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Johann Pachelbel=Ashizuka Chaconne in f




1月      

2023年の1月1日

1月2日『作曲家の伝記を読む事の勧め』

1月2日川崎の病院から転院を ·

1月3日鼻詰りで起き出して

1月5日コロナ下Probeに誘われて

1月6日ガス料金が倍になった

1月7日『これまでも折に触れて、毎回書いている事ではありますが・・』
baroqueや古典派時代の音とこんにち私達が聴いているbaroqueや教育法の音の違いについて
1月7日満月です。

1月9日『Haydnの「ひばり」の修正箇所についてのhomepageへのお話』

1月10日今日の夢と歌の男性との待ち合わせ

1月10日『mezza voceとmessa di voce』 ·

1月11日順天堂病院への初受診

1月12日『芦塚methodeのお話』

1月12日BiberのRosarysonate

1月13日の金曜日、所謂、Jasonの日

1月14日『proへの道のり』

1月15日『前衛音楽』

1月16日取り立てて何でも無い1日です。 ·

1月17日『Facebookのお引越し作業が終わった』

1月18日PreyとFischer-Dieskauのβのvideotape

1月21日『暗譜に付いてのお話』 ·

1月23日今日は1日携帯でVivaldiに関するお話を

1月24日術前検査の絶食で

1月25日日曜日の夜以来の食事にありつけた ·

1月25日baroque音楽の復活のお話 ·

1月26日ドルプリにとっては、-3℃が心地よいおだな~ぁ??·

1月26日なんと、今の気温は-4℃です。 ·

1月27日『演奏会用Programについて』 ·

1月28日『血尿のお話し』 ·

1月28日素晴らしい青空が

1月29日今日もまた素晴らしい青空が ·

1月30日食欲不振の後の空腹感 ·

1月31日足が冷え切ってしまったので、アンカを出した ·


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2月

2月3日春眠暁を覚えず ·

2月4日実にrealな夢を見た ·

2月4日『bikeの鍵が・・』 ·

2月6日『病院が無い❢❢』 ·

2月7日古いパソコンの方が使い手が良いのだ

2月8日昨日はtoiletteで死にそうな目にあった·

2月9日今日はrotationのミスで食事もドル・プリっ歩もサボった

2月10日理解不能なGoogleのcalendar

2月11日摂眠障害 ·

2月11日音楽史の別のapproach ·

2月14日病院行く前の日に、病院に行く夢をみている ·

2月14日今日は何をやっても上手く行かない日だ ·

2月15日今日は1日掛かりの病院dayだ ·

2月18日兎に角寒かった ·

2月18日今日はとてもbusyであった ·

2月20日雑炊を絨毯に撒き散らした ·

2月21日前の文章の続き ·

2月21日Cembaloのtuningのお話

2月24日燃え尽き症候群のような感じの ·

2月26日右足の人指し指の爪が剥がれて ·

2月27日powerdirecterが壊れた ·

2月28日今日は何かとbusyなのだ ·


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3月

3月1日入院のコンサルに練馬高野台に行きます ·

3月2日時計のお話 ·

3月3日ひな祭りの日だけど・・・ ·

3月4日Cembaloのtuning ·

3月5日オケのclass分けに関して

3月6日今日は入院の初日です。

3月6日『珈琲のお話し』 ·

3月7日手術当日の朝です。

3月8日術後の夜

3月8日日本人演奏家のinterviewの記事を読んで ·
(baroque音楽では、何故vibratoをしないのか??装飾音の意味)
3月8日『3月の8日から10日になる所まで』

3月10日『円座マットの話し』 ·

3月10日言う事、成す事、バラバラの病院 ·

3月11日退院日の夜 ·

3月13日時短の法則 ·

3月13日homepageの汎ゆるPageがぶっ飛んでいて ·

3月13日0byteのPage

3月15日『子供への教育教材の演奏は簡単か??』 ·

3月15日『proの条件』 ·

3月19日『団塊の世代』 ·

3月19日海鮮抜きの皿うどん ·

3月19日『baroque時代のConcertの演奏形態』 ·

3月20日腰痛が酷くなって ·

3月22日多分、平穏な1日で ·

3月26日季節を体感する·

3月27日超、寒い❢❢❢


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4月

4月1日『待ち合わせの時間のお話し』 ·

4月2日『今日は発表会の当日です。』

4月4日発表会が終わってからのお話です。 ·

4月6日めちゃくちゃな、編集作業をしてしまった ·

4月8日bikeのstandが右足の親指に乗ってしまった ·

4月10日『あがると言う事Ⅰ』 ·

4月11日『あがると言う事Ⅱ』 ·

4月13日『病院記』 ·

4月14日『音楽表現=tempoのズレ(ズラシ)』 ·

4月15日紅茶が終わってしまったので、 ·

4月15日『和声学のlessonとnetでのlessonとprinterのお話』 ·

4月15日『楽譜渡しの日』 ·

4月17日『迷惑なMicrosoft Edgeの話』 ·
膀胱癌のお話
4月18日『全身のCTscan検査当日の記』 ·

4月19日『ゴキ族との果てしなき戦い』 ·
Le Quattro StagioniのL’Estateのお話と、芦塚先生の和声学入門のお話
4月21日『RolandのDP603でのdirect録音』 ·

4月22日『Viola Concerto in the Style of Händel in B Minor By Henri Casadesusのtransposeについて』 ·

4月22日『Lebenslauf』 ·

4月22日音楽の基礎力 ·

4月23日突然寒くなってしまった ·

4月24日『血尿と瘡蓋が出た』 ·

4月24日『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusのthematisch-Analyseのお話』 ·

4月29日『覚書若しくはNiederschriftⅠ』 ·

4月29日『覚書Niederschrift Ⅱ』

4月29日『覚書 NiederschriftⅢ』 ·

4月30日『和声学について』


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5月

5月1日『覚書=NiederschriftⅣ』 ·
Lisztの愛の夢の和声的Analyse
5月1日な、な、な、なんと!今日はもう、5月1日だ❢❢ ·

5月1日『覚書=NiederschriftのⅤ』 ·

5月1日『椅子に座ったままで、夢を見た。』

5月2日寂しい夢を見た

5月4日トルコ人らしい人がやっている韓国料理の店に打ち上げに ·

5月5日『finaleで、和音記号を表示させるには・・』 ·

5月6日今日は満月です。 ·

5月6日『覚書=NiederschriftⅥ 』

5月6日『携帯のJ-comのマイページのログインが出来ない❢❢』 ·

5月8日『ドレス コード(dress code)のお話』

5月8日JcomのぶっといCableが部屋の天井を ·

5月9日明日からは抗癌治療が ·

5月10日『抗癌治療の開始と新携帯の設定のお話』 ·

5月13日『monitor‐テレビのお話』 ·

5月14日『作曲家と権威主義』 ·

5月14日欝が酷いので

5月16日反省用のオケ練習のvideo ·

5月16日抗癌治療と血尿の瘡蓋 ·

5月17日抗癌治療の副作用 ·

5月18日『本日のpech!』 ·

5月20日ゴキさんの運動会 ·

5月21日『Chopin prelude Op.28 「雨だれ」』 ·

5月21日『Chopin Op.28-15「雨だれ」のthematisch-Analyseの続き』 ·

5月22日体調との戦い ·

5月23日『Händel=Casadesusの版のⅠ楽章の作り直し』

5月24日『前の文章からの続きです❢』 ·

5月26日Händel=CasadesusのViolaConcertoに付いて ·

5月26日糖尿病の診察を忘れていた ·

5月29日急遽で最後の光が丘病院でした。 ·

5月30日病院と病院の中日 ·

5月31日副作用


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6月

6月1日副作用が酷い·

6月2日認知症の検査 ·

6月4日バレなければ、良いという時代 ·

6月4日『超、有り難迷惑なMicrosoftのupdate』 ·

6月4日オケ練習が急遽、牧野先生の高熱で中止に ·

6月6日自分の居場所について·

6月7日今日は多分第5回目の抗癌治療です。 ·

6月9日今日は兎に角忙しかった❢❢ ·

6月11日Jcomのテレビのコードを整理した。 ·

6月11日methodeを学ぶという事は ·

6月12日オケ練習へのfeedback ·

6月13日今日は火曜日の引きこもりdayです。

6月14日『朝の超ドタバタ』

6月15日抗癌治療も後2回です。

6月16日『Genieについて』·

6月16日今日は起きれないので

6月18日You Tubeの翻訳soft

6月19日Rehabili-day

6月21日 抗癌治療が中止になりました

6月23日一日中ウダウダと

6月23日寒い❢❢·

6月24日如何ともし難い1日だった·

6月25日革製品の補修用leather

6月26日携帯が不安定で·

6月27日今日は引きこもりdayです。

6月27日携帯の文字変換が勝手に変わってしまって ·

6月28日今日は水曜日で抗癌治療の日のハズですが ·

6月29日『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusに付いて』

6月30日昔uploadしていた動画の画質を変更した


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7月
































































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1月


2023年の1月1日 ·

いや~ぁ、2023年の1月1日の日曜日の朝の6時です。

未だ、初日の出には程遠いようで、外は真っ暗なままです。

本日の日の出は6:51分だそうで、気温は0℃のままで、寒いのです。

まあ、なにはともあれ、新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

塩澤 一範
本年も宜しくお願いします。

芦塚 陽二
一範君もお元気そうでなによりです。
Facebook、・・楽しみに見ています。


塩澤 一範
芦塚 陽二様
いつもありがとうございます。
身体に気をつけて下さい。
また遊びに来ます。

芦塚 陽二
ああ、元の花園公園の前の教室はなくなりましたので、注意してくださいね??


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1月2日 ·

『作曲家の伝記を読む事の勧め』

音楽を演奏する人達の多くは、不思議な事に自分が演奏している作曲家の伝記を全く・・という程、読んだ事の無い人達が多いのには驚かされる。
それは伝記のみならず、一般的な著名な本に至っても同じように本を読むという風習が音楽を学ぶ子供達には無かったからなのだ。

私達が未だ、小、中学生の頃には、勿論、テレビやスマホのような物は無かったし、cassette-recorderのような物さえなかった。
映画ですら、年間に発表される本数は非常に少なくて、つまらない娯楽的な物ばかりであった。
だから、私達が本の虫になるのは、或る程度は必然でさえあったのだよ。

私達の世代よりも少し後の世代になって、所謂、塾世代になると、本を読む時間は全く無くなって、ひたすら、無味乾燥とした、殺伐とした、testの成績を上げる為の勉強だけを、良しとする世間の風潮が生まれて来るのだ。

それは、そのまま、子供達の価値観の違いを産んで、成績至上主義に落ちこぼれた生徒達が増えてきて、それが教育制度の崩壊を招き、家庭内暴力や学校の校内暴力を産み出して行き、落ちこぼれた生徒達は非行に走るか、引き籠もり等を産み出して行く。
そして落ちこぼれにもなれない生徒達や引き籠もりすら出来ない子供達は、精神を病んでいったり、自殺をしたりするcaseも数多く見受けられるようになった。

しかし、音楽を学び、音楽大学を目指すような子供達は、或る意味では、家庭的にも教育的にも恵まれたelite達であるのだよ。
だから、塾教育特有の被害は受けていないのだ。

とは言っても、音楽大学に進学する事は、一流の一般大学を受験するよりも遥かに難しいのだ。
一般の子供達と肩を並べて学校教育に浸っていては、音楽大学に進学する事は出来ない。

その為に、自由の利かない名門の進学学校の中、高から、より自由な、ぼんくら中、高に転校する生徒達も数多く見受ける事があるのだよ。
そういう風にして迄の、練習の時間やlessonの時間を作って、専門の勉強に邁進するのが一般的なのだよ。

その時点で、既に音大を目指す生徒達は一般的な生徒達とは言えないのだよな??
つまり、音楽を学ぶ小、中学生達に限っては、寸暇を惜しんで、ひたすら練習に励む結果、一般的な本・・だけではなく、音楽家としては読まなければならない作曲家の伝記すら読む風習は無かったのだ。

学校の勉強と音楽の勉強の板挟みで、小説を読む時間を捻出する事は不可能であり、当然、年頃の男の子と恋をする事・・、或は、知り合う機会すら、無いのだよ。

だから、私が、音楽大学に入学したばかりの頃、学長が生徒達を前にして、何度も、「本を読むように」・・と、繰り返し、言っていた事を覚えている。
しかし、その意味は、余りにも狭い世界に住んでいる音大生に、世間一般の常識を身に付けるように・・という意味だった・・・と言うように、記憶している。

小学生の頃から、中学生、高校生と、本の虫であった私に取っては、「本を読まない」という学長の演説は、理解出来ない訓示であったのだが、学長の訓示の意味は、音楽家は基本的に、文字を読まない事が多いとされている前提に拠るのだ。

しかし、だからと言っても、楽譜を読む分けでも無いし、自分が課題として貰っている曲以外の、他の曲を聴く分けでもないのだよ。
だから、驚く程に、一般的な音楽の知識・否、常識すら無いのだ。

音楽大学の在学中に、大学の授業中に、500名ぐらいのPiano科の生徒達を対象にして、enqueteを取ったのだが、Beethovenの「運命」や「田園」のSymphonieを聴いた事のある人・・と、挙手を求めたら、2,3名の生徒しか、手が上がらなかったのだよ。

将来をproのorchestraに入る事を希望している弦楽器の生徒達ですら、この%自体は、あまり変わる事は無かったのだ。
流石に、この事実にはすっかりと驚いてしまった。

Piano科の生徒達に限らず、弦楽器の生徒達ですら、ただひたすらに、自分の楽器を前にして、ひたすら、その技術練習のみを練習する事に始終しているのだよ。

・・・という事で、今回のお話しの中でも、作曲家の生涯に関するお話しは、全く出て来ないのだ。


演奏家が演奏する作曲家の生涯を知って、その曲が作曲された背景を知る事は、音楽を演奏する上においても、必ず良い結果を産み出すと思うのだが、まあ、演奏家の人達で本を読む人は少ない。

ましてや、音楽家が音楽に関連する本以外の分野の本を手に取る事はない。
これも日本の音楽教育における大きな欠陥の一つである。

また、借りに渋々と、先生に強制されて、一冊の伝記を読んだとしても、作曲家に対して書かれた伝記は、その作者からの見方が反映されるので、作曲家に対してのimageは、偏りがちである。
色々な伝記を読むに連れて、読んだ伝記が増えるに連れて、その都度、作曲家の印象が変わってしまう事は、非常に良くあり得る否めない事実である。
願わくば、たった一冊の伝記ではなく、より多くの伝記を通して、作曲家のimageを作る事が望ましい。

しかし、一般の子供達を対象にした偉人シリーズの伝記は、後世に作り上げられた仮想の物語が殆どを占めていて、正しい伝記とは言えない。
余りにも、現実の作曲家の実像とは掛け離れていて、馬鹿げているのだ。

しかしながら、権威のある名著とされる作曲家のbiographie程、つまらないものは無い。
私達が作曲家の「人となり」を知りたいと思う程、度を遥かに逸脱しているからなのだ。

という事で私のお話を聴いた(・・読んだ)人達から、推薦の伝記を求められる事があるのだが、困った事に、私の推奨する伝記の殆どが、今は絶版になってしまっている。
本は或る程度の購読者がいないと、絶版になる事は已むを得ない事なのだよ。

という事で、今も出版されているらしい伝記というか、読み物なのだが、学術的な価値は全くないのだけど、伝記の導入には、非常にお勧めであり、私が音楽大学時代に、私の曲を演奏してくれた女の子達にお礼にpresentをして、非常に喜ばれた、原田光子さんの数冊の本を推奨する事にします。

一押しは、「クララ・シューマン―真実なる女性」で、次に、クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡も同様に素晴らしい作品です。
いずれの作品も、ClaraとSchumannの、或はClaraとBrahmsとの往復書簡の間を、原田光子さんの優しい文章で埋めて行くという手法で構成されているので、Claraと作曲家達の人間関係が、非常に鮮明に浮き彫りにされて来ます。
原田光子さんの上品な訳はともあれ、原文は作曲家とClaraの手紙の直訳なのだから、人間性としては、最もdirectかも知れません。
19世紀のロマン派の時代の手紙の文章のチョッとoverな言葉の表現に戸惑われるかも知れませんが、慣れれば、然程でもありません。

私の場合には、作曲家の「人となり」のimageを作れれば良いだけなので、その導入にはお勧めの1冊になります。
あくまでも読み物としてですけれど・・

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1月2日川崎の病院から転院を ·

アッと言う間に、もう2日の月曜日のお昼です。

この2,3日は頻尿です。
30分とか1時間とかの頻尿です。
チョロっとだけの頻尿ではなくて、或る程度のちゃんとした量が出るから、必ずしも膀胱の壁が厚くなっているだけではありません。

この所、慢性的に疲れが酷かったので、突然、腎臓が活性化したのでしょうかね??
サボったり、頑張ったりの繰り返しは腎機能としてはあまり良い状態ではありません。
安静にはしているのですがね??

どっちみち、1月中には膀胱の手術をしなければならないので、その時に、医師からのcheckが入るハズなので、今は、病院に予約の連絡をする所からなのです。

膀胱の手術は川崎の病院からの紹介状がハイツに届くのが遅くなったので、それから病院の予約を取るのが年を越してしまいましたが、そろそろ頑張って、予約を取らなければならないのですが、それが非常に鬱陶しいのです。

だって、初めての病院で見知らぬ医者に拠って初めての手術を受ける分けなので、不安感ばかりが増幅されてしまうのですよ。
それでなくても、この所の病院に対しての不信感は募るばかりなのですからね~ぇ??

まあ、そういう分けではないのでしょうが、信頼していた医者から見捨てられたような気がしているのですからね〜ぇ?

私達の世代の会社勤めは基本的には終身雇用制度だったのですが、時代が変わって、突然、転職を勧められて、会社を追い出されたサラリーマンのような気分なのかな??

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1月3日鼻詰りで起き出して ·

今は1月の3日の火曜日の朝の9時半になろうとする所です。

今日は朝の6時や、8時半にも目が冷めたのですが、朝の6時は兎も角として、8時半のtoilette-timeに目が覚めてからの寝直しでは、またまた、鼻詰まりで息が出来なくなってしまって、眠る事が出来なくなってしまいました。
諦めて、起き出して、未だ、睡眠の量は完全ではないのですが、已むを得ず仕事modeに入っている所です。

あれ?? 正月三が日は仕事をしない予定だったのだけどな??
やる事が無いと、退屈なので、しょうがないか??

それにしても、今日もとても良い天気で、少なくとも、ハイツの窓からは、雲一つ無い青空が澄み渡っています。

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1月5日コロナ下Probeに誘われて ·

今は1月5日の木曜日の朝の3時38分を過ぎた所です。強い鼻詰まりで息が出来なくなって目が覚めて、居間の椅子に座って鼻詰まりが解消するのを待っている所なのです。

勿論、鼻詰まりが取れたら、もう一度、寝直すつもりです。

エアコンとガスストーブの空気を直接浴びて、温かく眠気を誘います。
ホンの10分、或るいは、15分くらいなのですが、もうだいぶ、鼻詰まりが取れて来ました。
鼻詰まりは何とか解消したのですが、今度は鼻水が出て困りました。

それでも何とか眠る事が出来て、今は朝の6時半になる所です。
3時間は何とか眠る事が出来たようです。
もう一度、頑張って眠ってみようと格闘中なのです。

やはり、強烈な鼻詰まりで息が出来なくて、諦めて、大型のエアコンの下の椅子に座って鼻詰まりが解消する事を待つ事にしました。
首は楽になって来たのですが、熱風は椅子に座った状態の腰から下には届かなくて、上に戻ってしまうようです。

諦めて、ガスストーブの床上modeで、エアコンと平行で部屋を温め始めました。

比較的簡単に鼻詰まりが解消出来たので、またまたBedで眠りました。

今度は9時半過ぎの起床です。
3時間は眠れてはいないのですが、合計すると、8時間は眠れた計算になるので、まあ外出には充分な睡眠時間だと思います。

今日は超、珍しくprobeに招待されていて、コロナ以来のお出かけになるのだけれど、まあ、体調的には、何とかなるでしょう。

山手線経由だと、目的地迄は、1時間以上の非常に時間が掛かるので、練馬乗り換えの逆コースで、乗り換え回数も電車に乗っている時間も最低の40分のコースでお出かけします。
ただ、本数は20分に一本のFライナーと言う通勤快速なので、待ち合わせの時間よりも20分も速く着いてしまうのだけどね〜ぇ??

まあ、それぐらいのゆとりを持って出掛けた方が、体調的には良いと思いますので、それも有りかな?

と思ったら練馬の乗り換えの時と、自由が丘の乗り換えの時に、toilet-timeで時間を浪費したので、ちょうどギリギリのjust-timeだった。
ゆとりを持って出掛けて、正解であった。



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1月6日ガス料金が倍になった·

今は1月6日の金曜日の朝の4時を過ぎた所です。
練馬区の気温は何と0℃で、これから5時、6時、7時と-1℃が続くのだそうです。
流石にtoiletに行くのは寒いので、気合いが必要になります。

前回は2時半にtoiletに行ったので、2時間のrotationになります。
という事は、次のtoilet-timeは6時半かいな??
-1℃が思いやられるよな〜ぁ?

•••と思ったら、rotationはrotationでも、鼻水と鼻詰まりのrotationであった。
息が出来ない。
でも、Bedから出るのは、寒い❢
困った❢❢

でも、息が出来ない❢
苦しい❢❢
と、それに加えてお腹も空いて来た❢❢❢
決断をしなくちゃ❢

でも、やっぱり寒い❢❢
endlessである。

という事で、意を決してbedから起き出して、エアコンとガス・ファンヒーターを急速暖房状態にしたのだが、流石に-1℃では、そうそう部屋は温まらないのだよな??

部屋が温まると、鼻詰まりも解消されたので、Bedに戻って寝ていたら、ノックの音がしたような気がしたので、慌てて玄関のドアを開けて見たのだが、誰もいなかった。

時計を見ると、未だ7時半だ。
誰かが来る時間ではなかったのだよな?

今日の午前中(9時から12時)には、高圧洗浄の人が来る予定なのだ。

前回も、前々回も、私が部屋の中に居るにも関わらず、不在扱いにされて、1番最後に回された事があるのだよ。
ドアに「部屋にいます」と、張り紙をしていたのにも関わらず•••なのだ❢
一番確実な事は玄関のドアを開けっ放しにしておく事なのだが、それは結構、寒いよな~ぁ??

10時直前に下水道のメンテの人達が来て、10時過ぎには作業が終わったので、事なきを得たのですが、夜になって、椎名町に移動する時に、玄関のドアにガスの請求書が入っているのに気づきました。
ドルの大好きな「出待ち(お店の出口で人が出て来るのを待つ事)が出来た」と思って、何気なく封を切って、金額を確認して、驚いたのなんのって・・12月から1月までのガス料金が、前月の倍の金額になっていたのですよ。
確かに11月よりは、寒さが増して、stoveを使う量は増えたかも知れませんが、それにしても、倍は無いよな~ぁ??

独り暮らしなので、ガスの使用量は非常に少なくて、2ヶ月単位に徴収される事が多かったので、stoveをフル稼働させても、万を越す事は稀だったのですがね~ぇ??
世の中も世知辛くなって来てしまいました。

この寒い季節にガスや電気の料金を気にしながらの節約を求められるのは、結構辛いよな??

マンションの駐輪場の料金も3倍にする・・とか言っているし・・堪らんよな??


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1月7日『これまでも折に触れて、毎回書いている事ではありますが・・』

Pianoにしても、弦楽器にしても、baroque時代や古典派の時代の楽器の音と、こんにち私達が耳にしている音は、違います。

多くの人達は、「楽器が技術の発達に拠って、改善されてきて、より良い音で演奏されるようになった」・・と思い込んでいるようなのですが、残念ながら、改善されて来たのは、音量だけで、音質に関しては、逆に、昔ながらの美しい音は失われてしまったのです。

例えば弦楽器なのですが、数億円もして理想の楽器と言われているStradivariと言えども、Stradivari本人が作った楽器そのまま・・ではありません。
現代、私達が目にしているStradivariは、neckを長く改造して、弦の張力を強め、そのために、楽器の胴体が壊れるのを防ぐために、力木を入れて弦の張りに堪えられるようにしたりと、後世の人達の手に拠って、あまた、色々な改良が加えられていて、Stradivari自身が制作した当時の音の美しさは失われてしまっているのです。

また、強い張りで調弦された弦楽器を演奏するためには、当然、音を出す為の弓も、Stradivariが生きていた当時の弓とは全く違っていて、SpohrとTourteが弓の張りを強くするために改良した新しい弓で、baroqueや古典派の時代の弓とは違って、modern-bowと呼ばれるその弓を、彼らは1800年代までに積極的に広めて行きましたが、それに拠って、弦楽器の演奏法自体が、全く新しく変わってしまいました。

つまり、こんにち私達が聴いているbaroqueや古典派の作曲家達の曲は、改造された弦楽器やmodernの弓に拠って作り上げられた新しい演奏技術に拠る音楽で、baroque時代や古典派の時代に演奏されていた様式に拠るものではありません。
似ても似つかぬ演奏様式に拠るものなのです。
曰く、関ヶ原の戦いで戦車や機関銃が出て来るようなものです。

同様な楽器の改革は、前述の弦楽器だけに、及んだものではありません。
その波は鍵盤楽器や管楽器等々の、全ての楽器に及んだのです。

例えば、こんにち私達に一番身近である鍵盤楽器、つまりPianoなのですが、19世紀に入って、貴族階級から音楽が大衆のものになって来るに従って、より大きなホールでの演奏を求められるようになって来て、Pianoも、小さな音しか出せないそれまでのforte-pianoのsingle actionから、原始時代から使われている投石器の原理を応用したdouble-actionに変更されて、大ホールでの演奏が可能な、大きな音の出せる現代のPianoになって来たのですが、その反面、touchによる音の微妙な変化が出せなくなってしまいました。

だから、Chopinが生涯を通じて、single actionのPianoで演奏していたのは有名なのですが、意外と知られていないのは、Beethovenが初めてdouble actionのPianoを試奏した時に、「もし、このPianoのために、作曲をしなければならないのならば、私はもう二度とPianoの曲を作曲しない。」とまで言っている・・という事なのです。

Beethovenの作曲様式は非常に力強いので、Beethovenの音楽は、現代の演奏様式で演奏されるように、勘違いしがちであり、特に弦楽器の奏法としては、Beethovenのaccentやsforzando等をclipで表現する奏法が一般的なのですが、時代考証的には、本来ならば、clip奏法は使用する事は出来ません。
古典派の時代の弓では、こんにちのclip奏法でsfzやaccentを演奏すると、弓が折れてしまうからなのです。

・・とは言っても、私も子供達が演奏するBeethovenのQuartettでは、平気で、clip奏法で演奏させていますがね??
時代的な演奏様式に諂うのは、吝かでは有りませんからね??

勿論、生徒達には「時代考証的には誤りである」と説明した上での話なのですがね~ぇ??

勿論、Beethovenの前の時代、つまり、MozartやHaydonの時代には、double・actionのpianoは未だ存在していません。
forte-pianoの時代なのですからね?
ですから、当然、sfzは、accentではなくて、投げ弓の速いbowでaccentを表現したのですよ。

clipでaccentをするのは、Tourteが彼の新しい弓を世界に広めてからの話しなので、本当はBeethovenの時代迄は、sfzにclip-bowは出て来ないのですよ❢❢
という事で、pianoの曲であったとしても、sfzはaccentの延長線上であって、けして、破壊的な衝撃音ではないのです。
古典派のsfzは、貴族的で上品なsfzであったのですよ。


『ornamentに付いて・・』
現代の日本人のPianoの演奏を聴くと、装飾音を鋭く短く際立たせて演奏する人達が程んどなのです。
Chopin等の装飾音でさえも、鋭く速く弾いている人達が多いのには辟易させられてしまいます。
それには、幾つかの誤った理由があります。(尤も、それを説明するだけで、一大論文になってしまうのですがね??)

OrganやCembaloのような鍵盤楽器は、弦楽器のような微妙な音のnuance・・所謂、articulationを表現する事が出来ませんでした。
そういった弦楽器の微妙な音楽表現を表すために、幾つかの装飾音が作られました。
でも、ここの音の微妙な演奏表現が可能な、forte-pianoが発明されて、装飾音の役割(存在意味)は薄れてしまい、本来の装飾音の意味は失われてしまったのです。

例えば、trillerなのですが、ゲジゲジ・マークのtrillの意味は、拍頭の強拍を表す場合と、弱拍を表す場合があります。
当然、それに拠って、強拍を表すtrillと弱拍を表すtrillでは、trillの速度が異なります。
また、拍の頭にtrillの開始音が来ないように、tieで前の音から響き込ませて弱拍を表現するprall=trillerという演奏表現のtrillerさえもありました。
(Carl Philipp Emanuel BachのVersuch über die wahre Art das Clavier zu spielenに詳しく、このpralltrillerについて書かれています。)

Pianoを学ぶ初心者が必ず学ぶBachのinventionなのですが、その第一番のハ長調の曲ですら、accent(強拍)を表すtrillと弱拍を表すtrillがあり、それを奏き分けなければならないのです。

と言うか、強拍を表す装飾音の方が、弱拍を表すpralltrillerよりも少ないのは意外ですが、残念ながら、Bachのinventionの指導で、そこまで正しく装飾音の奏き分けを指導されている生徒にお目に掛かった事はこんにちまで一度もありません。

その他のtrillでは、音の持続を表す長いtrillがありますが、持続を表すtrillには、crescendoを表すtrillや、更にはdecrescendoを表すtrillさえあります。
更に弾き始めに飾りのturnを持ったtrillや、弾き終わりに飾りを持ったtrillもあります。

trill一つだけを例に取っても、無数のVariationが可能なのです。
その一つ一つが、鍵盤楽器では表現出来無いという微妙なtouchに拠る所の音のnuanceを表現するための装飾音であり、装飾音は情緒的感情的に付けられるものではなく、articulationとして楽典の延長線上で音楽表現上に付けるものであったのですよ。
(その一例として、Hennry PurcellのTrioSonateのChaconne in gを一切の情緒表現無しに、定められたarticulationのみで装飾音を加えたversionを作りました。パソコン音源の例です。https://www.youtube.com/watch?v=8ubstOEzK78、

実際のbaroque・楽器での演奏の例は、https://www.youtube.com/watch?v=7e3qgsWSd0c
になります。)

こういった装飾音の弾き分けの他にも、•••と言うか、Organ奏法では最も基本中の基本である声部の交差すら正しく指導されている生徒にお目に掛かった事はありません。
inventionやSinfoniaは平均律に入るための導入の教材として、正しく指導されないと、Bachの時代の複音楽の様式(polyphony様式)の演奏が全く出来なくなってしまいます。

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1月7日満月です。 ·

今日は1月7日の土曜日で、な、な、な、何と、満月です。
Wolf-moonと言うのだそうな?

兎に角、さえざえとして素晴らしいお月様です。

写真をupしたい所なのですが、携帯で写真を撮ると、ボケてしまって、これまで一度も上手く撮れた事がないので、写真はどなたかがuploadしてくださるのを待つ事にします。

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1月9日『Haydnの「ひばり」の修正箇所についてのhomepageへのお話』


今は1月9日の月曜日の朝の8時20分を過ぎた所です。
つまり、1月8日の日曜日の今年始めてのオケ・室内楽の練習があって、その次の日のお話・・なのです。
本当は、今日は月曜日の成人の日で教室は連休なのですが、昨年の冬休み中のオケ練習がコロナで出来なくなってしまったので、その振り替えのオケ練習の為に、今日も先生達は千葉行きで、オケ練習なのですが、私は昨日の日曜日にオケ練習にお出掛けしたので、今日はお休みです。

昨日、私が出した練習の課題を、個人的にも自宅で一人ででも出来るようにするのが、今日の練習のconceptになるので、一人一人の個人がちゃんと自宅で、練習が出来るか?・・という事が、今日の練習の課題・・と言うか、pointになるので、私がわざわざ千葉に行って指導する意味はないからです。
まあ、後期高齢者で基礎疾患が全てに当て嵌まるので、病気になると大変なので、家で安静にしているように・・という事なのです。

流石に昨日は久し振りの千葉行きで、超バテたので、今は、眠りながらの平行作業で、昨晩から、昨日のオケ練習の風景のVideoをdiskに保存したり、You Tubeに限定で公開したり・・・の作業をしているのですが、これまた何時ものroutineで、toiletから帰って来たら、鼻詰まりが酷くなってしまったので、諦めてBedから出て、パソコンの椅子で首を温めている所なのです。

昨日、日曜日のオケ室内楽の練習の時に、Haydnの「ひばり」のⅠ楽章の楽譜の不具合での、parallelの問題箇所が訂正されていないだけではなく、先生達がこの曲を何度となく演奏したり、生徒への指導をして来たのにも関わらず、何度となく、その都度に、訂正をして演奏して来たのにも関わらず、その問題自体を覚えていなかったので、チョッとイラッとしてしまい、危うく怒鳴り出す寸前でした。
マジに、毎回、大元の出版されたscoreからの楽譜に戻ってしまって、私の訂正譜を使ってくれないからです。

まあ、人間は忘れる動物です。人間の記憶の容量から、人生の重要で必要な情報だけを取り出す為に、あまり、重要で無い情報は忘れるように、programmingされています。
勿論、Haydnの音符の訂正が、人生に取って、それだけ重要であるか、否かを云々するつもりはありません。
それは整理整頓で、必要な時に必要な情報を取り出せるように、楽譜を仕舞って置けば良いだけなのですからね??
まあ、その保存の仕方が下手なのだろうかね??

オケ練習では、最初は市販の楽譜で練習を始めるのですが、練習の過程で細かい譜面上の誤りを見つけて、訂正する事がよくあります。
半年間の練習では結構、塵も積もれば山となってしまうので、半年間の整理整頓で、常に最終稿が次の生徒達の貰う曲としての楽譜になるように、楽譜の保存をきちんとしておかなければなりません。

発表会が終わったら、使用した楽譜をただしまうのではなくて、練習の時に指摘された訂正箇所を次の生徒達に正しく伝達出来るように整理整頓する事が必要なのです。
つまり、それが出来ない事が、毎回のオケ練習のtroubleの原因なのです。
オケ練習が終わると、練習の間に訂正した箇所が溜まって行って、それが次回の楽譜渡しの楽譜にならなければならないのだけど、その訂正譜を纏める段階で、散失してしまうのですよね。

その理由は、半年間というintervalの所為ではなく、オケの曲や室内楽の曲・・・等と、半年間のintervalであっても、その曲数は1曲だけではなく、色々な課題曲を含めて、結構膨大な曲数になるからなのです。

つまり、同時に色々な曲の、色々な箇所の留意事項を整理整頓しなければなりません。
そこでキチンと曲別に指導された事を纏める事が出来るか否かの、平行作業がちゃんと、出来るか否かが、オケ練習や室内楽のlessonの課題を活かして保存出来るかの問題になって来るのです。

このFacebookも日記代わりに、毎日書いているので、1年も経つと結構膨大な量になります。

Facebookが作られる前には、教室関係のお話は「芦塚音楽研究所」のhomepageに書いて、私の音楽論文等は「芦塚先生のお部屋」という個人的なhomepageに書いていました。

また、鬱や病気等の泣き言は「芦塚陽二の闘病記」という個人的なhomepageに書いていました。
しかし、その都度、それぞれのhomepageを立ち上げて書くのは、結構、面倒くさいので、Facebookが日本に入って来てからは、毎日のTagebuchとしてFacebookに雑多な文章を徒然なるままに、書く事にしました。

しかし、私の場合には、その日記帳が論文の反故の資料になります。
書き散らしたmemo書きを何度となく推敲して、ちゃんとした論文に持って行くのです。
だから、Facebookのままでは、必要な時に、パッと探して、書き加えて行く事が出来ません。
だから、検索がし易いように、homepageにtransposeしてindexを付けて寝かせて起きます。
そうすると、必要な時に、読み返して、材料にする事が出来るからです。

homepageにお引越しさせる作業は、年に何回か、暇な時に根性でやります。
単純な作業なのですが、超、面倒くさい作業なのですよ。
昨晩はオケ練習自体は早く終わったのですが、その後で、ウダウダとしてしまったので、ついつい帰りが遅くなって、ハイツの自宅に辿り着いたのは、午前様になってしまったので、videoをパソコンに取り込む所までで、終わりにして、寝てしまったのですが、午前中も、その延長で、ウダウダとしてしまったので、お昼から遅い朝食を食べながら、昨日の、Haydnの「ひばり」のhomepageでの訂正箇所の文章を探しました。

「芦塚先生のお部屋」のindexのPageで、Haydnの「ひばり」のPageを、見つけたのだけど、なんと、linkが外れていて、開かない状態だったので、慌てて、linkを復活させました。
詳しいAnalyseは、ぶっ飛んだままだったので、どういう論文のPageだったのかは、推し量る事は出来ない状態でした。
「ひばり」のPageにはindexが書かれていなかったのでね??



(homepagebuilderを使い始めた頃はPageの中にindexを付ける技術が無くて、最初の時代のPageの中にはindexが入っていません。
また、Ⅰ楽章、2楽章・・と、書くのが精一杯だったのでね??)
finaleに残っているHaydnの「ひばり」の訂正譜は148小節目の箇所だけしか残っていませんでした。

問題の144小節目からのpassageと同じpassageは、1回目は15小節目と、2回目の111小節目にも同じmelodieのpassageが出て来ますが、その両方の小節も和声学的には問題はありません。
しかし、repriseである144小節目と146小節目の2拍目の2nd.とviolaのpartが3音の音が単音に重なって、148小節目では1拍目から4拍目まで拍頭の音が単音に重なって、和声的に音痩せを引き起こしています。
flying-staccatoで、D線とA線上で弾きたければ、D線上のAとA線上の開放弦のAを使えば、同じ音型で演奏出来ます。 写真参照:

勿論、2nd.を楽譜を活かして、148小節目のviolaの方を3度下げて演奏する方法もあるのですが、大元が間違っているので、どちらの回答が正しいという事はありません。
問題箇所は、この3箇所だけなのですが、実にamateur的なmissなのですが、演奏上では訂正をして演奏している演奏家達も多いのですが、室内楽の楽譜上で訂正をされた事はありません。
今更、「ひばり・全楽章のkritikを思い出せ❢」と言われても、そりゃあ、聴こえませぬ、伝兵衛様❢ だな・・ゃ??

月曜日は、一日中、通常のガス暖房で凌いでいたのですが、夕方の5時を過ぎた辺りから、部屋の中の温度が突然、下がり始めました。
調べて見ると、練馬区の気温は11℃と二桁はあるようなのですが、部屋の温度とは関係ないようで、体感的にはとても寒いので、部屋が温まるまでは、また、ガスとエアコンとのDoubleで部屋を温める事にします。
いやあ、電気代とガス代が心配だよな~ぁ??
倍になるのは、ガス代だけではないので、ガス代電気代が1月分もdoubleで倍になってしまうと、収入が全くない私にとっては、生きて行けなくなってしまうよな〜ぁ?
それは、堪らないよな~ぁ??

今のご時世は、老人には、結構、世知辛い世の中だよな〜ぁ?
働けなくなったら、お荷物にならないように、サッサと死んでくれ❢ •••と言わんばかりに、医療費の自己負担を増やしたり、介護保険を老人が自分自身で負担する等、更には、車の免許も取り上げて、病院に行く事すらままならない老人がどんどん増えて行くのだよな?

ピント外れの子育て支援で、子供が増える分けは無いのに、見当外れの通り一遍の事しかやろうとしない政治なのだよな〜ぁ?
これも世の中が見えていない事による政治の貧困なのだよな〜ぁ??
子供達を増やす事なんかは、お金を掛けなくても、幾らでも簡単に出来るのにね〜ぇ??
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1月10日今日の夢と歌の男性との待ち合わせ·

1月10日の火曜日です。
朝、いつものように早い時間に起きたのだけど、体調があまりよく無かったので、チョットだけ仕事をして、寝直したら、なんと、起きる予定の時間を寝過ごしてしまいました。
今日は、proのLied歌手の人から「お話を聴きたい」とのofferがあったのだけど、今日の火曜日は、お茶のserviceをしてくれる人がいないので、江古田の自宅ではなくて、私がいつも、接客に使っている駅傍の喫茶店での待ち合わせをする予定だったのだけど、目が覚めたら、・・待ち合わせの時間に間に合うか、どうかの・・ギリギリの時間になっていました。
いつものようにtimerは掛けて寝ていたのですが、普段ならば、お出掛けの準備をする時間にaramを掛けるのなのだけど、なんと、今回のaramは出発時間を知らせるaramであって、起きる時間のaramではなかったのだよ。
お昼過ぎからの待ち合わせなので、既に起きて仕事をしているハズなので、起きる時間のaramは必要は無い・・と思っていたのだよな??
油断であった。

それに、午前中に眠り直してからは、眠りが浅く、実に変な夢を延々と見ていた。
夢の中の話しなのだが、同窓会に弟子を連れて、広大な森林の険しい山の上に聳え立つ大学のHallの宴会場に行くのだが、(先ずはそこが変だよね??)そこでは大学祭が崔なわれていて、色々な催しが出展されていたのだよ。
Tableで、同窓生の女の子達とお喋りをしようとするのだが、冷たく無視されて、同窓生と話しをするのを諦めて、弟子に「一緒に学祭の催しを見に行こう?」と誘うのだが、弟子にも無視をされてしまう。
仕方なく、独りで、会場を回るのだが、いつの間にか迷ってしまって会場の外に出て、森林の中に独りでいるのだよ。
会場に戻ろうとするのだが、入り口が見つからなくて、トロッコのような工事用の列車に乗って、工事中のtunnelの入り口から会場に入るのだが、大学の音楽教室の子供達が数百人も束になって、会場から出ようとしているのに遭遇してしまったのだよ。
つまり、いつまで経っても、元の会場に戻れないのだよな??
諦めて、起き出して出掛ける準備を開始したのだが、そこも変だよね??
・・何処からが、現実の世界になるのかな??
独居老人の孤独感が滲み出ているなかなかの秀作の夢であったぞな?

なんとか頑張って、準備をして、予定の時間の5分前には、待ち合わせの喫茶店に着いたのだが、歌の人は、もう既に席を取って待っていてくれた。
歌は音楽の中では、1番根源的な表現方法であり、西洋音楽や日本音楽よりも根源的な位置にある。
私がMünchenに留学していた時に、日本からaltoの歌い手の人が大学に留学して来て、直ぐにKarl Richterに見いだされて、altoのcantataのCDを出したり演奏活動をしていた。
彼女の歌を聴いて「初めて日本にも世界に通じるalto歌手が誕生した」と諸手を挙げて喜んだものである。
私が留学から帰国して、結構直ぐに彼女も日本に帰って来て、それから1年目ぐらいに彼女の歌を聴く機会があったのだが、超、驚いた事に、全くの日本の発声法に戻っていたのだよ。
Karl Richterのorchestraで歌っていた頃の面影は全くなかったのだよな??

つまり、日本でのEuropaの音楽は、日本での発声法でしか歌われる事は無いのだよ。
つまり、日本の音楽界では、歌の発声法は一つしかないのだが、歌は本当はgenreが極めて狭いので、極めて多くの異なった発声法があるのだ。

私が音楽大学の学生時代からapproachをして、研究していたcantataの発声法と、Deutsch・Liedの発声法と、所謂、Schubert等の歌曲の発声法は全く異なるし、同じOperaでも、ItaliaのBel Cantoの発声法と、ドイツのMozartやBeethovenの発声法は根本的に発声法が全く違う。
その発声法の違いをproの歌の人に説明する事は極めて、おこがましい事なのは、良く分かっているのだけど、日本の音楽界の現状は、また別の話しなのだよ??

歌の事については全くの素人の私が、それを承知の上で、proの人を相手に、2時間程、Schubertの歌曲と、SchumannのLiedの違いを、得々と話してしまったのだが、私のお話が、少しでも楽しんで貰えたのならば、取り敢えずは良し・・としよう。

2時間殆ど珈琲館でお話しをして、チョッと100均に寄り道をして、それからハイツに戻ったのだが、5時を過ぎた頃には、辺りはもう真っ暗になってしまったのだよ。
明日は朝早くから新しい病院で受診の手続きをする。
それから入院と手術の予定を取るので、それまでは私の予定は取る事が出来ない。

これまで既に取っていた予定は、全て、double-bookingになるので、予約の変更をしなければならないのだ。
先ずは、多分歯医者の予約からの変更だよな??
部屋でGas・stoveだけで、凌いでいるのだが、やはり、5時を過ぎた辺りから、急激に部屋の温度が冷えて行くようだ。
Gas・stoveを強くするか、平行でエアコンの暖房をつけるか・・なのだが、どちらが安いのかな??・・・分からん❢❢

今日は先生の椎名町の帰りは遅いので、コンビニのお弁当を江古田で食べるので、椎名町へのbikeでの移動はありません。
早く寝て、明日の病院に備えなければ・・・

・・・と思ったのだが、夜の8時を過ぎて、明日の食事は、兎も角としても、今日の夜食がない事に気がついた•••と言うか、実際には夜食分の食料が無い事は、知っていたのだが、その為に買い物に出掛けるのが億劫で、放っていたのだよ。
「お腹が空いたら、出掛ける気になるのかな??」•••という事でね??
面倒くさいのと、空腹のどちらが勝つかの話しだよな??
明日の朝は超早く出掛けなければならないので、今夜の眠る時間に拠って、rotationが狂ってしまうのでね??

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1月10日『mezza voceとmessa di voce』 ·

よく似て非なるものの典型がこの二つのItalia語だ。
mezza voceは、「半分の音量で・・」と言う意味なので音量を下げると言う意味で、特に語る事は無いのだが、問題はmessa di voceなのだ。

こんにち、私達が理解しているのは「単音の膨らまし」か、crescendoの意味なのであろうが、本来は、baroque時代の発声法に根ざしている言葉である。
典型的な例が、HändelのOmbra mai fuのAriaの冒頭のmessa di voceである。
https://www.youtube.com/watch?v=q5v1PuhZ2zY

messa di voceの発声法は、Spaghettiのal denteの所謂、芯となる音を鼻腔のpointに当てて、そこから頭骨全体を響かせる所謂、頭声の発声法である。
baroque時代の発声法では、senza vibratoの純正の響きが重要視されるので、音が雑になる胸声は未だ基本的には使わない。

若し、使うとしてもそれは非常にselten(稀)な事で、純粋の音よりも、音量を要求される舞台の劇的な一場面のclimaxの時にone pointで、使用する事がある。

頭声の模範的な例をYou Tubeで見つけた。
女性歌手の素晴らしい頭声の発声法の例である。
所謂、baroqueの発声法である。
https://www.youtube.com/watch?v=g21hYxQvgMs
次は男性(?)の歌声を
https://www.youtube.com/watch?v=roJSYFu3pYk
同じCacciniのAmarilli, mia bellaであるが、これはcountertenorである。

次は、チョッとshockingな場面のある映像なのだが、Händelの Lascia ch'io pianga 「なかせたまえや」なのだが、https://www.youtube.com/watch?v=TqdFoRjL1Bk
当時のcastratoの超有名歌手の生涯を描いた映画である。

勿論、現代にはcastratoは存在しない。

・・という事なので、基本的には、countertenorがcastratoの代唱をしている。
史実として残されているのは、戦前の最後のcastratoと言われる人の歌なのだが、歳を取ってからの録音なので、聴くに堪えれなかったので、参考にはならないので、linkは張らないで、ボツにしてしまった。

現代には、castratoの声は現存しないので、countertenorと女性の声のcomputer合成で作られたcastratoの声である。

しかし、実際に歌っている事には変わらないので、makingの映像を見ても、音声はそれなりに素晴らしい物がある。

日本の歌のlevelと世界のlevelではやはり、水準が掛け離れているのだが、ただ単に日本人の音楽意識がEuropaの音楽に対して遅れているのではなくて、それは日本人の持つ歌(声)への感性の違いに根ざす所が大きいのだ。
民族性と言っても良い。

これは西洋の音楽を目指す人達に取っては、致命的なものである。
音楽事始めから100年以上も経っても、日本の西洋音楽への意識levelは全く変わらない。
しかし、私は、これから更に100年経っても、否、1000年経っても、日本人の西洋音楽は日本独持の西洋音楽で有り続けると思うのだよ。
所詮、日本人は左脳国民なのだからね??

その中で、西洋音楽・・云々を、取り沙汰したとしても、ね~ぇ??

変わらない物は、何も変わらないのだよ❢❢❢

哀号❢❢ You・go❢❢ 10銭go❢❢  Suwa-Temple、10銭go❢❢❢なのだよな?? (長崎の人力車の車夫達が使った車夫英語なのですよ。これで通じたらしいのだ❢❢)

歌の指揮、特にrecitativoの指揮は拍があって、無いようなものなので、指揮をするtimingが非常に難しいのです。

勿論、私はPiano伴奏での経験が結構あるので、問題はないのですが、珠加ちゃん達の場合にはcontinuoのCelloの経験は初めてなので、拍の無いrhythmに指揮だけを見て合わせるのは、とても大変なようでした。
それにオケとしても、純性の和音が未だ上手く取れていません。
KontrabassとCelloのunisonもなかなか合わないままでした。

と言う事で曲としては未完成なのですが、初めての歌の伴奏では致し方はありません。
まあ、よく頑張った方だとは思います。
演奏は17年11月19日花見川区花園自治会館での「深まる秋のコンサート」の公開演奏の中の1曲です。
歌は細川千賀子さんです。
八千代のKoncertのProbeとしての演奏なのですが、八千代ではDouble・castで、生徒さんの葛巻しおんさんが歌っています。
曲はHändelのLascia ch'io pianga「なかせたまえや」です。
https://www.youtube.com/watch?v=AYPKAdF77M0
17年11月19日 芦塚音楽千葉教室深まる秋のコンサートよりHändel「泣かせ給えや」


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1月11日順天堂病院への初受診 ·

いやあ、1月11日の水曜日の深夜の1時51分である。

明日は例外的に超早く、朝の8時には、ハイツを出発しなければならないのだが、当然、その為には、早く眠らなければならないのだが、全く眠れなくなってしまった。

肝細で、眠れないのか・・とも思ったのだが、別に新しい病院に行く事の恐怖で悩んでいる分けでもないし、新しい先生に会う事がpressureで、眠れない••という理由でもない。

一番の悩みと言えば、「朝起きれるか??」という心配だけである。

つまり、眠れない事がpressureになっているのだ。

今は、朝の6時を過ぎた所であるのだが、「眠れない」と悩んでいる夢を見ていた。
超絶にややこしいのだが、まどろみとはそのような物なのだからね〜ぇ?

toiletに行きたくなって、目が覚めた所なのだが、確かにそれまでは眠っていたのだよな〜ぁ?
・・多分??

眠れたのか?眠れなかったのか?分からないという所なのだが、まあ、午前中には、病院も終わるだろうから、眠たかったら、それから改めて眠れば良いのだよな??
何も無理をして今眠る必要はないのだよ。

・・という事で、Bedから起き出す事にした。

起床時間は、予定よりも30分も早いのだが、鼻水と鼻詰まりが始まったから、これ以上Bedに居ても無意味だからでもあるからなのである。

・・という事で、6時過ぎに起き出して、予定よりも早めに出掛けて、病院には8時半には到着して、手続きを開始した。

初めての診察の前に、急遽、膀胱鏡検査が入ったりして、広い3号館地階から1号館2階と何度も往復したりして、一通りの診察が終わって、会計が終わったのは10時であった。
私的には、超、long-runだと思ったのだけど、実際に掛かった時間は、1時間半なのだよな??
大病院としては結構、早い方かな??

私の予定としては、一週間後に検査で、2月中には入院と手術と思っていたのだけど、この病院も立て込んでいて、1月の下旬に検査で、2月に診察で、手術は最速でも3月の中旬になるそうで、一番早い手術の空いている日に放り込んでいたよ。
それでも、3月の中旬という事なのだよな??
どこもかしこも、病院は、今は目一杯らしいのだよな??

まあ、会計は超、ごった返していて、会計の手続きをして、自動支払機で、払い終えるまでに、30分も掛かったのだよ。

まあ、なんとか支払いが終わって、流石に超バテて、歩けなくなったので、病院内の喫茶店で紅茶を飲んで暫し、休憩をして帰ったのだが、行きは元気に颯爽と歩いたのに、帰りは疲れ果てて、penginのように、よちよち歩きになってしまった。

青息吐息で、ヨタヨタと駅までが遠い事・・、往きは3分か5分ぐらいしか掛からなかったのに、電車に乗る前に、もう一度喫茶店で休もうかな??・・って、思った程であったぞよ。

まあ、なんとか頑張って電車に乗って、ハイツに辿り着いたのは、12時丁度であった。

初めての診察だったので、病院の感想や先生の感想を聴かれたのだが、印象というのは、特に無い。

いきなり膀胱鏡検査で顔を突き合わせて、診察の時には、周知の間柄みたいに話をしていたのだが、川崎からの紹介状にはdata的な事が書かれていないようで、病歴に付いて、結構詳しく聴かれたのだけど、いつもの事ながら、私はそんなの覚えていないよな??

先生の年齢は川崎の先生とあまり変わらないようだったのだが、光が丘病院の時も川崎の病院でも、膀胱鏡検査の時には、monitorを見ながら病状を説明してくれたのだが、今回はmonitorが全く見えない位置にあって、診察の時にも、患部の写真を撮っていたのだが、それも見せてはくれなくて、ただ結論だけ、「やはり、手術は必要ですよね?」との宣告だけであった。

それに、川崎や光が丘病院では、膀胱鏡検査の後では、尿道等を傷つけているので、抗生剤を3日分処方されていたのだが、今回の病院では、抗生剤の処方は全く無かった。

そこらはやっぱり、大学病院の上から目線の対応で、民間の病院とは根本的に違うよな??

それに、検査の度に、一号館の二階から三号館の地階まで、歩いて移動しなければならないので、すっかりと歩き疲れてしまったよ。

2階の渡り廊下は、大きな道路上にあるので、その道路を通り過ぎるまでの距離が結構あるのだよな??

もう一つは、光が丘病院でも、川崎でも病院で受け付けで、本人確認の数字を渡されて、それが各科での本人確認になって、本人にもその数字を控えた紙を貰うのだが、新しい病院では、本人確認の控えの紙はなくて、それに、数字と記号の二つで呼ばれる事があって、何処にその記号が書いてあるのかが、分からなくて困ってしまった。

A03とか言われても誰の事か分からんよな??

それまでは私は129番だったハズなのだが・・??

初めての事で、慣れない事ばかりだったのだが、大分経ってから、昔の事を思い出したよ。
それからは少し動けるようになって来たのだけど・・ね??

今日の午前中の病院行脚が終わって、なんとかハイツに辿り着いてからは、椅子に座ったまま、何も出来ないで呆然としている❢❢
それに、放心状態で、延々とimuseの水をがぶ飲みしているのだ。
今日は多分、何の仕事も出来ないだろうナ??

・・椅子に座ったままで、半分、意識が・・てな事を書いていたら、いつの間にか、椅子に座ったままで、意識混濁状態•••(なんて、overだよな?)要するに椅子に座って眠ってしまっていたのだよ?
それまでは、なんとか頑張って後片付けをしなければ・・・と、ユンケルでも飲んで復活しようとユンケルを出した所迄は良いのだが、そのまま飲まないままに気が付くと、眠っていたのだよ。

でも、椅子に座ったままで、2時間程、仮眠が出来て、やっと少し動けるようになったのかな?
これでbedに入って眠れるかも知れない。

・・と思って、お茶を飲んで一休み・・と思ったら、お茶が無くなってしまっていた。
2㍑の魔法瓶を買ったのは良いけれど、紅茶の紙パックを入れてお茶を作るのには、Kettleで3回もお湯を沸かさないといけないのだ。(クマのプーさんでは、1回分のKettleの分しか入らないので、1日に何度も、紅茶を作らないといけないので、2㍑の魔法瓶を買ったのだよ。)

1回作っておくと、なんとか1日は持つので、普段は助かっているのだがね??

またまた、頑張って、Kettleでお湯を作りながら、お茶を作って・・と、またまた、無駄に時間が・・悪戯に過ぎてしまった。
今日は一日、このpatternダナや??

寝よう❢寝よう❢❢と思っても、片付けられない雑用が、ホイ、ホイと、出て来るのだよ。

そうこうしている間に、斉藤先生からの要町の駅に到着のmailが入って来た。
要町からは、結構遠いので、チャリンコでドルだけがお迎えに行って、ドルを斉藤先生に渡して、斉藤先生の荷物を持って椎名町に帰って来て、プリがトボトボと斉藤先生とドルのお迎えに行く「お迎えっ歩」というpatternである。

普段ならば、そのプリのトボトボお迎えに私も同行するのだが、今日は流石に、お迎えっ歩は無理なので、食事だけに行く事にして、椎名町への移動の準備を開始した。
結局の所、何度かbedで眠ろうと試みたのだけど、その都度、雑用が入って来て、結局の所、眠る事は出来なかったのだよな??

cinderella-timeの前にハイツに戻って来たのだけど、そのまま眠る気にもなれず、ゆっくりと遅い風呂に入ったりしたのだが、テレビを見る気にも、音楽を聴く気にもなれず、ましてや、酒に逃げる事もなく、ただ、ぼんやりしていたのだよ。
これは常に、何かをしていないと気が済まない私としては、超、珍しい・・状態なのだ。



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1月12日『芦塚methodeのお話』 ·

日本の大学の先生達の論文を読むと、簡単な事を殊更難しく書いてある事が多い。

先生達に指導を仰ぐと、結構、難しい事を要求されて、習得するのに辛い、長い年月を必要として、習得出来れば良いのだが、2年、3年と努力しても、何一つ得れないままに終わってしまう事すらある。
まあ、それだけ難しい事を教えて貰う分けなので先生の尊厳は嫌もおうもなく高まるのだ。

今現在は、もう私は個人lessonをしていないので、このお話は、結構、昔昔のお話になるのだが、私は原則として、他の先生の下見はしないのだけど、某国立の音楽大学の教授に幼少の頃からPianoを習っている生徒(楽典や聴音等、主科以外の科目を全て教えていた生徒なのだが・・・)から泣きつかれて、「半年間以上もlessonを見て貰っているのに、合格しないので、心が折れそうになっているので、聴いてくれ」、と泣きの涙で、頼まれて、已む無く、「one-point-lessonで良ければ•••」と、聴いてやった事がある。
one point-lessonとは、1回だけ生徒の演奏を聴いて、一つ、二つのadviceをする事を言うのだ。

という事で、一度、生徒の演奏を聴いて、何処を注意されたのか・・という話を聴いてから、彼女の師事している教授の言わんとする事の意味を説明したら、次のlessonでは教授から一言のclaimもなく、合格したとの報告があった。とても、喜んでいたのだよ。

proを目指していた男性の弟子なのだが、proになる為に、非常に多くの著名な教授達に師事した経験から、その先生の演奏が、その先生の意図にあっている生徒の場合は非常にluckyな生徒であって、通常、多くの生徒達は、先生の演奏から先生の意図する内容を察知出来なければならない。
更に、不幸な例としては、その先生が演奏した通りに、或いは指示されたままに、先生の言われた事を忠実に守って練習をして行くと、烈火の如く、怒り出す事が多いのだそうな??

つまり、その先生の演奏や説明と、その先生自身が理想とする演奏内容が一致していないのだよ。
つまり、その先生が頭の中で聴いている音楽と、実際の音が違っていると言う事なのだ。
所謂、左脳型の先生で、ノイズ(和音の濁り)を聴き取れない日本型の先生なのだよ。
勿論、その当時は、cassette tapeのような、簡単に録音出来る機械は未だ出来ていなくて、Open Reelが唯一の録音媒体であった。
当然、analogのPianoの先生達には手に負える代物では無かったので、自分の演奏を客観的に聴く事は無かっただろうし、また、機械を通した音に対しては、絶対的な不信感を持っていたのだよ。

こういった客観性の無い先生に師事すると、その生徒は、どのように努力をしても、将来は無いのだが、日本の音楽大学では入学時には、先生を選べない(・・それどころか、先生自身でさえも、生徒を選べないのだよ。)Europaのように、どの先生に師事するかが決まってから、その先生の指導されている大学のclassを受験する場合とはエラい違いなのだよな??

それでは、憧れの音楽大学に合格して入学する事が、大学受験迄の全ての努力を無駄にしてしまう瞬間になってしまうのだよ。

同様な事は、教室を作って間もない頃に、proのpianistが、Home-concertoで演奏をするので・・、と、招待されて、已む無く出掛けたのだが、当時、超有名な先生の門下生の小学生の男の子が、前座で弾いていたのを聴かされて、その子供が3度の移動の時に、positionをslideさせる音が入るのを注意されて、半年間以上も指からそれこそ、血を流しながらでも練習しているのに出来ないので、一度、聴いて欲しい••と頼まれてしまったのだよ。

千葉に教室を作ったばかりの頃で、生徒が、結構、2年待ち、3年待ちの頃の話しで、当時は結構有名な教室だったので、私からの、生徒を見て、何らかのadviceが欲しい•••と言う事が、私を招待した理由だったのだよな??

まあ、頼まれて、仕方がないので聴いてやって、原因はその大学教授が肩当てを生徒達に使わせない事が、position移動の時にnoiseが入る原因なので、violinを手で持って弾く事に原因があると注意して、position移動の箇所を弾かせたら、一瞬で直ってしまって、親も子供も口をあんぐりと開けて、この半年間以上努力はなんだったのだろう、と驚いていたのだよ。

その教授は、当時は日本で一番有名な先生だったのだけど、次の日には、他の当時は未だ若手の有名な先生に変わったそうな?

今ではその小学生の男の子は、誰もが知っている有名人になって、日本の音楽界を牛耳っているのだが、その生徒の小学生の頃の話しなのだよ?

どうして、一瞬で見抜いた私に変わって来なかったのか??って・・?? 

それは私が、巷の音楽教室の先生だったからで、proを目指すには、それなりに有名な先生につかないとね~ぇ??・・と言うのが、一般の常識だろう??
そういった話をしだすと、限りが無いのだよ❢❢
限りが・・ね??

まあ、それはそれとして、生徒達が勉学途中で挫折しないで、本当の意味で上達するためには、基礎力という得体の知れない能力が必要となる。
大学ではそのために、楽曲分析(所謂、Analyse)や、音楽形式学、和声学、音楽史、solfege等々、無数の教科を学ぶのだが、実際にはそれを自分の曲の練習に、どのように活かせば良いのか??・・を学ぶ事は無い。

また、現代ではnotationをパソコンのfinaleで入力するのが一般的なので、大学でもfinaleの授業が取り入れられているようなのだが、授業でfinaleを学んだとしても、それを自分の勉強に活かす程の力が付く事は無いのだよ。
あくまでも、「finaleとはどういう物か??」という導入程度のapproachに過ぎないのだよ。
小、中学校で学ぶwordやExcel のようなものだ。

popularの人達は演奏上、Keyboardを使用する事が多いので、演奏の時に、パソコンを使用する事がよくあるので、finaleを使用する事には、然程難しい感覚はないのだけど、Classicの人達は、今でも、実にanalogの人種なのだ。

パソコンさえ保たない(スマホだけで済ませている)人達が結構、居る程なのだから・・ね??

そういった音楽の勉強に必要な、多数の教科のcurriculumを、教室ではオケ練習とか室内楽の練習の時に普通に学んでいる・・と言うと、世間一般では、塾のcurriculumのように、英国数の教科としてのように学ぶ事を連想して、「それは大変だ❢❢」と言う事になってしまう。
Conservatoireのように、毎週、それぞれの教科を学ぶために、学校に通う事を連想するのかな??

今の学校教育で学んだ人達は、職人の世界の学び方を知らない。
料理教室でも、DYIでも、教科書があって、手習いの教室のように、教室で学ぶものだと理解している。
だから、教科書が無い・・と言ったら、驚いて、思考が停止してしまうのだよ。
音楽教育等も本来ならば、現実の社会で、仕事として学ぶ・・職人の世界の学びなのだよ。

WagnerのDie Meistersinger von Nürnbergや、SchubertのWinterreiseは、その職人としての学びの為の修行の旅を描いているのだよ。

料理のproを目指す職人さんが、料理教室で学ぶ分けはないのは、一般的にも理解はされるようだが、不思議な事に音楽だけは、学校で学ぶものとされているのだよな??
お花やお茶の教室のように、お稽古事の家元制度と勘違いをしているのだよね??
だから、日本の音楽は、音楽事始めから100年を経ても、未だ世界の音楽の水準に追いつけないのだよな??
教科という枠を離れて、学ぼうとすると、例え、和声学を学んでいなくても、Vivaldiの通奏低音での5度圏(quint-Zyklus)と言う言葉は、理解出来るのだよ。
和声のSequenz進行等も小学生の低学年の生徒達でも、当然の如く知っていて、反応出来るのだよな??
その中で音に対する感性を育てれば、音を聴いただけで、parallel-quintや、3度の音の重複は聴き取れてしまうのだよ。
HaydnのStreich-Quartettの「ひばり」のⅠ楽章に出て来る音の重複のmissも、耳が育てば、「変だよな??」と聴き取る事が出来るのだよ。

また、出版されているorchestraや室内楽の譜面には、予め、練習番号が付けられているのだが、それが、実際の練習に役に立った事はないのだよ。
その練習番号は校訂者がどの楽器の演奏家かで、練習番号の位置が決まるのだ。
校訂者がViolin奏者だとすると、Violinに都合が良いように、練習番号を付けてしまう。
だからCelloの人やPianoの人達に取っては、頗る面倒くさいのだよ。
情緒的、感情的にその人個人個人で練習番号を付けるので、一貫性が無いので、オケや室内楽を組む場合には、各partの人達が自分の練習番号を主張するので、練習番号を付ける事は至難の業になってしまう。
折角、練習番号を付けても、他の楽器の人達からclaimが付いてしまうからなのだ。

私のmethodeでは、orchestraの子供達に宿題として、orchestraの練習番号付けを出す。
一週間後の、次の練習日には、全員で回答合わせをするのだよ。

つまり、全員が同じ練習番号を付けて来るのだよ。
それは、Vivaldi等のritornelloの単純な簡単な音楽形式だから・・という分けではなくて、Beethovenのstring-Quartettのような複雑な音楽形式の曲の場合でも同じなのだよ。
曲の分析(所謂、音楽形式学の法則)に従って、練習番号を付けるからなのだ。

曲の分析・・、所謂、音楽形式学という鹿爪らしい如何にも難しそうな学問なのだが、原理原則を学べば、小学生の低学年でも、分析出来るのだよ。
直感的な理解で充分なのだよ。
最初のStageⅠは、完全終止の箇所を探せば良いだけなのだからね??

それからStageⅡは当然、半終止や偽終止の箇所を探せば良いのだよ。意図も簡単だろう??

音楽家の憧れであり、天からのGiftとされる絶対音感に付いても然りである。
一般的には音大を受験する生徒達は、弦楽器の生徒であっても、Pianoの音にpitchを合わせてscaleの練習をする。
それでは、音感は育たないのだよ。
何故・・??

だって、ハ長調のファの音とニ短調のファの音は違うのだよ。
同じハ長調のシの音も、上行形の導音のシの音と、下行形のシの音はpitchが全く違うのだ。
また、octaveのpitchなのだが、一般的には440cycleのoctave上の音は880cycleと思っている人達が多いのだが、調律師の感覚では決して同じ音ではないのだよ。
私がhomepageに書いているように、octaveは2octave、3octaveと段々広くなっていくのだよ。
それを私は蚊取り線香に見立てて、開かれたoctaveと呼んでいる。
つまり、円になる(octave上のpitchが880cycleになる・・)octaveを閉じたoctaveと呼んでいるのだよ。
Cembaloのtuningの時には、基本となるoctaveをtuningして、それから少しづつoctaveを広げて行くのだよ。
まあ、正確なものではなくて、その日の気分なのだけどね??

普段のlessonや、オケ練習、或いは室内楽のlessonで、純性に3度をハモらせて演奏したり、導音のpitchを毎回注意されていると、いつの間にか、普通に絶対音感が付いてしまうのだよ。

lessonとして、オケ練習の間に、音楽の基本的なpitchの取り方を学ぶので、いつの間にか、気が付くと、全員が絶対音感の持ち主になって、音楽の楽典的な基礎知識も身に付くのだが、教科として学ぶ分けではないので、生徒達には、そういった音楽の基本を学んだという意識が無い。

オケに参加する生徒達全員が絶対音感を持っていても、それすらも不思議ではないのだよ。
だから、教室の先生も尊厳を持って見られる事は無い。
普通の音楽教室で普通に楽しく遊びながら指導されているのに、過ぎないからである。

次には、色々な楽器を演奏出来るという話なのだが、何故、Pianoの生徒がKontrabassやCelloやViolinを全く練習もしなくても、弾けるようになるのかは、教室の生徒達は誰も不思議に思わない。
何故ならば、全員、色々な楽器を演奏出来るからなのだ。

一般には、厳しく指導されて、辛い練習を死物狂いでやって、やっと得る事が出来た技術ノミが、価値がある事とされるのだよ。

辛く厳しく指導してくれた先生に対しては、生徒は何時までも尊敬の念で感謝しているのだけど、楽しく、遊びながら、指導されて、そこで音楽が好きになったハズなのだけど、その先生については、誰からも感謝される事は無いし、尊敬される事も無い。
何故ならば、それは普通に身に付いた事だからなのだよ。
普通に指導されて、練習をしなくても、上手になるのならば、そこに価値は見つからないのだよ。
だから、一般の厳しい先生に指導されると、感謝の念が溢れて来るのだよ。

「これだけ難しい事を、これだけ厳しく指導してくれる。」「巷の音楽教室とはエラい違いダナや❢❢」という事なのだ。
そして、これだけ厳しい世界に足を置いたのだから、挫折して当たり前・・という事になる。

大学病院の、これだけ権威のある先生が、「もう手術は無理ですね??」と言ったから、と言って、人生を諦めて、死を待つようなものだ。

俺ならば、大学病院なんかサッサと諦めて、second opinionを探すけれどね???
大学病院の教授の言う事を信じて、手術をしていたら、今頃は私は、もう生きてはいなかっただろう??

・・てな事を半世紀近くも、延々と書いても、発表会等でそれを目の前にして見ても、誰一人として、それを現実の物としては捉えない。

日本の社会は、おしんの世界なのだよ。努力をして、艱難辛苦に堪えたら、成功が訪れるのだ。
人生、楽をするのならば、成功は有り得ない・・というのが常識であり、一般通念だからなのだ。
楽をして成功をする・・・そんな事が有り得る分けは無いからである。

でも、現実の社会では、何の苦労もなく、成功をしている人達をよく見受けるのだけどね~ぇ??
自分がそれだけ苦労をして、得れない技術を遊びながら得れる分けが無い。
キッと、もっと苦労して得ているに違いないからだ・・となる。つまり、有り得ない事は有り得ないのだよ。

私は、高校生の時に大病を患って、大学病院に入院した。
色々と医療ミスの不手際があって、已む無く大手術をする羽目になってしまった。

それまでは医者になる事を強制させられていたのだが、病気で受験に堪えられない・・という事で、音楽に進む事を許された。(「・・許された」・・とは言っても、許されただけで、経済的な援助を約束してくれた分けではない。
入学金や東京での生活を含めて自分で稼いで、自活するという条件で・・なのだ。)

・・・という事で、音楽大学受験の為に与えられた1年間でBeyer教則本から初めて、ChopinのEtudeを数曲まで、他の生徒達が3歳から勉強していた事を僅か1年で熟さなければならなかったのだよ。3ヶ月でBeyer教則本をマスターして、Czerny30番、40番、50番と型通りに練習して、ChopinのEtudeまで、なんとか辛うじて、辿り着いたのだよな??

1年間で・・と言う意味は、私の父親は養父だったので、浪人を認め無かったからなのだ。
「浪人をするならば、何処にでも就職をして自立をしろ。」という意味だから、高校3年生であった1年間しか猶予期間は無かったのだよ。
集団就職は中学を卒業してから・・というのが普通の時代だったからね??
所謂、金の卵の時代なのだよ。

「1年間で、受験に必要な勉強を熟して・・」・・・てな事を書くと、私は非常に器用で、何でもパッパッと熟してしまうような超、器用な人間に見えるかも知れなのだが、実は、その反対の人格で、非常にブキッチョで、人がニ行程回っている時に、私はやっと一行程が出来るか否か・・ぐらいのブキッチョなのだ。
このどうしようもないブキッチョさが私の中学生の頃からのcomplexであり、・・学校の授業に普通に付いて行く為に、ありとあらゆる工夫を自分なりにしたのだ。
その時の一つの例としては、当時の中学校では先生の板書を生徒が書き写すのが普通だったのだが、私は文字を書くのが異常に遅いので、先生の書く板書を写すのに間に合わなかったので、自分なりの速記法を作り上げたのだよ。
中学生の頃に作り上げた速記法が、今ではパソコンの入力に役に立っている。
Pianoの練習法も然りである。
Pianoを先生に付いて学び始めたのが、一般の人達よりも15年は遅れているのだから人と同じ練習をしていては、人に追い付ける事はない。
だから効率の良い独持の練習法を考えながら、練習をしていったのだよ。

それが今、芦塚methodeとして、子供達を指導する時に役に立っているのだよ。

こういった方法論は半世紀以上もhomepageやFacebook等に惜しげもなく公開して、書いて来たのだが、それを読んでも、この半世紀、そう言った方法論を学びたい・・という人はいなかったのだよな??
それは何故???
それはつまり、何かを得ようとするならば、何かを捨てなければ、ならないからなのだ。
今まで、自分がしがみ付いていた物を、捨てない限り、新しい自分を得る事は無いのだよ。
つまり、子供の時から、積み上げて来た自分の練習の方法論を捨てる事は、自身の10年間、20年間の努力と、自身へのi dentityを捨てる事になるからなのだよ。
今まで学んで来た事を0にするのは怖い事だよね??
でも、教室で学んで来た生徒達は、私のmethodeを捨てて、一般の日本流の音楽のmethodeになっているのだが、それは何故だろうか??
それも、答えは簡単な事なのだよ。

周りの人達全てが、日本流のmethodeで演奏しているから、それが日本の常識なのだよ。
日本人の持つ日本人独持の集団性であり、世界の常識、日本の非常識の理論なのだよ。
それに、芦塚methodeで学んでいる限り、特別に何の苦労をしなくても、4年、5年経つと、今まで出来なかった事が何の苦労もなく出来るようになる。
そうすると、何か死物狂いで努力した分けではないので、それが元々の自分の持っていた才能、・・所謂、実力のような気がしてくるのだよ。
そうなると、もはや、先生の尊厳や芦塚methodeに対する畏敬の念は必要は無くなるのだ。
「私はこの才能を産まれながらに持っていたのだ❢」と・・・自信を持つのだから・・

でも、日本流なのだから、日本の水準以上には、ならないのだけどね~ぇ??
まあ、普通の音楽活動をしていて、世界の水準に巡り合う事は無いだろうからね??
それで一生、充分なのだよな??
善哉!善哉!


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1月12日BiberのRosarysonate ·

1枚目の写真は、Heinrich Ignaz Franz von BiberのRosary Sonateから題7番「柱での鞭打ち」と第12番「ascension(イエス・キリストの昇天)」のscordaturaで書かれた楽譜です。
この奇妙な調号はそれぞれの弦に対しての音の変化を表わしています。

2枚目の写真はそれぞれの曲に対して、与えられたscordaturaの一覧表です。
全ての曲が異なったscordaturaで作曲されていて(1番目と最後の16番目の曲だけが、今の調弦と同じ調弦です。)、それ以外の曲に関しては、楽譜を見てどんな響きがするのかは、理解不能です。曲毎の調弦は意図も理に叶っていて、実に美しい和音の響きがします。

勿論、出版されているCembalo譜の右手のpartは校訂者の手に拠るあくまでも参考までの楽譜なので、この楽譜のままに演奏する人は基本的には、いません。

当時は、左手のpartの上に書かれた数字を見て、即興で演奏しました。
また、 positiv organでの伴奏の場合には、Organ譜として演奏されなければならないので、Cembaloの時とOrganの時では伴奏の楽譜の形態が変わります。

この2曲は、Rosary Sonateの中でも、少し古めかしいルネサンス様式で作曲されています。

今回は、斉藤先生が、Cembalo伴奏で、4月2日の教室の発表会での演奏を目指しています。
今日はハイツの自宅で、曲のimage作りを斉藤先生としました。

ハイツには、2段鍵盤のKoncert-Cembaloがあるのですが、長い間、全く弾いていないので、tuningが狂っているので、もし斉藤先生がcembaloで合わせたいという話しを聴いていたら、事前にtuningをしたのですが、何も聴いていなかったので、今日は愛用のRolandの電子PianoをCembaloの音色にして、pitchを418cycleに下げて、練習をしました。

Cembaloのtuningは3列なので、小一時間は掛かるので、Cembaloの伴奏が良ければ、前もって言っていてくれないと、tuningの時間はありませんからね??

発表会では、子供達のorchestraのCembaloのtuningのピッチは443cycleなので、slide鍵盤では、418cycleになります。(ハイツのCembaloも基本は同じpitchにしてあります。)

Organでの伴奏は、発表会以降に教室で録音をして、You Tubeに発表します。
鍵盤のpartをCembaloからOrganに書き換えないと、いけないので、発表会が終わってからも、arrangeし直すのに、少し時間が掛かるからです。



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1月13日の金曜日、所謂、Jasonの日 ·

今は1月13日の金曜日、所謂、Jasonの日の9時半を過ぎた所です。
いつものように、良く澄み渡った美しい冬空が広がっています。
揚雲雀空に舞い、全て世は事も無し
揚雲雀が空に舞うのは、早春だったのかな??

でも、今日は、3月下旬の気温になる・・とか、テレビでは騒いでいます。
この突然の寒暖差には身体が付いて行かないのだよな~ぁ??

今朝も、強い鼻詰まりで苦しくなって、目が覚めてしまいました。
私的には、もう少し惰眠を貪りたかったのですがね~ぇ??

・・という事で、仕事らしい仕事もしないで、身の回りの雑用をなんとなく片付けていたら、なんと、お昼の12時になってしまいました。
なにもする事をしていないのに、時間だけが過ぎ去って行ったのですよ。
これは、超、Shockだよな~ぁ??
時間が勿体無い❢❢

・・てな事をウダウダと書いている間に、あっと言う間にお昼間の時間も終わってしまって、夕食の時間になってしまったのだが、(・・それは幾ら何でも時間の経過が早過ぎるように思われるかも知れないのだが、自分的には、椅子に座ったままで、朦朧として夢と現の状態を繰り返している間に、時間が過ぎて行ったので、あっという間・・という表現は、あながちoverな表現では無いのだよ。)Bikeに乗る為に、ハイツの外に出て見ると、何と、超お久し振りの雨だった。
マンションのゴミ捨て場で聞いた音は、雨の音だったのだよな??

だからといっても、rain-coatを着る為に、部屋まで戻るのは、億劫だったので、そのまま濡れながら、Bikeを走らせる事にした。

ドルプリっ歩の直前なので、雨に濡れる事は濡れたのだが、もう然程、濡れた・・という程でもなかった。
どんなに大雨の時でもドル・プリっ歩の時には、・・っ歩の時だけ、雨は降らないのだからね??

