

2014年9月4日より、2015年12月31日まで
2016年1月1日より、2016年12月31日まで
2017年1月1日より、2017年12月31日まで
2018年1月1日より、2018年12月31日まで
2019年1月1日より、2019年12月31日まで
2020年1月1日より、2020年12月31日迄
2021年1月1日より、2021年12月31日まで
2023年1月1日より、


Johann Pachelbel=Ashizuka Chaconne in f

1月1日 ·超、寒い❢
1月2日 ·コンビニのバイトのお話
1月3日正月三が日はパソコンのFacebookの·
1月5日 ·初音ミクの「Se tu m'ami」のお話
1月6日 ·雪だ❢雪だ❢❢
1月7日 ·一夜明けて、雲一つない晴天の空が
1月8日 路面が凍結してbikeでの椎名町への移動が·
1月8日 ·椅子に座ったまま漫然と時間だけが
1月8日初音ミクの『Se tu m'ami』
1月8日 ·baroque時代から古典派の時代への発声法の模範的な演奏
1月9日 ·『昨日のFacebookへの大チョンボ❢』
1月19日 · Wolf-Mondと3回目のワクチン接種
1月21日 · J・C・Bachの模範演奏のvideoが見つからない
1月23日 対面のオケ練習の予定がomicronで・・
1月24日 無為な時間と無駄な時間
1月24日 · 『のでの文』
1月25日 ·未完成の文章
1月26日 鼻詰まりで眠れなかったので、VitaliのChaconneの
1月27日 コンクールよりも効率的なproになる方法
1月28日 ·動画の大元が壊れていて
1月29日 ·携帯のWi-Fiが


2月2日 ·今日はニャンニャンdayである
2月3日 ·なんと、今日は節分だってサ!!
2月6日 練馬区の気温は-3℃で、東京の気温は-1.5℃なのだそうです。
2月6日 ·昼夜逆転
2月8日 ·余計なお世話のMicrosoft Edge
2月9日 ·Microsoft Edgeのtrouble
2月13日アクリル板のまな板が劣化して
2月18日 ·体感温度は-3℃です。
2月19日 ·videorecorderのdeckに赤白黄色の入力端子が
2月19日 ·ハイツの自宅の大型パソコンが
2月20日赤白黄色のオスメスのコード
2月25日なんと、netの電波が・・
2月26日 ·またまたパソコンが


3月1日 やけにリアリティのある変な夢を見た
3月2日 癌と免疫力は相対する関係にある。
3月3日私が医者ではなくて、音楽への道を選択した最大の理由は
3月5日『癌と免疫力のお話の続きですが•••』
3月6日『癌と免疫力のお話の更に続きなのですが•••』
3月7日2月19日のDELLの大型パソコンの修理の続きである。
3月7日昨晩は寒の戻りで
3月9日ウダウダと丸々一日中
3月10日パソコンが修理から帰って来た
3月13日 オケ練習と入院の日がダブったので・・
3月13日『老人のまどろみ=Faust』
3月15日HenriCasadesusの『Johann Christian BachのCello-Concerto c mollに関するお話』
3月17日お久し振りの緊急地震警報
3月17日Metronomが壊れた❢❢
3月18日入院の準備とweb-lesson
3月19日鼻詰まりの解消に・・
3月20日 明日から入院の日まで、体調のcheckが
3月21日先日の地震で、新教室のwine glassが割れた
3月22日電話問診
3月23日『baroque(バロック)時代から古典派の時代のViola(ビオラ)のお話し』
3月23日風呂の掃除をしていたら
3月24日自宅の駐車場でリア・ミラーを取られた❢❢
3月26日一日中、ウダウダとしている
3月26日討ち入り前日
3月27日入院当日の
3月28日まな板の鯉
3月29日 兎にも、角にも、術後である。
3月29日Facebookの文章の書き込みが
3月30日術後の次の日である。
3月30日病人に取っては夜が長いのだよ
3月31日医師と看護師の連絡の不手際


4月1日今日は変な夢をいっぱい見た❢❢
4月1日フリースクールと芦塚メトード
4月2日土曜日で退院の日です。
4月3日後、数時間で発表会です。
4月10日Corelli=David版のorchestraへのtransposeのお話
4月11日勉強はやり方一つ
4月12日Violaの高音域の音の質に関して
4月13日夜間頻尿のお話
4月15日 小一時間程入力していたFacebookが、なんと・・·
4月16日finaleのbug
4月16日finaleの不具合とFacebookの不具合
4月18日 昨日は、楽譜渡しの日で、「初見大会」の日でした。
4月18日明日は川崎の術後の検査結果の報告の日です。
4月19日 川崎の病院に結果報告を聴きに出掛けて来ます。
4月20日ハイツの大規模工事のドリルの音が
4月21日bedの枕元にゴキブリが死んでいた
4月22日昨晩も摂眠障害で
4月22日『コンクールの思い出』
4月23日『報われない人生』
4月24日web-lesson
4月24日 『Ornamentについて 』
4月25日David版のthemaの1拍目の音価についてのお話
4月27日一日中ウダウダと
4月29日左肩が痛くなって
4月30日斉藤先生が携帯を失くしたと言う事で・・
4月30日VieuxtempsのÉlégie
4月30日自撮りの写真


5月1日雨が降り続いています
5月1日Vieuxtempsのお話の続きです
5月2日Vieuxtempsの出版されている色々な楽譜を集めて
5月3日今日は憲法記念日です
5月4日Vieuxtempsのinterpretationに苦慮して
5月5日今日は木曜日の子供の日です
5月7日VieuxtempsのUrtext版が届いたのと、携帯の画面を共有する
5月8日microsoftの Ergonomic Keyboardは兎角、故障が多い
5月9日microsoftの Ergonomic Keyboardの不具合の続き
5月10日cassette tape recorderが全部、死んだ❢❢
5月10日睡眠の質のお話
5月11日体内時計のお話
5月13日椅子に座ったままでの爆睡でも
5月13日cassette tape時代の作品
5月16日今日は光が丘病院の診察日です。
5月17日 ふるさと変奏曲
5月17日cassette tape
5月17日腎臓の機能について
5月19日『コンクールの功罪』
5月19日『私に取っての、SNSの問題点』
5月20日『今マスコミを賑わしている誤送金の話』
5月23日『ギックリ腰になったお話とKeyboardが壊れたというお話』
5月23日またまたエルゴミックkeyboardが壊れた❢今度は重症だ❢
5月24日『居場所の話』
5月25日睡眠と良眠
5月26日『CASIOのLabel-printer』
5月27日体調が分からん
5月29日homepageではあるのに、パソコン上のSoeur MoniqueのPageが無くなっている
5月31日 2:48 お弁当のお話
5月31日『気温の乱高下と湿度と鬱』


6月4日『Soeur Moniqueのornament』
6月4日の続きです。
6月6日大雨なので、急遽引き籠もりdayにした。
6月7日flooringの整理整頓⇒web-lesson用に購入したmonitor-テレビ⇒
6月7日未だまだ6月7日の続きです。
6月8日極度の虚脱状態です。
6月10日生音の唸り
6月10日『引き籠もりの生活』
6月11日『音大時代のPianoの曲』
6月12日『いやあ~、お久し振りにmy-wineを飲んだ❢』
6月14日『作曲家のmemo帳』
6月15日『音楽のSkizzenbuch』
6月16日寒い夜が続いています。
6月17日クチナシの季節になって来ました。
6月17日『弦楽器の思い出』
6月17日『今の気温が分からん❢❢』
6月18日『音楽教室で指導者として期待される人材は演奏家であって、作曲家や指揮者、音楽学者ではありません。』
6月19日Bachのinventionのhomepageがぶっ飛んで
6月21日『ViolinとCelloとPianoの三重奏のversionです。』
6月21日『2台のViolinとPianoのためのAve Maria』
6月21日『ViolinとViolaとPianoのversionです。』
6月22日日曜日のオケ練習のBachとfoliaの練習風景です。
6月23日『遊び唄集のお話』
6月24日「サティ風に」
6月25日『練習帳の本が出来た』
6月25日夜の9時半を過ぎたのに、30℃を越したままだ❢
6月27日finaleでは入力する事が難しい
6月27日連チャンで病院dayだよな??
6月28日川崎の病院の検査の日です。
6月29日部屋中にシンナーの臭いが
6月30日流石に暑い❢❢


7月1日な、な、な、なんと
7月4日今日は朝っぱらから、強烈なシンナーの臭いで
7月5日7月の3日の日曜日のオケ練習の風景です。
7月5日お久し振りで行きつけの寿司屋に行った。
7月8日verandaの物干し竿が
7月8日蚊取り線香型のお香
7月12日『毎度お馴染みの昨日のオケ練習の風景です。』
7月12日この所、非常に入眠が上手く行って
7月13日変な夢を見て目が覚めた
7月15日『凄い雨が降り続いています。 寒い❢❢』
7月16日『郵便物の配達のお話』
7月18日powerdirecterが壊れて
7月20日なんとまあ~、
7月21日夢の中のお話
7月21日良眠と惰眠
7月22日音楽の基礎力
7月22日眠れなくなったので、仕事が捗った
7月25日overdose
7月26日コロナワクチンの摂取日なのだけど
7月27日お友達Requestについて
7月28日『4回目のvaccine摂取とスマホ用の外付けのKeyboardのお話』
7月28日『black holeに呑み込まれたスマホ用のKeyboardが・・』
7月30日『相変わらずのお天気の話ですが・・』
7月31日の深夜のcommentです。


8月2日『La Foliaの改定に付いて』
8月2日7月31日の夏の合宿最後のオケ練習の風景です。
8月2日暑い❢❢
8月3日key配列のお話
8月4日部屋の空気が悪い
8月5日休みだ❢ 休みだ〜❢❢ わ~い❢❢
8月6日兎に角、頑張って寝なければ
8月7日おっかなびっくりのお散歩です。
8月10日gigueのお話
8月11日今夜は満月だそうです。
8月13日時間を見失ってしまった
8月13日今日は台風直撃の日です。
8月15日今日は世間様では、終戦記念日とかで
8月16日巨大瘡蓋が剥けた
8月18日夏休みが終わりました。
8月19日楽典を知らない世代
8月21日結構びしょ濡れになった
8月22日昨日は、夏休み明けの最初のオケ練習でした。
8月22日今日は糖尿病外来です。
8月24日疲れが取れない
8月25日open reelのdataが帰って来た
8月26日玄関の段差でコケた❢❢
8月28日『舞曲のrhythmとhemiolaのお話』
8月29日『proとしての教育について』
8月30日『演奏中に弦が緩んだり、切れたりした時のお話』
8月31日8月ももう終わりだ❢❢


9月1日なんと今日は、もう9月の一日の木曜日です。
9月1日朝から書いていたblogが、ぶっ飛んだ❢
9月1日challengeし直したのだが同様の症状が
9月2日『ロコモアのお試し期間のひと月が終わった』
9月2日『女性三部合唱曲・風の手紙』
9月3日高校時代の合唱曲
9月3日1967年(昭和42年)11月5日Mozart Hallでの作品発表です。
9月3日作品発表
9月3日München留学中の公開演奏会より
9月3日München時代のdataが見つからない
9月5日『epsonのprinterのLabel印刷について』
9月6日またまた鬱陶しくて眠れない夜です
9月7日『PachelbelのChaconne in fの再編集の話し』
9月10日わぉ❢満月だ❢
9月12日最後のオケ練習の次の日です。
9月13日『マンガ楽典物語のお話し』
9月13日携帯のFacebookの広告のPageが余りにも、酷くて
9月14日『音楽の演奏表現』
9月15日video取りがうまく行かない
2022年9月16日『芦塚methodeによる楽典講座の草案として・・の反故書き』
2022年9月16日音声認識softについて
2022年9月17日Morgendämmerung
2022年9月18日soloリハの日です。
2022年9月20日川崎の検査の日です。
2022年9月20日の午前中の話の続きです。
2022年9月23日暴風雨が吹いています。
2022年9月25日摂眠不良について
2022年9月26日今日は昨日のrehearsalの編集をしています
2022年9月28日洗濯機が壊れた
2022年9月30日VitaliのChaconneの芦塚version


2022年10月1日電動雲台のお話
2022年10月3日『総合練習①なのに、今回は、最後の練習になります。』
2022年10月4日
2022年10月5日
2022年10月6日 ·
2022年10月7日 ·
2022年10月11日la folia
2022年10月27日誕生日の・・・
2022年10月29日『Halloween Concertoのお話』


2022年11月1日今夜は10月の31日のHalloweenの夜です。
2022年11月2日time-loop
2022年11月3日ぼんやりと時計を見ています。
2022年11月5日『Solfègeと移調楽器のお話』『絶対音感の功罪』
2022年11月6日鬱のcontrolに苦労をしています。
2022年11月7日『orchestraのmemberの最小人数について』
2022年11月8日車の厄日でした。
2022年11月8日満月と皆既月食と天王星食と
2022年11月10日突然の初めての寒気
2022年11月11日体温計の電池が無くなった
2022年11月12日『Oskar RiedingのConcertoのOp.35のh mollのarrangeのお話』
2022年11月13日HalloweenConcertoを終わったばかりなので、
2022年11月14日Bachの無伴奏へのapproach
2022年11月14日TartiniのViolinsonateに関して
2022年11月14日光が丘病院にbikeで行く途中で
2022年11月15日『Six Sonatas for Violin solo BWV1001 No.1 g moll interpretation』続き
2022年11月15日『修理に出していたbikeの引取とワクチンの接種の話』
2022年11月17日コロナとインフルのワクチン接種
2022年11月21日昨日はお久し振りのオケ練習で
2022年11月22日超お久し振りの爆睡
2022年11月23日『FacebookとSNSのお話』
2022年11月24日Facebookのお引越し作業
2022年11月26日homepageのlinkのお話·
2022年11月28日楽譜の修正箇所の伝達
2022年11月29日後2日で12月です。 ·
2022年11月30日今日の朝の夢見は最悪で


2022年12月1日VitaliのChaconneの最後のTaktの説明
2022年12月3日homepageの論文の一部分が見つかった
2022年12月3日腰痛に熱まで出てきた
2022年12月4日homepageの原稿が
2022年12月6日寄せ木細工の一本の鉛筆立てなのですが
2022年12月12日明日は恐怖の川崎の膀胱鏡検査の日です。
2022年12月13日いや~~ぁ、川崎の検査、行って来たゾイ❢❢
2022年12月16日今日の一日が思い出せない
2022年12月21日『videoのdataの編集作業中のtrouble❢❢』
2022年12月22日 『荷物を椎名町留にする理由と今日のpech❢❢』
2022年12月25日 鬱が酷くて
2022年12月27日 お洒落な譜面台
2022年12月30日Après un rêve
2022年12月31日 12月の31日の大晦日です。

長崎に帰省中の写真です。人生の疲れ・・・ではなくて、雑務・雑用での体の疲れが滲み出ているのだよな~ぁ??



1月1日 ·超、寒い❢
練馬区の気温は、もう朝の7時を過ぎたのに、何と❢−3℃のままでした。
体感温度となると、-5℃にもなるそうです。
超、寒い!
幾ら真冬でも、東京でこの寒さは無いよな〜あ?
toiletに行く事も、寒くて辛いのですよ。
雲仙もずーっとマイナスで寒い日々です😵澄み切ったお正月です🎍

1月2日 ·コンビニのバイトのお話
2022年の1月2日の日曜日の午前8時になろうとする所です。
元旦は正月らしい事でもしようと思っていたのですが、大晦日に再installして設定をして、動作確認も終わっていたハズのhomepagebuilderが勝手にupversionをして、その設定が飛んでしまって、homepageのuploadが出来なくなってしまいました。
何度も設定の確認をしたのですが、なんとか「芦塚陽二の闘病記」だけはupload出来るようになったのですが、「芦塚音楽研究所」のhomepageと、「芦塚先生のお部屋」のhomepageが、何度試みてもuploadが出来なくて、とうとう堂々巡り状態になったので、rentalserverのXserverのsupportの人と電話で設定をして教室のhomepageの設定をした斎藤先生にハイツに来て貰って、やって貰いました。
Xserverから送られて来たhomepageの設定の取説を見ながら設定をしているので、多分、同じ作業をしているハズなのですが、何処かが違うのよね〜ぇ??
直ぐにhomepageはuploadが出来るようになりました。
正月を迎えたので、2021年分のFacebookをhomepageにお引越しさせる作業をTestの次いでに開始しました。
4月の始めまでで、止まったままになっていた作業なのですが、「教室で仕事を覚えたい」と思っている生徒のために、簡単な単純作業として、保留にしていたのですが、私の普段熟している作業は、「homepage」の作業も、「CyberLinkのvideoの編集」の作業も、「finaleのscore作成」の作業も、それぞれのsoftの使い方を勉強しないと、簡単には出来ません。
コンビニのバイトのように、時間にその場所に行けば、お金が貰える・・という単純作業ではありませんからね?
年を越してしまったので、Facebookの2021年分のPageをhomepageにお引越しをさせなければならないのですが、生徒が「椎名町に来て、教室での仕事をしたい。」というのですが、コンビニとは違うので、直、出来る作業は難しいので、私の仕事の中から、比較的簡単に出来る単純作業を幾つか、生徒が東京に来る時のために、保留にしていたのですが、「正月はバイトで忙しいので、1日しか来れない」と言う事で、それでは、softの使い方の説明だけで、バイト料を稼ぐ所までは行かないので、生徒と相談をして、今回は無しという事になりました。
もう、何年もコンビニのバイトから抜け出せない悪循環になっているのだけど、自ら求めて来ないと、私としても助ける事は出来ないのですよ。「コンビニで働きたい」と言った時に、「この状態になるよ」と、注意はしたハズなのだけど、若いから、言葉だけでは理解出来ないのだよね??
そこで働く事が、それで、即、お金になったとしても、それは、自分の将来の人生に役に立つ仕事では無いし、自分に必要な時間でも無い・・という事は何度でも説明をしたのですが、それこそ、お魚にお説教をするパドヴァの聖アントニウスでしかないのですよ。
今、種を蒔く・・という事が分からないのです。
私が大学生の時には、音楽の道に進む事で、養父からは勘当されて、当面の生活費を稼がなければならなかったのですが、その時には、私は、自分自身に対して、「将来の人生にmeritになる仕事以外のバイトはしない。」それも「Classicの音楽の糧になる仕事以外はしない。」と決めて、バイトを始めました。
私自身は、音楽を高校生になってから、始めたので、大学での勉強は「追いつけ❢追い越せ❢❢」だったのですよね。
教育をしていていつも困る事なのですが、生徒達にとっては、若いので無限の時間があるかも知れないけれど、人生の黄昏を迎えている私にとっての一番大切なものは、私自身の余命、すなわち私自身の時間なのですがね~ぇ??
と言う事で、待てど暮らせど来ぬ人を、待っていても仕方がないので、timelimitという事で、Facebookからhomepageへのお引越しの作業を始めてしまいました。
単純作業なので、2時間もあったら、一月分ぐらいはお引越し出来ます。多分、1日、full timeで作業をすれば、3ヶ月分は確実に1日でお引越し出来るので、今回の半年分だったら、正味2日、単純作業なので、2時間づつの作業でも、3日で終わる作業なのですよ。
それを半年も保留にしているという事は、私の時短の趣旨にも反する事でもあるのですからね??

1月3日正月三が日はパソコンのFacebookの·
2022年の元旦と、1月2日の一日は、修理の終わったhomepageへ、Facebookの4月からのお引越し作業で終わってしまいました。
極め付けの単純作業なので、Robotのように同じ作業を繰り返すだけなので、逆に疲れてしまいます。
頑張って、4月、5月と、6月、7月までの4ヶ月間をhomepageのFacebookの Pageへのお引越し作業をしました。
極めて単純作業なので※(・・というか、なのだけど)、非常に疲れてしまったので、椎名町からは今日のrotationの連絡は全く無いので、多分、8時、9時ぐらいからの食事の予定で、10時頃からはドルプリっ歩なのでしょうが、完全にバテてしまって、それまでに少し仮眠をしなければ、動けなくなってしまいました。
という事で、7時頃からbedに入って、仮眠をしたのですが、ご想像通りに、爆睡してしまい、予定の9時までには起きれなくて、10時半を過ぎた頃に、やっと目が覚めました。
とは言っても、疲れが完全に取れた分けでもないので、椎名町へのBikeでの移動は、超無理なのですが、冷蔵庫には何も入っていないので、椎名町に出掛けないとなると、昼、晩抜きのpetit絶食になってしまいます。
とは言っても、カップ麺の類は、流石に体が受け付けないので、そのまま、bedに入って眠る事にしました。
正月の三が日はパソコンのFacebookに振り回された・・というお話です。

1月5日 ·初音ミクの「Se tu m'ami」のお話
今日は1月5日の水曜日です。
パソコンの修理とhomepagebuilderの再install後のcheckを兼ねて、Facebookの2021年の4月から12月31日までの Pageを今日の夕方までに、一気に終わらせてしまいました。
そもそも、9ヶ月分も溜めたのは、生徒が「教室でバイトをしたい」と申し出たからなので、教室での仕事は、コンビニのようにその時間にその場に行けば良い・・というような単純作業ではなく、作業のhow-toを学んでから出来る作業なので、先ずは簡単なroutineの単純作業を覚えて、仕事が出来るようにするための、単純作業としてのパソコンの基礎的な操作を覚えさせるためだったのですが、これまでも幾度か仕事を覚えるchanceはあったのだけど、それを生徒自身が活かす事がなかったからです。
しかし、私にとっては、2日、3日の簡単な作業に過ぎないので、昨年もお正月休みの時に、1年分纏めてやってしまいました。
今年も結局そうなってしまったのだけど、まあ、しゃあないわね~ぇ??
finaleの作業でも、homepagebuilderの作業でも、私にとっては1日あれば充分なので、本当ならば、生徒達にさせる必要はないのですよ。
あまりテキパキと作業を熟してしまうと、生徒達が椎名町に来た時に仕事を覚えるための仕事がなくなってしまうからね~ぇ??
今日は椎名町からの夜食のお誘いが早めに来たのだけど、靴下を履くのとズボンを履くのに手間が掛かって、普段の時間通りになってしまったのだけど、食事と通常のドルプリっ歩を済ませて、ハイツに戻ったら、やはり、cinderella-timeになってしまった。
今日、Facebookのお引越し作業をしている時に、11月のPageに、初音ミクのMahlerの「魚にお説教をする・・」のlinkを張っていたのを思い出して、それを聴いたついでにミクのsurfingをしたら、「Se tu m'ami」を歌っているのがあって、その訳詞に感心したのだけど、そのついでに、同じ初音ミクの別の曲を見たら、その「Se tu m'ami」が二度とヒットしなくなってしまった。
・・と言う事で、12時を過ぎてから、一時間以上も初音ミクのsiteをsurfingしてしまった。
その原因は、netで検索をする時に、「Se tu m'ami」と「Pergolesi」で、「検索」を掛けたのだけど、作曲者の名前を「Alessandro Parisotti」にしなければならなかったのだよな??
それは思い付かなかった。
曲は何とか見つかったのだけど、色々と初音ミクを聴き比べたので、耳が疲れたので、糖質0の日本酒を飲みながら、自分の鬱々コンサートを聴き直してしまった。初音ミクはWagnerやMahlerや、Mozart等の色々な作曲家の作品を歌っているのだよ??
だから、Classicのgenreを聴いているのには、変わらないのだけどね??
まあ、鬱々コンサートにしても、実にお久し振りのYou Tubeの鑑賞なのだけどね??
ふと、気が付くと午前4時を過ぎていたので、慌ててbedに入って寝た。
小一時間程前に補筆した文章が反映されない・・どころか、履歴にも表示されなかったので、携帯の編集履歴から手入力で補筆した文章をもう一度、加筆した。全くFacebookというやつは・・・困ったものだ❢

1月6日 ·雪だ❢雪だ❢❢
お昼からはすっかり雪景色にはなってしまいました。
練馬区の気温は-1℃で体感温度は-3℃です。
兎に角、寒いのですが、冷蔵庫にはこの所、何も入っていないので、朝、持ち帰りのお弁当を一つ食べたっ切りで、何も食べていません。(試しに、体重を計って見るか??)
(やっぱり、計って見たのだけど、全く体重の変化はなかった。1日何も食べなくても、体重は変わらないのだよな??)
路面が凍結しているので、bikeは勿論の事、自転車でもお弁当の配達は無理だよな??
これは困った??
引き籠もりに備えて、非常食のcheckをしたのだけど、インスタント・ラーメンと焼きそば、レトルトのピザが1枚と、スープ類とドライお味噌汁があったのだが、生の卵や具材類は全くない。まあ、今日と明日のお昼ぐらいまでならば、何とかなるのかな??
とは言っても、体調不良で食い物の準備としても、何もする気にもならないので、お湯を入れて3分間待つだけの、緑のタヌキを取り敢えず食べるか??
深夜の3時になりました。眠ろうと布団に入って、携帯を開いたら、何と練馬区の気温は-3℃で体感温度は-4℃だそうです。こりゃあ、縛れるわさね〜ぇ?

1月7日 ·一夜明けて、雲一つない晴天の空が
今日は1月7日の金曜日の朝の6時半を過ぎた所です。今の気温は-2℃で、深夜の3℃から1℃上がった所なのですが、体感温度は-4℃のままで、超寒いのです。
(この文章に続けて、色々とウダウダと書いたのですが、保存をした途端に、書いた文章が消えてしまって、編集履歴にも残らなくなってしまっていました。まあ、Facebookではよくある事なのですが、全く頭に来てしまいます。)
私の記憶で、もう一度書き直すと、・・・とは言っても、改めて書く程の事でもないのですが、••••
いつものように、toiletteに起き出して、その次いでに窓の外を見たら、雪景色の中に雲一つない晴天の空が広がっていて、それなりに、美しかったので、携帯で写真を撮ったのですが、たったその瞬間に、体が冷えてしまったので、また布団に潜り込んだら、今度は鼻水が止まらなくなってしまって、息が出来なくなってしまいました。
諦めて、布団から起き出して、朝食でも食べようかと思ったのだけど、冷蔵庫は空のママなのですが、コンビニにお弁当を買いに行くのも、体感-4℃では、外に出る気分にはなりません。
諦めて、取り敢えずポットのお茶でも飲むか?・・・と思ったら、ポットも空なので、お湯を沸かす所からなのだよな??
・・・と言う所まで、ウダウダと書いたのだけど・・ね??
結構、長文がぶっ飛んだようだね??(この文章もまた、ぶっ飛んだりして・・、アハッ!)
またぶっ飛んだら恐いので、取り敢えず、upしておきます。

1月8日 路面が凍結してbikeでの椎名町への移動が·
今日の午前中には、排水管の洗浄があったのですが、ノックを聞き漏らしてしまって、上の階の洗浄をしていたので、慌てて在宅である事を告げて、もう一階真上に来た時に、次いでにやって貰うようにしました。3時間程、待つ事になってしまいましたが、なんとか排水管の洗浄は終わりました。
とても良い天気だったので、久し振りに、夕食に椎名町に出掛けようとしたのですが、何と完全に氷になってしまった残雪が、結構路面を占拠していたので、急遽、Bikeは諦めて、電車で椎名町に出掛けました。
椎名町の駅から普通の人ならば、10分の距離を、トボトボと30分近く掛かって歩いて行きました。
散歩コースの一部なのですがね〜ぇ?
写真は江古田駅の北口の正面からの光景です。
路面が光っているのは全て氷なのです。

1月8日 ·椅子に座ったまま漫然と時間だけが
1月8日の土曜日の朝の5時半を過ぎた所です。
練馬区の気温は−1℃なのですが、体感温度は−3℃だそうです。
昨晩は、Bikeで椎名町への移動を試みたのですが、路面凍結が思ったよりも酷かったので、Bikeでの移動は諦めて、椎名町行きは電車と歩きになりました。
という事なので、帰りは駅までの歩きを、ドルプリッ歩とコンビニでの公共料金の振込みをしながら、いつものお散歩コースを歩いて、椎名町駅に行って、勿論、電車で帰りました。行き掛けには椎名町駅から事務所まで歩いたので、ドルプリの通常のお散歩のコースは完成です。
まあ、そういう事で、ハイツ帰着は10時頃と、とても早かったのですが、椅子に座って、持ち帰ったお弁当を冷蔵庫に仕舞う事も出来ないままに、ぼんやりとテレビのドラマを見ていたのですが、ドラマのstoryが飛んでしまって、テレビを見ているのかが、よく分からないのです。
結局、2時間近く椅子に座ったままで、漫然と時間だけが過ぎてしまいました。
12時の午前様の前には、意を決して、椅子から立ち上がって、お弁当を冷蔵庫に仕舞って、大急ぎで、Bedに潜り込んで寝ました。
しかし、Bedに入った後でも、夜間頻尿のintervalが普段よりも窮めて短くて、朝の5時半過ぎまでには、5回もtoiletに起きてしまいました。つまり、小一時間のintervalなのですよ。
でも、それでも、眠れるだけでもマシなのですならね〜ぇ!!
そろそろ鼻の調子が悪くなって、息が出来なくなりそうなので、起き出して、いつもの仕事をする事にしようかな?
寝が足りない分は、仕事に疲れた時に、また寢れば良いのでね?!

1月8日初音ミクの『Se tu m'ami』
今日はもう、1月の8日の土曜日のお昼の12時になる所です。
5日のFacebookのPageに初音ミクのSe tu m'amiの歌のお話をしましたが、私と古典Italia歌曲集との思い出は、私が未だ高校生の時に、学校の文化祭で後輩の女の子が古典イタリア歌曲集から、数曲を歌っていたのを聴いて、その華美な歌声に驚きを感じた事を覚えています。
(蛇足ですが、私も先生達に呼び出されて、先生達の室内楽にPianoで付き合わされたので、その文化祭の思い出はひとしおでした。景気づけに先生達は一杯引っ掛けて演奏していたのですが、今だと大問題だよね??当時は、笑い話でしたけれどね??)
彼女は、音楽の道には進まなかった・・ので、高校時代には、私との接点は無かったのだけど、amateurだとしても、非常に感銘を受ける美しい歌声だったからです。
(勿論、中学生の頃から、本格的に歌の先生に師事して勉強していたようですがね??)
高校時代には、私のアパートに音大を受験する他校の生徒達(と言っても後2名しかいませんでしたが・・)を、毎週の日曜日に集めて、聴音やchorübungenや楽典の勉強を一緒にやっていました。
初見視唱の一貫として、古典イタリア歌曲もよく歌ったものです。
その後も、音楽大学に進学した後でも、結構、古典イタリアの曲を伴奏する事は、よくありました。声楽のlessonによく駆り出されたものです。
まあ、いずれにせよ、古典Italia歌曲集と言うと、どうしても、声楽科の生徒達の大学受験の課題曲としてという把握になってしまいますが、私の場合にはそうではなくって、実際の歌曲として、DeutschLiedと共に、好きな曲genreの曲であったにも関わらず、実際には、高校生の時の彼女以上の歌声にお目に掛かる事はありませんでした。
(古典イタリア歌曲をOpera調に歌われてもね~ぇ??)実際のお話をするように(drama風に)歌う事と、Operaチックに(overな表現で)歌うという事は根本的に意味が違いますが、それもよく誤解されるのですよ。
私は常にお喋りをするように歌って欲しいだけなのですからね??
また、こんにちではYou Tube等で多くの人達の演奏を聴く事が出来るのですが、その歌の多くが、淡々とまるで音大の受験の課題曲のように、つまらなく歌われてしまっていて、折角の歌詞の軽妙洒脱なimageが失われています。
baroque時代のAriaは、baroque-Operaの一部分の抜粋なので、例えAriaであっても、story性(drama性)が重要になってきます。baroque時代の曲の殆どはconversationで出来ています。
お話をするように歌う事が基本なのですよ。
古典派の時代になっても、そのBalladeとして、そのstyleは継承されます。
例えば、MozartのDas VeilchenやSchubertの魔王等です。
往年の名歌手達の演奏では、本当に物語のように歌っていますが、こんにちではそういった歌い方は毛嫌いされてしまうようで、淡々と情緒を込めないで歌うのが主流のようになっています。
You Tube等でも大半の歌い手は、dramaticに歌うのが一般的のようです。※)
でもそれでは、軽妙洒脱な詩が活かされませんよね??
勿論、「Se tu m'ami」は古典イタリア歌曲集には、Pergolesiの作品として載せられていますが、こんにちではAlessandro Parisottiがパオロ・ロッリの詩に作曲をした偽作だとされています。
ですから、20世紀に入ってからの偽作である事は当然なのですが、様式はbaroque時代の様式で作曲されているので、そのように歌う事が必然だと思います。
もう一つの問題点は、歌詞に含まれる人称の問題です。
本来ならば、「私」という一人称で歌われるハズなのですが、途中で、「語っているのは誰だろう??」と思わせる不思議な節が見受けられます。
その一番の箇所は、「Bella rosa porporina oggi Silvia[※] sceglierà」という節です。
※はSilvioという男性を表す単語の方がロッシの元々の原詩の単語だそうで、そうすると、ますます、話は込み入って来ます。(つまり、男性が男性を愛する事になってしまうからです。と言う事でParisottiが同性愛者である・・という説まで飛び出して来るようです。)
「Silvia」が「il=私」自身であるとすれば、なんの問題も無いのですが、文法的に解釈が難しいのですよ。
意味不明で・・ね??
「Silvia」が「il=私」自身であるとしてのSituation(状況・光景)は、娼婦の館で遊女に恋をした若者に、その遊女がたしなめる光景でしょうかね??
Parisottiは、1914年にItaliaの音楽出版社Ricordi社から17、18世紀のbaroque音楽や古典派音楽を、19世紀ロマン派音楽の様式でピアノ伴奏版に編曲して、 『古典イタリア・アリア集(Arie antiche)』)として出版した時に、この「Se tu m'ami」の曲をPergolesiの作品として出版したのだそうです。
まあ、同時代にはFritz Kreislerも多くの偽作を発表していたので、作曲家がbaroqueや古典の作曲家の作品として、自分の偽作を発表する事は、けして珍しい事ではなかったとは思いますが、それを古典イタリア歌曲集に紛れ込ませるのは、やはり、少しいただけないのかな??
・・とは言っても、それがこの曲の音楽的な価値を下げるものでは無いと思うので、それはそれで良いとは思いますがね??
私がnetでYou Tubeをsurfingをしたbest-choiceは、Australiaの音大を卒業したばかりの女の子の初recital です。
初々しいのと、歌詞のstoryをmimeとして表現したのがとても優れているので、表情や手の動きだけでも、音楽のdrama性を表現出来ているので、bestchoiceという事です。
※)drama性という言葉で、誤解を招くような文章になっているので、補足して起きます。baroque時代のdrama性とは、音楽のdrama(所謂、物語性の事です。演劇のようにお話をするように歌う)・・という意味です。Europaの言葉でもTheatralisch(劇場的な)という表現と、Leidenschaftlich(激情的な)という表現があって、混同、混乱の元になっています。
近現代に使われるdrama性とは、寧ろ、発声法の事になります。
近現代の歌い方では演奏表現は控え目なのですが、発声法が現代の発声法で、音楽表現はoberflächlich(表面的)な表現になってしまっています。
つまり、目を瞑って音楽を聴いても、光景が浮かんで来ないのですよ。
Bachのcantataでも、Richard StraussのRosenkavalierでも、音楽だけで光景が浮かぶのだけどね??
Se tu m'ami - Giovanni Battista Pergolesi
YOUTUBE.COM
Se tu m'ami - Giovanni Battista Pergolesi
Recital 'Fidelity and the Scorned Lover' at Pilgrim Uniting Church Thursday 21st September 2017
次いでに初音ミクversionも・・・
勿論、実際の声ではなくって、computerの音源なのですが、とても、naturalでcomputer音源とは思えないのですがね~ぇ??
発声法を学んでいない声の美しい高校生ぐらいの女の子が歌っていたら、多分、こういった声になるのではないのかな??・・・と思いますがね??
baroque時代だと、遊女の設定なので、声の質感が少しpure過ぎるかな??
現代ならば、結構普通かもね??
こういったtypeの女の子は、そこらに一杯いるのだよね~ぇ??
【初音ミク】Se tu m'ami【パリゾッティ】 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

1月8日 ·baroque時代から古典派の時代への発声法の模範的な演奏
baroque様式としての、発声法は自然体の発声法になります。
次のYou Tubeでの演奏でその理想形を知る事が出来ます。
曲は古典Italia歌曲集からCacciniのAmarilli, mia bellaです。
なんと、自然な発声法でしょうか??
透き通った声は、baroqueの音楽様式のままです。
これがmessa di voceの歌唱法です。
messa di voceはこんにちでは、発声法のtechnikや練習法のように言われていますが、本来的には、baroque時代の発声法の一つのtechnikを言います。
こんにちの発声法とは全く違った発声法なのですが、大変難しいのです。
この歌手の発声法は、素晴らしい❢
Caccini: Amarilli mia bella; Phoebe Jevtovic Rosquist, soprano; David Tayler, archlute - YouTube

1月9日 ·『昨日のFacebookへの大チョンボ❢』
今日は1月の9日の日曜日の朝の7時です。
この2,3日はFacebookの一つ一つのcommentをhomepageにcopyする作業をしています。
普通に考えれば、homepage上にFacebookへのlinkを張れば良いだけのように思えるので、「なぜ、そんな無駄な事を・・??」と、思われるかも知れませんが、Facebookのcommentを一つ一つhomepageにcopyをする事には、それなりに意味があります。
私の人生の大半は、ワープロもパソコンも無い時代だったので、少年時代からの覚書としてのmemo帳が10冊ぐらい、あります。
Tagebuch(日記帳)と言う程の文章ではなく、全くの単なるmemo帳としての書き込みや、詩や小説、人生感や世間への恨みつらみ、或いは音楽の論文や教育関係の文章への書き散らしや色々な日常のideaまでを、思いつくままに書き溜めた反故のnoteです。
但し、私自身は文字を書く事がとても苦手で、noteに書く・・という手間が苦痛であったので、40年近い人生の中の集成であったとしても、大学noteに僅か10冊程度にしかなりませんでした。
そういった私がblogやtwitterとの出会いは、或る時に、私が音楽を教えて音楽界で活躍している生徒達がnetで広報活動をしているのを知り、その文章を読むために、已むを得ずに色々なblogの会員になったのだけど、昔の生徒にcommentをしても、結構、嫌がられる事が多いので、comment等の書き込みはしないままで、興味がある時だけ読むだけ・・という事で、放置したままにしていました。参考までに、日本で最初にblogを開設したのはMixiで2004年からだそうです。その次にYou Tubeが2005年に、それからtwitterが2006年に入って来ました。blog時代の到来です。
しかし、私自身は、そういったsocial・communicationには対して興味はありませんでした。今でも宣伝や他愛も無いcommunicationの多くのblogには私は興味はありませんので、見る事はありません。
そのうちに、パソコンで、finaleやhomepagebuilderを使用するようになって、パソコンが日常的な仕事の道具になって、紙の文章を書く事が極めて稀になって来たので、memo書きをする事も、大学noteを開く事も極めて稀になってしまったので、そういったmemo書きが出来るsoftを探していたのですが、殆どのsoftが、一つの文章に対しての文字数の制限があって、使用が出来ませんでした。
そういったsoftを探している時に、Facebookが無制限の文章を打てる事を知り、Facebookを非公開にすれば、memo書きの代用が出来る事を思い付きました。勿論、Facebook本来の使い方からは外れている事は承知の上の事です。
また、日本の音楽教育は、家元制度の上に成り立っているので、大学を卒業するまでの、社会的音楽活動はconcours以外の音楽活動は原則として禁止されている事が多いのですが、proとして活動するには、Europaの場合では、concours等は、然程重要ではなく、日本とは真逆に、子供の内から音楽活動を続けて、人に顔と名前を覚えて貰う事が重要とされます。日本人の音楽家の場合の音楽歴ではconcours歴と留学歴が一番に列挙されていますが、Europaのproの演奏家達の音楽歴では、concours歴を書いている人達は少ないのです。それに、出身大学歴ではなく、師事した先生を列挙するのが一般的なのです。そこも、日本の音楽社会とEuropaの音楽界では大きく違います。
しかし、不思議な事に家元制度の権化とも言える歌舞伎の世界でも、子供の早い時期でのdébutをとても大切にしています。現場で育てる・・というのは日本の家元制度でも変わらないようなので、歪な子供の内の演奏活動を認めないというのは、Classicの音楽界だけのようですよね??
同じ家元制度の音楽界でも邦楽の音楽界では早い時期のdébutはそんなに珍しいものではないようなのでね??
教室も2011年からYou Tube上に、先生達の演奏活動の一貫として、Biber等のperiod instrumentsによるbaroque音楽への啓蒙的な演奏活動をuploadしましたが、それと同時に教室の広報活動の一貫として、一般の人達へのappealの手段として、Facebookを活用する事も思い付きました。
・・という事で、2014年の9月の4日から、Facebookを書き始めて、同時にYou Tubeへのuploadも開始しました。勿論、将来、音楽活動出来る事を夢見ている生徒達に限定しての公開で、完全に趣味として教室に来ている生徒達の演奏はuploadはしていましせん。
Facebookに対しての私の本来の目的(Facebookを使用して文章を書いて行く目的)は、Facebookが私の meinem Tagebuchであると同時に、論文を書くためのmemo帳の役も兼ねているからなのですが、Facebookの欠点は、思いつくままに書き溜めた反故のmemoを必要な時に探し出して、叩き台として推敲するための検索能力が乏しい事です。
Facebookの目的は、twitter等や他のblogと同じで、tweetする事が目的なので、その文章を読み返すと言う発想自体がありません。
ですから、日常のこもごもを綴った日記帳としての雑文と、或る程度に目的に応じた分類が必要な論文とを仕分けして、また内容に従って分類して検索が出来るようにするには、Facebookをhomepageに移す必要性が生じてきました。
実際には、homepageを雑文を書く事に使用すれば、copyをして書き直す一手間や二手間が省けるハズなのですが、homepageには、日記のように毎日を手軽に書く・・という設定はありません。
homepageは、書き込む状況にするまでの一作業と、それを公開するまでの一作業が結構大変なのですよ。ですから、何度も推敲作業が必要な論文等の場合には、他のwordのようなワープロsoftの中で、文章を予め完成させてから、homepageにcopyするのが定石なのです。
ですから、最初からhomepageをTagebuch代わりに使用するのはとても無理と言う事で諦めました。
私の場合には、Facebookをhomepageにcopyする事は、そのFacebookのPageに、検索がし易いように、indexを付けて検索が出来るようにする事が目的でした。
作業自体は、2014年の9月4日からのFacebookの粗、毎日の文章をhomepageにcopyして、それぞれの文章にTitleを付ける・・という、とてつもなく膨大な作業なので、作業自体は、私が暇な時に、折に触れて作業をして行ったので、最初は元々のFacebookのままで、単なる雑記帳の延長のようなものであって、templateのような形式的なものは存在してなかったのです。
最初はFacebookで書き始めた雑記帳をそのまま、copyをしていたのですが、しかし、何年か、作業を続けて行く中で、なんとなく漠然と書式のような物が出て来て、段々と自然発生的にtemplateとして成り立つようになってから、その書式で書くようになって来たので、最初のFacebookの文章から、templateに合わせて書き直す事にしました。(書式化する事を、思いつく事の遅い事・・❢❢)
・・と言う事で、或る程度のtemplateが出来上がって、その様式に従ってFacebookをhomepageで纏めるようになったのですが、その一番最後の年のhomepageをtemplateとして、homepageに残して置く事を思い付きました。
・・そういう事で、2021年のFacebookをcopyし終えた時に、その21年の書式をtemplateとして、22年とtemplateにcopyしたのですが、21年のFacebookの内容を削除して、templateを作る作業をしている時に、うっかりと22年のPageよりも、先にtemplateのPageを作ってしまいました。
つまり、templateは出来たけれど、22年の書式は内容が削除されないままに、そのままに残ってしまったのです。
まあ、冷静に「時短」としての作業をするのならば、templateの書式を22年に書き換えて、元の22年のPageを削除すれば良いのですが、そのためには22年新Pageとか別名を付けなければなりません。今までFacebookⅦとか、FacebookⅧとかで、分類して来たので、新しい名前を付けるのは憚られてしまいます。という事で、全くの心情のためだけなのですが、22年の書式の文章を削除するチマチマ作業を始めてしまいました。
とは言っても、これも1年分なので、1日掛かりの大作業になるのですがね~ぇ??
無駄だとは思うのですが、独居老人なので、時間だけは自由にあるのでね??
と言う事で、朝の10時なのだが、22年、FacebookⅧのtemplateを作くり上げました。
まあ、半日の作業ではあったのだけど、無駄な作業には代わりは無いよな??・・よな??
夜な、夜な作業で、まあ、何とかなったけれど・・・
22年のFacebookのコピペ作業は、1ヶ月、2ヶ月の文章が溜まってからの作業になりますので、未だ暫くの間は、templateのままです。

1月19日 · Wolf-Mondと3回目のワクチン接種
cinderella-timeを1分、過ぎたので、今日は1月の19日の水曜日になります。
テレビ的には1月18日の24時01分と言う事かな??
昨日の18日の火曜日は満月で、Wolf-Mond、または、1月の満月は地球から最も遠い満月なのでminimum-Moonというのだそうです。
それはそうと、テレビで「国民の義務だ!」とか、「マナーだ!」とか騒いでいる、3回目のワクチン接種が、私の場合には、2月の12日以降の予約の予定なのだそうなので、早めに予約を取ろうと言う事で、一昨日の17日に、netで予約のPageを開いたら、何と、2月ではなくって、今週中に予約を取るような日にちの設定になっていた。
どうやら、予約日が前倒しになっているようなのだよね〜ぇ?
オミクロンで連日、大騒ぎをしているのだから、「どうせならば、一番早い日にちの予約を」・・という事で、次の日・・つまり18日の3時半から4時の予約を取った。
次の日に、話しを戻して、予約日の18日の話しなのだが、
・・と言う事で、予約時間に間に合うように早めに、bikeで病院に行って来ました。
予約時間内の4時には、もうハイツの部屋に戻って来ていましたよ。
部屋に帰り着いて、病院に行った後の片付けや、今夜のお弁当の片付けをしていたら、なんと、窓から満月が、絶好のpointに・・❢
早速、写真を撮ったのですが、携帯では自動的に補正が入って周りの光景が明るく鮮明になってしまうので、補正を補正してなるべく、実際の光景に近づけるようにしました。
パソコンのphotoshop補正ではなくて、携帯のcameraの中の補正なので、超ヘボい補正なのだけど、まあ、昼間のように明るい満月よりはましかな??
部屋の中で安静にしていたのだけど、やはり、少し微熱が続いているようです。
7.3°なのだけど、気分が悪い・・と言う程ではなくって、火照ってる感じかな??
日本酒の超熱燗を飲みたい所なのだけど、流石にそれはマズいかな~ぁ??
と思ったけれど、「まあ、良いか??」と、日本酒をコップに注いだら、なんと、ぐい呑みに半分も入っていなかった。
やっぱ、「飲むな❢」と言う事なのかね??

1月21日 · J・C・Bachの模範演奏のvideoが見つからない
今日は1月21日の金曜日の朝の6時半を過ぎた所です。
toilette-timeに起き出した所なのだけど、超、寒いのだよ。
練馬区の気温は今現在-1℃です。
あいも変わらない氷点下の朝なのです。
昨晩の深夜中は、J・C・BachのViola Concertoの模範演奏となる演奏をYou Tubeで頑張って探してみたのだが、Ⅰ•Ⅱ楽章の演奏は、なかなか良い演奏もあったのだが、そこまでは兎も角として、Ⅲ楽章の演奏で引っ掛ってしまった。
Ⅲ楽章のthemaが速い和音の移弦のpassageで出来ているのだが、それを全ての演奏家達が弓を飛ばして弦を叩いて音を出しているので、打楽器のように音にnoiseが酷くて、聴くに耐え難いものがありました。
performance的には、そういった弾き方の方が格好良いのでしょうが、音的には、なんともはや、優雅さに欠けて、筆舌に尽くし難いものがあります。
移弦なので、飛ばないように弾く事は超難しい演奏なのでしょうが、それにしても、恰も打楽器のように弓をbattere(叩いて)で演奏するのは時代考証的にも問題があります。
昨晩中のYou Tubeのサーフィンで、和音を丁寧な音で弾いていたのは、お隣の韓国の11歳の女の子の演奏だけだった・・というお粗末な結果になってしまいました。
勿論、11歳の子供なので、未だ弾き捲くりだけで、歌い込みが未熟なので、模範演奏には程遠いので・・linkを張る事はしません。このまま引き続き、頑張って探して見る他はありませんからね??
それはそうと、このJ・C・BachのViolaConcertoが殆どの演奏でCasadesus版になっていて、更に酷いのは、『Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach』と表記されている版もあったりしますが、これでは『J・C・BachのstyleによるCasadesusの作曲』という事になってしまいます。
勿論、この曲はJ・C・BachのCelloConcertoからCelloのpartをViolaへtransposeしたに過ぎないし、CasadesusはViolaのpartの校訂をしたに過ぎません。
orchestraのpartに至っては、全く弄られていないのですよ。
それをCasadesusの作曲でJ・C・Bachのhommageだと言われてしまっては、J・C・Bach先生に失礼の極みです。
私が『Bearbeitung・・』と書く程の、orchestraへのarrangementや、soloのViolaのpartに対してのarrangementは全くされていないので、以前、私が憤慨したHennry purcellのBritten版のように、baroque時代の演奏法を楽譜でrealizeしただけで、Britten版として著作権を取ると言う事は、音楽家としての同義的にいただけないのですがね~ぇ??
Britten版以外の例としては、VitaliのChaconneでも、VitaliのChaconneが、Chaconneとしての、曲のimageを確立したのは、勿論、Ferdinand Davidのarrangementから・・なので、その作品はbaroque様式で作曲されたVitaliのoriginalのfassungとは全く別の作品です。
この場合だとしたら、『Ferdinand David作曲Tomaso Antonio Vitaliの様式による・・』と言ったとしても、それに対しての異論はありませんが、それよりも、Charlier版の方が問題です。
Charlier版はDavid版からのarrangementなので、David版を原本とした校訂版である事が明記されなければなりませんが、それを明記した版は無いようです。
世界の出版社の場合でも、作曲と編曲と校訂、kritik-Ausgabe等々の表記は実にいい加減です。
困ったものだよな??
・・・と言う事で、今回のJ・C・Bachの演奏なのですが、曲はViola Concertoなのですが、Casadesus版では、orchestraのpartをどのように、originalからarrangeしたのかが、分かりません。
と言う事なので、元々のoriginalのCello Concertoのorchestra-partを使用して、Violaのpartは、Celloのpartをそのままoctave上げた楽譜をViolaの楽譜として演奏をする・・と、言う事でoriginal-fassungとして演奏する事にします。
(Casadesus版は使用しない・・という事です。勿論、Violaの校訂版も含めて・・の話です。)
追記:今日のpech!
朝の7時から、寝直して、お昼まで爆睡しました。目が覚めて起きようと思った途端に、左足にこむら返りが起きて、何とか、逃げようとしたのだけど、間に合わなくて、左足が引き攣ってしまいました。何とか堪えて、起き出してパソコンの椅子に座ったのですが、その後も延々と4時近くまで、脹ら脛に痛みが残っていて、諦めて、等々腓返りの薬を飲みました。
第二のpech!なのですが、MicrosoftKeyboardのQのkeyがboardに潜り込んでしまって、打てなくなってしまったので、key-coverを外して溜まっていたゴミを吹き出したのですが、key-coverが戻らなくなってしまいました。
「プチッ❢」と音がしても、そのまま外れてしまうのですよ。
引っ掛っていたkeyを外す時にrockのポッチが取れてしまったのかな??
詳しく見ても分からないのだけど・・なあ??
写真の1円玉の上に乗っているのは、ゴミではなくって、そのポッチです。どうやら、左上の列のkeyは壊れ易くて、結構claimが出ているようなのですが、Microsoftのpartsの売り場が見つからないのだよな~ぁ??
1円玉の隣はkeyのcoverです。どこが欠ているか分かるかな??
おまけ:
点鼻薬のナザールsprayが終わったので、応急に椎名町用に買ったナザールをハイツに持って帰りました。古い使い終わったナザールをゴミの袋に捨てたのですが、今日、改めて、ナザールをsprayしてみたら、薬が出て来ません。振って見ても音がしないので、慌てて玄関に打っちゃっているゴミの袋を開いて、捨てたナザールを確認すると、そちらの方が持ち帰った新しいナザールでした。
早めに気が付いてゴミに出す前で、良かったのだけど、ゴミで汚れたナザールを洗ったりして、余分な仕事がまたまた増えてしまいました。
pech!がある時には、色々と畳み掛けてpech!が襲って来るものです。
「負が負を呼ぶ」と言うか、「負のspiral」と言うか・・・なのですよね~ぇ??

1月23日 対面のオケ練習の予定がomicronで・・·
1月23日、日曜日の朝10時になろうとする所です。
この所、昼夜逆転の生活が続いてしまっているのだけど、今日は対面のオケ練習の予定だったので、千葉に移動するための車を出すために正常なtime-lineに戻さないといけないという事が、結構pressureだったのだけど、昨日の東京都のomicron感染者数が1万1千人を超えて、東京都が緊急事態状態に入ったので、急遽、千葉の教室でのオケ練習を中止して、希望者の個人lessonだけをする事になった。
・・・と言う事で、私の対面lessonも自動消滅する事になった。
先生も生徒達も結構、毎日、毎日の時間に追われていて、web-lessonでlessonをしたとしても、時間の擦り合せが難しいので、予てから、携帯等で練習を撮影して、それをline等で送ったら良いとadviceをしていたので、早速、lineでsectionの動画を送って来たのだが、今度は、その動画を見てlectureする時間の擦り合せの時間が中々取れないのだよな??
しかし、動画にlectureを字幕で書き込む事は、こちとらとしては、大変な労力を必要とするので、然程簡単に出来る事ではない。
powerdirecterのもう一つの機能で、『取り込み』という機能を使って、動画のpointに私が動画を撮って挿入するという事を、昨晩試して見た。
つまり、powerdirecterの中の機能でweb-cameraで、動画を撮って、元のlineで送られて来た動画に、lectureを挿入するという事である。
ところが、挿入された動画をcheckしてみると、画像が止まってしまったり、音声が喋り終わる所まで、入らないという不具合がある事が分かった。
折角、頑張ってcheckの動画を入れたのに、なんとも舌足らずな動画になってしまったのだよ。
しかも、web-cameraで撮影したangleが、なんと4:1になってしまっていて、撮影サイズの変更が、影の文字のままで、変更出来ないのだよ。
仕方がないので、web-cameraのdriverをnetでdown loadして、web-cameraのsoftで、撮影してみた。
これは綺麗な画像が撮影出来た。
つまり、powerdirecterの機能ではなく、web-cameraの機能として撮影して、powerdirecterで編集をすれば、そう言った音ズレ・音飛びの問題は解決出来る・・という事が分かった。
lecture-lessonをするためには、1行程編集作業が増えてしまうのだが、それはpowerdirecter内部のsoftであっても、web-cameraのように外部のsoftであっても、行程自体は変わらないのだよな~ぁ??
それは困った❢❢
それはそうと、明日の月曜日は今年初めての糖尿病外来である。
オミクロンの感染拡大を大騒ぎしている中での、病院なので、先生達は2、3週間、診察を延ばして貰ったら??と言っているし、私としても、その方が良いとは思うのだけど、予約の取り直しが結構難しいのだよ?
まあ、頑張って光が丘に行くか??

1月24日 無為な時間と無駄な時間·
•••という事で、頑張って糖尿病外来に行って来ました。この所、結構寒い日が続いていたのだけど、今日はそれ程でもなくて助かりました。昨晩から着て行く服で悩んでいたので••••
Bikeだと、風が吹き抜けると結構寒いのでね?
検査の結果は余り良い状態ではないので、頑張るように注意されましたが、こればっかりは、如何せんどうしようもありません。
キビキビとした運動が出来れば、内臓の状態も改善するのでしょうが、心臓がね〜ぇ??
運動しても駄目だし、しなくても駄目なので、医者も頭を抱え込む所だよね〜ぇ?
はてさて、今日も冷蔵庫には、何も入っていないのだけど、今日は椎名町の帰りは遅い予定だし、それに、夜食を食べに行く元気も、散歩をする気力もないので、困ってしまうよな?
•••と言う事で、周りを見回してみたら、なんとか食パンが何枚かあったので、パンだけなのだけど、まあ、腹の足しにはなるかな??
本来ならば、仮眠をして、体力を戻したい所なのだが、鬱が酷くて、眠ろうとしても、寝付けないのですよ!!
•••という事で、何度かBedとパソコンの椅子を往復して、ついに諦めて、起き出して、病院の書類の後始末をしながら、ウダウダと無為な時間を無駄に使っています。
無為な時間とは、無意味な時間や無駄な時間とは、意味が違うのだけど、分かるかな〜ぁ?
無意味な事に熱中したり、人生の無駄な時間を愉しむ事はとても良い事なのだよ。
そういった時間とは違って、無為とは、望まない時間の意味なのだよ。

1月24日 · 『のでの文』

•••という事で、お腹が空いたので、食パンを食べたのですが、なんか一日中、パンを食べているような気分になって来たので、またまた鬱になりそうになって来たので、冷蔵庫を開いて見たら、卵1個と微塵切りの玉葱と、ラップに包んだご飯が見つかったので、有り合わせだけで、炒飯を作りました。
具材は何も入っていないけれど、まあ、気分直しにはなったのかな??
しかし、米は血糖値を上げるので、またまた病院の先生に怒られるよな?
何回、「ので」を使ったのかな??アハッ!

1月25日 ·未完成の文章
日本の文化は自己完結型の文化である。
「自己完結型の文化」と言われても、どういう意味なのか、分からないよね?
世界中の文化でも、或る程度は「自己完結型の文化」と思われるものはあるのだが、日本の場合は徳川家康の世襲制度から、特別の社会制度になっている。
文化を国が定めるのだよ。
日本の社会の文化の特徴としては、家元制度に表されるように、そこで学び始めて、そのままproとして看板を掲げる事が出来るという社会なのだよ。
日本のClassic音楽も明治時代に音楽事始めとして、軍隊の音楽を作るために、明治政府の肝入で国家の事業として導入されたのが最初であり、常に、政府の教育機関が中心的役割を締めていたのだよ。
当然、そこではproを決定する事も教育機関であり、一般大衆ではない。
proとしての資格は、商品を一定水準に保つ事であり、100%ではなかったとしても、常に95%の水準を保つ事なのだ。
しかし、日本の色々な文化は日本の社会の中の話なので、それでもなんとかなるのかも知れないのだが、事音楽に限った事で言うと、Classic音楽の場合には、外国起因の文化なので、教育制度は兎も角としても、音楽社会的には、自己完結型では無いので、そこが矛盾の原因となる。
しかし、日本の教育機関で学んだ音楽家達の集団なので、そのNiveauで纏まって、どんぐりの背比べのようなcommunityを形成しているのだ。つまり、その社会の中の常識がまかり通ってしまうのだ。日本のClassic音楽はglobalstandardには成り得ないのだよ。
proと芸術家というHierarchyがある。
proとは求めに応じた作品を提供出来る水準を言い、芸術家とは作品の水準のみを磨いて行く人の事を言う。故に、時折、時代を超越した人が現れて、その時代では認められない芸術家という人も存在する。
芸術家とは時代が認証する事である。審美眼を持った人のみが理解する事が出来る。
料理がある!必要なレシピに従って調理をすれば、ある程度の水準はkeep出来る。
それがproである。しかし、個々の好みに合わせて料理をするのは、格段に難しい。
次世代型の医療は、個性を生かしたままの医療になるそうです

1月26日 鼻詰まりで眠れなかったので、VitaliのChaconneの·
今は1月の16日の水曜日の深夜の2時半を過ぎた所である。
one‐cool寝た所で、toilette-timeで起き出して、再びbedに入ったのだが、いつものように、「鼻詰り」で、息が出来なくなってしまって、已む無く、起き出した所なのだ。
Gas-fan-heaterで、首の後ろを温めていると、自然に鼻が通って来て、呼吸が楽になるのだよ。
この所、延々と探しても見つからなかった朋弥ちゃんのVitaliのChaconneのvideo-tapeが見つかったので、次いでに、他の生徒達のVitaliのChaconneの演奏をYou Tubeにuploadして、その次いでに、homepageのVitaliのChaconneの Pageにlinkを張って、更に、少しだけ、読み難い文章の修正をした。
layoutも少し弄って、譜例も少しだけ増やした。
全体的に読み易くなったと思っている。
そうこうしている間に、鼻も通って来て、睡魔が襲って来たので無事に眠る事が出来た。

1月27日 コンクールよりも効率的なproになる方法
今日は1月27日の木曜日の朝の6時になる所です。
昨日までには、You TubeにuploadしているVitaliのChaconneを、homepageにlinkさせて、解説も少し追記したのですが、全く発表会の演奏をupをしていない年が余りにも多いので、You Tubeが、資料にならないという事で、少し挫折をしてしまいました。
こういう時には、気分を変えれば良いという事で、homepageのLa Foliaを少し弄り始めました。
homepageのLa Foliaの Pageなのですが、layoutが散漫だったので、文章の構成全体をコピペで修正しました。
大雑把にコピペで文章を大移動させて、indexも少し変更させて、全体の構造をすっきりとさせる事が出来たと思います。
それから、新たに見つかったLa Foliaを、(You Tubeにuploadしていた発表会のomnibusからLa Foliaだけを)抜粋してYou Tubeにuploadし直して、homepageへのlinkを張りました。
昔々、You Tubeへuploadし始めたのは、2011年の八千代市生涯学習プラザ主催のコンサートからなのですが、未だその時代は発表会の演奏をYou Tubeにuploadするという気が無かったので、2,3年単位で、飛び飛びの気に入った演奏だけをuploadするという感じでした。
ですから、You Tubeに発表会での演奏をuploadする・・と言っても、「非常に稀に、気が向いたら・・」という感じでした。
「proになりたい」、或いは「音楽の世界で生きていきたい。」という生徒達は、concoursを受けて、音楽大学を目指しますが、そう言った音楽の方向性は、「重箱の隅をつつく」ような没個性的な画一的な教育であり、音楽をprofessionalとして求めるのは、その人の持ち味、つまり、個性を言います。
つまり、日本の音楽教育は、proを育成するための教育とは真逆の方向になるのです。
ポロミスやポニョミスは、基本的に意識の弱さから出て来るものなので、そう言ったcaseでは、concours等の「重箱の隅をつつく」ような教育は、とても効果的ではありますが、その反面、「誰が演奏しても、同じ演奏」という日本の「型に嵌まった教育」になってしまいます。
そういう事で、日本の音楽家達は世界の音楽家から、音楽を持たない音楽家としての評価を受けてしまうのです。
Europaの場合には、concoursばかりを受ける演奏家の卵を、concours・pianistとか言って揶揄する傾向があるし、proとして活躍している音楽家の多くはconcours歴を持っていません。
concoursと音楽界は全くの別の世界だからです。
では、どうすれば、concoursのような○✗方でなく、技術や音楽力を向上させる事が出来るのでしょうか??
それは簡単です。
それは人の前で演奏する事に尽きるのです。
しかし、それは、親、兄弟、近親縁者やお友達でも無い、赤の他人の前で演奏をする事です。
他人の目は、相手が例え子供であったとしても、音楽を目指す子供達への場合には、結構、厳しい評価がくだされます。
また、一般の人達がどういった音楽に感動をするのか??
或いは、舞台のマナー等もそこで学ぶ事が出来ます。
そして、何よりも、大切な事は、聴きに来てくださったお客様に名前を覚えて貰う事なのです。
そこで、印象に残れば、proになった時に、必ず、Fanになってくれるハズです。
しかしながら、一般のお客様にFanになって貰うには、それ相応の水準が必要になります。
お稽古事の延長では、Fanを作る事は出来ないでしょう。
対外演奏でFanを作るには、それなりの水準をkeep出来なければなりません。常に、どの曲でも、どの演奏会でも、水準をkeepしなければならないのです。
と言う事で、たかが、巷の音楽教室に過ぎない私達の音楽教室のような場合には、対外出演で、演奏のNiveauをkeepするのは、容易な事ではありません。
殆どの、音楽を学んでいる生徒達が、音楽ではなくて、日常生活を優先するからです。
また、音楽の道を目指している人達も、音楽家の世界を、夢見ているのに過ぎなくて、現実の音楽家の世界からはかけ離れた世界を夢見ているのに過ぎません。
音楽の勉強の仕方は、その夢を見る夢のNiveauで決まります。
そこで、以前お話をした、日本人の音楽家達は、entertainmentを求めている・・というお話に続きます。
entertainmentの世界ならば、追求する物は、音楽とはまた、別のgenreになってしまいます。
磨いて行く事も、音楽への探求とはまた別のgenreになります。
まあ、パソコンに取り立てて問題が無い時には、結構仕事は捗るよな?
とは言っても、Qのkeyは剥がれたままなのだけどなぁ?

1月28日 ·動画の大元が壊れていて
cinderella-timeの前に、ハイツに辿り着いて、バテていたので、早めに寝ようと思って、早々とbedに入ったのだが、なんとも、鬱って眠れなくなってしまった。bedの中で悶々としていても仕方がないので、今日椎名町から持って帰って来た、古い発表会のDVDのdisc からパソコンへ発表会のvideoを取り込もうと思ったら、肝心要の目的の曲の動画が壊れていて、再生もdubbingも全く出来なくなっていた。
超、Shockである。
色々なvideoの再生のsoftで、何度もやり直しているのだが、その壊れている部分になると、動画がfreezeして、ニッチもサッチもになってしまうのだよ。
mediaplayerも、vlcmediaplayerでも、powerdirecterでも、同じ箇所でfreezeしてしまうのだ。
壊れた動画が、一番必要なmainの曲だったので、諦め切れないのだよな~ぁ??
万策尽きて、為す術も無くて、泣く泣く諦め・・・切れないのだよな~ぁ??
PanasonicのDiga(video-deck)でDVDを再生をしてみると、画像はブチブチと映像が乱れるのだが、一応、再生は出来るのだよな??
再生出来るのならば、・・という事で、hard-diskにdubbingを試みたのだが、そういった機能は無いようだ。
•••と、思ったのだけど、暫し、よくよく考えて見ると、もう一台の高い方の同じDigaの機種には、DVDをhard-diskにdubbingする機能も持っていた・・という事を思い出して、取り敢えず、Digaのhard-diskに保存して、Blu-rayに焼き直して見る事にした。
上手く行けば、それでパソコンに取り込めるかも知れない。
試して見る価値はある。
優柔不断で諦めないのが、私の取り柄だからね~ぇ??
試した結果、この試みは、非常に上手く行ったのだよ。
画像や音が飛びながらでも、なんとか再生が出来たので、それをそのままBlu-rayに焼いて、パソコンに保存し直したら、今度はBlu-rayのDisk自体が壊れている分けではないので、問題なく取り込む事が出来た。
Diskが読み取れない場合でも、そういった解決方法があるのだよな??
駄目元でも、やって見るもんだよな?

1月29日 ·携帯のWi-Fiが
ドルプリっ歩の最中に、携帯が鳴って、見るとdata使用の警告だった。
初めての警告で、最初は、なんの警告か分からないので、すっかり驚いてしまった❢
多分、dataの使用制限が自動的に掛かるように設定されていたようなのだが、そこを弄った覚えは無いのだがね~ぇ??
どうやら、20Gを越したらしいのだが、でも、通常、携帯は私の場合には、普段私が居る自宅の江古田ハイツも、椎名町の事務所も、千葉の新教室までも、wi-fiの回線が飛んでいるので、携帯のdataの使用量は全く使わないハズなのだけど、いつwi-fiを切ったのだろうか?・・・記憶がない。
多分、先週、糖尿病外来の検査と診察に行った時に、病院の中なので、携帯の音声を切ったのだけは覚えているのだが、その時に隣のWi-Fiのswitchに触れてしまったのかも知れない。
課金の有料になる・・というmessageなのかな??
いずれにせよ、携帯のWi-Fiのmarkは気を付けて、checkをしないと、な??
必要の無い出費は絶対に避けなければならないのだからね〜ぇ?
2月2日 ·今日はニャンニャンdayである
2022年の2月の2日で、ニャンニャンdayである。(ニャンニャンと打ち込んだら娘娘と変換されたぞ❢❢チャイナ語では娘はニャンなのか??それは知らなかった。姑娘(クーニャン)とは良く言うので、そのニャン(娘)の事なのか??アハッ!)
この2,3日、homepagebuilderでVivaldiのLe Quattro StagioniのPageをrenewal、編集をしていたのだが、今日、作業中に突然、「芦塚先生のお部屋」のパソコン上のdataが突然ぶっ飛んで、homepagebuilderで「芦塚先生のお部屋」のuploadが出来なくなってしまった。
サイトを開こうと思ってサイトを開いたら、どういう分けか、パソコンの芦塚先生のお部屋の中のdataが、半分以上、ぶっ飛んでいたのだよ。
超、Shockで、「1919年の9月のcatastropheの再来か??」とも思ったのだが、homepage自体は壊れていないので、homepagebuilderとパソコンの問題だと言う事で、頑張って、netのserverからのdown loadを何度か試みたのだが、どうしても上手く行かないのだよな~ぁ??
勿論、file転送ツールも何度か試したのだが、logoで「転送出来ない」と個別に表示されて、無限に「OK」をclickしなければならない。それにCancelが表示されないので、終わる事も出来ないのだよ。
仕方がないので、タスクマネージャーから、homepagebuilder自体を終わらせてから、またまた、開き直すという超、面倒くさい事を繰り返してしまった。
諦めの悪い俺の事なので、file転送ツールから、種類に応じて、少しづつパソコンのhard-diskにdown loadを計ったら、今度は上手く行った。
何度やっても、上手く行かなかったlogoのdataもlogoだけをdown loadしたら、なんとdown load出来たのだよ。
homepagebuilderは結構、馬鹿なのだよな??
dataの量を少なくdown loadしたら、問題無く出来るのだから・・・??
と、思ったのだが、送られなかったdataが20個、30個近く「fileが見つからない」とのmessageが出て、上手く行かない。
全部のfileのaddressを書き出して、1個1個、file全体から探し出して、パソコンに取り込んだ。小一時間ぐらいで全部パソコンに戻す事が出来た。
down load、uploadは出来るようになったのだが、layoutの画面は全く壊れてしまった。
でも、それはhomepagebuilder上の話で、無視をしてuploadするとlayoutは元の通りに表示されているのだよ。
不思議だ??

2月3日 ·なんと、今日は節分だってサ!!
この2日間(月曜日、火曜日)と、一日中寝込んでしまった。
日曜日は千葉に行った分けでも無いし、そんなに疲れる分けはないのだが、多分、寝が悪いのだろうか??
昨晩は、少々無理だとは思ったのだが、お久し振りで椎名町に食事とドルプリっ歩に出掛けた。
お久し振りの全員参加のお散歩なので、奴らは元気いっぱいで、full-courseのお散歩になってしまった。こちとらは、半分意識朦朧としていたのに・・ね??
この2,3日間は、オミクロンとは関係は全く無くって、単に体調不良という原因で、ハイツから一歩も外に出ないで、引き籠もっていたのだよな~ぁ??
安静にしていても、全く治らないので、困ってしまう。
昨日から壊れたままのhomepageなのだが、buttonやlogoが壊れたままだったので、fileを何度もnetのserverからパソコンにdown loadして、uploadし直したのだが、何一つ、改善しないので、已む無く、homepageを開いて、送られなかったfileやdataを一つ一つ、uploadし直して、dataをもう一度送り直したのだが、状況はますます、段々と、悪くなるだけなので、困ってしまうのだよな??
netでhomepageを開いて、bugっているbuttonやimage等のdataを一つ一つ送り直したのだが、改善しないばかりか、どんどんより悪くなってしまうので、もう一度、analog的に、imageの絵やlogoやbutton等は、諦めて、web-art-designerからuploadをし直して、修正をしている。
それにしても、buttonにしても、imageにしても、全てのdataがupload出来ない・・と言う事ではなく、ちゃんと、画像が普通に反映されているのもあるのだよ。
それに、imageにしてもbuttonにしても、一つ一つをanalog的にuploadし直せば、ちゃんとupload出来るのだから、理解に苦しむのだよな~ぁ??
マジにhomepagebuilderは、問題だよな~ぁ??
2月6日 練馬区の気温は-3℃で、東京の気温は-1.5℃なのだそうです。·
今日は2月6日の朝の6時になる所だです。
正確には5時45分なのですがね〜ぇ?
今の練馬区の気温は-3℃で、体感温度は-の4℃だそうです。
ガスファンヒーターが全く効かなくて、パソコンに向かっていても超寒いのですよ❢
今のテレビでは、東京の気温は-1.5℃だそうです❢
同じ事を言ってしまうけれど、練馬区は東京ではないのかな?
勿論、定義は知ってはいるのだけど、納得は行かないよな〜ぁ??
昨日は大阪でも本当に冷え込みましたよ‼
今朝も寒そうな天気で暦の上では春なのになぁ~・・・
元気にしていますか⁉️
体調不良で摂眠障害で困っています。お元気で活躍のよし、この間、何気なく、佐野君の掲載されているPageにcommentを書いたら、「直接、佐野先生に書いてください。」と怒られてしまった。
でも、私のFacebookに入って来るので、君のFacebookだと思ったのだけどね~ぇ??アハッ!
それにしても、明日は大雪だそうな??
お体には気を付けてください。
もう、歳なのでね??

2月6日 ·昼夜逆転
11月6日のお昼前の11時半を過ぎた所ですが、携帯のalarmで起きた所です。
「随分、遅くまで寝ていた」と、思われるかも知れませんが、昨晩は、食事とドルプリっ歩のfull-courseの後からの、videoの編集が終わらなくて、今朝の朝の7時半過ぎに、なんとかやっと、寝たので、4時間しか眠っていない事になるので、体調のためには、せめて、後、one‐coolは眠りたい所なのだけれど、12時20分からは、千葉教室でのオケ練習のlessonのTeleworkになるので、もうone-cooを、l眠る事が出来ません。
コロナというか、オミクロン自粛でお休みの人達が多いので、オケ練習が成り立つのか・・なのだけど、どっちみち、発表会本番だけのお姉さん達の助っ人参加なので、普段の練習は、man-to-manの練習になってしまいます。
オミクロンとは無関係に・・
だから、man-to-manのlessonが出来るので、練習に来た生徒達には、集中的にlectureが出来るのだけど、その分、lectureは厳しくなってしまうのよね??
一般的な指導ならば、悪い所をcheckして、そこを何度も繰り返し練習をして、出来るようにすれば、良いのだろうけれど、私のlectureは、そうではなくて、「何で、そこが弾けないのか??」のinterpretationからのlectureなのだからね??
それが、自分の力で、分かる事が出来るようになれば、練習は楽になるのだよ。
それにしても、今の子供達は、自己表現が苦手なのだよ。
何か一つの事を質問しても、まあ、responseが悪いよね??
「知っているのか否か」ではなくって、「聞いた事があるか、ないか??」ですら答えが帰って来ないし、答えたとしても、返事が聞き取れないような小さい声でしか、反応しないのだよ。
webcameraはTelework用に作られているので、小さい声は、呟きとしてnoiseとして反応するように設定されているので、Micに向かってしっかりと応答した声しか拾わないように設定されているのだよ。
・・という事は、オケ練習のTelework用のMicでは、そう言った特定の音を拾わない、360度の無指向性Micを使わなければならないのかい??それこそ、聞き取るには、神経が必要になってくるのだけどな??
そういった集団の中での発表の練習のために、発表会やおさらい会等で、自分の曲や練習の感想を、皆の前で発表する・・という機会を作っているのだが、やはり、普段の日常での呟くようなお喋り・・しかお喋りが出来ないのだよな~ぁ??
子供同士の会話では、あれほど大声でお喋り出来るのにね~ぇ??
それに、Teleworkでは、具体的に演奏をしての対面lesson的な指導(平たく言えば、弾いて教える・・という指導)が難しいので、練習の仕方のlectureや、基本的な勉強の仕方のlectureをしているのだけど、今の小、中学生には、心や感情に対しての語彙が全く・・と言って良い程、無いので、言葉の説明だけで終わってしまう・・と言うのは、今に限ったお話ではなくって、この40年間、何一つ改善はされていません。
・・と言うか、益々、酷くなる一方です。
この所、毎日のように、自分が社会に受け入れられないので、周りの人を巻き込んで、troubleを起こす若者達が増えているのを、危惧していたら、等々、60代、70代の人達まで、同じような事をやっている人達がnewsで報道されていて、ビックリしてしまいました。
70歳を過ぎても、未だ、母親離れ出来ない老人が居る事に超、驚いてしまいました。
以前も60歳を過ぎて、引き籠もったままの男性のお話をテレビのdocument番組で見て、驚いてしまったのだけど??
マジ・・・??
まあ、浮世のお話はさておいて、私の日常生活のrotationのお話なのだけど、その深夜、起きたままでの昼夜逆転の生活の原因は鬱の摂眠障害と言ったような、そう言った心的外因よりも、普段、昼夜逆転の生活をしているのは、逆にその方が、日常的に有利なのだ・・というrotationの問題に原因があります。
昼夜逆転を防ぐには、私が、日常の生活を、一般人達と同じように、朝、早く起きて、夜は早く眠る生活をすれば良い・・という私の意思決定や生活習慣だけの問題のように、思われガチなのかも知れませんが、現実の生活では、殆ど毎日が、先生達が千葉から帰って来てからの夜の食事とドルプリっ歩は、先生達が早く椎名町に辿り着いたとして、9時半に椎名町に到着しても、食事の開始が夜の10時からで、お散歩が終わるのは、cinderella-time直前になるので、自宅の江古田ハイツのお部屋に戻って来るのは、12時を過ぎてからになります。
また、千葉でのlessonの時間は、遅い時間迄の時もあるので、食事が11時を過ぎる事も、一週間の間には、2,3日はあるのですよ。
夜の食事の絶対時間は、基本的に9時半から11時迄の間なのです。つまり、一般の人達が7時から8時の夕食だとすると、それよりも、2時間以上も遅い時間に食事を取る事になるのです。
という事で、昼夜逆転の生活の方が、私の体力的には有利なのですよ。
日曜日だけ、正常な時間にするのは、体調的に、かなり負担があります。
・・だから、日曜日だけが昼夜逆転の生活の中での、neckなのです。ハイ!
と言う事で、今日も夕方の6時過ぎにlecture-lessonを済ませたら、異様にバテてしまって、web-lessonの後片付けもしないままに、bedに直行してしまいました。
爆睡してしまい、先生達からの、lineが相当件数あったようなのですが、全く気が付かないままに熟睡してしまいました。
室内楽のlessonが終わってから、6時を過ぎた辺りから、bedに入ったハズなのですが、cinderella-timeの直前に目が覚めました。
今日は牧野先生が先に帰って食事の用意をしているので、日曜日も、定刻の夜の9時過ぎには夕食が出来るのですが、全く気づきませんでした。
食事をすっぽかしてしまったようだけど、まあ、バテてしまったのだから、しゃあないかな??
というお話で、bedで目が覚めた深夜の12時なのですが、今夜の12時頃の練馬区の気温なのだけど、なんと、昨晩に引き続いて、今夜も-2℃で、体感-4℃だそうです❢
いや~ぁ、シバれるよな〜ぁぁ?
Serviceで何か写真でも入れたい所なのだけど、一日中引き籠もったままなので、何の写真も無いよな~ぁ??
2月8日 ·余計なお世話のMicrosoft Edge
昨晩から昼夜逆転の普段の生活に戻った・・と思ったら、その後、全く眠れなくなってしまいました。
24時間どころではなく、二日目に突入してしまったようです。
勿論、昨晩から何度も、入眠を試みて、何度もbedに入ったのだけど、まんじりとも出来ないで、ウダウダと、その日を送っているのですよ。困ったものだ❢❢
作業をしていたら、パソコンが重たくなって、遅くなって来たので、パソコンのrefreshをしたら、windows上の色々なiconが立ち上がらなくなってしまった。
作業中のYou TubeやFacebook等やMicrosoft Edge等も全く立ち上がらなくなってしまった。
You TubeやFacebook等は、もう一度loginをし直したら、治ったのだけど、それを閉じて、もう一度立ち上げようとすると、もう立ち上がらない。
Microsoft Edge等も全く無反応だ。
Internetの解説を参考にして、設定から、Microsoft Edgeの修復をしようと思ったのだが、指示されている削除や修復や変更の画面が出て来ないのだよな~ぁ??
仕方がないので、controlpanelから、Microsoft Edgeを削除しようとしたら、削除でなく、修復が立ち上がった。
なんじゃろね~ぇ??
Microsoft Edgeの自動修復が終わったら、なんと、You TubeやFacebook、その他のiconが正常に戻った。
なんだ???
iconの不具合の元凶はMicrosoft Edgeだったのか??
仮眠をして、朝の5時半ぐらいに起き出して、昨晩からuploadして来た2008年の4月の20日の発表会のvideoにindexを付ける作業をしたのだが、You Tubeがfreezeしてしまって、何度、試みても、indexが書き込めないのだ。
試しに、Facebookや、他のInternetを開いて見たのだが、やはり、netの具合が悪い。
兎に角、遅くて、直ぐにfreezeしてしまうのだよ。
モデムの問題か、それとも、元々のnetの環境の問題か・・なのだろうけれど、その判断が難しい。暫く、時間を開けて、netが治っていれば、net環境の問題なのだが、そこまで仕事が出来ないのだよ。それは、マズい❢❢
6時半を過ぎて、諦め切れずに、再challengeをしたら、なんと、サクサクと普通に入力出来たのだよ。やっぱ、net環境の問題だったのだよな??
腹立つけれど、まあ、出来たのだから、良しとするか??


