと言っても、子供達が上手くなる分けではないのだよ?
有名人が集まって、オーディションで選りすぐりの子供達を集めても、結局の所は、練習を積み重ねて行くとしても、一人一人は、上手くはならないで、下手になってしまうのだよ?
それはなんで??
・・つまり、正しく遊ぶためには(集団教育に必要なものは)systemとcurriculumなのだよ??
それなしには、子供達が上達する事は無いのだよ!!
当たり前の話なのだけどね??
やっぱり、電子レンジがおかしい??
19年の12月の24日の続きなのだろうか??・・・食品を温めて、0になって食品を取り出したのに、レンジは切れていなくって、取り消しボタンを押しても切れなくって、蓋を開けても切れなくって、取り消しボタンを押すこと、3回目でやっと切れた。
しかし、その後は何事もなかったように正常に動いている。
computerの故障はいつもそうなので、修理に出しても故障が再現出来ない事が多いのだよ。
困った事だよ!!
多分、この状態も再現は出来ないのだろうな??
キーボードにしても、コンピューターの故障は、この手の故障が多いので困ってしまう?
1月15日windows10のtop画面が
今日は1月の15日の水曜日、1月もちょうどなかびです。
火曜日の朝の5時迄掛かって、椎名町の2台のパソコンをwindows7から10へ移行させたのですが、最新versionのwindows10は、windows7と全く同じ画面で、Googleの日本語入力が出来ないだけが問題なのだけど、動きは全くwindows7と同じになっていて驚いてしまいました。
(しかし、Googleの日本語入力が出来ないのは結構riskとしては大きいのだけどね??)
それに対して、以前、買ったDellの10の画面は、以前の10のままの画面で相変わらず使い難いので、ふと思いついてMicrosoftのsiteから10のgradeupのPageを探して、downloadを始めました。
2時間ばかり掛かってwindows10をrenewalしたのだけど、全く何も変わらない・・top画面のlayoutもそのままなのだよな~ぁ??
どうなっているのだ??
その後、再度installを試みたのだが、何も変わらない?
相変わらず、使いにくい、画面のままなのだが、messageには、『最新versionがinstallされた!』と出てくる?
理解出来ない??
まあ、取り敢えずは、tile画面だけは半分に表示されるように設定して、今回は良しとしておこう。
どうもendlessの作業になりそうなので・・・ね??
という事で私の周りのパソコンは全部7から10にupgradeされてしまいました。
基本、使い難いのですがね??
もう、慣れないと詮無い事ですよね~ぇ??
写真は左側からwindows10のupgrade中の画面と、tile画面を画面の半分に設定し直した画面です。
1月16日 『升のお話し』・
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今私が持っている計量カップや升は全部1合だよな~ぁ??
今私が使っている糖質dietの炊飯器や万古焼の土鍋の炊飯器は全部2合なのだよな??
1合の計量カップを使って2回計量しているのだけど、面倒くさい・・というよりも、計量がより不正確になってしまう。
2合の計量カップか升があれば良いという事で、持っているコーヒーカップで2合の升か、計量カップとしての代用出来るものがないのかと、棚を探して見たのだけど、全部帯襷であった。
just2合で計量カップの代用になるマグカップって中々無いよな??
所詮、当てずっ歩のサイズで作られているのだからネ?
という事で、netで2合の升を探して見たのだけど、安い升は760円で売っているのだが、なんと送料が680円もするのだよ?
netで何かを注文する時には、注文する品物よりも送料の方が高い事がよくあるのだが、それは余りにも不条理で、買う品物がいくら安くても、送料を足すと、超高額になってしまって、購入することを諦めてしまう事が良くあります。
何度か、まとめ買いに挑戦したのですが、同じサイトで買っていても、お店が違う場合には、送料が別々に発生したり、品物が揃わなくって、いつまでも商品が届かなかったして、中々注文が上手くいかなくって、結局、諦めてしまいました。
写真は左側から私が持っていたいちばん2合に近かったマグカップと、二合の升と万古焼の土鍋の炊飯器です。
1月17日『夢のまた夢』 ・
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池袋から帰ってきて、住んでいる家の入り口 (・・・そもそも、もうそこが違うんだよな? 江古田教室がなくなったのは3年前の17年の事だが、私が江古田教室に住んでいた頃は10年近くも以前の話しなのだよな?? 10年前からは江古田教室から歩いて5分の距離の現在のハイツに住んでいる。) をみてみると、江古田の教室の入り口がなくなっていて、灰色のドアが閉まっていて、見たこともない普通の家になっていた。
(現実的には、江古田の部屋を追い出された時には、「不動産業者に売却して、家を建て直すから・・」、という事で、住人全員が追い出されて、全く新しい建物になるはずだったのだが、実際に建て直された建物は、1階がコンビニに変わっただけで、以前の建物と、寸分変わらない建物だったので、呆れてしまったのだよ。ならば、建て直す必要はなかったのでは・・・?)
入り口をやり過ごして、次の角を曲がったら、そこには見たことのない街並みが広がっていたのだよ。
(しかし、この街並みの風景は、夢の中では良く見る風景なのだが、現実的にはどこかの記憶上の風景ではなく、全く見知らぬ風景なのだがね・・?)
「私の家はどこにあるのだろうか?」・・・と、再び踏切まで戻ってみたのだが、江古田の教室以外の自分が住んでいるはずの家があるはずなのだが、その場所がどうしても思い出せないのだけではなく、私の住んでいる家の風景すら、思い出せないのだよ。
踏切のそばに立って周りを見渡しても、それらしい建物が見当たらないのだよ?
私はどうやって、自分の家を見つければ良いのだろうか?悩み抜いてしまったのだよ。
ああ、私は痴呆になってとうとう町を徘徊をするようになったのだろうか?
それにしても、江古田の町並みがこれ程までに変わってしまうとは・・・と思って、ふと、我に帰って、これが夢の中の世界である事に気がついた。
自分が夢の世界にいる事に気がついて、改めて、現実の意識の世界に戻ってみると、確かに私は、夕方の踏切ではなくって、今、真っ暗な深夜の江古田の私の部屋の寝室のベッドの中で寝ている事を意識する事が出来たのだよ。
昔から、時折、夢の中から目が覚めた時に、なかなか現実の世界に戻れなくて、今いる自分の現実の世界が認識出来なくて困ってしまう事がよくあった。
今回の夢も、そのありふれた夢の中の一つに過ぎないのだ。
「江古田のマンションの一室のベッドの中で寝ている私」それが今現在、確かな現実の中の私なのだが、なかなかそれが理解出来ないのだよ?
存在をする・・とは、なんと朧気で不確定なものなのであろうか??
・・でも、改めて夢を思い返して見ると、自分が実際に痴呆になって徘徊をする時には、半世紀にも渡って住んで生活をして、見慣れたはずの街並みですら、夢の中の街並みのように、見知らぬfremdな町に見えてしまうのだろうか?
或時に、ふと気がつくと、見知らぬ場所に一人でいる・・・という事は、一人の人間としては、孤独と恐怖、そのものなのだが??
孤独の恐怖感に襲われる事は、見知らぬ空間に居る時だけではない。
待ち合わせで池袋に出掛けた時などでも、駅の改札口で、帰宅中の大群集の中に一人いる時にも、見知らぬ人達の群衆の中で、宇宙の中で一人っ切りのような孤独感を感じることが良くある。
人混みとは、逆に最も孤独感を感じる場所でも、あるのかな?
江古田の町は、私にとっては、人生の大半を過ごした場所でもある。
不本意ながら、私はこの町では、40年間、50年間の長き人生を過ごしてきたのだが、私にとってのこの江古田の町は、未だにetranger(エトランゼ)のvoyageur(ボアャジェール)に過ぎないのだよ。
私は未だに故郷を失った彷徨い人に過ぎないのだよ・・
絵はヒポノスの絵なのですが、Europaではサンドマンにしてもヒポノスにしても、眠りを誘う神は皆男性なのですが、私が眠りにつく時には、優しい女神様の方が良いな??
という事で超珍しい女性のヒポノスです
1月18日 Ergonomic Keyboard ・
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パソコンをwindows10に変えてから、仕事をする上で致命的な事がまたまた見つかってしまった。
それは、今までは普通に出来ていたwindows7とwindows10の間のパソコン同士の共有が全く出来なくなってしまったのだよ。
頑張って設定を直して、なんとか1回だけは出来たのだが、次に開いた時にはやっぱり出来なくなってしまっていた。
netで調べて見ると、「home-editionでは共有の設定は出来ないので、共有設定をしたければ、上のPro-versionを購入してgrade upしろ!!」と出てくる。
まあ、パソコン同士を繋ぐ逃げ道はあるはずなので、暫くは何か方法があるはずなので、暫くこのままにしておくか??
10に変わってからは、日本語の入力が上手くいかなくなる事がよくある。
keyに対しての反応が鈍くなってしまうのだよ。
酷い時には、最初のtouchに反応しなくて、2個目のtouchから変換される。
再起動をして直る時と、全く直らない場合がよくある。
そう言った時には、仕方がないので、別の日本語softでお茶を濁しているのだが、Googleの日本語softは基本的にはwindows10には入らないので、baiduで入力する他はないのだが、そのbaiduが、一番touchが不良になるcaseが多いのだよ??
別にwindows10に限った話ではなく、パソコンのkey配列そのものの話なので、10の悪口ではないのだが、Keyboardを打つ時に困っているkeyがある。
それはinsert-keyである。
deleteやhomeの傍にあるので、よく無意識に触れてしまうので、挿入をしている時に文字が消えてしまって、困って仕舞う事がある。
このinsert-keyが何のためにあるのか理解不能なのだけど、一番よく使用するkeyの場所にあるのも理解出来ない。
これも頑張って、普段使用している私のパソコンの中の一台だけは、設定を変えてみたのだが、その設定が超大変で面倒くさかったので、二台目以降はそのものままにしている。
netで一番多かった改善策は、Keyを取っ外す・・という事だったのだが、流石にそれは荒っぽ過ぎて、どうも・・戴けない??
もっとも、スマホのコピペの機能はもっと酷い!!
勝手に幾つもコピーされてしまったり、削除されてしまって、パソコンのように戻す機能がないので、困ってしまう事がよくある。
私の場合には、携帯の画面が私の指を全く感じてくれなくて、何度やっても無反応で、私がイライラしてヒステリーを起こしてしまう事がよくある。
試しに昔使っていたスティックを使ってみたのだが、結構ゴムに力を入れて押さないと反応しなかったので、諦めてしまった。
それに先がボールペンになっているので、服のポケットを痛めてしまうから、持ち歩きが出来ないのだよ??
いまさん、工夫が足りないようだよな??
教室で使用しているMicrosoft社の Natural Ergonomic Keyboardで、長時間Keyboardを打っていても手首に負担の少ないKeyboardです。Desktopだけなのだけどね??
1月19日電波懐中時計が ・
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今日は1月19日の日曜日の7時半になる所です。今の練馬区の気温は2℃で、体感温度は1℃だそうです。
しかし、天気は晴れて素晴らしい日になる予定です。
『予定です』・・・という意味は、まだ部屋の中にいて、外に出ていないからです。
今日は日曜日、千葉のオケ練習の日なのですが、朝の5時に目が覚めてしまって、寝直そうと思ったのだけど、眠れないままに時間が経ってしまいました。
起きて出発するまでの時間が中途半端な時間になってしまったのですが、このまま寝てしまうと、寝過ごしてしまう可能性があるので、無理をして寝るよりも、起きて千葉に行く事にしました。
予定の時間よりも3時間も早いのですが、仕方ありません。
という事で、サボりサボり千葉へ移動して、それでも、超、珍しく3時間前のprogramの全体合奏からの練習風景を見学をしました。
頑張って極力口を出さないように努めました。
オケ練習の休憩中に子供達が私の懐中時計で遊んでいたのですが、それから時間が5分ぐらい遅れてしまって、電波時計なので、遅れた時間の修正法が分からなくて、丸々1日、2日、修理に送り返すか、ポイするか悩んでしまいまいした。
時計をイジっていて、強制的に時間を修正する方法が見つかったので、時間を正しい時間に戻す事が出来ました。
捨てなくて良かった!!
「俺の時計で遊ぶな!!」と何度も注意したのだけど、聞いてくれないのだよな~ぁ??
困った事だヨ??
オケ練習の集団の教育の現場では、どうしても練習が上手く行っていない遅れているgroupの曲に時間を裂いてしまうので、逆によく練習が出来ているgroupの練習時間に皺寄せが来てしまいます。
これって、指導上は、結構矛盾しているよね??
練習が上手く行っていない理由は、曲とgroupの技術力の問題もありますが、それ以上に個人的な練習の量の差にもよります。
「そこは練習をしておいて!」で済むgroupは、個人的にもよく練習をするgroupになるのですが、何度注意してもlectureをしても、練習をしないgroupの場合には、練習のpointや、曲のimage作り等々に、どうしても時間を取られてしまいます。
一般のjunior-orchestraの場合には、auditionで選抜されたmemberなので、弾けない場合には、他の生徒が演奏する事になるだけなのですが、教室の場合には、基本的には、そういった事はしません。
(生徒達ではなく)先生達が頑張って、生徒を弾けるようにしてしまいます。
まあ、そこは超大変なのよ、ね~ぇ??
orchestraというのは、希望参加だし、それに巷の音楽教室という泣き所もあるし・・・
まあ、その上手く行かない所が、また楽しい所でもあるのだけれどね~ぇ??
なかなか・・微妙なのよね~ぇ??
写真はviolaの瑞希ちゃんが初めて組のかほちゃんのsupportに2ndに移動したので、急遽、私がviolaのpartの助っ人に入って練習をしている風景です。本番では弾く事はないので、一般的には超レヤーな光景かもしれないけれど、練習としては普段から人数が足りないので、足りないpartを私が補充して演奏する事は、極普通の風景です。
1月21日今更Jcomのserviceが ・
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今日、1月20日の月曜日は、結構朝早くからJcomから電話があったのだけど、無視して電話には出なかったのだけど、その後、夕方迄も電話が何度も掛かって来たので、根負けして電話に出てしまいました。
電話は20日に最初に来たメンテの人からで、勿論、au携帯からJcom携帯へのお引っ越し作業と、携帯の開通作業に関しての話だったのだけど、12月の20日に彼と私が直接話したハイツのnet環境の話や、28日に来た人とのtroubleの話や、その後のsupport-centerとの喧嘩の話も、28日に私がWi-fiのRouterを買って来た話も・・・全く彼は伝達を受けていない状態で、未だにauの携帯を使用している・・と思い込んでの電話でした。
余りにも、連絡不足で超腹が立ったのだけど、そこは腹の中に仕舞い込んで、冷静に対応をしました。
設定から手続きに至るまで、3台の携帯電話を全部私一人でやったので、今更Jcomにはやって貰える事はない・・とだけ伝えて、まあ、それ以上は事を荒立てないで、ま~るく収めておきました。
エラいよね~ぇ??
・・というか、私は携帯はmailしか使わないので、携帯の操作法すら知りません。
今回、初めて携帯端末の設定をしたのだよ!!
そりゃあ、ないよな~ぁ??
先ずは、携帯の用語からの話なのだよ??
知らない事だらけの・・・
斉藤先生は「作業と手続きに掛かった費用を返して貰えば??」と言っていたのだけど、一介の営業にはその権限はないしね~ぇ??
どんなにゴネたとしても、私の3日分の経費を会社が出す分けはないので、ゴネ損になってしまうので、そんな無駄な労力は使わないのが私の主義なのでね??
それはそうと、椎名町の事務所の玄関には万両の実が大変な状態で、毎日玄関の前や道路を掃除しても追い付かない状態だったのだが、昨年は12月のChristmas会の間に、小鳥達が無数に来て、一粒残らずきれいさっぱりと食べてしまった。
正月は万両の実が全くない・・正月だった。
それも、チョッと寂しいのかな??
勿論、あればあるで大変なのではあるのだが・・
1月21日折角、買い物に出かけたのだけど ・
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今日は火曜日なので今日のmain-eventは歯医者なのですが、
歯医者からの帰り道のついでに、買い物をする事にしました。
本当は、何も食べていないので、お蕎麦屋に寄ってからbebeに行くつもりだったのだけど、お蕎麦屋だけが買い物のrouteから外れるので、蕎麦屋はやめて、駅前のbebeから始める事にしました。
bebeに寄って2合升を探したのだけど、升そのものが見当たりません。
店員に尋ねると「置いていない」という返事で、他のシャンプー等々の雑多な日用品の買い物をする気力も失せてしまいました。
流石に升は池袋のデパートまで行かないと売っていない・・という事だよなぁ??
それは困った!
その他の雑用品を買いに、100均とコカコラにも行ったのだけど、目的の品は無かったし、帰り道に珈琲館に寄って珈琲timeをする気も、スーパーのまん丸に寄って、今日の冷蔵庫の中身を買って帰るつもりだったのだけど、その全てをやる気力が突然失せてしまって、ココカラに入ったのを最後に、そのまま何一つ買う事もなく、ハイツに戻ってしまいました。まあ、時間の無駄、気力の無駄だったのだよな??
帰ってからも、気力が戻らないままに、より体調が不調になって来たし、パソコンの仕事もやる気が全く出なくなってしまったので、チョッと早い時間なのだけど、何もしないで、寝てしまいました。。『一日不作一日不食』
この所、またぞろ鬱が再発しているようで、この3日間は鬱っぽい毎日を送っています。
・・とは言っても、ちょうど1年前の鬱の状態を10とすると、5か6ぐらいの鬱のlevelなのだろうけれども、それでも・・鬱は鬱・・なので、体調不良である事に変わりはありません。
この程度の鬱ならば、alcoholでも飲んで『鬱に浸る』という手もあるのだろうけれど、胃や心臓の調子が悪いので、お酒を飲む気が起こらないのだよな??
・・というか、「胃や心臓の調子が悪いので、鬱になっているのではないのかな??」・・・と思っているのだけどね??
花園教室のspinetの前のソファで、「ン??何か?文句でもある??」と言いたげな・・ドル
コメント
芦塚 陽二
その後、2月の4日に川崎の病院に行く機会があったので、帰りに西武に寄って、二合升を売っている売り場を2,3箇所寄って見たのですが、お酒売り場では5勺升しか売っていなくって、和食器売り場では1合升しか売っていませんでした。
という事は升が700円で送料が600円でも、netで升を購入するしか方法はない・・という事で決定ですかね??アハッ!
1月23日『超無駄な無意味な1日』 ・
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今日は朝8時頃から突然netが繋がらなくらなくなってしまった??
何度となく、ルーターとパソコンの再起動を掛けたのだが、治らなくって、他に可能性が見当たらないので、ハイツの受付に行って管理人に他の部屋でも異常が出ていないのかを確認したのだが、Routerの不具合が出ているのは、私の部屋だけのようなので、ついに11時直前になって、Jcomのサポートに電話をした。
リモートでcheckをすると、やはり、Routerの不具合が派生していたようなので、修理交換に今日中に来て貰う事にしたのだが、という事は、今日中はハイツに缶詰めになる・・という事だよな??
という事よりも、先生達からのhelpを求めるmailが結構入って来ているのだが、パソコンがないと半分もそれらの手助けが出来ない?
超、困ったぞ??
本来ならば今日は東京ガスが9時から12時までの間にガス器具の点検に来る予定なのだが、11時過ぎになっても来ないので、玄関に出てみたら、案の定,ドアの郵便受けの中に不在通知が入っていたのだよ??
まあ、毎回の事なのだが、『呼び鈴ではなく、ドアをノックしてください。』と、張り紙をしていても、マジにドアをノックをしてくれる人は稀なのだよ??
呼び鈴を押しても、お上品にドアをknockしても、部屋の中にいると全く聞こえない。
という事で昔々、近所の電気屋でこのmansionの電気系統を修理している電気屋に「なにか良い方法はないのか?」と相談をしたのだが、電話回線を引いてインターフォンにすると良い!」と言われたのだが、ハイツの部屋は独居老人の独り暮らしなので、電話を引いても、受ける人が自分しかいないので、そのために、高額なインターフォンの代金や工事費、毎月8000円の電話代を払うのはとても無理なので、諦めてしまいました。
Jcomのclaimだけではなく、東京ガスのその事も含めて、管理人にclaimを言ったのだが、管理人の関知する所ではないわさなあ??
まあそれでも、東京ガスの人を見掛けたら、多分、文句は言ってくれるのかな??
冷蔵庫には、相も変わらず、食うものはないので、外に食いにも・・買いにも・・出れないという事は、結構辛いよな?
それはそうと、『netが通じないのに、何でFacebookが書けるのか?』というと、11時過ぎぐらいから、携帯が生きて来たのだよ?
それまでは、携帯はWi-fiの接続で開いているので、Routerが死んだら、当然Wi-fiも死ぬので、携帯のlineもnetも今日の予定表すら開かなかったのだよ。
Routerが死んだら、直ぐに携帯のnetが開いても良さそうなものだが、それが中々通じずに、やっと11時を過ぎた辺りから、携帯のnetが復活したのだよ。
管理人さんが東京ガスの人達を見かけて連絡してくれたらしく、2時過ぎには、東京ガスの人が来て点検検査をしてくれたので、一つは片付いたのだ??
その後で、再三、催促をして、やっとJcomの技術の人から電話があって、「予約が立て込んでいるので、時間を予約しないという事で今日中に訪問する」という事になった。
ただ、徒らに待つというのは、結構辛いものだよ。
私の殆どの仕事はnetを使うので、netの出来ないパソコンなんて、ただの箱だよ!!箱!!
何時来るのか、分からないので、ドアのノックの音が聞こえなくなっても困るので、惰眠を貪る事も出来ず、風呂に入って体を休める事も、テレビのドラマを落ち着いて見る事も出来ない?
netでの仕事が出来ないのならば、有意義に時間を使うか、ウンと楽をすればよいのだけど、何時来るか分からない人を待つ程、無意味な事はないのだよ。 RilkeのGeschichten vom lieben Gott(=神様の話)ではないのだからね??
ひたすら待っていたら、すっかり疲れてしまったので、bedで横になったのだけど、勿論、眠ってはいないし、仮眠もしてはいない。
ただ、横になって休んだだけだったのだよ。仮眠ではないのだから、疲れが取れる事はないのだよ。
夕方の6時直前になって、やっと電話があって、後、15分で到着するという。netが通じなくなってから、10時間後の話であるぞなもし・・・
Jcomのcheckが始まったのは良いのだが、説明がまたまた、理解不能で、理屈が通らないのだよ。
Routerの故障はないのだから・・、と何度か、パソコンのnetの状況を見て、Wi-fiを外すと、有線runが生きる・・という話だったのだけど、それも私が午前中に試して、やっぱり通じなかったのだよな~ぁ??
一次的に回線が通じたとしても、またまた、壊れたら困るので、取り敢えずは新品に交換して貰ったのだけど、結局は、Wi-Fiが繋がらなくなってしまった。
『有線runならば繋がる』・・という事で、携帯を購入する前の状態に戻したのだよ。
12月の28日には、一体、俺はなんのためにWi-fiのRouterを買って来たのだ??
Wi-fiのRouterで携帯の設定とnotePCの設定をしたのだけど、今日は、「Wi-FiはこのRouterには、接続出来ません。」だってよ??
今まで、ズッと使って来たのに、「挙句の果てには、このWi-fi-Routerは壊れています。」だってよ??
だって、Wi-fi-Routerは、Jcomの人に言われて、携帯の設定のために買わされたのだよ??
support-centerの人達や技術の人達がそれぞれに言う事が違うので、困ってしまうのだよ。
・・まあ、それならそれで、後で私の考える配線をやって見るか??
東京ガスの点検検査に来たオバさんに、インターフォンの話をしたら、東京ガスの人はインターフォンの工事からtoiletteの改造まで何でもかんでもやっているそうで、今は呼び鈴から直接スマホに映像を送るのもビック・カメラ等で普通に売っているそうなので、そんなに難しい事ではないそうだ!!
netが繋がったら、早速調べてみよう??
1月24日夢を二つも見たのだが・
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全く同じ話しの繰り返しになってしまうのだが、今日も定時の5時に起きだして、体重測定や血圧の計測をしながら、昨夜の残務処理をしていたら、突然、意識が朦朧として来たので、慌ててbedに戻って眠ろうとしたのだが、布団に入って横になった途端に鼻水が出てきて、息が出来なくなってしまった????
勿論、起き出して椅子に座ると呼吸が出来るのだが・・
無理をして、頑張って起きるのはやめて、そのままbedに留まる事にした。
bedの中で、眠るともなく、虚ろ虚ろに夢を二つも見たのだけど、その一つはpartyで歌の伴奏をしていたのだが、突然、即興で伴奏を始めてしまって、気持ち良く歌っている人の演奏を邪魔をして、partyを滅茶苦茶にしてしまった夢で、その後、暗い雨の中を雨に濡れながら、自己反省をしながら駅に歩いて行く所までの夢であった。
・・もう一つの夢は、狭いオケ教室の練習の時に(検見川教室の事でも花園教室の事でもなく、見知らぬ練習の場所なのだけどね??)、その練習の会場で、若い女性の演奏家に、私のmethodeを書いた紙を見せているsceneなのだが・・何故methodeを説明しているのか??・・その理由が、理解不能なのだが・・
何度かbedと、パソコンの椅子を往復して、やっと眠る事が出来たのだけど、人生の無駄な1日がまだまだ続いているのだよな??
巴里っと仕事modeに入れないもんかね??
Facebookに既に投稿した文章に後付けで写真や動画を追加しようとしても出来ないので、調べて見たら、iPhoneならば出来るらしいのだが、Androidは後付けの写真や動画は出来ないのだそうな????
それは初めて聞いたヨ??
lineを経由してPCに写真や動画を取り込んで、PC上でFacebookに写真や動画を掲載すると問題なく出来るのではあるのだが・・そこまでやるのは、超面倒くさいのだけどね??
遅れているよな??Androidは・・??
ガスの検査に業者の人が台所に入って見たのだけど、油汚れとか、暫くの間、清掃をしていなかったので、反省をして、突然、ガス台をバラし始めました。parts毎に清掃をして、戻す直前の状態です。
1月26日『夢を叶えるには・・・補遺:愚痴』・・未完成 ・
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教室を開設して、早40有余年、Europaの音楽の歴史の根幹を成すensembleであるorchestraと室内楽を主軸とした音楽教育を、教室で子供達にcurriculumとして指導をして行く音楽教室を設立した。
その独自の教育法により、子供達が音楽技術的に著しい成長を見せて、音楽の表現、演奏に対しての能力と技術の向上のみならず、子供達の人格的な成長に著しい成長が見受けられて来た時に、教室開設当時の保護者の人達が、「這えば立て・・、立てば歩めの親心」という事なのか、・・子供達に、「成績が上がったらオケや室内楽に行っても良い!!」と言う条件を突きつけた・・という話を聞いて、私達の努力を否定されたような気がして来て、その当時、私はすっかりメゲてしまった。
当時は私も未だ若かったので、その時の保護者を呼び出して、厳しく教育の原理を指導して、子供達への指導上の事無きを得た。
学校の成績や塾の成績は、学校や塾の先生達が負うべき課題であり、努力すべき事であって、子供の勉強に対しての責務は学校や塾が背負うのが道理であって、その付けを学校の教育とは無関係の、音楽教室が背負わせる事はないはず・・であるからだ。
保護者が『教室のオケや室内楽の勉強を、学業を向上させる対価として、子供達に勉強や成績をあげる事を要求する』という事を要求する事は、教室としては許せない現実である。
しかしながら、その後も、何度となく、親が一番簡単で楽に「子供達に勉強を強いる方法」、或いは「成績を子供達に上げさせる方法」として、教室開設以来、現在に至るまでの延々と、40年間、親の教室に通わせる条件、或いはオケや室内の練習に参加させるための条件として、延々と、脈々と今日までも、続いているのだよ・・??
子供達が好きでやっているオケや室内楽の練習では著しい技術の向上が見受けられるのだけど、一旦、その環境から外れてしまうと、直ぐにではないとしても、1年後、2年後には確実の技術や音楽levelの水準の低下が見受けられるようになる。
しかし、残念ながら、親にはそれが分からないのだよ。親には判断出来るだけの判断力は育ってはいないのだからね??
一般の音楽教室の場合を例にすると、Pianoのlessonに行くのが嫌で逃げ出した子供を親が探して来て、泣きながら抵抗する子供を無理やりに引きずって教室に連れて来る、とか、先生に厳しく注意されて、親も子供も泣きながらlessonを受ける・・というのが、一般的な音楽教室の姿ではないのかな??
そういった一般の教室から私達の教室に、逃げ出して来た保護者の人達にとっては、親の強制の無しで子供が自分からPianoやViolinの練習をする・・という光景を見る事や、或いは、子供達が自分自身で、喜び勇んで教室のオケ練習や室内楽の練習に、休みであるハズの日曜日を喜び勇んで出掛ける・・という事は、現実的には有り得ない。
教室を見た事がない・・話を聴いただけの保護者の人達にとっては、「そんな事は有り得ない事だ!」と、周りの人達からは言われている・・と、教室の保護者の人達から聞いているのだけど・・な??
音楽の勉強をさせる事が、難しく、困難は一般の人達にとっては、親が子供に出す条件、・・・「オケや室内楽の練習に行くために課した・・勉強や成績をあげるための対価という話は、有り得ない、宇宙の彼方の非現実的な世界のお話のように聴こえてしまって、全く信じられない話に聴こえて来るらしいのだよ??
子供が「オケや室内楽の練習に行きたいから・・」・・と親に嘆願する事自体が、現実の世界には有り得ない事だ!!とは親は思わないのかな??
子供達が「音楽を好きになって、オケ練習や室内楽の練習に喜び勇んで通って来るようになる」・・という事は、教室の先生達の涙ぐましい努力の結果である・・という事を親は認めようとしないのだよ。
音楽の指導者でも、一般的に「子供達は子供同士の集団で何かをするのが好きだから」・・とオケや室内楽を子供達に無理やりにやらせて、子供達がスッカリ音楽を嫌いになった・・という話を聞いた事もあるのだが、子供達がオケや室内を熱中して勉強するようになるには、それ相応の努力としっかりとしたcurriculumが必要なのだよねぇ??
一般には、県や市が主催するorchestraがあるのだけど、そこにはcurriculumは存在しない。
あくまでも、orchestraを体験させるだけであって、そこで音楽技術が向上する事はないのだよ。
その場所で生徒達が上達したとしても、それはその生徒の担当の先生の努力に過ぎず、決してorchestraに参加したから・・という分けではないのだよ。
もし、私が40年前に開設した教室が、音楽教室ではなく、一般の学習塾ならば、子供達は勉強をする事が好きになって、塾に来る事が最高の楽しみになったはずなのだよ。
つまり、これは単なるcurriculumの話なのだからね??
それを、オケ練習に行く事を、成績を上げる条件にして、「練習に行っても良い」・・という条件を出す・・という事は、先生達の努力を否定して、指導やlessonを馬鹿にするような事だ。
「それならば、一般の音楽教室にでも、行ってくれ!」と言いたくなってしまうよ。
世間一般の音楽教室で、世間一般の家庭の子供達だとすれば、子供達の音楽の技術は趣味以上のlevelに到達する事はないし、逆に、音楽大学の進学を希望する生徒達やその保護者達では、塾や学校の成績を云々する人はいないし、もしそんな事を先生の元で言った日には、指導する大学の教授達からならば、即破門にされるだろうよ!!
つまり、この学校と音楽の競合の問題は、音楽に対する意識が育たないままに、技術だけが上手くなってしまった、私達の教室の生徒達だけに起こる現象で、教室の「音楽を趣味として教室に入会して来た生徒達」の技術力だけが、・・音楽大学の教授達に弟子入りをして、「音楽大学の受験を希望する特別な生徒達」と、音楽技術的に同等の水準に達してしまう・・というあってはならない事による《特別な》問題なのだよ。
よくよく勘違いされるのは、私が「音楽に進む生徒達を一般から募集している」・・という風に思われてしまう事である。
それは生徒達の技術力が音楽に進む生徒達以上の技術力があるから、勘違いされる事なのだよ。
しかし、もし私が音楽の世界に進む生徒達だけを指導したいいう事ならば、そういった環境に住んでいる生徒達を集めて教育指導すれば、保護者との教育に対しての意識的な軋轢は産まれないのだよ。
千葉の花園ではなく、もっと別の場所で、音楽に子供達を進ませる事を望むような家庭環境のある場所で生徒募集をすれば、保護者達との音楽の意識的な軋轢、教育上の軋轢は生まないで済むのだよ。
勿論、子供達の技術力が優れて来たからと言っても、それで子供達が、音楽大学を受験する事を目指すとするのならば、(或いは、proの音楽家を目指すとするならば)学校や塾に対しての問題、所謂、姿勢は、一般の音楽大学を受験する生徒達と同様の意識を持たなければならないハズなのだが、そうは行かないのが現実なのだ。
それは、保護者を取り巻く環境や意識が、音楽大学を目指す人達の環境やではないからである。
こういった学校教育と音楽教育の問題は、親が音楽を教育として認めていない事にその原因があると思われるのだけど、その事についての論文は、homepageにも、『音楽と学校教育』のお話として掲載しているし、発表会の度に、来場した人達に、冊子として配ったり、折に触れて公開や個人的にもお話をしたり、と啓蒙活動に努めて来たつもりではある。
しかし、現実的には、1人1人の生徒達の教育に関しては、私からのお話を聴いている立場の親達は、その都度音楽や教育に対しての目的目標も違うし、毎日の生活姿勢の話になるので、そのお話を親にする事はそんなに簡単ではないのだよ。
つまり、私が『夢は必ず叶う』と言う事と公言しているのは、その夢に向かう子供と親の姿勢がある・・という前提の元に・・である。
親と子供の夢がズレていては、私が幾ら口を酸っぱくして話をしても、それが理解される事はないのだからね??
親子が喧嘩をしながらでも、夢に向かって歩いている限り、子供を教育的に放置していたとしても、教育上はなんの問題もないのだよ。
勿論、親子が喧嘩をしながら一生懸命に努力を続けていれば、子供に任せて、自分は自分の仕事をしていた子供よりも、数倍もlevel-upが早いのは当たり前なのだが、それは子供達が自立を始めて来る年齢で、小さな子供時代に自立していた子供とのgapは縮まって来るのだよ。
そもそも音楽の内容に関しては、子供が小学生の高学年になった頃からは、lessonの内容に関しては、もう誰の親でも、教室でのlessonに付いて行けなくなってしまう(理解出来なくなる)のは当たり前の話だ。
その時に、親掛りで育って来た生徒は幾分、自立が出来る迄の間は、伸び悩みをするのだが、最初から自立している生徒の場合にはその時期はないので、当然gapが無くなって来るのだよ。
ああ~??
紛らわしいので、補足説明をするとすれば、・・勿論、4歳、5歳の子供に対して食事も与えないで放置するのは、それは教育ではなく、虐待に過ぎないのは、理解出来るよね??
そういった常識の範囲内で、つまり、小学生以上の年齢の子供の場合には・・放置しても、子供にやりたい目標がある場合には、問題はないのだよ!
確認をしておくけれど、『子供にやりたい事がある』という場合だけ・・だよ!!
子供への放置が許されるのは・・??
一番困るのは、親が子供が望まない夢を押し付ける場合であって、子供を放置するのは、小学生ぐらいになると、なんの問題もないのだよ。
それぐらいは子供の自立心を認めても良いのだよ!
globalstandardな世界では、『小学校に入る前から家族のために働いている子供達もいて、救いの手を差し伸べなければならない』・・とされているのだが、テレビ等で、そういった子供達の表情を見る限り、『望まない塾に強制的に行かされて意味も無く勉強を強いられている日本の子供達』の方が表情や目が死んでしまっているのだよ!!
子供の成長とは、・・学力の事だけではなく、「人生に対しての考え方が如何にしっかりとしているのか??」という事なのだけどね??
まあ、このお話も何度となく、繰り返し・・繰り返し・・話をしているのだけどね??
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『指導者に対してのadviceです。』
こう言った課題が問題になった事について・・のお話ですが、その教育上の問題点や先生が「音楽に対して求める本当の意味でのconceptのお話はしたのか??」・・という事です。
父兄がそういう態度を取っても、その事を聞かなかった事にして、放置しておくのならば、父兄の教室に対しての意識や態度、教室への価値付け・・は、永遠にどの父兄からもの態度も変わる事はありません。
そこは企業努力の問題で、各自の先生達の意識や教育への思い入れの問題になってしまいます。
そこの部分を、私の立場でお話をすると・・
もしも、教室を支える親御さん達ですら、教室の教育に対しての理念や教育上の原点、私自身の音楽に対しての心構えである基本中の基本を理解して貰えないのならば、私が教室を開設して、そこに私の理想とする音楽の教育(勿論、音楽教育に限らないのですが・・)をして来た事が、『人生の究極の無駄』に思えて、実に慚愧の思いに耐えられない・・究極の無駄な人生を送っているようにしか、思えてしまうだろうよ・・な??
そりゃあ、鬱の一番の原因になるだろうよな!!
ましてや、現代日本社会の子供達のように、人生の目標も目的も見い出せずに、唯、漫然と与えられたものに反応するだけの学習では、それで得た物が未来の手助けになる分けではなかろう・・て??
勿論、「proを目指す」とかいう小難しい、かったるいお話ではなくって、「本人の能力をそのまま活かす」・・という単純なお話ですら、本人はおろか、一般の父兄からも理解されないのだよ。
自分の将来の「夢」や未来の「目標」さえも見い出せないままに、日常を過ごしている・・という事は、今、仮に私の指導で一般的には、頭角を現していたとしても、いずれ私の元を去った時には、挫折してしまう・・という事は目に見えているのだからね??
ましてや、私の教育の理念や私が掲げている音楽のconceptに対して反感を持っているのならば、サッサと教室をやめてしまえば、良い・・と思われるのに、ウダウダと教室には・・いる・・という矛盾でもある。
ウダウダと教室には居る・・という事には幾つかの理由がある。
その一番は、周りに私の教室と同じようなcurriculumを持った教室がない・・という事なのだよな??
二つ目は、これが殆どなのだろうけれど、父兄が自分の子供に、「教室をやめてしまうように」と言う事が出来ないのは、子供の方からの反発が怖いので言えないのに、条件を付けて教室でも勉強が出来るように思わせる・・というのは姑息な手段で、昔々、に対して最初にその話をした時から到底許せる話ではなかったので、厳しく糾弾し、対応したはずなにの、まだ教室の父兄の間では、その姑息な手段が横行しているのだよ。
それだけでも超腹が立つ
教室で烏合の衆に教育の本質を教える事すら、憚られてしまうのだよ。
それこそ無駄なのだよ!!無駄!!
私は、『魚に説教をする聖フランシス』ではないのだからね・・・??
4月4日自粛避難民 ·
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今日は4月4日の土曜日です。昨晩の都知事のきつい自粛要請で行き場を失った家族連れ達が朝早くから窓下の公園に詰め掛けて、公園は朝早くから超子供達の叫び声でうるさいのだよ!!
普段ならば、そこまでうるさい事は滅多にないのだけどね??
まあ、子供達の叫び声は、気にしなければ気にはならないのだが、『自粛要請』って公園もその範囲に入るんじゃぁなかったっけね??
ン~ン??
5月22日『Beyer教則本はつまらない』と言う人達がいます。
5月26日使えないアベノマスク ·
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今日は東京都ではなくて、全国一斉に緊急事態宣言が解除されました。
・・と、同時にハイツの郵便受けにアベノマスクが入っていました。
「新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出ました。」というメッセージと共に!
マスクは小さ過ぎるので、私にはとても使えないので、無理なのですが、斉藤先生達に渡そうと思ったら、斉藤先生は生地が皮膚に被れて使えないそうです。
家庭用のマスクなので、医療用には無理なそうなので、看護士や医者の先生達に渡すのも無理なようですが・・・・ネ??
コメント
塩澤 一範
アベのマスク使えない。無駄な税金を使って尚且つ回収し、また新しいマスクを配り、そんな税金つかうなら、一人当たり10万といわずに、1人当り、30万配った方がましだし、日本の官僚たちは、何を考えてるのかわからない。安倍が、官僚と戦い、日本を変えて行くんだとゆう気持ちがない。ワクチンも出来てないし、強制で、全面解除。最低な首相であり、オリンピック終わったら、辞める予定だったらしいが、オリンピックできないから、だらだら、首相続けてるし、日本のリーダーが、こんな事やっちゃだめなんだよね。
6月1日自粛要請の解除と ·
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今日は6月1日、月曜日が終わろうとする所です。
今年も後半の年に入ったのですが、今日からコロナの自粛要請が全国的に解除になった事に伴い、教室の『コロナお休み』から対面lessonを再開しました。
但し、3密の可能性のあるオケ練習や室内楽の練習は今暫く政府都の要請に従って自粛を続ける事にします。
また、lessonに通う事に不安のある人達は引き続きweb-lessonをしますので、担当の先生達とご相談ください。
私は明日の2日は、川崎の病院に検査で出掛けるのですが、コロナ対策のために、不本意ながら車での移動をする事になりました。
県を跨いでの移動は、という話しはあるのですが、病気の進行状態の事もあるので、いつまでも日延は出来ないので、これも已む無く・・という事です?
徐々に他の病院や、その他の雑用も、こなしていかなければならないようなので、『長の引き籠もり』もどうやら、今日で終わりのようです。
独居老人なので、日常的には、所詮引き籠りの生活なので、普段とは、たいして違いはないのですが、雑用に追われると、やはりせわしないのですよ。
今日は、「芦塚先生のお部屋」からVivaldiのIl favoritoとPachelbelのChaconneとVitaliのChaconneの補筆をしました。
開かなくなっていたBeyer研究のPageをrecoveryしました。
これから明日の準備をしなければなりませんが、結構色々とあるのだよな??
病院の準備は、それなりに・・・
椎名町で食事をして、ドルプリっ歩に出掛けて、ドルがナデナデして貰えないのでご機嫌斜めで、プリはご老体でアヘアヘ状態で最悪のお散歩だったのだけど、それでもcinderella-timeの30分前にはハイツに辿り着いて、暫し、椅子に座ったままで、金縛りの状態で、茫然自失していました。
何とか、椅子から立ち上がって、せめて持って行く小物類だけをbagに入れる所までが、今日の精一杯でした。
「後は、明日の朝!」と思って頑張って布団に入って寝ようと努力をしたのだけど、久し振りの『s鬱』が酷くて・・と言うか、『鼻詰まり』が酷くって、等々布団で寝るのを諦めて、本来ならば、明日起きてからしようと思っていたのですが、風呂の水を抜いて、お湯を入れて髪の毛を洗う所までをやって、今は(深夜の4時頃ですが・・・)熱燗で一杯飲んでいる所です。
そろそろ、松浦漬けと下関の雲丹が終わるよな??
鬱用のつまみを買って来ないとな??
今から寝て、朝の準備は間に合うのかいな??
オケ練習やlessonのような時間の決まった仕事が無かったので、不眠になるのは久し振りだよな??
やっぱり不眠の原因は起きる時間に対してのpressureなのだよな??
今、テレビで、「暑くて湿度も高いので、眠れない人達が増えている」という事で、「寢付きを良くする特集」をやっている。
寝苦しいのは私だけの話では無かったようだよな??
6月3日『6月1日からの文章の続きで、2日の朝からのお話になります。』 ·
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・・・という事で、眠れないままに朝を迎えたのですが、流石に出発の時間の前になったら、眠くなって来たので、タイマーをセットして小一時間程寝る事にしました。
寝たとは思わないのだけど、タイマーが鳴らないので、不思議に思ってタイマーを取って見てみると、なんと、もう起きる時間を45分も過ぎていました!
超、慌てて、準備をして、椎名町に移動して車に乗り換えて川崎の病院に出掛けました。
始めての車での病院行きなので、渋滞や駐車場探しを想定して時間にはゆとりを持っていたので、出発の時間は、予定よりも30分以上も遅れたのですが、それでも充分な時間は、取ってあります。
勿論、始めての道なので、カーナビに電話番号を入力して走ったのですが、なんと電話番号は目的の川崎第二ではなく、第一の病院でした。川崎の病院は第一と第二だけではなく、病院があちこちに分散してあるので、とても紛らわしいのですよ。面倒くさくっても、住所で検索するべきだったのですよネ?
途中で、無くしたハズの愛用のボールペンの入ったケースが見つかったりと、ハプニング続きの出発でしたが、無事に病院に辿り着いたのですが、病院の駐車場は満杯で、隣の民間の駐車場に入れて、検査も終わって、さて、帰ろうと駐車料金を払う段になって驚いたね?
たった4時間ぐらいなのに、2000円だってさ!!
それに2千円冊も5千円冊も1万円冊も受け付けない・・という事で、千円冊が1枚も無いので、すっかり焦ってしまったよな??
credit払いが出来たので、何とか駐車場を脱出出来たのだけどね??
幾ら病院に近くてもこんなぼったくりの駐車場には、2度と入れるかよ!!
これまでに一番の高額の駐車料金だったよ!!
24時間にしても高いのにさ!!
bikeのサイドミラーをいつも駐輪場でぶつけられて、ネジが緩んでしまうので、スパナーを出して締め直して、それからやっとハイツに戻り着いたのは夕方の7時過ぎだったのだけど、ちょっと早いけれど、疲れたので寝ようと思ったのだけど、何度試しても眠れないのだよ。
仕方が無いので、温風呂に3回も入って体を休めたのだけど、代わりに腰痛になっただけだったよな?
元気な時ならば、一杯飲んで酔っ払って眠るのだろうけれど、それだけの気力もないので、ただ椅子に座ってぼんやりするしかないのかな??
後は、除湿機をフル稼働させて空調を整えるぐらいしか出来る事はないのかな??
明日の予定は特には無いので、マイスリー・・という手もあるのだが、やはり薬には頼りたくはないのだわさね??
Yoghurtのプレミア・ガゼリ菌でも飲むか??
6月3日『6月2日からの文章の続きで、3日の朝の10時過ぎです。』 ·
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携帯の天気予報では練馬区の温度は24℃で湿度は69%なのですが、yahooの天気予報では温度は25℃で、湿度は60%です。
「25℃未満という事ならば、なんとか凌げる」・・と思っていたのですが、室内の温度計ではもう30℃超えで、不思議な事に逆に湿度が35%です。
いずれにしても、今日の日中は30℃を超える予定で、最早、部屋の温度は耐え難い暑さになっていて、諦めて除湿を入れた所です。
(コンビニ・クーラーではなく、エアコンの除湿で部屋の温度を下げる事にしました。)
布団から起き出して、仕事をしようとパソコンの前に座ったのは良いのだけど、(・・不定愁訴とでも言うのか)・・体のcontrolが全く出来ないので、寝たり起きたりを繰り返しているのですが、仕事は全く進みません。
今はもう夕方の5時になった所なのですが、携帯の天気予報でも室内の温度計でも29.5℃から30℃を下がりません。
湿度も60%ぐらいです。うっとおしい限りです。
皮膚感覚的には大した暑さではないと思うのですが、髪の毛の付け根の皮膚は汗で濡れていて、指が濡れてしまいます。
老人性で温度の感覚が鈍っているのかな??
除湿をすると寒いし、コンビニクーラーでは暑いし、困った事です。
それにしても部屋の窓の下の公園では、子供達が元気に遊んでいます。
子供達には暑さも湿度も関係無いのですよね~ぇ??
いや~あ、こりゃあ歳の差だよな~ぁ??
6月4日腰痛が酷くなって ·
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6月4日の午前4時半を過ぎた所です。
すっかりと梅雨のように蒸し蒸しとした毎日が続いています。
相も変わらず、眠れないで、日本酒を飲んだり、エアコンをつけたりとバタグルっています。
朝の8時なのですが、部屋の温度計は26℃の51%で、yahooの天気予報では練馬区の気温は22℃で湿度は85%で日中は28℃まで上がる予定です。携帯の練馬区の予報では22℃で湿度は87%で日中は29℃まで上がる予定です。
窓を開けて外気を入れて見たのですが、部屋が湿気っぽくなって顔から汗も出て来たので、諦めてエアコンを入れました。
夜が上手く眠れないと、体力がなくなってしまうので、結果、腰痛が酷くなってしまいます。
蝶が羽ばたくと、どこかの国で嵐になるという事かな?
今日は朝から、立っていても、座っていても寝ていても腰痛が酷い!
痛いのだよ!!
今日は1日腰痛との闘いになるのだよな??多分!?
homepageのPachelbelのChaconneのでpageを保筆訂正をしたかったのだけど、腰が痛くってパソコンの椅子に座る事が出来ないと、全く何も出来ないのだよ!
「という事で、寝たり起きたりを繰り返して・・・夕方から夜になりましたのですが」
このところ毎日湿度が高いので、髪の毛を洗っても、1日しか持たなくて、直ぐにベタベタしてしまうので、気持ちが悪いので、夜になって、椎名町に移動する前に風呂に入って髪の毛を洗いました。
ところが、風呂から出ようとして、全く風呂から出れなくなってしまいました。
湯船から足を出そうとしても、全く足が上がらないのですよ。
必死になって痛みを堪えながら、風呂から這い出して、びしょ濡れのままに、なんとかベッドに辿り着きました。
そのままベッドで寝ても痛いし、座っても痛いし、必死に痛みを堪えていたのですが、寝ても座っても痛いのでは、もはや為す術がありません。
痛い所にボルタレンを塗って、マッサージャーで痛い所をマッサージして、ロキソニンを飲んで、疲れ果てて意識が朦朧として来て、睡魔が襲って来るのを待つだけで精一杯でした。
20年前に救急車で運ばれて、集中治療室に3日、4日お世話になって、そのまま長期入院になった、その時の激痛を思わせる痛みでした。
ロキソニンを飲んで、1時間半程経って、やっとロキソニンが効き始めて、同時に意識が混沌として来て、やっと2時間程、睡眠を取る事が出来ました。
いやぁ~、午前中の予想が的中した散々な夜であった!
満月までは後2日かな??
ブルーの灯りの建物は日芸の本館へのエントランスです。
コメント
栗原 盾夫
ここも梅雨入りしたみたいです!肌寒い霧の中でラジオお聴き夜明けお待ってます❗️
6月5日再び、『positive thinkingとMinor thinking』 ·
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「腰痛のお話」
今日は6月5日の金曜日です。
私は2日の火曜日には、久し振りで、車を飛ばして川崎の病院に、術後の定期検査に行ったのですが、プレッシャ※)でその前日から全く眠れなくなって、それ以降も、全く睡眠のコントロールが出来なくなってしまい、それに連れて、腰痛がだんだんと酷くなって来て、とうとう4日の木曜日には、痛みのために身動きが出来なくなって、痛みのために全く眠れなくなってしまいました。
※)病院の検査結果へのプレッシャーではなく、「朝起きれるか?」という極々、いつものくだらないプレッシャーなのですが、逆に出発直前に睡魔に襲われて、マジに30分以上寝過ごしてしまいました。
病院だから・・という事でなく、普段のオケ練習に行く日の前日のプレッシャーと、全く同じで、プレッシャーの内容とは関係は無いのですヨ❢❢
時間に起きれるか否かだけが、気になって眠れなくなってしまうのですよ!それが、遅れても良い、時間の確定していない事であったとしても・・なのです。
何かしら、よっぽど大きなトラウマがあったようなのですが、実際には、それで自分がトラウマになるような何らかの記憶は一つもないのですがね??
それなのにトラウマ・・とは、全く不思議な話です。
「positive thinkingとMinor thinkingのお話」
5日の朝のテレビで、とても痛ましい事件の報道をしていました。
聖火リレーに選ばれた人が、コロナで聖火リレーに出れなくなって、お店も営業自粛で、先が見えなくなってしまって、将来に悲観してしまった結果、お店に火をつけて、自分も、焼身自殺をしたという事件なのですが、このショッキングな報道の他にも、色々とコロナで先行き立ち行かなくなった人達の話しを延々と聞いて、すっかりと気分が滅入ってしまいました。
まさに「同情するならば、金をくれ!」と言いたくなるようなご時世ですが、私は、有名芸能人ではないので、その発言も意味は無いし、下手なエールをしても仕方がないので、この状況では私個人としては全く為す術も無いので困り果ててしまいます。
このお話しは、なんのアドバイスにもならないのだけど、以前、論文やFacebookにもよく書いている事で、挫折をしやすいまだ大人として円熟していない子供達へのアドバイスとして、よく私が言っている言葉があるので、その言葉を参考までにお話しします。
それは、私の箴言集「ヨージーの法則」の中の一つの言葉(rat)なのですが、「人生の決断は、気分が滅入っている時にはしてはならない!」という私の法則なのです。
Facebookにも、同じテーマで、「メジャー・シンキングとマイナー・シンキング(ネガティブ・シンキング)の話し」の中でしています。
コロナのような人知を越えるようなカタストローフェの場合では、耐え抜き助け合う事がとても重要になります。
人には、カタストローフェをチャンスと捉え、それを実践している人達も結構いるのですが、それは、そのカタストローフェを絶望と捉えるか、逆転の発想で、チャンスと捉えるかで、その人を取り巻く環境が変わってしまうからなのです。
世の中は、人の見方一つで全く変わってしまうものなのです。
逆に、マイナー(ネガティブ)シンキングからは、何一つ産み出されない・・という事だけではなく、そこからは寧ろマイナー(ネガティブ)なものしか産み出されないのです。
マイナー・シンキングの中で、バタ狂っても、結果は悲惨な結果しか産み出されないのですよ。
何も解決策が見えて来ないのならば、何もしない事がベストです。
何もしなければ、それよりも悪くなる事は無いからです。
でもメジャー・シンキングな人は、マイナーな事柄を、逆の立場で考えます。
発想の転換とでも言うのでしょうかね?
悪い事には、反対の側面があります。
悪い事を悪いとしか見えないのは、反対の面を見ようとしないからなのです。
表と裏のように、別の面から見ると、見えて来る情景が変わって見えて来るのですよ。
絵画には「だまし絵」というジャンルがあります。
心理学用語で言う所の錯視です。
エッシャーのだまし絵を見ていて、どこがだまし絵なのか、なかなか見えて来ない時があります。
しかし、一旦それが見えてしまうと、逆に、周りの人達がなぜに見えないのかが、不思議になってしまいます。
自分自身も、少し前までは全く見えなかったのにも関わらず・・・なのですよ?
人生の決断は必ずポジティブ・シンキングの時にしなければなりません。
ポジティブ・シンキングになれば、マイナー・シンキングでは見えて来なかったものが見えて来ます。
大切な事は、自分がネガティブ・シンキングになっている事を自覚して、一歩でも良いから、そこから外に出て、自分自身が見ているマイナー・シンキング全体を、マイナー・シンキングの外から俯瞰をする事なのです。
そうすれば、自ずからより良い解決が見えて来ます。
勿論、そこは「Morgen fruh, wenn Gott will Wirst du wieder geweckt※)」・・なのですがネ?
ああ、これは独居老人の世迷い言です?
※)このドイツ語の文章は、Brahmsの子守唄の中の一節で、私がshockを受けた一節なのです。直訳すると、「もし、神様がそれを望むのならば、あなたは明日の朝、再び目覚めるでしょう?」これはお祈りの時の慣用句なのでしょうが、耳慣れない私に取ってはチョッとshockingは歌詞ですよね??
コメント
純子斉藤
と、病気のとき、体調が悪い時にも、人生の決断をしてはならないのですよね?体調が悪い時に大きな悩み事がある場合は、一旦悩みを置いておいて、体調が良くなってから考えることにすると良い決断が出来ますよ。
6月6日ぐい呑のお話 ·
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コンビニのカップ酒を飲んだ後の再利用のコップと本格的な手捻りのぐい飲みのお話しは、以前にもしたのだが、左側のぐい飲みは金粉が練り込まれているので、レンジには全く使えないのだが、右側のぐい飲みは、最初の間はレンジでも快調にお燗が出来たのだけど、だんだん、超、お猪口が熱くなって来て、手で持てなくなるだけではなく、お酒も超熱燗になってしまって、味が尖ってしまったのだよナ!
寿司屋では私はいつも超熱燗を頼むのだが、勿論、寿司屋のお燗はレンジではなく、チロリでお湯で温めるので、超熱燗でも味はまろやかなのだよ!!
寿司屋でお酒を頼む時には、超熱燗の2合徳利を頼むのだが、体調が良くて、少し物足りない時には、追加で後1合を頼む!
1合はお米の場合には、一升180㍉ℓだけど、升ではなくて一般的な軽量カップでは200㍉ℓになる。
グラスのカップ酒は90㍉ℓなので、一合升の半分の5勺升という事になる。
升酒の小さなぐい呑みsizeの升は、5勺なので、90㍉ℓになる。
陶器のぐい呑みは、不思議な事に計量カップと同じ100㍉ℓなのだが、作る時には、量を考えて作ってはいないと思われる。
あくまでも手持ちの触感の良さ・・というapproachだろうよな??
私の自室には、探せばぐい呑みは50個近くはあるハズなのだが、5杓の升の代わりの計量カップに仕えるものは一つもない・・という事がそれを証明している。
陶工達の概念には、お酒の量は関係はないらしい。あくまでも手に馴染むか否かのようだ。
それにしても、「お酒をレンジで温めるのは邪道だ!」という事は、私としても、重々承知の助なのだが、「チロリを出してお湯を沸かして・・」という一手間を掛ける程の気力と体力は、老い先短い独居老人の私には、当の昔に失せてしまったのだよ??
『老いは、物事が面倒くさくなる所から始まる』・・というのは私の自論のハズなのだけど、まさに
それを地で行っているよな??
アハッ!
同じ量のお酒なのに、超熱燗になってしまって、味に棘が出来るのは、お猪口のせいなのか、それともレンジのせいなのか・・という事なのだが、(レンジの調子は元々買った時から調子が悪かったので、)「レンジのせいもあるかな??」・・・という事で、試しに、久し振りにコンビニで買ったガラスのカップを引っ張り出して来て、お燗をしてみた。
結果は、思った通りに、グラスはちゃんと手で持つ事が出来て、お酒もちょうど良い温度になっていて、味もまろやかになっていて、安酒なのに結構、美味いのだよ?
という事は、やはり、ぐい飲みの陶器の成分が変化してしまったせいなのだよな?
それにしてもコンビニの一口コップ酒のコップが一番お燗に良いとは、戴けないよな??
まあ、そういう高価なぐい呑で飲む人は、「レンジでチン」なんて事はしないハズだからな??
作った陶工の人も、自分のぐい呑みをレンジに入れてチンする・・てな事は、考えても見なかっただろうさネ~ぇ??
じっくりと、お酒を飲む時間を、時間を掛けて、じっくりとおつまみを作って準備する所から楽しむという事が無くなってしまったのだから、それなりに、せめて美味しくお燗をする方法だけは探さないとナ??
という事は、先ずは磁器のそば猪口ぐい飲みを探さないとなあ?
磁器でsimpleな物だったら、電気を帯びないと思うけれどな??
江戸時代の物はネットで骨董品を売っているのだが、たかがぐい飲みにしては、結構高価だからなあ??
・・・でも、いつも安酒を飲んでいるのだから、せめて、お猪口ぐらいは贅沢をしないとなァ??
いつまでもコンビニのコップ酒では、心が寂しくなってしまうわサナ??
・・てな事を言うのだったら、真面目にチロリでも出せよな~ァ??
・・・って、堂々巡りだよな??
お粗末でした!!
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芦塚 陽二
なんで、「お昼の12時を過ぎた真昼間から日本酒を飲んでいるのか??」と言うと、「全く眠れないから、腰痛の防止のために、何が何でも眠りたいから」と言う事なのです。
マイスリーは、アルコール依存症になってから飲む薬で、今は飲みたくはないし、それに強すぎて結構危険だし、ロリエルはちょうど良い効き具合なのだけど、市販の薬なので、薬屋で購入しなければならないので、結構値段も高いので・・、と言うか、いずれにしても、薬で寝たくはないのでね??
· 返信する · 31週間前 · 編集済み
芦塚 陽二
それはそうと、今夜は大雨で、東京には竜巻警報や雷注意報も出ているのですが、残念な事に今夜は月齢14.7の満月だそうです。
今日の満月は結構期待していたのにな??
· 返信する · 31週間前
芦塚 陽二
腰痛のおツマミにBeyer研究概論のPageをなんとか改訂し終わった!!
一度、完全にブッ飛んだ文章なのだが、wordの原稿から何とかrecoveryと改訂が終わったのだよ。一歩一歩だよな~ぁ??
6月7日『腰痛の再々再発』 ·
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今日は6月の7日の日曜日の朝の6時です。
4日の夜に強い腰痛になってから、3日間全く外に出る事が出来なくなってしまいました。
部屋の中は結構湿気っぽくって、畳や布団がじめじめしていて、気分的にも鬱陶しいし、昨日辺りからはなんとか部屋の中では杖をつかなくても動き回る事は出来るようになったので、今日は思い切って気分転換に、少しマンションの玄関を出て、駅の前まで歩いてみる事にします 。
・・・という事で、杖にしがみついてマンションを出て、50㍍ぐらい先まで歩いて、久し振りに部屋の外の空気を吸う事が出来て、とても気分的には良かったのですが、やはり段々と右側の骨盤が痛くなって来て、外を歩くのは未だ無理だという事が分かりました。
頑張って杖にすがりつきながら、なんとか部屋まで戻って来て、布団に潜り込んだのですが、腰の痛みが右の骨盤から腰全体に広がって来て、またまた部屋の中ですら歩く事は当然の事で、痛みが酷くなって、bedに横になって寝る事も出来なくなってしまいました!
1998年の7月に腰痛でbedの中から全く動けなくなって、救急車で江古田教室の直ぐ傍の大きな個人病院に運ばれて、ICUに3日間入っていた時以来の痛みです。
今はベッドの横に腰掛けたままで、どうしたらこの痛みから逃れる事が出来るのかを思案中なのです。
立っていても痛い、寝ていても痛い、座っていても・・、という事で、今出来る唯一の対処法として「ロキソニンを飲む」という事を思い付きました。
私は薬で痛みを止める事があまり好きではなく、医者から痛み止めとしてロキソニンを3日分処方されても、1回しか飲む事はありません。
1回飲んでそれでも痛みが治まらない時には追加で、2回目を飲むぐらいです。
近々は歯医者に通っているので、抜歯やその他の理由で抗生剤とロキソニンはよく処方されます。
勿論、抗生剤は真面目に最後まで時間を決めて飲むのですが、ロキソニンは痛みが治まったらそのまま飲まないで保存してしまいます。
ロキソニンは1回、1錠から2錠という事なのですが、私の場合には、1錠しか飲みません。
直ぐに胃が痛くなってしまうので、飲むtimingも飲むintervalも、細心の注意を払って飲みます。
今回も飲むtimingの時間が分かり易いように、夜の12時に1回目を飲む事にしました。
薬を飲む間隔を5時間は開けなければならないからです。
でも、1回に2錠迄は飲む事が許されているので、痛みが収まらないようだったら、少し間隔を縮めても良い・・・という事です。
15分、20分経って、「ほんの少し痛みが軽くなったのかな?」という気分だったのだけど、そこで痛みが取れる事はありませんでした。
しかし、1時間半程経って、深夜の1時半頃になると、突然痛みが取れて来て、意識が朦朧として来ました。
「なんで、1時間半も経って・・??」不思議には思ったのだけど、まあ、これ幸いにbedに潜り込んで、無事に眠る事が出来ました。
いや~あ、善哉!善哉!!
6月8日『囚われ人の唄』 ·
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腰痛が再々発して、室内に閉じ込められたままで、一歩も外に出れないので、流石に、嫌になってしまって、マンションの外まで歩いて見たら、腰痛が再々再発してしまって、またまた、bedから起きれなくなってしまった。
と言うか、bedで寝ているのも痛くて辛いのだよナ。
・・・という話を前の文章でお話しました。
「外に出るお散歩が出来ないのならば、せめて、気分転換にベランダで熱燗を一杯飲む・・という事も有りかな??」とも思ったのだけど、まあ、外の寒い事、寒い事・・・??
とても、6月の8日とは思えない程の寒さで、「ベランダで椅子に腰掛けての、日本酒の一杯」は無理だよな~あ??
・・と言う事で今日も鬱と痛みで、すっかりと眠れ無くなってしまったので、やれる事も無くなってしまって、仕方が無いので、暇潰しに『Beyer教則本への研究についての総括』のhomepageの改訂と言うか、ぶっ飛んでしまった文章の復活の作業をしながら、indexを付けたり・・写真を貼ったり・・とか、それなりに、改良をしながら、時間を潰しているのだよ。
勿論、芦塚methodeの大元の根本のmanualである「Beyer研究全3巻」の話ではなく、そのnoteに対してのinvention(紹介)の文に過ぎないのだけど・・??
今年は、コロナ元年と言える程に、世界の社会に多くの影響を与えて、色々な国で、catastropheと呼べる程の事件を引き起こしたコロナ・ウイルスに唯一対抗出来る手段は、未だに、人間の自分自身が持つ免疫力である・・のだそうです。
免疫力を高めるために、人は、色々な努力を積み重ねているようなのですが、一番、免疫力を高めるのは、その人の持っている『positiveな考え方』が一番なのですよ。
私が高校生の時に、腎臓を摘出手術をした後で、担当の先生から「30歳迄は生きて行けるよ」と保証された時にも※)、50歳を過ぎて、冠動脈のbypass手術を受けた時にも、「これで後5年は・・」とか言われて来ました。
しかし、腰痛や膀胱癌に苦しめられながらも、元気に余命を過ごしているのは、やらなければならない仕事が山積みしているからに過ぎません。
・・・とは言っても、それは注文された仕事でもなく、誰かのための仕事でも、それこそ教室のための仕事でもありません。つまり、・・ねばならない!という仕事ではないのです。
それどころか、ひょっとしたら、誰も期待していない無意味な仕事なのかもしれないのですよ。
お金にもならない、人から認められるような仕事でも無い、そういった膨大な仕事をせっせとやっているのは、傍から見ると滑稽な事かも知れません。
でも、人がやろうとしないから・・、他の人達に取っては無価値の仕事だからこそ、私が生涯を掛けてやり遂げなければならないのですよ。アハッ!
医者に余命を宣告される度に、やらなければならない膨大な仕事を「どうしよう??」と思って焦ってしまいます。
だって私がやらなければ、こんな無意味な仕事は誰もやらないからなのです。
※)高校生の時の私は、結構裏から話を聞く性格だったので、折角、主治医の先生が私を元気づけるために、言ってくれた言葉なのですが、「未だ日本では前例の少ない腎臓摘出の手術なので、昔手術した人が30歳になっても、未だ生きているよ!」と言ってくれたのですが、私の解釈は「なんだ30歳までしか生きれないのか?」だったのですよ。
同様な事は、冠動脈の手術が最初の病院で決まった時に、若い先生が、「70歳までは生きれますよ!」と言って来たので、私が「えっつ??70歳迄しか・・」とビックリしたら、その若い先生の目が「なんだ、お前はもっと長く生きたいのか?」と愚蔑的な目で見たので、超Shockを受けて、その病院に対しての信頼を全く無くして、即second opinionを試みたのですよ。大学病院から民間の病院に転院するの??と皆さん驚いていましたが、私が信頼するのは大学病院ではなく、その医者なのですからね??
個人の病院でも信頼に足るのならば・・という事なのですよ。
その大学病院も、今は亡き病院になってしまいましたがね??
(経営不振で、大学病院の方は練馬区からは撤退しましたので、今通っている病院とは場所は同じなのですが経営形態が全く違っています。内容とかNiveauはあまり変わりませんがね??)
しかし、意にそぐわない仕事をしていると、思いもよらない出来事に苦しめられる事がよくあります。
そういった、思いも寄らない事柄から呼び起こされる一つの『鬱』は、全く関係のない次の『鬱』を呼び込んで、まあまあ、あれからも・・これからも、と・・、「よくまあ、これだけ鬱っぽい事が集まって来るものよ!!」・・という程、毎日毎日問題が押し寄せて来ます。
私自身は、もう何年も前から、そう言った病気に良く効くkampher剤を幾つも準備しているのですが、人はそれを見ようとも、理解しようとも、使って見ようとも、全くしないのです。
まあ、「信頼関係が無いから」・・と言ったら、それまでなのですがね??
いや~~あ、困った事だよな~ぁ??
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芦塚 陽二
突然、腰痛が再々再発したので、先生が食事を運んで来てくれました。という事は、帰りのbikeがなくなったので、サザエのつぼ焼きや、お刺身、浅利のお吸い物をツマミにして、熱燗を飲む事にしました。
普段は冷たいおつまみなので、とても贅沢でお酒も美味しかったのですよ。
それでも、寿司屋で飲む量は2合か3合なのですが、部屋飲みで使っているお猪口代わりのコンビニ・グラスは5杓なので、3回お代わりをしても、1合5杓です。
お寿司屋で飲むよりは、ずいぶん少な目ですよね?ちなみに、洗い物が面倒くさいので、お弁当のケースのままでお皿に移さないままに、酒盛りをしたので、写真はわざと撮ってはいません。
6月9日今日のお天気は ·
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今日は6月9日火曜日の朝の7時になった所です。
昨晩は、椎名町から運ばれて来た夕食のオカズの魚介類たっぷりをお酒のおつまみにしてのボッチ飲みのおかげで、久し振りに良い睡眠が取れたので、今日はすこぶる機嫌の良い、すっきりとした目覚めでした。
テレビではキャスターの人が、「今日は久し振りの晴れの日で、東京は最高気温は31℃の予定」と言っています。
・・ちなみに、携帯の予報では今日の最高気温は32℃の予定で、パソコンのyahooの予報では、33℃の予定です。
ちなみ次いでに、湿度は86%もあります。
最高気温はこれからの予定で、湿度は今現在のdataです。
窓という窓を全開にして、この所延々とエアコンのために閉めきっていたので、すっかりとよどんでしまった部屋の空気を入れ替えているのだけど、布団や畳や絨毯がそろそろ湿っぽくなって来ているようだし、気温もだんだん高くなって来て暑苦しくなって来ているので、窓を開けておくのも、そろそろ限界のようです。
テレビのキャスターの人達が「久し振りの青空で、気持ちの良いお天気で・・」と、言っていたのだけど、練馬区の窓から見る限りでは青空ではなく、霞の掛かったような薄曇りの白い空なのですがね??
「あれ・・?」
という事で写真に撮ってみたのだけど、青い空も少しは見えるようだけど、肉眼的に直接見ると、真っ白な薄曇りにしか見えないのだよね?
不思議だよな??
デジカメではなくて、携帯のカメラの性能もあまりにも良くなり過ぎて、自動で補正をし過ぎるよな?
肉眼的に見える通りに撮影する方が、結構、難しかったりして・・・???
特に夕映えの写真の血のようなおどろおどろしい赤の色なども、美しい優しい色に変換されたりして・・・・ネ?
・・・てな事をお喋りしながら、仕事する分けでもなく、テレビのドラマを見る分けでもなく、ベッドで寝る分けでもなく、ただただ・・だらだらと・・なんとなく時間だけを費やしていたのですが、11時半を過ぎた頃から、突然疲れが出て来てしまいました。
だからといってもbedで休んでも、イライラとして眠れる分けはなく、パソコンの椅子に座っても、疲労が体を苛(さいな)み、体をもて余してしまっているのですよ。
体調を調えて、真面目に仕事をしないと・・・と、焦ってしまうのですが、如何せん、体調の事なので、為す術がありません。取り敢えずはbedで休むしかありませんよね??
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芦塚 陽二
ちなみに、本当の青空だと、このようになります‼️
6月10日外出禁止のボッチ飲み ·
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今日は6月10日の水曜日ですが、深夜の2時半にtoilet―timeで目が覚めて、そのまま眠れなくなってしまいました。(まあ、いつもの事なのですがね??)
「寝苦しいのは室温のせいかな??」という事で、除湿や「おまかせ冷房」などを色々と試してみたのですが、除湿でも、「お任せ冷房」でも、冷え過ぎてしまって、なかなか室温の調整がうまくいかないので、諦めて窓を全開にして、深夜の空気を取り込む事にしました。
外は「肌寒い!」というよりも、マジに寒かったのですよ。
湿度はやっぱり80%近くはあったのだけど、背に腹はかえられないのでね??
窓という窓を全開にする・・という事は、外から、・・というか、ここは5階なので、・・前のマンションからは、この部屋がまる見えになってしまうので、部屋の灯りを全部落として、私の前のテーブルの上だけをランプの灯りで照らして、ボッチ飲みの酒盛りを始めました。
昨晩とは違って、今日は斉藤先生は花園泊まりで、牧野先生も12時近くに椎名町に戻って、ドルプリのお散歩に行かなければならないので、今夜は食事もお弁当も無い日なので、当然、生のおつまみは全くありません。
私は外にお出かけするのは禁止なので、部屋にある乾き物だけを引っ張り出しての「おつまみ」でのボッチ飲みです。
眠れぬままに、外の光景を見ながら、だらだらと夜空が白んでくるまで飲んでいたのですが、深夜の劇的な・・宇宙の中に吸い込まれて行くようなTwilightの深い深いblueの色の空も、鮮血が噴き出したような真っ赤な痛々しいmorgenrotの朝焼けも、今日は残念ながら見る事ができませんでした。
なんとなく空が白んで来て、薄雲に隠れてしまって陽の出は全く見えなかったのですが、地平線よりも少し太陽が上がって来て、雲が薄くなると、雲を通して太陽が見えて来ました。
折角の太陽のsunriseなので、「写真に撮ろう!」・・と、何度も携帯のcameraのシャッターをタッチしたのですが、全く反応しないので、液晶が汚れるのは嫌だったのだけど、指先を唾で濡らしてシャッターをタッチしたら、なんとか液晶が反応して、写真を撮る事が出来ました。
反対に、触ってもいないのに、勝手にcameraの画面になってしまう事もよくあるのにね??
でも、歳を取ると、液晶のタッチの不具合は、ザラにあるのだそうです。老人の皮膚がカサカサしていて、電気の通りが悪くなるのだそうですがね??
私はこの携帯に変わるまでは、その事には気付きませんでしたがネ??(携帯のせいだと思っているのだよ!!)
今日の日の出は、朝焼けになる事はなく、何事もなく、そのまま朝になってしまいました。
折角、観ていたのにね??期待外れでした。
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塩澤 一範
先生と感覚一緒ですね。散歩したのは、深夜2時、朝方5時に帰宅したよ。
(笑)
6月10日糖尿病外来の予約をすっぽかした ·
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今日は6月10日の水曜日のお昼の12時半を過ぎた所です。
とても、素晴らしい快晴になったのですが、窓下の公園には人っ子一人いません。こんな良い天気なのに、子供が一人もいないのは、不思議な事です。
たしかに、少し風は強いのだけど、公園で遊ぶには問題はないと思うのだけどね??
まあ、問題があるとすれば、それは気温なのでしょうね??
携帯の練馬区の現在の気温は31℃で、体感温度はもう既に33℃です。湿度は49%、これからマジに33℃まで上がる予定です。・・・と言う事は、体感温度は35℃の猛暑日になるのかな??
いつもの、yahooの予報では今12時現在の気温は既に32℃の湿度43%です。こちらは体感温度は出していないのですがね??
これではコロナよりも熱中症の方が心配になりますよね??
写真の左上が黒くなっていますが、これはケラレではありません。
私の指です。
広角にすると、cameraを持つ指までアングルに入ってしまうので、cameraを持つ事が出来ません。
180度撮影なんて、凄いよな??
・・てな、能天気なお喋りする前に、大変なミスをしてしまった事に気づきました。
それは、「ひかりヶ丘の糖尿病外来」の予約をすっぽかしてしまったのですよ。
朝の8時45分からの診察だったのだけどね??
その前に血液検査もあるので、8時までには病院に辿り着いていなければならなかったのだよな??
のんびりとsunrise等の写真を撮るどころでは無かったのだよな??
まあ、それはそうとしても、(・・・ちゃんと覚えていたとしても、)今日は腰痛が治り切っていなかったので、bikeでひかりヶ丘まで行くのは無理だったよな??
昨日、cancelするべきだったよな??
折角、朝一のgroupにして貰ったのに、一般公開で『ごめんなさい!!』・・と言っておこう!
お昼の2時半を過ぎた所ですが、額から頭頂部から汗が滲み出して来てフラフラとしてきたので、空気の入れ替えを諦めて、部屋という部屋の窓を閉めてパソコンの部屋のエアコンを入れました。エアコンで部屋を冷やすのは嫌だけど、熱中症になるのも嫌なのでね??
6月10日『調のお話』 ·
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C調(※)(・・・とは言っても、所謂、私達、昭和世代のSlangのシー・チョーという意味ではなりません。れっきとした音楽用語であるC調です。)・・は、ハ長調でもハ短調でもない(・・と言ってしまったら誤解を招きますので確認しますが、ハ長調やハ短調も含んだ上での・・)、Cの音を基音とした調の事です。
「Introduction in C」のように、Cの音を基音(主音)とした調、(若しくは例外的に、Cを属音とした調)を指します。
その使い方は近現代の作曲家であるHindemithのように、無調(調を持たない※))の曲である「sonate in C」とかいう場合だけではなく、baroque時代やそれ以前の教会旋法の場合にも「in C のdoria調」とか言う風に使用する場合もあります。
よくBach の曲にも見受けられるように、ト短調の曲なのに、調号の♭が二つではなく、一つしかついていない楽譜を見受けますが、それはト短調ではなく、ヘ長調のドリア調(dorian)として書かれているからなのです。
例えば、私の擬古典の作品であるGreensleeves to a ground in C Dorisch のように「ground in C Dorisch」のように書いて使われていますが、ハ長調の譜面上に書かれたGreensleevesは、見せかけ上はニ短調になりますが、Dorischで書かれた場合には、シの音はシ♮になります。(そのシ♮の音をdoriaの7と言います。)
現代風にニ短調に訂正されたmelodieに慣れた人達にはシ♮の音は、逆に、違和感を感じるかもしれませんよね?
https://www.youtube.com/watch?v=eD0l3fGiKLA
Cの音を基準とする調は、C Dur(ハ長調)の場合には、一般的にはsimple、単純、子供っぽさを表現するように思われるかも知れませんが、それは楽典的に画面に調号が無く、Pianoの場合には白鍵だけで演奏出来るから・・という理由に過ぎません。本来の調性の持つ調のimageとは何の関係もないお話になります。
作曲家達が抱く調性的なimageでは、ハ長調は宇宙的な壮大さ、荘厳華麗さを意味します。
そのC Dur(ハ長調の)実例がMozartのJupiter-Symphonieであり、Richard StraussのAlso sprach Zarathustraの曲でもあります。
Cの音を基音としたから・・といっても、ハ短調では、全く調の持つimageは異なります。
c moll(ハ短調)の齎す調のimageは、ハ長調のimageとは全く違って、情熱的や激情的なimageとして歴代の作曲家達は捉えています。
調が表すimageは、homepageにも詳しく書いているのでそちらを参考にしてください。
※)無調(調を持たない)という言い方には、Hindemithとは真逆の、12個の音に性格を作らせない・・・という乱数表の法則を応用したSchönberg一派の12音技法や、素早い転調を繰り返す事で調の存在を朧気(おぼろげ)にするWagnerのTristan・harmonyとか、複調(多調・polytonal)のStravinskyのharmonyまで色々な方法論があります。
Hindemithの作品は調性は持たないのですが、基音となる音は存在します。その基準となる基音を表現して、in (*)と言い表します。
基音を作らない、全ての音の性格が均等であるSchönberg一派の12音技法での作曲技法は、作曲家が死んでそのまま直ぐに廃れてしまいました。それはそれらの技法が、無性格な故に誰が作曲しても、SchönbergやWebernの作品にしかならなかったからです。
それと同様な事はDebussyの全音音階による作品も同じです。Debussyの音楽はよく演奏されていますが、Debussyがたどり着いた技法を継ぐ作曲家はいません。全音階的技法による作品は誰が書いてもDebussyにしかならないからです。
無調とは関係はありませんが、その技法による作品ではその作曲家以外の作品には成り得ないのは、Carmina Buranaで有名なCarl Orffの作曲法も同様です。
(参考までに、『調の齎す情緒へのimageとしての文章』へのlinkを張っておこう、と思ったら、その事について書いていたPageが見当たりません。homepageではなくFacebookに書いたのかな??誰か知っていたら、教えてください。homepageには、調性のお話は書かれているようなのだけど、多分音人の会の人の質問にお答えした時の文章だったと思っているのですが・・・)
homepage上のaddressです。
※)「芦塚先生のお部屋」⇒「音楽のおもしろ話」⇒「調性のお話」
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/chou...
※)なんとか見つかりました。
「音楽のおもしろ話」の中かな??と思っていたら、「楽典のお話」の中に入っていました。
という事で・・・
「芦塚先生のお部屋」⇒「楽典のお話」⇒「調とpitchのお話」です。
元の文章がぶっ飛んで、古いback・upの原稿から途中まで復元出来たのですが、復元途中で中座したままになっています。
homepage上のaddressです。
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/cho...
私の教室の高校生と大学生の生徒達による、私の編作曲した「Greensleevesのthema」によるoriginalのVariationです。
groundという耳慣れない言葉が出て来ますが、groundはEnglandでpurcell等の作曲家達がよく使用したChaconneやFoliaと同じBaßに定旋律を持つbaroque時代のthemaの一つです。
勿論、arrangementは、baroque風でもmodernなcontemporaryなstyleのarrangeではなく、擬古典風のstyleです。
但し、あまり近現代風に作曲すると、Britainの「purcellの主題による・・」や、Stravinskyの「Pulcinella 」のようにcontemporaryなstyleになってしまって、作曲家自身のoriginalの作品になってしまうので、私の場合には原曲のimageを損なわないように、baroqueの様式からはあまり逸脱しないように気をつけて、あまり現代風な和音等が出て来ないように気をつけてarrangeをしています。
Greensleeves to a ground in C Dorisch Yoji Ashizuka ornament-Variation - YouTube
Greensleeves to a ground in C Dorisch Yoji Ashizuka ornament-Variation
2016年11月23日(水)千葉市美術館さや堂ホールのbaroque-concertoです。 芦塚音楽研究所千葉音楽教室主催による先生達のbaroque‐concertでの、生徒達の共演の風景です。
6月12日暑くて目が覚めてしまった ·
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6月12日の金曜日の朝の8時を過ぎた所です。
寝室のエアコンを消したままで寝ていたら、暑くて目が覚めてしまいました。
toiletteに行った次いでに、窓辺に置かれた部屋の温度計を見て見ると、部屋の温度はなんと33℃を示しています。
慌ててエアコンを作動させた所なのですが、携帯の練馬区の気温は26℃、体感温度は27℃で、湿度は76%でこれから31℃まで上昇して行く予定です。yahooはそれよりは少し高いようで、9時までには29℃まで上昇する予定だそうです。
6月13日死に至る病 ·
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Søren Kierkegaard(キェルケゴール)の「哲学書」に『死に至る病』という著書がある。
高校生の頃、担任の英語の先生が哲学科出身の先生だったので、仏教哲学やフロイドの精神分析等々、色々な哲学書に興味を抱いたのだよ?
Kierkegaardの著書を読み漁ったのも、その乱読の中の一冊である。
「死に至る病とは絶望である」というよりも、「絶望は死に至る病である。」と言い換えて、私なりに高校生の頃はその言葉に嵌っていた。
という事で、Kierkegaardの著書の中身と言うよりは、その言葉の彩の巧みさに影響されたに過ぎないので、Kierkegaardの哲学の何かが理解出来た分けでは、残念ながら未だにない。
しかし、体調不良や色々なトラブルが重なって来て、すっかりと気が滅入って来て、鬱の中に取り込まれてしまうと、鬱を楽しむゆとりも、鬱を俯瞰する事も出来なくなって鬱に溺れてしまう事がよくある。
もがけばもがくほど、自分自身を鬱の海の底の中に追い込んで行くのだよ。
自分の抱く夢も希望も、自分に与えられた仕事への情熱でさえも、しがみつこうとすると、濡れた砂のように指と指の間から崩れて消えて逝ってしまうのだよ?
力が萎えてしまって、何かを掴もうという気力さえもなくなった時、人は絶望を感じるのだ。
絶望は死に至る病である。
けだし名言では、ある。
しかし、死自体は絶望ではない。
死は人生の到達点、教育goalに過ぎないのだから・・
死の最後の瞬間迄でも、努力を続けるのならば、死はその人にとって、なんの価値もないからである。
死に至る病への最高の良薬は、「諦めない」という事に過ぎない。
これは御経の一文一節なのだが、『生を諦め、死を諦めるは、仏家の一大事の因縁なり』・・・だってサ?
仏教の場合の「諦める」という意味は、囚われる事から抜け出す・・・という意味合いが強い。
もう一つおまけに、『諦めようとて、諦めた。諦め切れぬと諦めた!』ってな言葉もあるよな??
・・どっと払い!!
6月14日雨の音 ·
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今は6月の14日の日曜日の朝の4時です。
6月は今年の前半の最後の月で、14日は月の前半の最後の日になります。
「それがどうした??」って??
そやあ、どうもしないけれど、なんか、コロナで大騒ぎしている間に、2020年という年が、もう半分終わろうとしているのだよね??
コロナ元年と言うか、無為無策で半年が終わってしまうという切なさだよ。
勿論、「コロナに対しての対応」という意味ではないよ。
何一つ建設的な事が出来なかった自分に対しての自戒の念なのだよ。
6月は東京では梅雨の季節ですよね?
東京の梅雨の時期は、例年でも、超寒い事が多いようですよね??
昨晩は10時近くになって、やっと小雨になったので、bikeで椎名町に移動して、腰痛が再々発してから延々とお休みしていたドルプリっ歩にお久しぶりに付き合いました。
2ヶ月振りぐらいのドルプリっ歩だったので、最初は不思議そうな顔をしていたよ??
それに道路はしっかりと濡れていたので、ドルプリは「雨が降っているのでは・・??」と半信半疑で、おっかなびっくり玄関から出て来たのですが、まあ、それは良いとして、外の寒い事!寒い事!
椎名町からの帰りは薄いジャケットを着てbikeを走らせたのだけど、微妙な小雨と超寒い温度で、bikeの走りも今一だったよな??
ガソリンが湿気っていたのかねぇ??
この所、結構強い雨が何日も降り続いていて、湿度も90%ぐらいで、温度も30℃くらいの日が続いていたのに、夜になっての、この急激な温度変化には体力が、とてもとても付いていかないのだよナ。
・・で、今は6月の14日の日曜日の朝の4時です。・・と、続きます。
雨は相変わらず、降ったりやんだりを繰り返していて、湿度も90%近くを推移しています。
コロナとは関係はないのだけど、湿度が高いので、延々と密室状態で除湿を掛けていると、空気が悪くなって来て、(・・と思えて・・)狂いそうになるので、窓という窓を全開にして換気をしました。
絨毯や畳に気を付けて、ベタベタしそうになったら、一気に窓を閉めて回って、除湿にします。エアコンの除湿は超寒くなるので、コンビニ・クーラーの除湿です。
この空気の重たさは私には堪えられないので、部屋で発狂しそうになっています。
そう言った時には、徒然なるままに、頭に浮かぶ良し無し事は・・鬱を引き起こしてしまいます。
でも、雨音が結構激しいよね??
ベランダに打ち付ける強い雨の音をお楽しみください。
・・と思ったら、よく聞こえなかったよな??
ポチャ、ポチャという音は水滴が落ちて来る音なので、後ろのゴーッという音が本当は雨の音なのだけど、そりゃあblackoutして、分からんわな??
作曲学的にはこれをtone-clusterと言うんだよ!!
コロナのclusterと同じ意味なのだけどね??
失敗!失敗!!
という事で、もう一枚の動画にしました。
映像的には何も見えないのだけど、雨の音はclusterの音がちゃんと分離されていて、こちらの方が分かり易いですかね??
6月15日『音に溺れる』 ·
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音の立ち上がりと言う事の意味を弦楽器で説明する事はかなり専門的な話しになってしまって、簡単に解説する事は難しい。
その点、pianoのtouch、所謂、einschlagは機械式なので説明する事は簡単である。(modern-Piano所謂、double actionのPianoは、投石器の原理の応用である・・という話はhomepageでしているので、single actionとdouble actionの音を出す仕組みの違いについてはここでは言及しない。)
勿論、いずれにせよ、音は「速度×重力」のVektorであるから、音の基本は、限りなく重量が0に近く、速い速度でhammerが解き放されたtouchである事が望ましく、指に力を込めた音殺しの音とは真逆の「0touch」に近いものであることが美しい音の基本であり、望むべき音である。
しかし、そこで多くのピアニストが忘れている『要』の事は、真の歌い込みに必要な音は、指を鍵盤に打ち込む時に出るtouchからの音ではなく、指を鍵盤から引き戻す時に出るtouchによる音である。※)
今のピアニスト達の奏でる音は全ての人達が鍵盤に指を打ち込む時のtouchで音を出している。
現代では、いにしえの名人達の美しいtouchの音が聴ける事はもうない。
※)引くtouchの説明は、難しい。しかし、引くtouchの練習法自体は然程難しい事ではない。
非常に速い速度の同音連打や、triple以上の同音連打を弾いて、その最後の音を鍵盤から放さないで指を残しておくという、その感覚を学べば良いだけだからだ。
Pianoを学ぶ上では一般的には、「しっかりとtouchをするように」と、習う。
しっかりと指に重量を込めて出した音は、重厚な音がするが、サロン等は兎も角としても、ホールでは、音が籠ってしまって遠音が効かない。
音を遠く迄飛ばすには、透徹した音、所謂、速度のある音が遠音の効く音になる。
私が生徒に指導する時には、旋律を演奏する側を音を飛ばしたtouchで弾いて、伴奏のpartを重量のある音のtouchで演奏させる。そうすると旋律がくっきりと、重厚な音の響きの中に浮かび上がって立体的な演奏が出来る。
速い速度のtouchを学ぶには、boxingや空手の(或いは剣道等の)武術から学ぶと良いのだ。
空手家の人は100㌔の力で物を破壊する事が出来る。
当然、100㌔の物を破壊出来る分けなのだからその手も100㌔の力に対応出来るハズだよね??
しかし、だからと言って、逆にその人の手に100㌔の重さのハンマーを打ち下ろしたら、その人の手は粉々に砕けてしまうだろうよ。
私自身も、高校生の頃までは、私の竹刀で、相手の竹刀を切る事が出来た。勿論、私の竹刀というのは、私個人の物ではなく、学校の備品である。
1,2本ならばいざ知らず、合わせた相手の竹刀が片っ端から折れて行くので、幾らなんでも、弁償しなければならないので、剣道から柔道に変えさせられたのだけどね??
選択肢を代えさせられた正規の授業である柔道の時間でさえも、1年間誰ひとりとして私の相手をしてくれなかったのだよ。危険人物とされていたからね??
もし空手家の人が物に手を打ち込んだとしたら、100㌔のハンマーと同じ事になる。
しかし、その手に100㌔の力が掛かる事はないのだよ!
proの空手やboxingの選手は引く時の力で物に打ち込むのだよ。
つまり、手が物に触れている瞬間は限りなく0に近く、速度は最大になるのだよ。だから手に直接100㌔の力が掛かる事はないのだよな??
そこにVektorの原理がある。
昔のsteinwayの鍵盤が重かったのは、指に掛かる重さを0に近づけるためなのだよ。腕全体の重さと鍵盤の重さが等しくなると、指に掛かる鍵盤の重さは限りなく0に近づく。
そうすれば、速度だけでeinschlagが出来るからなのだよ。
こんにちのsteinwayのPianoは鍵盤が軽い。
演奏する側がKeyboardのように、押し込むtouchをするようになったからなのだよ。
だから今のpianistの音は力で出す音なので、キンキン・キャンキャンとしてうるさいのだよ。
音を出す仕組みが全く異なっている弦楽器の場合でも、楽音となる音の根本的な本質はPianoと同じである。
弦楽器での「0touch」に相当する弾き方は、楽器を弦を上にして置いて、弓の重さだけで滑らせた※)時に出る音である。
※)滑らせた・・というのは語弊がある。よく弦と粘らせてその粘りが切れない速度で弾く事が要である。オケ練習や室内楽の練習の時に、時折、作音の練習をさせる事があるのだが、相当な技術力を持った生徒達でも、楽器本来の音を出させる事は難しい。
しかし、正しい接弦の位置で、接弦の量と弓の移動速度のみで出した音であったとしても、その音は極めて小さい音ではある。
楽器の原理を知るには、共鳴箱を持たない弦だけを弓で弾いて見るとよい。
ミ~、ミ~と、実に情けない音がする。
それが楽器の共鳴boxで、共鳴してViolinやCelloの音になるのだ。
しかし、その共鳴は本当の共鳴ではない。
楽器に対して、一番大きな共鳴が出来るように、魂柱の位置が自分で勝手に移動して行くのだよ。
そのboxとしての小さな振動から、その楽器が最大に響鳴するように演奏するのは至難の技となる。
演奏の技術のみならば、非常に優れた演奏技術を持っていたとしても、楽器から出す音に関しては、力で捩じ伏せるような音しか出す事の出来ない演奏家のなんと多い事よ?
また、proやアマを問わず、多くの人達が勘違いをしている事なのだが、高価な楽器になればなる程、音が出る・・という勘違いがある。
しかし、名器と言われる億単位の楽器ですら、その楽器が持っている音を出すためには、毎日の音を出すためのトレーニングが必要なのだ。
この意味は、演奏家が音を出すtrainingをしなければならない・・という意味ではなく、その楽器に対して、trainingをしなければならない・・という意味なのだよ。
楽器の共鳴のtrainingが出来る人ならば、結構安い楽器でも、それ相応に鳴らす事が出来る。或程度以上の楽器店に行くと、売りたい楽器をよく鳴るように弾く事が出来る。まあ、それが出来ないと楽器屋にはなれないだろうけれど??
逆に、より優れた楽器になればなるほど、日々の気温や湿度等で、鳴らなくなってしまうのだよ。
一旦、楽器が臍を曲げると、梃子でも自分の音を出してくれなくなってしまう。そこは楽器の所有者の女の子の同じなのだよな~あ??
数少ない名器を持つ人は結構多い(!)のだが、その名器を鳴らせる人は世界的に見ても非常に少ない。
テレビでも演奏家達が一億円以上もする自分の名器を持って来て、1万円の楽器や30万円ぐらいの楽器と弾き比べるのだが、スタジオにいる誰もその差が分からないと嘆いている。現実的に端で聴いている我々すら、その違いが大して分からないのならば、「一億円出しても、一万円出しても、大して意味はないのではないのかな?」とも、思えてしまうのだよな?
その違いが出ない理由は、名器に頼るだけで、楽器を鳴らそうとしない所から来るものなのだけど、「名器は鳴るから名器だ!」・・という勘違いから来ているのだから、演奏家としては始末におけないのだよ?
・・・う~ん??語るに落ちてしまうのだよなぁ?
商売柄、間近で演奏家の演奏を聞く機会は多いのだが、私が聴いた演奏家の中でも、楽器を鳴らしていた人は2,3名もいなかったのだよ。この歳になるまではネ??
鳴る音と鳴らない音の見分け方???
それは、簡単だよ!
「楽器を鳴らして弾いている」と思い込んでいる人の演奏は、傍で聞くと、「傍鳴り」がして、耳障りで超うるさいのだが、本当に楽器を鳴らして弾いている人の音は、音が洪水のように自分の周りを包み込んで、部屋全体を覆い隠してしまうのだよ。
それを私は『音に溺れる』・・という表現をしている。
本当に音の洪水の中で、為す術もなく溺れているような幸せな感覚に満たされるのだよ。
別の言い方をすると、音が見えるとも言えるのだよ。
まあ、一流と言われている人達の中でもそういう風に楽器を鳴らせる人は数少ないので、私の場合には、楽器を鳴らす事の出来る演奏家だけをproと呼んでいるよ。
6月15日mainのパソコンの背景画像が、subパソコンの ·
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今日は6月の15日の月曜日のお昼の11時を過ぎた所です。
お腹が痛いので午前中は少し寝込んでいたのだけど、お昼なって、痛みも治まったので、bedから起き出して、パソコンを開いたら、「な、な、な、なんと!」パソコンの背景画面がsubパソコンの背景画面になっていたのだよ。
慌てて、他のsubパソコン(Hewlett-Packard)も開いて見たのだけど、他のパソコンには、異常は見当たらなかったのだよな???
パソコンのaddressはそれぞれ違うので、パソコン同士が勝手に同期しても背景画面は変わらないハズなのに、bugっているよな??
・・という事は、パソコンが勝手に同期して、文章や写真も飛ぶ・・という可能性があるって事だよな??
怖い!怖い!!
お昼の12時を過ぎました。
なんと気温は32℃、体感温度は34℃だそうです。
窓の下の公園には、折角の良い天気なのに人っ子一人いません。
あまりにも気温が高いので、熱中症を避けているのかな?
今日は、お昼の3時頃には34℃になる予定で、激しい雷雨が予想されているそうです。
湿度が53%ぐらいなので、エアコンは使わないで、窓を全開にして外の空気を入れています。
3時を過ぎた所なのですが、温度は相変わらずで、32℃で変わりません。
少し湿気っぽくはなって来たのですが、雷雨は、来そうにもありません。
風が少しあるので、公園には子供達や大人の人達も集まって来ました。
部屋の中の温度も、32℃を越えて来たので、窓を閉めてエアコンにしました。
外の空気は良いとしても、そろそろ室温が限界だったので・・・天然の空気の方が私の体調的には良かったのですが、流石に32℃まで上がってしまっては、体調を心配しなければならないので、窓を開けておくことは諦めました。
1枚目の写真は、画面手前のmainのパソコンと、その奥の二台目のsubのパソコンの背景画面が同じ写真になっています。
自分が写真を変えた分けではないのに、勝手にドルプリの写真になってしまっていました。
2枚目のパソコンの背景画面は、普段使用している写真のままのmainのパソコンの背景画面ですが、その写真は私が郷里の母の元に介護に車で出掛けた帰りの道中で、雲仙から千々石湾を通して長崎の半島を臨んでいる写真です。
この写真が、従来のmainのパソコンの正しい背景画面です。
コメント
塩澤 一範
かっこいい。憧れます。この光景に羨ましい。デスクトップは、アップルで、ノートは、Windowsです。
· 返信する · 30週間前
芦塚 陽二
私が教室で買った最初のパソコンは、アップルのノートパソコンで、ノーテーション(楽譜)用でした。95の一つ前からは、windowですけどね?アップルは私とは相性が良かったのですが、softがなかったのと、次のnoteが高かったので諦めました。私のnotepcはジャパネットの新古のLaVieです。半額くらいで買いました。大分前から自分でメンテ出来るのでDellで統一しています。余分なsoftが付いていないので、安いので気に入っています。故障したらpartsだけを自分で交換すれば良いので・・
· 返信する · 30週間前 · 編集済み
塩澤 一範
パーツ交換できるのが凄いですよね。
アップル社に、問い合わせると、保証出来なければ、アップルの付属品は、あんまり無いし、使えるとなるとWindowsの方がベターになってしまう。アップルは、楽だけど、リスクが大きいですよね。
· 返信する · 30週間前
芦塚 陽二
パソコンは壊れる!という想定で使うと、日本製のパソコンは殆ど壊れないのだけど、一度壊れるとメンテがなっていません。その点、自分で修理をするのならば、Dellは安全です。修理を前提のパソコンなので、張らすのもmanualを見ながら簡単にpartsを交換出来ます。勿論、工場修理も受け付けていて対応は早いです。病院等の法人向けなので・・モニターはテレビをそのまま使っています。安いし、大型で長時間の作業には持って来いなのでね??だから、モニターを買うことはありません。どっかのテレビにつなぐだけです。
· 返信する · 30週間前 · 編集済み
塩澤 一範
なるほど勉強になります。
芦塚陽二
家族と一緒に暮らしていると自分の籠り部屋を作るのは難しいとは思いますが、パソコンの部屋ならば1坪のspaceがあれば出来るので、クローゼットや押入れを改造しても出来ます。
コロナでTeleworkで1日中部屋で仕事をするのならば、家族に取っても、煩いパパが顔を見せないで引き篭って仕事をしているのは、とても良い事です。
6月16日ボッチ飲み ·
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14日の日曜日の事なのですが、この所延々と部屋の中に閉じ篭って仕事をしているので、流石に、爆発しそうになって、真っ昼間から一杯飲みたくなったのですが、部屋の中で飲むにしても、湿度が高いので、うっとおしいのですよ。
という事で、外は雨が降っているのですが、雨に濡れても良いので、自宅のベランダで酒盛りをして憂さ晴らしをしようと思い付きました。
普通ならば、椎名町に移動して飲むのは手間が掛らないので、良いのですが、そうすると、私はbikeでは飲酒運転になって帰れなくなるし、椎名町の部屋の中では、普段と変わり映えはしないし、椎名町のベランダではそれだけのスペースがないし、お店に飲みに行くのが一番簡単なのだけど、流石に、お店では・・未だ怖いので、そこでハイツのベランダが選択肢に出てきました。
ハイツのベランダでは以前からボッチ飲みが出来るように、暇に任せて、整理の途中なので、先生達3人くらいならば、なんとか一緒に飲む事が出来るからです。
ハイツのベランダで飲む事を前提に色々とおツマミを準備したのだけど、途中から発表会の進行表や企画の話が入って来たので、ドルプリっ歩の予定もあるので、結局、鬱の憂さ晴らしにハイツのベランダでの酒盛りは立ち消えになって自動消滅してしまいました。
酒盛り用に買って来た毛蟹なのだけど、食べるchanceと言うか、timingが合わなくって、今日は16日の火曜日の朝の8時なのですが、これ以上になると、蟹が傷んで食べれなくなってしまうので、朝超早いのだけど、蟹をつまみにボッチ飲みを始めました。勿論、甲羅は甲羅酒で、熱燗で飲みました。
蟹を食べ尽くしたら、お猪口代はりのガラスコップを洗って、お箸を新しくして、ヤリイカの刺身とゲソ焼きと鯨のベーコンをつまみに2杯目を飲みました。
まあ、まあ・・・朝っぱらからねぇ??
もうすぐ11時になるのだけど、気温が30℃になってしまいました。流石に、外の空気を取り込むだけでは無理になってきました。熱中症にならない内に、窓を閉めて、エアコンにします。
・・エアコンは体力が消耗してしまうのだけどね~ぇ??
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6月17日私のViolinーsonateのfinale入力を ·
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今は6月の17日の水曜日の朝の6時を過ぎた所です。
昨日は朝早くから毛蟹でボッチ飲みをして、お昼近くから寝たのだけど、上手く摂眠が取れなかったので、月曜日に斉藤先生にcopyをして貰っていた私のViolinーsonateのfinale入力を朝まで掛かってやりました。
この曲を作曲したのは、今は昔、半世紀以上も前の事なのですが、MünchenのGenzmer師匠の所で修行中、課題として出された曲で、授業の一環として作曲した習作なので、授業の進捗の関係で、Ⅰ楽章からⅢ楽章までしか作曲出来ていない未完の作品です。
写真のcopy譜の赤鉛筆での数字の書き込みは、拍子の数字です。
(Finale上では、書かれた拍子記号をoriginalの楽譜のように、表示されないようにする事は、oneclickで、簡単に出来るのですが、その手間は無駄手間なので敢えて、しませんでした。)
その後、Ⅳ楽章とⅤ楽章は、放ったらかしのままになってしまって、作曲には、取り掛かっていません。
日本では・・と言うか、Munchenでの作曲当時でも、未完成の作品という事なので、一般公開はしていないのですが、今は昔、発表会で高校生の頃の斉藤先生が弾いたような記憶があるのだけど、思い違いかな??
未完のままにしておくのは勿体無いのですが、習作なので手書きの楽譜しか、残っていません。
私がMünchenで勉強をしていた当時には、finaleは勿論の事、パソコンすら無い、それこそ携帯もvideoも無い全くのanalogの時代だったので、手書き譜というのは当然、と言えば当然なのですがね??
ワープロからパソコンに移行して、私達がパソコンを使うようになったのは、私が40歳になってからの話なので、それまでに書き留めた手書きの楽譜が沢山あります。
私が40代になった時でも、パソコンやFinaleを買うという事は一般の人達にとっては、高嶺の花であって、当時は「パソコンを買う!」と言っても、揃えるのは100万ぐらいの金額が掛かりました。
企業用のパソコンでは500万ぐらいが相場だったかな??
出版社に合わせるために、finaleも初代のfinaleを購入したのだけど、当時はfinaleはMac専用で、40万もしたのですよ。当然、大型のMacも、購入しました。
(ああ、またまた話が脱線している。)
つまり、私が現役で作曲をしていた頃の時代は、パソコンもfinaleもないanalogの時代だったので、当然の事ながら、Violinーsonateも手書き譜しかありません。
自分の作品をfinaleに移す作業は、今更見たくない過去の自分を見るようで、本当は嫌なのですがね??
・・という事で、月曜日の椎名町からの帰りに、私のViolinーsonateの楽譜を斉藤先生にcopyして※)貰ったので、昨日の夕方からfinaleへの入力を始めました・・と続きます。
※)わざわざ楽譜があるのにcopyをするのは、finaleに入力をするために、間違えないようにするためと、時短をするために色々と無駄な書き込みをするためで、その時に使用した楽譜は書き込みで使えなくなってしまうからです。
Ⅱ楽章はPianoの伴奏譜が複雑で楽譜を譜読みする事が大変なので、譜ヅラが簡単になるように3段の大譜表にtransposeをしました。
特にFinaleに入力するのには手間取ってしまったⅢ楽章の変拍子です。拍子が小節毎に目まぐるしく変わるので、analogの手書き譜の場合には拍子記号を書いていません。
しかし、finaleに入力する場合には、全部の小節に対して、正確に拍子の数を書かなければ入力が出来ないのです。
まあまあ、驚くなかれ、Ⅰ楽章からⅢ楽章までの、finale入力だけではなく、譜面の訂正・改訂も一晩(・・と言うか、16時間ぐらい・・・)でやってしまったぞィ??
まるで現職の作曲家だなや??
訂正箇所のConceptは、譜面上で表現の弱い箇所は、少し楽譜を書き直しました。それから、譜面上では分かり難いpassageもなるべく分かり易く見えるように譜面を訂正して起きました。
München時代にこの曲のProbeをしてくれたpianistは結構指が回る人だったので、Bartokの「the Diary of a Fly」のpianoのtechnikを拝借して作ったのだけど、日本に帰ってからは、その4小節間のpassageが弟子達にとっては指がついて行かない泣き処の小節だったので、簡単に指回しをしなくても弾けるように、そのpassageを全く新しく対位法的に作り直しました。
simpleに弾き易く修正したのだけど、その分、ちょっと地味になってしまったのかな?(かなり派手派手しいbravuraなpassageだったので、聞き応えが劣らないように無調の対位法的なpassageに変更しました。)
後は、Ⅰ楽章もⅢ楽章も、終わりの小節に入るtimingが、突然、唐突に終わるような感じなので、終わりに入るpassageに伏線を引っ張って来て、imageを膨らまして、少し小節を増やして、その箇所がeccentricにならないように、orthodoxに訂正して起きました。
私達は、曲を作る時には、Ⅰ楽章からⅤ楽章までの構成や細かいMotivの部分に至るまでの部分に対しても、頭の中で同時に作曲、構成をします。
頭の中で曲のimageが出来る迄は、端から見ていると、酔っぱらいのように、うだうだと徘徊していたり、茫然自失をして凝固して真っ暗な闇を見つめていたりしますので、ボケ老人になってしまったかのように見えるかもしれません。
しかし、一旦、ideaが整って、頭の中での作曲が出来てしまうと、曲作りは、一瞬に終わってしまいます。
頭の中にある音符を書けば良いだけだからです。
だから、この曲のimageも、出来ているハズなのですが,、何せ50年以上も前の曲なので、もう曲のimageをすっかりと忘れてしまいました。
またsketchから、遣り直さなければならないのかな??
チョッと、面倒くさいぞヨ❢❢
それはそうと、朝の7時過ぎに牧野先生が朝食を配達してくれました。
いや~ぁ??
助かった!!
超、腹減っていた・・ので・・・
コメント
芦塚 陽二
窓を全開にして、外の風を取り込んでいたのだけど、チョッと暑くなって来たので、部屋の温度計を見たら、なんと、36℃にもなっていた。
未だ8時半だよな??
慌てて、窓という窓を閉めて回ってクーラーを入れました。
危ない!危ない!!
熱中症になっても気付かない所だった!!
皆様もお気を付けて・・・
· 返信する · 30週間前 · 編集済み
純子斉藤
🤗うわあ~い❗弾きたい弾きたい‼️高校卒業してまもなくくらいの頃に弾きましたよ?また弾きたいな、と思いながらもいつの間にか何年も時がたってしまった。つきあってくれるピアニストがいれば是非‼️どっちかと言うとピアノの方が難しい曲ですよね?
· 返信する · 29週間前
芦塚 陽二
Ⅰ楽章のPianoの指回し的に難しい箇所は、歴代の教室の生徒達がclaimを言っていたので、そこは簡単に弾けるようにrenewalしました。
しかし、Ⅲ楽章のrhythmの難しいのは全く訂正はしていません。
変拍子のrhythmは私的にはrandomに(後、2,3種類のrhythmが・・)色々な変拍子が出て来るともっと楽しくなる・・と思うのですが、それは50年前に作曲した時から諦めていて、1種類のrhythmだけを覚えれば良いようになっています。... もっと見る
· 返信する · 29週間前 · 編集済み
芦塚 陽二
Ⅲ楽章の最後のstrettoになる部分は、縮小型を使って変更しました。お客様には分からないと思うけれど、Pianoとの絡み合わせではチョッと難しいのかもね??今まで同様に弾いたならば間違えてズレてしまっているように聴こえるかもね??
· 返信する · 29週間前 · 編集済み
純子斉藤
6月18日電線の上にハクビシンが ·
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今日は6月18日木曜日の朝の6時を過ぎた所です。
昨晩は夜になってから体調不良になってしまい、寝込んでしまいました。
斉藤先生の11時からの「お迎えっ歩』でドルプリっ歩に出掛けたのですが、散歩の途中ぐらいから、腰痛も起こり始めて、体力的にも限界になって、すっかりヘバッてしまいました。
椎名町での食事の途中でも、食欲が無くなってしまって、お弁当を作る時間も待てないぐらいに疲れ切ってしまい、意識朦朧とした中をなんとか頑張ってbikeを飛ばしてハイツに戻って来ました。
椎名町に着いたのが11時の直前だったので、それからドルプリっ歩をして食事をして、なんとかハイツに戻って来たのは、かなり遅めの深夜2時の丑の刻でした。
ドルプリっ歩の帰り道で、斉藤先生が「電線の上に何かいる!」と言っていたので、見ると、中型の猫ぐらいの尻尾ふさふさの(多分ハクビシン)が、3階建てのマンションよりも上にある電線伝いに、ホイホイと歩いて行きました。あんな細い電線の上を普通にそそくさと小走りに歩いて行ったので、携帯を出して写真を撮るのが全く間に合いませんでした。しかし、真っ暗な曇りの空なので、写真を撮っても多分何も写らなかったと思いますよ。それにしても、電線の上を歩くハクビシンは(というか、動物は)この歳になって、始めて見ました。猫やネズミでは無理だよなぁ??
ハイツでは、夕方作った糖質dietご飯を炊いた後のモロモロの部品や、食べた後の食器類がそのままの状態だったのですが、今椎名町から持って帰って来たお弁当を大急ぎで冷蔵庫に入れ掛けて、その途中でパソコンの椅子に座ったままに、意識が無くなって、小一時間眠ってしまったので、なんとか頑張ってbedに移動しました。・・という事で、マジにbedに入れたのは寅の上刻の3時頃でした。
という事で、朝の6時の起床になります。
時間帯としては卯の中刻と下刻の間かな??
未だ3時間も眠れていないので、今日のお昼頃からが心配ですが、致し方がありません。
朝起きてからは、昨夜の「後片付け」が大変です。
体調不良の時には、全て「っ放し」になってしまうので・・
という事で、昨晩の後片付けをしながら、飲み物を作りながら(今日、と言うか、この所はいつも紅茶なのですが・・ね。)、同時進行で、Ⅳ楽章の入力を始めました。
いや~あ、、参ったぞ??
finaleの入力なのだけど、変拍子が音価が16分音符だと表記されないぞ!!
音符自体はちゃんと16分音符の表記で入力されているのに、小節の拍子では勝手に8分音符の音価になってしまっていて、その8分音符を16分音符の表記に直せないのだよな??
小節の拍子の数字を消せないのだよ??
これは困った!
音価の単位を上げて最初から8分音符の表記にすれば良いのだろうけれど、それでは音楽的な要素が失われてしまうのだがネ??
結構粘って、何度も修正を試みたのだが、ついに諦めて、譜面を全削除してしまった。
template自体がおかしくなっているので、このtemplateに入力する限り、これから先も同じようなbugが出る可能性があるから削除した方が安全なのだよ?
6月19日パソコンが勝手に自動更新を始めて·
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今日は6月19日の金曜日の深夜2時を回った所です。
ハイツに帰って来て、mailのcheckでもしようと思ってパソコンを立ち上げたら旗の下にぐるぐる回って10分以上loopしたままなので、強制終了させて、もう一度、パソコンを立ち上げたのだけど、全く同じ状態になってしまいました。
これまでのパソコンの状態では、なんの予兆もなく突然にこの状態になったので、試しに20分程放ったらかしていたら次の段階に進んでまたまたloopをしています。
「という事は・・??」と放ったらかしていたら、小一時間程してやっと立ち上がりましたが、勝手に色々とソフトが開いて、「更新programがinstallされたので再起動しろ!」と出て来たので、諦めて再起動をしたのだけど、それからまたまた、延々と起動をしています。
馬鹿windows10が・・不必要な更新なんか要らないぞよ!!
もう1時間以上も起動を繰り返しているので、俺は寝るぞイ!!
mailやlineのcheckは明日、起きてからする事にします。
subのパソコンにも全部入っているのだけど、subのパソコンで、色々とcheckをすると、パソコン同士が同期していないので、後々めんどくさい事になってしまうので・・ね??
「おやすみなさい!」
・・・と、思ったのだけど、やっぱり眠れなくなってしまったので、テレビの録画番組を見ながら、日本酒を飲みながら、四楽章を作ってしまいました。
後、五楽章を書けば終わりだよなぁ?
6月19日自動更新でパソコンがおかしくなってしまった ·
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6月19日の続きです。
四楽章は午前中に作ってしまったのだけど、なかなか寝つけなくて、お昼過ぎになってやっと眠る事が出来たのだけど、夕方の4時半には目が覚めてしまいました。
外は激しい雨と結構強い風が吹いています。
部屋の空気がエアコンでは息苦しいので、湿度は90%くらいで、滅茶高いのだけど、外の空気の方がいいので、窓を雨が降り込まないように半分だけ開けて換気をしているのだけど、まあ寒い事!18℃だってよ?
パソコンのMicrosoftの勝手な知らない間のupgradeが原因で、全くパソコンが立ち上がらなくなって、何度も強制終了を繰り返して、何とかパソコンを立ち上げたのだけど、動画の音声を聴いている最中に何度もfreezeというか、blackoutしてしまうし、動作が非常に遅くて仕事になりません。
昨日の夜に預かり知らぬ間に、勝手にupgradeされたdriverを削除したいのだけど、driverの削除は出て来ないのだよな??
困ったぞィ??
subのパソコンを開いて間違えて他のupgradeを削除しないように確かめて確認しながらupgradeのdataをuninstalしたのだが、全く改善されない❗
完全に壊れてしまったのだよ❗️
osを入れ直せば良いのだろうが、アプリのpassword等すっかり忘れてしまっているしな?
Microsoftは、パソコンを壊したのを弁償してくれないのかね?
営業妨害だよなぁ😡
Ⅴ楽章は1970年の作曲当時の構想では、墓の上を吹き荒ぶ冷たい風のようにpassageが暴れ回るという楽章を想定していたのだけど、Ⅰ楽章からⅢ楽章迄、結構怖い・・らしいし、Ⅳ楽章も同じimageなので、「Ⅴ楽章は軽く楽しく終わらせようか??」とも思案中です。
行きつ、戻りつ、思案橋・・あたしゃ長崎県人よ??
やっぱり、初志貫徹で行くか??
6月20日相も変わらないパソコンの不具合 ·
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6月20日の土曜日の朝の4時を過ぎた所です。
これまでは、毎日雨が降り続いていたのだけど、昨晩は珍しく雨が降りやんでいたので、窓を全開にしたままで眠ってしまいましたが、今日はお久し振りの爽やかな朝です。
・・・とは言っても、湿度は86%もあるようですが、気温は18℃と至って凌ぎ易い気温です。
「運良く」というか・・「運悪く」と言うか・・toilet-timeでbedから起き出したtimingが、ほんの2、3分遅かったためにmorgenrot(朝焼け)のbest-shotのtimingを逃してしまったようですが、just-timingという時間は、sunriseの中でも、ほんの1分程もありませんよね。
薄暗い部屋の中で、素晴らしいmorgenrotに気付いて、慌てて携帯を探し出して撮影しようとしたのですが、携帯の画面が勝手に動画に変わったり、自撮り側に変わってしまったりするのを必死で手直して、逆に幾ら触れても全く反応しないシャッターに、イラつきながら、なんとか数枚の写真を撮ったのですが、そう言ったドタバタで本当に美しいsunriseの一瞬のtimingを逃してしまいました。
それに、携帯で撮影した写真が、携帯の自動画像修正の機能で実際には真っ赤な朝焼けの色が、自動的に色補正されて、明るい色に修正されてしまい、元々の真っ赤な色が明るく補正されしまっているのですよ。
デジカメならばmanual撮影に切り替えて撮影する事で元の色をそのままに撮影する事が出来るのだけど、携帯ではどうやってその補正を解除したら良いのか分かりません。(携帯の取説は、未だ読んだ事はないのでね?)
まあ、それにしても、sunriseの美しい瞬間のtimingを失した事自体は事実なので、携帯に機能に関しては、諦めておきましょう。
それぐらい天空のdramaは速い展開をしている・・というお話です。
折角の爽やかなお目覚めなのに、パソコンはますます酷い状態で、「どうしてくれるのよ??・・Microsoftさんは・・??」てな感じです。
パソコンを電源を入れてからの立ち上がりも、50分以上も掛かって、立ち上がった後も、結構、不安定で、文字の入力さえも超遅くなって、それどころか、たどたどしいのですよ。
OSを再installすれば良いのでしょうが、そうすると色々なアプリ(soft)がぶっ飛んでしまうので、無数のアプリ(soft)類を復元させるのに、またまた一苦労しなければなりません。
下手をすれば、アプリをhard-diskにbackupするだけで2日間、osをinstallするだけで、まる1日の3日間は掛かるでしょうね??
backupしたアプリをパソコンに戻す作業では更に時間が掛かるので、合計すると1週間ぐらいは掛かる事はザラにあるのですよ。
パソコンの技術者の人達は、パソコン本体が治れば、それで全部治ったように思うっているようなのですが、私達にとっては、パソコンなんて、softが入っていなければタダの箱なのですよ。
それがパソコンの修理業者の人達にはどうしても分からないようなので、本当に全く困ってしまいます。
1月の中旬には、windows7が使用出来無くなってしまうので、昨年の暮れの教室のお休み中に、何とか椎名町のパソコンをwindows7からwindows10にupgradeするのに、私も自分の仕事が忙しいので、・・・この際、お金の問題ではない・・という事で業者の人を呼んだのですが、全くsoftがぶっ飛んだままで、「作業が終わった!」・・という事でお金だけを受け取って帰ってしまったので、色々な教室の作業が出来なくて、業者に何度も電話をしたのだけど、「windows10にはそのsoftは入らない」とか「新しくsoftを買ってくれ!」とか、にべもなく断られてしまって、椎名町のパソコンが全く使えない状況になってしまいました。
その業者に幾ら電話しても埒が明かないので、その業者には「二度と頼むか!!」という感じで、だけど、仕事は待ってくれないので、やむを得ず、2日間、3日間程、私のハイツでの仕事を全く休んで、1日掛りで椎名町のパソコンを元の状態にsoftが全て使えるように、直しました。
勿論、その際には新しいアプリ(soft)類は、買った分けではありません。
softのmakerやパソコンの修理業者は「windows10の対応は出来ない」・・と言っているのだけど、実際に入れ直せば入るし、普通に使えるのよね??
それに「windows7をwindows10にするには、OSをMicrosoftから購入しなければならない」という事が一般的で、勿論、パソコンの修理業者も、同じ話だったので、そのためには結構な金額を払ってOSを購入しなければならない・・という事だったのだけど、netでは、Microsoftから無料のupgrade-versionが出ているので、それで無料で教室、全部のwindows7のパソコンをupgradeしてしまいました。
こういう事ならば、高いお金を払わないで、最初から私がパソコンの修理をした方が良かったのだけど、私はパソコンの修理屋ではないし、専門家ではないので、結構「あ~でもない??こう~でもない?」と時間が掛かってしまうのだけどね~ぇ??
どうしても、1台のパソコンをgrade upするのには、やはり、1日掛りなのですよね。
勿論、同時進行で2台、3台とやっても同じ作業なので、冬休みの最中だったので、斉藤先生にも私と全く同じ動きをしてパソコンを打って貰って、それなりには時短をしましたがね??
パソコンに対してのclaimは、パソコンがおかしくなる度に、毎回同じ事を言っているのだけどね??
私達一般人の場合には、パソコンのOSで仕事をするのではなく、パソコンにinstallしているsoftで仕事をしているのだから、そのsoftが普通に使えるようになって始めて、「パソコンが治った!!」・・と言えるのだけど、パソコンの技術屋さん達はどうしてもそこの所が分からないようで、OSが元に戻ると、パソコンの修理は終わったものと思い込んで、アプリを元に戻す作業は、自分達業者sideの仕事ではない・・と思っているので、パソコンを使用する側にとっては、全く困ってしまいます。
という事で、業者の人達からは「OSの再installでは、アプリがぶっ飛ぶけれど、パソコンを治すのは簡単ですよ!」なんて言われても、そのぶっ飛んだアプリを入れ直すのに、1週間は、掛かるンだってサ!!それにdown loadしたアプリの復活(再down load)は認めていないmakerさえもあるのだよ??
その場合には、back・upが上手く行かなかったら再購入になってしまうのだよ。
牧野先生のnotePCなんて、windows7から10へのupgradeで本体にあるWi-fiの設定が10対応していないから、金額の変更の手続きをしなければならないのだけど、私が使っているパソコンではないので、passwordやmailaddressが分からなくって、Wi-fiが全く使えない状態で1年間、7の料金だけが自動で引き落とされてしまっているのだよ。
電話をて、mailaddressやpasswordの確認をすれば良いのだけど、牧野先生のnotePCが牧野先生と一緒に動くので、私がお昼に椎名町に行って、混雑して中々繋がらない電話を私が牧野先生と一緒に待たなければならないので、そう言った時間が取れないのだよ。
引き落としの銀行かcreditの会社が分かれば、そちらを先に解約して、Wi-fiから電話させる・・という手もあるのだが、それも分からんと来た!!困ったもんだ!!
6月24日ひかりヶ丘の病院にお久し振りに ·
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今日(6月24日の水曜日)はお久し振りの糖尿病外来への病院行脚でした。
前回は体調不良ですっぽかしてしまって、後日、私の代わりに斉藤先生に薬だけを処方して貰いに※)、光が丘の病院まで行って貰ったのですが、なんとその当日、コロナの院内感染が発生して、結果、最終的には「57人の感染者と7名の死亡者を出した」と言われています。
一応病院側では、「院内感染は解決した」とは言っているようなのですが、まあ、怖い事です。
※)今時、薬の処方だけならば、電話かnetでの診察だけで、良さそうなものですが、代理人でも対面しないとダメなようで、時間的にもコロナ的にも無駄だと思うのですがね?