今回もまたまた、定形のドルプリっ歩の時には、マジに濡れる事もなく、定形のcourseを歩き終わって、椎名町の部屋に戻ってからは、これまたroutineのドルプリのおやつのカボチャと芋とブロッコリーの茎を切ってドル・プリ用の野菜のおやつを食べやすい大きさに切って、再びBikeに乗ってハイツに戻ったのは、午前様を幾分過ぎていたのだよ。

後はこれまたroutineの、椅子に座ったままで、朝の4時半くらい迄は、呆然と過ごしていたのだよ。(つまり、今日一日中、ウダウダと過ごしてしまった・・という話なのだ。)

そしてまたまた、朝の6時半には目が覚めて、toiletに行って、椅子に座っているのだよ。
まあ、何という無駄なroutineなのだろうか??
ほぼ、時間さえも正確に繰り返される朝のroutineなのだ。

今日の、目新しい事と言ったら、左足の薬指の爪が布団に引っかかるようになってしまった・・という事だな??
無意識に爪をどこかに引っ掛けたようだ。
しかし、足の爪は自分では切れないのだよ。
お腹が支えてしまって、心臓が圧迫されるからなのだ。
そうも言っていられないから、椅子に左足を乗っけて、腕を必死に伸ばして爪を切った。
勿論、爪が見えている分けではないので、指先に触れる感覚と爪切りの刃の間に爪が触れる感覚だけで、切っては指で確認をして、また切る・・という事を繰り返して、なんとか切る事が出来た。
これで、生爪を剥がす事は無いだろう。
っっz+えんt=善哉❢善哉❢

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1月14日『proへの道のり』 ·


私達が育って来た60年代(1960年代ですよ。昭和60年代ではないですよ。)には、SNSのような物はなかったので、それこそ若手の音大生達が音楽界に踊り出る為の方法は、concoursで入賞して、音楽の友等の音楽の雑誌に取り上げられて人に知られるようになるしか方法はありませんでした。
歌だったら、藤原とか二期会とかに所属して、そこでstarになるしか、proへの道は無かったのですよ。
今の21世紀に入ってからは、net社会になって、stardomにのし上がる方法は、多様化しました。
SNSを自分の力で発信をして、マスコミ受けのする音楽や映像で、netの寵児になる・・というような方法が出来るようになって、starとしての有り様も、今と昔では全く変わって来てしまいました。
元々、音楽の世界ではentertainment性が強く存在しているので、Classicのacademismとentertainment性の鬩ぎ合いになってしまう事が多いのですが、SNSの影響で、そのentertainment性が更に増して、Classic特有のacademismからは遠ざかってしまいました。
・・・とは言っても、別に「entertainment性が悪い」とか、「昔の方が良かった」とか言うつもりは毛頭ありません。
昔も、音楽雑誌やテレビのようなマスコミ系の一握りの人達が、音楽界を牛耳っていて、そういった人達の個人的な好みで、starが育てられて来た事には変わりは無いからです。
それ以前に、その人の音楽に対する人生の目標がentertainmentであって、有名になる•••という事がその人の人生の目標であったとしても、それは本人の立ち位置の問題であり、本人さえそれで良ければ、それだけでも充分な社会貢献は出来ている事なので、例え有名になる事だけがその人の人生の目標であったとしても、それはそれでも充分に良い事なのですよ。
そういった若くて可愛らしくて(或いは、美しくて・・)絵になるような状態は、当然、年齢の壁が巡って来てしまいます。
人間、歳を取ると、若くて美しい、可愛い状態は、然程、続かないからです。
花の命は短くて・・なのですよ。
若くて可愛らしかった音楽家の卵達は、30歳を前にして、次の世代の若くて美しい音楽家がもて囃されるようになると、自然に忘れ去られて行きます。
私がそう言った若手の音楽家達と同世代の音大生時代には、「30歳の壁」と呼んでいて、苦言を呈していた現象なのです。
concoursで名を挙げて、音楽雑誌等で持て囃されていた、若くて美しかった音楽家達も、流石に、三十路の壁を越すと、音楽雑誌にも取り上げられなくなって、忘れ去られ行くのです。
流行を作ったマスコミが悪いのか、流行を追ってしまう社会が悪いのか・・、それとも、努力を怠った音楽家達が悪いのか??・・いずれにせよ、殆どの若くて音楽界に持て囃された音楽家達は、年齢と共に活動の場を無くして行きます。
その頃には、新しい世代の若くて可愛らしい音楽家の卵達が流行の波の上に取り沙汰されるようになって、年齢を重ねた音楽家としては、音大生時代から30を過ぎるまで、コツコツと頑張って地味に努力を積み重ねて来た、若くも、美しくも、star性も無い(・・と言うと言い過ぎかな??)、堅実な音楽家に取って代わられるのですよ。
その時代の流れを、音楽大学の学生であって20歳になったばかりの頃の私は「30の壁」と呼んでいました。
私が音楽大学を卒業して、日本の音楽社会で生活をして行けるのか否かを、20になったばかりの頃の同世代の有名で持て囃されていた若手音楽家ではなくて、その若手世代よりも、一世代前の音楽家達の名前が聞こえて来なくなってしまうのを、見ていたからなのです。
proの音楽家であり続ける為には、自分自身が生活をする日常で、自活出来なければなりません。
しかし、音楽大学の卒業生達の現実を見ると、女性の音楽活動の生活の基盤は結婚であり、主婦業が生活の基盤となっています。学生の時には、親の脛を齧って、大学を卒業したら旦那の脛を齧っているのに過ぎないので、自活が出来ているとは言い難いのですよ。
また多くの男性の場合には、取り敢えずは、一般の会社に就職をして、その稼ぎで音楽活動をしている人達を多く見受けるのですが、本来ならば、そう言った人達は、趣味として音楽と交わっている・・と言う人達と大きな違いはありません。
少なくとも、Classicの音楽活動だけで、日常生活の基盤が出来ている分けではないのですよ。という事で、折角、留学から帰って来た音楽家が「芦塚先生、Classicの音楽だけでは、生きて行けないのですよね~ぇ?」と、私に尋ねるのですよ。
私の場合には、私が音楽大学に入学をした時に、家からの仕送りは既にありませんでした。
医者ではなくて、音楽に進む・・という事を決めた時点で、そう言う約束だったので、学生時代でもarbeitで毎日のしのぎを削らなければならなかった私は、お金を得る事だけが、バイトの目標になってしまう事が無いように、私が引き受けるバイトに対して、二つの絶対的な条件を付ける事にしました。
それは、幾らバイトをしても、音楽学生で勉強中の身である・・という立場は変わらないので、arbeitをする条件は「Classicに関するバイトに限る」という事と、「見切り」を決めて、33歳までに、Classic音楽の世界で生活が出来ない時には、潔く音楽で生活をする事・・・と言う事を諦めて、一般の職種で仕事をして音楽からは全く身を引く(趣味としては音楽はやらない)・・という二つの条件でした。
それは当時の私と同世代の多くの音大生が、男の子ならば、西武の配送係のバイトを、女の子ならば、デパートのRestaurantの接客係のバイトを・・という風に、音楽とは全く関係の無いお金の為のバイトをしていたからです。
それに、もっとお金が欲しい女の子達は、clubでhostessをしたり、CabaretでPianoを弾いたりしていました。
当時、大流行の女子大生Cabaretがあったのですが、そこのownerの人が、「一度、水商売でバイトをした女の子達は、1,2年後には、必ず、Cabaretに戻って来るのだよ」・・と言っていたのが、印象的でした。楽をしてお金を稼げるようになると、金銭感覚が麻痺して来るのだそうです。
今ならば、さしずめコンビニのバイトが学生達の主流のバイトなのでしょうがね•••??
私としては、柔軟に自分自身の身体に吸収出来る若い時期に、時間を切り売りするコンビニのバイトは、時間の無駄使いであり、本来ならば一番身体に吸収出来る若い時期の勉強途中の学生達には時間の切り売りは、良い事では無いのですよ。
同じバイトでも、塾や家庭教師ならば、自分の勉強の復習にはなるので、とても良いバイトだと思うのですがね~ぇ??
勿論、多くの学生達は、塾や家庭教師のバイトをしたいのでしょうが、それだけでは生活が出来ないので、他のバイトを平行させているのだ•••とは、思うのですがね~ぇ??
バイト・・という価値観も、その人の人生の立ち位置で、その是非が決まると思っています。
人生の目標、目的が普通の社会人であった場合には、バイトも特別に種類を限定する必要は無いのですよ。
例え、音楽を専門的に勉強している人でも、音楽を趣味として選択して、仕事は一般の社会人としての仕事をしている場合には、バイトをしても構わないのですよ。
バイトが弊害になる事はないのですよ。
音楽の技術が幾ら、人よりも優れていたとしても、その人の将来はその人自身の目標(所謂、立ち位置)で決まってしまいます。
その人が、どのような人生の選択をしたとしても、それは、その人個人の問題なので、どういった生き方をしたとしても、別に構わないのですが、音楽を人生の目標として、勉強をしている教室の生徒達に対しては、時間を大切に使わない事は、時間の喪失であり、音楽に進む上で、非常に良くない結果を導き出してしまう••と言う事を、常日頃から言っているのですよ。
だから教室でも、生徒達には、「コンビニでバイトをするくらいならば、教室の仕事を手伝ってくれれば、ノルマ給でコンビニと同じ位にバイト代を出してやるよ??」と声を掛けるのですが、やはり、教室でバイトをするよりは、コンビニのバイトの方が楽なようです。
教室でarbeitをする・・という事は、責任のある事だし、内容的にも「難しい」という風に思ってしまうので、義務感が先に立ってしまうのでしょうかね??
確かに、音楽大学に入学したばかりの学生に取っては、Classicの音楽関係の仕事をarbeitとして、生活を立てるのはhurdleが高くて、難しい事なのかも知れませんが、Classicの音楽界で働いて、生きて行くのならば、そのNiveauの問題は、必ず、何時かはclear出来なければならないhurdleなのですよ。
それが「学生時代に出来る」という事は、逆に、超、有難い事では無いのかな??・・・と私は思うのですがね~ぇ??
私的には、そこで手軽なコンビニのarbeitをする・・という考え方は全く理解出来ないのですが、今の若者達は・・と言うか、一般の若者達の間でも、そういった考え方が主流なようですね~ぇ??
半世紀も子供達を指導して来て、そういった私の考え方を認めてくれた生徒は、残念ながら一人もいなかったのですよ。
俺の考え方って、そんなに独持の考え方なのかね~ぇ??
不思議だ???
今はsnsの時代です。
concoursでstardomに登るのが、チョッとだけ、技術力や音楽力が足りない可愛い女の子が、自分のCharacterを活かして、音大生の頃から、You Tube等々に演奏の動画をuploadして、結構、stardomにのし上がっているのを見受けるのですが、それで成功をして、充分に有名になって、それからの方向性を見失っているのを見るに付けて、「この子の将来も、30の壁が立ちはだかっているのだよな~ぁ?」と思ってしまいます。
若い頃に有名になって、音楽家の道を約束されたかのように見えるのですが、実際には、若くて可愛らしいから、売れているのに、過ぎないのですよ。つまり、Visualなのですよ。
「まあ、そんな事は充分に分かっているよ」と言って、若さを楽しんでいる、したたかな人もいますが、殆どの人達は有名になった事で、自分を見失っている人達の方が多いようです。
その結果として、今までも半世紀の間、多くの才能を無駄使いして来た若者達を数多く見て来たからです。
殆どの女の子達は、この30の壁を前にして、「やる事はやった❢❢」と、自身の人生に満足をして、結婚をして、音楽を片手間に変えて、余生を楽しみます。音楽家としては満喫出来たのだから、次は女性としての生活を愉しむのだよ❢❢とね??
まあ、それはそれで良いのでしょうが、私達に取っては、それは中途半端な人生に見えてしまいます。それに、女性だから、出来る業であり、男性には、その逃げ道は準備されてはいないのですよ。やはり、ここでも日本女性特有の甘えの構造があるのですよね~ぇ??
勿論、女性であっても、30の壁を乗り越える事は出来ます。
若い時の、我が身世にふる眺め・・に甘んじ無いで、平行して、基礎力を頑張って勉強して行けば、30の壁と言えども怖くはありません。そうすれば、本当の実力を認めてくれる本当のFanが付いてくれるからです。
でも、一度、stardomに上り詰めると、基礎から立て直すのは難しいのかな??
しかし、そこが、人生の分かれ目なのかも知れません。
世界の有名な演奏家で、「私は何時でも基礎からやり直す事が出来る」と豪語している人がいたのですが、その人の言う所の基礎とは、楽器の構え方、姿勢、音出し・・つまり、楽器を始めて学んだ状態に出来る・・と言う事なのです。
それは素晴らしい事です。
一般的には、「やり直す」という事は、行き詰まった技術の箇所を、補修して、それを称して「基礎からやり直す」という風にお茶を濁しているのですよ。
しかし、それでは、歯が痛いので、痛み止めを飲んで凌ぐようなものなのです。
それは根本的な治療では無いのですよ。
Americaの誇る有名なviolinistがいます。(素晴らしい・・と思う例なので、実名を出しても、称賛になるので構わないとは思うのですが、敢えて、実名は出しません。)私も一目置く演奏家なのですが、その人が東京で音大生やproの人達を対象にして、公開講座を開いたので、私も勉強の為に、聴きに出掛けました。でも、世界の現代のtraditionalな奏法で、私の奏法とは根本的に違ったので、がっかりしてしまいました。
それから、2,3年後に同じ人が再び公開講座を開いたのですが、私は興味を失っていたので、無視をしていたら、当時の私の弟子が「芦塚先生、前回の講座と全く違うから、一緒に聴きに行きましょうよ❢❢」と熱っぽく誘われて、已む無く公開講座を聴きに出掛けました。
聴いて驚いたのなんの・・??って、弓の持ち方から構え方から、なんと、私のmethodeと全く同じに変わっていたのですよ。しかも60歳を過ぎていて、Americaの誇る名violinistであったのにも関わらず・・、それまでの自分の技術の全てを捨てて・・なのですヨ❢❢
大変な勇気です。
且又、同様の例なのですが、音楽大学の学生であった頃に、pianistの例としても、Arthur Rubinsteinが70歳を直前にしてrecordingをしたChopinのMazurkaを聴いて、驚愕した事があります。それまでの、powerfulな演奏から、神様の世界に演奏のstyleに、演奏が変わっていたからなのです。
その時には、「人は70歳を前にしても変わる事が出来るのだ❢❢」と驚愕した事があります。
でも、驚愕と言えば、Haydnも60歳を過ぎて、マジに神様の領域に入った作曲家なのだよね??
本当に、大家と呼ばれる人達には、年齢は関係無いのだよな~ぁ??
1日でも、否、一歩でも、前に歩くのが・・
いや~あ、そりゃ~あ、かったるいよな~ぁ??
そんな、七面倒くさい事は、他人に押し付けて、俺は、面白可笑しく暮らすのが良いよな・・??
俺はそんなに真面目人間では無いからね??
アハッ!

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1月15日『前衛音楽』 ·

今日は1月15日の日曜日です。

オケ練習とlessonが終わって、昨日から降り続いている感の雨の中を、千葉から椎名町に、帰って来た所です。

何気なく、テレビをつけると、NHKの教育放送では、日本人の作曲家のpianoの作品の歴史を放送していました。

ちょうど、最後の2、3曲を演奏していた所なので、珍しいので「チョッとだけでも聴こうか?」とも思ったのですが、やっぱり、その次の「美の壺」迄は、裏番組の方を見てしまいました。

contemporaryな音楽は、九州の最果ての地で産まれ育った私にはfremd(未知)で、どうも苦手で、理解出来なくて、München留学中のある時期から、私はcontemporaryな芸術作品を見聴きする事は無くなってしまいました。

勿論、私は作曲家として勉強をしていたので、StravinskyやMessiaen、Penderecki といった作曲家達の作品は、普通に・・・というよりも、かなり専門的に勉強をしています。

当然、それ等の作品は、私に取ってはtraditionalな作品であり、contemporaryな作品だ••と思った事は一度もありません。

留学から帰国してきて、随分経った頃のある時に、Stravinskyの「春の祭典=Le Sacre du printemps」を聴いて、「古色蒼然❢」と感じて驚いた事があった程ですし、Hindemithのviolaの無伴奏の作品等は、普通にBachの無伴奏を例にして、演奏法を説明する事はよくあるからです。

つまり、私に取っては、それらの作曲家達の作品はtraditional以外の何ものでもないのですよ。

では、逆に「何故、contemporaryなのか??」と言う事なのですが、現代の多くの作曲家の作品は、無調で有るが故に、無個性、無性格になってしまっているからなのです。

所謂、現代音楽というgenreの作品を芸術と呼べるのか、否かが、それが私が未だ音大生で音楽の勉強中であった頃からの疑問でした。

留学中に、Genzmer先生にその疑問を率直にぶつけた時に、先生からは、Klang-gestaltung(音の造形)、所謂、音のObjetという考え方を教えて貰い、contemporaryという言葉の意味に対しての一切の考え方が理解出来るようになりました。

つまり、現代の作曲家の頂点でもあるGenzmer師匠の先生であるHindemithや、Stravinsky、或るいは、Messiaen等の作曲家達の作品には、彼らの個性が有り、且つ又、traditionalな作曲技法の延長線上にあって、私達が作品を理解し、判断する事が出来ます。

しかし、contemporaryな作品には、個性が存在しないので、作曲技術的な一面ですら、ideaであり、Identityとは呼べないのですよ。

contemporaryな作品は、Objetであり、様式である事はあっても、所謂、Identityにはなり得ないのです。

つまりそれは環境音楽と呼ばれるgenreの作品であり、Objetを芸術と捉えるか否かは、芸術に対しての考え方の違い、つまり、定義の違いによります。

例えば、江戸時代に流行した市松模様等の模様は、現代の作品にも多く使用されて確実に生きていますが、それを芸術として捉えるか否かは、人、或るいは、立場によります。

別の人達に取ってはその時代の様式にしか過ぎないのであって、芸術とは呼ばないのですよ。

その時代の様式を纏めて、その時代の個性となれば、それがMozartやHaydnになるのですが、その為には、contemporaryな作曲家が、世界の、否、時代様式の頂点であって、統合した存在にならなければならないのです。

そうしたら、contemporaryな作品でも、Identityのある個性的な作品として讃えられる事もあるでしょうからね??

まあ、それにしても、Objetを耳をそばだてて、集中して聴く事は、私としては、かったるい事なのですよ。
皮肉な事に、日本の作曲家達のPiano作品の次の、同じNHKの番組である「美の壺」では、様式化された茶の湯の作務の世界の説明をしていましたが、同じ様式化された世界でも、こちらは何故か落ち着くのよね〜ぇ??
同じ様式化された世界でも、何がこう違うのかね〜ぇ??

contemporaryな音楽は、私に取っては、ツンデレな美女よりも、更に近寄り難いのだよな??

「軽い❢」と言われても、当然、私は裏番組の方が良いな??
かったるいのは、嫌だよな❢

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1月16日取り立てて何でも無い1日です。 ·

今日は1月16日の月曜日です。
今日一日は、昨日のオケ練習とlessonのvideoの編集で一日を終わってしまう予定なので、徒然にも書く事の取り立てて無い一日なので、「Facebookは、今日はお休みにするか??」・・と思っていたのですが、テレビで「今日は雨混じりで、この冬一番の冷え込みだ」と言っていたので、驚いてFacebookを書き始めた所です。今日は東京でも、7℃までしか、気温が上がらないのだそうです。最低気温はこれまでも-1℃の時もあったのですが、最高気温が7℃というのが、この冬の最低気温なのだそうです。
今日の月曜日は、日曜日のオケ練習のvideoをuploadするまでの、編集作業で終わってしまうので、毎週のroutine作業となってしまいます。という事なので、今更、取り立ててFacebookに書き出す目新しい仕事もないので、「昨日のオケ練習のVideoの編集作業だけで終わりです」・・と言い切ってしまう事は、結構、今日は一日中・・サボって、怠けているように見えるのかも知れないのですが、昨日の日曜日のオケ練習と瑞希ちゃんのBachの無伴奏のsonate第1番、全曲のlessonは、私なりには、結構、丁寧に頑張ったのですよ。
という事で椎名町への帰りが遅くなって、更に、江古田ハイツへの帰りが午前様の1時を過ぎていたので、今朝の起床は、いつもの朝の時間で、6時半には起き出して、routineのvideoの編集の作業を開始したのだけど、睡眠時間が足りないので、結構、起き出して直ぐに疲れてしまって、bedに戻って爆睡して・・、お昼にまた起きて仕事の続きをして、また爆睡して・・、と、飛び飛びのrotationになって、私的には、1日中、起きている時には、結構頑張って作業をしていたので、頑張った方なのですよ。
とは言っても、勿論、videoの編集作業だけで、一日が終わった分けではありません。それ以外にも手の付く仕事、・・例えば、Homepageの修復作業や論文の補正等・・・と、出来る軽作業はやれるだけやったので、一日の仕事としては、まあまあ頑張った方なのではないのかな??・・・という、自己承認欲求です。


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1月17日『Facebookのお引越し作業が終わった』 ·

今日は1月17日の火曜日です。
やっとこ、Facebookの2022年の11月分のPageをhomepageのFacebookのPageにお引越しさせました。
このFacebookをhomepageに移動させるという結構、単純な作業なのですが、1年分ともなると、非常に膨大な無駄に時間の掛かる面倒くさい作業になるので、単純作業ではあっても、結構、作業に入る迄には、pressureが掛かってしまう大きな作業になります。

勿論、1年分の作業を1回でやる事は不可能なので、年間に数回に分けて、作業をします。
最小の単位でも、一月から二月分くらいを纏めて移動させます。
それでも一日掛かりの作業になってしまいます。

本来ならばHomepageにFacebookを持って来る場合には、HomepageにTitleを書いて、Facebook側からlinkを貼るだけで終わりにするのが一般的な作業なのですが、それならば、単純な自動作業で、簡単な作業になるのですが、それでは論文を書く時の資料としては、役に立ちません。

料理の下拵えと同じで、丁寧にTitle付けや、お引越し作業をしておく事が、良い論文を書く為の下準備になるのです。

でも、今日のFacebookのhomepageへのお引越し作業は11月分までで終わりにしておきます。

明日以降に、12月分のお引越し作業をします。

多分、後は2、3日もすれば、お引越し作業は終わるでしょうしね??

午前中の作業として、・・てな事を、お昼過ぎに書いたばかりなのですが、それから夕方にまたまた、作業を始めて、もうすぐ夜の11時なのですが、昨年度分のFacebookのお引越しを終わらせてしまいました。
今日の作業は午前中だけにして、明日の朝から12月分に入ろうと思っていたのですが、今日の朝の勢いのままに、作業をやってしまいました。アハッ!

それはそうと、深夜の1時を過ぎた辺りから、突然、部屋が冷えて来ました。

携帯の練馬区の気温を見ても4℃ぐらいはあるようなのですが、部屋の中でも、底冷えがするようになる・・とは思え無いのですがね~ぇ??
あまりにも寒くなって来てしまったので、辛抱はしないで、ガスとエアコンのDoubleで暖房を付けました。
良心の呵責に苛まれるのですが、一瞬だけエアコンをつけて、部屋が温まったら、すぐに消せば、それほどの良心の呵責に苛まれる事はないだろうと思うのでね??

別に「部屋の温度が下がったから」という分けでも無いのだろうが、突然、弱鬱になってしまって、「もうそろそろbedに入って眠ろう」と思っていたのですが、眠れなくなって来てしまいました。

・・とは言っても、この所は体調不良が続いているので、日本酒を飲む程の元気はないので、鬱々な気分の持って行き場が無くて気分をもて余してしまっています。

Wieniawskiのviolaの鬱々の曲を幾つか聴いて見たのだけど、「う~~ん・・??」鬱々感が、チョッと違うんだよな〜ぁ??

こういった気分の時に見ようと思っているテレビの録画番組も全く無いのだよな?

1月は面白い番組が全くなかったのだよ。
クイズ番組とスポーツと歌とバラエティー番組を除いて、・・所謂、ストーリー性のある番組が全く少なかったのだよな??

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1月18日PreyとFischer-Dieskauのβのvideotape·

夕方の六時です。
ちょうど、病院から帰って来た所です。
今日は斉藤先生は7時頃に帰って来るので、ドルのお迎えっ歩なので、結構directに椎名町に移動します。
ドル・プリっ歩が終わってから食事になります。
明日は歌の人と会うので、椎名町の倉庫状態の所からHermann PreyとDietrich Fischer-Dieskauのvideoを探して貰いました。
PreyはSchubertの三部作のvideoが見つかりました。平成9年8月31日の芸術劇場の演奏風景のvideoです。
最初の間はpitchが下がり気味で若い頃の面影は無かったのだけど、曲が進むに連れて、取り戻して行くのは流石でした。

Dietrich Fischer-Dieskauはβのtapeなので、明日以降にBlu-rayにdubbingしてから、聴く事にします。

analog録音の場合には、video-tapeの音声が殆どdigitalには入って来ないので、powerdirecterで音声の補正をしなければなりません。
音楽の勉強の為のdubbingなので、映像はどうでも良いのですが、音声はなんとかしないとね??
特に、βのtapeは20年ぐらい一度も聴いていないので、先ずは風送りからなのですよ。
βのdeck自体が今にも壊れそうで、怖いのだ❢❢



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1月21日『暗譜に付いてのお話』 ·

教室で生徒を指導する時に、もっとも重要な論文であるべき「暗譜について」のお話が、2018年9月29日のcatastrophe(※)でぶっ飛んだままで、応急に書いた舌足らずの文章になったままでお茶を濁している事に気付きました。

『Beyer教則本の暗譜のお話』
proのpianistに、暗譜の方法の説明をしている時に、多分、「コロンブスの卵」としか思われないだろう、「Beyer教則本による暗譜のmethode」の冊子を探したのですが、これも、冊子を作った・・と思ったのは夢の中であって、実際にはfilingをしたハズのfile-bookすら見つからなかったのです。

proのpianistに「なにを今更・・、Beyer教則本の暗譜でもなかろうに・・??」と思われるかも知れませんが、その楽譜を見て、「当たり前だ❢」と思うのと、その楽譜を使用して❢実際に暗譜して演奏するのでは、暗譜の仕方に根本的に違いがあるのですよ。

子供達を指導しているpianistの人達には、私はadviceとして、「Beyer教則本は全曲暗譜するように・・」と推しているのですが、「106曲もの曲を覚えるのはとても無理」という答えが返って来るので、いつもそこで私が言う言葉は「ChopinのBallade、1曲覚えるのと、Beyer教則本を106曲覚えるのでは、音符の数はBeyerの方が少ないのですよ。」と言う言葉なのです。

ChopinのBalladeを4曲、覚えられて、Beyer教則本が覚えられない・・というのは、価値観の問題だという事が分かりますよね??

でも、Beyer教則本に対しての価値観の無さが、ChopinのBalladeの演奏に反映している・・という事を気付ける人は少ないのですよね~ぇ??
つまり、Balladeを弾いている時でさえ、無意識におざなりに弾く所が出てしまうのですよ。
(ここは簡単だ❢と思ってしまうとね・・??)

歌舞伎でも演奏でも、所作を学ぶと言う事と、その所作に魂を入れるという事は、根本的にapproachが違って来るのです。
初心に戻るという事の難しさはそこにあります。

料理教室で同じ材料で、全く先生の言う通りに同じように作ったとしても、味に違いが出て、誰が作ったのかが分かるのと同じなのですよ。

近所の和菓子屋さんやスーパー等で、時折、先生達が和菓子を買って来てくれるのですが、これがまた、超不味いのですよ。
和菓子の作り方等と言うものは江戸時代から変わっていないので、誰が作っても同じ味になるハズなのですがそうでもない。
昔の製法に拘って・・とか、家の和三盆はどこそこの高級品で・・とか、御託を並べていても、不味いものは不味いのだよ。
美味しい和菓子は厳しいのだよね??多分・・・

※)catastropheのお話ですが、2018年9月29日の日なのですが、homepageの文章を書いていた最中に、突然homepagebuilderがupdateを始めてしまいました。
それからパソコンが自動的に再起動を始めて、homepageが全部ぶっ飛んでしまったのです。大慌てで、Providerにuploadをしていたdataをパソコンにdown loadしたのですが、それぞれのPageが全部ぶっ飛んで、冒頭の1Page分だけが、残っていたのですよ。
つまり、homepageを購入して、書き始めた論文の10年分、20年分が全部ぶっ飛んでしまったのです。
人生の10年、20年分が無駄になってしまったのです。

超、Shock状態で、このcatastropheからは容易には立ち直れなくて、2年、3年と、唯只管、homepageを見ないようにしていたのですが、止むに止まれぬ事情もあって、冊子として元のPageが残っている分や、パソコンにdataとして古いversionの原稿が残っているものから、暫時、復旧作業を始めました。

・・という事で、今現在は約、半分は復元出来たのではないか??・・とは思っているのですが、紙の原稿や下書きすら残っていないPageについては、新しく書き始める他はありません。

この芦塚methodeの根幹を成す「暗譜に付いて」のPageも、全く、元の原稿が見つからないので、応急に書き始めた原稿が途中までの状態になったままなのですよ。
暗譜の論文ならば、先ずは暗譜のMechanismからの説明にならなければならないのですが、思い付くままに書いたのだよな~ぁ??困った❢❢

『inventionとSinfoniaのfinale上の原稿』
おまけに、finale上では完成しているBachの原譜の記譜法によるinventionとSinfoniaの楽譜も、必要に応じて印刷された曲毎の冊子しか無かったのですよ。
その他には、装飾音の演奏法をfinale上に記譜化した原稿や、BachのinventionとSinfoniaの暗譜譜まであります。
しかし、それらの楽譜が全て、未完のままにパソコンに保存されたままの状態になっていたのですよ。

仕事は完成させて、始めて「仕事をした」という評価の対象になります。

幾ら、その曲毎のpartsが「良い仕事」であったとしても、全体が完成していないと、中途半端な未完の作業に過ぎないのです。

私的には、自分のpolicyに欠ける作業のままに、ゴミ状態になっている私の努力の結晶が痛ましく思えてなりません。
ホンの1冊、2冊でも完成稿として、残しておきたかったよな??

『inventionとSinfoniaの出典について』
Bachの「inventionとSinfonia」(以下、inventionと表記)の底本には、Anna Magdalenaの浄書によるinventionとClavier-Büchlein vor Wilhelm Friedemann Bachに掲載されている所謂、Friedemann Bachの練習帳とされるinventionがあります。
日本に帰国したばかりの頃に、偶然、池袋のヤマハの小Hallで、某国立音楽大学の教授がinventionについての講座を開いているのを見かけて、私も聴講をしました。その時に、その教授がAnna Magdalenaの浄書の楽譜を、Bachの真筆だ・・として説明をしていたので、「facsimileの巻頭言にはAnna Magdalenaの浄書と書かれているのだが・・」と苦言を呈したのだが、教授は真っ赤になって、怒り狂っていました。
俺としては、講座を邪魔する気は毛頭無かったのですが、結果的にはそうなってしまって、反省しています。

Anna Magdalenaの浄書はBachの真筆と見間違うような美しい楽譜なのですが、繊細に整えられた女性らしい細やかさが見られます。
それに対して、Bachの真筆の方は、繊細でも豪胆な力強さが特徴なのですよ。

Anna Magdalenaが書いた・・と思われているinventionは、楽譜として全く美しい状態で残されていて、Friedemann Bachの練習帳には、色々な書き込みが書かれていて、より高度な演奏技術をFriedemannに指導した、その形跡が見受けられます。

こんにちでは、このFriedemann Bachの練習帳は、Bischoff版として、普通に日本版ででも出版されていますが、書き込みの装飾音を加える事で、指使いが非常に難しい演奏困難なlevelの曲になっています。

昔々・・・というか、私が音大受験の時にお世話になって、苦学生であった私を援助してくださったPianoの教授の師匠であった豊増昇先生が、確か、このFriedemann Bachの底本でRecordを出されていたように思われるのですが、そのRecordは見当たりません。

そろそろ頑張ってYou Tubeで探しても良いとは思うのですが、今はPianoの生徒がいないので、そのtimingを失ったままです。



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1月23日今日は1日携帯でVivaldiに関するお話を ·

今日は一日、朝な夕なにFacebookにVivaldiのviolaのPartのお話を書いていたのだが、実際にFacebookを見ると、全く何も書かれていないのだよ。
パソコンの前に座るのが辛くて億劫なので、bedに入ったままで、携帯でFacebookに書き込んでいたハズなのだが、それは夢の中の作業だったのだよな~ぁ??
超、Shockである。
眠っていて、夢の中で一生懸命書いているのだが、それは全くの徒労だよな〜ぁ?それならばちゃんと眠れば良いのにさ??
 『baroque時代や古典派の時代のViola』
baroque時代や古典派の時代ではviolaという楽器は未発達であり、楽器を持っている人達も、演奏出来る人達も限られていた。
violaと言う楽器がClassicと言う音楽の世界の中で確立して行くのは、Haydn等が弦楽Quartettの演奏様式を確立してからであるので、古典派の時代も後期に入ってからになるのだ。
古典派の中期になっても、violaのいないorchestraが主流の時代を遡る事幾星霜であろうか、baroque時代の真っ只中にVivaldiはviolaのvirtuositätな生徒達を育てていた。それは単に指が回るというだけではなく、Vivaldiのtrickと思われる曲の音取りに於いても遺憾なくその実力は発揮された。
例えば、Vivaldiの誰もが知っている名曲であるLe Quattro Stagioniの中の秋の冒頭なのだが、ViolinがAの音で入って来るのに、violaはFの音を弾かなければならないのだが、ViolinがAの音をViolinのkonsonanzで演奏した場合には、Fの音は限りなく低くなってしまうのだよ。
通常はF Durの和音で始まるのだから、どこかのpartがCの音を弾いているとすれば、Fの音は完全5度下の音になるので、Fのpitchはなんの問題も無く取れるのだが、そこではVivaldiはCの音を出す楽器を指定していないのだよ。
これはviola奏者に取っては、凄い意地悪になるのだ。
そう言ったviola虐めと思われるpassageがVivaldiのOp.8には随所に見受けられるのだよ。
これは相当なviolaのvirtuositätな生徒を得ていたからによる信頼の証なのだ。 
冒頭の純正の和音の取り方がそれだけ難しいのだから、技巧的なパセージの難しさは言わずもがな、である。




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1月24日術前検査の絶食で ·

日曜日の夜は千葉で生徒達のlessonをして、椎名町に帰って来てから遅い食事をしたのだが、疲れが酷くて満足に食事をする事が出来なかった。
という事で、月曜日は、ただ只管一日中、Bedで休む事にして、結局何一つ食べ物らしい食い物を食べる事はしなかった。
と言うか、食欲が湧いて来なかったのだよな??
流石に深夜になったら、何となく腹が減って来たらしくて、無意識にそこらにあるものを口に入れて食べていた、と思ったのだが、否、それは駄目で、月曜日の深夜からは術前検査の為に絶食なので、何か口に入れてはだめなのだよ。
「やばい、食い物を食べてしまった」と思って驚いてしまったのだが、ふと気が付いて我に帰ると、食べたと思ったのは夢の中だったのだよ。
それから更に、同じような夢を後、2、3回は見て、2、3回も驚いてしまった。
それはそうと、ただ単に丸一日食べていないだけなので、そんなに空腹感がある分けではないのだがね〜ぇ?
それにしても、頻尿が酷くて、熟睡出来ていないのだが、検査が終わる迄の体力が持つのかね〜ぇ?そちらの方が心配だよな〜ぁ。
火曜日の朝になって病院に行く日なのだが、頑張って、結構時間のゆとりを持って病院に行ったのだが、駅から病院迄の歩きが、しんどくて、思ったようには歩けなくて、検査の為の手続きが終わったのは予約の時間通りになってしまった。
最初は検尿からだったのだが、昨晩は頻尿で苦しめられたのにも関わらず、今度は、幾ら頑張ってもホンのチョッとも出ないので困っていたら、なんと❢やっとこ少しだけ溜めたコップを落としてしまって努力の結晶が床上に溢れてしまった。
仕方がないので、取り直しをしたのだが、やはり、ホンの少ししか出なかったので、レントゲンやMRや心電図を先にして、時間をずらしてそれでも、駄目なので、食堂でJuiceを飲んで軽い食事をして30分以上も時間をズラしたのだが、やはりそれでも駄目で、諦めて、チョロ、チョロの少量で納得して貰った。
3回も尿コップを出してくれた検査の看護師さん、怒らないで優しく接してくれてありがとう。
広い病院のあちらこちらを歩きまわったので、疲れ切ってしまって、体調体力的にストレートに電車に乗って江古田迄帰る事が無理になってしまったので、駅下のミスドーで暫し休んで、lineで先生達に結果報告をしてから、江古田に戻った。
身体中が疲れでイライラしていたので、Bedで休もうと思ったのだが、横になった途端に、こむら返りが起きて、痛みが酷くて、横になっている事が出来なくなってしまった。
已む無く、椅子に座ったままで、呆然としていたのだよ。
夕方からは突然気温が下がり始めて、風の音が強くなって、もがり笛の音が鳴り響いていたよ❢
Bedで熟睡していたのだが、またまた、こむら返りが痛くて目が覚めてしまった。
未だ8時半であるのにも関わらず、練馬区の気温はもう既に0℃である。これからどんどん下がって行き、明日の3時頃には-3℃を予定しているようである。
相変わらず屋根が吹っ飛びそうな、激しい風が吹いている。
雪は降っていないようなのだが、目の下の公園の土の上には雪が積もっているようだ。
今日は流石に椎名町に食事とドルプリのお散歩に行くのは無理なようなので、食い物は全く無いけれど、空腹の方が寒いよりはマシと言う事で、ハイツに引き籠もる事にした。
深夜の1時半なのだけど、もう-1℃を越して-3℃へ一直線と言う感じだよな?
寒くてストーブの傍から離れられない❢
それに、体の半分が寒いのだよ❢ストーブに直接当たってない方の体が寒いのだよ❢
それにしても今夜は毛布1枚だけで耐えられるか心配だよな〜ぁ??
あまりにも寒かったら無理をしないで、羽毛の厚手の布団を被せる事にしようかな??
今日は、色々ととんでもない一日だよな〜ぁ??
あまりの寒さにミステリーの夢を見ていた。ドールの呪いの人形が盗まれて、殺人事件が起こると言うどこかで聞いたようなストーリーである。寒くてたまらない理由は寝室のエアコンでは部屋が温まらないので、食堂のストーブをつけっぱなしにしていたのだが、そのストーブが7時間経つと切れてしまうのだよ。
昔は眠る時には、暖房もクーラーも使う事はなかったので、このクーラーは1年に1度も使う事のないお飾りのエアコンだったのだが、この2、3年はマジにフル稼働しているのだよなあ〜。部屋が温まるように、最新型のエアコンに変えた方が良いのかな~ぁ??
寒いけれど、Bedから起き出してストーブを再起動させに行くか??
已む無く起き出して震えながらストーブを再起動させて、エアコンもつけた❢
これで部屋全体を温める事が出来る。
そのままの状態で、エアコンの暖房の風の下で小一時間も温まっていたよ。何かしら、唯一温まる場所になってしまったのだよなあ〜?
まあ、これで何とかBedで眠る事が出来るだろう。
外はいよいよ今季最低の-3℃になろうとしているのだよ。



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1月25日日曜日の夜以来の食事にありつけた ·

一夜明けてなんともはや素晴らしい雲一つ無い•••とは言い難いのですが、青の色が澄み切っていて、美しい青空です。

テレビをつけて見ると、全国各地の昨晩の大雪と風の被害状況を放送しています。

各地で大渋滞やレポーターが立っていられないような強風の中でのドキュメントをやっていて、今更全国各地を襲った暴風雪をテレビで見るにつけ、改めて大変な一夜だった事が今更、分かります。

私もあまりにも寒くなってしまったので、寝室と居間のストーブとエアコンをつけたままで、就寝したおかげで、何とか凍死しないで、事無きを得て、生還する事が出来たようです。

昨晩は、アンカをつけていたのにも関わらず、無関係に足先が冷えて行って、身体が芯から冷えてしまって、毛布に包まっていても、どんどん冷えて来るので、「どうしよう」と、対応に悩んでしまいました。
多分、今夜一日だけの事と思われるので、電気代やガス代の事は諦めて、兎に角、今夜を乗り越える事だけに専念する事にして、暖房器具3台のおかげで、何とか明け方からは熟睡する事が出来たようです。

という事なので、昨晩は食い物が全くなかった事を今更、改めて思い出しました。
果てさて、どうしようかな??

11時になって、牧野先生が朝食を届けてくれた。
日曜日の夜以来の食事である。熱い❢❢





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1月25日baroque音楽の復活のお話 ·

古いβやVHSのvideo-tapeをBlu-rayのdisc に焼く機会があって、ついでにVivaldiのVHSのvideoをBlu-rayに焼く作業をした。
・・と言うと、analog録音のβやVHSのtapeをBlu-rayのdeckに取り込んで、焼くだけだと思われるかも知れないのだけど、それでもまあ、良いのだが、VHSは兎も角としても、βのtapeをdubbingした場合には、音声が殆ど聴こえなくなってしまうのだよ。
analogのtapeには音声を増幅させる機能は(あったとしても、殆ど意味はないので・・)dubbingをしたdataをpowerdirecterに持って来て、更に音声をDragして増幅するのだが、それでも無理な場合には、更にダイナミックレンジで加工をするのだ。それで、虫眼鏡で見ても聴こえなかった音声がなんとか普通に聴こえるように増幅する事が出来る。まあ、もうひと手間なのだよな??
古いVivaldiのvideo-tapeなのだが、一度も見た覚えが無いのだが、多分、drama仕立てなのだろうとの思い込みから、見るのが後回しにされてしまったのだと思われる。
演奏のvideoは必要に迫られてしょっちゅう見ているからね??
このvideo-tapeを、改めて見てみると、史実に合わせて演奏を取り混ぜるだけのdrama性は最低限に抑えられていて、生徒達の教材としては結構良いvideoだと思ったのだが、如何せん、1987年の制作なので、現代の楽器で現代の奏法で、力で弾き捲くる当世風の演奏styleで、音楽としては色々と問題がある。
曲は殆ど、教室でのrepertoryと被っているのだけど、教室の子供達の方がperiodのstyleで古式豊かに演奏しているのだが、それは36年も前の演奏なので、時代の流れなので致し方は無いと思う。

baroqueの音楽家達がロマン派の時代で忘れ去られてしまったのは、唯単に時代に古くなってしまったから・・という分けではなくて、音楽様式の著しい変化で、忘れ去られてしまった事にもその理由を見出す事が出来ます。
音楽様式とは或る意味では楽器自体の変化にも依ります。
Cembaloがforte-pianoに変わって、更にsingle actionからdouble actionに変わって、現代のPianoになって、同様に弦楽器も弓や楽器本体もbaroque時代の楽器とは完全な別の楽器に作り変えられて、演奏する様式さえも、忘れ去られてしまい、当然、VivaldiやCorelli、或いは、Telemann等の作曲家達も、その死後、人々の記憶から消え去られるのは、ホンの一瞬の事でした。
つまり、時代様式にそぐわなくなってしまったのですよ。

SchumannやMendelssohn等の努力に拠って、いち早く(とは言っても死後100年後の話になってしまいますが・・)忘却の彼方から引き戻されたのはBachが最初なのですが、BachがVivaldiの作品を色々と勉強をした、として知られる事はあったのだけど、Vivaldiのoriginalの作品自体が世に知られる事はありませんでした。
こんにち、再びVivaldiの作品が世に知られるようになったのは、1950年、つまり、二次世界大戦戦後のお話なのですよ。

VivaldiのLe Quattro Stagioniを再び世界に知らしめたのは、1952年ローマのサンタ・セェチューリア国立アカデミアの学生達12名がFelix Ayo(当時19歳)を中心として集まって、卒業と同時に集まって結成したI Musiciというbaroque音楽を専門に演奏する団体を設立して、MozartのEine kleine NachtmusikとVivaldiのLe Quattro Stagioniを携えて、世界中を演奏して周った事によります。I Musiciのおかげで、世界中にbaroqueブームが起こりました。

I Musiciが日本に始めて訪れたのは、1963年(昭和38年)の事でしたが、残念ながら、私は未だ最果ての地である長崎で未だ高校生をやっていました。
音楽に進む事をやっと了解された頃です。その後、1995年になって、このI MusiciのLe Quattro Stagioniが世界のみならず、日本でも280万枚を売り上げるミリオンセラーになりました。
この売上はRecordとしてはClassicの音楽界では唯一無二の歴史的なミリオンセラーになって、日本でもbaroqueブームが起きました。

・・・とは言っても、Le Quattro Stagioniだけのお話で、PachelbelのCanonすらも、未だ知られていない頃のお話です。
Vivaldiが再び世に知られるようになったその当時の1950年頃には、当然、Vivaldiの作品は出版されていませんでした。
Italia政府は、Ricordi社にVivaldiの全作品の出版を依頼して、現在でもRicordi版がVivaldiの主な作品を出版しています。

でも、Italia人の気質とでも言うのか、間違いが多いのよね??Ricordi版は・・・

20世紀の初頭には膨大な書物が売りに出されて、その中に膨大なVivaldiの作品が含まれていたのですが、多くの人達の努力に拠って、その作品や既に失われていた作品群も買い戻されて行き、かなりの数の作品が一箇所に収集する事が出来ています。
多くの作曲家の中ではVivaldiはluckyな作曲家に属するのではないでしょうかね??




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1月26日ドルプリにとっては、-3℃が心地よいおだな~ぁ??·

超、寒いけれど、ガソリンスタンドに寄って、頑張って、Bikeのガソリンを入れて、椎名町へ食事とドルプリのお散歩に出掛けました。
今夜は流石に手が悴むので、手用のホカロンを持ってお散歩に出掛けました。
イエティの血縁関係者であるドルプリ達は今夜の-3℃が、心地よいのだよなあ〜?
「かわいいね?!」の承認欲求が少ないので、少々欲求不満なのだけど、散歩自体は結構楽しんだようで、ご機嫌でした。

寒いので大急ぎでハイツに戻ったのだけど、シンデレラ-timeギリギリだったのだよな〜ぁ?
風呂につかって身体を暖めてからBedに入りました。
まあ、何と贅沢な•••

それはそうと、ハイツに辿り着いたら、大急ぎで片付けなければならない至急の仕事があつたのですが、のんびりと風呂に浸かっていたら、その急ぎの仕事の内容をすっかり忘れてしまいました。
心の片隅をぽっかりと穴が開いているような気がして、思い出そうとしてもその穴が邪魔をして、思い出せないのですよ。
不思議だ❢❢
心はもう既にお休みmodeに入っているようです。

こりゃあ、どうあがいても、もう無理だなや〜ぁ?!思い出せないよな?
諦めるか?

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1月26日なんと、今の気温は-4℃です。 ·

1月26日の木曜日の朝のもうすぐ6時になる所なのですが、何と今の気温は-の4℃です。これは流石に寒いのです。
今日の予想の温度-3℃を越えて更に下がってしまいました。
東京で-4℃というのは、記憶にはないと思ったのですが、これまでにもあつたのかな?
若い頃には、ミュンヘンで-27℃という寒さを体験した事があったけれど、

今日は朝からβのVideoをBlue-rayに焼き直す作業をしています。
流石にβともなると、音声がそのまでは聞こえないので、一度powerdirectorに取り込んでから音声の増幅作業をします。
時間ばかり掛かる作業なのですが、ちょうど体調もあまり良くないので、パソコンがbusyとなる時間には、Bedで横になって眠る事にしたのですが、何と、昔見た夢と同じ夢を見てしまいました。
良く知っていると思われるproの女の子なのですが、私の曲が弾けないので、特訓中なのですよ。
山奥の人の姿を見掛けない廃屋のようなHotelで缶詰めの特訓中なのですが、お化けが出て来たり、と結構忙しいのです。




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1月27日『演奏会用Programについて』 ·


Koncert・pianistがtourを組む時には、通常は、3つ程のprogramを準備する。

mainのprogramをAproとして、以下Bpro、Cproと呼ぶ。

演奏はそれぞれの開催地でそれぞれのprogramをselectするか、または、当然、どれかをbaseとして、中の曲を差し替えたりする事もある。

Koncert・pianistになるためには、このmainのprogramを作る事・・自体が中々hurdleが高いのだが、このmainのprogramを作る為の方法論がある。

そもそも、この大元のprogramは、long・programとshort・programの二つに分かれる。
long・programは演奏時間が2時間を超えるprogramなのだが、short・programは1時間半から45分ぐらいを想定した演奏会なのだ。

演奏会自体は、間に休憩を挟む、前半部と後半部から成り立つ。

前半部と後半部もそれぞれ二つに分かれて、前半部のAとB、後半部のCとDに分かれる。
また、それぞれが20分から30分の単位で構成される。
つまり、5分ぐらいの小品を4曲だったら、20分構成だし、5分ぐらいの小品を6曲だったら、30分の構成になる。
ChopinやLiszt等の有名なencore・programを4,5曲でちょうど30分のprogramになるだろう。

反対にLisztの有名なEtude・programを4.5曲持ってくれば、Etude・programとしては完璧なので、後は、mainのトリの1曲、20分から30分程度の曲を1曲準備すれば、Liszt・programのshort・programは完成である。

次には、ChopinやRakhmaninovのEtudeを持って来ると、今度は、Etude・programが完成する。

Etudeとは言い難いのだが、SchumannのKoncert・Etude等をトリに持って来ると、チョッと毛色の変わったEtude・programが完成する。

毛色を変えると言えば、Jörg DemusのKoncertの幻想曲の夕べも面白いprogramであった。
何しろ、冒頭はBachの幻想曲と大fugaで始まるのだから・・・

Rakhmaninovで終わらせても良かったのだけど、流石にそこまでは悪戯はしなかったよ。

MozartやSchubertとSchumannと、ドイツ系で纏めていたよな??

Mozartを省いて、Chopinで絞めても良かったのかな??

『子供の伴奏で学ぶ事は』
この文章は、半世紀も前のhomepageを立ち上げるよりも、もっと前に書いた。という事で、homepageの中の「programの作り方」を探したのだが、全く見つからない。相変わらず超、Shockである。

Europaの音楽大学では、repertoryを作るcurriculumとしての課題曲が100曲殆ど出される事が一般的なのだが、日本では演奏家になる為のcurriculumとして曲を課題として貰う事はない。
だから、日本の音楽大学を卒業したとしても、その延長線上で、演奏会を開ける事はない。

勿論、技術的な問題の他に、Koncertを開く為の経済的問題も大きいのだよ。

教室でproを目指して頑張っている生徒達には、よく子供達の伴奏をさせる事がある。
勿論、最初はいやいやながらなのだが、1、2年殆ど経った頃に、突然子供への伴奏の面白さに目覚める事があるのだよ。
そうすると、彼らの音大の友人から伴奏の依頼が殺到するようになる。

全国各地、津々浦々の演奏会場で顎足付きで伴奏の依頼が来るのだが、歌やviolinのsoloだけでKoncertの時間を埋められる分けではないので、お願いされて、残りの時間を埋める事になる。
タダで演奏会が出来るのだよ。
トリの曲をBach‐BusoniのChaconneとして、本来のProgramの邪魔をしない曲を選曲するのだよ。

顎足でタダで演奏会をやらせて貰えるのだから、こんなに美味しい話しはないのだが、それだけの伴奏の技術を学んだのは、子供の伴奏をすると言う事なのだよ。
子供の伴奏の場合には、大人同士の合わせのように、なあなあやあやあで何となく合って行く事は全くないのだよ。
だから、出来る以外の出来たは無いのだよ。
そこに気が付いたから、子供の伴奏をする事で、多くを学ぶ事が出来たのだが、子供の技術を馬鹿にしていると、そこで学ぶ事が出来る事はないのだよ❢



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1月28日『血尿のお話し』 ·


今日は27日の金曜日だったハズなのですが、何時の間にか、ハイツの部屋に閉じ籠もったままで、呆然としている間に28日の土曜日を迎えてしまいました。
というか、椎名町から食事とドルプリっ歩が終わってハイツに戻った時点で12時を2、3分は過ぎていたのだよな?

実は、前日の26日の木曜日の深夜にそろそろbedで、真面目に寝ようと、思って、toiletteに行ったら、尿が少しだけ赤茶色で、気にはなっていたのですが、そのまま、結構、爆睡して、次の日の朝、遅めに起き出してtoiletteに行ったら、何と、血尿状態だったのです。

お久し振りの血尿で、暫し、どういう対応をしたら良いのか呆然自失して考え込んでしまいました。

でも、今回は、既に大学病院で診察を受けているので、病院を探すという事はありません。

昔の話しなのですが、18年に血尿になった時には、先ずは診察を受ける病院を探す所からなのでしたが、「血尿が出た」と言う事は手術対応の出来る病院でなければならないので、一般の巷の薬だけを処方する個人病院の泌尿器科は論外なので、その段階で病院の選択肢は限られていました。

18年の9月に最初に血尿が出た時には、その直前で、循環器の病院から糖尿病の病院に病院を変えたばかりだったので、主治医の先生も良く知らないし、先生もめったに病院に来ないようなので、その同じ病院なのですが、主治医を通さないでいきなり泌尿器科の外来に行ったのだよね??

同じ病院内なのだから、紹介状も要らないだろう??って、都合よく考えて・・さ??

やって見るもんで、紹介状も無いままに、他の科を受けたのだけど、それはそれで、問題なく診て貰えて、膀胱のCTの時に、膀胱癌の次いでに、腹部大動脈瘤まで見つかって、緊急を要する大手術になったという複雑な経緯があるのだよ。

光が丘の病院では、腹部大動脈瘤の開腹手術かステントグラフト手術かの前の段階で、色々とトラブルがあって、セカンドオピニオンで病院を逃げ出してしまったのだが、川崎で腹部大動脈瘤の手術をしたので、その次いでに膀胱も川崎で切って貰ったのだが、その後は、膀胱鏡の検査の度に、「血尿が出たら、大急ぎで駆けつけるように」と言われていたので、まあ、取り敢えずは、大学病院に電話をして主治医に血尿が出た事を伝えて貰った。

主治医からの返事では、「貧血が起きていなければ予定通りで良い」・・という事になって、午前中のドタバタがなんとか収まったのだよ。

今日はまるまる、一日、気を付けて安静にしていたら、なんとか尿の色も通常の状態に近づいて来たよ。

まあ、病院によって対応の違う事••••、大病院は、今は死ぬ程忙しいのだから、静かにしている事だよな??

2日間も静かにしていたら、流石に飽きて来たので、血を止めるには最悪の日本酒を熱燗で飲む事にした。
90㍉㍑ 半合である。

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1月28日素晴らしい青空が

·

今日は1月の28日の土曜日の朝の9時半を過ぎた所です。

部屋のblindを開けてみると、お久し振りのとても素晴らしい青空が広がっていました。

気持ちの良い朝のようなのですが、今の気温は3℃で、今日の最高でも7℃迄しか上がらないようなのです。

つまり、今日は寒い一日なのですよ❢







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1月29日今日もまた素晴らしい青空が ·

1月29日の日曜日の朝の6時を過ぎた所である。

無数の音源とそれに対するIndexのdataをpowerdirectorでぶつ切りに細かくcutしているendlessの夢を見た。

超、疲れるhardな作業だった。

一瞬、終わった作業を探してしまったよ❢

toilet-timeで目が覚めて良かった❢

このまま寝ていれば、延々と疲れが溜まって行く所だった。

今朝も-1℃と寒い朝である。

写真の下の方には、今日は朝焼けがあった事を思わせる残照が残っている。

今日も雲一つない青空である。
全て世は事も無し••と言いたい所なのだが、相変わらずの、鼻詰まりが酷くて、眠っていたいのだが、息が出来なくて、眠れないのだよ。
何時ものように、椅子に座って首を暖めていると息が出来るようになるのだよ。
毎日のroutineだよな??
困った事だ❢❢





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1月30日食欲不振の後の空腹感 ·

今日は1月30日の月曜日の朝の7時半を過ぎた所です。現在の気温は-2℃です。
眼下には、相変わらずの雲一つない美しい青空が広がっています。

今朝の7時半の起床は、勿論、二度目の起床です。
一回目の起床は4時台です。

超、珍しい事に、強い空腹感を覚えて起きたのでよ。
この所、延々と何日も食欲不振が続いていたのですからね〜ぇ?

勿論、何も口に入れる事はないままに、眠ってしまったのですが、二回目の起床でも、やはり強い空腹感を抱いていたので、潰瘍性の空腹感ではなくて、マジ本当の空腹感だったようです。
はてさて、冷蔵庫には食い物はあったかな??

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1月31日足が冷え切ってしまったので、アンカを出した ·

今日は1月の31日の火曜日の朝の6時をまわった所です。

昨晩は帰りが遅くなってしまって、お久し振りの1時過ぎの帰宅になってしまいました。
そのまま眠れば何の問題もなかったのですが、体調不良もあって、弱鬱になってしまったのですが、胃の調子も悪くて、お酒は勿論の事、お茶さえも飲めないで、音楽すら聴く気にもならなくて、椅子に座ったままで呆然と時の過ぎゆくままに、過ごしてしまいました。
あまりにも寒いのでストーブにしがみついたままで、エアコンもつけていたのですが、足が氷のように、冷えて来て、流石にこのままでは無理•••と言う事で、布団に潜り込んで、アンカに足先を預けたのですが、アンカは温かいのですが、足先は全く温まらないのですよ❢
これは困った事だよな?

だいぶ、時間を掛けて見たのだけど、足先の冷えは解消しないようです。
この状態は、鬱が酷い時の症状だよな〜ぁ?

そのまま2時間程、アンカで足を温めていたら、何とか足に血の気が戻って来たようで、鬱も治って来ました。
眠れる所迄には未だ未だなのですが、取り敢えずは良しとしますかね?

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2月



2月3日春眠暁を覚えず ·

2月3日の金曜日の朝の7時を過ぎた所ですが、今朝もBedの中で悶々としている所なのです。

今朝は3℃と、何時もよりも寒くはないと思うのですが、小一時間以上もアンカに足を乗せて温めているのに、全く温まらないままで、足が氷のように冷たいままなのですよ❢
アンカの下に足を挟んで、なんとか足を温めようと試みているのですが、いつまでも凍り付いたように、冷たいままなのですよ❢

俯向きになって、足の甲を温めて見たり、色々と頑張っているのですが、足だけが、温まらないのです。
足が冷たいと言う事は、眠れないと言う事なのですよ。

一番良い方法は、熱いお湯で、足を温めて、そのまま眠る事なのですが、お風呂を沸かすのは、無理だし、足湯専用の入れ物は、何処かにあったよな〜ぁ??
でも、出す気はないよな??

で、どうする??
そろそろ、toilet-timeになって来たぞ?
諦めて、少し身体を暖めるか?

昼夜逆転していて、曜日の感覚が麻痺してしまっていたので、今日が金曜日だと言う事に気が付いて、木曜日の注射を忘れていた事に気が付きました。
慌てて、半日遅れで注射をしました。
一週間一回の注射なので、意識していないと、忘れてしまうのですよ。
Calendarでは、check出来るようにはなっているのだけどね〜ぇ?
Calendar自体を見ないのでね?

隣のパソコンの部屋のストーブをつけたままで、モコモコと寝間着を着込んで、寝たののですが、足は少しだけ温まって来たのですが、鼻詰まりはとうとう改善出来なくて、10時半になってしまいました。
もう、眠る事を諦めてしまいました。
いやぁ〜、今日は朝から仕事が捗るよな〜ぁ??
否、今日ではなくて、この所、•••か??

今、聞いたのだけど、今日は、節分だそうです。
気が付きませんでした。
明日は立春だそうです。


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2月4日実にrealな夢を見た ·

同窓会の食事パーティに呼ばれて、2万円の会費を払って、自分のdrink用に2万円のWineを注文したのだが、あまり面識もない同窓生の愚痴の聞き役になってしまって、オジさん連中のウダウダ話しに付き合わされて、食事も前菜をほんの少し摘まんだだけで、Wineも最初のGlass一杯分しか飲まないで、時間だけが闇雲に過ぎてしまって、時間が来て、ついにお開きになってしまった。
なんとつまらないパーティだったのだろうか?
まあ、同窓会のパーティなんて、そんなもんだよな〜ぁ??

何も飲み食い出来なかったので、自分の分のコース料理と自分がオーダーしたWineをお持ち帰りにしようと、garsonに頼んだのだが、「コース料理もWineも完食した」と言って、取り合って貰えなかった。

飲み食いした覚えは全く無かったので、頭に来てしまったのだが、怒りの遣り場が無くて、友人に不平をタラタラ言いながら、店を後にして、渋谷駅の雑踏の中を、寒さに震えながら歩いていたのだよ。

そうか?寒い❢寒い❢と言っても、今日は、もう立春なのだよな〜ぁ? 

今日は、普段ならば、半日逆転の生活をしていて、深夜の時間帯には、18年にブッ飛んでしまったHomepageの、Bachのインベンションとシンフォニア、全曲の解説論文のPageの復活作業をしているのだが、毎日、連日の深夜の作業で、今夜は、流石に疲れてしまって、深夜逆転の毎日であるハズなのに、深夜であるにも関わらず、爆睡してしまったのだよ。

つまり、海老や蟹の豪華な海鮮料理を食いに行った•••と思ったのは、紅楼夢に過ぎなかったのだよ。
せめて、人の愚痴等は聞かないで、海鮮料理を食べてから、夢から冷めたかったよな〜ぁ?

でも、未だ、朝の5時を過ぎた所なのだから、頑張って、寝直おす所から始めて、もう一度、コース料理を食い始める所から、再challengeするか??
今度は、他人の愚痴は無視して、海鮮料理を食う事に、専念するか??
まさか、そう、上手く眠れるかいな??

寒い❢
今の気温は2℃だそうな?

30分毎の頻尿になってしまって、眠るどころではなくなってしまったよな❢
超、寒いのにtoiletに通わないといけないのだよ。これは困った❢

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2月4日『bikeの鍵が・・』 ·


明日の日曜日は千葉大のオケ伴奏で、千夏ちゃんがTchaikovskyのコンチェルト全楽章を演奏するので、生徒達が「演奏会を聴きに行きたい!」と言っていたので、千葉のオケ練習とlessonを早い時間にする事にしました。

それなので、私の車での移動が何時もよりも早目になったので、朝は早く起きる為に、今日の夜の食事を早めに取って、ドルプリっ歩も早く終わらせる為に、ハイツでのhomepageのinventionとSinfoniaの復活の仕事も、早めに切り上げて、椎名町に移動しようと思ったのだが、今日は、体調があまり芳しくなくて、進捗が上手く行かなかったのだが、なんとか頑張って、時間迄に準備をして駐輪場に辿り着いたのだが、なんとpokkeにBikeの鍵が入っていなかったのだよ❢
超、Shock❢❢だったのだが、まあ仕方がないので、頑張って部屋まで戻って、玄関でkeyを探したのだが、見当たらない。

部屋の中まで入って探したのだが、やはり見つからないので、「そう言えば、昨晩は、玄関で、なにか落ちた音がしたよな??」と思い出して、よくよく探して見たら、やっぱり玄関の荷物の影にKeyが落ちていたのだ。

keyを探すのが、結構、時間が掛かって、すっかり遅くなってしまったので、慌てて駐輪場に戻って、bikeを出そうとしたら、今度は出口のdoorが開かないのだよ。

強引に開けようとすると、bikeと一緒にひっくり返りそうになるのだよな??
door同士が絡まって、引っ掛かって動かなくなってしまったのだよ❢

頭に来て、bikeをstandで、立てて、doorを強引に、こじ開けて、なんとかbikeを駐輪場から出す事が出来た。
このクソ忙しい時に、超、頭に来てしまった❢❢

少しでも、早く・・と、普段の道とは違って、椎名町迄の最短コースを走ったのだが、何時もならば人っ子一人いない踏み切りの遮断機が、特急の待ち合わせ等で、降りたままで、20分近くも待たされてしまい、結構、人気のないハズの踏切に、人が溢れてしまったのだよ。

まあ、そうこうして、椎名町の到着が、予定時間よりも、遅れ・・遅れになってしまった。

まるで運命が、「出掛けるな❢」と言っているようだったよな?

食事の時間に遅れてしまったので、大急ぎで食事をしたのだが、たべている途中で、気分が悪くなってしまって、少し、食べるのを中座して、休んで見たのだが、とても食べ続ける事は無理・・という事で、その日のドル・プリっ歩は、急遽、お休みする事にしたのだが、「この調子では、明日のオケ練習とlessonもお休みにしないと無理だよな??」と、考えながら、大急ぎでハイツに戻った。

帰り際に、これまでのオケ練習が二週間お休みだった事を聞いて、「それでは明日の練習をお休みをするのは無理だな❢」と言う事で、明日のオケ練習とlessonは、なんとか頑張って、アリ❢という事にした。

今日は、出来る限り頑張って、明日に備える事にして、取り敢えずは、眠る事にした。

明日は、ちゃんと起きれるかな??
これは、明日の体調勝負だよな??

中々、inventionとSinfoniaのPageに取り掛かれないよな??

時間と体力が無いよな~ぁ??
いやあ、困った❢困った❢❢



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2月6日『病院が無い❢❢』 ·

今日は2月6日の月曜日で、光が丘の病院dayです。

前回、3ヶ月前に光が丘病院に来た時には、病院に行く途中でBikeが故障して、bikeを修理の業者に取りに来て貰う事にして、途中のコンビニにbikeを置いたままで、急遽、病院にTaxiで乗り付けたのだが、その時には、病院が全く新しくなっていて、別の病院に来たような気になって、すっかり、驚いてしまったよな〜ぁ?

という事で、前回はTaxiで病院に行ったので、病院の場所が、以前の病院と同じ場所の隣の場所にあったのだと思い込んでいたのだけど、昨晩は、それでも一応は地図で光が丘病院の場所を調べて、地図上で確認をして出掛けたのだけど、その場所に着いたのだが、幾ら探しても、何処にも病院がないのだよ。
不思議だ❢ 

つまり、netの地図が新しい病院の住所に更新されていなかったのだよな??

探しあぐねて、丁度、通りかかった郵便配達のBikeの女の子に病院を尋ねたら、「病院は全く別の所にお引越しをした」と言って、とても丁寧にその場所を教えてくれたのだが、見知らぬ土地なので、土地勘が全く無くて、折角の説明なのに、全く分からなかったのだよな。

しかし、まあ、女の子には、感謝感謝だよな❢

・・・なんとなく、言われた通りに、Bikeを走らせていたら、突然、見覚えのあるcurveの石畳の景色が現れたので、そちらの方向にBikeを走らせたら、curveの先に唐突に、病院が現れたのだよ。

病院の場所は、全然、思っていた所と全く違う場所だったよ❢

病院さえ見つかれば、まあ、時間はゆとりを持って出て来たので、予約時間も、それまでの検査の時間も問題はないのだよ。
それぞれの検査の場所や、診察の受付場所には、未だ、まごつくけれどね??


『千葉大の演奏会のお話』
話を2日も戻すけれど、2日前の土曜日は、私は、少し体調不良だったし、日曜日の夕方に、教室の千夏ちゃんが、orchestraでTchaikovskyのConcertoを全楽章演奏するので、オケの生徒達が「聴きに行きたい❢❢」と言う事だったので、オケ練習を早めに切り上げる事にして、演奏会に行くと言う話だったので、オケの練習がshort-versionだという事ならば、私が無理をしてオケ練習に付き合う事も無いよな??と言う事で、「日曜日のオケ練習は、行くのをやめよう」・・と思っていたのだけど、斉藤先生から、前の二週間、オケ練習が無かった・・という事を聞いて、「それは無理だ❢❢」と言う事で、急遽、千葉の教室まで、lessonに行く事にしました。

今回の千葉大のコンサートでは、千夏ちゃんのチャイコのConcertoの全楽章の他にも、前日の土曜日にも、教室の生徒達がMendelssohnのPianotrioを演奏したり、BachのdoppelConcertoのsoloも急遽、演奏していたらしいのですが、私達は何も聞いていないよ。

演奏会で生徒達が演奏する事は、私達には内緒だという事らしいし、千葉大のオケに行っている事自体が、先生達に内緒の生徒達も多いので、先生は蚊帳の外なのです。

まあ、そうは言っても、事後承諾でvideoでは、生徒達の演奏は、見ているのですがね~ぇ??

今回は、牧野先生達は、オケ練習を早めに切り上げて、ニャンコ号で生徒達を引き連れて行く、・・というつもりだったらしいのだけど、本当は、私的には、オケ練習さえも、サボりたかったのだけど、「練習が二週間飛んでしまっている」

・・という事なので、無理をして、千葉迄行ったので、オケ練習の最後の方は、流石に体調不良で、energy切れ・・をしていて、コンサート会場まで、車を出す体力や気力は、もはや、無かったのだよな??
否、当然の想定内の話なのだけど、さ~ぁ???

・・と言う事で、おおっぴらの隠し撮りのチャイコのvideoを見ながら、一人で、悦に入っています。


『videoの編集とuploadの作業が上手く行かない❢』
昨日の帰りは、千夏ちゃんのKoncertが終わってから、千葉でドル・プリっ歩を済ませてからの帰り・・になったので、千葉発が10時半を過ぎてしまって、椎名町に帰り着いたのは、11時半丁度でした。

それから、軽く夕食を食べて、・・と言うか、少し、休んでから、ハイツの自宅に辿り着いたのは、深夜も深夜の1時半を過ぎていました。

それから、明日の月曜日の光が丘病院の出発の準備をしながら、並行作業で、オケ練習のvideoの編集をしながら、なんとか寝たのだけど、結構、朝は早く起きてしまったよ。

病院に行く為の、ハイツを出発するギリギリになっても、編集やuploadの作業が終わらなかったので、パソコンを動かしたままで病院に行って、夕方の5時に帰って来たのだけど、何と、なんと、You Tubeのuploadも、videoの変換も両方とも出来ていなかったのだよ。
これまでの丸々、1日の作業はなんだったのだろう??

毎週、同じ作業をしているのに、何故、両方とも出来ていないのだよ。
分からん❢❢
理解不能だ❢❢

・・・という事で、全く同じ作業を、また、繰り返しているのだ。
単純なパソコンの不具合としか考えられないのでね??

気を取り直して、調べて見たら、一つは、拡張子が「supportされていない拡張子だ❢」というmessageと、もう一つは、何と「accountを確認しろ」というmessageが出て来た。
でも、これまで、延々と同じMP4の拡張子と、同じaccountで色々な動画をuploadしていたのに・・、「何を今更・・」・・なのだよ。

まあ、しゃあないから、accountの確認の作業をして、videoからMP4への変換作業を・・と、何と❢❢ 全く同じ作業の3回目に挑戦しているのだ。
気の長い話だよ。

これで、2日間、同じ作業を、パソコンで繰り返しているのだよ❢❢
それで、何かが変わるのかね??

不思議な事に、3回目でやっと、普通に動画のuploadが出来ました。
何が、どう、違ったのだろう??
理解不能だ❢❢




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2月7日古いパソコンの方が使い手が良いのだ·

今日は2月の7日の1時半の火曜日になった所だ。
4日の土曜日以来、3日間も体調不良が続いているので、明日(・・と言うか、今日の事なのだが・・)は徹底的なRehabilitation-dayにしよう。
体調不良が続くと、何かと周りに被害甚大だからだ。
1日、2日間をRehabilitationの為に捨てた・・としても、その方が、周りの人達に取っては、効率が良いからなのだ。

まあ、「Rehabilitation-day」と言っても、部屋の中で、安静にして何もしないようにする事だけの事、・・なのだが、団塊の世代の人間には、これ(何もしない事)が結構、難しいのだよ。
ふと、気が付くと無意識に、手に取って、何かを始めているのだよ。
私とほぼ同世代の周りの友人達や、知人達は皆、共にそうなのだから、そういった時代に生きて来たのだから、致し方無いのだろうよな??

日曜日の深夜からは、オケ練習のvideoや、千葉大のオケの千夏のvideoをパソコンに取り込む作業と、Blu-rayを焼いたり、オケ練習とlessonのvideoをYou Tubeに限定公開で、uploadする作業をしたのだが、パソコンの不具合か、You Tubeの不具合かnet環境の不具合なのかは分からないけれど、丸々24時間は掛かってしまって、3回もYou Tubeへのuploadを、やり直しをしてしまった・・・と、言う事は前日のFacebookに書いたのだけど、その時の、取り込みの作業やuploadの作業の時には、パソコンがbusyになって、他の作業の為の、パソコンの使用出来なくなってしまうので、並行で作業をする為に、subのパソコンと、古い昔のパソコンをhard-diskを入れ替えて新しくrenewalをした大型のDesktopに、mainのパソコンと同じprinterやsoft類の3台分の共有を設定した。

subパソコンは、元々、共有の設定が難しかったのだけど、古い大型のパソコンは、とても使い手が良くて、直ぐにinstallが出来て共有も問題無く出来た。
同じ事が、同じDellのパソコンなのに、subのパソコンには、全く出来ないのだよ。
いつも、このsubのパソコンには辟易させられるのだよ。

まあ、なんとか頑張って、soft類のinstallは終わって、建前では共有の設定も終わって、print outも出来るようにはなったのだけど、実際にやってみると、出来たり、出来なかったり、不安定なのだよな??
でもまあ、いずれにせよ、病院に出掛ける前の慌ただしい時間にやる作業ではないよな??
まあ、ギリギリ迄には、なんとか出来たけれどね??




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2月8日昨日はtoiletteで死にそうな目にあった·

今日、2月7日の火曜日は体調不良のRehabの為に、1日中、何もしないで、ウダウダとbedと椅子を往復するつもりだったのだけど、やっぱり、普段のように、結構、朝早く起き出してパソコンに向かって、Bachのinventionとsymphonienの復活作業を始めてしまった。
まあ、これは性(さが)なので、しょうがないか??

今日は、toiletteで死にそうな目にあった。

昨日、病院でその話をしたばかりであったのだが、先生は「薬を処方しようか??」と言ってくれたのだが、病院の薬は効き過ぎて、身体が過剰反応をしてしまうので、断ってしまったのだが、貰って、普段、飲まなければ良いだけで、非常事態の時だけ、飲めば良かったのにね??
融通の利かない事・・❢❢

これも薬の副作用だと思うのだけどね~ぇ??

西洋医療は、あちらを立てればこちらが立たず・・なのだよな~ぁ??
困った事だ❢❢

それはまた、別の病院の話なのだが、手術も4ヶ月も放ったらかしだしね~ぇ??

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2月9日今日はrotationのミスで食事もドル・プリっ歩もサボった ·

2月8日の水曜日も、バテバテと摂眠不良なのに、結構、朝早くから、BachのHomepageの作業をしました。
勿論、疲れたら寝て、また起きて···の繰り返しをしながらなのですがね〜ぇ?

それで、日がな一日が過ぎて、食事の時間になったので、椎名町に出発しようと、荷物を準備して、雨が降っていて、超、寒いとの事なので、rain-coatを着て、トボトボと、Bikeの駐輪場に行ったら、なんと手袋の右手がない。

keyを出したり、doorノブを開いたり、と細かい作業をする為に、脱いで手に持っていたハズの手袋なのだが、荷物が多すぎて、落とした事に気が付かなかったのだよ。

手袋を探しながら、道なりに、5階の自分の部屋迄戻って、部屋の中も探したのだが、やはり、無い。

駐輪場迄の道を注意深く探しながら、駐輪場に戻ったのだが、その道なりには、やはり無い❢

真っ暗な駐輪場の蛍光灯を点灯させて、よく探してみたら、何とBikeの下に落ちていたのだよ❢
黒い手袋だったので、薄暗い中では、よく見えなかったのだよな?

駐輪場で荷物をBikeに積み込みながら、手袋がないと気が付いた時に、確認の為に、駐輪場の蛍光灯を付けてみるべきだったのだよ❢

このpatternは、雑な仕事をして時間を失くす・・という生徒達に注意をしている典型的な失策のpatternだよな〜ぁ??
反省❢反省❢

それに、今日は朝から、なんとなくドタバタしていたので、薬を飲むのを忘れてしまっていた。
気が付いたのは、ハイツを出掛ける直前だったので、仕方がないので、そのまま、椎名町の食事とドル・プリっ歩が終わってから、ハイツに帰ってから、薬を飲んだのだが、それが原因で眠れなくなったのだよな??

勿論、薬には利尿剤が入っていたのだよ??
bedに入ってから、30分起きに、尿意をもようして、起き出してtoiletteに通ったのだよ。

・・・という事で、結局、朝まで一睡も出来なかったままに、lessonに行く事になってしまった。

lessonが終わって、ハイツに5時過ぎに帰って来て、lessonの荷物や、出掛けた時の後始末をしていたら、突然、energyが切れてしまったぞよ。
椅子に座ったまま、呆けてしまっているのだよ。

とても、食事とドル・プリっ歩に、椎名町に行く事は、無理になってしまって、結局、食事もドルプリッ歩も、サボってしまった。

体調を整えて、体力を復活させようと、頑張っている時に、最悪のpatternであったよな??

そこいらの、controlがもう少し、上手くなるともうちっと、マシなのだけどな??




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2月10日理解不能なGoogleのcalendar ·

2月10日の金曜日の深夜の0時4分なのだが、椎名町から戻って来て、後片付けをしながら、パソコンのGoogleのcalendarで、明日の予定の確認をしようと、calendarを開いたのだが、開いてみると、突然、Googleのcalendarが、自分のmailの予定だけしか開かなくなってしまっていた。

同じGoogleのcalendarに入れていた携帯の予定が、パソコンに全く反映されないのだよ。
パソコンを、何か、弄った分けではなく、全く、突然の寝耳に水に・・である。

何度も、共有設定を弄って修復を試みたのだが、手に負えなかった。
netで修復法を調べて、再度挑戦してみたのだけど、やっぱり駄目であった。

まあ、それで、諦めて、取り敢えずは、bedに入って、寝たのだが、寝苦しくて眠れなかった。

諦めて椅子に座ってエアコンの生暖かい空気を受けていると、直ぐに眠くなって来るのだが、それでbedに戻ると、また、目が冴えて来る・・という悪循環なのだ。
まあ、これはいつもの事なのだから、何度か繰り返している内に、なんとか無事に入眠出来た。
routineだよ、routine❢❢

朝、toilette-timeで、目が覚めて、今日のハイツでのlessonの予定が、寒波の為に、日延ばしになったのを思い出して、じゃあ、またぞろ、無理をして眠る事もないや??・・と、パソコンでのんびりと、Google-calendarの修理を試みた。

何度試みても同じ状態なので、パソコンの本体に入っているパソコンのアプリのGoogle-calendarを開いて見たら、何の問題もなく作動している。
不思議だが、installしたGoogleのcalendarとパソコンのアプリのcalendarでは、同じGoogleのcalendarでもversionが違うのだよな??

パソコンのGoogle-calendarと携帯のGoogle-calendarでは、illustの私の顔が違っているのに、気が付いて、パソコン側のaccountを、携帯のaccountにしてみたら、問題なく、携帯の情報が流れ込んで来た。

Gott sei Dank!(やれやれ❢❢)一段落であるぞい??(と思ったのは、一時の迷いだったのだがね??)


・・・てな事をウダウダと書いていたら、急に部屋の中が寒くなって来た❢❢

「これはおかしいぞ❢❢」と、携帯で練馬区の温度を確認したら、なんと、0℃から更に下がっているようだ。
体感温度は何とー3℃なのだそうな??
「そりゃあ、無理だわ❢❢」・・てな事で、エアコンの暖房を平行でつける事にした。
部屋が温まったら、その時に消せば良いのでね??

・・てな事を書いていたら、お昼の12時を過ぎたのだが、それでも、未だ0℃のままなのだよ❢
今日は最高温度でも、4℃迄しか上がらないのだそうな??
それは寒いよな??

今日の椎名町への食事とドルプリッ歩は諦める事にしよう。

Bikeでの移動はとても無理だからね〜ぇ❢


・・てな事を書きながら、別のaccountで開いたハズのcalendarを開いて見たら、何と、元の最初のaccountのcalendarに戻ってしまっていた。
何度、別のaccountで開き直しても、元のcalendarで開いてしまうのだよ。

根負けして、もう一度、最初のGoogleのcalendarに、同じ設定をやり直したら、何と、不思議な事に、今度は元のcalendarでも共有設定が出来たのだよ。
何なんだ???これは・・???

全く、分からんが、取り敢えずは、復活したのだ。
理解不能だよな??

雪は降る・・、あなたは来ない・・ので、「腹減った!」とlineで催促した。

雪まみれで駆けつけてくれたのだが、朝の11時からはドルの病院で、雪の中を遠出をしたらしい。
いやあ、今日の自転車はツルツル滑って、大変だよな??

今日の椎名町へのbikeでの移動は、不可能なので、食事は届けて貰った弁当で今夜と明日の朝、昼迄は、間に合わせる事にして、勿論、ドル・プリっ歩のお散歩もパスにする事にした。

・・と言う事で、時間が作れたので、(時間の制約が無くなったので・・)VivaldiのRecorderConcertoのLa notteのOp.ⅩのNr.2の緩徐楽章に書かれている・・・senza Cimbaloのpartを絢美ちゃんに8beatで即興で演奏するように・・と、言っていたのだけど、難しいらしくて、何時までも出来ないので、今日はそのscoreとCembaloのpartを作って、You Tubeにupした。
明後日の日曜日迄には、楽譜を手渡し出来るのでね??

それでも、まるで、四季(Le Quattro Stagioni)の秋(L'Autunno)のⅡ楽章ダナや??
日曜日のオケ練習では、初見で演奏出来るよな??アハッ!
パソコンの音源でuploadしてみたぞい❢❢
https://www.youtube.com/watch?v=-MLUN-pi37w

今は11時になった所なのですが、練馬区の気温は2℃です。

0℃から2℃で、結局一度も4℃にはならなかったのだ




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2月11日摂眠障害 ·

2月11日の土曜日の深夜の3時45分なのだが、2時前に、変な夢を見て、寒くて、目が覚めてしまった。

パソコンの部屋のストーブが、time-limitで、消えてしまったから、寝室の温度が冷えてしまったのだ。
toiletに行った次いでに、ストーブをつけて、同時にエアコンをつけて、暫くストーブにしがみついていたら、なんと、一瞬で、小一時間は過ぎてしまっていたのだよ❢

眠った覚えはないのだけど、意識が飛んでしまっていたのだよな〜ぁ?

変な寝方をしたので、身体を温めないと眠れない•••と言う事で、少しだけ、パソコンの作業をするつもりでパソコンを立ち上げたのだが、仮眠をしてしまったので、パソコンは閉じて、Bedに戻って眠る事にしたのだが、今度は鼻水が出て、息が出来なくなってしまって、眠れなくなってしまった。

鼻水、鼻詰まりの原因は、布団の中で、急な体温の変化で起きてしまうのだが、これが毎夜の話しなのだから、困ってしまうのだよ。

•••てな事を書いている間に、鼻水は治まって来たのだが、今度は鼻詰まりで、息が出来なくなってしまって来たのだよな。
鼻詰まりを治める為に、またまた、パソコンの下に行って、椅子に座って、首の後ろを温めなければなるまい。
折角、Bedで横になったのに、すこぶる残念だ❢
頑張って、もう一度、起きるか?

深夜の鼻詰まりは、無呼吸症候群で、結構、死亡事故がある、怖い病気なのだよ。
息が出来なくなると、口呼吸をするので、喉を傷めてしまうのだよ❢

てな事をウダウダと書いていたら、4時半を過ぎてしまった。

マジにエアコンの下で、首を温めるか?
外は凄い風が吹いていて、toiletの換気扇から冷たい空気が入って来るのだ。

昔、Facebookに、「ハイツの部屋では、ガス自殺は出来ないよな?」と、冗談で書いた事があったのだが、ガスストーブの急速暖房をしていると、それでも、酸欠になる事があるようだ。





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2月11日音楽史の別のapproach ·

音楽史を時代区分として理解しようとする時には、超、大雑把な捉え方なのですが、baroque時代は教会が支配する時代で、古典派の時代は貴族階級に属する時代で、ロマン派の時代は、一般大衆と言うよりは、プチブルが音楽を支配した時代である•••と言う事が出来ます。

支配する、と言う意味は、「作曲家の生活の糧を誰が出しているのか?」という意味でもあります。
教会が音楽社会を牛耳っていた時代は、教会の神に対する考え方は、神は完全であり、完全なる神の言葉は数学や物理学である•••という考え方でした。
神への言葉として崇高な数学的な論理性が音楽にも求められていた時代なのです。

一見すると、とても大変な事を要求されているようにも見受けられますが、しかしそれは、作曲家にとっては、ある意味、とても好都合なのでした。
当時、教会に努めていた作曲家の仕事は、非常に広範囲に渡っていて、その仕事のノルマを熟すという事は容易ではありませんでした。
そこに登場したのが、音楽理論であり、和声学や音楽形式学等です。

作曲や演奏上では、論理的であると言う事は、同時にPatternに依る速記法や合理化を生み出して、色々と好都合だったからです。
教会に所属している数人のproや自分の愛弟子以外の音楽を演奏する人達は、殆どamateurだったでしょう。
そういった人達に高度な演奏や完璧な演奏を期待するのは無理な話しです。
そういった人達には、小さな曲を何度も繰り返して演奏すれば良いように、ritornello(リトルネルロ)(循環)形式と呼ばれる形式が発展してきました。
soloの部分はcontinuo(コンティニュオ通奏低音)と呼ばれる低音楽器のsoli(ソリsoloの複数形)で伴奏をするのですが、それもPatternを転調で繰り返して行くSequenz(ゼクエンツ)だけの、超、簡単な速記法でした。
最悪の場合には、proと愛弟子だけでの演奏ならば、楽譜無しで、初見で演奏出来るようなPatternに拠る演奏でした。
教会では、毎週のミサでの演奏が決まっているし、演奏に4時間も掛かるような大曲も、年に数回の教会の行事に合わせて、作らなければならなかったからです。
それも含めると、とても大変な職業であった事が分かります。

次の時代は音楽史的な区分では古典派の時代になるのですが、その時代は貴族階級が幅を利かせて来て、作曲家の就職先やスポンサーも貴族である事が、一般的になって来て、作曲家の作品も貴族階級の人たちを対象にして、分かり易くて貴族風の優美な曲が主流になって来ました。
音楽は貴族のPartyのBGMとしてだけではなく、貴族の教養の高さを示す為に、自らも演奏を愉しむ事が多くありました。
そういった貴族の趣味に合わせた音楽がこの時代の流行でした。
古典派の末期からは、貴族階級の没落と共に、一般の商人達が経済をぎゅうじるようになります。
所謂、プチブルの時代になります。
音楽は、これまでとは違って来て、貴族達をも含む大衆が愉しむものになって来て、大きなHallや、大人数の聴衆を対象にするようになって来て、大Hallでも演奏可能な大きな音を出す楽器が要求されるようになって来ました。
pianoは、それまでのシングル-アクションのフォルテピアノから、非常に大きな音を出すダブルアクションのpianoに変わって、violinもトルテの発明した現代ボウに変わって、violin自体にも大きな音が出せるように、色々な改良が加えられました。
所謂、バロックviolinに対する、我々がこんにち目にしている現代violinなのです。



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2月14日病院行く前の日に、病院に行く夢をみている ·

明日の2月の15日の水曜日は、1月に検査した検査結果と、入院手術の説明を受けるために、練馬高野台の病院に行く日である。
いよいよ、まな板の鯉の心境なのだわサ❢

そういった心的状態の所為なのか、昨晩は、長崎に帰省している時に、病院に行って検査を受けるために、悩んでいる夢を見た。
この病院に検査を受けに行くという夢のpatternは、何度も繰り返し見る夢の幾つかのpatternの中の一つの夢なのだが、その場所は、大概の場合には、不思議な事に、長崎に帰省している時の話しである。

昨晩の夢は、長崎に帰省して、東京に帰る直前に、病院で検査を受ける・・という夢なのだが、通常の診療時間ではなくて、病院が開く時間の前の早朝に、緊急の患者や、訳あり患者の受け付けをする・・という話らしく、私が、朝の散歩がてら、病院に行くと、もう病院の前には行列が出来ていたのだよな??

それを見て、検査を受ける気力が萎えてしまって、戻ろうとするのを、付き添いの人が説得している夢だった。
俺的には、東京に戻ってから、東京の病院で検査を受けても同じだよな??・・と弁解をしているのだけどね~ぇ??

或は既に、検査台の上に寝ていて、先生が来るのを待っている夢を見る事もある。
痛みや苦痛に対しての恐怖に慄いている夢なのだよ。

或は・・、・・否、もう止めよう。

もうそれは、夢ではなくて、明日の話なのだから・・・

その後、更に、幾つかの病院に行って検査を受けるPatternを、一つ一つを、Facebookに書き込む夢を見た。

しかし、これは何時もの夢のPatternで、書き込んでも、書き込んでも、結局、夢であって、Facebookには何も書き込まれていない・・というPatternである。

これはもう、夢と言うよりは、現実そのものだよな??
面白くもなんとも無いのだよ。

(これは夢の話ではなくて、現実の話なのだが、・・・携帯の、推測変換の表示の文字sizeが変わった。
文字のFontが変わって、細く少し小さくなっている。
versionが変わったという事だよな〜ぁ?
推測変換の確率も、少し高くなっている。
吹き出したくなるような面白い誤変換が少なくなった。

良い事だ。)
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2月14日今日は何をやっても上手く行かない日だ ·

今は2月14日の火曜日の夕方の6時半になる所である。
今日は、一日、鬱っぽくって、仕事が手に付かない。
パソコンの前に座っていても、仕事をやる気が出ないのだよな??

そんな時には、何時ものPatternで、「雑用を•••」・・という事で、Google-calendarの共有の設定をやり直したのだが、上手く行かないのだ。

諦めて、Desktopにanalog時計を表示させて、次いでに、inventionの第12番イ長調の装飾音とDynamicが演奏に反映されないのを、修復に努めたのだが、やはり、何をやっても、上手く行かないので、諦めて装飾音を実音で表記して、homepageのPageにuploadしている楽譜と音源を実音で演奏した譜面に差し替えた。
まあ、手間は掛かるけれど、そっちの方が良い事は良いのでね??

ornamentもfinaleではなくて、実際の音符で演奏させれば、それなりに美しい。

でも、だからと言っても、それで鬱が治る分けではない。
多分、明日の診察がpressureなのだろうよな??
肝細だ事❢❢
鬱陶しいのだよな??

風呂を少し熱めにして、髪の毛と足を洗った。
少しスッキリとした。

それはそうと、今日はテレビでやたらと、chocolateの話やpresentのdramaをやっていたので、ふと、思い付いたのだが、世間は今日はValentine-Dayだったのだよね??
まあ、所詮、独居老人には関係の無い話しだけれどね??
私の若い頃、所謂、高校、大学時代には、恵方巻きと同じで、そんなものは日本には無かったのだよな??