3月5日『癌と免疫力のお話の続きですが•••』 ·
あまりのラーメンの不味さに、『こんなに不味かったら、実名を出すぞ❢」とか、ブツブツ文句を言っていたら、次の日に、牧野先生が「Revengeして見たら・・?」とレトルトの生麺のラーメンを買って来てくれたので、挑戦してみた。(写真)
流石に、昨夜のウーバーイーツ(出前)のラーメンよりは、麺も味もマシではあったのだが、不味い事には変わりは無い。
ラーメンは、お店に行って食べなければ、満足な味にはならないのだ・・という事が改めて分かったのだが、それにしても、江古田の街はラーメン店の激戦区で、狭い江古田の駅周辺には数多くの有名ラーメン店が集結していて、それぞれのお店が鎬を削っているので、私達も、極々たまにではあるのだが、色々なお店の味を味見挑戦で、試して見るのだが、せいぜいの所、普通ぐらいで、やっぱり美味しいとは言い難いのだよな~ぁ??
昔は、江古田の街にも、私のお気に入りの、5、6人も座れば満座になってしまうような小さなラーメン屋さんがあって、先生達を引き連れて、良く食べに行っていたのだが、土地計画でお店が削除されてしまって、再建も引っ越しもしないままに、やめてしまった。
5月の柏餅の季節になると毎日、100個近くも買いに行っていた私のお気に入りの和菓子屋さんも、そのお店が入っているビルの「大家業」だけにして、和菓子を作るのをやめてしまったし、超、素朴なLiqueur-BonBonのケーキ屋さんもやめてしまったので、昔ながらの美味しいお店が江古田の街から片っ端から無くなってしまったのだよな~ぁ??
それに、江古田からは少し遠いのだが、本郷にとても美味しい超老舗のヨーカン屋さんがあって、時折、わざわざと買いに行ったり、お店の直ぐ傍の生徒に買って来て貰ったりしたのだが、その店もサッサとお店を畳んでしまった。
日本国中の老舗の美味しいお店が、訪ねて行く度に、店が無くなっているのだよ。
何百年も続いて来たお店が、このたった僅か20年か30年ぐらいの間に店を畳んでいるのだよ。
何故、「この2、30年か・・?」というと、つまり、computerの発達で、大規模量産店が台頭して来て、人間の感覚が画一化されて来たからなのだよ。
つまり、「美味しい」と思う基準が「コンビニ」の味に、変わって来たのだよ。
しかし、誰もが「美味しい」と思える味は、普通の味であって、けして本当に美味しい味ではないのだよ。行列のできるお店に並んで食べて、それが美味しいと感じた事は一度も無いし、江古田にも行列の出来るラーメン店があって凄い人気だったのだが、近所からの苦情で、ほんの20㍍ぐらい引っ込んだ広いお店に引っ越した途端に、閑古鳥の鳴く閑散としたお店になってしまったのだよな。不思議に思って、食べに行って見たのだが、味に関しては、何も変わってはいなかったのだよな〜ぁ?
ぎゅうぎゅう詰めの狭っ苦しい汚いお店から、普通の小綺麗なお店に変わっただけなのだけどねぇ? お店の評判なんて、そんなもんなんだよね〜ぇ??
音楽に当て嵌めれば、concoolが然りなのだよ。proとして、音楽の社会で評価を受けるには、その演奏家が、その人自身であるというIdentityが必要なのだが、concoolでは、その人自身が個性を出すと、評価は半分以下になってしまうからだ。個性の評価は普遍性を持たないからなのだよ。
だから、concoolの入賞歴を誇って自慢している人をよく見受けるのだが、それは自分自身が没個性的で、つまらない演奏家である事を誇っているのだから、笑えるのだよ。
まあ、Brand嗜好も同じ事なのだが、こんな当たり前の事をクドクドと言っても、詮無い事だよな?
本当に美味しいお店は、客を選ぶのだよ。味の分かる人を•••ねぇ?
音楽でも、料理でも、絵画でも、小説や詩でも、或る程度、勉強や人生経験をして、学ばないと理解が出来ないのが芸術なのだが、現代の若者達には、そんな時間の掛かるものはかったるいのだよ。
今の若者達の評価の基準は、直感的で感覚的で刺激の強いものだけが、評価の基準となるのだよな??
だから、若者達の演奏は、音楽というよりは、Performanceと言った方が当っているのだよ。
とは言っても、その若者達の誤りの根本的な原因を作っているのは、それを指導する権威者達で、「職人は経験と感と根性と涙で学ぶものだ❢」とかほざいているのだよ。音楽の歴史やrootsに基づいた理論で、科学的に演奏法を学ぼうとはしないのだ。「そういった事は評論家に任せれば良くて、音楽のproは技術のみ達成出来れば良い❢」という100年以上も昔の音楽事始めの思考が未だにacademismの根底に残っているのだよ。
だから、日本人の音楽は虎の皮を着た、空虚な心の感動の無い音になっているのだよ。performance的な綺羅びやかさがあったとしても、心の中の感動を産み出す事は無いのだ。
まあ、実に、つまらない世の中になったものだよな?
老人の愚痴になってしまったよな〜ぁ??
んだ❢んだ❢

3月6日『癌と免疫力のお話の更に続きなのですが•••』 ·
今度は、これまでも、何度となく繰り返し、お話しして来た事なのですが、肥満と免疫力のお話しです。
私は若い頃(33歳頃まで)は痩せ型のタイプでした。
10代の頃は、その日に体重が増加しても、次の日には元に戻っていました。
20代の頃は、体重が増加しても、チョッと気を付けて食事や運動をcontrolすれば、直ぐに元の体重に戻す事が出来ました。
30代からは、何をどの様に努力しても、体重を元に戻す事が出来なくなってしまいました。つまり、免疫力が衰えて来たのですよ。生存に必要な基礎体力が衰えて、食事がEnergieに変わらなくなって来たのです。
食事や日常生活が何か変わって来た分けでもないままに、少しづつ体重が増加して来たのですよ。
その頃は、まだ食事制限だけではなく、運動もして、なんとか体重の増加を食い止めようとしたり、高額なサプリメントやプロテイン等も購入して、肥満対策を頑張ってみたのです。
勿論、diet関係の仕事をしている人のadviceや、専門の病院からの指導も受けて、頑張った事もあるのですよ。
私が「自己流のdietに凝り固まって、人の意見を聞かない」と思っている人は、私がdietの専門家達のadviceに従って、色々な努力をして来た・・という、過去の努力を何も知らない人達で、私が「そういった努力をした事が無い、自己中の人間だ❢」と思い込んでいる人達なのですよ❢
私は一般の人達が口にするdietは、殆どやってみたのです。
勿論、短期間ではなくて、一年、二年のspanでね?
病院に行くと、殆どの病院の先生達は、「食べなきゃあ、痩せる」という考え方で、私が「食事制限が出来ない、自己管理能力がない人間である」と判断して、ひと月分の食事をmemo帳に書き出しても、「食事時間以外に、memo帳に書いていない間食をしている」としか思わないのですよ。
幾ら説明しても分かって貰えないので、ついに諦めてて、口に入れたものを全て写真に撮って、printoutして提出しました。
ああ、勿論、口に入れる前に•••ですよ❢
先生達の答えは、「これだけ、ちゃんと気を付けていれば、半年後には、ちゃんと痩せますよ」という事でした。
それでも痩せないから、病院に来ているのにね〜ぇ??
人様の事は分からないのだよね~ぇ??
私なりに、色々と調べてみて、当時はまだ医者達もあまり知らない肥満のMechanismを見つけました。
それは飢餓細胞の存在です。
食事の量でdietをすると、人間は生きて行くのに必要な基礎の最低のEnergieを、少なくするというMechanismです。
成人男性に必要な基本のカロリーは1,400㌔カロリーとされています。だから、dietの時には、1、300㌔カロリーにします。
そうすると、人間本来の基礎的なEnergieを体が1,200㌔カロリーに抑えてしまいます。
だから、次に食べる量を1100㌔カロリーに抑えると、基礎のEnergieを1000㌔カロリーに抑えるという堂々巡りに至ります。
しかし、この堂々巡りは無制限に出来る分けではありません。
つまり、人間が生存に必要なカロリーは決まっているからなのです。
食事制限が、800㌔カロリー以下になると、人間は死んでしまいます。
所謂、餓死です。
でも、飽食の時代の餓死は、寧ろ、偏食に因って、特定の栄養素が補充されない事によって、起こります。
有名な評論家が間違えた食事のControlに拠って、死んでしまったのは有名な事実です。特定の食べ物が嫌いで、贅沢に食べていた有名大学生が、栄養失調で死んでしまったのも、結構知られているお話です。
ましてや、サプリだけで、dietをしようとするのは、余りにも、馬鹿げています。人間に必要な栄養素は微少物質である場合が多いからです。
色々な食材をbalance良く取る事が健康の秘訣である事には変わりありません。極端なエシカル・ヴィーガンは成長期の子供達には健全な成長を阻害してしまう事になってしまいます。
人類が生物の淘汰に生き残って、生物の中で頂点に君臨出来たのは、人間のどのような食べ物であっても、食べるという雑食の力なのです。食べ物の嗜好が狭ければ狭い程、生き残る可能性は少なくなってしまいます。多産と雑食が人類が生物の中で頂点に君臨出来た理由です。
dietが逆に肥満を産み出してしまうのは、人間本来の行動生活に必要なEnergieの量を抑えて、飢餓状態を乗り越えようとする、歴史的から学んだ人類の飢餓対策の能力なのです。
人類の歴史は、常に飢餓との戦いでした。
人間が飽食にはなったのは、近現代からな話しです。
しかし、globalstandardな基準で言うと、「世界が飽食の時代になった」という事は、まだ言えないのですよ。
先進国以外の多くの国では、未だ貧困で死ぬ人達が数多く見受けられるからなのです。ですから、世界基準では、人類が飽食になった・・とは言えないのです。
世界中という単位では、まだ貧困や餓えに苦しむ国が沢山あるのですからね??
だから人間には、飢餓に備えた遺伝子はあっても、肥満に備えた遺伝子は無いのです。
人類の歴史としては、それが当たり前なのですよ。
それに遺伝子の単位で人間の事を考えると、人間が人類として遺伝子上の生物学単位で認められるのは、生殖能力の有る年齢だけなのです。
それ以降は、神から与えられた余りの人生なのですよ。
人間が生殖が出来るという意味は、単に生殖が出来るという事ではなく、生物やVirusとの淘汰の戦争に生き残れる元気で優秀な遺伝子を残せる体力のある年齢だけの限定なのです。
その年齢を過ぎると、生物学上では、余生になってしまうのです。
「例えば」、なのですが、江戸の時代では人生僅か50年という事で、女性はハタチでトシマで、25では大年増、30では、お婆様だったのですよ。
つまり、女性の出産年齢は15歳から20歳まで、だったのです。(少し、短過ぎるので、13歳から20歳までという人もいますが、13歳では体が未だ未成熟なので、お産は命懸けになったと思います。)いずれにしても、当時の女性では20歳を超すと、老齢出産になって、命懸けの出産になってしまうのですよ。
昔は衛生状態や栄養状態が悪く、子供が産まれても生き残れる子供は稀だったのです。だから最大の財産である子供をその昔から「産めよ❢増やせよ❢❢」だったのですよ。(別に、戦争中でなくてもね??)
大Bachは又従姉妹のマリア・バルバラと7人の子供をつくります。しかし、その内で生き延びたのは、4人だけです。もっとも、その長男はWilhelm Friedemann Bachで、次男はC.P.E.Bachという当代随一の作曲家達ですがね。
Bachが35歳の時に、マリア・バルバラは突然死んでしまいます。
子育てに窮したBachは、当時、訪れていたケーテンの宮廷で、非常に優れたソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケに思いを寄せます。
しかし、マグダレーナはバッハよりも16歳も年下で、未だ20歳のお嬢さんでした。この「年の差婚」にも関わらず、円満な結婚生活を続けて、マグダレーナは13人の子供を産みます。勿論、しかしながら、その内で生き延びた子供は6人だけだったのです。
(しかし、Bachの死後のマグダレーナの生活を面倒を見た子供はいませんでした。Bachの残した財産も子供達が全部持ち逃げしたのですよ。Beethovenはそういったマグダレーナとその女の子のために、慈善コンサートで募金活動をしています。)
またまた、脱線事故を起こしてしまいました。
Bachの研究論文ではないので、本題に戻ります。
日本に限らず、世界的にも、昔は50歳まで生きれる人は稀だったのです。それが「人生僅か50年」の意味です。
私が小学生の頃でも、50歳、60歳では、もう、立派な老人だったのですよ。
当時、100歳の人は、日本国中に1人か2人だったのです。
それが今では、70歳、80様でも、若々しい人がいて、昔の15歳くらいの女性が、今では30歳を過ぎた頃の年齢に相当します。
私の小学校時代の60歳のお婆ちゃんは、今では90歳くらいなのかな??
それでも尚且、今の90歳の方が、昔の60歳よりも溌剌としていますよ。
今は高齢化社会で、労働人口の減少の問題が起きていますが、この問題も後、20年ぐらいしたら、解決出来ます。
老化は兎も角としても、病気をしない若々しいままの健康な体をkeepする事は、出来るようになるらしいです。
それが現実化すると、今の医療費の問題や就労人口、それに介護等々の問題が全て解決出来るので、国の財政が一気に解決します。
Mouseでは、もう成功しているらしいので・・・ね?
(・・・Mouseとは言ってもパソコンのMouseではないよ❢本当のMouseだよ。)
あれれのれ~??
肥満と老化のお話だけで、チョットも免疫力のお話に進んでいないよね??
昔の男性は生殖能力は25歳ぐらいが男性としての頂点だったのだけど、今は30歳を過ぎるぐらいまで、伸びています。と言う事で、実際の老化は(勿論、産まれた時から老化は始まるのだけど、・・そんな屁理屈はさておいて・・)内蔵の機能が衰えて来る時から始まるのです。
勿論、その時期は人に拠るのですが、私の場合には、それを高校生の時のlifeworkの設定の時に、33歳と決めていました。
だから、33歳までに、音楽家として生活が出来なければ、キッパリと音楽を諦めて、正道に戻ると決めて音楽の道を邁進したのです。
偶然なのですが、その33歳が私の場合の肥満の始めの年です。
33歳、肥満元年から、その倍の歳となる66歳では、体重の増加も倍の110㌔を越してしまいました。
勿論、何度とないdietとreboundを繰り返しながら・・なのですがね??
免疫力のSupplementが向上して、内蔵を若々しく元気に出来るようになると、私のような内蔵型の肥満は解消されます。
若々しい内臓は同時にエコ型の内蔵だから食事の量も少なくて済みます。
老人型の内蔵は、幾ら食べてもEnergieに変わらないで脂肪として肉の隙間に蓄えられるので、疲れれば疲れる程、肥って行くのですよ。
食事の量を減らすのは簡単です。
体調不良で、食欲が無い時に、その時に食べた食事の量を、元気になってもkeepすれば良いだけだからです。
食べている時に、充分と思えた所(所謂、腹八分)で食べるのをやめれば良いのです。「小腹分が足りないかな??」と思えるような量の所です。
飢餓細胞が目を覚まさないギリギリの塩梅なのですが、その量を決めるのが、結構難しい。量を少なく設定して、飢餓細胞が起きてしまったら、それは悲惨です。飢餓細胞が必死に身を守ろうとして、食べ物を要求して来るからです。
夜に「小腹が空いたから」と言って、夜食にラーメンやおにぎりを食べるのは最悪です。
成長期の子供達ならば、いざ知らず、免疫力の衰えている老人には、致命的になります。
また、「何かを食べるのはdietにはならない。」と、厳しく制限すると、精神的にreboundを招いてしまい、よろしくはありません。
小腹分ではなく、「口汚し」をすると良いのです。
ほんの一口の和菓子や、油分の少ないオカキのような食べ物です。勿論、炭水化物は極力避けます。
甘い物は少量でも口に味が残るのでdietには良い食べ物です。
今は私はナッツ類を口汚しにしています。
そういった努力をしても、dietが成功する事はありません。
基礎体力を上げるのがコツなのですが、基礎体力は筋力なので、筋力は運動によってしか増加しません。
私の場合には、基礎疾患があるので、運動は禁止されているからです。もし、そこに免疫力を元に戻す事が出来るようになれば、運動能力も自然に戻って来るし、基礎疾患の問題も自動的に解決します。
夢のSupplementなのですが、私の手元に来るのは何時の事になるのだろうか??

3月7日2月19日のDELLの大型パソコンの修理の続きである。 ·
F2の連打でBiosからwindowsの正常な状態に復帰したかに思われた大型のパソコンなのだが、2、3日後にnetをしていたら、またまた突然Blackoutして、警告音がピーピーと鳴り出してしまった。
やはり、根本的には直ってはぃなかったのだよな〜ぁ??
「この故障は私の手に余る」という事なのだが、Makerから修理を断られて、別のmakerのhard-Diskでcustomizeの修理をしたパソコンなので、修理の依頼は、たまに私がremoteで修理を依頼している業者に頼む事にした。

本体から外付けのhard-diskの接続やACアダプターを全部外して、パソコンのrackから降ろす所まで、取り敢えず私一人でやって、斎藤先生に段ボールを持って来て貰うように頼んだ。
この作業は私にしか出来ないから、体力的に無理をしてでも、私一人でやる他はないのだよ。
次の日は斎藤先生に椎名町から段ボールを持って来て貰って、段ボールをカッターで切って、パソコンを入れる箱を作る作業を手伝って貰って貰った。
パソコンのクッションのためにプチプチで包んて段ボールの箱に入れて、玄関に出して、それからパソコンで、黒猫のsiteを開いて、集荷の予約をした。
集荷を依頼するのは初めてなのだが、手続きは意外と簡単であった。mainのパソコンで黒猫のsiteを開いて、問われた事を書き込んで、終わった。
明日の2時から4時の間に集荷に来る予定なのだ。
それはそうと、夕方のいつもの時間からweb-lessonが入ったのだが、パソコンを取り外す時に、cableを弄ったので、mainのパソコンのKeyboardが反応しなくなった。無線のUSBを抜き差しし直して入れ直したら、ちゃんと音が出て生きているのだが、それでもKeyboardが反応しない。MouseはUSBで接続しているから問題は無いのだが、Keyboardが反応しないのだよ。
control-panelを開いて、Keyboardの設定を見たのだが、troubleの表示はなかった。
こういった分けの分からない故障が一番困るのだよな。
色々と弄っている内に、突然直った❢❢理解不能だ❢❢
パソコンのcableを色々と弄った事で、hard-diskの何台かが認識されなくなってしまったのだが、接続不良なだけなので、ACやUSBの接続をcheckすれば良いだけなのだが、配線がぐちゃぐちゃで、どれがどのhard-diskなのかが、分からないのだよ❢❢
「あれでもない、これでもない❢」で、小1時間以上も掛かってしまった。
なんとか、全部のhard-diskが稼働出来るようになったのは、web-lessonの直前ギリギリだったのだよ。
まあ、本当は、hard-diskはnetには関係ないので、web-lessonには問題はなかったので、急いでcheckをする必要はなかったのだけど、パソコンが正常な状態で無いままに、パソコンを使い続けるのは、気持ちの良いものではないから・・という、情緒的な理由なのだけどね~ぇ??

3月7日昨晩は寒の戻りで ·
昨晩というか・・、今朝というか・・、toilet-timeで目が覚めたのだが、窓の外が明るかったので、Blindを開けて見たら、なんと、朝焼けであった。
時計を見てみると、まだ朝は5時50分である。
日の出には流石に時間がまだあるようなのだが、それにしても、6時前に明るくなるとは、随分と朝が早くから明けるようになって来たのだよな〜ぁ??
チョッと前までは、7時近くまで、暗かったのだがね??
昨夜は、「寒の戻り」とでも言うのか、超、寒かったのだが、確実に春が来ているのだよな~ぁ??
toilette-timeで目が覚めた時には、珍しく胃がキリキリと刺すように痛かった。
胃全体が腫れているような気がするのだが、身に覚えはないのだがね〜ぇ??
歳を取ると、まあ、色々とあるのだよな~ぁ??
それにしても、今日は目が痒いのだ。
もう10年近くも前の事になるのだが、目が痒くて、行きつけの眼科に行って、「目貰いでは無いのかな??」と言ったら、お婆ちゃん医者が慌てて、「裏から入りなさい❢」と怒られてしまって、勝手口から入らされた。検査を受けて、「涙の成分が濃過ぎるので、被れているのだよ❢❢」という事で、「目薬で成分を薄めれば良い」と言う事で、勝手口から帰ろうとしたら、「ちゃんと玄関から帰りなさい❢」とまた、怒られてしまった。
今は、代替わりして若い男の先生になっていて、病院もrenewalされてとても綺麗な病院になっているのだが、勝手口は何処にあるのだろうか??
接触伝染の対策は眼科は結構神経質なのかな?
今では「風邪かも知れない?」と言うと、医者に診て貰う事も難しいようなのだが??
目が痒くなるのは、体質的なものらしいので、その後も、時折、目が痒くなる時があるので、病院の薬ではなくて、市販の水代わりに使用出来る無刺激でvitamin補給の安い目薬を買い込んでいて、痒くなったら、涙を洗い流すようにしている。涙を洗い流せば、直ぐに痒みは取れるのでね??(目が疲れた時には、別の目薬を使うのだけどね??)
無駄話し次いでに、勘違い(思い違い)を一つ
経理用語、会計用語でよく使う『レジメ』と言う言葉なのだが、「れ閉め」という日本語だと思っていたのだけど、なんと、France語の「résumé」という単語だったのだよな??
まあ、それだけの話なのだが、てっきり日本語と思って使っていたので・・・アハッ!

3月9日ウダウダと丸々一日中 ·
今は3月の9日の深夜の1時過ぎ(テレビ局的に言うと、8日の25時過ぎ)です。
今日(8日)は久し振りに、朝からウダウダとして、日がな一日、惰眠を貪ってしまいました。
ここの所は体調不良でも、toilette-timeで目が覚めたら、ほんの少しでも仕事をしたのですがね〜ぇ?
それにしても、今日は一日中寝込むほどの、理由は全く見当たりません。
この所、少し気分が滅入って弱鬱状態なのですが、それも何時もの事なので、今日改めての気分ではありません。
今日は突然、理由も無しに起きれなくなってしまって、toiletteに行っても、その後で、パソコンの椅子に座るのではなくて、bedにdirectで戻ってしまったのですよ。
一日中、bedの中で寝込んでしまって、お腹をすかせた時だけ、起き出したので、良心の呵責に苛まれてしまったのです。
勿論、何度と無く、仕事をしようと、パソコンの椅子に座ってみたのですが、パソコンを立ち上げても画面を唯見つめるだけで、思考が停止したままなのです。
その内に、気がついたら、時間が飛んでいるので、諦めてbedに戻る・・という事を繰り返してしまいました。
・・・と言う事で、今日は、まるまる一日中、何もしないままの、無駄な意味の無い一日を過ごしてしまいました。
と言う事で、自責の念に苛まれる・・という事なのです。

3月10日パソコンが修理から帰って来た ·
3月10日の深夜の3時頃なのだが、やっと、鬱が治って来たと思ったら、またまた、鬱がやって来た。
鬱とは言っても、体調的な鬱ではなくて、ちゃんと、鬱になる理由がある鬱なのだよ❢❢
マジ、幾つ目の鬱なのだよ❢❢
ヨクヨク、そんなにtroubleがあるもんだ??
しかし、まあ、幾らtroubleがあったとしても、自分がその場で対応出来れば、鬱になったとしても、軽く済むし、短期間で逃げる事が出来るのだけど、コロナ(omicron)の所為で、自分がそこに出て対応する事が出来ないので、色々と対応、対処が出来ないので、鬱が酷くなってしまうのです。
そこは、歯がゆい所なのですが、こればっかしは、私個人として出来る事が出来無いので、致し方はありません。
只々諦めて部屋に閉じ籠もっているしかないので・・・
もうすぐ、お昼です。
今日はパソコンが修理から帰って来ました。
未だ、玄関に置いたままなのです。
段ボールからパソコン本体を出して、rackに戻して配線を戻すと言う単純作業をしなければならないのですが、体がシンドくて動かないのです。
鬱で精神状態も良くないので、無理をしないで、先生にhelpを頼む事にして、lineをしておきました。
夕方になってhelpを頼んでいた斉藤先生が来てくれて、段ボールからパソコンを出して、rackに戻す作業を手伝って貰いました。
それ以降の配線を戻す作業とか、ぶっ飛んでしまったパソコン同士の共有設定やセキュリティーを戻す設定の作業は一人でしか出来ない作業なので、鬱の対策にのんびりと気楽に終わらせました。
それに、何か、忙しく対応していれば、人生が思い通りに行かないという鬱からは逃げられるのでね??
このパソコンは、本格的に故障をする前の、customizeして作った時の状態から、非常に不安定でパソコンの作業をしていても、何時freezeするのか、怖かったのですが、その原因をちゃんと直して貰ったので、非常に安定してサクサクと動く普通のパソコンの状態になって戻って来たので、頗る満足です。
subパソコンなので、殆ど、softが入っていない空っぽのパソコンなのですが、fileやsoftに関しては、subパソコンにsoftを色々とinstallするのではなくて、mainのパソコンと共有して使用します。
3台の大型のパソコンを1台のパソコンにするための、共有設定です。
先ずはmainパソコンから4台のprinterを共有して、次に外付けのmemory用のhard-diskを5台共有設定しました。これで、mainのパソコンが動画の処理のためにbusyになった時には、subのパソコンで仕事が出来るようになりました。アハッ!
・・という風に、subとは言っても、高速のssi搭載のsubパソコンで、mainのパソコンのsupportとして使用するためのパソコンです。
但し、monitorはテレビなので、subのパソコンを使用している時には、テレビを見る事が出来ません。
「テレビを見ながら・・」の、「ながら族」の私なので、仕事をする時の私としては、それが問題かな??
独り暮らしでは、テレビがついていないと音が無くなってしまいます。
結構、寂しい気持ちになってしまうのですよ??
大丈夫ですか,心配しています。お大事にしてくださいね,
有難うございます。まな板の上の鯉状態なのですが・・頑張って来ます。
芦塚 陽二 さん自分も二人で病院行ってなんとか頑張つてまーす♪〜

3月13日 オケ練習と入院の日がダブったので・・
今日も・・と言うか、もう昨日の事なのだけど・・、またまた、朝起きてから、頑張って仕事modeに入ろうと思ったのだけど、直ぐにまた意識朦朧として、bedに戻って寝てしまいました。
起きては寝、起きては寝を、日々、一日中、繰り返してしまいました。
それでも夜には頑張って、ドルっ歩をfull-course、歩いて、それからハイツに戻って来ました。
勿論、ハイツ着は12時のcinderella-timeを過ぎていました。
それから後は、なんとなく寝そびれてしまって、You Tubeにuploadしている教室の演奏のcomment欄で、未だ何も書いていない空白になっている曲に、commentを書いてお茶を濁しました。
これまでは、commentはその曲のdataが主流だったのですが、そういった論文系だけではなく、少し楽しいお話しも書き加えておきました。
何と朝の6時を過ぎるまで、鬱々コンサートをしながら、書いて遊んでしまいました。
今日のお昼からのweb−lessonが心配だよな〜ぁ?
ちゃんと起きて、lecture出来るかな〜ぁ??
今はお昼前の11時直前なのですが、toilette-timeで目が覚めてしまいました。
lesson開始時間まで、後、小一時間もありませんが、起き出すのは、チョッと辛いのだよな〜ぁ??
布団に潜り込んで、ウダウダとしている所なのです。
目覚ましは11時半にsetしていたのだけど、11時直前には目が覚めてしまった。toiletteに起き出したのだが、やはり、後30分でも、眠れなかったとしても横になりたいと言う事で、bedに戻ってしまった。
眠れないままに、夢を見ていた。
前半2見た夢と、後半に見た夢に分かれていて、前半の夢は混雑をした見知らぬ駅の構内で列車にノートパソコンの入った袋とruckを忘れた事に気付いて遺失物係の所へ駆け付けている夢なのだ。この時には、直ぐに見つかって事なきを得たのだが、また直ぐに列車の中に同じruckとノートパソコンを忘れてしまうのだが、気が付くと、その列車がちょうど出発する所なのだ。notePCが手元に無い事への不安感なのだろうが、よくよく考えると、俺のノートパソコンは斎藤先生に昨日貸したばかりなのだよな〜ぁ?
Finaleの簡易version版であるmusic-printが入っているのは、唯一、俺のノートパソコンだけだからだ。
普段はノートパソコンは全く使わないのだが、無ければ無いで、不安なのかも知れない。
それから見た夢は、普段も良く見る借家の夢で、いつもの、とんでもない間取りの借家の夢だ。
本当に借家のだがをよく見るのだが、自分が望んで借りている家は少なく、何かしら不満を抱えているのにも拘らずに已む無く借りて住んでいるからなのだろうか?
奇妙キテレツで不安感を煽るような夢を見るのは、普通の真当な家ではなくて、いつも妙ちくりんな借家に住んでいるのが、私の借家に対してのtraumaから来るのらしい。
出入り口が見当たらないtoiletがない・・変な家に住んでいて、人を招き入れるのに四苦八苦しているのだよ。
「どうすんべ~ぇ??」と色々と悩んでいる所で、aramが鳴って目が覚めた。
web-lessonに備えて、disctopの前の机に置くKeyboardの準備をしなければならないのだが、体が硬直して動かない。
time-outになってしまったのだが、新教室の方から、「ArenskyのPianotrioの練習が終わらないから、lessonを少し待ってくれ!」と言うlineが入った。
願ったり叶ったり・・だ。
少しゆっくりと準備が出来る。
紅茶を飲みながら、準備をする事にした。
発表会まで、後3週間なのだが、発表会直前の、一週間前の日曜日のオケ練習は、私は手術で病院に入院するために、web-lessonが 出来ないので、今日と来週の日曜日だけが私がcheck出来る練習となるのだ。
オケ練習と入院日がダブったので、先生達のassist無しに、俺一人でruckを背負って入院する予定なのだ。
川崎の病院は普段は車で通っているのだが、一週間弱の予定なので、my-carでは行けないので、電車を乗り継いで・・の病院行きである。
乗り換えも大変だし、時間も結構掛かるので、「大儀よ・の~う❢」なのだよな??
今日は、オケ練習とman-to-manのlessonがあって、8時過ぎまでのlong-runのlessonだったのだが、生徒達の曲の仕上がりが大分出来て来たので、普段のようには、それほどは疲れなかった。
前回の轍を踏まないように、今日は、発表会当日に私が、指揮が出来ない場合を想定して、concertmasterのeinsatzで演奏を始める練習もした。
昔のorchestraの演奏では、積極的にleaderとなる子供達に指揮をさせていたのだが、曲が難しくなって来たり、オケの出演者の生徒が足りなくなって来たので、何時の頃からか、生徒に指揮をさせるのをやめてしまっていたので、「弾き振り」だとしても困ってしまうのだよな??

3月13日『老人のまどろみ=Faust』 ·
老人は一人微睡みの中で夢を見ている。
彼が夢見て聴いているのは、世界統一を果した彼自身への、世界中の民衆が褒め讃える歓喜の声である。
彼に従わざる者達へは厳しく残酷な刑罰を与え、ひれ伏し従う者達へは持てるものを全て与えた。
そして彼は独りになった。
しかし、彼はこう思うのだよ。
この孤独は、神の孤独なのだ、と•••
そして彼は、たった今、自分こそが世界の覇者である事に幸せを感じているのだよ❢
世界中の恐怖に泣き叫ぶ声は彼の耳には届かない。
何故ならば、彼は微睡んでいるからなのだよ?
現実の世界は彼のうつつの中にあるからなのだよ。
おお、神よ❢
何故、世界中の無辜の民の悲痛な泣き叫ぶ声を聴こうとなされないのですか?
神様はもう死んだのですか?
世界はたった一人の狂人の手に委ねられ、振り回されているのだ。
人類の歴史上で数限りなく繰り返されて来た蛮行が、またも繰り返されている事を神は知らない。
否、神はもう死んでいるのだよ、大いなる微睡みの中で・・・

3月15日Henri Casadesusの『Johann Christian BachのCello-Concerto c mollに関するお話』 ·
「versionについて」
ViolaのConcertoのrepertoryとしては、J・C・Bachのc mollのConcertoが有名なのですが、それはHenri Casadesusが、Viola用にarrangementをした版です。
・・と言うか、J・C・BachのCello-Concertoのorchestrationの何処をどう変更したのか分からないのだけど、それでも「Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach」というTitleで演奏している人達が多いのだけど、まるでHennry PurcellのBenjamin Britten版のように、originalの譜面をperiod的な演奏法を書いただけで、Britten版として出版しているのと同じように戴けないのだよな??作曲者に対しての尊厳は無いのかね~ぇ??
「耳パク」で聴く限りでは、何処をどう変更したのかは、分からないのだけど、それでも「Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach」という名前が可能なのかね~ぇ??それって、Britten版と同じように、剽窃では無いのかね~ぇ??
もし、私だったら、「transpose」か「校訂版」としか言わないのだけどね??
私がarrangeをした、PachelbelのChaconneや、TelemannのAriaのように、原曲とは全く違ったimageでarrangeをしてしまった場合には、私でもPachelbel=芦塚陽二とDouble-nameを使用するのだけど、それ以外は全部transposeにしているよ。(正確には校訂だけどね??)それは作曲者に対しての、尊敬の念を込めて・・なのだよ。
・・と言う事で、J・C・Bachの名誉回復のためにも、Casadesus版という名前を絶対的に使いたく無いので、今回は、J・C・Bachのoriginalの版であるCello-Concertoのorchestraの楽譜をそのまま使用して、Celloのsoloのpartだけをそのまま、Violaに変更して演奏をします。
Violaだけを、Casadesus版から使用するのではなくて、唯、単に、Celloのsoloの楽譜をoctave上げて演奏しただけ・・という事です。
CelloとViolaは単にoctaveの関係なので、Cello譜をoctave上げてViola譜に直すだけで、演奏が出来ます。
しかし、不思議な事に、J・C・BachのViolaのsoloのConcertoのversionでは、何故かは知らないけれど、originalの楽譜で演奏しているのを、見た事はありません。
それは、極めて稀な事なのでしょうかね??
少なくともYou Tubeで探して見ても、ViolaのsoloのConcertoでは、Casadesus版以外には見た事がありません。
恰もまるで、「Cello譜をoctave上げただけでは、Violaでは演奏が出来ない」と頑迷に思い込んでいるようです。・・阿呆かいな??
「J・C・Bachについて」
Johann Christianは、兄Carl Philipp EmanuelがHamburgのBach、或はBerlinのBachと称されたのに対して、LondonのBachと称されて、Händelの後継者とも見做されて、若きMozartにも多大の影響を与えた前期古典派の大作曲家なのです。
当然、作曲様式は古典派の様式で作曲されていて、その華麗な書法は、Mozartの作品と見間違うばかりの新鮮さなのですよ。
しかし、そう言ったいつもの作曲様式とは違って、このCello-Concertoは、Johann Christianとは思えないような、一時代前の、父、Johann Sebastianのimageを色濃く遺したgalante様式による古めかしい作品です。しかしまあ、baroqueのpolyphony様式ではなくて、galante時代から古典派時代のhomophony様式の作品である事には変わりないのですがね~ぇ??
「作曲分析」
Ⅰ楽章の冒頭の提示部の最初の4小節では、themaを奏する1st.Violin以外は、強拍と弱拍が入れ替わるverschobene Takt(拍頭が移動する事)を使用していて、5小節目、6小節目だけが通常の拍に戻ります。
Celloのthemaも冒頭2小節は普通の拍なのだが、3,4小節目では、拍頭が先行するverschobene Taktになって、5小節目6小節目で元の拍に戻るという目まぐるしい展開を見せます。
第2themaでは2小節単位に緩急を繰り返します。所謂、問い掛けと答えです。
Ⅱ楽章は、非常に遅くて淡々とした、鬱々しい、情感に溢れたmelodieが繰り返されて行きます。
MozartのDon Giovanniの序曲の中に出てくるような不気味な音階進行が繰り返されます。orchestraの刻みをbackgroundにして、tempoを揺らして演奏をするのは、極めて難しい技術を要します。(ああ、勿論、優れた指揮者が指揮をしていれば、なんの問題も無いのですがね??)
Ⅲ楽章は8分の3拍子の非常に早く激しい和音のpassageの部分と、軽やかなtarantellaのようなrhythmがcontrastされて展開していく、なかなか劇的な楽章です。しかし、中間部からは、solo-Violaだけが、恰も2拍子のような(Hemiolaのような)rhythmで弾いて行くのが、強烈な印象を与えます。
後半部ではCello、Kontrabassのorgelpunktの和音のbackの上に、arpeggioのpassageが出て来て、最後のthemaが回帰してkadenzに入ります。
そして、突然、Ⅰ楽章の最後のpassageが思い出のように戻って来て、Ⅰ楽章のthemaがrefrainされて、全楽章を締めくくっています。
このfinaleで、冒頭のthemaをrefrainする事は、良く見受けられる在り来たりの手法に見えるのですが、不思議な事に、そういった終わり方を実際にしている曲にお目に掛かった事は未だにありません。(勿論、Codaの中で一部分が「思い出」として繰り返される事は良く見受けられるのですが、こういった風に、Ⅰ楽章のthemaを丸々と繰り返す事は、流石にありませんからね??)
それにしても、Ⅰ楽章のthemaは、パパ、Johann Sebastianの作品であるとしたら、それも有りかな??と思える・・としても・・・、或は、論理的でチョッと古いtypeの作曲家であるCarl Philipp Emanuelが作曲したのならば、こういった作風も、然程は不自然では無いのかも知れませんが、急進的で時代の先端を走るJohann Christianが、この古色蒼然としたstyleで作曲した・・という事は驚くべき事です。
Johann Christianは一体何を言いたかったのだろうか??
いずれにしても、とても魅力的な印象の深い秀逸な曲です。
「参考までに、You Tubeからbest-choiceの演奏を、推薦したい・・」と思ったのですが、先程も言ったように、Viola-versionではCasadesusのarrangementのversionしかなかったので、今回のoriginalのversionとは、微妙に違うので、混乱を招かないように、uploadをするのは、やめて起きました。
Englandの誇る大作曲家であるBenjamin Brittenにしても、このCasadesusにしても、或はDavid版をCharlier版としているCharlierにしても、その他大勢の校訂者達は、作曲者に対しての敬愛、尊敬の念が無いのかね~ぇ??
copy作品を自作だ・・と主張してやまない何処かの国の人達のようで、みすぼらしいのだよな~ぁ??
自分の軽薄さを晒している事に気が付かないのかね~ぇ??
3月17日お久し振りの緊急地震警報 ·
いや~ぁ、ビックリしたな~ぁ??
椎名町で、お散歩と食事を終わって、プリ・ドルの次の日の食事のかぼちゃや野菜類を食べやすいように、切り出していた所なのだが、突然、テレビの全国放送で緊急地震警報が出て、警告音が鳴っている最中に、東京の緊急地震警報がDoubleで鳴り始めたので、ビックリしたのだ。同時に二つの緊急地震警報が出て、直後に、強い揺れが結構長時間、続いて、ドル・プリが部屋の中を逃げ回っていたので、斉藤先生がなんとか捕まえて、抱っこをして落ち着かせていたのだが、ドルに取っては、始めての地震だったので、恐怖だったのだよな~ぁ??
と思ったら、二度目の緊急地震警報と、次に3度目の緊急地震警報が出たのだが、3度目は、そのまま終わってしまった。これはbugだったらしい。
プリは地震は二度目の体験なので、なんとか直ぐに落ち着いていたのだが、プリは抱っこされていても、固まったままだった。
未だ、地震の被害状況は分からないようだ。テレビ等で、これから、被害状況の収集なのだよな??
暫くは同じ内容の放送だよな??
それはそうと、もうすぐ満月だよね~ぇ??
今度の満月は何時だろうか??
と言う事で少し調べて見た。
今月の満月は、3月の18日の16時18分だそうで、ワームムーン(Worm Moon)だそうな??
芋虫が地上に這い出る頃・・という意味らしい。
つまり、啓蟄だなや??
地震の次の日の朝なのだが、部屋を回って見たら、当たり前の事なのだが、やはり、積み上げられた道具類があちこちの部屋で、落ちていた。
・・とは言っても、早急に片付ける気力も無いので、気が向くまではそのままにして置こう。その内に、片付ける気力も出るかも知れないので・・
寝室とパソコンの部屋は、普通に使用出来るので、後は見ない振りで・・
見猿❢言わ猿❢に徹しようぞナ❢
絶対に何もないと思っていた寝室でも、奥のrackから数個の荷物が落ちていた❢
Bedからは離れている所なので、まあ、これも暫くの間はそのまま気が付かない事にして、見ない事にしておこう❢

3月17日Metronomが壊れた❢❢ ·
昨晩の地震前後の時間帯には、発表会の時のConcertoのMetronom-tempo、特にHaydnのⅢ楽章のtempoが定まらないので、ハイツで使用しているMetronomの中から、古い方のsubのMetronomを、発表会に持って行こうと思って、Metronomを出して、checkをしていたのだが、なんと、switchが入らない。
乾電池を新品に変えても、接点復活剤でswitchやbattery-houseを復活させても、うんともすんとも言わないのだよ。
頭に来て、Metronomに衝撃を与えても、生き返らないのだ。
置いたままにしておくと、自然に壊れてしまうのは、時計やTimer等も同じなのだが、使い慣れているMetronomが自然消滅するのは・・流石にやはり、超、Shockだよな~ぁ??
私としては、この写真の古いtypeのMetronomの方が使い易いのだが、この機種は既に生産打ち切りで販売していないので、教室の生徒達が今購入しているチョッと使い難い、あまり好みではない方のMetronomを普段使いにしているのだよ。
makerが一方的に機種変更して行くのだから、頭に来てしまうのだよ。生徒達に購入させるには、先生達も使い勝手を研究して置かなければならないのだから、それはそれで結構余分な出費になるのだよ。
先生達が、操作の仕方等を説明したりする時に、現物を使用していないと、咄嗟に困る事があるから、道具も教室の道具とハイツの道具を整合させているのだよ。
rhythm-trainer等も今販売されているtrainerよりも、古いtypeのrhythm-trainerの方が数倍使い易いのだが、販売されていないので、致し方はないのだ。
・・と言う事で、教室だけではなくて、ハイツにも、今は誰も使用していない、古い機種が結構あるのだが、それも10年、20年というintervalで、段々と、使用していないにも拘らず、経年劣化で故障して、勿論、「partsが無い」と言う事で、修理の対象にもならないのだよな~ぁ??
人間は、なんと奢ってしまったのだろうか??
古い物を大切に使う・・と言う事は、もはや、現代では死語になってしまったのだよな??
パソコンやテレビ等の高価な物でさえ、partsの保存年数が極端に少なくて、古くなってしまうと廃棄しなければならないのだよ。
機能が新しくなって、色々な事が出来るようになって便利になった・・と言うのだが、その分、使い出が複雑になって、動作が面倒くさくなって、使い辛いのだよ。
私達は色々な事・・よりも、自分の仕事に特化した道具の方が使い易いのだ。だから古い、何も出来ない機種の方が、仕事が速く出来る時も多くあるのだ。
色々な機能があれば・・、と言うのは、大手企業の奢りに過ぎないのだよ。
大手企業の最先端の技術を支える、下町の下請けの会社は、古い工具とXP時代の古いパソコンを駆使して、最先端の作業をしているのだよ。笑えるよな??アハッ!
パソコンの使い勝手は、CPUの速さよりも、keyを押す回数だと思うよ。
以前も書いた事があるのだが、今のwindows10ではパソコンを終了させるのに、カーソルを旗に持って行って、電源を開いて、それからシャットダウンと超、面倒くさいのだよ。
xpでは、電源でいきなり、シャットダウンが出来たので、2行程で済んだのだよ。それが、今では、電源を落とす時の話だけではなくて、全ての作業に同じ複雑な工程をしなければならないのだ。
だから、パソコンを作る人達は、頭の中がスッキリとしていないのだよな~ぁ??
一番くだらないのは日本語変換のワープロソフトだろうか??
日本語に無い(というか、有り得ない)日本語を合成して作っているので、普段の言葉一つ選ぶのが大変だ。
誤変換ならば、未だ許せるけれど、日本語として絶対的に有り得ない単語をパソコン上で合成して作るのだから、始末に負えない。
だから、そういった無用な単語や、絶対に使わない単語を削除する機能があれば日本語softが自分用になって、変換もとても速くなって、良いのだが、削除機能を持っている日本語softは無いのだよ。
そういう所は、softを作っている所はズブの素人としか言えないのだよ。
finaleのsoftでもsoftを作っている人は、音楽家ではないので、音楽的に不合理な所が非常に多い。
Dragonspeechの音声softでは、使用しない単語は削除出来たのだけどね~ぇ??
パソコンとは無駄の塊だよな~ぁ??

3月18日入院の準備とweb-lesson ·
この所の数日間は体調を崩して、一日中、Bedで仮眠をしていたのだが、発表会や入院が近づいて来て、何かと忙しくなって来て、今日も、昨日と同様に、web−lessonが入っているので、1時間前のalarmでBedから起き出して、パソコンの前に、keyboardを出したりと、頑張って準備を始めた所なのだ。
準備とは言っても、パソコン周りの準備だけではなくて、何も食べないで延々と寝ていたので、パンを食べながら、風呂に入って髪を洗って、lessonの衣装を出してと、小一時間の間に、動かない体に鞭打ちながらの準備だった。
『何時もの如く、恙無くlessonを終わって、』果てさて後片付けを•••と思った所で、Energieが切れてしまって虚脱状態になった。
しかし、たかがweb-lessonで、全Energieを使い果たす事はないので、今日は体調不良で、寝込んでいる日だからであろうか?
「たかがweb-lessonで・・」という言葉はどうも誤解を産み易いようなので、説明をしておくと、web-lessonでは音ズレが起こるので、演奏を聴いてcheckをしても、実際に合わせたり、模範で弾いたりする事は無いのだ。幾らKeyboardであっても、Desktopの前にPianoを置く事は出来ないから、演奏を聴いてlectureするだけなので、神経的な勝負ではあっても、体を使う事は無いからなのだよ。
これが実際に演奏して指導するとなると、結構それなりに、体力が必要となるけれどね??
事務所から、「8時半の食事」のmessageが届いたのだが、それは体調的にも、体力的にもとても無理なので、椎名町に行けないというmessageを打ちたいのだが、たった、「食事、お散歩、無理」というmessageが、なかなか打てないのだよ。
目が覚める毎に、虚ろ、虚ろと携帯でmailを打つ事を試みるのだが、頭の中では、mailを打っているのだが、実際には、それは夢の中なのだよ。
それでも、何度も、何度も、同じ文章を打って、なんとか、12時前頃までにはmailを打てて、安心して・・爆睡した。
2時半頃に、toilette-timeで目が覚めて、窓のBlindを開けると、外は真っ暗な鬱陶しい空である。分厚い雲で大雨が降っているのか、それとも、ヒョッとして、今は深夜の2時半なのか?
悩んで、テレビを付けても時間は出ても、昼か夜かは分からないのだよ。もしも、夜だとすると、それならば、one-coolしか眠っていない事になる。
それから暫し、2時半が深夜であるか、お昼であるかを、必死に調べたのだよ。
なんで・・・??
お久し振りのtime-warpだからだよ。
もしも、未だone-coolの深夜の2時半ならば、たった小一時間の間に、半日分の色々な事をした事になるのだよ。
僅か、小一時間の間に、映画や、ドラマを、数本見て、夜食も食べた事になるのだよ。
つまり、ウダウダと、12時間は過ごした事になるのだ。
しかし、それはとても時間的に、有り得へんのだよな??
でも、丸々一日となると、今日の曜日は、土曜日でなければならないのだが、今日は未だ金曜日なのだから、曜日が合わないのだよ。
まあ、いっぱい無駄な時間を過ごせたのだから、いずれにせよ、良しとするか??
12時間、テレビで録画をしていたdramaを見て、alcoholを少し飲んで、それから寝たのだから、12時間は経ったハズなのだが、夜の2時半と言う事は、その分、時間を儲けた分けだしねぇ?
と言う事で、今は正確には、(多分、これ以上time-warpしないと言う事で・・)金曜日の朝の8時を過ぎた所なのだが、tableには食べかけのお皿や箸がそのままで、電子レンジの中には、温めかけた食材がそのまま残っていたのだよな~ぁ??
Keyboardのsetだけは、爆睡する前に片付けたようなのだが、
それにしても、昨日の薬も飲むのを忘れている。
金曜日の分ではなくて、木曜日の分なのだがね??
注射はweb-lessonの前に済ませているので、落としは無いのだが・・
困ったもんだ❢❢
3月19日鼻詰まりの解消に・・ ·
東北の方では、一昨日の大地震から、今日の夜の震度5強の地震まで、地震が続いているようだ。
震源地は十年も前の大地震の震源地と重なっているようなので、10年前からの余震でもあるようだ。
昨日は気温も25°もある夏日のようなお天気だったのだが、今日は一転して、最高気温が5°の冷たく激しい雨が降り続く寒い一日であった。
夜は明日のオケ練習に備えて、ダラダラとはしないで、12時過ぎにはBedに入って眠ろうと試みたのだが、足先が氷のように冷たくなって眠れないので、久し振りにアンカを出して足先を温めたのだが、アンカが温まったのにも拘らず、足先は、凍りついたままで温まらないのだよ。
これは困った❢
果てさてどうしよう??
なるべく体に無理の無いような方法で、凍りついた足先を温める為に、toilette-timeに起き出した次いでに、居間兼台所兼パソコンの部屋で、ガスファンヒーターとエアコンを同時に使用して、部屋の急速暖房にした。
足先と首の後を温めるのが目的なのだ。
首の後が温たまると、眠気が襲って来て、自然に眠る事が出来るからなのだ。
部屋と体を温めて、なんとか無事に眠る事が出来たのだが、寝室のエアコンをつけっぱなしで寝たので、喉がカラカラになってしまって、痛くて目が覚めてしまったのだよ。
朝は9時50分である。
目が覚めると同時に、強烈な鼻詰まりが襲って来て、息が出来なくなってしまったのだが、口呼吸をすると、喉が痛くて、最悪なのだ。
果てさて、次の一手はどうしたもんか??
まあ、取り敢えずは、電子レンジで首を温める変な健康器具(写真)を温めて、首に巻いた。これで、急速に鼻詰りは解消出来るハズなのだけどね??
オケ練習の開始までは、未だ2時間はあるので、ギリギリまでは安静にして、出来れば、仮眠でもしていたいのだが・・、一つ一つを消して行くために、雑用をしているのだがね??
「・・えっ??」、•••否、否、またまた、曜日を勘違いしているのではないか??
今日は、未だ土曜日なのだよ❢
寝惚けた俺は、日曜日と思い込んで、動いているよ❢
今日は、通常の土曜日の「引き籠もりday」なのだから、時間の制約は無いのだ❢
setした携帯のtimerをOffにした。これで俺は、自由の身だ❢
昨日の大雨が嘘のように、爽やか・・とは行かないのだが、いずれにせよ、青空がいっぱいに広がっている。
青空が広がっているのに、「爽やか」・・と言わないのは、湿度が高いからなのだが、部屋の中では湿度迄は分からない。
エアコンを使うと、湿度が低くなってしまうからなのだ。
そろそろ、真面目に仕事をするか??
パソコンに向かって作業をすると睡魔に襲われるので、bedで寝ようとすると、強烈な鼻詰りで息が出来なくなってしまうのと、心臓の下の方、脾臓辺りが痛いのだよ。
だから、起きて椅子に座ると、意識が朦朧としてくるのだ。
つまり、堂々巡りだなや??
エクゼチェアをカウチにして眠ると良いのだろうが、カウチでは寝た感じがしないのだよ。やはり、しっかりとbedで眠りたいのだが、それが鼻詰りで出来ないのだ。
心臓の下辺りの背中が痛くて、寝返りが打てなくなってきた。
体調不良のon-paredeだ。
食事が終わって、超、短縮ドルプリっ歩を終えて、(プリが歩きたくない・・と駄々をこねたので、仕方無く・・)ハイツに戻る直前に背中をTantonして貰った。10分程度だったのだが、結構、体が軽くなった。ハイツにはもう少し大型のBomberがあるのだが、自分で自分の背中は出来ないのだ。Tantonには、持ち手が延長出来るtypeもあるのだが、流石に自分の背中は出来ないのでね??上手い方法は無いのかな~ぁ??
3月20日 明日から入院の日まで、体調のcheckが·
今は、3月20日の日曜日の朝の8時を過ぎた所なのだが、背中が痛くて、昨晩から延々と全く眠れないのだよ❢
そして、背中の痛いのは、今日で二日目なのだよ。
今日も今日とて、痛い部分を温めたり、胃の薬を飲んだり、はたまた、グスミンを飲んだり、色々とバタぐるっているのだが、鼻水・鼻詰まりまでも一緒になって襲って来て、Bedから追い立てているのだ❢
今日は紛れも無い(勘違いもtimewarpもない)正真正銘の日曜日で、12時からはweb−lessonの準備をしなければならないのだが、体調不良で、体力気力にlessonをするだけの自信がないのだよな?
せめて、小一時間でも、熟睡出来れば、なんとか体力を持って行く事も出来るのだが・・、その小一時間さえも眠る事が出来ない。
今日の摂眠障害は普段の鬱に拠る所の精神的な摂眠障害ではなくて、全くの外因性の体調的な物理的な摂眠障害なのだ。
いよいよ明日からは、血液サラサラの薬を省いて、毎日の体温測定とか、外出の有無等々の厳しいcheck事項を毎日記入する、囚われ人の生活が始まる。
一人で居る部屋でも、「基本的にはマスクをしろ」とのお達しなのだが、独居老人に何を言うのかね??
少しでも不都合があると、入院取り消しの手術取り消しになるのだそうな??
要するに、病院にコロナが発生するのを極力避けるための考え得る最大の措置なのだよ。
まあ、入院患者にコロナが出ると、病院内感染の死亡riskが跳ね上がる分けなのだから、致し方ない・・と言えばそれまでなのだがね??

3月21日先日の地震で、新教室のwine glassが割れた ·
今日は3月の21日の月曜日です。
今日でちょうど、手術の一週間前になります。
今日は、その一週間前から入院に向けての準備で、指示書に従って、薬等から始まってのいろんな管理が始まります。
先ず第一には、手術に備えて、血液サラサラの薬を今日からは省きます。毎日、体温等を書き込んで、勿論、外出禁止になります。
入院setの準備や、必要書類の書き込みや、持って行く物の整理もしなければならないのですが、発表会の準備やlesson等とダブってしまった上に、体調不良に鬱が酷くて、入院の時に病院に持って行く小物のcheckや、衣装の準備等をしなければならないのだが、全くする気がないのだよな??
今日は、入院の準備をする気力がないので、その代わりに、地震で落ちた物がそのままになっているのを、そろそろ頑張って元に戻すか•••
体調不良の時の単純作業として•••
千葉の教室では、地震の被害は何もない事になっていたのだが、今日、2階の食器戸棚からWineglassが5個、割れていたとの写真と連絡があった。(写真)
先日の地震は16日の水曜日の夜の事だったと思うのだが、その後、今日までも千葉の新教室には、先生達が何度か、行ってlessonをしているのだが、2階のHallのcheckはしていなかったようで、昨日のオケ練習で初めて、Hallの台所の食器棚からWine-glassが5個程落下して、木っ端微塵になっていたのを気づいたそうだ。
教室のWineglassは、made in Britainのwine glassなのだが、最初は40脚買っていたのだが、今は10個程も残っていない。
wine glassは超、薄いので、割れ易いのだよな~ぁ??
並行輸入で購入したglassなので、その後は同じglassは売っていないので、買い足す事も出来なくて、毎年毎年、減って行ったのだよ。
partyの後の後片付けも、結構、乱暴なので、一瞬で一箱纏めて割ってしまったつわ者もいるしね~ぇ??
3月22日電話問診 ·
今日は3月22日の火曜日です。
『電話問診』
今日のmainは麻酔科医からの問診です。
通常ならば対面の問診になるハズなのですが、コロナの折、感染のriskを考慮して電話での問診になりました。
•••という事で、時間通りに電話があって、「これまで、全麻で異常が出た事はない」・・と報告して、電話問診は、2分程度で終了しました。
本当に必要な確認事項の時間はそんなもんですよね??
たったそれだけの会話の為に、2時間掛けて病院に行って1時間待って、3分間の診察で、1日6時間の膨大な時間を失う事は、あまりにも無駄な話しですよね〜ぇ?
テレビやinternetでの診断がもっと可能になれば良いのにね~ぇ??
『今日の夢』
今日こそは、地震で落ちて散らばっている物を片付けようとおもっていたのだが、またまた、bedと椅子を何度も往復している間に、爆睡してしまった。起きたら、なんと夜の9時を過ぎた所である。
夢を見ていたのだが、いつもの遠出の長期旅行から帰って来ると、自分の借りていた家が無くなっている・・というよく見るpatternの夢である。
今回は、お袋が私のmansionを勝手に処分して、池袋の雑多なビル街の中の一室を借りて、そこに私の荷物を移動した・・という事なのだが、住所や番地の説明も無いままに、お袋自身も住まいを引き払って、何処ぞに引っ越しをしたのだが、何時もの如く、住所や連絡先の番号すらの説明が無いので、連絡のしようが無いのだ。「なにかあったら電話をしないさい。」と言うのだが、肝心要の電話番号は当然知っているものだと思い込んで、教えてくれていないのだよ。まあ、これもいつもの事なのだがね❢
深夜のビル街の裏通りで、途方に暮れて徘徊していると、弟子の弟という悪ガキにあった。
「姉さんには連絡がつくけど・・」というのだが、俺の新しい住所を知る由も無いので、それは断って、「ここらにcrowビルというのは無いのかな?」というと、深夜を徘徊している悪ガキ共が集まって来て、「俺、知っている」というので、案内して貰う。ビルの一角で、深夜であるのにも拘らず、未だ明かりがついている事務所があって、人が出て来て、「連絡が無いので、部屋がそのままになっていたので、困っていたのですよ」と直ぐに鍵を渡してくれて、ビルの住所や部屋の番号も教えてくれた。(clawビルではないよ❢)
「その部屋はPianoの音出しが出来るのか?」と尋ねると、困った顔で「住人達との問題なので・・」とお茶を濁されてしまった。
「深い森の中に部屋を作って練習をしているpianistがいるという話だが」・・と、話を持ち掛けると、「都心でなくても良いのか??」という事で、物件を探している所で目が覚めた。
帰るべき家が無い・・という事で、襲って来る自分に対しての不安感、住まい、部屋については、今でもtraumaになっているのだよな~ぁ??今、住んでいる江古田ハイツが私に取っての、終の棲家では無いのだよな~ぁ??
『体調不良が』
この所、鬱と体調不良が酷いので、風呂を洗う事が出来ない。
風呂の水を捨る所までは、出来たのだが、それから先の、風呂に洗剤をsprayをして、showerで流し洗いをするという簡単な作業で、stopしてしまっているのだ。
だから、髪の毛を洗う事が出来ないので、気持ちが悪い。
それはそうと、今日も無駄に無為に一日を過ごしてしまった。
どうしても、やる気が起きないのだよな~ぁ??
人生がもう終わっているように・・無為なのだよ??

3月23日『baroque(バロック)時代から古典派の時代のViola(ビオラ)のお話し』 ·
homepage上では、何度となく、同じお話しを書いて来たのですが、またまた、『baroque(バロック)時代から古典派の時代のViola(ビオラ)のお話し』です。
Viola(ヴィオラ)はFrance語ではalto(アルト)と言いますが、Deutsch語ではBratsche(ブラッチェ)と言います。
昔々、私が所有していたRenaissance-Violaは、裏板が平で、Kontrabassのように肩が撫で肩でした。
Violaの原型だったのですが、Renaissanceの楽器なので、私はbaroqueからの演奏なので、演奏する機会が全く無いので、ちょうどお金に困っていた頃、楽器店に売りに出していたのですが、楽器店のtroubleで、紛失されてしまいました。
私の楽器を楽器店に販売の委託していたので、勿論、弁償もしてくれなかったのだよな~ぁ??
つまり、私の楽器をお店の楽器戸棚に一緒に陳列していただけなので、楽器店のCatalogにも入っていない幽霊の楽器だったからです。
それに、当時は未だデジカメもなかった時代だったので、写真も残っていません。非常に残念です。
それは兎も角として、トドのつまり、本題に戻って、Violaは、Violin族ではなく、viola da gamba(膝のViola)と同じにviola da braccio(腕のViola)という事で、viol 英語、viole(France語)Viola(Italia語)であって、viole族にぞくします。
・・と言う事で、baroque時代や古典派の中期ぐらいまでの時代では、Violaは、殆ど、無いもの・・として扱われていました。
baroque時代の基本的なensembleの様式は、triosonateです。
Violinやflute等の2本の楽器と通奏低音、所謂、viola da gamba(Cello)とCembaloのensembleでした。
baroque時代のConcertoも、それに準じて作曲されたので、Violaは非常に軽く扱われていました。
その大きな理由は、中央ではなくて、地方では、Violaの居ないorchestraが多かったからなのです。
ですから、Violaが居なくても様になるように作曲するのが常だったのです。
ですから、VivaldiのConcerto等でも、Violaのpartはいなくても良い程度の扱いなので、私の教室でのorchestraの場合には、Violaを勉強する生徒の練習にならないので、Violaを勉強させるために、Violaのpartを補填して演奏させる事もよくあります。
(baroque時代のVivaldiだけではなく、古典派の初期、中期の作曲家達の作品も、時折、補筆して演奏させています。折角、オケ練習に参加しても、Faure のRequiemのtrombaのように、最初に弾いたら、次の出番が最後では、途中寝てしまうよね~ぇ??
但し、Vivaldiも、非常に優れたviolistを育てる事が出来てからは、結構Violaに難しい(Violinと対等な)passageを与えて、Violaがオケを引っ張って行くような曲も書いています。
こんにちのように、ViolaがViolinと対等な位置で演奏するようになったのは、Haydnが弦楽四重奏曲を作曲するようになってからで(とは言っても、Haydnでも、初期のOp.50(Preußen四重奏曲)ぐらいまでの弦楽四重奏曲は、Violaはおつまみ程度です。)それまでの、triosonateの形式が忘れ去られて来るようになってからのお話です。
Violaが大量に生産されるようになったのも、弦楽四重奏曲が一般的に演奏されるようになって、ViolaのNeedsが高まって来たからです。つまり、Haydnの弦楽四重奏曲のOp.50以降の作品からなのです。
つまり、逆の言い方をすると、それ以前の時代には、Violaが楽器として、一般的に使用される事はあまり有りませんでした。
そういった時代背景から、Haydn時代以前・・というか、baroque時代のoriginalのViolaを、こんにち目にする事は、非常に珍しく、私の日本に帰国してからの50年間の中でも、私がoriginalのbaroque-Violaを目にする事は、2,3台しか有りませんでした。
勿論、その内の1台を、私が所有しています。
そんな貴重な楽器であれば、violistならば誰でも飛びつくと思われるかも知れませんが、もしも、baroque時代のperiod instruments奏者でも、演奏する曲がなければ、楽器を所有するという価値感は下がります。
period instrumentsで、ViolaのConcertoを演奏するとすれば、TelemannのViola・Concertoぐらいでしょうか??
つまり、baroque時代のorchestraであれば、orchestraのbackを演奏するだけなので、復刻楽器でも充分なのですよ。
復刻楽器ならば、4~50万でも、購入出来ますからね??弓を入れても、100万以内で揃える事が出来ます。
そんな希少なoriginalのbaroque-Violaである必要はないのです。
StamitzやHoffmeisterのViola・Concertoをbaroque楽器で演奏する人は、多分いないと思いますがね??
(これはbaroque-Violaを演奏する上での、技術的な問題ですが・・ね?)
baroque-Celloや、baroqueのKontrabassは、現代の楽器とは違って、soloが非常に高音域まで使用されるので、現代の楽器で演奏をするのは非常に困難です。(baroque-Violinやbaroque-Violaでは、現代の楽器と比べても、演奏上は然程の問題もありません。)
しかし、BoccheriniのCello-Concertoも、通常演奏されるGrützmacher版ではなくて、original版で演奏すると、非常に難しい高度な曲になってしまいます。(教室では勉強のために、小学生から大学生まで、両方の版で演奏していますが・・ね)
でも、originalのbaroque-Celloやbaroque-Kontrabassならば、楽器も小ぶりで、弦も細いので、恰もViolinで演奏をしているように、自然な音で楽に演奏する事が出来ます。
KontrabassのConcertoでも、教室では、(・・というか、音楽教室ではbaroqueの演奏では、payが出来ないので(法務局が必要経費としては認めてくれないので)、あくまでも、私が個人的にbaroque弦を購入して・・)1台のKontrabassにbaroqueのgut stringを張って演奏させていますが、やはり高音域では少し苦しいようです。(gut stringであったとしても、張りの強さは変わらないので・・・)
まあ、それはそれとしても、演奏だけではなくて、私の金銭的にも・・結構苦しいのだよ。4本の弦のsetで5万以上もするのだよ。たかが、音楽教室のために、何で私がpocket moneyで、生徒のために、そこまでするのかね??
その気持が分からん❢❢
そこまでしても、感謝される事は絶対に無いのにね??

3月23日風呂の掃除をしていたら·
今日は3月の23日の水曜日なのでが、今日も朝からウダウダを繰り返して、なんと、もう夕方の6時半過ぎです。
意を決して、せめて、お風呂だけでも洗おう・・と、お風呂に洗剤をsprayして、showerで流したのだけど、やはり、sprayだけでは、汚れが取れないので、sprayをしながら、showerで風呂桶の擦り洗いをしていたら、Shower nozzle (shower head)が床に落ちて、頭から水を被ってしまったのだよ。
Shower nozzleで加圧された強い水流で、髪の毛から顔や服がびしょ濡れになってしまったので、急いで服を脱いで、タオルで全身を拭きながら、応急処置でバスローブを着た。
超、Shockで、寒くて、気分がメゲてしまったので、風呂洗いをやめてしまった。
下着から全部交換になってしまった。
折角、意を決して、風呂の掃除を始めたのに、まあ、今日の第一番目の「pech!」であった。
夜の10時前に、食事に呼び出されたので、Bikeで椎名町に出発したのだが、途中から雨が降り出してしまった。
でも小雨なので、あまり気にはならなかったし、そんなには濡れなかった。
直ぐに小雨の中を傘をさして、お迎えっ歩に出発したのだが、プリっ歩の常で、何時ものように、途中で雨はやんでしまった。
食事を済ませて、入院の書類を作るのに時間が取られてしまって、何とか1時くらいに、ハイツに戻ったのだが、途中、霧雨だと思ったので、レインコートは着ないで走ったのだが、今回は、結構濡れてしまった。
部屋に戻ったら、ちょうどのNice-timingで、体がバテてしまって、意識混濁になったので、食料品だけを冷蔵庫に入れて、後はそのままにして、大急ぎで寝た❢
眠りは熟睡とは言えず、相変わらず、変な夢を延々と見ていたのだが、まあ、それなりには眠る事が出来たので、目覚めはそんなには悪くないようだ。
と言う事で、24日の朝の5時過ぎになるのだよな??
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3月24日自宅の駐車場でリア・ミラーを取られた❢❢ ·
12時前に蕎麦timeに出掛けたのだが、何と、家の駐車場に置いてある車のrear mirror(リヤミラー和製英語)が取られて、無くなっている事を、前のおばさんが教えに来てくれた。
慌てて、トヨタに電話をしたら、修理の前に警察に被害届けを出すように言われたのだが、警察官の書類を書く作業がなんと、12時過ぎから4時半まで掛かった❢
その間の時間が無駄なので、パソコンのwebでは、finaleの使い方の説明をしながら•••の警察への対応を平行でした。
•••とは言っても、本来ならば、この時間は、ハイツに戻って••の、入院の準備をする予定の時間なのだが、警察への対応で、全くハイツに戻る事が出来なくなってしまったのでの、急遽のFinale講座なのだよ。
夕方、6時からはweb-lessonなので、その準備があるので、必着で5時迄にはハイツに戻らなければならないのだが、警察への対応が4時半までで、それからなんやかんやで、とうとう、5時を過ぎてしまった。
大急ぎでBikeを飛ばしてハイツに戻って、Keyboard等の準備やlesson衣装への着替えをした。
どうした事か、今回のweb-lessonでは、回線の不具合か、パソコンのweb−cameraの不具合なのか、原因は分からないのだが、音声の歪がこれまでになく酷かったので、何とか修正をしたかったのだが、時間がないので、超、歪んだ音のままで、諦めてlessonをする事にした。
最初の間は、音割れだけだったのだが、その内、音が全く出ない時すらあった❢
これまでに無かった酷い音声のtroubleであったので、その歪んだpianoの音から音を聴き取る事は至難の業であった。
ChopinのPianoConcertoのlessonは、本番直前の最後のlessonなので、全楽章をStollen毎に通しのlessonをしたので、2時間も掛かってしまった。
曲をstraightに通すだけでも、40分が必要だからだ。
かなりの耳への負担であった。
という事で、夜の8時を過ぎてしまったのだが、それから、風呂に入って髪の毛を洗って、入院の書類と荷物の準備をして、なんとか10時頃迄には、椎名町に食事に行ったのだが、流石にドルプリっ歩迄のEnergieはもはや無く、体力的にとても無理であった。
食事を食べ終わった段階で、Energieが切れた。
後はぶっ倒れる前に、必死にbikeを飛ばして、なんとかハイツに戻って来た。
直ぐにBedに入って、眠らないといけないのだが、椎名町から持ち帰って来たお弁当を冷蔵庫に入れなければならないのだ。
しかし、流石に何も出来ないままに、小一時間ほど、ぼんやりとしてしまった。
テレビもパソコンもつけないままの、音の全くしない部屋で、呆然としていたのだよ。
やがて、ほんの少しだけ体力が戻って来たので、乱暴に大急ぎで冷蔵庫の中に、食料品を放り込んで、Bedに入って爆睡した•••と言いたい所なのだが、相変わらず、夢の中で、melodieを、ああでもないこうでもないと弄っていた。
それでも、気持ち良く爆睡出来て、お日様が高く上がって部屋が明るくなってから、目が覚めた•••と思ったのだが、それも夢の中の話しで、実際には、未だ深夜の4時頃で、外は未だ真っ暗なままであった。
現実と区別のつかない夢には、マジに困惑してしまうのだよなあ?

3月26日一日中、ウダウダとしている ·
今日は3月の25日の金曜日だったのだが、心底疲れていて、まるで重病人のように(寝たきり老人のように)・・Bedに横になっているだけの一日なのであったのだ。
一日、何も出来ないで、ただただ、爆睡していた無為な一日であった。
夜は、椎名町から、食事の呼び出しが来たのだが、本当は、体調的や心では、食べないで寝てしまいたかったのだが、動かない体に無理をして、頑張って出掛けた。
お散歩も、今夜は、とても無理だ、と思ったのだが、ドル•プリの顔を見て、「当然、行くんだよね~ぇ??」という、その眼差しに負けてしまって、諦めて散歩に付き合ってしまった。
後はハイツに戻って、椅子に座ったままで、暫し・・と言うか、小一時間程は、呆然としていたのだよ。
まあ、それも近頃の定型になってしまったのだけどね〜ぇ?

3月26日討ち入り前日
今日は3月の26日の土曜日の朝の7時です。
いよいよ明日は入院日になります。
まな板の鯉です。
勝手知ったる•••と言う事で、入院してから色々な検査をするのではなくて、入院した次の日には即、手術をして、傷の回復を待ちます。
昔と違って、全てが早いので、術後の日だけは、絶食なのですが、次の日には、もう普通の食事になります。
昔の手術からすると、術後のリハビリの早さは、考えられないよね〜ぇ??
私が高校生の頃の経験では、術後の絶食から、次の日の重湯、その次の日の1分粥、それから、2分粥と10日ぐらい掛けて、毎日お粥から、ご飯に変わって行ったのだけど、今は手術の次の日には普通の食事なのだからね〜ぇ?
術後は、Bedで安静にしていて、傷口からの出血が治まり次第、即、退院になります。
これも、昔ならば、出血が止まってから、リハビリを開始するので、最低でも、2、3週間は入院していたよね〜ぇ?
流石に、大学病院ではそうも長く入院は出来ないので、手術が終わったら早々に退院させて、大学病院の周りには、退院して来た患者のリハビリをする個人病院が結構いっぱい在ったりして・・ね??
今回の入院は、31日か1日くらいには退院の、4日間程を予定しているのですが、まあ、歳もあるので、そうそうは予定通りには行かないかも知れませんが、発表会には楽器の搬出搬入があるので、2日の夜か、3日の早朝には、車の運転をして千葉に行く予定なので、時間のゆとりは全くありません。
車の運転は兎も角としても、指揮は結構、傷に障るので、体調、体力的にも、今回の手術明けでは、orchestraの全部の曲を指揮するのは無理なのですが、流石に難曲のChristian BachとHaydnのconcert、2曲だけは、指揮無しでは無理だと思われるので、術後にも拘らず、頑張って、私が指揮をする予定です。
入院の準備をしながら、大学時代の友人が本を出版したので、購入しようと思ったら、いつもの私のpocket moneyであるcredit-cardでのPayが出来なかったのですよ。
credit-cardがSecurityを通らないのだ。
今回が初めてでは無くて、この所、私のcredit-cardが全く使えなくなっているのだよ。
「credit-cardのtroubleは、本人じゃあないと確認出来ないのだよな~あ?」と言う事なので、「入院前に済ませておこう」・・とcard会社に電話をしたのだが、まあ、通じない事・・(絶句)❢❢
時間が無いので、病院関係の書類に捺印とcheckをしながら、待っていたら、やっと電話が通じて、状況を話して「担当から電話があるのが、明日から月曜日になる」・・という事だったので、「明日、入院するので今日しか無理❢」と言ったら、「善処します。」と言う事で、1時間程したら電話が掛かって来た。やれば出来るではないか?
cardで購入した商品が自分が買った物かを一つ一つ、checkされたのだが、何を買ったのか思い出せない•••と言うか、私のpocket−moneyとしてのcardとしてだけではなくて、教室のcardとしても、使用されているので、いつも、「このcardは自分のcardなのだから、教室用には別のcardを使うように」とは言っているのだが、それが難しいらしいので、未だに、私が分からない買い物もあるので困っているのですよ。先生達の私的な買い物もあるのでね〜ぇ?
困っていたら、突然、yahoomailに注文日と注文した物の名前が残っていたのを思い出して、一つ一つ確認をしたのだが、限度額をoverする40万、50万の引き落としが二つ、三つと15万円くらいの高額購入の履歴が一つ二つくらい入っていて、それで疑問に感じて、cardの取引を停止したのだそうな??
勿論、私個人では、そんな高額な物を買った覚えは無いし、教室としても、そんな金額を私の了解無しに購入する事は無いハズなのだ。
・・と言う事は、cardの個人情報を盗まれたらしいのだが、全く思い当たらないのだよな??何かを購入する時以外にcreditの記載をする事は全く無いからね??
引き落としを停止してくれたviewcard様様で、被害がなかったのが、Gott sei Dank!だよな❢
勿論、card情報が盗まれたのは、いつの頃からかは分からないので、1月、2月からもcheckして見ないと、それ以外に、何らかの被害があったかどうかは、分からないのだが、cardを停止してからはもう引き落としが出来ないので、このcredit-cardについては、もはや、問題が無いようだ。
明日の入院は、電車を使って移動するので、Suicaだけは明日の夕方の5時に切れるようにして貰った。
その後は病院に一週間入院するし、帰りはタクシーで帰る予定なので、Suicaは必要無いからなのだよ。
cardのクレジット自体は、お話をしている次点で、既に停止して貰っていて、新しいcardが着くのを一週間から10日程待つのだが、その間は、cardが無い•••と言う事だよな~ぁ??
まあ、私自身は、病院に居るので、cardを使う事も無いのだけどね〜ぇ??
教室で、困る事はないのかな?
まあ、それはそれで、なんとかして貰おう。
手術頑張ってください‼️
こちらは発表会練習頑張ります💪🤗
有難うございます。まあ、手術をする先生にも頑張って貰わないとね??あたしゃ、寝てるだけ・・で、普段と変わらないので・・
発表会でお会いできるのを楽しみにしております‼️
お大事にねー❗️早く良くなって下さいお祈りします^_^
ありがとうございます❢頑張って来ます!

3月27日入院当日の ·
いや~ぁ、ついに、入院当日の3月の27日の日曜日の朝の4時です。
昨晩は、10時頃には、流石に疲労困憊で、布団に入って寝てしまったので、4時とは言っても、6時間は爆睡していた事になります。
まあ、それは有り得ないとしても、結構眠れた感じなのかな??
今日は9時10時頃は、結構温かいようなのだけど、一週間後はどうなのだろう??
季節の変わり目は、着て行く衣装に困るよな~ぁ??
病院では一日中、寝間着のままなので、着る衣装の問題は無いのだが、退院の時の衣装は難しいよな??
コロナでお迎えも無しだしな~ぁ??(病院の玄関の入口まででも入れません。病院から出て、初めて顔が見れる事になるので、わざわざ遠くからお迎えに来ても、全く無駄になります❢)
今回は、今日のお天気に合わせた衣装にしておいて、退院当日は、「後は野となれ山となれ」だよな??
予測の付かない事を悩んでもしょうがない・・と言うのが、私の持論だしね??
独りで電車で移動する分けなので、モコモコと着込んでも大変なので、なるべく薄着で出掛けるようにする事にした。
お出かけのズボンとシャツは決まったのだが、今はもう18℃もあるのだからだけど、薄手のJacketが無いよな~ぁ??
困った❢
と思っていたら、季節の変わり目の超薄手のJacketが見つかった。
小さな袋に収まって、ruckの端にでも入れておけるのでとても便利だ。
と言う事で、なんとか準備が終わった。
それでも落としがあったら・・、それは知らん❢❢
と言う事で、予定の時間よりも、約20分早くハイツを出発したのだが、一階に着いて、マスクを忘れていた事に気付いて部屋まで戻った❢
池袋までは、少しは早めのママだったのだが、予定の京成ライナーが5分遅れで来ないので、先に来た湘南線に乗って、大井町で降りたのだが、何と、川崎駅方面の電車が無い❢
駅員に尋ねたら一つ前の品川まで行って乗り換えるように言われて、品川で乗り換えたら、次の駅が何と大井町駅なのだ❢
不思議だよね〜ぇ??
同じ大井町駅が二つあるらしいのだ❢
難解極まりない❢
まあ、それでも、時間よりも1時間前に川崎駅に到着したので、気分転換に何か食べようと思ったのだが、ちょうどお昼時なので、何処のお店も満杯で人が並んでいてとても混んでいたので、仕方なく、ベンチに座って体を休めてから、タクシーに乗った。
病院に到着してからは、入院の手続きと、PCR検査が、超手間取って、やっと2時頃に、病室で看護師の説明を受ける事が出来た。
後は、PCRの検査結果が出るまで、Bedのカーテンの中で、隔離状態になって、自分のbedから出る事が出来無いので、水さえも飲めないのだよ❢
直ぐ横に自販機があるのだけど、幽閉状態なので、買いに行く事が出来ないのだよな〜ぁ??
そうこうしていると、看護師さんが説明に来たので、次いでにお茶を買って来て貰った。
いや〜ぁ、夜の9時からの点滴に、今、針を入れられてしまった。指先を使うと針の刺さっている箇所がチクチク痛いので、Facebookを書く事が難しくなって来たぞ❢
4時半過ぎにPCRの検査結果が出て、陰性が確定したので、本格的に手術の行程に入るのだ。
5時を過ぎた❢
病院に居るので、全く関係は無いのでが、Viewcardが失効した•••ハズなのだ❢
今日は重たいリュックを背負って電車を乗り継いで、駅ビルの人混みの中を、お昼寝食べないで、歩いたので珍しく腹が減った。夕食は6時かららしいので、普段ならば、間食の時間なのだよな〜ぁ?
暇で時間を持て余すから、仕事でもしようと思ったのだが、それにしては、結構何かと変に忙しいのだよ?
手術の準備で何かと忙しいので、Facebookはこれまでにする事にする事にする事にする事にする事に・・・・

3月28日まな板の鯉 ·
今日は3月28日の月曜日、さあ、いよいよ、まな板の鯉である。
今は未だ5時40分なのだが、10時20分には手術開始であるぞ❢
絶飲食なのだが、どちらかと言うと、飲めない方が結構辛い。
まあ、それは、いつも言っている事なのだがね?
昨日は日曜日だったので、担当医の問診はなかったのだけど、今日は月曜日なので、朝の8時20分から先生達の回診があった。
•••とは言っても、30秒程度で、一言、二言の挨拶程度なのだがね〜ぇ?
これって必要??
まあ、人によっては必要なのかな?
後、1時間で手術なのだが、時間が停滞してしまっているのだ。
兎に角、ダラダラとして、時間が前に進まないのだよ。
こういう時は、私の場合には、余っタ時間を、チャンスと捉えて、自分の仕事をセッセと済ませているのだが、流石に病院で、しかも手術前では、自分自身の仕事をするのは、顰蹙物だからな?
病院は基本、体を休める所なので、病院に仕事を持ち込んではいけないのだよ。
それにしても、腹が減った❢
9時45分術着に着替えて、弾性ストッキングを履いた❢
10時半の予定だが、まな板の上の鯉も、もう飽きた❢❢
そろそろ刺身になる時間なのだがね〜ぇ?

3月29日 兎にも、角にも、術後である。·
Bedに寝かされて、計器類が付けられていて身動きが出来ない。
腰が痛くて眠れないのだ。水も飲めない。(術後の丸一日は水を飲む事は厳禁なのだ。)
ひたすらBedで安静にして、後はただ時間が経過する事を待つだけなのだよ❢
貼り付けてある心電図が痒い。
水が無くなった❢
鼻詰まりが酷くて息が出来ない❢
こむら返りが両足の膝下に起きて来た。
せめてBedに座れれば、少しは楽だろうに
朝が明けるまでの、辛く苦しい時間だ❢
ついつい、口に入れる物を考えてしまう。
無意識にもBedに座ろうとするのだが、未だ座ってはダメなのだよな〜ぁ?
腰が痛いのだよ❢
36時間の絶食なのだが、流石に腹が減った❢
朝の6時半になって、酸素飽和度のClickから、心電図や、点滴のチューブ類を全部外して、膀胱からのチューブだけにして、Bedの上で起きても良いと言う許可が出た。結構、起きるのは大変だったし、暫くふらついた❢
7時半には、朝食が出たのだが、まあ、何と病院食は不味いのだろうか?
8時だ❢
独りでtoiletまで行けるかな?
微妙!
先ずは、その前に寝間着のズボンを履けるか、なのだが?
8時5分、30秒回診
その後清拭
小銭を持って来るに当って、小銭入れを百円玉と10円玉だけにした。自販機で使えるCoinは基本的にその二種類のCoinだからだ。

3月29日Facebookの文章の書き込みが ·
時折、Facebookの文章が読む事は出来るのだが、書く事が出来なくなった。
超、Shockだ❢
自分の文章が開かないのだよ。
仕方がないので、homepageの方から書き込んだのだけど、新しい文章ならばそれは出来るけれど、既に書いている文章の書き込みや訂正は全く出来ないのだ。
まあ、暫く放っておけば、その内に出来るようになる事もあるので、放ったらかしにしておく事にした。

3月30日術後の次の日である。 ·
今日は3月29日の火曜日、術後の次の日である。
暑苦しくって眠れないのだ。
どうやら、私だけではないようなのだが、それにしても暑い❢
寝間着のボタンを外して肌を露出させて寝た

3月30日病人に取っては夜が長いのだよ ·
3月30日
熟睡出来たので、朝の4時か5時頃だと思って、携帯を開いて見たら、何と、未だ1時15分であった。
流石に、寝過ぎて、頭がふらふらするのだ。
それとも、頭がふらふらするのは、血が足りなくなったセイなのかな?
中々、血の色が薄くならないのだがね〜ぇ?
ちょうどのタイミングで、他の患者さんが看護師さんから「未だ深夜の1時だよ❢それは夢だよ❢」と怒られている所であった。
いやぁ〜、病人に取っては、夜は長いのだよ。
食事は私は完食なのだが、他の患者さん達は、食事に手を付ける事が出来ないので、看護師さん達が、必死にあの手この手で、食事をさせようとしている。
そこが涙ぐましいのだよ。
自室に幽閉されている時には、時間が足りなくて困っているのだが、病院に居る時には、時間を持て余してしまうのだよ❢
流石に、仕事関係のウダウダを、病床で書く気にはならないのだがね〜ぇ?
入院するまでは、術後の暇つぶしに、仕事をしようと思っていたのだがね〜ぇ??
それはそうと、今日は弱冷房が入っている。
深夜になると、流石に寒くなって来て、初めて布団を掛けて寝た。ちょうど良い温度になった。
それと、4人部屋の3人までが、入れ替わってしまった。居た人達は全員ヒハビリ病院に転院して、次の患者さんが入って来たのだよ。
出血が収まらないので、退院を一日延ばす事になった。
それはそうと、看護師さんがやって来て、「入院患者が待っているので、部屋を変わってくれないか?」と言われた。Bedごと、テレビrack、Tableごと、丸々引っ越しだそうで、その間、dayroomで待っていれば良いのだそうな?
dayroomに一番近い部屋になった。看護師室からは死角になるので、退院待機中の患者専用という事らしいのだが、手術待ちの患者もいるので、そこは曖昧らしい。
私も、尿の色が変われば、退院なのだが、それが中々変わらない。なるべく、Bedに座るのはやめて、寝るようにはしているのだが、殆ど肉眼的には変わらない。困った❢

3月31日医師と看護師の連絡の不手際·
3月31日である。
熟睡出来たので、朝の4時過ぎくらいかな、と思ったのだが、携帯で時間を確認して見ると、未だ0時50分であった。
一日寝ていると、腰が痛くてかなわないのだが、それにも増して、座っていると、尾骨が痛くて死にそうになってしまうのだよ。漫然と立ち尽くしていると、一番楽に思えるのだが、ふらふらするし、だいたい、長時間立っていれるものでもない。そこはそこで、体力との問題もある。
入院して、もう五日になるのだが、コロナのせいで、付き添いも、お見舞いもない。とは言っても、コロナなので致し方が無いのだよな?出血が収まらないと退院出来ないのだが、検査も治療もやる事が無くて、ひたすら安静にしておくのは、少々、辛いものがある。
隣の人は前の日に入院して今日が手術で明日には退院とか言っているけど手術後でも血尿が出なかったようだ。
深く削ると、その分血尿は酷くなるのだよ。
俺も、1回目や2回目の手術では、血尿が全く治まっていないのに、「退院」と言われて、驚いてしまったのだがね?
夕方の4時半なのだが、血液サラサラの薬を飲み始めた。これで明日問題がなければ、管を抜いて、オシッコが出るのを確認して、明後日、退院になる予定なのだが??
延々と横になっているので、立って歩く事が出来ないのだ。退院はどうしよう??
またまた眠れない夜が始まるのだ❢
管が入っているので、toilet−timeは無いハズなのだが、不思議にその時間には、目が覚めるのだよ。
それはそうと、木曜日は皮下注射の日である。
当日に連絡があるハズの連絡がないので、看護師室まで行って、看護師さんに尋ねたら、「退院後に自宅の薬を打つように、と先生から言われていませんか?」という事だった。
この病院は、以前から申し送りの不手際が多いのだが、伝達事項が多いと、よくあるミスである。
私のように、自分から質問をする人は、病院では稀だと思う※)のだが、そういったリスク管理が今一つだよな〜ぁ??
※)患者の方から質問をしてくるのは、病院や医療関係者に対しての不信と思われるからなのだよ。


4月1日今日は変な夢をいっぱい見た❢❢ ·
今日は4月の1日、エプリルフールの日である。
今日は沢山の夢を見た。
第一の夢は取るに足りない夢で、江古田の教室が自宅であった頃に、外回りから戻って来た私が、駅近くに住んでいる弟子の部屋と寝る場所を交換している夢なのだが、江古田教室は駅近なのだから、寝場所を借りるという事は、意味不明で理解出来ない夢だ。
二つ目の夢は、ケバいアパートで、スペイン人の女の子の友人が、フラメンコの情熱的な歌を歌っていたのだが、その歌声や曲があまりにも素晴らしかったので、思わず力いっぱいハグをして、賛辞を言っている夢だったのだが、夢で音楽を見る場合には、旋律や声の種類等を商売柄かなり詳しく覚えているのが常なのだが、今回の夢では、その雰囲気しか覚えていなくて、その友人の顔さえ思い出せないのだよ。
後も二つ、三つ夢があったのだが、管を抜いた途端に、忘れてしまった。
忘れてしまう夢は、大した意味はないのだよな〜ぁ?
隣の人は3日退院だ❢
入院、手術、退院で3日だ❢
いいな〜ぁ?