まあ、それはそれとしても、病院の予約時間に間に合うように、マスク等もちゃんと準備してbikeで出発したのは良いのだけど、光が丘の病院に着いて、「さあ、装着しよう!」とおもったら、ジャケットのポケットに入れていたはずのマスクが幾ら探しても見つからなくなってしまっていました。
折角準備したのに、超、Shockなのだけど、予約時間の前に検査を済ませておかなければならないと言う時間的な制約もあるし、病院の入口で看護師さんに外来者用の備品の手作りマスクを貰って、病院内に入るには入れたのだけど、なにせ、紐が輪ゴムなので耳が痛い事、・・bikeでマスクを無くしてしまった事が悔やまれます。
行きはフードのある合いのジャケットを着て行ったのですが、それでも風が冷たかったのですが、帰り道はジャケットはbikeのシートの中に入れてTシャツで帰ったのですが、肩に当たる日差しが暑くて大変でした。
写真は病院から貰ったマスクです。
病院側のコロナ対策としては、席を一つ開きにするのは勿論の事なのですが、クリヤー・ファイルに書類や診察券を入れて持ち歩くのを自分の番号をprint outした紙切れ1枚で持ち歩くようになっていたり、血圧を計る器具の置いてある場所が変わっていたり、・・と手順が違っていて、どうして良いのか分からない人達が多くて、看護師の人達が説明に困っていました。
老人に取っては、有る物が無く、無い物があるとどうして良いのか分からなくなってしまうのでね??
私の話しではありませんよ!
お久しぶりに、(ひょっとして今年は初めて・・??)主治医の先生とお会いしました。
だいぶ、やつれて手が震えていたのだけれど、長い間のお休みの理由は聴きませんでした。
まあ、医者としては、privateの話しは患者にはしたくないだろうからね??
6月25日パソコンがおかしくなったので、業者を頼んだのだが·
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19日の金曜日の深夜に突然パソコンがうまく動かなくなってしまいました。
普段ならば、そういった時には、再起動をしたら治る事が多いのですが、今回は、立ち上がるのに1時間も掛かってしまいました。
突然パソコンが壊れる理由で、一番多い原因はMicrosoftによってパソコンがupgradeされた時に起こるパソコンと送られて来た修正用のsoftが引き起こすupgradeの時の不具合によるものです。
と言う事で、パソコンを調べてみると案の定、金曜日の夜にKB4497165というdataがinstallされていて、それ以来、パソコンがおかしくなってしまったようなので、取り敢えずは、そのdataを削除してから再起動をして見たのですが、パソコンの動きは、全く改善されませんでした。
Dellのパソコンに元々から入っている自動修復機能を色々と、試みたのですが、全く改善されないので、諦めてDell専門のサポート業者にリモートサポートを依頼しました。time is moneyなのでね??
代金を払って、リモートアクセスの設定をするところまで終わったのですがその後、行政からは、なんの連絡もないままに2日間が経ってしまいました。
再三、「パソコンの修理はどうなったのか?」という質問をmailでしたのですが、全くの無視なので、そのサイトの申し込みのページから、別の人を経由して、その人にアクセスしました。
なんとそうしたら、やっと、その担当の人から昨日連絡があって、「休んでいたから連絡が遅れた」との報告だけがあって、それで、リモートアクセスの設定のやり直す所から始めて、通り一辺のチェックをして、「これで様子を見てくれ!」と言ったので、改めて再起動をしてみたのですが、全く、なにひとつ改善された所はないので、その旨を連絡すると、「それならばウイルスなので自分で、初期化してください」との事でした。
まあまあ、いつもいつもの事なのだけど、パソコンの業者の人達の仕事へのモラルには全く驚かされてしまいます。
proという定義が、違うわな?
それに、remote-supportの場合には、自動ピアノの鍵盤のように、cursorが勝手に動いて、相手が今何をしているのかが分かります。
私が金曜日の夜にパソコンが壊れてから、土曜日と日曜日中を1日がかりで、頑張って修理を試みた私でも出来る通り一遍のcheckをしただけで、実際に作業をしたのはデフラグだけなのだけど、日付を見れば、その1日前に私が既にそのチェックをしているのは分かりそうなものなのだけど、そのチェックさえもしないで、通り一辺の作業で、チェックを済ませたと言っているのは、まあ、ズブの素人としか言い様はありませんよなあ?!
何が専門家なのだよ??その程度で、金取るとは,片腹痛いぞよ!!
パソコンがおかしくなったのは、19日の金曜日の夜からなので、20日の土曜日からの作業としても、昨日は25日なので、5日も過ぎています。
その間は、パソコンがちゃんと動かないので、全く仕事にならないのですが、なんの改善も見受けられないのに、お金はcreditで先に取られているので、腹立たしい限りです。
まあ、一応会社の方には、claimは出しておきましたが、対処は私がやった以上の事は何もやっていないので、「何が専門家だよ!」と言う事なのですが、それはパソコンの業者に頼んだ時には、いつもの事なので、今は超頭に来て、後悔しています。
それも、いつもの事なのですがね?
パソコンは、19日にMicrosoftから提供された自動upgradeで、動作が、おかしくなってしまった分けなので、パソコンのprogram-dataをback・upして、Microsoftから送られて来た、その怪しげなdataを削除してからDellのパソコンの中に入っている自動修復機能を使って、私自身が工場出荷の状態までクリーンinstallを1日掛かりでやって、修復を試みたのだけど、OSのinstallの最中にerrorのmessageが出て来て、全く元の状態に戻るだけで、まるまる1日作業は無駄になってしまいました。OSを元に戻すためのbackのデータが、回復パーティーションに入っているので、その回復パーティーションを削除しようと何度も試みたのですが、結局絶対に工場出荷の状態には、なりませんでした。
DELLのサポートにチャットで、サポートをお願いしたのですが、windows10が入らない旧versionのパソコンなので、パーツのサポートもないので、それ以上の修理は民間の業者に頼んでくれ!と言うテクニカルサポートからのチャットでした!超Shockだよなあ⁉️
それに、後継機種であるXPSはもうブルーレイのレコーダーには対応していないそうで、それがグローバルだと言われてしまいました。
では、グローバルの世界シェアでは、4Kや8Kには、どう対応しているのですか?と聞いたら、同じように外付けで、対応しているとの答えでした。今使用しているXPSはBlu-rayの対応機種なので、minorchangeになってしまうのだよな?
天下のDellともあろうパソコンが、通常のDVDしか対応していないとは、Video映像を中心に作業する私としては、もう次の機種を考えなければならないのかね?
6月29日mainのパソコンが壊れてしまったのでsubの ·
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日曜日の深夜というか、子の刻から寅の刻の話しなのですが、mainのパソコンが壊れてしまったので、subのパソコンで、発表会のVideo映像をYouTubeにupしながら、あまりにもパソコンの動きが遅いので、イライラしながらの作業なので、ちょっとバテて来たし、気分転換も兼ねて、「ベランダでトワイライトでも、おつまみにして、ボッチ飲みでもするか?」と缶ビールを開けて、ベランダのテーブルの前に座って、飲み始めた所までは良かったのだが、超寒くて、3分ほどもベランダに居る事は出来ませんでした。
早々に部屋に戻って飲み直しをしている所です。
部屋の中は、蒸し蒸しと蒸れて、妙に暑苦しいのですが~ねぇ?
コメント
中野 卯月
梅雨寒の朝 おいといくださいますように
· 返信する · 28週間前
芦塚 陽二
お心遣い、ありがとうございます!
· 返信する · 28週間前
萩元 美紀
早速、YouTubeのアップ、ありがとうございます🎶
· 返信する · 28週間前
芦塚 陽二
コロナで発表会に来る事の出来なかった人達のための、流しのvideoなので、ひと月ぐらいしたら削除します。パソコンが完全に壊れて10日間経つのですが、メンテナンスの期間が既に終了しているので、メーカーに戻して修理させる事が出来ないのですが、後継機種がマイナーチェンジをしているので、買い直しに悩んでしまっていて、決断が出来なくって困っています。それに20万程度の出費になってしまうしね??
6月29日subのパソコンではfreezeしてしまうので ·
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今日は、なんと6月の29日です。
19日の夜に突然壊れてしまったmainのDellのパソコンが全く使えない状態で、もうなんと10日間も経ってしまいました。
私の仕事のほとんどは、40代の未だワープロの頃から、paperlessで、Videoの編集等の作業は当然の事なのですが、作曲や論文の作成等も、常にmainのDellのパソコンを使用して仕事をしていたので、mainのパソコンが壊れてしまって、作曲や論文の手直し等の仕事が全く出来なくなっていました。
昨日は、4月5日の発表会の予定が、コロナ自粛で、4月の29日、更に5月の17日と伸び伸びになって、その後は発表会を中止したのですが、何とか自粛が解除になって、生徒達、保護者の人達にアンケートを採って見た所、発表会の開催を希望する人達が多かったので、コロナ対策を施して昨日の28日に急遽、発表会を開催しました。
solo組だけでの演奏会だったのですが、非公開の発表会だったので、発表会の演奏を通しで流し撮りをして、そのvideoを、夜に千葉から帰って来た先生達から受け取って、思い切ってsubのパソコンで(コロナ自粛のせいで発表会に来れなかった人達のために、発表会の通しのvideoをYou Tubeにupするために)作業を始めたのですが、subのパソコンはsubにしか過ぎないので、兎に角、パソコンの動作の速度が遅いので、パソコンのCyberlinkでの作業は諦めて、You Tubeにdirectにupした後で、流し撮りの不要な余分な部分(video-cameraを会場に据え置きにしたので)を削除をしようと思ったら、まあまあ、時間の掛かる事、それに、一つの動画としてuploadしたはずなのに、You Tube上では、ブツ切れの状態でuploadされてしまいました。
パソコンでCyberlinkかFreemakeで、バラバラに録画されている動画を結合をさせて、ついでに余分な動画の部分をcutしてYou Tubeにuploadすれば時間的には結構短縮出来て良いのですが、パソコンに取り込もうとしたら、「memoryが足りない」・・とmessageが出てパソコンがfreezeしてしまいました。一度外付けのharddiskに保存して・・とも思ったのですが、結果は同じでした。
videoのrecorderのPanasonicのvideo-RecordであるDigaに一度、取り込んで、そこでVideoとして、uploadすれば良いのだけど、Digaからは、一応はnetの接続も出来るのだけど、Digaのrecorderからの直接のuploadは出来ないようです。
危ない!危ない!!
subのパソコンも壊れてしまっては、『動画の編集は勿論の事、作曲やFacebookやline繋がり等の連絡網も含めて、何一つ出来なくなってしまう』・・ということで、急遽、思い切って、今日(29日の月曜日に)今まで使用していたDellのパソコンと同じ機種の後継機種をDellに注文してしまいました。
壊れてしまった元の自宅のmainのパソコンの修理は、makerであるDellには「partsがもう手に入らないから修理が出来ない」と、拒否られてしまったので(maker修理の保証期間はとっくに終わっているからだそうです。)
makerからは「修理は民間の業者に相談してくれ!」と言われてしまいました。
仮に、修理を引き受けても、古いwindows7からupgradeした機種だったので、windows10との相性が良くなくて、cleaninstallをしても、回復partitionを削除したとしても、うまく動作するか分からない・・との事でした。
私自身も、このパソコンの故障の箇所や修理の方法はだいたいの事は分かるのですが、「今から修理をしたとしても、状態が改善出来る見込みは薄い!」とのmakerの話しと、また修理したとしても、いつから使えるようになるかは分からない・・という事で、諦める事が肝心なのですが、それは兎も角としても、今まで使用してきたsoft類の大半が使えなくなるのは金額的にも、超痛い!!
soft類を買い直す事は、パソコンを購入するのと同じぐらいの出費を覚悟しなければなりませんからね?
一般の人達の場合には、パソコンを仕事として使う場合でも、ある程度、仕事のgenreによって、使うsoftは決まっているので、色々なsoftを使って仕事をすることは無く、基本的には一種類のsoftだけで、後はせいぜい、Excel やword等のOfficeが一つあれば、なんとかパソコンでの仕事は熟せるようなのですが、私の仕事の内容は多種多様なので、私がパソコンを使う場合には、沢山の種類の違うsoftを使います。
1台のパソコンで色々なsoftを使うのは、極めて珍しい使い方のようで、パソコンにとっては一番負担の多い動画の編集や画像の編集、finale等のnotationと、音声の作業等々、CPUを極端に使用してしまう重たいsoftを多数installするので、それに対応出来るパソコンは、非常に少なく、これまでも他のmakerの高性能の機種のパソコンや、同じDellでも別の汎用typeのパソコンを試してみたのですが、パソコンがうまく動作した事はないのです。
Dellが昔と違って、globalな大企業になってきて、色々と私がDellを愛用していた頃とは体質が変わって来たので、今では別に、Dellに拘っている分けではないので、金額的に安くって、同等のspecを持っていて、supportもしっかりしている別のmakerのパソコンを探そうとも思ったのですが、それでは、仕事にならない時間や労力が積み重なってしまうので、今の状況ではその選択肢はありません。
時間的にとてもとても無理です。
ハイツにはsubのDellのdesktopのパソコンと、DellのnotePCが2台と、Hewlett-Packardのdesktopが1台ありますが、あくまでもsubはsubとして使っているパソコンに過ぎないので、動作が遅くてイライラして仕事にならないからです。
一般的にはmainのパソコンのsubは、Tabletにする場合が多いようなのですが、私の場合には、目が弱いので、持ち運びの利便性よりも、小さい文字を見る事は、目が疲れてcheckが上手く出来ないからで、displayの大きさは必須の条件になります。
上手な仕事の仕方を説明するときには、量販店のお話を引き合いに出します。
仕事の要は、「仕事の先読み」というか、「時短」です。
その「時短」の仕方は、薄利多売の量販店と同じなのです。
発表会等でも、一人の生徒のin、outが15秒程遅れたら、発表会全体では30分の遅れになります。
たった15秒でも、積もり積もると、30分の遅れが出てしまいます。
1日掛りの発表会で、その時間のズレが2,3分以内に抑えられているのは、驚異の出来事なのですが、音楽家でそれを驚く人達はいません。
興味がないのだよね??
漫画家でさえ、締切はとても大切なのですが、音楽家はどうやら、芸術家らしいので、時間は無くても良いらしいのですよ??
「時短」が出来るのは、15秒であったり、30秒であったりします。
しかし、その15秒の時間の短縮が、とても早い仕事を熟せる事になります。
仕事は時間と出来具合の4択で決まります。
出来上がりが丁寧で間違いのない仕事がproの条件になります。締切をちゃんと守って、とても良い仕事を出来る人・・それがproと呼びます。
しかし、良い仕事は出来るのだけど、締切を間に合わせる事の出来ない人達がいます。proの予備軍でproには成れないsemiproの軍団です。
仕事は早いけれど、間違いだらけの人達がいます。仕事が遅くて間違いだらけの人もいます。この2択はproには無理な人達です。
でも、仕事が速い人達は、必ずしも、仕事が速い分けではないのです。
仕事の手順の中で、「時短」が見事なのです。
私はそのお話を料理を引き合いにして、料理の下準備で説明します。
料理を始める前には買い物があります。
冷蔵庫に何が残っているかで、買い物をするけれど、お店に行ってから良い食材があったら、作る物を変えるのも、料理の良い方法です。
仕事をするhow-toとしては、上記のように下準備が大切です。
下準備が出来るようになれば「時短」が出来るようになるのですが、良い仕事をするためには、道具に細心の気を使わなければなりません。
例えば鉛筆一つにしても、ほとんどの、作家の人達や音楽家の人達、illustrator達も、私と同じmakerの同じ鉛筆を使用していますが、それが1分1秒の時短や良い仕事を気持ち良くするための秘訣なのですが、そこの所は、一般の人達には、幾ら説明してもなかなか理解しては貰えません。
何が贅沢で、何が本当に必要なのかを理解する事が出来ないのですよね?
楽器を学ぶ場合でも、良い音を出そうとすると、安い量販の楽器では無理です。(勿論、良い楽器を使いこなすには、それ相応の技術が必要なので、私の場合には、親が「もっと良い楽器を購入した方が良いですか?」と聞いて来ても、「もう少しこの楽器で良いですね??」と断ってしまう事があります。
早めに良い楽器を購入して、その楽器に相応しい音を出すように努力する事もとても大切なのだけど、未だその努力が出来ないmotivationの場合には、その楽器は「豚に真珠、馬の耳に・・」という事になってしまいます。
云億円のStradivariの楽器を買ったとしても、弾き方のhow-toが分かっていなければ、Violinの初心者が弾いている量産品の楽器と同じ音になってしまうのですよ。
同じように、電子楽器の場合には、analogの楽器と同じぐらいに高価な電子楽器と、非常に安い電子楽器があって、楽器としての価値は安い楽器の方が優れている場合が、多々あります。
Pianoの代用として電子Pianoを買う場合には、高価な電子楽器に付随しているaccessoryは、Classicの音楽を勉強するには無駄なものだからです。電子PianoはsteinwayやBösendorferのgrandpianoの代用にはなりません。
あくまでも、深夜、音を出せない時の指の練習用にしか過ぎないのだからです。
まあ、楽器屋さんは例え電子Pianoであったとしても、より高価な楽器を勧めるのでしょうが、それならばそのお金で、より良い鉛筆や五線紙を買った方が良い勉強が出来ます。
・・という事で、私の場合には、私の仕事回りの、楽器とパソコンとAV機器だけは、お金には糸目をつけません。
後は勉強のための楽譜や作曲家の手書き譜であるfacsimileの楽譜です。
仕事の道具にはお金を掛けないと、「時短」や良い仕事は出来ません。※)
その代わりに、仕事とは無関係な所は、結構倹約をしています。
日常的に無駄な事は極力省いて、勿論、お金だけではなく、時間等に対しても、しっかりと、配慮が出来ないと、それなりの良い仕事は出来るようにはならない・・と思っています。
※)良い仕事をするためには、良い道具が必要になるという事は、私が未だ若い頃の昔々(留学から帰って来て直ぐの、仕事を始める前)に、長年の留学かぶれ、Europaかぶれの垢を取るために、比叡山の山奥の廃寺に座禅の修行に行った時に、その山寺の和尚さんに、弘法大師の直筆の書を見せて貰いながら、「一般的の風評とは違って、実際の弘法さんほど、筆にこだわった人はいないのですよ!」と道具に対しての考え方を厳しく諌められてしまいました。(勿論、それまでも、慣習的には身の回りには良い道具を持つようにはしてはいたのですが、信念を持つて、ではなかったので、仕事をしないお坊さんに、仕事のコツを習ってしまったのですよ!)
それ以来、教えに従って、仕事に関する事だけには、金や労力や時間を使う事は恥じないで、惜しまないようにする事にしています。
まあそれはそれとしても、それなりにパソコンは高かったので、なんとか安くするために、色々と値引きをさせるために、一苦労も、二苦労もしてしまいました。
探せば、シニア割とか、クーポンとか、今日までの期間割の申し込みとか、色々とあるにはあって、10万近くの値引きが出来たのですが、結構、そのnet上での手続きが難しく時間が掛かってしまって、それにtime割が今日中だったので、何が何でも今日中に注文しなければならなかったので、大急ぎで作業をしたのですが、焦って注文をしたのだけど、それでもまるまる1日掛かったよな??
今まで使用して来たパソコンの後継機種ならば・・・と言っても、upgradeしている分けではなく、逆に、色々とマイナーチェンジが多かったので、結構不本意だったのだけど、それでも今まで使い込んで来た最高機種には変わりはないので別の選択肢がないのだよな??
それに、それなりに結構金額的にも高いのだよ!!
俺としては、音楽教室からは、二年間以上も給料を貰っていない(というか膨大な金額を出費しているのだ)し、私は年金生活者でないので、政府からの年金も貰っていないので、今回の出費は結構痛い!!
超、Shockな出費だよな??
コメント
芦塚 陽二
今日30日も、subのパソコンのCyberlinkにVideoを取り込もうとして見たのですが、やはりFreezeしてしまいました。明日にはパソコンが到着する予定ですが、そのまま使える分けではないので、設定とsoftのinstallの膨大な作業が控えています。ちゃんと使えるようになるまでには、3日は掛かるかな⁉️
7月1日パソコンが6月の19日の夜に突然壊れて ·
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今日は7月の1日の水曜日の朝の8時を過ぎた所です。
今年もコロナで大騒ぎをしている間に、もう下半期に入ってしまいました。
パソコンが6月の19日の夜に突然壊れてしまって、なんの仕事も出来ないままに、パソコンの修理だけで無駄な10日間が過ぎてしまいました。
これ以上の時間の浪費は出来ないので、とうとう修理を諦めて、29日にDellに新しいパソコンのorderを出したので、今日の朝一の9時過ぎには着いたのだけど、パソコンが最新型に変わったので、monitorのテレビと接続するcodeが今までのcodeでは接続出来なくなっていて、新しい接続のcodeをAmazonで注文していたので、今日中に着くハズなのだが、お昼の4時を過ぎても、未だ着かないのですよ?
という事で、パソコンの配線が出来ないので、パソコンは玄関に配達されたそのままの置いたままになっています。
desktopは、超重たいので、箱から出す気力も体力もないし、箱から出して部屋に入れても、codeがなければ、設定の作業は何一つ出来ないのでね。
・・・といっていたのだけど、待っていても、あまりにも荷物が届かないので、諦めて玄関に置きつぱの箱から出して来て部屋に入れる所まではやりました。
仮にcodeが届いたとしてもパソコンとmonitorテレビへの接続は、deskや食卓のtable類を全部移動させないと配線が出来ないので、一人で作業するのは無理なので、今は取り敢えず諦める事にして、明日、改めて先生にお手伝いを頼んで、作業をする事にします。
勿論、先生と一緒に作業する所は、今のパソコンをrackから降ろして、新しいパソコンに入れ替えて、monitor-cableをパソコンとテレビに接続する所までの設置作業だけなのですがね?
まあ、そこまでが体力仕事なのでね?
いずれにしても、パソコンが最新型になったので、接続cableのconnectorがパソコンのdisplayの端子と合わないので、今日着く予定のcableが届くのを待たなければなにも出来ません。
Amazonの配送のcheckを、netの配送履歴で「やっと練馬まで着いた!」、「今は板橋だ!」と、checkをしながら待っていたのですが、8時頃になっても、まだ着かないので、何度もnetで調べているのですが、改めてcheckをしてみると、なんと!「8時過ぎに、ハイツの郵便受けに入れた!」というmessageがnetに入って来ました。
なんだ❓❓「郵便受けが完結ならば、朝の9時にパソコンが到着した時点から、自由に動けたのに??」
「こういう一言のserviceが、今の配送業者は、まだダメなのだよな~ぁ??」serviceをする場所がちょっとズレているのだよなぁ?
パソコンの設定の作業としては、まずWi-Fiの無線LANの接続やprinterのinstallを4台分やって、lineやmailの設定が終わったら、やっとそれから、FinaleやHomepagebillder等のsoft類のinstallをしなければなりません❗
Finaleに至っては、「installの回数を超えているので、install出来ません。」というmessageが出て来るので、Finaleのmakerに電話して、それを解除して貰う所からなのです。
やっぱりパソコンがちゃんと使えるようになるまでには、3、4日は掛かるよな?
7月2日とても良い天気なのに公園には一人っ子一人 ·
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今日は7月の2日の木曜日の朝の10時過ぎです。
お久し振りの雨上がりで、気温はもう30℃越えで、お昼の2時頃には32℃を予定しているそうです。問題の湿度は59%と、60%を切っています。急遽、洗濯機を回す事にしました。
部屋の中を吹き抜ける爽やかな風・・とか悠長な事を言っていたら、12時半になって、風は兎も角として、結構茹だって来て、汗が滲み出て来たので、携帯で練馬区の温度を見て見たら、なんともう32℃を超えていました。(体感温度は34℃だそうです。)
そりゃあ無いよな??
このままでは室内熱中症になってしまうかも・・??
強い風が吹き抜けて、大きな物が何か吹き飛んだようなので、探しに立ち上がったら、なんと目眩がして、フラフラするぞぃ??もう、既に熱中症の初期症状かいな??
諦めて、窓を閉めて、エアコンにするか??
暑くても、風で、結構気持ちが良いのだけどな~ぁ??
勿体ない!!勿体ない!!
とても良い天気なのに公園には一人っ子一人いません。
7月2日パソコンの入れ替え ·
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今日は7月の2日の木曜日でした。
椎名町では、朝の9時から事務所の前の超狭い道路の工事があったらしく、9時に工事の人が「車を退けて!」と言ってきたらしいのだけど、それから9時にハイツの私の所に電話があって、「9時までに車を退かして!」と言われたと言う事なのだけど、それからbikeで椎名町まで行って、車を・・という事はとても無理なのだよ!
まあ、当たり前の事だけどねぇ?
多分、工事の人は椎名町の家に車を運転出来る人がいると思っていたのだよね??
ハイツのパソコンの入、入らなかったり・・と、不安定で困ってしまいました。
それにhard-diskをパソコンに戻した途端にfreezeしてしまったので、数台のhard-diskをパソコンから外して、それで再起動をして、なんとか動かしました。やはり、パソコンが重くなると、この手の機種でも直ぐにfreezeしてしまうようです。
はてさて、とっ外したhard-diskをどうするべ~ぇ??
虞や虞や汝、いかんせん??
それはそうと、ドルプリのお迎えっ歩の時間に間に合うように、finaleをinstallするのは諦めて、椎名町に移動しました。
7月4日新しいパソコンが·
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パソコンの入れ替えの作業が終わって、外見上では、同じ機種の後継機なので、何も変わらないのだが、外付けのharddiskを全部外した状態で立ち上げて見たのだが、な、な、なんと遅い事!
確かに5分ぐらいでは立ち上がるのだけど、前の機種は2分ぐらいで立ち上がるので、立ち上がる速度は以前の機種とは比べ物にならない❗超遅いのだよ⁉️
まあ、それは我慢したとして、外付けのharddiskを、少しずつ戻し始めたのだが、完全に元の状態に戻したら、やはりFreezeしてしまいました。
仕方がないので、最低必要な4台のharddiskを残して、残りの4台のharddiskは取り外したままにしました。
はてさてどうしたもんかねぇ❓
次には、モニターの画面のsizeの調整をしていたら、画面が左側にズレて戻らなくなってしまいました。
修正しようと思っても、画面の設定の所が隠れてしまっているので、設定の修正の作業が上手く出来なくって、「多分ここいらだろう??」という山勘の作業になってしまいました。
元の画面と同じ解像度にしたかったのですが、画面のsizeは上手く出来たのですが、dotが粗くて文字が読み難いので、これからの作業にして、保留にします。
パソコンが普段のように使えるようにする事が最優先だからです。
少々の不具合は目を瞑って、まずは取り敢えず・・です。
勝手に入って来るMicrosoftの大きなsoftが、折角install出来たOfficeのsoftを立ち上がらなくしてしまいました。
何度も再installを繰り返したのですが、installも出来ないし、Officeも立ち上がらないので、思い切ってアンインストールしてしまいました。
それから、Microsoftのsoftとセキュリティのsoftを停止させて、Officeをinstallしました。
なんとか無事にinstall出来たのですが、まあまあ、時間の掛かる事‼️
それでも、前の機種ではちゃんとOutlookで使っていた普段の連絡用のmailaddressであるJcomのmailaddressが全くOutlookには、入らなくなってしまいました。
四苦八苦してJcomからの、元々のmailaddressだけは、Outlookでも、開くようにはしたのだけど、そのaddressは私自身も知らない一度も使った事のないaddressです。
一番大切なsoftは、Finaleなのですが、これは以前から、再installの度々に「installの規定の回数を超えている」というmessageが出て来るので、その都度、makerに電話をして、前のFinaleを削除して貰ってからになってしまいます。
パソコン上で削除しても、installのCDを使って削除しても、countが戻る事はないし、今回は突然の事だったので、なおさらの事です。
Finaleからの連絡待ちです。まあ、数日掛かるという事で、保留が続いています。
すっかり、忘れていたのですが、Homepageの再installの設定の作業があります。YahooがHomepageのserverをやっていた時には、ハイツで設定をしたのですが、今回のXserverは斉藤先生に任せる、椎名町の事務所で、教室のHomepageを作るようにしたので、設定用のdataが椎名町にしか、ないので、写真やPDFfileやFaxまで使ってdataを送って貰ったのですが、文字が小さ過ぎて、dotが潰れてしまって、読めなくって、椎名町に行ってoriginalのcopyを貰うまでは保留になってしまいました。
7月5日お久し振りのオケ練習です。 ·
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今日は7月5日の日曜日で、お久し振りのオケ練習です。
自粛解除になって、当然、学校も再開しているので、3ヶ月間も自粛していた、オケ練習も再開する事にしていたのですが、昨日、突然に小池都知事からの「コロナの感染率の急増で、県外移動の自粛要請が出た」のですが、東京、千葉共に学校は未だに通常であって、休校ではないので、千葉教室でのオケの練習は平常通りに練習をする事になりました。
しかし残念ながら、私は後期高齢者で、しかも糖尿病で、心臓病で、その他諸々の基礎疾患の病を持っているので、感染したら100%のriskがあるので、今日は千葉への移動は控えて、安静にする事にして自宅でテレワークで練習に参加する事にします。
Teleworkについてのお話ですが、あちこちではTeleworkは、未経験の事らしく、右往左往の状態のようですが、教室の場合には、数年前からskypeによるテレビlessonを遠距離や海外に出張した生徒達と通常のlessonとしてやっている事なので、当然の事なのですが、私自身もTeleworkとしてのlessonや、オケ練習も今回が初めてではありません。
これまで数年も前から、onlineのlessonは、通常lessonの一つとして、継続してlessonをしています。
ただ、これまでのテレビでのonline-lessonでは、なんの問題も全くなかったのですが、今回(・・と言うか今年に入ってのonline-lessonで)は、弾いている生徒達のtempoが揺れて、速くなったり遅くなったりしたり、低音の音が聞こえ難くなったりして、「生徒がそう弾いているのか?」「それとも回線の関係でそうなっているのか?」が、全く分からない状態で困ってしまいました。
しかし、この回線の不具合は、今年に入ってからは、斉藤先生や牧野先生がweb-lessonの時にもたまにあるそうで、tempoが揺れたり、音の粒が途切れて聞こえたり、低い音が再生出来なかったりと、色々とおかしくなった事があったので、先生が「生徒自身がそう弾いているのか?」を確認するために、一緒にMetronomを鳴らしながら弾かせたら、やはり、Metronomも一緒にふらついていたり、抜けたりしていたそうですよ。
これもコロナの性かな??
若い人達に評判のZoomも取り入れて試して見たのですが、低い音が再生されなくって、音楽のlesson用には無理でした。
やはり、skypeが一番音声も映像も良いようですが、それも今の時期は問題です。
後はnotePCに付属しているincamは画素数やmicが超ヘボいので、外付けの高性能のweb‐cameraを取り付けると音も映像も改善されます。後は、回線が光fiberならば、良いのですが、日本はnetは世界的にも極端に遅れているからね??
コロナで一般の人達がTeleworkをするようになったので、skype側で回線がoverflowしないように回線の速度の設定を低く抑えて対応しているのだそうです。
昔々、まだ回線がADSL(電話回線)の頃にも、テレビlessonを試みた事があったのですが、音声の質や画像の不具合で、その当時は全くlessonには、使い物にならなかったのですよ。
それがある時期から、突然回線の具合が良くなったので、それを受けて、テレビlessonを始めたので、もう数年のlesson経験があります。
しかし、コロナが流行り出して、Teleworkが盛んになって、回線の速度を抑えるように宣言されてから、テレビlessonに不具合が頻繁に起こるようになって来ました。
音楽的には、You Tubeのlive配信の方が良かったのかな??(配信先を教室関係者に限定配信にして・・)
でもYouTubeではオケ練習を見る事は出来ても、こちらからの呼び掛けは、出来るのかな?
それと、今まで何事も無く使っていたLogicoolのWebcamなのですが、今年の1月にパソコンをwindows10にupgradeしたのですが、それでも、これまで問題なく使えていたのだけど、6月の19日の夜に突然mainのパソコンが壊れてしまって、修理不能!・・という事になってしまって、同じパソコンの後継機種にしたのですが、そのパソコンでは、web‐cameraに付随している機能的な操作が全く出来なくなってしまいました。
勿論、web-cameraとしては使えるのだけど、画面のZoom-inやZoom-outの操作や画面を右、左へ移動させる操作が全く出来なくなってしまったので、lesson上、色々と問題なので、急遽、隣のsubのパソコンのweb‐cameraと交換をしました。
(web‐cameraの型版は、隣のweb‐cameraの方が新しいので、新しいMicrosoft EdgeにもOne Driveにも対応出来ているはずなので・・ね??)
という事で、またまた(今度は一人で!・・)、机やパソコンのrackを動かして、その平行作業で新パソコンのrecoverydiskを作ったりしました。
web‐cameraを新パソコンに移動させてから、skypeを開いてみたら、新しいWebcameraの方には斉藤先生のskype-addressが入ってなかったので、別のパソコンを開いて見たのですが、またまたMicrosoftが、勝手にupgradeを始めたりし出したので諦めて、またまた元のパソコンに戻したりして、結構時間が掛かってしまっでは、timing的にも、riskyになってしまって、Teleworkが始まるまでの1,2時間に一汗かいてしまいました。(skypeのaddressはweb‐cameraに付随して移動するのかね??初めて知ったぞ??そんな事はあるのかな??)不思議だ??
こう言った大騒ぎも5Gになれば、なんの問題もなくなるのでしょうが、日本はこう言ったnetの環境は、為政者が大企業に阿ねるという政治的な理由で、極端に世界に遅れているのですがね??
3ヶ月振りのオケ練習なのですが、これも不思議な事にsoloの人が真面目に練習している曲は、3ヶ月のblankにも関わらず、オケ全体も、たいして下手にはなっていないのですよ。
勿論、コロナで自宅でのローテーションを崩してしまった生徒も居るのですが、オケ全体が下手になると言う事は、不思議ですよね??理解出来ない事もないけれどね~ぇ??
コロナ休みは音楽を勉強する生徒達にとっては、自宅待機で巣篭もりなので、結構時間的なゆとりを産んで、練習も出来たハズなので、それなりに上手になっているハズなのだけど、自宅でTeleworkをするパパと部屋の取り合いになったり、仕事の邪魔になる・・という事で、rotationを崩してしまった生徒達も結構居るようです。
まあ、外に行けないので、暇を持て余して、コロナ肥りになった生徒もいたりして・・??
コロナ休みを満喫した人達には、今回のオケ練習は結構キツかったのかな??
「最後の練習までに、その曲の何を注意されたのか??」という質問には、結局、誰も、何も答えられなかったよな??
私はちゃんと全部覚えているのにな~ぁ??
コメント
村田 晟
Microsoft Edgeが最初に勝手に出てきますが、使わないことにしてます。慣れてるGoogle Chromeで十分(笑)
· 返信する · 27週間前
芦塚 陽二
You Tubeなどは通常版は使えなくなってしまったので、仕方なくGoogle Chromeで開いているのですが、今回の新型のパソコンではGoogle ChromeでもYou Tubeが開かなくなってしまいました。勿論、通常版は開かなくなっています。という事でMicrosoft EdgeだけがYou Tubeのupload用に使えます。通常でも、Google Chromeでも、install出来ないsoftが出て来て、仕方なくMicrosoft Edgeを使う事になりました。勿論、installの時だけなので、普段は使う事はないのですが、反対にOne DriveとMicrosoft Edgeを終了させないとセキュリティの関係で、install出来ないsoftもあって、困りきっています。
· 返信する · 27週間前 · 編集済み
村田 晟
私のパソコンはW10から8.1へ戻してるんで、Edgeに勝手に変更されないので、今まで使用してるソフトは今のところ使えるからいいんですけど・・・W10の方は今まで使用できてたソフトが使えなくなることが発生してるようですね。
· 返信する · 27週間前
芦塚 陽二
windows7から10へupgradeした仕事用のmainのパソコンは19日に送られて来たupgradeのprogramに寄って再起不能に壊されてしまいました。Dellでも型番が古いのでpartsが無いので修理不能だと断られてしまいました。windows7は1月の時点で、「もうsupportしないので、何が何でも10にupgradeしろ!」と半ば強制的にupgradeさせられて半年の命でした。Microsoftは弁償してくれないのかね??仕事にならないので新しい同機種を購入したのだけど、まあ、遅い事と不安定な事で困ってしまっています。やっぱ、XPと7までがパソコンと呼べる代物だったのかね??後は、マジTabletですよ。とてもパソコンとは呼べない!!
· 返信する · 27週間前
村田 晟
Microsoftはやりたい放題ですからね。Macはどうなんでしょうね。使ったことがないんですけど・・・
· 返信する · 27週間前
芦塚 陽二
楽譜のnotationからパソコンに入ったので、最初はMacからだったのですが、パソコンの動きは直感的で、windowsのような屁理屈的な動きではないので使いやすかったのですが、高いのと、soft類が少なすぎるのと、私が使っていた頃のATOKは、日本語変換が超ヘボくて、文章を入力するのが苦手なので、結局諦めました。Macの人達はMacが手放せないようなので、金銭的に折り合えば私もMacでも良いのかな??とは思うのですが、日本語の入力に関しては、今も互換性のsoftでお茶を濁しているようです。(Macに人達に怒られるかな??)
· 返信する · 27週間前 · 編集済み
村田 晟
Macって割と音楽関係の方が使用してるようだったのでふと思ったんですけど・・・・まあ私の場合は特に特別な使い方はしてませんので、windowsでいいんですけど・・・
兎に角、売らんがための使い勝手の悪い変更等止めてもらいたいですね。
新製品なら旧機器と並行に売り出してもらいたいですし、ソフト改良もNeedsから来たものでなくSseedsから来たものはユーザーに選択できるようにしてもらいたいですね。
· 返信する · 27週間前
芦塚 陽二
本当ですよね~ぇ??私もXPか7の方が未だに使い勝手が良いのですがね??
· 返信する · 27週間前
7月6日持ち帰りのお弁当 ·
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明日は火曜日なので、食事をするために、椎名町にbikで行く事はありません。
いつも火曜日は、(斉藤先生は花園泊まりで、)牧野先生も帰りが遅くドルプリっ歩だけのために戻って来るので、時間的にドルプリっ歩の散歩に行くだけが限度なので、食事の準備まではとても無理だからです。
そういう事なので、次に椎名町に食事に行くのは水曜日の夜になるので、お弁当の持ち帰りは、まるまる二日分になります。
朝昼晩の6食分です。
お弁当の専用のcarry-bagが2個と、レジ袋で飲み物や雑多な買い物もあって、重量的にも、とても重たいし、かさ張るので、bikeに積める量は限られているので、普段の荷物の移動でもとても大変になります。
このところは雨が延々と続いているし、今日も雨の状態は激しく降っていて、風も酷いので、rain-coatの中に免許証や小銭入れを入れたshoulder-bagを内側に下げて、その上にraincoatを着て、その上に更にRucksackを背負って、Bikeで移動する事にしました。
体中に色々なものをぶら下げて、その上にrain-coatを着て、更にruckという、とても身動きの取れない窮屈な格好でのbikeの運転での帰宅です。
写真の1枚目のお気に入りのpinkのrucksackなのですが、八千代でのコンサートに行った時に、毎回買って帰って来たruckです。
Rucksackの他には、お弁当の入ったcarrybackと、免許証と財布入れと携帯電話の入ったshoulderです。
首に掛けるtouchpenは表玄関入口の暗証番号をtouchするのに使います。
勿論、コロナ対策用です。
いや~あ、雨が酷いとbikeはなにかと大変だよな??
7月8日Teleworkのオケ練習 ·
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7月の5日の日曜日は、4月5日の発表会以前のオケ練習からのコロナ自粛以来の3ヶ月ぶりのオケ練習になりました。
みんなに会えるのを楽しみにしていたのですが、前日に小池都知事が県外の外出を自粛するように要請されたのですが、教室としては東京や千葉の小学校、中学校とシンクロするので、オケ練習自体はやる事になります。
但し、私は、(前にも書いているように・・)後期高齢者で、基礎疾患に全部当て嵌るので、車での移動はやめて、Teleworkでオケの指導をする事にしました。
県外の外出禁止は、突然の前日に言われた話しなので、Teleworkのための準備が全く出来ていないままに強行する事になったので、notePCだけを持って行く事になりました。
そのために、cameraのangleも最悪なのだけど、生徒、先生達に私の声が全く聞こえないのだけど、speakerに配線codeが繋がらない・・ので、何を言っているのか殆ど理解不能な状態でした。
netでは音声が揺れて、rhythmが滅茶苦茶で、演奏が上手く聴き取れないのだけど、推測と憶測でlectureをしました。
取り敢えず今日1日掛かって、VivaldiのD Durとg mollの2曲のvideoを作って、注意点と留意点を列挙してYou Tubeで見れるようにしておきました。
Vivaldi Violin concerto D1,g3 芦塚音楽研究所千葉音楽教室20年7月5日のオケ練習Telework1回目 - YouTube
オケ室内楽楽の部の発表会は7月の19日なので、今回のTelework-lessonの後は、後1回しか練習をする事が出来ません。都合、2回しかオケ練習を取れないので、まあ、納得の行く演奏が出来るか否かは、定かではありません。
次回のオケ練習が発表会までの最後のオケ練習なのですが、次回の練習でも、私はTelework参加にして、今日の課題をちゃんと復習する事に専念した方が、練習の効率が良いと思いますがね??
まあ、それはコロナの状態と、先生達の意見で、私が決める分けではないので・・ね??
20年7月5日コロナ自粛での3ヶ月振りのオケ練習1回目のTeleworkの風景です。
後、2,3回は??と思ったのだけど、次の12日の2回目の練習で、練習は終わりだそうです。練習2回の本番なんて・・、そりゃあ、ないよな~ぁ??
7月10日subの待ち受け決めがmainのパソコンの ·
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な、な、な、なんと!今度は、subのパソコンの待ち受け画面がmainのパソコンの待ち受け画面になっているぞ??
MicrosoftのEdgeはどこまで同期するのだよ??
写真は昔、お袋の介護に車で長崎に行った時の帰りに、気分転換に雲仙経由で東京まで帰った時の道中の写真です。
有明海を通して遠くに影のように見えるのが長崎半島です。
2枚目は高速のパーキングから見た大村湾、白く線のように見えるのは陽の陰です。
3枚目は秩父のお寺の屋根を逆光で撮影した写真です。
4枚目はハイツの裏の巨大なイチョウの木からの落ち葉の絨毯です。
7月11日パソコンのupdateで動画が壊れて·
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写真は、椎名町の玄関のゴーヤです。
今日は大きなキュウリも収穫出来ました。
この所、延々と一週間も雨が続いて、体調不良も続いていたので、「いよいよ、俺もやばいのかな?」と思っていたら、周りの人達も湿度が高くて疲れて仕方がないと話をしているのを聞いて、この異常な疲労感が、私だけではなかったので、少しは安心しました。
勿論、私は、年も年だし、持病もあるので、疲れの表れ方は若い人達とは、随分違っていて、息も絶え絶えな感じですがね?
・・というか、昨年と比較して見ても、もう比べ物にならないほど、肉体的には弱ってしまいました。
毎年、この時期は、エアコンが超苦手な私は、所謂コンビニcooler(移動用の除湿機)で凌いでいたのですが、今年は流石にコンビニcoolerでは、湿度気温的にも、とても太刀打ち出来ないような気候なので、諦めて室内の大型のエアコンを使っているので、体調不良というか・・疲れは、それが大きな原因の一つだと思われます。
それにこの所、練馬区では連日32℃越えの日が続いていて、しかも雨が降り続いていては、部屋の換気処ではありません。
今日も、体調不良の中を押して、それなりに頑張って、solo組の発表会の動画を何人分か編集したのですが、パソコンの不具合というか、新しくなったwindows10で、半ば強制的に入って来た変なMicrosoft EdgeやonedriveのSecurityの所為で、折角編集し終わって、YouTubeにupするだけになっていた動画が、いつの間にか壊れてしまっていて、壊れた部分だけを編集し直して修正しようと思ったのだけど、大元の発表会のdataが壊れてしまっていて、なんとか既に完成しているdataからdownをして修正しようと思ったのだけど、やればやるほど、逆に悪くなる一方で、結局、諦めて、『最初から作り直した方が早い』・・という事で、昨晩、急遽もう一度最初から編集し直しました。
上手(かみて)の動画がパソコン上で、何時の間にかbugって壊れてしまっていた動画を削除して、ギガ便でdown loadする所から、やり直しをしました。
なんという無駄な作業なのでしょう??
新しいパソコンになってから、新しいsoftを使うたびに、何度もinstallから、やり直しをさせられているし、You TubeはパソコンをgradeupしてからはGoogle Chromeでしか開かないようになってしまったし・・、以前のwindows10よりも、また一段と色々と面倒くさくて、動きがハチャメチャで、使い難くてイライラさせられます。
開発者側は、多分、『Securityの強化だ!』とでも宣ふのでしょうが、動画を編集したり、homepageを作成したり、finaleで楽譜のnotationをする方としては、いちいちSecurityを確認して一つ一つ解除していては仕事になりません。
大体、Desktopの据え置き式のパソコンを仕事用として使っている場合、他人との共有という事は有り得ないので、passwordもpinも設定で入れなくして立ち上がるようにしているのだけど、その作業さえ、弟子達のパソコンを修理する度に面倒くさいのだよ。
7月12日今度は突然、printerが ·
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今度は突然、printerが印刷出来なくなった!!
printerのdriverを最新のに入れ替えたのだけど、全く(printされるのに)文字が印刷出来ない!!
どうなっているのだ?
2Page目だけがちゃんと印刷出来ていて、1Page目や3,4Page目が真っ白になるのも不思議だ??
その後は何度やっても、printerはちゃんと動くのに印刷されない。
・・という事で最新のdriverを2回も再installしたのだが、全く症状は変わらない。
driverの所為ではないのならば、機械的なtroubleなのだよな?
tonerは交換したばかりで新品なので、inkの残量という事は有り得ないし、ink-jetとは違うので、清掃も出来ない。これまではちゃんと印刷出来ていたのに、突然、印刷の途中でprint出来なくなってしまった・・と言う事も不思議だ??
printerのtrouble-shootingを調べても該当する項目がないのだよな??
まあ、取り敢えずはprinterはink-jetが後3台あるので、当面は困らないのだけど、ink-jetはprintのcostが高いのでね??
Canonのlaser printerが、あまり長期的に故障されると困るのだよな??
何度か色々と修理を試みていたら、なんとか突然印刷出来るようになったので、先週のオケ練習で訂正した楽譜を両面印刷をしようとパソコンでprinterの印刷設定をして、printしたら、なんと、パソコン上での印刷設定が反映されないままに、片面印刷されてしまった❗
勿論、printerの方では、普通に印刷設定は出来るのだが、パソコン側からは出来なくなってしまった。
もう、すっかり疲れてしまった。なんだろね??このパソコンは・・・??
7月12日今日は2回目のTeleworkの ·
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今日は2回目のTeleworkのオケ練習です。
・・というか、今回が発表会までの最後の練習になります。
来週の日曜日はオケ室内楽の発表会だから・・です。
前回のTeleworkでは、パソコン内蔵のspeakerで、練習上の注意点をお喋りをしたので、音声や音量的に問題があって、私の言っている注意事項や説明が全く生徒や先生達に聞こえなかった・・という事なので、教室のKeyboard用のspeakerの端子に、パソコンのmini-pinからKeyboard用のspeakerに直接Canon端子で繋がるように、mini-pinのstereoからCanonの2本に分配するcodeを注文しました。
こんな特殊なcodeは、昔は幾ら探しても見つからなかったのですがね??どんどんと、複雑怪奇に改良されて行くようですね??
Telework様様ですよね??
それでも聞こえなかった場合のために、second opinionとしてbluetoothのearphoneで聞く事も出来るようにbluetooth-Micも同時注文しました。
でもspeakerのtrimは結構volumeを上げる事が出来るので、うるさいぐらいまでにはvolumeのcontrolは出来ると思います。
skypeの音の揺れに対しては、net回線の問題なので、それに対する対処は、こちらでは何も出来ないので、音質や音揺れを考慮するのならば、You Tubeのlive配信も考えなければなりません。
それも視野に入れて、考慮中なのです。
live配信は私は一度もやった事が無いので、よく分からないのですが、その場合には「こちらからの声はパソコン側に送る事が出来るのかな??」・・という事が疑問点です。
skypeの映像は兎も角として、音声があまりにも酷く、子供達が弾いているtempoすら理解出来ないので、『live配信のtestをしよう??』と思ったら、生徒達が「絶対に困る!」と反対をしたので、You Tubeのlive配信はやめておきます。
(絶対的に音声は良いにね~ぇ??)アハッ!まあ、世界の人達が練習を見てしまうからね~ぇ?? さもあらん・・か??
skypeで送られて来る映像と音声は、相も変わらず揺れたり、sky所ではなく、宇宙の彼方からのような音声になったりと、lectureをするのに、上手く弾けているのか判読不明の状態なので、先生達が椎名町に戻って来てから、SDcardからパソコンに取り込んで、まともな音声を聴いて、自分がTeleworkで注意した内容が合っているのかの確認をしなければなりません。
ところが、これまではパソコンにはどんなdataも、いとも簡単に問題なく取り込む事が出来たのですが、新パソコンになったら、SDcardが取り込めなくなってしまいました。
card-readerは最新式のを買っているハズなので、card-readerの所為ではないと思うのですが・・??
これまでは、パソコンでSDcardを取り込めても、PanasonicのDigaでは取り込めない場合が多かったのですが、試しにDigaで取り込んでみたら、普通に取り込めて、back・up用にBlu-rayに焼く事が出来ました。
という事は、『SDcardの所為ではない』・・という事なので、『新しいパソコンには、新しく買ったcardreaderは整合性が悪い』という事なのですよね??
また、新しいcardreaderを買わなければならないのかいな??
何度かtestをしていたら、なんとパソコン本体の内蔵のcardreaderが活き返りました。今までSDcardを差し込んでも何の反応もしなかったのが、ちゃんと読み取れるようになっていました。
不思議だよな~ぁ??
ほとほと、このパソコンとは、相性が全くなっていない・・、というか、多分Microsoft Edgeやonedrive等々が悪さしているのだと思うのだけど・・??
という事で12日の夜は、パソコンにSDcardを取り込む所までと、DigaでBlu-rayの50Gにback・up用に焼く所までで、体調的にもdownしてしまって、VideoをcheckしてTeleworkのlesson内容のcheckをする所までは行きませんでした。
超バテて寝てしまったので・・・
写真はTeleworkをしている時の、ハイツ(自宅)のパソコンの画面です。
お喋りをしている時に、自分の表情が画面に収まるようにcheckするために、結構monitorの画面を大きめにしています。
このweb‐cameraは高性能のstereo音声のweb‐cameraなのですが、web用なので、Zoomは出来るのですが、広角はこれで目一杯なので、教室のvideo-cameraのようにwide-conversion-lensを取り付ける事は出来ません。
生徒達の半分の人達の表情しか見る事が出来ないので、両端にいる生徒達のbowingなどのcheckは出来ません。
オケ練習用専用に、テレビ会議用のweb‐cameraでも買うかな??
7月13日SDcardがパソコンに取り込めない ·
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今日は13日の月曜日です。
昨日の夜から、今日のお昼まで掛かって、延々と馬鹿パソコンと格闘しながら※)、の練習風景の動画をuploadしました。
※)今度は、今日のオケ練習の時のSDcardをパソコンに取り込む時に、cardreaderが読み込めない・・というtroubleだったのですが・・、SDcardが壊れているのか?それともcardreaderが壊れているのかが分からないので、そのcheckに時間が掛かってしまいました。
PanasonicのDigaではSDcardが問題なく取り込めたので、SDカードには問題はないという事で、パソコンに取り込むために、色々と工夫をして、なんとか取り込んで編集する事が出来ました。
結局、それで昨晩、遅くのcinderella-timeに椎名町の事務所から帰ってから今日のお昼過ぎ迄の半日作業だったのですよ!
Telework用のLogicoolのweb‐cameraは視野角が狭いので、ほんの少しのangleしか写りません。
だから、全体が見える事は無いので、Teleworkのための会議用のweb‐cameraで視野角が180°ぐらいのcameraを探して見たのですが、2013年に1台だけ発売されたらしいのですが、それはもう発売されていないようで、評価も惨憺たるものでした。現行では150°が今探している中では最大なのですが、今、使用しているvideo-cameraにwide-conversion-lensを取り付けて撮影しているangleが多分150°ぐらいなのでしょうかね??
(被写角180°と言えば、今使用している携帯のcameraのwide画面が180°で、携帯を持っている私の指の影までも写ってしまいます。超凄いですよね??)
オケ練習では、全体が見える事は絶対条件なので、web‐cameraにwide-conversion-lensが取り付けられれば良いのでしょうが、それにしてはcameraが小さ過ぎるので、諦めて被写体角度150°のweb‐cameraを購入しました。会議用なので、売れていて、手に入るのは8日か9日だそうです。ほぼ、ひと月近く待たされてしまいますよね??
ビック・カメラにでも、買いに行ければ良いのですが、そうも行かないのでね??
池袋に行くのならば、西武で松浦漬けも買いたいのだけどね?
あればマルボーロも・・
20年7月19日の芦塚音楽教室の発表会への1週間前の練習風景Weber Andante e Rondo ungarese viola-concert瑞希(中2) - YouTube
7月14日「深夜の3時33分33秒を堪能してしまった!」 ·
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今は14日の深夜3時にまさにならんとする頃である。
(その後、「深夜の3時33分33秒を堪能してしまった!」なんの意味もない無駄な時間なのだが、その時間を把握出来て、なんとなくhappyな気分だった!)
昨日も、ひがないち日、疲れ切ってウダウダといちにちを過ごしてしまった。
夜のドルの散歩も、雨に濡れるのを嫌がる・・「自分は猫だ」と思い込んでいる猫年産まれ(ニャンニャンdayというのがあるそうですよね??)のドルを強引に散歩に連れ出して雨の中を外に出たところまでは良いのだけど、軒下の濡れていない場所伝いに歩いていて・・あまりにも雨に濡れるのを嫌がって、雨の中を歩こうとしないドルに呆れ果ててしまって、とうとう散歩をするのを諦めて、早々に事務所に帰って来て、そのままハイツに戻りました。
という事で、少し早めの自宅への御帰宅になったので、時間的には仕事をしようとすれば少しは出来たのだが、体調が優れないので、そのまま仕事をする気にもならず、そのまま何もしないで寝たのですが、横になった途端に強烈な鼻詰まりになってしまって、息苦しくて眠れないままに夢を見ていました。
夢とは言えない夢なので、夢の進行が気に入らないと、無意識に気に入った夢になるまで、何度もその夢を書き換えているのだが、それも無意識の行動で、意識的ではないので、面倒くさくて疲れる❗
暫し、入眠を試みていたのだけど、toilet-timeになってbedから起き出してしまった。
toiletから戻ってまた寝たとしても、どうせまた鼻が詰まって眠れなくなってしまうのだから、bedで眠る事を諦めて椅子に座って、なんとか息をしているところなのだょ?
椅子に座っていれば、辛うじて息をする事が出来るからね??
7月14日またまた待ち受け画面が ·
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昨晩というか・・今日というのか??なかなか上手く寝つけなかったので、少し遅めの朝の起床になったのだが、パソコンを開いたら、またまた待ち受け画面が、mainのパソコンの画面と同じ写真になってしまっていた。
パソコンや携帯が同期をする・・という事は、そういう待受画面が同期する・・という意味ではないと思うのだがね?😩
勝手に待ち受け画面が変わるのは、私が寝ている間に、知らない人がパソコンを勝手に弄っているようで、なんか気色が悪いのよね~ぇ?
だって独居老人だよ?
机の上の置き物が少し位置が変わっていたりして・・・。
それではホラーだよな?
それはそうと、WeberのViolaのconcertoなのですが、memberが少ないので、『音痩せ』が起きてしまっていたので、痩せている場所については、partを更に少し書き足して起きました。オケのそれぞれのpartの人数が少ないので、演奏するpartを減らすと、どうしても『音痩せ』が起きてしまいます。
もう、本番迄には練習は全く無いので、今改訂をしてしまうと、本番の舞台での「ぶっつけ」になってしまいますが、まあ、皆さん、いつもの事なので、驚きもしないと思いますがね?
昔々、Proの演奏家の人と共演をした時に、本番で演奏の訂正をお願いしたら、烈火の如くに怒られた事があります。
「これまでに、そのように練習して来たのに、今更変更するとは何事だ!!」という事です。
私は、proは「いつでも如何なる対応も出来るのがprofessionalだ!」と思っていたので、日本人のproにとっては、「楽譜は絶対であり、不変的なものである」という意識は全く理解出来なかったからです。
私にとってのproは、clientの注文は『ダメ出し』が普通であって、変更の無いorderは無いと思っていたのでね??
その事が、私のトラウマになって、それ以来、私の生徒達には、「本番当日の改訂はProとして当然」と指導する事にしています。子供達の発表会の舞台袖ででも、よく変更を指示したりしているのでね??
私自身の場合でも、作品を公開発表した以降も、延々と改訂を続けているのですからね?
proにとっては、最終稿というものは存在し無いのですよ!
勿論、自分の作品に対してだけではなく、よく知られた歴史的な名曲を指揮する場合、interpretationをする場合にでも同じです。
教室でも常設曲となると、色々な生徒達が同じ曲を演奏する事は当然なのですが、同じ生徒が同じ曲を、それぞれの年齢で演奏する事もよくあります。
同じ曲に対して、何度も挑戦するのですが、その場合には、生徒の年齢に合わせて、必ずinterpretationを変える事にしています。
同じ解釈だと練習していても飽きるからね?
それに、年齢で理解出来る内容も全く変わって行くのでね??
今回の演奏予定だった「Vivaldiの夏」も、全く新しいinterpretation・・というか、今まで誰も試みていない、新しい解釈で、演奏をする予定だったのですがね?
You Tube等で確認をして、誰もそういった解釈をしていない・・という事を確認した上での、新versionのVivaldiをお聞かせ出来ないのは私としては、残念で心残りなのですがね??
7月14日待ち受け画面を ·
Münchenから帰国したばかりの頃の写真です。
まだ、20代後半の頃のhotelのカウンターに座っている時の写真です。
今は火曜日の夜で、引篭りの日なのですが、なにかしらお久し振りで欝が再発しそうな雰囲気で怖いので、気分転換にほんの少しだけ部屋の整理をしました。
そのついでにFacebookのcover写真もrenewalしました。
後、気分転換として出来る事は、You Tubeで私のarrangeした鬱々の曲を聴きながらの『ボッチ飲み』ぐらいかな??
あっ!? 12時を回った!!
では昨晩、椎名町から持ち帰った生うにをつまみに『ボッチ飲み』を始めるか??
お~う、それなりに贅沢!!
それはそうと、(臭い取り用に冷蔵庫に入れている)備長炭の湿気を取るのに、電子レンジでチンしたら、目には見えない程の火がついてしまったので、レンジから炭を取ろうとして、指先を火傷してしまいました。
火傷って、超痛いのだよな??
慌てて水道で冷やしたのだけど、「時、既に遅し!」だよな??
大きい炭は、火がついていなくて、ちょうど良い具合だったのだけど、一番小さな炭だけが火がついてしまっていたのだよ??
『ボッチ飲み』を始めて見たのだけど、今日は体調不良で、お酒もあまり進まなかったようです。
もうちょっと、体調が良ければ、飲んで酔った勢いで爆睡をする事も出来るのですが、体調不良だと、飲んでいる最中から、だんだんと鬱が酷くなって、お酒を飲んでも、美味しくないのですよ。
体調不良だから鬱になるのか、鬱だから体調不良になるのか?・・まるで「卵が先か、鶏が先か?」の話だよなぁ?
「You Tubeの私の指揮をした鬱々コンサートの曲でも聴こうか?」とも思って、聴き始めたのだけど、曲が重過ぎて心が痛むので、諦めて、テレビの馬鹿馬鹿しい番組を仕方なく流しています。
見ている分けでも、聴いている分けでもないので、ストーリーも何も分からないのだけど、ボッチの部屋に何の音もしないのも、また欝の時には、寂しさが身に滲みるのでネ?
まあ、子守唄代わりのテレビですよ。
コメント
村田 晟
高校時代の面影が十分ありますね🌈
· 返信する · 26週間前
芦塚 陽二
高校生の時から、まだ体重が変わっていませんからね??肥り始めるのは33歳ぐらいからなので、まだ暫らくはこの状態のままです。
· 返信する · 26週間前 · 編集済み
純子斉藤
この頃はイケメン⁉️
· 返信する · 26週間前
村田 晟
私も同じく(笑)・・・私は今も(爆笑)
· 返信する · 26週間前 · 編集済み
芦塚 陽二
この頃までは、まだ作曲家を目指していたので、結構人付き合いも悪くて、ironicalで、目付きも鋭くって、若い人達からは、怖がられていたのだよ。勿論、生徒は誰一人指導していなかったしね??子供は勿論、音大生でも、教えるのは嫌いだったからね??
7月16日web‐cameraが到着した ·
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今は、7月の16日の木曜日の朝の5時半になろうとしている所である。
気温は練馬区では17℃だそうな?
肌寒いぐらいで、凌ぎやすそうなのだが、湿度は実に87%もある。
部屋の窓を開けていると、畳や絨毯が湿気っぽくなってしまう。
エアコンが苦手な私としては、肌寒いくらいでも、外の空気の方が望ましいので、窓を開けっ放しにするのだが、この所の曇天のために布団やシーツが湿気っぽくなってしまってbedに入る時に困ってしまうのだよ。
布団乾燥機で布団を乾燥させるのが簡単なのだろうが、私の場合には除湿機で部屋全体を乾燥させる方が好きだ。
昨日は、8月の8日か9日頃に到着する予定だった「会議用のWeb-camera」が、3週間以上も早く、突然、なんの連絡も無しに椎名町に着いた!
web‐cameraは総てのパソコンに外付けで付けてあるハズなのに、なんで新たに注文を出したのか??というと、通常のweb‐cameraやvideo-cameraは被写角が90°ぐらいしかないので、オケ練習の時に、通常のcameraのままで、練習をしている風景を撮影すると、生徒達の1/3しか画面には入らないのだよ。
だから、教室でvideo-cameraで練習風景を撮影する時には、wide-conversion-lensを取り付けている。
私個人的には一応、魚眼lensも持っているのだけど、魚眼はとても一般的な撮影には使えない。
(魚眼lensとは言っても、一般のvideo-camera用なので、お天気で使うような360°の全天候型の魚眼ではない。多分、180°ぐらいの魚眼なのだろうか??
という事で、wide-conversion-lensを取り付けたとしても、多分150°ぐらいの被写角にしかならないのだろうかね??
それを確かめるために、分度器をprint outしてみた。
180°は有り得ないので、150°角を切り取って、中心線から75°づつの被写角を作ってみた。)
web‐cameraの方はlensが極めて小さいので、wide-conversionのlensを取り付ける事は出来ない。
だから、最初からの広角か、wideの画面が出来るweb‐cameraを探したのだけど、被写角が180°のweb‐cameraは2013年頃に一度発売されたらしいのだけど、評判は極めて悪くて、その後は、製造されていないらしい。1台だけ売ってはいたのだけど、使った人達の評価は惨憺たるものだったので、買う気にもならなかったし、定価よりも非常に高く売られていたので、教室で使うとしては、対象外だった。
今はコロナの影響で、広角のweb‐cameraの需要は、会議用として売られているので、その種類は結構多いのだけど、それでも、120°ぐらいまでが一般的であって、それ以上の広角となると、やはり数が少ない。
分度器はcameraの被写角を調べるために作った分度器で赤い中心線が75°の線です。
通常のcameraは45°ぐらいなので、とても狭い角度です。
そういった中で、現在のweb‐cameraで一番被写角が広いのは150°のweb‐cameraが数機種見つかったのだけど、評価が書いていないので、選択基準としては、あくまでもdata値ではあるのだけど、その中から音声も映像も良好な機種を選んで注文した。
写真の分度器は180°ではなく、150°にcutしています。
荷物が到着予定日よりも、早く到着する事自体は喜ぶべき事なので、私としても、やぶさかではないのだが、連絡も何も無しでは、荷物を受け取る側としては、ちょっと困るかな?
web‐cameraはオケ教室に据え置きにする予定なのだけど、web‐cameraをsetするために、web‐cameraの取り付けネジadapterを1週間以上も探しているのだよ。
小さなネジadapter1個の話なのだが、Pianoの上に3脚で置くと、Pianoに落っことしてしまうので超怖いので、mic-standに取り付けると安全で目の高さに出来るのだが、web‐camera用の穴はmicの穴とは口径が全く違うのでmic-standのメスからcamera用のオスへの変換adapterが必要で、勿論、教室にもあるハズなのだけど、それがこの1月探しているにも関わらず見つからない。等々、諦めて注文してしまったのだけど、380円ぐらいのポッチなのだよ。AV(audio-visual)は100円のpartsがなくてもset出来ないのだよな??
僅か120㍉×150㍉ぐらいのポッチなのだけどね??
なければないで、困ってしまうのだよ??
今日は珍しく、朝の定時にbedから起き出しす事が(出来るには)出来たのだが、前日に上手く寝付けた分けではないので、寝起き自体は芳しいものではない。
理想的には、入眠はなるべく速やかで良質の睡眠を取りたいものだが、実際この所は、なかなか寝つけないし、鼻詰まり等で眠りが浅く、とても「良い眠りが取れている」とは言い難いのだよ。
でも、鬱でない所は、それなりに助かっている。
・・と言うことで、朝、起き出しても、なかなか体は動かないし、気分的にも眠れた・・と言える程の「心地良い目覚め」とは言えないのだよ。
つまり、「もう少し寝ていても良いのかな??」という程の、すこぶる不本意な目覚めであると言えよう。
それに付け加えて、7月も下旬に入ったと言うのに、17°というこの寒さだ!
しかも、お昼には27℃までに、気温が一気に上昇するらしい。
日中の僅かな5.6時間の間で、10℃も気温が上がるのは、この歳になると流石に辛い。
写真は、毎日毎日の曇天の空の風景なのだが、それでも今日は、まだ雨が降っていないだけでもマシなのかな??
1枚目のハイツの公園からの写真も、携帯の超広角の写真なので、多分150°ぐらいはあると思われます。
7月16日Canonのrazor-printerが、 ·
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4日前から、Canonのrazor-printerが、パソコンが新しくなってからprint-outが出来ない。
何度も最新versionのdriverをdown loadしてinstallしてはいるのだが、なんとかprintは出来るようになる所までは出来たのだけど、どうしてもscanが出来ない!!
・・というか、scannerを操作するmenuとなるprogram自体がどこにも出て来ないので、2度も3度も最新版のdriverをinstallして見たのだけど、全くscannerのmenuが見つからないし、printerの設定(両面copyや、製本印刷等の設定)も出来ない。
ほとほと困り果てて、悩んでいたのだが、ふと思い付いて、printerに元々付いていたDVDからinstallを試みた。
Windows7の時代のDVDなので、windows10に対応出来るかどうかは分からないのだけど、ダメ元でinstallする事にした!!
おう??
なんと、・・ちゃんと総てのprogram(menu)が出てきたぞ!!
scannerやそれ以外の機能も試してみたら、全部ちゃんと出来た!!
なんだ、最新versionのdriverを入れたから出来なかったのか??
そういう事もあるのか?
阿呆らしい!!
7月17日体調不良で曜日の感覚が ·
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今日は7月の17日の金曜日の朝の10時半を過ぎた所です。
この2、3日、体調不良が続いたので、曜日と日にちの感覚を失念してしまい、朝、起きた時には、今日が何日の何曜日かを迷ってしまいました。
明後日はオケ室内楽の発表会なので、事前の準備があれこれあるので、今日の曜日と日にちの失念は非常にまずく、発表会に大きな影響が出てしまいます。
明日の夜は絶対的に超早目に寝ないと、発表会での指揮や、発表会前後の車の運転の体力がなくなってしまいます。
そのためには、今日の夜からのrotationがとても重要です。
「このところ、完全に壊れてしまっている体内時計」を正常に戻さなければなりません。
なぜに「このところ」体内時計が壊れてしまったのか??・・というと、今の時期はコロナで病院の定期検診にもあまり行っていないし、月一のlessonもないので、曜日や時間に束縛される事が全くありません。
毎日の食事とお散歩の時間に椎名町に移動出来れば、それだけが唯一の時間的な拘束なので、体内時計よりも体調を最優先にして、体内時計が狂っても、体の我が儘のままに任せていたからなのです。
それをたった1日で、元に戻さなければなりません。
それは少し無理っぽいぞ!!
困った❗
もっとも、今日は朝早くにtoilet-timeに目が覚めたのですが、今朝も昨日同様に18℃で部屋が超寒かったので、暖房を入れるのも気が引けるので、布団に戻って寝直してしまったのですよ!
それからも、ひがな、うだうだといつものように、寝たり起きたりして、夜を迎えたのですが、夕方からはなんとなんと大雨になってしまいました。
一日の中での唯一のaboutな絶対時間である食事時間に合わせて、大雨の中をBikeを飛ばして椎名町に行って、食事を済ませて、ドル・プリ達と散歩をしよう・・と思ったのだけど、雨があまりにも酷いので、ドルもプリ達のお散歩は「とても無理!」という事でパスになってしまいました。
仕方がないので、散歩の準備を帰り支度に変えて、大雨の中をそのままBikeでハイツに帰って来ました。
お散歩分、少し早目に帰って来たので、11時にはハイツの自宅にin出来ました。
びしょ濡れになったraincoatを玄関で干したり、一通りの椎名町から持って帰って来た荷物類の片付けのroutineを済ませて、そのまま「発表会に持って行く荷物」の中で「ハイツで準備する物」を、check表に従って荷物の確認と準備をしていたら、12時のcinderella-timeを過ぎてしまいました。
体内時計をある程度は元に戻すためには、12時には、直ぐに布団に入って眠らなければならないのですが、摂眠障害で眠れるかどうかは分からないので、まあ、取り敢えずは、眠れるか否かをcheckをするために、布団に入って見る事にしました。
眠れなければ、その時に起き出して、酒盛りでもすれば良い・・と思って布団に入りました。
・・という事で、結果は案の定、「酒盛り」になってしまいました。
部屋の明かりをつけてしまっては、眠気を誘う事もないので、lampを出して、シンクの明かりとtableの上だけのlampの灯りだけで、日本酒を飲みました。
ランプの灯りは暖かい!
という事で7月はもう18日の深夜になってしまいました。今日は一日、一体何をして来たのだろう??
小さな魚が目の前にある何かをついばんでいるように、なにをするともなく、無駄に一日を使ってしまったのかな??
なにをしたのか、あまりにも細かい雑用で、記憶に無いのですよね??(勿論、認知症ではないのだから、ちゃんと思い出そうとすれば思い出せるのですがね??それは面倒くさいのでね)
それはそうと、18日という事は、7月の下旬で、もう既に『夏』であるハズなのに、今夜も超寒いのですよ!
寒さに震えながらの『ボッチ飲み』なのです。
でも深夜なので、dietのために、ちゃんとしたおつまみは一応控えて、乾き物のおつまみにしているのですが、その「乾き物」が全くないのだよ!
糖質制限の「イカさき」とか「銀杏」や「エイヒレ」も全部終わってしまった。
そう言えば、今日は椎名町で、「イワシのなめろう」を作らされたのだよな?
今日の「なめろう」は合わせ味噌までは同じなのですが、生魚の臭みを取るための生姜を思いつきで、生姜ではなく、粒山椒を磨った粉を入れて風味を変えたので、同じ「なめろう」でも、ちょっと乙な味のおつまみになっているのだよなぁ?
勿論、山椒の香りがしないギリギリの範囲で入れているので、多分みんなは、なにを入れたのかは分からないと思いますが・・
もう、既に3時半になります。
日本酒をいくら飲んでも眠れそうにないので、お酒が深酒になるのをやめて、ベランダで雨の降る音をなんにもしないで、ただ淡々と聴いているのだが、まあまあ、なんと寒い事よ!
雨のそぼ降る音に包まれて鬱と不眠症に浸っていると、雨音がやがて音楽のように聴こえて来るのだよ。
欝を堪能して、「なんとも素晴らしい!」情景に思えるのだけど、下着のままではインスタの絵にはならないよな??
折角、自撮り用にスマホ用のリモコン・シャッターを買ったのだけど、そのために衣装を着てまでのインスタ用の撮影には興味は無いしね??
Facebookでは動画もuploadしているのですが、homepageには貼り付ける事が出来ません。
他のsiteに貼り付けてlinkを張らないと行けないようなのですが、You Tubeにはこれ以上、無駄な動画をupしたく無いのでね??
7月18日明日はオケ室内楽の部の発表会です。 ·
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今日は7月18日の土曜日の午後5時半です。
今にも雨が降りだしそうな曇天なのですが、前の公園では今朝からの雨が上がった途端に、子供達が元気に遊んでいます。
曇天決行!で今遊ばないと、またまた雨で遊べなくなってしまう・・という事なのかな?
勿論、明日はオケ室内楽の部の発表会なので、朝は早くから起き出して、千葉に移動しなければなりません。
お久し振りの車の運転です。
ハイツでの準備を終えて椎名町に食事に行って当然ドルプリっ歩も済ませて、ハイツに戻って、日本酒を飲んで眠ろうと思ったのだけど、全く眠れなくなってしまいました。
仕方がないので、起き出して椅子に座ってパソコンを弄っています。
椅子に座ると直ぐに眠くなるので、この際、椅子で寝ても仕方がない・・という事です。アハッ!
7月19日コロナで延期になっていた発表会の·
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今日7月の19日はコロナで中止になっていた千葉教室の4月5日の春の発表会の室内楽とオケの部を開催しました!
搬入搬出の準備をする人が少ないので、急遽大学生を呼んで搬入搬出を手伝って貰ったのですが、それにしても人数が少ないので、今回は、baroque・orchestraの通奏低音用のCembaloや、古典派のorchestraの管楽器の代わりのKeyboardは持って行かない事にしたのですが、それでも大道具としてはKontrabass3台やCello2台等々を車で運ばなければなりません。
必要最低限としても、結構な荷物です。
大学生達は搬入搬出の作業のお手伝いの後も、舞台のsetting等も手伝ってくれました。
いつも、感謝です。
ああ、そうだ、今日一日中お手伝いをしてくれた春暉君は今年は芸大を卒業して社会人になって、友人達と音楽のpromotionの会社を起業(!)をしたそうです。
素晴らしい。
コンサートのproduceや録音等、仕事の内容はこれから受注しながら、良い職種を決めて行くそうです。
演奏会の企画運営やコンサートまでの手順等々の、コンサートに至るまでの仕事は、音楽大学では習わないし、音大を卒業したとして、proの演奏家としてやって行くためには、絶対に必要な仕事なのだけど、そういった事は、現場でしか学べないからね?
そういったpromotion的な仕事は、教室の生徒達には手慣れた仕事の一つなのだけど、一般の音大生にとっては、超難関な分野で、折角実力を持ちながらでも、そのproduceの能力が無いために、Proを諦める人もいるのでネ?
それはそうと、車の動きとしては、椎名町にある発表会用の荷物を載せてから、車で花園教室に移動して、更に追加で、譜面台等を積み込んで、次に検見川教室に車を移動させてKontrabassやCello等の楽器の積み込みました。
苦力に来てくれた人達の移動は珠実さんが自分の車に乗せてくれました。
ここからが、本当の「それはそうと・・・」なのですが、しかしまあ~、なんとなんと、私が花園教室に行くのは4ヶ月振り!!になります。
勿論、検見川教室に行くのも・・当然、4ヶ月振りになります。
・・という事なので、今日の発表会でのorchestraへの私の指揮は、4ヶ月振り・・というか、ほぼ初めて・・のような感じになってしまいます。
コロナの自粛が解除になってから、実際の発表会直前のオケ練習はTeleworkで2回しましたが、残念ながらTeleworkで指揮をする事は、映像の時間差が非常に大きくって、timelagが思ったよりも激しいので、指揮をしながらのオケ練習は現実的に不可能だったからなのです。
「指揮との合わせが発表会の本番だけで、いきなり・・」という事は、veteran組にとっては、あまり大した問題はないのかも知れませんが、オケに参加をしている回数が少ない、所謂、初めて組(初歩組)にとっては、指揮に合わせて演奏すると言うことはとても難しい課題になってしまいます。
soloの演奏では、チョッとしたtempoの「揺れ」はさして気にならない事かも知れませんが、orchestraや室内楽のような集団で演奏をする場合には、そのチョッとした「揺れ」でorchestra全体が入ってこれない・・という風なcatastropheを産み出してしまう事もあります。
そういった「安定性」の勉強のためには、オケ練習やsoloの練習の時でも、自分の曲の練習のpointの抜き出し練習が、とても大切なのですが、そう言った「抜き出しの練習」をする事が出来ない生徒の場合には、オケの練習の場ではなく※)、先生や先輩達に付き合って貰った個人練習の回数が必要になります。
※)オケ練習は集団lessonになりますので、個人の練習のpointだけをcheckする事は出来ません。教室設立の当時は室内楽が中心で、orchestraは基本soloの無い曲が中心で、オケsoloをする生徒は、特別な選ばれた生徒だけが弾いていたので、こんにちのような「全員がオケ・ソロをする」・・という事は考えてもいなかったのですよ。
orchestraや室内楽は、私の教育原理では集団教育としての場所を提供するという意味であって、子供達のprideを変に育てる・・という事はおくびにも思ってはいませんでした。
今回のコロナのような特別な状況下では、生徒達は、練習を見て貰える回数が少なくなってしまうので、舞台でのpressureで、本番中にミスってしまう事もありますが、それは練習回数の問題なので、仕方のない事としても、指揮との合わせに関しては、別問題だと思っています。
ましてやauftaktの入りを指揮に合わせる事が出来ない・・という今回のcaseに至っては、積み上げて来た技術に対しての自信の無さの現れとしか言い様がありません。
auftaktの入りの技術は、今回の発表会に限らず、日頃の対外出演で・・でも、積み上げて来て、耳タコになっていたはずなの単純な技術に過ぎないのですがね?
指揮との合せのtechnikの問題なので、別になにを取り上げても良いのですが、折角auftaktの問題が出たので、auftaktの入りに付いて説明をすると、auftaktの指揮には、基本的に二つのeinsatz(指示)があります。
勿論、その指揮振りの1つは、auftaktのTaktの直前の拍を事前に振って入って来る事です。
auftaktが、8分音符で入って来るのならば、その前の4分音符2つぐらいを振ります。
まあ、所謂、初心者向けの指揮です。
私も、そのような、所謂、無駄振りの指揮は、指揮合せ初心者が大勢いる全体合奏の時を除いては、あまりそういった指揮をして振る事はありません。
逆に、auftaktの拍を飛ばして、その次の頭の1拍目が落ちる瞬間にauftaktを全員が弾き始める・・という指揮は良くするのですが、この場合にはauftaktが鋭いauftaktでなければならないので、今回のC.P.E.Bachの曲のように、『次に長い音符が来る時には、書かれた音符の単位が16分音符であったとしても8分音符のように長めに弾いて、次の音符がskipであれば、8分音符で書かれていたとしても、16分音符のように鋭く弾く』というperiodの原理で演奏する場合には、最初の音符は長く弾かなければならないので、auftaktの裏で弾き始める指揮の方が一般的だと思うのですが、auftakt(upのmotion)を2回einsatzしても入って来れなかったという事は、やはりオケは日頃の積み上げが大切なのですよね?
私は積み上げだと思うのですがね??
本番だけでは、「恐い!!」という事なのかね??
それじゃあ、営業活動は出来ないぞぃ?!
発表会が終わって、大急ぎで各教室での荷卸しを終えて、休憩を入れないで、東京に戻って来たのですが、超お腹が空いたので、椎名町で食べて帰ろうと、思ったのだけど、それ以上に疲れて、食べながら寝始めたので、取るものも取り敢えず、ハイツに超、大急ぎで戻りました!
ハイツに戻ったら、寝ている間に片付けられる仕事として、SDカードをVideoのdeckやパソコンに保存するまでの作業をしたのだけど、SDcardがvideoのdeckに中々認知されない、「不良cardである」というmessageに悩みながら、何度も差込直して、まあ、なんとか、パソコンとVideoのdeckに録画をしながら眠りました!
朝、toilette-timeに目が覚めたと同時にYou Tubeにmainのcameraの分だけをuploadしたのだけど、まあ、それも半日掛かってお昼頃までにはuploadが終わったようです。日本でも5Gが使えるようになったら、もう少しは時短も出来るとは思うのだけどね??
前日の夜も全く眠れなかったので、流石に昨晩は入眠障害はありませんでした。
今日(というか発表会の当日の日曜日)は、1日中、超暑くて東京でも熱中症の患者が10人程も出て、救急搬送されたそうですが、マジ控室でも冷房が効かなくって暑かったので、汗を結構かいたよな~ぁ?
以上、発表会前後の悲喜交々でした。
Carl Maria von Weber Andante e Rondo ungarese für viola-solo千野瑞希(中2) - YouTube
2020年7月20日 ·
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今日は発表会明けの月曜日、7月20日の夕方の5時です。
なんと気温は32°もあります。
エアコンは苦手なので、寝室はエアコンを入れないままで寝ていたのですが、流石に今日はエアコンを入れないとヤバいよな??
今日は・・・というか、普段の月曜日でも、(発表会の次の日という分けではなく、普段の)通常のオケ練習の次の日でも、体力が中々戻らなくて、一日、仕事にならなくて、日がな一日ウダウダと、bedとパソコンを往復しているのが常なのだけど、今日もまた、普段と同じように体力が戻らなくって、仕事をしたいのだけど、体力的に出来ない・・という事で、ウダウダとbedとパソコンの前を寝たり起きたり、往き来しています。
それと今日は珍しくbedで横になっている時に、こむら返りが起こってしまって、超痛くて困ってしまいました。
こむら返りの薬を飲むために、bedから起き出して、薬を置いてある場所までに歩いて行くまでの、その痛みに堪えるのが出来ず、それこそ必死でした!
やっと薬を飲んで椅子に座ったまま安静にしていたら、少しこむら返りも楽になって来て、意識もなくなって来て、時間だけが過ぎてしまいました。
つまり、多分、椅子に座ったままで寝込んでしまったという事でしょうかね??
という事で時間が経過して、今は夕方という事もあって、だいぶ薄暗くなって来て、雲も厚くなって来て、今にも雨が降りそうなのですがね~ぇ??
それから更に時間が飛んで、夕方から夜になって、食事の時間になって椎名町に移動して、ドルプリっ歩に出発したのだけど、プリの具合が昨日から良くなくって、息が出来なくってガフガフと咳をするので、昨日はプリは病院に行って検査とお薬を貰って来ていました。
最初はプリは散歩をする気満々だったので、元気良く散歩に出るには出たのだけど、途中で直ぐにバテてしまって「もう、帰る!」と言い出して、事務所に向けてきびすを返した途端に、雨が降り出してしまいました。
ドルちゃんは、大慌てで、プリを置いたままで、事務所に走って帰ってしまいました!
濡れるのが大嫌いだからネ??
プリは、咳き込まないように、濡れるに任せて、ゆっくりと歩いて帰っていました。
そこは年齢だよな??
ドルやプリが、足を洗っている間に、いつものお気に入りのpinkのリュックに、明日の火曜日と水曜日の2日分の食料品を詰め込んで、ポンチョを着て帰ろうとしたら、リュックの手持ちの部分が裂けて破れてしまいました。
昔、八千代の演奏会に演奏に行った時に、会場で購入した、お気に入りのpinkのリュックだったけれど、ハイツへの荷物運びは、お弁当の他にもペット・ボトル等の水物が多いので、おしゃれなリュックでは耐荷重的にはチョッと無理なのだよな??
私が買っているリュックは、実用的というよりも、おしゃれなリュックが多いので、耐荷重をよく考えてから使わないと、またまた壊れて破れてしまうよね??
これでリュックが壊れてしまうのは、2個目だよなぁ?
その次のもう1つのpinkのリュックは、先生達もお気に入りで、時々使っているようだから、壊れる前に、先生達専用にしてしまおうかな?
7月21日『3年目の壁』 ·
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一般的なお話なのだが、世の中には『3年目の壁』という言葉がある。
例えば、どのような職種、職業であったとしても、その職種をなりわいとする限り、乗り越えなければならない壁を指す言葉なのだ。
そして、それはなぜ3年なのか?
就職をして、仕事のやり方を先輩の指導の元に学習して、約3年も経つと一通りの仕事のやり方を覚えて、一人で仕事を任されるようになる時期なのだ。
企業に取っても、やっと育成した人材が利益を産むようになるpayが確立する時期である。
音楽大学に限らず、どのような大学を卒業したとしても、大学を卒業したままでは使い物にはならない。
どんなに優秀な学生であったとしても、そのまま社会的に使える事はないからである。
proの球団に入れる学生は、エリート中のエリートである。
しかし、そのéliteであっても、即、proの1軍でplay出来る人材は極めて稀であって、ドラフトで持て囃されて入団したとしても、2軍、3軍で終わる人達が結構多いのは、意外と知られてはいない。
折角、憧れのproに入団しても2軍の給与では生活が出来ないので、必死にarbeitをして凌いでいる人も見受ける事がある。
つまり、幾ら高校野球で有名な逸材であったとしても、proの集団から見れば、amateurに毛の生えた程度でしかないのだよ。
proとしての職業としての教育を施す医学部ですら、学生と現場の医師では、月とスッポン程の落差があるのだ。
その落差を埋めるために、医学部では大学を卒業した学生のために、intern制度があった。
そこで勉強として学んだ医学と、実際に患者を前にしての判断の差異を学ぶ事となる。
今では一応給与保証のある研修医というのだろうが・・??
車の免許でもそうなのだが、免許は「運転をしても良い」・・という許可が出ただけであり、運転技術を保証するものではないのだよ。
あくまでも許可なのだよ。
車の運転には、事故を起こしやすい時期がある。
その時期は、1ヶ月目、1年目、3年目と事故を起こす山がある。
1月目は運転未熟になり、1年目は運転に慣れて来た時期の油断による事故であり、3年目の事故は過信に寄るものなのだ。
教室の保護者の人で、千葉の大きな葬儀場で仕事をしていた人が、有名大学を卒業して、有名一流起業に就職したélite若者の自殺があまりにも多くて、親や周りの人達の嘆きを見ていて、「自分の息子は有名大学に行かなくても元気で生きてさえいてくれれば良いわ?」と切実に私に述懐していた。
一流大学を卒業して、一流会社に就職をしたとしても、社会人としては、まだ赤ん坊に過ぎないのに、自分を過信してしまった自惚れが、現実とのgapを産んだのですよ。
「大学さえ卒業出来れば、社会人としてはもう一人前である。」というのは、未熟な若者達の勘違いに過ぎません。
親も子供も、「一流企業に入社出来れば、将来は保証された!」と思い込むのは、終身雇用制度が一般的であった昭和の古き良き時代の思い出に過ぎません。
もう既に、後期高齢者になった私の世代ですら、もう終身雇用制度は、年金と同様に反古になっているのですからね??
今でも、その終身雇用の都市伝説を信じている人達がいるのは、時代錯誤も甚だしい驚きです。
私が一般の普通高校から、音楽大学に入学をして、まず第一に驚いた事は、『音楽大学の学生達の殆どが女の子である。』という事実です。
私達の高校は、女子学生の総数は、男子生徒の1/5に過ぎなくって、ほぼ男子高と言っても良いぐらいでした。
だから、初めて音楽大学に行った時には、女性の香りでむせてしまいました。
ちなみに、日本の音楽大学を卒業して、留学したMünchenの音楽大学でも、殆どの生徒は男子生徒だけで、女子生徒は非常に数少ない存在でした。
私が大学生であった頃の時代では、ちょうど『女子大生亡国論』・・という言葉が流行した時代で、一般の大学でも、女子大と見間違う程に女子学生の姿が多くなった時代でした。
勿論、大学に女子大生が増えると、大学のlevelが落ちるとか言った一般論は、間違いであって、女性の学業の成績等は大学にとっての問題はないのかも知れませんが、就職を、結婚までの2,3年の腰掛けとして捉えている女子大生が多いのは、やはり、社会問題となっても、やむを得ない事である・・と言わざるを得ません。
女子大生の意識としては、生涯の仕事をするための勉強としての意識が少なく、結婚までの「花嫁学校」的な教養を学ぶ大学である・・という事が、当時の新聞等の論評を賑わしていました。
しかし、その現実は今でも変わってはいないと思っています。
私が音楽大学の学生であった頃は、まだ、携帯はおろか、パソコンやinternetすら無い時代のお話です。
音楽大学でも、音楽を学ぶ女子大生はとても真摯に音楽に取り組んでいて、学習への意欲も非常に高いのですが、その学びは、同じ音大生の男子学生とは『何かが』違うのですよ。
(音楽大学で勉強していた頃からは、随分後の時代のお話になりますが、私が音楽教室を立ち上げて、教室で指導する先生を募集した時に、講師希望の音大の院生の面接をした時に、私は「音楽大学での音楽の勉強は職業を学ぶ事だから・・」と言ったら、その院生に「音楽は職業だと思った事は一度も無いし、先生からそういう風に言われた事はありません。驚きです。」と言われて、超Shockを受けてしまいました。つまり、私が音大生であった頃から半世紀を経たこんにちでも、意識は基本的に何も変わってはいないのですよ。)
音楽を学ぶ女子大生に取っての音楽は、『自己研鑽のための芸術』かも知れませんが、男性である私達に取っては、音楽は『タツキの糧』であって、音楽の勉強は、「手に職を得るための勉強」でなければなりません。
そこが若くて美しい女の子達のお稽古事(所謂、教養)の延長である音楽の勉強と、生活をしなければならない男性達の基本的な意識の違いになるのです。
私が日本の音楽大学に入学して感じた違和感は、所謂、女子音大生達に、『将来の生活という実生活に対しての意識を持つ』事への違和感が、根本的な理由であるという事です。
音楽大学に入学すると、結構、トラの仕事が多く入って来て、1人前の音楽家として社会的に認められたような気に陥ってしまう学生を多く見受けてしまいます。
しかし、それは音大生がトラとして安く安直に使えるからに過ぎません。
音楽大学を卒業してしまうと、一般の音楽家と同じ金額を払わなければならなくなるので、卒業した途端に音楽のArbeitの仕事は無くなってしまいます。
また、有名音楽大学を卒業て、concoursで入賞したり、若くて美しい女の子達はマスコミ等で結構、持て囃されたりします。
しかし、それは30歳迄の若い20代の間だけの話です。
それ以降は、30歳まで留学をしたり、コツコツと地道な勉強を積み重ねて来た無名の努力家で実力派の人達と入れ替わってしまいます。30歳を過ぎるともう若さは必要はないのですよ。
30歳の壁で、音楽界に存在している人の顔ぶれが全く変わってしまうのですよ!
その頃には、マスコミは既に・・別の若い美しい女の子達を探し出して、チヤホヤしているのですよ。
そこでは、「その時間にそこに居れば良い」・・という、コンビニの職と大して変わらないので、その入れ替えは当然の事なのですがね~ぇ??「なぜに仕事が来ないのかしら??」と悩む前に、結婚や子育てに追われて、仕事が無くなった事すら気が付かない人達の方が多いのですよ。
まあ、逆に仕事が来なくなったから、結婚に踏み切った人達も多いのですがね??
その入れ換わりの事を、私は『30の壁』と呼んで若い音楽を目指す人への戒めとしています。
学校の教員や企業では、『寿退社』というのがあるのですが、その殆どの人達は『寿』は建前であって、実際に結婚する人は少ないのだそうです。
私は男性なので、音楽の世界で生きて行けるのか??という、『在りもしない夢』を夢見ていても仕方が無いので、「私が音楽の世界で現実的に生きて行けるのか?」を判断するtimelimitを33歳まで・・として、それまでに音楽の世界で生きて行く事が出来なければ、音楽をやめる・・と音楽大学の入学時に決めて、音楽の勉強を始めました。
・・という事は、逆の言い方をすると、「音楽の勉強を続ける事に対して、どんなに世間(社会)からの軋轢があろうと、それに耐えて、自分の好きに、自由に音楽の勉強に専念をして、33歳迄は自分が出来る限りの努力をする・・、音楽の勉強だけに専念をする・・という事を決めて、その努力の結果、不本意ながら、33歳までに音楽の世界で身を立てる事が出来なければ、その時には潔く音楽をやめて、一般の職に甘んじる・・という誓いを立てて、音楽大学での勉強に専念する事にしました。
但し、大学では一応教職の授業にも顔を出して見たのですが、教育の基本法を読んで、Shockを受けて教育の授業を受けるのはやめてしまいました。音楽の先生になるくらいならば、一般の仕事をした方が楽なのでね??
音楽大学での授業の内容は、音楽の世界で生きて行くためには、あまりにも非現実的なCurriculumだったので、総ての授業を受けるのは免除にして貰って、その代わりに、あらゆる音楽関係の仕事をして音楽界の現場の仕事を覚えました。
また、私が学びたいのだけど、音楽大学にまだない教科については、新たに音楽大学に新たな教科として創設して、そこで勉強をしました。
Cembalo科を作ったり、私設のorchestraを募ってBachやHändel、或いはイギリスの古い作曲家のcantataの連続演奏をしたりしました。
また独自に私の自作の作品発表会も学内演奏会で開催しました。
結果は・・、27歳の時点で国際concoursに一位に入賞出来たし、日本に帰って来てからの音楽の生活も、高額納税者に入るだけの収入を得る事が出来たので、私に取っては、自分で作った33歳の壁は、自分自身には無かったのですがね?
勿論、音楽教室を経営するまでの間の話なのですがね??
まあ、若くて美しい女の子達は結婚するのも早いので、30の壁にブチあたるまでの10年間も、音楽の世界に居る事はありませんからね??
3、4年間のintervalでちょうど良いのですよ。
アハッ!
私も日本に帰国したばかりの頃は、proのオケ(都響や新日philや他のオケの団員)で演奏している若い女の子達数名を集めて、その人達に1年間Quartetの演奏法のtrainingをして、bridalやpartyのproの売りのQuartettを組んで儲けていたのですが、そのgroupが日本の売りカルの全てを席捲していたのですが、その後10年程経って全員が30歳を超えてしまったので、productionの社長から「新しい若い売りのQuartettを育成してくれ!」と頼まれたのですが、そういった売りカルの仕事に辟易していた頃だったので、「花園に教室を作ったばかりで仕事が忙しいから!」と理由で断ってしまって、売りのQuartettの仕事からは、全く手を引いてしまいました。
営業の音楽の仕事は、もうすっかりと嫌になってしまっていたのでね??
教室を作ったばかりの頃は、売りカルではありませんが、教室の先生達で(あくまでも勉強の延長線上のClassic専門としてに限定した上でですが、)企業をbackに外回りの演奏をさせていた事もあります。
proとしての場慣れ、経験のために・・です。
写真はそういったClassicに限った対外の演奏活動をしていた頃の写真です。
baroqueやQuartettの演奏を中心にして、希望があれば演奏をしていました。
しかし、音楽教室の生徒数が増えて、演奏活動を持続して行く事が困難になってしまったので、段々、外での活動は自粛して、先細りになって、その内に立ち消えになってしまいました。
コメント
芦塚 陽二
Facebookに入力をしていたら、突然、日本語変換が出来なくなってしまいました。文章を書き掛けの途中なのですが、致し方はありません!!
色々と日本語のsoftを変えて入力してみたのですが、全く、文字入力が出来なくなったので、諦めて再起動を掛けました。面倒くさい!!
7月22日flower公園でのミカン ·
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今日のプリドルっ歩は雨が降ったりやんだりの間のプリっ歩で、路面は濡れて生温かいサウナ状態の蒸し風呂状態でした。
この梅雨時の季節なので、ミカンも大分大きくなって来たので、かぼすの代わりになるのかな?と思ってモギって見たのですが、まだ全部白い皮だけで、身は全くありませんでした😩
・・っ歩が終わって、Bikeでの帰り道は、雨は殆ど降っていなかったのですが、いつも通りに、長崎郵便局の手前あたりから、雷が光って大粒の雨が降って来ました❗
ハイツに到着するまでには、結構濡れたのだよな?
長崎郵便局の手前というのは、豊島区の範囲内という意味で、その範囲内で雨が抑えられているのは、いつものプリ効果なので、練馬区に入った途端に降り始めるのは、プリ効果の範囲外という事なのですよ?
いつもの事なのだけどネ?
今夜の帰宅は12時をちょっと回った所でしたが、お弁当やその他の荷物を片付けたら、深夜1時を過ぎてしまいました。
窓の外からの音が凄いので、ベランダを開けて見ると、土砂降りの雨が降っていました。
雷も時折落ちて、まるで嵐のようでした❗
今日は発表会の動画の編集以外は、全く何もしなかったにもかかわらず、ナジかは知らねど、超疲れてしまったので、パソコンの電源は、入れないように注意をして、就寝前の一杯のお茶さえも飲まないで布団に入りました。
疲れていたので、結構直ぐに寝入ってしまいましたが、3時を過ぎた辺りで、また目が覚めてしまいました。
toilettimeから直ぐに布団に戻ったのですが、なんとなく寝はぐれてしまいました。
布団の中で悶々としている所ですが、いつの間にか、雨は上がっていました。
7月23日コンビニ除湿機 ·
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昨晩からの大雨が、未だに降ったりやんだりを繰り返していて、外の気温は22°と寒いぐらいなのだけど、室内は27°と蒸し蒸ししていて、肌がベタベタして気持ち悪いのです。
気分が欝で滅入っているのは、仕事が上手く行かないせいか、それともこの季節的な湿度のせいなのか??
湿度が高くなると、どうしても鼻が詰まって来るので、息苦しくなってしまうのよね??
それが慢性的な欝の一番の原因なのだよな~ぁ??
部屋で仕事をしていても、今一・・乗りが悪いのよね??
という事で、今、点鼻薬を鼻に注入した所です。
これで息苦しさは少しは解消されるのかな??
後は風呂にでも入って、体中のベタベタを流します。
まあ、それと、ダメ元でエアコンの除湿を消して、除湿機をつけてみた所ですがね??
エアコンは温度が下がってしまうので、体調不良の原因にもなってしまうからです。
7月23日発表会が終わって4日間も経つのに、 ·
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発表会が終わって4日間も経つのに、まだ一日中寝込んでいて、体調が戻らないのだよな??
どっか、今検査して貰っている所とは別の箇所に原因があるのかな??
前回の6月の28日のsoloの部が終わったけれど、私はコロナ自粛で会場には行かなかったし、Teleworkで練習のcheckをした時にも、千葉に車で移動した分けでもないのに、練習に付き合っただけで、ハイツでテレビのmonitorでcheckをしていただけなのに、その時も4日5日体調が戻らなくなった記憶がある。
同じ事を書いたような記憶があるのだけど、完全に体調不良が慢性化してしまったのかな??
この歳になると、体調の悪いpointが、どこがどのように悪いのか・・悪いとこだらけで、もうどこが悪いのか分からんよな??
今日のコロナは、東京都では366人で、大阪も104人なのだそうな??
pandemicだなや??
7月23日『orchestraのsocial distance』 ·
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いつの事だったのか、定かではありませんが、何気なくテレビのニュースを見ていたら、Koncertの自粛解除になって、Proのorchestraが演奏会が出来るようになったのだけど、social distanceのために演奏家達が各々1.5m離れて座るように言われているのだが、それではrhythmが合わなくなってしまう・・という演奏家からのclaimがあったそうな??
まあ、一般的には、隣の演奏者としっかりと音やrhythmを合わせて演奏するために、orchestraでは、なるべく演奏をする隣同士がくっついて『音ズレ』が起きないように演奏するのが常識である。
以前、神戸から見学に見えられた石川先生から、教室のオケでは生徒達が舞台いっぱいに広がって座っている事に対して「自分達はなるべくくっついて座るように習ったのだけど??」という質問を受けたので、教室が離れて座るconceptをFacebook上で説明をした覚えがある・・のだが、随分昔の話しでいつの事だったか??・・思い出せない。
教室のorchestraが舞台で離れて座るのは、基本的には二つの理由がある・・と説明をした覚えがあるのだが、肝心要の三つ目の理由を書く事を忘れていたような気がするので、追加でここに書いておく事にします。
以前にもFacebookで説明をした事の繰り返しではあるのだけれども・・・
一つ目の理由は、教室のオケは、参加者が非常に少なく、実際のbaroque・orchestraよりも少ない人数で演奏している場合が多いので、『離れて座る事で人数を多く見せている』・という視覚的な、所謂、見栄えの効果です。
二つ目の理由は、baroque時代や古典派の時代の作曲様式に寄る所の、時代背景による理由になります。
但し、今回のテレビのお話のように、舞台上では『音を聴いて合わせると、音が遅れて行く』という致命的な演奏上の問題が起こってしまう・・という事が起こってしまうのですが、それは演奏技術でcoverされなければならない演奏技術的なお話になります。
話は前後してしまいますが、時代考証的にもbaroque時代の楽器の並び方の基本は、その時代の作曲様式の技法に寄るものなのです。
古典派からロマン派の時代以降の音楽は、baroque時代のように、polyphonyの様式ではなく、melodieに対しての伴奏というMonophonyの型で作曲されるようになりました。
当然、melodieに対して、残りのpartが伴奏をするというsimpleな様式になりました。
それに対してbaroque時代の音楽は、baroque時代の基本的な形式である『Trio・Sonata』のように、二つの楽器が交唱をするように作られています。
室内楽ではなく、baroque時代のorchestraの曲の場合でも、基本は1stと2ndがtriosonateのように交唱をする場合が普通なのです。
また、baroque時代では教会が音楽に対しての重要な位置を占めていたのですが、kirchensontaのように、教会等で演奏される場合も、信者が座る中央の席に対して、後ろの2階席にorgelとorchestra-partが配置されて、客席の左側と右側からmelodieのpartが交唱をするように作曲するのが一般的でした。
何故、前面にorchestraが来ないのか??という理由なのですが、前面には神様と神父様がいるので、神様の前を塞いで演奏する事は罰当たりなので、正面にはオケや演奏者が来ないのは当たり前でしょう??
教会なのですからね??
という事なので、baroque時代のオケの並び方は、1stと2ndが左右に開いて並ぶオケ並びが、一般的な並び方だったのです。(これを一般的にはbaroque並びという言い方をします。)
勿論、そういった並び方では相手のpartを耳で聴いて合わせては、段々遅れてしまって演奏出来なくなってしまいます。
目でお互いのmotionを確認したり、耳に頼らないで指揮を見て演奏をしなければなりません。
PachelbelのCanonという曲がありますよね?
Violinが三つのpartに分かれて、melodieを追い駆けっこ(Canon)する曲です。
一般的には、1st、2nd、3rdと順番に並ぶ事が一般的なのですが、教室では各声部の独立性や立体性を出すために、わざと1st、3rd、Cello、2ndと並びます。
追い駆けっこをする隣あった声部間が一番遠くになるように配置をしています。
この並び方をしているorchestraは教室以外では殆どありません。それは、この配置で演奏をすると、耳で聴いて合わせようとすると、一瞬でずれてしまって弾けなくなってしまうからなのです。
このお話は、orchestraの人数が極端に少ないbaroque
や古典派の時代のperiodのorchestraのお話です。
「ここからが、多分書き忘れてしまった、『音痩せ』のお話になるのですが、」
一般的なfull編成のorchestraでは、くっついた状態でも、演奏者が多いので、舞台全体に演奏者が配置されるので、舞台上での『音痩せ』という問題は基本的には起りません。
しかし、baroque編成や古典派の時代のorchestraのように、少人数のorchestraを室内楽のように中央に集めて演奏した場合には充分なHall効果が得られないために、『音痩せ』が起きる事があります。
教室の場合でも室内楽の場合には、同じ人数であったとしても、舞台中央に集めて演奏させます。
そうした方が和音感をより、出す事が出来ます。
しかし、音響的に纏まってしまうので、あくまでも室内楽的な響きになってしまいます。
仮に演奏者が少人数であって、室内楽と大して人数が変わらなかったとしても、舞台全体をfullに使って、舞台上にオケを配置すると、全体としては、とても豊かな音響を得る事が出来ます。
しかし、その場合の難しさは、音を耳で合わせる事が絶対に出来ない事です。
教室のbaroqueの演奏の場合では、教室のorchestraの人数が極端に少なくって、orchestraと言っても、最大でも15名ぐらいのbaroqueや古典派のorchestraと同じ人数しかいないので、くっついて並ぶと、室内楽のように見えてしまうし、室内楽の音しかしなくなるので、あたかも大人数で演奏しているように見えるように、否、聴こえるように、両端のconcertmasterの位置と2nd-conmasの位置をあらかじめ決めて置いて、それから、4分割をして、均等に楽器を配置しています。
勿論、social distanceという言葉が流行る前の昔々からの、配置なのですが、その場合には、隣のpartの音を聞いて合わせていては、当然、テレビのお話のように、音のズレ、rhythmのズレが起きてしまうので、指揮やconmasのmotionを見て合わせなければなりません。
social distanceでもズレないように演奏するには、当然、耳に頼らないで演奏するための、慣れと勉強が必要なのですよ。アハッ!
日本人の演奏家は演奏をする時に、体を揺らすのを、極端に嫌う人が多いし、揺らす人は、情緒的、感情的に揺らすようなのですが、教室では揺らしは、演奏上の技術的な論理性に基づいて揺らしています。体を大きく揺らす事で、音楽のrhythmも共有します。だから、遠くに離れていても、rhythmを共有する事が出来るのですよ!
7月25日教室のconcept ·
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今日は7月の25日の土曜日の早朝の4時を回った所です。
昨日は、というかこの所いつもの事なのですが、・・全く体調不良が酷くて、bedから起き出して仕事をしようと思ったのだけど、その気力と体力が出なくて何度もbedとパソコンへの往復をして、結局、寝直してしまいました。
今日は、月一の『蕎麦day』で、先生達と全員でお蕎麦を食べる予定だったのに、椎名町からの呼び出しをすっぽかしてしまいました。
結局、椎名町に移動出来て、朝食を食べれたのは、夕方の6時を過ぎた頃になってしまいました。
明日は10月の発表会への初回のオケ練習の日です。
勿論、前回の発表会の予定日は4月5日だったので、rotation通りだったのですが、コロナ自粛で発表会が中止になってしまったので、自粛解除で急遽、solo組の部とオケ室内楽の部の発表会を開催したために、前期と後期の発表会のintervalが、予定通りに行かなくなってしまったからで、発表会までが、3ヶ月弱しかなく、オケ練習の回数は都合6回しか取れません。
短期決戦なので、初心者組には難しいrotationとは思いますが、ホールの都合上なので、発表会の日にちをズラす事が出来ないので致し方はありません。
コロナの緊急事態は解除になっているので、都合が付かないのです。(それに、発表会やオケ室内楽は任意の参加なので・・)
練習の回数が後、6回なので・・という事で、明日には絶対に生徒達に譜面を渡さなければならないので、今日は1日掛りで、各生徒達の曲決めとオケのmember決めを早急にしなければならないのでしたが、体調不良でお昼の時間までに椎名町に行く事が出来なかったので、蕎麦timeやドルプリっ歩と並行して『曲決め』『member決め』をしました。
『曲決め』は子供達が望む曲をそのまま与える分けではありません。
soloの曲にしても、orchestraや室内楽の曲にしても、子供達の音楽の技術力、理解力が「無理無く伸びて行くか??」という事は、一重に『曲決め』に掛かっている・・と言っても過言ではありません。
子供達への曲の課題とその指導は、無理の無い、・・しかし、頑張って到達出来るギリギリの水準でなければならないからなのです。それ以下ならば子供達は曲をなめてしまうだろうし、難しければ、挫折してしまうからです。
子供達やそれぞれの家庭の希望に合わせて、その技術のlevelや、子供達の感性の育ち方に合わせて、曲をselectして行くのですが、しかし、私達がそういった事を細かく配慮をして『曲決め』をしたとしても、実際には、中々そういったcurriculum通りには行かない事の方が多いのです。
家庭の諸事情等々で、折角選曲した課題の曲のNiveauと子供達自身の練習量や練習の質が崩れてしまう事は、非常によく日常的にもある事なのだからです。
また、選曲は、本人の希望や家庭の諸事情を鑑みて、曲を選曲しなければならないのは当然なのですが、soloを演奏する生徒本人の状態だけを見て、soloの人に合わせて、オケの曲を選曲をする分けではありません。
オケに参加する、それぞれのmemberに取っても、ちゃんと参加しただけの有意義な勉強が出来るように、それぞれのpartを演奏する生徒達の技術力や、曲のlevelに配慮して選曲をしなければならないからなのです。
soloの生徒だけではなく、オケのmemberに取っても、結構頑張って練習しなければならないギリギリの課題がなければならないからです。
だから、soloの曲決めですら、非常に難しいのですから、オケの『曲決め』は、もっと、もっと難かしくなってしまいます。
勿論、soloの曲の場合には、soloを演奏する生徒のlevelだけで曲の選曲をして、本番だけ先生が合わせる・・という事も出来るのですが、(勿論、それが一般的なのですが、それでは子供同士で曲を作り上げる・・という事が出来ないし、また、一般的な本番だけの伴奏合わせでは、soloを弾く生徒が伴奏のpartを理解して曲を演奏する・・という事は無くなってしまって、曲の半分も勉強出来ないからなのです。また、大人の伴奏の場合には、生徒がどのように誤った演奏をしても、それに合わせて伴奏をする・・という事も出来ます。それでは、本当の意味での勉強にはならないし、子供の成長を促す事も出来ません。)
soloの『曲決め』ですら、超絶に難しいので、・・という事で、オケの『曲決め』だけは、今でも私の独断と偏見で選曲しています。
それでも、教室のsystemに乗って順調に成長している生徒の場合には、私が色々と悩む必要はないのですが、そういった生徒は非常に稀なのでね?
私がこの音楽教室を作った、当初の目的は、私の教育に関するmethodeを実証する・・という目的であって、そのmethodeを実践する場は、別に音楽教室で無くても、学習塾でもなんでも良かったのだ、という話は、いつもしているので、『耳タコのお話』だと思いますので、ここでは割愛します。
私が生徒達を指導して、生徒達がめざましい進歩を見せるだけならば、それはcurriculumでもsystemでもありません。
つまり、私、1代限りの技術に過ぎないからです。
私が花園教室を作る事で、私が証明した事は、それらの指導力がmethodeであって、それを学んだ他の指導者達が同様の成果を見せる事が出来るようになる・・という事で、そうでなければ、それはmethodeとして確立しないのです。
その成果を見せるだけの事であるならば、花園教室を開設して5年でその目的はほぼ達成する事が出来たので、当初の目的はその時点で終了しました。
先生達にmethodeをlectureするという事だけが教室の目的ならば、当の昔に目的は達成出来ているので、教室を大手の企業に売り渡して私は楽隠居をしている頃なのですが、教室で学んで来た生徒が、「このまま教室で働く事は出来ないのか?」と、希望して来たので教室を会社にして、そのまま存続させる事にしました。
また、日本の音楽教育が根無し草になってしまっていて、Classicの音楽が日本という土壌に根付かないのは、Europa音楽の本質であるensembleが家庭内に入り込まない、見せかけの派手派手しいsoloの曲だけが、日本に入って来た事にその理由があります。
こんにち、多くの人達は、Classicの音楽が戦後になって初めて日本に入って来たように勘違いをしているので、日本の洋楽の歴史にあまりにも疎くって、事実認証に困ってしまいます。
明治時代から大正時代に掛けても、数多くのClassicの名曲が出版されて、町々の軒並みにViolinの音が響いていた時代があって、漱石や色々な大文豪達の小説等にその街の姿が描写されていた事もあったのです。
しかし、そういったEuropaの音楽が戦争と共に消え去ってしまったという事は、西洋音楽が如何に日本に根無し草であったかの証明にもなります。
Europaの音楽が家庭の室内楽から生み出されたものである・・という事を否定する音楽家は一人もいないとは思うのですが、その室内楽やorchestraを子供達に指導、lectureするcurriculumの存在は、世界中でも、或いは歴史的にも存在しません。
唯一の奇跡と言える音楽のorchestraや室内楽、soloに至るまでの集団教育は、歴史的に見て唯一の、VivaldiがPietà音楽院で施したorchestraのcurriculumによる音楽教育以来の300年間は、Vivaldiの優れた業績と共に失われてしまいました。
私はVivaldiのcurriculumを現代の音楽教育の社会に持ち込んだ分けではありません。
当初は、Europaの伝統(traditional)である室内楽やorchestraを日本の音楽教育に導入するために、教室を作って子供達の教育をする前には、伴奏法や連弾なのの指導でお茶を濁していた事もありました。
Violinのmethodeはperiodのrootsから導き出されたmethodeを採用して、室内楽やその他のduoからQuartettに至るensembleの教育によるmethodeを作り上げて、世界に誇るべきmethodeと確信しているのだけど、困った事に、教室で普通にlessonを受けて、室内楽やorchestra等の学習をしていると、私達の教室と同じようなcurriculumを持った教室が日本中にいっぱいあるように勘違いをされてしまいます。
確かに、市や県の主催に寄るfullorchestraは無数に存在するし、また学校にもorchestraがあって、文科省単位でコンクールなども開催されて、それなりの、実績は上げているように見受けられます。
orchestraはfullorchestraになると、とても華やかで、演奏効果も大きいのだけど、その反面、それぞれの楽器に対しての技術は大したlevelではなくなります。
つまり、管楽器ならばbrassband、所謂、brass-ensembleになると、管楽器の奏法のtechnikを学ぶ事が出来ます。また、非常に少ないのですが、弦楽合奏になると、弦楽器の奏法の技術を学ぶ事が出来るようになります。
つまり、同族の楽器のensembleでは、その楽器の特性的な技術を使用するので、その楽器への高度な演奏技術が必要になります。
つまり、子供達に音楽の楽しみを教えるだけであれば、fullorchestraは理想的な場所なのでしょうが、それぞれの演奏技術の向上や教育を前提とするのならば、fullorchestraは無駄な演奏形態になります。
その一番の欠点は、色々なpitchの楽器(移調楽器と言います)が一つの音を出すので、一つの純正の音を出すさえ困難になってしまうのです。
合唱でもa cappellaの合唱では純正のharmonyを聞く事が出来ます。
所謂、同族楽器の場合のみ純正の音が聞けて、その楽器の技術の妙技が見る事が出来るのです。
a cappellaのお話が出たので、15、16世紀のmadrigal等を聴いて見てください。信じられない歌の技術的な妙技を見る事が出来ます。こんにちのOperaぐらいのtechnikでは考えられない歌の妙技です。a cappellaの時代ならではの素晴らしい歌の技術です。
音楽教室を作って40年以上経ちますが、創設当時から未だに言い続けている事があります。
それは人が「夢を叶える事は簡単だ」という事なのです。
しかし、それを私が幾ら言い続けても、非現実的に見えてしまい、戯言のように思えてしまうのは、その夢が、その人の人生で不変で有り続ける事が出来ないせいなのです。
音楽教育に関しても、その子供の年齢と学校との兼ね合いや、周りの人達との状況で常に変わってしまうからなのです。小学生の時には、音楽に専念をすると言っても、中学や高校受験を前にすると、「塾だ!」「勉強だ!!」と目的意識が変わってしまいます。音楽を勉強している人達に取っては、これはコロナと同じで、競争相手が減ってしまうchanceに他なりません。一度開いたlevel差を縮める事は出来ません。「頑張って努力すれば・・」という事がまかり通るのは、趣味の範囲の人達だけのお話で、全力で疾走している人達の間では、うさぎさんのお昼寝は、取り返しのつかない致命的な事になってしまうのですよ。
中学や高校受験も大切ならば、音大の進学を諦めるか?さもなくばlevelを下げる事です。
受験勉強に専念して部活に励んで、人生を謳歌するのならば、音楽への道はありません。
・・と何度も言ったのだけどね~ぇ??
それで音楽大学に行くかね~ぇ??
つまり、結論的に言うと、夢を叶える人は、ぶれない人に限られるのですよ!
夢を叶えるには、その夢のNiveauに対しての現実的な縛りがあります。
『夢を叶えるためのHierarchie』とでも言うのかな??
夢のハードルが低いとその縛りも緩くなります。
その夢が高いと、縛りはきつくなるのは当たり前なのです。
ですが、一般の人は、夢の水準を知りません。
だから、その縛りについての把握は、支離滅裂で一貫性がありません。
私達が、その程度の夢ならば、何も悩む事はないのにと、言う事が、一般の人達の間では、夢のまた夢になってしまう事がよくあるのですが、それは低い水準の中で悩んでいるに過ぎ無いからです。
勿論、先程も上げたように、その逆もあります。高い夢を抱きながら、そのNiveauを自覚しないで、一般人で有り続ける事です。一般人を望むのならば、音楽家として一流を目指す事は無理です。
音楽の世界で流通している「・・たら、・・れば?」の一般論は、その殆どが音楽の世界を知らない素人の人達の誤った認識によるものです。
そんな一般論の幾つかを上げると、「proの音楽家になるには音楽大学に行って、コンクールにも合格しなければならない』・・そんなお話がまことしやかに流通しているようですが、そんな事はありません。
音楽大学を卒業したぐらいのlevelや、コンクールに入賞したlevelぐらいでは、とても一流のproにはなれませんよね??
proの水準はそんなに低くは無いからです。
世界的な水準のProの人で、コンクール歴を上げる人はいないし、世界的な名人にコンクール歴の事を尋ねるフアンはいないと思いますよ。proにそういった事を聞くのは失礼だとは思いませんか?
だって、誰がそのproを審査するのですか?
コンクールはフアン投票ではないのですよ??
『音楽家になるのには、お金が掛かる』・・勿論、音楽を学ぶ上では、ある程度の勉強に対しての投資は必要なのだろうけれど、その必要な金額は、一般の大学に進学するために塾に払う程度のお金も掛かりませんよ。
音楽を学ぶ人達が必要以上のお金を掛けるだけの事ですからね?
大した技術もないのに、天文学的なお金を払って良い楽器を購入したとしても、楽器が技術を助けてくれる分けではありませんからね??それこそ、豚に真珠・・、の世界なのですよ。
1万円のViolinとStradivariが同じ音ではね~ぇ??
proの音楽家になるには、お金が掛かるというのは、医学部でも、有名大学を受験するのでも同じでしょう??
そんな事は理由にはならないのですよ。勿論、音楽大学を受験するのが全てならば、お金は掛かるのかも知れないけれど、それでproになれる分けではないのでね??そんな無駄な事にお金を掛けないで、ちゃんとproへの勉強をすれば良いのですよ。proにしてくれる先生はただでも、教えてくれますよ。貧しい子供であったLisztを指導したCzerny先生は子供時代のLisztを無料で教えたのですよ??私達も、熱意があればproに育てて上げる頃はやぶさかではないのですよ。
私の場合には大学の入学金も高校生の私が借りて払ったし、大学時代の生活費も部屋代も自分の稼ぎで生活していたので、親に負担を掛けた分けではありません。
なぜならば、私が医学の道に進むのならば、大学の裏金も学費も、全面的に援助してくれるはずだったのですが、音楽大学に行くのならば、一切援助はしないという当初からの約束だったからです。
でも、学費は養父が払ってくれたので、感謝しています。
それでも、生活費や部屋代は自分持ちでした。
だから、大学に入学したその月から、自分で部屋代や食費、楽譜代等々を稼がなければなりませんでした。
その時に私が私自身に課した事は、将来Classicで生きて行くために音楽の勉強にならない仕事は絶対にしない・・という誓いでした。
大学の先生達の論文や試験問題を作ったり、採点したり、NHKの歌のお姉さんや映画の吹き替え等や第9のmember探し等々、音楽関係のありとあらゆる仕事を4年間して、留学の費用等を貯めて行きました。
当時、東大卒の友人達が初任給で3万ぐらいの時に、倍以上の金額を稼いでいたよ!
それにproになるのに、音楽大学に行く必要も無いし、技術さえあれば、音楽の世界は実力主義なので、大学の名前は通用しないのですよ。
日本の音楽大学に行かせたくないので、Europaの音楽大学に高校から直接、何人もの生徒達を送り出したけれど、それは
日本の音楽大学を卒業して、Europaの音楽大学に入学すると、日本で学んだ音楽の勉強が全く役に立たない・・というよりも、邪魔になってしまうからです。
私自身、大学の名前で、仕事をしたことは一度もありません!
私が大学の講師になった時も、本を何冊か出版した時も、大学名を聞かれた事は一度も無かったのですよ。
大学の先生になるには、大学を卒業する必要はないのですよ。
それを求められるのは、一般のlevelの低い音楽教室で、音楽大学卒業を売りにしているような、音楽を知らない人達を対象にした教室だけなのですからね?
確実に子供達をproへと導く指導法があります。それは発表会のような身内の演奏会ではなく、公開の演奏会に一つでも多く参加させる事です。つまり、現場で学習する事が一番生徒を育てる秘訣なのですよ。
しかし、日本の音楽大学で学生の一般の演奏活動を許している音楽大学は桐朋の1校のみです。後の音楽大学では対外出演をしようものならば、退学させられます。それは何故??つまり、学生が自惚れて演奏活動をしては、大学の名折れになってしまうからなのです。
学生の内からでも、一回でも多くのstageを・・というのは、桐朋だけなのです。
教室でも生徒の演奏をYou Tubeにuploadしていますが、教室が生徒を宣伝に使っている・・と勘違いされる事があるのですが、実際には教室の子供達の演奏がsearchされるのはproの演奏家の中からです。・・とすると、教室に取ってのmeritは何もありませんよね??だってproの演奏に比べて、子供達だから・・と言って、好意的に評価する人はいないのですからね??
演劇の世界では「アニー」のように子供達が主役を張る演劇も数多くあって、全国から毎週子供達が東京に通って練習をしています。テレビで時折、練習風景のdocumentを見る事がありますが、proの役者の人達が怖がる程、厳しいlessonが行われています。それこそ勝ち抜き戦なのです。
しかし、子供の内から、proとして頑張って来た子供がproになれない分けはないのです。proへの登竜門で当たり前なのですよ。子供をproにしたければ、proとしての演奏活動を子供の内からさせる事です。そうすれば100%、proになれます。
それはathleteでも、ballerinaでも、野球選手でも同じなのですよ。
日本のacademismは、明治時代の『音楽事始め』から一歩も進んでいない超時代遅れの話しなので、proの世界には通用しないのはproの人ならば誰しも知っている事なのですが、未だに塾や有名大学に憧れている人達に取っては、音楽大学も有名大学でなければならないのでしょうね??
現実的には、というかこんにちでは、超一般大学の卒業生であったとしても、就職先は見つからない・・というのが現状なのだけどね??
一昨日の夜も何気なくカンブリア宮殿という番組を見ていたら、1兆5千億を稼ぎ出した企業の社長が、大学を卒業して就職に来る学生があまりにも、ダメなので、自腹を出して大学を作った・・という話をしていた。日本の大学は先生も生徒も、ダメなので、大学を作った方が早い・・という事らしい。大学生が生き生きとしていたのが、驚き・・というか当然かな??