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2月15日今日は1日掛かりの病院dayだ ·

今日は2月15日の水曜日で、1月の術前検査の結果と手術の予定を聞く一日掛かりの病院dayです。

今は未だ、午前3時半を過ぎた所なのですが、練馬区の気温は1℃と寒い日が戻って来てしまいました。(体感温度は-2℃だそうです。今日の最高気温は8℃だそうです。)

昨夜は病院行きのpressureで、多分、寝付けない・・と思っていたのだけど、Bedに入ったのが早い時間だったので、眠れない•••と悩んでいた割には、one-coolは、ちゃんと眠れたようなのですが、起床予定時間の8時迄には、もうone-coolは、眠れるハズなのですが、toilet-timeから戻って来ると、次のPatternは決まり切っての鼻詰まりなので、30分程、Bedの中でhandy-massajarで首をほぐして見たのですが、全く効果がなかったので、諦めて、Bedから起き出して、居間兼食堂兼パソコン室兼の部屋に戻って、stoveとエアコンで首を暖めている所です。
ほんの一瞬で詰まった鼻が通ってしまうので、エアコンの効果は凄いです❢
鼻が通り始めたら、眠気が襲って来たので、これ幸いと、bedに戻って寝ました。

ちゃんと眠れた分けではないのだけど、仮眠くらいにはなったのか、半分眠って、半分起きた状態で、珍しく音大に行った生徒の夢を見ました。(珍しく•••彼女の夢を見た・・と言う意味は、私の夢に登場するのが、実在の人物である事自体が非常に珍しい事なのだから•••です。
普段に、いつも登場する人物達は、実在する人間であったとしても、その人とは、顔が違っていたり、人格が全く違っていたり・・、酷い時には、途中で別の人に変わってしまっていたりして、現実的には実在する人の夢を見る事はないからなのです。

今回の夢では、生徒と直接話しをした分けではなくて、飲み屋で、見知らぬ彼氏と、いちやいちやしているのを、私も他の席に座って、飲みながら、遠目で見ているだけの夢だったのですが、その後の夢の展開は夢らしい非現実的な話しになって行きます。
時間や場所の設定が変わってしまうので、話しが飛んでしまいます。
現実的には、今の彼女が、どうしているのかは知りません。
随分長い事、連絡がないのでね?)

それがどうしたの・・??、という夢なのですが、まあ、人生なんて、夢のまた夢のような物なので致し方はありません。

取り敢えずは、そんな夢を見ていたら、起きる時間になったので、bedから起き出したのですが、外は寒いので、なるべく外にいる時間を少なく出来るように、病院に出発する時間を計算しながら、着ていく物、準備する物を揃えながら、Facebookに書いているのですが、流石に体感温度でも-2℃は無いよな~ぁ??
部屋の中でも寒いのだよ。

パソコンの前に座っていて、stoveとエアコンの両方で温めていても、部屋の隙間から、冷たい風が吹き込んで来るのだよ??
今日の寒さは、部屋の暖房能力を超えている•••という事だよな〜ぁ?

出発の時間になって、何時ものように、2、3度、忘れ物を取りに戻って、それでも時間通りに、恙無くハイツを出発して、超寒い中を電車の乗って、病院に辿り着いたのです。

手続きは問題なく出来たのだが、診察が終わって、次の予約の時間を説明するという事だったのだが、その説明は何処で誰がするのか?•••待てど暮せど、何処からもお呼びは掛からなかった。
しびれを切らして、受け付けまで行って、何処で待てば良いのかの確認をした。
診察の終わった場所で待てば良いらしいのだが、看護士が書類を集めているので、もう少し待つように、と言いに来た。
手順が逆だろうが??

この病院は、色々な部所でも同じなのだが、全体的に「患者に次に行く場所」への指示がない。

多分、二回目、三回目になれば、慣れて来て、次に何処に行って、何をすれば良いのかが、指示をされなくでも、分かるのだとは思うけれど、私の場合には、初めての入院なのだから、次へ、次への自己判断はとても無理だよね〜ぇ。

そういった無駄な気遣いもあって、帰りは精神的にも肉体的にも、かなりバテたので、前回に立ち寄ったのと同じ喫茶店でお茶をして、少しだけ体を休めてから電車に乗った。

電車に乗っても、直接自宅に帰るのではなくて、今回のlesson、lectureに必要なBrahmsの6 Klavierstücke op. 118のHenle版の楽譜がハイツの書庫に無かったので、急ぎで楽譜が必要なので、昨晩には、病院からの帰り道で、次いでに池袋のヤマハに楽譜を買いに行こうかな、と思っていたのだが、昔の場所から、お店が移転した事迄は覚えていたのだが、何処に移転したのかを、思い出す事が出来なかったのだよ❢
超、Shockである❢
確かに、コロナで、3年以上、池袋のヤマハには行っていないのだが、それにしても、ヤマハの場所を忘れるかね〜ぇ?
認知症じゃあないのかな?
イチョウのお茶でも飲もうかね〜ぇ?

今年の車の免許更新での認知症の検査が思いやられるよな?
まあ、一晩寝たら、しっかりと、思い出せたので、実際には問題はなかったのだけどね〜ぇ?

という事で、池袋迄、電車に乗って行って、ヤマハに着いたら、なんと、今日の水曜日は定休日だったのですよ。
超、Shock❢❢だったけれども、西武のデパートに山野楽器があって、結構楽譜を置いているのを思い出して、西武デパートの中を探したのだが、見つからない。
一階迄降りて、案内で聞いたら山野楽器は西武デパートから撤退して、もう無いのだそうな?
という事は、山野楽器は池袋にはなくなったという事だよな。

今日も、やる事なす事、上手く行かないよな?

病院からのバテバテが更に増幅されて、なんとか必死で、池袋から江古田まで戻って来たので、流石に超、バテたので、暫し椅子に座って呆然自失していたのだが、ふと思い付いて、江古田にある唯一の楽譜が置いてあるStudioに電話を掛けて在庫にないのか、聞いて見たのだが、やはり無いとの事だった。

已む無く、パソコンのnetで普段購入している輸入楽譜専門の店を2軒、調べて見たのだが、Henle版の楽譜の在庫はない。

やはり、今日はお店は休日でもnet-shopならば、注文は出来るよな〜ぁ、とパソコンで、ヤマハのnet-shopの会員に登録する所から始めて、なんとか頑張って、目的の楽譜を注文し終えた。

やっと、ひと息ついて、なんとかBedに潜り込んで、仮眠を取ってから、椎名町に食事と今日の病院からの入院手続きの報告の為にBikeで移動した。 

今日は、普段よりも、超、寒かったのだよね〜ぇ❢

椎名町からの帰り道も、普段よりは早い時間だったのだが、帰り道では、駐輪場の前の草むらに、霜柱が出来ていて、歩くとザクザクと音がしていたよ❢
霜柱という言葉を、またまた思い出せなかったのだよな〜ぁ?
言葉の忘れが酷いよな?
今夜は-1℃くらいまでは、しばれるのかね〜ぇ??



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2月18日兎に角寒かった ·

今は2月の17日の金曜日が終わった所です。
今日は兎に角寒かったのだよ❢

気温は6℃もあって、体感温度も6℃もあったので、一昨日のように0℃で、体感温度は-2℃だったので、それなりには寒かったのですが、今夜の方が耐えられない寒さに感じたのだよな〜ぁ?
兎に角、一日中、stoveにしがみついて、仕事らしい仕事は全く出来なかったのだよ❢
こんな日は結構、珍しいのだ❢

18日の朝の7時なのですが、気温は1℃なのですよ。
今日は暖かくなるとテレビでは言っていましたが、寒いままなのですよ。


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2月18日今日はとてもbusyであった ·

今日はnetでのお悩み相談の他に、Homepageの不具合の修正を2、3Pageと、大型Cembaloの下鍵盤1列のtuningをしました。

後は上鍵盤8feet1列と、下鍵盤の4feetを1列、tuningすれば、終わりなのですが、Cenbalo回りでは、Cembaloを使ってのlessonが出来るように、Cembaloの下と周りを少し片付けたので、時間が掛かってしまいました。
(但し、片付けたのは斉藤先生です。私はCenbaloの下に潜り込んで、長崎からの荷物を片付ける作業をするのは、とても無理なので、先生にハイツに来て貰ってその作業をして貰いました。)

homepageは、文章を追加する作業と、よく発生する掲載されている写真が、他の写真と入れ変わってしまう問題で、元の写真を膨大な写真の中から探し出す事が困難だったのでですが、ふと、思い付いて、「homepageのpartsの中から、検索を掛ける機能は無いだろうか?」と考えて、恐る恐るPageの上部にある検索で、imageの検索をしてみました。

なんと、それは上手く行って、その数字とその数字に追加された数字の写真までを検索する事が出来て、今まで膨大な時間が掛かっていた無数の写真からの1枚を探す時間が全く無駄な時間であった事が分かりました。
それに加えて、その写真をProgramから開いて、homepageの写真の挿入から開くと、自動的にhomepageに戻る事が分かりました。

なんという膨大な無駄をしていたのだろう❢
知らないとはいえ、悔やまれる事なのですが、まあ、誰かがhomepagebuilderの使い方を説明してくれる分けでは無し、仕方がないよね〜ぇ??

人間の人生なんてものも、似たようなもので、出来ている人たちから見ると、何故、悩んでいるのか、分からない、と言うか、理解不能なのですよ。
これとあれを、そうすれば、何もしなくても、問題はなくなるのですが、出来ない人たちは、そのそうする事をしないのですよ。
そして、自分自身がそれをしないのに、「それが出来ない」と、思い込むのですよ❢

今にも沈没しそうな船に乗っている人に、横付けした船から手を差し伸べて、「こちらの船に乗って❢」と手をさしだしているのに、怖がるだけで、その手を取って、こちらの船に飛び乗ろうとはしないのですよ❢
その船と船の隙間が、僅か、10㌢しかないとしても、その人には、10㍍の幅に見えてしまうのですよ❢

「何故?」、「どうして?」と言われても、「怖い」と言う事に捕らわれて、「どうすれば良いのか?」と言う事を、考える事自体を、拒絶しているのです。
自我から離れて自由になれば、全てが見えて来て、楽になれるのにね〜ぇ❢ •••なんて、人生論的な、哲学的、宗教的な話しをしている分けではありませんよ❢
単に、音楽の演奏が人に届く為の心の持ちようのお話しなのですよ。


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2月20日雑炊を絨毯に撒き散らした ·

今日は2月の20日の月曜日の薄雲の日です。

2月は28日しかないので、今月も後は8日で終わりなのですが、後、1週間後の月末の28日からは、入院の為の準備期間が始まるので、頻繁に病院を往復しなければならなくなって、普段の日常的な生活は出来なくなってしまいます。

また、そのまま1週間後の6日に入院で7日が手術で退院は1週間後の13日か、14日を予定していますので、まるまる2週間は病人をやる予定です。

但し、昔々の入院とは違っていて、病棟にスマホを持ち込む事が出来るので、入院したとしても、社会から隔絶される事はなく、色々と教室に指示を出したり、質問にお答えする事は出来るので、発表会近くなのですが、なんの問題もありません。

昨日は定形のオケ練習と室内楽とlessonが二つ入っていたのですが、それは普段と同じlessonだったので、次の日に疲れを引きずる事は無いハズだったのだけど、多分、夢見が悪かったのか、睡眠が浅かったのか、一夜明けても、今日はバテが引き続いてしまいました。

普段ならば、パソコンの前の椅子に座って、安静にして仕事をしているだけでも、疲れが取れるのですが、今日は椅子に座る事自体がしんどいし、椅子に座っていては、体の疲労が取れないので、パソコンが作業をしている間は、ほんの僅かの時間でも、Bedに戻って体を休めているのですが、何度、休み直しても、疲れが拔けなくて、体が言う事を利かないままなのです。

お昼の12時を過ぎた頃になって来て、お腹が空いて来たので、お粥を食べようと、丼を探したのですが、普段、お粥を入れて食べている器(うつわ)が昨日使ったままで、シンクの中に放り込まれたままだったので、丸っこい形のどんぶりにお粥を入れて、レンジでチンをしようと思ったら、手が滑ってしまって、お粥が思いっ切り床にこぼれて、散らばってしまいました。

体調不良なので、指がカサカサで、どんぶりを掴む事が出来なかったのです。

・・・暫し呆然としてしまったのだけど、気を取り直して、どうすれば、絨毯の上のお粥を取る事が出来るのかを考えました。
タッパーの蓋で、掬い取る事にして、出来る限り掃除をしました。

少しだけ残っていたお粥を、もう一度、レンジでチンをして、お昼を食べたのですが、この写真のピーナッツのどんぶりは、何度も私の手から滑った前科があるのですよ❢
指で握る箇所が無いので、指が乾燥していると、このどんぶりを持つ事は難しいのです。

という事で、私的には、このどんぶりは処分したいのですが、底の広い安定したどんぶり、(まあ、本来ならば、抹茶茶碗なのですが)の、変え、というか予備が全く無いので、已む無く必要に迫られて使っているのですよ。
(何処かで、普段使いの大きな茶碗を買ってくれば良いのですが、昔、使っていた抹茶茶碗の端をカガシてしまったのですよ。だから、「金継ぎでもして、使えるようにするか??」・・と思って、そのままになっているので、新しく買い足してはいないのです。)

今は、お昼の12時を過ぎた所なのですが、昨晩、ハイツに戻って来た時から始めた、オケ練習と室内楽とlessonのVideoを、パソコンに取り込んで、教室での保存用のBlue-rayを焼いて、You Tubeに限定公開でUploadをする前の所迄の作業が終わった所です。(You Tubeにuploadすると、パソコンが死んでしまうので、出来る限り、纏めて一気にuploadをするので、それまでは、パソコンで出来る作業をします。)
さて、午後の作業は、パソコン以外の作業は、何から手を付ければ良いのかな??
未だ、考えてはいません。
(またまた、書いた文章をぶっ飛ばしてしまった。)

夕方の6時頃になって来たのですが、冷蔵庫の中はスッカラカンです。
斉藤先生も今日は遅いし、私も極めて疲れが取れないので、夜遅くに椎名町に移動するのは無理なので、お弁当を買う事にしたのだけど、江古田の駅の北口からはセブンイレブンが1軒も無くなったのだよな???

仕方がないので、南口の駅前のスーパーで、食料品とお弁当を買って来る事にしたのだけど、帰り道は、青息吐息になってしまって、心臓に来たのだよな???

北口から南口迄の僅かな距離しか無いのに、月曜日や火曜日は部屋に閉じ籠もって、一歩も外に出ないので、たまに、月曜日に外に出掛けると・・、という事よりも、昨晩の睡眠が良く無かったのだよね??

月曜日でも元気な時はあるからね~ぇ??

非常食用に冷凍の食料品を少し買い込んで来ました。
まあ、これで飢えなくて眠る事が出来るぞい❢❢


それはそうと、夕方は7時くらいから部屋の中でも、急激に寒くなって来ました。気温自体は6℃と、そんなに寒い気温ではないと思うのですが、体感温度が2℃というのは、極端だよな〜❢

夜の9時半になって来ました。寒い❢
強い北風が隙間風として部屋の中に吹き込んでいるのですよね~ぇ??

stoveを強にして、それでも寒いので、エアコンをつけてDoubleで暖めているのだけど、それでも体の芯が冷えて寒くて仕方がないので、已むを得ず服を着込んでいます。
それでも寒い❢

多分、毛布で作ったドテラのようなのではないと無理だよな〜ぁ??
押入れの中をも探す気力はないので、これ以上寒くなったら、布団に潜り込むしか無いよな〜ぁ??

押入れの中を覗いて見ると、超、薄いガウンのような物があったので、それでお茶を濁しておくことにした。





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2月21日前の文章の続き ·

(前の文章が書き込め無くなって来たので、続きを新しく書きます。『押入れの中をも探す気力はないので、これ以上寒くなったら、布団に潜り込むしか無いよな〜ぁ??押入れの中を覗いて見ると、超、薄い』という文章から、次へ続きます。)
ホワホワの毛布がありました。
それを引っ張り出して、肩から被ってstoveの前に座りました。

やって見るもんで、今度は北風が寒くないのですよ。
やはり、毛布のガウンが一つあると良いヨナ〜ぁ?

何とか、布団の中で夢を幾つか見る事が出来て、無事に朝を迎える事が出来ました。

北風は朝が来ると同時に止んで、今は、澄み切った空が広がっています。
朝の練馬区の気温は、7時で1℃、9時で4℃(体感2℃)・・と、昨夜とは変わらない、結構冷えた温度なのですが、北風が無いので、部屋の中はstoveが普通の設定でも結構利いて、体の芯が冷える・・とかいう事は無くなりました。

寝室なのですが、普段ならば、エアコンの暖房は全く利かないし、Gasのstoveは無いし、あったとしても物が多すぎるので、暖房を使う事が出来ないので、寝室の襖を開けたままで、パソコンの部屋の温かい空気を取り込んで寝ているのですが、昨晩のような北風が酷い時には、パソコンの部屋はstoveやエアコンを最大にしても、部屋が温まらないので、寝室の襖を閉じた方が、少しはマシだ・・という事に今更、気付きました。(・・と思ったら、11時を過ぎた頃から、また北風になってきました。・・つまり、部屋のstoveが温まらなくなって来た・・という事なのですよ。)

あまりにも、当たり前の事なので、本当に必要な時には、思い付かないのですよ。
少子化対策の話や、私のlecture‐lessonの話のようなものです。

国力の低下を防ぐために、莫大なお金を使って、無駄な投資をしているのだけど、実際に、少子化の問題に歯止めが掛かって、人口が増えている市町村を見ると、そんなに際立った対策をしている分けではないのだよね??当たり前の事を当たり前にしているに過ぎないのだよ。
当然、莫大なお金を使う必要もないのだよ。

私のmethodeだって、同じだよ。
習って見て、客観的に考えて見ると、余りにも、当たり前の事なので、有り難みが無くなってしまって、常識になってしまうのですよ。
酷い時には、産まれついた時から知っていた事のような気になってしまうのですよ。

「知っている」・・という事と、「分かっている」・・という事は根本的に違う。
その言葉の意味の差には、天と地の差があるのだがね~ぇ??

一般の人達にはその差の意味が分からない。
成功した人達のお話を聞いても、それが普通の事過ぎて、理解出来ない❢❢

だから、「産まれが違う」・・とか、「能力が違う」・・とか、酷い時には、「運が無いのだよ❢❢」・・と、運の所為にしてしまう。
運さんは、呆れて、「俺は何もしていないよ❢❢」と言うのだが、一般の人達はツキの所為にしてしまうのだよ❢❢
「いや~ぁ、ツキが無かったよな??」・・てね❢❢

Genzmer先生の仰っしゃるように、「人生には3回の運がある」のだが、殆どの人達は、その運に気付く事すら無い。

或は、気付いたとしても、色々と理由をこじ付けて、その運を手にしようとする事は無いのだよ❢❢

・・でも、頑張って、その運を手にすると、その運は、次の運のChanceを齎してくれるのだよ。

そして、その運を掴むと、その運がまた次の運を引き寄せてくれるのだよ。

だから、運に恵まれた人達(所謂、成功した人達)は、幸運に恵まれている人達のように見えるのだよ。

但し、ここで気を付けなければならない事は、「人生に訪れる3回のChance」は、表と裏がある・・という事なのだよ。
つまり、「一つを得る」には、当然、「失うものも一つはある」という事なのだよ。

多くの人達は、成功という事は、全てを得る・・という事と勘違いをしているのだよ。
一つの成功を得るには、捨てなければならないものが必ず一つはあるのだよ。

しかし、運命は或る意味では優しい。
時には、失った物、捨てた物の代替品を与えてくれる事があるのだよ。

一般の人達は、それを、「成功した人がそれを捨てていない」と勘違いしてしまうのだよ❢❢
しかし、代替品は代替品に過ぎないのだよ。
捨てた、その物とは、根本的に違うのだ。
それは、他の人には分からないのだよ。

だから、そこの所を、一般人から褒められると、ムッとしたり、怒り出したりしてしまうのだよ❢❢

その時に、一般の人達は、何故、怒り出したのかが分からない。
成功者の奢り・・とか、気まぐれ・・で片付けてしまって、自分が龍の逆鱗に触れた事には気づかない。
そこの所を気付けないとは、哀れなもんだよな??

私が高校生の時に、音楽の道に進むにあたって、考えた事は、唯一つ、歳を取って、自分自身が死の床に横たわる時に、「良い生涯であった・・」と思えるような人生を選ぶ事だったのだよ❢❢

その時には、成功も失敗も無い、自分自身の本当の意味での望みがあるのだよ❢❢

それを考えて、それを自分自身の「骨=backbone」にすれば、選ぶ人生は自ずから見えて来るのだよ。
但し、その人生が、自分が望んでいる生き方とは限らないのだよ。

いや~あ、人生は複雑怪奇なもんだよな??アハッ!




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2月21日Cembaloのtuningのお話 ·
:
公開 未だ、2月21日の火曜日の夕方の6時です。

朝は、とても暖かくて良い天気だ・・と、思ったのだけど、お昼の11時頃からは、風向きが北風になって来て、急激に部屋の温度が下がってしまいました。
今日も、昨日に引き続いて、stoveでは温まらなくなって来たので、諦めて、毛布のガウンを注文したのだ。

勿論、今日、明日の寒さには間に合わないのだけどね〜ぇ?

昨晩も、超、寒かったので、薄手の軽い毛布をガウンのように着込んで、寒さを凌いだのだが、それが結構暖かくて、毛布をかぶる事が、ヤミツキになってしまったのだよな??
前が開いてしまうガウンよりも、寒さ対策としては、頭から被って着るポンチョ•タイプの毛布の方が良い••と言う事で、注文したのだよ。


『Cembaloのtuningの話』
これから、Cenbaloのlessonがあるので、ハイツのCenbaloのtuningを始めました。
(まあ、一週間後の話ですがね??)

Cembaloのtuning・・とは言っても、私は、何処かで誰かに、調律法を習った分けではありません。
全くの我流なので、Cenbaloのtuningの参考の為に書く分けではありません。
あくまでも、私個人の寝物語としてのお話しなのです。

寝物語と言うと、Shahrazādのような色っぽいお話を連想してしまうよね??
よもやま話(四方山話)の方が良かったのかな??
まあ、どっちでも良いか??


私が最初に調律をするようになったのは、私が未だ音大生の時代に、長崎の親の家に帰省した時の話なのです。

大学の長い夏休みの期間に、郷里の長崎に帰省した時に、Pianoが帰省先の家に無くて、学校のPianoの練習課題を練習する事が出来なくて、その当時は、貸しPianoも貸し教室も無かったので、已む無く、安い・・maker品ではないuprightpianoを、自分のバイトの凌ぎで購入して、帰省中に私が住む部屋に置いて置きました。

1年に一回、夏休みの時だけの1週間殆どの帰省なので、調律は、親に頼んで、何処ぞの楽器店に調律を頼む分けにも行かないので仕方なく、自分が長崎に帰った時に、自分でやっていました。

「何故??」って??
音大の生活は、私、個人が選んだ生活なので、親達からの一切の経済的な援助は受けていなかったので、私のpianoの調律という私のprivateな事をお願いする事が出来なかったのですよ。

もう一つのpianoである祖母に買って貰った受験の時に使用していたuprightのPianoは、東京の音楽大学に入学した時点で、東京の下宿に持って行ってしまったので、ね??

そのuprightpianoは、自分で調律した事は一度もありません。
このPianoは祖母が買ってくれたものなので、とても大切にしているので、proにお任せしているので・・ね??
(今はそのPianoは、新教室のViolinのlesson室に置いてあって、violinの伴奏の時に使用しているのですが、私個人としては、本来ならば、私の自宅である江古田のハイツに戻したい所なのですが、音出し不可のMansionなので、それこそ、箪笥の肥やしのお飾りになってしまうのでね❢❢已む無く・・です。)

音大を卒業して、そのまま、Münchenの音楽大学に入学したのですが、そのMünchen時代では、最初は、Pianoの無い部屋を借りていて、音の無い、それこそ2帖か3帖の・・極狭の部屋に住んでいたので、音大時代にバイトで貯めたお金からReise‐Clavichord(持ち運べるクラビコード)を購入したので、当然、自分で調律をしていました。
ClavichordやCembaloは、他の弦楽器と同じで、弾く前に調律するのが当たり前なのです。(日本では知りませんが??)

次には、地下の倉庫にPianoが置いてあるおばあさんの部屋を借りて、地下のPianoも借りたのですが、30年以上も前の戦前から調律をしていない地下の倉庫に置いたままのPianoを、無償の好意で借りたのは良いのですが、借りた時点では、もう音が3度近くも下がっていたupright‐Pianoだったので、調律師を雇うお金が無かったので、最初の1回だけは、調律師にお願いして、pitchを元に戻すための調律をして貰ったのだけど、後は、その頃住んでいたPlaneggの村にある楽器工房でPianoの調律の道具を買って、それからは、自分で調律をしていました。

5度調律と3度調律を織り交ぜた自己流の勝手な調律で、練習の時に、あまり使わない音にWolf-ton を集める・・と言うような、結構いい加減な調律をやっていました。
その方が純正調に近いpureな響きがするからなのです。
(勿論、この時代には電子tunerとか言う、便利な優れ物は無かったので、耳を使って調律する以外には、方法は無かったのですよ??)

コロナで・・という事もありますが、それよりも前の親が死んで家をたたんだ時に、捨てられなくて東京に持って来た荷物がCembaloの部屋にも入って来て、またそれ以外にも、パソコンのprinterやViolinのcase等も、普段、使用していないCembaloの部屋に、強引に納めて、程んど、倉庫状態になってしまってからは、Cembaloの部屋は、全く人が入れない部屋になってしまいました。
というか、親の遺品等が入ったので、人が入れなくなったのだよなぁ〜?


鶏と卵の話しはさておいて・・
lesson室としては使わなくなってから、それこそ、5年、10年、Cembaloは放ったらかしになっていたのだけど、まあ、それでも、Cembaloの保守•存続のために、tuningだけは、極々、たまにはしていたのですが、このコロナになってからの3年間は全く調律さえも、していませんでした。
勿論、不精という事もあるのだけれど、それよりも、病気が悪化して、体調不良に拠る体力不足で、やりたくても、出来なくなってしまったのですよね~ぇ??

不思議に思われるかも知れませんが、Cembaloをtuningするのにも、体力が必要なのですよ。
まあ、そういう事は、病人にならなければ、分からない事かも知れないけれどね~ぇ??

・・・という事で、長い間、調律をしていなかったので、Cembaloのpitchは狂いに狂って、4feetに至っては、丸々3度近くも下がってしまっていたので、tuningを安定させて、lessonでも使えるようにする為に、先ず、土曜日の第一回目のtimingでは、mainの鍵盤である下鍵盤を、2回程調律してから今日まで、その状態で放置して起きました。

勿論、その理由は、Pinが、一回だけのtuningでは、安定しないので、結構、pitchが下がって来るので、同じ列を2度、3度と調律する必要があるからなのです。
(Pinを安定させると、同じpitchでtuningをする事が簡単に出来るようになります。

これを調律用語では「当たりが出る」・・という言い方をします。
Violin等の弦楽器でも、tuningの下手な人達や、日本の弦楽器の先生達がよくやっているpegを何度も回してグルグルと上下動をさせるような誤ったtuning法で、当たりが全く無くなっている楽器をよく見受けます。
当たりが無くなれば無くなる殆ど、tuningは合わなくなってしまいますので、酷いcaseではlesson時間の半分近くまで、tuningに掛かる人さえも見受けます。
(そういった指導者の場合には、tuningはいい加減な状態のままでlessonをするのですが、それでは、生徒が上達する分けはありません。
弦楽器では一番大切な音感が育たないからです。)

楽器は、一旦、pitchが決まって、当たりが出て来て、楽器が安定して来ると、楽器は殆ど狂わなくなってきます。

しかし、楽器を放置していた期間が、5年、10年ともなると、楽器を安定させて、当りがでるようにする為には、忍耐力の勝負になってしまいます。

・・という事で、その忍耐力のお話しなのですが、
土曜日の予備の調律が終わって、次の、火曜日である今日は、もう一度、
①mainの鍵盤のtuningをやり直してから、
②上鍵盤の8feetを下の鍵盤の8feetに合わせてtimingをして、最後には、
③上鍵盤の8feetに、下鍵盤の4feetを合わせて、tuningを、取り敢えずは終わりました。

tuningの順番はmainの下鍵盤を、最初はtunerに合わせてtuningをしたのですが、tuningの器械に拠るtuningでは、octaveの唸りが無くなってしまうので、微調整をしなければなりません。

先ずは、基本のoctaveだけは、tunerで調律するのですが、それ以降のkeyは、耳でoctaveの唸りの音を聴きながらtuningを、し直します。
所謂、閉ざされたtuningと開かれたtuningの違いです。
(写真の蚊取り線香の12時の位置なのですが、閉ざされた調律の場合には440のoctave上の音は、880のように等倍なのですが、開かれた調律の場合には、等倍ではなくて、放物線と同じように、上に行けば行く程、音程の差は広がって行きます。

(勿論、ちゃんとした数式はあるのですが、誰も使ってはいません。耳に依る感性的な方法で倍音を拡げて行きます。) 調律法には、baroque時代の古典調律と呼ばれる調律法が色々とありますが、meantone temperament等のtuningも、この段階で基本のoctaveをtuningしてなら、それを倍音上に広げて行きます。

古典調律法は、結局の所、純性の響きを残して何処まで、転調が出来るか??・・・という事に尽きます。

非常に美しく響くmeantone調律でもAsとEsの音にWolfが集まるので、AsとEsを含む和音は使用出来ません。

だから、g mollのChaconneをmeantoneの調律で演奏した場合には、Napoliの6度の和音が大変な汚い音になってしまうので、Chaconneには、使用出来ません。

まあ、そんな専門的な話は、どうでもよいとして・・、単なる放置に因る音の狂いなのですが、4feetの狂いは、流石に酷くて、また、直ぐに狂ってしまうので、今日は大雑把なtuningです。

明日と、明後日と、同じpitchに正確に合わせて行くと、多分、徐々に、pitchも安定して、狂い難くなって行く事でしょう。放置されていたCenbaloやviolin等の楽器を、lessonで再び使えるようにする事は、中々大変な手間の掛かる事なのです。

Cembaloも他の弦楽器同様に、演奏の前や、演奏中でも、tuningが必要になってしまう楽器です。
だから、Cembalistの条件の第一はtuningが出来る事。
それから、色々な古典調律が出来る事なのです。
という事なので、教室のorchestraでCembalo担当のPianoの生徒達には、Cembaloを演奏する場合の常識として、Cembaloのtuningの仕方を指導しているのだけど、皆さん、今の音楽界の現状としては、未だ、baroque音楽や古典派の音楽が、盛んに演奏されている分けではないので、折角、教室で学んだCembaloのtuningの技術なのだけど、全く、教室を巣立ったその後の音楽活動には、活かされていないよな??

未だ、日本の音楽界ではCembalistと言っても、basso continuoを即興で演奏したり、ornamentを自分で作って弾いたり・・と、EuropaのCembalistだったら、当然出来る事を、日本のCembalistで、出来るCembalistは日本には皆無なのですよ。

baroque音楽の場合には、楽譜は、jazzのchordを書いた図のようなもので、Celloと同じpartに和音を表す数字が書いてある譜面で、即興演奏をしなければならないのだが、とてもとても、日本のCembalist達は、そのlevelではなくて、楽譜に参考の為に、書いてある・・・何処の誰が書いたか分からないような印刷されている楽譜を、そのまま、弾いているlevelなのだからね~ぇ??

100年以上、どころではなく、限りなく遅れているのだよなア??

その日本社会の遅れを齎す日本人の心の奥に根付いている日本人がglobalstandardに成り得ない日本人特有のbackgroundになる考え方があります。

それが「あかんたれ」の思想です。
所謂、根性主義とでも言うのかな??

血の努力をして得たものは尊く、楽をして得たものには価値は無い・・という発想です。

でも、逆の視点から見てみると、血の努力の欠点は、唯、単純に、根性で繰り返しやるだけで、頭を使っている分けでは無いのですよ。
つまり、考える事は、本人ではなくて、topがやるのですよ。

それが軍隊では司令長官であり、会社では社長であったり、大学では教授であるのです。
平社員や生徒達は、ひたすら言われた事をやるだけなのです。

つまり、軍隊や会社に必要とされる人間はRobotなのですよ。

そのRobotには頭は要らないのです。

orchestraも、一つの軍隊です。
指揮者が頭なのですよ。
オケの団員が、それぞれに曲を解釈して、それぞれに弾き始めたら、それこそorchestraは成り立ちません。
つまり、orchestra教育には、頭(interpretation)は必要無いのです。

そこはsolisteの教育とは根本的に違っているのだよな??
そこの所が日本人の音楽家には分からないのだよな??
頭が無いのだから、分かる分けは無い・・と言うよりも、分かる事を良しとされない、教育を受けて来たのだよな??

勿論、このお話は、音楽の世界のお話ではなくて、教育界全般のお話なのですがね??

先生に質問をする事は許されなく、先生の指示に従って、唯、只管、根性で、10年間、20年間を繰り返し練習するのだよ。
それで上手くなる分けがなかろうに・・・??

否、それすらも、考え無いのだよ。
闇雲に努力を積み重ねて来た事だけが、価値があるのだよな??

つまり、日本の教育界や音楽界では、駄目な指導者になればなる程、尊敬に値する人間に成れるのですよ❢❢

「そこ、悪いからやっといて❢❢」・・そんな事、音楽を全く知らないズブの素人にでも言える言葉なのだよね??

どんなに下手な鉄砲でも10年も繰り返せば、1発や2発は当たるよな??
でも、それで持って、「出来るようになった」とは言わないのだけどね~ぇ??
全く不思議な所だよ。日本の音楽界は・・

日本には、工夫三昧・・と言うとても良い言葉があるのだけどね~ぇ??


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2月24日燃え尽き症候群のような感じの ·

今日は2月24日の金曜日なのですが、今日は朝から燃え尽き症候群のように、何一つ仕事という仕事をしないままで、呆けてしまいました。
一日、体調が戻らなくて、パソコンに向かっていても、気分転換でテレビドラマを見ていても、途中で眠っていました。

「たまにはこういう事もあるサ❢」と、言いたい所なのですが、この所は、「たま」ではなくて、結構、毎日、この呆けた状態が続いているのですよ。

この所、超、寒い日が続いていたので、居間と、toiletと風呂場と洗面所を隔てているdoorを開けると、ヒートショックを起こしそうなくらいの温度差だったのですが、今日は頑張って「どうせ何も出来ないのならば•••」と、風呂にお湯を張って、湯船に浸かって、体を温めてから、髪の毛を洗いました。

München時代から、何も出来ない時は、仕事はしないで、雑用の中から、出来る事を探して、雑用を片付ける雑用dayにすると決めているので、やった事、それ自体は問題は無いのですが、私は人と接する前には、必ず髪の毛を洗うのが、習性なのですが、この所、超、寒い日が続いたので、lessonの前でも髪の毛を洗えない日が、続いたので、お久し振りのシャンプーになってしまいました。



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2月26日右足の人指し指の爪が剥がれて ·

今日は2月の26日の日曜日で、千葉行きの日なのですが、朝起きてtoiletに行って、そのまま出発の準備をしようと思ったのだが、体が動かないので、椅子に座ったままでウダウダとしていたら、何度も、眠り呆けてしまっていた。

なんとか頑張って、靴下を履こうと思って、足を見たら、何と1、2年前に死んでしまった右足の人差し指の爪が剥がれて、抜け落ちてしまった。
新しい足の爪は2㍉も伸びていないので、今の指は爪が無い無防備の状態なのだ。

爪の成長は非常に遅いので、死んだ爪が2年、3年も足から剥がれないままで、新しい爪は生まれて来ていなかったのだけど、指自体としては、未だ、完全には死んではいなかったのだよな??

このペースで行くと、爪が元に戻るには、後、2,3年は掛かるだろうか??
その頃は私は・・・

足の爪が生き返るのと、本体が生きて行くのの勝負だよな?



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2月27日powerdirecterが壊れた ·

今日は2月の27日の月曜日、明日の28日の火曜日は2月の最後の日で、しかも、入院前の検査の日で、明日からは入院の為の色々な手続きや検査が続きます。

本当であるならば、今日は只管(ひたすら)、入院や手術の書類を書かなければなりませんが、昨日の日曜日のオケ練習から江古田の自宅に戻って来てからのroutine作業としての、オケ練習のvideoをパソコンに取り込んで、dataを保存する為に、先ずはBlu-rayに焼く作業を始めようとしたのですが、なんと、土曜日までは問題も無く稼働していたpowerdirecter18が、全く、起動しなくなってしまっていたのですよ❢❢
powerdirecter18が開きもしないのです。

超、Shockです。
取り敢えずの、SDcardからのdataを保存する為のBlu-rayの書き込みなのですが、freemake-video-converterを使用してdisc を焼こうとしたのですが、これは時間が長過ぎると、troubleを起こして焼けなくなってぶっ飛んでしまいました。

freeのsoftなので、予測はしていたので、まあ、仕方はありません。

次には、directにdataを保存したdisc を作って見たのですが、これはパソコンでしか再生は出来ないので、保存用のdisc にはなりません。

「まあ、それならば•••」と、思い付いて、PanasonicのDigaで、取り敢えずは教室保存用のdisc を作成しました。

しかし、Digaからは、You Tubeには接続していないので、Digaで作った動画をYou Tubeにuploadする事は出来ません。

動画をYou TubeにUploadするには、今の所は、パソコン上で、powerdirectorで編集をして、You TubeにUploadするしか、やり方はないのです。

・・・という事で、powerdirectorが壊れてしまっている現在は、オケ練習の動画やlessonの動画を生徒達がcheck出来るように、You Tubeにupする事は出来なくなってしまいました。

・・という事で、今日は1日、powerdirecter18の修復が優先(?)・・・、  否、やっぱり、明日からの病院の検査の手続きの書類を作成するのが優先だよな~ぁ??

とは言っても、書類を広げて、checkして必要事項を記入して行くじみちな作業は、なかなか、やる気が起こらないよな~ぁ??

書類を作る気が起こらないので、powerdirectorの修理に戻って、何度か、testをして、パソコンも再起動をもさせて見たのだけど、powerdirectorの故障が再Installすれば良いだけではない、結構難しい故障であるという結論に至ったので、いつもお願いしている専門家に修理を丸投げする事にしました。

案の定、ここからは、専門家の作業なのだけど、powerdirectorの再Installだけでは、状況は改善されず、半日作業では修理出来なくて、明日への持ち越しになってしまいました。

・・と、言っても、私がpowerdirectorを修理する分けではないので、次の日の朝一番で、パソコンの電源を入れておけば良いだけなので、病院の準備に専念すれば良いだけなのですがね??


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2月28日今日は何かとbusyなのだ ·

今は2月の28日の火曜日の朝の7時です。

月曜日の27日は、powerdirecter18の修復の作業と入院の手続きの書類書き込みの作業で終わってしまいました。

冷蔵庫が空っぽだったので、保証人の欄に書き込みをして貰う次いでに、ドル・プリのお散歩のために、千葉から帰って来た斉藤先生に、お弁当を買って来て貰いました。

パソコンの故障は基本的にはパソコン自体が故障をしたり、他のsoft類が故障を引き起こす事は滅多にはありません。

常に故障と言えば、powerdirecterの故障か、finaleの故障です。
他のsoftはマズは故障しません。

たまに、Microsoftがupdateで、不具合を起こすぐらいです。

でも、その2つのsoftが1年に1回程度は故障を引き起こしています。

確かに、両方とも、重量級の難しい複雑なsoftなのだろうけれど、もう少し安定したsoftでも良いと思うのですがね~ぇ??

そうこうしている間に、ちょうど、ジャストの時間になって、病院に出掛けるtimingの時間で、powerdirecterの修理作業が終わる予定です。

明日の入院の手続きの書類は昨晩書き終えたので、明日は日にちを書き入れれば入院申込書や、手術の合意書等々の書類は提出するだけの状態になっているような状態迄、持って行く事が出来ました。

オケ練習とlessonのvideoをYou TubeにUploadする状態にして、後は、パソコンに任せて病院に出掛けます。
まあ、世知辛いのですが、何時もの事なので、性分なのですからね〜ぇ?

今日は朝から、とても良い天気で、気温が上がって、病院の中では、ダウンのコートはちょっと暑すぎました。
セーターも何時ものlessonで着ているセーターでは暑すぎるようでした。

暫く、体調不良でお散歩をサボっているので、病院に行く迄の道や、病院の中を歩いている時には、体が重くて、腰痛になりそうな腰の痛みが出て、結構、大変な感じでした。

という事で、「今日も池袋へ直行しようか?」とも思ったのですが、体力的に、とても無理だと言う事で、断念して、江古田に直帰しました。

今日は両方の足の超音波撮影だけだったので、経過時間は2時間程で済みました。

それでも、結構疲れ切ってしまったようで、ハイツのパソコンの椅子に座って、小一時間程ではなくて、2時間、3時間程も、呆然自失をしてしまいました。



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3月



3月1日入院のコンサルに練馬高野台に行きます ·

今は3月1日の朝の8時半を過ぎた所です。
今は練馬駅で高野台駅方面行きの乗り越えの電車を待っている所なのです。

9時からは入院の説明の時間なのだけど、それまでにpcr用の検査を3号館の受付に提出してから、consultingの手続きをするので、その時間を計算しての出発なのです。

入院のコンサルは書類の説明だけで簡単に終わったのだが、その次には、予定表には書いていない行動をしなければならなくて、色々と大変でした。

先ずは、薬剤師から、今飲んでいる薬のcheckを受けて、バイアスピリンの他にも、麻酔との相性で、カナグルという糖尿病の薬も土曜日から飲むのを止める事になったのと、今飲んでいる処方薬に付いても、病院に持ち込む時の質問が私の方からもありました。

それから、歯科に行って、一階のレントゲン科で歯のレントゲン撮影をして、それから2階の歯科に戻って歯の診断をして・・・という風に、それから、これからと、予定時間とは無関係に、空いている時間に、どんどん診察と検査を放り込んで、本来ならば、歯医者の診断は、11時半からの予定なのだが、50分前の10時半過ぎごろには、歯医者を含めて、全ての今日のcheckが終了した。

歯科の検査では、歯石が少し残っているようなので、掛かり付けの歯医者に行って歯石を取るように言われたのだが、自宅に戻って、改めて掛かり付けの歯医者に電話をしたのだが、突然の事だし、残り4日の話しで、日曜日と木曜日はその歯科の休日なので、予約日にはならないし、金曜日には病院で麻酔科は先生とのコンサルがあるので、実際には一日しか空きの曜日は無いので、予約は取れなかった。
(その空きの曜日には、何とlessonが入っているのだよ❢)

切羽詰まった状態での予約を取るのは不可能なのだから、予約が取れなくても、「あたりまえだよね〜ぇ??」•••と思っていたら、夕方の5時半頃に電話があって、急遽、6時前から歯石を取るメンテをして貰う事になった。

急いで服を着て、bikeで出掛けた。
不可能が可能になった瞬間である❢

麻酔科の先生の診察と説明が金曜日に入ったので、これで、ほぼ毎日病院通いだよな??

今日の病院通いは、お昼の12時には全て終わって、直接、何処にも寄って休む事もなくて、ハイツに戻れたのだが、しかし、ハイツのいつもの椅子に座った途端に、ドッと疲れが押し寄せて来て、椅子に座ったまま、そのままの状態で、もう、5時間近くも呆けているのだよ。

何をする分けでも無く・・・、という事で新しく貰った書類に目を通して、checkと署名をして、歯医者に電話をして予約を取って、それから・・と、ぼんやり呆然自失している割には、結構忙しかったぞい❢❢

歯医者から戻って来て、お茶を一杯飲んだら、なんと8時ダナや??

大慌てで、移動の準備をしたのだが、食事の移動時間には遅れてしまった。

シンクの中には、未だ昨晩の弁当箱等の洗い物がそのままに残っていて、未だ片付けられていないのだよ。

超急いで片付けなければならないのだが、全くやる気が起きなくて、椅子にお尻が張り付いていて、なかなか立てないのだよ。
だから、出発の準備が出来ないのだよ❢



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3月2日時計のお話 ·

今日は早、3月の2日の木曜日です。
朝は定時の6時半には起きたのですが、toilette-timeの後で椅子に座っていたら、1時間半程、椅子の上でtripしてしまったので、慌ててbedに戻って眠り直しをしたら、やはり爆睡をしてしまいました。

・・・という事で、今はお昼の12時半を過ぎた所です。
昨晩、持って帰って来た食料品で、卵かけご飯を食べたら、冷蔵庫の中の食料品が全く無くなったぞ??
・・・えッツ??
それは、お昼からの今日の食料品は無い・・と言う事なのか??

食料品のお話しとは関係の無いお話しになってしまいますが、お昼・・と言えば、お昼の12時はamかpmか、0時か12時か、それとも24時か??未だに悩む事があります。
am0時は何時か、或はpm0時とは何時の事か・・それに加えて、pm24時という言い方もあって、結構、今でも混乱してしまうのですよ。
しょっちゅう混乱してしまう、という事は、日常生活の中で、結構、携帯のtimerを活用しているのですが、それが困った事に12時間のDoubleの表示なのですよ。
だから、amの12時とpmの12時がどちらの時間になるのかが悩むのです。(写真参照:)

この表示の場合ならば、上の00:00は12時になって、下の12時は24時でなければならないのだよね??
これは閉じた時計なので起こる問題であって、24時が開いた時計ならば問題は無い(13時の前は12時で、amの1時の前は0時で、pmの12時は24時のハズなのだよね??)という事で、pm24時午後の12時がamの0時、つまり午前の0時になるのだよ。

・・という事で、紛らわしいので、深夜の時間帯に働いている芸能界の人達や、テレビの時間割り等に使われているpm25時はamの1時の事なのだよ。
私も夜型の人間なので、深夜の1時を、間違いが無いように、「25時・・」とかいう言い方をしようとは思っているのだけど、それが普段になかなか出来ないのは、あまり慣れていない所為なのだろうかね〜ぇ。
私達は、所詮は、不夜城とは関係ない人種なのだからね〜ぇ??
25時とか、26時とはあまり、縁が無いのだよな〜ぁ。

・・・という事で、これまでのお話しとは全く無関係のお話しなのだけど、昔々から作りたかった時計・・が、2つ程ある。

•••というか、そのideaは時報の音に関するideaと、文字盤に関するideaなのだが、両方とも大したideaでは無いので、netで探せば、同じideaの28時間時計の文字盤はきっと見つかるに違いない•••、と言う事で、色々と検索条件を変えて、探して見たのだけど、長年探しても、やっぱり出て来なかった。

また、もう一つの私のideaの時計は、5度圏時計であり、
絶対音感訓練の時のideaとして、未だ20代の頃に、思い付いたのだが、誰にでも、思い付きそうなものなので、netを探せばありそうな物なのだが、意外と、こんな単純なideaがnetには、無かったのだよな~ぁ??(ideaは20代の頃には思い付いたのだけど、その頃には未だnetは無かったのだよ❢net社会になるのは、この20年くらいの間だからね〜ぇ。)

五度圏時計はaramの音の問題なので、時報の設定からなので、これまでは、結構、難しい•••と思われたのだが、今の私のパソコンで使用している無料アプリの時計ならば、その時報の音を任意の音声に登録する機能はあるのだけど、パソコンでは、あまり必要は無いよな??
とは思ったのだが、まあ、一応、sampleとして絶対音感訓練用の時計も、作っておくか??

28時間時計は、もっと単純な話しなので、文字盤だけの話なのだから、文字盤を作れば良いので、何時でも出来るハズだったのだよな~ぁ??
でも、文字盤に使えるスパイラルを探すのが意外にも難しい。
自分で書けば良いのだが、それが面倒くさくて、億劫である。単純なピタゴラス•スパイラルなのだがねぇ?


まあ、それはどうでも良い事なので、今日、木曜日は週一の注射の日なので、注射を済ませてから、入院迄の書類の整理をしています。
入院時に着る衣装等の準備も、amenity‐setの準備もあるので、本当ならば一人では無理なので、先生を呼ばなければならないのだけど、未だ、そこまでも行っていないのですよ。

でも、明日の金曜日は、麻酔科の先生とのコンサルだし、土曜日はlessonが入っていて、日曜日はオケ練習なので、入院の準備をするのは無理だし、そして次の日の月曜日はもう入院日なのだ。
何時、リネン等々の準備をするのだ??
まあ、書類書きは終わったけれど・・

そろそろ、椎名町に行く時間なのだけど、凄い北風が吹いている。
Bikeごと、吹き飛ばされそうな北風だ❢❢
どうすんべ~え??





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3月3日ひな祭りの日だけど・・・ ·

3月の3日になりました。
前の文章からの流れで言うと、25時になった所なのです。
今日と言うか、明日は雛祭りなのですが、病院での麻酔科の先生とのconsultの予定が入っているので、そういった華やいだ気分にはなりそうもありません。
どちらかと言うか、今の気分は弱鬱状態なのですよ。(という事で一回目の頻眠に入りました。)

この所の体調不良に備えて、頑張って睡眠を取るように努めているのですが、3回程のいつもの頻尿はあったのですが、まあ、比較的に睡眠は取れたのではないのかな?と、思っています。
お昼からの診察なので、体調的には問題はないように思うのですが、実際には、体が動かないので、病院までの歩きが、動かない体に鞭打っての結構無理やりな動きになっているのですよ。
困った事です。

1時28分の電車なので、そろそろ起き出して、準備を開始します。
必要書類等は、その場でしか分からないので、一応、全部の書類を書類入れのshoulderに入れて持って行く事にします。
ゆっくりと病院に行く準備をするつもりだったのですが、体が動かない所為なのか、朝食を取る時間も、口に何かを入れる時間もなくなってしまいました。
病院から帰ってからの朝食ダナや??

でも、今日は病院から戻ったら、明日のlessonの為に、Cembaloのtuningをしなければなりません。
8feetの2列はだいぶ安定して来たのですが、流石に4feetは、まだまだなので、3列全部のtuningは、未だ少し時間が掛かります。

それと、今回の発表会のオケに助っ人を頼んでいた先輩諸氏が、全員、揃って4月からの就職の為に、出演をcancelして来たので、本番だけでものトラを集め無ければならなくなってしまいました。
多分それが今日中にやらないと、先生達では集めるのは無理だよな〜ぁ?
とは言っても、私も社会から断絶して長い事経つからね〜ぇ?

一電車早い電車で行ったので、病院には30分、予定よりも早く着いてしまいました。
でも、麻酔科の先生が前のconsultを終わって、直ぐに次にconsultを入れてくれたので、30分早く終るのかな??と思ったのですが、冠動脈バイパス手術後の検査が2017年が最後だったので、心臓の超音波検査をするように言われて、泌尿器科に行って、orderを貰って、echo検査に行って、また泌尿器科へ戻るという無駄な行程をしました。
検査結果を待っている間に、入院支援センターから電話があったので、「今は病院に居るので、電話ではなくて、対面で話をしたい」と申し出たら、右往左往していて、泌尿器科が終わって支援センターに行っても、書類が整わないのか、右往左往していて、20分程待たされました。
型を少しでも、違えると、ニッチもサッチもになってしまうようです。
応用力がないというか、なんだろうかね、このていたらくは・・??

まあ、予定の5時頃迄には、恙無く、全部の行程を終了しました。
後は、入院setを作れば、終わりなのかな??

という事で、Cembaloのtuningに取り掛かるか??
否、その前に、チョッと休憩・・❢❢

と思ったら、椅子に座ったままで、呆然自失していて、あっと言う間に8時の椎名町に出発する時間になって、cembaloのtuningの時間がなくなってしまいました。
明日のlessonの前しか、時間がなくなってしまったのだよな〜ぁ?

小池雅代
芦塚様。久しぶりにフェイスブック開けました。頑張ってますね。生きるってそういうことなんだな。川村君がいなくなって時々寂しくて、江古田にもいかなくなった。でも去年学園祭に行ったのです。村田君、クラリネットのなんとかくん、と一緒だった、あと田口君。八味地黄丸・の問題じゃないのかな。自分はまだ頑張っています。3月は名古屋公演です。河村市長サンとの記者会見もやりました。生きてる限りは、お互いに頑張ろう。






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3月4日Cembaloのtuning ·

今は3月4日の朝の7時前である。
routineの体重測定をして、次の血圧を測る為に椅子に座った途端に、爆睡してしまった。
体が動かなくなって、意識混濁状態になってしまったのだよ。
なんとか頑張って、Bedに戻ってtime-limitギリギリの12時まで眠り直そうと思ったのだが、Bedの中では、目が冴えてしまって眠れないのだよな?
困った❢

頑張って、パソコンの前に戻って、FacebookのこのPageを書き直すのだが、それが何と夢なのだよ。
気が付くと、Bedの中で寝ているままなのだ。それを二度、三度と繰り返しているのだよ。
諦めて、起きるか?
それにしては、疲れが酷い。良眠が取れていない所為なのだ。
ちゃんと寝た方が良いのだがね〜ぇ。

ウダウダと、そんな事を悩んで夢を繰り返していたので、意を決して、起き出した。
11時10分・・・、小一時間の間、唯、眠れない・・という夢を見ていたのだよ。
これ程の無駄は無いよな??
まあ、兎に角、一番の難しい作業は靴下を履く作業だ。
それさえ熟せれば、後は先に何かを食うか、tuningをするか・・だよな??

明日は、オケ練習が終わって、東京に帰る前に、新教室のCembaloのtuningもしなければならない。
当たりが弱くなっているので、当たりを付ける意味もあるのだよ。
だから、少し丁寧にtuningをする予定なのだ。
今日も、こんな状態ならば、明日は練習が終わって、体力が残っているかが心配だよな??

軽い昼朝食を済ませて、Cembaloのtuningも済ませた。
思ったよりも早く1時前には無事に全て終わった。
流石に4feetは狂っていたが、8feetの2列は、然程では無かったのだけど、一応、tuningをし直した。
まあ、小一時間は掛かったかな??
4feetの最高音のoctaveは、難しい❢❢
思った所でPinが止まってくれないのだ。
後、10分の1㍉が決まらない。
今日は勘弁して貰う事にしよう。



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3月5日オケのclass分けに関して ·

今は25時半である。
今日•••というか、昨日というか、なのだが、4日の土曜日には、Cembaloのtuningと、Bachのitalian-concertのlessonとorchestraのmember決めと賛助出演依頼の手紙書きと入院の荷物の準備とそれから、云々と、一気に色々な事を、同時にやったので、流石にバテた❢

明日はオケのrehearsalなのだが、斉藤先生が、指揮をするのは嫌手violinを弾きたいので、急遽、私に「年少組(※)の指揮もするように」と、頼んで来た。

最初はオケのmemberが足りなかったので、斉藤先生がオケに降りて演奏をするという話しだったので、それならば私がViolinかviolaで入ると言っていたのだが、本番に助っ人に来てくれるmemberが必要人数に至っしたので、斉藤先生か私がオケに入ってviolinを弾く必要はなくなったのだけど、指揮をするよりもviolinを弾く方が良いから私に指揮をしてくれ・・、という話しなのだ。

(※)年少組という呼び方(class分け)は、基本的にはしていません。
月の練習回数から、練習回数が月2回の2回オケと、月3回の3回オケというのが正式名称です。
以前はそれに加えてより専門性の高い専科オケというのもあったのですが、今は専科生がいないので、専科オケは消滅してしまいました。

オケを始めたばかりの生徒達が負担の無いように、月2回ぐらいから始めた方が良いだろう・・という事で、2回オケがViolinを始めて間もない子供達のorchestraになっているので、偶然、年少さん達のorchestraになっているだけです。

但し、curriculum的には、AオケとBオケ、Cオケの3groupに分かれていて、Aオケの課題は、①譜読みと暗譜②bowを揃える③pitchを揃えるの課題があります。
Bオケからは作曲家に拠って指定された細かい演奏Technikの勉強と、純性の響きに慣れる事、bow‐Technik等が課題になります。
Cオケは演奏表現が課題です。曲のlevelも難しい大曲に挑戦します。

今回のorchestraのgradeは、年少組のAオケと中学生組のBオケなのですが、唯一、私のarrangeのFerdinand Davidの「Vitaliのchanceのviola‐version」の曲だけが、Cオケになります。

年少組のお話に戻って・・、
私は、一度も今回の年少組の練習の見学も、指導もした事が無いし、私が指揮をする場合には、必要最低lineの注文があるので、それが年少組にclear出来るか否かが、私が指導出来るか否かの問題になるのです。
という事で、急遽、明日は普段よりも早い時間に千葉に移動して、年少組の練習時間に間に合うように行って、練習を見てから、一度、試しに私が指揮をして見る事になりました。
これは超、見ものではないかいな??
どうなる事やら?

オケのリハーサルが終わったら、室内楽のリハーサルがあって、それからlessonが2つあって、それからcembaloのtuningをします。普段見ない年少組からcembaloのtuning迄、超ロングランなのだけど、昨晩も睡眠不足なのだよね〜ぇ??
私のlessonは、全く同じようなlessonをしていても、凄く厳しい•••と捉える生徒と、凄く優しくて楽しい•••と感じる生徒に分かれるようです。
或る時には、lessonを見学していた母親が「芦塚先生は厳しいよね?」と、自分の子供に尋ねると、不思議そうな顔をして、「芦塚先生は優しいよ?」と答えて来て、「子供と大人では感覚が違うのですねぇ?」と、私に話して来た事がありました。

私自身は、殊更、子供に対して優しく接した覚えは無いので、自然体で接するように、努めているのに過ぎません。
怖い先生は、生徒が出来ない事に対して怒っているのですが、私の場合には、出来ないのを出来るようにする事が先生の努めである・・と考えているので、生徒が出来ないのは、生徒がやる気が無い場合を除いたら、先生の指導力が無い・・という事になるので、生徒が出来ない事で先生が怒るのは、自分が無能であるという事を証明しているようなものです。

但し、たかが巷の音楽教室に過ぎないので、音楽命の生徒が教室に入会して来る分けはないので、やる気が無くても、別に人生が掛かっている分けではないので、仕方の無い事だと諦めています。人生、諦めが肝心なのでね❢❢
生を諦め、死を諦めるは・・・、てな感じでね・・??

但し、だからと言っても、lessonやlectureに対しての音楽へのapproachのNiveauを下げる気も無いので、子供達が出来るか否かはさておいて、その曲のNiveauを提示して、そのNiveauが「どうすれば演奏出来るようになるのか?」という説明までは、必ずするようにしています。

だから、一般の日本の教育のように、出来ないから、最初からapproachはしない•••という事は私は絶対にしません。
最初から、「出来ない」という前提を含んだままの指導なので、理解が出来なくても、そのまま放置する事もよくあります。

「子供が理解出来ないのに、それを放置するのは許せない」という人達もよく居ます。
しかし、この放置する事にも教育的な意義があるのだというと、驚かれてしまいます。
何故ならば、芸術を学ぶ事は、不可能に挑戦する事を学ぶ事なのだからです。
芸術を学ぶ上では、目標に到達する事は、ありません。
逃げ水のように、目標に辿り着いたら、その目標はまたまた遠くになってしまうからなのです。
WagnerのTristanのように、求めても到達する事の無い憧れが、音楽の目標であるからなのです。

「天が後、10年、寿命を与えてくれたなら・・・」というのは、北斎に限らない、全ての芸術家の気持ちなのでしょうかね??
永遠の目標を学ぶ事が、とても大切な事なのですからね?
今の日本ので教育は一話完結型の教育です。
子供達は先生達からも親達からも常に100点を取る事を要求され、且つまた、100点でなければ、子供自身も納得出来ないのです。

しかし、現実の社会では、100点を取れる事はまずはありません。
記憶の問題のように、覚える事が有限の場合には100点を取れる事はあるのですが、有限な事は、社会では殆ど存在しないのですよ。
同様に、芸術の場合でも、技術点で100点が取れる事はあっても、芸術点で100点が取れる事はありません。
それは至極当たり前の事であって、人間の価値観が、人間の考え方が一人一人異なるように、その価値観も一人一人違うからなのです。
concoursの評価が偏って、concoursで評価を受けた人達がproになれない・・という現象も至極当たり前の事に過ぎません。
proとは、完璧な技術を意味する分けではなく、その人の個性や人間性に対しての評価なのですからね??
完璧な技術だけならば、computerの音楽で充分なハズですからね。

全てが完璧でなければならない教育は、くだらない理論的な教育に過ぎず、実社会では、挫折を産んでしまいます。
ここで注意しなければならない事は、失敗と挫折は根本的に意味が違う・・という事なのです。

失敗は大いにすべき事なのですが、挫折は絶対にさせてはいけません。
挫折はtraumaを生んで、魂の病根として蝕んで行き、結果として死に至る病になってしまいます。
また、若者達が恐れる人生の壁は、やっと次のstepに登る入口に到達した•••という意味になります。
「人生の壁」や、「行き詰まり」に近い言葉に、「slump」があります。

私の場合には、「行き詰まり」や「slump」に陥っ行って、堂々巡りのloop状態になった時には、その課題を放置します。
その状態のままで、freeze(冷凍保存)させてしまうのです。
大概の場合には、1、2年もすると、上手な解決法が見えて来て、「何故、こんな簡単な問題を悩んだのだろう??」、と不思議に思えるようになります。
slumpや壁に至った課題とは、全く無関係の努力が自分を育てて、その課題を乗り越える実力が自然に身に付いたという事なのですよ❢
だから、子供達にも、「このTechnikは次の課題だよね?」と、宿題にしてしまうのです。

Beyer教則本等での指導の時にも、ある曲を3回のlessonでも合格しない場合には、それを△合格にしてしまいます。そして、Beyer教則本が終了した時に、全ての△合格の課題だけをlessonし直します。その時には、難しかったその△合格の課題が、何の問題も無く弾けてしまいます。(それでも不合格の生徒には、同じlevelの別の教則本を与えます。曲は違うけれど、新しい曲なので、興味を持って挑戦する事が出来るからです。)
という事で、生徒の一人一人に合った指導の方法を駆使して、lessonをしていくので、努力だけが全ての解決を導き出す・・と学んで来た人達に取っては、私の指導法は、結構、難しいのかもしれません。

だって、毎日、最低でも7時間、1年中、一日の休みも無く、努力して来た人に、「無駄な努力は時間の無駄です。」なんて、言ったら、パニック発作が起きてしまうよね??
だからと言っても、指を回す為の訓練を否定している分けではないのですよ。指を回す必要の無い箇所で指を回す訓練をしているから、無駄だと言っているのです。
同様に、暗譜のコツは楽譜を見ない事です。・・と言ったら、怒り出す人がいたりして困ってしまいます。でも、楽譜を見るから覚えられないのは本当でしょう??それに、何処が覚えられていないのかは、楽譜を見ないで思い出してみると、一目瞭然に分かります。覚えていない所が分かるのだから、覚えるのは簡単になるでしょう?

教科書にしがみつくのは日本の教育の悪い箇所なのですよ。
AmericaやEuropaの教育systemを取り入れている学校では、文科省の教育systemとは違って、小学生の内から、「教科書は家に持ち帰らない。」「授業中は教科書は開かない。」「先生が説明をしている時には鉛筆は持たない、」と、言った徹底した教育を受けているハズです。
これらの教育systemは、取りも直さず芦塚methodeである私のmethodeに準じるmethodeであるのですよ。

つまり、私のmethodeは、AmmerやEuropaの教育では、結構普通の教育systemなのですが、日本流の教育systemで学んで来た人達には、或る程度は私のmethodに慣れる必要があるのかも知れません。
だから、年少組のオケを私が指導する場合には、幾つかの段階を考慮して、普段の練習に私が介入して、或る程度の私のlessonに堪えられるようになってから、始めて、指揮と指導をするので、そういった、前振りが全く無い状態での指導はなかなか冒険でもあります。
通常の場合には、初級の生徒の一人、二人が次の上級classに入って練習に付いて行く事が普通なので、今回のようなclass全体を私が指導する事はありません。
今回、というか、今日の私のlessonは、例外中の例外なのですよ。



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3月6日今日は入院の初日です。 ·

今日は入院の初日です。
朝は7時には起き出して、事前の準備で落ちていたヒゲ剃りや、持って行く薬等をリュックに積めて、一応朝食に冷蔵庫に残っていた鯛茶漬けを食べて、時間ギリギリの9時過ぎに病院に出掛けました。

駅から病院までは健常者の足ならば、3分ぐらいで歩ける程の距離なのですが、重たいリュックを背負って、青息吐息で7、8分も掛かって、息も絶え絶えになりながらの道行きでした。
気が付いたのは、殆どの人達がリュックではなくて、キャリーバッグで来ていた事です。

大和成和での入院でもも、川崎の入院でも、入院の時には、結構荷物が多いので、先生達がリュックを背負ってくれたので、自分自身でリュックを背負って病院迄歩くのは、多分、今回が始めてなのかな?
なんとか病院に辿り着いて、手続きをしようと思ったのだが、病院の入院受け付けは、とても混んでいて、順番が回って来る迄には30分以上も掛かりました。

手続き自体は何の問題も無かったので、直ぐに5階の病棟まで移動をしました。
今日の入院初日は診察や検査は何も無いので、入院に関しての説明だけで終わりでしたが、それでも、昨晩からのhard-workで、流石にバテたので、お昼を食べてからはBedで小一時間程、仮眠をしてしまいました。
入院初日の緊張感もへったくれも、慢性的な疲れの前では、なんもありゃせんがなもし❢

保険の利く大部屋に入ったのですが、隣りの爺さんが、一人で自分自身と大喧嘩をして、自分を打ったりしていて、看護士さんとお喋りが聞こえないくらいの大騒ぎです。
突然騒ぎ始めたりと、これは問題だよな?
テレビは有料でカード式なのですが、何と自動販売機では千円札しか使えません。
困っていたら、看護士さんが、pocket-manyで交換してくれました。
冷蔵庫や洗濯機等の使用料もテレビのカードです。

ああ、それと体重測定と身長の測定をしたのですが、身長が高校生、大学生の時から、何と6㌢も縮んでしまっていました。超、Shockです❢

それはそうと、普段持ち歩いている5色のボールペンを忘れたのだよな??これは困った❢

寝間着になってしまったので、売店に行くのは気が引けてしまうよな?ボールペン一本の話しなのだが、結構大きいミスだったよな?夏用の寝間着が見つからなかったのも、問題だよな?
羽織る物がなかったのは致し方無いとしてもだが?

毎回、病院に入院して困る事は、時計が無い事だ。それなのに、病院は時間厳守なのだよ。
小さな旅行用の置き時計を持って来れば良いと思うのだが、毎回忘れてしまうのだ。

今日のmainの作業は、明日の手術に備えて、シャワーを浴びる事なのですが、空き時間を調べたら6時頃しか空いていなかったのだけど、よくよく考えたら、その時間は夕食の時間だったのだよね?空いてるハズだよ❢
選択肢の無いままに6時半からの予約にして、6時からの食事を10分で済ませて、歯磨きを手早く済ませて、なんとか6時半のシャワーに間に合った。というか、カラスの行水で、45分には髪の毛も洗ってシャワーも終わった❢ドル並みの早さダナや❢

明日は7時から水が飲めなくなって、勿論、食事も1日無い。9時からは手術室に入るのだよ❢
いやぁ、恐怖ダナや❢
それ以上に恐怖なのは、病院の夜なのだよ。

夜の9時からの消灯なのだが、普段、そんな時間には寝た事がないのだから、病院の夜は破壊的に長いのだよ。と思って買ったテレビカードなのだが、コロナで予算がなくなった所為なのか、面白い番組が全く無いのだよ。
見応えのある番組は皆無だよな?
チョコチョコ、テレビをつけてはみるのだが、チャンネルを一巡させて消してしまう。有料なのだから、見ない番組を付けっぱなしは勿体無いからね?


中野 卯月
先生
どうぞどうぞ
頑張ってくださいませ

芦塚 陽二
ありがとうございます。3回目ともなると、いささか辟易してしまいます。

石川 ちすみ
先生頑張ってください。
今夜はよくお休みになれますように!

芦塚 陽二
ありがとうございます。日曜日はオケリハだったので、超バテてしまいました。
それ以上に睡眠不足だったのですが、当然、月曜日は爆睡するハズだったのですが、やはり眠れませんでした。
プレッシャーなのかね〜ぇ?



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3月6日『珈琲のお話し』 ·


私は紅茶しか飲まないと思われている事が多いようなのですが、元々は緑茶の濃いお茶を飲んでいたのですが、胃の調子が悪くなってしまって、緑茶を飲めなくなって、紅茶に変えた••という経緯があります。

珈琲は一年に1、2回程、飲みたくなる事があるのですが、不思議な事に、私の自宅にも、或いは教室にも、電動の全自動焙煎器があります。

その他には、ハイツの自宅には珈琲豆の手回しのロースターや手動のミールや電動のミール、それから、一人用のサイフォン等もあります。

珈琲カップも、普通の珈琲カップの他にディミタス用の珈琲カップもあります。
普段、珈琲を飲まないので、カップは少しづつ処分しています。置き場所が無いので。

極め付けでは、一人用の自動ドリッパーもあります。

また、真逆に、教室のParty用に購入したのですが、22名用のドリッパーさえもあります。

そういったCollectionを見た人は、私の事を、「相当な珈琲好きの珈琲maniaだ」と思うかも知れませんよね?
確かに、、ピーベリー種の珈琲豆を、毎日のようにローストしていた時もあったのですが、数年で豆からローストして珈琲を抽出するのは、面倒くさいので、止めてしまいました。

やはり、私は、基本的には紅茶の方が好きなようです。だからと言っても本格的に紅茶を抽出するのは、やはり、面倒くさいので、しません。もっぱら、ティパックで熱湯で淹れています。

Juice類は基本的には、体調的に良くないので、飲まないように心掛けています。


『珈琲の想い出』
北イタリアのコンクールで一位に入賞をして、Hotelでの朝食や夕食の後に、必ず小さなカップにエスプレッソが付いて来ました。小さく可愛いカップだったのですが、味はなかなか強烈でした。
始めて飲んだ生粋のイタリアのエスプレッソです。

ユーゴスラビアのザグレブなHotelでは、夜に中庭でビールを飲んでソーセージを食べたのですが、中庭の中央に大きなドラム缶に珈琲豆を豆ごと放り込んで、丸太でグツグツと燃やしていて、人は手にした小さめのカップで上の灰汁をかき分けて、珈琲をすくって飲んでいました。勿論、私も真似をして、おっかなびっくり飲んで見たのですが、煮詰まった色程は渋くはなくて、結構美味しかった覚えがあります。

本当に美味しい珈琲は、ミュンヘンでヨーロッパの大きなスーパーマーケットを経営しているおばあさんが、自分の為に栽培している珈琲の農園で取れた珈琲豆から淹れてくれた珈琲です。
これは本当に美味しかった❢


『好き嫌いとCollectionのお話し』
私は子供の頃、病気をすると、すったリンゴの絞り汁を飲まされて、トラウマになって、リンゴが嫌いになって食べられなくなってしまったのですが、リンゴ園の人が、自分だけの為に作っているリンゴをお裾分けして貰ってからは、甘いリンゴだけは食べれるようになりました。マジに美味しかったのですよ❢

珈琲のお話しからは逸脱してしまいましたが、珈琲のお話しをする時に避けては通れないお話しに珈琲カップのCollectionのお話しがあります。
珈琲が好きな人••と言う人には、珈琲が好き•••というよりも、珈琲カップが好きで、珈琲を飲んでいる人が意外と多いようです。

まあ、紅茶も似たようなものですが、紅茶のテイカップは然程のmaniaは少ないようです。
紅茶の色を映えさせる為には、カップの色が限定されるからかも知れません。

私は本当にお気に入りの一つがあれば、Collectionをする事は無いのですが、その本当のお気に入りを探す為に、ついつい色々と買い求めたり、TPOの為に必要に迫られて、よく似て非なる物を買い揃える事がよくあるので、Collection-maniaとよく勘違いされてしまう事があります。

しかし、私は断じて、そういった趣味はありません。
私の場合には、必要に迫られて•••と言う事なのですよ。

その最たる例が、リュックとショルダーなのです。
普段使いの運転の免許証入れのショルダーは、免許証と小銭入れと携帯が入るといっぱいになります。
でも日常のBikeの移動にはそれで充分なのですよ。

病院にBikeで行く時には、病院関係の書類は大き過ぎて、入りません。
その為に柿渋の可愛い小さめのリュックで病院に行きます。
病院の中では、背負って移動する事は出来ないので、カバンのように手持ちで病院の中を移動します。

lessonの場合には、1冊、2冊の楽譜ならば、A4sizeの書類が入る書類入れのショルダーで充分なのですが、オケ練習のスコア類やlesson関係の楽譜は書類入れのショルダーでは無理です。

楽譜の入るリュックでなければならないのですが、リュックサック型のリュックでは、楽譜を傷めてしまいます。
楽譜が傷付かない箱型の形状のリュックでなければなりません。

今回のような長期入院の場合は、もっと大変です。
必要最小限の容量が必要になります。
まるでキャンプに行くような大容量のリュックや今回の入院に使用した中型の容量のリュックがあります。

色々なリュックがあるのですが、全部、それぞれに持って行く場所や用途に対する意味が違うのですよ❢
だから、必要に迫られて•••なのです。






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3月7日手術当日の朝です。 ·

7日の火曜日、手術当日の朝の5時である。
昨晩は9時からの消灯という事で、なかなか寝付けなくて、困ってしまったのだが、兎に角Bedで横になって、仮眠を繰り返していたのだが、なんとか最後で少しだけ、眠る事が出来た。
7時からは点滴が始まるので、後、2時間のまな板の鯉である。
ゆっくりと、しかし確実に時間は動いて行く。
術着に着替えた。
9時少し前には手術室に徒歩で出発します。
後、少しなのだよ❢


今はお昼の2時を過ぎた所です。
無事に生還を果たしたようです。
術後3時間が過ぎて、酸素マスクや抗生剤の点滴が終わって、点滴と管は付いたままなのですが、Bedの上でお茶等を飲めるようになった所です。
看護士立ち会いでならば、少し廊下を歩く事が出来るそうです。
後はひたすら、出血が止まるのを待つ感じかな?
術前術後の予定表では、術後3時間からは看護士付き添いで、廊下を歩く事が出来るとなっているのだが、看護士がそれを知らないので、確認をしてBedに座っていたのだが、toiletに行きたくなって、看護士を呼んだら、一日目はBed上で安静と言われて、Bedに座っていたので、怒られてしまった。

話しをする上で、前の看護士に許可を貰った上で、座っていたのだが•••と説明したら、慌てて確認に行って、toiletに行く許可を貰っで、更に動けない原因でもあるマッサージャーを外す事にして、一人でも、自立してtoilet等に行けるようにしてくれた。
色々な管が外れたので、Bedに座るのも、極めて楽になった。

唯、膀胱に薬を流し込んで、傷を洗っているので、常に尿意の切迫感があって不快な感じである。
それさえ除けば、結構快適な入院生活なのだが?


朝から何も食っていない❢
腹減った❢❢
今はpmの6時半を過ぎた所なのですが、ずっとBedに横たわって安静にしているのだけど、傷の所為なのか、兎に角、寒いのだ❢
布団に潜り込んで、温かいハズなのに、寒い❢

更にpmの8時を過ぎた所だ。
先生達の回診があった。看護士さんに寒いので、毛布を頼んだ。
今掛かっているのがタオルケットで、それならば予備はあるそうなのだが、一応注文したのだが、何時持って来るのかな?

30分程経ってから持って来てくれたのだが、夜の看護士さんは昼間の看護士さんに比べてそんなに優しくはない。
布団を型通りに置いたのだが、今使っている布団に重ねてはくれなかった。
尿管や点滴の管がくっついたままでは、布団を重ねるのは一苦労なのだがね〜ぇ?
まあ、そこは看護士の仕事ではないのかな?

夜の9時を過ぎた所です。
消灯の時間なのだが、Bedに座っていると尿管の入っている尿道が圧迫されて痛いので、Bedに座るのは結構辛いので、結果、一日中Bedで寝ている形になってしまいました。
色々と姿勢を変えながら寝てはいるのですが、流石に尿管が入っているので、うつ伏せだけは出来ません。
仰向けに寝たり、横向きに寝たりなのですが、それでも、限界があります。
今日、明日はひたすら忍耐の日になります。
布団がDoubleになったので、その分重くはなったのだけど、ポカポカ温かくなりました。
という事で、爆睡出来たのですよ❢

やった、次の日の朝だ❢と思って携帯で時間を見たら、なんと、消灯の時間からone-coolの1時間半の10時半でした。超、Shockです❢

入院から3日、4日経ったような気がするのですが、未だ未だ手術の当日なのですよね〜ぇ。
長い夜が続きます。

流石に腰が痛くなって寝ているのも辛くなって来たのですが、座ると尿道に大きい尿管が入っているので、座る事も出来ません。
点滴の棒に掴まりながら、立ち尽くしていたら、尿量をcheckに来た看護士さんが、痛み止めと胃の薬を持って来てくれました。
効くか、効かないかは、運次第らしい❢

次の日の午前0時45分です。
完全に寝逸れてしまいました。腰が痛いので、Bedに座って見たのですが、なんとかおっかなびっくり座っています。
体の重心を両sideにズラしながらなんとか座る事が出来ました。
暫くこの体勢で休むとするか?
考えて見たら、ハイツの自宅でも、深夜眠れない時には、エクゼチェアーに見を委ねて仮眠を取っていたのだからね〜ぇ?



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3月8日術後の夜 ·

いやあ、3月8日の午前2時40分です。
爆睡出来たと思ったけれど、未だ、7日の26時なのだよね〜ぇ?

隣りの爺さんの休みの無い不思議なイビキに苦しめられています。
起きていても、寝ていても超騒がしい爺さんです。
一人言の対話は珍しい❢
しかも、一人で実際に殴り合うのだから、奇妙奇天烈な光景なのだよ❢
兎に角、超、騒々しいのだよ❢

私は独居老人なので、テレビでもつけない限り、自宅のハイツの部屋に音はありません。
パソコンのkeyboardの操作音も全て切っているので、パソコンで仕事をしている時も、基本的には音はありません。
powerdirectorで映像を編集している時を除いたら、静かなもんです。

深夜の時間帯に至っては、それこそ針を落としても部屋から部屋に、鳴り響いてしまうぐらいに静かなのです。

この病室のお隣さんの一人大騒ぎでは、看護士さんの説明が聴こえない事さえあります。
その爺さんの騒音の中でも、ちゃんと寝てしまうのだから、結構、私も根性はあるよな??

それにしても、今回は手術の直後とtoiletに行った時に、血尿の色が濃くなっただけで、今までになく、良好で、出てもロゼよりも薄い色で、術後当日なのに驚いてしまいました。

手術予定よりも3ヶ月も遅く切ったので、病根は充分過ぎる程、大きく熟成していたハズなのだがね?

執刀医の腕が良いと出血も少ないのだよねぇ〜、と、思ったけれど、袋に溜まった小水を見たら、やっぱり結構赤かったぞな?
管の部分は殆ど無色なのだがね〜ぇ?

3月8日の水曜日はそろそろ午後の1時になります。
相も変わらず、お隣さんの一人大騒ぎは、超酷いのですよ。
困ったもんだ❢

石川 ちすみ
芦塚先生!手術からのご生還、ホッといたしました。ご快復をお祈りします。
返信する18週間
芦塚 陽二
ありがとうございます。未だ管や点滴が抜けていないので、寝たり歩いたりがままなりません。

中野 卯月
オペを無事乗り越えられ、1日も早くご快癒にてご退院が叶います様どうぞ!どうぞ!お大事になさってくださいませ

芦塚 陽二
ありがとうございます。兎に角、9時から消灯で7時、8時までBedにいなければならないので、腰痛に苦しめられています。多分、後、二日間くらいなのでしょうが、忍耐力のtestです。

中野 卯月
芦塚先生
コルからピークへあと少し!
どうぞ頑張ってくださいませ!




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3月8日日本人演奏家のinterviewの記事を読んで ·

まあ、入院手術の最中にわざわざ書く事でもない事なのだろうが、何気なく読んだinterviewの記事が、龍の逆鱗ではなくて、鯛のウロコに触れてしまったので、一筆啓上する事になってしまった。
元々書かれていたコメントでは、Bachの無伴奏にvibratoを入れて弾くか、vibrato無しで弾くかという単純な話しなのだが、実は、それはそんな簡単な趣味の問題という分けではなくて、平均律の調律で演奏するか、純正調の調律で演奏するのか、という音楽の根幹に触れる問題になる•••という事を、演奏者の人は、ご存知ないようだった。
(vibratoをしない••という事は、和音を純正で取るという意味なのだよ。)

それ以前に、「一般的にはbaroque時代の弦楽器を演奏する時には、vibrateが全く使われなかった❢」•••とかいう誤った常識(社会通念)が一般に流布していて、私は自分の出来得る限り、折に触れてその一般常識の誤りを正しているのだが、一流のproを自称しているヴァイオリニストでさえも、そういった誤った常識のままにbaroque音楽を演奏しているのを見るに付けても、日本の音楽の水準の低さに驚かされてしまうのだよ。

日本人に取っては、異国のfremdな(見知らぬ)音楽を演奏しているに過ぎないとしても、余りにも無知蒙昧であると言わざるを得ず、慚愧の念に堪えないのだよ。
baroque音楽を演奏する時に、純正の響きを活かす為に、必要最小限にしか、vibratoを使わなかったのだが、それがbaroque時代には、未だvibratoが存在していなかった、とかいった誤解に繋がって行ったのだよ。
その誤解がまことしやかに一般に信じられるようになってしまって、音楽界の常識として流布してしまって、私としては本当に困ってしまうのだよ。

先ず、そのvibrato云々の話しをする前の基礎知識として、baroque時代には、こんにち私達が常識的に耳にしている平均律の調律さえなかったのだよ。
cembaloやorganのような鍵盤によって固定されたpitchの場合には、baroque時代の古典調律でも、非常に平均律調律に近い調律法で調律されていました。
(こんにち私達が耳にしている平均律の調律法が出来るのはもっと後の時代なのですよ。)
baroque時代にも関わらず、平均律に近い調律法で調律をしたのは、それはorganのような調律に膨大な時間をも要する楽器の場合には、和音の美しさを犠牲にしてでも、全ての調への転調や全ての和音を活かす事が、有利だとされたからなのです。

しかし、或る程度は自由にpitchをcontrol出来るcembaloの場合やForte-pianoの場合とか、もっと自由にtuningが出来る弦楽器の場合には、そういった調律上の制約は必要なかったのですよ。
(逆の例では、同じ弦楽器でもギターやガンバのようにフレットを持つ楽器もあります。)

つまり、baroque音楽の基本は純正調の調律法なのです。
純正の和音の響きの美しさを表現する為に、vibratoをしなくて、和音の響きの美しさを強調したのです。

充分に純正の響きを伝達したら、最後に少しだけvibratoを付け加えて弾く事が慣習でした。
こんにちのようなオーバーなvibratoではなくて、上品で慎ましやかなvibratoだったのですよ。
現代のvibratoでは、美しい和音の響きは聴こえて来ません。

このお話しは、弦楽器だけに限りません。
声楽を学んだ音大生達は無意識にvibratoを入れてしまいます。 音程が不安なのか、vibratoなのか分からないようなオーバーなvibratoをする人さえもいます。
だから、カール リヒターの率いるミュンへナーバッハコアーは音楽学校の卒業生は全く採用していないのです。
バッハの合唱にvibratoが入って、美しい和音の響きが壊れるのを避ける為だそうでした。

今回はvibratoと純正の和音のお話しに限ってお話しをしました。
でもbaroque時代の色々な演奏法を知った上で演奏をしている日本人の演奏者は、殆どいません。
それどころか、baroque時代に演奏されていたBachは、Bachではない❢•••と言いかねない勢いなのですよ❢
近現代のBachはbaroque時代に普通に聴かれていたBachでは無くて、近現代の解釈によるBachなのですがね〜ぇ。
その解釈では、baroque特有の美しい和音の響きはすっかりと失われているのですよ。

Bachが聴いたらきっと怒り出すと思いますよ。
こんなのは俺の音楽では無い•••とね??

装飾音には一つ一つ意味があります。
装飾音の殆どは、必然的に付けられます。
つまり、装飾音に感性は必要ないのですよ。
装飾音はcembaloやorganのような細かい演奏表現が出来ない楽器でもそういった演奏表現が出来るように作られたものなのです。
装飾音の一つ一つの意味を理解すれば、何処に装飾音が必要なのかが分かります。
装飾音は基本的には、全て理論的に付けられていたのだよ。



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3月8日『3月の8日から10日になる所まで』 ·


消灯の時間をとっくに過ぎたのだが、まだまだ術後一日目の3月8日の水曜日の夜の11時なのだよ❢
一日中寝ているので、全く眠気が起きないのだよ。あたりまえの話しなのだがね〜ぇ?
周りの人達はなんで眠れるのだろうか?不思議だ❢

看護士さんが、「少し歩いたら眠れるよ❢」と言っていたのだが、尿管の管をぶら下げて、病院の廊下を幾ら歩いてもたかが知れているので、運動にはならないのだよな〜ぁ?