4月1日フリースクールと芦塚メトード ·
書きかけの文章
上級生が指導をする指導の育成
基本は人格形成であって、技術向上や学力レベルアップではない。
生徒の人格形成の目標が定まると、その生徒の技術向上のレベルは指導者の持つ音楽のレベルである。生徒の能力ではないのだよ。
私がいつも繰り返し言っている事なのだが、一般に何度繰り返し言っている事なのだが、全く一般から理解して貰えない事は、音楽でproになるには、音大に行ってコンクールで入賞して、留学をするとproに成れると一般的には思われているのだが、現実的にはそれでproに成れた人は殆どいない。
proになるという事は、そんなにエスカレーターに乗るような安易な事ではないのだよ❢
proになるために学ばなければならない事は非常に多いのだが、日本人の音楽家で、そういった基礎知識を学ぶ人は少ない。
世襲制では、師匠の技を完全にcopyする事が良しとされて、どこぞの音楽教室もcopyする事をmethodと呼んでいた。

4月2日土曜日で退院の日です。·
4月2日の土曜日の朝の10時を過ぎた所である。
9時過ぎに退院が確定して、退院の手続きまでひたすら待っているのだが、荷物の準備は20分程で片付いたので、後は自分の順番が来るのをひたすら待っているのだ❢
今回の入退院は、コロナのために病院の玄関口までも、入る事が出来ないので、付き添いも出来ないのだよ。
という事なので、往きは独りでリュックに入院setを詰めて電車を乗り継いで行ったのだが、途中で乗り換えを間違えてしまって、無駄な時間を使ってしまいました。
帰りは、時間が何時になるのか分からないから、TAXIで帰る事にしているので、リュックを持って、出入り口でTAXIの会社に電話をすると良いのだよ。
後は、TAXIで江古田ハイツの玄関まで乗り付けるのだ。

4月3日後、数時間で発表会です。·
2日のお昼に病院を退院して、TAXIでハイツまで帰って来たのですが、先ずは椅子に座って、暫し呆然としました。
小一時間程も、テレビ一つ、パソコン一つつけないままに、ぼんやりとしていたのですが、やっと我に戻って、少しづつでも、リュックの荷物を整理しながら、一週間振りのお久し振りに部屋で独りを満喫しました。
そうこうしながらのウダウダをしていたのですが、それで時間を自由に乱費する事は出来ません。
何故ならば、後、数時間もすれば、発表会のために、今日一日、大hardな運転をしなければならないからなのです。
それに備えて、少しでも、寝ておかなければならないのですがね〜ぇ??
だから、椅子に座ってから、意識が戻って、直ぐに、慌てて、bedに入って寝たのですが、また、直ぐに起き出して、発表会の準備のために、千葉まで、車で走らなければならないのです。
という事で、携帯のTimerで目を覚まして、大急ぎで衣装とかの準備をして、時間通りに何とか駐輪場を椎名町へ出発しようと思ったら、なんとなんと、Bikeのswitchを押しても引いても、Cellが掛からないのですよ。
何度やってもCellでengineが掛からないので、体には結構負担が掛かって、本当は体には無理なのだけど、已む無くkickでCellを回したのだが、それでもengineが掛からないので(・・というか、腹に力が入らないので、kickの力が弱いのだよな~ぁ??)、Bikeで椎名町に行く事は諦めて、TAXIで椎名町に行く事にしたのですが、しかし、江古田駅周辺では、TAXIを捕まえるのが難しいので、駅を通り越して、その先のバス通りまで歩いて行かなければなりません。
それはそれなりに今の状態では体力的に無理なので、TAXIを諦めて、電車にしようと、思い直して、駐輪場の自分のspaceにBikeを戻したのですが、その時にBikeのBatteryが立ち上がっていたので、駄目元でCellを回してみたら、なんと偶然にしてもengineが掛かったのだよ❢
しかし、それまでに着込んでいたrain-coatや手袋は、TAXIか電車での移動という事が決まった次点で、Bikeのseatの中に仕舞ったのだが、Bikeで走るために、もう一度、着込むために、Bikeのseatを開けるとなると、一端、Bikeのengineを切らなければならないのだが、そうすると、またengineが掛かるのかどうかは自信がないので、衣装を出す事は諦めて、小雨の中を、寒さに震えながら、指を悴みさせながら、ひたすら我慢して椎名町まで走りました。
という事で、今日は朝からさんざんなのだ。
なんとか、頑張って、今日、1日を乗り越えなければね〜ぇ??
いよいよ、コロナ下の、三年目の発表会が始まるのだよ。

4月6日 ·
3月の27日が入院で、次の28日の月曜日に手術をして、病院での安静の養生をして、7日後の土曜日の4月の2日のお昼の12時に、川崎の病院を退院して、電車での歩きの移動はとても無理なので、病院にTAXIを呼んで、TAXIでハイツに戻って来たのですが、その後の次の日には、千葉教室の発表会のために、大急ぎで、千葉の教室までと発表会場までを往復しました。
退院から発表会で指揮をするまでは、ちょうど24時間(まる一日)だったのですよ。
超、強行scheduleだよな~ぁ??発表会で指揮をしている時に、上手から椅子を持ってこらせたのだけど、頭がふらついているので、転倒防止のためだったのですよ。立っていれなくなった時に、椅子に座れば良いのでね??
発表会が終わって、自宅に戻ってからも、流石に、退院したばかりなので、頭がふらついてしまい、バテてしまったので、4日の月曜日はすっかり丸々1日、寝込んでしまいました。
教室でuploadをする発表会のご報告のYou Tube用のvideoを月曜日のいち日掛かりで作って、斉藤先生のcorelliFerdinand版の演奏のvideoを作る途中で、編集作業が上手く行かなくて、とうとう、挫折してしまいました。
本当は退院前日にshowerを浴びて髪を洗ったので、発表会の前日の土曜日中に髪の毛を洗いたかったのですが、流石に退院当日は体力が戻らず、発表会が終わってからも、気力体力が回復しなくて、退院してから3日後の火曜日の今日になって、やっとshowerを浴びる事が出来ました。
•••と思ったら、勘違いで、Facebookを読んだ斎藤先生からの指摘で、今日は6日の水曜日なので、髪を洗っていない土曜日も含めると、もう5日後にもなるそうです・・ヨ❢❢❢
それは知らなかったよな〜ぁ?
何処かで一日飛んでいるのだよな〜ぁ?
やっぱ、あれだけ寝込んでしまったので、一日、二日と、日にちが飛んでいても、已むを得ない・・と思うよな??
何処の所で、日にちがズレたのかを、改めて考えて見たのだけど、3日が発表会だったので、その日の意識は確定しているので、その日を基準にして、記憶を戻してから、改めて考えて見ると、bikeで椎名町に移動して、車に乗り換えて、千葉の新教室まで移動して、CembaloやKontrabass等の楽器を車に積み込んで、発表会場に移動して搬入しました。
それから発表会が終わってから、Kontrabass等の楽器や発表会で使用したvideo-camera等や、衣装等の荷物を新教室に戻したのだけど、Cembaloが10年近くmaintenanceをしていなかったので、目白駅の近くの古典楽器センターの工房に運び入れて、maintenanceををして貰う予定だったのですが、お店は時間外だったので、月曜日に持って行く予定だったのだけど、車で移動中に電話をしたら、7時過ぎ迄、待ってくれるという事だったので、椎名町に戻る途中で、普段の北池袋ではなくて、護国寺で降りて、目白の古典楽器センターにCembaloを預けました。
それから椎名町に移動して、ドルプリっ歩をして、それから更にBikeでハイツに辿り着く、という途方も無い行程を熟して、それでなんとかハイツの自宅に辿り着いて、そこで体力が切れてしまって、椅子に座ったままで、暫し呆然としていたのです。
しばらくして我に返って、「ほんの少しだけでも・・」、という事で、持ち帰って来た荷物の整理をしながら、睡魔が近づいて来るのを待ちました。
疲れが酷いと意識が張り詰めてしまって、逆に眠れなくなってしまうのですよ。
だから、精神的に神経をホグすために、眠気が出るまで、持ち帰って来た発表会のSDcardをパソコンに取り込む作業をしたり、荷物の整理をしていたのです。
そうして、眠たくなったらBedに入って、toilet−timeに起き出したら、また、眠くなるまでパソコンの作業をして・・・、と、時間を意識しないで、体調・体力を優先にして、Bedとtoiletとパソコンへの往復を繰り返していたので、その時に胎内時間がズレたのだよな??
結構、爆睡して、toilette-timeに目覚めたら、2時半なのにBlindを少し開いて見たら、外が真っ暗だったのだが、「大雨でも降っているのかな?」と思ったのだが、それが本当は、深夜の2時半だったらしい。
その事は直ぐに理解出来たのだが、日にち・・・、所謂、月曜日の2時半なのか、火曜日の2時半なのか•••すらが、既に定かではなくなっていたのだよな~ぁ?
後で、改めて考えて見ると、24時間以上も眠れる分けではないので、本当は逆に、小一時間も眠っていないのだよね〜ぇ?
充分に「眠れた❢」と、思っていたのだけど、本当は全く眠れてぃなかったのだよな?
・・・という事で、もう、そこら辺から意識が朧げで、時間軸が狂っているのだよな〜ぁ?
まあ、それは兎も角としても、病院の先生から、お風呂に入る事は禁止されているので、showerだけでも、何とか5日振りに浴びる事が出来て、体や髪の毛を洗う気力が少しだけは戻って来て、頭も心もチョットはスッキリとしました。
しかし、その間、漫然と寝ていたのではなくて、ウダウダと時間だけが掛かる動画のパソコンへの取り込み作業と、編集作業、それにYou Tubeへのuploadの作業を、日曜日の深夜から、月曜日一日と、火曜日のお昼までには、(じゃあなくて、水曜日のお昼だよな〜ぁ??)You Tubeにuploadし終えました。
勿論、ひと月だけの一般公開用の黒カメの動画の編集作業も、千葉からハイツに戻ってから、第一番目に片付けました。
uploadの作業だけは、椎名町の事務所のパソコンでやらなければならないので、斉藤先生が教室のhomepageの発表会の報告と一緒にYou Tubeへのuploadをしました。
話は前後するのですが、発表会のオケ室内楽に付いてのお話ですが、・・・この3年間、全く対面のlessonが出来なかったので、今回の指揮は無しで、concertmasterがeinsatzを出す事にしました。
・・とは言っても、生徒数が多かった昔々では、芦塚methodeのcurriculumの一貫として、上級生達がそれぞれのオケ室内楽のgroupのleaderとなって、練習のcheckや、発表会での指揮を任されていました。芦塚methodeの根幹は徹底したleader教育なのですよ。そのためのleader教育をしっかりとやっていたのですがね~ぇ??
orchestraのmemberが不足するようになって、芦塚methodeの根幹となるleader教育も、立ち消えとなってしまったのですよね~ぇ??
流石に、HaydnのCello-Concertoと、Johann Christian BachのViola-Concertoは、曲のNiveauもあるし、tempoの揺らしもあるので、指揮無しの演奏はとても無理なので、その二曲だけは、傷が開かないように気を付けながら、私が指揮をする事にしました。
今回は助っ人の予定の先輩諸氏やお姉さん達が、1、2回だけでも、orchestraの練習に参加してくれる予定だったのですが、omicronの所為で、その経った1、2回の練習さえも、来れなくなってしまって、急遽、rehearsal 無しの本番だけでも・・・、参加出来るならば・・と言う事で、助っ人の再募集をして、先輩諸氏やお姉さん達が急遽、駆けつけてくれる事になりました。
1週間前の最後の伝達と練習には、お付き合いして貰ったのだけど、残念ながら、その場には私は入院初日でいませんでしたので、伝達が出来ませんでした。
当日だけの参加の人達も多かったので、お昼休みの時間に、rehearsal が出来れば良かったのですが、お昼休みの時間は、年少・年中組のrehearsal に取られてしまったので、bowの確認や、演奏上のpointの伝達さえ出来ないままに、いきなりの舞台での本番の指揮になってしまいました。
練習無しの、本番一発なんて・・・、まるで、どっかのprofessionalのorchestraと指揮者のようだなや??
・・・でも、昔々、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のVáclav Neumannさんと、親しくお話が出来た時に、彼が言っていたのだけれど、チェコ・フィルには常設曲が100曲程あって、それの曲は、常設曲なので、練習無しの本番だけの指揮なのだそうで、新しい曲は、全て納得が行くまで練習するのだそうだよ。
まあ、proのorchestraならば、それは当然だよな~ぁ??
しかし、新曲を舞台で本番一発は、流石にproオケだとしても、無いよな~ぁ??
掲載されている写真は、今回の発表会の新曲で、Christian Bachのviola-concertで、新高校生の千野瑞希ちゃんの演奏です。
originalの作品はCello−Concertoなのですが、よくViolaでも、『Henri Casadesus: Concerto C
Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach』というTitleで、よく演奏されます。
しかし、このTitleには、私は異論があるので、この版を使用する事はありません。
という事なので、Violaのrepertoryとしては、結構重要な曲なのですが、これまでは一度も発表会のProgramに載って来なかったのだよねぇ?
瑞希ちゃんのために、是非にこの曲を演奏させたかったのですが、「Casadesus」という名前を使いたくなかったので、originalのCello-Concertoのscoreから、Violaのpartを作成する事を思いつきました。
それならば、Casadesus版ではなくて、original版として演奏が出来るからです。
勿論、譜面はfinaleで作成しなければならないのですが、まあ、可愛い生徒達のための作業なので、『良し』としました。アハッ!
本来のJohann Christian Bachの作品ならば、Mozartが敬愛して已まないChristianは、Mozartの作品ではないのかな??・・と、思えるような作曲様式です。
本当は、真逆で、MozartがChristianの作曲様式を真似したのですがね??
そういった進歩的なChristianの作風とは全く異質のこの曲は、彼の尊敬する父、Bachの一昔前の作品のようなimageで作曲されているのですよ。
Londonに済むChristianが、故郷の事や亡き父の事を思い返すような作品で、私にとっては、古い昔々を思い返すような、古色蒼然としたⅠ楽章と、またまた古い映画を見ているような、Ⅱ楽章の切々と面々とした様が、鬱々として懐古的で、私自身がその映画の登場人物になっている映画を見ているようで、堪らないのだがね~ぇ??
そんな素晴らし曲なのですよ。アハッ!
J・C・Bach Concerto c moll (original-fassung)Viola-Solo千野瑞希(15歳)芦塚音楽研究所 2022年4月3日 - YouTube
4月10日Corelli=David版のorchestraへのtransposeのお話 ·
発表会が終わってから、暫しの、安静の日々で、videoの編集作業と、CorelliのLa FoliaのArrangeを、パソコンのFinaleで始めました。
CorelliのLa Foliaは、教室での演奏では、通常のPiano伴奏のversionの他に、orchestraの伴奏のversionでも演奏します。
そのorchestraへのarrangementは、GeminianiがConcerto Grosso風にarrangementをしたversionで、演奏をしています。
このPiano伴奏の一般的なversionや、Corelli=Geminianiのversionも、色々と問題があって、詳しい説明が必要なのです。
先ず、第一に、CorelliのPiano伴奏のversionなのですが、一般的に流布している(鈴木の教則本にも載っているversionなのですが)Ferdinand Davidのarrangeによるfassungとされているのですが、実際には、Davidの編曲から、簡単なpassageだけを抜粋した簡易versionに過ぎません。originalのDavidの編曲は、長大で、技巧的にも(同じDavidの手によるarrangeのVitaliのChaconneと勝るとも劣らない技術的にも)難易度の高い曲なのです。
ですが、You Tube等では、このoriginalのDavid版で演奏をしている演奏家は非常に数少ないのです。
次にorchestraのversionなのですが、Corelliとほぼ同時代のGeminianiがConcerto Grossoのstyleにarrangeしたものが一般的に知られています。
同時代の作曲家の手による編曲なので、擬古典の作品ではなくて、唯のtransposeです。
baroque様式、そのままで編曲されています。
この版がGuido Guerrini版として出版されている場合もあるのですが、(Guido Guerrini版のscoreを使用した時に、そのまま、Guido Guerrini版としてYou Tube等では掲載していますが)Corelli=Geminiani版との違いが、何処を見ても、見受けられないので、今現在では、Guido Guerrini版の表示を外すようにしています。
今回は、新たに、瑞希ちゃんのViola-soloのために、Violaのsoloのための、La Foliaを作成する事にしました。
一番、簡単なarrangementとしては、Corelli=Geminianiのorchestraに対して、soloのpartだけをViolaにtransposeすれば良いのですが、瑞希ちゃんが今回学習しているのは、Ferdinand Davidのoriginalのfoliaなので、baroque様式ではなく、ロマン派の様式なので、それは出来ません。
CorelliのLa Foliaのorchestra-versionは、Corelliと殆ど同世代のGeminianiが、Concerto Grossoのstyleでarrangeをしているbaroque様式のarrangementなのですが、今回の私のarrangeでは、Davidが自分の高弟達の技術習得のための、virtuositätの練習のために、作曲された完全なロマン派のstyleに依るarrangementなので、baroqueの様式というよりは、ロマン派の作品としての擬古典の作品となってしまいます。(特に、orchestrationをすると、baroque様式からは逸脱してしまうようです。)
と言う事なので、La Foliaのviolaのversionを、新たに作成するに応って、全く新しく、Ferdinand Davidのoriginalのversion(つまり、Piano伴奏の楽譜)からの、arrangementを始めました。
まあ、頑張って、来週のオケ練習の開始迄には、arrangeを終わらせる予定です。曲が15分近く掛かる長い曲なので、やっても、やっても、中々、終わらないのですよ。
今日は土曜日ですが、古典楽器センターに車で、Cembaloを取りに行きました。
時間が余ったので、一度ハイツに戻ってから、仮眠をしようと思ったのですが、疲れてしまって、椅子で眠ってしまいました。
一瞬の仮眠で、食事の時間になってしまったので、椎名町にまた、bikeで出掛けたのですが、その次いでに、月曜日の光が丘病院行きに備えて、bikeのガソリンを入れて椎名町に移動しました。
明日の日曜日には、車で千葉の新教室に行って、Cembaloを運ぶ次いでに、反省会に参加をする予定です。
USBの無線adapterを子供の悪戯で取られてしまって、使用不能になってしまった新品のMicrosoftの Ergonomic Keyboard をハイツに持ち帰る予定もあります。
Keyboard自体はUSB-adapterが無いと、Keyboardとしては使用不能なので、今、ハイツで使っている Ergonomic Keyboard の部分品のpartsとして使います。
月曜日は、光が丘病院の糖尿病外来に行って、薬を貰って来ます。
1日飛んで、水曜日は歯医者で歯のメンテです。(治療ではありませんよ❢メンテですよ。)

4月11日勉強はやり方一つ ·
今日は、お久し振りの光が丘病院への外来です。
午後からの検査と診察なので、午前中には病院に行くための衣装や書類の準備をしながら、その次いでに、La FoliaのViola-versionのarrangeを、CembaloとOrganのpartを除いて終わらせてしまいました。
今日中には、CembaloとOrganのpartを書き上げる事が出来るハズなのだけど、実際には、arrangementはそれで終わりではありません。CembaloとOrganのpartを書き上げたら、各partが自然に聴こえるようになるまで、それから延々とendlessの『重箱の隅をつつく』・・校正の作業をします。
校正はendlessの作業なので、限を作ります。
今回のarrangeでは、次回の発表会が終わるまでは、endlessの校正作業を延々とします。
それからお昼になったので、bikeで病院に駆けつけたのですが、手続きを終えて、検査室に行くと、「検査のorderが出ていない」と言われてしまいました。
受付は、病院の受け付けと、検査室の受け付け、診察室の受け付けがあり、それぞれに、受け付けをしなければ、なりません。
検査室では、「検査のorderが出ていないので、診察の受け付けに行って、そこで主治医の先生から検査のorderを貰うように」・・・と言われてしまいました。
検査のorderが出ていなかった理由は、前回の予約の日が、急遽の泌尿器科の手術日とダブってしまったので、診察日を電話で延長したのが、原因です。
電話で延長した予約日だったので、検査の予約を先生の指示が出ていなかったので、採血採尿等々の検査を受ける手続きをしなければならなかったのですが、その一階の検査室から二階の診察室の受け付けに階段で移動をしなければならなかったのですが、どうした事か・・・、左の足首が痛くて歩けなくなってしまって、とても大変でした。
(・・とは言っても、2,3日前から、ドルプリっ歩の時にも、左足首が痛み始めていて、杖に頼って歩いていたので、予兆はあったのですよ。)
それに、腰から下の体が異常に重たくって、動かなくって、1階から2階への階段を上がる事がとても無理で、思いっ切り、遠回りのelevator(エレベーター)で2階に移動する事にしたのですが、これがまた距離があって、歩くのがとても大変で、迷路のような廊下を、何度も徘徊したのですが、まるで、老人のように動作が遅くて、「体を動かす事がこれ程、大変な事なのかな??」と今更ながら、改めて思ってしまいました。
古の昔の言葉では「体が鉛のように重たい」という表現があるのだが、今日は正にそれであったぞよ❢❢
診察の時に、先生と体調の話になって、先生が久し振りで奥さんと、蕎麦を食べに行った時に、table席が満杯で、畳の部屋に案内されてしまい、食事を終えて、立ち上がろうとしたら、全く立てなくって、奥さんに呆れられてしまったそうで、先生自体も少なからず、Shockを受けてしまったそうです。
彼は、随分年上に見えるけれども、私よりは、1歳若いのだけどね~ぇ??
まあ、歳を取ると、誰しも、体力は、そんなもんだよね~ぇ??
検査の手続きが、体が動かないので、二手間、三手間も時間が掛かってしまいましたヨ❢❢
診察の時間を待つ間に、長時間ベンチ椅子に座っていたので、帰りのbikeでは尾骨が痛くて、saddle(サドル)に座るのが大変でした。
尾骨がsaddleに当たらないように変な格好をしてのbikeの運転だったのだけど、まあ、なんとかハイツに帰り着いたのだけど、マジ、今日は疲れました。
術日から今日の月曜日が丁度二週間目なのですが、昨日、今日で、やっと肉眼的には、出血が分かり難くなって来ました。
血液サラサラを飲んでいるので、出血が治まるまでに、二週間も掛かったのだよな??まあ、それでも、改善の兆候なのだから、・・・
善哉!善哉!
なんとかハイツに辿り着いて、後片付け所ではなく、疲れてしまったので、兎に角、bedでしっかりと横になって寝る事にしたのだけど、bedで横になっても、疲れが酷いと逆に眠れないのだよ。
夢か現か、起きているのか眠っているのか・・、なんともはや、どうしようもない状態で、bedに横にはなっているのだが、兎に角、体が苦しいのだよな~ぁ??
「これはやばいな~ぁ??」と思ってしまいました。
2時間、3時間程、横になって見たのだが、「体調的に今日は食事とドルプリっ歩のために、椎名町までbikeで出掛けるのはとても無理だ」という事が確定したので、先生達が千葉に居る時間の内に、取り敢えずはlineを入れて、その旨を伝達しておいた。
それから、深夜になって、起き出して、finaleでCembaloのpartやOrganのpartを弄り始めたのだが、パソコンが壊れた時に壊れたままの不安定なfinaleなので、一度、ちゃんと入力した拍子が、ぶっ飛んでしまって、全体がズレてしまったりして、何度も何度も、その不具合を削除して、またぞろ1から、やり直さなければならないので、頭に来てしまった。「人間がやばいと、finaleまでもヤバくなるのかいな??」・・・という事です。
例えば、scoreの1段だけを別の拍子にするのだけど、その段内のlayerの2も一緒に、別の拍子にならなければならないのに、layer2は元の拍子のままであったり、Viola譜からト音記号になったのが、いつの間にか、Viola譜に戻っていて、いちいち音符記号を書き直したり・・と、色々な箇所が色々な不具合を起こしてしまって、困ってしまったのだよ。
つまり、自分としてはfinaleでLa Foliaの推敲をしているつもりなのだが、逆に出来上がった譜面がドンドコ壊れて行くのだよな~ぁ??
finaleも人間同様に、コロナにでも感染したのかいな??
という事で、無駄な努力を3時間も4時間もしてしまった。
アハッ!
今日は病院疲れで、安静にしておくハズだったのだけどな~ぁ??
やはり、体調が悪いと、何をしても上手く行かないのだよな~ぁ??
ヨージーの法則では、『落ち込んでいる時には、人生の決断をしてはいけない。』という法則があるのだが、それに、『疲れている時には、仕事をしてはいけない』というのも、付け加えるか??
そう言えば、コツコツ型の人達は、上手く行かない時には、指から血を流してまでもムキになって、練習するのだが、それは、増々墓穴を掘ってしまう、超、悪い練習法なのだよ。
練習して上手く行かない時には、気分転換が大切なのだよ。
気分転換をして、自分を俯瞰する事が練習のコツなのだが、コツコツ型の人達はそれが出来ない。
教室の練習をしない輩は、俯瞰だけは滅茶苦茶、上手いのだけど、練習をする分けではないので、頭デッカチになるだけで、技術が身に付かないのだヨ❢❢
人間、大切な事は、ひょっとしたらbalanceかもね~ぇ??
一途である必要は無いけれど、それよりも不動心が大切だよね??
小さな子供の一途さは、ひたむきで可愛いのだけど、歳頃の女の子の一途さは、雑念が多過ぎる一途さなのだよね~ぇ??
一生懸命さが続かないのだよ。
その日、その時間の中での一途さは、それなりにあるのだけど、子供のようなpureな一途さではないのだよな??
例え、音楽を一生懸命にやっていたとしても、彼氏が出来た途端に、音楽は2番目、3番目となってしまう。
それでも、持続出来る人は、未だ良いのだけど、殆どは、二度と楽器に手を出さなくなってしまう。
それでは、人生にとっては、無意味なのだよ。
日本の学校教育は、大学入学までが勉強なので、音大生でさえ大学に入学した後は、勉強をしないのだよ。
職業とするならば、社会に出てからが勉強なのだが、そういった意識を持っている人達は少ない。
テレビで、「仕事が終わって趣味に興じるために、辛い仕事を辛抱する」という人と、「趣味を仕事にする」という人達で、どちらを望むか??というen-quete(アンケート)を取っていたのだが、圧倒的に「仕事が終わってから趣味に・・」という人達が多かったのは、呆れてしまった。
学校の勉強でも、音楽のconcoursでも、成績を目的として勉強をするから、身に付かないのだよ。
特に「proになりたい」「音楽家になりたい」・・と思うのならば、「勉強が辛い」「練習が辛い」という学習styleは、忌み嫌わなければならないのだよ。
元来、勉強は楽しいものなのだ。
勉強も、練習も本来は楽しいものなのだ。
例えば、学校の勉強は、単調で、つまらないのに、テレビで勉強をすると、本当に何時間でも面白くて、楽しいのだ。
成績を取るだけが目的の学校や塾の勉強と、社会人としての勉強の仕方の違いだよな??
勉強とは、「やり方、一つ」なのだよ。

4月12日Violaの高音域の音の質に関して ·
今日は4月12日の火曜日になりました。
昨晩は全く動けなくなってしまって、光が丘の病院が終わってから、夜は、椎名町まで食事とドルプリっ歩に行く予定だったのだけど、体調不良が酷くて、動けなくなって、椎名町には行けなかったのですが、まあ、夜の食事分ぐらいは冷蔵庫の中に、何かしら食べ物は残っていたので、それを食べて、寝てしまいました。
疲労が酷かったので、目が覚めた時が、昼間として、深夜に目が覚めた時や、朝早い時間に目が覚めた時にも、OrganとCembaloのpartを書き込みました。finaleは最悪に不安定なので、一passageを入力する度に、保存を繰り返しながら、おっかなびっくりで、入力をして行きました。寝て、起きて・・の、1日中寝て、一日中仕事をしている・・という、日本人の一番嫌いな作業styleです。それでも、午前中には、OrganとCembaloのpartの入力を終わって、La Foliaのarrangementが終わりました。
今回のLa Foliaのarrangeは、VitaliのChaconneよりも、長い曲で、arrangeもPiano譜からのarrangeなので、結構、手間が掛かったハズなのですが、実際には、arrangementの作業が早く終わったのは、瑞希ちゃんにViola-versionのDavid版のLa Foliaの譜面を渡した時に、Viola版のLa Foliaの譜面のsoloのpartがViolaではなくて、Violinのpartのままだったので(これは普通では、意味が分かりませんよね??・・出版されているLa FoliaのViola-versionの楽譜は、Violinの伴奏譜のままで、・・・つまり、Violin-soloのpartのままで、Viola譜だけが、つまり、part譜だけがViolaの譜面なのですよ。以前も全く同じ事を書いたのですが、Viola-versionの楽譜で伴奏をする場合には、Pianoの伴奏者は、Violaのpartを読む事が出来ないし、Violaの先生はPianoの譜面を見る事は無いので、伴奏譜は、Violinのpartのままの方が都合が良いし、出版社も新しく楽譜を作る必要がないので、費用が掛からないので、楽なのですよ。)
・・・という事なのですが、実際には、Violaのsoloの譜面では、アチラコチラでViolinのpartの譜面と、Violaのpartの譜面が違っているので、lessonをしている時に、lessonにならなくって、困ってしまいました。
音を間違えたので、注意をすると、「Violaのpart譜では、そうなっている」と言われてしまって・・checkをして見ると、Viola譜ではそうなっているのだよ。
音の違いや、interpretationの違い等もあって、その都度、Violaのpart譜と照合しなければならなかったから、余分な時間を取られてしまって、lessonにならないからなのです。
・・という事で、瑞希ちゃんのlessonのために、私が一週間掛かりで、Violaのsoloのpartが載っているViolaの伴奏譜を作ったのですよ。(なんじゃぁ、そりゃあ??)
という事で、今回は、Violaのsolo用の伴奏譜のfinaleのdataがハイツに残っていたので、orchestraにarrangeをする時に、Piano伴奏譜からコピペするだけで良くて、Violaのsoloの譜面を書く必要が無かったから・・なのです。
soloの譜面をコピペするだけで、結構な、時短になるのですよ。
今回の発表会でJ・C・BachのViolaのConcertoを、瑞希ちゃんが演奏しましたが、使用している楽器は、私が教室の生徒達のために、私のpocket moneyで購入した数台のfullsizeのViolaの中の1台なので、結構な安物の楽器です。
(このお話も、Facebookにも、よく書いているお話しですが、法務局的には、楽器は生徒や先生達が自分で購入しなければならないので、教室がPiano以外の楽器を購入する事は認められていません。あくまでも、私費での購入になります。だから、Violaを学ばさせる時には、保護者の人達が要らなくなった分数の楽器を教室に寄付してくれる場合と、私のpocket moneyで購入した楽器の2種類になってしまいます。)
教室では多くのViolaのsoloの奏者を輩出していますが、教室でViolaという楽器を学ぶ時には、Violaという楽器を購入する事が、Violaを勉強する上での、neckになってしまいます。
Violaという楽器は、世界市場でも、非常に品薄で、pro使用の高価な楽器でも、大した音がしません。
一千万classの楽器ですら、Violaの場合には、大した楽器ではないのです。
(その理由は、説明が長くなってしまうので、homepageを参照してください。)
という事で、今回のJ・C・BachのConcertoを演奏する時にも、私の持っている数台のViolaや私個人が使用しているViolaの弦を張り替えて見たり・・と、四苦八苦していたのですが、やはり、高音域の歌い込みのpassageになると、安物のViolaでは限界があるようで、concoursへの出場の時に、楽器の問題があるのかな??という事を悩んでいたので、楽器店の社長に相談してみようと思っていました。
ちょうど、そのtimingで、私の携帯に楽器店の工房から、斉藤先生と間違えて、私の携帯に電話があったので、斉藤先生に電話を回す次いでに、concours-versionのconcoursの全国大会でも演奏可能なViolaを貸し出して貰えるのか・・というお話を含めて、社長と色々と、Violaの楽器のお話しをしました。
安い掘り出し物の100本に1本ぐらいの特別に良いconditionのViolaがあれば購入しても良いのだけど、それが無ければ、concoursのためだけのrentalでも良いのかな??・・という事です。
以前はPierothのwineを時折購入していたのですが、6本のausleseのハーフセットに、1,2本、とても良い素晴らしいwineが紛れていたのですが、後の4本ぐらいは、5千円も出して飲める程の費用対効果はありませんでした。その点、Madonnaのausleseは、当たり外れが無くて、結構、同じ程度の味がするので、Pierothを注文するのはやめてしまいました。
楽器の場合には、事前に、試奏する事が出来るので、そういったgambleは無いので、安全なのですがね??
楽器が無ければ、それならばそれで、rentalにすれば、concoursの全国大会だけでも、一千万classの銘器を借りて演奏出来るからね???
まあ、いずれにせよ、concours等ででも演奏可能なViolaが在った場合のお話なので、半年間程、楽器を探して見る・・というお話で纏まって、先方からの電話で、私の仕事を一つ、片付けてしまいました。
善哉❢善哉❢
まあ、そういう事で、自分の生活に戻って、・・・流石に、今日の朝食からは、食事の冷蔵庫の在庫がなかったので、斉藤先生が椎名町で、昨晩の夜食と今日の朝食を作ってくれた食料をお弁当にしてくれたお弁当のbagを取りに行く予定だったのだけど、斉藤先生が頑張ってハイツまで、電チャリでお弁当を届けに来てくれました。
江古田までお弁当を届けてくれたので、椎名町への帰りがけの次いでに、薬局に寄って貰って、薬を取って来て貰いました。
お弁当を取りに行くつもりだったのですが、届けて貰ったので、急遽、時間が出来たので、パソコンが壊れた時に、画面の表示がおかしくなったままで、色々と不具合の起きているfinaleを再installするために、makerのdown loadのSiteを開いたら、「規定回数をoverしているので、規定回数の制限でdown load出来ない」とのmessageが出たので、makerに限定解除依頼のmailを送りました。
finaleは1台の限定品なので、うっかりと、パソコンのfinaleを削除してしまうと、再installが出来なくなってしまいます。
つまり、今、使用しているfinaleをmakerから限定解除をして、finaleがパソコンに入力出来る状態になってから、パソコン上のfinaleを削除してから、makerからのdown loadをするか、パソコンに残っているdown loadのdataを開くかをしなければならないのです。
その手順を間違えると、makerとのやり取りが、大変な事になってしまいます。
後は、解除依頼をmakerが受け付けたかの、返事待ちです。
・・と思っていたら、制限回数の解除は、「自宅のパソコン上ででも出来る」という事がmakerの取説に書いてあったので、テレビ・ドラマを見ながら、なんとなく、自宅のパソコンのfinale上で、制限回数解除をして、再installをしていたら、なんと、無事に・・installが完了してしまいました。
makerへの制限回数の解除依頼は必要が無くて、こちらのパソコン上のfinale上だけで、制限回数の解除が出来たようで、再installが問題なく出来たようです。
finaleの開いた画面でも、見慣れた画面になっていて、これまで何度挑戦しても、出来なかったfinaleが、昔の画面に戻っていました。
しかし、まあ、もう10回以上も、再installをしているのに、全く手順を覚えていないのだよな??
他のsoftの再installは、超簡単で、いつも、全てのsoftがサッサとinstallが終るのに、finaleのinstallだけは、いつも超、手間取ってしまうのだよな~ぁ??
私のパソコンの操作と、finaleのinstallの操作が何かしら違うのだよね~ぇ??
finaleの再installは、いつも私に取っては、難しいのだよな??
・・・という事で、やっと、見慣れた普通のfinaleの画面になったぞヨ❢❢
多分、これで「直った❢」・・という事だよな??
しかし、Garritanのorchestraの音源が入って来ていないのだが、それはまあ、次の課題としよう??
昨日は、光が丘病院まで、bikeで30分掛けて行って、1時間以上もベンチ椅子で待たされてしまったので、「結構、血尿がブリ返したのではないのかな??」と心配していたのだけど、唯、単に、椅子に座っているだけだったので、逆にこの2,3日で、肉眼的には、血尿とは分からない、良い状態になって来ていました。
特に今日は、肉眼的には、全く分からなくなって来ました。
これで、無理をしなければ、多分、普段の良い状態になる事が出来ると思われます。

4月13日夜間頻尿のお話·
今日は4月の13日で歯医者の日です。
とは言っても、歯の治療ではなくて、歯のメンテです。
今日は『夜間頻尿』のお話です。
糖尿病で受診を受けていた光が丘の病院で、腹部大動脈瘤の手術を受ける前に、造影剤を使ったレントゲン検査はやめて欲しいと嘆願していたのに、造影剤の検査を強行されて、腎機能が酷く落ち込んでしまって、透析ギリギリの数値になってしまいました。そういった問題と、手術の技術的な問題があって、second opinionで、川崎の腹部大動脈瘤に特化した病院に転院した経緯があります。
という事で、光が丘の病院からは、糖尿病の薬しか貰っていなかったので、薬を飲む時間は特に定められていなかったので、夜、食事の後に薬を飲む事にしていました。
腹部大動脈瘤の手術をした後で、膀胱腫瘍の手術を、またまた、光が丘の病院で手術をするのは、気が進まないので、そのまま、川崎の病院で手術を受ける事にしました。
光が丘の病院よりは、病院に対しての信頼度が高かったからです。
という事で、利尿作用を促す薬は、川崎の病院から処方されています。勿論、「いつ飲むのか?」という時間指定は受けていません。
今回の3回目の膀胱腫瘍の手術を終えて、回診の時に、主治医の先生が、「利尿作用促進の薬を夜、飲んだら、夜、頻尿になってしまうのでは??」・・・と、ボソっと言われていたので、驚いてしまいました。
入院中にでも、血液サラサラの薬以外は、夜に処方されていたからです。
(血液サラサラの薬は午前中に飲まされていました。)
・・という事で、今回、川崎の病院を退院してからは、自己判断で、全部の薬を午前中の食事の後に飲む事にしました。
なんと、それ以降、1時間や、1時間半でtoilette-timeに目が覚める夜間頻尿は、少しづつ改善されて来て、3時間、4時間のintervalでも、眠れるようには、なったようです。
夜間頻尿の時よりは、少しは体調が楽になったような気がします。
・・とは言っても、体が動かない、腰から下が鉛のように重たい・・という所や、左足首が痛くて歩けない・・という体調不良は残ったままなのですが、それでも、3時間ぐらい眠れると、「眠れた」という睡眠に対しての達成感があります。
病院の先生には、「早く言ってヨ❢❢」・・てな感じかね~ぇ??
今日の練馬区のお昼は、25℃という夏日なのですが、薄曇りで、直接の太陽は出ていません。
『finaleのbugのお話の続きです。』
今日もfinaleの推敲をしていたら、scoreがbugってしまいました。
その原因をnetで調べたのだけど、同じ状態のcommentがみつかりません。
注意深く原因を探しながら、bugのcheckをしていたら、そのfinaleで、いつも楽譜が壊れてしまう原因は、fileをまたがったコピペで、3連音がcopyされなくて、通常の音符としてcopyされるので、その分、小節が増えて、全体のscoreが壊れてしまうのが原因だ・・と分かりました。
原因が分かれば対処は簡単です。
・・という事で、再びnetで解決策を探したのですが、そういったfile間のcopyすら見つかりませんでした。
同一file上では問題無く3連音がcopyされたとしても、file間では3連音の移動が出来ないので、file間のcopyを諦めて、同じfile上の別の3連音から、面倒くさい入れ子状態の3連音(8分音符と4分音符の3連音です)をcopyして、それで音符を開いている5線に移動させて、音符を変えて、layerを変更して、目的の小節にcopyして、layerを戻して、編集中のlayerのみを表示する・・という超、面倒くさい作業をして、「他の音符をコピペして、音を変更して、元の楽譜の形を作る」・・というシチ面倒くさい作業を16小節間でやりました。
僅かタッタ16小節ぐらいの小節の作業なのに、2時間近くも掛かったぞい❢❢
そこいらは、昭和の団塊の世代の根性だよね~ぇ??
諦めまへん、勝つまでは・・・だよな??
『更なるcomputerのbug?』
・・・とか言っていたら、今度は、パソコンのKeyboardが反応しなくなってしまいました。「batteryかな??」と思ってbatteryのcheckをしたら、振り切れる程の良好な状態です。
乾電池を元のKeyboardに戻したら、なんと、Keyboardがちゃんと元に戻っていました。
なんなんだ??
唯の接触不良かな??
相変わらず、パソコンの故障は理解不能です。
まあ、歳を取ると、色々あるよな~ぁ??
なに〜??「歳には関係無い❢」・・てか??
『歯のメンテ』
コロナや手術等と色々とあって、齒のメンテは、ほぼ半年振りになります。
いつものように、5分、10分程前に病院に行ったのですが、今回も、時間通りではなくて、結構待たされたけれど、その分しっかりと、時間を掛けて、やっていたよ。
通常ならば、30分程で終わるメンテを、たっぷりと1時間はメンテをやっていたよな??
という事で、ハイツに辿り着いたのは夕方の7時過ぎになってしまいました。
また、3ヶ月後に次回のメンテです。
『椎名町行き』
pressureと無理な口開けで、疲れてしまったので、bedで仮眠でもしたかったのだけど、椎名町行きが、中途半端な時間になってしまったので、寝るにも寝れず、椅子に座ってウトウトとしてしまいました。
出発のtime-limitが過ぎて、目が覚めたので、慌てて衣装を出して、bikeで移動しました。後は、定形のroutineを熟して、それから、寝ました。
普段と変わらない日常が戻って来ました。

4月15日 小一時間程入力していたFacebookが、なんと・・·
今は4月15日の金曜日の朝の9時過ぎです。
「お腹が空いたから、なにかたべようか?」と、冷蔵庫を見たら、何も入っていない。
昨晩、持ち帰って来たお弁当をハイツの玄関に置いたままだったらしい。
疲れ切ってしまっていて、冷蔵庫にしまうまでのゆとりがなかったのだよな??
朝、bedで目が覚めて、toiletteから戻って、そのままbedの傍に置いていた携帯で、Facebookのfoliaのcommentの手直しを小一時間程、やっていたら、なんと、コピー&ペーストをした途端に、commentが全部、ぶっ飛んで、白紙状態になってしまった。
慌てて、Facebookを保存しないで終わらせて、パソコンの編集履歴を見たのだが、小一時間の作業は全部失われていて、編集する前の文章だけが残っていた。
まあ、全てが無くならないだけでも、由しとするか??
・・と言う事で、思い出す限りの文章を復元させて、今日の朝の無駄な作業とした。
それでも、未だ、10時前なのだけど、超、腹が減った❢❢
それはそうと、朝っぱらから寒気がするので、体温計で計って見たのだが、体温は異常はないようだ。
取り敢えずは、ストーブをつけて、服を着込んで、ユンケルを飲んだ。
これで、寒気が取れなければ、またbedに戻って、仮眠をするか??
椅子に座っていると、疲れが酷くなって来て、意識朦朧として来たのでbedに戻った。
全く、眠れなくて、色々な夢を見ていたのだよ。
頻尿も無く、4時間近く横になっていたのだが、これは眠れた・・という事かな~ぁ??
お腹が空いたから、なにか食べようか??と冷蔵庫を開けたら、何も入っていない。
持ち帰って来たPlate2枚を午前中に食べてしまったからだ。
さて、どうしよう??
夜の8時を過ぎて、疲れて意識朦朧として来たので、椎名町の状況を聞いて見たのだが、食事の準備どころではなさそうだったので、小雨も降っているようだし、食べに行くのは諦めて、取り敢えず寝る事にしました。
3,4時間程、爆睡して、目が覚めて、FacebookのLa Foliaの文章を訂正していたのですが、なんと、保存が出来ません。何度やっても、パソコンを再起動しても、保存されないのです。この文章は、他のPageならば出来るのかな??というtestです。アハッ!

4月16日finaleのbug ·
今日は4月の16日の土曜日です。
明日はオケ室内楽の譜面渡しがあるので、楽譜のcopy印刷作業で先生達は大変です。
晩飯に、ありつけるかな~ぁ??
La Foliaのscoreなのだけど、突然、先生から、scoreのlayoutを頼まれたのだけど、layoutはこれまでは基本的に先生達に任せていたので、久し振りのlayout作成になった。
その後で、part譜作成が間に合わない・・という事で、part譜のlayoutも頼まれたのだが、part譜のlayoutは、演奏者のPage捲りで、layoutを決めるので、全体の構成的にlayoutをする私には、本来は無理なのだけど、まあ、今日の明日なので致し方はありません。
しかし、part譜を作成中に、ViolinⅡのpart譜だけが、小節線が全く表示されなくて、原因を探すにに、一苦労をしてしまった。
また、Viola-soloとsoloのpartが同じViolaと表示されていたので、ViolaのsoloをViolaが同期してしまって、part譜が無くなってしまった。
soloのViolaをViola-soloと正式名称を変えたら、ViolaとViola-soloが分離された。
やっぱり、何処かがbugっているのだよな❢

4月16日finaleの不具合とFacebookの不具合 ·
4月14日 16:12
(文章の訂正も、削除も出来なくなってしまったので、新しいcomment欄に同じ文章をコピペしておきます。)
今日は4月14日の木曜日ですが、真夏日だった昨日とは違って、ストーブが必要なぐらいに、超、寒いです。
しかも、そういう身も心も寒い時に限って、冷蔵庫の中には食い物が全く無いのですよ。
人生、そんなもんだよね??
夕方の7時ぐらいから、突然、超、バテてしまって、意識朦朧として来たので、仮眠をしようと思ったのだけど、それにしては、食事の予定の時間が8時半ぐらいの予定なので、仮眠をする時間が全く足りません。
お久し振りの小雨で、寒くて衣装の用意が大変で、それにrain-coatも用意しなければならなかったので、結構、手間取って、仮眠をするどころか、予定の時間までに出発出来ませんでした。
椎名町までのBikeでは、ジャージの上にrain-suitだけでは、流石に、寒かったので、ドルプリっ歩は、布製のモフモフのJacketを着て、杖を突いて、傘をさして、ドルプリっ歩をしたのだけど、相変わらず、雨の中では、お散歩は超、short(100㍍ぐらいの)courseです。
義務だけサッサと済ませたら、大急ぎで家に戻ってしまいました。
・・という事で、普段よりも1時間以上も早いのですが、モフモフのJacketを着たままで、その上にrain-suitを着込んで、bikeで大急ぎでハイツに戻って来ました。
未だ、11時半です。
今日は、Ferdinand Davidのoriginal-versionのLa Foliaの推敲をしました。
La Folia自体は、古い時代のSpain(スペイン)の音楽で、多くの作曲家達がこのfoliaのthemaで、作曲をしています。
また一般的に勘違いをされている事は、そのfoliaのthemaがよく知られたCorelliの主題、つまりViolinのmelodieという事なのです。
しかし、実はbaroque時代の多くのVariation形式の曲のthemaは、その低音、つまり、和声進行がthemaで、melodieは必要は無いのです。このfoliaにしても、Chaconneやpassacagliaにしても、groundにしても、baroque時代のVariationは低音の和声進行がthemaなのです。「cantus firmus in Baß」です。
つまり、Corelliのfoliaも、そういったBaßの動きにthemaを持ったVariationの中の1曲にすぎないのです。
且つまた、私達がよく耳にするPiano伴奏版のCorelliのLa Folia(世界的にCorelliのLa Foliaとして流布している版)も、実際には、Ferdinand Davidがoriginalの作品からPianoの伴奏用に編作曲とされているDavidのfoliaから、簡単に演奏出来る箇所を抜粋して、編集しなおした曲に過ぎません。
originalのDavidの編作曲の版ではありませんし、originalのDavid版は、一般的には手に入れる事が難しいのですよ。
CorelliのLa Foriaの原曲は、当然、baroque-Violinによるperiodの様式の演奏のstyleになりますが、その他に、Corelliと同時代の有名な作曲家、Geminianiが、Violinとbasso continuoのこのLa Foliaを、strings-orchestraのConcerto Grossoの曲に編曲しました。
所謂、orchestra-versionのCorelli=GeminianiのLa Foliaがあります。
それを更に近現代風に、Guido Guerriiがarrangeと、校訂をし直した・・とされるのが、こんにち私達が耳にするorchestra-versionのCorelliのLa Foliaだそうですが、実際には、Geminiani版とGuido Guerrini版を比較してみても、baroque時代に編曲されたGeminianiの版と現代にarrangeされたとされるGuerrini版との、違っている箇所が見い出せませんでした。
これまでも、私がMünchenで手に入れて、日本に持ち帰って来たLa Foliaのorchestraのscoreなのですが、その楽譜はGuerrini版として長年、教室で使用して来た楽譜なのですが、Geminiani版と比較対照しても、その違いが見受けられないので、今現在では、Geminiani版として統一していて、Guerrini版という呼称は、暫時、削除しています。
CorelliのLa Foliaとしては、・・と言うか、baroque時代のViolin-sonate等の場合には、原曲とこんにち私達が耳にしている、baroqueの音楽とは、演奏形態も演奏様式も、著しくこんにちとは異なっているので、period様式(時代考証に基づいた演奏style)によるbaroque音楽と、現代に私達が耳にしているbaroque音楽では、全く別物として、捉えなければなりません。
そういった常識的な違いは兎も角としても、編曲者が加わると、曲のTitle付けが非常にややこしく※)なってしまうので、以前のFacebookにも何度も書いている事なのですが、もう一度確認をしておきます。
※)今回、私がarrangeを手掛けているCorelliのLa FoliaのTitleを表示するとしたら、次のようになります。
『Corelli=Ferdinand DavidのLa Folia、Karl Friedrich Hermann のViolaへのtransposeとoriginalのFerdinand Davidのversionからのorchestration、Ashizuka Yoji』
これでは、You Tubeには表記出来ませんよね~ぇ??
CorelliのLa Foliaの原曲は、『12のsonate per violino e basso continuo Op.5』の中の最後の12番目の曲です。
当然、原曲はbaroque時代の演奏様式で、Violinのsoloと和音を充填するためのCembaloと、通奏低音を演奏するviola da gamba(Cello)のために、書かれているのですが、baroque時代では、伴奏の形態は、然程、厳格ではなく、Cembaloが傍に無い時には、Laute(リュート)がCembaloの代わりに和音を補填しても良かったのです。勿論、当然、Lauteも無い時には、guitarがその代わりを努めました。
低音楽器であるviola da gambaやCello等を含めないで、simpleに、ViolinとLaute(リュート)若しくはguitarだけの伴奏で演奏される事もありました。melodieの楽器でさえも、Violinではなく、fluteでも、他の楽器でも(演奏可能であれば、どんな楽器で演奏しても)良かったのです。
つまり、色々と伴奏のversionがあったので、当然、その色々な伴奏の版も出版されています。
また、先程も言ったように、この曲をCorelli(1653-1713)とは同世代のGeminiani(1687-1762)がsoliとstrings-orchestraのために、Concerto Grosso※)風に編曲をしました。
※)Concerto Grossoとはbaroque時代に主流であったtriosonateの形式である2台のmelodie楽器とbasso continuo(Violaが未だ一般に普及していなかった時代の、所謂、strings-Quartettに代わる演奏様式です)と、orchestraが交互に交唱をする演奏形式です。
orchestra-versionのCorelli=GeminianiのLa Foliaです。
その曲を更に、現代の作曲家であるGuido Guerriniが擬古典風にarrangeを加えたとされています。
でも、Guido Guerriniがarrangeをしたversionと言われている楽譜なのですが、不思議な事に、結構Corelli-GeminianiのConcerto Grosso風のままの楽譜だったので、baroque様式そのままで、擬古典のstyleではありません。
(Benjamin BrittenによるHennry purcellのChaconne g やCasadesusのJ・C・BachのViola-Concertoと全く同じで、編曲とも、校訂とも言えません。ましてや、Brittenのように、著作権を取る事も出来ないハズです。)
ですから、教室のLa Foliaからは、Guido Guerrini版という呼称は削除する事にしました。
何処をどのように、Guerriniが擬古典風にarrangeをしたのか、譜面を見る限り、分からなかったからです。
(CasadesusのJ・C・BachのViola-Concertoにしても、全く、arrangerのやる事は理解不能です。)
一般的に知られているCorelliのLa Foliaは、先程も述べたように、VitaliのChaconneのarrangeでも有名な、violinistであるFerdinand David(Mendelssohnのe mollのViolin-Concertoを初演した事でも知られています。)が、弟子達のために、baroque音楽をbasso continuoの楽譜からPianoの伴奏にarrangeをして、近現代風のvirtuositätな曲に編曲し直したschule-Werckです。これは、Violinのthema、そのものはCorelliの原曲と同じなのですが、伴奏の形態が全くbaroque時代のそれとは異なっているので、立派なoriginalの編作曲の作品である・・という事が出来ます。
今回のViola-versionでの演奏は、そのoriginalのDavid版のViolinをKarl Friedrich Hermann がViolaにtransposeしたものなのですが、音域上の問題から、originalのpartとは、随所に音が違って書かれていますが、これもViolaのpartのみの変更であり、伴奏譜はDavidの編曲したそのままです。
Davidが編纂した曲集の名前は『Die Hohe Schule des Violinspiels』と言って、こんにち、私達が耳にする多くの名曲が含まれます。原曲を出版した出版社からは廃版で購入する事が出来ませんが、何処かの出版社で、copy版が出版されているようです。(勿論、originalの版と、copy版もハイツには保存されています。色々な版をcheckするのも、編集者としての努めなので・・・)
こんにちbaroqueの音楽として知られている曲の大半の曲は、このFerdinand Davidのarrangeによる曲なのです。
一般的に知られているCorelliのLa Foliaは、このFerdinand Davidのarrangeの曲の中から、より簡単なVariationだけを抜粋して、纏めたものです。(鈴木教則本のLa Foliaも、版によっては、David版とされている版もあるようですが、確かにDavid版には違いはないのですが、Davidに取っては、それは不本意な事だと思います。彼のarrangementでは、VitaliのChaconneよりも、より高度なTechnikが随所に使用されているのですが、一般的なversionでは、そういったvirtuositätなpassageが全部省かれてしまっているからです。)
と言う事で、今回はGeminiani版からではなくて、originalのFerdinand DavidのPiano伴奏譜から、arrangementをしています。
だから、Ferdinand Davidのarrangeをした、virtuositätが全面に押し出された難しい近現代風のversionになっています。
昨日、uploadしたfoliaを聴いたら、(・・というか、楽譜上でcheckをしていたら・・)、最後の盛り上げの箇所がfull-tuttiではなくて、Organのpointが落ちていたので、Organのpartを書き加えました。
・・そこまではまあ良かったのですが、後半の盛り上げの部分では、Violaのsoloがfullのtuttiで伴奏をすると、多分、全くsoloが聴こえなくなってしまいます。
•••という事もあって、敢えて、Organのpartを書き加えなかったのですが、やはり、finaleの部分がfull-orchestraの演奏でないのは、arrange上全体の構成的には不自然です。
そこの所は、「solisteに泣いて貰わなければならない」・・と言いたい所ですが、そこの問題はGeminianiのような優れた作曲家に取っては、難しい課題ではありません。
Geminianiは後半の盛り上げの部分を、Concerto Grossoの形式を使って、soliのgroupとtuttiが対照的に演奏して、climaxを創り上げています。
なかなか見事なarrangeなので、私のversionでもそこは見倣ってsoliのgroupと、orchestraのtuttiを対照的に活かすようにarrangeをし直しました。
これで、後半の盛り上げ部でsoliが聴こえなくなってしまうのを防ぐ事が出来ます。
いずれにせよ、私の場合には、完全にarrangementが終わってからが、校正の始まりになります。
La Foliaのarrangeが終わった時からが、校正の始まりなので、生徒達に渡す譜面は、未だ最終稿と言う分けではありませんが、取り敢えずの叩き台です。
手直しがあったら、その都度、赤を入れて行きます。それは発表会の当日まで続きます。
発表会が終わったら、取り敢えずは、改訂は、諦めます。endlessなので、何処かで、ケリを付けなければならないので•••
参考までに:
Corelli=Ferdinand David La Folia Viola-version(Hermann ) orchestra bearbeitung bei Yoji Ashizuka
YOUTUBE.COM
Corelli=Ferdinand David La Folia Viola-version(Hermann ) orchestra bearbeitung bei Yoji Ashizuka
CorelliのLa Foliaのsolo-Violinとorchestraのversionは、同時代のGeminianiの手に依るConcerto Grossoのversionが基本となって一般的です。勿論、教室でも、orche・soloではCorelli=Geminiani版として演奏しています。但し、確かに...
コメント1件
芦塚 陽二
またまたまたまた、推敲を重ねていたら、文章の保存が出来なくなってしまったので、別のcomment欄にコピペをしてuploadしました。なんだろうね??このFacebookのテイタラクは??
返信する4週間

4月16日 ·
明日の日曜日は、なんと満月だそうです。
bikeで椎名町に移動する時から、ドルプリっ歩の時まで、お供にお月様が煌々としていましたが、今夜のお月様も、結構まんまるでした。今夜の土曜日のお月様も、もう既に、98%超えの満月だそうです。ピンク・ムーンと言うのだそうですがね?
明日は恒例の「譜面渡し」と「初見大会」です。
「初見大会」は、年長者のオケ・室内楽のmemberが、初歩組の後輩達に、次の課題曲のimageを作らせるために、演奏をして曲のimageを付ける・・というための初見演奏です。
常設曲は兎も角としても、必ず、何曲かは新曲が入って来るので、そのimageを作らなければなりません。
今日、土曜日は、生徒達に渡すpart譜やscoreを作るために、斉藤先生は椎名町の事務所でてんてこ舞いで、とても、とても、私のarrangeをしたLaForiaのscoreのlayoutまでは、手が回らない❢という事で、急遽、La Foliaのlayoutが私に戻って来ました。
しかし、scoreの作成(入力)は、普段からハイツの作業として、やっているのですが、layoutは目的が少し違うので、斉藤先生に任せていたので、実に、お久し振りのlayoutで、layoutのやり方を思い出しながら、の作業で、結構、思い出すまでに時間が掛かってしまいました。
それから、明日、渡す予定のpart譜の作成作業も急遽、頼まれたのですが、本来ならば、演奏をする立場の人が、Page捲りの都合等を考慮して作るのが常套で、上手にPageを捲る位置に長休符が来るようにするのが、コツなのですが、私の場合には、そこまでの配慮はありません。
また、part譜を作成している内に、part譜で小節線が無いpart譜があって、小節線を見えなくする設定を見てみたのですが、異常はなく、何処で、小節線が出て来なくなっているのかを探すのに時間が掛かってしまいました。
やはり、finaleは入れ直して見たのだけど、bugが残っているようで、part譜の一つだけ・・という、理解不能なbugが起こっていました。
後は、Violaのsoloの譜面と、オケpartのViolaの譜面が自動で名前が設定されて、同じViolaという名前だったので、Violaのpartの譜面を修正したら、Viola-soloの譜面まで、同じViolaのpartになってしまって、困ってしまいました。computer音源では、soloのViolaと、オケのViolaが分かれているのですが、それは楽譜には反映されていません。
あくまでも、score上でpart譜の名前が自動で楽器名が設定されていたので、楽器名を変更して、それがpart譜作成に反映されるように、ひと手間が掛かってしまいました。
まあ、それでも夕食の予定の8時前までには、なんとか終わったぞよ。
今日は、夕食を作る時間は、とても無いので、superのお弁当を明日の分まで買って、凌ぎました。
楓ちゃんのために、traversoを貸してあげる約束をしたのだけど、斉藤先生が「楽譜だけで、重量overになってしまって、自分の楽器も持って行けない❢」と嘆いていたので、明日は急遽、車を出して、荷物運びをする事にしました。
10時過ぎには、お散歩に出掛けたのだけど、ドルのなかなか前に進まない「ウダウダっ歩」と、「かわいいね❢」を集めるために、愛想を振りまいて、結局、12時を過ぎてしまいました。
大急ぎで、ハイツに戻って、寝ようとしたのだけど、これがまたぞろ、眠れなくなってしまって、大変だったのだよね??
朝の11時前までに、新教室に到着すれば良いのだけど、それには、8時には起きて準備をしないと、間に合わないのでね??
それで、逆算すると、今は*時だから・・となってしまって、またまた、入眠時のpressureになってしまったのだよな??
眠ろうとすればする程、眠れなくなってしまう・・という悪循環なのですよ。

4月18日 昨日は、楽譜渡しの日で、「初見大会」の日でした。
今日は4月の18日の月曜日です。
昨日は、楽譜渡しの日で、「初見大会」の日でした。
前回のFacebookにも書いたように、「初見大会」では、初心者の新しい小さな生徒さん達のために、先輩が初見で曲を演奏して、他の先輩が楽譜上で譜面を見るお手伝いをします。
曲と譜面を結び付けるためです。
それが終わると、ベテラン組も、自分達の曲の楽譜を貰って、初見で練習を開始します。
当然、曲のlevelも難しくなるので、初見では演奏出来ないpassageも混じって来ますが、初見練習では、途中で音楽を止める事はありません。曲の全体の流れを掴む事が目的なので、音楽を途中で止めてしまっては、曲全体の流れが把握出来ないからです。
例え、難しいpassageが出て来たとしても、音楽の流れを止めないコツ(骨子)は、もし、弾けないpassageが出て来たとしても、そのpassageを飛ばしたとしても、次の小節ではちゃんと弾く事なのです。
流石に、そういった事に関しては、問題なく演奏出来ていたので、初見の練習はとてもsmoothに行きました。
この練習が出来ていないと、よその教室の発表会等でよく見受ける、途中でど忘れをしたり、演奏のミスをした時に、そのまま弾き通す事が出来ないで、何度も最初に戻って弾き直して、またまた、同じ箇所で止まってしまう・・というみっともない事になってしまいます。
勉強途中の初歩の子供達の場合には、幾らちゃんと練習をしたとしても、間違えたり、何処か別の所に飛んでしまう事があります。伴奏はその子供の水準よりも上級のlevelの生徒達が伴奏をします。当然、伴奏に対してのlessonもします。
ある子供の伴奏をする事になっている伴奏者のお姉さんの伴奏のlessonで、先生が「この生徒は、この場所から間違えてここに飛んだりするので・・」とか伴奏をする生徒の間違う可能性を真似て練習をさせていたら、見学をしていたPianoの先生が「先生は生徒が間違う事を前提にlessonをしているのですか??」「先生は自分が指導している生徒を信じていないのですか?」と怒り出してしまって困ってしまいました。
信じていたとしても、発表会の当日には何があるか、分からないのですよ。その先生にはrisk管理という言葉が無いのだよね??
子供を信じるのはとても良い事なのだけど、若し、それで子供が間違えてしまった時には、どうするのかね~ぇ??
未だ、忘れた小節を飛ばす事が出来ない生徒達の場合には、発表会当日には、伴奏者が左手の伴奏はそのままに、soloのpartを代わりに弾いて、子供が思い出して弾けたら、右手も伴奏に戻るという事をします。これはorchestraのsoloでも同じで、基本はsolisteがど忘れをしたら、concertmasterの生徒が、その生徒が思い出すまで、soloを弾くのですよ。(Celloの場合には、continuo-Celloの生徒ではなくて、オケ・バックのCelloの生徒がsoloを代奏します。
これも、普段のオケ練習の中のcurriculumなのですよ。
日本の音楽教育ではrisk管理はしないで、常に、完璧を要求するだけなのですがね~ぇ??実際には、世界的なproの演奏会でもよく大きなミスはあるのですがね??professionalな演奏家達はミスをしても、一般の人達には気付かれないようにミスをします。
今日のオケ練習では、上級生のgroupでは、memberが足りなかったので、事務室で休んでいたのだけど、急遽、Violaにかり出されてしまいました。
最後は、私のarrangeをしたla folia Corelli=David版の初見練習だったのだけど、結構、難しいarrangeなのだけど、問題なく弾き熟していたのは、驚いたよな~ぁ??
難曲としては、前回の発表会同様に、J.S.BachのCembalo-ConcertoのfmollのⅡ・Ⅲ楽章です。
Ⅱ楽章では、淡々とまるでostinatoのように、機械的にpizzicatoで演奏される上に、細かいmelismaのmelodieを弾きます。
こういった曲はJ.S.Bach独特の世界で、通常の音楽のlessonでは出て来ません。cantata等の宗教的な曲ではよく登場するのですが、演奏上はとても難しい曲なのです。
たんたんとした、pizzicatoのrhythmの中で、Cembaloの右手だけが自由なmelismaのmelodieを歌って行かなければなりません。
まあ、それは、Cembaloの独奏のお話なので、Cembaloさんが頑張れば良いだけなのですが、orchestraにも難しい問題があります。
淡々とsimpleにpizzicatoで演奏するだけなのですが、最後から2小節の3拍目から突然、pizzicatoからarcoに変わるのだけど、指で弾くpizzicatoから、弓を持ち変える時間が無いので、3拍目の頭でkadenz(episode)を入れて、時間を稼ぐ事にしたのだけど、こんどは、オケの人達の3拍目の裏拍の入りが出来なくなってしまいました。
arcoに変わるのと、tempoも少し遅くなるので、3拍目にeinsatzを出しても、3拍目の裏拍にeinsatzを出しても、どうしても、timing良く入る事が出来ないので、「練習の時間切れ」という事で、次回送りにしました。
時代考証的には2楽章のpizzicatoは多分有り得ないので、timingのズラシは無いと思われるのですがね??
更に、最後の小節の頭で、Cembaloが終止の和音を演奏するのですが、1st.Vl.と2nd.Vl.だけが、拍頭ではなくて、3拍目の頭で終止する、女性終止になっているので、「指揮者がいないと、無理なのかな?」と言う事で、今回はそこは諦めて、拍頭で終わりに変更しました。若し、楽譜通りならば、Cembaloは1拍目はドの単音で3拍目に和音のarpeggioを入れる形になってしまいます。
それならば、continuoの記譜上では全音符ではなくて、2分音符(64⇒53)のTieにならなければならないからなのです。
参考までに、Bachの直筆の譜面を掲載しました。
いや~あ、困った❢困った❢
次は最後のla foliaの練習でした。
私のarrangeのla foliaは、先ずは、とても速いpassageである3連音と8分音符のsyncopationが拍頭が休符なので、そこの入りが演奏出来るかが、心配だったのですが、それは問題無い・・という事でした。(私はそのpassageは、全く弾けなかったけれどね??)楽譜上の細かい間違いを、演奏しながら、checkしました。私でも弾けるように簡単に訂正をして起きました。
原譜はViolinとPianoの伴奏を、ViolaとPianoの伴奏にfinaleで書き換えた楽譜から、更に、strings-orchestra用に書き換えたので、その間に、結構、間違いが発生して、更に、finaleのbug等※)もあって、今回のcheckは、重要な課題となりました。
※)finaleのbugなのですが、melodieと和音を同時に弾く場合には、layerを分けて書きます。和音とlayer2に書いてmelodieをlayer1に書いたのですが、orchestraのscoreではちゃんと書いてあるのに、part譜を作成した時に、part譜のpassageではlayer2が書き込まれていなかったのです。そういった分けの分からないミスプリは、マジ困ってしまうのです。単純作業で探していなければならない、つまり人海戦術になってしまうからです。

4月18日明日は川崎の術後の検査結果の報告の日です。·
今日は4月18日の月曜日です。
昨日は、楽譜渡しの日で、「初見大会」の日でした。
私は遅れて11時着で良かったので、9時ハイツ出発のギリギリまで、仕事をして、出発しました。
それからは、オケ練習を付き合ったりして、結構、夜は遅くなって千葉から戻って来たので椎名町に到着してからの食事だったのですが、夜食は有り合わせの食事になったので、持ち帰りのお弁当もPlateが3枚程度だったので、今日の食事は朝食で終わってしまって、お昼からは冷蔵庫の中には、これまで同様に、何も食べる物が入っていません。
勿論、近所のsuperかコンビニに買いに行けば良いのですが、基礎疾患で後期高齢者で肥満なので、omicronに掛かってしまうと問題なので、外に出ていないのですよ。買って来たい漫画もあるのだけどね~ぇ??
今日は先生の帰りは遅いので、当然食事もドルプリっ歩も遅くなってしまいますが、明日は川崎の術後の検査結果の報告日で、普段は受付では、県外からの診察なので、お昼からの一番遅い時間にしてくれているのですが、今回は手術室からの予約だったので、そういった配慮は無くて、朝の早い時間になってしまいました。
とは言っても、膀胱鏡検査ではなくて、問診だけなので、その分、診察は楽なのですがね??
・・と言う事で、早い時間に寝たい所なので、今夜の食事はパスしたい所なのですが、お昼から何も食べていないので、結構、腹が減っていて、そうも行かなくて困ってしまいます。
夜は結局の所、酷い雨になってしまいました。
この大雨の中、とても椎名町にBikeで移動してドルプリっ歩をするのは無理そうなので、斎藤先生がユーカリが丘からのlesson帰りに、江古田に直接来てくれて、江古田のコンビニでお弁当を買って来てくれたので、夜は普段通りの時間に眠れる事になったのだけど、いつものpressureで、全く眠れなくなってしまいました。
ねむれなくなってしまった理由は、特に、病院だから•••という理由ではなくて、時間に起きなければならない•••といういつもの決められた時間に起きなければならない、という時に発症する『時間限定』のpressureなのです。
深夜の12時過ぎくらいから、2時間程、Bedの中でウダウダしていたのですが、入眠出来なくって、遂に眠る事を諦めて、Bedから起き出して、グリナをホット•ミルクで飲んで、椅子に座って、エアコンとストーブの暖房の空気を浴びて睡魔がやって来るのを待っている所です。
ホットミルクと暖房浴は、今の所、私には一番効果のある入眠法です。
普段ならば、それにテレビの録画をした、つまらない番組を見ている所なのですが、今回は、テレビを漫然と見る気にもならないのですよ❢
困った❢困った❢❢

4月19日 川崎の病院に結果報告を聴きに出掛けて来ます。
グリナとホット・ミルクと、エアコンとストーブ※)を同時に首の後ろにあたるようにして、首の後ろを温める我流の温風暖房入眠法は、結構、上手く行って、詰まった鼻も通って息が出来るようになって、今回は時間が無くて、短時間しか眠る時間がなかったけれど、それでも、ちゃんと睡眠を取る事が出来ました。
今の所は、私にとっては、この入眠法が摂眠障害の一番の対処法です。
※)ストーブ(stove)は、なんと和製英語だそうで、本当はHeaterというのだそうです。ガス・ストーブはGas heater’電気ストーブはElectric heaterというのだそうです。
まあ、蛇足で、どうでも良い事ですがネ・・・
起床の予定の時間の30分程前に起き出して、着々と病院に行く準備を片付けている所です。
よせばいいのに、その30分ぐらいの時間を、la foliaのarrangeを弄ったりして、結局、時間に追われてしまっているのだよな??
そこ迄、コツコツ勤勉である必要は無いのだけどね〜ぇ??
往きは、車は渋滞には逢わなくて、到着するまでは、なんの問題も無かったのだけど、いつもの通り、駐車場が全く空いていなくて、これまでの駐車した中では、2番目に遠い駐車場になってしまった。
この所、ドルプリっ歩の時に、いつも、左足首が痛んで歩けなくなるのだが、今回も駐車場から病院までが、遠くて、それに左足首が痛くて、上手く歩けないので、いつもの予定時間よりも、ゆとりを見て時間を組んだつもりだったのに、診察の手続きが終わったのは、予定時間の5分前であった。
まあ、それでも、診察室の受け付けには時間内には書類を渡せたので、ギリギリセーフではあったけれどね〜ぇ?
術後の結果報告になりますが、1回目に発見した腫瘍はひらひらとした羽衣のような美しい姿をしていました。
如何にも、優しい良性・・という感じでした。
その手術から2年半して、昨年の6月に再手術になったのだけど、その時の腫瘍は羽衣ではありませんでした。
それなりに綺麗ではあったのだけど、花びらが集まった花の塊のようでした。
まあ、それでも、なんとか良性ではあったのだけど、ねぇ??
それから9ヶ月後の、今回の腫瘍は、まるで、魔女のようなケバケバしい怖い姿をしていました。
その画像を見て、「多分、これはもう、悪性だよな??」と覚悟を決めました。
今日はその検査結果の報告だけなので、一瞬で説明は終わったのだけど、残念ながら、まあ、思っていた通りの結果報告でした。
但し、不幸中の幸いは、粘膜上に出来た腫瘍だったので、全部取り切る事は出来たのだけど、「再発が短期間に繰り返すようならば、次の方法を考えなければならない」という宣告でした。
・・と言う事で、またまた、膀胱鏡の検査が3ヶ月後にあります。
今日の検査日から・・ではなくて、手術日からの3ヶ月後になります。
そこまで、厳密ではなくても良いのにね~ぇ?
再発したら、またまた、手術の繰り返しです。
アハッ!
帰りの駐車場までの道のりが遠い事❢❢
勿論、気分が重い所為ではなくて、左足首が痛くて、歩けないからです。・・まあ、しかし、少しは気分の所為もあるのかな??
車の復路も、お昼の早い時間だったのに、あちこちで渋滞に捉まって、でも、それでも1時間チョッとで椎名町に辿り着きました。
斉藤先生がlessonに出掛ける前で、未だ、椎名町に居たので、軽く食事を食べてから、ハイツに戻りました。
ハイツに辿り着いて、椅子に座ったままで、暫し呆然としていたのだが、突然、疲れが体の芯から込み上げて来たので、未だ夕方の早い時間だったのですが、bedに入って寝てしまいました。
bedでは、あまり眠れない・・と思ったのだけど、夢か現か、よく分からない状態のままで、変な夢を・・、以前見た夢と同じ夢をまた見ました。
あまりにも、奇妙奇天烈な夢で、その情景を文字で描写するのは不可能の夢なのだが、この夢を見るのはもう2回目です。
あらすじとしては、超大きな割烹にVIPとして招待されたのは良いのだが、その割烹の規模や料理が、現実離れしていて、筆舌に尽くし難いのだ。
超、広い大きな部屋の真ん中に、炉端焼き風の大きなカウンターがあって、数人の男性達が魚介類を焼いているのです。
真っ黒な作務衣のようなstyleで、包丁や受け皿の付いた長い棒のような物を持って、調理しているのですが、絢爛豪華な雰囲気で、お客もセレブの人達です。
外人も多く居たのかな??
偶然なのだけど、未だ若い頃の兄貴が大使館のsuit姿で居て、「この料理は高そうだけど、幾ら払ったの?」と聞いて来たので、「いや、招待だから・・」「で、兄貴は??」と尋ねると、「公的な参加だから・・」という話で、超豪華な料理の金額は分からずじまいであった。
尿意を模様して、toiletに行こうとしたのだが、また、そのtoiletteに行くために、延々と渡り廊下を歩いて行くと、開きのドアの窓が葦張りになっている引き戸があって、引き戸を開いて、その広い部屋の中に入ると・・・云々・・・で、とても、説明不能な光景だ・・。
意図も珍妙な情景を説明しようとしても、説明している段階で、極々、普通の話になってしまうのだよな??
どのような奇抜な光景でも、人は見た記憶の中でしか理解出来ないのだから、幾ら具体的に説明しても、見た事の無い物は理解出来ないのだよな??
アニメやCGを作る人達は、超、realに描く事が出来るのだから、羨ましいよな??
言葉による描写の事で、あるコメンテーターは「言葉の方が、その人の感性をより刺激するから、良い!」という言い方をしていたのだけど、逆の言い方からすると、「言葉では、状況を正しく伝達する事は出来ない」という意味にもなるよな~ぁ??
言葉ではお互いの語彙の意味が、同一である事の方が少ないのだから、正しく正確に伝達出来る事は限られているのだから、より正確に伝達しようとすると、gestureや伝達gamesのようになってしまう。
それは、まどろっこしいよな~ぁ??
夕方から爆睡して、逆に、夜の遅い時間に目が覚めてしまったので、深夜にも拘らず、取り敢えずは軽く口に入る物を食べた。
壁に掛かっている時計を見ていたら、軽い鬱状態になってしまったので、もう一度、「Bedで眠ろう❢」と思ったのだが、鼻詰まりが酷くなって来たので、bedで眠る事を諦めて、椅子で眠る事にした。
しかし、全く眠くならないので、またまた諦めて、鬱々コンサートを聴きながら椅子の上で仮眠をする事にした。
そこで、眠たくなったら、その時にbedに移動すれば良いからね??
徒に時は流れて、朝の6時過ぎまでも、椅子に座ったままで、ウダウダとしていたのだよな??

4月20日ハイツの大規模工事のドリルの音が
今日は4月の20日の水曜日のお昼を回った所です。
なんと、4月も3分の2週間が終わってしまいました。Jane's Lawではないけれど、「時の流れ」の早い事・・・❢❢
昨晩はpressureで全く朝の6時過ぎまで眠れなかったので、お昼の12時直前に目が覚めました。
超、お腹が空いたので、それから延々と何かしら食べていますが、食べ物が無かったので、私のoriginalのレシピであるトロロ・スパゲッティを食べました。
まあ、・・・とは言っても、いつものように、食事を取りながら、平行で先週の日曜日(17日の日曜日)に初見演奏をした私のorchestrationをした「la folia Corelli=David版」の改定の作業をしました。
17日の初見練習では、memberが足り無かったので、私も、事務室で休んでいたら、Violaで駆り出されたので、Violaのオケのpartを、実際に弾いて見ると、初見では難し過ぎて、弾けないpassageが、2,3箇所あったので、そこを簡単に弾けるように手直ししました。
斉藤先生や瑞希ちゃんからは、それらのpassageは「そんなに難しくは無い。」とは言われたのだけど、発表会の当日、Violaを弾いてくれる人が舞台上で初見で演奏するので、より簡単な方が良いからです。
後は、ついつい面倒くさくて、サボってしまう強弱記号を付ける作業も同時にしました。
bowslurやarticulationの記号を付けるのはendlessで、これは根性の問題です。
3時を過ぎた頃までには、大体入力し終わったので、確認のために、finaleの音源でcheckをしようと思ったのですが、突然、部屋の外の工事が始まって、ドリルの音がうるさくて、全くfinaleの音が聴こえません。
というか、部屋に居る事すら、うるさくて出来ないのだよな??
こりゃあ、堪らん❢❢
暫し、逃げ出すとするか??
・・・と、思って、玄関のドアを開けて外を見たら、なんと、外界は、そぼ降る冷たい雨の世界・・だったのだよ。
椎名町に避難するのは諦めて、おとなしく部屋に戻ってしまった。
しかし、ドリルの音は、五分、10分程度で終わって、手作業になったので、なんとか堪えられるぐらいの音になった。
善哉!善哉!
後は、斉藤先生がlessonから帰って来る時間に合わせて、bikeで椎名町まで移動するのだが、雨の降り具合がmansionの5階からでは分からないのだ。先生達にlineで雨の降り具合を聞いても、返事が無い。rain-coatを着て行くか、厚手の羽毛のcoatにするか、で衣装が変わるので、準備が大変なのだよ。
携帯の天気予報を見ると、ちょうど、雨が治まる時間帯だったので、「少しは濡れてもいいや・・??」と、厚手の羽毛のJacketにして、濡れるのを覚悟で出発した。
しかし、Gott sei Dank!雨は、既にやんでいた。
後はroutineの時間が流れて、やっぱり、今日も、眠れぬ夜が続くのだよな??
あの人に、伝えておくれ・・?? 今夜も私は眠れない、と・・

4月21日bedの枕元にゴキブリが死んでいた
今は4月21日の木曜日の朝です。
今日は、朝から外壁のドリル工事が酷くて、テレビを聴く事さえ出来ない。
部屋の窓の外で、沢山の人達がお喋りをしながら、トンカチ工事をしている。
だからブラインドを開ける事が出来なくて、部屋の中は朝というのに、蛍光灯をつけているのだよ。
窓の外には数人の工事関係者が働いているからなのだ。
工事の作業で、ドリルを回している時には、テレビの音が全く聞こえない❢
トンカチで外壁を叩いている時には、頭の後ろからコツコツと後頭部を叩かれているようで、頭の芯に来てしまう。
工事の人達のお喋りに至っては、隣の部屋に誰かが入り込んでいて、そこで話をしているような気さえするのだよ。
・・・そう言えば、認知症の症状に、そういった症状があったよな??
お袋が、そういった症状でいつも悩まされていたよな??
まさか、俺も・・?? 否、それは無いよな??
お昼が近づいて来て、やっと、工事の音が一段落して、少々、騒音に疲れてしまったので、bedで眠る事にした。
どっちみち、昨晩の睡眠時間が足りていないので、どこかでは仮眠しなければならないからだ。
眠ろうとして、bedに戻ったら、枕元でゴキブリ大の虫が死んでいた。
まるで添い寝のような感じで・・・
超、Shockである。
手で触れるのが嫌なので、ゴミ袋式のハンディ掃除機を引っ張り出して来て、吸い取った。
bedで眠る事が、気持ち悪かったのだけど、睡魔には勝てなくて、マジに寝てしまった。
流石に、今は、椅子で寝るのは無理なので・・。
お昼の1時を過ぎた頃から、またまた、ドリルの音がうるさくて、寝続ける事も出来なくなってしまった。
今日はどうやら、一日中外壁のドリル工事が続くようだ。
勿論、パソコンの仕事も、ドリルの音が頭の中で鳴っているようで、出来ない・・・、というか、考えられないのだよ。
窓の外で数人の人達が動いているので、窓のブラインダーを開く事が出来ない。
工事関係者の人達と目が合ってしまうからだ。
部屋を真っ暗にして、真っ昼間なのに、明かりを付けて仕事をしているのだよ。
まあ、それもpressureだよな??
ひたすら、辛抱するか、それとも椎名町に逃げ出すか、なのだが、椎名町では、寝る場所が無いのだよな??
それにlesson中は、同じ状態だしな??
夜になって食事の時間が来たので、bikeで椎名町に移動しようと思ったら、とても、酷い雨が降っている事に改めて気が付いた。
今日は一日雨だ・・と言う事は心の何処かで知っていたハズなのだけど、部屋の中に閉じ籠もっていると、暑いのか、寒いのか、晴れているのか、雨なのか、さえ分からなくなってしまう。
・・・というか、どうでも良くなって来るのだよね??
bikeでの移動は、結構、寒いように思われたので、またまた、羽毛のJacketを出して来て、rain-suitの下に着込んだ。
部屋の中では、厚着、過ぎるかな?と思ったのだが、意外と雨は結構冷たくて、ちょうど良かったのだよな??
食事が終わって、雨は更に酷くなっていたのだが、どういう分けなのか、雨に濡れるのが超嫌いなドルが、自分から、full-courseのお散歩をしたのだ。びしょ濡れになりながらでも、結構、「可愛いね」をいっぱい貰っていたよ。雨に濡れても、流石はドルだよな??
それからハイツに戻っても、雨は降り止まないで、酷くなる一方だった。
まあ、明日までは降り続くらいしので、仕方がないか??
今は深夜の2時半になる所なのだけど、窓の外からは、雨の音が激しく聴こえて来る。玄関のドアを開けて、雨の降り具合を見てみたのだが、私の心のように、鬱々とした寒い激情的な雨だ。

4月22日昨晩も摂眠障害で
今日は4月の22日、なんと金曜日の朝のちょうど10時になった所です。「なんと・・」というのは、朝、目が覚めてから、今日が土曜日だと思い込んでいたからです。1日得した気分なのだよナ・・❢
昨晩も摂眠障害で、夜、遅い(・・と言うか、朝早い・・と言うか??の)就寝になってしまいましたが、結構、朝は早い時間に起き出して、La Foliaのarrangeの改定作業をしました。
という事は、まあ、殆ど眠れていない・・という事だよな??
La Foliaは、endlessの改定作業なので、何回目の版かは、もう既に分からなくなってしまっているのですが、9時頃には、なんとかYou Tubeへのuploadまで、終わりました。
・・・と、これが半年後の発表会まで、endlessで、繰り返えされます。「半年後」と切っているのは、マジにendlessで、或る程度で限りを付けないと、限が無いからです。
今日もまたまた、外壁の工事がそろそろ始まって、トンカチの音がうるさくなって来ました。
お昼近くなって来たので、仮眠をしました。

4月22日『コンクールの思い出』
未だ、若かりし頃、音楽教室を作る何年も前の話しなのだが、学生コンクールの本選を聴きに行った次いでに、ミュージックプラザ(当時のカンダ)に行って、社長と一位になった芸大生の悪口を言っていたのだが、その場に居た女の子が、申し訳無さそうに、「私、その芸大生です。」とか言って来たので、超、ビックリしてしまった。
誰か、部屋の隅っこの方に、女の子が居る事は分かっていたのだけど、可愛い女の子だったので、とても芸大生とは思えなかったからだ。(なんて言うと、悪意のある一言に聴こえてしまうので、弁解をしておくと・・・)
芸大生は、例え、顔が可愛くても、雰囲気••というか、表情が怖いので、話し掛ける事も出来ないのだよ❢
一応にClassicの音楽家達の音楽を演奏する時の表情は、怖いのだが、その代名詞としての芸大生なのだがね??
・・・まあ、本当は芸大生ではなくて、有名私立の音大生達も同じだし、proの音楽家達も、日本の音楽家達は、ピノキオよりもお鼻が高いよな〜?Europaの音楽家達は、一様に腰が低いのだけどね〜ぇ?
なんだろうね〜ぇ、この差は??
本当の意味での実力がないので、空威張りをするのが、日本の音楽家の特徴なのかな? アハ❢
本当は、お店で会った、コンクールの全国大会で一位になった芸大生の女の子が、謙虚で腰が低かったので、驚いてしまったのだよ?
彼女と親しくお話をしたのだが、勿論、コンクールの本選の発表を見て、合格しているのを確認してから、今日はこれからコンクールを受けた時の先生とは別の先生のlessonに行く前に、楽器の調整にカンダに寄ったのだそうな??
別の先生のlessonでは、直ぐにstageがあるので、コンクールの先生とは、平行で全く違った曲のlessonなのだそうな??
「別の先生についていて、先生にバレないの?」「弾いていて、解釈や弾き方で、混乱する事はないの?」と聞いたのだけど、今の所、バレてはいないのだそうな??
「俺ならば、課題の曲の他の人の演奏を、生徒が聴いただけでも、直ぐに分かるけどな~ぁ?」と思ったのだが、別の先生についている事がバレるまでは、もう暫くは、平行でlessonを受けるのだそうな??
まあ、ハッキリ言って、先生にバレていない事はないよな?
先生達が、知らない振りをしているだけだという思うよ?
そこは、建前でね?
まあ、若い頃には、色々な先生に師事して見るのも、・・それもありかな??•••と、妙に納得してしまった。
この女の子のとても良い所は、コンクールだけに凝り固まっているのではなく、演奏活動も平行してやっている事だ。
当然、通常の音楽の勉強もしているそうだし、そこは、まともだと思ったよ。
一般のKandidat(コンクール等の受験生)は、コンクールに合格するために、総てを犠牲にして、曲の練習に集中する。コンクールの日にちが決まると、日曜日は勿論、盆暮れ正月休みさえ無く、家族が旅行をしても、独りだけ、家に閉じ籠もって、昼夜、練習に明け暮れる。
酷いケースの場合には、週に3回、4回のlessonを受ける場合すらある。
一年365日、コンクールだけの生活である。
まあ、コンクールが好きで、趣味でコンクール三昧をしているのならば、それはそれで、別に異論がある分けではないのだが、コンクールを受ける本来の目的が、将来、proになる為であるとすれば、それは大きな勘違いに過ぎない。
コンクールを受けて、全国大会での入賞を狙う生徒は、当然、コンクールの後では、音大を目指す分けだよね??
しかし、総てを犠牲にする事で、例え、コンクールの全国大会で1位を取れた・・としても、音楽大学の受験に合格出来るか否かは、別の問題なのだよ。
例え、Pianoの・・、(或は、Violinの)技術力が全国大会で1位を取れるぐらいの技術力を持っていたとしても、それだけで、音大に合格出来る分けではない。
実際の例としても、私が音楽大学に入学した年のPiano科の入試では、Pianoの演奏が1位の生徒は、4年制には合格出来なくて、併願していた短期にしか合格出来なかったのだよ。
つまり、Pianoの成績がtopであっても、他の聴音やsolfegeや、楽典の成績が4年制の音楽大学ですら、合格、出来なかったのだよ。結局は、それが原因で、4年制への編入は諦めて、proの道は挫折してしまったのだよね〜ぇ。
同じ高校で、常に2番だった女の子は、主席で音大に入学出来たのだが、その後、何処かの音大のpiano科の教授になっていたけどね?
その女の子は、音楽の教科に限らず、piano以外の教科も、全ての教科がオールマイティだったのだよ。
その差が、音楽の人生では大きな差になってしまったのだよね?
その逆の話で、一番分かり易い具体的な話しは、私が音大の学生時代に沢山の受験生を教えて、全員を音大に入学させた話しだろうか??
私は、養父の希望であった「医者の道」に進まずに、音大への道を選択してしまったので、音大に合格した時の入学金は、亡き父の姉である伯母に頭を下げて出して貰った。
そして、なんとか大学の授業料までは、援助して貰える事になったのだが、東京暮らしの生活費への援助は流石に、無かった・・という事で勘当された私が、日常暮らして行くための生活費を捻出するために、私のPianoの教授から、「絶対に音大に不合格する」・・という生徒を毎年、2,3名紹介されて、音大受験の為の総ての教科を日曜日のまる一日を使って受験のための教科の面倒を見ていたのだよ。全員、所詮は音大には合格出来ない生徒達なので、落ちても構わない・・という条件であったのだよな??
当然、その生徒達は、主科のPianoでは、受験をしても不合格なのだから、Pianoを、幾ら頑張っても、それだけでは、短期大学にも合格出来るか、否か、にしかならないのだ。
だけど、音大への合否・・、所謂、受験は、全教科の総合点である。
主科の楽器(Pianoや、violin)の得点が合格基準に達しなかったとしても、それ以外の総ての教科を、満点にすれば、それだけで、ちゃんと4年制の音楽大学に入学させる事が出来るのだよ。
その当時は、誰も思いつかない裏ワザだったのだが、音大の教授に見捨てられた事を感じていた受験生達は、必死に私のhardなlessonに食いついて来たのだよな??私が最後の砦だったのだよな??高校生達に取っては・・
私は、受験のためのcurriculumを3ヶ月で終わらせて、後は、受験の当日まで、音楽大学で学ぶ総ての教科を教えてしまった。
受験は基礎の勉強に過ぎないのだから、より高度な勉強を熟せれば、受験の勉強なんて屁でもなくなるからなのだよ。
後は、それぞれの受験生の希望する音大の傾向と、受験生のtypeを整合させて、志望する音大を交換したりした。
英語の比率が高い音大や、楽典や聴音に比重を置いている大学もあるからだ。主科onlyの生徒は、主科の配点が大きい所を受験させた。それは単に受験のためだけではなく、入学してからの勉学にも大きく影響するからだ。
受験生本人のtypeに寄って、志望する大学が合っているか否かが決まるからだ。
勿論、私が指導した生徒達は、全員、合格したのは当たり前の話しで、中には、総代(成績がtop)で入学出来た生徒もいて、その音大からのFranceへの交換留学の権利も得る事が出来た生徒さえいたのだよ。
コンクールの話に戻して・・・
日本ではコンクールで入賞をして、音大を卒業して、留学をして、日本に帰国してproになる・・という道があるように、思っている素人さん達が結構、いるようなのだが、「proになる」・・という道は、そんなに甘い、簡単な話し•••ではない。
実際には、proを目指すのならば、『proになるための特別なlesson』を受けないと、proの演奏家にはなれないのは、当たり前の話なのだよ❢
日本の音楽社会ではそんな簡単な事さえ、理解されていないのだよ。
コンクール⇒音大⇒留学・・というRoyal road(王道)があると思い込んで、錯覚しているそのためだけに邁進している人達が多いのだよな??
だけど、本当に、そういったRoyal roadがあるのならば、日本中、proだらけだろうし、1年に数人のproの演奏家が生まれるハズなのだがね??
しかし、現実は、proは10年に一人ぐらいしか生まれないし、且つ又、必要も無いのだよ❢❢(まあ、自称proを含めると、そういったRoyal roadもあるのかな??アハッ!)
芸大では、卒業生達が何処に就職したかを、OB会のような所で毎年、公表しているのだが、それに寄ると、音楽関係に就職出来る人は、僅か1,2名程しかいないのだよ。殆どは、一般の会社に就職するか、学校の先生になるか、留学をするか・・だよな??proのオケに入る人も、非常に稀なのだよ。だってproのオケで団員を募集するのは、団員が死んだ時ぐらいだろう??たった、一人、二人の募集に、世界中から希望者が殺到して来るのだよ。たかが芸大を卒業したぐらいで、合格出来る分けはないだろうが❢それが現実の世界で、音楽教育界の言う事とは全く違っているのだよ。残念ながら、現実は厳しいのだよ。
しかし、こういった大学の先生達の言う妄想を信じて、コンクールを受けて、留学をして帰国して、演奏活動を始めた人達も、居るにはいるのだが、しかし、その人達の演奏活動が、3年の壁を超える事は少ないのだよ。
結局は1,2年の間に、現実に挫折して、別の道を歩むのだよ。
自分の音楽履歴だけを自慢として、夢を抱いていた頃を懐かしみながら・・ネ❢
それにconcoursを受ける事で、学ぶべき基礎教育が疎かになってしまうという、一般的に良く見受ける、もう一つの現実がある。
私達の音楽教室では、例え、全国大会で1位を争うコンクールですら、日常の音楽生活を、コンクールの為の勉強onlyにする事は絶対にさせない。
教室のオケ室内楽の練習や、自分自身の発表会の課題をサボるようならば、所詮はそのlevelに過ぎないのだよ。
それで、仮にコンクールに入賞出来たとしても、それでproになれる事はないのだよ。
何故ならば、proとは、日常の生活の中で演奏活動のlevelをkeepしなければならないからなのだ。
だから、Violinの生徒がコンクールを受ける為に、副科のPianoのlessonを休むようでは、とてもとても、そのコンクールを受けるlevelに達してはいない・・という意味なのだよね??
だから、楽器を買う為に必死にバイトをしている生徒に、一般の音楽の先生みたいに、「コンクールを受けるのならば、バイトはやめなさい❢」とは、私は絶対に言わないのだよ。水準を決めるのは本人であって、練習の時間ではないのだからだよ。
先程も言ったように、コンクールにだけ、必死になって、Pianoだけは音高で一番だったとしても、音楽大学に入学出来なければ、留学の道も無くなってしまうのだよ。
どうして、人はそんな簡単な事が理解出来ないのだろう。
コンクールなんて、proを目指す生徒達にとっては、余力で受けているのに過ぎないのだからね??
一応、確認しておくけれど、このPageでコンクールと言っているコンクールは、クラシックス・コンクールや日本音楽コンクール等の全国大会を持っているコンクールの話であって、企業の主催する企業内部のコンクールや、地方のコンクールの話ではありません。
音楽の世界で活躍する人達がコンクール歴として音楽歴に書けるコンクールは、全国大会のコンクールに入賞した場合と、国際コンクールに入賞した場合のみだけなのですからね。
それ以外の小さなコンクールの入賞歴を幾ら列挙しても、一般の人達からは、冷笑されるだけなのだからね??