超一流大学信奉は、まだ100年も前の常識が日本中に蔓延っているのだよな??
こういった教育の遅れの話しを、40年間、50年間、同じ事を言い続けたので、すっかりと、教育に疲れ果ててしまいました。
私の本来やりたかった仕事ではなかろうに??
という事なのだよ!!音楽教室を経営したかった分けではない。本当の本物の音楽を教えたかっただけなのだけど、それが、どうやら風車とドン・キホーテになってしまったようだな??
今は身の回りの世界の話しを信じて、そのようにしたければ、「好きにすれば??」という感じで、自分が無駄な啓蒙活動に半世紀の人生を送って来た事を極めて後悔しています。
まあ、私も、もう充分に歳を経て、生きて来たので、これからは自分の主義主張を理解して来れる人達だけを集めて、professionalを育てる教育やorchestraを作って行こうかな・・とも思っています。
いやあ~?? 今日も欝だ!! 欝だ!!
7月26日ドルがプリのご飯を食べた ·
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ドルちゃんは、自分の食事を早々と食べ終えて、それでも食べ足りないので、プリちゃんがご飯を食べているのを押し退けて、つまみ食いしています。
プリちゃんは、困っています!
「俺のご飯!食べられちゃうよ!なんとかしてよ!!」それでもドルには、何も言えないのですよ!可愛くって!
(手前の白いお皿がドルのご飯のお皿ですが、すっかり食べてしまってきれいになっていますよネ?)
コメント
芦塚 陽二
心配しなくても、後でご飯はあげるからね??我慢してね??
7月27日体調を崩すpattern ·
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昨日の7月の26日は秋の発表会に向けてのオケ室内楽の初顔合せだったので、私もTeleworkで練習に参加する予定だったのだけど、参加する予定の時刻の直前から突然、体調不良になって、結局、寝込んでしまって、顔合わせに参加する事が出来ませんでした。
夕方からは少し体調が戻ったので、食事とドルプリっ歩に椎名町にbikeで行ったのだけど、お散歩の時間になった途端に大雨が降り出して、慌ててお散歩から帰って来ました。
普段ならば、大雨の時でもお散歩の時間だけは晴れるので、逆はちょっと珍しいpatternです。
お散歩を終えて、いつものcinderella-timeにはハイツに戻って来て、それから直ぐに寝るつもりだったのだけど、今日のオケ練習のSDcardをハイツに持って帰って来たので、パソコンに取り込んで、DVDにback・upをしながらオケ練習のcheckをするという作業のついでに、You Tubeで昔々の色々な曲を聴き始めてしまっていて、気がついたら鬱々の曲を日本酒を飲みながら夜が白むまで聴いている・・といういつもの最悪のpatternになっていました。
今日は、少し体調も戻って来て、やっと早目に眠れるハズだったのにね?
この飲み方は、飲み過ぎのpatternの飲み方だし、日頃の自分の生活のrotationを壊す飲み方なので、自分の方からわざわざと鬱々の状態を引き起こしてしまう・・という・・最悪のpatternなのだよな??
体調不良にならないように、深酒はしないように、このところ、日頃から気を付けていたのになぁ??
自分から禁忌を破るとはね?
それにしてもYou Tubeで聴きながら、思ってしまったのだが、『下手なのに上手い』って、面白いよな?
普通、下手は下手なので、そんなのは有り得ないハズなのだがね?
オケ練習の感想は??う~ん、言わずもがな??ではなくって、言わぬが花・・かいな??アハッ!
写真はいつものハイツからの雨模様の風景のように見えますが、雲の下に霧が木やビルの直ぐ上まで降りて来ている非常に珍しい光景なのですが、写真に撮ると、分かりにくいですよね?
肉眼的には霧がよく見えているのですが、写真では写っていないようですねぇ?残念!!
7月27日気力が出ない·
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今日は7月の27日の月曜日の深夜の12時直前です。
・・とは言っても、今日の1日も昨日や一昨日と全く同じです。
これは困った!!
「・・以下同文!」で片付いてしまうよな?
仕事をバリバリとやって、同じ日の繰り返しという事ならば理想的なのだけど、深酒のせいで一日ウダウダと寝込んでしまって、小原庄助さんのように、夕方に起き出して、雨の中をBikeで椎名町に行って、食事をして散歩に出掛ける毎日では、Facebookに書く新しい事がなにもなくなってしまうよな?
「体調不良」というか?「気力が出ない」というか?仕事にもこのところ身が入らないので、仕事のpaceを極端に落として、なんとか出来る所まで仕事をして、やり残した仕事は、次の日に送っているのだよ!
キビキビとしたパンチの無い・・だらだらとした仕事なのだが・・、それでも続けてさえいれば、確実に仕事は一つ一つ終わって行くから、まあ、それでも良しとしないとな・・??
ダラダラの原因なのだが、それはいつも言っているように、bedに入ると、鼻が詰まったり咳が止まらなくなったりするからなのだが、それを止めるためにも、bedから起き出して、点鼻薬を差したり、『喉ぬ~るspray』で喉にsprayしたりと、一苦労、二苦労しているのだけど、それでは熟睡の良眠が取れないので、次の日の体力が続かないのだよな?
・・という事で日曜日と月曜日と火曜日の三日掛りで、残った発表会の室内楽の動画の編集を終わらせた。
動画の編集の作業は、一つ一つの編集が非常に時間の掛かる面倒くさい作業なので、取り敢えずの規定分は終わったので、それなりに結構スッキリとはしたのだけど、それはそれで体調不良との戦いで、大変だったよな??
しかし、この作業は教室の雑用に過ぎないので、私の本来の仕事ではないので、何かしらがスッキリとはしないのだよ。
自分の作品を完成させた時のような達成感はないのだよな??
「教育は他の人への奉仕なのだから、達成感が無い」・・という意味ではない。
教育でも、その目標や方向性が正しいのであれば、仮に目的を果たせなかったとしても、それなりの達成感は出る。
しかし、誤った目標で自己満足をしていたり、道を見失って、間違えた道を歩いているのを見るにつけ、芥川の蜘蛛の糸を見る釈迦のような心境になってしまうのだよ。
世界の全てが誤っていようと、自分の正しい道を信じる事を出来る・・という事を『信念』という。
人に惑わされず、社会の誘惑にも心惑わされぬ、常に正しい努力を惜しまない・・そういった人を育てているつもりだったのだが・・、教育は自分の事ではないので、疲れる。
自分に努力をさせるのは簡単な事なのだがね??
私の子供時代には、生活の総てが『食べる』という事で、勉強の躾のような事は全くなかった。
子供時代に子供達が身に付けるハズの勤勉性というものが私の場合には全く身に付かなかったのだよ。
コツコツと勉強を続ける事が出来ない・・という事が私のcomplexであり、それが私の悩みでもあった。
でも、30の壁を越えるまでに、その悩みは何時の間にか無くなっていた。
つまり、『怠け者の学習法』という方法が私のcomplexを救ってくれたのだよ。その方法論は何時の間にか、気が付かない内に自分でやっていた事なのだがね??
スーツの箱を大量に買って来て、作曲や研究で行き詰まると、その中に資料や鉛筆やメモ書きまでも一緒に収めて、押し入れに積み上げるのだよ。
全音の編集長が部屋に遊びに来て、「**の資料はありますか?」と聞かれて、押入れからsuit-caseを出して、「ここに全部あります。」と言って見せたら、超感心されてしまった。
所謂、time-Capsuleだよな??アハッ!
(明日の28日には、solo組の発表会の通しのvideoを予定通りに削除します。
オケ室内楽の部は8月の19日までの公開なのでご注意ください。)
7月29日自撮り用のbluetoothリモコン ·
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7月28日の火曜日から29日の水曜日に掛けての深夜の3時になろうとする所である。
28日の火曜日のお昼頃は一時的に太陽も出ていたようなのだけど、夕方からはまたいつものように雨が降り出して来た。
1日中部屋に籠っていると欝になりそうで気分が滅入って来るので、ハイツの周りというか、江古田駅の周りを散歩をして見たのだけど、やはりコロナで街は死んでいるようで、人気もなく寒々としていたので、早々と散歩は切り上げて戻って来てしまった。
cinderella-timeの12時頃からは、また欝が酷くなって来て、眠れなくなってしまったので、この2日間、食べ終わった弁当箱をそのままシンクの中に放り込んでいたのだけど、溜まりに溜まっていた弁当箱類を全部洗って、シンク周りをスッキリとさせたのだけど、それでも気分が良くなる事はなかった。
今日は一日中、発表会のvideoを編集していたので、音楽を聴き飽きてしまって、改めてYou Tubeで色々な鬱々の曲を聴く気にもなれなかったし、それに体調もあまり芳しくないので、日本酒を飲んで、へべれけになる気もないのだよ。
こういう時には、自分をどうしたら、良いのか??・・本当に身のやり場に困るのだよな??
・・と言いながら、こういう時のために録画していたつまらないテレビドラマを見ながら、なんと・・・何時の間にか、飲み始めてしまっていた。
今日は、お持ち帰りのお刺身のおつまみもあるしね??
刺身を食べ終わったらエイヒレでも食うか??
まあまあこれは最悪のpatternだなや??
独居老人の利点は、幾ら鬱が酷くなったとしても、当たり散らす相手がいないという事なのだよな。
今のところ、物にはあたらないので、鬱が酷くなっても、何か自宅で、被害が出る事はないので、自分のrotationを崩すだけなのですからね?
スマホのcamera用のBluetoothのshatterを買った!
スマホのcameraの自撮り用のshatterだ。
結構離れていても撮れるようだ。
testで、cameraを離して、自分が座っている場所を写真に撮って見ると、自分の周りが雑然としていて、見るからに鬱になる原因が分かるような気がする。
仕事場ではなく、自分の居心地の良い、仕事のし易い環境を作るべきなのだよな?
しかし、それはどんな環境だ??
hotelの部屋のような他人行儀な部屋では、relaxは出来ないだろうし、書斎のような部屋でも落ち着かないだろうしね??
結局、日本の往年の作家のように本に取り囲まれた生活になってしまうのかな??
本がパソコンになっただけで、手を伸ばせば、当面の資料は全部その手の届く範囲内にある・・という今の状態になってしまうのかな??・・それは困った??
接客は玄関のflooringでしているし、親しい人達はこの仕事部屋に通して、お喋りをしている。
Cembaloの部屋がprinterの部屋になって死んでいるので、そこでも人を通せるようにすると、lessonも出来るし、Cembaloでの合せも出来るかもしれないよな??
まあ、しかし、ハイツで人を通すという事もそんなにはないので、無理をしてそこまでやる事もないのだがね??
それにしても、物の多さから開放されるためには、もう一部屋が必要・・というか、Walk-in Closetのような小さなspaceか、miniの倉庫が足りないのだよな??
不必要なお袋の陶器を何処かに移動させて、書物の大半を処分したとしても、やはり絶対的なspaceが足りないよな??
仕事部屋とlesson室は、普通自宅には置かないよな??
3部屋分だもんな??
(部屋の写真が右左が逆さまになっていました。失礼しました。自撮りの時の設定が何か間違えていたのだよな??多分?)
7月30日椎名町教室のゴーヤ ·
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今年は異常気象の長雨で、野菜が160%の高値だそうです。
椎名町の家庭菜園はごうやとキュウリが豊作で、毎日収穫があります。
小ネギやその他も少しあります。
とても土が良いらしいので、玄関の万両も、切っても切っても、すぐに生い茂ります。
今は紫陽花が玄関の出入り口を塞いでいます!
コロナで部屋に引き籠っていると、その日その日が安泰で、すべて世は事も無し、のように思えるのだが、実際はそうはいかないのだよな!
自宅に引き籠っていても、一歩先の目の前しか見えなくって、道を見失っている若者へのRatは、年長者の務めとして、しなければならないのだよ?
例え、「それが無駄な努力に過ぎない」と分かっていたとしても、一応の『務め』としてはその努力を、しなければならないのだよ?
「他人の為への努力」ほど、無駄な努力はないのだよ。
何故ならば、正しく道を歩む人は、私のRatを、一度聴くだけで、それを実行するので、二度目のadviceをする事はないのだが、しかし、何度も同じ忠告を受ける人は、私のadviceを心正しく聴く事は絶対に無いのだよ。
心ここに在らざれば聞けど聞こえず、見れど見えず・・・だよな?
古人はよく言ったよな?
私が言ったadviceを、自分の都合の良いように曲解して、私のadviceとは全く違った方向に進んで行く人の何と多い事よ!
やはり、私は教育者にはなれないし、なりたくもないよな?
そういった事が、今は確信を持って言えるようになった。
音楽教室を作ったのは、私の人生の最大の誤りだった・・と・・
誤解の無いように確認をして言っておくが、私が音楽の世界に身を置いた事については、寸分の迷いもなく、充分に満ち足りた人生を歩んでいるし、その人生に後悔は無い。
音楽は私にとっては、好き嫌いの範囲ではなく、信仰にも似たものがあり、人生を掛けるに相応しいものであった・と確信している。
私が『失敗をした』・・という事を言っているのは、あくまでも人に教える・・という事、曰く、「音楽の素晴らしさを伝え、音楽を教育する」・・という事について・・のみである。
「音楽の素晴らしさを人に教える事」自体は吝かでは無いのだが、「音楽へ立ち向かう姿勢」に対しての教育は、他者が人に教えられるものではない。
それは音楽そのものが、その人に取っての一つの価値に過ぎないからである。
また、音楽の価値は、取りも直さず「その人自身の価値」でもあるからなのだ。
音楽がその人にとってのstatusに過ぎない人に、音楽の宗教性を誇示しても、それが理解される事は無い。
それはその人にとっての音楽の価値感であり、致し方がないのだよ・・??
音楽がstatusの人は、その人自身もstatusに過ぎないのだよ。
音楽はその人に取っての音楽そのもの・・なのだから、それで良いのだよ!!
為政者では無いのだから、なにも人に押し付ける事はないのだよ。
7月31日DittersdorfのKontrabass・Concerto ·
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今回、KontrabassのconcertoとしてDittersdorfのE Durのconcertoを発表会の直後から、concertoのsoloの譜面として生徒に楽譜を渡していたようなのだが、今回、「edition Schottの手書きのpart譜とscoreを生徒達に渡した」と連絡があって、「Bärenreiter =Henle版のscoreの楽譜とSchott版のpart譜の小節数や音が合っていないので、どうしたら良いのか?」という連絡を受けた。・・という事で、まずは楽譜をcheckして見て、「どの版が正確なのか?」「配ってしまったedition Schottのpart譜は、checkと書き込みを入れるだけで使えるのか??」等々の判断を私が委ねられる事になってしまった。
昨晩、・・つまり、深夜の1時を過ぎていたのだが、ハイツに帰る直前に、急遽、SchottとBärenreiterの二つの出版社の楽譜を見せられる事になったのだが、楽譜はedition
Schottの手書き譜の方は、『Bearbeitung版(改訂版)』で、楽譜に対しての修正が入っている版だという事で、Bärenreiter=Henle版の方がUrtext-edition(原典版)であるという事が分かった。
しかし、困った事にいずれにせよ「作曲技法」が、Dittersdorfにしては、なんとも拙いのである。
Dittersdorfには変な癖があって、弦楽器の技術的な書法をわざわざとAlberti-Baßのように、Pianoの書法に置き換えて書く癖がある。
弦楽器の演奏法をpianisticなAlberti-Baßに置き換えて、再び弦楽器の書法にすると、弦楽器では・・というかorchestraでは貧弱な音になってしまうのだよ。
だから「本来ならば、Alberti-Baßで書かれた箇所を弦楽器本来の書法に書き戻す作業を、Schottの校訂者がBearbeitung(改訂)をしたのかな??」・・と思ったのだが、そういったAlberti-Baßの貧弱な箇所はそのままにされたままで、繰り返しを省いたり・・細かい音の変更をしたり・・と、あまり意味の無い変更だけの改訂版だった。
結局の所、何故改訂版を作ったのか??・・その理由が分からない。
権威のあるハズのSchott版なのに、それでは、困ったものだ??
また、Bärenreiter Urtextには、originalの調であるE Durのversionと、Kontrabassのscordaturaにorchestraの方が合わせたD Durのversionがあった。
D Durならば、Kontrabassはscordaturaにする必要はないし、orchestraもD Durなので演奏が簡単になる。
一つのscoreの中に、二つの調のfassungがある・・という事は不思議だよな??
・・という事で、斉藤先生の希望で、今回は初歩組のmemberも一緒に演奏をするので、生徒達に配ったpart譜は回収して、D Durのversionのscoreをcopyして生徒達に配る事になった。
今からpart譜を発注しても海外発注になるので、発表会までには間に合わないからである。
という事はscoreで演奏をするためには譜めくりが頻繁になってしまうので、とても間に合わないので、暗譜で演奏をしなければならない・・という事になる。
つまり、暗譜で演奏をするという事が確定したのだよ。
曲のfassung(版)が決まった時点で、先程のAlberti-Baßのpassageを、初歩組でも簡単に演奏出来るように、また、オケ的にも音量が増すように改訂して置いた。
写真、2枚目の譜例ですが、originalのE Durのversionです。
3枚目は、曲の演奏が、より簡単になるように、D Durのversionで演奏するように決定されたようなので、Alberti-BaßのpassageのD Durにtransposeをしたものも、掲載しておきます。
最後の和音の取り方が変わります。originalよりももう少し簡単に和音が取れるようになっています。
transposeなので同じ譜面なのですが、和音になるところだけが違いますよね??
勿論、初歩組のlevelでも、6回も練習をすれば、元のAlberti-Baßのversionでも弾く事は出来ます。
でも、古典派の曲の課題のNiveauは、『弾ける』・・という事が課題ではなく、『純正の音で和音を揃える事が出来るのか??』が課題なので、弾く事が出来ても、pitchを純正で揃える事が出来なければ、古典派のorchestraのlevelに合格する事はないのです。
だから、逆に、音を少し簡単にして技術的に無理が無いように一工夫をして、音に集中出来るようにしています。
しかしながら、これだけこの曲に対して、色々と工夫三昧をしたからと言っても、未だ、発表会で演奏する事が確定した分けではないのだよな。
最終の決断は私にあるので、それはこれまでの状況を見て判断をして、明日以降に決定する事にして、楽譜を渡すか否かも含めて、明日以降に決まるのですよ・・・??
8月1日コロナ、コロナと ·
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コロナ、コロナとコロコロとコロがされている間に、なんと6月と7月が一気に過ぎ去ってしまいました。
もうなんと、8月の1日の0時半を過ぎた所です。
ひぇ~っ!!
それにしても7月は超寒くて雨ばかりの月で、歴史的にも超珍しい・・台風は一度も来なくて、梅雨明けが8月までに・・と、その他色々とどうのこうの・・と、ナイナイずくしの初めてばかりのことだらけの月でした。
(なにが初めてなのか??色々と書いても良いけれど、書いても無駄な気もするよな?? どうせ、またぞろその内、初めてだらけ・・のオンパレードになるのだろうからね?)
今日もまた摂眠障害で眠れないので、(・・というか昼夜逆転だけなのだが、)・・3時過ぎになって、(中学生、高校生の頃から40、50歳過ぎまで続けていた深夜の夜歩き・・所謂、)眠れない散歩を久し振りにしてみた。
中学生、高校生の頃は勉強で深夜2時、3時過ぎになる事が多かったので、勉強が終わったらそのまま散歩に出て、4時頃まで長崎の街を友人達と歩く事もよくあったのだけど、パトに補導されかけても、学校名を言うと「お疲れ様です。」と咎められる事も無く無罪放免されたのだよ。
ドイツ留学中は、深夜の散歩ではなくお昼の時間に4時間程、Planeggの森を散歩するのだけど、延々と歩いても森から出る事は無かったのだよ。Münchenの街全体の外輪を森が取り囲んでいるからなのだよ。
森には、当然、鹿やリスやハリネズミ等がいて、目を楽しませてくれた。
日本に帰って来てからの30代や40代の頃は、江古田の街を深夜、当てもなく彷徨う徘徊散歩が常だったのだけど、40代の後半になると痛風や腰痛に苦しめられて、歩く事自体が困難になってしまって、杖を突いても歩けなくなってしまったのだよな??
10年間の長きに渡って散歩すら出来ない時期が続いたのだよ!
でも、59歳になって、心臓の冠動脈のbypass手術を受けて、今度は手術後のリハビリのために、シー・ズー犬のジーグとノンの散歩に頑張って付き合って、体調の回復に努めたりしたのだが、予後ともなると、その散歩でさえ、すっかりと衰えてしまった体調には、結構大変で、散歩をするのは難しかったのだよな?
そのリハビリが、今の世代のドルとプリの散歩に繋がっているのだけどね??
今でも体調不良の時には、散歩が辛く無理な場合すらあるのだよ。
今日も、8月の1日になったというのに、肌寒いぐらいの天気なのだが、実際に外に出て見ると、肉眼的には見えないぐらいの霧雨が降っていたのだけど、そんなに濡れるほどでもないので、そのまま散歩に出かけたのだが、その歩の途中から突然雨が強く降って来て、慌てて散歩を中断してハイツに戻って来た。
・・・という事で、30分にも満たないshort-courseの散歩にしかならなかったのだけど、でも、今日もちゃんと小一時間の「ドル・プリっ歩」はしたので、都合、1時間以上の外歩きになったのだが、心地良い疲労感・・と、までは行かないので、摂眠障害の手助けにはならなかったよな??
雨さえ降らなければ、今日はもうチョッとは歩けたのだけどな??
なるべくならば、日本酒の手助けは受けたくないのでね??
まあ、仕事はnorma制なので、時間の縛りは無いので、起きたい時に起きて仕事を済ませれば良いだけなので、無理をしてまで寝る事も無いし、何がなんでも、お昼に仕事をする必要もないのだけどね??
昼夜逆転だと、どうしても良心が咎めてしまうのだよ。
俺はなんの悪い事もしていない・・とは思うのだけどね??
この2,3日はbikeのタイヤの調子が悪いので、bike屋に修理に持って行こうと思っているのだが、起きる時間が早過ぎたり、遅過ぎたりで、中々、bikeを修理に持って行けないのだよな??
それだけがお昼に起きれなくって困っている理由なのだよ。
但し、8月はまたまた病院の月で、膀胱鏡の検査や、免許更新の為の認知症の検査もあったりして、結構時間を拘束される事が多いのだよな。
体の我が儘放題に任せても困ってしまう日にちが多いのだよ??
朝6時には22°であったのに、10時を過ぎた頃には外は28°、室内の温度計では29.8°にもなっているのに、肌寒いのだよ。これは問題だ??体が温度を感じ無くなっているのかな??
どうすんべ~ぇ??
8月1日『常設曲』としての『VitaliのChaconne』 ·
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実は未だ8月の1日の続きである。
眠れないままに、朝の9時過ぎには、とうとう眠る事を諦めて、仕事を始めたのだけど、お昼の3時を過ぎを迎えた頃から、突然どうしようもない睡魔に襲われてしまったのだが、予定が詰まっていて寝る暇がないので、困っている所なのだよ。
今回の発表会の予定はコロナの所為で、普段ならば半年間のintervalがあるハズなのだが、僅か2ヶ月後の10月までに、6回のlessonや練習のintervalで、orchestraや室内楽、それにsoloの曲も仕上げなければならない。
超、短期versionの予定なのだ。
勿論、soloの曲のみとか、オケの曲、1曲だけならば、これまでも結構頻繁に短期決戦で演奏をする事はよくあったのだから、そんなに無理な事では無かったのだが、オケや室内楽からsoloの曲迄の総ての曲が2ヶ月間で仕上げなければならない・・という事は、或る意味、とても無理難題ではある。
勿論、教室の発表会は自由参加なので、辞退をする事も出来るのだけど・・ね??
教室には『常設曲』と名づけている曲がある。
勿論、音楽を趣味として、楽しみで学びに来ている生徒達の場合には、定められた課題曲のようなものはないのだけど、将来、音楽を自分のlifeworkとして目指す生徒達にはそれぞれのgradeで、その卒業課題の曲となる必須の課題曲があるのだよ。
その上級者の課題曲に『VitaliのChaconne』が位置していて、その『VitaliのChaconne』には、PianoのBegleitungのversionと、orchestra-versionがあるのだ。
基本的には、いきなりorchestraのversionで演奏させる事は技術的に無理があるので、まずはPiano-Begleitung のversionで発表会等の舞台で演奏させて、その後、orchestraのversionで練習させるのが常なのだが、curriculumの進度と年齢の関係で時折、Piano-versionのChaconneを飛ばして、いきなりorchestra-versionで演奏させる事もある。
そこは技術力や生徒達の状況を観てからの判断と裁量になる。
VitaliのChaconneのorchestra-versionは、soloの演奏技術が難しいのは当然の事なのだが、伴奏をするオケのpartも演奏技術的にかなり難しいので、今の端境期では、お姉さん達の助っ人を入れたとしても、演奏出来るmemberが足りないので、暫らくは発表会のprogramには入って来ない予定なので、Chaconneの演奏はPiano-Begleitung -versionだけになってしまう。
・・という事で『Piano-version』のお話なのだけど、Pianoの伴奏によるChaconneは、これまで教室では、一般的にDavid版と称される版を使用して来たのだが、実際にはDavid版と楽譜には書かれているのだが、David版として流布している版の大半は、実はCharlier版なのだよ。
そこでは、日本の出版社の大方のversionが混乱してしまって、誤解をしているのだよ。
そもそもの、この誤解の由来は、VitaliのChaconneの成り立ちにその原因があって、VitaliのChaconneは、元々はFerdinand DavidがDresdenの図書館にあるfacsimile版から、編集編曲をした曲で、その曲は、Davidが、彼の生徒達のために編作曲改訂をした多数の曲を集めた集大成の教育教材である『Die Hohe Schule des Violinspiels』の2巻の中に掲載されている1曲なのだ。(写真参照)
つまり、日本版に書かれているDavid版とは、Ferdinand Davidの改訂による版・・という意味であって、David版という意味ではない。
つまり、このDavidの編集編曲作品が、世界で出版されている総てのVitaliのChaconneの原本になるのだけど、更にこんにち混乱を招く事になっているのは、David版として出版されている『Chaconne』がFerdinand Davidの改訂版ではなくって、David版を更にHennri Petriが改訂した版を『David版』として出版しているのだ。
そこからも、混乱が始まってしまう。
しかし、そのHennri PetriによるFerdinand Davidの版も、こんにちでは、出版されていないので、一般的にDavid版として出版されている楽譜は、原則、Charlier版になる。
昔々、出版された事のあるFerdinand Davidによるversionは、既にHennri Petri版に寄って編集改訂されていて、Ferdinand
Davidのoriginalのvisionではないし、非常に優れた曲集である『Die Hohe Schule des Violinspiels』の本も出版されていないので、私のようにその本を持っている人は今は皆無であると言っても良いであろう。
次にCharlier版に付いてであるが、
こんにち、私達が一般的にPianoの伴奏で演奏しているversionは、Charlier版と殆ど同じversionの改訂版が殆どである。
また以下同様に、Auer版(Fischer版)や多数に出版されている版も、基本的にはCharlier版と同じである。
Charlier版が問題なのは、Ferdinand Davidの原本に対して、Variationの配列を自由に変えたり、cutしたりしている点で、originalのDavid版とは全く異なった版になっているからである。
その点、Guido Guerriniのarrangeによるorchestra-versionはDavid版を定本にしているので、その分、演奏は難しい。
「地味だ!」と言って毛嫌いする人も結構いるようなのだが、私は充分に派手派手しいと思うよ??
「地味なのか?」、「派手なのか?」は、曲の演奏の持って行き方次第じゃあないのかな??
勿論、色々な版を使用する人達に取っては、その版の価値は大切なのだろうが、私に取っての、その版の違いはkleinigkeit(小さな変更)であって、どの版がCharlierで、どの版がAuerで、どの版が誰の編集の版なのか・・それを、大きく判別する事は私的には不可能である。
その違いを敢えて述べるとすれば、Variationの順番を入れ替えたり、1小節を加えて見たり、音符を少し変えて見たり・・と、私の感覚では、「なにをやっているのか?」がよく理解出来ないkleinigkeitの変更の連続で、その変更をする意味さえ不明なのだよ。
fをmfに変更したり、slurの位置を変えたりして、それで「私の校訂だ!」と言われてもね~ぇ??
変更箇所の一覧表を作る身にもなって欲しいよな??
それに更に言うのならば、その殆どの版はPianoのpartに関しては変更は無い方が多いのだよ。
勝手に譜面を変更された楽譜を比較対照する事は難しい。
その一番gunstig(効率の良い)な方法は、一つの基準とする曲(fassung)を決めて、それから、比較をすると良いのだが、元の楽譜がDavid版なので、本来的にはDavid版を基準とするべきなのだが、教室の場合には、orchestraで練習をする時の練習番号が基本なので、David版とGuido Guerrini版はversionが同じ元譜からの出典になるので、私の場合には、教室で付けた、orchestra-versionの練習番号を基準にして、David版やそれ以外のversionを比較対照させた。
それらの楽譜に対して、Bärenreiter版とRicordi版はoriginalのfacsimile版からのContinuo-Aussetzung版であって、David版とは根本的に異なるperiodのversionになるので、別の話になってしまうので、ここでVitaliのChaconneとしての『比較対照』を論じる事は無駄である。
しかし、何度も繰り返し言っているように、Tomaso Antonio VitaliのoriginalのChaconneの楽譜、所謂、原本は存在しないし、Chaconneのfacsimile版自体が、Vitaliの作品である事すら疑わしいのである。
Davidが底本としたであろうDresdenの図書館にあるVitaliのfacsimile版の譜面は、proの写譜屋ならば、絶対に犯さないようなド素人の間違いを数多く犯しているので、こんにち言われ始めている「何がし某」の写譜という説も、私的には疑問を呈している。
もし、proの写譜屋ならば、絶対に犯さない間違いが譜面の随所に見受けられるからだ。
という事で、そのfacsimile譜から、譜面を校訂して行く作業をするに当たっては、楽譜上の間違いへの『kritik』の作業が必要となる。
当然、Bärenreiter版やRicordi版は、kritik-Ausgabe(日本ではなんと言うのだろう??批評版というのがあるのかな??)であり、facsimile版は、参考にされたものであり、譜面も随所で大きくfacsimile版とは異なる。
(勿論、私のVitaliのChaconneのperiod版も同様に私のkritik版でもある。勿論、ornament等も書き加えているので、originalとは大幅に異なるのは、Bärenreiter版やRicordi版とも同じなのだけど・・ )
・・という事で、こんにち私達が演奏しているVitaliのChaconneは、殆どFerdinand Davidの創作に寄るものと言っても過言ではない。
つまり、VitaliのChaconneは、baroqueの音楽ではなく、あくまでも『擬古典』というgenreの作品となる。
ちなみに、私は冗談を兼ねて、『擬古典』と『僞古典』という言葉をよく使う。(『僞古典』という言葉は現実的には無い。あくまでも私の造語である。)
私の場合の定義としては、baroqueの音楽を現代の作曲技法でarrangeする事を、私は『擬古典』と呼んでいて、baroque時代やRenaissanceの時期の実在の作曲家に成り済まして、近現代の作曲家が新しく作曲をする事を『僞古典』と言っている。
しかし、実際には、現実的には、一般的には、・・その区別は無い。
擬古典という言葉すら知らない人達の方が多いのだよな??
ましてや、僞古典なんて、有り得へんのよ!!
十把一絡げの世界なのだよな??
orchestraのversionであるGuido Guerrini(12 settembre 1890~13 giugno 1965)の版も、同様に現代の作曲家の手に寄る擬古典の作品であるのだが、不思議な事に、(・・というか、流石は作曲家らしく、)底本をDavid版に寄っている。
定本がHennri Petri版なのか、originalのDavid版なのかは、originalのDavid版が手に入らない限り分からないので、ここでは保留にしておく。
Guido Guerrini版は、Violinのsoloのpartに関しては、Davidの版を基本的に採用しているのだが、orchestraのpartに関しては、Pianoのpartを、結構自由にarrangeをしているのだけど、和音等の基本的な変更は無い。
原本に忠実な編曲になっているのは非常に好ましいarrangeである。唯、orchestrationが拙い所や、演奏が無意味に難しい所も見受けられるので、kleinigkeitの手を入れて演奏をしているのだが、本格的にarrangeに手を入れるか否かは考慮中である。
そのGuido Guerrini版のorchestra-editionのPiano-Begleitung-version(Piano伴奏譜)は、orchestraの譜面を出版しているzanibon-verlagがPiano-versionの楽譜も出版しているようだが、出版社が小さいので、その楽譜を日本で手に入れる事は今の所難しい。
教室としては、巷の音楽教室に過ぎないのだから、VitaliのChaconneを練習させる時に使用する譜面は、一般の先生達と同様にCharlier版を使用して指導して来たのだが、今回、生徒がVitaliのChaconneを練習するにあたって、幾ら権威のある版だとしても、毎回・毎回、同じCharlier版で指導するのでは、勉強する生徒に取ってだけでなく、指導する側に取っても勉強にならないので、Ferdinand Davidのoriginalの譜面、所謂、初版の・・、(つまり、Hennri Petriによって改訂される前の)『Die Hohe Schule des Violinspiels』の中に入っているDavidのoriginalのChaconneの楽譜で指導して、今回の発表会に臨むつもりであったのだが、その楽譜を探しているのだが、それが全く見つからないので、Hennri Petri版を使用して発表会に向けて練習する事にする。
色々とaccessして見ても、David版と称する楽譜は、全部、Hennri Petriの改訂版しかhitしないので、今回は時間切れという事で、致し方あるまい。
そのHennri Petri版でさえも、こんにちでは出版されていないのだから・・??
今も、可能性のある楽譜を注文中なのだけど、無駄にkleinigkeitの楽譜ばかりが溜まって行ってしまって、困った事だ!!
超有名なVitaliのChaconneのDavid版に寄る原本を探すのが、こんなにも難しい!!・・とはね??
今日は3日の夜です。
椎名町に以前、当てずっぽうに注文を出していた楽譜が着きました!
なんとなんと、思った通りにFerdinand Davidのoriginalの版でした。やって見るもんだ!!
出版社はSchirmer版でした。
表紙にはちゃんとDavid版と書いてあったよ。
catalogueに改訂者名が落ちていただけだったのだよな??
いや~ぁ、これでひと安心だよな??
出版社を探す苦労が無くなった・・という事で・・。
ちなみに、Charlier版のよる小学1年生の女の子の演奏時間は10分48秒(演奏timeではなく、舞台での挨拶を入れた時間です。)
同様に、orchestraのGuido Guerrini版の演奏時間は14分18秒の舞台timeです。
Charlier版は至る所のVariationがcutされているから短くなっています。Guido Guerrini版はCharlier版よりも4分近く長くなります。これも嫌われる理由かな??
8月2日日本の民族音楽の歴史の中には3拍子は存在しない。 ·
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日本の民族音楽の歴史の中には3拍子は存在しない。
日本のtraditional(伝統的)な音楽の歴史の中には3拍子の曲は、1曲も無いのだよ。
日本人の持つrhythmの感性の中には、3拍子は無いのだ、・・という事で、日本人の音楽家は基本的に3拍子を弾く事が苦手で、6拍子や9拍子等の3拍子系のrhythmを演奏するのが出来ない人が圧倒的に多いのだ。
初歩的には、Beyer教則本に出て来る3拍子と6拍子の奏き分けを、区別をする事が出来ない人達が、音楽の指導者を含めて数多く見受ける。
その極端な例はBeyer教則本の3拍子を、『ジンタ』で弾く人が意外と多いのだよ!
「ジンタで弾く」とは、3拍子の3拍目の音を伸ばして弾く事を言う。
19世紀の後半から、サーカスや遊園地での音楽として、この3拍目を伸ばす3拍子の独特のrhythmが流行ったのだが、不思議な事に日本人には3拍子のrhythmを、そのようにしか弾けない人が多くいる。
NHKの深夜のテレビの終了時に出て来る脳ミソのお化けのBGMで使われている音楽のrhythmでも、使用されているのだ!
『ジンタ』の場合には、3拍目を伸ばすのだが、通常の1拍目を伸ばし気味にして、2、3拍目を軽いleggieroで弾くという、所謂、極々、普通のWaltzのrhythmが日本人には難手らしい。
初めてPianoを学ぶ子供にBeyer教則本を指導する時に、3拍子の弾き方が出来なくって、『ジンタ』の弾き方になってしまう子供は、意外と多いのだよ。
その理由は、Pianoを弾く時に、体が硬直して肩から腕が固くなってしまう事によって起こる現象なのだが、体の力を抜いて脱力して軽やかに3拍子のrhythmを弾く事は初心者に取っては意外と難しいのだよ!
これまでの話しは、「3拍子の音の中で、どの音を伸ばすのか?」という話しで、音そのものの長さの話しではないのだが、3拍子の3つの音は、Europaの舞曲等の音楽では均等に弾かれる事の方が少ない。
3拍子には均等に3等分割された3拍子のrhythmの他に、1拍目が詰まって短くなるrhythmと、1拍目が逆に長くして、後の2、3拍目を詰めて弾くrhythmがある。
それに1拍目と、2、3拍目が、(2拍子の裏拍の1拍になる、)恰も2拍子のように演奏する3拍子のrhythmがあったりする。
こういった訛ったrhythm(swingしたrhythm)を理解させるのには、口頭で説明するのは困難であり、実際に指導者が演奏して口移しで覚えさせる体感的な感覚的な習得の方が望ましい。
1拍目が詰まるrhythmの典型的な例はMazurkaやWaltzにも代表される民族舞踊によく見受けられるし、その逆で、1拍目が伸びて、その分、後のrhythmを詰めて弾く舞曲も多く、その典型的なのがPolonaiseであろう!!
また、waltz等で、2、3拍を最初の1拍に対して、同じような長さにまで縮めて演奏する、1拍目と2,3拍が恰も2拍子のように演奏するrhythmの奏法は意外と古くからあって、Vivaldi以前の時代から、現代のShostakovichのsecond・Waltzに至るまで、音楽の歴史の至る所で随所に、無数にそのrhythmの実例を見る事が出来る。
指揮者が3拍子の曲なのにも関わらず、down、upと、2拍振りの指揮をしているので、直ぐにそのrhythmである事が分かる。
(「見て分かる』という意味は、そのrhythmがあまりにも自然で、素人目には、普通の3拍子の2、3拍目が気持ち詰まったrhythmで弾いているWaltzのようにしか聴こえて来ないからなのだ。)
教室のrepertoryとしては1拍目の詰まるländlerは、YouTubeの演奏にupしているF SeitzのViolin-concertoの3楽章に代表されるのだが、2、3拍が詰まって1拍になる独特のländlerのrhythmは、古くは、Vivaldiの四季の秋の中にも、或いはIl favoritoの3楽章にも見受けられる。
これらのrhythmは、舞曲のrhythmなので、理屈で説明するのは逆に困難で、舞曲のstepを覚える方がrhythmを覚えて弾くよりも早道である。
例え踊れなかったとしても、その踊りを頭の中でimage出来れば、そのrhythmを体で表現出来なかったとしても、体幹として音楽で表現する事は出来る!
これはあくまでも私個人の持論に過ぎないのではあるが、2拍子は行進等の直進(直線)運動であり、3拍子は舞曲の円舞曲、所謂、円運動で舞う曲なのだ。
Barcarolleやpastoraleのような、或いはBerceuse等の曲はゆりかごやgondolaにゆっくりと揺られるような『揺れ』を体幹すれば良いし、またそれぞれの舞曲は、同じ舞曲であったとしても、速いtempoの舞曲と遅いtempoの舞曲がある。
2拍目に強拍が来るChaconneやsarabande等も、速いChaconneや遅いChaconne、速いsarabandeもある・・というと、驚かれてしまう。
それを時代的な理由にしている音楽理論の書物が多いのは時代錯誤で、困った事である。例えばChaconneが巷の飲み屋でGypsy達の手で踊られていた時には、何度も禁止命令が出た程の卑猥な踊りだったとされ、後の世に宮廷に入って来た時には優雅でゆったりとした舞曲になった・・とされるのが音楽史的な通説とされる。
しかし、baroque-danceの観点からchoreographyに寄って、調べて見ると、Chaconneでもsarabandeでも、時代的な異差は無く、要するに力強く、技術的で速い『男踊り』と優雅で上品でたおやかな『女踊り』の違いなのだよ。
corelliでもVivaldiでも速いChaconneやゆっくりとしたChaconneの両方を作曲しているので、音楽の理論書の記述は誤りであるぞよ。
初歩的と教材では、Pianoでは、Waltzのrhythmの曲は、多数の曲があるのだが、残念ながら・・というか不思議な事に、ländlerの形式の曲は見つからない!ländlerとされる曲でもshort-peaceの単一の曲である場合が殆どで、ländler組曲という大曲で書かれたものは未だ見た事はない。
Violinでは、F SeitzがOp.15のD DurのconcertoのⅢ楽章を、その典型的な『ländlerの形式』で書いている。
ländlerのrhythmで書かれた曲は多いし、ländlerと指定が無い場合でも、ländlerのrhythmで弾く事は非常に多いのだが、ländlerの形式で書かれた大規模な曲はあまり無いので、このSeitzの曲は、結構珍しい例である。
音楽の形式理論的な意味では、単純な大rondo形式に過ぎないのだが、ländlerⅠはゆっくりから始まって、徐々に早くして行く、ländlerⅡでは、私が普段Bären-Tanzと呼んでいる重くゆっくりとしたtempoと非常に速いtempoが交互に繰り返される。
Bären-Tanzとは、BartokがHungaryの民族danceを、子供のために可愛らしく言い表した熊さんdanceの事だ!
所謂、Hungarian Rhapsodyの形式と同じように後半では段々早くなって行くというお定まりの舞曲の形式である。
Hungarian Rhapsodyの場合にはABCという3部構成が、序破急の型になっているのだが、そのAの部分がländlerⅠ⇒Ⅱ⇒Ⅰの型になっている。
次にBの中間部なのだが当然、緩のmelodieが来て再びländlerⅠに戻るのだが、今度は徐々に早くなって行くRhapsodyの形式に準じるのだよ。
そう言えばこの中間部に『ジンタ』のrhythmが使われているのを言い忘れていたよ。
Seitzのこのländlerで書かれているⅢ楽章は、お定まりの型に嵌った形式で書かれているのだが、日本ではその型自体が書物に紹介されていないので、困ったものだよな??
Seitz violin-concerto Op15 D Dur芦塚陽二orchestration及び指揮芦塚陽二14年4月6日芦塚音楽研究所千葉教室 - YouTube
8月3日cooler病 ·
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土曜日から、日曜日に掛けてよく眠れなかったので、日曜日の夜に先生達が千葉のオケ練習から帰って来て食事を済ませてからのドルプリっ歩はお久し振りに体調の限界になってしまってpassをしてしまった。
体調不良で、未だaround11時だというのに、爆睡してしまったまでは、とても良い事だったのだが、直ぐに夢を見て起きてしまい、短時間の間に、2度寝、3度寝をしてしまった。
良い眠りとは言えないので、疲れが取れないのだよな?
体調不良の原因をよくよく考えると、やはりcooler病のようだ。
よくよくcoolerとは相性が悪いらしい。
・・という事で、深夜の2時を過ぎた所なのだが、窓と玄関の扉を全開にして外の空気を取り込んでいると、少し体や心が落ち着いて来た。
善哉!善哉!!
話が時間軸からは前に戻ってしまうのだけど、日曜日の夕方の5時過ぎには少しTeleworkで、生徒達の練習に付き合ったのだけど、子供達は、長期間私の顔を見ていないので、「病気でハイツに引き籠って寝込んでいる」と思っていたようだ。
まあ、2018年の10月の発表会の直前も、子供達に一言も言わないで、突然に入院して、そのまま発表会に突入したので、子供達が不安にかられて右往左往していたようなので・・その記憶がまだ残っているのかな??
つい先日まで、私も体調不良が酷くって、「10月の誕生日まで生きれるだろうか?」と毎日毎日、不安にかられていたので、生徒達の不安はあながち外れてもいなかったのだろうが、今現在では、そんなに体調が良くなって来た分けでもないのに、今の気分では、まだまだ後暫くは生きて行けるような気がするのだから不思議なもんだよな?
精神状態の有り様は、体調の良し悪しではなくって、一体何が違ったのだろうか?
体調不良が、直接、欝を呼び起こし、生きて行く力を萎えさせるものだと思い込んでいたのだが、今は、毎日が、体調不良であって欝であったとしても、直接的には自分の生命力に対しては、あまり関係が無いように思えて来てしまった。
体調不良と鬱と、生きて行く生命力への相関関係は、今のところ、全く関係がないように思っているのだが、いったいどこでどのように、将来への生存の不安感を産み出しているのだろうか?
くどいようだが、これまでは体調不良が酷くても、鬱でなければ、生きて行く事への不安感は出ない、と思っていたのだが、鬱でなくても、生きる事への不安感が増す場合も多いし、鬱が酷くっても元気な時もあるので、その理由と原因が見つからなくなってしまったのだよ。
まあ、うだうだと書いては見たのだが、今、現在のところの精神状態は、そんなには悪くないのだから、良いのだよな??
体調不良は相変わらず酷いのだが・・・??
朝の9時半を過ぎて、急激に気温が上がって来たようなので、部屋の窓を全開にして、自然の風で涼を取るのは、そろそろ限界に達して来たのかな?
部屋の温度はついに30°越えになってしまって、何もしなくても、体が汗ばむ程になって来た!
時折、涼しい風が入って来る事はあるのだが、体へのostinato的温度が堪らなくなって来たので、諦めてcoolerにするぞぃ?
ostinato=固執音(rhythmの場合も含む)ostinatoはよくorgelpunktや、保続音とも同一視される事があるのだが、作曲学的に言うとそれは誤りである。
ostinatoは音型やMotiv(果てはrhythmに対しても)に対して使われる場合が多いので、持続音であるorgelpunktとは性質を異にするのだよ。
https://www.facebook.com/100004230614853/videos/1691957617621909/
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コメント
村田 晟
私もcooler苦手だけど、仕方なく作動させて・・・毎年この時期に夏風邪に罹るのだが、今年は罹りたくないなぁ~新型コロナと紛らわしい(笑)
· 返信する · 23週間前
芦塚 陽二
例年だと、スタンド型の除湿機で部屋を乾燥させると、結構な温度でも凌ぎやすいのですが、今年はその裏ワザが使えません。除湿機で熱くなってしまって、とても無理です。仕方なく、可能な限り最少でcoolerを使っています。咳をするだけで、白い目で見られるので、ご注意を・・??
· 返信する · 23週間前
8月3日『basso continuoについてのこもごも』 ·
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日本で結構有名な演奏家の実力者の人達が集まって、Vivaldiの演奏をしているのを聴く機会を得た。(それは夢の中の話だったのか??現実に聴いたのか??は今となっては定かではない。しかし、演奏者の名前も調べる事が出来るので、この所、現実的なコンサートの会場には行った事がないので、You Tubeかなにかで聴いたのかも知れない。)
Violinのsolisteだけでなく、continuoのcellistも、当然、Cembalistも、結構、中堅揃いの有名な人達だったのだが、一瞬聴いて分かった事は、「この人達はbaroqueの音楽を聴いた事がない」・・という事だった。
(・・こういう言い方をすると、何かと語弊があるので、言い直す・・とすると、「彼らに取ってのbaroqueの音楽は、聴いても、演奏しても、価値も意味も持たないので、とう言った音楽に対して、興味を抱く分けでも無く、ただoberflächlich(表面的)にサラサラと弾くだけ・・だから、なのだよ!!」・・という意味です。orchestraは、Beethoven以降の時代から始まる音楽なので、それ以前の音楽としては、例外としてMozartだけです。Haydn以前の作曲家達は前時代の作曲家達なのですよ。ましてやbaroqueやRenaissance等の作曲家は、Cambria紀の化石なのだよな??)
まあ、soliste達はいつの時代も、いつの人達も、それがsolisteなのだから、勝手気ままに弾く事は、致し方ない事だ・・としても、basso continuoのCelloを弾く人達に取っては、幾つかの決められた弾く上での約束事があるので、それを厳守しなければならないのだよ。
・・という事は、言い換えれば、その『幾つかの約束事』をmanual化してしまえば良い分けなのだが、日本人でcontinuoーcello演奏する人の中で、continuoの定められた奏法を守って弾いているcellistは、有名・無名に関わらず・・未だ見た事がない。
コンサート・ホール(Koncert-Hall)での演奏のような、そんな大舞台の話は、さておいたとしても、(・・兎も角として、)教室の生徒達の演奏でも、(Celloの上級生であるにも関わらず、)continuoのCelloを弾いた事がない、或いは、continuoの弾き方のrule(約束事)を知らない生徒が居たりして・・、すっかりと驚いてしまった。
この数年の間に、受験や家庭の諸事情で、普段のオケ練習に参加出来なかった生徒達が多かった結果なのだが、curriculum的に指導出来なかった所為なのだよナ。
・・という事で、教室の生徒達のためにも、「continuoの奏法」のmanualが必要に思えて来た。
ここの所で、意外と犯し易い間違いは、Cembaloの 通奏低音の教科書である『bezifferten Baß』の教材は洋の東西では結構出版されているのだよ。
私が言っているのは、同じbasso continuoの演奏法にしても、通奏低音を弾く楽器であるcelloやviola da gambaという楽器のgenreでは、『continuo-cello(gamba)の演奏法』に関しての解説や弾き方の説明のmanualとなる本が出版された事は無い・・という話なのだよ。
『basso continuoの弾き方』を学習するためには、別にconcerto-soloのcontinuoのpassageを弾かなくても、音楽の形式的には、concertoのritornello形式であろうと、triosonate等の、baroqueのViolinやcelloのsoloの名曲をbasso continuoとして弾くだけでも、continuoの弾き方としては充分に習得出来るハズなのだが、baroqueのsoloの曲を、『soloとCembaloとcontinuo』で、古式豊かに演奏する酔狂な音楽教室は、多分世界でも皆無に等しいだろうし、通常のコンサートとしても、そんなに多く演奏会がある分けではないのでね??
聴く機会も、ましてや弾く機会も、極限られた演奏団体のみで、中々勉強しようと思ってもchanceは無いのかも知れない。
一般的なコンサート等の場合では、baroqueの有名なsoloの曲を演奏する場合にも、古式豊かな楽器によるよりも、寧ろPiano伴奏の擬古典の曲を演奏する機会の方が多くて、その場合のPianoの左手の演奏法は、『continuoの弾き方』にはならないのだよ。そこが、ensembleとしては、何年baroqueの音楽を演奏したとしても、baroqueのperiodの奏法に繋がって行かない原因になるのだよ。
斉藤先生が、今、課題にしている・・Ferdinand Davidの『Die Hohe Schule des Violinspiels』のseriesも、多くの曲を選曲、selectした時代背景は基本的にはbaroque時代からなのだが、Pianoにtransposeした時点で、弾き方は現代風の擬古典の弾き方になるので、伴奏者に取っては、continuoの弾き方の勉強にはならないのだよ。勿論、擬古典の音楽であったとしても、一応はpolyphonyの交唱の理論までは、伴奏者にも要求はするのだけど、根本的にbasso continuoとは違うのでね??
教室のmethodeとしては、Vivaldiの初歩のconcertoの伴奏であるcontinuoから、curriculumに従って、順にcontinuoの奏法を覚えていけば良いのだが、それは理屈ではなく、実際のオケ練習で生の音楽として勉強しないと習得出来ないので、上級生のその場限りのspot演奏としての助っ人的な参加では、学び取り身に付ける事は出来ないのだよナ??
確かに、continuoの弾き方はそんなに多くは無いのだけど、かと言っても、Gene-pro(General-probe)の時の説明だけで、弾ける程には簡単なものではないのだから・・。
continuoの奏法は、そんなに数多い奏法がある分けではないので、manual本というか、そんな大仰なものよりも、『continuoの教則本(手引き書)』程度の小冊子でもあれば良いのだが・・、ここでハタと困ってしまった。
つまり、「古い時代の古式豊かなcontinuoの弾き方を、文字に書くだけで、生徒達に伝わるものであろうか?」という悩みである。
小冊子に纏める時の一番簡単なpointは、『これは**という独特の奏法である』と奏法の名前で演奏法をlectureする事なのだが、continuoの弾き方というものは、慣習的な要素が強いので、その弾き方の一つ一つに名前が付いている分けではないのだよ。
soloがこういうthemaを弾いている時には、continuo-Celloはこういう弾き方、soloがこういうmelodieを演奏している時には、continuo-Celloはこういう風に演奏する・・と、相対して弾くだけなのだが、その弾き方の種類は、そんなには多くは無いので、periodに慣れて行けば、覚える事が出来る程度の話なのだけど、そのcontinuoの奏法の色々を私が改めて定義をしていけば、manual作成は出来るのかな??
これまでは、歴代のcelloの生徒達には、オケ練習の間に、baroqueのcontinuo-celloを何曲も数で弾きこなしている間に、その弾き方のコツを掴んで来て貰ったのだが、オケのcontinuoを本番だけしか弾いていない・・つまり、オケ練習に参加していない生徒も増えて来ているので、まあ、教室としては、そろそろmethode化しなければならないのかな??
それについての問題は、繰り返しになるのだけれど、『弾き方(奏法)をどのように言葉で説明出来るのか??』という課題になるのだが・・
実際に、そこの所のpassageを、「そこはこういう風に弾くんだよ!」と言って指導して見たのだが、そういう風に弾いているのにも関わらず、continue風にならないのだよな?
外国人が初めて日本語で喋っているような感じだよ?
いやあ~、困った!困った!!
baroqueの通奏低音の奏法を勉強するためには、弦楽器の音の出し方のhow-toを学ぶ方が手っ取り早い。
「音の出し方」には音の出始めと出終わりと間の弾き方に分けて分類するとgunstig(便利)である。
弦楽器の基本的奏法に『detache』と言う奇妙な奏法がある。電子音ならばいざ知らず、自然界の音としては『detacheの奏法』は存在しない。
あくまでも理論的な音である。
図に書き表すと、多分次のようになる。(写真①)
音の『立ち上がり』はそれぞれの楽器で全く異なる。
Pianoの場合の音の『立ち上がり』は、hammerで弦を打った瞬間に、打撃音、所謂、衝撃音が出るのだが、ほんの一瞬で弦で、Pianoに共鳴した音に変わる。
人はその共鳴音を、実際のPianoの音として聞くのである。
管楽器やpipeorganの場合でも、音に人為的に『立ち上がり』の音を入れる。
音を際立たせを作るために、わざとclipの雑音を入れるのだ。その後で本来の音を出すのである。
弦楽器の場合にも、その衝撃音を出すために、弓を弦に接着させて、(clipさせて)弓が動き始める瞬間に弦から引き離される衝撃音として『立ち上がり』の音を出す(表す=表現する)のだ。
しかし、それはあくまでも、 François Tourteが弓を現代のbowに改良して(作り変えて)以降の話しである。
Tourte-bowの初期の形である通称Tartini-bowは、今日、baroque-bowとして、よく用いられる事があるが、本来的なbaroque時代や古典派の時代のbowとしては弓の長さや張りでbaroque時代のものではない。過渡期のbowに過ぎないのだが、本来のbaroque-bowを弾ける人がいないので、変わりに現代では用いられる事が多い。
勿論、教室では、弓の持ち方自体がperiodに従っているので、baroque-bowで弾く事は難しい事ではない。
baroquebowと現代のbowでは、その音楽表現の幅(範囲)が全く異なる。
本来の華奢なbaroque-bowならば、clip奏法やdetache奏法で演奏をすると、弓が折れてしまうだろう。
ましてや、手首を捻って弓を強い力で押さえ付ける3点支持の弾き方では、baroque時代の弓は加圧的に耐えられない。
・・よってbaroque時代や古典派の時代には、detacheやclipの奏法は存在しないのだよ。
古今東西を問わず、Beethovenの弦楽Quartett等のsfz(sforzando)をclipでキャンキャンと強い力で弾いている演奏団体が未だに多いのには辟易される。
Beethovenはその力強い作曲様式にも関わらず、あくまでも古典派の作曲家であったので、彼の元に持ち込まれたdouble actionのPianoを毛嫌いして、single actionの楽器に拘ったのだよ。
だから、Beethovenの音楽の演奏も、今日演奏されているような激しいものではないのだよ。Beethovenは古典派の時代に生きた作曲家であるという事を忘れてはいけない。
Beethovenの力強い音楽と、演奏のstyleは別のものだからである。
BeethovenのSymphonieを演奏する時に、世界中の殆どのorchestraは、Beethovenの書いた管のpartを現代の管のpartに書き換えて演奏をしている。
Beethovenが書いた管のpartは自然管の楽器のためである事を忘れてはいけない。音の動きが不自然なのは、自然倍音に従って音を出すためであり、当時としての常識なのだよ。
同様に、Beethovenが、非常によく用いたsfzは強い音を表す記号ではなく、拍の強拍の位置の変更を表すものであって、あくまでもaccentを表しているのでは無いのだよ。
その事を知らないままに、現在の演奏の表現解釈として鋭く強く演奏している演奏家が多すぎて困ってしまうのだよ。
BeethovenのPianoの曲で、何度も繰り返しfortissimoが書いてあるpassageがよく出てくるのだが、それも、Beethovenの意図は、人間は延々と同じfortissimoが続くと、耳が慣れてしまって、fortissimoがforteに聴こえてしまう傾向があるのだよ。そのために、今fortissimoを弾いているのだという確認のために、fortissimoを書くのだよ。
それを、演奏する場合には、fortissimoの間に「膨らまし」を入れて、fortissimoを確認するのだよ。
現代のPianoで演奏するように、常時fortissimoで弾いてしまっては、昔のforte-pianoでは弦が切れてしまうじゃないの??
それも、時代考証のない・・「Beethovenという人間性」という根拠のないimageだけで解釈した情緒的感情的な演奏なのだよ?
・・という事で、教室では、baroque時代の作曲家から古典派の時代の作曲家までの演奏には古典奏法で指導をして、ロマン派の時代からは現代のbowの奏法での指導している。
つまり、子供達への指導でもちゃんと時代考証に従って・・・という分けである。
音楽大学では時代考証はしないけれどね??
まあ、いずれにせよ、この話をFacebook上で書き綴るのはgunstigではない。
文章があまりにも膨大になってしまうからで、私の『Beyer研究』や『Violin教則本』や『Cembalo奏法』等々のように、冊子の領域になるからである。
という事で取り留めも無くなる前に、ここいらでやめておく事にしよう。
写真1枚目が私の所有の、本来のbaroquebowとTartinibowである。
写真2枚目はbaroquebowと現代bowとの比較である。
弓の先端の部分の高さがかなり違って、弓も逆反りになっているのが現代bowの特徴である。
それに寄って強い張りを得る事が出来るようになった。
8月4日夢の中で ·
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日曜日の夜は、摂眠障害と体調不良の頂点で、ドル・プリっ歩をpassしてしまったのだけど、月曜日は摂眠に努めて、一日安静にしていたので、夜の散歩もちゃんとこなす事が出来た。
相変わらず、睡眠時間は短かくて、頻繁にtoiletとbedを往復をしているのは変わらないのだけど、これまでとは少し違っていて、睡眠の質は良い。
夢を見たとしても、その夢はpositiveなhappyな夢なので、気色が悪くなる事も欝になる事もないので、睡眠時間が足りなくって疲労感は残ったままでも、体調的には悪くないのだよ? 不思議だよな?
私の場合には、良い夢、悪い夢を見るのにも関わらず、自分の夢を見る時には、その登場する人物に知った人は登場しない。
どんなにrealityのある夢でも、登場する人物は見知らぬ人であり、場所も見知らぬ場所である。
心理学者は、「夢はその人の昔あった体験の中の断片から導き出されたものしか見ない」・・という言い方をする心理学者達が多いのだが、私の場合には、SFを見たくなると夢でSFのdramaを見る事がある。
その場合にも、私はあくまでも映画を見ている観客であり、夢のdramaの中に登場する人物ではないのだよ。
また、夢からideaを貰って、次の日からの仕事に活かす事もあるので、体験説には基本的に反対である。
昨夜の夢に登場した人達を思い起こしても、どんなに考えても過去に会った事のある人でもないし、ましてやテレビドラマに登場する俳優やtalentの顔でもない。
夢の中で、親しく話をしていたとしても、やっぱり「初めまして??」の人だよな??
夢の中で登場する私も、20代か、歳を経ていたとしても30代なので、その頃の私が私に取っては体力と気力と行動力に満ち溢れたbestの時代なのかな??
ボロボロの今の自分が登場しないのは、至極当然なのだろうけれどね??
だって、内観的に言うと、俺が望んで歳を取った分けではないからね??
誰しも若い頃の自分が良いのに決まっているサ!!
「・・で、どんな夢??」って?
「それ、聞くの??」
そりゃあ、私が聞きたいよ?
夢の中でうだうだと会話しているだけなので、「なんでこんなくだらない夢を見るのか?」と言いたいよな?
でも、まあ、夢になにかしら建設的な事を求めても、現実と重なって、疲れるだけだからね?
それじゃあ、夢ではなくなってしまうからね?
一応は、夢は心身のわだかまりを解きほぐす・・という役割もあるのだそうだからね??
それはそうと、今日は満月の予定です。
写真が撮れるか?
今日は微妙な天気なのですがね??※)
写真と言えば、下の写真は、牧野先生から送って来た『今日の椎名町の収穫』だそうです。
大漁!大漁!!
今夜は浅漬けで一杯かな?🍶
お昼の1時半を過ぎた所です!
あまりにも暑いので目が覚めてしまったのだけど、携帯で気温をcheckして見ると、・・なんと34°越えです!!
「それは大変だ!!」「熱中症になってしまう!」という事で慌ててcoolerを最大の設定温度の30°にsetしました。
30°以上はset出来ないので、仕方が無いのだけど、結構実際の気温の34°からの4°差は体に堪えるよな??
通常、coolerをsetする時には、(±)0になるようにsetをするのだけどね??
私に取っては、体感的に暑くもなく寒くもない温度が理想的な温度なのだよ??
いや~ぁ、それにしても、今、熱中症騒動で起きる直前まで、全くの偶然なのだけど、夢を見ていたのだよ!
そう、確かに、見ていたのだ!!
忘れない内に、急いで書き留めておきます!(夢は直ぐに記憶の底から、無くなってしまうからね?)
「以下、夢の話です。」
どこかの大都会の大きな人が混雑している商業施設の二階の通路に面したガラスで仕切られた飲み屋で、大学の先生やその弟子達と私と私の弟子達が3密の状態で一列のカウンターのような窓際のテーブル席で、ビールを飲みながら侃侃諤諤とお喋りをしているのだけど、注文を取りに来た割烹着の若衆に刺身を頼んだら、ビニールの真空包装に薄くパックされた魚を何枚か手渡されて、「この1枚だけ高いですよ!」と注意されたので、その1枚を外して、更にシートの中から何枚かを選んで、「これどうやって食べるの?」って聞いている所の光景だった!
ビニールのシートパックを自分で開けて食べるのらしいのだが、「山葵醤油とかはどこにあるんだ??」・・と尋ねている風景でもあります。
大学の先生達との話している内容は、いつもの辛辣な演奏会の批判で、意気投合している風景だった!
会場を出る時に偶然一緒になって合流したらしいのだが、勿論、誰か見知った人達ではないし、私の年齢も若かった!
先生達も、コンサート会場で引っ掛かっているようで、後から来る予定なのだが、こんなに混んでいては、座れないよな?
・・私は30代の後半ぐらいの年齢かな?
相手の大学の先生も私と同じくらいの年齢で、夢の中では「**先生!」とちゃんと名前を呼んでいたのですが、起きて文章に書いている間に、直ぐに忘れてしまった。
それに、お酒も、結構美味しかったぞよ?
真空パックの刺身の味は・・?
・・それは、食べる前に目が覚めたぞぃ??
う~ん??残念!!
私の夢は結構realityがあるので、夢の中の自分が本当の自分で、起きた時の自分が夢の中の自分であるような気がする場合があります。
夢の中の自分に起きた時に、現実の世界の自分は死ぬのかな??
これは所謂、negative thinkingだよな??
くわばら!くわばら!!
※)今は5日の早朝の3時です。案の定、分厚い雲に覆われて、今夜の満月様にはお逢い出来ませんでした。月曜日の夜に見た満月が今年の8月の満月です。
8月5日ぐい呑のお話 ·
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牧野先生が日本酒のおつまみに生ウニを買って来てくれました。
ぐい飲みは90ccから100ccぐらいのぐい呑で飲んでいるのですが、同じようなsizeのお洒落なぐい飲みを、何個か持っているのですが、残念ながら火花が飛ぶのでレンジで使う事が出来ません!
わざわざ「徳利でお燗をしてぐい呑に移して飲む」・・という事は面倒くさいので、testで使って、火花を確認してからは、折角お洒落なぐい呑なのですが、全く、使っていません。
ここまでのお話は、全く同じお話を以前にもFacebookに書いたので、繰り返しになってしまいますが、それを分かっている上での繰り返しなので、認知症ではありません??多分??
写真の二つのぐい呑は、金粉が練り込まれているので、レンジに入れると火花が飛びます。
私が随分昔から探している、90㏄や100㏄ぐらいのsizeのぐい呑は、江戸時代に蕎麦猪口の型をしたぐい呑、所謂、「蕎麦猪口ぐい呑」というgenreで作られていた事があるのですが、そのぐい呑ならば、レンジでも使っても大丈夫なので、netでも随分長い間、探しているのですが、「そば猪口ぐい呑」はnet検索に掛けると、「蕎麦猪口」と「ぐい呑」の別々にしかsearchされないので、大変面倒くさい事になってしまいます。
おチョコのgenreでは、「蕎麦猪口ぐい飲み」という一つの括りが無いようで、「蕎麦猪口ぐい呑」という括りの中で引っ掛かったたった2個の「蕎麦猪口ぐい呑」はどこから見ても、蕎麦猪口ではありませんでした。
新品ではなく、骨董品のgenreでは、流石にちゃんと見つかるのですが、値段も、物自体も、実用性には乏しくって、とても購入出来たものではありません。
よく似た物は、時折見つかるのですが、sizeが全部大きすぎて、使い物にならないので、頑張って探してはいるのですが、未だに見つかりません。
・・・という事で、気にいったsizeのお洒落なぐい飲みが見つからないので、未だにコンビニで買ったコップ酒用のコップを使って呑んでいます。
90㏄という意味は、『半合のぐい飲み』・・という事だけなのですが、1合の徳利に対して、「半合のぐい呑」・・というのは、結構、深夜の欝呑みの目安としては、ちょうど良いsizeなのですが、その一番ありそうなsizeのぐい呑を探す事が、そんなに難しい注文なのかな?
驚いてしまいます。
という事で、いつまでも、ガラス・コップでもない・・と思い立って、netで、一番sizeの近いと思われるぐい飲みを注文しました。
dataでは、ガラスコップよりも、少し大きめの150ccなのですが、絵柄がすっとぼけているのと、蓋がついていたので、気に入って3個だけ購入する事にしました。
実際には、ひれ酒専用のぐい呑だそうですが、見た目に気にいったし、陶器なので、レンジには反応しないと思われるので、思い切って3個だけ購入して見ました。
荷物が到着して、直ぐに水を入れて、実際にガラスコップと容量の比較をして見たのですが、誂えたように、ぴったりと同じsizeでした。
写真だと、ガラスコップに対して、陶器だと随分大きめに見えてしまうのですよね?不思議だ??
8月5日『音の立ち上がりの話』 ·
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今日は練馬は35°だったってよ?
もう笑えるよな??
今日はうがい薬の買い占めだってよ??
なんだろうね??
『音の立ち上がりの話』
芦塚methodeでは、弓の使い方を説明する時に、A.[弾き始め]とB.[移動]とC.[弾き終わり]の3つに分けて説明する。
後はその組み合わせだからね??
A.の[弾き始め]は、いつ弾き始められたのか分からないような始め方、(教室ではタイスの瞑想曲やBachの組曲ロ短調のアリア、所謂、G線上のAriaと称される曲の入りやStamitzのconcertoのⅡ楽章の入りで、実際に演奏している。)
その逆は弾き始めにaccentの破裂音を伴う所謂、clip奏法がある。但し、clip自体は楽音ではない。あくまでも雑音に分類されるのだよ。
前回のPageでも述べたように、自然界にはdetacheの開始音は存在しない。音が立ち上がる瞬間は0からの加速が必要だからだ。しかし、終止のdetacheは存在する。突然、音を断絶させる事は自然界でもよくある事だからである。
つまり、音楽の演奏上での音の立ち上がりはその範囲の内で、曲に合わせて使い分けるのだよ。
C.の[弾き終わり]も、同様に分析出来る。いつ終わったのか分からないような終わり方と、終わった瞬間がはっきりと分かる終わり方がある。
終わりへのpatternも、終わり始めで減数する終わり方と、なるべく最後の方まで、終わらないで急激に減数する終わり方がある。
B.の[移動]に関する例なのだが、通常の移動と、弓を空滑りをさせて瞬間的に移動する特殊な方法があるのだが、baroqueや古典派の時代の奏法としては、mastな奏法になる。この奏法は使用している人は多いのだけど、奏法として知られている分けではない。慣用的に弾いているだけなのだ。
Bの部分が多いと全弓になるし、全くないと、最小限の弓になる。
言ってみれば、弓の使い方なんて、これだけのものなのだが、その塩梅を覚えるのは難しい。
例えばAの「膨らまし」なのだが、これが一歩間違うと、Europaの音楽家達が一番毛嫌いをする、日本の押しの所謂、「コブシ」になってしまうのだが日本人にとっては自然な弾き方なので、その落差が大きい。某有名国立の音楽大学の卒業生の多くの人達が持っている「日本人の悪い癖」になってしまっていて、国外の有名な指導者達が幾ら指導しても治らない!!Schwalbé先生に至っては、治らない病(当時は・・)という事で、エイズ奏法と呼んでいた程である。
こんにちでは、もうエイズは治療可能な病になったのだが、日本人の弾くエイズ奏法は未だに治る気配はない。
また、日本人の弦楽器の弾き方は、東洋人の感性というか、音の出し方から、私達がどう聴いても、二胡の音に聴こえてしまう。Celloに至っては馬頭琴の音に聴こえるのだよ。
それは音の立ち上がりとkonsonanzに対しての感性の違いに原因がある。
石造りの家に住んでいる国民と、高温多湿の木の家、紙の家に住んでいる東洋人との音に対する感性の違いなのだよな??
この話はhomepageの方で詳しく書いているので、これ以上は触れない事にする。
8月6日蝉の鳴く頃に ·
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今日は8月の6日広島の原爆の日の、朝の4時半をチョッとだけ過ぎた所です。
外では、蝉が鳴き始める前のwarming-upをしています。
ちょうどコンサートの前のorchestraがtuningをしているような風景です。
最初はもっと短く、ウガ・ウガという音だけ・・だったのだけど・・、だいぶ蝉らしくなって来ました。
でも本当に鳴き始めるまでには、未だだいぶ時間が掛かるようです。
昨日は一日のrehabilitationが思っているようには上手く行かなくって、寝込んでしまい、9時過ぎ頃には斉藤先生も千葉から帰って来たのに、私は体調不良で11時過ぎになるまで椎名町に移動する事が出来ませんでした。
勿論、ドルプリっ歩はpassです。
12時を過ぎたので、急いで帰ったのだけど、よく考えたら行ったのが11時過ぎなので、都合1時間も椎名町には居なかったのだよな??
ハイツに戻って来ても、昨日分の仕事をこなすだけのEnergieが出なかったので、お弁当を冷蔵庫に放り込むだけにして、急いでbedに潜り込んだのだけど、何度となくtoiletteに往復してしまいました。
その結果が、『朝の4時半』に繋がって行きます。
今日の、チョッと良い話は、仰向けに寝ているとアバラ骨の所から少しだけ段が出来ていました。(少し痩せた・・という事です。)
気がつかない程度だけど、少し痩せたのかな?
体重は相変わらず変わらないのだけど?
恥骨の辺りは未だに指が骨に直接触れるのではなく、肉厚が、2~3センチはあるので、まだまだ落第ですが、大台ギリギリまで痩せると、それぐらいにはなるようです。
今の所、未だ運動をして痩せる事が出来ないので、「食わなきゃぁ痩せる」の馬鹿げたdiet方法を守るしか能は無いのですが・・・??
色々と昨晩やり残した雑用を片付けていたら、もう1時間も過ぎてしまいました。
雲は分厚いままなのですが、日差しも強くなって来て、携帯での練馬区の温度は26°なのですが、室内の時計の中の温度計では29°です。
複数の時計に入っている温度計の温度なので、結構正確です。
そろそろ諦めて、coolerを入れる事にします。
もう、既に熱中症気味で、頭がクラクラとしかかっているので・・
お昼の2時になりました。室温の設定を最高の30°にしたのですが、coolerが効かなくなって来たので、携帯で調べて見ると、練馬区の気温は35°超だそうです。coolerの設定を、28°まで下げた所です。
部屋の扉を閉めて、部屋の空間をCompactにしてcoolerが効いて来るのを待っている所なのです。
さすがに35°を越すと辛いよな?
今は3時を過ぎた所です。練馬区の気温は33°まで下がりました。流石に28°では寒くなったので、coolerの温度設定を30°に戻した所です。
8月8日Pianoの譜面をarrangeする時に『音痩せ』する理由 ·
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2020年の8月に入って、舞曲のrhythm(3拍子のrhythm)についてお話をしたのだけど、・・所謂、ländlerの説明をするにあたって、大分古い話になって来たのだけど、「2013年の11月作成のSeitzのviolin-concerto Op15 D Durの2014年4月6日の発表会の」演奏を、You Tubeで改めて聴く機会があった。
毎回の常ではあるのだが、自分がarrangeをした以前の作品の本番の演奏を聴き直している過程で、段々とorchestrationが貧弱に思えて来てしまって、何度も聴き直す内に、ついついに手直しを始めてしまった。
確認しておくけれど、生徒達の演奏がどうのこうの・・という分けではなくあくまでも、私のorchestrationの話だよ??
『Pianoの譜面をarrangeする時に『音痩せ』する理由についての弁解!』
私のarrangeが『音痩せ』している理由は、このViolin-concertoをtransposeするためのoriginal(元歩)になった譜面はPianoの伴奏譜なので、私がPianoの譜面からorchestrationをしているので、どうしても痩せして聴こえるのだよ。
言い訳がましく聴こえるので、これはあまり言いたくはないのだけど、色々な人達が犯しているPianoの名曲のarrangeの『音痩せ』の場合には結構貧弱なarrangeが多いのは、Pianoの伴奏の譜面と、orchestraの伴奏の譜面の違いなのだよ。
つまり、Operaのように、最初からorchestraの伴奏で書かれた曲の場合には『音痩せ』は起こらないのだよ。
それはpedal効果の為せる業なのだよ。
「Pianoの譜面から、orchestraにtransposeをすると、どうして『音痩せ』するのか??」というと、Pianoで演奏をすると気には、pedal効果というのがあって、弾いた後の音がpedalでそのまま残って響いているので、ある程度の音は、薄く作曲しておかないと、結構、野暮ったい音楽になってしまうからである。
多くのPiano伴奏の曲をarrangeする時に、orchestraやQuartettの伴奏にarrangeをすると、『音痩せ』をしてしまう事があるのだが、それは、Piano伴奏の譜面はpedal効果のために、ある程度、音をsimpleに薄くしておかないと、逆に変に分厚くなって野暮ったくなってしまうからなのだよ。
だから、Pianoの譜面からorchestraにtransposeする時には、それなりには、一応、『音痩せ』を考慮して、作曲者が書いていない音を補強・補填しながら、和音の厚みをぶ厚くorchestrationしなければならないのだよ。
そのtechnikは意外と難しい!
このstudentconcertの曲の場合にも、arrangeに当たっては、最初から、少し厚めにorchestra風な音になるように配慮してarrangeしたつもりだったのだが、時間を置いて聴いて見ると、やはり作曲者への遠慮のようなものがあって、今一つ、何か音の厚みが足りないのだよな??
それと、『音痩せ』をするもう一つの理由があって、それは、このSeitzのViolin-concertoのpart譜が、教育教材として作曲されているから・・という理由であって、この曲がproの一流のorchestraで演奏される・・という機会は殆ど無く、orchestraで演奏されたとしても、所謂、学生orchestraか、amateur-orchestraが演奏をするので、amateurの音楽家達を対象にして作られているので、演奏も簡単に弾けるように、割とsimpleに作られているのだよ。
折角、頑張ってsimpleに作られた曲をワザワザと難しく書き直すような酔狂なarrangerはどこを探してもいないハズなのだが、超rareに、ここにいるのだよな??アハッ!
同様の事は、私がMünchenで勉強中に偶然手に入れたscoreなのだが、Müller-HartmannのStreich‐Orchestra-versionのscoreで演奏をする予定で練習に入ったのだが、PachelbelのChaconneも、originalはpipeorganの曲をstrings-orchestraにarrangeした版で、originalのPachelbelの譜面は、右手鍵盤、左手鍵盤と足pedalの3声部で書かれていたので、結局、Müller-Hartmannのarrangeは、pipeorganの3声部をstrings-orchestraにcopyしただけの譜面で、『音痩せ』等への配慮もなく、結局の所、書き直しながら練習をしていたのだけど、余りにも酷すぎるので、結局の所は、発表会では段譜の全部のpartを、originalの譜面から書き直さなければならなかった。
思い起こせば、その時も、同じド壺に嵌ってしまって、結局の所、発表会⇒八千代⇒自治会館⇒発表会と、4回も書き直してしまったのだけど、このSeitzのconcertoも、またまた、2020年の8月に入ってから、『音痩せ』の訂正を始める事になってしまった。
勿論、今直ぐに、このSeitzの曲を、発表会で演奏する予定は無いのだけど、またまた、いつ演奏するか分からない曲に対して、手直しを始める・・という、私の悪い癖が始まってしまった。
まあそれはそれでも、ダラダラとarrangeをしていては、仕事に差し障るので、出来れば8月の9日ぐらいまでの3日間ぐらいでarrangeを終わらせておこうと思う。
追記:真面目に8日には全楽章のarrangeが終了した。
曲の訂正は全くしていないので、弦楽器の奏法のarrangeだけなので、結構早く終わったかな??
8月8日baroque時代のnotation ·
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今日は8月8日の土曜日です。
連日連夜、30°越えの寝苦しい夜が続くと、眠れなくなってしまい、体調不良になってしまいます。
そのために全く仕事が出来ない日が、この所続いています。
・・という事で、ゆっくりと睡眠を取るために、今日はドルプリっ歩や食事を2時間も端折りました。
・・とは言っても、お散歩や仕事をしなかった分けではありません。
ちゃんと、ハイツのmainの仕事であるSeitzのarrangeの手直しの作業を小一時間程やって、9日まで掛かる予定だったけれど、今日中に終わらせてしまいました。
それから先は自分の作業ではないのだけど・・、花園から戻って来た綾乃に貸出しているnotePCの修理や、椎名町のパソコンのinstallや修理等々と、斉藤先生にfinaleの入力のコツを指導する等々のパソコン関係のメンテ作業を中心に1日を急いで終わらせて行きました。
今日中に、しておかなければならなかった私の本来的な作業は、明日のオケ練習のTeleworkでの曲別での指導のpointへのcheckです。
生徒達が曲の構造分析等を正確に把握して、練習をするならば、練習の成果は著しいものがあります。
そのために、時間を割く分けではありませんが、私が直接指導する時には、その練習の合間に、そのpassageの練習のpointと、構造をlectureするので、楽譜上の事前のcheckは必要はないのだけど、Teleworkで説明するとなると、取り纏めて説明しなければならないので、Analyseに対しての事前の準備が必要になるからです。
今日のbaroque時代の記譜上の問題点は弱起の音価の不正確さの問題です。
VivaldiやC.P.E.Bachの場合もそうなのですが、現代のnotationとは考え方が根本から違います。
8分音符の連結がskipのように弾かれたり、3連音のrhythmを付点音符で書き表したり、付点音符を複付点音符で演奏したり、と数え上げたら限がありません。
inégales奏法で書かれているgigueのrhythmを一生懸命にskipで弾こうと頑張っている子供達を見ると、同情を覚えます。Bachの平均律の2巻の第2番のpreludeでも2/2+12/8のような、まるで現代のPianoの曲のように書かれている曲があったりします。
ロマン派の時代では民族舞踊のrhythmが登場して、演奏者を混乱させますが、baroqueやRenaissanceの時代でHemiolaのような、2拍子と3拍子の混乱があって、(舞曲のrhythmなので、躍動的に演奏しなければならないのですが、)逆に、野暮ったく演奏する団体も多くて困ってしまいます。
HändelやCouperinのようなCembaloの大家の作品には総ての音符が全音符で書かれていて、細かい音符がsuggest的に書かれていて、全く拍子が書かれていない・・・というか、小節線すら書かれていない曲(主にpreludeが多いのですが・・)があったり、arpeggioを和音で書き表している譜面も多くて、自由に歌い込むという音楽表現に苦労してしまいます。
実は今日のTeleworkも、そういった自由なtempoやrhythmで演奏する・・難しさのlessonでした。自由にad libitumで演奏するという事は、正確に「揺らさなければならない」という矛盾を産み出してしまいます。
現代のnotationでは不規則なrhythmに至るまでも正確に書き表す事の方が一般的なので、演奏は簡単です。
baroqueでは書かれていない、書かれていても違って書かれているのを、正確に変奏して弾かなければならないからです。
・・という事で、7時過ぎに食事をして、9時にはドル・プリっ歩に出かけて、10時半という奇跡的な時間にハイツに戻って来たのですが、それでも、ドル・プリっ歩の途中からや、食事中にも、意識朦朧として来て、体力の限界になったので、ハイツに戻っても、なにも手を付けないで(パソコンの電源も入れないようにして・・)食料品を冷蔵庫に入れるだけにして、bedに入りました。結構直ぐに、爆睡出来たのは良いのだけど、いつものように、またぞろ、直ぐに目が覚めてしまいました。
これさえなければね~ぇ??
それはそうと、さて曲毎のAnalyseはどうしよう??
困った!!
8月10日ヒョッとして熱中症?? ·
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今日はもう既に8月の10日の月曜日の朝の5時を過ぎた所です。
話しは、一昨日の土曜日の体調不良の話しにまで遡ってしまうのですが、土曜日にはその前々から続いていた体調不良がとうとうpeakに達して、結局の所、今回のオケの曲への前回の発表会の練習での諸注意を伝達する事やその伝達に関しての説明に「落とし」がないのかのcheckをする事が全く出来ないままに力尽きて寝てしまいました。
今回の日曜日のオケ練習のTeleworkでの私の参加は、2時半からのLocatelliと、5時からのVivaldiのIl favoritoの3楽章のsolo組の練習に参加する事になりました。
この曲は1年前の秋の発表会で演奏したばかりの曲なのですが、今回、初出演の生徒はさておいたとしても、前回の発表会で参加した生徒達もコロナボケの所為で、お約束事を総てお忘れのようで、確認をしても「記憶にございません」状態で、少しイラっとしてしまいました。
6回の練習という事は、練習回数については何の問題もないのだけど、コロナ対応のremoteでのlessonは、時間的にも密度的にもnormaが上がらないので、「結果、approach不足の練習不足」になってしまって困ってしまいます。
普段通りに夜の食事とお散歩timeに椎名町に行ったのは良いのだけど、椅子に座っている事も出来ないぐらいに疲れてしまい、lesson室の床にそのまま横になっていたのだけど、もう食事を取る事も無理で、そのまま、またまたドルプリっ歩をpassしてハイツに戻ったのだけど、お弁当を冷蔵庫に入れる事も叶わないままに、寝込んでしまいました。
・・という事で「今日はもう・・」に続きます。
朝、起きたばかりで、動かない体と回らない頭を無理やりに動かしながら、取り敢えずお弁当箱の中の食料品を冷蔵庫に移しまい終えた所です。
昨日の夜の疲れは、結構異常なものでしたのですが、よくよく考えて見ると、首周りが、二度ほど熱くなっていたので、ひょっとしたら熱中症だったのかもしれません。
8月10日『楽器の音の質感について』 ·
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『歴史的背景』
総ての芸術や科学はHierarchie(ピラミッド階層の頂点の支配者達)の庇護の元に発達を遂げて来ました。
当然、音楽も、歴史的には貴族達為政者の元や教会等の宗教の中で発展して来たのだが、その歴史は常に歴代の作曲家達の自立と自由への戦いであった。
Beethovenの第9でも、MozartのFigaroでも、音楽は常に、民衆への啓蒙活動、或いは、封建制度へのprotestの意味を持っていたのだよ。それが19世紀に入ると貴族や教会は没落し、bourgeoisという支配階層に移っていった。所謂、ロマン派時代のsalon-Koncertの時代の台頭で、勿論、LisztやChopin等の作曲家達がsalon-Koncertで活躍した。また、同時に近現代のKoncertと同じように、Weberに代表されるように、興業としてのKoncertが行われるようになった。興業としての音楽は多くの聴衆を対象に演奏をする事が出来るようになった。また、19世紀の後半からは、産業の発達とpetit-bour(geois)という階層が産まれて来て、家庭での音楽という新たなgenreが生まれた。所謂、簡単に演奏出来るeasy listeningというgenreの音楽であり、現代の発表会programやpopular音楽に繋がって行く事になる。
『楽器的な特性について』
いにしえの音楽の場合には、演奏される楽器と音楽の作曲様式と、楽器から出て来る音が、balanceが取れていて、楽器の奏でる音はとても優しく豊かで自然な無理の無い音であった。
しかし、産業革命等で、Biedermeierの時代のように、音楽を一般大衆が求めるようになって、Hallの広さや客数が膨大になった時に、これまでの楽器でも、より広い会場でも音がちゃんと届くように・・という名目で、新しい楽器の作成ではなく、古い楽器を「改良??」するという事がなされて来た。
つまり、baroque-Violinがmodernに変更されて、baroque-bowからTourteがmodern-bowを作りだし、forte-pianoからdouble actionの現代のPianoに変わった時に、広い会場でも演奏出来るように、大きな音を得るようになったと同時に、楽器本来が持っている音の豊かさ、美しさ、音の自然さが失われる事になった。
それ以前の楽器では、楽器の構造とHallの広さに対しての整合性があった(そのように楽器が開発されて作られた)のだが、今日では、その小さなHall用に作られた楽器に、無理矢理に強い音を出すように不自然に改良したので、楽器が悲鳴を上げているのだよな。
最悪の場合にはneckが折れたり、饗板が破れたりする事がある。
勿論、殆どの場合には修理不能になってしまうのだけど、「Amatiの表板とStradivariの裏板を合わせて作ったViolinを買わない?」と誘われた事があったのだけど、超美しいViolinだったけれど、音は出ないので、美術的な価値は兎も角としても、音楽的・・というか楽器としては、無駄な出費だと思って買わなかったけれど、骨董的な価値はどうなのかな??
やっぱり幾ら本物の組合せでも、所詮は、imitationかね??
「美術caseの中に入れて、美術品として売った方がより高く売れるのでは??」と聞いたら、「面倒くさいので楽器にした方が良い」との答えが返って来た。
教室では中古の外見の状態の良い安いgrandpianoを買って来て、中の機械をsteinwayの中身と総入れ替えして、内部も塗り直したりして、何台か、『でもしかsteinway』を作って貰った事があったけれど、音はやっぱり凄く美しくなったよ??
中古のgrandpiano倉庫買いで50万とか60万ぐらいで買って、総替えのsteinwayのparts(actionやhammer、弦等)が100万ぐらいで購入して(勿論、正規品だよ!)、改造費を50万ぐらいで混み混みの200万で、『でもしかsteinway』が出来たのだけど、私も「その内にお願いしょうかな??」・・と思って、とても状態の良い理想的な中古のgrandpianoを買っておいたのだけど、調律師の人に頼む前に、お亡くなりになったので、とても残念です。生徒達や保護者の人達は結構喜んでいたのだけどね??
でも、私の場合には伝があるので、結構安く本物のsteinwayを買う事も出来るのだけど、でも、自宅にはgrandpianoの置き場所がないし、mansionなので、『音出し』も出来ないので、steinwayのPianoを自宅に買うのは諦めているのだけどね??
私は作曲をする時にはPianoを使わないので、Pianoが必要ないので、電子Pianoしか置いていないのだよ。
楽器は2段鍵盤の大型のCembaloがあるぐらいで、後は弦楽器しか置いていないのだよ。
Violinの改造というのは、分かりやすく言えば、小さな2000㏄ぐらいのsports-carのengineを削って広げて(boa-upというのだよな??)排気量を上げるようなもので、それを改造車というのだが、時々環七で火を吹いて燃え上がっているのを見かけたよな??
2000㏄の格好良いsports-carが、1千万近く改造費にお金を掛けて、一瞬でお釈迦・・だよな??
(昔は環七の側のマンションにも住んでいた事があるのでね??)
普通は、違法改造を『改良』とは言わないよな??
だって、車に取っては不自然な分不相応な辛い要求をされている分けなのだから・・・
また、18世紀から19世紀への社会情勢の代わり目に合わせて、その時代には、Violinの弓やforte-pianoからmodernのPianoへの改革だけではなく、orchestraの多くの管楽器が新たに作成されたり、改造されたりして、楽器の種類が増える事に寄って、より色彩的な音を出す事が出来るようになったのだ。勿論、古いViolin等の弦楽器も違法改造をされて、現代の弦楽器になったのだよ。
弦楽器の改造に寄って大きな音量が出せるようになって、大きなHall等での演奏も可能になった。しかし、それはその反面では、美しい豊かな楽器が作られた時に楽器の製作者が抱いていた楽器本来の音を失う事になったのだよな??
『平均律と純正調』
19世紀に入って、弦楽器の改造や、新しい管楽器の登場は音楽に大きな絵画性を与えた。つまり、水墨画しか無かった時代から、突然油絵の多彩な色彩感覚で書かれたようなものだよな??同族楽器によるモノクロの世界から、fullcolorの世界への移行は、音楽の表現に対しては、絶対的な異次元の世界だったのだよ。
しかし、反面、それは純性の美しい和音の響きを失う結果になってしまった。
日本のInternetの誰かの論文で、「Pianoは平均律で、orchestraは純性の和音を出している」・・という論文を読んだのだけど、それは有り得ない間違いだ。
F管とB♭管とA管と・・・等々の楽器が、一緒にCの音を出す事は至難の業である。
時折、orchestraでも純性の音が聴こえる一瞬があるが、それは同族楽器で演奏されている箇所で、他の移調楽器が入っていない箇所に限られるのだよ。
Pianoの場合でも、forte-pianoでもCembaloでも、純性に調律された楽器は普通に存在する。
Chopinでも生涯forte-pianoで演奏していたので、調律は自分でやったはずである。
それが、double actionの現代のPianoに変わったから、調律師という職業が産まれて来たのだよ。
GoetheのDie Leiden des jungen Werthers(若きウェルテルの悩み)という名著の冒頭の一節はウェルテルが友人の家にPianoの調律に出かける所から始まるのだよ!
勿論、ウェルテルは調律師ではない。
普通の知的階層の若者である。当時のPianoを弾ける若者は調律を出来たハズである。
Pianoを弾く人達が調律の技術を習得しなくなったのは、調律の必要が無くなった、Pianoの機構的に安定してきたからで、それで調律しっぱなし、つまり、平均律が台頭して来たのだよな??
Händelの時代では美しい和音を作るために、閉じた平均律ではなく、開かれた純正調のために、分割鍵盤というのが作られていた・・というお話はこれまでも何度もしてきたので割愛する。
Bachの高弟の中には古典調律で名を馳せたJohann Ludwig KrebsやJohann Philipp Kirnbergerという人達もいた。
Bachの時代には平均律の調律法は一般的ではなくWohltemperirteという意味は、完全に調律された・・という意味であって、どこにも平均律という意味はないのだよ。
その勘違いはBachに時代に現代の平均律による調律法というのがあった・・という想定なのだ。古典調律を勉強した人ならば、その妄想はしないハズだよな??
この時代では調律というのは不安定なものであって、(Cembaloを弾く人達ならばこんにちでも至極当たり前の事なのだが、)演奏すると一曲毎に調律が狂ってしまうので、曲毎に調律をするのは当たり前の時代だったのだよ。
だからpreludeとfugaの1曲毎にWohltemperirteの調律をする曲なのだよ。でも、基本的なpitchはそのままで微調整だけなので、そんなに大変な事ではない。
まあ、・・・そういったような事は、homepageにもFacebookにも何度となく書いているのだが、今日は視点を変えて、指導者という観点にたって、その立場から音についての話をして行こうと思う。
『音の質に付いて』
20世紀も後半に入った頃から、世界の演奏家、音楽家達が求める『音の質』というのが世界大戦の前と後では変わってしまったように思われるのだよ。
それ以降の音楽家達は強い音で人を威圧するように演奏をする演奏家達が主流になって来た。
その最たるものが、破音の多様です。
破音という言葉は音響学の中には無い私の造語です。
音には楽音とされる音と楽音の範囲から逸脱する音があるのだけど、音楽が出る瞬間の立ち上がりの音でPianoの場合には弦をhammerが打つ瞬間の『打音』所謂、打撃音は楽音ではなくnoiseに過ぎません。このnoiseが強ければただの雑音、所謂、衝撃音だけの音楽になります。つまり、ピストルや爆弾の音を集めて音の高さで纏めた音楽になるのだよ。
Violinの場合にも所謂、clip音というのがある。弓を弦に松脂で接着させて、それが引き剥がされる瞬間に出る引き剥がされる音をclip音と言います。勿論、それもnoiseで楽音ではありません。
多くの人達がimageからBeethovenを捉えているので、勘違いがなされているのだが、Beethoven自身はforte-pianoの時代の作曲家なので、強い音ばかりを求めたdouble actionのPianoには、強い否定的な態度を見せていて、Beethovenの書簡では、double actionの楽器のために自分が作曲を強いられるのならば、自分は二度とPianoの曲は書かない・・とまでも言わしめている。
だからBeethovenの書く『sfz』は破壊的に強くclipを入れて、汚い音でsforzandoを演奏するという意味は無い。Beethovenの時代のsfzの意味は、強勢の移動、(拍頭の移動)という意味でしか、存在していないのだけど、それを現代の演奏家達は、古典派の時代には存在しなかったclipの奏法で乱暴に演奏する人達の多い事には困ってしまいます。
私が音楽大学時代に大学で師事していたPianoの教授に至っては「Beethoven田舎者の粗野な人だったので・・」という風に言っていて、乱暴なfortissimoやsforzandoを要求して来たよ!!
東京で美味しい本場のItalia-restaurantで修行して来たという料理人が「al denteはこういう風に・・」とか御託を並べて生煮えの芯のあるSpaghettiを「al denteだ!」というのは、困ったものだよな??
Violinの音の芯は1㍉の1/10ぐらいの糸のようなものでなければならないのだが、芯の方が周りのkonsonanzの音よりも大きいのでは、al denteにはならないのだよな??
そういった話を、音楽大学を卒業して、当時の有名なproの演奏家の人達に訊ねた時の回答は「日本人が300年も前のEuropaの音楽を幾ら真似して演奏したとしても、それは伝統にはならない。だから、日本人は日本人としての解釈をするのが当たり前で、日本人の口に合う音楽として演奏するのだよ!」と言われてしまいました。
確かに、America人のやっている歌舞伎は見たくないので「それも一理はあるのかな??」とも思ったけれど、多分音楽を追求する立場の人間が求めるものとしては、根本的な考え方が間違っていると思えるのだがね??
その間違えたままの音へのimageが、現代のpianistやviolinist達が求めている音・・そのものであるような気がするのだよな??
私は日本人のpianistの演奏するPianoの音がキンキンキャンキャンと聴こえて来て、結構、耳障りなので、中々普通に日本人の有名な演奏家達の音楽を聴く事はありません。
勿論、何人かの人は私と同じように、耳障りでない美しいeinschlagを追求している人もいるようなのですが、しかし、それは非常に少数派であって、殆どの日本人の中には入っては居ない人達なのです。
という事で、日本人のPianoの演奏家の音や、弦楽器奏者の音はeinschlagの瞬間の音(弦楽器の場合には音出しの瞬間の音)は楽音ではない破音(所謂、雑音)になっているのです。
また、音楽大学等では「強い音がしっかりとした音」と学びますが、「強い音」と「豊かな音」は、根本的に音の質感が違います。
日本人の場合には、平べったい薄っぺらい音で押さえ付けられた音でも、強い音であれば楽音と感じているようですが、それは所詮、遠音の効かない似非的なnoiseの音に過ぎません。
豊かな音は平面的な音ではなく、もっと立体的な音です。
Pianoの弦に対してhammerを無理矢理に打ち付けた音ではなく、自然にkonsonanzが響く音でなければ、楽音とは言わないのですよ。
往年の大家の演奏は、演奏すると、Pianoの音に色が付いていてPianoから色とりどりの花が咲きこぼれて来るように聴こえて来る・・というか見えて来るような演奏でした。
今の若い人達の演奏は、金属の割れる音・・か、ガラスの割れる音しかしません。
そういった音を強い音とは言わないのだけどね??
Pianoを学ぶ若者達(この場合は音楽教室ではなく音楽大学の学生達に対しての話ですが)に、「往年のpianistの演奏をレコードやCD等で聴いた事があるのか??」と尋ねたら、「名前すら知らない」と答えて来て、自分の先生の音のみが総ての音楽の根源であると自覚していたので、やっぱり音楽家達のacademismと音楽の歴史は根本的に相容れないのだよな??と自覚出来ました。
いや~あ、当時は超、Shockだったのだよ。Pianoを学ぶ学生達が誰も往年の名演奏家達の演奏を聴いた事がない・・というのは・・ね??
とう事で、楽器に対しての『音出し』の「考え方」も、Pianoを学ぶ人達にしても、Violin等の弦楽器を学ぶ人達にしても、『楽器は鳴らすものである』というimageから抜け出す事は絶対的になく、私が言っている『楽器とは鳴るものなのだ』という発想が、それがどうしても分からない・・のだよな?
まあ、先生達や周りの人達から「練習さえすれば弾けるようになる」・・と言われて、闇雲に盲信的に、「ただただ単に一生懸命に」練習をしている人達には、『工夫三昧』という言葉は、所詮は分からんかいな??
楽器を鳴らせなければ、幾ら高価な楽器を持っていたとしても、その楽器でその楽器の音を出せる事は決してないのだよ。
だから、1万円のViolinとStradivariが同じ音色に聴こえるのですよ。
どんなに優れた才能を持っている子供でも、その才能に一般的な方法論を押し付けるだけならば、普通の子供と同じにしか育たないのだよ。
そこには、その子供の資質を見抜いて育て上げる技術が必要なのだけど、それを一般の人達は認めようとはしないのだよ。Stradivariを持っていれば、Stradivariの音を奏でる事が出来る、って??
それは幻想だよ。
Stradivariを弾き熟すには、それなりの技術とStradivariに対しての奉仕の心が必要なのだよ。
曰く、楽器は鳴らすものではなく、鳴るものなのだよ。
そこの所が理解出来ないと日本の音楽家はやはり、日本の音楽家で演奏家なのだよな??
「写真はなんだ??」って??
音のimpressionですよ!!
これを「瓢箪鯰」というのだよ!!
3枚目はbaroque時代の本物の分割鍵盤です。
meantoneの鍵盤の場合には、Eの音(d#)とA(g#)の音が分割になっていれば良いのだけど、全部の鍵盤が分割された楽器の方が多かったようです。
Händel達はこの楽器を奏き分けていたのだよな??
8月11日熱中症警戒アラート ·
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今日は8月の11日の火曜日です。
今日は練馬区では39°の猛暑で体感温度は43°だそうです。
今はもう6時半なのですが、それでも34°なのだそうです。
「絶対に外に出ないように!」と言われているので、部屋の中で自粛しています。
部屋の温度を30°に設定しているのだけど、外気温が34°なので、寒い事!寒い事!!
夜の8時直前にバテてしまって、早めにbedに入ったまでは良いのだけど、夜の10時半にcoolerを付けたままで寝ていたのにも関わらず、汗ビッショリで目が覚めてしまって、体調を戻すのに頑張って色々としている所です。
先ずは、「汗で失われた水分補給を!」・・と言われても、お茶を飲む事すら辛いので、ギンギンに冷えたスイカを食べて、水分を補給しています。
夜の10時半というのに、練馬区の温度はまだ34°から33°の間です。
部屋の温度計も32°までしか下がっていません。
今日は1日、coolerの温度設定と格闘する事になりそうだよな??
今日は全国的に熱中症の非常事態宣言だそうです。
熱中症警戒アラートだってよ??
そんなのがあるのかよ??
今日の最高気温は、40°超だってよ??
どうなっているのかね??
8月12日『勤勉性と安心感』 ·
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人には『安定志向』というのがある。
「自分の立位置を何処に置いておくか?」という事に表される。
夢や目標を達成するために、人が一番求めるものは、勤勉性であり、その努力をするための場所でもある。
そこまでは、問題はないのだが、一番の安心感を得る場所、それは有名塾であり、有名学校でもある。
人はより確実な塾や学校、職場を求め、それが自分の選択肢をより厳しいものにしている事には誰も気づこうとはしない。
つまり、有名大学への受験や大手企業への就職は、淘汰が一番大変で、入った後でも、常に、淘汰の波が押し寄せて来て、一瞬でも気を抜くと、その船から落ちこぼれてしまうのだよ。
より有名でより大手の会社になればなるほど、競争相手の数は増えて、そのlevelも高くなるのだよ。
そこには競争社会の生き残りの戦いしか無く、自分というi dentity、自分という存在自体も無い。
50年間も言い続けているのに、この分かり切った事さえ、『安定志向』という名の安心感の元に、誰一人として、気づこうとはしないのだよ。
「それが一番確実な道だから・・」と言って一番、不確実な道を選ぶ。
まあ、人間は不思議だ。
テレビで一人で落ちこぼれの会社をglobalな企業に育て上げた人が、大学卒の学生に失望をして、自分の私財をはたいて大学を作った。
面接を1000人するよりも、大学を作った方が優れた人材を獲れる可能性が大きいからだそうだ。
その大学では学びは無く、全てが経験と探求の授業であるよ。
探求の過程で勉強が出て来る。
それが本来の学習の姿なのだよ。
聞かれたから世界中の本を読み漁るのではなく、まず、推論を立てる所から回答に至る道筋を立てるのだよ。
そこで本来必要な学習の方法論も出来て来る。
「何が出来たのか??」では無く、「何故出来なかったか??」という事を学ぶのだよ。
日本人は『学ぶ』という事を学んだ事が無いのだよな??
『安定』というものを望むあまりに、一番、競争の激しい所で、只管に努力をする事で『安心感』を得ようとするのだ。
そしてその船が沈んで行く過程で、始めて幾ら大きな船であったとしても、それが沈没船であった事に気づくのだよ。
人は「夢を叶えるには、只管に努力を重ねると良い。」という。
しかし、それを言っている人達は夢を叶えた人達でもないし、夢を見た人でもない。
平原の彼方にそびえるエベレストを見て、自分もいつでも登頂出来るような気になっている幻を見ている人達に過ぎない。
只管に勤勉である事が夢を叶えるという道ならば、世の中はこれ程簡単な事はない。
努力をすれば夢は叶うという何処かで誰かが言っている事になってしまうのだよ。
現実というものは不条理なものである。
もし、努力をすれば夢は叶う・・という事であれば、不条理というものは存在しなくなるのだよ。
木刀で素振りを毎日1万回重ねて10年後に道を悟った・・というのは講談の世界に過ぎない。
無駄な努力を無駄に重ねても結果は無駄な事にしかならない。
道に至る事はそんなに簡単な事ではないからだ。
pianistになるためには、毎日、1年中休む事無く、最低でも7時間以上は練習を積み重ねなければならない・・とされる。
人生、これ程無駄な努力は無いのだが、人をそれを信じている。
何故ならば、それが楽であるからだ。
pianistになるための努力はPianoの練習ではない。
Pianoを離れた所に、本当の学習と努力があるのだよ。
そこが誰も分からないし、その生き方を認めようとはしない。
何故ならば、そこは厳しい探求が必要になるからで、決して楽な道ではないからだ。
私は大学院を目指すある生徒が私の元を尋ねて来て、指導を請うた時に、「Beethovenの**のcello-Sonateの作曲した年を調べて来なさい。」と課題を出した。
大学生は頑張って、国会図書館まで行って資料を調べて来たのだが、とうとうカンカンになって、「先生、どこの資料を読んでも分かりませんでした。」と怒鳴り込んで来たのだよ。
当たり前だよ。
作曲日時が分からないから、課題に出したのだよ。
つまり、これまでに、書かれたものをInternetや書物で調べて纏めるのは、小学生のReportに過ぎないのだよ。
ここで問題にしているのは、「答えの無い問題をどう解いて行くか??」という謎解きの課題なのだよ。
私の所で音楽理論を勉強した生徒ならば、中学生でも、ちゃんとした推論を立てて、そういった無理難題にapproachして来る。
しかし、学校教育では、大学を卒業したとしても、推論の立て方を教えて貰う事は無い。
実社会では、答えが無いから、仕事として要求されるのだよ。
あらかじめ答えがあるのならば、誰も仕事として発注はしない。
そこに、無い答えに対しての、正しい回答への努力が必要であるのだが、練習を積み重ねても、そこに工夫が無ければ、進歩は有り得ない。
concoursや大学の受験のように、重箱の隅を針でつついて掃除をするような努力を只管、重ねても、道に至る事はないのだが、それに気付ける人は少ない。missの無い音楽を演奏する事が優れた演奏家である事だ・・と思い込んでいる。
だったら、Alfred Cortotの演奏は、超、下手な演奏なのかな??
しかし、私達がCortotの演奏を聴いていても、その演奏のmissは気にならないのだよな??
でも、今の若い音楽家達にはCortotの演奏の良さは分からないようだ。
自分の先生の演奏が唯一の神の演奏だと信じている。
これも淘汰なのだろうかね??
またまた、同じ事を繰り返し書いてしまった。
今日は認知症の検査がある。同じ事を繰り返すのは認知症の初期の段階かな??アハッ!?
8月13日『親指shiftのお話』 ·
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昔々、ワープロの時代に富士通が親指shiftのキーボード(ワープロ)を発売した。
パソコンが一般家庭に入って来る前の、所謂、ワープロの時代の話である。
教室でもワープロを導入するにあたって、いち早く親指shiftのワープロを購入して、先生達に親指shiftのlectureをした。
「何故、ローマ字変換ではなく、親指shiftなのか?」という、その理由なのだが、そもそもローマ字配列というのは、未だ英文typewriterの時代に、keyを入力する事を仕事としている人達(keypuncher)が、あまりにも早くkeyを打つので、keyが絡まって動かなくなる・・というtroubleが多く発生したので、それを防ぐために、打ち難い配列にしたのが、そのままのローマ字変換のkey配列に繋がっているのだよ。
しかし、ワープロになると、keyを打つ速度のriskは無いので、ワザワザ、ローマ字配列にしなければならないというriskは無い。
しかも、如何に早くkeyを打ったとしても、ローマ字から日本語への変換のloss-timeが出てしまう。
私の兄貴は、オランダ大使館に勤めていたので、日常的に英語の文章をtypingをするので、見ていると兎に角typingの速度が速い。
しかし、よく見ていると、変換の速度(文章の入力の速度)自体はそんなには早くないのだよ。
つまり、typingの速度が如何に早くても、ローマ字の入力から日本語に変換されるloss-timeで、結果、そんなには速くは打てないのだよ。
そこで「如何に早く日本語を入力出来るか??」という事で目を付けたのが富士通のワープロの親指shiftなのだ。
私はKeyboardを打つ速度が極めて遅いので、私の場合は、親指shiftを覚えたとしても、そんなには速くはならないのだけど、生徒達の打つ親指shiftの入力の速度は、私がお喋りをしている速度よりも速いのだよ。
私が未だ、喋り終わらない内に入力が終わって、私の次の言葉を待っている状態なのだよ。
簿記で親指shiftのコンクールがあって、高校生達が競っているのをテレビ等で見ると、もう宇宙的な速度だ。
B4の原稿が縦に凄い速度で動いている。
横書きなのだけど、横の動きは早過ぎて見えないぐらいの速度である。
それでいて誤変換も訂正しているのだから、驚きである。
今日、ここでこの話をするのは、テレビで「今日は親指shiftの最後の日である」という報道をしていたからだ。
親指shiftのパソコンは随分前に終了して、見かける事もなくなったのは当然の事なのだが、外付けの親指shiftのKeyboardのメンテも今日終了したのだそうな??
パソコンに移行して親指shiftはすっかり廃れてしまったのだが、その理由には大きな『勘違い』がある。
それは「親指shiftでkeyを打つ人はローマ字配列のKeyboardが打て無くなる」・・という根本的な勘違いだ。
つまり、親指shiftを覚えてしまうと、パソコンを入力する時には、ローマ字配列のKeyboardが打てなくなる・・という不安である。
しかし、これは全くの誤解である。
実際には、親指shiftでもローマ字配列のkeyは打つ事はあるので、速度的にもローマ字配列のkeyを打て無くなる事は無いのだが、そこは親指shiftで打った人達だけしか理解出来ない所だろうかね??
親指shiftの衰退は、そういった一般のuserの誤った勘違いのままの思い込みを、正そうとする富士通の企業努力を怠った結果だとも言える。
という事で、富士通のワープロ関係の技術に携わった人と話をした時に、その疑問を直接ぶつけて見て、その時に、富士通の人から親指shiftを捨てる本当の理由を説明して貰った。
その本当の理由は、ワープロやパソコンを入力するkeypuncherの人達は、ワープロの前には、typewriterからワープロに変わるのが普通なので、そういったtypistの人達は『同時に複数のkeyを打つ事が出来ない』・・という事が本来の理由だったのだそうだ。
「芦塚先生の所では皆Pianoが弾けるから、同時にkeyを打つのに抵抗が無かったのですよ。」と言われてしまった。
確かに、それはそうかも知れない。
一つの文字を入力するのに、右手と左手の複数の指を組み合わせて同時に入力する、その組み合わせを覚えるには、typistに取っては、結構hurdleが高いのかもね??
それにkeyを打つ速度も、実際にはkeyの組み合わせの分、一つのkeyを押すよりも遅くなるしね??
しかし、その分『変換のためのloss timeがない』という事は、中々口で説明しても分かっては貰えないのだよな??
という事もあって、兄貴でも、富士通のワープロを使っていたのに、ローマ字変換で入力していたのだから。親指shiftは結構hurdleは高いのだよな??
兄貴の場合には、使い慣れたtypewriterから、パソコンに入って来たので、当然、ローマ字変換の方が慣れているのだからね??
しかし、富士通のワープロは、key一つ押すだけで、ローマ字入力から親指shiftに変えられるのだけどね??
私が打つ時には親指shiftで、兄貴が打つ時にはローマ字変換で・・というように、同じワープロが一瞬で変わるのだよ。
しかし、それを嘆いても、如何せん、親指shiftはMakerが生産を打ち切ってしまったので、私も仕方なく、ローマ字変換から親指shift⇒またまたローマ字変換と入力を変えざるを得なかったのだよ。
それに、教室がワープロからパソコンに移行してしまった今では、このどうしようもなく遅い入力のローマ字変換のKeyboardで、仕方無く入力しているのだが、私の場合には兎に角、殊更にkeyの入力の速度が遅いので、私が使用している常用単語や、音楽用語や人名等々は全部単語登録をして、Keyboardの入力の速度を上げる事にしている。
基本、1~4個までの単語の頭の文字をkey入力する事で殆どの常用単語は入力出来るようになった。
だから、入力速度の極めて遅い私でも、どの生徒達、先生達よりも、速く入力出来るのだよ。
でも、その単語入力の仕方を何度説明しても誰も覚えてくれないし、私の単語登録のmethodeを使ってくれないのだよな。
その単語登録も、リュウマチが酷くなって来て、指を動かす事すら、まどろっこしく面倒くさくなって来て、今では、音声入力を使う事も多い。
色々な音声入力ソフトを試したのだが、やはり誤変換の問題が多いのと、専門の用語や、人の名前等の単語は通常は変換してくれないので、唯一、単語登録や単語の削除が出来るDragonspeechというsoftを使って音楽の専門用語や作曲家の名前、教室の生徒達の名前等々を音声でも登録しているのだが、日によって変換の精度が変わるので、あまり使う事はない。
携帯もスマホに変わってからは、音声入力の変換の精度が、かなり向上しているのだが、やはり特殊な単語になると、どうしても変換してくれない事が多いので、日常の会話を音声で入力する人達にとっては、riskは少ないのだろうが、私のように、音楽の論文や教育の論文を書く場合が多い人間にとっては、音声の変換が余り上手く行かないので、私にとっては、あまり利用頻度が上がらない。
私の場合には、歩きながらとか、公衆の面前で、携帯に向かってお喋りをするのが、非常識に思えて、これまでは、非常に憚られたのだが、今は若者が携帯で電話をしながら歩いているのが至極、普通になって来たので、私が道を歩きながら、音声で文章を入力しても、誰も不思議がらなくなって来たので、これからは、そういった遠慮は要らなくなるのかもね??
携帯の音声入力ソフトに音声の単語登録はあるのかな??
文字入力に単語登録はあったのだけど、変換の時に反映されないので、殆ど使っていないのだが、音声の場合には、それ以前の話だろうな??
クラウドで、使用頻度の多い単語を増やしてはいるようなのだけど、私の場合には専門用語が多いので、一般の単語が幾ら増えても関係はないのだけどね??
『写真の説明です。』
1枚目の写真はエルメスのベービーという携帯用のtypewriterで切り替えで、黒と赤の2色で印字出来る優れ物で、しかもドイツ語に対応した、しかもしかも、筆記体のuniversal-typeのtypewriterです。
日本の銀座でドイツ留学の前に購入して、München時代にドイツ語で文章を書く時や、日本に持って帰って来て、今は本棚の上で、長い眠りに入っています。
勿論、壊れてはいません。直ぐにでも使える状態です。
2枚目の写真は富士通の親指shiftのKeyboardなのですが、10数台あったワープロも全部壊れて使えなくなってしまいました。
ワープロの資料のフロッピーディスクは未だ残っているのですが、パソコンへの移行が難しいので、一度ワープロでprint outしたものをOCRで読み込んで、CDに焼き直す作業をしたのだけど、総てはとても出来ませんでした。
βやVHSのtapeも無数にあって、その他8ミリやコンパクトvideoまでもあるので、その整合させる作業は止まったままです。
8月13日今日は認知症の検査があります。 ·
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今日は8月の13日の木曜日です。
今日は認知症の検査があります。
検査場は本来は文書管理等の業務の場所で、元々、一般の人を入れる場所では無いので、交通の便はかなり悪い所にあるらしいので、行く途中で、取り敢えず椎名町の事務所に寄り道をして、軽く朝食と昼食の兼用で食事をしてから、検査場に行ったのですが、椎名町から更に20分掛かってしまいました。
ハイツから検査場までの移動時間がナビでは20分の予定だったのですが、事務所はハイツと検査場の途中にあるので、回り道をした分けではないので、事務所から更に20分掛かるという事は、少し矛盾していて、理由が理解出来ません?
それに、検査場と言っても入口も無く、勿論、駐車場すらない倉庫のようなビルで、入口を探してビルの周りを一回りしてしまいました。暑い中をね・・・??
まあ、それも見越しての時間を立てていたので、ちゃんと20分前までには待合室に到着したので、時間は掛かったけれど、遅れはしなかったのですがね?
認知症の検査自体はテレビ等でよくやっているgameをpaperでやるだけの簡単なもので、それなりに面白かったのだけど、その後は、更に高齢者講習と更新手続きと続くのだけど、それは、前回も、受けた事があるので、内容等は分かっているのですが、そのいづれもが予約を取るのに、電話で申し込んで予約を取らなければならないのだが、『その電話が掛からない』・・という話で「掛かるまで、掛けてくれ!」という事だった。
予約一つ、未だcomputer化していない・・という事だよな??
掛からない電話に掛けて、掛からなければ、掛かる試験場を探して、「片っ端から電話をして、受講出来る場所を探してくれ!」という話で、「警察はanalogだ!」という事は、分かっていた事なのだが、改めて、呆れてしまった。
コロナの時にも、厚労省がカルテで感染者を調べるのに、病院のパソコンのKarteのdataを手書きのKarteにワザワザと書き直してそれを保健所にFaxで送って、保健所で人海戦術でcheckをして、それを更にFaxで・・・云々、という話を聴いて、「なんのためのマイカードか?」と呆れてしまったのだけど、未だに官公庁は、手書きの人海戦術でしか情報が伝達出来ない・・という事は、世界で本当に馬鹿にされてしまうよな??
究極のanalog思考の権化だなや??
携帯のカーナビで椎名町に取り敢えず戻って、少し休憩をしていると、突然、雷が鳴り始めたので、超大慌てでbikeを走らせてハイツに戻った。
ハイツまでには、なんとか秒殺で濡れなくって、間に合ったのだが、昨日の再来のような、超大雨になって雷も数回近場で落ちたようだ。
「・・・ようだ!」というのは、久し振りで外に出掛けたので、バテて、汗をかいたので、showerで髪を洗って、眠ってしまったから、雨の音だけを聴いていたからだよ。
夜の8時過ぎに目が覚めて、慌てて食事のためにbikeで事務所に移動して、珍しくドルプリっ歩にも付き合って、11時頃にはハイツに戻って来たのだけど、冷蔵庫に収めるだけをして、なんの仕事もする事は無しに、寝た。
結構疲れていたようで、直ぐに眠れたのだよな??
今日中に予約の電話をするように・・と言われていたのだけど、暫らくは保留にしておく事にする。
どうせ、通じないのならば、何時掛けても同じだからね??
8月15日『Il favorito Vivaldi e moll ⅡⅢ楽章』 ·
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昨日、つまり、8月の15日のお昼から、深夜まで掛かって、VivaldiのIl favoritoのⅡⅢ楽章のscoreをfinaleで作りました。
当然、出版されているoriginalのVivaldiの楽譜は持っているし、part譜も持っているのですが、わざわざfinaleに入力をして作ったVivaldiの楽譜は、演奏譜※)になります。
※)演奏譜と言っても、楽譜は演奏するためにあるのだから、演奏譜と言われても、なんの事か分かりませんよね??
baroqueの時代や、rococoの時代の楽譜では、書かれている楽譜と演奏された曲では、全く違うように弾かれます。
Il favorito Violin-concerto in mi minore RV277 ⅡⅢ Vivaldi period‐style 古川紗來(13歳)芦塚音楽千葉教室 - YouTube
作曲家が楽譜上に装飾音(ornament)を記号で書いている場合もあるし、またそういった指示が無くっても、慣習的に装飾音や即興を入れて弾かなければならないのです。
日本ではHändelのCembaloの曲やbaroqueの小品等を楽譜通りに弾いて、「baroque時代の音楽は単調でつまらない!」とか言っているpianistが多くて困ってしまいます。
proの演奏家にとっては、無知は恥であるし、罪でもあります。勿論、音楽を楽しみで演奏しているamateurの人達は、専門的な事なので、知らなくても恥でも罪でもないのですがね??
こういったornamentや即興を入れて演奏したり、譜面と違ったrhythmで弾いたりする事は、当時の慣習であり、細かい約束事を勉強して覚えておかなければなりません。
即興等の場合には、忘れてしまうかもしれませんよね??
・・という事で、実際に演奏する時の音符を書いたり、eingang等の挿入句やkadenz等を譜面に起こしたり、する場合や、舞曲等の独特のrhythmを実際に弾かれたrhythmに音符を書き直したりする事を『演奏譜』と呼んでいます。
『演奏譜』はこんにちの演奏家が自分の演奏用に書くばかりではなく、作曲家本人の手による演奏譜も数多く残されています。
その一つの例として、結婚式等でよく演奏されるCouperinの有名な『恋の鶯』の譜面では最初には、装飾音として書かれた原譜が表記されていて、その次のPageに、当時の慣習的に『Double』として演奏譜が書いてあるのですが、それを元の装飾音の書いてある譜面を、repeatをしながら、繰り返して弾いていて、その後で、更にDoubleの譜面をrepeatしながら弾いているproのCembalistがいて、本当に驚いてしまいました。勿論、日本人ならば無知で一笑するのですが、日本人ではなくて、EuropaのCembalistなので、許せない事です。
Europa人ならば、伝統があるので、間違いでは済ませられないからです。
Cembalistを称するのならば、Europaの演奏家ならば、「笑ってしまう!」という事では許されない事です。無知は罪です。
本当の演奏の順序は、rondo形式なので、「A+B+A+C+A」として、Doubleが、「あ+い+あ+う+あ」ならば、「A+あ+B+い+A+あ+C+う+A+あ」のように、弾かなければなりません。
それを「A+A’+B+B’・・・」と弾いて、それから「あ+あ’+い+い’・・・」と弾いてしまったのです。
次のPageに親切にも、わざわざとDoubleが書いてあるのに、それを元の譜面のDouble、所謂、Variationだとは思わなかったのですよね??
Bachもよく演奏譜を書きます。
それも元々の譜面の次に書かれているので、同様の間違いで弾いている人達やそのように生徒達に弾かせて音楽大学の先生達がいるので、分かり切った事なのですが・・、時折、そのように「信じられない間違い」をしたままに弾いている人がいて驚かされます。
勿論、私が批判している人はproの演奏家や音楽大学の先生達の人達の話ですよ。
わざわざ、『Double』と明記されているのに、Doubleの意味を理解していないのですよ。
演奏譜の話に戻って、前々回(2019年10月13日)の発表会の時には、finaleで、Cembaloのpartと、soloのswingする所(譜面と実際の演奏のrhythmが全く違う所・・)の演奏譜をcontinuo組の譜面としてfinaleに入力、作成しました。
前回の発表会の時の譜面は、solo組の譜面だけだったので、今回はその譜面を元にして、orchestra全体のscoreを作成して、orchestra全体も、bowslurやarticulationや、Cembalo-partの細かい変更等々を細かく書き込んで、譜面(score)の改訂をしました。
前回も、You TubeやFacebookで、色々と解説をしたように、この「Il favorito」は時代を超越した演奏上、所謂interpretation上の難しさがあります。
同じ話の繰り返しになってしまいますが、Ⅱ楽章は、非常に大人びた(adultな)ennuiなimageの曲で、拍に囚われないで自由に歌い込みます。
しかし、勿論、伴奏のpartは『刻み』なので、淡々と演奏されて行くので、『自由に』という意味は『自由に弾く』という事ではありません。
『非常に正確に自由に』弾かなければならないのです。
後世で、Chopinが自分の曲の演奏styleに付いて、所謂、rubato奏法として述べている奏法の基本の奏法がこのVivaldiの曲そのもの・・なのです。
数学でrandomな数字を作り出すためには、乱数表で正確に計算をしないとrandomにはならない・・という分けの分からない理論がありますが、それとよく似ていますよね??