睡眠導入剤を勧められたのだが、今までそれで上手く眠れた例しはないのだよ。
ハイツの自宅ならば、山のように片付けなければならない仕事があるし、頭を休める為のくだらない番組も録画してある。
今、テレビを見て時間を潰すにしても、この時間帯では顰蹙ものだしね〜ぇ。
Bedで横になっているのも、結構、腰に来るのだよな?

という事で無駄に、寝たり、起きたりを繰り返しているのだよ。
まあ、それしかなかんべ〜ぇ??

やっと、9日の木曜日になりました。
まあ、業界的には未だ24時なのですがね〜ぇ?
一応はBedの中に入ってはいるのですが、全く眠れなくて、バタ狂っています。
それこそ明日の予定は何も無いのですよ❢
一日寝ているだけなのですよ。

1時半を過ぎてやっぱり眠れないので、眠剤を貰いに行ったら、時間切れで、もう出せないのだそうな??
いやあ、夜は長い

眠れない❢ 眠れない❢❢と、悩んでいたら、なんと、無意識の内にone-coolの小一時間程、爆睡してしまった。
やつて見るもんだよな〜ぁ

という事で、朝の4時なのだが、マタイのアリアのcheckをして、感想と評価をmailで送った所です。
携帯一つあれば、どこでも仕事が出来るという事ダナや❢
とは言っても、朝食も未だなのだよ❢

昨日よりも今日の方が、血尿が酷い❢
一進一退ダナや❢
眠れなくて、Bedの上で悶え苦しんでいたからなぁ〜❢❢

そう言えば、昨日から血液サラサラの薬を飲み始めたのだよね〜ぇ❢
それでもBedで安静にしていると、尿が透明になるのだよ。
辛くても頑張って安静にして寝ていろという事か?

変わった事と言えば、膀胱癌の療法にツベルクリン反応検査をした。
BCGが、免疫療法に効くのかな?
詳しい話しは聞いていないので、何も分からないのだが?

再発が続いているのだから、何かはしないと、と言う事で前の川崎の病院では相談をしてみたのだが、なんの方法も無いと言う事だったのだがね〜ぇ?帰ったら調べて見よう??
この病院のディルームからの眺望は最高なのだが、残念ながら、一度もすっきりと澄み渡った事はない。
多分、富士山が見えると思うのですが、全く曇っていて見えないのだよ❢

明日の10日の金曜日は、朝一番で、いよいよ尿管の管が取れるのだが、それからちゃんと排尿出来るかのcheckがあって、その次がいよいよ退院だ❢
土曜日で退院か、日曜日の退院か、なのだが、未だ分からん❢❢
未だ未だ9日の夜なのだよ❢

今日は昼間は結構爆睡出来たのに、夜は相変わらず目が冴えて眠れないのだよ❢
それ以上に、お隣さんのイビキが超煩い❢
イビキに叫び声までが付いて来る❢
なんで皆眠れるのだろうか??
不思議だ❢❢
日本人の生真面目さなのだろうか?
たった一人の老人の為に、入院生活が悲惨なものになってしまった。
でも、この爺さんは施設から転院して来たのだよ。
一人言で自分自身を叱責したり、自分自身を叩いたりするのは、誰からも相手にされなくなった孤独な老人の末路なのだよね〜ぇ??
確かにコロナで見舞い客は禁止なのだが、そうでなくても、誰も来ないのだろうか?
息子さんが渡していた1万円がなくなったと看護士さんが大騒ぎをしていたのだが、どうやら、テレビを付けっぱなしにしていたらしい。
息子さんは、「今度は2千円しか渡さない」とご立腹のようだ。
多分、自己管理は出来ないと思うよ?

老人性の認知症とは少し違っているのだが、自責の念を引き起こしているのは、見放されたと言うトラウマが引き起こしているのだよ。
老人は歳を取ると厄介者扱いにされて、姥捨山に捨てられる運命にあるのだよ。
「働ける限り働け❢」とか、自分自身の介護料を自分自身で払う等等、老人を大切にしない社会には将来は無いよな〜ぁ?

社会から見捨てられるとは、自分自身の所為では無いとしても、哀れなもんだよ。
お爺さん、私とは歳もそんなには違わないのにね〜ぇ?

やっと、10日になった。
時間の過ぎ去るのが、遅い事、普段のオケ練習でも、これぐらい遅ければいっぱい教えられて良いのにね〜ぇ

深夜の2時である。
なんと、この馬鹿げた騒音の中でも、小一時間程は眠れたぞぃ❢
でも、未だ未だ夜は長いのだよ❢
後、3時間寝たとしても、朝は未だ5時半だ❢
2度寝、3度寝と小刻みに眠って、なんとか4時半って所までは来ました。
もう少しで、朝です。
そろそろ限界かな?




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3月10日『円座マットの話し』 ·


この話しは以前にも同じ事を書いた覚えがあるのだが、今回病院で椅子にもBedにも痛くて、座れないのだが、その理由をもう一度書く事にする。

元々の原因は、全身麻酔を使って大腸内視鏡でポリープの検査をしたときに尾骨を傷めてしまったのが原因なのだ。
その頃は、大崎の逓信病院(今風に言うとNTT東日本病院なのだが)のペインに通ったよな〜ぁ
1年近く通って、結局、難しいと言う事で、断られてしまったのだがね?

その内にお尻の筋肉が落ちて来て、脂肪までもがなくなって来て、座ると尾骨が直接あたって強い痛みを覚えるようになってしまった。
円座マットは本来は痔の人向けのマットなのだが、私のような尾骨のトラブルの人にも頗る良い。

私のように、痛みが激しく、酷くは無いとしても、お尻の筋肉と脂肪がなくなってしまって、座わるに困っている人は結構いるのだそうな。
私の周りには、同じようなtroubleを抱えている人はいないけれども・・一般的には結構多いという話をテレビで見ました。
へえ、そうなんだ・・??

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3月10日言う事、成す事、バラバラの病院 ·

いや〜あ、11日の土曜日は、退院する予定だったのだが、11日になって、退院の予定日が看護士によってバラバラになってしまった。
これまでは、「土曜日11日の午前中で良い」と言う事で、今まで斉藤先生とお迎えの時間の相談をしていたのだが、別の看護士からの話しで、「退院の予定は、日曜日ですよ❢」と言われてしまって、これまでの斉藤先生との話しが、全部反故になってしまった❢
どうなっているのかいな??

昨日は昨日で、指先で、酸素飽和度を測る道具(パルスオキシメーター)を看護士が無くした・・と言って、大騒ぎをしていると思ったら次の日にも別の看護士から「見なかったのか?」と私に聞いて来たので、「ラックの下にはなかったのか?」と聞いたら、昨日のパルスオキシメーターは見つかって、今日はその聞いて来た看護士の持っているパルスオキシメーターを探しているのだそうです。
呆れたね〜ぇ?
看護士ともあろう者が、連チャンで仕事道具を無くすかね〜ぇ?

夕方になって、看護士から「明日退院出来る••って確認出来ました。」と言って来たのだが、その後で、医師が「尿がちゃんと出ていれば、退院OKですよ」と言いに来た。
どうなっているのかね〜ぇ?

まあ、それはそうと、入院する前に、小銭入れのcheckをしないままに病院に持って来てしまったのだが、自販機でお茶を買うにあたって、100円玉と10円玉が殆ど入っていない事に気付いた。
病棟の自販機には500㍉㍑のお茶しか売っていないのだよ。
先程2本買って、今また1本買った。
今夜のお茶が買えるか、心配だよな?

11日の朝の4時前なのですが、案の定お茶がなくなって来ました。
小銭入れの中を見てみると、100円玉は全く無くて10円玉は2枚しかありません。
かろうじて50円玉が3枚あって、なんとかお茶も買えるようです。
朝の食事が終わったら、そのままお迎えで退院になるのですが、ダウンの他にも、今着ている寝間着を入れるスペースはもうないよな〜ぁ??

朝食が8時で、お迎えが8時半、9時までには退院します。

5時半です。
toiletに起きて、戻って来た所なのです。
未だ、3時間もあるので、私の50年来の小説の草案の黒服の女の導入部分と再会部分のimage構成をした。
原稿はハイツにしか無いので、校正は頭の中だけでの校正なのだ。
ハイツに戻ってからの原稿の修正になる。
退院の1時間前にやっとディサービスのベランダから秩父の山並みと富士山が超薄い状態なのですが、見る事が出来ました。
よ〜く見ないと分からないかも知れませんが、余りにも薄かったので、ズームアップして見ました。
少しは見えるかな?
やっぱり見えないかな?

今度は、退院の時間が伝達出来ていなかったのだよ。
医者が何時に来るのかが、分からないそうだ❢
なんだろうねぇ〜?
予定では8時には来ると言っていたのだが、今度は何時か分からないそうだ❢
なんだろうねぇ??

斉藤先生にお迎えついでに、入院中の荷物と着替えを持って来て貰ったのだが、待たせておいても無駄なので、諦めて先に帰って貰う事にした。
荷物が無ければ、なんとか一人でも帰れるかな?
別に急ぎでは無いので、休み休み帰れば良いのだからねぇ〜??
最後の最後にも、「先生のお話」という、同じ話しが繰り返えされるのはいただけないのだよな〜ぁ?
連携が問題だよな〜ぁ❢

最後の最後の最後に「先生からお話があるので、先生がいらっしゃるまで待っていてください。」という風に言われて、全てが止まってしまいました。
bedの上で小一時間程待っていたのだが、流石に、疲れ果ててしまって、看護士さんを呼びに行って、その旨、文句を言った。
「先生に確認して見ます。」と言って、20分程経ったのだが、看護士さんを見つけたら、手違いで、最初のcheckを確認した次点で、退院の許可は出ていた・・という事だった。
最初の俺の話が合っていたのだよ。
後は全部、思い込みに拠る勘違いだったのだよな??

これは退院の話だから、時間だけのミスで済んだけれど、薬や、検査に関わる事だったら、死亡事故にも繋がる大問題だよな??
所謂、ハインリッヒの法則と言うのだよ。
朝の申し送りが出来ている所は、流石にちゃんと頑張っているのだが、1日の間に、しょっちゅう変更されるのが普通なのだが、順天堂に限らず、川崎の病院でも、全く伝達が上手く行っていなくて、恐ろしい限りであった。

まあ、何とか、退院と言う事で、病棟を後にしたのだが、2階の入り口に辿り着いたら、普段人混みで混雑している巨大受付には人っ子一人居ない閑散とした状態で、出入り口の扉も閉ざされていた。
偶然通り掛かった病院のスタッフに出入り口を聞いたら、一階の非常出入り口から帰るようにと言われた。

看護病棟で退院の前にちゃんと説明をすべきだよな??
土日は休院日で、mainの出入り口が封鎖されるのだそうな??
そんな事聞いていないよ。入院も退院も、始めてだから分からんよな??
・・・だって、病棟には休みは無いのだからね~ぇ??
入院のある病院には休みは無いのだよ。




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3月11日退院日の夜 ·

今日は3月の11日(土曜日)・・・で、退院の日の夜である。
術後の7日の火曜日には、術後の直ぐには、流石に、血尿だったのだが、それから直ぐに透明で綺麗になったのだが、術後、次の日からの普段の尿は、またまた、血尿が酷くなって、6段階の3と4の間になってしまった。
血尿は、その段階の状態のままで4日が経過して、結果として今日は、血尿が収まらないままに、予定通りに退院したのだが、ハイツに着いて少し休んだら、不思議な事に、尿がまたまた透明で綺麗になってしまった。
どうやら、看護師達のドタバタ劇と、お隣さんの破壊的な寝言で一人言・・と言うだけではなくて、超、煩いイビキの所為・・・と言うよりも、突然イビキが止まって静かになってしまう、所謂、無呼吸症候群で、「死んだのでは???」との恐怖心から、自分では分からないままに、必要以上のpressureを受けていたのだよな~ぁ??
退院して、心が自由になったら、血尿も無くなってしまったゾイ❢❢❢

椅子に座っていても、円座マットの上なので、お尻に負担が無いので、それも血尿には良い効果を出しているのだよな??
後は、慢性的であった鼻も、ハイツに戻ってからは、アルガードとナザールのスプレーを使って、所謂、鼻のメンテをする事で、上手く息が出来て、結果、夜は、眠る事が出来ているのだよ。
次の日の朝、日曜日の朝は、病院のrotationの影響で、超、早い時間の4時過ぎに、目が覚めたのだけど、これまた病院の時のように、寝直しが出来たので、何回も寝直して、その間、間に、パソコンに送られて来たmailの返信のmessageを送ったり、していたのだけど、時間が経過してしまって、とうとうskype‐lessonの時間になってしまった。

今日は千葉行きは止めて、solo‐rehearsal なので、remoteのlessonも無しにするつもりだったのですが、瑞希のlessonは智子が付き合える得難い合わせが出来る時間なので、lessonを止める事は出来なくなってしまいました。
智子のsoloの演奏もあるし、オケのみんながどのようなsoloのprogramを演奏しているのか??という事も、興味があったので、lessonや個別の評価をしない・・という条件で、rehearsal の風景をハイツのパソコンで見る事になりました。

その時間はbedで寝る事が出来なくなってしまうので、昨日の今日という事は、体調的には、結構、大変です。アハッ!

remoteのSkype-lessonという事では、自宅からのlessonなので、私の普段の着ている衣装も生徒達に見られてしまうので、テレビ写りの為だけの為に、小一時間前にはBedから起き出して衣装を着たり、髭を剃ったり・・と、何かと、世間並みの準備をしなければならないのだが、頑張って、身の回りの準備を開始したのは良いのだけど、なんと足が腓返りを起こしてしまい、超痛い上に、それを何とか収めても、次から次へと別の箇所の腓返りが引き起こされてしまうので、頑張って、bedからパソコンの部屋の薬置きの場所に、歩いて行って、何とか薬を探し出して、飲んだ。

文章に書くと、簡単なように思えるのだが、実際には、痛みを堪えながら、一歩一歩歩かなければならないので、大変な時間が経過しているのだよ・・・??
腓返りは、この2,3年は結構、繰り返し、起こるようになって来たのだけど、市販の薬も私には結構よく効くので、それを飲んで、何とかやり過ごしているので、ハイツの部屋にも常備していたのだけど、そろそろ無くなってしまうので、補充しないとな?

瑞希のWieniawskiのReverieのlessonなのだが、瑞希のために、You Tubeで、模範演奏となる演奏を探したのだが、冒頭に2回繰り返されるrecitativoと、次に繰り返されるcantabileと、対照的に書かれているのだが、その違いをclearにハッキリと奏き分けている演奏を探したのだが、一人も見つける事が出来なかった。
そもそも、violaのmelodieをrecitativoで奏く・・という想定自体が無く、Wieniawskiの意図と思われる訥々としたMonologue的な呟きを表現している演奏自体が皆無であったのだよ。

音楽家は音楽を歌う事を勉強して行く分けなので、Monologueのような呟きを表現する事は、歌手とは違っていて、全く無いのだよ。
だから、そういった音楽表現ではない台詞としての表現をした事は生涯の勉強として、一度も無いのだよ。だからWieniawskiがrecitativoとcantabileの対照として、楽譜に書き込んでいても、それを音楽表現として捉える事が出来ないのだよ。
多分、これは音楽からのapproachではなくて、演劇の舞台としてのapproachでなければならないからなのだ。
しかも、Wieniawskiは、このrecitativoを曲の中で4回も使用している。
つまり、recitativoは4種類を作らなければならないのだよ。
呟きが、毎回、同じでは、目も当てられないからね??
当然、lessonはviolaを持たないで、台詞をお喋りをする・・というlessonだったのだよ。
これはもう、音楽のlessonとは呼べないよな??
素晴らしい❢❢
音楽の表現力の多様性であるぞなもし❢❢❢

Reverie Wieniawski 千野瑞希 Viola 2023年6月4日 - YouTube


石川 ちすみ
退院おめでとうございます🌸
まだまだお身体お大変と存じますが、お大事にしてください。


芦塚 陽二
有り難うございます。部屋に閉じ籠もって安静にしているつもりなのですが、部屋の中で出来る事・・と言う事で、早速、今から、skypeでのlessonとsoloのrehearsal があります。

中野 卯月
おめでとうございます!

芦塚 陽二
ありがとうございます。退院の時のドタバタは色々と考えさせられる所がありました。勉強になりました。




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3月13日時短の法則 ·

もし私が、宮本武蔵達が活躍をしている戦国時代に生まれたら、はやばやと切り捨てられてしまっていたであろう。
それぐらいに、私はブキッチョで、仕事(作業)も遅いし、決断力も弱いのが子供の頃からの悩みでした。

そのブキッチョさの程度が身に沁みて、具体的に分かった時があったのだが、それは、私が音楽大学に入学したばかりの頃、先輩諸氏達20名ぐらいと、偶然、図書館の作業を手伝う羽目になってしまって、同じ作業を20名で同時平行作業として作業をしたのだが、他の女の子達が一作業一周する間に、私は半周しか出来無かったのだよ。
皆が私の仕事が遅いのに呆れていたのだが、それ以上に私自身が私自身の仕事の遅さに呆れてしまったのだよ。

勿論、それを自分自身で気が付いたのは、小学生の頃の時代からなのだが、中学生になって、田舎の学校から長崎の学校に転校してからの授業では、先生の書いた板書をnoteに写す・・という定形の基本作業(当時の授業の形態なのだよ❢❢)があって、先生が黒板に書いた内容を説明して、それから書いたものを消して、次に新しく書くまでに、先生の黒板に書いた内容を、自分のnoteに書き写す事が出来た事は一度も無いのだよ。
だから私のnoteでは全ての書き込みが途中迄なのだ。

当時は、全部書いたnoteを見せてくれるようなお友達は一人も居なかったしね~ぇ・・・???

中学生ともなると、文字を書く速度が遅いのを何とかしなければ・・・と、社会的には新聞記者や、国会での書記の人達のように、人のお喋りを書き留める仕事がある事を知っていたのですが、私も、手書きが速くなるように、新聞記者や国会での書紀の人達のように速記法を学ぼうと思い立ったのだが、古本屋さんで、速記術の本の入門書を見て、瞬殺で諦めてしまった。
私には、その技術を学ぶ事は、とても無理だ❢❢・・と、言う事でね??(当時はvideoは勿論、cassette-recorderも無かった時代です。)

文字を書く速度が人よりも非常に遅い・・と、いう事で、中学校の3年生になった頃、自分なりの・・簡単で、勉強をしなくても良い速記術を思い付きました。
つまり、速記術の本のように、訓練をしなくても、その場の思い付きだけで、使える速記法を思い付いたのだよ。

唯、その15歳ぐらいで始めた私のグウタラ速記術は、そのままに改良を続けて、更には30歳ぐらいになって、ワープロの時代、computerの時代にもなってからも、そのまま私の仕事上の「時短」の基本的な技術になってしまいました。所謂、芦塚methodeに拠る単語登録一覧です。
中学生の時に思い付いた文字の速記の技法なのだが、板書が間に合わないのは、私がnoteに文字を書く速度が遅い所為なのだから、文字を書く文字数を減らせば良い・・と言う事に気付いたのだよ。

つまり、切っ掛けとなった、文字数を減らす・・という事の法則は、一つの授業の中で登場する名詞となる単語は全て同じ名詞を表す単語なので、それを頭文字だけで書き表わしてしまえば良いのだ・・と言う事なのだよ。
但し、それを授業単位ではなくて、日常生活単位迄に普遍化するには、その単語登録に対しての省略する文字への法則化が必要だったのだよ。
省略する文字数は、利用頻度に拠って、呼び出す文字数を少なくして行く・・という法則を付けた。

(ここからは芦塚先生の速記法としてhomepageに詳しく書かれているので、そちらを参照にしてください。homepage「芦塚先生のお部屋」⇒教育論文第一集⇒memoの取り方  http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/memo...)

勿論、私自身のブキッチョさを治すには、筆記速度や入力速度を改善するだけでは、無理なので、汎ゆる仕事の仕方を改善する事に努力をしました。
その最たる物が、芦塚methodeの根幹を成す、「時短」の法則です。「芦塚先生のお部屋」⇒教育問題第3集⇒時短と整理  http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/jtn...
詳しくは、上記のhomepageを参照にしてください。

このお話は私が中学生の頃から、自分のブキッチョさに向き合って、その改善を図って来たお話なのですが、このお話を一般論に昇華させるに当たっては、当然、『続き』があります。

それは私とは真逆のtypeの人達、所謂、勤勉な人達に付いて・・のお話です。
学校教育上では、勤勉さは、素晴らしい利点なのですが、実社会では、勤勉な人は仕事が遅い・・という、通説があります。

それは、お役所仕事を見ていても、分かるように、一日中、一心不乱に働いていても、書類の山に襲われて、結局の所、何も進まない・・、何一つ解決出来ない・・というジレンマに陥いっているからなのです。
そういったドグマは、勤勉という言葉の中に、脇目も振らずに一心不乱に・・という意味合いが含まれるからです。

仕事の合理化の為には、時短を取り込む必要があるのだけど、その場合には、全体を俯瞰する事が大切だからです。
俯瞰して、平行作業や外注作業や、何処にどの程度の時間を掛けるか・・というprogramを立てる事がとても大切です。

勤勉な人が俯瞰の技術を学び、時短が出来るようになると、鬼に金棒なのでしょうが、中々、そうは行きません。
コツコツと練習をする演奏家は、何故??どうすれば??という工夫をする事が苦手です。考える前に自分の練習を工夫する事なく、練習をしてしまうからです。

でも、工夫をすれば、しなくても良い事はしないで済むので、大変な時短を導き出す事が出来るのです。

しかし、勤勉な人達は、その考える事を面倒くさがります。
つまりは、工夫三昧をする事を毛嫌いする、所謂、怠け者なのですよ。
つまり、ヨージーの法則では勤勉な人達は怠け者なのです。

「目標」を成功させる秘訣は、自分の欠点を長所に変える事なのです。
「そんな事は、言われなくても、分かっているよ」って・・??

人生を導く正しい答えは、案外、陳腐なつまらないものなのですよ。
でも、その陳腐なつまらない事が出来る人は、giftと呼ばれるのですよ。それぐらい、その陳腐な事が出来る人は稀な人達なのです。

Pianoで言うとすれば、体の力を抜いて、弛緩して演奏する・・という程難しいのです。
人間、楽に、自然に生きるという事は如何に難しい事なのだろうかね??
人間が産まれて来て、赤ちゃんの時には、誰もが出来た力を抜くという事なのですがね??
これが歳と共に出来なくなってしまうのですよ。
放下著ですかね??


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3月13日homepageの汎ゆるPageがぶっ飛んでいて ·

3月13日の月曜日のお話なのだが、病院を退院して2日が経ったので、ハイツの生活にもすっかりと馴染んで来たので、久し振りにhomepageを参照しようと思って、homepageを開こうとしたら、またまた、homepageの汎ゆるPageがぶっ飛んでいて、しかも芦塚音楽研究所のPageが無くなっていたのだよ。
何処にも見当たらないのだよ。

またまた、何が起こったのだ??
理解不能である。
超、Shockだよ❢❢
恐怖のhomepageなのだよ❢❢

homepagebuilderの所為なのか??
大元のdataが飛んでいるので、backupさえも見当たらないのだよな??

大元のdataがぶっ飛んでいる・・というのは、パソコン上でのお話なので、勿論、Providerに保存されたdataは、ぶっ飛んではいないので、Pageを見る事は出来ます。
しかし、そのPageの写真や挿入された資料類は、大元のPageと一緒にぶっ飛んでしまっているので、もう一度uploadし直さないと、ちゃんと見る事は出来ません。

「芦塚先生のお部屋」のPageもあちこちぶっ飛んでいて、2018年9月29日のcatastropheから、頑張ってbackup原稿から再生させたPageもまたまた、ぶっ飛んでしまっているのだよ。

もっと致命的な問題は、芦塚音楽研究所の大元のPage全体が無くなってしまっていた。
これは今でもFacebookのPageになっていて、削除出来ないので、これからのFacebookを書く時に困ってしまうのだ。
全く、homepageを弄る気力が無くなってしまった。

俺の人生は、権兵衛が種蒔きゃあ、カラスが穿る・・・のだよな~ぁ??
頑張って、何度やり直しても、元の木阿弥に戻ってしまう。
超、Shockだよな~ぁ??
いつも言われる事は、homepagebuilderの問題なのだよな??
homepagebuilderは、どうも、不安定らしいのだよ。

今日は、3月の14日、homepageがぶっ飛んでから2日経って、朝から気を取り直して、Providerのcloudからdown loadをして、何とか取り繕うか??と朝から膨大な情報をdown loadしている所である。

しかし、芦塚音楽研究所のPageは大元のPage全体が消失しているので、大元からのdown loadも出来ないのだよ。

hard disk 😃 全体から芦塚音楽研究所のdataが残っていないのかを、検索を掛けて見たら、全くhomepageとは無関係の所に芦塚音楽研究所のfileの中に、homepageのぶっ飛んでいるのを発見した。
KensintonのMouseの不具合で、時折、dataがぶっ飛ぶのだ。気が付かないままに、dataがぶっ飛んだままになっていたのだよ。
それが分かれば、one clickである。
今までの二日間の苦労は何だったのだ??
一瞬で全てのPageの不具合が戻ってしまった。
homepagebuilderの不具合ではなくて、なんと、Mouseの不具合だったのだよな~ぁ??
パソコンって奴は、本当に、困ったもんだ・・??



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3月13日0byteのPage
·

homepageのcheckをしようと思ったら、Pageが壊れているのを発見して、慌てて、homepageのPageを片っ端から調べて見たら、多くのPageのdataが無くなっていて、すっからかんになっているのが分かって、超、Shockを受けてしまった。

2018年9月29日のcatastropheの再来ではないか??

仕事を続ける気が全く無くなったので、気分を入れ替える為に、テレビを付けたら、Classicテレビと言う番組をやっていて、PianoとCembaloの演奏の違い等を説明していた。
「これは素晴らしい❢❢ 気晴らしになるのかな??」と思って、テレビを付けっ放しにして、暫く見ていたら、何と、Cembalo担当のCembalistがお話をしながらのsampleの演奏なのだが、Cembaloの奏法とはかけ離れた、今のPianoの人達が犯している誤った奏法のままで演奏をしながらの、お喋りをしていたので、がっかりしてしまった。
baroqueの時代は複音楽の時代だという事をご存知無いのかね~ぇ??


Cembaloの専門家、或いは、Cembalistとしてテレビに出演しているのに、Cembaloの奏法に対して、何と無知蒙昧な事だろうか??
Cembalo担当のその人は、子供の頃から、学んでいた音楽教室で、PianoとCembaloとOrganを奏き分けて、それぞれの楽器で、私達の教室と同じように演奏の楽器的な奏き分けを習ったと言っていたのに、Cembaloの奏法も分かっていないし、appoggiaturaとacciaccaturaの言葉は知っているのに、その意味を全く、分かっていなくて、混同して使っている。
それでは、今まで育ててくれた先生に失礼だろう??

日本の音楽のlevelを改めて目にして、今更ながらのShockを受けてしまった。

それはそうと、超、Shockを受けていたhomepageのtroubleが無事、一つは、解決しました。
お騒がせしました。
その一つのtroubleは「芦塚音楽研究所」のfileが無くなっていた事なのですが、検索を掛けて色々と探して見た結果、原因が分かったのは、Mouseの不具合による単純な誤作動に拠るtroubleでした。
Mouseの左clickの不具合で、勝手に別のfileに移動してしまう事に拠るtroubleでした。

しかし、同時に起きているfileの中のdataがぶっ飛んでいる不具合は、理由が分かりません。
(写真のように、imageやlogoのsizeが0になっていて、dataはあるのに、中身はスッカラカンなのですよ。)
そこは已むを得ないので、Providerのserverからdataをdown loadして上書き保存をして、復活させましたが、これが1日作業だったのですよね??
(こういった0bytesのdataは上書きされてくれなかったので、別にDoubleでdown loadする形になりました。)
まあ、あの手、この手と、手練手管を駆使して、何とか1日掛かりでhomepageの復活作業を終わらせる事が出来ました。
パソコンのtroubleは、原因が分かって、解決出来るまでの、紆余曲折・・なのだよな??





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3月15日『子供への教育教材の演奏は簡単か??』 ·


日本の音楽への指導者を含めて、演奏家達は、教育教材等の作品を「芸術ではない」と馬鹿にする人達が非常に多い。
教育教材等の簡単な曲からは、学ぶべきものは全く無くて、ただ単に弾けば良いだけなのだ・・と思っているのだよ。
simpleで簡単な曲を演奏するのは簡単だ・・という思い込みがある。
それ以上に驚いた事には、簡単な曲を演奏すると下手になる・・とすら思い込んでいる輩がいると言うのは全く困った事だよな。
それがBachのような偉大な作曲家の作曲したMenuetのような簡単な作品ですら、教育教材として、雑に扱われる事が多いので、そういった思い込みには、困っているのだよ。

『模範演奏を幼稚に弾く先生』
また、PianoやViolinを幼い子供に指導する時によく見受ける光景なのだが、先生が子供に模範演奏をする時に、わざと幼く下手に弾く先生がいるのは困ったものである。
それは、「可愛い」・・と言う概念の違いなのだよ。
幼稚=可愛いと言う誤った概念なのだ。

世界の言語には、幼児語というgenreがある。
Münchenはドイツ語でも基本的にBayerischという方言なので、ドイツ語の特有のカクカクとした硬い言葉ではなくて、中国語のように柔らかな言葉なのだが、それにも増して、Bayerischの赤ちゃん言葉は、フランス語のような美しい響きがする。
ドイツに留学をしていた頃に、ドイツ人のfamilyで中学生の弟君とママが時折、イチャイチャと赤ちゃん言葉でお喋りをしているのを、驚いて見ていた事がある。(高校生のお兄ちゃん君は彼女に夢中で、ママとお喋りをする事は無かったからね??)

『教育教材への思い込み』
教室での、double teachers のlesson(※)で、Diabelliの教育用の連弾の曲を余りにも単純に、無味乾燥に演奏していたので、曲の演奏法の説明する時に、「この曲はPolonaiseで書かれているので、こういう風に弾きます。」とその曲の特徴の説明をしたのだが、その先生は、その説明を受けた曲のみが、そういう風に、深い情緒を持って書かれている•••と解釈をしてしまっていて、その曲集全体が、そのNiveauで作曲されている・・とは思わなかったのだよ❢
つまり、あくまでも、Diabelliの連弾の為の曲集である作品には、学ぶべき事は何も無い、という前提で子供達を指導していて、困ってしまっていたのだよな。
日本だけで有名な不思議なpianistの婆さんがいるのだが、徹子の部屋でのInterviewで、始めてChopinの作品をlessonに貰った時には、「やっと、これで、Mozart等の無味乾燥な作品から開放されて、音楽の勉強が出来る」と言っていたのには、驚きであった。
また誰も彼女のそういった言葉を否定しないのにはビックリしてしまった。
口には出さなくても、少なからず、遠からず、古典派の作品には、そういった意識を持っているのだよな??

『簡単な曲へのNiveau』
例え、簡単な曲であっても、その演奏を録音する時には、演奏のNiveauを下げる事は出来ないので、初歩の教材でも、pro‐versionで、録音する事になる。
しかし、その時には、難しい曲を録音する時の数倍の録音時間と、数倍の技術力を要するのだよ。
つまり、簡単明瞭な曲は、誤魔化しが出来ないからなのだ。
華やかに技術力で、盛り上げて演奏を誤魔化す事が出来ないからなのだよ。
それは、取りも直さず、Mozartの簡単なPianoのSonateを演奏し、録音する時の難しさ、なのだよ。
よく、Mozartを演奏するのは、何故、そんなにも難しいのだろうか??と相談を受ける事がある。

何時もadviceをする事は、Mozartの難しさは、技術の難しさではなくて、様式に拠る所の難しさだ、と言う事を説明するのだよ。
「様式に拠る演奏法」・・、それが分かれば、Mozartを演奏する事は、然程、困難ではない。
period(時代様式)の研究をすれば良いだけなのだからね??

『下見のお話』
日本のlessonの形態では、大学教授に毎週lessonを見て貰えるcaseは殆ど無いので、普段のlessonは、その教授の門下生の講師の先生が見る事が多いのだが、そのassistantの先生が教授のlessonを見る場合は殆ど無いのだよ。だから、教授と講師の先生の意見の狭間で生徒は無駄な苦労を強いられてしまうのだよ。これが日本の音楽教育の最大の問題である『下見』の問題なのだ。
その無駄は生徒の成長にさえも影響するので、日本の誤った教育systemであると言えるのだよ。
とは言っても、その先生の門下生とは言っても先生の通りに指導する事は、音楽家としてのprideが許さないのだ。そういった矛盾の中に日本の音楽教育がなされているのだ。

『芦塚methodeでのdouble teachers の場合』
芦塚methodeでは、情緒表現や感情表現に関しては、個人の自由に任せているので、音楽理論として抑えるべき所を押さえれば、それ以外は自由に表現させているので、音楽理論としては、全ての音楽家が従わないと行けない根本原理なのでprideが傷つく事は無いのだよ。
だから、double teachers のsystemとして、押さえるべき所のpointをlectureすれば、後は自由にlessonをしても、音楽は崩れないのだよ。double teachers systemの場合には、最初は見学から始まるのだが、慣れて来るに従って、月一程度のdouble teachers や、video‐lessonでも良いのだよ。
そうすると、BeethovenのPiano SonateのSchnabel版のように、根本は同じだけど、演奏表現は全く異なった演奏が出来るのだよな??
写真は、日本人留学生を引き連れて、お世話になったドイツ人familyのHütteを訪れた時のsnap写真です。

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3月15日『proの条件』 ·


音楽をやっていると、色々な人達と「何を持ってproと呼ぶか??」というお話しをする事があるのだけど、この「pro」と言う定義が人に拠って違っていて、会話が成り立たない場合が多い。
・・・と言うか、私自身でさえも、折に触れては、(立場の違いでなのだが・・)proという定義をdouble standardで、使い分けているのだよな??
人と正しく会話をするコツは、言葉の定義を整合させる事であるのだよ。
だから、proとしてのお話をする時に欠かせないのは、proという言葉を「何を持ってproと呼ぶか??」という定義を話し相手と整合させる事が一番なのだ。

proを定義する条件は、その立場の違いが大きいのだよ。
その立場の違いは、proになろうとしている人達(或いは、そのproをも、含めて・・)の場合と、proを傍目から見ているAudience等の立場の違いであろうか・・??
その違いの根本は、proを目指す人達やproの場合のproの条件は甘く、傍目から見る立場の観客からの立場は、幾分厳しい。
でも、それは、本来ならば、主客転倒である。
proが描くproの条件の方が、amateurの人達が考えて憧れ見るproの条件よりも厳しいものであるべきなのだからね。
そこは、音楽界以外の世界のprofessionalの人達とは根本的に異なる所だろうか??
proを目指す人達のproの条件は根本的に甘い。

まあ、proと呼ぶ条件としては、音楽に携わる人達の条件は、結構緩くて「有名人になる事」なのだが、「人に知られる」と言う事と、音楽力は無関係である。
音楽の演奏する力が殆ど無くても、有名人である音楽家は多い。
だから、有名である事が優れた音楽家を指す分けではないのは一目瞭然である。

料理の場合でも、行列の出来る有名店は、その味も大した事は無い。
本当に美味しい店は、1年先か、2年先の予約を取る事も難しいのだよ。
殆どの一般の人達は、そのお店の名前すら知らないだろうよ。

では、一般的には、一番多い考え方としては、「proとは、自分の音楽の技術を使って、たつきの糧を得ている人達」の事を言うのだろうが、そうなると、現在、Classic音楽を生業とする・・proと呼ばれる人達の殆どは、そういった条件から逸脱してしまうだろうよ。

殆どの人達は音楽大学の先生や音楽教室の講師・・という職業で生活をしているし、大学の講師でもその給料で食えない人達は、その大学の肩書を利用して、受験生を指導して生活をしているのに過ぎないのだよ。
つまり、個人としての評価ではなくて、一般の会社の役員と同じで、その会社の肩書で評価されているのに過ぎないのだよ。
つまり、どこそこの大学の教授としての肩書なのだよ。
人が先生を選ぶ時には、何処の大学の教授かという事で選ぶのだよ。

しかし、この常識は日本の社会だけの話しである事を、日本人の殆どの人達は知らないのだよ。
知らない・・と、言う処か、殆どの日本人達は、それが世界のstandardでは無い・・という事を信じられないのだからね??

Europaでは大学に行く前には、どの教授に師事したいのか?・・を決めて、その教授に接触を試みる。
その教授の元で、直接の試問を受けて、大学でその教授の門下として学ぶ許可が貰えると、大学には基本的に入学する事が出来る。
だから、その生徒の肩書はどこそこの大学出身ではなくて、誰其れ門下と言う肩書きになる。

日本人のサラリーマン社会を描いた有名な漫画の一コマなのだが、とても印象的であったのだが、超大手の役員で毎日、日参する人達が後を立たなかった程の実力者が、定年になって会社を退職した次の日から、訪れる人も無く、日がな一日、釣り堀で1日を過ごす哀れが描かれていたのは、身に詰まされる一コマであったよ。
よく、会社の肩書きを自分自身の実力と勘違いをしている人を見かけるのだが、肩書が無くなった途端に、その人の価値自体も無くなってしまうのが、常識なのだよ。

一般社会の肩書というものは、そんなものなのだが、しかし、音楽に限らずとも、教育界の伝統ではそうではない。
つまり、役職を解かれても、その地位だけは存続するのだよ。

江戸時代からの家元制度の伝統があって、音楽大学の教授を定年で止めた後でも、その地位は死ぬまでも守られているからね??
つまり、音楽界に限らず、体育界でも、家元制度の頂点の人達だけは守られる構造になっているのだよな。
それが日本の音楽界の根っ子になっているのだよ。

勿論、政治の世界でも洋の東西を問わず、そういった条件は整えられているのだ。
日本の場合でも、Americaの場合でも社会のtopを経験した人達はobserverとして、その地位が保証されている。中国でも着実にそうなっているのだが、お隣の国の韓国では、群雄割拠なので未だその段階ではない。未だ、潰し合いの時代である。

popularの人達とは違っていて、音楽の演奏で得たたつきだけで、生活が成り立っている人はClassicの世界では皆無と言えるだろうよ。
寧ろ、殆どの人達は、実家の援助か、主婦業の片手間で旦那のなりわいで生活をしていて、音楽のproを自称している人達が殆どに過ぎないのだよ。

若い学生達がproになる事を目指して、ひたすら、concoursを受けて頑張っているのだが、現実的には、concoursと、「音楽のproになる」という事は無関係である。
つまり、concoursに一位で入賞した学生でもproに、成れなかった人達は無数にいるのだが(と言うよりも、そういった人達の方が殆どなのだが)、concoursを目指す人達は、「そういった人達が何故、proに成れなかったのか??」という事を知ろうとはしないのだよ。

また、指導する側もconcoursで必ずしも、proに成れる分けではない事を説明しようとはしない。
それは当たり前の事で、そういった指導者達が、proに成れる道がそれ以外にもある事を知らないからなのだよ。

・・・てなお話しは、これまでの私の半世紀に渡って色んな場所で話して来て、また、論文やhomepage等にも書いて来た事に過ぎないので、またぞろ、同じ話しを蒸し返す気も無い。 
読みたい人達は、私のhomepageをいつでも読む事が出来るからだよ。
「芦塚先生のお部屋」⇒教育論文集第二集⇒proになるには??
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/kyoi...

ここで私が言いたい事は、「proの条件」とは単なるNiveauに過ぎない・・と言う事なのだよ。
proには幾つものrankがある。

音楽に携わればproと呼ばれる簡単なproから、世界を股に掛けて演奏をして回る演奏家としてのpro、更には、音楽史に名を残すような優れた演奏家であるproもいるのだよ。
音大生の目指す憧れのproはorchestraに所属する事かも知れない。
まあ、それぞれに色々なproの条件があるのだよ。

確かに、このproの条件が必要最低限の条件として、演奏技術levelも含まれるのだ。
しかし、それは最低条件としての、必要条件に過ぎないのだよ。

本当に必要な条件は総合的な条件が整う事なのだよ。
しかし、この最低条件に過ぎない演奏技術のNiveauが、proになる為の条件と誤解されてしまって、日本の音楽界のconcours偏重を産み出す結果を招いてしまったのだよ。
実に、馬鹿げた事ではあるのだがね??

特に日本のClassicの音楽界の場合には、音楽の歴史的なapproachがないので、どうしてもentertainment性に偏る傾向が見受けられるのだよ。
それが日本の一般の教育の問題(出題されたtest問題の回答技術)と重なって、更に薄っぺらな迎合主義的な音楽の社会になってしまっているのだよ。

concoursを受験する生徒達も審査する音楽家側も同じ家元制に属しているのだから、大手の企業の社内concoursと大した代わりは無い出来レースなのだよ。
しかし、本当のNiveauでは、演奏をした1曲1曲のNiveauに対する評価になるのだよ。
それは非常に厳しい現実である。一瞬たりとも気を抜けないのだから。
でも、それが憧れのproの姿なのだよ。

どのような道でも、どのような生活をしていても、proはproなのだよ。
proが自分を下げてはいけないのだからね。
それが例え、初歩の教材であったとしても・・・だよね??




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3月17日 ·

今日は3月17日、金曜日の朝の4時半なのですよ。
朝の4時半ではなくて、深夜の28時半なのですよ。
頑張って、なんとか寝ようと思ってBedに入ったのですが、相変わらずの鼻詰まりと鼻水のDoublePunchで、息が出来なくなって、鼻のメンテの為に、Bedから起き出す事も已む無いかな?と思っている所なのですよ。
(Bedの中で格闘していたら、Gott sei Dank!(有り難い事には・・)いつの間にか眠ってしまいました。)
鼻詰まりと鼻水のDoublePunchは、毎晩の事なので、本当に困ってしまいます。

術後はなるべく動かないようにして、安静に・・と、努めていたのですが、一昨日には、何もしていなかったのにも関わらず、軽い血尿が出たので、昨晩の椎名町への移動は諦めて、部屋に引き籠もる事にしました。
部屋の中に一日中閉じ籠もっていると、体力の衰えが心配になってしまいます。
それにこの所、腓返りが出そうで、腓返り専用の薬をよく飲んでいたので、腓返り専用の薬がなくなってしまいました。
腓返りは、痛みが、超、強烈なので、薬無しでは、辛抱する事は出来ないので、慌てて先生に頼んで、薬を買って来て貰いました。
痛みが出た瞬間に薬を飲むと、なんとか凌ぐ事が出来るのでね〜ぇ?

それはそうと明日の土曜日の18日は午後からlessonが入っているので、術後の安静の生活も、いよいよ終わって、平常の日常生活に戻ります。
・・という事なので、今日の金曜日には、部屋の中に、人が入って来ても良いように、少しだけは、ハイツの部屋の、整理整頓と掃除機掛けと、Cembaloのtuningをしておかなければなりません。(※)

それから、次の日の日曜日は、一回目の総合練習なのですが、それに加えて、2人分のlessonが入っているので、結構遅い時間まで、lessonをするのですが、それ以降も、Cembaloのtuningを安定させる為に、tuningをしてから東京に帰る事にします。
毎週、調律をするのは、単純作業なのですが、結構時間が掛かるので、大変な作業なのですが、そこでCembaloのtuningに当たりを作っておくと、発表会当日のCembaloのpitchの狂いが最小限で済むのでね?

という事で、月曜日は、over‐workで、一日中、死んでいます。
最悪の場合には、3日後の水曜日まで、それを引きずってしまいます。
それともう一つ、なのですが、この所、連チャンで、眠る直前には携帯が死んでしまうのですよ。

昨年の冬には、BatteryのRefreshと新品のBatteryに交換も試して見たのですが、何一つ、改善は見られなかったのですよ。
随分、長い事(少なくとも5年以上は)、使用して来たので、充分な経年劣化なので、当然買い替えの時期はとっくに過ぎているのですが、機種を選ぶ事が難しいのですよ。
ゲーム等は絶対にしませんので、今の機種で充分なのですからね〜ぇ?
今のスマホ代をkeepして機種のgradeを下げないで、買い替えともなると、面倒くさいのですよ。

(※)夜の9時半になった所ですが、Cembaloのtuning、3列とも何とか、終わりました。
だいぶ、安定はして来たのだけど、当たりが出るのは、未だ、未だの感じです。
長い間、Cembaloを労らなかった結果です。

Violin等の他の楽器でも、家でちゃんと練習をする生徒の楽器は、狂いが少ないのです。
家で練習をしない生徒や、練習をしても、tuningがいい加減な生徒の楽器は、tuningが嵌まりません。
tuningで普段の練習の具合が分かるのですよ。アハッ!
雑な練習では、上達は見込めないのだよな??


中野 卯月
先生
生徒さん方
先生のオペをどれ程心配されていた事でしょう
まだ日が浅い今1時間のご無理はご回復1週間遅れに、、、
どうぞ今は大事をおとりくださいます様に。

芦塚 陽二
ありがとうございます。先生達に甘えて、椎名町へのバイクでの移動やドル・プリっ歩もひかえて、ハイツの自宅に引き籠もっています。チョッと過保護なぐらいに・・



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3月19日『団塊の世代』 ·


よく知っている言葉なのだが、曖昧に体良く使っているので、反省の意味を込めて、定義を確認しておく。
反省の意味・・とは、私は自分自身の事をよく団塊の世代の人間である•••と、言っているのだが、本当は私は、この団塊の世代には当て嵌らない、もう一つ前の世代になるから・・である。

でも、戦後世代と言ったら、もっと大きな括りになるし、焼跡世代と言っら、多分戦中派の人達を指すのだろう。
「団塊の世代」と言う言葉は、私の時代では、未だ、その言葉が定着していなかった時代には、実際には「第一次ベビーブーム世代」と呼ばれていて、昭和22年(1947年)から1949年迄の3年間の世代を指す。

だから、私達は、その一つ前の世代になるのだよな??
昭和20年の世代は、異常に人口が少ない。
戦争で男性が海外に出兵して、日本には年頃の男性がいなかったからである。
Baby-boomは海外から兵役に行っていた兵士達が日本に帰国して来た事に拠るのだよ。


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3月19日海鮮抜きの皿うどん ·

今日は3月の19日の日曜日、術後は初めてなのですが、お久し振りに千葉の教室までオケ練習に出掛けました。
朝が早かったので、朝食抜きでハイツを出発したのだけど、途中で「今日の食べ物を買っていない」とlineが入って来たので、急遽、途中のコンビニで食料を買いました。
コンビニのmenuではなくて、そのお店のオリジナルの皿うどんが売っていたので、面白半分に買ってみました。
教室に辿り着いて、その皿うどんを食べて、驚いたよな〜ぁ❢
なんと、海鮮抜きの、野菜だけの皿うどんだったのですよ❢

リンガーハットでは野菜たっぷりの皿うどんが売っているけれど、海鮮の入っていない皿うどんなんて、初めて食べたのだよな〜ぁ❢
流石に海鮮の入っていない皿うどんは、皿うどんとは呼べない、別の食い物だよな〜ぁ??

皿うどんの味は海鮮の材料の組み合わせで出すのだから野菜だけの皿うどんは有り得ないのだよ❢

私の場合には、皿うどんをお酒のおツマミとして作る事がよくあるのだが、その場合には、野菜をモヤシだけにするとか、極力、甘みを出してしまう野菜類を省いて、海鮮を中心とした皿うどんにするのだよ。
アサリやゲソはダシを出すので皿うどんには欠かせないので良いゲソが手に入らない時には、皿うどんは中止して、他の料理にします。

柔らかいタケノコやキクラゲも食感として、絶対に欠かせない食材なのだよ。
具材を考慮すると酒肴として最高のおツマミが出来るのだよ。
幾ら物価高騰の折でも、海鮮抜きの皿うどんは、いただけないよなあ❢

もし、皿うどんの味で作ったとしても、海鮮抜きでの皿うどん•••という事であれば、それはもはや、正式名称は、あんかけ野菜そばではないのかな?

今日は、朝から腰痛が起きてしまって、オケ練習中には、とうとう椅子から一歩も立てなくなってしまいました。
入院前から、ハイツの部屋に閉じ籠もって安静にしていたのですが、術後も血尿が収まらなかったので、安静を続けていたのですが、「いつまでも・・」という分けにも行かないので、土曜日から突然に平常運転を始めてしまったので、over‐workになってしまったのですよ。
やっぱり、warm-up(warming upは和製英語)は絶対に必要ですよね~ぇ??

toiletに行くのも、あちこちにつかまりながら、えっちらおっちらと、一苦労でした。
けれど、オケ練習と、個人のlesson2本と、それから更にCembaloのtuningまで、千葉でやるべき事は、ちゃんと全部済ませてから、車で椎名町まで帰りました。

流石に、椎名町からハイツ迄の道のりは、楽譜類や弁当を持って帰るのは無理になったので、全部椎名町に置いたままで、身一つで、なんとかハイツ迄、帰り着きました。
いつもの様に、パソコンの椅子に座ったままで、暫し呆然と失念していたのですが、テレビの音で我に返って、大急ぎで寝支度をして、Bedに入りました。
いつもの様に、20%以上のBatteryを残したままで、携帯のBatteryが死んでしまいました。
やっぱ、表示とは違っていて、Batteryは一日持たないヤネ〜ぇ?
マジに買い替えないと、仕事にならんわね〜ぇ??

明日の月曜日は、一日中死んでいる予定です。
腰痛は、入院前後を安静にしていたので、突然に土曜日から動き始めたので、体がOver-workになったのが原因と思っています。
血尿もbedで安静にしていると結構収まるので、warm-upをしたくても、中々出来なかったのですよ。
多分、二、三日、安静にしていれば、良くなると思いますが、少しづつ体を動かしていかないとね〜ぇ?
これが意外と、難しいのですよ❢

村田 晟
ビックリ、海鮮抜きの皿うどんがあるなんて(笑)

芦塚 陽二
私も初めて食べました。野菜だけで、多分、皿うどんのダシの元で味を付けたのだと思います。味は??う〜ン??


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3月19日『baroque時代のConcertの演奏形態』 ·


baroque時代のConcertは、形式学的には、ritornello形式と言われる、所謂、循環形式で作曲されている。
循環形式という事なので、形式だけでrondo形式と勘違いをしている輩も極稀にはいるのだが、rondo形式は、舞曲の中の一分野なのだから、Rondoと呼ぶには、tempoやRhythmの色んな制約があって、Themaが自由に設定出来る形式であるritornello形式とは基本的に、比べるべくもないのだ。

一般的には、ritornelloはそのthemaが繰り返される時には、全く同じようにthemaが反復される事が多いのだが、Vivaldiの場合には、繰り返えされる毎に、形を変えて繰り返される。
ritornello形式やbasso continuoの手法は作曲家には取っての速記法であり、演奏家達への手軽な演奏法になるのだよ。
しかし、Vivaldiの場合には、自分のorchestraがいつも傍にあって演奏をしてくれると言う、ある意味恵まれた環境にあるので、簡易versionの演奏法は必要無かったのだよ。

当時のConcertoは、繰り返されるsoloの部分をより効果的にする為に、通奏低音のpartをviolinやviolaに振り分ける事もあったのだが、その場合には、orchestraのpartとしての伴奏の場合と、partからのsoloだけで伴奏する場合があった。

また、solo自体も一人だけで演奏する、所謂、こんにちでは普通の、solo楽器によるConcertoと、当時の普通の室内楽の形式であったtrio‐Sonate(※)を組み込んだsoli群、所謂、2台の楽器のsoloとcontinuoの楽器による形式、所謂、Concerto Grossoの形式としてのConcertoとしてのも作曲されていた。
まあ、いずれにせよ、作曲技法的にはcontinuoに拠る作曲法に準拠する。

(※)trio‐Sonateというgenreは通常は同族の楽器2本の交唱と和音を司る楽器に寄って構成されるので、trioなのだ。
しかし、この和音を司るというのが、難物で、2本のmelodie楽器に対しての、Baßの楽器は和音を司る楽器(所謂、basso continuoの楽器であって、Baßのpartの符の上に数字で和音を表しているだけなので、格別楽器を指定している分けではない。
だから、下の写真のtiorbaのように、一人で低音の動きから和音迄を演奏出来る場合には、通奏低音を受け持つviola da gambaのような低音楽器は必要はない。

Händelの名曲であるrecorderSonateのような曲を、 Hans-Martin Lindeは、古式豊かに、viola da gambaとCembaloに因る典雅な演奏styleに拠る伴奏のCDと、Lauteに拠る所のSessionとも言える、悪ノリ直前迄の演奏の二枚のCDの演奏の違いは非常に面白く、且又、優れた演奏である。

baroque時代では、独奏と呼ばれる演奏形態はこんにちの私達が呼ぶように、伴奏を伴う場合ではなくて、Ohne Begleitung(無伴奏)というgenreがあった。

音楽と言うか、一つのmelodieの中に、Baßを司る部分と和音を司る部分、それにmelodieを司る三つの部分に分けて演奏されたのである。

それに対して、一般的なsoloの曲の場合には、こんにち知られているようなviola da gambaとCembaloが、basso continuoを演奏する事は、実際上は稀であって、(CembaloやOrgan等の楽器は非常に高価な楽器であって、王宮や教会等にしか、所有される事は無く、庶民的、一般的では無かったので、)低音を司るviola da gamba(若しくは、Cello)とLauteやguitarが和音を弾いて伴奏をする事が寧ろ、一般的であった。

また、低音で和音を指示するviola da gambaは低音を司るguitar族であるthéorbe(キタローネ)に代用される事もあったのだ。

(つまり、baroque時代では、その場所に準備出来る楽器で演奏の代用していたのだよ。)それは、驚く事に、solo楽器ですら、他の楽器で演奏される事もあったのである。
(violin2台をfluteが演奏するとか?あるいは1台がfluteで、2台目はViolinとかで、しかも、伴奏の楽器に至っては、何の楽器が伴奏するか・・という事は、その都度の対応だったのだよ。
だから、作曲者も、楽器に対しての、必然性は、然程厳密ではなかったのだよ。)

orchestraの場合には、ritornelloのtuttiに対してのsoloの部分で構成されるのだが、通常は、soloの部分は、basso continuoと呼ばれるgroupで伴奏される。

和音を司るので、Baßの通奏低音を演奏するviola da gambaとその音の上に、和音を司るCembalo(若しくはLaute)で構成されるのが一般的なのだが、soloが繰り返される場合には、その演奏形態だけでは、飽きが来るので、それ以外のpartを使用して、orchestraのpartであるviolinのpart等が伴奏をする事も通常であり、一般的である。

しかも、その伴奏は、orchestraのpartとして、複数の奏者のunisonで演奏されるripienoの場合と、part-Leaderが一人でsoloの伴奏をするconcertinoの伴奏の場合がある。

また、楽器的特性に応じて、continuoのviola da gambaのpartをviolaが担当する事もよく見受けられる。(音量的な配慮に拠る。)

continuoは日本では単調に(simpleに)演奏される場合が殆どなのだが、continuoはsoloに対して、和音を司る場合と、soloに対する対旋律としてのmelodieを司って演奏する場合があるので、その弾き分けが大切なのである。(Bachの場合には、invention(※)から、その奏き分けの説明をしている。
themaに対しての対主題としての旋律と、themaの和音を付けるためのcontinuoとしての旋律の違いである。
その違いはbaroque時代の全ての作曲家に共通するbaroque時代の様式としての奏法である。
その違いを分からずして、continuo Celloを弾く事は出来ない。)

と言う事で、continuoを演奏する場合には、orchestraの低弦の弾き方と、その演奏のstyleを変えて演奏しなければならない。
所謂、continue-soloでの、ワキの奏法と、シテの奏法の違いの弾き分けである。

(※)「芦塚先生のお部屋」⇒inventionとsinfonia
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/bc...



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3月20日腰痛が酷くなって ·

今は3月20日の月曜日の夜の8時を過ぎて、9時になろうとしている所です。
「昨日の腰痛は、今日一日、安静にしていたら、だいぶ、改善するのかな??」と、思っていたのですが、安静にしてBedとパソコンの椅子を往復しているだけだったのですが、逆に腰痛は悪化してしまって、全く立つ事が出来なくなってしまい、掴まり歩きしか、出来なくなってしまいました。

掴まり歩きなので、「物を持って歩く」•••という事が出来ないので、仕事に支障が出てしまい、大幅に遅れが出来てしまいました。
例えば、お腹が空いたので、食料を電子レンジでチンをしようと思っても電子レンジに食材を持って行く事が出来ないのだよな??少なくても片手は掴まっていなければならないからなのだよ。

仕事としては、一番楽な椅子に座ったままでのパソコンの作業なのですが、昨晩からのオケ練習とlessonのvideoのDiskへの保存の作業が、わざわざと椎名町から持って来て貰ったDiskが、なんと、50ギガのBlue-ray のDiskではなくて、25ギガのBlue-rayのDiskで、容量不足でオケ練習のvideoが、保存出来なくて、一晩掛かった半日の作業が無駄になってしまいました。

お昼に椎名町から50ギガのDiskをもう一度、持って来て貰ったので、それからのやり直し作業になってしまい、月曜日の丸々一日が、パソコンが全く使用出来なくなってしまいました。
映像関係の作業では、video-cameraのdataをパソコンへのdown loadやdisc へのcopy、You Tubeへのuploadの時には、パソコンがbusy状態になって、他の作業の為にパソコンを使う事が出来なくなってしまいます。

悪い時には重なるもので、頼みの綱の携帯もBatteryが、いつもの様に死んでしまい、体調も悪いけれども、仕事効率も最悪になってしまいました。

それに加えて、明日の火曜日の午前中には、door交換の為のcheckに業者が来る予定ですが、月曜日の深夜も眠れないで、うだうだとしていたので、火曜日の午前中を起きていて、工事の人達の対応をするのは無理になってしまいました。

已む無く、椎名町のhelpのlineを送って、急遽、業者の対応をして貰う事にしました。

とどのつまりは日曜日に始まった腰痛は、月曜日から火曜日へと良くなる事はなく、続いているのですよ。
その間は、仕事らしい仕事は出来ないので、気持ちだけがイライラしてしまいます。
更に、土曜日からの食料品(お弁当)が、日曜日には腰痛が酷くて荷物を持って帰る事が出来なかったのと、月曜日、火曜日とお弁当の補充が無かったので、火曜日の夜の分のお弁当もなくなって、非常食の冷凍食品を応急に食べたので、水曜日の朝からは、ハイツには、食い物が全く何もなくなってしまいました。
しかし、お弁当を届けるに渡って、また一悶着だよな??

ほんと、私の事を分かっていないのだよな???
腹立たしいのだよ❢❢



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3月22日多分、平穏な1日で ·

今は3月の22日の水曜日の夜の8時半を過ぎた所です。
今日も腰痛で一日中、臥せっているのですが、動けなくて、為す事も無く(為さねばならない事は無数にあるのですが、何も出来なくて•••)、已む無くテレビをつけたのですが、朝から、全ての局の番組が、News番組も含めて、野球一色になっていました。

それはまあ良いとしても、同じ番組を再放送のように一日中、放送しているのには、流石に辟易してしまいました。
何処のチャンネルを回しても、全部の局が同じ番組を放送をしているのには、つくづく「日本は平和だよな〜❢」・・と、痛感しました。
多分、日本では、今日は、交通事故も老人への殺人事件も、ヤングケアラーの問題も、何一つ起きていない、Newsの全く無い平和な国なのでしょうよね〜ぇ??

23日の木曜日のお昼の1時半です。
昨晩から、何度も、携帯やパソコンで、Facebookに同じ文章を入力している夢を見ました。(夢と言うか、現実と言うか、目覚めて頑張って入力しているハズなのですが、やっぱり、夢なのですよ。)どうしても文章を入力したいので、携帯を出して頑張って入力しているのですが、それが夢なのですよ。
この文章を入力する夢は、非常によく見る夢です。
夢というよりは、現(うつつ)なのだよな??

という事で、書きたかった大元の文章を忘れてしまったゾイ???
それはそうと、布団の話なのだが、冬の間は基本、イトーヨーカ堂で買ったふかふかの毛布1枚で冬場を凌いでいたのだけど、どうしても、毛布1枚では寒い時には、超分厚い羽毛布団がある。
それは冬場の極寒の時でも、とても温かいのだが、羽毛と言っても結構重たいので、超、薄手の毛布・・というか、肌掛けの毛布をnetで買った。
いつもの毛布1枚では寒い時に、毛布の上にチョイと掛けたり、鼻詰りで、已む無くパソコンの部屋の椅子の上でRecliningしなければならない時に・・・、寒いままのパソコンの部屋での肌掛け用に購入したのだがね??

東京でも桜が満開になっているそうなのだが、腰痛で外に出掛ける事が出来ないし、部屋の中に閉じ籠もっているので、季節・・所ではなくて、お天気さえも分からないのだよ。
まあ、それでも、毛布1枚でもフカフカ毛布では温かく成り過ぎてしまったので、夏用の布の薄手の布団にしようか・・とも思ったのだが、押入れから自分で出して、温か毛布と交換するのは、とても無理だと言う事で、bedの側の揺り椅子の上に常備してあった、薄手の肌掛け毛布と、温か毛布を交換する事にした。

それならば、立ち上がらなくても、交換する事が出来るのでね??
それでも暑ければ、合いの布の薄手の羽毛布団にするのだけど、押入れなのだよな??

夢を見ました。
同じ夢を何度も繰り返し、見ました。
若者である私が、先輩に命じられて、紅茶で自分の下着を染める夢です。
使用済みの紅茶を集めて煮出していたのですが、やはり、色が出ないので、新しい紅茶の葉を入れて煮直ししている夢です。
色留めのミョウバンを準備している所で目が覚めてしまいました。

何気なくテレビをつけたら、クラシックテレビという番組をやっていた。
若手の超売れっ子のピアニストが進行と司会をしている番組なのだけど、演奏もとても上手だと思うのだけど、何かが根本的に違うのだよね〜ぇ?
多分、音楽を外の世界から見ている人達なのだよな〜?と、思った。

同じ音楽を求めていても、その人の立ち位置が全く違うと、見えて来るものも違って来るのだよな〜ぁ❢
私が音楽を志ざすように決めた高校生の頃から、私の立ち位置は変わっていないのだから、その立ち位置の違いは、若さの所為や未熟さの違いでは無くて、やはり、立ち位置の違いの所為なのだよね〜ぇ。

それならば、今のマスコミで取り上げているClassicとは、相容れなくても致し方は無いのだよな??
日本の音楽はEntertainmentであり、芸術や宗教からは程遠いのだよな〜ぁ❢

中野 卯月
先生
明日は雨模様を報じていますが
降る前は不思議な程必ず気圧変動痛を何時も感じます。降り出すと痛みは軽く

芦塚 陽二
東京は早々と雨が降っているようですが、室内でも、まだ歩けないので、お天気は分かりません。雨音がするような降りではなさそうなので

中野 卯月
芦塚先生
今大阪は本降りになって来ました〜、どうぞ
お大事になさってください




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3月26日季節を体感する·

今日は3月26日の日曜日の朝の6時45分を過ぎた所です。
勿論、日曜日は千葉でのオケ練習やlessonがあるし、発表会の直前なのですが、残念ながら腰痛なので行く事が出来ません。
という事なので、今日はnetでlessonをする事になりました。

腰痛はちょうど先週の土曜日にlessonとドル・プリっ歩を入れて、次の日の日曜日のオケ練習を全曲とlessonが2つにCembaloのtuningと言う平常運転でのOver-workで、腰痛が起きてしまいましたが、今日でちょうど一週間、やっと、少しだけは歩けるようになリました。

一週間で歩ける・・という事は、早い方なのですよ。

それでも、咳をすると、腰痛の大元の坐骨に響いて、超、痛いので、咳やクシャミをする事が大変なpressureになってしまいます。
それに「立ったり座ったり」という動作では、腹筋に非常に大きな力を入れないと立てないのだ・・と言う事が分かりました。
立ったり、座ったりというのは、大腰筋に膨大な力が働くという事なのだよな~ぁ??

無意識にやっていた事なのだが、腰痛で、他の筋肉が使えなくなって、腹筋で座ったり立ったりする事は大変な労力が必要で、汗をかいてしまう程だ❢・・と言う事が分かったよな??

lessonの直前になって、体の体感が上手く行かなくなっているのに気がついた。

暑いのか、寒いのかを体感が感じ取る事が出来なくなっているのだよ。
体の気分が悪いので、思い切って、窓を全開に開けたら、外は結構強い雨が降っていた。(窓を締め切っていると、この強い雨の音が聴こえて来ないのだよな??)

部屋全体の空気を入れ替えるために、北口に相当する玄関の扉を開けたら非常に強い風が吹き込んで来て、部屋のdoorが強く閉まった。
部屋のdoorが閉まらないようにrockをして、風を部屋に入れた。

肌寒いような湿度の高い花冷えの風だった。
ああ、これこそ季節の風だ。

部屋を締め切っていたら、隙間風スカスカの古いMansionですら、季節の空気は入って来ないのだよな??
暫くは、花冷えの空気を堪能しておこう。

体感の季節感は窓を開けた途端に戻った。
それはそうと、玄関の扉を開ける時に気が付いたのだが、昨晩はlessonが終わっても生徒を玄関までは、送り出す事が出来なかったので、当然の事ながら、玄関の扉は昨晩から開けっ放しだったのだよな??

まあ、誰も来ないから、別に問題は無いのだが、東京におのぼりさんで来たばかりの頃は、玄関の鍵を絞めないので、生徒達から何時も注意されていたっけ??
でも、これまで、一度も私の部屋に泥棒が入った事は無い。
今は鍵は忘れないで掛けるけれど、MIWA鍵なんて、proの手に掛かると、数秒で開くのだよな??

風が出て来て、雨脚が強くなって来たゾイ??
そろそろ部屋全体が湿気っぽくなって来たから、扉を閉めるか???
雨の音が聞こえなくなるのは、惜しいのだがね??
延々と聴いていたい気もするのだがね??

最初から芦塚methodeで学んでいる人達には関係の無い話なのだが、或る程度、外で学んで、或る程度の技術を持った人達が、途中から教室に入って来た場合には、知識としての理解と演奏技術が伴わない場合が多い。
子供の場合には、指導者としての配慮もあって、演奏技術とその知識を整合させるのだが、中、高生や大人達、或いはproの人達を養成する時には、そう言った階段を登らせる事は、時間の無駄である。

中、高生の場合や大人達の場合、それにproの場合にも、目標となる音楽を作る事は出来るので、その演奏表現に必要な技術を知識として指導する場合が多い。
年齢が或る程度進んだ生徒達の場合には、出来る所から片っ端から始める方が利便性に優れているからであり、知識と技術は別個に指導するのだよ。
この方法は、年齢が行った人達に取っては、究極の時短になるのだが、その場合によく陥る「落とし穴」がある。

それは、自分が得た知識が演奏技術よりも勝っている場合には、正しい演奏と今出来る自分の能力のGapで、「自分が下手になった」と勘違いをしてしまう事である。
それを回避する方法はいたって簡単で、私のmethodeを始める前の自分の演奏と私のmethodeで始めたその後の・・その曲の演奏を比較して見ると良いのだよ。
そうすれば、一つ一つの成長を具体的に見る事が出来て、正しい自分の成長を見極める事が出来る。

それが正しい自信にも繋がって行くのだよ。
そうすれば「落とし穴」に落ち込む事は無いのだよ。
今年に入って1月から、一つ変わった事がある。

それは、Pianoのlessonを始めた事だ。
勿論、不定期ではone lessonで大学生や高校生達のlessonを見てはいるのだが、年に数回のone lessonではlessonとしては成り立たない。
今回はproの女の子が毎週のlessonを開始したので、homepageの論文のPageが稼働し始めたのだよ。
つまり、lessonでlectureをした内容が、時折、homepageに落ちている内容の場合には、homepageに追記をするから、その次いでに、以前の文章を修正する事があるので、homepageも同時進行的に、動き始めているのだよ。



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3月27日超、寒い❢❢❢·

3月の27日の月曜日の夕方の6時を過ぎた所です。
ぶっ飛んだhomepageの修正と、新しいPageを2つばかり作ってuploadをしていたのですが、腰がなかなか治らないので、発表会に備えて、安静に寝ておこうと思ったのだけど、横になった途端に、何時もの鼻詰りや鼻水と腰痛のDouble‐Punchで、眠れなくなってしまいました。

それに加えて、今は布団に包まって寝ていても寒いのですよ。

ジャパネットの超薄手の羽毛布団では寒いので、肌掛け毛布を重ね着していたのですが、今日はそれでも、寒くなってしまいました。

尤も、練馬区の気温は14℃と、10℃は越えているので、寒い分けは無いのだけどね~ぇ??

体感と、気温は関係は無いようで、テレビでも、「寒くなった❢❢」と、言っていたので、私の体調の所為では無いようですよ❢❢

已む無く、押入れを見たら、直ぐに取り出せるように合いのジャパネットの羽毛布団があったので、それと重ね着の布団を交換しました。

布団の調整の順番:
タオルケット(真夏用)⇒ジャパネットのサラサラ羽毛布団(夏用)⇒膝掛け毛布⇒ジャパネットの合いの羽毛布団⇒フカフカ毛布(冬用)⇒超厚手の羽毛布団(真冬用)

通常の綿(わた)入りの布団は、夏用も冬用も全て教室に寄付しました。
だから、ハイツには綿(わた)入りの布団は全くありません。
それにしても、腰痛で、外に出れない日々が続いているので、その間に桜が咲いて、散ってしまうようです。
今年は、お花見のお出掛けは出来無いようですね~ぇ??
桜さん~❢


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4月




4月1日『待ち合わせの時間のお話し』 ·


待ち合わせの時間なのですが、私がまだ音大生の頃にClassmateと駅のホームで待ち合わせた時に「1分早かった❢」いや、「1分、遅かった❢」と言ってお互いの腕時計を突き合わせたら、お互いの腕時計が1分違っていた・・と言うくだらない思い出があります。
勿論、その頃には、電波時計のようなものは無かった時代なので、1、2分の違いはあたりまえの時代だったのですがね〜ぇ❢

私がやっと社会人になって働き始めた頃のお話しなのですが、私達の世代は、「目上の人や年上の人を待たせてはいけない」、と言う儒教の思想に結構毒されていたので、出版社の人と駅で待ち合わせをした時に、相手の人が私よりも年上の人だったので、約束の時間よりも10分早く行ったのですが、なんと既に待っていました。

待たせてはいけないと、次の待ち合わせでは、より早い時間に行ったのですが、やはり早く待っていました。clientを待たせないように、相手も早く来ていたのですよ❢

時間が30分を越した時に、私は、それ以上早く来ないように約束をして、それ以降は事なきを得ました。

特に、lesson時間に関しては、先生によって、言い方が違っていて、時間よりも前にlesson室には入らないといけない先生の場合と、ちょうどぴったりのjustの時間と、その生徒のlesson時間になってから以降・・と、言う先生がいて、困ってしまいます。

音大の先生に、直接質問しても、口と感情とが違っている先生が結構、多いのでね??

lesson時間以降の先生は、「決められたlesson時間はその生徒のprivateの時間なので、他の生徒が一緒にいてはいけない」と言う主義の先生達です。

それならばlesson時間にIntervalを設ければ問題はないハズなのですが、lesson時間にIntervalを設けている先生は見た事がありません。
Intervalは結構効率が悪いからなのです。
3、4人分のIntervalで、一人分のlesson時間になってしまうからなのです。

勿論、控室があれば、lessonの時間まで、控室で待機をして、lessonが終わったら控室で、後片付けをするとtime lagは出ないのですが、そう言った条件の整った所でlessonを受けた経験は皆無でした。

私がlessonをする場合には、人のlessonを見る事がとても勉強になるので、時間よりも早く来て、前の生徒のlessonを見学して、lessonが終わっても、次の上級生のlessonを見るようにさせていたのですが、今の時代では、保護者が送り迎えをするので、時間厳守でなければなりません。

私のpolicyとして、生徒達に日頃言っている事は、注意された事は1回で直すように・・という事と、人が注意されているのを見て、自分を直すように(人の振り見て、我が振り直せ❢)・・という二点です。

また、技術的に未熟で1回で直せない生徒達には、それ以上は追求しません。
音大受験を目指す生徒達はいないので、そんな厳しいlessonには耐えられないからです。
lessonはそんなに完璧なものを目指す必要は無いからです。

音楽教室の目標は、所詮は、近所の子供達に音楽を好きになってくれる事と、色々な曲を演奏出来るようにしているのに過ぎないからです。
その折角、育って来た『音楽を好き』と言う気持ちを、辛いものにはしたくないのでね??

日本舞踊とか、お花やお茶でも、日本のlessonの形態は集団lessonが基本なので、先輩後輩の前でlessonを受ける事が基本なのですが、不思議な事に、形態や上下関係だけは日本の家元制度を取っている音楽の世界なのですが、lessonの形態だけは、group‐lessonではなくて、個別の個人lessonで、結構、秘密主義的で、他の生徒に自分のlessonを受けている所を見られるのを忌み嫌う人達が多いので、lessonの見学を認めない・・という先生が多いようです。

しかし、演奏活動をする(人の前で演奏をする)・・という事は、「お臍のゴミまで見られる」・・と言う意味なのですよ。

コンサート等で、演奏をしている姿を見ると、「日常、どんな生活をしているのか??」・・まで普通に見えて来るものなのですよ。
だから、普段のlessonで、他の生徒に見られるのを忌み嫌うようでは、演奏家には成れません。

それに、人に見られてなんぼも商売なので、人に見られる事を云々するようでは、既に、演奏家では無い事を暴露しているようなもんです。

lessonでも人に見られても、構わないような練習を日頃気を付けておくべきなのですよ。

政治家の妻であった祖母が何時も言っていた事なのですが、政治家はどのような批判やbashingを浴びたとしても、人に名前を覚えて貰う事が大切なのだそうです。
人の噂も・・では無いけれど、覚えている人に票を投じるのが人間の常だそうです。

だから、演奏会で、例え失敗したとしても、向上する事、努力する事を怠らなければ、その失敗は必ず、+になって返って来るのだそうですよ。

若し、古典派の時代にvideoがあったら、5歳の時のMozartの演奏や、6歳の時の演奏を聴く事が出来たでしょうね??

私のlessonのお話に戻りますが、・・・
昔、私がlessonをしていた頃には、教室でlessonをする場合でも、次の生徒がお休みの時には、Service‐lessonとして、次の生徒のlesson時間が終わるまでは、lessonを延長して見ていたのですが、そう言ったService‐lessonは、今の生徒達には、ありがた迷惑になってしまいます。
送り迎えをする保護者に人達に取っては、時間を延長されると、家事が滞ってしまうからです。

昔、ある時に、concours組の生徒が、concours迄に課題を弾き熟す事が出来ないので、練習に間に合わないので、已む無く、lesson時間を延長してServiceで、lessonをやっていたら、母親が、これ見よがしに、「まだlessonが終わらないのよね〜ぇ❢」とか、自宅に電話をしていました。
追加のlesson代も請求する分けでもなく、全くのServiceとしてlessonをやっていたので、その一言で、すっかりやる気を無くしてしまいました。
ならば、本人がlessonの時間内で出来る所までで、concoursを受ければ良い・・と、割り切ってしまう事にしました。
だって、それがその家庭の方針なのだから、致し方は無いでしょう??
concoursなんてものは、生徒の実力ではなくて、先生の実力に過ぎないのだから、先生の言う通りに演奏してくれる生徒がいたら、入賞させる事は簡単な事なのだからね??

まあ、一般の生徒ならば、Service‐lessonでも、夕食やその後の家庭の予定の迷惑かも知れないので、「余計なお世話」・・なのかも知れませんが、concours組を受ける生徒では、当然、concoursの為の練習が、日常生活のtopに来なければなりません。
concoursで入賞出来るか否かは、その価値観の大きさで決まるのですよ。

だから、concoursを受ける生徒達に取っては、先生が時間を延長してService‐lessonをしてくれたら、その先生の親切心を有り難がるハズなのですが、それが通じない・・と言う事は、所詮、concoursに対してのその家の持っている価値観も、lesson時間の延長よりも、食事の時間が遅れるのが問題の程度なので、concoursに入賞するのは、意識的には、とても無理な話ですよね?

これは非常に重要な事だから、もう一度同じ事を言いますが、「concoursに入賞出来るか否かは、技術の差ではなくて、価値観の差で決まる」物だからですよ。

学生concoursのlevel差は、所詮、どんぐりの背比べに過ぎないからです。
学生concoursに入賞出来たからと言っても、将来のproとしての活動が約束された分けではないのですよ。
proになる・・と言う事はそんなに甘いものではないのですよ。


時間のお話に戻って・・・、lessonの時間ではなくて、オケ練習等の集団の待ち合わせの時間なのですが、例えば教室でのオケ練習の開始時間は決まっていますが、それは、教室に集合する時間ではなくて、あくまでも、練習の開始時間なのです。

何故、オケの集合時間では無いのでしょうかね??

それは、それぞれの楽器や、生徒の技術levelで準備の時間が変わるからなのです。

例えば、Pianoの生徒ならば、自分の楽譜を準備するだけ(後は、書く物と書かれる物を)準備すれば終わりです。

しかし、弦楽器の場合には、楽器をcaseから出して、tuningを済ませて、それから楽譜を出して、書く物、書かれる物を準備しなければなりません。

多分、それは学校の部活等でも同じなのではないのかな??
特に学校の部活等では、準備に掛かる時間は膨大な物になると思われるのだけどね~ぇ??

オケ練習等の決められた時間には、残念ながらintervalの時間が含まれていません。(intervalの時間とは楽器や楽譜を準備する時間の事です。)
何故、intervalの時間が含まれ無いのか??・・と言う事は、同じ弦楽器でも、初級の生徒と上級の生徒では準備の時間が違うからなのです。
(また同様に、後片付けの時間も、年齢や技術levelで、同様に違うのです。)
そういった事を踏まえて、オケ練習の時間割りには、各自、自分の準備時間を計算して、事前に来るように・・と書いてあるハズなのですが、準備時間の掛からない上級者達は早く来て、時間迄にも準備が出来ない人達は、必ず遅く、時間ギリギリか、遅れて来る・・という自然の鉄則があります。

という事は、「時間は意識に準じる」・・・という事に要約されるのでは無いでしょうかね??

私の主義と言うか、policyでは、時間に遅れる人は放っておいて、lesson時間を優先して、練習を開始する方が良いと思うのですが、今のclassは準備が終わる迄、待ってしまうようです。

しかし、塾等でも授業開始の時間を一人ひとりの生徒に合わせて、時間をズラして始める塾や学校も無いと思うのだけどね~ぇ??

私のように準備が人よりも遅い人間は、人よりも早めに準備を開始すれば良いだけなのですがね~ぇ??

楽譜を準備するにしても、昔の生徒達は30も40もfileが仕分けされたfile‐noteに楽譜を曲別に、練習順に仕分けしていました。
だから、楽譜を出すのも秒・・でしたよ。
(私がMünchenで作曲のlessonを受けていた頃、毎週のlessonに対して、先生に持って行く作曲が間に合わなくて、lessonに持って行く物が無くなって困った事がありました。《これも、練習の時間と同じ話なのですよ。》その時に私がやった解決法は、日曜日や夏休み等の休日に必死になって、曲を書き溜めて於いて、lessonの度に小出しに持って行ったのですよ。そうして、何とか一期間を凌いだら、次は期間の休みと冬休みを利用して、次の曲を書き溜めて、何とか、超HardなGenzmer先生のlessonを凌いだのですよ。人よりも先に始めれば、ブキッチョでも器用な人に優れるのですよ。自分を卑下しても、得はありません。出来なければ、人よりも、早めにやって、人が終わった後でも、その仕事をやり続ければ良いだけなのです。簡単だよ。)

私の最初の弟子で、最初のproになった男の子がEuropaの音大でlessonを受けていたのですが、他の日本人の女の子達のlessonが先生の前で曲を弾いて、先生が「とても素晴らしい❢」と言って、後は顔を見合わせて終わってしまうので、彼の前後のlesson時間が空いてしまって、彼のlesson時間が2時間、3時間になってしまう事もあって、練習が間に合わないと泣き付いて来ました。
その時に私の話をしたら、「それはとても良い方法だ❢」と感激して、それからは、そのやり方でlessonを熟していたそうです。
でも、ある時に、練習室で練習していたら、教授に見つかって、「その曲は良いな??明日はその曲を持って来て❢」と言われてrotationが狂って大変だったそうです。

Europaのlessonのやり方では、私が留学中にも、後で日本からやって来た音大で講師をやっていたPianoの女の子が、やはり、同じように「lessonで演奏をしても、先生が「素晴らしい❢」としか言ってくれない・・・と、嘆いていたので、lessonの受け方のlessonを毎週、私が日本に帰国する時迄、続けました。

一曲毎に山のように質問事項を作って、先生はどう思うのか??・・のdebateです。毎回のlessonが火のように激しくなって、lessonもexcitingになって、毎週のlessonが楽しくなって来たそうです。

なんで、私が音大時代から留学してまで、Piano科の生徒をlecture‐lessonしなければならないのかね~ぇ??


またまた時間のお話に戻って・・
はてさて、留学から戻って来て、教室を立ち上げた当時は、東京の教室の他に、千葉にもlessonの教室があったので、lessonの30分前には教室に辿り着くように毎週、車で移動していました。
しかし、私の生徒の中に、40分も前に来て、教室が開いていないので、帰ろうとしている生徒がいました。

「約束の時間迄は、必ず待ちなさい❢」と厳しくお説教をしたのですが、本当は私も同じ性格なので、お説教しながら、結構ほろ苦い気分でした。
自分が説教されている気分でしたので。

30分前に教室に到着して、教室の片付けと軽い掃除と、lessonの準備の楽譜出し等々の作業をやっていると、10分、15分前には生徒達が来て、同様にlessonの準備を始めます。
お利口さんに見えるけれど、そういう風に私が指導をした分けではありません。
背中を見て私と同じようにしていたのですよ。
私が自分に対してそうしているのを見て真似しているのですよ。

昔の生徒達はそう言った真似が上手でしたよね??

今は先生や親の背中を見て育つ生徒はいません。

まあ、人生に対しての考え方が、根本的に変わってしまったので、当たり前の話なのですけれどね~ぇ??
人生の楽しみ方が、自分の為に楽しむのか、人の為に楽しむのか??・・の違いだけだ・・と思うのですがね~ぇ?




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4月2日『今日は発表会の当日です。』 ·


今は4月2日の日曜日の午前2時半を過ぎた所です。
・・という事で、今日は発表会の当日です。(26時半ならば、未だ4月の1日なのですがね??)

今日はニャンコ号活躍の日なので、朝が非常に早いので、その緊張もあります。
今日の朝の動きは、5:00起床⇒5:40ハイツ出発⇒6:10椎名町出発⇒7:40教室に到着・荷物整理⇒7:50スタッフ集合・積み込み開始⇒8時半新教室出発⇒8:50までに文化センター到着⇒9:00搬入口オープン 搬入開始のscheduleです。

朝の5時起床、と言ったら、下手をするとその時間に入眠をする時すらある、曖昧な時間になります。

本当は4時過ぎ迄は、眠っていたいのですが、toilette-timeに起き出してから、眠れなくなってしまったのです。
チョッとnervoursになっているのかな??
toilette-timeの後で、そのまま眠れる事の方が少ないのだから、これで普通なのだよな??

中途半端な時間になってしまったので、已む無くhomepageのChopinの仔犬のPageに少し書き足して、前の文章を少し修正をして、更に、Fontがバラバラだったのを少し揃えた。(とは言っても、一括で全体のFontを揃えるのは怖いので止めておいて、チマチマとFontを修正した。)

勿論、発表会に出掛ける準備を平行でしながら、お茶を飲みながら、衣装の準備をしているのだ。

膝から下の足が冷えて来ているので、今日は外は結構寒いのだろう??

bikeでの移動は、寒さ対策もしなければならないのだが、部屋の中では分からないので、腰痛を押して、玄関の扉を開けて外界の気温を肌で感じて見るとするか??

冷え~❢❢ 寒い❢❢❢
椎名町迄の移動が問題だよな~ぁ??