4月23日『報われない人生』
今日は4月23日の土曜日、術後からのお久し振りの体調不良です。
その原因の1つは、昨晩の鼻詰まりによる摂眠障害で、よく眠れなかった事と、もう一つは、勿論、相も変わらない教室の問題です。
私自身の問題ではないので、私が悩む事でもないのですが、ついつい鬱ってしまうのですよ。
私の人生も、もうそろそろ、余生と言っても良い頃なので、他人のため・・とか、社会のために・・ではなくて、自分自身の為だけであっても、もう許される頃ではないのかな・・と思ったりするのだがね??
対人的には、頼まれた事・・、言われた事・・だけを、それがどんなに間違えた事であったとしても、言われた通りにやれば、世の中の軋轢は起こらないハズ※)•••と、思われるのだが、現実的にはそうではありません。
相手の望む通りにしても、その目標や夢が叶わないと、指導者の所為にされてしまうのですよ。
まあ、つくづく損な役割りだよね〜ぇ??
そして、夢が叶うと、指導者の涙ぐましい努力の成果ではなくて、自分自身の実力で夢を叶えた•••となってしまいます。
まあ、これでは、つくづく、損な役割りですよね〜ぇ??
※)あれれ?・・・これは私の一番嫌いな(出来る事しかやらない・・という)官僚•お役所の考え方だよね〜ぇ?
そりゃあ、拙いよな〜ぁ??
自分自身が自分の夢の為に努力するのならば、なんのstressも起きないのだけどね〜ぇ?
なまじ他人を正しい道に導びこうとするから、その反発に苦しむのだよ。
・・ってな事は、教室を作った時から•••ではなくて、音楽大学に入学した時から分かっていた事だから、「教育にだけは、手を出さない」•••と決めて、敢えて、大学の科目でも、教職だけは取らないように、して来たハズなのだがね?
なんの因果で、音楽教室なんて作ってしまったのだろうかね~ぇ??
生徒達に思い入れがあればある程、間違えた道を歩む事を見過ごす事は、それが無責任な事に思えて、なかなか私には出来なかったのだよな??
そして正しい道に戻そうと、説伏をしようとして、なかなか理解されて貰えず、結局の所、独りになった時に、世の無理解を鬱になって苦しむのだよ。
人が望む事だけを、望むようにやってあげても、そこで本人が失敗をすれば、その失敗の所為は、またまた私に負い被せて来るのだから、教育というものは、始末に負えないのだよ。
一般の指導者は「あなたは音楽の才能がない!」とか、「音楽には向いていない!」という事を、生徒達に平気で言えるらしいのだが、「才能があるか、無いか?」ではなくて、「才能を育てる事が出来るか否か」なのだがね〜ぇ。
指導する事が、好きでも無いし、価値すら見いだせない指導者は、生徒の上達の如何を『才能』という一言で片付けてしまう。だから、指導者自身には指導上の悩みは無いのだよ。
『才能』というものは、無い・・と思い込んでいる私は、やはり、つくづく「人を育てる事には、向いていないのだよな〜ぁ?」と思うのだよ。
だから、音楽教室の主催者とされる、今の立場、つまり今、私が居る場所が、私の居場所とは、とても思え無いのだよな〜ぁ??
しかしながら、作曲家という職業でも、たつきの糧を得るための、作曲家であるとすれば、自分が嫌いなgenreの曲を書かなければならない。それは、生徒を指導するよりも最もやりたく無い事なのだよな。自分が書きたい曲を書いていても、仕事にはならないのだから、作曲家という立場も、私の居場所にはならないのだよ。大学の先生という立場も、私の居場所では無かったしね??
そもそも、作曲家になった理由が、対人恐怖症が理由では、全く、将来は無いしね~ぇ??
親が居たら、多分、引き籠もりの先駆者になっていたかもね??アハッ!
居場所と言えば、今日は朝からハイツの外壁の工事がなかったので、お久し振りに窓のBlindを開けて、外の明かりを部屋の中に取り込んだのだよな?
お昼には26℃越えの夏日になったらしいのだが、Blindを開けても薄暗い部屋に閉じ籠もっていると、そういった季節感は全く無いよな〜ぁ??
ダメだ❢❢
幾ら、疲れを取る為に幾ら頑張って寝ても、疲れが体から抜けないのだ❢
それでも結構頑張ってBedで横になっていたのだけど、夕方も7時を過ぎたので、疲れの抜けない体に、無理をして起き出したのだが、toiletteに行くと、なんと結構勢い良く、大量に排尿が出来て、次いでに、排便すら出来た。
私の健康状態を見るbarometerである手の甲を見ると、結構、肌目が細かく、きめの細かい良好な状態である。
眠れない・・とは悩んでいたのだが、一日中寝ていたので、それなりには体調が回復出来ていたのかも知れない??
少し、気分が楽になった。
•••と、思って椎名町に行く準備を開始したのだが、やはり、体が重くて動かなくて、遅々として準備が進まないのだよ。
やっぱ、ダメだ❢❢
何とか、必死に椎名町までBikeで移動して、軽く食事を済ませて、ドルプリっ歩に頑張って付き合ったのだが、10分程で体力の限界になって、まるで、恰も老人か、重病人のように、トボトボと杖をつきながら、独り椎名町に戻ってしまった。
「この一日、二日の夜の睡眠が、上手く行っていないのが、体力が戻らない原因ではないのかな?」と思っている。
今は椎名町で椅子に座って、プリドルの帰りを待っている所なのだが、どうやら、椅子に座っている事さえ、もう無理なようだ。頑張って、ハイツに戻った❢
なんとか、ハイツに戻って来て、椅子に座って、呆然自失しているのだ。
2時間程経ってから、なんとか意識が戻って来た。
お弁当や楽譜を、整理して寝なければならないのだが、そこまで体力•気力が、持つかどうか・・だ。
またまた、眠れない夜がやって来た❢
Bedに入って、鼻詰まりの対策をしながら、Sandman(サンドマン)がやって来るのをひたすら待っていたのだが、どうしても眠れないのだよ❢
朝の6時近くになって、遂に諦めて、起き出して、エクゼチェア(Executive chair)に座って、ストーブとエアコンをつけて、リクライニング(Reclining)をした。
もう、諦めて、椅子で仮眠をする覚悟なのだよ。
エアコンの暖房が心地良くなって来て、やっと睡魔が近寄って来たので、timingを見計らって、急いでBedに戻って、寝た❢
いや〜あ、心と肉体の疲労と闘った酷い一日であった❢
それでも、眠る事が出来たので、善哉❢善哉❢

4月24日web-lesson
今日は発表会開けの第3週目の日曜日です。
この所、体調のcontrolが上手く行かないので、今日も、オケ練習のギリギリまで、まるで重病人のように、bedで休んでいました。
オケ練習の直前になって、楽譜を楽譜棚から全部下ろしてcheckしたのだが、今回の楽譜はハイツに戻って来ていないようで、全部見つかりませんでした。
・・と言う事で、今日は楽譜無しでの、lecture-lessonになります。
練習番号とか、何小節とかまでは、流石に覚えていないのだがね~ぇ??
それは困ったぞ❢
はてさて、注意事項をどうやって伝達すれば良いのかな??
lesson時間はとうに過ぎているのだが、お呼び出しは未だ無いようだが・・・
『為せば成る、成さねば為らぬ、何事も・・』
・・否、こういう時に使う格言では無いだろうが・・??
Situationも、意味も違うよね~ぇ❢❢
予定時間よりも、2,30分遅れて、4時過ぎからTeleworkでオケ練習のlessonが始まりました。
前回は初見で曲のimageを作ったので、今回は曲の練習のpoint、所謂、曲の練習の「concept出し」をmainにlectureしました。
一応、VivaldiやBachを演奏するので、時代考証と言うか、period-styleでの基本となる奏法をこれまで勉強して来た分けなので、その奏法の復習や確認をしました。
唯一の擬古典となるLa Foliaは、orchestraのpartにそれぞれsoloがいるので、この曲を練習するにあたっては、最低でも、各part、soloとオケの二人づつはいないと、曲のimageが分からないので、やっとこ、Quartettの人数しかいない現状では、練習に支障をきたして、困ってしまいます。
理想的には、solo-Viola 1名と、1st.Vl.3名(solo1+オケ2)2nd.3名、Viola2名、Cello3名(continuo-solo1名+オケ2名)Kb.2名、Cembalo1名、Organ1名です。
soloと15名が最低でも必要なのだけど、最悪の場合には、それぞれを2名ずつにして、12名+solo1名で、なんとかなるのかな~ぁ??でも、この演奏者の人数の落差は大きいのだけどね~ぇ??
『練習番号付けの説明です。』
通常、楽譜の練習番号付けは、出版社でも、或は指導者が付ける場合でも、練習の都合が良いように、任意に練習番号を付けます。当然、当たり前の事ですが、演奏家が個別に練習番号を付ける事は出来ません。
でも芦塚methodeでは、練習番号は誰が付けても同じようになるようにしています。ですから、生徒達に練習番号を付けて来るように宿題を出しても、全員同じ練習番号になります。
それは、練習番号を練習の都合で付けるのではなくて、Tree structure(ツリー構造)、若しくは、Hierarchie(ピラミッド構造)として、練習番号を付けて行くからです。
主題の提示部、展開部、再現部、それにCodaの3,或は4部構成が一番上層部のHierarchieになります。[A]とします。
それから、第2構造の提示部には第一主題と小展開部、第二主題と展開部と纏めの部の四部構成になります。[A]の下の階層になるので、私の場合にはひらがなで[あ]とします。その下の階層では[a]、更に詳しくは[1]と言う風に、階層を作ります。この場合には、数字の[1]は、多分、Motivの単位になっていると思います。
分かり易く言うと、練習番号を付ける事で、曲の構造式を理解させているのです。
今回のJ.S.BachのCembalo-Concertoの二楽章の淡々としたmelismaのmelodieを起承転結を持って、しっかりと演奏するには、この構造式が理解出来ているか、否かに寄るのです。
私の問い掛けに、生徒達はちゃんと答える事が出来ました。
構造式を理解出来るように育って来ました。これが、音楽の基礎なのですよ。こういった事がちゃんと出来ると、中学生や高校生になった時に、差が出来るのです。アハッ!
と言う事で、今回のLa Foliaのlectureは、変奏曲形式に寄る構造式のlectureでした。しかし、楽典の本を幾ら調べても、変奏曲形式というのは、出て来ないハズです。baroque時代のla foliaやChaconne、古典派のBeethovenの32のVariation、或は、色々な作曲家の手に寄る、Hungarian Rhapsody等々の曲は、なんと総て、この変奏曲形式で書かれているのです。
音楽の常識というのは、面白い事に、楽典や音楽通論に登場しない、作曲家達だけが、知っている色々な知識があって、とても面白いのですが、その中のこの変奏曲形式もその一つです。
私は、生徒達にHungarian Rhapsodyの構造式を指導する時に、日本の舞楽に使用されている、序破急の構造式を使います。
序の部では、混沌としたthemaの断片が、徐々に姿を見せ始めます。破の部では、そのthemaが緩急で(或は急緩で)対比されます。急の部では、遅くから、始まったthemaが徐々にtempo-upして、頂点を形成して行きます。殆どのVariation形式の曲や、民族舞曲は、この構造式を使用しているのですよ。
勿論、今回のCorelli=DavidのLa Foliaも同じ構造を使用しているので、そのVariationを三部に分ける事は演奏上とても大切な事です。
それぞれのVariationには、曲と曲の繋ぎを、4つの繋ぎに分類します。曲から次の曲に入るtimingには、attaccaで入る場合と、一呼吸置いてから入る場合があります。長い一呼吸置いて入るのが、各部の間になります。themaはVariationではありませんから、独立して演奏しなければなりません。当然、themaと第一Variationの間には、間が必要となります。しかし、第一Variationから第二部に至る迄は、一つのVariation毎のup-tempoとなります。Metronomでは二つぐらいをVariation毎にtempo-upさせていきます。これが、第一部の終了のVariation、私の「練習番号付け」では、Variation毎に練習番号を付けているので、Variationの数と練習番号は同じになるので、第7Variationまでが、第一部になります。
第二部はVariation毎に緩急が交互に出て来る部になりますが、第二部の後半では緩急急と拡大形が使われます。第二部は13Variationで終わって、14Variationから第三部が始まるのですが、第二部の10Variationと11Variationの間に、tempoを3拍子から4拍子に変える為に、長い休みを使用したので、13Variationから第三部へは、その長い休みの長さをsoloがauftaktのmelodieで拍を伸ばします。第二部に登場した余分な長い休みを二つの音でcancelにしています。とても、cleverなDavidの面目躍如とした編曲です。
後は第三部なので、一つのaccelerandoとしてCodaまで一気に演奏します。
これがFerdinand DavidのCorelliのfoliaの構造式になります。
scoreの作成では、今回の変更箇所は無かったので、後は、演奏上のsupportの譜面の書き込みぐらいで、私のarrangementは取り敢えずは終了です。
オケ練習のギリギリ迄、bedで休んでいたので、体調的には、なんとかもったけれど、ドルプリっ歩までは、体力がもつのかな??
自信は半分ってとこ・・❢
でも、お迎えっ歩は超、short-courseなので、まあ、なんとかなるでしょう??

4月24日 『Ornamentについて 』
Ornamentの演奏の仕方は、現在の日本では、Czernyの装飾音の弾き方、Bachがinventionに掲載していた基本的な演奏法しかない。
Ornamentの本来の意味が、未だ日本の音楽教育上では、理解される事はないのだ。
と言う事で、本来的な装飾音の成り立ちと意味を紹介する。
A. 基本的な装飾音の種類とその演奏法とその意味
Renaissanceの時代からbaroque時代、或は古典派の時代のPipeorganやCembalo等の鍵盤楽器は、音に強弱を付ける事が出来ない・・という弱点を持っていた。CembaloやPipeorganのような楽器でも、強弱を付けるためには、鍵盤を2段、3段と増やす事しか改善策は無かった。
Baroque時代に既にあったClavichordは、一般的な音楽の演奏には、音量が弱すぎるという致命的な欠点があった。
古典派の後期の時代に入って、forte-pianoのような表現力を持つ新しい楽器が創造されるに至って、ornamentはその意味を失って、ornament奏法は衰退していく。
しかし、そのために、本来、あるべきornamentの表現法は、その意味を忘れ去られて現代に至っているのだ。
ViolinやCello等の弦楽器の演奏法の発達で、音楽の表現力は著しい発展を遂げた。
しかし、音の強弱やvibratoを出せない、又、音の持続力が乏しいCembalo等の鍵盤楽器では、弦楽器の表現力を出す事が当面の課題であった。
そこにornamentが登場するのだ。
基本的には、拍頭の強拍を表す装飾音や、逆にmelodieの終止の弱拍を表す装飾音、crescendoを表す装飾音や、decrescendo(diminuendo)を表す装飾音、或は、melodieの頂点を表すための装飾音・・・、等々の色々な装飾音があるのだが、それが文章として残されている事は無い。(勿論、一部が、書かれている事はあるとしても)、それらを系統だって書き残している文献は見た事は無いのだ。
(※)装飾音に関しては、私のhomepageで、CouperinのSoeur Moniqueの装飾音の演奏法のPageに、詳しく書いている。
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/moni...
装飾音という定義は、episode(Deutsch語ではeingang)という短い即興演奏と勘違いされる場合もある。eingangはkadenzではなく、あくまでも、演奏上のfermataの後の繋ぎのpassageに過ぎない。
a. Trill(tr.)triller
trillには、長いtrillと短いtrillというのがある。記号で書くと、次のようになる。長いtrillは基本的には音の持続を表す。
短いtrillは、音を強調したり(accent)、強拍や弱拍を表現する。
強拍やaccentと表すtrillは速く、1回のtrillではなくて、Doubleやtripleの(或はそれ以上の)trillも演奏上には良く出てくる。
非常に遅いtrillは、弱拍を表したり、優美な「揺らし」を表現したりする。或はmelodieの終止音としての弱拍を表す事も多い。
また、現代に見受けられる書かれたtrillでは、rococoの時代には、前の音にtrillの音がTieをされて、timingが遅れて演奏される事で、優美な弱拍を表現する奏法が一般的であった。
それが近現代の拍の前の装飾音の元となっているのだが、日本の音楽界では、それを非常に鋭く強く演奏する悪癖が残っていて、装飾音のあり方の根本的な勘違いを意味している。
Bachのinvention等では、もう既に、強拍を表すtrillと弱拍を表すtrillが、同一曲に同時に登場していて、Bach自身が家族や生徒達に、そのtrillの演奏上の違いを理解させて、指導したと思われる。
一般的にはViolinやCello等の弦楽器のvibratoの速度とtrillの回数は同じになる。つまり、音楽的な表現においては、vibratoからtrillへ移行する事、または、その逆も可能である。vibratoは振幅の小さなtrillである・・という事が出来る。
b. mordent
mordentとは、幹音から下に掛かるtrillを言う。意味は音の強調である。一番頂点を表す場合には、simpleな1回のmordentから、より強調したDoubleのmordent、また、tripleのmordentさえ出てくる。mordentが鋭い場合には、sforzandoを意味したり、melodieの頂点の音を表現する場合に用いる。
c. pralltriller
先程も、述べたように、小節の拍頭が弱拍になる場合に、それを表現するための、trillの一種である。拍頭のtimingが左手の拍頭よりも遅れて演奏されるために、優雅な柔らかな表現になる。
d. schleifer
schleiferの元の表現は音と音を繋げる事にある。弦楽器ではlegatissimoやglissando、声楽ではportamentoの奏法を表す。
3度の音を繋げて表現する特殊なschleiferもある。
Bachが息子、Friedemannのために、装飾音を書き加えた、所謂、Wilhelm Friedemann BachのSinfoniaのⅣ番には、このschleiferがthemaに書き加えられて、更に、3度のschleiferさえ出てくるのだが、arpeggioと間違えて、演奏させる指導者が数多く見受けられるのは、慙愧の念に堪え得ない。(Friedemann Bachのinventionとsinfoniaは、日本版でも全音出版社から、Bischoff版として出版されている。)
e.
f.
g.
Facebookの文字数の制限上、これ以上は書いてもupload出来ないので、以下はhomepage上で閲覧してください。
折に触れて、書いているので、色々なURLにornamentに付いての記述があります。
ASHIZUKA-S-OHEYA.ASHIZUKA-ONGAKU-KENKYUJO.COM
修道尼モニカ

4月25日David版のthemaの1拍目の音価についてのお話
今日は4月の25日の月曜日です。
昨夜も4時半過ぎに、やっと眠れたので、今日の朝は、8時過ぎに目が覚めました。
いつものように毛布1枚で寝ていたのに、すっかりと汗をかいてしまいました。暑い❢❢
携帯で練馬区の気温を見ると、なんと、既に20℃になっています。今日のお昼は27℃にも達する予定だそうです。
夏だ❢夏だ❢❢
兎に角、今日びの温度差には、体が付いて行きません。
昨日の日曜日のオケ練習の最後のFerdinand DavidのLa Foliaのlessonでは、構造式のお話しの他に、もう一つ、重要なpointであるDavid版が、Corelliのfoliaのthemaと異なっている(Davidに寄って書き換えられている)themaの音価のお話をしました。
originalのCorelliのla foliaでは、themaの1拍目の音の音価は4分音符になっているのですが、David版では、その1拍目の音価が8分音符になっています。
何故、Davidは1拍目の4分音符を8分音符にわざわざ、直したのでしょうか??
それは、単なる感覚的な事では無くて、とても深いDavidの考えがあったのです。
こんにち、現代の演奏styleでは、一般的にla foliaのthemaは非常に遅く荘重に2拍目のsyncopation(シンコペーション)を強調する事は無くて、なだらかに優美に演奏される事が多いようですが、実は舞曲としてのla foliaは、そんなに遅いtempoではありません。
baroque時代のVariation形式の舞曲であるChaconneやfolia、或は、荘重的な非常にゆっくりとした音楽の代表とされるsarabandeでさえも、baroque時代には、実は結構速いtempoで演奏されていました。traditional-baroqueの権化とも称されるCorelliのtriosonateの中にも、結構、速い速度のsarabandeが出て来たりします。(・・と言うか、時代を遡ると、逆にfoliaやsarabandeのtempoが速くなる・・という傾向があるので、当然なのですがね??)
しかし、そのtempoの問題が出て来ると、現代の演奏家達は、『la folia等の舞曲を純粋の音楽として演奏をするか、否か』のお話である・・と言います。
つまり、Corelliのla foliaも、danceを伴わない、純粋の曲としての演奏であったとすれば、遅いtempoでの演奏も可である・・という主張です。
ChopinのPolonaiseやMazurkaを、Chopinが生きていた時代にさえも、音楽的に演奏するか、民族的なrhythmで演奏するか・・という問題が持ち上がったりして、ある著名なpianistが、「Chopinの演奏するMazurkaのtempoは間違えている」と言って、Chopinを怒らせたお話があります。
作曲者本人に対して・・ですよ??
勿論、記譜と音楽表現の問題なのですが、それは書かれた音楽が民族音楽、或は舞曲として演奏するか、否かのお話になる・・と思います。
同様の問題が、la foliaにもあって、foliaのtempoの設定は、同時にこのthemaを舞曲として演奏するか、否かの問題なのですが、しかし、foliaという名称は2拍目に軸足が来る円舞曲に対して付けられている名称なのですよ。
先程、引き合いに出したChopinのMazurkaも、Mazurkaという曲のgenreであるとすれば、Mazurkaとして演奏されなければならない・・
つまり、舞曲を舞曲としてではなくて、純粋の音楽として表現するとすれば、Mazurkaという名称を付ける事は出来ないハズなのです。
そこが問題なのです。
Mazurkaに限らず、Wiener waltzやländler等の旋回する舞曲は、民族音楽なので、当然、Europaではこんにちでも、その踊りは残っていて、Europaの人達はこんにちでも、その踊りを楽しんでいます。
Chaconneやfoliaのような古い時代のdanceでも、Choreographie(step〈足捌き〉を図として、書き表した物)が残っていて、baroque-danceとして、こんにちでも、実際にballetの世界では踊られています。
MazurkaやWiener waltzやländler等の旋回する舞曲は、回旋するために、軸足が第2stepに来るので、体幹が2拍目に来ます。(2拍目で腰を決めるので、1拍目が軽く浮かして演奏するのです。実際の動きは、You Tube等で色々な舞踏家が踊っているので、実際のbaroque-danceを参照してください。)ですから、1拍目を浮かすようにupで演奏して、2拍目に重心が掛かるように演奏をするので、VivaldiやCorelliが1拍目を4分音符で書いたとしても、演奏はWiener tanzeのように、1拍目が短くなってしまうのです。
それを演奏上の「bow-slur」として書き表すと、Davidの楽譜のように、8分音符のup-bowにして演奏する方が、1拍目の表現がより音楽的に表現出来るのですよ。
Ferdinand Davidはこの曲をfoliaという舞曲として弟子達に指導するために、2拍目が軸足である事を教えるために、意図して、4分音符から8分音符へ書き換えたのです。
Davidの時代でさえも、もう既に、宮廷の音楽は廃れて、8分音符として書き表らわさなければならないぐらいに、人々から忘れ去られてしまったのですよね。
と言う事なので、David版としてfoliaを演奏する場合には、8分音符を軽く浮かして、(こんにち演奏されている非常に遅いtempoよりは)少し速めのtempoで演奏する事が、foliaが舞曲である必然であるために、これはDavid版の譲れない必然だったのです。
David版として、演奏をしている日本人の場合には、往年の名演奏家達が弾いているように、1拍目の8分音符を無視して4分音符にして、2拍目のsyncopationも無しにして、なだらかに、ゆったりと表情豊かにこのfoliaのthemaを演奏しているようなのですが、それでは、残念ながら、『舞曲としてのfolia』では、ありませんよね??
foliaと言うのは、元々、舞曲の種類の意味を表す言葉なのですからね??
そう言う風に、非常に遅く演奏しては、Ferdinand David先生は、多分、怒り心頭であった・・と思いますよ。
だって、それを表すために、敢えて、4分音符を8分音符に直したのですからね??
往年の(20世紀の前半の)名演奏家の時代には、演奏家の個性や名人芸的な演奏表現が尊重される時代背景の時代で、それこそ「時代考証」と言う概念はなかったのですよ❢
ですから、忘れ去られた楽器の代表であったCembaloを現代に復活させたWanda Landowskaは、Cembaloが廃れてしまった原因を楽器の表現力の弱さと捉えて、forteやPianoの音量やcrescendo、decrescendoさえも出来る、Monster-Cembalo、所謂、Landowska-Cembaloを作ったのです。しかし、それはbaroque音楽が再び復活する過渡期の一時的な所謂、カンブリア紀(Cambrian period=神の実験の時代)のようなeccentricな楽器に過ぎませんでした。1970年代からはbaroque楽器の復刻が盛んに行われるようになって、それに伴って、当時の演奏法も理解出来るようになって来たのです。1990年頃からは、baroqueの演奏に対しても、正しいinterpretationが徐々に主流となって来ました。
ですから、baroqueのperiod奏法は21世紀に入ってからが、本当のbaroque音楽を聴く事が出来るようになったのです。
・・・と言う事で、くどいようですが、baroque時代の色々な演奏表現の方法は、19世紀から20世紀に掛けては、すっかり忘れ去られてしまった・・という時代背景があります。
しかし、それは昔々のお話ではなくて、私達が産まれ育って来た時代でも、一般の音楽家達のbaroqueの時代の楽器や演奏に対しての理解は、お粗末を通り越して、奇妙奇天烈な物があったのです。
その一昔前のbaroque音楽に対しての誤った解釈が、それから半世紀以上も経つた今日でも(21世紀に入っても)、非常に残念な事に、現代の音楽界にまかり通っているのです。
全音楽譜出版社から出版されている鈴木教則本の6巻に、la foliaが掲載されていて、それと同じ版を、稀に、David版として書いてある場合もあるようなのですが、David版の場合には冒頭1拍目の音が8分音符でなければなりません。
ですから、幾ら、そのversionが、David版からの抜粋版だとしても、David版と呼ぶ事は出来ません。
20世紀に入って、誰とは言いませんが、往年の名演奏家達がCorelliのla foliaを演奏する時に、非常にゆったりとしたtempoで、なだらかにthemaを歌い込んで演奏したので、その演奏styleだけがこんにちの主流になってしまったようなのですが、舞曲のfoliaとして演奏する場合には、stepの関係で、そんなには遅くは弾けませんし、Davidもそういった意図は無かったので、8分音符にしたのだ・・と思います。
まあ、いずれにせよ、8分音符で演奏するか、4分音符で演奏するかで、themaのtempoが変わる事はしっかりと、把握して置いてください。
originalのCorelliのfoliaは4分音符で書いてありますが、baroque時代では実際に演奏される音符と、書かれた音符は全く違う場合が多いのです。
こんにちのように楽譜の記譜に忠実に・・という発想は根本的にありません。そのために、実際の演奏譜さえ必要となる場合すらあります。(ここではBenjamin BrittenがRealisation譜で、著作権料を取ったという馬鹿げたお話はしません。)
参考までに、同時代の作曲家であるVivaldiのTrioSonateのla foliaです。2006年の演奏ですが、勿論、interpretationは私の解釈です。
(若いVivaldiは、高名なCorelliを訪ねた事があります。)当然、このVivaldiのla foliaのthemaは非常に速いtempoで、舞曲として、rhythmicalに演奏されます。
それはそうと、今日は先生の帰りが遅いので、夜食は無しで、ドルプリっ歩だけに椎名町に出掛けました。
体調管理のためと、頼まれた発表会のそれぞれのcamera・・つまり、4K-cameraや、赤カメ、白カメ等々のdataをBlu-rayに焼いたので、(一つのcameraをBlu-rayに焼くのに、2時間以上掛かります。それを4台分で、つまり、今日一日はその作業だけで終わってしまいました。)そのBlu-rayのdisc を椎名町に届けたり、次いでに、オバQ-Violaに相性の良いbaroque-bowをハイツで探して、見繕って、椎名町に背負ってbikeで持って行きました。
つまり、食事とは別に、そういった雑用が色々と、あったのでね??
今日のドルプリっ歩は、あっちぷらぷら、こっちプラプラのウダウダがいつもよりも、超、酷くて、とうとう頭に来て、私は途中で帰ってしまいました。
一定のrhythmでコツコツと歩くよりも、ウダウダ・プラプラの方が、体が疲れてしまうのですよ。
ウダウダ散歩で、30分、小一時間散歩したとしても、体調回復のためには、何のmeritも無いのでね??
ハイツに戻る前に、これもホボ恒例のドルプリのお散歩の後のおやつである野菜(かぼちゃやお芋、ブロッコリーの芯等)を食べやすいサイズ、且つ又、電子レンジで均等に温める事が出来る大きさに切る作業をしました。
これが結構時間が掛かってしまうのですよ。かぼちゃ等が包丁で、なかなか切れないので、私の作業なのですよ。刃物の扱いは私の方が、ベテランなのでね??

4月26日暴風雨になってしまった
4月26日の火曜日の、朝の4時半過ぎなのですが、なんと、もう既に気温は19℃なのだそうです。
・・・という事は、もう毛布は無理だよな??
夏用の羽毛布団を出さなければ暑くて眠れないぞ❢❢
この3日間、起きた時には寝汗をかいているのでね??
椅子に座ってウダウダとしていたら、やっと、睡魔がやって来てくれたので、慌てて押入れから、夏用の羽毛布団を探しだして、毛布と変えたのですが、防虫剤の臭いが酷くて、とてもBedに入る事ができず、暫くの間、またまた、椅子で休む事にしました。
本当ならば、天気の良い時に、外に干してから部屋に入れるのが筋なのでしょうが、マンションが工事中なので、ベランダに洗濯物を干す事さえ、出来ません。
・・とか言っていたら、夕方からは、大粒の雨が降って来ました。
夜のBikeの移動が思いやられます。
・・と思っていたら、暴風雨になってしまいました。
どうやら、椎名町へのbikeでの移動は無理なようだけど、そもそも、火曜日は夜が非常に遅いので、ハイツで引き籠もる事の方が多いのだけど、どうやら、今日は朝から水曜日のような気がしているようだな??
今はもう9時半を過ぎた所なのだけど、未だ、22℃もあって、部屋の中が、蒸し暑いのです。困った❢
10時直前になって、ふと、思いついて、エアコンを除湿にして入れました。なんと、息が出来るように、なったのだよな??
私は超、湿度に弱い・・という事を忘れていた。
眠る時には、エアコンの除湿ではなくて、除湿機を入れて眠るか??
エアコンの除湿では、温度が下がって寒くなってしまうからです。移動出来る除湿機やCaster付きの除湿機では、逆に部屋の温度が上がるので、寒くて湿度のある時には、除湿専用機に限るのだよ??、

4月27日一日中ウダウダと
4月27日の水曜日の朝の4時です。
bedで寝ていたのですが、鼻詰まりが酷くて、息が出来なくって、眠れなくって困っていたのですが、酸欠で、とうとう頭の芯が痛くなって偏頭痛になってしまいました。
それでもなんとか、頑張って、bedで眠ろうと思ったのですが、息が出来ない状態が酷くて、無呼吸症候群で死んでも、しょうがないので、とうとう諦めてbedから起き出して、練馬区の温度が22℃もあるのにも拘らず、エアコンの暖房をつけて、椅子で仮眠をする事にしました。後頭部と首を温めると、鼻が通るし、眠気を誘うからです
いつも座っているパソコンの椅子は、足枕が付いていて、背もたれを倒すと、カウチ(couch)bedになります。
・・と言う事で、足枕を出して、背もたれの角度を調整して・・・やっと椅子で横になれた・・と思ったら、なんと、もう小一時間が過ぎてしまいました。たった、それだけの作業を・・なんで、という事なのですが、疲労困憊して体が全く動かないからなのですよ。
この1時間の超、早い事・・❢❢
もとい、動作の遅い事•••❢❢❢
つくづく、時間は均等ではないのだよね~ぇ??
椅子をカウチbedにしたので、頭の高さが高くなったので、鼻詰まりは楽になったのだけど、精神的にイライラして眠れません。
仕方がないので、毎朝のroutineである体重や血圧の測定をして、持ち帰って来た雑炊を食べて・・・と、雑用を済ませて、時間が経つのを待ったのだけど、眠くならないので、カウチで眠るのは諦めてしまいました。
エアコンの暖房をつけていたので、部屋の温度が異常に熱くなって来たので、壁掛けtypeのエアコンはやめて、Caster付きの除湿機をつけました。
Caster付きの除湿機の事を、私はよくコンビニクーラーと呼んでいるのですが、それは実は商品名なのです。
しかし、古い除湿機なので、netで調べても、もう同じ名前の機種は発売されていないようです。)
寝室にもクーラーとは別にcompactな持ち運びの出来る結構新しい除湿機があります。
除湿機は、私に取っては、梅雨時の季節には、必須の命綱です。
「overな??」と思われるかも知れませんが、私は、湿度アレルギーがあって、湿度が高くなって来ると巨大・汗も(汗疹)が体に出来て、それが膿んでしまって、真っ赤に腫れ上がって、それが体中に幾つも出来て、大変なのですよ。
昔々には、何度か、膿を出すために、医者がメスで切って膿を絞り出した事もあるぐらいです。
アレルギー性の汗もなので、市販の薬を色々と試したのですが、全く効きません。
だから、コンビニ・クーラーが始めて発売された時には、歓喜したのですよ。
今でも、少しでも、油断していると、汗もが出来てしまいます。
アレルギー性の巨大汗もなので、市販の薬では、手の打ちようがありません。
医者の処方の漆喰のような薬で対応します。
朝も9時過ぎになったのですが、寝室の除湿機をつけっぱなしにしていたので、部屋の中が、結構乾燥して来たので、bedに戻って横になったのですが、今度は、上手く眠る事が出来ました。
お昼の12時まで眠れたので、3時間は眠れたようです。
眠れなかった未明から入眠までの時間は、なんと、5時間にもなります。
この所、毎日の事なので、結構、上手い対処、対応を考えなければなりません。
せめて、眠れない時間を小一時間ぐらいまでに、抑えられると良いのですがね・・・??
小雨が降っているのだけど、風が相変わらず酷いのだよな??
練馬区では今の気温は27℃で、体感温度は、なんと29℃だそうです。
お昼の2時頃迄には、28℃まで上がる予定です。
という事は、体感温度では、30℃を超すという事だよな?
もう、すっかりと、夏日だなや??
今は除湿機は諦めて、マジにエアコンの冷房を入れています。
それはそうと、冷蔵庫の中は綺麗サッパリ・スッカラカンで、食べ物が全くありません。
腹が減ったら、コンビニにでも、お弁当を買いに行かなければならないのかな??
omicron対策で、部屋から外には全く出ていないのだけどね~ぇ??
米と梅干しとお茶漬けの元だけはあるので、日の丸弁当かお茶漬けだけは作れるのだけど、米食では、糖尿病がね~ぇ??
お昼過ぎの時間なのだけど、小一時間程で、疲れてしまって、またbedに戻ってしまいました。
今回は直ぐに眠れました。
今度は4時過ぎに目が覚めました。
今日、3回目の入眠です。睡眠時間も同じ、小一時間程でしたがね??
すっかりとお腹が空いたので、食事を食べる夢をみました。
夢で、お腹が満たされたので眠くなって来ました。
また、寝るか??
一度、入眠が出来ると、その後は、引き続き眠れる事が多いようです。
・・・と言う事で、マジに、眠ってしまいました。
起きたのは夕方の6時の手前です。
またまた、小一時間程眠ったのかな??
4回目の入眠です。
次いでに、練馬区の現在の気温は24℃だそうです。
部屋の中は結構肌寒いのだけどね~ぇ??
今度、眠ると、食事に間に合わなくなるので、眠れません。
ではなくて、眠る事が出来ません。寝てしまうと、食事に起きれなくなってしまうからです。

4月29日左肩が痛くなって
今は4月29日の朝の5時です。
昨晩は、なんとなく、上手く眠れそうな雰囲気だったので、3時頃迄には頑張ってbedに入ったのですが、寝ていると、左肩が痛くて、仰向けでも、うつ伏せでも、横になっても、痛くて、眠れません。
所謂、40肩•••ならぬ70肩とでも言うのでしょうか??
まあ、歳を取ると色々とあるのだよね~ぇ??
要は、中古車のように身体中のあちこちにガタが来ているのだよな??
諦めて「椅子をカウチ(couch)にして寝ようかな?」と思ってbedから起き出したのだけど、普通に座っていても、歩いていても、左肩が痛いのだよ。
肩が何かに触れていなくても、痛いのだよ。
これは重症だ。
これは困った❢❢
色々と体を動かして、痛くない方向を探そうと思ったのだが、肩の方向には関係なく、痛いのだよな??
まあ、これよりも痛みが酷くなったら、ロキソニンでも飲む他はないよな??
取り敢えずは肩を温めて見るか??
•••という事で、なんと言う名前なのかは知らないけれど、鼻詰まりの時にもよくお世話になっている《電子レンジでチンをして肩を温める肩枕のような》変な物を出して来て、30分程、肩を温めました。
一度レンジで温めると、10分以上は温かいままなので、3回程、チンをしました。
それと、平行して、練馬区の気温は深夜にも拘らず19℃ぐらいはあったのですが、エアコンの暖房をつけて、ガスストーブもつけて、体全体を温める事にしました。
結構、その思い付きの対処法は上手く行って、肩の痛みも取れて、めでたくサンドマン(Sandman)が(日本流には、砂掛けババァが)やって来てくれて、何とか、Bedで眠る事が出来ました❢
たかだか、7時過ぎぐらいから10時半ぐらいまでの3時間程度の睡眠なのですが、それでも、摂眠障害の私にとっては、「眠れた」•••という事自体が嬉しいのです。
今日はお昼からは予定が詰まっているので、喩え、3時間睡眠でも、頑張って出掛けなければなりません❢
•••という事で、体力的には今日は、ちょっと辛い一日になるのかな?

4月30日斉藤先生が携帯を失くしたと言う事で・・
今は4月の30日の土曜日の朝の4時半を過ぎた辺りです。
昨日のお話しの続きなのですが、お昼過ぎの1時前には、頑張って、結構、強い雨の中をレインコートを着て椎名町に出掛けました。お蕎麦timeで、先生達とお蕎麦を食べて、生徒のlessonをしました。
lessonが終わって、斎藤先生が「ドルの病院の帰りに、携帯を忘れた」という事なので、病院に電話をしたのだけど、「病院には無い」という事なので、牧野先生の携帯で、斎藤先生の落とした携帯の位置を調べて、斎藤先生が牧野先生の携帯を持って、雨の中を自分の携帯を探しに出掛けました。
牧野先生は食事の準備をしていたのですが、待てど暮せど帰って来ないので、結構、雨が降っていて超、寒い中を、searchlightを持って、牧野先生と一緒に斎藤先生を探しに出掛けました。携帯が未だ見つからないという事なので、一緒に100㍍四方ぐらいの範囲を2時間くらいも、頑張って探したのですが、見つかりませんでした。
ちゃんと携帯の位置情報で表示されている円の中を探しているのですが、携帯の位置情報に表示されている場所には見つからないので、牧野先生が、「道路の上にある高速道路に反射して、表示されている位置が狂っているのではないのかな?」と思って、その位置情報の側の辺りの場所で、斎藤先生の自転車のコースを探し直して見たら、コース上にあるマンションの塀の上に携帯が開いた状態で置いてあったのを見つけたそうです。
誰かが、携帯が道に落ちていたのを、塀の上に置いてくれていたのですよ。
しかし、流石にこれは日本だけなのですよね〜ぇ??
外国では、ちょっと横に置いただけでも、取られて、無くなってしまう事がよくあるからね?
探している間に、雨はやんでしまったのですが、真に超寒い事は変わらなかったので、震えながら、大急ぎで、椎名町に戻って食事をしました。
連休の開始の日で、早めに食事とドルプリのお散歩もう済ませて、早めにハイツに戻るつもりだったのですが、結局の所が、いつもの遅い時間のrotationになってしまったのだけど、頑張って、ドルプリっ歩に出掛けました。
椎名町に置きっぱにしている冬のジャンパーを着て散歩したのだけど、それでも寒かったので、帰りは冬のジャンパーの上にレインスーツ※)を着込んでBikeで帰ったのだけど、それでも寒かったので、江古田の部屋に入ったら直ぐに、ヒーターとストーブをダブルでつけて体を温ためました。
rain-coatは上下一体型で、rain-suitは上下が分かれているものを指すそうです。rain-coatでは、ズボンが濡れてしまうので、雨が酷くなると、上下、別のrain-wearを履かなければなりません。
結構バテたので、パソコンは電源を入れないようにして、Bedで寒くならないように、パジャマの上下を着込んで直で寝ました。
バテバテのtimingで寝たので、今回は摂眠障害も無くて、smoothに入眠する事が出来ました。
善哉❢善哉❢
という事で、冒頭の文章になります。
Bedの中で、携帯のFacebookに書き込んでいるのですが、眠れないままに、もう小一時間くらいになったので、これ以上書くのは、諦めて起き出すかな?
それはそうと、今の練馬区の気温はなんと、8℃です。
今日はとても良い天気になるのだそうで、部屋に差し込む太陽の日差しも結構強いものがありますよね。
しかし、予報に寄ると、今日は、最高の気温でも18℃だそうです。昨日、一昨日の、27℃から、今日の18℃は結構、酷しいものがありますよね??
歳を取ると天気に一喜一憂をするのかな~ぁ??
いや、昔は、そんなに大きなお天気の変化は無かったのだよな??
日常が異常気象になってしまっているのだよ。温暖化と少子高齢化の影響で・・・

4月30日VieuxtempsのÉlégie
昨日の4月29日には、椎名町の教室で、瑞希ちゃんのVieuxtempsのÉlégieの対面lessonをしたのだけど、Amadeus版のB. PaulerさんのVieuxtempsのDynamicの書き込みの解釈が難しくて、結構、楽譜通りに弾こうとすると、逆にeccentricになってしまうので、瑞希ちゃんに、「一度模範演奏を聴けば、dynamikのinterpretationは簡単だよ❢」と言って、You Tubeで模範演奏となる演奏をしている人の動画を探してあげる約束をした。
まあ、『proならば、楽譜通りに演奏するのは、当たり前の事だから』、そういった演奏を探すのは難しくはない••と、思っていたのだが・・・・
lessonが終わって、瑞希ちゃんが帰った後で、さっそく、携帯を出して、You TubeでAmadeus版のVieuxtempsのÉlégieの楽譜上に書かれているdynamikを、正しく演奏している動画を探したのだが、片っ端から、20人、30人と、聴いて見たのだが、一人として、Amadeus版の楽譜上に書かれたdynamikを正しく演奏している人がいない事に、愕然としてしまった。
なんだ・・?? なんだ・・・?? これは・・・
ありえへんSituationではないか??
VieuxtempsのAmadeus版のDynamischはproの演奏家でも表現出来ない程に、そんなに難しかったのかな??
それともAmadeus版を定版として演奏する演奏家が一人もいないのか??・・なのだが、それも問題だよな??
殆どのproの演奏家の人達は、冒頭のmelodieの付点二分音符のdecrescendo記号を、逆にcrescendoで演奏している。(譜例参照)
そうでは無くて、何とか楽譜通りに、冒頭の付点2分音符をdecrescendoしようとしている人の演奏は、一度少しcrescendoしてからdecrescendoをしているのだよ。所謂、膨らましをしているのだ。
その次の拍である4拍目の「付点8分音符と16分音符」の、4拍目に付けられている小さなcrescendoなのだが、これも、逆motionで、軽くaccentを付けて、それから抜きのdecrescendoで弾く人が殆どで、また、次の小節の冒頭の付点2分音符も、膨らましや、一度pに抜いてから、crescendoする・・等々の演奏をしている人達が程で、全くAmadeus版の楽譜上に書かれている演奏指示を守って演奏しているproの人達は皆無であった。
贔屓目に見て、introの冒頭の付点2分音符に関しては、melodieの入って来る冒頭のpは、pであるという表現が難しいので、少し膨らましが入ったとしても、致し方はない・・と思うのだが、やはり、膨らましをした後では、ちゃんとdecrescendoの指示は守るべきであろう。
勝又、その次の付点8分音符をaccent気味に弾きたい気持ちは分かるのだが、Vieuxtempsの意図は次の小節の拍頭の付点2分音符が頂点で、そこからdecrescendoをするという意図なので、4拍目はやはり、pianissimoからのcrescendoでなければならない。
どうして、世界中の大半のViola奏者がそういた間違いを犯すのであろうか??
暫し、悩んでしまった。
その結果なのだが、「melodie(phrase)の区切り」に対してのinterpretationの誤りである。
殆どの演奏家達が感じているのは、小節の中心の音が4拍目の付点8分音符の音で、次の小節の頭は、次のphraseとして演奏しているからである。
しかし、この曲の拍頭の音符は、Chaconneやfoliaのように、melodieの後半の音符から始まっているのだ。
だから、突然、decrescendoから、始まるのだよ。
4拍目をmelodieの冒頭の音符として、crescendoをするのならば、このDynamicは不自然ではないのだ。
単なる「膨らまし」の繰り返しに過ぎないのだから・・
つまり、「膨らまし」の頂点の音が付点2分音符の音になるのに、過ぎないのだよ。
いきなりphraseの後半から始まるのは、baroqueのVariationの常道であるぞなもし。Chaconneやfoliaも総て、phraseの後半から始まるのだよ。
難しければ、冒頭の付点2分音符の前にauftaktを加えて練習をすれば、良い。
それならば、超、簡単だ❢
ちゃんとimageが作れたら、auftaktを取れば、簡単にimageが作れるのだよ❢❢
また、それとは別の課題で、至る所に出て来るepisodeであるmelismaの音符が恰も装飾音のように早すぎて、歌い込みがなく、virtuosität風なのが、曲のimageを破壊して、eccentric(珍妙)である。
という事でYou Tubeで、今日の時間の許す限り、搜してみたのだが、完全にVieuxtempsの意図通りに表現出来ている演奏家は見つけられなかったので、完全に表現出来ている分けではないのだが、頑張って、「楽譜に記された通りに弾こう」と・・努力をしていた唯一の演奏家の演奏を参考までに、uploadしておく。
しかしながら、この演奏家が模範演奏にならない演奏上の問題の第一点は、音の出し方が上手くないし、音が潰れていて、汚いのだよな??(J・C・Bachの時にも、そう思ったのだが、Violaの演奏者は、世界的に見ても、潰れた音を出す演奏者が非常に多いのだよな??楽器を鳴らすのが、みんな下手なのだよな??)
まあ、ちゃんとしたinterpretationをしていて、しかも、楽器を鳴らせる演奏家を捜すのは、後は、気長に捜す他はないよな??
まあ、演奏には全く関係の無い話なのだが、このYou Tubeの写真は、まるで俺が撮ったハイツからの黄昏のような写真だよな??
《芦塚陽二作曲violaとCelloのための二重奏曲集より第二番『寂寥』》
パソコン音源でYou Tubeにuploadしている昔々、作曲した動画に付けた映像だよな??
【2/17Birthday】ヴュータン: ヴィオラとピアノのためのエレジー Op. 30[ナクソス・クラシック・キュレーション #365日 Calendar Classic]
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【2/17Birthday】ヴュータン: ヴィオラとピアノのためのエレジー Op. 30[ナクソス・クラシック・キュレーション #365日 Calendar Classic]
【2/17Birthday】ヴュータン: ヴィオラとピアノのためのエレジー Op. 30[ナクソス・クラシック・キュレーション #365日 Calendar Classic][作曲者] アンリ・ヴュータン(1820/2/17-1881/1/6) Henry Vieuxtempsヴィオラとピアノのためのエレジ...
冒頭の演奏の違いを、言葉で言うと、複雑怪奇になってしまうのだけど、楽譜に書き表すと下の写真のように簡単になります。
上のDynamicの表記が楽譜上に表記されたdynamikで、下が一般的に演奏されているdynamikを書き表したものになります。

もう少し分かり易く、auftaktを加えて見た
最初はこのauftaktを弾いて、「膨らまし」のimageを作ってから、auftaktを省いて演奏すると良い。

楽譜通りに演奏すると6連音が意図も唐突で、珍妙に聴こえて来るのだが、beatの膨らましという奏法がある。
前の小節の8分音符のcrescendoでbreitに膨らましながら、tempoを落として、6連音の最初はゆっくり入って、速く抜けて最後の2個の音符でまた、ゆっくりと次の音に入る。この演奏法はepisodeの場合の殆どが、そういった弾き方になるので、難しくはない。
日本の演奏家達はこういった奏法を情緒として捉えるのだが、Europaではbaroque時代から延々と続く様式とされた奏法である。
勝又、6連音はこの奏法の最小単位である。
この奏法を多用したのは、rococoの時代のCouperinであるのだが、流石にCembalistには見受けられないようなのだが、pianistの場合には、時折、強引に拍に収めようとして、無理遣りに拍の中に入れて演奏している人を見かける。書かれたepisodeというのが理解出来ていないのだよな??


4月30日自撮りの写真
若者ではないので、普段は全く自撮りなんてしないのだが、web-lesson風景をvideoに起こす時に、Title-backになる写真が必要になって、已む無く、携帯で自撮りをした時の写真なので、随分前に撮った写真なのだが、以前から、「何かがおかしい??」・・と思っていたのだが、今日、突然、ふと・・左右が逆転している事に気が付いた。
自撮りをすると、左右逆転で写るらしい。それは知らなかった❢❢
編集から左右の逆転をさせて、正常な状態に戻して、保存し直した。
パソコンの画面を見ると、Corelli=Davidのorchestration中の自撮りのshootingである。
まあ、改めて写真で見ると、部屋の雑然としている事・・??
web-lessonの時には、最初は背景を江古田の楽譜棚の写真にしていたのだが、部屋が狭いので、私が後ろに椅子を下げると、背景の楽譜の中に埋没してしまい、透明人間になってしまうので、lessonに差し支えて、頗る評判が悪かったので、諦めて背景画像を無しにした経緯がある。
片付ける気力が無い・・と言う事もあるのだが、それよりも、写真のangleが決まっているので、撮影場所を変えるか、家具を移動させるかしか、方法は無いので、この際、綺麗事を言っても致し方ないので、先生達や生徒達には、常日頃、部屋の乱れは、心の乱れ、整理整頓❢を、言っているのに、まあ、大先生の部屋が乱れ捲っているのは、なんぞなもし・・我、不知❢
普段、この部屋には誰も来ないので、少々の事、部屋が乱れていても、誰も知らないし、私自身もこの部屋に居る時には誰の訪問もないし、外界の誰とも接触しないので、普段は一日中寝間着styleなのだが、この日は、video-lessonがあったので、スエットスーツなのだけど、一応は、私に取っては、外着である。
(とは言っても、スエットスーツでlessonをするようになったのは、今年に入ってからなのだけど・・・※)・・・)
※)年年歳歳、ズボラになって行くのだよな~ぁ??
特に、人と会話をしないと、お洒落どころか、普段着さえ面倒くさくなってしまうのだよな??
せめて、コロナでなかったら、もう少しは、お洒落にも配慮したのかな~ぁ??
マジ、引き籠もりは、体にも、心にも良く無いよな~ぁ??


5月1日 ·
『雨が降り続いています』
今はもう5月の1日の日曜日の朝の4時を過ぎた所なのですが、布団の中で超、寒くて足が氷のように冷たくなって来たので、眠るのを諦めて、起き出して、パソコンの部屋に移動して、エアコンとストーブをつけた所です。
無理に眠ろうとしても、逆にstressになって眠れなくなってしまうからです。
昨日の4月30日は、次の日から5月に入るので、夕方の7時頃に、斉藤先生が冬物と夏物の模様替えに来てくれて、アンカや厚手の服等々の冬物を、全部仕舞ってくれました。
遅くから部屋の整理を始めたので、9時を過ぎた頃にやっと終わって、それから、食事に椎名町に移動したので、食事が終わったのが、11時過ぎで、ドルプリっ歩は12時直前からの出発になってしまいました。
・・と言う事で、ドルプリっ歩が終わってハイツに戻って来たのは、なんと、1日の1時半を過ぎていたのです。
それから持ち帰って来たお弁当類を冷蔵庫に仕舞って、なんとか、眠る準備が出来たのは、3時頃になっていました。
・・・で、上の文章に続きます。
練馬区の気温は、28日には8℃だったのだけど、昨晩は11℃と二桁はあるのですが、寝間着を着たままで、布団に入っても、超、寒くて、困ってしまいます。
寝室の空調は、古いエアコンしか無いので、エアコンをつけても部屋が温まる事は無いのですよ。
それでも、足が温まれば熟睡が出来るのですが、足が氷のように冷たくなっても、今日、アンカを押入れの中に仕舞ったばかりなのですよ。
足が冷えている場合には、どんなに頑張っても、足が温まる事はありませんし、体中が冷えて来て、眠れる事は無いのです。
そこで最良の策は、アンカで足を温めるか、足湯で足を温めるしか、方策はありません。
今夜の場合には、アンカを仕舞ったばかりなので、空調の利くパソコンの部屋で、靴下を履いて、ストーブで足を温めている所なのです。
やけどをしないように、注意しながら・・・
何度か、布団に入って眠ろうと試みたのですが、とうとう諦めて、起きて、VieuxtempsのÉlégieの模範的な演奏をYou Tubeで探して見たのですが、演奏自体は結構色々な人達が演奏しているのだけど、アクセス数が万に達している人の演奏は、2,3人しか居なかったのだよね??
それに、10年も前の演奏なのに、100人にも至していない人達が結構多かったりして、アクセス数が万に達している人は、最初に私がselectした人と、後は2人ぐらいしか、いなかったのも驚きです。
Élégieと言うgenreの曲は、所詮、minorな曲なのかね~ぇ??
今夜も、Sandmanが来てくれるまで、根性で待つのだよな~ぁ?? まあ、いつもの事だけどね~ぇ??
結局の所、11時近くまで起きていたのだけど、今はお昼の2時過ぎなのだけど、それまでの約3時間は、なんとか眠る事が出来たようです。
必要睡眠量の半分以下・・って所だけど、眠れただけでも由しとするか・・・??
今日もまた、外は強い寒々しい雨が降っています。
多分、今日一日中降り続くのかな??
雨は降る・・・、あなたは来ない・・・てか??

5月1日Vieuxtempsのお話の続きです ·
昨日、4月30日のVieuxtempsのÉlégieに対してのcommentの続きです。
昨日のcommentでは、世界中の演奏家達の殆どがVieuxtempsが書いたと思われているdynamikを守っていない、・・寧ろ書かれたDynamicの逆で演奏している・・と、書いたのですが、『殆どの演奏家達』と言った人達は寧ろ、少数派で、多くの演奏家達は、そのDynamicすらつけないで、のっぺらぼうに演奏している人達の方が、殆どだったのですよね??
これは、超、Shockの、更に上を行くShockですよね??
その理由をまたぞろ、眠れないままに、考えていたのだけど、(それは演奏家の表現力の無さ・・という、最悪の状態・・を、無視して考えたとして・・)、「このVieuxtempsの『Élégie』という曲のTitleに対してのimageの違いでは無いのだろうか??」と、好意的に取って見ると、思い至るようになって来ました。
世界中の演奏家達が抱く『Élégie』というTitleに対してのimageは、ひたすら堪え抜くような、内に籠もった静的な(内省的な)感情であり、そのために、淡々と「内に、内に!」と極力感情の吹き出すのを抑えて演奏をするのがÉlégieという意味なのでは・・と好意的に思い至る事になりました。
そういったinterpretationでは、このAmadeus版のVieuxtempsのÉlégieと双璧を為すinterpretationでの演奏では、Gabriel Urbain FauréのÉlégieが、もっとも、ÉlégieらしいÉlégieなのではないでしょうかね??
節度のあるÉlégieと言う意味においては、Élégieというgenreの模範となっているのが、このFaure のÉlégieで、VieuxtempsのÉlégieの千々に乱れるようなinterpretationが、内省的に表現される事も、このFaure のÉlégieを基準に考えると合点が行きます。
自制力のあるFaure と、自制のタガを外した・・と、音楽表現をしているAmadeus版のVieuxtempsでは、その演奏表現は正反対の音楽表現になるハズなのですがね??
Faure のÉlégieと同じような、自制された音楽表現であるならば、
つまり、そういうinterpretationであるならば、VieuxtempsのAmadeus版に関しては、一つの大きなcrescendoとdecrescendo、所謂、大きな「膨らまし」でDynamischの表現を書き込んだと思いますよ。
Vieuxtempsが楽譜に細かいnuanceを書き込む必要は無かったハズなのです。
それとも、Dynamicを全く書き込まなかった・・かの、否か・・です。
演奏表現にDynamicを付けて演奏している人達は、これもVieuxtempsの書いたDynamicとは逆の表現をしている・・と書きましたが、Vieuxtempsが書いたままの音楽表現をパソコン音源にDynamicを入力して、楽譜に忠実に演奏させてみると、感情が揺さぶられ、心が壊れて行くような・・・、或は、まるでお酒に酔っ払って、歩く事、喋る事すらままならないような・・、激しく心を動かされるような音楽表現になってしまいます。
それこそ、このAmadeus版のVieuxtempsのÉlégieという曲の演奏表現では、これまで誰一人として演奏した事の無い、特別な感情表現を楽譜上に書き表しているのですよ。
そういった極めて稀有なVieuxtempsの心の表現が、どういう心の状態を書き表したのかを、改めて、自分に当て嵌めて、考えて見ました。
『私が鬱が超、酷くなった時の心の状態』を思い出して見て、客観的にその状態を判断すると、鬱には、その鬱を引き起こした原因とは無関係に、その時の体調の状態で・・、
落ち込んで自分自身の全てを否定して、自分が消えてしまいたくなるような、自己否定的な鬱の状態と、全くその逆の、発狂して、周りの世界を全部壊してしまいたくなるような破壊的な壊滅的な鬱の状態があります。
社会的には、前者は自殺に繋がって、後者は、謂れのない殺人事件に現れます。
一般的には、鬱の状態は落ち込んで、閉じ籠もっている場合だけを、連想してしまいますが、鬱には、その逆である、極端な2極があるのです。
だから、普段真面目な人が、突然、言われもなく、関係の無い人達を殺したりするのも、実は、それは単なる鬱の症状の一つに過ぎないのですよ。
一般的には、よく『切れる❢』という表現をするようですが、その『切れる❢』の中には、単なる自己中の自制力の無さで引き起こす『切れる❢』という事と、それとは別に、鬱の状態からの、こういった発狂的な鬱の症状がある事は、心理学的にも、あまり知られていない事なのですがね??
You Tubeに投稿している音楽家の人達は、殆どの演奏家の人達が若い世代の人達か、壮年期に差し掛かった働き盛りの人達の年代で、力溢れ、気力も漲った世代の演奏になるのですよ。
つまり、Élégieとは、 Schopenhauer言う所の『死に至る病』、所謂、「絶望」という名の感情であり、且つ又、人生の黄昏に差し掛かって、恰も、Richard StraussのVier letzte Liederの『Im Abendrot=夕映えに』の中の、「Ist das etwa der Tod?=これが死というものなのだろうか?」と言うpassageに見受けられる、死へ一歩一歩と降りて逝く・・という和音の表現で表現されたり、或は、死を予感した、実朝の「くれなゐのちしほのまふり山の端に日の入る時の空にぞありける」という狂気一歩手前の心の表現になるのですが、人生の末路に到っした老人に取っては、公開の場に立つ事は、体力的にも、気力的にも、容易な事ではありません。
年老いた猫のように、飼い主にも見られないように、そうっと消えて逝くのですよ。
「あの人は今どうしているの??」「ああ、3年前に死んだそうですよ??」というのが、France風の礼儀かな?? アハッ!
でも、演奏家は、人に語り掛けるのが仕事なので、人の感情を動かすのには、Élégieではなくて、Energieが必要なのですよ。
だから、若くて、力漲って聴衆(audience)を説伏出来る演奏をしなければなりません。
鬱なんて事を売りにするのは、何処かの音楽教室の先生だけですよ。『鬱々コンサート』なんて馬鹿げた物を『売り』にしたりして・・・
だから、VieuxtempsのÉlégieをinterpretationする側は、演奏する立場の人間なので、そういったminorな世界感とは縁遠い、未だ、そういった体験をした事のない、幸せな人達の演奏だけ・・なのだよな~ぁ??
VieuxtempsのÉlégieを楽譜通りのDynamicで演奏すると、酔い潰れて立っている事すら出来ないような目眩のする演奏表現になってしまうのですよ。
流石に、そう言った演奏表現をproの演奏家に求めても、無理難題なのかな??
でも、Vieuxtemps先生のためには、そういった演奏表現も、誰か一人ぐらいはしても良い・・と思うのだがね~ぇ??
勿論、concours等々でそんな演奏表現をしたら、全ての審査員が、「そんな演奏は有り得ない❢」と、バツを付けてしまうから、concours等の閉ざされた場所、以外の場所での演奏でね??
もしも、研究熱心な演奏家が、そういったVieuxtempsの書いた表現に辿り着いてしまったら、どういう演奏をしたら良いのかな??
そこまでも、eccentricな演奏表現を公開の場でする事は、難しいよね??
その場合には、自分で独りで練習をする時には、その演奏表現で練習をして、公開の場では、そういった感情を押し殺して、最低限の情緒表現に留めて演奏すれば良いのですよ。
そうすれば、聴く人が聴けば、「分かっているのだよな??」と思ってくれるのでね??
「分かっているけれど、敢えて、言わない」という日本人の奥ゆかしさ・・という事なのかもね??
まあ、それがinterpretationの結論かな??

それはそうと、単なる蛇足なのですが、私の愛用しているオバQ-Violaと同じ楽器で、このVieuxtempsのÉlégieを演奏している女の子がいました。Italiaでのgala
concertでの演奏風景なのですが、チョッとビックリ・・です。
上手くは無いのだけど、ついつい親近感を感じてしまうよね??
蛇足次いでに、朝から降っている結構激しい寒々しい雨は、結局の所、今日一日中降り続いています。
昨日、冬物を斉藤先生に、押し入れに仕舞って貰ったばかりなので、今日外に着て行く服がありません。
部屋の中はストーブをつければ、なんとかなるのだけど、椎名町への移動やドルプリっ歩が・・・困ってしまうのだよな~ぁ??
5月の1日は、激しい寒々しい雨の一日でした。Im wunderchönen Monat Mai は何処へ言ったのだ??
Wohin?
Schum・・とSchub・・・です。アハッ!

5月2日Vieuxtempsの出版されている色々な楽譜を集めて ·
5月1日の日曜日の夜のお話しの続きです。
勿論、連休中なので、オケ練習はありません。
結局の所、お昼間は、ウダウダと摂眠に明け暮れて、為すべき事は何も出来ませんでした。
夜は、お休み中にも拘らず、定時のお食事timeで・・(お休み中なので、早く食事にしても良さそうなのだけど、ドルプリっ歩の時間が決まっているので・・そうも行かないのだよな??)、雨の中を合いのrain-suitに身を固めてbikeで出発しました。
薄手のrain-suitではなくて、合いの・・にしたのは、冬物のズボンを押し入れに仕舞ったので、薄手のズボンしか無くて、寒かったからです。いつも着ている合いのスェットスーツのズボンのゴムが緩んでしまったので、修理をしなければならなくなってしまって、着て行く服がなくなってしまったからなのです。
それで、なんとか、押し入れを引っくり返さなくても、在るもので間に合わせようと、部屋中を探したら、玄関の鴨居に、合いのrain-suitが掛かっていたので・・、と言う事で、合いのrain-suitになりました。
雨が結構激しく降る中で、ハイツをbikeで出発したのですが、不思議な恒例で、途中で、雨がすっかり収まってしまいました。
プリのお散歩の時には、どんなに暴風雨でも、散歩の時だけは、雨が止む・・というプリ効果です。
定時の食事を済ませて、routineのお散歩が、少し遅くなってしまったので、ドルに「お散歩❢」と言うと、いつものように、元気良くルンルンと玄関から飛び出したのだけど、ほんのチョッとだけ歩いただけで、「足が痛くて歩けない❢」と、ドルが訴えて来ました。
ドルのリードを外して、「どうしたいの??」と自由に歩かせて見ると、やはり、心残りのように、駅の方を振り返って見るのだけど、歩けないので、教室の方へトボトボと、歩き始めました。
何度も「行きたいな~ぁ??」と後ろを振り返りながら・・
お散歩が終わって、私がハイツに戻るために玄関を出る時には、恒例の深夜の入眠前の一暴れである「ドル・ポン※)」の時間なのですが、「ドルポン」と呼び掛けても、反応が弱いのですよ。
足が痛くて、それどころではないようです。
※)ワンちゃんと、投げて遊ぶ、大根や人参の形をした布性のおもちゃの事を、ドルがお気に入りで、毎晩のroutineになっているので、私達は「ドル・ポン」と呼んでいます。「ドル、ポ~ン❢❢」と呼び掛けると、その日に気に入ったおもちゃを出して来て、勢いよく飛び跳ねて遊びます。
勿論、遊び疲れたら寝ます。
ドルの一日の寝る前の最後のroutineなのです。
雨はすっかり、やんでしまいましたが、超、寒いので、合いのrain-suitを着込んでハイツに帰りました。
人間は不思議な事にroutineでやっていたハズの事を突然うっかりと忘れてしまう事があります。人が物を失くした時に、よく「絶対に、そこはcheckをした!」と言うのだけど、私の場合には、「絶対に有り得ない場所」から基本的には探すようにしています。
私の場合には「お金は左側のズボンのポッケ」と決めているのですが、その左側のポッケにお金が入っていなかった場合には、その逆の右側のポッケから探して見るのですよ。
同様に、bikeで椎名町に到着すると、必ずbikeのシートの中に入れて来た荷物や弁当類を取り出して、椎名町に返却するようにしているハズなのですが、今回は、お弁当の食べ終わった箱類を入れたお弁当setをシートから出すのを忘れてしまいました。
つまり、bikeの鍵を外す時に、シートの中をcheckするのですが、もう1個の弁当箱を荷台に乗せていたのと、雨が降っていたので、てっきり弁当箱を持っていると思い込んで、シートを開けなかったのですよ。
振り返って考えて見れば、雨が降っていて、焦っていたと言う、それなりの理由はあるのだけど、自分の頭の中では、routine作業なので、checkした事になっているのだよな??
お弁当の箱は、軽くは洗ってあるので、シートの中でお弁当箱が腐る事はないでしょうが、それでも、routineが出来ていないと、結構、気分が悪くて、Shockなのだよな~ぁ??
罪悪感に包まれると言うか・・・、そんなにオーバーな事ではないにしても、ねぇ?
まあ、それなりに色々とあった・・と言うか、逆に、眠る以外は、何も無かった一日だったのだけど、兎に角、帰りの道は、超、寒くて、気分的にも、鬱っぽくなってしまいました。
部屋に戻ってから、この所のroutineのように、PCで、VieuxtempsのÉlégieをYou Tubeで聴きながら、私が所持しているAmadeus版の記譜に忠実な模範演奏となる演奏を探して見たのだけど、相変わらず、Amadeus版の記譜通りに演奏している人が見つからなかったので、ふと、思いついて、いっその事、そういった演奏が無ければ、「one-Stollenだけ、finaleで音源を作ってPCで演奏させたらどうなるのかな??」と思って、Sandmanが来るまでの間にfinaleにPiano伴奏譜の冒頭の1Pageだけを急いで入力して、再生させてみました。
この程度の入力ならば、小一時間程度でも出来るので、取り敢えずはYou Tubeにuploadして見たのですが、Pianoの伴奏とViolaの音量のbalanceが、あまり良くなかったので、Vieuxtempsの記譜上のDynamicを一段階、Piano伴奏に対して上げて、balanceを取り直して、uploadし直しました。
それでも、未だbalanceが上手く行かなかったので、更にmixingのbalanceを少し強め(over目)にして、伴奏が前面に出て来るのを抑えました。
まあ、これで少し、生の演奏に近づいたのでは・・と、思っています。
唯の悪戯に近い作業なのだけど、3,4回もuploadしなおしたので、それなりに、時間が掛かってしまいました。
Sandmanが来るまでの作業ではなくなってしまったのだよな??
「一般的に流布しているAmadeus版とは全く違った演奏も、PC音源で再生したら、『何処をどの様に、違えて演奏しているか??』・・という事が、理解し易いのかな??」とも、思ったのですが、世間一般の演奏家の人達に取っては、「そのように弾く方が自然に聴こえる」・・と言う分けなので、Vieuxtempsさんには悪いのだけど、敢えて私が「そこまでも、やる事は、しなくても良いのでは・・??」と、思い直して、Amadeus版との比較対照をした演奏上の違いを表現したPC音源のuploadは、しない事にしました。
・・という事で、記譜通りのDynamicの演奏なのですが、PC音源の都合上、1段階Dynamic記号を上げています。本当は、
元のDynamicの表記のままで、mixingだけでも、同じ表現が出来たので、元に戻そうと思ったのですが、演奏する方に取っては、この書き換えた記号の方が演奏表現がし易いようなので、敢えて、暫くはこのままにしておく事にします。
これは、lessonの都合上の話なのですがね??
Vieuxtempsの冒頭のone-StollenのPC音源 - YouTube

5月3日今日は憲法記念日です ·
今日は5月3日の火曜日で、憲法記念日です。
連休中なので、昨夜は少し早めの定時の8時半からの食事で、ドルプリっ歩も恙無く出来て、cinderella-timeの前に、早めにハイツに戻って来れたのですが、椅子に座ってから、突然、疲れが出てしまい、呆然自失してしまいました。
深夜の3時頃になって、我に返って、慌ててbedに入りました。
7時頃までは爆睡出来たと思ったのだけど、実際には、6時前に目が覚めてしまいました。
まあ、それでも、one‐coolは眠れた・・と言う事なのだよな??
江古田から、椎名町に到着すると、先ずは、私の椎名町での飲み物として、紅茶をpot(ポット)1杯分だけ作るが恒(routine)なのだけど、偶に、potの紅茶が、余ってしまう事があるので、「勿体無いから、少しだけ作って・・❢」と文句を言われた事がありました。
しかし、少なめに作ると、殆どの場合には、椎名町から帰る時迄には、足りなくなってしまって、最後の一杯のために、またまた新たに作らなければならないので、無駄を省くために・・と、文句を言われないために、余ったポットの分の紅茶を、車用の携帯用のポットに入れて持ち帰って、ハイツで飲むようにしました。
ハイツのプーさんのpotは、マグに3杯分しか作れないので、1日の中では、何度も、作らなければならないのが、弱点です。
先ずは、水道水を浄水して、電気Kettleで温めて、potに移して紅茶のパックを入れて・・と、結構、手間が掛かってしまうのですよ。
1回分でも持ち帰った紅茶で、作るのが楽になれば・・という事なのです。
普段は、「くまモンの肩掛けポット入れ」に入れて、持ち帰るのですが、昨晩は荷物が多かったので、斉藤先生が、リュック(rucksack)に入れてくれたのですが、私は斉藤先生がリュックの中に、入れているのを確認をしていなかったので、rucksackの中にpotが入っているのは気が付きませんでしたし・・・、また、玄関に置いたままで、真っ暗な中の黒のリュックだったので、持って帰った事さえも、忘れていました。
朝になって、lineを見た先生に指摘されて、玄関に出て、リュックがある事に、改めて気が付いたのです。
部屋の中に入れていた「お弁当入れのbag」を開いて、昨晩に中身を冷蔵庫に入れるのを忘れていた事さえも、改めて気が付きました。
3時間以上も椅子に座ったままでいたので、当然、「冷蔵庫に食料品を仕舞った」・・と思い込んでいたのかな??
要は、ハイツに辿り着いた途端に、頭の回転がstopしてしまって、普段のroutine作業が何一つ出来ていなかったのだよね??
私的には、「昨晩は、そんなには疲れてはいなかった」・・と思ったのだけど、疲れが蓄積していたのかもね??
思いの外、体調の回復が遅れているのだよね??
そもそも、人間の体調不良や、癌なんて病気は、人間の体に、免疫力があれば、元来、ならないものなのだよ。
それが今の最先端の医療であって、人間の不老不死に取り組む研究者達の課題も、免疫療法なのだからね??
免疫力は不老不死は無理だとしても、少なくとも不老は現代の科学力でも、動物実験の段階では、既にclear出来ているのだよ。
しかし、古来からの、人間の本来の健康法は、『笑う事』だ・・とされているのだよ。
『笑う門には福来る』と古人達は言うのだが、笑う事は、全ての基本的な病を治す治癒力があるのだよ。
それが、遺伝的な要因で無ければ・・ね??
高校受験や動画受験で嫌な受験勉強を強いられた子供達で免疫不全に陥った人達を多く見ているのだが、殆どの親達はそれを子供の体質の理由に寄る・・と思い込んでいる。人は心の病に関しては、殆ど無頓着であり、neglect等の問題も社会的に理解される事はない。日本人は特に、定められた(誰が定めたのかは、知らないが・・)courseを歩くのが一番安全で幸せだという思い込みがある。日本人の全ての人が同じ道を歩くのならば、それが一番競争率の高い、激戦区である・・という事が誰一人として、理解出来ないのだよ。中に居ると、皆がそうだ・・という道が一番正しいと思い込むのだよ。プーチンのロシアでは、大半の人達がプーチンがやっている事は正しいと思っているのだよ。それは、アラブでも同じなのだ。ヒョッとしたら、中国でも・・
国がやる事は、常に正しいのだよな??マスコミはそれを批判しているようには見えるけれど、結局の所、親方日の丸は江戸時代から何一つ変わっていないのだよ。出る釘は打たれるし、どんぐりは背を比べなければならないのだよ。それを型に嵌まった・・と言うのだ。
私には理解出来ない現代の若者達の仕事に対する統計がある。
以下はある企業の統計からの抜粋なのだが・・・
それは若者達が仕事に対しての『やる気』の問題なのだが、なんと、日本の若者達の『やる気度』は、日本は「熱意あふれる若者」の割合は6%しかない。
これは米国の32%と比べて大幅に低く、調査した139カ国中132位と最下位のクラスなのだ。
「やる気のない若者達」は70%、企業内での諸問題を生む「周囲に不平不満をまき散らしている若くて無気力な社員」の割合は実に24%に達した。この二つを足すと、実に94%の若者達が仕事に満足を感じていないのだよな??
2017年の調査における日本の社員の分布は前述の通り、
「⑴熱意溢れる社員6%」
「⑵やる気のない社員70%」
「⑶不満を撒き散らす社員24%」。
「熱意溢れる社員」の割合は世界平均では13%だったのに対して、日本はその半分以下の6%ということで、調査した国々の中でも最下位クラスなのだそうな。
テレビ等でも同じような統計を見る事がよくあって、番組でも取り上げられているのを良く見るのだが、仕事が好きで、楽しく情熱を持って仕事をする若者達が殆ど皆無なのは、団塊の世代としては驚いてしまうのだよ。
殆どの人達は仕事は辛いもので、辛抱してやるもので、目的はお金で、そのお金で余暇を買う・・という発想なのだよな??
つまり、学校の勉強はつまらなくても、一流の大学に進学して、一流の企業に勤める事が理想で、結婚をして子育てをする事が人生の目的で、それが終わったら、老後の余生で、初めて好きな事をするのが目標なのだそうな??しかし、少子高齢化社会では、最早、老後の余生は極々限られた特権階級の人達だけに与えられた事であり、一般の人達の老後は、「死ぬまで働け!」なのだよ。働けなくなったら、医療費等の控除は無くなってしまうのが現状だよ。お国は、「日本の社会に貢献の出来ない老人は、サッサと死ね❢❢」と言っているのだけど、分からないのかな~ぁ??
私としては、寧ろ、『お金のためだけに使う・・膨大な時間を辛抱する事』の方がとても辛いのだがね~ぇ??
私に取っては時が一番大切な価値のあるものなのだからだが・・??
勉強は幾ら辛くても、辛抱して「将来の生活の為に、頑張る」という日本の変な教育が、その後の人生にも、反映されているのだよな??
楽しい自分のやりたい仕事を職業にすれば、一生、楽しく生活出来るのに、そういった発想が根本的に日本の人達には無いのだよね??
『趣味は楽しく、仕事は辛い』という日本の発想が根本からあるのだよな??ならば、楽しい趣味を仕事にすれば良いのにね~ぇ??そうしたら、一生、楽しく過ごせるのにね~ぇ??
不思議だ~❢❢
可哀想に・・・??
Oh~❢ miserable❢❢

5月4日Vieuxtempsのinterpretationに苦慮して ·
今日は5月の4日の水曜日の朝の6時を過ぎた所です。
Swissの出版社であるAmadeus出版社のVieuxtempsの演奏譜をfinaleで入力をしながら、余りの演奏家達のinterpretationの違いに、戸惑ってしまって、「ヒョッとして、original譜は無いのかな??」と思って、出版社を探していたのだけど、取り敢えずは、Franceの出版社であるOffenbachの出版社の版を見つけてprint
outしてみました。
なんと、Offenbachの版では、問題の心を揺さぶるような、発狂的な鬱々のDynamicが全く書かれていないだけでなく、articulationや音価も色々と違っていて、どれが作曲者の意図なのかの、判断が付き兼ねてしまいました。
一般的に演奏されているÉlégieの端正な演奏と、Amadeus版の千々に心乱れるような演奏へのでdynamismとの余りの大きな落差に戸惑ってしまったのですよ。
「これは困った❢❢」・・と、いう事で色々と出版されている楽譜を片っ端から調べていたら、Henle出版社から、近々にÉlégieのkritik版が出版された事を発見して、早速、注文しました。
原典との比較対照をしているらしいので、底本にするには、うって付けです。
但し、日本の音楽教育者に取っては、Amadeus版と同じように、楽譜が、fremd(訳語が見当たりません。見知らぬ・・とか未知の・・と、でも言うのかな??)なversionなので、例えVieuxtemps自身がその様に書いたとしても、concours等で審査員達から認められる事はありません。
演奏家に取っては、往年の自分の師匠のinterpretationが常に一番で、作曲者の意図がどうであるか??・・なんてものは、どうでも良いのですからね??
私のmottoとしては、色々な版が出版されていたとしても、interpretationは常に、作曲者の意図に忠実に反映されている版を優先するのが、私の建前なので、Vieuxtempsの書いたoriginal譜との比較が出来る・・と言う事は、正しいVieuxtempsのinterpretationが出来る・・という事なので、楽しみです。
勿論、kritik版よりも、facsimile譜が出版されていたら、もっと、最高なのですが、VieuxtempsのÉlégieは、中々そこまでは、majorな曲ではないので、facsimile版の出版は、期待出来ないので、取り敢えずはkritik-Ausgabeでも、作曲者の意図が分かりさえすれば、それで充分です。
次のcommentは、楽譜が到着してから、interpretationをやり直してからの文章になります。
くどいようなのですが、 私の場合には、常に、作曲者の意図が最優先なのでね??※) ハイ❢
※)一般の人達に取っては、何故、私が、「作曲者の意図に、くどくどしく拘るのか??」という事が分かりませんよね??
しかし、音楽の世界では、不思議な事に、作曲者の意図を忠実に追い求める演奏家等は、基本的にはいないのですよ。
これは演奏家や校訂者達の傲慢さとでも言うのか、作曲者はそこまで、弦楽器の技術に堪能ではない・・一流の演奏家の手による校訂版の方が演奏する場合には、より優れているのだ・・という意識があるのです。
・・と言う事なので、演奏家達に取っては、作曲者が書いた曲は演奏する上での、素材に過ぎないのです。それを色々とトッピングして、より美味しくするのは演奏家なのだ・・という考え方なのです。
作曲者の意図なんて、どうでも良いので、校訂者が作曲者の意図を無視して校訂したとしても、より演奏効果があれば、そちらの方が優先されるのですよ。
現実的にも、名曲と言われる殆どの曲でも、演奏効果のある校訂版の方が、定版として演奏されていて、originalの版は忘れ去られている・・という曲が多いのも、現状なのでネ??
それはそうと、全く音楽とは別の話で、私個人の話しになってしまうのですが・・・
Facebookを見ていて、個人的に、超、頭に来る事があったので、それまでは、結構、穏やかな気分をkeepしていたのですが、突然、落ち込んで、滅入ってしまいました。
眠る直前になって、気分的に落ち込んでしまったので、昨晩から一睡もしていないので、そんな事よりも、先ず、取り敢えずは眠らなければならない・・、ハズなのですが、イライラして眠れなくなってしまいました。
しかし、流石に、睡眠不足になってしまうのも・・体調的に問題だ・・と言う事で、bedに入るには入ったのだけど、人生の末期の悲哀をつくづくと感じて、bedの中で鬱々と悶々としていたら、増々、鬱が酷くなって来て、イライラ感・・と言うか、焦燥感が、酷くなって来て、全く眠れなくなってしまったのだよ。
こんなに落ち込んでいては、免疫力不全で、癌が再発してしまうよな??
折角、頑張って手術したばかりなのにね~ぇ??
Bedの中で朝の9時を過ぎても、鬱々として全く眠れないので、とうとう諦めて、起き出して、朝のroutineである体重と血圧の測定をしたら、折角、これまでも一生懸命、dietして来たのに、今朝は、この2,3年で最悪の数字になってしまった。
こりゃあ、stress性の体重の増加と血圧だよな??
千々に乱れた心と眠れぬ夜のために、「doctor-stopは無視をして、Wineでも飲むか??」とも、思ったのだが、いつもの、my wineが1本も無かったのだよな❢
Doctor-stopなので、この所、my wineを買い足していなかったのだよ。
他の種類のwineでも飲むか、それとも別のalcoholにするか??
「whiskyは、お好きでしょう??」「それとも、Brandy??」「日本酒もあるし、無いのは、焼酎ぐらいかな??」「私は普段は、alcoholは飲まないのだけどね~ぇ??」
阿蘭陀のVinho do Porto(所謂、Port Wine)のSandmanは、流石に、超強いので、ガブ飲みは無理だよな??
そう言えば、冷蔵庫にはエビスの大瓶があったよな??
bierは缶よりも、瓶の方が圧倒的に美味しいのだよ。勿論、樽生はもっと美味しいのだけど、それはお店に飲みに行かないと無理なので、家で飲むには瓶だよな??
持ち帰りの弁当は、所詮は、bierのつま味と同じ・・なので、この際、食べながら飲むか??
いや~あ、飲み食いは、何年振りかいな??
今夜の体重は、大台だよな??
dietは明日から・・ダナや???
stressが一番、再発の大敵なのでネ??
と言う事で、大酒盛りを始めたら、なんとか眠る事が出来ました。夕方の5時頃までの3時間程は、眠れたぞよ。
まあ、少しは気分が楽になったのかな??
食事の時間は定形の早めの時間の8時半の予定だったのだが、直前の8時頃になって、突然、意識混濁状態になって、動けなくなってしまった。
体調不良で、椎名町に行けなくなった事をlineで連絡して、bedで眠ろうとしたのだが、今度は鼻詰まりで息が出来なくなってしまった。
小一時間程、眠るために、格闘したのだが、遂に挫折して起き出して、10時直前だったのだが、急遽、lineをして、弁当を貰いに椎名町まで、bikeで移動する事にした。
椎名町では、小皿を摘んで、次いでに、ドルプリっ歩の約50分のfull-courseに付き合ってしまった。
結局の所、cinderella-timeの12時を過ぎた所でハイツに戻ったのだよな??
椎名町から江古田迄のbikeの道では、この2日間お天気に恵まれたので、jasmineの甘酸っぱい香りが復活して道々に漂っていたよ。
写真は椎名町の門扉に絡まっているjasmineです。
ハイツに戻って、お弁当を冷蔵庫に片付けながら、なんとなくテレビを見ていたら、椅子に座ったままで、半分眠っていたのだよ。時計はいつの間にか、3時を示している。
慌てて、bedに入って眠ろうとしたら、いつのも鼻詰まりになって息が出来なくなって目が冴えてしまった。
気温の変化に寄る鼻詰まりなのだろうが、なんとかならんもんかね??
諦めて、またまた起き出して、椅子に座ってテレビをつけた所だ。
まあ、なんというroutineだろうか??
最悪のpatternだよな??
これが毎晩続くのだよ。堪らんね??