「正確に揺らす」・・という事を指導する事は、それこそ口で説明しても、Metronomを使っても、「揺らし」を練習する事は出来ないので、子供達に「正確に揺らす」という事を指導する時には、所謂、「口移し」の口伝になってしまいます。
man-to-manのlessonならば、いざ知らず、Teleworkではtime-lagが出て指導するのが無理なのですよ。
それにも増して難しいのが、Ⅲ楽章の舞曲特有のrhythmなのです。
Ⅲ楽章には、舞曲特有の「揺らし」が出てきます。
3拍子でcontinuo群が伴奏をしている中を、solo-Violinが2拍子で演奏をしていきます。
舞曲特有のHemiolaのrhythmの高度なpatternです。
このHemiolaのrhythmは、民族音楽ではEuropaの歴史の中に存在するrhythmなので、古い初期baroqueの大家であるbiber等の作曲家達や、それ以降のVivaldi等の作曲家、或いは同世代のcorelli等の作曲家にも良く見受けられます。
勿論、このHemiolaの独特のrhythmは、Renaissanceやbaroque時代特有のrhythmではなく、現代までも延々と受け継がれているtraditionalなrhythmなのです。
そのHemiolaのrhythmの中でも、特に難しいのは、2拍子と3拍子の混合するrhythmなのでしょうが、Leonard BernsteinのWest Side Storyの中でも登場するので、音楽史的には常に存在するrhythmなのです。
そういった難しいrhythmや拍の取り方等を指導するのは、私が直接、面と向かって指導をしなければならないのですが、残念ながら、コロナで私の場合には、基礎疾患が総て当て嵌っているので、千葉に行って生徒達の前で、直接指導する事が出来ません。
Teleworkでは、音楽の指導の場合には、time lagが出てしまうので、指揮をして指導する事が出来ません。
という事なので、子供達を私が直接的に、引っ張って行く事が出来ないので、オケ練習としては致命的なのですが、世界中がそういう状態なので、如何せん、致し方ありません。
まあ、無い所から何かを始めないとね??
それはそうと、「何故、前々回、お流れになって、紗來ちゃんが代奏した『美音ちゃんの課題曲』を1年後の今回に、また演奏するのか??」というと、これは本来は美音ちゃんのcurriculumの課題曲だったからで、きちんとclearさせないといけないからなのです。
色々な諸事情でViolinを持つ事が半年間出来なかったので、同じ課題の復習して「感を取り戻す」のには、課題を先に進めて行くよりも、前に戻って復習をする事の方がより効率的だからなのです。
この曲に含まれている課題を習得する事は、将来にとても素晴らしい成果を産み出す事が出来ると思います。
一つ一つの課題を丁寧に習得する事が上達の早道なのです。
この曲は唯弾くのならば兎も角として、(まあ、それでも充分に難しいかも知れませんが・・)Vivaldiの意図を正確に表現するには、proの人達に取っても、異常に難しいlevelの曲なので、本当は私が直接man-to-manで演奏上のpointをオケの皆や、continuoの人達、soloの人達にも、指導しなければならないのですが、如何せん、コロナではそれも出来ません。
困った事です。
8月15日突然、VitaliのChaconneのAshizuka-versionを作り始めた。 ·
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『8月15日の深夜から、突然、VitaliのChaconneのAshizuka-versionを作り始めた。』
今回の秋の発表会で美音ちゃんが再挑戦予定の「Vivaldiの『Il favorito』のAshizuka-version」の校訂・改訂をした画面をfinaleに入力し終わったので、椎名町の事務所に戻して、印刷の行程になったので、次の作業として、YouTubeで発表会のVideoのcheckをしていたら、パソコンが勝手に次の曲をselectして・・、VitaliのChaconneの、私のversionでは無い、知らない人のarrangementの曲を演奏していたので、ついついい、興味深く聴いてしまった。
普段、教室で使用しているVitaliのChaconneの楽譜は、Guido Guerriniという人のarrangeなのだけど、私としては、彼のarrangeは、そんなに悪くはないarrangementだと思っていたので、私が新規にAshizuka-versionのorchestrationをする事はない・・と思っていました。
但し、そうは言っても、Guido Guerrini版のarrangeを、全面的に満足している分けではないし、・・また、子供達の練習のためにも、色々と楽譜を練習用に書き直したりと、前回のオケの練習の時にも、色々と練習の仕方等々を子供達のためにfinaleで「楽譜起こし」をして、作っていた譜面を、finaleの中では、『Ashizuka-versionのscore』として、難しい箇所だけをpickupした練習用の『虫食いの譜面』として、scoreを作っていたのだが、結構、今回、なにげなく聴いたYouTubeの無名の人のarrangeが、思いの外、上手だったので、ついつい、色気を出して、私もarrangeをしたくなってしまいました。
これはもう、殆ど、病気だよな??
市販の曲で満足しておけば良いのにね??
・・という事で、前々回に作り掛けていた虫食いのscoreをfinaleのfolderの中から引っ張り出して来て、8月の15日の夜遅くから、早速、arrangeを始めてしまいました。
前回、Chaconneを弾いた紗來ちゃんの希望・要求で変更した箇所は、今回は、没にして、あくまでもoriginalのDavidの楽譜を優先して作成しました。
一般的にはVitaliのChaconneのorchestraへのarrangeは、私達が使っている版以外には、Ottorino Respighi版が有名なのですが、私としてはそのarrangeはあまり好きではないので、Respighi版では演奏した事はありません。
Chaconneをorchestraにarrangeをする人達は、基本的にはCharlier版ではなく、Ferdinand David版を定本にして、arrangeをするようです。
私がこれまでにも演奏をして来たGuido Guerrini版も、それ以外の版も底本はDavid版を使用しているのですが、Seitzの時にも説明をしたように、Piano伴奏として作曲をする場合には、Pianoの伴奏が野暮ったくならないように、音を薄くarrangeするのが作曲上の定石なのです。
しかし、Pianoのために書かれた譜面を、それをそのままorchestraにtransposeすると、orchestraではどうしようもなく薄っぺらになってしまいます。
Lupi版のPassacaglia然り、Mueller-HartmannのPachelbelのChaconne然り・・です。
そのために、音を補強して分厚くするのがarrangerの腕の見せどころなのですが、このDavid版のChaconneも基本的にはsoloを含めた3声部書法で書かれているので、徐々に音を加えて厚くしていかなければならないのです。
・・・という事で腕の良いarrangerになればなる程、原曲のimageから遠くなってしまうのですよ。
私も通常は、色々なarrangerがarrangeをした譜面を、『音痩せ』を修正する作業ばかりしているのですが、・・という事で、今回の私のarrangeは、これまでの私のarrangerとは一線を画して、DavidのPianoの伴奏の原曲のimageを最大に生かして、arrangeを進める事にします。
それは、よく聴くVitaliのChaconneのorchestra-versionがDavidの原曲のimageが失われているarrangeが多いからなのです。
DavidのPianoのoriginalのpassageを、そのまま活かしてarrangeをするとなると、その分、音痩せをしないように細心の配慮が必要となって、arrangeする事自体が難しくなってしまうのですが、その分、腕の見せ所なのかな?
いずれにせよ、曲が長いので、arrangeが終わるまでには、どれくらいの時間が掛かるのか予測が出来ません。
Violin-soloのpartを入力するだけでも2日掛りで、今の所半分ぐらいまでしか進まないので、後、音符を入力するだけでも、2日3日はどうしても掛かるので、それからarrangeをするとなると、どうなるのかな??
考えない事にしよう??
8月16日楽譜standの角度の調整 ·
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楽譜を入力するために買った楽譜立てのstandなのだけど、少し倒れ過ぎていて、一番高くsetしても斜めっぽくって見にくいので、ふと思いついて洗濯屋から戻って来た洗濯物に付いている針金のhangerをペンチでcutして、stopperの長さを変えて、応急に作って見た。
勿論、寸法等は計らないで、目分量の当てずっぽなのだよ。
微調整も入れて、作成に所要した時間は、3分程度の時間かな??
中々良い!!
これで楽譜を見るのが楽になったので、finaleの入力が捗る!!
8月18日David版からのorchestration ·
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8月18日の火曜日の14時20分ですが、VitaliのChaconneのarrangeが終わりました。
15日の深夜から書き始めたので、都合、3日も掛かったぞィ!!
今回のarrangementは普段のarrangeとは変わって、originalityを出すために、Ferdinand DavidのoriginalのPiano伴奏譜を忠実に再現するようにarrangeをしました。
一見すると、Pianoの伴奏譜を、そのまま忠実にtransposeをする事の方が、簡単だと思われるのですが、実は逆で、実際にはPianoの譜面ではpedal効果があって、ある程度の音が残響として聴こえて来るので、それを書かれた音符をそのまま忠実にtransposeすると、『音痩せ』という現象が起こってしまって、実につまらない薄っぺらなarrangementになってしまいます。
arrangeをする時に、Pianoの譜面をそのままにtransposeする事は危険なので、優れたarrangerになると、『音痩せ』を防いで、ちゃんとしたorchestraの作品に聴こえるように・・という事と、arranger自身のoriginalityのために、編曲をする時には、曲をorchestraの作品に聴こえるように、完全に編曲をしてしまいます。
その結果は、当然、原曲の持つoriginalityが失われて、編曲者のimageが強く反映されてしまいます。
Guido Guerriniの手になるFerdinand Davidのversionも、Organとstrings-orchestraへのarrangeの過程で、Davidの書いたPianoの伴奏とは、全く異なったarrangeがなされていて、原曲のPiano伴奏譜のimageは薄くなっています。
VitaliのChaconneは、とても名曲で、演奏効果も優れていて、長大な大曲なので、多くのarrangerの人達がarrangeを試みていますが、どのarrangementも、演奏の技術的には、proのorchestraの演奏家達を対象にした、technicalな結構難しい難曲になっているようです。
orchestraの曲らしく、上手にarrangeされている反面、当然、DavidのPianoの伴奏譜のimageは失われて、You Tubeなどでも、Ferdinand Davidの作曲した曲ではなく、別の独立したorchestra伴奏の曲として、一般的には把握されているようです。
また、Tomaso Antonio VitaliのChaconneは、originalの曲はperiod-versionとしての曲なので、一般的に聴かれている譜面はFerdinand Davidによる編曲版なのですが、その版は演奏される事は少なく、流布している(よく演奏されている・・)Pianoの伴奏の譜面は、David版から更に新しく編曲されたCharlier版で演奏される事の法が一般的になっています。
Charlier版はDavid版から、幾つかのVariationがcutされて、短くなっていたり、またVariationの順番も意図的に変えられているので、Ferdinand DavidのoriginalのChaconneとは一線を画しています。
Charlier版をorchestrationをしたarrangeも、Zino Francescattiという名演奏家の演奏があって、You Tubeでも視聴する事が出来ます。
Charlier版のPianoの伴奏譜からのarrangementと明記されているのですが、Francescattiの名演奏を持って、なんとか『音痩せ』しないで演奏出来ているようで、一般的なproの人が同じCharlierのversionで、演奏したら、やはりオケ・バックは薄くて演奏上では問題なのかな??と思っています。
Zino Francescattiならば、無伴奏でも説得力があるので、聴くに耐えられるのですよね??
Charlier版以降の編集や校訂の譜面は、総てCharlier版が底本にされているようです。
originalのDavid版は現在、出版されていないようなのですが、唯一、「Schimer's Library」という出版社からは出版されているようです。
元々はFerdinand Davidの教則本として編曲・編集した曲集なのですが、今は絶版になっているBreitkopf&Härtelから出版されていた『Die Hohe Schule des Violinspiels』という全2巻の教則本の中の2巻の中の1曲が、所謂、Davidのarrangeしたoriginalの楽譜なのですが、Hennri Petriという人の校訂版なのです。
つまり、originalの譜面は、不思議な事に、一応は「Schimer's Library」から出版されているVitaliのChaconneの方が、Ferdinand Davidのoriginalの版なのです。
しかし、まあ、Hennri Petriという人は、一応、Davidとは面識のある人のようなので、David公認の校訂版とは言えるかも・・??・・ですかね??
という事で、orchestraのarrangeを手掛けた人達は、殆どの人達が、よりpianisticなCharlier版ではなく、originalのDavid版からarrangementをしているようなのですが、一般的には「長い!」とか「地味だ!」とか、何かと評判はよくないようです。
それは、短くcutされた派手派手しいCharlier版を聴き慣れている所為ではないか??・・と思っています。
まあいずれにせよ、originalのDavid版を使用してarrangementをしたとしても、そのままコピペでtransposeされるのはsoloのpartだけで、Pianoの伴奏譜に関しては、編曲者のoriginalityでorchestra風にarrangeされるのが常です。
Piano用に書かれている伴奏譜を、なるべく原曲のimageを損なわないように留意して、しかも『音痩せ』をしないように気をつけてtransposeする・・という事は、結構、編曲の技術的にも、至難の業になるので、『音痩せ』する部分のarrangerは、自分のoriginalityのorchestrationのimageのままにarrangeをする方が、arrangerに取っては、より・・楽だからなのです。
arrangementのVitaliのChaconne以外の例も、同様な課題を含んでいます。
幾つかの名曲では、pipeorganの曲をarrangeした譜例を見受ける事が出来ます。
その例は、PachelbelのOrganのためのChaconneをそのままarrangeをした「Mueller-Hartmann」版では、originalの3声部のimageをそのままに弦楽orchestra(Streich‐Orchestra)にtransposeをしたので、弦楽orchestraなのに、3声部で書かれているという『音痩せ』が起こっています。
または逆に、VeraciniのViolinのsoloの曲(soloとbasso continuoの曲ですが・・)PassacagliaをOrganとstrings-orchestraにarrangeのLupiは、近現代風にarrangeをしようとしたのか、曲のarrangementがeccentricになってしまって、所謂、単なるmiss・printか、それともarrangerの意図なのか・・の判断が付き兼ねるpassageが多くて、また原曲とのimageとも掛け離れてしまったので、結局、発表会では使用する事が出来ず、やむ無く私がoriginalのOrganのpartからarrangeを試みて、発表会や八千代のKoncertに臨みました。
その点、VitaliのChaconneのGuido Guerrini版や、Corelli=Geminianiの版は、結構まともなarrangeだったので、私が手を入れる必要は、全く無かったのですが、David版のimageとはimageが掛け離れてしまっていたので、ついつい、「David版ならば、こうなる」・・、という事で、今回は敢えてDavidのPianoの伴奏譜の骨格を基本的に、残すように努めて、それに『音痩せ』をしないように、他のpartで補填補充する・・というarrangeをして見ました。
「何故に、そんな面倒くさい事を・・??」と思われるかも知れませんが、Charlier版を学習した後で、Guido Guerrini版のorchestra-versionの版を演奏する事は、Variationの順が違ったり、shortcutされていたり・・と、暗譜が混乱してしまい、何かと演奏上・指導上、問題が多くて、不便なのですよ。でも、それも含めての暗譜のmethodeなので、今までの生徒達で、暗譜に付いて文句を言った生徒は一人もいませんがね??それは、教室での演奏では、色々な版や、違ったinterpretationで演奏をさせているので、慣れているからですが、そういった教育は一般的ではありません。pro仕様のversionだからです。
という事で、折角、originalのDavid版の曲をそのままにarrangeをしたので、是非、演奏して見たいのだけど、そういったchanceは、オケが出来るだけの人数がいないので、子供達がまた入会して来るまでは、暫らくは無いのかな??
美音ちゃんが今回初めてDavid版のChaconneに挑戦します。それで上手に演奏出来たとしても、orchestraでChaconneを演奏出来る大学生の人達が、来年度からは、そろそろ大学を卒業してしまうので、オケに来れなくなってしまうので、memberが足りないのですよ。
今の小学生達には未だChaconneは無理だしね・・??
という事で、finaleに楽譜を入力して、finaleに付随しているserviceの音源で再生して見たのだけど、勿論、実際の弦楽orchestraで演奏をすると、パソコンの音源とは全くの別のimageに変わってしまいます。
「実際の弦の音がどのように響くのか?」は生オケで演奏してみないと分かりません。
音符を見ながらその音のimageを想像するだけなのですよ。
8月19日proを養成する虎の穴的な超、専門的な教室 ·
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傍から見ると私達の教室の事は、中々理解されないようで、proを目指す生徒達が集まっている教室で、生徒達も保護者の人達も先生達の厳しい指導に耐えている教室である・・という風評が立って困っている。
「教室に入会するのに、厳しい審査と試験があって、それに合格しないと入れない・・超難しい教室である。」という聞いた事もない、信じられない風評である。
そのために、教室の存在は知っていても、或いは教室の先生達や保護者の人達が「誰でも入会出来て、先生達もやさしくて、練習しなくても怒られない教室ですよ。」と言っても、誰も信じてくれないのだよ。
その勘違いの一番の理由は、生徒達が弾いている曲のlevel(水準)と曲数なのだよ。
発表会等でも、一人の生徒がオケ・ソロやオケ・バックや室内楽や、勿論、soloの他にも別の楽器も弾き熟す。発表会での舞台に乗っている時間も2時間を超す生徒達もいる。
しかも、発表会は年に2回で、その他に夏休みのおさらい会や冬休みのChristmas会もあるので、通常でも年に4回のrepertoryになる。
こういった曲を、これぐらいのintervalで、これだけの曲数を熟す・・という事は、通常の趣味の音楽教室の世界のlessonの中では、有り得ない。
これだけの曲数を弾き熟すのは、音大生でも難しいlevelなので、一般的な観点から言うと、『proを養成する虎の穴的な超、専門的な教室である』という風評が、真実見を帯びて来るのだよ。
このお話はいつもしている事なので、繰り返しになってしまうのだけど、今回は立場を変えて、外から教室を見ている人達ではなくって、教室の生徒や保護者の視点からのお話をします。
一般的に親が自分の子供を評価するのは、その勉強の『質』ではなく、『量』なのだよな??
つまり、子供が毎日、どれぐらい練習をしたか??勉強を下か??で、その子供のlevelを推し量るのだよ。
だから、子供が寝転がったままで、問題を解いていても、親はそれを勉強している・・とは見なさないで、「ちゃんと、真面目に勉強しなさい!!」という事になる。
親に取っては、意義を正して机に向かって立ち向かう事を勉強というのだよ。中学生ぐらいの子供が机に向かって鉛筆を持って、携帯でアイドルの曲を聴いていても、机に向かってちゃんと座っている事に安心して、その勉強の密度は問わないのだ。
その結果、勉強している振りはするのだが、全く内容の伴わない子供が出来上がる。
「塾にやれば、子供は勉強している」と、親は思い込むのだけど、塾では問題への回答の仕方は習っても、その問題の意味や、『何故、そのように解かなければならないのか』という事に対しての説明はしない。
何故ならば、学校でも、塾でも、その課題を熟そうとすると、大変な先生達の指導上の技術力と膨大な時間を必要とするので、経営的に成り立たないからである。
学校教育での一番の問題点は、試験が終わるとすっかりとさっぱりと忘れて、0に戻ってしまう事だ。
教室のcurriculumでは、学んだtechnikは次の課題曲でも活かされなければならない。つまり、勉強とは積み上げにあるのだ。
Beyer教則本でも、幾つかのgrade上で、methodeの積み上げで作られている。でも、その事を指導しても、次のstepに上がると前のstepで学んだ事をすっかりと、さっぱりと忘れてしまっている生徒が多いのだよ。
それは、学校教育の成せる業だよ。成績さえ上げる教育では生徒は育たないのだよ。
私が音楽教室を立ち上げる前の時代だけど、高校の先生を定年退職した女の先生が、「落ちこぼれの生徒達を救う」ために、そういった学校教育のcurriculumの根本を教える教室を一教室だけ作ったのだけど、集まって来た生徒達は、なんと「日比谷や麻布の名門校の中でも、特に優れた生徒達のみ』であったそうな??
そんなもんだよな??
ああ、つまんない?? つまんない??
という事で、私達の教室の生徒達は、結構、難易度の高い、毎日7時間以上の練習量を熟す音大生でも弾き熟すのは難しいと言われている曲などを、たいして練習もしないで、小学生や中学生の子供達が、ホイホイと弾いてしまうので、困った事に、その曲のlevelを理解しない親達は、「子供の技術力が凄い!」とは思わないで、「その曲のlevelが、大して難しくはない簡単に演奏出来る曲だ」・・という風に、誤解してしまうのだよ。
先生が幾ら「この曲は音大生でもtopの生徒しか弾けない曲で・・」と言っても、「先生のヨイショ!」としか思われないので、RavelのTziganeを「この曲は音大生でも、滅多に弾かせて貰えない曲ですよ。」と言っても、「上手くは弾けなくても、弾くだけならば、子供でも、誰でも弾けるのでしょう?」としか、思ってくれないのだよな。
「弾くだけでも、Tziganeは、音大生でも弾けないのだよ。」と言っても、「でもうちの子は、全く練習をしなくても、普通に弾けているので・・」となってしまうのだよな??
つまり、『技術のlevelは練習量に比例する』・・という江戸時代の儒教的な理解力なのだよな??
これではglobalstandardな現代社会には対応出来ないよな??
今回のコロナ騒動で、日本の超・前近代的なanalog的な官僚体質が露呈したのだけど、未だに医者がパソコンに入力したのを紙に書き戻してFaxで意志の疎通を図るという前近代的な事をやっているので、コロナ対策が遅れに遅れている事を認めようとはしないのだよな??
政府の中でも、一番遅れているのは文科省なのだよ??
子供達は現代の社会で生きて行かなければならないのにね??
爺さん達が「自分はパソコンや携帯が苦手だから・・」と言って認めようとはしない体質そのものだよな??
今の子供達の親は少なくとも若いのだから、発想の転換もソロソロあっても良い時代だと思うのだがね??
なんで、私達のような年寄りから、「時代遅れ!」と言われなければならないのかね??
子供達が小学生の時から、orchestraのsoloが出来る・・という事は、通常は有り得ない事なのだけど、教室に2,3年もいると、それが社会一般にどこでもやっている普通の事にように思えて来るのだよ。
ましてや、VitaliのChaconneのような名曲をorchestraのsoloで演奏出来る生徒は、世界中を見てもいない。
極一部の有名なsolisteに限って、演奏出来る機会が与えられる。若手ナンバーワンのSarah Changや、往年の名演奏家であるZino Francescatti等の超、一流の演奏家達のみである。
日本人では一人もいないのではないかな??
という事で、オケ・バックではなく、単なるsoloとしてであっても、教室のほかでは、そんな曲を普通に演奏出来る生徒はめったにいないし、もし仮に弾ける生徒がいたとしても、その生徒は、日々の大変な練習量や、先生からの厳しいlessonを受けている特別な生徒であるハズである。
しかし、「練習もしなくても、そんな難しい曲を弾ける」という事は、それが自分の持っているGenieのように思えて来て、いつでも何処でも、そのlevelがkeep出来るような気がして来てしまう。
でも、それはその生徒の本来のGenieでも、技術(talent)のlevelではなく、単なる教室の「芦塚methode」というmethodeに乗っているだけなので、そのmethodeを自分の力にしない限り、methodeが無くなれば、他の教室の生徒達と同じlevelになって、膨大な練習量と厳しいlessonに耐えなければ、そのlevelを維持出来なくなってしまうのは、自明の理なのだが、中々その事が理解しては貰えないのだよ。
そこは先生に対しての尊敬の念が足りないのかな??
自分に対しての自惚れが強いのかな?
それは昔々から、周りの人達に言われている事で、「先生はもっと威張らないとダメですよ!」「生徒にタメ口で喋らせてはダメですよ。」と注意を受けるのだけど、歴史に登場する人に対しても普通にしか接する事の出来ない私にとっては、威張る事は超難しい事なのだよな??
先生に対する尊厳は、指導する内容ではなくって、威張る事で評価される・・という事は、音大生の時代から知っていた事なのだけど、私が知り合う事が出来た超有名な人達が、私に対してだけは、優しかったのだよな??
よく、不思議がられた事ではあるのだけど・・
私がいつも言っているように、別に音楽に限らず、勉強でも仕事でも、そのメトードのhow-toのコツを掴めば、勉強なんて超、簡単なものなのだよ。
教室はnorma制なので、オケ練習の時でも楽譜をちゃんと覚えて、scoreで周りの人達のpartや、練習番号もちゃんと覚えて来るのならば楽譜を忘れても構わない事になっているし、暗譜は楽器の無い所で、toiletteやお風呂で、或いは学校への往き帰りで覚えるように言っている。
私の考え方では、机の前で勉強をしてはいけないのだよ。
何時、勉強をするのか??って??
私の場合には、千葉に移動する車を運転しながら・・とか、シンクに溜まった食器類を洗いながら・・だよ!!
「でも、運転中は、危険なのでは?」って??多分、教習所の先生達はそういうだろうね??でも、危機回避は、咄嗟の事なので、それは自覚ではなく、反射なのだよ。
私は50年以上も運転をしていて、無事故無違反では、残念ながら無いのだけど、無事故ではあるのだよ。駐車違反とか車線変更違反や速度違反もあったかな??その程度の違反はあるけれど、事故はないのだよ。
普段から気を付けている事は、テーブルの上から物を落とした事が無い・・という事かな??一度は、ナイフが落ちる時に危うく掴みそうになった事がるのだが、ちゃんと回避出来たよ!!
そういった反射神経の訓練が運転でも結構役に立って、危機回避が出来るのだよ。後は、危ない車の見分け方かな??
これにはhow-toの本があるのでそちらを参考にすると良い。
教習所で教わる内容は、逆に危ない危険を伴う内容が多くて驚かされる事があるのだが、まあ、内容からは逸脱してしまうので、またの機会という事にしよう。
極、希に、そういった勉強をしなくても、非常に優れた能力を示す生まれながらにGenieを持っている子供がいるのだが、そういった子供達の場合に共通する事は、親が子供達の教育や勉強に対して特別に大切にしていて、一般とは別の教育に対しての考え方をしているという事なのだ。
それについては『Gifted』の項でお話をしたので、以下は割愛する。
親や生徒自身が、自分の曲のNiveauを知るためには、Internetで「**の曲はどのlevel?」とかsearchをしてみると良い。
教室の先生達が「この曲はこのlevelの曲で・・」と言っても、周りの皆も同じような曲を弾いているので、それが普通に思えてしまうので、価値が無いのだよな??
だから、たまにはnet等で、一般的なlevel(社会的な通念)では、自分の弾いている曲がどれぐらいのlevelとして捉えられているのかを調べて見ると、励みになって良いと思う。
まあ、スニーカーを履いて、魔法瓶とおにぎりを片手に持って、ジーンズスタイルでヒマラヤに登頂してしまったような感覚かいな??
このところ私は、「VitaliのChaconneのarrangement」をしているので、searchの曲を「VitaliのChaconneはどのlevel??」と試しに、して見ました。
以下のsiteです。
自分の曲でも、やって見てください。
8月20日『いや~ぁ、今日は猛暑だ!!いや、今日も酷暑だ!!』 ·
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『いや~ぁ、今日は猛暑だ!!いや、今日も酷暑だ!!』
なんと今日はもう8月も後半の20日の木曜日の朝の8時を過ぎた所である。
窓の外を見てみると、雲一つない青空が広がっている。
猛暑、酷暑が続いていて、もう何日の間、部屋を締め切ったままでcoolerだけの生活を続けていたのだろうか??
部屋の空気が澱んでいるように思えて来て、朝のroutineの前なのだが、部屋の窓という窓、玄関やverandaのdoorも開けて、部屋中の空気の総入れ替えをしている所である。
それなりに気分が良いのだが、net社会になったからか?それとも、老人になって、自分の体感が信じられなくなって来たのか分からないのだけど、皮膚の温度感覚が信じられなくなって、携帯を開いて今日の練馬区の気温をcheckしたら、なんと・・朝の8時なのに、もう既に30°超である。
湿度が無いから・・かな??
否、湿度は既に85%を超えている。湿度は充分に、ムシムシしているハズだよな??
では、部屋の中の気温は・・??
部屋の中の温度計では31°で、直射日光を受けている窓枠に置いていた温度計は、なんと41°にもなっている。
そりゃあ、ないよな??
皮膚感覚がおかしくなっているのかな??
体感では26~7°なのだけど・・な??
小一時間が経って、9時を過ぎた頃に、暑くなって来て、体が汗をかいて来たので、携帯で調べてみたら、なんと練馬区の気温は33°超えになっていました。
慌てて、窓やdoorを閉めてcoolerに変えました。
アハッ!
パソコンの作業をしていたら、FacebookとYou Tubeが開かなくなってしまっている事に気がついた。Internet Explorerで開こうとしたら、「Microsoft Edgeが拒否されました。」とmessageが出てMicrosoft Edgeが開かなくなっている事に気がついた。再起動を掛けても治らないので、仕方無く、Microsoft Edgeの再installをして、それからFacebookとYou Tubeをinstallし直した。なんと、不安定なのだろうか??こんな事では仕事にならんわさな??(怒!!)
もう直ぐにお昼の2時を迎えるところです。
暑くて下げたハズのcoolerが効かなくなって来たので、携帯の温度を確認したら、なんと今日も35°になっていました。
こりゃあ、大変だ!!・・と思ったら、今日も練馬区の予定では37°だってさ!!
そりゃあ、ないよ!!
coolerの温度を思い切って下げるか、どうしようか??
取り敢えずは、設定を27°にして見ました。
これで暑ければお手上げだよな??
3時半になってやっと、coolerが効いて来ました。練馬区の気温を確認したら、34°まで下がって来ました。
やっと峠は越えたのだよな??アハッ!
今夜のドルプリっ歩は超大汗をかいてしまいました。結構バテたぞィ!!
8月21日超、怖い真夏の夜の夢 ·
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今日は8月の21日のお昼の3時半を過ぎたところです。
練馬区の今の温度は36°超です。
こんなに良い天気なのに、流石に、公園には人っ子一人もいません。
まあ、当然・・と言えば当然なのですがね??
書き上げたChaconneのkleinigkeit(落としているslurを付けたり、articulationの記号を加えたり・・等々)の修正をしながら、洗濯機を回しているところです。
今日のmain-eventは高齢者講習の予約を取る事でした。
電話は運良く2回で通じたのですが、予約は一番早くても2ヶ月後の10月23日の朝の9時だそうで、その日でなければ、更に2週間程遅くなるらしくて、それでは免許が切れてしまうので、困ってしまうので、朝の9時は、出発するのにはとても早いのだけど、諦めてその時間を予約しました。
お昼はいつもののように、36°超の「命に関わる・・」お天気らしいのだけど、私の場合には、コロナの所為もあって、部屋に閉じ籠って、パソコンで作業をしています。
今日はお祝いがあったので、超、早めの食事を済ませて、ドルプリっ歩に出掛けたのですが、プリは事務所を出て、50メーターもいかない直ぐの所でウンチを済ませて、さっさと部屋に戻ってしまいました。
暑いので老犬のプリは、お散歩はpassだそうです。
若いドルはプリの事を無視して、さっさと大回り(超long-course)のお散歩に行ってしまいました。
これは若さの違いだよな??
普段ならば、プリが「帰る!」と言うと、嫌々ながらドルも帰るのだけど、今回はお互いを思いやる感じは全く無くって、無視無視での別行動でした??
なんで・・???
普段は、連れ立ってしか行動しないのにね??
不思議だ??
喧嘩した様子もないのにね??
早々とお散歩も終わりになったので、早い時間だったけれど、ハイツに戻って、連日の暑さで体調不良になりそうだったので、早めに布団に入る事にしました。
しかし、どうした分けか、お久しぶりで寝つけない。
鼻詰まりの処置をしたり、お水を飲んだり・・と、頑張っては見たのだけど、お久しぶりの摂眠障害で、布団の中でウダウダしたり、椅子に座って心を落ち着かせたりしているのだが、どうしても眠れないのだよ。
チョッと疲れ切って、布団で寝転がりながら、何気なく無意識にライターでタバコに火をつけて吸っている事に気がついて、慌ててしまった。
しかし、勿論、実際には、私が超・ヘビー・スモーカーだった頃の昔だったとしても、布団の中でタバコを吸うような危険な事は絶対にしなかったし、ましてや、今現在では、タバコは家に買い置きはしていない!
ライターは・・??
確かに100円ライターは、私はタバコを1カートン(とは言っても10箱の包の事だけど・・)で、買うので、コンビニでもserviceでライターを付けてくれるので、わざわざ100円ライターを買った分けではないのだけど、溜まりに溜まっていたライターは、タバコをやめた時に他の人達にプレゼントしたのだけど、ピースのロゴ入りのライターや、缶ピーの空き缶は、趣味なので、捨ててはいないのだけどね??
・・・という事で、布団でタバコを吸ったのは「夢だ」とすぐに気が付いたのだけど、久しぶりのタバコの味の美味しかった事よ❗
思わず、布団の周りを見て、ライターとタバコを探してしまったよ❓
・・・てな事を、布団に入ったままで、携帯でFacebookに、四苦八苦しながら何度も何度も必死で入力をして、なんとか入力し終えたのだが、その「四苦八苦しながらの入力」さえも、実際には夢だったのだよ!
toiletに起きて、toiletで排尿をしながら、「これすら夢であったらどうしよう?」と、悩んでしまいました。
超、怖い真夏の夜の夢です。
8月22日ゴウヤの天ぷら ·
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今日(8月の21日金曜日)の収穫だそうです❗
大きくなり過ぎたキュウリは、少し大味なので糠漬けにして食べました。
ゴウヤの天ぷらは絶品で美味しかったのだけど、今度はわたや種をつけたまま、揚げてください。
ゴウヤのワタは結構美味しいので・・・?
8月22日『音に溺れる・補遺』 ·
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私の6月の15日の文章に『音に溺れる』という一文を書いたのだが、演奏家が求める音というのは、「強い音」という意味ではなく、仮に「弱い音」を演奏するべきpassageであったとしても、「ふくよかな・豊かな音」が、私にとっては演奏家自身が追求すべき音と思っている。
ここの話で、最大のneckになっているのは、その音そのものに対しての名前なのだが、この「ふくよかな・豊かな音」に対しての、音楽用語としての正式な名称と、定義がない・・という事なのだよ。
日本では「Sonorité」 という言葉に置き換えている先生方が多い・・という事を聞いたので、ここで付け加えておくのだが、勿論、その言葉を使っている先生方に、直接お会いしてその言葉の定義についてのお話を聞いた分けでも、その演奏法のlesson等を見学した分けでもなく、人づてや、文章を介して、私がそのように理解しているのに過ぎないので、私の言う所の「響きのある音」と一般的な「Sonorité」という音の質感との整合性があるのか、否かは、私には分からない。
勿論、「質感豊かな音「というのは、「芯のある音」、所謂、・al denteな音」とも、・残響(konsonanz)のある音」・・とも意味合いが異なる。音圧という言葉を使う人もいる。
実際に楽器で音を出して説明すれば、間違いようはないのだが、言葉で音の質感や、量感を説明する事は超難しい。sommelierが幾ら美辞麗句を並べても、そのwineの味を説明する事が出来ないのと同じである。その味を味わった事のある人にとっては、「ああ、あの味のことね??」と分かるのだろうが、味わった事のない人に分からないのは当たり前である。
楽器が100%、鳴り響いて、音の洪水の中に溺れるような音の事をいうのだが、勿論、「音量」の事ではないし、「音圧」の事でもないのだが、そこを勘違いしている日本人の演奏家は多い。それは日本人の演奏家達のlevelによるものではなく、日本人の持つ国民性によるものだからだ。
つまり、日本人に取っての良い音とは吹きすさぶ極寒の嵐の中で切り裂くような津軽三味線のような鋭い音であったり、凍てつく夜のとばりを切り裂く横笛のような鋭い音なのだ。
日本人の知る音の中で、余韻の有る音というのは、お寺の鐘や、能舞台の下に無数に置いてある瓶によっての響きのように数少ないのが現状である。
日本人でも、数名の演奏家達に限って言えば、そのような音を出せる演奏家はいるのだけど、殆どの演奏家の人達は「押さえ付けた強い張りのある音」と勘違いしている。
柔らかい優しい音だとしても、溺れるような超豊かな音は出せるのだよ。
教室では、対外出演の場合であったとしても、orchestraの参加者は、希望参加なので、参加者全員でも、僅か15名ぐらいの人数しかいないし、音楽教室としての性格上、その半数の演奏者は小、中学生の子供達なのだけど、Koncert-Hallではない音響の悪い多目的Hallであったとしても、それでも、Koncert-Hallのような残響と、full編成のorchestraのような豊かな響きを作り出す事が出来る。
それは、演奏をする一人一人の生徒達が豊かな音を追求しているからであり、多目的Hallでの残響も演奏で作り出された余韻の音なのだからである。
先程、私が語った・・「日本人には、そういった音を出せるのは数名しかいない」・・というのは、「そういった音を出す事が難しいから」・・という理由からではなく、日本人の考える所の「豊かな音」というimageが、「張りのある音」という思い違いから来ているからである。
「張りのある音」というのは、太い音や細い音への奏き分けは出来るのだけど、弱い柔らかな優しい音で「張りのある音」は出来ない。
あくまでもそれは「細い音」になってしまうからである。
豊かな質感の有る音を生徒達に指導するためには、生徒達の倍音を聞き取るための練習が欠かせない。
倍音を聞き取る訓練が全くなされていない生徒の場合には、Piano等で弾いた音のoctaveの倍音や5度上の音すら聞き取れない生徒もいる。
でも、一度、「何が倍音なのか?」を聞き取る事が出来れば、自転車の乗り方と同じで、その次からは、倍音を聞き取る事が出来るようになる。
それは訓練としてではなく、分かるという感覚が身に付いた時である。という事で、練習の量ではなく、所謂、その生徒の感性に比例する。倍音が目に見えて、「この音を聞けば良いのだよ!」と言う事が出来れば、指導は簡単なのだが・・proの演奏家でも出来ない事を指導するのは容易ではないのだよな??
私の場合には、Pianoで音を出さない状態で倍音になる鍵盤を押さえて(指が届かない場合には、予めassistantの生徒に鍵盤を押さえさせておいて・・)pedalを踏んだ状態で、基音を強く弾いて、音とpedalを取る。すると倍音の音だけが余韻として残って聴こえて来るので、次にその音をimageして聴く練習をする。極、希にはそれで、倍音を聞き取る事が出来るようになる生徒もいる。
教室のオケ練習では、octave、5度、3度の順番で和音を取る練習をするのだが、「開かれたoctave」と「pureな5度」が取れると、その倍音で3度が聴こえて来るハズである。
その3度に重ねて音を取ると純性の長調の響きが取れる。
こういった単調な練習の積み重ねで、豊かなorchestraの響きを作る事が出来るのだ。
勿論、単調な練習なので、曲の練習に入る前の予備練習として、ほんの2,3分の練習なので充分なのではあるのだが・・
純性の和音でも、D DurやG Dur、C Durは比較的に簡単に響きを覚える事が出来るのだが、♭系や短調の純性の和音は難しい。
同じ短調でもd mollやg mollは比較的に簡単なのだが、弦楽器自体に主調のkonsonanzを有しない調、f moll等のAsの音を取るのは難しい。(f mollは、violaやcelloに取っては、dominanteの音をkonsonanzとして持っているので、簡単なハズなのだけど、実際には結構難しい。)
(6月15日分の補足)
8月22日 こもごも·
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今日は8月の22日22時22分である。
昨晩は今日のお弁当を持って帰って来なかったので、お昼過ぎ・・というか斉藤先生の3時半のlessonが終わった頃を見計らって、椎名町に食事にしに行った。
折角、お昼の時間に椎名町に行く分けなので、VitaliのChaconneのDavid版・・所謂、originalのDavid版に一番近いSchirmer版と、同じDavid版のHennri Petri版と、一般的なCharlier版をPianoで実際の音を出しながら譜面上で比較対照させた。
譜面を見る限りでは余り違いが分からなかったのだけど、実際に試演をして見ると、思ったよりもその違いが大きくて驚かされてしまった。
Ashizuka-versionのorchestraのarrangeも、聴き慣れたChaconneの音に訂正をしていた箇所を、敢えて元の古いDavid版のversionに戻す事にして、originalityを出して、Charlier版との混合のversionは、新たにDavid=Charlier版として作り直す事にした。
折角、David-versionと言っているのだから、Charlier版風に改訂してしまっては折角のoriginalityが無くなってしまうからね??
ついでにVivaldiのIl favoritoのⅡ楽章の演奏法の確認を斉藤先生に、明日のTeleworkで私のlecture-lessonの前に斉藤先生に明日のlessonの伝達をしたのだが、その譜面のcheckの時に、実際の譜面と演奏上の音符(拍子やrhythm)が記譜上と違っている所が何箇所かあったので、その箇所を正しく修正をした。(但し、soloのpartのみなので、orchestraのpartの変更は無い。)
それはそうと、食事が終わって、ドルプリっ歩に行こうと思ったら、何と突然の大雨になって、ドル・プリとも意気消沈してしまって、そうそうに帰ってしまったよ。
私がハイツに戻るためにbikeに乗る準備をしている間に、雨は上がってしまったのだけど、ドルプリは、行く気が削がれてしまったので、もう散歩は嫌だ!!ってさ??
8月24日熱中症ではないのかな?? ·
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今日は8月の24日月曜日の朝の、もうすぐ6時半を迎える時間である。
でも、起きたのは6時前には目が覚めたのだが、昨晩はcoolerの効き過ぎだったので、coolerを切ったままに寝てしまったので、朝は暑くて汗をかいて目が覚めてしまったのだよ。
部屋の中の温度は27°ぐらいで、そんなには熱いという温度ではないのだけど、体が火照ってしまって、汗が止まらないのでcoolerを普段よりも低めの26°に設定して、扇風機で部屋を攪拌しているのに、部屋の温度が全く冷えないのだ。
携帯で調べて見ると、練馬区の気温は25°だそうなので、試しにflooringの部屋の窓と入口を全開にして空気の入れ替えをしてみた。
確かに、部屋の空気を入れ替える前には、結構部屋は蒸れてしまっていて、温度も高かったのだが、空気が入れ替わったら、温度は低目にはなったのだが、なんとも息苦しい。
湿度が90%を超えているからなのだ。
諦めて窓を閉めてしまった。部屋が湿気っぽくなってしまうからね??
お水を飲みながら小一時間程経ったのだが、体調が戻らないので、どうしたら良いのか??考えていたら、数日前に椎名町から帰って来る時に、冷え冷えの首巻をして帰って来て、それが冷凍庫の中に放り込んであるのを思い出した。
これは良い!!
という事で早速取り出して首に巻いたのだが、鼻水とくしゃみが出るのだが、中々頭部の汗は引いてくれない。
これ以上、部屋を冷やしても無意味なので、暫らくは様子を見る事にしよう。
同時進行の並行作業は、Digaに日曜日のTeleworkのオケ練習のvideoを取り込んで(パソコンへの取り込みは、昨晩、椎名町から帰って来て、寝る用意をしながら取り込み終わっているので・・)、保存用のBlu-rayに焼く作業をしている。
それから更に小一時間以上も経ったのだが、部屋のうっとおしい感じが全く改善されないので、折角部屋の温度も下がって来たのだけど、思い切って空気の入れ替えをする事にした。勿論、部屋中のcarpet等が湿気っぽくなる事は覚悟の上だよ。
湿度は93%を超えているのだけど、澱んだ空気を入れ替えたら、直ぐに部屋を締め切って、coolerに戻す予定である。
熱中症のような体調不良で困っていたのだけど、どっちみち、睡眠不足である事には変わりは無いので、諦めて、寝室のcoolerを入れて寝た。暫らくすると余りにも寒いので、目が覚めてcoolerを切って寝直した。
色々と面倒くさい昔々の夢を見ていたようなのだけど、2,3時間程は眠れたので、体調は少し戻って来た。
やっと、仕事に戻れるかな??
明日はまたまた、川崎の膀胱鏡の検査だ。鬱々しいよな??
明後日は糖尿病の診察なのだが、川崎が3ヶ月おきでひかりヶ丘が2ヶ月おきなので・・半年おきに、連チャンになる日が来るのだよな??
日にちは私が決めている分けでは無いので、致し方はないのだけど、いずれにせよ今週は病院週間になるのだよ。
「なんで日にちを、ズラさないの?」って?
曜日は先生の来る日が決まっているので無理だし、週で移動したら、他の予定と、ダブルブッキングするからなのさ?
8月25日Facebookの不具合 ·
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いやあ、超Shockだ!
携帯でFacebookを「自分のみ」に設定して、思いつくままにmemo的に文章を入力していたら、突然、前のpageで打っていた文章が流れ込んで来て、今打っている文章が全部消えて無くなってしまった。
パソコンならば、ctrl+Zで元に戻すか、編集履歴からコピペする事も出来る・・と思ったのだけど、携帯にはctrl+Zが無いし、大体、編集履歴が出て来ないのだよな??
チョッと前に、別のPageに書いた文章が、今書いている文章の上に上書きしてしまって、元の文章が分からなくなってしまった。
腹立つよな~ぁ??
Facebookは、時々、変な動きをして、書いている文章が飛んでしまうのだよな??
文章入力の、安定性に問題があるのだよな??
今は、8月25日の火曜日の朝の6時になった所です。
今日は川崎の病院で、膀胱鏡の検査があります。
お久しぶりの外出で、車で川崎まで行くので、体調を整えるために、安眠を求めて寝たのですが、変な夢を見て、途中で目が覚めてしまったので、気分を転換するために・・というか、現実の状況を認識するために、bedの上でFacebookに入力をしていたのですが、折角打ち込んだ文章がぶっ飛んでしまったので、超、腹が立って、ますます、眠れなくなって、心の平安も千々に乱れ飛んでしまいました。
そもそも、ぶっ飛んでしまった元の文章は、意識が混濁した状態で、書いていたので、思い出せなくなってしまいました。
勿論、変な夢もどういう夢だったのか??happeningで、すっかり忘れてしまいました。
流れ込んで来た文章は、以下のように始まります。
『勉強は積み重ねなのだよ』
・・・認知症ではないのだが、以前もFacebookや論文等でも書いていた文章と、同じ内容のお話しをまたぞろ繰り返す事になります。
それは歴史的な超有名な演奏家達が共通して自慢して言う言葉で、その言葉は「私は初歩に戻って練習する事が出来る」という言葉なのです。
日本人音楽家の多くの人達は、それを「チョッと前のgradeまで戻って・・」という風に勘違いをするようなのですが、歴史的な名演奏家の初歩とは、楽器の構え方、弓の持ち方、touchの仕方etc.等の、初歩の初歩、つまり、自分が楽器を学び始めた一番の最初まで・・という意味であるという事を理解しようとはしません。
どんなに高い建物でも、最上階の歪みは建物を建てる前の土台に原因を見つける事が出来るのですよ。
多くの人達は、それを見つける事が出来ません。歪みの原因は、お隣の所にある・・と思い込んでしまうのです。
日本人がそういった誤解をする最大の理由は、学校教育のやり方にあります。
日本の学校教育では、一つの課程を終了すると、次の課程では、その前の課程とは違った全く新しい事を学びます。
また、教科毎も独立していて、前の教科と関連性、整合性を持つ事はありません。
という事で、前の課程で学んだ事は、次の課程に入るとすっかり忘れてしまうのですが、それを「卒業した。」「clear出来た!」とほとんどの生徒達が勘違いしてしまうのです。
この「卒業した」という勘違いは、また、学校教育に於けるもう一つの致命的な欠陥から来ています。
その致命的な欠陥とは、学校のcurriculumでは、期日が来てしまうと、生徒が、出来ていようと、理解出来ていなかろうと、その課程の勉強が、終わって、その過程を卒業してしまうのですよ。
それを先生達は「落ちこぼれは集団教育なので致し方ない。」と言って捨ててしまいます。
そして集団教育で協調出来ない場合には塾で補修をすると良い・・と片付けてしまいます。
でも塾は教育の場ではありません。
あくまでも営利を目的とした企業に過ぎないのです。
教育産業という営利的な産業なので、学校教育よりも悲惨な結果を産み出します。
落ち零れたら「落ち零れclass」を作るだけなのです。
学校教育では絶対に出来ない所の差別化です。
でも保護者の人達はそれが合理的教育だと勘違いをします。
扱っているのは、人間性という感情を持った子供なのに、絶対にやってはいけない教育の場に送り込むのも愛情だと勘違いをしているのです。
その学校教育の悪い癖・・或いは日本の教育社会が、音楽を勉強する子供達の努力を阻む事になります。
その一つが、今まで説明をして来た、「折角、前の曲を勉強して、やっと覚えた技術なのに、次の曲を貰ったら「0」から新しく勉強し始めようとする」事なのです。
新しい曲を貰う・・という事は、子供達に取っては、「次の、より難しい課題の曲を勉強する」・・という意味になります。
どんなに簡単な曲であったとしても、その曲を弾くための「出来上がりのNiveau」を上げると難しい曲になるのだ・・という事を理解しようとはしません。
超簡単なBachのMenuetでも、CDに録音して一般公開するために録音するとすれば、1日掛りでも録音出来ない事もよくあります。
録音をする目標が、「音のmistakeがあるか無いか??」では無いからです。
曲の難易度はBeyer教則本でもChopinのEtudeでも同じだ・・という事が理解出来ないのです。
Beyer教則本でもCDで教科書として焼く事が目的ならば、何度も聴き直しても、荒の無い演奏をする・・という事だったら至難の業になってしまうからです。
proのpianistと呼ばれている演奏家でさえも、「HaydnやMozartはRakhmaninovやRavelに比べて、超、簡単で、ClementiやKuhlauのsonatineは練習するに値しない程に簡単だ!」というimageを持っている人達がいて、驚かされます。
日本人が大好きな悲劇的な人生をおくって来た日本人の女流pianistがテレビで、「初歩の曲を卒業してやっとChopin等の曲を貰って勉強する事が出来るようになったのが嬉しかった。」とinterviewで答えていたのを聞いて、愕然としてしまいました。
この人は音楽の事を、なにも分かっていない・・ChopinやRavel等の歴史に名を成す作曲家達は、彼女が「音楽でない曲」と呼んでいた曲を作っている作曲家達を、心から尊敬して、世界的な大家と呼ばれるようになった後でも、そういった古典の時代の作曲家達に常に学んでいた事を知らないのですよ。
つまり、なにを勉強すれば真の音楽家に成れるのかを知らないで、闇雲練習だけを積み重ねて来たのだよな??
そりゃあ、悲劇のpianistだわさ??
「baroqueや古典派の作品には学ぶものがない」・・というのは、日本人の多くの人達が持つ誤解です。
正しく、sonatineを弾こうとすると、先ずは曲の構成を知らなければなりません。
また、時代背景によるforte-pianoのtouchを学び、古典派の時代の正しいtouchに、修正をしていかなければ、正しい音で演奏する事は出来ません。
という事で、現代の日本のpianistで、古典派のforte-pianoのtouchが出来るpianistは私は未だに知りません。
曲の難易度は、曲のlevelではなく、演奏家の知識力に過ぎないのですよ。
もしも、正しい音楽への理解を持って、approachをするのならば、sonatineを弾く事とRakhmaninovを弾く事の難易度に言及する演奏家はいなくなるハズです。
私は本来は作曲家なので、「baroqueや古典派の音楽をきちんと勉強すれば、HindemithやStravinskyの曲をinterpretationする事は非常に簡単だ!」と生徒に説明します。
それは、近現代の音楽であったとしても、古典の音楽をdéformerした音楽に過ぎないからです。
Pablo Ruiz Picassoのように、基本をしっかりと作って、それを自分の方法論でdéformerすれば、Picassoが出来上がります。
それはHindemithの無伴奏のviolaの曲でも、StravinskyのLe Sacre du printempsでも同じです。
RavelのTziganeはLisztのHungarian Rhapsodyの第二番のcis mollである事は知っていますか??曲を聴きながら、Lisztの曲をRavelはこういう風にdéformerしたのか??と確認しながら聴いて行くとまた興味深い事になります。RavelはCouperinやRameauの研究もしていたので、そこからCouperinの墓という曲や他のinspirationを受けている事も分かります。
StravinskyもPulcinellaや Orphée et Eurydice等の作品もbaroqueの作曲家達の研究や、可愛らしいballet曲であるLe Baiser de la fée は
Tchaikovskyの連弾の曲からimageを取っています。
歴代の大作曲家達は古人に対して謙虚なのですよ。簡単だから・・と言って馬鹿にするような偉大な作曲家は一人もいません。
簡単な曲を馬鹿にする演奏家が居るだけなのです。
どんな難しい現代の曲であったとしても、基本を知るのならばその演奏は大して難しい事ではありません。
私はbaroqueばっかり演奏しているので、私がbaroqueの専門家のように勘違いされる事もありますが、私はあくまでも現代の作曲家なので、現代音楽の方が得意なのですよ。アハッ!
Beyerのmethodeと同様に、Vivaldiにも教育上のmethodeがあるので、とても便利に教材として使っているだけなのですからね。私に取っては、BartokのMikrokosmosでも、構わないのですがね??
長い指導の人生の中では、近現代の曲を使って指導した生徒達もいます。それこそBartokやStravinskyやHindemithやProkofievのような作曲家達の作品を使って、なのですがね?
子供達の感性では、別に何の問題もなかったのですが、curriculum的にはBeyerの方が勝っていたのですよ。
日本人の悪い癖は、今まで学んだ事の上に新しい事を学ぼうとはしない事です。
もっと質の悪い事は、前の課程を卒業した・・から、前の課題は勉強する必要がない・・と思い込む事です。
より上手になる事を、新しい事を学ぶ事と、勘違いしている人達が多いのですよ
私が学生の頃に、よく言われた事があります。
それは「つべこべ言わないで、先ずは練習しなさい❗」という事でした。
その慣習は未だに変わっていないようです。
何を勉強したら良いのかが分からないから、何も考えないで、必死に練習をするのですよ。
それを私は闇雲練習と呼んで、生徒達に厳しく戒めています。
練習は不安への保険ではないのですよ?
それでは100年間、勉強を続けても、音楽の Parnassumに登れる事はないでしょうね??
遊び唄 一匁目の一助さんと花一匁目芦塚陽二作曲2012年11月23日八千代市主催秋のコンサート - YouTube
8月26日Facebookはなにをやっているのかね?? ·
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明日は朝早くから糖尿病の外来に行きます。
という事で今は寝ていなければならない時間なのだけど、川崎の病院から帰って来て、8時頃にハイツに辿り着いたので、バテてそのまま寝込んでしまったので、変な時間に目が覚めて眠れなくなってしまいました。
出来る事ならば、熱燗でも飲んで気分良く寝たい所なのですが、朝一で検査があるので、alcoholは飲めません。
お茶を飲むのも胃に負担が掛かるようなので、熱中症にならないように水分を補給しなければならないのだけど、飲むものが見つかりません。
いや~あ、困ったぞぃ??
・・という事で、ほとんど眠れてないままに病院です。
20分ほど早く着いて、手続きをしたのだけど、色々とまたまた場所や手続きの仕方が新しくなっていて、尋ねながら・・という事で、すっかりと手間取ってしまいました。
まあ、それでも20分は早く診察室の前で待つ事が出来たのですがね?
これからはひたすら順番待ちなのですけど、人のごった返している診察室の前の廊下ではなく、離れた人の少ない病棟への渡り廊下で待っているのですが、それでも部屋全体の空調が良くないらしく、熱中症のようにめまいがして困っています❗
急遽、明日も病院で検査とconsulを受ける事になりました。
腎臓内科だそうです。初めてだなや??
またまた、病院の廊下で時間潰しに入力をしていた徒然の文章が、消えて失くなってしまった‼️
腹立つなあ?
でも、今回は編集履歴が出て来たので、履歴をcheckしたら、そこに失くなった文章が残っていたので、消えて失くなった文章だけをコピペしました。
編集の画面が小さくて書き難いのと、カーソルの動きが変な動きをするので、新しいversionはとても使い難いようです。
文章を書く時には、大きく全体を見ながら書くので、編集画面が自由に変形出来れば良いのにな??以前は出来ていたのを何故ちまちまと使い辛くするのか、Facebookの人達のやっている事の理由が分かりません。なんのmeritがあるのかね??
8月26日濃厚接触者への病院の対応·
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今日の病院の定期検診に行って、これまでで一番驚いた事があります。
病院の総合案内所は患者の皆様が、診察を受ける前と診察を受けた後の精算に必ず受け付けをして貰うので、大変ごった返しているのですが、私が診察を終えて精算を待っている時に、男性の老人が「保健所に検査を受けるように言われたのだけど、どこに行けば良いのか?」 と、らちがあかない事に腹を立てて、大声で叫んでいたのですが、毎度の事なので、聞き流していたのですが
、次の一言でショックを受けてしまいました。
「俺は濃厚接触者なので、保健所から、この病院に行くように言われたのだけど・・」
受け付けの女性が、「書類はおもちですか?」とか、「あちらの受付に行って・・」とか、ビニール越しに指示をしていたのですが、老人はこの病院が初めてのようで、ちんぷんかんぷんな様子でした。
そう言えば、この病院は4月の前々回の診察日にコロナが流行り出した頃出したので、私が診察に行く予定日だったのだけど、超、怖いので、病院に電話をして薬だけ貰おうと思って電話をしのたのだけど、「誰かが来ないとダメだ」という事で、斉藤先生に代わりに行って貰って、薬の処方箋を貰って来てもらったのですが、ちょうど、その日にコロナの院内感染が発生して、結果的には、57人のクラスター感染と7人の死者をだしたのだよな??
私もその日に診察に行っていたら危なかったのだよな??
「パソコンでのInternetでの診察は出来ないのか??」・・とか色々聞いたのだけど、「man-to-manじゃあないと・・」という事で、斉藤先生に代わりに行って貰ったのだけどね。
少なくとも「総ての基礎疾患の条件」が当て嵌る俺よりは若い分、斉藤先生の方がマシだからね??
・・という事で、4月の院内感染の発生から、5月6月7月と、コロナでは散々懲りているはずなので、濃厚接触者のPCRの検査は、普通は、一般の外来とは別の棟でやるのではないのかな??・・と疑問に思ってしまった。
入口に看護師や事務の人達などの色々な人達が常時待機しているので、ちゃんと患者の仕分けの管理が出来ていたのかな??とも思ったのだが、濃厚接触者も一般の総合受付で受け付けるのかい??
私は明日も朝一番で、連チャンでこの病院に行くのだけど、チョッと心配になって来たよな??
これって??・・別にコロナ差別と偏見には当たらないと思うのだけれどね???
その老人が、検査して陽性だったら、そん時はどうすんのかね??
私も濃厚接触者になるのかい??
やっぱり、危機管理がなっていないよな??
職員の対応が悪すぎるよな??
今日、朝、病院に着いて、改めて確認をしてみたら、ちゃんと駐車場にコロナ用のテントが張ってあったのだけど、何故、総合案内に行ったのだろう??
checkはどうなっているのだ??
理解不能だ??
8月28日『Tartini grandsonate Op.1 Nr.5 e moll』 ·
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『TartiniのViolinのSonate』とYou Tubeで検索すると、hitする曲の大半が「Devil`s Trill Sonata(悪魔のトリル)」で、それ以外は僅かに「Sonata In g Minor Op.1 No.10 Didone Abbandonata(捨てられたティドーネ)」という曲がhitするくらいで、私が生徒達のTartiniの課題曲にしている※)「grandsonate Op.1Nr.5 e moll」がhitする事はありません。
※)Tartiniは普通生徒達への常設の課題曲ではありません。
「baroque時代の Paganini」と称される程に難しい演奏技術を必要とするので、repertoryとしては、普段はお倉に仕舞われている曲なのです。
という事で、You Tubeで『Tartiniのgrandsonate Op.1Nr.5 e moll』と検索をすると、唯一、hitするのは、2016年の教室の発表会で七星ひかりちゃんが弾いた演奏ぐらいです。
16年10月16日芦塚音楽教室秋の発表会Tartini grandsonateOp.1Nr.5e moll - YouTube
この時のinterpretationは、全体のimageをlyricにして、甘えるような優しい感じの現代風なapproachにして、ひかりちゃんに演奏させたように覚えています。
その理由は、勿論、使用した楽譜が一般的なPeters版の楽譜なので、伴奏のpartがPiano用に擬古典のstyleでarrangeされているからなのですが、改めてYou Tubeで演奏を聴いて見ると、baroque時代の複音楽的・対位法的な書法が、現代のPianoの左手とViolinのpartでは、balance的に、どうしてもPianoの音が飛び出してしまって、うるさくなってしまうようなので、これはこの曲に限らずbaroque時代のsoloの曲の伴奏をPianoにarrangeする場合に生じる必然的な状態であって、Pianoの伴奏者が幾ら頑張っても仕方の無い事だと思います。
baroque時代は通奏低音の時代とも言われていて、その作曲技法の定石としては、通奏低音のCembaloの左手のpartはViolinに対してのワキ役としてのpartなので、独立した声部としてしっかりと演奏しなければならないのですが、それに対する右手の和音のpartは、これは和音を補強するための声部なので、音が強く出過ぎるとうるさくなってしまうのです。
いつもbaroqueの曲をPianoで伴奏をする場合には、伴奏者の人達には必ず注意をする事なのですが、どうしても・それでも強くなってしまいます。(これは一流のproの演奏家が細心の注意を払って演奏しても同じ結果になってしまいます。)
TartiniのViolin・Sonateの楽譜は、CarischというMilanoの出版社からoriginalのUrtextの版が出版されていて、Archivの版としてはとても素晴らしい版なのですが、TartiniのViolin・Sonateを演奏する時には、元々のViolinと通奏低音のCembaloとcelloで演奏をする方が楽器的な音量のbalanceは良いと思います。
勿論、それでも現代のcelloが通奏低音を演奏すると、Violinに対しては、少し音量が強過ぎるので、viola da gamba sizeの私の通奏低音用のcelloでも良いのですが、まあ、単なる発表会を目的とした生徒達の演奏なので、学術的に、そこまで凝る必要もないのかな??
曲の細部に対してのお話になりますが、Tartiniのgrandsonateの第Ⅰ楽章は、DidoneのⅢ楽章と全く同じ曲で、後半部が少し変わりますが、前半部は全く同じです。
勿論、調が違うので、和音で弾く場合には、同じ和音を使えない(4和音が使えない)と言ったような色々と問題点はあるのですが、2楽章のfugaを活かすためにも、Ⅰ楽章を「Ouverture nach Französicher Art(フランス風序曲)」のstyleというか、rhythmで演奏をする方が重厚感が出て好ましいように思います。
(今回の発表会でのSonata In G Minor Op.1 No.10 Didone Abbandonataの演奏なのですが、美音ちゃんのⅢ楽章のrhythmは、フランス風序曲のrhythmで演奏しています。)
という事で、grandsonateのⅠ楽章をDidoneのⅢ楽章のように、鋭いrhythmと重厚さを持って演奏し、2声部を弾くViolinと3声目となるcelloが独立をしてfugaを演奏するようにinterpretationをする予定なので、4年前の七星ひかりちゃんの演奏とは、また全く違ったinterpretationにする予定です。
この曲への思い出は、結構古く、・・私が音楽大学に入学したばかりの頃に、1年生から外人教授に師事する事の出来たViolinの生徒(つまり、学年topで特待生の女の子が、試験で学内の公開演奏で演奏するので、私が彼女から頼まれてやむ無く、伴奏をした曲なのです。私も彼女と同様の唯一人の外人教授に師事をする作曲科の学生としてPringsheim先生に師事していたので・・)
印象的でよく覚えている事なのですが、それは曲を練習する時に
、彼女が言っていた言葉なのですが、それは「まるで、全くViolinの事を知らない人が書いたような曲だ!」と、その曲の難しさを文句を言っていました。
学内一番の彼女が、言っている言葉なので、その曲の難しさは分かっているつもりだったのだけど、ドイツ留学から帰ってから、音楽教室を作って自分の教室で、何人かの生徒達にこの難曲を演奏させたのだけど、一人もこの曲が「難しい!」と言っていた生徒はいませんでした。
まあ、その理由は、私のcurriculumは結構Europa的にはtraditionalなので、日本の音楽教育のように、ロマン派の時代からのcurriculumと私のrootsのcurriculumの違いなのでしょうかね??
日本では、一般的にはbaroqueのpolyphonyのViolinの曲を、結構初歩の段階から弾く事は無いでしょうからね??古典の音楽に慣れていないのですよ。
16年10月16日芦塚音楽教室秋の発表会Tartini grandsonateOp.1Nr.5e moll
YOUTUBE.COM
16年10月16日芦塚音楽教室秋の発表会Tartini grandsonateOp.1Nr.5e moll
2016年10月16日(日)芦塚音楽研究所千葉音楽教室秋の発表会での演奏風景です。曲はTartiniのgrandsonateOp.1Nr.5e mollです。演奏は七星ひかり(中1)伴奏は岡村智子(高2)です。
コメント
芦塚 陽二
何か、突然新しくrenewalされてから、またまた、以前の不自然なカーソルの動きになってしまって、勝手にpointが飛んで、見も知らぬ人の表示がされたり、まあ、とんでもない動きに悩まされています。もう何度も打っている文章が飛んで失くなったり・・と困ってしまいます。何故、Facebookはいつもいつもこんな困った事ばかりするのかね??それで何が良くなったというのかね??右の物を左に動かしても、それで仕事をした・・という事にはならないのだけどな??😡🤬😰🥴🥺
· 返信する · 19週間前
芦塚 陽二
文章の推敲中なのだけど、カーソルが一文字打つ度に、全くどこかに飛んでしまうので、とうとう推敲を諦めてしまいました。Facebookは以前も同様のbugが出ていたので、やっと治ったら・・と思ったらまたまた同じbugが出始めました。困った事です。
8月28日食べなきゃ太るのだよな?? ·
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今日は8月の28日の金曜日です。
2日間の病院dayで、殆ど食事も取れず、精神的なpressureもあって、しかも木曜日は早朝からの病院行きで、病院からの帰りは事務所に直行したので、定時の体重測定も出来なかったのだけど、この2日間で2㌔以上もreboundしてしまった。
木曜日に病院の先生から「痩せるコツは痩せた体重を増やさない事ですよ。」と注意されたばかりなのだけど、なにも食べれなかったのが体重の増加の原因らしい。
困った事だ!!
「食べなきゃ痩せる」どころの話ではない。
食べなきゃ太るのだよな??
医者の難しい所は、患者の状況を正確に把握させようとすると、それがドクハラに繋がってしまう事があるからだ。
患者は自分の体の状態を正確に把握しなければならないのだが、それが自分の寿命に関する事であれば、そのconsultが患者への必要以上のpressureになってしまうからである。
それが、何らかの解決法があるのならば、それでも生存へのpowerの源になる事もある。
非常に優れた医者は、同時に患者を追い込む事もある・・という事だ。
逆の言い方をすると、「私に任せてくれれば大丈夫ですよ。」という医者に対しては、「大丈夫でなかったら、どうするの?」と聞きたくなるのだよな??
まだ人生に夢がある場合には、どんな苦悩でも人との繋がりを持つ事で乗り越える事が出来るかもしれない。しかし、人生に終わりが見えている人達に取っては、人との繋がりも苦痛にしかならないのだよ。人生は未来を持っている人達にのみあるのだよな??
私は男性なので、子供達に音楽を指導する時にでも、夢は見せない。
あくまでも可能性・・つまり、この努力をすればここまでは成れる・・という現実を説明するだけである。夢の無い現実の可能性は、幾らrealityがあったとしても、夢を達成するための手助けにはならない。しかし、人は夢を叶える事よりも、夢を見る事を望む。それは私には理解出来ない事で、無駄な努力にしか見えないのだがね??
女性の先生の場合には音楽家になる事は、音楽界で活躍をする事であって、音楽を通じて生活をする事ではない。つまり、人生の僅かな1,2年を音楽家としての生活を果たせば夢は叶った・・という事になる。
しかし、男性の場合には、生活がある分けなので、そうは行かない。
私の場合には、音楽がたつきの糧とならない場合には、どんなに活躍をしていようと、それは職業としての音楽ではない・・と思えるのだよ。
生活感の無い音楽は、所詮趣味の延長なのだよ。
人間は生活が無ければ、なんでも出来ない事はないからだよ。
幾ら天才的に演奏が出来たとしても、昔は『お嬢様芸』としか言わなかったのだよな?
私の場合の職業的な音楽の世界とは、音楽の中にどっぷりと浸かって、その中で生活をする事なのだよ。
そういう生活をしたければ、音楽はとても良い世界なのだが、人並に人生を楽しみたければ、音楽の世界はとても厳しいものがあるのだよ。
まあ、夢を見るという私の考え方は、強いて言えば超現実主義的に過ぎる・・という事かな??
そこの考え方が音楽を学ぶ日本社会の人達の一般的な考え方とは違う。
私の音楽の指導が今の子供的や保護者の人達に受け入れて貰えない最大の理由である。
今の若者達に取っては、仕事は自分のための仕事であって、社会に対しての活動ではない。
でも、男性の立場ならば、私の主義主調は当然の事ではないのかな??
8月29日やることなすこと ·
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今は8月の29日の土曜日の深夜の1時半を過ぎた所です。
火曜日と水曜日の2日間の病院通いで、精神的にも体調的にも、すっかりと疲れ切って、メゲ捲くって、木曜日は丸々1日中寝込んでしまいました。
丸々1日中寝込んだ・・とは言っても、眠れた分けではなく、横になって鬱々と悶々としていたので、結構、そのpressureで疲れたのだけど、それでも1日中何の仕事も出来ないままでいたので、・・お陰様で、昨日は懸案のweb-lesson用のspeakerの配線とか、古いwindows7の時のweb‐cameraをユーカリが丘用にsetしたり、とかハイツのテレビのリモコンの買い直しとか、今まで中々上手く行かなかった雑用が、やる事なす事(※)・・全てが上手く行ってしまいました。
おまけに夜は夜で、初秋の風が爽やかに吹いていて、虫の鳴き声が心地良く聴こえる中をドルプリっ歩を通常のcourseで、散歩しました。
なんだろね??
この起伏の激しさは・・??
(※)「やることなすこと」の次は、否定形が来る事は、勿論承知の上の誤用です。
8月29日地球最後の日 ·
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8月の29日の深夜の3時半を過ぎた所である。
いつものようにtoilette-timeに目が覚めた所なのだけど、その直前まで夢を見ていた。
今夜の夢である。
奇想天外な事は分かってはいるのだが、そこは夢は夢だからである。
地球に天体衝突する事になって、人々が逃げてしまったのだが、その選考から外れてしまって、とてつもなく天井が広くて大きな石造りのHallのような、大理石の床の広々とした美しい一室に大きなbedが一つだけ置いてある部屋で、その日のその瞬間を乗り越えるために、悶々としている未来の私がいた。
歴史的には、その日を乗り越えるために、国家からは自決用の短刀や拳銃、毒薬を渡される事もあった。
テレビでも同じような地球最後のthemaのSF映画がたくさんあって、ディープインパクト等もそのthemaを扱っている。
(入力していると、カーソルが勝手に飛んでしまって、文章の途中に、挿入出来ない。
これも夢か??
それともFacebookのcatastropheなのか??)
何度も私がFacebookにも書いているBrahmsの子守唄の一節なのだが、Morgen früh, wenn Gott will, wirst du wieder geweckt.という一節は、私が鬱々の時にbedでrefrainされる歌詞である。
wenn Gott will,というのは、私達の歳になると、なんとも現実味を帯びて来るのだよな??
もう二度と目覚める事がないかも知れない。
多くの人達は病院のbedで・・かも知れないし、独居老人は一人ぐらしの部屋の布団の中かも知れない。
万人に、100%確実に訪れる『その時』なのだよ。
Wachet auf, ruft uns die Stimme
これは勿論、キリストの再来を讃える歌ではあるのだが、直接的には、死者に対して、復活を意味する一節にも通じるのだよな?
私の場合には、そういったoptimisticな感情は持ち合わせてはいないのだけどね??
一般的には家族に看取られて惜しまれながら・・というのが理想なのだろうけれどね??
眠れないままに、なす事も無くウダウダしていたら、欝が酷くなって来たので、懸案のTartiniのgrandsonateをoriginalの譜面からfinaleのtemplateを作っていたら、今度は吐き気がして来たので、慌てて胃の薬を飲んでbedに入った。
神経性胃炎の薬だ。
疲れ切っていたので、今度はすんなりと眠れたのだけど、お昼頃には、寝室のcoolerが全く効かなくなって来て、目が覚めてしまった。携帯で温度を調べて見ると、練馬区の温度は36°になっている。
寝室のcoolerは古くて安いcoolerなので、パソコンの部屋に避難をした。
パソコンの部屋のcoolerは大型の新しいcoolerなので、良く効くからね??
それでも効かなくなった時には、二部屋の襖を開いて同時に2台のcoolerを同時に冷やすという手もあるのだが、今日はそこまでは行ってはいないようだ。。
8月29日rucksackやshoulder等のcollection ·
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ハイツにはrucksackやshoulder等のbag類が無数にあって、collection状態になっている。
私としては「お気に入りのmy bagが一つあれば、それで良い」と思っているのだが、私の日常生活のpatternの中で、bagを必要とする場合は、lessonやオケ練習等の『楽譜を持ち歩く』時と、普段のBikeでの移動等で、『免許証と携帯だけを持って移動する』時と、病院等での『B5版の書類を持ち歩く』時に、色々な状況下とはいっても、大きくは、三つの状況に分類する事が出来る。
それに加えて、この頃では、濃茶のペット・ボトルや買い物類等の結構重い物を移動するための、重量級の耐荷重のRucksackが必要になってしまった。
それぞれの状況の下では、大は小を兼ねると言う事が出来ないので、一つのbagで対応する事が出来ないので、いつの間にか色々なbagが増えてしまった・・と言う事がbagが膨大に増えて来た事が理由なので、決して「bagが好きでcollectionをしている」・・という事では無いのだがね??
という事で、大中小のbagの他に、普段の免許証入れのminiのshoulderを合わせて、大きく四つの種類に分類して見た。
分類の基本となるsizeは、楽譜sizeではなく、A4の教室で作った楽譜である。
楽譜は書き込み用にコピーした楽譜を使用しているので、通常は書類sizeと同じ、A4版の楽譜を持ち歩いている。
(楽譜の一般的なsizeは菊倍版という特殊なsizeで、A4版よりも大きいので、A4版の書類入れには入らないのだよな??)
A4の楽譜が入るrucksackを基本のsizeとして、仕分けして見たら楽譜移動用のA4sizeの入るrucksackが3個しか無かった。
これは使い手としては一番多いので、一番多い物が少ない・・という事に、超、驚いてしまった。
その三つの内の一つは、オケ教室に移動するために、オケの指導用のscoreを入れて行くためのrucksackで、残りの二つはnotePCを入れて移動するためのrucksackだ。
部屋でパソコンを弄っている時に、気分転換に珈琲でも飲みながら、喫茶店でパソコンを打っている人達を見て、羨ましく思ったので、私も、「たまには珈琲館でパソコンの作業でもしてみようかな??」と思って移動用に買ったのだが、一つはコロナで喫茶店に行かなくなってしまった。(先生達との気分転換を兼ねた打ち合わせ等にも、喫茶店を使わなくなった、という事と・・)肝心要の珈琲館にWi-fiが入っていないという事で、Shockを受けてしまった。すぐ傍に、タリーズもあって、そちらの方は席毎に電源もあるのだが、席が超狭いのと、いつもごった返しているので、私は余り利用してはいない。
勿論、楽譜を入れるruckや、notePCを入れるbagには、日常の生活用品は当然入らない。
日常品を入れるためには、ある程度のbagのマチが必要だからである。
当然、よく使う物としては、rucksackではなく、A4sizeの楽譜が入る布製の手提げの袋もあるのだが、これもオケ練習の時には、よく持ち歩いているのだが、楽譜しか入らない事には変わりはない。
また、楽譜しか入らないshoulder-bag-typeのbagと、マチのある手提げtypeのbagもある。
これも普段使いでよく使っているので、結構、汚れてボロボロなのだよ。
しかし、この手提げtypeのbagも、shoulder-typeのbagも帯襷である事には変わらない。
bikeの座席の中の収納spaceには楽譜は入らないし、日常品を入れられる程に、マチにゆとりがある分けでもない。
次のpointは普段のbikeで移動するための『お財布bag』のmini-bagとfolder-typeなのだけど、免許証とcard類の入ったお財布と、コイン入れ、後は携帯が入れば良いのだけど、これも、帯襷で、丁度良い長年使用して来たmini-shoulderのbagが携帯が変わって、大きくなったので、入らなくなったのと、古くなってしまって結構ボロボロになって来たので、その変わりのmini-shoulderをnetで注文したのだけど、満足の行くbagでは無かったのだけど、気に入ったbagが無いので、取り敢えずは、仕方なく使っているのだよな。
netで調べても、そのsizeのmini-bagは無いので、気に入って使っているのではないのだが、致し方無い・・と言う事になる。
勿論、このmini-sizeの手提げtypeのbagも結構持っているのだが、これも帯襷である。
なにも入らないペラペラのtypeから結構マチのあるtypeまで色々とあるのだが、これも常用してはいるのだが、納得して使っているのではないのだよ??
入院用をする時に、着替えの服を入れる超大きなsizeのrucksackは一つしかないし、A4sizeの楽譜が入るよりも、少し大きめのrucksackは3個しかないのだが、そうすると、部屋の中には、なんの袋がいっぱいあるのだろか??
つまり、私としては大きく四つの生活をしているのであって、その四種類のbagに分類すれば良い事になるのだ。
今日は1日掛りでbagを分類して見るか??
bagは探す事が多いので、四つの種類に分類するだけで、かなりの時短が出来ると思うのだがね??
コメント
芦塚 陽二
一文字入力する毎に、カーソルがどこかに行ってしまうので、文章の入力が出来ない!!
以前もFacebookはそういう事があって、やっと治ったばかりだと思っていたのに、今度書式が新しくなった途端にまたまた再発したよな??
超、腹立つよな??
8月30日 8月28日の『Tartiniのgrandsonate e moll』の文章の続きです。 ·
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明後日はなんともう9月です。
なんという事でしょう😵😰
私の覚え知らない間に8月が過ぎ去ってしまいました。
8月28日の『Tartiniのgrandsonate Op.1Nr.5 e moll』の文章の続きです。
Ⅰ楽章のornament譜とCembaloのcontinuoのpartを昨日の夜、半分と今日の朝から作り上げました。
勿論、暫定稿で完成稿ではありません。
別に演奏する人が決まっていて、作っている分けではないので、全楽章をfinaleに入力出来るのはいつになるかは分かりませんが、別に年内に作る必要はないので、のんびりと書いて行きます。
You Tubeにはupしません。
Facebookのみのuploadです。
前回の発表会の時の演奏とは違って、rhythmはnotes inégales奏法で演奏しているのですが、勿論、französische overtureの様式によるrhythmで演奏しています。
Händel風の壮大な感じになって良いと思います。
・・とは言っても、元の楽譜がどんなものか分からないとなにをどうarrangeしたのか、分からないよね??
baroque時代、当時のoriginal譜をfinaleに入力して見ました。
元の譜面は、おおよそこのように書かれています。
残念ながら、Tartiniのfacsimileの手書き譜は持っていないので、Finaleの譜面です。
https://www.facebook.com/100004230614853/videos/1716612248489779/
今日はお昼からはオケ練習のTeleworkでした。
Il favoritoでは何度も楽譜を作り直したのに、またぞろ、訂正前の音符が出て来たりして、とうとう癇癪を起こしてしまいました。
でも、よくよく考えて見ると、このtroubleはもう何年も以前からのtroubleなのです。同じ曲のarrangeが何曲もあると、どれが最終稿か分からなくなるので、ハイツで訂正した楽譜を椎名町にmailで送って、曲がダブらないように、上書き保存をさせているのだけど、どうもそれが良くない・・根本的な原因のように思えて来ました。
つまり、上書き保存を同じ場所の同じパソコン上でやるとなんの問題もないのだけど、ハイツで修正した楽譜を椎名町のfinaleで上書きする時に、bugが起こるような気がします。
それを防ぐ方法は、ハイツから修正をした楽譜を椎名町に送った時に、椎名町の楽譜を削除して、ハイツの楽譜に稿正の日時を入れて保存すると一番bugを防げるのではないかな??と思って、斉藤先生に伝達しました。
楽譜を共有する事は非常に難しい事です。
今日は、Teleworkだったので、朝にパンを2枚食べただけだったので、オケ練習が一段落した後で、軽く食事をしたのだけど、体が超火照って来たので、慌てて寝室のcoolerも付けて2台のcoolerで部屋を冷やしながら、急に食べたので、血糖値が上がってしまったのかな??・・という事で、急遽仮眠を取る事にしました。
相変わらず、文字を打つと、カーソルが勝手にtopに戻ってしまって、文章が全く打てません。
忍耐力testみたいなものだよな??
条件の合うFacebookに変わるものがあったら、いつでもお引越しするのにな??
8月31日『Karl Richter教授の思い出』 ·
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世界的なorganistであり、Münchener Bach-Orchesterの指揮者であるKarl Richter教授との出会いは、München時代の地下の食堂(Kantine)である。
私は普段の日は、昼食を友人達と地下のKantineで取るのだが、或る時に、私がKantineで友人達と私の曲の演奏の打ち合わせをしていた時に、偶然通り掛かったRichter教授が私の曲をチラッと見て、「とても美しいけれど、modernではない!」とSchimpfen(いちゃもん)を付けて来た。
私がすかさず、「traditional ist nicht schlecht! 」「professorのBachも現代曲ではありませんよ!(nicht modern!sondern traditional!!)」と皮肉を切り返したら、真っ赤になって怒っていたのだよ。
ついでに、その日の夜のprofessor RichterのOrganの演奏会を偶然聴きに行く事になっていて、その舞台席で、Organの楽譜を手にして目の前で演奏を聴いていたのだが、よっぽど頭に来ていたのだろう、私と目が合った瞬間に16小節に渡って、暗譜が吹っ飛んでしまった。
素晴らしい・・と思ったのは、その失われた16小節間のDouble fugaを即興で16小節間繋げた事である。「fugaを即興で演奏するなんて・・」と、感心したものである。その後、お互いは「良好な関係で・・」とは行かなくって、目を合わせるとdebateをする犬猿の仲には変わりはなかった。でも、私は音楽大学時代からdebateで一度も負けた事はなかったのでね??
よく食堂で顔を合わせる度に、遊んで貰ったのだよな??
驚いた事に、Richter教授の元に、16歳の、とても可愛い女の子が「飛び級」で、入って来たのだが、周りの若い男の子達が放っておかなくって、半年もしたら、目も当てられないようなイケイケの女の子になってしまっていたよ。
それからは彼女がどうなったのか、私は知らないのだけれどね??
私と同じ音楽大学の卒業生の女の子が、極めて珍しい同大学の先輩という事で話掛けて来たのだけど、彼女もRichter教授の門下生であった。
Richter教授はOrganのlessonを、12時過ぎの深夜にするのだそうな??周りの騒音に惑わされない・・という事が口実らしい。「本当の所は知らないけれどね??」・・と彼女が言っていた。
即興のお話に戻って、それと同じ事を体験したのは、音楽大学の学生時代に上野の大Hallで最前列の席でJörg Demusの「fantasiaとfuga」の夕べというKoncertで楽譜を見ながら演奏を聴いていたのだが、Bachのfugaになった時に、Jörg Demusと目が合った瞬間に、Jörg Demusも30小節間を忘れてしまって、即興で演奏を続けたのだよ。
Jörg Demusも即興の天才として知られているのだよ。
Jörg Demus氏とも、Münchenから帰国した後で、親しくお話をする機会があったのだが、べらんめぇ口調で、紳士的な喋り手とは言えなかった。
音楽家は言葉使いが綺麗な人達が多いのだが、珍しいpatternだよな??
ソロソロ、カーソルの動きにHysterieが起こりそうなので、この辺までにしておこう。
9月1日今日から9月です。 ·
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今日は8月31日の月曜日、8月の最後の日です。
8月も最後というと、初秋を思わせるのですが、お昼間は普通に夏の34°の猛暑が続いていて、初秋どころではありませんでした。
今日は夏バテ気味で、朝から体調不良気味でTeleworkでのlesson以外には、仕事と言う仕事は出来ず、1日日がなうだうだとしていました。
夜の9時過ぎ頃まで、ウダウダが続いて、それから食事のmailがあって、食事兼ドルプリっ歩に出掛けようと思ったのですが、mansionから一歩外に出たら、なんと小雨が降っていました。
部屋に戻ってrain-coatを着るのも面倒くさかったので、そのままBikeで椎名町に走ったのですが、流石に半袖のTシャツでは寒い事、寒い事‼️
ドルプリっ歩の時間になると、もう傘が必要なぐらいに雨が強くなって来ましたが、プリはさっさとお約束のうんちだけを済ませて、ドルを無視して、急いで帰ってしまいました。
雨が酷くなって来たので、薄い透明の夏用のvinyl(ビニール)のrain-coatの初おろしをしてハイツに戻りましたが、なんと背中のvinyl(ビニール)が破れていました。
net通販で買った、使い捨てtypeではない・・、ちゃんとした金額を出して買ったraincoatだったので、頭に来てshopにmailでclaimをしておきました。
さて、どんな対応が、見受けられるかです。
1日中、ウダウダとbedで横になっていたので、直ぐには眠る気にもなれずに、少しテレビでこういった時のためのVideoを見ていたのですが、やがて・・というか、やっと、眠くなって来たので、喜んでbedに潜り込んだのですが、今度は、また息が出来なくなってしまって、慌てて、起き出して、鼻の手入れをしました。
勿論、それで無事に眠ることが出来ました。
普段となにも変わらない1日だったのですが、特筆すべきは深夜からは、coolerの要らない肌寒い日になった・・という事でしょうかね??
9月1日肩当て顎当てのお話 ·
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今日は9月1日の火曜日(つまり、「引き籠もりday」)のお昼過ぎの2時半を過ぎて、3時になる所です。
とうとう今日は、9月に入いってしまいました。
今日の湿度は70%近くあるので、すっきりとは行かないのですが、気温は26度と、風もあって凌ぎやすい日にはなっています。
しかし、それなのに私自身は今日は朝早くから体調不良で意識朦朧として動けなくって困っています。
斉藤先生から、4時半過ぎにtelworkの申し込みがあったのだけど、その時間までに意識が回復出来るか否かが微妙です。
体力の回復のために、少しbedで横になって時間まで寝ようと思ってbedに入ったら、左足の中指の爪が割れて引っ掛かってしまう事に気付きました。
このままでは寝ている間に足の爪が剥がしてしまい兼ねないので、bedから起き出して必死に爪を切りました。
肥ってからは体が曲がらなくて足の爪には目線が届かないので、お腹や心臓を圧迫した状態の不自然な姿勢で爪を切らないといけないので、とても大変で時間も掛かってしまいました。
頑張って体力の回復に掛けるつもりの時間が、予想外の事で時間が失くなってしまいました。
まだ朝からなんにも食べていないので、突然お腹が空いて来たので、寝るのは諦めて食事timeにする事にします。
まあ、そんなもんかね??
今日は引き籠もりdayなので、自分のpaceでゆっくりと行動すれば良いのですが、どうしても火曜日という事を忘れてしまって、時間の経過に焦って動き回っていて、ふと「ああ、今日は火曜日で移動はないのだ!」と気が付いてホッとします。
パソコンの椅子に座ったままで、冷蔵庫の中に食べ物をしまおうと思ったのだけど、仕舞っている動作が既に夢の中だった事に気が付きました。
一生懸命tableの上の食料品を片付けているのだけど、それが夢の中だったのだよ??
という事で少し早過ぎるけれど寝ます。
コメント
萩元 美紀
お願いします‼︎
· 返信する · 19週間前
芦塚 陽二
「肩が痛い!」というのは、楽器の顎当てや肩当て等は、一人一人体型が違うので、楽器が同じでも合わなくなってしまいます。
大学の先生によっては、「自分の肩当てや顎当てが最高だ!」と信じて疑わない、生徒達に自分と同様の顎当て肩当てを使わせる先生もいるようですが、それは、lächerlichです。
楽器自体は他の人と共有出来ても、顎当てや肩当てが共有出来る機会は稀なので、その都度選んで合った物を探さなければなりません。
間違えた肩当て等で慣れてしまって、その高さがベストなように、思ってしまう人が多くて困ってしまいます。
合わない道具で無理をして合わせていると、肩の痛みや頭痛、酷い時には腰痛を起こしてしまいます。美音ちゃんの場合に楽器が変わると肩当てや顎当ても変わってしまうので、今大場さんの楽器で顎当てや肩当てを買うのは無駄でしょうね??
· 返信する · 19週間前
芦塚 陽二
lessonで構えをやって見ましたが、美音ちゃんの楽器では左向け左が出来ないようです。試しに斉藤先生の楽器で同じようにやって見たら、問題なく出来るので、やはり顎当て肩当てが合っていないようです。
9月2日入眠前のユンケル ·
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今は9月2日の水曜日の2時半になろうとする所です。
つまり、「少し早いけれど寝ます!」というmessageを書いてから、まだ4、5時間しか経っていません。
深夜に目が覚めて困る事は、そのまま眠れなくなってしまう・・という事です。
しかし、今回は「夢と現つ」を繰り返しているようで、ほんのチョッとパソコンの椅子に座っただけで、また夢の中に戻ってしまうようです。
今回も、小一時間もしない間に、椅子に座ったままで寝てしまっている事に気が付いて、慌ててbedに戻りましたが、また直ぐにtoilette-timeで起きてしまいました。
どうやら、今夜はそのpatternの繰り返しのようです。
こういった時のbestな対応は・・・、う~ん??・・ユンケルでも飲むか??
体力があって、体調が良いと熟睡出来るのでね??
寝る直前にビタミン剤を飲む・・という事はよくやります。
「これから寝るのに、なんでビタミン剤を飲むの??」と聞いて来る人もいますが、そんな質問をする人達は、未だ若くて体力のある人達です。
歳を取ると寝るのにも体力が必要なのですよ。・・この話が理解出来る・・という事は歳を取った・・という事なのですよ。
アハッ!
起きている時の話なのですが、その日一日、なにも出来なかった時・・なにもしなかった時には、人生を無意味に・・無駄に過ごしたような自責の念に襲われます。
自責の念が沸き起こると、欝になってしまって、負のspiralに陥いってしまいます。
そこで、いつでも出来る保留にしている雑多な仕事を片付けると精神的にも良いので、そういった類の仕事をします。
今回はつい先日、Facebookのみでuploadしました、TartiniのgrandsonateのⅠ楽章のornamentやcontinuoのpassageを、更に推敲を重ねて見ました。
大幅に色々な箇所を変更しているので、気が向いたら比較してcheckして見てください。
いった簡単な軽作業でも、一つ終わらせる事が出来ると、気分が良くなります。
私の精神的なメンテです。
朝の10時を回った所です。
またまた朝のtoilettimeで目が覚めた事で困った
9月2日夢で美味しい鰻を食べた ·
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またまた、話しが、夢と現実が混在して複雑な事になって来ました。
朝のtoilettimeで目が覚めて困った事になってしまったままに、前のPageに書いていたハズの文章が見当たりません。編集履歴を見ても、一生懸命に書いたつもりのが文章が、またまた夢の中だったようです。
この前のPageに書いたつもりの文章は、・・・・
窓の下の公園に幼稚園の子供達が遊びに来ていた話と、外の気温の方が部屋の気温よりも低くて、快適なので窓を全開にした話と、池袋にウナギ屋を見つけてウナギを食べた話の三つの長い長い文章です。
今朝も、昨日と同じようにとても良い凌ぎ易い天気になって来たので、近所の幼稚園の子供達が久し振りに部屋の下の公園に、遊びに来ていました。子供達の叫び声がとても元気なのですが、体調不良の時には、老人には少しキツいのだよな。
部屋の中でcoolerで作った気温よりも、外の空気の方が低かったので、窓を開けて久し振りに空気の入れ替えをしました。
普段ならば、玄関のdoorも開けると一気に空気が入れ替わってしまうのですが、人が歩いている事があるので、今日は玄関の扉は開けない事にしました。
多分、ここいらで部屋の窓を開けたままで、bedに戻ったと思います。
次は明らかに夢の中の話しだからです。
池袋の北口の赤提灯が並んでいるビルの谷間の小さな飲み屋街で、多分仕事帰りなのか、一人だったか、連れがいたのかは定かではありませんが、何か食べる物を探して徘徊していると、小さな鰻屋で鰻の大盛りとご飯たっぷりのうな重の2種類しか置いていないお店を見つけました。
覗き込むと、皆その2種類を頼んで、たっぷりのご飯に大盛りの鰻(多分4匹分ぐらいの・・)で食べていました。両方で4500円です。
「これは安い!」と私も同じmenuを注文しました。
鰻がホクホクで超美味しいのですよ。
前に来たgroupの人が、「来れなかった人がいるのだけど・・」と店主に話をしていました。店主は「もうお店は終わりなので、じゃあ、俺がついて行ってあげよう!」とか言っているのが聞こえて来ました。
「これは良いお店を見つけた。是非、皆でもう一度一緒に来よう!」と思っていたのですが、またまた、toilette-timeで目が覚めて、食べていた美味しい鰻も夢の中だ・・という事に気が付きました!!
でも、今回はちゃんと食べれたので得をしました。アハッ!
今は13時を過ぎた所ですが、なんと公園には人っ子一人いなくなってしまいました。
何故??
お昼休みの時間が終わったからかな??
それとも??
コメント
芦塚 陽二
またまた、カーソルが動かなくなって(変な動きをするようになってしまって・・)文章を入力出来なくなってしまいました。さて困った。途中までで、文章が打てなくなったゾイ!!
一度、完全に終わらせて、暫らくしてまた開いたら、文章が入力出来ました。でも不安定な事は変わらないのだけどね??
9月3日駐車場の場所を忘れた・・という夢 ·
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ずいぶん前の夢の中の話しなのだが、仕事で車を運転して長崎に帰って友人と仕事を済ませて、そのまま東北の方での仕事を継続するために、彼を同乗させて車を東北へと走らせていたのだが、大阪の高速を走っている時に車が突然故障してしまった。
という事で、車を大阪の修理工場に預けて、私は一人東北へ向かって行って一人で仕事を片付けた。
今日の夢は、その続きからで、今、つい先程、大阪の工場から「車の修理が終わった」という連絡があって、急遽、大阪に車を取りに行く事になったのだが、大阪の修理工場の場所を忘れてしまった。
それに東京の自宅の駐車場が何処にあるのかさえ、すっかり忘れてしまって、その困り切っている所で、ふと我に帰った。
そういえば椎名町の事務所には駐車場が付いていたという事を思い出した。
あれ?でも、それに、駐車場にはちゃんともう自分の車が入っているぞ??
という事は、大阪の工場で車の修理が終わったという事は、なんの車の事なのかな?
今まで車を取りに行くために、焦り捲っていたのだが、事態がよく掴めなくなってしまった!
椎名町にある事務所は夢で、実在しないのか?
それとも大阪からの連絡があった事の方が、夢なのかな??
どちらの方が現実の世界なのだ??
私はbedから起き出して、出掛けるつもりだったのだが、これから、何処へ行けば良いのか迷ってしまいました。
ひょっとしたら、これは徘徊の初期の症状なのかな??
それとも矢鱈とRealな夢に過ぎないのかな?
それでも、夢は夢で、(期間を開けて・・なのですが、)続いて行きます。
これが中々問題で、夢であったとしても、夢のように荒唐無稽なものではなく、現実のようにrealに夢の社会のなかで生活が活きているのですよ。
夢の中の行動が、現実のように具体的に話が進んで行くのですよ??なので、本当にあった事のような気がしてきます。
今は深夜の3時半を過ぎた所で、ベランダは大雨の打ち付ける音がします。
これだけは現実のお話しなのでその証拠に動画を添付しておきます。
この動画もひょっとしたら実は夢に過ぎなくって、なにも映っていなかったりして・・・
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芦塚 陽二
「駐車場を忘れた」「駐車場が分からなくなった」という夢はよく見る夢なのです。
昔、長崎に帰省している間に、花園の駐車場がなくなって、停めていたBikeが道に放置されていたり・・(夢のお話ではなく、現実にあった話なのですよ!)、江古田の駐車場が家主が「防犯のために急遽乗用車だけにする!」といって、突然、駐車場を放り出されて、江古田の事務所の近場に駐車場が見つからなくって、やっと見つかった駐車場は遠くの板橋区の駐車場で、車を乗り降りするたびに、Bikeで板橋区の駐車場まで通ったり・・とか、これまでの駐車場は、貸し手側の横暴で、江古田や花園の駐車場は、本当にあちこちに借りなければならない事が多くて、私にとっては、駐車場の問題は、結構トラウマになってしまっているのです。
9月4日相も変わらない不定愁訴·
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8月の27日に腎臓内科を受診してからちょうど丸1週間経ったのですが、そのドクハラのpressureの影響からはいい加減逃れられたとは思うのですが、相も変わらず、体調不良が続いています。
この体調不良の原因はなんだろうかと、色々と考えて対応しているのですが、中々上手くこの体調不良の状態から逃れる事が出来ません。
体調不良の一番の原因と思われるのは、睡眠時の鼻づまりによる呼吸困難なのですが、それもこのところ、普段同様の対応が、上手く行かなくなってしまってるのです。
後は、寝る前にビタミン剤を飲んで睡眠の質の向上を試みたり、神経性胃炎の薬でお腹の改善を試みたりの対処もしてみたのですが、以前はそのいずれかが当たって巧く不定愁訴から逃げ出せたのですが、今回は全てを試してみたのですが、全く巧く行きません。
という事で体調不良が続いて、この1週間、仕事の効率が極端に落ちているようで、困っています。
どうせ何をしても、巧く行かないのならば、気分転換に温泉にでも行って、ぼんやりするのも良いと思うのですが、コロナもあるしね~ぇ?また、貧乏性の私は、なにもしないでのんびりする・・という事が出来ないのですよ。
9月4日オケの指導のpoint ·
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オーケストラを運営をして行くのには、とてもお金や指導者の人数が必要になって来るので、個人のオーケストラは基本的にはありません。
学校関係のオーケストラや県や市によるオーケストラが存在するだけです。
また、そういった一般的な市や県の主宰のオーケストラに子供達が参加する場合には、オーケストラの演奏する曲目の技術上の制約のために、モーツァルトのコンチネンタルの第三番ぐらいの曲を弾く技術力を要求され、オーディションをして生徒を集めるのが普通です。
教室のような同属楽器によるアンサンブルの場合には、その楽器の持つ特性を最大に引き出す事が出来るので、弦楽器を弾く技術は、最大のものになるので、オーケストラの中の一軍の人達で構成されるのが常です。
私の場合には、成長途中の子供達が、管楽器を演奏する事は、体の発育の大きな弊害になることから、管楽器は小学生にはさせません。
例外的にリコーダーだけは、歌を歌う時よりも、肺の負担が、極めて少ないので、子供達のオケに例外的に使用する事があります。
・・という事で、実際上は、オーケストラよりも、弦楽オーケストラの方が、技術的な負担が大きいので、子供達の弦楽orchestraは無理なハズなのですが、私の場合には、Vivaldi-methodeを取り入れる事によって、third-positionに入った生徒から、オケの参加を可能にしました。
そして、その初めてのオーケストラの中では、基本となる三つの事をマスターする事がオーケストラの勉強をする上での要になるのです。
教室では、オーケストラに参加する生徒が多かった時代では、カリキュラム的に、初級のグループと、中級、上級のグループの他に、レベル別ではない目的別の専科オケという四つのグループに分けて曲の選曲や練習をしていました。また、通常のオケの他に、楽しみのためだけのオケ、という事で、月2回だけの練習参加の、二回オケという趣味組を対象にしたオーケストラを作って、指導していました。
それが可能であったのは、オケのコンチェルトでソロを弾く生徒は教室で選抜した各gradeで一人だけだったからです。
それでもclaimが出なかったのは、オケ練習の開始時(初練習の時)に、intempoで演奏出来るキャパシティが必要だったからです。
最初からintempoで練習に参加するためには、子供達が練習の軌道に乗るために、三つのpointをmasterする必要があります。
しかし、残念ながら、その三つのpointを1クールや2クール過ぎても、未だ身に付ける事が出来なくって悩んでいる生徒もいます。
勿論、「身に付ける必要がある」・・という事は、指導する側に取っても、正しく間違えないように落とし無く指導するという課題でもあります。
その「オケ練習上の三つの基本」とは、「音を揃える事」、「bowを揃える事」、「指導された事の内容を覚える」・・という事の3点です。
「指導された事の内容を覚える」・・という事は難しい事のように思えるかも知れませんが、あくまでも「指導された事が出来るようにする」という意味ではなく、「どこでどのような注意をされたか??」を覚えていれば良い・・という意味に過ぎません。
理解する必要も、出来るようにする必要も・・ないのです。
「ここを注意された」という事が記憶に留まっていれば良しとします。
オケの初心者には、それで充分だからです。
しかし、その事すらしようとしない生徒は、必ず落ちこぼれてしまいます。
出来ない事ではなく、出来る事をしようとしないからです。
しかし、教室ではそういった生徒達でも参加出来るオケがあります。
それが2回オケです。
月2回の練習で演奏出来るoriginalの曲を勉強します。
簡易versionのarrangeされた曲ではありません。
ちゃんとしたbaroqueや古典派のoriginalの曲です。
オケ練習自体はその一つ一つを丁寧にmasterさせて行きます。
「音を揃える」・・という事には、音を縦に揃える事と横に揃える事があります。
orchestraで音を揃えるという事は、揃えるための基音が必要なのですが、初心者には、その基音が分かりません。(勿論、開放弦の音は基音にはなり得ません。開放弦の音はその調の純音ではないからです。)
orchestraではPultmasterの音に合わせるのが一般的なのですが、今回はPultmasterがオケ・soloを弾いているので、pitchがsolo-pitchになってしまって、元々のpitchよりも高い音を指示してしまっています。それでなくても、Kontrabassはpitchを高めに取る習性があるのですからね??
この場合のbase音は例外的にKeyboardで取った方が、未だマシかも知れません。勿論、Kontrabassの実音を出せるKeyboardがあれば・・という事なのですがね??
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芦塚 陽二
相も変わらず、カーソルが冒頭に飛んで行って、文字の入力が出来ません。いつになったら、治るんだよな??
この馬鹿Facebookは???
9月4日ドルプリっ歩の最後の500㍍ ·
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今日、9月の4日の金曜日は、練馬区はお昼の3時頃には35°を越える猛暑だったのですが、僅か小一時間も過ぎた頃の夕方には、なんと突然、26°になって、暴風と雷と小雨がパラつく肌寒い天気になってしまいました❗
こやあ、大変だ!!多分台風10号の影響でしょうかね??
という事で本格的に雨が降り出す前に、大急ぎで椎名町に移動して、雨が降り始める前に食事とドルプリっ歩を済ませたのだけど、ドルプリっ歩の最中のあと500メートルの所で、いつものようにバテてしまいました。
体力温存のために、結構体調不良が続いているのだけど、無理をしてドルプリっ歩に付き合っているのだけど、この所・・その最後の500メートルの直線の道が辛いのよね??
なんとか、椎名町の教室に辿り着いたのは良いけれど、テーブルに座って、超疲れてしまった状態で、茫然自失、喘いでいたのだけど、「やっぱり、腎機能が低下しているからなのかな??」とか、思っていたら、先生達が「気温の変化なのか、気圧の変化なのか、体が付いて行かない!」と嘆いていて、「疲れた!」を連発していました。
「そうか??」「元気な他の人達もこの気温の変化には付いて行けないのか??」
「私だけじゃあないのか?」、と・・という事で、少し、安心しました。一般の人にも辛い天気ならば、私に取っては超、辛くて動けなくても、それは当たり前なので、自分に対して弁解が出来るからね??
9月5日real漫画の夢 ·
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今日は9月6日の土曜日です。
今日は、実に荒唐無稽な少女漫画のような夢を見た。
音楽学園の男子禁制の女子寮で彼女の部屋に行っていた主人公が偶然、担任の先生や彼の友人に見つかって、からかわれて、退学になりたくなければ・・という事で、そのまま女子生徒にされてしまうというストーリである。
徹底的なドタバタ漫画なのだが、夢の中での演奏の技術や歌のtechnik等は中々のものである。
いったいなんでそんな夢を見たのか分からないけれど、結構漫画を見ているようで、面白かったよな??
ストーリー??そんなものは無い。
彼が男の子だと知っているのは、先生と彼女と彼の友人の3人だけなのだが、もう一人の彼の友達が彼を女の子と思い込んで恋をしてしまうし、彼女も彼が突然同性になってしまったことで、色々とハプニングが起きて、ドギマギしてしまう・・という設定なのだよ。まさに漫画だ!!
今日も体調不良で体が米俵のように重たくって動かない❗プリも2本目の電信柱でさっさとうんちをして、もう義務は果たしたから帰ると言って断固として動こうとしないので、根負けをして帰った❗そのままハイツに戻ったのだけど、もうヘバってしまって、食料品を冷蔵庫に入れるだけで終わってしまった!
1日中、寝込んでしまった!無駄で無意味な一日であったぞな!!
2020年9月6日 ·
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9月6日の日曜日の朝の5時15分を過ぎた所です。本当ならばcoolerが必要無いぐらいに、肌寒い気温なのですが、湿度が大変なので、除湿代わりにcoolerを入れっぱなしにしています。
外は、それまでは普通に雨の朝を迎えていたのですが、突然、夕方のように景色が赤くなって来ました。
でも、普通と違っているのは、北の空も南の空も全方位が赤く染まって来ているということです。普段ならば、東の空だけが赤く染まって、他の空はそのままのハズなのですがね?
写真に撮って見たのですが、写真では色の違いが分かりません。自動的に補正修正されてしまうようです。以前も夕焼けを撮影したハズの写真が、普通に写ってしまって、夕焼けを再現するのに、苦労した覚えがあります。
今回も、私なりに、imageで補正をして外の景色の色に合わせて見ました。
空気感は難しいようですが、なんとなく近い色にはなりました。
台風性の空の色なのでしょうかねぇ??
それから30分も経たない内に、雨が上がって真夏の空が広がって来ました。なんという目まぐるしいお天気の変化でしょうかねぇ?
どうせ、またすぐに雨や雷が鳴って来るのだろうから、今日は成り行きに任せる事にします。
面倒くさいのでね⁉️
2020年9月7日 ·
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ひぐらしは体長が僅か2~4センチぐらいの小さなセミです。
その小さなセミが雄大な山々からカナカナと美しい声で鳴いて、山合に木霊するように呼応する様は、幽玄と言う他はありません。
山の木々の間に魂が吸い込まれて逝くような気がします。
このカナカナという鳴き声は弦楽器に取っての撥弦の基本でもあります。
食い付きと余韻の要だからです。
ですから、オケ練習の時に常に「カナカナセミのような音で弾くのだよ!」と要求するのだけど、都会っ子には、理解出来ないようですね??アハッ!
また、このように小さなbodyで、あのような美しい、しかも大音量を出せる楽器はStradivariと言えども、作り上げる事は出来ませんでした。
材質によるものか??それとも音を出す構造によるものか??
それが何故、こんなにも美しい音で、こんな大音量を出す事が出来るのでしょうかね??
作曲家でなくって、もうチョッと手先が器用だったら、カナカナゼミの楽器製作者になっても良かったと思いますがね~ぇ??
この山々に木霊するカナカナゼミの音をstereoの音響で録音をするために、未だ一般の人達用の録音機材が無かった頃の、未だ、私が音楽大学の学生だった頃に、大枚を叩いてstereoの録音機材を買った事があります。
大型のマイクを2本立てて、雲仙の奥深い山の中で、録音をしたのですが、今にして思うと、stereoでは奥深い立体音響への対応は出来なくって、次世代のsurround方式か32チャンネルでもなければ、立体音響の効果は出なかったのですよね??
今の私のパソコンはSurround 5.1に対応していて、端子はあるのだけど、残念ながら、surround用のspeakerを持っていないので、(というか、speakerはあっても、置く場所がないので)諦めています。
美しい音を出すという事は、とかく金が掛かるものです。
コメント
村田 晟
マンション内で聴く蝉の合唱は煩い‼とおもいますが、あらためてセミの個々の演奏を聴こうとYouTubeで検索してみました。
もう都会ではほとんど聴けないセミの演奏・・・個々に聞くと面白くていいものですね🌈
https://www.youtube.com/watch?v=wHcbjNLUmXs
身近な虫の名前を覚えよう1〜セミの鳴き声を聞き分けてみよう〜
· 返信する · 18週間前
芦塚 陽二
つくづく欲しや金金金金、そのひぐらし 拝
· 返信する · 18週間前
村田 晟
ああ、ああ、わが身に沁み通るセミの声(笑)
9月7日『久し振りの腓返り』 ·
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今は6月の7日の夕方の4時を過ぎた所です。
朝はいつものように頻眠(変換してくれなかったので、単語登録しました。)だったので、日曜日の練習の動画を曲別に纏める作業をしたら、超面倒くさい作業が全て終わりました。
お昼近くになっても、その頻眠を繰り替えて、寝たら、なんとお久し振りに長時間(5時間以上も・・)寝る事が出来ました。(頻眠の時には1時間半が、最大値になります。)
起きてbedから降りようと思った途端に、腓返りを起こしてしまいました。
痛い事!痛い事!!
足を伸ばす事が痛くて出来ないので、bedに俯せになって、足をbedから出して、膝を伸ばしました。
暫らくして、なんとか足の腓返りが収まって、両足を見ると、足の甲や足首が干からびて、普段の水肥りが無くなっていました。頻眠で頻尿の時に、必ず水分を飲むようにしていたのだけど、5時間以上も水分補給しないで、熟睡していたので、薬で体中の水分が抜けてしまったようで、それが腓返りの原因のようです。
左足の膝から下の筋肉が硬直したままで、痛みは失くなったのだけど、硬直は未だ取れません。
何度も寝起きの時に、腓返りになりそうになった事はよくあるのだけど、「これはマズイ!」と思ったら、細心の注意をして起きるので、なんとか回避出来ていたのですが、今回は回避する間も無い一瞬の出来事でした。
暫らくは枯れ木に水をやりましょう??
洗濯機の中で洗ったままで干からびていた洗濯物を2度洗いをして干すためにカゴに入れて持って行ったのですが、夢の中で3回も干してしまいました。仕方がないので、bedに座って確実に干したのですが、それもやはり夢でした。いや、座った所迄は本当だったのですがね?頑張って干したのは夢でした。どうしたら良いのかな?
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Kaoru Koyanagi
毎日大変ナンデスね、、😫
· 返信する · 18週間前
芦塚 陽二
いや、周りに私の愚痴を聞いてくれる人がいないので、Facebookで愚痴をappealしているだけなので、お気になさらないでください。Facebookの私のモットーは「老人の世迷言」なので・・、兄貴も似たような事をウダウダと書いているようですが・・??
· 返信する · 18週間前
返信する...
芦塚 陽二
起きれなくて、惰眠を貪るのは、とても楽です。つらいのは、眠れなくって、悶々とする事の方です。何をしても眠れない時は本当につらいです。
9月8日「VitaliのChaconneの改訂の作業」 ·
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台風一過、お久し振りに気温が下がって、一日中寝込んでいたお陰で、夜は頗る体調が戻って来ました。
プリは相変わらずウンチだけして、部屋に戻ってしまったので、これ幸いに・・と、私も急いでハイツに戻って、「VitaliのChaconneの改訂の作業」を済ませてしまいました。
VitaliのChaconneを演奏すると言う事で時には、Pianoで伴奏をする時には、教室でも一般と同様に、基本的にCharlier版を使用しますが、orchestraで演奏する時には、versionはDavid版なので、Charlier版の方が派手派手しいので、orchestraで演奏をする場合でも、子供達がCharlier版の派手派手しいpassageを弾きたがるので、これまでも、David版を底本にしているGuido
Guerrini版に、Charlier版の技巧的なpassageを子供達の望むままに、取り入れて演奏しています。
楽譜は、元々のGuerrini版のsoloの楽譜を渡しているのですが、どうせならば、最初から・・、という事で、originalのDavid版によるorchestraのarrangeの他に、最初からCharlier版とDavid版の混合版を作ってしまいました。アハッ!
orchestraの伴奏は基本、Davidのpianoの伴奏に基づいた私のarrangeなので、大きな変更はありませんが※)、どうしても、納得の行かないpassageは躊躇なく改訂しています。
所詮、pianoの譜面をorchestraに書き替えるという次点で新しいversionになってしまうので、大したことにはなりません。
という事で、soloのpartがDavid版とCharlier版の混合版になっています。
※)何箇所かのDavid版のPianoのpartのままでは、Charlier版のsoloのままでは、音楽上の禁則が起こってしまうので、その場合にはその箇所はCharlrier版のsoloではなく、David版の伴奏のpartの方を変更しています。
という事で、構造式はDavid版のままの、少し派手目なChaconneが出来上がりました。
これならば、子供達にDavid版はつまらない・・とは言わせないぞよ!!
それはそうと、finaleがすっかりオカシクなってしまって、拍の数が入らなくなったり、3/2拍子なのに、5/2拍になったりします。
面倒くさいので、そのまま入力しておきました。
その内にfinaleが自分の間違いに気づく事もあるのかな??
Chaconne in g Tomaso Antonio Vitali David=Charlier=Ashizuka- version
YOUTUBE.COM
Chaconne in g Tomaso Antonio Vitali David=Charlier=Ashizuka- version
VitaliのChaconneは一般的にDavid版と称されるHennri Petri版はCharlier版と同じで、Die Hohe Schule des Violinspielsに掲載されている版も同じである。Auer版(Fischer版)も同じである。 それに対して、Bärenreiter版とRicordi...
コメント
芦塚 陽二
全く文字が打てません!!文字を打つ度にカーソルが他の場所に行って別の文字が失くなってしまいます。入力が全く出来ないので、文章の訂正が出来ないのだよな??腹が立つよな!!!😡😥🤬😥
9月8日『9月7日の干からびた足』 ·
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『9月7日の干からびた足』の続きです。
・・・でも、足の甲がまるで老人の足のようにカサカサに干からびているのは、とても良い兆候です。
足首の上の方が普段は脂肪でブクブクと膨れ上がって、押さえつけると、形がついてしまうように膨れているからです。
足首がカサカサとなっている時には、足首の上の脂肪もなくなっていますからね?
足首が結構すっきりとしています。
しかし、左足は、すっきりしているのは膝迄です。
それは、大腿から膝までで、血管を1本取ってしまったので、膝横の所で血流が止まってしまうので、膨れ上がっているからです。
足にあるべき3本の血管が突然2本になるので、致し方ありません。
昔は、冠動脈のバイパスの手術に足の血管を使ったのでね?今は腹部の大動脈を使うそうです。本当かね?怖い話しですがね??
でも、足のカサカサは、やっとここまで来たのですよ!
足首の膨れが取れる迄は、容易ではありませんでした。
まあ、いずれにしても、台風一過、今日の練馬区の温度はまたまた、35°です。9月も、もう8日だと言うのにねぇ?
曲はVivaldiのsoloのcantata、Stabat Mater(悲しみの聖母)です。
大変有名な曲なのですが、periodの演奏なので、当然、女性ではなく、countertenorが歌います。
殆どvibratoを入れないで歌うのはperiodの特徴の一つです。
昔々、私が未だ大学生の頃、同じclassのViolinの生徒に、音階をvibrato無しで弾くように指示した事があります。
当然、学年topの女の子であった彼女も、全く音階が弾けなくなってしまったのですよ。
つまり、vibratoを無しで演奏するには、相当の正確な聴音力を必要とするのです。vibratoをすると、その幅(振幅分)は、そのpitchになるからなのです。
Renaissanceやbaroqueの音楽は純正調の美しい響きを求めます。vibratoをしていては、その純正の響きをする事は出来ないのですよ。
Antonio VIVALDI Stabat Mater - the Academy of Ancient Music-C. HOGWOOD - (COMPLETE)
YOUTUBE.COM
Antonio VIVALDI Stabat Mater - the Academy of Ancient Music-C. HOGWOOD - (COMPLETE)
9月8日 ·
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先ほど打っていた文章が、またまた見当たらなくなってしまったので、仕方なく新たに文章を打っている所です。
台風一過、今日も練馬区は35°になってしまいました。
coolerを入れると寒いし、切ると熱中症が心配だし・・相も変わらず、困った事です。
そう言えば不思議な事に夕方の4時を過ぎて温度が下がり始めた頃から部屋が突然蒸れて来て、息苦しくなって、coolerの温度を思いっ切り下げたりします。
丁度今がその時間なのだけど、外の気温は大分下がって31°になった所なのですが、暑くて堪らなくなって来ました。
部屋の温度を普段ならば絶対に設定しない26°で対応しているのだけど、それでも部屋の温度が冷えません。
毎日では無いとしても、そうなる時があるのは不思議です。
何が起っているのかな??
9月8日人生の悲哀 ·
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今日は9月8日の火曜日、所謂、引き籠もりdayです。
一日中、部屋に閉じ籠って、パソコンに向かって、Videoの編集softであるCyberlinkで、オケ練習の時の細かい解説や単調な基本練習をcutして、動きのある部分だけに、短く編集しなおして、同時にpowerdirecterの中で、You Tubeへのuploadもdirectでやってみました。
作業工程が少なくなるので、かなり時短が出来るのでは?と思ったのですが、実際にはuploadする迄にとても時間が掛かったのと、なんと!なんと!!uploadが終わったら、その曲が見つからなくなってしまいました。
どこに行ってしまったのか??・・幾ら検索を掛けてもhitしません。
仕方なくもう一度、通常の方法でuploadしました。
阿呆見たい??
時間の無駄だったよな??
それにしても、「阿呆みたい??」「時間の無駄だよ!!」と、改めて思われるのは、自分の人生に悲哀を感じた時です。
「自分の人生が満足の行く人生ではない」・・と感じてしまうときがあります。
以前、ここは私の居場所ではない・・・と、お話しした事が、あります。
人が自分の人生を満ち足りたものとして感じるのは、その人の居場所がその人の望む場所である場合なのです。
ある人達にとっては、それが家族かも知れませんし、ある人達にとってはそれは仕事かも知れません。
その人を取り巻く家族がその人に取っての居場所になる人達は幸せですし、仕事がその人の居場所でその仕事をする事がその人に取っての幸せならば、その人達も幸せな人達と言えます。
私に取っては音楽は私の居場所そのものなのですが、残念ながら、私が音楽活動をしている場所は、残念ながら私の居場所ではありません。私に取っては、教育活動は私のlifeworkではないし、教育そのものが私には、向きなのですよ。
学生時代には、私は指導者だけにはならない・・と固く決意をしていたハズなのだけど、どこで狂ってしまったのか、知らないけれど、子供達や弟子達の指導をする事は、私に取っては、四面楚歌の場所で働くようなもので、pressureばかりで、その成果が見受けられないのですよ。
何故って・・??
40年間も、同じ話をしているのに、誰も私の言う事を理解してくれないし、私のmethodeを理解してくれる分けではないからね??
言い方を変えると、「言葉の全く通じない異国にいる時の方が、未だ孤独を感じる事は少なかったよな??」
自分の生きて来た足跡が無意味に思えるきょうこの所なのだよな??
困った事だよな??
今日は引き籠もりdayの火曜日なのだけど、ほんの少しだけ元気だった昨日の月曜日とはうって変わって、お久し振りに、超!欝に苦しめられています。
・・という事で、随分なお久し振りになるのだけど、気分直しに、wineを開けて飲んだのだけど、状況は悪化するばかりで、一杯のglassのwineが全く飲めませんでした。
・・・という事で、諦めて気分転換にコンビニ迄、お散歩に行きました。
何かを買った分けでも無い・・ほんの5分ぐらいの外出に過ぎないのだけど、体調も良くないので、それぐらいが限界でしょうかね??
昔ならば、行きつけの寿司屋で呑んだくれている所なのでしょうが、コロナではそうも行きませんしね??
という事で、冷蔵庫から刺し身のつまみを出して、糖質0の日本酒を飲んだのですが、お猪口2杯半、つまり1合半も呑めませんでした。
alcoholに逃げる事も出来なかったのだよな??
これも良く書くことですが、人間鬱の時には、不思議なぐらいに、鬱な出来事が襲い掛かって来ます。畳み掛けて来るのですよ。それを耐えていると、だんだん自分の寿命が削られていくような気がします。このまま自分の人生が終わったりしてしまうのは遺憾ともしがたい事です。
ああ、Miserere mei, Deus
Mozartが幼い時に、一度聴いただけで書き留めたという曲です。なんと美しい・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=R5uBWa7UJFQ
9月9日今日はまるまる1日ヘバッてしまった。 ·
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今は、9月9日の水曜日のお昼の1時になる所です。
練馬区の温度は、相変わらず34°もあります。
という事で、ハイツの下の公園には人っ子一人いません。
犬の鳴き声すらしない静かなお昼です。
今日は練馬では、とうとう35°を超えてしまったようです。
一日へばってしまいました。
今日は・・・??
寝込んでしまったので、なんの仕事もしていません。
でも、未だ6時半を過ぎた所なので、今日はこれからでも未だ挽回は出来るのかな??
今日は、なんと、なんとまるまる一日ヘバってしまいました。
10時を過ぎて、お迎えっ歩のlineが入って来て、慌てて起きて椎名町に駆けつけました。
もうお散歩は終わっていたのだけど、出掛けたのが遅かったので、帰りはいつも通りに12時は大幅に過ぎてしまいました。
9月10日今日も暑い ·
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朝日がとても美しかったので、写真に撮って見ました。
地平線から首のようなスジが見えてその上に太陽の一部が乗っているようなだるま太陽のように見えていたのですが、実際にはまだ太陽は出てきていません。
写真では首がなくなっていますが、写真を撮るTimingが遅れてしまったので、本当は地平線から太陽まで首が繋がっていたのだけどな?
でも、太陽のように見えて輝いていたのは、なんだったのでしょうか?
写真で見ると、その部分だけが雲が無いようにも見えるのですがね??
だいぶ後になって、本当の太陽が登って来て本当のサンライズになって来ました。
太陽が出て来るまでの15分ぐらいの素晴らしい天体showでした。
欝や体調不良が続いているので、思い切って窓やdoorを全開に開けて、部屋という部屋の空気の入れ替えをしました。
朝の7時半というのに、練馬区の気温は既に29°を超えています。湿度も79%にもなっています。
多分、8時には30°越えになるのでしょうね??
8時30分を過ぎたばかりです。
やはり、練馬区の気温は30°を超えました。
勿論、室内の温度計も・・・
はてさて、どうしたものか??
窓という窓を全部閉めて、coolerにするか??31°までは我慢して見るか??う~~ん??
まあ、熱中症になる寸前まで部屋中の空気の入れ替えと、悪さをしている欝の空気の入れ替えをして、気分転換をしましょう??
minor思考には、minorな事しかやって来ないのだからね??
猛暑を武器にしてみようかね??
・・とか言っていて、体の方は然程でも無いのですが、顔・・というか、首から上が火照っているのに気がつきました。
これはマズい!!という事で、急遽、総ての窓を閉めてcoolerに切り替えました。
部屋が冷えて凌ぎ易くなるに従って、体調が悪くなって行きました。
頭が茹だっていた方が良いのか、体が冷えていた方が良いのか??
これは困った!!
9月11日この1週間は惰眠を貪って ·
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今日は欝が酷くてパソコンにKeyboardで文字を入力するのも億劫だったので、お久し振りに音声入力のsoftであるDragonspeechで音声入力をしようと思ったら、なんとDragonspeechが壊れてしまっていたのだよな??
Windows10になってもなんとか騙し騙し動かして来たのだが、Microsoft Edgeになってから、ロクな事はないのだよな??
だいたい、全てのアイコンがMicrosoft Edgeのアイコンになってしまって、FacebookやYouTube等々のアイコンがなくなって、識別不能になってしまったのだよ‼️
それに、今使用中のほとんどのsoftは、windows10にはなんとか対応出来たとしても、Microsoft edgeには対応していないのだよ。
だから、今度は何のsoftがおかしくなるのだろう?と、戦々恐々としていなければならない。
好きで入れたくて入れたsoftではないのに、edgeが入っていなければ、YouTubeもFacebookも開かないのだから、なす術がない!