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4月4日発表会が終わってからのお話です。 ·

今は、何と❢4月4日の朝の4時44分の火曜日なのです。
まあ、取って付けたようなゾロ目なのです。

発表会が終わって、あっという間に二日も過ぎてしまいました。
後、三日経つと、術後一ヵ月になりますが、今回は術後のRehabilitationが上手く行かなくて、(ちょうどtiming的に、発表会直前だったので、日曜日の練習とlessonがテレワークでは無理なので、休めなくて、それから、体調を崩してしまって・・)結局、次の日曜日には、腰痛迄も引き起こしてしまい、「発表会は車を出せるだろうか?」等と、直前迄悩んでしまいました。

まあ、何とか、皆様のご協力もあって、恙無く発表会を終えて、椎名町に辿り着いたのですが・・・、体力はそこまでで、椎名町では意識混濁で、食事をする事も出来ませんでした。

それでも頑張って、何とかハイツに戻って来て、何時もならば、超、時間の掛かるSDcardからパソコンにdataを取り込む作業をパソコンにさせて、平行で眠るのですが、そのパソコンに取り込む作業は勿論、腐りやすいお弁当の生物も、何もかも、そのままの状態でbedに潜り込んで眠ってしまいました。

お弁当は、夜の食事が出来なかったので、お弁当にして、ハイツに持ち帰ったのですが、それを冷蔵庫に仕舞う事も出来ないままに、眠ってしまったのですよ❢❢
でも、未だ、夜は結構、寒いし、toilette-timeに起き出した時に、ゆっくりと、食料品を冷蔵庫に仕舞ました。

それから、本当ならば、昨日の夜に始める・・パソコンにSDcardのdataを取り込む作業と、dataをBlu-rayのdisc に焼く作業を、toilette-timeの後で、次いでに始めて、パソコンへのdown loadの作業と、PanasonicのDigaを使ってBlu-rayのdisc を焼く作業を、平行でしたので、一日掛かり・・くらいで、何とか終わらせる事が出来ました。
以上が、4月2日の夜のお話しです。

以下は次の日の月曜日の話しになります。
パソコンへの取り込みが終わった作業や、取り敢えずのuploadが終わった映像から、編集の作業を幾つか、やってみました。
発表会開けのrehabilitationを兼ねた軽作業としてです。

またまた、突然時間が飛んで、今は火曜日の夜の11時になってしまった所です。

なんと、夕方の7時ギリギリ迄、Mozartの編集をしていて、ドルプリっ歩の待ち合わせの時間に遅れたのですが、bikeのガソリンがからっけつだったので、bikeに給油をして、椎名町に行って、ドル・プリのお迎えっ歩をして、食事をして、暫しテレビを見て・・の、ハイツへの帰宅で11時には帰宅が出来たのですよ。



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4月6日めちゃくちゃな、編集作業をしてしまった ·

今は未だ4月の6日の木曜日の夜の11時50分です。

今日は若干の体調不良で、一日中、椅子の上で眠ったり起きたりを繰り返していたのだけど、とうとう夜の8時半になって、椅子の上に座って起きているのが難しくなってしまって、椎名町へのbikeでの移動を諦めて、仕事(月曜日からは発表会のvideoの編集作業をしています。)を放ったらかしたままで、bedに入って寝込んでしまったのは良いのだが、寒気がして、毛布に変えて眠ったのだけど、それでも寒かったので、これは、多分、体調不良・・と言う事よりも、風邪の初期症状なのだよな??

意識朦朧状態で、Chaconneの反省会用のvideoを作ったのだが、誤って2回も同じ動画をuploadして、しかも、そのいずれの動画も本番の演奏を反省会に使う予定だったのに、rehearsal の動画をuploadして、しかも、rehearsal から発表会最後迄の4時間半以上の動画を2回もuploadしていたのだよ。
しかも、音声がズレてDoubleで音声が入っている・・とか、分けの分からん状態でuploadされていたのだよ。
意識朦朧状態で、緻密な作業をしてはいけない・・という典型的なmistakeな作業だよな??

夢の中では、音声がDoubleっているのは、未だ知る由も無かったのだけど、rehearsal だけのuploadではなくて、発表会の最後迄をuploadした事は気付いていたので、「Titleを書き換えなければ・・・」と、思っていたのだが、限定公開ではスマホには映像(動画)自体が表示されないので、携帯でのTitleの書き換えは出来ないのだが、眠っているので、出来ないハズの、その無駄な努力を延々としていたのだよ。
夢の中だから思考が出来ていないのだよな??

次の日の7日の金曜日の朝の5時半にtoilette-timeに、起き出して、大急ぎで、Titleを書き換えていたら、音声がおかしくなっている事に気付いた。
音声の同期が出来ていないのだよ。

しかし、限定公開でuploadするツモリなので、1カメから4カメと音声の編集はしないハズなのに、音声を同期させているのは、手順が判断されていないのだよな??

しかも、本番のChaconneをuploadしたつもりが、rehearsal のChaconneから、発表会最後迄の4時間半をuploadしていたので、躊躇無く、削除したのだが、同じ動画がもう一つuploadされていたのに、気付いた。
double-bookingも良い所だよな??

教室の発表会の動画としては、rehearsal の動画を1本に編集し直して、uploadしたのだが、double-bookingでuploadした動画は、完全に、同じ動画を3回もuploadした事になるのだよな??
人間、意識朦朧状態で仕事をするもんじゃあ、無いよな~ぁ??

俺としては、頑張ったツモリなのだが、俺が弟子達にいつも言っている、無駄な努力ならば、何もしない方が、体力の消耗を防ぐ意味でも、より良い・・という、Rat(箴言)を地で行ってしまったのだよな??
前日にも、lessonで弟子に同じ注意をしたばかりなのに、御大将自ら、同じ間違いを犯してしまったのだよ。
語るに落ちた・・とは、この事だよな??

慌てて、もう一つの動画も削除して、本番の演奏をuploadし直して、次いでに、rehearsal の未編集動画もDocumentsとして、uploadする事にした。
勿論、非公開ではあるのだけどね~ぇ??

今日こそは、ちゃんと自分の行動を自覚した上で仕事をする事にしよう。アハッ!



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4月8日bikeのstandが右足の親指に乗ってしまった ·

今は4月8日の土曜日の朝の6時になった所です。起きたのは5時半の定刻なのだけど、toilette-timeに起き出したので、何やかやと30分が過ぎてしまった所です。

昨日は一日霧雨というか、断続的な小雨と強い風が吹いていたのだけど、椎名町にbikeで移動する時に必要なrain-coatが発表会以前の時に椎名町に着て行ったままになっていて、江古田に戻って来ていなかったので、霧雨の中をrain-coat無しでbikeで走りました。

当然、膝辺りと、nubuckのJacketの前面が結構濡れてしまいました。

椎名町の教室の駐車場にbikeを停める時に、bikeのstandが右足の親指の上に乗っかってしまって、bikeを戻すのが結構大変で、親指が結構痛かったのだけど、体全体が濡れて寒かったので、痛みを堪らえたままで、慌てて椎名町の玄関に歩いて行きました。

ハイツのお昼が、超遅くなったので、夕食は軽く済ませて、ドル・プリっ歩に出掛けようとしたのだけど、外に出ると、突風が酷くて、停めてある自転車はひっくり返ってしまうし、ドルが怖がって部屋に戻ってしまったので、私も大急ぎでハイツに戻る事にしました。
そのまま時間が経つと、結構、荒れそうな感じだったので・・、です。

ハイツに戻って、衣服を脱いで、靴下を脱いだ時に、右足の親指から、結構、血が出ていて、靴下を、directに洗濯機に放り込む事になってしまいました。

その時には何ともなかったのですが、逆に朝になってから、足の親指を動かすと軽い痛みが出てしまいました。

勿論、右足の親指がbikeのstandの下敷きになった時には、歩けない程、痛かったのだけど、部屋に入ってからは痛みは無かったので、ハイツに戻って来るまでは、血が出ている事は、全く気が付かなかったのだよな??

骨とか爪には異常は無いようなので、大事は無いようですがね。

昨晩は、発表会の演奏の編集の他にも、今回の演奏と比較対象になる、昔の演奏を非公開で編集作業を二つ、三つ、したのですが、椎名町から帰ってから、改めて、checkをしたら、演奏会の日にちが間違っていたのに気付きました。
同時に二つの演奏の作業をしていたので、日にちを間違えてしまったのです。

前々日からのドジ作業が昨晩迄も続いていたのだよな~ぁ??

昨日は、結構、体調も元に戻った・・と思っていたのだが、怪我やmistake等々、結構、被害が多かったので、本調子ではなかったのだよな~ぁ❢❢

明日は発表会の反省会なのですが、lessonの予定の紙が見当たらないので、困っていたのだけど、「ヒョッとして終わった予定を入れているfileの中に入っているのでは??」と思い付いて、fileを見てみたら、なんとビンゴで、無意識にfileに仕舞っていたのだよな??

ハイツでの起床時間は、千葉の教室に到着する時間から、逆算をして決めているので、椎名町の出発時間を決めて、それからハイツから椎名町への出発時間、ハイツでの起床時間を決めていくので、千葉教室への到着時間がAboutなのでは、結構、困るのだよ。

極端な言い方をすると、今晩の就寝時間から、食事の時間やドルプリっ歩の時間迄が、決まって来るのだから❢❢

結局、8時から椎名町に食事に出発したのだが、12℃はあるのだが、超寒い事❢10時半には10℃になってしまった❢


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4月10日『あがると言う事Ⅰ』 ·


今は4月10日の月曜日の朝の4時半を過ぎた所です。

昨日は、発表会から一週間後の反省会で、千葉を往復して来た所です。

一昨日、土曜日の夜は超寒かったのですが、昨晩もそれなりに寒くて、寝つけなかったので、布団を二重にして、寝たハズなのでしたが、起きてみたら、布団をDoubleにしたのは、夢の中であって、やはり布団は相(合い)の羽毛布団、1枚だけだったのですよ。やはり羽毛布団1枚では、超寒いのだ❢

今日の朝は定時の5時半にtoilette-timeに起き出して、椅子に座って雑用でもしようと思ったのだが、直ぐに疲れが出てしまって、bedに戻ったのだが、眠れないので、起き出して椅子に座ったのだが、直ぐに疲れが出て・・・のendlessの繰り返しになってしまった。

椅子に座っている間に、少しでも雑用を片付けようと思って、作業をするのだが、その途中で眠ってしまっていて、作業が仕事にならないのだよ。
寝たり、起きたりを繰り返して、その間にlineやmessengerの返事を書いて、発表会で読めなかった請求書類の支払いを済ませて、「何とか起きれたかな??」・・という時間はお昼の3時半であった。

尤も、朝食らしいものは、朝に済ませたし、朝の体重血圧測定も、午前中の早い時間に終わらせてしまっし、あらかたの雑用という雑用も終わらせてしまったので、毎月曜日の事ではあるが、「何時に起きた」という事は言い難いのだよな。

昨日の話に戻って、発表会の反省会の集まりは5人・・と、教室を開設してから、これまでの最小人数だったので、反省会をする事自体、私は懐疑的であったのだがね??
(多分、私が、今回の集まりの人数を事前に知っていたら、私としては、反省会はやらなかっただろう。line等での会議で充分だったからだ。)


『あがるという事Ⅰ』
今回は、反省会の後の、お食事会の打ち上げで、生徒達や保護者の人からの有意義な質問が出て、その質問に対して答えたり、更に詳しく質問をしたりしたので、打ち上げの終わりまでは、結構な時間が掛かってしまった。

そのthemaは発表会等で『あがる』という事で、「『あがる』というのはどういう状態を指すのか??」という事と、「『あがらないようにする』にはどうしたら良いのか??」というthemaであった。
以前の教室の生徒で、本番でメロメロになる生徒は基本的に居なかったので、近年の所謂、この所の現象なのだがね~ぇ??

練習の時には、全く無難に熟している箇所を、突然本番で、思いも寄らぬミスをしてしまうのだよ。

以前も全く同じ話をした事があるのだが、音楽に限らず料理にしても、或いはathlete達にしても、お相撲さんにしても、或いはBallerina達に取っても、演技は一発勝負である。
1回目で全てを出し尽くす為に練習を重ねて行くのだよ。
幾ら、Michelinの料理人でも、その日の気分で料理の味が変わるようではproとは呼べないのだよ。
それは全ての職種でも同じである。

proの切符切りが、乗客の差し出す切符を前にして、上がっていては、仕事にならないのだよ、と音大時代には友人達に説教をしていたのだけど、今の人達には「西武線の改札口の切符切り」と言っても何の事か分かる人はいないのだよな~ぁ??

保護者の人から「芦塚先生は上がった事はないのか?」と、尋ねられてしまったのだが、私の場合には、仕事では無い場合には、超、『あがってしまう』のだよ。
頼まれた結婚式のスピーチとか、突然、人と会ったりした場合なのだが・・。

でも、私が、仕事で講義、講演をする場合や、伴奏で演奏する場合には、全く『あがる』事はない。

例えば、昔々の話なのだが、私が日本に帰国して大学に努め始めた最初の事なのだが、前任者が突然の退職で、急遽、講師に呼ばれたので、10月からの授業でいきなり大講堂での600名ぐらいの生徒達を前に、音楽学の講義をしなければならなかったのだが、後ろの席の生徒達は、もう顔が見えないのだよ。

assistantを務める先生方が3、4名いて、講堂の席を回って、ちゃんと真面目に話を聴いているのかをcheckして回るのだよ。

もっと酷い事には、前任者が前のゼミで何を指導したのか??・・を学校側が誰一人として把握していなかったのだよ。
・・という事で、事前に何も知らされる事も無く、いきなり大講堂での600名を前にしての授業である。
先ず第一には、この大人数の生徒達の心を掴む事に専念をする事にして、授業を乗り切ったのだよ。

talkで集団を乗せるには、私が学んだ方法が幾つかあるのだが、それを語ると長くなるので、割愛する。

また、東京に戻る直前には、郷里の県庁で帰国講演会を開かされた。
ジジババを前にして、開発と歴史に学ぶ事へのthemaで講演した。
県庁と言う事で、時事の問題に付いての講演をしてしまったので、留学時代の思い出とか音楽関係の項目に付いて講演すべきだった・・と、後で反省をした。
いずれにしても、それが仕事なのだから、目標や目的がしっかりとしているので、自分に対して、「自分を良く見せる」という虚飾が産まれる隙きは無い。
話が相手にちゃんと通じているか否かだけの事なのだから・・

『あがる』という根本的原因は、「自分を相手から良く評価されたい」と思う気持ちの心の奥底のloop現象なのだ。

言い方を帰れば、一生懸命にやればやる程、緊張状態を引き起こしてしまうのだよ。
あがらないように一生懸命に練習をすれば、する程、あがってしまうのだよ。

緊張(あがる)と言う事は、自分の心に対して緊張を引き起こす事なのだから、適度な緊張は、逆に集中を産み出す元になるので、悪い事ではありません。
だから、私は、生徒達には、「緊張する事(あがる事)は、普通であり、悪い事ではない・・」と説明します。
というか、適度な緊張は、良い演奏を産み出す・・と言います。

私的には、「緊張してはいけない」「緊張を人に知られてはいけない」と言う事は絶対にありません。
適度な緊張は、音楽に張りを齎す事が出来て、演奏により良い状態を産み出す事さえ出来ます。
「緊張をしても良い」と思えるようになると、不安は和らいでいきます。

私の場合には、自分が『あがっている』、緊張していると思ったら、瞬間的に、その『あがっている』自分自身から視点を変えるようにします。

指揮の時には、子供達を観察して、「子供達の準備で、何か落としは無いか??」とか、酷い時には、対外出演の時等でも、concertmasterの側を通り過ぎる時に、冗談を言ったりします。
つまり、平常心を保つのです。

普段の日常生活ででも、超、忙しくて、人がバタバタとしている時には、私は先ずは「お茶を一杯」飲みます。
一呼吸、置く事で、自分に戻るのですよ。
所謂、『喫茶去』です。

これで多くのミスが無くなって、仕事も手早く終わらせる事が出来るのです。
一杯のお茶を飲む事が俯瞰に繋がって、最良、最短の道を示してくれるのです。
『あがる』と言う事の根本原因は、自分を良く見せようとする気持ちから引き起こされます。

それ等を纏めると、
➀自意識過剰
➁カッコ良く見せたい
➂逃げ癖
・・の3っつのpatternがあります。

①の自意識過剰は、人の評価に対して自分を良く見せたい・・という気持ちの現れです。
concoursで先生達が生徒の技術力に対して、必死になるのは、芸術点では満点は取れないからなのです。
先生も個性があるので、或る先生が満点の場合には、別の先生は半分の例さえもあるのですよ。
その点、技術点の場合には、全てを完璧に演奏出来れば満点が取れます。勿論、全ての先生から・・です。
だから、安全策をこうじるには、先ずは、技術点を確保する事です。
芸術点は七割りが達成出来れば良いからです。

情緒的な事に対しての人の評価は全員が変わります。
だから、自分がやって来た事をそのまま、見せる事しか、評価の術はありません。
自分を良く見せたい・・と思うのは、単なる色気に過ぎないのですよ。
そこでは何も産み出さない・・という事を自覚すべきなのです。


②のカッコ良く見せたい・・と思う気持ちは、①の自意識過剰よりも更に悪いです。
自意識過剰は、それでも音楽を表現しようと言う気持ちが残っていますが、②のカッコ良く見せたい・・と思う気持ちには、その練習を積み上げて来た音楽を歪曲して表現してしまう事に繋がり兼ねません。
カッコ良く見せたいのは、あくまでも自分であって、音楽そのものでは無いからです。


③の逃げ癖は、救い様があるし、簡単です。
逃げ癖で日本人に一番多く見受けられるのが、Bach等のlegatissimo奏法や多声部を弾く時に見受けられるpedalの乱用です。
所謂、pedalで誤魔化す癖です。
私が帰国して、何気なく学生コンクールの会場に入って、本選を聴いた時に、その殆ど全員の学生達がpedalを少しだけ踏んで、音の切れを甘くする誤魔化しpedalを踏んでいたのに、驚いてしまいました。
それにpedalで和音を濁らせて弾いている人達の多い事・・・、辟易させられてしまいました。
不安になればなる程、音を濁らせる・・という日本人独特の誤魔化しpedalには、それ以降も悩ませられてしまうのですよ。

しかし、この誤魔化しpedalからの脱却は、演奏会での過剰な緊張感を取り除いて、平常心を身に付ける事が出来る最も簡単な方法論でもあるのですよ。
細かい課題に集中する事が出来れば、平常心に戻す事が出来るからです。

例えば、日本人特有の悪い癖の場合には、pedalingに細心の注意を払う・・とか、全体の構成を意識して、今の部分の演奏をする・・とかの配慮をする事なのです。

特にpedalの多用に付いて述べるとすると、pedalを多用する事は、自分自身が細かい音を聴き取る事を拒絶している分けなので、その癖から逃れない限り、pressureからの脱却は有り得ません。
その恐怖に打ち勝って、音の細部を聴き取れるようにする事が、上達の早道なのですよ。
そう言った事で、意図も簡単に、pressureから逃れる事が出来て、平常心を保つ事が出来るようになります。

私のpolicyとしては、「proは自分の考え方を伝達するのがproなので、自分を良く見せようとかの虚飾を持ってはいけない」・・というのが、私の音大時代からのpolicyなのだ。
自分を「良く見せよう」と思った途端に、音楽の本質(・・と言うと大仰なのだが、所謂、自分が表現したい物)からは、離れて行くからなのだ。
「自分が観客を説伏出来ているか?」、「その解説で良いのか?」を常に観客の顔を見て判断し、講演内容を変えて行かなければならないのだよ。
客観的に状況を判断する事・・それこそが俯瞰の技法に繋がるのだ。

私が子供達を指導するようになって、子供達にいつも言っている言葉があります。
それは「上手な演奏ではなくて、聴いている人達を泣かせる演奏をしなさい」と言う事です。

上手な演奏は、あがる事があるかも知れませんが、泣かせる演奏では、上がり様は無いのですよ。
それは何故??
泣かせる演奏は表現だからです。

私には、理想的な演奏の状態というのがある。
それは私が演奏をしている時に、ちょうど、CDでも聴いているように、心地よく私の演奏を聴いている状態を言うのだ。
残念ながら、そういうtrance状態になった事は、長い人生の中でも、ほんの2,3回しか無い。
瞑想状態であり、究極の俯瞰でもある。

しかし、これは偶然の為せる技であり、それを求め追求してはいけない。
それを追求してしまうと、自己満足的な野狐禅的な結果を齎す事が関の山だからである。

正しい俯瞰的な客観性はselfcontrolが出来た状態でなければならないからである。
俯瞰はselfcontrolが産み出すものであるからなのだ。

近年、子供の自殺者が増えて、驚くべき事に小学生の自殺者さえも社会問題になるぐらいの数だそうだ。
未成人の自殺者の数も、青年の自殺者の数も近年増え続けているのだそうな??

それに、趣味を仕事にしない学生が非常に多くなって来ていて、嫌な仕事をしても、仕事が終わったら趣味だけの時間に没頭したい・・という若者が増えているのだそうな??
発表会で若者達と話す機会もあったので、その質問をしたのだけど、多くの生徒達は「その考え方が理解出来る」と言っていた。
人の為の仕事をしたとしても、それは自分自身の時間をkeepした上での人の為の仕事なのだそうな??

私は団塊の世代の前の時代の人間なので、「24時間働けますか??」の世代の人間である。
だから、私に取ってのproは、一日中、音楽の事を考えても、幸せで居れる人間・・という事なのだ。
勿論、その人の人生の中で、「音楽が一番なのだ」・・という意味である。

その素晴らしい音楽を一人でも多くの人達と共有出来たら・・というのが、私の演奏活動の根本である。 
人間、年を経ると人生の悲哀を感じて、欝に落ち込む事もある。
その欝の酷い状態の時には、「死んでしまった方が楽なのでは・・??」と感じる事さえもあるのだよ。

まあ、中学生、高校生の頃から、そういった欝に苦しめられて来たのだよ。
しかし、多くの名曲を知るに連れて、音楽はそういった人達のcatharsisにも成り得る事を人生の早い時期、所謂、中、高生の頃に学んだ。
音楽の勉強を始めるず~と前の頃だ。

・・という事で、私の理想の音楽は、所謂、共に泣ける音楽なのだよ。
どんな子供であっても、誠実に音楽に向かう事さえ忘れなければ、ジジババを音楽で泣かす事は可能である・・という事を、多くの対外出演で経験してきた。
だから、私のlessonの課題は、常に人を泣かす事の出来る演奏に他ならない。

その目標さえ忘れなければ、自己満足的な野狐禅的な音楽に陥る事は無いのだよ。
勿論、泣かせる音楽には『あがる』と言う事は存在しない。
何故ならば、泣かせる音楽には、自分はいないからなのだよ。
Lascia ch'io pianga



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4月11日『あがると言う事Ⅱ』 ·


前の文章の、自己満足のお話の続きなのだけど、日本人には『おしん』的な発想、所謂、あかんたれな発想が底辺にある。
「辛抱に辛抱を重ね、苦労に苦労を重ねた結果、本当に人に認められる成功がある」・・という考え方である。
所謂、「苦労は買ってでもしろ❢❢」という考え方である。

逆の言い方をすると、「苦労無くして手に入れたものには価値はない。」という考え方にもなるのだ。
「どんな優れたやり方でも、どんなに優れた技術でも、楽に身に付いた技能には価値は無く、極、簡単な技術でさえも、苦労をして手に入れたものには価値がある。」という短絡的な考え方でもある。
つまり、「苦労そのものに価値がある」・・という考え方なのだ。

この考え方は、小、中学校によく見受けられる考え方なのだが、一昔前の日本の社会ならばいざ知らず、こんにちでは、一般的な企業社会であったとしても、その理屈は通用し無い。
仕事では、幾ら頑張っても、幾ら努力しても、出来ていないものには、何の価値も無いのだから・・
と言うか、逆に、楽に、早く出来たものに対しては、社会的評価は高いのだよ。

努力そのものが評価の対象になるのは、こんにちでは、440のpitchと同じで、教育界だけなのだよ。
現実社会では、努力云々を評価する事は有り得ないのだよ。
阿呆らしい❢❢

そういった努力に努力を重ねて・・という日本型の発想は、生来の怠け者である私に取っては断固認められない考え方であり、到底受け入れ難い思考である。
偶然、散歩をしていて見つけた金剛石が、一山を掘り起こして手に入れたDiamondよりも、Caratが多ければ、価値観は兎も角として、金銭的な価値はあるのだよ。
本人がどう思おうと・・他者に取っては、どのように手に入れたかは、然程重要では無いのだよ。

若し、本当の成功がそういった苦労に苦労を重ねた結果でしか、有り得ないのだ・・とすれば、私はそういった世界に足を踏み入れる事は決して無いと断言出来る。
私のpolicyは、楽しく仕事をして、楽に生活をして、豊かな人生を送る事であり、何処にも、無理をして・・と言う言葉は何処にも出て来ない。

しかし、同時に生来の怠け者であるハズの私はよく「一瞬の無駄も勿体無い」・・とも言うので、人からは、人格的に「矛盾をしている」と良く思われてしまうのだが、本来的には、好きな仕事をする為には、無駄な時間は勿体無い・・と言っているのに過ぎない分けなので、これは勤勉性が齎す、一瞬の無駄とは、似て非なるものであり、同じ事を言っているように見えたとしても、その言葉の意味は根本的に意味が異なるのだよ。

音楽の素晴らしさに目覚めて、音楽をこよなく愛する人達に取っては、練習は楽しいものである。
しかし、音楽の練習は、辛抱に辛抱を重ね、苦労に苦労を重ねるものでは決して無いのだよ。
ましてや、音楽の練習をする時間は、至高の時間であり、楽しい時間であるハズなのだよ。
それこそ、練習が永遠に続いていたら、幸せなのだ。

では、そう言った考え方が出来るようになれば、(否、そう言った考え方で、日頃の練習が出来るようになれば、)proの道を極める事が出来るのか??
答えは『否』である。

それは練習が楽しくなった事に過ぎず、音楽のNiveauをあげる事には、直接は繋がらないからなのだよ。

無駄な努力を1万回続ければ、(某音楽教室の先生が言っているように)上手くなる•••分けでは決してないのだよ。
無駄な努力を1万回続ければ、1万回分、下手になるだけである。
間違えた練習を1万回した後で、正しい練習を1万回やったとしても、練習回数はプラマイ0回になるだけなのだよ。

塚原卜伝が1万回の素振りをしたから、悟りの境地を会得した分けではない。
塚原卜伝は1万回の工夫三昧の素振りをしたのだよ。
そうすれば、神の領域(所謂、悟りの境地)に達する事は出来るのだよ。

pro野球の選手が、よくShadow練習をしているのだが、一回、一回の素振りを、自ら観察して、その都度に工夫を凝らしている。
同じ素振りを何度もするproの選手は居ないのだよ。

この話は、意外と理解されていないのだが、日本型の徒に練習を繰り返す人達に、練習をしない方法を説明しても、驚く程、工夫をする事をしない・・と言うよりも、嫌がる傾向があるのだよ。
つまり、考える時間が勿体無いので、兎に角、練習をする・・という日本人特有の考え方だ。

「無駄な練習、休むに似たり」・・という私の考え方とは真逆の「考える暇があったら、練習をしろ❢❢」という考え方なのだよ。

教室では、その考える部分を私がやっているので、生徒の上達には、問題は無いのだが、私が次のadviceをしない限り、そのまま練習をしている事に違いは無いので、基本的に日本型の練習をしている事になるのだよ。
困った事だよな??

辛い練習の果てにあるものは、辛い音楽に過ぎず、それで人を感動させる事は出来ない。
苦しい練習の果てに、感動を産む音楽が出来る事は無い・・という事を、半世紀にも渡って言い続けているのだが、未だにそれを理解出来る人達はいない。
求めるものが違ったら、目標に到達出来る事は無いのだが、それを理解して貰える事も無いのだよ。

日本型の人達は、やはり、どうしても、辛い練習に耐えた結果が、人達からの賛美を浴びる事が出来る・・と思い込んでいるのだよな??
自分の日常を犠牲にして、辛い勉強を必死にして、大枚を掛けて塾に行って一日の時間を犠牲にして、理想の大学に合格して、憧れの一流企業に就職して、30の壁を待たずして、現実を目の前にして、行き詰まって、自殺したり、引き籠もりをしたり、まあ、NEETになる分けなのだが、それが60代、70代にも続いているらしいのだよな~ぁ??
哀れな事だよ。
何処かで、人生を間違えたのだよな~ぁ??

私も歳を取って来るに従って、人生のシガラミで、強烈な欝に襲われる事がある。

しかし、この欝は、道を間違えた事による欝ではない。
人とのシガラミや軋轢による欝に過ぎないので、人との関係を断つと、欝は瞬時に解消されるのだよ。

ましてや、音楽で表現される欝は、練習の辛さが引き起こす欝とは根本的に、意味が異なるのだよ。
練習の苦労は、音楽の悲しさや痛ましさの表現とは根本的に異なっているのだよ。

幾ら、辛い練習を重ねても、辛い努力を体験しても、それが音楽の表現に深みを与える事は無いのは、自明の理だろうがね~ぇ??
どうして、そんな単純な事が分からないのだろうか??
不思議だ??

まあ、それが私の欝の原因の大半なのだがね??

人生の欝は、音楽の表現でしか表す事は出来ないのだよ。

芦塚先生の鬱々コンサート

Chaconne g Purcell 指揮芦塚陽二 Ashizuka-Kammer-Streich‐Orchestra - YouTube

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4月13日『病院記』 ·


4月の13日の木曜日の朝の5時半を過ぎた所です。

昨日は術後一月の検査と問診でした。 

右足の親指が靴を履くと痛いので、足を庇いながらとぼとぼと歩いていたら、腰まで痛くなってしまい、椅子に腰掛けていても痛くて困ってしまいました。

病院には予約時間の30分以上前には着いたのですが、手続きをしようとしたら、「予約時間が過ぎているので、手続きが出来ません。」と、メッセージが出て、カードが戻って来てしまいました。
2度、3度も試して見たのですが、同じようになってしまったので、諦めて、地下の泌尿器科の受け付けの人に直接予定表を見せて、書類を出して貰いました。

新しく出してくれた予定表を見たら、生検が朝の10時半になっていました。
私が持っていた予定表には、時間の指定はなかったのですがね?

次に貰った書類には、今度は、私の診察の順番の番号がありませんでした。
看護士に尋ねると、「紙切れは入っていなかったのか?」と、尋ねられてしまいました。(お前が出したンだろうが??)なんて事は、おくびにも言いませんよ❢

また、新しくprintoutして貰ったら、今度はちゃんと診察の番号が書いてありました。

主治医からは、癌の再発が早くなっているので、それに対しての治療の説明を受けました。

「前の病院では、その説明はなかったのか?」と聞かれたのですが、前の主治医からの対応の勧めは無く、私の方から、「再発を遅らせるような対応策はないのか」と、尋ねたのだが、「体質の問題なので、対応策は無い❢」と言う返事だった事を話しました。

・・という事で、抗癌治療を勧められて、来週には、癌の転移が無いかのcheckをする為に、全身のCTをして、5月の連休明けから、6週間掛けて、抗癌治療をする事になりました。

抗癌治療には、抗癌剤とBCG(いや~、懐かしい❢)の2種類があるそうで、抗癌剤は副作用が少なくて楽なのだけど、BCGの方がより効果が期待出来るそうなのだけど、その分、副作用が大きいそうで、結構、具合が悪くなる人が多いので、その覚悟は必要だそうです。

勿論、3時間程度の外来治療なので、入院はしません。
lesson等、通常の予定です。

髪の毛の天辺が薄くなるのは、加齢の所為で、治療とは関係ありません。


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4月14日『音楽表現=tempoのズレ(ズラシ)』 ·


cunning beath (V)、breath V、(❜)、❜、feint、休符上のfermata、複縦線上のfermata、G・P(Generalpause)・・・等々

逆に、舞曲や民族音楽の場合には、tempoを詰めて演奏する場合もあります。

例えば、MazurkaやPolonaiseの場合には、拍頭の音を溜めて、その分次の音符を短く素早く弾きます。

また、waltzのように2,3拍を1拍目に詰めて演奏しますが、これは軸足から次のstepに行くtimingでそうなります。

同じ3拍子のwaltzでも、所謂、Zirkus(サーカス)3拍子の場合には、3拍目が強拍になって長くなります。
日本では、この独特のrhythmを「ジンタ」と言います。

楽譜上の息継ぎに該当する記号は、息継ぎの長さから、色々な記号や表現に分類されます。

カンニングブレスは、息継ぎが殆どin tempoの中でなされるのに対して、breathはtempoが遅れます。

feintの場合には、当然、来るべきtempoを瞬間的にtimingを遅らせる事を言います。

breathの場合には、当然、想定内の息継ぎなのですが、feintの場合には、想定外のtempoのtimingをズラす場合を指します。

こういったbreathの種類を説明する時には、文章に置き換えて見ると良いのです。

文章に出てくる(、)は、cunning beathで良いでしょう。(。)で文章が終止する場合にはbreathになります。

改行は、breathよりも長いし、1行開け(段落)は、次のStollen(文節)になるので、休符上のfermata(一呼吸開ける)になるのです。

文章の場合には、更に大きく章が変わる場合もあります。
その場合には、複縦線上のfermataで示す場合があります。
蛇足ですが、楽章間の休みでは、休み無く音楽を続ける場合にはattaccaと表示されます。

attaccaと表示されていない場合には、楽章間の休み(長い休み)を取ります。

当たり前のお話ですが・・・、前の楽章が緩徐楽章で次の楽章が速い楽章の場合のattaccaのtempoは、緩徐楽章のtempoから入るのか、速い楽章のtempoから入るのか?・・の指定はありませんので、演奏する人に拠って、間の取り方が違う場合があります。

音楽的な表現では、この間の取り方の区別は、Motivによるもの、themaのphraseによるもの、melodieのphrase(Stollen)によるもの、それから節の区切り、等々の区切りがありますが、楽章内の全体の区切りとしては、提示部、展開部、再現部、Coda等に表される大きな区切りがあります。

Sonate形式や、基本的な舞曲形式の場合には、A、B、Aのsymmetry構造が殆どなのですが、baroque時代のVariation形式の場合や、ländlerでも大規模な形式を取る場合、或いは、Hungarian Rhapsodyの場合には、序破急のような非対称の形式を取る場合もあります。

お伽話の「読み聞かせ」のように、声を出して、読み聞かせる場合には、こういった句読点や、改行、或いは、段落の間のtimingが非常に重要になって来ますが、音楽の演奏も全く同じなのですよ。

教室のorchestraの場合には、日頃の練習のmemberが極端に少なくなってしまっていて、OB・OGの人達に本番だけの助っ人をお願いしていますが、舞台で初見で演奏する場合には、この音楽の句読点を指揮で表現する事が難しいのです。

Metronom的なrhythmを、拍頭でズラす事になるので、どうしても、飛び出してしまう人が出てしまうからです。

指揮の場合には、auftaktのupの指揮をoverに表現して、拍頭のtimingをズラすのですが、拍頭を待ちきれない人が出たりします。

オケ練習では、そのズラしのtimingも当然、指導しているのですが、初見演奏の人達が入って来ると、そのズラしは危険な事になってしまうからです。

勿論、Metronomのような、正確な律動(beat)で演奏をしてしまうと、音楽(melodie)が呼吸をしなくなってしまって、活きた音楽とは呼べなくなってしまいます。

せめて、練習1回、rehearsal と本番ならば、要所要所のpointを伝達出来るのですが、舞台がいきなりの本番と言うのは、音楽教室の泣き所です。
proオケは、全員の練習が出来るからいいよな~ぁ??

アマオケは大学オケでも、普段の練習には来ない人達が多いので、普段の練習に参加する人達の数で、大学やamateurオケの水準が決まるようだよね??



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4月15日紅茶が終わってしまったので、 ·

今は、いつの間にか4月もなか日の15日の朝の4時半を過ぎた所です。

昨日は、仕事をしていて、時間を見失ってしまって、意味もなく、完徹をしてしまいました。

・・という事なので、昨晩は、少しだけ仮眠をしてから、食事とドル・プリっ歩に椎名町に出掛けました。

体調がよくなかったので、靴下を履く事が出来ませんでしたから、素足のままに、bikeで出発しました。

「寒い❢」と言っても、素足でBikeに乗れるように暖かくなって来たのですよねぇ?

このひと月は、手術の為の入退院やrehabilitationでの引き篭もりで、季節の変わり目を、身を持って知る由も無かったのですが、この2,3日は、江古田から椎名町までのbikeで移動するいつもの住宅地の間の小道からは、Jasmineの甘酸っぱい香りがして来るようになりました。

ついこの間迄は、超、寒くてbedの中で身を震わっせていたのだけど、いつの間にか、もはやJasmineの季節になっていたのだよね〜ぇ?

•••という事で、4月も、もう、なか日になってしまったのですよね??

それはそうと、jasmineと言えば、紅茶のティバックが全部飲み終わってしまって、新しい紅茶の箱を椎名町から持ち帰えらなければならなかったのですが、椎名町から帰る時には、紅茶を飲み終わった事を、すっかり忘れてしまっていたので、この1日、2日は、ハイツには、紅茶が無くて、部屋の中で、有り合わせのお茶を探したのだが、jasmine‐Tieのティ・バッグしか無かったので、それを飲んでいる・・というか、飲まざるを得ない状態になっているのだよ。
まあ、咲いているJasmineとは、関係は無い事なのだがね~ぇ??

それから仮眠を数多くしたので、今は朝の10時半になってしまいましたが、外の公園では、結構強い雨が降っているようです。




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4月15日『和声学のlessonとnetでのlessonとprinterのお話』 ·


和声学のlessonは、曲のAnalyseの時に不可欠だ・・と言う事で、かなり遠方の人で、対面でのlessonが不可能な人でも、remoteでlessonや添削が出来るように、昔々は郵送での和声のlessonを開始したのですが、答案に赤入れをして、更に、説明を書き加えてから、楽譜を郵送していたのですが、やはり、説明が専門用語になったりして、その言葉に対しての説明が必要な場合もあって、返事のtime lagが大きくなって、気長なlessonになってしまい、あまり、様になりませんでした。

次には、教室の中学生の生徒が和声の勉強をしたい・・と言う事で、ハイツのProviderであるJ-comのnet電話をハイツに繋いで、Faxで剥ぎ取り式の五線紙の答案の添削を始めたのですが、一般家庭用の電話のFaxではドットが荒くて、音符が分からなくて、到底使用出来るものではありませんでした。椎名町の教室のFaxは結構、ドットが細かいので、ハイツと椎名町のFaxとでは、まあ、ギリギリ使えるかな??かな??かな??・・という感じでしたが・・、一般家庭の電話に付属しているfaxでは、ドットがね〜ぇ?

スマホの写真で剥ぎ取り式の五線紙を写真に撮って送って貰うのも、print outした時に、背景が全体的に黒く印刷されるので、添削をして、更に送り返した時に、書き込んだ説明の文字が見難くて、あまり良い状態とは言えませんし、何分、背景の真っ黒な所のインク代が勿体無いので、写真での添削はお断りしています。

まあ、譜例の説明の為の写真は、やぶさかでは無いのですが、それも斜めに撮れたり、ボケたり・・と、あまり状態の良いものではありません。

print outで綺麗に印刷を出来るようにするには、printerのscannerでpdfで取り込んで、mailに添付して送ると、とても綺麗にprint outが出来るので、添削も簡単に出来て、mailの添付で送り返す事が出来ます。
(但し、携帯の写真で画像として撮影して送って来た楽譜は、上記のように、print outしても、添削が出来ません。)

家庭用のprinterなのですが、モノクロで、頻繁に楽譜等の印刷に使用する場合には、インクジェット・プリンターでは、印刷のインクのcostが結構な金額になるので、レザープリンターをお薦めしています。
(添削をする時に、インクで上書きをしても、滲まない・・という利点もあります。)

一回のインクのランニングコストは1万を越して、高価に思えるのですが、実際には、1万枚以上の印刷が出来るので、ランニングコスト的には、逆に、1枚辺りの印刷costは、非常に格安になります。
レザープリンターは業務用で非常に高価なように思われていますが、実際には、家庭用のモノクロA4(カラーA4を含めて)printerで、scannerが付いている機種では、1万円台前後からの金額で、色々なmakerから発売されているし、A3のカラーでも3万円台からあります。

モノクロのprinterはインクのカートリッジが一個で、1年ぐらいは持てますが、カラーの場合はカートリッジが複数になるので、カラー印刷を多用する場合には、1個✕のカートリッジの本数、と言う事で、非常に高価に感じます。

とは言っても、インクジェットでも、カートリッジを頻繁に交換しなければならないので、結果的にはランニングコストは基本、あまり変わらない、か??

やはり、レザープリンターのカートリッジの方が安上がりだと思います。(あくまでも私個人の感想としてですがね??)
まあ、カラー印刷と言っても、所詮は添削の赤入れだけなので、モノクロでも、間に合う事は間に合うのですが、添削時にインクが滲まないのは、レザープリンター様々です。



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4月15日『楽譜渡しの日』 ·


今日は、未だ4月の15日の土曜日の夜の11時半を回った所です。
昨晩から、延々と雨が振り続いていて、今日は、結構寒い一日になってしまいました。
折角のJasmineの香りも、雨でお休みです。

明日は日曜日、発表会後の最初のオケ練習の日で、これから半年間練習をする曲が決まって、先生から楽譜を貰う日になります。
オケ練習上では、「楽譜渡しの日」になります。

「楽譜渡しの日」のcurriculumは、小学生迄のgroupと、中学生からのgroupに分かれていて、小学生迄のgroupでは、先生から新しい曲の楽譜を一人一人、そのキャパに合わせて、貰って、その楽譜を先輩達が初見での模範演奏をします。
楽譜を目で譜面上で追って、曲のimageを掴みます。

中学生からのgroupでは、いきなり、初見の練習に入るのですが、オケの申し込みがあってから、「memberに合わせて、何の曲が演奏可能か??」の判断が出来るので、それから、その生徒の技術力量に合わせての曲決めをします。
生徒が「この曲が弾きたい。」と申し出があったとして、本人の技術力で、演奏可能だとしても、オケ全体の技術不足の場合には、やはり、その希望に添う事は出来ません。
また、本人が技術不足な場合は、当然、その曲を選択する事は出来ません。

そう言った全体的な配慮をしながら、生徒達に取っての最良の曲を選択するので、曲決めの会議が終わってから、memberが決まってからの楽譜のcopy作業に入ります。

全員分の楽譜をcopyして揃えなければならないので、1週間、毎日延々とcopyの作業をするのですが、昔々、教室のオケに参加する生徒達が多かった頃は、発表会が終わった後や、次の日、或いは、曲決めの後の、楽譜のcopy作業の日は、教室でinstructor希望の生徒達が、泊まり込みで、教室の作業を手伝って、進行表の書き方や、finaleの使い方、パソコンの作業の勉強をしていたのですが、いつの頃からかは、音楽の勉強は職業としての勉強である・・と言う意味から、趣味のお稽古事になってしまって、教室の先生達の仕事は、Blackの仕事である・・という風潮が教室の生徒達に蔓延して来ました。

確かに、一般の音楽教室では、生徒達にfinaleやパソコンの使い方を指導する事は無いし、楽典でも専門的な和声学や音楽型式学を指導する事はありません。
ましてや、一般の音楽教室でorchestraや室内楽の指導をする所は皆無なハズです。

生徒を指導したとしても、それでその生徒の指導のconceptを出す事もありません。
教えたら教えっ放しが普通なのでしょうかね??

「千葉や習志野では県や市の主催している子供の為のorchestraはあるし、小学校でもorchestraのある学校は珍しくてもあるのでは・・」と言われるかも知れませんよね??

確かに、良く似て、全く非なる子供の為のorchestraはありますが、それは、先ず、演奏する子供達が、auditionで合格をした、或る程度の水準を持った生徒達の集まりなのです。
という事は、演奏をしている生徒達の先生は、それぞれが違う教室の先生なので、弾き方も、曲の解釈も全く違います。
だから、弦楽器や管楽器としての、一環としたcurriculumとしての指導は出来ないのですよ。

しかも、曲はその都度、コンサートに合わせて決められるので、何曲、演奏をしたからといっても、出演者個人の演奏の技術が向上する分けではありません。

ましてや、初歩の室内楽・・というcurriculumは、一般的には存在しないので、(曲そのものがありませんから、曲決めのしようがない・・というか、或いは、指導のしようが無いのですよ。)

子供のためのPianotrioは、Julius Klengel先生のKindertrioという曲が数曲だけありますが、結構、難しいので、その中の2,3曲しか初歩の生徒達には使用出来ません。
だから、Klengelに入る前の、Beyerの後半からのPianotrio集を、私が「子供の歌変奏曲集」として、数曲を作りました。

同様に、弦楽Quartettやquintettoも作って子供達のrepertoryにしています。
(一般の簡単なarrangeのPianotrioや弦楽Quartettと勘違いをされて、注文が来る事があるので、実際の子供達の演奏や、楽譜の一部を紹介して、技術的にも、通常の音楽教室のlevelでは演奏出来ない事を説明しています。

あくまでも本格的なHaydnやMozartのPianotrioに入る前の技術練習のための曲なのですから、小学低学年生の子供達は弾けても、音大生が初見で弾くのは無理です。)

仮に、音楽大学に入学をして、真面目に勉強をして、卒業をしたとしても、弦楽器の生徒達ですら、orchestraで一回も演奏した事の無い音大生や、或いは、室内楽を1曲もやった事の無い弦楽器の生徒達が多いのだ・・と言っても信じられない人達の方が多いのでは無いでしょうかね??

だから、そう言った音楽教育の事をよく知っている人達は、教室の事を「世界の奇跡だ❢❢」と口にするのですよ。

しかし、一般の親達は、そう言った日本の音楽界の現状は知らないし、また、知ろうともしません。

例えば、子供の成績を上げる為に、有名塾に入れて勉強をさせる事が一般的なのですが、子供達は成績は上がったとしても、それで、勉強のproになる分けでは無いのです。
あくまでも、成績が上がった・・という事に過ぎないのですが、その意味を親達は理解しようとはしません。
成績を上げる・・という事は、その道の専門家を作る・・という意味では無いのですよ。
しかし、これからglobalstandardとして、必要とされる人材は、成績の優秀な生徒ではなくて、ひらめき力や創造力のある生徒達であって、知識の豊富な生徒ではないのですよ。

日本の音楽教育はもっと、悲惨な現状です。

明治時代の「音楽事始め」で、当時の日本人が考えた、富国強兵のEuropaに追いつけ、追い越せ・・の江戸時代の考え方のままに、100年以上も過ぎたこんにちでさえも、未だに見知らぬ間違えた音楽教育が、21世紀になったこんにちでさえも、未だ、音楽界を支配しているのだから・・・

てな事をウダウダと書いていたら、当然の如く、欝になってしまいました。
まあ、そんな事を考えていたら、欝になるのは、当たり前の話だろうよな??

本来的には、理想の音楽の教育に付いてのお話を書くつもりだったのですが、考えれば考える程、・・・、そういう事も含めて、欝が酷くなってしまいました。

・・という事と、今日のlessonのcurriculumも、今日指導する予定のcurriculumが遅れてしまっているので、私の千葉への移動は無しにして、lessonはweb-lessonでするつもりだったのだけど、それも無しにして、mailで手短にお説教をして、お茶を濁しました。

今日は一日中、ハイツの薄暗い、片付けられない部屋で、欝っぽく、引き篭もっている予定です。

雨は、お昼頃迄にはやんで、空は雲は多いのですが、一応、青空が出ていて、窓の下の公園では、子供達の遊ぶ声が結構うるさく聞こえて来ていたのですが、お昼過ぎ頃からまた雨が降ったり止んだりして、突然寒くなったりして、子供達も公園から居なくなってしまい、ハイツの周りも静かになってしまいました。

なんと、新宿御苑では、雹が降って、公園が氷で真っ白になったそうです。

江古田周りも、雨だけではなくて、結構冷えて来たり、普通になったりと、一日中乱高下しているようです。
部屋に閉じ籠もっているとますます、欝が増長されて来るようなので、ウダウダと書くのは、やめて、気分転換でもしようかと思ったのだけど、その気分転換が思い付かないのだよな??

今日は鬱々の曲を聴く気分でもないし、dramaやanimeもろくなものは無いし、•••なんて言いながら、ViolaのConcertoの楽譜を探している自分が居たりして、・・・困ってしまいます。
鬱の時くらいは鬱らしくうだうだと、おとなしくしていれば良いのにね〜ぇ??

戦後派は、何もしない・・と言う事が出来ないので、困ってしまうよな??

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4月17日『迷惑なMicrosoft Edgeの話』 ·

4月の17日の月曜日の朝の6時半を過ぎた所です。

Facebookや他のPageを立ち上げる度に、Microsoft EdgeのServiceの画面が表示されて、非常に迷惑だったので、立ち上がらないように設定をしたら、Facebookのaccountが全部、ぶっ飛んでしまいました。
(何故Microsoft Edgeを立ち上がらないように設定するだけで、Facebookのaccountが全部、ぶっ飛ぶのだ??理解に苦しむ❢❢)

Facebookのaccountが3つもあったし、mailのaddressを控えていなかったので、accountを探すのに、手間取ってしまいました。
立ち上げたFacebook毎のmail‐addressが、何処に、そのaccountのmail‐addressが表示されるのかが、分からなかったし、それを探すだけでも、結構な時間が掛かってしまったよ。
結構、手間取ってしまいました。
まあ、何とか、全部のaccountをmail‐addressに紐付けする事が出来ました。
まあ、ぶっ飛んだFacebookのaccountが完全に戻るまでには、小一時間は掛かったよな??


『膀胱癌の話』
明日の火曜日は、川崎の病院では「為す術はない」と言っていた抗癌治療の事前検査である全身のCTscanを順天堂大学病院練馬でやります。

実際の抗癌治療は5月の連休明けからになるので、それから、7月迄の6週間は、毎週、週1で通って治療を受けるので、結構、大変なrotationです。

これまでの経緯を思い起こすと、2018年の9月29日のcatastropheは、homepageがぶっ飛んだ大変なcatastropheだったのですが、それ以外にも、同じ年の同じ月に、血尿が出て、ビックリして、糖尿病で、通い始めたばかりの光が丘病院に行ってCTや膀胱鏡の検査を受けて、そこで膀胱の癌と腹部大動脈瘤が見つかります。

その時にCTで見つかった腹部大動脈瘤の手術に関して、光が丘病院と手術方法や、検査の問題で、結構、troubleになって、川崎の病院にsecond opinionで、転院をするのですが、その転院の次いでに、膀胱の手術も川崎の病院で12月の12日入院で13日に手術をしました。(73歳)

3年後の2021年(令和3年76歳)に、膀胱の再発が認められて、同年の6月8日に同じ川崎の病院に入院して、9日に手術で10日に退院と2回目の手術をしたのですが、次の2022年にも、再発をして、3月27日に手術(77歳)をしたのですが、それから更に、2022年の12月13日の検査で、再々、再発が見つかったのですが、川崎の病院からは、「手術が立て込んでいて手術の予定が組めない。」と言う事と、「泌尿器科が無くなってしまう」・・と言う事で、急遽、転院を勧告されて、思い付く病院が無くて、循環器内科に通っていた事のある順天堂大学病院に戻って来ました。

順天堂練馬の大学病院に行った経緯なのですが、最初は総合的な疲労や腰痛で、江古田教室の直ぐ側にある病院に生徒さんの関係で緊急入院して、その後、ずっと肥満と糖尿病予備群という事で、掛かり付けの病院という事で、その病院に通院していたのですが、私が長年病院の先生に言い続けていた冠動脈が、心電図で5年振りに引っかかって、その病院の紹介で日大光が丘病院に心臓のBypass手術で入院する事になります。
私が「心臓が・・」とか「冠動脈が・・」と、5年前から、病院の先生達にいつも言っていたのですが、「素人が何を言う・・」と言う感じで全く相手にして貰えなかったのですが、やっと、心電図に異常が見つかって、冠動脈が詰まっていたのですが、Diamond・drillでも歯が立たなくて、「5年前に来ていたら・・」と言われてしまったのですが、私は5年前から、「冠動脈が・・」と言っていたのですよ。

それでも、携帯のholderの心電図計を24時間身に付けていても、異常が見当たらなかったので、病院としては已む無し・・なのだそうですがね??
俺の言う事を聴いて、事前にcatheter検査をする・・という事はrisk的には、危険な検査なので、有り得ないのだそうですよ。
まあ、しゃあないのかね~ぇ??

しかし、日大光が丘病院では、3本ある冠動脈の1本しか助けられない・・と言う事で、手術が成功したとしても、寝た切りになってしまう・・という事なので、second opinionで大和成和病院で3本とも助ける事が出来る名医に切って貰いました。
Bypassが日大光が丘では1本なのに対して、大和成和では4本をBypassしました。
つまり、冠動脈の3本とも活きたのですよ。
これは技術の差なのだけど・・今はその手術はもう古いのだそうです。

その後、通院を片道、小一時間程掛かって5年程、大和成和に通院していたのですが、薬を出すだけなので、近所の病院でも良い・・という事で、順天堂に紹介状を書いて貰いました。

しかし、主治医の先生が、結構、ドクハラの先生で、「BypassのStentの寿命は5年しか無い」「もはやこれ以上、Stentを切る事は出来ない」とかで、私が「それならば、どういう解決法があるのか??」と尋ねても、「解決策は無い」と言って、解決策の無い事に関して、脅かすので、診察が終わると一週間程も欝になってしまうので、ついに、病院を逃げ出して、近所の循環器内科の先生の所で10年近くお世話になる事になりました。

そのドクハラ先生が、唯一、言っている事は肥満に対して「痩せろ❢」という事だけで、「痩せろ❢」と言われて痩せる事が出来れば、苦労は無いのだよな??
その肥満のために、多くの病院にも診て貰って来たのだけど、「食事制限だけで痩せる」・・と思っている医者が多くて困ってしまうのだよな??
医者の言う事には「食わなければ痩せる❢❢」なのだそうなのだよ。
そんなに、簡単に痩せる事が出来れば、肥満の問題は80%、90%は解決だよな??
ノーベル賞だって取れるンじゃあないの??

私の経験値では「食わなきゃ、痩せる」と言う事は有り得ないのだよ❢

当時のhomepage等にも書いているのだけれど、人間、33歳の壁を過ぎると、人は生理学的に、基本的には生殖年齢を越すので、余生の年齢になるのだよ。
だから、体の内臓という内蔵の働きが低下して、食べても、食料をEnergieに変える能力が無くなってしまっているのだよな。

そして、力として消費されなかった余分なEnergieを、もしもの時の為に、肉に変えて貯蓄をしようとするのだ。
それで、食事制限をして食事の量を減らすと、痩せるのでは無くて、生存に必要なcalorieの量を減らして行くのだよ。

つまり、成人男性の必要calorieが1600㌔㌍から1300㌔㌍、次には1000㌔㌍と体力を減らして、動けなくして行くのだよ。
基礎体力の消費量の700キロカロリーに近づいて行くのだよな〜❢

それに、運動をしても、筋力や消費㌍が減って行くので、最終的には体の負担になってしまって、だんだん大元の体自体が、疲弊してしまうのだよ。

しかし、2020年頃になってからは、免疫療法が社会的にも認められて、一般的になって来た。

科学技術が、免疫という得体の知れないもの•••としてではなくて、社会的にも免疫の存在が認められて、企業等でも、免疫に対しての、効率の良い免疫を高める方法を確立して来たのだよ。

とは言っても、医者は未だに体の免疫で、肥満が解消出来るとは、認めてはいないのだが、私の主張と同じ考え方のサプリが売られるようになって来たので、早速、(22年の夏から)、買い求めて、私なりに、試して見たのだが、それまでは、ありとあらゆるdietのサプリを買い求めて、試して、何の効果も無かったのに、今回は、ちゃんと、痩せ始めているのだよ。

尤も、サプリ自体には「痩せる」とは何処にも書いていないのだが、内蔵を少しだけ健康にして、取り過ぎた糖分をEnergieに変える・・とだけ書いてあるサプリなのだが、何の食事制限もしないで、(と言うか、今まで出来る限りの食事制限をしていたのだが、それでも痩せなかったのに・・・)今回は確実に痩せ始めているのだよ。
サプリの考え方が私の考え方の理想的なサプリに近づいて来たのだよな。
サプリで、或る程度痩せる事が出来たら、今度は運動をする事が出来るようになるので、痩せる量や質は、倍増して行くのだよ。

・・・と言う事で、ドクハラの大学病院から、巷の病院に転院したのだが、しかし、良くも悪くも無い、その巷の病院では、その間、糖尿病が悪化しても、何一つ、その薬に対しての、対応が全く成されていなかったので、薬局の先生の勧めで、練馬区で、糖尿病の名医と言われる先生の居る光が丘病院に転院をしました。

勿論、糖尿病の数値と薬の関係で、転院を勧められただけで、先生を紹介して貰った分けではありませんよ。
(光が丘病院なのですが、同じ場所の同じ名前なのですが、練馬光が丘病院で、日大は撤退したので、紛らわしいのですが、別の病院になります。)

それが2018年の9月のcatastropheに繋がります。

・・という事で1月の11日に順天堂大学練馬病院に転院をして、「手術が立て込んでいるから」・・と言う事で、3月の6日入院、7日手術、11日退院という運びになりました。
川崎だけではなくて、順天堂でも手術が立て込んでいたのですよ。
紛らわしいよね??(ああ、勿論、コロナの所為もあるのだよ。
当然の事ながら・・だが・・)

という事で、順天堂では始めての手術なのですが、膀胱癌の手術としては、4回目の手術になります。

手術が終わってから、順天堂では、川崎では「為す術がない」・・と言われた抗癌治療を始める事になったので、明日は、その事前検査となる全身のCTscanに行って来ます。

同じ話の繰り返しになりますが、抗癌治療は5月の連休明けからの6週間になります。



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4月18日『全身のCTscan検査当日の記』 ·


今日は4月18日の火曜日の朝の7時を過ぎた所です。
今日は全身のCTscanの日なので、10時過ぎからは絶食になります。
お茶等の飲み物は構わないけれど、骨盤を広げるために、排尿を控えるように・・との指示が出ています。
私的には、出発の時間ギリギリまで、眠っていたかったのですが、toilette-timeで起き出して、再びbedに戻ったら、強烈な「鼻詰り」で、息が出来無くなってしまったので、しかたなく、bedから起き出して、色々と、朝のroutine作業を済ませている所なのです。

9時になったのですが、やはり睡眠時間が足りないので、腰が痛かったり、体調が芳しくなかったり・・と、問題があるようなので、起きる時間をギリギリ迄ズラして、timelimitの11時にして、bedで仮眠をする事にしました。
2時間程の時間が作れるからです。
それで、頑張って、寝て見たのだけど、なかなか眠れないのだよな~ぁ??
何度も夢を見て、直ぐに目が覚めてしまうのだよ。

とうとう、諦めて11時前に起き出して、11時には下準備が終わってしまった。
ハイツを出発するのは、11時45分なので、未だ少し時間があるのだが・・

予定の時間通りに出発をして、予定の電車に乗って、予定の時間に練馬高野台の駅に到着したのだけど、やはり、同じように、病院迄の道のりが青息吐息になってしまった。
病院の入口の前で、周りの道を観察したら、なんと駅から病院迄の道が、かなり急勾配の道であった事に気がついた。勿論、これまでも登り道である事は知っていたのだが、これ程迄の急勾配とは思わなかったのだよな〜ぁ❢

今日の予定の指示に従って、一階のCTの受付に行って、暫し並んでいたのだが、自分の番になったら、2階の受付で受付の番号を貰って来るように言われてしまった。
そういった指示が何処に書いてあるのかを書類を探して見たのだが、3枚目の紙の細かい説明書の中に、受付を済ませてから•••という文言を発見した。
そりゃあ、無理だよな〜ぁ??

定形で、あたりまえと思われる事でも、こちとらはこの病院に慣れている分けではないのだから、書いてある指示に従って動くだけなのだから、やはり、ちゃんと書いて貰わないと困るのだよ❢

CTの検査はほんの一瞬で終わった。
実際の検査の時間は3分程度かいな??
勿論、検査結果の報告や説明は無い。

それに、次の診察は抗癌治療の後になるので、説明は、7月に入ってからになるのだろうよな?
大学病院という所は、そういう所なのだよな??

病院を後にして、いつもの如くに、喫茶店で少し休んでから、電車で江古田迄戻ったのだが、駅を反対側に降りて、携帯電話のお店を見てまわった❢
本当は、色々と質問をしたかったのだが、安売りのお店は混んでいたので、無理だった。

ハイツ迄の道のりは、結構Overworkで歩くのが、限界であった❢



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4月19日『ゴキ族との果てしなき戦い』 ·


4月19日水曜日の朝の4時半になります。
昔のほろ苦い夢を見て、目が覚めてしまいました。
(ほろ苦い•••とかいうと甘い夢のように思われてしまうかも知れませんが、実際には仕事関係の現実的なつまらない夢なのです。)
勿論、目が覚めた理由はtoilet-timeなのではありますがねぇ・・。

それから、toiletから戻ると、朝の鼻詰まりが起きて、息が出来なくなってしまったので、Bedに戻るには戻ったのですが、そのまま眠る事を諦めて、起き出す準備中なのです。
(なんとか・・息が出来ないか、布団の中で格闘中なのです。)

朝に目が覚めて、30分程経ってしまいました。
布団から起き出して、椅子に座る間も無く、シンクの中に発生したゴキブリの子供(超小さなゴキ族の生き物)に中性洗剤を水鉄砲のように、狙って噴き掛けている所です。
下手なゴキブリのsprayよりも、効果的だし、周りは食べ終わったお弁当の入れ物類が散乱しているので、殺虫sprayは使えません。
勿論、お弁当の入れ物類には、ゴキ族が食べないように、洗剤を撒いているので、お弁当の入れ物に、ゴキ族が寄って来る事は無いのですが、それでも、シンクの付近には超小さなゴキ族が徘徊して、朝の散歩と洒落込んでいるのです。

朝の5時15分のSunriseです。

今日はお久し振りの晴天のようですが、非常に薄く雲があるのかな??
春霞のような天気です。

それにしても、シンクの周りには、あまり居ないと思ったゴキ族が、食べ物は無いハズの机の上や、足元に居て、超、Shockを受けてしまいました。
机の上のゴキの超小さな物体(The Thing)はtissuepaperで、絨毯の上の壮年のゴキは、ゴキのsprayで処分しました。

突然、雨が上がって、今日は突然の夏日らしいので、突然のゴキ族の大量発生です。
2,3日前から、だんだんと見受けられるようになって来たのだよな??

ゴキブリ館になるのだけは、嫌だよな??
困った❢❢ 
困った❢❢


『Le Quattro StagioniのL’Estateのお話』
お昼を過ぎて、1時半になった所なのですが、午前中はゴキのお話しかしなかったので、反省を兼ねて、朝は和声学とVivaldiのLe Quattro StagioniからL'estate(夏)のお話をします。

Vivaldiの「夏」は近々では2017年の11月の19日が自治会館での公開演奏で、23日が八千代市生涯学習プラザ主催のコンサートで、「夏」を小学生達が、「秋」は大学生のお姉さん達で、演奏しました。
そのいずれもperiod‐styleでの演奏でしたが、特にL'estateは、それまでのinterpretationを捨てて、scoreに付けられているSo-netを忠実に再現して、より絵画的に表現しようと思ったのですが、いつものように、本番だけの参加者が多いので、指揮に付いて来る練習が出来ていないので、絵画的な表現とは言えない折衷的な不本意な表現に終わってしまいました。

VivaldiのLe Quattro Stagioniは、色々な演奏団体が演奏している非常に多くの演奏がある曲なのですが、残念ながら、periodの演奏は非常に少ない・・という事も事実です。

今日は、You Tubeでperiodで演奏をする演奏団体のL’Estateを探してみたのですが、偶然、私のinterpretationと非常に近い演奏をする団体を見つけました。

日本人の男性がsoloを演奏していたのですが、orchestraの演奏は兎も角としても、soloの即興演奏は少し行き過ぎていて、overなeccentricな表現になってしまっていたのは残念です。
即興の為の即興になってしまっていて、Vivaldiの意図から外れてしまっているのには、私的には「???」という、感じでしたがね??


『芦塚先生の和声学入門講座のお話』
次に、和声学のお話なのですが、私が使用していた和声学の教科書なのですが、そのテキストは、私が音楽大学を受験する時に師事をしていた石黒先生が全音楽譜出版社から出版していた和声学の本なのですが、今は廃版になっていて、メルカリ等でも手に入れる事が難しくなってしまっているので、「和声学を勉強したい」・・という希望の生徒さん達に本を購入させる事が難しくなって来ました。

また、本それ自体の問題点なのですが、出題されている問題はPringsheim先生が作った課題なので、課題的には問題は無いのですが、和声学の説明の文章が難解で、和声学に挑戦した人達のneckになってしまっているようです。

私が和声学を指導する場合には、難解な文章を読ませる事はあまり無くて、直接、私が課題の解説、説明してしまうので、これまで、文章を読み解く問題は無かったのですが、教室でのオケ練習と楽典の授業では、先生達が和声学を解説をする事が難しいので、子供の為の和声学入門という冊子を作って、そのTextを使用しているので、和声学の本を購入して読み解く・・という問題はこれまで、起きませんでした。

と言う事で、前回は、石黒先生の和声学の本の課題に入る迄の、和声学で用いる用語の説明の部分を、私がvideoで説明をする為のvideoを撮影したのですが、前置きが長すぎて、聞くに堪えないので、uploadした和声学のvideoをYou Tubeから削除して、前置きの部分をcutしたversionを作りました。

修正されたvideoを見ていたら、whiteboardに私が譜例を書いている時間に、私がwhiteboardに重なって、譜例が全く見えないし、書いている時間も無駄なので、譜例を全てfinaleで入力して、CyberLinkに取り込んで、アテレコで、手短に説明をした7分程度のvideoを、今日、作ったので、そのvideoをuploadします。


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4月21日『RolandのDP603でのdirect録音』 ·


今は4月21日の金曜日の朝の11時半を過ぎた所です。

勿論、朝は定時の4時半過ぎに起きたのですが、疲れが取れていなくて、二度寝、三度寝をしたのですが、それでも疲れが取れなくて、困ってしまいました。
・・・と言うか、感触的には今年に入って、毎日、「疲れた❢」を連発しているような気がしています。
・・・と思っていたら、テレビで今日は真夏日の31℃越えで、埼玉県では、8名の熱中症患者が救急搬送されたそうで、4月中の熱中症の救急搬送は、病院、始まって以来の事だそうです。

今日は超暑かったのに、明日は寒くなるとか言っています。
どうやら、体調不良は私だけの話しではないようで、60代以上の年齢の人達にとっては、皆さん、同じ様に天気に振り回されているらしいです❢

昨日は、ハイツのPianoであるRolandの電子PianoのDP603で、direct録音を試みました。(写真1)
direct録音とは、録音機を使用しないで、電子pianoに内蔵している録音のmemorieに録音をするという意味です。
解説書を読みながら、何度も録音にchallengeしたのですが、上手く行きませんでした。

・・と言うか、録音は出来ているハズなのに、USBにdubbingする事が出来なかったのですよ。

和声学の本もそうですが、こういった解説書は、読んだ通りにやっても、それで出来る事は殆ど無いですよね~ぇ??

「もう少し、簡単に説明しているsiteは無いのか??」「或いは、You Tube等で、録音に関しての説明は無いのか??」・・と以前からnetで探しているのですが、未だに見つからないので、この難解で理解不能な取説に頼っているのですよ。

直接、USBにdubbingするdirect‐modeは諦めて、Function‐modeを立ち上げて、そこから、Take‐oneからTake‐four迄の音源をUSBに保存をし直して、やっと、パソコンに持って来る事が出来たのですが、このdataがmidiのdataだったので、今度は、それをパソコン上で、音声のdataに変換する事が出来ませんでした。

・・と言うのは、今まで使用していた音色dataの変換用のsoftが無料使用の期限切れで、使用出来なくて、使えるsoftが他に無かったからです。
・・という事なので、已む無く、そのsoftをパソコンから削除して、もう一度、installし直しました。

それからやっとこ、midi‐fileを音声のdataに変換したのですが、まあ、その変換の速度が遅くて、時間の掛かる事・・❢❢❢

また、RolandのDP603のUSBを接続する位置、その他の機器を接続する位置がPianoの鍵盤の真下なので、接続する穴が見えないし、USBがPianoの裏板に引っ掛かるので、とても、差し込み難く、使い手が悪くて、只単にUSBを差し込むだけなのに、非常に時間と労力が掛かってしまいます。

もうチョッと、配慮が欲しかったよな??(2枚目の写真)

音色的にはとても良いし、touchの精度やpedaling等の精度も非常に良くて、安いgrand‐Pianoでは太刀打ちが出来ないぐらいの、性能で、pipeorganやCembaloの音が出せるので、Bach等の複音楽を練習するのにはとても良いので、非常にお薦めの機種なのです。

新しい電子Pianoで、驚くべき事・・というか、特筆すべき事は、鍵盤の重さを調整出来る事です。

一般的に電子Pianoは、鍵盤が軽る過ぎるので、Concerto‐grandの重さに対応出来ていませんでしたが、結構、普通のPiano並みに鍵盤を重くする事が出来て、とても満足なのです。

但し、私的には、fullConcerto‐grand並みに、「もう少し重く調整出来ても良かったかな??」と思いましたが・・

以前、使用していたCASIOのpriviaが壊れて、基盤交換だけで、簡単に修理が出来たハズなのですが、「保守期間が終了した」という事で、「基盤が無い」・・と言う事で、基盤交換をして貰えなくて、諦めて処分しなければならなかったのは、残念でありません。

中古の基盤も、netで探して見たのですが、流石にありませんでした。

・・という事で、このRolandのDP603という機種は、cost‐performance的にも、お買い得の機種なのですが、(性能的には、この機種のもう一つ、上位機種がもっと性能が良くて、だいぶ、悩んだのですが、高さがこのDP603の高さよりも、50㌢ぐらい高くなるので、窓辺に置くと、視界を非常に妨げてしまう事になるので、日常生活の方を優先して、安い方の機種にしました。)
利便性の方が、電子Pianoの性能よりも、優先する・・という事です。

本当ならば、私のgrandpianoを部屋に置きたかったのですが、このMansionは、古い住居用のMansionなので、音出しは基本的に禁止(とは書いては無いのだけど・・)なので、grandpianoを置く事は断念しました。その代わりに、深夜でも音を出す事が出来る電子Pianoが2台置いてあります。他に純正調を出すKeyboardや、超小型のKeyboardもあります。

生音ならば、当然、Concerto‐Cembaloがあるので、録音にも対応していますが、そこまでの、時間的な対応が出来ません。
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4月22日『Viola Concerto in the Style of Händel in B Minor By Henri Casadesusのtransposeについて』 ·


今は4月22日の土曜日の午前の11時半です。

「曲決め」「曲渡し」から、もう一週間が経ちましたが、未だ、曲が決まっていない生徒達がいます。

・・とは言っても、曲の選曲自体は終わっていて、後は二択を本人が決める所迄は、終わっています。

昨晩は、本人達の希望を斉藤先生が確認して来てくれたので、ドル・プリっ歩をしながら、私が曲決めの最終確認をしました。
最終確認とは、明日の日曜日は練習開始日なので、それまでには、譜面を渡しておかなければならないからです。

私としては、安全策を考えていたのですが、生徒達は冒険も有りのようで、「待った・・としても、何時出来るか分からないならば、今やっても・・」と言う事らしいので、それも尤もなので、その意見を尊重する事にします。

・・という事で、朝は6時半に起き出して、HändelのViola Concerto in hのHenri Casadesus版の管のpartを、教室用に2本のRecorderに書き直しました。
管楽器をKeyboardで演奏するのは、やはり、見栄えが良く無いからです。

音的にも本来の楽器の方が楽器自体が違っていても、綺麗に聴こえるからです。

Henri Casadesus版は、以前も、J・C・BachのViola Concertoの時に、その問題点を色々と書きましたが、弦楽orchestra用の曲を無理やりに管を含むorchestraに近現代のarrangementの技術で、手直しをしているのですが、前回のJ・C・Bachは、arrangeの技術が貧弱で、管のpartが殆ど活かされていなかったので、結構、originalのままの響きがしました。

・・という事で、Casadesus版ではなくて、orchestraのpartは、originalのCello‐Concertoのscoreを用いて、演奏しました。


今回、演奏予定のHändelの曲の場合にも、Ⅰ楽章とⅢ楽章はflute2本にbasson2本の2管編成なのですが、2楽章は、基本的にはflute1本だけですが、管楽器の人達をCharterする予定も無いし、予算も無いのと、それに加えて、生徒達の勉強にもならないので、生徒達が演奏可能なRecorder、2本にarrangeをしてみました。

まあ、そのまま、Recorderを4本で作れば、楽器編成的には問題は無いのですが、なにせ、今、現在は、少子化とコロナの所為で、教室の生徒数が激減してしまったので、orchestraが一人ずつ演奏したとしても(所謂、Quartettとして、でも)と演奏する人数が足りないので、管の為に、オケの限られた人数を割く分けには行かないので、必要最低限としてRecorderのaltoとBaßの2本だけにしました。

しかしながら、まあ、alto‐Recorderにしても、Baß‐Recorderにしても、音域がfluteやfagottoに比べて、超、狭いので、Casadesusのarrangeをそのまま、Recorderにtransposeする分けには行きません。

それに、Casadesusのarrangeをした管楽器の音も、少し変なので、あまり和声的に酷い所や、音の響きが貧弱な箇所は、Casadesus版に頼らないで、その都度、変更しています。
勿論、originalの曲ならば、そういった変更は基本的にはしないのですが、arrangementであるならば、originalではないので、変更しても、良心は咎められないのでね??

昨晩、scoreを赤入れの書き込み用にcopyして貰って、今日は、朝から、管楽器の部分のtransposeの作業を始めたのですが、まあ、管楽器のpartだけなので、大した量では無いので、3時間程度で、全楽章を、書き直す事が出来ました。

orthodoxな演奏では18分以上掛かるようなのですが、私の演奏時間では、14分40秒ぐらいの演奏時間を予定しています。

勿論、教室の発表会としては、新曲になります。

このHändelのViola Concertoは、和声法や作曲法の関係でbaroque音楽ではなくて、擬古典というgenreの曲になります。

だとしても、「『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesus』と呼ぶのは如何なものか??」という疑問は残ってしまいますが・・ね??


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4月22日『Lebenslauf』 ·


『産まれ変わり』
産まれ変わりと言っても、reincarnationのお話ではありません。

人は産まれついた時から、或る程度の自身の性格が身に付いていて、その性格が気に要らなくて、悩まされる事がよくありますが、私の場合にも、「変えられたら良いのに・・??」という自分の性格が、小さな子供の頃からありました。
普通では、自分自身の性格を変える事は不可能とされているようですよね?

中学生になったばかりの頃の私は、二つの事に気を付けると、自分自身の性格を変える事が出来る、という事を気が付きました。
その一つは、人が自分自身の性格を変える事が出来ない原因は、その自分が許せない性格を変えようとするからなのだ、と気が付きました。
つまり、いつでも、簡単に変える事が出来るチョッとした事を変える事が出来れば、その積み重ねをする事で、自分自身の嫌な性格を簡単に変える事が出来ると気が付いたのです。

それともう一つの方法は、他人を利用する事でした。
私の場合には、小さな子供の頃から、祖母の家と母親の家への転居が多かったので、転校する度に、「誰も知らない私になれる」・・という利点を活かして、結構、自分が望む自分を演出する事で、私自身の性格を変えて行く事が出来たのですよ。
勿論、最初の(小学生の)頃は無意識に自分を演出していたとは思うのですがね??

中学生の時には、「変えなければならない」・・という意識を持って、自分を演出していました。
「産まれ変わり」という言葉は、そういったtimingを利用して、自分を作って行ったお話です。
人生の色々な時期に、「誰も昔の自分を知らない」というtimingを利用して、望むような自分を演出していました。

その最初のお話が、私が未だ、小学生の4年生の頃のお話になります・・・
私が小学校に入学して、登校拒否になるまでの小学低学年から中学年に至る迄の私のあだ名は、『西洋人』というあだ名でした。

『西洋人』
西洋人のお話と言っても、本当の西洋人のお話ではありません。
西洋人という言葉は、それは子供の頃、所謂、小学校に通い始めた頃の私のあだ名なのです。
私が子供の頃は、日本には未だ西洋人は居なくて、america人の駐留軍が居たのです。

私の場合には、父親が原爆で大学病院で爆死したので、片親家庭という事情で、母親の働いている長崎の町と祖母の居る田舎を転々と行き来していました。
つまり、幼稚園時代は田舎のお寺の経営をする幼稚園に入っていたのですが、小学校の低学年生の頃は長崎の町の小学校に通っていました。

その頃のお話なのですが、私は産まれた時から、結構ひ弱な子供で、腺病質体質の子供だったので、そのために、肌の色が真っ白で、あだ名が「西洋人」だったのですよ。

つまり、今の女の子達のように、肌が雪のように真っ白い、snow white(Schneewittchen)という意味の褒め言葉・・という意味ではなくて、虚弱体質の私に対しての単なる「虐め」の言葉だったのですよ。

・・だからと言っても、そう言われたから・・と言っても、それで不登校になるような弱々しげな子供ではなかったし、ましてや、「虐め」という言葉さえも無かった時代なので、その内に、そういうあだ名を言う子供達も居なくなってしまいました。

私が子供の頃は、未だ女性が働く事は非常に難しい時代だったのですが、母親は運良く、戦勝国であるAmericaの進駐軍のABCC(原爆被害者調査委員会)に務める事が出来たのですが、結構、重労働だったので、朝の7時頃には家を出て、残業が多くて、家に帰って来るのは夜の9時頃でした。

だから、子供の頃の一日の時間は、殆どが親の居ない一日だったので、時折、寂しくなってしまうと、祖母の居る田舎の家に逃げ出していたのですよ。

•••という事でなんとなく、「兄貴が長崎に居る時には、私が田舎に居て、私が長崎に居る時には兄貴が田舎に居る」・・という、不思議な兄弟のrotationが成り立っていました。


『山学校』
しかし、田舎の学校は、祖母が一日家に居て、いつでも甘えていられる反面、小学校の子供達は都会の子供達とは違って、粗野で、共通話題にも乏しくて、友達も出来ずに、勉強も全くしなかったので、授業も面白くもなくて、とうとう、不登校になってしまって、山学校に毎日通うようになってしまいました。

カバンを持って元気一杯に田舎の家を出掛けると家の裏手にカバンを投げ捨てて、裏の山に登って、遠くの方に見える私の家に向かって、思いっ切り、スペルマコア(縦笛)の歌口だけにした呼子を吹くと、それを聴きつけた二匹の犬が勢いよく遠くの麦畑の中を海の中を掻き分けるように、一目散に畑の中を掻き分けて、崖を駆け上って私の方に走って来ます。

私の忠実なポインターとコリーの二匹の雑種の犬です。
犬達のお供を従えて、山の中をあてもなく冒険します。

山の中では、見た事も無い不思議な生き物に溢れていて、毎日を山の中をさすらい歩いても、それで飽きる事はありませんでした。
そしてやがて、夕方の鐘の音が遠くから聞こえて来たら、犬達に、「おい❢帰るぞ❢❢」と言います。(当時は腕時計をしている子供なんて、一人もいなかった時代です。市役所の鳴らす夕べの鐘の音が唯一の時刻を知る術なのですよ。)

そうすると、二匹の犬はパッと踵を返して、深い深い森の中を、迷う事もなく、一目散に家の方に、向かって先導してくれるのです。
やがて、薄暗くなった頃に、実家の家に辿り着くのですが、祖母は一度も、学校に行かなかった事や、山の中を彷徨い歩いた事に対して、私を怒った事も、諌めた事もありません。
まあ、不登校の私に対しては、それは母親も同様です。

小学生の頃には、算数で、一度だけ0点を取った事がありますが、それでも、祖母は別に気にもしていませんでしたし、その事についてなにか言われた事もありません。
一見すると今の時代のneglectのように思われるかも知れませんが、決定的な違いがあります。
それは子供に対しての信頼です。
信頼があれば、子供は非行には走らないのですよ。

学力は、本人のやる気の問題なのだそうです。
そもそも、学者の家系なのだから、学力を問題にする事はありませんでした。

それに、祖母は16歳の時から、女学校で年上の生徒達の教鞭を取っていたproの教育者であり、政治家の妻でもあって、長崎では結構な名士でもあったのです。
ですから、断固とした教育理論を持っていたようです。
祖母には県知事さん達も頭が上がらないようで、年老いた祖母が叔母の所に居候になっていた時に、時の知事さんがお見舞いに来て、祖母が眠っていたので、廊下のドアの前で正座をして起きるのを待っている姿を見た時には、チョッとShockでした。
なにせ、私には、何でも言う事を聴いてくれる唯のおばあちゃんだったので・・・


小学生の頃は、食べ物が不足しがちだったので、祖母がヤギを買ってくれて、毎日ヤギの乳で栄養を取りました。
それに鶏小屋を二棟立ててくれて、鶏がそこに沢山いて、毎日、卵を取るのも私達の日課でした。

しかし、小学4年生の頃からは、卵の食べ過ぎで卵allergyになってしまいました。
中学2年生になって、都会に住むようになったので、毎日、卵を食べて、卵allergyを直してしまいました。

高校生の頃はBeer・allergyだったのですが、大学生になった頃には毎日のように、日本酒やBeerを飲んで、飲んだくれていたので、Beer・allergyも自然に治ってしまいました。アハッ!

それはそうと、この小学生の頃の不登校の山学校は、私に壮健な体を提供してくれました。
小学6年生になった頃には、足腰もしっかりして来て、小学1年生の男の子を背負って、1000㍍以上の高山を下駄履きで登るぐらいの体力が付いていました。

この無駄な時代が無かったら・・、腺病質のままで、大人になっていたら、・・・今生きて行けるだけの体力は無かったと思います。
人生に無駄な事なんて、無いのだよな~ぁ??


『優等生』
・・という事で、田舎には中学一年生迄いましたが、流石に、そのままの、山学校では、自分の将来の事が心配になって来て、都会である長崎の母親の所に引っ越す事にしました。
一つには、私は、周りの環境が変わると、私の事を知っている人達が全く居ない事を利用して、私の性格を変貌させる事にしたのです。

長崎の中学校に入学してからは、先生達が私の事を誰も知らない事を良い事にして、勉強熱心な優等生キャラを演じました。
先生達は、全員私の演技を信じて、「何故、あなたのようなtypeの人が、成績が悪かったのだろうか??」と先生達皆が不思議がっていました。

当時は小学生の数が多くて、1学年が600人ぐらいの生徒数だったのですが、その中で10番内に入ると廊下に名前が張り出されたのですが、私の名前が廊下に張り出されるようになる迄には、ひと月も掛かりませんでした。

母親が、私の名前を廊下で見て、「何を悪い事をしたのだろうか??」と思ったそうです。
まさか、山学校で不登校の私が、ひと月もしない内に、600人中で、成績topの10番以内・・とは周りの人達は、思わなかったのですよね??
中学校の残りの2年間は優等生で通しました。アハッ!

私の場合には、片親なので、私立の高校に行く事は、経済的に不可能なので、競争率が14倍の県立の高校に行く他はありませんでした。
その高校へは、殆どの生徒達が付属中学校からの生徒達で一般の中学校から入学出来る生徒は、1学校、1,2名程度・・と、数える程もいなかったのですよ。

当然、巷の近所の中学校に過ぎない学校に行っている私が、競争率14倍の高校に入る事は不可能だったハズなのですが、偶然の話なのですが、県の教育委員会の教育委員長である先生が、県の教育の有り様に業を煮やして、突然、教育委員長という立場を捨てて、巷の中学校の校長に天下って来て、当時としては有り得ない、飛んでもない教育改革を実践しました。

先ずは、学校の時間を告げるベルを廃止しました。

次には授業なのですが、その授業は、先生が各教室に居て、その教科を指導するので、生徒は自分が学びたい教科の教室に行って、授業を受ければ良い・・という不思議な授業styleだったのです。

「・・という事は、授業を受ける必要の無い生徒達は、校庭で遊んでいても良い」・・という事だよな??・・と、私を含む悪童達は悪巧みを考えて、授業中にも関わらず、校庭でボール遊びをしていました。

ちょうど、そこに数学の授業を担当している校長が通り掛かって、遊んでいる生徒達の顔を一人ひとりcheckして、「ふ~ん??」と、何も言わずに、授業に行ってしまいました。
まあ、全員が、top10の生徒達だったからです。

それにしても、一人ひとりの顔と成績を全員分、把握している・・と言う事だよね??それも凄いよね??

たった1年で、私達の巷の学校は、日本中に知られる学校になって、新聞にも取り上げられるようになってしまいました。

という事で、校長先生は文部省から、国の教育の研究所を作られて、そこの所長になってしまいました。
「子供達と触れ合えないので、寂しい」・・と、悩んでいたそうです。
本当に教育が好きだったのだよね??