5月5日今日は木曜日の子供の日です ·
今日は5月5日の木曜日の子供の日です。
この一週間は、ハイツの大規模工事が休みだったので、昨晩からは窓を全開に開けて、部屋の空気を入れ替えるようにしたままで、寝ました。
この2,3日は天気も良く、25℃を越す夏日が続いているようですが、窓の外を見ても、真夏の青空が見えません。薄くどんよりとした空なのですよ。
「雲も見当たらないのに不思議だよな??」と、目を凝らして良く外を見たら、なんと、足場の外側に薄く膜が貼ってあったのだよな??
薄くどんよりと見えたのは、工事用の外壁の膜のためだったのだよな??
それでは、幾ら窓を全開に開けていても、風は入って来ないハズだよな??
この大規模工事はいつまで、続くのだろうか?
Entranceには、工事の予定表が貼ってあった筈なので、checkしておこう。
9日の月曜日からは、また、工事が再開されるので、一日中、窓も閉めなければならないのだが(人が作業をする他にも、臭いや粉末が発生するし、音も酷い音が出るので、窓は閉めるように指定されているのだよ)、同時に部屋の中を覗き込まれないように、blind(ブラインド)も閉めてしまう事になり、結構鬱陶しいです。
いつまでから分からないけれども、暫くは、真っ暗な日々が続きます。
昨日は、「注射の後と肩が痛いだけだ!」と言っていた牧野先生が、8℃以上の熱が出て来て、寝込んでしまいました。
歯医者に処方されたロキソプロフェンがあるので、飲むか病院に行くように行ったのだけど、何も口にも入らないようです。
私の方は、もし、また、注射を受けるとすれば、4回目になります。私の場合には、少し、肩が痛くなるだけで、7℃台の微熱ぐらいにしかならないようだけど、未だ、接種のハガキは来ません。そろそろ、5ヶ月ぐらいにはなるのだけどね~ぇ??
5日の晩のお散歩は、牧野先生が寝込んでいたので、プリは義務だけを果たすと、ドルの事は無視して、サッサと椎名町に戻ってしまいました。
気分が乗らない時の、超短縮コースです。
・・と言う事で、私も直ぐにハイツに戻ったので、cinderella-timeの前の11時半頃までには、部屋に戻って来ました。
冷蔵庫にお弁当を仕舞いながら、「どうせ、今夜も鼻詰まりで眠れなくなってしまうのだろうな?」と思って、意を決して、最終手段である、(鼻詰まりのための薬ではないのですが)、市販の鼻炎の薬を飲みました。
市販の薬は、飲み合わせがあるので、基本的には飲んではいけないのですが、非常処置です。
本来ならば、薬局や病院の先生に薬のcheckをして貰わなければなりません。
以前も、病院で処方された薬の副作用で、逆に、病状が悪化して、薬を効き目の悪い方の薬に戻した事があります。
今、現在飲んでいる薬は、それぞれの病気に対して、一つづつなので、必要最低限の処方になります。飲み合わせは結構難しいし、怖いのですよ。
まあ、そうは言っても、市販の薬を飲んだので、結構、入眠は上手く行って、きちんと眠る事は出来たのですが、今夜もその薬を飲むか否かは定かではありません。即効性は無いので、鼻詰まりが起きたら飲む・・という事ではありませんのでネ??

5月7日VieuxtempsのUrtext版が届いたのと、携帯の画面を共有する ·
今は5月の7日の土曜日の朝の8時半を過ぎた所です。
昨晩は、ドルプリっ歩が終わって、ハイツに辿り着いたのは深夜の1時過ぎだったので、それから、荷物の整理と、テレビドラマを見ながら、携帯のmonitorの設定※)をしていたので、眠るのが遅くなってしまい、明け方の5時近くになってしまいました。
でも普段も、鼻詰まりで眠れない日々が続いているので、今朝は、眠る前に、別の薬、パブロンの鼻炎の薬を飲んで寝ました。
結構、鼻呼吸が出来たので、直ぐに眠れました。
・・と言う事で、one‐coolの3時間はちゃんと眠れました。この所の摂眠障害では、苦痛の無い、とても良い入眠でした。
世間では6日の金曜日が平日である所も多いので、GW中にnetで、発注していた荷物が大挙して、今日、届きました。
その内のmainの発注である、「VieuxtempsのÉlégieのHenle版の楽譜」も6日の内に届きました。
発注した時の楽譜屋さん※)のCatalogでは、Henle版にUrtextという記載は無く、kritik-Ausgabeという事だったので、底本として使用出来るのかが、チョッと心配だったのだけど、届いたHenle版を見たら、しっかりとUrtextという表示があったので、安心しました。
但し、Urtext版はbowslurが書いて無いので、演奏のためには、bowslurのある、Urtext版以外の所謂、校訂版を使用しなければなりません。
比較対照のために、down loadしたOffenbach版が、楽譜の内容的には、Urtext版に最も近いので、Offenbach版を使用する事にしました。
・・と言う事で、これまで書いて来たinterpretationに関する記載や、演奏に対しての文章は、全て御和讃になって、明日の日曜日のlessonからは、全く別の新しい解釈でのlessonになります。
しかし、書かれたarticulationやepisodeの音価は違っているのですが、音符自体は変わら無いので、覚え直しは大変な事ではありません。
私達の教室でのorchestraの練習では、楽譜そのものを変更したり、書き直したりして、本番の直前・・、つまり、演奏の直前で、舞台袖で、変更をする事も、あります。
出版されてる楽譜でも、チョッとでもおかしい所があれば、即、変更をして演奏に臨みます。
一般的には、音楽の教育界では、楽譜上の表現法を変更する事は絶対的に有り得ないので、音大生の人達がhelpで演奏に来ていた時には、出版社からのpart譜を変更したら、トラ(extraの略ですが・・)の人が烈火の如く怒っていました。
「楽譜のinterpretationは最終稿になってから、演奏家に渡すべきだ」と言う事なのです。
しかし、若しも、音大生達がproのorchestraに就職する事が出来た場合には、同じ曲であったとしても、指揮者が変わると、interpretationは、その人に拠って変わります。
同じ指揮者だったとしても、3年後、5年後に同じorchestraを指揮する時には、bowslurやarticulationも、前面的に変わっているハズなのです。
proの演奏家の場合には、interpretationももっと、良い解釈があれば即、変更するハズなのですよ。
proのorchestraの中には、それを(楽譜の書き換えを)専門とする役職もあるのです。楽譜(part譜やscore)を管理するLibrary担当の人です。
楽譜の変更に文句を言うような人達は、proのorchestraに入るのは無理でしょうね??
proにとっては、「それで良い」・・というinterpretationは有り得ないからです。
音楽の世界というか、芸術は、死ぬまでが精進なのですよ。
他の色々なnetで注文していた荷物も一緒に届きました。
以前は、コロナ以前から、ユーカリが丘教室のweb-lessonで使用していた「UQWiMax」だったのですが、月1回ぐらいしか使用しないので、非常に高いし、費用対効果が悪いので、新教室にInternetを入れたのを契機として、解約をしてしまいました。
昨年の12月頃からでしょうかね??
携帯のskypeの画像や音が良くなって来たので、携帯でもweb-lessonが可能になって来たからです。
しかし、暫し、lessonをして来たら、やっぱり欲が出て来て、斉藤先生から、「携帯の画面をテレビの画面でmonitorする事が出来ないのか??」と言われてしまったので、2千円~3千円ぐらいで携帯の画面を受信出来るUSBadapterを、GWの始めに注文していたのですが、それも一緒に届いていました。
早速、testをしようと思ったのですが、netには「日本語の取説が付いている」・・というのに、英語と中国語の解説しか入っていませんでした。
・・・しかも、その字が、超、小さくて、全く読む事が出来ませんでした。
それに、どれが商品名なのか、どれがpasswordなのか、肝心要の事が全くわかりません。
・・と言う事で、「多分これが商品名だろうかな?」という名前を適当に携帯のnetに書き入れて、取説を探したら、取説が色々と出て来ました。
「これは良い」と思って、You Tubeで見つけた解説の通りにやろうと思ったのですが、You Tubeで言われている、携帯のicon自体が出て来なくて、ニッチもサッチも・・と言う事で、ドルプリっ歩が遅くなってしまったので、testをするのを諦めて、先にお散歩を済ませてから、宿題にして、adapterを、ハイツにお持ち帰りにしました。
機種に拠って、操作するための、画面のiconの名前が違うので、それではないのかな??・・と思われるiconを片っ端から開いて、次に進めるiconを探す・・という作業を繰り返して、なんとか設定が出来ました。
「ああでもないこうでもない」と色々と時間が掛かったように思ったのだけど、iconを見つけて、探し出して、設定が終わるまでには、小一時間程しか掛かっていませんでした。
携帯の方の画面を横広画面にすると、テレビの方も全画面表示になって、4Kも対応するそうなのだけど、私の携帯は一番安い携帯なので、そこまではね~ぇ??
monitorテレビの方に、adapterを取り付けるので、monitorに対して一台のadapterが必要なようなのですが、携帯やパソコンは、何台でも、設定が可能なので、会議等には便利かもしれません。
携帯に入っている情報を大型のテレビに映す事が出来るので、問題点が共有出来るので・・・・
先生達の携帯は同じ機種なので、テレビ側にadapterを設置すれば、その後の設定のやり方は簡単です。
※)楽譜屋さん・・とは言っても、一般の楽器屋さんに付属している楽譜屋さんではなくて、私は、基本的には日本版は使用しないので(これは日本版の楽譜を馬鹿にしているように聞こえるよね??そういう意味ではなくて、日本では出版されていない楽譜を注文するので・・という意味です。)、輸入楽譜専門の楽譜屋さんで、東京や神戸にある楽譜屋さんです。
注文は基本的にnetで注文します。この2、30年は、楽譜を探しに楽譜屋に行った事はありません。わざわざ楽譜屋に行って、楽譜を探しても無い事の方が多いので、昔は事前に電話で在庫の確認をしてから出掛けたのが、netに変わっただけなのですよ。
無い楽譜を、海外から取り寄せると、2,3ヶ月は掛かるので、日本中の輸入楽譜を置いてある楽譜屋を探したり・・するので、楽譜を購入するのは、特定の楽譜屋に限定している分けではありません。
下の写真は、テレビの画面に携帯の画面を映し出す無線機です。携帯のlineやskypeを大画面で見る事が出来ます。
便利な世の中になったものです。

5月8日microsoftの Ergonomic Keyboardは兎角、故障が多い ·
今は5月の8日の朝の7時半を過ぎた所です。
昨晩は帰りがすっかり遅くなってしまったので、今日の日曜日のオケ練習のために、後片付けが終わったら、鼻炎の薬を直ぐに飲んで寝ました。
それなので、横になっていても、鼻詰まりにはならなかったので、息が出来なくなる事はなかったのですが、不思議な事に、目が冴えてしまって、全く眠れませんでした。久し振りの千葉行きなので、緊張したのかね~ぇ??そんな、可愛くはないよな~ぁ??
10時半のハイツ出発なので、9時半からの準備開始なのだけど、一睡も出来なかったので、7時半から準備を開始したのですが、突然、パソコンがkeyboardを認識しないというtroubleが起きて、時間を取られてしまい、結局、ハイツの出発は時間通りの10時半になってしまいました。2時間程のゆとりがあったハズなのにね〜ぇ??
オケ練習から帰って来て、改めてcheckしたのだが、全くKeyboardが反応が無かった。
考えられる手順を全て試みたのだが、ことごとく失敗した。netでのhelpも全てダメであった❢
同じ機種のKeyboardが別のパソコンに接続していたので、無線adapterとKeyboardをそのまま交換してみたら、何の問題も無く動作した。
つまり、Keyboardの故障なのだよ。Microsoftの Natural Ergonomic Keyboardなのだが、兎に角、このKeyboardは故障が多いのだ。壊れやすいと言う事で頗る評判が悪いのだがね??
それに、今現在のお話なのだが、ハイツのInternetの回線が非常に不安定で、ショッチュウ切れてしまうのだ。
それでも当面の問題は解決した••••と思ったら、外付けの無線のテンキーが全く感知されていないのに気が付いた❢
numberrockをしても、設定をしても、反応しないのだよ。
万策尽きて、取り敢えずは、寝る事にした。
体力の限界を遥かに前に、越えてしまったので❢

5月9日microsoftの Ergonomic Keyboardの不具合の続き ·
今は5月9日の朝の3時半なのです。
昨日の日曜日のオケ練習は、一睡も出来ないままに、12時過ぎからfull-timeでlessonをしたので、lessonが終わった頃には、流石に超バテてしまいました。
少し、千葉で仮眠をして行くか、それともdirectで帰ってから早めにハイツに戻るかの選択だったのだけど、千葉でのお散歩だと、ドルプリっ歩が短くなってしまうので、東京に大急ぎで戻る事にしました。
なんとか東京に辿り着いて、流石に、お散歩はpassにして、食事だけを済ませて急いで、ハイツに戻りました。
椅子に座って片付けを始めたのですが、流石に、そのまま、仮眠を始めてしまいました。
1時過ぎ頃になって、意識が戻って来て、慌てて、bedに入ったのですが、昨晩の夜の3時半には目が覚めてしまいました。
と言う事で目下、パソコンのKeyboardのtestをしていて、どうやら、Keyboard本体の電池の接触不良という事は分かったのですが、接点復活剤をSprayしても反応がありません。
別のパソコンのWireless-のKeyboard(同じ種類の)の無線のポッチを引っこ抜いて、交換して、その機種のKeyboardで入力したら、問題はなく作動しました。
と言う事で、文字入力は出来るようにはなったのですが、今度はテンキーが全く作動しません。ナンバーロックのkeyを押しても、変わらないのです。
色々とnetで調べて出来る限りの事をやってみたのですが、上手く行きません。
諦めて、元のKeyboardに戻して見ました。
なんと文字も打てるし、ナンバーロックも問題なく作動しています。
と言う事は、Keyboard本体の故障で、パソコン側の設定には何の問題もないという事です。
いやあ、パソコンの故障は理解不能だなや??
どうせ、このFacebookを閉じたら、また、Keyboard入力が出来なくなってしまうのだろうけれど、どうすれば良いの、私は~ぁ?? お金〜! もとい、Keyboard~❢❢
パソコンのkeyboardの修理は理解出来る範囲だけをやって見たのだが、なんの改善も見られなかったのだが、なんとなく治ってしまったのだよな〜ぁ??
また途中で寝落ちして、今は8時半を過ぎた所なのですすが、今、やっと意識が戻って来たので、遣りっ放しになっていた仕事を、取り敢えず、終了させた所です。
寝ても直ぐに目が覚めてしまって、直ぐに疲れて寝てしまうというroutineが今日1日のpatternです。
車屋に行く時の時間は絶対時間なので、その時間を携帯のalarmに入れておかなければ・・・
・・という事で、改めてまたまた目が覚めて、alarmが鳴っていない事に驚いて、alarmをcheckしました。
2時半を過ぎてしまったと、思っていたのですが、未だ朝の10時半をやっと過ぎたくらいの時間でした。
つまり、目が覚めるのは、超、小刻みに目が覚めてしまうのですよ。
小一時間も眠れていないのかな??
まあ、根性で何度でも眠れば良いか??
今は2時を過ぎた所です。工事のために、部屋のblindを締め切っているので、部屋の中は蛍光灯の付けっ放しなので、体幹的には夜の2時と勘違いをしています。
でも、今日は車を車検に出すので、3時にはハイツをbikeで椎名町迄、移動しなければなりません。
そろそろ椎名町行きの準備をしなければならないので、bedとパソコンの往復はこれまでです。
食べたお弁当を洗って、移動用のcaseに入れなければならないからで、洗い物が溜まっているので大変です。
それはそうと、今日は、古いKeyboardでそのまま入力しているのですが、Keyboardが感知されないtroubleは全くありません。不思議だよな~ぁ??昨日のtroubleはいったいなんだったのだろうか?
何故、治ったのだろう??
パソコンは理解不能だ❢❢
車の半年車検が終わって、椎名町から帰る頃には、雨が結構降り出した。面倒くさいので、ビニールレザーのjacketのままで、bikeでハイツ迄帰ったのだが、結構びしょ濡れになってしまって、結局、全部着替える事になってしまった。横着は逆に仕事を増やしてしまう・・という摂理だよな~ぁ??
ママと一緒にびしょ濡れになりながら、、帰っている小さな3歳ぐらいの女の子が私の方を振り返って、手を振ってくれた。勿論、振り返したのだけどね~ぇ??

5月10日cassette tape recorderが全部、死んだ❢❢·
今日は5月10日の火曜日の朝の6時です。
昨日の9日からは、ハイツの大規模工事が再開したので、今日も朝早くから工事の音がうるさいのですよ。
9月の30日まで、続くらしい。忍耐力をtestされているようなもんだよな??
眠れないままに、古い古いcassette tapeのRecorderを探して、tapeの再生をして見ようと思ったのだけど、3台残っていたcassette recorderの中で、生きていたのは、会議用の1台のみでした。
ラジカセも現存しているのは1台のみだし、今更、経年劣化で壊れてしまったcassette tape recorderを修理に出しても、netとの互換性も無いし、パソコンに取り込んだりするのも、一度digitalに変換してからしか、取り込む事が出来ないので、cassette tapeを聴くためには、沢山、無駄な行程を経て、digitalに変換しなければならないのだよ。
そもそも、cassette tapeを引っ張り出したのは、私の昔々の作品をパソコンに取り込もうと思ったのだけど、directでearphones端子からパソコンのmic端子に接続しても、パソコンにdigitalに変換するsoftをinstallしないと、無理••と言う事で、これも又、仕事用のdigital-recorderを出して来て、Pin-cableでcassette-recorderと接続をして、録音をして見たのだけど、cassetteのdeckで聴いている分には問題は無かった音声なのだが、digital-recorderに入れた途端に、noiseが酷くて聞き取れなくなってしまった。
私が作曲をしていた昔々の時代は、未だ、Open-reelか、やっとcassette tape-のrecorderが出来たばかりの頃の時代なので、もう、当時の機器は死んでしまって、聴く事が出来ないのだよな。
open-reelのtapeは、Koncert本番の時の録音なので、外注でCDに書き換えるように頼んでいるのだが、もう何年も放ったらかしになったまま、埃を被っているのだよな~ぁ??
椎名町には、RecordやcassetteをCDに焼くdeckがあるので、cassette tapeを椎名町に持って行けば良いのだが、先生達に頼んでも、結局は仕事に追われて後回しになってしまうので、私のハイツでの作業にしなければならない。
・・という事でcassette-recorderで、USBmemoryに保存出来るtypeのdeckを注文した。
analogからdigitalへの変換の時に、劣化が一番少ないと思われたからだ。
2999円と超安かった。
外注で注文するとtape1本分の値段にもならない金額だよな~ぁ??
明日は到着するので、24時間ぐらいで着くという事だよな??
超、速いよな❢
でも、保存は結局CDでするので、USBメモリーからCDに焼く手間が一手間だよな??勿論、パソコンに取り込むだけならば、簡単なのだけど・・
椎名町のdeckはcassetteからdirectにCDに焼けるので、椎名町で作業をした方が良いのだけどな??
俺が椎名町にcassette tapeをCDに焼く作業だけに出張するのも、ね~ぇ??
昨晩は、鼻の薬を飲んで、寝たのにも関わらっず、鼻詰まりで、相変わらず、息が出来なくなって、結局、眠れなかったのだ。

5月10日睡眠の質のお話 ·
5月10日のお昼を1時過ぎに、斎藤先生が弁当を届けに来てくれました。
昨日のお昼から、やっと•••と言いたい所ですが、冷凍庫の中に冷凍のピザの買い置きがあったので、朝食にピザを食べたので、飢餓状態にはならないで済みました。
それから、斉藤先生が持って来てくれた、お弁当を摘んで食べたので、お昼過ぎには、椅子に座ったままで、自失の仮眠をしてしまいました。
仕事をしている気でパソコンに向かってはいたのですが、意識が無くなってしまっていたのですよ❢❢
次に椅子の上で意識を取り戻したのは、公園の夕方の子供達のお帰りを促す「お知らせ」であったのですよ。
5時の夕焼け小焼けの「お知らせ」だったので、夕方である事は間違いようは無いのですが、体幹的には水曜日の朝の5時・・という感覚で、水曜日のpatternで動こうとして、困ってしまいました。
お昼から夕方迄の間で、bedで寝た覚えは無いのだけど、椅子の上で爆睡してしまったのだよな??
この所は、一日中、椅子の上で爆睡しているような氣がしています。
困った事だよな??
一日中、ウダウダとしているという事は、睡眠の質が良くない・・という意味なのだよね??
グリナを飲んだりはしているのだけどね~ぇ??
深夜、眠れなくてbedの中で悶々としていると、私もそろそろ、これまでかな??とか、冬を迎える事は出来るのかな??と思ってしまう事が多いのだよな??
特に、テレビ等で私よりも若い人達の訃報を目にすると、人の命に付いて、考えさせられてしまうのだよ。
そういった気分になるのは、やはり、膀胱の手術以降に酷くなって来たように思われる。
私が肥満になって来たのは、33歳を過ぎた頃からなのだが、確かに食い過ぎと肥満は相関関係にあるのは確かなのだが、根本的な原因は内蔵の活動の低下にその原因がある。
全ての動物は、その生命の大半を繁殖の時期で、その時期が終わると、余命は一瞬である。人間と遺伝子的に99%以上の一致を見られる猿類を見てもその法則は変わらない。但し、人間だけは、その繁殖期が非常に少なく、その後の余命が異常に長い。繁殖期よりも余命の方が長いのだよ。これは自然界では異常な事なのだ。
しかし、余命は余命に過ぎないので、全ての臓器はその機能が失われるて機能不全に陥るのだよ。食物を接種しても、それを活動のEnergieする事が出来無い。Energieにする事が出来無い栄養素は、いたずらに体に予備のEnergieとして蓄積される。それが所謂、肥満である。繁殖期を過ぎて、余命期に達しても、食べた食物をEnergieに出来れば、肥満にはならないし、大食いにもならないのだよ。
それが、私の考える肥満のmechanismである。
繁殖期を、更に伸ばし、余命期をenergischに過ごす方法は、所謂、免疫力を保持する事である。寿命を延ばす事は出来ないとしても、余命の尽きるなでを、体調、体力共に健康に過ごすには、自己の免疫力を最大に使う事である。
そうすれば、肥満の問題や、老後の病気や、認知症等の問題もなくなり、介護の問題もなくなるのだよ。
高齢化に於ける医療費も問題も全く問題がなくなるのだが、そういった研究に政府は金を出さない。夢物語の話と思っているからなのだよな~ぁ??
しかし、「体調が~」とか言いながら、なんとか入眠が出来て、体調がほんの少しだけでも良くなると、やらなければ為らない事に氣が行ってしまうのだから、勝手なものだ。
それに、月曜日と火曜日は基本的に体調を戻すために、一日中ウダウダと寝ている事が多いので、そういった鬱々の気分に襲われる事の方が多いのだよな??水曜日からは、体調の呪縛から逃れられて、仕事modeになるのだから、げんきんなものだ。

5月11日体内時計のお話 ·
今は5月11日の水曜日の朝の8時半を過ぎた所です。
・・・とは言っても、体内時計は滅茶苦茶で、今は何曜日の午前か、午後か、全く判断不能になっています。
胎内時計では、今が夜の8時の方がシックリと来る感じなのですよ。
暫く、bedで横になって、爆睡出来たら、胎内時計も少しは戻るかも知れません。
今日は珍しく前回の日曜日のオケ練習のvideoに少し話をしている内容を説明を加えて、You Tubeにオケの参加者を中心とした限定公開で、uploadしたのですが、5時間以上も経っているのに、未だ、uploadが完了しません。
日曜日は私の対面のone lessonもあったのですが、それはuploadはしていません。1曲はKreislerのalt-wiener tanzweisenの、ländlerの演奏法等なので、言葉で説明するのは困難なので、stepの説明と、実際に演奏してländlerの独特の揺らしを体幹的に覚えていかなければならないからです。もう1曲は、VieuxtempsのÉlégieの演奏法なのですが、版をUrtextAusgabeに変えて、interpretationを真逆にしての初lessonなので、非常に高難度のlessonになります。
と言う事で、uploadしたのはオケ練習だけです。
今回は練習の最初の曲が、通常の順番とは逆の、Corelli=David版の私のarrangeのLa Foliaからだったので、とてもlessonがし易かったのです。いつもは、最後の練習がfoliaなので、いつも時間が足りなくなって不本意になってしまうので、順番を入れ替えるのは大賛成です。まあ、毎回順番を入れ替えれば良いと思うけれど・・
オケ練習は10月10日の発表会に向けての練習なので、未だ、楽譜渡しから、曲の練習のpointの説明と、今回が2回目の練習になります。基本的には練習のpointの説明の復習をしたのですが、次回の練習では初級classではtuttiの練習と、soli組の練習をtempoがオケに付いて来れるようになるまでは分ける事にします。練習の時間の無駄を省くためです。
なんとか、夜食に椎名町まで出掛ける事は出来たのですが、流石に、ドルプリっ歩までは無理でした。
後は大急ぎで、ハイツに戻って来ました。

5月13日椅子に座ったままでの爆睡でも ·
5月13日の金曜日、所謂、Friday the 13th 、Jasonの日の朝の5時になる所です。
昨晩は、ドルプリっ歩には付き合おうと思ったのですが、結構、雨が降り続いていたので、ドルのtensionが上がらず、「雨のお散歩は嫌だ❢」と結構、家の周りを行ったり来たりで、ウダウダ散歩になってしまいました。殆ど、家の周りをぐるぐる回っただけなので、お散歩と言っても、30分もしないで家に帰って来てしまいました。
と言う事で、ハイツに戻ったのは、普段よりも超、早めの12時を30分も前に帰って来たので、それから後片付けをしても、12時、過ぎから1時ぐらいまでの間に、bedに入ったのですが、bedに入った途端に、「鼻詰まり」が始まって、息が出来なくなってしまったので、早々と諦めてパソコンの椅子で休んだら、椅子に座ったままで、爆睡してしまいました。
それで、なんと、なんと、朝の5時の直前まで、4時間近くも熟睡出来たのですよ。
椅子に座ったままの爆睡なので、まあ、腰に来るのは、兎も角としても、眠る事は出来たのだ❢❢
取り敢えずは由しとしよう。
今日、Jasonの日は、一日中雨が降り続く・・と言うよりは、明日の朝までも、警報級の大雨が、これからだんだんと激しく降る予定なのだそうですが、またまたドルプリっ歩が心配です。
それに、私にとっては、湿度アレルギー性の湿疹が心配なので、早め、早めに除湿をして、汗もが出来ないように氣を付けなければなりません。これにも結構、氣を使います。アハッ!

5月13日cassette tape時代の作品 ·
私の若い頃の時代は、やっと、cassette tapeが出来た頃の時代でした。
・・と言う事なので、私の初期の作品の保存は全てcassette tapeで残っています。
しかしながら、今、部屋に残っているcassette tapeのdeckは、handy-typeのdeckが3台とラジカセが1台のみなのですが、その内のhandy-typeの2台は故障していて、一台が辛うじて動いているだけなのです。
・・と言う事で、当時のtapeを聴く事が出来ません。
勿論、cassette tapeでの録音は、音が頼りないので、演奏会の本番の時のtapeは、cassette tape deckよりも先に、開発されていたOpen Reelでの録音なのですが、Open Reelの録音や再生をする事は手間が大変で、しかも、両面用のOpen Reelと片面録音用のOpen Reelの2種類があって、私が持っているOpen Reelのtapeも、その2種類なので、再生可能なOpen Reelと不可能なreelがあって、難しいのと、超面倒くさいので、機材を手放してしまったので、今では、全く聴く事が出来ません。
流石に、Open Reelのtapeは再生は出来ないのですが、cassette tapeやRecordをCDに焼いてくれるコンポを椎名町に持っているのですが、先生達が忙しいので、orderを出しても、何時やってくれるのか分かりません。
・・・と言う事で、2999円という非常に安価な値段で、digitalに変換してくれるany-castというUSBmemoryに保存してくれるcassetteを買ったのですが、届けられたany-castの箱を開けて見ると、日本語の解説書が入っている・・と書いてあったのにも拘らず、中国語の解説書が入っているだけだったのですよ。
しかも、netの広告では、USBの端子があるのでUSBメモリーで保存が出来る・・と書いてあったのですが、USBの端子は、USBのa-typeの端子だけで、USBメモリーとはdirectには接続出来ませんでした。(携帯の薄い端子もUSB端子と言っていたけれど、それも2種類の大きさがあったよね??いったい、幾つのUSBの接続端子があるのだろうか?)
ハイツの自宅の変換cableの中で、変換が出来るcableを探したのですが、USBの側にメスの接続が必要なので、流石に自宅には在庫はありませんでした。
と言う事で、USBメモリーに保存するのは諦めて、directにパソコンに保存する事にしました。
USBのa-typeからUSBはハイツにも在庫があったので、パソコンに直接取り込む事にしたのですが、パソコン側が、このany-castを感知してくれません。本来の目的である一般公開という事ならば、USBmemoryに保存するよりも、パソコンに保存する方が、行程が少なくて済むので、そちらの方が、利便的です。
と言う事なので、パソコンにdirectもありか??・・と接続してみたのですが、パソコン側でUSB接続したany-castを認知してくれないのですよ。
ハタと悩んだのですが、仕方がないので、compact-CDからsoftをinstallしたのは良いのだけど、先程も言ったように、取説がない。
netで、any-castの取説と思しきものをdown load、print outをして、見たのだが、down loadまでは書いてあるのだが、Audacityというsoftの使用法の解説書は無いのだよな??
已む無く、何度か試して、使い方を試してなんとか、その日の内に、パソコンに取り込み方と、音楽dataのdown loadと、You Tubeへのuploadまでコギつけました。
一度、使い方を覚えたら、後は簡単なので、取り敢えず、3本のtapeをYou Tubeにuploadしました。
any-castのsoftであるAudacityを開いて、録音を開くと、自動的にcassetteを認識して録音が開始される。
monitorがany-castのHeadphonesでしか、聴く事が出来ないので、earphones端子に、miniのspeakerを接続して、やっと音声で入力が完了したのかをcheckする事が出来るようになりました。
とどのつまり、netで手に入れた日本語の取説には、書いていない全く別の接続になってしまいましたが、まあ、なんとかパソコンに音声を取り込む事が出来ました。
何十年振りかで自分の曲を聴いたぞよ?
digital-voice-recorderに保存して、パソコンに取り込んだ時には、音の劣化とnoiseが酷くて、聴くに堪える事が出来なかったのですが、流石に専用の機種はnoiseが少し入るのだけど、これは元々のtapeにあったnoiseかな??
音声は、頗る良好です。
せっかくYouTubeにアップできたのなら、ここにそのURLを貼ってくださいよお~
https://www.youtube.com/watch?v=ORNHX2MCE8Q&t=326s
芦塚陽二作曲 日本の幻想 [guitarの為の4っつの小品]
お琴の曲ではありません。
https://www.youtube.com/watch?v=56dpfkTZdmc
芦塚陽二作曲 日本の幻想 より「fluteとViolinとCelloのための3っつの小品」
https://www.youtube.com/watch?v=e8eQuNZgtwk
芦塚陽二作曲 軸 PianoとViolinとCelloとclarinetとfagottoとpercussionの為の7重奏曲でMünchenのHochschuleKoncertのための通しの練習風景
勿論、cassetteの録音です。
https://www.youtube.com/watch?v=-0PPKg9GLBc&t=80s
芦塚陽二作曲 2台のViolinの為の小品 第3巻より芦塚陽二作曲 2台のViolinの為の小品 第3巻より第一番から第6番までの抜粋
作曲当時の江古田教室でのProbeの演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=RXOW-Vsd3Ys&t=95s
当時の弦楽四重奏曲集からの抜粋です。
「さくらさくら」の古謡による変奏曲ときらきら星変奏曲と五木の子守唄の3曲の練習風景がcassette tapeに入っていました。
私の作曲技法のVersuch的な実験的な作品で、公開演奏は一度もありません。「さくらさくら」はpentatonische Tonleiterの中で、melodieを変えないで、派生音を使用して、現代の音響にdéformerするProbeです。きらきら星は、3度harmonyを使用して、3和音の機能を無視して、無調の作品へ移行させる作品になります。
五木の子守唄は、一つの和音上で、melodieの音価を変える事で、複雑なPolyphonischな効果と、舞台の中央にCelloがいて、他のpartが会場のあちこちを移動しながら演奏するというconceptで作曲された曲です。36trackを想定した作品です。

5月15日 ·
今は5月の15日の日曜日になったばかりです。
5月も半月が過ぎました。星霜の移り変わりの早い事に・・驚かされてしまいます。
昨日の14日の土曜日は、なんともはやウダウダと、実りの無い無為無策の無駄な一日を、、Bedで寝込んで、過ごしてしまいました。
体調不良で、まるまる一日、起きている事さえ出来ないままに一日が終わってしまったのですよ❢
つくづく「加齢とはこんなもんか?」と、思い知らされた一日でした。
一日も早く、加齢に打ち勝つ免疫療法の薬•••と言うか、サプリが出来て欲しい所です。
体調不良で一日中臥せってしまって、その一日を無駄にしたとしても、今の所は、その次の日からは、体調が少し改善される•••と言うmeritもあります。
但し、今、現在では、そのmeritさえも徐々におぼつかなくなって来ているようです。
それはそうと、ハイツの大規模工事に伴って、エアコンの室外機を動かすので、ホースを外しての工事になるので、ガスの補填作業とそのcheckのために、部屋の中に工事の人達が入ってエアコンの操作をすると言う事で、その日が来週の18日に確定して、一日部屋に閉じ籠もる事になって、工事の人達が部屋に入って来るのを立ち会いをしなければならない事になってしまいました。
江古田ハイツには、この10年近くも、人をハイツに招いた事はなくて、部屋に入った事のある数少ない人達も、教室の生徒とその保護者だけで、勿論、寝室等のprivateな部屋には入れていません。
その後は、コロナのために、更に、密室状態になって、lesson室になっているflooringでさえも、完全な倉庫化してしまいました。
18日に工事関係者がエアコンのある部屋に入って来るとなると、全ての部屋にエアコンが入っていてcheckの対象になるので、倉庫状態の部屋を全て片付けるとなると、今日はオケ練習でweb-lessonがあるので、部屋の片付けまではとても無理だし、明日の月曜日は、光が丘病院の糖尿病外来で、半日は部屋にいないし、帰ってからは普段は寝込んでしまうのが恒例だし・・・、と言う事で、開きの日は火曜日のたった一日だけなのですよ。
その一日で、全ての部屋の倉庫化した物を出入りが出来るようになるまで、片付けるのは私一人では不可能です。
・・・と言うか、この何年もの間、何度も後片付けに挑戦して、討ち死にしてしまっているのですから・・・、何を今更・・という感じです。
特に問題点は、公園側と駅側にあるVerandaの出入り口が2箇所とも、寝室にあるのです。
その寝室が、物置の状態としては、一番酷いのです。
寝室を人に見せる事は無いので、寝室が一番の物置化しているのですよ。
それに公園側のverandaに出るには、bedを動かさないと出れないのです。
これはとても大変な事で、精神的に超、pressureを受けてしまいます。
このmansionに住むのも、そろそろ、限界かな~ぁ??
駅から玄関までが3分なので、優良物件で、不動産屋からの売れ売れのチラシが毎週、何枚も入って来るので、売るには困らないのですがね・・・???

5月15日 · YouTube ·
私がMünchen留学から帰国したばかりの頃の日本古謡の「さくらさくら」と民謡の「五木の子守唄」の変奏曲と、子供の童謡である「きらきら星」変奏曲の弦楽四重奏曲で、一つ一つの作品が課題を持つ、実験的な、所謂、contemporaryな作品の試演の風景です。
試演なので、元々、公開予定の演奏ではなくて、(Hall等のacoustic環境の整った音楽会場ではなくて)残響の全く無い自宅での録音で、しかも、結構、お喋りが入っているのですが、お喋りの部分は、出来る限り、邪魔にならないようにcutしました。
cassette tapeからのdubbingになります。
芦塚陽二作曲 日本の幻想 弦楽四重奏による変奏曲集より 抜粋 - YouTube

5月16日今日は光が丘病院の診察日です。 ·
今日は5月の16日の月曜日の朝の6時を過ぎた所です。
テレビでは、東京のお天気では、今日は一日中雨が降って、寒い一日だという事で、今は13℃だそうなのですが、パソコンの天気予報とも、携帯の天気予報とも、それぞれが雨と曇の時間が違っていて、困ってしまいます。
まあ、いずれにせよ、15時過ぎ迄は、雨が降っているようなので、どっちみち、Raincoatは欠かせません。
time-limitの、お昼の1時迄にはハイツから、bikeで光が丘病院まで移動しなければなりません。
病院の中を歩き回らなければならないので、必要最低限の荷物(保険証や免許証等の)しか持って行きません。
帰りには、処方箋等の書類が結構な量があるので、一番小さなリュックを背負って出掛けます。
光が丘病院への移動では、rain-suitでの移動はこれまで一度も、無かったので、何処でrain-suitを脱ぐか、検査、診察が終わるまで、何処に保管するのかが初の事で、困っています。
持ったままで病院内を歩くのは、難しいので、雨が小降りならば、Raincoatの方が良いかもね〜ぇ?
病院に行くための準備を少しして、未だone‐coolしか寝ていないので、時間ギリギリまで、bedで眠ろうと思ったのだけど、だんだん鬱が酷くなって来て、眠れなくなってしまった。
ウダウダと、小一時間程横になっていたのだが、とうとう、諦めて起き出して、routineの毎日の作業を始めた。
それにしても、工事の音がうるさくて、鬱の神経にピリピリと触れてしまう。
それにしても、今日と明日で、verandaに出るための動線を作らなければならないのだがね??
one‐coolしか寝れていない・・という事は、病院から帰って来て、体力が持たないという事だよな??
明日1日だけで、部屋中の動線を作る事は難しいよな~??
霧雨が降り続いているので、rain-coatにして、30分早めにハイツを出発しました。
診察は2時からの予定なのですが、その前に検査があるので、30分は前に着くように出発するのですが、雨が降っているので、小一時間前に出発しました。
検査は雨で患者が少なくて、待っている時間も少なくて済みました。
しかし、いつものように、診察の時間は定時よりも遅く始まったので、その分待たされてしまいました。
色々とウダウダとお話をしたのだけど、処方自体は何も変わらないで、現在の体調の状態を検査結果に照らしてお話しました。
帰りは、少し霧雨が降っていたのだけど、Raincoatを着る程でもなかったので、そのままbikeで帰って来ました。
結構、疲れたので、そのまま、bedで爆睡をしました。7時過ぎに目が覚めたのですが、疲れが抜けていないので、またまた、寝てしまいました。今度は、12時過ぎに目が覚めました。
病院行きで、一日中何も出来なかった雑用を、少しだけ済ませて、椅子に座ったままで、netの映画を見て、また寝ました。
つまり、一日中と言うか、それ以上も爆睡したのですよ。
見た映画のような不可解な夢を見て、現実の世界に戻って来るのが手間取ったけれども、今日は、超、珍しい、良く眠れた日になりました。
いや~あ、善哉❢善哉❢

5月17日 ふるさと変奏曲
この曲は前回にuploadした「日本の幻想」seriesのQuartettと同じ時期の日本に帰国して直ぐの時期に作曲をした作品なので、「日本の幻想」の録音の時に、一緒に江古田の自宅でProbe(試演)をした作品なのですが、作曲の対象は、当時指導していた数名の子供達のための弦楽四重奏曲の練習用に、1st.positionだけで書かれている教育用の作品(Schulewerk)ですが、曲が単純な和声Variationで作曲されているので、一般の人達に取っても、分かり易く、proの演奏家の人達が音教で演奏する事が多く、私の作品に中では一番公開演奏された事の多い曲になります。
子供達向けの音教だけではなく、西洋音楽に疎いお爺さんお婆さん達に取っても、受けが良いという事で、老人ホームや介護ホーム等での、ボランティア活動をしている演奏家達の定番の曲になってしまったようです。
まあ、弾き易いという事と曲がsimpleで、分かり易い事が良く演奏されるpointなのでしょうかね??その分、それぞれの演奏団体で独自性を出して演奏する事も多いようです。
themaの前半は、昔々の小、中学校にあった、ブカブカ・オルガンを連想させるように、non-vibratoの純性調で演奏して、後半からvibratoを入れて演奏すると効果的です。
(写真は中央道の車窓からの撮影です。)
芦塚陽二 編作曲「ふるさと」の主題による変奏曲 弦楽四重奏曲 - YouTube

5月17日cassette tape ·
この所、教室を開設する以前の50年近くも前の私の作品をYou Tubeにuploadしていたのだけど、私の自宅である江古田ハイツにあるcassette
tapeは、基本的には論文の書き取りのtapeが大半で、音楽関連のcassette tapeは、近現代の作曲家の作品や優れた演奏を「普段聴き」するために、cassette
tapeにdubbingしたものである物が殆どである。
・・と言う事で、江古田教室(・・の202号室は元々、私の自宅だったので、教室を開設して、個人的な部屋と教室が共存するのは無理なので、2階の3部屋を全部借りていたのだが・・)に保存していたcassette tapeが、教室のお引越しで、そのまま椎名町の事務所に保管されていた・・という事らしい。
・・と言う事で、昨夜、斉藤先生に椎名町の倉庫からcassette tapeの入ったダンボールを引っ張り出して貰った。
そのtapeの大半がvideoの時代以前のオケ・室内楽の練習のtapeだったらしいのだが、勿論、私の昔の個人的な作品も含まれているようなので、コツコツと探し出さなければならない。
しかし、明日は、工事の人達が自宅の部屋に入って来るので、verandaへの動線だけは、なんとか作らないといけないのだが、何をどうすれば良いのか、分からないので、昨晩から全く手を付けていないのだよな??
cassette tapeを探すために、椎名町に行くのは明後日からになります。
兎に角、今日中には、動線を、なんとかせんとあかんのだよな❢❢❢

5月17日腎臓の機能について ·
60年も前の話なのだが、高校生の時に腎臓の病気で大学病院に入院したのだけど、intern生の度重なる医療ミスで、半年間の入院の間に病気が酷くなってしまって、結果的に左の腎臓を摘出しなければならなくなってしまった。
当時の担当の先生からは「30歳を過ぎても、未だ生きている人も居るから・・」と慰められてしまった。
当時は「医療ミス」という言葉さえも無かった時代で、私の養父が医者で大学病院の関係者でなかったら、知り得ない裏事情だったのだ。
当然、病院を問い詰める事も無かった。
それぐらいの医療ミスは当たり前の時代だったのだよな??
腎臓は、造影剤に拠って、極端に機能が下がってしまうのだが、その下がった機能を改善する事は現在の医療では出来ないのだ。
・・と言う事で、造影剤を使用するroentgen撮影は、これまでは、極力、少なくするようにして来たのだが、冠動脈のStent手術やbypass手術で、造影剤を多用してしまって、極端に腎機能が落ちてしまったのだ。
それから、腹部大動脈瘤が見つかった時に、光が丘病院で冠動脈のroentgen撮影をするという事だったので、それを断ったのだけど、無視して強行されてしまった。
冠動脈のgraftが手術に堪え得るか否かの検査・・と言う事だそうなのだが、「もし、堪えられなかったらどうするの??」という私の質問には答えは返って来なかったのだよ。
「Stentの状態は余り良くない!」 という事なのだが、「それは、今更、roentgen撮影をしなくても分かり切った事なのだし、それで、悪かったら、どうするの??」という質問には、またまた、答えきれないのだよ。
また、Stent graftで腹部大動脈瘤の手術をする予定だったのだが、CTの結果で、開腹の手術になってしまったので、とうとうブチ切れてしまって、医者不信で、second opinionで、年間の腹部大動脈瘤の手術の数が全国で2番目の川崎の幸病院に転院・・というか、逃げ出したのだよな??
一番は北九州の病院だそうな??なんで・・???
ここまでの経緯は、何度も同じ話を書いているのだけど、その光が丘病院での冠動脈の検査後には、腎臓の機能が極端に落ちて、透析が目先にチラつく高止まり状態になってしまったのだ。
川崎の泌尿器科の先生も、光が丘病院の糖尿病科の先生(院長先生なのだが)も、「腎機能が・・」という事を心配してくれるのだが、「片肺運転で、造影剤の使用と言う事で、腎機能が衰えてしまったのは已むを得ない」と言う事で、機能を改善させる方法へのadviceは、特別には無い・・という事で、何の助言も貰え無いままだったのだよな❢
少しでも、腎臓の機能を助けるために、利尿剤の薬を2018年の12月の第一回目の手術の時に処方されていて、そのために、夜間頻尿になってしまって、夜眠るのが困難になってしまった。
私的に言えば、利尿剤で、腎臓が夜も働かされて、疲労困憊になってしまって、悪循環を繰り返しているのではないだろうか・・・と、思うのだが、まあ、医者の言う事には一応は従うのだよな??
3月の28日の3回目の膀胱の手術の後で、回診にやって来た先生達の一人で、薬剤担当の先生がポロリと「夜、利尿剤を飲むと夜間頻尿になりませんか?」と言っていたのを聴いて、驚いてしまった。
そういった薬の飲み方への注意は、一度も聴いた事は無かったからだ。
それに今回の病院の入院中でも、薬は夜食の後に、出されたいたのだよ。
そこで、4月の2日に退院してから、薬を飲むtimingを、夜食後から、朝食後に変えたら、夜間頻尿の回数は極端に少なくなった。
勿論、薬を飲むtimingが、夜間頻尿の理由の全てでは無いと思うのだけど、膀胱の手術も2回目の手術から3回目が非常に期間が短くて、9ヶ月で再手術になったので、主治医の先生が、結構、頑張って、膀胱全体を広く深く抉り出してくれたそうで、癌で硬化した部分が無くなったので、膀胱全体が柔らかくなって、術後は尿の保存量が倍近くにも増えた感じで、それで夜間頻尿が減った理由のように思える。
夜の1時間半のintervalの頻尿が、3時間以上は持つようになったので、一晩に4回以上もtoiletteに行っていたのが、1,2回程度で済むようになったのだよ。
その分、体が休まる時間が長くなったのだよな。
退院直後の4月11日のクレアチニンの数値は、透析ギリギリ迄行ったのだが、一月後の5月16日の数値は、高止まりしていた以前からの数値よりも更に落ち着いて、流石に、正常値の上限値迄は無理なのだが、この1年半の間では最低の数値に迄、下がった。
腎機能の改善法は無い・・という事なのだが、夜間の頻尿が改善されて、少しは、眠る事が出来て、その間、腎臓が休む事が出来るようになったので、腎臓が、少し元気になって来たのかも知れない。勿論、これはあくまでも、私の個人的な素人考えに過ぎないのだけどね~ぇ??
まあ、そういう事があるか無いかは、兎も角としても、腎機能が良くなる事は無い・・と思っていたので、数値が下がったのは、不思議なのだが、取り敢えずは、善哉❢善哉❢で、喜ばしい事ではある。
後の問題は、血糖値なのだが、一時的には、正常値ギリギリまで近づいたのだが、その後、非常にreboundをしているのだが、それも、advice的には、食事制限と運動としか貰え無いのだが、運動は心臓だけではなく、膝や腰に取っても難しいので、足腰、膝に負担の来ない、心臓にも優しい方法である、ゆっくりとした運動しか、考えられないので、それは今でも私なりには、やっている結果なので、それ以外にも、私なりに思いついた事を片っ端からchallengeして見ようと思っている。
これまでの、一番の課題であった肥満は、糖尿病の先生に言わせると、体重を増やさないで、今の体重を維持出来れば、血糖値の問題がclear出来れば、然程は問題は無いのだそうな??
肥満よりも薬を減らす事の方が重要な課題だそうな??
まあ、それはそうだよな??
どうぞどうぞ。、、
ご無理をなさいません様に
ありがとうございます。無理をしないように・・というよりも、無理も出来なくなってしまいました。兎に角、歩けないのですよ。困った❢❢困った❢❢
お辛そうです、、、
このところ寒暖差が激しく足腰の冷え込みから
痛みが一段と増しておられるのですね、、、
無事平穏の体調維持の
難しさには一喜一憂の
季節に成りました〜!
私が一番辛いのは、寒暖の差よりも、湿度なのです。今日は、まるで梅雨のような鬱陶しい天気が続いていた中の、希少なカラリと晴れた一日なので、珍しく体調が良いので助かっています。願わくば、こういった乾燥した日が続けば良いのですがね?

5月19日『コンクールの功罪』 ·
コンクールの功罪については、コンクールが与える負の一面ばかりを論ずる事が多かったのだけど、今回は珍しく、『功』の一面からお話をする。
私自身では、コンクール自体を否定した事は無いし、「自分の生徒はコンクールに出さない」と決めて来た事もないのだが、「コンクールを受けるに当っては、その功罪を知らなければならない。」「闇雲にコンクールを受ける事は危険である。」というお話を生徒達や保護者の人達にした事が、私が生徒をコンクールに出さない・・という主義である・・という風に短絡的に思われてしまった原因でもある。
コンクールを受ける・・という理由は、単なる腕試しの意味の人達と、proになる事を目指す人達のgroupに分かれる。
いずれにせよ、コンクールを受ける事で、音楽人生を失敗(挫折)しないためには、コンクールの本質的な功罪を理解しておく事が大切なのだよ。
しかし、多くの人達はコンクールに対して、夢を見るだけで、その功罪を理解しようとはしない。
まあ、一般的な例に例えるとすれば、「有名大学」とか「有名企業ならば」・・という事で、その大学や企業の事を理解しないままに、入社して人生を棒に振ってしまう人達の多い事よ❢❢
自分の進むべき目標を正しく理解をして、納得をしてapproachをするのならば、そこで挫折をする人はいなハズなのだが、人はその目標に向かっている時には、「功」の一面だけしか、見ようとはしないのだ。だから、そこで「罪」の一面を話そうとすると、人は自分の目標を否定されたような気になるのだよな??
一流の進学校を目指して、有名大学に入学して、有名企業に就職したとしても、それが人生の幸せを意味するものではないし、永久就職の時代はとうの昔に終わっているのに、学校教育や子育てになった途端に、親も子供もそれを安定と信じて疑わないのだよ。
それが人生最良の道と勘違いをするのだよ。
ヒョッとするとコロナで死んでいる人達よりも、コロナで自殺をしている人達の方が多いのではなかろうかね??
人生に対する考え方を間違えると、そうなってしまうのだよ。
一言で言うと、どんな人生の目標であろうと、その目標を正しく理解し、納得して歩んで行くとすれば、そこには挫折は無いのだよ。
これまでも、何度も言って来たように、コンクールを受けて入賞を果たしたとしても、その延長線上にproの道が確約された分けではないのだよ。Tchaikovsky-concoursでも、Chopin-concoursでも、そこで1位に輝いた人達全てがproになった分けではないのだよ。proになった人達は、そのconcoursの1位の人達から10年に1人か、20年に1人ぐらいの割合でしか、professionalと呼べる人は出ていないのだよ。
音楽の友という雑誌で、過去のChopin-concoursの入賞者の氏名を特集していたが、その中で現役で演奏家として活動している人は、本当に数少ないのだよ。
Europaの音楽家仲間の言葉の中には「コンクール・ピアニスト」という言葉がある。
演奏家にはなれなかった技術だけ、経歴だけの自称演奏家の人達の事だ。
同じように、辞書で「プリマドンナ」と引くと、「うぬぼれの強い女」と出て来るし、まあ、以下同文で、限が無いよな??
勿論、proを目指す過程で、曲のNiveau(水準)をkeepする・・という重要な要素を学ぶには、コンクールはとても良い場所であると言える。
自分自身にプレッシャーをも与えて、それに打ち勝つ鍛練には、とても良い環境である。
演奏のNiveauに対しての意識を育てる意味においても、コンクールは良い場合がある。
勿論、今までにも、『重箱の隅』を突く事ばかりになってしまう・・という『負』の一面も、音楽の学習過程に於いては、より音楽表現の完成度を上げるためには必要な要素ではある・・という話はこれまでも、何度となく繰り返し、話て来た。
しかし、コンクールが罪の面だけが、表面に現れる原因は、コンクールに出場してしまうと、恰もOlympicのように、優劣を競うだけの音楽へのapproachになってしまうからなのだよ。
また、コンクールの採点法はミスの減点法式なので、ミスをする箇所を徹底的に失くすれば、或る程度の得点を得る事は出来る。
後は、表現法が全て完璧にこなせれば、全国大会で1位になる事は簡単である。
後は、その課題を受験する人が自分で何処までクリヤー出来るか・・だけなのだから・・。
その話は、これまでも何度となく繰り返して来ているので、今回のお話は全く別のapproachからのお話で、功罪の『功』のお話である。
コンクールを受ける最大の理由はproになるための一過程としての意味がある。proになるために、コンクールを受ける人達の音楽への価値観や意識は、一般の人達とは掛け離れて高い。
問題は、そうでなくて、単純に、腕試し的に受ける人達や、あわよくば・・という、根本的に間違えた理由でコンクールを受ける人達も数多く見受けられるのだが、そういった人達がコンクールで、全国大会まで、勝ち抜いて来る事は稀である。
まあ、それぐらいの意識しか無い子供達が、コンクールに入賞して来るcaseは、基本的には有り得ない。
極稀に、もし、あったとしても、それは、私達の教室の生徒達ぐらいに過ぎないのだよな??
だから、コンクールを入賞するまで受け続ける・・という事は、さして意味はない。
現実的には、常に全国大会で賞を闘っている子供達は、何度1位に入賞しても、そのコンクールを受け続けている。
その理由は、昔からの諺では、『門前の小僧』や『朱に交われば赤くなる』と言ったような、環境に対しての諺が結構ある。
コンクールを受けようとする子供自身だけではなく、子供をproの演奏家にする事を願っている親達に取っては、子供がproになるための近道は、そういった考え方をしている人達のgroupに常に所属している事であろう。それがコンクールを受け続けている理由である。
自称、professionalの人達は、兎も角としても、一般の人達が本当の意味での、professionalの人達と交流を持つ事は、極めて稀であるし、且つ又、proを目指す人達のgroupに属する事も稀である。(・・と言う事は親がproの場合だけであるからね??)
これが芸能であれば、一般の人達でも、どこかの児童劇団に属し、勉強して子役の座を獲得する事も可能なのだが、こと、音楽界に於いては、proの少年少女の演奏家を養成する所は日本には存在しない。(これも例外中の例外的に教室から音大を経ないで、proのorchestraに所属して演奏活動している人達も結構居る)
また、日本には不思議な都市伝説があって、proになるには、小学生になる前からコンクールを受けて、音楽大学に入学して、留学をして、帰国したら、proになれる・・と言う、不可思議な都市伝説があるのだよ。
そんな、甘い話は、現実には無いのだけどね~ぇ??
藁をも縋る気持ちの藁がチタン合金にでもなったのかね~ぇ??
・・と言う事で、proを目指す親子は学校に就学する以前から、コンクールを目指すのだが、それには、先程もお話したように、『功』の一面もあるのだ。
proの演奏家になる事を目標として、学ぶとしたら、人生に対して、proと同じ考え方をすれば良いだけなのだが、proと一般人が音楽に対する意識として、共存出来る事は無いし、proとしての考え方、生活を学ぶ事も無いのだよ。
そこで、考えられる事は、proとしての意識に一番近いgroupである、「proになりたい」という一般人の集団ならば、コンクールを受ける事で、そういった集団に属する事は可能なのだ。
所謂、そういった、コンクールを就学以前から目指すgroupに入れば、いつの間にか、音楽に対しての価値観が一般人の価値観とは懸け離れて行って、音楽至上主義的な価値観に変わって行くのだよ。音楽に対しての金銭の感覚が全く変わって行くのだよな??
楽器に対しての金銭感覚や、lesson代に対して、或いは、学校とlessonの価値観も基本的に変化して、lessonのためならば、と言って有名中学や、高校を平気で転校してしまう。練習時間の方が学校よりも、優先するのだよ。コンクールのためならば、学校なんて・・という人達の集団になってしまうのだよ。
まあ、proになるのが目的ならば、それは当然の事なのだけど、ここの所が一般の人達には理解出来ない。
教室に居る時に、私の事を「音楽至上主義だ❢❢」と批判していた保護者の人達が、コンクール型の先生の所に行って、コンクールに出始めた途端に、教室を批判していた事と同じ事を、おっ始めて、何の疑問も抱かなくなって、音楽至上主義になってしまうのだから、呆れたものである。
まあ、言えば、教室に在籍している多くの保護者の人達は、学校中心の考え方で一般的な趣味の人達なのだから、例え、自分の子供がコンクールを受ける事になったとしても、音楽を教育の中心に考える事は無いのだよ。
コンクール型の先生の周りに属する保護者達は、コンクール全ての人達なので、日常の全てを犠牲にしても子供をコンクールで入賞させる事しか考えていないのだよ。
「そういった音楽だけが全てである・・と言った考え方はおかしい」と言っていたハズの親達が、そういったgroupに入った途端に、宗旨替えをするのだから、笑える。
とどのつまり、人はその属している世界の基準でしか、物事を考えようとはしないのだよ。
「親がどの社会に属しているか??」で子供の将来は確定してしまう。
・・と言う事は、「演奏家になるためには、親は音楽家でなければならないのか??」・・と言う事なのだが、それは音楽家であれば、音楽家の生活が理解出来ているので、一般の家庭の人達より有利であるのかも知れないが、それが全てではない。
何故ならば、日本の音楽家の大半は、自分の子供が音楽家になる事を否定的であるからである。
少なくとも、「自分の子供を音楽家にしたくない」と公言している音楽家の演奏は、私は聴きたくないよな~❢❢
それじゃあ、音楽を演奏するには相応しくは無いからな??
私の場合には親は医者であるのだが、生みの親は大学の研究者であって、養父は町医者である。
養父の趣味はcameraなのだが、そちらは幾度となくコンクールででも入賞するぐらいの腕で、個展を開いたり、写真集の出版すらした。そこらのカメラ屋とは懸け離れた技術の持ち主である。
しかし、彼は言う。「proとは技術力の世界が違う」と・・・
当然、生みの親の方は、研究者なので、趣味は無い。
研究が趣味であるからだ。
会社でも、サラリーマンと経営者は別の人種である。
ゆくゆくは経営者を目指すサラリーマンであったとすれば、一般の生活のためにお金を稼ぐのが目的である・・と言う考え方は捨てなければならない。
日本には、職人という世界がある。
この職人の業も、子供の内から、身に付けなければならない、習得に数十年を要する職業も多いのだよ。
工業高校や工科大学で学んでも、proの職人にはなれないのだ。
料理教室で幾ら学んでも、調理師にはなれないし、調理師でも、親方と呼ばれる職人にはなれないのだよ。
しかし、こんにちは、不可思議な時代ではある。
オタクや趣味の人達が、それを職業として、結構、売れ捲っている人達も多いからだ。
gamesオタクが職業となって、結構な高額収入を得る事の出来る時代なのだから、結構、笑える。
You Tuberとかいう不可思議な職業もあったりして・・
音楽の世界でも、今はエンタメとマスコミの作り上げた虚構の世界が成り立っている。
障害者であっても、苦学の末の努力の人であったとしても、音楽は、音楽自体のNiveauが全てなのだから、条件は無いハズなのだけど、マスコミのdrama性で芸大にまで呼ばれて演奏する人がいたりして、笑えるのだよな。
私の場合には、エンタメやマスコミが創り上げた日本の世界的proは、全く認めてはいないのだけど、今の日本の音楽家達には、自分が創り上げた音楽を残して行く・・という発想自体が全く無いので、何を言っても致し方は無いよな~ぁ??
私が、昔から生徒達に言い続けている事なのだが、「音楽を学ぶ上で、非常に大切な事は、自分の音楽歴として、子供の時代から演奏を残して行きなさい。」と言う事だ。
過去の演奏をちゃんと残せば、自分の成長を自分自身で感じる事が出来る。しかし、子供時代の演奏を未熟な物として残さなければ、自分の成長を窺い知る事は無い。
例え、子供の演奏であったとしても、その音楽に対するapproachが真摯なものであったならば、演奏の上手下手ではなくて、Fanがつくのだよ。そういった人達はその子供がproになっても、Fanでいてくれるのだ。日本では子供達の演奏会は発表会を除いては無いのが現状なのだが、AmericaやEuropaでは、子供がproとして演奏する場も数多くある。
八千代市生涯学習プラザ主催のコンサートの企画は、先生達の演奏に対して来たのだが、芦塚先生の八千代市に対しての質問で、「子供達を演奏させる事は可能か??」という問に対しての回答は、「proとしての水準ならば・・」と言う答えだったのだよ。
本来は、それが正しいのだが、日本では子供は幾ら上手でも、その場は与えられる事は無い。だから、日本の子供達に取っては、コンクールが全てになってしまうのだよ。
proになる最良の近道は、proの人達との交流なのだが、それは望むべきもなければ、二番手でも仕方がない。それがproを目指す人達のgroupに属する事になる。
将来、芸能界で活躍する事を望むのならば、子役を育成する劇団に所属すれば良いのだが、残念ながら、音楽の世界には子役は居ないのだよ。特に、日本の社会では子供のproの音楽家は認められては居ないのだ。
つまり、これまでは、コンクールを就学年次前から、音楽大学を卒業するまで受け続ければ、常に全国大会でしのぎを削る10数名の人達は、proを目指す人達だけなのだからね??
全国大会の次の年のコンクールではもう出て来ない「ぽっと出」の人達は、競合相手にはならないので、知っておく必要も無いのだよ。つまり競争相手にはならないのだ。
・・と言う事で、コンクールを受けるproを目指す人達は常に、同じgroupの人達との競争になるのだよ。
これが世界の何処のコンクールを受けても同じなので、これも笑える。
しかし、音楽に対する真摯なapproachと、価値観を親子共々持っている事は否めないのだよ。
やっぱり、所詮は、コンクールに1位になる人達の価値観と、amateurの人達の価値観は、元々から、決まっているのだよな??
amateurの価値観を持つ人達がコンクールに入賞する事は絶対に無いのだけど、それが一般の人達には分からないのだよな~ぁ??

5月19日『私に取っての、SNSの問題点』 ·
5月の19日の木曜日の朝の10時を過ぎた所です。
エアコン周りの工事が終わって、やっと、一安心した所です。
寝室の公園側のverandaへのドアを開いたままで、工事の人とやり取りをしながら、エアコンをつけたり消したり、電源を外したり・・、と結構大変だったのだよな??
•••と、思ったのだが、夕方、早めに外の工事が終わったので、Blindを開いて見たら、なんと、窓の外の工事の足場の上に、室外機がポンと置いてあったのだよ❢
と言う事は、外壁の工事が終わるまで、室外機は工事用の足場に置いたままになる・・と言う事なのだよな??
それでは、エアコンが所定の位置に戻るのは、いつになるのか?・・は分からない、という事なのだよな??
「終わった❢」と思ったのは、糠喜びに過ぎなかったのだよな??
『Facebookからhomepageへのtranspose作業』
昨日の水曜日は、朝っぱらから丸々一日掛けて、2022年のFacebookのhomepageがtemplateだけになっていたのを、1月から4月分までのcommentをtransposeして、そこまでは、ちゃんとhomepage上で、見れるようにした。
5月分からは、未だひと月分のcommentが書き終わっていないので、中途半端なので、次は9月に入ったら、また4ヶ月分を纏めてuploadする事にします。
通常ならば、homepageにFacebookを同期させる場合には、homepageにFacebookからのlinkを張るのが、一般的だと思うのですが、それを一々「Facebookに書いた文章をhomepageにtransposeするなんて、何で、そんなシチ面倒くさい事をするのか??」という事は、以前にもその理由を説明をした事はあるのですが、Facebookやtwitter等、所謂、SNSの特性に理由があります。
元来、Facebookやtwitter等のSNSの使い方は、思い付いた事や感じた事等の近況等を、直感的に書くだけで、それを推敲したり、論文として展開する•••という使用法はSNSには想定されていないし、また、読み手の側にも、書いた文章を読み返すという想定は全くありません。
つまり、一つの文章をnetにuploadしたとしても、そのcommentを1,2週間後に、また、何処に書いたのか・・を検索で探し出す••という事は、想定されていないし、その文章を探し出す事は簡単な事ではありません。
それでも、昔のFacebookでは、日にち検索等で、過去の文章を簡単に探し出して、読み返す事は、なんとか出来たのですが、今のFacebookでは、過去の文を探すのは非常に難しくなっています。
そもそも、「なんでFacebookなのか??」と言う事なのですが、昔々はFacebookも他のblogであるame-logやgoo blog等と同じように、文字数の制限がありました。
つまり、元々、長い文章は想定外だったのですよ。
それがFacebookでは文字数や画像の数の制限が無くなったので、長文を書く私に取っては、とても都合の良いblogになったのです。それがFacebookである理由なのです。但し、文章に論文のように、図や写真を挿入する事が出来ないのが問題点です。
写真に解説を入れる事は出来るようなのですが、それでは全体の構成が失われてしまうからです。
それでもsnsとしてはFacebookは、未だマシな方で、twitter等に至っては、ホボ、昔のcommentを探し出して、読み返すのは不可能です。
感覚的で直感的な、読み切りの使い捨てのSNSのような表現法が、SNSの主流になって来て、homepageのような一つのthemaでも表現出来るnetの形態は、亜流になってしまいました。
そういった感覚的、直感的な思考方法の社会現象は、音楽界のような芸術の世界でも、本来の哲学的、或いは宗教的な精神性のapproachよりも、華やかなエンタメ的な演奏活動を主体とする傾向に変わってしまいました。
物事を深く、研究、研鑽するようなカッタルイ事は、現代人にとっては、もう古い過去の遺物・・化石なのですよ❢
『直感的、感覚的な世界には、Hierarchieは無い』
次のお話しは、日本人の学びに対する姿勢のお話しなのですが、昔々、芦塚methodeを教室外の先生達に指導していた時に気が付いて、驚いてしまったのですが、・・・指導される側の先生が私が指導した事を、次のstep(stage)に進んだ時に、前のstepで学んだ事を全て捨てて、新しく独立した事として学び始める・・という事に、驚いてしまったのです。
小学校からの学校教育のsystemが、単元が新しく変わる毎に、前に学んだ事とは、全く違った世界として、新しく勉強を始めて、以前、学んだ事からの積み上げが全く無いからだ・・と思われます。
それが音楽を学ぶ場合にも、音楽を「歴史的な時代の様式」として捉えるのではなく、(baroqueの様式の演奏・・とか、古典派の演奏様式に拠る演奏styleとかが全く無くて、)指導者の演奏styleが全ての時代の作曲家に、画一的に当て嵌められてしまうのですよ❢
そりゃあ、無いよね~ぇ??
時代考証なんて物は、日本の音楽界では、まるっきり、考慮されないのですよ。
コンクールの審査員達でさえも、審査の基準に時代考証はないのですよね〜ぇ??
そこが歴史と伝統で成り立つEuropaの音楽界と、traditionalの無い、日本やAmericaとの大きな違いになります。
ですから、traditionalが無い日本では、Mozartでも、Bachでも、所詮は、エンタメに過ぎない分けで、伝統や歴史との時代考証とは無関係の世界なのですよ。
古い日本の職人技を学ぶ目的で、外人さんが日本に来て、弟子入りをして学んでいるのをテレビで取材していました。
驚く事に、彼らの方が日本のtraditionalに詳しいのですよ。
直感的、感覚的ではなくて、歴史から学ぼうとしているからなのです。それに対して、日本人達は、技術だけを直接学ぼうとしているのです。技術が成り立ったrootsではなくて、今現在、完成した技術だけを学ぶ事が効率が良いと考えているのですよね??
技術を幾ら学んでも、そのrootsが理解出来ないと本質は追求出来ない・・と言う事が分からないのですよ。
「baroque時代や古典派の時代には、そういった技術は未だ無い」と、幾ら言っても分からないのです。そもそも、時代考証という考え方そのものが無いのだから・・
それを説明する事自体が無駄なのですよ。
Ah❢❢ miserableです。
・・と言う事で、homepage上に、Facebookの文章にTitleを振って、年月日別にindexを付けて、分類し直す事で、文章を探し出す事が容易に出来るようにしています。
私に取っては、Facebookは、私の日常のmemoであり、覚書であり、反故の文章でもあるからなのです。勿論、全くの書き掛けというか、反故の文章は「自分のみ」の、非公開にしていますが・・

5月20日『今マスコミを賑わしている誤送金の話』 ·
今は5月の20日の金曜日の朝の7時半を過ぎた所です。
昨晩は、ハイツに戻って来て、椅子に座ったままで、1時間以上も眠ってしまっていました。
1時半頃に目が覚めて、慌てて、大急ぎで、お弁当を冷蔵庫に仕舞って、bedに入って爆睡してしまいました。
『Internetの不具合』
朝の6時直前に目が覚めて、bedで寝たままで、昨晩、書きかけたままになっていたFacebookを書こうと思ったら、なんと、Facebookが開きません。仕方がないので、パソコンを開いてみたら、案の定、Internetが死んでいました。
modemの電源を抜いて、もう一度差し込んで、modemを再起動させたら、治りました。
時々、Internetが死ぬのよね~ぇ??
『連夢』
朝食を食べたら、突然、眠たくなってしまったので、その後は、再び寝て、今度はお昼の12時に目が覚めました。
結構、爆睡出来たと思いますが、朝とお昼の2回に渡って、連ドラのような長い長い夢を見ました。
前半部では、留学中の私に、大学から電話があって、arrangementの方法を学びたい・・という人からのバイトの要請でした。
「何の曲を、どういう風にarrangeをしたいのか??」という事を、電話で問い合わせたのですが、電話口の先で相談しているのが日本語なのに気が付いて、「日本人ですか??ならば、日本語で良いですよ。」と言って、詳しい話を聞いて、lectureの日にちと時間を決めました。
後は、実際のarrangementのlectureの風景で、orchestraの曲をPiano伴奏に編曲する時のhow-toでの、「ああでもない、こうでもない」の話になって、文章に書くと、全く意味の無い、ダラダラとした話になります。
後半部もその延長線上の夢をそのまま見たので、よくよく考えるとarrangementのTechnik上の話だけで、storyの展開もへったくれも無いのだよな??
夢でまで、誰かにlectureをしているというのは、何の因果かね~ぇ??
『誤送金の話』
今、テレビでは、世間を賑ぎ合わせている誤送金の話をしているのだが、珍らしく銀行側の誤送金にspotをあてて話をしている。
世界の非常識極まりない誤送金の例のお話だ。
実は、私も、誤送金で悩まされた経験がある。
Münchenに留学したばかりの頃、日本からの送金を受け取る為に、当時住んでいたMünchen郊外の村の銀行に口座を開設して、日本から初めての送金があった頃の話なのだが、多分、日本からの円での送金は、その銀行では初めての事だったのだろうか??
・・・多分、円とマルクのレートの単位を間違えて計算したのだろう・・・、多額のお金が私の口座に入金されていた。
別に、直ぐにお金を引き出す予定も無かったので、そのまま放置していたら、銀行から、「ネコババするつもりか??」と言った風な内容の無礼な手紙が届いた。
誤送金という事は分かっていたハズなので、直ぐに銀行に返金すれば良い・・と思われるかも知れませんが、実は当時は、未だ、mailも・・携帯も・・netも無い頃の時代なので、誤送金のお金を返金するには、銀行に行って手続きをしなければならなかったからなのです。
学校に入学したばかりの頃で、授業や、勝又、Münchenの生活に慣れるのに、とても忙しかったからで、そんな雑用のために、時間を裂くのは、辛い事だったからなのです。
銀行からの手紙を読んで、超、頭に来て、直ぐに抗議の文章を書きたかったのですが、ドイツに行ったばかりの頃で、ドイツ語がそこまで堪能ではなかったので、同じ音大生apartに居住している同学校の学生である女の子に手伝って貰って、抗議の文章を作って、銀行に送ったのだが、それに対しての、何の返答も無かったし、お金を銀行に返金した後でも、銀行からは、何のお礼の一言も無かったのですよ。
女の子の話では、EuropaやAmericaでは、謝る事は、自分の非を認める事になるので、公式に非を認める事は絶対に無いのだそうな??特に、銀行のような所では、公式に非を認める事はまずは無いのだそうな??
今の日本でも、日本の古来の礼儀としての相手を労る挨拶であっても、交通事故等では、自分の非を認めた事になってしまうのだそうで、決して、自分側から謝ってはいけないのだそうな??
ドイツも日本と同じ騎士の国だと思っていたのだが、ドイツに対してのimageを改めざるを得なかったのだよな??
真面目に働いていた若者が、役場や銀行の誤送金で、犯罪者になってしまった事に対しての釈明や、相手に対しての真摯な詫びが無く、相手の非だけを追求しているのは、頂けないのよね~ぇ??もしも、そういった事がなければ、地方の小さな町で、何事もなく、一生暮らして行けたかも知れないのだよ。
その子に取っては、信じられないくらいの金額のお金が突然、手に入ったので、良心のタガが外れてしまったのだよ。現実ではなくなったのだよな❢
まあ、それにしても、お役所仕事らしく、自分の非を認める事はなく、人のミスだけを追求して、裁判の費用までも、相手に要求する・・と言う事は、全く、人の心の暖かさの感じられない、世知辛い世の中になったものだよな??
留学から帰国した後で、パソコンの時代になってからも、OCNが会社の都合で、契約の設定を一方的に変更して、古いaddressは使用出来ない・・という事で、そのままに、していたら、古いままのaddressの契約金が1年間も自動的に抜かれていて、それに気づいて、「一方的に契約を変更したのならば、元の契約の解約もOCNと側がするべきだ!」「少なくとも、古い契約の引き落としを解約しろ❢とのadviceはすべきではないのか?」と、claimをOCN-communicationsに言ったのだが、電話を北海道から、九州、沖縄までたらい回しにされただけでなく、最終的に「あなたが幾らOCNに楯突いても、大手企業が非を認める事は絶対に、ありませんよ。」と、泣き寝入りを示唆する慇懃無礼な返答を貰って、超頭に来てしまいました。
その時以降、OCNは即座に解約をして、どんな効率の良いプランを業者が持って来たとしても、その後は、私がOCNと契約する事は2度とありませんでした。
幾ら、料金プランが良くても、感情的に許せないのですよ❢
感情的な問題なのでね❢❢
『routine』
・・てな事を書きながら、ウダウダとしていたら、あっという間に夕方の5時半になってしまった。
だんだんと鬱になって来たのだが、多分、精神的に、疲れて来たのだろうか?
食事timeまでは未だ時間があるので、少し横になって休む事にしよう。
・・と言う事で、横になるには、横になったのだが、なかなか眠れなかったので、Bedに入ったままで、携帯でYou Tubeを眺めて、弄って遊んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまった。(勿論、携帯はちゃんとけしてから、だけどね?
7時半に目が覚めたのだが、と言う事は、小一時間以上は眠れたのだろうか?
疲れと鬱はなんとか解消出来たようだ。
でも、結局、一日中寝ていたような気がして、良心の呵責に苛まれるのだよな?
怠け者である事を非とするよりは、体調を管理する事を是とするべきである。
・・と言う事で、まあ、善哉❢善哉❢❢
後は、routineの日常なので、以下、省略・・・
と、思ったら、全国のお役所の誤送金の例が、分かっているだけでも、非常に沢山の例があるという事を、テレビで放送していた。20年だけでも、全国至る所で、誤送金があったようだ。
信じられない事なのだが、未だに、手作業で手続きをしているからの、人為的なミスだよな??

5月23日『ギックリ腰になったお話とKeyboardが壊れたというお話』 ·
今は5月23日の月曜日の朝の4時を過ぎた所です。
先週の日曜日は、運動会ともろもろの理由から、オケ練習の集まりが悪かったので、partの個人練習を中心にする事にしました。
個別のpart練習なので、私は必要がなくなったので、当然、千葉には行きませんでした。
だから、昨日のオケ練習は二週間振りの「お久し振り」になりました。
・・という事で、日曜日の朝に、bedを起き出したら、なんと、なんと腰痛になっていました。
腰痛では腰が立たなくなってしまったので、何かと準備に手間取ってしまうので、お昼からの出発なので、まだ充分に時間はあるのですが、朝の7時頃には早々と準備を開始したのですが、中々、体がいう事を聞いてくれず、ハイツを出発したのは、予定の出発時間ギリギリでした。
勿論、その間には、他の平行作業も片付けながら・・なので、時間的には結構有効には動けたのではあるのですがねぇ??
車の移動中はお天気にも恵まれて、バイデンの渋滞にも巡り合わないで、smoothに千葉に行く事が出来たので、予定よりも、約、1時間程は前に到着したのだけど、lessonの時間ギリギリ迄、事務室の椅子に座ったままで、freezeしていました。
練習開始から練習の終わり迄、椅子に溶け込んだように、一歩も椅子から離れる事は無く、座ったままでした。
夕方から夜に掛けては個人lessonだったのだけど、それでも、室内楽の練習のprogramの一つが無かったので、早めに東京に戻れたのだけど、移動の高速道路の途中迄は結構雨が降ってしまいました。
椎名町に到着して、軽く夕食を取ったのだけど、体が限界に達していたので、お弁当も、楽譜類の入ったリュックも置いたままで、(腰痛で荷物を持ち帰るのは無理だったので・・)、免許証の入ったshoulderだけを、首から引っ掛けて、大急ぎでハイツに戻って来ました。
勿論、テレビすらつける事はしないで、直、bedに入って寝ました。
・・で、冒頭の「今は5月23日の・・」の文章に続きます。
という事で、今日は5月の23日の月曜日の朝の10時を過ぎた所です。
仕事modeに入ろうと思ったのですが、ちょっとでも椅子に座ると腰痛が起きて、腰が立たなくなってしまいます。シンクの縁に掴まってなんとか腰を伸ばそうとするのですが、とても無理で、Bedに戻って横になって暫くすると、立てるようになります。
今日のパソコン作業は立ってkeyboardを打つのだよな〜ぁ?
イヤさ、trendyだなや?
今日の朝一からのmainの作業は、昨日のオケ練習の私が指導した練習風景のvideoをuploadする事です。
前回も、同じ事を書きましたが、助っ人に入ってくださるお兄さんお姉さん達が、練習に来れないので、練習を見て、演奏のpointを把握して貰うための公開なので、本当はそれぞれの曲のcheck-pointだけを抜き出してuploadすれば、30分ぐらいのvideoに纏まると思うのですが、オケ練習を30分ぐらいに編集するには、三日、四日は掛かるので、それはとても無理難題です。
という事で、オケ練習の部分を措置まま通しでuploadします。
でも、それだけでも、パソコンに取り込んで、trimmingをして、mp4に変換して、You Tubeにuploadするだけでも、5、6時間は掛かるのですよ❢
それに加えて、保存用にSDcardをBlu-rayに焼いたり、・・とかの作業も入れると、結構一日作業になってしまうのですよ❢
ひたすら時間の掛かる忍耐の作業です。
それはそうと、finaleで音符を入力するとKeyboardがおかしくなって、finaleの入力どころか、文字の入力さえも出来なくなってしまいます。
Keyboardの乾電池を抜き差しすると、今の所は、治るのですが、それでも治らなくなってしまう場合があります。
どうも、このMicrosoft Natural Ergonomic Keyboardは、不具合が多くて、調子良くありません。
新教室の同じ Ergonomic Keyboard は、USB無線adapterを子供の悪戯で持って行かれてしまって、新品で、2万近くで買ったのに、没になってしまいました。
USBの端子に差し込むだけの小さなポッチなので、子供には、その価値が分からないのですよ。
長時間、パソコンをKeyboard入力する時には、 Ergonomic Keyboard は、腕に楽なので、ホボ一日中パソコンに向かい合う私に取っては、通常のKeyboardでは腕が疲れてしまって、長時間の入力は出来ません。
と言う事での Ergonomic Keyboard なのだけど、非常に高価なのと、非常に壊れ易いという致命的な欠点があります。
今は壊れたKeyboardを騙し騙し使っているのだけどね~ぇ??
finaleの入力を始めると、直ぐに壊れてしまうのだよな~ぁ??
今日は月曜日なのだけど、未だ、腰は良くありません。
椅子に長時間座ると、真っ直ぐに立てなくなってしまいます。一日、二日、安静にしても、中々、戻ってくれません。
40歳を過ぎる迄は、ギックリ腰なんて、知らなかったのにね~ぇ??
人間、歳を取ると、色々あるものですよね~ぇ??
芦塚音楽千葉新教室 22年5月22日 オケ練習のみ

5月23日またまたエルゴミックkeyboardが壊れた❢今度は重症だ❢
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Finaleを入力していたら、またまたエルゴミックkeyboardが壊れた❢
今度は重症だ❢
復帰させても、直ぐにkeyを感知しなくなる❢
エルゴは、高いし、壊れ易いし、だけど、普通のkeyboardと違って、結構、疲れ無いのよね〜ぇ?
今日は、keyboardに振り回されている感じなので、仕事にならないので、即、注文した❢
明日、新しいkeyboardが椎名町に到着する予定だ❢
それまでは、古い大型パソコンで使用している Ergonomic Keyboard のUSBのポッチをmainパソコンに付け替えて古いKeyboardで作業をする。
な、な、な、なんと!・・・昨晩、注文した Ergonomic Keyboard が、今日のお昼間に着いて、斉藤先生がお弁当箱と一緒に持って来てくれた。
今まで使用していた Ergonomic Keyboardは、結構、最初から故障が多くて、困っていたのだが、昨年の暮には、Qのkeyが降りなくなってしまった。
だから、Qのkey-coverを抜いて、詰まっていたゴミを手作業で取って、coverを戻そうとしたのだが、Qのkey-coverをハズす時に、爪が取れて、coverが戻らなくなってしまったので、(USB無線adapterのポッチが悪戯でパソコンの本体から無くなってしまって、使えなくなっていたKeyboardからQのkey-coverを抜いて、嵌め込もうと思ったのだが、中々、嵌まらないままであった。
Quartettと打ち込む時だけではなく、control+Q等のshortcutも出来なくて、困っていたのだよ。
その内に、全くKeyboardが反応しなけなってしまって、どのkeyを押しても、うんともすんとも言わないのだよな??
・・と言う事で、仕事にならなくなってしまって、とうとう昨晩、思い切って一番安い業者から注文をしたのだけど・・。
勿論、一番安い・・とは言っても、新品だよ??
パソコンの本体は、時々、中古を買う事もあるのだけど、partsに関しては、中古は買わないのだよ。保証が貧弱で、壊れ易いからね??