嫌だから入れない・・では済まないのだよ❗️
パソコンの調子もそうならば、私の体も押して知るべしで、今日は特に鼻の調子がよくない。(パソコンのsoftとは関係はないけれど・・??)
特に左側の鼻が何をしても詰まったままで通らなくって鬱陶しい。
諦めて蓄膿症の薬でも飲むか!
そうすると状況が改善する事がある。
体調不良で鬱が酷い時には、全く眠れない事が多いのだが、この一週間は、仕事という仕事も出来ないままに、惰眠を貪っている。
つまり、眠る事は出来ているので、楽な事は楽である。
鬱の最高の治療薬は眠る事なのだ。人間、眠る事がでれば、心の痛みはオブラートに包んだように楽になって、軽くなって行く。忘却は最高の治療薬である。
眠りに誘う事は、時の女神の与える最高の安らぎである。
9月11日椎名町のパソコンがまたまた ·
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今日は9月の10日にもなるのに、練馬区の温度も相変わらずの33°超だったようです。
特に夕方からは、部屋が蒸れて来て、coolerが効かなくなって来て、寝室のcoolerまでも、並行で使用しなければなりませんでした。
相も変わらず、欝は酷いし、体調不良で体も重たくって、動けないので、気分転換に早めに椎名町に移動をしたのだけど、「パソコンが立ち上がらなくなった」・・という事で修理を頼まれたのが、これがなにをやっても助からないので、ついに諦めてrecoveryをしようとしたのだけど、そのrecoveryが中々出来なくって困ってしまいました。
2時間近く掛かってやっとrecoveryが出来て、softを戻すのに、passwordが必要なので、もう一台のパソコンを開いたら、なんとなんとそのパソコンも全く同じ状態になっていました。
windows7から10にupgradeしたパソコンだったので、ハイツのパソコンのようにお釈迦になってしまうのかな??と恐怖だったのだけど、セーブ・モードでなんとか助ける事が出来ました。
新しい方のパソコンは助からなかったのだけど、recoveryは出来たので、後はpasswordが分かればsoft類は戻す事が出来るので、俺の作業は終わりという事で、遅くなってしまったので、急いでハイツに戻ろうと思ったら、なんと超大雨で、bikeで運転するのにも目が開かないぐらいの、それこそバケツをひっくり返したような雨がハイツまで降り続けました。雨合羽で厳重ガードして帰ったのだけど、それでも濡れたぞよ!!
9月12日Facebookの文章がまたまた ·
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今度は朝の4時半に書いた文章がぶっ飛んで無くなってしまいました。
写真も・・ぶっ飛んで失くなってしまいました。
超、腹立たしいFacebookです。
朝から文章を探して無駄な時間を費やしています。
カーソルがあちこちに飛んでしまう事とはまた別の話で、文章が失くなってしまうのは、携帯とパソコンの連携が上手く行っていないからのような気がします。携帯で打った文章や写真が、パソコンのFacebookに反映されなかったり、その逆も起きています。その間に、写真が失われてしまったり、文章が無くなってしまったり・・と色々なbugが起こるようです。
9月12日レインコートが役に立たないほどの大雨で ·
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今は9月の12日、土曜日のまだ4時半になったばかりの時間です。
とは言っても、椎名町の事務所のパソコンが壊れたので、その修理で、深夜の2時近くまで掛かって、超大雨の中をびしょ濡れ※)で帰ってきたので、実際には1時間半ぐらいしか寝てはいないと思いますがね??
※)びしょ濡れとはいっても、リュックの上からのレインコートを着ていて、びしょ濡れになったのですよ?!つまり、レインコートが役にたたない程の激しい雨だったのです。
bedで寝ていて、寒くて目が覚めた所なのですが、寝室のcoolerは入れないので、隣の部屋のcoolerからの空気が、寒かったので、隣の部屋のcoolerの電源を切ったのですが、それでも結構寒かったので、ベランダに出て見ると、4時半を過ぎているのに、まだ暗い夜のままで、それに、結構寒かったのですよ。
それでも、昨晩の猛烈な雨は、いつの間にか上がっていたのですがね?
ついこの間までは、4時半には太陽が昇って明るくなっていたと思うのだけど、今日は空が白み始める迄にはもう少し掛かるのかな?
明るくなるまで部屋の空気の入れ換えをしよう?
自然の空気は、少し湿気っていても、心地良いからね?
という事で、窓辺に座って、空が白んで来る様を見ていました。
昔ならば、「wineを飲みながら」・・という所なのでしょうが、体力的にalcoholを飲むのは無理なので、何も飲まないでの鑑賞です。
普段ならば、「鬱々の曲を聴きながら」・・という事も有りなのだけど、今日は玄関の扉を開けて空気を入れ替えているので、それも出来ません。
まあ、静かなものです。
という事でFacebookに文章を入力しながら景色を見ていたのですが、何度もFacebookの文章がぶっ飛んで、comment自体が失くなったりしたので、文章を書く事自体を諦めてしまいました。
眠れないままに、更に2時間程経ったので、再challengeをしています。諦め悪いのよね~ぇ??
これもぶっ飛んだ文章の一つなのだけど、mansionに囲まれて隠れ家のような小さな公園には、深夜から空気を吸いに来るのか、木の机で寝込んでいる人達がよくいます。部屋の中で押し潰されそうになった時には、深夜の公園のベンチは心地良い孤独な空間です。
コメント
芦塚 陽二
下の写真は、結構明るく撮れているのだけど、本当はもっと暗い朝の開ける前の時間帯の写真です。大体見えているimageに補正してみました。
9月12日椎名町のパソコンと格闘をして・・ ·
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昨晩は昨晩で椎名町の突然壊れてしまったパソコンと格闘をして・・、ハイツへの帰りは深夜から2時を過ぎてしまった。
だから、今日の朝と言っても、2時間も寝ていないのに、4時半からtoilettimeに起き出して、Facebookで何度もどこかに消えてしまってなくなってしまったcommentを、・・探したり文章を書き直したり、とパソコンに翻弄されてしまいました。
文章を入力すら度のカーソルの動きも全く変な動きしかしないので、とてもFacebookでは、文章入力の作業が出来たものではありません。
今日は、どこかに行ってしまった文章を探すのは諦める事にして、新しく文章を書こうかと思ったのですが、文章確定のEnterを押すとカーソルが勝手に冒頭に戻ってしまうのだよな??
「?」を押した時にもカーソルが、同じような動きをするのだよ!
と言うか、なにをtouchしても、カーソルがどこかに飛んでしまうのだよな??
今は10時40分を過ぎた所なのですが、鼻水が止まらなくて息が出来なくて、全く眠れません!
椅子に座っていると呼吸は出来るのですが、寝ると鼻が詰まってしまいます!
困ったものです。
ナザールのスプレーで吸引してみたり等々、色々とやってはいるのだけど、今日は、全く上手く行きません!
12時近くになってからの話なのですが、何が当たったのかは分からないけれど、突然鼻水が止まって、そこから爆睡が始まって、一日が来ないウチから一日が終わってしまいました。
もうすぐ夕方の6時になります。
もう辺りは暗いのだよな??
雨でも降ったのかな??
今にも降り出しそうな雲が分厚いどんよりとした夕方です。
眼下の公園には人っ子一人いない寂しい公園に戻っています。
外の方が寒いので、湿気が厳禁の寝室とCembaloの部屋のdoorを閉めて、後の部屋の窓や玄関の扉を開いて外の空気を取り込んでいます。
コメント
芦塚 陽二
カーソルがあっちこっちに飛んで入力出来なくなるのはいつも、Facebookだけなのだけど、どうしてなのかな??他のsoftで同じような動きをする事は全くないのだが・・・
9月13日超寒かった・・ ·
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明日は9月13日、お久しぶりの日曜日のオケ練習の日です。
斉藤先生が「早めに食事を済ませて寝たい! 」というので、8時前に椎名町に着くように、結構雨が降っている中をbikeで出かけました。
結構濡れたぞよ! !
雨で路面は濡れているのですが、いつもの通りに、お散歩の時には、雨はすっかり上がってしまっていました。
ドルプリはうんちだけをしていつものようにさっさか帰ってしまいました。本当に雨が嫌いなのだよな??
帰り道は霧雨が降っていて、Bikeではさすがに夏の薄手のランニングシャツでは超寒く、しかも霧雨がbikeでは大雨になってしまうので流石にもう無理な様でした。
Coolerの温度が流石に寒いので除湿にしたのですがそれでも無理で、窓を開けて空気の入れ替えをしたのだけれども、それでも充分に寒かったのですよ!
9月13日携帯の音声入力のsoftは ·
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携帯の音声入力のSoftは以前と比べて誤変換の比率が非常に減ってきていて、とても素晴らしい気がします。
その反面、一度誤変換をしたら頑固に正しい変換をしてくれないとか、人の個性的な名前や専門用語に関しては全く変換をしてくれないという欠点があります。
パソコンでは以前から、色々な音声入力のSoftが高額で売られていましたがどれをとっても「帯・襷」で、中々気に入ったSoftにお目にかかる事はありませんでした。
特に変換率が高い分けではないのだけど、繰り返される誤変換の文字を削除することが出来て、個性的な名前や専門用語を単語登録できるDragonSpeechが、唯一私が仕事で使用する事の出来た音声入力softです。
但し、仕事として音声入力をするためには、自分なりの音声認識の辞書を作り上げる必要があって、そのためには、少なくとも3、4ヶ月の忍耐強い音声での単語登録の作業が必要となってしまいます。
それがDragonSpeechを使用する人達にとってのneckなっているようです。
DragonSpeechのsoftでは、勿論、自分で作り上げた言葉のDataをbackup用に保存する事が出来るのですが、パソコンがぶっ飛んでrecoveryをした時に、そのdataが再install出来た試しは一度もありません。パソコン上でのtroubleが無い時に、何度かdataのお引越しには成功したのですが、肝心要のパソコンのrecoveryの時には、softも新しくなるので、dataの引越しが出来ないようです。
という事で、今回もパソコンがWindows7からま10にversionupして、更にその10が壊れてしまって以降の、コロナの間は音声入力をパソコンでは完全に諦めていたのですが、またぞろ、未練がましく、Dragonspeechを使い始めました。
DragonSpeechの最大の弱点は、mikeにあります。音声認識ではnoiseを極端に嫌うので、本来的にはheadsetmikeを使うのですが、パソコンとheadsetがwiredで繋がって自由が失なわれてしまうのが嫌で、最初は高性能のDeskに据え置きにするtypeのmikeを使用しました。
次には、 webcameraの性能が非常に上がったのでLogicoolのweb・cameraで音声認識をすることにしました。
mikeに向かってお喋りをするのが、幾分楽になったからです。
しかし、幾分とはいっても、web‐cameraでは、私がお喋りをする位置が常に一定の場所でなければならないという制約があって、音声の感度も良くなった分、coolerや扇風機のnoiseにも敏感になってしまった感もある・・という欠点があります。
という事で、今回は、ずいぶん昔に買っているBluetoothのHeadsetのMikeを使用することにしました。
これはパソコン側のBluetoothの性能が上がったからなのです。
パソコンもBluetoothも古いままなのですが、いつの間にか非常に認識率が向上しているからです。
もう3回目か、4回目かは知りませんが、しつこく、音声dataの作成をシコシコとやっています。まあ、その為に特別に時間を裂いているのではありませんがね?
9月13日小学生の低学年の時からパソコンの教育を ·
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小学校の低学年の内から、パソコンの教育をする事になったそうです。
それ自体は有難い事なのですが、学校で指導する教育の内容には、すこぶる不安を感じてしまいます。
教室では音楽のnotation・softであるFinaleの入力の仕方を指導しますが、そのFinaleの入力にしても、WordやExcelにしても、パソコンの基本は、shortcutにあります。
shortcutの一覧表は、100均にも、mousepadとして売られているので、覚える必要すらありません。
本当にパソコンを打つ時に必要なshortcutは、10個もありません。でも、その10個のshortcutですら覚えようとはしないのですよ!
困った事ですよ
9月14日大学生の室内楽·
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今日は、9月の14日の月曜日の朝の10時半を過ぎた所です。昨日のTeleworkは大学生の室内楽(チャイコのpianoTrioのⅠ楽章)が急遽入ったので、朝の10時20分には、lessonをstartさせました。あるはずの楽譜もpocket-scoreもハイツにはなかったので、楽譜の準備をする迄が大変でした。Ⅰ楽章だけだとしても曲が膨大な(長大な長さの)曲なので、楽譜を通り一辺通すだけでも、1時間半も掛かってしまいました!!
今日の夕方に、チャイコの練習の留意点を牧野先生にlineで聞かれたのだけど、その時に初めてCelloを弾いていたのが美玲ちゃんだと言う事に気づきました。
というか、まだ気づいていないのですがね?
超、広角なので、顔が分からないのですよ!
オケも最後の練習になるので、1時からみっちりlectureしました。
・・とはいっても、まだ一度も全員揃っての練習は、出来ませんがね?
オケの前日の土曜日から日曜日に掛けては、全く眠れなかったので、夜は超疲れたのですが、深夜になっても、やはり眠れませんでした。
諦めてVideoの編集作業をしながら、眠くなるのを待っていたのですが、イライラが増すばかりなので、霧雨のそぼ降る寒くて暗い江古田の街を30分程の徘徊に出掛けました。
霧雨だったのだけど、傘をstick代わりにして寒さに震えながら、short-courseの徘徊をしました。
今日は、14日の月曜日の、そろそろお昼近くになって来たのですが、まだきちんとした睡眠は取れていません。
体のrotationを取り戻すのはいつになるのかな?
気分転換に久し振りに風呂にお湯を入れて入ったのだが、お湯だけでも寒かった!つい先日迄は、殆ど水だけでも熱くて入れなかったのが、お湯の温度をかなり上げないと風呂にならない❗
こんなに極端に気温が変わるのは、やはり珍しい季節の変動なのだよな?
9月15日今日のゴーヤ·
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昨日、13日の日曜日のTeleworkオケ練習の疲れで、今日、14日の月曜日のいちにちは、超疲れて寝込んでしまいました。
夕方、起きだして椎名町に食事とドルプリっ歩に出かけました。
もう、バイクでは薄手の半袖のTシャツではとても寒いので、上からビニールのジャンパーを着てバイクで行きました。珍しいことに、プリっ歩というのに霧雨が降り出してきました。
珍しついでに 、プリはうんちを済ませたらさっさと椎名町に帰ろうとしたのだけれど、ドルは霧雨の中を嫌がらないで散歩を続けました。
雨の大嫌いなドルにしては、超珍しい事です。
霧雨の中を頑張ってbikeでハイツに戻ってきたのですが、超、疲れてしまったので、椎名町から持って帰って来た食料品は机の上に放置したまま寝てしまいました。
この時点で既に夜の12時を回って、15日の深夜の2時近くになっていました。
いつものように、 1時間半ほどたって、Toilette-timeに起き出したついでに、今から今日の火曜日と明日の水曜日の2日間の引き籠もり用の食料品を片付けようか??と思っている所です。
つまり、今は、15日の早朝の4時頃になります。
なんで、そんなに時間の確認をするのか??面倒くさい!!と思われるかも知れませんが、それにはれっきとした理由があります。
頑張って、5時、6時まで掛かって椎名町から持って来たお弁当類の食料品を片付けて、疲れ切ってbedに倒れ込んだ・・と記憶しているのですが、「よく寝た!」と時計を見ると、6時半でした。「ああ、随分休めたのだよな?」と窓の外を見るのだが、なんとも今ひとつ体感的に納得がいきません。
時計で確認をしても6時20分・・・・「これは18時20分ではなく、早朝の6時20分のことではないか? 」と改めてふと気がつきました。
そう、実際には、 30分も寝ていなかったのだけど、自分自身の生涯記のような、私の人生に関する・・とても長い夢を見ていたので時間経過が分からなくなってしまっていたのです。
それに加えて、お久しぶりに時間の逆行も起こってしまったようです。時間の逆行は体内時計が壊れてしまうので、結構怖いものがあります。
9月15日幼少期の思い出と ·
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私は小学校の低学年まで、 「西洋人! 」と、回りの同級生の子供たちから揶揄されるような色白の腺病質の子供でした。
小学生の4年生ぐらいの時から田舎の祖母のもとで暮らすようになったのですが、当時は未だ珍しかった「登校拒否」の学童の走りで、学校のカバンを縁側の下に隠して、裏山に2匹の雑種の犬をお供につけて、夕方、日暮れが近くなるまで山遊びをして、 1日中山の中を探索していました。
山の中には2メーター近い山蛭や、とても美しい巨大な蜘蛛がいて、孤独を感じたり、山に飽きたりすることは全くありませんでした。
奥深い山の中で道に迷ったとしても、「そろそろ帰るぞ!」と二匹の犬に言うと、犬達は私を一瞥して、パッと方向転換をして、私を家の方へと導いてくれました。そこらは、お散歩の途中で「帰り道が分からなくなった!」と、私の顔を見てhelpを求めて来る血統書付きのシーズーとは、根本的に何かが違うのですよ??
また、この山学校は、私の腺病質の体質を健康な体に作り変えてくれました。この山学校が、私自身を素晴らしい体力や持久力のある体を与えてくれたのですよ。
私が現在も色々な重大な病気を抱えながら、未だに生き続けていられるのは、この山の中で過ごした貴重な2年間、3年間のおかげだと思っています。
本当に人生には無駄な事は一つも無いのですよね?
まあ、当然のことなのですが、勉強も全くした事がなくて、学校にも殆ど行かなかったのですから、当然、成績はあまりよくなく、算数のテストでは、自慢ではないけれども、一度、0点を取ったことさえあります。それでも、家族からは何かお説教めいた事を言われた事はありません。
私の祖母は16歳の時に飛び級で師範学校の教員に抜擢されたことがある程の優れた教師でした。16歳の女の子が師範学校でハタチ過ぎの女性達に源氏物語の講義をしていた・・という事だそうです。
その祖母にとても感謝している事は、学校の成績や勉強に付いて、一言も泣き言や文句を言われたことはなかった・・ということです。
小学校の私のclassの男性の担任の先生も、私が学校に来ないことや勉強しないことについては一言も私を叱った事はなく、「興味のあることが見つかるとちゃんと勉強をする子なのですよ! 」と、祖母と話をしていたようです。
祖母も同意見で、祖母も成績の事は全く気にしていませんでした。
・・と同様に、私が中学生になって、都会で働いている母親のもとに転校して行った時も、母親は学校の成績に関しては全く興味を示さなかったし、「勉強しろ!」という事を一言も言ったことがないということです。
そのことについては今も私はとても感謝をしています。
人生、長い目で見ると、子供の頃には、万年赤点の子供でも、東大straight合格の優秀な生徒でも、社会で活躍する上では大して落差は無いのですよ。戦後の一時代には、学歴で就職や人間を評価する時代もあったようですが、それは大学を卒業して就職をする間のホンの一時期に過ぎません。「それで人生が決まる」という人達も数多くいましたが、本当はそれだけで、人生が決まった分けではありません。私の高校の周りには東大卒の廃品回収の人や、浮浪者も多く見受ける事が出来たので、同級生で東大卒を自慢する生徒は一人もいませんでしたがね??
バレー部のキャプテンの可愛い女の子は東大のtopの合格者だったそうだしね??
そういう私だって、超難関のMünchenの国立音楽大学の卒業生なのだよな??まあ、学歴を云々するのならば、結構な学歴を言う事も出来るのだけどね?!
でも、「それでどうしたの??」って感じだよ??
『井の中の蛙大海を知らず』で、一旦、社会に出てしまうと、その社会の中では、どこの大学を卒業していようと、大きな違いは、学歴や勉強そのものには無いのですよ。
つまり、そこにあるのは、仕事でやった事、出来た事・・への評価だけなのだよ??
本当に勉強が好きならば、勉強に専念して学者の道にでもあゆむと良いし、勉強が嫌いだとしてもそれを卑下する必要も無いのです。
自分が勉強が嫌いと思ったその時には、本当に自分が夢中になれる・・自分にとっての大好きな道、所謂、Lifework(一生続けられる仕事)を探せば良いだけなのですよ。
私は、学校というものは、本来は「自分が生涯を掛けて追求する目標であるLifeworkとしての目的」を探すための場所であると思っています。
でも、もし幸せなことに早い時期に自分が生涯をかけて勉強すべき道が見つかったとすれば、それだけに邁進すべきであって、成績や学校に翻弄されるべきではならないのですよ。
子供の幸せというものは、学校の成績ではないのだよ。
一旦、社会人になってしまった時には、どこの小学校を卒業していようと、何処の名門の高校を卒業していようと、他所の県の人達はそれは知らないでしょうし、ましてや、どんなに優秀な生徒であったとしても、それを認めてくれる人は一人もいないのですよ??
日本では、頂点となる東大すらも、世界では、知っている人達は殆どいないのだからね??
つまり、極東の日本の小さな県の中の更に小さな市の学校で、一番になれたからと言って、それが何なのよ?それは単なる自己満足でしょう?そんなもののために子供の将来を犠牲にするなんてね?大人の考える事は理解出来ないよな?
特に私のような不器用な子供の場合には、学校の全ての教科の成績をあげるというような器用な事は、とても無理難題なことです。本当にそれを小学生の時や、中学生の時代に親から求められなくって感謝しているのですよ。
子供が夢中になれるものを大切に出来る最大の理解者になって欲しいものですよ。
夢中になれるという事は、探して出来るものではないし、また、gameのような非生産的なものに夢中になられても困るのですよ。
奥を知る事が出来るような子供に育てば、gameのような浅いものに熱中する事は無くなります。gameに熱中するという事は本当の熱中出来る物を知らないからなのですよ。
それはそうと、ちょうどタイミングよく、テレビのドラマでgameで億万長者になった人のドラマをやっていました。gameでもそこまで行くと、Proだよね?でも、遊びのgameとは別の物だよね?それは分かるよね??
私達の教室が音楽を指導しているのは、音楽が好きな子供達ではありません。近所の子供達に過ぎないのです。その子供達の多くが音楽の道に進むのは音楽の素晴らしさを指導するからなのです。子供達が音楽に熱中するのは、子供達が音楽が好きだからではないのですよ。あくまでも先生達の指導力なのです。
私のような不器用な子供の場合には、本当に自分が好きだと思えるただ1つのことに専念する事、その道に邁進することが唯一の自分の可能性を活かす正しい道になるのですからね。
超、一流の高校を卒業して、有名難関大学を卒業したとしても、人生のlifeworkを持たないで、日々の生活に悶々としている人達のなんと多い事か??
家族のために・・というのは、家族に依存しているだけなのだ・・という事を知っているのかな??
欧米で言う所の真の意味での自立という事を理解しているのかな??
女性は男性に依存をするのではなく、男性は家族に依存をするのではない、そういった社会の事を大人の社会と呼んでいるのだよ。日本の社会はそういったadultな社会からは程遠いのだよな??
コメント
芦塚 陽二
DragonSpeechでの音声入力は、今回で2週間ほど経過したと思います。ただひたすら根気よく私の使用する単語を音声入力に記憶をさせるという作業を続けています。上記の「私の子供時代の思い出」は、 DragonSpeechの音声入力のテストの文章です。大分、感度が上がってきたように思われますが、正しく変換させるためには、ある程度のコツがあります。
何度か試みて変換がうまくいかない単語は、ボキャブラリーエディタに単語登録を早めにすることです。
ほとんどの単語がボキャブラリーエディターでは出てきません。
もし、ボキャブラリーエディターに単語があったとしても、その単語をトレーニングしておくと次はちゃんと変換されます。
そこら辺がコツかな?
· 返信する · 17週間前
芦塚 陽二
またまた書いた文章がどこかに吹っ飛んでしまいました。今日はもうここらが限度かな?
· 返信する · 17週間前
芦塚 陽二
Dragonspeechの欠点の一つは「てはにをわ」が入力し難い事です。所詮は英語が母国語のsoftなので、日本語は得意ではありません。「私は」と喋ったつもりが「私わ」とか、酷い時には、「私8」と変換されてしまいます。その時にはボキャブラリーエディタを調べると「私は」という単語が入っていないし、発音は「私ハ」なのですよ!!これでは変換出来る分けがない!!仕方が無いので、シコシコと作って行く他はありません。それともDragonspeechを捨ててしまうか??ですがね??
9月15日嚥下不良とtimeparadox ·
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9月15日の火曜日の朝の9時です。
朝食にトーストを食べていたら、突然嚥下不良になってしまいました。
食道が締め付けられるような気がして、結構苦しかったのですよ?
・・・違った!
時間を間違えてしまった!!
今は朝の7時前です!!
相も変わらず、時間が逆行しています!
ちゃんと寝たハズなのに、その寝たハズの時間がありません!!
不思議だ!
多分、今日1日の時間軸はないでしょうね??
今日は、1日の時間のローテーションが滅茶苦茶になる予定ですからね!!
今から少し横になるけど、時間が進むのか、それとも戻ってしまうのかが楽しみです。
爆睡をしてtoilette-timeで、目が覚めました。
今は、朝の 9時を過ぎた所です。
これでやっとFacebookを書き始めた時の時間軸に戻る事が出来ました。
めでたし!めでたし!
でも、またまた11時から12時の間で、時間が停滞しています。
もう、2、3時間も同じ時間を過ごしています。
でもやっと、時間が進み始めたのかな?やっと、もうすぐ1時になる所です。
今は夕方の5時になろうとしている所です。
一週間の中で、 今日火曜日だけは椎名町への移動のない、引き籠りdayなのですが、普段からの性(サガ)なのでしようか?いつもの日の移動の時間が近づいてくると、どうしても 移動の準備をし始めてしまって、 改めて 「今日は火曜日だった!」と思い直してしまいます。
9月16日江古田の周りを散歩した·
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9月16日の水曜日の深夜の2時を過ぎた所です。
もう何度も携帯で、同じ内容の文章の投稿をしているのですが、実際には一度もupされてはいません。
携帯を弄っているつもりなのですが、実は多分、夢の中だからでしょうかね??
・・起きているような、眠っているような・・まどろみの中のような・・
とうとう、3時になっても眠れないので、toilette-timeに起きたついでに、眠る事を諦めて、お散歩に出掛ける事にしました。
但し、今回は摂民障害で眠れなかった分けではないので、体調不良の鬱々のお散歩ではありません。昨晩の、ドルプリっ歩の代わりのお散歩です。
・・とは言っても江古田駅の周りを一周するぐらいのshort-courseのお散歩なので、僅か30分ぐらいのcourseです。
お店の看板を見ながらのウダウダ散歩なのですが、それなりに駅の周りを一周して来ました。
3時25分にハイツを出発して4時直前には、もう部屋に戻って来ました。
肌寒いぐらいで風も心地良いので、とても良い気分のお散歩でした。
でも、体力は温存しておかないと、その後、欝が襲って来ると怖いからね??
9月16日一途な眼差し ·
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留学時代のお話なのですが、私が、作曲の国際コンクールで優勝して、Gala-concertの前の日に、北Italiaの避暑地のhallを下見に訪れた時に、偶然、次の日のGalaconcertで私の曲集を演奏する予定になっていた美しいItaliaの天才少女に遭遇しました。(彼女も全Italiaのconcoursで1位になった少女です。私の曲を演奏する事は彼女に取ってのGala-concertでもあるのですがね??)
彼女からの憧れの眼差しで見つめられて、サインをせがまれた私は、ドギマギしてしまいました。
一途さを持った子供の眼差しに、感動を覚えました。
何かしら一つの事を究めようと言う姿勢を見せる子供に接した時には、その眼差しに、感動さえ覚えてしまいます。
日本に帰国して、初めて子供達のコンクールを見学に行った時に、全国大会で入賞出来る生徒達は、眼差しが一般の子供達とは全く違って一途に輝いているので、会場に来る表情を見ているだけで、concoursで全国に入賞する子供の合格者は直ぐに分かりました。
だいたい100名に一人ぐらいの割合でしょうかねぇ?
・・それはそうと、私はなんで子供のconcoursを見に行ったのだろう?
子供の教育には全くの興味はなかったハズだし、実際に音楽教室を作るのは、それからは15年!!も先の話しなのだけどな?
私達、大人の世界の場合には、Proを目指すという、そう言った高邁な理想を持って努力をしている人達ですら、色々な雑念に囚われて、面裏の見え隠れする濁った眼差ししか、見る事はありません!
大人になっても、純な心を持ち続ける事の出来る人は窮めて稀な存在に過ぎません。
勿論、「子供でありさえすれば、全ての子供達が純な心で物事に取り組める」・・という分けではありません。
寧ろ、多くの子供達は、一途に熱中をして、脇目もふらずに集中して取り組むという姿勢と、只単に勤勉なだけの、所謂、学校の勉強のような単にまじめに一生懸命勉強するということの違いが、中々理解出来ないのですよ?
一途さと、勤勉性の、その最も大きな違いは、その子供のその事に向きあった時の『立ち位置』の違いにあるのです。
子供がひたむきに深く何かを一生懸命にこなそうとする姿勢を見ると、私達大人は、時折、失ってしまった純粋な心に対して、あるいは一途さに対しての感動さえ覚えることがありますが、逆に勤勉なお勉強型の中学生や高校生の子供達に、「一生懸命」という言葉や、あるいは「一途さ」という言葉を、口で説明しようとしても、真面目で勤勉な勉強型の生徒たちには何を言われているのか、何処を批判されているのか?私が、なにを文句を言っているのか?が、全く理解して貰えないので、困ってしまいます。
「足りるを知る」真面目で勤勉な勉強型の生徒達は、その努力を続けていっても、その努力の延長線上に成功への道に至る事はありません。
勿論、職人としては、ある程度の目的は達成出来たとしても・・です。
それを幾ら口で説明しても、人は分からないのです。
人間の将来の総ては、その人の立ち位置で決まるのですが、それは日本の社会では、一番認めて貰えない見当外れの主張になってしまいます。
日本では何事も人並に・・が理想なのですよ。
9月17日夢の中で ·
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今日と言うか、昨日と言うか、曜日を跨ぐ日の言い方には、いつも困ってしまいますが、9月の16日の水曜日は朝からrotationがというか、体調の管理が出来なくって、お昼過ぎの3時からTeleworkのlessonが何人か、ある予定なのに、眠れない日々が続いていて、体力を維持する事が難しくって、今回はなんとかlessonをこなす事は出来たのですが、その後では、バテて動けなくなってしまいました。
(まあ、連日の話なので、何を今更・・という感じでは、あるのですがね・・)
結構大雨の中を椎名町までBikeで出掛けて、いつものように、ドルプリっ歩の時には雨はすっかり降り止んで、お迎え兼のお散歩を済ませて、食事の途中で、とうとうenergyが切れてしまって、超、超、超、バテてしまったので、並べられている食べものも、食べ切れないままに、大急ぎでハイツに戻って来たのだけど、後片付け迄はとても無理で、今日のお弁当の分の食料品の入った弁当ケースもテーブルの上にそのままに置いたままで、そのままbedに入って眠ろうとしたのですが、超疲れて眠たいハズなのに、中々寝付く事が出来なくって、体も息苦しくって、「このまま死んでしまうのかな?」とマジに悩んでしまいました。
椎名町から、ハイツに辿り着いてbedに入ったのは、0時20分と結構早い時間帯なのでしたが、ウダウダと時間だけが過ぎてしまって、息苦しくって体調の限界と思えるようでした。
しかし、ふと・・眠れない事に悩んで「死ぬかも知れない」・・・と暫し悩んでいる私の周りの情景が、ハイツではなく、別の場所に居る事に気が付きました。
現実に今私がいるハズのハイツのbedの周りの状況・・ではなく別の場所に居るのだ・・という事に気が付きました!
「そうだ!私はハイツのbedの中で休んでいるハズであって、私が今ここで、この場所に居るハズはあり得ないのだ!!」「これは夢の中の話しなのだ!!」と気づいてしまいました。
そう気が付いて、私のこの「死への苦しみ」や「恐怖」が、或いは、体調不良そのものさえも、単なる夢の中の出来事に過ぎない事に気が付きました!!
いや~あ、危ない!危ない!!
間違えて夢の中で死んでしまう所であったぞぃ?!
夢の中で死んでしまったら、本当の私も死ぬのかな??
そういう事を思ってしまいまいした。
夢である事に気付いて、安心して定型の1時間半程眠ったら、またtoilettimeで目が覚めてしまったのですが、今度は、少し体調も・・精神状態も戻っていました!
・・とは言っても、tableの上に置きっパになっている弁当の入ったリュックを片付ける程の体調の回復ではなかったので、tableはそのままにして、また休んでしまいました。
・・次に起きたのは朝の5時頃で、再びtoilette-timeで起きる事が出来たので、今度こそはtableの上のお弁当のcaseを冷蔵庫に片付ける事にします。
「・・・にします。」という事は、これが今現在進行形で、「未だ何にも手をつけてはいない」という意味ではありますけれど・・。
それから、更に、今日は9月の17日のお昼前の1時を回った所です。
この後の文章はFacebookのメンテ(私がFacebookをメンテしたのではなく、Facebook自体がメンテの作業をしたので・・という意味ですが・・)とかでぶっ飛んでしまいました!!
久し振りに、パラパラのチャーハンを食べたのですが、チャーハンは米食だし、油を使うので、この何年間かは、全く口にしていません。そろそろ、チャーハンという食べ物の事を忘れてしまいそうです。
だから、「美味しく食べた・・」と思ったのは、またまた夢の中の話しです。
現実には全く食べていないのですが、口の中にはチャーハンの味がしっかりと残っています。
まあ、なんと安上がりな事だ!!
しかし、まあ、夢の中で食べても肥るのだよな??
それはないよな??
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芦塚 陽二
パソコンでは、全くFacebookの手直し修正が出来なくなってしまいました。携帯の方ならば、まだなんとか手直しが出来るようだけどねぇ??
9月17日ヨージーの法則 ·
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お金にしか興味のない人間は日本の社会では、とても権威と力を持つ事が出来ます。
9月18日ハクビシンとネズミの道 ·
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今日は1日体調不良が続いたので、ドルプリっ歩はパスする予定だったのですが、食事が終わった頃には、だいぶ体調も回復して来たので、ドルプリっ歩に付き合うことにしました。
もう2か月近く前の話だとは思うのですが、 3階建ての高さくらいの電信柱の電線に黒猫よりも少し大きめの動物、(たぶんハクビシンと思うのですが)が、そそくさと早足で走っていきました。電線の上を動物が歩くのは、初めて見たのでとてもびっくりしました。
今日は中二階ぐらいの高さの電線にネズミがそそくさと歩いていました。私との距離は僅か2mもないぐらいの超近い距離でした。
道路だけでなく電線も動物たちにとってのメインの道路なのですね?
人間と違って動物たちの行動は立体的ですよね。
そう思って四ツ辻を見ると、立体交差は、結構複雑なのだよな??
すっかり、驚いてしまいました。
写真はnetからお借りしました。
私はお散歩の時には携帯は持ち歩かないので・・
ハクビシンの電線を歩く写真は結構いっぱいあったのだけど、ネズミが電線の上を歩いている写真は皆無に近かったよな??
じゃあ、ネズミの方が珍しいという事なのかいな??
9月18日人生、胡蝶之夢の如しだよな?? ·
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9月17日の深夜というか、18日の早朝というか・・、寝ていて、心臓が超苦しくなって、「心筋梗塞ではないか??」と、慌てて飛び起きたのだが、心臓をみても何の異常もない!
心臓がおかしくなった・・と思ったのは夢だったようだ。
夜に椎名町から帰って来たら、部屋が蒸れ過ぎて、絨毯が湿気っぽかったので、除湿機をつけたままで寝たら冷え過ぎてしまった所為だ。
それに目が覚めたもう一つの理由は、海鮮丼を作るのに、酢飯にするのを忘れてしまった所為だ。
食べようと、どんぶりを持った途端にご飯にすし酢を入れるのを忘れた事に気がついたのだよ?
・・・否、あれも、これも(Entweder-Oder
=Questa O Quella)・・夢なのだよな?
嫌~あ、人生、胡蝶之夢の如しだよな??
bedに入る前に、お弁当の箱を冷蔵庫に仕舞う時に、確かに刺し身やイクラを確認はしたのだけど、まだ冷凍ごはんの解凍はしていないのだよ!
つまり、酢飯を作る前のごはんの解凍もしてはいないし、海鮮丼も作ってもいない!
全ては、今日も夢の中だったのだよな?
まあ、それにしても、よく食べ物の夢を見るよな?
無理なdietをしているつもりはないし、体調不良で、食が細くなっているだけなので、精神的にも肉体的にも何か無理をしている分けではないのだがね?
・・それでも、体重は変わらないのだよな??
肥る事はないのだけど、痩せもしないのだよな??
困った事だ!!
今は朝の7時になったばかりだというのに、もう28°5分を越してしまった。
今はベランダのdoorを開けて風を入れているのだけど、このまま温度が上がって来ると、いつまで自然の風で通用するか・・問題だよな??
もうすぐ8時になる所なのだけど、部屋の温度計は31.5°を示しています。
もうそろそろcoolerにしないと無理なのかな??
イクラ丼はお昼の3時に食べました。
いや、夢ではなく、本当の話ですが・・・
コメント
芦塚 陽二
朝突然、Bugが起こってDragonSpeechが開かなくなってしまいました。installCDを使って何度もにinstallを試みたのだけれどうまくinstall出来なくて、表面上はinstall出来たのに開かないと言う状態が続いてしまいました。色々と設定を変えながらinstallをしたのだけど、そのうちなんとか出来たのだけど一体どうしたのだろう? ?理解不能だ??
· 返信する · 16週間前
芦塚 陽二
troubleばかりで、ロクに変換も出来ないDragonspeechに比べて、携帯の音声認識の認識率の上がった事ヨ❢❢
日常の会話であるならば、もう殆ど完璧で問題はないのだが、パソコンではそうは行かないのだよな??Dragonspeech以外のwindows10で動作する音声認識を探して見るか??そろそろ少しはマシなsoftが作られているのではないのかな??
· 返信する · 16週間前
9月18日VitaliのChaconneのDavid版 ·
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楽譜は今回の発表会で演奏予定の曲である『VitaliのChaconneのDavid版の48小節目』である。
楽譜上では普通に見えるこのpassageも、実際に演奏すると、赤丸の音が間違えて弾いた音のように聴こえてしまうのだ。
Piano合わせでの練習の時に、生徒さん(智子さん)からの指摘で、問題になった音なのだが、これはDavid先生の勘違いから来る間違いである。
一見すると和声学的には間違いは無いように見えるのだが、実は楽典的には明らかな間違いがある。
このphraseはb moll(変ロ短調)なので、G#の音は、導音のA♮に対する導音になってしまうからである。
導音に対しての導音は存在しないので※、和声学的には、導音に導音を作る事は、完全な禁則になってしまうので、Charlier版では、次の写真のようにG#の音は、A♮の音になるように訂正してあるのだよ。
勿論、前回演奏したorchestra-versionのGuido Guerrini版でも、G#の音はA♮に訂正されている。(まあ、誰が校訂しても、当たり前の訂正なのだけどね??)
※導音は主音に対して1個下の音が、導音処理をされた音であるので、その導音に導音処理をすると、導音が幹音(導音処理のされていない調の本来の音)になってしまうので、導音が導音にはならなくなってしまうからである。
※※ 導音処理について、C Durで詳しく説明するとすれば、C Durの本来のシの音《pitchに関して》は、限りなくシ♭に近い音になる。なので、C Durの本来のシの音はシ♭になる。だから英語圏のcdeとは違って、Europaでは、C DurのBは、シ♭であって、シ♮の音は導音処理された音、hebenされた(引き上げられた)音という意味で「h」の文字を当てている。
但し、C Dur本来のシ♭の音は平均律のシ♭の音よりも、かなり高めの音になる。
事の次いでに説明をすると、C Durのシ♮の音は、平均律のシ♮に対して、導音処理されたシはかなり高めになり、純性のシは平均律のシよりもかなり低めになる。
これが実際の曲の場合にも、大変な混乱を引き起こす事になる。
VitaliのChaconneの冒頭の1拍目の裏のF#の音は導音処理された音なので、soloのviolinはかなり高めのF#を演奏しなければならないのだが、orchestraのF#は純性のF#なので、低めのF#を弾く事になる。
orchestraがsoloの導音に合わせてF#を高めに弾くと、和音が非常に汚い音になるし、soloがorchestraのF#に合わせて低めに純正のF#で弾くと、melodieの流れが不自然な動きになってしまうのだよ。
つまり、violin・soloの弾くF#と、orchestraの演奏するF#が違ったpitchで混在するのが正しい弾き方である。
人間の耳はその両方のF#を、別の音として判断するので、それが不自然には聴こえないのだよ。
人間の耳は実にいい加減なものだよな??
物理的に不自然なものが、逆に自然に聴こえるのだから・・
まるで人生のようだよな??アハッ!
(日本のorchestraのように、平均律でpitchを取っている場合には、このお話は「豚に真珠」であって、「馬の耳に念仏」の話である。Europaの、しかも真面目なorchestraの場合の話である。)
今回の発表会ではDavidのmissを訂正して演奏する分けなのだが、なるべくoriginalの作曲家であるDavidの意向を活かして、音形はそのまま残して、次の楽譜のように間違えた音だけを訂正をしておいた。
まあ、日本では、proと言えども、David版のoriginal版を使って演奏する人は一人もいないだろうから、この訂正は老婆心になってしまうのかもしれないけれどね??
(David版と銘打っているorchestra-versionでもこのpassageは殆どの版で訂正されている。但し、Respighi版は私は使用する事がないので、持っていないので、分からないのだけど・・)「You
Tubeで聴いて確認すれば良いだろう!」って??
・・面倒くさ!!
誰がするか?!
そう言えばGioconda De Vitoの名演奏がRespighi版のorchestraだったよな??cassette-tapeでは俺も持っていたよな??
9月19日体調不良で髪の毛を洗えない ·
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9月19日の土曜日、深夜の3時半になろうとするところである。
この2.3日、体調不良が酷くて、シャワーで髪を洗うことがなかなかできなかったので、寝ていても、髪の毛で、気分が悪くなってしまって、やおら起き出して来て、深夜の3時過ぎだというのに、髪を洗ってしまった。
近所迷惑な事だよな?
この所の体調不良で、「髪を洗う」・・という、たったそれだけのことがなかなか出来なかったのだよ!
体調不良の極みである。
9月19日趣味と仕事 ·
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テレビを見ていたら「趣味が 自分の仕事になることは最高に幸せだ」という人がいました。
逆に 「趣味なのだから、仕事にはしたくない。」という人たちもいるのだよな。
9月20日友達リクエストに対してのお詫び ·
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とてもとてもありがたいことに たくさんの 方々から 友達リクエストを頂いて おりますが 体調不良の関係で 保留のままに なっております。
日常のさりげないことをそのままに書いた 日々の日記の ような 書き物から、 鬱な 体調不良の 状態を 書き綴った 「鬱日記」のような スタイルに 加えて 、音楽論文や 教育関係の こもごもまで 多種多様な ジャンルにわたっての 雑文なので、 最初の間は ジャンル別に分類をして ホームページの方に 推敲をしながら 掲載をしていた反故の雑文なのですが、 文章を書いて推敲してある程度の文章になったら、Home Pageの方に、お引越しさせていましたが 体調不良で その推敲作業やお引越しの作業も ままならなくなってしまいました 。
そういう中でも 多くの方々から 友達 依頼が届いたことは 感謝感激であります。 しかしながらそういった諸事情で 実際に お顔を拝見したことがある人のみを 友達の承認に している現状です。
あしからず ご無礼を ご了解ください
まあそれにしても 携帯の 音声認識力は すごいものがありますね 。パソコン での音声入力は とても 使えたものではありません 。
ある日は非常に良い 認識を示すのに 次の日には全く 何の認識もしてくれないのです。 それに対して携帯は 常に 安定した 認識力を示しています。
長い文章を打つのに 携帯ではとても 入力をすることができないので パソコンを立ち上げて入力をしていたのですが パソコンの音声認識力がヘボいので 携帯での 音声認識で 文章を書くのも ありかなと 思っているところです。
ただし 致命的なところは 相変わらず 専門的な 単語や 人の名前とは 識別してくれないし 音声認識をさせるための 単語登録の 仕方がよくわかっていません 。そのためにこういった 一般的な雑文に関しては 携帯の音声認識力で十分なのですが、教室の 色々な伝達や 鬱日記 などのような特別なジャンルの文章になってしまうと 変換はさすがにしてくれません。 まぁケースバイケースで 使えば良いということ なのですがね?
9月20日殺陣師の話 ·
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テレビのドラマなどを見ていると 敵をバッタバッタとナギ倒し、切り倒しと行くような シーンの殺陣を見る事の方が普通なのは、当たり前の事として見ているので、さほどの違和感も抱かないのだけど、極々稀に相手に刀を突き刺すと、相手が意識を無くして死ぬ瞬間に ガクッと体の力が抜けて そのタイミングで刀を抜く、という所まで細かい演技を指導を している 監督がいて驚かされてしまいます
実際に刀が刺さった場合には、刀を抜くタイミングを外してしまって、刀を差したままにして置くと、 肉がしまって刀を締めてしまうので、きて大の男が必死で抜こうとしても、おいそれとは 抜けないそうです。
「この殺陣師の人は実際に刀で人を殺したことがあるのかな?」 などと 馬鹿げたことを考える前に、ふとある時に歌舞伎ではそういった演技が時折、様式化されて用いられていることに気がつきました。
「ああ、 昔の人は こんな 細かいことまで 注意をして表現していたのだ!」と 改めて驚いてしまいました。
実際には、刀は 何人かの人を切ると 血の油(血糊=ちのり)が刀身にべっとりと付いてしまって、全く切れなくなってしまうそうです。
だから たくさんの人と戦う時には、刀を何本も土の上に刺しておいて 、何人か人を切ると、その刀を捨てて、次の刀を手にとって また斬り合いをすると言う シーンを撮っている監督を見たことがあります。
この話は古武道を学ぶ人達にとっては、常識的な事なのですが、現実の戦いでのリアリティを求めたのでしょうが、「そこまで細かく描写をするのか?」と感心してしまいました。
チャンバラ的な薄っぺらな殺陣が横行する中で、そこまでするのか?という時代考証の為された映画の中の殺陣は、凄いことですよね?
9月20日『一芸に秀でる』 ·
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一般的には『一芸に秀でる』ということを 所謂、器用貧乏、つまり、「それしかできない」 という風に解釈、判断することが多い
それは勉強の仕方に、あるいは 勉強する上での立ち位置に問題があるからである
つまり一芸それ以外は何も興味がない という勉強の仕方である
一般的な 音楽の勉強や 色々な芸事の勉強の仕方については そういった 偏った勉強の 傾向が多く見られるのも事実である
音楽の場合には楽器馬鹿という言葉さえもあったりする。
学校教育の場合でも、 一例を挙げるとすれば、ひとつの英単語を覚える時には、そのセンテンスで使用されてる単語の意味を覚えるのが一般的な覚え方である。
しかし、より効率的な覚え方は、その単語の持つ 由来を知るとより正確に覚えられるし また同時に その単語のルーツから派生して来た色々な単語を 同時に覚えることができてより効率的である。
またまだ知らない単語に遭遇した時にも その単語の成り立つ構成からその意味を類推することができる。
音楽の勉強でも ひとつの奏法を 時代的様式としてとらえると バロック時代の作曲家や 古典派の作曲家 それ以降のロマン派近現代の作曲家の奏法においては、時代様式として大きな違いが見受けられるのがわかる。
様式として捉えた奏法は その時代のいろいろな作曲家に共通して使用される共通の概念としての奏法であり、技術的にも共通のテクニックとして演奏することができる。
つまり古典派の 作曲家の 演奏法は、 基本的にどの古典派の作曲家においても共通な演奏法なのである。
そういったように様式として体系化された理論として勉強をすると 非常に簡単に 専門的な奏法をマスターすることができる。つまり、その時代様式としての奏法は、然程多く存在する分けではないからである。
先ほども話したように一芸に秀でるということには二つのアプローチがある。
その一つは 今述べて来たように、そのルーツを 探して様式化することによって、より多くの 事柄を同時に勉強するという方法で ある。
この方法論を説明する時には、富士山 に例えてよく説明をしている。
つまりより高い山になればなるほど裾野は広がりしかもその裾野も高くなるから···という事実である。
どんぐりの背比べのように 「幅広く学ぶ」ことは、言い換えると、「広く浅く学ぶ」ということに他ならない。
つまりそこに物事の本質を学ぶことはできないのである。
一つのことを深く掘り下げていくことは 「幅広く学ぶ」という事よりも更に、裾野が限りなく広がっていくことにもなり、 広く深く 物事を理解することに繋がっていく 。
一芸に秀でた人が 色々な ジャンルの 芸術にも 堪能であるのは そういった理由からである。
しかし一般人は そういった人を見た時には、特別な才能を持った人、才能に秀でた人としか見ない。
これが教育による成果であると 言うことは 認識できないのである。
教育で広く浅くを モットーとするのは その子供にとって どのジャンルが 一番優れた才能を発揮できるか あるいはどのジャンルがその子供にとって一番熱中できる ことであるかを 探すための 方法論に 過ぎないのである。
それを本末転倒に 、広く浅くが教育の本質である風に いつのまにか 勘違いをして捉えているのである。
9月20日仕事とバイト ·
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こんにちの音楽を勉強している学生達は、音大生も教室の生徒も・・なのですが、自分の音楽を活かして・・ではなく、コンビニ等でのバイトをしているようで、それについて保護者の人から質問された事がありました。
日本では音楽の勉強は、academismとして学ぶので、実際に音楽の世界でバイトが出来る事はありません。
しかし、教室では、現実の音楽界での演奏法や活動の仕方を指導しているので、教室で音楽を学んでいる生徒達は、・・もしも「バイトをしたい」と望むのならば、演奏のバイト、所謂、トラや音楽教室での指導等の音楽関係の仕事でバイトをする事も出来るハズなのですがね。
先程の保護者からの質問は、なんで、教室の大学生の生徒達がバイトをする時に、スーパーのレジ打ちやコンビニでのバイトをするのか??という質問です。
私にとっても、保護者の人達同様に、一般の音大生ならば、実際に現場でのバイトは無理なので、レジ打ちのバイトしか無理なのは理解出来ますが、教室の生徒達は、現場の仕事の仕方は指導しているハズなので、そういったバイトをしている事は信じられない事なのですがね??
それに、外ではなくても、教室でもバイトを頼める事はいっぱいあるのに・・ね?
それを説明しても、やっぱりコンビニでバイトをするんだよな??不思議だ!!
という事で生徒達に質問をしてみました。
結果は、思っていた通りの答えでしたがね??
教室の生徒達の話・・というだけの事ではなく、現代の一般大学の若者達にとっても、「バイトで責任のある仕事をしたくないから」「時間に拘束されたくないから・・」・・という理由が、そういった安直なバイトを選択する理由なのだそうです。
また、
「自分が自分の時間の中の自由な空いた時間に、その場所に行けば良いから」という条件がバイトを選択する理由で、傍から見ると、コンビニやスーパーのバイトは、手軽で楽な仕事に見えてしまいます。
しかし、実際に現場に入ってしまうと、どんなに楽なように見えたとしても、そこは学生のcampusーlifeな場所ではありません。
そこはれっきとした社会的な仕事の一つなのです。
当然、楽な仕事には、それ相応のリスクがあるのですよ!
楽なバイトは自分の時間を切り売りするという意味なのです。
「誰でも出来る仕事」という事は、当然、誰でも出来る仕事なので、自分個人へのIdentity、所謂必要性はありません。
当然、労働時間に対しての対価も低く、膨大な時間に対しての稼ぎは、ほんの僅かな金額になってしまいます。
楽な仕事は、低い賃金での膨大な時間の労働を強いられる事を意味するのですが、私達がそれをいくら説明しても、なかなかそれが理解される事はありません。
学生達は、どうしても責任のある大変な仕事よりも、楽なバイトに逃げてしまいます。
私にとっては、楽なバイトは、逆に時間を切り売りする、とても大変な仕事にしか見えないのですがね?
学生達がバイトに逃げるのは、それが実生活に直結していないからなのです。
働きながら勉強をしなければならない学生に取っては、バイトだとしても、通常の仕事と変わりません。
そうすると、バイトは楽な仕事ではなくなってしまいます。時間を失うとても厳しい辛い職業になってしまいます。
友人達との楽しい語らいだけではなく、本来の学業の時間すら失ってしまいます。
しかし、手に職のない社会人にとっては、選択権はありません。
なにも出来なければ、スーパーの仕事やコンビニの時間の切り売りの仕事以外の仕事に従事する事は出来ないのですよ。
生活のためには、そういった時間を切り売りをする仕事だとしても、ほんの僅かなお金しか得れないとしても、それ以外の仕事を選ぶ事が出来ないのですよ。
私の大学生時代のバイトのお話をしましょう??
それは私が実際に生活をして来た現実の話だからです。
私が音楽の勉強を始めたのはとても遅くて、高校生の2年生の時から始めました。つまり、音楽大学の受験までに2年間のintervalしかありませんでした。
・・という事で、私にとっての音楽は、勉強不足や経験不足で、常にコンプレックスに苛まれるものでした。
私が、医者である養父からの医学部に進学するように・・との勧めを断って、音楽大学を受験しようとした私は、勿論、養父からの経済的な援助は、断られてしまいました。
「医者になって自分の病院を継いでくれなければ、経済的な援助は一切しない」というお話だったので、それを了解した上での音楽大学への進学だったのでね?
・・・という事で、大学に合格した時の入学金は、私が頭を下げて叔母に頼みに言ったら、「多分そうだろうと思って準備していた。」と机の引き出しを開けて封筒を渡してくれました。感謝感激です。
「音楽大学に進学するのならば、一切の援助はしない」と言っていた養父も大学の授業料と+1万円だけは出してくれたのですが、Pianoを部屋に置かなければならないので6畳一間の部屋でも家賃は1万2千円で、月2千円の赤字でした。勿論、生活費や光熱費、楽譜代も、お茶を飲むお金もありません。
しかし、自分で養父の勧めを断って音楽に道に進んだので、その生活は自明の理に過ぎません。分かり切った事だからです。
勿論、東京での学生生活のために、大学に入学した直後からは、他の学生達が憧れの大学に入学出来た事で浮かれている中を、直ぐにバイトを始めなければなりませんでした。
多くの先輩達が、食堂での給仕やデパートの配送等の肉体的な労働で、日常的なバイトをしているのを見て、私は、自分がバイトを始めるにあたっては、私自身がバイトをする事で、学業のマイナスにならないように、(寧ろプラスの方向に向かうように)ある課題を自分に対して与えました。
それは、私がバイトをする時には、音楽に関係するバイトで、しかもクラシックに限ったバイトに限る・・という事です。
周りの学生達は「ただの学生にそんな仕事が出来る分けはない!」「音楽大学に入学したばかりの学生にそんな実力がある分けはない!」と嘲笑っていました。
それは当然の批判であって、私が音楽教室を経営するようになって、音楽大学の学生をバイトで雇った事が数回ありましたが、一人として満足にバイトが出来た生徒はいませんでした。
それどころか、教室のsystemを滅茶苦茶に壊して、それで時間給を要求して、何一つ仕事は出来ないままに、逃げてしまいました。
その後始末のために、私は1週間、椎名町に籠って壊されたhomepageやパソコンの修理をしたのですよ。
なんで、お金を払って、修理をしなければならないのかね??
教室でPianoの生徒がとても熱心に勉強していたので、「どうせならば、Keyboardではなく、生の音で・・」と、2回程、管楽器の音大生達を雇って、発表会で演奏させた事がります。
「教室は音楽教室なので、子供達にeinsatzを出すので、君達は自分達でしっかりと入って来てください。einsatzは出さないので・・」という約束だったのですが、何度練習しても一度もちゃんと入って来てくれません。和音が合うかどうかではなく、入りが出来ないのです。これは超Shockでした。本番でも教室の生徒達はそっちのけで学生達だけにeinsatzを送っていたのですがそれでも入ってこれません。それでバイト代はしっかりと請求するのですよ。
proならば、とても恥ずかしくてお金は返して来たと思うのだけど、そこが学生の意識のlevelなのですよ。
私のお話に戻って・・
音楽大学に入学したばかりの私で、しかも私の場合には音楽の勉強を始めて2年間ぐらいしかありません。
そういった私が専門性の強い音楽に関係したバイト等を出来る分けはない・・という事は、至極当然の一般的な意見なのですよ?
まあ、当たり前と言えば、当たり前なのですがね?
しかし、私はこれから音楽家として生活をして行くにあたっては「人よりも自分の音楽歴が遅れている分、そういったriskにchallengeする事が、遅れている時間を取り戻すための最良の方策である」と、考えました。
また、飛び込みの仕事を色々とこなしたとしても、音楽の世界では「ニッパチ(2月と8月の)」という言葉があるように、毎月の収入は安定したものではありません。
だから、私は経済的な安定を図るために、受験生の指導をする事にしました。
収入は月謝なので、毎月の収入が安定するからです。
音楽大学の受験生は、主科の他に、聴音や楽典、solfegeやchorübungenやConconeや通論等々の教科を学ばなければならないし、弦楽器や管楽器の生徒達の場合には、副科のPianoの試験もあって、それぞれが専門の先生の下で勉強しなければなりません。
専門の先生達から指導を受けなければならない教科なので、一つ一つの教科のone lesson代も非常に高額になるので、各先生達に支払うlesson代は大したものでは無かったとしても、それがまとまると、親に取っては経済的な負担も大変なものです。音大生は一般のサラリーマン家庭の子供達は居ない・・というのは、必然的なのです。
経済的な問題だけではなく、毎日色々な先生の元に通わなければならないので、移動に関する時間だけで、時間的なlossを強いられてしまい練習時間が全く無くなってしまい、生徒達にとっての練習量の不足で能率は下がってしまいます。
私は、そういった受験に必要な教科を、一日にまとめて、日曜日の朝の9時から夜の9時まで掛けて、全教科のlecture-lessonをする事にしました。
それぞれの生徒達の副科のPianoの個人lessonも同じ日にする事で、同じ受験浪人生、3,4人を纏めてgroupーlessonにする事にしました。
各教科毎にone lesson代を安く見積もっても、月謝換算での収入にとなると、一人当たりからの収入は20万ぐらいにはなります。それが3人、4人なので、合計は・・??
まあ、それだけで、通常のサラリーマンよりも生活は安定しました。
勿論、私の指導した生徒達は全員目的の音楽大学に合格する事が出来て、その内の何人かは大学にtopで合格したので、大学からの留学の権利を得る事も出来ました。
私の指導法は、預かった浪人生達を1年間で大学の4年間のcurriculumの全て習得させる事でした。
大学を卒業する実力があれば、大学入試は屁でもないからです。
私が音楽大学に入学した時に、大学の授業のlevelがあまりにも低いので、教授に「何故??」と質問をした事があります。
私が自惚れていたのでも、威張っていたのでもなく、このままの勉強を続けていては、私自身が大学を卒業しても音楽の社会では通用しないからです。
その時に教授が授業のやり方について説明をしてくれました。
『100人の生徒がいるとして、下の10人は幾ら丁寧に教えても、結局は男遊びで、落ちこぼれてしまうし、上の10人に合わせて授業をすると、内容が難し過ぎて、残りの90人が退屈をして授業にならなくなってしまう。
・・という事で、どっちみち落ちこぼれる下の10人と、放っておいても勉強をする上の10人を捨てて、真ん中の80人を対象にして授業をするのだよ。』
その先生の音楽概論の授業はとても専門性があって期待していたのですが、授業の一日目に「このclassに作曲科がいたよな?」と言われて手を挙げたら、「普通の合格点をやるから、授業に来ないように!」と言われてしまいました。
「なんで??」と聞くと、授業にいちゃもんを付けて来て授業がcurriculum通りに進まないからだそうです。
それに「なんで成績が普通なのですか?」と質問をしたら、「音楽概論で100点満点を取るのは作曲科ならば普通だろうが!!」と切り返されてしまいました。
論文の私の解答を丸写しした生徒達が「S」だったのに、私だけが普通だったので、教授に質問をしたら、「お前、字の綺麗さもあるからな??」と言われてしまいました。
勿論、それは先生の冗談で、私の答案は学年topの女の子が、私の答案を写す代わりに清書してくれたので、実際の意味は、作曲科の生徒ならば、一般の学生の評価が「S」であったとしても、作曲科の生徒は「普通」が当然だからです。
私もそれは納得しているので、そういった事は「虐め」とは思ってもいないし、気にもしてはいません。
音楽大学の成績なんてものは、一般の音楽界では何の意味もないからです。
教授連中からは、有名演奏家達の招待券を貰いました。
薄汚い作曲科の学生が招待席に座っているのは見ものでした。
・・というかブーイングものだよな??
でもタダではありません。
その時に見聞きした感想を論文にして次の日には提出すると、それを更に教授が推敲をして音楽の友とかの雑誌に評論として掲載されているのです。
自分の書いた論文と教授の書いた論文を比較して、どこをどう手直ししたのか?を雑誌を買って研究しました。
・・これはとても良い勉強になりました。
お金を貰って勉強をする・・という事は幾らでも出来るのですよ。
但し、厳しい世界ですよ。
音大生のように、自己満足の世界は絶対に無いのですよ。
勿論、私が初めてproの仕事に挑戦した時は、音楽の経験がBeyer教則本から初めて未だ2年目(3年目に入る時)だったのです。
だから、その2年間で幾ら勉強をして来たと言っても自己流で大した水準ではない事は当たり前だし、周りの先輩諸氏が認めても、信じてもくれないのは至極当然なのです。
『音大時代のバイトのお話』
私が人よりも優れている・・と思える所(自画自賛の所)は、自分の事を人がどう思っても恥ない・・という所です。初心者がmissをするのは当たり前なので、2度目のmissをしなければ、絶対に認めて貰える・・というのが私の信条でした。
経験が無いので、聴く事も質問する事も当たり前、・・但し、2回は同じ質問をしないようにすれば、1度目は誰でも許してくれる、・・という信念です。
その信念は、Münchenに留学した時にも役にたちました。
だって、Münchenの音楽大学に入学して授業を初めて受けた時に、劣等生だったのではありません。
その教科自体を一度も見聞きした事も無かったのですよ。
「え~っ??Europaではこんな事を学ぶの??」授業が終わったら、そのまま近くの楽譜屋に走って行って、学んだ楽譜を全巻買い込んで来て、猛勉強で予習をしました。授業に付いて行けなければ予習を予めする他はありませんよね。1月後には、私の方がleadしてlessonを受けられるようになっていましたよ。
いや~あ、びっくりしたなあ、もう~??
そういったcurriculumは日本に帰って来ても未だ一人の生徒にも指導出来ていません。それだけの熱意と根性のある生徒が一人もいないからで、別に出し惜しみしている分けではありません。
9月21日rehearsal ·
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昨日は9月の20日の連休初日の日曜日で、自治会館でのrehearsal でした。
という事で私も、な、な、な、なんと!・・・3月の末からなので、半年ぶりで千葉まで車を走らせて、Teleworkではなく、初の生での指揮!!をしました。
Teleworkではeinsatzに音と映像のtime lagが出るので、指揮とorchestraとが噛み合わず、全くeinsatzが出来ないからなのです。
もう一つの問題であるSocial-distanceは、教室では、通常のdistanceなので、全く問題はありません。
但し、9時間程椅子に座りっぱなしだったので、それなりに、疲れた事は疲れたよな??
勿論、ドルプリっ歩は、とても無理でpassして、ハイツにそそくさと帰りました。
昨日の日曜日に引き続いて、今日の月曜日も爽やかな秋空で気温も低かったので、予定では月曜日は日曜日のrehearsal の疲れで一日中寝込むハズだったのだけど、天候が穏やかで空気も良かったので、体調も頗る良く、元気に仕事が出来ました・・・と言いたい所なのだけど、You Tubeに昨日のrehearsal風景をupしようと思ったら、6時間以上も掛かっても、未だ半分もupload出来ないのですよ。
今日中にupload出来るか否かです。
昨夜の日曜日の夜は、流石に、ハイツに戻ってからの編集やパソコンへの動画の取り込みは体調的にとても無理なので、次の日の朝の、目が覚めてから、昨晩の荷物の後片付けとvideoのパソコンへの取り込みや、DVDに焼く作業をしました。
そこまでは、なんの問題も無く恙無く作業は進んだのですが、未編集の流し撮りの動画をYou Tubeにuploadする段階で、そこで躓いてしまいました。
朝の10時、11時頃からYou Tubeにupした動画が今は10時間後の夜の8時なのに、未だuploadが終わりません。
日本も早く5Gになれば、2,3分でuploadが終了するハズなのですが、パソコンやnetの環境は日本は世界でも後進国なので致し方ありません。
You TubeにUploadをする予定の、昨日のrehearsalの風景の動画は、残念ながらrehearsalなので、当事者(rehearsal 参加者)だけの限定公開になります。
という事で、一般公開は致しませんので、あしからずご了承ください。
勿論、音楽の演奏の雰囲気を伝えるために・・と、発表会の宣伝を兼ねて、数曲かはselectして、Uploadする予定なのですが、勿論、小さい子供達の演奏は原則、個人情報保護の観点から公開はしません。
3回オケや室内楽のmemberの人達は、対外活動での演奏活動もしているmemberなので、原則的には公開になります。
演奏活動をしながら、非公開という事は現実的には、有り得ないのでね??
やっと動画のUploadが終わったぞよ!!
まあ、なんと、···それにしても朝の8時過ぎだぞい!!
22時間だぞな??
お隣の国では、5G化が進んでいるというのにねぇ??
9月22日tuningのお話 ·
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この2.3年、教室のオケ練習の時や、発表会の時のKontrabassのtuningについて、腹に据え兼ねていた事なのだが、orchestraのtuningの時に、いつもKontrabassのpartだけが、Aのpitchを高く合わせてしまい、何度注意していてもtuningを正しく合わせる事が出来ないので、時折、切れてしまったことがよくあった。
何分待っても堂々巡りを繰り返すだけで全く埒が明かないので、牧野先生や斉藤先生に、「行ってcheckをしてこい!」とか「代わりにtuningをしろ!」とか、怒鳴った事が時折、あったのだよ。
orchestraの練習は日曜日の午後からの限られた時間の中で、発表会や対外出演等で演奏する曲の練習を限られた30分や40分ぐらいの時間の中で、しなければなりません。
その僅かな時間の中には、楽器の持ち替えや、演奏partの移動、次の楽器のtuningを等も含まれます。
そういった準備の時間も入れた上で練習をしなければならないので、実際には、準備のための時間は、5分ぐらいの時間しか無いのだよ。
それ以上になった場合には、練習時間そのものの時間を削らなければならないのだよ。
通しで演奏すると、15分近くも掛かる曲すらあるのだから、最悪の場合には、曲の練習そのものがcutされてしまう場合もよくあるのだよ。
そして、そのしわ寄せをくってしまう曲は、長大で難曲である最後の2·3曲が被ってしまうのだよ!!
soloの子達は文句は言わないけれど、指導者としては、かなり心苦しいのだよな!?
ても、violinやviola等の他の楽器とは違って、Kontrabassとcelloはpartの移動や弾く場所の移動が無いので、tuningの時間だけで済むハズなのだが、Celloは兎も角としても、Kontrabassだけが、いつまで経っても、音合わせ(tuning)が全く出来ないので、そのために曲の練習時間そのものが無くなってしまって、練習にならなくなってしまって、度々、腹を立てていたのだが、今回の自治会館でのrehearsal の時に、Kontrabassだけが、自分の電子tunerのメモリの針で 音を合わせているのを見て、すっかり驚いてしまった。(写真参照)
教室では原則として生徒達には、tunerの針によるtuningは、絶対にさせないのだが、日頃のオケ練習では、Kontrabassだけが、出入口の側に面している場所に位置していて、指揮者の位置からは死角になってしまうので、harmonytrainerというKeyboard(tuner)から出る音ではなく、自分のtunerの計測の針でtuningをしているのに全く気が付かなかったのだよ!
勿論、未だtuningに慣れていない頃には、その注意をしたら、「音が分からないので!」と言われて、黙認した事はあったのだが、それはtuningに慣れるまでの話しなのだがねぇ??
オケ練習をしている検見川教室では、Kontrabassのtuningをしている位置が、ちょうど指揮者からは死角になるからではあるのだけれど、だけど、誰もそれを私の代わりに指摘してくれなかったのは問題だよな?
という事で、meterの針ではなく、耳で音を聴いて正確に合わせるように注意をしたら、一瞬でKontrabassの音合わせの問題は解決してしまった。
CelloやKontrabassのような低音楽器では、初心者の場合には、低い音が聴き取れない場合がよくある。
そういった場合には、仕方がないので、慣れるまでの必要悪として、楽器のtuningに、tunerの針で音合わせをするのもやむを得ない・・として、昔々、私がtunerの針でのtuningを許可したのかも知れないのだが、これはあくまでも必要悪なので、ある程度楽器に慣れて来た時点で、tunerの針による音合わせは卒業しなければならない。
CembaloやKeyboardのように、音量が機械的に一定の音量でも出る楽器は然程は問題はないのですが、Pianoや弦楽器のように一定の音量を出す事が非常に難しく、音量的に強弱がついてしまうような楽器は、針によるpitch合わせはとても難しく、また不安定になってしまいます。
それは機械が音量が強くなるとpitchを高く感じて、弱くなると低く感じてしまうと言う機械的な特性があるからなのです。
また、同じ強さで楽器を演奏することはproにとってもなかなか難しいtechnikであることは周知の事実ですし、ましてや、勉強途中の 音大生やamateurの人達にはとっては、正確なpitchを針で取る事は不可能だと思います。
人間の耳は、低い音は少し高めに、聞くのです。
高い音も、octaveは実際のpitchより広く、高く聴く習性があります。
ですから、実際の倍音や、物理的な倍音よりも、如何に高くpitchを狂わせるのかが、調律師や作音楽器の人達にとっての腕の見せ所でもあります。
しかし、優秀な調律師であったとしても、同じpitchで音を広げて調律していく事は不可能なので、2台のPianoをtuningする時には、先ず1台目のPianoを調律したら、そのpitchを二台目のPianoに移す(copyする)という作業をします。
私達もCembaloのような会場に運ぶだけで、pitchが狂ってしまうような楽器の場合には、舞台でtuningをし直しますが、舞台ではtuningの時間が限られているので、時短のために、tunerでCembalo等のtuningを確認する事があります。
・・が、しかし、tunerで確認をするのは、基本となるoctaveの範囲だけです。
それ以降は、耳で音合わせをします。
その理由は、tunerを使用してoctaveを合わせて行くと、高音域になるに従って、耳で聴くpitchが低くなって、とても辛いpitchになってしまうからなのです。
基本のoctaveから上は広く、基本から下は狭く音を合わせて行くのですよ!
しかし、それは正確なpitchが普通に取れるようになってからの話なのですよ!
私達の若い頃には有り得なかった事なのですが、こんにちでは、proのorchestraの演奏家でも、電子tunerの針で音合わせをする人を時折見かけるようになってしまいました。また、音楽大学の先生達でも、電子tunerの針でtuningをさせる先生が増えて来たようで、困ってしまいます。
ある音大の先生で、某orchestraのconcertmasterでもある人が、「音を聞いて合わせるのは初心者で、proは電子tunerの針で合わせるのだよ!」と生徒にお説教をしていたそうです。
N響の知り合いの人にその話をしたら、呆れてしまって絶句していました。
9月22日「足りるを知れ」 ·
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禅語の中には「足りるを知れ」、という言葉がある。
一般的に解釈されている意味では、「自分の限界をわきまえろ」とか、「出しゃばるな」とかいう意味に 解釈されているようだし、教育界では、「普通でいろ!」という意味にもなるようだが、それは禅語の本来の意味ではない。
ましてや芸術の世界で生きる者達にとっては、「足りるを知る」という言葉は、禁忌ともなる言葉でもあろう。
芸術家にとっては、自分の作品が完成したその日、その時には「完璧に出来た」と確信した···としても、次の日になってしまうと、その完璧であったハズの作品のいたる所に色々な欠点や綻びが見えて来てしまう。
それが芸術家のさが(業)であり、芸術家の芸術家たる所以でもある。
完全なものがある分けは無い、それが芸術の世界、そのものでもあるのだよ。DaVinciのMonna Lisa(モナ・リザ)にしても、Bachのfugaの技法にしても、作者の目からすると、未完成の作品に過ぎないのだよ。
「足りるを知れ」という言葉は、こんにち、言われているように、「清貧に甘んじる」という意味ではなく、全てを捨てて「一つを求める」という意味でもある。
つまりは「足りるを知れ」⇒「人間本来無一物」⇒「放下着」という、「人間の全ての欲を捨てよ」という禅そのものの言葉になるのだ。
生を諦め、「人間の生すら滅しよ!」というから、禅の言葉には、凄まじいものがある。
煩悩是好の私には、この「足りるを知れ」という言葉は、全く縁の無い言の葉ではある。
物がもう少しちゃんと置けるような広い部屋が良いな??
独居老人の独り暮らしには、ちょっと狭過ぎるからね?
9月23日久し振りに飲みに誘われたのだが ·
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昨日の夕方頃に大学での学生時代の知り合いから、突然電話がありました。
まあ、お話しの内容は飲みに行くお誘いなのですが、私とは違って交際の広い人なので、旧友達の情報を色々と聞く事が出来ました。
···とは言っても、私達も後期高齢者という年なのだから、話しも当然、クラスの知り合いが一人、二人と減って逝く話になってしまうのだよな??
ついつい、先日には,会ったばかり、と思っていた友人が、七年も前に、シャワーを浴びていた時に心筋梗塞で突然死したと、聞いた時には、流石に驚いたよな?
元気なように見えていた···という事もあるけれど、それよりは、もう既に七年も前の話しだという事がだよ??
彼と以前、道でパッタリと会った時にも、同じ話しをしたのだよな?
弦のtopだった女の子が10年も前に亡くなっていた···という話しを聞いて、「そんなに若くして逝ったのか?」···と、びっくりしたばかりだと思っていたのでネ?
ジャネーの法則ではないけれど、10年、20年という歳月がほんの一瞬の間に過ぎてしまうのだからねぇ?
人生、すべからく、邯鄲の夢を自負している私でさえも、ほんの少しでも、長く生き残る事が勝ち組になるような気がして来るのだから不思議なものだよな?
まあ、それにしても、現実的には、コロナの所為ではなかったとしても、体が「飲みに行くお誘い」には付いていけないのだよなあ??
9月25日なんとか羽毛布団を引っ張り出した ·
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この所、超寒い日が続いていて、昨、今のBikeの移動は、真夏用の薄手の半袖では、余りにも寒いので薄手の長袖のシャツを羽織って移動したのだが、それでも寒くて参ってしまった。
夜もタオルケットを掛けて寝ていたのだが、この2、3日は寒くて途中で目が覚めてしまったので、真夏用の超薄手の羽毛布団を出して見たのだが、流石に幾ら真夏用の薄手の羽毛布団でも羽毛布団では熱くて眠れないので、代わりに厚めのタオルケットを押入れから引っ張り出した所なのだ。
部屋の中の温度も寒くて、今日の練馬区は18°なのだそうだ!
部屋の中でも、一日中、寝間着でも着ていなければならないようになって来たらしい!
それにしても、Bedが湿気っぽくって気分が悪い。
練馬区のお天気の情報を見ると、やはり湿度は78%もある。
気温がこれだけ下がっているのに、湿度が高いのは最悪である。
という事で、寝室と居間の二部屋をコンビニクーラー(移動式の除湿機)をつけて部屋全体の除湿を初めた!(クーラーの除湿では部屋が寒くなってしまうからだ。)
なかなか眠れなくって、四苦八苦していたハズなのだが、またまた、その作業をしている間に、椅子に座ったままで寝てしまっていたのだよ。
湿度でBedがベタベタして気持ちが悪いのと、鼻詰まりで息が苦しいのが原因で眠れなかったので、コンビニクーラーで、空気が軽くなったからなのだよな???疲れで、意識をしないで眠ってしまっていたのだよな??
慌てて椅子からBedに移動したのだが、コンビニクーラーをつけたのは正解で、目が覚めたら7時になる所であって、時間的にはいつもの通りのone coursの1時間半なのだが、久し振りに熟睡出来た感があって、気分は良かった。
早速、朝の体重測定をしたのだけど、昨日のお昼のお蕎麦を食べてからは、椎名町のパソコンの復活の作業を延々としたし(写真参照:どこの避暑地かね??アハッ!)、その後は疲れてハイツに戻ったのだけど、夜の食事にまたまた椎名町に移動するのは体調的に無理になったので、ハイツで何か食べれる物を・・と探して見たのだが、冷蔵庫には何も入っていない、すっからかんで、結局、何も食べなかったのだが、改めて朝の体重測定で計って見ると、まあ、なんだろうね??・・しっかりと肥っていたぞよ??
病院の先生は「食わなきゃ痩せる!」と言うのだが、節食して痩せたためしはないのだよ!
腹立つよな?
まあ、それにしても蕎麦は糖質cutではないからね?
蕎麦を食べた後では、毎回いつも肥っているのだよな?それもroutine!!
9月25日糖質cutの甘味·
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おはぎは糖質cutのご飯に糖質0の小豆で作った超甘いおはぎです。
餡は羅漢華砂糖で作ったものです。
後は水羊羹もあるのだけど、もう殆ど食べてしまったので、後一口しかありません!
9月26日体調不良の ·
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夜の12時を回ってしまったので、昨日の事になってしまいましたが、金曜日の25日は牧野先生も斉藤先生も椎名町に居て、発表会の進行企画の仕事をしていたので、私もTeleworkでお手伝いをしながら、ハイツの雑用をしていたのですが、夕方頃になって来たら、突然体調不良になって来たし、朝からの食料品が冷蔵庫の中には入っていなかったので、お腹が空いて来たので、早めに食事timeにして貰う事にして、そのまま6時頃にはお食事timeに椎名町に出掛けました。
8時前には、食事が終わったので、ドルプリっ歩も行くつもりだったのだけど、ドルプリは午前中は雨が降っていて、お散歩を拒否っていたらしく、お昼過ぎにやっとこお散歩に出掛けたらしいので、夜っ歩までのintervalが早過ぎるという事で、私は、ドルプリのお散歩はpassして、霧雨の中を椎名町からハイツに戻って来ました。
歩いている分には殆ど感じない程度の霧雨だったのだけど、bikeでは大雨になるのだよな~ぁ??
ハイツに着いた頃には、結構、びしょ濡れになってしまいました。
という事で急いでお風呂に入って体を温めて!!ドッと疲れが出て来たので、9時過ぎたばかりなのだけど、bedに入って寝ました。
「おう、熟睡出来たぞよ!ではmorgenrotでも写真を撮るか??」と思って、窓のblindを開けたら、未だ真っ暗です。
「後、どれぐらいでsunriseになるのかな??」と時計を見たら、な、な、な、なんと!未だ12時のcinderella-timeの直前でした。
「爆睡出来た!」と思ったのですが、定時のone coursに過ぎませんでした。
残念!!
こりゃあっ!困った!!
寝はぐれてしまったぞぃ
寝ていると、肌掛けのタオルケットでも暑いし、起きていると、寒いのだよ。
一日中、部屋を閉め切っていたのに、部屋の絨毯が湿気っぽくなっていたので、除湿機をつけました。
部屋が乾燥して来るまでには、もう少し時間が掛かるとは思いますが、これで少しは寝やすくなるハズです。
という事で、なんとか熟睡出来たようで、次のワンクールまで眠る事が出来ました。
朝の5時半くらいまでです。
またまた夢の中でorder−mailをしている!!
9月26日period奏法としてではないとしても ·
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勿論、趣味として音楽の勉強を始めるのであれば、どういうstyleでも、どういう学び方をしたとしても、それに対して問題を提起する事も、文句を言う筋合いもありませんが、音楽を職業とするために音楽の勉強をする場合に限って言うとすれば、日本の音楽教育の現状は、 色々な意味で偏った一辺倒な音楽教育しかなされていないのが現状です。
Pianoを例えて言うとすれば、曲をmissなく弾ければそれで良しとされてしまいます。楽典的に、音楽史的に弾けるという事へのapproach自体がありません。
音楽のそれぞれの時代には、それぞれの特有の弾き方があります。勿論、それを忠実に再現するのはperiod奏法としての特殊な弾き方になるのですが、現代の奏法で古典やbaroqueの音楽を弾く事はあまり、気持ちの良いものではありません。
9月26日printerが3台ともぶっ飛んで ·
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今は9月26日の土曜日、 朝の10時 20分を過ぎたところです 。
今の 練馬区の 気温は 18°です。
朝から 気温が 逆に 下がって います。
パソコンの作業をしようと思って、printerを立ち上げようと思ったら、なんと、printerが3台ともぶっ飛んで無くなっていた。慌てて、epsonの2台分は再installしたのだが、三台目はinstallする気力が無くなってしまった。3台目のHPのprinterはdriverのinstallはやめて、花園教室に持って行くか??
今日は朝から体調不良が酷いので、欝になりそうな雰囲気なのだよな??
取り敢えずは、ユンケルでも飲むか??
体調が持ちそうにもないので、7時半には椎名町に移動して8時前には食事を済ませる事にして、bikeで出掛けたのだけど、この5日間小雨が毎回降っていて、レインコートを着たり、びしょ濡れになったり、と散々な毎日なのだよな??
プリっ歩はいつものように、雨交じりなので嫌がって、ウンチが終わるとさっさと譜に戻ってしまったのだよな??
9月28日何度も教えた同じ事が、 ·
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オケ練習のvideoを編集していて、「つくづく腹に据えかねる」・・というか、「忸怩たる思いに駆られる」という事があります。
オケ練習で何度も教えた同じ事が、次の機会に全く活かされないという事なのです。
「何度も教えた事」という意味は、「前回の発表会の曲へのlectureが・・」という意味ではありません。一週間前の「前回のオケ練習の時の注意が・・・」という事なのです。
勿論、lessonでも前回に注意した事が次のlessonで、ちゃんと直っている事は稀なのです。
しかし、それを生徒達のせいにする事は出来ません。
それは時代、時代で変化して来たからです。つまり、学校教育の方針の変化で、子供達の勉強の姿勢が変わってしまうのですよ。
昔の生徒達は、上級のclassになると、曲数が滅茶苦茶多いので、その曲をlessonすると、次にその曲をLessonする機会は2ヶ月後になってしまうので、発表会迄に2,3回しかその曲に対してのlessonがない事になります。
だから、そのlessonで教えた内容を聞き漏らす事はありませんし、次のlessonまでには確実に直してきます。
また音楽に対しての価値感(お稽古事への価値感)も今の生徒達とは違っていて、私達の古い古い時代の「手に職」という考え方が未だ一部の人達には残っていて、職業としての技術としての音楽の勉強という事で、はっきりとお稽古事を趣味として勉強する生徒と、音楽を職業、所謂、手に職という風に受け取って学んでいる生徒達の、熱心なgroupの二種類に分かれていたのですよ。
当然、熱心なgroupは学ぶ・・という姿勢がこんにちとは違っているので、教室に10年以上居たとしても、未だに新人扱いだったのですよ。
学校教育での弊害は、生徒達が出来ても出来なくても、curriculumが終了すると、そのgradeを卒業した・・と看做されてしまいます。
でも、そのgradeを卒業した・・という肩書きは、受験の時には勿論の事、社会へ出て社会人になった場合でも、どのような有名な大学を卒業していたとしても、その「肩書き」はamateurの間以外には、proの世界では何の役にも立ちません。
つまり、身に付いていない技術は、professionalな社会の中では、認めて貰える事はあり得ないのですよ。
学校教育への弊害の問題は、成績を上げる事が目的とされます。
学校や塾では、そのcurriculum上の課題の問題と解く手段、手順を細かく指導されて、成績を上げるように指導されます。
それが教育指導の最良の方法論である・・と信じて疑わない姿勢が見えます。意味が全く分からないままに、解き方だけを・・、成績を上げる事だけを目標として勉強を続けたとしても、それで、社会で活用出来る分けはないのです。
curriculumを優先にして、積み上げる・・という方法論を学ぶ事なく、勉強を続けたとしても、それでは学校で学んだ事や塾で学んだ事が、本当の意味で、身に付く事はないのですよ。
当然、教室の生徒達も、学校では優秀な成績の生徒達であるはずなのですが、オケ練習の度に前の曲で教えたこと・・ならば、まだ我慢は出来るのだけど、前のlessonで教えた事までも、今回の練習には活かされないのですよ。
そりゃあ、ないよな~あ??
オケや室内楽の生徒達に限らず、一般的な生徒達にしても、学校で小学生の3年生の時、或いは四年生の時に学んだであろう基礎的な知識・・つまり、一般常識のお話に関して質問をしても、今の子供達は驚く程、何も知りません。
頭の中は産まれたままの白紙の状態のままなのですよ。
では、どういう学び方をすれば良いのでしょうか??
それは難しい事ではありません。
指導の仕方や、学びの仕方の方法論を少し変えれば良いだけなのですよ。
問題の解答の仕方だけを学ぶ・・と言ったような、spotで習った事は、スポッと忘れてしまいます。
私が口を酸っぱくしていつも言っている事、「勉強は積み上げの上に成り立つ」という事は、一度習った事は必ず次の課題でも同じように使いこなす・・という事なのです。
前の発表会で学んだ事を、その次の発表会に活かせなければなりません。
前回の発表会に向けて学んだ知識を、次の会の演奏する曲の技術の上に練習をする・・という事です。
短期的に言うと、前の週に学んだ事はちゃんと理解して次の練習の時には、弾けるように勉強をしておく・・という事なのです。
勉強をする・・という事が大嫌いな私が中学生の頃からmottoにしている言葉があります。
それは生徒達に言い続けている言葉なのですが、「同じ注意は二度と受けない」という事なのです。
二度目に同じ事を注意される人は、三度、四度、同じ注意をしても、治る事はありません。
つまり、一回目に直せない人は、元々、直す気は無いのだから、二度、三度、同じ注意をしても、直る事はないのですよ。
教室では、基本は『暗譜』なのです。
一般では、『暗譜』は大変な事で、苦痛を強いられる事だとされます。
しかし、これも教育上の勘違いです。
暗譜は努力をしても覚えられるようにはなりません。
幾ら時間を掛けても出来ない暗譜は出来ないのですよ。
だから暗譜のコツは暗譜をすれば良いだけなのですよ。
時間も努力も必要はありません。
チョッとしたコツを掴めば良いのです。
暗譜のお話なのですが、これは学校教育上の暗記とも同じ事なのですよ。音楽で20曲や30曲近くの曲を暗譜出来る人達が学校教育上で勉強で暗記が出来ない分けは無いのです。
勿論、それには、発想の転換があります。
その発想の転換をするためには、特別なmethodeがあります。
記憶のためのmethodeです。
そのmethodeの最初の一歩はバカみたいに簡単な事です。
・・でも、そのバカみたいな簡単な一歩を踏み出せるか否かが、暗譜(記憶)が出来るようになるか否か・・の分かれ道になるのです。
勉強なんてみんなそんなものなのです。
私の場合には、テレビに登場する綺麗な、或いは可愛い女の子の顔は覚えられるのですが、その顔と名前を結び付ける事が苦手です。名前も知っているのに、顔を見ただけでは、その名前が思い出せないのです。
しかし、子供達はタレントの若い男の子達の事になると、やたらと詳しく覚えています。
つまり、興味がある事は覚えられる分けなので、勉強でも覚えられない分けは無いのですよ。
子供達は好きな事には、超、熱中してしまいます。
大人が見ると大変な苦痛をして、努力をしているように思えてしまい、「普通にしなさい!」と注意しますが、子供は楽しくてしょうがないので、それは努力でも頑張っている分けでもないのですよ。楽しいのですよ。
どんな困難な事でも好きであれば、楽しい時間の楽しい努力になってしまうのです。
しかし、大人になってしまうと、そこの所が分からないのですよ。『常識』という言葉で、片付けてしまって、子供の可能性を潰してしまう事になってしまいます。
子供達は皆、天才なのです。
それをただの凡人にしてしまうのは、大人の常識なのですよ。
9月28日何でもない1日 ·
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今日は9月の28日の月曜日の朝の5時を過ぎた所です。
兎に角、寒いのでタオルケットから薄手の羽毛布団に慌てて交換しました。
久し振りのSunriseがとても美しかったので、写真に撮って見たのだが、携帯のcameraでは、自動的に修正されて、携帯の補正では、元の色に補正出来ませんでした。
美しいSunriseの赤が消えてしまっているのですよ!
携帯では、肉眼で見えている通りの写真に撮影する機能は無いようですね?
デジカメならば、元の色を残す機能はあるのだけど、そのためだけにデジカメをわざわざ持って来るのもねぇ?
Facebookの文章が、何かを販売するというの文章になっていたのだけど、何を売っているのを調べたけれど、分からないし、販売という文言か、そのmessageを削除しようと思ったのだけど、どうやっても、それが出来なかったのと、気色が悪いのと、作業する事が面倒くさいので、一度文章を完全に削除してからもう一度uploadし直しました。
「『いいね!』をくださった人達に、本当に、ごめんなさい!」です。ハイ!
昨日のオケ練習はTeleworkだったので 体調的には大したEnergieーは使っていないはずなのだけど 今日は 朝から 全く 体力が戻ってきません 1日中、仕事と言えば、精々、パソコンで色々調べものをするぐらいの軽作業しかしていないのですが、それだけで 疲れ切ってしまいました。
練習風景のvideoは、練習の復習や、練習に全く来れないけれども、助っ人参加をしてくれる大学生達が、練習に参加出来ない代わりに、自宅でvideoを見て、演奏上のpointや留意点をcheckするために、とても大切なvideoなのですが、発表会直前で、そろそろ練習のpointの纏めに入った、とてもとても大切なオケ練習の風景のvideoなのですが、最初の曲とその次の曲と最後の室内楽の曲の3曲を除いては、全部の曲がピンぼけで、珠加ちゃんの練習風景に至っては、動画すら無いという、とても惨憺たる有り様で、折角のオケ練習のvideoのSDcardが、全く使えない状態でした。
という事だったので、発表会でのみに参加する大学生達へのlecture・videoをUploadするのに、困ってしまい、急遽前回のrehearsal
のvideoからUploadしたのですが、rehearsal ・videoは、今回の発表会に向けたオケ練習が、コロナのために、私がTeleworkでしか参加出来なかったので、指揮をして指導する事が全く出来なくて、rehearsal
では、棒合わせのみに専念したので、練習のpointや留意点のlectureはしていません。
lectureの内容的にも困ってしまいました。
2回、3回戻っても仕方がないので、致し方はありません。
という事で、代わりにrehearsal のvideoを代用しておく事にしました。
9月29日椎名町教室の曼珠沙華·
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椎名町の事務所の脇に曼珠沙華が咲いたそうで、先生から写真を送って来ました。
もう、そんな季節なのですよね~ぇ??
日本の原風景として、曼珠沙華は、田舎に行くと田んぼのあぜ道に自生している普通の花なのですが、江戸時代には飢饉の時に食べ物が無くなってしまった時に、非常食として、球根を丁寧に水洗いをして毒を抜いて飢えを凌ぐための最後の砦としてのために植えられた花なのだそうで、天災等の災害時には大変強い花なのだそうです。
あの世に咲いているような不思議な雰囲気の花なので、一本だけの毅然とした孤高な環境でも、群生した場合でも写真写りが良くて、とても素敵な花です。
毎年、西部線の沿線の巾着田で曼珠沙華の公園があって、群生した曼珠沙華を見る事が出来るようなのですが、どうしてもtimingや体調が合わなくて、まだ一度も行く事がかないません。
曼珠沙華の群生した写真を撮りたいのだけどね?
自分自身が、あの世にいるように思えたりして···
9月29日食べ物 ·
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いすみに住んでいる兄貴からいすみ米の玄米を送って貰いました。
いきなり精米するのも、もったいないので、最初は精米しないで玄米ご飯にしたので、私もお相伴しました。(お相伴···という意味は、私は普段は糖質制限食をしているからです。)
プチプチ·プリプリして、美味しかったです。
毎日、ゴーヤが大量に収穫出来るので、小さいゴーヤに、ピーマンの引き肉詰めと一緒にゴーヤの引き肉詰めを作りました。
ピーマンのひき肉詰めよりも美味しかったのですよ!
勿論、天ぷらもなかなかです。
ゴーヤ料理は色々と可能性はあるようですね??後は何が出来るかな??
しかし、肉と油で、1㌔肥ってしまった! ほんの少しの量でも敏感に肥るのだよな??
9月29日取り敢えず眠れるのならば、それは鬱ではない ·
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今日、9月29日は火曜日なので、元々、引き籠もりdayなのですが、夕方の6時45分からTeleworkのlessonがあったのだけど、6時を過ぎた頃から突然、欝に襲われてしまいました。
この所は、体調不良はしょっちゅうだけど、欝にはならなかったので、お久し振りの欝の到来です。
まあ、lessonは発狂しないで普通に出来たのだけど、lessonが終わってから一人になってからは、自分のcontrolが出来なくって、困っている所なのです。
気分転換に風呂に入って体を温めながら、のんびりして見たのだけど、右足の膝下の鬱血してザラザラしている所から、ベロ~っと皮膚が剥けて来たので、超、Shockで、欝が逆に酷くなってしまいました。
日本酒も飲み終わったし、鬱々コンサートの曲を聴く気分にも、その元気もないし・・な??
「鬱だ!欝だ!」とlineをしたら、なに?・・「欝ならば、さっさと、取り敢えずは、寝れば良い!」って??
「取り敢えずは眠れる」ようならば、それは欝とは言わないのだよ!
今日は肉体的な欝ではなくて、心の欝です。
心の欝と言っても、原因はいつも同じ理由なので、鬱の原因にもなり得ません。当たり前の日常なのでね??
欝から逃れるには、何か些細な切っ掛けでもあれば良いのだがね?
今は亡きnonちゃんだったら、慰めてくれたのにな??
Dolは俺の事は無視だもんな??
まあ、それはそれとして、adviceは素直に拝聴して、パソコンに向かって・・ではなくって、携帯でBedの上で、いつ眠っても良いように、茶玉にして、文章を書いているのだが、眠れそうにはないよな??
Bedの中で、布団に潜り込んで書いていたので、あまり感じなかったのだが、なんと練馬区の気温は14℃だったそうだよ。寒いハズだよな??
ハイツの部屋は元々温度が下がり難いし、早々と羽毛布団を出していたので、布団ではあまり寒さは感じないで済んだのだよな??
次の日の朝の7時直前になった今現在でも、室温は15℃しかないのだよ。
bedから起き出して、パソコンの前の椅子に座ったのだけど、やはり寒いので、部屋を締め切ってblindを開けて太陽の光を取り込んで、部屋を温めています。
8時直前になった今は練馬区の気温は17°まで上がったのですが、室温は25°の凌ぎ易い温度になったはずなのですが、体感的には肌寒いのですよね??
一日の気温の差が10℃以上になると、自律神経が乱れて欝になり易いのだそうです。今日は14℃から25°までの、正にそういった日だそうです。
それはそれと、「肝心要の欝はどうなったか??」というと、なんだかんだ言ってFacebookにウダウダと徒然なるままに事無きことを書き綴っている間に、無事に眠れたので、事なきを得ての「次の日の朝・・」という事でした。
欝自体は超深刻なものだったけれど、体感的には比較的には短時間で済んだので助かりました。
まあ、それでも6時間近くは続いていたのだけどね??
You Tubeへの編集の作業やFacebookへの書き込みの作業が比較的に上手く行ったので、鬱からは、だいぶ逃げれたのですよね??
今日はとても良い天気です。14°から25°までの、11度も一日で気温が上がるので、テレビでは「体調に注意するように!」と朝から言っています。北海道では今日は20°も気温が上昇するようなのですが、それではもう私には無理だよな??
今日で9月も終わりです。明日の一日は中秋の名月だそうです。
10月は高齢者講習や発表会や病院の検査等、とても忙しい月になります。心して掛からないといけないな???
写真はドルちゃんではなくって、ノンちゃんです。
9月30日掃除機の掃除が ·
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今日は9月の30日の水曜日のお昼の2時を過ぎた所です。
今日は雲一つないと言える程のお天気も良いので、窓を全開にして部屋という部屋の空気を入れ替えています。
次いでに、掃除機をかけようと思ったのだけど、ゴミが満タンで、ゴミポンでゴミを捨てても、周りにこびり付いた粉を取るのは非常に難しいし、掃除機のブラシの先っぽには糸や髪の毛が芯に絡みついていて、芯から髪の毛を取るのに、30分近く掛かったよ!!
両方のポッチが抜ければ、スポッと髪の毛は取れるのに、全く抜けないので、どうすりゃいいのだよな??
シコシコ、コツコツ取って30分近く掛かったぞ!!
折角のtornadoの掃除機なのにメンテが出来ないのでは、幾らpowerが強くても無意味だよな??
掃除機の掃除のために、掃除機を出して掃除機を掃除しているのだよ!!部屋の掃除はしないでね??
阿呆らしい!!
tornado型の掃除機は、ゴミの収納の容量が小さいので、掃除機を掛ける毎にゴミを捨てなければならないのだけど、掃除機を掛けてゴミを捨てるのと、ゴミを捨ててから掃除機を掛けるのの違いなのですよ??
···とか言っている間に、人生の無駄を感じて来て、欝が再発し始めて来ました。
こりゃあ困ったぞよ!!
部屋の掃除所ではなく、パソコンの部屋の半分だけを掃除機掛けをしたままに、掃除機をバラした状態のままに、放置した状態で呆けてしまいました。アハッ!
体が重たくって動かなくなってしまったのだよ!!
それはそうと、部屋の掃除機を掛ける前に風呂の水を捨てて、お風呂のルックをまいて、軽くshower掃除をしたのだよ。
その次いでに掃除機をかけようと思ったのが運の尽き・・だよな??
本日の営業は終了しました。アハッ!
10月1日notePCの設定をしt。 ·
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今日は月が変わって10月の1日の木曜日の朝の8時半を過ぎた所です。
今日は中秋の名月の日ですが、今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした天気です。
なんとなく天気も気分も鬱っぽい感じだよな??
昨晩は椎名町に着いたらnotePCが届いていたので、その設定をしました。
夜の1時半まで掛かったぞよ!(とは言っても、取り掛かったのは11時から食事をしながらなので、正味2時間って所かな??)一応普通に使えるようにはしといたぞ!!
パソコンの本体のmail設定と、gmailとoutlookのmailとskypeとlineとyahooのmailとWi-fiの設定とか、その他、思いつくのは全部終わった。アハッ!
10月1日アクリルの台を作った ·
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アクリルのBOXの、ちょうど良いsizeのBOXがなかったので、ありあわせのBOXをresizeしました。
窓に置く飾りを入れるBOXです。
アクリルのboxが思ったよりも固くて厚いので、アクリル・カッターでのcutの時間が思ったよりも、掛かってしまいましたが、なんとか出来ました。
やってみるもんだ!!
黒いお釜のsetは、ただの飾りではなくって、重りです。
窓を全開に開けた時に、風が強い時には、出動してmemo用紙等の上で頑張っています。
隣の小さなジョロは、机の上に置いた植木鉢に水をやる時に使います。
普段はInteriorなのですが、必要な時にはちゃんと働いています。
反対側の花瓶のようなものは、実は箸立てです
。洗い易いように下が外れるようになっているので、多分花瓶にすると水が漏れてしまうのではないのかな?
それぞれが、ちゃんとした役割りを持っているのだけど、普段は邪魔な小物になってしまいますが、必要な時にはちゃんと直ぐに出て来ないと無駄なAccessoryになってしまいます。
部屋をBlack−holeにしないためには、使う時に直ぐに出て来るように収納する事がコツです。
部屋をBlack−holeにするtypeの人で、その1番目のtypeの人は、「放し」にしてしまう人です。
これは助けようとしても助ける事の出来ない汚部屋の住人typeの人です。
2番目は、とても整理は上手なのだけど、何処に仕舞ったのかが分からなくなる人です。
そのtypeの人は、本棚の本を大きさで整理するtypeの人でしょう。
見た目には美しいのですが、探すのには膨大な時間が掛かってしまいます。
整理整頓のコツは、次回に探す時に、何を糸口にして探すか?と言う事です。
その分類がちゃんと、論理的に出来ると、簡単に探し出す事が出来ます。
教室のように、他の人達も使用する場所では、探す場所で、探す物がきちんと分類されていなければならないのです。
探し場所を説明しなくても、棚に貼ってあるIndexを見るだけで探せるようにしておく事が、基本なのです。
物を探すために、その都度、自分が行って一緒に探す、という事は、時間の無駄で、最もやってはいけない事なのです。
そのコツは出した物を確実に元の場所に戻すという事に尽きるのですが、「今日は疲れたので、明日仕舞おう。」と、思った瞬間に、二度とそれが出て来る事はないのですよ!
そこには、あの恐ろしいBlack−holeが潜んでいて、蟻地獄の中に陥るのを待っているのですよ!
10月1日今日は中秋の名月だそうです。 ·
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一日中雲が厚くて鬱陶しかったのですが、夜になったら、なんとなんと、雲一つない素晴らしい満月になっていました?
しかしまあ、寒いので、写真の撮影には風邪をひかないようにお気をつけください。
新しく購入した中古のnoteパソコンのPanasonicのLet's noteなのですが、Webのmicが全く作動していない事に気が付きました。
多分、機械的には異常はないのだろう・・と思って、micの設定を変えたり、可能な限りに色々と弄って見たのですが、上手く行きません。
Webのカメラ自体は問題はないので、遅くなってしまったので、取り敢えずは、外付けのmicをハイツから持って来る事にして、寝る事にしました。
次の日になったのですが、どうも前日の作業が納得が行かなかったので、ハイツの部屋でnotePC用のmicを探す代わりに、夕方の4時に昼食を食べに行くついでに、もう一度、パソコンを設定からやり直して見ました。
audioのdriverも更新してinstallし直して見たのですが、全く反応がないまま、改善されないまま・・でした。
但し、audio-driveの更新をしたら、speakerにnoiseが入るようになったので、電気は活きて来たように思えました。・・・が、しかし、もはや、やる事がなくなってしまったので、ダメ元で「micへの全てのアプリの接続をブロックする」というcheck項目にcheckを入れたら、なんと、micが生き帰ったのですよ!!
いったい、それはなんなんだ??
何がどうしたというのだ??
理解不能だけど、直った事は直ったので、奥歯に物が挟まったような感じのままなのだけど、取り敢えずは良しという事にします。不本意な終わり方なのだけど、まあ、完全に使えるようにはなったので・・ね??
はてさて、どう評価をして良いものやら??
10月2日徒然ない ·
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10月2日の金曜日の朝の8時を回った所です。
僅かに霞んではいるようですが、今日はとても良い天気になるような雰囲気です。
朝っぱらから体調的には然程ではないのですが、精神的には「とぜんない」という、鬱の一つ手前の気分です。
そう言えば、この「とぜんない」という言葉なのですが、青森から長崎に至るまでの全国的に使われている方言なのだそうです。
漢字では「とぜん=徒然」と書くのだそうで、意味は「徒然=つれづれ」と同じで、することがなくて退屈な様。手持ちぶさた。 つくづくと物思いにふけること。 しんみりとして寂しいこと。等々のようです。
私の場合には、この「とぜんない」という言葉には、手持ち無沙汰や、する事がなくって退屈な様子・・という意味では無く、寧ろ、切なく心がモヤモヤして、為す統べもなくイライラしている状態・・という意味が強いのですが、そういった意味に使っているのは私だけのようで、一般的での使い方では無かったようです。
イライラやモヤモヤがもっと強くなって、この「とぜんない」が更に強くなって来て、体中がイライラして来ると、私はよく体が「セク!」という言葉を使います。
一般的には全く知られていない限られた地方の方言の言葉だ・・と思ったのですが、東京の病院で「胃がセク感じで・・」と説明したら、病院の先生には問題なく通じたので、これが標準語だと始めて知りました。
アハッ!
という事で、鬱とは言えないのですが、鬱の一歩手前の遣り場のない状態で、パソコンに向かっても、テレビに向かって気分転換をはかろうとしても、集中の出来ない、困った状態です。
起きたばかりなので、寝る事も出来ないのですよ!
はてさて、どうしたものか?
取り敢えずは、温かい風呂にでも入って、血流を温めて見るか?
少しは楽になるかもネギね??
コメント
芦塚 陽二
今日のFacebookでは単語を確定させる毎に、下の行が改行されて行くようで、その内に、打っている行すら見えなくなってしまいます。これは、始めてのbugだよな??
超、面白いbugだ!!相変らず、Facebookの連中は何をやっているのかね~ぇ??という感じなのだけどな??アハッ!🥴
· 返信する · 15週間前 · 編集済み
塩澤 一範
豊島区長崎に用事があっています。
10月3日独居老人のつぶやき ·
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今は、10月3日の土曜日の深夜の1時を過ぎた所ですが、強烈な鼻詰まりで息が出来なくなって、折角眠っていたのに、目が覚めてBedから起き出してしまいました。
折角眠れた···とは言っても、routineの食事とドルプリっ歩を済ませて、椎名町からハイツに帰って来たのはcinderella-timeの12時直前くらいですから、直ぐに寝たとしても、やっと小一時間程しか眠った事にはなりません。
それに前日は、鼻水が酷くて、一日中、集中出来なくって、仕事にならなくって、大変だったのですよ。
深夜、ハイツに戻って来て、直ぐに、熱っぽいので、珍しく体温を計ってみたら、やっぱり7度1分の微熱がありました。
鼻風邪だったのだよな??
そろそろ、もう1枚の少し厚めの羽毛布団を出さないとなぁ??
それにしても、今から頑張って寝直すよりも、息がなんとか出来るようにしないとなぁ?
という事で、起き出したままで、色々と画策していますが、中々上手く行きません!
独居老人の生涯とか言う感じで、Facebookにupされている私の全ての写真を閲覧して見たら、Facebookを書き始めたこの5,6年間の写真しか無かったのだよな。
まあ、言って見れば、当たり前の話なのだけど、これまでpaperで残した物は、見事に消えて無くなってしまっているのだよ。
paperlessで、net上に残したものだけが、失われる事はなく、この10年の足跡が残っている。
まるで自分の人生がこの10年程のintervalしか無いように見えるのは、心外だよなぁ??
私には私なりの70数余年があるハズなのだよ。
それなりの私史には残されていない・・という事は心残りであるぞなもし。
しかし、仮にnetで遺したとしても、それも永遠には程遠いのだよな??Facebookでも書く人が死亡した後の資料は残さないのだそうな??
という事はYou TubeのようにInternetに拡散したものだけが永遠に語り継がれて行くのかな??
また、自分史というのを書く人達がいるのは、こういった気持ちからなのかな??
しかし、自分史というもの程、他人に取って興味を持たれないものはない事も事実なのだよな??
殆どの自伝の類いは再び読まれる事はないのだよ。
よっぽどの脚色を経てvoyageになっている人の読み物は兎も角としても・・
つまり、人の興味を抱かせないものは、忘れ去られる運命なのだよな?
10月3日calendarの共有 ·
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苦節1週間、やっとGooglecalendarの携帯とパソコンの同期が出来た。両方に別のaddressを登録して同期させるのだよな??
それぞれがどのaddressになっているのかの確認に手間取ってしまった。
出来てしまえば、次からは簡単なのだが、その手順がどこにも書いていないというか、書いてはあるのだろうがちんぷんかんぷんなのだよな??
パソコンの人達の書く文章は理解不能だよな??
何故にGoogleのCalendarなのか?という事なのですが、今まではYahooのCalendarを共有して使用して来たのだが、携帯での使用は兎も角としても、パソコンで携帯と併用する時には、何かと不都合があったので、少しでも動作がマシなGoogleのCalendarに乗り換える事にしました。
まあ、以下にウダウダと書いている事は、その不都合の一例に過ぎないのですが、それにしても昔のCalendarは、任意の週からの4週間や、広く、ふた月分を一画面上で開く事が出来たのですが、今のCalendarでは、一画面上では、月単位しか開かないので、予定がふた月に跨ぐ場合には、画面を動かさなければならなくて、見難くて非常に困ってしまいます。
時間は月単位に流れて行く分けではないので、これはパソコンの設定をする人が、実際の時間軸を把握していないからの頭でっかちで、仕事をパソコンの画面上のlayoutとして考えた事にしか過ぎません。
もしも、現実の生活を考えた場合には、月単位に時間軸が流れて行く事等は、あろうハズはないからです。
同じひと月を見る場合でも、現在からひと月後、という事は、必ず月を跨いでしまうからなのです。
昔のCalendarでは、それが普通に出来ていたハズなのですが、いつの頃からか、出来なくなってしまいました。
改善という言葉は知っているけれど、改悪ではどうしようもないよな?
使い手の良いものを使い難くする事は、改悪というのだよ?
だからAnalogの人達が、なかなかパソコンに移行してくれないのですよ!
「パソコンは不便だ!」と言ってね?
私も自分の時間を人と共有しなければ、パソコンなんて不便なものは使いませんよ!
二人、三人と時間軸を共有するので、致し方なくパソコンのCalendarを使っているに過ぎません!
自分一人ならば、パソコンのCalendarなんて不便なものは必要無いのですが、私の予定も他の人達に把握して貰わないと、doublebookingしてしまうからね??
10月4日体調不良が·
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この2、3日、天候に体がついて行かなくて、鼻風邪になってしまいました。
鼻詰まりが、今度は真逆の鼻水が止まらなくなってしまいました。
当然、夜は眠れなくなってしまい、明日に予定が入っている時には、結構pressureになってしまいます。
そういう時には、熱燗でちょっと一杯、体を温めて、気分転換を···と、行きたい所なのですが、この所、体調不良で、すっかりアルコールは飲めなくなってしまいました。
秋の夜長の眠れぬ時に一杯のお酒が飲めないのは、結構辛いものがあります。
しらたまの歯にしみとふる秋の夜は、鬱々コンサートでも聴きながらも、乙なものなのですが、これも体調次第なのでね??
眠れぬ時に、何をしたら良いのか? 悩む所です。
それにも増して、連日の湿度が結構高いので、シーツがベタベタとして気持ち悪くなってしまいました。
流石に今日は鼻水で眠れないので、意を決して、シーツにレイコップを掛けました。
勿論、タダの一回では、表面的な掃除に過ぎないのですが、それでも、相当ベタベタ感が取れました。
レイコップさまさまてな感じかな??
10月5日Teleworkの総合練習 ·
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昨日の10月4日の日曜日の総合練習は、10月11日の秋の発表会前の最後の練習でした。
最後の練習・・・という事なので、soloのlessonや室内楽のlessonも入って来たので、朝の8時半からの朝一のTelework-lessonになってしまいました。
その後も休みなく、すぐにオケ練習に入ったので、ほぼ一日中のlessonになってしまいました。
今回のオケは始めて組の人が数人いたので、練習の効率を考えて、始め組の参加する曲の和音練習の楽譜をわざわざ作ったのだけど、発表会への仕事が忙しくって、折角作った楽譜が生徒達の手に渡らなかったので、発表会直前の最後の練習も効率的に練習する事が出来なかったのは、すこぶる残念で心残りでした。
初心者組の練習の方法はVeteran組の練習とは違って、コツコツとした積み上げ練習は出来ません。
感覚的に感性を育てて、乗せた練習が、ある程度は必要だからです。
積み上げ練習は少しづつ体感させて慣らして行かなければならないからです。
そのための和音練習譜だったので、「もう少しは、効率的に練習が出来たのになぁ?」ってね??
オケ練習が終わった後も、Il favoritoのⅡ楽章のtempoの設定の確認のlectureがあったので、ほぼ1日中のlecture-lessonでした。
時間的には一番長かったのだけど、曲が大分出来て来たので、然程は疲れなかったぞよ??
夜はちゃんとドルプリっ歩にも行ったしね??
今日、10月5日の月曜日は、普段ならば寝込みdayになるのですが、今日は朝一から動画の整理やupload等々の作業をしていて、時間が経つのがとても速くて、アッと言う間にお昼過ぎになってしまって、目下、驚いている所です。
まだ9時か10時頃と思っていたら、なんとお昼を過ぎてしまっていたのだからねぇ?
10月6日今日は引き籠もりdayです。 ·
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今日は10月の6日の火曜日、所謂、引き籠もりdayです。
今日の体調は、睡眠次第なのだけど、今日の睡眠は上手く行ったのか行かなかったのか、良く分かりません。
どこまでが睡眠時間でどこからが起きた時間なのかが分からないからです。
ウダウダといつの間にか、パソコンの前に座って仕事をしているような眠っているような・・
一昨日は、折角作り上げたGooglecalendarのdataをyahooのcalendarのdataのDoubleになっている所を削除したら、Googleのcalendarのdataそのものが、ぶっ飛んでしまいました。
今日は何とかそのぶっ飛んだDataを復活出来ないかと試みたのですが、大元の色々なcalendarそのものすら出て来なくなったので、Dataの復活は、とうとう諦めてGooglecalendarにDataの再入力をしました。
これは作業としては、大変な時間の掛かる超無駄な作業時間です。
Googleのcalendarが何度もぶっ飛ぶのは他のcalendarのsoftとの相性が悪いからなのかな??
dataがぶっ飛ぶのはそれこそ、3回目か4回目になります。
それでもyahooのcalendarの表示menuよりは良いのかな??
やっている間に、だんだん良さの区別が分からなくなって来てしまいました。
Googleのcalendarからyahooのcalendarに戻したりして・・・
10月7日動画がhomepageには埋め込めなくなってしまった。 ·
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10月6日の火曜日の引き篭もりdayのお話です。
ハイツの自宅の冷蔵庫には食べ物は勿論の事、ご飯すら無くなってしまったのだけど、糖質cut炊飯器でご飯を炊くと、後片付けがとても大変なので、4合を炊く時にしか使いません。
そこで、万古焼の土鍋でご飯を炊く事を思い付きました。
一応は糖質cutの土鍋になっているので・・ね??
https://www.facebook.com/100004230614853/videos/1751380428346294/
近頃はFacebookやInstagramの写真も3Dの写真が増えて来たので、私も3Dの写真のsoftを携帯に取り込んで、昨夜はtest撮影をして見ました。
一連の作業工程を覚えるために、この3Dの動画を昨夜、Uploadして見たのですが、その動画が、どこかに居なくなってしまい、見つからなくなってしまいました。
(この動画の他にも、別の短い文章をuploadしたのですが、そちらも全く見つからなくなってしまいました。半分眠りながら書いた文章なので、「何を書いたのか??」さえ分からなくなってしまったので、探しようがありません。こちらの文章を探すのは諦めてしまいました。)
という事で、こちらの文章は動画付きなので、探すのは簡単なハズなのですが、その動画が見つからなくって、動画が無くなって文章だけが見つかった・・というcaseもありました。
それで、その文章に動画を改めて入れて見ると、また、見つからなくなってしまうのですよね。
・・という事で、探しても見つからない文章なのですが、これで3回目か、4回目のUploadになるのですよ!
uploadすると、その時にはちゃんと居るのだが、暫くして、また探して見ると、ぶっ飛んでしまっているのですよ。
ぶっ飛んでしまうのは、いつも同じ動画(写真の場合も・・)なのですが、その動画(写真)に問題があるのかな?
今度こそのUploadですが、また居なくなったりして???
今日は火曜日のハイツの自宅に引き籠もりdayなので、テレビを付けっ放しでパソコンに向かって徒然なるままに仕事をしていたのですが、恋愛ドラマの最終章で不思議な終わり方をしたので、(最終回なのにheroineの相手役の人が全く登場しないままに、回想のsceneだけに登場しているのですよ。)「え~っ??」と思って、netでついつい調べて見たら、heroineの相手役の人は、dramaではなく現実に・・実際に自殺をしていて、dramaに登場出来なかったのだよな??
不思議な終わり方は、主人公がいなくなってしまったのでの、苦肉のstoryの展開なのだよな??
でも、それはそれで、happy-endを期待させるような、させないような、heroineの女の子の表情もとても意味深で、中々味わい深い良い終わり方だったよナ??
それにしても今年は何故、そういった有名な人達の自殺が多いのだろう??
これまでは功なり名を遂げた人達の自殺は滅多に無かったのに・・、今年は本当に多いのだよな??
これもコロナの所為??・・まさかね??
今夜10月6日火曜日の夜から突然、Seitzの「Op.22のD Dur第五番」のorchestrationを始めまてしまいした。
Seitz violin-concerto Op15 D Dur芦塚陽二orchestration及び指揮芦塚陽二14年4月6日芦塚音楽研究所千葉教室 - YouTube
Seitzの第五番のstudent-concertoは、鈴木の教則本にも取り入れられている曲で、『student-concerto-curriculum』への導入のための第1曲なので、この曲はViolinを学ぶ初心者の人達が必ず学ぶ曲でもあります。
だから『student-concerto-curriculum』ではとても重要な必須の課題曲になります。
(『student-concerto-curriculum』とは、一般的にそういったcurriculumがある分けではなく、私が個人的に編集・編纂したSeitzからBériot、Spohrに至るまでのstudent-concertoを系統だって配列した芦塚音楽研究所独自のcurriculumを意味します。)
そのcurriculumの中の1曲なのですが、以前orchestraにarrangeをした「Op.15の第四番のD Dur」の曲は、Ⅱ楽章はHollywood調の映画音楽のようだし、Ⅲ楽章がländlerになっていて、民族音楽でtempoが目まぐるしく変わるので、全楽章共、結構、技術的にも難しいhigh-levelの曲なので、「一番簡単な曲を先ずはarrangeするべきである」・・と考えたからなのです。
この第五番のD Durの曲は、Vivaldiのa mollとほぼ同等の難しさなので・・Violinを学ぶ初心者が必ず学習するViolinの登竜門の曲になります。
つまり、「3rd-positionを学ぶ最初の曲」として・・ね??
そういった理由から新たにarrangementを始めたのですが、勿論、私のarrangeの常として、Ⅰ楽章からⅢ楽章まで同時に並行でarrangeをstartしました。
取り敢えずは、finaleにoriginalの楽譜のpartをorchestra譜(score上)に入力をしなければなりません。
この作業は単純作業なので、そこの所はarrangeではないので、助手が居て入力をして貰うととても助かるのだけどね??
但し、下手に生徒に任せると、入力し終わるまで延々と待たされるので、困ってしまうのですよ。
だから、教室の生徒にお手伝いして貰う事は出来ないのです。
まあ、私が入力すれば、1日もあれば全楽章の入力は終わる・・単純作業なのだけど・・・ね??
それでも、1日は無駄になってしまうのでね??
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コメント
芦塚 陽二
以前にFacebookに書いて於いたのだけど、以前私のarrangeで演奏した「Op.15の第四番のD Dur」のarrangeは、元曲のPiano-scoreを活かしてarrangeをしたので、後で、何度も聴くとチョッとorchestrationが薄い所があって不本意だったので、薄い箇所を補修しておきました。今のversionは以前演奏した曲よりも少し分厚めになっています。
勿論、その演奏は未だありませんが・・
姫野可那子
糖質カット…炊飯器??
· 返信する · 14週間前
芦塚 陽二
糖質cut炊飯器と糖質cut土鍋です。2合から4合までの・・・
美味しい所を捨ててしまうので、先生達は一緒には食べてくれません。私だけのご飯です。過日は、「どうせ美味しい糖は捨てるのだから、安い米で良いよね?」と言われて頭サ来てしまいましたわさ。糖質をcutしても美味しい米は美味しいのですよ!!
写真の説明はありません。
· 返信する · 14週間前 · 編集済み
姫野可那子
う~ん、身体に良さそうですけれど、確かにちょっと残念ですね。。。
10月7日糖質0のビール ·
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はてさて、今日は10月の7日の水曜日の午前中の9時半を過ぎた所になります。
朝早くから何も口に入れないままに作業をしているので、お腹の調子が悪くなって来ました。
空きっ腹で・・というのではなく、お腹が胃炎の時のように、ムカムカして来たのですよ。
これはマズイ!!
何か口に入れないと・・ナ??
昨日の万古焼のご飯はお昼ご飯の夕方と夜のお茶漬けで食べてしまったし、・・でも、コンビニに買いに行くだけの元気は無いしナ~ぁ??
非常食に置いてある乾麺(インスタント)でも食うか??
てな事を言っている間に、疲れてしまって熟睡してしまいました。
今夜は、斉藤先生は発表会の準備のために、千葉泊まりになったので、私は食事のために、椎名町に移動したのだけれど結構雨が降っていて、超寒かった。
手と足が寒くて痺れたぞよ!!
糖質0の生ビールが発売されたので、牧野先生が買って来てくれました。
さっそくハイツに戻ってから、飲んで見たのだけど、残念ながらもうalcoholは体が受け付けなくなってしまっているようで、味が分からんのだよな??
つまり、美味しい・・と思えないのだよな??
また、体調の良い別の機会に試して見るか???
それにしても、このblueの色は素晴らしい!金色と映えて抜群の色調だよな??
缶ピーの紺色も良いのだけど・・・
お昼の1時半を過ぎた所なのですが、外はどんよりとして兎に角寒いのですよ。
部屋の中では寝巻きの上下を着て寒さを凌いでいる所なのです。練馬区の気温を見てみると現在の気温は22°もあるそうなのですが、体感温度は私的にはもっと低いように感じています。
今日の1日の温度の推移は15°~23°だそうです。
10月8日studentConcerto ·
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今は10月8日の木曜日、もうすぐに朝の6時半になる所である。
椎名町から帰って来たのが深夜の0時半を過ぎていたので、普段ならば、そのまま眠る所なのだが、仕事modeに入ってしまっての「朝の・・」、である。
しかし、「朝の6時半・・」とは言っても、別に「Seitzのstudent-concertoのorchestration」をするために、頑張って、徹夜をした分けではないのだよ。
私はこの所・・というか、昔々・・というか、つまり、学校に行かなくなってから(就学年次が終わってから)の半世紀の間は、昼夜逆転の生活を延々としているのだから、朝の6時・・という事は多分、一般人の夜の8時ぐらいなのだろうかな??
GAOから配信されるアニメの『寄生獣』の更新されたテレビを見ながら、いつものように、(その次いでに)Seitzのstudent-concertoのOp.22のD DurのⅡ楽章のorchestrationを済ませた。
「orchestrationを済ませた・・」とは言っても、超面倒くさいarticulationを付ける作業が残っていて、完全には終わっていないのだけど・・な??
まあ、しかし、書かれているarticulationはPianoのarticulationだし、子供達に上手く弾かせるには少しarticulationにも配慮しなければならないので、Vivaldiの譜面を作る時等には、articulationを書かない場合が多いのだよ。
その理由は、今、仮に譜面に書かれているarticulationを完璧に付けたとしても、子供達がそのarticulationで弾かない場合が多いので、頑張ってarticulationを付けても、無駄になる事が多いのだけど、それでもlayout的にはある程度はちゃんと付けておかなければならないのだ。
それが無意味に・・超面倒くさい!!
finaleで、音声の再生をしながら、元々のSeitzの原稿に書かれている和声法の間違い等を探して訂正をしながら、articulationも付けているのだよ。
つまり、私が何故「Seitzのstudent-concertoをStreich‐Orchestraにarrangeをしているのか??」というと、originalの譜面がPiano伴奏用に書かれているからなのだよ。
つまり、concertoと名を打っていながら、orchestra用に書かれた譜面ではないのだよ。
student-concertoの大半の曲は、不思議な事に・・、Pianoの伴奏用に作曲されているのだよ。
・・という事が和声法の間違い・・を引き起こすのだ・・という事は、まるで「因果応報・・」「蝶が羽ばたけば、どこかの国で大洪水が起こる」というのと同じなのだよ??