・・という事で、巷のぼんくら学校に入学したハズだった私でも、競争率14倍の高校に入学する事が出来ました。
その高校で医者になる道を歩むハズだった私は、しかし、そこで私のdrop-outが始まります。
つまり、音楽の道へと、足を踏み外すのです。


『drop-out』
drop-outの一番目の原因は、Nieren‐Tuberculosis(腎臓結核)です。

大学病院の立て続けの医療missで、1年間の入院を余儀なくされて、しかも、摘出しなくても良かった腎臓を摘出されて、腎臓結果から、広がった膀胱の腫瘍を手術治療する為に、退院した後でも・・、つまり、音楽大学に入学した後でも、毎年、夏休みには、大学病院で、電気メスに拠る手術を何回となく繰り返さなければなりませんでした。

また、最悪な事に、高校の時の1年間の休学で1年分を落第をしたのですが、その間に、全ての教科のcurriculumが変更になって、受験ですら、現役の生徒と浪人生の試験を変えて試験をする・・というdouble standardの試験をするという状況になってしまっていて、curriculumが変わった事に寄って、完全に授業内容が分からなくなってしまって、授業からは落ちこぼれてしまいました。

私が1年間の休学と、持病持ちになったので、親戚一同も、私が医者になるという夢を諦めてくれて、自分で学費を出して勝手に大学に行くのならば、音楽でも何でも自分の好きにすれば良い・・との許可が出たので、迷わず、音楽の道に進む事に決めて、高校の授業が終わった後では、家では音楽の勉強に専念する事にしました。

という事で、先ずは教科書を学校に置きっ放しにする事にしました。
教科書は、卒業の時迄、新品のままだったので、高く売れました。

家では音楽の勉強以外は全くやらないので、(当然、宿題なんてやった事はありませんが・・先生達も音大を目標にしている・・という事が分かっていたので、それで文句を言う先生は一人もいませんでした、・・かな?? ・・か・・な?? 
否、担任の先生の尽力の賜物です。
感謝、感謝❢❢

とは言っても、普段の日常的な試験で、合格点を取らないと、落第有りの高校だったので、それなりに、試験の点数も合格lineギリギリを確保しなければなりませんでした。

という事で、周りの優秀な生徒達に試験で出る箇所を教えて貰って、結果、結構、良い成績を取ったのですが、その生徒よりも良い成績だったので、次からは教えて貰えませんでした。

そこで、しかたなく、長崎大学の教育学部のある町に行って、教育学部の前の本屋で、若い先生達の卵達のアンチョコを買って来て、出題される問題を予め勉強して起いて、試験に臨みました。
だから、一度も勉強をしないのに、落第はしないままに無事卒業出来ました。
最低点でも基準の点数を取って、卒業出来れば良いのだよ。
劣等生の勉強法です。アハッ!


『特待生』
音楽大学に受験する時に、先ず考えた事は、音楽を子供の時から専門的に勉強して来た人達とは、当然、10年以上のlevel差が付いていると思われるので、私としては、Pianoのlevelがそんなに高くはなくても良い(と思われた・・??)作曲科を選択しました。

受験前の私の知識としては、まさか、作曲科のPianoの試験がPiano科と一緒の会場とは思わないよね??確かに、出題されている課題曲は、Piano科の課題よりは、少しは易しいけれどね~ぇ??
私が音楽大学を受験迄の猶予期間は、1年程しかありませんでした。
大学に入学出来ない場合に、浪人をするという選択肢は一切無かったからです。

私の養父である母親の再婚相手は、当然、医学に進んで彼の病院を継いでくれるのならば、経済的援助はするし、裏金さえも出す事は惜しまない。
けれど、医者以外の道に進むのならば、一切の経済援助はしない・・という条件でした。
まあ、Stiefvater(養父)なので、血が継っていないので、当たり前の話なのですがね??

という事で、音楽の理論の勉強の他に、1年でChopinのEtude迄、辿り着かなければなりませんでした。
ひと月半でBeyerの教則本を終わらせて、Czerny教則本を30番、40番、50番とクソ真面目に終わらせて、なんとか、ChopinのEtudeにギリギリ辿り着きました。
とは言っても、真面目に全曲制覇したのは30番だけで、後は、40番と50番は抜粋でしたがね??

12月以降の学校の授業が受験の為に無くなってからは、毎日、12時間の練習をしました。
食事もしなくて、toiletteにも行かなくて、その時間さえも惜しんで、scaleやBach、Etudeや曲をそれぞれ2時間、3時間ずつです。

今にして思うと、日本流の無駄な練習の権化なのですが、但し、「自分にはそこまでの努力は出来るのだ❢❢」という自信には繋がったようです。

日本の音大に入学出来て、音楽大学に始めて登校した時に、その大学の異様さに驚いてしまいました。

学校に入った途端に、噎せ返るような匂いがしたのですよ。
「女の園」という匂いです。

入学したばかりの頃なのですが、身体検査で教室に入らなければならないのに、教室の中では、女の子達が衣服を脱いでいるので、入り口でオタオタしていたら、医者の先生から「女の園で何をしているのだ❢❢」と怒られてしまいました。
なにせ、93%が女性らしいので・・。

已む無く、男性達が集まって、集団で女性を追い出して無事身体検査を果たしました。
ひと月以上も女の匂いで息が出来なかったのだよな??
慣れは怖いよね??
半年も経つと、何も感じなくなるのだからね??

入学して直ぐに感じた事は、音楽大学では、学生達が、大学を卒業した以降の将来を考えていない・・・音楽の教員になる以外には、大学を卒業した以降の生活を全く考えていない・・という事に驚かされました。
私は音楽大学は職業学校だと思っていたのですが、院生にその話を相談した時に、「音楽って職業なの??」と驚かれてしまいました。
つまり、院生に取っては、「音楽は芸術」であって、お金には縁の無い至高の学問だと思っていたのだそうですよ。
だから、音楽を学んでいる皆さん、つまり、音大生は偉いのです。ハイ❢❢
音大生様様なのですよ。
今ならば、ハラスメントと言われるかも知れませんが、岩井裕之さん達は、「音大は花嫁学校だ❢」と、名言していましたよ。

それにしても、音大生の音楽への常識に対しての無知な事には驚かされます。

Beethovenのsymphonyの運命や田園すら聴いた事が無いのですからね??

只管、ProkofievのPianoSonateや、Lisztの難曲を練習して来たので、1年に数曲しか練習しないのですよ。
それが10年経ったとしても、20曲に満たないのです。
それ以外の曲は一切聴かないのだよな??

ヒョッとして、一般の人達は、「音楽家は音楽が好きだから音楽家になった」・・と思い込んでいないのかな???


音楽家で音楽の好きな人は極々限られた、幸せな人達であり、得難いminorityであるのだ・・という事を知っていた??

音楽は嫌いなのに、他に行くべき道が無いから、pianistやviolinistになっている人達の方が多いのだよな??
アハッ!

私が無事に音楽大学に入学出来て、先ず大学の入学金を叔母に無心に行きました。
叔母はその事を見越して、入学金を心易く貸してくれました。
大学の授業が始まった頃には、教授達の所に行って、お金を稼ぐ場所を提供してくれるように頼みました。
大学の授業を代講したり、音楽会に行って、批評の論文を書く事で、食券を貰ったり、受験生を指導する事で月謝を貰ったりとClassicの仕事は全てやりました。
しかし、例え音楽関係の仕事でも、Classic以外の仕事は一切やりませんでした。
つまり、私の考え方はバイト=勉強だったのですよ。
私が音大生の頃に学んだ音楽家としての知識は、音楽大学で学んだものではなくて、そういった音楽界の仕事として学んだものです。


『秀才』
私自身が音楽家に憧れたのは、作曲家という職業が、私の精神的なcomplex上でも、成り立つ職業だと言う大きな勘違いで、「作曲家は孤独な職業で、人と接する事が無くても、職業としての生活が成り立つ仕事だ」・・と、小、中学生向けの伝記等を読んで、勘違いをして、思い込んでしまっていたからなのです。

Münchenでその事をGenzmer先生に話をしたら、Genzmer師匠に怒られて(Europaの教授達は、あまり怒る事をしませんから、間違いを正されて・・が正しい言葉なのですが・・)・・・しまいました。

「作曲家は音楽家集団を導くreader的な存在なのだから、音楽家達を指導し、統括する義務があるのだよ❢❢」という事でした。
作曲家という職業は、引き篭もりで、communication disorderである私に最も適した職業だと思っていた私だったので、完全に、職業の選択を間違えてしまったのだよね??
ましてや、引き篭もりで、communication disorderである私が、人を育てる教育者になる・・という事は、有り得べからざる事だよな~ぁ??人生の大いなる間違えた選択だよな~ぁ??


『現実社会との戦い』
MünchenでGenzmer師匠の元で、学んだ一番の事は、「Niveau」所謂、「水準をkeepする」という事でしょうかね?
日本に戻ってから、先ずやった事は、作曲家を続けて行く為に、毎日のタツキの糧を得る為の職業探し・・・でした。

勿論、一番、最初は大学の講師として就職をして、その傍ら、テレビ等のマスコミの仕事をする・・という事や、曲を出版する為に、出版社との関係を築く、という事でした。

しかし、そこでは、それまでも、或る程度は現実のお話として、知ってはいたので、そこに夢を見ていた分けではありませんでしたが、現実とのgapに苦しめられる事になります。

テレビや出版業界でも、「売らんかな??」の罷り通る世界で、当然、自分が書きたい作品とは、程遠い、自分を殺してマスコミ受けのする曲を作曲する事が要求されて、それが必然の世界でした。
大学はもっと悲惨で、大学に音楽は無くて、毎日が権力闘争に明け暮れていて、「誰の派閥に属するか??」だけが重要な事でした。

それに基本的には「音楽事始め」の大きな問題が横たわっているしね~ぇ??とどのつまり、音楽界とは、私が一番居辛い世界だったのですよ。ましてや、音楽の教育界とは、音楽に挫折した人達の世界なのだしね~ぇ??
つまり、私が身を置く、私の「居場所」は音楽界には無かったのだよな~ぁ??


『理想の音楽教育を求めて』
音大時代には多くの受験生を指導して音楽大学に入学させて来ました。
しかし、その当時、或いはMünchen時代の私を知る人達で、私が音楽教育にも、携わっていると信じる人は皆無だと思います。
自他共に認める・・人を教える事に一番縁遠い人間だったからです。
確かに留学から帰って来たばかりの頃には、学生concoursを聴きに行ったり、教育の講演等に出掛けたりする事はありました。
しかし、私自身が教育産業に身を任せる・・という事はおクビにも考えた事はありませんでした。


その私が教育に足を踏み込んだ最大の過ちは、文部省関係の仕事をしている知り合いが私の大学講師としての研究論文を読んだ事によります。
1年2年に渡って、熱心に説伏されて、私の論文の理論が理論としてではなくて、実践として実用化出来るのだ・・という事を証明する為に、千葉の花園に実験の為の音楽教室を作りました。

あくまでも教育理論の研究論文なので、私としては別に一般の学習塾でも絵画や詩の塾でも良かったのですが、私が直接指導するのでは、methodeには成り得ないので、私の変わりに私のmethodeを実践して来れる人が必要で、それが私が昔、音楽大学時代に音大に入学させた生徒だったので、音楽教室になったのです。
当初は、実験の為の音楽教室という事でその旨を了解した人達の子供達だけを集めて、指導をしたので、5,6年程度で教室を畳む予定だったのです。(私自身が教育に携わる事は眼中には無かったので・・)芦塚methodeとしての理論が証明されて、音楽教育の実験の為の教室という事が終わった頃、私のmethodeで育った生徒達が、将来、私のmethodeでの就職口が欲しい・・と望んだので、芦塚音楽研究室を、㈲芦塚音楽研究所と名称を改めて法人登録をして、生徒達の就職口にしました。それが㈲芦塚音楽研究所付属音楽教室の始まりです。

私が副職として音楽大学で講師として勤めるようになった頃には、未だ、連弾の曲集の出版数は非常に少なく、少なくとも、Pianoの生徒達にensembleの基本を指導する事は出来ませんでした。

また、弦楽器の生徒達にしても、室内楽を勉強出来る生徒は音楽大学の中でも、topの1,2名に過ぎなかったし、また、指導出来る先生は皆無だったのです。弦楽器での室内楽の指導は、生徒の担当の先生に任されていたのですが、そうすると、その先生が演奏する楽器の立場でのみの指導が成されてしまいます。
例えばViolinの先生が室内楽を指導した場合には、ViolaやCelloの生徒達に取っては、甚だ不本意なlessonになってしまうのが、一般的でした。Pianotrioの本番を前にして、それぞれの楽器の先生がlessonをしたのですが、それぞれの
先生の主張が違い過ぎて、本番を前にして、どのように演奏をして良いのか分からなくなってしまって、途方に暮れてしまった・・という、笑うに笑えない笑い話が日本には多々、あります。

それ以上に、日本の音楽家達を悩ますのがEuropaの音楽とのgapで、「音楽事始め」による日本の音楽の演奏形態です。日本の音楽教育は、日本の伝統である家元制度に基づいているので、西洋音楽が全く未知の分野であった頃に見様見真似で持ち込んだ音楽が、100年以上も過ぎた未だに、音楽上の根幹を成して君臨しているのです。
Europaの人達に取っては、頗る珍妙な演奏でも、断固として現代の日本の音楽界に根を張っているのです。

しかし、それは、間違えた音楽を学んでしまった・・という事だけがその原因である分けではありません。
そのEuropaの音楽と日本の音楽の多くの違いは、国民性、高温多湿の紙で出来た家に住む国民の持つ感性に根ざすものだったのですよ。

つまり、国民性なのだから、日本人である限り、治しようの無い根幹に基づくものだったのです。
少なくとも、音楽大学の4年間だけで、音の出し方を治して行く事は不可能だったのです。
音楽を学び始める前の状態ならば・・・、という事に着眼をして、音楽教室を始めました。
最初から「音楽事始め」に拠らない音楽教育を受けるならば、何の問題も無く、子供達はスクスクと伸びるハズなのだから、ね~ぇ??


『引き籠もりと鬱の日々』
病魔との戦い


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4月22日音楽の基礎力 ·

楽器を演奏する上で、pianissimoの音が美しいという事は、その音が美しい分けではありません。
しっかりとしたBaßとなる音があって、始めて、pianissimoの音が活きて来るのです。
とか、突然に言い始めると、何を言っているのか分かりませんよねぇ?

つまり、どんなに美しいpianissimoだとしても、そのpianissimoが、2、3小節も続くと、それは最早、pianissimoではなくなってしまうからなのです。
そしてそれは単なる弱い音に過ぎなくなってしまうのです。

所謂、pianissimoの音は基準となるmezzoforteがあって、始めてpianissimoや、fortissimoが活きた音になって来るのです。
Baß(ベース)となる音が無くては、どんなに幽き(かそけき)音を弾いたとしても、pianissimoの音にはならなくて、消え入りそうな幽き音になるだけなのです。

お釈迦様のお話です。
或る王様が高い宮殿を立てたいと思って、棟梁を呼んで来ました。
棟梁は、喜んで、地面を掘り始めたのですが、王様は驚いて、棟梁に、「私が欲しいのは高い宮殿なのだ❢❢地下室では無いのだぞ❢❢」と、怒って言いました。
棟梁が「高い建物を建てるには、その分、深い基礎が必要なのです。」と一生懸命に説明したのですが、王様は、分かってくれませんでした。
それで、棟梁はどうなったのか??宮殿はどうなったのか??・・このお話の続きは、ありません。
お釈迦様は、この無知蒙昧な王様のお話しをしたのに過ぎないからなのです。

BeethovenのPiano・Sonateにも、同様の問題点があります。
BeethovenのSonateの展開部にfortissimoが何回も繰り返されて書かれているpassageがあるのです。
それを只管、fortissimoで弾いているpianistがいて、困ってしまいます。
Beethovenは「ここからここまではfortissimoで弾きなさい❢❢」と言っているのですが、「そこからそこまでを、fortissimoに聴こえるように弾くにはどうすれば良いのかな??」という質問を同時に投げ掛けているのですよ。

作曲家は得てして意地悪です。
そういった事を、当然、pianistが、理解出来ているもの・・として、扱うのですからね??
曲を細かくinterpretationして行くと、至る所に作曲家のironicalな問い掛けが見つかって来るのですよ。
これが、たまらなく面白いのですよ??
アハッ!


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4月23日突然寒くなってしまった ·

今は24時を過ぎた所です。
夜の8時頃に、相から夏用の薄いJacketで椎名町にBikeで出掛けたのですが、昨日迄は7月の気候だとか言って、結構暑い日が続いていたのですが、今日は突然に寒くなってしまったので、そういった時の為に、椎名町に置いてある羊毛の厚手のcardiganに着替えて、ドルプリっ歩に出掛けました。
羊毛の厚手のcardiganでも、少し肌寒い感じだったのだけど、12時になったので、慌ててそのcardiganを羽織って、Bikeでハイツに帰ったのだけど、Bikeが風を切って走るので、羊毛はその風を透かしてしまって、冷たい風が直接肌に当たって、超、寒くて、震え上がってしまいました。

同じ厚さのcardiganでも、裏起毛の毛皮ならば、流石に風は通さないので、寒い事はなかったのだよな〜ぁ?
いや〜ぁ、今日は服選びに失敗してしまった❢

明日は、お久し振りの千葉行きなのだが、明日の天気は聞いていないよな〜ぁ?
こんなにも、天気が変わってしまうのならば、お天気に合う衣装を準備するのは、とても難しいのだよな〜ぁ?
こりゃあ、困ったぞ〜??

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4月24日『血尿と瘡蓋が出た』 ·


今は24日の月曜日の深夜の2時、所謂、26時なのです。

昨日の日曜日には、お久し振りのオケ練習とlessonがありました。

•••というか、発表会が終わって、次の週の日曜日の9日が反省会で、その次の週の日曜日の16日は、初歩組の曲渡しと初見練習だったので、私は参加しないで、私だけ、お休みにしたのですが、昨日の日曜日の23日の練習は、曲決めと譜面渡しが遅くて、(とは言っても、曲決めが遅かった分けでは無くて、Veteran組のオケ室内楽の申し込みが遅かったので)、昨日が曲決め後の初練習になってしまいましたので、今回のVeteran組の練習は、「譜面渡し」と「初見練習」になってしまったので、練習をする・・という事よりも、「練習のpoint出し」や、曲の「練習に対してのconcept」を説明する時間になってしまったので、思ったよりも時間を食ってしまいました。

オケの最後の練習の曲である瑞希ちゃんのHändel=CasadesusのViola‐Concertoを除いては、教室としては演奏した事のある曲ばかりで、新曲ではなかったのだけど、随分、昔に練習をした曲だったので、今の子供達に取っては、新曲だったのですよ・・ネ??

HaydnとBachのCembalo・Concertoは、baroqueと古典派の曲という事で、結構、練習が様にはなったのですが、流石に、初見ではGenzmer先生のconcertinoとHändel=Casadesusは大変でしたよね??

特にGenzmer先生のconcertinoは、全く大変でしたよね??

前回のオケ練習から、ハイツで私が使用していたRolandのKeyboardを千葉のオケ練習の為に、持って来ているのですが、高性能過ぎて、只単に、8分の6拍子のrhythmを叩くのに、Keyboardの設定が難し過ぎて、出来ませんでした。

練習が終わってから、一人でシコシコと設定画面を見て、拍子の設定の仕方を覚えました。

Händel=Casadesusでは、Ⅲ楽章に8分の6拍子なのに、3拍子で演奏するthemaが登場します。
hemiolaのようなrhythmなので、West Side Storyにも登場するrhythmなのですが、体感で弾けるようになる迄は、beat本来のrhythmが狂ってしまうのよね~ぇ??
16beatでは、beatが速すぎて2:3のrhythmが、体感が出来ないからね??

Genzmerに至っては、rhythm処の騒ぎではありませんでした。
Metronomの正確なrhythmを叩いても、そのrhythmに譜読みすら付いて行かないのだから・・

・・という事で、譜面をざっと見て、Metronomのbeatのtempoを決める所迄で、後は譜読みが出来る迄の、宿題です。

俺は何度も、「Genzmerは難しいよ❢❢」と注意したのだけどね〜ぇ??
アハッ!

練習の最中の夕方になって来た頃から、突然に冷気が襲って来て、練習をしていても、超、寒くなって来てしまいました。

椎名町への帰宅は、随分、遅い時間になってしまったので、ハイツへは、12時過ぎの着になって来てしまいました。
椎名町には、Jacketの予備がドル・プリっ歩の為のお散歩用のJacketしか有りません。
羊毛のJacketなので、bikeで着るのは無理なのですが、革ジャンのお洒落なJacketも椎名町に置いてあったので、それを着て帰ろうと思ったのですが、着て見ると、つんつる天で、とても着れる代物ではありませんでした。
已む無く、羊毛の、それでも裏地がしっかりとしている方のJacketで、ハイツに戻ったのですが、それでも、その道中の寒い事・・・、寒い事・・❢❢
まるで、真冬のようでした。

今日は一日、腰痛が起きていて、結構、無理をしてオケ練習やlessonを、頑張ったので、部屋に戻って、バタンキューのハズだったのですが、これもまた、いつもの如くに、取り敢えずは、お弁当類の食料品が傷まないように冷蔵庫に収める作業をしていたのですが、いつの間にか、椅子に座ったままで、二時間程、眠ってしまっていました。(椅子の上で眠るのは、腰痛に取っては最悪だよな??)

それと平行して、お昼間に、演奏会の演奏の動画がギガ便で送られて来ていたので、携帯で2回、3回とdown loadしようと、思ったのですが、携帯ではdown loadが無理で、その内に携帯のbatteryも死んでしまったので、帰ってからパソコンで、開く事にしていたので、お弁当類の後片付けをしながら、パソコンに取り込んで、聴きながら作業をしました。
ながら•••のcheckだったので、2回、3回と聴いて確認をする事が出来ました。

また、それと並行して、昨日のオケ練習とlessonのvideoをBlu-rayのdisc に焼く作業とdisc のlabel印刷をしました。
なんとか、後片付けと同時進行の作業が終わってからは、大急ぎで、bedに戻って眠りました。

という事で、どうやらover‐workになったらしく、ハイツに戻ってから、少し血尿状態になってしまいました。
術後の膀胱の壁をかなり削り取るって、壁が弱くなっているので、無理をすると直ぐに出血するようなのですが、1日安静にしていると、直ぐに治るので、心配はしていません。
この歳になると、全てが体調との相談で決まるのでね??

•••と、思っていたら、(24日の夜の10時半過ぎの話しなのですが、)手術の後の瘡蓋の大きな塊が、おシッコと一緒に出て来ました。

術後の瘡蓋が剥がれた時の血尿だったようです。これは正常の範囲内です。
巨大な瘡蓋が体外に排出されたら、血尿は止まってしまいました。

高校生、音大生の頃に、何度も、巨大瘡蓋の経験はあるので、然程は驚きませんでした。

それはそうと、お昼過ぎ迄に時間を戻して、朝食は食べたハズなのだけど、お腹が空いているのだけど、Alzheimerなのかいな??
超不味いトロスパだったので、腹の足しにならなかったのかな??
お昼の3時なので、そろそろ、昼食の時間かいな??
はてさて、(この空腹は)どうしたものか??
体内時計が狂い捲くっているのだよな??
所定の時間迄は辛抱するかな〜ぁ??

中野 卯月
先生
この寒暖差の乱高下、、、応えます、、、
お大事になさってください

芦塚 陽二
有り難うございます。眠りの質が悪いと、直ぐに腰痛になってしまうのが癖になってしまいました。先生も、お体にお気をつけてください。

中野 卯月
芦塚先生
有難うございます、今週は雨予報も、、、ご無理なさいません様に、、、。



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4月24日『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusのthematisch-Analyseのお話』 ·


『今日はとても良い天気だ❢』
「今日はとても良い天気だ❢」という文章があったとします。

その文章の中で、言いたい事、つまり主題は・・、「天気だ❢」という言葉であって、「今日は」という時間の定義と、「とても」という副詞と、「良い」という形容詞が、「天気だ❢❢」という言葉を装飾します。

また、これ等の言葉は、「今日の」「天気は」「とても」「良い」という風に、順番を並べ替える事が出来ます。

しかし、音楽の場合には、主なる言葉が先行して、修辞する言葉が後に続くのが、一般的なのです。

それを言葉に当て嵌めると、「天気は、とても良い、今日は」•••と、なって、文章としては、あまりピンと来ませんよねぇ?
音楽の場合には、基本となるThemaの構成は、質問と答えの二つのmotivで構成される事が多いのです。
小節を割り振って見ると、2小節の質問に対して、2小節の答えで、対話をする場合が非常に多く見受けられます。
aの質問に対してのbの答えで、a+bというsimpleな形になります。

しかし、この質問と答えというsimpleな例は、より際限も無く複雑になって行く場合があります。
例えば、実際の曲の中では、質問が更に二つに分けられて、その答えが一つだけ、というcaseが結構多く見受けられます。
a+a'+bという形です。

更に、そういった譜例の場合には、質問1と、質問2が、1小節づつに対して、その答えが2小節•••の、Bogen-formの形式を暗示するような例の場合が数多く見受けられます。
1a+1a’、2b(数字は小節数です。)

bogen formの形式とは、中世の詩(1a+1a'、2b)の形式なのですが、そのBogen formは、限りなく、大きくして行く事が出来る形式でもあります。

先程の(a+a、B)をAと見立てて、更に(b+b、C)を、A’として、更に、もう一つ大きなstageで、A+A’、Bとする事が出来るのです。(a+a、B)が、(1+1、2)で4小節の場合には、更に大きな小節の単位で(4+4、8)の16小節の単位や、(2+2、4)の8小節の単位の場合には、更に(8+8、16)の小節の単位に、拡大して行く事が出来ます。
つまり、(4+4、8)の16小節の単位では、更に、(16+16、32)となる場合すら可能なのです。
(表に表すと簡単なので、写真2に実際のbogen formの例を表として、upしました。)

Bogen formとは、元々は中世の時代の詩小説の形式なのですから、Europaでは、もっとも古い、しかもよく知られた文学の形式なのです。

しかし、文学の形式でありながら、同時に音楽の形式としても、古くから使われて来た形式なのですが、不思議な事に、日本では、音楽の通論や楽典等に取り上げられた事は一度もありません。
不思議の極みです。

曲が歌謡形式のような小規模の物から、Concerto Grossoのような大規模な音楽形式になって来ると、themaも、幾つものMotivが積み重ねられて、Motiv.1~Motiv.6とか、更にはmotiv.8とかのように、膨大にmotiv.を、積み重ねてThemaとする音楽形式として発展して来ました。

baroque時代の最も大切な音楽形式であるritornelloの形式では、後世のConcertの提示部のように、soloが登場するまで、長い提示部がありますが、ritornelloでも同様に結構長いritornelloのThemaがあります。

今回のお話しは、そのritornelloの中に展開されるMotivの構造式に付いてのお話です。

ritornelloの構造式としてのmotivの積み重ね自体は、今回のオケ練習の課題であるHändel=CasadesusのViola
ConcertoのritornelloのThemaであるmotivの写真3を参照してください。
(写真1参照: HändelのViolaConcertoのthemaであるmotiv.の積み重ねられたMotivで出来た例です。)

こう言った場合には、小さく律儀にMotiv.のcharacterを表現するよりは、Motivを幾つか纏めて大きく取って、表現する方が、音楽が小さく纏まってしまうriskが少なくなります。
という事で、最初の2小節を質問にして、残りの3小節を答えにして、大きく質問と答えにしてしまえば、音楽がチマチマとして、ダラダラと澱んでしまうriskを防ぐ事が出来ます。
その方が、チマチマと、饒舌にならなくて済みますからね??

HändelのConcertoの場合には、他のbaroqueの作曲家のように、ritornelloのthemaのmelodieとsoloのmelodieのcontrastがありません。
ritornelloに使用されているMotivを効率的にsoloのmelodieに使用しているので、「ritornelloのthemaであるのか、それともsoloの部分であるのか??」の奏き分けがとても重要になって来ます。

soloの部分にritornelloのthemaの断片、所謂、Motivが出て来ますが、ともすれば、ritornelloに戻ったような錯覚に陥る事すらあるので、その奏き分けを明確にして演奏する必要があるのです。
それは、写真3で確認をしておくと良いでしょう。

音楽を練習する上では、細かい表現にこだわるのは、とても大切な事です。

しかし、実際の演奏の場合には、細かい表現にこだわってしまうと、音楽の表現が、「間延びをした、ダラダラとした締りの無い音楽表現になってしまう」•••というriskが出来てしまいます。
細かいnuanceを丁寧に表現しようとして、ダラダラと間延びをした表現になってしまっている勿体無い演奏家をよく見受けます。
音楽の細部にこだわりながらも、大きな音楽の流れを見失わない事が、演奏では、もっとも大切な事なのです。



ritornelloのthemaは、Motivを寄せ集めて作られている事が分かります。Motiv1から6までの完全形を取る場合がritornelloのthemaとなります。曲全体では6回がritornelloのthemaになります。また、それぞれのMotivは、Motiv1~3までが質問で、4~6までが答えになります。

solo部の大半は、Motiv1で開始されます。
また、Motiv6も有機的に使用されています。


bogen formとは中世の文学に用いられた、文学上の形式なのですが、そのbogen formの基本は、(a+a、b)の形で、1小節+1小節、と切れない2小節の単位で作られます。
また、その(a+a、b)を、大きなAと見て、更にA+A、Bという形を作って、規模を膨らまして行く事が出来ます。

小節数で説明をすると、bogen formの一番小さな単位では、(1+1、2)なのですが、その全体をAと見立てると、全体では4小節になりますので、更に(4+4、8)という16小節の単位を作る事が出来ます。
以下同様に、どんどんと成り上がって、大きくして行く事が出来るのです。

という事で、baroque時代からJ.S.Bach等を始めとして、こんにち迄、多くの作曲家達がこのbogen formを作曲の形式として使用しています。



このHändelのViolaConcertoも、baroque時代のConcerto形式のご多分に漏れず、当然、ritornelloの形式で書かれています。

soloとオケが呼応する最初のR1とR2と、最後のR5とR6を除くと、全く通常のritornello形式で作曲されている事が分かります。

しかし、多くの作曲家達の作品ではritornelloのthemaに対して、solo部では、技巧・技術的なtechnicalなfigurationのpassageを演奏する事が多く、恰も、Etudeのようなpassageが始終するのが一般的なのですが、Händelのこの曲の場合には、古典派時代のSonateのように、ritornelloのthemaの中のMotivを展開・発展させてsolo部のfigurationに当てているのは、流石はHändel・・なのですが、その反面、ritornelloのオケ部とsolo部のcontrastが弱く、ともすれば、ritornelloのthemaがダラダラと繰り返されてしまうように、思われてしまうので、同じMotivの繰り返しであったとしても、ritornelloのthemaと、solo部のMotivである、その奏き分けが演奏上の重要なpointになります。












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4月29日『覚書若しくはNiederschriftⅠ』 ·


『Franz Lisztの愛の夢のtakt50小節目から60小節目に掛けての和声的Analyse(doppel・dominanteからのAs Durへの進行』
47小節目のE DurからのChromatikのModulationを経て、B(B♭)ととEsのBaßが繰り返されるのだが、このEsの和音上の11の和音(diatonische Tonleiter、所謂、全音階上には、音階の音は7個しか存在しない。
という事で、11の和音と言う事は7番目の音を除いたら、全ての音が鳴っている・・という意味になる。余談であるが、7番目の音、所謂、第13の和音の13番目の音は、C、若しくは、C♭である。)

diatonische Tonleiterで11の和音や13の和音を使用して作曲をしている作曲家は、Carmina Buranaの作曲家でもあるCarl Orffが有名である。その違いはLisztやMaurice Ravelのような作曲家達が分散和音として曲の一部に使用しているのに対して、Carl Orffは一つの和音として曲全体に使用している・・という違いである。
それが11の和音、或いは13の和音がロマン派の和音であるか、近現代の作曲の和音であるかは、100年の音楽のdistanceである。
思えば遠くへ来たもんだetc.・・・

また、元の調であるAs Durに戻る為のdominanteである Es Durのdominanteの和音なのだが、繰り返し、51小節目、53小節目、更に56小節目、57小節目に登場して来るのだが、dominanteの和音であるにも関わらず、As Durの導音であるG♮の音を欠いているのだ。右手の旋律の和音の中に見られるF、As、Cの3和音も相まって、此等の小節の和声機能的には、著しくdominanteの響きを欠いていて、sub‐dominantの機能さえ、感じられるのだよ。

それが58小節目の5回目になって、やっと、Asの導音であるG♮の音が出て来るのだよ。これも、焦らし作戦なのだよな??

そして、やっと、As Durの調に帰結するのだが、66小節目の第2StollenからはBaßのchromaticな下行進行が始まって、73小節目のB♭をdominanteとして、帰結する。75小節目以降はCodaとしても良い。

殆どの演奏家達が忘れて弾いているのだが、この愛の夢のthemaの冒頭のmelodieは、Es、C、C、CとCの音が3回繰り返されるのだが、最後の後奏の8小節ではCis,b-c,As、As、Asとこれも3回同じthemaが思い出としてsuggestされるのだよ。だからthemaのmelodieとして消えていかなければならないのだが、殆どのpianistは内声のmelodicな動きを出して、sopranoに出て来るthemaに留意をしていない。

まあ、書くと限りが無いので、今日はこれまでにするか??








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4月29日『覚書Niederschrift Ⅱ』
『愛の夢の和声的auslese 66小節目から75小節目迄のchromatic進行』
Lisztが娘婿であるWagnerに最も影響を与えた作曲上の手法に、半音階的音階進行の技法がある。Lisztは独特の妖艶なimageをchromaticに与えているのだが、そのimageはそのままWagnerのTristan und Isolde等にも踏襲されている。
Piano奏者に取っては、この微妙な和音の進行は、譜読みの段階で非常に難しく感じられるpassageなのだが、和声学上から見ると、非常に単純なchromaticな和音進行をしているのに過ぎない。

その動きを楽譜上に単純化して書き表して見た。
下の譜例は、更に見やすいように、開離体で表記したものである。

妖艶で、しかも複雑な音の動きに聴こえて来るのだが、音階進行的には、和音上の音の、一つ、二つの音が半音で下がっているのに過ぎない。
それが一つの声部上で行われるのであれば、然程は複雑には聴こえないだろうが、色々な声部で順番に変化して行くので、その単純なchromaticの動きが、意図も複雑怪奇に聞こえて来るのは、流石はLisztの面目躍如たる所以である。

また、80小節目からの最後迄の、終止句とも呼べるであろう一節は、80小節目がenharmonic(異名同音)で書かれているので、melodieのlineを見失ってしまっている人達を見受ける。

(以下の文章が紛失してしまっているので、編集履歴を探して見たのだが、見つからないので、仕方が無いので、また、新たに書く事にする。)

80小節目の冒頭の和音は恰も、E DurのⅣ度の和音のように見えるのだが、このpassageはAs Durなので、As DurのⅡ度の6♭、つまり、As Durのナポリの6の和音なのだ。和声学的にも、melodieの旋律的な流れからしても、この80小節をenharmonicで記譜するのは頂けないのだよ。

また、多くのpianistが最後の3小節を内声のaltoとtenorの膨らましのpassageを歌い過ぎて、肝心要のthemaが、思い出として反復されている事に気付いていないのは、頗る残念なのだよな??






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4月29日『覚書 NiederschriftⅢ』 ·


『音楽形式』
まあ、まあ、ここまで書いてしまったら、一つの纏まりとして、本来ならば、冒頭に書くべき愛の夢の音楽形式を書かなければなるまい・・て❢❢❢

この曲はLiszt自身の歌曲をPianoのversionにarrangeをした曲なので、全体の構成的には、あくまでも歌曲の構成である。
曲の大きな纏まりとしては、A+A’+A”の構造式で作曲されている。
勿論、最初のAの部分はAs Durの部分で25小節迄の部分である。次のA'の部分はdouble barのH Durのauftaktから、60小節目のauftaktの前までの部分である。

最後のA"の部分は当然、60小節目のauftaktから、最後の小節迄になる。
おおきなA+B+Aならぬ、A+A+Aのsymmetryの構造式である。

また、A+A+Aの構造式の各、部分は、歌謡形式のままにそれぞれにkadenzが付加された構造式を持つ。

最初のAの構造式は次の通りである。
問い掛けの4小節のa+a'に対しての答えのbが2小節であり、問2、問2、答え2の、変則的なa+a+bの形である。その最初の6小節をStollen‐Aとすると、(一般的には、最初の6小節をaとして、次の6小節をa'として、13小節目からをbとするのが普通なのだろうか??)次の答えの小節がStollen‐A'となる。

auftaktからの13小節目からは、起承転結の転の部分になって、当然、Stollen‐Bとなるのだが、2小節単位のmelodieが2回、繰り返されて、展開されて行くのだが、Stollen‐AとA'の6小節に対して、次のBの部分も6小節の纏まりを見せる。

25小節目からは、kadenz(こう言った場合には、作曲的にはepisodeと呼ぶのであるが・・)を弾いて、次の[B]の部分に突入する。次の[B]の部分はdouble barで区別されていて、調もH Durから始まる。

最初のmelodieは冒頭のmelodieと全く同じthemaなのだが、後半は、小さなmelodieの変更を伴っている。
作曲的にはkleinigkeitと呼ぶ。

melodieの後半部はdouble barでC DurのmollDurに転調をする。
C⇒mollDurのf⇒Cから、Cの6度、a mollを経て、そのa mollのdominanteが、E Durの和音である。まあ、なんと、cleverな無駄のない転調なのだろうか??

次には、E DurからAs Durへの、見事な転調楽節なのだよ。
そこの和声的な分析は後述する。








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4月30日『和声学について』 ·


音楽大学等で、音楽の勉強を専門的に勉強する時には、和声学という難解な教科がある。

その教科の難しさに頭を悩ました学生達からは、「和声学を学ぶ上で、どういうmeritがあるのか??」という事を、よく訊ねられる。

音大生達は、実技の教科は熱心なのだが、subの理論の教科になると、あまり熱心に勉強する生徒はいない。

音楽史や音楽形式学や音楽通論や、当然、和声学も・・・である。

作曲を料理に例えるならば、材料は兎も角としても、そのレシピを料理人が公開する事は基本的にはない。
勿論、料理教室のような場合を別にして、•••ではあるが。

作曲でも、作曲家が自分の作曲技法を明らかにして、曲を公開する事はない。
「どのような手法で、どのように作曲したか?」は、作曲家自身が語る事はないのだよ❢

それは、『説明しても理解される事はない』、という前提に基づいているからなのだよ❢

そして、そのレシピの中で、使用される手法が和声学であり、対位法であり、音楽形式学等なのだ。

作曲技法を語る場合に於いては、それ等の専門的な知識を持たない相手に、作曲技法の説明をする事は不可能で、無駄な努力に過ぎないのだよ。

それ等の手法を音楽大学等で学ぶ場合のお話しなのだが、音楽の専門的な教科、つまり、音楽史や音楽形式学、音楽通論等の教科は、class単位の大人数で授業をしたとしても、なんの支障も無いのだが、和声学の授業に関しては、集団のclass授業では、成果は期待出来ない・・とまでは言わなくても、groupでの授業では、非常に非効率である。

教科に拠っては、そういった個人lessonや少人数のclassの方が効率の良い教科があるのだが、それに対しての配慮は成されていないのが現実である。

また、現代の社会では音楽でも、パソコンを使用する事が非常に多くなって来た。

そのパソコンを使用する事の多いnotationの授業は、教科としては成り立ってはいないのだが、楽譜を書く(作成する)という上では、非常に重要な教科であり、重要なsoftである。

そういう事なので、音楽大学によっては、notationのsoftであるfinaleの授業がある大学もあるのだが、一般の小、中学校で、子供の頃に学んだ時と同じように、小、中学校でのword、Excel のパソコンの授業のように、そのcurriculumとしては、単にsoftを囓る程度にもならないので、それで何かが出来る所まで、使い熟すようになる・・という事は、大学の授業の中では、無理難題の事であろうよ。

ましてや、popularのpianistととは違って、Classicのpianist達では、digital思考の人間は少ない。

パソコンでnotationをする・・というのは、Classicの人間に取っては、ハードルの高い鬼門でもあるのだよ。

まあ、いずれにせよ、音楽大学の実技以外の教科で、それらの教科を活かせる学生は、少ない・・と言うよりは、皆無・・と言った方が良いのかも知れない。

勿論、学ぶ側だけの問題では無くて、指導する側の音楽へのapproachの問題もあるのだがね??

だから、例え、仮に音楽大学で和声学の授業があったとしても、それを楽曲分析迄に役立てる所まで、進める事は出来ないし、ましてや、baroque時代の音楽の特徴である、basso continuoの演奏に繋げる事も出来ないだろうし、それ以前に、和声学を身に付ける事が、baroque塾のbasso continuoの技法に繋がる事を知っている和声学の指導者さえ、少ないのだよな~ぁ。

曰く、baroque時代から、近現代の作曲家に至る迄、同じ和声法上で作曲されている事を多くの演奏家達は知らないのだよな??

baroque時代のVivaldi等の作曲家の演奏の様式は著しく違っていて、period奏法というgenreの演奏形態迄あるのだが、作曲法や音楽形式学に関しては、baroque時代の通奏低音の書法と、chopinやBrahmsのロマン派の作曲家達の作曲法が全く同じだと言う事はあまり知られていない、
というか、実際上は、全く別物のように感覚的に解釈されているようだ。

しかし、歴代の作曲家達は和声学や対位法、音楽形式学等々を駆使して、作曲をするのだが、それはbaroque時代から現代に至る迄、何一つとして変わってはいないのだよ。

ましてや、その和声学の束縛から逃れる為に、近現代の和声法が起こって、polytonalとか無調音楽とかが起こったのだが、それ自体が調からの束縛である事は、作曲家達には、よく知られている事実なのだよ。

そういった観点からは音楽の論理性を忌み嫌う演奏家と、音楽の論理性の中でしか生きられない作曲家達との、音楽に対してのapproachは掛け離れているのだよ。

という事で、Europaの優れた演奏家達は、symphonyの2,3曲ぐらいは作曲している演奏家達も多いのだ。

日本の演奏家達とは、基礎力が全く違うのだよ。

それに、ドイツでproのpianistと呼称する事は、国家資格を取った人達だけだ、という事を日本人は知っているのかな??
ドイツには、自称pianistはいないのだよ。
医者と同じように国家資格なのだからね~ぇ。

まあ、日本では、国家検定をするだけの実力のある大御所がいないので、日本の演奏家を国家検定にする事は、私は反対の立場なのだけどね??

その前に、国家検定資格試験を審査する先生達を養成する機関が必要なのだからね???

そういった音楽の基礎の勉強不足は、日本の自称演奏家達の演奏には顕著に表れているのだよ。

特に、pianist達の演奏が、oberflächlich(表面的)に聴こえてしまうのは、Pianoを演奏する上で、『音楽の立体性』が無いからなのだよ。
(ここで敢えて、pianistを取り上げるのは、別に悪意があるからではなく、単にPianoという楽器が、一人orchestraの(一人で音楽を完結出来る)楽器だからなのだよ。

『音楽の立体性』と言っても、そんな言葉は聞いた事も無いよね??

だから、当然、ここで何を言っているのか、分からないよね~ぇ??

実は、西洋音楽を歴史的に見ると、音楽の構築はBaßの音の上に和声が構築されているのだよ。

baroque時代の音楽は、basso continuoと呼ばれる低音の上に、音楽が作られたのだよ。
こんにち、baroque時代の名曲とされるla foliaも、Chaconneもpassacagliaも、否、極々普通のViolinのSonateだとしても、或いは古典派からのQuartettの前身であるTrioSonateでさえも、土台となるBaßの音の上に音楽が作られて行ったのだよ。

また、そういったBaßのpart(伴奏のpart)が無い、無伴奏(Ohne Begleitung)というgenreの曲でさえも、soloの楽器のmelodieが、Baßと和音を形成する部分とmelodieのlineの部分に分かれて作曲されているのだよ。
それが分からないままに、無意味に大家の演奏の物真似をして、Bachの無伴奏Violin組曲を、如何にもBach風に演奏している人達の多い事・・。

勿論、趣味として自分の為に演奏している人達に付いては、何の問題も無いし、そういった演奏迄も、否定する事は、私はしないのだよ。

しかし、proを自称するのならば、basso continuoの奏き分けと、質問と答えの奏き分けは、絶対に演奏家としては必要・最低条件なのだがね???

それに、こんにちの殆どの日本人のCembalist達さえも知らない事なのだけど、CembaloやOrganのように鍵盤で強弱を表現する事の出来ない楽器は、装飾音がarticulationの役割を担ったのだよ❢❢

以前、私は「装飾音は、感性の賜物だ❢❢」と書いた日本人の論文を読んだ事があるのだが、それは単なる無知に過ぎない。

trillerにしても、mordentにしても、その速度と回数が、強拍上のtrillか弱拍上のtrillかを決定する。
melodieの頂点を表すDouble‐mordentや、phraseの終わりを表現する弱拍のtrill等である。

それを「音大でCembaloをCembalo科で学んでいる」と豪語しながら、そうった装飾音の使い方も、basso continuoの奏法の知識も持ち合わせていない演奏家達の何処がCembalistなのだろうか??

日本では、幾ら自称は許されるとしても、その自称をする人達の音楽への意識に疑問を持つ。
だって、Cembaloを弾く事がCembalistというのならば、Pianoを学び始めた3才児の子供だって、Cembaloは弾けるよな??
私達の音楽教室では、5歳の子供達に対してでも、Cembaloの楽器を触れさせてlessonをしているのだけど、それで『Cembaloを教えている』と言った事は一度も無いのだよ。


basso continuoの話に戻って、・・・
それに対して、日本の音楽の歴史(日本の民族音楽の歴史)としては、melodieとharmonyはあったとしても、土台となるBaßの音は存在していないのだよ。

だから、当然、日本の音楽家達は美しいmelodieを美しく演奏する事に、全力、全神経を使っているようなのだが、西洋音楽の根本となる(つまり、土台となる)低音の動きに心を留める人達は極めて少ない。

美しいmelodieがあって、奇跡的に、雅楽のように、和音の響きがあったとしても、それを和音と言う事は難しいし、且つ又、家を支える為の、土台そのものが無いのだよ。

そう言った日本人の特有の民族性が、西洋音楽を日本に持ち込んだ明治時代の「音楽事始め」の時からの日本人の演奏する音楽の薄っぺらさの根底になっている事を、誰も気付かないのだよな??

西洋音楽の根本理念では、音楽を動かしているのは、melodieでは無くて、『Bassführung』なのだ。
(残念ながら、このBassführungの日本語の訳語は無い。一番大切な、音楽の根底を成す言葉であるのにも関わらず、その約語が無い・・という事は、日本の音楽のNiveau、或いは、日本の音楽のLibhaberが求める音楽のlevelを窺い知る事が出来て、嘆かわしい。)

また、このBassführungと言う言葉は、和声学の知識なくして、その動きを本当の意味で理解する事は出来ないのだよ。

勿論、「半音階的なBaßの下行の動き」ぐらいならば、どんな素人でもその動きを感じる事は出来るし、理解する事も出来るだろう。
しかし、そのharmonyの和声的な機能を理解するのは、困難なのだよ。
只、「音楽を聴く」という事と、「音楽を表現する」と言う事は根本的に違うのだよ。
表現には表現を伝達する相手が居るのだ。
伝わるように演奏をする・・という事と、自分だけが分かれば良い・・という事は、根本的に音楽表現が異なってしまうのだ。
実際の音楽的な和声機能と一般聴衆に聴こえて来る和声機能が全く根底から違う・・という事は作曲の手法上、よく見受けらる事なのだよ。
でも、それを和声学を知らない演奏家に説明をする事は難しい。
作曲家仲間の共通話題にしかならないのだよ。

頑張って、和声学を勉強して、和声学上の基本的な知識を得て、且つ又、和声学を使い熟す事が出来るようになると、勿論、所謂、分析力やbaroque時代のbasso continuoの奏法や、近現代の作曲家への音楽的approachがより深くなる事は当然としても、それ以上に、和声学を学ぶ事で、得る事が出来る、音楽以外の日常の性格としての一番重要な事は、物事の考え方の正しい方法論だと、私は思っている。

一般的な日本の学校教育で、求められている教育の根幹となるものは、知識の習得である。

・・と言う事らしいのだが、その為に一番必要な勉強の仕方を教えてくれる学校は皆無なのだよ。

当然、音楽の専門家を目指す人達の、子供時代からの音楽教育に於いても、一番欠如しているのは、練習の方法論である。

練習を強いる先生達は、多いのだが、その為の、練習法をlectureする先生・・ともなると、皆無に等しい。

修練は勉強をする力であり、上達は工夫三昧に拠って齎される。
学校の先生達や塾の講師達は、「勉強をしろ❢❢」とは言うけれど、その勉強の仕方を教えてくれる分けではない。
当然、生徒達は課題をただひたすら熟す事で、level‐upを図ろうとするのだ。

課題をただひたすら熟した・・としても、その回答を間違えた場合に、その間違いから、何かを学ぼうとはしないのだよ。

まあ、何と無駄な教育なのだろうか??

という事で、私が、音楽教室で、正しい勉強の仕方を幾ら指導しても、学校や塾で学んで来た闇雲勉強から、子供達が逃れる事は出来ないのだよ。
子供達はただひたすら、努力する事が最大の勉強の効率だと信じて疑わないのだよ。勉強そのものを俯瞰する事も、その方法論を工夫三昧する事もないのだよ❢
困った事だ❢❢

勿論、芦塚methodeが身に付いて、芦塚methodeでの思考patternで考える事が身に付いている非常にluckyな生徒達も居るには居るのだが、その生徒達に共通の大きな欠点があって、「他の人が『出来ない』という事に対しての理解が出来ない」・・という事なのだよな??

後輩の指導を頼んでも、「普通にやれば良いのよ??」としか言わないのだよ。

否、決して、不真面目に、放置している分けではなくて、本当に「出来ない」事が分からないのだよ。

それは何故か?という事なのだが、「出来る」という事が普通ではない・・と言う事が分からない、という事は、その子達の「普通」は、もはや、「世間一般の普通」では無いのだが、それが分からないのだよな??
「なんで、そのgiftが、分からないのか??」って・・??

何の努力も無く、自然に身に付いたもの(曰く、gift)に対しては、人はその価値を理解出来ないのだよ。

苦労に苦労を重ねて、努力と血と汗の結果、身に付いたものしか、人は評価をしようとはしないのだよ。

怒鳴られる事も無く、叱られる事も無く、自然に身に付いた能力は、その人に取っては、自分が産まれながらに持ち合わせていた才能(能力=gift)になるのだよ。

それがどんなに優れたmethodeとcurriculumに拠って作り上げられたものだとしても・・それ等のsystemを理解する事は無いのだよな??

それに対して、怒鳴られて、怒られて、親も子供も泣きながら、なんとか到達出来た能力は、自らの努力ではなくて、怒鳴って、叱った先生の方の努力になるのだよ。
そして、幾ら頑張っても、出来なければ出来ない程に、その価値は高価な貴重なものになって行くのだよ。
そしてそれが、そのまま、先生に対しての尊厳と権威になるのだよ。
阿呆らしい・・・

先生達は、生徒の出来ない所を、「なんで出来ないの❢❢❢」と怒鳴ってさえいれば良いだけなのだから・・・ね??
そんな、簡単な指導は無いだろう??

指導の仕方が分からなくて、ただ単に、怒鳴ってさえいれば、「偉い先生だ❢❢」と周りの人達は認めてくれるのだから・・
こんな、阿呆らしい事はないのだよ❢

和声の正しい進行を導き出す為には、優先度を守らないと、答えが導き出せない事が多い。
和声学には感覚的なものは存在しない。

完全に感情や情緒を超えた数学的な世界なのだよ。

しかし、面白い事に、多くの音楽を学ぶ人達は、和声を情緒や感情で解こうとするのだよ。
日本の感情的な教育が、そこまでにも浸透しているのだよな??

それにも増して、和声学には、正しい回答をしたとしても、回答には上手下手がある。
つまり、回答は間違いでは無いとした・・としても、正しい複数の回答がある場合がある。

それでも、sehr gut❢❢(非常に良い) とBesser❢(より良い)とGut!(まあ良い)の違いはある。
schlecht❢❢やschlimm❢❢と迄は言わないまでも・・であるが・・

和声学には複数回答があるのだが、それでも、和声の回答には完全形がある。
つまり、合格の回答はあるのだよ。

しかしながら、音楽の勉強には、合格と言う言葉は無い❢❢

lessonで見て貰って、「完璧❢❢」と褒められたら、先生を変えるべきである。
何故ならば、もはや、その先生から、学ぶべきものは何も無いからである。

私も多くのproを育てて来たのだが、未だに、免許皆伝を与えた生徒は一人もいない。
Gott sei Dank!芦塚塾からは合格者は一人も出ていないのだよ。
「何故??」
そりゃあ、簡単よ❢❢
教える事が無くなりそうになったら、必死に勉強をして、研究をして、教える内容を濃く、多くして行くからなのだよ。
それを工夫三昧と言うのだよ。

生徒に追い抜かれそうになった時に、私の必死の勉強に、付いて来れる生徒が未だいないという事なのだよ。
私の、その工夫三昧に追いつく生徒がいない・・という事なのだよ。

人生も当然の事ながら、「悩み」や「行き詰まり」を解決するには、物事に対しての優先度が大切になって来るのだよ。
人生で一つを選択すると、一つを失う。

全てを失いたくない人は、何も選択する事は出来ないのだよ。

実に、和声の原理のそのまま、なのだよな??

しかし、音楽の勉強を真摯に勉強して行くと、いつの間にか、視野が広がって行くのだよ。
色々な音楽以外の分野も、必然的に詳しくなって行く。
ちょうど、富士山の裾野が膨大に広がっているように・・なのだよ。
低い山の裾野は決して、広くは無いのだよ。

そこが一般の人達には理解出来ないらしい。
燕雀安んぞ・・・の世界かもね??


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5月




5月1日『覚書=NiederschriftⅣ』 ·


余談ついでなのだが、Bassführungのoctaveの半音階進行の音の中で、takt42小節目と48小節目の4拍目の音だけが、octaveではなくて、単音になっているのだが、「それは何故か??」という質問である

答えは極めて、単純明快であって、上のoctaveのmelodieが無いからである。
melodieのoctaveが無い箇所で、下の音をoctaveのママで演奏すると、自然なBassführungの音が際立ってしまい、不自然に目立ってしまうからである。

音量の問題なのだよ。

作曲家はそういった細かい所まで、繊細に配慮を怠らないのだよ。






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5月1日な、な、な、なんと!今日はもう、5月1日だ❢❢ ·


Im wunderschönen Monat Maiだよな~ぁ??

この数日、曇天が続いていたのだけど、今日は、雲は多いけれど、なんとか、青空も見えているようだ。
5月らしい柔らかい優しい天気だ。

5月は世間一般では、ゴールデンウィークらしいのだが、1年中、お休みの私に取っては、日常のままにしか過ぎない。
5月の連休明けからは、週1の病院通いが始まるのだよ。
毎週、3時間はチョッとキツいよな❢❢

それが6週間続くので、終わりは7月になるのだよな??
「それまでに、体力が持つかな??」って感じだよな??

まあ、•••浜までは 海女も蓑着る時雨かな・・だよな??

村田 晟
私は5月が一番好きな月だ‼🙌

芦塚 陽二

芦塚 陽二
​4月の終わり頃からは、曇天で結構寒い日々が続いています。毎日、雨や暴風雨と、目まぐるしく天気が変わってしまって、体調が付いて行かなくて、周りに迷惑を掛けています。私も歩けると、全てが上手く行くのですが、犬の散歩だけで、音を上げています。

村田 晟
毎日犬の散歩されてるならいいと思いますよ🌈
私は大方近くのスーパーマーケットへ食材買いに行くぐらいで、たまに合唱練習で遠出するだけですから・・・で、これでは足腰が弱ると思って昨日は少し離れた川縁を歩きましたけど・・・たまにではダメですね(笑)



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5月1日『覚書=NiederschriftのⅤ』 ·


次いでの次いでに、41小節目から46小節目までの和声分析と48小節目のenharmonic変換の分析をupしておく。

1番上の段はmelodie、2段目はその和音と、3段目はBaßの半音階的な動きである。

一番下の段には、その和音の根音となる音を記して、その機能を記した。
所謂、単純な5度圏(quint‐Zirkus)である。
3小節目の冒頭の和音は、D4の和音の下行変質に過ぎないので、機能的には変わらない。

下の段は、最初の3小節が半分の音価の単位に縮小された形で、その2小節目の和音が、enharmonicされるimageを実際の音に書き表した。
2小節目の裏の和音はFis Durのdominanteの音なのだが、Des Durのdominanteに書き換えられている。

当然、その解決和音はFis Dur(Ges Dur)のchordなのだが、和声法的には有り得ないド♮(C♮)の音が出て来るのだが、実は、その次の和音はその前の和音と同じ和音に過ぎない。
つまり、Baßのシの音をド♭とenharmonicで読み替えると、その一つ前の和音と同じ和音である事が分かる。

という事で、外声間に見られるドの音は、単なる経過音に過ぎなくて、和音の機能としては変化していない事が分かるのだよ。

偶発的に非和声音が和音を形成してしまう場合の和音を非和声音という。
その典型的な例がⅠ度の46の和音である。

譜例の下の段の3小節目に見られる,46の和音も経過音に拠って生じた、偶発的な3和音である。

勿論、偶発的というのは、偶然という意味ではなくて、作曲者の意図ではあるのだが・・、という事なのだよ。





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5月1日『椅子に座ったままで、夢を見た。』
·

『聴き取れない••というお話し』
今日、5月の1日の月曜日の昼間なのだが、パソコンの椅子に座って、作業をしていたら、未だ、真っ昼間・・と言うのにも関わらず、座ったままで眠ってしまって、夢を見て、その夢で腹が立ってしまって、目が覚めた。

幾つかの夢を立て続けに見ていたのだが、あらかたの夢の内容は、もう忘れてしまって、目が覚めた直前の夢の為に、結構、不愉快極まりない目覚めをしてしまったのだよ。

夢の中では、新しい町で、町の見物がてら、結構、遠くまで、散歩をしていて、色々とwindows‐shoppingを、楽しんでいたのだが、どうやら公共の建物とおぼしき大きな石造りの建物に入って、展示物等を見学をしていたら、若い女の子が、催しの勧誘をして来た。

その一つの内容は、結構、面白そうだったので、話を聞いたのだが、その説明の後で、もう一つの催しを勧誘して来たのだが、その催しのTitleの名前がどうしても全く聞き取れないのだよな??

耳に手を当てて、聴き直したのだが、言葉が聞き取れないので、「年で、耳が遠くなっている」と弁解をしながら、聞き直したのだが、やはり、理解不能だったので、その講演の内容を聞いて見たのだが、これも何を言っているのか理解不能で、全く分からない。

一つの分野のお話ではなくて、幾つかの分野に跨がっているので、結構、込み入った難しい話らしい・・所までは分かったのだが・・

そうこうしていたら、上司と思われるメガネの年上の人が話を引き取って、話し出したのだが、それも皆目、言葉が理解出来無いのだよ。

その上司は、「その著書は常識で、そういう事も知らないのか??」と怒り捲くって、私の事を馬鹿にし始めた。

その内に、その上司の上の人と思われる年配のおじさんまでが出て来て、私の無知を攻め始めた。

何度も、その建物から逃げ出してしまおうと思ったのだが、しつこく攻めて来て、私を離してくれないのだよ。
「これは自分を見失いそうな、やばいpatternだ❢❢」と思っていたのだが、あまりの執拗な弄りに、とうとう、ブチ切れてしまった。
怒り心頭に発して、大きなカウンターを乗り越えて、その中年のおじさんを部屋の隅まで追い詰めてしまった。
そこで実力行使・・の一歩手前で目が覚めた。

いや~あ、Gott sei Dank!なのだよな~ぁ??
例え、夢の中だとしても、暴力事件を起こさないで良かった❢❢

それにしても、後味の悪い夢だったよな~ぁ?
なんで、そんな変な夢を見たのだろう??
まあ、それにしても、理解不能な夢だよな~ぁ??

確かに、加齢に拠って、少し耳が遠くなった・・と、感じる事はあるのだが、日常生活には支障は無いし、それよりも、失語症の方が酷いのだが、健忘症は高校生の頃からで、何を今更・・と言う感じだし、音楽や日常生活では子供達や先生達よりも、私の方が未だ記憶力は良いので、なに不自由も感じた事はないのだがね??

確かに、異国の言葉では、聴き取るのが困難で、耳に残らない言葉も結構あるのだが、今の時代ならば、それと同等の見知らぬ言葉もあるのかもね??

電話等では、限られた周波数帯の音声しか再生されないので、人の声でも、極端に低かったり、高かったりする声は聴き取り難くなるのだよ。

テレビ•ドラマの『相棒』で、犯人が偽装の為に電話をした時に、周りの虫の声が入っていないのを突き止めて、犯人の嘘を暴く・・という話があった。

それに声とnoiseが重なっても、声の内容が判別出来なくなってしまう事がある。

テレビを見ている時に、我が家の愛犬ドルが、ブツブツ文句を言っていると、テレビの言葉が殆ど聞き取れなくなってしまうのだよ。
会話をしている時に、聞き取れないので、相手に確認をすると、声を張り上げられる事がよくあるのだが、肝心要の言葉だけは、低くてモゴモゴしてしまうので、何度聞いても、聞き取れない事が多いのだよ。
ちょうど、今日の、とんでもない夢のような感じで・・ね??

だから私は、話が聞き取れなかった場合には、聞き取れた所、迄を、私自身が反復して喋って、それで「何が聞き取れなかったのか??」を相手に、聞く事にしている。

それならば、相手は、聞き取れなかった単語だけを答えるだけで済むから、相手が大きな声になる事は無いし、相手も、会話のintonationに気を付けてくれるようになるからなのだよ。
その後の会話が楽になるのだ。

老人との会話で最も気を付けるべき所は、相手が聞き取れなかったとしても、それに対して、大声で怒鳴るように会話をするのは最悪であり、tabuである。
コツは、ゆっくりと明瞭にハッキリと喋れば、殆どの会話は通じるのだよ。
耳が遠い場合には、耳元でお喋りをすれば良いだけなのだ。

看護師等は、病院で、そういった老人達への介護も習っているハズなのだから、そういった常識程度の事は、出来て当たり前のハズなのだが、実際に入院して、改めて周りを見ていると、出来ていない人達の方が多いのだよ。

「基本に忠実に」・・という事だけなのだが、その基本が、忙しさにかまけて守られてはいないのだよね~ぇ??

まあ、介護される側なので、何も言えないのだがね??


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5月2日寂しい夢を見た ·

今日はもう、アッという間に5月の2日の火曜日です。

少し雲は出ているけれど、お久し振りの青空で良い天気なのだけど、風が強いので、窓の下の公園には子供達は遊んでいないので、ハイツは実に静かです。
部屋の中でも、少し肌寒いぐらいなので、鼻水が止まらなくなって息が出来ないのだけど、ヒョッとして花粉が舞っているのかな??

2、3日前の話しなのだが、やはり、今日と同じ様に昼間から疲れてしまって、未だ夕方なのに、諦めて仮眠をしてしまった。

その夢は結構長い夢だったのだが、最終的には、私が車で、山奥の古民家を訪れて、古民家の部屋の中を見せて貰っていた。


いつの間にか、その古民家はそのお婆さんが死んでしまって、放置されたままの部屋になっていて、雑多な荷物の山と積み上げられたままの部屋の中を、ひと部屋ごとに、思い出よすがに見ていたのだよ。

今日も、未だ夕方なのに、疲れ切ってしまって、(・・とは言っても、ほぼ、毎日、疲れ切っているのだがね??それは、眠りが浅い所為で、変な夢を見るのも、眠りが浅い所為なのだよ。)Bedに戻って仮眠をしたのだが、以前に見た夢と全く同じ部屋を訪れて、同じように、部屋の中を見て歩いている夢を見たのだよ。 

勿論、古民家とは言っても、私の産まれ育った田舎の家とは、似つかわしくもない見知らぬ家なのだが、同じ夢を何度も見るのは、因縁を感じて不思議な気がするのだよな〜ぁ??

山奥の古民家で、独居老人が死んで、その部屋が、訪れる人も無く、生きて生活をしていた時のままに残されているのだが、ひと部屋ごとに、その人の長い人生が残っているのだよな。

私はこの場所、この部屋に取っては、異邦人の傍観者に過ぎないのだが、しかし、その部屋が「寂しい❢」と、私に呟いているのだよ❢
主人を亡くした部屋が・・だよな。

写真はお昼間と夕方のハイツの窓からの風景なのだが、昼間の写真はangleが狭くなってしまっているのだが、公園のベンチに人が座っていたので、cameraを手すりの先まで突き出すのが、おもんばかられてしまったのだよ。
それに、いつもの話なのだが、夜の写真は自動的に補正されて、明るく明瞭になってしまっている。

見たままの撮影が出来ると良いのだが、一番安い携帯なので、そういった優れた機能は付いていないようだ。
どんなに暗くてもお昼間のように撮れてしまうのだ。
困った事だよな??

という事で、なるべく肉眼的に近く見えるように補正をして見た。
変な話しだよな??



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5月4日トルコ人らしい人がやっている韓国料理の店に打ち上げに ·

今日は5月4日の木曜日、朝の5時半を過ぎたところです。

昨晩は、なかなか寝付けなかったので、朝は4時半に目が覚めたのですが、そのままダラダラとbedの上で寝ようと思ったのだけど、相変わらずの鼻水で息ができなくなって、諦めて起き出したところです。

blindを開くと、目が開けられないほどの強い朝日が家の中に差し込んで来て、眩しくて、困っています。

昨晩は、(一昨日、ドルプリっ歩の時に、偶然、見つけた韓国料理店に、)連休の打ち上げに行きました。

お店自体は、昔からあったお店らしいのですが、私が散歩に行く時には、夜が遅いので、お店が閉まっていたので、そんなお店があったことに気がつかなかったのです。
同じ韓国料理店でも、menuが見たことも聞いたことも無いmenuで、注文するまでにずいぶん時間がかかってしまいました。
どうやって食べて良いのか、分からないので、お店の人に調理をして貰いましたが、トルコ人の夫婦かな??・・・厨房を男性が、接客を女性が担当していたのだけど、韓国料理か、トルコ料理か、beerの酔いもあって、分からなくなってしまいました。

お久し振りの生のBeerで、結構、酔っ払って、やっとこさっとこ自宅のハイツに辿り着いたのですが、結構、酔っ払っていたので、バタンキューのハズだったのですが、不思議な事に寝逸れてしまいました。
ハイツに辿り着いたのは、未だ、夜の10時をチョッと過ぎたばかりだったので、眠れぬままに、結構、残っていた雑用を片付けてしまいました。
眠たくなる迄・・という事だったのですが、帰り着いたのが10時と、早かったので、それでもone‐coolはちゃんと眠る事が出来たと思います。

「疲れたら、その時は、眠ればいいや❢」という、体調任せで、起き出して、routineの作業に入っていたのですが、やはり、途中で疲れて来たので、bedに戻って寝直しました。

という事で、時間は午後の2時過ぎまで、飛びます。
ああ、今日も良いお天気だ??
Im wunderschönen Monat Maiですよね??
晴耕雨読ではないけれど、寝たり起きたりして、うだうだと仕事modeに入っていたら、チョッと欝に成り掛けたのだけど、無事に回避して、なんとか仕事を熟す事が出来ました。

8時半からは夜食で、それが終わったらドル・プリっ歩で今日の予定は完結です。
今日は2本もvideoを作ったぞぃ❢❢
和声学のvideoとlessonのvideoです。

対面のlessonだと、2時間近く掛かるlessonでも、lecture‐videoだと、正味の演奏時間で済むのだよな~ぁ??
でも、lesson‐videoを作成するには、lesson時間の倍以上も掛かるので、どちらがお得かな??・・の世界だよな~ぁ??

ヒョッとして今夜はほぼほぼ満月??


写真は甘さ控えめ、脂控えめの手作りのドルのクッキーです。
牧野先生制作です。
クッキーは、甘過ぎたり、油っぽかったりと、中々、美味しく食べれる事がないのだけど、手作りはやっぱり美味しいよな??
お得意のアップルパイも一緒に作ってくれていたので、お持ち帰りにしました。

ハイツ到着は、cinderella-timeギリギリでした。

という事で、持ち帰った食料品やsoft等を所定の位置に戻す作業をこれからします。
雑用なので、テレビを見ながらの、ながら作業です。



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5月5日『finaleで、和音記号を表示させるには・・』 ·


これまでは、和声学は対面で五線紙に回答を書いて貰っていたので、Finaleを使って和声の課題を浄書する事はなかった。
finaleの役割は、あくまでも、曲を浄書する時だけなのだったのだよ。

という事で、これまで和声学をlessonする場合で、遠距離の生徒の場合の和声のlessonは、課題の回答を、faxや写真やPDFで送って貰って、それをハイツでprintoutして、それに赤入れをして、再びscanしてmailで送ったり、赤入れした楽譜を郵送する、という七面倒くさい事をやっていたのだよ。

対面だったら、生徒がやって来た回答に、赤入れをして、間違いの説明をして、次の宿題にしたのだけど、遠距離の生徒の場合には、当時は、郵送が主だったよな??

生徒とハイツをFaxで結んで、和声のlessonをしようと、ハイツに電話を入れたのだけど、Faxの場合には、教室のprinterのFaxのdot.は業務用なので、dot.は細かいのだけど、一般家庭から送られて来る電話にくっついているFaxでは、かなりdot.が粗いので、五線紙と音符が滲んでしまって、音符が正しい回答か、間違えているのかが、分からなかったのだよな??

だから、Faxのやり取りでlessonをするのはとても無理だったのだよ。
という事で、折角、申し込んだハイツの電話は、迷惑DM防止の為に、コンセントからプラグを抜いているのだよ。
だから、ハイツの電話は死んでいるのだよ。

・・という事で、mailに写真を添付して、回答を送って来るのだが、その写真で課題を撮影して送って来る場合には、そのdataをprintoutすると、背景色が薄黒くなってしまって、楽譜としても見辛いし、printoutするink代も馬鹿にならないのだよ。(背景色が黒いと、黒のinkだけが、大量に消費するのだよ。)

だから、scannerでscanして、PDFでmailに添付するように頼んでいたのだが、それが結構面倒くさいらしくて、幾ら、注意しても、写真で送られて来ていたよ。
真っ黒の譜面に赤入れをして返送するのだから、相手に取っても、とても見にくいと思うのだけど、それで良かったらしいよな??
まあ、その程度の価値観なのだよな??
まあ、和声学に対しての価値観がどうであろうと、俺の知った事じゃあないけど・・な??

しかし、近頃は携帯の進歩も著しいものがあって、携帯で撮影しても、それをPDFfileに変換して送る事が可能になったので、その背景色の問題は無くなったのだよ。

そこで、今回からは、和声の課題を添削するに当たって、Pen‐mouseを購入して、パソコンの画面上で赤入れをして、そのままmailで送り返す事にした。

pdfのfileで送って来るので、そのまま、Pen‐mouseで赤入れをして、lineで送り返すので、printoutをする必要がなくなったのだよ。

それで、これまでの、赤入れをして、scanして、mailに添付して送り返す・・という無駄な手間暇が要らなくなったので、とても助かっているのだよ。
但し、赤入れをした楽譜を、一度、パソコンに保存しないと、赤入れが消えてしまうようなので、そこだけは未だに面倒なのだよ。

保存したdataがPDFfileのアイコンのままで、課題にいちいち名前を付けないと、どれがどの課題なのかが、分からなくなってしまって、送り返すのに確認の作業が一手間増えてしまうのだよ。
だから、赤入れをして、送り返したら、直ぐにパソコンに保存されたdataを削除する事にしている。
そうすれば、同じfileを間違えて送り返す事は無いからだ。
それならば、lineでのlessonではなくて、skypeや、Zoomや、Meet等のwebでlessonをすれば、ほぼ対面と同じなのだから、良いと思われるかも知れないよね??

しかし、対面式のweb-lessonでは、説明は非常に良いとしても、肝心要の楽譜も画面上に必要なので、目まぐるしく、cameraのangleを変えるか、楽譜だけを撮影するための、2台目のcameraが相手にも必要なので、それは、あまり現実的ではないのだよな。

まあ、可能性としては、携帯で顔を撮って、パソコンで楽譜を撮影すると良いのだけど、それだけでも、結構、準備が大変なので、今の所は、lineで添付した回答の楽譜とlineのchatで、和声のlessonをしているのだよ。

和声学のlectureについての、video‐撮影を思い付いたのは、これまでの和声のlessonは、対面だったので、教本の文章の難解さに付いては、その場で教本の言葉の足りない部分に付いての説明が、その場で出来たので、和声学の教本の文章の分かり難さの問題はあまり感じなかった(・・というか、教科書に頼る事は少なかったので)のだが、実際にremoteだけで、教科書に依存してlessonを始めて見ると、和声法を理解させる為の、文章の難解さに直面をして、教本とは別に、和声のpointの説明をする事への必要性を感じて、和声学のpointの説明のvideoを作成する事にしたのだよ。

そこで、和声学のlesson‐videoを作るに当たって、Finaleを使って課題の楽譜の浄書をしていったのだが、和声課題の数字と機能を示す記号等の、basso continuoの数字をFinaleの中で、作るのが非常に難しくて、元々のfinaleの中にあるFontである所の、Chaconneのfontや、Finale NumericsのFontや、わざわざと、和声の数字付き低音の為に、昔々、購入した和音記号FontPacのsoftであるSHarmonySignW1等のsoftが、本来ならば、簡単に、basso continuoの数字を書けるsoftであるハズなのだが、manual通りにやっても、Keyboardが反応しないのだよ。

それに加えて、それぞれのsoftに、和声を指導する上で、必要且つ、重要な記号が、無いのだよな〜ぁ?

和声課題で最も必要な記号は☓印なのだろうが、finaleのFontの中には、☓印が無いのだよ❢

T,S、Dの機能の記号はあっても、和音記号の下にTSDの機能を書く事は出来ないし、D2やD0に至っては絶望的でもある。

勿論、他にも色々と不足している記号はたくさんあるのだが、専門家じゃあないから、分からんだろうな??

ChaconneのFontと、Finale NumericsのFontや、SHarmonySignW1のFontを一覧表で見るのに、IMEパッドからそれぞれのFontを開いて、何が出来て、なにが出来ないのかを俯瞰して見た。
まあ、お粗末なものだよ。
手間暇は掛かるけれど、結局、SHarmonySignW1がcontinuoの記譜には、一番可能性がある事が分かった。
他のsoftでは、和声学には対応出来ないのだよな??

表示されるハズの記号が、私のKeyboardでは、反応しない場合がよくあるのだが、私のKeyboardは、一応、Microsoftの Ergonomic Keyboard なのだから、windowsと同じ仕様のハズなのだが、困った事に、keyの割り当てが上手く行っていないのだよな??
日本語用のKeyboardではなくて、America仕様のKeyboardだったら、多分反応するのかな??

ハイツの部屋には、パソコンがぶっ飛んだ時の為に、1台だけAmerica仕様のminiのKeyboardが、買ってあるのだよ??(パソコンがぶっ飛んだ時には、windowsと同じmicrosoftのkeyboardであるハズのNatural Ergonomic Keyboardは、使えなくなってしまうのだよ❢)

その為に、パソコンが死んでしまった時の、非常事態の時にしか使った事は無いのだが、普段のfinaleの作業の為に、わざわざと、America仕様のKeyboardを引っ張り出して、Fontを試す気にはならないのだよな??
それで上手く行ったとしても、その都度、keyboardを交換する気はないからね〜ぇ?

兎に角、 Ergonomic Keyboard では、元々のfinaleのsoftは全く機能しないし、購入したsoftである和音記号Font•Pacも、或る程度・・という所迄しか、機能しないのだよ。
先程も言ったように、Keyboardにkeyが割当られていないのだよ。

しかも、和音記号Fontのsoftは、数字を立てに配列するのに、一つ一つの数字をselectしなければ、ならないので、一つの和音に和音記号を割り当てるだけで、結構、膨大な時間が掛かってしまうのだよな??
私的には、和声学で必要なFontと数字が予め準備されていれば、時短が出来るのに・・と思っているのだがね??

今夜は、頑張って、2時間、3時間と、色々と試して見たのだが、とうとう諦めて挫折してしまった。
全部のsoftが出来る所迄は出来るのだが、出来ない所は出来ないのだよ。

だから、出来ない記号を、Fontの番号を入力しても、それでも、表示されないのだよ。
勿論、ある程度迄は、出来る所もあるのだけど、出来る所と、出来ない所があったら、そりゃあ、仕事にならんわさね??

それが半々じゃなくて、9:1であっても、proとしては、使う事は無いわさ❢❢


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5月6日今日は満月です。 ·

今日は5月5日の子供の日です。
とても良い天気で、練馬区では27℃にもなったのだそうです。

という事で、お天気に体が付いて行かなくて、眠れなくて、起きれなかったのですが、やっと、眠れたと思ったら、電話で起こされて、一日中J-comの携帯電話の機種変の手続きと、プランの変更の手続きで、結局、全く眠れないままに、一日が終わってしまいました。

早めに椎名町に行って、ドル・プリっ歩を早めに済ませて、爆睡しようと思ったのだけど、不思議な事に、ハイツに戻る時間は同じ・・とは言っても、普段よりは小一時間程早い11時を回った頃には、ハイツに戻って来ました。

そして、今日も、ほぼほぼ満月の日でもあります。

明日の土曜日が本当の満月で、花の咲き乱れる頃という事で、フラワームーンと言うのだそうです。

明日の土曜日は、練馬区の気温の予想は30℃だそうです。
もう、知るか??

日曜日は3月迄、気温が戻るのだそうです。
そりゃあ、無いよな~ぁ??

それでなくても、体調が~、と言ってるのに、こんなに気温が乱高下すると、私達老人でなくても、結構キツいのではないのかな??

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5月6日『覚書=NiederschriftⅥ 』 ·


『愛の夢のの冒頭部分の和声分析』
dominante‐Zyklus、所謂、五度圏という技法は、調という概念が産まれたbaroque時代から既に存在していたので、baroque時代の多くの作曲家が五度圏の技法を駆使して作曲をしていたのですが、同じ五度圏という和声の技法を使って作曲したとしても、LisztとChopinでは、表情が全く違いますし、Bachの場合とも、当然違います。

Lisztの「愛の夢」の中に使用されていて、「愛の夢」の音楽表現の元になっているchromaticな五度圏の使用は、不思議な事に、官能的であり、WagnerのTristan‐harmonyさえ連想させます。
勿論、Lisztが先駆者であり、娘婿のWagnerがLisztの影響を受けているのですがね??

つまり、この愛の夢は全曲に渡って、このchromaticなquint‐Zyklus(五度圏)が、曲を支配する重要なharmonyになっているのです。

3小節目からは、一般的なquint‐Zyklusのように、5度の跳躍の連鎖が繰り返されますが、冒頭のBassführungは、音階上の進行となっていて、後半で繰り返される時には、半音階を更に追加して、神秘的な官能的な和声進行をしています。

dominante連鎖(quint‐Zyklus)はD⇒Tが繰り返されるのですが、diatonic‐quint‐Zyklus(全音階的5度の連鎖)の場合は兎も角として、chromatic‐dominante‐Zyklusの場合には、D⇒Tの動きが転調の動きになっているので、そのD⇒Tが繰り返されると、調が確立しないままに、転調を繰り返す事になってしまいます。

Wagnerの楽劇「Tristan und Isolde」では、求める調がE Durの主和音であるのに対して、4時間に渡って、dominanteを繰り返して、結局、E DurのdominanteであるHの和音で、終わります。

つまり、dramaの中では、永遠の愛を求め続けるHの和音で終わる・・と言う意味です。(Hの和音で終わるという事は、つまり、E Dur(Elos愛の調)を求めて、それに対するdominanteの和音で終わると言う意味なのです。)

楽劇「Tristan und Isolde」の冒頭の旋律は印象的にd mollの和音の中で始まりますが、d Minoreのchordは、a mollのdominanteがE Durのchordなので、それに対するdominanteであるsub‐dominanteの和音になるので、結局の所、やはり、Eの和音に対してのdominanteの調になるのです。

つまり、Tristanの楽劇は、全編に渡って、Eの和音を求め続ける音楽になり、調が確立しないままに、延々と音楽が続く・・という事で、無調音楽の先駆を成した音楽になるのです。

まあ、それが、dominante‐Zyklus(dominante連鎖)という作曲技法なのですが、勿論、先程もお話したように、dominanteZyklusというものは、調の音楽が確立したbaroque時代からあったのですが、それをchromaticに、官能的な表現として作曲したLisztにWagnerが強く影響を受けた・・と言う事なのでしょうかね??

Lisztの「愛の夢」もWagnerの「Tristan」も、同じ「愛」を官能的に捉えて、表現した所に、このchromaticなquint-Zyklusの特徴が活かされているのです。







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5月6日『携帯のJ-comのマイページのログインが出来ない❢❢』 ·


昨日の5月5日は、J-comの携帯の機種変の手続きで、一日終わってしまったのだが、元々は、J-comのpersonal‐IDが開かないので、マイページに到達出来ないので、昨日、機種変の手続きの次いでに、電話が来た次いでに、お願いをして、元々、あったマイページのpersonalIDを削除して貰って、新しく、新規登録をする事にしたのだが、昨日は、超、忙しかったので、結局、personalIDの新規登録迄は行かなかった。

という事で、今日は、homepageの次いでに、J-comのpersonalIDの書き換えをしようと登録を始めたのだが、新規登録の入力の中に、credit‐cardの支払いの段階で、credit‐cardの下4桁の入力をしなければならなかったのですが、credit‐cardの番号の入力をしたら、Errorのmessageが出て来て、そこで入力が止まってしまった。

調べて見ると、今、引き落としをしているcredit‐cardではなくて、昔、登録した古いcredit‐cardの番号でなければ、マイページには入れ無いらしいのだよ。

だけど、古いcredit‐cardの番号なんて、パソコン上の何処にも残していないし、通帳類の書類を出してみたのだが、勿論、古いcardは、Shredderで処理済みで、番号なんて、とても分かる分けはないのだよ。

ハタと困ってしまったのだが、ふと思い付いて、net通販の購入履歴からどうでも良い商品を選んで、再注文をする事にした。
支払いの入力で、今の活きているcardが出て来たので、変更をselectしたら、案の定、今は使えなくなっている古いcardのdataが出て来た。

その番号を控えて、買い物はサッサと削除して、J-comの登録画面に戻って、古いcard番号を入力したら、何の問題も無く、マイページに入る事が出来たよ。
しかし、それならば、何も新しいpersonalIDを作る必要は無かったじゃん❢❢
古いcreditのcard番号を入力すれば、それでマイページが開いたハズじゃん❢❢

古いcredit‐cardの番号が分からないから、新しくpersonalIDを作ったのに、それを登録するのに、古いcredit‐cardの番号が要る・・とは、主客転倒も甚だしいのだよな??

新しい、personal‐IDを作るのなら、支払いのcreditも新規にならないといけないハズじゃあないの??
前の名前と生年月日と住所とを、同じか確認するのならば、それでは、新しいpersonalIDを作る必要は全く無い・・という事で、これは全く、無駄な作業をさせられてしまったのだよな??
私は、一体、何をやらされたのだよな??

ROBOTとのchatも、cardの番号を認識出来ないので、新規登録をしているのに、「card番号を入力しろ❢❢」としか言わないのだよ。
何度も状況を説明して、chatしているのに、同じ回答にloopしてしまうのだよ。
つまり、ROBOTなので、私の説明が無視されてしまうのだよ。

昨日の女の人もそうなのだけど、今の人達はmanualに無い質問に答える事は出来ないのだけど、こちとらは、manualに無いから、質問をするのだけどね~ぇ??
そこの所が、今の人達には理解出来ないらしい???
つまらない世の中になったもんだミン❢❢

それはそうと、この所では、普段は老人性の嵌入便で、渋り腹になって、いつも、大変な思いをしているのだが、今日は朝から、どうした事か、急性の下痢になってしまった。

という事で、今日は食事だけの移動にして、ドルプリっ歩は、私はお休みにします。
途中で突然、もようしても、困ってしまうからね〜ぇ?