5月24日『居場所の話』 ·
今は5月24日の火曜日の夜の8時半を過ぎた所です。
今日は、椎名町の事務所ではなくて、ハイツの自宅で軽く食事を済ませた所なのですが、耳に洗濯機が回っているような音が延々としているのですが、稼働している電気製品は冷蔵庫とパソコンしか無いので、音がしている事は無いハズなのですが、気になって仕方がないのですよね~ぇ??
今日は血圧も正常なハズなのだから・・と言う事で、部屋から
部屋のドアを全部開けて確認したのだが、部屋の中は死んでいるように静かで、音を出す物は見当たらなかった。
・・と言う事で公園側の窓を開けて見たら、対面のビルからmotor音のような唸りが聴こえて来るのが分かった。
血圧や脳梗塞の所為では無かったようだ。一安心したよ。
音の元が分かったら、音そのものも、気にならなくなってしまった。ゲンキンなものだ•••❢
日曜日の夕方はオケ練習の後の個人のlessonが思ったようには上手く行かなかったので、日曜日の深夜から月曜日と、延々と、軽い鬱状態が続いているのだよな~ぁ??
生徒達を指導して、生徒達の夢を叶えるためには、生徒達や保護者達の日常生活上での考え方、所謂、意識が基本なのだ。
その意識無しに、技術だけを幾ら磨いても、夢や目標に到達する事は無いし、また、今の若者達は、昔々のスポ根漫画のように、「根性で乗り切る」・・という気持ちはサラサラ無いのだよ。
まあ、そういう気持ちが有る生徒は、最初から私達のような巷の音楽教室には来ないからね??
このお話は私はよくする話になるのだが、人には「居場所」・・がある。
勿論、生徒の側、保護者の側の話なのだが、それは指導する先生の側にも同じ事が言えるのだよな??
人間の目標は、夢を見ているだけの日常生活とは掛け離れた目標と、それを現実化するために努力している日常生活を目標一色にしている具体性を持った目標がある。
夢を見ているだけの人達は、その目標となる世界も、夢として見ているだけなので、それは架空の世界を見ているに過ぎない。
夢の世界の中で幾ら努力をしても、それは現実の努力ではないのだから、その夢が叶う事は無い。殆どの人達の夢の見方は、そういった現実味を帯びない見方をしているのだが、本人自身がそれに気付いている事は稀である。
同じ努力をしていたとしても、自分の居場所の中で努力が出来ている人は、その努力の結果が上手く行かなかったとしても、結構、それなりに、満足感を得る事が出来るのだが、その人が求める目標の居場所が、その場所でない所で努力をしていたとすると、その努力の結果が或る程度、満足の行く結果であったとしても、そこで、幸せ感を感じる事はないのだよ。
そして、結論的には、目標とは異なるその場所に居る限り、その場所で成功を収める事は無いのだよ。
私自身はこの音楽教室という場所での、この仕事をする事で、たつきの糧を得ている分けでは無いので、いつでも、職種を変えて、この職種に縛り付けられている分けではない。
当然、何時でも新しい場所に行く事は可能なのだから、私が思うのならば、幾らでも職種を変える事は出来たハズなのだが、今現在となってしまっては、職種を変えるだけの体力がもう既に失われてしまって・・無いのだよ??
せめて、10年前に、その決断をすれば、体調的にも、居場所を変えて、その道で成功をおさめる事も出来たかも知れない。
これまでも、二度、三度の教室の経営の危機の時に、先生達に教室を存続させるか否かを訊ねて来て、存続を希望する先生達の考えに従って来た。
教室の危機を招く原因や理由が、分かっていながら、その決断を躊躇してしまうのは、私の最大の弱点かも知れない。
人生に見切りは絶対に必要だ・・という事を人には言うのだが、自分自身では、なかなか出来ないのだよな??
それが人間の業というものなのだよな?
「見切り」・・というものは、基本的には、早い方が自分に取っても、相手にとっても、被害が少ない。
でも、そこで決断が遅れると、それまでの全ての努力が否定されてしまうのだよ。
「見切り」を遅らす事は、自分に取っても、相手に取っても、良い事は無いのだが、それでも、「もう少し、頑張ってみるか??」とか「もうチョッと、待ってみるか??」と思ってしまうのが、執着であり、業でもあるのだよ。
・・・てな事をウダウダ言っても仕方がないので、alcoholでも飲んで憂さ晴らしでもするか??
・・と思ったのだが、私の普段のwineが1本も無い。・・と言う事で、早速、netで注文した。
病気になってからの、初、注文なので、4年振りになるのかな??・・と言う事なので、今日のwineは無い❢
後は日本酒の熱燗か、ヱビスのbierか、なのだが・・wine以外のalcoholでは、今日の気分じゃ無いよな??

5月25日睡眠と良眠 ·
今は5月25日の水曜日の朝の7時を過ぎた所です。
昨晩の深夜は鬱が酷くなり掛けたので、alcoholを飲む代わりに、netで映画や動画を見て気分の落ち込みを避けようとしていたのだけど、早く眠るつもりが、いつもの時間の明け方が近くなって来たので、慌ててbedに入ったのだけど、寝室の明かりを茶玉にするのを忘れてしまって、bedからswitch迄を起き出して、明かりを消す事が面倒くさいので、明かりは付けたままで寝てしまった。
明かりを付けたままで寝たのは、この数年以上も前から、全く無い事だったのだが、普通に爆睡してしまったよ。不思議だ??
今夜も、相変わらずの別の人生を過ごしている夢を見ていたのだが、たいして、今の現実とは違わない夢だったので、詳細は忘れてしまった。
夢は基本的に、忘れるものだそう・・だからな??
短い時間であっても、一応は爆睡が出来たので、昨晩の鬱からは脱却出来たようだ。
これで今日の夜迄は、鬱から回避出来ると思われる。先ずの取り敢えずは、善哉❢善哉❢である。
朝の7時からのroutine作業をしていたのだが、2時間程で、椅子の上でうたた寝を始めたので、慌ててbedに戻る事にした。9時半である。
それから直ぐに爆睡出来たのだが、toilette-timeで12時丁度に目が覚めてしまった。2時間半のone‐coolである。またまた、少し睡眠時間が短くなって来たのかな??
one-coolの睡眠時間が少なくなると、適面、体調が悪くなって来るので、心配なのだがね?
それとも、体調が悪くなって来るので、睡眠時間が少なくなって来るのかな?
・・・まあ、「どちらか?」ではなくて、「どちらも、」が、正しいのだろうかね?
今日は深夜まで、寝たり起きたりのウダウダした生産性の無い1日になってしまった。人生の残り日が少ない貴重な一日なのに、無駄に費やしてしまった・・という自責と後悔の念に苛まれているのだよな??勿論、現意識的には、そういった無駄な一日も大切な一日なのだ・・という事は自覚してはいるのだが、それに対しての潜在意識が、それを怠惰だと苛むのだよ。
新しく購入した Ergonomic Keyboard は全く問題なく稼働している。

5月26日『CASIOのLabel-printer』 ·
今日は5月の26日の木曜日のお昼の3時を過ぎた所です。
video-recorderのPanasonicのDigaに結構、videoが保存されて残っていたので、Blu-rayに焼いて、元のdataをDigaから削除していたのだが、焼いたBlu-rayを手書きでTitleを書いていたので、昔のCASIOのlabel-Titlerを引っ張り出して来て、mainの仕事用のパソコンにdriverをinstallしようと思ったのだが、何度、試みてもinstallが出来ないのだ。
困って、casioのmakerのchatのsupportと話て見たのだが、埒が明かない。幾ら「install出来ない」・・と言っても、「理解出来ない」という答えだけなのだ。パソコンに関しては、俺よりも素人だよな??
chatに相談するのは諦めて、自分なりに、securityを切ってみたりとか、色々と試みたのだが、なにをしてもダメで、遂に諦めてしまった。
ふと、思い付いて、subのパソコンにinstallし直して見たら、何の問題もなく普通にinstallが出来て、お試しの印刷も恙無く出来た。
なんじゃろね??これは??
同じDellで、同じwindows10なのに、なんで・・あっちでは出来て、こっちでは出来ないのだよ???
パソコンの事は、全く分からん❢❢
このCASIOのLabel-writerは、元々は毎週のオケ練習の後のSDcardをBlu-rayに焼く作業の延長で、Blu-rayにTitleを付ける作業の簡略化のために、事務所用に買ったのだけど、使い方を覚えるのが難しい・・という事で、誰も使わなかったので、ハイツに持って来たのだけど、自分でやって見ると、確かに面倒くさいし、それ以上にlayoutが全く上手く行かない。
また、printerの置き場所に困ってしまって、使わないままになっていたのだよな。
そもそも、SDcardからBlu-rayにdubbingするのに、最低でも4時間、或いは6時間以上も掛かる事がある。
その超、面倒くさい作業の中で、DVDにLabelを付けるだけの作業で、一々、Label-printerを出して来て、文字を入力するのは結構、一作業増えてしまうのだよ。
それに、折角入力した文字が小さかったり、大きすぎて、文字が全部入らなかったり・・と、色々と不都合が起きてしまう事が多いのだよ。
そういった、Label-printerの使い難い原因は、Titleや説明文、commentの入力が文字のpointで文字数が決まる・・という超analogチックな面倒くさいもので、一々取説を見て文字数を比較して、決めなければならない・・からなのだよ。
CDのtemplateがあって、文字を打ち込めば、視覚的にlayoutに表示されるのならば、もう少し、使いやすくなったと思われるのですがね~ぇ??(実際の文字でなくても、印刷可能領域・・という事で良いので・・・)
昔のLabel-writerなので、そういった視覚的な操作が出来ないのだよ。
一応は、プレビュー画面はあるようなのだが、シチ面倒くさくて、やった事は無い❢
epsonのprinterには、CDやDVDのLabelを印刷する事が出来て、絵や写真もcolorで印刷出来るし、CDのtemplate上に書いて行くので、直感的で、難しさは無い。
CASIOのLabel-writerは、templateが無いので、機能的、効率的ではない。
文字を入力するだけで、しかも、印刷の位置も或る程度決まっているので、自由度が全く無い割に、印刷の設定法は簡単ではない。
epsonのprinterの方が、自由度も設定も簡単で出来上がりも数倍優れているのだよ。
本当ならば、epsonのLabel印刷で、Titleの書き込みをすれば、簡単だ・・と思われるのだが、ついつい写真や、なんやら、かんやらと、出来る範囲の事をやろうとして、結局、面倒くさくなって、やらなくなってしまう。
但し、毎週のオケ練習のlabellingは、完全なtemplateを一つ、作れば、日にちの打ち替えだけで済むので、マジにその作業をすれば良いだけなのだが、そのtemplateを一つ作るのにも、CDに焼いてcheckをしなければならないのだよ。
そこが、面倒くさくて、中々、この無駄使いのLabel-writerが活用出来ないのだよな??
捨てて良い、没のCDが数枚あれば良いのだがね??
以前は大量にあったのだが、全部捨ててしまったので・・ね??
椎名町で探して見るか??
いや、・・・無かった。

5月27日体調が分からん ·
今は5月27日の金曜日の朝の10時半になろうとする所です。
ハイツは工事用の網に囲まれているので、雨なのか、曇り空なのかさえ分かりません。
という事で、玄関から外に出て見たら、なんと土砂降りの凄まじい音がしていました。
という事で工事も中止のようです。まあ、雨が収まるまでの昼間までのお話しでしょうがね?
疲労感に襲われて、椅子に座ったままで、意識混濁して来たので、bedに戻ったのですが、またまた、強烈な鼻詰まりで息が出来なくなってしまい、暫くBedで格闘していたのですが、諦めてもう一度、Bedから起き出してしまいました。
私は元々、引き籠もりなので、部屋の中に閉じ籠もっているのは平気なハズなのですが、今日は酷い閉塞感に襲われて、土砂降りの中を、雨に濡れても外に飛び出したくなるような焦燥感に捕らわれています。
多分、陰鬱な湿度の関係なのだろうから、除湿機を作動させて様子を見ている所です。
今日も一日中建設的な仕事が出来ないままに、一日中ウダウダとしています。
夜も体調不良が続いて、食事直前まで、bedで横になっていました。
食べに行かないで、そのまま寝ていようか??とも思ったのですが、頑張って椎名町にbikeで行く事にしました。
食事が終わって、ドルっ歩に付き合ったのですが、なんと、ドルプリのfull-courseのお散歩に不思議な事に、腰にも、股関節にも来ないで歩けたのだよな??
どうも、自分の体の事なのに、よう分からん。

5月29日homepageではあるのに、パソコン上のSoeur MoniqueのPageが無くなっている ·
今日は5月の29日の日曜日の朝の10時なった所です。
今日は千葉でのオケ練習の日なのですが、昨晩からは、小一時間ぐらいしか寝ていません。その小一時間の睡眠でも、同じシュールな夢を何度も見て、夢の中で疲れてしまいました。(夢の内容は直ぐに忘れてしまいました。)
昨晩は、食事の時に斉藤先生から、pralltrillerに付いての質問を受けて、その場では説明をしたのだけど、pralltrillerのprallに付いて、netで調べて行く内に、trillerの説明のSiteを色々と見て、一つとしてそのrootsに触れていない事に、愕然としてしまいました。
早速、homepage上に既に書いている装飾音に付いての解説の中から、CouperinのSoeur Monique(修道尼モニカ)の装飾音の弾き方の解説のPageに、補筆、追記をしようと思ったのですが、いざhomepageで、CouperinのSoeur MoniqueのPageを開こうと思ったら、homepagebuilder上ではそのPageが、開かなくなっているのに、気が付きました。
慌てて、パソコン上の「芦塚先生のお部屋」(・・という名前のhomepageですが・・)の中のdataを見たり、web上のdataを確認したのですが、Soeur Monique(修道尼モニカ)のPageがパソコン上には、無くなっていた事に気が付きました。
でも、不思議な事に、「芦塚先生のお部屋」のindexのPageから開くと、ちゃんとlinkされていて、開くのですよ。
という事なので、server上のdataをdownloadしようと思って、探したのですが、server上にも、モニカのPagesが見当たらないのです。
homepagebuilderからSoeur MoniqueのPageを開こうとしても、どこに、そのdataがあるのか??・・何度、探しても見つからないので、開らかないのですよ。
このまま、また、紛失してしまったら、目も当てられないので、homepagebuilderの中に、新しくSoeur Moniqueのback・upのPageをコピペで作って、serverに、uploadしました。
補筆の分は、このモニカのback・upのPageに書き加えて起きました。
また、同じhomepage上の別のPageなのですが、「調のお話」で「調律」のPageに、「octaveを感覚的に広げる」と書いていたのですが、それでは、誤解を招くのでは??と、突然、思いついて、しまいました。
昔々、「forteからPianoまでの音量の違い」とかの自然界の量の違いを、数値化した事があって、その計算式を持って、「ritardandoやaccelerandoの出来るMetronomやoctaveを広げられるtuner等を作らないか??」と大手の楽譜屋さんにお話を申し込んだのですが、楽譜屋さん側からは、「日本では音楽大学の先生達がMetronom自体を否定するので、Metronomがあまり売れないので・・」と、その発案を断られてしまいました。
当時は、未だtunerという器械が無い時代だったので、MetronomにAの音を出す・・という機能を持っている程度のMetronomが売られている・・という時代でした。未だ、analog式のMetronomが主流の時代で、電気のMetronomは非常に少ない時代でした。
tunerが独立して売られるようになって来た時代でも、Aのpitchが色々と選べる・・とは言っても、教室の443cycleやbaroque-pitch等のpitchを選べるtunerは非常に稀であったので、先ずはその機種の選択を教室でして、生徒・保護者に人達に推薦をしなければならなかったので、販売されている全てのMetronomをcheckしなければなりませんでした。
korgが古典調律が出来るKeyboardを唯一販売するようになって、結構高価だったのですが、ハイツの自宅には、そのKeyboardを購入しました。それから、数年して、小さなtunerでも、結構高性能のtunerが発売されて、古典調律が8種類ぐらい選択出来る機能を持つtunerが販売されるようになりました。
tuningは、そういう風に、色々な機能を持つように、発達して来たのですが、「octaveを広げる」と言う機能は、その発想自体が無い・・と言うか、それ自体が知られていない・・という状態のままで、こんにちに至っています。
この「octaveを広げる」と言う事は、数式化は簡単に出来るのですが、その範囲が無数に設定出来るので、そういったoctaveを広げる機能を持つtunerは全く無くて、今現在販売されているtunerのAのpitchのoctave上は、その倍数に過ぎません。
つまり、440cycleのoctave上は、880cycleにすぎませんし、octave下は、220cycleなのです。
非常に狂い易いCembalo等の調律をする時でも、Aのpitchを440cycleにしたら、tunerを使ってoctave上を広げて行く事は出来ません。
教室のCembaloは、443cycleで調律しますので、そのoctave上は886になってしまいます。
つまり、octaveを広げてtuningする事は、tunerでは出来ないのです。
鍵盤楽器の場合よりも、Violinのような弦楽器の方が、被害は大きいのです。
Violinの場合で言うと、E線上のoctave上は、未だ、よく出てくるpositionなので狂いは少ないのですが、2octaveを越した音の場合には、逆に高めに取るのではなくて、低めに取る演奏家が多くて困ってしまいます。
勿論、世界的な歴史的な演奏家には、そういった人はいないのだけど、若手の演奏家の場合には、時折、見受けてしまいます。
物理的konsonanzとしては、あっているのですが、これも物理的放物線の原理に従うので、guitarのfletを見ても分かるように、高音域になればなる程、音と音の間隔は広がって行くので、その時に、物理的なkonsonanzを取ると逆に低く聴こえてしまうのですよ。
誰か、注意をしなかったのかな~ぁ??
・・と言う事なので、調律師に教室のPianoの調律をお願いする時には、今の段階では調律師の耳と感性に頼った感覚的なintervalになる・・という意味であって、開いたoctaveのtuningをする時には、調律師の感覚だけに拠るので、「法則性が無い」という意味ではないので、誤解を招かないように確認を追記して起きました。
そうこうしながら、眠ろうとも画策したのだけど、結局の所、1,2時間程しか眠れませんでした。
・・と思っていたら、またまた、結構、朝っぱらから鬱になりそうなmailが届いて、お久し振りに、仕事が捗ったのに、またまた、どん底に突き落とされた心境です。
小一時間ぐらいしか眠れなかったのだけど、時間は置いて行ってはくれないので、無理矢理起き出して、出発の準備を開始して、結構、時間ギリギリになってしまったのだけど、千葉に向けて出発しました。
オケ練習自体は、先週のlessonで結構細かく指導出来たので、今日は、その内容に従って、部分練習をすれば良いだけなので、本当は、私は必要無かったのですが、個人のlessonがあったので、やはり、web-lessonでは、色々と問題があるので、車で移動する事にしました。
オケ練習の風景は、オケに来ない人達の留意事項やcheckのpointは前回のvideoで充分なので、今回は、uploadはする気が無かったのですが、私が千葉に行って、直接練習を指導する事になったので、くどいようなのですが、今回まで、video配信をする事にしました。
練習の内容は文章にしても、つまらないので、それはnetの動画の方を参照にしてください。
千葉でのオケ練習と個人lessonが終わって、頑張って、東京に戻って来て、更にBikeに乗り換えて12時のcinderella-timeの直前にハイツに戻って来ました。
普段ならば、椅子に座ったままで、意識混濁状態になるハズなのですが、今日は暑くて、一日中汗をかいていたので、シャワーで体と髪を洗いました。
(どこにそんなpowerが残っていたのだろうか?)
確実に明日以降には、その付けが襲って来るのだよなぁ??
怖い❢怖い❢❢
勿論、それから大急ぎで、パソコンの電源も入れないように気を付けて、bedに入って寝たのですが、なんと、眠れないのですよ。
無理をしてやっと眠った・・と思ったら、夢を見て目が覚めて、toilette-timeになってしまって、小一時間さえも眠れないのです。
僅か、3時間程の間に、何度も起きては寝て・・・を繰り返してしまうのですよ。
やっと、朝まで眠れた・・と、思ったら、未だ深夜の3時を過ぎたばかりの時間でした。
「時間が逆行しているのでは??」・・と、思える程の、短期睡眠と摂眠不良で、とうとう「頑張って眠る事」を諦めてしまいました。
明日というか、今日と言うかの月曜日は、特に予定を入れていない安息日なので、疲れが出たら、お昼までも眠る事が可能だからです。
独居老人は、そういった所は自由で良いのだよ・・・
やらなければならない事は、たくさんあるのでね・・・???
先ずは、最初の作業は、今日のオケ練習のvideoをパソコンに取り込む事です。lessonから始まって、オケ練習、再びlesson・・と、私がlectureしたlesson時間は、約6時間程度なのですが、パソコンに取り込むだけで、2時間近く掛かって、編集に3,4時間と、それからYou Tubeにuploadするだけで、6時間近く掛かってしまいました。
つまり、朝の6時、7時頃から始めた作業が終わったのは、夜の10時過ぎです。まるまる一日作業ですよね~ぇ??
https://www.youtube.com/watch?v=txF4t0q6NQo

5月31日 2:48 お弁当のお話·
5月の29日の日曜日は千葉でのオケ練習だったのですが、その前の28日の夜(土曜日の夜)が小一時間ぐらいしか眠れていなくて、そのままの次の日のオケ練習だったので、流石にオケ練習とlessonが終わったら、超、疲れてバテ切ってしまいました。
そうは言っても、兎に角、東京には帰らなければならないので、いつものように、根性で、頑張って東京に戻って来たのですが、流石に夜食を食べるのは、とても無理・・と言う事で、夜の食事は無しにして、次の日のお弁当の持ち帰りだけを持って、急いで、bikeに乗り換えて、ハイツに戻りました。
なんとか12時のcinderella-timeまでにはハイツに戻って来ました。
持ち帰りのお弁当は、雑炊とトマトスープとポーズ(豚饅)を持ち帰りました。
5月の30日の月曜日の夜・・新月の夜ですが、ハイツの自宅に持ち帰った食い物は、先程も言った、雑炊とトマトスープの他に、お鮭茶漬けのsetがあったのですが、鮭茶漬けは、ご飯が無いと食べれません。
糖質制限のdietご飯をハイツで炊かなければならなかったのですが、糖質制限のご飯を炊くのが、一手間で、超、面倒くさいので、ご飯は作っていません。(ご飯を炊く事自体は、一般の電気釜と同じなので、手間暇は掛からないのだけど、ご飯を炊いた後の、後始末が超、面倒くさくて、それが理由で椎名町ではdietご飯を作ってくれなくなったのですよ。一つ一つのpartsを丁寧に掃除しておかないと、ご飯がぐしょぐしょになって炊けないのです。と言う事で、「捨てる❢❢」と文句を言っていたので、私がハイツに持ち帰って来たという経緯があります。)
雑炊の他には、持ち帰った食料では、直ぐに食べれる食糧はポーズだけでしたが、流石に、ポーズは食事の代用にはならないのだよ。私の感覚的には、おやつのimageだよね??
・・と言う分けだけだったので、月曜日の朝からは、一日中雑炊だけを食べていたので、流石に夜の雑炊は飽きてしまったので、雑炊と一緒に、ハイツに持ち帰っていたトマト・スープを半分程、雑炊に入れて、少しトマト・ケッチャップを足して、味を強くして、旨味に刻みニンニクとパルメザンの粉チーズを混ぜて、味を整えて、純日本風の雑炊を、イタリアンのリゾット風の雰囲気の夜食に変えてしまいました。
勿論、見た目だけではなくって、味も・・純粋に、Italia風に・・ね??

5月31日『気温の乱高下と湿度と鬱』 ·
今は5月31日の火曜日、5月最後の日のお昼の2時半です。
明日からは6月です。
・・などと、ウダウダとお話を始めてしまいましたが、何を言いたいのか?と言うと、要するに、「お昼から突然、爆発的な超、鬱になってしまった」というお話です。
お久し振りの、超、激しい・・酷い鬱で、自分のこれまでの人生が、全て無駄であったような、発狂しそうな状態の鬱なのです。
部屋の物を全て壊してしまいそうな・・暴力的な鬱です??(勿論、・・勿体無いから、実際には、破壊はしないけど・・??)
・・てな事を、lineで先生達に報告していたら、先生達、生徒達も、皆さん、朝から寒いのに体は暑くて、疲れが酷いそうだと言う事で、・・・斉藤先生からは、「寒くても、無理をしてでも、除湿機を掛けて見たら・・??」という返事が返って来ました。
「そうか、なんだ??」「天候不良の湿度のせいか??」・・という事で、部屋の温度が下がり過ぎないように、コンビニ・クーラーをつける事にしましたが、やはり、湿度が全く下がらないので、諦めて、大型のエアコンをつける事にしました。
大型のエアコンの場合には、除湿に設定していても、急激に部屋の温度も湿度と一緒に下がって来てしまいました。
部屋が寒くなって来たのだけど、爆発的な発狂しそうな鬱が、呆け捲くった鬱・・ぐらいには軽くはなったのかな~ぁ??
所詮は、体が、・・・もとい、気分が重たい事には変わらないのだけどね~ぇ?? 10段階で、0から下から2つか3つは、気分が上がったような気はするよな??
それも気のせいだったりして・・・
鬱陶しいのと、日曜日のvideoを編集していて、気になっていたボサボサになっている頭部の後ろの髪の毛と、目に入り出した前髪を、ハサミで思いっ切りcutしました。
勿論、首の後ろには目が無いので、うなじの部分を自分自身で見る事は出来ないので、(手鏡で見ても、自分が邪魔になって後ろは見えないのだよ?)指先の手探りの感覚だけでのcutなのだけど、髪の毛を自分で切り揃える事は、もう中学生の頃からやっている事なので手慣れたもんです。中、高生の頃から、母親に、床屋に行くお金を貰う事が難しかったのでね??勿論、言えば、何の問題もなく、散髪代は貰えたのだけどね~ぇ??
なかなか、それが言えなかったのだよな??
教室を作ったばかりの頃の一時期には、髪の毛を染めたりもしていたのだけど、今は、人の前に出る事は、非常に稀なので、エチケットという事も無いので、自分自身が、見た目よりも、気分的にさっぱりとすれば良いだけなのでね??
思いっ切り、髪の毛をバサバサと切ったので、本当ならば、部屋に掃除機掛けをしなければならないのだけど、体調不良なのでpassする事にして、洗面台周りは、見ない事にした。
しかし、髪の毛は洗わないと掃除機だけでは取り切れないので、無理をして、風呂に入って洗髪した。
風呂から上がると、流石に、もう体が動かないのだ❢❢
Energieが切れてしまったようだな??
少し仮眠すると、また体力が戻るかな??


6月4日『Soeur Moniqueのornament』
昔々、私が生徒達を直接指導していた頃には、このCouperinのSoeur Monique(修道尼モニカ)の曲は、初級のgradeの卒業曲の中の1曲でした。(・・とは言っても、この楽譜のように、ornamentに飾られた演奏ではなくて、一般の楽譜に書かれている程度のornamentでの演奏でしたが・・・)
生徒に指導をする時には、通り一遍の装飾音を入れて演奏します。
と言う事で、その演奏法を、私のhomepage(芦塚先生のお部屋)に、CouperinのSoeur Monique(修道尼モニカ)の演奏譜を、冒頭の8小節だけを記譜して、その演奏された音源として、You Tubeにその8小節をuploadして、homepage上のモニカの論文に、演奏譜の例として、linkを張っていました。
そのPageででも、弱拍のtrillであるpralltrillerの演奏法を説明していたのですが、斉藤先生や牧野先生達がtrillの事をpralltrillerと言っていたので、ふと、疑問に思って、netや音楽事典で、pralltrillerの意味がどのように書かれているのか??を調べて見ました。
その結果は、「超、驚いた❢」・・というか、「Shockだった❢❢」・・と言うか、全ての辞書に「mordentに対するtrillをpralltriller」と言う風に書かれていて、正しいrootsである奏法が、洋の東西を問わず、全く書かれていない事に、愕然としてしまいました。
勿論、その原因は、ornamentの本来使用されている意味が、baroque楽器の衰退と同時に、時代的に忘れ去られてしまった事にあります。
元来ornamentは、CembaloやOrganのような、音に強弱やaccent等の演奏表現が付けられない鍵盤楽器のために、Violin等の弦楽器の微妙な演奏表現を、copyするために作られて来たものなのです。
弦楽器のvibratoやaccentを表すために、或いは、音の拍節法(Agogik)を表現するために、とか、Cembaloのように、音の減数が早い場合や、crescendoやdecrescendoを表す表現のために、或いは、唄のportato奏法(legatissimoの奏法)等の色々な音楽的な表現のために、ornamentが用いられて来ました。
しかし、Cembaloという楽器が、baroque時代からの古典派の時代の後期に差し掛かると、forte-pianoという楽器が発明され、音楽界の中で主流になって行くに連れて、Cembaloと言う楽器は、音楽家達の間でさえも、時代遅れの楽器として、忘れ去られてしまいました。Mozartの時代には、もうOperaのrecitativoのpartだけに使用されるか、cantata等の宗教曲の中で、僅かに使用されるだけになって来て、その次のロマン派の時代には、すっかり忘れ去られてしまいました。
・・と言う事で、Cembaloが主流であったbaroque時代には、弦楽器にしか出来ない色々な細かいnuanceを表現するためのornamentの演奏法が、音楽表現がforte-pianoからdouble actionの現代のPianoに発展して行く過程で、装飾音の演奏法はすっかりと忘れ去られてしまい、結局、Beethovenの時代以降は、ornamentは単一の限られた装飾音としての演奏法しか残りませんでした。
それが、「pralltrillerがmordentの反対の装飾音である」・・と言ったような、誤った概念を日本だけではなくEuropa社会にも植え付けてしまいました。
しかし、正しいpralltrillerの演奏法は、baroque時代だけではなく、rococoや古典派の初期の時代の演奏家達の手に拠って、詳しくその演奏法が残されています。
特にCouperinのornamentの理論は複雑極まりなく、難解でornamentの用語を覚えるだけでも、超、難しくて、私の手には負えません。rococo専門のCembalo奏者に任せたいと思います。
C.P.E.Bachは彼のCembalo奏法の本で、装飾音の中で最も難しい装飾音として、このpralltrillerの演奏法に付いて詳しく書いています。C.P.E.Bachをして、そう言わしめた程に、このpralltrillerの演奏は難しいのですよ。単純な上向きのmordentの逆さまのtrillでは無い・・という事なのですよ。
こう言った装飾音に対しての無知は、notationのsoftであるfinaleに於いても全く同じで、human-playbackから、baroque時代の演奏法を設定したとしても、正しいperiod奏法には程遠い演奏しか出来ません。
finaleを作っている人達は、音楽家でもなんでも無いからなのです。
特にClassicの楽典的な知識に関しては、皆無といっても良い無知の領域で、finale上に使用されている音楽用語を、Classicの音楽用語と比較をして、理解するには一手間、二手間の苦労が必要です。
昔々uploadしていた修道尼モニカの演奏譜の冒頭の8小節に、新たに書き加えて、全曲のornamentを書いたのですが、取り敢えずは、途中までは演奏譜として、細かい音符で実際に演奏する音符を書き込みましたが、途中からは、それが実際のornament譜ではどの様に、書くのか??という意味で、細かく書き込まれた演奏譜では無くて、simpleな装飾記号で書いた装飾譜に変更しています。
finaleの場合には、装飾音の記号に変更する事に寄って、細かい装飾音の違い・・・、例えば、強拍を表す装飾音と、弱拍を表す所謂、pralltriller等の装飾音の細かい音価の違いを、音源の違いとして表現する事が出来ません。
finaleの設定では、早いtrillと遅いtrillの設定が出来ないからです。
ornament譜にする事で、そう言った微妙な変更が出来なくなってしまいましたが、書かれた演奏譜の超、複雑怪奇な譜面とsimpleなornament記号で書かれた譜面の違いを見て、ornamentの重要性を理解して頂ければ幸いです。
使用されている装飾音は、市販の楽譜上に使用されているornamentを基本的に使用しています。
短いtrillと長いtrill、(音の持続を表す長いtrillはモニカの曲の中には出て来ません。)single-mordentとdouble-mordent、後はportatoやlegatissimoを表すschleiferですが、finaleの装飾音にはschleiferは入っていないので、已む無く、今回は装飾音の記号としてではなく、演奏譜としての装飾音で書いています。
また、finaleには、長前打音(appoggiatura)と短前打音(acciaccatura)の演奏上の区別が無いので、装飾音として書き表す事が出来ませんでしたので、長前打音は、演奏譜として書き表しています。
しかし、本来的には、長前打音、所謂、appoggiaturaは、装飾音ではありません。
長前打音(appoggiatura)の本来の意味は、baroque時代から古典派の初期の時代に掛けては、通奏低音(basso continuo)の時代と言って、Baßの音に付けられた和音上に、倚音や係留音等の非和声音として使用される音をその時に使用されている和声外の音という事を表すために、長前打音として書き表しました。
Mozartのトルコ行進曲のthemaに長前打音が使用されていて、倚音である非和声音という事を表しているのですが、世界的な名pianistがその前打音をacciaccaturaである短前打音と勘違いをして、引っ掛けて演奏しているのはlächerlich(笑)です。
世界的名演奏家が、それではかたなし・・です。
無知は怖い❢❢
これまでは右手の装飾音についてお話をして来ましたが、この曲の演奏で最も大切な奏法は、baroque時代やrococo時代で最も大切なCembalo奏法としての技法である、Couperinが必要最小限に書いている左手のfinger pedalの奏法でしょう。
Bachの平均律のprelude等でも、よく見受ける奏法なのですが、こんにちではPianoのpedalで誤魔化して演奏している人達が多いのには、辟易させられてしまいます。
Pianoの右pedalで和音の響きを切り替えると、拍頭の和音が変わる場所で、和音の響きが無くなって、単音になってしまうので、和音の粗密が起こって、非常に不自然な音の響きになってしまいます。
finger pedalで演奏すると平均律のハ長調のpreludeでは、常に6声部の和音が響いていて、和音の粗密が起こりません。拍頭で1個の音になる・・というとんでもない和音の密度の問題からもfinger pedalを使用する事で逃れる事が出来ます。
この演奏法は近現代のPianoの音楽の演奏の時にも、とても役に立ちます。Debussyのarabesqueの中の和音が最高音で変わる所でも、finger pedalを使用する事に拠って、美しく徐々に和音が切り替わって行く事が表現出来てとても美しいのですが、finger pedalの奏法を知らなければ、そのpassageは演奏不能になってしまいます。
finger pedalの演奏法を、楽譜上に書き表すと、とんでもない複雑怪奇な事になってしまいますが、耳で弾き分けると、とても簡単に演奏出来ます。
和音の響きが聴こえない人は、Organで練習をすると良いと思います。自転車の乗り方と同じで、一度、覚えて身に付いてしまうと、後は簡単で、感覚で演奏出来るようになります。
音楽大学等で、Cembalo等の楽器を学んでいる人達に取っては、このお話は基礎知識に過ぎないので、当然、演奏出来て当たり前のお話なのですがね~ぇ??Cembalo科の生徒達でもちゃんと演奏出来る人に巡り合った事が無いのですがね~ぇ??
困ったもんだ。

6月4日の続きです。 ·
今日は未だ、6月4日の土曜日の夜の10時半です。
昨日の夜からの、時系列のお話をウダウダと、クドクドとSoeur MoniqueのPageの最後の方に書き加えたハズなのですが、改めて開いて見るとuploadされていないし、また、編集履歴にもそういった文章は残っていません。まあ、Facebookではこういった事はよくある事なので、今更、驚きはしないのだけど、或る程度以上の文字数になって来ると、そういった事がよく起こり出します。
bitの量から言うと、写真を20枚、30枚upする方が、余っ程、bittの量は多いハズなので、文字数は関係無いとは思うのですが、twitter等も文字数を制限しているし、・・なんだろうね~ぇ??
原因は兎も角として、摂眠不良で金曜日はまるまる一日、仕事にならなかった・・というか、一日中寝ていたので、夜の8時過ぎにはroutineで、椎名町に出かけて、食欲は全く無いのだけど、義務的に夜食を食べて、ドル・プリっ歩に出掛けたのだけど、ドルは最初から、全くやる気が無くて、直ぐに道路に寝そべってしまって、ウダウダとするだけで、全く歩こうとはしないので、体調不良の折、等々、業を煮やして、ドルプリを置いたままで、途中から事務所に戻って来てしまいました。だから、時間的には11時前には、江古田の自室に戻って来たハズなのですが、椅子に座って後片付けをしていたら、なんと、日を越して深夜の2時になっていました。
それからの文章になります。
昨晩は深夜の2時過ぎから、朝の9時頃まで、徹夜でCouperinのSoeur Moniqueのornament譜を作ってYou Tubeにuploadしたので、お昼からは、寝込んでしまいました。
まあ、当然の事なのですがね~ぇ??
今日の摂眠はかなり悪質で、頻眠を繰り返してしまいました。
当然、食事の時間になっても、体が動かなくて、無理をして椎名町に移動しました。
それで、冒頭の文章に続きます。
調子が悪い・・というのは、普段は気分が悪い程度なのですが、昨晩は、bikeを押していて、フラついて、危うく引っ繰り反りそうになったり、歩いていて転けそうになったりして、マジに体調不良、意識不良を感じてしまいました。
徹夜なんて、もう、するのでは無いと反省しました。・・・ほんと??
いや~ぁ、三日経てば、そんな事は、すっかりと忘れているよ❢❢
6月の5日の朝になったのだけど、相変わらず、全く眠れません。
除湿機で部屋を除湿しても、エアコンで除湿しても、部屋の温度が体に馴染めないのですよね~ぇ??
寒過ぎるか、厚過ぎるかのどちらかなのですよ。
一番、眠たくなる方法はパソコンの椅子に座って、ぼんやりとしている事なのだけど、そこで眠たくなって、急いでbedに行っても、bedで横になった途端に目が冴えてしまうのですよ。
パソコンの椅子に座ったままで、朦朧としていても、腰に来てしまうしね~ぇ❢
どうしたら、よかんべ~ぇ??
昼夜逆転の日々か続いてしまっています。困った事だよな??

6月6日大雨なので、急遽引き籠もりdayにした。 ·
今は6月6日の月曜日の朝の7時を過ぎた所です。
江古田のハイツは非常に激しい雨が降っていて、風も吹いている寒い朝です。
なんと、豊島区では雹が降って、結構、車等に被害が出ているそうで、テレビで大騒ぎをしています。
温度差の乱高下の下で、ハイツでは、気温は15℃で、湿度は92%です。
練馬区は、昨日は27℃超えだったので、一気に15℃も下がった事になります。体調も悪くなるよね~ぇ??
・・・とは言っても、一旦、部屋の中に入ると、工事用の幕に包まれたmansionの中では、一日中薄曇りで、音一つ無い自然界から隔絶した世界なのですが、更に、(工事の人達が窓の外を歩いているので)窓のblindをしっかりと閉じているので、季節感・・どころか、昼か夜かさえも、分かりません。
体内時計が狂うのは当たり前なのですよね~ぇ??
この所、体内時計が狂って狂って、狂い捲っていたのですが、なんと、昨晩は正常にcinderella-timeが過ぎたら、熟睡出来たのですよね~ぇ??
狂って、狂って、更に狂い捲ったら、その先は正常だってさ???(敵の敵は味方・・という諺はあるけれどね??)
アハッ!
こんな事って、ある???
朝は6時起きで、直ぐにvideoのパソコンとPanasonicのDigaに取り込みの作業を始めて、dubbingと、編集の作業を同時に始めたのだけど、途中の9時過ぎ頃には、椅子に座ったままで、爆睡していたので、慌ててbedに戻って寝てしまいました。
なんと、なんと、3時頃まで熟睡してしまったよ。その分、一日半程、利尿作用がstopしていて、toiletteに行っても、ほんの少ししか排尿出来なかったので、結構、心配していたのだけど、その御蔭で熟睡出来たようです。後は体が動き出して、腎機能が復活すれば、善哉❢善哉❢なのだけどね??
テレビはつけていないので、人の声さえしない静まり返ったハイツの部屋の中ですが、ふと思って玄関のドアを開けたら、激しい雨がザーザーと音を立てていて、神社と金華学園の木々は大きく激しく揺れていました。そのgapに驚いてしまったよ。
これでは、とても、外に出掛けるのも億劫になってしまうよな??
という事で、部屋の中に閉じ籠もって、routineの作業である仕事をします。
今からは、今日為すべき事を成します。
夜は10時過ぎに食事のmailがあったのだけど、雨が超激しく降っていたし、超寒かったので、Bikeで椎名町に移動するのはやめました。
と言う事で、有り合わせを探しての、夕食になりました。
先ずは、常温保存のレトルトのコーンポタージュスープを飲もうと思って、手で点線の位置を引きちぎっていたら、レトルトのパックが指が滑ってしまって、床に落ちてスープが絨毯に広がってしまった。
超、Shockだ❢❢
toilette-paperを引きちぎって吸い取った。
指で引き裂かないで、最初からハサミで切ればこんなtroubleにはならなかったのに・・・
残っていたもう一個のコーンポタージュスープを開いて、レンジでチンして飲んだ。
写真は、冷蔵庫で乾燥して、パサパサして、何の味もしない硬い大根葉の微塵切りが残っていたので、美味しく食べれるように、岩塩と昆布茶を足して、綿棒で硬い繊維を柔らかくしている所です。例え、冷蔵庫で干からびていても、綿棒でしっかりとプレスすると、元々の水分が戻って来ます。補水する必要はありません。それに、dietご飯をお茶碗一杯、チンをして、大根葉の塩もみをご飯にまぶして、お茶漬けにして食べました。 甘露❢甘露❢

6月7日flooringの整理整頓⇒web-lesson用に購入したmonitor-テレビ⇒ ·
今は6月7日の火曜日の朝の8時になった所です。
昨晩も遅いながらも、正常な時間に入眠出来て、4時間睡眠の朝の6時に起床しました。チョッと睡眠時間が少ないような気もしますが、それはお昼から仮眠をすれば良いので、問題はありません。
『flooringの整理整頓』
起床してからは、今までの2時間掛かって、玄関横のflooringに出しっ放しになっていたテレビ・monitorやVHSのdeckは、それらのChord類の整理をしました。
その次いでに出しっ放しで仕舞う場所が無かったcassette tapeをdigitalに変換するtape-deckを仕舞う箱を見繕って、複雑なchord類と一緒に箱に納めました。
超、簡単な整理整頓なのですが、色々なchordが出しっ放しになっていたので、どのchordがどの製品の物かを分類して、仕分けするのに意外と時間が掛かってしまいました。
でも、2時間弱というのは、私的には、結構な、好成績の時間です。
『web-lesson用に購入したmonitorテレビ』
写真は、web-lesson用に購入した超、可愛いmonitor-TVなのですが、端子が右の写真の端子しかありません。
notePCでweb-lessonをする予定だったのですが、notePCにはWi-Fiの接続をしていないので、取り敢えずは携帯に接続してlessonをしようとしたのですが、画像が超ヘボ過ぎて、音声も聞き取り辛かったので、諦めて今回のweb-lessonは、RolandのKeyboardをパソコンの前に置いてなんとかやり過ごしました。
『Wi-Fiの受信装置』
3枚めの写真は、今回のlessonには間に合いませんでしたが、notePCにWi-Fi接続するための部品です。
私のnotePCは、Dellの結構、compactで持ち運びの便利なnote型のPCなのですが、実際にはnetの料金が高額になるので、家ではwiredで接続しているのですが、それではnotePCの意味は無いので、使いでが良くありません。
今回のweb-lessonに合わせて、notePCにUSB接続をしてWi-Fiに接続するための、partsを購入しました。
通常、持ち運びをする時には、3枚目の写真の上の部分のUSB部分だけを持って行けば良いのです。
机で仕事する人達用にかっこいい台が付いています。
これで、私のnotePCも持ち歩けるように、mobile化したのですが、なんと、行きつけの珈琲屋には無料Wi-Fiが無いのだそうです。
一般の学生やサラリーマン達が行きつけのTully'sは、チョッと世代間gapで、世代が合わないのでね~ぇ??
と言う事で、今は椎名町のドルプリの部屋に置きっぱになっています。
PCが椎名町の二階にしか無いので、階段を登り降りするのが辛いので・・・ね??
まあ、それにしても、PCの部品だけでも、色々とあるよね~ぇ??暫く、使わないで、放置していると、「これ、なんだっけ??」だもんね~ぇ??
『時短の法則』
ヨージーの法則
『使わない物は、部屋のゴミだ❢❢』
まあ、当たり前の事なのだけど、その当たり前の事を、椎名町で常に言い続けているのだよ。
「無駄な物を買う」分けでは無くて、「使いこなせない」から無駄な物になるのだよ❢❢
どんなに便利で、「時短」になる物でも、「使い方」を覚えないと、只の無駄な部屋のゴミになってしまうのだよ。
「時短」の原則は、同じ行程で済む事は一つの行程で済ませる。
なにかをする時には、その時に一緒に何が出来るかを考えて、一緒に済ませる・・という事。
「委託の原則」人に任せた方が早い場合には、人に任せる事。
しかし、人に任せる・・という意味は、それを出来る人に任せる・・という意味なのだ。
教室では生徒達に良く、finaleの入力や、進行表の打ち込みをやらせる事がある。教室の先生達が忙しいので、生徒達に仕事を分担させていると思われる事が多かったのだけど、それは、とんでもない勘違いなのだよ。
これは基本的に教育であって、入力の仕方や、softの使い方を一々説明していては、先生達の時短にはならないのだよ。その分、逆に生徒に指導するために、先生達の時間を取られてしまうので、先生達がその時間、自分の仕事が出来なくなってしまうからなのだよ。
それに、仕事には、必ずtime-limitがある。
finaleの入力でも、私がしてしまえば、小一時間で終わってしまう。
それを生徒達に一週間も時間を与えて、やらせる意味は基本的には、教育目的以外にはないのだよ。
一般のfinale教室等では、非常に高価なlesson料を払って、教科書的な物を入力する。
しかし、それは職人的な仕事法ではなく、学校的な勉強のstyleに過ぎない。
職人の勉強法は実践のみである。
一見すると実践的な教育では、効率が悪いように思えるのではあるが、料理教室からproになる人は居ない。
料理の上手なamateurに過ぎないのだよ。
でも、まあ、今の世は、amateurの時代だから、それでも良いのかもね~ぇ??
音楽家といえども、proと呼べる人達は皆無に等しくなってしまったご時世だからね~ぇ??
「仕事を人に任せる」という事は、任せられる人の技量に寄るのだ。技量の無い人に仕事を任せると、時短にはならなくて、逆に時間を浪費してしまう事になる。優れた技量を持った人を雇えるのは、どの企業に取っても、垂涎の事なのだよ。
しかし、それを「器械に任せる」という事ならば、その結果は予測可能である。つまり、技量的な違いは無いのだよ。
機械に任せて、機械の能力で、納得が行かない部分を更に自分で推敲すれば、確実な時短になる。
例え、機械の操作を覚えるために、時間が掛かったとしても、結果的に機械の方が早い場合には、機械の操作を覚えた方が、機械はどんな仕事でも嫌がらないので、仕事としての効率が良いのだよ。
それを、「操作を覚えるのは大変だから・・」と言ったり、「機械で出来る事は限られているから・・」と言って、いつまでもanalog的に独りでコツコツと仕事をしていては、永遠に時短を身につける事は出来ないし、仕事をこなす事は出来ないのだよ。
しかし、不思議な事に、勤勉で努力を惜しまない日本型の人達程、このジレンマに陥るのだよな~ぁ。
この分野をこなすのは、器用で怠け者の方が、有利なようだがね??
努力型の人達は、「これ以上は出来ない!」と言う、「自分で自分の限界」を作ってしまっている事が多いのだよ。
最初から、諦めの精神が身に付いているように思えるのだよな??
怠け者の人達は、自分の限界を自分で見た事が無いので、怖いもの知らずだよな??
それが仕事の上で、有利に働く事もある❢
『本当の意味での勤勉さ』
私自身は、超、ブキッチョな上に、基本的には超、怠け者で、熱中しても、直ぐに飽きる・・という自分の性格に悩んでいたのだけど、München時代に歴代の大・大作曲家達の人生を研究していて、ふと、大作曲家の共通な或る事に気が付いた。
歴史的な大作曲家達には2種類のtypeが居て、一つのtypeは天才的な人達で、一度書き下ろした楽譜は二度と訂正をしないという作曲家達である。
それに対して、Beethovenのような作曲家達は一つの作品を40年、或いは一生の間、推敲し続けるのだよ。
意外にも、Chopinは自分が天才という事を言われる事を忌み嫌っていて、彼の手紙には、自分が或る箇所を推敲して、20枚も推敲を重ねて、ふと気が付くと、最初と同じになっていた・・という事を悩んでいた・・という手紙がある。
「推敲をしない作曲家はMozartだけだ!」と言ったら、Mozartに怒られそうだよな??
作曲家の作曲法は、殆どの作曲家達が或る程度、完成するまでは、頭の中で推敲を重ねる。
Genzmer先生が、「作曲を始めると、ひと月も、ふた月も、何もしないでぼんやりとしている。BeethovenやRichard Straussのように散歩をする作曲家達も多い。その間は、頭の中では、非常に忙しく作曲をしているのだが、他の人達にはそれが分からない。
頭の中で曲が完成すると、一気にPenを走らせるのだが、人はそれを見て、軽々と、作曲しているように勘違いをする。
しかし、それは頭の中で完成した曲を楽譜に書き写しているのに過ぎないからなのだよ。
頭の中で完成した曲なので、推敲をする事は非常に少ない。
推敲を「頭の中で」するのか、或る程度は「紙に残しながら」するのか??・・の違いだけなのだからね??
これは大作曲家の作曲法なのだが、曲を作る事(或いは推敲する事・・)に飽きたら、その曲を放置すれば良いのだよ。
つまり、10年、20年というspanで考えたら、その仕事に飽きて、その仕事を放置しても、それをもう一度、別の機会にやり直せば良い・・と言う事に気が付いたのだよ。とどのつまり、曲を完成させるか、否かの事が本当の意味での勤勉という意味である事に気が付いた・・という事なのだ。
今回のcatastropheのように、20年、30年掛かって作り上げたhomepageを一夜にして、ぶっ飛ばしても、1年後、2年後には、再開に向けて、努力を続けているのだよ。
それが自分に必要なものであれば、10年後でも、復刻のための努力をする・・、それだけの事なのだ。
PachelbelのChaconne、1曲でも、3年も4年も掛かって、arrangeのやり直しをしているのだ。
これを勤勉と呼ばなくて、何なんだ??
勤勉は、遣り続ける事ではなくて、完全に終わらせる事なのだよ。
誰かが言った。
「雨乞いは、雨が降るまでやれば、必ず願いが叶うのだよ」・・と❢❢
そりゃあ、そうだ❢❢
日本の演奏家達は演奏活動をより多くする事で、proであるという生存証明をする。
私に取っての、演奏家の或るべき姿とは、自分の演奏を完成させる事ではないのかな??
それを目標としている日本人の演奏家に会った事はない。
「死ぬ迄に、この曲が完全に弾けるようになったら良いのに・・」と思っている演奏家がいたら、私は限りないaleを送ってあげるのに・・・
それにしても、買うのを間違えた物もある。
CASIOのCDのタイトラーだ。
何年越しにも、何度もチャレンジしているのに、未だに使いこなせない。
他のプリンターを使った方が余程簡単で仕上がりも綺麗だ。
CDに書き込むpatternは、決まっているので、templateを作れば、ミスはしなくなるのだろうが、そのtemplateを作るところまでも行かないのだよ。
これはもう既に、不良品なのだろうな??
こういった物は、部屋の肥やしにしかならないのだから、早めに捨てた方が良いのだが、インクもあるし、未だ健全に使用出来るので、なかなか、捨てられないのだよな??
何の故障も不具合も見受けられないのだから、ヤフオクとかメルカリに出品すると良いのだけど、なかなかそのために時間を裂く事が出来ないのだよな??

6月7日未だまだ6月7日の続きです。 ·
今は未だ6月7日の5時半前です。
お昼頃までは、頑張って順調に作業をしていたのだけど、お昼になってから、流石に、Energieが切れて、テレビを見たり、netの動画をdubbingしたりして、遊んでいたのですが、3時頃には、椅子に座ったままで、爆睡していたので、慌ててbedに入って眠りました。
丁度、時計の針では、5時に目が覚めたのですが、朝の5時なのか、夕方の5時なのか、blindの糸目から漏れて来る明かりでも分かりません。5時という時間は、Twilightの時間だからね??
でも、朝の5時と言う事は、14時間も寝ていた事になるので、有り得ないので、夕方の5時である事は明白です。勿論、起きたばかりの朦朧とした状態で、そういった論理的な思考は出来ないので、頭が起きてからの話ですがね??
それにしても、起きる迄には、たくさんの夢を見たのだけど、最後の夢は、とてもrealで怖かった。
(その夢の話ですが・・・)bikeで(とは言っても、今乗っている原付きbikeではなく、大型の7半classのbikeでのお話ですが、・・)見知らぬ土地をturingの最中なのですが、気持ち良く走っていると、突然、周りの景色が暗転して、見えなくなって、慌ててbikeのliteを点灯させたのですが、それも見えなくなってしまって、どこを走っているか・・さえ、分からなくなってしまったのです。
つまり、どこにbikeを避難させれば良いのか・・さえも分からなくなってしまったのです。
取り敢えずは、bikeから降りて、呆然としていたら、暫くすると、周りの景色が見えて来ました。
これは困った❢❢大急ぎで、戻らないと・・という事で、再び、bikeを走らせると、周りが雪洞のように、暗く狭くなって来て、bikeを走らせる範囲が窄められて来ました。
「これはもう、帰る事も出来なくなってしまった。」と、途方に暮れている所で目が覚めました。
・・という所で、時計を見ると5時丁度なのですが、朝なのか、夕方なのか、分からなくなってしまった・・と言う話に続きます。
それに、最後の夢の印象があまりにも強すぎて、その前に見た夢の内容は全て忘れてしまいました。
多分、仕事で何処かを訪問していた時の夢だとは思うのですが、どこに、何をしに、行った夢なのか、全く思い出せません。
確かに、誰かとお会いしたハズなのですがね~ぇ??
今日は、お昼間にお仕事の電話をして、普段会えなかった人達と会話をしたので、その余韻で、何処かに出掛けた夢を見たのかな??
今日は先生の帰りが遅い日なので、椎名町への食事やドルプリっ歩は無い、引き籠もりdayなのです。
という事なので、ハイツに引き籠もって、雑用三昧をしていて、夜になったら、軽い鬱状態になってしまいました。
とは言っても、超、珍しく、体調不良でもないし、別に何か特に原因があるという分けでもないのですがね~ぇ??
軽い鬱状態というのは、「今居る部屋に居場所がない」・・とか、「心の置き場所がない」と言ったような「徒然無い」と言う変な不思議な気分なのだよな~ぁ??
まあ、歳を取ると色々あるわな~ぁ??
alcoholでも飲んで、面白いドラマでも見れば治るのかも??
という事で、糖質0の日本酒を熱燗で、エイヒレをトースターで炙りながら、朝の5時まで2合も飲んでしまいました。
勿論、直に爆睡出来たよ❢
8時半過ぎまでの3時間半程は眠れたのだよ。
今日は、未だ朝の9時前なのに、工事が始まってドリルの音がうるさいのだよ❢
2回目の惰眠が出来ないよな〜ぁ?

6月8日極度の虚脱状態です。 ·
今は6月8日の水曜日のお昼間の4時です。
目が覚めて、パソコンの前に座って、頭の中で考えた文章を、FacebookにKeyboardで入力しようと思ったのですが、それが全く出来なくて困っています。
Keyboardを打とうと思って、Keyboardに手を置こうと思っても、意思に反して、腕が全く上がらないのです。
否、腕だけではなく、体が全く反応しません。所謂、虚脱状態なのです。
(またまた、文章が突然ぶっ飛んでしまった❢❢編集履歴さえも、出て来ないのだよな❢❢❢小一時間程の入力が全て無駄になってしまった。チョッとShockだよな❢❢❢)
いつものように、暫くしてから、気を取り直して、憶えている文章だけを入力するために、体をチョッとだけ、左右に揺らして、体が反応するのを待ったのだが、全く、戻って来ないので、諦めて、椅子に座ったままで、暫く、体が目覚めて来るのを待つ事にしました。
小一時間もすれば、普通に動くようになるのでね??
それはそうと、練馬区では、この所、15℃前後の寒い日が続いていたのですが、今日は、それでも温かい18℃なのですが、私に取っては、今日の方が、体感的にとても寒く感じています。
あまりにも寒いので、とうとう、諦めてエアコンの暖房をつけたのだけど、それでも寒いのです。
やっぱり、温度よりも、体調不良が原因なのかな??
パソコンの入力作業をやりながら、暇暇に、flooringの部屋の片付けをしました。とは言っても、大きな物は既に片付け終わっているので、今日は、chord類を分類して、それぞれの機器と組み合わせて、所定の位置に仕舞う作業をしました。
やっと、flooringにも人が座れるようになりました。
それでも、flooringには、side-DiskのようなDiskが2台もあって、使わない時には、置き場所がないので、邪魔なのですが、仕事の内容では、そのDiskがないと、作業が難しくなってしまうので、普段は邪魔でも、致し方はありません。
これ以上は整理不能という事にしておきます。
夜は椎名町に行ったら、珍しくドルが玄関でのお迎えでした。
玄関で持って来た荷物の整理をしていたら、ドルが玄関の土間に降りてしまったので、「そこはダメでしよう!」と、注意したのに、聞き入れません。
暫くしたら、そこでゲボってしまいました。
玄関のマットを汚したくないので、土間に降りていたようです。
ゲボり終わったら、廊下に上がって来ました。
お利口さんだよね〜ぇ?
でも、なんとなく、それからも体調が悪いらしく、「なんとかして❢」と、私を見つめて来るのですが、お腹の調子が悪いのは分かるけれど、それ以上は、どうしようもないのだよな〜ぁ??
まさか、人間の薬を飲ませる分けにもいかないしね~ぇ??
本当は、気分も悪いし、寂しいし、という事で、眠りにつくまで、ナデナデして欲しいのだよね~ぇ??
そうは言っても、もうcinderella-timeは過ぎたので、俺は急いで帰らないといけないしねぇ??
今夜は先生達、二人共居るのだから、寂しくは無いでしょう??
玄関に出たら、「帰っちゃうの?」とふてくされています。
いつもならば、私が帰るのを無視して、ドルポンをするのにね〜ぇ??

6月10日生音の唸り ·
私が未だ小学生の頃、母親に連れられて、初めて労音のorchestraを聴きに行きました。Cello・Kontrabassのpartの直ぐ下の席だったのですが、Recordでは聴こえない唸りを聴いて衝撃を受けてしまいました。
CDの時代になっても、テレビ等のnetの時代になっても、この「唸り」だけは、生のorchestraでなければ、聴こえない音です。
教室のorchestraでも、調子の良い時には、唸りが聴こえる事があります。
その一瞬では、「proの水準に達したのでは・・??」という妄想に陥る、オケ練習をやっている時の至福のひと時です。勿論、次のChordになると、普通の和音になってしまうのですがね??

6月10日『引き籠もりの生活』 ·
この2,3日、flooringのこまごまとして、出しっ放しになっている小物類の整理をしているのだが、分類のために、10分、20分程、立ち仕事をしていると、直ぐに腰に来てしまうのだよな??
チョッとだけ、作業をして、腰が痛くなって、椅子で休んで、また作業をして・・と言う風に、延々とダラダラと作業をしているのだが、大した量でもない、散らかって雑然とした物を、元気な時ならば、ほんの一瞬で片付けたろうに、今は、体調的に、一気に片付けられないのが、まどろっこしくて、仕方がないのだよな??
別に整理整頓の話しだけではなくて、ハイツで食べているお弁当の食器類をsinkに放り放しになっているのだが、その洗い物の食器ですら、洗い途中で、腰に来て、頓挫してしまうのだよ。
勿論、幾ら運動不足でも、2年前のコロナで、引き籠もりをする前まででは、そこまでは酷くなかった。(コロナは2019年の11月には発生していたのだが、大騒ぎになるのは、2020年の頃からなのだ。)
このコロナの2年間の引き篭もり生活の被害は、私達老人にはその影響が、大きいのだよな〜ぁ?
なにせ、一日中、パソコンの前の椅子に座ったままで、動かないのだからな~ぁ??
勿論、1日、一回はドルプリっ歩でお散歩をするようにはしているのだが、それも日に日に歩くのが億劫になって来てしまうのだよ。

6月11日『音大時代のPianoの曲』 ·
音大時代の作曲noteから抜粋して発表会用の曲をfinaleに入力してYou Tubeにuploadしたのだが、そのURLをこの文章の最後に掲載していたのだけど、「それでは、気付かない❢」と先生からclaimがあったので、文章の冒頭に持って来ました。
https://www.youtube.com/watch?v=ok64wmfGkaI
おおよそ作曲家は作品を作曲したとしても、その作品を直ぐに公開出来る事は稀なのです。
作曲をして、運良くその曲を公開演奏をする機会に恵まれたとしても、だからといっても、直ぐに演奏、発表出来る分けではない。
作品を発表するまでには、それなりに、結構なtime lagが出来てしまう。
München時代の私の作品のように、公開演奏の日が決まってから曲を作り始める事は、そうそう、ある分けではない。
・・という事で、よく勘違いをされるのだが、音楽大学の一年生の時に四年生の先輩であり、大学のsuperstarである女の子に演奏して貰ったpianoの作品は、音大生になってから作曲をした作品ではなくて、中学生の時から、高校生の時のPianoの作品からの抜粋なのだ。
私が作曲を始めたのは、中学生の時からなのだが、残念ながら、その時の作品は失われてもう無い。
下の写真で、ブカブカOrganの上に乗っている音楽帳が当時の作品集であるのだが、そのnote自体が今は失われてもう無いのだ。
私自身は結構不精で、お引越しはしない方なのだが、齢を重ねると、それでも結構な引っ越しをして来て、その間に、多くの作品を失くして来たのだよな。
その次の高校生になってからのpianoの一連の作品が、pianoのためのSonet集と題された作品集なのだが、この作品集も、音楽大学で一年生の時に自主発表をした高校時代の作品からSonetとしては2曲だけを、清書し直した曲が僅かに残っているだけである。
音大時代に書き溜めたscrapbookは、音大時代の作曲へのVersuch(研究のmemo書き)なので、memo帳に残っている反古の殆どは、contemporaryな前衛的な作品なので、今は、その曲の殆どをを演奏する事は無い。
しかし、その中の僅かな作品は、自分自身への思い出語りとして書かれた作品なので、そういった、一般的にも聴きやすい作品を集めて見た。
音楽大学時代の日々の覚書的な練習帳が残っていたのは、或る意味奇跡とも言えよう。
その中から、子供達の演奏には向かない無調の前衛的な作品を省いて、発表会でも弾けるような曲だけを改めてpickupしてみた作品集なのだが、ProkofievのVisions fugitives(束の間の幻影)のように、一つ一つの曲があまりにも短か過ぎるので、音楽大学時代には公開で演奏された事はない。
それでも、私が音大生であった頃に、その作品集を集めて、一つの冊子にした理由は、当時は、未だ子供用の発表会用の曲は、殆んど出版されてはぃなかったのだ。
どこぞの音楽大学の有名教授達が編纂した「子供の発表会用」と銘打たれた曲集も、子供の技術で演奏出来る曲は、その曲集の中の1、2曲に過ぎず、後の作品は、子供達の技術を無視した、有名な作品を集めたに過ぎず、本当に発表会やlessonで使用出来る子供向けのpianoの曲集が切望されていた時代だったのだ。
そういった社会事情もあって、音楽大学時代の先輩や後輩達、或いは、当時の私のpiano科の同級生達が、私のその曲集の中から数曲を適当に選んで、自分の主催する音楽教室での発表会で、子供達が曲を演奏をした事はあったのだが、当時はcassette tapeですら、未だ一般的ではなかった時代だったので、私はその子供達の演奏を聴けた事は無い。
私にとっては今でも未発表の作品であり続けているのだよ。
作曲noteは、単なる手書きの覚書・・所謂、memo帳なので、楽譜が結構なぐり書きで、しかも、無調の現代的な作品•••と言うか、実験的な作品が殆どで、それに加えて、書き散らかしの反故のmemo書き等で、作品にもなっていない作品が数多くある。
その中から、子供達が発表会等でも演奏出来るような曲だけをpickupピして、一つの曲集を作ろうと思い立って、手書きの譜面をFinaleに入力しようと思ったのまでは良かったのだが、なんと手書きの時代のcontemporaryな作品を、Finaleに入力する事が、至難の技である事に気が付いた❢
この10年間・・、或いは20年間は、私は、全く譜面を手書きする事は無くなってしまって、直接Finaleに入力して、作曲をしていたので、不都合は感じなかったのだが、50年以上も前の、昔の手書きの譜面が、Finaleに入力出来ないのだよ❢
頑張って、netや取説を読んで、なんとか入力をしようと思っているのだけど、その項目さえ出て来ないのだよ。
また、「ちゃんとやれば、出来る」と取説には書いてある案件も、そのfinaleの取説を読んでも、どうすれば良いのか・・その日本語が全くチンプンカンプンで、理解不能なのだよ。
finaleで直接作曲をするようになってからは、そういったfinaleの不具合を感じた事は無かったので、どうやら、finaleで作曲を考えるようになってしまっていたようだよな??
finaleが無い・・・というか、computerさえ無い時代の作品は、思考回路が、全く今のfinaleとはハズれていたのだよな??

6月12日『いやあ~、お久し振りにmy-wineを飲んだ❢』 ·
一晩中、大学生の頃の反古の曲をYou Tube用に編集していたら、疲れてしまったので、diet日本酒を飲もうと思ったら、半合分しか無かったので、少し飲み足りなかったので、日本酒が全く無かったので、超・お久し振りにBaccaratのglassを出して、my-wineのBottleを開けて飲んだ。
実は、2018年の暮に、色々と病気が見つかって、入院、手術のハシゴをしてから、その後の何年間かは、殆どalcoholを飲まないように留意していたので、何時が最後かは分からないのだけど、いずれにしても、この数年間は、Madonnaのausleseのmy-wineを切らしたままでいたのだが、今回は、お久し振りに気を取り直して、Madonnaのcaseをnetで注文して、先日、それが着いたばかりなのたよ。何年振りのmy-wineだろうか??
お久し振りのmy-wineなので、お祝いにBaccaratのglassを出して見たのだけど、Baccaratのglassはtrimが超、細いので、チョッと力が無意識に入ると折れそうで怖いのだよ。
だから、お気に入りなのだけど、普段に使う事は滅多に無い。
昔々、留学から帰って来たばかりの頃、六本木のスナックで飲んでいた時に、酔っ払って、wine-glassを握り潰した事がある。
怪我はしなかったのだが、それ以来、お洒落なwine-glassで飲む事はtraumaになっているのだよ。
それでもBaccaratの白wine専用のglassの丸みは素晴らしい。
赤に比べて、匂いが弱いので、丸みを持たせて、香りを閉じ込めるのだよ。
流石はwineの国だよな??
以前には、そのBaccaratのglassに近いFormのTrimがSnowmanになっている安物のwineglass(それでも、2,3千円はするのだけど・・)を持っていたのだけど、それも割っちゃたしね~ぇ??
お気に入りのwine-glassから割れて行く・・とは言っても、お気に入りのglassでよく飲むから・・なのだよな??
まあ、当たり前の話なのだよな~ぁ。
いずれにしても、wineglassは割れ易いのだよ。
いやあ~、それにしても、Madonnaのausleseは、超甘いのだよな?? お久し振りなので、もう、glass一杯で充分だよな??
朝も9時を過ぎたので、おツマミは無しなのだよ。
そのおツマミ代わりに、よせばよいのに、いつもの鬱々Koncertを始めてしまった。
同じVitaliのChaconneの演奏を、私の指揮をした色々な年代のgroupとそのgroupに対してのinterpretationで聴いているのだが、昔々の演奏の方が、soloもorchestraも、技術的には上手いのに、access数は新しい演奏の方が圧倒的に多いのは面白い。
access数は表現力だけではないのだよな~ぁ??
演奏表現から言えば、VitaliのChaconneに比べて、PachelbelのChaconneの方が、マジ、超、patheticな雰囲気が出ていて、秀逸な鬱っぽい気分に包まれている演奏なのだよな??
私に取っては、arrangementが、結構、上手く行っている・・し、演奏自体も悪くは無いと思うのだが、なにせ、暗い❢❢・・ので、access数は期待通りには伸びていない。
今の、若い人達には、この鬱々の症状は、受けないだろうな??? 宮崎駿さんでは無くても、今は、「甘えの時代」なのだからね~ぇ??
・・と言う事で、これもaccess数が伸びないのだ。
まあ、或る程度は、歳を取らないと、そういった諦観は、分からんだろうな??
でも、弾いている人は子供っていうのが面白いですよね?
40、50になっても、人情の機微すら分からん輩もいるしネ??
年齢が一桁でも、人の心を汲み取れる子供もいるのだよ。
そこは、年齢ではないのだよな~ぁ??宮崎駿によると、そういう時代なのだそうな??「甘えの時代」だそうな??

6月14日『作曲家のmemo帳』 ·
作曲家が作曲をする時には、その作曲のideaを「memo帳」に断片としてMotivだけを書く人と、そのmemo帳に書いている曲が、或る程度、完成された作品として書き上げる人がいる。
Richard StraussもBeethovenと同じようにMemo帳をCoatに忍ばせて散歩をしながらアイディアを練る作曲家なのです。
彼の「4つの最後の唄」という辞世の句のような作品の下書きを初めて見た時に、その完成度の高さに、感激したものだ。
曲はfull-orchestraのための作品なのだが、full-orchestraの譜面
がimageとして、3段譜に書かれていて、orchestraのためのmemo書きになっていたからなのだ。
(写真は、Richard StraussのVier letzte Liederから、直筆のIm Abendrotのskizzierenです。訂正や推敲の後が全く見られません。見事なSkizzenbuchですよね❢)
反対にBeethovenやStravinskyは、単純な断片としてのMotivを書いています。
大枚を叩いて購入したStravinskyの超大判のLe Sacre du printemps(春の祭典=春祭)のsketchbookは、汎ゆる春祭で使用されたMotivの断片(fragment)がまるで絵のillust集のように(目だけ、とか鼻だけとかparts partsが)散りばめられていたのだよ。
つまり、素材集という事だよな??
面白い所は、その素材が「春祭」全体の何処の部分かは分からない・・という事なのだよ。
通常ならば、時系列でMotivを考えて行くのが一般的なのだろうけれど、いきなり、最初の1Page目から、最初や最後がバラバラに書き込まれているのだ。その反故とも言えるMotivを、恰もJigsaw puzzleのように、bauplan(設計図)に従って嵌め込んで行くのだよ。
作曲家の場合には、小さい曲を書く時と、大きな曲を書く時には、作曲法で大きな違いがある。
小さい曲を書く場合には、全体像は常に頭の中でimageをする事は出来るのだが、大きな曲の場合には、時間的な経過に伴った綿密な計画書が必要となる。
Genzmer先生はその計画書の事を、建築の設計図に擬えてbauplan(設計図)と呼んだ。
大きな曲の場合には、bauplan(設計図)に従って、作曲をするので、先ずは、そのplan通りに要所要所のthemaを作って行く。
それから展開の部分等を、恰もJigsaw puzzleのように、設計図に従って嵌め込んで行くのだよ。
私も、推敲typeの作曲家なので、曲を完成させてから、推敲に入るのだよ。
これが、finaleが無い時代には、出来上がった楽譜の途中の部分を推敲すると、曲全体を書き直さなければならなくて、これが苦痛の作業で、推敲する事自体が億劫になってしまう、困った事だったのだよな??
40代になって、finaleが作曲にも使えるような水準になってからは、この推敲作業がなんと楽になったのだろうか??
出始めのfinaleは40万もするsoftで、しかもMac、onlyで、出来る事も非常に限定的であったのだよ。しかし、finaleが98になって、windowsでも動くようになって来た頃からは、随分、finaleも改善されて、安くなって来て、20万台、10万台まで、下がって来て、今現在では、5万台ぐらいの金額になったのだよ。
勿論、パソコンも同様に進化して、finaleの作曲だけではなくて、wordやExcel 等も結構楽に使い熟せるようになって来たので、文章を書く作業も推敲をする事が非常に楽になった・・という事と、一々、漢字を辞書で引く作業が無くなったという事は、私に取っては、革命的な進歩だった。
勿論、私のパソコンでは、全ての文言や単語は登録化されていて、keyを打つ回数は極端に少ないのだよ。
特に、単語登録の利点は、keyを打つ回数が少なくなる・・という事だけではなく、同じ名前で漢字が違う子供達の場合には、名前を間違えて書くという事は、単語登録をする事で、回避出来るので助かるのだ。
勿論、keyを打つ回数を少なくする・・という事は、パソコンの時代になってから、始めた事ではなく、文章を書くのが苦手で遅かった私が、板書という無意味な事をやらされていた中学生や高校生の頃に、教室の他の生徒達の板書の速度に近づくために、発明した略記法なのだがね??単語の頭文字だけを書いて後は下線で省略した文字を書き表した。横文字はカタカナの頭文字を、人の名前は丸囲み頭文字として略記を下線で書き表した。これだけで非常に板書が早くなったのだよな❢
日本の歴史に関しても、年代は常に18百年台なので、18は省略した。当たり前だよな??西洋史でも、勉強している時代は明らかなのだから、一々書く必要は無いのだよ。紀元前の時代を勉強している時には、それ以外の時代は出て来ないので、長い文章であったとしても、一回書けばそれで、後は以下略で良いのだよ。
大学の講師をやっていた時には、私が超ヘタな字で板書をしなくても良いように、私が予めnoteに黒板に書く内容を書いて、classの委員に休憩時間にそれを書くように指示をして、板書が終わった段階で授業に入るようにした。勿論、休憩時間の間に•••なのだよ。
究極の時間の節約だよな。
生徒達も書き取りながら、先生の話を聞かなくて済むので、先生も生徒も授業に専念出来るのだよ。
それを更に改良して、半年間のゼミの分を全部大学でprintして生徒に渡すようにしようと思ったのだが、copy代と紙代が掛かり過ぎるという事で、学務に却下されてしまった。
まあ、大学という所は、生徒の為に、お金を使う事は無いのだよ。大学って所は、そんな所なのだよな~ぁ??
大学の講師を続けるつもりならば、私が書いたTextを、学校にcopyさせるのではなく、出版社に出版させて、生徒に教材として、売れば良いのだがね??
そうすれば、学校の負担にはならないし、私にも利益が入るのだがね??
「何故、そうしなかったのか??」って・・??
出版には委託と出版社からの注文の場合がある。
出版社からの注文の場合には、自己負担は全く無いのだが、大学で教材として出版する場合には、学校の教材である本が一般的に売れる事は少ないので、出版するためには、出版に掛かる費用を、恰も自費出版のように、保証する必要があるのだよ。
つまり、5千部出版するのならば、3千部の金額を保証して、それ以上売れた分が自分の取り分になるのだよ。
でも、授業で指導する生徒達の総数でも学年単位であれば、200人ぐらいに過ぎないので、3千冊を売り切るには、数年間は必要なのだよ。
その間、大学を辞めてしまうと、本を売る事が出来なくなってしまうのだよ。
それは困るのだがね・・??
音楽大学で日本のtraditionalな教育を踏襲して指導しても、それはEuropaの音楽教育からは程遠い、日本独自の教育になってしまうので、弟子達が「先生が日本の音楽大学のcurriculumを否定しているのに、音楽大学の先生になるのは、おかしい❢❢」と批判されてしまったのだよな??
という事で、幾つかの音楽大学からのお誘いを断ってしまった。
今、思うと返す返すも、残念に思う・・のかな??
否、多分、思わないだろうな??
最初に勤めた音大も、1年で退職したしね~ぇ??
コミ症で、引き籠もりのtypeなので、作曲の道を選んだ人間なのだから、宮仕えなんて、無理に決まっているのだよなぁ??
今、宮仕え云々は、大学教授というStatusが欲しかっただけで、宮仕えをしたかった分けではないからね??
でも、帰国したばかりの頃には、当時は教授の就職口もあったのだしね〜ぇ?
受けなかった理由は、地方の音楽大学だったからなのだけどね〜ぇ??
今更、講師になりたかった分けでも無かったからね??
まあ、50年も前の話をしても、今更、詮無いことだよな~ぁ??
教室からは、この3、4年は、給料は貰っていないのだけど、別に生活には困ってはいないのだけど、ちゃんとした後を引き継いてくれる弟子が欲しいよな~ぁ??
未だ、指導するだけの余力は残っているのだけどな〜ぁ??

6月15日『音楽のSkizzenbuch』 ·
昨日は練馬区では25℃の夏日だったのですが、今日はなんと15℃という寒さで震えています。
季節の変化というか、気温の変化に、体が付いて行かない•••という事を今更言う事も、そろそろマンネリ(mannerism)化して来ましたよね〜ぇ?
つまり、異常気象が常態化して来ているのですよね?
マンネリ化と言えば、私の作曲noteのYou Tubeへのuploadも、そろそろマンネリ化して来たので、この曲集をuploadする事で終わりにします。
Sketchは幾らupしても、所詮はSketchに過ぎないので、そのSketchが発展してどういう曲になるのかを、説明し、Sketchとの比較をして説明したかったのですが、やって見ようと思ったら、結構、作曲の研究論文のようになってしまって、頭でっかちの論理•論文的な文章になってしまうので、音楽家の人達にとっても、面白くも無い超、つまらない文にはなってしまうので、文章をuploadする事は、やめておく事にしました。
興味の無い人達には研究論文は、つまらないし、また、面白くも
無いからです。
このseriesの曲には、地方の民謡や子供達の日本古来の遊び唄等が、そのままに使用されています。
その日本のtraditionalなmelodieが、伴奏に依って如何に現代的な響きになるのかが、基本のthemaです。
且つまた、この曲集では、左手のpartがalto譜表やtenor譜表、またはsoprano譜表で書かれています。
日本の音楽教育では、ハ音記号(C schlüssel)を読み熟すための、curriculumは存在しませんが、ハ音記号を読み熟す事は、古楽器の演奏のためだけではなくて、score-readingや、初見の移調等にはこういった色々な記号(schlüssel)を読み熟す事は、とても大切な事だからなのですが、日本では、violinの生徒がViolaの譜面を読めないとか、Celloの生徒がtenor譜表を読めない事が当たり前なので、今回、Finaleに入力するに当たっては、全部の曲をへ音記号で統一しました。
勿論、私達の教室では、小学生の低学年の内から、弦楽orchestra(Streich‐Orchestra)や、室内楽(Kammermusik)の勉強をする事で、色々な楽器を弾き熟なす過程で、そう言った色々な音部記号を読み熟なせるように、しているので、教室の生徒達には問題にありません。弦楽器専攻の生徒達だけではなく、Piano科専攻の生徒達も、ViolinやCello、ViolaやKontrabassまで、一般の音楽教室の生徒達が演奏出来る程度には、普通に弾こ熟しています。
また、piano科の生徒達もBachのinventionやsinfoniaは、原譜同様にそのままの譜表で演奏させるし、sinfoniaの場合には、それぞれのpartを、3声部に譜面を分けてsoprano譜表と、alto譜表と、Baß譜表の3声部のscoreで、演奏させています。
勿論、初歩の生徒達には、いきなり、多段譜を演奏するのは難しいので、最初の段階の行程では、生徒は、一声部を演奏して、先生や先輩弟子が残りの声部を演奏します。
3声部のsinfoniaも、最初は一声部だけから始めて、次に2声部を弾いて、最後には、3声部全部を弾けるように、段階を踏んで、練習して行きます。
先輩達と一緒に練習出来るので、「楽しい」と言う感覚が先に立つので、難しい事をやらされていると言う感覚はありません。
という事で、このSkizzenbuchの課題のお話に戻りますが、この曲の課題は「ハ音記号を読む」という課題が別にあったので、それを日本人の子供達のために、へ音記号に直した段階で、曲の難易度が不統一になってしまったのですが、実際の曲の場合では、ハ音記号を読む難しさがあるので、曲の難易度は同じ程度なのです。
へ音記号ならば、超簡単なので、この曲集にuploadする意味はなくなってしまいますがね〜ぇ?
困った❢❢ 困った❢❢

6月16日寒い夜が続いています。 ·
暑い夜が続いたので、掛け布団を夏の薄手の布団に替えてから、ひと月程経ちましたが、この所、毎夜、寒い夜が続いています。
だけど、布団を可逆的に戻すと言う事は、私としては、考えられないので、この所、毎夜、毎夜、寒さに震えています。
薄手の羽毛布団がすぐ横にあるので、それを今の布団の上に掛けるれば良いのですが、たったそれだけの事が、シチ面倒くさいのです。
わざわざ、薄手の羽毛布団を掛けるぐらいならば、寒さに震えている方がマシと言う事なのです。
いや〜ぁ、今夜もシバれるよな〜ぁ❢
近頃は、体内時計が普段よりも、5時間程、狂っていて、朝の四時半頃まで、眠れません。
・・・食事とドルプリっ歩を済ませると、どうしてもハイツへの帰宅が12時半から1時半ぐらいになってしまいます。
勿論、それ以外にも、結構、雑用があります。
ハイツに辿り着いて、それからお弁当が腐らないように冷蔵庫に入れて、部屋を片付け終わると、2時半から3時半ぐらいになってしまいます。それから、チョッと息抜きをすると、結局、4時近くには、なってしまうのですよ。
なんとか、5時過ぎには眠るのですが、10時半頃には目が覚めて、そのまま仕事modeに入ってしまいます。
とても、それでは睡眠時間が足りないので、夕方から2度寝を始めてしまいます。
そのpatternの繰り返しになっているので、それはそれで私のroutineなので、それでも、「構わない❢」とは思うのですが、「一般的ではない❢」というpressureにどうしても苛まれてしまいます。
人に迷惑を掛ける分けではないので、私のroutineなんて、どうでも良い事なのだ・・とは思うのだけどね~ぇ??
今日も4時半の入眠だったのだけど、工事の高圧洗浄の音で目が覚めてしまいました。
・・・とは言っても、定刻の起床時間の10時半だったので、この所の懸案だったお風呂に入って洗髪をしました。
湿度が高くて、髪の毛が幾ら洗ってもベタベタするので、サラサラ感の強いShampooを購入しました。
梅雨の時期は、そのShampooで、乗り切るつもりです。
Verandaの手摺りのサビでも落としているのか、金槌でトントンと叩く金属音が響いて、耳に来てイライラとします。今日は私の部屋の周りを重点的に作業しているようです。

6月17日クチナシの季節になって来ました。 ·

八重の鉢植えのクチナシなのですが、これはハイツの机の上用に買って来たクチナシの花が枯れてしまったら、椎名町に持って行って、庭でそのまま置いておいた3年物、4年物のクチナシです。
クチナシの季節には、よく衝動買いをするので、椎名町には小さな鉢が3個も4個もあります。
今日はその内の一個をハイツに持って帰って来ました。久し振りの里帰りです。アハッ!
残念ながら、里山で自生しているクチナシとは違うので、匂いが全くしません。私は匂いの方が好きなのですがね??
『クチナシの思い出』
私がMünchenに留学をする時に、見送りに来てくれた女の子が、私がクチナシの花が結構好きだ・・という事を知っていたので、羽田に大輪の八重のクチナシの花束をPresentしてくれました。
まあ、しかし、Düsseldorfでdomestic-airlineのMünchen行きに乗り換えなければならないので、機内でロシアの美人のstewardessさんに、ドイツ語で「捨ててください。」と言ったつもりだったのですが、ヘタなドイツ語では上手く通じなかったのか、「花束をPresentした」と、勘違いされて、感激されてしまいました。勿論、16時間ぐらいの長旅の間、結構色々と心遣いをしてくれました。勘違いも良いものですよね??アハッ!