「云~??」
原譜の「和声法の間違い」というのは、勿論、作曲者自身が書いた作曲上の「和声法の間違い」のお話なのだけど、実は作曲者が和声法の間違いを分かっていて(知っていて)、ワザと無視する場合が多いのだ。
それにはれっきとした理由があって、例えば平行8度(octave=parallel)でPianoの伴奏譜とViolinのmelodieを書く場合なのだけど、ViolinのsoloとPianoがmelodieを平行で動かしたとしても、PianoとViolinでは異種楽器なので、それぞれの楽器の音色が違うので、独立して音が聴こえて来るので、平行の動きが殆ど気にならないのだけど、それを同じ弦楽器の伴奏で演奏すると、平行したsoloのmelodieはorchestraのViolinのmelodieに融けて消えてしまうのだよ。
つまり、同じ楽器の場合には音色が同じなので、所謂、「和声的な間違い」はそのまま、致命的な間違いになってしまうのだよ。
(勿論、この場合には、同じmelodieをViolinのsoloとPianoの伴奏が奏する場合は当てはまらない)無意識的な進行の一部がunisonになってしまっている場所の所を言っているのだから、意味を取り違えないように・・!)
だから、そういった「間違い=careless mistake」は作曲者が伴奏のpartをorchestraを想定して書いている場合には、そういった「誤り」は基本的には無いのだ。
しかし、降り出しに戻るのだが、student-concertoは表題は『concerto』という表題ではあるのだが、基本的にはPianoの伴奏用として書かれている。
Spohrとか、Rodeとかは、例外的にorchestra用に書かれた曲があるのだが、それは、作曲家本人がその曲をstudent-concertoとして書いたものではなく、あくまでも作曲家が自分の演奏会用に作曲したものだからである。
だから彼らの曲に対して「student-concerto!」なんて言ったら、烈火の如く怒り捲って、pistolか剣を持って追っかけて来ると思うよ??「否、この曲はKoncert用concertoだ!!」と言いながら・・ね??
彼らに取っては、「student-concerto」と言われるのは最大の侮辱になるのだからね??
勿論、SeitzやRiedingはstudentのために曲を書いるので、「student-concerto」と言われても、怒りもしないし、そのつもりで作曲をしているので、侮辱にもならないのだけどね??
そこの線引きはしっかりしないと社会人にはなれないよな??アハッ!
先程は、student-concertoはPianoの伴奏用に書かれていて、orchestra用には書かれてはいない・・と言ったのだけど、では何故、student-concertoがorchestraのために書かれていないのか??
「作曲者がorchestraを書くだけの作曲技法を持ち合わせていなかったから??」
いやあ、多分そういう事は無いと思うよ??
その答えは簡単である。
student-concertoは、Violinを学ぶ学生達の教育教材として書かれたstudent(学生)のためのconcertoなのだから、勉学途中のstudent(学生)がorchestraの伴奏で発表会等で、演奏をする事は有り得ないからである。
orchestraでの伴奏で演奏する事は、proの演奏家にとっても、一生に一度あるかどうかの夢また夢の話なのだからね??
「教室では、普通に毎週オケの練習をしているのでは??」
私達の教室は一般の音楽界の社会通念からは逸脱した所にあるのだから、私達の教室をこういった音楽界一般論に対しての引き合いに出してはダメだよ。
orchestraで子供達を育てる・・なんて事は、世界中のどこを探しても無いと思うよ。
それは夢の中の世界であって、そんな教室が現実的にあると思ってはいけないよ!!アハッ!
国際大会のコンクールにでも出て一位に入賞すれば、orchestraの伴奏で演奏出来る機会はあるかも・・よね??
オケbackで演奏させて貰える事を夢に見て、頑張って練習をしてね??アハッ!
楽譜は私のarrangeのorchestra-scoreなのですが、62小節目と65小節目には、非常に不自然な所があって、それを情緒的ではなく、論理的にも正しく見えるようにarrangeする事は極めて難しいのです。Piano譜上の間違いを、唯、和音が美しく響くように訂正して見たのですが、ロマン派の作品なのに、突然、近代の和音の音がして来て、響きは美しいのですが、時代考証的にまるでRegerのような響きがして来るので却下して、非和声音処理をして時代考証をSeitzの時代に合わせました。まるでMozartのような裏の裏の裏の論理的な処理です。このpassageは躓いたよな~ぁ??
10月8日Student−concerto続き ·
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私が音楽の勉強を始めたのは、非常に遅くて、高校生になった後だったし、まあ戦後のドサクサで、音楽を学ぶような時代でも環境でもなかったので、音楽大学に入るまでは、私にとってはPianoの曲が唯一の音楽であって、弦楽器や管楽器の曲は、縁の無い・・遠い曲に過ぎませんでした。
だから音楽大学に入学した後でも、concertoとはorchestraが演奏する曲の事を言うのであって、Piano伴奏のconcertoがあるとは思いもしませんでした。
だからPianoのconcertoのPianoの楽譜は、あくまでも、orchestraのconcertoの練習のために、transposeした曲であって、Student−concertoのように、最初からPianoを伴奏楽器として書かれている曲があるという事を知ったのは、留学を終えて日本に帰って来てから、音楽教室を開いてから後の話しなのですよ!
つまり、言い方を変えると、自分自身がそのgenreの曲を勉強した事がない限り、教育教材は音大生にとっても、Proの音楽家にとっても、見知らぬ未知の分野なのですよ。
という事なので、Student−concertoはorchestraで演奏する場合には、作曲者がPianoで伴奏譜を書いた楽譜を、逆にorchestraにtransposeする事になります。
それは作曲上では、致命的な欠点を産み出してしまいます。student-concertoのorchestraのpartがPianoの伴奏のために作曲されているので、orchestraにtransposeすると、曲の表現が弱くなってしまう時が良くあるのです。
student-concertoのorchestraにarrangeをした譜面を昔々海外発注して購入した事があります。
1回ぐらいは教室の発表会で演奏した事があるようなのですが、全く記憶にありません。
Pianoのpartをそのままにorchestraにtransposeすると、実に薄っぺらな、つまらない曲になってしまいます。
私が海外発注で高いお金を出して手に入れたstudent-concertoのarrangeは、それぐらいつまらない単純なarrangementだったのですよ。
もし私が、同じ曲をarrangeするとしたら、と、考え込んでしまいました。
でも、arrangerとしての私だったら、そこの所で、単純な補筆ではなく、加筆補正をしたくなる誘惑に駆られてしまいます。
orchestrationでは、和音を変えても、小節を増やしても、あまりarrangerとしては望ましい事ではない。
我慢と忍耐の一文字である。
このⅡ楽章にも、その誘惑に駆られてしまう箇所が数箇所ある。
困った事だよ!!
それにしても、今日は1日、Seitzのorchestraへのtransposeで終わってしまった。
もう夜の8時だよな。12時間ぐらいarrangeをしていたのではないのかな??まあ、Ⅰ楽章も終わって、後はⅢ楽章だけなのだがね??
今日はパソコンはもう閉じて、本日の営業は・・てな事にするか??
という事で斉藤先生が千葉から帰って来たので、今から椎名町に移動する事にします。そろそろ食事の時間だよな??
腹減った!
10月9日今日は何日?? ·
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cinderella-timeを30分過ぎた所なのですが、いつも言っているように、この時間帯は10月8日か、それとも9日かの選択を迷ってしまいます。
その点では、テレビは放送局が放送を終了する迄を1日とするので、今はさしずめ10月8日の木曜日の24時半になります。
この方が分かり易くて良いのかな??
まあ、25時は良いとしても、27時とか言われた日には、指を折って換算しないと分からないのだよな?
だからといっても、9日の0時では、深夜の0時か早朝の0時かで悩んでしまうからね??
前日の深夜1時では、今日だったのか、明日の事なのか、全く分からないのだよな!
斉藤先生は通常では、月曜日から水曜日までが千葉泊まりなのですが、発表会の荷物の準備のために、1日伸ばして、今日の夜の6時半過ぎに千葉の教室でのcheckを終えて椎名町に帰って来たので、私は、本当は昨日の水曜日の夜にSeitzのOp.22のD Durのstudent-concertoのcopyを頼んでいたのですが、「帰って来ない」・・という事で、急遽、牧野先生がcopyをしてくれたのですが、どこに譜面を仕舞っているのかが分からないので、取り敢えずという事で、recordの付録のベリータの譜面をcopyして貰って、arrangeの作業に入りました。
斉藤先生が帰って来たので、食事をしながら、SeitzのPiano譜の色々な出版社の楽譜をちゃんとcopyするように頼んでいたのですが、その時に、「orchestraのscoreは必要か?」と斉藤先生に聞かれて、ハタと絶句してしまいました。
orchestraのstudent-concertoの譜面のお話なのですが、・・・教室を開設して間もない頃に、私の作ったViolinのmethodeのcurriculumの穴埋めのために、楽譜を集める一貫の中で、「student-concerto」のcurriculumを次いでに作りました。
平行でオケのcurriculumも作っていたのですが、折角のstudent-concertoなので、出版されている楽譜を手に入れて、orchestraのcurriculumの一貫にしようと思って、Londonの出版社に海外発注をして、楽譜が送られて来た所までは良かったのですが、楽譜をcheckして見ると、なんとpart譜だけで、指揮用のscoreがありません。
どうやら、「Piano譜で指揮をする」・・というとんでもない前提のようでした。
送って来た色々なstudent-concertoの楽譜の中に、当然、SeitzのOp.22D Durのconcertoの譜面もあったのですが、orchestraへのarrangementが余りにもamateurっぽくて、(牧野先生によると、1回は演奏した事があるのだそうですが、)私には演奏をした記憶すら、全くありません。
なんと、なんと、しかしながら、miserableな事に、Op.22のD Durのorchestra-scoreは、曾て昔に、私がfinaleでscoreを作っていたのですよ。
「そんな事、全く、記憶に無いよな??」
そういったstudent-concertoの楽譜を、高い金額を叩いて、購入した事さえも忘れてしまっていました。
斉藤先生に言われて、楽譜がある事を知って、「えッつ!!」と超、Shockを受けてしまいました。
arrangeが素人っぽくって、音が薄くて使い物にならない楽譜だとしても、ある程度は参考にする事が出来たので、「時短にはなったのでは・・」と思ったのだけど、もう、Ⅰ楽章とⅡ楽章は作り終えて、Ⅲ楽章も半分以上は作ってしまっているので、後、半分を作ると、このarrangeの作業は終了してしまうのだけどね??
Shockを受けて、ついでに、冷たい雨のそぼ降る中をドルプリっ歩をfullcourseで歩いて、ハイツに手足を凍えさせながら帰って来て、改めて楽譜を眺めたら、「なんで楽譜を買った事を忘れてしまったのか??」という、・・その意味が改めて良く分かったよ??
とても演奏には耐えられない素人的な代物だったからだよな??
やっぱ、作り直さないとダメか??
・・という事よりも、見ても参考にもならないPachelbelのChaconne in fの時のarrangeと同じ、ズブの素人の手によるamateurのarrangeだったから・・だよな??
でも、下手っピーな学生オケならば、この程度の簡単なarrangeではないと、演奏が出来なくなってしまう・・という事なのかな??
俺のarrangeだとすると、音大のオケが弾いても難しいのかな??
「じゃあ、しゃあない??」
教室の子供達にでも、弾いて貰うか??
オケ練習の次いでに、チョチョっと・・音撮りだけでも・・
ChaconneのDavid版のorchestrationもあるしね??
そうだ!Händelのsarabandeのla foliaもあるぞなもし・・・??
少し溜まって来たよな??
10月9日勝手に造影剤の検査をされてしまった ·
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高校生の時に大学病院のinternの単純な医療ミスで腎臓が悪化して左腎摘出手術になってしまって、腎臓が片一方しか無いという上に、度重なる造影剤による検査で、腎機能が衰えているので、病院で新たな検査が必要になった時に、私としては「極力造影剤は使用しないで、別の方法論を試すように!」と注意していたのに、私の意向を無視して、勝手に造影剤を使用して必要の無い冠動脈造影検査をされてしまった!
言い訳は「手術に心臓が耐えられるか?」という検査だそうなのだそうだが、耐えられなければどうするのだよ??
冠動脈が手術に耐えられなければ手術をしないのかいね??
でも腹部大動脈瘤も突然死を引き起こすのだから、手術をしない・・というその選択肢は無かったハズなのだけど・・な??
超、頭に来て、(勿論、その造影剤の事が直接の理由ではなく、単なる技術的な事に対してのclaimなのだけど・・・)所謂、secondopinionという事で、川崎の病院に転院をして、手術をした・・という経緯があるのだが、やはり、その造影剤を使った検査をした事が切っ掛けになって、腎臓の機能が衰えて来ているのだよ?
まあ、それは腎機能のグラフに検査をする前のdataとした後のdataが、如実に証明をしている。
そして、その腎機能の低下が夜間頻尿の最たる理由なのだ。
昼間の間に正常に腎臓が働かないので、睡眠時に、他の臓器が休んでいる時に、腎臓がセッセと働くからなのだ。
だから、睡眠が浅く、惰眠を取っても、疲れが取れないのだよ。
それでも、一晩に、3、4回toiletteに行くと、腎臓の仕事がある程度は終わるので熟睡出来るのだ!
今日の夢は・・・発表会なのか、演奏会なのか、よくは分からないのだけど、私が舞台袖にいる時に、突然に意識が帰って来て、我に返った。
それまでの話しなのだが、楽屋で仮眠をしている時に、思いっ切り大量にお寝しょをして大きな座布団のようなクッションのようなものをびしょ濡れにしてしまって途方に暮れていると、誰かは分からないのだが、弟子の女の子が寄って来て、「取り敢えずは舞台に出ましょうよ?」と、指示をして来て舞台袖に立って出番を待っていたのだよ。
その言葉で、なんとかこう、ホッとして動こうとした所で、今度は、「なぜ弟子がここにいるのだ?」と不思議に思った所で、この演奏会そのものが・・・、というか、私がいる場所が、夢の中である事に気づいた!
それで現実的に目覚める事が出来たのだが、現実界では未だbedの中で眠っていたのだが、「ひょっとしたらBedの中で、お寝しょをしたのでは??」と思ってBedを確認して見たのだが、まだtoilette-timeでは無いようだった??
そこでやっとこさっとこ、ホッと胸を撫でおろしたのだよ。
「おねしょう」の夢は、70歳を過ぎた辺りからよく見るようになったのだが、traumaになるような実際に失禁した事は未だ無いので、traumaでは無いハズなのだけど、どうした所なのかな??
それにしても、現実と夢の違いが全く見えて来ない・・なんという紛らわしい夢を見るのだろう??
夢の中で夢を見たりする事もあるのだから、現実との区別がつかなくて困ってしまうのだよな?
老いると、眠る事すらpressureになるのだよな?
10月9日車の保険の更新 ·
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10 月の9日の金曜日のお昼の12時半です。
超、寒いのだけど、着替えを探し出す元気が無いのだ。
朝っぱらから寒さに震えながら、Seitzのorchestrationの作業が取り敢えずは、全楽章分・・終わった。
後はbowslurやarticulation等を気長に書き込めば完成なのだけど・・、今日はもう疲れた!!
wie sind wir wandermüde・・・人生に・・・・!!
今日は車の保険の更新があります。
だから、お昼なのだけど、椎名町に行って手続きをします。
次いでに、Seitzの楽譜を全楽章print outして貰おう。
最終check用なのだけど、ハイツのprinterでprint outをしようとしたら、印刷に何本も筋が入って来て、楽譜が使い物にならなかったので、nozzleのcleaningをしなければならないので、時間が掛かってしまうからなので・・ね??
椎名町に食事に行ったついでにprint outした方が面倒くさくなくて、早いのだよ!
Page数も膨大になるので、inkjet-printerでは大変な時間が掛かってしまうのだからね??
さて、椎名町に出かけようと思ったのだが、雨が酷くて寒いので、準備が大変なのだ。先ずは衣装が無い。部屋が未だ模様替えをしていないのだ。雨が結構酷くって、bikeでの移動なので、これぐらいの雨ならば、もう、raincoatではなくてrain-suitのseparatesにしなければならない。
これがまた一仕事なのだよな??
今日は金曜日なのだ。
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10月10日明日は発表会です。 ·
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今日、10月10日の土曜日の夕方なのですが、現在の練馬区の気温は、なんと17°です。
今日の練馬区の最低気温は14°で、最高でも19°にしかならないようです。
雨も毎日降り続いているし、寒いハズだよナ!
明日の10月の11日は千葉市文化センター・アートホールでの秋の発表会です。
取り敢えずは台風が太平洋の方に方向を変えてくれたので、助かりました。
今日は、明日の準備も兼ねて斉藤先生がハイツに来てくれたので、夏と冬の衣装の入れ替えをしました。
布団も冬用にchangeしました。真冬もこの羽毛布団一枚で済ませる事の出来る温かい布団です。
超、温かいです。
今夜からは、寒さに震える事もなくて、もう少し熟睡出来るのかな??
明日は、自分のオケリハ出演timeよりも少し早めにCembaloの搬出搬入のために出発をする予定だったのだけど、会場で先生達が食べるお弁当を高速の途中の武石のpassage(パサージュ)で買って来るように頼まれたので、出発が更に早くなる予定です。
1時間は必要かな??
という事で明日は6時半起きになってしまいました。
今は1時半なので、睡眠時間が・・・ぁ??
3時半にトイレtimeで起きてしまいました。
まあ、これは正常な状態なのですが、布団の中と、外の温度差で、またまた鼻がおかしくなってしまいました。
鼻詰まりと鼻水が同時進行で息が出来ません。
布団の中でもがき苦しんでいて、またトイレtimeで起き出して時計を見たら・・・なんと5時半になっていました。
ほんの数分の話しだと思っていたのですが、実際には2時間が過ぎてしまっていたのですよ!!
左上の黒いシミはケラレではなく、指の影です。
10月11日音楽と表現 ·
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音楽の演奏表現ではdynamikとして楽譜上に書かれた表現と、nuanceとして、全く楽譜上には書かれる事の無い表現がある。
これが困った事に、日本の音楽教育の場合には、「書かれていないものを表現してはいけない」という風潮があるのだ。
一般的な音楽表現の場合には、書かれているdynamikというのは、場面、場面のdynamikを表しているのに過ぎないので、微妙な表現の機微というのは書かれる事はないのだ。
melodieの中のnuanceというのは呼吸をする事にも似ているのでそれを細かく書く事は不可能だし、無駄な努力でもある。
音楽でsonate形式のthema(Motiv)の基本は問いかけと答えから出来ている。
一つのthemaが質問と答えで出来ているのである。T=a+bという形である。aは必ず疑問形(?)で、bは(!)のようになる。つまり対話そのものなのだ。
私が生徒達を指導する時には「音は言葉である」と指導する事にしている。
歴代の作曲家達が特定の感情を音で表したからである。
その最たるものは、Richard StraussのTill Eulenspiegelの中の1節「den tod!」という7度の下行進行であろう!誰が聞いても言葉に聴こえてしまうのだよ。
(勿論、音楽には言葉は無いのだけど??)
baroque音楽の基本の形式はtriosonateなのだろうが、その形式には大きく分けて、教会sonate(kirchen-sonate)と室内sonate(kammer-sonate)の2種類がある。
kammersonataは基本的に舞曲で作られている。だから当然舞曲のrhythmで演奏されなければならないのだが、日本の音楽家達は舞曲のrhythmを知らない。これは困った事だ。
「昔のrhythmなんて分かるわけはない!」とか宣ふ教授等もいて、困ってしまうのだよ。
舞曲のrhythmなんて、歴史的に見ればその踊りの基本は脈々と通じて来ているのだよ。Europaの人達に取って見れば、当たり前のrhythmになるのだよ。そこが、他の国の文化を学ぶ日本人とは違う。Mazurkaのtempoも早いMazurkaと遅いMazurkaがあって、少し踊りが違うのだけど、そのswingは特徴的である。
waltzとländlerのtempoは微妙にはっきりと違うのだよな??
3拍子がwaltzでは無いのだよ!!waltzはswingするのだよ。だってそうしないと踊れないだろう??優雅なwaltzの踊りと粗野なländlerの踊りのstepは全く違うしrhythm感も違う。
MenuetにはMenuetのtempoがあるし、それ以外のtempoではMenuetにはならないのだよ。Europaの映画を見るとB級のDraculaの映画でさえちゃんとしたchoreographyに基づいたstepのMenuetを見る事が出来る。そこが歴史の違いなのだよな??
見様見真似の猿真似で音楽を演奏している分けではないのだよな??
日本人は音楽の勉強を「難しいpassageを弾けるようになる事だ!」と思い込んでいる人達が多くて・・というよりも殆どなのだろうが・・困ってしまうのだよな??
日本人の演奏家が、等しくChopinやListのようなロマン派の作曲家には興味を示すのだが、ハイドンやBeethovenのような古典派の作曲家を苦手とする事は、音楽の論理性や構成力に基づいた弁証法的なアプローチを苦手とするからなのだが、日本の演奏家はそこの所のアプローチをしようとはしないのだよ。だから日本の西洋音楽はいつまで経っても百年間遅れたままなのだ。
10月12日携帯のmannersを学ぶ ·
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携帯が子供達の成長に及ぼす影響と教育上の問題点は、携帯がガラケーからスマホに変わって子供達のtoolの一つになって来た時から、子供達のgame依存と同じように、社会問題になって来た事なので、私も幾度となく、携帯の及ぼす子供達への教育の啓蒙として、私のhomepageの中での論文やFacebookのessay等々の中でその危険性を公開して論じて来ました。
しかし、携帯電話は一般の保護者達の間では、子供達同士のcommunication-toolとして把握され、且つ理解されているようなのですが、それは実際上では子供達同士のcommunication-toolとしては、成り立っていない・・という事がglobalstandardとして証明されています。
communication-toolとしての電話や携帯のline等は、社会的なruleの上に成り立つ場合・・のみであって、子供達がそういった社会的なmannersを覚える前に、こういった携帯電話やlineで既読を求めるような場合では、対人的に一方向的な相手の顔の見えないtoolになってしまいます。
・・・なので、携帯電話やlineが、人との繋がりを求めるだけの、会話として・・ではなく、一方的に相手に対して「いいね!」を求める、時間的なruleやお互いのTPOを理解しようとしないで、直接的に、自分の時間だけで、返信を求める・・といった事が、子供達の間では、おうおうになされているのが現状なのです。
塾や学校等の授業中でも、先生の顔を見ながら・・、或いは自分で勉強をしなければならない定められた時間内でも、教科書を机の上に広げたままで、携帯が鳴ると即、布団の中でさえも、24時間いつでも携帯を読んで返信をしているのが多くの子供達の現状です。
携帯電話というものは、そのruleを知らない子供達にとっては、とてもcommunication-toolとは呼べない代物なのです。
本来的には日本の家庭でも、携帯を子供達に与える場合には、そのruleを先に学ばせてから・・という事の方が、正しい与え方なのですが、小学生の間では、kids携帯のような3人しか連絡の出来ないInternetの出来ない子供の居場所を特定出来るgpsのみの携帯もあるようなのですが、中学生、高校生になると、大人と一緒の普通の携帯を持たせる事の方が、日本の一般的な家庭の携帯に対しての通念のように見受けます。
携帯電話と中、高生に対しての家庭の扱い方も、概ね三つのpatternに分類する事が出来るようです。
受験中心の学校に行く子供達の場合では、子供には携帯を持たせる事を禁止する学校も多く、また、家庭的に子供に携帯を持たせない親も多数います。
こういった受験中心の学校の場合には、生達達が勉強に集中しているので、価値感も携帯電話にはありません。
という事で、受験中心の進学学校では生徒達全体がそういった雰囲気なので、携帯を持たなくても虐めに合う事も無いし、親との連絡も学校との直接の場合が殆どなので、携帯を子供達が持つ必要性は希薄なようです。
まあ、心配ならばキッズ携帯で充分だと思われます。
日本の保護者の場合には、上記のような例は子供達に対して、必要以上に厳しく厳格であるように思えるのかもしれませんが、EuropaやAmerica等の国では、携帯を持たせる場合には子供達にそれ相応の責任を背負わせます。
この責任の取らせ方は、日本とは社会の歴史的な環境が根本から違っているので、とても厳しく、且つ厳格なもので、privateに携帯を友達と使用したり、ruleを守らなかった場合には、大学を卒業して自立出来るまでは、二度と携帯を持つ事を許して貰えません。
これは大人としての社会人を教育するための伝統の国だからまかり通る事で、24時間好きな時に自由にlineが出来る日本社会のような国は、世界のどこを探してもありません。
このruleの無さは、日本独特のもので、それこそ日本人の持つ甘えの構造の上に裏打ちされた日本の教育社会だけに見受ける現状なのです。
本来的には各家庭で教育すべき問題であるはずの携帯やgameに対してのruleを、政府が携帯の使用時間を2時間以内にするように義務付ける・・という事を言い出しているのは、余りにもバカバカしくって、lächerlich(笑いが止まらない!)です。
確かに塾や学校の授業中にでも、先生のお話を真面目に聞いている振りをして、携帯を机の下で弄っている光景を見ると、その生徒達の未来を、携帯が壊してしまっているのが、目に見えるので、空恐ろしく・・また可哀想に感じてしまいます。
しかし、今の親達自身が携帯依存で育って来たので、子供達に携帯を禁止する事が可哀想で出来ない・・というのが現実のようです。
勿論、私の50歳の頃までは携帯は、総理大臣のようなエクゼの人達しか持てない道具だったし、また、携帯電話を持っている人達が殆どいなかったので、電話も殆ど通じ無かったのだよな??それに携帯とは言っても電話だけで、まだInternetに繋がっている分けではなかったしね。
Internetのline等で人と繋がる事を人との繋がり・・と思っている子供達は本当の人間関係を築けていない・・という事を知らないままに大人になってしまうので、社会に出てから社会活動が出来なくなってしまい、大変な事になってしまいます。
そういった今の大人達にとっては、ある意味、Teleworkというのはlineの世界に戻れて良かったのかもしれませんよね??
私の場合には、元々独居老人なので、何も変わりませんがね??
私に言わせれば、子供達が自分自身に対峙しなければならない、とても大切な時間に、そんな時間にlineをして来るような相手やlineを返して来る相手は、所詮、共に勉強をして切磋琢磨する相手でも無いし、将来に向かって同じ夢を共有出来る相手でもないので、そのような自分に取って害にこそなれ益になる事のない相手に対して、自分の貴重な大切な時間を浪費している子供達は、自分の人生の時間の無駄使いをしているのにしか過ぎないのだから、相手の人と同じlevelの人にしかなれないのだよ。
つまり、lineの相手は、自分の未来の姿なのだけど、まあ、今の子供達には将来の夢は最初から無いからね??
それに子供達に対して、私が幾ら夢を持て・・と言っても、親自体が子供達が夢を持つ事に抵抗を示して、人と違う事をする事に対して反対するのだよな??
またぞろ、そのお話を繰り返すのはもう飽きたので、興味のある人はFacebookかhomepageでその論文を探してください。
その内にバラバラになっている論文を弟子の誰かに纏めさせるか??
教育論文や、音楽の論文、鬱日記とか色々とあるのでね??
それぞれの分野に興味のある人達がいると良いな??
10月12日久し振りに指揮をしたので ·
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今日は10月の12日の月曜日、つまり、秋の発表会の次の日の午前中の9時半を過ぎた頃になります。
久し振りに指揮をしたので、右手の上腕部が筋肉痛になってしまいました。
rehearsal からオケの部まで、ブッ通しで棒を振ったからね??
朝の6時に起床してから、前日の荷物を片付けながら、動画のパソコンへの取り込みと、2台のvideoのdeckを同時に使ってBlu-rayに焼く作業をしています。
(これ一つ一つは単純な作業なのですが、動画の作業なので、大変な時間の掛かる作業になります。そこで時短をするためには、2台のvideo-deckとパソコンの同時進行すると良いのですが、この作業をすると、間違いが非常に起こり易くなって来るので、要所要所では細心の注意が必要になります。そこで間違えると何時間分かのやり直しになってしまうからね???)
パソコンにvideo-cameraからの動画を取り込んで、それを一つに纏めたら、You Tubeにuploadする作業をするのですが、これがたった1本の動画をupしようとしても、1日経っても終わらない作業なのですよ。
最初はパソコンがbugって壊れないように、一本づつ丁寧にuploadしていたのですが、ついに面倒くさくなってしまって、3本の動画を同時にuploadしています。
今の所パソコンはちゃんとまともに動いているようですが・・・??
それでも6時間の動画や8時間の動画をuploadするのには、24時間は掛かるのかな??
rehearsal の風景は2時間ぐらいで、時間が短いので12時間ぐらい後でuploadしたのですが、それでも先にuploadされてしまいました。
最初の2部からの動画は24時間経ってもupload中になっています。Jcomになる前の、光ではfiberだったので、もう少しは速かったのですが、次のauのProviderでは、「回線が塞がっていて繋げる事が出来ない」・・という事で断られてしまいましたので、仕方がないので、Jcomのanalog回線を使用しているのでね??
流石に発表会開けの昨晩は超バテてしまって、椎名町に辿り着いても、ドルプリっ歩はパスで、ハイツに戻って荷物の整理もしないで、発表会ではrehearsal からオケの本番が延々と続いたので、超大汗をかいてしまったのに、風呂もshowerも無しで、そのまま寝てしまいました。
布団に入ってからも、汗が気持ち悪いので、「せめてshowerでも浴びてから・・」とも悩んだのですが、疲れの方が優勢だったので体のベタベタは諦めました。
超珍しく朝の6時迄、爆睡しました。
1時間半おきのtoilette-timeは無しで・・で、お久し振りの熟睡が出来ました。
昨晩、椎名町からハイツに帰る時に、ついでに携帯を忘れて来たので、bedの中で携帯を弄る事も無かったので、それも熟睡の理由かもね??アハッ!
「携帯がなければ連絡が困るのでは??」というご心配には及びません。
起きてパソコンを開けばlineやmailは問題なく通じるので、日常の生活には支障はないからです。
それと本当はハイツにはnet契約のProviderのJcomとの契約の関係で、電話はあるにはあるのですが(他の契約との関係で電話の契約は支払額に関係無いので・・)、取り敢えずはFaxだけは使うかも知れないので・・・と思ったのですが、そのFaxの必要性が無くなってしまったので、今は配線を抜いたままの状態です。
基本的に私の場合にはlineやmailでしか仕事はしないので、電話は必要はないからです。
仕事の関係で、時々、電話のみの人がいて困ってしまう事があります。
「何故、mailかlineなのか??」という理由は、私の場合には「言った」「言わない!」という水掛け論が大嫌いなのだからです。
電話だけの人達は、結構アポ(appointment)を取っても、ドタキャンが多いのですよ。そこで「私は聞いていません。」という話になると信用に関係して来るからね?
だから、基本的には私は仕事は必ず相手からのmailでそれをパソコンで保存しておいて、もしトラぶった時には、そのmailを送り返します。
という事で、「言った」、「言わない」の水掛け論にはなりませんからね。
それと、もう一つ、電話しか連絡が出来ない人達がいて、その人達に対してはやむなく携帯の電話番号を教えてしまいます。
携帯の電話は原則としては、携帯番号を教えて電話で連絡をしているのは、先生達と限られた知人に対してのみに限定しているのですが、先ほどの電話でしか通じない人に対しての電話も入っているので困ってしまいます。
私の場合には、体調不良や鬱が酷い時には、一般人の人達と会話するのは対人的にはとても辛いのです。仕事を積極的にしていた頃は然程ではなかったのですが、70代を越した辺りからは、マジに辛くなって来たので、基本的には事務所の電話を教えているのですが、「電話が通じない!」とのclaimで、やむなく教えている人や契約に携帯の番号が必要な会社等で、電話が掛かって来る事が多くて困っています。
Faxの電話もあって、開いていたのですが、私自身も電話番号を知らないので、今はコンセントから線を引き抜いています。
時折、掛かって来る電話は、オレオレかアポ電しか掛かって来ないし、掛かって来ても迷惑なのでね??
10月13日体内時計が ·
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今日は10月13日の火曜日の朝です。
体感的には、今日は水曜日のような気がして、何度、確認をしても、体内時計の修正が出来なくって困っています。
その理由は結構明白なのですが、通常は発表会の次の日や、(最悪の場合には、土曜日ぐらいまでは)疲れが抜けなくって仕事にならないで寝込んでいる日が多いからなのです。
今回の発表会開けは、日曜日の夜も爆睡出来て、次の月曜日の朝の6時からは作業が捗ったし、2台のパソコンと2台のvideo-deckを駆使して、発表会の動画の編集と整理を一気に片付けた・・、もとい、未だupload中で作業半ばなのだけど・・、自分的にはfull稼働しているので、月曜日や火曜日に一休みをしたような気分になっているのですよ。
昨晩、月曜日の夜はドルプリっ歩をfull-courseで付き合う事が出来たしね??
だって日曜日の次の日のお散歩で、もう、full-courseなのだよ??
ハイツで寝込んでいてもおかしくはない日だったのでね??
まあ、日曜日の夜から月曜日の丸々一日に掛けては、少し鬱っぽかったのだけど、それは一晩では完全には疲れも抜けた分けではないので致し方はないよね??
今度の発表会に向けてのオケ練習では、私がコロナの基礎疾患に全部当て嵌ってしまうので、千葉への移動と生徒達と直接向き合う事が出来なくって、私が直接子供達の顔を見ながら指導する事が出来なかったので、毎週の日曜日の練習に私がいなくて練習をして行ったので・・、つまり、指揮者がいない状態で、指導や練習をしました。
まあ、Teleworkで指導するのは、演奏の音が遅れて聴こえて来るだけではなく、tempoが早くなったり、遅くなったりと揺れてしまったり、音が宇宙から聴こえて来るように遠くになってしまったり・・と色々とちゃんと聴くには、とても大変でした。
勿論、将来Internetが5Gになったら、こういった問題は無くなるのだけど、日本はnet環境が世界に比べても遅れているからね??
という事で、毎週のオケ練習では、Teleworkでは指揮に合わせる事はtime lagが大きくてとても無理だったから、指揮をしないで言葉での説明だけで、tempoの合わせをして行きました。
・・という事で、指揮の棒を見る練習は、自治会館でのrehearsalの時と、発表会の当日の会場でのorchestraのrehearsal としての「指揮合わせ」の2回だけで指揮合わせの練習をするだけになってしまいました。
たった2回の、それも時間を限られた中での、練習だけで、本番で指揮に合わせるので、それはとても素晴らし事です。
どのような状況に対しても対応出来るという事がとても大切な今の子供達に欠けている事なのですからね??
10月13日継続は力なり ·
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いにしえの昔の人は「継続は力なり」と言っていました。
学校教育では、一つの事を学ぶ毎に、常に終了と卒業の繰り返しをするのですが、人生は一つの目標を決めると、それには終了する事も卒業する事もありません。
今の子供達にはEndlessという言葉、その意味が理解出来ないのです。
確かに、普通である事を是とする生き方にはEndlessの仕事は出て来ません。
Endlessという考え方そのものが、Proの考え方だからです。
私が良く生徒達に言う言葉は「proとは一般の人が出来ない事を代わりにする人の事を言うのだよ!」という事です。
人が出来る事と同じ事をやっていては、お金を貰う事は出来ません。
人が出来る事を代わりにする事は、それこそ、自分の時間の切り売りになってしまい、自分にその時間が戻って来る事はありません。誰でも出来る事は、自分でなくんても誰でも構わないのですよ。そこにその場にいれる人ならば・・という事なのですよ。
私達の時代は戦後間もない時代だったので、学閥か、手に職かの選択だったのですよ。
親方日の丸や大企業に就職する事を望む安定志向の学生達は、勤勉に勉学に励んでいたのですが、怠け者の劣等生達である私達は、勉強に励む事が出来ず、「落ちこぼれ」という言葉さえも、普通に使われるようになってしまいました。
勉強も出来ない、手に職も無い人達は、勤勉にコツコツとRobotのように従順に働く事を要求されました。
私は当然、怠け者だったのですが、とても勤勉な働き蟻にはなれなかったし、機械のようなRobotにもなれなかったので、手に職を付ける方を選んだのですよ??
生きて行くために同じ努力をしなければならないとしたら、嫌な事よりも、好きな事をやる方が良いに決まっているからですよね??
好きな事ならばどんなに大変な事でも辛くはならないのでね??
バブル以降の時代では、手に職という考え方も、厳しい生活のためではなく、バブルの時代に即した華やかなものになってしまいました。
手に職という考え方も少し変化してしまって、華やかで安直で、手軽な趣味の延長線上のような技術が好まれるようになって来ました。
残念ながらそういった安直な手軽に得る事の出来る技術は、その技術を身につける事が出来た頃には、華やかだったそのジャンルの職業は、もう廃れてしまって、手に職を得た頃には、必要の無い技術になってしまっています。
つまり、手に職と言っても、簡単に手に入れる事の出来る技術は、それ相応の評価しか無いし、一般的な競合も激しいし、またその盛衰も激しいのですよ。
その例を挙げると限がありませんが、江古田の駅近には、まあ、たくさんのタピオカ店があります。
私はタピオカは、これまでに2,3回しか飲んだ事が無いので、然程の興味も無いので、自分から進んでお店に入ろうとは思わないので、出来ては潰れて行くタピオカ店に客として入った事はありません。
お店が多すぎて、しかも客が入っているのを見た事はないのだが、それでも未だに次々に新しい店が出来て来るのだよ!!
タピオカ店の人気は1年以上も前にもとっくに終わっている・・と思うのだが・・ね??
人気の店を見てから、「お店をやりたい」と思って、それから技術を習得して開店すると、このtimingになるのかな??アハッ!
本当の手に職・・というのは、職人的な技術の事なので、これは時代には影響はされないし、技術ので習得には小さな子供の時からの長い年月が掛かります。
体を作って出来るようになる特別な技術職がある・・という事は、中々一般の人達には理解して貰えません。
野球選手のような、或いはバレリーナのような体を作って行かなければならない職業の一つに演奏家もあるのです。
私達の教室がある千葉の町にも、きれいな巷の音楽教室が結構あったのですが、その中には、コロナで潰れてしまう教室も数多くあったようですが、本当の本物を指導している教室にとってはコロナには大した影響はありません。
コロナで右往左往する人達は、自分達の足元がブレている人達だけなのですからね??
自分が地に足をしっかりとつけて立っていれば、コロナや社会の情勢に動かされる事はないのですよ。
自分が地に足をつけて、ブレないで勉学を細々とでも継続させる事が成功に繋がる秘訣なのですよ。
アハッ!
そりゃ、当たり前の事だわサな??
・・でも、その当たり前の事が誰も出来なかったりして・・・ネ??
Il favorito Ⅱ3楽章Vivaldi 芦塚音楽教室秋の発表会
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Il favorito Ⅱ3楽章Vivaldi 芦塚音楽教室秋の発表会
芦塚音楽研究所千葉音楽教室の2020年10月11日の秋の発表会の演奏風景です。曲はVivaldiのIl favoritoのⅡⅢ楽章です。
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10月13日You Tubeに動画をuploadするのに ·
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今日は10月13日の夕方の5時半過ぎです。動画をYou Tubeにuploadするのに、28時間も掛かってしまったので、午前中はパソコンが全く使えなかったのですが、それどころか、Microsoft Edgeがhomepageを勝手にMSNのhomepageに書き換えてしまって、yahooのhomepageに戻したら、何を開いても最初にyahooのhomepageが開くようになってしまって、それを修正するので余分な時間を取られてしまいました。
まあ、Microsoftのやる事は困った事です。
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村田 晟
私はMicrosoft Edgeは使用しないことにしています。
W10でハードやられて、現在w8.1で使用してるし、今ので十分だから(笑)
· 返信する · 13週間前
芦塚 陽二
私もMicrosoft Edgeは使用しないようにしていたのですが、windows10では勝手にMicrosoft Edgeになってしまい、古いversionではパソコンでnetが出来なくなってしまうようです。
· 返信する · 13週間前
村田 晟
Microsoft Edgeを使用しない設定が出来るようなんですけど・・・私のもMicrosoft Edgeが出てきたんですが、アンインストールしないで無効にしたんですが、その時どうやったかは覚えてないですけど(笑)・・・今はGoogle Chromeでやってます。
· 返信する · 13週間前
芦塚 陽二
一応は私も削除でやってはいるのですが、Security等でまたまたゾンビのように復活して来るのですよ。ホントしつこい!!
· 返信する · 13週間前
村田 晟
そうなんですか・・・W10に戻さなくてよかった(笑)
· 返信する · 13週間前
芦塚 陽二
私の古いお気に入りのnotePCが8.1なのですが、動きが遅くて全く使っていません。仕方が無いので新しく10のDellを買いました。
· 返信する · 13週間前 · 編集済み
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10月14日今日は13日の31時・・,つまり、14日の朝の7時を ·
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今日は10月の13日、火曜日の31時・・つまり、14日の朝の7時を過ぎた所です。
つまり、昨晩は引き籠もりdayだったので、発表会の動画の編集の続きの作業をしていたのですが、日曜日から続いていた軽い鬱状態が、日が経つに連れてだんだんと酷くなって来てしまい、深夜の3時頃には仕事をしたくても手が付かないようになって来てしまいました。
・・という事なので、諦めて、頑張って布団に入って寝ようと試みたのですが、鬱の状態では中々寝つけないので、寝る事も諦めて、起き出して日本酒を飲み始めた所までは、兎も角として、おつまみにエイヒレを炙って食べていたら、修理途中の奥歯が欠けてしまいました。
・・こういうのを「泣きっ面に蜂」とでも言うのかな??
歯は治療途中だったのですが、歯の病院に行く事は私のような基礎疾患が全部当て嵌まって、しかも後期高齢者でもある私にとっては、少し怖いので、コロナが少なくとも100人か50人かに収まるまでは、timingをズラす予定だったのだけど・・これも限界になって来たのかな??
はてさてどうしたものやら???
朝になっても、いつまで経っても眠れないので、諦めついでにMarin Maraisの編集を始めました。
これでupload出来る所までこぎつけたら眠れるかもねギ??・・・という事です。
いやあ、その前に、だいぶ酔いが回って来たよな??
それとも睡眠不足で目が回っているとか??
分からん・・・??
10月16日『夢ですっかり鬱になってしまった』 ·
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『夢ですっかり鬱になってしまった』とサ??
「経緯」
「let'snoteが壊れた!」というhelpのmailが入ったので、急遽椎名町に行って、Let's noteの修理をして、4時過ぎにはハイツに戻って来て暫く仕事をしていたら、またまたパソコンの前で椅子に座ったままで寝てしまっていたので、慌ててBedで寝たのですが、またまた実に変な夢を見てしまいました。
「夢の話」
地方の大きな川の傍にある大きな病院に、定期の検査に車で行ったのだが、駐車場がないので、河川の土手に病院に車で来た他の人達と一緒に車を停めていたのですが、検査が終わって帰ろうと思ったら、目の前を土手に停めてあった車が全部、・・40台ぐらいの車を全部連結して運んで行かれてしまいました。
慌てて車を引き取りに電車に乗ったのですが、その電車が駅を出た途端にぶら下がり型のモノレールになってしまいました。
長距離の電車らしく、駅と駅の間が長いので、次の駅では、その病院のある町を出てしまうのだよな!
はてさて、車を取りに行くとしても、何処に行けば良いのか??・・誰に聞けば良いのだろうか??
どうやって車を取りに行けば良いのだろうか? ・・・と、深刻に悩んでいたら、ポロン・ポロンと携帯の着信音が鳴って、それが夢である事に気がつきました。
私が病院に行く時に、車で出掛ける事は、基本的にはありません。
車は楽で良いのだけど、いつも駐車場に困ってしまうので、電車で病院に行く事が殆どなのです。
今年は超例外的に、コロナが流行ってしまったので、病院に行く時には、先生達からは「電車には乗ってはダメ!」と、ダメ出しが出たので、仕方なく、川崎の病院には6月からの通院は2回とも車で行きました。
1回目の初めてのapproachでは、病院の駐車場が極めて少ないし、しかもその駐車場が全く空いていなかったので、直ぐ傍の民間の駐車場に車を入れたのですが、看板に書いてある金額と実際に払う金額が全く違っていて、駐車の料金が千葉の駐車場に比べて、倍以上に高い金額ですっかり驚いてしまいました。
2回目の病院なのですが、病院の駐車場に止める事が出来たのは良いとして、帰りに料金を払おうと思ったら、千円札とコインしか入らなくって、勿論、少額の紙幣とコインも、準備して行ったにも関わらず、手持ちのお金では小銭が足りなくって困ってしまいました。
持っていた5千円札や一万円札が機械に入らないのだよ。
両替をして貰おうにも、病院の近くには、一般のお店が全く無いので、仕方なく薬を処方して貰った薬局で両替をして貰いました。千円札が足りない、お金が無い・・という事が分かった時には、「どうやって駐車場から車を出そうか?」・・と、冷や汗ものだったよな?
これまでのかかりつけの病院の場合では、心臓のbypass手術の時の大和成和は駐車場はとても広くて、金額もただだったし、糖尿病の光が丘病院には私は車ではなく、Bikeで移動しているので、そこも駐車場代は要らないので、コインの駐車場に入れるのは、コロナでテレワークになる迄の検見川教室のオケ練習の時だけなのですよ。
東京の江古田教室の駐車場や千葉の花園教室の駐車場でも、貸手の勝手な都合で、しょっちゅう駐車場を転々と変わらなければならない・・という事があったので、結構、駐車場が固定化するまでには、苦労しているのですよね??
駐車場の事は、私にとっては、やはり夢に出て来るようなtraumaの案件なのですよね??
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10月16日テレビガイド的に言うと ·
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今は10月の16日の金曜日の深夜の3時を回った所です。テレビ・ガイド的に言うと、15日の水曜日の夜の27時を回った所・・と言うのかな??
椎名町から帰って来ても、なんとなく鬱が抜けないので、鬱対策にvideoの編集の作業を2つ、3っつやってみたのだけど、時間だけが経過して、少しも眠れるような状態にならないし、これ以上の作業をしても、ただ疲れるだけなので、「ひぐらし硯に向かいて・・」ではないのだけど、「Facebookを開いて雑文でも書こうかな?」とも考えて見たのだけど、これまた書きたい内容を思い付く事も無いので、今なにが出来るのかを見つける事が出来なくて困っている所なのですョ??
という事で、とうとう諦めて日本酒を飲んでしまいました。
こういったなにも出来ない時には、videoで映画かドラマでも見れば良いのでしょうが、撮り溜めたvideoやnetの無料映画を見ても、今の気分でサラリと流せるようなのが見当たらないので、それも諦めてしまいました。
まあ、それでも何とか眠れるようになったので、今日は良しとするか?
10月17日プーさんの魔法瓶 ·
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1998年の7月から8月に掛けての、高校生の時、大学生の時以来の腰痛での入院の時に、お茶が食事の時にしか出ないので、Bedでお茶を飲むために先生達が買って来てくれたプーさんの魔法びんなのですが、どこからか、ほんの少しだけ水漏れをするようになっていました。
肉眼的には、どこからか水漏れしているのかは分からないのですが、置いているテーブルクロスが少し濡れる程度の漏れなのですが、どこからともなく漏れています。
20年間お世話になったプーさんの魔法びんなのですが、流石にもう寿命なのかな?
10月17日ハイツの食堂の食器類が ·
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ハイツに雪崩が突然起こった!
足場を作る所からやらないと元に戻せないので、年内は無理か??
そのまま、見ない事にしておこう!!
日々是好日、世の中は恙無く事も無し
poleを直すためには、足場を作る所から始めなければなりません。
色々と家具を動かす作業が、pressureです!
まあ、今の私の体調と時間次第なので、何時になったらpoleを元に戻せるのかは、分からないのだよな?
文章を追記していたら、突然、文章がぶっ飛んで、書いていた文章が全部無くなってしまった。まあ、いつものFacebookのtroubleなのだけど、いつもの事でも腹が立つよな??
履歴を探して見たのだけど、保存する前の話なのでやっぱりなかった。
話の内容は・・
鬱が酷い時には、日常的な一つの行動で同じ箇所で出来る範囲の事を一つだけやる・・といういつもの行動patternなのだけどね??
発表会は終わったけれども、10月は高齢者講習や免許の更新や、病院が3っつともあるので、私も結構忙しいし、お引越しの作業もあるので、年内は先生達が手伝ってくれるのは無理なのだし、それはそうだけど、私も生活があるのでね??
片付けなければならないのだけど、体調がね~ぇ??
・・という事で鬱の時の仕事法なのだよ。
動線上にあるものを一つ一つ片付けても、結構片付くものなのだよな??2日で片付けてしまった。
2020年10月18日 ·
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今日は10月18日の日曜日の朝の7時を過ぎた所です。
今日は発表会開けの日曜日なので、超珍しく教室はお休みで、先生達は椎名町にいて、お休みで・・・、なんて事を言ったら、怒られてしまうよね?
次の発表会でのオケや室内楽や、soloの曲決めや、引越しの準備や教育相談の打合せや、それに玄関のゴーヤが根こそぎ無くなっていました。
一言で言うと、お休みの日は兎に角忙しいのだ!
それと、なんと、今日の練馬区の気温は11°だそうです。
寒い!
お昼過ぎに、椎名町に移動するまでに、自宅ハイツの表層雪崩であちこちに撒き散らされた食器類を、日常の仕事をいつものようにしながら、ついで、ついでに折に触れて片付けながら、ダラダラとやっていたら、いやぁ!腰に来たのだよな!!
撒き散らされた食器類を先ずは集める・・という作業から始めたのだが、それぞれの物が新雪のようにゴミが積もっていて、掃除機で採ったり、紙の雑巾で拭き取ったり、洗える物は水洗いをしたりして、それなりに一手間が掛かってしまうのだよな??
本体のpoleなのだが、先ず取り敢えずは作業が出来るように、家具類を動かして足の踏み場を作ったのだけど、床の上には、土鍋類や色々な物が落ちていて、それを集めたり、整理をするために腰を屈めた体勢で作業をしていたので、腰に来てしまったのだよな。
いつもの事なのだが、この先を書いている時にFacebookが突然ぶっ飛んでしまって、書いた文章が全部無くなってしまった。編集履歴をcheckしても、書きかけで保存していないので、完全に紛失してしまったのだよな??突然ぶっ飛ぶのは勘弁して貰いたいものだがね??
鬱が酷くて体が動かないので、一つの動作をする過程で手に届く範囲の後片付けを事の次いでに済ませていたら、2日程で散らばっていたものが一応片付いたのだよな??
私の編み出した怠け者の学習法の応用だよ。出来る範囲の事を無理をしないで、出来る範囲だけを済ませる・・という事だよ。
その後、体調の良い時を見計らって、大きな家具類を動かして、作業する足場を何とか作って、その後、やっとpoleを戻す事が出来た。
poleが倒れてしまった原因は、結構重たい石焼ビビンバの鍋が3,4個重ねてあって、それが耐荷重のoverの原因だったようなので、それを安定した場所に置き換えて、場所だけを取る軽いヤカンだけにしたので、多分これからは大丈夫だろう・・と思っています。
塩澤 一範
大変だー。
10月19日You Tubeのaccess ·
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今日は10月19日の月曜日の7時を過ぎた所です。
兎に角寒いので、練馬区の気温を見てみたら、なんと11°でした。
そりゃあ、寒いわサ?
と、思ったのだけど、昨日も11°だったのだよね??
この所連日の寒さなのだよな??12月の中旬という事らしい・・。
『You Tubeのお話』
それはそうと、PachelbelのcanonをYou Tubeにuploadしたのだけど、たった2日でaccess数が100を越している。
Classicでは、非常に珍しいaccessなのだよな??
それに・・何かしらの・・有名なorchestraでもないし、amateurの子供達の演奏だし、教室としてももっと上手な演奏も公開しているのだけど、でもそれだけのaccess数は無いので・・今回の演奏は、不思議だよな??
「誰かが数字をあげるために必死にaccessをしているのでは??」って?? いや、それは勘違いです。
私も以前に、access数が非常に多かった生徒に「今回はaccess数が多いよね??」と言ったら、彼女が「お母さんが必死に何度も聴いているから・・!!」と言っていたので、チョッとYou Tubeの仕組みを調べてみたら、同じaccountからのaccessは、一回しかcountはしないのだそうで、accessが100という事は100人の人がaccessした・・という事だそうなのです。
これは違法なお金を得るために、機械的にaccess数を防ぐのが目的なので、かなり厳格にaccountの管理をしているのだそうです。
それに、Classicの曲を演奏する場合には、Bach、Vivaldiからの曲の殆どが著作権登録をされているので、面倒くさいので、私がuploadする場合には、課金の設定はしていないし、access数が1万2万以上にならないと、お金を貰える対象にはならないし、著作権の人へのpayが優先なので、どっちみち、生徒達の演奏で、お金を儲けるのは無理な話なのですよ。
ユーチューバーというのは、access数のみで、時間には関係はないので、3分ぐらいの動画を面白可笑しく撮って、accessが多ければ、それで生活をするのも可能なのですが、それは常に、100万件ぐらいのaccessのある動画をuploadしなけれなりません。それはそれでとても大変な事ですよね~ぇ??
popularの場合には、access数が100万ぐらいは普通なので、You Tubeにuploadしも、儲ける事は出来るけれど、日本人のClassicでは、それだけのaccess数を持っている人は超有名人でも希な人達で、それに私が勉強したいと思っている対象の人達以外の人達なのでね??
10月19日「発表会のconcept」 ·
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教室の方向性や経営の方針によって一般的には、発表会には2種類のpatternがあります。
ceremony、所謂、eventとしての発表会と、勉強練習の成果の発表の場としての発表会です。
前者は不定期で先生の都合で開催される事が多く、後者はintervalに因って開催されます。
勿論、私達の教室では後者の研究、学習の成果の発表の場として前期の発表会と後期の発表会を開催しています。
勿論、所詮は、音楽教室なので、発表会は希望参加なので、教室に5年10年在籍していたとしても、受験のための息抜きとして音楽をやっている子供達には、発表会に一度も出た事がないままに大学を卒業して行った生徒達も多くいます。
勿論、その生徒達がとても上手な演奏をしていたとしても、どんなに一流の大学に進学したとしても、他の生徒達や保護者の人達に知られる事はありません。
私さえ、一度も会った事すらない生徒がいるのですから・・・
発表会は勉強の場としての捉え方が主なので、当然、曲もcurriculum上である程度の制約を受けています。
自分が弾きたい曲を自分で選んで演奏する・・というある意味、自主演奏のお楽しみ会が夏休みのおさらい会とクリスマス会があって、curriculumから離れて自由に演奏する事が出来るようになっています。
会場の雰囲気も全く違った雰囲気で、見学に来た子供達が教室の生徒達と一緒に椅子取りgameをやったりして遊びます。
「発表会のconcept」
私達の発表会では舞台の進行を子供達が率先してする・・という趣旨で企画されています。
子供達が自主的に動く発表会は、一般的には存在しない事なので、その企画運営の仕方を、よく質問される事があります。
教室の発表会を見た先生が、自分の発表会でも真似をして子供達に進行を手伝わせようと思ったら、全く上手く行かなかったという事で・・「どうして??」と、質問を受けた事もあります。
でも、子供達が自主的に動くようになるためには、しっかりとしたprogrammingが必要なので、おいそれと形だけを真似て出来るものではありません。
未だ教室を作ったばかりの若かりし頃(若い・・とは言っても、子供達を教え始めたのは30代の後半の頃からですが・・)の時代に、教室が初めて子供達に発表会の進行をさせた時の会場で、子供達がsettingをしていた時に、会場のHall-staffの人が、人件費の節約で・・と、でも思ったのか「子供達にsettingをやらせて・・!!」と、オカンムリの目であからさまに聴こえるようにつぶやかれてしまい、その時にはHall-staffの人から軽蔑の目で見られてしまって、ドギマギした事があります。
しかし、発表会の進行に従って、Hall-staffの人達にも、私が子供達に進行を手伝わせている意図と、その努力と成果が分かって来て、発表会が終わる頃には、感激した旨のお褒めの言葉をその軽蔑の目で私を見ていたHall-staffの人から頂きました。
私の進行を子供達にさせる意図は、日本の教育界にお座なりにされている縦の社会の大きな子供が小さい子供達への思いやりの心を育てる・・という事と、将来的に(proの音楽家になろうと、amateurのままだろうと、)舞台の動きや進行を学ぶ事はその子供達の将来に、絶対に役に立つ事だからなのです。
子供達が一人一人澱みなく、同時進行で動いて行くためには(一人一人が自分の役割を責任を持ってやって行くためには)、子供達の一人一人の動きを表す進行表が必要なのですが、私が音楽教室を作るに当たって、そういった理念の元に、proのorchestraで進行を担当している人に「進行表を見せてくれないか?」と頼んだのだけど、「芦塚さんの頼みならば、なんでも言う事を聞くのだけど、進行表だけは勘弁して・・!」と泣きつかれてしまいました。
それに、proのオケのinspectorの人達は自分の進行表は人から見られないようにするために、紙切れ1枚のmemoにちゃちゃっと書いているだけなのだそうです。
つまり、そのKnow-howが盗まれないようにするためなのです。
困ってしまった私は、NHKのお偉い人に進行表を見せてくれるように頼みました。
トントンと話が進んで、進行表を見せて貰ったのは良いけれど、東京都の電話帳ぐらいの厚さの大きな冊子に虫眼鏡を使わないと見えないように細かい文字で、3段4段に渡って、『何年の何月の何日の何時何分に、何処其処に入庫とか衣装が着く』とか向こう3年ぐらいに渡って細かく秒単位で書かれていたのですよ。
専門の多くのstaff達が1年掛りで、全工程の進行を作っているのです。勿論、それ専用の部署と部屋もあって、たくさんの人達がその作業に従事していました。
こりゃあ無理だわさ!!
という事で、無理な事は、さっさと諦めて、子供達の進行企画に必要最低限の表を自分で作る事にしました。
演奏時間と出入りのintervalの時間を打ち込むと終演時間が算出される表もExcel で作って・・とか、settingの子供達のために、図に書いて・・等々・・ね??
その時のHallStaffの人達以外にも、子供達に進行の手伝いをさせている事に対して懐疑の目で見ている人達は、発表会の進行を、進行表通りに秒単位で整然と行動する子供達の動きを見て、発表会が終わる頃には、「凄い!」と感激と尊敬の目で見るようになっていました。
その後は、そのHall(浦安のHallの話しなのですが)からは、「新しいstaffの練習と教育に使うから進行表をください。」と教室の発表会の進行表を発表会の1月も前から希望されて困ってしまいました。
せいぜい早くても2週間前ぐらいまでが限界だったので・・。
教室に浪人生で入会した男の子や、大学の講師になった女性の人達に進行表の作り方をlectureしましたが、中学校の先生になったばかりの男の子は、2,3ヶ月も経たないのに、運動会や文化祭の進行企画を担当させられるようになりました。
つまり、中学校の先生で進行表を作れるベテランの先生がいなかったからです。
大学の講師になったばかりの女性の人も、小学校から女子大までが合同で行う文化祭の進行企画を担当する事になって、その文化祭でのtopとしての注意点やadviceを私の元で勉強していました。
いつも裏方を手伝ってくれて、搬入搬出を花園、検見川教室までのin‐outを手伝ってくれている春暉君も、芸大を卒業したのだけど、「今はコロナで就職難だけど、どこに就職したの?」と聞いたら、Studioを作って、proの音楽家達の演奏活動のお手伝いをする会社を起業したそうで、proの世界なのでコロナには全く影響の無い活動が出来て、安定しているそうです。
ちゃっかりと、教室の裏方の技術を活かして・仕事に持って行っているのは、流石は春暉君です。男の子達はそう言った利用の仕方が実に上手いのよね??
上手に技術を持って行くのですよ。
10月19日「親と先生の違い」 ·
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私が教室を立ち上げた頃・・という事は、私が37歳になった頃の話しなのだが、その当時に私が若い先生達(の卵=当時はillustratorと呼んでいたのだけど・・)に課した課題・・指導のcurriculumの第一段階は、『生徒達から好かれて、「先生に会いたい」と思われるような先生になる』•••という課題が、指導者になるstep oneだったのだよ。勿論、それは今も代わってはいないのだけどね??
練習しなくてもいいし、弾けなくても、間違えても、先生に叱られる事はないのだから、生徒達が教室に来る事を嫌がらなくなって、教室で先生に褒められる事は、生徒にとってはとても嬉しい時間で、音楽の勉強を先生と一緒に学んで行く事は、子供達にとって、とても楽しい時間だったのだよ。
この事は、今では当たり前の事のように、思われるかも知れないが、・・・私が教室を開設した当時は、・・・と言うか、今でも、真面目で優れた先生は厳しく指導して、優しい先生は音楽のlevelが低く、音楽を専門とする勉強は出来ないのだ。
生徒が好きな曲しか弾かせないので、いつまで経っても上手くならない・・というのが、一般的な考え方だった。・・というか、今でもそういう風に解釈する人達が多い。
教室の発表会での演奏を見ていても、教室の水準を理解出来る人は少なく、花見川区周辺では「あの教室はproを目指す生徒しか取ってくれなくって、lessonもとても厳しくって、普通の生徒はとても付いて行けない教室なのだよ!」という風評が立ってしまっているのだよ。
つまり、「教室が生徒達が幾ら練習してこなくても、先生から叱られる事はないのだ・・」とパンフに書いても、それを信じる人はいないのだよな??
或る時には、関東ブロックを支える大手の音楽教室の代表の人が教室の発表会を見学に来て、生徒達に「音楽は好き??」「練習は辛い??」「先生は怖い??」「毎日、何時間練習するの??」と聴いていて、生徒が「何故、そんな質問をするの・・?」と不思議がっていた。勿論、子供達の答えは「音楽は好き??」⇒「うん、大好き!!」、「先生は怖い??」⇒「優しい!!」、まあここまでは良いとして、次の二つの質問で、絶句してしまったのだよな?
「練習は辛い??」「毎日、何時間練習するの??」・・・「だって、あんまり、練習はしないもん!」「練習をして、週に3日程、3分から5分かな?」
それで2時間近くの曲を弾き熟すのだから、そりゃあ、誰も信じられないわよな??
私が音楽教室を立ち上げたのは、around40になってからなのだが、「子供のパパが私に対して・・」とか、「子供の家庭が教室に対して•••」というJurassicになる保護者達がいて生徒を指導する上で妨げになる事がよくあった!
親が求める理想的な教育は、教室では事務的に端的に指導して、人様の家庭内の事には一切口出しをしないで、Lessonだけをやって子供が上手になれば良い・・・という事なのだが、最後の「上手になる」という一文だけを除いたら、今の一般の音楽教室の指導・・そのものだよな??
それが教育の理想ならば、そこらの教室に行けば良いだけなのだよな?
私は、そういった「人と人の交わりの無い、形だけの教育」が大嫌いなので、この教室を作ったのだから、「嫌ならば、教室を変われば・・?」としか思え無いのだよ?
それでも、私は昔は、少しは今よりも若くて・・Energieもあったので、Jurassicになった親達に、『親と先生』の違いをよく説明をしたものなのだが、それは『親は家庭で先生になってはいけないし、先生は教室で親になってはいけない』と言う事なのだよ、
一般的に良く知られている事なのだが、医者や先生は自分の家族を見てはいけない・・という風に言われている。
それは、自分の家族の場合には、しっかりと判断しなければならない所を、ついつい家族という事で、甘く見てしまい、それが後日、大変なtroubleに発展する事があるからである。
私の養父は町医者だったのだが、ある時に、お袋のレントゲン写真で、重篤な病状を見逃してしまった。
毎週飲みに集まって来る飲み仲間の医者達が、酒盛りの次いでにお袋のレントゲン写真を見て、その病根の箇所を指摘したので、「何故そこを見逃してしまったのか?」を、猛反省していたのだが、それにしても、「何故見逃したのか??という理由が分からなくて随分悩んでいた。勿論、プライドもあったと思うよ??
命には関係はないとしても、音楽のLessonでも、子供の教育上の問題を私が指摘しても、「それは※※だから・・」と言って、子供を擁護したり、弁解をして中々私の忠告を認めようとしない同業者の親も超多いのだよ!
勿論、中には、「自分の子供だとどうしても、感情的になるから・・」と友人に子供の音楽教育を託す音楽家も結構いるのだよな??
それに、同じ状況で同じような状態になったとしても、子供の成長の時期や子供を取り巻く環境に因っては、その対処は全く変わってしまうのだが、親はそれが分からないで、以前対応を指摘した処置をしようとしてしまうのだよ!
それで「芦塚先生の言う通りにしたけれど、効果はなかった!」と言う。
「もう、症状が進んでしまったので、その薬では対応出来ないのだよ!!」と私が言っても、子供の症状が重篤になった事すら理解出来ないのだよ。
親の子供に対しての理解はその程度の事にしか過ぎないのだ。
「そこまで細心の注意をして、子供の教育が出来るものではない」という親もいて困ってしまうのだが、実際には、何時も何時も最新の注意をして子供を観察していなければならない分けではない。
子供は、体や精神の成長に伴って、その時期、その段階でのpointとなる時期があるのだよ。
その時期のtimingの問題なので、そのtimingさえ間違えなければ、timingをズラさなければ、普段の日常の生活では、子供がなにをどうしようと、どうでも良いのだよ。
しかし、そのtimingを捉える事は、veteranの教育者にとっても結構、難しいのだよな??
大人達が、自分の都合に合わせて、幾ら一生懸命に努力をしても、timingを間違えた状態で、努力しても、そのtimingでは、なんの意味もないのだよ。
親にとっては初めての経験でどうして良いのか分からない事でも、教室の私達にとっては、毎年・・毎回の事で、「またか?」という事に過ぎないのだが、親はそれをなかなか認めようとはしない。
「私の子供は非常に特殊な子供で・・・」と親は思っていて、「難しい子供なのだ!」と言って来るのだが、私達は毎年同じような子供に同じような指導をしているのだよ!
親にとっては、特別な子供でも、教室の生徒としては極普通の生徒なのだよ。
それが親には分からないのだよな!
まあ、それも40年間、同じ事を言って来た繰り返しに過ぎないので、もう流石に飽きて来たし、もうそういったEnergieも無いよな?
という事で、今は、なるべく「見ざる、言わざる」を決め込んでいるのだよな??
勿論、子供のために好かれ・・と思う親は、こちらからではなくても、親の方からこちらへapproachして来るからだよ。
求めよ、さらば与えられん・・だよな??
でも、「求めよ」という意味は「Gedult=渇望」という意味だよ??Gedultがあって、不動心があれば、夢は全て叶うのだよ。
これが私のRatだよな?
コメント
芦塚 陽二
またまた、入力しようとすると、全く別の箇所に入力されてしまう。Facebookだけの超面白い現象だ!!これを意識してそういう風に動くようにすると言う事は超難しいぞよ!!
10月21日『mein Tagebuch=日記』 ·
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10月の21日の水曜日の朝の8時です。
テレビ局的に言えば32時です。
つまり、32時という事は、未だ眠れていないという意味なのですよ。
日本酒を飲んだり・・、風呂に入ったり・・、色々と試みたのですが、やっぱり眠れないので、病院に入院中に買ったportable-TVなのですが、設定が難し過ぎて今まで使っていなかったので、暇つぶしに、設定をしました。
TVも見えるようになったし、Blu-rayも見れるようになったので、玄関に置きっ放しになっている「Dellのsupportから修理を断られてしまった」ので、没にする予定だったハイツのmainの大型パソコンを、玄関から部屋まで担いで来て、パソコンのmonitorをportable-TVに接続して、Keyboardとmouthをせつぞくして、自分なりに修理に挑戦をし始めました。
メーカーが修理をしてくれないので、棄てるか?
外注で修理に出すか、悩んでいたのですが、モニターは新しいパソコンに使っているので、自分で修理するには、空いているモニターをユーカリから持って来なければならなかったのですが、車がユーカリまでには出ないので、これまで放ったらかしになっていました。
ポータブルテレビが生きたので、モニターコードではないけれど、繋がればどの配線でも良いのだろう?という事で適当に繋げて見たら繋がったのだよな?
取り敢えずは、未だBoot画面なのだけど、何か画面が出たぞ!!
少し生き返って来たぞ!
凄い!!!
やれば出来るじゃないか??
・・・と思ったら、partitionの000で引っかかって、95%まではサクサクと行ったのだけど、95%になってからは1時間で1%しかupしないのだよな??
・・という事は100%になるまでは後5時間掛かるという事だよな??
まあ、別に放ったらかしておけば良いだけなので、どうでも良いのだけどね??
1時間程経つて、進捗状況を見たら、97%だったよ!後3時間って所かな?
このパソコンはセブンなので、立ち上がったら、更にバージョンアップをしなければならないのだよな?やっぱり、二日掛かりだよな??
これでやっと眠れるかな??と思ったら、椎名町からskypeの調子が悪いとhelpが来た。修理をしようにも椎名町のスカイプのaddressが消えていて、access出来ないので、addressを招待する所からなのだが、招待して開いて見たら、既成の今までのaddressになった。
どうなっているのだ??
結局原因は分からないのだけど、俺が開いたら普通に開くし、問題は見つからないのだよな??
という事で折角眠りそうになっていたのに、またぞろ、パソコンの前に座って作業をしているのだ。
今日は徹夜か???
モニターがnoteパソコンに見えてしまうよね?
二日掛かりで頑張った結果、何とかパソコンが起動するようになったのだが、まあなんとも頼り無い立ち上がり方だよな?
やはり、ハードディスクを交換した方が良いのか、それとも没にした方が良いのかの判断をして貰う事にするか?だよな?
10月22日『mein Tagebuch=今日交々』 ·
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10月22日の午前2時半である。
今、やっと椎名町から帰って来た所なのだ!
昨日というか? •••パソコンが勝手に修復の作業をしているので、パソコンから離れられないのだよ?
時折、checkを求められるのでね?
今度はスカイプの音声が出ない・・・という椎名町からのhelpだ!
音声が出ないという事ならば、それをラインやメールで手直しさせるのはとても無理なので、私が直ぐにでも椎名町に行かなくてならないのだが、ハイツのパソコンも設定の作業の稼働中なので、パソコンの前を離れる事が出来ないのだよ?
・・・という事で今日の椎名町への移動は夜の11時半を過ぎる事になってしまった。
それで、1時過ぎには帰宅しているのだから、椎名町でのskypeの修理をしたのが、3台のパソコンをcheckして、不具合を改善させても1時間掛かっていないという1文だよな。
「徹夜かな?」とも覚悟していたのだが、結構、早いpaceで終わったのだよな??
という事でハイツに戻って来たのだが、前日も殆ど眠れていないのに、帰ってからも中々眠れないのだよな?
困った事だ!
で、どうせ眠れないのならば、途中までになってしまっているパソコンの修理の続きを・・・という事になるのだよな?
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10月23日後期高齢者講習会ので実技講習の日なのです ·
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明日は朝の一番から、後期高齢者講習会ので実技講習の日なのですよ!
だから早起きして出掛けなければならないので、早目に寝なければなりません。
しかし、明日の準備が何一つ出来ないままに、疲れ切ってしまったので取り敢えずは、寝る事でします。
朝の4時5時くらいに起きれれば、なんとかなるのでは?と思ったからです。
という事で、安眠を妨げる夢現に抵抗しながら、なんとか眠れたと思って、夢を見ながら目が醒めたのだけど、ほんの小一時間程眠れただけでした。
「まあ、横になっているだけでも違うのかな??」という事で、4時頃まではbedで横になっていたのだけど、「どうにもならないよな??」という事で、諦めて準備を開始しました。
少し早めの出発になるのだけど、「検査にはやはり運転用の眼鏡が必要かな??」という事で椎名町回りで眼鏡を取ってから検査場に向かう事にしました。
途中から渋滞に挟まれたのと、遠回りをした分、時間ギリギリになってしまったのだが、検査場に到着する10分程前から突然雨が降り出して来て、結構検査場に着いた時にはずぶ濡れになってしまいました。
検査自体はそれなりに、楽しく、ダラダラで・・・、「まあ、免許の更新なんてこんなもんだろうかね??」という感じでした。
高齢者講習会とは言っても、やっている事は、何ら正しい科学的な根拠のある内容ではありませんし、この講習自体が大した意味のある内容ではありません。
もしも、この講習が本当に高齢者の事故を減らすのが目的ならば、統計の分析を正しく科学的な観点から分析すべきなのですよ!
日本の社会は、現代は超高齢者社会で、若者たちは少子化で車離れの傾向にあるのです。
統計はありとあらゆる条件を設定した上で、分析解明されなければならないのですよ。
それに事故には機械的な原因や年齢的な要因もあるのです。
アクセルとブレーキのが踏み間違いについても、昔の車と今の車では、何故アクセルペダルの位置とブレーキペダルの位置が変わってしまったのかの説明すらないのですよ!
私も新しい車に買い替えてから、咄嗟にブレーキを踏もうとした時に、ブレーキの段差に引っ掛かる事があるのですが、何故、ブレーキとアクセルの高さをずらさなければならないのかな??
何故、アクセルペダルとブレーキペダルの位置を平行にするか、ブレーキペダルを少し下げた状態の位置にしないのかな?
ブレーキの方がアクセルよりも高い位置にあるという事は、どんなに考えても非合理的でしょう?
そういった細かい配慮をしないままに、形だけは「ちゃんと対策をしています!」と言っても、それはいつものお役所仕事の形だけの話しでしょう?
帰り道も小雨にはなっていたのだけど、結構バイクだとやはり濡れるので、椎名町直行で食事をするのは諦めてハイツに直行する事にしました。
ハイツに辿り着いて、少し横になろうと思ったのだけど、なかなか寝る事が出来ませんでした。
10月23日『設備投資=環境設定=Telework』 ·
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社会人の仕事にしても、学生達のお勉強にしても、能率を上げるためには、仕事(お勉強)をする環境を良くする設定が必要である。
そこに疑問を感じる人達はいないと思うのだけど、これが現実の話となると、それを実行出来る人は少ないのだよな??
社会人としての大人の立場の人達の場合には、一見すると仕事環境の受容性が分かっているように見えるのだが、実際では、その環境設定自体は、会社がしているので、個人では、それを享受するだけで、自主的に自分自身で揃えた事はないので、実際に環境設定に掛ける意識や、費用対効果等に対しての意識は非常に低い・・か、或いは全く持っていないか?の人達が殆どなのだ。
大人達が自分自身に対してすらその程度なのだから、自分の子供達への勉強環境の設定に対してのcost performanceも、かなり低くて、「塾にでもやれば良いだろう?」程度のあなた任せ的な感覚しか持ち合わせていない。
仮に子供を塾に通わせるための金銭に対しての価値観を持っていたとしても、家庭で勉強する環境に対しての感覚は勉強机と参考書程度のもののお粗末なものだ。
勿論、昨今はコロナの所為で、大人自身が家庭内でのTeleworkを強いられていて、家庭内の仕事環境の重要性が叫ばれている中で、当然、自分自身で、自宅への環境設定をするべきなのだが、その対応が出来ない大人達が殆どである。
(それは仕事の環境設定は会社がやるべきと理解しているからではあるが、実際には、会社が支給するものはパソコン1台で、あわよくば携帯を1台持たされるに過ぎない。それ以外の環境設定に関しては、自己責任であり、家庭内の環境設定も当然、自分自身の責任の範疇・領域になるからである。)
より良い効率的な仕事をするためには、長期的なcost performanceの考え方が必要なのだが、それが出来る人は数少ない。
つまり、・・・殆どの人達は、※「家庭内には自分が仕事とするだけのspaceが無い」、とか、「子供達がうるさくて仕事にならない!」とか言うだろう。
しかし、そのつもりならば、何処でも自宅を仕事場に改造する事は可能なのだよ。
自分で部屋を改造するのがかったるいのならば、防音室ではなく、防音boxというのもある。結構仕事部屋としては良いので、自宅内の隠れ部屋にもなる。花園教室のPianoの後ろは以前は私の隠れ部屋になっていて、机やbedも合ったって誰も知らないよな??勿論、今は私が花園にlessonに行かなくなったので、ただの倉庫になってしまっているのだけれどね??
不可能と思える所を可能にする・・という事こそ、そこに、ひらめきや発想の転換があるか、否かの分れ目があるのだよな?
創造的な仕事力や経営的な手腕、危機的な状況への判断力(所謂、仕事力)というのが試されるのは、そこの所かも知れないよネ??
宣伝をする(自己PR)・・という事に対しては、人は結構前向きなのだけど、それは「周知させる」・・という事を意味するのであって、仕事の「質を上げる」という事を意味する分けではない。長期的に見ると、repeaterを齎らす仕事はやはり、昔ながらの良い仕事に尽きるのだよな??
宣伝が上手くても、内容が伴わないと、やがてその宣伝は逆効果になって、「あそこは見た目は良いけれど、内容がね??」と言う事になってしまうのだよな??
ここでは、子供の勉強に対してのお話しなので、子供達のお話しに戻して・・・
音楽教室をやっていて、音楽を目指すという生徒達に対して、聴音の勉強の時に、「鉛筆は2B以上の鉛筆を使用するように」と言ったのだが、教室の生徒達の場合では、それでこれまでは、2Bの鉛筆を買って来た生徒は皆無であった。
勿論、何処の文房具屋でも売っている鉛筆なので、makerと商品名を指定しても・・買って来た事は無いのだよな。子供達に口酸っぱく言っても、保護者の人達が「どうして、普通の学校用の鉛筆ではダメなの??」と疑問を持った場合には、誰も言う事を聴いてはくれないのだよな。
そこの所は私が若い頃に受験生を教えていた時と、音楽教室では根本的に考え方、価値観が違うのだよ。
勿論ついでに、・・ここで言っているのは、あくまでも音楽を専門教科として勉強している生徒達の話しであって、趣味として音楽を勉強している生徒達がどんな鉛筆を使っているのかは、問題外の話しであって、音楽を趣味として学んでいる子供達を対象にした話しではないので、勘違いをしないように!!
それは当然の事です。
・・・と言ってしまってから、改めて思い出したのだけど、結構、一般社会に名前の聴こえているprofessionalのpianistなのだけど、曲を説明するのに、「五線紙を出して!」と言ったら、「五線紙は持っていない!」と答えが返って来たので、絶句してしまった。
勿論、finaleは持っていないし、(別に他のsoftでも良いのだけど、そう言ったnotationのsoftは使った事がないそうだ。)Metronomすら持っていないproがいたりするのだよ。
いや~ぁ??音楽の世界はanalogなのだよな??
勿論、popularの方はパソコンやfinaleは当たり前の世界なのだよ。あくまでもClassicの音楽家の場合だけなのだがね??
ひたすら、Pianoを弾いて練習だけすれば、一廉の音楽家になれる・・と信じているのだから、笑えるよな??アハッ!
逆の話しでは、大人の話しなのですが、専門の仕事の分野には全くお金を掛けないのだが、趣味の音楽やゴルフや車に対しては幾らでもお金を掛ける事を厭わない人もいて、またそれは困ってしまうのだよな?
勿論、本人達への話しではなく、子供達への教育上の話しですがね?
また脱線してしまったので元に戻して・・・
つまり、世間一般の価値観では、鉛筆の種類や硬度なんかに、音楽の勉強との関連性を見いだせないし、楽器を購入する時でも、「楽器屋の方が楽器に対しては専門家なのだから・・」と言って、私の忠告を聞こうとはしない人がいて困ってしまうのだが、今では、「価値観が分からないのだよな?」と、すっかりと諦めて放置する事にしています。
一般の楽器屋がsteinwayやBösendorferのPianoを売る事もないし、巷の楽器屋がStradivariを売る事もないのだよな??
そこは、楽器屋と言ってもrankがあるのだよ。
超、専門の楽器屋ともなると、一般の人達が出入り出来るようなお店ではないのだよ。
ちゃんとした楽器で演奏しようと思うと、ちゃんとした楽器屋で楽器を購入しないと無理だろうよ!!
昔は、そこで、ひと説教したのですがね?
今では、そんなEnergieはもうすっかり無くなってしまいました。
後日、子供達が成長をした時に、自分達が子供のために「良し」としてした事が、タダの「銭失い」に過ぎなかった事に気が付くだろうが、だけど、そういったtypeの人は、そこで私が一生懸命に注意して、その場は何とかした・・としても、それに懲りる事はなく、またぞろ、そういう同じ事を繰り返してしまうのだよ!
とどのつまり、そういった事をする人は、「そういったtypeの人だ」といって括る事が出来るのだよ!
勿論、ある程度までは、私が直接、保護者達と会う機会が少なくなってしまった事が一つの原因なのだけど、それなりに、出来る範囲ではadviceはしている分けなので、先生の言う事が信じられないのならば、信じられる先生に師事した方が、生徒、子供にとっては良いに決まっているのだよ。
優れた信じられない先生よりも、ほぼほぼの信じられる先生の方がより良いに決まっているからね?
残念ながら、本当の本物を見極められる人達は、こんにちの世界では、社会の中では一握りもいないのかも知れない。
自分の見る目が無ければ、・・それで先生を信じられなければ、labelを信用する他はないのだろうな??
私達は鑑定書や保証書を信じた事はない。
保証書は、壊れたら、修理をするよ!という意味に過ぎないのだから、その楽器をのものを保証する分けではないし、私達に取っては、数億もするStradivariも、状態が悪ければ、500万の楽器の方がbesserな場合すらあるのだよ。
昔、弓を選ぶ時に、400万ぐらいの弓とTourteの弓を比較して、400万の方を購入した事もある。Tourteだったら、2000万ぐらいでは売れたかも知れないよな??
でも、商売をするだけの金は無かったからね??
何が何でもTourte・・・、それがBrand嗜好なのだよ!
それは、現代の社会の構造が外面的な、見掛け、見た目で判断をする社会になっているからだ。
勿論学歴社会や、大企業に依存する事も同じなのだ。
本当の本物のproの人達を知るためには、違いを見分ける目を養わなければならないのだよ。
そこの所をないがしろにする人達が、正しい道を歩める事は無いと思うのだがね??
またまた脱線して来たので、本題に戻って・・・
よくテレビで著名な漫画家の家を訪問する番組が企画されているので、私も物書きという立場でよく見ているのだが、私が興味を持って見ている所は、テレビのstoryの中では取り上げられていない、漫画家の部屋の中で、説明されていない、鉛筆や資料などの、その漫画家を取り囲んでいる環境を興味深く見ている。
つまり、そこで気が付く事は、著名な漫画家で小道具に対して思い入れの無い人はいないという事なのだ。
無名の売れていない漫画家でさえpenや道具をしっかりと選ぶのだよ。
つまり言い方を変えると、そこに価値を見いだせない人であるとするならば、proの世界で長く生きて行く事は出来ないのだよな。
いつかは必ず社会的には通用しなくなるのだよ。
もっとも、とても楽器を弾きこなせていないのに、高価なストラドのような楽器を持っている演奏家もいたりして、それはそれでまあ・・・、豚に真珠・・だとは思うのだけどね??
高い楽器を子供に与えると子供は上手くなる・・と勘違いしている金持ちの親もいて、私としては羨ましい限りだよな??
話の本筋から離れてしまった。
professionalな人達には「弘法は筆を選ばず」と言う言葉は有り得ないのだよ。
(それは、私が琵琶湖の山寺に修行に行った時に、山寺の和尚さんから、弘法の本物の書を見せられて、最初に注意された事である。「proになると筆の一本でさえ、細心の注意を払うものだ」という事を言われたのであるぞなもし)逆の言い方をすれば、些細な所まで神経を張り巡らせておかないと、優れた人になるのは無理なのだという事なのだよ。
設備を整えようとすると、必ず経済的な問題にブチ当たる。
しかし、それは当たり前なのであって、経済的問題を解決するために設備投資をするからである。
言い方を変えると、そこで投資が出来無い企業は淘汰されるだけの末路しかないのだよ。
コロナはありとあらゆる人達に多大なRiskを齎した。
しかし、それは或る意味、chanceなのだが、そこで考え方を転換出来るください否かが、その人の価値を生み出すのだよ。明暗を分けるのだよな?
10月25日『baroque時代のsoloの曲の音楽形式』 ·
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lessonをする時に・・、或いは発表会で子供達にbaroque時代のsoloのsonateやconcertoを演奏させる時に、・・・或いは、更に・・等々、baroque時代の曲の演奏の形式を折に触れては、説明して来たのだけど、それを体系的に説明する必要性はあったのだけど、音楽教室という性格上の悲しさから、余り深く触れる事が出来なくって心残りであった。
今回の発表会への選曲で、Tartiniのgrandsonateを選曲したので、当然、lessonの一貫として、Tartini-curriculumとしての中で、lectureをする時に・・、baroqueの音楽形式の一つとして、fugaの解説やfuga形式の説明をしなければならないのだが、そのtheoryの解説・説明が極めて難しいので、楽譜に直接、fugaのthemaを蛍光ペンで塗り分け(声部間の色分け)をするだけでお茶を濁していた。
今回の発表会への選曲での、baroque時代の難曲とされるTartiniのgrandsonateのⅠ楽章は、緩徐楽章から始まる、所謂、kirchen-sonate(教会ソナタ)の形式を取る。
このgrandsonateのⅠ楽章は、通常・一般的には、甘く・切なく、節度を持ってadagioのtempoで演奏されているのだが、今回は、新しい試みとして、fugaに対してのovertureとして、France風序曲のrhythmで、fugaに対しての壮大な鋭い厳しい表現として演奏する事にした。
このⅠ楽章の曲は、Sonata In G Minor Op.1 No.10 Didone AbbandonataのⅢ楽章に、g mollに移調されて重音奏法で書かれているのだが、g mollという調性と重音という重々しさから、grandsonateで弾かれているような甘く切ない表現は難しいので、曲は同じなのだが、演奏表現は当然異なってしまうのだ。
一般的な演奏表現である「甘く切なく・・」という表現法は、私個人的には嫌いではないのだが、grandsonateの全楽章のovertureとしては、未だ誰もやった事の無いOuverture nach Französicher Artという表現もより良いのではないだろうか?・・というantitheseである。
また、Ⅱ楽章のfuga形式で書かれているfugaに対しての演奏法なのだが、基本となるfugaの入りとepisodeと・・という風に、fugaの形式の構造を意識した演奏を、理解した上での演奏を指導・lectureする事を考えている。
今回は、小学生が急遽、このgrandsonateの全楽章を演奏する事になったのだが、小学生であろうと、大学生であろうと、音楽の解釈(interpretation)へのapproachは、年齢には関係は無く、有るのは技術のlevel(Niveau)としてapproachの違いになる。
とは言っても、小学生の子供達へfuga形式のinterpretationを説明する事は容易ではない。
という事で子供達への楽曲解説の手引きとなるように、参考のために、baroque時代のfuga形式についての参考となる書物を、私が所有している文献の中で探して見たのだが、そもそもfugaについて詳しく書かれている書物自体はそれなりにはあるのだが、その解説は、それぞれ、個別のfugaの曲について書かれたものであり、fugaの音楽形式に関して書かれている著作物は全くなかった。
(まあ、なんと長い前置きの悪文であるのだろうか??)
私の持っている音楽形式論に関する資料がもう何十年も前に出版された書物で、学生時代からの資料なので古色蒼然とした古い著作物のせいなのだろうが、そのために、今現在出版されている音楽の理論書を買い求めに、わざわざとコロナ下を池袋まで、買い求めに行く気力はないのだよ。
私が文章に起こしたり、書いたりしようとしている文章は、大学の学術論文でもなんでもないのだ。
単なる雑文に過ぎない・・曰く、大学の研究論文等でもない・・単なる読み物としての文章なので、これからコロナを押してまで、わざわざ池袋まで買い出しに行って大枚を叩いて来る事もなかろう・・という事で、徒然なるままに思いつくままに書く事にした。
時折、私の漫画の解説の文に書いている雑文の解説等を学術研究の論文に引用している人達を見かけるのだが、漫画の解説やFacebook等の記述は、あくまでも私個人の私的見解なので、文章の内容にまでの責任は持てないので、私の名前を出す事は大いに構わないのだけれど、眉に唾を付けて読むように・・・
私の音楽上のmethodeであるcurriculumの基本は、日本の音楽教育の基本とは根本的に違っていて、『弦楽器の歴史的な発展のrootsを学ぶ』・・という事である。
文学に於いても、科学技術に於いても、演劇等に於いても、そのrootsを知る・・という事はその分野の本筋を知る事となって、道を外す事はない。
政治家が歴史の間違いを学んで二度と同じ轍を踏まなければ、正しい政治が執り行われるハズなのだが、人はその歴史に学ぼうとはしない。
日本の音楽教育上の問題は、100年以上も前に、東洋の未開の民族であった日本人が、Europaの列強に「追いつけ・追い越せ」で軍事訓練の一貫として、Europaの音楽を取り込んだ、その日本の哀れなrootsを、現代に至るまでも、踏襲している事にあるのだよ。
つまり、古い日本の伝統である家元制度が、こんにちの音大崇拝を産みだしているのだが、それに高温多湿のAsiaの国の日本人の民族性という問題が絡んで来て、修復不可能のものになってしまっている。
この日本でEuropaの音楽を学ぼうという事は、セルバンテス(de Cervantes)のドン・キホーテ(Don Quixote)以上に無知無力で滑稽ですらある。
baroqueの音楽では、orchestraのcurriculumとしてのbaroque時代のconcertoを使ったcurriculumや、特別な生徒達へのsolo-sonateのcurriculumとしての、Tartiniの教材等がある。soloのViolin等のbaroqueのsonateを学ぶ時に、当然、soloの楽器とbasso continuoの扱いについて、・・特に、fuga等の多声部書法の音楽の演奏法に関する問題点があって、困った事に演奏法としての、baroque時代のsoloの曲に対しての解説書にお目に掛かった事は無い。
Europaの演奏家の場合には、やはり、音楽がtraditionalなので、生まれついて、その奏法についての知識を持っているのだが、日本人の場合には、traditionalが無いので、それを知識として学ばなければならない・・という事が、結構neckになってしまっている。
という事で、日本では結構著名なcellistがbaroque音楽でのcontinuoのpartを演奏しているのを聴いて、baroque時代の奏法を全く知らないままに、そのcontinuoを演奏するためのruleを知らないままに、耳かじりで弾いているのを見て、暗澹たる思いに駆られたのだが、そう言った文献が出版されていないのでは、勉強のしようが無いのだから、あながち、本人達を責める分けにも行くまい。困った事である。
まあ、歌舞伎をEuropaで研究しようとしたら、同じ事がEuropa人にも起こるだろうからね??
それに、日本人に取ってのbaroque音楽は、擬古典と現代風baroqueとperiodのbaroqueの違いすら分かっていないのだから、演奏家もその程度で良いのかも知れない。
つまり、売り手と買い手のneedsが合っていれば良いのだから・・
私としては、江戸時代の武士が刀を腰に差して、スニーカーを履いて、アスファルトの道を闊歩しているのは、どうも許せないのだが、こんにちの日本では江戸時代の時代考証も、それが当たり前なので、それを文句いう方が可笑しく思われてしまうのだよ。
逆に、時代考証がキチンとした映画を見ている人達が過剰な考察に捉えてしまうのだから、人間とは不思議な生き物なのだよな??
まあ、愚痴は兎も角として・・本題に入って・・・
baroque時代の「sonate」の意味とは、「組曲(Zyklus)」と言うくらいの把握で良いのだが、その組曲では、緩急緩急(遅い速い遅い速い)の教会ソナタ(kirchensonate)の形式を持つものと、急緩急緩(速い遅い速い遅い)の室内ソナタ(kammersonata)形式の二つの基本的な形式があって、教会ソナタ形式ではFugaやOverture等の対位法(複音楽)的な曲が用いられるのに対して、室内ソナタ形式では、より庶民的な舞曲の形式やRhythmが用いられた。
曲の基本的な構造としては、4楽章が基本となるのだが、曲が大規模になるに連れて、6楽章の曲や、それ以上の曲もあるのだが、基本的には4楽章が基本となって緩急を繰り返す。
baroque時代の作曲様式は、basso continuo、所謂、通奏低音による作曲法であり、和声を司る低音楽器と、旋律を司る楽器で演奏された。
ちなみに、この低音上に旋律を構成していく作曲法はBrahms等の、basso continuoの作曲様式が廃れてしまった古典派以降の作曲家達もその手法で作曲をしている作曲家も多数いる。
・・と言う事で、baroque時代のsoloの曲では、対位法的なパセージでは、continueのpartがsoloに対しての対のthemaを演奏する事があり、伴奏と言う概念はこのbaroque時代には希薄である・・という事は当たり前である。つまり、basso continuoの演奏の中には、完全な和声の低音を演奏する部分と、対旋律としてのthemaを演奏する部分が混在するのだ。
つまり、baroque時代では、soloの曲と言っても、continuoのpartが対旋律を演奏するduoとして作曲されている事が、当たり前の作曲法の時代であったのだよ。だからcontinuoの奏者は、和声のBaßを演奏している部分と、soloと対話している部分を明確に、音を違えて演奏しなければならないのだよ。
そのcontinuoの多様性は、教会sonate形式のsoloの曲では、Ⅱ楽章によくfugaが多用されるのだが、soloが2声部を弾き、通奏低音の楽器が3声目を奏する事が多かったのだ。
当然、continuoのpartは、単なるBaßのpartである箇所と、3声目を演奏する箇所の奏き分けをしなければならないのだ。
(Bachのinvention等でも、continuoのpartと対旋律となるpassageの奏き分けが要求されているので、Cembalo等の音の違いを引き分ける事の出来ない楽器ではarticulationによるcontinuoの部分と対旋律の部分の奏き分けが要求される。)
『Fuga形式について』
fugaの形式に付いて、書かれている書物は非常に少ない。
その理由は、多くの作曲家がfugaを作曲技法の中のtechnikの一つとして使用して来た分けであり、fugaが独立した曲の形式であるためには、教会音楽の中での極めて狭い環境で作曲されて来た事にある。
だからfugaとして、独立して作曲された曲は、Bachを除いては、Beethoven達が教科書として愛用したJohann Joseph Fuxのfugaの教則本しかない。(勿論、近現代はtraditionalにはならないので、省くとして・・ではあるが)
fugaには自由fugaと呼ばれるものと、教科書fugaと呼ばれるものがある。
fugaはそれぞれのpartで、「入り」と呼ばれる箇所(この場合にはpassageか?)があり、2声のfugaから3声、4声のfugaと色々な声部のfugaがある。(自由fugaではその声部が定かではないものもある。)
入り部はそれぞれのpartでthemaを完結させるのだが、主調(dux)に対して属調(comes)(或いは属調(comes)から入ると主調(dux)へ)とthemaが入って来る。
altoから入りをして、次にtenor、episodeを経てsoprano、Baßと入って来たりする。
3声体や4声体の場合には、入り部で2声部が入った後で、episodeとして、少し遊んで、次の3声目が入って来るcaseが通常である。全声部が揃った段階の終止で入り部を完結する。
少し長いepisodeが続くのだが、展開部として、themaの一部(themaの前半や後半だけ、・・或いはthemaのMotiv(断片)等をしようして展開をする。
そして第二部の入り部に突入する。
この入り部の回数は特に決まっていないのだが、第二部の入りと第3部ぐらいの入りが一般的である。
殆どの作曲家のfugaは自由fugaだが、fugaの大家であるJohann Joseph FuxやBachは多くの教科書fugaを残して、fugaの作曲技法を後世に伝えている。
Bachの作曲した2巻の平均律と呼ばれるpreludeとfugaによる作品の中でも、fugaの作曲のための技術的な作曲法のsampleとして教科書fugaを数多く書いている。
その教科書fugaでは、作曲のための技法は勿論の事であるが、当然、fugaを演奏する上での技法としてのfugaもその教科書fugaで、fugaの奏法を学ぶ事が出来るのだ。
これまでも、『baroque時代ではsoloの曲はbasso continuoとのduoになる』・・という話をしたが、後世のQuartettに相当するensembleの形式が、多分、triosonateの形式であろう。
triosonateは、2つのmelodie楽器に対して、通奏低音のcontinuoと和音を充填するCembaloの4名で演奏するのだが、Cembaloの左手のpartはcontinuoのpartなので、実際には、3つのpartになるのだよ。
だからtriosonateなのだ。
baroque時代のconcertoには、勿論、soloのconcertoもあるのだが、特徴的にはConcerto Grossoというorchestra群とtriosonate群の対比(contrast)で音楽の立体性を出すという音楽形式がある。
このYou Tube動画の舞台は多目的Hallの舞台なので、変則的に並んでいるのだが、私の場合のconcertoやConcerto Grossoの並び方はperiodのorchestraの並び方とは違って、orchestra群の前に、solo群やtriosonate群を出して立体効果を狙っている。(勿論、この並び方は私の独自の並びであって、一般的なtraditionalな並び方ではない。)
この動画は、Vivaldiの2台のViolinのためのConcerto Op.3Nr.11の d であるが、この曲の音楽形式は当然、kirchensontaの形式による作品であるのだが、曲がそれなりに大規模である分、かなり変則的な構成になっている。
子供達の演奏なので、当然period instrumentsではないのだが、演奏の技法自体はperiodの手法による演奏で、ornamentや膨らまし等、当時の弦楽器の演奏技法の再現をしている。
某国立音楽大学の教授が、baroque時代の「膨らまし奏法」を日本のコブシの後押しの歌い方と勘違いをして、Europaの著名な教授達を悩ましていたのだが、後押しに聴こえるpassageは後押しではなくbaroqueの奏法の一つである。
日本の力を入れて押す奏法とは根本の弾き方が違うのだが、21世紀になっても某国立音楽大学の生徒達の悪い癖は治らない!!(その先生はとっくの昔に退官されたハズなのだが、日本の家元制度による忠実な伝承に因って、こんにちの若い生徒達も古き悪しき奏法が完全に伝承されている。多分、雅楽のように、後2千年は影響され続けて行くのかな??)
BerlinphilのSchwalbé先生は数十年、日本を訪れて若い生徒達を指導する度に、この日本独自の不可思議な奏法に悩まされて、「日本の音大生のAIDS奏法だ!※」と叫んでいたのが印象的なのだけど、Violinの音が胡弓に聴こえて、Celloの音が馬頭琴に聴こえる日本の音楽の世界では、日本人にとっては、当たり前の音なのだよな??きっと??
※)当時はAIDSは、こんにちとは違っていて、絶対に治る事の無い病だったのだよ!!AIDSは治るようになったのだけど、AIDS奏法はあいも変わらず治らないのだよな??
最初のsoliの部分や中間楽章の部分は、Vivaldiのoriginalのscoreでは、伴奏のViolinのpartは2本なのに、violaが追加で書き加えられて3本の弦で伴奏をしているのは、私の個人的な都合によるのだよ!
この時代ではviolaという楽器は、未だ虐げられていたので、soli群にviolaが入る事は少ないのでね??(soliのViolin2本に加えてviolaが入って来る場合にはviolaはCelloの役割をしています。Stamitz等の古典派のconcertoのsoliの部分も同じで、Celloの代用をviolaがする事があります。)
2台のViolinのためのConcerto Op.3Nr.11 d Vivaldi period-style指揮芦塚陽二17年11月八千代 - YouTube
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芦塚 陽二
こんな事ばかり書いていると、私がbaroqueや古典派の専門の研究者と勘違いされるよね??
私の立ち位置は作曲家が本職なので、現代音楽の方が詳しくて専門家なのだよ。私はHindemithの孫弟子で、Mahlerの孫弟子でもあるのだからね??
子供達にbaroqueや古典派の事ばかり指導しているのは、あくまでも、基本に学ぶ(rootsに学ぶ)・・という姿勢からなのだからね??
Tartini grandsonate Ⅱ楽章fuga入り部
画像に含まれている可能性があるもの:、「Score grandsonate Op. 1Nr. 5 e mo11 2楽章 Giuseppe Tartini 芦塚陽二continuo Kontrapunkt thema Violin Cello thema Harpsichord VIn. thema Hpschd. 9 VIn. Vc. Kontrapunkt Hpschd. 背塚音楽研究所」というテキスト
10月25日曲に対する子供の反応 ·
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子供達を教育していると、難しい曲を貰った時に、やる気満々としていて、気力に満ちている時には、子供達は難しい曲に対して「格好いい!」と反応します。
気力が無く、やる気がない時には同じ曲に対して「難しい!」と反応します。
コロナで周りの環境が落ち込んでいる時に、やる気に満ちた生活を子供達に送らせる事は容易ではありません。
先ずは、大人が何とかしないとね??
親がブレると、子供は必ずブレるのは至極当然なのだからね??
親がブレなければ、子供がブレる事はないのですよ。
人間の価値というのは、良い生活の状態の時に判断されるべき言葉ではなく、catastropheの中でも安定をしている時に人間の本当の価値が分かるものです。
どんな時でも「不動如山」なのですよ。
10月25日 なんと、なんと・・??? 錫杖での指揮だ!!·
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映画の中のsceneでは時々見るけれど、実際のperiodの演奏では初めて見たぞ!
orchestraの演奏をする人達のノリも、Europaの人達の独特のノリで、とても素晴らしい!!
日本では「不真面目!」って叱られてしまうかもね??
でも、私は楽しくって好きです。
本当に、体幹で音楽を体感している感だよな??
このvideoでもちいられている錫杖は、とてもsimpleな錫杖なので、ドンドンという音しか出さないようだけど、映画では日本の山伏の錫杖のように、シャラン・シャランと音を出す飾り(Schmuck)がいっぱいついているのが普通だったのだけどね??
確かに、それではdrumのsnareみたいな音になってしまうよね??本当はそうしたいのか??と思っていたのだけど・・・
Giovanni Battista Lulli, Marche pour la Cérémonie des Turcs | Modo Antiquo
YOUTUBE.COM
Giovanni Battista Lulli, Marche pour la Cérémonie des Turcs | Modo Antiquo
Giovanni Battista Lulli, Marche pour la Cérémonie des Turcs, dal Bourgeois Gentilhomme | Modo Antiquo, Federico Maria Sardelli | François de Rudder, voce rec...
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芦塚 陽二
Marin Maraisの映画(伝記映画ではなく、単なるおFranceの恋愛映画)の中にも冒頭のsceneで、Marin Maraisがorchestraを錫杖で指揮をするsceneが出て来るのだけど、子供達に錫杖を説明するのだけど、実際に錫杖を一度も見た事がない子供達ばかりなので、困ってしまったのだよ。
映画の中の時代考証としてではなく、period奏法として現実の演奏で、錫杖の指揮をしているのは初めて見たのだよ!!
10月25日baroque-danceのstepの解説videoです。 ·
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運動不足の方は是非どうぞ!
演奏家の人達や指導者の人達は、例えばMenuetのtempoを自分の情緒や音楽的な感情で決めるようなのですが、Menuet一つを取っても、集団で踊るより直線的なMenuetと、二人で踊る曲線的なMenuetのtempoがあって、そのtempoは踊りのstepで決定されます。つまり、言い方を変えると、Menuetという舞曲である限り、そのtempoは、その踊りのstepの中のtempoでなければならないのです。
そのお話を日本人の著名な演奏家の人にしたら、「だって、MozartのMenuetは踊るためのMenuetではないでしょう?」と逆襲されてしまいました。だったら「Menuetと呼ぶなよ!」です。
MozartがMenuetと名づけたのは「Menuetだから」なのですよ。
stepの無いMenuetというのは、日本人の発想にしか過ぎません。Europaは基本的にdanceの国、所謂、3拍子の国なのですよ。
3拍子の踊りを1曲も持たない日本人の、abnormalな発想に過ぎないのですよ。
勿論、私が日本人のpianistに「Menuetを踊れるようになりなさい!」なんて事を言っている分けではないのだけど、実際にbaroque-danceを見て、その踊りを見るだけで、演奏表現は全く変わって来るのだよ・・とだけ言いたいのですよ。アハッ!
2020年10月27日 ·
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今日は10月の27日の月曜日の朝です。
昨日は、発表会から二週間目の日曜日だったので、オケや室内楽の楽譜渡しと顔合わせと初見大会でした。
練習には、私は全く必要はなかったので、mailでのremoteだけで、Telework的な参加はしませんでした。
一日中、自分の仕事をしながらの、lineのmailでの自由参加でした。
夜はちゃんとドルプリの散歩にも付き合いました。
月曜日の朝も普段の日常と何も変わらない日を過ごしていたのですが、夕方からは、突然体調不良になって寝込んでしまいました。
椎名町での食事とドルプリっ歩をパスしてしまいました。
夕食と今日の分の食事は牧野先生がデリバリーしてくれたので、何とか起き出したついでに、無事に食べる事が出来たのですが、そのまま、今度は眠れなくなってしまいました。。
眠れない・・・とは言っても、Bedの中で眠れないだけの話しなので、bedで悶々としているのも辛いからと、椅子に座ったままで、なすこともなく、ぼんやりとテレビを見ていたのですが、テレビのdramaのstoryが突然飛んでしまうのですよ。
単に無意識に寝ているのか、それとも、意識混濁なのかね~ぇ?
それはそうと、下の写真は、何度も同じangleで撮った、代わり映えしないハイツからの風景の写真なのですが、実は、アプリの3D写真で撮ったハズなのですが、何度挑戦しても3Dの写真になりません!
それに、写真をFacebookに持って行くための設定が難しく、何度試みても、撮影した写真をFacebookに持って行く設定が出来ません!
softの操作の解説が無く、全く理解不能なのです。
私と、このsoftとの相性が根本的に悪いのかも知れない・・と思い変えて、どっちみち無料のアプリなので、新しい別の3Dアプリに変えてみる事にしました。
しかし、それで色々な3D写真のアプリを探して見たのですが、宣伝の文言を読んでも、3D写真には、二枚の左右の写真を同時に見るのと、3Dのメガネを掛けて見る立体写真と裸眼で見れるtypeの3種類の立体写真があるハズなのですが、アプリの広告を見ている限り、その区別さえ分からないのです。
面倒くさくなってしまって、Facebookの中に普通の写真を立体的に見えるようにするsoftが入っているのを思い出したので、簡単なので、testをして見ました。
その写真が上のコメントのドルの写真になります。
下の写真はとうとう3Dには出来なかった・・代わり映えのしない、いつものハイツからの写真です。
削除しても良かったのですが、出来ないという事の証明です。
アハッ!
Fyuse
FYU.SE
Fyuse
2020年10月27日 ·
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installしていた3Dのsoftがあまりにも複雑怪奇で遅くて、使い辛いので、そのアプリを削除してFacebookの簡単な3Dsoftのtestをして見ました。
写真モデルは、随分以前に撮影したプリちゃんです。
まあ、この程度でも良いかね?
遊びだからね?
おう!本物のようにリアルに見えるぞ!
まあ、これくらいで良いや!
文章を訂正したのだけど、またまたuploadが出来ません。
書いた文章は消えてしまうので、またぞろ新しく書かなければなりません。
ホントFacebookは使う人の立場は考えていないよな??
10月28日肝臓の数値が ·
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今日の病院は朝一から超大変でした。
診察よりも先に血液検査尿検査にレントゲンとエコー検査を受けてCTの予定だったのですが、肝臓のγ値が40から800超に跳ね上がっていて、血糖値も治療を始めた頃の数字に突然戻っていたのですが、不節制をしたぐらいでなる数字でも無いし、私の体調もそんなには悪くはないので、CT等で見ても原因が分からないという事で、あちこちに検査に回ったり、主治医の先生も他の先生と相談したり•・・と対応に苦慮していました。
一つの可能性として、ケロイドの痛痒さを抑える薬の副作用という事が考えられるという事で、その薬を止める事で取り敢えず様子を見るという結論になりました。
私の顔にも小さなブチブチが出来て、結構痒いので、多分何かのアレルギーだと思って、その内に検査をしてもらうつもりだったので、このタイミングは渡りに船です。
二週間後には、腎臓内科での診察があるので、タイミング的には、薬をやめた事で改善があるのかを見極める、ちょうど良い機会なのかも知れませんよね?
それはそうと、寝込んでいる間に、曜日を勘違いしてしまいました。
朝は病院なので、曜日の自覚はあったのですが、寝込んでいる間に、なんとなく火曜日だと思いこんで引き篭もりdayのような気がして来ましたが、まあ、逆にその方が疲れは取れたかな?って所です。水曜日という事は椎名町で食事とドルプリっ歩なのですが、なんとか起き出した時には12時のCinderella-time直前だったのだけど、もう既にtime-overなので、食事は諦める事にしました。
lineで「お弁当を作って玄関に置いておく!」というmailが入ったのだけど、取りに行く元気が出ないので、朝までに体調が回復したら行く事にします。
先ずは、風呂に入ってのんびりとして、シンクから溢れている汚れものを洗って、打ち掛けの文章を打つ所まで出来たら今日のrotationは良し!!としよう。
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岡村 雅子
お大事に。
· 返信する · 11週間前
芦塚 陽二
ありがとうございます。まあ、取り敢えずは、原因が確定出来ないとね?。
10月29日免許の更新に都庁まで行きました ·
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高齢者講習が終わったので、警察に免許更新に行かなければならないのだけど、前回は都庁に行ったような記憶があるのだけど、都庁に行くには、バイクでは行けないので、新江古田の駅まで歩いて行かなければならいのだよな。
西武線1本だったら、石神井の警察の可能性もあるのだから、直ぐに電車に乗れるのだけど、石神井警察は非常に混んでいるのと、11時半から1時までがお昼休みらしいので、タイミングが合わない。
出発時刻を1時間以上遅らせなければならないからだ。
それは困った。
という事で、もう一度、新宿都庁の免許更新の時間を見たら、4時までで休憩なしだそうな??
それならば今すぐでも・・・と急遽、新宿の都庁に切れ変えて、江古田の駅から練馬乗り換えにして、歩かないで良いようにして、都庁へ行く事にした。
そしたら歩くのが駅から都庁までの最小で済むからね?
大江戸線は結構混んでいて、密になるのを避けるために、座席には座らないで、都庁前駅までは立ったままにした。
そんなには遠くではなかったのだけど、流石に腰に来てしまった。
都庁前駅で降りたのは良いとして、そこから免許の更新のおこなわれている第二庁舎までが、歩く事!!歩く事!!
到着するまでに、結構、へばってしまった。
距離ではなく、真冬用のダウンジャケットを着て行ったのだが、今日のお天気は晴天で、結構暑かったのだよ。
更新自体はテキパキとスムーズに行って、恙無く終わったのだけど、またぞろ、長い道程を歩かなければならない。
チョッと喫茶店ででも休憩して行くかなとも思ったのだが、都庁の中の喫茶店では狭くて休憩する雰囲気でもなかったので、第二庁舎から本庁舎に移動するエントランスに作られた空中公園の石のベンチに座って暫し休憩してしまった。
・・とは言っても、散乱した荷物の整理と服を正すためのほんの5分くらいの休憩であったのだが、外は風が冷たくて気持ちが良かった。(写真)
それから、頑張って歩いて、大江戸線に戻って、ひかりヶ丘行きに乗って、練馬乗り換えの池袋行きに乗って、江古田まで・・と、流石にバテてしまった。
ほんとうならば、bedで横になって寝直したかったのだけど、横になるのがしんどくて無理っぽいので、暫し、椅子に座って安静にする事にした。
安静にしながら、雑用を済ませて夕方になった頃に、突然またまた、睡魔に襲われたので、慌ててBedに入って寝た!
10月30日薬をやめて2日目なのだけど ·
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肝臓の数値が極端に跳ね上がって、血糖値も一番悪い状態になって、ケロイドの薬をやめて今夜は2日目なのだが、顔のカイカイが一番酷い! ピンポイントではなく、顔中痒い感じだ!
まあ、3ヶ月掛けて悪くなったのだから、治るのも3ヶ月以上は掛かる予定だよな??
薬をやめたからといっても、2、3日で元に戻る分けはないしな??
深夜、熟睡していたら、突然こむら返りになった。慌ててbedから起き上がって、足の指先を床に付けて足首を伸ばしたのだけど、痛くて勝手に指先が跳ね上がって来る。力いっぱい押さえつけているのだが、反発して来る力の方が強いようだ。
いつまでたっても一向に良くならないので、痛いのを堪えながら、パソコンの部屋まで歩いて行って、こむら返りの薬を飲んで堪えた!!
薬を飲んで小一時間程経ったら何とか治った!!
久し振りのこむら返りだった。
10月30日calendarの設定で出来る事と出来ない事 ·
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予定表というかcalendarというか、今はyahooのcalendarとGoogleのcalendarとoutlookのcalendarを使っている。
昔はoutlookの予定表だけだったのだが、新しくなって使いづらくなってしまったからだ。
yahooのcalendarはdataを共有するのが、一番単純で簡単だからyahooと、privateの予定をGoogleで、yahooに同期しているのだが、昔のoutlookの予定表では出来て、今どうしても、出来ないのが、二月にまたがるscheduleなのだよ。
以前も同じ事について書いた事があるのだけど、人は仕事の予定を入れる場合には、大体2,3週間前からの予定をcheckするのだが、今日は10月の30日の金曜日である。つまり、今月は31日の土曜日まで後一日あるのだよ。だけど、yahooにしてもGoogleにしてもcalendarはその月しか開かない。
以前のoutlookでは左側に二月を表示させて、任意の月をdrugして、第二週からでも、第三週からでも、4週間、5週間と表示させる事が出来たのだが、新しいversionになってからは、どんなに設定を変えても出来ない。
私の場合には、病院の予定は1年とか、半年とかのintervalで診察や検査がある。普段の通院は薬を貰いに行く3ヶ月の診察と検査だ。
その間に、自分の仕事が入るし、教室の予定も入って来るので、自分の時間と先生達の時間を整合させないとdouble-bookingが起こると始末に負えない。
常に2週間先や3週間先を見て、予定を決めるのは私だけの特別な事ではない・・と思うのだが、なんで、予定が月単位なのだろうか??
それで一般の社会人は仕事になるのかな??
claimが、何故ないのか、そこが不思議だ???
10月の予定とか11月の予定というのは、日常生活では有り得ないと思うのだけどね??
普通は常に、その日の前1週間と先の3週間が基本ではなかろうか??
古いoutlookならばそれは可能だったのだけどな??
コメント
村田 晟
私のはW8.1に戻してるからか、カレンダーは日単位、週単位、月単位などできますし、数十年先まで入力できますけど・・・
· 返信する · 11週間前
芦塚 陽二
表示するのが、第3週から次の月の第2週までの4週間という意味です。所謂、月跨ぎの表示が出来ない・・
· 返信する · 11週間前
芦塚 陽二
4週間に関しては、やり方が分かりました。設定でカスタムの表示を4週間にして、左の小さなcalendarから先頭の日を選んで、次に表示から4週間を選ぶと、同じように途中の週から4週間が表示されます。以前のように左側の月が二月表示されて、表示したい週を任意でdrugするような柔軟性はありませんが、何とか4週間表示は出来るようです。超、面倒くさい!!
· 返信する · 10週間前
芦塚 陽二
Googleのtodoリストがパソコンに入れた仕事が携帯に反映されません。仕方がないので、todoをdownloadしてみたのですが、同期の設定がみあたりません。仕事のmemoが2回別に書き入れるのは、面倒くさいし、ミスが起こるので何とかパソコンと同期させる事が出来るようにならないかと、悩んでいる所です。
· 返信する · 10週間前
村田 晟
todoは導入してないんです。まだガラホなんで(笑)
· 返信する · 10週間前
芦塚 陽二
自分のためにならば、そんなCalendarも要らないぐらいなのですが、仕事を先生達と共有しなければならないので••・・
· 返信する · 10週間前
村田 晟
いえいえ、良く分かります。
私一人でもパソコンとガラホにスケジュール入れてますが、良くどちらかに書き込み忘れて(笑)
だから毎日双方をチェックするつもりが、それも忘れることが(笑)
約束相手から事前に連絡があって気が付くことも・・・
現役時代はメモしなくても覚えていたんですけど、リタイヤしてからは気が緩んで(笑)
· 返信する · 10週間前 · 編集済み
10月31日明日からは、いよいよ11月! ·
プライバシー設定: 公開
寒い!! 余りにも寒いので、携帯を開いて見たら、何と練馬区の気温は既に9℃だそうな??
やはり、二桁を切ってしまったようだな!
明日からは、いよいよ11月!
それに満月で、しかもHalloweenだそうな??
今年は、渋谷には、Halloweenは来なかったそうな??
極々、普段通りの渋谷の賑わいだったそうな??
日本は良い国だよね~ぇ??
若者たちがおとなしく老成しているよね~ぇ??
まあ、どうでも良い事なので、gasfanheaterのfilterの掃除をしていたら、突然掃除機を手に持ったままでfreezeしてしまった。
別にお化けが出た分けではなく、突然疲れて体がfreezeしてしまったのだ!!
いよいよ年の瀬が近づいて来ているようだな??
11月は、病院回りと、お引越し作業と、Christmas会の準備と練習とで・・、後なんだっけ??結構色々と忙しかったような気がしたのだけど・・・??
11月1日昨日はHalloweenでした。 ·
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今日は、どうやら、なんとなんと、11月の1日らしい。
そして今は日曜日の2時半を過ぎた所である。
昨日は、当然、11月の31日だったのだが、30日、31日と朝早くから結構仕事が捗って、体調もそんなには悪くは無かったのだが、土曜日に食べた蕎麦の残りが冷蔵庫に入ったままで、もうそろそろ傷んでしまいそうなので、急遽、蕎麦でお昼を食べたのだが、食後の後片付けをしていたら、牧野先生から「pocket-Wi-fiを花園教室に持って行くのを忘れたので、web-lessonを交代して欲しい!」とのlineがあったので、急遽、椎名町に移動してwebでPianoのlessonをした。なにせ、ハイツにはPianoが無いのでね??(古いマンションなので音が筒抜けなので代わりに音量が調整出来る電子ピアノを置いているのですよ。)
恙無くweb-lessonは終わったので、食事とドルプリっ歩を次いでに済ませてから帰ろうと、時間があるので、斉藤先生の仕事の手伝いをしようと思ったのだが、食事をしている途中で、突然、体調不良に襲われて、ドルプリっ歩もpassをして大急ぎでハイツにbikeで戻った。
未だ9時前の時間だったのだが、当然、戻って来たままの荷物は広げたままに、昼間のお蕎麦の後片付けもそのままに、bedに入った。眠れなかったのだけど、普段のように椅子に座ったままの茫然自失でテレビでも見ている事も無理だったので、bedに入って寝て呆然としていたら、いつの間にか入眠出来て、起きたのは良いのだが、なんと今度は深夜の2時半である。
相も変わらず、肝臓か腎臓の辺りが腫れて痛いのだが、電気マッサージ器でマッサージをする元気はとても無い。
暫し、安静にしていて、余力が少しは戻ったから、蕎麦の後片付けでもしよう。
そう言えば昨日は「Halloweenだ!」とテレビで大騒ぎをしていたようでした。
つまり、「Halloweenなのに、仮装した人はおろか、人の出も少なく、virtual-Halloween(=ヴァーチャル・ハロウィン)になっている」と喜んでいる人達が居て、「ふ~ん??」と思ってしまいました。
corona(=コロナ)は兎も角としても、それで良いのかな??・・ってね・・・??
それと、もう一つ、昨日は満月だったのだそうですが、雲一つ無い絶好の夜空なのだけど、デジカメを取り出して満月さんの撮影をする元気も流石に今夜はありませんでした。
だって、無理をして写真に撮ってしまうと、いつの満月の写真なのか、全て同じ顔にしか見えないのだよな??
超、美人で可愛い女優さんだったら、表情に年齢が出るので、「若い時・・」ぐらいは分かるのだけど、満月さんの表情では、年齢は判別不能だからね??
・・それでも・・見る人が見ると「これは何年の何月の満月!!」って分かるのだろうね??
先生達が某・楽器店の楽器fairに出掛けて行って、余りの酷さに、超Shockを受けて帰って来ました。
何が超酷かったかというと、試奏してみた楽器も当然そうなのですが、それよりも、某有名音楽大学を卒業して、留学をして世界のconcoursに入賞をして、演奏会もしてCDも売っているような人の演奏が、余りのあまりだったので、「なんで??」「どうして??」と斉藤先生に改めて、訊かれたのですが、その理由は昔から言っている事だし、超Shockの原因は、私のせいではないので、その理由を私に聞いても詮無い事でしょうよ!!
でも、その疑問は毎回、日本人の演奏会を聴きに行けば、いつもの事でしょう??
極々、珠にしか聴きに行かないからcultureshockを起こすのでしょう??
11月1日信じられないことにTartiniの悪魔のtrillのperiodの演奏が ·
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baroque時代のViolin-sonateの勉強としては、corelliやHändel等のsonateの他に、特に技術力のある生徒達には、TartiniのViolin-sonateの中から名前の付いている超有名な3曲をselectして勉強をさせる事にしている。
baroqueのViolin-sonateの中では、TartiniのViolin-sonateは超絶技巧の曲だからである。
という事で、Tartiniの名前のあるViolin-sonate、3曲の楽譜のcheck※)をしていたのだが、You Tubeで演奏を聴きながら、生徒達に推薦出来る模範となる演奏を探していたのだが、信じられない事に、彼の有名な『悪魔のトリル=Devil`s Trill Sonata』のbaroque-Violin(periodの演奏)のversionが、たった一人の女性の演奏しか無かったのだよ。
※)有名な名前の付いた3曲というのは、Op.1のNo.5の、所謂、grandsonateと、Op.1のNo.10のSonata In G Minor Didone Abbandonata(所謂、捨てられたティドーネ)と、彼(か)の有名なSonata in G minor Devil's Trill(所謂、悪魔のトリル)の3曲なのだが、それぞれの楽譜が3っつ以上の色々な版で出版されていて、その版の違いをcheckをしていたのだが、それぞれの版が異なるversionで書かれていて、間違いだらけのUrtext(原典版)※※)や、超下手なarrange等々があって、なかなか真面目に真剣にcheckする気にはなれなかったのだよな??
彼(か)の有名な悪魔のトリル、一つ取っても、Kreisler版を、Violinのpartはそのままにして、Piano伴奏譜を更に複雑に改訂しただけの版で、やたらと饒舌なだけだったり、原典版をcopyして、Cembalo譜を書き足した版で、Cembaloのpartはなかなか上手にRealizationをしているのに、Violinのpartまでも全く自由に書き直しているので、原典版の態を成さなかったりして、マジに帯襷な版ばかりなのですよ。
だから、それ等をcheckするのは、結構、意を決して・・という感じなのだけどね・・・・
汚部屋を片付けている時の心境に似ているのかな??
※※)間違いだらけのUrtext(原典版)という意味は、分かり切った事なのだが、古いUrtextのfacsimile版(手書き譜ではなく、初版本のfacsimile版なのだが)は当然、Violinとcontinuoの2声部しか書かれていない。
それを、出版に際して校訂者がCembaloのpartを書き加えるのだが、2小節目では既にCembaloのpartの和音の音を間違えているのだよ。
(このUrtextの校訂者は自分で作った楽譜を一度も弾いていないのだよな??この手のミスは、理論家が犯すよくある阿呆らしい間違いなのだけどね??弾けば素人にも分かる間違いなのだけど・・??)
次は、楽譜の話ではなく、演奏の話なのだが・・・、
You Tubeではもう1つだけ、guitarの伴奏のperiodのversionの演奏があったのだが、演奏している人はCembaloとcontinuoの伴奏で演奏している人と同じ女の人の演奏だった。
periodの楽器で演奏するのは良いとしても、演奏そのものは、乱暴で音楽的にもチョッと弱い。
時折、periodの「膨らまし」とは違って、決める音を楽器がnoiseを出すぐらいまで、後押しをするのは、まるで日本人のViolinの演奏を聴いているようで頂けない!!
interpretationも、ornamentも、表情・表現も、全てに渡ってチョッともの足りないのだよな??