部屋の中では、気温よりも、湿度が高く、体調不良になりそうだったので、今年始めての除湿を入れました。
やっと、息が出来るのだよ❢

大急ぎで、ドル・プリっ歩と一緒に椎名町の家を出発したのだが、辛うじて、なんとか間に合ったのだよな??ヒェ~ッ❢❢
危ない!危ない❢❢




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5月8日『ドレス コード(dress code)のお話』 ·


homepageに「演奏会や発表会等のDress codeの話し」を、昔々、書いていてuploadしていたのですが、2018年9月29日のcatastropheで、そのPageも、homepage上からぶっ飛んでしまって、補正復刻をしないままに、長年、放置をしている間に、そのPage自体も、いつの間にかなくなってしまっていました。

多分、Pageを作った時のの元の原稿は、Facebookに記載した文章の中から起こしたハズなので、元の文章さえあれば・・・、という事で、頑張ってFacebookの中を探して見たのだが、どうしても、見つける事が出来なかったので、もう一度最初から書かなければならなくなってしまいました。

私としては、舞台mannerについては、詳しくはないし、またちゃんと守っているとも言い難いので、その話題は避けていたのですが、発表会や対外出演についての、子供達への意識付けのお話をした次いでに、所謂、舞台衣装についてのお話しを、生徒や保護者の為に勢いで書いてしまった•••という経緯があります。

対外出演の場合には、主催者が違うので、一応、公開演奏という事で、教室としての約束事ではなくて、練習の参加や、舞台出演の時の衣装に付いては、社会一般の常識に準じなければなりません。
社会の場合には、社会的なruleという意味でも、厳しく衣装にも制限があります。
勿論、教室としての規則ではなくて、一般社会的な制限の話しなのですがね。

教室では、発表会の舞台も、一応公開の場として捉えているので、衣装、所謂、dress codeは、お出かけ衣装以上という事にして、sneakersやSandal履きの参加はお断りする、というdress codeの条件を付けました。(発表会はあくまでも、希望参加なので、条件が納得行かなければ、出演しなければ良いのです。)

発表会を、コンサート・ホールで開催する限りは、一応、教室主催でも、公開演奏の場なので、先生達は黒白の演奏会衣装での参加になっていたのですが、生徒達が、発表会衣装を着るようになったので、先生からの意見で、先生達もStage衣装を着る事になりました。

対外出演では、以前は、教室の衣装を貸与して演奏に望んでいたのですが、それぞれの生徒が着たい衣装を着て演奏をする・・というstyleに変更しました。


dress rehearsalに付いてなのですが、
この所、orchestraの参加者が激減して、発表会でオケの曲を維持する事が困難になってしまったので、OB•OGの先輩諸氏にhelpを頼まざるを得なくなってしまったのですが、先輩諸氏が練習に参加出来る日が無くて、発表会の当日だけの参加のん達が殆どなので、Opera等のリハーサルでよく見受けられるDress rehearsal をする事にしました。

dress codeとは、日本語に訳すと、「服装規定」と訳すようで、一言に纏めると、「TPOに合わせた、服装のルール」と言う事が出来ます。

教室に拠って、発表会の意味も変わるので、逆に、その教室の発表会への価値付けや、音楽に対して、或いは教育に対しての考え方を、dress codeで知る事が出来ます。
教室としての宣伝文句が幾ら素晴らしくとも、発表会の水準で、その教室の本当の意味を知る事が出来るのです。

という事で、その教室のdress codeが、casualな場合には、popular音楽やテレビ音楽等が主流の教室だと思います。

popularでも、或る程度の水準がある教室ならば、casualでもsenseがある衣装であるハズですし、巷の水準の無い教室ならば、普段の服のままで発表会に臨むハズです。

発表会衣装やdressを着て発表会に出演している生徒達の教室ならば、Classicを基本とする正当な教室だと思います。
発表会のdress codeで、教室の水準が分かるので、教室選びの参考にすると良いでしょう??

一般的な教室の発表会では、出演する子供達の衣装は、教室毎に、本当に色々な衣装を着た生徒達の発表会があるようですが、子供達の着る衣装で、或いは先生達が着る発表会当日の衣装で、その教室の先生や生徒達、果ては、子供達の親の子供の音楽への教育に対する姿勢さえも、垣間見る事が出来ます。
当然、先生の子供への姿勢もですがね~ぇ??

言って見れば、果ては、演奏する人のその音楽に対しての価値観・・、だけではなくて、来ている人達への価値付け、さえも見て取れるのだよ。
これは、一般の人達には、あまり意味が分からないよね??
補足説明をしよう❢❢

教室で結構、大舞台を前にしたPianoの生徒がいました。
ちょうど、全く偶然なのですが、同じ時期にconcoursの全国大会を前にした生徒もいました。
緊張しないように、adviceを二人にしたのですが、二人共全くの偶然なのですが、同じ答え方をしたのですよ。
「審査員や聴衆よりも、芦塚先生を前に演奏する方が怖い❢」なのだそうです。

まあ、それならば、私への褒め言葉で、嬉しいのですが、次の言葉が問題で、「聴衆や審査員は、上手に騙せるけれど、芦塚先生は騙せないので、怖い」・・のだそうです。
褒められているのか、単に、ツンデレされているのか、複雑な心境ですよね~ぇ??
騙しちゃぁ、いかんだろう??
幾ら審査員でもね~ぇ??

まあ、それにしても、dress codeは、結構、怖いのだよ。
無意識にその人のその演奏する場所への価値観さえも、或いは、その人の潜在意識さえも、見る事が出来るのだよ。

優れた料理人は、たった一人のお客様に出す料理でも、千名のお客様に対して出す料理でも、味を変えてはいけないのですよ。
勿論、老人だから・・、或いは、東北の人だから・・といって、微妙に塩加減を変える事はとても良い事なのですがね??

兄貴のお茶の師匠が、「陛下の前でも、通りすがりの人の前でも、同じにお点前をせんとあかんのです。」とか言っていたそうですが、「心が出来ていないと」・・やっぱり、公の前では手が震えるよね~ぇ??

あたしゃ、そんな輝かしい舞台に立つ事は無いので、そんな、気分は分からんのよ❢❢

少なくとも、自分が指揮をする時には、子供達やOB・OGが私の指揮の通りに、演奏をしてくれるか・・??という気持ちでいっぱいになるので、(つまり、・・気が気では無いので、)手が震える処ではなくて、気持ちが恐怖に震えているのだよ。

だから、「あがる」・・とか言う気分になる瞬間は全く無いよね~ぇ??

音楽をcontrolするのに忙しくて、自分があがるどころじゃあないのよね??

写真は本番ではなくて、dress rehearsalの風景です。

楽譜を、舞台で始めて見る、所謂、初見の人も結構いたりします。それでも、来てくれるだけ有り難いですがね~ぇ??

rehearsal の時間は30分と決められているので、just30分のrehearsal ‐timeの中でのオケ練習(・・というか、伝達の方がmainの練習)です。
(30分遅れのrehearsal 開始なのだけど、まあ、練習も30分の時間ギリギリまで、練習をしました。)

rehearsal は基本非公開なのですが、唯一の限定公開で、このPageからlinkを張って起きます。
https://www.youtube.com/watch?v=O_pQwQPA14o





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5月8日JcomのぶっといCableが部屋の天井を ·

今日は5月8日の月曜日の朝の8時半を過ぎた所なのです。

一昨日の土曜日はone‐coolしか眠れていなくて、日曜日の夜は、食事をしながらの居眠りをしていたので、早めの10時半には江古田ハイツに戻って来ました。
だけで、いつものroutineで、SDcardをパソコンに取り込む作業や、Blu-rayに焼いたり、オケ練習をYou Tubeにuploadする作業をやりながらの、ながら作業をしてしまったので、結局、4時頃の就寝になってしまいました。
結局の所、眠れなかったのですよ。
まあ、誰にも言っていないのだけど、チョッと頭にカチンと来る事があったのでね??

videoの取り込み作業は、それを鎮める為の、抗鬱の作業でもあったのですよ。

今日、月曜日は朝の8時というのに、練馬区では10℃で、雨も結構、強めに降っています。
肌寒い・・・ではなくて、マジに寒いのだよ。
金曜日には、練馬区の気温は30℃まで上がったので、次の日、次の次の日に10℃では、20℃の気温差なのですよ。
だから、今日、月曜日も超、寒いのです。

今日はお昼の2時から6時の間に、J-comが電話の回線の機器の回収作業に来る予定なので、何時人が部屋に来るのか分からんので、本当は安静日なのだけど、心が落ち着かないのよね~ぇ??
本当は心静かにしておきたいのだけどね~ぇ??

と思っていたら、11時過ぎに電話があって、1時から1時半の30分だと、確定しました。
少しは、気分が楽になったぞよ。
と、おもったら、1時の直前になって、椅子に座ったままで、眠ってしまっていたぞ❢❢
超、慌てたぞ❢❢
着替えが間に合わないかも・・と思ってしまった。

工事の人が来て、電話の機器を外して、J-comテレビの機器を取り付けて、その配線の工事が始まったのだが、コードが太くて、部屋の中をコードを這わせるのが大変で、家具を退かしながらの配線が出来ないし、Cembaloの部屋のドアが閉まらなくなってしまった。
困ったぞ❢❢
同じmansionの他の人達の部屋も、配線の機器が来ている部屋しかテレビが映らないらしい。
今時、Wirelessの配線は出来ないなんて、そんな事はあるのかい??

20m以上のぶっといcableを持って来て貰って、だいたいのゆとりの長さで配線して貰った。

家具を動かしたり、色々と、配線をするのは大変だから、コードだけを配線して、取り敢えずテレビだけは見れるようにして貰った。
videoのdeckに配線をするのに、PanasonicのDigaは二台とも型番が古いので、J-comの器械からはdirectには配線が出来ないという事なので、已む無く、hard diskに配線をした。
テレビのhdmiの端子の数が1個づつだったので、端子の数が足りなくて、取り敢えずはDigaの大型の方のhdmiを外して、J-comの機器に接続させた。
hdmiの分配器は予備があったと思ったのだけど、探しても見つからなかったので、仕方なく、即、netで注文した。
分配器が付いたら配線をし直す事にする。

取り敢えずは、テレビは見れるようになったのだけど、Netflixも付いていたので、リモコンの使い方や、channelのcheckをしました。
Cembaloの部屋からのテレビのコードの整理は、気長に、日にちを掛けて、頑張ってやるとするか??
いずれにせよ、一人では出来ない作業なのでね??

ドル・プリっ歩の時間になったので、ハイツで出来る作業は取り敢えず終わりにして、急いで椎名町にbikeで移動しなければなりませんが、着て行く服が無いのだよな??
外は超、寒いのだよな??
尋常ではない寒さなのだよ。
またまた、ガスストーブを焚いているのだよ。

今日からは、コロナが5類に分類されるようになりました。
マジか??

明後日からは抗癌治療が始まります。
6ーCoolです。

7月初旬までは、体調不良になる予定なのですが、「人に依って・・」らしいので、実際には、どうなるかは分かりません。
抗癌剤の方が、副作用は楽らしいのだけど、効果は牛痘の方が良い結果が出るようなので、そちらを推奨するようなので、従うだけです。
毎回、約、3時間程は掛かるようなので・・・





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5月9日明日からは抗癌治療が ·

今日は5月の9日、明日は5月の10日の水曜日、明日の朝早くから、いよいよ抗癌治療がはじまります。

7月まで、跨がった・・と思ったけれど、よくよく調べてみたら6月いっぱいまでの治療です。

今日は一日中、安静dayの予定だったのだけど、前日の夜は全く眠れなかったので、一日のrotationが滅茶苦茶になってしまって、お昼過ぎからbedで、やっと眠る事が出来ました。

夕方からなのだけど、病院に持って行く書類の書き込みが全く出来ていないし、明日の準備もこれからなのですが、先ずは髪を洗う所から始めて、夕食を食べて・・、と、いつもの事だけど、やる気が起こらないのよね??
せめて、保険証を出す所から始めるか??

・・てな、単純な事が2時間経っても出来ないで、椅子に座ったままなのだよな??

医者に見て貰う・・と言うか、許可を貰う書類が溜まっていて、それを書き込む事は、とても出来なかったので、持って行くだけ持って行く為の書類カバンを出す所も、やらなければならないのだが、そのままなのだよな??

書類用のショルダーバッグを出して、保険証類と書類を突っ込むだけ突っ込んで、取り敢えず寝ていたら、深夜、突然下痢になってしまった。
1時間おきのrotationだ❢
これは困った❢❢
それでも、頑張って、根性で眠ったら、それでもone‐coolは、眠れたよ。
朝の7時前だ❢❢

2-cool眠れた分けなので、まあ、病院は大丈夫だろう。

電車に乗り遅れてしまった。
ハイツを出発する時間と、電車の出発時刻をAramに設定していたからだ❢
頭では、分かってはいたのだが、動きが遅くなってしまったからなのだ❢
普段は、そういったミスはしないのだが、まぁ、潜在意識のなせる業だよな??

だからといっても、遅れる分けではないので、焦る事もないのだよ。

risk管理で、余裕は多く取っているからなのだよ。
体調次第で病院迄の歩く時間が変わるからなのです。




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5月10日『抗癌治療の開始と新携帯の設定のお話』 ·


5月10日の水曜日の今は午後1時半を過ぎた所です。

朝方の未明の時間から突然の下痢が始まって、眠れなくて大変でした。
一応は、下痢が収まってからは眠れたので、one‐coolは何とか眠れたようです。

午前中は7時半過ぎに起床して、病院行きの準備を開始したのだけど、電車の出発時間とハイツの出発時間を携帯のtimerにsetしておいたのだけど、頭では分かっていても、どうしても、電車の出発時刻をハイツ出発時間に読み替えてしまって、結局、電車に乗り遅れてしまいました。

とは言っても、体調不良の場合も考えてのrisk管理なので、ゆっくりと次の電車に乗っても、時間までには、到着は出来る時間的ゆとりは設定しているので、問題はありません。

・・と思っていたら、手続きを終えて、処置を受けた後、辺りから、またぞろ、下痢が再発して来て、予定の3時間をwaitする事が難しくなって来てしまいました。

諦めて、12時半頃には、処置室に戻って、状況の説明をしたのですが、問題はなく、rotationを終える事が出来ました。

病院の会計は、待ち時間に済ませてしまったので、処置が終わった段階で病院を後にしたのですが、強烈な下痢(Durchfall)で、超、疲れてしまったので、本当ならば、駅近の喫茶店で休んでから帰宅したかったのですが、無理をしてでも、急いでハイツに戻る事にしました。
それで、ちょうど、ギリギリだったのだよな??
今日は多分、一日中下痢なのだろうな??

今は只管、J-comからの荷物を待っている所です。
2時から4時に着くようにnetでorderしたのだけど、着かない❢❢
遅い❢❢

結局、荷物は到着しなかったので、再配達の手続きをして、今度は6時~8時の到着予定なのですが、ちゃんと着くのかな??
結局、7時半頃に荷物が到着したのだけど、荷物の箱には14時16時というsealが張ってあったよ。
貼ってあるのに、配達をしていないのだよ。
少し、腹が立ったよな❢❢

携帯のdataのお引越しは、恙無く終わった・・と思ったのだが、J-comの解説に書いてある携帯の情報のお引越しと、スマホに出て来るmessageとか違っているので、スマホの指示に従う事にしたのだが、accountの認証で引っ掛かってしまって、どのmailを入れても、どのpasswordを入れても認証されなくて、loopをしてしまった。

という事で、J-comのマイページの設定の画面を見ても、J-comのchatに入っても、回答は得られなかったので、(chatとは言っても、相手はRobotなので、質問を選ぶだけなので、「accountが認証されない」というmessageが見つからないのだよな??
・・・已む無くnetで、調べたら、「loopをした時には、放置をしろ」と言うmessageがあったので、そのまま、放置をして、bedに戻って寝た。

one‐coolぐらい眠って、起きてtoiletteに行って、それからスマホを見てみたら、なんとちゃんと進んでいたよ。

しかし、送って来たスマホがBattery切れで、先に進めなくなってしまったので、急遽、新携帯を充電する事にした。
はてさて、どれぐらいの時間が掛かるのかな??

古い携帯のbatteryが1日持たなくなって来たのでの、機種変なので、古い携帯のbatteryが保っている事自体、奇跡なのだけどね??

まあ、何とかdataのお引越しを済ませて、スマホ自体は恙無く使えるようになったのだけど、画面操作が前の機種と全く違うので、待機画面を作るのに一苦労しているのだが、今日は、まあ、問題無く、lineやmessageやmailが入って来るようになって、保存してあるdataのお引越しも出来たので、少しスマホに慣れるまでは、このままにしておこう。

と思ったら、Facebookのaddressが違うaddressが出て来て肝心要のaddressが分からないのだよ❢

仕方が無いので、パソコンを立ち上げて、addressを見ようと思ったのだが、どこにもaddressが出て来ないのだよ❢
困ってしまったのだが、やっとaddressを見つけたら、何と、jcommailのaddressだったのだよな?
そりゃあ、分からんワサ❢
使った事ないからね??

という事で、なんとかFacebookも開くようになったのだよ。

次にmessengerを開こうとしたら、認証コードの数字が送られて来るのだが、それを開くにはmessengerを閉じないと、開けないのだよ。
そうすると、認証コードをcopyしても、また最初からmessengerを開かなければならなくて、結局の所出来なかった。

という事なので、パソコンで認証コードを受信して、携帯の打ち込む欄に入力したら、問題無く出来た。
アプリに依って、携帯だけで、認証コードが確立出来るのと、出来ないのがあるようだ。
これは問題だよな??

という事で、skypeとlineとmessengerと、Facebookとは開けるようにはなった。

勿論、homepageもYou Tubeも問題は無い。

Instagramやtwitterは未だcheckしていないのだけど、どうせ、使う予定は無いので、開いても、開かなくても、私に取ってはどうでも良い。

それはそうと、次いでに、古い端末の初期化をしようと、端末を立ち上げようと思ったのだが、何と❢もう完全に電源が、立ち上がらなくなっていたよ❢
危ない❢危ない❢❢

作業中に「次の操作をすると・・・」というmessageが出て来たような気がしたのだがね??

という事で、パソコンでlineを開こうとしたら、「認証コードを入力しろ❢❢」とmessageが出て来て、またまた、開かなくなってしまった。
QRコードLeaderをinstallしようとしたのだが、宣伝文句が出て来てQRコードを認証してくれないのだよ。

またぞろ、loop作業を何度か試みたら、ヒョコっと出来てしまったよ。
何故、出来たのか、理由が分からない❢❢
また今度、lineが開かなくなった時にはまた、同じloopになってしまうよな??

中野 卯月
先生
脱水症状が起きませんようお水をしっかりお取りくださいませ♪

芦塚 陽二
​中野先生、ご心配頂き有難うございます。腎機能が良くないので、この数年は利尿剤を服用しているので、毎日の水分補給は医者からの指示で、人よりもかなり多く飲むように心掛けています。夜間のtoiletteの時でも、排尿の後には、ほぼ同量のお茶を飲むように心掛けています。
まあ、医者の指示なのですがね??

中野 卯月
芦塚先生
安心しました〜




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5月13日『monitor‐テレビのお話』 ·


J-comの契約の時に、和声のlessonの為に、Fax用に電話を同時契約したのだが、Faxでは和声の五線紙が滲んで見えないので、結局の所、殆ど使用しないままに、2,3年が経ってしまった。

J-comは電話とNetflixの二択だったので、電話を解約してNetflixに契約をし直した。また、その手続きが煩雑な事・・・❢❢
それだけで、2,3日が過ぎてしまったよ。

J-comの契約のし直しのような、面倒くさい事を何故、始めてしまったのか・・という事なのだが・・・、
今回、携帯を機種変する事になったその理由は・・、

昨年の12月頃から、私の携帯のbatteryが死んでしまって、batteryを交換して貰ったのだが、逆に調子が悪くなってしまって、買い替えようと思ったのだが、未だ、縛りが残っていたので、已む無く、同じJ-comの機種変にせざるを得なかったのだが、その機種変の手続きが面倒くさいので、半年間も携帯を新しくしないままに、放置してしまっていたのだよ。

しかし、とうとう、携帯のbatteryが、1日も持たなくなって来たので、諦めて、携帯の機種変の手続きを開始したのだが、お引越しの設定は、J-comにやって貰うと、「有料で結構高いので、自分でやるように」と、言われてしまったのだ。

しかし、先ずは、J-comから貰ったお引越しの手順書と、携帯に出て来る手順書が全く違っていて、仕方がないので、携帯の手順書を有線して、携帯の設定をしたのだが、パソコンとの同期の段階で、パソコンでは開かなかったり、折角開いたsoftが、次の日には、また、開かなくなっていたり・・と、何度も、同じ設定をやり直して、超、面倒くさくて、頭に来ていたのだが、流石に、2日目ともなると、だいぶ安定して来て、だいたい、お引越しの作業は終了して来た。

まあ、お引越しはだいたい終わったのだが、新しい携帯の操作が、古い携帯とは全く違っていて、また、待受画面が、古い携帯の待受画面で設定していたアイコンの半分も常駐出来ないし、アプリを終わらせるのに、一つ一つのアプリを終了させる手順が無いので、画面からアプリが消えるだけ・・というのは、開いたままで、backgroundで待機しているような感じで、なんとも、心許無いのだよな??

・・という事で、この二日間は、携帯のお引越しに専念していたのだが、それもやっと、一段落したので、今日は、解約した電話に変わって契約をしたNetflixのテレビの配線で、業者から、テレビのhdmiの端子が、3系統しか無いので、J-comからの有線テレビの配線が出来ないので、PanasonicのDigaのvideo1系統だけを活かして、同じ、PanasonicのDigaのRecorderのvideo2系統を、死んだままにしていたのだが、J-comの人に言われて、hdmiの分配器をnetで買ったのだけど、それ以前に、携帯の設定が大変で、これまでは、テレビの配線までは行かなかったのだよ。

「なんで、配線が複雑なのか??」と言う事なのだが、教室の発表会や対外出演や、solo活動等のvideoの編集の作業を椎名町の教室ではなくて、江古田ハイツの自宅でやっているのだよ。

発表会のvideoは昔は業者が編集をして完成稿を教室に持って来てくれたのだが、業者に取っても、教室に取っても、発表会費の大半を食ってしまうので、2,3年前から教室で編集してYou Tube等のuploadする事にしたのだ。
だから、教室開設当時のβのtapeや、その後のVHSのtape、8ミリやDVCやDCminiやデジビデ等々、の録音媒体があって、それを再生してDVDやBlu-rayに焼き直す為に、最低でも、βのdeck、VHSのdeck、それにBlu-rayに焼く為に、PanasonicのDigaが2台あって、それをmonitorする為のテレビが必要なのだよ❢

しかし、hdmiの端子が3系統しか無いので、Diga1はPanasonicのDigaに接続しているのだが、Diga3が、パソコン専用になっているので、Diga2用のhdmiの端子を、PanasonicのDigaとJ-comのnet回線用に分配する事になったのだが、不思議な事に、J-comは問題なく再生出来るのだが、video2のDigaからの信号は送られて来ないのだよ。
可能な限りの配線を試みたのだが、ついに諦めてしまった。

テレビは3系統だけだし、Digaも予備のhdmiの端子は付いていないのだよ。

J-comには「テレビにしても、video‐recorderにしても、古い機種だから仕方がない」と言われてしまった。

しかし、私に言わせれば、今時、配線を引き込んだ一部屋だけしかテレビが見れない有線テレビという方が遅れていると思うのだけどね~ぇ??
Wi-FiやWirelessで、全ての部屋で、テレビが見れる方が一般的じゃね~ぇ??
ぶっとい配線コードで、部屋の扉が閉まらない・・なんて、今時、有り得へんじゃないの??

それに、問題はリモコンなのだよ。
J-comのリモコンではテレビの操作が出来ないのだよ。
テレビ画面のon-offや音量、入力切り替えは旧リモコンで操作して、それからJ-comのリモコンを立ち上げる事になるのだ。
つまり、J-comのリモコンでは、音量一つ、操作が出来ないのだよ。
勿論、只、単に地デジやCS放送を見るだけならば、J-comの機器は必要無いのだよ。
テレビを立ち上げて、それからJ-comを立ち上げると、同じ地デジとBS,BS4K、CATVやNetflixやYou Tube等が見れるのだよ。
便利か?便利ではないのか??が、よく分からん❢❢
しかし、この所、news以外のテレビを見る事が無いので、見たい動画が見れる有線は、良いのかも知れない。

中野 卯月
先生
携帯エラーは何より大変な事で
すが先ずは何をおいてもですね!

芦塚 陽二
コロナとは無関係に、部屋に引き篭もってのデスクワークなので、一日中、mailやlineや、You Tube等のonlineの仕事をしているので、携帯の設定の為に、mailが使用出来なくなるのは仕事上は大問題なのですが、一応はパソコンは繋がっているので、然程、急いで作業をしている分けではありません。携帯を買い換える直前のひと月ぐらいは、毎日のように携帯が死んでいたので・・・

中野 卯月
芦塚先生
先生はいつも
大切なご加療中をいとわず先ずはお仕事専一のご無理を、、、
くれぐれも
お疲れが重なりませんように!

芦塚 陽二
ありがとうございます。一人で狭い部屋に閉じ籠もっていると、兎角、欝に悩まされてしまいます。
好きな仕事をしている限り、欝から逃げる事が出来るので、私にとっては、仕事は欝対策なので、仕事という感覚も、実際にお金になる事もありません。

中野 卯月



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5月14日『作曲家と権威主義』 ·


歴代のlegendと言われる作曲家達は、MozartやSchubertのように、或いは教会を去った後のVivaldiやBachのように、貧困と不遇の内に人生を終えた作曲家達と、音楽界の頂点に君臨したHaydnやBeethoven、或いは、皇女と国やバチカンを相手にして恋愛をして、最後には修道士として一切の演奏活動から身を引いたLisztのような作曲家達がいます。

作曲家が一番忌み嫌うものは、そのまま、権威主義なのです。

Bachが教会と対立して、牢屋に入れられても、意志を曲げなかったのは有名な話ですし、BeethovenがNapoleonが皇帝に即位した時に、「お前もか??」と怒り心頭に発して、Napoleonへの献呈の言葉が書いてあった1Page目を引き千切った、というお話は物語ではなくて、史実です。

勿論、三代Bの一人であるBrahmsも、晩年の或る時に、彼の高名を聞きつけた紳士が、Brahmsに面会を求めてやって来て、貧相な身なりをしたままで、散歩に出掛けようとしていたBrahmsを見かけて、尊大な態度で、「Brahms先生はご在宅かね??」と尋ねたら、「先生は散歩に出掛けてしまわれたよ❢」と言って、そのまま散歩に行ってしまった、・・・というのは有名なお話です。

つまり、彼らが有名になって、権威主義の頂点に祭り上げられた時、彼らが感じていたのは、自分に対しての賛辞ではなくて、彼らの権威に対しての賛辞と帰依である事を実感していたのですよ。
それは、実に空虚で孤独なものなのですよ。
自分とは全く違う虚像の自分が作りあげられて、自分とは無関係の虚像が賛美される・・こんな、虚しい事は無く、賛美されればされる程に、孤独を感じてしまうのですよ。
分かるかな??
自分で無い人間に対しての、人々の称賛に対して、晩年のBrahmsは、Brahmsが、未だ、若い頃に近所の女の子達が集まってBrahmsの指導の元でamateurの女性合唱を歌っていた、そのgroupに、晩年のBrahmsが、好んで足繁く通っていたのは有名な話です。
そこでは偉大な歴史に名を残すBrahmsではなくて、近所の音楽家のBrahmsとして居る事が出来たからです。
Brahmsの居場所・・隠れ家・・という事かな??

Europaの音楽大学は、それでも、生徒が先生に対して、師事を希望するのです。
その先生の了解があれば、その時点で、その先生の勤めている音楽大学に受験する事が出来るのです。
つまり、言い換えると、その音楽大学を受験するのではなくて、自分が師事をしたい先生の居る音楽大学を受験するのです。
これは、真っ当な考え方ですよねぇ??

しかし、日本の音楽大学の場合には、音楽大学を受験すると、それまで師事をしていた先生にはlessonをして貰えなくなる可能性が大なのです。

ですから、その音楽大学の教授達は、自分の一番の愛弟子に対しては、一般大学を受験させる音楽大学の教授が結構います。

一流の音楽家として音楽界でも、社会的にも、認められている超有名な演奏家が、一般大学出身者である理由はそこにあります。

しかし、日本の音楽界の殆どの演奏家達は、大学の権威を看板にして活躍をしているのが、日本の音楽界の現状です。
どの教授の門下になるのか??は受験の時の対象にはならないのです。
その音楽大学のその教授に師事したいから、その音楽大学を受験するのではないのですよ。
いや~あ、不思議だよな??

BeethovenやBrahmsや、否、殆どの作曲家はanti権威主義なのですが、日本の音楽家達は権威主義に対して信仰心に近いものを持っています。

また、世間の人達も「あの人は某国立音楽大学の出身者だって❢❢凄いよね❢❢」と噂をするのだけれど、「その某国立音楽大学で、どの教授の門下生であったのか??」を云々する人は皆無です。
つまり、世間も学歴しか見ていないのだよな??
それって、何かが違わない??
でも、それが、100年以上も罷り通っているのですよ。

まあ、academismの音楽大学の話はさておいて、日本では、音楽教育はproとしての演奏活動が出来なかった人や、proの演奏家の暇な時間に片手間に音楽を指導する・・という考え方が一般的です。

殆どの音楽教室で働く先生達の殆どが、演奏活動の水準ではない・・或いは、そう言った努力が辛い人達が、音楽と何らかの関わりを持ちたくて、音楽教室で子供達を指導しているのではないでしょうかね??

私が大学の講師をしていた頃には、結構、音大の卒業生や在学生が私の所に逃げて来ていたのですが、不思議な事に、音楽教室を37歳の時に作って以来、教室で勉強している生徒達が上手になると、音楽大学の先生の元に逃げ出すようになってしまいました。

まあ、若い頃は、その逆だったので、これも因果応報と諦めて、苦笑いをしているのですがね~ぇ??

世間では音楽教室で学んだ知識は基礎にも成り得ない無価値のもので、音楽大学で学んだ技術だけが一般の音楽界に通用するのだ・・という風潮が流布しているようなのですが、たかが4年間の学習でproとして通用する技術等有る理由は無いのですがね~ぇ??



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5月14日欝が酷いので ·

今日は5月14日の日曜日の朝の6時です。

欝が酷いので、出来ればオケ練習をおやすみしたかったのですが、今からでは、間に合わないので、已む無く、欝の気分に鞭打って、頑張って準備をしている所なのです。

昨日の13日の土曜日は色々と意に添わない雑用に追われてしまい、夕方からは疲れ切って眠ってしまいました。
まあ、「ここら辺が欝の発端になっているのではないのかな??」と思っているのですがね~ぇ??

深夜の2時頃に起き出して、普段のroutine作業であるオケ練習の楽譜やlessonで必要な楽譜の準備や食べそこなった夜食等々を、普段とは逆motionで片付けて行きました。

明け方の4時、5時ぐらいになって、突然、欝が酷くなって来て、その欝に対しての処理や、対処・対応が出来なくなって、途方に暮れてしまいました。

alcoholに逃げる事も考えたのですが、取り敢えずは、早い朝食を取る事にして、お茶を濁す事にしました❢

お腹が満たされたら、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなったので、その勢いで、頑張って、寝ました。
鬱の最高の治療薬は熟睡なのですからね?!
まあ、眠る事は眠れたのだけど、朝からの鬱が酷くて、self-controlするのが難しいので、千葉には早く出発する事にしました。

玄関を出て、Elevatorに乗った所で、昨晩、鬱ですか堪えながら、必死で準備した住居関連の書類を忘れた事に気が付いて、部屋に戻りました。

再び玄関を出発して廊下を半分ぐらい歩いたら、pocketにtissueとハンカチ(和製英語)が入っていない事に気が付いて、忘れ物を取りに戻りました。

それから更に、二度、三度と、忘れ物を取りに戻る事を繰り返してしまいました。

・・・とは言っても、別に忘れてもよい、どうでも良いものばかりだったのですがね〜ぇ??
それでも、なんとなく気になったのでね??
どうやら、鬱で脳の働きが正常では無いようです。

まあ、なんとか椎名町に辿り着いて、大急ぎで、ドルとプリを積み込んで、出発をしたのですが、いつもならば、私の腰にピッタリと張り付いて離れないドルなのですが、今日は、窓の方を見て行儀よく腹ばいになったままで、一度も私には甘えて来ませんでした。
鬱で不機嫌なのがよく分かるのだよな??

高速は取り立てて渋滞も無く、恙無く予定の時間の1時間前に到着して、新教室の事務室の椅子で食事と仮眠をしました。

時間になって、オケ練習の時間になったので、先週、おやすみだったHaydnのViolin・Concertoを中心に丁寧に練習しました。

古典派の演奏法は毎回の発表会で繰り返し勉強をしているので、根本的な練習は必要は無いので、結構練習は上手く行きました。

BachのCembalo・Concertoは常設曲なので、問題なく練習は出来たのですが、Genzmer先生のconcertinoのⅠ・Ⅳ楽章とHändel=CasadesusのViola‐Concertoは流石に、超、難しくて、未だ、通し練習の段階です。

常設曲のVivaldiの四季の「夏」も、拍頭が休みで、2,3拍から入るのですが、どうしても、指揮の拍頭のdownswingで反応して、拍頭が休みだと言う事が、体が反応しないので、困ってしまっています。
流石に、指揮を見て演奏に反応する力は良いのですが、それが逆に作用して、休符を演奏してしまっているのだよな??
指揮に休符のmessageのgestureを作るか??
まあ、それしか無いだろうな~ぁ??

「何故、Vivaldiの「夏」の冒頭が入れないか??」と、不思議に思われるかも知れないので、補足説明をして起きます。

1拍目が休みでも、それが同じrhythmの中で繰り返される場合には、何の問題もありません。

前回の八千代のコンサートの時に、VivaldiのSo-netによる絵画的な表現と言う事で、soloの部分は多くの演奏家達が、piacereなad libitumのような表現をしているのは、一般的なのですが、orchestraで絵画的な表現をするのは、至難の業なのです。

簡単な、Ⅱ楽章の遠くで雷の音がする・・という表現ですら、一般的には冒頭にforteで演奏するのが一般的なのですが(オケのscoreにそう書いてあるので・・、何の不思議も無く・・)、前回の八千代では、雷がだんだんと近づいて来るimageを想定して、最初はpianissimoで、次にはmezzo・Pianoで、3回目にはfortissimoで、4回目は、遠ざかって行った雷の音として、再びpianissimoで演奏するようにしました。

同様なinterpretationで、Ⅰ楽章の冒頭のorchestraも、rhythmの無い、無拍子のように、1小節毎にtempoを変えて、演奏をさせたのですが、前回の八千代では、その指揮を見るのが無理で、3小節目からは、諦めて、拍通りの演奏に変えて演奏してしまいました。

それが心残りなので、もしも、また、このL’Estateを演奏する機会があったら、Ⅰ楽章からの私のinterpretationであるtempoの表現を、実際に演奏で表現したいと思ってのtrainingなのですよ。





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5月16日反省用のオケ練習のvideo ·

今日の5月15日の月曜日は、日曜日の疲れを取る為のリハビリdayと決めていて、一日中ウダウダと過ごす予定日ですが、それにしても、一日中、前日のオケ練習とlessonのvideoのupload作業で終わってしまいました。
一つの行程が終わる毎に、寝て、また起き出して作業をするという繰り返しで、作業が一段落する頃には、一日も終わっていました。

video‐cameraで撮影した練習風景やlesson風景をそのまま直接、You Tubeに持って行ければ、とても楽なのですが、そうも行かないので、撮影に掛かった時間よりも以上の時間が掛かってしまって、結構な負担になっています。
オケ練習はオケのmemberだけの公開だし、lessonは担当の先生とその生徒だけの公開に限定しているので・・・

以前は、練習のvideoは、自己反省の為と、資料としてのみだったので、撮影したvideo‐tapeは、生徒に見せる事も無く、そのまま資料として保存するだけだったのですが、子供達が練習の内容y、練習のpointを覚えてくれないので、feedbackで、オケ練習のvideoを見て、lesson内容を覚えるようにとオケに参加した生徒達、限定でYou Tubeにuploadする事にしました。

しかし、自己反省の為とlessonのpointを把握する為に、videoを見て勉強をする生徒は非常に限定的です。
それに小、中学生達は家庭でYou Tube等を自分で見る事は出来ないので、親次第・・という事で、その親が学校関係で忙しくて、お稽古事迄には、手が回らないという事もあるようです。
まあ、そこが巷の音楽教室の限界かね~ぇ??
先生は、一日掛けてuploadしているのに、その労力と時間をおもんばかってくれる人は、少ないのですよ❢

いや〜ぁ、Miserereだよな~ぁ?❢




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5月16日抗癌治療と血尿の瘡蓋 ·

今は5月の16日の火曜日の朝の4時半を過ぎた所です。

toilette-timeで起き出したのですが、排尿困難だと思ったら、結構な瘡蓋(かさぶた)の塊が排出されて、血尿が出ました。

これで、4月の24日に次いで、二回目なのだけど、手術の後の時の瘡蓋だと思いますので、術後の表面の瘡蓋が剥がれただけなので、血尿も次のtoilette-timeには治っているハズです。

・・・と思ったら、次のtoilet‐timeでも、小さな欠片と若干の血尿が出ました。]先程の排尿で、排出出来なかった残りだと思います。
前回の血尿と瘡蓋も今回と同じ月曜日なので、やはり、日曜日のオケ練習は結構体を使っているのだよなぁ。
自分では意識はしてはいないのだけどね〜ぇ?

明日の水曜日は2回目の抗癌治療です。

1回目の副作用の発熱や吐き気等は全く無かったし、待機時間も結構少ない時間でも良かったので、心配した程ではありませんでした。

・・とは言っても、毎週の抗癌治療で日にちと時間を拘束される事は、精神的には結構負担が酷いので、欝に成り易いので、精神的なcontrolが結構難しいのです。

それにもまして、どうも、この所、良眠が取れなくて、bedで眠ろうとしても、なかなか上手く行きません。
いつもの、鼻詰りの所為なのですがね??
それが、抗癌治療のstressと相まって、横になると、鼻が詰まって、息が出来なくなって、眠れなくなるし、椅子に座るとテレビを見ていても、直ぐに仮眠を始めてしまうのだよ。
入眠障害で、体内時計が滅茶苦茶です。

それでも、晴耕雨読ではないのだけど、次の日に予定が入っていない時には、眠れそうになったら、時間に関係無く寝ていたので、なんとか、体調も持っていたのですが、予定がある日は、徹夜のままに仕事に出掛けるpatternになってしまいます。

そして、その次の日の体内時計は、更に滅茶苦茶になってしまいます。
まあ、その繰り返しだなゃ??



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5月17日抗癌治療の副作用 ·

今日は5月の17日の水曜日、病院の日です。

今は午前7時半を過ぎた所で、今日の練馬区の気温の予定は15℃~31℃の寒暖差16℃です。

今日の病院行脚は、9時46分の電車で、10時過ぎの病院 inなのですが、今日は熱中症との戦いかな??

病院の診察予約は10時半なのですが、実際には、その前の、10時から10時半迄の間に、検査室に行って、諸々の検査を出してから、泌尿器科の受付に行くのだけど、その時間が10時半なのです。
病院に依っては、諸々の検査を受ける時間を予約の時間にしている所もありますので、病院の予約時間は紛らわしいのですよ。

一連の抗癌治療の作業全体が12時45分に終わって、13時半過ぎ迄に、大急ぎで自宅に帰って来たのだが、流石に疲れ果ててしまったので、取り敢えず、bedで暫く眠って、15時半にtoilette-timeで目を覚まして、後片付けを始めた所です。

今日、病院から貰ったこれからの予定表のcheckをしていたら、抗癌治療が6回のハズが、8回に変わってたのだが、先生からは何の説明も無いのだよな??

病院から貰ったprintでは、抗癌治療はone‐coolが、6回から8回になっていて、担当の先生からの説明を受けた時には、6回のcoolだったはずなのだが、多分、主治医の先生が抗癌治療の回数の意識が無いのだよな❢❢

まあ、8回の方が確実なのだろうから、文句を言う筋合いも無いのだけど、以前は診察の時間が変わったりして、途方に暮れたしね??
基本的には変わらない方が良いのだけどね~ぇ??

副作用では無いと思うのだが、今日は腰に違和感が出て、寒気がする。
熱が出る前の状態なのかな??
いずれにせよ、今日の練馬区の気温は最高が32℃だそうです。
夜は18℃迄、下がる予定だそうです。

副作用・・と言う事でなくても、体が持たんわさ??

やっぱり、夕方から熱が出て来た❢
7度3分だ❢

頭がクラクラするので、超、早く、夕方の7時半には、椎名町に移動して、食事をしたのだが、熱は更に上がって、7度4分になってしまった。
身体中が熱くて、目が回るので、とてもドル・プリっ歩には行けないので、食事が終わると同時に、急いで江古田に戻って来たので、9時45分にはハイツに到着した。
今までで、一番早い帰宅である。
お弁当類を冷蔵庫に仕舞うのは、体調的に、とても無理なので、出しっ放しのままで、bedで横になる事にする。

10時頃から、爆睡をして、cinderella-timeの12時過ぎにtoilette-timeに起き出した所です。今の練馬区の気温は、19℃なのだそうですが、とても暑くて、体が火照っています。
それとも、部屋の温度が問題なのか・・分かりません。
取り敢えずは玄関の扉と部屋の窓を全開に開けて、空気の入れ替えをして見る事にします。
あれれ??・・・外の空気は冷たいのに、無風状態で部屋の空気が入れ替わらないのだよな??
これは困った❢❢
ならば、寝室からverandaのドアも開けるか??
3方向から空気を入れ替えればなんとかなるか???
それとも、ヒョットして熱の所為??

体温計を出して、体温を計ってみたら、なんと、7度7分まで上がっていたよ。
どうやら、室温の所為では無いらしい。
まあ、副作用と言う事で、想定内だよな??

水分補給をして、膀胱を洗う事が効果的らしい。
取り敢えずは、先ずはお茶でも飲むか??
それと、出しっ放しになっていた、食料品を冷蔵庫に仕舞う作業をしなければなりません。
この気温では生物は傷んでしまうのだよな??
verandaのドアを開けたら、ほんの少しだけ、部屋の空気が動いて来たのだが、一瞬で、絨毯が湿気っぽくなって来たぞ??
降水確率が70%で、湿度が72%なのだそうな??
これは困った❢❢

諦めて、扉を閉めて回った。

2時45分になる所だ。
7度8分になった❢❢
未だ、持ち帰ったお弁当類を冷蔵庫に仕舞う事が出来ていないのだけど、取り敢えずは、兎に角、寝る事にするか??

と言う事で、取り敢えずは寝たのだが、変な夢を見て、またぞろ起きてしまった。
朝の5時半迄に、2回も起きてしまったよ。
と言う事は、1時間単位で起きているのかな??
夜間頻尿状態なのだよな??
頑張って水分補給しなければ・・・



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5月18日『本日のpech!』 ·


今日は5月18日の木曜日の朝の6時を過ぎた所です。
体温は7度2分まで、下がって来たのだけど、未だ、微熱があります。
今日は自分で打つ糖尿病の注射があるのだけど、この注射も体がダルくなって、微熱っぽくなってしまうのだよな??
まあ、いずれにしても、10時45分で、ちょうど、24時間経った事になるので、その頃には、平熱に戻るハズだがね??
除湿を入れて、空気を軽くしてから寝直すか??

11時過ぎにtoilette-timeで起きました。
予定通りに、平熱の6度8分まで戻っていました。
・・と思ったのだけど、肉眼的には分からないけれど、軽い血尿が出ていました。
チョッとびっくりだけど、これも、事前に言われていた副作用の想定内です。
安静にしていれば良いだけです。
予定では「無い❢」と思っていたので、チョッとびっくりしました。
練馬区の気温は、未だ23℃なのだけど、顔が火照って来たので、今日は大事を取って、早めに除湿を入れました。
肌寒いぐらいの温度になって来たので、体調も随分、楽になりました。

でも、今日は、色々とlessonの準備をしなければならないので、眠るのは、ここまで・・で、先ずは、取り敢えずは風呂から始めるか??
水曜日の病院行き・・と、熱が上がった所為で、結構汗をかいたので・・。

部屋の掃除機掛けをしようと思い立って、それから3日間が経ちました。
そのまま、掃除機を出したままになっていて、座ったままで、手の届く範囲・・の、掃除、それ自体が、全く出来ていないのだけど、今日はlesson日で部屋にお客様が入って来るので、お掃除は、もう既に、timelimitなので、急遽、斉藤先生に来て貰って、洗濯物を干す所と、掃除機掛けをして貰う事にしました。

定刻通りに、lessonが始まって、まあ、lesson自体は、いつもの代わり映えのしないlessonなのだが、そのlesson中に、50年前のPianoを購入した時に、付いて来た三本足の古いハイツのpianoの椅子のEnamel塗装が剥がれて来ていたので、Bondで応急的に貼り戻していた塗装面がこの所の湿度で、再び剥がれて来ていたのですが、lesson中に左足の踵に刺さってしまいました。
私が始めてPianoを買って貰った当時は、今の普通のPianoの椅子(背もたれの有るtypeの椅子)は、非常に高価で、Pianoにsetされている椅子は、3本足の丸椅子が普通にsetとして付いて来たのです。
勿論、今のような平らなフカフカのPianoの椅子は、未だありませんでした。

丸椅子の椅子の中のバネがお尻に直接当たって、気持ちの良いものではなかったので、未だ元気だった頃の母が、知り合いの生地屋さんに頼んで(椅子屋さんではなくて・・なのだよ??)素敵な和柄の生地の椅子に作り変えてくれました。
当然、お尻に当たるバネも、普通の椅子のように、無くなって心地よい座り心地の椅子に変わっていました。Pianoは祖母のPresentだったので、母の心ばかりのPresentだったのでしょうかね??

大学時代に私が自分で練習用に買ったuprightのPianoは、送料も高く付いたし、置き場所も無かったので、処分してしまいましたが、(テレビでお馴染みの**も、ただでも引き取ってくれなかったのですよ。)この古ぼけた3本足の丸椅子は、ハイツに持って帰って来ました。
そう言った思い出もあるので・・

しかし、この3,4年の急激な温度と湿度の影響で、3本足のPianoの椅子の、足のenamel塗装の部分が剥がれて来たのですが、enamel塗装は、乾燥した良い天気の日だと自分でも吹付け塗装は、出来るので、その前の、enamel塗装を剥がして、grinderで研磨をする作業が面倒くさいので、気分が向くまで、放ったらかしにしていたのですよ。

勿論、応急処置としては、剥がれた塗装面を強力接着剤で、貼り付けていたので、この数年は、くっついたままだったのですがね~ぇ??
この数日間の気温差と湿度の差で、剥がれてしまったのかね~ぇ??

膝のかかとに木片が刺さったままだ・・という事は、小一時間程、というか、lessonが終わる迄は、全く、気が付かなかったのですが、(勿論、ぶつけた時の痛みは、痛いのは当然なので、気にしなかったのですが・・)傷後が、少し痛み始めたので、左足の踵の後ろなので、目線が行かなくて、しかも、手も届き難いのです、判断のしようが無かったのですよ。

しかし、「ヒョっとしたら??」と言う事で、確認の為に、後ろ向きに、かなり無理な体勢で傷を触ったら、異物に触れたので、頑張って、掴んで引き抜いたら、結構大きな薄いEnamel塗装の木片が刺さっていました。
結構、一緒に、血が出て来たのだけど、その割りには痛みは少なかったので、助かりました。

しかし、その後も、少し取り残しが残っているような感じなのだけど、自分では見る事は出来ないので、椎名町に移動してから、先生に見て貰ったのですが、確かに奥の方に残っているらしいのですが、深過ぎて皮を切る分けにも行かないし、針で引っ張り出すような深さではない・・と言う事なので、1、2年後に一人でに出て来る迄待たないと、仕方がないようなのです。

Enamel塗装の剥がれた面は、剥ぎ取ってグラインダーを掛けてから、Enamel塗装をやり直すつもりだったのですが、超、面倒くさかったので、剥がれた面を貼るだけで、お茶を濁して来た所為なのだよなぁ??



それはそうと、折角、斉藤先生が整理に来てくれたので、部屋の整理次いでに、冷蔵庫の整理もしました。

「鮭はあっても、米が無い」・・、「米があっても鮭が無い」・・で、なかなか、食えなくて、冷蔵庫の中でゴミになっていた食品を、季節柄、怖いので、全部、廃棄処分にしました。

病院に行く時は、食事を食べないで、出掛けるので、余ってしまって、食べれないままに冷蔵庫の中でゴミになっていた食品も一緒に捨てる事にした。
昨晩、持ち帰って来た食料品だけを残して・・後は冷蔵庫の整理をした。

お菓子類も、あまり好きではないお菓子類は、椎名町に戻す事にして、好きなお菓子だけを残す事にした。
という事で、だいぶスッキリとした。

ゴミ屋敷の整理整頓のコツは、(私の場合には・・)先ずは、手の届く範囲を片付ける事なのだよ。
大きい所からやろうとすると、体力勝負になるからね??

今の私には、体力勝負は、少し無理があるので、兎に角出来る範囲だけを日常的に、片付ける事なのだよ。それならば、体力や体調は関係ないのだ。

それで、部屋が綺麗になる事は無かったとしても、或る程度の水準(ゴミ屋敷の一歩手前の状態)は保てるので、それでヨシとしよう。体調に無理の無いように・・・






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5月20日ゴキさんの運動会 ·

今は5月20日の土曜日の午前4時を過ぎた所です。

toilette-timeに目が覚めて、眠り直そうと思ったら、いつもの強烈な鼻詰りで、息が出来なくなってしまって、已む無く、起き出した所です。

17日の病院dayの次の日の18日の木曜日の夜も超疲れてお食事timeの時間に眠りこけてしまっていたので、金曜日の朝は食べる物が無くなって、変則的なのですが、お昼に椎名町に食べに行きました。

椎名町の居間のCoolerが、経年劣化の為に、昨年も調子が悪かったのですが、修理をして騙し騙し使って来たのですが、とうとう本格的に故障をして、うんともすんとも電源が入らなくなって来たようで、その為に、斉藤先生が夏バテで、downしたので、今日(金曜日)の夕食の椎名町へのbikeでの移動は無しになったし、雨も酷いので、ドル・プリっ歩に出掛けるのも大変なので、無しにして、ハイツに引き籠もる事にしました。

・・とは言っても、夜食は昨晩の食べ残しを食べるので、明日(今日の土曜日の話です。)は、斉藤先生のlessonが終わる迄の、3時半過ぎ迄は、俺の朝食はありません。

・・というか、そこらのコンビニかスーパーで弁当を買ってくれば良いだけの話なのだけどね~ぇ??
まあ、それをしないのは、一応は、食事制限をしているのだよ。
dietと糖尿病の・・
コンビニやスーパーのお弁当は、「糖と油で出来ている」のだよ。
いや~あ、けだし名言だよな~ぁ??
だから、外で売っている「糖と油抜きのお弁当」を探すのは大変なのだよな??

でも、本来の日本の郷土料理(所謂、日本食)は、糖と脂抜きで、出来ているのだよ❢❢

この所は、本格的な梅雨の到来か、空気がベタベタとして、気持ちが悪いのだけど、Coolerの除湿機を掛けると寒いし、コンビニ・クーラーでは部屋が暑く成り過ぎるのですよ。

この時期の温度管理が難しいのだよな??

それにシンク周りに、ゴキさん達が大量に発生していて、中性洗剤を、シンクに撒き散らしているのにも関わらず、大運動会を開催中なのですよ。

徹底抗戦が良いのか、見て見ぬ振りが良いのかの選択に悩んでいる所なのだよ。(ちなみに、シンク周りでは、ゴキ専用の殺虫sprayは使えないので、代わりに中性洗剤を噴霧ではなくて、水鉄砲のようにして、ゴキを狙い撃ちしています。
私は1日分、2日分を纏めて洗うので、食器をシンクに置きっ放しをしているのですが、ゴキ君が寄り付かないように、シンク全体を洗剤でCoatingしています。
これだけで、殆ど1年中、ゴキ君を見る事はないのですが、見ないだけで、湿度が高くなると、極、稀に、何処からとも無く、出て来るのですが、それも1匹、2匹程度なので、3匹以上ならば、沢山になります。1匹、2匹、沢山・・です。)
私の人生の方針としては、ゴキ君に対しては、常に徹底抗戦なのだが、敵の隠密行動も中々したたかの物なのだよな??
一瞬で姿が見えなくなってしまうのだよ。

しかし、今年は、未だ、チャバネ・ゴキブリは見ていないよな??

一段落したので、紅茶を飲もうと、ティーバッグに熱湯を注いで飲んだら、なんと防腐剤の臭いが・・
チョッと勿体無いので、飲んでしまおう・・とも思ったのだが、やっぱ無理・・と言う事で、淹れたての紅茶を捨てて、湯沸かし器を洗って、浄水器の水を捨てて、浄水器を洗って、コップの洗って、浄水をし直して、お湯を沸かして、ティーバッグを入れて、熱湯を注いで、紅茶を作り直したら、臭いは直った。
まあ、てえへんだった。

しかし、何が傷んでいたのだろう??
ユーカリが丘教室の水道は美味いのだけど、ハイツの水道は時折、タンクからのカルキ臭が酷い時があるので、水道水は直接は飲めないので、浄水器で浄水しているのだが、

Kaoru Koyanagi
ゴキ🕷️((( ;゚Д゚)))アタシもデーッ嫌い😡⚡
コンバットを置きまくると居なくなります!
猫が家ん中に4匹、外にも2🐈居た時には奴らをまるで見ないで済んでたが、、
今は中に1🐈外に1🐈だけ、
中のサビちゃんも外出して多いに運動して帰るので我が🏠の中では寝てばかり💤💤
それでも見付けたらヒッパたいますがね~

芦塚 陽二
コンバットやゴキブリホイホイも、ゴキ君の動線上に置いているのですが、ハイツのゴキ君達は、実際には引っ掛かっている間抜けなゴキ君はいないようです。昼間は見かけなくても、深夜の真っ暗な中で、突然灯りを点けると、小さなゴキ君達が一斉に逃げ出します。やはり、中性洗剤の水鉄砲は確実で、見かけたら確実に殲滅させると、一月くらいは、出て来ません❢

芦塚 陽二





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5月21日『Chopin prelude Op.28 「雨だれ」』 ·


『abkürzung(縮小)された小節 削ぎ落とされた演奏表現』
よく似て非なる作曲技法では、abkürzung(縮小形)kürzenと、abschneiden(切断する)という作曲技法がある。abschneidenは突然の切断であり、abkürzungは想定された縮小形である。

譜例は68小節目から73小節目迄の譜例の中で、71小節目から72小節目の間のostinatoを省いて、分かり易くした、abkürzung(縮小)された小節の復元である。
赤の区切りの中で書かれた2小節が、本来のSequenz進行の場合のcutされた小節である。

basso continuoの時代から、作曲者はSequenzを当然、繰り返される音楽表現として捉える。つまり、予測可能な音楽表現になるのだよ。

多くの作曲家は、自分の音楽表現で、日本の俳句のように、極端に削ぎ落とした音楽表現の場を作っている。
Prokofievの『束の間の幻影』 Visions Fugitives のような、凝縮された作品群である。

Chopinの場合には、それがpreludeであり、Mazurkaである。
こう言った極端に削ぎ落とされた曲を作曲する場合には、このSequenz進行を、後生大事に繰り返す事は無意味になってしまう。

という事で、当然の演奏表現にしからならないSequenzを省略してしまう、という思いも拠らぬabkürzungを見せてしまったのだよ。

その為に、多くの演奏家達の演奏表現では、71小節目と72小節目の間で、どうしてもmelodieが切断された感じが出てしまう事は否めない事実である。

しかし、切断されて、縮小された小節をimageとして復元すると、その冗長さが理解出来る。
という事で、縮小される前の音楽をしっかりと把握した上で、切断・縮小された小節を演奏すると、不思議に切断縮小されたpassageを上手く繋げて演奏する事が出来るのだよ。
これが、分かった上で・・と、分からないままに・・の演奏表現の違いなのだよ。

Chopinは、Mazurkaやpreludeのような、極端に凝縮された‥・所謂、削ぎ落とされた俳句のような作品を書く時に、作曲上の手法で、冗長となるpassageを削除する(削ぎ落とす)事で、その縮小された表現を、演奏表現に委ねる事がよく見受けられる。

つまり、音楽を語る時に、作曲技法で書き込んで行くのか、それとも、演奏技法で表現するのか、の選択である。

Lisztのような演奏家としての活躍が目覚ましい作曲家の場合でも、多くを書き込む方が、作曲家としての習性であり、逆に書き込み過ぎて、饒舌、冗長になってしまっている作曲家を多く見受ける。

Chopinは逆に、削ぎ落とす事で、演奏表現に委ねて、その為に、音楽表現が非常に難しくなってしまっている曲が時折、見受ける。
この「雨だれ」のprelude、然りである。
この小節の後の75小節目の3,4拍も然りである。
たった、2個の4分音符で陰鬱な中間部から爽やかな変ニ長調のthemaのimageに戻らなければならないのは、演奏表現では至難の技で、かなりのsensitiveな表現を要求される。この「雨だれ」のpreludeには、そう言った箇所が幾つか見受けられる。

但し、Chopinでも、「えっつ??」と思える程に饒舌に書き込んでいる曲もあって、一筋縄では行かないのだよ。






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5月21日『Chopin Op.28-15「雨だれ」のthematisch-Analyseの続き』 ·





最初のmelodieは4小節単位でa+aと、単純に繰り返されるのだが、9小節目のauftaktからは、bとしての新しいmelodieが3小節半で、展開されるのだが、次のbのrepeatの前にミレファというMotivが挿入される。

3回目は、この挿入されたMotivに、melodieの後半部だけが繰り返される。
つまり、思い出としては、melodyの3小節全体を再び繰り返すのではなくて、melodyの一部をsuggestするだけで良いのだ。

思い出としての繰り返しの場合には、非常によく使用される、この省略法は、作曲技法としては、結構、一般的な手法であり、この「雨だれ」の曲の中に随所に見受けられるabkürzungの技法も、所謂、「削ぎ落とし」としての手法である。

ちなみに、水色でmarkingした箇所は、tempoやAtmosphäre(雰囲気)を変える為の、揺らしのrhythmとなる。






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5月22日体調との戦い ·

今日は5月の22日の月曜日のお昼の3時を過ぎた所です。

予報では3時頃からは、また雨空になる予定だったのですが、窓下の公園では、子供達が叫び声をあげて遊んでいます。

今日はRehabilitationdayと決めているので、朝から、寝たり、起きたりを繰り返していて、毎週のroutine作業であるオケ練習のvideoを生徒達が見れるようにuploadしたり、部屋を片付けたりしています。

この毎週のroutine作業であるvideoをuploadするだけの作業なのですが、
①videoのSDcardをパソコンに取り込む。
②オケ練習全体のBlu-ray‐disc を焼く。
③オケ練習とlessonのvideoを分けて、MP4に落とす。
④それぞれのvideo‐dataをYou Tubeに限定公開でuploadする
・・という一連の作業があるのですが、これが1日では終わらないのだよね??

以前は、①と②の作業の後に、編集の作業をしていたのだけど、これが一週間も掛かってしまうので、timelyではなくなってしまうのよね??

音楽の勉強で、発表会のvideoやlessonのvideoをfeedbackする事は、一番大切な勉強なのだけど、日本では、自分の演奏をfeedbackする人は皆無のようで、驚いてしまいます。

学校等でも、普段からのfeedbackのやり方を指導する事はないようだよね??
(たまにceremonyとして、feedbackをさせる事はあっても、それが勉強のroutineにはなっていないのだよな??
発表会等のfeedbackでも、その日の内のfeedbackと、ひと月程経ってからの、feedbackでは、その印象が随分異なるのだよ。演奏家等も雑な演奏をした時の、演奏をfeedbackする事は無い。
演奏会に価値付をしているからなのだ。

私はそうった演奏家をproとしては、許さない。
それが許されるのは単なるamateurだから、だろうが??
それで、proを自称するのは許せないのだよ。**詐称という事だよ❢❢)


てな事を言っていても、私の日常は、今はお風呂を洗っている最中なのです。
昨日の日曜日は、結構湿度が高くて、オケ練習では結構、汗をかいてしまったので、月曜日のリハビリを兼ねて、showerではなくて、お湯に浸かりたいので・・・

という事だったのですが、お風呂を洗う所迄で、時間切れになってしまって、お湯にのんびりと浸かる・・という所迄は行きませんでした。残念・・・

月曜日は結構早い時間に先生が椎名町に戻って来るので、移動を準備しようと思っていたのですが、なんと、豊島区は激しい雨だそうで、Raincoatを出したり、食べ終わった弁当箱の代わりのタッパー類を簡単に洗ったり、荷物として纏めたり・・と、結構、時間が掛かってしまいました。

超、お久し振りにドル・プリっ歩に付き合ったのですが、腰の周りが痛くて、難渋しました。

早い時間に椎名町に移動したのにも関わらず、帰りは、午前様の1時を過ぎていました。
不思議だ??
何処で時間を食ってしまったのだろう??

食料品を冷蔵庫に片付けていたら、bedに戻るのが、超、遅くなってしまって、明け方になっていました。






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5月23日『Händel=Casadesusの版のⅠ楽章の作り直し』 ·


今日は5月の23日の火曜日の朝のもうすぐ10時を迎える所です。

昨晩の食事の時に、Händel=Casadesusの誤植と言うか、楽譜上のミスの話が出て、今回の楽譜でも、練習の度に、余りにも、scoreにミスが多いので、その都度、訂正をしているのだけど、斉藤先生からは、scoreの買い直しのお話も出ていたのですが、新しい版を買い直しても、その版がミスが無い・・版である保証は何処にも無いので、牧野先生が「いつものように私がscoreの入力のし直しをしたら??」と言っていたのだが、しかし、全楽章ともなると、16分も掛かる大変な長さなので、元々のscoreをfinaleに入力するだけで、結構な労力と時間が掛かってしまうし、これからの半年間は結構、忙しい予定なので、今回の発表会迄には、時間的なゆとりも合わせて、無理だという事で、纏まりました。

・・と言いながら、私の悪い癖で、朝起き出した次いでに、Ⅰ楽章の虫食い譜面を朝の10時迄掛かって作ってしまいました。
虫食い譜面とは、第一段階では、楽譜のtemplateを作る事です。

Ⅰ楽章のscoreを空のPageで作って、第一段階では、そこにritornelloのthemaだけを入力する迄です。

普通ならば、ここまでの作業は、コピペで簡単に済む所なのですが、実際にやってみると、ritornelloのthemaが次のritornelloでは1st.2nd.Viola、celloと受け渡されて、一つのthemaになったり、まあ、色々と(聴いている人達には、分からないような)kleinigkeitをFrance人らしく細かく書き込んでいるのだよ。

当然、Audienceには分からない、無駄な動きも非常に多いのだが、まあ、Genzmer先生よりも6歳年上の作曲家というrespectの念で、楽譜のmistake以外は、基本的には修正はしない事にした。
(勿論、見るに耐えない箇所は、已む無く修正を施したのだが・・)

・・・と、思ったのだが、手掛けて見ると、余りにも、mistakeが多いのと、proの演奏ならば・・いざ知らず・・、amateurのorchestraに取っては、『音痩せ』が目立ち過ぎるので、結局の所、全面改訂をする事になってしまった。
まあ、いつもの事なのだがね??

以前、演奏をした、Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bachの版は、曲のorchestraだけをCasadesusが手掛けたので、Casadesus版という呼称は許されない事だとして、J・C・Bachのoriginalのscoreを使う事で発表会に臨みましたが、今回のViola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusは、楽譜全体を和音等も近現代の弱進行等の近代のharmonyを用いてarrangeをしているので、Casadesusのoriginalのarrangeの曲であって、Händelの曲ではありません。
つまり、baroqueの音楽ではなくて、近現代の所謂、擬古典の作品になります。
だから、今回は、Händel=Casadesus版という呼称が許されるのです。

Casadesusのoriginalの編曲は、弦楽Orchestra用の作品ではなくて、fluteが2本と、fagotto2本の編成になっているのですが、教室は管楽器の生徒は募集していないし、だからと言って、外注は経済的に無理だし、Keyboardでお茶を濁す事も、あまり好きでは無いので、「管楽器を省いて、strings-orchestraにarrangeをしようか??」とも思ったのだが、Recorderを頑張って演奏している生徒達が、今回はVivaldiのRecorder‐Concertoが無いので(本人の希望でCembalo‐Concertoを演奏したいそうなので、)その代わりに、・・管の代わりにRecorderで演奏する事にしました。

しかし、楽器的な特性としては、Recorderの場合には、低い音域は、orchestraとのensembleでは、音量的に、殆ど聞き取れないので、melodieのpartを狭いoctaveの中に、かなり無理をして変更せざるを得なかった。
通常の管楽器の場合には、3octaveぐらいの演奏範囲でorchestraに対応出来るのだが、Recorderの場合はOctaveが関の山なのだよ、ね〜ぇ??

Ⅱ楽章は基本的に、変更は無いし、Ⅲ楽章も一部だけを差し替えれば良いので、Ⅰ楽章だけが完成したら、多分arrangeは終了だと思います。
まあ、実際に、書き始めて見ると、色々と問題が見つかる事も多いので、実際にⅢ楽章に入って見ないと分からない事なのだけどね~ぇ???

今日はお昼からはlessonがあるので、結構一日中busyなのだけど、午前中と夕方から、CasadesusのHändelのⅠ楽章の福利厚生(校正)ではなくて、rewritingで、arrangeのし直しなのだが、何とか深夜のcinderella-timeには、入力が終わった。

終わった・・とは言っても、articulationやbowing等は、未だ手を付けていないので、何処までをやるか??・・は、考慮中なのだ。
それにしても、明日は抗癌治療の日なので、朝が早いので、こんな事をしている暇は無いのだが・・・
いや~ぁ、時間が足りない・・
困った❢❢

Viola Concerto in the Style of Händel in B Minor By Henri Casadesus rewriting by Yoji Ashizuka - YouTube





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5月24日『前の文章からの続きです❢』 ·


と言う事で、抗癌治療の日です。

この所の梅雨空が嘘のような気持ちの良い青空の下の、絶好の病院日よりです。

抗癌治療は今日で3回目なのですが、1回毎に、病院を後にする時間が遅くなっているのは、何故だろうかな?
今日病院の混雑は、いつもよりも、比較的に空いていると思ったのだがね~ぇ??
それなのに、(今日が)1番遅い···とは、頂けないのだがね??

診察台で横になっていたら、危うく、眠りかけてしまったぞい。

病院のRestaurantで、軽い朝食を···と思ったのだが、のんびりとホットケーキのsetを食べたのだが、30分しか、潰せなかった。
病棟の待合室が1番人が少ないので、待合室の受け付けの椅子に座って、ぼんやりと時間を潰す事にした。

こういった無駄な時間に、HandelのⅢ楽章のrewriteが出来ると理想的なのだが、楽譜やFinaleを持ち歩く事は不可能だよなぁ?
せめて、notePadにでも、Finaleが入れば、少しは、時短が出来るのだがね?

まあ、恙無く1時迄、待ってから、病院を後にした。

1時10分に病院を出発して、2時チョッと前には、ハイツに戻って来たのだが、軽くお昼を食べて、一息つこうと思ったら、なんと、悪寒が走って来た。
軽く食事をする所ではなくなったのだよ❢

今現在の練馬区の気温は23℃もあるのに、体が寒いのだよ❢❢
いや~あ、今日は熱が上がりそうな雰囲気だよな??
取り敢えずは、ベッドで横になっておくか??
毛布でも出すか??

やはり、夕方からは熱があがってきた。
微熱ではなくて、いきなり8度台なのだよ❢
寒気がするのでストーブをガンガンと焚いているのだが、それでも寒気が取れないのだよ?
真冬用のふかふかの毛物のコートが仕舞い忘れたままになっているので、それを着込んで、寒気を凌いだのだよ。
まあ、それでも体調は戻らないのだよ?
諦めてベッドでひたすら横になって、体調の回復を待つとするか??
結局、8度台迄あがってしまったのだよ。
ストーブにしがみついている事も辛くて出来なくて、布団に入って、寝込んでいたのだが、その私を更に苦しめたのが、toilet‐timeのone‐coolのルーチンを無視したそれこそ、10分おき、15分おきの頻尿だったのだよ❢❢
兎に角、toiletの後では、お茶を飲む事を忘れないように気を付けていた所為もあるのだが、なんとかベッドでひと晩を凌いだ。

朝の6時半を過ぎた頃には、熱も7度ギリギリの微熱まで下がって、体も随分楽入力なって来た。
24時間後の11時までには、平熱に戻るハズなのだよ。
夜間頻尿さえ無ければ、もう少しは、楽だったのだけどね~ぇ?
熱が下がって来るに従って、頻尿の回数も減って来たので、それも副作用の一つだったのかな?
これが後、5回も続くという事は、やはり、結構先が思いやられるよな?

村田 晟
本当にそうですよね‼

芦塚 陽二
病院に行くのは、やぶさかでないのですが、兎に角、待ち時間の多いのは、辟易してしまいます。



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5月26日Händel=CasadesusのViolaConcertoに付いて ·

今は5月の26日の金曜日の朝の10時半です。

Händel=CasadesusのⅢ楽章は、Recorderでは演奏不可能なfluteⅡ本とbasson2本の、管のpartをRecorderのaltoとBaßの2本に、訂正する予定で、日曜日のオケ練習に間に合うように、大急ぎで書き上げたのだけど、その過程で、orchestraのpartでも、余りにもmistakeが多すぎるのと、harmonyとそのorchestrationが余りにもヘボかったので、和音の変更を含めて、全面改訂してしまいました。

harmonyの間違いは、元々、Casadesusがbaroqueの音楽であるHändelの曲をarrangeする時に、近現代の和声法を使用して、baroque当時では用いられる事のない、弱進行等を多用する事で、擬古典のimageを作ったのですが、それは編曲者の意図なので、由としても、単なるmistakeや、repriseでも、新しくorchestrationをし直してしまう・・という、色々な問題があります。
その中でも、最大の問題点は、元々の管楽器では、fluteが2本とbassonの2本の2管編成で書かれています。
しかし、今回も人数不足で、alto‐RecorderとBaß‐Recorderの1本づつ・・だけの予定だったのだけど、2管編成という事ならば、各Pultで、2名ずつの4名必要なのだけど、まあ、必要最低限という事で、Baßのpartをもう一人加えて、3名の編成にしました。
2人だと、どうしても管partが弱くなってしまうのでね??

まあ、それはmemberの問題でこちら側の問題なのですが、それにしても、管楽器の絡み合わせがうまく無いのだよね??
難しい割には、演奏効果が全く無いのだよ。
Recorderとfluteやbassonでは、そもそも音域が違うので、そのまま、管partを演奏させる分けには行かないので、Recorder用に全面改訂しました。
また編成の問題では、このCasadesusの版での編成では各partがdivisionされるので、本当ならば、最低でも各partに2Pult、つまり、4名の人数が必要になります。
教室としては結構な大編成のorchestraになってしまいます。
今現在の教室ではそれだけの助っ人を探すのは無理なので、多分、各partが2名ずつが関の山でしょうか??

一般的な作曲の場合には、orchestraのrepriseの部分では、提示部のcopyをするのですが、Casadesusの場合には、不思議な事にコピペをしないで、律儀にorchestrationをarrangeし直しているのですが、その為に、repriseの暗譜(譜読み》を、し直さなければならないのは、生徒達に大きな無駄な負担を与えてしまう事になります。
という事で、今回は、基本的には提示部のthemaをそのまま、出来得る限り、コピペる事にして、生徒達の練習の安寧を計りました。

また、後半の240小節目からは、Codaとみなして、up‐tempoで一息に終われるように、和音の動きを大きく取って、演奏者が自然に、tempo‐upが出来るようにrewriteをしました。

orchestration上に見受けられる不自然な響きの和音の殆どは、単純なミス・プリに因るものでしたが、明らかに編曲者の意図的なミスと思われる音も、複数箇所(というか、結構多数に)存在したので、それは、躊躇なく、logischに訂正をしました。

基本的には、私は、作曲者や編曲者をrespectして、出来る限りの変更はしないように、しているのですが、今回は、interpretationの誤りではなくて、明らかに音的に不自然に響くので、そこは意を決して、rewriteをする事にしました。
発表会が終わって、演奏終了後に、人生の心残りを残さないように・・・という事です。
という事で、orchestra全体が総改訂になってしまったので、part譜から配り直しになってしまいました。
まあ、いつもの事なのだけどね~ぇ??
https://www.youtube.com/watch?v=23L2_umoUlU
kritik‐Ausgabeというよりは、rewrite版と言った方が良いのかな??(その呼称に拘るのは、楽譜に対しての、責任の所在の問題なので、改定に伴う全ての責任は改定者にある・・という事あのです。)

前回のJ・C・BachのViola‐Concertoは、CelloのsoloをViolaのpartにtransposeしただけで、Ⅱ楽章に少し近代的なharmonyが使われているだけの、transpose版だったので、「Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach」という呼称は、orchestrationに管のpartが加えられただけの、scoreであって、「style of J・C・Bach」と呼ぶには、J・C・Bachに失礼な事だと思ったので、敢えて、Casadesus版を使用しないで、original版で演奏する事にしました。

という事なので、orchestrationには、手心が込められていなかったので、逆にarrangementには、なんの問題も無かったのですが、今回のHändelの曲は、結構、Casadesusが、意欲的に頑張ってarrangeをした作品だと思います。
唯、そこに結構無理なharmonyの進行があったりして、少し凝り過ぎて、混乱を招いているようです。
意欲的で凝り過ぎた分、演奏をする側の、spielbarが無くなってしまっているのは、頗る残念な結果です。

spielbarと言えば、このⅢ楽章は元来は、HemiolaとHändelの独特のgigueのtempoで作曲されています。
Hemiolaは楽典の本等に拠ると、「sarabande等の遅い3拍子の中に、突然2拍子が割り込んで来る事を言う」とされていますが、これはsarabandeが荘重な遅いtempoである・・という勘違いからの解釈です。

CorelliのTrioSonateのsarabandeでも、結構速いtempoのsarabandeで書かれているので、この仮説は成り立ちません。
sarabandeやfolia等も、曲の流行していた時代には、結構、速いtempoで演奏されていたと、されています。
勿論、遅いtempoの曲も演奏されてはいましたが・・

でも、録音機材が無かった頃のbaroque時代の演奏のtempoが何故、今の時代に理解出来るのでしょうかネ??
そう言った舞曲に関しては、その舞曲それぞれに対してのtempoの設定が、14世紀辺りからのchoreographyで、その踊りのstepがちゃんと残っていて、そのstepを学ぶ事に拠って、rhythmやtempoの設定が、極めてしっかりと把握する事が出来るのですよ。
Renaissanceやbaroqueの時代からの、舞曲がかなり正確に、再現する事が出来るのです。
そう言ったbaroque‐danceの再現は、You Tube等でも見る事が出来て、それはそのtempoでなければ、動けない事や、そのrhythmが必然である・・という事がかなりの正確さで分かります。
音楽では、どんなtempoでも演奏は可能ですが、舞曲の場合にはdanceのstepを伴うので、tempoを変更する事は出来ないのですよ。

先程、Händel独自のgigueのrhythmというお話をしましたが、実際にはCouperinのPapillonでも、全く同じ7,3,3,のrhythmが使用されているのですよ。
同じgigueでもBachは一度も、その7,3,3のrhythmのgigueを書いた事はありません。HändelやCouperinは踊りのrhythmとしてのgigueを書いたのですが、Bachは器楽曲としてのgigueを書いた・・という事です。
また、gigueには、そのdanceを活かす為の、独特のrhythmと、特有のbowingがありますが、Casadesusは、Ⅲ楽章をgigueのrhythmでは演奏させていません。
You Tubeでも、このⅢ楽章をgigueとして演奏している団体は少ないようなのですが、それはHändelのgigueとして演奏するか、Casadesusの音楽として演奏するかのinterpretationの違いなので、どちらが正しい・・という事ではありません。

今回の演奏では、bowingを出来る限りは、本来のHändelのgigueのrhythmのbowingに訂正しています。

まあ、そのgigueのbowingで、dancingするrhythmで、演奏するには、日本人の場合、否、高校生の場合には、極めて、難しいapproachである・・と言う事とは否めませんがね??
まあ、今回はscore上で、間違いとおぼしき箇所は、可能な限り、訂正はして起きましたが、これが練習すると、またいっぱい、際限なく、訂正箇所が出て来るのよね~ぇ??

・・という事で、本番迄は、練習の度に、endlessで推敲が続くのよね~ぇ??

これは私の悲しきサガなのだよな??

最終的にHändelの原曲に戻ったりして・・
いや、それは無い❢❢

Viola Concerto in the Style of Händel in B Minor By Henri Casadesus Ⅲ楽章 rewriting by Ashizuka Yoji - YouTube

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5月26日糖尿病の診察を忘れていた ·

今日は5月の26日の金曜日の夕方の6時半を過ぎた所です。

昨日、近所の薬局から、「薬を取りに来ないから・・」という事で電話があって、始めて病院をすっぽかした事に気付きました。

予約日は5月の1日だったようなのですが、Googleの予約がいつの間にか、消えてしまっていました。同じ日の同じ時刻に、別の予定を書いたので、間違えて消してしまったのかな?
double-bookingなので、自動的に消されたとかは、無いよなぁ?
Googleの予定表はそこまでは、頭が良くないよなぁ?
まあ、抗癌治療で、少しパニクっていたのかな??

昨晩の薬が残った薬の最後だったようで、牧野先生からも、「薬が無い❢・・ので、早く予約を取るように・・」というmailを受けて、今日は、慌てて病院に電話をして、予約を取りました。
取り敢えずは薬だけを処方して貰えば良いので・・・
免許の更新で、初めての認知症検査なので、webで申し込もうとしたのだけど、QRコードで読み取ったら、最初は、ちゃんと警察のSiteが開いたのだが、認知症の検査に入った途端に、なんと、海外の認知症検査のsiteに導入されて、その認知症検査をさせられるようになってしまった。
cardの番号を書き込む欄に誘導されたのだが、これはおかしい・・と途中で、書き込みをやめたのだが、警察の管理するQRコードから書き込みを開始したので、途中から突然、英語のsiteに変わったので、警察のSiteなので、「まさか??」と思ったのだが、やっぱり、そのまさかで、webは怖いよな???

最初のQRコードの読み取りからやり直して何とか、webでの予約が取れて、次に高齢者講習の申し込みをしようと思ったのだが、なんと、全部、電話での申し込みでwebの申し込みが一つも無いのだよな??
それに、会場の場所さえも分からない。
一つ一つをnetで調べなければならないのだよ。
超、面倒くさいので、途中で放棄して、やめてしまった。

それはそうと、疲れ切って爆睡していたら、夢の中で、HändelのⅢ楽章のscoreに、移調楽器の入力をしている夢を見ていた。
alto譜表と移調の両方で、頭が混乱して、頭の中で計算しても、なかなか上手く入力出来なくて、イライラしている夢で、妙にrealな夢だったので、現実にも疲れてしまった。
延々とscoreの作成をやっていたので、traumaになってしまったのかな?



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5月29日急遽で最後の光が丘病院でした。 ·

今日は5月の29日の月曜日の夜です。

5月の1日の診察の予約を全く忘れていて、先週の江古田の薬局からの電話で、始めて気が付く・・というていたらくでした。

勿論、慌てて、光が丘病院に電話をして、診察の予約を取りました。

・・という事で、急遽、月曜日の光が丘の病院になりました。
綺麗になった病院を訪れるのは、これで3回目かな??

1回目では、病院に行く途中で突然、bikeが止まってしまって、近場のsevenにbikeとkeyを預けて、bike屋さんにbikeを取りに来て貰う事にして、私はそのままTAXIで病院に行ったのだけど、その時に、運転手の人から、「病院が新しくなって、綺麗になってから行っていますか??」と聞かれたのだけど、確かに病院は少し綺麗になったのだけど、何の事か分からないので???・・で、到着してから、全く別の病院になっていたので、驚いてしまいました。

でも、2回目の時には、未だ、病院が、これまでと同じ場所で建て変えられた・・と思い込んでいたので、その時には、歩きで、延々と病院を探してしまいました。
その時に、始めて、新しい病院の場所を把握出来ました。

一昨日や、昨晩もbikeのセルの掛かりが悪いので、ちょうど、光が丘病院に行って、途中でエンコした時の状態と同じ状態なので、おっかなびっくり、雨がパラつく中を、bikeを走らせたのですが、なんとか無事に辿り着いて、診察を受けてからの帰りは結構、それなりに、雨が降っていて、びしょ濡れになってしまいました。

それはそうと、担当の主治医が、「病院を纏めたら??」と言ってくれたので、その申し出に甘えて、紹介状を書いて貰いました。
・・という事で、急遽、今日の光が丘の診察が、この病院の最後の通院になります。

流石に、ハイツに5時過ぎに辿り着いて、オケ練習のvideoをYou Tubeにupする作業を始めたのですが、途中で、居眠りが始まって、「これは今日はとても無理❢❢」と言う事で、bedで仮眠をしようと思ったのですが、恒例の鼻詰まりで、結局の所、眠れないままに、椎名町への移動時間になってしまいました。

今回の月曜日も、ご多分に漏れず、大きな瘡蓋が尿に混じって取れて、血尿が出てしまいました。
これで、何回目かいな??

3月の膀胱の手術なので、これはもう3ヶ月も経っているのだよな??

いい加減、傷口も治っている頃だと思っているのだけどね〜ぇ?


中野 卯月
ご無理をなさらず
おいといくださいます様に。

芦塚 陽二
お心遣いありがとうございます❢




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5月30日病院と病院の中日 ·

写真は5月30日火曜日の朝の5時前のハイツからの梅雨空の写真です。 
後、1日が過ぎると、今年も下半期に入ります。 

つまり、1年の半分を過ごしてしまった・・という事なのですよ❢❢ 
時の過ぎゆく速度は、恐ろしい❢❢❢

本来ならば、昨日の月曜日はRehabilitation‐dayという事で、丸々一日中、安静にして、Desk-workのvideo編集の作業以外は、ダラダラと何もしないで過ごす予定だったのですが、糖尿病の診察をすっぽかしてしまったので、お薬を貰う為に、病院に電話をして、今回の月曜日に、急遽、病院に行く事が決まりました。

という事で、今回の月曜日は、一日中の雨の降りしきる中を、診察に、bikeで駆けつける事になってしまいました。

そのお話は、前のFacebookのpageに詳しくお話をしたので、割愛して、話を先に進めます。

・・・まあ、月曜日は何かと忙しくて、休息dayが休息にならなかった・・と言うお話なので、今日の得難き火曜日が休息dayの代わりの日になります。

とは言っても、videoをYou Tubeにupする作業が、月曜日から、今も延々と続いているので、何処からが仕事modeなのか、その切り替えのtimingが、良く分かりません。

それはそうと、月曜日から手術の後の瘡蓋の塊と血尿が出て、止まらなくなってしまいました。
(常時という分けではなく、今日は朝から4、5回ぐらい立て続けです。

それに、水曜日はもう、抗癌治療の日なので、練馬高野台まで、お出掛けしなければならないから、ゆっくりと体を休めている暇は、今回はありません。
練馬高野台の後も、延々と予定が詰まっていますのでね~ぇ??




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5月31日副作用 ·

今日は5月の31日の水曜日で、4回目の抗癌治療の日でもあります。

昨晩の睡眠の状態は、頻眠頻尿の為に、5,6回もtoilette-timeを繰り返したのですが、不思議な事に、いつもの鼻詰まりが無くて、即、bedで眠る事が出来たので、結構、良眠が出来て、朝の7時迄、眠る事が出来たので、体調的には、比較的に、良い状態で起きたのですが、起きて見たら、強烈な両足の腓返りと、一昨日からの血尿が未だ続いたままで、今回の病院迄の道行きが、チョッと不安な感じなのですよね~ぇ??
(出来れば、安静にして、bedで休んでいたい感じなのですが、定期のintervalでの治療なので、そういう分けにも行かないよね~ぇ??)

病院での抗癌治療は恙無く終わって、のんびりとハイツに戻って来ました❢

ハイツでは安静にしていたのですが、やはり、夕方の5時頃から熱が上がって来た❢
7度5分だ❢

突然、強烈な尿意をモヨウしてtoiletに行くのだが、ほんの少しだけ尿が出るだけで、全く出ないと言っても良いくらいです❢
瘡蓋が尿道口の出口で詰まってしまっているのだよ❢
その内に、勢いで塊が出るのを待たなければならない❢
それまでは、頻尿に甘んじなければなるまい❢❢
今夜も辛い夜になりそうだなゃ??

突然、強烈な尿意に襲われて、なんとか頑張ってtoiletまで歩いて行ったのだが、尿が詰まって、全く出ないという繰り返しなのだよ❢
頑張って尿を出そうと試みたのだが、寒くて凍えそうだったので、ガスファンヒーターを最大の温度に設定して部屋を温めた。
それでも寒くて仕方が無い。
imuseやカロリーゼロのカルピスウォーターをがぶ飲みしているのだが、尿が出ないのだよ❢
いや〜ぁ、これは困った❢❢
尿が詰まって全く出ないのだよ❢

それに、ガスファンヒーターも最大に点けているのだが、全く寒気が取れない❢
勿論、8度は軽く越えてしまったようなのですがね?

結構、汗をかいたので、風呂にのんびりと浸かりたいのだが、流石にこの高熱では、無理だよなぁ?

夜の9時半ですが、相変わらず、突然のtoilet‐timeなのですが、やはり、尿がほとんど出ません。
体温計で熱を計ったら、やっぱ8度7分あります。
これは困った❢

午前0時です。
勝手に携帯が時間の保存を始めてしまいました。
またまた同じ内容の繰り返しなので、私としては、これ以上はuploadしたくなかったのですがね~ぇ?



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6月




6月1日副作用が酷い·

今日は・・と言うか、今夜は午前0時を過ぎて、6月の1日になった所です。
つまり、今年も後半期になった所なのです。

・・とは言っても、としつきを述懐する處ではなくて、抗癌治療の副作用で高熱と血尿に悩まされている所なのです。
やっとこさっとこ、抗癌治療から、13時間と45分が経過しました。でも、熱は未だ8度台のままです。

しかし、後は10時間と45分で徐々に、副作用が収まって行く予定なのだけど、それにしても、身体中が汗臭くて、気持ち悪いのだよな??
未だに、高熱が続いているのだけど、風呂に浸かりたい気分なのだよな??
しかし、8度台で風呂に入ったら、引っ繰り返ってしまうよな??
何とか平熱になる迄、待たないとな??
いやあ、身体中が気持ち悪いのだよな??