6月17日『弦楽器の思い出』 ·
日本の社会では、「一芸を究める為には、その一芸に脇目も触らずに専念しなければならない」と言う風潮があります。
所謂、『二兎を追うものは一兎も得ず』という諺的な考え方ですよね?
まあ、作曲の勉強を始める場合には、曲の構成を理解する上で、pianoと言う楽器をある程度、究めなければならないのは、普通なのでしょうが、それ以上を求める事は、日本の音楽界では、amateurism(アマチュアイズム)とされて、逆に、忌み嫌われてしまうのですよ。
同様に、楽器を演奏する人達が別の楽器を練習する事も、自分の専攻する楽器に対して、不誠実だと見做されます。恰も貞女のように・・です。
という事で日本のviolinの人達は、全くpianoが弾けません。
困った事に、「それが当たり前の事で、音楽に対しての誠意だ」と信じているのです。
私が弦楽器の生徒を指導する時には、「pianoは自分自身が弾く曲の伴奏が出来るようになるまでのlevelの技術力が必要だ」と言って、それを目標として指導します。
そうしないと自分自身が演奏する曲のimageを自分自身で作って行く事は出来ないからです。今、弾いているpassageに、どういう伴奏が付けられているのかが分からなくては、正しい演奏が出来る分けはないハズなのですがね〜ぇ?
それが当たり前の考え方でしよう??
Europaではそういった考え方が一般的なのですがね〜ぇ。
だから、「Casalsが曲に対するimageが出来るまでは、絶対Celloには触らなかった」・・とか、「Grumiauxが一人でpianoのpartとviolinのpartを弾いたMozartのCDがある」と、誰もが知っている歴史的な演奏家達のお話をしても、日本人の場合には、「それは有名な偉人だから許される事なのだ!」としか思わなくて、あくまでも自分達の姿勢の方が正しいと思っているのですよ❢
だから私が音楽大学の学生であった頃、「自分自身の勉強の為に、弦楽器のを勉強したい」と言ったら、周りの人達からは、総反対されてしまいました。
「何でも楽器を弾き熟す人は、所詮、amateurの人達だ❢❢」と総スカンを喰ってしまったのですよ。
勿論、大学の先生達にも、そのような意識は潜在的にはあったので、結局、私が大学で講師の先生達から楽器を学ぼうとしても、現実的に指導してくれる先生は、当時は皆無でした。
勿論、その際たる理由の一つは、教則本が無いという事もありますが、「大学の先生たる者が、初心者を指導する事は出来ない。」というPrideの問題が先に来たからなのです。子供の教則本ですら、満足な物は無い時代に、ましてや大人用の教則本があるハズは無いですからね~ぇ??
「始めてのViola」
私自身は、人様のそういった軋轢にもメゲないで、「作曲をする上で、色々な楽器の知識を身に付ける事は非常に重要である」・・という持論を持っていました。
そういう事で、音楽大学時代に、pocket moneyを叩いて、Made in Czech(チェコ製)のViolaを買って、独学で練習した事があります。
勿論、私は、音楽大学に入学する1年前や、2年前には、音楽とは全く無関係の世界にいたので、弦楽器の事も、音楽界の事も全く未知の世界だったのですよ。
当然、「独学をする」・・と言っても、所詮は未知の世界での話の事なので、それはとても無理な話だったのです。
という事で、一応は、仲良しの大学内の先生にも教えを請うたのですが、当時は、「弦楽器は子供の内から学ぶものだ」という考え方が主流で、大人になってからの弦楽器の習得は不可能とされていた時代なので、大学の先生達からは、殆んど相手にしても貰えなかったのですよ。
(勿論、先程も言ったように、「大学の講師だから、初心者は教えられない」・・という大学講師というPrideもあったと思います。)
という事で、折角、音楽大学に居て、周りに弦楽器専攻の生徒達がいっぱい居るのだから「弦楽器の同級生達と、ensembleを組んで、HaydnやMozartのQuartetでも勉強しよう」と思ったのですが、自分自身が、とても、楽譜を演奏が出来る段階までは、上達する事はなくて、その望みは頓挫してしまいました。
無用の長物と化した私のViolaは、Violin科の生徒達が、学校のViolin科の生徒達用のrental-Violaよりも数段上のqualityのViolaだったので、「ensemble用に貸して??」と言われて、弾いていないので、軽い気持ちで貸したのですが、その友達が更に又貸しをしてしまい、私のViolaはとうとう行方不明になってしまいました。
その後、四年生の男の先輩が持っている事が分かったのですが、その頃には、乱暴に使われてViolaは傷物になって、壊れてしまっていました。
当然、私は烈火の如く怒り捲ってしまいました。
・・という事で、そのViolaは、楽器を壊した先輩に買値のままに、半ば強制的に買い取って貰いました。
そういった経緯から、音大時代の私の弦楽器への興味と関係は、そこで切れてしまいました。(写真は、my-Violaを手にしている唯一の写真です。)
「München時代のViolin」
・・でも、日本の音楽界では、どのように思われていたとしても、作曲家に取っては、弦楽器にある程度は、堪能である事は必然的な事なのです。ましてや、Europaでは、PianoでConcertoのsoloを演奏した男の子が、次の曲では、orchestraのconcertmasterでViolinを演奏していて、pipeorganのrecitalをする・・ぐらいは当たり前の世界です。
Europaでは、「二楽器にまみえず」なんて、発想すら無いのですからね??
Münchenに留学してから間もなく、古道具屋を周って、健康なstudent-Violinを超、安く手に入れました。
「Violinを買おう」と思い立った理由は、Genzmer先生が全ての楽器に堪能で、未だ、作曲家として認められていない頃は、教会のorganistとして働いて、足りない分の収入をOpera座の2nd.Violin奏者として働いていた時代が不遇の時代だったのだそうです。
なんと、恵まれた生活だよな~ぁ??
或いは、Hindemithのclarinet-ConcertoをHindemithに頼まれて初演したり・・、或いは、病気になった伴奏者の代わりに、急遽、HindemithのMarienlebenの曲のPiano伴奏をしたり、とかで、汎ゆる楽器を弾き熟して生活をしていた・・という話を聴くにあたっても、作曲家が本来あるべき姿を、そこに見たからなのです。(或る時に、逆にGenzmer先生に「先生の弾けない楽器はなんですか?」と質問した事があります。先生は、20分近く考えて、結局、「う~ん、分からん」と、作曲のlessonを始めてしまいました。という事で、先生の弾けない楽器の答えは出ませんでした。
「何故、Europaの音楽家達はそんなに複数の楽器を弾き熟す事が出来るのか??」という事なのですが、それには、ちゃんとした理由があります。
それは『rootsを知る』というEuropaの基本的な考え方なのです。
これも、Europaの大学生が通常、5ヶ国語ぐらいをお喋りする事が出来るのと同じで、rootsを知れば、後は方言程度の難易度でお喋りが出来るようになるのです。
つまり、Europaの原語には、ギリシャ語とラテン語の二大系統があって、その二つの基本的な原語下に色々なEuropaの原語が成り立っているのです。
だから、France語が出来る人は、Spain語も出来るし、Italia語も簡単なのですよ。
同様に、英語と独逸語をチャンポンにすると、阿蘭陀語が出来上がるしね??
だから、私も阿蘭陀語は、耳で聴いても分からないのだけど、文字を見ると或る程度は分かるのだよ。日本人が中国の人達と筆談が出来る程度にはね??
弦楽器も移調楽器だと考えると、ViolinがG調の移調楽器だと考えるとViolaとcelloはC調の楽器になるしね??後は縦と横の違いだけでしょう??
音出しの違いを云々するならば、リード系の楽器と唄口系の楽器があるだけだしね。
rootsを知れば色々な楽器を弾き熟すのは、そんなに難しい事ではないのだよ。
その古道具屋で購入したViolinで練習をしていたら、楽器が壊れたので、修理にViolinのF字孔の中に書いてあるViolin工房に電話をして修理に行きました。(なんと、その電話番号が通じたのだよ。)そのViolinを作ったMeisterは、とっくの昔に亡くなっていて、その奥さんとお弟子さんが結婚をして、その工房を継いでいたのですが、そのお弟子さんが「師匠がこんな安物のViolinを作るハズは絶対に無いのだが・・」と不思議がっていました。
つまり、名工の手による駄作です。アハッ!
勿論、師匠の作品なので、丁寧に修理をしてくれたのですがね??「師匠はstudentの楽器は作らないのだが・・」とブツブツ言っていました。
「俺が知るか??」
よっぽど、お金に困って、弟子や奥さんにも内緒で、楽器を作ったのだよね~ぇ??
Violinの話に戻って・・・
Münchenに留学したばかりの頃は、相変わらず、弦楽器の学び方は、分からないままでした。
Münchenの留学時代の2年目からは音楽大学の生徒達が多く同居している下宿に引っ越ししました。
最初に住んだ下宿にはPianoが置けなかったbedだけの部屋だったので、深夜でも弾けるclavichordを買いました。
身近にPianoのような音出しが出来る楽器がないと、lessonに差し支えたからです。
頑張って、近くの地下室にPianoのある部屋を借りたのですが、チョッと色々と問題があって、そこもお引越しをしました。問題というのは、大家のおばあさんが、親切過ぎて、本職は看護婦さんなのですが、毎週、私のために、お菓子を二つも三つも作るからです。たかが二つではなく、本格的な完全な円のケーキを二つ、三つなのです。何人分だろうか??実家がお菓子屋さんだったのだそうで、売り用の本格的なWienのケーキです。
1個が10人前ぐらいかな??
おばあさんの婚約者は、大戦で戦闘機乗りで、戦死したので、結婚はしていなかったハズなのですが、独身のままで、若い彼の写真を飾っていました。貞女のかがみみたいな女性だったのですが、やはり、寂しかったのですよね??
という事で、次に、隣の駅の音大生の下宿にお引越しをしました。
その音大生の下宿で、同居しているPiano科の女の子が教職を取るための試験を受けるために、副科楽器としてViolinを専攻したので、その指導を受けるために速成の達人であるRaba教授のlessonを受ける事になったので、私もその女の子のlessonを聴講をさせて貰いました。(学生とは言っても、彼女はSalzburgの夏のfestivalで、Salzburgの音大の夏期講習のために、指導者として呼ばれて、多くの日本人の学生達をバイトで指導していました。Salzburgには、私も連れて行って貰いました。彼女の連れという事で、宿泊等も、全て、ただで、Salzburgのfestivalを見学出来たのですよ。
余談ですが、夏期講習では日本人の受講生が沢山来ますが、指導している先生達はMünchenの学生達なのですよね??アハッ!本物の教授達は休暇で国外に旅行して居ませんからね??
学生とは言っても、日本の音楽大学とは大きく違っているので、私の友人のViolinの学生は、ドイツ政府からStradivariの楽器を貸与されているViolin奏者で、彼のQuartettはStradivari-Quartettという超有名なQuartettなのだけどね??
私がMünchenの音楽大学に入学した時に、私は日本の音楽大学を卒業してからドイツの音楽大学に入学したので、最年長だと思ったら、なんと、最年少だったのですよ。
彼らは皆proだったのですよ。そこが日本の音楽大学とは感覚が違うのかな??)
彼女が教職の免許を取るためには、一度、大学を出て、別の教育専門の大学に入学し直すのです。勿論、免許が取れたら、元の大学に戻る事が出来るのです。そういった制度も面白いですよね~ぇ??
音大生の楽器の技術の速成の指導者である、Raba先生は戦前のHitler時代にRaba-Quartettとして名声を馳せた先生なのですが、先生自らの「Fundamental Violin schule(ヴァイオリンの基礎)」という教則本を使って、1年で、HändelのSonate程度の曲まで、演奏可能にする・・という速成の達人でした。
先生の教則本は、一つのtechnikに一つの課題(それも数小節の・・)を、根本的に練習して、それを熟せたら、Händelが演奏出来るという超Hardな教則本でした。
それでも、大人からでも、弦楽器で、Carl OrffのCarmina Buranaが弾けるようになる・・という可能性を見る事が出来たのは、大収穫でした。
日本では大人(大学生を含んだ)は弦楽器を学ぶ事は不可能とされていたので、それでもcultureshockでしたよ。
私が買ったViolinは、安物なので、ドイツに置いて来ても良かったのですが、一応は、大切にして、日本に持ち帰って来ました。
Münchenでのテロ事件があった直後だったので、日本に帰る時の持ち物検査のcheckはとても厳しくて、何回も場所を移動する度に、楽器のcaseとattaché caseを開けて、確認させられました。
流石に、「もう、限界❢」・・という事で、兵士から「これは何??」と、聞かれたので、「これは機関銃で、こちらのattaché caseの中身は秘密書類です。」と言ったら、「そうか??じゃあ、通って良い❢」とフリーパス(フリーパスは和製英語ですよ。)でした。
その話を大使館員である兄貴にしたら、「日本でそれをしたら、ひと月ぐらい拘留されるよ❢」と脅かされてしまいました。ドイツで冗談が通じるので良かったのだそうです。Gott sei Dank!ですね??
持ち帰って来たViolinは、音量だけはとても大きかったのですが、やはり、安物の音しかしなかったので、私は「Ganaritatelius」と名付けていまいした。
今も、現役で、貸出用のViolinとして、教室に貢献しています。
江古田に居を構えるようになって、古楽のTrioSonateの研究をしようと思い立って、最初は、私の始めての生徒である小学生の女の子や男の子達と、近所の飲み屋で知り合った後輩の女性達や、その生徒達を集めて、初見でTrioSonateの練習をしました。
また、売りカルのmemberを集めて(日フィルや都響の団員達ですが・・)、彼女達をダシにして、私のQuartettの楽器の練習を毎週のようにしました。
まあ、次いでに、それこそHaydnやMozartの作品を片っ端から初見で演奏して、Quartettの演奏法を指導しました。
勿論、私も、当然、おこがましくも、一緒に弾いたりしていたのですが、指導者という事で、誰一人として、文句を言う人はいなかったのよね??
その当時は、東京での売りカルは、彼女達が殆どのBridalの売りカルを努めていたのですが、彼女達が30の壁を過ぎた頃に、Productionの社長から、「新しく次の世代の若い子を育てて欲しい」とのofferが来たのですが、私も瑠璃色generationを過ぎた頃になって来たので、「今更、売りカルでも無かろう」・・という事で、楽譜や演奏家達の名簿を、全て、私の育てたQuartettのmemberにただで渡して、私自身はそういった世界からは、全く手を引きました。
その次いでに、大学講師も全ての大学を辞めてしまいました。
所謂、moratorium時代の始まり・・です。
「オバQ-Violin」
話は大分戻ってしまいますが、日本に帰国してから、ViolinのDuo集等を作曲していた当時は、未だ、その「Ganaritatelius」で、作曲した曲のViolinのpartのspielbar(弾き心地=演奏具合)を調べていました。
その後、楽器店の社長から、「変形Violinなので売れないので、先生にあげる❢」という事で、二束三文でオバQ-Violinを購入しました。
「もし、ちゃんとしたViolinの形をしていたら、100万以上はするだろう。」という事なのですが、当時は変形Violin等を買う人はいなかった時代です。(ちなみに、当時の100万のViolinは、こんにちでは4,5百万の値段になります。新作のCremona の楽器でも今現在では、300万は越すのでね??)
私は、鑑定書も、変形も必要無い性格なので、喜んで、二束三文で購入しました。(金額を公表しないのは、仲間内の価格で公表は出来ない値段だからです。Present・・というのは、あって無い値段の事なのですからね??grandpianoやsetのrecorder等も業者の人達が売れないので、引き取って欲しい・・と言われたら、それは仲間内の価格を意味します。あって無い価格なのです。)
という事なので、オバQ-Violinは、とても素晴らしい音がします。
その楽器の実際の音を聴く事は出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=1BzvveRSh9o&t=324s
本番前に自分の楽器が壊れて修理に出す事になった生徒に、代替えの楽器として、演奏用に貸し出してあげたので、その生徒の演奏している音を聴く事が出来ます。(勿論、弓も楽器との相性の問題があるので、私のViolinの弓で、元々は芸大のViolinの教授が所有していた弓です。)
orchestraとの合わせでは、私が未だ音大生であった頃に、音大の卒業生を集めて、orchestraと共演させるという企画にもバイト(arbeit)で参加していた事があります。歌やPiano、或いは声楽等の何人かの卒業生の人達がorchestraを買い取りで、演奏会の企画をしていくのですが、彼女達が幾ら頑張っても、orchestraの強い音量にかき消されて、彼女達の音や声がorchestraの中から聴こえて来る事はありませんでした。私が「もっと抑えて!」と言うと、指揮者からは「これ以上抑えたら、弾く事は無理だよ❢」という答えが返って来ましたよ。
つまり、音は音量ではなく、遠音の利く音を出す事を学ばないといけないのですよ。例え、Piano・trioであったとしても、正しい音で弾かないと、音は弦の音に埋没してしまうのです。
音楽教室を経営してからの、子供達の音がorchestraにかき消される事は、一度も無いのですがね~ぇ??
子供の優しい音でも、遠音の利く音で演奏すれば、どのようなpianissimoの音でもorchestraから、浮かび上がって聴こえて来る事が出来るのですよ。日本の音楽界ではPianoでも、弦楽器でも力で音を出します。でも、力で出した音は所詮は、割れた音なので、遠音の音にはならないのですよ。
本当は、それが分からないとproは無理なのだけどね??
日本の音楽界全体が、マスコミ業界の作り上げた、ちょうど、brandのBagのように、保証された芸術になっているからなのだよね~ぇ??
Genzmerも言っていたけれど、「芸術というものは、人が決めるのではなくて、歴史が決める」ものなのだけどね~ぇ??
「オバQ-Viola」
母校である音楽大学の楽器博物館には、オバQのViolinとViolaとCelloの、完全なQuartettのsetの楽器が展示されています。
私としてはオバQ-Celloがあれば完璧なのですが、Europaで楽器を探してくれるように頼んだのですが、見つからなかったようです。
オバQ-Violaは教室の先生達がOpera-Cityで、triosonateの連続演奏会を月2回のrotationで、半年に渡って演奏していた時に、同じビルの地階にある楽器店を偶然訪れて、そこで展示されているオバQ型のViolaを見つけて、衝動買いしてしまいました。
私がオケに参加する時には、Viola-partの場合が多いので、オバQ-Violaも、よく舞台でも弾いています。
Italiaのgala concertで、女の子がVieuxtempsのElegieをオバQ-Violaで演奏していたのにはすっかりと驚いてしまいました。
同じViolaが、国は違うけれど、未だあったのだ❢・・と、驚いて仕舞ったのです。
「Celloと弓」
Celloは、私が留学から帰国して、再び東京で生活を始めた頃のお話になりますが、当時、大学で講師をやっていた頃に、偶然、飲み屋で膝の上の音大生を乗っけて悦に行っている母校の教授に巡り合って、そこでトントンと話が纏まって、先生の自宅にCelloの手ほどきを受けに行く事になりました。
大学の講師時代なので、忙しくなってlessonに通う事が難しくなって来るまでの2年間はちゃんと真面目に通いました。(真面目に通った分けではあるのですが、真面目に練習をした分けではありません。Alwin SchroederのEtudeを使っての先生のmethodeなのですが、lessonが終わると、そのpointを次の生徒(当然音大生の専科の生徒のlessonなのですが・・)を聴きながら、lessonで学んだ事を書き留めてnoteを作っていました。それが唯一の勉強です。家で練習する暇は無いのでね??
師匠は、今の上皇様のCelloの先生でもあります。
弦楽器では、私が個人的に師事した唯一の先生です。
という事なので、鈴木の一番安いCelloではなくて、少し良い音のするCelloが欲しくなって来ました。欲がでたのよね??
それで、東京中の楽器店を巡って、氣に入ったCelloを探しました。私の買った楽器の中でも結構、高い方に属する楽器であるCelloは、Franceの有名な作家であるBarbeのCelloとVoirinのCelloの弓です。
Celloを購入した経緯ですが、私が未だ、大学講師をやっていて、先生に師事していた頃、安物の鈴木のCelloで弾いていたので、良いCelloを探すために、色々な楽器店をハシゴしていた時のお話です。
始めて、Celloの専門店に行って、数十台のCelloから、BarbeのCelloを見つけました。しかし、そのCelloは、良い楽器であるだけ、やはり、それなりの値段がしたので、欲しかったのだけど、躊躇して、「諦めて帰ろう」と思ったら、大阪の音楽大学からCelloを探しにやって来た音大生が、目の前で、そのCelloの購入を決めていました。音大生なので、指は結構回るのだけど、音出しの仕方を全く知らない学生に、「なんだ??こんな学生が、このCelloを購入するのか??」と、何故かは知らないけれど、怒りが込み上げて来て、大急ぎで家に帰って、電話を掛け捲って、次の日までに、その金額を借り集めて、楽器店に行って、現生を「ホレ❢ホレ!」と、ちらつかせて、強引に買い取ってしまいました。「悪い事をした❢」・・と反省していま・・・せん。頗る満足でした。アハッ!
弓は別の機会に、或る事情でやはり、芸大の教授から、超安く手に入れました。
安く買った事で大変に感謝されたのですよ。
人生、まあ、色々な事があるのだよね~ぇ??自分の最愛の弓を手放さなければならないという諸事情がね~ぇ??
そのCelloの本体を購入したお店に、分数のKontrabassが置いてあって、その工房を紹介して貰いました。
それで早速分数のKontrabassのorderをしました。
教室で使っている2分の1と10分の1のKontrabassです。
newsで、orchestraをやっている小学校の演奏を見て、子供達が1本の指だけで、Kontrabassを演奏しているのを見て、「正しいKontrabassの運指や演奏をしていない」事に怒りを覚えたからなのです。
分数のCelloは「発注して、完成するまでに1年間掛かるので、その間、絶対に急がせない」・・という条件で作って貰いました。
10分の1のKontrabassはホボCelloと同じ大きさになるのですが、やはりKontrabassなのですよね??
それに日本人の女の子の場合には、背が低い女の子も多いので、音大に行っても、その2分の1のKontrabassで充分なので、教室で売ったKontrabassが教室に買取をしようと思っても、楽器が戻って来ないのですよ。
だから、教室のために購入した(・・とは言っても、お金を出しているのは私なのですがね??)Kontrabassだけが教室に残っています。
という事情で、分数のKontrabassは、Cello繋がりなのですよ。
「分数のCelloに関してのお話」
分数のCelloは、勿論、10分の1のCelloからあるのですが、baroque-のcontinuo-Celloは当然、gambaと同じsizeなので4分の3sizeか殆ど2分の1に近い楽器まであります。
という事で、baroque-Celloもensemble用に作ったのですが、教室のオケ練習でのVivaldi-programの時のbasso continuoのCelloの音量が、子供の分数のCelloの音でも強過ぎて、困っています。
特に、今は、子供達がやめてしまったので、大学生のcontinuo-celloになるので、音が強過ぎて困っています。
という事で、私専用のcontinuo-Celloとして、2分の1のCelloを購入して、なんとか、柔らかいcontinuoのsoundを出すように、弦を変えたり四苦八苦している所なのです。
以前の小学生達は、私のVivaldi-methode(所謂、continuo-cello)で育って来たので、柔らかいcontinuoのsoundを出すのは、とても上手かったのですがね~ぇ??
それを大人の生徒に理論として教えるのは難しい。
体感なのかね~ぇ??
楽器に関しては、それ以降も降りにふれて買っていますので、限がありません。
CelloやKontrabassの他にも、baroque楽器を先生達の演奏と古楽器の勉強のために数台揃えているし、勿論、baroque-bowも無数に買っています。何故、私が古楽器を貸与して古楽器の演奏法を指導しているのか??という事は、お話したように、現代のViolin奏法の技術を学ぶには、baroqueのViolinが出来たばかりの音出しのrootsを知れば、意図も簡単に学ぶ事が出来るからなのです。現代の奏法は、rootsとなった奏法を知れば、簡単に習得する事が出来るからなのです。それは、弦楽器に限らず、Pianoの奏法でも同じなのです。基本を知る事はとても大切な事なのですが、「period奏法なんてものは、音楽大学を卒業して、趣味でやるものだ」という教授連中が多くて辟易してしまいます。
まあ、そういう事なので、鍵盤楽器も入れると、何台を所有しているのか、分かりません。
勿論、単なる、私の個人的なcollectionではなくて、音楽研究所としての演奏活動のために、必要な結果なのですがね??
ここまでは弦楽器のお話なのですが、それ以外にも、KeyboardやCembalo、spinetやpipeorganもあります。まるで楽器博物館だよな???
楽譜はもっと凄いのだけどね~ぇ??
まあ、自慢話になるので、今回は、これぐらいにしておこう❢❢
多分、次回は無いと思うけれど・・・
先生からDuo集の第一巻を作曲した経緯と、1曲毎のconceptを書くように言われたので、説明文を書こうと思ったら、文章が勝手に、弦楽器との出会いの四方山話になってしまいました。まあ、これはこれで良いだろうかな??・・かな??・・・カナカナ???

6月17日『今の気温が分からん❢❢』 ·
今は6月17日の金曜日の朝のちょうど6時になった所です。
なんて書き出しても、「起きた」と言う話しではなくて、「これから寝る」という事なのですよ。
体内時計の狂いが、5時間と言っていたのですが、6時間になってしまいました。
摂眠障害なのか、単に体内時計が狂っているだけなのか、いずれにせよ、10時半には目が覚めて、起き出してしまいました。
今日の練馬区の気温は、18℃から29℃で、しかも、湿度は95%もあるそうです。(お昼になってからは、東京は30℃超えと言っています。)
超、鬱陶しい暑苦しい気温のハズで、今、1時現在は既に、25℃になっているのだそうですが、部屋の中にいる私は超寒いのです。
暖房を入れようかと悩んでいる所なのですが、どうなっているのかな??
単に、体調不良なのかな??
それとも、25℃というのは、外だけで、部屋の中は寒いのかな??
理解不能です。
今日の一食目で、鮭茶漬けを作って食べたら、体が火照って来ました。
寒気がしたのは体調の所為だったようだな??
という事で、暖房ではなくて、除湿に変更して、エアコンをつけました。
湿度95%をなんとかせにゃあかんしな??
お昼を過ぎて、疲れて来たので、また、寝ました。
次に目が覚めたのは6時です。勿論、夕方の6時なのに、外は普通に明るいのだよな??7時ぐらいまでは明るいのかな??
工事用の幕に包まれた状態では、マジに朝か夕方かは分からんよな??
工事も今日は終わっているようなので、blindを開けるか??
工事と言えば、昨日、郵便受けに「verandaの植木類を片付けろ❢」というmessageが入っていた。
「片付けろ❢」は良いとしても、物干し竿や掃除道具や植木鉢類を何処に「片付けろ❢」と言うのか??
それに、片付ける時間なんてある分けは無いのに、無理難題を言うのだよな~ぁ??
工事は工事の都合があるのだろうが、俺が一人で植木類を片付けられる分けは無いだろうに??
このmansionももうそろそろ、50年の長きの老朽化mansionなので、住人も私よりも、年上の人達の方が多いのだよ。他の人達は、どうするのかな??
私一人ではとてもVerandaの整理は無理なので、明日の土曜日の夕方から、斉藤先生に空き時間を小一時間ぐらい作って貰って、植木鉢や掃除道具は、1階の倉庫に取り敢えず、入れておくしかないか??
物干し竿は倉庫に入るのかな??
この10年間以上も、Verandaに水もやらないで、放置していて、それでも、未だに元気で生きている植木は、部屋に置くspaceが無いので、椎名町に移動させるしか無いのかな??
椎名町で元気に余生を送って貰うか??
何度、根本から切っても、直ぐに3.4㍍程に成長してしまう、棕櫚の木かソテツの木か椰子の木かは知らないけれど、2年程前に根本から切ったのに、もう2㍍ぐらいに育ってしまっている木の傍に植えるか??
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6月18日 ·
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『violinのduo集のお話し』
「弦楽器の思い出」のお話しは、本当は、「violinのduo集」の解説のPageを作る為の素材集として書き始めたのですが、私が弦楽器を勉強し始めた、理由を説明しようとすると、当時の時代背景の説明からになってしまって、結局、私と弦楽器への歩みのようなLebenslauf(自伝)のようなお話しになってしまいました。
結論的に言うと、当時は音大生やある程度piano等の楽器が弾ける大人を対象にした教本は、未だ一冊も出版されていなくて、・・と言うか、それどころではなくて、本当の意味での子供を対象にしたPianoや弦楽器の教則本さえもなかった時代だったのですよ。(一応は出版社からは、大学教授達の名声に依存した、名前だけは「子供のための名曲集」と言ったTitleの曲集は、Pianoに関しては、結構、数冊は出版されていたのですが、本当にその中で子供達が演奏出来る曲は1,2曲に過ぎませんでした。未だ、そういった時代背景です。)
大人に弦楽器を指導する事は困難だと思われていた頃なので、「Celloで音階が弾けるようになるまでは、最低でも7〜8年は掛かる」・・というのが当時のCelloを学ぶ人達の一般的に言われている事でした。
それは大人だけではなく、子供の場合はもっと困難だったのです。
そういった音楽界の常識の中でも、先ずは、大人にCelloを指導する先生、また、速成法に自信を持っていた教授に私が師事をして、有名なAlwin SchroederのCelloの教則本を2年間掛けて学びましたが、私の感想としては、「私が音楽大学の卒業生なので、このlessonに堪えられたのだよな~ぁ??」というのが、第一番目の感想でした。
それに私ならば、同じlevelに生徒を指導するには、ひと月で充分だと思って、Celloの教則本を作り上げました。
非常にちょうどtiming良く、若い日本女子大の講師の先生が、楽器店の紹介で、私の元を訪ねて見えられたので、早速、私の作成した教則本でのtestをしました。
その教則本でひと月間指導して、ひと月後には、HaydnのQuartetを、大人達のmemberで練習出来るようにしました。
全音の編集長がその教則本を甚く気に入って、自分の練習用に使っていたのですが、「なんで出版してくれないの?」と尋ねたら、日本のCelloの人口は2千名にも満たないので、全員が購入したとしても、企業としての最低発行部数には満たないのだそうです。
「売れる物を書きなさい❢」と逆に怒られてしまいました。
彼女も『桃栗3年、Cello8年』のCelloの技術の習得の難しさは、それまでに聞き及んでいたので、私が「ひと月後にQuartetをみんなで一緒に」と言うのは、私の「大ぼら」という事で、半信半疑だったので、彼女も自分自身の事ながら、驚いていました。
勿論、これは大人達を対象にしたcurriculumなので、子供達には使用しない大人だけのmethodなのです。
そういったsystemの上に構成されたのが、violinの初心者を対象にした、violinのduo集の第一巻にはなります。
子供の教則本の場合には、譜読みやRhythmを学びながらstep by stepで学びますが、大人の場合には、「それ等の初歩的な技術は既に知ってる」という想定で、作曲がなされています。
だから、楽器の持ち方、構え方をlectureとして、学んだ前提で、いきなり手のpositionのformationから始まります。
1の指と4の指を決めた状態で3の指のformationの位置を決めるのです。
従来の音階から音を取って行く遣り方が身に付いている人の場合には、音大生でもこの教則本で正しい音を取るのは難しいかも知れません。
また、traditionalなduo型の教則本(Hohmann教則本のような)では、音を先生のpartにハモらせれば、正しい音が取れますが、2度の不協和音程が響くこの教則本では、かなりの正確な聴音力が必要になります。
また、polyrhythmならぬ、poly拍子の曲もあるので、ensembleの技術力は非常にlevelの高い、難しい技術を必要としています。
曲は最初は、慣れもあるので、非常に短くなっていますが、徐々に後半の曲になるに従って、少しだけなのですが、長くなっています。前半は1Page程度の曲なのですが、後半は2Pageの曲になっています。
芦塚Magicとして有名な、子供の為のpiano-Trio集のように、子供達に取っては、なんの問題もなく演奏しているのに、「音大生達は演奏出来ない」という不可解な現象が起こって来ます。
一番大切な留意事項を、言い忘れる所でしたが、勿論、最初の教則本なので、第一冊目の冊子は、1st.positionだけで書かれています。
しかし、曲集として演奏する場合には、1st.positionだけで、演奏する必要はありませんし、指定されたMetronomのtempoは曲集としてのMetronom-tempoなので、初心者の場合には、弾けるtempoで構いません。
曲集としてのtempoなので、結構速いtempoで設定されているからです。
最初の段階ではcrescendoやdecrescendo等の膨らましも、無視して良いのです。
未だ、初心者の段階で無理にcrescendo等をすると、音を力で押さえつけたりして、悪い癖が付いてしまうからなのです。
割れた汚い音よりも、自然な美しい音を覚えるようにしてください。
作成途中の動画ですが、予告宣伝用非公開として第1番から第3番までをuploadして起きます。
1st.Violin、2nd.Violin共に、斉藤純子先生です。
千葉市南花園教室での録画です。videoの編集も斉藤先生です。
限定公開なので、このPageからのみのaccessです。
ただ今4番以降を収録中です。全部で10曲あり、7番まで進んだところです。10番まで収録、編集が終わったら、限定ではなく一般公開する予定です。しばしお待ちください。

6月18日『音楽教室で指導者として期待される人材は演奏家であって、作曲家や指揮者、音楽学者ではありません。』 ·
・・という事で、私が繰り返し、お話をしているのに、なかなか理解して貰えない事は、私が演奏家を目指して、挫折をして音楽教室の経営者になった」という、とんでもない悪意のある、意図された勘違いです。
私自身は、音楽の道に進んだ時には、「演奏家を目指して音楽の道に入った分けではない。」という事が、音楽の道を目指す生徒さん達に、なかなか理解して貰えないのです。
本来ならば、私の立場としては、趣味で音楽を学んでいる人達とは相真見える事があろうはずもなく、音楽を目指の生徒さん達でさえも、音楽大学を卒業して、音楽界で活躍するようになってから、現場でのadviceを受けるために、私の元を訪れて教えを請うのが、本筋の立場であり、私が巷の音楽教室を開く事、そして子供達を対象にした室内楽やorchestraを主催する事自体が有るべき姿では無いのですよ。まあ、文部省の関係者の『21世紀の子供達を救済する事業』というCatchcopyに騙された数人の人達の一人だったのですが、他の人達はサッサと子供達との接触をやめて、本業に戻ってしまって、その時の参加者は、私一人が残ってしまったようです。
無念ですが・・・、生徒達、保護者達への責任もあるので、たった一人の人でも私を必要とするならば・・という事で教育の現場に残ってしまいました。
そんな人、本当に、居るのかね??
勿論、私が日本に帰国して東京で生活を始めたばかりの頃は、私の元に集う人達は、proオケのオケマンか、私に演奏会で演奏するために、lectureを頼むsoliste達や、所謂、音楽関係者達の集団だったのです。
餅はもち屋の集団だったので、共通話題として、話は弾むし、私の居場所としては、申し分無い居場所でした。
そもそも、私自身は、産まれついての、所謂、コミュ障(communication disorder)で、特に、中学生時代には人と顔を合わせるのが超、苦手という意識があって、人の前に出ないで出来る仕事として、作曲家の道を選んだのです。
今、だったら、さしずめtrendyなTeleworkという仕事が可能でしょうが、勿論、当時はパソコンや携帯さえ無かった時代なのですからね~ぇ??
人と接する事が無いという職業は、現実的に考えられなかったのですよ。
また私が中学生、高校生の頃の作曲家の伝記は超、ヘボくて、時代考証なんてものはなくて、「孤独と孤高の日常をPianoに向かって、徒然なるままに、日暮らし、曲を書き綴って、大作曲家への道を歩む」というまことしやかな伝記風の小説が当たり前の時代のお話で、そういった虚構の作曲家の人生に憧れたのです。
音大時代に進学した後でも、そういった一人狼的な発想で罷り通っていました。
Pringsheim先生とは、そういった個人的なお話をする機会は無かっし、私のドイツ語も先生の日本語も片言だったので、先生からの助言も受ける事が出来ず、音楽大学の勉強の延長にproの音楽家としての生活を見出す事が出来ず、音楽大学の水準の低さに絶望を感じてしまっていて、「音大を退学しようか?」思い悩んでいて、マジにPringsheim先生と、1年間以上も、授業内容の事で、対立して先生とは疎遠になってしまいました。
その時の窮状を救ってくれたのは、大学の先生ではなくて、日頃からPringsheim先生のお世話をしている西武グループの顧問をしている経営コンサルタントの先生でした。
その先生の元では、多くのこんにちを代表する有名な音楽家達が育っています。
私も先生から音楽Businessの仕方を学ぶ事が出来たので、取り敢えずは、音楽大学を卒業してからの留学をする事に決めました。
その間、大学で学ぶのではなく、音楽界で学ぶchanceを与えられたからです。
勿論、その後は、授業内容の不満も抑えて、Pringsheim先生との仲も、なんとなく、信頼関係が戻って来ました。
Jac先生からは、「必要な物は学ぶのではなく、盗み取る物である」・・という人生の根本原理を教えて貰いました。
それから、次のstepである留学を果たして、Genzmer先生とも、親しくお話をするようになって、先生から作曲家になった理由を聞かれて、「孤独な仕事に憧れて・・」と答えたら、「それは真逆だよ❢」「作曲家は全ての音楽家達の司令塔となる職業なのだよ。作曲家に必要な性格は統率力なのだよ❢」と諭されてしまい、少なからず、cultureshockを受けてしまいました。
勿論、それまでは、華やかで、表舞台で活躍する演奏家という仕事は、私に取っては、浮ついた•••stardomにのし上がる表面的な仕事である・・と言う事に等しく、おクビにも私が表舞台に立つという事は考えた事はありませんでした。
それに、だいたい高校3年生の時からPianoを始めたので、現実的な私(Realist)の性格としては、最初から「演奏家に成れる」という妄想は持ち合わせていないし、また、コミュ障の私としては、そういった華やかな、stardomな世界には、興味はありませんでした。
でも、私自身はproとしての舞台上での演奏活動を否定していた分けではありません。
留学から帰国して、大学の講師をやっていた頃は、頼み込まれて已む無く、演奏家の友人達の伴奏者として、舞台に乗っていた事はありますし、Concerto-soloをするConcerto-solisteの2nd.Piano(所謂、オケpartの伴奏者)としての、proのピアニスト達にPianoの演奏指導はやっていました。
勿論、私に取っては、あくまでも、「縁の下の力持ち」という感覚です。
大学講師時代でも、私の専門である音楽理論の授業の他に、依願されて、Piano科の講師としてPiano専科の生徒達の指導もしていました。
この蜜月の時代は10年間はあるのです。
私が音楽教室を経営してから、少子高齢化になって、しかもコロナでも生徒数が激減して、この3,4年間の間、一銭の給与も貰っていませんが、なんの問題もなく、普通に生活出来るのも、この時代の蓄えのお蔭でしょうかね〜ぇ?
それに、食事は教室から支給されるので、生活費は掛からないからね??
私が音楽大学を受験する以前の高校生の18歳の頃に、血液検査の結果で、将来、Rheumatismusになる事は分かっていました。60歳頃には、痛みで薬を飲み続けなければならないだろう・・と予測されていました。
(何年生・・と言わないのは、高校1年生から2年生に掛けて、Nieren TB(腎結核)で、1年間の休学を余儀なくされたので、1学年、留年しているからです。)
Rheumatismusは勿論、血液の病気で不治の病として、政府に認定されている難病の一つなのですが、50歳前後からは指が動かなくなって来て、強い堪える事の出来ない痛みが襲って来るであろう・・と予言されてしまいました。
しかし、有り難い事に、Rheumatismusは、40歳の前半期までは、全く何の問題も無かったのですが、後半期になって来ると、だんだんと指が動かなくなってしまい、最初の間は、お湯で手を温めて、指先を暫く動かすと、やがて指が動き始めていたのですが、徐々に、練習をしても、指を温めても、次の日には元の木阿弥で、やっぱり指が動かなくなっていました。
音楽教室を開いたのは、勿論、知り合いの教育関係者の人達からの教育への熱い思いでの説伏にもよりますが、それよりも、一番の理由は、現場でPianoを弾く事が出来なくなってしまったから・・表の音楽活動が出来無くなったから・・という理由も一つには、あります。
・・・ですから、教室を開設したばかりの頃には、未だ、音大生達が伴奏が出来ない難しい曲は、私自身で伴奏をする事が多かったのですよ。
後は、伴奏に依存して演奏していて、他の人の伴奏では演奏出来ない生徒達もいたのでね・・・
また、Genzmer先生からあったお話のように、私も日本に帰国してから、テレビ等の表舞台に立てる機会が、大学講師時代や教室を開いてからの30歳になった頃から50歳ぐらい迄の間にも、3回程、そう言ったchanceがありました。勿論、Regular番組としてのお話だったのですが・・、その時には、ハッキリと、「これが人生の分かれ目だよな?」という事が意識(理解)出来たのですが、やはり、「そういった華やかな世界は私の人生ではない」・・という理由でお断りしました。
折角、引き立ててくれた友人達は、「なんで、こんな良い話を断るのだ??」と不思議がっていましたが、人間、本来の居場所で無い所での活動は、心労が祟ってしまいます。
社会的には成功を収めていても、人間的には孤独で鬱を隠している人達を多く見て来ているからです。人間の本質はそうそう変えられるものではありませんからね??
但し、留学から帰国してからも、伴奏だけは、友人達からのたっての頼みで、引き受けていたのですが、私に取っての伴奏は、あくまでも、solisteの引き立て役で、裏方に過ぎないので、コミュ障の私でも問題なく出来た仕事だったのですよ。
舞台で拍手を受けても、「これはsolisteへの賛辞であって、伴奏者に私に対してではない。」と思う事が出来たからです。
でも、その内に、指が固まるだけではなく、広がらなくなってしまう状態になって、それから次の段階では、指先の油分が無くなって、黒鍵を弾くと、指が滑って落っこちるように、なってしまったのですよ。指先がパサパサになって・・ね??
流石に、その段階では、恥をかく前に、きっぱりと伴奏をお断りしました。勿論、「それは人間関係の問題ではなくて、私の体の状態が悪くなった・・という事なのだよ❢」と、その理由も説明したのだけど、期待を裏切ったのか、拗ねられてしまいました。
多分、理屈じゃあ、無いのだよね~ぇ??
でも、audienceは、情緒は通用しないよ❢❢
幾ら優れた伴奏者でも、misstouchをボロボロとしていては、様にならないのだよね~ぇ❢❢
指を広げる・・という事では、昔は何でも無かったoctaveを弾く事が難しくなって来たので、それまでは、何でも無かった曲さえ弾く事が困難になってしまいました。
という事で、近年、伴奏者がいないので、無理矢理に伴奏に駆り出されていますが、仕方がないので、斉藤先生の伴奏の時にはoctaveを省いて演奏しています。
無理をすれば、なんとかoctaveは届くのですが、それでミスっても目も当てられないのでね???
弾き始めの時に、鍵盤に触れた時に、指が滑るのではないか??という恐怖があります。misstouchをしないように、粘着性の油を指に塗る方法もあるけれど、鍵盤が汚れてしまうからね??
困った事だよな??

6月19日Bachのinventionのhomepageがぶっ飛んで ·
homepageにBachのinventionとsinfoniaの解説のPageが見当たらなかったので、Bach研究noteを出してcheckして見たら、なんとdataが2DDの floppy disk(フロッピーディスク)の時代の研究だった❢
当然、当時は未だワープロ(word processorの略)の時代で、パソコン(personal computerの略)も、当然、homepageすらもなかった時代なのだよ❢
それでは、homepageの中から、Bachのinventionとsinfoniaを探しても見つからないのは当たり前だよな?
filingされた冊子では、ちゃんと、印刷用の台紙まで出来ているようにはなっていたのだが、逆にdataからパソコンに取り込むのは、floppy diskをCDに焼き直さなければならないので、教室には、多分、もう生きているワープロは無いと思うので、外注をしなければならないので、チョッと調べて見たら、floppy disk
1枚あたり、5千円くらいはするらしい❢
研究論文は大量にあるので、一々floppy diskをCDに変換する作業を外部委託すると、結構、大変だよな~ぁ??
ワープロで生きている機種は教室にはなかったのかな?
2HDのfloppy diskならば、なんとかなったのかな?
2DDのfloppy diskでは、やっぱり助からないよな〜ぁ?
それとも、netで気長に、安い業者を探して見るかな?

6月21日『ViolinとCelloとPianoの三重奏のversionです。』
昨日uploadした、ViolinとViolaとPianoのversionのGounodのAve Mariaの、orthodoxなViolinとCelloとPianoのversionです。
Violaのpartを単にCelloにoctave下げてtransposeしただけ・・と思われるかも知れませんが、そうは行きません。
それぞれの楽器的な特性で、音域に拠ってはViolaのpartをそのままにtransposeすると、Celloでは演奏不能になってしまうからです。
Violaで一番響きやすい音域で作られているので、Celloにtransposeをした時には、もう一度、Celloの音域での配置を考慮しなければなりません。
結構、ひと手間、ふた手間は掛かるのですよ。
折角の次いで・・なので、少しだけarticulationを細かく書き込みました。通常ならば、lecture-lessonで「そこは、膨らましで・・」と、説明するだけのpassageなのですがね??

6月21日『2台のViolinとPianoのためのAve Maria』
lineで先生達とやり取りをしていたのですが、orthodoxという点ではPiano-trioの編成なのですが、演奏の頻度・・という点で考えると、2台のViolinとPianoの方が、演奏される頻度は高いと思われますので、次いでに2台のViolinのためのversionも編曲して起きました。
同じお話ですが、楽器的な特性や音域等の考慮のために、それぞれの編曲で、曲のnuanceが少しずつ変わっています。
それを比較して聴いて見るのも面白いのかな??
繰り返しの部分では、2nd.Violinが、sul.G(G線上で弾くように)指定されているのですが、パソコンの音源なので、G線の音はしません。ここらはやはり、生の音にはかないません。
GounodのAve Maria 芦塚陽二編曲 2台のViolinとPiano
素晴らしすぎます🌈✨元曲のヴァイオリン一本だと、音が少なくて表現が難しすぎるので敬遠しがちでしたが、ぜひ生徒と弾いてみます。感動です😭この先生の編曲がもっと知られますように。
拡散させていただきます。
有り難うございます。ViolinとViolaとCelloのversionを作りましたが、Violinはfluteでも持ち替えが出来るので、色々と編成が自由に楽しめると思っています。
非常に静的に最初から最後まで静かに演奏する人達が多いのですが、それは演奏している側にも結構なpressureなので、こういうOperaチックな演奏の方が楽なのではないでしょうかね??まあ、好みの問題なのですが・・
作曲家は凄いね。こういうこと考えるんだね。面白い、バイオリン2台いるときに試してみよう。元気そうで何よりです!

6月21日『ViolinとViolaとPianoのversionです。』 ·
何箇所かのclimaxの箇所で、ViolinとCelloの音が同度になる・・という不自然なarrangeが数多く見受けられるので、3週間も前に、「その箇所の音だけを変更してあげる」と生徒達に約束したのですが、楽譜(score)がハイツに送って来なかった所為と、2回、千葉行きをしなかった所為で、今回の3週間後の、オケ・室内楽の練習日まで、約束を果たせなかったので、今回はmailで楽譜を添書類として、送って貰いました。
それから取り敢えずは、今回必要なViolinとViolaのversionをarrangeをしようと思ったのですが、譜面を改めて熟読して見ると、いつものように、全くensembleの体をしていません。ensemble慣れをしていない人のarrangeだったのだよね~ぇ??
という事なので、結局、曲を最初から最後まで、全部書き換える事になってしまいました。とは言っても、Pianoの伴奏譜とsoloのpartは変更はしないので、あくまでも、ワキのpartのお話なので、結構、早くarrangeが出来るのですよ。
最初、Violaのversionを作ったのですが、次にorthodoxなCelloのversionを作って、その次に、一番利用頻度が高いと思われる2台のViolinのversionも作りました。勿論、基本的には、最初に作ったViolaのpartをbaseにして、それぞれの楽器にtransposeしました。
勿論、楽器が変われば、単純に、transposeだけをすれば良いという分けではありません。それぞれの楽器の特性に合わせて、色々と音の調整が必要になります。
事の次いでに、Pianoのpartの暗譜譜も作りました。1Pageに収まりました。
GounodのAve Maria 芦塚陽二編曲 ViolinとViolaとPianoのversion

6月22日日曜日のオケ練習のBachとfoliaの練習風景です。 ·
日曜日のオケ練習のBachとfoliaの練習風景です。
限定公開なので、このURLからのみ、accessが出来ます。
解説をfoliaにも入れる予定だったのですが、忙しいのと、異常気象の所為なのか、直ぐに疲れてしまうので、なかなか捗らないので、time-limitという事で、まだ、foliaに解説文を入れている途中なのですが、uploadをする事にします。

6月23日『遊び唄集のお話』 ·
付録で、「遠音の音のお話」、「音が届くという意味」
私の昔々、Münchenの留学から帰国して、結構、直ぐに(正確には50年も前の、1972年の27歳の頃から1973年の28歳の頃に書き始めました。)作曲したPianoの小品集である「遊び唄集」なのですが、中学生の女の子達が、(勿論、全曲ではなくて、抜粋なのですが、)公開演奏をしてくれました。
その内の一人である美帆ちゃんが13歳の時に、(2012年の6月の24日と、11月の23日に)八千代のKoncertで演奏してくれました。
当時は、ちょうど、Facebookを始めたばかりの頃なので、最優先でYou Tubeにuploadして、Facebookにも貼り付けておいたのですが、もうひとりの演奏の方は、昔々の事なので、mainの音源がcassette tapeなので、江古田教室に置いていたのですが、江古田教室から椎名町教室へのお引越しのために行方知らずになっていて、探している最中なのです。教室の発表会の演奏は1982年代からのβのvideo-tapeが残っているのですが、それ以前はvideoやパソコン自体がありません。
つまり、唯一の音源の保存はcassette tapeか、運が良ければ、Open Reelによる録音になります。
という事なので、本番の演奏にも関わらず、cassette tapeの録音しか貰えませんでした。
そのcassette tapeを、目下、捜索の最中、所謂、「wanted!!」中なのです。
このFacebookに貼り付けた今回の演奏は、私が未だ「遊び唄集」を作曲をしていた当時に、曲のimageを掴むために、当時の自宅であった江古田の部屋で、München時代からの友人であり、Concerto-pianist※)でもあるproの演奏家の人にProbeをお願いして、録音した演奏になります。
勿論、Probeという事なので、公開の演奏とは違って、練習は差程していない状態での録音なので、演奏を公開する予定はなかったので、misstouchも数多く見受けられる状態なので、非公開で、自宅の肥やしになっていました。
録音から、50年も経ってみても、録音もOpen Reelで音質も良好だし、演奏もmisstouchは色々とあっても、演奏が大人の演奏なので、「それもありか??」という事で、本人の名誉のために、演奏日時と氏名は非公開で、You Tubeにuploadをする事にしました。
勿論、未だ作曲途中なので、全曲の演奏ではなくて、出来上がった分だけの、抜粋の演奏になります。
遊び歌
『遠音の音のお話』
※)「Concerto-pianist」という言葉は珍しいので、説明が必要ですよね??
pianistが演奏会でorchestraと共演をしたり、有名なproの演奏家達と室内楽を演奏したりする時に、正しい遠音の利く音でPianoの鍵盤をtouch出来ていないと、オケや室内楽の楽器の音にかき消されてしまって、soloのPianoの音が聴こえなくなってしまいます。
よく勘違いされる事なのですが、orchestraのtuttiの音の響きの中からでも、美しいpianissimoの音が聴こえて来るのは、solisteのsoloの音量ではなく、如何に「遠音の利く正しいtouch」をしているかによります。
MozartのPiano・Concerto、20番の冒頭の「指慣らし」の部分でも弦のsyncopationの響きの中で、指慣らしのpassageを弾いて、その音がorchestraの中からクッキリと浮かび上がって来るのは、正しいleggieroのtouchが出来ているか否かによります。
遠音の音は大Hallの隅々まで、pianissimoの音でさえも、ちゃんと届きますが、強いtouchだけを習っているpianistの音は、大Hallでも届く事は無いのです。
『音が届くという意味』
「届く事は無い❢」という事は、またまた、誤解を産みかねないので、説明が必要なのですが、「音が届く」という意味は「聞こえなくなってしまう」という意味ではありません。
大Hallはどんな小さな音でも、しっかりと届くように、音響設計がなされているので、pianissimoの音でも届かない(聞こえない)という意味では無いのです。
でも、本当の本物のpianissimoの音と、只、単に弱い音とは、音の質が根本的に違うのですよ。
その音の違いが分からないと、本当のpianistとは言えないのですよ。
orchestraと共演を常日頃しているpianistは、そういう本物の音を演奏しているので、proのorchestraと合わせる事が出来るのです。ですから、Concerto-pianistだったら、本当のPianoのtouchで本当のpianissimoの音を出せる・・という意味が含まれています。
勿論、逆のお話で、fortissimoの音も、単に強いだけの音であれば、録音した時に、歪が発生します。私達が言う所の「音割れ❢」の状態なのです。しかし、本当のproのfortissimoは、どんなに強い音を出したとしても、「音割れ❢」を起こす事はありません。
pianistとして活躍している人達も、遠音の音が理解出来ないpianistだとしても、orchestraや室内楽等との多種の楽器と合わせる事が無い場合には、絶対音量という問題は起こりません。
だから、『聴こえない微かな音⇒弱い音⇒強い音⇒割れた歪んだ音』の中から、所謂、楽音でない音の『聴こえない密やかな音と割れた歪んだ音』を省いた、楽音の中のDynamicの中で演奏すれば、問題はありません。
音の強弱を100として、微かな音の0~20と割れた歪んだ音の80~100を除いて、21~79の間で演奏すれば良い・・と言う意味なのです。しかし、orchestraや室内楽のdynamikの幅は全く違います。
pianistには常に100%のDynamicを要求されるのです。ですから、弱くても、強くても、orchestraに負けない「遠音の音」が要求されるのです。
「遠音の利く音」は、proになってから習得出来る技術ではありません。
本来ならば、Pianoを学び始める時に、正しい指のtouchを学び、ensembleの経験を積むと、小学生の子供であっても、正しい音の出し方が出来るようになります。
小学生のPianoの演奏でも、orchestraが伴奏をする音量でも、美しいpianissimoの音でも聴こえるように演奏する事が出来ます。
逆に、間違えた日本流のPianoのtouchを学んで育って、proになってから、必要に迫れてから、正しいPianoのtouchを学び直すのは、非常に辛く困難な無駄な努力を積み重ね無ければなりません。例え、趣味であろうと、proの道を目指そうと、正しいPianoのtouchを正しく学ぶ事は、将来の技術の向上や表現力に取っては、効率的で、しかも楽に学ぶ事が出来ます。
日本に西洋音楽が導入されて来て、既に、100年を過ぎていますが、未だに、日本独自の音楽が蔓延っているのは、日本の高温多湿の音への感性に起因します。だから、文化の違いとは違っていて、感性の違いなので、なかなか治らないのですよ。
日本人の感性ではnoiseも楽音で、割れて歪んだ音も楽音だと感じるからなのですよ。教室で幾ら正しい音を指導しても、一般の音楽界では、日本独特の音の感性が主流で日本人である限り、それを疑わないのだから、暫くすると、それが当たり前の音になってしまうのです。
まあ、日本人だから、仕方が無いのかな??アハッ??

6月24日「サティ風に」 ·
今は22年の6月24日の金曜日の朝の4時50分になった所です。
遊び唄集で、未だfinaleに入力が終わっていなかった「一匁目の一助さん」の入力が、丸々一日掛かりで、終りました。
結構、難しい面倒くさい入力作業で、昨日のお昼から朝の4時50分まで掛かりました。何が面倒くさい・・と言うか?と言うと、1小節内で目まぐるしく音部記号が変わるからです。小節の途中で、音部記号が変わるのはfinaleに取っては、得意な作業ではありません。設定が結構、面倒くさいのですよ。
とは言っても、勿論、一日中、finaleの入力作業をした分けではありません。
昨日は、体調不良で、恰も、病人のように、殆ど寝込んでいたので、寧ろ、無駄な無意味な1日になる予定だったからです。
finaleに私の旧作を入力する事で、ほんの少しだけ、1日が生きていました。
まあ、体調不良の時の、finale様様なのですが、相変わらず、finaleには、入力不能な音があって、結構困ってしまいました。
今回は、同じ拍に♭と♮が付いた音が同時に存在するのだが、その臨時記号の位置が音と無関係に表示されてしまい、音符をズラして臨時記号と合わせても、入力画面に戻った途端に、判読不能な臨時記号と音符が重なってしまう、元の譜面に戻ってしまうのだよな??勿論、layer毎に見て見ると、音符の異常はないのだけど、同時にlayerを開くと、えらいことになってしまうのですよ。ChopinのEtude等では、同度の音符を書くのに、枝の音符で書いているのだけど、それも何処に書き方が入っているのか、分からないのですよ。枝の音符と引いても出てこないのだよな~ぁ??
今日は、仕方がないので、layerが重なる部分だけを3段譜にした。
また、同様なtroubleは、超、簡単な曲である「練習帳」の中の「昔々」という曲なのだけど、右手が3拍子で左手が4拍子になる・・だけの簡単な曲なのだけど、それがfinaleで入力が出来ないのだよ。
五線紙(layer)の独立をさせて、それぞれを3拍子と4拍子に設定すると、1小節の中で上の段が3拍子になって、下の段が4拍子に設定されてしまう。4分音符単位で、小節がズレて欲しいのだが、小節をズラす機能が見当たらないのだよ。
これは困った❢❢
昔々の作品なのだけど、finaleに入力出来ない音符が多くて困ってしまった。
この「一匁目の一助さん」の曲は、以前からYou Tubeにはupしているので、今回は単に楽譜が手書き譜から印刷譜に変わっただけなので、uploadはしません。
finaleに入力していない・・所ではなくて、一度もupした事も、公開演奏もした事もない音楽大学時代のSatie風の曲集の手書きの譜面が出て来ました。
昔々のPianoの作品集で「Satie風に」というTitleの曲集です。
「割れたワイン・グラスのワルツ」という風な、小洒落たTitleが付けられている曲もありますが、8曲のsetでも、6分ぐらいししか、掛からない超、短い曲集です。
音楽大学時代に戯れに書いた作品なのだけど、originalityに欠けるので、uploadをした事も生徒達に演奏させた事もない可哀想な作品集なのです。
まあしかし、私の生徒の中には、「芦塚先生の曲を演奏したい。」という奇特な生徒が極々、稀にいるので、その内に、誰かが弾いてくれる事もあるかもしれないので、finaleの入力の次いでに、今日から頑張って入力をしようかな??
かな?? カナカナ??
という事で、昨晩から、今日の朝の4時半まで掛かって「Satie風に」の曲の全部の入力を終わりました。
勿論、一日中finaleに入力していた分けではないのだけど、全曲でも6分程度しか掛からない曲集なので、入力は大変ではありませんでした。但し、入力が出来ない音符を除いては・・・
「サティ風に」

6月25日『練習帳の本が出来た』 ·
取り敢えずは、音楽大学時代の作曲noteである「練習帳」から15曲をselectして楽譜を作りました。
15曲とは言っても、全曲を通して演奏しても、僅か、13分にも満たない曲集なのですが、書法は現代音楽の書法なので、finaleで入力出来ない音符が多くて、入力するのに、困ってしまいました。
作曲当時は、finaleはおろか、パソコンさえ・・・、イヤさ、携帯さえも、無かった頃の時代なのでね??
斉藤先生が頑張って、layoutと印刷をしてくれたのだけど、下手な出版社※)からの出版よりも綺麗に印刷出来たのではないのかな??
この一週間は体調不良が酷くて、お散歩をpassするだけではなくて、椎名町への食事に行く事もpassしていたのだけど、finaleの作業は体調とは無関係なので、椅子に座ったまま、動けなかったので、結構、仕事自体は捗りました。
という事で、日曜日のオケ練習迄に体調が改善出来るか、心配なのだけど、月曜日と火曜日が連チャンで病院があります。
今は、それが、結構、重荷かな??
体調不良の予防には、パソコンの作業を立ってするのが理想なのだけど、そうすると、今度は腰痛に悩まされるのですよ。
あちらを立てればこちらが立たず・・なのだよな~ぁ??
体調不良が酷くなって来て、毎夜のプリドルとのお散歩さえも、ままならなくなって来てしまいました。異常気象の所為で体が付いて行かないのだとは思うのですが、それにしても体力の衰えが危機的状態なので、頑張って、椅子に座る事をなるべく控えるように、パソコンを立って入力出来るように、Deskの周りを変えて見ました。(立って入力する事は、以前から何度もchallengeしていたので、それに少しだけ、工夫を加えただけです。)
以前購入した立ったまま座れる(?)丸椅子なのですが、「自由に高さが調節出来る」と書いてあったのだけど、高さを決めて座ると、ズルズルと下がってしまうのですョ❢❢
どうやら耐荷重的に無理なようなのですよ。
という事で、中途半端な高さのままで、座らなければならなかったので、今まで、活用していなかったのでが、しかし、体力の低下が、非常事態に迄、なって来たので、中途半端な高さとは言っても、背に腹は代えられません。
keyboardを置く為の台なのですが、何度もlayoutを変えて、bestなpositionを探して見ました。
今はこの形に収まっています。
写真参照:
※)下手な出版社とは、大手の出版社ではなくて、自費出版等を専門とする小さな出版社の事です。
私も大学1年生の時に、小学生から高校生迄の詩集を纏めて自費出版しました。非売品としてですがね??(値段を付けると本に税金が掛かってしまいます。)
また、私のguitarの小品集も帰国当時に作曲して、出版しています。これは自費出版です。
後の出版物は印税と買い取りです。
印税と買い取りの違いは、印税の場合は毎年売れた分の%が、銀行に振り込まれて来るのですが、一冊の印税は微々たる金額なので、買い取りにすると、一回だけなのですが、結構高額な金額が振り込まれます。
どちらが作家に取って有利かは、まあ、自己判断なのですが、売れないだろうと思って、買い取りにした本が、その後、思いの他、売れたりして、臍を噛んだ事もありますから、ギャンブルみたいなものです。
ViolinやPianoのmanual本も結構多く書いたので、一度は大手の出版社に持ち込んだのですが、「情報の流出になる」・・という事で出版をする事は、やめました。
大手の出版社は原稿を持ち込むと、その本の価値を判断するために、大学の教授達や著名な音楽教育家達に原稿を読んで貰って、彼らの評価で、出版するか否かの判断をします。
私が「出版しようかな??」と思っていた教材のideaが、1年後には、その出版社からの、Pianoの指導教材として出版されているシリーズの教本の解説書に、その道の超有名な先生の著作として、私のideaが、そっくりそのまま、剽窃されて、本に書かれていたのを見て、超、Shockを受けてしまいました。勿論、私はBeyer教則本の指導manualとして書いたのですが、別の初歩の教材の解説に私のmethodeがそのまま、copyされて書かれていたのですよ。
こういったhow-toに関しては、特許という物は無いので、頭には来たけれど、泣き寝入りをしなければなりませんでした。それに、有名教授に「俺のmethodeを剽窃しただろう」と言っても、「違う」と言われればそこまでなのでね??
という事で、その大手の出版社からは、manual系の原稿は全て引き上げてしまいました。
まあ、そういった事がtraumaになって、出版そのものに対しての興味も失せてしまいました。
音楽界に限らず、教育界というのは、剽窃は当たり前の世界なのです。
私の高校生の同級生達も、多くの友人達が大学に就職したのですが、3,4年後には、殆どの人達が講師の職を辞していました。
理由は皆同じです。
つまり、大学の教授が、自分の論文を発表する時に、弟子となる講師達の論文を剽窃する事です。
弟子達の論文の引用ではなくて、自分の研究として発表するのですョ❢
信じられない事ですが、彼ら(教授達)の言い分としては、「歳を取って、君達が教授になったら、同じ事をすれば良いのだよ。」という事だそうです。
そこには、教育者としての、否、人間としてのprideは、毛頭、ありませんよ。
私も同じ大学に努めている、日本では結構、有名な教育学の権威の先生が、教育学学会に、私に無断で、私の研究論文を自分の名前で発表していました。私と個人的に面識のあった先生ではありません。
その事が無ければ、一面識もなかったであろう人なのです。
偶然、その先生と大学で、すれ違った時に、その教授が私の方に振り返って、私を呼び止めて、「ああ、君の論文を、学会で使わせて貰ったよ❢有り難う❢」の一言だけで、その後、bier、1本のお礼も無かったのですよ。
それは私の直属の音楽の上司も同じでした。
出版に関して、業者に対して信じられない不義理をしたのですよ。
その莫大な被害金額は、紹介者たる私が業者に対して、弁償してあげたのですョ❢勿論、私が弁償する必要は無かったのですが、私に取っては、経済的な損失よりも、社会的な信用度の失墜の方が耐え難かったからです。
勿論、私が弁済する義務も、必要もなかったのですが、「紹介した手前」•••という事です。
大学をサッサと辞めた友人達から、「お前が、なんで大学に居るのか??」と不思議がられてしまったので、そういった事もあって、私も講師の職を辞す事にしました。
大学という所は、私に取っては、思い出す事も憚られる(と言うか、自分の経歴、履歴から抹消したい)、超、Blackな所なのですよ。
アハッ!
しかし、世の中って、そんな所なのですヨ❢❢
美しい音楽の世界でも、内情はそんな所なのですよ。
塵、芥の中で、生きて行くのが、人生なのよ。
芸術とは塵、芥の中の徒花なのだよね~ぇ??
六根清浄❢❢

6月25日夜の9時半を過ぎたのに、30℃を越したままだ❢ ·
それはそうと、夜の9時半を過ぎたのに、30℃を越したままだ❢
この所の練馬区は、36℃を2、3日keepしている。今は深夜の1時半なのだが、それでも27℃もあるのだよ。
明日(というか、もう今日の事になってしまったのだが)、の6月の26日の日曜日の練馬区の気温は36℃の予定で、最低気温も、今現在の朝の4時半の26℃が、今日の最低気温なのだそうです❢
寝室の空気がモワーと生暖かいので、諦めて、寝室のクーラーを入れました。
これでまた眠れるかな??
toilette-timeの次いでに、今日は日曜日なので、mansionの工事が無い日なので、パソコンの部屋のblindを開いたら、なんと素晴らしいSunriseです。光が眩しいのだよ。いや、マジに今日は40℃、行くのではないのかな??
1時から2時頃の移動になるのだよね~ぇ??
体力の方が大丈夫かな??
未だ朝の9時前なのだけど、テレビで練馬区は32.3℃だと大騒ぎしているョ❢❢
朝の10時半を過ぎた所なのですが、もう既に練馬区の気温は35℃になりました。まだまだ上がるのかな?
すっかりと、ヘバってしまって、Bedで体調を整えている時間を、息を長~く吐いて、呼吸を整えて、穏やかで幸せを感じる時間にしよう❢
全て世は、事も無し。
宇宙という単位で見ると、人の世は、線香花火の星の一つの消えて逝く様よりも、短いのだよな〜ぁ❢

6月27日finaleでは入力する事が難しい ·
6月26日の日曜日は、超暑い中を千葉まで出掛けて、オケ練習の指導をしました。
その後、Faure のElegieをlessonを終えて、瑞希ちゃんが後片付けをしていたので、斉藤先生に、なかなか録音が上手く行かない「Duoの1,2曲だけを、瑞希ちゃんと合わせてみたら??」とadviceをしました。
斎藤先生が、一人で1st.と2nd.を別々に録音するのですが、倍音を高めに取るという事が、私のDuoでは、Europaの3度harmonyではないので、難しいからなのです。
だから、「生音で耳に直接、音が聴こえてくれば、高めのpitchがよく分かるのではないのかな??」という意味でのadviceです。
餅は餅屋で、レコーディングの技術も、ある程度は慣れないと難しいのですよ❢
10分程度の練習だったのですが、音が低くなってしまう理由と、その時の修正法がよく理解出来たと思います。
これを1回は、やっておかないと、何回、撮り直しをしても、上手く行かなかった・・と思っています。
それはそうと、そろそろ、夏のおさらい会の曲決めなのですが、 私の曲を弾いてみたいという生徒の希望もあって、一番短くて、演奏も簡単な練習帳のfinale入力をしたのですが、超、super-Ultra短い曲の割には、思った程は簡単ではなく、演奏が難しいので一般公開で、誰かに演奏して貰う事は諦めていたのですが、牧野先生の生徒が私の曲を弾きたい❢と言ってくれたので、究極Finaleに手書きの楽譜を入力しました。
楽譜が出来上がって中学生の生徒が、初見のin-tempoで弾いていたのには驚いてしまいました。
何せ、右手と左手の調性が違っていたり、右手と左手の拍子が違っていたり、挙げ句の果てには、無調で、rhythmが全く合わない・・・要するに、finaleでは入力さえ出来ない、譜読みが超、難解な曲なのだけど、彼女達に取っては、屁でもないのだよな~ぁ、•••これが・・・???
音楽へのapproachというか、曲の練習の仕方が一般の練習の仕方と、何かが違うのよね~ぇ??彼女は牧野先生の生徒なので、one lessonでも私が指導した事はありません。
美帆ちゃんが私の「遊び唄」を八千代で演奏した時に、私の曲の方が、「StravinskyのPétrouchkaよりも難しい❢」と言っていたのですが、「幾ら何でも、それは無いだろう」・・と思っていたのだけど、「下手に音楽を学んでる音大生達に取っては、この練習帳はStravinskyよりも、弾き難い、難解な曲になるのだろうな~ぁ」と改めて認識しました。

6月27日連チャンで病院dayだよな?? ·
今日は6月の27日の月曜日なのですが、お昼からは病院の検査の日です。
勿論、明日も川崎の病院まで、車で検査にいきます。
昨日は千葉でのオケ練習だったので、連チャンの外出になります。
という事で、お昼の1時になって、出発のtimelimitになったので、急いで玄関を出るとモワッとした空気に包まれて頭がクラクラとしてしまいました。
Bikeを走らせていると、腕に焼きつくお日様の陽射しが、暑いのではなくて、痛いのだよネ❢
これは、まるで真夏の太陽なのだ❢
これは大変だ❢
未だ6月で、梅雨明けも未だなのだがね?
この暑さで、病院でひっくり返っても、様にならないよな??
病院の先生の診察前には、採血・採尿があるのですが、今日の採血は、研修生の採血の指導の練習台でした。勿論、採血自体は研修生は出来ないのですが(法律的に・・)、私の血管は、一箇所しか採血のpointが無い・・超、難しい細い血管なので、何度も「ここだけですよ。」と話をしているのですが、右手から左手、また、右手と、何度もcheckをされてしまいました。
歳を取って、昔のように気が短くはなくなったので、なされるがままに、練習台になっていましたよ。
研修生の女の子が、頑張って、(私が血液サラサラの薬を飲んでいて、採血の注射の後は、血が止まり難いので)・・と、丁寧に、厳重にtapingをしてくれました。
家に辿り着く迄は、絆創膏は、そのままにしておかなければならなかったのですが、診察を待っている間の、廊下の椅子の上で、汗で一瞬で剥がれてしまいました。
汗をかいた腕には、もう二度と、貼っつかないのだよな〜ぁ?
夏場のtapingは、所詮、無理な話しだよな?
前回の検査から、少しでも、体力を付ける為に筋力を付けようと、肉を食べるように気を付けていたのですが、腎機能の値の数値が結構、悪くなっていました。
動物性のタンパク質は、腎臓を痛めるので、代わりに、植物性タンパク質を多めに取るように注意されました。
筋肉と言えば、お尻や大腿の筋肉が全く無くなってしまって、「触ると直接骨を触ってしまう」と言ったら、「自分もそうだ」と先生が言っていました。
でも、先生は、私よりも一つ年下らしいのだけど、超、痩せ型なので、私よりも三つ、四つは上に見えてしまいます。
肥満には気を付けていて、毎日、自転車で30分掛けて、出勤するそうなのですが、その割りには、体の切れ(動き)は私の方が速いようです。
でも、雨で自転車通勤をニ、三日休むと、ズボンのベルトがパンパンになる、と言っていました。
みんなDietには、苦労しているのだね?アハッ❢❢
今の今の話しなのですが、テレビのnewsで、今日中に熱中症で病院に搬送された人達は126人だったそうな?
もう、こうなってしまうと、多いのか、少ないのかさえ、よく分からなくなってしまうのだよな?
病院からは、なんとか、頑張って、夕方の5時迄には帰宅出来たのだけど、流石に、bikeでの超暑い道路の移動は、思ったよりも体力的にも消耗していたので、疲れ果てて、病院への往き復えりの荷物類を、床にそのままに、出しっ放しのままで、Showerだけを浴びて、そのままbedで寝てしまったので、夜になって、toiletteに起き出した時に、散らばっていた空のペットボトルを足で踏んでしまって、思いっきり、転けてしまう所でした。
部屋が狭いので、家具にぶつかって転倒だけは避けられたようです。
これで、転倒をして骨折してしまったら、目も当てられないからね??
私は、日頃から、周りの人達には、床には物を置きっ放しにしないように、注意をしているのですが、私自身が自宅で床に置いた物で転んでしまっては、語るに落ちてしまうよね~ぇ??
まあ、今回は片付けるだけの体力がなかったので、(私的には)致し方無かったと思っていますがね〜ぇ?
(否、みんな、注意をすると、同じ弁解をするのだよね〜ぇ?)
明日は川崎の膀胱鏡の検査です。川崎の病院は駐車スペースが少ないので、一般の駐車場を探すのが大変で、遠い駐車場になった時には、病院まで歩くのが大変です。
また、帰りの道は大渋滞になるので、往きの倍の時間が掛かります。
それに精神的屈辱感も半端ないです。だから、川崎の病院の検査の前のプレッシャーは大変です。
また、この検査はendlessなので、それこそ、体力の限界まで、或いは死の直前まで、耐えなければならないのですョ❢せめて、薬か、CTかで、判定出来るようになると楽なのですがね〜ぇ?
よっぽど、疲れが溜まっていたのか、深夜の3時過ぎくらいまで、爆睡する事が出來ました。
病院を連チャンにした効果は結構ありました。
検査を最後に回して貰ったので、椎名町の出発はお昼の2時になります。
いえいえ、今日もう梅雨明け発表になりましたよ?いつの間に勝手に開けちゃった感じですな。
病院から帰って来たらテレビで梅雨明けって言っていた。突然だよな~ぁ??

6月28日川崎の病院の検査の日です。 ·
今日は6月28日の火曜日の朝の8時半です。
恐怖の川崎の病院の検査の日です。
普段ならば、日曜日のオケ練習のover-workと月曜日の糖尿病内科の検診と今日の病院で、pressureによる摂眠障害で、ぶっ倒れている頃なのですが、今回は、そのpressureを物ともせず、(相変わらず、睡眠時間は短いままなのですが、)短時間でも睡眠を繰り返す事で、充分な睡眠を取る事が出来ています。
その大きな理由は、今現在ちょっと気に入っているComicを買い込んで、Bedでその一節だけを読んで、その余韻のままに眠ってしまう方法です。
深夜の茶玉の薄暗い灯りの中では、どうしても鬱になってしまうのですが、真っ暗にしてしまうと、toiletに起きた時に、家具にぶつかったり、転倒したりして、危険だからですが、明るいと、なかなか寝付く事が出来ません。
という事で、何かしら、上手い解決法を模索していたのですが、仕事をしながら、何気なく深夜にテレビをつけた時に見たAnimeを気に入って、その後も、何度か見ていて、とうとう元々のComic本を大人買いしてしまいました。
最初は、Comic本の絵や文字が小さ過ぎて、なかなかbedで読む所までは行かなかったので、睡眠導入剤の代わりになるまでには、少し本を見る為の訓練が必要でした。
しかし、目がComic本のsizeに慣れて、bedでもComicを読む事が出来るようになって、一章だけを読んで、その余韻で入眠をするようになって、結果、深夜の鬱が無くなったので、お昼間の仕事も捗っています。
後は、望むべくは足腰が、少しでも、元に戻ってくれれば•••という所でしょうかね。
足腰の弱る一番の原因は一日中パソコンで座り作業をする所為なのです。
という事なので、以前から購入していて使っていなかったKeyboardのtableと立ったまま座る椅子をパソコンに常駐させる事にしました。
立ったままに座る椅子は、購入のさいの取説では、高さが自由に調整出来るハズだったのですが、耐荷重的に自分のお尻の高さにsetして座ると、ズルズルとチョッと中途半端な位置まで下がってしまいます。
だけど、気に入っている点は、下の台がお鍋の底のように丸いので、腰が自由に動かす事が出来る点です。
腰を回しながらKeyboardを打てるので、腰痛の解消に役立っています。
勿論、立ってKeyboardを打つ事が理想的なのだけど、立ったままでKeyboardを打つ・・というのは、そう長時間は無理なのでね??
では、そろそろ川崎の病院に行く準備を始めるとするか?
未だ9時だ・・というのに、練馬区の外の気温は、もう既に32℃を超えています。
これは普通でも、外出が超、難しい気温だよな~ぁ??
病院の近場に駐車場が見つからなかった場合には、10分以上も歩く事がザラなので、熱中症が心配だよな~ぁ??
この所、日月と、頭が火照ってしまって、それを下げるのに四苦八苦しているので、対策を考えないとな??
首巻きのひえひえいも、往きは良いけれど、復りは、全く意味無いしね~ぇ??
一日中使用出来る首巻きの新製品をテレビで宣伝していたよな??探して見るか???

6月29日部屋中にシンナーの臭いが ·
朝の9時半過ぎなのに、もう33℃だ❢
頑張って、起きては見たのだが、即ヘバってbedで横になった。
連日のover‐workと昨日のhappeningによるtraumaが未だ解消しないのだ。
お昼の12時半を過ぎて、流石に、起き出したのだけど、練馬区の気温は、もう既に、36℃超で、体感温度は39℃で、もう少しで40℃に届く所なのだ。
病院からの薬を薬局に処方して貰いに行かなければならないのだが、夕方まで待つとするか??
3時半を過ぎたのだが、暑さでヘバっていたら、部屋中がシンナーの臭いで、大変な状態だ。どうやら、部屋の外壁周りに塗装をしたらしい。気分が悪くなってしまう。

6月30日流石に暑い❢❢ ·
今日の練馬区の朝の気温は・・、なんて、流石にもうクドいので、今日は昨日よりも暑かった・・とだけ言う事にしておきます。
それにしても、東京の最高気温よりも、練馬区の最高気温は1℃ぐらは確実に高いのに、東京の最高気温は練馬区の最高気温ではありません。
前にも同じ事を書いたけれど、練馬区は東京ではないのかな??
不思議だ??
東京で、いつも練馬区だけがいつも気温が高いのは、heat island現象が起こるからだそうです。
だから、練馬区の気温は、常に東京の気温よりは1℃、2℃は高いのです。
今日は炎天下の中を、ハイツの部屋の冬物の整理を斉藤先生に手伝って貰って、(・・と言うか、私は指示をしただけなのですが・・)しました。寝室に仕舞い込まれないままに出しっ放しになっていたので、やっと、少しだけ寝室が部屋の様相を呈して来ました。アハッ!
絶対に着ないだろう・・という事で合いの服も全部押し入れに仕舞ったのだよ。
verandaの荷物類が玄関に出しっ放しになっていて、鬱陶しいのだけど、未だ、verandaには戻せません。
工事が終わる9月までは、この状態のままで、仕方がないのだよな~ぁ??
それとも、なるべく••というか、出来る限りというか、捨てるようにして見るかな??
それも、ありか?
いいですねぇ~手伝って頂ける方がおられて・・・私なんかタンスに仕舞い込むのが面倒なので、ピアノの蓋の上やら椅子に置いたり掛けたり(笑)
勿論、普段は私もそうですが、季節の変わり目もだいぶ、過ぎてしまったので、流石に、「もう無理❢」という事で、頼みました。人は誰も来ないので、ゴミ屋敷でも、ウサギ小屋でも良いのですが、あまりにも汚くなってしまったので、鬱陶しいので・・・アハッ!