それと致命的なのは、baroque-Violinで弾いてはいるのだけど、その版が何の版を使っているのか、分からない。
original-Urtextならば、重音で始まるハズなのだけど、一般的なmelodie-lineだけの演奏なので、これはう~~ん??
どうなっているのだ??普通の版をbaroque楽器で演奏しているだけでなないのかな??
「baroque-Violinでの模範となるperiodの演奏が無い!」とは言っても、無名の曲ではなくって、超、有名な「Tartiniの悪魔のトリル」だよ??
考えられるのかい??
模範演奏が無いなんて・・・
勿論、Piano伴奏やorchestra伴奏の現代風のarrangeや、Fritz Kreislerのarrangeのversionならば幾らでもuploadされてはいるのだが、「baroque-Violin」と検索条件を加えたり、periodと限定した途端に、検索が難しくなってしまうのだよな。
それに加えて、「baroque」・・と、書いてあってもmodern-楽器での演奏であったり、baroque-Violinで演奏しているのにも関わらず、modernな奏法で演奏したりしていて、「period instrumentsによる、periodのinterpretationの演奏」は皆無だったのだよ!!!
・・という事は斉藤先生がperiodで演奏すると、period-versionの演奏は、You Tubeでは、二人目になる・・という事だよね??
やったね?? それはchanceだよな??
「人が未だ誰もやっていない」・・という、穴が見つかったぞ!!
それでも、尚しつこく、You Tubeで色々と条件を変えて検索を続けていたら、なんとoriginalの楽譜で悪魔のトリルを弾いている人を見つけたぞ!!
しかし、色々とmelodieの和音を、変えて弾いている箇所が多いので、本当のTartiniのoriginal-version(所謂、原典版)で演奏している分けでは、無い。
模範演奏とするには、底本となる楽譜や、演奏の仕方については、未だ未だだよな??
しっかりとkritikをして新しいTartiniの書いたversionを探し出さなければ・・
う~ん、てえへんだ!!
その後、Op.Ⅰの初版本のfacsimileも見つけたので、grandsonateの5番や、10番のDidone Abbandonataのfacsimileもprint out出来たので、kritikが楽になったぞよ!!
やってみるもんだよな??
11月1日 ·
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爆睡中のドル、「お迎えだよ!」と言っても、起きはしない!
「お~い、起きろよ?」と、プリ!!
11月2日今日は川崎の心臓血管外科の ·
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今日は川崎の心臓血管外科の術後2年目の検査です。
腹部大動脈の手術から2年が経つたのですよね~ぇ??
コロナが怖いので、先生達から電車での移動ではなく、車を出すように言われているのですが、川崎は、半分近くが一般道になってしまうので、あんまり好きなドライブではありません。
それに病院の駐車場が台数が少なくて、料金が高いので、駐車するのが一苦労なのですよ!!
本当は電車で、遊びながら、デパートでの買い物や美味しい料理でも食べながら、病院に行きたいのですがねぇ??
とか言いながら、予定の時間通りには車を出したのだが、多少の渋滞はあったのだけど、予定通りには病院に到着した。何と、病院のコインが2台分も空いていたので、何事も無く駐車できた。
受付ついでに、事務の人に、前回の駐車料金について、文句を言っておいた。
最初の2時間は割引で安いのに、それを越すと突然値段が跳ね上がるのだけど、2時間近く待たされるのは、診察待ちの病院の都合であって、俺のせいではないよ!!って言ってやった!
勿論、笑いながらだけどね~ぇ?
血液検査とCTをして、診察を待っていたのだが、今日はいつもの手術を担当した先生ではなくて、初めての先生だったのだが、一人3分の先生で、何と2時間以内に診察が終わってしまった。「2年前に非常に体調が悪くなったのだが、そのまま良くはなっていないのだけど、悪くもなっていないので、良しとしましょう!」•••という事だった。
まあ、そんなもんかね~ぇ??
という事で、今回は超珍しく1時間55分で検査と診察が終わったのだよ。
という事で、駐車料金は2時間以内だったので、1100円の割引で、220円だったのだよ!
割引無しの通常の料金ならば1320円なのだそうな?!
それ以降は通常の料金で、30分330円だそうな??
前回は1600円以上も払ったしね?
それにしても、高けえよな??
前回は4時間近く掛かったのだけど、それは、予定の時間よりも1時間以上遅れて、待たされたのだから、俺のせいではないのだけどね??それなのに、待たされた分の駐車料金も払わないといけないのは、踏んだり蹴ったりだよな??
そこは、配慮して欲しいよな??
帰りは結構渋滞して、往きが1時間だったのに対して、帰りは1時間半も掛かってしまった。
それから、超大変な椎名町の車庫入れをして、椎名町のドルの部屋で、暫し呆然とテーブルに座っていたのだが、疲れが酷くなって意識が混濁して来たので、慌ててハイツに戻った!
これ以上になると帰れなくなってしまうのでね?
Bikeに乗ろうと思ったら、雨がパラパラと降って来たのだが、面倒くさいので、レインコートも着ないで、そのまま走ってしまった。
ハイツに到着して、荷物もそのままで、寝てしまったのだが、珍しく結構熟睡して、気がつくと今日が終わっていた。
病院だけで今日の一日が終わったのだよな?
熟睡してしまって、椎名町に食事とドルプリっ歩に戻る事が出来なかったので、腹が減ったのだが、ハイツの冷蔵庫には食い物が何も入っていないのだよ!
これは困った!!
でも、外は雨が降っていて寒いので、お弁当を取りに行くのはやめて、部屋で閉じ篭って空腹に耐える事にした。
まあ、それでも痩せる事はなく、逆に肥ってしまうのだが??
11月3日悪魔のtrillの原典版 ·
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またまた、1日飛んでいる感じがする。
どうしても、今日が水曜日に思えてならない。
何度も「今日は火曜日!」と確認しているのに、またいつの間にか水曜日のrotationで動いているのだ。
困った!!
普段ならば、火曜日は時間の制約を受けないので、閉じ籠もって時間の掛かる仕事を優先してするのだが・・・
今日は、軽い鬱で、なんとなく仕事に身が入らないのだよな??
3Dの楽譜はTartiniの『悪魔のトリル』のoriginalの版で、普通目にする事の出来ない大変珍しい版なのです。偶然手に入った版なので、出版社も分かりません。コピー譜が偶然手に入ったので??
普通、私達が耳にする「悪魔のトリル」は、現代の名ヴァイオリニストであるKreislerの編曲版です。
一般的には、悪魔のトリルを演奏する多くのヴァイオリニストがkreisler版を使用するのですが、実際には多くの校訂者の人達が、この悪魔のトリルの名曲を編集していて、数多くの版が出版されているのですが、そういった版を「目にする事、耳にする事は殆どないのでは?」と思っています。
また、この悪魔のトリルのperiodの演奏なのですが、困った事にbaroque-violinによる演奏が、originalの原典版による演奏ではなく、改訂版なのです。
originalのversionの版は当然、soloとcontinueoしか書かれていません。
原典版と書かれたCembaloのpartの追記された楽譜は、困った事にsoloのviolinのpartが加筆、補筆されているのですよ?
それでは本当は原典版とは言いませんよね??
あくまでも「原典版を底本にした・・・」という言い方でなければなりません。
原典版とは、基本的には、何も付け加えない、もしも、明らかな作曲者による楽譜上のミスがあったとしても、脚注による訂正だけで、本文を訂正すべきではないのですよ。
それとも原典版という称号を取り下げるか?なのですがね??
You Tubeでoriginal版の演奏をさがしたのですが、baroque-Violinの演奏があったのだけど、original-versionによる演奏ではなかったので、更に頑張って探したら、なんとか1人だけ見つける事が出来ました。
その演奏は演奏そのものは今三なので、その演奏をもって、模範演奏として推奨する事は出来ませんが、今の所はその演奏しか見つかっていないので致し方ありません。
勿論、原典版の演奏ではありませんが、原典版を底本にした演奏という事は出来ます。
コメント
純子斉藤
楽譜は立体映像にしなくても・・・・⁉️
· 返信する · 10週間前
芦塚 陽二
音符に動きが合って良いだろう??
· 返信する · 10週間前
村田 晟
目が回って酔いそう・・・船酔いでなく楽譜酔い(笑)
· 返信する · 10週間前
芦塚 陽二
舞台で指揮をしていると、よくそんな感じに楽譜が見えてしまいます。
特に目を瞑って楽譜を読んでいるとそうなるようです。
· 返信する · 10週間前 · 編集済み
芦塚 陽二
この数日の間、Facebookで追記訂正が出来ません。
文章を訂正したくても、補足説明したくても、出来ないままなのです。
『「リクエストを処理出来ませんでした。」リクエストに問題が発生しました。できるだけ早く解決できるよう、作業中です。』・・とmessageが表示されて、折角書いた文章が消えて無くなってしまいます。
困った事だよ!!
11月3日period奏法について ·
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『baroque時代のperiod奏法について=rootsという考え方』
弦楽器の奏法で『roots』という考え方を説明します。
音楽大学の生徒が「period奏法の勉強をしている」と言ったら、大学の教授の先生から「先ずは基本の勉強をするのが先だよ」と怒られてしまった、・・と言っていました。
まあ、それに対して異論を挟む人は少ないと思いますがね??
でも、私はその少ない異論を挟む人・・なのですよ。アハッ!
その先生は、学ぶべき基本となる弦楽器の奏法がたくさんあるのに、更にperiodの技術を学ぶのは無理だ・・と考えたのでしょうね??
『rootsを学ぶ』という事については、一般的には、「現代の我々が学ぶべき基本的な技術の上に、更に古典の技術を学ばなければならない。」、「今の技術の知識の上に更に古典の技術を組み上げて行く」・・と考える人達が多いのではないでしょうか??
でも、その考え方は根本的に間違えています。
そもそも、『rootsに対しての考え方』が間違えているからなのですよ。
Violinが出来たのは1500年代の後半から・・なのですが、その当時の弦楽器の奏法は、当然、当時の弦楽器の奏法であるviola da gamba等のRenaissanceの様式の弦楽器の奏法で演奏されなければなりません。
それから時代を経るに連れて、Violinの独自の奏法が発明されてきて、baroque時代の奏法、古典派の奏法と、あたかも「tree構造」のように、少しづつ色々な技法が増えて来たのです。
つまり、「難しい」とされるperiod奏法なのですが、実際にはbaroque時代や古典派の時代の所謂、黎明期のViolinの奏法は大した種類ではないのです。基本となる演奏法は数も少なく、技術的にも簡単なのです。
古典派の時代からロマン派の時代の端境期(1790年から1800年に掛けて・・)には、それまでの楽器の全てが改造される・・という大変な事態が起こります。
それは社会的な変革によって、それまでの文化そのものが、閉鎖的な貴族社会や教会から大衆の手に移ったので、音楽も、少人数の貴族や教会での演奏から、一般大衆を対象にした、大きなHallでの演奏に姿を変えて来て、大きなHallでも聴こえるような大音量が楽器に必要になったからなのです。
所謂、Biedermeier時代です。
そこで弦楽器やPiano、管楽器の発音、撥弦の機能だけではなく、その楽器に対しての奏法も、その全てが変わってしまいました。
つまり、ロマン派以降の音楽と、古典派以前の音楽の二つに全ての楽器の演奏法の歴史は分かれてしまうのですよ。まあ、とは言っても、ロマン派以降の弦楽器の奏法が、全く新しく一新された分けではありません。
例え、ロマン派以降の奏法でも、現代に至るまでの弦楽器の奏法のrootsはあくまでもその楽器が誕生した時からの奏法の延長線上にその技術があるのは自明の理なのです。
言い方を変えると、『roots』となる基本的な楽器の音の出し方や、色々な技術は、次の世代での新しい演奏表現の技術に変貌して行くのだから、それを全く新しく学び取るのではなく、先ず、その奏法の『roots』を学ぶ事で、正しい学び方がいとも簡単に習得出来るようになります。
つまり、その奏法の根本的な原理が分かれば、その技術の変形(所謂、arrange)は簡単に習得する事が出来るのですよ。
『roots』の演奏が出来る・・という事は古典派やbaroqueの正しい演奏が出来るだけではなく、ロマン派以降の作品の技術の習得も簡単になります。
でも、今の世界のtraditionalは、現代の技術を習得するだけなので、その現代の奏法で古典やbaroqueの音楽を演奏する事になります。それこそ、関ヶ原の戦いに戦車や機関銃が登場する時代考証になってしまいます。アハッ!
その理由は『古典は難しい』という事に尽きます。
斯く言う私も、高校生の時から、古典の書物を読む事は好きだったのですが、それは回りの人達が読めないから・・という理由だったのかも知れません。
『古典は難しい』という概念は、当時の私にも普通にありました。
・・という事で私も音楽大学の学生時代から、Händelやそれ以前のcantataの作曲家の作品を指揮し、演奏して来ましたが、around40になって、音楽教室を開設してからも、世界にいち早く1990年頃からは、世界でも、初めてperiodに対しての理解が出来て来て、私が音楽大学の時代から研究していたbaroqueの奏法についての演奏団体もやっと登場し始めました。
「何故、1990年頃と、時間を切る事が出来るのか??」というと、私が音楽大学でbaroqueの研究を始めた頃には、Cembaloの復刻がやっとおこなわれるようになって、それまでの Neupert等の機械式Cembaloの撥弦機構の問題点が指摘されるようになって、「古典に帰れ!」という運動がEuropaで起こり始めたからなのです。そして、復刻したhistorische-Cembaloが一般的になるのが、1970年頃だったかも知れません。
しかし、baroque-Violinやviola da gamba等のbaroqueの弦楽器の復刻には、未だ30年程の時間が必要だったのです。それが1990年なのです。
・・とは言っても、未だにforte-pianoの復刻は出来ていません。勿論、今でも復刻のforte-pianoを所有している人はいますが、非常に高価であって、とても一般的に買えるものではありません。forte-pianoがもう少し一般的になって、その復刻モデルが完全に一般化されて、私達のような一般の貧しい音楽家でも所持出来るようになるのは、多分、2030年から40年の頃だと思われます。(人生、一度失ったものを再び手にする事は、それ程難しいのですよ。)
1990年の当時、教室の若い(当時は未だ若かった)先生達にperiodの奏法をlectureして、あらゆる所でのperiodによる演奏活動を続けて来ました。
それは、超古い古典の音楽の勉強なのですが、温故知新ではないけれど、世界最先端の演奏であったのですよ。
当時、定期的に演奏をしていた『ブナ・コン(=珈琲館ブナによるbaroqueのコンサート)』や『オペラ・シティでのtriosonateのコンサート』なども、お客様を対象にした演奏会ではなく、お客様を無視した、periodの啓蒙活動の一貫でした。
勿論、若い先生達へのperiod奏法のlectureをする・・という事が究極の目的でした。
(またまた、カーソルがどこに飛ぶのか分からないので、文章の入力が難しくなってしまいましたので、今日はここまでにします。)
つまり、『古典は難しい』というのは、私自身もそういったtraditionalな考えに支配されていて、音楽教室を開設した後も、『子供達にperiodの奏法を指導する』なんて、馬鹿げた事を考える事はありませんでした。
教室の生徒達に初めてperiod奏法の極々一部を演奏させたのは、2011年の5月の八千代でのコンサートのcorelliのla foliaが最初です。
当時は、今とちょうど同じような教室の端境期で、教室の生徒数も激減して、levelも低くなってしまって、チョッと長い期間、対外出演を休んでいました。
そこに八千代のお話を音人の会の生徒さんが持って来てくれたので、「外での演奏活動はとても無理」という先生達の反対を押し切って、出演希望者を募って、対外出演が可能な水準にlectureをしました。希望参加だけの人達なので、練習に対しての誓約書を取る等の、結構厳しい条件を科しての話でした。
その時に初めて、おっかなびっくりではありますが、corelliのla foliaやその他の曲に、部分的にperiodによる演奏法を持ち込み、「教室の生徒達でもperiodの演奏が可能か??」という試みに挑戦をしました。
その結果は、「思いの他、上手く行った!」という事で、その次からは、更に年齢層を下げて、その次には、発表会でも子供達にperiodの奏法をlectureする・・という事をして、日本の音楽の世界でも、正しい演奏法を学ぶ事が出来るという事と、rootsを学ぶという事の二つの実証をしました。
今は教室ではperiod奏法は子供の内から学ぶ普通の奏法になっています。
写真は音大時代のcantertaの練習風景と本番の風景の写真です。
まだ若い頃の写真なのだよな?
11月5日TartiniのViolinsonateについて ·
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楽譜はTartiniのOp.Ⅰの第5番のe mollのViolinのためのgrandsonateと、第10番のg mollのSonata、所謂、Didone Abbandonata(捨てられたティドーネ)のoriginalのfacsimile譜です。
勿論、原曲なのでCembaloのpartは未だ書かれていません。
でも、Tartini先生は、真面目にBaßのpartに bezifferten Baßの数字を書いていますよね?
面倒くさがって書かない作曲家も多いのでね?
continuoのpartの動きも、とても素晴らしくって、soloに対してのbasso continuoのpartではなく、まるでsoloとBaßのduoのような滑らかな動きをしています。
日本版で一般的に出版されているティドーネ(=Didone Abbandonata)は、Peters版のFriedrich Hermannという人の擬古典版へのarrangeなので、伴奏がPiano用にarrangeされていますし、全く改ざんされていて、Tartiniのbasso continuoの面影もありません。
originalのbasso continuo版もMilanoの出版社のCarisch出版社から出版されているので、より原曲に近い型で演奏したい人はこの版をお勧めします。
但し、continuoのpartを通常のCelloで演奏すると、Violinに対して音量が強過ぎるし、音の質もhardなので、教室で演奏する場合にはbasso
continuo用のbaroque-Celloで演奏します。
私の場合にはオケ練習等の練習で演奏をするので、1/2のCelloを購入して、そのCelloにgut弦を張って、baroque-bowで演奏しています。
それでも、音のbalanceが良くないのだよな??
一般的に演奏されているPianoの伴奏のversionです。
11月6日『Violinのneckにsealを貼って音を取らせる』 ·
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音楽のacademicな世界では、ViolinやCelloのneckにsealを貼ってpositionを指導する事は、安直で指導力がない先生がやる事だ・・とされる事が多いようです。
確かに、巷の音楽教室の先生達の多くは、音が分からない子供達のために、sealを貼ってpositionを理解させて指導する先生が多いようにお見受けします。
そういった一般的な批判を承知の上で、私達の教室でも、巷の音楽教室なので、一般の音楽教室の先生達と同じように、子供達の楽器にsealを貼って正しい音を取るように指導します。
ただ、私達の教室の場合には、sealを貼る意味は、正確な音の位置を理解させるという意味の他にも、芦塚methodeによる理由があって、その意味は、音を取る時に、一つの音を取らせるためではなく、型を作る事で全ての指のpositionを取らせるようにするためなのです。
その目的のためにsealを貼リます。
つまり、一つ一つの音ではなく、型で音を取るのならば、例えばscaleの場合、全部の音を一回で取る事が出来るようになります。
耳で聴いただけでは速すぎてその音のpositionが修正が出来ないような非常に速いpassageでも、型で音を取る事によって正確に音を取る事が出来るようになります。
sealを貼る事を毛嫌いする先生達の主張を聞くと、「sealを貼らない事で、練習をする事によって、自分の耳で音を聞く感性が育つ」と言っていますが、それは間違いであって、逆の効果を齎します。
小さい子供達に耳で音を取らせる事は、音を「さぐり」で探す事になって、音大生になっても、音を微妙に探る癖がついて抜けなくなったり、最悪の場合には、aboutな音程のままで正しい音程を演奏する事が出来なくなる・・という弊害さえも見受けられます。
それどころか、何が正しい音なのかが未だ判断が付かない子供達にとっては、たった一個の音を探すのにも、大変な苦労をする事になってしまい、Violinを嫌いになる元凶にもなるのです。
「子供の間に正しい音を指導すれば良い」と言われるのかも知れませんが、実際のproの音楽家でも一般的な音楽家の世界では「弦楽器の人達は音程が悪い」というのが通説であり、proと呼ばれる人達でさえ、正しい音を取れない人達が多いのは、この初期指導に根本的な原因があるのでは??・・と思っています。
ちなみに、私達の教室では、楽器を習い始める時から(つまり、sealの必要な初歩の時から)教室で楽器を学び始めた生徒達の殆ど全員が、絶対音感を持っています。
勿論、どこかの音楽教室のように、絶対音感のための指導や絶対音感のためのcurriculumでlessonをしている分けではありません。
不思議な事に、普通のlesson、普通のオケ練習の中で絶対音感が身に付いてしまうのですよ。
昔は某国立のorchestraであったorchestraのviolinの奏者の人に「violinでは音を出した瞬間の、他の人が気付く一瞬の直前に音を修正して奏くのだよ!」とviolinの音の取り方のコツを教えて貰いました。
でもその「さぐり」は、私達のような訓練された人間には聴こえてしまうのよね?
だからその修正は、私達には「みっともない!」としか思え無いのだよな??
芦塚methodeでは、その一瞬の修正をしなくても良いように、初歩の段階では、sealで手のpositionの型を覚えます。
それぞれの音は全て型の中に収まるようになっていて、どのような音でも、型の中に収まるようになっています。
全てのpositionは型で取る事が出来て、どのような音程を取る場合においても、その定められたpositionの型で取ります。
型にはⅠ型、Ⅱ型、Ⅲ型の基本の型がありますが、この3っつの基本の型を覚えると、全ての音程を表す事が出来ます。(簡単な数列なのでね??)
楽譜に出て来るどのような複雑な音程であろうと、子供達は口で型を言いながら演奏をする事が出来ます。
小さい子供達に対して耳だけで音を取る事を要求する事は、必要以上に難しい困難を子供達に課すだけではなく、弦楽器を学ぶ上では、一番やってはいけない「さぐり弾き」という演奏を子供達に教える事になってしまいます。
正しいpitchを常に微妙にさがす癖がついたり、正確なpitchが取れていないのに、そのaboutな音程のままに演奏したりする・・という致命的な癖の付いた多くの音大生を見受けたりします。
そういった癖が付いた音大生にとっては、仮にどんなに綺麗な音を出せたとしても、音楽の世界で生きて行く事は致命的に難しい事になってしまいます。
音楽の勉強の中で、一番難しい事は初歩の段階に戻る事なのです。
世界的なproの人達で、よく「私はいつでも初歩のlevelから勉強する事が出来る」と自慢をしている人がいるのですが、言い方を変えると、「初歩の段階からやり直す」という事は、それぐらい難しい事なのですよ。
教室でも、技術的に行き詰まった生徒さんが教室を訪ねて来ます。
Pianoの生徒さんの場合には、その大半の生徒さんが間違えた指使いを習ったために行き詰まってしまったのですが、Violinの場合には、音の取り方を学んでいないで、耳で取ろうとするので、その音自体が間違えている場合が非常に多いのです。大半の生徒さんがPianoのように、一個ずつの音を指で取る癖が付いているので、そういった、ある程度指が回るようになった生徒さん達に、一個ずつの音ではなく、型として音を取る事を教えるのは容易ではありません。
教室では子供達が手の型、指の型を覚えた(Ⅰ型、Ⅱ型・・が出来るようになった)段階で、sealを取ってしまいます。
その段階でsealに頼る生徒は一人もいなくなるので、子供達が、ちょうど高い楽器に買い変える頃には、sealを貼る事は無くなっているのですよ。
初めにも言ったように、Violinのような弦楽器の先生達の場合には、初歩の段階でも、sealを貼る事を極端に忌み嫌って、「amateurっぽい!」と毛嫌いする大学の先生達や音楽教室の先生達も多く見受けますが、しかし、視点を変えて見ると、楽器には最初からsealを貼っているのと同じように、Fretが貼られている楽器が多数あるのですよ。
その最たるものはbaroque時代を代表する楽器であったviola da gambaを筆頭にすとるgamba族です。
gamba族では、弦でFretを張るのですが、そのFretは動かす事が出来るので、曲の調性のpitchに合わせて、微調整が出来ます。
本来的には、同じ音でも調性によって、pitchが違います。
例えば、所謂、基準音となるドの音(Cの音)なのですが、同じドの音(Cの音)でも、ハ長調のCの音と、変ロ長調のCの音はpitchが全く、違うのですよ。
しかし、同様にFretのある楽器でも、guitarの場合には、Fretが埋め込み式なので、動かす事は出来ません。
ですから、音は、Pianoと同じように、平均律の調律になっています。guitarは基本的には独立楽器であって、ensemble楽器ではないので、平均律でも良いのですよ。
折角、guitarの事が例に出て来たので、guitarに関しての話を推し進めて、guitarのFretを見ると、高い音になるに従って、全音間の音程の間隔が短くなっていきます。(Pianoの場合には弦の太さと長さが、高音域になるに従って、短く細くなって行きます。原理は同じなのです。)
指で音程を取る場合には、octave上になると、指と指の間隔がかなり狭くなって、覚え直さなければならないのですが、型で音を取っている場合には、型が少し狭くなるだけなので、覚え直しは必要はありません。
人差し指と小指の間隔を決めると間の間隔は自動的に狭くなるだ
けなのでね。Violinの場合には人差し指と小指は、ちょうどoctaveになるので、octaveのmelodieが出て来た時には、その間隔の原理を知っておかないといつまで練習しても、弾けるようにはならないという結果を招いてしまいます。
型で「音を取る」という事は、一個一個の音を、positionとして取る分けではなく、そのpassageの中に出て来る、各positionの基音の音だけを取ります。
だから、常に意識して取る音は、そのpositionの中の基音を取れば良いだけなのです。
後は、型がやってくれるので、音取りは、とても簡単で、正確です。
初心者を指導する時のkonsonanzの音は、各弦の倍音上の音だけなので、同度、octave、完全5度、(ひょっとして、完全4度)までの音になります。つまり、倍音率の最初のgroupだけになります。
多分、それ以上の音は初心者では聴き取る事は無理だと思います。
Violinの調弦の時には、5度でtuningをするのですが、完全5度には、高めの5度から低めの5度まであるので、それを間違えてtuningをすると、orchestraは出来ないのですよ。つまりAの基準の音すら合わなくなるのですよ。
耳でkonsonanzを聞き取る事は、上級生に取っても難しい事で、音大生でもkonsonanzを聴き取れる生徒は数多くはありません。
その根本的な理由は、konsonanzの音がそのまま正確なpitchであるのは、基本となるoctave上だけだからです。
教室ではある程度の指の型、手の型が出来るようになると、結構早い初歩の段階から、耳でkonsonanzを聴いて、楽器を共鳴させるように指導するのですが、そのkonsonanzは基音のoctave上の場合だけなのですよ。
基音上の音は良いとしても、それからもう一つ上のoctaveになると、物理的なkonsonanzのpitchと、音楽的な耳によるkonsonanzのpitchは違ってしまいます。
物理的なkonsonanzのpitchは、人間が心地良いとするoctave上のpitchよりも低くなってしまうのですよ。
つまり、440cycleのoctave上の音は880cycleではなく、880+αになってしまうのですよ。(勿論、下のoctaveは440cycleではなく、少し高めの440+αになります。)
そのために、調律師の人達は基音のoctaveを調律したら、そのoctave上の音は物理的なtunerに頼るのではなく、耳による感性で、高めに調律して行くのですよ。これが困った事に同じ調律師でも日によって、時間によって変わってしまうのです。だから、2台のPianoを調律する場合には、1台目のPianoを調律したら、そのpitchを二台目にcopyをするのです。それぐらいに難しいのですよ。
子供達も、最初にlessonで曲を弾いて来る時には、物理的なhighpositionで弾いて来るので、それを感覚的に上げて演奏させて、感性のoctave上の音を指導します。
当然、楽器も正しい感性上のkonsonanzでは、共鳴しなくなってしまうので、楽器も感性的なKonzertでも共鳴するように、trainingをしなければなりません。
毎日練習を始める前に、作音の作業として、konsonanzの位置を上げて、楽器に高いkonsonanzの位置を教えなければなりません。
楽器に対しての正しいpitchでもちゃんと音が鳴るように作音をするのです。
Violin族にFretが付いていないのは、pitchを正確に取るためではなく、正確に狂わせるためなのです。
一般的には、基準となるAのpitchは絶対に変わらないと思われていますが、実際には、調(調性)が変わるとAのpitchも狂って来るのです。(このお話しは基準音のお話しではありません。調の中で登場するAの音のお話しなのです。)
それ以上にbaroqueや古典派の時代には、古典調律というのがあります。
教室でもmeantone調律や、Kirnberger調律をよく使用してcanon等の演奏をします。その場合には、平均律のpitchは取りません。それぞれの調律の中のお話しになります。
教室でも上級生になると、純性の調でも演奏します。
つまり平均律と純正調の弾き分けをします。
Violinを学び始めた初歩の子供達が、一番最初に学ぶ一つの音の違い、オケ練習で指導される音のpitchの違いは、『導音の音』でしょうかね??
「この音は導音だから高めに!!」「この音は通常の第7音なのだから、普通に低めに!」と小学生の低学年の子供達が指導されているのを見て、理解不能になった音大生もいます??
『導音の音の高さ』なんてpitchの事は、音楽大学では習わないのでね?
教室ではそれは当たり前のお話なのですがね??
proのオケの連中の通説では「Violinやviolaの人達は音程が悪い」とされています。弦楽器の人達で絶対音感を持っている人達は作音楽器でもないPianoに比べても、少ないのは、「何故だ??」と思われますか??
これだけのお話でも明白でしょう??
11月7日お久し振りで、超、欝が酷くなった!! ·
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11月7日土曜日
今日はお久し振りで、超、欝が酷くなった!!
勿論、欝の原因から、私が直接何らかの影響を受ける分けではないので、幾ら「私は**欝だ!!」と言っても誰も同情してくれない。
「あんたには関係はないでしょう??」「そんな事でなんで悩むの??」てな感じかな・・・??
でも、俺のそれまでの努力が無に帰してしまうのだから、やっぱりShockはShockなのだよな??
俺に直接的には関係はないとしても、頑張ってそこまで引っ張って行ったのは私なので、その努力が水泡に帰する分けなので、やっぱり時間の無駄なのだよな??
という事で、やっぱりShockはShockなのだよ。
「何故、人は正しい道を指し示しても、それが分からないのだろう」と悩んで見ても、個人のお話ではなく、国として見ても、歴史として見ても、・・アメリカを見ても中国を見ても、・・歴史に学ぶ事も無く、正しい道を歩む事が出来ないのだから、一般の小市民が、自分の将来の道が見えないのは仕方のない事かも知れないのだよなぁ?
人々が間違えた道に突き動かされた歴史は、Hitlerの超残酷な歴史だって、今私達の直ぐ前の時代にもあったのだよ。
その恐怖と体験した人が未だ生きているのだよ。
歴史はほんの少し前に起きた事さえ、遠い昔のlegendな時代にしてしまう。
一旦、扇動されてしまうと、正直で優しい普通の人が、恐怖支配を賛美崇拝してしまうのだよ。トランプを見ていても分かるよな??
人はそれが誤りだと分かっていても、そこが危険な場所だと分かっていたとしても、人と一緒だったら安心してその誤った道を選択してしまうのだよ。
そして、それから何が正しくて何が間違えてるのかさえも分からなくなってしまう。
だから、そこで「正しい道を選べ!」と言っても、詮無い事なのだよ。
本人が望んでその道を選んだのならば、それはそれしか選択肢がないのだから、それで良いとしか思う他はないのだよな??
それで道を誤ったとしても、それも昔から言われているように、それも淘汰の一つに過ぎないのだよな??
本人さえそれで良ければ、それはそれで良いのだよな??
世界の歴史のような大きな事も、日常の些細な事も同じ人生の一コマに過ぎないのだからね??
まあ、世界情勢や人様の日常の事はさておいたとしても、それでもShockはshockで、欝は欝なので、酒でも飲んで思いっ切り飲んだくれたい・・という事で、お久しぶりに斉藤先生を「寿司屋にでも・・」と、飲みに誘ったのだが、「明日のオケ練習の準備とお引越しの準備で超忙しい!」という事でにべもなく断られてしまった。
「独り飲み」ならば、寿司屋ではなく、ハイツでの『ぼっち飲み』と言う手もあるのだが、鬱の時には『ぼっち飲み』は、あまり良くないのだ。
鬱がより酷くなるので、『独り飲み』であっても、寿司屋のような大人数の居る所の方が良いのだが、コロナではそうも行かないしな~ぁ??
・・・と言うか、それ以前に、私の腎臓と肝臓の値がこの所、急変しているので、今はalcoholはdoctor-stopが出ているので、本当は飲んだらダメなんだよな~ぁ??
来週の木曜日に、もう一度ひかりヶ丘で血液検査をして、異常な値が出るか出ないか・・で、その後の治療の方針が決まる・・という結構大切な時期なので、今は安静にして体を休めておかなければならない時期なのだけど、それでも欝は欝だから仕方がないよな??
ぼっち飲みのためにsummitでおつまみmenuを買って来たのだけど・・・、おつまみmenuを少し摘んで、晩飯の代わりにしてしまった!
はてさて欝のお相手の飲みtimeは、どうしようかな??
超、悩んでしまうのだよ。
神と悪魔のせめぎ合い・・なのだよな!
今日はお昼過ぎから、車の車検が終わったので、ドルプリを連れてトヨタまでお散歩がてらプラプラと歩いて車の引き取りに行ったのだよ!
前回は、電動チャリでドルを乗っけて、トヨタまで乗って行って、帰りは私は車で、斉藤先生がドルのお迎えに来て散歩をしながら、歩きで帰るというpatternだったのだけど、牧野先生の一言で、歩きでドルプリと一緒に行って、車で帰る・・という初patternなのだ。
トヨタまでの距離は、遠いと思っていたのだが、椎名町⇒flower公園⇒椎名町駅までの距離だという事だ。
まあ、それならば、歩ける距離ではある・・という事で、「鬱だ!鬱だ!」と愚痴りながらでも、お散歩が少し出来るようになったのかな??
2年前の二つの大きな術後のリハビリテーションのお散歩では、flower公園⇒椎名町駅⇒長小⇒事務所の50分間のcourseなのだが、それぞれにベンチで少し休まないとお散歩が無理だったのだけど、このコロナ以降は、一度も休まないで、座らないで散歩をしている。
あまり、気にはしていなかったのだけど、思えば、結構な進歩だよな??
お散歩の帰り道は、車で帰って来たのだけど、夕食、夜食には時間が中途半端になってしまった。
この所、毎週土曜日は、斉藤先生が忙しくて、食事を作る時間もないので、Summitの弁当で、2週程、間に合わせていたのだけど、今日もsummitに弁当を買いに出掛けて、そのまま、ハイツにbikeで帰る事にした。
以降はハイツでのお話なのだけど・・・
弁当類を冷蔵庫に放り込んで、パソコンを開いて見たのだが、鬱が酷いので、何もする気にならないのと、鬱が酷い所為なのか、パソコンのmonitorの調子が悪くなってしまって、sleepが出来なくなってしまって、何度も、sleepと再起動とパソコンのon-offを繰り返してしまった。
何とかパソコンを上手く終了出来たので、Bedに入って寝ようとしたのだが、椅子では起きているのさえ困難で、殆ど意識混濁して眠っていたのに、Bedに入った途端に眠れなくなってしまったのだよな!!
という事で、パソコンが閉じなくなった事と摂眠障害で『ぼっち飲み』の話はどこかに吹っ飛んでしまった。
善哉!善哉!!
次の日の朝に、牧野先生からBoccheriniの話でYou TubeでBoccheriniのconcertoの演奏を探そうと思ったら、なんと音声が出ない。You Tubeだけではなく、skypeも音声が出ないので、多分、パソコンの配線上のtroubleだろう・・という事でパソコンの全てを動かした。一人でパソコンのrackを動かすのは大変なのだよな??音声codeの抜き差しをして、パソコンのYou Tubeでtestしてみたら、治っていた。故障は接触不良なだけなのだが、codeの抜き差しに至る過程がてえへんなのだ。
曲にはTartiniの悪魔のトリルのように、arrangeの方が有名になっていて、originalは殆ど演奏される事のない曲がたくさんある。
珠加ちゃんはBoccheriniのCello-concertoはもう弾いた事があるので、originalのfassungで演奏したいという事で、今finaleでpart譜を作成中である。前回真雅がoriginalのversionで演奏した時には、scoreをそのままcopyして渡したので、part譜は教室には未だないのだよ。一般的にはGrützmacher版での演奏が普通なので、originalは、今回探した演奏と、教室で演奏させた真雅の演奏しかYou Tubeでは見つける事が出来なかったのだよな??
カザルスが指揮をしたoriginalのversionの演奏もあるのだけど、時代が古いのでinterpretationが現代風でperiodの演奏ではないので、関ヶ原の機関銃のようなものだ。
それはBoccheriniのinterpretationの問題で、Boccheriniは自分が演奏するCello-soloの曲をcontinuoの伴奏ではなく、Quartettの伴奏でsoloをするような、室内楽の大家なのだよ。
だから、Boccheriniのconcertoでは、orchestraというよりは、室内楽の香りがするのだよ。
それを物足りないとするGrützmacherが色々と細工をして、オケっぽく聴こえるようにarrangeをしたのだが、それではやはり、Boccheriniの意図には合わないのだよな??
逆のapproachで、orchestraを如何に室内楽的に聴こえるようにするか??・・という事に留意をするならば、多分、Boccheriniの意図に即した音楽になるのではないか??と思っている。
問題はkadenzだよな??
今はお久し振りの欝が超、酷いので、とてもkadenzを作る気にはなれないので、kadenzの作り方を珠加に指導して自分で書かせるか??
そうしよう!!
11月8日『自分の居場所』 ·
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心臓bypass手術の跡のケロイドの薬をやめて10日以上経つのだが、そろそろKeloidが痛痒くなって来た。
薬をやめたので、痒みがぶり返して来たのだけど、痒みを止めるだけでも良いので他の薬の可能性はないのかな??
これまでの塗り薬はあんまり効果は無かったしね~ぇ??
困った!!
昨晩は早い時間に椎名町からハイツに帰って来る事が出来たので、ゆっくりと眠るための準備が出来たハズなのだが、昨晩の月曜日からの欝がまたまたぶり返して来たので、寝るための準備が何も出来なくなってしまって、結局は早い時間に眠る事は出来なくなってしまった。
それでも、12時近くになったら、やっとほんの少し、小一時間程は眠れたのだが、折角眠れても、○○欝は取れないのだよな!!
欝が始まってしまった時には、なかなか眠つけないので、次の日に起きる事がpressureになってしまって、益々眠れなくなってしまうのだが、しかし、私はサラリーマンではないのだから、眠れなければ、無理をしてまで眠る事もないし、眠れなければ、予定の時間まで、起きていれば良いだけの事だよな??
何時も、それは分かってはいるのだけど、それでも、眠れない事がpressureになるのだよな??
まあ、仕方がないので、それでは起きている事にしよう!
起きていれば、それなりに仕事は捗るからね??
仕事が捗れば、少しは精神的には楽になるからね??
人は「自分の居場所」に居る事が出来れば、幸せであって欝にはならない。(前振りからは唐突な切り口になってしまった。前口上が余り長くなっても仕方がないので、まあ、由とするか??)
人間にとっての「居場所」とは、「好きな事」をする場所であり、それが出来る環境が「居場所」という事なのだろう。
人は、必ずしも、好きな事を仕事にして働かなくても、定年退職をして、自分がやりたかった好きな事を始める。
それも人の居場所の一つかも知れない。
困った事に、私には『自分の居場所』が、まるで思いつかない!!
まるで人生のlifeworkのように、自分の求める物が探し出せないのだよな??(それでは「人は人生のlifeworkを見いだせない」・・という前提のようだよな??これはあくまでも自分にとっては・・という事で勘弁してもらおう。)
そう言うと人は、私が音楽をなりわいにしているのだから、「音楽は好きな事で、「居場所」なのではないのかな?」と言って来るのだけど、否、これが、私にとっては、実際には・・違うんだよな~ぁ??
勿論、音楽そのものは、私の「好きな事」かも知れないが、それは大きな「好きな事」の中の一端に過ぎないのだよ?
音楽と一言で言っても、それは巨大なgenreを示す言葉に過ぎない。
音楽というgenre・・と言えば、Classicも音楽だし、popularも、jazzも、それこそ、民謡や浪花節等も音楽の・いちgenreなのだよ。
それにClassicと限定してみても、Operaやballet、cantata等の教会音楽もClassicだし、Pianoの音楽もViolinの音楽もある。
それを仕分けして行くと、壮大な宇宙から蟻や、顕微鏡で見ないと見えないようなvirusに至るまでのgenreのように微細に分かれて行くのだよな??
つまり音楽そのもの・・という定義は、実は存在はしないのだよ。
正しく言うのならば、音楽というgenreの中の、Classicという分類の中の・・、と、突き進んで行かなければならないのだよな??
勿論、私がMünchenの留学から帰って来て、最初は「日本の音楽界で作曲で生きて行こうかな??」という事で、NHKのドラマや子供への童話の音楽を作るという事で、作家やproducer達とのmeetingを何度かしたのだけど、結果は音楽に対する考え方の根本的な違いで喧嘩分かれになってしまった。
次にはorchestraや合唱指揮を任されたのだけど、そういった事を望まなかったので、断ってしまった。それにClassic界のbourgeoisie的な感じが嫌で、コンサートに行く事もすっかり嫌になってしまった。つまり、日本の音楽界で作曲をするのならば、音楽業界からは距離を置いた所で作らなければならない・・という事は、私が作曲をしてもその場さえも日本にはない・・という事を知らされてしまったのだよ。
音楽界ですらそういった顛末なのだから、音楽大学等の教育音楽界は押して知るべしなのだ。
私の場合には、別に音楽に拘る必要はないので、では音楽は予定通り33歳をもってやめるか??という事で、経営コンサルト的な仕事を始めたのだけど、文部省の委託を受けた人と渋谷の喫茶店でmeetingをしたのが、pech!の始まりだよな??
私の好きな音楽は、Classicの中の限られた超、鬱々な曲が私のbeliebteな曲なのだから、そんな曲を一般の人達がが好きな分けではないのだよなぁ?
ましてや、子供達にそんな鬱々な曲ばかり指導していても、子供達が付いて来る分けはないだろう??
私は、子供達を教える事は嫌いではないのだが、だからと言っても、好きな分けでもないのだよ。
何故ならば、自分が「こうでなければならない」・・と信じている事を、私が信じているように、子供達に教える事が出来た事は一度もないからだ。
勿論、教える子供が、自分の子供ならば、親に気兼ねする事なく、自分が信じるように教え育てる事は出来たのだろうがね?
私が指導しているのは、他人様の子供達に過ぎないのだからね??
何故「人様の子供達ならば、教えられないのか??」というと、殆どの人達は、皆・・世間という枠の中で生きていて、その枠の束縛から逃れられないからなのだよ。
人間が自由になるには、一般という名の束縛から離れて、「本当に自然な道とは?」と考え直して見なければならないのだよ。
つまり、言い方を変えると、一般では正しいとされる事を見直してみないと、言われた事を信じるだけでは本当の道は見えて来ないのだよ。
自分が立ち位置を変える事無しに、新しい道を理解する事は出来ないのだよ。
人は自分が見知らぬ物、経験をした事がない事を、立ち位置を変える事無しに認める事は出来ないのだよ。
だから、私が幾ら人様に、「この道が一番自然で楽な道なのだよ!」と幾ら説明をしても、皆、一般の人達が歩む、厳しく辛く、最も成功率の低い道を選んでしまうのだよ。
安定性があって、一番、楽で確立が高い道は、(皆がその道を求めて集まって来るので・・)一番困難で険しく、厳しく辛い道になってしまうのだ・・と幾ら言っても分かっては貰えないのだよ。
困った事だ!!
原理は同じで、・・流行り始めのtimingで、タピオカ・ドリンクのお店を始めて、その流行りが終わる直前のtimingで店を次の流行のお店に変えて行けば、流行に乗って仕事をしたとしても、結構儲けるのかも知れないけれど、殆どの人達は、それが流行っている頃に、お店を出すための準備をするので、やっとお店を開店した頃にはもう、すっかり廃れてしまっているのだよ。
だから儲ける事はおろか、開店資金が戻って来る事さえもないのだよ??
次に何が流行るのかを見る事の出来る人達は少ないのだよ。
口車に乗って動いている人達は必ず失敗をするのだよ。
こんなにも当たり前の事なのに、人は分かろうとはしないのだよな??
釈迦が悟りを得て、その境地を大衆に教え諭そうと思った時、釈迦は自分が悟りに至った時よりも。大きな困難に直面したとされている。
自分が悟りに至るのは、そんなに大変な事ではないのだけど、人に悟りを教える事は、その人がそれを真の意味で求めない限り難しい。
「望めよ!さらば与えられん!」の「望めよ」という言葉の意味は砂漠で一滴の水を求めるように「渇望せよ!」という意味になるのだよ。
ドイツ語では「Gedult」という単語になるのだよ。
日常の生活でGedultな生活をしている人なんて、この世に今のご時世でいるのかね??
そやぁ、お金で安直を買う時代なのだから、好き好んでGedultな生活をする人なんて、居る分けはないだろうよ。
安直な華やかさを求めて、満足をしている時代なのだよな??
尊大に「Brahms先生は何処におられるのだ??」と聞いて来た紳士に対して、「散歩に行ったよ!」と応えて散歩に出掛けたBrahmsの気概が分かるかな??
コガネムシは金持ちだ!Oh!Tod!oh!
まあ、人生なんて、そんなもんだわサ??
アハッ!
まあ、そんなに大仰なものではないとしても、私が子供達に「学校で100点を取れる秘訣」を教えようとしても、一般の人は「そんな事がある分けはない」と思ってしまうし、私は逆に、学校の試験で100点を取る程簡単な事はない・・としか思わない。
後は本人が、その気になるかならないか??・・の違いだけだからだよ。
私が教室を作ったばかりの時の生徒達は皆凄い成績だったよ!
勿論、皆さん、音楽の勉強が忙しくて、学校の勉強は全くしなかったのだけどね??
勉強をしなくても、少なくても高校まではなんとか100点で通せたようだよ??
勿論、教室にいる生徒達全員が・・という分けではなく、教室の中で、音楽に熱中した数名の生徒達だけなのだけどね??
今の生徒達はそう言った勉強の仕方をすると親や回りが大反対をするようなので、そこそこの成績しか取れないようだけどね??
これがmethodeだという事は誰も分からないのだよな??
少子化やコロナや、私の指導方針等々で生徒が激減したので、教室の有り様やオケ室内楽の企画も教室を作った時の最初に戻って、renewalする予定で、上級者のオケもBoccheriniだけになってしまったので、教室が新しくなったら、私の曲で発表会では演奏出来ない鬱々の曲や、超難しい曲を専門的に録音して行く予定です。12月にはChristmas会があるので、チョッと割り込めないかも知れないけれど、1月からは本格始動して、音楽教室としては発表会では演奏不能な曲を中心にlectureを開始する予定です。
曲目は私のViolinとCelloのduo集や、violaとCelloのduo、David版のcorelliのla foliaや、やりたい曲や発表したい曲は無数にあります。
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11月8日散歩の途中で歩けなくなってしまった ·
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11月8日の日曜日の夜です。
斉藤先生のお迎えっ歩に、要町までドルプリが既に行っているので、後から追い掛けて、お迎えっ歩に行こう・・という事で、椎名町の事務所を出発したのだが、途中まで歩いた所で腰と大腿の筋肉が痛くなって歩けなくなってしまいました。
何とか頑張ってベンチのあるflower公園まで歩いて行って、公園のベンチに座って足腰を養生させながら、ドルプリが迎えに来るのを待っている所なのです。
しかし、40分以上もベンチに座って待っているのに、どうした事かまだ来ないのだよ!
待つのにもそろそろくたびれて来たのだけど、立ち上がると足腰が痛くて歩く事だ出来ないので、ドルプリが杖を持って来てくれるのをひたすら待っている所なのだよ!!
flower公園には結構大きな木がいっぱいあって、公園のベンチには、時折、枯れ葉が「雨が降っているのではないのだろうか?」と、思われる程にパラパラと音を立てて降って来て、肩や丸くした背中に当たって行くのだよ。
その枯れ葉のあたる感触が、何度も「雨が降っているのでは?」と思ったりさせるのだが、やはり服は濡れていないのだよな?
夜の公園は犬のお散歩の人達で、結構人の流れは切れないのだよな??
広い公園の端から端までを犬に引っ張られた人達が歩いています。
あくまでも、犬が散歩をして、人はくっついて歩いているだけなのですがね??
アハッ!
ああ、やっと要町の方向からと、事務所の方向からお迎えのドルとプリがやって来ました。
これで、なんとか帰れるかな?・・・かな??・・・かな????
11月9日時間が飛んだ·
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昨夜は1時過ぎに寝たのだが、朝、目が覚めて超、暗いので、「1時頃かな?」と思ってしまった!
「いや、寝たのが1時過ぎなので、絶対にそれはない!」・・・という事でテレビをつけたらデカデカと5時のロゴが出ていた!
「なんだ??ちゃんと眠れたのか??」という事で、安心して定型の仕事を始めたのだが、9時頃になったら、またまた椅子に座ったままで意識混濁して時間が飛んでいた。
慌ててbedに入って寝ようとしたら、すぐに鼻詰まりになって、眠れなくなってしまった。
・・・という事で、朝の5時からは眠れてはいないのだよ。
毎回の事なのだけど、本当にこの摂眠障害には困ったものだよ??
それにしても、朝の5時には真っ暗で未だ深夜だと勘違いしてしまった空が、お昼からは雲も少なく、とても良い秋晴れの天気になって来ました。
寝が足りないので寝たり起きたりを繰り返して、あっという間に夜になって、またいつものドルプリっ歩のroutineです。
つまり、平穏でなにもない繰り返しだけの1日でした。
まあ、なにもないとは言っても、TartiniのⅠⅢ楽章のornamentは少し進んだのだよな??
まあ、その程度の事なのだけど、なにも無いよりはマシだよな??
11月10日『作曲家と演奏家の立ち位置の違い』 ·
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元来、音楽というgenreの世界の中では、作曲家と演奏家は別のgenreの職業に属する人種なのだが、Europaの音楽の歴史としては、baroque時代や古典派の時代では、音楽家は世襲の職業であったので、作曲家が演奏をする事が多かった。
華やかな宮廷といえども、どこの宮廷でも経済的な事情はあったので、演奏家の人件費の問題は切実であって、作曲者が演奏家を兼ねる事は当然の事として、足りない人数は他の宮廷の音楽家を借りて、eventに間に合わせる事が常套だったので、その宮廷に所属する演奏家の人数は、必要最低限の人数にも満たなかったのだよ。Europa最大の宮廷であるHaydnの仕えるEszterházy家でも同じだったのだよ。
つまり当時の作曲家の仕事は、orchestraや室内楽のmemberの雇用と訓練、eventの企画、当然作曲と演奏の全てが宮廷音楽家楽長としての仕事だったのだよ。
まあ、ここまで来れば、baroque時代や古典派の時代の生活の雰囲気が分かって、宮廷や教会等で曲を演奏する時には、作曲家自身が、自分自身の作品を自分自身で演奏する事が一般的であった事が分かると思うのだけどね??
今までのお話は、作曲家が演奏家を兼ねていた・・というお話であり、「作曲家と演奏家は元来は別のgenreの職業である」・・という仮説とは真逆のお話をしてしまったので、一般の人達には・・分かり難い話し・・という以上に混乱を招くお話をしてしまいました。
本題である「作曲家と演奏家は立ち位置が違う」というお話に戻って、少しそれについて補足説明を説明をします
と・・、
作曲家は本来的には、genre的には、物書きと言われる種類の人達のgroupに属します。
それに対して、演奏家達は、演劇や野球選手のような技術職、寧ろ、職人としてのgroupに属するのです。
但し、この定義は、Europaの歴史的な時代背景によって異なってしまうので、先ほども同じ話をしたように、もっと正確な時代背景に従って説明をすると、baroque時代や古典派の時代には、作曲家は宮廷の貴族からや、教会の聖職者に雇われた、雇用人に過ぎず、作曲家としては、その場所にふさわしい音楽をその都度、提供するのが作曲家の役目であり、常に新しい曲を、毎週の教会や宮廷のeventに合わせて、量産しなければならなかったのだ・・という時代背景があります。ここまではもう既にお話した事なので、繰り返しになりますが、そこで、こんにちの(当時の時代背景を知らない)私達であれば、「何故、それぞれのeventに合わせて、誰かの作品(既製の作品)を演奏しなかったのか??」と疑問に思う人もいるかも知れないよね??
しかし、それも当時の時代背景を理解出来ていないからの疑問なのだよ。
こんにち(現代)の私達の回りには楽譜が溢れていて、色々な曲をいつでも演奏する事が出来るのだけど、それは印刷の技術が発展して来た20世紀21世紀の時代背景の感覚なのだよ。
今からすれば「自分で作品を作った方が手軽だ」・・という事は、不思議な事かも知れないのだが、当時は出版された楽譜は非常に少なく高価で貴重な物だったので、他人の曲を演奏するためには、楽譜を所有している人から借りて写譜をしなければならなかったのだよ。
その楽譜を持っている人を探すのも奇跡に近く、また書き写すにも大変な手間暇が掛かってしまったので、毎週、確実に訪れる作曲や演奏のnormaを果たすには、自分で新しい曲を作った方がより手軽で確実だったからなのだよ。
演奏についても、こんにちのように、DVDが売られている分けでもなく、netで演奏を聴ける分けでもないので、新しい曲を聴く機会はとても非常に難しかったのですよ。
・・という事なので、現代の売れっ子漫画家のように、常に曲を作る事を求められていた作曲家達には「音楽は芸術である」という発想は有り様もなく、貴族や聖職者の注文に応じて、作曲をするという職人としての仕事にしか過ぎなかったのだよ。
或る人がHaydnに「先生はなんで**の室内楽を作らなかったのですか??」と、質問をしたら「誰も私にそれを注文しなかったから・・」と答えたとされている。
その言葉でも、当時の作曲家の姿が見えて来る。
つまり、その当時は何らかのeventで、他の人の作品を弾くという事は、有り得なかったのだよ!
HaydnやMozartの時代までは、作曲家の地位は芸術家としての立場はなく、単なる召使いとしての低い地位に過ぎなかったのだよ。
だから、この時代の作品は芸術を求めるものでも、作曲家の個性を求めるものでも無かったのだよ。
美しくって、人の心を和ませるものであればそれで良かったのだよ。
私がこういう事を言うと、「当時の作曲家が粗製濫造で粗悪品しか作らなかった・・とか言っている・のだよな?? 作曲家の品位を貶めるような話だ!」と思い違いをする人も出て来ると思うので、それに対して、先に弁解をしておきます。
私がMünchenで作曲の勉強をしていた時に、教授から「取り敢えずは100曲書きなさい。そうしたら、3,4曲は残せる作品が出来る」とか、「その曲が芸術であるか否かは、自分で決めるのではなく、後世の人達が決めるのだよ。」と言われた。
「芸術家というものの存在が、何かがおかしい」と思っていた私としては、この言葉は「目からウロコ」・・だったよな??
焼き物の世界でも美術の世界でも、名人と言われる権威のある人達が居て、その作品を見に行っても、何の感動も覚えない事が多いのです。
だから、素朴に「なんで、この人が権威のある名人で芸術家なのだろうか??」と疑問を感じてしまう事があるのですよ。
確かに、様式としての価値と権威ならば、その人が芸術家である必然性もあるかもね??
でも、それとその人が芸術家であるか否かは別のものだと思いますよ。
音楽家にとっては、神様にも等しいBachやHändelやHaydn等の大作曲家達は、職業作曲家だったので、その作品の数は膨大なものです。
Bach一人を例に取っても、Bachの全作品を聴いた事のある人は殆どいないのではないでしょうかね??
Händel然り、Haydn然りですよね。
言い方を変えると、Bach自身が、或いはHaydn自身が自分の事を芸術家とは思っていなかったと思いますよ。
音楽家にとっては、神様であるBachやHaydnが、多作家である事自体が、その作品の品質を落とすものではない・・という事の証明なのですよ。
Bachが、自分の厳粛な受難曲のもっとも深刻なpassageの中に、当時のおふざけの流行歌のmelodieを放り込んでいたとしても、そのironicalないたづらがその作品の品位を傷つける事はありません。
聖職者をからかっていたからに過ぎないのですからね??
私が音大生の頃からよく言っていた愚痴は、音楽大学での同級生達は演奏家を目指している分けなので、基本は忍耐と努力との練習の積み上げになる。
当然、学生達の意識も、そういった努力と忍耐の積み重ねである。
しかし、作曲の世界は、もはや古典派の時代ではないのだから、「型に嵌めて作れば良い」・・というものではないのだよ。
発想と着眼とimageが全てであって、幾ら努力をしても出来るものでは無いのだよ。
それは詩を作る事や絵を描く事、或いは小説を書く事にも似ているのだよ。
作曲の生徒は、勤勉な努力家ではなく、無頼の落ち溢れの学生で充分なのだよ。
勤勉で努力家の作品の苦労の跡・・なんて、聴きたくはないからね??
だから、音楽大学の中で作曲の勉強を続ける事は苦痛で、私が交流する友人達も芸美の生徒とか、演劇科の生徒達とか、他の音楽大学の作曲科の生徒達とかとの異文化交流であったのだよ。
つまり、私の行っている大学の友人達とはある程度は距離を感じていたのだよな?
つまり、音楽大学では演奏家を目指す生徒達を教育したとしても、作曲科の学生は、音楽大学では教育は出来ないのだよな?
寧ろ、一般大学の音楽部作曲科として教育した方が自然で楽であるのだ、という事なのだよ。
文学部のような詩や小説をThemeとする学科や、美術の大学等の大学で作曲の学生を養成するのであるならば、勉強が楽である。
演奏家や舞踏家等は技術職であり、作曲家とは相いれない分野に属するからである。
私は「教える事が嫌いだ!」と言いながら、色々な分野の多くの演奏家達をProの音楽世界に送り出して来た。
しかし、自慢ではないのだが、私はこれまでの長い人生の中で、たった一人の作曲の生徒も持った事はないし、教えた事もない❢
また、これからも決して、作曲の生徒を育てる事は無いと思うよ!
それに、作曲の生徒なんて、育てられる分けは無いのだよ❢
作曲科の生徒達が学ぶべき理論は、全ての子供達にオケ練習や室内楽のlessonを通じて、生徒達に折に触れて指導しているし、和声学や形式学や、楽曲分析や、ornamentやscoreReadingも普段のオケ練習で普通にlectureしている。
一般の音楽大学で作曲科の生徒にlectureするのはその程度だろうけれど、それは作曲の勉強とは言わないで、一般教養としか言わないのだよ!!
そういった知識が身に付いたとしても、それで作曲が出来るようになる分けでは無いのだよ。
つまり、作曲が出来る奴は、最初から作曲が出来るのだから、教える必要はないのだよ。
11月10日お久し振りに爪が欠けた ·
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11月の10日の火曜日のお話です。
2,3年前の話なのだが、ちょうど腹部大動脈瘤や膀胱のポリープの手術の前後の頃の話なのだが、欝や体調不良の他にも、足の指を家具にぶっつけて、両足の爪が全部剥がれたり、欠けたりして、足の指も大変な状態になっていた。
足の爪をぶつけないように、椅子やbedの足にスポンジで保護をしたり、スリッパから指が飛び出さないようにしっかりとしたスリッパに買い直したり・・と色々と大変だったのだけど、それからは、体調や欝はあまり変化はなかったとしても、兎も角、徐々に爪が欠ける事は少なくなって来て、この所は爪を欠がす事は無かったのだけど、昨晩は珍しく左手の人差し指の爪が少し欠けた。
どこでどのように欠けたのか??という原因は分からないままだったのだが、傷は余り深くはないので、爪を切るだけでなんとか誤魔化せた。
しかし、欝になると、色々と体中に支障を来たしてしまうので、体調の管理はやはり難しい。
お昼になったので、銀行に千葉教室の「引越し」の費用を引き出しに行ったのだけど、俺•俺詐欺のcheck項目のchecksheetにcheckをさせられて、警察から人が来るのを待って、事情聴取を受けさせられて、なんだかんだで1時間半程も掛かってしまった。
引き出した後は、自己責任という事ではダメなのかね?
自分の金を自分で引き出すのが、そんなに大変なのならば、面倒くさいので、全部引き出して、タンス預金にするぞぃ??
・・って、そう言えばウチにはタンスが無かったぞなもし!!
たかが銀行でお金を引き出すだけで、疲れてしまったじゃあないの?
たかが・・という意味は、時間が掛かった・・という意味だけではなく、銀行で待たされている時間に、座って待っていようと思ったのだけど、椅子が低くて座ってしまうと、呼ばれた時に立ち上がる事が出来なかったので、椅子に座らないで立っていたので、疲れてしまった・・と言う意味もあるのだよ!
立ちんぼで、1時間以上は、結構辛いのだよな?
店員の女の子にブツブツ文句を言いながらだけどね??
受付の女の子達には何の権限もないのだからね??
ただの愚痴よ!! 愚痴!!
昨晩の夜食では、ハイツに持ち帰れるお弁当用の食材がなかったので、今日食べる弁当がなかったのだけど、昨晩から私のお腹の具合が良くないので、今日の朝に、斉藤先生が千葉に出発する前に、鶏雑炊を作ってくれたそうなので、銀行に行くついでに、Bikeで椎名町に弁当を取りに行ったのだけど、昨晩と同様に今日もなんとなく食欲がなくて折角わざわざ取りに行った弁当なのに、食べる気にはならないのだよな?
お腹が空かない・・というか、食欲が沸かないのだよな??
・・・という事で、二日分の雑炊が溜まってしまった。
でも、食べれない時には、逆に肥るのだよなあ?
何故だかは分からないけれども、体験的にはそうなのだ。
あれ??この後も、ウダウダと何かしら、書いたハズなのだけど、文章に反映されていないぞ!!どこに消えたのだ??
履歴には残っているのかな??全くFacebookってやつは・・、困ったものだ!!
11月11日お友達requestのpolicy ·
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Facebookのお友達リクエストが溜まっているようなのですが、見ない事にして、放っておいています。
体調不良の折、お友達は一応面識の有る方のみに限定させていただいています。
ご無礼をお掛けしますが、なにせ後期高齢者なので、何とぞ、ご容赦の程、お願い致します。
芦塚陽二拝
追記
なるべくお友達を増やさないようにしているのですが、それでも、幾つかの例外を設けています。
その一つは、既にお友達の方からの推薦は、今も受け付けていますので、ご紹介があれば、受諾致します。
または、requestに自己紹介と友達になりたい理由が書き添えられていた場合に、その理由に賛同出来る場合には、やぶさかではありませんので、その旨を添付してください。
体調不良や欝でなかなかお返事を差し上げる事が困難なので、こういった条件を付けていますので、あしからずご了承ください。
11月12日ひかりヶ丘の病院の腎内科での検査 ·
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今は11月の12日の木曜日の朝の7時です。
今日のmaineventはひかりヶ丘の病院の腎内科での検査と診察です。
勿論、病院まではbikeでの移動なのだけど、なんと6°だってよ!!
寒い事!!!
厚手のダウンに・・厚手の手袋、厚手の首巻きも・・と、万全の防寒で出掛けたのだけどね??
それでも、流石に6°は寒かったぞよ!!
検査と腎臓内科の診察は順番が一番だったので、待ち合わせも殆ど無くて、速やかに恙無く終わって、次は糖尿病の先生の診察が・・・、と思っていたのだが、私の勘違いで、先生の診察予定日は、予約票の通りの12月だったそうです。
前回の診察では、「腎臓内科の診察が終わったら、今日の診察の結果で対応を考えるので」・・・と言っていたと思ったのだけどね??
でも、今日は糖尿病の先生の外来診察はないそうなので、私の勘違いなのでしょうよね???
でも、夕方には病院の先生から、血液検査結果の報告が事務所の方に電話であったそうなのですよ。(先生の名前は聞き取れなかったのだってさ??そりゃあ、困るよな??)
肝臓の方は、少しづつではありますが良くはなっているそうです。これはやっぱり、薬の副作用が原因のようですね。
やはり問題は腎臓の方のようなのですよねぇ?
だからといっても、それで私としては、なにをどうしたら良いのかね??
私的には薬を飲む以外には打つ手は無いので、それで「どうせい!」と言うのかね?
病院から戻って小一時間程は元気だったのですが、夕方近くなって来たら、突然疲れが押し寄せて来て、Bedから起きれなくなってしまった。
2,3時間は眠れたのにも関わらず、疲れが取れなくて、Bedから起きれないのだよ!!
夕食までにはなんとかしないとな??
11月15日corelliのla folia ·
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今日はcorelliのfoliaについてお話しをします。
corelliのla foliaの原曲はOp.5の12曲のviolinsonataの最後の第12番目の曲で、教室でも、periodのinstrumentsの曲として、baroqueの演奏会で時折演奏します。
また、鈴木の教則本にも掲載されているので、子供達の発表会repertoryとして、よく子供達も演奏している曲です。
高名な演奏家達が色々な難しいversionのcorelliのla foliaを演奏しているのですが、私の好みのarrangeの曲は無くて、しかし、鈴木の教則本のarrangeは演奏会repertoryとしては、少し技術的に弱いのでそのgradeの曲が無くて困っていました。
DavidのDie Hohe Schule des Violinspielsの曲集の一巻にcorelliのla foliaが入っているのは知ってはいたのですが、どう言う分けか鈴木教則本のversionと同じ譜面であると思い込んでしまっていて、敢えて楽譜をprintoutしてまでは、研究しようとは思いもつきませんでした。
今回はTartiniのsonataの研究のついでに、corelliのfoliaも、何とか色々なversionのcorelliのfoliaをYou Tubeで聴いて見て、良いversion(arrange)の曲を探していたのですが、You Tubeで色々な演奏を探している時に、全く偶然に、今年、芸大の3年生になる、21歳の可愛い女の子がYou Tubeにupしているfoliaの演奏を、・・・どうした分けか、普段ならば、絶対に聞かない日本人の、しかも音大生の演奏を聴いてしまったのですよ?!
そしてびっくりしたのは、その女の子が弾いていたのが、なんとDavid版のoriginal-versionの演奏だったのですよ。
最初聴いた時には「近・現代のviolinistのarrangeの曲かな?」と思ったのですが、telopに『David版』と出て来た時には、関ヶ原の戦いで戦車や機関銃が出て来たようなcultureshockを受けて、すっかり驚いてしまいました。
さっそく、楽譜をprintoutして、演奏を聴きながら音符をcheckしてみたよ!!
何で芸大の人が弾くと、時代がtripして聞こえるのかね??(その時代の演奏に聴こえて来ないのかね??)
不思議だ❢
あまり可愛い女の子なので、この所(3~4日程)、すっかり嵌ってしまい、普段ならば絶対に聴かないジブリやパイレーツまで聴いてしまいましたよ。
私には全くの異次元の世界の人なのでね、いや、マジに楽しかったよ❣
音楽を聴いて、wineでも飲んでいる気分になってしまったよ??
この所、Doctor-stopで、お酒を飲む事が全く出来ないので、これくらいの羽目を外すのは良いのだよな?
多分・・・????
(名前を出さないのは、断りも無く名前を出したりYou Tubeのlinkを張ったりすると、怒られる事もあるからですよ。)
それはそうと、David版のfoliaは、ちょうど私が探してもいたのとぴったりの曲でした。
•••なんで、最初から楽譜を持っていたにも関わらず、楽譜のにcheckをしなかったのかね?
我ながら不思議です。
私は普段は思い込みは絶対にしない人なのだけどね?
今回は思い込んでしまったのは、やっぱ、これも歳なのかね??
鈴木の教則本がDavid版という思い込みがあって、それでDie Hohe Schule des Violinspielsの楽譜をcheckしなかったのだよな??
鈴木のversionはDie Hohe Schuleから、易しいVariationだけを集めたversionだったのだよな??順番も変えているしね??
Davidがあんな駄作を書く分けは無いよな??
何故、そう思わなかったのか??
いやあ、反省!反省!!
11月15日2合半も飲んでしまいました。 ·
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今は11月の中日、15日の日曜日の朝の9時半を過ぎた所です。
昨夜は、なんとなく寝苦しくて、何度も眠ろうと試みたのだけど、とうとうbedから起き出して、「doctor-stopが・・」と言いながら、ついついglass一杯のつもりで飲み始めて、結局、5カップ・・つまり2合半も飲んでしまいました。
眠れないままに飲みながら、corelliのla foliaへの文を書きながら・・の「ながら」の事なのだけど、いやあ~、すっかり飲み過ぎてしまったよ!?
今は、朝の9時半を過ぎた所なのだけど、お腹の調子が・・、お腹は空いているのだけど、なんとなく膨満感と言うか、お腹が不調なのだよな??
まあ、当たり前の事なのだけどね??
今日は日曜日なので、Teleworkでオケの練習やlessonをcheckする予定になっているので、何気なくGoogleの予定表で練習の時間等をcheckしていたら、注射の予定をすっぽかしている事に気がついた。
木曜日の腎臓内科の診察日と注射の予定がダブっていたので、すっかり忘れてしまっていたのだけど、もう4日もズレてしまっているのだよな。
注射の間は、中1週間は開けないといけないので、全部の注射の日がズレてしまうのだよな。調整したとしても1日ぐらいしかズラせないしね??
Teleworkの楽譜の準備はさておいて、先ず最優先なのは注射だよな??
ゆっくりと準備をする予定だったのだけど、突然時間に追われる事になってしまったぞぃ??
困った!困った!!
11月17日鼻詰まりが酷くて ·
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今日は11月17日の火曜日の夕方の4時頃です。
今日は引き篭もりdayなのですが、朝から体調不良で一日中、椅子に座ったまま意識混濁していたり、Bedの中でウダウダしている所なのです。
体調不良の一番の原因は、「鼻詰まり」で息が苦しくて、口呼吸の呼吸困難になってしまっているからです。
寝ていても、熟睡出来ないので、夢ばかり見ているので、体調だけではなく、精神的にもスッキリしないのです。
まあ、いつもの事・・と言えばいつもの事ではあるのだけどねね??
それはそうと、月曜日からメガネを無くしてしまいました。
ハイツと椎名町を頑張って探しているのですが、探せども出て来ません!!
コメント
純子斉藤
ん?27日じゃなくて、17日の間違いては?
· 返信する · 8週間前
芦塚 陽二
そうだ!17日だ!訂正しときます。
· 返信する · 8週間前
11月18日『食わなきゃ、肥る!!』 ·
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今日は18日の水曜日の朝の9時半を過ぎた所です。
昨日、火曜日の引き篭もりdayの夕方からは、冷蔵庫の中の食べ物が全く無くなってしまったのだけど、牧野先生が早めに椎名町に帰って来たので、「食べ物を作ろうか?」と言ってくれたのだけど、折角、お弁当を作って貰っても、お弁当を取りに行く気力も体力も無かったので、「有る物を何か食べて、間に合わせよう!」と思ったのだけど、買い置きのインスタントを食べるのも、気が引けてしまったので、なにも食べないでそのまま寝てしまった。
という事で、この所、順調に痩せていたのだけど、半日、食事を抜いたら、やっぱり、肥ってしまったょ!!
食わなきゃ、やっぱ、肥るのだよな~ぁ??
『Finaleの別売りの音源の話』
finaleの音源が余りにもヘボいので、無数にあるfinaleの音源の中から、Classicの音源だけを買いたいのだけど、「Classicのorchestraの音源」・・というだけでも2万円近くするので、二の足を踏んでいたのだけど、「どうせ悩むのならば、本当に買うのか、買わないのか?を、もっとrealityを持って悩まないといけない!」、という事で、「どの程度の音がするのか??」という事を調べるために、netで音源を聴く事にした。
maker-siteのPageに無数のsample音源が入っていたので(勿論、それぞれの音源が別売なので・・)、「Classicの音源」という事に限定して、solo-Violinの音や弦楽器のensembleの音を聴いたのだけど、やっぱ、驚いたね??
流石に、America人のViolinのsoundであって、Europa人のViolinの音ではないけれど、これで音源を作成したら、まずはcomputerの音源とは、バレないだろうな??
やっぱ、2万円を出す価値はあるかもね??
私が今現在、You Tubeにuploadしているfinaleの元々の音源は、serviceでくっついてる音源なので、とても比較にならないよな??
upしているfinale音源を全部やり直したいよな??
勿論、2万円も出して、音源を買ったら・・の話だけどね??
いやあ、直ぐにでも欲しいよな~ぁ??
Tartiniのgrandsonateのornamentの楽譜を作ったのだけど、finaleの音源が余りにもヘボくて酷いので、uploadをする段階で、二の足を踏んで、困っているのだけど、これぐらいのqualityならば、upload出来るのにな~ぁ??
と思ってしまった。
まあ、仕事の話しとなると、ケチケチしないのが俺の性格だけどね??
なにせ、今回は、これからお引越しなので、ウン百万・・銀行から引き出したばっかりなのでね??
今は稼ぎが全く無いのだから、1万円、引き出すのにも、結構辛い物があるのだよな??
アハッ!
昨日も何も食べれなかったしね??
・・って?? ・・それは、金が無い事とは、関係が無いから??
「どうせ、将来的には必ず買うのだから、思い切って」・・という事で、netで発注をしようとしたのだけど、cardを登録する段階で、余りにも複雑怪奇なので、cardの登録を途中で挫折して、注文する事を諦めてしまった。
結構50%ぐらいの安売りをする事もあるようなので、別のsaleの機会を待つか??・・とも思ったのだけど、Finaleをuploadするためには音源はとても重要だと思うので、analogでコンビニ払いならば、面倒くさく無いのかな??・・という事で、コンビニ払いにしたのだけど、コンビニの種類を決める画面は出て来たのだけど、ハイツの近場のお店を設定する画面が出て来なかったぞ??
注文する時に私の住所を入力する欄が無かったので、どこのコンビニに送って来るのだろう??
この注文の書式は、分けが分からん???
まるで、オレオレ詐欺のsiteのようだよな??
大丈夫かい・・??finaleさんよ??
11月20日「人は潜在意識の要求するようにしか行動しない」 ·
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今日は11月20日の朝の11時になろうとする所です。
今から、超お久し振りに千葉のお引越しの下準備に出掛ける所です。
昨晩のNHKのヘウレカとか言う番組で、最新の科学では、「人間は心に逆らった行動をする」という事が分かったという話しをしていましたが、それは仏教の世界では何千年も前から、良く知られた行動なのです。
私はそれをヨージーの法則で「人は潜在意識の要求するようにしか行動しない」という話しで、自分の潜在意識を知るために、内観を薦めています。
これは例え話なのですが、子供が「勉強をしたいので塾に行きたい!」と言ったとします。
母親は子供に「もっと成績を上げて欲しい」という願望があるので、「子供がやる気になった!」と喜びます。
しかし、子供の潜在的な意識は、お友達と遊びたい・・一緒に居たいので塾で一緒に居たい・・というのが本音なので、費用対効果程は成績が上がる事はありません。
教室のオケ練習のintervalの休み時間で先輩達のお姉さん達に質問した方がよっぽど成績は上がります。お姉さん達には塾で先生のバイトをしている人もいるしねぇ?
まあ、費用対効果とは言っても、塾は勉強する場所なので、母親に取っては、潜在意識的な理由はどうでも良いのですよね?
親にとっては、勉強をする環境を提供出来れば良いだけなのですからね??
子供が本当に勉強が好きになって、それで「塾に行きたい」と望むのならば、塾のだけど勉強でも、とても良い成績を取る事が出来るようになるのでしょうが、しかし、その場合には、子供が本当に勉強が好きになったら、塾はもう必要はないのですよ。
それは、一人でも充分に勉強が出来るからです。その方が自分のpaceで、勉強出来るから、塾等の他の人達と同じrotationで勉強するよりは、良いハズなのです。
どんなに「Violinが上手になりたい」と思っても、「練習は嫌だ!」という事ならば、Violinが上手になる分けはありません。
そうではなくて、練習が好きにならなければならないのですよ。
それには練習の仕方に工夫を施す必要があるのですよ。
練習する事が好きになれば、潜在意識的に練習をする事が出来るので、指導の内容が外れなければ、子供は100%、確実に上手になります。それは疑う事はない現実なのですよ。音楽が好きになって、次に練習が好きになって、人のために自分の音楽で社会奉仕を考えるようになったら、100%Proとして自分の夢の叶える事が出来るでしょう。
全てのジャンルの勉強は、その夢をその中で叶えるのですよ?
11月21日『ニャンコ号の荷物運びとfinaleのGarritanの音源の入力の話』 ·
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「ニャンコ号での荷物運び」
今日は11月の21日の土曜日です。
昨日の金曜日には超お久し振りに、ニャンコ号で千葉まで行ったので、先生達も含めて、今日が月曜日のような気がしてなりません!
一昨日の木曜日の夜は、Christmas会用の模範videoのuploadのために、八千代でのamazing graceの演奏風景のvideoを急遽、編集したりしたので、結構眠るのが遅くなってしまって、昨日の出発予定の時間の10時には起きる事が出来ず、ニャンコ号の出発が1時間遅れになってしまいました。
普段は車を出す前に、渋滞状況を調べてから車を走らせるのですが、1時間近く遅れて出発したので、うっかりと調べないママに出発してしまいました。
これが朝寝坊の次の二つ目のミスです。
三つ目は斉藤先生がユーカリが丘教室へ持って行く芝刈り機を積み込む事を忘れた事!!
3連休の前日という事で、高速に乗ったのは良いのですが、大渋滞で、逃げ道に辿り着く迄に、1時間以上も掛かってしまい、結局、千葉への到着予定は3時間近くも遅れてしまいました。
今日の行程は先ずはbikeで
①ハイツ⇒椎名町:ニャンコ号に乗り換えて、
②椎名町⇒花園教室で千葉行きの荷物を降ろして、新教室行きとユーカリが丘教室行きの荷物を積んで、
③⇒新教室に行きました。
新教室は私は初めて行くので、私も車から降りて、「楽器をどこにどのように配置をするのか??」を先生達と相談合うのが今日のmainのeventだったのですが、1階の部屋の楽器の配置やsofaの配置等は問題は無かったのだけど、2階の楽器の配置が、先生達それぞれの意見が食い違って、「時間が無いので、これ以上は保留に出来ない」という事だったのだけど、水掛け論になってしまって、時間が掛かってしまいました。
幾ら「お引越し迄に時間が無いので、この場で決めてしまわないといけない」「これ以上は保留に出来ない」と言っても、水掛け論になってしまっては、実際の荷物の運搬の時間が無くなってしまうので、私の一存で、取り敢えずは話を打ち切って、それから
④新教室⇒検見川教室へ荷物を運んで行ったのだけど、Labyrinth(迷路)に陥ってしまい、超狭い崖のような道に迷い込んで出れなくなってしまいました。行きの道もカーナビでは、どのカーナビも、通行不能な私道を通るcourseを案内してしまいます。
不動産業者に聞いて、ニャンコ号のような大型でも通れる道を聞いたのだけど、家の前の狭い十字路でママさんが車を方向転換させなくても良いように、そのままの進行方向に車を走らせたら、Labyrinthに迷い込んでしまいました。
この道は絶対にママさんdriverには無理だし、カーナビも間違えた道しか案内してくれないので、地図を片手に、より簡単な道を書き込まなければなりません。
歩きや、チャリならば超、簡単な道なのだけどね??
という事で、
⑤の行程は検見川教室⇒ユーカリが丘教室です。ユーカリが丘教室でのmainの作業は、本当は植木を伐採する電動道具を椎名町教室から運ぶ事だったのだけど、それを忘れてしまったそうで、それは次回送りになってしまいました。後のmainの作業は花園教室から避難していた不要な荷物を花園に戻す事です。その作業の合間に、椎名町に戻すmonitorテレビ等の積み込みもして、
⑥ユーカリが丘教室⇒花園教室に戻りました。そこで花園教室で処分をするものを戻して、
⑦花園教室⇒椎名町教室の移動の途中でgasolineを補充してから、椎名町教室に戻って、1回目の食事とドルプリっ歩を済ませて、bikeで
⑧椎名町教室⇒自宅に戻って来たのは、深夜の12時を過ぎた所です。
今日の行程は、兎に角渋滞に巻き込まれて困った事です。東京⇒千葉は当然なのですが、検見川教室からユーカリが丘や、花園教室に至る一般道ですら、大渋滞で車が流れなくて忍耐の運転だったのですよね。
まあ、世間一般では3連休の前日だもんね??
流石に、くたびれたので、後片付けもそこそこにしてbedで寝たのだけど、午前中に目が覚めたので、その次いでに、Bedの中で、もう何度となく、携帯でFacebookを打ったり、閲覧履歴を削除しているのですが、何度打っても、何度、削除しても、それが夢の中なので、困っています!!
今は流石に、toiletteに起きた次いでに、パソコンを立ち上げて打っているので、夢の中ではありませんが・・・
それにしても、今日は月曜日ではなく土曜日なのですよね??
いやあ、曜日感覚が治りそうもないな?? 困った!!
「Garritanのinstallの話し」
それはそうと、12時過ぎにハイツに辿り付いて、パソコンをcheckしていたら、なんとGarritanからpasswordが送られて来ていました。Garritanはdown load版しか無かったのですよ。siteを立ち上げると、Garritanの「mail-addressとpasswordを入力するように」・・と出て来るのだけど、passwordが入らないのだよな??
困ってしまったのだけど、出来なきゃ、しょうがないので、新規登録にして、同じpasswordを登録したら、なんとかdown loadのsiteに入れたのだけど、今度は「finaleのcerealsを入力しろ」
まあ、忍耐の一字で、password一覧の中から、finaleのcerealsを探して、入力をしたら、肝心要のGarritanのcereals-numberを打ち込む前に、勝手にdown loadが始まってしまった。down loadをしている間に、何度も国籍や場所を確認されて、しかも、finaleが2014から14.5にversionupされているとかなんとかで、down loadが完了しらら、なんとAmerica語版だったのだよ。じゃあ、今まで何度も日本と入力したのはなんだったのか??まるで意味不明だよな??
でも、まあAmerica版でも良いから、と今まで作っていた楽譜でsoloのViolinとsoloのCelloのpartを試してみたのだけど、音色はsoloだけでも、4種類はあるのだけど、どれもcomputerの音と変わらないのだよな??あのsimpleの素晴らしいsoloViolinの音はどこにあるのだ??嘘っぱちじゃん!!
1万8千円も損したよな??
とは言っても、元々のFinaleに付属しているserviceの音源よりは、少しはマシなのかな??
でもそれで、1万8千円はチョッと、高いよな??
という事で、すっかり寝るのが遅くなってしまった。
まあ、明日の月曜日・・ではなく、土曜日は引き籠もりdayにしても良いやサ!!
コメント
芦塚 陽二
またまた、携帯で打った文章が反映されていなくて、その前の文章に戻っている。Facebookでは書いた文章がuploadされない場合が多くて困ってしまう。入力をしている時には、確かにuploadされたのだけど、次の日に見て見ると以前の別の文章になってしまっているのだ。これは困る!!
11月22日最後のオケ練習や室内楽の練習 ·
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今日は、11月の22日の日曜日の朝の4時半になる所です。
それに今日は、私が千葉に音楽教室を開設してから、40年間に渡って多くの生徒達との音楽の学び舎であった花園教室と検見川教室での最後のオケ練習や室内楽の練習の日なのです。
花園教室はギリギリの28日までは通常のlessonがありますが、検見川教室は今日が最後のlessonになります。
『最後のオケ練習』
今回のChristmas会では、私のarrangeのChristmas-medleyの前半部(曲が長いので、前半部と後半部の二つに分けて上演する事の方が多いのです。)の練習をしました。
今回で2回目の練習なのですが、前半部の後半にamazing graceが出て来るのだけど、Kontrabassのgroupがどうしてもtempoが取れなくって、入って来れないので困っていたのだけど、練習でオケの人数が足りなくって、violaが一人もいないので、試しに斉藤先生がviolaに回って演奏したら、Kontrabassがちゃんとtempo通りに入れたのだよな??
つまり、violaが3連音の3拍子のrhythmを常に刻んでいるからなのです。
Kontrabassが入って来れないもう一つの大きな理由は、大きな付点4分音符の3拍子のrhythmが、舞曲特有のhemiolaのrhythmで、至る所で、3拍子のrhythmが2拍子に変わるからで、それをTieをされたsyncopationのrhythmで感じると難しくなってしまうからなのです。hemiolaは3拍子と2拍子が交互に来るrhythmと感じた方が演奏は楽なのですが、その感覚を身に付けないと、結構難しいrhythmになってしまうのです。アハッ!
amazing graceは奴隷商人John Newtonがキリスト教に改宗をして作った曲とされていますが、melodie自体は古い北Europaの民族音楽にrootsを持つmelodieにNewtonが言葉を付けた歌なので、元々の曲に、舞曲特有のhemiolaのrhythmが入っているのです。(You Tubeで古い時代の原曲はbagpipeの演奏で聴く事が出来ます。賛美歌のmelodieとはチョッと??微妙に??違うのかな??)
『お引越しの楽器の移動』
Lessonは楽器を移動する29日、30日の前日までは、今までの教室での通常Lessonをして、29日30日の二日間で教室のお引越しをします。
という事で、この2日間は教室はお休みをしますが、12月の1日からは、通常通りに、新しい教室で、Lessonをしますので、来週のオケ練習、室内楽の練習だけがお休みになります。
・・という事で今日は花園教室や検見川教室での最後のオケ、室内楽の練習になります。
生徒達との記念写真や教室の写真をいっぱい撮らなければ・・・ね??
GrandpianoやuprightPianoは専門の業者が運びますが、流石にcelloやkontrabass、violinやviola、Cembalo、それにpipeorgan等の楽器類は、引越しの業者には任せる事が出来ないので、その二日間の間に、ニャンコ号での手運びの移動になります。
楽器をバラして運んだり、新教室で組み立て直したり・・・の作業は超絶に、大変な作業になります。
『近況』
それに、私はコロナのために、ほぼ1年近く、ハイツの部屋に引き篭もっていて、外への外出を全くしなくなったので、私の唯一の体を動かす散歩がドルプリのウダウダ散歩だけだったので、コロナ肥りは流石に無かったのですが、体重はそのままでも、筋力がめちゃめちゃ落ちてしまって、体を動かす事が一層の事、難しくなってしまいました。
歳を取ると、普通に動いていても、どんどんと体力が落ちてしまいます。
今日、明日では分からないのですが、1年前になんでもなく出来た事が今年には出来なくなっているのです。
それが老いなのですよね??
せめて、「オケ練習の時に、少しでも痩せて、体の切れが良く見えるように、体にfitしたズボンを買いたい。」と言ったら、先生達に「ありえない!」と笑われて、ムカッ!!としてしまいました。
体の動きは衣装から・・というのは、真理だと思うのだけどね~ぇ??
その身にならないと分からないのかね??
引越しは体力勝負だよね~ぇ??
いやぁ、困った!!
コメント
塩澤 一範
寂しくなりますね、思いでが詰まった教室でしたからね。
· 返信する · 7週間前
芦塚 陽二
オケ教室は兎も角としても、花園教室は教室を開いた時から、「教室が古ぼけて汚いので、紹介をするにも気が引ける」という話だったので、それが無くなるだけでも、meritなのですよ。過去は戻って来ないので、人間は常に未来を夢見るようにするべきなのです。後一歩だとしても・・その一歩が大切なのだよな??
11月22日眼下の公園が ·
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今日は11月の22日の日曜日の朝で、3連休の中日です。
どう言う分けか、この所、連日、この公園には、人が殺到しています。
普段はいつも閑散としている公園なのに、不思議です。
本当は真下には、子供達の遊具があるので、結構子供達が遊んでいるのですが、写真には写らないのですが、大勢の子供達が遊んでいるので、結構うるさいのですよ?
普段ならば、朝の9時頃は、近所の保育園や幼稚園の子供達が、先生達に引率されて遊びに来るのですがね?
近所の保育園では園庭を持っていない保育園も多いのですよ。
だから、この公園は保育園の園庭代わりなのです。
時には2つ、3つの保育園の子供達がbookingして、公園内で別々に遊んでいる事もありますが、今日は日曜日なので、保育園や幼稚園の子供はいません。
だから本当ならば、静かな朝になるハズなのですがね?
普段の日曜日ならば、一般の子供達や大人達だけなので、閑散としているハズなのですが、今日は、結構、密になっているようですよね。
明日は勤労感謝の日のだそうなのですが、果たして、私は勤労者と言えるのかね??
11月24日『今日は川崎の検査日です。』 ·
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今日は11月の24日の火曜日の深夜0時40分を過ぎた所です。
・・明日というか、もうすっかり今日になってしまいましたが、テレビ的に言うと、今日は明日なのですが、火曜日は川崎の病院での膀胱鏡の検査があります。
コロナが怖いので、車での病院なのですが、検査は結構長時間に及ぶので・・(待ち時間が・・)、駐車場代を準備しておかなければなりません。
病院や病院の近所の駐車場は、5000円札や1万円札が使えないので・・(お釣りが出ないので・・)、千円札を準備しなければならないのですが、私はこの半年以上は、滅多に買い物には出掛けないので、千円札が全く手元にないのですよ。
・・というか現金が・・、と言うか、お金が・・、、ツクツクほーし、ツクツク欲~し、金、金、金、金!(そのひぐらし)
あっち、こっちをひっくり返してかき集めて見たら、なんとか4千円は千円札があったので、明日の駐車場代はなんとかなるかな? かな?? かな??? かな?? かな? か・・・?
明日の病院のために、早めに寝ようとしたのだけど、雑用を片付けていたら、結局Bedに入ったのは、2時過ぎになってしまいました。
だけど、3時半過ぎくらいに、またトイレに起き出してしまいました。
頑張ってまた寝たのだけど、夢見が悪くて・・いつもの悪夢を見て、現実と夢の狭間で・・携帯に頑張って打っていた文章がまたまた携帯を開いてもいなかったのですよね。
いつものように、夢の中で携帯の文章を打っていたのです。
眠るのならば、ちゃんと眠れば良いのにね??
11月24日音楽は舞台芸術である。 ·
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という事で、baroque-sonataのⅠ楽章のmelodieのMotivの「a」と「b」、所謂、「質問」と「答え」を小学生の生徒にTeleworkで指導していたのだが、themaのシテとワキ、所謂、主役と脇役いう言葉を説明する時に、主人公、二枚目、所謂、イケメンという言葉が全く分からないという事でLessonで躓いて、引っ掛ってしまった。
「音楽は演劇である。」という事を説明するのに、子供達に取っては一番身近な物語である「ドラえもん」から、一枚目のheroineがしづかちゃん、二枚目のheroがのび太君、三枚目がジャイアンで、二枚目半がドラえもん・・・という話をしたのだが、その『対立する人間関係』という設定自体が分からないのだよ。
主役に対して相手の役が対立するという事が分からないのだよな??
勧善懲悪の二枚目と三枚目という立場が・・理解出来ないのだよな??
それは小学校の教育では悪役はいないので・・・ね??
悪役という概念が無いのだよ。悪役がいなければ、当然、主人公もいない分けなのだが、それが学校教育なのだそうな??
今時のtrendyなdramaでも、悪役が一人も出て来ないような生温いdramaが多いのだよな??
過保護の時代だよな??
歌舞伎って見た事はないのかな??
歌舞伎座が分からなければ、二枚目の意味も分かる事はないのかな??
日本の古典芸能を、小、中学生で知る事はないのかな?
それは困った!
音楽は舞台芸術であるという事を、身近な舞台という事で説明しようと思ったのだが、舞台自体を知らないという事は、説明に窮したぞよ??
幼稚園とか小学校の劇では、保護者のclaimが心配なので、悪役は作らないのだよな??
「ママ母」という言葉さえも教育界では禁止用語だそうな??
それじゃあ、眠り姫やcinderellaの童話も語れないよな??
世知辛い、住みにくい世の中になったもんだよな???
11月25日川崎の病院の ·
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今日は、もう既に11月の25日の朝の6時半を過ぎた所です。
昨日は川崎の病院に1時間前に着くように車で出掛けたのですが、相変わらず病院の駐車場や傍のコイン駐車場も満杯で、4,5回も病院の回りをグルグルと回ってしまいました。
一台の車が病院の駐車場を出そうになったので、その前に車を付けると、人がやって来て、「順番待ちで並んでいるのだから・・」と凄い剣幕で言って来ました。
路上に止めてあった車は、路上駐車の車ではなくて、なんと病院の駐車場への順番待ちの車だったのだそうですよ。
それにしても、喧嘩腰はないよな??
すっかり、気分が悪くなってしまいました。
病院は予約時間があるので、苛立つ気持ちも分かるけれどね??
おかげて、それから一日中、気分が悪くなって来てしまいました。ムカッ腹が立ったのだよな??
待っていると苛立ってしまう・・という事も分かるのだけれど、こちとらも1時間のゆとりがあったはずなのだけど、そうも言ってはおられないので、取り敢えずは謝っておいて、その場を離れて、ナビで近場のコイン駐車場を探しながら車を走らせていたら、病院のすぐ傍の一番近い駐車場が満車から空きに変わっていました。
誰も待っていない事を確認して、無事駐車出来ました。
確かに、少しは高くなるけれど、病院の割引は最初の2時間が330円から220円になるだけなので、2時間を越した分は突然高くなるので、2時間以上ならば、一般のコインの値段も殆ど変わらないので、無理をしてまで病院の駐車場に止める必要はない・・とは思うのだけどね??それでも倍近くは変わるのかな??
それにしても、千葉の駐車場の倍以上の金額なのだけど、川崎は市全体の駐車場がそんなに高いのかね??
それとも病院の回りだけなのかな??
それにしても、この病院は駐車場がneckだよな??
検査自体は、悪くはなったけれども、症状が進んでいないので保留が、またまた続いたのだけど、体の具合は確実に老化が進んでいるせいか、検査の後で、車で帰る時に微量の出血をしていました。これまでは一度も無かったので、驚いたけれど、車を降りた頃には、血は止まっていました。
勿論、その後は何事も無いので、膀胱鏡が皮膚の表面を少し傷つけたような感じかな??
勿論、抗生剤の薬は貰っているので、なんの問題もないのですがね??
車での病院行きのriskは、毎度の駐車場もそうなのだけど、毎回帰り道が一般道も高速も大渋滞になってしまいます。
1時間で到着出来る所が1時間半も掛かってしまうのですよ。
まあ、それでも夕方の6時半頃には椎名町に辿り着きました。
椎名町の駐車場は、切り返しをしないと入れないので、駐車場に停めているbikeを車から降りてどかさなければ切り返しが出来ません。その時の乗り降りが大変なのだよね??
今日は火曜日なので、通常は牧野先生が帰りが遅くって12時を過ぎてしまうので、ドルプリっ歩にも行けないので、ハイツでボッチ食事の日のハズだったのだけど、お引越しのドタバタで、斉藤先生が早めに椎名町に戻って来れる・・という事だったので、7時に椎名町に辿り着いて、それから小一時間程、なす事もなくぼんやりとして、斉藤先生の帰りを待って、それから、食事を済ませて、ドルとプリとのお散歩を一緒にしていたら、途中で雨が降り出したので、お散歩を中断して、大急ぎでハイツに戻りました。bikeでは小ぶりの雨でもびしょ濡れになるからです。
・・という事で今回の川崎詣ではツツガムシに襲われながら終了しました。アハッ???
11月26日「蛍来い」 ·
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finaleの音源を購入して、installするためにupgradeをしたら、finaleの英語版になってしまった・・というお話はしましたが、それを日本版に戻す、・・というか、日本語版に変更する方法が全く分からないので、諦めて英語版のそのままで使用しています。
英語版で困る事は・・というか、Finale的に使用されている音楽用語はclassicの音楽用語ではないので、特に英語では、jazzやpopularの用語になってしまうので、困ってしまいますがねぇ??
芦塚陽二作曲『遊び唄集』より「蛍、来い!」 - YouTube
今日はViolinのためのduo集から「蛍、来い!」の曲をPianoのversionに改編したのですが、transpose自体はチョチョイのチョイと簡単に出来たのですが、出来上がった譜面をScreen
Recorderで録画をしてYou Tubeでuploadする段階で、Screen Recorderがfreezeして、パソコンが全く動かなくなってしまったので、仕方なく再起動させて、もう一度録画をしようと試みたら、またまたfreezeしてしまいました。
どうしても動画にしたかったので、2度目,3度目と同じ事をしたのですが、やはりfreezeしてしまうので、パソコンの再起動を掛けて、screen recorderが、やはりfreezeするのを確認しました。
日本語版のFinaleならば上手く出来ていたので、多分、CyberlinkのScreen Recorderがfinaleの英語版に対応が出来ていないのでは??と思うに至って、日本語版のfinaleで、finaleのDataの中から「蛍、来い!」を開いて、Screen Recorderで録画したら、今度は恙無く無事に出来ました。
同様に小節の追加や削除が日本語版とは全く違っていて、最初は思った通りに出来なくて、やり方を覚えるのに手間取ってしまいました。
まあ、パソコンの相性もそうなのだろうけれど、日本語版と英語版での違いでも微妙な違いが多くて、その上にも、日本語版と英語版のそれぞれに相性があって、両方を使わざるを得ないので、困ったもんだよな??
なんだろうねぇ??
英語版の方がversionが上なので、それだけで良さそうなのだけど、他社のsoftでは、日本語版にしか対応出来ていないのも多いのでボツに出来ないのだよなあ?
コメント
芦塚 陽二
こちらは原曲の2台のViolinのduo集よりの「蛍、来い!」です。
https://www.youtube.com/watch?v=oS3jejcTyyw
· 返信する · プレビューを削除 · 7週間前
芦塚 陽二
次回の来年の5月の9日の発表会では、千野瑞希ちゃんのviolaと、山本珠加ちゃんのCelloで私のduo集から演奏予定です。こういった雰囲気の曲・・というか、こういったgenreの曲が無いので、公開する事は難しいのです。
公開で演奏するimageではなく、一人で閉じこもって鬱々と内向的に演奏する曲なので・・??
まあ、それでも公開演奏をしない限り、人に知られる事は無いので、発表会なのですが一応公開をする予定で練習に入ったのですが、コロナのせいで未だ練習には入れないのですが、鬱々の曲で結構難しいので、何曲演奏するのかは出来次第です。曲はそれぞれのpartを練習する分には、単純な音しかしませんが、2台合わさると、思いも寄らないsharpな音がします。それぞれのpartを演奏した時には、考えられない音になるのだけど、それが中々分かって貰えません。アハッ!困った事だよな??
· 返信する · 7週間前 · 編集済み
11月27日鬱で眠れない ·
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昨晩は軽い鬱状態で眠れなくって、困ってしまいましたが、今夜も同じ状態になって眠れそうもなくなっています。
しかし、それでもなんとか布団には潜り込んだのですが、足が冷えて冷たくなってしまいました。
そんなに冷えているのかね?
まだ、外の気温はギリギリ2桁はあるようだけどね?
これまでにも1桁の晩はしょっちゅうあったハズなのですが、それでも足が冷えて冷たくなるという事は無かったのだけどね?
それとも、鬱が酷いと体を温める事が出来なくなって、冷えてしまうのかね?
それにしても、布団に入って、やっとなんとか体が温まり始めると、今度は鼻水で鼻が詰まって来て、息が出来なくなって更に眠る事が出来なくなるのだよ??
足先が冷えても眠れなくなるし、温まると息が出来なくなるし?
なんとかならんのかね?
近頃は、毎夜、同じ様な状態になって来たよな?
11月28日memo ·
2020年11月28日 ·
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『「時短」と日本社会でのその評価について』
芦塚methodeの根幹となる言葉は「時短」である、という事が出来る。
しかし、一般的には「時短」というと、手抜きを意味するので、社会的な受けは良くない。
企業でも、minor-changeという言葉があって、高級な物から、色々な要素を取り除いて、廉価に作った物を意味するので、一般的には、所謂、簡易versionというような意味にも、捉えられる。
しかし、本来の「時短」の意味は、無駄な工程を取り除き、必要な手間暇に掛ける工程を意味するので、手を抜く・・という意味は全く無く、逆に重要な工程には手間を掛ける・・という事にもなる。
しかしながら、日本社会では、無駄を積み上げて努力をする・・つまり、努力そのものや手数に価値を見出す傾向がある。
学校等でも、出来無かったとしても、努力をしたのならば、その努力は必ず報われる・・という発想がある。
しかし、残念ながら、実社会では、幾ら努力を重ねた仕事であったとしても、出来ていない事に対して、対価を付ける事は無い。
『「時短」への方法論』
①手数を減らす
「時短」を試みる上で、一番簡単な方法は、その仕事に掛ける「手数」を減らす事であろう。
この「手数を減らす」という言葉が、日本人に取っての手抜きを意味している気にさせる元凶になっている。
私は生来のブキッチョで、文字を書いたりするような、日常の作業が非常に遅い。memoを取る事すら時間が掛かってしまうのだよ。
だから、私が中学生の頃から高校生に掛けて、手抜きの方法として、黒板の文字を書く時等に、最初に出て来た単語だけはちゃんと書くのだが、同じ単語が次に出て来た時には、その単語の頭文字だけを書く事にした。(今ならば、黒板をデジカメで取れば良いのだろうが、当時は勿論、デジカメもスマホも無かった時代なのだよ。)当時は、未だcomputerもワープロも無かった時代なので、日本語の単語の場合には平仮名一文字、外来語の場合は、カタカナの一文字で区別をした。
ワープロやパソコンでも、私の場合にはkey入力の速度が極めつけに遅いので、入力する文字数を極力減らす事で、他の人達との整合性を図った。『私』は「w」で、『~でした。』は「dt。」なのだが、『d。』と打つと、「です。」に変換される。組み合わされる『t』は過去形を表し、『d? 』は「ですか?」となる。『m。』は当然、「ます。」と変換されるし、以下同様に変換されるのだよ。
②並行作業
大学生の時にや、社会人になってからは、作業を分業する事が多くなった。
パソコンが登場すると、作業をパソコンにさせている時間が結構膨大な時間になるので、その間に、別の作業を同時にする事にした。
仕事部屋にはtimerが無数にあるのだが、それは一つの仕事をcomputerやvideo-recorderに任せている時に、その作業が終わった事を知らせるためのtimerで、並行作業が二つ、三つとなると、timerもそれぞれの箇所に置いて、私は並行作業をする事にしている。
③下準備
作業を始める前に、とても大切な事は、仕事を始めてから、「何が足りない」とか、「この作業が落ちている」とかで、仕事がstopする事である。そのためには、仕事に必要な材料を、仕事を始める前に、準備を済ませておく事が要なのだ。
④生理整頓
仕事は長期に渡ってしなければならない作業もあるし、仕事が終わった後でも、その資料や、作業で使った道具や、出来上がった仕事そのものを、誰でも、直ぐに探せるように、所定の位置に生理整頓する事が要である。
人と仕事を共同で作業をする事が出来ない人は、この生理整頓が非常に苦手である。つまり、その時に自分だけが分かっていれば良いからであり、他人が自分の作業を引き継ぐ時の事を想定しないからである。
⑤仕事の速い人の条件
どのような仕事でも、勉強でも、チョッとした、小さな努力の結果、仕事が円滑に進むのだ。
そういったチョッとした手間暇を惜しんでは、仕事が早く出来るようになる事は無い。
大手企業の「薄利多売」は、薄利という、小さな努力の積み重ねで、結果として、大きな利潤を産み出す・・という意味なのだ。
『創意工夫の方法』
私が色々な本を出版したりしている時に、「これは音楽の歴史で誰も未だやった人が居ない事なのだ。」という話をしたら、高校の先生が、「それはあなたがそう思っているだけで、必ず、昔の偉人の誰かがやっている事なのだよ。」と、愚蔑の目で見られてしまって、Shockを受けてしまった。
全ての事を誰かがやった・・と思うのは、大きな勘違いで、人間の進歩は、人類が地球上に登場して、然程進歩している分けではないのだよ。
それこそ、穿った考え方なのだよ。
誰かがやった事か否かは、歴史を調べて見ると、簡単に分かるし、そのgenreが無いものは、その分野は誰も手を付けていない・・という事になるのだよ。
思い付きは色々な所にある。
ただ、日常の生活に不満を感じているか否かの違いなのだよ。
『copyからoriginalへ』
作曲の勉強は、楽典的な理論の勉強の他に、歴代の大作曲家の作品をcopyする事で、学ぶ。
『学ぶ』という言葉の起源は「まねぶ」という言葉から来ているのだそうです。
RavelのTziganeは、LisztのHungarian Rhapsodyのhommageである・・という事は知られていないのだけど、詳しく比較するとまるでcopyをしてからdéformerの作品なのだよ。
時折、Tziganeの弾き方で苦労している人にはLisztの原曲と比較して指導すると、一発で弾けるようになるから面白い。
copyもRavelのようなdéformerの達人の手に掛かるとoriginalityに溢れた作品になってしまうのだよ。
ただ、そこに型だけを真似てしまうと、中身の無い、薄っぺらな音楽になってしまうのだよ。
Ravelは「copyをして、その作品が自分のoriginalityが出ない場合には、作曲家になるのは諦める事だ。」と言っているのだが、それは、無茶振りが酷いよな??
鈴木methodeでは、徹底的にrecordをcopyさせるのだが、それでは聴く人達が誰の演奏をcopyしたのかが分かってしまう。
だから、日本の音楽大学では、「Recordを聴いてcopyするのは絶対にダメである。」と言われる。
しかし、それも極論である。
先生がその曲を弾いて教えるのならば、その曲はその先生のcopyに過ぎないからだよ。
私の場合には、課題曲が決まったら、その曲のCDを可能な限り、集めさせている。
そして、「このpassageはこの演奏が、このpassageはこちらの演奏の方が・・」と比較対照をして研究させる。そうすると、誰か一人の演奏のcopyではなくなるので、copyではなくなる。
「**さんはこういう風に弾いていて、++さんはこの同じ箇所をこのように弾いている」と奏き分けが出来るようになったら、copy-methodeは完璧でoriginalityが出て来るのだよ。
『蛇足の感想』
日本人の演奏家には、専門家と呼べる人はいない。
色々な曲を色々な場所で色々な聴衆を対象に演奏している。
Classicに限らず、easy listeningの音楽までの、所謂、genreの無い音楽だ。
広く浅く・・という所だろうか??
11月29日教室のお引越し ·
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明日は11月の29日の日曜日です。
朝早く起き出して、お久し振りの千葉行きです。
今日は一日掛かりの千葉の花園教室と検見川教室のお引っ越しなのです。
それなのに、「今夜も私は眠れない」と
・・・寒い!!
とうとう1、2時間しか眠れなくなってしましたので、aramで起きなければならなくなったのだけど、aramをsetするのを忘れたのだけど、寒いので布団から出るのが億劫で嫌だったので、とても使い手が悪い携帯に入っている元々付属していたGoogleの時計を削除して、同じGoogleの時計をnetからinstallしました。
全く同じGoogleの時計なのですが、使い手が全く違っているので、新しくinstallした方が使い手が良いからなのです。
元々の時計をversionupしても、外のGooglePlayからinstallした時計とは全く違った物になるのです。
それも不思議な話しですよねぇ??
11月30日兎に角寒い ·
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今日は、とうとう11月最後の日の30日です。
練馬区の気温は、今現在4°で、兎に角、寒いのです。
千葉の花園教室と検見川教室から新しい教室への楽器の大移動で楽器運びのために何度も往復して、それからLessonをして、ご近所への音の聴こえ方のcheckを同時にして、それ等の一作業が終わってから、東京に戻って来たのですが、食事とドルプリのお散歩を済ませて、ハイツに戻って来たのですが、部屋があまりにも寒いので、超珍しく寝室のエアコンをつけたままで寝たのですが、エアコンをつけたままでも、8°から全く上がらないのですよ。
2時間起きぐらいにtoiletに起き出しているのですが、暖房を付けたままでも、寒くて布団から出るのが辛いのです。
・・・てな事を、ウダウダとBedの中で書いていたら、突然鼻水が出て来て息が出来なくなってしまいました。
このままBedで寝ているののは無理な感じになって来ました。
まだ4時台の終わり頃なので、無理して寝ている事もないのですが、息が出来ないのも苦しいのでね?
・・・と思っていたのですが、思いの外、短時間に鼻詰まりは解消してしまい、8時過ぎ頃までは、熟睡する事が出来ました。
そろそろ仕事に復帰しても良い時間帯になって来ました。
という事で、やり途中の仕事を片付けながら、supを飲みながら、テレビの録画のドラマを見ていたら、いつの間にか爆睡していました。
椅子の上に座ったままで体も休眠状態になってしまい、全く動かせなくなっていました。
「こりゃあ大変だ!」という事で、Bedに戻って入眠を試みたのですが、今度は全く眠れません。
一体、どうなっているのかね??
上手く体のcontrolが出来ないのだよな??
お昼の12時近くまで仮眠を取って、お昼を過ぎたので、真面目に仕事をしようとfinaleを立ち上げる所までは頑張ってやるにはやったのだけど、余りにも疲れが酷いので、風呂に入って疲れを取ろうと思ったのだが、風呂の中で眠り始めたので、慌てて風呂から飛び出して来ました。
風呂の中で、溺れ死んでしまっては、傍からは見られたもんじゃあないからね??
この2日間は昔々書いたpianoquintette-versionのhappybathdayの曲を膨らます作業をしています。
曲の長さも倍以上の長さになって、ほぼ完了したのですが、小さい絡め合わせのmotive等が何度も聴き直していると、どうしても出て来てしまうので、その手直しを永遠にしている所です。
小さなたった一個の音符を変えるために、完成していた前後の2、3小節を作り直しているのだよなあ??
困った事ですよねぇ??
曲的には、もう完成しているのだから、いい加減、諦めれば良いのにねぇ??
私はそんな粘液質なtypeではなかったハズなのだけどなぁ??
コメント
芦塚 陽二
取り敢えず今日は満月だそうです。寒いので、写真は撮りません。あしからず!!
· 返信する · 6週間前
村田 晟
代打で撮りましたが、古いデジカメなので(笑)
· 返信する · 6週間前
芦塚 陽二
ありがとうございます。お引越しで疲れてしまったので、部屋に閉じ篭ってしまいました。窓を開けても見えるのに、その気分にもならなかったので・・
· 返信する · 6週間前
12月1日globalstandard ·
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今日はなんと12月の1日の火曜日です。
気がついたら、もう師走なのだよな??
来月はもう新年だよな??
お引越しのドタバタで、昨日は寝込んでしまったので、少しは体調は戻ったのかな??と思ったら、なんと今日は腰痛が再発してしまい、牧野先生が折角作ってくれたお弁当を、椎名町まで取りに行く事が未だ出来ません。
体を温めると、「少しは、楽になるのかな??」という事で風呂に入って足腰を温めて見たのですが、風呂の中で眠ってしまいそうになって、慌てて飛び出して来ました。
風呂で眠って溺れかけた経験があるからね??でも、ハイツの風呂は小さいので眠っても流石に溺れない・・とは思うのだけど、一応はtraumaになっているのですよ。アハッ!
夜になって来て、益々寒くなって来ました。
ガスストーブを止めると一瞬で部屋の温度が下がってしまいます。
ガスストーブの温度のcontrolの機能(サーモ)が壊れて温度調節が出来ないので、つけっぱなしにする事が出来ないので、頻繁につけたり消したりしているのでね??
早めに寝ようとしても、足が冷えて寒くて眠れなくなってしまうし、体が温まると鼻水が出て息が出来なくなってしまいます。
毎回同じ事を書いているようだけど、毎夜同じ状態になる・・という意味なのであしからず・・
happyBirthday芦塚陽二編作曲 Pianoquintetto version - YouTube
『ここから別文章です。』
一般の人達からは、日本人の演奏家達や音楽を学ぶ人達の水準はEuropaの音楽家の人達と肩を並べるようになったと思われているようなのですが、それは依怙贔屓的な解釈に過ぎません。
実際には、猿真似の国民らしく、演奏の技術も表面をなぞっただけの、見せかけだけの演奏にすぎません。
今の音大生達にも言える事なのだけど、「一昔前からの指だけ早く動けば良し!」という考え方が未だに日本の音楽界の主流なのです。proの音楽家を目指すには、concoursしか道は無いように思われているのですが、実際にはproがどこのconcoursに入賞したのかを知っているaudienceはいません。
よっぽどのフアンだけです。
concoursに入賞させるのは、簡単です。
それはconcoursは減点法であり、missが無くそれなりに演奏出来れば、高得点を得る事が出来るからです。
日本の音楽界では、proとして演奏する人の個性は必要はありません。
その人の人間性と言っても、approachしている曲のgenreで判別しているだけなのですからね??(Classiconlyの演奏家か、popularやClassicまでの幅を持った演奏家か??という演奏する音楽のgenreで、その人を判断します。個性や音楽的な内容は取り沙汰される事はありません。)
一般の大学の入試でも会社の就職でも、globalstandardな社会では、その人の持つ独自性・・所謂、個性が重要なpointになります。
勿論、音楽も然り!で、その人独自の演奏表現力や、個性の表現力が評価の対象になるのです。
日本ではそういった個性は、全く認められる事は決してありません。
一般の学校教育の場合でも同じなのですがね??
Europaでは音楽は伝統芸術なので、当然、technicalな技術以外の勉強も子供の内から、普通に指導されてきます。
曲の構成に対しての演奏法とか、時代的な演奏背景、所謂、periodの奏法とか、duoやQuartettの演奏法とか、和音の取り方一つにとっても、学ぶべきものが沢山あるのですが・・日本の音楽界の場合には、そういった音楽技術以外の勉強する事は、ありません。
音楽の勉強で、技術習得以外に必要な物がある事を知ろうとする事は敢えてしないのですよ。勿論、音楽大学では、そういった事を指導するための教科はあります。でも、そこでの学習は、入門にすら成り得ない表面的な事に触れるだけの勉強に過ぎないし、専門的に詳しく研究する事は決してありません。もし、あったとしても、その教科を取る生徒は居ないのだよね??つまり、その必要性も感じてはいないのですよ。必要性を感じない勉強を先生が幾ら「必要だ!」と言っても、それを真面目に勉強する生徒はいないのだから、所詮は無駄な話になってしまうのですよ。
私が作曲をしなくなった理由は、Facebookや携帯等が無かった時代のお話なので、論文によく書いている事なのですが、日本に帰国して間もない頃、若手外人pianistの演奏会に招待状を貰って行ったのですが、その時に若い着飾った女の子達が演奏会に来るのを見て、「ああ、ここは私の居場所ではないな?」と実感したのですよ。私にとっての音楽は決してfashionではありません。ましてやstatusでも無いのです。
私に取っての音楽は、私自身の人生そのものだからです。
突然、日本の音楽界の批判になってしまったので、驚かれたと思いますが、いつものように、テレビを付けっ放しで仕事をしていて、見るとは無くNHKのテレビの番組を見ていたら、Salieriの特集をやっていて、symphonyの指揮を聞きながら、俺ならばもう少しマシに・・と思いながら聴いていたら、最後にSalieriの合唱曲をproの声楽家の人達と称する人達が歌っていて、完全にブチ切れてしまいました。
一人一人のvibratoが大き過ぎて、合唱の和音の響きが全く聴こえないばかりか、その内に音程がぶら下がって来るというお粗末振りで、私達の教室で子供達がそれをやったら、私は烈火の如く怒り捲った・・と思いますがね??
それまでの演奏については、interpretationの問題や、Salieriに対しての尊敬の念の欠乏程度でなんとか我慢の出来る範囲内だったのですが、最後の合唱に至っては、遂に切れてしまったのです。
日本でのNHKに招待されるような若手の声楽家のlevelがその程度とは、呆れ果てたものですよね??
本当の合唱曲はもっと和音の響きが聴こえて美しいのですよ。
合唱はお互いが競い合う競争曲ではないのですよ。
お互いが主張してはensembleとは言わないのですよ。
ほんとに困ったもんだよな??
それに多分歌っていたのはドイツ語だとは思うのだけど、良く分からない言葉で歌っていたよな??
俺も長年ドイツに住んでいたのだけどね??
こんな不可解なドイツ語はあまり耳にしないよな??
同じ教育テレビの「旅するドイツ語」でも見たら、美しいドイツ語の発音も聴けるよ??
それに発声法!!
歌にはItalia-Operaの発声法と、ドイツのcantataやイギリスのcantataの発声法(勿論、castratoとは違うし、countertenorとも違う、極々普通のcantataの発声法なのだけどね??)、ドイツのWagner歌手の発声法とか、Deutsch-Liedの発声法・・これは全て発声法が違うのだよな??
それ分かって歌っているのかな??
その区別も付かないで、proの声楽家は無いよな??
素人の演歌歌手がvibratoを掛け過ぎて、音程が全く分からない人がたまに居て、「まあ、素人だから・・」と笑いながら聴いていたのだけど(私は演歌は絶対に聴かないので、赤提灯での話だよ??)、日本人のClassicの歌い手さんが同じようなvibratoを掛けて歌っているのを聴いて、「演歌とClassicの区別が付いているのかな??」と疑問に感じた事があったけれど、日本の弦楽器が二胡の音や馬頭琴の音に聴こえてしまうように、Classicの歌手のvibratoが演歌のvibratoに聴こえてしまうのだよ??
だから、日本人の演奏は基本的に聴く事は無いのだけど、ボッチのパソコン作業が寂しいので、BGM替わりに音楽を聴いたのが、pech!だったのだよな??
お久し振りのvibratoだよな??
こんな凄い演奏を聴いたのは・・・
誰が監修したのだよ???
天下のNHKともあろうものが・・・??
日本の音楽の水準は、今現在でもEuropaの水準に対して100年間は遅れています。
幾ら技術的に表面を飾っても、ひと皮剥いてしまえば、そこはペラペラの中身の全く無い音楽なのです。
弦楽器でのauftaktの弾き方や、4和音の弾き方等の、時代考証も全く無くって、baroque音楽を擬古典の音楽との区別も付いていないのでは、演奏家としての資格は無いのではないのかな??
・・・という事で、あまりの事に憤慨してしまって、ついつい激情に駆られて書いてしまいました。
普段は日本人の演奏を聴いてしまうと、こういう風になってしまうので、日本人の出演する音楽番組は絶対に聴かないようにしていて、newsかdramaかアニメを見ているのだけど、今回は人生の脇役にされてしまった不遇のSalieriのお話だったので、ついつい見てしまったのだよな??
いや~あ、見るんじゃなかった!!
後の後悔、先に立たず・・ってね???
12月1日子育ての常識の間違い ·
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親や一般の人達が、一般の常識的な教育論の方を信じて、それと異なった私の教育に対する主義主張を信用しない・・というお話しは、毎度毎度、繰り返しお話をしているので、「愚痴の繰り返し」のようなお話しになってしまいますので、「またか?」と思われる方もいらっしゃるのではないのでしょうかね?
今回も、しつこく、その「またか?」のお話しの繰り返しのお話になりますが・・・
「繰り返し同じお話をする」という事は、昔々からのtraumaになっていました。
或る時に、私が書き溜めていた論文を書籍化しようと思って、反故の文章のpieceを纏めていた時に、あちこちに、同じ文章があるのを編集の人に言ったら、「そういう風に同じ文章があちこちにあるのが、あなたが一番気にしているmain−themeなのですよ!」と言われて、すっかり感心してしまいました。
心に常に引っ掛かる事なのだから、色々な状況下で、あちこちに同じ文章が来るのですよね?
それだけ、微妙な内容のお話しになっているのですよね?
まさに目から鱗のご説でした。
それからは、同じ文章や同じthemeで、論文を書く事を恐れなくなりました。
それまでは同じ内容の文章をあちこちに書く事は、Alzheimer病のように思っていたのでね??
今では同じthemaでも、毎回少しづつapproachが違うので「玉も数打ちゃ当たる」って思っています。
『本文』
子供達への教育の一般的な考え方・・所謂、子育ての常識には、多くのtraditional的な間違いがあります。(traditional(=伝統)が、或いは常識が常に正しいとは限らないのです。)
特に教育という問題は、常にその時代の社会状況で変わってしまうから、traditionalという物自体が、有り得ないのですよ。
本来、教育のあるべき姿とは、子供の夢を叶える事が目的であるハズなのですが、日本の社会の多くの家庭では、父親や母親の夢が子供の教育の目的になっている場合も数多く見受けられます。
そういった教育上の目的や価値を含めても、一般の社会的な教育に対しての常識は、親方日の丸的な思考、所謂、寄らば大樹の考え方が、主流であります。
しかし、その考え方は、日本社会の殆どの人達が同じ考え方で受験をするので、その方法論に従って目標に到達する事が、一番淘汰の激しい、難しい困難な方法論を選択しているに過ぎません。しかし、その事を私が何時も主張して説明をしても、私の考え方に同調する人はいません。常に、社会の常識が優先されるのです。教育は不毛な社会的構造なのですよ。
学校の勉強一つを例に取っても、多くの塾では学校での成績を上げる事や、大学の入試に合格をさせる事を目標として指導しています。
・・でも、本来の教育の目的は、勉強をする楽しさを学ぶ事が目的であるべきであり、その結果が、「どの大学で何の勉強をしたいのか??」という事で、受験の目標が決まるハズなのですよ。
その大学が有名な大学であるか、3流の大学であるかは、問題外のハズなのです。
私達がEuropaの音楽大学に留学する時に、Europaの音楽大学のsystemでは、先ず、自分が師事したい先生を探してその先生の弟子に成れるか否かで、その先生の指導している大学での生徒の空きをcheckします。先生が「今大学で生徒の空きが出たので、いらっしゃい!」という事で留学が決まります。
だから、Europaの場合にはどの大学を卒業したのか??・・ではなくて、どの先生に師事したのか??がstatusになるのですよ。
という事で、私の場合にもMünchenの国立音楽大学を卒業したのではなく、Genzmer教授の作曲classを卒業したのですよ。
大学を卒業する・・という概念はEuropaの大学にはありません。
それは学生証にも現れています。横に複数回折り込んだ定期券サイズの証書で、上下にハンコを押す所があって、10年分ぐらいのハンコを押す箇所があります。つまり、Europaの音楽大学では科を卒業する事はあっても、学校を卒業する事はないのですよ。私が音楽大学を卒業してMünchenの音楽大学に入学した時に私は当然、最年長だと思って、周りの人達に歳を聞いたら、なんと私が最年少だったのですよ。友人の最年長は33歳だったのですよ。
それに、科が違えば師事したい先生も変わります。だから、音楽大学同士では転校が出来るのです。作曲科はMünchenで指揮科はBerlinだ・・とかね??
私の日本人の友達はFranceのConservatoireからDeutschの音楽大学に転校していました。楽器の奏法の関係での話です。
本来ならば、目先の学校の成績の事等は気にしないで、本当に勉強の楽しさを学ぶ事が大切なのですが、「勉強の楽しさ」と言うと、またまたでんじろうさんの実験のように、目先の面白さを追求しても、それは切っ掛けにはなるかも知れませんが、それで本当の科学の素晴らしさを学ぶ事はありません。見せかけの面白さはその場限りの事に過ぎないのですよ。
子供に興味を持たせる事と、子供の興味にとりいる事は所詮全く違うのですよ。
そこは本当によく勘違いされてしまいます。
本当の楽しさを指導するためには、衒いは必要ないのですよ!