2時半です。
やっと、7度5分まで、熱が下がって来ました❢
しかし、体調的には極めて不良です。
いやあ、分気が悪い❢❢

10時45分です。ちょうど24時間経ちました。
熱は、平熱に戻りましたが、未だ、気分的には不調のままです。
平常に戻るには、もうしばらく掛かるようですかね??
体調は不調のままなのですが、今日はlessonがあるので、部屋の片付けを出来る限りしています。
今日は斉藤先生のViolinのlessonもある日なので、少し前に来て貰って、出来ない部分の片付けを手伝って貰います。
まあ、それまでは、出来る事をやりながら、取り敢えずは風呂にでも入るか??

お昼の2時です。
暑くて堪らないので、coolerの除湿を掛けていて、結構冷たい風が吹き付けているのですが、汗が止まりません。
暑いのだよな??
勿論、熱は平熱に戻っているのですがね~ぇ??
lessonが終わったら、もう一度、風呂に入らないと、こりゃ、無理だよな??
恙無く、事もなく、7時にlessonが終わって、直ぐに風呂に入って、汗を流しました。

冷蔵庫の中の物が、もう多分腐り始めた頃なので、弁当類を全て纏めて、椎名町に戻しました。
ハイツでcheckして、処分するには、チョッと負担が重かったのでね??

8時半には食事に椎名町に移動をして、食べれるものだけを食べて、(体調不良では、消化不良も引き起こしますので、食欲不振なのですよ❢❢)ドル・プリっ歩にも付き合いましたが、途中で台風性の雨がパラつき始めたので、慌てて教室に戻ろうとしたら、道路で、引っ繰り返って起きれなくなっているおじいさんがいたので、何とか、背中からassistをして起こしたのだけど、反っくり返っていて、真っ直ぐに立てないのだよ。

しかし、本人が「大丈夫だ!」と言うので、ドル・プリ達と一緒に、教室に戻りながら、少しして、後ろを見てみたら、なんとなんと、またまた、道路に引っ繰り返っていたのだよ。
今度は、後ろから来たおじさんが、気が付いて、駆け寄って、助けて、assistをしていたのだよな。
やはり日本は良い国だよな??
Europaじゃあ、そうは行かないよな??
Europaでは、自己責任という事で、「人は人」なのだからね??

まあ、老人対策は放っといて、そのまま急いで、教室に戻って、toiletteに行ったら、な、な、な、なんと!真っ黒な塊が大量に出て、それから、Sandmanのような殆ど黒い赤の血尿が大量に出て来たのだよ。
膀胱の中で排尿出来ない瘡蓋と血尿が蓄積されてしまっていたのだよな??
一度に、大量の瘡蓋が出て来たのは、これまでの始めての経験だったので、超、驚いてしまった。
しかし、尿詰まりが2日間続いていたので、久し振りの排尿感で体が軽くなったのだよ。

それにしても、明日は台風性の雨の中を、運転免許更新の為の、認知症の検査があります。

以前はbikeで行ったので、問題は無かったのですが、明日は大雨で、bikeで行けるかが問題です。
もし、bikeが無理ならば、電車から歩きは無理なので、バスになってしまうのだけど、それは難しいのだよな??

・・てな事を悩んでいたのだけど、12時を過ぎて、ハイツに戻って、toiletteに行ったら、やっぱり黒い血尿が出た。
困った事だ。

3時になっても、瘡蓋混じりの黒い血尿が出ている。
暫らくは、このまま、同じ状態なのだろうかね~ぇ??
取り敢えずは、明日に備えて、寝るか??

中野 卯月
発熱は辛いですね、、、お風呂のあとお水摂取を、、、。

芦塚 陽二
了解しました!





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6月2日認知症の検査 ·

今日は6月の2日の金曜日、運転免許更新の為の、認知症検査の日なのですが、予報通り、朝の早くから強い雨が降っています。
お昼の3時前後は、もっと激しく降る予定なのですよ❢❢これは困った❢❢
どうやら、rain-coat確定なのだけど、rain-coatを入れるビニール袋を検査会場に、持って行かなければならないよな??

朝の10時半になりました。
朝食を食べたのだけど、汗が出て来て、目がクラクラしてしまいました。
血糖値の急激な上昇かな??

激しい雨と風の中をbikeでrain-coatを着て、認知症検査に出発しました。
スマホのナビで走るのですが、雨なので、携帯をrain-coatから出す事が出来ません。
bluetoothのearphoneでナビの音声を聞きながら走ったのですが、途中で迷走してしまって、結構、ギリギリの15分前に到着しました。(庁舎には到着していたのですが、検査会場の入り口が分からなくて、グルグルと回ってしまいました。

恙無く認知症の検査を終わって、帰りは椎名町で軽く食事をして帰ろうと思ったのですが、なんとなんと、暴風雨でrain-coatを通して(rain-coatの防水が全く機能しなくて・・)、パンツまでもびしょ濡れになる有り様だったので、椎名町に寄るのは諦めて、江古田に直帰しました。

練馬区では警戒レベルが3だそうです。
3って、どうなのよ??

パンツから総着替えで、指先が悴んで動かないので、エアコンの暖房を入れて部屋を温めている所なのですよ。
後は、風呂で体全体を温める為に、風呂を温めている所です。
冷蔵庫の中には、全部処分したので、何も入っていないのだけど、流石に椎名町に食べに出掛ける気には、ならないのだよな??



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6月4日バレなければ、良いという時代 ·

変な夢を見ました。

安っぽい2階建ての家を教室として借りていたのですが、ある時に楽譜の棚から貴重書を含めた楽譜類が、ごっそりと盗まれてしまったのですよ❢
しかも、外側の壁の雨樋の横に、二階迄よじ登った靴跡がハッキリと残っているのだよな??
それで夢の中のお話なのだが、超、嫌な気分になってしまったのだよ。

勿論、楽譜を盗まれた事は当然なのだが、それよりも、住居に侵入をされた事が、お袋が認知症になって、部屋中のタンスの中身が全て、盗まれていた事を思い出すのだよな??
物を壊しても、車をぶつけても、バックレてしまえば、無い事に出来る・・という風潮があるようだ。
人が目の前で困っていても、気付かなかった振りをすれば良いのだからね??

今の教育では、バレなければ、無かった事に出来るのだよ。

本人の尊厳等と言うものは、所詮は、存在しないのだよ。
だから、逆に一切を許さない・・という非寛容な社会が存在するのだよ。
そう言った社会では、自分のモラルに合わないものを、阻害する所謂、虐め社会が出来るのだよ。
転校して来た生徒がチョッと方言で訛っているのを、自分達の社会の喋り方とは違うから・・と言って、そうスカンしてしまう。
勿論、昔も村八分とかいう風潮はあったけれど、それはよっぽどの事があった時だったのだけど、今は、それ自体が常駐化しているのだよ。

こんな世知辛い世の中ならば、若者達が自分の子供を持ちたくない気持ちも理解出来るのだよな??
もうチョッとだけ、清濁併せ呑む寛容の社会には成れないものかね??
チョッとした事も許せない不寛容の社会なので、バレなければ無かった事に出来る・・という風潮になるのだけどね~ぇ??

社会の人達には、それが理解出来無いらしい???



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6月4日『超、有り難迷惑なMicrosoftのupdate』 ·


この所、「windows11にupgradeしろ」とのmessageが出て、その都度、無視をして来たのだが、過日、updateの画面が出て来て、「何のupdateなのだろうか?」と、何気なく、updateをclickしたら、windows11へのupgradeで、その選択肢が、「今直ぐ」と「パソコンの終了時」と、「その後」の再起動の選択しか出来なくて、upgrade自体を削除する事が出来なくなってしまったのだよ。

だから、これまでは、「後で、再起動をする・・」を選択して、お茶を濁して来たのだが、昨日は、とうとう、その選択肢が、パソコンを終了する時にさえも、出て来て、とうとう、頭に来て、切れてしまったのだよ。

一週間以内ならば、簡単にwindows10に戻せる・・という事なので、どういう画面になるのか、利便性はあるのか??・・・だけを確認して見る事も悪くは無い・・それも有りか?という事で、昨晩は思い切って、再起動を選択した。
まあ、小一時間も掛かってupgradeが終わって、驚いたのだが、何処がどのように変わったのだろうか??

タスクバーの一番左のstartがMicrosoft Edgeの画面に変わって、何処をどのように弄っても、どこをclickしてもMicrosoft Edgeの画面しか開かないのだよ。
パソコンを終了させるボタンがタスクバーの中央に位置しているし、色々な不必要なアイコン(特にゲーム・softや、普通に使用しない友達Toolのsoft類等なのだが)を、タスクバーに常駐しているので、それが煩くて堪らないのだよ❢
それ等を全部、タスクバーから削除して行って、(可能な限り、uninstallして行って)、パソコンが不要なsoftで、重くならないようにして、)最終的には、タスクバーのMicrosoft Edgeのアイコンもなんとか削除出来た。
そして、パソコンの電源の位置を中央から左寄せに変更したら、何とか、元のwindows10の画面とほぼ同じようになった。

相も変わらず、Microsoftのパソコンの変更のconceptは、パソコンのスマホ化のようだ。

notePCを手軽で日常的なスマホのような使い手に想定しているのだろうが、パソコンで人と繋がる事よりも、仕事の道具にしている人達に取っては、Microsoftのこう言ったupgradeは、本当に迷惑な話である。

今回は、購入したsoft類や、大切なdataがぶっ飛ぶ事も無かったので、installが終わって、元の画面の状態に戻すのに、小一時間も掛かっただけだったので、被害は少なかったのだが、XPから7の時や、7から10の時には、soft類やdataに多大の被害が出てしまって、マジに業務に差し障ってしまったのだよな??

今回は流石に、「仕事中ならば、後で・・」という選択肢もあったので、そこはどうやら、配慮はしたようなのだが、・・何故、このような無意味なupgradeをするのだろうか??
パソコンが一般家庭に浸透して、携帯のパソコン化で、パソコンが売れなくなってしまったからの、なんとかのあがきなのだろうが、携帯やTabletがパソコン化する限り、パソコンにはより専門的な操作性が求められてしまうのだよ。
勿論、それでは、大量販売は出来なくなってしまうのだが、それは宿命なのだよ❢

音楽でも同じなのだよ❢
音楽が一般大衆化すれば、芸術性や宗教性は希薄になって、エンタテーメントが支配するようになってしまうのだよ❢

Facebookにしても、そうなのだが、パソコン業界のする事は短絡的で、自分で自分自身の首を締めてしまうような選択をしているのだよ❢
これは全く理解不能だよな??


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6月4日オケ練習が急遽、牧野先生の高熱で中止に ·

今日は6月4日の日曜日、所謂、オケ練習の日です。今夜はstrawberry‐moon、満月です。

昨晩は、江古田ハイツをbikeで椎名町に出発する時の夜の9時には、漆黒の空に大きなほぼ満月が冴え冴えしく光っていました。

でも、僅か2時間後の11時頃の椎名町でドル・プリっ歩に出掛けた頃には、結構、分厚い雲が満月を遮って、何処にお月さまがいるのかさえも、分からなくなっていました。
未だ、梅雨では無いようなのですが、結構、湿気っぽくて、体もジメジメしてきます。
これからは、毎日、除湿機のお世話になる鬱陶しい日々が続きます。

外の風は冷たく、部屋の中は、ジメジメとして蒸し暑い日々が続いて、衣装選びに困ってしまう季節になりました。

・・てな事で、今日は遅番の予定なので、のんびりとオケ練習の移動の準備をしていたら、牧野先生が高熱でdownしたとの連絡があった。
5類にはなったとしても、もしもコナロの可能性があったらマズいので、急遽、オケ練習は中止にして、私の個人lessonだけと、牧野先生の個人lessonを、新たに加えてscheduleの組み直しをして、その分早くなった出発時間に間に合うように大急ぎでハイツを出発しました。

折角、前の日の夜に準備をした楽譜類を、全部入れ直して、大急ぎでハイツを出発したのだけど、途中で、rucksackに入れた楽譜類を置きっぱなしで出て来たのに気付きました。
でも、時間切れなので、楽譜は諦めて出発の時間を優先する事にしました。
教室にも同じ楽譜は置いてあるので、それで代用が可能だからです。

牧野先生は、日曜日でも診察をしてくれる病院を探して、やっと東京の病院を見つけて、大急ぎで出発しました。
原因は分からないのですが、兎に角、コロナでは無かったようで、まあ、不幸中の幸い・・とでも言うのかな??

今日のlessonは代講の分も含めて、練習の仕方の解説を中心にしました。
練習を分析的に積み上げて行くという事を学校では学ばないようなので、突然難しく練習してしまうのが行き詰まる原因のようですね。

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6月6日自分の居場所について·

今日は6月の6日の火曜日です。
練馬区は今にも雨が降り始めそうな超曇天の梅雨空で、公園の周りにも湿度100%の空気がドンヨリと、重く垂れ下がっているのが見ても、分かります。
当然、ハイツの部屋の中も、湿気がとても酷いので、出来る限りの対策として、除湿機を掛けているのですが、これ程湿度が高いと、除湿機だけでは、部屋の空気を軽くする事は、とても無理な塩梅なのです。
湿度が高いと、それに整合して、私の欝も酷くなって来ます。

その欝も、湿度と同様に、そろそろ限界点の頂点に達する頃で、人生の欝を引き寄せて来ます。
自分の人生なので、自分が「こうしたい❢」とか「ああしたい❢❢」とか思った事が叶わなくても、自分の望んだ事なので、それが欝を引き起こす事はありません。

私が長い人生の経験値を活かして、良かれと思って、やった事、その全てを、人から否定された時には、自分のお人好しさ加減を恥じて、つくづく、人と接する仕事が、自分には向いていないのだよな??と実感します。

ましてや、人を育てる仕事は、私には向いていないのだよな??・・と、心底、つくづく感じてしまう・・この頃、なのです。

教育・・と言うか、音楽教室は、私に取っては、私財を投資しているだけなので、そこから見返り(給与等々)が戻って来た事はないし、タツキの糧になった事はありません。
だから、本当に、そこが自分の居場所でないのならば、音楽教室の経営をやめてしまっても・・日常の生活は逆に楽になるだけで、私が困る事は全く無いのですよ。

音楽教室を開所する前の、本当に私を慕ってやって来てくれた数人だけを、指導して行けば、精神的には楽で、良いのですよ。

音楽教室を開いた目的の一つは、Europaの音楽は、基本的には、ensembleやorchestra(この場合にはstrings-orchestra)で育って来たのだが、日本にはensembleの指導者も、orchestraの指導者もいないのが現状なのだが、音楽大学で、正しい音楽の演奏法を指導出来たとしても、経ったの4年間では、間違えて勉強して来た日本流の誤った奏法を取る所までしか出来ないのだよ。

それならば、子供達を、最初から教えた方が、早い・・と思ったのだが、「やっとproとしての水準で、指導が出来る」と、思った段階で、教室や私が否定されてしまうのだよ。
その理由は、私が求めているのはお家元のEuropaのtraditionalな音楽(勿論、今のEuropaの音楽、・・という意味では無いよ❢❢18世紀迄の音楽のrootsなのだよ。)であり、proとして活躍しているEuropaの音楽家達が基礎的な勉強として学んで来たものなのだよ。

Europaの演奏家達は、rootsの演奏も出来るし、現代風な演奏も出来る。それはrootsが出来るからなのだが、猿真似の日本人にはそれが分からない。
まあ、分からないのならば、最初から指導する必要は、無いのだよ。音楽教室が、私の居場所でないのならば、無理をしてまで、そこに居る必要はないのだよ。

まあ、オケは楽しい、室内楽も楽しい・・と思ってくれただけでも、やった意味はあったと思って、老兵は去りゆくのみ・・という事なのだよ。
だからといっても、引き籠もる分けでは無い。

引き篭もって、社会と断絶するには、未だ絶望感が不足しているから・・なのだ。
世捨て人は、人に知られては、世捨て人には成り得ないのだから、人に知られないようにする事がその世捨て人足るlife‐workなのだからね??

本当の竹林山の七賢人ならば、「竹林山の七賢人」と言う言葉が世に知られる事はありませんよね??
知られている・・という事は既にそこでは、七賢人では無いのですよ。アハッ!


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6月7日今日は多分第5回目の抗癌治療です。 ·

今は6月7日の水曜日の朝の8時になった所です。
今日は(多分、第5回目の・・)抗癌治療の日です。

1回目は、チョッと夜に熱が少し上がった程度で、体調はそんなに悪くなかったのですが、回を重ねる毎に熱や血尿が酷くなって来て、前回の4回目は、夕方から直ぐに高熱が出て、血尿も酷い状態で、回復に2日も掛かってしまったのに加えて、後期高齢者の認知症検査やその他の予定が割り込んで来て、今回のintervalは雑用も非常に多くて、一週間がとても短く感じられてしまいました。
「なんだ?もう抗癌治療の日か??」と驚いてしまう程の短さ・・でした。

予定の電車に乗って、練馬、中村橋と耳に入って来たのだけど、その次の駅の名前が「***」と、耳に残らなかったので、「今は何処だろう??」と、駅のhomeの柱に書いてある駅名を見たら、なんと、練馬高野台の駅だったのだよ。
どうやら、電車の座席に座った途端に、tripしてしまったらしいのだよな??

なんでか知らないが、病院は非常に混んでいて、これまでに最高に待たされてしまって、会計に並ぶのも人の列が入り口まで並んで、それはそれは大変だった。

それに治療剤を挿入されて、普段ならば、先ずは喫茶店で時間を潰すのに、喫茶店でも人が並んでいて、他待合室も同様だったので、諦めて、一番人の居ない場所と思われる、診察室の待合で待つ事にした。
定形の時間に病院に入ったのに、一連の処置が終わる迄には、これまでの最長の1時を過ぎてしまった。
やっと、病院でのroutineが終わって、なんとか、帰路に付いたのだが、いつもの喫茶店で軽く食事を取る気分に成れず、2,3軒、お店を見るだけ見てみたのだが、やはり、食事をする気分には成れず、そのまま、駅の構内のコンビニで弁当を買って、ハイツに戻った。

それでもハイツ到着は2時をチョッと過ぎただけで、寄り道をしなかった分、早くハイツに辿り着いたのだが、そのまま、椅子に座ったままで、呆然自失状態になってしまって、闇雲に時間が経過してしまった。
まあ、そこは、体調の限界なので、由としよう。

夕方の6時からは、熱が急激に上がり始めたので、除湿を掛けたままで、急いで、寝た。

12時頃には、bedの中で、熱だけを計ったのだが、8度8分で、そろそろ、9度になる所だった。

しかし、爆睡状態なので、一番体や気分が辛いハズなのだが、意識が朦朧として、逆に、結構、楽なのだよな??

今回の排尿時には、頻尿で排尿痛が酷いのだが、入眠は楽に出来たので、以外と楽であった。

次の日の、8日の朝の6時頃迄、爆睡・・と言うか、意識混濁で、bedの中での入眠が出来たのだよ。

という事で、木曜日の朝の体温は、7度5分迄下がっていた。
微熱よりも、少し高いぐらいなので、体が動くのだよ。




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6月9日今日は兎に角忙しかった❢❢ ·

今は、6月の9日の金曜日です。
今日は兎に角忙しかったのだ。
夕方の4時になる所なのです。
やっと、食事にありつけたぞい❢

先週の金曜日は、台風性の暴風雨の中を無理をして、認知症検査にbikeで出掛けたのだけど、今週はその時にdouble-bookingをして日延べをした車検で車をトヨタに持って行かなければならないのに、Microsoftが勝手にwindows11にupgradeをしたのを、なんとか今まで同様に操作出来る所まで、修正の作業をしていたのだが、3台のprinterが印刷は出来るのに、scanningが出来ない・・という事に、気が付いたのだよ。
printerのsoftをwindows11の互換性のsoftにupdateして、試したのだが、scanningのアイコンは出て来るのだが、bugってしまうのだよ。

一晩、半轍で頑張ったのだが、とうとう、proに任せる事にして諦めてしまった。
それからほんの少々、仮眠をして、lessonの準備に入った。

準備と言っても、何の曲を見るのかは、lessonにならないと分からないので、楽譜の準備は無いので、部屋に人が入れるように、簡単に掃除整頓をするだけなのだが、これが出来る事と、出来ない事があって、いつも困っているのだよ。

lessonが終わって、自分の仕事をしながら、和声学の添削をするのだが、そこでも、楽譜のscanningで躓いてしまった。

パソコンは、やはり仕事modeなので、scannerが作動しなくても、日常のlessonにさえ差し支えるのだよな??
已む無く、楽譜を携帯のcameraで撮影して添付して送った。

その携帯なのだが、batteryが死んだので、携帯そのものを交換したのだが、操作性が、これまでの携帯とは全く違っていて、今まで普通に出来た事が全く出来なくなってしまって、資料を見ながらlineを送る・・とかいう動作が出来なくて、困ってしまった。

私は腕時計を持ち歩かないので、携帯にanalogの時計を表示させているのだが、その時計が引っ切り無しにぶっ飛んでしまうのだよ。
時間が分からなくなってしまうので、その都度、時計を入れ直すのだが、これが一手間も二手間も掛かってしまうのだよ。
それにパソコンのwindows11の使い手も非常に悪くなってしまって、その修正の画面で、windows10からではなくて、XPやVista、windows7までしか出て来ないのだよ。
選択肢が無い・・という事なのだよ。

windows11の問題なのだから、当然、その前は10だろうが??
理解に苦しむよな??

computerの操作性は、keyを打つ回数で決まる・・のだが、versionが上がる度にkeyの無駄打ちの回数が増えて行くのだよ。

必要の無い本人のaccountの画面が優先的に出て、パソコンのon-offの画面は素っ頓狂に遠い所に表示される。その為に、イチイチ、カーソルで探して打たなければならないのだが、その無駄さに気が付かないのかね??

私は使用頻度の多い単語は、1~3迄のkeyで入力出来るようにしているのだけどね~ぇ??
何をやっているのだろう??
やればやる程、無駄な動きをさせられるのは、





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6月11日Jcomのテレビのコードを整理した。 ·

今は6月11日の日曜日の朝の5時半を過ぎた所です。

本当ならば、先々週の方が、お出掛けが多かったので、忙しかったハズなのですが、まあ、今週の方がバタバタしていて、昨日の土曜日には、バテ切って、お昼はbedの中で一日中、ウダウダとしていたのだけど、夕方の4時半過ぎから斉藤先生が、手伝いとbaroque-bowを探しに来てくれたので、急遽、J-comが来て部屋中の足元に放置されているテレビ・コードを天井に這わせるトンカチ作業をしました。
俺が脚立に乗ると、フラフラして引っ繰り返ってしまうので、高い所での電動のドライバーの作業は無理だからです。
後は、リュックやショルダー類を少しだけ整理をして、ホンのチョッとだけ、倉庫状態から脱却する事が出来たのかな??・・ないのかな???

なんとか夜の8時頃には、作業が一段落したので、今日の夕食は外食にしました。

斉藤先生は、これから夕食の準備はとても無理なので、お礼の意味も兼ねて・・の外食のハズだったのですが、なんと、何処の店も満タンで、入室が出来なかったのだよ。
コロナ解禁の2回目の土曜日だもんね??

という事で、入れるお店を探す事になってしまったのだよな??
お久し振りの江古田の街を徘徊する事になってしまったのだよ。



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6月11日methodeを学ぶという事は ·

methodeを学ぶ・・という事は、同時に心の有り様を変える・・という意味でもある。
多くの生徒達は、methodeを学んでいるのではなくて、how-toを学ぼうとする。
how-toは、その場の対処療法に過ぎない。

対処療法とは、歯が痛い時に、痛み止めを飲むようなものである。
痛み止めで痛みが抑えられている間に、病根はどんどんと大きくなって行き、最終的には歯を抜かなければならなくなってしまう。

咀嚼が出来なくなってしまうと、唾液の量が減ってしまって、結果、免疫力が低下して、病気に対する抵抗力が無くなってしまう。歯は命である。

本当の意味で音楽を極めたければ、意識の居場所を定める事に尽きる。
正しい居場所に居れば、行き詰まる事はない。

芦塚methodeで根幹をなすのは時短の法則である。
芦塚methodeのそもそもの生い立ちは私が未だ中学生であった頃、授業の板書が出来なかった、所謂、板書をノートに移すのが時間内に、、間に合わなくて、半分程しか書き取れないで、いつも困ってた所から板書を時間内に「書く」という工夫をした所から、私のすべてのmethodeが始まったのだ。

時短には、書く文字を最低数にする・・という事から、手順を省くというrule作りへと発展していたのだよ。



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6月12日オケ練習へのfeedback ·

今日は6月の12日の月曜日です。

昨晩のオケ練習は、昔に戻って、練習時間と、intervalのお話、所謂、「お説教time」をお久し振りにしました。

『お説教という意味』
勿論、「お説教time」と言っても、一般的に言われている「怒り心頭time」の『お叱り』という意味の、生徒に対して頭ごなしにお説教をする・という意味の「お説教time」では無くて、色々な人生のお話を聞かせる・・と言う意味の、お説教であり、仏教で言う所の、説法の意味の「お説教time」なのです。
ですから、昔々の生徒達の中には、「お説教time」が大好きという生徒達もいた程です。

『練習開始の時間の設定』
今日のお話のthema(所謂、お題・・)は「教室での一つ一つの準備に関する作業が、音楽界ではproとしての仕事になる」というお話と、練習に入る前の準備の時間を設定していない・・理由は何故か??・・と言う事に付いてのお話でした。

学校でも、授業開始の時間は決まっていて、その単元の授業が始まる迄には、「教科書と書く物書かれる物」の準備が終わっていなければなりません。
勿論、社会では、打ち合わせやその場に行く事で、時間が遅れる場合には、事前の連絡が必要だし、常時、遅れる人達は社会的には信用して貰えません。

例えば、proのオケの練習では、それぞれの団員が、orchestraの楽譜を準備する・・と言う事は・・不思議な事に、ありません。
それは、orchestraの楽譜はorchestraの団体の所有であって、個人の所有では無いからなのです。

「それはどうしてか??・・」という事を説明すると、著作権の問題から話さなければならないので、とても長くなるので割愛して起きます。

楽譜はorchestraの所有なので、楽譜の管理はorchestraがします。
只単に、オケ練習の為に、楽譜を譜面台に、事前に準備するという事は、proのorchestraではinspectorというproとしての役職である・・という事や、orchestraの練習で、指揮者のcheckした事を楽譜に書く・・という事は、楽譜を家に持ち帰れない・・以上、無駄なのですよ。
proのorchestraの団員は、如何なる注意を幾つ受けたとしても、それを全部覚えなければなりません。
orchestraの練習中に、memoを取る事は時間の無駄だからなのです。

しかし、それは一度、注意された事は絶対に忘れないで覚える・・という事なので、proの業かも知れませんよね??

私は人の顔と名前を覚えるのが苦手なので、超、有名女優さんの顔は覚えていても、名前を何度聞いても覚えられません。
今は女優さんの名前を覚えるのは、もうすっかりと諦めてしまいました。


それでも、私も音楽上のお話に限った場合には、lessonでcheckした事は、5年ぐらいは何の曲をどのように指導したのかは、非常に正確に、忘れないで覚えています。
だから、当然、半年coolのlecture-lessonで指導した事は、非常に正確にに覚えています。

個人のlessonで、曲を指導した場合でも、何処の所をどのように指導したのかは、非常に正確に記憶していて、詳細に説明する事が出来ます。


『memoは何の為に必要か??』
私は33歳の壁を通り越す迄は、memoを取る事は一切しませんでした。
何故ならば、memo帳を見る・・とか、持ち歩く、習慣が無かったからです。
普段の生活では腕時計すら、持ち歩く事はありません。
(腕時計や懐中時計は幾つも持っているのですが、それを使ったのは入学試験の時だけです。)


しかし、流石に、33歳の壁を堺に、物忘れをするようになってしまいましたが、memoを見る習慣が無いので、memoっても、無意味なのですよ。
それは困ってしまいました。

但し、文明の発展は有り難い事で、携帯の著しい発達で、覚え切れない住所録や電話番号、全ての予定を、携帯電話で一括管理する事にしました。
携帯をお財布にする事は除いて・・ですがね??

肝心要の携帯電話を忘れてしまう事がよくあるので、お財布やcredit‐card類は、携帯電話とは一緒にはしていません。・・ね??


memoの代わりに、携帯のcameraで写真を取っている人達が結構居ますが、ちゃんと、memo帳に移しているのかな??
それとも写真をmemo帳として分類しているのかな??

子供達は、日常でmemoを取る習慣が身に付いていません。

勿論、教室のオケ練習でも、memoを取っていては、練習が成り立ちません。
昔々、教室の生徒数が多くて、年少組と年中組と、年長組と専科オケに分かれて、発表会をしていた時には、発表会が午前の部と、午後の部、夜間の部に分けても入り切れなかったので、隔週の日曜日に二つに分けて発表会を開催していました。

・・・とは言っても、毎日曜日の練習時間は限られているのですよ。

だから、同じ練習時間内に全てのgroupの練習をさせるには、秒単位の遅れも許されなかったのですよ。

その為に、各group単位にinterval-timeを設けて、時間の調整をしていました。

オケのgroupが少なくなって来て、人数的にもゆとりが出来て、逆に、そういった時間に対する厳しさが曖昧になって来たのですが、教室のorchestraや室内楽は、本来の教室の業務では無く、Volunteer活動に過ぎないので、conceptが変わってしまっては、奉仕活動はやる必要はないのだ・・と言い続けているのですがね??


今回の「お説教time」でも、普段、私が何時も注意をしている「書く物と書かれる物の準備」、つまり、所謂、memoの取り方(memoを書く、その場所と、オケ練習を中断させないで、自分のmemoを取るにはどうしたら良いのか??)・・と言うmemoの取り方・・、所謂、方法論や、「memo取る・・それ自体の意味」・・は何か??・・という事も詳しく説明しました。

昔は、小、中学生達は、携帯を持つ事は出来無くて、キッズ携帯のような3人ぐらいしか電話の出来ない携帯を持たされる事が多かったのですが、今では、中学生ぐらいになると、殆どの生徒がスマホを持ち歩いています。
(スマホの正しい使い方を学習しないままに、スマホを持つので、勉強の妨げになっているcaseが殆どなのですがね??)

オケ練習中には、memoを取ると、lessonに付いて行けなくなるので、オケ練習中にmemoを取るのは、その箇所に丸付き数字で①と書いて、同じ場所で追記する場合には①の2とか3とか、書いて、自宅に戻った時に、丁寧に書き直せば良いのです。

その時に思い出せなかったとすれば、最終的には、私が二日掛かりでオケ練習の風景を限定公開でYou Tubeにuploadしているので、思い出せない箇所を閲覧して、確認すれば良いのですが、再三、それを生徒達に言っているのに、閲覧数は先生達の人数にも達していないのですよ。
だから、「無駄だから、そんな二日掛かりの作業はもうしないよ❢❢❢」と、生徒達や先生達には、何度も言っているのですがね??

確かに昔の場合には、親が子供にYou Tubeの動画を見せようとしなかった(協力的ではない)のですが、今の生徒達は全員自分のスマホを持っているので、生徒が自分で見ようと思ったら、見れるハズなのだよ。
feedbackをする・・・という習慣付けが全く出来ていないのだよな??


『探すという事』
また、昨日お話をした別のお話なのですが、それは、日常生活を仕事(子供達の場合には勉強)に追われ無いようにする為には、日常生活での「時短」が必要なのですが、日常生活の中で、時間を蝕む最大の無意味な、不必要な時間は、『必要な物を探す』・・という事ではないでしょうかね??

日常生活の中で、物を探す時間があっては、「時短」は望めません。
「物を探す」という事を省く事は、「所定の場所に、即時に仕舞う」・・と、いう事に尽きます。

その「所定の場所に仕舞う」という事を実践するためには、如何に「整理整頓」をするか??・・・というmethodeが必要なのですが、整理整頓のコツはmemoの取り方と同じで、「必要な時に、瞬時に出て来る」・・という事が、必須条件なのです。

幾ら、綺麗に整理整頓されて、片付けられている書庫でも、その中で、必要な本を探すのでは、整理整頓の意味はありません。

「物を探す」・・という事が、如何に人生の中で、時間を無駄にしているのか??・・・つまり、「時短を阻害しているのか?」・・というお話をしました。


物は、所定の場所から取り出して、元の場所に仕舞う所までが、一連の作業です。

物を探す癖のある人は、必ず「纏めて、後で仕舞う」と弁解します。

その「後で・・」が、結局、「元の所へ仕舞う」という簡単な作業を阻害してしまって、「二度と出て来ない」と言った最悪の状況を作り出してしまっているのですが、しかし、物を探す癖のある人は、それを反省する事はありません。
何故ならば、その人達に取っては、「物を探す」という事が日常であって、苦痛ではないからなのですよ。

そう言った理由で、「有るべき物を有るべき場所に仕舞う」という簡単な当たり前の事が、出来ない人には出来ないのですよ。

何十年も言い続けていても、手の届く範囲を整理する・・という事すら、出来ないのです。

だからといって、まあ、性格上の問題では、片付けたくは無いのですがね??


『rootsからの勉強法』
それから今日のlessonのconcept・・と、しては、音楽演奏上の基本である古典派の奏法の確認の為に、一つ一つ丁寧にHaydnのViolin concertoのG DurのⅠ楽章の練習をして、改めて練習法のfeedbackをしました。

これも芦塚methodeの根幹の練習法で、rootsの演奏法を勉強すれば、period(その時代区分)の全ての作曲家達の演奏法が出来るようになるからです。

baroque時代や、古典派の時代の作曲法は、様式に拠る作曲法なので、一人の作曲家の演奏法が理解出来れば、全ての作曲家達の演奏法が出来るようになるから、なのですよ。

今日のオケ練習の殆どの時間を、Haydnのconcerto、その1曲の為に費やしたのですが、芦塚methodeの根幹的な練習法である、所謂、rootsの演奏法として、Haydnのconcertoの奏法を学ぶ事は、baroque時代のVivaldiやCorelliから、古典派のHaydnやMozart迄の作曲家達の曲の奏法を、一把一絡げで学ぶ為の「究極の時短」でもあるのですよ。

「唯、教室に来て、練習をする(lectureを受ける)」という事ではなくて、練習で注意された事を、楽譜やnoteにmemoる・・という事が出来るようになれば、自宅での練習は極めて楽になります。

何時でも、正しい練習が、自宅でも、直ぐに練習が出来るようになる為には、「学んだ事を纏める」・・という作業が出来るようになる必要性があります。
それが出来るようになると、一瞬で、学校の勉強等も簡単になってしまう・・という事は、先輩諸氏が、証明済みです。


『video撮影について』
また、オケ練習が終わってからの、瑞希ちゃんのlessonでも、lessonをした次いでに、これまでの発表会やconcours等の演奏のvideoの撮り直しをしています。
しかし、別に瑞希ちゃんだけを、依怙贔屓して、videoの撮り直しをしている分けではありません。

発表会やおさらい会等の演奏が不本意だった生徒達全員に「撮り直しをするか??」と聞いたのですが、その時に、生徒自ら「したい❢❢」と申し出たのが瑞希ちゃんだけだったからです。

ホンのチョッとの1,2箇所をちゃんと撮り直しすれば良い生徒には、私から声掛けをしたのですが、拒絶されてしまいました。

まあ、子供には子供のrotationがあるのだろうから、無理強いはしません。
勿論、one lessonとしてやっているだけなので、lesson料も撮影料も頂きません。
こんな、良い話なのですがね~ぇ??
そこまでの思い入れが無いのですよ。

それでも、瑞希ちゃんや先生達は、通常のlessonの中で、日常的にvideo撮影をするので、今日のlessonの次いでに、video撮りに必要な、lighting(照明の方法や、Reflect(反射板の使い方)の説明を、今日のlessonの前に、優先的にやりました。

とは言っても、Reflectorはハイツに在って、結構重いので、今日は持って来れませんでした。

この半年間の練習のおかげで、前回のconcoursでは、とうとう最後まで、出来なかった VieuxtempsのElegieの数カ所の演奏上の問題点が、別の曲を練習して行く過程で、(Elegieを練習した分けではありませんが・・)全て、修正出来ていました。

但し、溜めの奏法は、一応は出来ているのだけど、未だ未だ・・思い切りが足りないよな??

でも、そこは、video撮り直しの時に、checkすれば良いだけだよな??

智子さんが練習に来るのは7月2日になるので、その時に、 VieuxtempsのElegieの音取りをします。

concoursでは時間節約の為に、前奏をcutして演奏したのですが、今回は、concoursでは無いので、時間調節は必要ないので、前奏のcutはしません。

という事で、丁寧に一つ一つを指導していたのと、ドル・プリっ歩を千葉で済ませてしまったので、帰りが大変遅くなってしまいました。

椎名町で食事を終わったのが、深夜の1時過ぎで、大雨が降り出したので、rain-coatを着る準備に手間取ってしまって、ハイツに到着したのは2時近くでした。

それからproのパソコン業者の人と、パソコンの補修とvideo・dataのパソコンへの取り込みの作業を4時近くまでやって、(パソコン業者の人がなんと深夜にも関わらず、起きていたので、作業を優先させたのですよ。)仮眠をして、7時起きで、その作業の続きをして、またまた、仮眠をして、今度は12時起きで、なんとか、お昼過ぎには、パソコンが元通りに復帰出来ました。

強制的に、6月の4日にwindows11にupgradeされてから、6月の9日にscannerが使用出来なくなっている事に気が付いてから、今日はもう12日です。

私は9日の深夜、ほぼ、完徹で諦めてしまって、proに頼んだのですが、proの手をしても、3日掛かってしまいました。

私としては、windows11は、何かと問題が多い事は承知していましたので、気に食わなければ、直ぐにwindows10に戻せば良いや??・・と、軽い気持ちでupgradeしてしまったのですが、windows10に戻しても、softが元に戻らくなってしまう・・とは、思いも寄らない事なのでした。


この所は、月曜日の恒例になってしまっている血尿なのですが、またまた、強い血尿が出ました。
どうも、恒例のpatternになってしまったようです。
困った事ですよね??


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6月13日今日は火曜日の引きこもりdayです。·

今は6月の13日の火曜日の夜の11時半を迎える所です。
火曜日は先生の椎名町への帰宅が非常に遅いので、私は椎名町には行かないで、ハイツで引き篭もって食事をする日なのです。(所謂、引き篭もりdayです。)

今日は朝から、どういう分けか、妙に疲れ切っていて、朝食を食べるのが、やっと昼の3時頃の遅い時間に食べる事が出来たのですが、夜食は、未だ・・食べる事が出来ないままなのです。
磁石で、椅子に吸い付けられて、固定されたままかのように、あるいは、椅子に縛り付けられたように、立ち上がる事が出来ないのです。

だから、レンジでチンをして食べるインスタントの食事でさえも、準備する事が出来ないのだよ。

明日は、またまた、抗癌治療の日なのだが、その病院行きの準備をしなければならないのですが、それすらも疲れ果てていて、今日は一日中、椅子から立ち上がる事が、出来なかったのですよ。

だからと言っても、それでパソコンの作業が出来た分けでも、テレビを見ていた分けでもありません。

椅子の上で、意識朦朧状態で、起きているのか、眠っているのかさえも、分からない状態でした。(強いて言えば、起きている状態なのだけど、時間だけがtripしているような状態なのですよ。)
いたづらに時間だけが、経過して行った分けです。
という事で、今は、深夜の2時になります。

つまり、抗癌治療の水曜日の夜になりました。

当然、今は、頑張って、bedの中で、入眠を試みているのですが、ふと、夜食を食べる事をすっかり忘れていた事を気づきました。

明日は病院なので、お昼過ぎまでは、食事が出来ません。
・・という事は、丸々、一日中食べないままになってしまうのだけど、体力が、持つかな?
追伸:それでも、やっぱり、痩せないのだよな~ぁ?

今は深夜の4時半です。
深夜は、30分起きの血尿を伴う頻尿と、両足首から先の腓返りと、強烈な鼻詰りで、bedの中にいても、どうしても、眠る事が出来ませんでした。

今回の4時半の頻尿では、相当大きな真っ黒な瘡蓋の塊が勢い良く出て、尿量も、相当、多く、一気に出ました。
気持ち良かったね~ぇ??stressの発散になったよな??
多分、これでこれまでの、30分起きの頻尿は、解消したと思うのですが、強烈な鼻詰りと足首から先の腓返りは未だ解消はしていません。

但し、腓返りはコムレケアという市販の薬が非常によく効くので、薬を飲めば解消は出来るハズなのですが、それでも、鼻詰りが残ってしまいます。
鼻詰りのケアをしたら、8時迄は眠れるのかな??
なんとか、one‐coolだけでも、眠りたいよな~ぁ??

という事で、頑張っている所なのです。

・・と思ったけれど、それは糠喜びで、やはり、30分後の5時にはtoilette-timeになってしまいました。
相変わらずの血尿なのだけど、尿量は確かに増えたよな??




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6月14日『朝の超ドタバタ』


今は6月14日の水曜日の朝の10時になった所です。

今日は抗癌治療の日なので、練馬高野台行きの電車の中で書いている所なのです。

昨晩は、午前中の4時半を過ぎた頃からは、なんとか眠れて、alarmの起床時刻にはちゃんと起きて、toiletに行って、椅子に座った所までは意識があったのですが、そのまま、Tripしてしまったようで、ハイツ出発の時間のalarmで、我に返りました。

超、大慌てで、衣装の準備を始めたのですが、いつものお出掛け用の半袖のTシャツが、幾ら探しても見あたらないのです。
時間がないので、探すのは諦めて、引き出しの半袖のTシャツの引き出しを探したのですが、出てくるのは、長袖のポロシャツだけなのです。
超焦ってしまい、他の引き出しも見たのですが、そういった引き出しの分類はありませんでした。
仕方がないので、長袖のポロシャツを引き出しから出して、床に巻き散らしながら探したら、なんとか一つ、半袖のよそ行きのTシャツが見つかりました。
当然、予定の電話は乗り過ごしてしまいました。

大急ぎで、次のhomeに来た電車に乗ったのですが、携帯で検索したハズの1本後の電車が無いのですよ!
yahooの乗り換え案内の時刻と実際の出発時間が合っていないのです。これは困った!

51分発の豊島園行きの電車に乗って、練馬乗り換えで、なんとか練馬高野台に辿り着いたのですが、いつもの病院までの登り勾配のきつい事!
急いでも、前に進まないのですよ。
青息吐息とはこのことだよな?

それでも頑張って、検体を出して、受付を済ませて、10分前までには、待ち合い室で座って待っている事が出来ました。
この待ち時間の長い事!

検温を済ませて、bedで処置を待つ時間も結構長いのだよ!!

その待ち時間に、会計を済ませて、朝食を院内のレストランで済ませて、忘れて来たメガネを取りに行って、いつもの待ち合いで、時間を徒に潰しているのだが、なんと、外は凄い雨が降っている。
それはないよな?

出発の時には、とても良い天気だったので、雨の準備はして来なかったのだが、後、小一時間で、やんでくれると助かるのだが?
今はお昼の0時半ですが、後、小一時間は、待ち合いで待っていなければなりません。
これが、超、うざったいのだよな~ぁ??

まあ、頑張って、時間通り迄待って、予定の1時20分には、規定を済ませて、帰路につきました。

今回も、喫茶店には寄らないで、1時31分の電車で江古田に直帰しました❢

取り敢えずは、toiletに行って、食事をして、またまたtoiletに行ったら、またまたまたまた、黒い瘡蓋が出て来ました。

大急ぎで、bedに直行して、横になったのですが、未だ3時過ぎだというのに、もう、寒気がし始めて来ました。

で、5時です。寒くて堪らないので、エアコンの暖房を付けたのだけど、逆に寒いので、ガスの暖房をつけました。
これは確実に温かい❢❢

夕方の6時です。
寒いので、熱を測るとやはり、7度5分です。
これも定形かな??


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6月15日抗癌治療も後2回です。

今日は6月15日の木曜日です。
昨日の抗癌治療から丸1日経って、やっと落ち着いた所なのです。
抗癌治療も、6回目を過ぎて、後、2回という所なのですが、なかなか体がついていけません??

熱や頻尿はいつもの通りだったのですが、体調的には、普段よりも結構辛いものがありました。
何が・・、どう・・、より、辛かった・・という分けでもありませんが、全体的に体が、動かなくて、一つ一つの動作をする事が辛かったのです。
そういう事もあるのかな??
これも始めての経験です。
まあ、歳を取ると、色々とあるわサな~ぁ??

結構、汗をかいたので、温かい風呂に浸かって、体を休めました。
これも、今回が始めて・・なのです。
普段ならば、風呂は禁忌なのだけどね??
余りにも汗グッショリで、そうは言ってられないのでね??
それにたった1日で、3㌔も痩せたよな??

でも、明日になると元の木阿弥だよな??

まあ、それでも、水曜日が丸々1日、副作用で仕事にならない他は、日常の生活には全く影響は無いので助かっています。

流石に、水曜日の夜は、椎名町までbikeで食事には行けなかったので、結果、火曜日、水曜日と、ハイツに閉じ籠もっていたのですが、お久し振りに、今日の木曜日に椎名町に来て見ると、蛍光灯の暗い事・・まるで、昭和の20年代の裸電球の下で食事をしていた時代の幼い頃の事を思い出してしまいました。
椎名町の業務用のprinterの解説書を読もうと思ったのですが、文字が全く見えないのですよ。
それぐらい、暗かったのだよな??
いやあ、昭和を思い出して、懐かしかったョな~ぁ❢❢

新しい蛍光灯は明日到着する予定だそうです。
ハイツで、子供達の和声のlessonを、普段の日に、Faxでするつもりで、J-comに加入した時に、setの契約で、netとFaxに加入したのだけど、椎名町の事務所とハイツのprinterとのFaxの交換は問題は無かったのだけど、一般の家庭の電話に付属しているFaxは、超、おもちゃで、dot.が疏過ぎるので、五線上の音符が見えないので、和声のlessonには使えないので、電話が全く使わないままにしていたのだが、DMや宣伝のFaxが入って来るので、うるさいので、電話線を抜いたままにしていたのだが、携帯を新しくする次いでに、電話の契約を、net-テレビの契約に変えました。
その方が少しでも、利用価値はあると思ったので。

・・という事で、ふと、パソコンの作業をしている時に「パソコンの作業と平行でYou Tubeが見れると良いな??」・・と思い立って、You Tubeへの登録をしました。
以前、テレビをYou Tubeに接続させようと思ったのだけど、難し過ぎて、断念したのだけど、netが繋がっていれば、You Tubeを開く事は問題は無いのでね??

普段はYou Tubeで、checkをする時には、パソコンのmonitor画面上で、見るのだけど、テレビの大画面とテレビの音声でYou Tubeを鑑賞するとまた、一段と良いものがあります。
net-テレビは映画やアニメだけではないよな??
結構、仕事にも、使えたりして・・・
善哉❢善哉❢

久し振りで、bikeで椎名町に行ったので、お尻が振動して、血尿が酷い。
まあ、抗癌治療が終わる迄は、しゃあないわな??

今日はお久し振りの欝なので、テレビ画面でYou Tubeを聞く事が出来るようになったので、bierを飲みながら、朝遅くまで、鬱々コンサートをしました。
欝の原因は、40年間言い続けている事の繰り返しなので、何を今更、欝になる事が・・という事なのだが、やっぱり、腹が立つ事は、腹が立つよな~ぁ❢❢
100回以上も同じ事を説明しているのに、何故、分からないのだろうか??
まあ、その理由は、全体の時間軸を見れないからなのだが・・

まあ、それは、この40年間繰り返されて来た事なのだから、まあ、良いとして、You Tubeのお話に戻って、パソコンのYou Tubeの画面とは違っていて、一つ一つを検索するのは、リモコンで一文字づつの操作で面倒くさいので、groupで括られている中を、selectするようになっているのだが、baroqueという分類に私の指揮が入っているのは、良いとして、なんでか、私の指揮をしたVivaldiのConcertoがロックに分類されていたりして、「えっ??なんで??」と思ったりして、結構そのとんでもない分類が面白かったのだよな??

それにしても、血尿が酷いし、瘡蓋がよく出るのだよな??
どうなっているのだ??
これ程、頻繁に出た事はこれまでには無いのだけど・・・



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6月16日『Genieについて』·


よく世の中では天から与えられた才能として、Giftという言葉が与えられる幸運な人達がいる。

しかし、一般で言う所のGenieは、技術的な天才であり、しかし、これは残念な事に、教育に拠って、意図も簡単に作り出す事が出来る。但し、勿論、親と本人が望むのならば···という、条件の元で
、ではあるが・・・

しかし、一般的に多くのGiftと呼ばれる天才達が音楽芸術の世界で、proとして活躍出来る事はないであろう。

Giftと呼ばれる天才に共通する弱点は、情緒の欠乏である。
つまり、一般的なgiftの天才は、それにしか興味を持っていない事に拠るGenieなのだ。
だから、技術的には完璧に演奏出来たとしても、人間的な情緒表現には欠けるのだよ。
Giftの人達は技術的表現には、興味を示すが、人間に興味を持つ事はない。
人間の情緒は、Giftの目標にはなりえないからである。
人間性とは多様性であり、Giftの特性である、単一の目標には成り得ないからである。
]確かに、技術的に人を感動させる事はある。
Olympic等がその典型である。
しかし、芸術点が幾ら高くても、技術的な芸術であり、所謂、芸術の領域では無い。
歴史に名を成す大天才には心が存在する。
心が存在するから、歴史に名を残す事が出来るのだ。

しかし、所謂、giftと呼ばれる人達の多くは技術のみのgiftである。
giftと呼ばれる人で、こんにち、芸術界に名を成している人はいない。
世界の名人と呼ばれる人でも、giftと呼ばれる事は無い。

という事で、本当の天才は、技術ではなくて、人を引き付ける能力を持って産み出された人を言う。

実際に、教育をしていると、そういった産まれながらに人を引き付ける事の出来る能力を持った子供達に巡り合う事がある。
しかし、残念ながら、そういった子供達が芸術界に、育つ事は稀である。

何故ならば、家庭環境がそれを許さないからである。

環境とは子供を取り巻く環境の事である。
そう言った子供のGenieを理解出来る親は、残念ながらいない。
幾ら、手を差し伸べても、それを親が否定するからである。
親は子供が自分達の手の届かない人間になる事を拒絶するからなのだよ。幾ら、普段は物分りの良い親を装っていても、実際に子供が自分達の理解不能な存在になる事は許さないのだよ。
親の尊厳に関わる事なのだからね??


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6月16日今日は起きれないので·

6月の16日の金曜日の朝の8時半を過ぎた所です。

toilette-timeで起きた所なのですが、相当大きな真っ黒な塊が、一気に出ました。
勿論、血尿と一緒に・・。

今日は朝から、2度、3度とtoilette-timeに起きるのですが、起きている事が出来ずに、そのまま、bedに戻って寝てしまいます。

お昼の1時過ぎになって、流石に、パソコンの椅子に座ったのですが、そのまま、1時間以上も、椅子に座ったままで、tripしてしまいました。

結局、2時を過ぎても、体が動きません。

今日は多分一日中このままの状態なのでしょうかね??

糖尿病とは血糖値が高いので起こる、と思われがちなのですが、血糖値の乱高下でも起こるのです。
このような、非常に疲れ切った状態が続く時には、一時的に飴玉1個、口に含むだけでも、体調が回復する時があります。

今日は、一日中寝てばかりなので、口に何も入れていないので、取り敢えずは朝食を取る事にします。
多分、それで、暫くは回復出来ると思いますので・・・

·····と思ったけれど、やはり、今日は一日中惰眠の日のようで、起きて仕事をする事が出来ません。

すこぶる残念ですが、体の望むままに、惰眠を貪る事にします。ハイ❢

夜の9時25分ぐらい、toiletteでオシッコをしていたら、頭がクラクラして来て立っているのが、少しだけ困難になって来たので、スワ、これは脳梗塞の兆候か??
···と思ったのだが、便器の水面が少し揺れていたので、「これは地震かな??」と思い直して、慌てて、部屋に戻ったら、天井から垂れ下がっているスイッチの紐類が全部揺れていた。
急いでテレビをつけると早速、地震情報が発表されていた。

東京は震度2だそうな?
まあ、椅子に座っていたら、気にはならなかった程度の揺れだったのだが、toiletteで立ちションしていたから気が付いたのだよな?

まあ、今日は一日中ダラダラとした1日で、仕事と言っても、lineで指示を出すだけの、生産活動を全くしない無駄な1日であった。

やる気が全く起きないので、簡単な作業という事で、『芦塚先生の和声学入門』から代用解決の単元を作って見たのだが、これまで作った中での、和声上の非和声音の動きを記す矢印の線がペイントのsoftでは、点線や矢印が出来ないので、幾つかの『お絵かきsoft』をinstallして試してみたのだが、殆どはイラストを書くsoftで、楽譜に記号を書くだけのsoftとしては、全く役に立たなかった。

しかし、その中の一つだけのsoftであるペイント・ネットというsoftが、一番、私の和声学や音楽理論のanalyseの作業の中で、「まあまあ使い手のあるsoftかな??」という感じで、そのそsoftを、暫くの間、試して見る事にした。

深夜になって、体調管理が上手くいかなくなってしまって、今夜も眠れなくなってしまったのだよ?
勿論、昼間、あれだけ、ダラダラと惰眠を貪ったせいなのだよな?(せいは携帯では、変換してくれなかった。そもそも変換の候補がなかったのだよな?!
勿論、パソコンのGoogle日本語ならば、問題無く変換してくれるのだがね??せい=所為)


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6月18日You Tubeの翻訳soft

今は6月18日の日曜日の深夜の3時になる所なのです。
相変わらず、血尿と真っ黒な血の塊が出たり、出なかったりで、困っています。

結局、昨晩は一睡も出来なかったのですが、金曜日は一日中惰眠を貪っていたので、まあ、当然と言えば、当然の事です。
明日はCスケ(=Cschedule)なので、朝の10時には、椎名町を出発しなければなりません。

・・・と、いう事は、朝の8時には起きて準備をしなければなりません。当然、夜ふかししている暇はないのですがね~ぇ?
夜ふかし・・というか、単に眠れないだけなのですがねぇ?

とか、なんとか、摂眠障害と格闘していて、One-coolの2時間弱は眠る事が出来て、今は朝の5時です。
頑張れば、もう、One-cool眠る事が出来るのですが、なかなか寝つけません。
後、One-cool眠る事が出来れば、今日の千葉行きも、楽なのですがね~ぇ?

time-limitが、Cスケは早いので、それも出来ません。

それはそうと、You Tubeにはlessonのvideoや曲や演奏の解説videoが結構、あります。

日本人の演奏家の解説videoを見る事は全く無いのですが、それでも、海外の演奏家の珍しい解説のvideoを見たくなる場合もあるので、この2,3日、取り敢えずは音声の翻訳softを探して見ました。
Europaに留学中や留学前の時代は、日本人以外の友達もいたりして、結構、英語にも強かったハズなのだけど、留学から帰って来て、3,4年も経った頃からは、周りにドイツ人も居なくて、英語でしゃべる友人も居なくなってしまって、外国語が全く喋れなくなってしまいました。

という事で、長文のお喋りを聞き取るのは、結構stressだったので、音声の無料翻訳softをnetで探して見ました。
だけど、色々と試しても、帯襷で、気に入ったsoftが無くて、困っていたら、音声の翻訳softの紹介のPageに、You Tubeにも翻訳softが入っている・・と書いてあるのを見つけました。

慌てて、You TubeのBiberのRosarysonateの解説のPageを開いて、*から字幕の設定を日本語にしたら、結構、まともに翻訳が出来ました。
これは良い❢❢❢

結構、難しい理論のYou TubeのPageもstress-freeで見れるよな~ぁ??
You Tubeにこんな便利な機能が付いている・・って、知ってた??



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6月19日Rehabili-day

今は6月19日の月曜日の夕方の4時半になる所です。

今日は、朝からtoiletteに行く以外には、全く、起きている事が出来ないぐらいに、バテて、惰眠を貪っています。

でも、所詮は、月曜日はRehabili-dayとしているので、その日に休む事が出来るのは、良い事ではありますが、何も食べないで、眠るだけでは、チョッと問題も残るのかな??・・とも思っているのだけどね??

5月からは抗癌治療が始まったので、水曜日の午前中に処置を済ませて、ハイツに戻って来て、夕方の5時ぐらいからは、副作用の高熱と、血尿の頻尿で、丸々1日、疲れ切ってしまいます。
つまり、日曜日と水曜日が疲労困憊する日で、その次の月曜日と木曜日がRehabili-dayになります。

・・という事は、まあ、オケ練習の日曜日は由として、動ける日は、火曜日と金曜日と土曜日と日曜日の4日間だけになるのだけど、この所の体調では火曜日は全滅で、金曜日が体調不良だと、働ける日が土日だけになってしまうよな??

これはチョッとマズいぞ??

中野 卯月
先生
睡眠は免疫最高効力かと存じますがガソリン無くしてはエンジンスイッチONは至難です
ウーバーサン
セレクトはお嫌ですか?

芦塚 陽二
疲れている時には、食欲がないし、お腹が空きません。
結構無理をして、食べる事もあるのですが、肥っているので、食べなくても体重が増える時もあるので、困ってしまいます。

中野 卯月
芦塚先生
何も召し上がらないのは良くありません
ほんの少しでも、、、ポタージュやクッキーだと保存が効きカロリー的にも、、、
お薬を飲む為にも胃をお大事になさってください

芦塚 陽二
何も食べれない時の為に、軽いクッキーや駄菓子を保存しています。起きても、血糖が上がらない時にも、一口の駄菓子を準備しています。疲れが酷い時には、椅子から起き上がる事が出来ないので、手元の駄菓子入れで、口を濁します。

中野 卯月
芦塚先生
安心しました〜!
どうか血尿が治りますように!



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6月21日 抗癌治療が中止になりました

今日は6月21日の水曜日の朝の9時半を過ぎた所です。
昨晩は、眠れなくて、布団の中で悶々としたくなかったので、Netflixで海外ドラマを朝の5時過ぎまで、見てその勢いで爆睡しました。

とは言っても、one-coolの2時間程度だけなのですがね??

どっちみち、抗癌治療の後は、高熱と頻尿で1日眠れなくなってしまうので、眠たい方が、体調的には助かるので、睡眠不足は歓迎なのだよ。(練馬高野台まで、電車で行く体力だけあればね??)

先週の水曜日の抗癌治療の日は、体調が良くなかったので、準備が遅れてしまったのと、出発の時間の設定が、ゆとりがなくて、予定の電車に間に合わなくて、ひと電車、乗り遅れてしまいました。

・・・という事で、今回は、ひと電車早めに出発しました。
当然、予定よりも早めに到着したのですが、出発直前にハイツの自宅で、toiletに行ったので、病院に到着してからも尿意が起きなくて、尿検査が出来ないので、待ち合いで無駄に時間を潰している所なのですよ❢
已む無く、院内のコンビニで、Juiceを買って、飲んで、なんとか処置室に行くまでの時間内にtoiletに行く事が出来ました。

尿検査の結果なのですが、、副作用の血尿が酷いという事で、、抗癌治療から、急遽、診察に変わって、その結果、今回と次回の抗癌治療が、突然の中止になってしまいました。

まあ、そうは言っても、必要最小回数の6回迄は済んでいるので、7月26日の、7月最後の水曜日に尿検査をして、8月の2日に膀胱鏡検査をして、その結果で、今後、どうするか?・・の判断を、するのだそうです。

という事で、処置が無くなったので、診察を終えて、直ぐに病院から、directに自宅に戻って来たのですが、抗癌治療をしなかったのにも関わらず、超、バテてしまって、それからは、抗癌治療の副作用でも無いのに、うだうだと一日中、過ごしてしまいました。

まあ、寝不足の結果なのだろうけれど・・ね??

不思議な事に、体調不良がその後も続いていて、まるで、抗癌治療の後、みたいな感じになってしまっているのだよ。
恰も、体が抗癌治療のrotationを覚えているような感じだよな??



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6月23日寒い❢❢·

今日と言うか、昨日と言うか??(22日の木曜日のお話です。)お久し振りに椎名町に食事とドル・プリっ歩にお出掛けしたのだけど、霧雨は良いとしても、まあ、寒い事・・、とても、後一週間で7月とは思えません。

separateのrain-coat、所謂、rain-suitで厳重に防備を固めて、椎名町へbikeで出発しました。

恙無く、プリドルっ歩を済ませて、ハイツに戻ったのだけど、先生に、powerdirecterのzoom-upのチョッとしたコツを説明するのに、手間取って、ハイツへの帰還は1時になってしまいました。
まあ、普通・・か??

帰りは手が悴む程に寒かったよな??
ハイツでは、いつもの通りに、またぞろ、眠れなくて結構、バタ狂ってしまいました。
二日間も殆ど眠れていないのに、眠れない・・とは、不眠も相当重症なのだよな??




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6月23日一日中ウダウダと ·

今日は6月の23日の金曜日です。

今は、お昼の1時15分を過ぎた所です。
私は、この所、摂眠障害が続いているのですが、摂眠障害の時に、上手くtimingが合って、運良く眠れた時には、次のtoilette-timeに起きた時、所謂、one‐coolの睡眠が出来た後に、またぞろ入眠不良を続けるのか、或いは、起きれなくなってしまうのか?・・の二択になってしまいます。
一旦、起きて、入眠が出来なくなってしまうpatternの場合の多くは、強い鼻詰りを伴って、bedで横になると、息が出来なくなってしまうのが、殆どの場合の原因です。
当然、私なりに、鼻詰りのあらゆる対処をするのですが、それで上手く鼻詰りが解消出来れば、入眠が出来るluckyな時もあるのですが、大半の場合には、何をしても、鼻詰りが解消出来ずに、パソコン用の椅子に座って仮眠を取る事が殆どなのです。

逆に、toilette-timeの後で、爆睡出来て、起きれなくなってしまうpatternの時には、仕事の1時間前迄には、起床をする・・という普段の日頃のrotationを、時間ギリギリ迄、眠るように、timerを何度もsetし直す事がよくあります。

今日も、なんとか入眠が出来て、そのまま起きれなくなってしまったので、起きる時間のtimerをtoilette-timeで起きた度に、何度もsetし直して、最終的には、lessonのギリギリの20分前に起きる設定をしました。

「20分前・・」という設定は、起きれないpatternの時には、起き出しても、当然、寝ぼけてぼんやりしているので、体が動かないので、一つ一つの動作が非常に緩慢になってしまいます。

だから、20分前・・という時間が、lessonの出来る衣装に着替えるギリギリのtimelimitの時間としての目安になります。
そこで、なんとか上手く要領よく着替えられると、一杯のお茶を飲む事が許されるギリギリの時間になる事があります。
と言う事で、この20分がrisk管理内の最小時間になるのです。
(一杯のお茶・・は、今は一杯の紅茶ですが・・ね??)

今日は、lessonがチョッと長びいたので、食事の時間に遅れて、9時過ぎて、椎名町に着きました❢
というか、9時過ぎにハイツを出発したのですよ。

定形のドルプリっ歩をお散歩の気分が乗らなくて、超、short‐corseで済ませてしまったワガママ・ドルに、忍耐強く付き合いました。
それから、時間は深夜遅くになってしまったのだけど、斉藤先生の前々からの質問であるpowerdirectorの使い方のlectureを、ハイツに戻る前に、小一時間程、超、大急ぎでしました。
(ここの所は、前の日と全く同じ文章なのだけど、前の日には食卓の上で、paper上でのPowerDirectorの操作の説明だったので、PowerDirectorの実際の操作が、よく分からなかったらしいので、実際の発表会のDataを使ってパソコン上で、操作の仕方を説明し直したのですよ❢より、具体的に、現実的に・・ですよ❢)

それから、超、特急でハイツに戻ったのだけど、流石に深夜の1時を過ぎてしまいました。

持ち帰った食料品だけは、冷蔵庫に入れないと、この時期は直ぐに腐ってしまうのだけど、やはり、それだけの体力は残って無くて、パソコンの椅子に座ったままで、気が付くと、Tripしてしまっていました。
意識が戻ってから、大急ぎで、冷蔵庫に食料品を入れて、Bedで眠り直しました。


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6月24日如何ともし難い1日だった·

今日は6月24日の土曜日のお昼の1時半を過ぎた所です。
今日は惰眠の日のようで、朝から惰眠を貪って、bedから起き出す事が出来ません。

それはそうと、近ごろでは、スマホの文字入力の位置や機能が、頻繁に変わってしまって、その都度、元に戻す作業をしなければならなくて、無駄な時間を費やしています。
腹立たしい限りです。

古い携帯では、そんな事は一度もなかったのですが、この新しい機種になってからは、頻繁に、設定が変わってしまって、困ってしまいます。

そろそろお昼の2時になる所ですが、鼻詰まりが酷くなって来たので、bedで惰眠を貪る事が出来なくなって来たので、已む無く、起き出す事にします。

起きて、パソコンの部屋に行くと窓のBlindの回す取っ手が外れて、下に落っこちていました。取っ手と本体がハテナ・二つで継っているので(ジョイントされているので・・)、簡単に外れてしまうので、ガム・テープで、グルグル巻にして、ハズれないようにしていたのですが、それが経年劣化で、外れてしまったようです。
もう一度、ガムテープで巻いてしまわないと・・・ね??

てな作業をダラダラとやっていたら、やはり、パソコンの椅子でtripしていました。
思うように動かない体を、強引に動かしながらbedに戻って眠り直しました。

そのまま、夕方になって、toiletteで便座に座っている夢を見たので、慌ててtoiletteに行って、座り直したのですが、そのまま、また眠ってしまいました。

小一時間程して、ふと、携帯の着信音がして、目が覚めて、toiletteから部屋に戻ったのですが、部屋で動き回っていたら、突然、便意を模樣して、慌てて、toiletteに戻りました。
これまでには体験した事の無い不思議な感覚です。
それからパソコンを立ち上げて、mailを読んで、その対応をしています。

そうこうしている間に、もう椎名町への移動時間になってしまいました。
部屋の明かりも点けていないのに、時間だけが、走り抜けて行きます。


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6月25日革製品の補修用leather




写真は、ハイツのパソコンの部屋の、所謂、executive chairの肘置きの部分なのですが、ottoman付きの眠れる椅子でもあります。
しかし、leatherが乾燥してめくれてしまったし、背もたれ部分も破れたので、その内に、暇を見つけて、補修する事にしました。

「なにを、後生大事に・・??」と、思われるかも知れませんが、以前、使用していたleatherのexecutive chairの水平が、微妙にズレていて、座り心地は極めて良かったし、黒い色では無くて、茶色で、とても綺麗な椅子でお気に入りだったのですが、その椅子の所為で、腰痛を発症してしまったので、泣く泣く、ボツにして捨ててしまったのです。
(椅子を買い替えてからは、腰痛は無くなりました。椅子の水平は非常に重要なのですが、netで購入するので、そこは、Gambleになってしまいます。)

ひび割れは、革製品の宿命なのでしょうか?お気に入りの手提げのカバンも、Shoulderも、革にひび割れが入って、普段使いが出来なくなってしまって、泣く泣く処分してしまった物が結構、あります。
leather用の磨き脂を購入して、擦り込んだりして、たまには手入れをしたりするのですが、それでも、ひび割れはどうしようもありません。

今日は、6月25日の日曜日で、オケ練習の日です。
オケ練習はAオケと、BオケとCオケに分かれて、AオケとBオケは月2回の練習で、Cオケは、月3回の練習に、自主練習が1回なので、日曜日が5週ある月以外は、毎週のオケ練習になります。
つまり、月2回のAオケがある週は、Cオケの前にA Bのオケが入るので、私はお昼の時間までに、千葉に移動する事になります。

Cオケの時には、オケ練習が早い時間になるので、千葉行きは、午前中の早い時間に出発します。

今日は午前中にAオケの練習が入っているので、私は午後からの千葉行きになります。

但し、Cオケの練習時間やlessonの時間は変わらないので、帰りの時間がその分、遅くなるだけなのです。

という事で、今日の帰りは遅くなる予定です。
4枚目の写真は補修用のleatherです。


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6月26日携帯が不安定で·

今日は6月の26日の月曜日の11時半を過ぎた所です。

朝の4時頃から、寝たり、起きたり、を繰り返していたのですが、とうとうtoiletteに座って、そのまま、tripしてしまいました。
予測はしていたのですが、この所、収まっていた血尿が、やはりオケ練習の最中に再発して、今日も、そのまま続いています。
周りの先生達や生徒達も体調不良を訴えて、小さな子供も二人、三人と、欠席だったので、気候の変動に拠る季節的なtroubleなのでしょうかね??

オケ練習が終わって、千葉から東京への運転が、睡魔との戦いで、とても辛いものがありました。
首都高は事故の日で、アチラコチラで事故渋滞だったので、往路の千葉行きと同じRouteの、王子経由の迂回路で走りました。

椎名町に着いてからは、暫し、呆然としていたのだけど、勿論、夜食を食べながら半分寝ていました。

over‐workなので、当然、次の日の朝の4時頃に起き出して、チョッとパソコンの操作をして、また寝て、またtoiletteに起きて・・の繰り返しをしながら、日曜日のオケ練習の動画のuploadと、瑞希ちゃんのWieniawskiのReverieと VieuxtempsのÉlégieのuploadをハイツでもしました。

日曜日は携帯が、先週に引き続き、emptyになってしまったので、節電modeで、ハイツに戻ってから深夜から充電をしたのだけど、その所為でkeyを2度打つと『ま⇒み』と変換されるようになってしまったのですが、netの解説通りでは、変更の箇所が開かなくて、aquos特有のkeyの変更の場所を見つけるまでに、2時間程掛かってしまいました。

携帯の画面に常駐させている時計も、もう、何度も消えてしまうので、それは流石に、一発で元に戻すように、設定の仕方は覚えましたが、まあ、それにしても、不安定な事・・❢❢❢
折角、使いやすく設定しているのに、しょっちゅう、あちこちが元に戻ってしまうので、面倒くさくて、困っているのですよ。

前の古い携帯では、そんな事は無かったのですが、機種が新しくなって、色々と、「余計なお世話」が煩わしいのですよね。

・・てな事を書きながら、toiletteに行ってオシッコをしていたら、突然、オシッコが詰まった。
「これは大変だ❢❢」と、暫し、toiletteで格闘をしていたら、突然、また開通した。
いやあ、色々あるよな~ぁ??
今日は多分、1日、このpatternかいな??

と言う事で、お昼の1時半にtoiletteに行ったら、なんと、オシッコが詰まって出なかった。
「これは超、大変だ❢❢」という事で、暫く頑張って踏ん張っていたら、突然、なんとか出た。

4時である。
cool毎の毎回の事・・なのだが、固形物の塊で尿詰まりを頑張って出すのが大変なのだ。
凄い勢いで排出されると、後は気持ち良く出るのだが、大変な事には代わりは無い。
それに疲れも酷い❢
bedからtoiletteまで、歩いて行くのが超大変なのだ。
一歩、一歩を必死に・・という感じだよ。

まあ、今日はRehabili-dayなので、一日中寝ている日なのだはあるのだが・・ね??
夜食の予定時間のお知らせが届いた。

今日は先生達が揃うのが、遅い日なので、食事は夜の10時からの予定なのだが、体が動かなくて、必死に準備したとしても、11時の椎名町着になる予定なのだ。
ドル・プリっ歩は済ませて貰っておいて、食事だけに行く事になるのだが、まあ、超、頑張って出発した。




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6月27日今日は引きこもりdayです。

当然、6月の27日の火曜日なのです。

月曜日に引き続いて、今日も朝から、一日中ウダウダと、ダラダラとしています。
頻尿なので、ひっきりなしに眠りから覚めて、toiletteに行くのですが、結構、その間に夢を見ているのですよ。

その夢の一番多いpatternは、若い頃の私が、再度、Genzmer先生の元で勉強する為に留学をする夢なのです。
しかし、その留学をする街や国、或いは、その住んでいる部屋や家も、毎回の夢の度に、多種多様で、全く見知らぬ土地で、その時にお世話をしてくれる女の子も、あまりよく知らない女の子なのです。
そして最悪の事は、私がドイツ語を全く忘れてしまって、人との会話が、その女の子を通じてしか、出来なくなってしまっている事なのです。

更に最悪の場合には、その可愛い女の子すらいなくて、全く一人っ切で、人との会話が出来なくて、全くの孤独に陥っている場合なのです。

つまりは、折角、留学を果たして現地に行けたのに、何一つ達成する事が出来なくて、孤独と絶望の中にいるのですよ。

夢の中で、自分の足りない部分を、もう一度勉強しようと思ったのに、言葉の壁で、敗北感と絶望感を味あっているという夢なのですよ。
そして、夢から覚めた後も、暫くの間は、その絶望感と虚しさから逃れる事が出来ないままに、その余韻に押し潰されそうになってしまうのです。

それはそうと、月曜日は1日安静にしていたおかげで、今日のお昼ぐらいからは、血尿が収まって正常になってきました。
まあ、これもいつものpatternなのですがね??

夜の8時半を過ぎて、疲れて来たので、今日は引き籠もりdayなので、椎名町への移動はないので、早めに寝よう、と思って横になったら、これまたお定まりの鼻詰まりになって息が出来なくなってしまった。
已む無く、またぞろ起き出して、パソコンの椅子に座って、動画の音声の調整を始めてしまいました。


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6月27日携帯の文字変換が勝手に変わってしまって ·

新しい携帯なのだが、またまたdouble tapで、「ま⇒ま」と打つつもりが、「ま⇒み」と、文字が変わってしまうようになってしまった。
昨日、2時間も掛かって、そうならないように設定したのに、である❢

超、Shockだったけれど、流石に今度は2回目なので、意外と早かった❢
元に戻すのには、1分くらいしか掛からなかった。おぼろげながらでも、設定の方法を覚えていたからである。
設定から、Keyboardを探して「flickのみ」・・を選択すれば良いのだ❢

しかし、なんで、flickなのだろうか??
俺的にはtapのように思えるのだけど・・??

まあ、覚えてしまえば簡単な事かも知れないのだが、それにしてもなんで勝手に設定が書き変わるのだ??
充電する度に、何かが書き変わってしまう気がするのだがね〜ぇ??

超、面倒くさいのだが?

文字のselectが一杯あるのは良いのだが、画面が不安定で、困る。
片手打ちをする人達の為のfloatingらしいのだけど、動かないように設定するだけでも一苦労だよな??
まあ、私に取っては、余分なサービスだらけで、逆に使い手が悪くなっているのだがね??




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6月28日今日は水曜日で抗癌治療の日のハズですが ·

今日は6月の28日の水曜日なのですが、先週の6月の21日の水曜日は、病院には抗癌治療の為に出掛けたのですが、急遽、中止になったので、事実上は6月の14日の6回目の処置を最後にして、二週間目の何も無い水曜日になるのですが、先週は病院に行くには行ったので、本当の意味では、今回が初の何も無い水曜日になります。

朝から、何か忘れたような気になっているのですが、それは予定がcancelになったからに過ぎません。

一月半の抗癌治療だったのですが、丸々半日は高熱に苦しんだので、(夕方の5時、6時ぐらいから、次の日の朝の6時頃迄の・・)結構、hurdleの高い、Hardな水曜日だったのですよ。

未だ、思い出にするには、記憶が新し過ぎるようです。
多分、先週もそうだったような記憶があるのだが、今日も下痢が酷い。
便秘と下痢を繰り返すのはstressの所為だと言われているのだけど、まあ、水曜日は、stressだったのだよな??



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6月29日『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusに付いて』


以前、『Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach』のTitleに付いての批判の論文をFacebookに書きましたが、それは原曲であるJ・C・BachのCelloConcertoのorchestrationを弄っただけのarrangeに過ぎなかったからなのです。

しかし、このarrangementに付いての定義は音楽家達にとっては、結構、曖昧で、彼の有名なイギリスの作曲家であるBenjamin BrittenのHennry purcellのchaconne in g も同様で、Purcellの書いた楽譜から、baroque時代の慣習的な演奏のstyleであるperiodの独特の演奏法を音符に書いただけの、単なるbaroque時代の慣習的な演奏法を実際の演奏される楽譜に書き直した版に過ぎず、とてもarrangementとも、或いはkritik-Ausgabe(研究論文版)とも呼べない楽譜であって、baroque時代の演奏法に慣れた人達だったら、元々のPurcellの書いた楽譜を、そのままで、Brittenと全く同じ演奏をしたであろう・・という演奏譜にしか過ぎない版なのに、Brittenはその版で著作権を取っていたので、「作曲者への恥知らずの行為」・・という事で、私的には、怒り心頭に発したのですよ。

「天下のBenjamin Brittenとも言える人が、なんと情けない事をしたのだろうか??」と慙愧の念に堪えません。

in the Style of ・・・と明記した・・と言う事は、・・の様式に拠る・・という意味なので、arrangementやinterpretationでは、そのように名乗る事は出来ないのです。

ましてや、Purcellのchaconneのように、演奏譜を書いたに過ぎない楽譜では、arrangementと言う事すら出来ません。単なるinterpretationに過ぎないからなのですよ。

しかし、この『CasadesusのViola Concerto in the Style of Händel in B Minor By Henri Casadesus』は、前回のKoncertで演奏した『Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach』の曲とは、少し状況が違います。

先ず、第一点は、Ⅰ楽章の和声進行がbaroqueの和声とは根本的に違っていて、baroque様式で作曲された曲では無い・・という事です。(違っていて・・という意味は、和声学的に逆進行等のharmonyが随所に見受けられたりして、とても、baroque時代の作品には成り得ないのです。勿論、そう言った風に和声的にarrangeをした・・と言えれば良いのですが、それもthemaからすると無理があります。)また、音楽形式学的にも、本来はritornelloの形式であるべきなのに、随所に近現代的な形式上の展開を見せるので、baroque風・・とも呼べません。

また、同様にⅡ楽章もbaroque様式のmelodieではなくて、近現代的な拍節法が使用されているし、Ⅲ楽章に至っては、gigueのrhythmを取りながら、ritornelloのthemaの拍に、Hemiolaのrhythmが多様されている時代錯誤の音楽形式です。

つまり、完全にCasadesusのoriginalと言っても過言では無いと思います。

私は一般的には擬古典と呼ばれる一連の作品を、私なりには、擬古典と偽古典というgenreに分類しています。

分かり易く言うと、baroque時代の作曲家の作品を、原曲を近現代風にarrangeをした版が擬古典というgenreの作品と定義します。

その実例としては、Davidに拠る一連のbaroqueのPiano伴奏のViolinの音楽は、genreとしては、Piano伴奏のbaroqueの曲では無くて、正真正銘の擬古典の作品だし、その中には、彼の有名なTomaso Antonio Vitaliのchaconne in gも含まれています。)私のarrangeをしたPachelbelのchaconne in f も擬古典という分類に入ります。

それに対して、その作品がbaroque時代の作曲家のarrangeである・・と作曲家の名前を出して、その作曲家が書いた・・とする多くの曲が、全く、その作曲家とは無関係に、arrangeをしたと言う本人の作品である・・という例を多く見る事が出来ます。
恰も、baroqueの時代に作曲された作品のように、見せながら、実は、arranger自身が作曲をして、更に、その作品を近現代風にarrangeをする・・という悪戯をするarranger(この場合は作曲家なのかな??)がいます。
勿論、baroque時代の誰かの作曲という事にしても、世に発表するのですが、それは人の名前を騙った偽作に過ぎないのです。

偽作で、最も有名な作品は、Fritz KreislerのPraeludium und Allegro im Stile von G. Pugnaniは、作曲様式から和声法迄、満遍も無く現代の書法で書かれた偽作だし、CacciniのAve Mariaに至っては、誰が聴いても、baroque時代の音楽では有り得無い・・・論外の偽作になります。(それなのに、その曲をCacciniの真筆だとする評論家もいたりして、困ってしまいます。)

中には、「まさか??」と言う程の、紛らわしい作品もあって、古典イタリア歌曲集に入っているPergolesiの「Se tu m'ami」はその歌曲集を編纂した張本人の偽作なのだそうですが、私の大好きな古典イタリアの歌曲集の中の作品の一つでもあり、中々の名曲だとは思われるのですが、やはり、baroque時代の作曲家であるPergolesiの作風とは作曲技法が違います。

「何故、そう言った偽作を作るのか??」という素朴な疑問なのですが、「作曲家の悪戯」・・と言ったらそれまで・・なのですが、Fritz Kreislerの場合には、その事について、彼自身が弁解した一節があります。

彼の言葉に拠ると、彼が自身の名前でViolinの曲を発表すると、批評家に酷評されるのですが、baroqueの作曲家の作品をarrangeしたものだ・・とすると、その作品自体を酷評される事は無くなって、批評家が「昔、私がその曲を聴いた時には、もっと素晴らしい演奏だった。」と演奏の方を批評されるので、Kreislerは内心、密かにほくそ笑んだ・・という話を新聞の記者にした事があります。
Kreislerの大嫌いな批評家に対しての、ironical(cynical)なblack humor(和製英語)なのですよね??

HändelのViola Concertoは、「曲全体とは言わなくても、せめてMotivだけでも、出典となる曲があるのでは??」と私なりに探して見たのですが、やはり、見つかりませんでした。
Ⅰ楽章のthemaも、一応は、ritornelloの形式は踏んでいるようではありますが、ritornelloとは呼べない、折衷的な形式だし、音楽様式(和声法)的にはbaroqueの様式に拠るmelodieや和声法では無いので、baroqueのtheoryを無視した、全くのデッチ上げの偽作になります。

・・・という事なので、Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusという名前は、偽作である・・という意味合いから、全く正しいのです。
但し、in the Style of Händelというのは、Händelの様式からは、離れてしまうので、他の偽作と同様に根拠はありません。

別にHändelでは無くても、baroqueの作曲家であれば、誰でも良かったのですよ。
Giuseppe TorelliとかPietro Antonio Locatelliとか・・です。

Torelliは兎も角としてもLocatelli の作品は、Händelにも勝るとも劣らない優れた作品が数多く見受けられます。

orchestraのmemberが増えたら、Locatelli のWeihnachts-Concertoを是非、演奏して見たい・・と思っていて、楽譜は、随分前から、準備は出来ているのですがね??
strings-orchestraでも結構、大orchestraでなければならないので、今は人数的にも、演奏技術的にも、諦めています。

今回の、CasadesusのHändelのConcertoも、至る所でdivisionをするので、各partが最低でも2名づつは必要になるのですが、今回は先輩諸氏が、就職年次に到達したので、これまでのように、その最低の人数を確保する事すら出来なくなってしまいました。

本来ならば、次の世代の人達を教育し、新しい生徒達を募集するのが筋なのですが、指導に力を入れると、募集する為に動く事が疎かになってしまうのは否めない事実です。
困った事です。

一般の会社のように分担が出来るだけの人数がいない事が致命的なのですよ。
取り敢えずは、7月の30日の新検見川教室でのおさらい会のVivaldiのL’EstateのViola-partの一人だけでも、なんとかならんのかね??

10月の発表会迄は、未だ、時間があるので、なんとかするとしても、おさらい会は幾ら何でも、もうtimelimitだよな??




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6月30日昔uploadしていた動画の画質を変更した

今日は6月30日の金曜日で、6月も最後の日なのです。

つまり、2023年も明日の土曜日からは下半期に入る分けなのですよ。
今日が上半期の最後の日になるのです。

何でも無い6月のいち日に、それらしい理由をこじつけて、意味のある一日へと変えてしまいます。

昨晩のお話になってしまうのですが、6月の29日の木曜日は、体調的には「チョッと無理かな??」とは思ったのですが、頑張って、ドル・プリっ歩に付き合いました。
少しでも歩かなければ、という気持ちがそのようにさせているのかも知れません。

私は結構、暑さ、寒さには強いのですが、唯一つ、湿度には弱くて、湿度の強い日が続くと、直ぐに巨大湿疹が出来てしまいます。
それに湿度が高くなると、欝が酷くなってしまうのです。

29日の深夜、つまり、30日の早朝は、何を思ったのか?
昔々のVideoをもう一度You Tubeにuploadする作業を始めてしまいました。

心臓のbypass手術を終えて、rehabilitationの日々に失敗して、二年間を棒に振って、それから何とか、社会復帰をした初の記念すべき指揮をした、東京教室の発表会での、Albinoni=Giazottoのadagioの演奏なのですが、昔のAnalog時代の家庭用のvideo-cameraで撮影した画像なので、画面が暗くて、見難かったので、映像を少しだけ明るくしてみました。

音声は全く弄ってはいません。
analogの動画なので、ぼやけてしまうのが玉に瑕なのですが、映像を弄ってしまうと、わざとらしい画面になってしまうので、必要最低限の変更にとどめて起きました。

Adagio Albinoni=Giazotto 2007年9月17日Cello Solo version(soliste 高1)芦塚音楽研究所付属東京教室 大泉学園ゆめりあホールにて - YouTube

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7月






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11月






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12月




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