7月1日な、な、な、なんと·
な、な、な、なんと、今日は、7月の1日です。
とは言っても、未だ、深夜の2時なのですが、お久し振りに、またまた、不思議な事があって、ちょっと眠れなくなってしまいました。
そのお話しをする前に、昨晩経緯をかいつまんでお話しすると、いつものドルプリのお散歩は、熱帯夜の中のお散歩になってしまいましたが、それでも頑張って、ドルプリに付き合って歩いたのですが、ワンちゃん達よりも、私の方が直ぐに暑さにヘバッてしまいました。
なんとか頑張って家まで戻って来て、冷房をきかせた部屋で休んでいたのですが、頭が火照ってしまって、いつまで経っても火照りが取れなくなって困ってしまいました。
食事を済ませて、ハイツの自宅に戻っても、椎名町に行って帰って来るという単純な事なのですが、結構疲れてしまって、「お弁当を冷蔵庫に入れる」という簡単な一手間がなかなか出来なくて、時間だけが過ぎてしまって、困ってしまいました。
後片付けをしながら、時計を見ると、2時になっていたので、流石に慌ててBedに入って爆睡しました。
それから、色々と夢を見たのですが、仕事の延長のような、取るに足りない、つまらない、結構、疲れる夢でした。
toilet-timeに起き出して、お水を飲みながら、時計を見たら、なんと時計の針は元の2時のままでした。
いっぱい夢を見て、爆睡していたのに、時間がBedに入った時のままで、止まったままなのですよ?
お久し振りのtime-warpです。
「何故?」「どうして?」「何処が違っていたの??」と、色々と考えて見ても、不可解なままで、理解不能なのです。
長時間爆睡したつもりなのだけど、本当は1、2分しか眠っていなかったりして•••?
toilet-timeが終わって、Bedに戻ったのですが、眠れなくなってしまいました。
お久し振りの強烈な鼻詰まりで、横になると息が出来なくなってしまいました。
已む無く、椅子に座ったり、Bedに戻ったりと、模索を繰り返している所なのです。
眠ろうと、頑張って見たのですが、横になると鼻詰まりが酷くなってしまうので、眠る事は諦めて、この所、パソコンを立ち上げる度に、出て来る変なmessage※)が、再び出る事がないように、パソコンの設定を弄って、いつものようにstraightに立ち上がるようにしました。
パソコンのboot-menuに入っても、netの解説と同じ表示が出て来ないので、少々、当てずっぽうになったのだけど、意味は分かったので、設定を変更しておきました。
パソコンは、これで、多分大丈夫でしよう。
でも、故障ではなくて、updateの時に、勝手にprogramが書き換えられた所為なのだそうです。
※)写真のmessageです。
強烈な鼻詰まりの他に、もう一つの眠れない原因と思われるのが、エアコンの冷房です。私は昔からエアコンの冷気に弱いのです。
寝室にも古くて安いエアコンがあるのですが、この寝室のエアコンを使用する事は稀です。
クーラー病や冷え過ぎになるので、眠る時に基本的には、クーラー無しで眠るのですが、どうしてもクーラーが必要な時には、寝室のクーラーではなくて、隣の部屋のパソコンの部屋のクーラーをホボ室温と同じぐらいの設定にして、寝ます。
パソコンの部屋のクーラーの方が、高性能で新しい機種なので、電気代も消費energyも少なくて済みますし、隣の部屋を冷やしているので、寝室の温度が自然な温度になって、クーラー病にもなり難いのです。
以前は・・、とは言っても、3,4年前ぐらいまででしたか、真夏の間でもエアコンを使う事はありませんでした。
クーラーを使ったとしても、一年に1、2回でした。
基本的に私はクーラーが嫌いなのです。
しかし、流石に、この2,3年の異常気象ではエアコン無しでは生きていけない感じでありますが、基本的にはクーラーではなく、除湿だけで済ませています。
クーラーを使用して、温度を設定する時でも、普段は外界の気温と、1℃差ぐらいの設定にするのですが、部屋のクーラーの設定温度は30℃までしか設定出来ません。
きょうびのように、猛暑日で外界の気温が35℃にもなると、1℃差は34℃なのですが、そんな設定はありません。最高温度が30℃なので、猛暑日は最高温度の30℃に設定しても寒いのですよ。
エアコンの機種に寄っては、温度差で指定出来るtypeもあるそうなのですが、このエアコンの「快適おまかせ」という設定は、唯単に自分の好みの設定温度を設定するだけのようです。しかも、1度単位の設定です。
せめて0.5℃単位の設定が出来れば良いのですがね?(椎名町のエアコンは、保証期間の過ぎた古いtypeのエアコンなのですが、その機種は、0.5℃単位の設定が出来ます。)
自分の適温を設定するだけならば、通常の冷房と、おまかせの設定とは、何が違うのかね??
朝の6時半の練馬区の気温が29℃なので、今は温度設定を28℃にしています。
今日の最高気温は38.2℃だそうです。
連日の35℃超えの酷暑なのだけど、いったいどうなっているのかね~ぇ??
朝は10時半を過ぎた所ですが、既に練馬区の気温は35℃になってしまいました。
クーラーは設定出来る最高温度の30℃に設定したのですが、それでも冷え過ぎるのですよ。
今はお昼の2時です。
とうとう、練馬区の気温は38℃になってしまいました。(勿論、練馬区の気温という事なので、東京の気温は37℃ぐらいでしょうかね??)
まあ、しかし、クーラーが、効いているので、部屋の中では、暑さは感じないで済んでいます。
それはそうと、この2,3日、暑さでヘバって、食欲不振なのですが、不思議な事に、体重がこの2,3年で最大にreboundしてしまいました。
体調不良になって食べれなくなると、肥るという悪循環の状況です。
でも、酷暑が少し収まって、体調が戻って来ると、、体重も元に戻るハズなので、一喜一憂はしない事にします。
コメント1件
芦塚 陽二
千葉の新教室の事務室には、新しいエアコンが入っていて、その機種では、自動に設定すると、-2℃という設定が出来るようですで

7月4日今日は朝っぱらから、強烈なシンナーの臭いで ·
プライバシー設定: 公開
今日は朝っぱらから、強烈なシンナー(thinner)の臭いで頭がクラクラしてしまいました。(違う❢それは単なる熱中症だって❢)
今日は朝から雨が降っているので、昨日までの30℃越えの気温が、少しはマシな、27℃なのです。
クーラー(air conditioner coolerは保冷器です。)の設定温度を29℃で寝ていたのですが、寒すぎて、除湿にしたのですが、それでも寒くて、とうとうクーラーを切ってしまいました。
練馬区の外界の気温が27℃という事は、クーラーの設定温度よりも、低いという事なのだよな〜ぁ?
コンビニ・クーラーの領域だよな〜ぁ?それは困った❢
これ以上は、部屋の温度を上げたく無いのでね〜ぇ?
この2、3日、腰の両側のベルト(belt)位置の少し上に、とうとう汗疹が出来てしまいました。
毎日、シャワー(Shower)で、身体中の汗を洗い流していたのですがね〜ぇ?無駄な努力でした。この湿度では致し方はありませんよね~ぇ??。
夕方の3時になったのですが、シンナーの臭いが、全ての部屋に充満して、シンナー中毒死しそうな雰囲気です。
というか、トースター(Toaster oventoasterは和製英語で、正しくはtoaster ovenと言います。ひっくり返しただけじゃん❢)をつけていると、爆発するのでは、・・・とも思ってしまいます。
いや〜ぁ、困った❢
取り敢えず近くの喫茶店に避難するとか?
お線香を焚くとマシですよ!うちも大規模修繕工事でした。職人さんが教えてくれました。
さっそく試して見ました。
引火しそうな感じですが、少しは気分が紛れるようです。

7月5日7月の3日の日曜日のオケ練習の風景です。 ·
22年の7月の3日の日曜日のオケ練習の風景です。
今回はfoliaの練習なのですが、いつものように後半部を中心とした練習ではなくて、Variationの前半部を中心にlectureをしました。
特にsoli群ではなくて、1st.や2nd.のワキとなるオケのpartの歌い込みを中心に指導をしたのですが、元来ならば、phraseを細かく書くべきなのですが、phraseのslurを書くと、bow-slurと勘違いされ兼ねないので、敢えてphrase-slurを書かなかったのですが、interpretation的には、有るべきものが無い・・という事になって、phrase-slurを書くには、どうすべきかを悩んでいます。
また、Ferdinand DavidのoriginalのPianoの伴奏の時には、音楽表現的には何の問題も無かったarticulationが、orchestraで同じ表現をすると、eccentricになってしまい、その演奏表現のnuanceを変えなければなりませんでした。
そういったkleinigkeitの変更を今回もまた、しています。
ちなみに、(・・・毎回、同じ事を書いていますが、)この動画は、練習の動画なので、一般公開ではなくて、このFacebookからのみの、限定公開となります。
このPageのURLからのみの、accessになりますので、一般のnet検索からはaccess出来ませんので、ご注意ください。(限定公開なので、uploadはしません。)

7月5日お久し振りで行きつけの寿司屋に行った。 ·
7月に入った・・と書いたばかりだと思ったのですが、アッと言う間に、もう5日の火曜日です。
今日は1日中、雨が強弱を付けて降っているそうで、今現在(お昼の12時半)の練馬区の気温は31℃で、体感温度は33℃だそうです。湿度は63%です。
汗疹が酷くなって来たので、除湿を掛けたのですが、室温は27℃なのですが、寒くて仕方がないので、室温よりも高い、お任せ冷房の28℃に設定をし直したのですが、やはり、寒いので、温度計で確認をしてみると、なんと室温は27℃のままなのです。
どうも、この機種の快適おまかせは、単なる温度設定と何ら変わらないようです。体感を29℃に上げて見ました。
・・・という事で、一日中、エアコンの温度設定と格闘している感じだよな~ぁ??
お昼の3時になる所ですが、予報では一日中雨の予報ですが、今は雨が上がっていて(予報は雨のままになっているのですが・・)公園では子供達が遊んでいます。
気温も現在は28℃と、だいぶ落ち着いて来ています。
夜は24℃まで下がる予定だそうです。
まあ、それにしても、湿度は78%と逆に上がって来ていて、ジメジメした陽気なのですがね??
夕方の5時前には、冷蔵庫の中の食料品類(お弁当類)も全部食べ終わってしまいました。この所、追加のお弁当類は殆んど持って来てはいないのでね??
勿論、乾麺類と非常食の冷凍のレトルト食品はあるのですが、流石に、それを食べる気はしません。
という事で、何年振かで、行き付けの寿司屋に、超熱燗を飲みに出掛けました。この数年の間に、殆んどの板前さんは変わってしまって、殆んどの人が見知らぬ人だったのですが、一人だけ、顔なじみの板前さんがいたので、その人の前に座って、お久し振りの超熱燗を飲みました。

7月8日verandaの物干し竿が ·

verandaの物干し竿が、工事のために、flooringの床に避難して置いてあるのだが、仕事の道具類を探す度に、足を引っ掛けてしまって、超、危ないのだ。
歳を取ると、頗る足元が見えなくなってしまうのだよ。目の前が見えていても、足元は何一つ見えていないのだ。
普段の日常の生活の中でも、足を引っ掛けて、足の爪が、全部入れ替えさせられてしまった・・という事がある。
足元は、普段の日常生活の中でも、目線の位置からは、全く見えていないので、自宅では、床になにかを置きっ放しにする事はないのだが、それでも椅子やbedの足に爪を引っ掛けてしまう事がよくあって、動線上の椅子やbedの足には、柔らかいスポンジで覆ってしまった。
それ以降は、足の爪を剥がした事はないのだが、今回は、所定の位置に置けない・・という場合の、例外的な置き場なのだ。
それでも、足を引っ掛けたり、竿に乗り上げたりする事には、変わりない。
置き場所なのだが、まあ、なんとかならんのかね??
joint部分が錆びていて、短くならないので、立てて置く事が出来ないのだよ。
なんとか頑張って、斜めに置く方法でも考えるか??
uploadしてから、2,3日が経過したのですが、朝、目が覚めて、肌寒い日が続いているので、エアコンを切って、玄関とパソコンの部屋の窓を全開に開けて、空気を入れ替えました。
その次いでに、flooringの懸案の2本の物干し竿で、小さくなる方は、立てて、玄関に置きました。
もう1本の物干し竿は、jointの部分が固まってしまっていて、何をしてもびくともしなくなっているので、flooringの壁側に立て掛けて起きました。
たった、これだけの作業が出来るtimingになるまでには、時間が掛かるのよね~ぇ??
体調や精神状態との相談なのでね??
更に日にちが経って、今日は11日の月曜日になりました。
mansionの玄関のpostにVeranda塗装工事の完了のチラシが入っていました。やっと、玄関の荷物をVerandaに戻せるよな??
取り敢えずは、物干し竿だけでも、戻しておくか??
まあ、体調次第なのだけど・・・

7月8日蚊取り線香型のお香 ·
今は7月の8日の金曜日の朝の5時半です。
エアコンの設定温度と格闘していたのですが、今の練馬区の気温は24℃・・という事で、試しに玄関から外に出て見たら、なんと肌寒いぐらいの気温です。
工事が始まる8時半ぐらいまでの間、パソコンの部屋と玄関の扉を全開にして、結構、強めの風を取り込む事にしました。
温度は爽やかで良いのですが、湿度が、なんと84%もあります。
肌寒いように感じた風が、結構、ジメジメと肌に纏わり付いて来ます。
部屋の床の絨毯が湿気っぽくなってしまうよな??
あちらを立てればこちらが立たず・・で、なかなか早々上手くは行きませんよね??
でも、エアコンの風よりはマシか??
斎藤先生が、シンナーの臭い対策にラベンダーのお香を買って来てくれました。
お線香ではなくて、アロマのお香ですよ。

しかし、香りは兎も角としても、5分ぐらいで一気に燃え尽きてしまうし、香りも弱いので、シンナー対策にはチョッと無理なようです。
長時間・・と言う事ならば、座禅用の棒typeのお線香でも、(一番長くて70分というのがありましたが、)通常は30分のようです。
タイマー代わりのお線香というのがありますが、芸子遊びの時に使用するお線香は20分と聞いた事があるのですが、私は一度も芸子と遊んだ経験は無いので未知の分野です。
しきたりも知らないし、それだけの経済力も無いので、経験をすると言う事も無いでしょうしね~ぇ??
長時間・・というだけの事ならば、渦巻状の蚊取り線香typeのお香ならば、12時間・・というのが普通なのらしいのですが、それならば、昔、私が面白半分で買った江戸時代の製法のままに作られた・・という、除虫菊だけの無添加の蚊取り線香があったのを思い出しました。
普通の一般的な蚊取り線香は、動物や金魚の傍では使えないので、殺傷能力は弱いけれど、ペットの傍でも使えるという事で、買って置いたのだけど、蚊取り線香としての殺傷力が弱いので、却下されてしまい、使わないままになっていたのだけど、お香の代わりにそれでも試して見るか??
お線香でも、渦巻typeのものが売られているようなのだけど、香りの良い物はあるのかな??
・・という事で、蚊取り線香typeの白檀の香りのするお線香を、その台と一緒に(シンナー対策の為に・・という建前で、)購入しました。
以前も、部屋の臭いが気になった時に、白檀のお香(❢)を焚いていたら、「お線香の香りがする」、と言われてしまいました。
私自身は、幼少期に本家に住んでいた頃には、普段でも、朝晩の礼拝として、仏間でお線香が焚かれていたので、日常的にお線香の匂いがしても、あまり気にはならないのですが、そういった経験の無い(日常的にお線香をあげる習慣の無い)若い世代の人達には、抹香臭くて、法事を思い出して、嫌なようですね。
私の場合には、お線香は、仏事以外にも、座禅の時等にも使用するので、結構、日常的で、心が落ち着いて、嫌な香りでは無いのですがね〜ぇ?

7月12日『毎度お馴染みの昨日のオケ練習の風景です。』 ·
日曜日の千葉のオケ練習から帰って来て、月曜日は一日中、昨日のオケと室内楽とlessonのvideoの編集作業をしました。
室内楽やlesson等も、一緒に入っていて、超、長いSDcardから、オケ練習の風景だけをpickupして、それに解説を入れてmp.4に落す作業が、結構、朝の4時、5時ぐらいから、1日掛かりで、夜の8時頃にやっと終わって、You Tubeにuploadを開始しました。
1日掛かり・・とは言っても、普段ならば、2日掛かり、3日掛かりで、練習の解説を入れる作業なのですが、1日で終わったのは、例外的な、超、早い出来上がりです。
それを限定公開で、You Tubeにuploadするのですが、ハイツのnetの環境は、以前は光fiberのcableだったのですが、Providerと喧嘩をして、解約後は逆に、通常の安い回線になったので、非常にnetの速度が遅いので、別の会社の光fiberを入れようと思ったのですが、mansionの光fiber Cableを通す管が壊れて、光のcableが通らなくなってしまったので、已む無く、遅い通常回線のままなので、dataをYou Tubeにupするのに、膨大な時間が掛かってしまいます。
勿論、時間が掛かる・・とは言っても、パソコンに付きっ切りである必要は無いので、パソコンを点けっ放しで、他の作業をしています。
通常の月曜日は、先生の帰りが遅いので、私は、椎名町へ出掛けてのドルプリっ歩と夜食はパスをして、自宅に引き籠もっているのですが、今日はlessonの都合で、先生が早く椎名町に戻って来るので、気分転換を兼ねて、食事とドルプリっ歩に付き合う事にしました。
大変長い前降りになったのですが、・・・という事で、パソコンは、You Tubeにuploadをしたままの状態で、bikeで椎名町に移動して、ドルプリっ歩と食事を済ませて、いつものcinderella-time直前には、ハイツに戻って来たのですが、突然に疲れが出てしまったので、持ち帰って来たお弁当の袋や仕事道具もtableに出しっ放しのままにして、bedに入って爆睡してしまいました。
それでも、なんだかんだで、bedに入ったのは、小一時間ぐらいは経っていて、12時半ぐらいにはなっていたのかな??
パソコンを見ると、You Tubeにuploadの終了までは、後、30分ぐらいです。
つまり、uploadに4時間半も掛かっているのだよな??
それから、爆睡をして、いつものようにtoilette-timeで起き出して、ふと、時計を見ると、なんと、未だ12時半のままです。
またまた、時間が止まっているのだよな~ぁ??
理解不能だけど、まあ、いつもの事なのだから、どうでも良いか??
後、20分でuploadが終了するので、持ち帰って来た食料品を冷蔵庫に仕舞いながら、uploadが完了するのを待ちました。
完了し終わったら、checkをしやすいように、indexを付ける作業をします。
その後も、相変わらずのエアコンと格闘しながら※)、2時間程掛かってindex付けの作業を終わりました。(indexを付けるだけならば、チョッと時間が掛かり過ぎと思われるかも知れませんが、他の雑用と一緒に作業をしているので、indexに掛かりっきりな分けではありませんので、そんなもんです。
※)エアコンの設定温度は、快適おまかせの28℃の設定です。
毎度おなじみの昨日のオケ練習の風景ですし、相変わらずのこのPageからの限定公開です。
毎回、同じ練習の繰り返し・・のハズなので、最初の予定では、練習の一回だけを、sampleとしてuploadして、それ以降の練習風景のuploadはしない予定だったのだけど、子供達が上達して行く水準に合わせて、より高度な技術を、lectureをして行くので、新しくlectureした内容だけを、上書きするように、videoを編集して必要最小限にuploadしようと思ったのですが、実際に、そう言うconceptでvideoの編集作業に入って見ると、とてつもなく面倒な作業で、一週間掛かっても編集が終わらない事に気付きました。
「これは、とても無理•••❢❢」という事で、オケ練習がなるべくタイムリーで見れるように、uploadの早さを優先する事にして、結局、毎回、その週のオケ練習のvideoをそのまま、uploadをしてしまう事にしてしまいました。
今回の練習videoでの、新しい内容は、今までlesson時間の関係で、私がオケ練習を見る事が無かったVivaldi Violin und Organ Concerto RV541d mollⅠ楽章を、昨日は、checkしたので、その曲の練習からuploadしています。
この曲は私としては結構好きな曲で、わたくし的には、なんでもない簡単な曲のように思えるのですが、結構、veteranの生徒達でも、入りのtimingを間違えてしまうので、不思議なのですよ??
どこが紛らわしいのかな~ぁ??
全て、Vivaldiの作曲法のtheoryのままの作りなのだけどね~ぇ??
芦塚音楽千葉教室 22年7月10日のオケ練習Cスケ練習風景
このdmollは、意外と入りが難しいのです。リトルネルロの同じはずのテーマも、毎回繰り返しの数が違うし、ソロの入りはorganソロがフレーズを弾き終わらないうちにヴァイオリンソロが重なるように入ってきて、意表をつかれます。まあ、そこが絶妙に美しいのですが・・・・・。今回この曲にはこのビデオのメンバーにプラス初オケの初心者も数名入ってくる予定で、更に本番は助っ人のベテランも数名入る予定で、最終的にどんな仕上がりになるか未知数な曲です。

7月12日この所、非常に入眠が上手く行って ·
この所、非常に入眠が上手く行って、良好な日常生活をも送っていたのだが、昨晩のtime-warpをしてから、体内時計が全く狂ってしまって、一度、cinderella-time過ぎに入眠して、timewarpのtoilet-timeに起き出してからは、寝逸(はぐ)れてしまった。
その後も何度か入眠を試みたのだが、上手く行かなくて、諦めてパソコンで雑用を片付けていたら、椅子に座ったままで、夢を見ていた。
江古田の駅から電車に乗って、家に帰ろうとしていたのだが、間違えて別の路線の電車に乗ってしまって、慌てて次の駅で降りようとしたのだが、ドアの前に立った時に、閉まってしまった。横の運転手が「降りるか?」と、聞いて来たのだが、「次の駅で良いです」と言って、見知らぬ車窓からの景色を見ていた。やがて、見知らぬ駅に着いて、電車を降りようとする所で、目が覚めた。
時間を見ると、小一時間程は椅子の上で寝ていたらしい。
それからも、何度か入眠を試みて、10時半ぐらいには、なんとか入眠出来たのだが、更にtoilette-timeに起き出して、時計を見ると、1時で止まっていた・・・、と思ったのだが、マジにお昼の1時だったのだよな~ぁ??
この時には、もう体内時計はぐちゃぐちゃで、時間の概念は無くなっていた。
冷房も29℃を設定しているのに、冷え過ぎるので、パソコンの部屋と寝室の部屋のエアコンを止めて、熱中症覚悟で寝直した。
更に、頑張って寝て、夢を見ていたのだけど、相変わらず、自分の人生を悔いている夢であった。
更に目が覚めて、時計を見たら夕方の4時になる所であった。
幾ら何でも、昨晩からの摂眠は、加算でも、これで充分だろう。
・・という事で、手の甲を見たのだが、未だ、疲れの残っている表情だった。まあ、一日の睡眠では無理かな??一週間前の月曜日の睡眠では、一日だけでも上手く行ったのだけどな~ぁ??
今回は、入眠の失敗で、良眠が上手く取れ無かった・・という事なのだよな~ぁ??そうすると、幾ら寝ても、疲れが取れないのだよ。
明日は3ヶ月振りの歯医者だ❢忘れないようにしないとな~ぁ??
椎名町の水道工事のゴタゴタとダブって来るので、時間がdouble-bookingになりそうだよな~ぁ??
車を避難させなければならないのだが、どうしよう??状況が全く分からないので、避難のしようが無いのだよな~ぁ??

7月13日変な夢を見て目が覚めた ·
7月13日の水曜日の午前の4時である。変な夢を見たので、目が覚めてしまったのだが、次いでに、toilette-timeに起き出した所である。
変な夢なのだが、仕事仲間や長崎の家族と、巨大な料理店に行ってて、案内された部屋なのだが、木の階段を登って行くと、天井が狭くなって登れなくなってしまった。一段降りると、そこの天井に上半身だけがなんとかギリギリ入る入口があって、そこから狭い方丈の間のような茶室に入れるのだ。
所謂、横からのにじり口ではなく、上に向かった躙り口なのだ。両手でなんとか腰までを持ち上げたのだが、体が重くてそれ以上はとても無理・・と思ったのだが、足先に触れるものに指先を置いて、体をくねらせて、なんとか部屋に潜り込んだ。
夢なのに、体が・・というか、心臓が疲れたよ。
toiletteから戻っても、心臓の調子が悪くて、眠る気にならなかったのだよ。
昨晩の摂眠障害が未だ続いているのかな??
外は相も変わらず、強い雨が降り続いている。
湿度も高いし、部屋に居ても鬱陶しいのだよ。
雨の中を朝っ歩にでも出掛けるか??
その準備をしながら、You Tubeで音楽を聴いていたら、いつの間にか椅子に座ったまま、小一時間程眠ってしまったよ。
これは、幸いと、そのままbedで寝てしまった。
10時を過ぎた頃に目が覚めたのだけど、日曜日のオケ練習の後で、椎名町に到着した時に、車から降りる時に、塀のconcreteのedgeに足の脛をぶつけてしまったのだが、昨晩辺りから、熱を持って来て痛くなって来た。糖尿病だと、そういった打ち身のような箇所が治り難くなってしまうのだよな~ぁ??
教室の発表会のvideoをVHSからDVDに焼き直すために、古いPanasonicのVHSvideodeckを買って、videoの状態のcheckのために、寝室のテレビに接続させているのだが(テレビのrackの開きspaceが無いために)、deckに表示されている現在時刻が2時間以上も遅れて表示されているので、気になって何度か修正をしようと試みたのだが、挫折していたのだが、昨晩は眠れないままに、video-deckの型番を写真に取って、朝、取説をdown
loadして、時計の時間の設定を直した。
取説があると、超、簡単だったのだが、当てずっぽうでvideo−deckの時間を修正するのは、やはり、無理だったのだよな~ぁ??
まあ、そりゃあ、そうだよな??
小一時間程、色々な仕事を片付けていたら、またまた、椅子に座ったままで爆睡していたので、慌ててBedに戻って寝た。お昼の1時半なのだが、未だ眠たいのだ❢
それから更に、またまた眠ってしまって、今度はお昼の3時に起床をした。
今日は歯医者があるので、今度は真面目に起き出して、歯医者に行く準備を始める事にする。
今日なすべきroutineが未だ何一つなされていないからだ。
歯医者に出掛けるまでに全てを終わらせるとなると、結構忙しい❢
こういう時には、手順に従って、丁寧に熟さないと、取り残しをしてしまうのだよな??

7月15日『凄い雨が降り続いています。 寒い❢❢』 ·
今は7月14日の深夜の3時になろうとする所です。
昨夜は12時直前にハイツに戻って来て、持って帰って来たお弁当類の整理をしていたのですが、いつの間にか椅子に座ったままで、爆睡をしていました。
慌ててBedに入って、眠ったのですが、直ぐに夢を見て起きてしまいました。
次いでにtoiletに行って、また寝たのですが、またまた夢を見て起きてしまいました。
僅か2時間の間に、3回も眠り直しているのですよ。
典型的な頻眠の悪い睡眠の例です。
その後も、5時に起きて•••とか、9時に起きて••とかの頻眠を繰り返しています。
何度起きて、幾つ夢を見たのだろうか?
思い出す事さえ面倒くさくなって来てしまいました。
それにしても、昨晩から降り続いている雨は激しさが衰えません。
湿度も終に、94%を越えました。
室温は24℃はあるようなのですが、coolerでは流石に、30℃に設定をしても寒いのだよ。
coolerを諦めて、お久し振りで、コンビニ・cooler(所謂、除湿機)に働いて貰う事にしました。冷風と温風でプラマイ2℃ぐらいは室内の温度が上がるからです。coolerを切っても寒い時には、除湿機に限るのだよ。
お昼になったので、普通に仕事modeに入ろうと思ったのだけど、頭痛が酷くて、熱を測ったのだけど、熱は正常でありません。
coolerがやはり体に合わなくて、体調不良のようです。
2時、3時頃になったら、疲れてしまって、またまた、椅子に座ったままで、寝てしまったので、諦めて、もう一度bedに入って寝ました。コンビニ・coolerをやめて、通常のcoolerに変えて、空調をする事にしました。結構、2時間近くは、爆睡出来て、4時過ぎに目が覚めました。お昼頃には、雨が落ち着いていたと思ったけれど、またまた、酷く降り続いています。

7月16日『郵便物の配達のお話』 ·
今日は、後期高齢者医療被保険者証の再配達が12時から2時にあるという事で、その時間は待機しておかなければならないのだが、10時を過ぎた頃からとても眠たくなって来て、携帯のtimerを掛けて寝てしまった。
12時にはちゃんとtimerで目が覚めて、起きて待っていたのだが、2時まで待っても来ない。
『interphoneのお話』
そもそも、郵便物をpostに投函されるのは、やぶさかでないのだが、部屋の玄関での受け取りは、chime(チャイム)がflooringで鳴るので、隣の部屋ですら、聞き取れないのだ。
故障中のsealを貼って、扉を強めにknockするように書いているのだが、郵便局員の配達に限っては、今回もchimeしか押さないのだよ。
だから、郵便物に限らず、ハンコの必要は物は全部、配送元に戻ってしまうのだ。
勿論、部屋を購入して間もない時にも、電器屋に音量を大きくするか、別の部屋でも鳴るようにするかを頼んだ事があるのだが、当時は、電話にinterphoneを取り付けるtypeしか無くて、しかも、電話を引いていないので、「出来ない」という結論になったのだよ。
今は昔、生徒の一人が「和声の勉強をしたい!」と申し出てくれたので、和声のlessonのために、毎週千葉に通うのは、体調的に無理だったので、彼女の家のFaxと私の自宅をFaxで結んで、lessonが出来るように、J-comのProviderの契約の時に、sub契約に電話を申し込んだのだけど、その生徒も最初のstepの最後のPageを残したままで、教室をやめてしまったので、和声学のlessonをする生徒が一人もいなくなってしまって、Faxを使う必要が無くなってしまった。
そもそも私に取っては、電話で人と直接お話をする事は、とても苦手で苦痛だし、それに、連絡は全てlineで済ませているので、私に掛かって来る電話は全て宣伝か、宣伝のFaxだけなので、電話は今は切ってしまっているのだ。
電話機もあるし、Faxにも接続はさせているのだが、実際には電話は死んでいるのだよ。(FaxもChordは接続させているのだが、電話自体は切っているのだ。)
『chimeのswitchにsealを貼って、扉をknockするように書いているのに・・』
今日は後期高齢者被保険者証の配達が、戻ってしまったので、被保険者証を受け取るために玄関と食堂のdoorを開いたままで、椅子に座ったままで、待っていたのだが、睡魔が襲って来て、2時直前には椅子に座ったままで、眠ってしまった。
しかし、扉を開けていたので、なんとかchimeの音が聴こえたので、起き出して封筒を受け取る事が出来たのだが、なんと、2時半を過ぎていたよ。
「遅くなってすみません。」と言っていたのだけど、それは良いとしても、玄関の呼び鈴の所に、sealを貼っていて、knockするように書いているのに、なんで、それでもchimeなのだよ。
郵便配達員達はいつもそうだ。
『後期高齢者被保険者証のお話』
それも呆れてしまったのだが、それ以上に、被保険者証を直ぐに開封して見て、これは驚いたよね???
なんと、有効期限が8月の1日から9月の30日までの2ヶ月間だけなのだよ。
10月には次の被保険者証が届くのだそうな??
お役所仕事とは言え、なんと費用と労働力の無駄だよな~ぁ??なんで一度で済ませないのだろうか??
たった、2ヶ月の話で、またまた、膨大な封筒や資料を作成して郵送するのだよ。
保険の事務を熟す作業も大変だろうし、配達する郵便局や、受け取る側だって、一手間だし、それなりの膨大な費用も掛かる。
それも税金だよな??
時間の無駄をさせられて、頭に来たのだけど、またぞろ、疲れが出て来て眠たくなったので、bedに行って爆睡した。
今度は、夕方の6時まで熟睡出来たぞい??
『大雨のお話』
雨が降り止んでいたので、bikeで椎名町に出掛けたら、途中から降り出して結構大雨になってしまった。
食事を済ませて、ドルプリっ歩に出ようと思ったら、今度は土砂降りだ。
今夜は流石のプリプリ大明神のご利益も届かなかったようだ。ドルは絶対に行かないというので、後でチャリでガード下まで行って、ガード下をお散歩する事にして、プリだけを土砂降りの中で「※※っ歩」を済ませた。
土砂降りの中をrain-suitの完全武装で、ハイツに戻ったのだが、途中から小降りになって、ハイツに着く頃には、雨はやんでいたよ。なんだろうねぇ??朝から・・というか、昨日からのこの降ったりやんだりの荒れ模様は・・

7月18日powerdirecterが壊れて ·
昨晩は千葉教室のオケ練習が終わってから、ハイツの自宅に帰り着いたのは、深夜の1時を過ぎていました。
超、疲れていたのですが、パソコンにvideoのdataを取り込む所までが、とても時間が掛かるので、その作業を眠っている間に済ませて、videoの編集の作業は、明日の朝一番に、起きてから編集の作業をしよう・・と思って、その下準備の作業として、videoのdataをパソコンに取り込んで、powerdirecterを開いて、保存をしておこう・・と思ったのですが、なんと、powerdirecterが壊れて開かなくなっていました。
眠たいし、疲れたのをなんとか堪えながら、powerdirecterの修理を試みたのですが、私が出来る事を何度か試みたのですが、私の手に負えない故障である事が分かりました。
・・という事で、時間を優先する事にして、外注で、powerdirecterを修理して貰ってから、videoのuploadをしようとも、思ったのですが、通常のオケ練習のvideoの前に撮影されている、Bachのcantataの練習が来週の日曜日が、夏の「おさらい会」の本番らしいので、この一週間の間に自宅で練習出来るように・・・という事で、ensembleの曲であるBachのcantataの曲「目覚めよ❢と呼ぶ声あり」は、「至急必要だ❢」・・という事らしいので、已む無く、subとしてパソコンの中に常駐している無料のsoftであるfreemake-video-converterを使用して、取り敢えずの編集をして、dataを椎名町の事務所に送りました。
その次いでに「オケ練習の風景」もfreemakeで編集をして、You Tubeにuploadしました。
勿論、練習風景なので、一般公開はしていません。
このURLからのみの限定公開になります。
瑞希ちゃんのVieuxtempsとFaure の智子ちゃんとの合わせのlecture-lesson風景も、その次いでにtrimmingを済ませたのだけど、これ等はuploadはしていませんが、そこまでの編集の作業を深夜の1時過ぎから朝まで掛かってやってしまいました。
それにしても、日曜日のオケ練習は、超、疲れて、帰りの車を走らせるのも大変だったので、本当は、夜食抜きで、ハイツに直接、戻って、大急ぎで寝ようと思っていたのだけど、「SDcardを千葉に持って行くのを忘れた❢」という事で、video-cameraの本体から、急遽、SDcardにcopyをする作業をしていたので、videoのSDcardへの取り込みの作業が終わるまで、仕方なく・・、なんとか食事まで済ませて、videoのdataを貰ってから、ハイツに戻りました。
『以降は月曜日の朝からのお話です。』
という事なので、ハイツ着が深夜の1時過ぎになったのですが、持ち帰って来たお弁当や楽譜類を片付けながら、その勢いで、次の日が楽なように、「時間の掛かる『取り込み作業』だけを終わらせておこう!」と、思って、2,30分程度を頑張ろう・・と思ったらpowerdirecterの故障に気が付いて、結局、そえがtraumaになってしまって、何度もbedで眠ろうと試みたのだけど、目が冴えてしまって、朝まで眠れなくなってしまっていました。
powerdirecterの再installが、「手に負えない」と判断出来た次点で、パソコンのRemoteの修理業者の人へのmailを書いたのですが、流石に、深夜の2時~4時では、lineを送るのが気が引けたので、朝の7時を過ぎるまで、lineの送信を止めて起きました。
朝の9時半には、早速返信が来て、remoteの作業に入ったのですが、powerdirecterを再installが完了するまでの1時間半も掛かったのだよな~ぁ??
それでも午前中の11時には、powerdirecter18の再installが終わって、普通にpowerdirecterが使えるようになったのだよ。
腹減ったので、持ち帰りのお弁当の中から、なんとか食べれる物をchoiceして、お腹に入れて、やっとbedに戻ったのだよな~ぁ❢❢
何度か、toilette-timeに起き出しはしたのだけど、それでも一日中、爆睡していたのだよな~ぁ??
今日は冷蔵庫の中の有り合わせの食料を食べる事にして、椎名町の移動は無しにして、ハイツに引き籠もってウダウダとする事にします。
斉藤先生も進路相談とかで、帰りが遅くなってしまうので、ドルプリっ歩だけで精一杯なのでね??(そう言えば、世間は3連休なのだよね??教室は関係無いけれど・・・)
・・で、時間と日常がめちゃめちゃになった月曜日が終わります。アハッ!
まあ、毎週、月曜日は何かを出来るとは期待していないからね??
日曜日のリハビリで終わってしまうのが普通のrotationだからね??

7月20日なんとまあ~、 ·
なんとまあ、今日は7月20日の水曜日になった所です。
「なんとまあ~、」の意味はそもそも日曜日は余り体調が良くなかったので、「お休みもありかな?」とは思ったのだけど、色々とtime-limitが近づいていたので、少々、無理をして、オケ練習とlessonに千葉まで出掛けました。
オケ練習は定時にちゃんと終わったのだけど、伴奏合わせのlecturelessonが長引いて、ハイツへの帰りが深夜の1時と、超、遅くなってしまったので、月曜日の作業の下準備だけを済ませてから眠ろうと思って、videoをパソコンに取り込み始めたのですが、powerdirecterが壊れていて、何処がどういう風に壊れたのか??・・と、checkをしていたら、なんだかんだで、結局、殆ど眠れないままに、お昼過ぎまでパソコンとbedを往復してしまいました。(パソコンの事は、放って置いて、先ずは睡眠から・・と、何度もchallengeしたのだけど、疲れは頂点に達しているのに、逆に目が冴えてしまって、眠れなくなってしまったのですよ。)
・・という事で、powerdirecterの修理を、remoteの外注にお願いして、なんとか11時頃には、修理が終わったのだけど、それ以降は、逆に、お昼からは、一日中、bedから起き出せなくなってしまって、次の火曜日も丸々、仕事にならない一日を過ごしてしまいました。
・・とは言っても、そう言ったrotationが、この所の恒例になっているような気がしますがね~ぇ??
もう、既に、火曜日が終わって、水曜日を迎えた所なのだけど、それでも未だ、体調が戻りそうにないのだよね~ぇ??
これは困った❢❢
という前振りが、「なんとまあ〜、」の意味です。
20日の深夜は、眠れないままに、パソコンの前に座ってウダウダしていたのですが、4時頃になって、やっと眠気を模様したので、エアコンの冷房を全部の部屋を切って、汗疹覚悟でbedに入りました。
随分昔に亡くなった祖母と一緒に、車でHotelに行って、シャコの刺し身を美味しく食べている所で目が覚めました。朝の6時になっていたよ。睡眠時間は短いけれど、体重も減って(正常に近づいて・・)、少し元気な気分で目が覚めました。夢は見たのだけれど、やっと、良眠が取れたようです。

7月21日夢の中のお話 ·
これは夢の中のお話で、現実では無いし、ましてや、学術論文でもありません。単なる夢の中のお話に過ぎません。という事で・・
どこの国のお話とは言いませんが、そびえる山脈に阻まれて、国の歴史・・言い換えると政治の歴史は、その山脈を堺にして分断されていたと学んで来ました。
或る時に、世界の民族音楽の旅の放送を見ていた時に、舞曲がその山脈を越えて隣の国でも、同じ舞りや、曲の持つrhythm、或いは踊りの時の衣装が伝承されているのを見て、驚いてしまいました。
政治の歴史認識とは違っていて、踊りや舞曲の独特のrhythmは、その山脈を越えていて、隣の国との数多くの類似点を持っていたのですよ。
つまり、『舞曲は、歴史をも凌駕する』という事なのです。
古い時代に軍隊を阻んだ山脈をも、舞曲は軽々と越えていたのですよ。
しかし、その舞曲ですら、越える事の出来なかった国があります。
それは、大きな海を背にした日本なのです。
日本には舞曲の歴史がありません。
日本の音楽史には、不思議な事に、3拍子が無いのです。
日本の盆踊りも、櫓を組んで櫓の周りを回る踊りなのですが、それはpairを組んで二人で踊る舞曲ではなくて、独りで歩くMarchの動きであって、所謂、行進なので、2拍子の曲なのですよ。
日本では、pairは二人ではなくて、一人なのですよ。
所謂、夫唱婦随の概念です。
そこが日本の女性の社会進出が遅れて、未だに、世界経済フォーラムが発表した2019年の「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は153カ国のうち121位となり、前年の110位からさらに後退した本来の理由なのですよ。先進国の内でも、この問題だけは常に日本は世界最下位になっているのですが、それは日本の女性の多くがそれを望んでいるからに他なりません。
多くの日本女性が望んでいるのならば、私はそれ以上は、語る事はしません。家庭の問題は夫婦間の問題であるからです。

7月21日良眠と惰眠 ·
やっと、良眠が取れたと思ったのだが、次の日の今日、(21日の木曜日なのだが、)一日中ウダウダと惰眠を貪る生産性の無い全く無駄な1日となってしまった。
体調不良のrehabilitationであるとするのならば、それでも未だ、意味のある一日であるのだが、一日中を眠っていたのにも関わらず、変な夢を連続で見続けるだけの体調の戻らないままの、非生産的な一日であった。
夢の話は、若い私の妹か弟子かよく分からない人物から、「知り合ったばかりの女の子と会ってくれ」と頼まれて、不思議な事に合う事になる。会って見ると、髪はボサボサで、常に下を見ている子で、表情が読み取れないのだよ。妹と思しき子と、3人で話をしながら、駅の傍の踏切を渡ろうとすると、凄い人混みで、逸れてしまう。
陸橋から下の道を見ると、大学の方に歩いて行く若者達の人混みに呑まれて、群れて歩いて行く彼女を妹と思しき女の子が見つける。
慌てて、彼女は、呼びかけるのだが当然聴こえない。
「連れて来い❢俺は**で待っている」と落ち合う場所を決めて、彼女と分かれる。そこで目が覚めたのだよ。
storyとしては、それだけの単純な話なのだが、実際の夢では、その一つひとつに、心の分析的な内容が伴って、彼女の心の闇を抉って行く心理的なdramaになっているのだ。ボサボサ頭で、身なりも構わないし、常にうつむき加減で目を合わせようともしない彼女は、どういったtraumaを抱えているのだろうか??それを言葉ではお喋りが出来ない彼女に対して、body-Speakingとして会話をしようとする。つまり、一挙手一投足に注意をして、彼女の心の内を探って行くというTechnikである。
だから、夢とは言っても結構疲れる。しかも、それが夢であって、それを見ている事を知っている自分さえも居て、話は複雑怪奇な物になっているのだ。
これじゃあ、幾ら爆睡しても疲れは取れないハズだよな??プリプリの伊勢海老が美味しかった・・という夢の方が良い夢だよな??

7月22日音楽の基礎力 ·
音楽の勉強に行き詰まって、楽器を学ぶ事を諦める人達が多い中でも、どうしても、音楽を学ぶ事を、諦め切れずに教室を訪れて来る人達がいます。
その殆どの人達が、行き詰まってしまう共通の原因を持っている事は、私達にとっては驚くべき事なのです。
その共通する音楽の勉強に行き詰まる原因は、その多くの人達が、演奏の技術のみを学んで、『音楽の基礎力』を学んでいない事なのです。
指の訓練や練習だけでは、いずれ行き詰まってしまう事は目に見えています。
しかし、日本中の音楽の指導者達の多くが楽器を演奏する技術さえ指導すれば、生徒達が『音楽を上手に演奏出来るようになる』と勘違いをしているのです。
子供達の中には、中、高生になって、非常に高度なlevelの曲を弾き熟すようになっても、独りでは譜読みが全くと言って良い程に、出来ていない人達が数多く見受けられます。
驚くなかれ、そういった人達は、音楽の専門家であるはずの、音大生にも数多く見つける事が出来るのですよ。
音大に行きながらでも、超、簡単な初心者用の曲ですら、譜読みをする事も、指使いを付ける事も、曲のinterpretationすらも、先生にも頼って、一人では何一つ出来ない音大生すらいるのです。
そういった人達が音楽の指導者になって、生徒達を指導します。
それこそ日本の誤った音楽教育の無限loopなのです。
そういった先生からの指導を受けて来た生徒達が、それまでは、親が必死にback・upをして来たのに、その親の限界を越えた段階で、自分の子供をどうして良いのか分からなくなって、教室を訪れます。
子供だけではなく、親も大変な努力を費やして来た結果の行き詰まりなのです。
音楽の基礎力とは読譜力と勘違いされる事も多いのですが、読譜力だけが基礎力ではありません。
音を聴く力、所謂、聴音力や、譜面を見てその曲をimageする読譜力、それらを勉強するためのcurriculumであるSolfègeがあります。
音楽大学の受験を目指す学生さん達は、Solfègeの一貫として、旋律(melodie)聴音や、和音の聴音、rhythmの聴音等々の色々な書取を学んでいるのですが、それは飽く迄も、受験という名の勉強に過ぎないので、実際の曲の中で、必要なpassageを書き取りをさせると、全く出来なくなってしまいます。
音大受験の為の勉強は、実際の音楽の勉強には何一つ役に立たない机上の空論であり、机上の理論にしか過ぎないのです。まあ、それは別に音楽に限った話ではないのでしょうがね??
勿論、芦塚音楽研究所と言えど、単なる巷の音楽教室に過ぎないので、音楽大学を受験する事を希望する生徒達には、この机上の空論に過ぎないSolfègeや楽典等のlessonも、指導のcurriculumには入っています。(勿論、そう言ったcurriculumは、芦塚methodeの中には、入っていません。芦塚methodeは実践的なmethodeなので、一般のmethodeを持って芦塚methodeとは言わないのです。)
ここで、よく勘違いをされる事は、methodeとは道具を指すものではなく、その使用法を指すのです。つまり、芦塚methodeを指導する時に、一般にそういった道具が売ってあれば、敢えて教室でその道具を制作はしない・・という事です。しかし、その道具の使用方法は一般の使用方法とは全く違います。
それがmethodeなのですからね。
本当の意味での聴音力とは、今、流れている曲を譜面に書き取る力を指します。
読譜力とは、orchestraのscoreを読んで、orchestraの曲が頭の中に流れて来るようにする事です。
当然、Pianoの曲やViolinの曲等も、楽譜を見て、音楽が耳の中に流れて来なければなりません。「小説を読むように、scoreを読んで音楽が聴こえて来なけれならない。」というのは、Saint-Saënsの言葉です。私自身は高校生の3年生になってから、音楽の勉強を始めましたが、それでも、20代の後半ぐらいには、BeethovenやBrahmsのorchestraのscoreぐらいは、scoreを読んで音が聴こえるようになりました。楽譜屋に行って、子供達のオケの曲を探す時も、始めてPianoの曲を生徒達が持って来て指導を乞う時も、この読譜能力が役に立っています。まあ、作曲家なのだから、当たり前か???
私のmethodeでは、和音訓練は長三和音と短三和音と減三和音と増三和音の練習はしません。55通りの2和音と、650種類の三和音の訓練を、一定のcurriculumに従ってします。
rhythmの訓練も同様です。一個一個のrhythmを書き取るのではなく、4分音符単位のrhythmを書き取るのです。それを2等分と3等分のrhythmで練習します。
音を取る練習は、演奏会高度に従って、倍音の比ではなく、自然対数のeに従った、開かれた音程でpitchを取ります。所謂、solo-pitchです。
440cycleのoctave上の音は、880cycleではありませんし、440cycleのoctaveしたのpitchも220では無いのです。
そう言ったensembleの基礎知識を小学生の低学年の内から学べば、基礎力は自然に身に付きます。
VivaldiのConcerto等では、小学生の間から、純正調の響きの練習をして、baroque時代や古典派の時代特有のperiod奏法を勉強します。
一般には音大を卒業した人達にさえも難しい奏法だとされるのですが、古典文学を研究する分けではありません。古典の文学では、現代の言葉や文法と中、高生で学ぶ古典文学とは、掛け離れています。私でしたら、先に明治時代の文学や、江戸時代の文学から始めます。そうすると、殆んど辞書無しでも読み切る事が出来るからです。
しかし音楽の歴史では、baroque様式の音楽の方が、音楽の構成も、和声法も音楽の展開の仕方もprimitiveです。
使用される演奏の技術も同じ様にprimitiveなのです。(これは誤解を招くかも知れませんので、補足説明が必要かも知れません。一般的にbaroque音楽と言われている音楽は、baroque風の音楽であって、baroque音楽ではありません。本当のbaroque音楽は、period音楽に分類される音楽になります。)
弦楽器の歴史はViolin属が誕生してから、その演奏技法、演奏技術が生まれたのです。
ですから、rootsを知れば、近現代の弦楽器の奏法は簡単で、根源的なのです。
近現代の高度な演奏技術は、baroqueの演奏法から派生した技術に過ぎないからです。
「Hindemithの無伴奏Violaの曲を見て欲しい」と言われた事があります。私に取っては、StravinskyやHindemithの作品をinterpretationする事は意図も簡単です。baroque時代のBachの無伴奏やBeethovenの時代の古典派のSonateの方がよっぽど、複雑で難しいのです。近現代の作品は音が鋭いだけで、音楽的な構成は簡単なのだから、演奏のinterpretationも簡単なのですよ。StravinskyもBartokもrootsは基本に忠実に守って作曲をしているのですからね??
ただ、polytonalやpolyrhythm等の表現方法が多様なだけなのですよ。
演奏法は、その時代の様式で異なります。音楽史は、その演奏法の奏き分けをする時に重要な意味を締めます。
TourteとVottiがmodern-bowを一般に広げた時代は、Pianoもforte-pianoから、double actionの現代のPianoに変わった時代でもあります。つまり、Tourte以降は、音楽の様式が全く変わってしまうのですよ。
しかし、不思議な事に、Beethovenはforte-pianoの人なのです。
double actionのPianoを弾いて、「こんなPianoの為だったら、二度とPianoの曲は書かない!」と癇癪を起こした人だからです。
Chopinは19世紀の後半まで生きていた人なのだけど、死ぬまでforte-pianoを手放さなかった人です。だから、ChopinのPianoの音は、現代のPianoの音ではありません。
子供の間から、基礎力を持って練習をすれば、音楽の技術的に行き詰まる事はありません。
広い視野で音楽にapproachする事が出来るからです。
rhythm、音程練習、移調練習、楽曲分析、音楽理論、音楽史》と多岐に渡り音楽家が身につけるべき真の教養を目指す。譜面があり演奏ができ、尚且つ楽曲の構造や移調を学ぶ事により作曲家levelの理解をした音楽家を教育する手法と言えます。

7月22日眠れなくなったので、仕事が捗った ·
昨日の夜から、どういう分けか、全く眠れなくなってしまった。(7月23日の土曜日の話しです。)
もう既に夕方の5時になるのに、未だ眠れないのだよ?
18時間近くなってしまうよな〜?
これは困った❢
•••眠れなくって、Bedとパソコンの椅子を往復した•••と言う事なので、金曜日から始めたhomepageのrecoveryの作業はかなり進んだ❢❢
4年間もぶっ飛んだままで、手を付ける事を全くしないままに、放置していたBachのinventionenとsymphonienのPageなのだが、inventionの第1番のAnalyseのPageを追記して、更に、構造分析のPageを作っている所なのだ。
眠れない以上に、何もしていないと、鬱が酷くなるので、「普段ならば絶対にやらない作業をすると良いのだ」という事で、絶対にやりたくない作業として、BachのinventionとsinfoniaのPageの修復の作業を始めたのだよ。
inventionとSinfoniaは、私が未だ、生徒を直接指導していた時に、lessonをしている時に、気が付いた事を、その都度、覚え書きのように書いていたので、かなり膨大なPageだったのだが、2018年に、homepageをぶっ飛ばしてしまった頃には、既に、私は、pianoの生徒を指導していなかったので、inventionやSinfoniaを直接、生徒達に指導、lectureしながら、折に触れて、homepageをrecoveryして行く事が、今は出来ないのです。
こういった難解な論文のような文章は、研究論文としての資料だけで、inventionやsinfoniaのPageを復活させるのは、とても負担が大きく、体調的にも、無理だと思っていたので、放置していたのだ。
確かに、文章として書くと、endlessの膨大なPage数になってしまうのだけど、ふと、文章ではなくて、You Tubeの動画として、曲毎に、lecture-lessonとしてinventionやsinfoniaの解説のlessonを再現すれば、それは可能かも・・と思い立った。
しかし、その撮影をする為の部屋のspaceも無いし、撮影用に、衣装を一々着替えるのも、面倒くさい。
それこそ、avatarにでも喋らせれば良いのだが、今はYou Tubeにavatarは無くなってしまったのだよな??
昔は、自分のavatarを作るsoftがYou Tubeに付いていたのだが、あまりにも、似ていなかったので、一度も使わないままに、そのsoftはいつの間にか無くなってしまったよ。
昨夜の7月の23日の土曜日の夜までには、なんとかinventionとsinfoniaのPageを完成させた。
勿論、完全な完成とは言えないのだが、取り敢えずは、「人に読んで貰える程度までは、出来た」•••という意味ではあるのだがね?

7月25日overdose ·
今日は7月の25日の月曜日です。相も変わらない貫徹の日曜日のオケ練習が終わって、最後のlessonが終わって、面談が終わって、椎名町になんと深夜の2時を過ぎていました。
二日以上の貫徹になってしまったので、ハイツの椅子に座ったままで、眠る為に、Bedまで行く事が出来ないままに、なすべき事が出来ないままに、呆然と座ったままの姿勢で、時の流れに身を委ねていました。
とは言っても、日曜日のvideoをパソコンに取り込んで、保存用にBlu-rayに焼いたり・・、オケ練習の風景にTelopで説明を入れたり、更に、lessonのvideoをオケ練習を分けて、オケ練習風景のvideoを8時間近く掛かって、You Tubeにuploadしたり・・という作業を、意識朦朧状態で取り敢えず済ませてしまいました。
なんとか、意識が自分の元に帰って来たのは、月曜日も、もう夕方の5時を過ぎた頃だったのですが、その5時頃のチョッと前に、寝室の窓の外が何やらガヤガヤとざわついていたので、「もしや・・??」と思って、食堂へ行ってBlindを開いて見たら、窓の直ぐ前にあった巨大エアコンの室外機が、寝室の前の小さなVerandaの元の台座の上に戻っていました。
・・と言う事は、先程の大騒ぎは、エアコンが動いたままの状態で戻した・・と言う事だったのだよね~ぇ??
それは悪い事をしました。
爆睡していたので、気が付きませんでした。アハッ!
・・と言う事で、今日の練馬区の気温は、36℃でした。
勿論、東京の気温ではありませんヨ❢❢
あくまでも、練馬区の気温なのですからね??
結構、冷房を入れたままで、眠っていたのですが、喉が痛くて、熱っぽいので薬を飲む予定です。
昨日のオケ練習の後なので、コロナじゃあ、ないよね~ぇ??
否、いつものジキニンで痛みが取れれば、通常の冷房病です。
一包では、効き目が弱いので、一包半飲む事にします。医者からは、体重からは、二包を飲むと良い・・と言われているので、自分勝手に量を増やしているのではなく、ちゃんと、医者の指示でそうしているので、悪しからず・・

7月26日 ·
7月の26日の火曜日になった所です。
一昨日の日曜日のオケ練習は、48時間以上も起きていたので、大バテだったのですが、その後での瑞希ちゃんのlessonと、最後のrehearsal を兼ねて、通しの演奏をして、それから面談をして、ドルプリっ歩をしたので、椎名町到着が1時過ぎて、ハイツに到着したのは、2時を過ぎてしまいましたが、それでも上手く入眠が出来ず、椅子とbedの往復になってしまいました。
眠れぬ時には、眠れぬままにSDcardから練習のvideoをパソコンに取り込んで、オケ練習の部分だけをtrimmingして、それにTelopのcomment、所謂、解説を入れて行きました。
Telop入れ、解説のcommentを入れる事は、大変な時間が掛かります。と言う事なので、今回は、BachのⅢ楽章に重心を置いて作ったので、la foliaにはTelopは入れていません。
瑞希は明日が本番なので、最後のlessonと、お客様が見えていたので、被害者を募って、本番に向けての心得を兼ねて、mini-rehearsalをしてから、それから面談をして、ドルプリっ歩をして、更に、椎名町への移動をしたので、ハイツに戻ったのは2時過ぎになってしまったというお話です。アハッ!(途中から文章がlooopしているのは単なる冗談の悪ふざけの、意図・・です。 )
と言う事で、月曜日の夜には、オケ練習のvideoをupする事は出来たのですが、瑞希のlessonやmini-rehearsal のvideoの編集も平行でやっていたし、本番のvideoもギガ便で送られて来て、そのvideoの演奏のcheckもしていたので、オケ練習の動画のuploadがすっかり遅くなってしまいました。
ああ、勿論、いつも言っている事なのですが、練習風景は限定公開なので、このYou TubeのURLからしか見る事は出来ません。
前回もFacebookのURLからYou Tubeをcopyして、開かないというmessageを頂いたのですが、このFacebookでYou Tubeを一度開いてから、そのYou TubeのURLをコピペすると、多分、直接開くように、その人のパソコンに、持って行けるのではないかな??と思いますが・・
You Tubeのlinkの動画をrenewalしたversionに変更しました。次のFacebookのPageにlinkされている動画と同じ動画です。内容は前回の動画と全く同じ内容なのですが、譜例を作って動画に掲載しているので、そちらを参考にしてください。

7月26日コロナワクチンの摂取日なのだけど ·
今日は、四回目のワクチンの予約日なのですが、外は結構、強い雨が降っています。
近場のワクチン接種会場は、練馬総合だったので、歩きでは30分近く掛かるので、無理だよな??
bikeでrain-coatを着ての移動になるのかな??取り敢えずは、出発ギリギリまで待って、様子を見てみるか??
携帯のtimerが鳴って、出発のtimelimitになったのだけど、雨は結構、酷いので、諦めて、Raincoatで厳重武装して、練馬総合までbikeで出掛けた。
入り口を入った所で「vaccineの摂取会場は違う」と言われて、分室の診療所への地図を渡された。
大雨の中を、またまた、Raincoatを着直して、bikeで出掛けたのだが、病院の場所が分からなくて、目印の7の周りを、ぐるぐると探してしまった。
雨の中を、濡れるのも構わないで、地図を出して、checkをし直して見たら、なんと目印の7の真横のビルの1階の小さな分室だったのだよな??
探す時に、見たハズなのに、見えていなかったのだよな??
こういった見逃し方は、梨紗のgroupが東長崎の小さなホールで演奏会をやった時に、同じようにbikeで聴きに行ったのだけど、その演奏会場の**ホールの入り口を見逃した時、以来だよな??(imageと実際の入り口が、自分がimageをした入り口と、全く異なった場合に、見ても見えない現象が起こるのだよな??多分・・??)
まあ、取り敢えずは、12時前には全て終わって、ハイツに戻れたので、良し❢・・とするか??
今日は、お酒は禁止で、風呂はOKなのだそうな??
「飲みには行けない」という事だよな??アハッ!
ウダウダと、Vivaldiの「五色ヒワ」の問題点の楽譜をfinaleで作りながら、uploadのし直しをしていたら、You Tubeにuploadする時間、5時間とか、6時間とか、パソコンが使えなくなってしまうので、その間bedで寝たり、起きたりを繰り返していたら、夜の10時を過ぎた辺りから、注射をした左肩がいつものように、痛くなって来てしまいました。それでなくても、元々、40肩、50肩で、左手が動かないので、日常生活には支障はないのだけどね??
7月26日 ·
7月24日のオケ練習のVivaldiのRecorder-Concerto、五色ヒワの59小節目から61小節目までのViolaのcontinuoの不自然な動きに付いて・・なのですが、score通りでは、和声進行上(調性に)弱進行等の色々な問題があって、それが原因で、瑞希ちゃんが正しい音程が取れません。
・・と言う事で、楽譜上のViolaのcontinuoのpartを活かしたままで、和声上の弱進行を防ぐ和声進行を考えて見ました。
しかし、本来ならば52小節目から56小節目までの1st.と2nd.のripieno-soliのcontinuo進行は、Vivaldiのorthodoxな和声的進行だと思われます。この1st.と2nd.のunisonの進行が、Vivaldi本来の進行だと思われるので、その進行を、そのまま、Violaのcontinuoのpartに、当て嵌めて見た譜例も参照に練習風景上にuploadして起きました。但し、そのままでは、Violaの音域をかなり逸脱してしまいますので、途中からoctave下げています。そこがkritikのantitheseとしては、弱い所なのですがね??
そう言ったkritikな譜面を掲載した練習風景のversionを、第二版としてuploadしたのですが、第一版としてuploadした動画とは、そこの譜面を掲載した部分以外は、同じ内容なので、ダブリになってしまうので、いずれ削除する事にします。
(直ぐに削除したい所なのですが、限定公開なので、Facebookとlineのgroupにuploadしていたのですが、lineのgroupを削除するのは、結構、状況的に難しいので・・、groupの人達がaccessしなくなる時点まで、timingをズラしたいので・・・)

7月27日お友達Requestについて·
この所、どういう分けか、結構立て続けに友達requestが来ていますが、多分、本来の友達申請ではなくて、単なる宣伝活動等の友達申請だ・・とは思いますが、何度も同じお詫びの文章をFacebookにも掲載していますが、私は、snsが苦手な世代なので・・・と言う事で、友達requestにお応えするcaseは、直接的に面識のある人か、その人達の紹介のみの限定にしています。
それでも、年間を通して見ると、数名の入室があるのですが、その割には友達の人数が全く増えないのは、退室者が同数居るという事なのだよね??
教室を退会した生徒の保護者の人達だ・・とは思うのですが、去る者は追わず・・という私の身上があるので、調べる気にはなりません。
音楽界とは言っても、その殆どはpopularの世界のお話で、Classicを勉強する人は、音楽の世界でもほんの一握りに過ぎません。
ましてや、音楽を学ぶ子供達は、それでも或る程度の数はいますが、でも、音楽のamateurの集団である音楽の教育界とは違って、音楽を職業として生きている、所謂、professionalの世界は「日本中でも、何人いるか??」という極端に狭い世界なので、それこそ、「知り合いの知り合いは知り合いである。」と言うほどの狭き世界なのですよ。
だから、将来、proとして生きて行きたいのならば、思わぬ所で顔を突き合わせる事もあるので・・注意するように、生徒達には言っているのですがね~ぇ??
それが演奏界ではなくて、音楽の教育界であっても、音楽大学の教授達は、結構横の繋がりがあるので、喧嘩を売って先生の元を去るのは、その子供の人生には損なやり方だとは思うよね~ぇ??
多分、将来的に色々と支障を来たしてしまうと思いますよ。
それ以上のお話は音楽界だけのお話なので、これ以上はしません。
私は音楽界には関係の無い世界で生きているし、私自身が日本の音楽界を批判しているのでね??
それに、Facebookは、私の「mein Tagebuch」のような個人的なものなので、人数が少ない方が、助かります。
超、人数の少ないClassicの音楽界の世界に、更に喧嘩を売っているような文章や、老人の世迷い言のような鬱々な文章が多いので、余り多くの人達が私の文章を読むと差し障りがあるのですよ。
・・という事で、もう、暫くは、この人数をkeepしていきたいと思っています。

7月28日『4回目のvaccine摂取とスマホ用の外付けのKeyboardのお話』 ·
『4回目のvaccine摂取』
そう言えば、後期高齢者である私は、昨日の火曜日にコロナの4回目のワクチン接種をしましたが、それなので、あちらこちらから、「熱は?」とか「体調は?」とか、ご心配を頂きました。しかし、私は、この2週間程、体調不良が続いていて、日頃から微熱っぽかったり、色々と気分を悪くしていたので、元々からの体調不良なのか、ワクチン接種による体調不良なのか??・・・の判断が出来なかったのですよ。
3,4日前にはこの2,3年で最大の体重にまで増加してしまったのに、今日はこの2,3年での最低の体重に激減しているのですよ。
これ程の体重の増減は、単なる水肥りの所為だったとしても、体調が付いて行かないよな?
という事で、今日も一日ウダウダとしてしまったゾイ❢
と、自己弁護をしています。
『スマホ用の外付けのKeyboard』
携帯専用に買った外付けのKeyboardが、もはや紛失して、2、3ヶ月にもなろうと言うのに、未だ見つからない。
コロナで外出はしないので、置いた場所は自宅のパソコンの周辺か、椎名町の私の椅子周りと、千葉の教室の事務室ぐらいしか置き場所は無いのだが、それでも、そのたった三箇所を何度も探したのだが、やはり見つからないのだよ。
結局、探すのを、諦めて、安い三つ折りのKeyboardをnetで、購入した。以前のMoboのKeyboardよりも、一回りも小さくて、薄いのだが、高性能でもある。年式が随分変わったので、それで安くなったのだよな??・・という事で、netで注文しておいた、そのKeyboardが届いたのだよ。
しかし、取説がなんと、中国語と英語のみの表記だ。
しかも、英語は文字が小さすぎて、Loupeを使って見ても、見えないのだよ。
netで取説を探したのだが、全く見つからなかった。
諦めて、android専用のkeyboardと、種類を限定して、あまたある中のkeyboardから、必要な操作法だけを探して、いちいち書き出す事にして、実際に試して、操作法を調べて見た。
しかし、改めて、そう思って探して見ると、意外と、自分自身では、出来ない事が見つからない。
基本の操作は、まあ、パソコンの外付けkeyboardとの操作上の違いと変わらないからだ。
特に違った点を敢えて上げるとすれば、androidとiPhoneの機種上の違いぐらいかな??
directにKeyboard上で送信をする方法や、文字入力の切り替えが、パソコンのKeyboardとの違いだよな??
まあ、その程度か・・??
しかし、パソコン等では、無意識にKeyboardで送信をしているのに、androidでのKeyboardでの送信を勉強して、パソコンの送信をしようとして、どのkeyを押しているのか・・を忘れてしまった。結構、無意識で打っているのだよな~ぁ??
パソコンは、Enterだけで送信されるのだよな??
携帯の場合は、alto+Enterなのだよ。そういった微妙な違いを覚えるのは、難しい。意識下で打っているのではないからだよ。
そこらは、日本人のpianistと同じかな??
でも、Keyboard入力に感情を入れる必要は無いし、感情的に入力していると、Keyboardが壊れてしまうしね~ぇ??
同じKeyboardでも、そこらは、全く違うのだよな??アハッ! 表示を縮小

7月28日『black holeに呑み込まれたスマホ用のKeyboardが・・』 ·
今日は未だ、7月の28日の夜の11時48分である。
明日の千葉移動の椎名町の出発が早いので、急いでハイツに戻って来た所である。
椎名町に持って行った物の多くは、black holeに飲み込まれて、何時の間にかに、無くなってしまうのだが、何度も探して、探しあぐねて、諦めて、新しく買い直すと、紛失した物が出て来るというJinxもある。
この2,3ヶ月の間、紛失したままで出て来なくなったスマホ用の外付けのbluetoothのKeyboardなのだが、幾ら探しても出て来ないので、ついに諦めて、netで同じ三つ折りのbluetoothのKeyboardの安いtypeの物を注文した。
「多分、Keyboardが届いたら、前のKeyboardが出て来るのだよな??」と思いながら・・・

と言う事で、netで注文しておいたKeyboardが、昨日届いたのだが、このKeyboardも、ご多分に漏れず、ハイツに持って行って、bluetoothの設定を終わって、椎名町に持って帰る段になったら、2、3ヶ月前に、製本をするために、ハイツから持って帰って来て、2階のパソコンの部屋に置いてあったSinfoniaの資料のfileの入った袋の中から、突然、Keyboardとfloppy driveのcaseと一緒に、楽譜入れの袋の中から出て来た。
「なんで、その袋だけ見ていないのだよな??」
当然、そこは「あるハズは無い❢」と言う思い込みからなのだよな。
私は「物がblack holeに飲み込まれた時には、『あるハズはない❢❢』と言う所から探しなさい」・・と言い続けているハズなのだが、やはり、「ハズはない❢❢」・・という所は、見ようとしないようだなや???
「ハズは無い❢」という所を探すのは、非効率と思ってしまうのだろうかね??
でも、あるべき所にないから、無いハズの所を探すのは常識だと思うのだが、それが意外と理解されないのだよな。
・・・てな事を、ウダウダと書いていないで、明日に備えて、サッサと寝ないとな??
夏の合宿で、子供達と遊ぶのはやぶさかではないのだけれど、その間、ハイツでの仕事がstopするのは困ってしまうのだよな??

7月30日『相変わらずのお天気の話ですが・・』 ·
今日は、なんと7月30日、今日の練馬区の最高気温は37℃の予定だそうです。(『なんと』は『7月30日』と『練馬区の最高気温』の両方に掛かる掛かり言葉です。)
《今はもう夕方の4時半なのですが、練馬区の気温は、未だ35℃をもkeepしているのです。》
coolerを切ってしまうと、やはり暑くて、たまらないのですが、coolerを入れると、体が疲れて動けなくなってしまいます。
とことん、coolerには弱いようです。
明日はもう7月31日の7月最後の日で、眼前に8月が押し寄せて来ています。
いや~あ、この時の流れは、老い先短い老人にとっては、結構恐怖だよな??
これ以上、短くなってしまっては、先が無くなってしまうからね〜ぇ??
『夏の合宿が始まりました。』
それはさておいて、昨日の29日からは、子供達の夏の合宿の始まりです。
これまでに無い、超、少人数の夏の合宿なのですから、「人数が少ないと、少しは静かなのか?」と思ったのですが、どうして•どうして••、子供達のpowerには、いつも参ってしまいます。
『DYIのお話 Keyboardstandを作った。』
今日は、私は生徒達の面倒は見ないで、いつも教室のneckになっているKeyboard・standをDYIしたのですが、昨日は車の移動の前から、色々とhappening続きで、ダラダラと時間が伸びてしまって、結局、夜の11時頃まで、DIYに時間が掛かってしまいました。
とは言っても、DIYの作業に時間が掛かったのではなくて、線を引くモノサシを探したのだけど、とうとう教室に一本の定規さえもなかったり、書くMemo用紙さえもなかったりと、普段の日常品を1つ1つ探すのに膨大な時間が掛かってしまったのですよ。
それと、設計図を説明するのが一苦労でした。
固定されてしまうPartsは長い釘を使用するのですが、バラせるようにするpartsには埋め込みNatを使用して蝶ネジで簡単に締めるようにします。
更に蝶ネジを通す穴は大き目で、簡単にネジが通り抜ける事が出来るように、穴の口径を広く取っておかなければなりません。
何日も前から設計図を渡していて、買い出し等も、分担出来るようにしておいたつもりだったのだけど、何度となく説明したつもりだったのだけど、自分が作る立場で聞かないと、図面を見るだけでは、設計図をちゃんと理解出来ていないのだよ。
8本の蝶ネジだけで、組み立てられる設計は、或る意味、Puzzleと同じなので、難しかったのかな??
keyboardのstandに何故こだわるのか?というお話ですが、先ず、教室には管楽器の生徒は一人もいません。(例外的にはrecorderは教室でも指導はしているし、今回の発表会でもrecorder。Concertoの五色ヒワを楓ちゃんが演奏する予定なのですが、あくまでも、piano専科のsub楽器としてのrecorderであって、専科としての•••ではありません。
基本的には小学生達に管楽器を指導すると、呼吸器系統に支障が出る可能性があると医学的方面から指摘されているからです。
そういった、医学的見地から私自身が小学校のbrass bandには反対の姿勢を取っているからです。)
という事で、orchestraの管楽器のpartをpiano専科の生徒達にkeyboardで演奏させるのですが、一般的なkeyboardでは、持続する音に、vibratoを掛けてしまうので、ensemble楽器としては使用する事が出来ません。
keyboardでは、vibratoの付いていない管楽器をselectする事は現実的に非常に難しいのです。(しかも、keyboardの管楽器のvibratoは生の管楽器のvibratoとは全く違って、非常に不自然な揺れ方をするので、気持ちが悪いのですよ。
已む無く非常に高価なharmony‐Directorというbrass band指導用の極めて特殊なkeyboardを上下二台を使用して管楽器のpartを演奏させているのですが、市販の上下二台型のkeyboard・standでは、これまた、色々と演奏上の問題があるからで、教室にも数台楽器standがもう使われなくなったままに、部屋のゴミになってしまって、あるにはあるのですが、もはや、使用する事は無いのですよ。(使用出来なくなった物が大量にあるので、頑張って売りに出せば良いのですが、「それをバイトでやらない?」と声を掛けたのですが、誰も引き受けてくれなかったのよね〜ぇ??
まあ、それは放っておいて、本題に戻って、•••
一番安定性があって堅牢である•••という事で、已む無く、ルミナスの家庭用のWagonを、楽器standの代用品として使っていました。(写真参照:)
それに加えて、実際に発表会の会場等に持って行く時の利便性を考えた上で、発表会等で演奏場所が代わった時の解体と組み立てに蝶ネジ8本で、簡単にバラす事が出来るように配慮して設計をも考えました。バラして持って行くstandを舞台で組み立てるのは、人数や時間的に、neckでもあったからです。
後は市販の木材の規格に合わせて企画した設計図の修整を規格の実寸で修整をして、組み立てて出来上がりました。(写真参照:)
という事で千葉教室を出発してから車を椎名町の駐車場に置いて、更にBikeでハイツに戻ったのは、深夜の1時にもなっていました。
それでも、結構、汗をかいたので、体をシャワーで、洗い流して髪の毛を洗って寝たので、就寝は3時頃になってしまったのかな?
いや~あ、超バテたぜよ❢❢
ここまでは、29日のお話であって、未だ、30日のお話ではありません。
はてさて、30日のお話となると、これは何にも無いのですよ。
朝起きて腹が減った!のだが冷蔵庫の中にはいつものように何も入っていないのです。
チョッと椅子に座ってテレビでも見ようか・・とも思ったのですが、疲れて直ぐに、bedに戻ってしまいました。coolerを付けていると寒いので消すと暑くなってしまいます。暫く消したままにしていたら、熱中症のようになって来たので、慌ててcoolerを入れました。結局の所、まるまる一日中、その繰り返しでした。
つまらないので、今日は何も書かない事にします。夢も結構くだらない夢ばかりを見てしまいました。
明日の31日の合宿の最終日は通常のオケ練習とlessonがあります。またまた、大変な一日となります。それまでに疲れが取れると良いのだけど、眠れないのよね~ぇ??それに、明日の練馬区の気温は38℃で、最低気温が28℃の予定なのだそうです。なんだ、10℃も温度差があるのではないか?と、驚いていたのですが、よくよく考えて見ると、最低気温でも真夏日なのだよな〜ぁ?
コロナのパンデミックで大騒ぎをしているので、この異常気象の状態を普通に思っているのかな??誰も騒いではいないのだよ。
完全な病気状態の発狂した気温だと思うですがね~ぇ?
堪えられるかな〜ぁ??無理だろうな〜ぁ??
•••という事を思いながら、椅子に座ったままで仮眠をしているのだ。
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今日は、とうとう8月の1日です。
未だ朝の10時半なのだが、既に練馬区の気温は34℃にもなっている。
お昼からは38℃の予定なのだ❢
この話は何度も書いた覚えがあるので、蛇足に過ぎないのだが、練馬区が38℃の時には、テレビ等で放送される東京?」の最高気温は36.5℃になっている。だから、私が「練馬区は東京ではないのか?」と愚痴っている元になっている。
元々、東京の気温を決める基準点は、東京・大手町の同庁本庁舎に置いている気象観測地点だったのだが、2014年の12月2日から北の丸公園(千代田区)に移すと発表した。移転に伴い過去のデータをもとにした気温などの平年値も変更。年間の最低気温はそれまでより1.4度低くなる。
また、練馬区は東京のheat island現象の中心地で、発表される東京の気温よりも、常に1~2℃は高いのだよ。
それが発表される東京の気温と私の住む練馬区の気温差の理由である。決して、感情的な理由ではないのだよ。
てな事をウダウダと書いていたら、等々、お昼の2時になってしまっていた。携帯で練馬区の気温を調べたら、マジ28℃です。
流石にcoolerが利かないので、設定を26℃まで下げて、なんとか凌いでいる。
まあ、それは兎も角としても、38℃という温度の中での、千葉への移動は、後期高齢者の老人に取っては命懸けの「大変」なのだ❢
それに、教室では、換気のために外の空気を取り込みながら、冷房を入れても、電気代だけが跳ね上がるだけで、部屋は涼しくはならないのだよ。まあ、当たり前の話なのだがね??
部屋を温めながら冷やすのと同じ事なのだからね??
暫く、lessonをしていると、頭がぼ~として来て、空中浮遊状態になるのだよ。熱中症の初期状態だよな??


8月2日『La Foliaの改定に付いて』 ·
オケ練習でひと月程la foliaの練習を重ねて来たのですが、arrangeの出来具合を見るとしても、各partが一人づつだったとしても、最低の人数の他に、Violaのsolo1とViolinsolo各2と、Viola1とCello1で(soliが4人とCembaloとOrganの2で6名で、オケのpartを一人づつの5人で弾いたとしても、最低12名いないとscoreの音の再現が出来ません。
いつも、memberは5~6名しかいないので、la foliaはオケとして成り立たないので、実際には、arrangeされた楽譜がどの様に響くか分からないのだけど、いつまでも、そうは言ってもいられないので、今までのcheckをした中からの訂正分を、今日の朝一の7時ぐらいから10時頃までかかって、全面的に改定をしました。
conceptは、proのorchestraの人達でも難しいarrangeだったのですが、本番直前でトラとして参加してくださる人達が少しでも弾きやすいように、和音も取りやすいように、音を減らしてdivisionを上手く使って和音が痩せないように配慮しました。
また、hemiolaのような変拍子で指揮をしなければならない箇所は、拍頭がsyncopationにならないように、拍子を3拍子から2拍子に書き直しました。
拍を見間違えないように、強拍が一拍目に来るように、譜面通りの拍に訂正しました。
また、Variation形式の曲では、variation毎の終わりが、長いrit.を伴ってから次のvariationに行く場合と、attaccaでstraightにsenza rit.で、次のVariationに突っ込む場合があるのですが、その区切りを複縦線の上のfermataで表しました。
色々と演奏上の都合で、originalのDavid版とは少し変わってしまいましたが、演奏者の人達が、一度も練習に来れないままのぶっつけ本番の出演の可能性もあるので、安全策の方を優先する事にしました。
という事で全面改訂になったので、全partの変更になるのかな?
今回は、曲が非常に難しいので、安全策優先のarrangeです。
これ待て、何度となく教室で演奏して来たbaroque-versionのCorelli=Geminiani版とは、全く別のRoman派のFerdinand David版での作品になります。
今はもう、2日の夕方の6時ですが、練馬区の気温は未だ37℃もあります。
体感温度は40℃だそうです。
ハイツでは、パソコンの部屋をcoolerで冷やして、寝室とのdoorを開けたままで、寝室を冷やしています。
仮眠をする時に、直接冷気が体に当たらないので、冷房の頭痛にはなりませんし、良く眠れます。
それ以外の部屋は、とても入れたものではありません。

8月2日7月31日の夏の合宿最後のオケ練習の風景です。 ·
7月31日の夏の合宿最後の日の日曜日のオケ練習の風景です。
超、暑いのに、コロナの換気のために窓を開けたままでの、空気を入れ替えての練習なので、coolerが全く利かなくて大変だったよね??
よく頑張りました。
意識朦朧の人もいたようだけど、・・・アハッ!
でもそれは、夜のお布団でのおしゃべりの所為だよね〜ぇ??
いつもの限定公開の練習風景です。
今回もtimely優先で、殆どcommentは入れていません。
次の月曜日の朝には出来ていたので、月曜日のお昼間には公開出来たハズなのですが、間に他の仕事が入ってしまって、upするtimingを見失って、別の仕事に翻弄されてしまい、折角、日曜日の次の日の朝迄に、動画を作った意味が無くなってしまいました。
まあ、急ぎの仕事があったので、仕方が無いのですがね~ぇ??

8月2日暑い❢❢ ·
8月の2日の火曜日のお話です。
今日は夏休み中なので、少し早めに、夜の8時に食事の為に、ハイツの部屋から外に出たのだけど、肌に触る空気があまりにもモワ〜っと暑いので驚いてしまいました。
普段の日々は、お昼が37℃超えだったとしても、夜は28℃ぐらいで、bikeで、肌に当たる風は結構、肌寒かったのですよ。
今日は、夜の8時現在でも34℃越えで、Bikeで風を切って走っても、頬や腕に当たる風が生温かくて、気持ちが悪いのですよ❢
豊島区の気温は、練馬区とはだいぶ違っていて、32℃で、体感温度は34℃、湿度も70%を越えています。
完全に体温を越えているのだよな〜ぁ??
食事が終わったのだけど、ドルプリっ歩は私はパスする事にしました。
オケ練習からは、2日も経っているのですが、未だ、完全復調とは言い難いし、それでなくても、この蒸し暑さでは体調・・というか、心臓が心配だからです。
先生達がドルプリっ歩に出掛けるよりも前に、ハイツに戻ったのですが、夜の11時になっても、練馬区の気温は32℃のままです。
(練馬区は豊島区よりも、気温が高いので・・・)
体感温度も34℃のままです。
湿度も76%で、風は1M以下です。
室内も、すっかりとうだっています。
とても、「coolerは嫌いだ❢」とは言っていられない状態ですよね??持ち帰って来た食料品や、荷物の整理をしなければならないのですが、椅子に座ったままで、ヘバっています。
やってらんね~ぇヨ❢❢な~ぁ????

8月3日key配列のお話 ·
8月3日の水曜日のお昼の2時になろうとしている所です。
今日はとうとう、練馬区の気温が、これまでの最高の39℃になってしまいました。
今日の最高気温の予定は38℃だったのですが、予測を越してしまったのですよ。
関東地方は今年13回目の猛暑日で過去最多に並んだ••という事だそうです。
・・・という事は、過去にもこういう猛暑日があった・・という事なのだよね??
俺にはそういった記憶は無いよ??まあ、喉元過ぎれば•••かも知れないけれども•••
それはそうと、パソコンがbusyで、スマホで長文を入力する必要があったので、さっそく、bluetoothのkeyboardを出して来て、入力を始めたのだが、何と何度入力しても、上手く入力が出来ない。
keyを間違えて打ってしまうのですよ❢
「keyboardが小さい所為なのかな?」とも思ったのだが、小さい事自体が、入力が難しい理由ではないようだ❢
いつものように、keyboardに左右の指の分割線を引いて、驚いたね〜ぇ??
何と、keyの配列が一文字分も、ズレているのだよ??(写真参照:)

分割線を引いて見たのだが、一直線ではないのだよなぁ??
一番下の文字列が、右側に一文字分ズレているではないか??
それはないよな〜ぁ?!
兎に角、blind-touchの場合には、写真中央の右手と左手を分けるkeyの配列が、なるべく真っ直ぐでないと、blind-touchには向かないのだよ。
つまり、blind-touchでは、同じ指で真下のkeyを押す分けなので、そのkeyの配列が左側に、左右の手がズレていたのでは、左右の手が垂直方向ではなくて、斜め右側に上下する形になるのだ。それは何と不合理な事なのだろうか?
理解不能だ❢
これは買い物に失敗したのかな?
•••と思って、これまで使っていたMoboのkeyboardを確認して見たら、何と、やはり同じように、一番下の文字が一文字分ズレていたのだよ❢
・・・と言うか、TabからcapsRock、shiftとkeyが少しづつ大きくなっていて、そのために、文字列が左側にズレて行くのだが、 Ergonomic Keyboard では、そのズレが最小限に留まっていて、しかも、右手と左手がズレてshift出来るようになっているのだ。
そのために、blind・touchでも、misstouchが起こり難い構造になっているので、打ち間違いに悩まされる事は少ないのだよ。
なんか、mobileのKeyboardは、blind-touchでは、非常に使い辛いと思っていたのだが、それをkeyboardが小さい所為なのかな?と思っていたのだが、そうでないという理由が分かって、安心したョ❢
それぞれのKeyboardの文字列が左側にズレて行く程度が機種に拠ってそれぞれ違っていて、文字keyの半分ぐらいから、完全に一文字分までの違いがあるのだ。
ならば、普段に使うスマホ用のkeyboardを、 Ergonomicのスマホ用のKeyboardを買えば、打ち辛さは無くなる•••という事なのだよなぁ?
わざわざスマホでKeyboardを引っ張り出してまで、打つ時には、よっぽどの長文か難解な文章を打つ時だけなのだから、それで引っ張り出したKeyboardが打ち辛ければ、所詮、外付けのkeyboardの意味は無いのだよ。
外付けkeyboardには、右手用と左手用にkeyboardが分かれているtypeまであるのだが、そこまで行くとちょっと冒険な感じがするので、流石に気が引いてしまうし、値段を調べたら、とんでも無い値段であったのでね?(ちょっと調べてみたら、なんと1万5千円と2万円の2機種があって、しかも、アラビア語か何かの怪しげなPageが開いた。怖い❢怖い❢❢)普通の分割Keyboardのtypeならば、3千円程度で買えるのだよ。
冒険大好き人間のハズなのだが、2万円まで出しての費用対効果は無いよね?
と言う事で、3千円程度の Ergonomic‐typeのKeyboardを早速注文した。なんと、その日の内の夜には着いたよ❢❢
早速、携帯とPairingをして、入力を試して見た。
携帯に長文が、全く楽にmiss無く入力が出来るので、嬉しくなってしまった。
ただ、英数カタカナ等々の文字入力の切り替え等でのshort‐cut‐keyが分からなくて、(勿論、解説書にも書いて無くて・・)手間取ってしまったのだけど、外付けのmobile‐Keyboardの場合にはいつもの事なのだからな~ぁ??
後はDeletekeyがfn‐keyを押しながら・・ではないと、逆に前の文字を削除してしまう・・とか、Keyboardの特性を覚えるのには一苦労だよな??keyの数が少ないのだから仕方ないのだよな??
私が常日頃、主張しているように、物は元来、道具が人間に合わせるべきであって、人間が道具に合わせるべきではないのだ。
しかし、この極めて当たり前と思われる摂理が、当たり前ではないのが、世の常なのだよ❢
例えば、こんにちの基本的なKeyboardの配列の基準になっているTypewriterのkey配列は、typewriterが作られた当時、typewriterのtypeするtypistのkeyを打つ速度が速すぎて、typeのkeyの戻る速度が遅過ぎて、Pin同士が絡む事故がよく起こったので、人間の苦手な配列にkeyの配列を変える事で、typistのkeyを打つ速度を遅くする事によって、Pinの絡む事故を防いだのだよ。
次には、電動式に変えられたので、殆ど同時にkeyを打つという・・そういった事故は起こらなくなったのだが、その配列は不思議な事にそのまま残ってしまって、その後、ワープロやパソコンの時代になってもその不自然な配列は残ってしまっているのだよ。
英語というか・・ローマ字の基本配列は26文字から成り立っているのだが、日本語をローマ字で表記する場合には、私達が子供の頃学んだヘボン式ローマ字から、訓令式ローマ字と、近頃ではワープロ式ローマ字の、3種類がある。・・で、日本語を表記するのに、幾つの書き方が考えられるか??なのだが、実は未だ確定していないのだよ。
富士通の親指shiftでは、最速のkeyで日本語が打てるkey配列を開発したのだが、typistの殆どが、Typewriterからパソコンのkeypuncherに移動した人達が殆どだったので、同時にkeyを打つ事がTabooとして教えられて来た人達だったので、Pianoのようにkeyを和音で打つ親指shiftは出来なかったので、日本では普及する事は無かったのだよ。
教室でも親指shiftのワープロが売り出された時には、10台以上の富士通のワープロで教室の作業を熟したのだが、ワープロがパソコンに移行してからは、親指shiftが使えなくなってしまって、ローマ字変換に戻してしまった。
だから商業学校で学んだ子供達は全員親指shiftで学んでいたのだけどね~ぇ??
日本の右側交通と同じで、悪習であっても、一度、身に付いた習慣を変える事は難しいのだよね~ぇ??
日本独自のEuropa音楽も150年経っても何一つ変わらないしね~ぇ??
今は夜の9時半を過ぎた所です。
勿論、超、暑いままです。
今日は斎藤先生がユーカリが丘教室でのlessonがあったので、プリドルのお迎え散歩を先にして、9時からの食事の予定だったのですが、延々と爆睡していたにも関わらず、意識混濁状態が続いていて、Bedから起き出して、椅子に座る所までは、なんとか出来たのですが、それから体が全く動かなくなってしまって、パソコンで、mailの返事を打つ事すらも出来ません。
なんとか意識だけはあるのですが、30分以上も体がfreezeしたままで、椅子の上で硬直したままなのですょ?!
その内に、斎藤先生から、食事の時間のmailが着いたので、なんとかyes、noだけの文字を打って、今日は椎名町には体力的に行けない旨だけは連絡をする事が出来たので、頑張ってまたまたBedに戻りました。
本来ならば、「行く、行かない」の返事だけならば、Bed-sideのスマホだけで出来る事だったのだけど、なんとか食事のために、椎名町に移動しようと頑張って見たのだけど、無駄な努力だったのだよな??
腹が減ったのは、兎も角としても、行けるか行けないかは、体調に相談すれば良かったのだよな??
なまじ頑張って椎名町まで出掛けようと思って、椅子に座ったので、逆に返事をするのに、小一時間近くも掛かってしまったのだよ。

8月4日部屋の空気が悪い ·
8月4日の木曜日の深夜の3時33分です。
夢を見ていたのですが、toilet-timeで起き出して見ると、少し部屋がヒンヤリとしていました。
部屋の温度調節は相変わらず隣のパソコンの部屋の大型coolerで冷やしています。
その設定を27℃にしていたのですが、外界の気温が33℃から30℃まで下がって来たので、少し寒くなって来ました。
という事で、設定温度を28℃に上げた所です。
深夜の2時を過ぎた頃から江古田の周りでも雨が降り始めたようです。
突然の雷の音に驚いてしまいました。それが突然の気温の低下に繋がったようですね。
椅子に座ったままで、呆然としていたら、気が付いたら朝の5時になっていました。
部屋の温度は27℃で、結構寒いのです。
携帯で練馬区の気温を調べたら、なんと25℃で、雨も上がっていいるようです。
慌てて、パソコンの部屋のcoolerを消して、玄関のdoorを開けて確認をしたら、外はもう明るくて、超、寒いのです。
でも、湿度はとても高いようなので、寝具が湿気を帯びないように寝室の扉は閉めて、パソコンの部屋と玄関のdoorを全開にしました。
風が部屋の中を勢いよく通り抜けて行きます。
少し肌にはジメジメ感が残りますが、超、寒いのです。
空気が入れ替わるので、小一時間程は、このままにしておきます。
8時頃になったら、工事関係の人達がビルに入って来るので、それまでは、窓や扉を開いておけるので・・・
•••と思ったのですが、外の空の写真を撮る為に、窓の傍に寄って見ると、冷たい風に雨の粒が混じっています。
これでは部屋の中が濡れてしまうので、窓を開けておく事は無理なようです。
仕方が無いので、窓は閉める事にします。
束の間の外の空気を愉しみましたが、ほんの一瞬で、絨毯が湿気ったゾイ。

8月5日休みだ❢ 休みだ〜❢❢ わ~い❢❢ ·
今日は8月5日の金曜日なのですが、一転して、昨日までの最低気温が、今日の最高気温の28℃で、最低気温は、何と、22℃です。
とは言っても、湿度は73%もあるので、暑いような、寒いような気持ちの悪い状態で、体が付いて行かなくて、体調も良くはありません。
パソコンの前の椅子に座ったままで、意識朦朧状態で、色々と体がままならなくって、仕事にならない状態を悩んでいたら、テレビの番組で、「蚊や蟻等の昆虫類も、暑い時には、動かないで休んでいる」という昆虫学者のお話しを聞いて、自然界の生物も、天候に順応して暮らしているのだと安心しました。
今日は、老人らしく体調に相談をして、行動を任せて見る事にしました。
という事で、今日は私も「夏休み」にします。
本日の営業は終了しました❢
休みだ❢ 休みだ〜❢❢ わ~い❢❢

8月6日兎に角、頑張って寝なければ ·
今は8月6日の深夜の2時になろうとしている所で、目が覚めてしまいました。12時前にはbedに入って寝たので、one‐coolの1時間半の睡眠です。
toiletに行ってまた眠ろうと思ったのですが、部屋の空気が汚れているように思われたので、空気の入れ替えを始めてしまいました。
今現在の練馬区の気温は23℃で、肌寒いくらいなのですが、湿度は83%もあり、結構ジメジメしています。
換気が終わったら、また部屋を閉めて、coolerで除湿をしなければなりません。外の空気を循環させながら、「このまま眠っても良いか?」と思ったのだけど、湿度が高くて、鼻詰りと汗