音楽教室の場合には、話しがもっと貧弱で、多くの音楽教室では、楽しい音楽の勉強というと、「流行の曲が弾けるようになる事!」・・・という事だという事で、それを目的に指導している教室が音楽教室の大半を占めます。
これは迎合に過ぎません。
それに対して、Classicを指導している教室では、音楽大学に入学させる事だけを目標として、厳しく辛い努力を強いる音楽教室もあります。
というか、その二つが、日本の音楽教育の現場の全てでしょうかね?
日本では、音楽を学ぶ・・・と言ったら、その二択以外はないのですよ??
私達の教室に訪れて来る人達でも、子供達の保護者の人達は、子供の頃にはそういった習い方をしていたハズなので、お稽古事の勉強方法には、それ以外の方法論があるという事は当然理解出来ません。
難解なbaroqueの音楽や古典派のsonata等が楽しい音楽である・・とは一般の人達には、とても信じられないのですよ?
昔、教室で私から学んで来て、そういった特殊な方法論で学んで来た親ですら、音楽大学に入ってしまうと、そういった教育を受けて成果を上げて来た事は遠い昔々の童話の話しで、自分の子供には、今現在身近にある一般的な勉強法を要求してしまうのですから、驚いてしまいます。
まあ、結論的に言うと、芦塚methodなんて物は誰も信じてくれないmethodなのですよ!
人間とは、新しい思考方法には、何処までも否定的になるものですよね?
「理屈はそうかも知れないけれど、現実的にはね~ぇ??」という事でしょうかね?
一般の音楽に対しての考え方では、Classic音楽をなりわいとしては、生活が出来ないという考え方が一般的で、Classic音楽onlyで生きて来た私に対して、同意を求めて来る人達がいたりして困ってしまいます。
Classic音楽で生活が出来ないのは、Classic音楽を勉強している音大生が、生活の苦労を何一つした事のないお嬢様、おぼっちゃまだからに過ぎません。
つまり、音楽以前の人間的な話しなのですよ。
習い事で指導をする目標であるハズなのですが、一般の保護者には、一般と同じにする事が楽である・・という変な誤解があって、それが如何に大変な事であるか??という事を理解しようとはしません。
子供達の教育で一番難しいのは、その子供の努力の限界点を見極める事なのです。
ですから、curriculumに従って子供達が伸びている場合には何の問題もないのですが、子供のやる気を汲んで、curriculumを飛ばして「曲決め」をする場合には、先生達にとっても「曲決め」が非常に難しくなってしまうので、今でも私が選曲をしています。
先生達の場合には、常に子供達と接しているので、曲決めの時に、ついつい情緒的感情的な気持ちが優先してしまうのですょ。
子供のcapacityは音楽にどれぐらい熱中しているかでも、その子供のcapacityが決まります。子供のその時の水準でその生徒の次の水準が決まる分けではないのです。
子供がひたむきに音楽に熱中している場合には、通常のcurriculumを飛ばして、大きくlevelをupさせる事が出来るのですが、それはその子供のcapacityを越さないギリギリの範囲内での「曲決め」になるので、曲のlevelと同様にその生徒への技術的なcurriculumの指導力が必要になります。
その生徒が、levelをupするには、その前にその生徒が、どういった技術を習得し、masterしなければならないのか??・・を判断し、その技術をlectureして、使い熟せるようにしなければなりません。
その結果で、「曲決め」をした曲が演奏出来るようになるのです。
その曲に必要な技術のback・up無しに「曲決め」だけで、幾ら練習をしても、努力をしても、演奏の水準が上がる事は無いので、一般の音楽のlessonの場合と同じように、唯、難しい曲を貰った・・という事になって、挫折をしてしまいます。
教室の生徒が一人も挫折をしていないのは、そういった子供の技術的な見極めと、事前のlectureとlessonの配慮によるcurriculumの結果になるのです。
だから、他所の先生達が、教室の先生のlessonの「曲の進度」だけを真似しても、lessonの風景を真似しても、上手く行かない事になってしまいます。
当てずっぽうに、自分の経験値だけで、指導力を誇っても所詮は限界があるのですよ。
一般的な親の場合には、自分の子供への教育に関しては、一般的な人達の話や、親の経験値で判断します。
しかし、親の経験値としては、それまでに一般的な音楽教育しか受けてはいないので、その中でしか判断出来ません。
芦塚methodeとは、日本の従来の教育法を完全否定した所に構築されたmethodeなのですから、従来の教育の経験が全く何の役にも立たないのは当たり前の話ですが、人は自分の経験値からしか判断をしようとはしません。
自分の経験に無い事については、それを認めようとはしないのです。・・言い過ぎたかな??認めようとしないのではなく、理解が出来ないのです。つまり、理解の出来ない事は非現実的な世界なのですよ。
毎回の発表会等で、実際にその非現実的な世界がrealityを持って目の前にあったとしても、やっぱり理解出来ないのですよ。
「それでも地球は回っている!」のですが、真理と慣習の違いが分からないのですよ。真理が慣習になるには100年以上の月日と年月が掛かるのですよ。アハッ!
12月4日『基本に戻るという事』 ·
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まあ、今回は大家の立て替えで急遽のでお引っ越しになってしまったのだが、折角なので、2階の部屋だけは自分のimageでlayoutをしたかったのだけど、一つ一つの事が意見がぶつかってしまって、そろそろ面倒くさくなって来てしまった。
私にも、言いたい事・・・というか、ねばならない事はそれなりに色々とあるのだが、それを言い出すと限が無くなってしまうのだよな?
ああ、面倒くさい❢❢
どうせ、やっている間に不都合が出来て、俺の言った通りにしかならないのだが、やって見ないと分からないのでは、やらせるしかあるまい、て❢❢
『教育に対しての何時もの愚痴』
長年、というか、もう40年近くも音楽教室を作って生徒達を指導して来た。
子供達への指導でも、親や、大人達へのadviceにしても、人が私に対して求めるadviceは、how toに過ぎないのだよ。
相談者に対して、私が二度と同じ間違いをしないように、その間違いの根本的な理由や原因の説明をしていても、相談者が真面目に聴く所は、自分自身にとって都合の良いhow toな部分だけであって、その誤りを引き起こした根本的な原因に対しては、絶対に触れようとはしないのだよ。
勿論、その結果としては、その場はなんとかなったとしても、いつかは同じ状況になってしまうのだが、その時には、またまた同じ相談を持って来るのだよな?
つまり、本人はこの問題が、新たな問題であって、以前相談した問題と同じ原因で引き起こされた問題だとは、気づかないのだよ。
そうして、私は幾ら原因の根本を説明しても、そのhow toにしか耳をかさないのだよ。
そうしてまたぞろ同じ問題が繰り返されると、また同じように同じ事を訊ねてくるのだよ?
how toで、抹消的な箇所を治そうとすると、無数の小さな問題箇所を直佐なければならないのだよ。
それよりも、根本的な原因である箇所を、一箇所直す方が手っ取り早いし、効率的だと思うのだが、私のadviceを聴いて、それをやる人は皆無なのだよな❢
一般の人達が気にしている所は、今目の前に見れる事だけなのだよ。
その事を引き起こしている根本的な事については、今現在の直前の問題とは無関係にしか見えないのだよ。
だから、必ず次の答えが帰って来るのだよ??
「今の問題が解決したら、次にそれをやります。」
・・・と言って、後日、how toで表面だけを解決させて、その場を取り繕ってたとしても、その後で、改めて、根本的な原因に取り組んだ生徒や大人の人達は一人もいないのが現実なのだよ。
人は皆、その問題が解決出来たら、根本的な原因も解決出来たと思い込んでしまうのだよな?!
私に言わせて貰うと、根本的な原因となる箇所を一つ直すと、無数の色々なtypeのmissを避ける事が出来ると思うのだがね?
その私の話しの意味が中々理解して貰えないのだよ!!
今回の引越しについても同じ事が言えるのだよな?
引越しには、必ず手順があって、その手順を守らないと、堂々巡りになってしまうのだよ。
それで、私が事前に指示をしていた道具の準備や引越しの手順が何一つ守られていなかったので、緻密にadviceをしていたと思っていた私は、ついに頭に来てしまった!
二つの教室を一つに統合するのだし、個人の単純な引越しとは違うのだから、目の前の事をなんとかしようとするのではなく、作業効率を優先的に考えて行かないと、いつまで経っても仕事が終わらない事になってしまうのだよな??
それに、一般家庭のお引っ越しとは違うのだから、引越しが終わろうと、終わるまいとLessonは日にちと時間が来れば、否応もなく始まってしまうのだよ❢
私が一番恐れている事は、目の前の事だけを考えてお引っ越しをしてしまうと、もう一度全部をやり直さなければならなくなってしまうのだよ!
そういう事が起きないように、私が現場で指示が出来れば良いのだが、現状では、一緒に作業が出来る分けではないので、私の指示は絶対に守って作業をしなければならないのだよ。
そうしないと、仕事が堂々巡りになって、いつまで経っても終わらなくなってしまうからだよ。
私は仕事の仕方を説明する時に、料理に例えて説明をする。
料理は身近な日常なので、理解し易いからだ。
まず、何かを作ろうと思ったとする。
しかし、実際には、この何かを決める事が、現実的には一番難しいのだよ❢
例えば、小さい子供にはアレルギーがあるかも知れないし、老人と若い人では準備をする食事のtypeが違う。
幾らご馳走を揃えても、病人には、何も食べられないのかも知れない。
そういう時には、質素なお粥や単純なお吸い物の類いがご馳走になるのだよ。
音楽教室を会社として経営して行くためには、教室(箱物)に生活感があってはいけない!・・と言い続けているのだが、その話しが耳に届いた事はないのだよ❢
部屋に入らなければ、捨てれば良いだろう??
心機一転だよ❢❢
料理の話しに戻って、
必要な材料があるかを冷蔵庫を開けてcheckをする。
勿論、その時には、一緒に調味料等も確認をして置く事を忘れないようにする。
これを怠ると、何度もスーパーに買い出しに行く羽目になってしまうか、mainの材料抜きのだらしない料理になってしまうからなのだよ。
これは笑い話しのように思われるかも知れないのだが、実際には、というか現実的には結構ある事なのだよ。
子供が高校生にもなると、授業でもパソコンで書いたりprintoutしたりしなければならないのだが、printerを持っていないのならば分かるのだが、家にprinterがあるのに、inkがない!
inksはあるのに、次には紙が無い!
その次には・・・と、その都度、何度も何度もパソコンショップに駆け付けるのだよな?
これは実際にあった話しなのだよ??
その人は、そういう性格の人なのだよ。その人に物を頼むと、その人が幾ら一生懸命に仕事をしても、期限に間に合う事は無いのだよ。
本人は、真面目に一生懸命に仕事をしたのに、誰も認めてくれない❢と、悩むのだが、だからといっても、決して手順を踏んで仕事をする事は無いのだよ!
それはそういう性格だからなのだよ。
料理に戻って、さてスーパーに行って材料が揃えば良いのだが、もし代用の材料さえも揃わない場合には、料理そのものを変更せざるを得なくなる。
私がまだ若くて、自炊をしていた頃は、まだ冷蔵庫という代物が無かった時代なので、スーパーやお店で、食べたい食材を適当に買って来て、それから何を作るかを決めていたのだよな。
昔々の冷蔵庫が無かった時代は、それが普通だったのだよ。もう一つ困った事は、その当時は切り売りがなかったのだよ。野菜もお魚も、完全体で売っていたのだよ。だから学生であった当時の私には、魚も一切れしか要らないし、キャベツだって1/4しか要らないのだよ。八百屋は一個単位でしか売ってくれないので、大学の下宿をしている同級生達に半ば強制的に売り付けたのだよ。でも皆、一人暮らしで、買い物には困っていた分けなので、決して無理難題な話しではなかったのだよ。若かりし頃の話しだがね?
食材が揃ったら、下準備をする。
最悪の料理は、料理が出来上がった時に、料理が冷めてしまっている事だよ。どんなに料理が上手いと、自称していても、冷めた料理を出す人は料理下手の人なのだよ。
料理上手の人の場合には、料理が終わった時に、台所の整理が終わっている人なのだよ。
調理をしながら後片付けを同時にする事が料理の基本なのだが、テレビの料理番組等では、後片付けをお弟子さん達に任せて、自分は料理だけに専念している料理人がいるのだが、家庭でそれを真似しては、後片付けを担当するお弟子さんがいる分けではないので、目一杯に台所が散らかってしまうのだよ。
それは幾らProだとしても、料理上手とは言わない!
勿論、先ずは、冷たい物から温かい物へと作って行くのだが、コンロの数だけ同時進行させるのは、当たり前の事だよ。料理は平行作業が基本だからだ。
昔々のように、コンロが一つしか無い場合には時間の掛かる物から掛からない物へと、順番に調理して行くのだよ。
材料も同じだよな?
調理に時間の掛かる物からお鍋に放り込むのは常識なのだから、それぞれの材料で入れる順番が自動的に決まるのだよ?
けして当てずっぽであってはならないのだよ。
これが引越しの作業と全く同じだし、音楽の練習や、録音録画の作業とも同じなのだよ。
面倒くさいのでは無くて、日常生活の全てに手順があるのだよ。
それを面倒くさがっていては、生きてはいけないよ??
言い方を変えると、日常生活の全てが、こういった整理された生活になると、自動的に時短が出来て、ゆとりのある豊かな生活が出来るのだよ。
人は膨大な仕事を目の前に突き付けられると、焦ってしまって、手に届く事から闇雲に始めてしまうのだよな。
私の場合には、膨大な仕事が目の前にやって来たら、漠然と全体を見てから、その日、一日、二日は休みにしてしまう。
一度、その仕事から意識を離してしまうのだよ!
勿論、とても大切な事は、その全容を眺める事なのだよ。
回りの弟子たちは「締め切りが間に合わなくなってしまう」と文句を言って来るのだけど、これは私のルーチンであり、セレモニーでもあるので、そこは譲れない。
休みが終わっても、直ぐに仕事に取り掛かる分けではなく、手順書を作成するのに、更に一日、二日を掛ける。
時間の掛かる仕事の場合には、一週間程も放ったらかしてしまう事すらある。
この無駄とも思われる日にちが、大きな時短を産み出すのだよ。
仕事は必ずしも全部の作業を自分自身がやる分けではないので、外注出来る箇所を見つけてその時間に出来る平行作業を組み込んで行く。
ここらの作業は、映画を撮影する時の作業に似ている。
同じ場所ならば、最初も最後も、山場の部分も、同時に、その場所で、撮影するのだよ。
そうすれば、staffの人件費や宿泊費も、機材も必要最小限で済むからだよ。
歴代の作曲家が作曲をする時も同じで、作曲家は頭の中だけで、音楽をimageをする。
いきなり五線紙に書く作曲家はいない。
勿論、ideaはmemo用紙に書いて貯めて行く。
ある程度memoが溜まって来たら、五線紙上に配置して行くのだが、これはジグソーパズルを作る時と似ているのかな?
虫食いの譜面が出来あがるのだよ。
それぞれのパーツを埋めて行く作業は、建築も絵画も、それこそ映画を作る作業とも似ている。
この行程は、中々一般の人達には理解して貰えないのだよな??
無頼の作家が酒に溺れるのも同じなのかな??
しかし、作曲家は、酒に溺れる人は皆無であり、殆どの作曲家の人達は散歩が思索探究の場所であるのだがね?
着想を求める時には散歩が最高だよな。
短い時でも、ひと月くらいは、何もしないでぼんやりして考えているのが一般的な作曲家の普通の作曲法だよな??
傍目に見ていると、まさにAlzheimerの症状だよな?
しかし、構想が完成したら、結構長い曲でも、私でも、2、3日で書き上げてしまう。
なんの苦労もなくホイホイと書いた!・・・ようにと勘違いされる所以である。
書き上げると、二度と自分の作品を見ない作曲家と、endlessに推敲を重ねてしまう作曲家に分かれる。
二度と自分の作品を見ない作曲家でも、自分の作品を見てしまうと、endlessに修正をしてしまうから、だから見ないのだよ!
アハ!!
芸術には完成という言葉はない!
芸術にあるのは、完成ではなく、見切りなのだよ。
という事で、発表会やYou Tubeで公開をして見切りをつけるのだが、それでも公開した事を後悔して、推敲をしてしまうのだよ。
それが仕事の現実なのよな??
Europaの教会等は300年間も造り続けている教会はザラなのだよなあ?ザラだよ、ザラ!!!!
今年はBeethovenの250年だそうな??
Beethovenも自分の交響曲を作るのに、30年、40年を掛けた作曲家なのだよなあ??
たかが10年、20年間で、音楽をやめてしまう日本人の女の子達とはえらい違いやな~ぁ??
12月4日40肩50肩 ·
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何年も前から、40肩50肩になって肩が上がらなくなっていたのですが、この所、急に、酷くなって来て、痛くて手が全く上がらなくなって来たのですが、Bedから起き出す事のさえも難しくなって来ました。
夜の頻尿の時にtoiletに行くためにBedから下りる事さえも難しくなって来たのですよ。Bedの登り降りに左手が大切な役割りをするという事は、気が付きませんでした。
私の場合には、日常生活を左手に頼る事が多いので、ちょっとした動作にも左手が痛くて使えないという事は、生活に大きな支障を来たしてしまいます。別に左利きという分けではないので、本来的には困らないハズなのですがね?
わざわざ電車でカイロに行くのも面倒くさいし、コロナも怖いし、お金も高いので、二の足を踏んでしまうのですよ??
まあ、暫くはそのままで様子を見ておく事にしますかね?
今日は椎名町の壊れたガス給湯器の交換に業者が来て工事をしている所です。
引越しのどさくさの最中の超忙しい時に、何か別のトラブルが起きるのは、常なので、またか?という感じなのだけどね?
6時半くらいにやっとなんとか給湯器の工事は終わったそうです。
コメント
芦塚 陽二
またまた、書き足した文章が全く表示されないという現象が起こって困っています。編集履歴には表示されているので、パソコンで差し換えてしまおうか?とも思っているのですが、放っておいたら、その内に表示されるのかな??本当にFacebookの不安定さは困ってしまいます!!!!!!!!
· 返信する · 6週間前
芦塚 陽二
小一時間程経ったら、表示されていました。編集履歴には即で表示されるのに、公開されるまでにtime lagが小一時間以上あるという事なのだよね??まあ、表示されるのならば、良しとするか??
· 返信する · 6週間前
12月5日アプリのミキサーを ·
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いゃ~あ、今日も日本酒を1合半も飲んでしまった。
この所、毎夜、毎夜のボッチ酒盛りになってしまっているよな??
少し節制しないとな??
そろそろ、新教室のsalonでの、録画録音を開始したいので、どういった方法でvideoを作るかを考慮中なのだが、中々その方法を決めるのが難しい。
以前は2台のvideo-cameraを使って、交互に撮影して行く方法で録音録画を考えていたのだが、実際には、結構手間暇が掛かって、録画作業だけではなく、その動画を編集するための作業も、手間が掛かって、現実的には大変なように思えて来たのだよな?
「思えて来た!」という意味は、未だお引越しが終わっていないので、実際にvideo-cameraでの撮影は一度もやっていないのですよ。
そこで、この所、一週間程は、video-cameraによる録画録音では無く、音声のみを録音するやり方を検討中なのだが、その方法論自体は、昔々、まだComputerという物自体が無かった私の若い頃に、簡易versionのmixerで、cassette-tapeに録音するtypeのMixerやMDに録音するtypeのMixerを買い揃えて録音を試みたのだが、truckを多用して音声を重ねれば重ねる程、音声の劣化が酷くなって、実用性には程遠いものであって、しかもそれにしては、結構設備投資の掛かる物であったのだよな?
・・という事で、それ以降はmixingによる録音はすっかりと諦めてしまいました。勿論、当時もharddiskにmixingをするためのMixerが売っていたのですが、Pro使用なので、非常に高価で巨大な道具で、そのための仕事をするために購入する分けではないので、わ達に取っては、無用の長物に過ぎませんでした。
今回は、演奏をYou Tubeにuploadするために、video撮影をするついでに、videoの音声の編集をする目的で、analogのmixerやパソコンは昔々とは違って、harddiskに音声を保存するようになったので、音声の劣化が起こり難くなったので、analogでもmixingが可能になったので、色々と録音用のmixingのアプリを調べていたのだけど、analogのmixerでは、今でも結構機材が高価で、一番安い簡易versionのおもちゃに毛が生えたぐらいのtypeでも4万円はするし、それに、配線とかの付属の設備を考えると設備投資も膨大になってしまうので、設備投資が難しいし、また使い方もそれなりに難しいので、analogの機材で録音する事は諦める事にした。
それに変わる方法で、機材を揃えるよりも、パソコン用のアプリを使う方が簡単でcostperformance的にも良いので、この所、2,3日の間、延々と色々と調べていたのだけど、どれも帯襷で納得の行くアプリが見つからなかったのだよな??
・・・という事で、最初の最初に戻って、昔々から時折、使っていたmixpadというsoftをまたまた再installして、その使い手をtestをしてみたのだよ。
パソコンのsoftという物は、より専門的になって来ると、使用される言葉自体が専門的になってしまって、説明を読んでもチンプンカンプンになってしまいます。
私が購入した動画の編集softであるcyberlinkのでsoftも、色々な動画の編集softの中から、より直感的に操作出来るtypeのsoftを選びました。
Classicの世界の人達で、音楽の編集をする人はまずいないのではないのかな?と思っています。
逆にpopularの世界では、電子楽器が主流なので、演奏も編集もMixerが登場する事の方が普通なのですよ!
だから若い女の子、男の子達が、かなり専門的な編集のsoftを普通に使い熟しています。
私達はClassicというジャンルだし、そういった専門的なsoftでなく、より直感的なsoftで良いので、今までこのmixpadというアプリ上では、上手く使い熟なせなかった事も、私なりにsoftをだましだまし工夫をして、なんとかanalogなやり方で、思った通りの録音が出来るようにtestをしてみたのだけど、まあ、欲を言わなければ、なんとか、使えるのかな???
・・・のかな??
かな?
・・な?
・・という事で、本格的なアプリになればなる程、使い勝手も難しくなるので、諦めてより簡単なsoftであるmixpadを使う事にしました。
testをする時に、・・一番、問題なのは、当然、音声の状態なのだけど、自宅のハイツでは録音する事が全くないので、condenser-micが一本もなかったので、音声の細かい状態のcheckまではcheck出来なかったのだよ。
mixpadも、無料softとは言っても、一回だけはserviceでfull-versionのsoftのお試し版が開くのだけど、このtestで使った作業が終わってしまえば、無料の簡易version版になってしまうのだよな?
やはり無料の簡易versionと有料のfull-versionでは使い手には、だいぶ違いがあるようなので、しばらくの間はmixpadで録音をする事を決めたのだから、ハイツの大型のパソコンには有料の完全版をinstallしたい所なのだが、しかし、実際に録音する時には、新教室に持ち込む、notePCで録音する分けなので、有料のsoftをinstallするのは実際の録音に使用するnotePCにinstallしなければならないのだよな??
それとも、今修理中の大型のパソコンに有料versionをinstallするのかな?思案中なのですよ。
私が先生達や生徒達に使い方の説明をするのだから、実際に使用するnotePCとは別に、私の部屋の大型パソコンにもdoubleで、完全版をinstallすると、1台あたり、1万5千円はするので3万くらいの出費になってしまうし、16truckまでの限定versionでも9千円はするのだよ。それが2台分では、約2万円の出費になって、結構痛いのだよな?
私がまだ若い頃に、実際のstudio録音に慣れるために、3台もMixerを買って、録音の練習をした事があったのだが、非常に手間が掛かる割には、実際には、使い物にならないようなおもちゃの音に過ぎなかったので、結局、先生達もmixing録音の方法はすっかり忘れてしまっているようで、今回またまた、0かられlectureをしなければならないようだ!
それでも、このmixingsoftは、最終的には俺がこのsoftを使う分けではないので、先生達や生徒達に使い方を指導して先生、生徒達がこのsoftを使いこなせる所まで持って来ないといけないので、あまり専門性の高くない、簡単で使い易いsoftでなければならないのだ。
今の所では、このmixpadというsoftが一番簡単で、直感的な動きをしているので、覚えるのには、楽なのかもね??
ハテサテ、同じ事を繰り返すようだが、使い方を指導するのに、誰のnotePCに有料のversionをinstallをするのかな??
そこが問題だよな??
一番は斉藤先生のnoteパソコンなのだろうけれど、使い方は私が熟知しておかなければならないしねぇ?
質問されて、使い方を説明をするのは、私なのだからね~ツ??
とは言っても、私が新教室に行って録音する分けではないのでねぇ?
12月6日引き籠もりの ·
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12月6日の日曜日の早朝の話です。
今日の深夜の気温は3°から4°の間です。
超寒いのだよな?
布団に潜り込んでも、中々温まらないのだよな?
やっと眠れたと思ったら直ぐに目が覚めてしまって、結局眠れなくなってしまったのだよな!!
仕方がないので、今はパソコンの作業をしながら、テレビを見ているのだけど、NHKで中高年の引き籠もりの特集を放送しています。
昔は、引き籠もりというのは生活力の無い子供達、つまり中学生、高校生ぐらいの世代の問題だと思っていました。
その中学生や高校生が今や、60代以上の世代になって来て、引き籠もりの60%以上が高齢者の世代になって来たそうなのです。
驚きだよな??
でもまあ、30年も40年も前に私の大学講師時代に書いて公開した論文には、何故、引き篭もりになるのか?という教育の間違いの原因の話しと同時に、「引き籠もりを放ったらかしにしておくと、そうなるよ!」と言う事を教育論文に纏めて書いていて、その論文のコピーを教室の発表会でも何度かは無償で配ったハズなのだけど、「実際にそうなってしまった!」という話しを聞くと、そういった事を社会に警鐘を鳴らして来た自分でも、改めて驚きだよな??
「そりゃあ、ありえへん!!」ってな??
(『今日こそは・・・』とは言っても、その『今日』は、『土曜日の深夜のお話し』になってしまうのですが、)・・・「今日こそは、お酒を飲まないで眠ろう」・・と思ったのですが、何時もの様に定形で椎名町から持ち帰って来たお弁当類や、作業道具などの大荷物の整理をしていたら、あっという間に2時になってしまったので、慌てて布団に潜り込んで寝た・・までは良かったのですが、小一時間程寝た所で目が覚めてしまって、それからまたまた全く眠れない症候群が起こってしまいました。
頑張ってbedで横になると、今度は鼻詰まりで息が出来なくなってしまう・・という何時もの様な最悪のpatternになってしまって、横にも縦にもなれないsyndromeになってしまいました。
今日はお久し振りの日曜日がやって来るのですが、お引っ越しが終わって、新教室で初めてのオケ練習や室内楽のLessonがあります。
私も、今日一日の時間の中に、飛び飛びの時間にweb-lessonが入っているので、ハイツからのテレワークのLessonをするのだけど、中々眠る事が出来ないので、昼夜逆転の様相を呈して来たので、「Lessonの時間に起きていれるのかな??」と、不安になってしまいます。
今の所、入眠が出来るような気配は全く見受けられないのですがね?
いや~ぁ、困った! 困った!!
12月6日『新教室での初オケ練習』 ·
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今日は日曜日、
12月6日の日曜日は千葉の教室のお引越し後の、新教室での初のオケ練習や室内楽の練習の日になります。
新しい教室の使い勝手等をcheckしたいので、本当は、私も新教室に行って、実際にLessonをして見たいのですが、私は後期高齢者で、しかも、全ての基礎疾患が当て嵌るので、千葉に移動してのLessonが出来ません。
という事なので、ハイツの自宅に引き籠もったままで、千葉の新教室でのオケ練習にはTeleworkでの参加となります。
Teleworkでの今回の新教室での初練習では、曲毎の時代的なbowの使い方、つまりbowでの表現方法の説明をしました。
『弦楽器演奏の基礎となるperiod奏法』
音楽を演奏表現する方法論なのですが、baroque時代では弦楽器、つまりViolinが作られたばかりなので、その楽器の表現方法は、基礎的で、基本的であって、楽器自体の独自の演奏による表現方法(所謂、技術的なmechanicalな表現)は少ないのです。
つまり、楽器でのDynamic、所謂、forte、pianoやcrescendo等の表現については、未だbow自体や弦そのものが未完成だったので、bowの押さえの強さ等での強弱や、色々な種類の音の止め等の技術はまだありませんでした。
音楽の表現技術はbowや弦の発達に伴って発展して行くのですよ。
という事なので、baroque時代の基本的な音楽表現の方法は、弓による強弱(弓の位置・・spitzeやfrosch、mitte等の弓の演奏する場所と、使用範囲上半弓や下半弓、全弓等々の物理的な使用法で演奏表現をしました。
baroque時代の演奏表現法は、楽器的な表現方法がまだ少ないので、その分の表現方法は作曲家の作曲の手法に依存される事が多く、楽譜をinterpretationすると、楽譜上で、音楽的な演奏表現がなされている場合が殆どでした。orchestra-curriculumではbaroqueの作曲家の曲(特にVivaldi等の)を中心に指導していますが、弦楽器のrootsの音楽表現を学ぶ事が弦楽器の音楽の正しい学び方になるのは当然の事です。もし、指導出来るのならば・・ね??
時代が下って古典派の時代になると、同じような音形のphraseであったとしても、bowのtechnikを駆使する事によって、色々な音楽的な演奏表現をするようになって来ます。
演奏表現の違いで、微妙な音楽表現の弾き分けが出来るようになります。
今回の課題曲の中では、baroqueではJ.S.BachのCembalo-ConcertoをPianoで演奏しますが、古典派の時代の音楽としては、original-version(fassung)によるBoccheriniのCello-concertoのⅠ楽章を珠加ちゃんの希望で演奏する事になりました。
Boccherini(1743年2月19日産まれ)は、Haydn(1732年3月31日産まれ)よりも11歳歳下の作曲家です。
Boclheriniのcello-concertoのoriginal-versionの演奏は、ちょうど、2年前の(18年4月15日の芦塚音楽教室の)発表会で、小学6年生11歳の女の子が演奏したのですが、その経緯としては、最初は普通に、教室のcurriculumとしての課題曲として、一般に普通に演奏されているGrützmacher版のorchestraの楽譜で練習を開始したのですが、私の個人的なBoclheriniに対してのimageとしては、やはり、一般的に演奏されているBoccheriniのimageと、実際のBoclheriniの作曲法は、Boclheriniの求めた曲へのimageも、或いはBoclheriniという作曲家の古典派としての時代考証的なimageも、Grützmacherの編曲したversionとは、演奏のstyleも作曲のstyleも全く違うので、練習をしていて、どうしても我慢が出来なくなってしまって、急遽、original-fassungに変更して発表会に望みました。
「ちなみに、Grützmacherは1832年3月1日に産まれて、1903年2月の23日に没のドイツのcellistなのですが、彼の有名なViolinのFerdinand Davidの門下生で、J.S.Bachの無伴奏Celloの曲の編作曲等もしています。多くのCello-Concertoのkadenzの作曲でも知られていて、今も数多くのkadenzが演奏されています。またRichard Straussの交響詩「Don Quixote」のsoloCelloのpartを初演した事でも知られています。」
しかし、実はこのoriginalのfassungでの演奏は、彼女が初めての演奏ではなく、ず~と以前の昔々にも、彼女の先輩にあたる男の子が、やはり小学生の頃に一度、演奏をした事があります。
originalのversionでの演奏は、ともすれば、非常に薄っぺらいimageになってしまうのですが、それはBoclheriniが、彼の非常に沢山のcelloの曲を、Pianoの伴奏では無く、Quartetの伴奏で作曲した事でも分かるように、室内楽の大家であったからなのです。
古典派の時代では、まだbaroque時代のconcertoの様式が残っていて、soloに対しての伴奏がorchestraではなくて、soli(solo群)の伴奏の形である事が多かったのです。
その場合には、一見すると単調に見える音形でも、常にお喋りをするような活き活きとした伴奏で、cello-soloを盛り立てて行かなければなりません。
それは、相当な技術力が必要となり、professionalな技術力がなければなりません。
という事で、理想と現実の狭間を行き来するドツボに嵌ってしまって、Grützmacher版とoriginalの版を交互に演奏する羽目になってしまいました。
『どうして、どちらかのstyleの曲に確定出来ないのか??』という事なのですが、originalのperiodの弦楽器の演奏法は、多くのproのperiodの演奏団体にとっても、非常に演奏困難な、難しい課題を数多く含んでいます。
私達が普通に見ると、音型的には全く同じ、なんでもないtremoloの一つを例に取っても、曲のあちこちに登場するのですが、その都度、曲のimageでtremoloを演奏する弓の奏法が違って来るのです。
譜面上では、同じtremoloに過ぎませんが、それぞれのsoloの演奏表現に合わせて、微妙に弓使いを変えて演奏をしなければならないのです。
それによって、見違える程に、表現の幅が変わって来るのです。
proの古典派の作曲家達の曲を弾き慣れているorchestraの場合には、指揮者が「ここはこういったimageなので・・」という事を口で説明するだけで済むのですが、それはproとしての経験値(Career)なので、その経験を持っていない子供達に指導する時には、それを演奏の技術に置き換えて説明をしなければなりません。
弓の技術と同時に、表現の指導もしなければならないのです。
つまり、「このPianoのtremoloは優しいimageのtremoloなので、手首の柔らかな回転によって、演奏をする」という事を、演奏表現だけではなく、技術方法論としても指導しなければならないのです。
しかも、意地悪な事に、Boclheriniのconcertoでは、沢山のtremoloが使われているのに、同じ表現のtremoloは二度と出て来ないのですよ!
という事で各箇所に書かれたtremoloを、一つ一つの箇所のimageに合わせて、その表現法をlectureして行かなければならないので、指導する方はたまったものではありません。
子供達にその微妙は奏法の違いを指導して行く事は、大変な時間と労力を必要とするので、lecture-lessonとしても、困難の極みとなります。
今更、original-fassungで演奏させる事の難しさを痛感している所なのですよ。
でも、やっぱりGrützmacher版は嫌だよなぁ?
original-versionのBoclheriniを演奏する事は、それは、小、中学生に源氏物語を原文で読ませるようなものなのでね・・・??
(えっっ??それならば、普通かな?? 俺達の時代には中学2年から古文の授業があって、それぐらいの文章は読んでいたよナ?? 方丈記とか伊勢物語とかね??面白くは無かったけれどね??)
先程、例に取り上げたBoccheriniのtremolo-bowのお話ですが、色々な箇所に出て来るtremoloのbowなのですが、その都度、tremolo-bowを演奏表現に合わせて、演奏法を奏き分けなければなりません。
同じtremoloであっても、手首による柔らかな優しいPのtremoloであったり、弾き止めに近い、歯切れの良いtremoloであったりしますが、しかし、時代考証的には未だに、clipによる粒粒を出して演奏する音の立ち上がりのしっかりしている、所謂、カナカナbowは出て来ません。
それはbaroquebowでは演奏出来ない技術であって、次のTourteのbowが登場しないと、その演奏表現が出来ないからなのです。
beatのあるtremoloの事を一般的には『刻み』と言って、beatの無いtremoloと区別する事がありますが、古典派の時代までは、beatの無い(Rhythmのない)tremoloは存在しませんので、Vivaldiのように非常に速いtremoloでも当然rhythmのある『刻み』のtremoloになります。
また、Cello-soloに対してのViolinとviolaによるcontinuoのpassageなのですが、8分音符で、一見すると無味乾燥に思われる単調な8beatの音符なのですが、それに句読点を加えると、勢子が相の手を入れるような活き活きとしたpassageに変わって来ます。
それが出来れば、soloのmelodieも別人のように変わって行くのですが、現代の小、中学生では「相の手」という言葉さえも知らないのだよね??
「あぁ~、よいやさ!!」ってか??
活かすも殺すも合いの手次第なのだけど、そんな事を小学生相手には言っても、どうしようもないでしょう??
まあ、その相の手の弾き方も、これも慣習的な奏法なので、口で説明する事が超難しくて、lectureするのが面倒くさいからGrützmacherがorchestrationを作り変えたのよね??
ほぼ同時代のStamitzやHoffmeister等の作曲家達はこのcontinuoの伴奏のpartをsoli群で演奏させています。
soloとripieno-soliですかね??
教室でも対外出演の場合には、教育的な配慮が少なくなるので、soli群での伴奏をさせていますが、発表会は教育が優先なので、ripieno-soloの所もorchestraとしての伴奏にしています。
・・という事で、originalのfassungでの演奏は色々な難しさがあるので、殆どの演奏がGrützmacher版になってしまったのですよね??
だけど、やっぱ、私的にはGrützmacher版は、帯襷なのですよ??
上級のorchestraのmemberが大学を卒業して、就職してしまった現状では、結構無理難題だとは思いますが、それでも無理を承知でapproachをするのが私の生き方なのでね??
こういった古典派の奏法の指導は、実際に練習の現場で一緒に演奏をして口移しで指導するのが一番効果的だと思うのですが、Teleworkではどうしても上手くいかないので、困ってしまいます。早く日本のnet社会も5Gになって欲しいものです。まあ、その頃には、コロナも落ち着いているのでしょうけれどね??
写真1枚目はbaroquebowと現代のbowの比較の写真です。
現代bowは強い毛の張りを出すために、逆反りになっているし、長さもより長くなっています。弓もより重くなっているのです。
2枚目の写真は両方ともbaroque-bowなのですが、上は古い時代のbaroquebowで、このbowでの演奏は3点支持の弓の持ち方では、折れてしまいます。
当時のbaroque-violin等の弦はこんにちのgatt弦のように強くは無かったし、圧力にはあまり強くはありませんでした。当然、そんなか細い力でも充分だったのですよ。
貴族のお城のHallや教会での演奏には充分な音量だったのですよ。
という事なので、こんにちでは、periodの演奏団体でもこのbowを使用して演奏する団体は非常に稀です。
そのために、現代のbowとbaroquebowの中間的な折衷的なbowが作られて、そのbowがbaroqueの楽器を奏する人達の主流のbowになりました。
2枚目の写真の下の弓の写真が、普段、今のperiod演奏家達が弾いている、所謂、Tartini-bowと呼ばれる現代のbowが作られる直前の、まあそれでも一応は、baroquebowになります。
私達に教室の場合には、日本では超珍しい古い時代の1点支持の奏法で勉強しているので、この古い時代のbaroque-bowで演奏する事は小学生の子供でも何の問題もありません。
普通に演奏する事が出来ます。
「それでは、近現代の曲が弾けなくなるのでは??」と思い込む無知蒙昧な弦楽器奏者もいるようなのですが、violinの基本は1点支持なので、Europaでも歴史的な名演奏家の人達でも、3点支持の権化のように言われているロシア派の創始者になるHeifetzのような人や、ドイツの名演奏家である Szeryngのような、或いはベルギー派の頂点であるGrumiauxのような神様達だけではなく、Classicからrockの世界までを凌駕しているDavid Garrettのような若手の演奏家達でもこの1点支持を使いこなしているのです。
3点支持にこだわってドツボに嵌っているのは日本人の弦楽器奏者だけなのですよ。その主な理由は、日本独自の家元制度と高温多湿の、凡そ弦楽器には向かない風土にあります。
それに、3点支持をしているEuropaの演奏家も多いのですが、その場合でも、downで弾き切った時に弓が駒に対して完全に並行になっています。
体が大きいので、小指を棒の上に置いたままで弓を引き切っても、真っ直ぐなままなので、小指を外す必要がないのですよ??
つまり、体格差なのですよ。
それを手の長さが足りない日本人の人達が真似をすると、spitzeを弾く時に、弓が体の後ろに流れてしまい弦とは斜めになってしまいます。
つまり弓が横に滑ってしまうのですよ。
それではちゃんとした音を出す事は不可能になってしまいますよね。
日本人の殆どのproの演奏家達はこのRを描いた奏法をしています。
そういう弾き方をしていても、何も疑問にも思わないのですよ??
信じる・・という事は怖い事なのですよね??日本の家元制度では、師匠の言う事に口を挟んでも、疑問日本感じてもいけないのですよね?
それは不遜な事だそうですよねぇ?
私の場合には、有り難い事に、音楽を始めたのが非常に遅かったので、そういった家元制度の影響は受けなくて済みました。
それにしても、敢えて、1点支持を教えなくても、弓を弦に対して直角に弾くように指導するだけで、正しい1点支持の奏法が身に付きますがね??
それが一度も注意されないままなのは、日本人の指導者達は、弓のRの弾き方も気にならない、不思議な不可解な人達なのだよな??
私はテレビ等を見ていて、非常に奇妙にはしか見えないのだけどね~ぇ??
12月8日Il favoritoのPv動画 ·
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今日は12月の8日の火曜日です。(・・・と、ここまでは芦塚先生の筆記です。
・・・で、この所、欝が酷くて書けなくなってしまったという事で、ここからは私の代筆です。)
芦塚先生は、今日もまた昼夜逆転の眠れぬ夜を迎えて、You Tubeを聴きながら、糖質0の日本酒の熱燗を飲んでいました。(たしか、ヒョッとして、先生は、alcohol類はdoctor stopでは無かったのかな??)
You Tubeで、色々な鬱々の曲を聴きながら、欝に浸って鬱を享楽するのがこの所の芦塚先生の日常のようなのですが、You Tubeの中で、Il favoritoのⅡ楽章を映画仕立てで撮っていて、演奏者が演奏しているのか?演じているのか?が、よく分からないような動画を見つけて、それなりに面白かったという事で、眠れぬままに、鬱々の写真を集めて美音ちゃんの今回の発表会の演奏の動画に被せて見たそうなのです。
映画仕立ての動画は結構あるのですが、ちゃんと弾いているのに、いつの間にか、ストーリーの登場人物の一人になっているというのが面白い設定だった、という話しでした。
パソコンなんぞ弄らないで、寝ればいいのにねぇ?
(眠れないから、パソコンを弄っているのだそうです。)
そう言えば、昔々、江古田ハイツの裏の金貨学園の小さな森に台風が来て、雨や風が木々を揺さぶって凄かったので、それを動画に撮って、その動画に同じIl
favoritoのⅡ楽章の曲を被せて、telopを入れたり・・と、cyberlinkという動画の編集softの使い方の練習をしていた事がありましたよね??
その時には、最初はProの演奏を映像に被せて見たのですが、曲の中のほんの一部の使用でも、著作権に引っ掛かって、You Tubeにはuploadする事が出来なかったそうです。(You Tube以外のsiteではもっと厳しいcheckをされます。いずれにしても著作権は厳しいものがあります。芦塚先生の編曲でも作曲者の原曲からのarrangeで、演奏も芦塚先生の指揮なのに、著作権に引っ掛かってしまうのですよ。
その場合には、TwitterやInstagramではuploadは出来ないのですが、You Tubeだけは出来るのです。これはYou Tubeが裁判で勝ち取った権利なのだそうです。)
前回の動画の作成には、Cyberlinkの練習というれっきとした目標があったのでそれなりの意味はあったのだけど、今回はcyberlinkの操作には、だいぶ慣れて来たので、編集の練習にはなっていません。
唯、単に、眠れぬ夜のために・・、冬の夜長の暇つぶしのためだという事での、いたずらなのだそうです。
私達の教室では、子供達を演奏を(一応はselectはしていますが)You Tube等で公開をしていますが、それは芦塚先生の教育に対しての確固たる信念からなのです。
そもそも、日本の一般の音楽社会では、子供達が発表会やおさらい会以外の公開のが対外出演としての舞台に立つという事はありません。
それは一般の巷の音楽教室の生徒達の演奏では当然の事でしょうが、それ以上に、世間一般ではProと思われている音楽大学の学生達でさえも、生徒達の学外での演奏活動は、直近までは、即退学であったのですよ。twitterやInstagramやYou Tubeが盛んに若者達に支持されるようになってきて、やっとこの2,3年から学生でもYou Tube等にuploadしても退学にはならなくなって来たようです。
とは言っても、未だ黙認の段階かな??
その理由は、大学生の学外の演奏活動等は大学の名折れになるからだという理由なのです。
唯一の学外活動を例外的に認めている音楽大学もあるにはあったのですが、公式にはそれを認めてはいないそうです。
だから、教室の対外演奏なのですが、勘違いをして貰っては困る事は、八千代の演奏会でも、自治会館の演奏でも、子供達に演奏の依頼が来た分けではないのです。
演奏の依頼はあくまでも先生達にProとしての演奏依頼だったのです。
音楽大学生達でさえも、一般での演奏活動をする事は困難の極みなのですから、ましてや日本の音楽社会で音楽教室の子供達が対社会的に演奏出来るという環境は全くありません。
そういった事は、日本の社会の中では皆無なのです。
しかし、芦塚先生は、子供達が「将来音楽に関係して行きたい!」と望むのならば、少しでも早い時期から、厳しいProとしての洗礼を受ける事が、Proへの最短コースであり、またProにならなかったとしても、本当の音楽を体験する事は、得難い勉強になると言う事は否める事ではない、と考えて、少しでも子供達の対外出演のchanceを出来るように努力をしました。
その子供達が一般の社会での演奏が出来るための最大の壁は、社会の子供達への理解なのですが、そういった子供達への理解は現実社会には全くありません。
だから芦塚先生が八千代を始めとして、色々な場所で、子供達の演奏の参加をお願いした時には、主催者側からの「芦塚先生の責任に於いて、子供達という事ではなくて、例え子供であっても、Proとしての水準で演奏を出来るのならば・・・という条件で・・・」という事で、渋々と了解を頂いて・・の演奏会だったのです。
それでも、八千代の主催での始めてのコンサートでは、子供達と先生達の合同の演奏という事を知らないで来た人が「何だ! 子供の演奏か??」と怒って、演奏を聴かないで帰られた人がいました。
まあ、その時に、演奏を聴かないで帰られた人は、その時には一人だけだったのですが、それでもちょっと私達にはshockでしたよねぇ?
ちょっとでも子供達の音楽を聴いて貰えれば、大人の演奏には無い真摯な演奏があるという事と、音楽の世界では、水準があるだけで、大人も子供も人種も何も無い・・と思っていたのですがねぇ?
自治会館主催のコンサートでも、何度かは先生達だけの演奏を委託されましたが、子供達を出演させる前には、自治会館の主催の人達が教室の練習をcheckに来て、子供達の演奏の水準を確認した上でのお話しなのです。
自治会館に演奏を聴きに来た人でも、「何だ!音楽教室の演奏か?」と、同じ事を言っている人がいましたが、その人は、「まあ、講演会のまでの次いでだから、聴いて見よう?」と聴いてくださいました。
お偉い方の講演の前座として急遽自治会館に頼まれてからのコンサートだったから、周知が上手くいってなかったからなのです。
その人は、もし事前に演奏が近所の音楽教室の子供達の演奏だと知っていたら、時間をずらして講演だけを聴きに来たのだ、と言っていたそうなのですが、その人は、私達の教室の子供達の演奏のならば水準に大変驚いて、直ぐ次に開催された教室主催の自治会館でのChristmasコンサートには沢山のお客様を連れて来てくださいました。
同じような話しは、volunteer活動をやっていた昔々の時代でも、よくあったお話しで、逆の立場からの話しでは、近所の音楽教室や幼稚園等のボランティア活動に迷惑をしている老人ホームやケアー団体の人達が多くいる事を改めて知りました。
先ずは、そういった綺麗事の立場ではなく、子供達が参加したとしても、Proとしての水準をkeepしている事を理解させる事が主催者側に対しての第一歩なのでした。
You Tubeでも同じで、You TubeのClassicのsiteには、Proの演奏をupしているsiteと、子供達の発表会やおさらい会のsite、果ては子供自慢のようなsiteがあって、それ等がClassicという分類で渾然一体としています。
という事なので、You Tube等では、閲覧履歴から、自動的にProの演奏とアマチュアの演奏とに分類されて纏められるようになっています。
という事なので、「芦塚音楽教室 春の発表会」というTitleを前面に押し出してしまうと、そういった子供達の発表会の分類の中に集約されてしまうようで、そこではある期間を過ぎると閲覧される事は二度と無くなってしまうので、自動的に埋没してしまいます。
私達の音楽教室も、基本的には巷の音楽教室に過ぎないので、発表会で演奏をする子供達の保護者や縁者の方達がaccessしやすいように、最初の間は、「芦塚音楽教室」というTitleにして、音楽教室という事を前面に押し出してuploadしますが、やがて、access数が落ち着いて来て、曲へのaccess数が変わらなくなってしまって来たら、一般のProの人達の曲と同じ様に、曲のTitleと作曲家の名前を前面に出します。
教室が生徒達の演奏で教室の宣伝をしている・・と勘違いをしている保護者達の方もおられるようなのですが、それは逆で、子供達が優れた演奏をすると、「あの教室はProを育てるlessonもとても厳しい教室で、入会するのにも厳しいtestがある」という風に噂が流れてしまって、入会をする子供達が激減してしまいます。コンクールに入賞させたり、音楽大学や高校から直接留学をさせても、それは教室にとっては、マイナスのimageにしかならないのですよ❢確実に入会する生徒は減ってしまいます。日本の教育界では、優秀=厳しい、という図式が成り立っているからなのです。
教室としては、演奏で、子供達が弾いているのだという事が分からないように曲のTitleだけのような画面でuploadした方が、access数も伸びて良いのですが、子供達の将来のために子供達の名前を覚えて貰うために、You Tubeには、子供達が演奏している映像を出しています。
しかし、一般的な風潮として、子供の演奏という事では、どうしても一般の人達からのaccessには、限界が来てしまうので、今回の動画は、一つのtest-caseとして、子供達が演奏しているのがなるべく分かり難いように編集し直しました。
子供達が演奏しているという事が分かり難くなると、演奏本来のaccess数が、どのように変わるかの実験でもあるのですよ。
子供達の演奏でなければ、曲の分類も自動的にProとしての演奏の分類に変わって行くので、accessの数も当然変わるハズなのですよネ??
勿論、classicの世界のお話しなので、直ぐに変わる分けではないのですが、一年後、四年後のaccess数が愉しみです。
ちなみに、芦塚先生と斉藤先生のロビーコンサートのaccess数は、1万7千を越しています。
但し、access数は演奏の可否ので判断の参考にはなりません。
とても優れた演奏でも、全くaccess数が伸びない場合もよくあるからです。
反対に、あまり大した事のない演奏でも、百万以上のaccess数がある場合もよくあります。
You Tubeでaccess数だけを競っていると、変な道に落ち込んでしまうかもよ??
とても才能があって演奏も中々で美人の女の子が、だんだんと音楽の深みに嵌って逝くのではなく、access数の伸びるジブリ風の曲に流れて行くのは残念ですが、それも人、それも人生なのだよな??人に生き方にとやかくは言えないのでね??
12月9日PV版の欝の曲·
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今日は12月の9日の水曜日です。
まあ、夕方からは、久し振りの歯医者があります。
それはそうと、You Tubeに鬱々の映像版の曲を後2曲追加しました。Corelli=Geminianiのla foliaとPachelbelのChaconne in f
です。
2日間、videoの編集をして遊んだのだけれど、もう写真の手持ちが無くなったので、ここまでにします。
鬱々の曲と言えば、他にもVitaliのChaconneやHennry purcellのChaconne等もあるのだけど、写真や動画のstockも無くなってしまったので、これ以降の曲ではもう遊びません・・というか、遊べません・・というべきかな??
わざわざ、写真を探してまで鬱々の曲の編集をしてしまっては、かったるい・・というよりも、欝対策という意味が無くなって、お遊びmodeという意味ではなく、仕事modeになってしまうのでね??
眠れぬ夜の鬱々Koncertはこれぐらいにしておきましょうかね?!!
それに、今現在やらなければならない仕事は山積みなので、仕事を鬱々でしたくないので、「やるべき仕事が無い」という幸せな状態なのではありません。
本当ならば、昔々に発表会や対外出演で演奏をした曲をわざわざ、お倉から引っ張り出さななくても、私自身の仕事の中から、過去40年間も前から作曲途中で放り出しているままになっている曲や、50年、60年も前から延々と書きかけのままでの小説が数冊あるので、それ等の作品を書いて完成させる事に没頭すれば良いだけなのですがねぇ??
たまには、またぞろ小説家になるのも良いのだよな?
私の仕事の場合には、どっちみち、なにをやっても、お金にはならないのだからねぇ?
多分何をしても、それが本職とは言えないのだよな~ぁ??
一般的には、私の本職と思われている作曲でも、それでタツキのためのお金を稼いだという事実は、大学を卒業してからの長い長い人生の中でも、一度もありませんでした。
曲を仕事で書いたとしても、それでタツキには繋がらないのですよ?!
自分が自身で書きたい曲を書くためには、仕事としての作曲はやめて、アマチュアに徹するという事でした。
だから、私がしている仕事は、本当に自分自身がやりたい仕事ではなくて、タツキのための仕事に過ぎないのですよ。
だから人生が「何かしら変だよなあ?」「自分自身の人生ではないよなぁ??」と感じているのかもネ??
自分がやりたい・・というか書きたい作曲が、所謂、金になる作曲の仕事・・とは真逆の仕事なので、作曲で飯を食う気が全くしないから、作曲家という本道を外したままの生活なのでねぇ?
それに人に何かを指導する・・lectureをするという事は好きではないし・・、とは言っても、勿論、私から何かを学びたい、という積極的な生徒や弟子達に、音楽の粋・・極みをlectureするのは嫌な分けではないのだけど・・・、私から何かを学びたい・・という生徒が皆無なのでね??
私が生徒達のお尻を叩いて、叱咤激励をしながらlessonをする・・という事は、怠け者の私としては自分自身の性格に対して叱咤しているように思えて、面はゆいのだよ??
一見勤勉に見える人達は、肝心要の勉強をしようとはしないし、本当に自分自身を律しなければならない所からは逃げながら勤勉に勉強をしているので、それはとても勤勉とは言えないのですよ❢❢
とどのつまり、音楽は日本でやるべき仕事ではないよな!?
12月12日こむら返りが ·
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今日は12月の12日の土曜日です。
昨夜は、早めに椎名町に行ったのですが、ストーブがLに設定されている事に気が付かなくて、寒くて気分が悪くなってしまって、食欲が全く無くなって、何も食べられなくなってしまいました。
仕方がないので、そのままお弁当にして持って帰りました。
ハイツになんとか辿り着いて、椅子に座ってテレビを付けたのですが、ストーリーが全く何も頭に入って来ないので、慌てて、急いで寝ました。
いつもの通りに2時間もしたら、頻尿で目が覚めました。
しばらく椅子に座って、また寝ました。
その後も同じ繰り返しです。
そして12日の朝になりました。
確実に1時間半のintervalで寝ては起きてtoiletに行って、の繰り返しです。
お昼近くまでこの惰眠を繰り返していたのだが、突然、左膝下の筋肉が攣った!超痛いので必死にBedから起き出して、足を床につけて筋肉を伸ばした!
必死に痛みを堪えながら、toiletまで歩いた。
toiletからは、歯を磨きながら、痛みが鎭まるのを待った!
やがて、なんとかこむら返りは収まったので、またBedに戻った!
それでも、「いつでも痛くなるぞ!」と筋肉が脅かして言っているようで、筋肉がそこにいる事が自覚されるのだよな??
いや、困ったぞ??
お昼も過ぎたので、惰眠を貪る事はやめて、やっと起きだしたのだけど、外は分厚い雲でいつ雨が降り出してもおかしくないような天気だったのだけど、公園には親子連れが数組も遊んでいたのだよな??
気温は15°もあるので、外も結構しのぎやすいのかもね??
2月12日『PachelbelのChaconneの続きです。』 ·
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発表会当日のChaconneの演奏の録音を編集した時には、音量の調整しないままに発表会の演奏のそのままuploadしていたので、音声がoverflowを起こしてしまって、音が歪んでいたので、発表会の動画から、更に、renewalして、映像の変更だけではなく、音量がoverして歪んでいるのを抑え気味に補正したりして、音量のbalanceの調整もしてみました。
これで、音の歪み(noise)が少しは抑えられたのかな??
演奏では、八千代や自治会館のKoncertの時のarrangeのversionから、梨紗さんの希望で、調性をe mollからf mollに戻した事に寄って、鬱々が更に少し酷くなったようなimageになってしまいましたが、本来的には、baroque-pitchなので、限りなくe mollに近いので、本来的な曲のimageとしては、そこまでは調性的には欝っぽくはありません。
また、triosonateの型で書かれたVariationなので、音楽的には内省的な静的な曲なので、この芦塚先生のChaconneのarrangeはPachelbelの意図からすると真逆のimageになってしまいます。
また、『弦楽合奏の曲』というgenreでは、activityな曲だとしても、爽やかなimageに留まるので、このChaconneのように、まるでfullorchestraのような唸りを上げる弦楽orchestraの曲というのは、基本的には存在はしません。
そういった弦楽合奏というgenreの領域を無視した、弦楽合奏としては、tabooの限界の表現になるのでしょうね??
Chaconne in f Pachelbel orchestra Bearbeitung und dirigierte bei Yoji Ashizuka
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Chaconne in f Pachelbel orchestra Bearbeitung und dirigierte bei Yoji Ashizuka
12月12日『EcclesのViolin-sonateのarrangeのお話し』 ·
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小学生の生徒にEcclesのviolinのsonataの全楽章を弾かせる事になって、前々からの疑問だった「Pianoの伴奏譜を作ったのは誰か??」という問題を、そろそろ真面目に追求して見ようと思いたったのだよな❢
その前に、全音楽譜出版社や音楽の友の出版されているEcclesの日本版の楽譜では、「誰が伴奏譜を作ったのか?」という事には、全く触れられてはいないし、ましてや、演奏家の大半の人達・・、或いは音楽大学生達の殆どの生徒達は「作曲家自らが、伴奏譜を書いた!」と信じて疑わないだろうよ??
まあ、それは時代考証的にはありえへんのだけど、それはPianoで演奏するbaroque音楽が、時代的には有り得ないという事を知っていなければ、「CembaloのpartをPianoで弾いている」というぐらいの理解しか無くて、全く意味が分かっていないのかも知れないよな??
写真の1枚目に掲載しているEcclesのoriginalの楽譜を見ても分かるように、baroque時代のviolinやcelloのsonataや小品の作曲法では、伴奏譜が書かれる事はないのだよ。
basso continuoという技法で書かれていているので、伴奏に使用する楽器は特に指定されてい無い事が普通なのだ。
こんにちでは、一般的にはCembaloで伴奏をするように思われているのだけど、当時はCembaloは天文学的に高価で、王侯貴族か、余程の大金持ちしか持っていなかったし、同じ鍵盤楽器であるpipeorganは教会に付属するもので、個人が所有するものではなかったので、鍵盤楽器が一般の家庭にある事はなかったのだよ。
だから、作曲者は自分の作品がなんの楽器で伴奏されるのかを知る事はなかったのだよ。
・・という事で、作曲家は、自分の作品が何の楽器で演奏しても良いように(なんの楽器ででも演奏出来るように・・)と、曲に和音だけを与えたのだよ。
つまり、現代のjazzの譜面のように、melodyにcodeを指定するように和音を表す数字を書いたのだよ。
jazzとの一番の違いは、baroque時代の通奏低音の時代では低音の動きが指定されている。
melodieだけを指定するjazzとは大きな違いである。
作曲の基本はBaßのpartの動きである。
どんなに美しいmelodieを思いついたとしても、そのmelodieに対しての和音を作り上げるBaßのmelodieが無ければ、それは音楽としては成り立たない。
優れたtrumpet奏者がいたとしても、優れたベースの奏者がいない限りproとしての演奏が出来る事はないのだよ。
そのベースのpartをbaroque時代の作曲家達は書いたのだよ。
曲を素人でも演奏出来るように~ネッ??
そういったBaßのmelodieが基本の時代であったから、Baßにthemaの旋律を持って来る、所謂、Baßのmelodieが定旋律(cantus firmus in Baß)の曲、la foliaやChaconne、passacaglia等の曲が出来上がった。イギリスではgroundという定旋律もあるしね??
しかも、baroque時代のBaßのmelodieは、soloのmelodieの和音を書き表すための楽譜なので、必ずしも必要ではないのだ。
だから、当時の時代では、一般の人達でも演奏が出来る楽器で、和音を提供する事が出来るguitarやLauteのみでの伴奏も当然あったのだよ。
(Baßのpartを演奏する奏者がいなければネ??)当時の時代は、それほど音楽の演奏に関しては寛容だったのだよ。
伴奏のcontinuoのCello(gamba)に対して、和音を提供するのは、普通は、guitarやLaute等のguitar系の楽器である事の方が多かったのだよ。
写真の2枚目はBaßのpartを演奏する大型のguitarのようなtiorbaという楽器です。基本的にはBaßのmelodieを担当します。
3枚目はフェルメールの絵ですが、演奏している楽器はbaroque-guitarです。和音の担当です。
現代のguitarとは型が少し違いますよね??
現代のguitarとは違って、弦もgut弦で超柔らかい音がするし、当然baroque-Violinとの相性も抜群です。
写真の5枚目は私の所有しているbaroque-guitarの写真です。当然、手作りの限定品です。左側のguitarは高校生の時に質屋の販売店のような曖昧な店で購入した普通のguitarです。baroque-guitarは地方の歓楽街を飲み歩いている時に見つけたguitarで、店のオヤジはなにも知らなかったので即買い叩きました。中には制作numberが入っている手作りのbaroque-guitarだったのだけどね??(演奏で公開した事は未だないけれど・・ね??)
つまり、こんにち、jazzを演奏しようと思う人は、ベースを付けてくれる優秀なKontrabassの奏者が必要だったのだけど、baroque時代では、そのベースのpartまでは書いてあったので、Baßのpartを演奏してくれる奏者を探す事は、とても楽だったのですよ。
・・という事で、自分の曲を演奏する人が、どの楽器で演奏するのか分からない場合にはchordで書いた方が利便性が良かったのだよ。
そのためのbasso continuo(通奏低音)の bezifferten Baß(数字付きバス)なのだからね??
こんにちのように、一般の家庭が裕福ではなかったので、PianoやKeyboardのように一般の家庭に鍵盤楽器がある事は無かったのです。
当時は、作曲者がCembaloやOrganのような鍵盤楽譜に対しての作曲をしたとしたら、一般の家庭では演奏される事はなかったという意味なのだよ。
数字譜ならば、どの楽器でも簡単に即興で演奏出来るからね??
和音をguitarが、低音をtiorbaが演奏をすれば良かったのだよ。
今でもBayerisch地方には低音の弦を持つguitarがあって、民謡等をそのguitarで歌っているのだよ??
・・・という事で、baroque時代のsonata等を演奏しょうと思いたったら、本当ならば、数字を見ながら右手の和音を即興で演奏していかなければならないのだが、そんな事が出来る人は数少ないので、こんにちでは出版社が鍵盤のpartを作成するのが一般的である。
まあ、その場合には、鍵盤partを書いた人の名前は明記される事の方が多い。
それは、その楽譜の鍵盤partは、Cembalistか学者先生に委託されて、鍵盤partを作成するからだ。
私が全音楽譜出版社でarrangeの仕事をしている時に、ふと同じarrangerなのに、私のように名前を明記する場合と、誰がarrangeをしたのかが、書いていない場合の区別にかんして、疑問を持って、編集長に質問をした。
答えは、ちゃんとした人に委託する場合には名前を明記するのだけれど、社内でチョッチョッとarrangeをさせる社員の場合には名前は出さないし、勿論、著作権料も出さないそうなのだよ。
つまり、arrangerに対しては、日本に限らず世界的には、結構冷たいのだよな??
しかし、corelliのla foliaや、VitaliのChaconneのように、baroqueのViolin-sonateをorchestraのversionに改編する時には、流石に、編作曲として扱うので、arrangerの名前は明記されるのだけど、当時のbasso continuoの譜面を、Pianoにtransposeする時にはあまり明記される事はないのだよな??
それは、問題だよな??
まあ、そう言っている私自身も、仕事としてtransposeを頼まれて、他の楽器からPianoの伴奏譜にarrangeした楽譜は、印税ではなくて、買い取りが殆どなので、すっかり忘れてしまっているけれどね??(つまり、他の人の作品と言われても分からないのだよな??)
さて、本題のEcclesのg mollのsonateの話に戻って、「このHenry Ecclesのg mollのsonateを、最初に一般的に広めたのは、多分Franceの名violinistであるThibaudではないのかな??」と思うのだけど、Thibaudさんの演奏のrecordには、Piano伴奏へのarrangerは J. Salmonと明記されている。
耳で聴く限りでは、この人のarrangeした楽譜が凡ゆる日本版の底本になっているようなのだけどね??
「耳で聴く限り・・」というあやふやな回答なのだけど、現在、世界で出版されている楽譜でarrange by ・・・と、書かれている版は僅か1、2冊しかないのだよな??
・・という事で、目で確かめて、確認をした分けではないのだから・・あやふやな事を言ってしまう事になってしまう。
困った事だ。
また、Thibaudとは違ったversionで、Paul Doktorという人がviolaで弾いているEcclesのsonateのarrangeも中々面白いのだが、残念ながら、今度は譜面自体が見当たらない。
世界で1,2冊の改訂が書いてある版・・・という事では、international版の楽譜が「Frieda R.Davis」という人の改訂版・・という事なので、早速取り寄せてcheckして見たのだが、なんと驚いた事に、今、普通に出版されている楽譜の伴奏譜の簡易versionだったのだよ!!
今、一般に出版されいる版を更に簡略化しただけの版なので、そういうのは改訂版とは言えないのだが、Benjamin Britten版のHennry purcellのChaconneの他にも、臆面もなく平気で、自分の版として出版をする人がいるとは、音楽の世界の教義も薄っぺらなものだよねぇ?
どのような時代にも、どのような世界にも、そう言った人達はいるか??
まあ、折角、お金を出して購入したのだから、教室には指の回らない生徒もいるので、それなりに活用させて貰うか??(それとも、活用するだけの価値もないのかな??)
violaのversionのEcclesと言えば、昔々。私が音楽大学の学生の時代にclassの女の子達に頼まれて(作曲科の学生は私一人だったので、classは基本的には管弦楽のclassにいたのだけど、violaの生徒がViolin科を落っこった生徒達で、技術的にも超ヘボいので、私に「violaを弾いて!!」とのお達しだったのだよな??俺って弦楽器を一度も勉強した事がないのに・・それでもviola科の生徒達よりはマシ・・という事なのだけど、どうして??)
classの女の子達に言われてしまって、仕方がないので、お茶の水の楽器店でEuropa製のviolaを買って来て、それなりには、独学で勉強して、なんとか室内楽の練習に付き合った事があるのだけど、他のViolinの生徒が「violaを貸して」というので、貸したら、その生徒が私のviolaを更に又貸ししてしまい、更に誰かに又貸しをして、結局、帰って来たviolaを見たら、もう壊されてしまっていたのだよ。
誰が壊したか分からない・・という事で、烈火のごとく怒り捲って、violaを貸した人達に弁償はさせたのだけど、流石に、頭に来てそのviolaは、叩き売ってしまった。
それ以来、すっかり弦楽器とは疎遠になってしまった。
MünchenでGenzmer先生からViolinのsonateを書くように言われて、Münchenの街の古道具屋で状態の良いViolinを安く購入してspielbarの研究をしながら、作曲をしたのだけど、今はその楽器は子供達のrental楽器になってしまっているよ。
その頃、私が練習していた曲がこのEcclesなのだけど、勿論、今出版されているversionで、Paul Doktorさんが弾いているviolaのversionではない。
このPaul Doktorさんのversionは細かい装飾等も、結構baroqueよりで、それなりに美しいのだけど、譜面が無い事にはなにも始まらない。
その内に、暇があったら、耳ぱくで書き取りでもするか??
写真1枚目のfacsimileの楽譜は勿論、私が所有しているEcclesのoriginalのfacsimile版です。
この楽譜は色々と不可解な所が多くて面白い。
先ずは、Ⅰ楽章はg mollとして書かれているのに、Ⅱ楽章以降はdのDorischとして書かれている。(つまり、♭一つの調で・・という事だよな?)3枚目の写真の楽譜
次の面白い点は臨時記号で、調の♭を半音上げるのに、♮ではなく#の記号を使っている・・という事だ。(4枚目の楽譜の写真)理屈はそうかも知れないが、実際に見たのは始めての経験だから、チョッと驚いたね??
イギリスの作曲家はそう書くのかね??
purcellの時には気が付かなかったけれど???
後も、チョッと変??という所が随所に出て来るのだけど、それはinterpretationの論文の世界になるので、ここまでにして置こう。
12月15日『TorelliのWeihnachts-Concerto Op.1Nr.8』 ·
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今日は、なんと、はや! 12月の15日・・なか日なのだよ。
後、15日もすれば大晦日で、年越し蕎麦を食べている頃なのだよな??
恐ろしい!!
terrible!! terrible!!
それに・・なんと、後、5日で、新教室でのChristmas会なのだよな??
christmas会と言えば、昨年の12月には花園の自治会館のChristmas会で、TorelliのChristmas Concerto を演奏したのだが、Christmas会では、いつもの事なのだけど、秋の発表会からChristmas会までのintervalが短過ぎて、練習の回数が少な過ぎて、どうも練習が上手く行かないのだよな??
発表会が終わって、直ぐにChristmas会の練習に入らなければならないのだけど、どうしてもひと呼吸、ふた呼吸、抜けてしまうのだよな??
発表会が終わってからChristmas会までは、普通ひと月半の6回ぐらいの練習回数しかないのに、その内の2回ぐらいまでが曲決めとか譜面渡しとかで練習が無くなってしまうのだよ。
発表会が終わってから直ぐに切り替えて練習に入らなければならないのに、切り替えのtimingが悪いのだよな??
Christmas会は年末の開催なので、お姉さん達が大学の行事や卒業の試験、就職等で忙しくて参加してくれないし、高校生の生徒さん達も、大学の受験で、参加出来ないので、小中学生の子供達だけの演奏になってしまって、人数が少ない以上に技術力も低くなってしまうのに、今回のChristmas会は極端に生徒の人数が少なくなってしまったので、オケに出演する参加者や助っ人が全くいなくなったので、「今居る小人数の人達だけで、演奏出来るように・・」と、Francesco Onofrio ManfrediniのChristmas Concerto の楽譜を準備をしたのだが、その曲でさえも、教室の『お引越し』と『コロナ』とが重なって、とても、とても演奏する事が無理難題になってしまったのだよな??
それならば、昨年、自治会館で演奏をしたTorelliの甘い氷砂糖のような音符で出来ている、とても可愛いChristmas Concertoの曲なのだけど、前回も練習が間に合っていなくって、不本意な出来だったので、今回は、前回のrevengeを兼ねて、やり直す事も考えたのだけど、とうとう、『お引越し』と『コロナ』で、練習そのものが出来なくって、それ所ではなかったので、オケの曲の演奏は今回は諦めました。christmasという事で私のarrangeのchristmas-melodyとamazing
graceだけを演奏する事にしました。という事で、新しい曲のcheckが無くなったので、昨年の演奏を反省の意味でも、前回の演奏をYou Tubeで聴いていたら、ついついまたぞろ、前回の改訂版を更に新しく改訂をしてしまいました。
これで、かなり演奏し易くなったと思うのだけど、当面は演奏の当ては無いぞよ??
前回のChristmas会での改訂では、主にTorelliの原譜に見受けられたSequenzのpassageが、時折破綻を来たしていたのを、単純な型通りのSequenzに修正して、それ以外では、簡単な音符の間違いを訂正したぐらいだったのだけど、今回の修正ではConcerto Grossoの様式を活かして、soloとtuttiの対比をもっと前面に押し出せるように楽譜を訂正した。(という事でscoreそのものも、Concerto Grossoの譜面に訂正をした。)
soliの演奏なのに、orchestraがbackで演奏するような音量的に不自然な箇所をripieno-soloにしてtuttiと対照させる事で、音量的なbalanceを取った。
それにより、より純性な音が出せるようになったと思う。
それはそうと、なんと、なんと、またfinaleの音源の録音で、前回と同じ間違いをしてしまった。
finaleの別売のsoftであるScreen Recorderは、America-versionのfinaleには対応出来ていないのに、America-versionのfinaleでTorelliの訂正をしてしまったのだよな??
それでパソコンのScreen Recorderがfreezeして、閉じなくなってしまったのだよ。そのために、またまた、再起動をしてしまった。
超、面倒くさい!!
英語versionのfinaleにならば、購入した音源が入っているので、音源は少しはマシなのだけど、その購入した音源が日本語versionのfinaleには入らないので、仕方なしにfinaleを新旧の両方のversionを、パソコンに置いたままにしているのだけどね??
基本的には新しくfinaleでdataを開くと、Americaのversionのfinaleで開いてしまうのだよ。
面倒くさいので、そのまま英語versionのfinaleで作業をしてしまうのだが、時折、英語versionでは出来ないscreen recorderのような作業を、うっかりとやってしまうのだよ。どちらはナニが出来て何が出来ないのか?なんて面倒くさくって、いちいち気にしてられないよな??
12月16日ゴキブリとの遭遇が ·
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今は16日の午前3時を回った所です。
とても寒いので、今日は健全にBedの中で書いています。
アハッ❢ 珍しい❢❢
練馬区の気温はなんと2°です。
体感では0°だそうです。
それなのに風呂場には、ゴキブリの小さいのが毎回居るのですよ?
生類憐れみは、私の場合にはゴキブリ君には適応の範囲外なのですが、それでも、この頃は、よく出没するのですよ。
外は超、寒いので、沸かし湯の温度で風呂場が温かくなっているので、誘われて来るのかな?
北海道の友人が「東京にはゴキブリがいるので住みたくない!」と言っていたのですが、近頃は北海道にもゴキブリ君が出向しているそうで、「それならば東京にでも住もうかな?」と言っていたので、「東京は、余生をおくる所ではない!」と言ったら、それっきり、返事が来なくなってしまった。
私としては、余生を送るには、都会ではなくて、自然が近くにあった方が良い、と言ったつもりだったのですがね??
まあ、それにしても去年までは、ゴキブリとの遭遇は、1年間に、2、3回ぐらいで、それも夏だけで、秋口からはゴキ君は見掛けた事はなかったのだがね?
これも温暖化のせいだ・・・と言われているようだがね?
4時半を過ぎた所ですが、toiletに起き出したのですが、なんと今の気温はとうとう1°になってしまいました。
2時半ぐらいに寝て、今まで4時半ぐらいの間までに夢を見ていたのですが、その夢は2、30年も前に、一、ニ度見た事がある夢なのですよ。
極々、普通の閑静な住宅が立ち並ぶ山あいの町を訪れた時の事なのですが、時計の付いた三角形の形をした不思議な建物が山を背にして大小2軒並んでいました。家全体が三角形で作られていたのです。
とても豪華なお屋敷なので、近くで見てみようという事で歩き始めると、町の中心部に向かって歩いているはずなのに、いつの間にか、町外れの墓地街に来てしまいました。
この墓地は昔、色々な摩訶不思議な墓を見つけた所です。
魑魅魍魎の類の置き物が沢山あった所です。
瓦礫の間を道無き道を登り下りしていると、突然昔々は大きな大聖堂であったとお思われる廃墟の跡に出て来ます。
昔、その廃墟に迷い込んだ時には、その中で色々な遺跡・遺構を見つけて、感激してしまい、「その教会を何とか衆知させる事が出来ないのだろうか?」と悩んでしまいました。
その大聖堂の廃墟だけでも素晴らしいのですが、それ以外にも、多くの遺構があるので、上手くsetting出来れば、その村全体が、国宝クラスの場所になる事が出来るハズなのですが、住民達は「慎ましやかな自分たちの生活か脅かされるのではないのか?」・・とその廃墟を衆知させる事には消極的なのですよ!!
その小さな山村には当然スーパーのようなお店はないのですが、私の知る限りでは、小さな小店すらないのです。
わざわざ、隣の町まで車で買い出しに行くのだろうか?
限界集落の割には、豪奢な建物が多いので、別荘として建てられた集落だったのだろうか??
住むには不便なのかな??
・・てな事を、ウダウダと書いていたら、5時になってしまいました。
なんと、ついに0°になってしまいました!!
この所では始めての0°です❢❢
体感では-1°なのだそうですよ‼
大変だ!
・・・てな事を書いていたら、時間があっという間に進んで、今は6時半なのですが、マジに-1°だそうです。
ひぇ~、冷ぇ~!
3時、4時のお昼間でも、8°を超えません。yahooでは10°の予定なのだけど、現実は超寒いようです。
12月17日芸に対しての考え方
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2020年12月17日 ·
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お稽古事や手習いに対しての考え方は時代に寄って、かなり違いがあります。
江戸時代や明治時代の考え方までは、私自身の歴史認識は出来ていませんが、一般的には、商人の子供達は、せいぜい読み書きそろばんであって、色々な学問を勉強しなければならない武士階級の子供にとは教育内容は隔絶したものであったと思います。
私達が産まれ育って来た昭和の時代、戦後の時代には、お稽古事とは、経済的にゆとりのある人達のstatusであって、芸事は困った時に身を助ける・・という考え方、「困った時の芸頼り」という考え方が主流で、お稽古事に求めるものも、言い方を変えると「職業としての技術を学ぶ」・・という姿勢がお稽古事の基本的な考え方でした。
戦後は団塊の世代の手に寄って、日本の経済は著しく成長して、Americaと朝鮮、AmericaとVietnamの戦争特需に寄って、日本の経済と戦後復興は著しい物がありました。
その後は、列島改造論を切っ掛けにして、バブル景気が日本の社会に溢れて来て、日本人の持つ本来的な勤勉性を危惧する人達とも、考え方を二分してしまいました。
まあ、所詮は、バブル景気はバブルに過ぎないので、突然のバブルの終了で、日本の社会にとてつもない不況が押し寄せたのですが、バブルで浮かれきった人々の気持ちが落ち着く事はありませんでした。
お稽古の世界も、バブルの時代には単なるお金持ちのstatusに過ぎなくなって、bubbleが崩壊した後の時代でも、手に職・・というような、かったるい技術としてのお稽古は全く無くなってしまいました。
でも、音楽大学等に進もうとする人達は、今でも昔々の「手に職としてのお稽古事を追求しているのでは??」と思われるのかも知れませんが、根本的には今の人達の音楽への姿勢や音大生の音楽に対しての姿勢はbubbleの時のstatusに対しての音楽に過ぎません。
なにも変わってはいないのですよ!!
芦塚methodとは私達にとっては当たり前の事で、疑問の余地はないのだけど、今の若い人達には、守らなければならない条件があって、それを完璧にやり遂げないと出来ないので、針の穴に駱駝が通る事よりも難しい事なのだよな??
しかし、一般の人達が信じている極々普通の方法論は、その条件を完璧に全てやり遂げたとしても、成功出来る事が保証されている分けではないのだよ!!
それなのに、若い人達は、普通の方法論をとってしまう。100%確実な方法論よりも、不確定でも、一般的な方法論を選んでしまう。
2020年12月17日 1:10 ·
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今はcinderella-timeを過ぎて、12月の17日の木曜日の午前1時を過ぎた所なのですが、もう既に0°を下回ってしまいました。
ストーブが利かなくなってしまって、下半身が冷えて来て芯から寒くなってしまいました。
寒くて仕方がないので、部屋を温めたいのだけど、もうすぐ寝る予定なので、面倒くさい灯油stoveではなく、エアコンと併用する事にしました。
灯油stoveはinterior用なので、大して温かくはなりませんし、直ぐに消すので、少々、費用対効果が高くても、電気の方が利便性があります。
という事で一時凌ぎでエアコンをつけました。
基本的にはエアコンの暖房は眠くなってしまうので嫌いなのだけどね?
それにしても、寒い!
朝、5時を過ぎた所で、toilettimeに目が覚めてしまいました。
寒いので携帯で練馬区の気温をcheckしたら、温度はとうとう-1°になってしまいました。
布団には入ってはいるのですが、目が冴えてしまって、なかなか寝つけません。
Bedの中でウダウダとしていたら、・・・な、な、な、なんと、更に時間が経過して、今は7時になった所なのですが、今の練馬区の温度は-2°になってしまったそうです。
この所の最低気温になってしまいました。
太陽が上がっているのにも関わらず、気温は下がっています。
それは寒い!
そろそろtoilettimeなのだけど、toiletteに行くのはもう少し辛抱するか???
写真はお気に入りの灯油stoveです。
銅なので、ちゃんと銅磨きで磨くと、とても綺麗に輝くし、glassも透明でとても綺麗なお気に入りのstoveなのだけど、手入れが結構大変なので、この所放ったらかしのままになっています。
使う度に、ちゃんと手入れすれば凄く綺麗で、暖かいのだけどね??
明日はChristmas会前なので、教室のchristmas会をする部屋のsettingをしなければならないのですが、お引越しが未だ済んでいないので、Christmas会の準備とお引越しの作業を一緒にしなければなりません。
・・という事で、christmas用の荷物とお引っ越し用の荷物を一緒に移動させるために、お久し振りのニャンコ号の出動になりました。
荷物運びで花園教室から新教室へ、それからユーカリが丘教室へ移動して新教室に戻って椎名町に帰って来なければなりません。
そうするとまあ、12時花園教室のinとして、椎名町の出発は10時半になるので、それからあれこれと逆算すると、11時頃にはbedに入って就寝しなければなりません。
今日は、牧野先生は10時に椎名町に帰って来る予定だそうなので、それを待って食事とドルプリっ歩をしていては、明日の準備が間に合わないので、お久し振りにそこらのお弁当を買いに行く事にしました。
・・・という事でお久し振りに買い物に出たのは良いのだけど、まんまるのスーパーではレジの前に行列が出来て、人が大量に並んでいるのに、お弁当はもうすっかり無くなっていて、急遽スーパーでの買い物は諦めてしまいました。
久し振りの買い物でのbebeの買い物も、買う予定の買い物は無かったし、今更コンビニのお弁当を買いに行ってもつまらないので、仕方がないので、他に選択肢が無かったので、駅中の京樽のお寿司にしてしまいました。
京樽の寿司はシャリが多いので、半分だけ食べて、椎名町から持って来た刺身を乗っけて、残りのシャリを食べました。
椎名町から持って来たスーパーで買った白身の切り身は、serviceでやたらと分厚いので、そのままでは不味いので、更に半分に切り直してシャリに乗っけて食べました。
serviceの良い寿司屋に行くと、やたらと身を厚く切って乗せる事がserviceと思い込んでいるお店が多くて困ってしまいます。
刺身にはその材料に適した適当な厚さがあるので、それよりも薄過ぎても厚過ぎても美味しく無くなってしまいます。
それにしてもシャリが何処の寿司屋に行っても不味くなってしまいました。
一時期は私の味覚がダメになってしまったのか?と悩んでしまったぐらいなのですよ。
それぐらいに、何処の寿司屋のシャリもボソボソで硬くなってしまいました。
偶然に入った古い昭和のお店で食べた寿司は美味かったので、寿司を握っていたおじいさんに聞いて見たら、やはり近頃のシャリは硬くてボソボソの方が好まれるようになっているのだそうです。
多分昔とは米も違っているのではないのかな??
回転寿司が流行り出して、食べる時に寿司が崩れないようにするために、硬く結んでいるのだと思いますよ?
それがいつの間にか定番になってしまったのではないでしょうかね??
回っている間に乾燥してボソボソになってしまうので、まさに、回転寿司独特のシャリの硬さだよな?
昭和の寿司屋のおじいさんの話で、私の味覚の所為ばかりでは無いと言う事が分かって安心しました。
午前4時を過ぎた所で鼻が詰まって来て息が出来なくなって来ました。
仕方がないので起き出して鼻の手入れをしなければなりません。
出発の時間までに、もう少し眠れると良いのですがね?
6時半になった所です。今日も練馬区の気温は-2°です。l
ineには全く返事が無いので、もう一度布団に戻って眠る事にしますが、鼻の調子は相変わらずのままです。
12月19日Christmas会の準備の最中にcopy機が壊れた·
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今日は12月の19日の朝の9時を過ぎた所です。
昨日はchristmas会の準備のための荷物の移動と、お引っ越し作業でこぼれ落ちた小荷物を新教室に運ぶために朝、早くから車の移動をしました。
しかしまあ、焦っている時には色々あるもので、語るに堕ちるようなhappeningが色々とあって、心身共に超バテ切ってしまいました。
一つのpechが次のpechを呼んでしまうというまさにその最悪のpatternだったのですが、忙しいので、悩んでいる暇も無く、それにも負けず、深夜の0時過ぎまで、作業をして、自宅に辿り着いたのは、午前2時半を過ぎていました。
流石にバテ切って、取るものも取り敢えず、全ての物をそのままにして、happeningを引きずる事も無く、布団に入って爆睡してしまいました。
疲れが全てに勝ったのですよ??
それも有りか??
な、な、な、なんと・・!
目を覚まして、Bedから起きだしたのは、もう既に9時半を過ぎていました。
それに昨晩は薬を飲み忘れていました。
慌てて、朝一で薬を飲みました。(1日1回の薬なので・・)
happeningは更に続いて、超忙しい時に、今度はcopy機が壊れてしまいました。
修理を呼んだのですが、月曜日までお休みで来れないのだそうです。
業者を変えちゃうぞ??
日曜日のchristmas会のprogramを印刷しなければならないのに、月曜日ではchristmas会は終わってしまっていて、間に合いません。
・・・という事でハイツの私の家庭用のprinterでシコシコと印刷する事になってしまいました。
それは良いのですが、家庭用のcopy機でのfullcolor印刷なので、全部刷るのにink代が1万円ぐらい掛かってしまいました。
6page全部がcolorだったのでね?
それに両面のbook印刷だったので、普通紙が透けてみっともなかったので、紙の種類を選び出すのにも時間が掛かってしまいました。
透けない両面用紙が一束残っていたので、まあ、何とかなりました。
それにしても、時間もcostも、被害甚大です。
それに、千葉の教室でchristmas会の準備をしている牧野先生とのmailの連絡が出来なくて最終稿のcheckが終わって、printoutが終わるまでには、午前3時過ぎまで掛かってしまいました。
忙しい時に限って、色々なhappeningがあるようなのですが、ゆとりを持って仕事をしていれば、copy機が壊れても、「3日間、お休み?? ~ならば月曜日から印刷すれば良いのだよね?」・・・で、済むのだよな?
その点は、ドルちゃんは凄いョ?!
私が椎名町で食事が終わって「さ~て、ほんじゃぁ??」と言いかけると、その瞬間に玄関に行って、私が玄関に来るのを待って、私が玄関に着くと、入れ替わりに部屋に戻って、ドルポン(ドルの投げて遊ぶおもちゃのぬいぐるみです!)を持って来て、斉藤先生に「遊ぼう!」と催促して、私の事はもう無視です。
私はまだ玄関を出掛けていないのに、見送りはもう終わった、という事で、次の行動なのですよ。
常に一歩先の行動をします。
何時も先生達に「ドルを見習うように!」と言っているのですがね~ぇ??
仕事は追いかけられるのは最悪で、仕事を追い掛けるように何時も注意しているのですがねぇ??
後、もう一つは、連携がちゃんと出来ると良いのですがねぇ??
それと後は・・・・
コメント
中野 卯月
お寒くなりました!幾重にもおいといくださいますように。
· 返信する · 4週間前
芦塚 陽二
いつもお心遣い頂きありがとうございます。明日の日曜日のクリスマス会が終われば、お引越しだけのやり残しの作業になるので、少し楽になります。京都の冬も厳しいようですよね??今年は気候も変なので中野先生も 重々おいといくださいますように・・
· 返信する · 4週間前 · 編集済み
12月21日分散型のChristmas会
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今日は12月の21日の月曜日の午前8時を過ぎた所です。
昨日は、新しい教室でのChristmas会があって、私はwebで参加しました。
webの参加・・とは言っても、pocket-Wi-fiのnet環境では、音声はブチブチ切れるし、映像も途中で何度も止まったりして、netで同席をしたと言っても、全く酷いもので、とても参考になるようなものではありませんでした。
先生達が千葉から帰って来て、videoの到着を待って、checkをやり直しする事になります。
・・とは言っても、まあ、christmas会の雰囲気だけは味合えたのかな??
コロナのために、少人数に分散してのChristmas会なので、華やかさも、ウキウキ感も今一つだったのだけど、これは政府のお達しなので致し方はありません。
まあどこのChristmas会も同じようなものだと思われますしねぇ?
Christmas会よりも子供達の健康が優先なのでね??
私も、後期高齢者で、しかも全ての基礎疾患に該当するという事で、「webでの参加」という事だったのだけど、クリスマス会のプログラムの印刷で、前日が殆ど徹夜状態だったので、流石にバテて、いやぁ、よく寝た!!
しかし、「爆睡した!!」・・とはいっても、実際には充分な時間を眠れた分けではありません。
いつものように頻尿のために、一時間半おきには起きて、toiletteに行っているから、実際の睡眠時間は然程は取れていないから・・なのです。
荷物運びの金曜日と、Program印刷の土曜日と二日続けての半徹でのOverworkだったので、流石に疲れてしまいました。
しかし、年末最後のeventが終わったので、それでも充足に眠れた・・という感じになったのでしょうかね??
でもクリスマス会が終わったというだけで、教室の冬休みまでは、まだ少し間があるので、クリスマス会で中座したままの「お引越しの作業」の続きをやりながらの、年末に向けてのlessonをする事になります。
今回のクリスマス会は、お客様は家族だけに限定した、基本的には無観客のクリスマス会なので、斉藤先生から、「クリスマス会に来れなかった人達が見れるように、取り敢えずは、音楽劇の部分だけでも、至急You Tubeにuploadして欲しい!」という事だったのですが、日曜日のクリスマス会の夜は、斉藤先生が「椎名町に辿り着いても、食事の用意は無理!!」という事と、私自身も、金、土、日との連日の徹夜続きで、超、バテてしまったので、videoを貰って編集をする事は月曜日になってしまいました。
・・・という事で、月曜日の夜に食事に行って、定形のドルプリっ歩を済ませて、SDcardを持って、ハイツの自宅に辿り着いたのは、深夜の1時を過ぎていたのですが、それから、クリスマス会のvideoを取り敢えず編集して、トナカイの部の音楽劇の部だけでも、火曜日の午前中までにはYou Tubeにuploadしておきました。
定位置のvideocameraが1台だけの撮影だったので、何の編集もしないままの、音楽劇の部分だけをTrimmingしただけだったのですが、その部分を探すのに、思ったよりも時間が掛かってしまいました。
家庭用のPanasonicのvideorecorderならば、captureで一瞬で探せるのですが、パソコンではvideocameraに保存されているdataの状態になってしまうので、逆に大変な事になってしまうからです。
まあ、何かと色々と大変だったけれど、クリスマス会の雰囲気だけでもよく分かるのでは・・??と思っています。
芦塚音楽教室千葉音楽教室のChristmas会 トナカイの部 音楽劇
YOUTUBE.COM
芦塚音楽教室千葉音楽教室のChristmas会 トナカイの部 音楽劇
2020年12月20日の日曜日の芦塚音楽研究所千葉音楽教室のクリスマス会の劇です。新しい音楽教室での演奏風景です。
コメント
芦塚 陽二
videoの動画はクリスマス会の時に、各部でchapterを付けておいてくれたようなのですが、PanasonicのvideoのrecorderのDigaでは、そのchapterで簡単に分割する事が出来るのですが、You Tube用にパソコンに取り込むと、dataとして無数のpartsに分割されてしまい、どこがchapterなのかも、分からなくなってしまいます。音楽劇の開始と終わりの部分を探すのに、programと演奏を比較しながら、探すのに、非常に時間が掛かってしまいました。上手な方法は無いのかな??
12月23日いゃあ、変な夢を見た!
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昨日から今夜に掛けては夢のオンパレードだったのだが、最後の夢は特別凄かったのだ!
なぜか買い物からレジ袋を持って、江古田教室の自分の部屋に帰ろうとしていて、携帯でmailをしようとしていたら、携帯の上の方にある非常ボタンを間違えて押してしまったらしく、警察への非常回線が切れなくなってしまったのだ!
色々と試みたのだが、一度警察に繋がるとこちらからでは切れない設定のようだ。(なんか本当にありそうだよね?以前、お引っ越しのお金を銀行でおろそうと思ったら、警察がやって来て根掘り葉掘り聴取されてしまった!自分のお金なのに余計なお世話だよな!!仕事が詰まっていたのに、大変な思いをした!)
江古田の踏切の辺りで、交番から2人の警察官が自転車で駆け付けて来て、私が「間違えてボタンを押してしまった」と弁解をしたのだが、「部屋の確認をしたい」と言うのだが、江古田の部屋は引っ越したばかりで何も無いので困ってしまうし、新しく借りたべべの近くの引っ越したばかりのマンションの部屋の鍵を持って出るのを忘れて出てしまったので、入るに入れないのだよ!
対応に困ってしまって、慌てて、純子の家に電話をしたら、寝入りばなで不機嫌な様子だったのだが、まあチャリンコで駆け付けてくれた。
そこで純子に江古田教室には引っ越した後で何もないからべべの近くの新居のマンションの鍵を忘れた話しをしながら、純子のチャリンコにレジ袋を入れようとしている時に、突然、現実の世界に意識が戻ったのだが、どうしても、夢が現実のように思えてしまって、新居の鍵を忘れただけで、江古田の鍵しか持っていない事という事が現実に思えて、江古田教室のマンション自体が取り壊されて、もう無い!という認識やべべの近くのマンションは最初から無いという事が、目が覚めた後でも理解出来なくて、心で受けとめる事が出来なくて、現実と夢のギャップに困ってしまったのだよ。
それにしても、今現実に住んでいるはずの江古田ハイツが夢の中には一度も登場しないのだよな?
記憶の隅にも出て来ないのだよ?
今現実に住んでいるはずの江古田ハイツの存在が全く無いのだよな?
これは、困ったものだ!
これはまるで、認知症の疑似体験のようなものではないのかな??
私の家は・・・と言って、今は無き昔の自分の棲み家に戻ろうとする認知症の老人のようなものなのかな??
もう一つの夢は、まるで富士山ぐらいの高さの超高層ビルが建って、そのビルの最上階にコンサートホールが出来たので、そのガラ・コンサートに私も招待されて、最上階までの直接一本の切れ目の無いエスカレーターに乗っていく、というお話しなのだが、この夢は、あまり面白くなかった!
最上階に辿り着いたら、ホテルの一室に通されてコンサートまでの待ち時間を過ごしたのだが、そう言えば昔そういう事もあったよな?
あまりにも現実的で、日常と、代わり映えがなかったから、何の面白味もなかったからだ。
コメント
村田 晟
これだけ夢の内容を記憶していて書けるとは凄いね‼(笑)
· 返信する · 3週間前
芦塚 陽二
いえ?夢の方が現実だったので
· 返信する · 3週間前
12月24日Christmas前夜の朝です。
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今日は12月の24日の木曜日のChristmas前夜の朝です。
今日の変な夢は、コンペのownerがconcoursのNiveauを上げるために、変な画策をして、一般のconcoursを受ける人達の中に、これから当然有名になるであろう・・若手のproの無名のpianistを呼んでコンペのガラで演奏させる事にしたのだけど、その無名のpianistが、なにを思ったのか??・・私の指揮じゃあないと弾かない・・とゴネて、ownerの人もまんざらでもなくて、無理矢理に私を引っ張りだして来た、という事なのですが、私はそのpianistの師匠でも無いし、知り合いでもありません。
不思議な事なのだけど、彼は私のフアンらしいのです。
という事で、やむにやまれず、仕方なく、gala のconcertでのRakhmaninovのPiano-Concertoの第3番の指揮をしたのですが、Ⅰ楽章のPianoからorchestraのsoloになる途中のmelodieが、納得いかずに、耳にこびり付いて、「頭に来て!!」・・目が覚めて、起きてしまいました。
Toscaniniがお召し列車での移動中に、scoreを見ていて、突然、「そこの楽器!! 音程が低い!!」と怒鳴り出したそうです。(伝記にはその楽器名が記されているので、誰かという名前まで特定出来るのですが、100年経っても不名誉な事です。)
よっぽどオケ練習の時に悩まされていたのだよね??
私が音大生アパートに住んでいた頃、二階の部屋から朝早くにDebussyの曲を勤勉に練習するのは良いのだけど、音が2、3箇所間違えたままで練習するので、眠れなくなって・・・(寝ていてもそのpassageが来ると目が覚めてしまうのです。)しまいました。
3ヶ月間はなんとか耐えたのですが、とうとう限界に達して、二階の階段を上がって部屋の扉をknockして、お願いをしました。「朝早くから練習するのは構わないのだけど、その3箇所の音を直してくれないか?」と注意をしました。
女の子は3ヶ月間、彼女の先生が音のmissを指摘しなかったのに、Shockを受けていて、私に感謝していました。間違えたままで試験に臨むと勿論、大きく減点されるからなのですよ。
音大でlessonをしている先生のlevelなんて、そんなもんなのよねぇ?
生徒の弾く曲を下見して音の確認をする先生なんていないのよね??
私だったら、知らない曲だとしても、和声法的な間違いで直ぐに分かるけれどね?
コロナでまるまる1年近く子供達の指揮をしていないので、そろそろ指揮への禁断症状が出て来たのかな??
それにしても、Rakhmaninovは無いよな??私は普段は余りラフマニノフは聴かないのでね?
それはそうとして、夢の話はこれまでにして、・・・昨日はひかりヶ丘の糖尿病内科への外来と、歯科へbridgeを被せに行きました。
1日でDoubleで病院は嫌だったのだけど、歯科がその日でないと、来年まで予約が取れない・・という事で、やむなくdouble-bookingをする事にしました。
抜歯されて抜けて箇所にbridgeが入ったので、何かを噛む度に、頬っぺを噛んでしまって、ゆっくり噛んでも痛いのです。
昨日は1日何も無し・・で穏やかな1日だったはずなのですが、病院で疲れたのか、欝が起きて、「今日は珍しく平穏な1日だった!!」と納得しようとしても、欝はとうとう取れませんでした。
普段ならば、finaleでscoreの入力をしていると、音符に集中して気分が落ち着いて来るのですが、昨日はfinaleに逃げる気分にもならなくって、手持ちのdubbingした映画も無く、・・・椎名町への移動もあるので、alcoholに逃げる事も出来ず、為すすべもなく欝に身を委ねていました。
自宅でウダウダしていても、精神状態に良くないので、夕方の7時過ぎには歯科が終わったらハイツには戻らないで、directに椎名町に移動をしました。
どうせ、何も出来ないのならば、椎名町に移動してぼんやりしていても同じだと思ったからなのです。
テレビを見ていたのだけど、見るテレビが何一つ無くて、困ってしまいました。
仕事をしていた方がマシだったのかな??・・とも悩んでしまったのだけど、こういう欝状態の時には仕事も余り上手くは行かないのでね??
再び木曜日の今日のお話に戻って、今日は朝から昨日やろうとして、欝が酷くて出来なかったVivaldiのOp.ⅣのNr.6のscoreへの入力と Cembaloのpartであるbezifferten Baßの入力をしました。
Ricordi版のbasso continuoの手直しです。
朝の9時半なのですが、Ⅲ楽章の入力はサクサクと全部終わってしまいました。後はbowのarticulationなのですが、bowは私と斉藤先生がよく対立してしまうので、後日相談という事で保留にします。
Ⅱ楽章も殆ど出来ているのですが、recitativoの所のcontinuo ausbesettungで躓いてしまっています。
こういう時は期が満ちるまで保留にします。
12月24日鬱が取れん
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欝が取れん❢
困った❢
12月25日『Vivaldi Violin-Concerto g moll Op.ⅣNr.6のお話し』
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今は12月25日のChristmasの深夜である。
・・というか、今年はコロナとお引越しで、Christmasが来なかったので、それこそ正真正銘のsilent-nightであるぞなもし・・
この所、(体調不良ではないのだが)欝が酷くて、なかなか治り切らないので、気分転換に、VivaldiのViolin-ConcertoのOp.ⅣのNr.6のⅡ楽章の楽譜の改訂をした。(Ⅲ楽章も同時に始めたのだが、一瞬で入力し終えたので・・)
この曲を引っ張り出した理由なのだが、Christmas会の一つ前の12月13日の日曜日の始めての新教室でのオケ練習で、このVivaldiのViolin-ConcertoのⅠ楽章を、小学生の生徒が次回の発表会の課題として演奏をする予定なので、譜読みに通奏低音のCelloとCembalo担当のお姉さん達に手伝って貰って、一緒に譜読みの練習をして貰っていたのを、私がTeleworkでcheckしていたのだが、前半の部分はとても良く練習出来ているのだが、後半部分が未だ良く理解が出来ていなくて、(・・・とは言っても、Christmas会の直前の練習なのだし、この曲の本番は5月なので、練習の曲数がChristmas会の曲とDoubleになるから・・という理由での譜読みのお話しなので、遅れているとは言い難いのだけど・・)、芦塚methodeとしては、もし、練習する時間が無かったとしても、譜読みや暗譜をより確実で簡単に出来るようにするために、構造分析で暗譜をさせる事にするのだが、しかし、小学生の生徒達には楽曲の構造分析はまだ始めていないので、その新しいお勉強のためのapproachとして、basso continuoを弾いているCelloのお姉さんに、「scoreでこの曲の構造式と分析をlectureするように!」と指示を出した。
構造分析も、基本は「慣れ」であるので、教室で勉強する曲も上級生に取っては、弾き慣れた今更練習するまでも無い曲であったとしても、approachを構造分析に変えて、それを小学生にlectureする課題を持つ事は、とても良い復習になる。
その次いで(構造分析をする次いでに・・)、というか・・、notation(楽譜制作)のsoftであるfinaleで、先ず、全体の小節数を合わせた五線(所謂、template=台紙)を作っておいて、themaをその構造上に虫食いの状態で、コピペすると、score制作の入力作業をしなくても、基本的にはscoreの入力の大半が構造分析だけで、完成してしまうのだよ。
音楽を演奏する時には、演奏家は、その曲の作曲された経過を知る事や、その技法を知る事が曲の演奏上には最も役にたつのだが、日本の音楽の学習法では、残念ながら、根性と努力のみでの練習が全てのようで、その練習法は、この100年以上も何も変わらないのだよな???いやさ、儒教の国だわさね~ぇ??
勿論、それは音楽をlectureする指導者側の責任でもあるのだが、音楽大学の授業でも、「音楽理論が演奏にどのように結びついて行くのか?」という方法をlectureする事はないし、指導者からそれを伝授される事もない。
理論は理論! 演奏は演奏! と隔絶しているのが現状なのだからね?
la foliaやsarabandeのThema一つをとっても、「何故そのようなrhythmで、そのtempoで、そのarticulationで弾かなければならないのか?」という事を、説明される事は無い。
そのtempoの設定や、音楽表現等が、感情的な情緒論からではなく、音楽理論上や歴史認識的に理解した上で、敢えてそう演奏するのならば、それなりに意味はあるのだが、「こう弾きたいから、弾く!」では如何ともし難いのだよな?
日本の音楽家達に取っては、師匠は絶対的なものであって、私が「そこは何故そう弾くのか??」と質問すると、「師匠にそう習ったから・・!」という答えが返って来る。
同じ質問を、その師匠にすると、きっと同じ答えが返って来るのだろうな??
そして、その答えはendlessになってしまうのだろうよな??
日本の家元制度では、師匠に質問をする事も疑問を持つ事も許されないのだよ。
家元制度は徳川家康が愚息に権力を継がせるために作り上げた制度なのだからね??型に入れば、それを出る必要は無かったからなのだよ。如何に完璧に師匠をcopyするかが、その力量になったのだよ。困った事だ!!
このVivaldiのOp.ⅣNr.6の楽譜は、日本版のViolin教則本の楽譜の中にも掲載されているように思っていたのだが、ふと「本当に、そうだったのかな??」と疑問が湧いて来て、全音の鈴木の教則本と音友の篠崎の教則本を調べて見たのだが、私が調べた限りでは見つからなかった。(鈴木の教則本では、同じVivaldiのg mollのViolin-ConcertoではOp.ⅦのNr.1が入っていたので、その曲と勘違いしたのかも知れないよな?)
いずれにしても、このOp.ⅣのNr.6の曲は見当たらなかった。
Ⅰ、Ⅲ楽章が一般的なVivaldiの学習教材のような雰囲気の曲なので、日本版でも出版されているように思えたのかも知れないが、この曲が教育教材のような感じの曲であるにも関わらず、不思議な事に教室では、あまり生徒に演奏させた事はないのだよな??
その主な理由は、curriculum的にちょうど同じようなlevelの技術を目的とする曲が、Vivaldiには多い・・というか、典型的なVivaldi風の快適な曲なのだからだ。
一見すると学習教材のようにも見えてしまう曲ではあるのだが、全ての楽章の全体の構成からは、Ⅰ楽章やⅢ楽章に対して、このⅡ楽章を演奏する事は、異常に難しい。
・・という事を鑑みて改めて判断をするならば、当然、Vivaldi自身のcurriculumとしては、この曲は簡単なlevelの教育教材ではなくて、相当、高度なtechnikを有する生徒に対しての課題曲だ、という事になるのだよな??
優れた作曲家達の作曲法には、spielbarという日本語訳の困難な言葉がある。日本人の作曲家達がEuropaの演奏家達から、よく文句を言われるのが、このspielbarなのだ!
楽章毎の技術levelは当然の事、各々の声部に関しても、その技術Levelが統一されていなければならないのだが、日本人の作曲する音楽は、1st.violinだけは充実して書かれているのだが、その他のpartsに関しては、同じようなspielbarが無いのだよな?
Ⅱ楽章のお話なのだが、
Recitative のような訥訥としたmelodieが断片的に鬱々と唄われて、突然、Ⅲ楽章のmainのthemaが倍に遅いtempoで2回、繰り返されて終わる。
このⅡ楽章で演奏されるtempoの設定で、しかも、このRhythmの特徴を持っているのならば、このtuttiはsarabandeとして書かれているという事が出来る。
長い訥訥としたrecitativoに突然、orchestraのtuttiとして、このsarabandeが登場して、またrecitativoのような訥訥としたpassageに戻って、また再びsarabandeに戻って静かにpatheticに終わる。
このRecitative のような、否、Monologueのような、断片的な訥訥としたmelodieのimageを演奏する事は、演奏家が最も苦手とする所であろうか??
つまり、自分が一生懸命に唄い込んで来たmelodie(主張)を、突然、「いや、そうではなくて・・!」と全否定して、次のmelodie(説得)に入って行くのだから•••、(そしてそれが、次々と何回も出て来るのだから・・)これは演奏家にとってはpressureそのもののなにものでもないよな??
曲のimageが突然に変わる所は、breathでfeintを掛けてimageをchangeすれば(主張を転じさせれば•••)それで、良いのだが、それが何度も繰り返えされる事で、あざとらしくなっても困るしね??
feintは、一、二回は効果があっても、度々は使える技法ではないのでね?
•••という事で、You Tubeで模範となる上手なinterpretationの演奏を探してみたのだけど、Ⅰ,Ⅲ楽章は、まあ兎も角、それなりの上手な演奏はあるのだが、流石にⅡ楽章の模範演奏は皆無であった。(勿論、今現在の話なので、これからも少し探して見るけれど・・)
periodではないのだけど、やはり一昔前のFelix AyoのI Musiciの演奏が秀逸で、演奏上のstyleとしても、聴き慣れていて違和感がないのだよな??
bezifferten Baßは殆どの演奏団体がCembaloではなくて、 positiv のorganを使用しているのは、それはとても良いのだけど、この不可思議な和音進行と断片的なmelodie-lineの処理で、Ricordi版の楽譜も、手こずっている。
i musiciのようにCembaloでの演奏の場合には、recitativoとしてmelodyとは無関係に唄って行く事が出来るので、このmelodyの断絶のpassageを弾く事は比較的に容易ではあるのだがね?
You Tubeで見つけたperiodの演奏でも、modernの演奏であるi musiciの演奏でも、feintをしないままに演奏しているので、melodieの断絶の所で、「語り」のimageが変化が弱いので、演奏には四苦八苦をしているのだよな。
ついつい、見るに見かねて、Organのpartとsoloのornamentを、欝の勢いに任せて作ってしまった。
出来上がったばかりの楽譜を見ての話しなのだが、こういった訥訥とした断絶した曲の演奏・・、こればっかしはパソコンの音源で演奏再現させる事は、全く無理なので、生音で演奏したい所なのだが、少子化やコロナで、orchestraでの演奏が出来る生徒達のmemberが少なくなってしまって、今すぐに生徒達に演奏してもらう事は無理なので、生の音源での演奏は暫くの間は諦めて、取り敢えず・・という事で、不本意ではあるのだが、パソコンでの音源をuploadしておく事にする。
勿論、生で演奏する機会があったら、この音源は削除する予定だ。
アハッ!
Vivaldi Op ⅣNr6 g moll Ⅱ楽章 bezifferten Baß und ornament aussetzung von Yoji Ashizuka(芦塚陽二) - YouTube
Vivaldi Op ⅣNr6 g moll Ⅱ楽章 bezifferten Baß und ornament aussetzung von Yoji Ashizuka(芦塚陽二)
12月26日超お久し振りでhomepageを弄った
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今日の12月26日の土曜日は、またまた欝が嵩じていたので、過日から始めていた通常の欝対策のVivaldiの改訂版作成の仕事ではなくって、更に気分転換に、超、珍しく『芦塚音楽研究所のhomepage』と『芦塚先生のお部屋』のtop・Pageの文字の重なりや映像の不具合等の訂正をしました。
(いや~あ、Home Pageを弄るのは、何年振りだろうか??実にお久し振りであるぞよ?)
次に「芦塚音楽研究所のhomepage」の中に取り込んでいたFacebookのPageのPageの中から、ゆくゆくは全部の Pageを「芦塚先生のお部屋」に、お引っ越しするつもりだったのだけど、取り敢えずは、Facebook•Ⅳと、Facebook•Ⅴのpageを「芦塚先生のお部屋」に移動をする途中だったのだけど、今年からは、『芦塚音楽研究所のhomepage』を教室で先生達が、別のsiteに作る事になったので、途中まで取り掛かっていた「芦塚先生のお部屋」へのFacebookのお引越しの作業を中止して、逆に『芦塚音楽研究所』のhomepageの中の、FacebookのPageに、元に戻す作業をしたのだけど、文字はなんとか簡単に移動が出来たのだけど、写真や楽譜等の映像は一手間、二手間の手作業になってしまうので、やり掛けの途中で、全くやる気が無くなってしまって、保留にしてしまった。
・・・という事で、今日はhomepageのTop Pageのlayoutを弄るだけと、約1年半分のFacebookの移動という無駄な無意味な作業をしてしまったのだよな??
行ったり、来たりの・・無駄な話だよな??
•••という風に、今日1日は、同じ PageをHome Page上の別の Pageにお引っ越しをするという、無駄な無意味な1日を過ごしたのだよな??
12月28日明日から教室のお正月休みに入ります。
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今日は12月も28日の月曜日です。とうとう、年も押し詰まって来ましたよね??
教室も明日からは冬休みに入ります。
•••とは言っても、1年中、江古田ハイツで軟禁状態だった私には、今更冬休みと言われても、なんの変化もありませんが・・ネ?
文章を書き始めるにあたって、後述の文章を、唐突に書き始めてしまったので、補足説明をしますと、・・昨日と今日の二日間に渡って、随分お久し振りに、Home Pageを弄っているのですよ。
これまで、二年近くも放ったらかしになっていたHome Pageなのですがね??
先ずはその経緯なのですが、私がHome Pageに書かなくなった発端は、恐怖の2018年の9月にあります。
2018年の9月は、重篤な病気が色々と見つかった特別な年でもあったのだけど、その9月の29日にはそれ以上に超、Shockな事がありました。
それは、江古田教室から椎名町教室へのお引っ越しで、homepageもお引っ越しをしなければならなくなって、その作業をしている時に、突然、Home PageBuilderがupgradeを自動的に勝手に始めたのですよ❢
homepagebuilderが勝手にupgradeを始めて、何とか中止させようとしたのですが、パソコンの何のkeyも全く反応しなくなって、それでHome PageBuilderが、勝手ってにupgradeをして、「芦塚先生のお部屋」のhomepageのdataが全部まっ更になってしまいました。
慌てて、超、頑張って、cloudに残っているHome PageのDataをHome Pageにdownloadさせて「芦塚先生のお部屋」の Pageの復活を試みたのですが、最初の Pageだけは何とか復活出来たのですが、後半の膨大なDataの殆ど全部が全ての Pageに渡ってぶっ飛んでしまいました。つまり、20分の1か30分の1しか残っていなかったのですよ。
Home Page上では、「次のページ」と表示されていて、どこにもlinkしていない不思議な表示です。indexだけは残っているので、書いていた文章の内容は理解出来るのですがね~ぇ??
恐怖の9月29日は、苦節20年間、コツコツと努力をして来たその結晶である論文やEssayが、全て一瞬で無に帰した恐怖の日(魔の日)だったのですよ。
古い紙の原稿が残っている論文は、かなり古いversionではあったとしても、何とか「次のページ」以降を、朧気ではあったとしても復活出来たのですが、私が論文を書くstyleは、一気に完成させるというstyleでは無く、折に触れて、修正をしたり、書き足したりしていくendlessのstyleなので、古い紙の原稿とHome Pageに掲載されていた文章とでは、全く違った内容になってしまっているので、古い紙の原稿の殆どは、homepageにupする以前の初稿である場合が殆どなので、本来ならば全く参考にはなりません。
最終稿が残っていない理由は、私の作業のstyleが常にendlessの作業になっているからなのです。
私が「もうこれで最終稿だ」と思っていても、直ぐに次の日には、色々と不具合が見つかって、直ぐに改訂してしまいます。
それが私の仕事のやり方であって、私の作業を進めるstyleなので、致し方はありません。
・・・という事で、Home Pageにuploadしていた以前の文章と、今、Home Pageには掲載している論文では、似ても似つかない論文なのですが、思い出しながら、書き直せばある程度までは書けるのでしょうが、すっかり落ち込んでしまって、やる気を削がれてしまい、最終稿を復活させる作業をやる気にはなりませんでした。
•••というHome Pageのtroubleに加えて、同時期に、健康上の問題もおきて、同年の2018年の9月から暮れまでは、ひかりヶ丘と川崎の病院への入院と手術を繰り返したので、マジにhomepageの修理修正どころではなくなってしまいました。
その後でも、立て続けにHome Pageのtroubleが起きて来ます。
今度はyahooがhomepageのProviderを突然やめてしまって、代わりのrental-serverを探したり、やっと見つけた新しいrental-serverでの設定をやり直したり、・・と、すっかりhomepageで起きたtroubleには大変な思いをしてしまい、嫌気がさして、Home Pageを新たに書き加える事をすっかりやめてしまいました。
そういったtrouble続きで、この所はhomepageを放ったらかしにしていたのですが、今回、敢えてHome Pageを引っ張り出した理由は、Vivaldiの構造分析とFinale入力のやり方の解説の論文を書いてしまったので、流石に『Facebookにはそぐわない』と思ったので、やむなく、お久し振りで、今回の論文は、homepageにupする事に決めて、「芦塚先生のお部屋」の Pageを改めて開いて見たのですが、そしたらまたまたHome Pageのtroubleが発生していて、Top Pageのボタンやlink等が無くなってしまっていたのだよな??
復活させるのに、まるまる二日も掛かっているのだけど、link先が全く分からないのだよな??
linkのボタンがなくなっていて、link先のaddressが分からないのだよな??
本当にHome Pageは不安定で、困ってしまうのだよなぁ??
もう知らん❣
ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com
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Ⅰ楽章 Analyse FacebookよりⅠ 追記: 構造分析とfinaleへの入力 ritornello形式に付いて [あ]thema a 8+8 奏法:素早い投げ弓と8分音符は弾き止めで歯切れよく 前半部8小節はmitteでfで・・、後半部8小節はspitzeでPで演奏する.....
12月29日bluetoothのtenkey
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Finaleの入力の時には、基本的には、鍵盤のkeyboardで入力をしているのだが、realtime入力ではなく、tenkeyで音価を決めて入力するので、左手でkeyboardの鍵盤を演奏しなければならないので、頗る面倒くさいので、右手で鍵盤を演奏出来るように、Bluetoothのtenkeyを買った。
今日はそのtenkeyを、初、使用するために、設定をしようとしたのだが、設定が出來ない。
何度challengeしてもパソコンがtenkeyを感知してくれないのだ。
そうこうしている間に、Finaleの入力が終わってしまった。
暫し考えて、ふと、「電波の届く範囲が狭いのではないのかな?」と思って、tenkeyをパソコンの本体の3、40センチそばに持って行って見たら、案の定、パソコンのBluetoothにtenkeyを感知する事が出來たのだが、これで、このtenkeyは、私のDeskTopでは、使えない事が確定した❢
私のmainのパソコンのBluetoothは、今現在、earphoneとHeadsetmicが設定されていて、10m近くも離れても問題は無いのだがね?Bluetoothの到達距離は、それぞれの機器に寄るのだよな?
tenkeyの到達距離は、机の上でnoteパソコンを使用した時の距離に設定されていているのだよな?
それは困った❢
Bluetoothのkeyboardは、今現在subのパソコンで使用しているのだが、そのMicrosoftのkeyboard(このkeyboardの意味は文字入力用のkeyboardの事です!)は最初からtenkeyが分離されているtypeなので、keyboard自体もBluetoothなのだが、パソコン側からUSBでBluetoothを飛ばすtypeなので、USBの延長コードを使えば、本体が離れていても、使用する事は可能なのだ。
そのBluetoothのkeyboardを、mainのパソコンに持って来る事も、可能なのだが、今使用している3台目のパソコンのmonitor画面がテレビなので、deskから極めて遠いので、Bluetoothのkeyboardでなければ対応出来ないのだよ❢
という事で、mainとsubのパソコンに2台とも、同じ機種のBluetoothのkeyboardを使うのはBluetoothが混乱する可能性があるのでは?と、躊躇していたのだけど、もしも利便性が優先する場合を考えると、mainとsubのパソコンを同時に使用しなければ可能ではないのかな?それならば、keyboardを2台使うのは、どうだかな??
新教室用に今のUSBのkeyboardを持って行って、新しくBluetoothのkeyboardを買うと全てのkeyboardが有効活用されるので、それでも良いのかな??
まあ、年末なので、今すぐには何も始まらないから熟慮する時間はあるのだがね?
それにしても、keyboardという名前の話なのだが、鍵盤の入力用のkeyboardもkeyboardだし、パソコンに文字を入力するkeyboardもkeyboardなのだから、超、面倒くさいよな?
netでkeyboardを探す時などにも混乱して出て来てしまうのだよ。
何か良い区別の仕方は無いのかな??
文字入力のkeyboardに関しては、保留という事にしたハズなのだが、どっちみち、いずれは買わなければならないので、即断即決の私としては、先の文章を書いた2、3時間後には早々と購入をしてしまいました❢
超、早いのですよ❢
12月30日bluetoothのearphonesのcheck
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mixpadのアテレコのために,教室にある3台のbluetoothのearphonesのcheckをしたのだけど、3台のbluetoothをそれぞれにパソコンに設定しても、聴けるのは常に1台のみだ・・・という事が分かりました。
基本の考え方がPrivacy保護のために、そういった方針が基本なのだそうです。
wiredのearphonesではadapterで2台に分配出来るし、機器自体にoutputの端子を複数備えているのが普通なので、2人で聴く事は一般的なのですが、bluetoothではそれは珍しい事なのですよね??
ただ、別売で2台用のearphonesも売っている会社もあることはあるようなのですが、幾ら調べても、分類が上手く行かなかったので、netで調べるのは諦めてしまった。wiredならば、2台用に変換するadapterもあるのですが、Bluetoothになった途端にその選択肢がなくなってしまうのですよ?
検索をする言葉を幾ら変えてもselectがどうしても上手く行かないので、検索をとうとう諦めてしまいました。
直接、netでbluetoothのearphonesの機種を探すのは諦めて、netで2台で聴く事が出来るbluetoothのearphonesの『解説のPage』を探す事にしました。それは比較的に簡単に色々と見つける事が出来ました。
その解説のPageによると、基本的にはbluetoothは1台しか対応はしていないのだけど、例外的に複数台を設定出来る機種を作っている会社がある•••という事だったので、その会社を探して、その会社の中で、特定の対応機種を選ぶ事が出来たのだけど、いずれにしても、パソコン側に設定は8台までは出来るとしても、同時に使用出来るのは2台までという限定であった。
流石に、そのbluetoothのearphonesは、非常に珍しいだけあって、高くて1台あたりの単価が1万2千くらいの値段だったので、2台購入すると2万4千の出費になってしまう。
実際には片耳だけで良いので、(録音の時には片耳は生音を聴かなければならないので、録音の音を聴くのは反対側の片耳である。)2台あると、4人までが演奏出来るので、Quartettまでは問題なく録音出来るのだが、お引越しもあるので、今の2万4千円の出費は結構痛いのだよ!!
アテレコは、これまでも教室で、やらなかった分けではないので、PAの設備が無い事はなかったのだが、昔はPAのsetは、analogのsetなので、digitalに対応出来ていないので、いつかは或る程度の出費をして買い直さなければならない事は覚悟していたのだが、それとお引越しとがダブルになるとやはり辛い。
それでも、timing的には、このコロナの時期なので、大人数での録音は無理だし、orchestraの演奏のLevelも期待出来ないし、しかも、私が千葉まで移動してPAのsetの準備が出来るのは、冬休みの時期を置いては無い•••という事なので、値段を安くあげるために、取り敢えずは、中古のbluetoothのearphonesを買う事にした。
同じmakerの同じ機種が結構色々と売っていたからだ。
2台で1万円で済むのならば、半分の出費で済むので、少しは気分的にも精神的にも楽であるし、今の休みの期間を逃してしまっては、次の機会はいつになるのか、そのtimingを失してしまうからだ。
今日の夜、注文したら明日中には椎名町に着くそうだ。
それは良い!!
次は、grandPianoを置いてある部屋(stageの部分)が和室になって囲まれているので、頗る照明が悪い。
Hall側(客席側)から見ると舞台となる側が暗くなってしまって、演奏者の表情が暗くなってしまうからで、stage感(舞台となる感)が無いのだ。
だから、spotlight等で、弾き手をuplightしなければならないのだが、照明は強過ぎても、弱過ぎてもよくないので、機種を選ぶのに困ってしまう。
どの程度の光量が必要なのかの数値の情報が無いからだ。
昔のanalogのvideoの時代のvideolightのようなものは、教室に大量にあるのだが、昔のvideoは光量をかなり必要としていたので、長時間の演奏ではlightから火が出て火事になってしまう。
昔のvideo撮影は、長くても2時間までが限界だったので、それで良かったのだが、今のdigitalのvideocameraでは、1日中つけていても、温度が上がらないlightでなければならないので、相当、高性能なlightでなければならない•••という条件もあるし、取り付けのadapterの形状も条件の一つになって、極めてselectの条件が難しくなってしまう。
これは今回ではなくて、次回に送る事にしよう。
いずれにしても、邪魔な柱を有効活用して、Pianistの表情が撮影出来るように、柱の位置からvideocameraが撮影出来るようにする予定なのだ。
撮影のvideocameraを持って来る事は、舞台となるPianoの部屋を明るくする•••という意味もあるので、一挙両得になるのだよ。
12月31日今日は大晦日、明日は泣いても笑っても新年です。
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今日は、とうとう12月の31日の朝の6時を迎えた所です。
お久し振りに朝焼けがとても綺麗だったのですが、1°と、余りにも寒かったので、直ぐに布団に潜り込んだので、写真は撮りませんでした。
起きてみて気がついたのですが、今日は、とうとう大晦日なのだそうですよ❢
という事は、明日は泣いても笑っても新年です。
そりゃあ、大変だ❢
また歳を取ってしまう。
教室はお休みになったのですが、今の所は、私はいつもの通りにハイツに引き篭もったままです!
なんでだろう??